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落語家の三遊亭円楽さんが9月30日、肺がんのため亡くなった。72歳だった。18年に肺がんが見つかり、闘病を続けていた円楽さん。今年1月に脳梗塞で倒れて入院し5月には退院するも、8月26日に肺炎で再び入院していた。円楽さんといえば、『笑点』(日本テレビ)での桂歌丸さん(享年81)への毒舌や軽妙な掛け合いが名物となっており、お茶の間を楽しませた。そんな『笑点』の2018年7月8日放送回は、直前の7月2日に亡くなった歌丸さんを特集した内容に。その中で、円楽さんが「じじい、早すぎるんだよー!」と愛のこもった毒舌で追悼したことは当時SNSで大きな話題となった。そんな円楽さんと歌丸さんとの絆は、円楽さんの師匠である先代の圓楽さんのカバン持ちをしていた時にさかのぼると。円楽さんは、歌丸さんの人柄について16年7月の本誌の取材でこう明かしていた。「歌丸師匠は一本筋が通っていて、『この人はちゃんと叱ってくれる人だ』『きちんとお付き合いすれば、きちんとしてくれる人だ』というのが、すぐにわかりましたから。誠心誠意、一生懸命お付き合いさせていただこうと思いました」「これからも師匠の背中を見て、ついていきたい」(以下、カッコ内は当時の円楽さんの言葉)『笑点』のレギュラーとして、キャラが確立できず悩んでいたという円楽さんを励ましたのも歌丸さんだった。「歌丸師匠が『楽さん(当時は三遊亭楽太郎)、困ったら俺のことを言いなよ。あとで編集するんだから何を言っても大丈夫だから』と。それまで師匠と『キザ!』『お化け!』とやり合っていた(三遊亭)小圓遊さん(80年死去)が亡くなったあとでしたから。歌丸師匠にそう言われて『ああ、そうか。小圓遊さんがやっていたようなことをやっていいんだ』と思ったら楽になりました」そして、円楽さんは歌丸さんへの思いについて、万感の表情で語っていた。「歌丸師匠は、後見人として、私のお披露目を手伝ってくださった。『実の親』と、『育ての親』の先代の圓楽師匠、そして『見守る親、バックボーンとしての親』の歌丸師匠ーーこの3人がいたおかげで、私はここまで来られたと思っています」肺がんの手術後、「じじい、まだ呼ぶんじゃねーぞ!」と空を見上げて叫んだという円楽さん。再会した二人は、どんな掛け合いをしているのだろうかーー。
2022年10月01日5月17日に放送された『笑点』(日本テレビ系)は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けリモート収録となった。同番組の放送開始から55年目・第2,711回で初のリモート放送。そんな中で特に注目されたのが、座布団運び役である山田たかお(63)の欠席だ。この日の放送はリモート出演の各師匠と共に、「笑点50周年」や「桂歌丸さん勇退回」などの名場面を振り返った。また翌週24日の放送で史上初の“リモート大喜利”が放送されることが発表された。番組冒頭、司会を務める春風亭昇太(60)が「『笑点』もついにこの時がやってきました。なんと!スタジオには私1人。他のメンバーの皆さんは全員、自宅でのリモート放送でお届けしま~す!」と挨拶した。昇太は続けて「こんな形なんでね、不要不急の座布団運びの山田さんはお休みです~!」と笑いを交えて説明。林家たい平(55)も拍手をしながら「もうずっとこれでいいですね~」と合いの手を打つ展開に。スタジオには座布団運びの山田のほぼ等身大パネルが置かれ、「お休み中」と書かれていた。ネットでは、山田くん欠席を悲しむ声が多数あがっている。《リモート笑点で不要不急扱いされる座布団運びの山田くん…》《そうかぁ、リモート笑点だと山田君の仕事がないよな》《リモート笑点、山田くんお休みなの寂しい》本誌は今年3月、山田を取材している。その際に36年の座布団運び歴のなかで、1カ月間だけお休みしたことがあると語っていた。「若い新人プロデューサーが『若手大喜利でいちばんよかった噺家に、次回の大喜利で座布団運びをやらせる』って、師匠たちにきちんと話も通さずにやっちゃったんだよね」だが司会の五代目三遊亭圓楽(享年76)が、「山田くんじゃないとダメだ!」とプロデューサーに直談判。桂歌丸に至っては「山田くんを戻さないなら、もう『笑点』は他局でやることにする」と掛け合い、復活を果たした。また06年には、体調悪化を理由に五代目圓楽が司会を降板。じつは『笑点』は司会が変わるごとに、座布団運びも交代するのが慣例だったという。だが、このときも師匠たちの願いによって続投することになった。36年間で何度も窮地を乗り越えてきた。今回もネット上で、復帰を待ち望む声が。《え、山田くんは?つめないけど山田くんは必要やと思うで。いるだけで関西人のテンション違うやろっ》《山田隆夫の座布団運びは不要不急ではなく番組に必要なスパイスだと思いますよ!いち早い復帰をお待ちしてます!!》果たして、山田くんは復活となるのだろうか。
2020年05月18日1966年5月から、毎週放送されている『笑点』(日本テレビ系)。世界で最も長い歴史を持つ演芸番組としてギネスにも載る長寿番組。そのなかにあって山田たかおくん(63)、じつは2番目の古株なのだ。長い期間、苦楽を共にした師匠たちとは、家族同然の付き合いで、個性あふれる噺家との思い出は数かぎりない。なかでも、とくに彼のことをかわいがっていたのが、司会を務めていた五代目三遊亭圓楽(70)だという。「一見、穏やかそうに見える圓楽師匠ですが、弟子たちにはとても厳しい方で。それはいいんですが、僕を引き合いに出すんですよ。弟子たちに説教をするときに、『おい、山田くんはな、今度あのスピルバーグの映画に出るんだよ』と僕のことを持ち上げたと思ったら、机をバーンと思いっきりたたくんだそうです。そして『お前たちはなんで出られないんだ!』って怒鳴る(笑)」36年の座布団運び歴のなかで、山田くんは1カ月間だけお休みしたことがあるという。「若い新人プロデューサーが『若手大喜利でいちばんよかった噺家に、次回の大喜利で座布団運びをやらせる』って、師匠たちにきちんと話も通さずにやっちゃったんだよね。一種の下克上だよね」ところが……、名人ばかりずらりと並んでいるのが大喜利。彼らに対峙する座布団運びに抜擢された若手噺家は、雲の上のような存在を前にオロオロするばかりだ。これに、まず怒ったのが司会の五代目圓楽だった。「山田くんじゃないとダメだ!」プロデューサーにこう、雷を落とした。桂歌丸(享年81)に至っては、「山田くんを戻さないなら、もう『笑点』は他局でやることにする」2006年、体調悪化を理由に五代目圓楽が司会を降板。師匠は、最後の収録の際、山田くんにこう言い残した。「あとは山田くん、頼りにしているよ」じつは『笑点』、司会が変わるごとに、座布団運びも交代するのが慣例だった。山田くんも、ここで卒業と覚悟を決めていたのだが、「圓楽師匠の後を継いだ歌丸師匠がこうおっしゃったんですね。『もうこのメンバーで50周年までやろうよ』って。僕にも『また一緒に座布団、運んでくれる?』って言ってくださって」五代目圓楽、それに歌丸も、大喜利メンバーを1つの家族と考えていた。だから、林家こん平(77)が病気で休養した際、2人は「代わりに変な芸人入れるぐらいなら、山田くんを大喜利メンバーに」と提案したほどだ。そして2016年春、歌丸は自身の言葉どおり放送開始50周年を見届けて勇退。2年後の2018年7月に、帰らぬ人になった。「最後に見舞いに行ったとき、もう意識もなかったはずなんだけど。歌丸師匠の耳元で『ありがとうございました』って声をかけたら、師匠、目を開けてくれてね。そして、僕の顔を見て『山田くん、ありがとう、山田くん、ありがとう』って力を振り絞るようにして2回、言ってくれた。それが師匠と交わした最後の言葉です」病室をあとにするとき、山田くんは歌丸の愛妻、冨士子夫人に、そのことを伝えた。「そしたら女将さんがね、『当たり前よ、山田くんはちっちゃいころからずっと一緒にいたんだから』って。涙、流しながら言ってくれてね。その日のことは、この先も一生、忘れないでしょうね」噺家の師匠たちに可愛がられ続け、今では笑点にとってなくてはならない存在になった山田くん。いくつまで座布団を運ぶのか、と尋ねると、「『笑点』はね、メンバーは死んで『お疲れさま』ってなるんだよね。だから座布団運びも『笑点』だけに、昇天するまでだね(笑)」トレードマークの笑顔で、そう答えた。「女性自身」2020年4月7日号 掲載
2020年03月29日「僕はいつもニコニコ笑うようにしてるんだよね―」山田たかおさん(63)は子供のときからそうだった。のど自慢に飛び入り参加で大ウケ。番組のご褒美で作ったグループ「ずうとるび」が大人気。そして、ご存じ『笑点』の座布団運びまで、笑いを振りまき、家族やファン、視聴者といった周囲の人たちを楽しませてきた。五代目・三遊亭圓楽(70)や桂歌丸(享年81)からもかわいがられ、一目置かれたのもこの笑顔があったからこそ。そんな彼が直面した危機。ずうとるび脱退と離婚を経て無一文になった山田くんを救ったのは、一本の電話だったという。ずうとるび結成から今までの、山田くんの人生を辿ろう。幼少期に、「劇団ひまわり」に入団。その後中学2年生のとき、日本テレビからオファーが届く。じつは座布団運びよりもずっと前、これが山田くんと『笑点』との出合いだった。「幼いころから落語が好きで、本を読んだりして勉強もしてました。それで、ある番組で落語『寿限無』を披露したところ、それを見たある放送作家さんが『こいつだ!』ってひらめいたようで。僕と、それに同世代の子供を集めた『ちびっ子大喜利』が始まったんです」当時、『笑点』の司会は三波伸介(享年52)。当初のちびっ子大喜利のメンバーには山田くんのほか、キャロライン洋子(57)や林寛子(60)の姿も。「それから、ドラマで仲よくなった郷ひろみくん(64)にお願いして『紅白歌のベストテン』という歌番組の収録現場を見学させてもらったことがあって。『キャーッ、ひろみく~ん』って、すごい熱狂ぶり。それ見てたら『いいな、俺もこれやろう、アイドルになろう』って思っちゃったんですよね」ちびっ子大喜利も、座布団が10枚たまるとご褒美がもらえる仕組み。山田くんは「レコードを出したい」とリクエストし、見事10枚の座布団を獲得した。「アイドル全盛時代でしたから。どうせなら、ちびっ子大喜利の男子でグループを組もう、ってことになったんです」こうして生まれたのが、4人組のアイドルグループ「ずうとるび」だった。デビュー曲は山田くん作詞・作曲の『透明人間』。当初から、ずうとるび人気はものすごかった。各局の歌番組、バラエティ番組で重宝され、週11本のレギュラーを抱えるまでに。「紅白?出られるなんて夢にも思ってませんでした。自分以上に両親が喜んでくれたのが、とってもうれしかった」しかし、ずうとるびブームのピークは、まさにその紅白だった。彼らの人気は徐々に停滞気味に。同時期、山田くんには私生活でも大きな変化が……。それは人生最初の結婚。1977年、山田くん21歳のときだ。また、メンバー間には音楽性の違いによる軋轢も生じ始め、コミック路線を進みたい山田くんと、歌って踊れるアイドルを目指したいほかのメンバー。そこで、山田くんは脱退を決意。「やっぱり僕は、どこまでも人を楽しくさせたい、明るくさせたい、笑顔にしたいっていう思いが強くてね。普通のアイドルじゃ、面白いと思えなかった。それに、当時の奥さんの親類とも、どうにも折り合いが悪くて。芸能界引退まで迫られてしまって……離婚することになったんです」慰謝料と養育費を払い、無一文に。家族を失うと同時に、仕事もどんどんなくなっていった。そんな窮地に1本の電話が入る。かけてきたのは旧知の『笑点』のプロデューサー。用件はただ1つ。「山田、お前、座布団運びやるか?」即答した。「やります、やらせてください。なんでもやりますから」こうして1984年。「座布団運びの山田くん」は誕生した。その日から36年間、山田くんは家庭用よりはふた回りも大きく重い座布団を運び続けている。「最初の座布団を誰に持っていったかは、もう忘れちゃった(苦笑)。これまでに何枚、運んだかも……、まあ、申請さえすれば、間違いなくギネス記録だと思いますよ」山あり谷ありの中で縁が繋いだ“座布団運び”を、これからも笑顔でまっとうすることだろう。「女性自身」2020年4月7日号 掲載
2020年03月29日今年も多くの偉大なスターが、たくさんの思い出をわれわれに残してこの世を去った。そんな故人と親交が深かった方々から届いた、愛あふれるラストメッセージを紹介。題して、「大好きなあなたへ最後のラブレター」――在りし日の姿に、心からの哀悼の意を表して。■桂 歌丸さん(享年81・落語家・7月2日没)へ。三遊亭小遊三(71・落語家)晩年は出番直前まで酸素吸入器を使って高座に上がっていました。そんな状態なのに、これがまた、高座の出来栄えは天下一品。これが病人か、じつは仮病だったんじゃないかと思えるくらいきっちりした芸をやっていましたよね。でも、高座から降りてくると、仮病じゃねえな、これは本物の病気だなっていうぐらいにがくりとして。晩年はその繰り返しでした。休んでくださいって言いたかったんだけど、師匠がやるってんですから。そして最後まで命がけでやり通しました。噺家として人生をまっとうしたいという強い意志を感じました。お酒は一滴も飲まれませんが、たばこはお好きでしたね。「やめた。禁煙」なんて言うものの、それが隠れて吸っていたりして。中学生じゃないんだから、隠れて吸わなくてもいいと思うんだけど。『笑点』の売れっ子でもあり、噺家として非の打ちどころがない、まさに噺家のかがみです。憧れの人ではありますけど、僕は後を追いませんよ。無理、無理です(笑)。無精で怠け者が多いなか、師匠には、噺家にあるまじき精神力を見せていただきました。
2018年12月27日初期の肺がんであると公表したばかりの三遊亭円楽(68)が9月30日、「第12回芸協らくごまつり」に出席した。各スポーツ紙によると7月に亡くなった桂歌丸さん(享年81)への愛情を明かした円楽は「腹黒の円楽では終わりたくない。もう10年くらい落語をやって、落語のすばらしさを伝えたい」と意気込んだという。「笑点」(日本テレビ)ではたびたび歌丸さんに毒を吐いていた円楽だが、その“腹黒キャラ”の立役者こそ歌丸さんだった。番組の大喜利レギュラーとして加入した当初、キャラが確立できず悩んでいたという円楽。16年9月、本誌の取材に歌丸さんが掛けてくれた言葉をこう回想している。「歌丸師匠が『楽さん(当時は三遊亭楽太郎)、困ったら俺のことを言いなよ。あとで編集するんだから何を言っても大丈夫だから』と。それまで師匠と『キザ!』『お化け!』とやり合っていた(三遊亭)小圓遊さん(80年死去)が亡くなったあとでしたから。歌丸師匠にそう言われて『ああ、そうか。小圓遊さんがやっていたようなことをやっていいんだ』と思ったら楽になりました」歌丸さんが円楽に肩を貸したのは、信頼関係があってこそだったようだ。「私は、歌丸師匠の車椅子を押したり、やることをきちんとやっていますから。私がやってきた師匠たちのネタだって、普段の信頼関係がなかったら『なに?この野郎!』ってなるんです。『人間、普段が肝心』と言うけれど、その通りで、肝心なのは普段。普段がちゃんとしていれば、おのずと信頼関係が生まれるんです」歌丸さんとの愛ある関係から、Twitterでは今回のがん公表に《「楽さん、黒いのは腹だけじゃなかったんだねェ」なんて歌丸さんが向こうで苦笑いをしているような気がする》《歌丸さんっ円楽さんを守って》《歌丸師匠、あんたまだこっちくんじゃないよって追い払ってください》といった声の上がっている円楽。まだまだ元気な姿を見せて欲しい!
2018年10月01日落語家の春風亭昇太が、4日に放送されたラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送/月~金曜 11:30~)に出演し、慢性閉塞性肺疾患のため2日に亡くなった落語家の桂歌丸さん(享年81)について語った。春風亭昇太番組冒頭、「もう大変ですよ、取材等々が」と歌丸さんの訃報に触れた昇太。続けて、3日に都内にて三遊亭小遊三、桂米助、桂歌春とともに行った会見についても言及した。昇太は会見を振り返り、「落語家っていうのは、並ぶとどうしてもにやつくんだよね。悲しんでばかりいるのが嫌なんだよ、落語家って」と語り、「最後の写真撮影でも、自然とみんな笑ってるわけですよ。それで、カメラマンの人が『もうちょっと暗い顔してもらいますか』って(笑)」との裏話を明かしていた。また共演者の乾貴美子が、「テレビで追悼のニュースのはずなのに、『笑点』で歌丸師匠の遺影を持った大喜利の映像が流れると、笑っていいんだか、悲しむべきなのかよく分からなくなって」と苦笑いで話すと、昇太は「そういうお題を散々やったからね。笑ってもらった方が落語家さんとしてはうれしいので、笑うのが供養だと思って、皆さん受け止めていただければ(笑)」と呼び掛けていた。
2018年07月04日タレントの伊集院光が、3日に放送されたTBSラジオ『伊集院光とらじおと』(毎週月曜~木曜 8:30~)にて、慢性閉塞性肺疾患のため2日に亡くなった落語家の桂歌丸さん(享年81)との思い出を語った。伊集院光伊集院は16年6月、歌丸さんが同番組にゲスト出演した際のやりとりを振り返り、「20代の頃に覚えた噺は全部覚えているのに、最近覚えた噺を忘れるんだよとおっしゃっていて、その時に『最近?』って思ったの。もうレパートリーだけで待ってましたっていう噺がいっぱいあるから。すごいなと思いながら」と落語に対する姿勢に驚きを覚えたことを明かした。高校中退後は三遊亭楽太郎(現・円楽)に弟子入りし、落語家修業をしていた伊集院は、歌丸・円楽の二人会を見に行ったときのエピソードも語った。二人会を舞台袖から見ていた伊集院は、「その時、かなり体調が悪かったので、車椅子に座って鼻に酸素吸入器をした状態で楽屋にいらっしゃて、舞台袖でもまだ酸素吸入をしてるんですよ。(出番になると)緞帳を1回降ろしてお付きの方が車椅子で連れてって、高座に座っていただいて、酸素吸入のチューブを外して」と、歌丸さんの壮絶な裏側を話す。しかし「僕はちょっと距離がある位置から見てたんですけど、明らかにスイッチが入るんだよね。背筋の伸び方というか」と言い、「緞帳がゆっくり開いていくと、さっきまでこの人、鼻にチューブが入っていた人ですよ、自分で歩けなかった方ですよっていうのは分からないんだよね」と振り返った。その歌丸さんの様子を見て感銘を受けた伊集院は、「そういう失礼なことを今まで一度もしたこともないし、思ったこともないけど、舞台袖から自分で肝に銘じたいと思って、その姿を写真にちょっと撮らせていただいて。その写真が今もあるんですけど」と明かす。さらに「かっこいい、気遣いの人で。楽屋で直立不動で立っていたりすると、『あんちゃん、首が疲れるから、座っておくれよ』って。『座っていいよ』じゃないんだよね。そういうことを言ってくださる、あんまり怒るのを見たことがない人でしたね」と、歌丸さんからの言葉を振り返っていた。
2018年07月03日ヒップホップグループ・RHYMESTERの宇多丸が、2日に放送されたTBSラジオ『アフター6ジャンクション』(毎週月曜~金曜 18:00~)にて、慢性閉塞性肺疾患のため同日に亡くなった落語家の桂歌丸さん(享年81)との思い出を語った。宇多丸番組冒頭、宇多丸は訃報に触れ、自身の芸名が歌丸さんが由来になっていることを明かした。宇多丸によると90年代、歴史上の人物など、色んな人からもじった名前のラッパーが多かったという。宇多丸は当初、「MC SHIRO」と本名にちなんだ芸名で活動していたが、仲間内で自身のスキンヘッド頭や物申す部分から「歌さん」と呼ばれていたこともあり、「その時は安直に『歌丸』とつけちゃった」と明かす。しかしその後、テレビやラジオに出演する機会が増え、番組表に「歌丸」表記では誤解を招いてしまうため、「せめて字は当て字にして、パクリのパクリの申し訳ないんだけど、"宇多田ヒカル"から『宇多丸』ってつけた」と現在の名前に至った経緯を説明した。しかし、その後も10年以上にわたって活動を続けた宇多丸は、「これはいい加減、そろそろこの活動規模になってくると、気まずい」と感じ、11年12月に許可を貰うためついに歌丸さんと対面を果たした。「怒られたらもう名前を変えよう」という覚悟で臨んだという宇多丸であるが、歌丸さんは快諾し、「どうぞお名乗りください。宣伝になるから」と言ってくれたという。正式に許可を貰った宇多丸であるが、その後は「ちょっと、なかなか不義理が続いてというかですね。また、ごあいさつに行ったりすることもないままに、ここに来ちゃったので」と言い、後悔を見せた。そして最後に「なんかこういう安易な言葉というか、型通りの言葉で本当にあれなんですけど。本当にご冥福をお祈りしますというか。本当に師匠、お疲れ様でした。そして、その節は本当にありがとうございました。おかげさまで、元気にこんな番組にも出していただいております、という感じですかね」と歌丸さんへの思いを語っていた。
2018年07月03日女優・桜井日奈子が、尾上松也が桂歌丸役を演じることで話題の「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」に出演することが明らかに。あわせて本作の放送日が、10月9日(月・祝)に決定した。昨年50周年を迎えた国民的長寿番組「笑点」。いまもなお愛され続けているこの「笑点」の顔とも言える存在、桂歌丸師匠の半生を今回ドラマ化。15歳で弟子入りし、祖母のタネと2人で暮らしながら弟子仲間と切磋琢磨した時期、寄席に上がり若気の至りで真面目に取り組まなかった時期もあった。正面からぶつかり、破門にされ、落語家をやめていた時期も…。多くの人を「まんべんな~く」落語で笑わせたい!ただその思いで続けてきた桂歌丸師匠の波乱に満ちた半生を、幼なじみの妻・冨士子との甘く切ない恋物語と共に描いていく。この度、本作への出演が決定したのは、“岡山の奇跡”とも言われる桜井さん。舞台「それいゆ」で女優デビューし、「THE LAST COP/ラストコップ」や、来年公開予定の映画『ママレード・ボーイ』では吉沢亮とW主演が決定、さらに「いい部屋ネット」CMなど出演しているCMも話題だ。そんな桜井さんが今作で演じるのは、松也さん演じる桂歌丸の妻の冨士子(水川あさみ)の従姉妹・菊池三佐江役。舞台「それいゆ」以来の昭和の女役となる。桜井さんは、「ロケ先で桂歌丸さんご本人に初めてお会いすることができました。お弟子さん時代の歌丸さんに恋する美佐江を大切に演じようと、改めて身が引き締まりました」と初対面を果たした感想を語り、「美佐江は大阪出身なので、今回初めて大阪弁のセリフに挑戦しました。あと、釣り餌のイソメがたっぷりはいった箱を運ぶシーンがあったんですけど、初めてみた大量のイソメは衝撃的で、それがとにかくたっぷり入ってたので、箱を持つのに相当覚悟が必要でした。私の撮影は短かったですが、素敵な経験ができました」と撮影をふり返っている。桜井さんのほかにも、歌丸の祖母・椎名タネ役に泉ピン子、冨士子の母役に藤田弓子、 三遊亭圓楽役に谷原章介、立川談志役に駿河太郎、林家三平役に中尾明慶、三遊亭金遊(小圓遊)役に松尾諭、五代目 古今亭今輔(上野黒門町)役に笹野高史、四代目 桂米丸役に渡辺いっけい。そのほか、柳下大、水橋研二、菅裕輔、鈴木勝大が出演。また、現役「笑点」メンバーの林家木久扇、三遊亭好楽、三遊亭小遊三、三遊亭円楽、春風亭昇太、林家たい平、林家三平、山田隆夫らもどこかに出演する。「BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸」は10月9日(月・祝)19時~BS日テレにて放送。(cinemacafe.net)
2017年09月04日「お父さんは、天ぷらが好きなんです。アサリの剥き身に長ネギを混ぜたもので、油がはねるから大変ですけど好きなんですよ。退院して元気になったらきっと食べると思うので、つくってあげたいですね」 そう本誌の取材に語っていたのは、桂歌丸師匠(80)の妻・冨士子さん(85)だ。5月15日に発表された歌丸師匠の退院発表。13日に無事退院したといい、当面は自宅療養を続けるという。 だがその直前の8日には「5月公演全て休演」というショッキングなニュースも報じられていた。4月16日に入院した当初は「4月中席は休演。30日前後まで入院」ともいわれていたなかでの“再休演”発表。関係者からも心配の声があがっていた。 実は退院直前、本誌は横浜市にある歌丸師匠の自宅へと向かっていた。そこで冒頭のように、冨士子さんは師匠の様子を語ってくれたのだ。 また昨年5月で『笑点』を卒業した歌丸師匠だが、その後も高座にあがり続けてきた。だが今年1月にも肺炎で入院するなど、体調は万全といえなかった。 そんななか師匠は『週刊ポスト』17年2月24日号で《今回は酸素吸入器をつけて高座に上がりますが、それでも上手く喋れないようなら……引退するしかない、と考えています》と発言。この言葉は“「引退」宣言”として報じられた。 だが、冨士子さんはきっぱりと否定する。 「それは言っていません、引退はね」 突然声が大きくなり、力がこもる。「師匠としては、やはり“生涯現役”を貫くおつもりですか?」と聞くと、こう答えた。 「そうでしょうね。自分でもいつもそう言っていますから。退院してもそのまま復帰とはいかないでしょうが、気持ちの上では『すぐにでも』と思っているのではないでしょうか」 高座で逝けたら本望――。病床にあっても落語家として生涯をまっとうしたいと、歌丸師匠は“執念”をみせているという。 「病室で稽古はさすがにしませんけど、落語の本を持っていっています。それを読んでいますね。だから、これからも一応まだやるつもりなんだと思います。私も好きなことをやってもらうのがいちばんいいと思います。引退して夫婦でゆっくり余生を楽しむなんて考えたこともありませんから」 これからも歌丸師匠は、夫婦二人三脚で“生涯落語家”としての道を歩み続けていく――。
2017年05月16日5月15日に伝えられた桂歌丸師匠(80)の退院発表。13日に無事退院したといい、当面は自宅療養を続けるとのこと。師匠は「また各落語会でお会いできますことを私も心待ちにしております」とコメントを寄せている。 そんな師匠の「5月公演全て休演」というショッキングなニュースが報じられたのは、5月8日のことだった。4月16日に入院した当初は「4月中席は休演。30日前後まで入院」とも報じられていたが、再びの休演発表。関係者からは心配の声があがっていた。 実は退院直前、本誌はこうした声を受けて横浜市にある歌丸師匠の自宅へと向かっていた。インターフォンを押すと、冨士子夫人(85)が姿を見せた。記者が「休演報道を受けて心配の声があがっておりまして。師匠のご容態はいかがでしょうか?」と聞いたところ、笑顔でこう答えてくれた。 「いつも自分で酸素ボンベの設定をしていましたので。量はよくわかりませんけど、増やしたようです。やっぱりお客さまに来ていただいているから、やってしまったのだと思います……。でも、5月の休演自体は前から決めていたことなんですよ。だって、また無理をしてご迷惑をおかけするといけませんからね」 この取材の時点では「退院のメドはまだ経っていない」とも報じられていた。だが、冨士子さんは師匠の現在の体調についてこう続ける。 「たしかに入院した当初は動けない状態だったのですが、2週間くらい前からは自分でトイレにも行けるようになりました。まだいろんなところに管がつながってはいますけれど、今は食事も朝昼晩とちゃんと食べているようです。退院はいつになるかは聞いていませんが、もうじき帰って来られると思います。そんなに先ではないですよ」 家族の猛反対を押し切り結婚した冨士子さん。師匠の下積み時代は化粧品のセールスなどで家計をやりくり。家事と2人の子育ても手を抜かず、落語一筋の夫に尽くしてきた。歌丸師匠はテレビや高座で冨士子さんを“鬼嫁”キャラとして話してきたが、実際は良妻の鑑のような献身ぶりを続けてきたのだ。結婚から60年、それは今も変わっていないようだ。 「病院には、毎日通っていますよ。娘婿が車で送り迎えしてくれるんです。向こうではただボーッとしているだけ(笑)。『これ取ってくれ、あれ取ってくれ』と言ってくるので、出してあげたりはしています。やることといえばそれくらいですよ。それでもお昼に行って夕方くらいまでは病室にいるので、家に帰って来ると6時を過ぎちゃいますね」 この日も冨士子さんは車に乗って病院へ。そこで夕方まで“夫婦の時間”を過ごしていた。互いの名前を呼ぶことはなく「おい」「ねえ」と言い合う関係。それでも毎日6時間のお見舞いを続けている。そこには、長年連れ添ってきた夫婦の“阿吽の呼吸”が感じられた。
2017年05月16日今年の日本テレビ系『24時間テレビ39 愛は世界を救う』(8月27~28日放送)のチャリティーマラソンに挑む落語家の林家たい平がこのほど、練習の様子を公開し、走行距離が100.5kmに決定したことを明らかにした。この距離は、『笑点』終身名誉司会・桂歌丸の本名である椎名巌(しいな・いわお)にかけた「いわおゴー」から100.5を導き出したもの。歌丸本人が考案し、『笑点』50周年を「祝おう!」という意味も込められているそうで、たい平は「(師匠が)このゴロ合わせでの距離を思いついたのは、ポケモンGOが出る前ですので…」と強調する。また、たい平は「歌丸師匠の思いのこもった100km越えの100.5kmですので、ワクワクしてる反面不安もあり、半々な気持ちです」と心境を吐露。これまで走った最長距離が35kmのため、「自分がどんな体験をするのか、どんなゴールが待っているのか、そして故障は…」と、思いを巡らせた。この練習には、メインパーソナリティーのNEWS・増田貴久も駆けつけ、「一緒に走らせていただいたんですけど、リズム感がすごく良くて、付いて行くのがやっとでした」と過酷な練習を実感。「暑い中での練習、そして本番と厳しい日々が続くので、たい平さんが元気になる差し入れをさせていただきながら、応援したいと思っています」と語った。さらに、大喜利メンバーから駆けつけた三遊亭好楽は、たい平を「笑点メンバーの中で一番真面目な人で、きっと無理をしてしまうと思いますが、背負い込み過ぎず、気楽に走ってほしいですね」と心配。三遊亭小遊三は「ゴールしたあかつきには、おいしいお酒で祝杯をあげたいですね。お酌くらいはしますので(笑)」と約束していた。たい平は、増田が来ることを知らなかったそうで、「一緒に走るなんて、こんな機会でもなければ経験できないことですので、夢のような時間でした」と感激。師匠2人にも「こんな後輩のためにわざわざ来ていただいて…」と喜び、今後の練習にさらに身が入ったようだ。
2016年07月30日落語家の春風亭小朝(61)が31日、自身のブログを更新し、日本テレビ系『笑点』の大喜利司会者を勇退した桂歌丸(79)の心境を明かした。小朝は「先日、歌丸師匠に現在の心境をお尋ねしました」と書き出し、2人のやりとりを紹介。歌丸は「肩の荷がおりたというか、少し寂しい気もしますけど。でもね、笑点の前の5分間の番組は続けようと思ってます」と話し、「笑点は疲れましたか」と聞くと、「そうならないように、収録の2日前からなるべく仕事はとらないようにしてました。あと、前日は絶対に地方へ行きません」と説明したという。「これからは、落語に集中できるぞっていう感じでしょうか?」という問いには、「そうなんですよ。まだまだやりたい噺がたくさんありますから」と意欲。「御神酒徳利、それから二十四孝のやり方を少し変えて。あと塩原太助の外伝もやりたいし、実はね…」と具体的な構想を明かしたそうだ。そして、歌丸は「前に胸を患った時、本当に噺家をやめようと思った」と打ち明け、当時奥さんに相談したところ「やめてもいいけど、そのあとどうするの。今は釣りもできなくなったんだから趣味で落語をやってたほうがいいんじゃないの、って言われて(笑)」と振り返ったという。また、「炊きたての御飯のにおいが気持ち悪くて、あと化学調味料を受けつけなくなりまして」という時期があった歌丸だが、今は「おかげさまで、近頃はお医者さんのすすめで肉も食べるようになりました。あと果物は平気なんで、青森の美味しいリンゴジュースを取り寄せてます」と食欲も回復した様子。小朝は「やりたいネタもいっぱいあるそうなので今後の高座が本当に楽しみです」と期待し、「いやぁ、いい刺激になったなぁ」とつづった。
2016年05月31日落語家の林家たい平(51)が、8月27日・28日に放送される日本テレビ系『24時間テレビ39』のチャリティーマラソンランナーに決定した。29日に生放送された同局の『笑点』(毎週日曜17:30~18:00)で発表された。6代目司会者・春風亭昇太の初司会となったこの日の放送の終盤に、『24時間テレビ39』総合司会を務める羽鳥慎一アナウンサーと水卜麻美アナウンサーが登場。「今年のチャリティーマラソンランナーは、林家たい平師匠でございます!」と発表した。そして、マラソン挑戦を決意した理由をVTRで紹介。「自分を世に出してくれた『笑点』を走りで盛り上げたい」「『笑点』を50年引っ張ってくれた桂歌丸さんに感謝の気持ちを伝えたい」「10年以上闘病生活を送っている師匠・林家こん平に一生懸命走っている姿を届け、弟子には負けないという思いになってくれたらうれしい」という3つの思いが明かされた。VTR後、たい平は目に涙を浮かべながら「僕では力不足ということは重々承知ですが、一生懸命皆さんの思いを乗せて走ることを決めましたので、頑張ろうと思います。よろしくお願いします」と決意表明。大きな拍手が沸き起こり、林家木久扇らメンバーも「とにかく頑張っていただきたい。3つの思い、叶えまーす!」などとエールを送った。39回目となる今年の『24時間テレビ』のテーマは「愛~これが私の生きる道~」。アイドルグループのNEWSが2009年以来、2度目のメインパーソナリティー、女優の波瑠が初のチャリティーパーソナリティーを務める。
2016年05月29日落語家の桂歌丸(79)が22日、日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜17:30~18:00)の「歌丸ラスト大喜利スペシャル」で最後の司会を務め、同番組を卒業した。歌丸は、1966年の番組開始当時からレギュラー出演を続け、2006年から司会を担当。この日の「歌丸ラスト大喜利スペシャル」では、名物の大喜利コーナーを生放送し、歌丸の卒業にまつわるお題で展開された。最後のお題は「私、歌丸に贈る言葉をかけてください」。ラスト回答者となった三遊亭小遊三は「歌丸師匠、お疲れ様でございます。お礼に湖畔の宿を予約しておきました」と切り出し、歌丸の「小遊三さん、ありがとう」の言葉に対し、「師匠、これが最後です。抱いてください」と返した。この回答に歌丸は顔をしかめ、「山田君、気持ち悪いから全員の全部持っていきなさい」と全員の座布団を没収。大盛り上がりの中、終了となった。最後の大喜利を終え、歌丸は「50年間本当にありがとうございました。熱く御礼を申し上げます」と深々と頭を下げ、今の心境を聞かれると「普通ですよ」と淡々とコメント。また、「本当は全員に10枚出そうと思っていたんです。だけど、ああいう答えを言ったから…」と、全員に座布団10枚渡す計画だったことを明かした。「私の一つの大~きな思い出になると思います」と『笑点』への思いを語った歌丸。新司会者の発表も行い、春風亭昇太にバトンを渡した。
2016年05月22日落語家の春風亭昇太(56)が、日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜17:30~18:00)の6代目司会者を務めることが明らかになった。22日に放送された『笑点歌丸ラスト大喜利スペシャル』(17:30~18:55)で、5代目司会者の桂歌丸(79)が発表した。歌丸にとって最後のレギュラー出演となったこの日のスペシャルでは、レギュラーメンバーによる大喜利を生放送。歌丸の引退にまつわるお題で展開された。そして、番組の最後で、歌丸が新司会者について「春風亭昇太さんにお願いしたいと思います」と発表。拍手が沸き起こる中、三遊亭円楽が「お前いくら使った! 世間は俺だろ!」と突っ込み、笑いを誘った。昇太は、打診を受けた時は「え~って思いました」と打ち明け、「歌丸師匠のあとっていうことでプレッシャーはありますけど、考えてもしょうがないので、一生懸命やりたいと思います」と意気込みを語った。歌丸も「昇太さんには昇太さんなりの司会のいいところもたくさんあると思います。今日までのことはすっかり忘れて、今度は昇太さんなりの笑点の司会をやってもらいたい」とエール。昇太は「とりあえず頑張ります!」と頭を下げた。『笑点』の司会は、初代が立川談志さんで、前田武彦さん、三波伸介さん、三遊亭円楽さん(5代目)、桂歌丸と受け継がれ、このたび6代目に春風亭昇太が決定した。
2016年05月22日落語家の林家木久扇(78)が27日、東京・日本橋高島屋で行われた日本テレビ系『笑点』放送50周年特別記念展のオープニングセレモニーに登場。このほど、司会降板を「考える時期」と発言した桂歌丸(79)に対し、「自分で区切りをつけちゃいけない」と訴えた。木久扇は、歌丸から進退について聞いていないとした上で、この発言を「報道で聞いてびっくりした」と感想。歌丸に対し、「自分で区切りをつけちゃいけないと思うんですよ」と訴え、「今度お会いした時に、歌丸師匠にじかに言おうと思う」との考えを示した。続けて、司会者の進退について「見ている人が『衰えてきたな』って感じてきて、番組も(視聴率の)数字が取れなくなってきたら、『じゃあ、新しい人に』となってくると思う」と持論を展開。それを踏まえ、「お一人でそういう決断をしちゃ行けないと思うんですね。まだお元気なんですから、体の中に電池入れてでも動いていれば、ロボットでもなんでもいいんです。いれば」と、毒舌で歌丸にエールを送った。自身の今後については「自分が滅びるまで、面白い答えが出なくなるまではやるつもりでいる」と、まだまだ現役宣言で、司会者に就任する考えは「全然ないんです」と強調。その理由を「こっち(回答者)側の面白いことを言う1つのパターンの組み立てが無くなってしまう」と述べ、「ずーっと面白い答えを言う人の側にいたいです」と希望を語った。また、木久扇は、現在の日本でバラエティの演芸番組が『笑点』のみであることを説明した上で、高視聴率の理由を「芯がしっかりしていることで面白いと思う」と分析。「若い方向けのテレビの番組はたくさんあるんですけど、50(歳)以上の人が楽しむ番組はないんですね。そっちのお客さまに向けて発信すれば、70周年、100年と続くと思っています」と期待を込めた。同展は、きょう27日から5月9日まで、日本橋高島屋8階ホールで開催。その後、7月20日~7月31日は京都高島屋、8月3日~8月15日は横浜高島屋、8月24日~9月5日は大阪高島屋に巡回する。
2016年04月27日日本テレビは同社初の8K番組として「笑点」を制作し、3月8・9日に開催される放送業界関係者向けの技術展「デジテク2016」で上映することを発表した。8K版笑点は、1月6日に東京・後楽園ホールで収録。通常放送と同様に演芸コーナーと大喜利を実施した。大喜利のお題は、8Kにちなんだものを用意したという。笑点は、まだ多くの番組が白黒放送であった1966年にカラー放送で開始。その後もステレオ放送、デジタルVTR規格、D2での収録など、当時の新技術を早い段階で取り入れてきた。2014年には桂歌丸さんの落語を4Kで収録している。
2016年02月23日私たちは日常、人と接するとき、相手の表情からどれほどの情報を読み取っているだろう?内に秘められた悲しみ、目の奥に映る恋心、滲み出る嫉妬心…。実のところそうした感情は、いかにポーカーフェイスを装えど隠しきれるものではない。そして端々から溢れる感情に、相手の思想や過去の思い出を垣間見たとき、人は相手に強い興味を覚えるのだ。表参道ヒルズ本館地下3階「スペースオー」にて開催中の荒木経惟写真展「男-アラーキーの裸ノ顔―」で、むきだしの心のままレンズに向かう男たち1人ひとりの“裸ノ顔”と向き合っていると、ふと、そんなイメージが浮かんでくる。雑誌『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)にて連載中の「アラーキーの裸ノ顔」書籍化にあたり開催される運びとなった同展では、北野武、王貞治、原田芳雄、山崎努、桂歌丸ら大御所から、松田龍平、染谷将太、瑛太ら若手著名人に至るまでの男たちの顔とじっくり向き合うことができるのだ。作品背景はすべて白バック。鑑賞者のみならず荒木本人も、一切の装飾を排除した空間で、「裸ノ顔」と向き合ってきた。「背景も被写体が作るもんだから。俺はね、カメラを構えて“背景が出てくる”のを待ってるだけなんだよ」。そう明かす荒木が撮影空間にこだわるのには理由がある。「例えばTVの仕事だとかの合間に楽屋でぱぱっと撮影しちゃったら、楽屋の空気が写真に映りこんじゃうんだよ。そうじゃなくて、この作品を作るための時間を持って、“2人だけの関係”になんなきゃだめだよね」懐かしい時間、譲れない想い、望む未来…。それぞれが生み出した景色の前で、被写体たちはいかなる表情を湛えているのか。ぜひ、自身の目で確認してほしい。写真展会期は4月24日から5月6日。入場無料。会場内の特設ショップでは、「アラーキーの裸ノ男」でこれまでに撮り下ろした作品をまとめた写真集『男―アラーキーの裸ノ顔-』(KADOKAWA/4,930円)の他、トートバッグやTシャツなどのオリジナルグッズも販売している。
2015年04月24日情報化社会といわれる昨今。東日本大震災以降ごろから、「誤報」「デマ」などといった情報の信ぴょう性が問題視されるようになってきました。中でもツイッターなどはデマ拡散器とやゆされるほど。そこで今回は「ネットの情報にだまされたエピソード」について調査しました。調査期間:2012/7/27~2012/8/1アンケート対象:マイナビニュース会員有効回答数 1,000件(ウェブログイン式)■「プレゼントに応募したらもらえる確率が高い!と書いてあって実際に応募したら、恋活サイトに登録したことになっていて変なメールがいっぱい来るようになった」(24歳/女性)メールアドレス収集目的の悪質サイトが増えていますから、注意が必要ですね。■「ネットでの口コミを見ると評判がよかったのでお店にいったら、あんまり美味しくなかった」(30歳/女性)味の好みは人それぞれではありますから……。■「桂歌丸さん死亡というニュース。その日見た『笑点』で普通にピンピンしていた」(33歳/男性)そのデマを発した人はきっと周りが驚くさまを「一度でいいから見てみた」かったんでしょうね。■「毎日鼻の付け根をたたくようにすると鼻が高くなるという情報を信じて続けてきたが、何年たっても低いまま……」(22歳/女性)これはちょっとほっこりする話ですね。でもつい信じてしまいそう。■「旅館の部屋をネットで予約。露天風呂と書いてあったけど、実際は簡易プールで作った無理やりな露天風呂だった」(31歳/女性)これはひどい! 写真や電話などでもきちんと確認する必要があるかも知れません。■「この部分を何度もクリックすると、良い香りがするというページがあり、必死で連打したものの、良い香りなんてしなかった」(26歳/女性)これはだまされたというよりかわいいイタズラですね。連打している姿を想像すると笑えてきます……。■「彼のPCで浮気チェックをしていて、怪しいメールをクリックした後に架空請求がきた。彼に払わないと!と話すと『払わなくていいよ、でもなんでPCみたの?』と笑い飛ばされた」(29歳/女性)確かに、迷惑メールはその恋人から見ればなかなか怪しいメールかも知れませんね。■「エロいイベントがあると告知されていて、行ってみると空き地だった。それにだまされた数人の人たちとその後、飲みに行った」(30歳/男性)結果的に楽しそうですね。具体的にどんなエロいイベントが開催される予定だったのかが気になるところです。予想していたのと少し違い、ちょっとほんわかする内容が多かったですね。でも最近では詐欺にあうといった事例も耳にします。じゅうぶんに注意していきたいですね。(くわ山ともゆき+プレスラボ)
2012年12月09日ワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘は6月9日・10日の2日間、通常より1時間早い午前8時にオープン。“早朝落語“と題し、「映画館落語 かもめ亭」を8時30分から上映する。同イベントは、ショッピングセンター「イオン」の早朝営業に合わせて企画。上映する「映画館落語 かもめ亭」は、文化放送が2007年から定期開催している落語会「浜松町 かもめ亭」を映画館で楽しめるように撮り下ろしたもので、桂歌丸師匠と三遊亭小遊三師匠の落語2席と色物1席、普段は見られない舞台裏の映像も盛り込んでいる。同映画は、ワーナー・マイカル・シネマズが映画以外のジャンルのコンテンツを提供するサービス「シアタス」として公開中で、実際に見た人からは「臨場感があり、寄席で見ているようだ」、「映画館で見ていることを忘れて笑った」、「気軽で良い」などの高い評価を得ているという。“早朝落語”「映画館落語 かもめ亭」は、ワーナー・マイカル・シネマズ 新百合ヶ丘において6月9日、10日に開催。午前8時オープン、8時30分上映開始。演目は桂歌丸「ネズミ」、三遊亭小遊三「蛙茶番」、ぺぺ桜井「色物」、ナビゲーターは林家たい平。鑑賞料金は1,500円(シニア割引はなし)。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年06月07日7月16日(月・祝)に大阪・なんばグランド花月で行われる『三枝 改メ 六代 桂文枝 襲名披露公演』で六代目・桂文枝を襲名する桂三枝が4月25日、会見を開き、公演概要とポスタービジュアルを発表した。『三枝 改メ 六代 桂文枝 襲名披露公演』チケット情報同公演では、三遊亭圓歌、桂歌丸、桂春團治、笑福亭松之助ら東西の名人が多数集結し、華を添える。今回発表されたポスタービジュアルは3月下旬にニューヨークで撮影され、レディー・ガガとのコラボ写真でも知られる世界的なファッションフォトグラファー、テリー・リチャードソンが手がけた。また、ニューヨークにも同行し、オフショット撮影を担当したフォトグラファーの新田桂一のもと、2012年度内に桂文枝襲名記念写真集を発売予定だという。三枝は、「(襲名披露公演は)どんな落語会になるか想像できないが、豪華メンバーで盛り上げたいと思います。たくさんの人に観に来ていただいて、“落語やるなぁ!”と思っていただきたい。先代の文枝は20人の弟子を育て、次世代を育成するという役割を果たしました。私は六代目としての文枝像を作り上げていきたい」と襲名に向けての決意を語った。なお、襲名披露公演の翌日7月17日(火)から23日(月)までなんばグランド花月では、“スペシャルウィーク”と題して三枝が全3回公演の口上をゲストとともに務めるほか、六代文枝襲名記念の吉本新喜劇にも出演する。なおゲストは後日発表。『三枝 改メ 六代 桂文枝 襲名披露公演』は7月16日になんばグランド花月で上演。チケットは5月12日(土)より一般発売開始。チケットぴあでは4月30日(月・祝)から5月10日(木)まで先行抽選販売(プレリザーブ)を実施する。7月17日から23日の『なんばグランド花月』は順次チケット発売開始。
2012年04月26日