こんにちは! そんたんママです。真冬や真夏は、子どもと遊ぶのに室内の施設を選ぶ機会が増えますね。以前息子のきーちゃんと児童館に行ったとき、その場で会った知らない子たちと一緒に遊ぶことがありました。■わが子と遊んでいたら、知らない子が入ってきたそこは広い施設で、外には大型遊具、室内には図書エリアや、食事ができるテーブル、大きなブロックが置いてあるスペースがありました。雨が降りだしたので室内のブロックスペースへ行き、きーちゃんと2人で電車ごっこを始めると、その様子が楽しそうだったのか他の子が「いーれーて!」と声をかけてきました。初対面の子と遊ぶのは歓迎ですが、ママやパパらしき人は側にいません。離れた図書エリアに何人かの大人が座っているものの、皆さん本やスマホを見ていて、どの方が保護者なのかはわからず。勝手に遊んで大丈夫かなと思いつつ、最初は1人2人増えたくらいだったので、気にせず一緒に遊んでいました。■泣く子、もめる子…遊び場が大混乱!やがてブロックは電車からアスレチックに形を変え、きーちゃんも含めみんな飛んだり跳ねたりし始めました。人数もいつの間にか子どもが8人ほどに増え、「ちょっと危ないかな?」と思いつつ見守ることに。「転んだときに痛いから、道はマットの中に作ろう?」「両方から行くとぶつかっちゃうから、こっち回りにしようか!」などと交通整理をしてうまく回っていましたが、そのうちブロック壊しが楽しくなった子が出てきて他の子ともめだしました。「こりゃ大人1人じゃ足りないぞ」と思ったそのとき、2歳くらいの女の子がいきなり号泣!「大丈夫? どこかぶつけた?」と女の子をなだめていると、ママらしき人が図書エリアからスタスタとやってきて、無言で女の子を連れて行きました。(む、無言…? 泣かせたことを怒ってる? 大丈夫かな…というかあなたがママさんだったの。)内心いろいろと思いつつあっけにとられて見送ると、しばらくして泣き止んだ女の子が戻ってきました。■ヒートアップの子どもたちに大人一人だったら?遊び始めて1時間くらいたったでしょうか。子どもたちは疲労からかさらにヒートアップして、「危ないよ」と言おうが「押しちゃダメだよ」と言おうが聞く耳を持たず。こちらも集中力が切れ始め、1人で見るのに限界を感じていました。もっと大人の手が欲しい。けれどこの場を離れて呼びに行くのも危ないな…とためらっていたら、案の定あちこちで衝突が起き、再び女の子が「いたいーーっ!」と泣き出す始末。またぶつかった!? といっぱいいっぱいになっていると、読書していたママさんが再び無言で女の子を連れて行こうとしたので、思わず呼び止めました。「あの、すみません。もう少し近くにいていただけませんか? 大人1人では見きれません」 するとママさんは、「あー。そうですか。〇〇、行こ」と子どもを引っぱって行こうとしたので、私も頭にカッと血がのぼり、「きーちゃん帰ろう」と遊んでいた他の子たちを置いてその場を後にしました。■遊び場エリアでの放牧は当たり前なのか?怒りを静めようと、きーちゃんの手を引きながらフツフツと考えました。なんで親の誰1人子どもの近くにいないんだ。なんでこんな必死になって他の子の面倒を私が見なけりゃならないんだ。他のママさんからすれば、勝手に面倒を見たのは私の方?この程度の放牧は普通のこと?いろんな子がいるよな…。きーちゃんは比較的おとなしめだけど、体力がありあまってる子を家で見るのは大変だろう。読書していたママさんは、児童館なら子どもが自ら遊ぶと思って、休息しに来たのかもしれない…。いやでもそんなの、私だって休みたいわーーー!!きーちゃんはまだ遊びたそうにしていましたが、お互いにクールダウンするために炭酸ジュースを買って飲んだら、きーちゃんから「帰ろっか」と言ってくれました。自分もひと息ついて心が落ち着き、放置してしまった遊び場スペースはどうなってしまったのか心配にもなりました。でも、まずはきーちゃんがケガをしなくて良かった。■子どもとの距離の取り方は人それぞれ何が正しい行動だったのか、いまだにわかりません。私がもっと早い段階できーちゃんを連れてその場を離れることで、周りのパパやママも戻ってきてくれたのかもしれない。早い段階で施設の人に声をかけて、子どもたちを静めてもらう協力をしてもらえばよかったのかもしれない。子どもたちに「パパとママを呼んできてー」と声をかければよかったのかもしれない。 むずかしいです。子どもとどこまで離れても平気かは家庭によって違うと思います。子どもの年齢によっても、兄弟がいるかいないかによっても違うかも。私はどちらかと言えば、子どもが自ら遊ぶなら少し離れて見守りたい派ですが、たまには混ざって遊んだり、何をしているかわかる程度にはそばにいたいと思っています。あぁしかし、自分に余裕がなければ人に優しくできないな…とつくづく感じた出来事でした。
2020年01月25日明けてしまいましたね、2020年!!本年も引き続きどうぞよろしくお願いいたします。ということで、新年最初のお話は年末に半年ぶりぐらいに帰省した実家(実母)のことを描こうと思います!私の実家は今住んでいるところから新幹線で約1時間ちょっとのところで、実母が一人暮らしをしています。私が夫の実家で同居を始め、子どももできてからは年に1〜2回帰ればいいほうになり電話の回数も少なくなっていました。でも最後に帰った時、痩せて一回り小さくなった体や白髪が増えたな…とか、母の「老い」を感じてやや心配になったのもあり、今回帰ることを電話で伝えたら思い返せば母はいつも忙しく働いていました。私が高校生の時、父が会社を立ち上げた矢先に病気で他界。会社は倒産し母は多額の借金の返済に追われつつ、まだ中学生だった妹と高校生の私、姉の3姉妹を女手一つで育て上げてくれました。母は常に忙しそうではあったけれど、不思議と悲壮感を感じさせず前向きで、そんな母を私は尊敬していました。とはいえ、もう高齢なんだし無理しないでもらいたい。そろそろ私たちに甘えてのんびり自分の好きなことに時間とお金を使って欲しい。今回の帰省で母にそういう話をするつもりでした。母はガラケーすらあまり使いこなせていないので、写真もメールも送ってくることはほとんどなく、電話の声で調子を伺うことぐらいしかできないため正直「母がさらに老け込んでいたらどうしよう…。姉妹の誰かが同居することも考えなくては…」などと帰る途中でいろいろ想像を巡らせていました。実家に到着して家に入り、いつもと変わらぬ風景にまずはホッとしたものの、キッチンに入ったところ…シンクに洗っていない食器がそのまま放置されているではありませんか!マメな母がそんな状態で出かけるなんて、やっぱり弱っている…?などと不安になっていたところ、突然ドアが開き母の声がしました。振り返るとそこには…ツヤッツヤでサラッサラの黒髪ヘアーになった母が…!!!心なしか肌ツヤも良くなっているような。なんでも気分転換に美容室行ってストレートパーマをかけ、その後自分でヘアカラーもしたらしいんですが、色のチョイスを間違ったのか「真っ黒」になってしまったらしいです。わたくし、母のくるんくるんのパーマヘアー以外生まれてこのかた見たことなかったので、度肝を抜かれてしまいました。いやぁ、ヘアスタイルで印象って変わるもんですね…。…洗い物がそのままだったのは、朝寝坊して洗う時間がなかったとのことでした。その後、ゆぴこが「おんせん(家からちょっと行ったところの温泉施設)いきたい!」と騒ぐと、母がアッサリ快諾。母のフットワークの軽さには脱帽です。ホント、なんでこの母から私みたいな超ネガティブ・インドア人間が生まれたんだろう。親子水入らずでお風呂に浸かりながら、久しぶりにいろんな話をしました。そして、ずっと不思議だったこと…借金も完済したのになぜそんなに働くのかを聞いてみました。すると、母の答えは…母はこの歳になっても私たちの将来を気にかけてくれているのか…!今更ながら母の深い愛情に驚かされました。母の心配をしていたけれど、逆に心配されていたとは…。ほんとに母にはかなわないなぁ。…母には無理せずのんびりと長生きしてほしいです!
2020年01月03日ウーマンエキサイトの読者のみなさんこんにちは! 7歳と4歳のやんちゃ兄弟を育児中のなーみんです。母になってもうすぐ8年。前々から思っていましたが、母になるとわかることって、たくさんありますよね!私の場合、とくに実母のありがたみをヒシヒシと感じます。2人の男児を育児中の私ですが、本当にやんちゃで騒がしい毎日です…!言うことを聞かない、なんてしょっちゅうだし、毎日、同じことを注意しての繰り返し。そんな日常の中で、ハッとする場面がちょくちょくあります。それは私が子どものころ、母から言われていたことと、まったく同じことをいま私が子どもに言っているということ!(笑)言った後に「あれ…? これ私が子どものころ、母に言われてたよね…?」と思い出します。そこで今回は、私が子どものころ、母からどのようなことを言われていたのかをまとめてみました!■「うちはレストランじゃない!」いま子どもたちは、自分で食器を片づけますが、配膳に関してはまだ待っているということが多く「箸がない」「コップがない」などと言うことがあります。そんなとき「うちはレストランじゃないんだから、自分で持っていきなさい!」と言うんですが、自分も母から同じことを言われながら育ちました…(笑)■「やることをちゃんとやりなさい!」子どもたちが翌日の支度やおもちゃの片づけをせずに、ほかのことをしだすと言うんですが、これもよく言われていました~。つい片づけを忘れて、ほかのことをしちゃうんですよね…(笑)■「ママはお手伝いさんじゃないの!」ナンバーワンはこれかもしれない、というくらい、よく言われていた言葉です!でも、たぶんうちだけではないはず…!自分の物じゃないのに片づける、家事をしても誰も褒めてくれない…そんな毎日を送ってると、たまにこの言葉を発しては、当時の母もこんな気持ちだったんだろうなぁ…と、イライラしつつも申し訳なかったなと反省します。子どものころは「そんなにガミガミ言わなくてもいいじゃん~」なんて思っていましたが、いまとなってはすごく母の気持ちがわかります…!!お母さん、いろいろと迷惑をかけてごめんなさい~!みなさんも私と同じような経験をしていますか?
2019年08月30日「死なないで…」子どもの自殺がもっとも多いといわれる9月1日に、祈るようにこの言葉をつぶやいていた樹木希林さん。樹木さんの娘の内田也哉子さんが母の言葉を残そうと、 『9月1日 母からのバトン』 という書籍が生まれました。1回目では樹木さんの言葉の意味するところ、伝えたかったメッセージについて考えてきました。今回は、「学校に行くのってあたり前なの?」というテーマで、学校以外の選択肢や具体的に親子が救われる方法について、前回に引き続き不登校新聞の石井志昂(いしい しこう)編集長といっしょに考えていきたいと思います。 「『学校に行けない子どもたち』に最後まで想いを寄せ続けたワケ」 の続きです。 ■「学校に行くのがあたり前」の日本で苦しむ親子小学1年生になると、日本では義務教育が始まり、社会のあたり前のこととして、子どもたちは学校に通います。石井さんは、「不登校っていまの学歴社会のなかでは一大事なわけです。だから、将来を考えたときに、親は心配で学校に行かせたいと思うのは当然ですよね。ただ、『学校がすべて』だと親が思っていると、子どもは“学校に行ける子”だけが存在価値があると思って苦しんでしまいます」と話します。そんな「あたり前」という風潮がある学校との付き合い方において、樹木さんは彼女ならではの考え方を発揮し、まだ小学生だった頃の内田さんにこんな言葉をかけたといいます。東京の公立だったんですけど、そのときはすごく合わなかったですねえ。私という“異物”が突然入ってきたことで、そのクラスにあったコミュニティがざわざわしてしまって。今思えば“いじめ”だったと思うんですけど、お友達ができないまま数か月を過ごして、毎日泣いて家に帰っていました。(中略)ある日、私があんまりつらそうだったからか、「やめれば?」と言ってきたんですよね。「そんなにつらいのに、何をガマンしてるの。やめればいいじゃない」って。私まだ、「やめる」の「や」の字も言ってないのに(笑)。出典: 『9月1日 母からのバトン』 この樹木さんの言葉について石井さんは、「大事なのは、学校が主なのではなくて、『子どもが主』だという軸をしっかりとしておくことです。樹木さんのように、大事なのはあくまでも“あなた”なんだということを、子どもに伝えてあげることが大切です」と考察します。ただ、「やめればいいじゃない」と娘に伝えた母親としての樹木さんの対応は、常識にとらわれていては、なかなかできるものではありません。子どもが主であるという軸がしっかりあったからこそ、こうした発言ができたのだろうと思うと、「肝が据わっているな」と石井さんは感心していました。■不登校だからって将来は決まらないそれでは、「学校には行かない」と決めたとして、その後どうすればいいのか。樹木さんは書籍のなかで、このように語っています。不登校でも、ある日ふっと何かのきっかけで、学校はやめるかもしれないけど、もっと自分に合った、っていうと自分中心だけどそうじゃなくて、自分がいることによって、人が、世の中が、ちょっとウキウキするようなものに出会うということが、絶対にあると思うの。出典: 『9月1日 母からのバトン』 子どもたちにとって、自分がワクワクできるようなものを見つけるまでは、おそらく紆余曲折あることでしょう。不登校になった子どもたちは、どのように成長していくのでしょうか。文部科学省では、15歳で不登校だった子どもたちに、5年後「自分の不登校を振り返ってどう思うか」という調査を行っていて、「行けばよかった」が38.9%、「仕方がなかった」が31.7%、「何とも思わない」と「行かなくてよかった」が29.3%と、「否定」、「肯定」、「どちらとも言えない」という回答が、それぞれ大体3分の1ずつに分かれています(※)。この結果から、「不登校については、肯定と否定のどちらかはっきり答えられない実情が見えます。ただ、みんなそれなりに山あり谷ありの人生を送り、大人になっていく。不登校だから将来こうなるということは言えないのです」と石井さんは分析します。■子どもにとっての「居場所」は外にあるとは限らない書籍では、ロバート・キャンベルさんが「学校以外にも魅力的なハッチ(非常口)が必要だ」と語られています。子どもたちにとってどんな場所が非常口となるのでしょうか。義務教育期間の子どもたちにとって、学校以外の選択肢を石井さんに教えてもらいました。【学校以外の主な選択肢(小中学生)】●教育支援センター(適応指導教室)小中学校の不登校児童や生徒を指導、支援するため、全国の市町村の教育委員会が設置している。学校以外の場所や学校の余裕教室を使って開催されていて、無料で利用できる●フリースクール民間の教育機関で、利用料金の月額平均は33000円。全国に約500か所あり、その目的はそれぞれ異なっていて、内容もさまざま●ホームエデュケーション家庭をベースに学び育っていく教育方法のこと「魅力的なハッチ(非常口)」となる子どもたちに合った居場所の見つけ方については、石井さんは次のようにアドバイスします。「子どものために開かれている場所には必ず人が集まってきます。その場所の人の集まり具合を見ること、そしてその場にいる子どもたちの表情を確認してください。子どもって、心から楽しければ笑顔が出ますから」(石井さん)さらに石井さんは、「子どもにとって必ずしも居場所は外にあるわけではない」と言います。「子どもにとっての居場所が、“自分の部屋”ということも大いにありえます。本人が『いま、そこにいたい』と思える場所を尊重してあげてほしいですね」と話します。■子どもが心を閉ざす前に、親ができること書籍の中で、内田さんが母として不登校への向きあい方について、悩み、答えを探る様子がつづられています。不登校経験者との対談のなかで、内田さんは次のように問いかけます。私も、息子や娘が心を閉ざす瞬間に「もうちょっとヒントちょうだい!」って思っちゃう。「間違えたことを言っちゃってるんだったら、どの部分がダメだったのかを教えて」って。出典: 『9月1日 母からのバトン』 この内田さんの切実な想いの根底にあるのは、「親が子どもとどのように関わるのが正解なのかわからない」という想いなのかもしれません。この問いかけに対して不登校経験者は、「親との距離が近すぎたこと」と回答しています。石井さんも「私自身もそうだったのですが、親との距離が近すぎて、その期待に答えられず悩んでいる子どもは多くいます。毎日顔を突き合わせるなかで、煮詰まってきてお互いに苦しくなり、いがみあってしまう親子もこれまで目にしてきました」と語ります。お互いの幸せを願っているはずの親子間で、そうした悲しいすれ違いを起こさないためには、どのようにすればいいのでしょうか。石井さんは取材をするなかで、親子の分離がまったくできていない人と出会ったそうです。「幼児期は親のケアを必要としますが、子どもはどんどん自立しはじめますよね。親として戸惑いがあるのは当然だと思います。それでもやはり、親と子は別人で、親は他人として子どもを支えるんだという距離感は必要です」と石井さんはアドバイスします。親にとっては、失敗が許されないと思える子育ての現状。しかし石井さんによると、不登校をきっかけに、親子関係を再構築する人も多いといいます。親子の「距離感」はとても難しい問題で、簡単に正解は見つかりません。でも、親は子どもの意志を支えるということを意識しておくことが大切なのかもしれません。■「この子があぶない!」親だけができることとは?樹木さんが亡くなる直前に思いをはせていた9月1日、今年もまもなくその日が訪れます。実際に親たちは、夏休み中の子どもたちのどんな様子に気をつければいいのでしょうか。石井さんによると、注意するのは次の4つのポイントです。【夏休み中の子どもに注意すべきポイント4つ】・食欲がわかない・眠れない・イライラして情緒不安・勉強が手につかないもし子どもたちにこのような様子があれば、「すぐにでも学校から距離を取らせてあげた方がいい」と石井さんは言います。「親が『この子は危ない』と感じる勘を信じてください。それが一番間違いないからです。『学校に無理して行かなくてもいいんだよ』という最初の“ドクターストップ”をかけてあげられるのは、専門家ではなく一番身近な親だけなんです。その後、医師などの専門家に相談してください」と石井さんは語気を強めました。「死なないで、ね……どうか、生きてください……」という樹木さんから届けられたメッセージ。親自身が一人ひとりしっかりと受け止め、子どもたちの様子を見て、最初に対応してあげる必要性を強く感じます。■樹木希林流「親がつらいときの対処法」最後に、樹木希林流のしんどい時の対処法について、考えてみたいと思います。樹木さんは、「しんどいときにどうやり過ごすか」という質問に対して、「笑う」と答えています。私にもしんどいときはもちろんあります。(中略)しんどいんだけど、そのときにしんどいって顔をしないで、こうやって笑うの。笑うのよ。ね? あんた頑張ったわよって、頭をなでて、笑う。ほかの人がいるときにそうやってたら馬鹿みたいだけど(笑)、そうやって笑って、「いいなあ、いいなあ」って言ってるうちに忘れちゃうの。出典: 『9月1日 母からのバトン』 内田さんも樹木さんから生前にこのアドバイスを教わり、実際にやってみたそうです。「本当に無気力になって、もうこれは笑えないないと思った時にそれをやってみたら、心なしか気持ちが軽くなっていって、バカバカしいことをしている自分に対してクスッと笑えた」と書籍で打ち明けています。“しんどいときに笑う”。なかなか難しいとは思えますが、不登校の子どもに対しても、親はできれば笑顔でいてほしいと石井さんも話します。「子どもが不登校になると、どうしても思いつめてしまうとは思いますが、できれば悲しむ様子や涙は外で出して、子どもの前では見せないであげてほしい。親の楽しそうな様子や笑顔は、理屈ではなく子どもを勇気づけますよ」(石井さん)ここまで樹木さんの言葉をもとに、石井さんと学校に行きづらいと悩んでいる子ども、そして親との関わりについて考えてきました。いま学校に行くことがつらい人、「学校に行けない」ということを言えない人、“みんな”と同じようにできなくて苦しんでいる人がいるかもしれません。そして子どもの想いと将来を思いやって、どうすることが正解なのか苦悩している親御さんもいるでしょう。樹木さんの人生を通じて語られた言葉は、大きな学びとなったように思います。樹木さんと内田さん母娘の思いに触れて、あらためて自分自身は親として子どもに何ができるのか、考えるきっかけにしてはいかがでしょうか?樹木さんは、次のようなメッセージを贈っています。この子の苦しみに寄り添うしかないのよね。だから、ああしろ、こうしろとは、もちろん言わない。言って治るようならとっくに治ってるでしょう?出典: 『9月1日 母からのバトン』 「9月1日」子どもたちみんなに居場所がありますように。■樹木 希林さん、内田 也哉子さんの著書 『9月1日 母からのバトン』 (ポプラ社 ¥1,620(税込み))女優・樹木希林さんが生前、不登校の子どもたちへの思いを語った言葉などをもとに、娘の内田也哉子さんがさまざまな立場の人たちと対談しながら、その考えをたどる様子を記録した書籍。今回取材した不登校新聞の石井編集長が樹木さんを取材した記録や内田さんと対談した様子も収録されています。●不登校新聞とは1998年に創刊された不登校に関する専門誌。当事者の視点を大切に、不登校についての情報を発信し続けている。●石井志昂(いしい・しこう)さんプロフィール1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2006年から『不登校新聞』編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行ってきた。<参考サイト>※文部科学省: 「不登校に関する実態調査」
2019年08月26日「死なないで、ね……どうか、生きてください……」亡くなる2週間前にこんな言葉を残したのは、昨年2018年9月に亡くなった女優の樹木希林さん。樹木さんは、学校に行けなくてつらい思いをしている子どもたちにメッセージを贈っていました。樹木さんが不登校などについて生前語った言葉と、その娘である内田也哉子さんがその思いを受けて語った内容がつづられた書籍 『9月1日 母からのバトン』 が発売されました。樹木さんに取材経験があり、書籍内で内田さんとも対談されている不登校新聞の石井志昂(いしい しこう)編集長とともに、不登校で悩む親子に対する樹木さんからのメッセージを読み解きたいと思います。お話をうかがったのは…●石井志昂(いしい・しこう)さん1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2006年から『不登校新聞』編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行ってきた。●不登校新聞とは1998年に創刊された不登校に関する専門誌。当事者の視点を大切に、不登校についての情報を発信し続けている。■樹木希林さんの言葉が持つ力「死なないで、ね……どうか、生きてください……」去年の9月1日、母は入院していた病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。あまりの突然の出来事に、私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それから、なぜそんなことをしているのか問いただすと、「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」「もったいない、あまりに命がもったいない……」と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。この2週間後に、母は75年の生涯に幕を閉じました。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より夏休み明けの9月1日は、子どもの自殺が最も多くなる日。内閣府の調査でも明らかになったこの数字(※1)。書籍の冒頭で、亡くなる直前に病床で語られた樹木さんが語られた言葉は胸に迫るものがあります。書籍には、生前語られた樹木さんの言葉がつづられています。そして樹木さんのメッセージは、子どもたちからの切実なSOSの代弁にも感じられ、さらに親に対する思いも込められていました。■樹木希林さんは、なぜ不登校の子どもに思いをよせたのか?石井さんが初めて樹木さんと会ったのは、2014年7月。不登校新聞の取材に、樹木さんが答えたときのことでした。「こちらは不登校について話を聞く。樹木さんは自分が人生で得たものについて答える。お互いに生きざまのぶつけ合いのような取材でした。直接的な答えがなかったとしても、希林節の言葉が不思議と心に響く。信じられないくらいおもしろい取材ができました」と石井さんは振り返ります。その後、2015年に再び樹木さんに会った石井さんは、「毎年9月1日前後に、18歳までの若い人たちがたくさん自殺している現状」を伝えます。そのとき「自殺するよりはもうちょっと待って、世の中を見ててほしい」と語った樹木さんが、この日のことをその後もずっと覚えてくれていたのだと、娘の内田さんからの連絡で知ります。「樹木さんが、自分と同じ気持ちでいてくれたことを知り、感動で震えました。闘っているのは自分だけじゃないんだと思えましたね」(石井さん)■樹木希林さんの「親としての価値観」とは書籍では、樹木さんの娘である内田さんが、さまざまな立場の人たちと対談しながら、樹木さんの思いをたどっていきます。樹木さんは母親としてどのような考えだったのか、書籍からみえてきたことは、「親の価値観」の持ち方を重視していたということです。子どもには子どもの社会があるんですよね。大人から見て「そんなの!」って言ったってだめだから。そういうときはもう、寄り添ってやるしかないかなと思っています。(中略)不登校の子どもよりも、私は親の価値観(の問題)なんだと思うんです。もっと、何かと比べるとかはなしでいいじゃないですか。違っててもいい。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より親にとっては、子どもが不登校になるのは人生の一大事で、どうしても学校に行けるほかの子どもと比べてしまいがちです。でも樹木さんの言葉からは、そういった状況のなかでも「親の価値観」をしっかりと持ち、子どもの個性を「違っていてもいい」と認めてあげることのほうが大切だという考えが伝わってきます。■苦しみは「わかってもらえなくてあたり前」という考え自身も不登校の経験があり、「不登校新聞」の取材で多くの不登校の子どもたち、親と話す機会がある石井さんによると、親とくに母親は、子どもが不登校になると、深く傷つくのだそうです。「『私がダメな母親だから、子どもが不登校になった』という加害意識と、『でもだれも助けてくれなかった』という被害意識が堂々巡りして、母親は、孤独な状態に追い込まれていきます」(石井さん)そんな母親たちにとって、同じ立場の人と出会い、自分が置かれている大変な状況を認識して、「自分自身も救われていいんだ」と思えることが、大切なのだそう。そうした傷つき、孤独な親の気持ちにも、樹木さんは思いを寄せていました。みんなそれぞれの苦しみを抱えてられていることがわかったんだけど、それを「わかってくれ」って、「わかってくれない」って、嘆いてもはじまらないの。わからないの、人の苦しみは。(中略)「わかってもらえなくて当たり前なんだ」と思ったときに、もっと楽になっていくんじゃないかな、というふうに思いました。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より「自分の苦しみはわかってもらえなくて当然」という樹木さんの言葉は、一見突き放したようにも思えます。ただ、樹木さんは苦しみから救われるために、「自分でも不幸な思いをした人が、不幸な思いで苦しんでいる人に会ったときに、すごく気持ちをわかってあげられることがある。それが”寄り添う”こと」とも語り、同じ立場の者同士が寄り添い、理解し合うことをすすめています。「子どもの気持ちを理解したいのに、わからない」とか「だれもこの苦しみをわかってくれない」とつらい状況にいる親の気持ちに寄り添ったうえで、親をその苦しみから解放してあげる術を樹木さんは考えていたのかもしれません。また「同じ悩みを持つ人同士が話し合う」という方法については、石井さんも「不登校の子どもやその親にも当てはまる。私自身、不登校になって初めてフリースクールに行ったときは、”自分だけじゃないんだ”と体に入ってくる安心感がありました。親も同じで、同じ立場の人と出会うだけですごく安心できるんです」と、同調しました。■子どもの最後の命綱を握れたという信頼関係9月1日に寄せた樹木さんからのメッセージ。一体私たちはどのように受け止めればいいのでしょうか。石井さんは、不登校の子どもをもつ親に対して、「どうか自分を責めすぎないでほしい」とメッセージを送ります。不登校になったきっかけについて、文部科学省の調査によると、小学生では「家庭生活が起因する」とする答えた人が54.1%ともっとも多くなります。そして中学生では「学校生活に起因する」の割合がもっとも高くなります(※2)。石井さんは、こうした不登校理由の1位が「家庭」となることもあって、責任を感じすぎてしまう親が多いと言います。しかし、「『不登校になって、家で引きこもることで苦しさを出せた』ということは、それだけ親を信頼していることの表れ」だとも話します。「『あなたの子育ては間違いじゃなかった』ということをぜひ親御さんには伝えたいです。不登校になった子が命綱を親に差し出し、その命綱を親が握ることができたこと。そういう信頼関係を築けたことを親は誇りにしてもらいたいんです」(石井さん)さて、ここまで樹木さんの言葉を石井さんといっしょにひもとき、不登校への親の対応や意識の持ち方について考えてきました。樹木さんならではの言葉はどのように胸に響いたでしょうか。次回は、「学校に行くことって当たり前?」というテーマで、より具体的な対策について引き続き石井さんとともに考えていきたいと思います。■樹木 希林さん、内田 也哉子さんの著書 『9月1日 母からのバトン』 (ポプラ社 ¥1,620(税込み))女優・樹木希林さんが生前、不登校の子どもたちへの思いを語った言葉などをもとに、娘の内田也哉子さんがさまざまな立場の人たちと対談しながら、その考えをたどる様子を記録した書籍。今回取材した不登校新聞の石井編集長が樹木さんを取材した記録や内田さんと対談した様子も収録されています。<参考サイト>※1、内閣府: 「学生・生徒等の自殺をめぐる状況」 ※2、文部科学省: 「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」 (PDF:3006KB)
2019年08月25日小さな赤ちゃんと過ごす毎日。「一体この生活はいつまで続くんだろう…」と途方にくれてしまったことはありませんか?「こんなふうに思うのは悪いこと」「私はダメな母親だ」と自分を責める人がいるかもしれませんが、実はそう感じるのはきちんとした理由があります。途方にくれてしまうのは自然なこと、仕方のないことなんですね。今回は子育ての閉塞感からの抜け出す方法について、一緒に考えていきましょう。■乳幼児期の子育ては「時間に区切りがない」乳幼児期の子どもを育てていると、誰しも「終わりが見えない」と感じることがあるのではないでしょうか。では、なぜ終わりが見えないと感じてしまうのでしょう。それは「昼と夜の区別がない」「曜日感覚がない」といったことが理由にあります。赤ちゃんは昼も夜も関係なく、寝たり起きたりしていますよね。お母さんもそれに合わせてミルクをあげたり、オムツを替えたりとつきっきりです。だから昼と夜の区別や「今日は何曜日なのか?」といった時間の意識が薄くなります。それから「まとまって眠れない」ことも時間がずっと続いているような感覚に陥りやすくなる要因となるでしょう。夜に6時間や8時間などまとまった睡眠をとることで1日のはじまり、終わりのメリハリがつくものですが、昼夜の区別ない乳幼児期の子育てはそうした1日の時間のメリハリがなくなってしまうのです。■人は「終わりが見えないこと」に苦痛を感じる乳幼児期の子育てが辛いのは「時間が永遠に続くように思えるから」だと思います。泣く→ミルクをあげる→寝る→オムツを変える→泣く… を繰り返す毎日は、区切りを感じにくいですよね。人は終わりが見えないことには苦痛を感じるといわれています。だから「なんだか辛い…」という気持ちも、リセットしにくい状態になるんですね。さらに子育てがはじめてという人も「終わりが見えない」と感じやすいのではないかと思います。「ミルクを飲んでくれない」ことに悩んでいたのに、少し大きくなったら今度は「夜泣きが激しい」と新たな悩みが生まれ、離乳食がはじまるとまた「食べてくれない」などの悩みが生まれる…。はじめての子育ては特に、少し成長したと思ったらまた別の悩みが生まれやすくなります。しかも乳幼児期の数年間は24時間、365日営業状態。この状態も終わりの見えなさに拍車をかけているようです。同様に「子どもを危険に晒せない」「私が守らなければ!」という親としてのプレッシャーや責任感も、閉塞感は募らせる要因となりえるでしょう。■苦痛解消には「定期的な目標」を!では、終わりの見えない辛さをやわらげていくためにどんなことができるでしょう? おすすめなのは「定期的な目標」をつくることです。それは「家族で毎年1回海外旅行へ!」のような大きなものではなく、日々のなかの小さなことに対する目標です。例えば…・来週の金曜日、友だちとランチの約束をしたとしましょう。約束も楽しみのひとつですが、ランチにいくために「来週の水曜日に髪を切る」という目標を立てることができます。・月末に家族で公園にピクニックにいくと決めたとします。当日を楽しむためにはいろんな道具が必要です。今週中には大きめのレジャーシートを購入しておき、来週中には家族が好きなランチレシピを決めておく… といった目標を立てておくといった具合いです。・「今日はお散歩の帰りに、気になっていたお店でスイーツを買って帰る」「明日は絶対に大好きな録画ドラマを1本見る」といったことでもOK。このように定期的に目標を定めていくのは、ある狙いがあります。それは「子育て以外に目を向けること」です。目標を立てると、未来の楽しい予定を心待ちにすることができ、日常生活にやる気が出て気持ちが切り替えやすくなります。子育て以外のことを考える時間が増えれば、終わりの見えない感覚をやわらげることができるのではないでしょうか。■自分が本当に楽しめること、好きなことを「忘れない」また「自分で目標を定める」ことは、小さなことでも自分の好きなもの、楽しいと感じられることを思い出すキッカケづくりになると思います。特に「自分は〇〇が好き、〇〇できると幸せ」という「自分で自分を喜ばせる」気持ちは、忙しい乳幼児期の子育てにおいて封印しがちです。例えば、外食のメニューを決めるときも「わが子の好きなものは〇〇だから…」と考えたり、どこかに出かけるときも「家族みんなが楽しめることは…」と考えたり。すべてが子どものため、家族のためになりがちで自分が本当に好きなこと、好きなものを思い出す機会がなくなってはいませんか?それは自分では意識せずとも、自分の気持ちを知らないうちに封じ込めていることになるのです。1ヵ月、2か月の間ならまだいいでしょう。でも5年も6年も自分の好きなものや好きなことを思い出さない生活を続けていくと、どうなるでしょうか。子どもの手が離れ、急に1人で過ごす時間ができたとき。「あれ、私は何をするのが好きだったんだっけ?」と自分の好きなこと、ものが頭に浮かばなくなってしまうんです。私も子どもが大きくなり、突然丸1日を1人で過ごすことになったとき、何かを食べようと思ったら「あれ? 私は何が食べたいんだろう?」と自分の好きなものが思い浮かばなかったことがあり、少し恐ろしくなりました。食べたいものはもちろん、空いた時間に何かしようと思っても好きなこと、したいことが思い浮かばなかったんです。結局、家で1人でボーッと過ごしました。子どもが巣立ち、自由な時間が戻ってきたとき「何をしていいか分からない」。そうなってしまうのは寂しいものです。自分の好きなことを見つけていこうとする意識があれば「今」に対する考え方も少し違ってくるかもしれませんね。
2019年07月25日子育て真っ最中に迎えた実の母親の死、そんなときにどうやって自分の生活を続けていけばいいのでしょうか。母親が亡くなってつらいけれども、子どもとの日常はとめどなくやってきます。昨年出版された 『さよならわたしのおかあさん』 。前回の記事、 「“母は助けてくれてあたり前”と信じてた『さよならわたしのおかあさん』(前編)」 では、作者・吉川景都(よしかわ けいと)さんに、母親との日々や亡くなった後の生活について教えていただきました。今回は4歳になった娘のえっちゃんとの日々や、将来目指したい親子像などについて吉川景都さんに話を伺いました。■母の死と娘の誕生はセットで考える――おかあさんが闘病している中でのえっちゃんの誕生は、大変なこともあったのかなと思うのですが…。おかあさんがしんどい時期に自分もしんどくてダブルパンチのように感じることもありました。ただ、新しい命の誕生というのはあきらかにいいことで、おかあさんもそのときはすごく喜んでくれたし、私も子どもに対して親がこう思うんだっていうのを、おかあさんがいるうちに感じられて、すごくよかったですね。――なるほど、同時にあったことにも意味があるということなんですね。「おかあさんの死」と「えっちゃんの誕生」は、私の中ではセットになっているんです。娘が生まれてきてくれて、そこの開いたドアにおかあさんが入っていった。向こう側に行ったおかあさんは新しく生まれてきたえっちゃんのことを見守っていてくれているんだなと捉えています。■子どもと向き合う自分の中に見る「おかあさん」――今、えっちゃんを育てるなかで、おかあさんの存在を感じることはありますか。自分自身がえっちゃんに対して言うこととかやることが、ほぼおかあさんのままみたいなんですよね。「これ、言われたことある!」って言ってから思い出すこともよくあって。この間、えっちゃんとお菓子作りをしたんですけど、もうずいぶん作っていなかったのに、基礎の動きを体が覚えていたんです。おかあさんが教えてくれたことが、ポンって出てきた。きっと、自分の中にはまだ思い出し切れていないことがあって、これからどんどん思い出していける。すごく心強くて、ここまで育ててもらったから、これからも育てていけるんだって感じています。――「自分が生きていること自体が、お母さんの形見」というあとがきの言葉が印象的です。子育ての中で、子どもと付き合い向き合っているうちに、母の考え方とか教えてくれたことが、自分の中にあるなって何回も思いました。そういう経験が積み重なると、「おかあさんって消えていないな」って実感ができますよね。姉妹と話していても、「おかあさんだったらこうするだろうな」って想像できる。それってもう「いなくてもいる」っていうのと一緒だなって思います。――えっちゃんは、おかあさんのこと覚えているんですか。きっと本人は覚えていないと思うんですけど、たまに気を使って、こっちに話題を振ってくれるんですよね(笑)。あとは、最近「天国ってどこにあるの?」とか、急に聞いてくるときとかあって、「お空の上だよ。いつも見ているんだよ」と言っています。■家族の闘病と子育ての両立――おかあさんの闘病と子育てを両立するのは大変だったと思います。どうやって乗り切ってきたのでしょうか。がんばりすぎないことは大切だと思います。私自身も、おかあさんが小康状態のときに、自分の仕事を進めたり子どもを保育園に行かせたりと、日常に戻る時間を確保していました。おかあさんがいなくなったあとも生活は続く、だからこそ、自分自身や子どもの生活を端の方でちゃんと維持しつつ、そこに戻れるようにしておくことは大切だと思います。――ホスピスで最期を過ごしたからこそ、きっとそうした無理のないみとりができたのでしょうね。おかあさんは、体調の波があったときすぐに相談できる場所にいたい、家にいるとみんなに迷惑かけるから嫌だと言って、ホスピスに入りました。入院したとき、本人は晴ればれとした顔をしていて、「もうこれで大丈夫だ」と思ったんだと思うんです。無理に自分たちがなんとかしなきゃって思わないほうがいいと思うし、思う必要はないと思います。■母から受け継いだもの、自分なりに作る娘との関係――どういう親子関係を目指していきたいのか、吉川さんなりにどう考えているのでしょうか。私はおかあさんに何でも話してきたので、えっちゃんにとってもできれば、私が一番の相談相手でありたいし、友だちや恋人ができたりしても、最後は「お母さんがいるからね」って言える存在でありたい。おかあさんにしてもらったように、ベッタリするのではなくうまくサポートしていってあげられたらいいなと思います。――ほかにおかあさんのようになりたいと思うところはありますか。私は心配性なので、つい先回りしていろいろと心配してしまうんです。でも、おかあさんは私が「芝居がやりたい」とか「音楽がやりたい」と言ったとき、いつもまずは「やってみれば」と言ってくれました。だから、私も将来えっちゃんのことをあまり心配しすぎずに見守りたいですね。たとえ「ユーチューバーになりたい」とか言われても(笑)。本人に任せて、もし失敗しちゃったときは受け止めてあげたいです。――おかあさんが弱音を吐かなかった、そうした姿も目標になりそうですよね。おかあさんがまったくつらい面を見せなかったというのは立派だと思うし、自分もそうありたいと思うけれど、とてもできないなあと。いまとなっては、もっと弱音を言ってほしかったという思いもあるし、自分だったらもうちょっと弱音を言っちゃうと思いますね。そういうところを、おかあさんの要素も入れつつ自分なりの母親になっていきたいです。ただ、本当に自分がそういう風になったら「お母さんは大丈夫だよ」って言っちゃうのかもしれないですけどね(笑)。■「命のバトンをつないでいく」吉川さんのメッセージインタビューでは、吉川さんが言葉ひとつひとつを丁寧に選びながら話をしてくださり、おかあさんとえっちゃんを大切にする思いが伝わってきました。そして、まさに子育てとは「命のバトンをつないでいく」ことなのだと、書籍とインタビューをとおして強く実感しています。筆者自身も2年半前に実の母親を大腸がんで亡くし、喪失感がなかなか埋められずにいました。そんなときにこの本に出会って、心のささくれていた部分にそのメッセージが染みこんできました。母親から私に確実に命のバトンは受けつがれていて、きっと次は自分がそれを子どもに渡す番なのだと感じています。おそらく書籍を読み終えると、「お母さん」のことを深く知りたい、どう思っているのか感じたいと願うのではないかと思います。親、自分、子ども、そのずっとつないでいく命のバトンのなかに、何を込めていけばいいのか。そんなことを考える機会となりそうです。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))■吉川景都(よしかわ・けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo
2019年04月10日子育てする中で実の母親というのは、お手本ともなり、頼れる存在ともなりえます。そんな母親がもし死を迎えることになったら、娘である自分たちはどうすればいいのでしょうか。漫画家の吉川景都(よしかわ けいと)さんは、昨年肝臓がんを患い母親との別れをつづったコミックエッセイ 『さよならわたしのおかあさん』 を出版されました。いつも笑顔で冗談を言い続けたおかあさんとの日々や、3年間の闘病、そして亡くなった後の生活について描かれた作品は、連載中からSNSでも話題を集め、出版後も多くの反響を呼んでいます。母親と過ごした日々や、別れの乗り越え方などについて、吉川景都さんに話を伺いました。吉川景都(よしかわ けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo ■一番の相談相手のおかあさんが病気になったとき――吉川さんとおかあさんはどんな関係性だったのですか?私は3姉妹の真ん中なのですが、将来やりたいことを見つけるまでにも時間がかかったので、姉妹の中でも一番心配をかけたんじゃないかと思います。でも、どんなときもおかあさんは「しょうがないよ、まあ、やってみたら?」と言って受けとめて、伴走してくれました。私にとっても、一番の相談相手はおかあさんでしたね。――ガンだとわかったとき、おかあさんはどんな様子でしたか。おかあさんはC型肝炎からガンに進行したのですが、それがわかったときに送られてきたメールは、いつもどおりの絵文字が盛りだくさんの、おもしろいメールでした。私は驚いて、すぐに電話でわーって泣きながら、「どうするの、ガンなんて!?」と、言ってしまって。おかあさんは「いまは治る病気だし、大丈夫」と言ってくれた。ただ、母が亡くなったあとで、父から「病気がわかったときは、おかあさんは泣いて『どうしよう』と言っていたんだ」と聞きました。――あくまでも母親として心配をかけまいとしたんですね。私は、おかあさんの不安を聞いてあげようって気持ちよりも先に、自分がおかあさんを失う不安を取り除きたい気持ちが来てしまいました。「おかあさんはまあ治るだろう」と、現実感がなくて。同時に私は不妊治療をしていたので、「急がなきゃ!」という焦る気持ちが急に湧きあがってきました。■おかあさんのガンがわかってから迎えた妊娠と出産――産前に里帰りしたときは、どんな気持ちでしたか。出産は自分にとって、思っていたよりも前代未聞なことで自分の生活が根底から変わることへの不安がすごく大きかったんです。自分だけがその立場に立たされていて、こんなに大変なんだと思ったら、今まで築きあげてきた「大人っぽい自分」という外側がなくなって、わがままな自分が出てきました。そのときにおかあさんがちょうど病気で、甘えるに甘えられない、不安な気持ちもぶつけるにぶつけられないと感じた時期でしたね。――お互いにつらかったでしょうね…産後はどうでしたか。産後1~2ヶ月で仕事を再開したのでいっぱいいっぱいで、同時におかあさんの病状がだんだん悪くなっていって。おかあさんの状態を受け入れられない自分と初めての子育てで大変な自分というのがごちゃごちゃになっていて、余裕がありませんでした。「その時期もっと実家に帰ればよかった」って今は思うけど、当時はそれどころじゃなかったですね…。■みんな後悔を抱えながら生きていく――最期の日々、おかあさんはどんな様子でしたか。ホスピスに入ってからも、私たちにはつらい表情はほとんど見せなかったです。ただ、一度だけ「くるしい」って電話を掛けてきたことがあって、よっぽどやりきれなかったんだろうって思います。大急ぎで病室に行ったら、やっぱりまたいつも通り「大丈夫。さっきはごめんね」って言うんですよね。――おかあさんとの最期の日々について、今思うことはありますか。私は実家から少し距離があったところで暮らしていたので、「もっと会いに行けばよかった」という思いは、亡くなってからずっとありました。ただ、後悔って家族全員に何かしらあって、一番近くにいた父も、姉や妹たちもそれぞれ「もっとできることがあった」と思っているんですよね。そう考えてみると、「全部やりきったぞ」と言って終われることなんてないんだろうなとは感じています。みんなある程度の後悔を抱えながら生きていくのかなって。■母との別れは、生のままの傷が残っていてほしい――おかあさんが亡くなってから、どれくらいで気持ちに区切りがつきましたか。まずお葬式が終わったときに、おかあさんとの間にある扉が閉まった感じはしました。さらに、亡くなってから1年くらいしてから、母の地元の大分県に分骨に行ったのですが、その道中が家族旅行みたいで。母はいないけど、家族としての形をなんとか保っていけると感じられて、少し気持ちに区切りがついたように思います。あと、私にとっては『さよならわたしのおかあさん』を描いたことがすごく大きかったですね。――読者からの反応はどうでしたか。同じ経験をした方から、「同じような気持ちだった」、「書いてもらえてよかった」と言ってもらえることがあって、描いてよかったなと思いましたね。あとは、「この本を読んで、今日母親に電話しました」とか、「先延ばしにしていた帰省を来月に決めました」というような声もいただいて、描くのはやっぱりしんどかったけどやってよかったなと感じています。――母親の死をどうやって乗り越えればいいか、少しでも気持ちが楽になる方法はないでしょうか。漫画を描くまでは、おかあさんにまつわるさまざまな事柄がそれぞれバラバラに自分の中にありました。しかし思い返してみると、すべてにつながりがあるのだと見えてきたんです。母が亡くなったあとは、悲しいシーンばかり思い出しがちでしたが、つなげて考えるとその間に笑えることや楽しいこともあったなと。起きた出来事を書き出して時系列順に並べてみると、気づくことがあるんじゃないかと思います。――今でもつらいときもありますか。すごくしんどい時は、今も「おかあさんがいない」って泣いてしまいますね。けどそれって頻度が減っていくだけで、多分これからもずっとそうなるときはあるんだろうなって。そこは別に整頓しないで、いつまでも泣ける自分でありたいし、忘れずにいたいですね。生活の中では落ち着いて整頓はされているけれど、おかあさんとは遠く離れたくないし、生のままの傷が残っていてほしいって思っています。■母から見た子ども、子どもから見た母親像とはインタビューでは、吉川さんのおかあさんへの深い愛情が伝わってきました。そして、自分自身のつらい経験を漫画という媒体をとおして伝えてくれた思いを、ママという立場だからより強く共感することも多々あるように思います。本書での最期までほとんど弱音を吐かず、娘を支えた「おかあさん」の姿には、母親のあり方とは何か考えさせられるものがありました。その一方で子どもから見た母親像というものも強く印象付けられ、自分と母との関係、そして自分と子どもとの関係について深く思いを馳せる良い機会にもなりえると感じました。「どんな最期だとしても、何も後悔が残らないことはない」という吉川さんのメッセージには、経験した人だからこそわかる言葉の重みがあります。家族とのつらい別れは、避けたくてもきっといつか必ずだれにも訪れますが、そのとき少しでも自分の心を楽にできるようなエッセンスが、吉川さんの漫画にはところどころに散りばめられていました。次回は、現在の娘さんとの生活、これからの親子関係について、引き続き吉川さんにお話をお伺いします。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))
2019年04月09日今回のグラハム子さんの書き下ろしコミックエッセイは、子どものときの習いごとにまつわる切ない思い出について。前後編でお届けします。あけましておめでとうございます!今年は大厄年のグラハム子です。ちなみに、夫は私のひとつ年上です。今回は、私が夫と結婚を決めた理由のひとつを描きたいと思います。それはまだ結婚前、夫(当時はまだ彼氏)とともに、共通の知人たちと食事をしたときでした。■子どもの習いごとの悩みに知人たちは…こんな会話を聞きました。本当に、なにげない会話の一部だったと思います。でも、私にはすごく胸に刺さる会話でした。なぜなら、私自身が昔、A先輩の息子と同じような経験をしたからです。■“母の希望の習いごと”に自分が向いていないと思ったら私は幼稚園のころ、とあるスポーツの習いごとを始めました。きっかけは覚えていなくて、気がつけば通っていた感じです。おそらく母の希望だと思います。最初の数年は疑問を持たず通っていました。母も応援してくれていました。が、小学校2年生のころ、 私は母にそう言いました。理由は、「自分にはその習いごとがあまり向いていない」と気づいたからです。でも母は と言いました。私は言われたとおり、もう少しがんばることにしました。でも、やっぱり自分には向いていないと思う気持ちは変わりませんでした。変わらないどころか、日に日に、その気持ちは増していきました。だんだんと行きたくなくなり、習いごとを休む日も多くなっていきました。週3日ある習いごとでしたが、月に1回も行けないときもありました。それでも母はやめさせてはくれませんでした。■私のぽっかり開いた穴に母がいる…小学校高学年になると、もう「やめること」をあきらめました。だんだんまた通うようになり、すると母もよろこんでくれました。中学校ではその習いごとの部活に入りました。強豪校で、成績は県大会でも常に上位でした。メダルや賞状をもらうたび、母はとてもよろこんでくれました。私もメダルをもらったり、賞賛されることはうれしかったです。でも、ずっと自分の本当の気持ちは、ぽっかりと穴が開いてしまっていて。その穴の中に他人(おもに母)が住んでいるような感じでした。…長くなりましたので、続きは後編に…。後編は、「もし子どもの時、習い事を辞めさせてくれたら…」と思ったときに、夫が言った言葉とは…。子どもが親に対して持っている気持ち、親になって初めてわかる気持ちを見つめなおします。
2019年01月11日自分の子ども時代はサンタクロースが来なかったことに一抹のほろ苦さを感じていた荻並トシコさん。でも、サンタクロースが来ていたご近所の友だちにも、やはり違ったほろ苦いエピソードがあるようで…ショ…ショックーーー!!で、でもなんかわかる気がする…。母親も、1人の、ただの人間。ふとした瞬間に(きっと母親自身もしまった!! と思ったであろう)すごく人間臭い反応を見せること、あったよな〜と。案外、そういう生々しい瞬間こそがユーモラスな家族の歴史を作っていくのかしらと、私も自分の母親のことを思い返しながら、なんだか懐かしい気持ちになりました。メリークリスマス!!
2018年12月25日いまだ世間で根強くささやかれる「母性神話」。女性には、もともと母性が備わっているからこそ、子どもを生めば自然と愛情がわき、わが子に尽くすのが母親の真なる愛であること。そして、自己犠牲もいとわない母の姿こそが本来の母親像であるという周りの評価。しかし厳しい世間の目に悩まされながらも、子どもを持ったことで、自分のなかにふつふつとこみ上げる「母親」を強く意識するのもまた事実。そんな「母親」という生き物について深く切り込んだ渋谷さえらさん( @voxxx )の 漫画 がツイッター上で話題を呼びました。■母になって漠然と芽生える「私の人生は誰のもの」問題これからの人生は私の物であって、私の物でない出典: 渋谷さえらさんツイッターより 漫画の冒頭は、出産して、母親になった渋谷さんの率直な想いから始まります。子どもが生まれた時点で、1人の女性から母親へと無条件に役割を与えられ、わが子に会えた喜びを感じるのもつかの間、その後は24時間体制のお世話がいよいよスタートするのです。今まで自分に費やしていた時間は、ほぼすべて子どものお世話に費やされるようになり、行動も制限されます。頑張ったからといって誰からもほめられることわけでもなく、母親の努力が当たり前のようにとらえられる育児の現実。しかも向き合うのは、生身の赤ちゃんであり、わけもわからず泣き続けたかと思えば、突然笑い出したり、まるで読めないお天気のように気分次第で振り回されることもたびたび。母親たちは、日々育児のプレッシャーを抱えながら、自分のなかの何かが奪われていく感覚さえ味わいます。そんな「私」が「私」でいられなくなる不自由さを予測した渋谷さんの言葉は、育児の喜びの裏に隠された母親たちの虚無感や恐れ、寂しさを表すものでもあります。「私の人生は誰のもの?」そう問いかけたくなる瞬間を経ながら、私たちは確実に母親となり、いつの間にか体に染みついた役割から脱することさえ難しくなるのです。■ずっと「○○すればいいのに」の想いで過ぎ行く子育て期間そして育児のなかで常について回るのが、「○○すればいいのに」という子どもへの想い。「早くまとめて寝るようになればいいのに…」「早く普通のご飯食べられるようになればいいのに」「早く言葉がわかる様になればいいのに」「早く落ち着いてくれたらいいのに」出典: 渋谷さえらさんツイッターより 漫画のなかでは生まれてから、母親自身が死ぬ直前まで、シーンが変わるたびに言葉を変えて、「○○すればいいのに」と呪文のように唱え続けるのです。「子どもはいつまでたっても子ども」という言葉通り、育児は一生続くように感じられ、同時に親は常に子どもに対して期待や心配を抱き続けながら、人生を終えていくようにも感じられます。自分自身が子供時代には、“うざい”、”口うるさい“と感じた親の小言も、親の立場になれば気持ちが痛いほどわかるようになるもの。ついつい口出ししたくなるのも親心であり、「○○すればいいのに」を口癖に駆け抜けるように子育てに励み、小さかった子どもたちはいつの間にか大人に成長していくのです。■「愛」とは人それぞれ。美しいわけでも、特別なものでもない常に子どもたちのお世話に追われ、ときに自己犠牲を強いられることさえある母親業。しかし、漫画で描かれる母親のように、ずっと死ぬまで子どものことを気にかけ続けてしまうのも母親であるがゆえ。誰かに無理やりやらされているのではなく、ただ単純に子どもを愛しているからこそ、気になって心配になるのです。愛情とは、キラキラまぶしくて、華やかなもののように感じられるけれど、本当はめんどくさく、うざったくて、だけどいつも当たり前のようにそばにあるもの。世の中が期待するような美しいものではなく、一筋縄ではいかないもっと生臭いものでもあるのです。だからこそ、母親が子どもへの向ける愛情は、特別美化されるものでもなく、親子の形がそれぞれあるように、もっと自由で自然であるべきものだと思います。自己犠牲を強いることがあるべき母の愛なのではなく、放っておいても子どもへの愛情は何らかの形ではみ出し、責任が一生付きまとうからこそ、考えることはもっと別にあるはず。それは、自分のなかにある“愛があるゆえめんどくさい母親”という存在といかにうまく付き合うかということ。いつになっても子どもへの心配が尽きない親としての悲しい性を受け止め、ある意味死ぬまで続く育児との折り合いのつけ方についても、いつか子どもたちが成長したときに考えるべきときがくるのかもしれません。■ウーマンエキサイトで渋谷さえらさんの連載決定!今回ご紹介した漫画の作者である渋谷さえらさんの作品が、なんとウーマンエキサイトでも楽しめるようになります!!母親という立場に縛られることなく、自らの想いを率直に表現する渋谷さんならではの魅力をたっぷりお届けしたいと思います。ぜひご期待ください!渋谷さえらさん母親の本音を鋭い視点で描く漫画がツイッター上でも話題のコミックライター。「母親らしさ」、「よき母親像」について、素直に切り込んで描いた内容は、母親が抱えるプレッシャーや苦しみを代弁し、多くのママたちから共感を呼んでいます。●渋谷さえらさんのツイッター: @voxxx ●渋谷さえらさんのインスタグラム: @firedog510 ●渋谷さえらさんのHP: 「現筒」
2018年11月20日『義母と娘のブルース』(TBS系)第2話が7月17日に放送された。描かれたのは、宮本家にやってきた亜希子(綾瀬はるか)が、みゆき(横溝菜帆)の“理想の母親”になるべくひたすら努力を重ねる姿。はたして母親は、子どもにとっての“理想の母親”であるべきなのか。そもそも“理想の母親”は“良い母親”なのか。ドラマの“義母と娘”が私たちに示した、その答えとは?■“良い母”が選択するテレビのチャンネルは?「みゆきちゃんの求める母親像と、私の提案する母親像にギャップがあるということ。それはクライアントのニーズをキャッチできていないということです」。宮本家での生活をスタートした亜希子は、接待の鉄板ネタ“腹芸”がウケなかったことで、みゆきと自分が思う母親像のギャップを痛感していた。そこをなんとか埋める方法を模索してきた亜希子だったが、そんな彼女に良一(竹野内豊)がかけたのは「亜希子さんのイメージするお母さんでいいと思います」という言葉だった。さっそく亜希子は、みゆきが見ていたテレビをアニメから野球中継に変更し、「良い母親なら、野球中継をサジェスチョンするのではないかと推測しました」と勝負に出る。しかし「みゆきのママはアニメ大好きだったけど、悪い母親だったってことなんだ」と口を尖らせる娘に撃沈。このやりとりが、早くもそれぞれが思い描く“理想の母親”は十人十色であること、そして“理想の母親=良い母親”でもなければ、“理想の母親=悪い母親”でもないことを明示していた。■理想の母のコピーは=良い母? 家族はクライアントなのか自分も母親と幼いうちに死に別れたことから、「母親はこうあるべき」というイメージがないという亜希子。たしかに、多くの人にとって「母のような母になりたい」「母がああだったから、自分はこうになりたい」など、自分の母親が基準となって“理想の母親像”が作られていくものだろう。ゆえに、みゆきにとっては亡くなったママが“理想の母親”の基準となるのは当然のこと。けれども、みゆきは“ママのコピーのママ”になろうと努力する亜希子に、「それはそれでヤダ」という。母に供えるものとは違う色のカーネーションを差し出しながら、「同じ色じゃないから」というみゆき。自分の“理想の母親”は亡くなったママ。けれども、自分のために一生懸努力する亜希子もまた、“母親”として受け入れることを決めたのだ。ビジネスのように、何を達成したら“良い母親”という具体的な数値があるわけではなく、理想の関係は、あくまで心が決めるもの。家庭では、“相手の意向”を汲んでプレゼンを繰り返すことではなく、自分をさらけ出しながら互いを認めていくことが大切なのだろう。だって家族は、クライアントではないのだから。■理想は理想! 忙しい母親たちの現実みゆきには、亡くなったママという具体的な“理想の母親”がいるが、一般に子どもが思い浮かべる“理想の母親”は、「怒らない」、「お菓子やお小遣いをくれる」、「ほしいおもちゃを買ってくれる」…表面的には、そんなところかもしれない。だが、子どものことを思えば思うほど、親の思う“理想の母親像”は、子どもが思う“理想の母親像”から遠ざかっていくものだ。宮本家に限らず、親子に必要なのは、そんな母子間にある“理想の母親像”のギャップを埋める努力ではなく、その家族だけの新たな“母親像”を築いていくこと…なんてカッコイイことを言ってみたが、あくまで“理想は理想”。実際には、そう割り切らなければ務まらないのが“母親の現実”である。いままではみゆきに気に入られるべく忖度を繰り返してきた亜希子だが、今後は“母親”として新たな壁にぶつかることになりそう。キャリアウーマンの亜希子が仕事と育児を両立していく姿も見てみたかったが、「専業主婦は新たな武器になる」と自信をみせる彼女の主婦姿にも期待大。これから、亜希子がどのような“母親”になっていくのか楽しみだ。■父親は体調不良!? 再婚に隠されたヒミツとは物語のラストでは、優しくて素敵なパパとして視聴者を癒やしてきた良一が倒れてしまうという衝撃的な展開も。幼い頃に母親を亡くし、母親になろうとする亜希子。母親を失い、義母を受け入れようとするみゆき。そして体調の優れない良一…。この再婚に隠されたヒミツが表面化するに連れて切ない感情も湧くが、ここに麦田章(佐藤健)が一体どう絡んでくるのか。まだまだ謎は深まるばかりだ。次回は、亜希子がPTAを廃止しようと乗り出す。実際、このPTA問題に頭を悩ませているママたちは多いだけに、亜希子が“不動の組織”にどう立ち向かっていくのか注目したい。『義母と娘のブルース』第3話は7月24日よる10時から放送。TBSテレビ 火曜ドラマ『義母と娘のブルース』火曜よる10時から
2018年07月24日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「母を大嫌いという感情が、溢れでてきてつらい」という、パラさん(48歳・主婦)に、心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんからアドバイスをいただきました。■パラさんのお悩み昨年、82歳の母が癌で逝去いたしました。死んでもなお、耐え難いほどの憎しみというか、「大嫌い」という感情が頭をもたげてきます。母は終末期の在宅緩和医療と入院の繰り返しで大変だったと思います。最後に母を大好きになりたかったし、私のことを「大嫌い!! 憎たらしい!!」と言っていた母に、感謝してもらいたかったし、ありがとうと言って欲しかったから、心からお世話しました。しかしその一方で「死んでしまえば良いのに!」と悪魔のような思いがこみ上げてきては、弱った母を見放してやりたい、今までの報いを受けているんだ、助けてあげるもんか、などと考えてしまい幾度となく言葉で激しく罵ってしまいました。そんな自分が恐ろしくて悲しくて死んでしまいたくなって、でもこみ上げる感情は抑えられず…。実の娘である私のことを「憎たらしくて大嫌い!」といい、人様に私の悪口を言いふらし、私をないがしろにしてきた母を、“死んでも許せない”という思いと、それなのに母を思い出しては涙に明け暮れ、会いたくて仕方なくて…。私はうつ病になってしまいました。自分で自分を癒してあげようと、「寂しかったね」「ちゃんと話を聞いて欲しかったね…」「お母さん、私寂しいよ」など、小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげても、まるで白けてしまいます。もうこの闇から抜け出したいです。アドバイスをお願いします。 ※一部、質問内容を編集しています。■心屋塾認定講師のはしぐちのりこさんよりパラさん、はじめまして。はしぐちのりこと申します。ご相談ありがとうございます。心からお母さまのお世話をされ、昨年見送られたとのこと。人が旅立っていく、しかも肉親であればなおさら、一緒に生きてきた時間が長いですから、わかってほしい思い、わかりたい思い、がふつふつと湧き出て当然かと思います。だって目の前の人とはもう会話ができなくなり、気持ちをわかりあうことが、できないのですから。気持ちが大きく揺れ動きながらも最後まで見送られたパラさんご自身にも、お母さまご自身の人生にも、まずは「お疲れさまでした」の言葉を、心から申し上げたいと思います。文章には「お母さまのことを思い出しては、涙に明け暮れて会いたくなる」、そして一方で「自分のことをないがしろにしてきたお母さんが許せない」とあります。パラさんの中で、「お母さん大好き」と「お母さん大嫌い」の気持ちが両方混在していて、そしてその両方ともが大きくなり、苦しくなっておられる様子が伝わってきました。そして、「小さな自分をぎゅっと抱きしめてあげても、まるで白けてしまう」とのこと。これはなぜでしょう? パラさんのほしいものは、それではないのかもしれません。また、もしかしたら、「もうお母さんは現実世界にいないのだから、こんなことをやっても意味がない」と思っておられるのかもしれませんね。たとえそうだとしても、パラさんにやっていただきたいことがあります。ご自身の中にある気持ちをちゃんと認めて、言葉にして身体の外に出してほしいのです。「今までの報いを受けているんだ、死んでも許せない」などと考えてしまう、ご自身を責めないであげてほしいのです。それは嘘偽りのないパラさんの気持ち。たくさんの悪口を言われて、ないがしろにされてきたのですから、そう思って当然です。そして、そう思うことは何よりも、パラさんがパラさんご自身を大事な存在と思っている証拠です。「そんなことを考えてはいけない、自分が恐ろしい」と思ってしまうのは、「自分を大事な存在と思うな!」と自分に言っているようなものです。まずは「考えてはいけない」と思ってしまうお母さんへの気持ち。それらをお母さんの遺影に向かってぶつけてみてください。「お母さんなんか大っ嫌い!」「私の気持ちも知らないで!」「バカにするな!!!」「悪口ばっかり言いふらして! 憎たらしいのはそっちのほうよ!!」できれば大きな声で。どんな汚い言葉でも大丈夫。むしろ猛烈に汚い言葉を使って罵ってください。亡くなったのにかわいそうとか思う必要はありません。お母さんはもうすべてをわかってくれています。むしろあちらにいるお母さんの力を借りましょう。叫んで、泣いて、罵って。しっかりぶつけて、パラさんの怒りの気持ちを、しっかり身体の外に出してくださいね。さぁ、やってみてどうだったでしょうか。何かしら次の気持ちが出てきたのではないでしょうか。もし次から次に怒りが湧いてきてしんどいのなら、少し時間をおいて、また何度でも試してみてください。やってみるとおわかりいただけると思いますが、その気持ちを持ち続けている自分から、少し解放されていきませんか? 気持ちを言葉にするのは相手に通じさせるためだけではないのです。自分のためなのです。そしてこれをやっていると、「あぁ、もういいかな」と思える“なんとなくの底”が見えます。その次は目を閉じて、この言葉を声にしてみてください。「私よくがんばってきたなあー。本当によくがんばってきた」「お母さん、大好きだよ」「お母さん大好き。でも大嫌い。それでいいかー」どんな感じがするでしょうか。ある人に対して、「好き」と思う気持ちと、「嫌い」と思う気持ちは、本来両方あっていいのです。それが普通です。パラさんの中にも両方の気持ちがあっていい。ただ、それをダメだと思って片方を押さえ込んでしまうがために苦しくなっています。ぜひ、どんな気持ちも、自分の気持ちとして受け入れてあげてください。そして言葉にして外に出す(表現してみる)ということを、自分のためにしてあげてください。パラさんの中に気持ちを溜めるのではなく、認めながら、解放しながら、生活してみると、気がついたときにはもうそこには縛られておらず、自由な感じに包まれていると思いますよ。ご相談ありがとうございました。 ・このカウンセラーのブログを見る
2017年11月02日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「出産後、母との関係がうまくいかずイライラしています」という、ぴょんぴょん(32歳・主婦)に、心屋塾上級認定講師の坂崎ひでこさんからアドバイスをいただきました。■ぴょんぴょんさんのお悩み出産後、母への嫌悪感が募っており、イライラや自己嫌悪などの感情に振り回されています。母は育児のことでまったく頼りにならず、「普通ならもっとアドバイスをくれるのに」「他のお母さんはこんなふうにしてくれるのに」などと負の感情を抱いてしまいます。母の父に対する態度(会話が少なく、そっけない、無視していることもある)にもイライラしますし、私たち夫婦が喧嘩しているときに、私に対して「そういう言い方は、子どもに影響を与えるからやめなさい」と指摘してきたことも。そのときに怒りが頂点に達し、今はほんの些細なことでも嫌悪感を抱いてしまい、どうしようもなくなっています。※一部、質問内容を編集しています。■心屋塾上級認定講師の坂崎ひでこさんより慣れない育児に、しょっちゅう泣く赤ちゃん。お産の後は、ご自身の体調も安定しないですよね。ただでさえ不安になりやすいこの時期に、お母さんはちっとも頼りにならないどころか、文句を言う……。それはイライラするでしょうし、お母さんに対して負の感情を抱いてしまうのは無理もないことだと思います。ぴょんぴょんさんは「お産がきっかけで、そのような負の感情やイライラを感じるようになった」と書いていますが、本当にそうでしょうか。もともとご両親の関係があまりよくなかった、という記述もあります。お母さんはお父さんにそっけなくしたり、無視したりする。そんな様子を小さな頃から見ていたら、あまり”いい感じ”はしていなかったことでしょう。ひょっとしたらぴょんぴょんさんは、お母さんに対しての「ちょっと嫌だなあ」という小さな負の感情を、ずっと心に押し込めてきたのかもしれません。お母さんに対して、「それは嫌だ」と言うことやワガママを諦めたり、我慢したりしてきたのではないでしょうか。今、お母さんに対してイライラすることは、私にはとてもいい傾向に思えます。ずっと我慢して抑えてきた負の感情が、いよいよ我慢できなくなった。負の感情を、やっと外に出せる。「お母さん、うるさい!」「自分のこと棚にあげて、私に文句言わないで!」「育児を手伝ってくれないくせに、口ばっかり出してきてイヤ!」そんなことを言ってみたら、どうなるでしょう。お母さんは平気でお父さんを無視できるし、自分を棚に上げて他人に説教ができる人なのですよね? それなら、お母さんを見習い、ぴょんぴょんさんが自分を棚に上げて文句を言っても大丈夫そうですよね。そして言ったことはケロっと忘れて、必要なときだけ助けてもらう――。自分と価値観がまったく違う、お母さん。ひょっとしたら、よかれと思って色々と言ってくるのかもしれません。よかれと思って、育児にも手を出さないのかもしれません。「昔と今は違うから」という配慮をしているのかもしれません。ぴょんぴょんさんが「私はこうしてもらったらうれしい」ということを、お母さんは知らないと思います。「お母さんはどんな形で愛情を表現するのか」を聞いてみたら、想像もしない答えが返ってきて、びっくりするかもしれません。ひと口に「思いやり」と言っても、その形は人によって本当に違います。聞いてみないとわからないものです。お母さんに「こんなふうに育児を手伝ってほしい」ということを伝えてみましょう。伝えても、そのとおりにしてくれないかもしれませんが、そうであれば、別の人に頼むこともできます。超ジコチューで、言い換えるならば、自分の衝動に素直なお母さん。育児を手伝ってもらったら、実際大変かもしれません。別の人に頼ったほうが、平和な気もします。「産後」という気持ちが不安定な時期だからこそ、自分を棚に上げて、文句やわがままを言ってみる。「私、赤ちゃんがいて寝不足だし。イライラしやすい時期なのよねぇ」。そんなことを、ぜひ試してみてほしいなと思います。 ・このカウンセラーのブログを読む
2017年06月27日人柄・言葉遣い・行動など、その人の品格はいろいろなところに表れます。その中でもほかの人から見てわかりやすいのが、何気ない「所作」ではないでしょうか。「人は中身が大事」とはいえ、所作には「中身」がにじみ出るものです。ときには、その人の印象を大きく左右する場合も。子どもたちの良きお手本になれるよう、普段の自分の所作を見直してみませんか? ■立つ・座る・指先の所作背筋を伸ばして正しい姿勢を意識することは、美しい所作の基本。立っているとき、歩くときはもちろん、椅子に座ったときもこれは同じです。食事や電車内など、椅子に座るシーンでは、しっかり背筋を伸ばすことを心がけて。それだけでも、見た目の印象がとても美しくなります。そして、とくに女性の場合に気をつけたいポイントは「膝」。両方の膝が離れないように注意しましょう。膝をそろえるよう意識すると、自然と背筋も伸ばしやすくなります。このとき、手は指先を軽く重ねて太ももの上にそっと乗せます。指がそろっているとさらに手が美しく見えるので、こちらもぜひ意識してみましょう。意外と目立つ手は、美しい所作の大切なポイント。たとえば、お店のレジでお金の受け渡しをするときや、あいさつをするとき、食器を持つときなど、なるべく指をそろえる癖をつけると、それだけでグッと所作が美しくなります。ビジネスシーンでも、書類を受け取るとき、渡すときなどに指がそろっていると、それだけで丁寧な印象に。美しい手の所作は、仕事にも活かせる女性ならではのふるまいですね。■TPOを意識した服装の所作ミニスカートを格好良くはきこなせる女性はステキだと思いますし、スカートからのぞく膝や足は女性らしい魅力にもつながるでしょう。ただ、子どもの学校行事やビジネス、親戚の集まりなど、親やビジネスマンとしての振る舞いが求められる場面では、やはり好ましくありません。立っているときは気にならなくても、スカートのデザインによっては椅子や畳の上に座ると足が大きく露出してしまう場合があります。膝が出てしまう程度なら自然なことですが、大きく太ももが露出するような状態は避けたいものです。そんなときにハンカチやかばんを乗せて太ももを隠す女性を見かけることがあります。でも、これは美しい所作とはいえません。座るときのことも意識して、スカートを選ぶことから始めることこそが、美しい所作につながります。■美しい流れを作る食事の所作洋食の器は持ち上げないのがマナーとされていますが、和食は、器を持って食べるのがマナーとされています。持って食べるお皿は、手のひらに収まる程度の茶わん、汁わん、小鉢など。焼き魚などを乗せている平たい皿、や天ぷらが盛られている大きな皿は、持ち上げません。天ぷらなども、天つゆの入った器があればそちらを持ちます。大皿料理を取り分けて食べるような場合は、小皿を持つと良いでしょう。みそ汁を飲むときは汁わんを持つ。続いてご飯を口に運ぶなら、汁わんを置いて茶わんを持つ。こうして一動作ずつ器を持って食べると、とても所作が美しく見えます。■美しい所作の原則とは何かをしながら、何かをする。いわゆる「ながら動作」は美しい所作から遠ざかってしまう原因のひとつです。「食べながら」「話ながら」はもちろん、立つ、座る、何か物を取る、返事をする、あいさつするなどのちょっとした動作でも、「一回一動作」を意識すると所作が美しくなります。どんなさ細な動作も、ひとつひとつ集中して行うことが美しい所作への近道です。今回紹介した女性の美しい所作は、女の子のママだけではなく、男の子のママにもぜひ取り入れてほしいものばかり。普段から所作の美しいママを見て育った男の子は、将来きっと女性を見る目が養われるのではないでしょうか?ふとした瞬間の手の動き、物の使い方に注意して、「すてきな女性」「きれいなママ」を目指しましょう。
2017年03月18日質問:学資保険の契約者は、父親と母親のどちらにした方がよいですか?学資保険のご契約者は、「父親」「母親」という区別ではなく、「最も収入の多い方」がご契約者になられることをおすすめします。ご契約者に万一のことがあった場合、残されたご家族がその後の保険料の支払いに困らないようであれば、ご契約者の名義は「父親」「母親」のどちらでもよいと思いますが、一般的には「父親=契約者」とされるケースが多くなっています。父親が契約者になるメリットは?一般的なご家庭では、最も収入の多い方にあてはまるのが父親であることが多く、父親に万一のことがあった場合、その後の収入が大きく減少し、学資保険の保険料を支払い続けられなくなることが予想されます。そうしたリスクに対応するために、学資保険の特徴として、ご契約者に万一のことがあった場合、それ以降の保険料が免除される「保険料払込免除」があります。主契約に組み込まれているプランが多くなっていますが、保険料の「払込免除特則」や「特約」として付加することができるプランもあります。学資保険のご契約者を最も収入の多い父親にすることで、父親に万一のことがあった場合でも、学資保険の祝い金、満期金を予定通り受け取ることができます。※学資保険のプランによっては、「保険料の払込免除」が付加されていない場合もありますので、加入を検討される際には、保険設計書や重要事項説明書などでご確認ください。母親が契約者になった方がよいケースもでは、母親を契約者にした方がよいのは、どんな場合でしょうか。■「母親」の収入の方が多い場合最初に述べたように、「最も収入の多い方」が学資保険の契約者になるのが理想です。ご家庭によっては、母親の収入の方が多い場合もあるでしょう。■「父親」の健康状態により、学資保険に加入できない場合保険料払込免除の保障が付加されている学資保険の契約には、各保険会社所定の「告知書」を提出する必要があります。「告知書」には被保険者となるお子さまの健康状態の他、ご契約者の職業や健康状態等を記載する項目があり、ご契約者となる「父親」の健康状態によっては学資保険に加入できない場合があります。このような場合、「母親」をご契約者とすることを検討されるケースもあります。学資保険だけで判断せず、ご家族の保障の内容に基づき判断しましょう■「遺族保障」で学資保険の保険料が準備できている場合も一般的に、ご家族の生活を支えている父親は、何らかの生命保険に加入されている場合が多くあります。生命保険に加入される際に、家族構成や収入構成などをふまえた「必要保障額」に、学資保険も含めたプラン設計をされている場合もあります。■「母親」の保障は案外見落としがち多くの場合、父親に万一のことがあった際には、生命保険などからは保険金が支払われ、学資保険に加入されている場合は保険料が免除になり、その後の生活費の負担を軽減できる準備ができていると思います。一方で、母親に万一のことがあった場合はどうでしょう。父親に万一のことがあった場合ほど、生命保険の保険金が受け取れないケースが多いのではないでしょうか。学資保険の契約者を父親にされている場合、母親に万一のことがあっても、保険料は支払い続けなければなりません。また、共働きのご家庭の場合は、母親の収入が見込めなくなったうえ、男手ひとつで子育てと仕事をこなし、さらに学資保険の保険料も払い続けることになります。このような場合を考えると、母親名義の生命保険についても、しっかり考えておく必要があるのではないでしょうか。まずは、加入されている生命保険の内容が、現在のご家族構成にあった必要保障額になっているか、保険証券を確認してみましょう。もし、保険証券を見てもわからない場合は、無料で利用できる「必要保障額シミュレーション」などを活用しましょう。必要保障額が現在のご家族構成にふさわしい内容となっていない場合は、学資保険のご契約者を誰にするかを検討される際に、生命保険の見直しも併せて検討されることをおすすめします。※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。
2016年09月15日共働きや母子家庭で働く母親はたくさんいますが、母親が長時間仕事をしていると、お子さんに対してマイナスの影響を与えてしまうことがあるといいます。では、母親が働いているといったいどんな問題があるのでしょうか?働く母親が子どもの生活習慣の乱れに影響!さまざまな事情から、母親が仕事をしているという家庭は増加傾向にあります。内閣府の発表によると、1,054万世帯が共働きをしているといわれており、さらに母子家庭では80%以上の母親が働いていると言います。家計の収入増加や社会参加することで得られる本人のやりがいなど、母親が働くメリットはたくさんあります。でも、アメリカ・イリノイ大学の研究では母親が仕事をしていると子どもに悪影響を与えてしまうことが分かりました。母親が働いている家庭では、子どもが睡眠不足と肥満になりやすいという研究結果が出たんです。フルタイム勤務の母親の影響で子どもが肥満になる!?同大学では、母親の就業状況と子どもの発育の関係性を調べました。その結果、母親が働いている家庭はそうでない家庭と比べ、肥満児が多いことが明らかになったんです。この研究では、子どもの睡眠時間が1時間長くなると、肥満度指数(BMI)は6.8%下がることも分かりました。母親がフルタイムで働いている家庭の子どもは、アメリカの国立心肺血液研究所が規定する睡眠時間よりも2、3時間ほど短いことから、睡眠と肥満度には一定の関係があると見られます。また、睡眠時間が短くなると成長が遅れてしまう他、注意力が散漫になってしまったり疲れやすくなったりといった問題が起こります。寝不足は子どもの健やかな成長を損ねる可能性があるのです。子どもがぐっすり眠れる睡眠サイクルを作ろう!「子どもがなかなか寝つかない」とお悩みのご家庭もあるでしょう。前述のとおり、母親がフルタイムで働いていることが、子どもの睡眠不足につながる可能性や、さらに、寝不足が肥満を招いてしまうことが明らかになっています。集中力や注意力が悪化するため、学力低下につながるとも考えられます。ひいては子どもの一生を左右する可能性もあるのです。母親が働く理由は家庭によって異なると思います。でも、子どもの睡眠習慣の乱れにつながる要因であり、さまざまな弊害が生じる場合もあります。できれば仕事の時間を短くするなどで、子どもがぐっすり眠れる環境を作るようにしましょう!Photo by Cynthia Page
2015年01月26日