アイドルグループ・櫻坂46の田村保乃、守屋麗奈が14日、千葉・幕張メッセで開催された「Rakuten GirlsAward 2022 SPRING/SUMMER」に出席した。2人が登場したのは「Samantha Thavasa」のステージ。これまでグループとしてガルアワに出演したことはあったが、モデルとしては今回が初となった。田村と守屋は2ショットでウォーキング。田村がピンクとパープルと同系色でまとめたスタイルで、守屋は薄いオレンジカラーのシャツワンピースを着用。黒いベルトで全体を引き締めていた。ランウェイトップでは数回投げキッスをし、初々しいガルアワランウェイデビューとなった。また、同じステージにはガルアワ9回目となる土生瑞穂も登場。膨らみのある明るいパープルのトップスとピンクのパンツに合わせたのは、同ブランドの淡い桜色のショルダーバッグ。ステージにトップバッターを飾っていた。「GirlsAward」は、2010年から開催している日本最大級のファッション&音楽イベント。新型コロナウイルスの影響で過去2年は開催を延期しており、2019年9月以来2年半ぶりの開催となる。今回のテーマは、“女の子はきらきら輝き続ける”という思いを込めて「STAY GOLD ~Keep on girls story~」。人気モデルによるファッションショーやアーティストによるライブステージなどを展開する。撮影:蔦野裕
2022年05月14日女優の水野真紀が出演する11日放送のMBSテレビ『水野真紀の魔法のレストラン』(後7:00)に、お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が番組に初登場する。芸人であるとともに、会社経営者であり、また若手起業家を応援する投資家としても知られる淳。そんな淳ならではのある「買い物術」に、スタジオがどよめく一幕が起こる。この日の放送では、アイデア一つで大繁盛している「その手があったか!グルメ」を特集。創業2年で年商35億円を叩き出した大ヒットグルメとしてVTRで紹介されたのが、「覚王山フルーツ大福 弁才天」。大福に糸をつけ、誰でも簡単に美しい断面を楽しめる仕掛けを生んで大人気を博した店だが、実は成功の秘訣はそれだけにとどまらない。高級感のある店構えの「弁才天」では、和菓子店でありながら店頭にショーケースはなく、代わりに並んでいるのは約10種類の食品サンプルだけ。実はそれは、売れ行きによってショーケースが歯抜けになり、見た目が悪くなるのを防ぐ戦略であることが明かされると、さっそく淳は「えらい!その手があったか」と反応。さらにVTRでは、儲かりまくっている同店の敏腕社長が、淳も乗っているという世界的に大人気の高級電気自動車「テスラ モデル3」で登場。スタジオでロザン・菅広文から「同じ車なんですか?」と聞かれた淳は、「実は上位モデルの『モデルX』が欲しかった。けれど2年待ちと言われて、待っていられないので『X』と『3』の2台を同時に買ったんです」と告白。それだけで終われば、よくあるリッチな芸能人の話だが、淳はさらに「でもテスラは値が崩れないので、『X』が来たら『3』の方を売るんです」と、超人気カーを効率よく手に入れるための綿密な計画であると解説。スタジオメンバーから一斉にこのロケ一番のテンションで「その手があったか~!」の声が上がった。
2022年05月10日お笑いコンビの麒麟・田村裕(42)が新型コロナウイルスに感染したと、所属する吉本興業が25日、発表した。同社は「田村は4月23日(土)夜に発熱し、PCR検査を受けた結果、24日(日)に陽性と診断されました。今後、保健所の指示に従って療養します」説明している。また、相方・川島明(43)は今のところ体調に異常はないという。「当社グループは引き続き、お客様、所属タレント、お取引先の皆様、社員の安全確保を最優先に、保健所をはじめとする行政機関、医療専門家の指導のもと、新型コロナウイルスの感染予防、拡大防止に努めていきます」としている。
2022年04月25日恵俊彰、スザンヌ、橋幸夫《35歳の大学生になることを決意しました》4月12日、インスタグラムで、日本経済大学の福岡キャンパス芸創プロデュース学科に進学したことを明かしたスザンヌ。「10代のころに一度中退した、通信制の出身高校に昨年復学しました。いつか自分の服を作りたいという新たな夢のために、大学進学を決めたことも報告しています」(スポーツ紙記者)コロナ禍で人生を考える小倉優子は来春、早稲田大学教育学部を受験することを明かし、『100%!アピールちゃん』(TBS系)で密着企画をスタートさせた。「地元の千葉では進学校で知られる高校に通っていましたし、早稲田大に合格する素養は十分。離婚報道などで人気ママタレの座を失いつつある今、大学受験自体が仕事につながるし、合格できれば仕事の幅も広がるでしょうから、本気で合格を目指しているはず」(テレビ局関係者)来年、歌手活動を引退することを発表している橋幸夫は「引退後も夢を持ち続けたい」と今春、京都芸術大学へ進学。恵俊彰も早稲田大学大学院に進学し、スポーツ学を学ぶという。「情報番組の司会を長年務めるなど知的なイメージのある恵さんですが、高卒だったことに対して“心のどこかに忘れものをしている感じ”とラジオで語っており、大学に進学しておけばよかったと後悔していました。そんな中、コロナ禍で人生を考えた結果、大学院進学を決意したそうです」(ラジオ局関係者)実はここ最近、社会人になってから大学や大学院に進学をする“学び直し”タレントが増加している。自身も40歳を過ぎて一橋大学大学院に入学した経験を持つ、東京工業大の治部れんげ准教授は、学び直しをする有名人が増えている背景をこう分析する。「社会人特別入試や総合型選抜のAO入試が増えているので、一芸に秀でたタレントたちが進学しやすい環境になっていると思います」つるの剛士は通信制の短大へ加えて、“学び直し”の先輩である有名人たちの実績もあるのでは?と続ける。「’12年に法政大学大学院政策創造研究科に入学し、修士号を取得した菊池桃子さんは、’15年に『一億総活躍国民会議』の民間議員に選出。’07年に50歳を過ぎて早稲田大学大学院に入学した秋吉久美子さんは『三重県文化審議会委員』を務めるなど、活動の幅を広げています。これまでとは違う道で活躍する先輩たちの姿に刺激を受けた人も多いのではないでしょうか」(治部准教授)転職サイト『リクナビNEXT』の元編集長で、“ミドル世代専門転職コンサルタント”として活動する黒田真行さんは、「テレビタレントたちがセカンドキャリアを考えざるをえない状況がある」と指摘。「日本のテレビ局は広告費の減少により制作費が下がるなど、衰退している業界の1つ。フジテレビは早期退職募集を行うなど、社員たちをリストラしています。制作現場でも大御所たちの起用が減るなど、テレビタレントたちもリストラされ始めているので、Netflixなど、業績が好調な外資系メディアに活動を移行できないタレントたちは生き残れない時代になっています。一般の方でも同様で、重厚長大系を中心に衰退業界にいる人は、次のステップを考えるしかないというのが背景にあると思います」元テレビ朝日アナウンサーの大木優紀さんが、昨年末で同局を退社してベンチャー企業に転職。『報道ステーション』のメインキャスターを務めた富川悠太アナも、今春からトヨタに入社するなど、キー局の社員が一般企業に転職するケースも増えている。そんな中、大学や大学院に進学する有名人のメリットとは?「いきなり民間企業に転職するよりは箔づけしやすいので、タレントとしての価値を下げずに済む側面があります。次のステップに進むまで時間の猶予もできるし、進学したことをアピールすることで、企業などから声をかけてもらいやすくなるというメリットが考えられます」(黒田さん)スザンヌと同時期に“おバカタレント”として活躍したつるの剛士は、保育士資格を取得するために、’20年に通信制の短大に進学。今春、卒業して幼稚園教諭二種免許を取得したことをSNSで報告している。「相川七瀬さんは神社巡りが趣味になったことで、日本文化や神道を一から学ぶために昨年、國學院大學神道文化学部に進学したことを明かし、驚きの声があがりました」(前出・スポーツ紙記者)ロンブーの淳やエド・はるみもつるのたちのように、明確な目標を持って進学するタレントたちも増えているが、「多くのタレントはキャリアを重ねると、話題性やルックス以外の付加価値をつけないと生き残れません。そのため趣味や特技を深めるために進学する方もいれば、大学進学自体に付加価値を見いだしている有名人もいるのではないでしょうか。エド・はるみさんが慶應義塾大学大学院に通っていたころに講師をしたことがあるのですが、エドさんの質問は的確で、真剣さが伝わってきましたね」(治部准教授)また、仕事の多様化の影響も。「タレントが情報番組や報道番組に起用されるケースが増加したことで、専門家と話す機会が増えています。『ひるおび』で司会を務める恵俊彰さんや、コメンテーターの仕事もするロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが大学院に進学したように、現在や将来やりたい仕事に説得力を出すために、学び直しする人が増えていくでしょう」(治部准教授)さまざまな要因から、有名人たちが次のステップに進むという流れは加速しそうだ。「日本のテレビ局が今後、劇的にV字回復するとは思えません。もともと入れ替わりの激しい世界なうえ、昨今はYouTuber出身タレントの台頭などで、プロタレントたちの活躍の場がどんどん奪われています。金銭的に進学する余裕がないタレントは、いきなり民間企業に転職というケースも増えてくると思います」(黒田さん)キャンパスで学ぶ有名人の姿を見かけることも、珍しくなくなる!?
2022年04月23日田村正和さん4月3日は、田村正和さんの一周忌だった。「亡くなっていたことが公表されたのは、1か月以上がたった5月18日でした。プライベートを見せないという“美学”を最後まで貫きました」(スポーツ紙記者)田村さんが暮らしていた東京・成城では、今も故人を偲ぶ声が聞かれる。近所に住む女性に話を聞いた。「子どものころ、田村さんの娘と仲よくさせてもらっていて、自宅にも遊びに行っていました。当時は今の大きな家の敷地に3軒の家が立っており、田村さんたち兄弟がそれぞれ住んでいたんです。たまに田村さんがいると、優しい笑顔で私たちが遊んでいるのを見守ってくれて。スタイルがよくてカッコいいおじさんだと思っていました。最後に会ったのは、亡くなる2か月前。朝の散歩をしていて“お父さんとお母さんは元気?”って、ニコッと笑ってくれました」いつも違う花が添えられていて現在は、残された妻が成城の家を守り、娘もよく訪れているという。「奥さんが1人だと広すぎるかもしれませんが、今もお住まいです。会えば挨拶もするし、変わらずお元気ですよ。田村さんは晩年、軽井沢に所有していた400坪超の土地にある別荘で過ごす時間が長くて、そちらに引っ越すという話もあったんです。でも、やっぱり田村さんは“成城で死にたい”と言って、引っ越しはやめたそうです」(別の近所の住民)田村さんの墓は、横浜市郊外の霊園にある。山を切り開いた広大な敷地の中、高台ではなく、低い場所に位置している。周囲の墓の5倍はあろうかと思われる広さだが、隅に五輪塔があり、その隣に小さな墓石が据えられている。来ていた人に話を聞くと、「いつも違う花が供えられていますよ。霊園との契約で、年5回の草むしりと、花も毎月替えてもらえることになっているようです。ご家族を見かけたことはありませんが、ファンの人が来ているのを見たことはあります」田村さんは’88年に“生前墓”として、この区画を購入。しかし、四十九日に納骨されても、墓石はないままだった。墓石が建てられたのは、亡くなって4か月以上がたってから。田村さんは墓の造りにこだわりがあり、専門家からアドバイスを受けていたという。「この墓は“吉相墓”と呼ばれるものです。一般的な墓は、先祖が建てた1つの墓に代々入るのですが、吉相墓の場合は、代が替わるごとに子が墓石を建てます。敷地内にどんどん墓が建つことになりますが、今は田村さんの墓石があるだけ。田村さんの名前は黒で刻まれていますが、奥さんの名前も生きていることを指す赤文字で入っています」(墓地の関係者)墓地代は“数千万円”墓の向き、石の色や文字などにも細かい決まりがある。高低差のある霊園内でも低い位置を選んだことにも理由があった。上のほうに墓を建てると、財産が増えないとされているためだ。「田村さんは“墓相学”を大事にしていたそうで、京都の専門家に聞いていました。墓石が小さいのは、高さがあると金銭的に“凶”といわれるから。土は、田村さんの本家の墓がある京都の業者から『備前土』という黄色い山土を運びました。砂利や小石は、子どもが病弱になるとされ、土を敷くことをこだわったそうです。広い敷地の隣にある区画には、祭壇のような笠石があって、墓地代は合わせると数千万円になります」(前出・墓地の関係者)3月下旬、週刊女性が田村さんの墓の前にいると、男性2人と女性1人がやってきた。聞けば、そのうちの男性1人は田村さんのマネージャーだったという。そこで、一周忌の予定について問うと、「特に何もないと思いますよ」亡くなってしばらくは墓石がなかったことについては、「そっと送ってほしいということだったんだと思います」と語る。田村さんの父・阪東妻三郎さんの墓は京都にある。熱心なファンが墓参りをしやすいようにと、道すがらに立っていた“案内板”を見た田村さんは、怒って引っこ抜いたという逸話が残っている。自分の死は、そっとしておいてほしいと考えたのだろう。この男性マネージャーに田村さんとの思い出話も聞いた。「私は50年前から正和さんを担当していました。いちばんの思い出深い作品といえば『古畑任三郎』になるのでしょうが、若いころは『眠狂四郎』ですね。木村拓哉さんが古畑任三郎のものまねをしていましたけど、嫌がる様子もなく、笑って見ていましたよ」「これで仕事を辞めたい」最後に会ったのは5年ほど前だったそう。「『眠狂四郎 The Final』というドラマで、これで仕事を辞めたいと言っていました。でも、最後に話をしたのは昨年の2月で“コロナが落ち着いたら、ご飯食べよう”と言っており、声も元気そうだった。まさか、その2か月後に亡くなるなんて、本人も思っていなかったはずですよ」それでも田村さんは死を予見していたのか、その発表を遅らせたのは、本人の遺言だったと明かしてくれた。「そう奥さんがおっしゃっていましたから。亡くなったときに、私にすら連絡はなかったんです。四十九日が終わった5月18日に連絡があって、急きょ、私が発表したんです」長年の苦楽を共にしたマネージャーにも死を知らせないという徹底した管理。生前は仕事でロケに行ったときなど、外に姿を現すことを避けていたのは有名な話だ。「外食はせず、食事は個室。付き人が食べ物を運んでいました。私と、時々部屋で食べるくらいでしたよ。打ち上げも個室でした」晩年は軽井沢に移住しようとしていたという話についても聞いてみると、「確かに、軽井沢には毎年、夏になると行っており、そっちに住むという話もあったと思います。でも、軽井沢はあくまでも別荘という感覚だったのでは。正和さんは、やっぱり成城にいたかったんじゃないでしょうか」軽井沢での生活より、住み慣れた成城で最期を迎えることを選んだ田村さん。今、その成城の家は妻が守り、本人は自らデザインした墓所で安らかに眠っている。
2022年04月06日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が1日、都内で行われた「Rethinkアワード2022」表彰式に出席。相方の田村亮について言及した。新設された同アワードは、今までの視点を変えた取り組みによって社会に影響を与えた「人」「企業」「自治体」を顕彰する賞。田村は、第1回の人部門を受賞。2021年の活動として、3月には47歳にして慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科を修了し、さまざまな視点でものごとを考える先駆者であることから選出された。質疑応答で、相方の亮の話題になると、「僕自身は亮さんと吉本興業をつなぐために株式会社LONDONBOOTSという会社を作ったんですけど、まだ亮さんが吉本に戻る気配もないし、会社の存在意義を今、考えている。亮さんがこのまま吉本に戻らないんだったら、俺、何のためにこの会社をやってるんだろうなって今ちょっと思っている(笑)」と吐露。2019年、闇営業騒動で吉本と亮の間に溝ができたときに株式会社LONDONBOOTSを設立。「溝を埋める期間中の会社だと思っていた。溝は埋まっていると思うんですけど、亮さん、吉本から出たら出たでそっちのほうがいいって思ってるんじゃないかなと。僕の考え方とちょっと違う」と推測し、「なんでこの会社を作るかっていう名目と今、違ってきているので、そのあたりの話もしっかりしていかきゃなと思います」と話した。さらに、「戻りたいという気持ちだったら本人から言ってくると思うんですけど、今のところ本人から何もないですし、こっちも聞いてないので」と伝え、「あの騒動からもう3年くらい経つんですけど、そろそろ僕は吉本に戻ってもらいたいなという気持ちはあります」と自身の思いを語った。
2022年02月01日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が1日、都内で行われた「Rethinkアワード2022」表彰式に出席し、自身の立ち位置について「芸人ではない」と話した。新設された同アワードは、今までの視点を変えた取り組みによって社会に影響を与えた「人」「企業」「自治体」を顕彰する賞。田村は、第1回の人部門を受賞。2021年の活動として、3月には47歳にして慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科を修了し、さまざまな視点でものごとを考える先駆者であることから選出された。司会者から「おめでとうございます」と祝福されると、「あ、ありがとうございます。あまり表彰とかされないので、緊張しています」と率直な心境を告白。「自分が表彰されることがない人生だったので。トロフィーもらったことないのでドキドキしています」と話した。田村は現在、YouTubeで動画を配信したり、会社を経営したり、幅広く活動している。今の立ち位置を自身はどう捉えているか聞かれると、「職業を聞かれると、面倒なんで『タレントです』とは答えるんですけど、芸人ではないと思います。僕の芸人の定義は、舞台の上でネタをやっている人が芸人だと思っているので、その定義から僕は外れている」と、芸人ではないと断言。「でも、テレビタレントだけをやりたいと思って生きているわけではないので、職業の欄には『自由業』と書くようにしています。何にでもなりたいし、何でもやってみたいので、職業というカテゴリにはこだわってはないです」と語った。
2022年02月01日「ごっこ遊び」で緻密なストーリーを展開!(photoAC)田村淳さんは、2016年10月に誕生した長女と、昨年6月に生まれた次女のパパ。芸人・タレントとして多くの番組に引っ張りだこですが、家では子どもたちと遊ぶ時間をしっかり確保しているようで、お子さんたちはパパが大好き。最近では、将来の夢はデザイナーだという長女のハイセンスな遊びを楽しんでいるそう。子どもの発想は本当に秀逸で、お人形遊びやごっこ遊びをするのでも設定が細かくて面白いです。「今日は美容院の隣で焼肉屋さんを営業してる主人の役を頂いて演じております…焼肉屋さんで臭いが付いたお客さんの頭を隣の美容院にお客さんを流して、頭を洗うというストーリーを永遠に繰り返しておりますw発想がかないません^_^」(田村淳さんInstagramより)出典: シルバニアの美容院とリーメントの焼肉屋さんを組み合わせてストーリーを作る発想、さすが!こうしたおままごとはしょっちゅう田村家で繰り広げられているようで、お正月には『鬼滅の刃』の衣装を着た長女が、アンパンマンのお寿司屋さんとコンビニエンスストアのおもちゃを使って、地域創生の物語を考えたそう。「正月から鬼殺隊の方に呼び出されて、寿司屋さんをしてほしいとお願いされました。隣は鬼殺隊の方が始めたコンビニで、一緒にこの街を盛り上げていこうというストーリーの地域創生オママゴトでした^_^」(田村淳さんInstagramより)出典: また、ファッションに興味の強い長女は、絵本やぬりえも好きで、まだ1歳7ヶ月の次女も一緒になって、オシャレの世界を追求しているようです。ページごとにファッションアイテムをチョイスしていく絵本に、淳さんは「まさかこんなに可愛い絵本を読む日が来るなんてwww」と戸惑いつつも、一生懸命。こうした遊びに積極的にのって楽しんでくれるパパは、子どもたちにとっても最高でしょうね。 5歳のお姉ちゃんの興味に1歳7ヶ月の妹さんも感化されているのか、幼いながらも一緒にファッションお絵かきをする姿も。1歳7ヶ月頃はおもちゃを使った遊びがますます上手になる時期で、2つ以上の積み木をバランスを取りながら高く積み上げられる子もいます。指先で小さなものをつまんで、ビンから出したり入れたりするのもスムーズにできるようになってきて、幼児向けの簡単な型はめ遊びやパズルをやりたがったりも。ボールを落としたり転がしてあげて遊ぶなど、体を使った遊びはもちろん、ごっこ遊びや絵本の読み聞かせなども楽しくなってきます。兄弟姉妹がいれば、同じごっこ遊びをしたり、上の子のまねっこをしたりもできますね。ただし、まだ誤飲のリスクもあるので、小さなサイズのおもちゃは近くに置いておかないほうがいいでしょう。ちなみに淳さんは娘が生まれる前は足を踏み入れることがなかったようなファンシーなショップにも、娘たちへのお土産を探して入るようになったそうで、おまけに店内では「かわいい」を連呼してしまうなど乙女度がアップしているようです。 <関連リンク>→子育てしたいから仕事を断ることもある。NONSTYLE石田明さんインタビュー→藤本美貴さんが第三子を妊娠中に榊原郁恵さんからもらった金言「今になってすごくその言葉の意味が分かる」→板野友美さん・高城亜樹さんが妊娠産後トークで大盛り上がり「産後は甘くない」
2022年01月28日田村薬品工業株式会社( 本社:大阪市中央区道修町2丁目1番10号 T・M・B道修町ビル、代表取締役社長:田村 大作 )は、2022年1月27日から「田村薬品工業 公式通販ショップ」にレシピページを公開いたしました。 背景リモートワークの増加や飲食店の営業時間短縮により、自宅で食事をする機会が増えている昨今、おうち時間を”健康に”楽しくすごしていただきたいという想いから「ハーバル レシピ」を開設いたしました。田村薬品工業は1980年に田村薬草園(奈良県御所市)を開園して以来、生薬やハーブなど薬用植物の栽培・研究を通して、健康を提案しています。植物研究と伝統的な薬膳の考え方を応用した、おいしく簡単なアレンジレシピや薬膳レシピの提案を通して、健康な食生活を応援してまいります。ページ概要「田村薬品工業 公式通販ショップ」で販売している商品を使ったアレンジレシピや、漢方の医食同源の考え方を取り入れた薬膳レシピを紹介するオリジナルレシピページです。現在のレシピに加え、旬のもの、カラダの状態や体質にあったメニューを順次追加してまいります。レシピ例ヤマイモの生姜焼き ヤマイモの生姜焼きアレンジレシピ例ゆず香るさっぱりチキンサラダ ゆず香るさっぱりチキンサラダ田村薬品工業 公式通販ショップ 公式Instagram「@store.tamura」 会社概要商号 : 田村薬品工業株式会社代表者 : 代表取締役社長 田村 大作所在地 : 〒541-0045 大阪市中央区道修町2丁目1番10号 T・M・B道修町ビル設立 : 1948年7月事業内容: 医薬品・医薬部外品の製造並びに販売、食品及び清涼飲料水の製造並びに販売、 医療機器の製造並びに販売、薬草栽培、その他以上に関する業務資本金 : 6000万円URL : 【本サイトに関するお客様からのお問い合わせ先】田村薬品工業 公式通販ショップE-mail: shin-ei@tamura-p.co.jp URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年01月27日グッチが、グローバル・ブランドアンバサダーに俳優の志尊淳を起用することを発表しました。Courtesy of Gucci志尊淳は、2011年のデビュー以来、映画、ドラマ、舞台とさまざまなステージで活動し、俳優としての評価を高めてきました。NHK連テレビ小説「半分、青い。」や、主演を務めた映画『さんかく窓の外側は夜』をはじめ、その確かな演技力で世界中のファンを魅了しています。Courtesy of Gucci新型コロナウィルス感染症による外出自粛期間中には、ライブ配信での等身大のメッセージが男女問わず幅広い層からの支持を得るとともに、医療従事者への寄付を行うなど社会との関わりへの深い関心をうかがわせました。2022年は俳優のみならず、初監督に挑戦した短編映画の公開や、今春公開のアニメーション映画『バブル』では主人公の声優を務めるなど、活動の幅を広げています。志尊淳はかねてよりプライベートでもグッチを愛用し、昨年11月の「GQ MEN OF THE YEAR 2021」授賞式でもグッチのタキシードジャケットを着用しました。ソーシャル メディアなどを通じて発信されるファッションの表現や、社会との関わりを模索するその姿勢は、グッチが掲げてきた「インクルージョン」および「自己表現の自由」というメッセージと響き合います。GUCCI1921年、フィレンツェで創設されたグッチは、世界のラグジュアリーファッションを牽引するブランドのひとつです。ブランド創設100周年を経て、社長兼CEO マルコ・ビッザーリとクリエイティブ・ディレクター アレッサンドロ・ミケーレのもと、「ラグジュアリーを再定義する」というミッションを掲げ、クリエイティビティとイノベーション、イタリアのクラフツマンシップをブランドバリューの核としながら、次の100年に向けて歩みを続けていきます。グッチは、グローバル・ラグジュアリー・グループであるケリングの中核をなすブランドです。ケリングは、ファッション、レザーグッズ、ウォッチ、ジュエリーの名だたるブランドを擁し、その発展を支えています。詳しくは、www.gucci.com をご覧ください。
2022年01月25日俳優の志尊淳が、ファッションブランド・GUCCIのグローバル・アンバサダーに就任したことが24日、わかった。2011年のデビュー以来、数々の映画やドラマに出演し、今年は初監督に挑戦した短編映画の公開や、アニメーション映画『バブル』で主人公の声優を務めるなど幅広い活躍を見せる志尊。また、コロナ禍の外出自粛期間には、ライブ配信での等身大のメッセージが男女問わず幅広い層からの支持を得るとともに、医療従事者への寄付を行うなど社会との関わりへの深い関心をうかがわせた。志尊は、同ブランドのアイテムを以前から愛用しており、昨年11月の「GQ MEN OF THE YEAR 2021」授賞式でも同ブランドのタキシードを着用していた。また、志尊のSNSなどを通じて発信されるファッションの表現や、社会との関わりを模索するその姿勢が、同ブランドが掲げてきた「インクルージョン」および「自己表現の自由」というメッセージと共通していることも起用の決め手となった。今回、就任の発表とともに公開されたビジュアルでは、色彩鮮やかな花に囲まれた志尊が写し出されている。
2022年01月24日『ロンドンブーツ1号2号』の田村淳と田村亮今春の番組改編の大きな特徴として、放送時間が変更になるバラエティー番組の増加が挙げられる。「コロナ禍で海外や地方ロケがやりづらくなるなど、撮影に制限が出た影響もあると思いますが、昨年始まった新番組は日テレ系の『オモウマい店』以外、視聴率が伸びずに苦戦しています。そこで、既存の番組の放送時間を調整することでテコ入れしたいのでしょう」(制作会社関係者)■時間短縮しやすい番組テレビ朝日はオードリー若林正恭と弘中綾香アナが司会を務める『激レアさんを連れてきた。』とロンドンブーツ1号2号の冠番組『ロンドンハーツ』をこれまでの1時間から30分に短縮する。「若い世代はYouTubeやショート動画アプリのTikTokに慣れ親しんでいるため、短い動画が視聴されやすい傾向があります。配信での再生回数を意識しての時間短縮ではないでしょうか」(放送作家)エンタメ事情に詳しいフリーライターの大塚ナギサさんは、番組構成も関係していると指摘する。「『激レアさん』は毎週2~3組が登場。『ロンハー』も企画が2本立てだったり、30分に短縮しやすい構成というのも大きいと思います。また両番組はスタジオ収録がメインのため、ロケ番組よりも時間短縮の融通が利きやすい」テレビ朝日は、20分番組を3本放送する深夜のバラエティーゾーン『バラバラ大作戦』を’20年秋から開始。「ネットテレビ局ABEMAや、見逃し配信サービスTVerでの視聴を意識してスタート。スマホでの視聴が当たり前の’90年代後半から’00年代生まれの“Z世代”から支持を受けています。『激レアさん』と『ロンハー』の時間短縮から、“未来のお客さま”ともいえるZ世代を取り込みたい思いが伝わってきますね」(テレビ誌編集者)■視聴者の習慣が変わった反対にテレビ朝日系のくりぃむしちゅーの冠番組『くりぃむナンタラ』とバイきんぐ小峠英二が司会を務める『電脳ワールドワイ動ショー』は30分から1時間に倍増。TBS系の『バナナマンのせっかくグルメ!!』は1時間から1時間半に拡大する。「時間が拡大しても飽きさせないMCの実力があり、リアルタイム視聴率が期待できる番組は放送時間を延ばすなど、各局いろいろ試している印象はありますね」(前出・制作会社関係者)日本テレビ系の『月曜から夜ふかし』や、かまいたちMCの『超無敵クラス』、TBS系の『週刊さんまとマツコ』など放送枠が移動する番組も多いが、前出の大塚さんはこのように分析する。「以前は習慣で視聴する人が多かったため、ゴールデン帯への昇格も含めて枠移動はリスクが大きいといわれていました。しかし、録画や見逃し配信で視聴する人が増えたことで、人気番組は放送枠に関係なく視聴してもらえる。そのため、局としても枠移動をしやすくなったのでしょう」テレビ朝日に『激レアさん』と『ロンハー』の放送時間が短縮されることについて問い合わせるも、「現時点で4月改編についてお答えできることはありません」との回答にとどまった。近年、若者のテレビ離れが叫ばれているが、新しい試みでZ世代を取り込むことはできるか。
2022年01月18日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が20日、都内で行われた「#Twitterトレンド大賞 2021」にMCとして出席。お笑いタレント・有吉弘行の結婚にまつわるエピソードを語った。「#Twitterトレンド大賞」は、データ・ドリブンで集計された「2021年に最も話題となった上位20個」のトレンドワードを発表するもの。1位は「金メダル」、2位は「緊急事態宣言」、3位は「無限列車」となった。今年最も“いいね”を集めた「最多いいね部門賞」では、元フリーアナウンサー・夏目三久さんとの結婚を発表したお笑いタレント・有吉弘行の結婚報告ツイートが選出された。田村は「僕はロケ中だったんですけど、スタッフがロケを止めて、いったんみんなで祝ったんです。『有吉さんが結婚しました。1回止めよう』って。『おめでとう』ってその場で言ってロケを再開するという」とロケを中断してお祝いしたことを告白。有吉本人にそのことを伝えたのか聞かれると、「恥ずかしいんで。有吉も照れ屋というか、そういうのは直接は伝えてないです。お祝いは贈らせていただきましたけど」と答え、改めて「びっくりしました」と当時の衝撃を口にした。
2021年12月21日安奈淳宝塚トップスターとして人気を博した女優で歌手の安奈淳がコロナ禍の昨年からインスタグラムを始めた。そこで注目されたファッションと半生を綴ったスタイルブック『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』で明かした宝塚時代、50代の闘病生活、そして今伝えたい思いとは――。安奈といえば『ベルサイユのばら』での男装の麗人オスカル役のイメージが強い。池田理代子原作漫画を1974年に舞台化。漫画人気とともに“ベルばら”ブームが起こり劇中歌『愛あればこそ』がヒットするなど宝塚を代表する演目に。安奈が演じたヒロインはハマり役だが《オスカルはさほど愛着のある役ではなかった》と記している。「宝塚に13年間在籍していろんな役をやりました。私自身にとってオスカルが突出していたということはなくて、ほかにも好きな役がたくさんありました。当時は『ベルサイユのばら』で初めて宝塚を見た方も多かったので、イメージが強いと思います。代名詞のようになっていることに抵抗はないです。その時代を知っている方は私が死んだら“オスカルを演じていた方が亡くなったわね”と話されると思います(笑)」■30歳で退団後、次々と身体の不調が30歳で退団。主演舞台など仕事は引きも切らなかったが、身体の不調を抱えるようになった。C型肝炎、37歳で髄膜炎、47歳のときには指先が真っ白になるレイノー症状で手首や指の腫れと全身関節痛に悩まされた。50歳を過ぎると難病の膠原病を患い約10年間の闘病生活を送った。「50代は入退院の繰り返しで、危篤になったときもありました。最初は原因がわからなかったのでドクターがチームを組んでの検査が続き、まな板の上の鯉のような状態で日々、生きているのが精いっぱいでした。入院中は朝昼晩の区別がつかない。気を紛らわす方法もなく、ただ生きているという感覚。薬の副作用もあったと思いますが詳しいことは覚えていなくて、とにかく50代はほとんど記憶がないくらい大変でした」■生きるうえで必要なものだけあればいい闘病中にはうつ症状になり、投げやりな気持ちが強くなっていった。眠れない夜が続いたときにベランダから飛び降りようとしたこと、キッチンのナイフで首を突こうとしたなど自殺未遂も赤裸々に明かしている。「すべて事実。隠すつもりもないです。そういうときを支えてくれたのは宝塚時代を含めた友人たちです。ほかのことは思いつかないくらい支えてもらいました」仕事を再開した60代になってからも65歳で心臓弁膜症を患い、68歳のときには腎臓がんの手術を受けた。「身体と相談しながら無理しないように病気と付き合っています。難病はいつからとか、何がきっかけでよくなるということはなく、医学が進歩しているなかで薄紙をはがすように段々よくなっていく感じで、今に至っています」闘病中には“断捨離”を敢行した。「それも薬の副作用があったかもしれませんが、面倒くさくなって何もかもいらなくなっちゃいました。自分が生きるうえで必要なものだけがあればいいと思うようになって処分しました」洋服や舞台用アクセサリーは友人や後輩たちに譲り、高価なミンクのコートはリサイクルショップに二束三文で売り払った。ワードローブには、30年間愛用するGAPのチノパンをはじめ着回しのきくベーシックカラーのアイテムだけを残した。「必要な物の中からとっかえひっかえして着ています。毎日、違う格好をする必要もないですし、そもそも人は(他人の服装を)そんなに見ていませんよ。毎日、下着はかえますが気づいたら3日ぐらい同じコーディネートのまま出かけていくこともあります。たくさん持っていると悩みは増幅されるので、少なければ悩みません。宝塚時代は若かったので、あれもこれも着たいと思っていましたが、遊びに行くことはほとんどなくて稽古場と家の往復だったので、デニムにシャツやTシャツを合わせるのが定番スタイル。ときどきみんなで食事する程度なので、かしこまった服装をすることも少なかったです。水玉、縞模様以外の柄物は着ません。ステージできらびやかな衣装を着ていた反動があったかもしれませんね」30年間同じチノパンをはき続けられ、体形が変わっていないことにも驚く。「私の身体にぴったりで気に入っています。体形は年齢を重ねて肉のつき方は変わりました。でも下半身だけは男の子っぽい体形なのか変わらないですね(笑)」●ライフワークの歌とストレス解消法「新しい歌を覚えたいという欲求ぐらいで歌以外にやりたいとこは何もありません。ストレス解消法は掃除と片づけ。無心になれて忘れちゃいます」■明けない夜はない70代はシンプルにハードな宝塚時代、苦しい闘病生活を経た境地は前向きだ。「13年間の宝塚でつらかったことはいい思い出に変換しちゃっています。鬼みたいに厳しい振付師がいて殺意を感じたこともありましたけど(笑)、私だけでなくみんなが大変な思いをして指導を受けた。それが今になってみると自分の宝物になっています。もしあのときに脱落していたら今はなかったと思います。生きていればいろんなことにぶち当たります。嫌なことも最悪なことも起きると思います。でもそれを乗り越えると人間を形成する栄養になって蓄積されていく。私の年齢になると嫌な人とは付き合わない、嫌なことは避けて通ることができるようになります。でもそれまではいろんな経験を積んで乗り越えていくことが人間的な厚みをつくるには必要なことだと思います。明けない夜はないので、乗り越えた先に光が見えてくるからあきらめないで前を向いていってほしいと思います。私自身、死んだほうがましと思ったことは何度もありましたが、いま生きながらえていられるのは神様のおぼしめしだと思えるようになり、生きていてよかったと思います。乗り越えられた自分に頭なでなでしてあげたいです」70代からはシンプルをモットーにし、個人事務所を立ち上げインスタなど新たな挑戦も。「SNSは始めたら面白くて一気に世界が広がりました。ファンクラブには若い方が増えてうれしく、ありがたいです。この先の生きている時間を考えたとき、くよくよ落ち込む時間はもったいないので、自分が満足して人生を終えられるためにはどう生きていったらいいかを常に考えています」人生の先輩が体現した金言です。●プライベートでは宝塚退団後に結婚「身体がちょっと弱っていたときにプロポーズをされて、そういう人がいると安心かなと思い、保険に入るような感じで結婚しました。1年半ぐらいで終わりましたが、仕事との両立が難しかったことが原因のひとつです。それ以降、結婚を考えたことは一切ないですよ」『70過ぎたら生き方もファッションもシンプルなほど輝けると知った』(1600円+税/主婦の友社/発売中)(撮影/佐山裕子)
2021年12月18日ドキュメンタリー映画『人と仕事』(10月8日公開)の公開記念舞台挨拶が9日に都内で行われ、志尊淳、森ガキ侑大監督が登場した。同作はスターサンズ・河村光庸プロデューサーが企画したドキュメンタリー映画。コロナに打ちひしがれた日本の職場で「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる保育士、介護士などの人々、その他、声なき仕事人達の現状をレポートする。監督は、大学在学中にドキュメンタリーを制作しその腕前を森達也監督らから激唱された森ガキ侑大が務め、2人の俳優が、一仕事人として現代社会と向き合い、仕事の意味を再発見していく。元々は劇映画を制作する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で中止に追い込まれた。しかし、河村光庸エグゼクティブプロデューサーの「ドキュメンタリー映画として制作しよう」というアイデアから新たな企画に。森ガキ監督はその時の心境を「大学生の時にドキュメンタリーを1本撮ったんですけど、本当に苦しいんですよね。ドキュメンタリーを自分がもう1回、有村さんと志尊くんとできるのかなと不安はありました。でも、コロナ禍だからこそ、この映画の企画は今しかできないし、今残さないときっと後悔すると思って、本能的にやらせてくださいと話をしました」と振り返る。そして、劇映画からドキュメンタリー映画に形を変えた作品で出演をオファーされたことについて、志尊も「予定していた劇映画の制作がなくなってしまうことにショックはありましたけど、そこでもなお作品を届けられる機会をいただいたことが、まずありがたいなと思いました。このドキュメンタリーは人と人とのコミュニケーションで成り立つ映画だと思うので、先が分からないなか人に寄り添えるか不安でしたけど、皆さんで『伝えていこう』とベクトルが同じ方向を向いたので、一生懸命やらせていただきました」と思いを明かした。完成した本作を観た志尊は「普段は役柄を演じているので物語としてみれるけど、今回は志尊淳なので、主観でみてしまいました。作品全体っていうことではなく、自分がインタビューさせていただいた方とか、出てくださった方々が、『この作品に出て良かったな』と思えたかなという目線で見させていただいていました」と語る。そんな志尊に対し、プライベートでも親交のある森ガキ監督は「インタビューをしていく中で志尊くんの心境がポロッと出ていて、自分の中でも新たな志尊くんを知れて嬉しいなと感じました」と、本作での志尊の変化について言及した。冒頭シーンは渋谷の街を、志尊が歩き回って取材を試みるシーンから始まる。この時の撮影について志尊は「カメラもあって、森ガキ監督もいたので『ちょっと歩いてみますか』って感じでしたよね?」と明かし、森ガキ監督も「マスクもしてるので、志尊くんが声かけても『すみません』って無視するんですよ。いやいや、ここに志尊淳いるよ? って」と苦笑。「でもやっぱりカメラがあるとなかなか心を開いてくれなかったです」という監督に、志尊も改めて「カメラがあると僕でさえ心を開けないですし、どう声をおかけするのが一番いいのかなと思いながらの撮影はすごく難しかったです」と苦労を語った。
2021年10月09日SNS昨今、ツイッターを代表としたSNSで、一般人を「ブロック」する芸能人・有名人が少なくない。代表的なのは、総裁選にも出馬した河野太郎、政治的発言が増加中のロンドンブーツ1号2号の田村淳ら。確かに有名人には、誹謗中傷も含めた“クソリプ”は多い。しかし、彼らは「一度もやりとりをしていない」者すら、“即ブロック”するということも……。彼らはなぜすぐブロックするのか、その状況と心理――。《田村淳に絡んだことないのにブロックされてるwどうして? なんで? 》《河野太郎にブロックされた! どうでもいいけど。しかし絡んだことないぞ。》一般人にとっても便利なツールであるSNSだが、それ以上に重要視しているのは芸能人や政治家といった有名人たち。情報発信・ファン獲得のためにSNSは重要なツールだ。しかし、そんな彼らが今、続々と“一般人”を『ブロック』(相手に自分の投稿を見られなくする機能)している。その代表が冒頭の2人。「ほかにも政治家でいうと蓮舫さんや芸人ではバカリズムさんなどが、ツイッターで“すぐブロックする”ことで有名。バカリズムさんは理由について“イラッとしたらブロックする”と発言していました」(スポーツ紙記者)彼らはなぜ一般人をSNSでブロックするのか。「芸能人に限りませんが、ある程度フォロワーがいる人は、いわゆる“クソリプ”が非常に多く、ダメージが大きいので、それを受けたくないという心理でしょう」そう話すのは、SNSに詳しいウェブメディア評論家の落合正和氏。『クソリプ』とは、“クソなリプライ(返信)”のこと。投稿されたユーザーが誹謗中傷などを不快に感じるリプライを指す。「フォロワーが数千人程度の私でも、クソリプはしょっちゅうきます。ある程度のフォロワーがいて情報発信している人がブロックを多用するというのはすごく理解できます。“発信しているんだから当たり前でしょ”という有名税のような意見もありますが、ネガティブなコミュニケーションはとりたくないと考えるのは当然のことだと思います」(落合氏、以下同)■絡んでいない人もブロックする心理ネット、そしてSNSの普及によって有名人たちの仕事には変化が生まれた。「テレビの露出があれば食べていける時代ではなくなり、SNSなどでファンを獲得していかないと生き残れなくなってきています。ある程度、自分でファンやそのコミュニティーを作っていかなくてはならない。そうなったときにやはりクソリプは、営業上の不利益が多くなる。例えば“こういう発信をしたら、いろんなツッコミやヤジが飛んでくるんじゃないか”というように、自分が発信することに対してハードルが上がってしまう。発信することが億劫になってしまったり、恐怖感が生まれかねません」クソリプを送った人をブロックする心理はわかるが、冒頭の田村淳や河野のように、“絡んでいない”状態でブロックする心理とは?「ブロックしている方の判断の部分になりますが、過去のその人の発言を見てコミュニケーションをとりたくないなとの判断でしょう。ちょっとヘイトじみたことをしていたり、フェイクニュース的な事実とは異なるような発言をしていたり。政治家からするとフェイクを巻き散らされたりすることは大迷惑。本来は支持者だった人が離れていってしまう可能性もある。このような人とコミュニケーションすること自体、非常にマイナスになるということですね」河野はブロックに対して、「ブロックするのはフォロワーさんにひどいリプを見せたくないから。だから私は堂々とブロックします」と発言。「“ブロックしても、そのリプライはほかのユーザーに見える”ということをジャーナリストの津田大介さんが指摘していました。それも正しいのですが、そこで河野さんとブロック対象者間のコミュニケーションが遮断されるというメリットも」ブロックされた相手は河野のツイートが見られなくなるので、それ以上やりとりはなくなる。結果それ以上、ほかのユーザーが、罵詈雑言や誹謗中傷が飛び交うような状態が極力見えないようになる。「河野さんのおっしゃっていることは間違いではない。とは思いつつも、政治家がコミュニケーションをとらないというのは、どういうことなんだという一面ももちろんあると思います。明らかに誹謗中傷的なものは政治家であってもコミュニケーションをとる必要はないでしょう。ただ、ではそこの判断はどこなんだとなると難しい。線引きはなかなかできない。どうしてもユーザー、つまり河野さんの判断になる。そうすると、“これは誹謗中傷じゃなくてあなたへの意見でしょ”というものまでブロックすることも当然出てきてしまう。このあたりの判断は難しいですよね……」■ブロック多用は米では違憲判断もちなみに同じようにブロックを多用する政治家がいた。前アメリカ大統領のトランプだ。彼はツイッターで自分に批判的なコメントをした人をブロックしていた。それは“言論の自由”の侵害だとして、ユーザーたちが訴え、結果“ブロックは違憲”という司法判断がなされている。「日本でも今後そういった裁判が行われる可能性というのは十分にあるのではないかと思います。ただアメリカと日本でやはり法律が違う。アメリカという国は自由や透明性を誇りにしている国でもありますので、その部分で日本人との解釈や価値観の違いは出てくるのかと思います」河野のフォロワーは現在、240万人超、田村淳は320万人近い。「正直なところクソリプの嵐だと思います。とんでもない数のクソリプが飛んできて、まともなコミュニケーションができないから封鎖する。自分の支持者とかファンの人たちとまともにコミュニケーションしようと思ったら、そういったものを遮らないととてもじゃないけどできない。私が2人のような立場だったとしても、そうするだろうなと思います」コロナ禍の影響で情報収集用としてツイッターの利用者が増えているという。有名人も一般人も、ブロックに気をつけて……。
2021年10月08日日本では毎年、年齢性別問わず数多くの人が自ら命を絶っています。厚生労働省によると、2021年は毎月およそ1500人以上の自殺が確認されているといいます。命を絶った人には、人間関係や金銭の問題、病気など、いろいろな事情や苦しみがあったのでしょう。そういった悩みを抱えているのは、子供も例外ではありません。文部科学省によると、18歳以下の自殺は学校の長期休暇明けにかけて増加する傾向があるといいます。また、2021年8月時点、子供の自殺は暫定値が前年比で4割も増加しているのだとか。子供が自殺をする大きな原因としては、学校でのいじめが挙げられます。まだ行動範囲が狭い子供にとって、学校という狭いコミュニティの与える影響は大きいものです。田村淳、夏休み明けを前に『子供たちへ呼びかけ』2021年の夏休みが終わろうとしている、8月26日。お笑いコンビ『ロンドンブーツ1号2号』の田村淳さんは、子供たちへ大切なメッセージを送りました。先述したように、子供の自殺は長期休暇明けに増加する傾向があります。今この瞬間も、「学校に行きたくない」と憂うつな気持ちになっている子は全国にいるでしょう。田村さんが子供たちに向けて送った言葉は、そういった子の気持ちを察したものでした。もうすぐ夏休みが終わるコロナの感染が懸念される中各自治体に登校orオンラインの判断が委ねられると…それも気になるけれど夏休み明けの子供の自殺が増えることも心配学校に行きたくない子は無理して学校に行かなくていいよ学校は苦しんでまで行くところではないから自分の命を最優先に— 田村淳 (@atsushilonboo) August 26, 2021 「無理をして学校に行かなくていい。学校は苦しんでまで行く場所ではない」とつづった、田村さん。人間関係の悩みやいじめ被害を明かすことができず、苦しい思いを1人で抱え込んでいる子供は数多く存在します。「つらくても学校に通わないといけない」と思っているからこそ、さらに自分を追い込んでしまうのでしょう。確かに、学校は子供の本業とされています。しかし、学業は命あってのものであり、田村さんがいうように一番優先すべきは人命です。田村さんのような影響力の大きい人がこういったメッセージを発信することで、救える命はあるのではないでしょうか。投稿は拡散され、多くの人が田村さんの意見に共感する声を寄せました。・学び方にも、それぞれに合った方法がある。「学校へ行かない=悪」ではない。・田村さんのメッセージが、1人でも多くの子供の目に留まりますように。・その言葉1つで救える命があると思います。命あってこそ、いろいろ学ぶことができる。文部科学省のウェブサイトでは、夏休み明けの子供たちに向けたメッセージが掲載されています。そこにつづられているのは、苦しい思いをしている人への「遠慮せずに周囲の人やスクールカウンセラー、相談窓口に話してください」といった助言。また、周囲の人への「元気のない人が周囲にいたら、声をかけてあげてください」という呼びかけも掲載されています。思い悩んでいる人は、なかなか周囲の人につらい思いを打ち明かすことができず、1人で抱え込んでしまいます。そのため、周囲の人が変化にいち早く気付くことが重要です。[文・構成/grape編集部]
2021年08月26日お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳が13日、都内で行われた「中小企業からニッポンを元気にプロジェクト」第2期発表会に、ウエンツ瑛士、前田敦子とともに出席。コロナ禍でキャンピングカーを購入したことを明かした。田村は「プライベートで家にいる時間が長くなって、今回は感染症でしたけど、災害が多い国なので、キャンピングカーを買って、いざというときにキャンピングカーを使ってうちの家族をどう守れるかとか、災害時にどう備えるかというのはすごく考えました」と説明。2台のキャンピングカーを購入したそうで、「小さいのと大きいのと。自分で趣味で使いたいのと、ガッツリ家族を守る用。本当にキャンプに行く用と、災害時に家族を守る、1~2週間暮らせるくらいの蓄えがあるような車を持つという」と語った。プロモーション事業、WEBマーケティング事業を行う中小企業のチカラは、参画企業と共に日本経済活性化を目指す「中小企業からニッポンを元気にプロジェクト」を展開中。第2期となる今回は、前回から約3倍となる約130社の中小企業が参画し、第1期公式アンバサダーの田村淳に加え、ウエンツ瑛士、前田敦子を新たに公式アンバサダーに起用した。
2021年07月13日最後までダンディズムを貫いた故・田村正和さんの少年時代女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、4月3日に心不全で逝去した故・田村正和さんとの若かりしころの思い出を綴る。■高3のころ、撮影現場でシクシク泣いていた正和ちゃんが亡くなられた。多くの方は、古畑任三郎をはじめとした知的でダンディーなたたずまいの田村正和をイメージすると思う。でも、私は、まだデビューしたばかりのころの、身体が弱くて泣き虫で愛くるしい正和ちゃんの姿が忘れられない。初めて共演したのは、1962年に公開した、大女優の田中絹代さんが監督をされた『お吟さま』という映画だった。原作は今東光さん。千利休の娘・お吟とキリシタン大名の高山右近の悲恋を描き、お吟さまは大美人の有馬稲子さん、右近を仲代達矢さんが演じた。千利休を(二代目)中村鴈治郎さん、奥方を高峰三枝子さん、豊臣秀吉を滝沢修さん……錚々(そうそう)たる役者が集う中、私はお吟さまの女中役・宇乃。正和ちゃんはお吟さまの弟役として出演。新人若手はふたりだけ。お吟さまの女中だから、ずっと出番がある。長時間、現場にいる。その間、弟役である正和ちゃんと時間を過ごすことが多かった。彼は、前年の『永遠の人』で本格デビューを果たしたものの、芸歴はまだ浅く、当時は東京・世田谷の成城学園高校に在学する高校3年生だった。撮影場所は京都太秦。彼は、「家に帰りたい。学校に行けない。日数が足りないと受験ができない」と不安がつのり、いつもシクシク泣いていて。私は話し相手になって「大丈夫よ!」なんてなぐさめていた。撮影は半年もかかった。今だから話せるけど、実は『お吟さま』は製作の裏側がドタバタだった。正和ちゃんが、「家に帰りたい」と嘆いていた気持ち、それもわかるのよね(笑)。まず、監督である田中絹代さんに……申し訳ないけれど、監督としての才能に疑問符。もともと田中さんは、小津安二郎さん、溝口健二さん、成瀬巳喜男さんなど名だたる監督に重用された本当の大女優。だからといって、監督としての才覚があるかどうかは別問題。『お吟さま』は、田中さんの6作目にあたるわけだけど、撮影が全然進まない。私たちへの演技指導も不確かで自信がなく、振り付けで伝える。「ここで何歩か歩いて、振り返る」という具合に、踊りのようにディレクションなさるんだけど、よくわからないから私も正和ちゃんも困っちゃって。■「お坊っちゃま、ご立派になられて」なのに我を通そうとなさるから、新人ふたりはうさの捨てどころ。田中さんはベレー帽をかぶってブルゾンを着て、格好は超一流監督だったけど、中村鴈治郎さんや滝沢修さんを前にすると何もおっしゃらない。脚本やセリフの直しが多く、あまりに撮影が進行しないので、(『人間の條件』などを担当した)撮影監督の宮島義勇さんが「うーん、困った」とよく愚痴をこぼしていらした。おまけに、主役の有馬稲子さんは、萬屋錦之介さんと結婚したばかり。撮影には気分が乗らず、早くお家に帰りたいお気持ち。脚本もお気に召さず、有馬さんの気持ちも十分わかるけれど、撮影もままならなくて、正和ちゃんじゃなくても泣きたくなったわよ。かつらを使わず、すべて地毛で結っていたから、現場入りは朝の5時。せっかく早朝から待機していても、ヒロインが来ない!暇を持て余すと、私は髪を結ったまま撮影所でキャッチボールや野球をしていたから、一緒になって正和ちゃんも遊んでいたの。美少年だけど、おとなしくてどこか恥ずかしそうにしている、そんな姿が印象的だった。やっと撮影がアップすると、みんなで京都駅まで正和ちゃんを見送りに。ホームで「受験がんばってねー!」って大声を上げながら手を振ったことを覚えている。その後、正和ちゃんは本当にハンサムな、素敵な俳優になった。『古畑任三郎』(フジテレビ系)を見るたびに、あのときの弟役の姿を思い出し「お坊っちゃま、ご立派になられて」なんて、テレビの前で思っていたわ。冨士眞奈美●ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。(構成/我妻弘崇)
2021年06月25日老若男女問わず愛された田村正和さん(享年77)が鬼籍に入ってから約2カ月。田村さんのキャリアを代表する作品の一つが『古畑任三郎』(フジテレビ系)だ。「第2、第3シーズンの平均視聴率は25%超を記録するなど国民的ドラマに。’06年の『ファイナル』でひとまず完結となりましたが、実は第4シーズンを制作する計画がありました。田村さんもさらなる続編制作に前向きだったそうですが、体力的な理由もあって実現にはいたりませんでした。昨年には、キャストを一新した『2代目古畑』の制作をフジが計画しているという報道もあり、主演候補の一人としてオダギリジョーさん(45)の名前が挙がっていました」(テレビ局関係者)今も続編を望む声が絶えない『古畑』。フジテレビに『2代目古畑』計画について尋ねると、「そのような事実はございません」との回答が。しかし、あるフジテレビ関係者はこう語る。「田村さんの訃報から3日後に追悼番組として『古畑』が放送され、13%超えの高視聴率を記録。再放送としては異例の数字です。この結果を受けて、上層部でも『2代目古畑』の制作が水面下で本格的に検討され始めたと聞いています」『古畑』の脚本を手掛ける三谷幸喜(59)もかねて続編を熱望していた一人だ。昨年、三谷は田村さんにこう“ラブコール”を送っている。《条件が揃えば、僕はいつでも映像版「古畑」の新作を書く準備は出来ていますよ、田村さん》(’20年5月28日『朝日新聞』夕刊)田村さん主演での続編はかなわぬ夢となったが、「2代目古畑」として白羽の矢が立った俳優がいるという。阿部寛(56)だ。「阿部さんは’11年の映画『ステキな金縛り』で三谷作品に初参加。三谷さんならではの脚本と演出にほれ込み、“いつかまた参加したい”と考えていたそうです。三谷さんも法廷でタップダンスを踊る型破りな弁護士を完璧に演じきった阿部さんを『日本を代表するコメディアン』と絶賛。アドリブ力にもたけた阿部さん主演の作品を描きたいとずっと考えていたといいます。そんな関係性からフジ社内でも、“もし『2代目古畑』が実現するとしたら阿部さんを”と推す声が強いそうです」(前出・フジテレビ関係者)正統派の二枚目から三枚目まで演じてスターとなった田村さん。阿部にも通ずるだけに、古畑ファンとしては期待したいところだが。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』で、動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」を公開。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんの知られざる人柄について語った。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫。台本の読み合わせで、共演者の柳沢慎吾が、セリフにあった「最中」という漢字を“もなか”ではなく、“さいちゅう”と読み間違えたそうだが、「芸人魂で、一瞬ツッコもうかと思ったんですけど、そんな空気じゃないんですよ。初めての本読みだから、ものすごい緊張感なんです」というエピソードを披露。その後、主演の田村さんのセリフにも、「最中」が登場したため、「被せてわざと“さいちゅう”って言ってくれるんじゃないかって、ものすごい期待して。なんとなくみんなも期待してた」というが、田村さんは、柳沢に被せることなく、“もなか”と発言。「大スターの役者さんが、被せなんかせーへんかって。周りの人も一瞬、そりゃあ言わないよねっていう空気になった」そうだが、「その瞬間、ちょっと間を置いて『……“さいちゅう”って言った方が良かった?』って。うわー! おしゃれー! って。おしゃれな笑いの取り方で。素敵やろ?」と、懐かしそうに振り返った。チャーミングな一面をのぞかせた田村さんだったが、ドラマ撮影中も、「僕のことを、現場に行くたびにイジってくれた」と言い、「最高に素敵な方やったんですよ。本来なら、俺みたいな若手の芸人が声をかけられるような人じゃないのに、すごくそこを開けてくれるんですよ」「おしゃれで素敵な人で、どんだけ憧れても、あんな人にはなられへん」と、分け隔てなく接してくれた田村さんに感謝。打ち上げの飲み会でも親交を深めたことを明かしつつ、最後は、「本当に残念なのは、どんな形でもいいから、お仕事を一緒にしたかった」と神妙に語っていた。
2021年06月02日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が先月28日、YouTubeチャンネル『宮迫ですッ!【宮迫博之】』に出演。4月3日に心不全で亡くなった俳優・田村正和さんとのエピソードを明かした。この日公開された動画「田村正和さんに感謝の気持ちをお伝えさせてください」で、田村さんとの思い出を振り返った宮迫。1999年に放送されたドラマ『美しい人』(TBS系)で、田村さんと共演した宮迫は、「連ドラが初めてで、すごく緊張してて。若手のお笑い芸人が連ドラに出ることが、ほぼほぼなかった時代なので、周りに知り合いも友達もいなかった」と話し、「初めての顔合わせのときに、そうそうたる出演者のみなさんがいる中で、誰とも口をきかない状態で端っこの方にいたんです」と、当時の撮影現場を回顧。慣れない環境で人見知りをしていた宮迫が、リハーサル室に置いてあった椅子に座ると、「なんか周りがヒソヒソ不穏な空気が流れてた」と言い、「当時はまだ尖ってた時代でもあったので、『芸人が場違いな場所にいる』みたいなことを言われてんやろうなと思って」と、誰とも目を合わせずうつむいていたそう。しばらくして、人の気配を感じて顔を上げると、主演の田村さんが目の前に立っており、「おはようございますも言えないくらいビックリして。だって、子供の頃から観てたスーパースターが立ってるわけですよ」と、突然のことに大焦り。すると、田村さんが「それ、僕の椅子」と笑顔で話しかけてきたそうで、「僕、現場のルールを知らなかったんですけど、“田村チェア”っていう田村さんの特別な椅子がどの現場にも置かれてたんです」「『すみません! 僕、全然知らなくて……』って言ったら、『構わない。ただ、僕の椅子に座ってた人は初めてだよ』って。初対面がそれやったんです」と述懐。何も知らずに、“田村チェア”に座ってしまった宮迫だったが、「優しいフォローをしていただいて。その場も盛り上がって、ちょっと俺も打ち解けた感じになって」と、田村さんの優しさに大感激したことを打ち明けていた。
2021年06月01日田村正和さん5月18日、田村正和さんが亡くなっていたことが発表された。追悼企画として5月20・21日に放送されたのは、『古畑任三郎ファイナル~フェアな殺人者~』(フジテレビ系)。「2006年の再放送なのに、視聴率は13・4%を記録。田村さん演じる主人公の古畑が、当時野球選手だったイチローさん演じる殺人犯と対峙するストーリーでしたね」(スポーツ紙記者)久しぶりの古畑の登場は大反響だったが、もうひとつ話題になったことが─。「自転車ですよ。古畑が愛用するセリーヌの高級自転車で、物語には欠かせないアイテムなんです。ネット上では、懐かしむ声が上がっていました」(同・スポーツ紙記者)この自転車は、ブリヂストンがフランスの高級ファッションブランド『セリーヌ』とコラボして限定販売され、世界に30台しか出回っていない。「24金メッキを使った、超豪華な自転車で、値段は1984年の販売当時で30万円もしました。『古畑』で使われていたのは、都内にある自転車店が店内で展示していたもので、撮影のたびに借りていたんですよ」(テレビ局関係者)■「売ってくれ」と頼まれたけど番組が終了して15年たった今も、その自転車店に保管されているという。店主を訪ねてみると、懐かしそうに目を細めながら話してくれた。「あの番組で使ってもらうようになってから、見にくる人がいっぱいいたね。いろんな人から売ってくれと頼まれたけど、全部断ってきた。今はお店を営業してないから、晴れの日とか、連絡して見にくる人がいる日は店の外に飾ってる。雨の日は、自転車が傷んじゃうから外には出さないんだよ」自転車はかなり年数がたっているため、多少の傷は見られたが、故障はしていない。店主の“愛”がうかがえた。店内を見渡すと、田村さんのサインがあった。テレビ局を通じてもらったものだと話すが、これは珍しいこと。「彼は撮影現場のスタッフとも気さくに話すタイプではありませんでした。人と接するのに、自分なりの距離感があるので、めったにサインにも応じない」(前出・テレビ局関係者)店主に田村さんへの思いを聞くと、表情を曇らせた。「もう1度、ドラマで使ってくれないかと首を長くして待ってたんだけどね。田村さんには会ったことがなかったから、一度会いたかったな……」愛車の輝きを守り続けた店主に、田村さんも草葉の陰から感謝しているだろう。
2021年06月01日5月18日に逝去が公表された田村正和さん(享年77)。いまも多くの友人・知人たちが、名優の死を悼み、生前のエピソードを語り続けている。スターは私生活を見せるべきではないという美学を貫いたことから、“人前で食べる姿を見せることは決してなかった”という伝説まで残した田村さん。だが、30年ほど前から交流してきた仕事関係者はこう語る。「実は『正和会』という親睦会を年に数回開催していたのです。正和さんがドラマで仕事をした監督やカメラマンなど、気心の知れた関係者を招いて食事をする会合でした。その会場としてよく指定していたのが『南国酒家』でした」南国酒家は、原宿に本店がある老舗中華料理店。田村さんの一人娘であるAさんは、’01年に南国酒家グループ社長(当時)の子息と結婚し、現在は社長夫人となっている。田村さんは、かつて週刊誌の対談で娘・Aさんとの関係について次のように語っていた。《子供とはあまりつき合わないですね。子供が嫌いだから。とにかくぼくはうるさいのが一番いやだから。(中略)子供って奥さんが面倒みるものでしょ?じかに接するのは母親で、父親っていうのは遠い所から見守るものだと思う》(『ヤングレディ』‘76年4月12・19日合併号)前出の仕事関係者が続ける。「取材などでは“家族には関心がない”というスタイルを見せていましたが、本当はお嬢さんのことを溺愛していました。私にも娘がいたもので、『いくつになっても可愛いから甘やかしてしまう』といった話をすると、田村さんもしみじみと『本当は誰のところにも嫁がせたくなかったんだけど、いまでは良かったと思っているよ』と語ってくれました。娘婿さんのことも可愛がっていて、だから彼がいる南国酒家の原宿店に仕事関係者たちを招いていたのだと思います。田村さんは『ここのものはなんでも美味しいんだよ』と言っていて、本当に美味しそうにラーメンをすすっていた姿が忘れられません」南国酒家のHPによれば、『水菜、チャーシュー入りネギつゆそば』『野菜入りあんかけつゆそば』といった麺類は1400円(税・サ別)からあった。スターであることを忘れ、“愛娘の嫁ぎ先”でラーメンを味わうひとときは、田村さんにとって至福の時間だったことだろう。
2021年05月30日最後まで、スターの姿勢を崩さなかったーー。4月3日、急性心不全のため亡くなった田村正和さん(享年77)。その訃報は、葬儀をすべて終えてから公表され、田村さんの旅立ちは静かなものだった。日本映画界創成期の名優・阪東妻三郎の三男として生まれ、兄弟とともに俳優として活躍した。ダンディーを絵に描いたような人なのに、ドラマ『古畑任三郎』シリーズではちゃめっ気たっぷりな警部補を演じ、10年以上続く大ヒット作に。年を重ねるほどに魅力も増していったが、プライベートは一切公表せず、鉄壁のガードを貫いた。本誌では、田村さんの当たり役だったドラマ『眠狂四郎』の撮影現場に、’72年、’89年と2度にわたり密着。黒のロングコートにスカーフを合わせたおしゃれな私服姿で撮影所に入ってきたり、撮影の合間も物憂げな表情で椅子に座っていたりと、大人の男の色気を感じさせる人だった。【’72年】ドラマ『眠狂四郎』京都ロケ初めて眠狂四郎を演じたのは29歳のとき。当時その美しさが話題に。【’89年】ドラマ『眠狂四郎』撮影密着45歳で2度目の『眠狂四郎』を演じる現場に密着。撮影所へ笑顔で入っていく田村さん。現場にケーキを差し入れるなどの心配りも。【’93年】ドラマ『ローマの休日』イタリアロケあの名作のリメークドラマ撮影のためローマへ。安田成美(54)演じるヒロインとバイクに乗って。田村さんと共演した女優は、こう思い出を振り返る。「一緒に焼き肉屋さんに行っても、私の分ばかり焼いて食べさせてくれて、自分の分は後回し。レディファーストで優しくて、ふだんでも『田村正和』していてカッコよかったです」また、ドラマ関係者は次のように語る。「地方ロケだと、田村さんから『ホテルのカーペットやバスタブを赤にしてほしい』、と要望があったりして、作品はもちろん、現場への気持ちの持っていき方にまでこだわる完璧な人でしたね」俳優の美学を体現したスター・田村正和さんの姿は、私たちの中に輝き続けている。
2021年05月30日ロンブー淳さん、恐怖と喜びのハグにデレデレ子育てに関するInstagram投稿が話題の、ロンドンブーツ1号2号・田村淳さん。2016年10月に誕生した長女・リヴィちゃんと、昨年6月に生まれた次女・ルヴィちゃんの良きパパであることが、ありありと伝わってきます。5月27日の投稿では、帰宅してリヴィちゃんに熱烈なハグのお出迎えを受けている写真を公開。強めのハグで喉が締められるうえ、アタックのスピードが早すぎて、「恐怖と喜びのバランススゴいハグ」「#ハグ#頸動脈#窒息」とコメントしています。リヴィちゃん、そんなパワーで抱きつきたくなっちゃうほど、パパのことが大好きなんですね。淳さんもデレッデレの笑顔で感情がダダ漏れです!淳さんは日頃から、リヴィちゃんとのお人形遊びをしていることも頻繁に投稿。大事に飾っていたフィギュアもお人形遊びに駆り出されるそうで、「フィギュアは飾るものという概念」を壊されたのだそう。子どもっていつも、親に新しい発見をさせてくれますよね。苦しいほどのハグにデレッデレの田村淳さん 繊細な次女の寝かしつけもお手の物 淳さんいわく、「寝顔がママにソックリ」な次女ルヴィちゃんは「とても繊細ちゃん」なのだそうですが、そんな次女を寝かしつける様子もInstagramでは公開しています。その秘技は、まず抱っこして立った状態でユラユラ揺れ、次女が目を瞑って身体の力が抜けてもすぐにベッド寝かさずに、一度椅子に座るのがポイント。座ると少しグズりますが、背中をトントンして落ち着かせます。この座っている時の姿勢が大事で、「太ももが床と平行になる様に踵を上げた高さでないとぐずるのでこの高さをキープします^_^」というのが最重要ポイントです。淳さんが公開した寝かしつけのコツには、「うちも同じ!」と共感の声が。「踵上げた高さキープすごくわかります」「太もも水平の大事さ、とってもよくわかります」と、独特な姿勢に共感する親は多いようでした。寝かしつけあるあるなんですよね~。赤ちゃんの背中スイッチ、防げる?淳さんの次女はもうすぐ1歳ですが、低月齢の赤ちゃんだと「背中スイッチ」も「あるある」。赤ちゃんが寝たと思ったのに、ベッドや布団に寝かせようとした途端に起きて泣いてしまうアレです。寝かしつけでは、抱っこで入眠してから移動させるのではなく、「赤ちゃんが眠そうだけどまだ起きている」タイミングで布団やベビーベッドに寝かせるのがおすすめ。こうすることで、赤ちゃんは自分の力で寝付くことを覚えるのです。この方法なら背中スイッチで悩まされることもなくなるのではないでしょうか。すでに抱っこでの寝かしつけが習慣になっている場合は、眠ったことを確認してからさらに20分ほど抱っこを続けてから布団に降ろすようにすると、背中スイッチを防げるかもしれません。淳さんのやり方は、まさにこれなんですね。また、抱っこの姿勢から布団に降ろすときは、ゆっくりと体を離すこと。「布団に降ろす」「抱っこしていた人と赤ちゃんのお腹が離れる」「赤ちゃんの姿勢が変わる」という3つの刺激が同時にならないよう、そ~っと順番に体勢を変えることがポイントです。
2021年05月29日田村正和さんと妻の和枝さん「以前、和田誠さんが亡くなったときにね、いろいろなところからコメントを求められて、それがとてもつらかったんです。なので田村さんのことは、新聞で連載しているコラムでだけ、お伝えすることにしました。ごめんなさい」小雨降る中、わざわざ自転車を止めて言葉少なに語ってくれた脚本家・三谷幸喜。“田村さん”とは、言うまでもなく三谷脚本の人気ドラマ『古畑任三郎』シリーズでタッグを組んだ俳優・田村正和さんだ。5月18日、心不全のため亡くなっていたと公表された田村さん。名実ともに芸能界トップを走り続けてきた超大物俳優とは思えないほど、その最後はひっそりとしていた。「田村さんが都内の病院で息を引き取ったのは公表の1か月以上も前の4月3日。葬儀も近しい親族だけですませた、と」(スポーツ紙記者)■田村正和さんの“遺言”昭和を代表する銀幕スター“阪妻”こと阪東妻三郎の三男として生まれ、同じく俳優として活躍していた長兄の故・田村高廣さん、弟・田村亮とともに“田村3兄弟”と呼ばれた。『眠狂四郎』『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』『ニューヨーク恋物語』そして『古畑任三郎』……と、数々のドラマを大ヒットに導いた名優である。芸能界には親しい知人や友人、関係者も数えきれないほどいたに違いないが、遺族はその死を、冒頭の三谷を含め誰にも知らせなかった。「すべて、田村さんご本人の“もう、静かに消えていきたいんだ”という意向……遺言だったと聞きました。田村さんはもともと心臓に持病があって50歳を過ぎたころ、手術も受けたと聞いています。3年前のスペシャルドラマ出演を最後に事実上、引退して都内のご自宅で“悠々自適の生活を送っている”なんて報じられていたので、落ち着いていらっしゃるとばかり……」(別のスポーツ紙記者)松竹の専属映画俳優としてデビューした田村さんの1年後輩にあたる女優・中村晃子も突然の訃報に驚いたという。「ただ、正和ちゃんは昔から“達観”しているようなところがあって。“引き際”っていうのが、わかっていたのかもしれませんね……」田村さんは、当時から輝いて見えたという。「昭和の垢抜けない時代なのに、正和ちゃんだけは洗練されていて。きれいで礼儀正しくて紳士で……。真っ赤なスポーツカーに乗っていたんですが、それで家まで送ってくれたりね。一時は兄妹のように仕事で一緒だったけれど、共演しなくなってからは連絡も取らなくなって。最後にお会いしたのは覚えていないくらい昔です。年賀状やお中元、お歳暮のやりとりをいっさいしない方でしたから」■役のイメージを壊したくないがゆえに『古畑任三郎』で“犯人”として刑事・古畑と対峙した田中美佐子にとっても、田村さんは特別だった。「現場では、ジョークを言っては静かに笑っていたりもする田村さんですが、リハーサルでも本番でも1発OKでNGは見たことがありません。台本を持っている姿すら見たことがないんです。私は共演というだけで緊張してしまって、お芝居以外ではひと言もお話しできませんでした。田村さんに話しかけられるのは芝居のときだけ。普段は話しかけてはいけないって」トレンディードラマで主演を務めた女優をして、そう言わしめてしまうほど、田村さんは俳優という“生き方”に強いこだわりを持っていた。彼と公私にわたって付き合いがあった数少ないドラマ関係者のひとりが振り返る。「食事をしている姿を他人に絶対見せなかったというのは有名な話。撮影の合間でも、食事はいつも控室か宿泊先のホテルの部屋でひとりでとっていましたから。そういうところを周りに見せて“俳優・田村正和”のイメージや、あるいは役のイメージを壊したくないと考えていたんでしょう。世の中の人に、いいドラマを見てもらうためにね。“1シーンごとにその場で映像チェック”とか“撮影は朝8時から夜10時まで厳守”も同じ理由です」(ドラマ関係者、以下同)夜10時きっかりにスタジオを後にすると、まっすぐ自宅に帰ることが常だった。「だから“気難し屋”なんて誤解されたりしていましたけど、正和さんはむしろ話し好きで人好き。誰に対しても気さくでしたし冗談も言う。だから仕事帰りに飲みに行けるような親しい仲間はもちろんいたけれど、でも、そうしないんですね、正和さんは」■海外ロケにも和枝さんを連れてスタッフや共演者、誰からも愛される存在だったが、彼らを連れ歩いたりはせず、仕事が終わるとパッと自分から離れていく─。「オフもほとんど自宅で過ごしていたから、どんなに親しくても俳優仲間と会ったりすることはなかったんじゃないか。仕事に“私”を持ち込まないのが彼の美学でした」それは逆に“私生活に仕事を持ち込まない”ためでもあった。’70年に結婚し50年以上連れ添った妻・和枝さんとの時間を何よりも大切にしていたからだという。東京・銀座の紳士服店の社長令嬢であり、カナダの大学への留学経験もあった和枝さんは結婚以来、専業主婦として家事はもちろんひとり娘の子育てまで、すべてをひとりでこなし、田村さんを支え続けた。私生活を仕事場に持ち込まない田村さんが唯一、彼女のことだけはしばしば自慢していたという。「“ウチの奥さんは100点満点”って。『ニューヨーク恋物語』の撮影でニューヨークに滞在したときは、和枝さんを日本から呼んで3か月間向こうで暮らしたんですから。家族の目もマスコミの目も届かない海外での長期ロケとなれば普通は羽を伸ばしたくなるでしょ?そこに奥さんを呼ぶ俳優なんて正和さん以外いませんよ。それだけいつもそばにいてほしい存在だったんでしょうね、和枝さんが」その田村さんが1度だけ、こんな問いかけを和枝さんにしたことがあった。結婚して3年ほどたったころのこと。「当時は正和さんも20代半ばで若かったから夜遅くまで遊び回っていたんです。何せ周りが放っておかないからねぇ(苦笑)。それで和枝さんとケンカになって。“俺が浮気してないとは思ってないだろ?”と言ったそう。もちろん本当に浮気していたわけじゃなくて、ちょっとした意地悪だったんですが、和枝さんは笑いながら“するなって言ったって無理なんだから、それは考えないようにしているの”って。正和さんは、その日以来、飲み歩くのをピタッとやめたそうなんです」最愛の女性に見送られ田村さんは旅立った。比翼連理の誓いは昔も今も永遠に。
2021年05月25日4月3日に亡くなった俳優・田村正和さんを偲んで、田村さんの代表作「古畑任三郎」シリーズの第3弾が、5月24日(月)よりカンテレにて放送されることが決定した。「古畑任三郎ファイナル~ラスト・ダンス~」の放送に続き、今回急遽放送が決定したのは、1999年4月13日から放送された田村さんが古畑任三郎を演じる「古畑任三郎」シリーズ第3弾。古畑任三郎が犯人たちの難解なトリックを卓越した推理力で解いていく大人気ドラマシリーズは、毎話登場する犯人=豪華ゲストたちの対決が見どころとなっており、この第3弾では、真田広之、大地真央、津川雅彦、市村正親、福山雅治、江口洋介らが出演している。「古畑任三郎」(シリーズ第3弾)は5月24日(月)~6月7日(月)、15時45分~カンテレにて(関西ローカル)放送。(cinemacafe.net)
2021年05月21日俳優の田村正和さんが亡くなっていたと5月18日に発表された。77歳だった。数々の作品で名演を残してきた田村さん。その中でも’94年から放送され、10年以上続いた主演ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ)は代表作の一つと言えるだろう。「同作は、田村さん演じる警部補・古畑任三郎が巧みに犯行を解明していくというストーリー。田村さんの存在感はもちろんのこと、犯人を追い詰めていく展開やユーモラスなやりとりも人気の秘訣でした。また犯人役に中森明菜さん(55)や明石家さんまさん(65)、さらにSMAPといった豪華キャストが登場したことも話題に。第3シリーズまで放送され、視聴率20%以上は当たり前。最高で34.4%を記録しました」(テレビ局関係者)そんな同作の脚本を務めたのが三谷幸喜(59)だ。昨年に三谷が『朝日新聞』で寄稿した小説『一瞬の過ち』に、古畑任三郎が刑事役で登場。大きな反響を呼び、いまだ根強いファンがいることを証明した。「三谷さんの書いた脚本を見て、田村さんは古畑任三郎のイメージを膨らましていったそうです。そのため三谷さんは『古畑任三郎は僕と田村さんの共作だ』と話していました。名キャラクターを一緒に編み出してくれて、感謝しきりともいいます」(前出・テレビ局関係者)いっぽう、田村さんは三谷をリスペクトしていたという。「田村さんのマネージャーは当初、刑事ものに難色を示していました。ところが脚本を読んだ田村さんは、『これは面白い!ぜひやりたい』と即答したんです。撮影中も『よくこんな面白い本が書けるな』と感心しきりでした。また『三谷くんが僕の新しい魅力を引き出してくれた』と喜んでいましたね」(前出・テレビ局関係者)名作を作り上げた“同志”である2人。その絆は永遠だ。
2021年05月20日2021年4月3日に心不全のため亡くなった、俳優の田村正和さん。往年のスター俳優の訃報に多くの人が悲しみました。田村さんといえば、数々の名作ドラマに出演。中でも、刑事ドラマシリーズ『警部補・古畑任三郎』(フジテレビ系)は幅広い世代に大人気です。急きょ『古畑任三郎』再放送フジテレビは、追悼特別番組として『新春ドラマスペシャル古畑任三郎ファイナル』を2日間にわたって急きょ放送することを決定。『フェアな殺人者』前編を2021年5月20日、『フェアな殺人者』後編を同月21日、『ラスト・ダンス』を同日20時から放送します。『フェアな殺人者』は、元プロ野球選手のイチローさんが出演しており、『ラスト・ダンス』は俳優の松嶋菜々子さんが出演。『フェアな殺人者』は、瞬間最高視聴率29.6%、『ラスト・ダンス』は32.8%を出すほど注目が集まった作品です。田村さん演じる、古畑任三郎を目に焼き付けたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年05月20日