上機嫌で美月さんの面会に来た義父でしたが、看護師さんに面会拒否を言い渡されると、美月さんのことを「できない嫁」と卑下し始めました。好き勝手に語る義父の姿に看護師さんも我慢の限界がきて……。 看護師さんの迫力に… 看護師さんに怒られた義父は肩を落として病院をあとにしました。一方で、夫は美月さんの病室へ。そして、美月さんは分娩室で起こった義父のありえない行動を夫に話すことに……。 ◇◇◇ 義父の身勝手な言い分に痺れを切らした看護師さんは怒り爆発! 「少しは気づかってあげるのが、義父としてあなたにできることじゃないんですか!?」という、読み手の気持ちを代弁するような看護師さんの鋭い言葉に、スカッとさせられますね! 著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2021年10月24日■前回のあらすじ娘の呼吸器が取れました。まだ管はたくさんついているけれど、初めて娘を抱っこすることが出来ました!■娘のそばにいられない寂しさが襲うおそらく、この病院で私が一番重症だったので、ナースステーションの前の部屋にされたのですが、ナースステーションの隣が新生児預かり室だったので、赤ちゃんの泣き声を聞くのは相変わらず複雑な思いでした。■看護師さんの言葉に救われるおそらくこの時が一番どん底でした。余談ですが、この病院には赤ちゃんとお母さん両方を診る2週間検診というものがあり、みんな赤ちゃんを連れてきているのに、自分だけひとりだったので、その時もとても辛かったです。■そして退院の日…とても良い産院でした。看護も手厚く、たくさん寄り添ってもらいました。体重のお米は、特定を避けるためのフェイクです。似たようなお祝いの品をいただきました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月04日発熱の対処法に目からウロコ!息子1歳、初めての発熱。自分なりに対処してみましたが、不安で#8000に電話をしました。そこで看護師さんに教えてもらった対処法に、目からウロコが落ちた体験です。 私は「風邪のときは暖かく!」と思い込んでいました……。重症になる前に#8000に頼ってよかったです。とても丁寧に私に寄り添い、やさしく対応してくださったので、不安だった気持ちも落ち着きました。ささいなことで電話してもいいのかな? と迷ってしまう人もいると思いますが、育児はわからないことだらけ! 特に子どもが病気のときは、専門家に頼ってみるのもいいなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:きりぷちいろいろな壁を乗り越えて、37歳で一人息子を出産。 3歳の息子を育てるアラフォー夫婦です。 息子を通じて日々感じたことを忘れないよう、漫画にしています。
2021年06月20日痛みによる高熱や乾燥による出血など、術後からさまざまなことが続き、ずっと機嫌が悪い状態が続いていましたが、さらにくぴこの機嫌を悪くする問題が……。 それは……!? 体調が落ち着かず、シャワーに入れない日が続いたある日… ガーゼを使ってこまめに清拭をしていましたが、高熱が出ると汗がたくさん出て、さらに新陳代謝がよすぎて拭いても追いつかず……。もともと肌は強いほうでもないので、このままではかき壊してしまうのでは?! と思うほどに、首や背中がボロボロになっていきました。 そこで看護信さんに相談したところ、術後4日目にして沐浴を浴びることに。 すると、体の汚れと一緒にまるでつきものも落ちたようで、その後の夕食を1日ぶりにすべて完食すなど、様子がすっかり落ち着つきました。 そして、この日が不調のピークだったようで、少しずつ笑顔になる回数が増えていきました。 術後4日目にしてようやく穏やかな表情を見せてくれるようになった娘に、私も安心して心からうれしく思いました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO ★♡★♡ベビカレ夏のマンガ祭り★♡★♡マンガ家100人突破を記念して『べビカレ夏のマンガ祭り』開催中!大人気のマンガコンテンツを増量し、レギュラー連載に加え、新たにスペシャルゲスト24作品を配信♪ 無料でザクザク読めちゃう!ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年06月15日私には2人息子がいます。2人とも共通して幼児期に「ママ、おちんちんが痛い……」と言ってきたことがあり、むいてあげたほうがいいのか悩んだ経験があります。特に、長男に関しては私がママになって初めてのことでしたので、むくことが良いのか悩み、陰部が痛いと言われたときはドキッとしました。長男が陰部の痛みを引き起こした原因や、実際におこなってきた対処法などについてお話ししていきたいと思います。 長男が陰部が痛いと言ったのはいつから?私は3人の男の子を育てている姉から「男の子の陰部はむいて洗ってあげたほうがいいよ」と教えてもらい、長男が2歳ごろにむこうとしました。ですが長男はすごく痛がり、それを見た夫が「無理やりしたらダメだ! 自然に任せたほうがいいんだ」と怒ったため、私はむくのをやめることに。 しかし、長男が4歳ごろの暑さが続く夏だったと思いますが、陰部を気にしていると思ったら「ママ、なんか痛いんだよね……」と言ってきたのです。私は慌てて陰部を見ると、先の周囲が赤くただれていて、炎症を起こしていました。 陰部がただれた原因になったものは…私は感染などを起こしていては嫌だなと思い、小児科を受診しました。先生によると、洗い残しによる汚れや汗で蒸れることなどでただれてしまうこともあるとのこと。 長男の陰部をむいていないことが原因なのか先生に尋ねると、「炎症を起こすことを繰り返さなければ清潔にしてあげるだけで大丈夫じゃないかな」と言われ、抗生物質の軟膏を処方してもらいました。 陰部がただれないようにしたこと 長男の陰部のただれは抗生物質の軟膏ですぐに良くなりました。ですが、陰部は皮膚と皮膚が接触し、汗をかく部分なので繰り返すかもしれないと感じ、息子たち自身でも陰部を洗えるように、泡タイプのボディソープに変えて、手でやさしく洗うようにと教えました。 兄弟で陰部の形にやや違いがあり、次男は長男より陰部の皮部分のたるみやシワがあったので、たるんでいる部分を皮膚と皮膚がくっつかないところまでのばして、洗うように。また、長男はポリエステル100%の下着だと陰部を含め全体的に「チクチクする」と言って掻いてしまうため、綿100%か、綿が数%でも入っている素材の下着を選ぶようにしました。 息子たちの陰部をむくことは、本人たちが痛がるのでできませんでした。無理やりむかなくても、清潔にしてあげることで炎症を防ぐことができており、また、息子に陰部をきれいにすることを教えることで意識して洗えるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2021年06月13日妊娠初期の切迫流産、妊娠後期の妊娠高血圧症候群など妊娠中のトラブルを乗り越え、ようやく会えたわが子は、口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)ということが判明しました。周囲は私の産後のメンタルに気をつかい、さまざまな配慮をしてくれました。でも、そうだとわかりつつも、周囲のちょっとした言動が、私の心にはグサリと刺さりました。 なぜカーテン?出産当日は体を休めるため、私が赤ちゃんに授乳することはありませんでした。そのため、翌日から授乳がスタート。 娘が入院している新生児科の看護師さんと一緒に新生児室へ向かう途中、看護師さんからこんな質問がありました。「以前、口唇口蓋裂の子を持つ親御さんに、他の子と別室にしてほしいと言われてからカーテンを用意するようになったんです。どうされますか?」と。 この質問に、私は不要と答えました。そのときは、どうしてカーテンをする必要があるのかわからなかったのです。母の言葉で質問の意味を知るでも、面会にきていた母の言葉で、私はカーテンの質問の意味を理解しました。母は私に「写真を撮っても人に見せてはだめ」という言葉をかけてきたのです。「興味本位で見たり、心ない差別的な言葉をかける人もいるんだから」と。 たとえそれが、私や娘のことを思って言ったのだとしても、私はその言葉を理解するのに苦しみました。極めつけには「なんで羊水検査しなかったの?」という見当違いな問いかけに、この子を産んではいけなかった、と言われたように感じてしまったのです。 娘に会えてうれしいはずなのに…母の言葉を聞いてから、授乳の時間がとても苦痛になりました。他のお母さんたちは、みんなが同じ場所で並んで授乳。仲良くおしゃべりをしている人もいます。それにもかかわらず、私だけ少し離れた場所で、壁に向かって授乳しているのです。 カーテンはないものの、ひとりだけ孤立しているような状態。その状態に、私はひどく寂しい気持ちになってしまいました。 安心できたのは、やっぱり夫のひと言日に日に元気をなくしていく私。それを救ってくれたのは夫でした。「僕とみいちゃんのところなら、安心して生きられると思ったからきてくれたんだよ」。母に言われたひと言がグサリと胸に突き刺さっていた私に、温かい言葉をかけてくれました。 この先、娘は手術や通院以外にもつらい経験をしてしまうかもしれません。でも、私と夫のところなら大丈夫だと思ってくれたんだと、傷ついていた私にはその言葉がとてもうれしくてたまりませんでした。 身内の言葉というのは、自分自身のメンタルにとても大きく影響すると思っています。私の場合、理解者であってほしい実母からの言葉に一番傷ついてしまいました。でも、パートナーである夫がしっかりと支えてくれたため、沈んだ気持ちを持ち直すことができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:ライター いとう みい夫と娘、猫1匹と暮らすフリーの事務員兼デザイナー。娘は産後に口唇裂が判明。主に妊娠・出産・子育てや趣味のコレクション、ダイエットレシピについて執筆している。
2021年06月06日2人目までは、ハイハイが始まったときにテープタイプからパンツタイプのおむつに替えていました。ところが3人目が生後3カ月を迎えたころ、間違えてパンツタイプのおむつを購入してしまったのです……。返品することも考えましたが、うんちをしたのに家の中にはテープタイプがない。そこでパンツタイプのおむつを使ってみることにしました。意外と使えると感じた私の体験談を紹介します。 生後3カ月でもはかせやすい私の周りでは、パンツタイプのおむつに替えるタイミングは、寝返りやハイハイを始めて赤ちゃんがじっとしてくれなくなる生後6カ月ころの人が多いように感じます。しかし生後3カ月ごろでも、おむつを交換するときに静かに寝転がっているわけではなく、足をバタバタとさせじっとはしてくれません。 その状況でおむつを交換すると、テープタイプのおむつのテープを2つ留めるよりも、思いのほかパンツタイプのほうがはかせやすかったのです。 おなか回りがきつくならないわが子は生後3カ月ごろは母乳や育児用ミルクをたくさん飲み、よく横になっている時期でもありました。ほかの赤ちゃんより、おなか回りがかなり大きい印象も。泣いているとついつい慌ててテープをきつく留めてしまうことがあり、しかも、きつく留めてしまっていることに気づくのは、次におむつを交換するときでした。 その点、パンツタイプはサイズさえ間違えなければ、おなか回りがギャザーとなっているので、締めつけることはありませんでした。 横モレがない わが子は母乳を飲んだあとによく吐いていたので、すぐに寝転がらせずに縦抱きしたり、頭を起こした姿勢にしたりして寝かせていました。1日のほとんどをその姿勢で過ごしていましたが、うんちをするとき、あまりの量によく横モレすることも……。 水分量が多いうんちでは、テープの留め方を少し間違ったりすると横モレしやすくなりましたが、パンツタイプではジャストフィットするため、横モレも少なくなりました。 時期が早すぎるかなと思った、パンツタイプのおむつへの移行。育児のなかでは慌てる場面が多々あり、テープタイプでは締めつけ過ぎることもありました。購入間違いがきっかけでしたが、使ってみるとはかせやすく、おなか回りがきつくならず、横モレしづらいという3つのメリットがありました。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2021年06月05日不安な術後3日目を終えた深夜。隣で寝ている娘のいびきがあまりにも寝苦しそうだったので、看護師さんを呼んで吸引してもらうことに……。 手術3日目の夜、くぴこちゃんに異変が…! 娘の前歯が真っ赤になっていました! 固定具もしっかりついていたので、外した手で口を触った感じもなく、看護師さんと一緒に大慌て。 先生を呼んで、急きょみてもらったところ……!? 幸い今回手術した口蓋の手術部分からの出血ではなかったようで、ひとまず安心しましたが、思わぬ流血事だったので、このときは心底びっくりしました。 その後病室に戻り、くぴこを寝かしつけたあと、くぴこの眠るほうのベッド柵に枕(病院のもの)を置いてぶつからないようにし、桶やコップに水をなど、乾燥対策をおこないました。 ぶつける心配に関しては、動く気配がするたびに様子を確認し続け、ヒヤヒヤしながらも注意深くみていれば、問題ありませんでしたが……。 乾燥対策に関しては、電気を使う加湿器などは病院に持ち込めず。そのため、洗濯用に持参していた簡易物干しに、つるした濡れタオルを干していたのですが、3~4時間もするとすっかり乾いてしまうほど、なかなか難しく、退院するまで地道におこない続けました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年06月01日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第10話 判定待ちの話。 移植から判定までって、通院がなくて予定を入れやすい期間なのですが、最も気持ちが穏やかでない時間でもあって……。カフェインについて、別に妊娠してても1日にコーヒー1杯くらいは問題ないそうです。看護師さんに言われました。でも何となく避けてました。今は、カフェインレスコーヒーがどのチェーンにも当たり前に置いてあるようになりましたよねー。 妊娠判定待ちあるある。……妊活中ならみんなやりますよね、これ。 次回、判定日の話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月31日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第10話 判定待ちの話。 移植から判定までって、通院がなくて予定を入れやすい期間なのですが、最も気持ちが穏やかでない時間でもあって……。カフェインについて、別に妊娠してても1日にコーヒー1杯くらいは問題ないそうです。看護師さんに言われました。でも何となく避けてました。今は、カフェインレスコーヒーがどのチェーンにも当たり前に置いてあるようになりましたよねー。 妊娠判定待ちあるある。……妊活中ならみんなやりますよね、これ。 次回、判定日の話です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月31日私は5歳の男の子を育てています。夫の転勤のため、息子は保育園を退園して新たな幼稚園へ移ることになりました。以前の保育園にも異年齢との関わりはありましたが、少人数だったので常に先生の目があり、お友だちとの目立ったトラブルはあまり起きませんでした。 しかし、転園先の幼稚園は縦割り保育かつ大人数のクラス編成です。きょうだいがおらず、ひとりっ子の甘えん坊息子が、異年齢クラスに入ったことで精神的に成長していった様子をお伝えします。 少人数保育園から大人数幼稚園へ少人数保育は先生の目が届きやすく、より手厚い保育が受けられることがメリットだと言われています。フルタイムで働いていた私は、平日ゆっくりと息子に向き合う時間がなかったので、キメの細かい保育を期待して少人数保育園へ預けていました。その結果、息子の自主性は育まれ、とても探究心の強い子に育っていきました。 一方で、少人数のため大勢で協力して物事に取り組む機会がなく、かつひとりっ子の息子は協調性や他者への思いやりに欠けているのではと不安でした。そんなときに訪れたのが夫の転勤です。やはり不安は的中。集団行動が苦手な息子は、大人数幼稚園へ転園して間もなく、とても目立つ新入園児となります。 大人数保育で培われる協調性集団行動や協調性を重んじる大人数保育では、協調性のない子は先生の手がかかり、目立ってしまいます。入園当初、息子はあまりに協調性がなかったので、病気なのではと疑ったほどです。しかし、先生はもちろんお友だちからの注意もあり、徐々に集団行動ができるようになってきた息子。私の不安は次第に消えていきました。 そして、入園後半年以上が経過して参加した発表会。少人数保育園では大きな舞台で発表する機会がなく、初めて大勢の保護者を前に劇を演じる息子の姿を見て感動しました。こうしてお友だちと協力して何かに取り組み、周りの「空気を読み」、行動することが、協調性を身につけるうえで必要な手段だと学びました。 縦割り保育はひとりっ子にもってこい大人数幼稚園へ転園してからというもの、息子は毎日のように、年下のお友だちとおもちゃを取り合ったり、喧嘩をしたりしていたそうです。私は、やさしくしてあげようねと促しましたが、「(まだ言葉がじょうずでない年下のお友だちに)話してもわかってくれない」と話す息子。しかし日々の遊びのなかで、思いきっておもちゃを譲ってみたら、お友だちが泣かなかったこと、一緒に遊べばもっと楽しいことに自ら気づいたそうです。 いくら口で教えても経験に敵うものはありません。こうして自らトラブル解決法を学ぶと同時に、年下のお友だちのお手伝いもできるようになり、ひとりっ子の息子にとって縦割り保育はとても良い経験となりました。 ひとりっ子ゆえにマイペースな息子にとって、大規模保育の幼稚園へ転園したことは社会性を身につける良いチャンスでした。大勢のお友だちと接することで、頭で考えるだけでは身につかない自然な形で、思いやりや協調性を身につけることができました。「経験は財産」とはまさにその通りだと、まだ5歳の息子から日々学んでいます。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:川口ゆう5歳の男の子の母。看護師・保健師・助産師資格を取得。現在は夫の駐在のため、海外在住。自身の経験をもとに、育児・医療などをテーマに執筆している。
2021年05月29日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第7話 採卵日の朝。このときの採卵は朝イチに割り振られたので、早く起きなきゃいけなくて大変でした。男性側の採取は、病院でおこなうか、自宅でとってブツを女性が持ち込むか選べます。私たちは、仕事の都合もあり自宅にしました。……普通みんな、セルフで採るよね?初めての採卵、とにかく怖かったです……! 手術室に入って怖さMAXに。 「え? ここ、麻酔せずに自分の足で入るとこじゃないよね!?」って思いました!手術室に入ったときにシーンはあの恐怖を伝えようと思って、めっちゃ頑張って描きました。我ながらなかなかの再現度だと思ってます(笑)。初採卵の手術台では、びびりすぎて下半身が浮いちゃって、看護師さんにキレ気味に注意されたのを覚えています(笑)。無麻酔採卵について。この病院は細い針を使っており、かつ低刺激で一度に採れる卵子が少ないため、基本的に痛みはそれほどでもないという説明でした。でも採卵の痛みは、個人差があるようです。 漫画を描きながら他の人のブログを読みまくりましたが、痛い人は本当に痛いみたい。みんなが楽って話ではないです~!次回、採卵の結果発表です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月28日なぜかその音を聞くと、赤ちゃんがピタッと泣き止むという音がいくつかあるって知っていますか? 理由はまだはっきりしていないことが多いようですが、心地よく聞こえる音や興味をひく音があるのだとか。 そこで、今回はママ194名にわが子が泣き止む音を大調査。ぐずったらいつでも、どこでもサッと聞かせてあげられるよう、ベスト10を動画にしました。映像も一緒に見せてあげると、音とその物の関係が次第にわかるようになって楽しさも倍増! ちょっと大きい子には、この動画を使ってごっこ遊びも楽しめちゃいますよ。まずは試してみて、お気に入りの音を見つけてみてくださいね。 その音だけ繰り返し聞かせることができるよう、個々の音に分けたバージョンもご用意しました! みなさんのお子さんの反応をぜひコメントしてください。こんなアレンジが効いた!なども大歓迎です! 1位 ビニール袋の擦れる音 スーパーのビニール袋などのカシャカシャといった高めの音は赤ちゃんの耳に届きやすいため、興味を持つお子さんが多い音です。集中して聞いてくれるので、おむつ替え時にじっとせず替えにくいというときにもおすすめ。 2位 ドライヤー 普段生活の中で聞いている音は、人がそばにいる気配を感じられ安心に繋がる音と考えられます。胎内にいたときに聞いていたママの血流音や外から聞こえる生活音(胎内音)にも似ている点も安心感を覚えて泣き止む理由となっているよう。 3位 掃除機 2位のドライヤーと同じ、生活の中で聞いているノイズ音のため、安心する赤ちゃんが多いようです。こちらも胎内音に近く落ち着く音なので、小さな音で聞かせてあげると寝かしつけにも役立ちます。 4位 シャワー ザーッと低めの水が発するノイズ音も胎内にいるときに聞いていた音に近く、心地よく聞こえるのでしょう。夜の寝かしつけに聞かせているママもいるよう。 5位 ラジオのノイズ音 ラジオから流れるザーッとした低い音は胎内にいるときに聞いていた音に似ていると言われます。赤ちゃんが聞くとママのおなかの中にいるようで気持ちが安らぐのだと思われます。 6位 換気扇 ラジオのノイズ音と非常に近い感じの音。胎内にいた時に聞いていた音に近いと考えられます。リラックスするため、次第に眠りを誘われる赤ちゃんも多いようです。 7位 電車の走行音 ガタンゴトンと言った、少し低めの繰り返し音は赤ちゃんにとって、ちょっと落ち着く音のよう。音に合わせて体をゆらゆらしてあげるのも効果的。 8位 空気清浄機 ゴーッ、ザーッとした低い音も、胎内にいるときに聞いていたくぐもった音に近いので、赤ちゃんが聞くとママのおなかの中にいるような気持ちで安らぐと考えられます。 9位 ガラガラ ガラガラなどのちょっと高めのリズミカルな音は聞き取りやすい音。赤ちゃんが興味を持ってくれます。リズムに合わせてトントンするなどスキンシップを加えると効果アップ! 10位 おしりふきの袋 ガシャガシャという聞きなれない音に不思議な感じを覚えて、興味を持ちます。「何の音かな?」などとママが声をかけてあげるとより楽しい気分に! いかがでしたか? ぜひ試して、うちの子のお気に入りの音を見つけてみてくださいね。その他にも、ベスト10入りしませんでしたが、ペットボトルをつぶす音なども効果があるようでした。うちの子にはこの音が効いた!というのがあればぜひ教えてくださいね。 監修者:助産師 杏林大学保健学部看護学科助産師課程准教授 加藤 千晶1982年名古屋市立大学看護学校第1科卒業、1983年東京大学医学部附属助産婦学校修了。助産師として大学病院で約10年勤務。その間、自分も妊娠・出産・育児を経験する。その後、横浜市立大学、東邦大学等で看護師・助産師教育に携わり、学生と共に妊産褥婦に関わり、女性と赤ちゃんの中で仕事を続けてきた。2009年医療法人産育会堀病院にて年間2500件以上の出産の場の看護部長として臨床での管理者を経験し、2015から杏林大学保健学部看護学科にて助産師課程准教授をしている。
2021年05月25日んぎぃちゃんが1歳4カ月のころ、デルモイドシスト(※1)の手術を受けるため、入院したときのお話です。無事に手術が終わったんぎぃちゃん。手術後はスヤスヤと眠っていたものの、看護師さんに起こされるとびっくりしてしまい、泣きながら大暴れ……! とてもストレッチャーに乗っていられる状況ではなかったので、パパが抱っこして病室へ移動します。 大暴れ&大泣き! 抱っこされて病室へ戻ることに…… ストレッチャーなら付属の棒に点滴をつるしていられたのだが、抱っこだとそうはいかないため、部屋につくまでのその間、点滴を高く上げなければならない。 結構距離があるため、ママの腕はめちゃくちゃつらかった。 「ヒャァ~~~~!!! 」みたいな初めての声で泣くんぎぃちゃん。 相当パニックなようだ。怖かったね……。 ごめんね、よく頑張ったね……!!! (※1)別名、類皮嚢胞(るいひのうほう)。良性の腫瘍で様々な部位にできます。皮膚、汗腺、脂腺、毛などを含む腫瘍で円形、楕円形、のう胞様、円盤型等の形を呈します。治療は外科的に摘除することで、MRI検査などで診断されますが、最終的には摘出した組織の病理検査が必要です。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年05月22日ひとつ年下の彼と、お付き合いと同時に半同棲生活がスタート。「付き合ってすぐだけど、子どもができたら結婚のきっかけになるね」なんて、軽い気持ちで話していたのですが……。 転職を控えた大事な時期にまさかの妊娠28歳のとき、ひとつ年下の彼と知り合い、出会って半年でお付き合い。お互いひとり暮らしで家も近く、すぐに私の家で半同棲が始まりました。付き合いが始まった当初から2人とも結婚を意識していて、「子どもができたら結婚のきっかけになるね」なんて話していたのです。 そんな矢先、なんと本当に妊娠が判明! 付き合い始めてまだ3カ月半のころでした。彼に伝えると驚いていましたが、すぐに「結婚しよう」と言ってくれて……。 彼の言葉はうれしかったのですが、私は素直に喜べませんでした。実は、私は看護師をしており、2週間後に迫った新年度から転職する予定だったので、妊娠したまま、新たな職場で働くことができるのか?と仕事に対する不安が大きかったのです。 案の定、転職先に妊娠を伝えたところ、内定を取り消されてしまいました。 彼のだらしない一面を見て出産・結婚に悩む日々当時の私は「彼との子どもは産みたい。でも、産めばしばらく働けなくなるし、金銭的にも厳しいのでは……」と不安に駆られて泣き暮らす日々。 一方、彼は「頑張るから!」の一点張りで、出産しないという選択肢は、彼の中にはありませんでした。その熱意に押されて私も出産を決意しましたが、ちょうど新型コロナがはやり始めた時期。飲食店で働いていた彼の報酬は、妊娠がわかってから満額支払われたのは2カ月ほどで、あとは半分以下、もしくは報酬未払いという状況でした。 しかも、同棲後に彼が税金と年金を滞納していたことも発覚! 彼はすぐに支払わなくてもなんとかなると考えていたようですが、そんなことあるわけがありません。結局、貯金がほとんどない彼に代わって、私が自分の貯金から支払いました。 一緒に生活をするにつれ、わかってきた彼のだらしない一面、家計の厳しさ。「このまま結婚してもうまくいかないのでは?」「子どもを産むとしても、実家に帰ってひとりで出産したほうがいいのも」とまで考えました。 彼のやさしい一面も見えた同棲生活でも、その半面、同棲したことで、彼のやさしいところもたくさん知ることもできていたのです。 つわりがつらくて家事ができなくても、「子どもを守ってくれるだけで十分だよ」と言い、文句ひとつこぼしません。仕事から帰ってきたらごはんを作ってくれたり、私が起き上がったり、歩くときは手を差し出して支えてくれます。 私は、彼のだらしないところ、彼のやさしいところなどを全部知った上で、「このまま結婚するわけにはいかない、彼とちゃんと話し合わないと破綻する」と思い、意を決して、彼の収入だけでは金銭的に厳しいこと、このだらしなさが今後も続くのではと不安に思っていることを、正直に伝えることにしました。 すると彼は「自分がこれまで、どれだけ適当に生きてきたかを思い知った。これからは、家族を支えるためにしっかりするから! だから、結婚してほしい」と言ってくれ、心を入れ替える決心もしてくれました。 正直なところ、彼の言葉だけで不安がぬぐえたわけではありません。でも、私も彼を好きだという気持ちは大きかったので、彼の言葉と自分の気持ちを信じて、結婚しました。 結果的に、私たちは今はうまくいっていますが、安易に「妊娠したら結婚」と考えるべきではなかったなと、今更ながらに思います。お互いのことをよく知り、先のことを見据えて行動していれば、もっと穏やかな気持ちで妊娠期間を過ごせたはずです。 その後、私はかわいい男の子を出産。飲食業界に勤めていた彼は、コロナ禍で一度は失業したものの、アルバイトとして働き始めた新しい職場で頑張りが認められ、近々正社員として登用してもらえるようです。 私も子どもがもう少し大きくなったら看護師として復職する予定。慎ましい生活は続きますが、素直に妊娠を喜んであげられなかった分、これからは子どものことを第一に考えながら、子煩悩でやさしいパパと3人で楽しい家庭を築いていきたいです。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 文/寺山ちひろさん
2021年05月20日点滴ははずれましたが、固定具については基本的に入院中はつけているよう指示されていました。特に夜は無意識に手を口に持っていってしまい、思わぬ事故につながる危険が高くなります。 そこで、今回も前回の口唇手術のときに活用した医療用テープを使い、服の裾に固定具をしっかり固定することに。 術後直後は抱っこした状態で寝かしつけていたので、固定具が取れることをあまり気にすることもなかったのですが、術後2日目の夜は熱も出ず、点滴の心配もなくなったので、消灯時間に合わせてベットにくぴこを寝かしつけました。 固定具をつけるよう、医師から指示されたものの… 様子が気になり深夜に目を覚ますと、つけたはずの固定具が両腕とも取れていました!! もう一度固定具を付け直すために、ぐっすりねむっている娘を起こさないように気を付けながら、今度はもう少し多めにテープを貼って固定します。次に看護師さんの見回りで目を覚ますと……。 また両腕とも固定具がはずれていました! 一体どうやって取っているのかわからず、テープを付け直しますが、また外れて今度は気づかず思わぬ事故を招いてしまったらと思うと、そればかりが気になるように……。 心配から結局明け方4時に看護師さんが見回りに来てくれるまで起きて見張ることに。 その際看護師さんに「2~3時間おきに見回りにくるのでそのとき外れていたらつけておきますよ」と言っていただいたのでようやく横になることができました。 起きているときは言うことを聞き、固定具を外さないでくれていたのでよかったのですが、夜になると無意識に取ってしまいます。 前回成功したテープで固定作戦も点滴が取れたこと事に加えて、去年よりも腕が伸びて手首を自由に動かせるようになったたためか、簡単に外してしまうので、この就寝時間の固定具の心配は退院するまで続きました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年05月18日出産予定日から4日が過ぎたころ、初産だった私は多少の焦りを感じつつも妊婦健診に向かっていました。向かっているときも生まれそうな予兆はなく、帰ったら何食べようかな?と妊婦健診の後のことばかり考えていました。 モニター中の不自然な心音内診を終え、先生から「子宮口がまだ2cmだからもう少しかかりそうだね〜。いっぱい歩こうか!」と言われ、そのままNST室で赤ちゃんの心拍を測っていると、たまに心拍が抜けていることに気付きました。近くで聞いていた看護師さんも気付いてすぐに先生を呼びに行き、しばらくすると先生や看護師さんたちが集まってきました。 もう一度先生に診察をしてもらい先生から「お母さん、おなか痛くない? これたぶん陣痛だよ! あと、少し赤ちゃんの心拍が弱ってるからこのまま入院ね!」と言われ、そのまま即入院。突然のことに驚きながら、不安はありつつも陣痛室に入りました。 破水しても子宮口が開かない…お昼ごはんを食べていなかったので夫に買って持ってきてもらい、体力をつけようとサンドイッチやカップケーキなどおなかいっぱい食べました。そしてのちに痛い目を見るとも知らない私は、「よし! 頑張るぞ!」と気合いを入れていました。そのときの痛みは生理痛ほどで、会話もまだ余裕。 陣痛室に入ってから1時間ほど経ったころ、ポン!と音がして温かい水が股から出てきました。自分でも意外だったのですが、冷静にナースコールで「破水しました!」と伝えて先生に子宮口の開きを診てもらってもまだ3cm。このときはまだ重めの生理痛程度。ここから5分後には何も話せないほどの陣痛の痛みになりました。それから陣痛の間隔が3分間隔になっても、子宮口は4cmしか開いていませんでした。 赤ちゃんの心拍が下がり始めるあまりの急激な痛みにうまく呼吸ができず、赤ちゃんの心拍が下がり始めてしまいました。助産師さんに酸素マスクをつけてもらいましたが赤ちゃんの心拍が戻らず、「切ろうか」と先生に言われ唖然。「まだもう少し頑張ります」と半泣きになりながら伝え、呼吸を整えながら痛みを逃していました。 しかしあまりの痛みに、先ほどおなかいっぱい食べた昼食を嘔吐し、体力もかなり消耗していたため、先生から「これ以上は赤ちゃんが危険になる」と言われ、私は帝王切開での出産を決意しました。 手術開始から15分程で出産手術の決意をしたものの2分間隔で陣痛がきていました。「陣痛きても動かないでね!」と言われながら麻酔の処置をなんとか耐え抜き、だんだんと陣痛も和らいできました。 麻酔は下半身のみなのでおなかを切られていじられている感覚はありましたが、痛みは一切ありませんでした。そして、手術開始から15分で無事に娘を出産することができました。 まさか自分が緊急帝王切開になるとは思ってもいませんでした。術後翌日は傷が痛み、寝返りを打つのもつらくて泣きそうでした。しかし3日ほどで歩けるようになるまで回復しました! 何より、無事に娘の顔を見られて本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:桜田 かのん1歳女児のママであり、元保育士。現在2人目を妊娠中。離乳食コーディネーターの資格を取得し、保育士の経験も生かしながら自身の体験談を執筆している。
2021年05月15日Youtube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は25.5万人でママたちの間でも話題になっています。今日は、なぜHISAKOさんが12人のお子さんを産んだのかをお話しする動画をご紹介! どうして12人も子どもを産もうと思ったの? 元々子どもがめっちゃ好きというHISAKOさん。看護師として小児科病棟で働いているときには、入院している子どもたちの隊長として、子どもたちの先頭に立って採血などに連れて行っていたそう。そんな経験と元々の体育会系の性格から、「みんな3人くらい子ども産むんだったら、私は5人くらいいける!」と思っていたそう。 でも実際は、第一子は産んでから可愛いと思うまでには時間がかかったそうです。助産師という仕事をしていたからか、赤ちゃんを仕事の対象としか思えず、「なんで家に帰ってもおむつ変えたり、授乳したり仕事みたいなことをしてるんだろう」と半年くらいは思っていたそう。しかも、出産には58時間もかかるほど難産だったそうです。 ここで「2人目は大変そうだからやめておこう」とならないのがHISAKOさんのすごいところ。「こんなに大変な出産はなかなかないわ、ってことは、第二子産めるわぁ」と思ったそうです。しかも、予言かのように第二子はたった3時間で生まれたというから驚き。そして、第二子を産んだ直後に「あ、3人目いけるわー」って思ったそうです。 こうして年子で3人の子どもを育てるようになったHISAKOさん。その後、体調が崩れて4人目はなかなか授からず、4人目の不妊治療をしようと思ったそうです。 1人目でも4人目でも関係ない! 不妊治療に行った際に先生に「なんで4人目が欲しいの?」と聞かれて、「子どもが欲しいっていう気持ちは1人目でも4人目でも、数とか関係ないんす。ただ欲しいっていうそれだけなんです」と熱く語ったというHISAKOさん。 そのときは、子宮卵管造影と通水検査をして、無事に4人目を妊娠・出産することになりました。その後、5人目を出産し、目標は達成。1人目からの5年間は専業主婦だったこともあり、5人子どもを産んだあとはまた助産師として病院に復帰をしようと思っていたそうです。 しかし、実際に自分が子どもを5人産んで育てて、出産後退院するときのママたちの不安な気持ちや、子どもが1歳になるまで疑問なことだらけなのに聞く人がいない孤独感などを知って、「子育て中のママってめっちゃしんどい」ということに気づいたそう。 そして、そんな産後のママに寄り添うことができるのは、5人子どもを産んで育てている自分だからこそできるんじゃないかと思いました。そこで、いずれ開業することを考え、地域の母子訪問などから復帰を開始したそうです。 3年半後に妊娠した6人目、そして後半チーム! 5人の子育てと助産師としての仕事に追われる中、頭をかすめた6人目。「仕事もしないといけない。でも、子どもも…」そんなことを思いつつ3年半が過ぎたある日、妊娠が判明。そして、6人目出産したあとHISAKOさんはこんな気持ちになったそう。 「ポツンと離れて6人目やったんですよ。なんか6人目ちゃんがひとりっ子みたいに思えて、すごいかわいそうに思えてきて」 「あかんわ、後半チーム!」って思いました。 すごいです! この前向きな姿勢! そして、実際に6人目をきっかけに7人目、8人目を出産。こうなったらと後半チームを完成すべく9人目、10人目まで出産します。このとき、年齢も40歳になっていたこともあり、さすがのHISAKOさんも10人目で本当に終わりにしようと考えたそうです。 ところが、10人目を産んだあとにまさかの離婚。 さて、このあと12人目を産むことになる経緯は、ぜひ動画を見てみてください。40分の長編動画でありながら、150万回再生以上なのは、見た人みんなが圧倒されるHISAKOさんのパワーがあるからこそ。 HISAKOさんの軽快な関西弁トークはおもしろく、後半少し泣ける話も出てきます。44歳で12人目の不妊治療をスタートするきっかけなども見応えあります!妊娠中のママも産後のママもみんなが共感や尊敬できる部分があると思うので、ぜひチェックしてみてくださいね。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年05月11日フランスの田舎で、2歳近くになる息子に日本語教育をしている私。田舎なので日本語学校もなければ日本人コミュニティもなく日本語の環境はゼロ、夫もフランス人なので日本語環境を与えられるのはママの私しかいません。そんな私が自宅でおこなっている異国語教育を紹介します。 家でも外でも日本語周りはフランス語のなか、私は息子が生まれてからもうすぐ2歳になる今まで100%日本語で話しかけるようにしています。夫との会話はフランス語ですが、私が息子に話しかけるときは夫との会話を日本語に訳して伝えています。私たち親子が外で日本語を使うときは、周りのフランス人から不思議そうに見られたり、「何語なの?」と聞かれたりすることも。 そんなときは「バイリンガルで育てている」ことを説明するようにしたら、変な目で見られることもなくなりました。息子は私と常に一緒にいるためか、フランス語より日本語のほうを理解しているようです。 日本の絵本や音楽に触れさせるフランスでは3歳から義務教育で学校に通うことになるため、学校に通えば友達ができてフランス語が優勢になると考えた私。家にいる間、せめて3歳までは家の中では100%日本語環境を作ることにしました。 日本の家族から絵本や子ども向けの音楽を送ってもらい、YouTubeで日本昔ばなしなどを聞かせています。毎日のように日本の絵本を読んでいるためか、今は「かさじぞう」が息子の一番のお気に入り。日本の童謡をかけると息子はよく笑って踊っています。 日本の文化に触れさせる息子はまだ小さくて理解できているかわかりませんが、日本の季節行事は家で必ずおこなうようにしています。例えば、お正月には着物を着ておせちを食べたり、七夕には浴衣を着て笹に短冊を飾ったり。フランスなので日本の材料が手に入りにくいのですが、代用品を使ったり、日本から材料を送ってもらったりしています。 私が着物を着ると、私の珍しい姿に息子は「何を着ているの?」と言わんばかりに興味津々! 日本行事を家でおこなうことで、息子が日本に興味を持ってくれたらと期待しています。 2カ国語が当たり前の息子夫は日本語が話せないので、息子にはフランス語で話しかける毎日。最初のうちは日本語にしか反応しなかった息子は、最近フランス語も理解し始め、夫の問いかけに「うん」と答えるようになりました。 夫はフランス語を理解し始めた息子に喜び、今ではよく話しかけています。息子にとってはママは日本語、パパはフランス語が当たり前なので、不思議がる様子もなく過ごしています。 私の場合「子どもに日本語を教えたい」という気持ちが強く、無理のない範囲で日本語教育を試してきました。私自身あきらめずに続けていると、息子にも変化が見られることがわかったのです。日本語環境ゼロの異国でも、家庭でバイリンガルを育てられると信じて、これからも夫婦で協力しながら続けていこうと思います。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月04日上の子が1歳7カ月のときに2人目妊娠が判明した私。妹から「5歳の娘が赤ちゃん返りをして2人目の産後は大変だった!」という話を聞いて、さっそく妊娠中から上の子の赤ちゃん返りを防ぐために行動しました。しかし、なかなか思うようにはいかず……。私の体験談を紹介します。 妊娠中から慣れさせる!姪の壮絶な赤ちゃん返りを横目に、私は「赤ちゃん返りって大変だな。上の子にはそうなってほしくない!」と、子どもが赤ちゃん返りをしなかった友人たちの経験談を聞くことにしました。すると、「妊娠中からが大事。おなかが大きくなってきたら赤ちゃんの存在を上の子に教えてあげることが必要」と助言をもらいました。 私はまさか妊娠中から予防をするとは思っていなくて、「上の子がまだ2歳にもなっていないのにわかるのかな……」と半信半疑で始めてみることにしました。 おこなったこと早速、妊娠5カ月ごろから友人たちが助言してくれた内容を試しました。その内容は上の子に、「おなかをよしよししてもらう」「おなかに声をかけてもらったり耳をあててもらう」こと。 まだ小さい上の子にどこまで理解できるかわかりませんでしたが、毎日続けることにしました。すると、継続して3日目あたりから上の子が私のおなかをよしよしし始めたのです! 思いがけない上の子の反応に「これはいける!」と確信しました。 あれ? うまくいかない…その後も私は上の子と一緒に毎日「おなかに話しかけること」を続けることにしました。しかし、上の子は成長するにつれておなかの赤ちゃんのことよりも「本読んで! これやって!」と訴えることが増えてきたのです。私自身もおなかが大きくなり、毎日の家事や育児、仕事でヘトヘトに。 気づけばおなかに話しかける時間もないまま就寝、という日が続きました。「なんか思うようにいかないな」と感じていますが、「無理せずできる範囲でやればいい」と、今では自分たちのペースでおこなおうと思っています。 友人たちの助言のもと、「よし! 上の子に赤ちゃんの存在を理解させよう!」と意気込んでいた私。しかし、上の子も成長して自我も強くなるし、私自身も妊娠後期に入ってくると体調に変化があり、なかなか思うようにいかないことがわかりました。それでも、ちょっと空いた時間に上の子と楽しみながら続けられたらなと思っています。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月02日■前回のあらすじ陣痛時のマッサージで「ハァハァ」と疲労する夫。私の方が辛いのに…と怒りが込み上げてしまいました。もうすぐ、もうすぐ産まれます。「ウワァァアアアア」と叫ぶと少し楽になるも、と思ったのですが、それは「いきみ」になるようで「まだしちゃダメ!」と怒られました。でも声が出ちゃうんですよね。次回に続く(全10話)「助産師私が産んでみた!~第1子出産編~」は毎日12時更新!この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年05月01日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。夫に内緒で検査を行うと、「単角単頚」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形だと発覚。果たして、妊娠は叶う……!?新たな不妊専門クリニックへ、医師の言葉が励みに考え方を変えれば、妊娠の可能性がゼロではないということでもあった。きっと今の医療の技術でなんとかなる。妊活に非協力だった夫は、検査結果を聞いて「これからはやれることは一緒に頑張ろう」と協力を誓ってくれた。 新たに職場近くの不妊治療専門のクリニックへ通うことになった。最初の受診から紹介を繰り返し、5軒目にたどり着いたクリニックだった。そこで出会った50代の女性医師は「まだまだよ!」と明るく励ましてくれた。 「これまでの検査結果がすべてじゃないから。あせらないで。一般的な治療を始めるわよ」と。 その明るさがうれしかった。「先生との相性がいい!ここは当たりかも!」と直感した。この医師との出会いが、うつむきがちだった夏美さんの考え方を変えてくれた。 夫がすぐには検査を承諾してくれず……治療を始めるにあたって、夫の検査が必要になった。夏美さんが住む東京都では、不妊検査や治療にかかる費用の一部に対し、助成金が出る(対象者のみ。詳しくは「東京都福祉保健局」へ)。夏美さん夫妻の場合、夫も検査を受ければ約5万円の助成金が出る。夫は子作りに協力するとは言ったものの、いざ自分の検査となると、なかなか一歩が踏み出せない。「1週間考えさせてくれ」 夫なりに考えた末、検査を受けることを決断。夫側に問題はなかった。 医師と夫の言葉で吹っ切れた未来像でもすぐには授からない。わかってはいたが、現実を目の当たりすると落ち込む。夫に泣きすがると、非協力的だと思っていた夫から思いもしなかった心のうちを聞いた。 「俺は子どもが欲しくて夏美と結婚したんじゃなくて、夏美と一緒にいたいから結婚した。最終的に子どもができなくても俺は良いけど、夏美が子どもを望むなら一緒に病院に行こう」 はっとさせられた。子どもが欲しくて、頭がいっぱいになっていた。 「そっか。この人と結婚したいから結婚したんだったよな。このまま2人の生活もいいな」と素直に思えた。 医師の明るい励ましと、夫の言葉のおかげで、夏美さんは吹っ切れるようになった。荒んでいた心はポジティブに。「このまま2人暮らしなら、豪華な旅行も行けるかも」と新たな未来を思い描けるようになった。 休日は2人で鎌倉の海へドライブに行き、神社を巡っては2人の幸せな未来を願った。でも諦めたわけではなかった。「最後の1回」という条件付きで、子授けで有名な神社で祈祷してもらったり、ネットで調べた真偽不明のおまじないをこっそり試したり。 でも、どんな生き方になっても、行く先の道には明るい未来が待っている気がした。奇跡の妊娠で医師や看護師も拍手、無事に出産そろそろ人工授精も視野に入れていた矢先のこと。生理が3週間来ていないことに気づいた。強めの花粉症の薬を飲んでいたので、そのせいだと思っていた。一本だけ残っていた検査薬を試すと、陽性反応が出た。 「びっくりして家で思わず叫んじゃいました。すぐに検査薬を、スマホで写真を撮って、夫や母に送っちゃいました」 クリニックで調べてもらうと、既に胎嚢が確認できた。 「先生も看護師さんたちも、拍手して喜んでくれたんです。本当にうれしくてうれしくて。しばらくにやにやが止まりませんでした」 その後、大学病院に転院。子宮が小さいことから懸念されていた妊娠経過も順調だった。小さかった子宮は一般の妊婦と同じように膨らみ、立派に命を育んだ。 2020年11月、逆子による予定帝王切開で、約2,600グラムの元気な女の子を出産。産後も順調に過ごしている。妊活から2カ月で不妊の検査と治療を開始し、治療から4カ月で授かった夏美さん。 「私の場合は、早めに検査して本当によかったです。それからいい先生との出会いも大きかった。夫の言葉で気持ちを前向きに切り替えられたことも良かったと思います」と振り返る。 現在、生後4カ月のわが子の寝顔に癒される日々を送っている。 「すやすや気持ちよさそうに眠ってる顔を見ていると、力が湧いてきます。育児が大変でもがんばれるなって。2人目も授かったらうれしいけど、あせらないでやっていこうかな」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月30日術後すぐに、口から食事を取ることができたくぴこにホッと胸をなでおろし、少し安心していました。 くぴこはぐったりしてはいるものの、横になって大人しく持参したDVDを見ています。 このまま順調に良くなってほしい……! そう思っていましたが……。 唾液が多く、喉にからまる痰(分泌液)がからまりむせてしまい、看護師さんにより吸引してもらうと大泣きして大暴れ。その後、興奮と痛みにより40度の高熱が出てしまい、泣き暴れるたびにどんどんぐったりしていきました。 高熱のため坐薬を処方してもらい、寝かしつけようとしましたが、横にすると怖かったことを思い出してしまうようで、熱も手伝って目をつぶってもうなされっぱなしでうまく寝られない様子でした。 抱っこひもで抱っこしていると少し落ち着くことがわかり、その恐怖が和らぐならと娘が完全に寝付くまで抱っこしながら、そのまま手術初日を終えました。 2013年生まれの長女くぴこは「口唇口蓋裂」ちゃん! この記事が、口唇口蓋裂についての理解につながり、ひとりでも多くの親御さんの励みになりますように。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO著者:イラストレーター じぇにこ1986年生まれ愛知県在住。 2013年生まれの長女と2017年生まれの次女、二児の母。デザイン学校卒業後、社会人経験を経てお絵かき主婦へ。 口唇口蓋裂や夫婦のこと、日々の育児で翻弄される様子を絵日記ブログで公開中!
2021年04月27日2人目妊娠中の私は、毎日1歳10カ月の長男の子育てに奮闘中。だんだんおなかが大きくなっていくにつれ、15kg近い長男を抱っこするとおなかが張るようになってしまい、長男を抱っこすることを極力避けるようになりました。「抱っこして!」と懇願する長男を横目に、私はいろいろな方法を考えるのですが……。そんな私の体験談です。 幼い長男の訴えに…幼い長男はまだまだママに甘えたい盛り。自我も芽生えて、「本を読んで!」「一緒に遊んで!」「抱っこして!」とまだじょうずに喋れないながらも自己主張は強く、2人目妊娠中の私は家事・仕事をしながら長男の希望に応えることに必死です。特につらいのが「長男を抱っこすること」。 ママのおなかに赤ちゃんがいることがまだ理解できない長男は、「今までいっぱい抱っこしてくれたのに。なんでもう抱っこしてくれないの?」と言わんばかりに泣いて訴えてきます。そんななか、私は長男の気を紛らわせる方法を考えました。 「抱っこがいい!」「抱っこできないなら私がしゃがめばいい」と気づいた私は、積極的に長男とハグをしました。しかし、機嫌が良いときは長男も喜んでいましたが、ぐずったときや機嫌が悪いときはハグでは物足りないようで抱っこを求めてきます。おもちゃをすすめたり本を読んだりして長男の気を紛らわそうともしましたが、長くは続かず……。 ある日、私が床に落ちた物を取ろうとしてしゃがんだとき、長男が私の背中に抱き着いて一生懸命私のにおいを嗅いでいたのです。私は心の中で「寂しいのかな? いっぱい抱っこしてあげられなくてごめんね」と悲しくなりました。 夫に助けを求める夫に長男の様子と私の体調を相談すると、「君はおなかが大きいからしょうがないよ。僕がいるときは僕が積極的に長男を抱っこするようにしてみよう」と提案してくれました。早速、夫が出かける前や帰宅後、一番に長男を抱っこして、寝る前も抱っこしながら歌を歌ったりしました。 私も本を読むときはソファに長男と一緒に座り、スキンシップを取るようにしていきました。すると、常に抱っこを求めていた長男の求める回数が減ってきたのです! 私は「周りに助けてもらうこと」「抱っこに限らなくてもできることがあること」に気づきました。 まだ幼い長男をいっぱい抱っこしてあげたいのに、長男の欲求に応えてあげられない私の体調と私の態度で寂しそうにしている長男を見るのはつらかったです。しかし、私の代わりに家族に長男を抱っこしてもらったり、私も時間を作ってゆっくり長男と遊んだりスキンシップを増やしたりすることで、長男の寂しさは軽減されたのかなと信じて続けていこうと思います。 監修/助産師REIKO作画/うちここ著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年04月26日私には息子が2人おり、長男は12歳で次男は8歳です。次男が小学校にあがり、育児もラクになったので、3人目の計画をたてて授かったのは念願の女の子。兄たちは日ごろから掃除や炊事を手伝ってくれたので、妹が生まれてからも面倒をみてくれたり頼りがいがあるかなと期待しつつ、3人目は心穏やかに育児できる予定でしたが……。この歳の差でも私が育児にイライラしてしまったことをお話ししていきます。 新生児のころはまだ序の口娘を出産したのは兄たちが約1カ月の冬休みに入ったときだったため、実家で冬休み終了までお世話になることに。実家での上げ膳据え膳で、私は徐々に体力を回復。といっても出産時は37歳で、20代で産んだときよりも回復は遅いように感じました。 娘が生後2週くらいまでは、娘が寝ている間に自分のことや兄たちの学習を見る時間を作れていました。生後3週になったころから日中にグズって抱っこしたりする時間が多くなり、さらには毎日出ていた排便が綿棒浣腸をしても出なくなってしまって小児科へ受診したりと、徐々に娘に手がかかり始めました。 ですがグズったり、便秘は兄たちで経験済みで、私の不安は眠気くらい。まだ心に余裕をもって子育てできていたのです。 生後1カ月からつらいと思うことが増えて自宅に帰宅すると、娘の睡眠時間が3時間から2時間へと減り、そのうちの1時間は抱っこ……。生活音や兄たちの声ですぐ起きて泣いてしまうので、家事をする時間に余裕を持てなくなっていきました。生後1カ月までは兄たちも妹を抱っこしてくれ、炊事の間はあやしてくれましたが、ギャン泣きして泣きやまない妹を抱っこするのがつらくなり、「ママが抱っこしてあげて!」と言うように……。夫も「生後1カ月なのにこんなに泣いたっけ?」とぼやくほどでした。 娘と兄たちとの育児の違いに苦しむように兄たちの乳児期を振り返ると、人見知りが始まった生後5カ月あたりに私は夜泣きで苦労しましたが、生後1~2カ月での苦労は少なかったかもしれません。また授乳に関しても違いがあり、兄たちは母乳を飲んで3時間寝るという感じでしたが、娘は吸う力が弱く授乳回数が11~13回と多めで、常に抱っこで腰と足に負担がかかり……。女の子はラクだという人もいますが、まったくそう思えない私です。 大変なのは娘の育児だけではなかった思っていたよりも娘に手がかかるなか、兄たちの体調不良で学校からお迎えの連絡があったり、家庭学習をみることに加えて、長男の中学入学前の説明会や制服等の準備や卒業式に向けての親子行事などもありました。 さらには長男の思春期の始まりとも言える反抗的な態度や言動と、次男のお友達とのトラブルで頭の整理がつかないまま、時間に追われ余裕をなくし、イライラすることが増えるように。 このままでは私の感情が爆発しそうだと感じたので、スリングを購入し娘を抱きながらの家事・育児へ切り替えました。また、追視(※1)が見られ始めたので、抱っこができないときは動くおもちゃ付きのジムをベビーラックに設置して時間稼ぎをしています。(※1)生後2カ月を過ぎるころになると、動くものを目で追って見る「追視」をするようになります。 私は兄たちの夜泣き時期が大変だったので、娘も夜泣き時期が勝負だと思っていました。しかし、現実は娘ばかりに手をとられ、兄たちのことをする余裕がなくなり、イライラする日々に。生後2カ月の今では、ギャン泣きはあるものの、夜中は授乳後すぐに寝てくれてラクに。また笑ったり、ひとり遊びも始まったりして、癒やされるようになっています。 監修/助産師REIKO 著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2021年04月23日前回までのあらすじ小学校5年から民間の支援機関でSST(ソーシャルスキルトレーニング)やビジョントレーニングを受け始めた娘ですが、学校でのいじめの対応については校長先生をはじめとする各先生たちと、主人、私で話し合いをすることに。資料の引継ぎ漏れ、学校独自のルールなど問題解決には時間を要し、学校内での情報共有ができていないことを痛感しました。主治医が代わり支援が変わる娘が小学5年生の時、療育センターの主治医が思春期精神科の医師(新たに外部から派遣されることになった)に代わりました。それまで娘は療育センターで「様子を見ましょう」と言われていて、特に療育はなされておらず、心理士の定期的な面談のみをずっと続けている状態が続いていました。新しい主治医は若い女性医師で、診察は親子同席から親子別々に変わりました。私が家での娘の様子や学校での困りごとを話すと、主治医の表情から笑みが消えました。そして主治医は「薬を処方することもできますが、まずは環境を整えることが大切です。療育センターのスタッフに学校訪問のオーダーを出しますね。お母さんは学校側の許可を取っておいてください。それから療育センターの心理担当者に感情コントロールのプログラムをオーダーしておきますね。お薬は本人が飲むことで安心できる程度の極少量を処方します」とテキパキと看護師さんに指示を出されました。私はずっと「療育センターはただ相談をするところ」「話を聞いてくれるところ」だと思っていたので、この主治医のオーダーに大変驚きました。帰宅後、療育センターのパンフレットを読み返してみると、そこには確かに“幼稚園や保育所、学校などへの訪問支援”や“「地域との交流・連携を実施」など自立生活への支援に向けたサービスを提供する”と記されていました。私は医師のこのオーダーをとても有難く思いました。希望の光が見えるも、一気にどん底へ...療育センタースタッフの学校訪問の件を伝えると、学校側の許可はすんなり下りました。私は「これで少しは娘も落ち着くかも」と期待し、センターから訪問日の連絡が来るのを首を長くして待ちました。でもその後、療育センターからかかってきた電話に私の希望は打ち砕かれました。「ドクターからオーダーのあった学校訪問の件ですが、娘さんの通う学校と当センターとは交流がありません。学校から当センターに直接連絡がないということは、学校があまり積極的でない校風と思われます。学校から訪問依頼があったわけではないので行けるかどうかわかりません。また、心理士による感情コントロールプログラムは心理士の手が空いているときのみの対応になります」心理士のプログラムの実施についてはともかく、医師のオーダーがあったにも関わらず療育センタースタッフの学校訪問がなされないことに私はショックを受け、深く落ち込みました。立ちあがる力のもとになったのは...Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子療育センタースタッフの学校訪問が実現したのは、主治医のオーダーから3ヶ月後のことでした。くじけそうになったとき、寄り添い支えてくれた支援者の存在があったからこそ私は再び立ち上がることができたのだと思います。療育センタースタッフの学校訪問後、変わったこと療育センターの担当者は授業の様子などを見学し、娘に限らず発達障害のある生徒に有効な環境設定や対応方法を学校にアドバイスしてくださったそうです。その後、私が学校を訪れたときには、教室前面の余分な掲示物は外されていました。教室後方にはカレンダー仕様の『一ヶ月の行事予定表』が新たに貼られていて“その日の持ち物や提出物”などが記入されていました。黒板の端には「掃除の手順」が書かれた小さなホワイトボードが置かれていました。それらは自宅で使用しているスケジュールボードと同様、視覚優位の娘にはとても有効なものでした。コノビ―(conobi)記事 スケジュールボードを作ろう!カレンダーや手順表などで可視化すると見通しが立ちやすくなり、娘はスムーズに行動ができるのです。私は早速さまざまな対応をしてくれた担任の先生に感謝の気持ちを伝えました。周りの友達の変化と協力も後押しになって環境整備したからといって、すべてがあっという間に解決するわけではありません。娘は家では相変わらず母の何気ない言葉にキレたり、弟の生意気な態度に激高したりしていました。学校で腹痛を起こし保健室で大半を過ごす日もありました。でも徐々に娘に声を掛け、助けてくれる友達や「実は自分も同じようにいじめられていた」と娘に告げる友達も出てきました。コミュニケーションは苦手だけれど“人”が大好きな娘にとって、このような友達の存在はとても大きなものでした。少しずつ少しずつ娘は落ち着きはじめ、薬の服用は10ヶ月で終了しました。数年後の学校~喜ばしい変化~娘が学校を卒業した2年後に息子が同じ小学校に入学しました。その年の最初の学校便りには『地域療育センターや子ども家庭支援課など関係機関との連携もできますので、まずはご相談を』と書かれていました。かつて、交流がないので学校訪問は難しいといわれた療育センターとの連携が積極的に行われるようになったことを私は嬉しく思いました。また、この年から新たに、クラス担任を持たない主幹教諭が特別支援教育コーディネーターとして配置され、全学年を通して児童・保護者・カウンセラーとの連携を専任で担うこととなりました。“学内でキーパーソンとなる先生”の存在は、私が切望していたものでした。皆さんに伝えたいこと10年前の私は娘の障害に対する知識が皆無でした。しょっちゅう泣いていたし、傍から見たら『恥ずかしい』とか『なりふり構わない』など感じられるようなこともしてきたと思います。私は人前で話をするのが苦手ですし、すぐに落ち込む性格です。でも前例がなければ、自らが動いて最初の例をつくるしかありませんでした。支援者や医師だけではなく、学校の先生や療育センターのスタッフさんたちが動いたからこそ状況は改善されました。もしも今、学校や支援機関との関係などに悩んでいる方がいらしたら『味方』を増やすことをおすすめします。困難な状況を打開したいとき、自分一人ではどうにもできないことも支援者や協力者がいればなんとかなると思うのです。共感したり愚痴を言い合える仲間がいると元気が出ますよね。ネットの繋がりや同じ立場の者同士のコミュニティーもとても大切です。同様に、リアルでも前向きで建設的な気持ちになれるような味方や仲間をぜひ増やしていってほしいと思います。障害児の子育てをしている親御さんは皆、日々悩みとても頑張っています。世の中きれいごとばかりではありません。どうしても分かり合えない人もいるでしょう。それは仕方のないことです。皆さんには『頑張りすぎず』ときには『休みを取って』でも『諦めることなく』進んでいってほしいです。諦めさえしなければ希望の光はきっと見えてくると思うのです。発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!1話から読む↓
2021年04月21日私は1歳10カ月差の息子たちを育てています。次男が生まれる前はちょうど長男がなんでもしてみたい時期で、毎日がてんやわんやしていました。そんな状況でもなんとかやってのけられたのは、あるルールのおかげだと思っています。 元気が一番とは言うけれど…長男は生まれたときからとても元気で、「泣き声が大きくて他の赤ちゃんを起こしてしまう」と看護師さんに言われるほどでした。歩けるようになってからは運動も大好きで、一緒にお散歩している私のほうが疲れてしまうこともしばしば。 次男を妊娠してからは特に、午前中に長男と遊び終わると私はもうぐったりしてしまって、こんなことで2人も育てられるのかなと不安を感じていました。 想像以上に大変な2人育児!実際に次男が誕生してみると、心配していた以上に毎日がバタバタでした。次男が泣いて授乳している間に長男が散歩に行きたいとぐずったり、逆に長男の夜泣きで次男が目を覚ましてしまったりと、息つく暇もなく気が付けば夕方……なんて日々が続いていました。 今振り返ってみると、次男という新しい家族との生活に長男も私も折り合いを付けるために必要な時期だったのかなと思います。 唯一のオアシスはお昼寝タイムそんな私たち家族の新生活のなかで、一番平和だったのはお昼寝の時間でした。長男が生まれてすぐのころから、お昼寝の時間を決めていたため、昼食後は必ず寝るということが2歳前の長男の体内時計にセットされていたことがとても助かりました。 次男の授乳の時間も同じ午後2時になるように午前中から調節しておくことで、2人同時に寝てくれたのです。これは子どもたちにとっても日課になっていて、本当にしておいてよかったと思ったことです。1時間に満たない時間でも全員が同時に休息をとることで朝からのバタバタがリセットされたように感じました。 休息といっても私は午前中できなかった家事をしなければならないのですが、子どもが静かに寝ている時間に集中して家事ができるだけでも、かなりリフレッシュできたのでよかったです。 現在はもう2人ともお昼寝をしない年齢になりましたが、お昼寝と同様に夜寝る時間も固定化されていて、寝るのも起きるのもスムーズで助かっています。もちろん日によっては守れないこともありましたが、寝る時間を決めておくというのはわが家にはいいルールになったようです。 監修/助産師REIKOイラスト/おもち著者:田丸あかね現在、小学校2年生と幼稚園年長の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月19日学校のルールが理解できず、独自路線で突き進むコミックエッセイ『毎日やらかしてます。』シリーズや、ドラマ化もされた『透明なゆりかご』などの作品が人気の漫画家、沖田×華さん。『毎日やらかしてます。』シリーズでも公表している通り、沖田さんにはADHD、ASD、LD(学習障害)のトリプル発達障害があります。「漫画家になってからは、別の世界に転生してきたみたいだ」と語る沖田さんに、現在の仕事に至るまでのお話をお聞きしました。――沖田さんは幼少期、どのようなお子さんだったのでしょうか?沖田×華さん(以下、沖田):小学校入学前は、漢字を読むことが得意で、通っていた公文式では算数で満点をとっていました。だから、親は「頭がいい子どもだ、きっと小学校でもうまくいくだろう」と思っていたらしいのですが、実際は入学式のときから浮いていましたね。Upload By 姫野桂沖田:入学式当日、靴下も上履きも忘れて、集合写真は1人だけスリッパを履いて写っていて(笑)。周りはきちっとした姿勢なのに、自分だけ姿勢もふにゃんとしてて、じっとしていられない感が写真にもあらわれていました。入学式の日って、自己紹介があって、仲良くなった子と一緒に帰ったりしますよね。わたしは、そのとき一緒に帰った友達が「一生一緒に帰る友達」なんだと思い込んで、毎日同じ子に声をかけていました。一度起こったことが、ずっとそのまま再現されるわけではないと理解できないことがよくありました。――そうだったんですね。他にも、何か周りの子と違う行動をとっていたことはありましたか?沖田:ハサミやノリなどが入った「お道具箱」の扱いで先生に叱られて、納得できずに意見を曲げなかったこともありましたね。わたしはお道具箱を大変気に入って、家に持ち帰り、中身を1つも学校に持って来なかったんです(笑)。それを見た同級生たちが代わりのお道具箱を作ってくれたんですが、喜んでいたら先生に取り上げられてしまって。先生からは「なんで自分のお道具箱があるのに家から持ってこないんだ」と言われましたが、「だってこのお道具箱はわたしのものなんですよね?だからわたしがどういう使い方をしてもいいんですよね」と答えて、納得しないことには絶対に謝らなかったらしく…。何かこだわりがあって、クラスの中でわたし1人だけが止まってしまうことも多々ありました。あとは、「テスト」というものの意味を理解していませんでした。例えば、学校の算数のテストだとランダムに足し算が出てきますが、わたしは丸暗記していた公文式のテストの答えをそのまま書いていたんです。母親には「これは公文式の問題じゃないんだから、問題文をちゃんと見ろ」と何度も言われましたが、まったく理解していなかったらしいです。Upload By 姫野桂――となると、自然とテストの点数は低くなりそうです。沖田:そうですね。算数はよく0点をとっていました。でも、全部の教科が悪いのではなく、算数だけが異常に悪くて国語は答えをすごく暗記できる、みたいな、凸凹のある子でした。成績が悪いと親に怒られるので、小・中学校ではいつも成績を改ざんすることを考えていましたね。数学のテストで200点満点中30点しかとれていないのを、数字の「1」を加えて130点にしたり、通知表の「1」に線を付け加えて「4」にしたりとか(笑)。結局バレて怒られるんですが、勉強どうこうというよりも、どうしたら親に怒られずに済むかで頭がいっぱいでした。家に帰ると「学校モード」ではなくなってしまうので、そこからうまく切り替えられず、宿題をするのも苦手だったんですよ。「どうしたらこれをちゃんとできるのかな?」と考えて、町内で勉強のできる同級生のところへ「勉強教えてー」とお菓子を持って行き、やってもらっていました。友達がほしくて入っていた文通部でも、わたしは字がキレイに書けなかったので、友達に「50円あげるから書いてくれ」って頼んで文面を言ったりして(笑)。そんな風に、お菓子やお金を渡して等価交換みたいなつもりで、できないことを人に代わりにやってもらっていました。人と関わろうと思ってはいるのですが、どこかやり方が間違っているというか、子どもらしくないというか…。そんなことばかりしていましたね。Upload By 姫野桂発達障害の自覚がないまま過ごした思春期――沖田さんは、発達障害の診断を小学生のときにすでに受けていたと漫画にも描いてらっしゃいますよね。Upload By 姫野桂沖田:はい。小学4年生のときにADHDとLDの疑いがあるとの診断を受け、ASDの診断は中学生のときに受けました。でも、発達障害の自覚はまったくなくて、「前ならえ」のような集団行動をこなしたり、おとなしく授業を受けたりしている同級生を見て、「この子たちは全員ロボットで、わたしこそが人間」と思っていましたね。「こっち来て」の一言で言うことを聞く人たちが人間に見えなくて。パッと顔を上げると、わたしが1つのことを続けているうちに、全然世界が変わっているんです。昼休みが終わって席に戻ってきたら、みんなが席についてわたしを見ていたこともありました。なんだろうと思ったら、給食が終わった瞬間に、わたしが「ごちそうさま」を言い忘れて教室を飛び出していったから、連帯責任で全員の昼休みがなくなってしまったらしいんです。でも、肝心のわたしは「みんな戻るの早いな」と思っていて、一切その罰がこたえていなかったので、先生は悩んでいたようです。――連帯責任や根性論の時代だったんですね。沖田:そうですね。忘れ物をしたときは「なんで忘れるのか」と理由を問い詰められましたが、「忘れました」以外に答えようがなくて。「忘れた」という言葉が通用しないなら、もう何も言えないなと、小学3年生のころには、場面緘黙症になってしまいました。担任にもひどくいじめられていたのですが、「一生は続かないだろう」「これさえ耐えれば、わたしはもう自由!」と思っていましたね。でも、中学ではもっと地獄を見ました(笑)。Upload By 姫野桂参考: LITALICO発達ナビ「場面緘黙(かんもく)の原因とは?声が出ない要因、子どもの緘黙はなぜ起こる?大人の場合は?について解説」――中学校ではどのようなことがあったのでしょうか?沖田:特に中学1年生のときは、担任との相性が最悪でした。わたしが生まれた時代は第二次ベビーブームの終わりごろだったので、中学は1学年330人ぐらいだったんです。その中で、わたしは成績が330人中280番ぐらいで。「あ、良かった、わたしの下にこんなにいっぱいダメなやつがいる」と思っていたら、成績が悪いのは男子ばかりで女子はわたしだけ。それで目をつけられてしまって…。体罰自体は小学生のころもあったのですが、中学からは胸をつねるような性的な体罰もありました。良くないことですが、当時はそういうことが学校でまかり通っていた時代で、私自身もまだ中学生のころは、体罰と性的な加害の区別が難しかった気がしますね。他には、生理に対する嫌悪感も強かったです。生理が始まってからは、感覚過敏で、とにかく下着をつけるのが苦痛でした。スポーツブラのゴムでかゆくなってしまったり、生理用の小さいショーツそのものや、ナプキンに経血のつく感じがすごく嫌だったり。自分がにおいに敏感だったからかもしれませんが、生理中は周りにバレないかとすごく気にしていました。今は下着や生理用品の選択肢も増えましたが、そこで大変な思いをしている女の子はいると思います。親のすすめで看護師になるも、人と働くことの複雑さに悩む――高校では看護のコースに進み、その後専門学校を卒業して看護師として働き始めたとお聞きしました。なぜ看護師になろうと思ったのですか?沖田:これはもう親の刷り込みですね。家は自営業のラーメン屋、母親は「とにかく手に職をつけろ、看護師がええ」「とりあえず女は免許を取ったら一生食いっぱぐれないし幸せになれる」ということを口癖のように言っていました。わたしは一生一人でいいやと思っていたし、特になりたいものもなかったので、親がやれっていうならやったほうがいいのかなあと受け身で選択しました。結果、大失敗でしたけど(笑)。Upload By 姫野桂――大失敗ということは、看護師の仕事はうまくいかなかったのでしょうか。沖田:看護師に限らないと思いますが、まず社会に出たときの人間関係の複雑さには困りましたね。はっきりした役割もないし、「この人はフレンドリーに話しかけてくれるけど内心は違う」とか、「実はこの人たちは敵対しているから、聞いた悪口をそのまま伝えちゃいけない」とか、そういう暗黙のルールが全くわからなくて。わたしが入ってきたことにより、職場の人間関係がめちゃくちゃになってしまうこともありました。聞かれたことに答えていただけなので、どうしてわたしのせいだと言われるのかもわかりませんでしたが、気がついたら自分が嫌われてしまっていたという…。日によって相手のテンションが変わることにも対応できませんでした。昨日同じことをやって「うん」と言っていても、翌日は機嫌次第で「ダメ」となることもある。そうなると、もう何もできなくなってしまいました。わたしの場合は、最初に教えてもらったことが一生のマニュアルになってしまって、新しいルールが加わってもアップデートできないんです。「タオルを畳む」という作業ひとつとっても、前に勤めていたところで覚えた畳み方を、いくら注意されても繰り返してしまって。自分としては丁寧に畳んでいたつもりでも、職場の人にとっては使い勝手が悪くて迷惑だったみたいです。そういう認識のズレを、当事者はわかっていない。就職しても、そういうところでつまずいてすぐに辞めてしまう人もいると思うので、できれば学生のうちに、コミュニケーションのとり方の基礎を教えてほしかったです。学校でSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)も受けられたらよかったんですが、当時は先生たちも知らなかったんだろうと思います。参考: LITALICO発達ナビ「ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは?支援の対象、方法、気をつけたいポイントについて」 By 姫野桂22歳ではっきりと「人と違う」ことを自覚する――沖田さんは、漫画家になる前に性風俗で働いた経験についても、コミックエッセイで描かれています。沖田:看護師として働いている途中から、昼は病院、夜はおっぱいパブという働き方をしていました。看護師時代はワーカホリックで、「働いていないと生きている意味がない」と感じることもあったんです。当時はお金を貯めることが唯一の生きがいになっていましたし、肉体労働としての共通点も感じていたので、あまり抵抗もなくおっぱいパブで働き始めました。それまではあまりにも人のことに興味がなかったので、わたしなりに「人間を知りたい」とも思っていたんです。お客さんには「明日結婚するから最後に遊びに来た」「嫁さんがもうすぐ出産で、しばらく性的なことはできないから来た」などと話す人がいたり、社会的地位は高いけれどマナーの悪いお客さんもいたりして、「人って、普段外から見える部分だけではないんだ、いろんな要素が固まって人格になっているんだな」ということを知りました。これは、後々漫画をつくるにあたって非常に役立つ考察になりましたね。Upload By 姫野桂沖田:風俗の仕事は、中身のある会話をしなくていいところも息抜きになりました。60分チヤホヤしたら対価がもらえるというのが、シンプルですごく性に合っていたんです。同僚の女の子たちとの希薄な関係も好きでしたね。仮の名前や性格でも通用する世界は、とても気が楽でした。それでも、当時は看護師をメインの仕事に据えていました。本当は看護師の仕事に一生を捧げたかったんですが、正看護師として美容整形科で仕事を初めて3日目ぐらいで、初めて「人と違う」という自覚が出てきたんです。22歳のときでした。――「人と違う」というのは、どういう感覚ですか?小学生での、周りがロボットに思えるという感覚とは違うものでしょうか。沖田:日本語はわかるのに、相手が何を言っているかわからないことが多々あったんです。みんなが何か一言言われるだけで動けているときに、自分だけわからないという問題が、すごくはっきり出てきました。学生時代は「わたしはいいかげんな性格だから」とすませていましたが、国家試験にも受かって准看護師から正看護師になっている今回は、「あれ?」と思いました。そのとき、自分の頭にはごそっと何かが足りなくて、それが補えずに苦しんでいるんだなとぼんやりわかったんです。それでも、具体的にどんな風に困っているのかはどうしても説明できませんでした。――すでに診断されていた発達障害とは、沖田さんの中で結びついていなかったのですね。沖田:今になってみれば、それが発達障害を自覚したときだったと思うのですが、当時は自分に発達障害があるということも全部頭から抜けてしまっていましたね。わたしには、自分と特性の似た、不登校経験のある弟がいて。彼みたいな状態こそが「発達障害」なのだと思っていたんです。弟とは似ているところも多い分、昔はすごく嫌っていたので、かえって発達障害フォビア(憎悪)のようになっていた面もあると思います。そうやって、原因はわからないながらも自分は人と違うんだと思っていたころ、同い年の看護師の先輩に「本当に役に立たないね」と言われたんです。同い年だから余計につらくて。その人に「死ね!ハゲ!」などと言われたときに、「もう死んじゃおう」と、一度自殺未遂をしてしまいました。ロープが切れて自殺には失敗し、「ああ、今日死ぬ予定だったのに死ねなかった」とがっくりしました。でも「とりあえずルーティーンをしよう」と、いつも通り病院に行ったんです。上司に怒られながら仕事をして、家に帰ってからはめちゃくちゃになった部屋を片付けていたら、なんか、やっと…「わたし、病院以外のところでも生きていけるかもしれない」と思い始めました。その日からが、おまけの人生みたいな感じになったのかな。トーン貼りにハマり、4コマを描いたのがきっかけで漫画家に――その後はどうされたのですか?沖田:これをきっかけに本格的にリセットし、親の手の届かない、知らない土地でイチからやり直そうと、看護師を辞めて名古屋へ向かいました。23歳のときです。しばらくはまた性風俗業で働いていたのですが、当時の彼氏が漫画が好きで。彼の持ってきたルポ漫画がものすごく面白くて、ファンレターを送ったのが、現在の夫との出会いでした。電話をしたり、会って話したりする中で、夫がわたしを面白いと気に入ってくれたようで。東京に来ないかと誘われたときは一瞬考えましたが、そのほうが面白そうだと思って行くことを決めました。そのときはまだ、漫画は何もやっていません。夫と一緒に暮らすようになったときに、初めて漫画のトーン貼りを手伝って、「もっとない?」「わたし一生これで生きていく!」と言うぐらいハマってしまいました(笑)。Upload By 姫野桂――トーン貼りを手伝っていたところから、どのようにしてご自身も漫画家になろうと思ったのでしょうか。沖田:ある日、わたしがあまりにも「暇だ」と言うので、彼が4コマの枠だけを出して「これで何か描いてみてよ」って言ったんです。そうしたら、わたしは5分で書き上げたらしくて。それを見た彼が「お前、漫画家になれ」って。そのたった一言で漫画家になりました。わたしはコマが4つしかないからラッキーと思ったのですが、4コマ漫画って描くのが難しいらしいんですね。その時点で、漫画の基礎ができていたみたいです。ただ、絵は全然ダメで。4コママンガの中でキャラクターがどんどん痩せていって、4コマ目には別人になっているんです。左右の区別がつかないので、指の位置を逆に描いてしまうこともありますし。書けない文字がたくさんあることにも、漫画を描き始めてから気づきました。自分で漫画にセリフを書き込んだら、4コマ漫画なのに30個も赤字で修正が入っていたんです(笑)。とくに横の線は苦手で、ペンネームである沖田×華の「華」の字も3年ぐらい間違っていました。同じ字を何度も修正しているうちに、「見え方が他の人と違っているようだ」ということにもやっと気づきました。横線が動いたり、滲んだり、広がったりして見えるんですよ。どうも明朝体はダメらしくて。学習障害の一種であるディスレクシアも、そこで初めて自覚することになりました。ゴシック体だと理解できることは、最近わかりましたね。Upload By 姫野桂漫画家になったのは、「異世界転生」レベルの変化。湧いてくるアイデアをすくい、編集者と仕分けして漫画をつくる――他のお仕事も経験した上で漫画家になった沖田さんですが、漫画家という働き方はいかがでしたか?沖田:まったく怒られなくなったのには驚きましたね。締め切りを守るのは大前提ですが、わたしが出したものに対して、基本的に誰も文句を言わないんですよ。本当は不満もあるのかもしれませんが(笑)、言ってはこない。それがすごく新鮮で、別の世界に転生してきたようなレベルでしたね。どの仕事も、つまずくときは仕事内容そのものというより人間関係ですよ。漫画家のすごくいいところは、上司も部下もいないところですが、代わりにアシスタントや編集者との関わりがあります。わたしの場合、デビュー時に、同業者である夫が、アシスタントや編集者とのコミュニケーションの仕方を教えてくれました。わたし、アシスタントのことを友達みたいに思っちゃうんですよね。「疲れました」と言われたら「あ、いいよ、それやっておくよ」と言うような、なあなあの関係になってしまう。仕事をしてくれるのが嬉しくて、アシスタントの言うことをどんどん聞いてしまうんですが、本当はそういうのはよくないんですよね。仕事上の立ち位置を理解するのは、少し難しいです。漫画をよいものにしていく中で、修正を編集者から頼まれることもあります。「ここはこういう風に直してほしい」と言われた際、最初に思ってしまうのは、「この人はわたしのことが嫌いだからこんなことを言うんだ」ということなんです。そういう考え方のクセがあるんですね。でも、そうやって友達みたいな関係として捉えていると、「じゃあわたしも嫌いになってやる!」となってしまうので、作品をつくる上でよろしくない。そういうときは、夫が「編集者は友達じゃありませんよ」「仕事だから仕方なく!」って教えてくれるんです。そう言われると、編集さんが調子の良くない日もニコニコしたり、ご飯を一緒に食べたりするのも理解できて、関係性をとらえ直せます。そして、「そっか、これは仕事なんだ」「漫画をよくするための直しの要求なんだ」と納得して、うまく仕事のやり取りができるようになるんです。夫はいつも、自身の昔のしくじりを元に、怒鳴らずいろんな方向から説明してくれますね。Upload By 姫野桂――漫画を描くときに、どんなことを考えているのかもぜひお聞きしたいです。最近では、4コマやコミックエッセイだけでなく、ストーリーものの漫画も描かれていますよね。沖田:ストーリー漫画を描くことになったときは、どうやって描けばいいんだろうと途方に暮れましたね。編集担当さんが、ものすごく根気よく教えてくれました。先日、最終回を迎えた『透明なゆりかご』は、ネームにすごく時間がかかっていました。わたしは、そのコマ1つに一点集中型。今どんな話が広がっているのか、描いている最中はまったくわからないんです。それを見て、編集さんが「あ、見えてきました」とか言うので、わたしは「何も見えないじゃない」と思うんですが(笑)。これで話が繋がっているのかなと半信半疑で描いて、いざ掲載されたものを見ると、ちゃんと漫画になっているんですよ。そういうズレみたいなものがあります。だから、わたしは編集さんに「直して」と言われたら、「はい」と直すんです。多くの漫画家さんは、自分の作品への愛ゆえにこだわりがあって、編集者と衝突することも多いと聞きますが、わたしはまったくそういうことはなく。その道のプロである編集さんのほうが正しいだろうと思うんですよね。――そこを割り切っているのはすごいですね。沖田:ADHDの特性なのか、自分が描いたキャラクターや、その名前も忘れちゃうんですよ。キャラクターが5人程度でも、過去の単行本を引っ張り出してキャラを確認しています。『透明なゆりかご』については、読者さんから「泣いた」という感想をよくいただきますが、自分は泣いたことがなくて。他人のことが描かれているのに、なぜ泣くのかは不思議なのですが…きっと何か、思うことがあるんですよね。わたしはそういった共感がなく、看護師としての経験があるとはいえ、妊娠・中絶は経験していませんが、「それでも描けるんだ!」と今回わかりました。だからといって、適当に描いているわけではないんです。ADHDの脳みその特徴のようなものだと思うのですが、常にアイデアがポコポコとあぶくみたいに出ている状態で。それをすくってポイッと出し、編集さんと一緒に仕分けするのが、わたしの漫画の描き方です。今は、20ページぐらいの漫画であれば半日ほどでストーリーの構成ができるようになりました。Upload By 姫野桂自分よりも大切なものができて、仕事に「全て」を賭けなくなった――働く中で発達障害だと自覚し、仕事も変えて年を重ねてきた沖田さんですが、最近新たに気づいたことや変化したことはありますか?沖田:40歳に近くなって、性格がいい意味ですごく変わりましたね。昔は弁当に柴漬けが入ってなかったとか、そういうちょっとしたことで「わたしの今日1日を返せ!」ぐらいに怒っていたんですが、丸くなったというか。上京して夫と一緒に住み始めてからは、心のざわつきがあまりなくなりました。また、以前は「他人のことはわからなくて当たり前、それで相手に不快な思いをさせても仕方がない」と思っていましたが、最近は「向こうの心を知ろうとしたほうが、もうちょっと楽にコミュニケーションが取れる」というふうに考え方が変わってきました。歩み寄りが生まれているような気がします。それはきっと、自分よりも大切なものができたからなんでしょうね。昔は「若くて元気で整形もしていて、いっぱいお金を貯めている自分大好き!」だったのが、今はパートナーだったり親だったりを大事にしたいという気持ちが出始めていて、自分のことは別にいいかなと。好きなことをやり尽くした感じがあるからかもしれません。Upload By 姫野桂――では、仕事についての考え方も変わったのでしょうか。以前はお金を貯めることが生きがいで、「働いていないと意味がない」と思っている時期もありましたよね。沖田:今は、あまり仕事に人生を賭けないほうがいいと思っています。あくまでも仕事は仕事で、人生の一部。あまりにも仕事だけに集中していると、うまくいかなくなったときに墓穴を掘って爆発しちゃうこともあるので、やりたいことや趣味をいっぱい見つけたほうがいいかな、と思います。たしかに仕事はお金を稼ぐ上で大切なのですが、わたしにとってのおっぱいパブのように、ちょっと副業をかじってみたり、息抜きになるものがあったりしてもいいと思うんです。――ありがとうございます。先ほど自分の好きなことはやり尽くしたというお話がありましたが、何か今後やってみたいことはありますか?沖田:『透明なゆりかご』でも描きましたが、最近はコロナ禍の妊婦さんに取材をしていて。ある方は仕事を切られてしまい、車に1人で暮らしながら、大きなお腹を隠して臨月までUberEatsの配達員をやっていたんですよ。そういった行き場のない妊婦さんに住まいをつくるプロジェクトは、クラウドファンディングなどでもいくつかあるものの、数が圧倒的に足りていない。その方を少し支援しながらこの状況を見て、もっと手軽に困っている妊婦さんを支援できないか、滞在できるような施設をつくれないか、と思い始めているところです。また、話に出てきた弟は今、グループホームに入っているのですが、そういった施設やその住人は、社会から排除されやすいところがあります。開設に反対する近隣住民に、職員が菓子折りを持って回ったという話も聞いたことがあって。何も悪いことをしていないのに、なんでそんなに嫌がるものなんだろうと不思議なんです。だから、そういったことを『毎日やらかしてます。』シリーズで描いたり、グループホームを兼ねた何か大きなところをつくったりして、発達障害のある人が困らないような場所をつくりたいなと漠然と考えています。――最後に、進路について考えている読者にメッセージがあれば、お願いします。沖田:学生なら、親と先生、先生と子ども、みたいに、1対1でやりとりをするとスムーズなんじゃないかと思います。小さいときから自分を知っている親って、近すぎるんですよね。話し合いや進路の相談のときに、自分からしたら関係ないような昔の話も引っ張り出されることがありますし。わたしもマザコンなんですが、あんまり親の言うことは聞かんでもいいかなって思います(笑)。親だけに頼らず、できれば仲のいい先生をつくっておくのもいいかもしれません。わたしの場合は、同性のおばあちゃん先生が話しやすかったです。保健の先生も仲良くなっておくといいかな。わたしは専門学校卒ですが、金銭的に余裕があれば大学に行くのがおすすめですね。大学に入ることで、もっと選択肢が広がって、社会的にも学べる気がするので。学生のときって、自分のやりたいことをすごく集中してやってみたいときもあるじゃないですか。悪いことでなければ、それに没頭するのもいいと思います。Upload By 姫野桂明るく軽快に話してくれた沖田さん。仕事以外で趣味や好きなことを見つけたほうがいいという点には、個人的に「自分には何があるのだろう」と考えさせられてしまいました。しかし、年を重ねるにつれて、その回答がちょっとずつでも見えてくるのかもしれません。取材・文:姫野桂編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2021年04月18日息子が生後11カ月を迎えたころ、つかまり立ちができるようになりました。よたよたとしながらも頑張って立つうしろ姿に成長の喜びを感じていたのですが、これがある日、思わぬ事故を生むことになってしまったのです……。 想像以上の移動能力!息子がつかまり立ちをするのは、主にテレビ台とソファの座面の2カ所でした。周囲には物を置かず、クッションシートも敷いてあったのと、つかまり立ちをする姿にも見慣れてきたこともあったのでしょう。私は、あろうことか息子から目を離して洗濯物の片付けを始めてしまったのです。 洗濯物を畳むなか、ふと息子を見たとき、私は思わず「あ!」と声を上げていました。テレビ台付近にいたはずの息子が、2mほど離れたパソコン用のタイヤ付きチェアの座面につかまり立ちをしていたのです。そこまで移動はしないだろうと思っていたので本当に驚きました。 タイヤが引っかかり転倒!チェアが動くのでつかまり立ちをしながら少しずつ前進しており、それが息子にはおもしろかったようです。ニコニコしていた顔が今でも思い出されます。しかし、動くうちにテレビ台やソファ下のクッションシートにタイヤがひっかかり、その衝撃で座面から手が離れてしまったのです。慌てて駆け寄りましたが間に合うわけもなく、顔から床に転倒してしまいました。ギャン泣きしている息子を抱き上げると、口元から流血していました。ハンカチで拭き取りながら出血している場所を確認すると、下くちびるの左側が裂けており、よだれも相まってハンカチはまたたく間に真っ赤に! 下くちびるがパックリ…慌てて病院に電話をかけて状況を説明すると、「診せにきてください」とのことで受診することに。病院に到着したころには出血自体はおさまっていたのですが、先生に確認してもらうと「このくらいなら縫わなくても大丈夫。出血も落ち着いているから様子を見ましょう。でも、もしかすると少し痕は残るかもしれませんね」とのことでした。診てもらう間、息子は看護師さんにあやしてもらいご機嫌でしたが、笑う口元が痛々しく申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 息子のくちびるには現在も、うっすらと傷あとが残っています。ほんのり赤いくちびるに残る少し白い傷あとはよく見なければ気づかない程度ではありますが、私は今もその傷あとを見るたびに後悔しています。これから先、自分の油断によって同じような事故を起こさないよう気をつけていくつもりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKO著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2021年04月17日13年間2人目不妊だった私。10年ほど日本で不妊治療を受けましたが、授かることができませんでした。人工授精までしか受けたことがなかったのですが、移住先のドイツで高度不妊治療を受け、双子を授かることができるまでの体験談です。 ドイツの文化に従う私たち夫婦は日本で何度も不妊の検査を受けましたが、異常が見当たらない原因不明の2人目不妊でした。原因不明なままで高度不妊治療に踏み切るのは、お金の問題もあり難しいだろうと抵抗がありました。その後、移住先であるドイツのクリニックで、私が35歳を過ぎたので最後のチャンスと、人工授精を受ける目的で診てもらったのです。初めてクリニックを受診したときに、「なぜ今まで欲しいと思っていたのに人工授精止まりだったのか」「子どもを授かりたいという意思はあるか」ということを聞かれました。 ドイツ人は意見をはっきり伝えることが一番大事という考えが基本にあります。初診で担当医の思わぬ質問に戸惑いましたが、夫婦で授かりたい思いはあったのでその旨を伝えました。 ドイツ不妊治療の助成金ドイツで不妊治療をする場合、40歳までの女性に対して不妊治療3回まで約半分を公的保険でカバーしてもらえます。ドイツの保険会社は多くあり、加入している保険会社によってさまざまですが、たいていの会社は女性が40歳までであればそのような補助を受けることができます。 不妊治療を受ける際に必要な薬代も若干の補助は出ますが、多くはありません。日本よりも不妊治療を受けやすい環境(※1)ではありますが、お金の面はそこまで手厚く補助してもらえるものではありませんでした。 (※1)現在、日本における不妊治療への助成は拡充されています。 検査から治療まで大急ぎ!検査で時間を取っていてはもったいないということで、治療を決めたその日から検査を開始。担当医は私たち夫婦がとても長い期間、検査や治療を受けているにもかかわらず結果につながっていない現状を見て、顕微授精が適切な治療だと示しました。 顕微授精は日本では最も高額で、受けることが難しい治療だと思っていた私は驚きました。人工授精を何度か受けてから考え直そうかなどさまざまな思いがありましたが、治療や薬の指示など、医師や看護師さんが淡々とすべき役目をこなしているという印象を受け、今回の治療に希望をかけてみようと決断。 最初は戸惑いましたが、これもドイツ文化です。やることをやっていれば成果に近づけるという医師の助言・ドイツシステムのもと治療をすすめました。 3回目の顕微授精で授かれた1回目は授精卵が着床したものの妊娠9週で育たなくなり、稽留流産、掻爬手術を受けました。2回目では着床せず。保険補助が最後となる3回目。これで治療はやめる予定で顕微授精をおこないました。2個の受精卵を戻し、無事着床。そして、その後双子を出産しました。顕微授精を受ける際、体を多くの薬でコントロールし、心が折れそうになるようなこともありました。また流産したときも、治療を続けるべきなのかと夫婦で何度も話し合いました。双子を授かることができたことは奇跡だったと思います。不妊治療を受けることはどのくらいの期間、いくらかかるのかなど不明点が多いことが私たち夫婦にとって不安材料でした。 ドイツの不妊治療は、お金のサポートは多くはありませんが制度として整っていますし、明確な治療指示によってスムーズに治療を受けることができました。日本でもクリニックによっては明確な治療指示を受けられたのかもしれませんが、10年以上悩んでいた2人目不妊が1年半のドイツ不妊治療によって双子の命を授かることができたので、私たち夫婦は満足しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月17日ぽこちゃんです&どんちゃんです
子育てはフリースタイル
両手に男児