看護師の制止を押し切り、義父が分娩室に乱入! 分娩室内には美月さんの悲鳴が響きました。美月さんは義父に見られた衝撃のまま息子さんを出産。そのとき夫がやっと現れて……。 幸せな瞬間なはずなのに 「子どもって案外パパッと生まれちゃうもんなんだな!」やっと分娩室に現れた夫は、赤ちゃんを抱く美月さんを見るなり衝撃の言葉を言い放ちました。 ◇◇◇ 義父に押し入られ出産の様子を見られたことだけでなく、夫の軽率な発言にも怒りが込み上げる美月さん。本来なら、赤ちゃんが生まれ幸せな気持ちでいっぱいの場面であるはずなのに、どうして……というやりきれない思いでしょうね。 著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2021年10月21日私は授かり婚です。妊娠が判明して義家族へ報告をしに行くと、義父母にとって初孫ということもありすごく喜んでくれて、私はとてもうれしい気持ちになったのを覚えています。その後入籍をし、義父母との関わりが増えていく中で、デリカシーがないのではないかと感じることが少なからずありました。中でも、初めての出産の際、配慮のない義父母の行動にとてもショックを受けました。 変だな…と感じる義父の行動私と夫は授かり婚で貯金も多くなかったこともあり、義実家にお世話になり生活をすることに。とても良くしてもらっていたのですが、私が仕事でいない間に義父が私たちの部屋に入っていたり、入浴中に脱衣所に入ってきたりと気になる行動がありました。 特に部屋に入られたときは、洗濯物も部屋しか干すところがなく下着も干していたこともあり、私はとても不快に感じました。ですが、部屋を借りている立場で何も言うことはできないうえに、義父の行動も特に意味ないだろうと思い気にしないことに……。 出産のため入院妊娠期間は大きな問題もなく、出産当日。私は実母と夫に付き添いをしてもらい、義父母には、当日の来院は控えるよう伝えていました。しかし、私が陣痛に耐えている最中に義父母は仕事を抜けては2人で訪れ、「まだか……」と言い、仕事に戻るという流れを2回ほど繰り返したのです。私自身もしんどかったため、夫から義両親へ「生まれたら連絡するから、それまで来ないでほしい」と伝えてもらいました。 その後分娩室へ入り、いざ出産。子どもが大きかったこともあり、ダメージは大きかったですが、無事に元気な男の子が生まれて感動の中、夫と共に義父母が分娩室へ……。 デリカシーのない義父母私自身、立ち会いを希望しなかったこともあり、出産直後に夫と感動を共有できると思っていたのです。ですが、義父母まで分娩室へ入ってきて、義父はスマホでたくさん撮影をし、分娩室を出て私が処置を終え病室に帰ってきてからも、長い時間病院に滞在していました。 私は大変な出産だったこともあり、その日は絶対安静に加えて高熱でうなされていました。 しばらくして義両親は帰宅しましたが、すぐに親戚を引き連れて大勢で面会に……。夫も帰るよう促してくれましたが、聞く耳持たずで帰ろうとしてくれず、精神的にもしんどい時間でした。義両親はナースステーションにいる息子を見ては夫に似てるのをうれしそうに自慢して帰って行きました。 考え方を変えることにあとになってから義父の撮った写真を見ると、はだけた衣類に、お股に布を被せただけのクタクタな姿の私にドン引きしました。いくら孫が生まれてうれしかったとは言え、とても腹が立ちます。ですが、もう今さらどうにもならないので、今回のことを教訓にし、「今度出産するときには、生まれるまで連絡をしない。夫以外の付き添いもなし」と決めました。 その約2年後、次男を出産しました。新型コロナウイルスの影響により、そもそも面会や立ち会いは禁止でしたが、念を押し、来ないようにと夫から義父母に伝えてもらうことに。義父母が病院に来ることはありませんでした。 初孫ということで楽しみな気持ちが強かったこともあると思いますが、普段から義父母はデリカシーに欠けており、人の言うことを聞かず、自分の行動を正当化して通そうとするところがあります。今回の出産の件で、そのことを一番に痛感し、私にとって出産そのものが少し嫌な思い出として残ってしまいました。素敵な出産にするためにも、嫌なことは嫌だと、相手がわかってくれるまで伝えることは大切だと学びました。義父母は息子のことをかわいがってくれており、その後の関係は良好です。 イラストレーター/山口がたこ著者:松本 茉奈2歳男児と0歳男児の母。整形外科の病院で看護師として勤務し、現在は育児休暇中。いずれ転職も視野に入れているため、さまざまな分野を学習中で、韓国語にも挑戦。趣味は音楽鑑賞や、スポーツをすること。
2021年09月22日和痛分娩の予定が、急きょ陣痛促進剤を使うことになった、ほかほか命さん。必死に痛みに耐えいきみ続けるほかほかさんの隣で、出産に立ち会う旦那さんも涙を流し、二人で大泣き!「いきみます」の宣言で思い切りいきみ……ついに無事出産! 対面した赤ちゃんは本当にかわいくて、夫婦ふたりで大興奮! 想定外の連続!でも… 描ききれてない部分もたくさんありますが、 「本当にいろんな人が“無事に赤ちゃんを迎えよう!”と願って、支えてくれて、出産ってものがあるんだな」 「結局産むのは自分!って腹を括ってたつもりだったけど、やっぱりみんながいてくれて無事に出産ができたんだな」 と分娩レポを描きながら、改めて感じました。 最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました!出産予定日前に予定をぎっしり詰め込んでいたのに、1週間前に破水したことから始まり、急いで準備した入院準備に、途中でできなくなってしまった和痛分娩……。 数々の「思ってたんと違う」を乗り越えて、無事に出産したほかほか命さんの出産エピソードでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2021年09月20日陣痛開始から20時間、子宮口が全開大になり、助産師さんの合図と共に力いっぱいいきみました。すると、もうろうとする意識の中で顔全体にシュワシュワと炭酸水をかけられたような感覚が……。陣痛に耐え、出産後の私の体に起こった体験談をお話しします。 分娩台で顔に感じた“シュワシュワ”自然分娩にて長女を出産しました。21時間の陣痛のすえにわが子と感動の対面を果たし、産後は熟睡した私。翌日両親が面会にきてくれたのですが、私の顔を見るやいなや実母がびっくり仰天! 何事かと鏡を見ると、そこには白目が真っ赤に充血し、目の周りにそばかすのような赤い点々が出現して、変わり果てた私の顔が……。 医師に相談すると、「いきんだときに顔の毛細血管が切れたのでしょう」とのこと。言われてみれば、いきんでいるときに顔にまるで炭酸水をかけたようなシュワシュワとした感覚があったことを鮮明に覚えていました。 夜、ベッドに入ったときも体が熱っぽかった一方で、顔には“シュワシュワ”の感覚が残っており、気持ちいいとさえ思っていたのです。こんなことになるなんてとショックを隠し切れない産後1日目でした。 内出血に眼圧上昇…出産による後遺症助産師さんから分娩時のアドバイスとして「いきむときに目を閉じてしまうと力が入らないだけでなく、目元に力が入りすぎて顔の毛細血管が切れることがあるから気を付けて」と伺っていました。 要するに内出血するとどういうことになるのかまったく想像がつかないまま、いきむときはしっかりと目を見開いて、口を固く結んでいきんだ私。ところが努力むなしく眼球と目の周りの毛細血管は切れてしまい、おまけに目を見開きすぎていたせいで眼圧まで上がってしまい、まばたきをすると常に目に違和感がありました。 入院中、ほとんどのママさんはすっぴんのまま授乳指導や産後健診を受けていましたが、人目を気にするあまり毎日ファンデーションを厚塗りして過ごしていた私でした。 真っ赤な瞳、実は私が生まれたときも…鏡を見るたびに落ち込み、うつむく私に気が付いた助産師さんたちからは「時間と共に治ります」「痛い陣痛に耐えた証拠よ」と励まされ、少しずつ気持ちを持ち直していきました。まばたきの違和感や充血があっても、視力そのものに差し支えることはなかったため、生活への影響が最小限で済んだことも救いだったかもしれません。実母から聞いたエピソードですが、私自身が生まれたとき、私の瞳の周りには赤く輪っかのような充血があったそうです。何か先天的な異常ではないかと実母は焦ったそうですが、「赤ちゃんは狭い産道を力いっぱい通ってきますから」と説明を受けたそう。30年後、私自身が出産するときに再び目が出血するなんてと母と笑い合いました。 眼圧は産後1週間ほど、充血した目は産後1カ月ほどで落ち着きました。そのときの写真はあまり多くはありませんが、どの写真も私の目は赤いものばかり。炭酸飲料をコップにシュワシュワと注いでいると思わず分娩台を思い出してしまう私ですが、壮絶な陣痛に耐えて産んだ娘と共に、楽しみながら育児に励もうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:こさい れい0歳女児の母。元テレビ番組ディレクター。フランスで育った自身の経験をもとに海外生活、旅行、子育てについて執筆している。
2021年09月20日第2子を妊娠中、妊娠32週のとき、出血があり病院を受診すると、切迫早産の診断でそのまま緊急入院することに。結局入院の翌日に出産となり、長男にきちんと事情を話さないまま1週間会えない結果に……。しかし産後に再会したとき、息子の反応は意外なものでした。 まさかの切迫早産の診断で緊急入院第2子妊娠中、健診で問題もなく普段通りの生活をしていた私。妊娠32週のある日、朝トイレに行くと出血がありました。その日は予定があり、息子を地域の一時保育に預けて出かけるつもりでした。午前中に息子を施設に連れて行って、いつも通り「いってらっしゃい! 夕方に迎えにくるね!」と送り出したのです。 病院を受診するか悩んだ私は、予定をキャンセルして念のため診察してもらうことにしました。病院で内診してもらうと切迫早産の診断で、家に帰れずそのまま緊急入院することに! すぐに夫に連絡して息子の引き取りを依頼し、入院に必要な物も持ってきてもらいました。息子にしっかり話ができないまま、入院となってしまいました……。 入院の翌朝に陣痛、そのまま出産入院直後の内診やエコー、血液検査の結果だと「おそらくすぐに出産、ということにはならないと思います。安静にして様子をみて、大丈夫そうなら1週間ほどで退院となります」という医師からの説明でした。 しかし入院翌日の朝、驚くことに陣痛がきてしまいました。結局、その夜に経腟分娩で長女を出産。妊娠32週での出産ということもあり、娘はNICU(新生児集中治療室)に入院することになりました。 息子とは1週間会えず出産後、私は5日間の入院となり、結果的に自宅に戻ったのは緊急入院してから1週間後になりました。その間2回テレビ電話で息子と話したものの、まだ1歳3カ月の息子はスマホの画面の向こうにいるのがママなのか、しっかりは理解できていない様子……。 本来なら計画無痛分娩を予定していたので、「ママはこれから赤ちゃんを産むから1週間帰ってこないよ。お留守番しててね」としっかり息子に話をしてから入院したいと思っていたのに、何も言わずに1週間いなくなったことに罪悪感を覚えました。 退院後に再会したときの息子の反応は入院生活が終わり、いよいよ退院! やっと息子と会える! そう思い自宅に戻り息子に「いきなりいなくなってごめんね! ただいまー!!」と抱きしめても、きょとんとする息子。 特別うれしそうにする様子も、逆にママを忘れてしまったというわけでもなく、一時保育に預けたあとに迎えに行ったときにするいつも通りの反応でした。驚いて喜んでくれるか、突然いなくなったことに怒るかどちらかの反応かなと予想していた私は拍子抜けしてしまいました。 私が不在の間は夫が毎日公園に遊びに連れ出し、慣れない離乳食づくりもしてくれました。息子としては妊娠中で体が重かった私が面倒を見るよりも、楽しい毎日だったのかもしれません。頑張ってくれたパパに感謝です。その後、入院していた娘も無事に退院しました。2人の育児が始まるので息子も娘も寂しい思いをさせないよう、頑張ろうと思います! イラストレーター/山口がたこ監修/助産師 REIKO著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママで、長女は妊娠32週で生まれた低出生体重児。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの記事を中心に執筆している。
2021年09月17日こんにちは、みいのです。これは、私の無痛分娩の体験談です。■いろんな人に話を聞き、無痛分娩を決意破水した時は突然ジャバっと水が出てきた感じでどこも痛くなかったんです。そして、病院に向かうことに…。■いよいよ出産!? 入院して陣痛待ちたまたま前期破水から始まったので、陣痛を感じる前に入院スタートになりました。もし、破水がなければそのまま陣痛が来るまで自宅待機だったので、その点は普通分娩と同じ進み方だそうです。前期破水からの入院では、次の日まで陣痛が来なければ、誘発剤を打ってから無痛分娩の麻酔を打つ予定になっていました。私の場合はというと、この後、とんでもなく孤独を味わうことになるのでした…。参考: 無痛分娩 Q&A/一般社団法人 日本産科麻酔学会 次回に続く 「無痛分娩で産みました」(全7話)12時更新!本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年09月15日この記事では、出産時に子宮口が開かない場合の対処法について助産師のREIKOさんが解説しています。状況によって陣痛促進剤を使用したり、帝王切開になることもありますが、ママ自身がおこなえる対処法を紹介します。 お産が進むと子宮口が徐々に開いていきますが、妊婦さんにより個人差があり、なかなか開かないことがあります。今回は、子宮口が開かない原因と開かないときの対処法、また妊娠中におこなっておきたい対策をお伝えします。 子宮口が開かない原因子宮口がスムーズに開かないと、分娩には至りません。初産婦さんで30時間以上、経産婦さんで15時間以上経過しても赤ちゃんが生まれない場合、「遷延分娩(せんえんぶんべん)」と判断され、母児ともに悪影響が及ぶことがあります。そのため遷延分娩と判断された場合、状況によって帝王切開になることもあります。 子宮口がスムーズに開かない要因はさまざまあります。●微弱陣痛●逆子・回旋異常●軟産道強靭など さらにこれらの要因もさまざまあり、複数の要因が関連して生じていることも多くあります。 子宮口がなかなか開かないときの対処法子宮口の開きがスムーズでない場合、その原因に合わせて対処していくことが必要です。状況によって、陣痛促進剤を使用したり、帝王切開になることもあります。ここではママ自身がおこなえる対処法について紹介します。 ●休息と食事長くつらい陣痛に向き合っていると、なかなか休めず食事もとれないということもあるかもしれません。ですが、疲労やエネルギー不足は微弱陣痛の原因にもなります。陣痛と陣痛の合間に休んだり、食べられる物を食べるなどして陣痛を乗り切りましょう。 ●じっとしているのもNG痛みがあるとあまり動きたくないと思ってしまいませんか? 可能であれば歩いたり、入浴したりすることでお産が進むことがあります。 ●体を温める体を温めることで血行もよくなり、リラックス効果も得られます。入浴、足湯、腰を温めるなど、体を温めるのもおすすめです。 ●リラックスお産するうえで、なかなかうまくできないのがリラックスです。お産が進むにつれ、体に力が入ってしまうかもしれません。ですが、子宮口が全開大するまでは、なるべくリラックスするようにしましょう。ラクな姿勢をとったり、呼吸法をおこなったり、好きな音楽を聴いたり、場合によってはアロマを活用しても。陣痛中の過ごし方については、産院によってNGの事柄もありますので、事前に確認しておくと安心ですね。 妊娠中におこなっておきたい対策法 ●体重管理妊娠中に体重が増えすぎたり、もともと肥満体型であったりすると、微弱陣痛などのさまざまな合併症を引き起こす危険性があります。妊娠中は脂っこい食べ物などを控える、無理のない範囲で体を動かすと同時に、不足しがちな鉄分やカルシウムを積極的に取り入れましょう。 ●適度な運動で体力アップ!妊娠中に激しい運動は禁物ですが、適度な運動は体力維持やストレス解消にも効果的だと言われています。臨月になったらウォーキングなどの有酸素運動に取り組みましょう。 ●イメージトレーニング特に初産婦さんの場合、分娩中に痛みや恐怖から、過緊張に陥ってしまう場合があります。妊娠中に分娩の進み方をよく理解しておき、日ごろからイメージトレーニングをおこないましょう。 また、緊張したときにはゆっくり息を吸って吐く、いわゆる呼吸法の練習もしておくといいでしょう。呼吸法にはさまざまな手法がありますが、陣痛のタイミングに合わせてしっかり息を吐くことを意識しましょう。 ママたちの体験談 出産予定日より5日遅れの出産でした。陣痛も器械では波が出てるのにまったく痛みを感じず微弱陣痛でした。妊娠して16kgも太ってしまって、怒られてるくせにろくに運動もしなかったのが微弱陣痛の原因だと思っています。微弱陣痛のデメリットは陣痛が長時間になるのと、子宮口が開くのが遅いということで、私も結局、丸一日陣痛に耐えました。後半の陣痛のしんどさのおかげで出産自体は意地でも早く終わらせてやる!!と意気込んで3回のいきみで産みました。やはり自分のためにも太らないようにするのと、妊婦だからといって大人しく1日過ごさないようにすることを学びました。(ほのかりんママ さん) 初産ということもあり、陣痛とともになかなか進まないのが子宮口の開きでした。朝の健診のときも2~3cmと言われていて、入院したときにもまだ3cm、徐々に痛みの間隔が狭まって内診にいっても5cm程度、分娩台にあがるときも6cmと、なかなか子宮口が開いてくれませんでした。陣痛と闘いながらの病室と内診室の往復がつらかったのを覚えています。なかなか進まない陣痛にしびれを切らしたのは夫で、お産を進める働きがある足首の三陰交というツボを押してくれていました。ツボを押されると陣痛は強まっていくような感覚がありました!(中略)それからはしばらくすると子宮口は全開大に。人工的に破水をし、30分ほどで長女が誕生しました。出産からからまもなく6年が経ちますが、突然の入院となかなか進まない陣痛、分娩間際の気の抜けちゃうようなエピソードはまだまだ鮮明な記憶です。(あきひめいちごさん) 出産予定日の2週間前、定期健診での診察後、「じゃあ、また来週来てね」とお医者様に言われました。この時点では、まだ生まれそうにないのかなと思いながら病院を出ました。程よく疲労し帰宅すると、妊娠中の寝不足も相まってそのまま昼寝。次に目覚めたのは夏だというのにとっぷり日も暮れた時間でした。そして、おなかに波のある痛み!? 夫が帰宅するころには10分間隔になり、産院に電話しました。初産だったため、「ゆっくりでいいですよ」と電話越しの助産師さん。しかし、陣痛は順調に短くなり、すぐに10分以内に。ここでようやく車で片道20分の産院へ向かったのでした。病院に着くと、すぐに陣痛室で内診。「今3cm、これはお産に進みます。平均で15時間くらいですね」と助産師さん。そのとき、おなかの中で「パァンッ!」とはじける感触。破水です。ここから急にお産が進み、耐えられない痛みに。「これが10時間以上?」と絶望とも言える感情を抱いた瞬間「はい、足開いて! はい、いきんで!」「え? え? え?」……結果、3時間程度のスピード出産でした。出産には糖分と体力が必要。何気なく食べたパフェに直前の昼寝は必然だったのかなと自分に感心したできごとでした。(半田あきらさん) 子宮口がなかなか開かないと焦ったり不安になったりしてしまうかもしれません。できるだけ落ち着いてリラックスして臨めるよう、妊娠中に出産の流れをイメージトレーニングしておくといいですね。また、妊娠中に適度な運動を取り入れて体力をつけておくことも大切です。 監修者・著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2021年09月14日分娩室の前で義父と看護師さんが言い合いをしている声を聞き、義父が病院に来てしまったことを知った美月さん。「あの人を中に入れないで!」という主張もむなしく、義父は看護師の制止も押し切り強引に分娩室へ入ってきてしまい……。 義父が強引に分娩室に! 「いやー間に合ってよかった!」分娩室に押し入ってきた義父に、現場はあ然。義父はすぐに追い出されたものの、見られたくないものを見られてしまった美月さんのショックの大きさは計り知れません。 衝撃を受けた勢いのまま、美月さんは出産! そのとき夫がやっと分娩室にやってきて……。 ◇◇◇ 押し入ってきた義父に、恥ずかしい姿を見られてしまった美月さん。わが子が誕生する、本来ならうれしい気持ちでいっぱいの瞬間だったはずなのに、かなりショッキングな出来事となってしまいました。きっと、忘れたくても忘れられない思い出となってしまったでしょうね……。 著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2021年09月14日朝には子宮口が全開大になっており、美月さんは急いで分娩室に向かいました。まだ夫も来ていない中、どんどんお産の準備は進んでいきます。すると、分娩室の外から何やら聞き覚えのある声が……! 義父「中に入れてください!」 「分娩室の中に入れてください!」「許可なんか取ってたら出産が終わってしまうだろ!」 分娩室の外で繰り広げられている言い合いに、美月さんは義父が病院へやってきてしまったことに気づきます。 焦った美月さんは「絶対に中に入れないでください!」と必死に主張しますが、何としてでも出産を見たい義父は、看護師さんの制止も聞かず強引に分娩室へ押し入ってきて……! ◇◇◇ 義父はなんと分娩室に……。美月さんとしては、病院にいることすら伝えていなかったはずなのにと相当驚いたこと思います。医療現場ですし、義父の看護師さんの言葉を遮って無理やり……というのは迷惑行為だなと感じてしまいますよね。皆さんはこの義父の言動、どう思いますか? 著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2021年09月12日出産予定日を4日過ぎたころ陣痛がやってきて病院へ向かった美月さんですが、その晩は何事もなく朝を迎えました。すると朝には子宮口が全開大に! 急いで分娩室へ。一方、美月さん夫婦宅に2人の姿がなく、病院ではと悟った義父は……。 いよいよ分娩室へ。そのとき義父は 美月さんは分娩室へ来たものの、夫・透さんの到着はまだ。しかし、出産の準備はどんどんと進んでいきます。 そのとき…… 「本田美月出産は終わっちゃいましたか!?」 急いでやってきたであろう、汗だくの義父が病院に!! ◇◇◇ 朝になると子宮口は全開大になっていて、急いで分娩室へ移動することになった美月さん。陣痛が進んでいる感覚は「わからない」と言っていたので、まさかの展開だったでしょうね。そして、いよいよ出産へ……というときになんと義父が!? 美月さんたちが自宅にいなかったことで急いでかけつけたようです。美月さんのことを心配する気持ちがあり……だとは思いますが、これまでの言動から「義父の本当の狙い」を勘ぐってしまいます。 著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2021年09月11日長男3,400g、次男3,600gに続き、やはり妊婦健診中から大きめだと言われてきたわが家の三男。無痛分娩でしたが、その大きさからなかなか大変な出産となりました。誕生時には先生や助産師さんからも歓声が上がった、私のビッグベビー出産体験をご紹介します。 妊婦健診のたびに指摘される体重増加長男も次男も大きく生まれたので、今回も大きいかもと予想はしていた三男。やはり安定期のころから、超音波検査のたびに推定体重も頭も大きそうだと言われました。さらに子宮頚管の短さから切迫流産として安静を強いられ、私の体重はぐんぐん右肩上がりに。 妊娠32週の超音波検査では、首をかしげながら何度も何度も胎児の身長や頭囲・胴囲・足の長さを測り直され「これは2週間先を行く成長だな……。4kg超えてしまいそうだよ」と言われ始めました。 妊娠37週で計画無痛分娩をすることに今回の出産は保育園児の兄2人がいるので、体力の回復も早く計画分娩ができる無痛分娩を予定していました。そして、妊娠36週の妊婦健診で「これはやはり大きそうだから、早く生んだほうがいいよ」と、妊娠37週に入ってすぐの出産を先生からすすめられました。 病院のベッドの空き状況を調べてもらい、予約をしたのはなんと5日後。まだ1カ月くらい先だと思っていた出産が5日後に決まり、大慌てでいろいろ準備を進めることになりました。 なかなか生まれてこないと思ったら…陣痛が始まってもなかなか進まないお産。長男・次男は7時間と4時間の出産だったし「陣痛促進剤も使うからすぐ生まれるでしょう」と言われていたのに、あれれ? おかしいな?と思ううちに日付も変わり翌日に。 内診で「きっとこの膜が邪魔しているからだ」と先生が破膜すると、一気に赤ちゃんが下がってきてずるんと生まれました! 「わぁ! 大きい」と歓声があがり量ってみると、体重は4,096g。そりゃなかなか出てこられなかったよね~とみんなで納得のビッグな赤ちゃんの誕生でした。 3度の出産を経験しましたが、どの出産もそれぞれの違いや大変さがありました。今回は約1カ月も早めの出産なのに4,000g超だったので、もし出産予定日ごろの出産だったら帝王切開になっていたかもしれません。無痛分娩に期待していたようなラクな出産ではありませんでしたが、赤ちゃんも頑張ってくれて無事に出産でき、本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:黒河レイ6歳4歳0歳の3兄弟の母。夫婦ともにフルタイムの会社員の仕事の他、育児や生活情報、映画に関する記事などの執筆活動も。現在は産後の体型を戻すことがもっぱらの課題。
2021年09月08日出産予定日よりも10日早く破水して、夜遅くに産院へ。しかし産院が満床で、それから2日間、病室に入ることができませんでした。どうしてそんなことになったのか、私の出産体験をお伝えしたいと思います。 破水したのに病室がいっぱい!その日、出産予定日よりも早く破水してしまった私は、入院準備を整えて産院に向かいました。到着したのは夜の10時くらい。破水とはいっても高位破水だったため、チョロチョロと羊水が出ている程度で、それほど切羽詰まっていませんでした。 でも、産院に行ったら、夜遅い時間にもかかわらず待合いスペースには人がたくさんいてざわざわと落ち着かない雰囲気。私はそのまま入院するつもりでいたのですが、なぜか助産師さんに連れていかれたのは簡易ベッドのある小さな部屋。あとから聞いた話によると不妊治療などなんらかの処置をおこなうための場所らしく、ちゃんと個室になっていて枕元にはナースコールもありました。 診察の結果、破水をしているのは間違いないということで、そのまま陣痛がくるのを待つことになりました。助産師さんからは「今、病室のベッドが満床なんです。申し訳ないけれど、今夜はここで横になっていてください」と言われ、わけがわからないまま、そこで一晩過ごしました。 原因は「スーパームーン」だった!?結局、一晩たっても陣痛がくる気配はなく、翌日は朝から陣痛誘発剤を使って出産をすることになりました。助産師さんにLDRがあるスペースに案内してもらうと、そこには至るところに出産待ちをしている妊婦さんの姿が。私が陣痛誘発剤を投与している間も隣の分娩室からはひっきりなしに赤ちゃんの産声が聞こえてきます。 そのときになって、ようやく病室に入れなかった謎が解けました。助産師さんによると「昨夜は一晩で12人もの妊婦さんが産気づいて産院にきたんですよ。科学的根拠はないのですが、スーパームーンだったからかもしれません。この産院ではこんなに出産が重なることはほとんどなくて、病室が足りなくなってしまったんです。ごめんなさいね」とのことでした。 科学的根拠はないものの、「満月の日には出産が多い」と昔から言われています。月の引力によって海が満ち引きをするように、人間の体内にある水分、妊婦さんの場合は羊水が影響を受けているのではないかと考えられているそうです。こんなにも出産が重なったのはそのためなのでしょうか。 私が出産した病院は本来、LDRで陣痛から出産までを過ごせるのですが、その日は分娩がひっきりなしだったので、陣痛誘発剤を投与しながら場所を何度か移動し、分娩間近になって分娩室に移り、そこで出産となりました。 本来ならその後、病室に移動するのでしょうが、前日と同様に満床だったこと、さらに私が産後の貧血がひどくて起き上がることが難しかったため、その日はそのまま助産師さんの目が届きやすい分娩室で一晩明かすことに。次の朝になってやっと病室に空きが出て、病室に入ることができたのでした。 私はスーパームーンだったことなどつゆ知らず。しかし、私自身もその影響を受けて破水をしたのかもしれないと考えると、人体と宇宙と生命の不思議を感じずにはいられませんでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2021年09月06日ベビーカレンダーでは、「子どもがいるっていいな」と思えた瞬間について、実際のママへのインタビューをしています。今回は、産婦人科医の善方裕美先生に3人の娘さんの子育てについて聞いてみました。 善方裕美先生よしかた産婦人科院長。横浜市立大学産婦人科 客員准教授。日本産婦人科学会専門医。女性ヘルスケア専門医。日本骨粗しょう症学会認定医・評議員。年間約800人の赤ちゃんが誕生する分娩施設の院長であるとともに、女性医学の専門家として大学での研究、行政の女性健康セミナー講師、NHK健康チャンネルの出演など情報発信をおこなっている。 子どもが大きくなった今でも「子どもと共に生きている」ー23歳、20歳、16歳の3人の娘さんがいらっしゃるとのことですが、お子さんが小さかったころの思い出などありますか? 【善方先生】上の2人が小さかったころには、すでに夫と開業で産婦人科をしていました。夜遅くに出産があるときには、どうしても対応しなければならない。そんなときには、ひとりをおんぶして、もうひとりを抱っこして分娩室に入ったりしてました。もう、しょうがないですよね(笑)。 昼間の外来診療の時間も預けていて、夜の時間もまた預けるっていうのが私にはどうしてもできなくて…。とにかく一緒にいたかった、できるだけ離れたくなかったんです。だから、子どもたちはそんなふうに私が仕事をする姿を見てきていると思います。 ーそんなお母さんの姿をどう思ってたんでしょう? 【善方先生】長女は今、医学部に行ってます。まさかそうなるとは!とは思って、驚いてます。両親が二人とも医者だと、一般的に「後継ぐんでしょ?」みたいになると思うんですが、私は1回も「医学部に行ったら?」とか言ったことないんですよ。長女が言うには、私が仕事をしている姿は楽しそうに見えたって。「楽しそうだな」「やりがいがありそうだな」「いいな、勉強したいな」って思うんだよねって言うんです。子ども心にすごく私が忙しそうにしているときには、手伝ってあげたいって思ってくれていたそう。私が学会などで勉強している姿は、夢を追っているといういいイメージを持ってくれていたみたいです。 逆に、次女は幼稚園のときにはずっと「お医者さんになりたい!」って言っていたのに、海外に留学したのをきっかけに、全く別の夢を見つけて日本文化を研究する学部の大学生になりました。3人目は、今ちょうど16歳なんで、悩んでいるんじゃないかな。いずれにしても、子どもたちの進む道はそれぞれが自発的に決めるべきだと思っています。ーお子さんたちには楽しそうに見えても、実際は仕事と育児の両立は大変じゃなかったですか?【善方先生】仕事と育児の両立…と言えるようなカッコイイことは何もなくて、日々必死に子供たちと過ごし、やらなくてはならない最低限の仕事に関わって、ごちゃごちゃの時間を過ごしていたら子どもたちが育ってくれた、みたいな感じです。 私は仕事ですごく疲れてても、どんなにつらくても「子どもたちがいれば生きていける!」と思ってました。小さいころはとくに「ママ、ママ!」って求めてくれるじゃないですか。それがうれしかった。子どもたちにおいしいご飯を食べさせてあげたい、情緒豊かに育ってほしい、シンプルにそう願っていて、だから、気持ちの上では「仕事よりも子どもが優先」と思っていました。それがよかったのかもしれないですね。 子どもが大きくなった今でも、娘3人と私は、住む場所は離れているけど、とても仲よしで、音楽という共通の趣味で盛り上がったりしています。自分の年齢があがるにつれ、さらにもっと「子どもと共に生きている」って思います。 子どもたちと一緒に遊んでたときが人生で一番キラキラしてたーお子さんと遊んだりした思い出もありますか? 【善方先生】私、子どもと外で遊ぶのが大好きなんです。自分の子どもだけじゃなく、お友だちのママと子どももみんなで一緒に海や山やアスレチックに行くのが好きで、企画するもの好きでした。今、思い返しても私の人生で一番キラキラしていた時期だったと思います。 ーえーっ!自分が若いときに友だちと遊んだりするよりですか? 【善方先生】全然! 本当に真面目にそう思うんです(笑)。楽しかったな、みんな可愛かったな〜って。私はどちらかというと、ママたちといるより、子どもと一緒になって遊んでるほうが多かったんですけど。 今、コロナや災害もたくさんあって、どんよりしたり、辛かったり、イライラしたり、落ち着かない状態になることも多いじゃないですか。でも、1カ月健診の赤ちゃんが来た瞬間に、赤ちゃんの周りはふわぁ〜っと明るくなるんですよ。 これって、例えば海外の戦時下でも、赤ちゃんの笑顔って変わらないと思うんです。キラキラした目をしてて「世界は素晴らしい」って顔をしてる。何より周りにいる大人たちを巻き込む力があるんです。赤ちゃんが笑えば、大人も笑いますよね。 うちの産院は毎週木曜日に1カ月健診をやってるんですけど、木曜日は幸せでしょうがないんです(笑)。嫌なことも忘れちゃうくらい。赤ちゃんからたくさんパワーをもらってます。 完ミ・混合・完母どれも経験したからどの気持ちもわかるー善方先生は母乳育児を推進しているとのことですが、ご自身の育児ではどうだったんでしょうか?【善方先生】おっぱいに関しては本当に三者三様でした。なので、どのママの気持ちもよくわかります。長女のときには時代的にも生まれてすぐに母子別室。授乳指導も何もなく、おっぱいの咥えさせ方もわからないまま退院し、結局、母乳は断念して乳児用ミルクで育てることになりました。次女は生後6〜7カ月くらいまで混合で頑張ってたんですけど、その後、母乳不足の不安がぬぐえず乳児用ミルクに。三女が生まれるまでの4年間に自分の病院を母子同室にして、母乳指導もしっかりできるようにして…と今と近い形へ変えていきました。 なので、三女を出産するときには妊娠中から当院の助産師さんにおっぱいケアをしてもらって、産後も完全母乳で育てられたんです。それまで、自分はダメなおっぱいなんだってずっと思ってました。すごく悲しかったし、トラウマになっていたと思います。それが、完全母乳にできたことでストンとラクになりました。うれしくてうれしくて、三女は5歳くらいまで飲ませてましたね。 でも、そのうちお姉ちゃんたちから「もう、年長さんになるのにぃ~。いつまで飲んでるの〜?」とか言われるようになって、ある日、自分から「今日はちょっと我慢してみる」って。「我慢しなくていいよ」って言ったんですけど、「でも、がんばれる、大丈夫」って(笑)。それで、私は寂しかったんですが、その日が卒乳の日になってしまいましたね。 ー自ら卒業していったんですね(笑)。【善方先生】さすがに5歳まで飲んでいたからか、高校生になって「私、母乳の味、結構覚えてるんだよねー」とか言うんです。「そんなにおいしくはなかったな。甘いような甘くないような…。でもなんか、ホッとするんだよね」って。 ー味や感覚が記憶にあるんですね。 そうなんです。「ホッとする味」だなんて、すごいいいこと言いますよね。「おっぱいは心の栄養剤なんです」って患者さんにお伝えして、つい仕事に使っちゃうこともあるくらい! 私は自分の子育てと仕事がうまくリンクしてて、子どもたちに教わったことを実践している感じです。 ー最後に、若い女性にメッセージはありますか? 子どもがいなかったら知らなかったこと、感じることができなかったことを、子どもたちからたくさん教えてもらったと思います。子どもが新しい世界を切り開いてくれた。歳を取れば取るほど、子どもがいる生活っていいなと実感することが多いです。これから先もまだまだ楽しみなことがいっぱいあります。子どもたちが結婚したり、母親になったり。私、おばあちゃんになるのが夢なんです。また、赤ちゃんに会える!そうやって命がくり返されていくのが慈しみ深いと感じるようになりました。全然知らなかった世界に連れていってくれて、人生を豊かにしてくれるのが”子ども”という存在なんだと思います。 産婦人科医でありながら、3人のお子さんのママでもある善方先生。子どもがいない人生なんて考えられない!と素直に言える姿は先輩ママとしても素敵でした。大きくなった娘さんとも仲良しの秘訣は、お互いに信頼しているからこそなのかもしれませんね。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年08月31日痛いのがとにかく苦手だというほかほか命さん。和痛分娩を選択したものの、途中で陣痛が遠のいてしまい、急きょ陣痛促進剤を使って出産することに!コツをつかんだ旦那さんが、陣痛の波に合わせてテニスボールで何度も押してくれます。 助産師さんが、お産の進み具合をチェックすると……? 「もうすぐ赤ちゃんに会えますよ」 希望していた和痛分娩を中断して、陣痛促進剤を使った出産。 思ってたんと全然違う展開に困惑しつつも、待ちに待った、赤ちゃんとの対面は、近い……! 次回、いよいよ、いきみます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2021年08月28日助産師・国際ラクテーションコンサルタントの榎本さんが、出産のときに時々あるちょっと困ったパパについて教えてくれました。例えば、立ち会い出産時に動画をずっと撮っているパパなどです。立ち会い出産の本当の目的は出産するママのサポートです。立ち会い分娩はどれくらいの夫婦がしてる?「母親が望む安全で満足な妊娠出産に関する全国調査(2013年・厚生労働科学研究)」によると、分娩室で立ち会いをした「夫」は53%。経膣分娩に限れば、立ち会いをした「夫」は59%で、2006年の調査の39%から大幅に増加しています。しかし、強制するものではありません。実際は、赤ちゃんが産まれてくる足元をみるものではなく、頭側にいてママをサポートするのですが、赤ちゃんに付着する出血などを見るのも苦手な男性には少なくありません。また、最近はコロナウイルス感染予防のために、夫の立ち会いを一時中止している施設も多いです。2人でよく話し合って、立ち会いをどうするか決めていくことが必要です。陣痛中は一緒にいて分娩時は外で待っててもらう、途中で気分が悪くなったり立ち会いが続けられない気持ちになったら外で待つなど臨機応変にするなどにしてもいいかと思います。立ち会いができ、それを望む場合に知っておいてほしいことをお伝えします。 立ち会い出産で何をすればいいの?立ち会い出産でパパの役割はたくさんあります。何をしたらいいかわからない場面も多いと思うので、助産師と相談しながら試してみましょう。ここでは陣痛中と分娩時のおすすめサポートを教えます。 【陣痛中】・腰などのマッサージ・腰やお腹を温める・お産が進まないときなど院内散歩の付き添い・お産が進んできて児頭が降りてくると辛いのでお尻(肛門部分)の圧迫・吐いてしまうこともあるのでその介助・陣痛の合間に飲み物や食べ物がとれるように介助・精神的なサポートなど 【分娩時】・出産時いきむ時の体制になるようサポート・陣痛の合間に水分がとれるように介助・汗を拭いたり、うちわであおぐ・声をかけたり精神的なサポートなど 動画撮影のタイミングはいつ?赤ちゃんが生まれてくる大事な瞬間を記録に残しておきたいという気持ちは、よくわかります。しかし、撮影は最低限にして、無事に出産できるように2人で頑張ってお産に集中することも大切です。陣痛のときに、撮影しているパパもいますが、痛みが強くなってくると余裕がなくなり撮影どころではなくなってくる場合が多いです。無痛分娩ではママに余裕があるため撮影をしているパパもいますが、お産が進んで分娩準備をするようになったら、動画撮影をしてもいいかと助産師に確認するようにしましょう。赤ちゃんが生まれた直後は写真撮影のみ許可という病院も多いです。出産後落ち着いてから、動画撮影ができる場合もあるのでそのタイミングも助産師に相談してみてください。立ち会い出産は、パパにも役割がたくさんあります。思い出の記録を残すことも大切ですが、無事に赤ちゃんが産まれてくるように2人で頑張ってほしいなと思います。動画撮影や写真撮影だけに集中しないようにして、家族の心の中に、新しい家族を迎えるいい思い出となるように、お産に取り組んでいただけると幸いです。 監修者・著者:助産師 国際ラクテーションコンサルタント・おむつなし育児アドバイザー 榎本美紀2001年に助産師免許取得後、杏林大学医学部付属病院・さいたま市立病院・順天堂大学練馬病院の勤務を経て、2013年に埼玉県さいたま市に訪問型の助産院「みき母乳相談室」を開業。病院勤務での経験を元に、母乳育児支援の国際ライセンスである国際ラクテーションコンサルタントとして、地域の母乳育児を支援。訪問時の相談は多岐にわたり、おむつなし育児アドバイザーとしてトイレトレーニングなどの相談も。一児の母。
2021年08月26日健康妊婦だったにもかかわらず、出産時突然「子癇発作(しかんほっさ)」を起こして意識不明になった私。母子共に奇跡的に無事だったものの、最終的には子どもと離れ、ひとりMFICU(母体胎児集中治療室)に運び込まれることになってしまった私の慌ただしい出産体験を、反省と共にお話しします。 ※子癇発作(しかんほっさ):子癇とは主に妊娠20週以降に初めて起きるけいれん発作のことで、てんかんや二次けいれんではないものを言います。初産婦さんや若い妊婦、妊娠高血圧症候群の人に多いと言われています。 順調なお産と思っていたのに!?出産予定日を1週間超過し、この日に出産兆候がなければ陣痛促進剤を打つと言われていた「最後の健診日」の直前、尿漏れか迷うくらいのわずかな破水から出産がスタートした私。即入院となり、陣痛は徐々に強まるものの、なかなか子宮口が開かずいきめない状態が続きました。 深夜を過ぎても赤ちゃんは頭すら出てこず、結局陣痛促進剤を使用することになったのですが、分娩台に移動し点滴を打たれた瞬間、次に目覚めたのはなんとストレッチャーの上でした。 まるで医療ドラマ!まさかのMFICUへ「名前言えますか?」「今何月何日ですか?」と聞かれ、半分寝ながら答えていると、なぜか号泣している夫を発見。どうもただ事ではない何かが起きたようだと、そのとき気づきました。 そして助産師さんから「生まれたよ」と赤ちゃんを見せてもらって、初めて出産中だったことを思い出したのでした。その後、産院からはるか50km離れた大学病院でMRIを受け、MFICUに入りましたが、自分がMFICUにいると気づいたのは入院して3日経ってからでした。 お祝い膳もなし…予期せぬ入院生活立ち会い出産をしていた夫から、分娩台でけいれんを起こし泡を吹いて倒れたこと、緊急帝王切開で子どもは無事だったことなどを聞かされた私。実は、健診では正常値だった血圧が出産当日だけ正常値をやや超えていたのですが、それとは別に陣痛促進剤を投与される直前、頭痛とチカッとした光を感じていました。 すべて子癇発作の前触れだった可能性があると、あとから知ってびっくり。予定していたお祝い膳やマッサージはもちろんなくなり、わが子に会えずに搾乳した母乳を運んでもらう入院生活となりました。 最後まで何が起こるかわからないのがお産。甘く見ずにもう少し自分で情報を得ておくことが大切だったと反省しました。特に妊娠高血圧症候群でもなかったので病院での指導などはなかったものの、事前知識があれば倒れる前に相談し、何か対処できたかもしれません。自分の体のことは自分にしかわからないので、陣痛中は我慢をせずに、ささいなことでも看護師さんや助産師さんに相談してみればよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:大瀬木あさみ炭水化物と漫画があれば生きていける1男1女の母。1人目妊娠でうっかり退職してしまい、産後は職を転々としていたが、現在はライターとして漫画・アニメや子育て、グルメなど興味がある分野を中心に執筆中。
2021年08月26日出産予定日1週間前、高位破水し入院に。陣痛が始まりました。痛みにすごく弱いというほかほか命さんが選択したのは「和痛分娩」。和痛で産みたい! でも麻酔が怖くて何度も動いてしまい、ベテラン助産師さんブチ切れ! 事前に観た無痛分娩動画では、もっと穏やかに進むものだと思っていたけれど……!? まるで…捕らえられたモンスター 「ねぇ! コレ本当に合ってる?!!!」 ベテラン助産師ムラカワさんに、思いっきり丸め込まれて、思わず確認しちゃう、ほかほかさん。 3回目のチャレンジで、無事成功したのでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2021年08月22日漠然と「高齢出産」という言葉に不安を感じながら経験した妊娠・出産でしたが、振り返ってみると高齢出産のメリットもあったと感じています。年齢はどうすることもできない問題ですが、年齢を重ねて得てきた経験が妊娠・出産・子育ての糧になっていると感じます。私の高齢出産の経験をご紹介します。 自分が高齢出産だとわかり感じたこと妊娠がわかる前は、もうすぐ高齢出産の年齢になるのでできるだけ早く妊娠、出産をしたいと希望。けれども妊娠・出産の時期を自分の思い通りにコントロールすることはできません。わかっているけれど焦ってしまいます。 そして、高齢出産の年齢に差しかかったある日、妊娠が判明。高齢出産になってしまったことに対して、不安な気持ちがありました。今思うと、高齢出産のネガティブなイメージにとらわれ過ぎていたのだと感じますが、そのときはポジティブに考えることができずに過ごしていました。 高齢出産のメリットはメンタルの安定妊娠・出産・子育てを経験して気づいた高齢出産の良いところ。私にとって一番のメリットは、メンタルの安定でした。若いころには我慢できなかったであろうことがさほど気にならなくなり、何かを我慢するというストレスが少なかったと感じます。 実際、若いママと触れ合う機会では、もっと自分のことをしたいというような会話もよく耳にします。若ければ若いほど、我慢するという感覚を強く持つのかもしれないと思いました。 高齢出産のデメリットは体力低下反対に高齢出産のデメリットとして感じたことは、体力の低下です。個人的には定期的に運動をして体を鍛えていたので、体力には自信がありました。けれども、妊娠から出産までの長い間に体力はどんどん低下し、おなかも大きくなるので体を自由に動かすことができなくなっていきました。 そして、高齢出産は体力的にきついという話をよく耳にしていたので、無痛分娩も視野に入れたほうがいいと思うようになりました。 無痛分娩で体力不足をカバー無痛分娩は出産直前まで悩みましたが、陣痛がつらかったため直前に無痛分娩に切り替えることができました。入院する産院を決める際、無痛分娩が可能な産院を選んだことがよかったと思います。 実際お産は14時間ほどかかり、無痛分娩を選択したおかげで体力を温存することができました。高齢出産の知人も無痛分娩を選択したのですが、同じように「体力を温存できてよかった」という感想を持ったようです。 年齢によってそれぞれ強みが違うので、自分の強みを考えながら、できることをこなしていくことが妊娠・出産・子育てをスムーズに運ぶために必要になると感じました。若いママに体力は敵わないけれど、できる部分を工夫することで、高齢出産ママの頑張る姿を子どもに見せていきたいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/キヨ著者:田中瑠美自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月13日2020年、私はコロナ禍で第1子を出産することになりました。大学病院を選んだため、コロナ対策で立ち会いはおろか、面会も一切禁止。ずっと前から夫婦で立ち会い出産を夢見ていたのでショックでしたが、あきらめざるをえませんでした。結局、他の産院に移ることもなく、そのまま大学病院で出産することに。しかし、何かいい方法はないかと病院と相談。今回私が体験した、コロナ禍だからこそできたにぎやかな出産についてお伝えします。立ち会い不可! 面会も不可!妊娠3カ月のとき、夫の仕事の都合で実家がある関西から北陸地方へ引っ越すことになり、右も左もわからない土地での出産となりました。いろいろな産院を調べたところ、コロナ禍でも立ち会いや面会が可能なところもありましたが、私の場合は体外受精での妊娠、また高齢出産ということもあって、リスクケアを重視し大学病院を選びました。 地域の中核病院となる大学病院では本来は1人まで出産に立会うことができていましたが、コロナ禍で立ち会いはおろか面会も一切禁止に。見知らぬ土地ということで会話のテンポが違うことや方言が理解できずとても孤独でした。そして誰も会いにこられないなかで初めての出産をすることになりました。 リモート立ち会いなんとか出産の瞬間を家族と共有することはできないか助産師さんに相談し、LINEのビデオ通話での中継を思いつきました。しかもLINEならグループでテレビ電話をすることもできます。お医者さんや助産師さんも携帯電話の操作や設置を協力してくれるとのこと。 まずは、事前に夫や関西にいる家族の総勢5名でLINEグループを作成。参加者にはビデオ通話がかかってきたら出てもらうようにあらかじめ打ち合わせしておきました。 LINEが可能にしたにぎやかな出産分娩室に移動する直前、とてつもない痛みに襲われながらも、なんとかグループLINEのビデオ通話ボタンを押すことに成功! 携帯電話スタンドを持ち込んでいたので顔だけが映る角度に病院の方々に設置してもらい、いざ出産! 分娩室に移動してから約1時間後、携帯電話からみんなが送ってくれる声援に励まされながら、無事長男を出産することができました。病院の方に協力していただき、ぐったりする私の横でみんなのうれしそうな声が聞こえてきました。 リモート立ち会いの良さコロナ禍以前、大学病院のルールでは1人まで出産に立会うことができていました。しかし今回リモート立ち会い出産によって、本来なら立ち会うことができない人数や、遠方の家族とも誕生の瞬間を共有することができました。生まれたばかりの元気に産声をあげる長男の様子を病院の方がグループLINEに映してくださり、家族全員見ることができました。 振り返ると、とてもにぎやかな出産だったなと、いい思い出です。いつか長男が大きくなったら「あなたが生まれたときはコロナ禍で大変だったけど、たくさんの人に見守られてとてもにぎやかな出産だったのよ」と話してあげようと思います。1つ改善点をあげるなら、陣痛中に通話ボタンを押すのは大変だったので、余裕のあるときにつないでいればよかったと思います。 監修/助産師REIKO著者:竹内 かなこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月09日5人出産した母から、出産までに時間がかかったり、難産だったという話を聞いたことがありませんでした。また、私より先に出産を経験した妹も、陣痛から十数時間かかったものの、安産だったと聞いていたので、私も当然2人と似たような出産体験になるんだろうなと安心しきっていました。そんな私が体験した出産までの道のりについてご紹介します。 「今日中に生まれますよ!」を信じて妊娠38週4日の朝6時、便意にも似た痛みを数分おきに感じたので早速病院に連絡。7時に病院へ到着し診察を受けると、子宮口がすでに開き始めているので「今日中に生まれそうだよ!」と助産師さんからうれしい言葉が。 でも、よく考えるとその時点で「今日中? そんなに時間がかかるんだ」と疑問に思ったものの、その言葉を信じて、あとちょっとで生まれるんだと期待に胸を膨らませていました。陣痛も7分おきにきていましたが、痛みはさほど強くなく、まだまだ笑って過ごせる程度でした。 激しい陣痛、でも子宮口が開かない!その後、子宮口がなかなか開かず、結局今日中に生まれるという予想とは裏腹に日をまたぐことに。そのころには、陣痛の間隔は4分おきになり、腰を押してもらわないと痛みに耐えられないほどまでになっていました。 早く分娩台に移動して陣痛から逃れたい!と願っていたものの、まだまだ子宮口が開いていないから分娩台へは行けないと言われるだけ。深い眠りに落ちても激しい痛みで目が覚め、また収まると眠るを繰り返し、とうとう朝を迎えました。 陣痛開始から32時間後、分娩台へ!午後2時、数分おきにくる激しい痛みを伴った陣痛に耐えながら、子宮口が10cmと十分に開いたので、助産師さんから分娩台に行けるという言葉をようやくいただきました。 陣痛が身もだえるような痛みになってから実に15時間後、寝ずに腰を押してくれていた夫も疲労困憊のなか、ようやく分娩台に上がることに。しかし、やっと終わると思ったのも束の間、今度は陣痛の間隔が12分おきになり始めたのです。 最後の最後に陣痛促進剤の投与私の疲労がピークに達していたため、陣痛の間隔が狭くなるのを待てないという判断から、陣痛促進剤を打つことに。陣痛促進剤を打って効き始めるまで1時間ほどかかり、その後、陣痛の間隔が狭まってから約30分後、無事に第1子を出産することができました。 分娩中はつらい陣痛とおさらばできるという喜びのほうが勝っており、つらいというよりは、やっと終わるというワクワクのほうが強かったです。 出産前、いろいろな方から出産体験を聞きましたが、自分のお産は体験するまでわからないと痛感しました。また、私の場合は出産そのものよりも陣痛のほうがはるかにつらかったことがとても意外でした。私は現在、第2子・第3子となる双子を妊娠中です。どんなに長くかかろうと終わりのない出産はないので、愛しいわが子に会うため、出産に向けて今から心構えをしておこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:山口まなみ2歳の女児の母で、5月には双子を出産予定。韓国人の夫と家族3人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2021年08月05日コロナ禍での出産となり、希望していた家族の立ち会いが叶わなかったママ。出産の様子を動画に残したいという思いから、出産直後に頑張って自分で撮影してみた結果……、臨場感あふれる衝撃映像が撮れたそうです。 「第1回 ベビーカレンダー 体験談&マンガ投稿コンテスト」にて見事予選を通過した、ますまゆさんの出産&子育てマンガ。今回は、惜しくも受賞とはならなかったものの、ベビーカレンダー編集部内で評価が高かった隠れた名作をご紹介いたします!コロナ禍ならでは!?貴重な出産ムービー私が出産したのはコロナ禍。もともとは立ち会い分娩希望でしたが、感染対策のためそれも叶わず、家族に撮ってほしかった出産ムービーも半分諦めていました。 しかし、もしも出産直後に体力が余っていたら、自力で赤ちゃんを撮れるかも?と、分娩台の枕元にスマホを置いておいた結果……!? 奇跡的に撮れた私の衝撃ムービーの内容を、マンガでご紹介します。 先生にも、「赤ちゃんが出てすぐに自撮りでムービーをまわす人はこれまでいなかった」ととても驚かれました。スピード出産で体力が余っていて奇跡的に撮れたムービーには、産後まだ荒い呼吸や、赤ちゃんの生まれて間もない泣き声と動き、胎盤が出るその場の雰囲気や縫いながら先生と話した内容までばっちり残っています。 見返すたび、当時の状況がはっきりと思い出せる臨場感たっぷりのムービーになりました。いつか子どもが大きくなったときに見せてあげるのが楽しみです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ますまゆ6歳と0歳4ヶ月の姉妹の母。育休中の時間を使ってインスタ、ブログにて育児や出産エピソードを執筆中。大の漫画好きで、日々の楽しみは寝かしつけ後漫画アプリを徘徊すること。
2021年07月29日夫の仕事の都合でシンガポールで妊娠した私。シンガポールでは無痛分娩が主流なため、健診を重ねていくなかで私も絶対無痛分娩にしたい!と思うように。出産は日本へ一時帰国し、里帰り出産となりました。私が体験した無痛分娩の流れや、実際におこなってどうだったのかお伝えします。 無痛分娩について知る私が出産した病院では、無痛分娩を希望する場合、病院が主催する無痛学級を受けて無痛分娩について知ることから始まります。この病院では、背中に細いチューブを入れて、チューブを通して背中に麻酔薬を注入する硬膜外麻酔という方法でした。陣痛による痛みを完全に取るのではなく、7〜8割和らげる程度で、分娩中は意識もあるので、いきみながら出産し、出産直後の赤ちゃんを抱くこともできるそう。また、無痛分娩でのリスクについても先生から説明がありました。 いざ、計画無痛分娩へ夫に帰国して出産に立ち会ってもらうため、出産日を事前に決めておく“計画”無痛分娩にすることに。出産予定日の12日前に入院日が決まりました。入院してすぐ浣腸をし、それから手術台へ移動、いよいよ背中にチューブを入れます。このときが緊張度MAXでした。 手術台の上で横向きになり、体育座りのように体をしっかり丸めます。私の緊張をほぐそうと先生は雑談をしてくださっていましたし、このチューブを入れるための麻酔も普通の注射のような痛みだったので、心配していたような痛みや不安はなく、チューブの挿入はあっという間に終わりました。 無痛でも痛みはそれぞれその後バルーンで陣痛を促し、痛みが出てきたらその都度看護師さんに伝え、麻酔薬を調整してもらうことに。私の場合、1人目のときは比較的陣痛を感じて「もうこれ以上の痛みには耐えられないかも」という痛みも経験しましたが、2人目のときは痛みまではいかない便意のような圧迫感だけでした。いきみは助産師さんの指示に合わせておこないますが、陣痛の波に合わせて圧迫感はあるので、2人目のときは「いきむのじょうず!」と助産師さんに褒められたのを覚えています。 出産後の体調は出産後は、しばらく分娩台の上で安静にするように言われました。私の場合、出産後少ししてからひどい頭痛を感じ、横になっているのに貧血のように血の気が引いている感覚がありました。そして、夕食も運ばれてきたのですが食欲もなく、分娩台で食べる気にもなれなかったのでまったく食べられず……。 その後、尿意を感じたら回復してきた兆しということで、看護師さんに付き添われトイレへ。それから車椅子で病室まで移動しました。心配していた後陣痛もほとんど感じなかったです。 「無痛分娩って怖い」という話をよく聞きます。たしかに麻酔による事故などニュースで目にすると怖く、私も不安はありましたが、この出産法について深く知ることで不安も軽減され、無痛分娩を選んだことで私たち夫婦2人の心の負担が軽くなったのを感じました。体の回復も早く、私は無痛分娩を選んでよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:福寿みさき年中男児と年少女児の年子兄妹の母。中国語が得意で趣味は旅行。旅行業界で働いていたが、夫の海外赴任を機に退職。海外で妊娠・育児を経験。現在は帰国し、ライターの経験を生かし幅広く執筆中。
2021年07月27日現在2歳の次男を出産したときのことです。自宅近くの人気産婦人科で分娩予約をした私。きれいな個室に入院できるというのが売りの産婦人科でした。妊婦健診のときに個室を見学すると、大きな窓からさわやかな風が入り、トイレや洗面台もある広々としたお部屋で、「赤ちゃんとこんな素敵なお部屋で過ごせるなんて楽しみだな」と胸をときめかせていました。でもいざ出産したときには、想定外の展開になってしまいました。 看護師さんから衝撃のひと言出産予定日前日の朝、陣痛が始まり入院。その日の正午ごろに次男が誕生しました。出産直後、私は分娩台で会陰を縫ってもらいながら「早く素敵な個室でお昼寝をしたいな」なんてワクワクしていました。 そのまま分娩台で少し体を休ませたあと、看護師さんが迎えにきてくれ、車椅子に乗りました。すると看護師さんから「出産ラッシュでお部屋が空いていないので、別のお部屋に行きますね」と衝撃の告白をされたのです。 狭くて暗い処置室へ連れて行ってもらった部屋のドアには「処置室」と書かれ、室内にあるのはベッドと小さなテレビのみ。狭くて圧迫感がありました。小さい窓が天井近くにあるだけで、薄暗い印象。トイレや洗面台はないため、お見舞いにきた人が使う共用のトイレまで歩いて行かなければなりません。 看護師さん曰く、私の出産日の2日前が出産ラッシュだったとのこと。20室ほどある個室が、私が入院する直前に埋まってしまったのでした。看護師さんからは「個室が空き次第移動できるので、それまで我慢してほしい」と言われました。 本当に移動できるのか不安「ちゃんと個室分の予約金を払ったのに」とか「いつ個室へ移動できるんだろう」とイライラしてしまう一方、「出産ラッシュは誰のせいでもない」という気持ちもあり、モヤモヤ……。 病院スタッフの皆さんは、入院患者が多くていつも以上に仕事が大変だというのもわかるので、不満も言えません。結局、2晩を処置室で過ごし、母子同室が始まる日の朝、やっと個室へ移動できました。次男との同室生活は、予定通りの個室で過ごせたのが救いでした。 想定外の入院生活になってしまいましたが、退院時に個室分として払っていた予約金が数万円返ってくるという臨時収入もありました。このお金で少し質のいいおむつなどを買えたので、今では結果オーライかなと思えるようになりました。 監修/助産師 REIKOイラストレーター/そら著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年07月26日現在2人の女の子の子育て中です。長女を出産したのは7年前。入院中から娘を産んだあとまで、夫の何気ない行動にイラっとしてしまった出来事がいくつかありました。 今回はムカついたエピソードを3つ紹介したいと思います。 何ぐっすり寝ているの?夫は病院に行くところから分娩までずっと付き添っていてくれました。陣痛が24時にきて、病院に向かいそのまま入院、娘は翌朝の7時に生まれました。初めての出産で緊張していたのに加え、陣痛も来ていたので、その日私は一睡もできないままの分娩。 ところが夫はというと、その横でぐっすり! うとうととしてしまうのは仕方がないと思いますが、「明日に備えてもう寝るわ」と宣言され、その後、分娩直前までたっぷりと睡眠をとったのです。そのときのやるせなさと言ったら⋯⋯! いくら何でも撮りすぎじゃない?分娩前だけではなく、分娩中の行動でも夫にムカついたことがあります。それは、写真をひっきりなしにたくさん撮っていたこと。夫は元々カメラが大好きでよく写真を撮ります。 出産の様子もきちんと記録するぞ、と張り切って一眼レフカメラを病室に持ち込んでいました。私も分娩の様子や赤ちゃんとの対面を撮ってくれるのは喜ばしいことだと思っていたのですが、あまりにもずっと撮っているので段々とイライラ。もう少し「私を気づかったらどうなの?」と思いながら陣痛の痛みに耐えていました。 そしていざ出産、私の痛みはマックス! 夫のシャッターを切るスピードもマックス!「もう撮らなくて良いから!」とキレてしまいました。 周囲に安産だったと言う長女は病院に着いてから7時間で生まれました。初産にしてはとってもスムーズだった、と取り上げてくれた助産師さんも仰っていました。しかし、初めてのお産は恐怖と痛みの連続、私はガチガチになりうまく声を出して痛みをまぎらわせることもできず、いつまで続くかわからない陣痛の痛みと闘っていました。割と静かに耐えていましたが、痛さは強烈でした。 なのに、お見舞いにきてくれた方々1人ひとりに夫は、「超安産でスルッと出てきた」と説明するのです。寝ていたからあっという間だと感じたんだよ! そして「安産だった」と語ってよいのは産んだ本人だけだから!と強く思いました。 このように長女を出産してから7年経った今でも、産後ムカついたことについては鮮明に覚えています。そしてまだ根にもっていて、何かの折に触れ「あのときは」と話しています。長女のときはいろいろとムカつきましたが、次女の出産時には再三注意してから出産に臨んだのできちんとサポートしてくれました。 監修/助産師REIKOイラストレーター/山口がたこ著者:小川恵子6歳と2歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2021年07月22日息子を自然分娩で出産後、問題なく退院し育児に専念していました。しかし、子宮の中に菌が入って感染したかもしれず、鮮血の悪露が続き、高熱を出し再入院となってしまいました。産後の高熱についての体験談をご紹介します。 出産は安産だった2月に自然分娩で息子を出産し、産後は大量の悪露に驚きましたが、病院の先生に問題はないと言われ安心していました。退院前の診察も母子共に異常なしと言われ、予定通り1週間で退院。 入院中は初めての出産と育児で手探りの状況ではありましたが、私自身食欲もあり体調も良く、育児用ミルクを足さなくてもいいくらい母乳も出ていて、大きな困りごとはありませんでした。そして産後は私の家庭の事情で夫の実家に1カ月お世話になることになっていたのですが……。 出産から10日後に再入院退院してすぐ寒気を感じましたが、冬だったのであまり気にしていませんでした。しかし、4日後、ひどい肩こりのような異常な首の痛さで起きていられなくなってしまったのです。 おっぱいが張っているときは首で体温を測るように言われていたため首で熱を測ったところ、40度超え! さらに首の痛みはひどい頭痛に変わったのです。 病院に電話で相談後、診察に向かうことになりました。病院へ向かう間、息子と一緒にいられないことと、体調不良で夫のご両親に迷惑をかけたことで涙が止まりませんでした。そして、病院で血液検査をすると炎症と白血球の値が高く、悪露は鮮血、熱も高いため入院が決まりました。 鮮血の悪露と血液の炎症が止まらず入院後も熱と頭痛は2日ほど続き、産後1週間経っても止まらないなと気にしていた鮮血の悪露も続きました。入院時から抗生剤と栄養剤の点滴をしていましたが、2日ほどはひどい頭痛で鎮痛剤の坐薬を入れてもらわなければ眠れないほど。その間息子は夫の実家で見てもらっていたのですが、搾乳してもおっぱいの痛みが治まらず、どこもかしこも痛かったです。 生まれてからずっと一緒だった息子と離れているのも、つらくて仕方がありませんでした。5日後の血液検査で炎症の値は変わらずですが白血球の値が下がったので退院の許可が下り、息子のもとへ帰ることができました。お医者様から聞いた話だと発熱や鮮血の悪露が続いた詳しい原因はわからず、子宮の中に菌が入ってしまい感染した可能性があったようです。結局、鮮血の悪露が止まったのは出産から1カ月後でした。 結果的には無事に退院することができたのでよかったですが、高熱が出たときに息子と2人きりだったらと思うと今でも恐ろしいです。夫には入院中着替えや日用品を届けてもらい、夫の両親には息子を見ていただき本当に感謝しています。普段は風邪もひかない私が高熱で入院することになるなんて、本当に出産は何が起きるかわからないと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:長岡 まこ年子の男の子2人の母で、産休育休を経てフルタイム共働き中。家電量販店で働き家電の販売や携帯電話の契約を経験。生活を豊かにする家電製品が好きで、個人的には食洗器・ドラム式洗濯機・ヘルシオはマスト!
2021年07月21日初めての出産を控え、本場のフランスでソフロロジー式分娩を猛勉強した私。ソフロロジー式分娩とは、陣痛の痛みを受け入れ、ヨガのように心と体をリラックスした状態で分娩に臨むことで、痛みを和らげることができるとされる方法です。助産師さんに質問したり、本を読んだりしてイメージを抱きながらいざ出産! しかし、実際は理想とはかけ離れた分娩でした。そんな私のソフロロジー分娩体験を紹介します。 本場フランスのソフロロジー式分娩「どうしたら分娩中の痛みが薬なしで和らげられるのかな?」と妊娠期間中に調べていて出合ったのが、ソフロロジー式分娩。なんとフランスが本場! しかし実際は、フランスでは無痛分娩が80%で、今ではソフロロジー式分娩を選ぶ人はほとんどいないようです。 もともとヨガをしていた私は、ソフロロジー式分娩が一番私に合っていると思いました。出産前に助産師さんに教えてもらった息を長く吐く呼吸法を練習し、イメージトレーニングでは陣痛が来たらおなかをさすりながら赤ちゃんに声をかけて陣痛の痛みに集中しないようにする練習を重ねていきました。 万全の用意で陣痛開始! しかし…妊娠40週2日のこと。「あれ? これって陣痛が始まったのかな?」と就寝中に目が覚めて、違和感を覚えたのです。そこで、用意しておいたリラックスできる音楽をかけて、イメージトレーニングを始めました。 練習のときのように、痛みがきたらおなかの赤ちゃんに声をかけ、おなかをなでて一緒に痛みのつらさに耐えていきました。ところが、痛みが強烈になっていくと同時に余裕がなくなって、ソフロロジーどころではなくなったのです! 痛みでパニック! ソフロロジーはどこに?陣痛と陣痛の間は我に返り、「違う違う! こうしなきゃ」と焦りながらも、強烈な陣痛の痛みに「あ゛~!」と腰をなでることしかできなくなりました。ややパニック状態になり、音楽がイライラしてきて遮断。 意識できたのは呼吸法だけ。私のパニック状態に夫も焦り、夫婦2人で不安の中自宅で陣痛に耐えていました。しかし、病院に到着すると冷静な助産師さんの対応で落ち着くことができ、無事安全に出産を終えることができました。 ソフロロジー式分娩を勉強し、万全の状態で挑んだ分娩。しかし、実際は予想をはるかに超える痛みで、理想の分娩ではありませんでした。でも、私の通っていた病院では子宮口が5cm開くまでは自宅待機だったのですが、そのつらい時間はソフロロジーのおかげで痛みを和らげることができたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと漫画家。6人家族で、双子を含む4姉妹のママです! 今は主にイラストを描いていますが、もとは紙面で漫画を描いていました。
2021年07月12日天明麻衣子さんは東京大学文学部を卒業後、NHK仙台放送局契約キャスターとして活躍。スペインに1年弱移住しながら、一般企業勤務を経て2014年に結婚。帰国後はフリーアナウンサーとして幅広い活躍をおこなっています。また、2021年の4月からは東京大学の大学院に入学し、現在は第一子を妊娠中。7月にご出産を控えています。前回はコロナ禍の妊娠や、妊娠中に東大の大学院院を受験したときのお話などを聞かせていただきましたが、今回はコロナ禍の出産事情を中心に、お話しを聞かせてもらいました。今回は不妊治療の際、血液検査で判明したという「橋本病」についてもお答えいただきました。 不妊治療時の血液検査で判明した「橋本病」画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー2021年5月18日のInstagramで検査を受けたところ、「(※1)橋本病」が判明したとの投稿を拝見しました。妊娠中は早産や流産の原因にならないよう投薬が必要ということで、現在は甲状腺専門の病院にかかり、服薬しているそうですね。検査がキッカケで判明されたようですが、どのような検査だったのでしょうか? 天明さん:不妊治療のときにみんながやるような普通の血液検査でした。 ー甲状腺専門の病院には、どれくらいのペースで通院していますか? また、お薬はいつまで飲まなければいけないと言われていますか? 天明さん:大体月に1回ほどで定期的に通院しています。薬は出産まで飲むような形になっていて、医師からは「出産したらまた来てください」と言われています。 ー橋本病とわかってから、ご自身が現在大変だと思っていることは何かありますか? 天明さん:わりと私は症状がないほうなので、大変だなと思っていることは実はあまりないんです。毎朝起きて薬は飲んでいますが、それだけなので特に苦にはなっていないですね。 ーパパの反応はどのような感じでしたか? 天明さん:夫もあまりその辺りのことは詳しくないので「薬飲んで大丈夫ならいいんじゃない? 」という感じでしたが、普通の妊娠で通っている病院とはまた別の専門病院に通院しなくてはならないので、「ダブルで大変だね」というような感じで気遣ってくれています。 (※1)……自己免疫の異常により、甲状腺に慢性的な炎症が起こる病気です。主な症状としては、全身のむくみや無気力、だるさを感じやすい、寒がり、体重増加、便秘、かすれ声などが挙げられます。女性に多い病気で月経不順、不妊や流産の原因になることもあるため、症状がみられたら早めに病院に相談することが大切です。 産後の体の回復を考え、出産方法は無痛分娩を検討中画像出典:天明麻衣子さんのInstagramより ー出産方法は何を考えていますか? 天明さん:私の通う病院では、実際出産するときに出産方法を選べる感じです。なので、無痛分娩でも可能なように予約はしている状況ですね。すでに、無痛分娩に関する講習を受けていて、病院の先生からは「必要になったら、いつでも対応します」という感じで言ってもらっています。 ー今の時点では、無痛分娩で出産したいと思っているのでしょうか? 天明さん:そうですね。できれば痛くない方法で出産できればありがたいかなと思っています。 ー無痛分娩で産みたいと思う理由は、出産時の痛みに対する不安だけでしょうか? 天明さん:友達が無痛分娩で何人か産んでいて、第一子、第二子で違ったという人もいたんですけど、「体の消耗具合などが全然違うし、おすすめするよ」と言われて、それを聞いていいなと思いました。やっぱり産んで終わりじゃないのと、初めての育児ということもあり、できるだけ体のコンディションが良い状態でお世話したいなと思いまして。 ーパパには無痛分娩を希望していることをお話ししましたか? 天明さん:はい。無痛にしたいというのは話しています。夫は「出産する本人に任せます」という感じで賛同してくれていますね。 ー今、コロナ禍で両親学級が中止になっているという話も聞きます。天明さんは参加しましたか? 天明さん:私は区と病院の両方で受けることができたんですが、区のほうは私だけ参加してオンラインで受けました。病院のほうは夫と2人で行ったのですが、そのときはマンツーマンで教えてくれましたね。 ー立ち会い出産などに制限をかける産院さんも多いようですが、その辺りはいかがでしょうか? 天明さん:私の通っているところは、1人だったら入れる感じです。今回初めての出産になるので、荷物どうしようとか、水飲みたいときに自分だけだとキツイかなというのもあり、サポート要員として夫に付き添ってもらう予定でいます。あとは急に帝王切開になったときなど、サインが必要だったりすることもあるかもしれないので、誰かしらいたほうがいいなぁと思っていて。 ーそうなのですね。パパは立ち合い出産を楽しみにされている感じでしょうか? 天明さん:「足手まといにならないかなぁ……」という心配そうな感じでしたね。ただ、私も出産が初めてなので、「そんな自発的にしなくていいから、頼まれたことをやってくれればいいから」という感じで伝えています(笑)。 ー里帰り出産は特に考えなかったですか? 天明さん:母が亡くなっていて、父は横浜にいるんですけど、父が戦力になるかは微妙なので……(苦笑)。あと、荷物とかいろいろ用意することを考えると、住み慣れた家のほうがいいかなぁと思いました。なので出産を終えたら、向こうが来るのか、こっちが行くのかは分かりませんが、子どもの顔を見せられたらと思っています。 みんなで子育てをして、余裕のあるママでいたいー子育てをするとき、どんなことにこだわりたいと思いますか? 天明さん:みんなで子育てをしたいな思っています。なので、私だけで子どもを独占するのではなく、子どもと夫だけの時間だったり、シッターさんとかにも来てもらって、私以外の人と過ごす時間というのを子どもに慣れて欲しいというのは若干ありますね。例えば、私もママだけど1人でカフェでお茶をしたり、本を読んで勉強するなど、自分の時間をある程度は確保したいなと思っています。 ーどんなママになりたいですか? 天明さん:なかなか難しそうですが、余裕のあるママになりたいです。使えるツールなどを使って精神的、時間的なゆとりを持ちつつ、イライラしないママになりたいです。余裕がないと子どもにも結構つらく当たっちゃう気がするので、なるべくイライラを減らしたいなと思っています。 ーこれからママになる方に、メッセージをお願いします! 天明さん:私もこれからママなる立場なので、全然偉そうなことは言えないんですけど……。不安になったり、つらくなったりすることもあると思うんですけど、ネットとかを見て救われることもあれば、逆に追い詰められてしまうこともあると思うんです。なので、最後は自分を信じることが大事だなと思います。適度に気分転換などをしながら、肩の力を抜いて一緒に頑張っていきましょう! この度は取材にご協力くださり、誠にありがとうございました! インタビューでは「余裕のあるママでいたい」と話していた天明さん。「イライラを減らしたい」と話すその表情は未来をしっかりと見据えていて、ママの顔になっているなと感じました。いよいよ、もうすぐ赤ちゃんに会えますね。産後はいろいろと忙しくなるかと思いますが、ときに肩の力を抜いて天明さんらしく頑張ってくださいね! PROFILE:天明麻衣子さん東京大学卒業後、NHK仙台放送局契約キャスター、大手外資系金融機関といった経歴を持つフリーアナウンサー。著書として「圧倒的な勝ち組になる効率のいい考え方と仕事の仕方」「東大・NHK・外資系金融で学んだ、ビジネスで成果を出し続ける本物の勉強法」「時短勉強術」などを出版。2021年4月から東京大学の大学院に入学。第一子を妊娠しながら大学院生活を送っている。 監修者:医師 横浜市立みなと赤十字病院産婦人科副部長 池谷 美樹 先生岐阜大学卒業、日本赤十字社医療センターで初期研修後、同センター常勤医師として勤務、東京慈恵医科大学産婦人科講座入局、博士号取得、国立成育医療研究センター周産期診療部勤務、日本赤十字社医療センター産婦人科勤務を経て、現在は横浜市立みなと赤十字病院産婦人科副部長。
2021年07月10日帝王切開で出産をしたことにコンプレックスを持ち続けていたママ。言われて悲しかった・悔しかった体験談と、コンプレックスが解消したきっかけを紹介しています。「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、日が経つにつれじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきたのでした。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月25日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。 赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきやなかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。 息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2021年06月10日高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。※この記事は、第1回「体験談&マンガ投稿コンテスト」の予選通過作品です。 妊娠・出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠!「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 時を前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万端!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院・手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、このコロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとかきてもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛がくるのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか!と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠・出産には、お母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。
2021年05月24日あり子のワーママ奮闘記
PUKUTY(プクティ)只今育児奮闘中!
たんこんちは ボロボロゆかい