「陣痛 痛み」について知りたいことや今話題の「陣痛 痛み」についての記事をチェック! (2/20)
なっぱさんは第二子を妊娠中。妊娠中も上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、ネットで検索したいきみ逃しのポーズ“サムライポーズ”で陣痛に耐えていたなっぱさん。しかし午前4時になっぱさんを襲った最大級の陣痛にはサムライポーズもまったく効かず、次は「ギギギ」と声を発しながらいきみ逃しをすることに。その後、内診があり子宮口が5cmまで開いていることがわかりました。なっぱさんの陣痛との孤独な闘いはようやく終わりを迎え、ついに分娩台に移動することになったのです。 さあ来いっ分娩台に上がってからも「ギギギ」と発しながらいきみ逃しをしていると……? 子宮口が7cmまで開き、もう少しで赤ちゃんが生まれるというナイスタイミングで夫のべじ太さんも分娩室に到着しました。分娩室に医師がやってきて出産はラストスパートへ!赤ちゃんの心拍が下がってしまうので呼吸をするように医師から指示されますが、いきみ逃しに必死だったなっぱさんはうまく息が吸えません。赤ちゃんが生まれてからの楽しい日々を想像し、「ギィィィィ」と絶叫しながら必死にいきむなっぱさんなのでした。 べじ太さんがギリギリで立ち合いに間に合ってよかったですね。これまで陣痛とひとりで闘ってきたなっぱさんですが、そばで見守ってくれるべじ太さんの存在は何より心強いでしょう。赤ちゃんもなっぱさんもラストスパート!あとひと息、頑張ってほしいですね。 >>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月20日2024年3月に発足したベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママをお招きして、座談会を実施しました。ママが集まると話題になるのは、三者三様の出産エピソードトークです。ベビカレメイトのママが体験した出産体験談を聞いてみると、とてもとても後悔していることがあると言います。それは無痛分娩をするかしないか、という選択。通常分娩に挑んだそうですがーー。私は通常分娩で産む!通常分娩と無痛分娩、どちらがいいか尋ねられて、ベビカレメイトのママが選んだのは「通常分娩」でした。強い痛みがあるということはわかっていたけれど、挑んでやろうと意気込んでいたそうです。 産院のスタッフさんから「いつでも切り替えられるように、無痛分娩の承諾書にサインをしておけば?」と再三すすめられても断固拒否! 頑なにサインをしないまま、出産を迎えました。いざ出産!いざ陣痛が始まると、あまりの痛さに気絶寸前……。瞬時に通常分娩派から無痛分娩派に寝返って、「無痛分娩はしない」と決めていた自分の判断を深く深く後悔したそう。 陣痛の波がおさまったわずかな合間を見てナースコールを押し、無痛分娩への切り替えをお願いしたのでした。 しかしあれだけ拒んでいた無痛分娩に切り替えるとなると、ちょっとした気まずさも残ります。無痛分娩への切り替えは、小声でこそっと伝えたそうです。陣痛中、まさかの…これで無事無痛分娩に切り替え……というわけにはいきません。本来であれば事前に見ておくべきだった、無痛分娩についての説明動画を視聴する必要があります。 すでに陣痛が始まっているからといって、DVDをスキップはできず、陣痛に耐えながら見たのだそうです。 産院のスタッフさんのいうことは聞く、備えられるものは備えておく……。今後出産をするママは、ぜひこの教訓を活かしてほしいと話していました。 ◇ ◇ ◇ この教訓は出産のみならず、子育てや仕事などすべてに言えることかもしれませんね。ベビーカレンダー編集部にとっても、良い学びになりました!
2024年04月15日ママ特化型バラエティ『夫が寝たあとに』は、藤本美貴さんと横澤夏子さんが赤裸々にママトークを繰り広げるバラエティ番組。共感が止まらないと話題です。そんな2人は3児のママ。3度の妊娠・出産を振り返り「妊娠・出産あるある」についてしゃべり倒します。 立ち会い出産は気が散る!?立ち会い出産をしたという藤本美貴さんと横澤夏子さん。 横澤さんは、陣痛に耐える妻と共に息遣いが荒くなっていた夫を思い返して「何フラフラになってんだよ!」と笑います。対する藤本さんも夫である庄司智春さんに、「安産」と書かれたうちわでひたすらあおがれ、応援されていたというエピソードを披露しました。 2人に限らず、出産に立ち会ったもののスマホを触っていて気に障った、妻を見て痛い気分になっている夫に興醒めしたなどの話も耳にします。そんな話を聞いていると、立ち会い出産は気が散るのでは?と思う人もいるのではないでしょうか。夫が立ち会う意味はある?しかし藤本さんと横澤さんは、立ち会えるなら立ち会ったほうがいいと話します。立ち会い出産は“一緒に出産を頑張った”という実感が湧くのだそう。 また、夫には陣痛の痛みが引いているときの話し相手として、そばにいてほしいと言います。ただでさえ時間がかかる出産、ひとりでただ耐えるよりも一緒に入れくれる人がいたほうが、時間が過ぎるのが早いというのも頷けます。 出産はママにとって想像し難いほどにキツいもの。同じ気持ちになることは難しくても、寄り添うことに意味があるはずです。パパにお願いしたいこと番組内ではパパへのお願いも……。それは、何回目の出産でも新鮮な気持ちでいてほしいということ。 人生で初めてわが子の誕生に立ち会ったときの、感動や喜びはひとしおだと思います。しかし、第二子以降になると緊張感や感謝の気持ちが薄れてしまい、それが言動や行動に出てしまう人もいるそうです。藤本さん・横澤さんは、それではいけないと話していました。 何回目の出産でも、ママや赤ちゃんは同じくらい頑張っているはず。立ち会うパパも同じ気持ちでいてほしいですね。 見逃し無料配信動画サービスのTverでは、2024年4月14日(日)1時00分まで4月6日放送回の『夫が寝たあとに』を見ることができます。
2024年04月09日私は今、第二子を妊娠中です。幼稚園の娘が赤ちゃん返りをして大変なのですが、夫は出戻った幼馴染の女性に頼られ、うちのことは二の次で……。私がもうすぐ臨月になるというのに、夫は相変わらず幼馴染のところにばかり顔を出しています。幼馴染の家のことを手伝ったり、一緒に食事に行ったり。 夫の幼馴染はSNSのフォロワー数が多い、インフルエンサー気取りの女性です。たまに彼女の投稿をのぞくと、一緒に食事をしている夫の姿を見かけることも。そんな時間があるのなら、家のことをしてほしいのですが……。 とくに、娘の心のケアは急を要する事態。私が出産間近ということで、娘はいろいろな不安を抱えているのです。ですが、夫の優先順位は私たちより幼馴染のほうが上のようで……。幼いころから夫は彼女を助けてきたらしく、何か頼まれると断れないようなのです。 予定日間近に起こった悲劇いよいよ出産予定日が近づいてきました。いつ生まれてもおかしくない状況なので、週末は家にいてほしいと夫に頼みました。しかし、いまだ夫は幼馴染優先の日々です。離婚後、自分の親とギクシャクしている彼女には頼る人が自分しかいないと……。 そうだったとしても、私たち家族にも夫は必要です。幼馴染を大切にすることは理解できますが、それも大概にしてもらわないと困ってしまいます。 そんな話をすると夫は機嫌を悪くし、私のことを冷たい人間かのように言います。そんなやりとりを繰り返していたら、予定日前最後の休日になりました。その日は娘が朝から微熱を出し、私の体調も優れず、なんだか嫌な予感。しかし夫の元には、幼馴染からいつものSOS信号が……。 せめて娘を病院へ連れて行ってからにしてほしいと頼みましたが、風邪だから大丈夫だろうと勝手な判断をし、さっさと出かけてしまいました。 帰るコールが来たのは、もう夜もすっかり更けたころ。「子守り任せて悪いな」「幼馴染だからアイツを放っとけなくて」夫が出て行った後、娘は高熱が出て、私は陣痛が始まり……。ひとりではどうにもならず、幸い義母に連絡がついたので最悪の事態だけは避けられました。「熱は下がったか?」「あの子はもういないよ」慌てふためく夫に、娘が高熱で病院にいることを告げました。義母がきてくれなかったら、私たち母子はどうなっていたかわからなかったことも添えて……。 家族を優先すると誓った夫それから夫は慌てて帰ってきたようですが、家はもぬけの殻。私とも連絡が取れなくなり、右往左往したそうです。私はいよいよ出産する段階で、スマホを見ていなかったので仕方ないですね。 義母と連絡を取り合ったそうですが、夫はかなりしかられたそうです。ですが、大騒ぎだったあの日も、その翌日も、夫は幼馴染と食事をしていました。それも、とても楽しそうに! 彼女の投稿をチェックしていたら、そんな写真が上がっており……。 私は夫に離婚を宣告。陣痛中に、あんなにみじめで腹立たしい気持ちになるなんて思ってもみませんでした。私が動けたら、娘をすぐ病院へ連れていけたのに……。悔しかったです。 平謝りし、これからは必ず家族を優先すると誓う夫でしたが、私はそれを信じられず……。やり直しても前のようには暮らせません。放っておけない幼馴染と、どうぞお幸せに。 幼馴染と会わなくなり…その後夫は離婚を拒みましたが、両家の両親を交えて何度も話し合い、やっと別れることができました。離婚でひどく落ち込んだ夫は、幼馴染と会わないようになり……。 夫が使えなくなると、別の男友だち、しかもまた既婚者を呼び出すようになった幼馴染の彼女。再びいざこざを起こしたようで、ネット上は大いに荒れたそうです。それを知った元夫は、今では彼女のアンチ発言までするようになり……。どの口がそんなことを言うのか、そんな元夫の姿を見てドン引きしました。 離婚したことに後悔はありません。子どもたちにはたっぷり愛情を注ぎ、楽しい家庭を築いていきたいと思います。 ◇ ◇ ◇ 夫は幼馴染から頼られて舞い上がっていたのかもしれませんが、もう少し周りの状況を冷静に見てほしかったですね。後悔することのないよう、いま何を優先すべきなのかを考えて行動したいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日ある日の朝のことです。おなかに違和感があり、陣痛!? と思い、急いで産婦人科へ電話しました。ちょっと! 何してんのよ!?夫が仕事へ行ってしまっていたので、義両親が病院に付き添ってくれました。ひとりで病院へ行ける痛さではなく、すごく助かりました。 そして、病院へ着くと、なんとそのまま分娩室へ直行することに。夫が間に合うか間に合わないかの瀬戸際でした。陣痛の間隔が短くなってきたギリギリに夫が到着。 一段落と思いきや、分娩室のドアをすごい勢いで開けたことで、外で待ってくれていた義両親に私の姿が丸見えに!! おあー!!! と思たものの、いきむのに必死で何も言えず……。あとから夫を怒りましたが、無事に出産はできたのでよかったと思います。 ◇ ◇ ◇ 2人目以降は念入りに夫に伝えてあったのと、コロナ禍で立ち会いができないということもあり、特にハプニングもなく出産しました。1人目はお互い初めてのことだらけで、ハプニングはたくさんありましたが、無事出産できたことが何よりでした。 著者:みる/20代女性・主婦。元気いっぱい2人兄弟のママです!! 息抜きは、韓ドラ鑑賞です!イラスト:さくら ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日真夜中に陣痛が来た私は病院へ。しかし子宮口はまだ十分に開いておらず、一時帰宅することに。次の日になってもまだ痛みがあったものの、また病院に行って一時帰宅だと言われたら嫌だと思った私は……? もっと早く言って〜!真夜中に陣痛が来て、病院に向かった私。子宮口を見てもらうと「まだ全然開いていないですねぇ」と言われ、結局その日は帰宅することに。次の日になってもずっと痛かったのですが、また病院に行って子宮口が開いていないと言われて帰らされたら、検査代がもったいない!と思い、必死に耐えました。あまりの苦しみぶりに、夫から「病院に行こうよ」と言われましたが、断固拒否。しかし結局、その日の午前2時ごろ痛みに耐えられなくなり、「やっぱりもう無理かもしれない……タクシー呼んでぇ……」と涙を流しながら夫に頼み、病院へ。 子宮口を見てくれた助産師さんから「あ、もう6cmも開いてるね。このまま入院だ。痛かったでしょう」と言われました。痛すぎて会話をする気力もなく、陣痛室へ。それからも相変わらず痛みは続き、寝られず……。このまま終わりが来ないんじゃないかと思いながら、地獄のような時間を朝までずっとベッドのリモコンのスイッチをひたすら数えて過ごしました。 そして翌日、朝だ……と思っていると助産師さんがやって来て、子宮口をチェック。すると「あらちょっと! もう全開大だわ! 分娩台準備するから!」と急にばたばたし始めました。え? 我慢しなくてよかったの? 最初に教えてくれー!と思った出来事です。 ◇ ◇ ◇ 初めての出産ではわからないことも多いですよね。診察の結果、一時帰宅を提案されるのはよくあることで、それは自宅のほうがママがリラックスできるという理由もあるからです。「再受診後にまた帰らされるのは嫌だな……」と家で無理に我慢することは避けましょう。もしまた帰宅となった場合は、どのタイミングで再度連絡をすれば良いのか事前に確認しておくと安心です。 そして病院で夜を過ごすことになった場合、陣痛と陣痛の間隔が短くなってきたり、痛みを感じる時間が長くなったりしたら、夜中であっても我慢せずに助産師さんに知らせてくださいね。 作画/森田家著者:藤 のぞみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月23日初めての出産、初めての育児、今までに経験したことのないドキドキとワクワクでいっぱいでした。「不安なこともあるけれどきっと楽しいこともいっぱいある」「里帰り出産だからきっと母が心の支えになってくれる」と、そんな風に考えていました。退院の日をそんな思いで迎えると……、母の言動に衝撃を受けることになったのです! 自分が社会に出て、親になって初めて母の異常さに気がつきました。初めての出産は里帰りすることに長女が生まれたときの話です。初めての出産ということもあり、私の実家へ里帰りをすることになりました。出産予定の病院は私が生まれた病院、しかも出産予定日は私の誕生日と同じ日でした。きっと母も感慨深いものがあるだろうな、なんて思いながら私は出産の日を心待ちにしていました。 そして、ついに出産のときがやってきました。 出産予定日になったばかりの真夜中、陣痛が来たため、前もって休みを取っていた夫と一緒に急いで病院へ向かいました。病院へ到着したあと、陣痛は次第に激しくなり、今までに経験したことのない痛みに襲われる一方、子宮口はまったく開かず、気づいたら陣痛室のベッドは血まみれに……。 陣痛から約32時間後、もしかしたらもうこのまま出産は終わらないのではないかと思うぐらいの壮絶な体験を経て、ついに赤ちゃんと対面することができました。 いよいよ迎えた退院の日その後1週間の入院期間を順調に過ごし、ついに退院の日がやってきました。「この世に生まれてきたばかりの赤ちゃんを、病院の外に連れ出して本当に大丈夫なの?」と心配になるくらい赤ちゃんは小さくて、私がこの小さな命を守らなくてはと大きなプレッシャーを感じました。 退院の日は、夫の両親も遠方から実家に来て、赤ちゃんの誕生をみんなでお祝いする予定でした。私は入院をしていたので準備は母に任せてあり、夫は私の誕生日のお祝いも兼ねてケーキを買って帰ろうと提案してくれました。 前もって母には帰る時間を伝えてありましたが、その日、病院は忙しく、退院の手続きが遅くなりました。さらに帰る直前に赤ちゃんが3回もうんちをしたため、病院を出発する時間が30分ほど遅れてしまいました。 母のやさしい言葉を期待していたきっと子育ての先輩である母なら「出産お疲れさま」「大変だったね」「大丈夫だよ」と労いの言葉ややさしい言葉をかけてくれるに違いありません。そう思い、私は帰りの車の中で母に電話し、30分くらい遅れる旨を伝えました。 すると母は「は!? なんで!!?」「時間管理ができてないんじゃないの??」「配慮が足りない!」「義家族をおもてなしする気あんの!?」と、電話越しにとめどなく暴言を吐き続けたのです。 私は予想外のことにショックを受け、母が電話の向こうでひたすら文句を言い続ける中、何も言わずに電話を切りました。産後で情緒不安定だったこともあり、電話を切ったあと、車の中で私は号泣。そんな私の姿を見て夫はびっくりしていました。 私は夫に泣きながら母から電話口で言われたことを話しました。そして、「ケーキを買って帰るのはやめよう」と夫に伝え、赤ちゃんに必要な物を買うのもあきらめて、急いで実家へと帰りました。 実家へ帰ると母はまさかの…そして、実家に着くと、なんと母は何の準備もせず座って笑いながらのんびりとテレビを見ていました。私たちが家に到着して30分ほどたったころ、母は急いでお祝いの食事の買い物に行き、買い物から帰ってくると慌ててテーブルセッティングをし始めました。あれだけ私に「時間管理がー」とか「配慮がー」とか言っていたのに……。 結局、気をつかった夫が両親に頼んでくれたらしく、義両親がお祝いのケーキを買ってきてくれました。私は大泣きして目を腫らしたまま義両親を迎えることに。退院前にはまったく予想もしていなかった、なんとも気まずく胸がムカムカするお祝いになりました。 自分が母親になって初めて親のありがたみや大変さがわかるのだろう。そして親はいつまでも頼りになる存在で、子どもには無償の愛を注いでくれるものだろう。私はそう信じて疑いませんでした。しかし、親には親の考え方や接し方があると気づいたのは、自分が母親になったときでした……。私はわが子が大人になっても無償の愛を注ぎ続けたい、そして、大人になっても子どもに寄りそえる母親になりたい、そう強く思った出来事でした。 著者:たつこ6歳、3歳、2歳、0歳(10カ月)の4児の母。現在、実家で夫と子ども4人と実の両親と同居中。夫の自営業をお手伝いする形で仕事をするかたわら、自身もネット関連の仕事を始める準備中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月19日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきや、なかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2024年03月18日なっぱさんは夫のべじ太との間に子どもを授かりました。出産予定日の2日後に妊婦健診を再び受けたところ、むくみと血圧が高めだったため急きょ入院に。陣痛促進剤を服用後、強烈な陣痛が始まり、夫も必死でサポートします。そして陣痛開始から15時間後、やっと分娩台に移動できたのですが、なんと陣痛が遠のいてしまったのです。疲労困憊の夫も立ち合い、分娩台に登ったなっぱさん。あとひと息だと思っていた矢先……!? スタッフ増員!? この状況は…? 陣痛の間隔が長くなっていることで、医師は陣痛促進剤を追加して一気に出産するという考えを示しました。 しかし、なっぱさんの血圧が高いので最悪の場合は脳出血のリスクもあると説明。それでもなっぱさんは同意書にサインし、医師の提案通りに進めてもらうことにしました。痛みが増す中、気がつくと自分を取り囲む人の数が増えていたため、なんだか気まずく感じたなっぱさん。一発芸でもして気を紛らわせたい気持ちはあるものの、もう体力の限界でした。 苦しんでいる赤ちゃんのことも考え、最後の力を振り絞ってなっぱさんはいきみます。そして、陣痛開始から約19時間半が経ったとき、ついに赤ちゃんが誕生。 生まれてきてくれた長女の元気な産声を聞き、なっぱさんと夫は涙を流して喜びます。そして、3人で記念撮影をし、生まれてきてくれたことに感謝をしたのでした。 長時間に及ぶ出産になり、なっぱさんはもちろん、夫も赤ちゃんもとても頑張りましたね。出産することの大変さと、生まれてきてくれた赤ちゃんの尊さを、みなさんも改めて考えさせられたのではないでしょうか。 やさしく頼れる夫となっぱさんの出産の様子は、今後の育児の礎にもなったでしょう。この困難を乗り越えられた2人での育児は、とても幸せなものになりそうですね。 監修/助産師 松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月12日先日、第2子となる女の子を出産しました。意気込みはどこへ?先日、第2子となる女の子を出産しました。 第1子・第2子共に自然分娩。 前回は夫に腰を押してもらって陣痛を乗り切ったという経験を踏まえ、今回も立ち合い出産を選択しました。「一緒に戦いたい!」と夫は意気込み十分。 さて当日。破水したので私は先に入院しました。暫くして陣痛が始まった私は、事前に勉強した陣痛中の過ごし方を実践。すると、子宮口9cmまで喋ったり笑ったりできるという驚きの結果に! 呼び出された夫もびっくり。 流石に子宮口全開大になると痛みでつらくなってきたのですが、ここで夫の様子にも異変が。 「具合が悪くなってきたので休んできてもいいですか……」と分娩室から退室、今度は私がびっくり! 結局、夫は生まれる数秒前に助産師さんに呼ばれ、なんとか誕生の瞬間には立ち会えたようです。 「なんの役にも立たず逆に迷惑をかけた。情けない」と夫はへこんでいましたが、娘が大きくなったら笑い話として伝えたいと思います。 ◇◇◇ 助産師さん曰く、自然経過で子宮口9cmまで痛みがなく、余裕があると言うことは珍しいようです。陣痛の痛みを和らげるのには、一般的に、呼吸法・リラックス法・ツボ押しなどをすると良いと言われています。実はベビーカレンダー編集部の私も同じく子宮口ほぼ全開大まで会話ができていました。余裕かと思っていたのですが、その後、出血が止まらなくなり大変でした。出産は本当に人それぞれ、何が起こるかわからないですね。 監修/助産師 松田玲子作画/いずのすずみ著者:清水玲奈20代、0歳の女の子と3歳の男の子の母。趣味は片付け。
2024年03月09日名前の候補を決め始めたのは出産2、3カ月前からでした。急な質問で名前が確定!字画も調べていくとなかなか決まらず、最終的にはやさしい男の子に育ってほしいという夫の願いから中性的な名前にしようとなりました。あおい、ひなた、なぎ等があがり、顔を見てから決めようと出産を待つことになりました。 いざ出産日。出産予定日前日の昼から始まった陣痛、日付をまたぎかなりの長期戦。分娩台に上がってから7時間を過ぎようとしたころ、助産師さんに「もし名前が決まっていたら、先に聞いてもいい?」と言われました。先に書類や誕生のカード等を記入しておくためでした。 顔を見てからと思っていたけれど……陣痛痛いし! 気を紛らわしたい! と、 とっさに立ち会いをしていた夫と2人で口に出た名前が一致。特にこの名前にしようなどもなく、2人の意見が合ったのでよかったのと、この名前だったらこの漢字というのを事前に決めていたので、よかったと思いました。生まれて顔を見てから決めていたら違ったのかもと今でも時々思いますが、この子にぴったりのいい名前を付けられてよかったと感じます。 ◇◇◇ 突然の質問にもかかわらずパッと返答でき、名前が一致していたと言うことは、ママとパパそれぞれの中で決まっていたのかもしれませんね。子どもの名前は、親が初めて贈る大事なプレゼントです。2人が納得する素敵な名前が付けられてよかったですね。 著者:山田/20代女性・主婦。0歳児(現在6カ月)を育てる母。保育士。イラスト:まげよ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月09日■前回のあらすじ病院に到着してわずか15分で次女が誕生。次女の出産は陣痛の痛さに耐える時間は約15分ほどで短かったですが、その痛さは長女の出産時をはるかに上回る激痛でした。こんにちは、宝あり子です。■出産後、放心状態に…あまりの激痛だったので出産しても生まれた次女に会えた喜びをすぐに感じることができず、しばらく放心状態でした。のちに乳がんで全摘手術を経験しますが、術後の痛みも「次女の出産時の痛みに比べればこのくらいの痛みなら全然耐えられる!」と思うくらい次女の出産は激痛でした(個人差があります)。そして、助産師さんからは、「病院到着してから15分での出産は私が担当した中では1位だよ!」と言われました。今までは病院到着から20分での出産が1位だったそうです。あまりの急展開でもっと病院到着から出産まで長かったような気がしましたが、まさか15分とは驚きでした。また、あまりの急展開で先生は出産に間に合わず、出産後に先生がやってきました。先生がいなかったため会陰切開は行われず、残念ながら会陰は裂けてしまっていました。ということで裂けてしまった会陰を先生が縫ってくれました。縫合はそれなりに痛かったのですが、それ以上に痛かったのが…。後陣痛でした。■激痛だった後陣痛後陣痛は出産直前の陣痛の痛みと同じくらい痛くて、出産したのにまだ陣痛が続いているような感じでした。実はおなかの中にもうひとりいて、まだ陣痛が続いているのかと思うくらいでした。看護師さんいわく、後陣痛は初産婦より経産婦の方が痛いケースが多いそうです。特に私はお産の進みが急激だったため、その反動で後陣痛がかなり強く起こっていたようです。後陣痛は痛み止めを飲んでも治まらず、結局、3日間ほど痛みに耐えることになりました…。 ■立ち合い出産をしたパパの役割長女の出産時は、私が陣痛に耐え、意識がもうろうとして苦しんでいた間、ずっと横でスマホをいじり続け、さらに食事に出かけるなど自由気ままに過ごして、私の一生の恨みを買った主人は今回…。と、準備をしていました。しかし、スピード出産でテニスボールもペットボトルで飲み物を飲む暇もありませんでした。今回、出番なしかと思われましたが…。後陣痛のあまりの痛さに何かにしがみつきたかったので、日ごろの恨みも込めて腕を力いっぱい握ってやりました(笑)。※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2024年02月28日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 著者:伊藤あいり/20代女性・主婦。3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。作画:ぐら子 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年02月27日臨月のときのこと。おなかの痛みが少しずつ増していき、病院へ行きました。助産師さんから「初産だから時間がかかるかも」と言われたので、自宅へ帰ろうと思ったのですが……。 帰宅するか、入院するかの2択で迷い…臨月のとき。21時ごろに「なんだか、おなかが痛いなあ。前駆陣痛かな」なんて思っていたところ、どんどん痛みが増していきました。深夜の3時ごろ、あまりの痛さに病院へ。「子宮口が4cm弱開いてるけど、初産婦さんだから時間がかかるかもね。一度帰るか、このまま入院するか決めていいよ」と言われ、とりあえず帰宅しました。 その1時間後、まさかの自宅のベッドの上で出産し、救急車で病院へ行くことに。 幸い、母子共に健康で、娘はもうすぐ生後3カ月になります。運良く何事もありませんでしたが、万が一のこともあるので迷ったら入院したほうがいいなと思いました。 ◇ ◇ ◇ 初産婦さんの平均的な分娩時間は12時間前後。病院から帰宅して1時間後に出産したときは、本人はもちろん、産院スタッフもびっくりしたのではないでしょうか。焦ったと思いますが、母子ともに無事でよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:松橋玲菜/30代女性・主婦。0歳の娘を育てる専業主婦。趣味は子育て(娘)。イラスト:さくら ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年02月15日第2子の出産エピソードです。コロナ禍での出産だったため、立ち会い出産はできないと言われていました。そこで、生まれる瞬間を見せてあげられない代わりに、産声だけは録音したいと希望を伝えていたのですが……。思ってもいない展開となったのです。バースプランでは産声の録音を希望今回の出産はコロナ禍ということで、立ち会い出産はできないと産院から言われていました。そこで、バースプランには「できれば赤ちゃんの産声だけでも録りたい」と希望を伝えました。 助産師さんからは、「昼間の出産や人手が足りている時間帯なら、看護師にスマホを渡したら録画してくれるかもしれないけど、夜の出産だと難しいかもしれない」とのこと。なので、昼間の出産で運がよければ録音できるかな……程度に思っていました。 深夜の出産で録音はあきらめかけて…出産予定日の前日、夜の11時ごろにおなかが痛くなってきました。陣痛カウンターで確認すると6分間隔で陣痛が! 産院へ連絡をしてすぐにタクシーで向かいました。 診てもらうと、子宮口6cm。診察台から分娩台へ移動することになりました。夜中ということもあり、分娩台で横になっている私の様子を数十分おきに見にきてくれるのは、助産師さん1人と看護師さん1人でした。「人少なそうだし、産声を録音するのは無理そうだな……」とぼんやり考えながら、腰をさすって過ごしていました。 いきんでいると助産師さんが!?時間が進むにつれて、どんどん陣痛が痛くなり、午前3時ごろ、ついに出産の時がやってきました! 助産師さんの声に合わせて、いきんではまた力を抜いてを何度も繰り返し、途中で破水もしながら、陣痛と共に徐々に誕生の瞬間が近づいてきました。 助産師さんに「赤ちゃんの頭もう見えてきてるよ!」 と言われて、「あぁ、もうすぐ生まれるんだ。夫にも息子にも生まれる瞬間を見せてあげられなかったな。録音もできなかったな」と、頭の隅でぼんやり考えながら、次の陣痛でいきむと、助産師さんに「赤ちゃんの頭出た! もうすぐ産声あげるから! 録画用意 !!」と言われ、「えっ?! 録画用意?」と私は混乱と驚きで固まってしまいました。助産師さんにもう一度「もうすぐ産声あげるから、スマホ起動させて動画の用意!」と言われて、私は慌ててテーブルに置いていたスマホを起動して、自分の下半身にカメラを向けました。 出産の瞬間をスマホで自撮り!次の陣痛でいきむと、赤ちゃんが出てくる姿がスマホの画面を通してハッキリと見えました! そして元気な「おぎゃー、おぎゃー」という産声も! 助産師さんはテキパキと赤ちゃんの体を拭きながら、「希望通り赤ちゃんの産声録れてよかったね」と、マスク越しでもわかる笑顔で話しかけてくれました。 希望通りなのかは少し疑問でしたが、たしかに無事に赤ちゃんの産声は動画付きで撮ることができました。まさか出産シーンを自撮りすることになるとは思ってもみなかったので驚きです。1人目のときは、30時間を越える分娩で記憶も途切れ途切れでしたが、今回は陣痛から6時間ほどと安産だったこともあり、そのあとは胎盤を見せてもらったり、赤ちゃんが入っていた卵膜の破れた部分を説明してもらったりと、イベント盛りだくさんの出産になりました! その後、落ち着いてから録画を見てみると、産声はちゃんと撮れていました。ただ、赤ちゃんの声より大きい私の叫び声もバッチリ撮れていました(笑)。 無我夢中で撮りましたが、恥ずかしくて将来、子どもに見せられるかなぁ……と悩ましい動画となったのでした。 1回目の長男のときとはまったく違う体験をして、出産は1人ひとりまったく違うんだなと身をもって感じました。今回、出産しながら自分で動画を撮れたことで、何だか少し母としてたくましくなれたような気がします。とても良い経験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:かずママ手のかかるわんぱくな3歳と抱っこ大好き0歳の2児の母。現在は産休中。 監修者:医師 おおたレディースクリニック院長 太田 篤之 先生
2024年02月15日出産は鼻からスイカを出すような痛さだと聞いて恐怖を感じていましたが、実際に経験して、私は陣痛に耐える時間のほうがつらかったように思います。産院に着いて、陣痛に耐えているときに思わず「今!?」とツッコミを入れてしまった出来事をお話しします。なかなか進まないお産……出産予定日の2日後の明け方に陣痛が始まり、産院へ着いたときには子宮口が6cm開いていたため、そのまま夫と一緒に分娩室へ移動することになりました。ついにわが子に会える! と私も夫も気持ちが高ぶっていました。 ところが、子宮口の開きが6cmからなかなか進まず、分娩室に移動してから6時間が経過。「今、いきむと赤ちゃんが苦しくなるよ」と助産師さんに言われていたので、私は必死にいきむのを我慢していました。このいきみ逃しの時間が本当に苦しかったのです。 いきみ逃し中にまさかの質問!必死でいきみ逃しをしている最中、産院のスタッフさんが朝食を運んで来てくれました。「食べる?」と聞いてくる夫に、首を横に振るのが精いっぱいの私。 しばらくすると別の女性スタッフさんが下膳に来てくれたのですが、その際に早口で「明日からの朝食につける飲みものはコーヒーか紅茶、どちらがいいですか?」との質問が……! まさかのタイミングでの質問に、私は思わず「今!?」とツッコミを入れてしまいました。しかし、そのベテラン風のスタッフさんは無反応で、私の回答を待っている様子。夫が「あとでお伝えしてもいいですか?」と返答すると、「わかりました」と言って部屋を去っていったのでした。 無事に出産が終わり、夫と一緒に病室へ移動したあと、「あのタイミングで聞かれると思ってなかったね」と2人で笑ったのを覚えています。 陣痛やいきみ逃しがあんなにつらいものだとは思っていませんでした。そんな出産直前のタイミングで、朝食の飲みものについて聞かれるとは予想しておらず、とても印象に残りました。今でもときどき思い出して、夫と笑い合える大事な思い出になっています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:下川美悠/女性・主婦。2022年に不妊治療の末に長女を出産。理学療法士として病院勤務。現在は育休中で日々ワンオペ育児に奮闘中。長女の妊娠中や出産後のつらかったことや楽しかったことなど自身の体験を執筆している。イラスト:森田家 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年01月29日これは私の出産の体験談です。初孫の誕生を心待ちにしていた義母は、頻繁にわが家にやってきて大きくなった私のおなかを嬉しそうに眺めていました。正直、もう少し遠慮してほしいところですが、嫁いびりをされるよりはマシかと思って割り切っていました。しかし、義妹の結婚式をめぐって事件が起こります。義母はその日もわが家にやってきて、私の顔を見ることもなくおなかに話しかけていました。もはやお馴染みの光景です。しかし、次の義母の言葉で、すこし空気が変わってしまいます。私は欠席と伝えたはず…?「こんなにおなかが大きいと、結婚式に着ていくものがないんじゃない?」 実は再来週、義妹の結婚式を控えています。式の日取りと出産予定日が近いため、私は招待された時点で欠席することを伝えたはず。再度そう説明すると、義母の表情が曇りました。義妹の結婚相手は由緒正しい家系なのだそうで、こちらの家族が全員揃っていないと示しがつかないと言うのです。でも、万が一式の最中に陣痛がきてしまったら迷惑をかけてしまいます。私は再度、丁重に出席を辞退したいと伝えました。すると、予定日は式の3日後だから陣痛なんてくるわけがないと言い出す始末。義母も出産経験があるはずなので、予定日はあくまで予定だとわかっているはずですが、結局理解は得られずに、義母は凄まじい剣幕で帰っていきました。その夜。義母から話を聞いた夫や義妹からも、欠席を責められ、結婚式に出席するように強く言われてしまいます。 「俺の妹が結婚するんだぜ? しかもあの有名ホテルで! 行かないと後悔するって」 夫は興奮気味に話しますが、私にとって一番優先すべきなのは赤ちゃんです。どこで式を挙げるかなんて、関係ありません。正直、夫がここまで話が通じない人だとは思っていませんでした。 この日から、なんとなく夫との間に険悪な空気が流れはじめ、義母の来訪も、式への出席を説得するためのものとなっていました。 陣痛を我慢しろ!?テコでも動かない頑固な夫と義家族。私は、通っている産科の医師から「結婚式の出席はおすすめできない」と一筆もらい、説得しようと考えました。 それでも夫と義母は「くだらない」「出産経験がない人は大げさなのよね」と聞く耳を持ちません。このままでは本当に出席させられてしまうかも……。そんな不安を抱えながらも、ついに結婚式の前日に陣痛が始まりました。 病院に到着すると、すぐに入院が決まりました。これで式を欠席できると思い、ホッとしたのもつかの間。仕事終わりにやってきた夫は「なにやってるんだよ! 早く帰るぞ! 結婚式が終わるまで我慢しろよな!」と信じられないことを言い出したのです。 夫のありえない発言に医師や助産師さんも唖然。もちろん退院できるわけもなく、夫は追い返されていきました。 結婚式に出席した私そして迎えた義妹の結婚式当日。空いたままの私の席を見て、義母は怒っていました。結婚式が盛り上がりを見せたころ、お祝いのムービーが届いたと司会者が紹介するとともに会場が暗転し、映像がスクリーンに映されます。それは私からのサプライズムービー。映し出されたのは、まさに今出産という大仕事をやってのける私の姿でした。 陣痛に耐えながらお祝いの言葉を述べる私。痛みで言葉が途切れ後切れになってしまい、義妹に伝わったかわからなかったので、あとは付き添ってくれた母にバトンタッチ。 『結婚式が終わるまで出産を我慢できなくて申し訳ありません。式に顔を出さないのは一家の恥さらしになるとのことだったので、出産中ですが約束通り顔を出させていただいております……』 母がしっかり私の言葉を代弁してくれたところで、映像は終了。 「今にも生まれそうな妊婦さんに、結婚式に来いだなんて言ったの!?」「出産を我慢するってどういうこと? なにを言ってらっしゃるの!?」 新郎の両親は激怒! ここまで常識知らずの一家と親族になるなんて、ありえないと言わんばかりの大騒ぎです。 無知は恐ろしいざわつく場内をおさめるため、司会者は私が託した伝言を読み上げます。 「みなさんご安心ください。お義姉様は昨夜無事に女の子を出産され、母子ともに元気だそうです」 それを聞いた義母は、この期に及んでまだ言います。「出産が済んだなら映像なんてよこさないで、会場に直接来るべきだ!」 それを新郎がぴしゃり! 「出産直後の母体は安静にすべきだってことは、誰でも知っているはずではないですか。いつも通り動けるなんて、どんな発想ですか?」 “出産を軽視する人間は命を軽視する人間だ”と言った新郎は、そんな人たちと関わりたくないと言って、その場で義妹との離婚を宣言していました。義妹は最後まですがりついていたようですが、ムダに終わったようです。 一説によると、産後の女性は全治2カ月の交通事故と同等のダメージを負っているそう。出産を終えたからといって、これまで通りの動きができるわけがありません。産後の女性がゆっくり休めるように、妊娠・出産に対する周囲の理解が深まることを願います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月08日私は40代の主婦で、現在結婚15年目です。第1子妊娠の際に強烈なにおいづわりに悩まされたときの体験をお話しします。自分のにおいで吐いてしまうもともとにおいに敏感な私でしたが、第1子を妊娠したときは、ひどいにおいづわりに悩まされました。妊娠自体は喜ばしいことですが、私は24時間、悪臭をかがされているような状態で大変でした。 水のにおいや、挙句の果てには自分のにおい(ほぼ無臭なのですが……)まで気持ち悪くなってしまい、満足に食事もとれずに自宅に引きこもる日々。 人によっては数カ月でつわりがおさまるという話を聞いていましたが、私は妊娠した瞬間から臨月までつわりが続いたのです。 出産前後でにおいが変わった!?ようやく臨月になり陣痛が始まりました。私が出産した病院では、陣痛中にバナナと牛乳が軽食として出されましたが、陣痛中にもかかわらず、そのときの私の感想は「バナナが臭い!」でした。 陣痛でそれどころではないはずなのに、なおも臭く感じる自分に驚いたことを覚えています。それでも生まれてくる子のために力をつけようと、鼻をつまんでバナナを食べた私。やがて12時間の陣痛を経てようやくわが子を抱いたとき、うれしさで涙がこぼれました。 そして、その直後にお昼のサンドイッチとバナナが提供されたのですが、空腹で思わずバナナを頬張った私はびっくり! なんと、バナナが臭くないのです。同じバナナなのに、出産前後でにおいが明らかに変わったことに驚きました。本当に10カ月ぶりの「おいしい!」でした。 第1子の妊娠は、においづわりに翻弄された10カ月間でしたが、第2子を妊娠したときのつわりは3カ月間の期間限定で、それほどひどくありませんでした。当時は本当につらかったですが、出産前後でにおいが変わるという不思議な経験ができて、今ではそれもいい思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:中野 迷子
2023年12月05日私は30歳の主婦。結婚2年目に入り、間もなく私たち夫婦のもとへ待望の赤ちゃんがやってくる予定です。やさしい夫も、わが子に会えるのを楽しみにしていたのですが……。このところ頻繁に我が家にやってくる幼馴染が私の悩みのタネ。彼女がなかなかのクセモノで、突然やってきて当たり前のように夕飯を一緒に食べたり、私の存在はないもののように、夫と昔話に花を咲かせたりするのです。厄介な幼馴染夫と幼馴染が出会ったのは、3歳のころ。保育園で出会ってすぐに、夫は幼馴染に恋心を抱いたそう。何度も告白したようですが、その想いは叶わなかったと聞きます。 それも昔の話だと夫は笑いますが、幼馴染はそうではないようで、自分のことを好きだった男が他の女と結婚したのがよほど気に入らないのか、マウントを取られているような気がしてなりません。幼馴染だからといって、長電話したり、終電を逃した彼女を迎えに行ったり、相談があるからと深夜の呼び出しに応じたりする夫が、私には理解できません。このまま夫婦生活を続けられるのか本気で悩む中、いよいよ出産予定日が近づき、私は里帰り出産のため実家に帰りました。 出産予定日に夫がいた場所は…陣痛が来ていよいよ出産というそのとき、何度電話をかけても夫は電話に出ません。駆けつけてくれた義母が会社に連絡をしたところ「出産予定日で休みをとっている」といいます。 なんだか嫌な予感がする私……。やっと電話に出た夫は、幼馴染と温泉旅行に行っていると言います。 どうやら幼馴染に「出産に男がいても意味がないし、生まれたらしばらく行けなくなるから、今のうちに羽を伸ばしておくと良い」と言われたようで、悪びれる様子も見せず「マジ温泉サイコー! 出産頑張ってね!」と信じられない発言をします。私は、電話を切り、そのままスマホの電源を落としました。 夫に制裁を数時間後ーー。陣痛との格闘を終え、私はついに娘との対面を果たしました。穏やかな入院生活ののち、家に帰ったところでスマホの電源を入れると、タイミングよく夫から電話がかかってきました。 「今から会いに行くね。幼馴染も会いたいって!」……こんなときまで幼馴染が登場するなんて、もう怒りを通り越して呆れてしまいます。 そんな能天気な夫を見かねた母は、スマホを手に取り「娘と子どもはもう居ないよ……」と静かに告げました。 結婚してまもないころ、夫は「離婚届はいつでも出せるように用意しておくと良い」という幼馴染の意味のわからないアドバイスに従い、離婚届を書いていました。私はそれを活用し、出生届とともに提出したのです。幼馴染の入れ知恵が役に立つなんて、なんだか皮肉ですが……。 幼馴染との付き合い方離婚のきっかけとなった夫と幼馴染の温泉旅行ですが、状況的に不倫旅行といわれても文句は言えません。夫は何もなかったと言い張りますが、そんなことは関係なく慰謝料を請求することにしました。もちろん、夫が娘の父親でもあることに変わりはないので、養育費も払ってもらいます。 幼馴染は夫にとって大切な人だったかもしれませんが、そもそも出産を控えた妻を置いて旅行に行こうと誘うような人は、夫婦にとって良い人物とはいえませんよね。いくら幼馴染といっても異性。節度を持った付き合いをする必要がありますね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年12月05日私には、2人の子どもがいます。息子が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。2人目の出産は里帰りせずに自宅の近くの産院で産もうと決めていたので、妊娠後期に入ってから陣痛タクシーを登録。実際に2人目の出産で病院へ向かうときに陣痛タクシーを使うことになったのですが……。そのときのまさかの体験をお話しします。 陣痛タクシーに登録健診に行くときはいつも夫に車を運転してもらっていましたが、陣痛はいつ、どこで起きるかわかりません。それに夫が不在で陣痛がきた場合は、私ひとりで息子も連れて病院へ行く可能性があったので、電車やバスはやめておくことにしました。陣痛の痛みに耐えながら入院バッグを持ち、息子の面倒までは無理だと思ったからです。 そこで、自宅と病院が送迎範囲になっているタクシー会社を調べ、混雑していた場合に備えて2つの陣痛タクシーを登録。夫と一緒に陣痛タクシーを呼ぶ流れや注意点を見直して、陣痛がきたときのシミュレーションをしていました。 夜中に陣痛がきた!陣痛かも……と気づいたのは深夜0時を過ぎたころでした。だんだん痛みが強まってきたので、病院へ連絡して向かうことに。深夜だったため、寝ている息子は夫にお願いして、私は登録していた陣痛タクシーへ連絡しました。タクシー会社との電話はスムーズにやり取りでき、すぐにきてくれるとのこと。 そのときの私は2回目の妊娠ということもあり、陣痛がきても気持ちに余裕があったのを覚えています。「いよいよ出産……。赤ちゃんに会えるんだ!」と、陣痛の痛みに耐えながらもどこかワクワクしていました。 陣痛タクシーに乗ったら…家のインターホンが鳴り、タクシーへ乗り込んでいよいよ出発!と思ったら……運転手さんからまさかのひと言。「陣痛タクシーって言われたんだけど、どこに行けばいいんですかね……」と。私はその言葉に固まってしまいました。 病院名や住所は登録済みなので、乗ったらすぐに連れて行ってもらえるはずなのに……。私は陣痛の波に耐えながら、病院までの道や目印となるものを伝えつつ何とか病院へたどり着いたのでした。 2回目の出産で初めて利用した陣痛タクシーですが、運転手さんのまさかのひと言に最初はどうなることかと思いました。しかし、病院へ到着すると運転手さんから「がんばってきてね!」と言われ、あたたかい気持ちになりました。その後、無事に出産できて本当によかったと思います。 著者:小松潤子/30代女性・主婦。2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。作画:うちここ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年12月03日私には、2人の子どもがいます。息子が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。2人目の出産は里帰りせずに自宅の近くの産院で産もうと決めていたので、妊娠後期に入ってから陣痛タクシーを登録。実際に2人目の出産で病院へ向かうときに陣痛タクシーを使うことになったのですが……。そのときのまさかの体験をお話しします。 陣痛タクシーに登録健診に行くときはいつも夫に車を運転してもらっていましたが、陣痛はいつ、どこで起きるかわかりません。それに夫が不在で陣痛がきた場合は、私ひとりで息子も連れて病院へ行く可能性があったので、電車やバスはやめておくことにしました。陣痛の痛みに耐えながら入院バッグを持ち、息子の面倒までは無理だと思ったからです。 そこで、自宅と病院が送迎範囲になっているタクシー会社を調べ、混雑していた場合に備えて2つの陣痛タクシーを登録。夫と一緒に陣痛タクシーを呼ぶ流れや注意点を見直して、陣痛がきたときのシミュレーションをしていました。 夜中に陣痛がきた!陣痛かも……と気づいたのは深夜0時を過ぎたころでした。だんだん痛みが強まってきたので、病院へ連絡して向かうことに。深夜だったため、寝ている息子は夫にお願いして、私は登録していた陣痛タクシーへ連絡しました。タクシー会社との電話はスムーズにやり取りでき、すぐにきてくれるとのこと。 そのときの私は2回目の妊娠ということもあり、陣痛がきても気持ちに余裕があったのを覚えています。「いよいよ出産……。赤ちゃんに会えるんだ!」と、陣痛の痛みに耐えながらもどこかワクワクしていました。 陣痛タクシーに乗ったら…家のインターホンが鳴り、タクシーへ乗り込んでいよいよ出発!と思ったら……運転手さんからまさかのひと言。「陣痛タクシーって言われたんだけど、どこに行けばいいんですかね……」と。私はその言葉に固まってしまいました。 病院名や住所は登録済みなので、乗ったらすぐに連れて行ってもらえるはずなのに……。私は陣痛の波に耐えながら、病院までの道や目印となるものを伝えつつ何とか病院へたどり着いたのでした。 2回目の出産で初めて利用した陣痛タクシーですが、運転手さんのまさかのひと言に最初はどうなることかと思いました。しかし、病院へ到着すると運転手さんから「がんばってきてね!」と言われ、あたたかい気持ちになりました。その後、無事に出産できて本当によかったと思います。 著者:小松潤子/30代女性・主婦。2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。作画:うちここ ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年12月03日■前回のあらすじ陣痛計測アプリにより、10分間隔でおなかが張っていることが分かり、病院に電話。痛みがなかったため、自宅で待機するも、陣痛間隔アプリでおなかの張りが5分間隔になったタイミングで、慌てて陣痛タクシーを呼びました。こんにちは、宝あり子です。■本能? 夜泣きをする娘長女の夜泣き対応をしている私の父へ、陣痛が来たので病院へ行くことを伝えました。実家に里帰り中、ほとんど夜泣きをしなかった長女が、なぜかこの日は夜泣きをしたのです。長女は私の父と一緒に寝ていたので、私に陣痛が来たことを知らないはずですが、本能で察したのかもしれません。■陣痛タクシーがまさかの…泣いている長女をおいて病院へ向かうのは、後ろ髪を引かれる思いでしたが、呼んでいた陣痛タクシーへ乗りました。すると陣痛タクシーの運転手さんから予想外な事実が…。基本はカーナビで運転手さんも運転してくださったのですが…。ときどき道の確認がありました。方向音痴で道案内が苦手な上、とにかくいきみたくてたまらない状況だったので、道を聞かれても、しどろもどろになってしまいました。そんなハプニングもありつつ、無事病院に到着しました。 ◾️突然の歩けないほどの激痛いきみたいけど痛みはないので、出迎えてくれた助産師さんに案内され陣痛室へ移動をしている最中に…。突然、歩けないほどの激痛が!あまりの激痛で歩けなくなり、さらに目の前がチカチカして倒れそうになりました。慌てて助産師さんが車いすを持ってきてくれました。そして、車いすで病院内を移動して、陣痛室に向かっている最中に…。破水していました。長女を出産したときは、破水後に陣痛だったのですが、最初の破水は、尿漏れか破水か判断がつかないくらいチョロチョロと出ていました。しかし、このときの破水は「破水した!」と分かるくらい下半身が一気にびしょ濡れになったのです。続きます。※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2023年11月28日2人目の出産ということもあり、のんびりと構えていたのですが、ある日、腹痛を感じてトイレに行くと出血が……。まさかこんな出産を経験するとは想像していなかった、衝撃エピソードです。2人目だからとのんびりしていた私私は1歳8カ月の長男と夫、夫の両親と一軒家で暮らしていました。出産当日は朝から長男をベビーカーを乗せて教会の礼拝へ行き、その後、1駅先の私の祖母の家まで歩いて行って、昼食を食べました。それからまたベビーカーを押して近くの競馬場へ行き、夕方まで長男とアスレチックで思いっきり遊びました。 夕方6時ごろやっと自宅に帰ると、ちょうど夫が飲み会に出かけるところでした。「出産予定日近いのになあ」と不満に思いましたが、笑顔で見送りました。夕食を食べ、20時ごろに長男と入浴していると、おなかに何となく痛みを感じました。21時に長男を寝かしつけると、またおなかが痛みます。長男は初産だったこともあり、陣痛開始から12時間後にようやく生まれました。今回もきっとそんな感じだろうと思い、のんびりと構えていましたが、念のため入院セットを玄関に準備しました。 おしるしだと思った出血は…?23時半ごろ、夫が帰宅したので、「もしかしたら陣痛きてるかも」と言うと、「えーっ!」と夫は驚いたり喜んだりしていましたが、何しろベロベロに酔っぱらっていたので、私は怒って背を向けて布団に入りました。すると夫も布団に寝そべり、5分後にはいびきをかき始めました。「陣痛きてるって言ったのに寝るんかい!」と私は怒って起こそうかとも思いましたが、あきらめて陣痛の間隔を記録していました。 すると、急に激しい痛みが襲いかかり、その勢いで「漏らしちゃったかも?」という感覚がありました。トイレに行きパンツを下ろそうとすると、手に血が! 「あっ!」と思い、夫に「おしるしー!」と叫びました。 そして、夫がくるまでにパンツの処理をしなくてはと思い、パンツの中にある物を触ると……何とそれは赤ちゃんだったのです! 夫がトイレのドアを開けたちょうどそのとき、赤ちゃんが「おぎゃー」と泣きました。夫は仰天し、「おばあちゃーん!」と義母を呼びました。すぐに2階から義母が降りてきて、「あらあら大変、生まれちゃったのね。お風呂に入れないと」と言って、浴室に行きお湯はりを始めました。夫はおろおろしながら、119番に電話しました。 救急車に運ばれ助産院へすぐに救急隊員が到着して、トイレの中で赤ちゃんと座りこんでいる私を見て、「大きいのだと思ったんですね」と察してくれました。赤ちゃんの首にへその緒が巻き付いていたので、救急隊員はそれを取ってから、へその緒がつながったままの赤ちゃんを私のおなかに置き、私をストレッチャーに乗せました。私は救急車に運ばれながら、夫に入院セットを持ってきてもらうよう頼みました。夫は相変わらずおろおろしながら、私のあとに続き救急車に乗り込みました。 かかりつけの助産院に着くと、助産師さんが「2人目は早いって言ったじゃないの!」と夫を叱っていました。助産師さんが手早くへその緒を切り、赤ちゃんを抱き上げると、女の子だとわかりました。その瞬間、娘はうんちをしてしまったらしく、助産師さんは、「体重量る前に減っちゃったわねえ」とつぶやいていました。沐浴してからようやく身体測定をすると、身長は49cm、体重は2,800gでした。 長女は産着を着せられ、毛布にくるまれて私の隣にそっと寝かされました。助産師さんが部屋から出て行くと、夫は「ふぅー」と大きく息を吐いて畳に転がりました。その息は酒臭く、私は「やれやれ……」と溜め息をつき、先行きを少し不安に思ったのでした。 2人目の出産ということで、初産よりのんびりしていたらセンセーショナルな事件となってしまいました。何が起こるかわからないのが出産なんだなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:杉野萌/女性・介護福祉士兼ライター。中3の息子、中1の娘の2児の母。現在は介護福祉士として働くかたわら、詩やエッセイの執筆、新聞投稿をおこなう。社会へのメッセージから、過去の自身の恋愛や家族への思いなど幅広いテーマで執筆中。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年11月24日■前回のあらすじ退院後、いつくるか分からない陣痛におびえつつ、長女と一緒に実家でお世話になることに。そして、38週6日目の夜中の2時頃におなかの張りを感じ、「陣痛チェックアプリ」を起動。10分間隔でおなかが張っていることが分かり…!?こんにちは、宝あり子です。■病院へ連絡陣痛計測アプリにより、10分間隔でおなかが張っていることが分かったものの、痛みはまったくなし!痛みがなく陣痛か判断ができなかったので病院へ電話し、10分間隔でおなかが張っていることを伝えました。病院から確認されたのは痛みの有無でした。さらに、おなかの張りはあるけれど痛みはまったくなかったので、これが陣痛なのか分からないことも伝えました。病院からは「1時間後にまた電話をください」ということで、様子をみることに。さてこのとき、私と娘は里帰り中で実家にいました。娘は私とは別室で大好きなおじいちゃんと一緒に寝ていたのですが…。娘もこの日はいつもとは違う何かが起こると本能で察したのでしょうか。夜泣きが激しかったです。しかし、私は娘の夜泣きは気になるものの…「これは陣痛?」「陣痛じゃない?」とオロオロしていて、娘の夜泣き対応はおじいちゃんに任せてしまいました。そして、痛みがないまま病院へ電話してから1時間が経過。 ■痛みはないのに“いきみたい”そろそろ病院に電話しようと思っていたところ、突然いきみたくなってしまいました。相変わらず痛みはないものの、陣痛間隔アプリでおなかの張りはこのとき5分間隔。慌てて病院へ電話しました。そして、「急にいきみたくなってしまった。でも痛みはない」と伝えたところ、すぐ病院へ来るよう指示が!急いで事前登録していた陣痛タクシーを呼びました。続きます。※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2023年10月28日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポです。陣痛が始まって4日、妻の苦しむ姿を見て、陣痛促進剤を検討してほしいと夫が医師に相談しました。「陣痛促進剤を使用する促進分娩にはリスクが伴うので、スタッフの少ない土日はおこなわないことにしている」と医師は説明。陣痛促進剤の使用は明日の先生にお願いしよう、今日はなんとか頑張ろうとコツママは心に決めます。ですが、気分は落ち込み……、そんなときに助産師の姉・みたんさんが病院にやってきました。面会にやってきた姉のみたんさん。負のオーラを放っているコツママ、目の下にクマを作っている夫のTくんを見て、これはヤバイ……と状況を察知します。みたんさんはコツママの話に耳を傾け、時に同調し、時にアドバイスをしつつ、わずかな時間を過ごしました。姉との面会が気分転換になり、精気が戻ったコツママ。ですが、その日の夜、赤ちゃんの心音が下がっていき……。 へその緒が圧迫されている!? 赤ちゃんの心音を見ていた助産師さんが、焦った様子でコツママの病室にやってきました。へその緒が圧迫されている可能性があり、赤ちゃんの心音が下がっていること、状況によっては帝王切開になる可能性もあることを伝えられました。コツママは突然のことに動揺しつつ、おなかの赤ちゃんが心配に……。 助産師である姉・みたんさんに電話をすると、「帝王切開になったとしても赤ちゃんのためと思って頑張りな!」と励まされました。こればかりはどうなるかわからない……先生や助産師さんを信じて自分ができることをやろうと決心。座ったり立ったりと姿勢を変えていくとへその緒の圧迫がとれる可能性があると言われ、Tくんと一緒に体勢を変えていきます。繰り返すうちに心音が下がらなくなり、ひと安心。 そして陣痛が始まって5日目の朝、診察を受けると子宮口の開きは6cm。自然経過を進められますが、コツママは「陣痛促進剤を打ってほしい」と訴えます。夫のTくんがこれまでのコツママの状況を説明。医師が陣痛促進剤の使用を決めました。 赤ちゃんの心音が下がっていると言われて焦りますが、2人で協力してなんとか乗り越えました。夫がこれだけ寄り添ってくれると心強いですよね。5日目の朝を迎え、陣痛促進剤を使うことになったコツママ。いよいよ出産となるのでしょうか……。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月26日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポです。陣痛が来て一度病院に入院しますが、子宮口が開かず自宅へ戻ることになりました。ひとりで夜を明かすのが心細くなって夫・Tくんに連絡し、来てもらうことに。朝になり、これだけ痛いなら子宮口は開いているはず!と夫を起こして病院へ向かいますが、子宮口の開きは3cm。陣痛が始まってから3日。一向に生まれる気配がなく、ずっとこのままなのでは……と絶望感におそわれます。陣痛が始まって4日目、妻が体力的にも精神的にも限界がきていることを夫のTくんが医師に伝えました。「陣痛促進剤を使用する促進分娩にはリスクが伴うので、スタッフの少ない土日はおこなわないことにしている」と医師は説明。陣痛促進剤の使用は明日の先生にお願いしよう、今日はなんとか頑張ろうとコツママは心に決めます。ですが、気分が滅入り……、そんなときに助産師の姉・みたんさんが病院にやってきました。 入院中の思いを姉に吐露する コツママの姉・みたんさんとお父さんが病院にやってきました。負のオーラを放っているコツママ、目の下にクマを作っている夫のTくんを見て、これはヤバイ……と状況を察知。コツママとみたんさんが話している間、Tくんは少し休憩することに。 お父さんは病院を出て、コツママとみたんさんは2人で話すことになりました。コツママは「寝られるときに寝てくださいと言われるけど次の陣痛が怖くて眠れない」「赤ちゃんがまだ全然降りてきてない」など、入院してからのことを話しました。助産師であり、出産経験もあるみたんさんは、コツママの話に耳を傾けます。時に同調し、時にアドバイスをしつつ、わずかな時間を過ごしました。 そのころTくんはスーパー銭湯でお湯に浸かり、しばし休憩タイム。車内で仮眠をしてから病院に行こうと思いますが、痛みに耐えるコツママの姿を想像し、すぐに病室へ戻りました。Tくんがコツママに声をかけると、表情が明るく、そして元気なっていてびっくり。姉との面会が気分転換になり、精気が戻ったコツママ。ですが、その日の夜、赤ちゃんの心音が下がっていき……。 好転の兆しが見えない中、みたんさんが登場したことで空気が変わり、コツママが精気を取り戻してよかったです。第三者的な立場の人にたまっていた思いを聞いてもらうと、少し気持ちがラクになったりしますよね。これでお産を乗り切れるかと思いきや、赤ちゃんの心音が下がり……。心配は尽きません。 監修/助産師 松田玲子次の話を読む → 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月25日小さいころからとにかく臆病な性格で、痛いことや怖いことが大嫌い。出産に対する恐怖が強く、将来子どもを産むことをまったく考えていなかったしおさんでしたが、「無痛分娩」という存在を知り、なんとか出産へ踏み切ることに。無痛分娩の理想と現実をこのときはまだ知らなかったようで……。「無痛分娩」に安心していたしおさんを待っていたのは、驚きの事実でした……。 医師から告げられた衝撃的な言葉 ※無痛分娩には、陣痛が自然に始まったら入院して麻酔をおこなう場合と、陣痛が来る前に分娩日をあらかじめ決めておき、前日に入院して人工的に陣痛を誘発してから麻酔をおこなう場合があります。しおさんは、後者の計画無痛分娩でした。 無痛分娩に対応していて、院長やスタッフさんの雰囲気もよい産院を探すことができたしおさんは、気持ちに余裕を感じていました。 つわりが終わりを迎えたころ、しおさんは院長から麻酔処置の説明を受けました。 なんと院長はこう言い放ったのです……。 「麻酔を打つ前にしおさんは、子宮口が5センチほど開くまで陣痛を経験してもらいます!!」 「無痛分娩」にすればまったく痛みなく出産できると思っていたしおさんは、衝撃を受けてしまったのでした。 ◇◇◇産婦人科医曰く、無痛分娩とは、麻酔の薬を使って陣痛の痛みを少なくするお産の方法とのこと。ただし、麻酔をおこなうのは陣痛が起きてからで、かつ、麻酔をしてもおなかが張っていることはわかるようで、完全に痛みを取り除くわけではないのだそう。このことから、「和痛分娩」と表現している産院もあるそうです。しおさんはまったく痛みがないと思っていた様子なので、この事実に衝撃を受けてしまったのは無理もありません。産院に気になることはすべて質問をして、少しでもしおさんの出産に対する不安が減らせるとよいですね。監修/助産師 松田玲子>>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター しお
2023年10月23日このマンガを描いているみたんさんの妹・コツママの出産レポ。お話は出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日から始まります。安産のためには歩くのがいいなど言われますが、コツママも里帰りしてからほぼ毎日歩いて準備は万全! 出産予定日から2日後、おなかが少し痛くなってきたかなと思い……。保育士として働いてきたコツママ。現在、第1子を妊娠中で40週1日を迎えました。出産予定日を1日過ぎ、そろそろ産みたい!とウォーキングに精を出します。10万歩を目指して歩いた翌日、なんだかおなかが痛くなり……。 今か今かと待ち遠しく… 出産予定日を1日過ぎた妊娠40週1日、コツママは10万歩を目指してウォーキングをし始めました。というのも、出産予定日の健診で赤ちゃんがまだあまり降りてないと言われたから。私の骨盤は広いからきっと安産だ! あとは陣痛さえくればスッと生まれてきてくれるはず!とポジティブに考えます。 ウォーキングの翌日は家族でカラオケへ。夕方になって少しおなかが痛いなと感じ、コツママは待ちに待った陣痛が来たと喜びます。おなかの張りの間隔が10分になり、明日の朝には生まれるかな?と笑顔に。その後も赤ちゃんが降りてくるよう家の中を歩きます。このタイミングでおなかの張りの間隔を計りますが、バラバラ。しかし、痛くて眠ることができず……。 病院へ電話をすると、一度来てくださいと言われました。「いざ出陣!」と赤ちゃんとの対面を楽しみにテンションが上がります。 お産は十人十色と言われますが、初産のときはおなかが痛くなってくるともう生まれるのかなと思いますよね。痛みで眠れず、病院へ行くことになったコツママ。すぐに出産となるのでしょうか……。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター みたん
2023年10月21日現在5歳、2歳、0歳の3人の子どもがいます。5歳の娘を出産したときのお話です。初めての出産で不安が多かった私は、里帰り出産を選択しました。何もかも初めての体験で、不安や戸惑いも多かったなか、離れて暮らしていた夫から衝撃の発言を耳にしたのです……。里帰り出産で夫とは離れて生活現在5歳の長女を出産したときのことです。初めての出産だったので、いろいろと不安もあり、自宅から飛行機で2時間の距離にある実家に里帰り出産をすることにしました。早めに産休に入り、妊娠8カ月に入ってすぐに夫と離れ、実家へと帰りました。里帰り中も夫とは電話をしたりLINEをしたり、連絡はこまめにとっていて、妊娠経過や赤ちゃんのことなどもその都度伝えていました。妊娠経過は順調でした。 陣痛らしき痛みで夫に連絡。ところが……妊娠38週2日の朝、陣痛らしき痛みがきました。これが陣痛かな? と不安とドキドキもあり、夫へ朝一番にLINE。しかし、この日は土曜日で仕事も休みのはずなのに、何回連絡してもまったく既読になりません……。 実家で実母とドキドキしながら連絡を待っていても、まさかの朝からお昼まで音信不通。ようやくお昼に電話がきたと思ったら、寝起きの掠れた声で「あー、二日酔い気持ち悪い。飲んだー」とふざけた第一声が! どうやら金曜の夜は飲み会だったようで、お昼まで二日酔いで寝ていて、LINEも見ていなかったようです。 夫の会社はもともと飲み会が多く、夫もまだ20代。飲み歩くことが大好きな人でしたが……。初めての陣痛でドキドキした連絡。やっときた電話が二日酔いの報告であ然としました。さらには「陣痛がきたかも」と伝えると、「え、そうなんだ! あ、でも今日◯◯(友人の名前)の誕生日会だからさー。俺、幹事なんだよね! 幹事がいないなんてあり得ないでしょ? 明日の飛行機でそっち行くわ! 陣痛って3日かかるんだよね?」との発言! もう、悲しみや怒りの前に、呆気にとられて電話を切ってしまいました。 出産に対する温度差が浮き彫りに私と離れて暮らしているとはいっても、この温度差と知識のなさ。電話を切ったあとに怒りがふつふつと湧いてきて、実母に夫への怒りをわーっと吐き出しました。里帰りしたからといって、すべて私と実家へ丸投げするような態度。出産という人生の一大事で、母子の命にも関わる出来事への関心のなさ。出産より友人の誕生日会を優先されたことが悲しく、怒りを覚えました。 また、母親も初めてのことで、母親学級やネットなどで勉強しているのに、「陣痛は3日間」という一般的でない、夫にとって都合の良い解釈をしていたことに非常に腹が立ちました。その後、連絡をとる暇もなく、お産はあっという間に進み、夕方には無事出産。 義母に説得されてようやく到着結局、夫は義母に怒られて説得されたようで、誕生日会という名の飲み会をあきらめ、夜には飛行機でこちらに到着しました。しかも、義母が飛行機代まで出してあげてようやく来たという情けなさ……。 あとから聞いた話によると、初めは誕生日会に出向いたらしいのですが、参加していた女性陣たちから「こんなところにいる場合か!」と総批判をくらったようです。そして、ようやく初めての赤ちゃんに会えた夫でしたが、抱っこはしてくれたものの、せっかくはるばる会いに来たのに、「明日から仕事だから」と日曜の夜には飛行機で帰ってしまいました。仕事が大事なのもわかりますが、誕生日会の話があってからのことだったので、自分の子どもなのにまったく関心もないんだな、と悲しくなり、産後のメンタルはボロボロでした……。 里帰り出産で、夫との温度差が浮き彫りになった出来事でした。里帰り出産は、夫がパパになる自覚が芽生えるのが遅れがちだと聞きます。妊娠中はただでさえ不安な時期。早くから夫にもパパとしての自覚を持ってもらえるよう、両親学級へ参加したり、出産や育児について一緒に勉強したりする機会を増やしたかったなと思いました。 それから数年が経ち、今は3人の子宝に恵まれています。夫は1人生まれるたびにちょっとずつパパとして成長し、今では育児も手伝ってくれるようになりました。 著者:ゆずmama/女性・主婦。5歳、2歳、0歳の3児の母。専業主婦ですが、たまに育児情報のweb媒体でママブログを執筆しています。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2023年10月13日■前回のあらすじ私の入院中は娘の面倒を見るため、遠方から義母が来てくれていましたが、退院を機に帰宅することに…。そのため、私は出産まで、娘と一緒に実家でお世話になりました。娘と過ごす時間に幸せを感じる私でしたが…。こんにちは、宝あり子です。■退院しても産まれる気配のない第2子切迫早産で36週まで退院ができなかったので、きっと退院したらすぐに出産でまた病院に戻るだろうと思っていました。しかし…。38週目に入りましたが、まだ産まれる気配はありませんでした。長女は38週2日目で出産をしましたが、切迫早産で入院生活も経験した次女の妊娠期間は38週2日目を超えました。切迫早産の入院生活は本当につらかったです。でも、つらい入院生活を耐えたからこそ、こうして38週を過ぎてもおなかの中にいるのかな?そんなことを考えながら、退院後の日々を長女と一緒に実家でお世話になりながら過ごしました。いつくるのか分からない陣痛におびえながら、残りわずかな長女ひとりっ子生活を続けていたのです。そして、だんだんと思い出す、痛くてつらかった長女出産時のこと…。以前、第2子出産を控えていた友人が、「1人目の出産前は陣痛や出産がどんなものか分からなくて未知の不安があったけど、2人目の出産はあの壮絶な痛みを知っちゃってるから2人目出産前の方が私は怖い」とおびえていたのを思い出しました。私も友人と同じく、長女出産時の陣痛や出産のつらさを思い出して、第2子出産前の方が恐怖でいっぱいでした。■長女出産時のことを何度も思い出してしまい…あの痛みやつらさに耐えられるのか?しかも1カ月以上、切迫早産で寝たきり生活を過ごして体力も落ちている状況。少し歩いてもフラフラするような体力の自分に出産できるのだろうか?不安しかありませんでした。そして、38週6日目の夜中の2時頃におなかの張りを感じて起きました。痛みはまったくなかったのですが、定期的におなかの張りがくるので、「陣痛チェックアプリ」を起動。すると10分間隔でおなかが張っていました。ところが、全然、痛みはなし。陣痛なのか、ただのおなかの張りなのか…。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 (1085/1000000)
2023年09月28日子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト
私の愛すべき家族