ウーマンエキサイトがお届けする子育ての新着記事一覧 (248/341)
子連れの旅行の投稿を見ていると、とても素敵に見えますよね。いいなぁ~~~!!!我が家もおでかけするのは好きで、私自身も子ども達と一緒に色々な経験をしたいと思っているので、子ども達が小さいうちからあちこちお出かけしていたのですが、年齢が低いと楽しい反面大変なことも多いですよね。あれは5年前。長男が4歳、次男が2歳の頃でした。長男が大相撲に興味を示していた頃だったので、一度生で観てみようと思って家族で九州場所の千秋楽へ出向いたのでした。リアルに目の前で見る相撲は迫力があって、一度はこの目で見てみてよかったなと思ったのですが、実際の舞台裏はやはり楽しいことばかりではなく、子連れおでかけの見えざる苦労や、疲労や、忍耐が隠れていました。当たり前ですが、お金もドバドバ飛んでいきますし、ガソリンもジャンジャン飛んでいきました(笑)では当時の記録をもとに書いていくことにします。■子連れ旅行の見えざる苦労とは?それは…なんといってもおむつ替え。我が家の次男・2歳2か月。まず、会場入りして席について、少し落ち着いたところでおむつ交換しておくことにしました。しかし、女子トイレへ行くには、ツラーーーっと通路を通って階段を降り2階へ出ないといけません。当時三男を妊娠中だった私は大きなお腹を抱えて階段を下りていきます。そしてトイレへ着いたら着いたでなんと!ご婦人方が長蛇の列を作っているんですよ!!女子トイレって混みますよねぇ~。こんなことなら夫に頼んで男子トイレに行ってもらえばよかった、と心の中でつぶやきつつも、しばらく列に並びようやく個室へ入りました。がしかし、こうゆう古い建物のトイレにはおむつ交換台なんてものはないから(今は分かりませんが)、狭い個室で四苦八苦しながら出っぱったお腹を折り曲げておむつ替えなくちゃいけないんだけど、これだけでも結構な消費カロリーでして……。ひぃぃぃ…汗かく…ぜぇ…はぁ…。おむつ台がないってすごく大変…。おむつを交換したらまた階段を上って通路を通って席に戻りました。さてと…落ち着いてお相撲を観ましょうかね、と思って次男をお膝に抱っこした途端くっ…くさぁぁぁ!!!なーんーーでーーーー!!!今さっきトイレから戻ってきたところなのに、戻ってきた瞬間にうんちしちゃいましたーーー!!がっくり!!!いや、がっくりとか言っちゃダメか!(笑)でも世のお母様方ならきっと共感してくれると思います。さっき遠路はるばるトイレに行ってきたのに帰ってきた瞬間うんちされるこのがっくり感…。あぁ………何で今………さっきトイレ行ったばかりの このタイミングで……。しかも、2歳ぐらいになると匂いもなかなか立派でして、さらに次男の体質的に毎日ユルユルということもありまして…なかなかキレイに拭きとれないんです!!お下品でごめんなさいねっ!!誰も知りたかないだろうに、うちの息子の便状態まで詳しく書いちゃってごめんなさい。さっき戻ってきたばかりの道をもう一回戻り、もう一度階段を降りて、もう一度狭い個室で四苦八苦しながらうんちの処理!あぁぁーーーー! よっこらしょ!!なっかなか取れないし、狭いし、暑いし、お尻拭き全部なくなるかと思いました!こんなことばっかしてたら、正直、相撲をちゃんと観れたのは最後だけ!!(笑)長男は夫に任せていたから、2人はゆっくり見れてたんだけど、私は終始、トイレとの往復か、次男の徘徊の見張りか、散歩の付き人をしていたので、全然落ち着きませんでした!!チャンチャン!というわけで2歳とのおでかけはね…楽しい反面大変なこともありますよね。でもね? 5歳の時に見た大相撲。10歳になった長男、ちゃーーーんと覚えてるんです!!当時の光景や臨場感、雰囲気など全部覚えているらしくて、あぁ…長男のために連れて行ってよかったと今は思います(次男の存在…(笑))。親は体を張らないといけない事いっぱいありますが、これも思い出。というベタな言葉で閉めさせていただいて…。もうすぐゴールデンウィークですね。今年はどこにお出かけしようかなぁ~~。【お知らせ】 第115話 の記事下アンケート「Q.母親となってから関係ができた「ママ友」はいますか?」のアンケート結果はこちら↓≫ 「“ママ友必要ない”に声が集まるワケ。「いまどきママの友人関係」の実態とは」
2019年04月12日寝返りがうてるようになった、お座りできるようになった…。子どもの成長は本当に早いですよね。どんどん動きが活発になる赤ちゃんを見ていると「がんばれ、がんばれ!」と心からエールを送りたくなります。でも、その成長の途中で「ちょっと心配」と思ってしまうこともあるかもしれません。例えば、ハイハイ。「ハイハイが遅くて心配…」「ハイハイをほとんどせずに立ち始めたけど、大丈夫かな?」といったお悩みを持つお母さんは多いようです。今回は、榊原先生にハイハイを含めた「子どもの手足」にまつわる不思議について教えていただきました。お話をうかがったのは…医師・お茶の水女子大学名誉教授榊原洋一先生お茶の水女子大学人間発達教育研究センター教授。東京大学医学部卒業。専門は小児科学、小児神経学、発達神経学など。小児科医として発達障害児の治療にかかわる。著書は『大人が知らない子どもの体の不思議』(講談社)など多数。■子どもの成長に「ハイハイ」は必要?――先生。今回は子どもの手足についていろいろ教えてください! 成長の過程としてハイハイから二足歩行へ…といわれていますが、「なかなかハイハイがはじまらない」と心配になってしまうお母さんも多いようです。榊原洋一先生(以下、榊原先生):ハイハイは必ずするもの、と思っているお母さんは多いかもしれませんね。でも赤ちゃんの中にはハイハイせずに歩き出す子もいるんですよ。――えっ…。いきなり歩きはじめる子がいるんですか?榊原先生:います。全体の3%くらいの赤ちゃんは、おしりでずり歩きして移動し、そのまま歩きはじめるようになる子がいます。――そうなんですか…! ハイハイは「歩くための準備期間」のようにとらえていたのですが、違うのでしょうか?榊原先生:「ハイハイができる」というのは腕と手足が交互に動かせる。首が座り、前方を向いていられる。奥行きを理解できる。これらができている、という証拠なんです。ハイハイは赤ちゃんの運動として、とても良いものだと思います。でも「歩きはじめるために必ず必要か」といわれると、そういうわけではないんです。――「ハイハイをしはじめる時期はこのくらい」というのがあって、その時期になかなかハイハイがはじまらないと「何か体に問題があるのでは?」と不安に思うお母さんも多いと思うのですが。榊原先生:ハイハイしないからといって運動発達に問題がある、という事実はありません。先ほどの、おしりでずり歩きしているうちに歩きはじめるお子さんがいるように、ハイハイしなくても正常に運動機能は発達していくんです。――つまりハイハイの時期が遅いとか、ハイハイしないことで悩みすぎることはない…?榊原先生:医者目線でいうと、脳の発達やほかの病気に関係していることも一部あるので「絶対に問題ない」とはいえないものの、ハイハイしなくても歩きはじめる場合があるのは本当ですよ。■赤ちゃんが手足をバタバタ…どうして?――先生。わが子が赤ちゃんのとき足をふんばったり、ゆるめたり、バタバタさせたりをずーっと繰り返していたことがあって「疲れないのかな~」と不思議でした。何か理由があるのでしょうか?榊原先生:赤ちゃんが手足をバタバタさせる理由ははっきりしていないのですが、私は「手足を動かしているときの感覚を確かめている」のだと思いますね。――感覚を確かめている…?榊原先生:そうです。例えば人間には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚など五感と呼ばれるものがありますよね。その五感以外に「体性感覚」というものがあります。体性感覚とは何かを簡単にいうと、すみませんが目を閉じてみてもらえますか…? ――はい(目を閉じる)。榊原先生:左手をあげてみてください。――はい(左手をあげる)。榊原先生:今どうなっていますか…?――左手が上がっている感じがします(笑)。榊原先生:見えていなくても、手が上がっている感覚がありますよね。手がどのへんにあるかも感じています。体の一部が動いていることの感覚があるはずです。これが体性感覚なんですね。――自分の体の一部がどこにあるか、という感覚…。榊原先生:例えば、授乳するとき、赤ちゃんの口元に乳首を持っていくと吸うようなしぐさをしますよね。これは、「反射」と呼ばれる無意識の動きです。それとは逆に、自分の意志で動かそうとする「随意運動」というものもあります。赤ちゃんが手足をバタバタさせるのは、これらの動きとはまったく違うものなんです。――意図的に動かしているわけでもなければ、反射でもない?榊原先生:いわゆる「体の試運転」ともいえる動きなんです。大人が手を前に出すとき「手を前に出そう」と思う間もなく、とっさにできますよね。でも子どもは最初、どうやって手を前に出すのかも分かりません。運動するとき、人には必ず感覚があります。筋肉がどのくらいの強さで収縮しているのか、脳から情報を受け取っているんです。けれど子どもは、どうやったら、どう動くかという経験が少ない。だから、まずは経験するしかないんです。手足をバタバタ動かすのはその感覚を感じて、試しているからだと私は思います。――すごい! 一生懸命に自分の体の動かし方を試しているんですね!榊原先生:体の取扱説明書なんて、ありませんからね(笑)。「手足の試し運転をしている」と表現する人もいますね。■指しゃぶり、こぶししゃぶりをするのはなぜ?――先生、手足のバタバタと同じように不思議なのが指しゃぶりや、グーにした自分の手を口の中に入れようとする「こぶししゃぶり」といわれるものです。これはなぜするのでしょうか?榊原先生:ひとつに、赤ちゃんは口まわりがいちばん発達していることが関係しています。1歳くらいまでは目にしたものを自分で口に持っていき、確かめようとします。もうひとつは、人の体の中で「指先」や「舌」などが敏感な部分だからです。発達している口まわり、そして感覚のするどい舌で何かを確認しようとするわけですね。何も持っていない状態で、赤ちゃんが確認できるものといったら、何だと思いますか?――…自分の手、ですか?榊原先生:そうです。何も与えなければ、自分の手しかありませんよね。足もありますが、体勢的に口に含むのは難しいでしょう。手を口に入れるのは、手しか口に入れるものがないからなんです。――…なるほど。榊原先生:手を口に持っていくことで、口は手を感じますし、手は口を感じますよね。感覚のするどい手と口がお互いの感覚を楽しむことができる。赤ちゃんは口と手の感覚を楽しみながら、探索しているのだと思います。こぶしごと口に入れてしまうのは、まだ手と指を別々に動かすのが難しいからです。赤ちゃんは最初、手をにぎった状態で生まれますし、パーだと大きくて口に入りませんよね。たまたまグーにした状態のときに手が口の中に入り、それがこぶししゃぶりと呼ばれているのかもしれませんね。うちの孫は手を開いているときに口に入れて、指先が鼻の穴に入ってしまうこともありますよ。――そうなんですね(笑)。面白いお話をたくさんありがとうございました!今回は、子どもの手足にまつわる不思議について、お話をうかがいました。赤ちゃんは必ずハイハイするものと思っていましたが、いきなり歩き出す子も一定数おり、必ずしも通る道ではないことを知りました。また、赤ちゃんの不思議行動は、自分の体を知るための探索行動であることも興味深く感じました。そうと分かると、手足をバタバタしたり、こぶししゃぶりをしている我が子を見る目が変わりますよね。「あ、試しているな~」とママも楽しい気持ちになるでしょう。次回も子どもの体の不思議についてお話をうかがいます。お楽しみに!参考図書: 『大人が知らない子どもの体の不思議』 (講談社)榊原洋一著子どもと大人はどう違うのか。それは単に大きさだけの違いではありません。どうして夜泣きをするの? どうして寝相が悪いの? どうして落ち着きがないの? 子育て中に親が抱く「答えが見つかりにくい質問」にエビデンスの精神で解答することを試みました。子どもの心と体の不思議を理解する、手助けとなる一冊。
2019年04月12日3人の子宝に恵まれた我が家ですが、実はママン、一度も自分で妊娠の自覚がなかった鈍感な一面があるのです…。家族にも周りの人にもよく気配りがきくママンなのですが、実は自分のことには超鈍感。体調を崩しても、他人から言われるまで気づかないことも…。長男を授かった当時は、婚約を済ませ翌年に入籍予定の時でした。ママンの仕事がハードだったので、体調不良はストレスから来るものだと思っていたようですが、パパンは早くから妊娠を疑っていました。その後、産婦人科で妊娠発覚…。不思議な話ですが、2人目の時は長男が突然教えてくれたのです。まさかと思いながらも調べてみたらビンゴでした。こんな事もあるんですね。3人目の時も、やはりパパンが先にママンの異変に気づき、そうまで言うならと検査をしたら陽性でした。トイレの中で大声上げたママンの様子は今でも鮮明に覚えています。性別は見事言い当てたママンですが、感覚が鈍いんだか、鋭いんだか…。女の子を授かると妊婦の顔が穏やかに、男の子を授かると顔が凛々しくなると聞いた事があるのですが、ママンの様子を見る限りまんざら間違っていない(?)と思ったパパンなのでした。
2019年04月12日長男を妊娠しているときはフルタイムで働いていました。初めての妊娠で、妊娠の報告をいつするか迷いました。■意外と体力勝負な仕事私のしていた仕事は化粧品販売の仕事で、一見華やかな職場のように見えるのですが、実は納品された化粧水などが入った重い段ボールを運んだり、在庫を何本も倉庫から運んできて補充したり、売り場を定期的に作り変えたりと結構体力勝負な仕事でもありました。そういうこともあって、早めに報告をしたほうがいいのではないかと思っていました。でも妊娠の報告をとてもしにくい理由がありました。それは、私が今のお店に異動してきて数ヶ月しかたっていなかったこと、異動したのも出産で退職した人がいたため私が今のお店に配属されたこと。そのためすごく言いにくい…と感じていました。会社やお店からしたら、また出産で人が変わるのか…と思われるんだろうなと思うと申し訳ない思いになりました。しかしいつまでも隠しておけることでもないし、早めに言おうと決めていたので妊娠8週目くらいで報告しました。報告しましたが、やはりいい顔はされませんでした(涙) 上司にも「異動したばかりなんだからもっと計画的に考えて」と言われ、なんだかなぁ…と思う妊娠報告になりました。お店の従業員さん、他のメーカーさんにも1人1人に謝って回りました。妊娠って会社にとってそんなにマイナス要素なのかな? とも思えましたが(涙)、迷惑をかけてしまったことはその通りだったと思います。今現在は化粧品とは全く関係のない職場でパートで働いています。パートとなった現在から振り返ると、世の中いろいろな会社がありますが、妊娠報告をしてもお互いに嫌な思いをせずに働ける職場が増えたらいいなと思う今日この頃です。【なーみんさんの妊娠出産ストーリー】● もしや妊娠初期症状…? 会社の研修中に感じた、いつもとは違う感じ ● はやく麻酔を入れてくれ…! もがき苦しんだ無痛分娩 ● 恐怖! ラミナリアの痛みに悶絶した無痛分娩の体験談
2019年04月12日じつは、うちの息子は最近までトイレでうんちができませんでした。完ぺきにできるようになったのは5歳になってからです。おしっこは、幼稚園入園をキッカケに、3歳でできるようになりました。ただ、うんちだけがなかなかトイレでできなかったのです。おしっこのトイレトレーニング完了までの話は、 「周りと比べて焦るトイトレ。何歳でオムツ外れたかなんて人生に関係ある?」 をお読みください。■トイレトレーニングの壁。うんちだけできない!うんちをするときは、わざわざ自分でパンツからオムツにはき替えて、部屋の隅っこでカーテンに隠れて力む始末。 幼稚園でおなかが痛いと言って早退してきたときは、オムツでうんちをしたら一瞬で治ったこともありました。幼稚園にはオムツがないからかたくなに我慢していたようです。さすがにこれではマズイ。そこでネットで調べてみると、うちの子のように『小はできるけど大はできない』という子は意外に多いようでした。なので、そういう子に有効なトイトレのアイデアもすぐに見つかりました。が…『トイトレに焦りは禁物』というのはわかってはいたのですが、ついに怒ってしまいました。ダメとはわかりつつも、まわりと比べるような発言もしてしまいました。すると、今度は我慢しすぎたようで…息子は便秘になってしまいました。■親が焦るのをやめたとたん成功したトイトレもう焦るのはやめました。どうせいつかはとれるのだから、気長に行こう、と腹をくくりました。すると、その1週間後…。息子の顔は誇らしげでした。そしてそれ以来、だんだんと自宅でもトイレでできるようになりました。なぜ急にできるようなったのか理由はわかりませんが、息子には息子のペースがあるんだろうなと思います。私が焦らなくなったことも、かえってよかったのかもしれません。そんなわけで、息子は5歳でようやくうんちができるようになりました! が、今思えばトイレでうんちができなくても、生活でそこまで困ったことはなかったかも…。唯一困ったことといえば、私が勝手に焦って、まわりと比べてしまって、息子にプレッシャーをかけてしまっていたことなのでありました。
2019年04月12日皆さまは、生理中の子どもとのお風呂、どうしてますか?私は、基本的には生理中は着衣のまま子どもを洗い、子どもたちが寝てから一人で入るようにしていました。生理のたびに、どうしたものかと思いつつ、一緒に入った場合にうまく隠す自信がなかったため、このような方法をとっていたのですが…。■生理中にお風呂に入ったら…ある日、私が着衣のまま入ることに子どもに抗議され、どうしても一緒に入らないといけないことになりました。こんな日に限って生理二日目…。■子どもにわかりやすく、嫌悪感を抱かせないためにはせっかくの機会だと思って、できるだけ子どもたちにわかるように話を切り出してみました。「女の子はね、大人になると、一ヶ月に一週間くらい、血がでる時があるの。でも別にこれはケガしてるとか、病気とかじゃなくて、とっても自然なことなの」性に関することはこれまであまり触れずに来たため、ドキドキしながら、でも真剣に話しました。「『生理』っていうんだけど、女の子はあなたよりもう少し大きくなると、おなかの中で毎月赤ちゃんのためのベッドを作るようになるの。ふかふかで寝心地のいいベッドをね。でも、毎月赤ちゃんが来てくれるわけじゃないから、赤ちゃんがこなかった月は、ベッドが流されて出てくるの。ママは今、その時期なのよ」とにかく、伝えたいことは伝えた…はず!どんな風に伝えるのがよかったのかはわからないけど、子どもたちも途中で茶化したりせず、真剣な目で聞いてくれていたから、きっと伝わったのだろう。…と思いたい。■性教育は気まずい…でもタブー視できない子どもの性教育って、どうも気まずくて、いままでのらりくらりとかわしていたけれど、子どもたちもいつまでも赤ちゃんではないし、これから広い世界に出るにつれて、自分でいろんな情報をキャッチするのでしょう。そしてその情報は正しいこともあるし、正しくないこともあるでしょう。思春期になるとますます性の話題ってしづらくなる(自分を振り返っても、思春期のときには親からあまり聞きたい話題ではない)と思うので、こんな風に話す機会があったときには、その年齢にあったレベルでお話することもありなのかなぁと思ったりしました。子どもの早熟化が加速しているとニュースでも聞くので、性の話題をタブーにしないためにも、いまくらいから折をみて少しずつそんな話もしていこうかなと思い、『13歳までに伝えたい女の子の心と体のこと』という本も購入してみました。娘に渡すのはまだ先だと思いますが、急に質問されたときにも話に一貫性を持たせるために、私もしっかり読んで、何か質問されたときには自信をもって答えられるようにしたいなと思いました(のらりくらりとかわしていた時期は、回答がコロコロ変わってしまうこともあり不信感を抱かせてしまいそうだったので…)。性の問題はとても難しいけれど、成長の中でいつかは向き合わなければいけないこと。だから私は、まだ先入観も抵抗感もない時期から少しずつ話していく作戦でいこうと思っています。<参考書籍> 『13歳までに伝えたい女の子の心と体のこと』 (やまがたてるえ著/かんき出版)
2019年04月12日小学生になるとお友達が1人でおうちに遊びに来る…なんて機会も増えるのではないでしょうか?息子も小学生になると近所のお友だちができ、おうちに遊びにくることが増えました。そんなときに起こったハプニングをご紹介します。■息子の友だちが遊びに来たとき、起こったハプニング当時、娘はまだ1才半ば。まだまだお昼寝が必要な時期でした。娘にとってお兄ちゃんのお友だちが来てても眠いもんは眠い! と、ぐずっていたのでリビングに息子たちを残し、寝室で寝かしつけることにしました。ところが… ■「入ってはいけない部屋」があることを伝えてなかった!ゲームをしていたはずの息子たちが突然、寝室に乱入! どうやらゲームに飽きて家じゅうを走り回ることにしたらしいです。散らかし放題の部屋見られたー!! 見られたのは子どもといえど、恥ずかしい!! 顔から火が出そうになりました。その後… ■子どもだけで遊ぶときのルールを考えてみた!我が家の例ですが、その他のルールは自宅に呼ぶとき、お友だちの家へ行くときは必ず親の許可をとるその際、お友だちの家がどこなのかちゃんと教える連絡用に自分の携帯を持っていく台所には絶対に入らないお友だちの家へ行っても17時には必ず帰ってくるお友だちの家へ遊びに行ったら親御さんなどに必ずあいさつをするこんな感じです。子どもって大人が想像できないようなことをやってのけるときがあると思います。(聞いた話ですが、勝手に冷蔵庫開けてジュース飲んじゃった…とか)今回は私が恥ずかしい思いをしただけですが、お友達の家で何か壊したとかあったら大変ですよね。お外もそうですが、おうちの中で遊ぶのにもやっぱりルールは必要だと思いました。自宅だけでなく、お友だちのおうちのルールも守って、楽しく遊べるように心がけていきたいと思っております。
2019年04月12日こんにちは、ちひろです。今回は幼い頃おどろいた、他の家族とは違う親の愛情表現についてです。物心ついた頃から、両親は子どもの前でも普通にキスをしていました。もちろんハグもするし、お風呂も一緒に入ったりしていました。私は当たり前だったので、疑問に思ったことなどなかったのですが、小学校低学年になったある日、友人との会話の中で…「ちゅーって大人の好きな人同士がするんだよ」というような会話の流れだったと思います。私が「両親も普通にしてるよね、結婚してるもんね」というとその場にいた友達がフリーズしてしまいました。周りのお友達家族の中では、両親が子どもの前でオープンに愛情表現することは無いということでした。カルチャーショックを受けた私は「ウチってもしかして他の家と違うのか?」と疑問を持ちます。大人になった今は、いろんな家庭があるから我が家がおかしいわけでも周りがおかしいわけでも無いことは理解していますが、当時は結構衝撃でした(笑)子どもの頃って自分の家の常識が世間の常識だと思っていることありますよね。友人宅へ行った時など友人のお父さんがすごく厳格で驚いたり…(私の父は常に冗談ばかり言っている人だったので)帰宅後、母に「お友達の家では、両親がチューとかしないらしい!」と報告しましたが母はいつも「お父さん大好きだから!」と言う人だったので、それからの愛情表現も特に変わりませんでした。そういったアメリカンスタイルな両親のことを誇りに思えど恥ずかしいとは思いませんでした。もはや当たり前と思っていたからかもしれませんが、大人になった今も言葉や表情、態度で愛情を伝えることって本当に大切なことのような気がします。我が家の生まれたばかりの息子にも、愛を惜しみなく伝えられる人になってほしいので包み隠さず主人への愛情表現をしています。(ただイチャイチャしたいだけという理由もありますが…)将来、息子にお嫁さんが出来たら「(好きって)言わなくてもわかるでしょ?」ではなく毎日「大好き」と伝えられるような子に育ってくれることを願って…自分の両親を見習い、主人にも息子にも毎日たくさんの愛を伝えていきたいなと思います。
2019年04月12日どうもこんにちは!のばらです。末っ子の保育園の慣らし期間の様子を全3話でお届け!2話目は、慣らし保育2時間+はじめてのおやつに挑戦した日のエピソードをご紹介します。いやそこは「さようなら」って言おうや。最後には先生と母の笑いをかっさらっていったけれども。とりあえず無事におやつを食べてくれて、ステップアップの息子にほっと胸を撫で下ろす母なのでした…。
2019年04月12日こんにちは、まりげです。先日、長男を小児科に連れて行ったときのことです。■病院の待ち合い室で聞こえる不思議な音の正体は?どこからともなくパタパタと音が…パタパタの発生源、うちの子かい! どうやらスリッパで床を鳴らすのが面白いようです。その気持ちは分かるけどここは待合室。やめるように注意します。コクリとうなずいて一度やめるものの、またパタパタ…。少し時間が経つとまたパタパタ…■落ち着かない息子に「ダメ」は効果あるのか?いつもだったら「何回も言ってるでしょ。迷惑になるからやめなさい」と言って、終わらせていたと思います。ですがこのとき、どうにも落ち着かない様子の長男を見ながら思いました。きっとこれから診察という不安もあって、落ち着かなかったのでしょう。そんなとき「ダメ!」とただ禁止するだけではなく「これはダメだけど、こうするのはいいよ」と代替案を提案できないだろうか…?そこで、こんな提案をしてみました。すると長男の体を動かしたいという欲求が解消されたようで、おもしろがりながらヒザを指先でトントンと弾いていました。長男の緊張もほぐれたのか、おだやかな気持ちで診察を待つことができました。代替案を提案してあげると子どもも受け入れやすいのかな、と感じた出来事でした。
2019年04月12日2人目の妊娠が発覚後、病院を受診し「次回受診する時までに母子手帳を持ってきてください」と言われました。「母子手帳」こと「母子健康手帳」は妊娠中や産後の母子の状態をまとめて記録した手帳のことで、妊娠が発覚すると市役所や保健所など指定された場所で交付してもらいます。1人目の母子手帳を交付してもらった地域では、母子手帳を受け取るときに集団で講習を受けなければならず、曜日や時間が細かく指定されていました。今回もそうだと思っていたのですが産婦人科で特に日時について言われなかったので、一応自分で調べてみることにしました。■地域によって違う?!母子手帳の受け取り方検索した結果、2人目の母子手帳を受け取る市ではいつもらいに行っても大丈夫で、前回のような講習もありませんでした。受付は平日のみしかなく、つわりで体調が悪い中、当時2歳10ヶ月だった長男を連れていくのは不安だったので、講習がなかったことにホっとしました。今思い返せば長男のときの講習にも仕事を抜けてきたような方がいました。体調がすぐれない上、産休にも入っていない時期の妊婦さんにとっては、日時が指定されたり、数時間拘束されたりするのは大変だろうなぁと今更ながら思いました。■「母子手帳」検索中、思わず号泣…涙もろくなっていた私は「母子手帳」について検索時、出てきた赤ちゃんの写真や、「小さないのち」といったフレーズを見て、「妊娠した喜び」や「1人目の出産した時のこと」などを思い出し、感動なのかよくわからないのですがとにかくボロボロ泣いてしまいました。はじめはあまりの涙もろさ&泣きっぷりに自分でもびっくりしましたが、妊娠中はこの先もとても涙もろく、よその子のお遊戯会や子どもが活躍する系のテレビを見ては、ボロボロ泣いていました。■いざ! 長男を連れ母子手帳をもらいに…お盆休み明け、長男を連れて母子手帳をもらいにいきました。講習はありませんでしたが、1対1で保健師さんと思われる方から今後のスケジュールや費用についての説明がありました。説明を受けている最中、お盆休み明けでパパが出勤してしまいさみしい長男が…、座ってすぐ、ワケあり感満載のセリフ…! 思わず何か言われる前に「パパ仕事言っているだけだよ!」とツッコミをしてしまいました。そして、その時は切なげに座っていた長男でしたが、2歳児が長時間大人しくしてられるはずもなく…こうして、じっくり話を聞いた1人目に対して、ほぼ話を聞けず母子手帳を受け取ることになりました。■受け取った母子手帳を眺めていると…受け取った母子手帳と、長男のときの母子手帳を見比べていると、1人目妊娠前からプラス10kgのまま2人目を妊娠…。子どもだけではなく、私の身体も一緒に大きくなっていることを改めて実感しました。ほかにも長男の母子手帳と見比べることで、身体の事や予防接種の抗体の有無など参考にすることができました。しかし体重や血圧など病院で記入してもらえるところは良かったのですが、長男のときには母子手帳に細かく書き込みをすることがなんだか恥ずかしく、まったく書き込みをしていなかったせいで…1人目妊娠当時はあんなにネットで検索したりしていたのに、今一番役に立つはずの過去の自分の情報を書いていないなんて、とてももったいない事をしました。それ以来、1人目も、2人目も母子手帳にはできるだけ細かく記入するようにしています。
2019年04月11日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは、ふるえるとりです。子育て中はなかなか自分の時間がとれなくて、ストレスがたまりやすいですよね。今回は私のストレス発散法についてお話しします。ストレスの種類もいろいろあるので発散法も異なるのですが…漠然としたもやつき、疲労感をリセット「無」になる…大事…夫にむすめを預けられるタイミングでカフェなどにふらっと行かせてもらい、ただただ無心で過ごします。育児をしていると「無になる」瞬間って思いのほか取りづらいのです。むすめが昼寝をしているタイミングだったり、ちょっと時間ができると…ついついスマホをいじったりパソコンを開いたりしてしまいがちなんですがあえて何もせず、何もしない時間を楽しみます。不思議と頭の中が落ち着き、リセットされるように思います。日々の中の楽しみと言えば…日ごろからリセットできる瞬間があればいいのですが、専業主婦なので日中むすめと離れるわけにはいきません。そんな中でストレス発散する方法といえば…やっぱり「おいしいものを食べる」に尽きます。(私は体を動かすのが苦手なので、むすめと走り回ってストレス発散!…というようなヘルシーな方法を取れないのです。残念。)むすめも2歳半ほどになり、食べられるものが増えました。おいしい鯛焼きを食べに行ったり、しぼりたてのジュースを一緒に飲んだり、そのまま外食してしまうのも楽しみです。はたまた、これは自分だけで思いっきり辛いものを食べるとか…頭が(気分が?)リセットされます。好きなものを食べると心が癒されます。この方法を繰り返すと何が起こるかというと…腹のあたりに肉がつくのです…が、一旦忘れましょう。前向きになれないときは…次に小さなことにくよくよと悩んでしまうような時。私はいつまでも悩んで悩んで悩みを深くしてしまいストレスを溜める性格なので、そんな時は…時分とは真逆の存在、底なしに明るくて楽天的なギャルを脳内に召喚します。彼女ならこんな時どう切り抜けるだろうか?「ま、何とかなるっしょ、オッケー!」と適当にかわすはず。私に足りないのはそんな前向きな明るさ…よし、きっと大丈夫だろう。と、無理やり立ち直ります。これはおススメの方法なのかわからないのですが…「別の人格を取り入れる」というのは発想を変えることにもつながり、ストレスの解消に役立っているなぁと思います。(注:私はギャルになりたいという訳ではなく、彼女たちのようなたくましさが欲しいと思っています。)最終手段は…色々と紹介させていただきましたが、なにをしてもダメなときは正直あります。体にもダメージがきていて、「何かをする」が難しいような時。そんなときはもう…なにもかも放棄して寝る…しかないですよね。お母さんたち、みんな24時間頑張ってますから…つまるところ、「何もしない」「休む」ことが大事なんだと思います。
2019年04月11日子どもが熱を出す原因の多くは「かぜ」であり、数日間で自然に熱が下がるため、抗生剤(抗菌薬)が必要な場面は限られます。では、抗生剤が必要となるのは、どんな病気なのでしょうか? 今回は、抗生剤がよく効く病気の一つである溶連菌感染症について解説します。■溶連菌感染症「診断、治療、家での過ごし方」溶連菌(=A群溶血性連鎖球菌)は細菌の一種で、主に4歳以上に発熱やのどの痛み、頭痛などの症状を認め、ときにおう吐や腹痛をともなうこともあります。扁桃腺がはれて赤くなり、首のリンパ節がはれたり、舌がイチゴのように赤くなるイチゴ舌や、体に発疹を認めることもあります。せきや鼻水などのいわゆるかぜのような症状は乏しいことも特徴です。主に咽頭炎や扁桃炎を起こしますが、とびひなどの皮膚感染症を起こすこともあります。診断溶連菌を疑う症状があり、のどを綿棒でこする迅速検査で陽性が出たら、溶連菌による咽頭炎と診断されます(時間はかかりますが、培養検査をするとより正確です)。このとき発熱などの症状はなくても、検査で陽性が出てしまう健康保菌者という場合があり(約15%)、解釈には注意が必要です(※1)。治療ペニシリン系といわれる抗菌薬が第一選択薬で10日間内服が必要です。溶連菌によく効くお薬ですので、内服して1~2日もすれば熱は落ち着くでしょう。その他の抗菌薬が使用される場合もありますが、ペニシリンアレルギーなどの限られたケースに限られます。家での過ごし方溶連菌は抗菌薬がよく効く感染症ですので、1~2日ほどで熱は下がるでしょう。学校の登校停止基準も「抗生剤治療開始後24時間をへて、全身状態がよければ登校可能」となっています(※2)。治療を開始して24時間経過していたら感染力はないので、学校にいったりお友だちと遊んだりしてもOKです。ただし10日間の内服をしっかりと続けていることが条件です。■溶連菌感染症「実は怖い合併症」治療のメリット4つこの溶連菌、実は無治療でも3~5日で自然に熱が下がります。自然によくなる病気になぜ抗菌薬が必要なのでしょうか? 主に、次の4つのメリットがあります。1. 発熱期間を短縮することができる。2. 感染拡大を防ぐことができる。3. 化のう性合併症を予防できる。4. リウマチ熱の予防ができる。発熱期間を短縮できることは大きなメリットですし、唾液などを介したきょうだいやお友だちへの感染拡大も防止できます。化のう性合併症とは、扁桃腺やリンパ節などにうみができるもので、ときに点滴や外科的治療が必要なことがあり予防は重要です。リウマチ熱とは、溶連菌に感染して2~4週間後に関節炎や心炎、発疹や舞踏病(体の一部が意図せず勝手に動く)などさまざまな症状を認める合併症です。とくに心炎では、後遺症として心臓の機能障害が残る場合があり、予防はとても重要です。日本ではまれですが、治療を十分に受けられない国ではリウマチ熱に苦しむ子どもが大勢います。発症から9日以内に抗菌薬を投与すれば予防可能とされ、溶連菌の治療の最も重要な目的です。そのほかの合併症として、発症から2~3週間後に起こる急性糸球体腎炎もあります。これは腎炎を起こして、たん白尿や血尿が出現し、尿が少なくなり、体がむくんで高血圧を起こしたりします。このような症状が出たら必ず受診が必要です。ただし、腎炎については、抗菌薬をしっかり飲んでいたとしても予防することはできないので、早く見つけるために2~3週間の期間は体のむくみや尿の状態などを注意して見ておくことが大切です。■抗菌薬が効かない! 別の病気が潜んでいるかも…抗菌薬を服用しても熱が下がらない場合は、どうすればいいのでしょうか?原因のひとつに、化のう性合併症が考えられます。うみをつくっている場合、飲み薬では十分治療できないので、必ず病院で相談してください。もしくは、別の病気にかかっている可能性もあります。溶連菌陽性の結果が、前述の「健康保菌者」を示しているだけで、実は発熱の原因がほかにあるのかもしれません。例えば、インフルエンザ+溶連菌の健康保菌者だった場合、抗菌薬を飲んでもメインのインフルエンザが改善しない限り熱は下がりません。また、溶連菌は川崎病に症状が似ているところがあります( 【医師監修】高熱が5日以上…「カゼではないかも?」子どもがかかる川崎病とは?<パパ小児科医の子ども健康事典 第14話> 参照)。発熱、リンパ節腫脹、発疹、イチゴ舌など共通する症状があるので、川崎病+溶連菌の健康保菌者という場合もありうるのです。この場合、溶連菌治療の抗菌薬内服を続けていても改善はせず、川崎病の適切な治療時期を逃してしまう危険性があります。溶連菌の診断で抗菌薬を内服しても改善しない場合は、見直す必要があるので必ず受診してください。発熱の原因が溶連菌と確定できれば、抗生剤がよく効くすっきりとした病気です。しかし、大事なのは、溶連菌と診断されているのに、抗生剤を飲んでも熱が下がらないときです。何か合併症はないか、実はほかの病気ではないのか? さまざまなことが考えられますので、再度受診して診察をうけてください。参考資料※1: 「小児感染症マニュアル2012」(東京医学社) ※2:学校保健安全法「登校停止基準」
2019年04月10日今回は悪阻(つわり)以外にも辛かった事のお話。 前回 に引き続き、5人目を妊娠した初期の頃です。そう…『眠気悪阻』上の子達の時も妊娠中眠くなることはありましたが、今回は本当に酷くて、5人目にして初めて『眠気悪阻』という言葉を知りました。一番困ったのが、日中の仕事中に突然強烈な睡魔が襲ってくること。本当、気を失うような感じでフッと意識が飛んでしまい… 気がついたらキーボードの上で爆睡。そして画面上を埋め尽くす半角英数(笑)そして食べ悪阻特有の空腹時の気持ち悪さで目が覚めて、『え…マジで…今寝てた??』と我に返り(自分でもいつ寝たのか思い出せない)、再び白米を食べる…という繰り返しでした。本当に自分ではどうしようもないくらい、何も出来ない状態が続いたので、 食べ悪阻+眠気悪阻+情緒不安定で嗚咽するほど号泣しました(笑)PCの前で突然声を上げて号泣するアラフォー妊婦…。眠気を解消するために、一度割り切って布団で寝たことがあったんですが、15分だけのつもりが2時間がっつり寝てしまったんです…。このままじゃ完全に仕事に支障がでる…!と言うわけで、色々試した末、ミントガム一気食いという方法に落ち着きました。眠気さましと悪阻の気持ち悪さ解消に、ミントガムをゴリゴリ食べながら集中的に一気に作業していました。今思い返しても、本当に辛かったです(笑)
2019年04月10日私も夫も関西出身ですが、現在は東京暮らし。子どもたちがおじいちゃん、おばあちゃんに会えるのは盆と正月くらいです。おばあちゃんが帰ってしまい、さみしそうな子どもたち。しかし、突然え? 歯ブラシ? それおばあちゃん嬉しくないんじゃない?? お化粧のニオイとか、柔軟剤のニオイとかかと思ったよ。今度会った時に「おばあちゃんってハブラシのニオイするね」なんて言わないように必死に阻止したいです!
2019年04月10日長女が幼稚園に通っていたときのことをお話しします。当時、ママ友といえるような存在はほとんどいなかった私・・・当初は、ママ友を作らないと・・・という気持ちもありましたし、グループに入らないといけないのだろうかと思うこともありました。でも、結局ママ友もできず、もちろんグループにも入らなかったのですが、それで何か問題があったかというと・・・大きな問題はありませんでした!さみしいという気持ちが心の片隅にあったのは確かですが、なんとかやってこれました。・・・でも、デメリットかなと思うことは最初少しありました。私がまず感じたデメリットとは、情報があまりまわってこなかったということです。PTA活動でどの役がいいかとか、塾や病院はどこがおすすめなのかといった情報を、まったく得ることができませんでした。しかしながら、こちらは解決方法がありました。ママ友といっていいほど仲が良い人ができなくても、顔見知りの立ち話できる人を作るように努力すると解決しました。長女の送り迎えのときにはきちんとあいさつして、話ができる土壌を作っておくと、お茶をするくらい仲良くならなくても、送迎時の短時間で知りたいことは聞けることを知りました。それから、ママ友グループに入ってなくてつらかったのは、娘に「A君とBちゃんとC君が、親子でみんなあつまって遊んだんだって」というようなことをいわれたことです。それは娘にもうしわけなかったなと思います。でも、無理やりそのグループに入るわけにもいきませんし、これはどうしようもないことでした。しかしながら、グループに入らなかった私には自分の時間がたくさんありました。当時は仕事もしていなかったので、下の娘のお世話や家事を、余裕をもってできました。もし、あのころ私がママ友グループに入っていたら、ママ友付き合いに時間をとられて、ひょっとしたらそんなふうに過ごせてなかったかもしれません。ママ友グループに入らなかった私ですが、時間という面でのメリットは大きかったと思います。
2019年04月10日今からおよそ2年前。わが家は大きな決断をしようとしていました。あの決断が結果的に良かったのかどうか、それは今でも分かりません。あの時我が家はぶつかり合い…そして絆を深めました。今回のお話は2017年春、小学6年生の長女が中学受験に挑む物語です。複数回に分けて書きます。宜しければ最後までお付き合い下さい。お受験は突然に~長女の中学受験奮闘記1~2017年5月。嫁さんの一言でそれは突然始まりました。どうにも長女は5年生の後半位から勉強のコツを掴んだらしく、テストで程良い結果を残すようになったんですよね。まぁ本当に程良くなのですが。で、長女の将来の夢もぼんやりとですが本人の頭に浮かんでいる様子なので、じゃあせっかくだからとある中学校の受験をしてみる?という話に。嫁さんからこの話をされる前に、僕の頭の中にも一応”中学受験”の文字はあったんです。でもいざ真剣に考えてみると…ちょっと戸惑ってしまいますよね。まぁでも1番大切なのは本人の意思ですからね。このような長女の人生において大切なポイントとなりかねない出来事を親だけで決める訳にはいかないというのが僕たちの考え。中学受験がどのような事か・その学校は通常とはどう違うのか・仮に合格出来たらどういった事になるのか…そういった話を1つずつ丁寧に説明し、長女にゆっくりと考えてもらう事にしました。長女の返答は…割と即答でした(;゚Д゚)もしも合格した場合、今の同級生とは殆ど離れ離れになること。宿題も増えて勉強量が跳ね上がる説明なんかもしたんですけどね。仲の良い友達とは学校が違っても別に遊べるし、勉強もどうせしないといけないから問題ないそうです。この潔さはホント凄い…長女さんこういう部分はポジティブなんですよね。※因みに宿題量の件で中学1年生の間に色々なことがありましたが、それはまたいずれ…(笑)このような感じで受験はあっさりと確定。数日後小学校の担任にその旨を説明し、中学校の説明会に参加したりして書類関係の準備を済ませました。そして月日が流れ、時は夏休み前。受験に臨む前に塾に行かせようと考えていたのですが…これまた塾代がたっかい!!夏休み期間中のお受験対策短期プラン、4日間で1万円を超え。その後の通常のプランは高すぎて目をそむけてしまったので値段を覚えていません^^;これは共働きでどうにか頑張っている我が家の財力では簡単に出せる額ではないのです。当時スイミングにも通っていたので、それと併用して塾にも行くなんて到底ムリ……ムリ?いや、あった。これを奇策と言うのか、それとも裏技と言うのか。どちらか分かりませんが、我が家に出来る唯一の方法がありました。それを実現するべく、ここから塾に関しては全て僕が引き受けることになります。そしてここから…僕と長女の、そして我が家の濃ゆい濃ゆい半年間が始まっていくのでした。つづく。
2019年04月10日子育て真っ最中に迎えた実の母親の死、そんなときにどうやって自分の生活を続けていけばいいのでしょうか。母親が亡くなってつらいけれども、子どもとの日常はとめどなくやってきます。昨年出版された 『さよならわたしのおかあさん』 。前回の記事、 「“母は助けてくれてあたり前”と信じてた『さよならわたしのおかあさん』(前編)」 では、作者・吉川景都(よしかわ けいと)さんに、母親との日々や亡くなった後の生活について教えていただきました。今回は4歳になった娘のえっちゃんとの日々や、将来目指したい親子像などについて吉川景都さんに話を伺いました。■母の死と娘の誕生はセットで考える――おかあさんが闘病している中でのえっちゃんの誕生は、大変なこともあったのかなと思うのですが…。おかあさんがしんどい時期に自分もしんどくてダブルパンチのように感じることもありました。ただ、新しい命の誕生というのはあきらかにいいことで、おかあさんもそのときはすごく喜んでくれたし、私も子どもに対して親がこう思うんだっていうのを、おかあさんがいるうちに感じられて、すごくよかったですね。――なるほど、同時にあったことにも意味があるということなんですね。「おかあさんの死」と「えっちゃんの誕生」は、私の中ではセットになっているんです。娘が生まれてきてくれて、そこの開いたドアにおかあさんが入っていった。向こう側に行ったおかあさんは新しく生まれてきたえっちゃんのことを見守っていてくれているんだなと捉えています。■子どもと向き合う自分の中に見る「おかあさん」――今、えっちゃんを育てるなかで、おかあさんの存在を感じることはありますか。自分自身がえっちゃんに対して言うこととかやることが、ほぼおかあさんのままみたいなんですよね。「これ、言われたことある!」って言ってから思い出すこともよくあって。この間、えっちゃんとお菓子作りをしたんですけど、もうずいぶん作っていなかったのに、基礎の動きを体が覚えていたんです。おかあさんが教えてくれたことが、ポンって出てきた。きっと、自分の中にはまだ思い出し切れていないことがあって、これからどんどん思い出していける。すごく心強くて、ここまで育ててもらったから、これからも育てていけるんだって感じています。――「自分が生きていること自体が、お母さんの形見」というあとがきの言葉が印象的です。子育ての中で、子どもと付き合い向き合っているうちに、母の考え方とか教えてくれたことが、自分の中にあるなって何回も思いました。そういう経験が積み重なると、「おかあさんって消えていないな」って実感ができますよね。姉妹と話していても、「おかあさんだったらこうするだろうな」って想像できる。それってもう「いなくてもいる」っていうのと一緒だなって思います。――えっちゃんは、おかあさんのこと覚えているんですか。きっと本人は覚えていないと思うんですけど、たまに気を使って、こっちに話題を振ってくれるんですよね(笑)。あとは、最近「天国ってどこにあるの?」とか、急に聞いてくるときとかあって、「お空の上だよ。いつも見ているんだよ」と言っています。■家族の闘病と子育ての両立――おかあさんの闘病と子育てを両立するのは大変だったと思います。どうやって乗り切ってきたのでしょうか。がんばりすぎないことは大切だと思います。私自身も、おかあさんが小康状態のときに、自分の仕事を進めたり子どもを保育園に行かせたりと、日常に戻る時間を確保していました。おかあさんがいなくなったあとも生活は続く、だからこそ、自分自身や子どもの生活を端の方でちゃんと維持しつつ、そこに戻れるようにしておくことは大切だと思います。――ホスピスで最期を過ごしたからこそ、きっとそうした無理のないみとりができたのでしょうね。おかあさんは、体調の波があったときすぐに相談できる場所にいたい、家にいるとみんなに迷惑かけるから嫌だと言って、ホスピスに入りました。入院したとき、本人は晴ればれとした顔をしていて、「もうこれで大丈夫だ」と思ったんだと思うんです。無理に自分たちがなんとかしなきゃって思わないほうがいいと思うし、思う必要はないと思います。■母から受け継いだもの、自分なりに作る娘との関係――どういう親子関係を目指していきたいのか、吉川さんなりにどう考えているのでしょうか。私はおかあさんに何でも話してきたので、えっちゃんにとってもできれば、私が一番の相談相手でありたいし、友だちや恋人ができたりしても、最後は「お母さんがいるからね」って言える存在でありたい。おかあさんにしてもらったように、ベッタリするのではなくうまくサポートしていってあげられたらいいなと思います。――ほかにおかあさんのようになりたいと思うところはありますか。私は心配性なので、つい先回りしていろいろと心配してしまうんです。でも、おかあさんは私が「芝居がやりたい」とか「音楽がやりたい」と言ったとき、いつもまずは「やってみれば」と言ってくれました。だから、私も将来えっちゃんのことをあまり心配しすぎずに見守りたいですね。たとえ「ユーチューバーになりたい」とか言われても(笑)。本人に任せて、もし失敗しちゃったときは受け止めてあげたいです。――おかあさんが弱音を吐かなかった、そうした姿も目標になりそうですよね。おかあさんがまったくつらい面を見せなかったというのは立派だと思うし、自分もそうありたいと思うけれど、とてもできないなあと。いまとなっては、もっと弱音を言ってほしかったという思いもあるし、自分だったらもうちょっと弱音を言っちゃうと思いますね。そういうところを、おかあさんの要素も入れつつ自分なりの母親になっていきたいです。ただ、本当に自分がそういう風になったら「お母さんは大丈夫だよ」って言っちゃうのかもしれないですけどね(笑)。■「命のバトンをつないでいく」吉川さんのメッセージインタビューでは、吉川さんが言葉ひとつひとつを丁寧に選びながら話をしてくださり、おかあさんとえっちゃんを大切にする思いが伝わってきました。そして、まさに子育てとは「命のバトンをつないでいく」ことなのだと、書籍とインタビューをとおして強く実感しています。筆者自身も2年半前に実の母親を大腸がんで亡くし、喪失感がなかなか埋められずにいました。そんなときにこの本に出会って、心のささくれていた部分にそのメッセージが染みこんできました。母親から私に確実に命のバトンは受けつがれていて、きっと次は自分がそれを子どもに渡す番なのだと感じています。おそらく書籍を読み終えると、「お母さん」のことを深く知りたい、どう思っているのか感じたいと願うのではないかと思います。親、自分、子ども、そのずっとつないでいく命のバトンのなかに、何を込めていけばいいのか。そんなことを考える機会となりそうです。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))■吉川景都(よしかわ・けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo
2019年04月10日ウーマンエキサイトをごらんのみなさまこんにちは! M子ママです。夫と結婚して5年。お互いに違う役割で大事な家族を守っている私たちだけど、当たり前のように毎日が一瞬で過ぎていく。でも、ふとした瞬間にお互いがお互いのために頑張っていることを感じる瞬間が。今日はそんなお話です。朝早くから働く夫、この日はなんだかずいぶん疲れた様子だよ。 いきなりくっついてくる夫。1日働きまくった夫のワイシャツからほのかにM子が洗った柔軟剤の香りがした。1日中着ているワイシャツは男臭がとんでもないかと思いきや、我が家の柔軟剤の香りが残っていたのだ。夫の服を洗濯するM子。いつも清潔に気持ち良く着てもらいたいから、いい香りにとことんこだわる。M子の洗ったワイシャツを着て一生懸命に仕事をこなす夫。いつもついつい家事に育児に追われて大変だーと夫に訴えがちなM子。大して大変でもないくせに家事に育児に大変だアピールを夫にしまくりなM子。本当言うと午後はお昼寝の時間がほとんどを占めているM子。そんなM子に、夫は違う土壌で私たちのために戦っていることを思い出させた。夫から漂う柔軟剤の香りは、M子に色々なことを連想させた。1日の終わりに毎日頑張る夫のワイシャツからM子が洗った柔軟剤の香り。別々の場所にいても、お互いがお互いのためにお互いを想って日々頑張っているなぁ…とふと感じて幸せな気持ちになると同時に夫婦の絆を感じるM子であった。
2019年04月10日次男を出産した時の話です。陣痛が来たのは土曜日の早朝。夫は出勤日だったのですが、2時間で仕事を切り上げ、当時2歳の長男を実家へ預けることに。お昼頃から出産に立ち会うことになりました。■いよいよ立ち会い出産スタート夫が病院に到着した12時頃には私の陣痛も結構なツラさになってきており、唸り声を出して耐えている状態です。まさにそんな時、看護師さんが陣痛室へ入ってきました。陣痛中にお昼ご飯!?そういえば出産マニュアルでも書いてあったような気がするけど…前回の記事でも書きましたが、私は強いストレスを感じると、一気に食欲が失せるタイプです。ましてや陣痛中、痛みを誤魔化しながら食べたら100%吐く!マジで無理!嘘やろ!? 食えないっつーの!!この時の看護師さんの夫への声かけが、その後とんでもない展開になってしまいました。■介助を任命された夫は…夫は任命された通り、私に一口でも食べさせようと声をかけてきます。でも私は断固拒否。しかも、普通ならお尻を押してもらうとラクになる…というのも聞いたことがあるのですが、私の場合「誰にも触られたくない」という状況になってしまいました。そんな押し問答をしていても陣痛は容赦なくつづき…夫は何もすることがありません。でもこの場から離れることは許さん! 黙ってそこに座って見てろ! みたいな、我ながらなかなか理不尽な感じでした。そして波が去ってはまた、大きくなった波が押し寄せます…ん?? 夫??? 何をして…!?夫は何を思ったのか、唸り声をあげている瞬間に私の口元にスプーンを差し出すという謎の行動を繰り返したのでした。口が開いてるから突っ込めるチャンスとでも思ったのでしょうか。■夫の謎行動を前に無力な私…とにかく痛みと向き合うことだけで精一杯の私、抵抗も反論もできる状態ではありません。陣痛中の女の、なんと無力なことか…。夫の謎行動はしばらく続いたのですが、ご飯も冷めてきたころ(正確な時刻はわかりませんが)夫も諦め、食事は手をつけられないまま回収されました。夫は正直に看護師さんからの指示を守っていただけなんでしょうけどね。タイミングが酷すぎました。その後21時過ぎ、無事に出産することができたのですが丸一日、何も食べない・水も飲まないという状態だったため翌朝、脱水症状で動けなくなりました。せめて水の一滴くらい飲んでおけばよかったです。看護師さんのアドバイスはちゃんと聞かないとダメだな、と痛感した出産体験となりました。 ↑ウーマンエキサイトベストコミック大賞はこちらから!
2019年04月09日こんにちは、はな@まるママです!今年度からうちの3歳児「まる」もついに幼稚園へ無事に入園!ということで…振り返ってみて改めて思えば、この3年数ヶ月の間ほとんど毎日まると一緒に丸一日を過ごすという日々でした。そんな毎日をどんな風に過ごしていたかなぁ…と、まるとの遊びの面を中心に振り返ってみたいと思います。…と、こんな風に公園や遊び場へ連れて行ける日や、何かしらお出かけの予定がある日は、ドタバタしながらもそこそこ充実して過ごせたりするものですが、そう毎日毎日は出かけられなかったりもしますよね。天候だったり、体調だったり、気分だったり、理由は色々ですが。わが家の場合、徒歩圏内には(それもちょっと遠め…)本当に小さめの公園が一つある程度で、児童センターは電車を乗り継がないといけないし…今日はお家で過ごすか〜、という日も少なくないわけです。そんなわが家でのおうち遊びのアイデアを数回に分けてご紹介したいと思います!■生後半年〜1歳前くらいまで1日の流れ今回は0歳児、赤ちゃん時代編。まずは一日の過ごし方ですが、生後半年〜1歳前くらいで大体こんな感じだったかなぁというものです。(調子良くいく日は…)昼寝、離乳食、お風呂が大体固定(日によってバラバラだったりしましたが…)で、その合間の時間は臨機応変に、授乳したり、機嫌が悪ければ遊んであやしたり、抱っこしながら何かしら(テレビ見たり、家事をしたり…)をして過ごしてみたり…と。寝起き直後は特に機嫌が良いことが多いので、その時間に多少1人遊びをしてくれていたら、見守りつつ家事をしたり、こちらに余裕があればごきげんに乗じて遊んだり。 ■わが家での、ねんね期の遊び方低月齢の頃は寝てる時間も長いし動きも少ないし、一緒に遊ぶというよりは一方的にあやすような感じになりますよね…抱っこで家中を歩き回ったり家事をしたり、座り抱っこでゆらゆらしたりするくらいでも、十分遊んでる感じになる気がします。大体そんな感じですが、ごきげんな時間帯によくやっていたのがベビーマッサージ。といっても、いわゆるベビーマッサージの教室に通ったりはしていないので、友人が教えてくれたのを見よう見まねでしたが、触れてコミュニケーションを取るようなイメージで、赤ちゃんのお肌を堪能する時間でした。続いて…あの頃の私は赤ちゃんまるを笑わせてなんぼと思っていた節があるので、余裕がある時は何かしら笑いを取ろうとしてました。色々実践した中でも、特に笑いを取れる遊びが…この辺りは特にまるのツボだったようでよく笑ってました。微笑みを通り越して爆笑してくれた思い出がよみがえります。低月齢の内はおもちゃ類はすぐ飽きてしまって意外と活躍してくれなかったり、何せおっぱいと抱っこを希望される事がかなり多かったので、まとまった時間向き合って遊ぶというよりはこんな具合で、様子見てちょこちょこ構いつつ過ごす…という感じでした。 ■動き出すようになってからの遊び方ずり這いやハイハイで動き回るようになると…ひたすらおもちゃを追いかけながら、私の周りをぐるぐるとずり這いで回るという…こちらの体力を温存しながら運動してもらえる遊びですね。ハイハイができるようになるとハイハイレースを開催…こちらがお掃除用のコロコロを持っていたりするとものすごく食いついてきてくれるので、それを楽しみつつお掃除ができるという遊び。1歳近くなってくるとお気に入りのおもちゃ(まるの場合は車や楽器系のおもちゃ)が出てきたり、手先も器用になっていたずら遊び(ひたすら箱から物を出したり)も盛んになっていったような…年齢があがってくると起きている時間もまた長くなり、心身の成長とともに出来る遊びのバリエーションもぐぐっと増えていったので、またそんなお話も次回以降に書いていきたいと思います!
2019年04月09日先日、3歳の娘がはじめて「将来の夢」のようなものを話してくれました。しかし動画に残そうと試みると…■子どもが語る「将来の夢」気になるのが親心! 「火事を通報する人」…それメチャクチャ大事なことだけど、いや、そうじゃなくて!「カガクシャ」のお話は?聞き方が悪かったのかな?録画し始めた途端に内容を変えるのは何でなの?言いたいことはいろいろあるけれど、とにかくかわいいなと思いました。聞くたびに、話すたびに内容がコロコロ変わる子どもの「大きくなったら何になりたい」ですが、「今(この瞬間)、興味があるもの」がわかるのでとてもおもしろいですよね。■子どもが興味を持ったことを応援してあげたいちなみに息子が3歳で初めて話してくれた「大きくなったら」は「バナナをつくる人」でした(バナナが一番の好物だった)。「アレになりたい」「コレをしたい」と、子どもがいろいろなことに関心を持ってくれるだけで親としては、うれしいです。どういう方向に向かって成長していくかはわかりませんが、親としては、興味を持ったら「やってごらん!」と背中を押して、うまくいかなかったら「戻っておいで」と言える「いつでも帰れる場所」のような存在でありたいというのが理想です。とりあえず今は、いっぱいいろいろなことを経験させてあげられたらな~と思います(そのために必要な心の余裕と経済力のために、今日も働くのです)。
2019年04月09日子育てする中で実の母親というのは、お手本ともなり、頼れる存在ともなりえます。そんな母親がもし死を迎えることになったら、娘である自分たちはどうすればいいのでしょうか。漫画家の吉川景都(よしかわ けいと)さんは、昨年肝臓がんを患い母親との別れをつづったコミックエッセイ 『さよならわたしのおかあさん』 を出版されました。いつも笑顔で冗談を言い続けたおかあさんとの日々や、3年間の闘病、そして亡くなった後の生活について描かれた作品は、連載中からSNSでも話題を集め、出版後も多くの反響を呼んでいます。母親と過ごした日々や、別れの乗り越え方などについて、吉川景都さんに話を伺いました。吉川景都(よしかわ けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo ■一番の相談相手のおかあさんが病気になったとき――吉川さんとおかあさんはどんな関係性だったのですか?私は3姉妹の真ん中なのですが、将来やりたいことを見つけるまでにも時間がかかったので、姉妹の中でも一番心配をかけたんじゃないかと思います。でも、どんなときもおかあさんは「しょうがないよ、まあ、やってみたら?」と言って受けとめて、伴走してくれました。私にとっても、一番の相談相手はおかあさんでしたね。――ガンだとわかったとき、おかあさんはどんな様子でしたか。おかあさんはC型肝炎からガンに進行したのですが、それがわかったときに送られてきたメールは、いつもどおりの絵文字が盛りだくさんの、おもしろいメールでした。私は驚いて、すぐに電話でわーって泣きながら、「どうするの、ガンなんて!?」と、言ってしまって。おかあさんは「いまは治る病気だし、大丈夫」と言ってくれた。ただ、母が亡くなったあとで、父から「病気がわかったときは、おかあさんは泣いて『どうしよう』と言っていたんだ」と聞きました。――あくまでも母親として心配をかけまいとしたんですね。私は、おかあさんの不安を聞いてあげようって気持ちよりも先に、自分がおかあさんを失う不安を取り除きたい気持ちが来てしまいました。「おかあさんはまあ治るだろう」と、現実感がなくて。同時に私は不妊治療をしていたので、「急がなきゃ!」という焦る気持ちが急に湧きあがってきました。■おかあさんのガンがわかってから迎えた妊娠と出産――産前に里帰りしたときは、どんな気持ちでしたか。出産は自分にとって、思っていたよりも前代未聞なことで自分の生活が根底から変わることへの不安がすごく大きかったんです。自分だけがその立場に立たされていて、こんなに大変なんだと思ったら、今まで築きあげてきた「大人っぽい自分」という外側がなくなって、わがままな自分が出てきました。そのときにおかあさんがちょうど病気で、甘えるに甘えられない、不安な気持ちもぶつけるにぶつけられないと感じた時期でしたね。――お互いにつらかったでしょうね…産後はどうでしたか。産後1~2ヶ月で仕事を再開したのでいっぱいいっぱいで、同時におかあさんの病状がだんだん悪くなっていって。おかあさんの状態を受け入れられない自分と初めての子育てで大変な自分というのがごちゃごちゃになっていて、余裕がありませんでした。「その時期もっと実家に帰ればよかった」って今は思うけど、当時はそれどころじゃなかったですね…。■みんな後悔を抱えながら生きていく――最期の日々、おかあさんはどんな様子でしたか。ホスピスに入ってからも、私たちにはつらい表情はほとんど見せなかったです。ただ、一度だけ「くるしい」って電話を掛けてきたことがあって、よっぽどやりきれなかったんだろうって思います。大急ぎで病室に行ったら、やっぱりまたいつも通り「大丈夫。さっきはごめんね」って言うんですよね。――おかあさんとの最期の日々について、今思うことはありますか。私は実家から少し距離があったところで暮らしていたので、「もっと会いに行けばよかった」という思いは、亡くなってからずっとありました。ただ、後悔って家族全員に何かしらあって、一番近くにいた父も、姉や妹たちもそれぞれ「もっとできることがあった」と思っているんですよね。そう考えてみると、「全部やりきったぞ」と言って終われることなんてないんだろうなとは感じています。みんなある程度の後悔を抱えながら生きていくのかなって。■母との別れは、生のままの傷が残っていてほしい――おかあさんが亡くなってから、どれくらいで気持ちに区切りがつきましたか。まずお葬式が終わったときに、おかあさんとの間にある扉が閉まった感じはしました。さらに、亡くなってから1年くらいしてから、母の地元の大分県に分骨に行ったのですが、その道中が家族旅行みたいで。母はいないけど、家族としての形をなんとか保っていけると感じられて、少し気持ちに区切りがついたように思います。あと、私にとっては『さよならわたしのおかあさん』を描いたことがすごく大きかったですね。――読者からの反応はどうでしたか。同じ経験をした方から、「同じような気持ちだった」、「書いてもらえてよかった」と言ってもらえることがあって、描いてよかったなと思いましたね。あとは、「この本を読んで、今日母親に電話しました」とか、「先延ばしにしていた帰省を来月に決めました」というような声もいただいて、描くのはやっぱりしんどかったけどやってよかったなと感じています。――母親の死をどうやって乗り越えればいいか、少しでも気持ちが楽になる方法はないでしょうか。漫画を描くまでは、おかあさんにまつわるさまざまな事柄がそれぞれバラバラに自分の中にありました。しかし思い返してみると、すべてにつながりがあるのだと見えてきたんです。母が亡くなったあとは、悲しいシーンばかり思い出しがちでしたが、つなげて考えるとその間に笑えることや楽しいこともあったなと。起きた出来事を書き出して時系列順に並べてみると、気づくことがあるんじゃないかと思います。――今でもつらいときもありますか。すごくしんどい時は、今も「おかあさんがいない」って泣いてしまいますね。けどそれって頻度が減っていくだけで、多分これからもずっとそうなるときはあるんだろうなって。そこは別に整頓しないで、いつまでも泣ける自分でありたいし、忘れずにいたいですね。生活の中では落ち着いて整頓はされているけれど、おかあさんとは遠く離れたくないし、生のままの傷が残っていてほしいって思っています。■母から見た子ども、子どもから見た母親像とはインタビューでは、吉川さんのおかあさんへの深い愛情が伝わってきました。そして、自分自身のつらい経験を漫画という媒体をとおして伝えてくれた思いを、ママという立場だからより強く共感することも多々あるように思います。本書での最期までほとんど弱音を吐かず、娘を支えた「おかあさん」の姿には、母親のあり方とは何か考えさせられるものがありました。その一方で子どもから見た母親像というものも強く印象付けられ、自分と母との関係、そして自分と子どもとの関係について深く思いを馳せる良い機会にもなりえると感じました。「どんな最期だとしても、何も後悔が残らないことはない」という吉川さんのメッセージには、経験した人だからこそわかる言葉の重みがあります。家族とのつらい別れは、避けたくてもきっといつか必ずだれにも訪れますが、そのとき少しでも自分の心を楽にできるようなエッセンスが、吉川さんの漫画にはところどころに散りばめられていました。次回は、現在の娘さんとの生活、これからの親子関係について、引き続き吉川さんにお話をお伺いします。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))
2019年04月09日今回、悪阻(つわり)がテーマということで、当時のことを振り返ってみました。次女の妊娠中は、ほんの1~2ヶ月程度ですが、悪阻により常に船酔い状態でヘロヘロだった私。そんな中、一体どうやって家事をしていたのか?■思い出そうとしても、まさか記憶がない!!振り返ろうとして気付いたのです。思い出せないことに…ということで、夫に当時のことを聞いてみました。 ■まさか夫も覚えてない!?私達の脳細胞って一体…。とにかくぼんや~りした記憶を繋ぎあわせ、「ご飯は簡単なものを作ったり惣菜に頼った。たまに夫に丸投げした」という結論に至りました。ちなみに、ほかの家事は本当に何も一ミクロンも思い出せません。 ■日々を過ごすことに精一杯だったあの頃とはいえ、普通は辛すぎて記憶に焼き付いているものかもしれません。単に私の記憶力が残念なだけという可能性…。そして重い悪阻が何ヶ月も続く方が多い中、短期間の悪阻で何を!と怒られそうですが…。それでも毎日なんとか自分と子どもを生かしている感覚でした。ただ、例え悪阻がなくても妊娠中は身体の不便が多いもの。とにかく身体を労って労ってすごしてほしいです。
2019年04月09日5歳の双子と、2歳の末っ子の三姉妹育児をしている田仲ぱんだです。本日は、双子のなーたんときゃえたんが2歳だったときのお話です。■双子2歳、トイレトレーニングも完了間近!双子たちが2歳のとき、トイレトレーニング真っ最中でした。トイレで用を足すことができるけれど、母親の誘いがないと忘れておもらししてしまうという感じで、トイレトレーニング完了まであと一歩という状態のときでした。当時、トイレトレーニング中にお気に入りのぬいぐるみを持って、「ほら、うさぎさんと一緒にトイレに行こう!」などと言ってトイレに誘っていました。そして、2人がしたあとにお水を流すのですが、そのとき「うんちくん、バイバーイ、おしっこちゃん、バイバーイ」と言うのが通例でした。しかし、その日は、きゃえたんはぬいぐるみのうさぎさんに水を流してほしかったらしく、いつものように水を流したあと、うさぎさんと一緒に便器の水が流れるのをのぞき込んでいたんです。『あ~あぶないな~…ハハッ、でもまさかね……』と思った瞬間!ポロッ!!!受け止める間もなく便器に落ちぐるぐる回りはじめるうさぎさん!無常に流れ続ける水!双子たちの悲鳴!愛しいうさぎさんがトイレに吸い込まれていく…その様子が結構ショックだったみたいで、なーたんは「いやぁぁぁ! 取って! 取ってぇ!!」とパニックに。落とした張本人であるきゃえたんは、トイレから逃走!とりあえず、ぬいぐるみが便器の穴より大きかったため、下水に吸い込まれる心配はなく、水が止まってから手袋をしてぬいぐるみを救出し、そのまま洗濯機にぶちこみました。■子どものトイレへのおもちゃ持ち込みがなくなった!きゃえたんは自らの手でうさぎさんを危機におちいらせたことが相当ショックだったみたいで、部屋のすみで丸くなり、静かに泣いていましたその様子があまりに痛々しかったので、「うさぎさん大丈夫だよ。洗っておくからね」とフォローしておきました。このことは彼女たちにとっては相当ショックな事件だったようで、それまでトイレにぬいぐるみたちを連れてきていたのをぴったりとやめました。トイレに行く前に私に預けたり、また、トイレのあとは必ずふたを閉めるようになって、まさかのトイレマナー向上につながりました。トイレの中におもちゃを持ち込むと、こういったことが起きてしまうと私も反省…。これからはトイレへのおもちゃ持参はしないと再確認できました。
2019年04月08日こんにちは! 5歳、3歳、1歳の三兄弟のオカンあざみです。先日家族で3泊2日の沖縄旅行に行ってきました!はじめてのアクティビティやはじめての飛行機……子どもたちはたくさんの「はじめて」を経験し、またひとつ成長できた旅行となりました。今回から数パートにわたりその様子をご紹介したいと思います。今後子連れ沖縄旅行を考えている方の参考になればと思います。今回、お兄ちゃんたちは2回目の沖縄。三男のさぶちゃんは産まれてはじめての沖縄そしてさぶちゃんにとってもうひとつの初めてが……飛行機!1歳1ヶ月で初めての飛行機。わが家の最年少飛行機は次男こごろうが5ヶ月の頃、東京ディズニーランドまで行ったときのことだった。そのときは飛行機の中で大きな問題もなかったので何の心配もしていなかった。しかし今回……飛行機の中が地獄と化した絶賛動きたい期のさぶちゃん。閉塞された空間で2時間近く座りっぱなしに耐えれずギャン泣き。おもちゃやお菓子、ありとあらゆるもので気を引くがもって1分。一番興味をもってくれたのがこれだったどこかでもらったこの「吹き戻し」というおもちゃが救世主となった(10分はもった)。高度一万メートルの上空で吹き戻しを必死で吹いて、酸欠になるアラサーババアなのであった。次回、子連れ飛行機での反省点を振り返る。そして今回はLCCを利用したので、子連れでLCCを利用する際の注意点なども合わせてご紹介します。お楽しみに!
2019年04月08日幼稚園年中組の娘のイチコ(4歳)が幼稚園であったことを話してくれたのですが…。仲直りできて良かったね!良かったけど…「嫌い」発言、めっちゃ悩みました。まだ悩んでます。人に対して「嫌い」って、本人に言うのはもちろんあかんけど、親に言うだけならOKなのか?大人でも「合うor合わない」がある人間関係…幼稚園児とはいえ、どこまで口出しすべき?いやでも「合わない」と「嫌い」ってまた違うし、「嫌いって言っちゃダメ」にする?いやでももし小学生になってトラブルがあったりいじめられたりしたときに「お母さんに言っても『嫌い』って言っちゃダメって言われるし…」って相談してくれなくなったらどうする!?いやでもそれで「嫌い」が軽い言葉になって、トラブルのたびに誰にでも言うようになったら…!あ〜モヤモヤグルグル。悩む〜!幼稚園児はまだ言葉の重みがわからないから悩むのかなぁ…でも言葉の重みがわかるようになってからはまた違う人間関係の悩みが出てくるんやろなぁ…子どもの「あの子嫌い」という言葉、皆さまはどう思われます?
2019年04月08日毎日家事や育児に追われているとストレスもいろいろたまってきますよね、そのストレスの発散方法は人それぞれあると思います。私の場合は、上手い下手は置いておいて、歌うことが大好きなので、昔から自分のストレス発散方法は思いっきり歌うことでした。■独身時代はカラオケで発散! そして今は…私には双子の姉がいるのですが、2人ともミュージカルが大好きでカラオケに行くとミュージカルの主人公になりきって思いっきり歌いまくってストレス発散していました。でも結婚して子どもが産まれるとなかなかカラオケにも行けませんし、子どもたちと一緒に行っても、長男や次男が好きな歌が中心になるのでなかなかストレス発散にはなりません…。そこで私がたまーにやっているストレス発散方法は…ミュージカル系の歌って結構日常生活のシチュエーションに当てはまる曲もいろいろあるんです。毎日ではないですが、イライラしたり気分転換したいときに、たまに家事や育児をミュージカルの一場面に置き換えたつもりになって歌いまくっています(笑)たとえば、掃除をしているときは「掃除は大変だけど頑張るわ!」という歌を歌ったり、洗濯中は洗濯をテーマにした歌を熱唱しながらやったり…(本当にあるんですそう言う歌が 笑)こんな姿を誰かに見られたらめちゃくちゃ恥ずかしいですが、やってみるとなんだか童心にかえったような気持ちにもなれて楽しいです(笑)大人になって忘れかけている想像力をフル回転させています!とくにケンカしていたり泣いてぐずっているときにミュージカル調で話しかけたりなだめに行くと、結構すぐに泣き止んでくれたりします(笑)私がよく歌う歌を子どもたちも覚えてしまったようで、一緒に歌ったりして楽しいです。■ミュージカルごっこは門外不出もちろん!! 子どもたち以外に私のこのストレス発散方法を見せたことはありません!!とくに旦那にだけは恥ずかしいので墓場まで持っていくつもりです!笑結構パワーを使う発散方法なのでしょっちゅうやってる訳ではないですが、たまにやることですごくスッキリした気持ちになれるのでした! みなさんも良ければミュージカルごっこ…試してみませんか??(笑)
2019年04月07日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは。tomekkoです。子どもの事故や病気、報道などで知るたびに、他人事ではないと気を引き締め直しているつもりですが、実際その時というのは突然やってきますね。長男が性格的に無茶なことをするタイプではなかったので、あまり大きな怪我や事故に遭うことはなかったのですが、実は一度、安心だと思っていた自宅マンション内で迷子になったことがありました。長男が2歳半ごろだったでしょうか。当時はまだ子どもは長男1人でワタシも身軽でした。その日は夕方から車で小児科へ行こうと玄関を出たところで忘れ物に気づき、エレベーターの前で待っていて、とワタシだけ引き返したのでした。忘れ物を取ってエレベーターホールまで戻るのに、1分もかかっていないと思います。でも、戻ったところに長男の姿はありませんでした。2つあるエレベーターの表示を見ると、1つは上へ。もう一つは下へ。忘れ物に気づく前、ワタシは下へ行くためのボタンを押していたことを思い出しました。よく自分がやるんですが、電車でも次の特急を待とうと思っているはずなのにドアが開いた瞬間無になって発作的に乗ってしまうことってありませんか…?たぶんそんな感じで何気なく乗ってしまい、行き先階を押していなくても他の階の方が呼び出していたらエレベーターは動き出してしまったのかもしれません。ともかく、早く確保しないと2歳児のことだから、ワタシを探して突拍子も無い行動をしないとも限らない。心臓が泡立つような焦りを感じました。とりあえず来たエレベーターに飛び乗り、ロビーへ。しかし長男の姿は見当たりません。管理人さんなどもいる時間帯ではなく、息子を見なかったかと聞く相手もいない。焦って外に飛び出したら車も走っている。夕暮れ時の視界が悪い中、幼児が一人歩きなんてしていたら…この時点で悪い想像が湧き上がりまくって口から心臓が飛び出しそうな状態でした。もう一つのエレベーターに乗って戻ったのか、それとも階段?もう一度ロビーから乗り込み、全ての階を押して、一階ずつホールに出て見ていきました。しかしどこにもいない!たぶんこの時、俯瞰で見たらコントみたいなことになっていたんだと思います。今思い出せばちょっと微笑ましくもありますが、この時はこちらも半泣き。ロビーに戻って放心していると、上の階から子どもの泣き声が…!!今度は階段を使い必死にお互いに呼び合いながら、上がっていくと…やっとロビーの上の階で涙涙の再会…!!長男に話を聞いても要領を得ず、想像ですが、たまたまドアが開いた階で降りてしまったようですがワタシの乗ったもう一つのエレベーターとはすれ違いになっていて会えなかったようです。長男には1人で勝手にエレベーターに乗らないこと、もし今後エレベーターだけではなく迷子になったり親が見当たらないと思った時にはその場を動かないことなどを言い聞かせましたが、これは子育てに少し慣れてきたワタシの過信が招いた重大なミスだったと思います。ちなみに、この反省が活かされず実は次男もつい最近同じことをやってしまいました。小1の長男は今では1人で出かけたり、マンション内のお友達と行き来したりしています。兄といつでも一緒、そして同等の能力を持っていると思い込んでいる次男。ある休日の夜、マンション内の友人宅から夕食に招かれて先に長男が向かいました。夫とワタシは次男と三男を連れて支度ができ次第向かうことになっていたのですが…それが気に入らない次男は、ワタシの手を振りほどいて兄を追いかけエレベーターに猛ダッシュ!長男の時のことを思い出し、慌てて追いかけようとするも三男を抱いてまだ靴も履けずもたもたしてしまったので、家の中にいた夫に声をかけ見に行ってもらいました。やはりエレベーターホールに姿は無く、2つのどちらに乗ったのか分かりません。今回は大人が2人いるということで、夫がエレベーターで様子を見に行き、ワタシはそのままエレベーターホールで待機しながらもう一つのエレベーターの動きと中の様子を確認することに。ロビーに降りた夫から「いない」とLINEが来た時にはドキリとしましたが、その数分後に「確保」!!まだ行き先階など押せない次男。今回はたまたまロビーまで降りたエレベーターに乗り込んだ女性たちが、一度は目的階まで上がったものの、1人で不安げに乗っている幼児を不審に思い、もう一度ロビーに戻ってきてくれたそうです。一つ間違えればドアに手を挟むなどの事故や、マンション内とはいえ誘拐や犯罪に巻き込まれる可能性もあったし、子どもが焦って外に飛び出していたら…など、考え出すとドキドキしてきます。無事だったからこそ兄弟揃って笑い話になりましたが、自宅の敷地内って気が緩みがち。ほんのちょっと、という大人の感覚は子どものそれとは違うので、今は忘れ物があっても必ず一緒に戻るようになりました。それ以前に毎回毎回忘れ物すんなよって話ですがね。
2019年04月07日親になってみると、「一人の時間がなくなった」と感じる人が多くいることでしょう。そして、自分のやりたいことがなかなかできないと、「我慢をしながら生活している」と感じるようになってきます。パパやママはどんなところで我慢をして、その生活についてどう感じているのでしょうか。今回は、親になってからの我慢について考えてみたいと思います。■「我慢」していると感じる理由にはバラつきがみられる結果にアンケートで、「親になってからの一番の我慢」を聞いたところ、もっとも多くの回答が集まったのは、「睡眠時間」。しかし10%を超えた答えが6つとなる結果からは、「我慢」していることはバラツキがあることがわかります。Q.親になってからの一番のがまんは?睡眠時間 17.8%交友関係 16.3%おしゃれ 14.7%趣味 12.7%買い物 12.1%とくにない 11.2%見たいテレビ番組 6.3%その他 6.2%食べたいもの 2.8%■授乳、オムツ替え、弁当、朝練…エンドレスな睡眠不足子どもが生まれると、授乳やオムツ替えなどでゆっくり寝られない日々が始まりますよね。そんな寝不足の日々に対する声が、もっとも多い結果になりました。「小さい頃の授乳から始まり、大きくなっても朝練、部活、塾や予備校に行く子どもたちに時間差で食べさせる。そして大量の洗濯物…。母は睡眠不足です」(神奈川県 40代女性)「仕事、家事、育児、やる事が多くて睡眠時間が足りない。とくにお弁当を作るために朝早く起きなければいけないのがつらい。ああ、朝寝坊したい」(東京都 40代女性)「高校生から保育園児の3人の子育てで時間に追われ、寝るのは12時をこえ、次の日は早起きをして、エンドレスな毎日です」(香川県 40代女性)子どもが赤ちゃんのときだけではなく、大きくなっても寝不足が続くというコメントからは、子育て中の親たちは長い期間なかなかゆっくりとは眠れないという実情が伝わってきます。ほかにも、「子どもがお昼寝をしなくなり、朝から夕方まで外遊びをするので休む暇がない」や、「子どもの寝相が悪くて熟睡できない」という声も。子どもが小さいうちは、親の睡眠は、子ども次第というところもありそうです。■夫婦関係や義実家との付き合いが一番の我慢?結婚しているからこその悩みでもある、夫婦間や義実家との付き合い。「うんざり」「イライラする」など、もっとも辛辣なコメントが寄せられました。「本当は行きたくない旦那の実家に、我慢して行っています」(神奈川県 40代女性)「姑への我慢に尽きる子育て。頼れる実家も保育園もないなかでの仕事。姑には感謝しつつも、教育ママとしての手柄話にうんざり」(神奈川県 40代女性)「旦那に対する不満が増えた。中途半端な手伝いやらアドバイス、おいしいところ取りなどにイライラする」(千葉県 40代女性)「旦那との関係でけんかや不満の言い合いなど、子どもの前でしないようにして、私が言い返さず問題を大きくさせないこと。負担が大きすぎて体と心に障がいが出ています」(神奈川県 30代女性)そのほかにも、「夫に子どもを預けるのも、かえってストレスになる」という声も寄せられていて、家族間の信頼関係ができているかによって、それぞぞれのストレス度合いは異なってくるようです。かなり深刻な状況のコメントもあり、その代償の大きさが見え隠れします。■交友関係に我慢はつきもの?友人関係については、異なった2種類の「付き合い方」からくる我慢があるようです。▼仲の良い友だちと“遊べない”我慢まずは、これまで仲が良かった友だちと付き合いができなくなって我慢をしているという声から。「結婚や出産をしていない友だちと夜遊びに行けなくなった」(東京都 30代女性)「子育てが終わった友人と子育て中の自分では、同じ事はできないと思う」(埼玉県 50代女性)「夜出歩くこともできないし、友だちと旅行やお出かけも無理」(大阪府 40代女性)子育てをしていると、出かけられる場所や時間帯が制限されるため、それまで仲の良かった友人と会える機会が減ることもありますよね。また、結婚を機に引っ越しなどをした場合にも、近くにいっしょに遊べる友だちがいなくて、つらい思いをすることもあるかもしれません。▼PTAにママ友…「親同士の付き合いは我慢の連続」という声も一方で、保護者同士が付き合ううえでの我慢の存在を訴える人もいます。「子ども関係で付き合わざるを得ない人たちの空間に笑顔でいること」(神奈川県 40代女性)「本当の自分自身の意見を押し殺しながら、出会う人によっては自分の引き出しを選びながら付き合っています。親になってからは広く浅く付き合うこともしばしば」(北海道 30代女性)「居心地がいい友だちとの時間はなくなり、子どもをとおしてのママ友ならまだしも、役員やら育成会やら…関わりたくない人とも子どものために我慢して付き合っている」(埼玉県 40代女性)保護者同士の人間関係においては、自分の好き嫌いだけで付き合いをすることはできませんよね。とくにPTAや役員などの場では、苦手な人がいたとしても、付き合わなければならない場合もあります。そうした状況に我慢をしているパパやママたちは多いようです。■オシャレ、趣味、食事…自分のことはすべてあと回し?子育てをしていると、自分で使える時間もお金も減る傾向にあります。そうなると、毎日少しずつ自分のしたいことを我慢する傾向にあるようです。▼化粧品代が高い! おしゃれ我慢「1番の我慢は化粧をやめたことかなぁ。化粧品代を子ども費にまわしていました」(神奈川県 40代女性)「子どもが小さいときは時間がない、大きくなってからはお金がないから、おしゃれは我慢が多い」筆者も子どもができてから、自分の洋服や化粧品、美容代にかける金額はかなり下がりました。さらに、時短のためにネットショッピングを利用することが増え、「着てみたらいまいちだな」と思いながらも、その洋服を身につけることも。▼子どもに迷惑をかける? 趣味我慢「大好きなツーリング。時間ができても、“もし事故にでもあって子どもに迷惑をかけたら…”と考えてしまい、250ccの小さなバイクで関東近郊を日帰り程度するだけ」(神奈川県 30代女性)「好きなCDを買ってライブに参加することがなくなった」(鳥取県 40代男性)「熱帯魚が趣味でしたが、息子の誕生とともに水槽をたたみました」(石川県 40代男性)このほか、「好きな映画を観に行けなくなった」という声も。子どもと離れる必要があったり、お金がかかったりするような趣味は、どうしても我慢せざるを得ないようです。▼ゆっくり食べられない…食事我慢「子どもが好きな物は自分の分も食べさせてしまう。子どもが増えると外食もお金がかかるので、自分は食べたい物じゃなくて1番安いものを選ぶ」(宮崎県 40代女性)「座ってゆっくり食べたいけど、流し込むように食べている」(徳島県 40代女性)「私はものすごく偏食で、でも子どもがいるとそういうわけにはいかない。嫌いな料理もしなきゃいけないし、バランスも考えないといけない。毎日の献立を考えるのは正直苦痛です…」(山口県 40代女性)ほかにも、「晩酌に合うおつまみが好きなので、子ども用のメニューを考えるのが大変」というコメントもありました。食事については、毎日必ず準備しなくてはならないもので、小さな我慢が積もり積もって大きな我慢となっているようです。■我慢、我慢、我慢の積み重ね?今回の回答結果にバラつきがあったように、「我慢していることは複数ある」というコメントは数多く寄せられました。「すべてに我慢しています。お金もないから自分は後回し。さすがにボロボロです。手が離れるまでまだしばらく我慢ですが、 正直、自分で自分がどんな人間なのかわからなくなりました」(神奈川県 40代女性)「順位なんてつけられない、全部です。我慢、我慢、我慢の積み重ねで日々の生活が成り立っているようなもの」(神奈川県 40代女性)「親になってからは全てが我慢と忍耐、それにつきます! この我慢をいつまで続けられるのか、心が折れそうになりながらも、やっぱり頑張ってみようと思う日々の繰り返し」(大阪府 40代女性)■我慢とは? 育児をとおして見えてくるものコメントからは、「問題を工夫して解決していくことが好きなタイプなので、我慢一筋ってのがないかも」と分析する人も。「我慢」について考えるとき、性格や考え方も大きく影響しているようですね。「自分のために使える時間がなくなりました。でも、子どもといられる時間は限られていると思うと、お母さんでいられる時間はありがたいなと思います」(島根県 40代女性)「すべてを我慢したと言うのはたやすい。たしかに自分の欲につながるものは全部制限されたけど、ひきかえになにが大切かを自覚できた」(東京都 40代女性)「我慢という風に思うのではなく、一緒に人間力をつけ、ともに成長させてもらっていると考えるようにしています」(鹿児島県 40代女性)「妻が子どもを妊娠した時から子どもが成人するまで、それまでの自分の人生はいったんお預け、子どもの人生に全力、それが新しい自分の人生。成人した今、私は元の自分の人生を満喫しています」(千葉県 60代男性)「子どものいる生活になったわけだから、一人の時とは違う。気持ちもリセットされて変わる。朝早く起きるし、スカートとヒールは買わないし、美容院もいつしか1000円カットになった。でも、充実しています」(神奈川県 40代女性)「子どもがいる生活に変わった以上、何かしらの我慢はつきものだ」という意見には、大きくうなづく部分があります。でも反面、子育て中の生活を「我慢」と言ってしまうのも、どこか抗いたい気持ちもあります。子育てをしているパパやママたち自身の人生は、子どもの人生と同時並行しながら継続していきます。何をつらいと感じるのか、どこまで耐えられるかは、それぞれ人によって違いますよね。「これだけは譲れない」という趣味がある人、「おしゃれだけは絶対に我慢できない」という人、それも個性であり、そういった考えを誰かが否定するものではないと思います。また「子育てに全力で取り組みたいから、今はこれでいい」という場合も、それ自体がその人のこだわりになりえるのかもしれませんね。大好きな仕事を子育てしているからと言ってあきらめたくないという人も多いだろうと思います。こだわりを貫くことは、日々忙しいパパママには厳しい面もあるでしょう。でも、自分がどういった子育てをしたいか、そしてどういった人生を歩んでいきたいかということを考え続けるきっかけとなるかもしれません。きっと、子どもがいる生活に、「我慢」はあるかもしれません。でも「我慢していること」の正体がわかれば、それはもしかしたら何を大切に思っているかを知ることにもつながるかも。その何かは、子どもの環境、夫との時間、仕事に専念できる環境、友人との時間など…、個人で異なってくるでしょう。そこから日々を充実させるヒントが見つかるかもしれませんね。Q.親になってからの一番のがまんは?アンケート回答数:5319件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2019年04月07日ムスメちゃんとオコメちゃん
4人の子ども育ててます
夫婦・子育ていまむかし