女優の島田陽子さんが、がんのため都内の病院で亡くなった(享年69)。彼女と長年親交があったという友人Aさんが悔やむ。「がんの告知は、遺作となってしまった映画『エヴァーガーデン』の撮影中のことでした。本人も悩んでいましたが、髪が抜けたら女優業に差し支えると、治療に踏み切れなかったんです。医師から手術するよう勧められていましたが、人工肛門になることもあってか拒否していました」突然の訃報に、映画プロデューサーも肩を落とした。「4月に一緒に福島へ行き“復興の映画を作りましょう”と話していたばかりでした……」8歳のときに熊本から上京し、中学1年生で「劇団若草」に入団した島田さん。’70年にドラマデビューすると、翌’71年放送のドラマ『続・氷点』(TBS系)で注目され、人気女優へと駆け上がっていく。’80年にはアメリカのテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(米NBC)でヒロインを演じ、国際女優と呼ばれるなど幅広い活躍を見せた。その一方で、数々のスキャンダルを巻き起こした“恋多き女”でもあった。当時を知る芸能記者が振り返る。「’88年に故・内田裕也さんとの不倫が発覚。内田さんは妻・樹木希林さんとの離婚届を’81年に役所に提出していましたが、希林さんが離婚無効の訴訟を起こして勝訴。島田さんは内田さんと結婚できなかったと言われています」’96年に照明ディレクターだった夫と結婚するも’19年に離婚。また、仕事が激減し2億5千万円で購入した豪邸のローンを払えなくなったり、ヘアヌード写真集を出版するなど、常に話題を振りまいた女優であった。そんな彼女の訃報は、やはり“想定内”では済まなかった。報道後に突然、所属事務所からマスコミ各社に異例の内容のFAXが送られてきたのだ。《実のところ弊社は知人の報道の方からご一報戴き、亡くなられた事実を知ることとなりました》《闘病期間や入院の時期、大腸癌の発症時期など親族や近しい友人、葬儀におけるスケジュールなどに関する情報は皆無の状況にあります》では、島田さんの弔いはどのように行われたのだろう。前出の友人Aさんからも、決して安らかとは言えない状況が伝えられた。「島田さんは両親が亡くなっており、家族は妹2人だけなのですが、その彼女たちが遺体の引き取りを拒否したと聞き、驚きました。そのため遺体は区役所が管理していて、会えないとも……」親しい友人たちも弔うことのできない混乱の中、なんとか葬儀は行われたという。遺族が姿を見せない中で、その中心となったのは、島田さんが設立した映画製作会社のスタッフだった。窓口となった男性が葬儀の様子をこう話す。「密葬は私も含めて十数人で行いました。病院の方にも女優さんだからと配慮してもらって、ドレスを持ってきてご遺体に着させたんです。ただ、妹さんお2人とは連絡が取れず、葬儀に出席もされていないのは事実です。身元引受人は、生前の島田さんが一筆書いてお願いしていた方となりました。長年、彼女の面倒を見ていた方です。遺骨はいま、島田さんの自宅に祭壇を設けて安置してあります」芸能界で華々しく活躍しながら、その葬儀には家族の姿さえもなかった島田さん。なぜこのような孤独な最期となってしまったのか。前出とは別の、彼女と近しい友人Bさんが、真相を明かしてくれた。「陽子さんは3姉妹の長女。お父さんが亡くなった後は、自分が一家の大黒柱として家族を養うという気持ちが強かったそうです。デビュー以来ずっと順風満帆だった陽子さんですが、うまくいかなくなったのは内田裕也さんとの交際がきっかけで借金を背負うようになってから。そこから自転車操業になって、妹さんたちに無心することもあったそうです」金銭がもとで亀裂が生じていた姉妹関係が破綻したのは、母の病いがきっかけだという。「お母様は脳梗塞になり、車いす生活を余儀なくされていました。3姉妹持ち回りで世話をしようという約束でしたが、陽子さんは芸能活動もあるため、主に費用の面でバックアップするという話になっていました。しかし、借金の返済に追われ、ままならなくなってしまったそうなんです」それでも、2年ほど前に亡くなる最期まで母親の介護をしていたのは、島田さんだった。前出の友人Aさんは後悔まじりに話す。「この数年間はとても苦しかったと思います。妹と疎遠になり母を失い、『これで本当にひとりきりになってしまった』としみじみ言っていたことを思い出します。実は彼女には、ニューヨークのブロードウエーで『将軍 SHOGUN』に主演したリチャード・チェンバレンと二人芝居をするという企画もあったんです。さぞ無念だったでしょう」近年も女優として並々ならぬ意欲を見せていた島田陽子さん。天国でもやり残した夢を追い続けているに違いない。
2022年08月02日7月25日、女優の島田陽子さんが大腸がんによる多臓器不全のため、都内の病院で亡くなった。69歳だった。「サンスポ」によると、島田さんは亡くなる直前に主演映画『Evergarden(エヴァーガーデン)』の撮影を終えていたという。本作は島田さん自ら企画、プロデュースも手がけた作品だが、惜しくも遺作となった。撮影した横山浩之監督(61)は、年内公開の意向を示しているという。’71年にドラマ『続・氷点』のヒロイン役で注目を集め、映画『砂の器』(’74年)『犬神家の一族』(’76)などに出演し人気を博した島田さん。’80年にはアメリカの連続テレビドラマ『将軍 SHOGUN』に出演。主人公と恋に落ちるヒロインを演じ、その演技力が評価されゴールデン・グローブ賞テレビドラマ部門の最優秀女優賞を受賞。これを機に、“国際女優”として脚光を浴びた。輝かしい女優人生を歩むいっぽう、島田さんのプライベートは波乱万丈だった。NHK大河ドラマの急きょ降板騒動や金銭トラブルも何度か報じられている。’80年代には樹木希林さん(享年75)の夫でロック歌手の内田裕也さん(享年79)との不倫が発覚。これによって、内田さんと希林さんは離婚騒動にまで発展し、世間を騒がせることに。その後、内田さんと島田さんは関係に終止符を打っていた。そんな経緯はあったものの、島田さんの内田さんへの敬愛の念はなくなっていなかったようだ。内田さんが亡くなって約9カ月経った’19年12月、島田さんは本誌に登場し在りし日の思い出を語ってくれた。■「私が尊敬していたのはあの人の才能です」2人の出会いは、’88年公開の島田さん主演映画『花園の迷宮』での共演だった。本作にはオールヌードシーンがあり、島田さんは監督との話し合いを続けながらも葛藤していたという。そのような時、宿泊先のホテルのドアに内田さんからのメモが挟んであったといい、励ましの言葉がこう綴られていたという。《今、大変悩んでいらっしゃると思います。自分の意見をひと言言わせてください。裸になることで、あなたの品位は1ミリたりとも傷つきません》内田さんの優しさに背中を押された島田さんは、こう振り返っていた。「世間の内田さんのイメージとは真逆な、繊細で思いやりにあふれた文章でした。ようやく心を決め、私がスタジオに向かうと、雨の中、内田さんは傘もささずに私が来るのをじっと待っていてくれました」世間的にはロックンローラーとして型破りなイメージがあった内田さん。しかし、島田さんが知っている内田さんの性格は、正反対だったという。「内田さんは他人の目があるとロックンローラーを演じてしまいます。人からどう思われているか常に評価を気にして、日常を忘れにハワイに行っても、毎日、日本の新聞と週刊誌を買い込んでチェックしているような人でした」そんなギャップのある内田さんについて、島田さんはこう語った。「私が尊敬していたのはあの人の才能です」島田さんが内田さんと最後に再会したのは、’17年8月。都内のホテルのカフェで偶然会ったといい、その日の夜遅くに内田さんから電話がかかってきたという。「私といた8年間が内田さんが輝いていた人生のピークだったようで、『あの時代が懐かしい』と。『そうね、楽しかったわね』と私が言うと、『あの時期は自分は幸せでした』と。それが最後の言葉になりました」若かりし頃に内田さんと過ごした時間は、島田さんにとってかけがえのない思い出だった――。
2022年07月27日2021年8月に急逝した作家・魚住陽子が綴る、静謐でありながら、自らの感情に向き合う強さを感じさせる珠玉の短編集。魚住陽子を知っていますか?1951年に埼玉で生まれた魚住陽子さんは書店や出版社に勤務するかたわら同人誌に詩を発表、カルチャースクールで小説を学び、35歳の時に作家デビュー。「水の出会う場所」「菜飯屋春秋」など、その独自の世界観は多くの読者を魅了し、根強い人気を獲得します。1989年には「奇術師の家」で第1回朝日新人文学賞を受賞し、その他芥川賞をはじめとする文学賞へも幾度となくノミネートされました。しかし腎臓の病を患い、残念ながら2021年8月、69歳でその生涯の幕を閉じました。短編集『夢の家』本作は彼女が遺した作品から、6編を収録した短編集です。画家の女性と彼女がかつて共に暮らした男性との愛憎を互いの心情描写で綴る表題作「夢の家」、家族を喪った一人暮らしの中年女性と彼女が関わる整体院を中心に、彼女を取り巻く人間模様を描く「シェード」、往復書簡というかたちでの師弟ふたりのやりとりによってそれぞれの感情や生活の変化を描く「郭公の家」、そして、作者の母校の創立記念の冊子に収録されていた、女子高生たちの日常のやりとりをいきいきと描いた「物置に蝶が来ている」、その他2編を加えた全6編を収録。静謐でありながら、その奥に潜む生々しい感情(後悔、諦め、憎しみ、愛、失望、希望など)をしっかりと見つめ、自らに向き合う強さを感じる作品群は、作者独自の世界観にあふれています。また、病を抱えながら暮らし、創作を続けてきた作者ならではの死と生についての鋭敏な感覚も、そこここに散見され、はっとさせられるものがあります。作者が晩年取り組んでいた俳句のエッセンスやどの作品にも登場するたくさんの草花、そして何気ない生活風景の描写にも魚住ワールドともいうべき美意識が感じられる短編集。ファンの方はもちろん、足を踏み入れたことのない方にもぜひこの世界観に触れていただきたい一冊です。推薦のコメント遠ざかってゆく者と残される者。魚住文学はその間に横たわる暗がりへと読者を誘い込む。他のどこにもない小説が、そこに映し出されている。ーー小川洋子 (帯コメントより)<目次>-----------------------------・物置に蝶が来ている・萌木色のノート・夢の家・シェード・郭公の家・旅装・あとがき(加藤閑)夢の家 | 魚住 陽子 |本 | 通販 | Amazon : 【著者紹介】魚住 陽子(うおずみ・ようこ)1951年、埼玉県生まれ。埼玉県立小川高校札業後、書店や出版社勤務を経て作家に。1989年「静かな家」で第101回芥川賞候補。1990年「奇術師の家」で第1回朝日新人文学賞受賞。1991年「別々の皿」で第105回芥川賞候補など。2000年頃から俳句を作り、『俳壇』などに作品を発表。2004年、腎臓移植後、2006年に個人誌『花眼』を発行。著書に『奇術師の家』(朝日新聞社)、『雪の絵』、『公園』、『動く箱』(新潮社)、『水の出会う場所』『菜飯屋春秋』(ともに小社)がある。2021年8月に腎不全のため死去。書誌情報『夢の家』魚住 陽子著2022年6月29日 発売A5変形判/並製272頁ISBN:978-4-909646-55-2定価:1,980円(税込)発行元:駒草出版(株式会社ダンク 出版事業部) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年06月28日日本を代表するチェリスト長谷川陽子が、デビュー35年を迎えた記念演奏会を開催する(5月19日:東京文化会館小ホール)。この記念すべきコンサートのプログラムに選ばれたのは、ベートーヴェンの「チェロ・ソナタ」(全曲)だ。数あるチェロの名曲の中からこの作品を選んだ理由についての長谷川陽子の言葉がとても素敵だ。「今年は、私にとってデビュー35周年の年となる。この節目にベートーヴェンのソナタ全曲に臨みたいと考えた。ベートーヴェンの音楽の本質とは何だろう。コロナ禍のこの数年、ベートーヴェンが残した作品に触れながら考えを巡らせるのは、幸せな時間だ。この問いの答えはまだ出ていない。けれど、今現在の私が考えるベートーヴェンの本質は潔さ、迷いのない力強さ、誠実さ…この3つの要素を強く感じる。ふと思う。人間として、音楽家として、そのように生きてゆきたい。チェロ・ソナタ全曲に取り組むことでベートーヴェンへの憧れを、みなさまと共有したい。応援して下さるお客様と、支えてくれた周りの人たちへの感謝の気持ちとともに」共演者に、名手松本和将(ピアノ)を迎えたこの公演は、音楽家として1つの節目を迎えた長谷川陽子の決意の表れのようにも感じられる。新たな未来に向けた希望の調べに耳を傾けたい。●公演概要5月19日(木)東京文化会館小ホール「長谷川陽子 チェロ・リサイタル」 ●長谷川陽子Yoko Hasegawa (チェロ, Cello)色彩豊かな音色と音楽性を持ち合わせた、日本を代表するチェロ奏者の一人。2022 年デビュー35周年を迎える。1987年音楽之友社主催「フレッシュ・アーティスト・シリーズ」にてリサイタル・デビュー。1988 年小林研一郎指揮、日本フィ ルとの共演で協奏曲デビューした。その後、フィンランドのシベリウス・アカデミーに留学し、1992年首席で卒業後帰国。これまで、国内外の主要オーケストラとの共演、全国各地でのリサイタル、室内楽、朗読との共演などその活動は多岐に わたる。霧島国際音楽祭賞、ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクール特別賞、新日鉄フレッシュ・アーティスト賞、第9 回齋藤秀雄メモリアル基金賞等、受賞多数。後進の指導にもあたり、現在、桐朋学園大学音楽学部准教授を務めている。オフィシャルホームページ
2022年04月20日今年デビュー35周年を迎えたチェロ奏者・長谷川陽子。記念公演でベートーヴェンのチェロ・ソナタ全5曲を弾く[5月19日(木)東京文化会館 小ホール]。これまでどちらかというと避けてきたというベートーヴェン。「楽譜のあちこちに、暗号のように、いわば〝ベートーヴェン・コード〟が埋め込まれているのですけど、それを読み解く面白さがようやくわかってきました。それを理解したうえで弾くと、やはり作品がものすごく生き生きしてくるんです。いろんな経験を積み重ねて、やっとベートーヴェンを弾く入り口にたどり着いたように感じています」2020年。ベートーヴェンの生誕250周年はコロナ禍と重なり、音楽家は人々の前で演奏する機会さえ奪われた。「チェロ・ケースを開くことさえない時間が続いたのはショックでした。そんな中で、やっぱり自分には音楽しかないのだと再確認させてくれたのがベートーヴェン。彼の意思の強さ、メッセージの深さ、そして人類愛。知識や情報としては知っていたことを、その作品から自発的に感じることができたのです。あの時期、たぶん自分の力だけでは這い上がることができなかった。ベートーヴェンが引っ張り上げてくれました」共演のピアノは松本和将(かずまさ)。新しい扉を開けてくれる、と信頼を寄せる。「音があたたかくてどこにも力が入っていない。飄々としていて、でもどんな球を投げてもうまくキャッチしてくれる。それがすごく魅力的です。音楽性は私と正反対かもしれないのですが、それがかえって互いの長所を引き立てあうのだなあと実感しています」高校1年生で日本音楽コンクール第2位入賞。2年後の1987年にデビュー・リサイタルを開いた。「ずっと手ほどきを受けた井上頼豊先生は、音楽をゼロから作る力を身につけなさいと、レコードで聴くような有名曲はあまり弾かせませんでした。真似をしてしまわないように。ところがデビューしてお仕事で弾かせていただくのは有名な曲ばかり。刺激的でした。憧れだった曲を次々に弾けて、とにかく楽しかったという記憶しかありません」弾くのが楽しい。彼女はそのピュアな感覚をずっと変わらず持ち続けている人だと思う。ナチュラルな音楽家だ。ベートーヴェンはリサイタルに合わせてCDもリリース。充実した録音ができたと手応えを語る。経験を重ねて初めて正面から向き合ったベートーヴェン。ライヴもCDも、名演奏・名盤の予感が漂う。(取材・文:宮本明)
2022年03月02日上白石萌歌が主人公を吹き替える映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』。この度、新たに日本語吹き替え版声優として、高山みなみ、朴ロ美、木内秀信、日笠陽子の参加が明らかになった。4名の豪華声優陣が演じるのは、主人公フィービーを取り巻くキャラクターたち。江戸川コナン、鬼太郎、ムーミントロールなどの声でお馴染みの高山さんが、フィービーの唯一の友達となり、共にゴーストたちに立ち向かう仲間ポッドキャスト。舞台「千と千尋の神隠し」の上演を控える朴さんが、フィービーと兄トレヴァーの母親であり、初代ゴーストバスターズの一員イゴン・スペングラー博士の娘・キャリー。フィービーが通う学校の教師グルーバーソンは、『アントマン』や『思いやりのススメ』など数々の作品でポール・ラッドの声を担当してきた木内さん。フィービーとトレヴァー、ポッドキャストと共に<新生ゴーストバスターズ>の一員となるラッキーを、「けいおん!」「はたらく細胞BLACK」の日笠さんが務める。科学オタクのフィービーと意気投合する重要なキャラクターを演じた高山さんは「『彼が出て来ると、ちょっと和む…』音響監督と相談しながら、ポッドキャストくんの雰囲気を作りました。不可思議なことが大好きで好奇心旺盛。背伸びしつつも、フィービーちゃんの良い相棒なのだと思います」とポッドキャストの魅力を語り、『ゴーストバスターズ』2016年版のホルツマン役でも声優を務めた朴さんは「観終わったあと、とても洗われた気持ちになり、気がつくと温かな涙が頬をつたっていました。初代ゴーストバスターズ監督の息子ジェイソン・ライトマンが今回監督したこともあるのか、まさに『家族の物語』だと思いました」と作品の感想を語る。フィービーとポッドキャストに初代ゴーストバスターズの存在を教える物語のキーマンを演じた木内さんは「演出も時代の変化も感じつつ懐かしい部分もあり思わずニヤけてしまいます。もちろん前作品を知らなくてもお楽しみいただける作品になっています」とメッセージ。シリーズファンだったという日笠さんも「まさか自分が子供の頃見ていたゴーストバスターズの世界に関われる日がくるとは思っていなかったので非常に嬉しいです。当時見ていた方は思わずホロッと涙してしまう胸が熱くなるような展開ですし、親から子へ、子からまた子へ...、今に繋がっていて、さらにきっとこれからも繋がっていくのだと思わせてくれる希望の物語です」とコメントしている。『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は2月4日(金)より全国にて公開。※朴ロ美の「ロ」は、正しくは「王偏に路」(cinemacafe.net)■関連作品:ゴーストバスターズ/アフターライフ 2022年2月4日より全国にて公開
2022年01月18日南野陽子が、16年ぶりの新曲「空を見上げて」「大切な人」を含むベストアルバム『Four Seasons NANNO Selection』を本日12月8日にリリースした。1980年代にアイドルとして活動し、現在は女優としてドラマや舞台で活躍している南野。今作は四季をテーマに本人が選曲した、季節感に溢れた南野の新たな魅力を引き出した作品で、ジャケットや歌詞ブックレットにも南野のビジュアルが満載となっている。また待望の新曲「空を見上げて」「大切な人」は、南野との信頼関係も強い日本歌謡界の巨匠・萩田光雄がサウンドプロデュースを手がけている。また『Four Seasons NANNO Selection』発売にあたり、南野本人からのコメントが届いている。■南野陽子 コメント詞や音から季節や物語を感じていただけるように、色彩感豊かにお気に入り曲を36曲、集めてみました。当時の私の楽曲を知らなくても楽しんでいただける内容だと思います。皆さまに青春時代のその頃、その刻を懐かしんでいただきたいです。そして、南野陽子ワールドには欠かせない萩田光雄さんに、久々の新曲2曲をプロデュースして頂きました!こちらもぜひ聴いて下さい。<リリース情報>南野陽子 ベストアルバム『Four Seasons NANNO Selection』2021年12月8日(水) リリース価格:3,600円(税込)南野陽子『Four Seasons NANNO Selection』初回仕様(三方背スリーブケース)南野陽子『Four Seasons NANNO Selection』ジャケット※CD2枚組 / 34曲収録 / 高品質Blu-spec CD2規格※初回仕様は、CDケース本体のジャケット写真とは違うビジュアルの三方背スリーブケースに収納※南野陽子セルフライナー付『Four Seasons NANNO Selection』特設サイト:
2021年12月08日8月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった千葉真一さん(享年82)。本誌に見せていた野際陽子さん(享年81)との日々を本誌秘蔵写真で振り返るーー。60年を超える芸能キャリアでも、常にマスコミをにぎわせてきた千葉さん。その中でも本誌の取材がとりわけ多かったのは、野際さんとの夫婦生活だった。東映アクションドラマ『キイハンター』での共演がきっかけで、’73年に結婚した2人。日の出とともにエーゲ海の船のうえであげたという結婚式の思い出とともに、1カ月余りの旅行から帰国すると、「指輪とヒゲがお土産なのよ!」と報告してくれた。その後、のちに女優となる真瀬樹里(46)が生まれ、おしどり夫婦として知られたが、SONNY CHIBAとしてハリウッドでの活動を本格化したい千葉の思いによって離婚。2人そろって記者会見を行った。野際さんは’17年に死去。千葉と同じく、晩年まで精力的に活動していた。天国で再会し、残した家族や俳優仲間たちをいつまでも見守ってくれるだろう。
2021年08月27日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。社会を見つめるヒントをたくさんくれた、田嶋陽子さんの登場も、今回がラスト。第4回は、これからの未来の日本について、語ります。男も女も、互いにラクになれる方法を見つけよう。高度経済成長期、日本経済は右肩上がりでしたが、それは家庭に専業主婦という“無料で家事をしてくれる人”を抱え込むことで、男性が長時間働けた結果のこと。その一面、男は過剰な残業に苦しみ、女は家事を押し付けられて自活できなかった。現在、日本の経済は残念ながら下降線をたどっており、男だけが働き、男だけがトップにいるという既存の社会構造は、限界が来ています。確かに、出産は女にしかできないことだけれど、あとは男女ではなく人間としての個性の問題。お互いに参画し、お互いの重なり合わない部分を補え合えば、世界は1+1=2ではなく、何層倍も豊かになるはず。女性もフルタイムで働けば、男性の負担も減る。みんなで5時に仕事を切り上げ、家族で食事を作って一緒に食べられる。子育て支援事業を充実させれば、経済も回り、子供を産みたい人が増える。それが本当の意味での豊かな社会だと思います。イヤになっても、投げ出さず向き合うことが大事。イギリスに留学していたとき、毎朝ホストファミリー親子が政治の話をしていたの。当時のサッチャー首相に対して「こんなことをしていた」とか「あれは良くない」とか、意見を交わす。イギリス人にとって、政治はごく身近なものなんです。一方、日本では政治が“自分とは関係ない人がやるもの”になっている。でもコロナ禍でわかったでしょ?政治は自分の命に直結しているものなんです。良い社会にするために若い女性がまず何をするべきか?大事なのは、みんなが自分の責任で、自分の人生をしっかり生きることです。そうしたら、何が自分の邪魔をしているのか、何を変えるとラクになれるか、どんな国になったら生きやすいのか、少しずつわかってくるのでは?古い制度や法律が自分たちの足を引っ張っていたら、異議を唱えて変えていく努力をする。ちゃんと自分と社会と国と向き合って、生きていく。その気持ちがあるだけで、世界は確実に変わります。たじま・ようこ1941年生まれ、岡山県出身。英文学・女性学研究者、元法政大学教授、元参議院議員。‘90 年代、テレビ番組に多数出演し、“フェミニズム”をお茶の間に広めた。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)など多数。※『anan』2021年7月7日号より。写真・小川朋央(by anan編集部)
2021年07月03日人生の先輩的女性をお招きし、お話を聞く「乙女談義」。今月のゲストは、英文学・女性学研究者の田嶋陽子さんです。第2回の今日は、ご自身が最初に“理不尽さ”を感じた経験と、そこから得た教訓を伺います。“世の中は理不尽”、初めてそう思ったのは…。私が生まれた年の12月に太平洋戦争が始まりました。その後私は新潟の母の実家に疎開。当時は人がいっぱい死んであちこちでお葬式があったから、ある日私は従姉妹と“お葬式ごっこ”をして遊んでいたわけ。祖母の腰巻き…って、当時の女の人にとっての下着をお坊さんの袈裟に見立てて肩から斜めに掛けて、お茶碗をチンチン叩きながら村中を練り歩いた。そうしたら祖母にものすごく怒られて!で、文字通り、手にお灸を据えられたの。私は、悪い子として怒られたんだから…と熱くても我慢していたんだけど、なんと従姉妹はモグサを払いのけて逃げたの。びっくり!でも祖母は「(従姉妹は)すばしっこくていい子」と褒め、「それに比べて陽子はのろま」と…。なぜ素直に叱られた私ではなく、それを拒否し、逃げた従姉妹が褒められるのか。それが、私が人生で“理不尽”を感じた一番最初の記憶。それを長年考え咀嚼した結果、一つの結論にたどり着きました。その、幼い頃の経験をしゃぶり尽くした結果出てきた結論、それは、抑圧関係からは逃げていい、ということ。逃げるって、卑怯?それは互いの力関係が同じなら、逃げるのは卑怯かもしれない。でも例えば最初から格差があったり、こちらがきちんと扱われていない、そういった“対等ではない相手”からは、弱い立場の者は逃げていいんです。それは全然悪いことではない。私自身も、小さい頃はそういった理不尽から逃げられなかったけれど、大人になって職を得て、自分の人生を作れるようになり、やっと逃げられた。でも、女の人は逃げないですよね。というか逃げられないんです。それはなぜかというと、逃げた先で生きる術を持っていないから。自活ができなければ、結局は痛めつけられるまま、家庭や職場にいるしかない。だからこそ、自分の食い扶持を自分で稼ぐくらいの力を、女の人も持ってほしいと私は思います。いつでも逃げられるよう、力をつけましょう。たじま・ようこ1941年生まれ、岡山県出身。英文学・女性学研究者、元法政大学教授、元参議院議員。’90年代、テレビ番組に多数出演し、“フェミニズム”をお茶の間に広めた。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)など多数。※『anan』2021年6月23日号より。写真・小川朋央イラスト・菜々子(by anan編集部)
2021年06月19日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは、ジェンダー問題が課題である今の日本で、再び注目が集まっている、田嶋陽子先生。第1回はフェミニズムについてお聞きしました。“女”から解き放たれたら、人生はもっと広がる。大化の改新以降、女性の社会的地位は下がり続け、女の人は、“一人前の人間”として扱われたことはほぼありませんでした。江戸時代までは、極端な言い方ですが、“子産みの道具”。明治になると“良妻賢母”であれと言われたものの、それも妻や母という“役割”であって、“私という人間”の存在が認められたわけではなかった。ずっと役割の中だけで生きさせられてきた女の人たちが、人間として生きる権利を取り戻そうとする動き、それがフェミニズム。女も、男と同じ人間である。たったそれだけ、簡単なことなんです。女だからこうしろ、女だからそんなことするな。私が若かった頃に比べたら、女らしさの呪縛はかなり減りましたが、まだ今の日本の女性も、それを押し付けられている。でもその決めつけから解き放たれ、“人として”物事を考え、決められるような世の中になったら、人生はものすごく広がる。それを若い皆さんに知ってもらいたい。働き稼ぎ、家を持つ。それの何が悪い!(笑)私が通った女子大は、仕事を持ち自己実現をし、人や社会に尽くすことを教えてくれた学校。でも’60年代初頭、私と一緒に卒業した人たちは、ほとんどが就職することなく、あるいは短期間だけ働きお嫁に行きました。ただ、今の女性たちは、学校を出たら働いて、稼いで、そのお金で生きている。私からすると、それだけでも大きな変化。お金を稼ぐことは、おのれの足で立つこと。つまり、自由に好きに、自分の人生を生きる力なんですよ。お給料をもらってまず私は家の頭金を貯め始め、35歳で家を買ったの。誰にもとがめられず、自分らしくいられる場所があるっていい。しかも追い出される心配ないから、恋愛がイヤになったり、結婚に行き詰まったら躊躇なくやめられる(笑)。えっ?!今でも独身女性が家を買うことにウダウダ言う人がいるの?信じられない!カタツムリだって家を持ってるでしょ?働いてるなら、家買っちゃいなさい。あとがラクよ、おすすめ。たじま・ようこ1941年生まれ、岡山県出身。英文学・女性学研究者、元法政大学教授、元参議院議員。’90年代、テレビ番組に多数出演し、“フェミニズム”をお茶の間に広めた。著書に『愛という名の支配』(新潮文庫)など多数。※『anan』2021年6月16日号より。写真・小川朋央(by anan編集部)
2021年06月13日広瀬すず、櫻井翔、江口洋介らが出演する現在放送中のドラマ「ネメシス」に南野陽子の出演が決定した。本作は、広瀬さん演じる天才助手・美神アンナと、櫻井さん演じるポンコツ探偵・風真尚希の凸凹バディが、探偵事務所ネメシスに舞い込む難事件を次々と解決していくミステリードラマ。第5話まで放送された本作。アンナの父・美神始(仲村トオル)失踪の謎、20年前の事件の真相に近づいていくネメシスだが、黒幕まであと一歩と迫る中、大きな問題が立ち塞がる。そこで、風真のかつての師匠である怪しげなマジシャンの力を借りることになるのだが、そんな元凄腕詐欺師にして現在はマジシャンという異色な経歴を持つ美しきコンフィデンスマン・緋邑晶を南野さんが演じる。中華街を根城とする緋邑は、人を欺くのはお手のもの。風真をポンコツ扱い、アンナをお嬢とあしらう緋邑がチームネメシスを救う…?南野さんは「マジックを実際にするシーンもあり、カードや角砂糖、花札を使ったものが出てくるんですけど、私はあまり器用な方ではないので、おうちでとりあえず100回は練習しようと気合いを入れましたね」と語り、「7話から見始めてもまだまだ間に合うので『ネメシス』をたくさんの方に楽しんでもらえたら嬉しいです。これからの展開を見逃さないでください!」とメッセージを寄せている。また、緋邑が登場する7話以降には、彼女だけではなくスピード狂の医者・上原黄以子(大島優子)のドライビングテクニックや、道具屋・星(上田竜也)の秘密道具、天才的頭脳を持つアンナの親友・四葉朋美(橋本環奈)のひらめき、AI開発者の姫川烝位(奥平大兼)の捜査力に、アクロバティックな料理人・リュウ楊一(加藤諒)のアクションも大活躍。さらに、7話のラストで驚愕の真実が。これまでの物語の全てが伏線になっており、探偵事務所ネメシスが追う事件の真相が明かされていく。「ネメシス」は毎週日曜日22時30分~日本テレビにて放送中。(cinemacafe.net)
2021年05月10日死ぬときに後悔はないほうがいい……というのが通説だが、下重さんは「後悔が残る生き方もいい」と語る。一体なぜ?その思いと、悔いを残して死ぬコツを聞いたーー。「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」このように、本業でオファーが舞い込む傍らで、趣味にも「真剣に」打ち込んできた下重さん。しかしながら、これは多芸多才な彼女だからこそ、できたことなのでは?と誰もが思うのではないだろうか?「いえ、本当に好きで、やってみたいことだったら、誰にでもできるはず。好きなことなのに、トライもしないで『明日死んでもいい』とは思えないはずですから」確かに、そう言われればそんな気がするけれど、私たちにとってなかなかつかめそうもないのは、その“やってみたいことは何か”を見つけることなのである……。そこへ下重さんが、とっておきの“発想のヒント”をくれた。「中学、高校生のころに戻ってみることですよ。あのとき何に感動し、何が大好きだったのか。特に、好きだったのに大人に反対され、あきらめてしまった淡い夢ーーそれが『後悔の原体験』のはずです。私の場合はオペラ。じつは若いころは音大に進んでオペラ歌手になりたかったんです。けれど、習っていた声楽の先生に『あなたの小柄な体では、オペラ歌手は無理』と言われ、諦めた。みんな忘れているだけで、そういう体験が『ない人はいない』はず」下重さんにとってバレエであり、オペラであったように、ある人には、それが料理や絵画、ファッションであってもいいのだ。その際に心がけたいのは「トライすること」と同時に「考えていたことをアウトプット(=表現)すること」だという。「中高生のころの気持ちを忘れてしまっていたように、いまやりたいことを『思っている』だけでは、必ずいつか忘れてしまいます。私だって忘れる。けれど、文章を書くというアウトプットがあるから、やりたいことを思い出すことができるんです」何かに挑戦するための大きな示唆をくれる下重さんだが、前述のように、「明日死んだら後悔は残るだろう」とも話している。「これまで100冊以上の本を書いてきましたが、私自身が『自由になれた』と思えるようになったのは最近のことです。80代になってやっと『本当に書きたいことを書ける』と思えるし、依然『書きたいことが書けていない』とも思う。ある種後悔とともに生きているし、それでいいんだと思います」死に方を考える、というのは日々の生き方を考えるということ。コロナ禍は“自分と向き合い、やりたいことを見つける”いい機会になるかもしれない。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日「それまで元気だった友人を、このところ立て続けに亡くしました。ライターの女性は、最後のメールのやり取りから4日後に突然、パートナーから連絡があって『永眠しました』と。旅仲間の男性は、血液のがんにより入院後わずか1週間で亡くなった。『人間は、いつ死んでも不思議ではない』とつくづく痛感させられる出来事でした」こうかみしめるように話すのは、ベストセラー作家の下重暁子さん(84)。志村けんさんや岡江久美子さんの訃報に触れ「コロナ禍で多くの人が、死を自分ごととして感じるようになったのでは」と投げかける。そんな下重さんは、新著『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)のなかで《明日死んでもいいためには、今日しっかり生きておかなければならない》と語る。そのうえで、私たちが元気なうちにしておくべき44項を示しつつ、こんなことも綴っている。《後悔はあった方がいい……いつ死んでも後悔する生き方がしたいというのも、アリだと思う》一見、《明日死んでもいい》と《いつ死んでも後悔する》とは、相反する思いのようだが、その真意はどこにあるのだろうか。「満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。思いを残して道半ばで死ぬ、一緒にいたい人と死に別れる。後悔する生き方とは、死ぬときまで、なにかに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。『今日』に情熱を傾けて生きるからこそ、死んだら後悔が残る。けれど、それもいい死に方ではないでしょうか」下重さんに半生を振り返ってもらうと、現在の境地に至ったゆえんが見えてきた。「私は小学校2年生と3年生の2年間で、たった1日しか登校できませんでした。結核で隔離療養を強いられたんです」“感染症による闘病”を丸2年、少女期に経験していた下重さん。「1日4度検温し記録をつけて、寝ているだけの生活。何もすることがないものだから、父の本棚から抜き出した本をながめては、想像を膨らませるのが日課でした。そこで『自分と向き合う』習慣が身についたんだと思います」当時は致死率が高く“死の病い”とされていた結核。部屋で一人思いを巡らせるなか、否が応でも「死」を意識することになった。’59年、NHKに入局し、アナウンサーに(故・野際陽子さんは1期先輩にあたる)。’68年、31歳でフリーとなり、以後もともとの夢であった文筆業も並行して行い始めた。そして50代に入る前から「後半生をどう生きるか」を考えるようになったという。「幸い仕事に恵まれた私でしたが、『好きなことをなにもしてこなかったなあ』と強く思ったんです。大好きな音楽も“見る”専門で。そこで48歳のとき、子どものころから好きだった『クラシックで踊るバレエ』を思い立ったように始めました」最初は友人が通っていた近所のバレエ教室に連れて行ってもらい、1年間のレッスンを受けて、発表会に出場。その経験で自信をつけると、かの松山バレエ団のビギナーズ・クラスに入団した。「私のモットーは、『仕事は楽しく、趣味は真剣に』。バレエは、運動というより音楽なんですね。運動神経がいいことよりも、音を体で表現することができるかが大事。好きこそものの上手なれで、発表会の舞台には10年間出て、踊りました」さらにこの時期から、少女時代に習っていた歌唱を、再び専門家について指導を受けるようになったという。60歳のときにはフランス料理店を自腹で借り切ってリサイタルを敢行した。「フルコースをご馳走して、その後で私が歌う。食べた後では逃げられないだろうと思って(笑)。アナウンサー時代から、どんな大舞台でも、しゃべりでは緊張しなかったのに、歌ではアガりましたね」下重さんが伝えたいのは「やらないで後悔して死ぬ」より「やって道半ばで後悔して死ぬ」のを選ぶべきだということ。「過ぎ去った時間は取り戻せないけど、前にある時間は、手に入れられる。後半生が残り少ないと思うなら、前を見つめて生きる!そうすればきっと『後悔を残して死ぬ日を迎えられる』はずです」「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月14日日本を代表するチェリスト・長谷川陽子が2020年、精力的に新たな試みにチャレンジする。2月21日(金)に東京オペラシティコンサートホールにて、バンドネオン奏者の三浦一馬、ギタリストの大萩康司とのトリオによる「情熱と哀愁のリベルタンゴ」を開催。それに先立つ1月10日(金)には、同会場のホワイエにて0歳児を育児中の保護者を対象にしたコンサート「0歳児とおでかけ応援プロジェクト」を実施する。【チケット情報はこちら】「情熱と哀愁のリベルタンゴ」は、ピアソラの「リベルタンゴ」、ハチャトゥリアンの「剣の舞」をはじめ「踊りや歌に関する曲を選んだ」と“情熱”を前面に出した曲目になっており「私自身の気質としてもラテンの血わき肉おどるようなノリがあるので(笑)、熱いコンサートになります!」と力強く語る長谷川。三浦、大萩それぞれとの共演経験はあるが、3人が揃うのは初めて。「バンドネオンの特徴は、情感に訴える哀愁を帯びた音色。タンゴのイメージが強いけど、実はオルガンの要素が強いんです。この分厚く奥行きのある音に対し、チェロがどう舞い踊れるのか? 非常にスリリングです」と三浦のバンドネオンとの共演への期待を膨らませる。一方、ギターについては「数年前に福田進一さんとデュオCDを作って以来、ギターに魅了されました。ギターは弓で弾くチェロと違って、弾いた瞬間から音が消えていく儚さと美しさがある」とその魅力を熱く語り「それぞれの楽器によって私もチェロの弾き方、音の立ち上がりを変えていきます。信頼する2人との共演ですが、私にとっても挑戦になると思います!」と未知なるチャレンジへの意気込みを口にする。「0歳児と――」は、授乳やオムツ交換、ベビーカーでの移動などの苦労を懸念し、外出を躊躇してしまいがちな育児中の保護者に本格クラシックを楽しんでもらえるよう、2000円のチケット1枚で“0歳児”と保護者の大人2名が入場できる。託児室に預けるのではなく赤ちゃんと同じ空間でコンサートを楽しめる企画だ。自身も子育て経験があり「子どもが0歳の時はテーブルにマットを敷いて寝かせて練習していた」という長谷川。家族や周囲のサポートを受けながら演奏会も行なっていたと明かし、恩返しの思いも込めて参加を快諾したという。曲目はバッハの無伴奏チェロ組曲、武満徹の「翼」などで、あくまでも大人向けのクラシック演奏会となっており「赤ちゃんを育てていても、時に自分の時間を楽しんでいいし、明日への糧になれば。子育てを“希望”にしたい」と意気込みを口にした。チケットは両公演とも発売中。取材・文・撮影:黒豆直樹
2019年12月06日「南野さんがついに離婚します。周囲にも、その意思を漏らしているそうです」(知人)3月3日、8回目の結婚記念日を迎えた南野陽子(51)。その直前、2月28日発売の『週刊文春』で夫・A氏(47)の金銭トラブルが報じられた。記事によるとA氏が事務長を務める東京・銀座のクリニックで、1億8千万円の使途不明金が発覚。お金の管理はA氏が任されていたが、開業から3カ月で支払い督促の通知が次々と届くように。クリニック側はA氏を業務上横領で刑事告訴し、民事でも損害賠償請求を起こす予定だという。さらに衝撃は、これだけではなかった。A氏の荷物から、南野の実父に宛てた金融会社からの督促状や医療費の支払い督促状などが見つかったというのだ。「南野さんのお父さんは、箱根の有料老人ホームに入所しています。毎月の費用はお父さんの専用口座から引落とされるようになっていて、彼女は入金のため十分なお金も用意していました。しかし口座はカラで、元となるお金も消えていたのです。口座や入金の管理していたのは、夫であるAさん。支払い督促状が来ていることを今回の件で初めて知った南野さんは、施設に問い合わせました。すると実際に半年分も支払いが滞っていたとわかったそうです。彼女はあわてて100万円以上を振り込んだと聞きました」(前出・知人)11年3月3日にA氏と結婚した南野。しかし直後から金銭トラブルの噂が絶えなかった。にもかかわらず夫婦関係を続けてきた南野。理由は、実父(82)との関係があったからだ。「南野さんが仕事で遠くに行かなければならないとき、A氏がお父さんを献身的にサポートしてくれていたそうです。老人ホームに2人でお見舞いに行ったことも、一度や二度ではありません。A氏は、彼女の前ではいつも“よき夫”であり続けたのです」(前出・知人)もともと普通のサラリーマンだった南野の父は、派手なことを嫌う人だった。そのため85年に芸能界デビューした当初は、猛反対。89年に南野の個人事務所社長に就任したが、衝突も多かったという。しかしある出来事をきっかけに、2人の関係に変化が見え始めた。「兵庫県に住む南野さんのお母さんが、11年11月に脳出血と心内膜炎のため急逝したのです。死に目に会うことができなかった彼女はずっと『もっと親孝行していればよかった』と悔やんでいました。以降、お父さんの存在は彼女にとって何よりも大切なものに。『せめてお父さんだけでも幸せにしてあげたい!』と考えるようになったのです」(前出・知人)母の死後、南野は父を兵庫から箱根の老人ホームへと呼び寄せたという。13年には自宅をバリアフリー仕様に改装し、父との同居を決意したと報じられた。しかし予想以上に仕事が忙しくなったため、2年前から再び父を老人ホームへと移すことになった。「南野さんにとっては苦渋の決断でした。だからこそ『せめてホームでの生活はきちんとしてあげたい』と十分なお金を用意していたのです。そんななか、A氏は父の世話や管理を申し出たといいます。南野さんは『彼は病院経営にかかわっているので、安心して任せられる。プロにお願いしたほうが父にとってもいいはず』と言っていました」(前出・知人)だが皮肉にも、そうした“信頼”が事態の発覚を遅らせることとなってしまった。「これまでも周囲は『別れたほうがいい』と説得してきました。しかし南野さんは離れませんでした。すべては『あんなに父のサポートをしてくれる夫が、悪い人のはずがない』と考えがあったからでしょう。しかし、今度は違います。その大切な実父の介護費用が消えていたのですから。彼女のショックは、どれほどのものだったでしょうか」(前出・知人)本誌はA氏の携帯番号やメールに連絡を取ったが、返答はなし。A氏が持っていたという名刺の連絡先にもコンタクトを取ったが、担当者は「うちは関係ありません」と答えた。「南野さんはドラマ撮影のため京都にいましたが、夫と話し合いをするため東京に戻ってきました。すぐにでも離婚についての話し合いを進めるつもりのようです」(前出・知人)
2019年03月05日「1年前、会社の健康診断で肺が“要精検”となりました。症状もなかったし、喫煙歴もないので、深刻に思っていませんでしたが、その後、CT検査を受けたら、末期の肺がんが見つかって……。すでに骨に転移して、最近は痛みも出てきましたが、家族の支えでなんとか頑張っています。ただ、いつも頭に浮かぶのは“なぜ”という思いです」(50代会社員女性)日本人の3人に1人ががんによって死亡している。国立がん研究センターがん情報サービスによると、死亡数が多い部位は、女性の場合、大腸に続いて肺が2位。芸能界では、野際陽子さんや星由里子さんが肺腺がんで亡くなり、東てる美(62)が闘病生活から復帰したばかりだ。男性では、中村獅童(46)も患ったことが記憶に新しい。国立がん研究センター東病院の呼吸器外科科長の坪井正博先生が語る。「肺がんは、40代くらいから発症者が徐々に増えだし、70代でピークをむかえます。特に喫煙との関連が大きいと見られているのが、扁平上皮がんと細胞肺がんです。一方、非喫煙女性にも多く、増加傾向にあるといわれるのが、肺の奥や末梢に生じやすい、腺がんです。かつて、肺がん患者の男女比は7対3ほどでしたが、特に腺がんでは女性の比率が同等くらいに増えてきました」米国ハーバード大学で疫学研究に従事した、内科医の大西睦子先生も、こう解説する。「’17年、米国インディアナ大学の教授は、アジア女性の肺がん患者の50%が、非喫煙者であることを指摘しています」30年で罹患者は3倍超、死亡者も2倍になった肺がん。「喫煙しないので関係ない」と思っていた人が肺がんになる。そんな事例が増加しているという。
2018年12月05日《はじめまして。眞栄田郷敦(まえだごうどん)と申します。これからお願いいたします》9月13日に開設されたインスタグラムには、こんなメッセージともに、切れ長で涼し気な目元が印象的な青年の写真が!眞栄田郷敦(19)は世界的アクションスター・千葉真一(79)の次男で、人気若手俳優・新田真剣佑(21)の弟だ。芸能関係者は言う。「以前から噂されていた郷敦の芸能界デビューがついに決まったのです。すでに10月6日に開催されるファッションイベント『TGC(東京ガールズコレクション)北九州2018』に出演することが公表されています。さらに10月からは映画の撮影にも参加します。デビュー作にも関わらず準主役クラスで、映画の公開は来年の予定だそうです」千葉真一には3人の子供がいる。故・野際陽子さんとの間に生まれた女優・真瀬樹里(43)、そして’96年に再婚した一般女性との間に生まれたのが、真剣佑と郷敦だ。「マッケンユーにゴードンと、日本人としては珍しい名前ですが、これは千葉の強い希望によるもの。彼の夢は“自らの手でハリウッドスターを育てる”ことなのです。郷敦は岡山県の名門高校出身で、在校中は吹奏楽部部長を務めていました。アルトサックスを担当し、昨年の『全日本吹奏楽部コンクール』にも出場しました」(前出・芸能界関係者)次男の芸能界入りにあたって、千葉は徹底的にマンツーマン指導を行ったという。千葉の知人は言う。「千葉さんは数年間の離婚協議の末、’15年に2番目の奥さんと離婚しています。郷敦くんの親権はその前妻が持っているのです。しかし郷敦くんが岡山県内の高校を卒業すると、千葉さんは東京都内にマンションを借りて、いっしょに住むことにしました。郷敦くんに短期間で役者としてのイロハを教え込むためには、同居して、自分の所作を肌感覚で覚えさせることがベストだと判断したようです」千葉は、千葉県内に一戸建て住宅を所有している。「千葉県の家には、トレーニングルームも完備されています。週末はそこで、体力づくりやアクションの初歩をかなり厳しく教えていました」(前出・知人)ときには“鬼父”と化す千葉が教えたのは、演技の基礎や体の鍛錬法ばかりではなかった。“日本人俳優としての哲学”なども伝えようとしたという。千葉のインタビューには、“武士道”や“サムライ”といった言葉が頻出する。それは戦前に軍のテストパイロットをしていたという父の影響もあるようだ。《僕は日本人の心や日本文化が大好きで、おやじの中にもそれを見ていた。米国に拠点を移した時は、息子2人に必死で日本の歴史と国語を教えました。武士道の精神というか、日本人の魂は、息子にも受け継がれたと思います》(朝日新聞’16年3月18日付)前出の知人は言う。「千葉さんは“いい俳優たちにはいいものを伝えなければいけない。それが僕なりのサムライ道”とも語っていますが、特に郷敦くんにはその思いが強いようです。『軽薄な芸能人にはなるな。お前は、日本の心を世界に伝えるサムライになれ!』と、繰り返し語っているのです」かねてから息子たちをハリウッドで活躍させることを夢見てきた千葉だが、次男・郷敦のデビューにより、さらに意気軒高になっているという。「郷敦くんを連れていくこともあったり、単独のこともあったりしたそうですが、最近は頻繁に海外に行っています。千葉さんの究極の夢は“親子3人でハリウッド作品に出演すること”なのです。そのために親子3人での企画を、海外のエージェントに熱心に売り込んでいるそうです」(前出・知人)“世界的俳優一家”を目指す千葉真一と眞栄田郷敦、父子二人三脚での疾走は始まったばかりだ。
2018年09月27日演歌歌手の山内惠介と女優の南野陽子が、2日に東京・明治座で行われた『山内惠介 東京・明治座初座長公演』公開舞台稽古に出席し、絶妙なコンビネーションを見せた。同公演は5日から15日まで、明治座で行われる。山内は63年にタイムスリップし、母親(南野)と結婚する前の父親と体が入れ替わってしまう役を演じる。作中には2人が抱き合うラブシーンもあるといい、南野は「お母さんの、子どもを抱くような感じ」と明かす。しかし山内が「抱き慣れてらっしゃるのかな」と感想を漏らすと、南野は山内の頭を軽く叩き、ツッコミを入れていた。また、南野が「まだ出会って数日ですが、10何年前から仲良しなくらい距離が近い。(山内の)良いところです。私は逆のタイプで"ツンケン"が得意」と明かすと、山内は「ツンデレですもんね。何かあったら(『スケバン刑事』のように)ヨーヨーを投げられるんじゃないかヒヤヒヤしてます」と話すなど、息の合った掛け合いを見せていた。
2018年08月03日俳優・佐野史郎(63)が5月29日、都内で行われたフジテレビ系オトナの土ドラ「限界団地」(6月2日スタート)の制作発表に共演の足立梨花(25)らと出席した。 佐野にとって初の連ドラ主演作。演じる主人公・寺内は6歳の孫娘に異常な愛情を注ぎ、古きよき団地像に執着する不気味な老人だ。 佐野といえば26年前に放送されたTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」でマザコン男・冬彦を怪演し、ブレーク。ドラマは社会現象となった。 「『ずっとあなたが好きだった』の主演は賀来千香子さんでしたが、佐野さんが演じた主人公の夫である東大卒のエリート銀行員のマザコン男・冬彦さんは主役を食ってまう勢い。現在だとストーカーにあたる行為の数々や故・野際陽子さんが演じた母親に対する溺愛ぶりなど、夏のドラマにもかかわらずお茶の間を凍りつかせました」(テレビ局関係者) 会見で佐野は冬彦さんと寺内を比較。「寺内は(冬彦さんに比べると)一枚上手。攻撃的で、ちょっと弁護しようがないところがある。やっていることは10倍くらい怖い」と不敵な笑みを浮かべたという。 「すでに『再び社会現象が巻き起こるのでは』と期待の声が上がっています。というのも、若い世代は冬彦さんのときの“衝撃”を知らないからです。佐野さんの怪演は新鮮に映るはずですし、彼が“10倍くらい怖い”という寺内にきっと引き込まれるでしょう」(芸能記者)
2018年05月30日「NHKに入ったのが、およそ60年前。あなたはアナウンサー、私は放送劇団。そのころからもう気が合っていて、一緒にフランス語を習ったり、同じ洋服屋さんでお洋服を作ってもらったり」 今年6月13日に亡くなった女優・野際陽子さん(81)を偲び、そう語るのは女優の黒柳徹子さん。野際さんは’58年、NHKにアナウンサーとして入局し、’63年に女優デビュー。テレビドラマ『すっとあなたが好きだった』(TBS系)での息子を溺愛する母親役など、鮮烈な役柄を数多く演じた。 そんな、野際さんに黒柳さんが送る感謝のメッセージ。題して「“愛”を教えてくれたあなたへ――」。 「私はあなたの感覚が好きだったし、何より正直だった清らかなあなたが好きでした。長いことファクスでやりとりしましたね、流れるように美しい字のあなたのファクスは、カタカタと静かに送られてきました。大きくてガタガタの字の私のファクスは、あなたと対照的に、恐らく、ドタドタとお宅に到着したことでしょう」 そして、黒柳さんはこう続ける。 「そういえば『死』ぬときのことなんかも、話したことがありましたね。次に、あなたにお会いしたとき、どんなだったか話し合いましょうね。あなたのいらっしゃらないこの世界は寂しいです。本当にお友達がいなくなったようです。じゃ、今度お会いするまでね。お友達でいてくださって、どうもありがとう」
2017年12月16日2007年、東山紀之を主演に復活した人気時代劇ドラマシリーズ「必殺仕事人」が、スペシャルドラマとして2018年新春に放送決定。今作をもって10周年を迎える「必殺仕事人」には東山さんほか松岡昌宏、知念侑李、和久井映見、遠藤憲一といった仕事人キャストに加え、黒木瞳、間宮祥太朗、奥田瑛二ら豪華ゲスト俳優陣が集結。さらに、今年6月に他界した野際陽子が出演する最後の必殺シリーズ作品となる。「必殺」シリーズの復活から10年という記念の年を飾る本作では、若者への組織的洗脳、恨みを持つ相手に自ら手を下す私刑、無差別に見知らぬ人間を巻き込む自爆攻撃など、「必殺」シリーズの持ち味でもある時事ネタをふんだんに反映。人の世が抱える闇と、いつの時代も変わらぬ人間の醜さをあぶり出すという。出演陣には、東山さんを筆頭に10年間仕事人としてシリーズに出演し続ける松岡昌宏、和久井映見、2014年に加入の知念侑李、そして2015年より仕事人の一員となった遠藤憲一とお馴染みのメンバーが登場。■奥田瑛二&黒木瞳、必殺シリーズ初出演!また、東山さん演じる同心の渡辺小五郎は、幼いころ両親の命を奪った因縁の宿敵とも対峙することに。演じるのは名優・奥田瑛二。必殺シリーズでも稀に見る愚劣な男で、人心を巧みに操り、怪しい配下たちを引き連れ潜入した江戸の町で災いをもたらす。そんな幻楼の手先の一人、雀蓮役で、注目の若手俳優、間宮祥太朗も出演。白狐のような妖艶ぶりを魅せるという。そして、黒木瞳が、恵まれない子どもたちに食べ物を与えたり、読み書きを教える私塾の先生、すずらんを担当。子どもたちを慈母のような眼差しで見守る、すずらん。しかし、その実は…。黒木さんが久々の悪役に挑戦する。■知念侑李演じるリュウ、失踪から記憶喪失に…小五郎の宿敵の出現に加え、もう一つの見どころは、知念さん演じるリュウの失踪。仕事人という裏稼業にいまだ葛藤を抱える心優しきリュウは、突然行く方知れずになったかと思うと、過去の記憶を完全に喪失し、何かに支配されたかのように変貌。松岡さん演じる兄貴肌の涼次に刃を向け、遠藤さん演じる陣八郎にも襲いかかる。そんなリュウに対し、2人はなぜか一切の武器を構えず…はたして三人の運命やいかに!?■10年間、東山さんの義母を演じた野際陽子の最後の必殺シリーズに…新生・仕事人が始動した2007年から、東山さん演じる小五郎の義母・こうを演じてきた野際さん。今年6月に他界し、今回のスペシャルドラマが、最後の必殺シリーズ作品となった。婿役の東山さん、小五郎の妻で娘役の中越典子との三人の軽妙な掛け合いも、これで見納め。東山さんは「野際さんと最初にお会いしたのは僕が10代の頃で、ほかの作品でも母親役をやってくださったこともあり、普段から本当の息子のように接してくださいました」とふり返り「今回は、京都には来られないかもしれないという中、体力を振り絞って京都での撮影に参加してくださった。『良くなったらまた食事に行きましょうね』と話したのが最後になってしまいましたが、撮影中は苦しさを微塵も見せず、プロ根性、女優魂を見せてくださいました。そういう姿勢も僕は引き継いでいかなければと思います」と熱い思いを語った。■東山紀之、意気込み!「この10年の中で一番いい。必殺シリーズ最高傑作です」東山さんは「いまの時代、10年も同じシリーズが続けられたのは奇跡に近いこと。藤田まことさんから引き継がせてもらった大切な作品です。10年前はとにかく1本を撮ることに集中していました。常に『全力投球でやろう!』と取り組んできたものが10周年を迎えられ、何事も一つずつきっちりやってこそ次につながるのだなと感じています」とこの10年を回顧。その上で、今作のみどころを「僕が演じる小五郎の過去が分かってくる点」と説明。「そこに、必殺の伝統でもある時事ネタが絡んできます。いまは物事に白黒はっきりつけられる時代ではありませんが、時代劇という枠組みの中でならそれができます。知念の淡い恋もみどころかな。小五郎には奥さんがいるので『大人の恋』は描けません…あくまでも僕は、ゲスを斬る方なので(笑)」。さらに「僕は、どんな仕事でも『常にベストを尽くしていまが一番いい』ことを目指しています。今回の作品もこの10年の中で一番いい。必殺シリーズ最高傑作です」と自信をみせた。スペシャルドラマ「必殺仕事人」は2018年新春、テレビ朝日系にて放送予定。(text:cinemacafe.net)
2017年11月20日今年6月13日に肺腺がんのためこの世を去った野際陽子さん(享年81)。彼女をしのぶ会が9月29日、都内の中華料理店でひっそりと行われていた。 「会は、人気昼ドラシリーズ『花嫁のれん』(フジテレビ系)で共演した羽田美智子さん(49)、山本圭さん(77)、吉田羊さん、矢田亜希子さん(38)が発起人となって開かれました。当日はドラマスタッフを中心に、70人ほどが参加していました」(テレビ局関係者) 開始時刻の18時を前に、羽田や山本、吉田、矢田らが続々と店内へ入っていく。輪のなかには、野際さんの長女・真瀬樹里(42)の姿もあった。 「『花嫁のれん』は10年11月にスタートし、11年、14年、15年と続きました。野際さんのがんが最初に発覚したのは14年。手術をしましたが、翌15年4月に再発しています。それでも最後まで休むことなく仕事を続けてきた彼女に、みんな感銘を受けていました。出演者やスタッフの絆は固く、真瀬さんも感動していました」(ドラマ関係者) 最初に山本が「またふっと戻ってくるんじゃないかと思う」と語ると、矢田も「途中から『花嫁のれん』のキャストとして加わったのに、優しく抱きしめて迎えてくれました。私の永遠の憧れの女優です」と挨拶。吉田は「初めてお会いしたとき、『吉田羊って変わった名前ね』と話しかけてくれました。ヒール役で悩んでいたときにアドバイスをくれて……」と語り、声を詰まらせる場面も。羽田は「野際さんがレディー・ガガの真似した写真を送ってきてくれた」と、ユーモアを大切にしていたという故人の意外な素顔も明かした。 その後も共演者や関係者の挨拶が続くなか、真瀬は次第に感極まっていたという。そして最後に、彼女はこんな言葉を語っていた。 「真瀬さんは『こんなにたくさんの人に愛されていたんだと実感しました。病気のことを内緒にしていたのは正しい判断だったのか、いまだにわかりません』と吐露。それでも『羽田さんはいっしょに闘病しているみたいに支えてくださって、母だけでなく私自身も励まされました』と感謝していました。そして『これからも母のことを思い出して話してください。皆様の心の中に母は生き続けます。私も生涯かけて母のような人間に近づけるように頑張ります』と締めると、会場から拍手が起きていました」(前出・ドラマ関係者) 会は20時に終了予定だったが、お開きになったのは1時間近く後だった。 「最後には、会場にいる全員で『良き思い出は心の宝』と野際さんの台詞を唱和。そして『野際さん、ありがとう』と言って締めくくりました。出演者の方々は名残り惜しそうに店を後にしていましたが、その後も羽田と真瀬は残って思い出話に花を咲かせていました」(前出・テレビ局関係者) みんなの思いは、きっと天国の野際さんにも届いたことだろう。
2017年09月30日女優で歌手・久我陽子(43)が、シンガー・ソングライターの山崎まさよし(45)書き下ろしによる新曲「月になる」で、約2年ぶりに音楽活動を再開する。10月11日発売のニューシングルには同曲のほか、久我が作詞に加わった「手をつなごう」も収録される。「闘りゃんせ」「春よ来い」「ひとり上手」に次ぐシングル。「月になる」は、10月スタートの真矢ミキ主演ドラマ『さくらの親子丼』(東海テレビ制作・フジテレビ系)の応援ソング、TBS系情報番組『ひるおび』の主題歌として10月から採用されることが決まっている。「山崎まさよしさんの持つ歌の世界観が好きで以前よりファンでした」という久我。「いつか山崎さんの曲を歌ってみたいとお願いしてみたところ、今回、書き下ろしの素敵な曲を提供いただくことが出来ました。実際にお会いし、じっくり私の想いなども伝えさせて頂き、山崎さんから頂いたのが『月になる』でした」と楽曲誕生の経緯を明かし、「切なく儚い…この曲の旋律に強く惹かれ、心を揺さぶられました。曲の持つ世界観を伝えることが出来たらと思いながら、心を込めてレコーディングに挑みました。表現者として、この曲の切なく儚い想いやこの詩の情景を、聴いて下さる皆様に思い描いて頂けるよう、歌い上げました」と同曲に込めた思いを語る。一方の、「手をつなごう」については、「この曲では、今回作詞にも挑戦しました。『月になる』とはまた違った曲調に仕上がっています。素直になれない気持ちは誰にでもあると思いますが、そんな気持ちから一歩前に進む心情を表現しました。20歳の頃に一度作詞にも挑戦させて頂いたのですが、そこから時間が経った40代の今、久しぶりに作詞にも挑戦したことで、歌への思い入れにも変化が生まれた気がしています。わがままな女心を貴方に理解して欲しい…『手をつなごう』はそんな曲です」とこれまでの歩みを振り返りながら作詞のテーマに触れる。「女優として、また歌手として、今はこれと決めつけずに広く興味を持って、作品ひとつひとつと向き合っていきたいと思っています。40代の女性として、また女優・歌手という表現者として、自分のやれることを、自然な流れの中でやっていけるよう、自分を磨いていきたいと思っています」と意欲を見せる久我。栗田秀一プロデューサーは、「山崎さんは、成就しない夢の儚さを、女優・久我陽子に投影した。久我陽子はプリミティブな歌唱の中に想いを重ね、僅か数テイクで録音し、まさに二人のコラボ作品ができた。今回制作に当たり、ウタの力と、曲の力を掛け合わせられた事は大きな達成感です」と語る。
2017年09月22日10月よりスタートする新帯ドラマ劇場「トットちゃん!」。黒柳徹子とその家族の激動の昭和史を描く本作に登場する新たな出演者が発表。ヒロイン・徹子の大親友だった故・野際陽子さん役を、野際さんの娘・真瀬樹里が演じることが決定。また、NHK放送劇団の担任として徹子を温かく見守る大岡龍男役に里見浩太朗、徹子が“かあさん”と慕い名脇役として活躍した大女優・沢村貞子役を浅野ゆう子が演じることも明らかになった。黒柳さんと野際さんの出会いは60年以上前のNHK。NHKの専属女優だった黒柳さんと、NHK新人アナウンサーだった野際さんは局内で出会い、すぐに意気投合、大親友に。その後は長年にわたってFAXでやりとりを交わす仲となり、訃報を受けて黒柳さんが発表した追悼の手紙には、インターネット上でも「感動した」「涙が出ました」との声が多数寄せられた。そして今回、黒柳さんの親友・野際さんを、娘である真瀬さんが演じることが決定。真瀬さん曰く、黒柳さん直々のオファーがきっかけで出演に至ったそう。野際さんが亡くなってまもなく、「黒柳さんから“今度、こういうドラマがあるのでぜひ参加してください”とお話がありました。そこでは役柄については何もお聞きせず、“ぜひやらせてください”とお返事したのですが、それから1か月ほどして事務所を通じて“野際陽子役”のオファーをいただき、本当にビックリしました。このタイミングで出演してよいのだろうかと、とても戸惑いました…」と告白。また、「時折、天国の母が語りかけてくるような感覚を覚える瞬間がある」と話す真瀬さんは、「“ママの役を演じてほしいと言われているけど、どうしよう”と仏壇の前で母に話しかけたんです。すると、“やって!”と天国から声が聞こえたような気が、確かにしたんです」と出演を決意した心境を語る。そして、若かりし頃の野際さんを演じるべく、真瀬さんは長かった髪を30センチ以上もカットして撮影に臨む。「アナウンサーからスタートした母は、美しい言葉や発音をとても意識していたので、演じるにあたって、そこにいちばん気を遣わなくてはと思っています。また、若い頃の母と、私の記憶の中にある母とはイメージが違うところもありますし、自分の中で試行錯誤しながらそのバランスを探っているところです」と役作りについても明かした。そして、ヒロイン・徹子役の清野菜名と初めて対面。清野さんは「実は、『やすらぎの郷』でお母様の野際さんと共演させていただきました。1シーンだけだったのですが、真瀬さんは本当にお顔も雰囲気もとても似ていらっしゃいます。撮影で少しずつ真瀬さんのことを知って、親友役を演じていきたいと思います。ぜひよろしくお願いいたします」と挨拶し、真瀬さんも「よろしくお願いします!20代の清野さんと親友になるべく、若くなりますね(笑)」と笑顔を浮かべた。なお、真瀬さんの登場は11月後半からを予定している。「トットちゃん!」は10月2日(月)より毎週月~金曜日12時30分~テレビ朝日にて放送。再放送は毎週月~金曜日7時40分~BS朝日にて放送。(cinemacafe.net)
2017年09月02日ものまね歌手の荒牧陽子(36)が26日深夜放送の日本テレビ系「24時間テレビ」内の「今夜限り!生しゃべくりでタレコミ続出!その真相を初告白007」に生出演。5年ぶりのテレビ復帰を果たした。 荒牧は5年間表舞台から姿を消した理由を「のどが潰れてしまったので静養していたのと、あとはショーをやらせていただいた」と説明。MCをつとめた、くりぃむしちゅーの上田晋也(47)から「今は完治した?」と聞かれると「はい!」と笑顔で答えた。 復調ぶりを裏付けるように浜崎あゆみ(38)、坂本冬美(50)、新ネタのchay(26)らものまねをメドレーで披露。上田はこの5年でレベルアップを絶賛した。 「荒牧は11年、くりぃむしちゅーがMCをつとめた日テレの『スター☆ドラフト会議』に彗星のごとく登場。出演するやいなや、倖田來未(34)らのものまねで一躍ブレーク。その後、壮絶な争奪戦の末に大手芸能プロの系列事務所に所属しテレビのオファーが殺到しすっかり売れっ子になっていました」(テレビ局関係者) ところが13年1月、「激務から来る喉・体調・メンタル不調」を理由に芸能活動一時休止を宣言。今回の復帰まで、プライベートは波乱万丈だったというのだ。 「13年5月に仕事で知り合った年上のテレビプロデューサーと結婚。しかし略奪婚だったため結婚前から夫の前妻と揉め、ついには前妻から損害賠償を求めて提訴されてしまったのです。結果は敗訴。このゴタゴタが原因でテレビから消えていたが、14年ごろから仕事復帰。16年秋ごろには晴れて第1子を出産して、ようやく平穏が訪れていました」(芸能記者) 人生の荒波を乗り越え、母になっただけにその芸に磨きがかかったようだ。
2017年08月28日6月13日(火)に肺腺がんで他界した女優・野際陽子さん。「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」では、8月25日(金)放送を「中居正広のキンスマスペシャル」とし、2時間にわたり野際さんの命尽きるまで女優として生きた人生と、最後の3年間の日々に迫っていく。「必殺シリーズ」「浅見光彦シリーズ」「TRICKシリーズ」など数多くの作品に出演し、お茶の間から愛され続け、いまから2か月半前の亡くなる直前までドラマ「やすらぎの郷」に出演していた野際さん。闘病していたという情報が一切なかったため、あまりにも突然の訃報に世の中が大きな衝撃を受けた。そんなほとんど情報が出ていない中、野際さんの最期を知る数少ない人物が、今回番組だけに語った。まず、ドラマで共演以来、41年もの間親交があり、野際さんの芸能界の娘といっても過言ではない女優・浅野ゆう子。そして野際さんの最期を看取った一人娘・真瀬樹里。さらにほかにも伊東四朗、長塚京三、佐野史郎、常盤貴子、坂井真紀らがドラマの裏側や野際さんとの知られざるエピソードを語る。加えて、野際さんが出演した名作ドラマ「キイハンター」を始め、「ずっとあなたが好きだった」「ダブル・キッチン」「誰にも言えない」「スウィート・ホーム」「長男の嫁」の映像と共に、生涯女優として生きた野際さんの人生と最後の3年の日々を辿る。なぜ野際さんはがんであることを最期まで公表しなかったのか?なぜ亡くなる数日前まで現場に立ち続けたのか?その真相が初めて明かされる…。「中居正広のキンスマスペシャル」は8月25日(金)19時56分~TBSにて放送。(cinemacafe.net)
2017年08月23日「私、昔から500円玉が大好きだったんです。世界で1、2を争う高額硬貨ですし、大きさも重さも魅力的で(笑)。そんなことを考えているのは私だけかと思っていたのですが、実はみんなが大好きなことがわかったので、達人たちの方法を研究し、本を書きました」 そう笑うのは、日本初となる500円玉貯金の解説本『ズボラな人でも毎日500円玉が貯まるすごい方法』(サンマーク出版)が話題の、マネーコンサルタントの市居愛さん。’85年に玩具メーカー・トイボックスが、「○○万円貯まる」という500円玉貯金箱「メタルBANK」シリーズを発売し、一躍大ブームとなった500円玉貯金。これがなぜか今、100円ショップでも類似品が発売され、リバイバルブームが到来している。 嵐の二宮和也や向井理など有名人でも収集家は数多く、故・野際陽子さんに至っては、’82年の500円硬貨発行以来貯め続け、グランドピアノを購入したという。 とはいえ、私たちは芸能人ではない。使えるお金にはかぎりがあり、毎日500円を貯めるなんて無理……と思うことなかれ!2児の母でありながら、自身の病気と夫の会社の倒産によって無一文になった経験もある市居さんは、「ベテランの主婦ほど500円玉貯金はオススメです!」と断言する。 「レートによっては世界一になることもありますので、まさに『硬貨の王さま』。だからこそ、コレクション欲をそそるのです(笑)。実際に、貯金箱に入れたときの『ガシャン』という音や、1回のお会計で1枚しか手に入れられないというゲーム性も500円玉貯金の魅力。同じ硬貨でも、1円や5円と違って早く貯まるのも特徴で、1日1枚でも、1年365日で18万円以上貯まるんですよ!」 しかし、裏を返せば1カ月で1万円以上、使えるお金が減るということ。主婦にはやはり不向きに思えるが……。 「いえいえ、実は500円玉貯金は節約にもなるんです!お金持ちなら『500円玉をゲットするために、どんどん紙幣を崩す』という集め方もありますが、私がオススメしたいのは『500円のお釣りが出るように、買い物額を減らす』やり方。これなら節約しながら500円玉を収集できます」 しかも、つねに計算しながら買い物をすることで、認知症予防&早期発見にもつながるという。 「買い物をしたときの計算ができなくなるのは、認知症の代表的な初期症状の1つ。日々の買い物で計算するクセをつけることは頭の体操になりますし、計算が怪しくなったときにも早く気づけます」 そして何より「貯まったら何を買おう」と考えることが、500円玉貯金の醍醐味。 「もちろん老後や教育資金にあててもいいのですが、成功者の多くは明確な目的を定めずに、この妄想を楽しんでいます。楽しみ方としては宝くじに似ていますが、宝くじと違って、こちらは確実です」 つまり500円玉貯金とは、決まった生活費のなかで、いかにやりくりするかを楽しむゲーム。「お金がない」と漫然と過ごす日々から脱却し、妄想を楽しみながら節約&脳トレ。そして、確実な成果が得られるものだったのだ!
2017年08月23日「早いもので、母が他界してからもう四十九日を迎えました……。先日には、親族や親しかったスタッフの方々だけでささやかな法要を執り行いました」 肺腺がんのため6月13日に天国へと旅立った野際陽子さん(享年81)。あれから四十九日、長女で女優の真瀬樹里(42)は胸に詰まった言葉を絞り出すようにそう語った。 野際さんに肺腺がんが発覚したのは、昼ドラ『花嫁のれん』(フジテレビ系)に出演していた14年。だが撮影が過酷だったにもかかわらず、彼女はほとんど仕事を休まなかった。幸い早期発見だったため、手術は成功。しかし翌15年4月、がんが再発。腫瘍の摘出手術を受けた。その後再々発するも、抗がん剤治療が功を奏したことで復帰を果たしている。 「母が仕事を休んだのは、2回とも手術前後1週間ほど。最初も2度目も、驚くほど回復が早かったんです。最初の手術は14年12月だったのですが、母は『先生、正月からスキーに行ってもいいですか?』と言いだして。それで本当に、行っちゃったんです。2度目の手術後の16年正月も、スキー旅行に行っていました」 しかし、がんは次第に身体をむしばんでいく。そして17年5月、肺炎を併発して入院してしまったのだ。野際さんはドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)に出演していたが、なんと入院の前日まで撮影に臨んでいたという。 「正直、私は何度も『仕事をもう少し休んでほしい……』と訴えてきました。京都での撮影を控えていたときには、『京都まで行くのは心配すぎる。行かないわけにはいかないの?』と食い下がりました。母はそのたびに『うん、うん』と静かに聞いていました。でも結局、最後には『やっぱり、一度受けたお仕事だからね……』と言って撮影に向かうんです」 入院後も野際さんは強かった。冗談を言っては、いつも周囲を明るくしてくれていた。病室にはいつも支えてくれる人たちがいて、一進一退の日々が続いた。そんなある日、真瀬と野際さんが二人きりになったときがあった。 「亡くなる1週間ほど前でしょうか。病室で母と私だけになったんです。私はベッドに腰かけて、母の横に寄り添っていました。そうしたら母が何も言わず、私の頭を肩にギュッと引き寄せ抱きしめてきて。それで私、何も言えなくて。これまで『絶対治るよ!』と言いながらも、やっぱりどこか不安で仕方がなかった。精一杯明るく振舞ってきたけど、本当は『母がいなくなったら』と思うと怖くて仕方がなかった。だからもう涙が止まらなくなって。“泣いているのを気づかれてはいけない”と、顔を上げられませんでした」 振り返る真瀬の目から涙がこぼれる――。覚悟しながらも、気丈だった母。娘に心配をかけまいとする、野際さんの強さだったのかもしれない。 「母も何も言わず、しばらく抱き合っていました。でも肺を圧迫すると苦しいじゃないですか。だから『ママ、苦しいよね。ごめんね!』と言って、顔を上げようとしたんです。そうしたら、母が離さないんです。その力が、びっくりするくらい強くて……。だから私は笑顔で『ママ、腕の力すごいよ。まだまだ力あるよ!大丈夫だよ』と言いました」 最後の数日間、野際さんは薬のためずっと眠り続けていたという。 「先生が『きっと、声は聞こえていると思います……』とおっしゃってくれたので、私は声をかけ続けていました。でも、母からの答えはありませんでした。だからこそ思うんです。『あのとき、母は私に何を伝えたかったんだろうか?』と。でも同時に、言葉にならない何かを伝え合えた――。そうも感じます」
2017年08月11日「葬儀の喪主は私でした。でもやらなきゃと思っていても、冷静でいられなくて。まわりの親族に助けてもらって、何とか見送ることができたんです。葬儀は母の実家がある逗子で行いました。海の近くで、母の“旅立ち”に合わせてくれたかのような晴天でした」 肺腺がんのため6月13日にこの世を去った野際陽子さん(享年81)。あれから四十九日、長女で女優の真瀬樹里(42)は初めて母・野際さんとの知られざる思い出を語ってくれた。 58年にNHKへ入局しアナウンサーとなった野際さん。63年にTBSのドラマ「悲の器」で女優デビューすると、66年にパリへ1年間留学。帰国後の68年には、TBSのドラマ「キイハンター」がスタート。視聴率30%越えを記録し、5年間放送される大ヒット作となった。 そんな世の女性の憧れの存在だった野際さんは73年に千葉真一(78)と結婚。そして75年、38歳で真瀬を出産した。野際さんの溺愛ぶりは相当なものだったが、いっぽうでは驚くほどの厳しさも見せていたという。だが、真瀬も母親譲りの負けん気の強さがあった。 「私は5歳のときすでに『将来は女優になる!』と決めていたので、できることは何でもやろうと思いました。ピアノと水泳に始まり、バレエやエレクトーンも習うことに。お習字は毛筆とペンを習っていましたし、公文式にも通っていました。1週間が7日ではとても足りず友だちと遊ぶ暇もない。あのころが人生でいちばん忙しかったかもしれません(笑)」 当初、野際さんは真瀬が女優になることを反対していたという。しかし決して諦めない真瀬を見ているうちに、高校卒業を条件として認めてくれるようになった。親子初共演は、真瀬が19歳のときのドラマ『運命の人』(TBS系)だった。 野際さんは92年にドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBS系)で佐野史郎(62)の演じる「冬彦さん」を溺愛する母親役を熱演し、一世を風靡していた。 「母のスゴさは撮影中よりも、出来上がった作品を見ているときに感じることが多かったですね。本当に生意気ですが『ああ、なんていい芝居をするんだろう』とよく思っていました。現場でやりにくいと思うことはなくて、むしろ息を合わせやすかったですね。演技についてのダメ出しは、そこまでありませんでした。でもアナウンサー出身なので、発声やイントネーションなどはよく注意されたことを覚えています」 最期は親族やスタッフに見守られ、真瀬に抱きしめられながら天国へと旅立った野際さん。真瀬には、母から受け継いだ“言葉”があるという。 「母の言葉でいちばん強烈に残っているのは『いつも輝いていなさい!』というものです。母はよく『自分さえ輝いていれば、まわりは引き寄せられてくる』と言っていました。学生時代に友達関係に悩んでいたときも女優になってからも、言い方こそ違えど同じ言葉を投げかけてくれました。いつも輝いてなければならないというのは、ある意味大変なことでもあると思います。そういう意味でも、強くて厳しかった母らしい言葉ですよね」 前出の母娘初共演時、真瀬は「いつかは母を超える意気込みでやります!」と意気込みを語っていた。その意気込みを、これからも天国の野際さんに見せていくつもりだ。 「母は役者を志したときからある意味で越えられない壁でした。これからも生涯かけて目標にしていきたいです。実は仕事に関して、母と約束したことが2つあるんです。その内容は……今はまだ言えません。でもいっしょには叶えられなかったその約束を、これから私が実現していきたい。そしてそれが叶ったとき、改めてお伝えしたいと思っています」
2017年08月11日