最愛の母を亡くしたダウン症の娘と父親が悲しみを乗り越え、互いを理解し合うかけがえのない旅へと歩みだす姿を描いて、2019年のベルリン国際映画祭パノラマ部門・国際批評家連盟賞を受賞したイタリア映画『わたしはダフネ』(原題:DAFNE)が、6月6日(土)より公開決定。併せてポスタービジュアルと本予告が解禁された。本作は、長編デビュー作『Mar Nero』(’08)が第61回ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門に選出され、最優秀女優賞をはじめとした3部門を受賞して新鋭監督として注目されたフェデリコ・ボンディ監督待望の最新作。予告編では、明るく、はつらつとしたダフネが周囲の人々に愛されていることが見て取れるシーンや、母親の喪失に悲しみ戸惑うダフネと父親の姿が映し出され、後半ではダフネのハミングが印象的な主題歌が映像を盛り立てている。主演をつとめるのは、自身もダウン症であり、普段はスーパーマーケットで働きながら自伝本を2冊上梓するなど活発に創作活動をしていたカロリーナ・ラスパンティ。監督自らFacebook上で見出し、演技未経験ながらも主役に抜擢された。ボンディ監督はカロリーナの存在そのものが脚本や撮影に大きな影響を与えたと語り、実際にベルリン国際映画祭での上映後にカロリーナ本人が舞台上に登壇した際には、彼女のチャーミングかつ、シニカルな自然体の演技に割れんばかりの拍手が送られた。母親役を演じるのは、1977年『サスペリア』で主人公の友人サラ役を演じ、昨今は脚本家・監督としても活躍するステファニア・カッシーニ。エグゼクティブ・プロデューサーには、『幸福なラザロ』(’18)やマッテオ・ガローネ監督の『ドッグマン』(’19)『Pinocchio』(’19)など昨今の良質なイタリア映画に数多く参加してきたアレッシオ・ラザレスキー。併せて解禁となったポスタービジュアルは、ダフネと父ルイジ(アントニオ・ピオヴァネッリ)が窓際で寄り添い、外を見つめている印象的な2ショットが切り取られている。『わたしはダフネ』は6月6日(土)より岩波ホールほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2020年03月09日きょうはどのどうぶつさんとお散歩しようかな?キリン、ぞう、うさぎの三匹のどうぶつが隠れている、かわいらしいプルトイ。プルトイはひっぱって歩くことによって体のバランス感覚を養うおもちゃです。「my zoo」には、その日の気分でどうぶつを選ぶことができる楽しさをプラス。自ら考え、選び、決めるということで自立性を高めることにも繋がるといわれています。3匹のどうぶつシルエット子供が大好きな、「キリン」「ぞう」「うさぎ」の3匹のどうぶつたち。それぞれ優しいカラーが魅力です。安心素材キリンとぞうはビーチウッド、ウサギはツルっとしたアクリル素材です。角がなく滑らかな手触りでちいさなお子さんも安心して遊べます。※dou?の商品はすべてCE(ヨーロッパEU諸国共通の玩具安全基準)、食品検査をクリア。お子さまが口にしても安全な塗料を使用しています。小さな手でも引っ張りやすい引っ張る紐の先には、子供の小さな手に収まりやすい丸いウッドパーツが付いていて、ひっぱりやすい工夫が◎。「dou?」のロゴの焼印もデザインのポイントです。「dou?」のぬくもりあるおもちゃたち遊びを通してこどもたちの想像力を高め、家族のコミュニケーションツールになる木のおもちゃ。温もりを感じられる木材で一つ一つ手作りされています。ママとして、育児を体験したメンバーで結成され、高いデザイン性、”学び”をうまくおもちゃに落とし込んだ遊びの設計が魅力です。大切な人への贈り物にシンプルながらお洒落なパッケージ入りなのでギフトにぴったり。かわいいプルトイを引っ張ている姿を想像したくなりますね。最後までご覧いただきましてありがとうございます。引っ張るだけじゃない、自分で好きな動物を選ぶことが出来るプルトイ。丸みのあるフォルムや素材感、カラーなどそこにあるだけでほっこりする木のおもちゃです。ママと一緒に「今日はどのどうぶつにする?」と楽しい時間がすごせそうですね。月齢に合わせて遊び方が選べる「dou?」のおもちゃたち。ご自宅用にも贈り物にもおすすめですよ。
2020年02月20日2月13日より、東京・CBGKシブゲキ!!にて、舞台『春母夏母秋母冬母』が開幕した。【チケット情報はこちら】本作品は、中学生になる少女・こなこ(深井順子/上西星来 Wキャスト)と少年・ユキユキ(森下亮/土屋神葉Wキャスト)が空想世界を旅する様子と、各々の母との交わりを描いた作品。劇空間いっぱいに広がるカラフルな公園のセットの中で、公園という場所が、時に語らいの所となり、空想の遊び場となり、酔い覚ましの場所となり、母と子が過ごす場所となる。舞台上、セットチェンジは無く、ふたりのキャストはセットと好対照なシックな衣装を纏い、衣装替えも無い。そのシンプルな設定の中、観客の目の前で、時間や空間がめくるめく移り変わりを遂げながら、ふたりの男女の子ども時代から熟年期までの半生をリアルに描いてゆく。また、この作品では、キャストが互いの母を演ずる、つまり男性も母親役を演ずる、という性別、年齢を超えた表現方法が、大きな特徴であり、魅力となっている深井順子は、屈託無いこなこの少女性を自然に体現し、伸びやかに空間を操りながら、少女から大人の女性まで演じ切る。森下亮は、こなこの母の溢れる母性を、軽やかに演じ、唯一無二の母親像を生み出している。土屋神葉は、豊かな表情、通りの良い声、感情の発露で、内包するエネルギーを熱く放ち、ユキユキの少年性とこなこの母を瑞々しく演じる。上西星来は、可憐な美しさの一方で、少女になり母になり飲み屋のママにもなる様々な顔を、一本芯の通った芝居でしっかり演じ、存在感を見せる。この作品は、キャストの深井順子の母親が亡くなったことを機に、FUKAIPRODUCE羽衣の劇団公演として2018年に糸井幸之介が書き下ろした、深井と母のエピソードも随所に散りばめられた私小説的な要素もある作品だが、誰しもが自分の心と会話をしながら、いつのまにか見入ってしまう、普遍的で、壮大な、心に迫る作品である。全く個性の異なる俳優達が、歌と芝居で紡ぎ出す、無限の可能性を楽しみながら、夜の闇の中で繰り広げられる時空旅行に身を浸したい。公演は、2月13日(木)~19日(水)、CBGKシブゲキ!!にて上演中。ぴあでは当日引換券を各公演前日23:59まで発売中。
2020年02月14日2018年、FUKAIPRODUCE羽衣が上演した二人芝居『春母夏母秋母冬母』。母と子の関係を描いた今作は、初演時「FUKAIPRODUCE羽衣の新たな代表作」とも言われ、大きな反響を呼んだ。この作品に惚れ込んだCBGKシブゲキ!!のラブコールに応えるかたちで、2月13日(木)より再演が行われる。オリジナルキャストである深井順子、森下亮のふたりに加え、声優でもある土屋神葉、東京パフォーマンスドールの上西星来が参加。オリジナルのふたり、新しいふたりのペアだけでなく、深井と土屋、森下と上西の組み合わせもあり、じつに4バージョンの『春母夏母秋母冬母』が上演されることとなる。舞台は、夜中の公園で中学生カップルが遊ぶシーンからスタートする。公園に置かれた遊具は夢で見る景色のように、非現実的にぐにゃぐにゃとしている。ふたりの男女はそれぞれ、自分と母との物語を紡ぎながら、14歳から40歳までを自在に行き来する。自らの作品を妙なミュージカル、「妙ージカル」と称するFUKAIPRODUCE羽衣。ふだんは性愛の部分もたっぷり描くことが多いが、今作では母子の愛が中心。あたたかく優しい、けれど決してそれだけではない母という存在……。観ていくうちに、自然と観客が自分の母についてあらためて考えるような作品だ。また、劇中では作・演出の糸井幸之介がつくるオリジナルの楽曲がいくつも披露される。彼の曲はいつも、孤独な気持ちにひっそりと寄り添ってくれるようなメロディと歌詞で、胸を打つ。初演は、主宰である深井順子の40歳記念公演と銘打たれていた。糸井も森下も、深井と同じ77年生まれ。あのとき3人が作り上げた舞台が、共に96年生まれの若いふたりの息吹を得て、再び立ち上がろうとしている。CBGKシブゲキ!!presents『春母夏母秋母冬母』は、2月13日(木)から19日(水)まで東京・CBGKシブゲキ!!にて上演。文:釣木文恵
2020年02月11日1組の男女が時を超え、性別も超えて織りなす舞台『春母夏母秋母冬母』が2月13日(木)からCBGKシブゲキ!!(東京都渋谷区)で上演される。FUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介が作・演出・音楽を手がけ、オリジナルキャストの森下亮(クロムモリブデン)と深井順子(FUKAIPRODUCE羽衣)に加え、土屋神葉(劇団ひまわり)と上西星来(東京パフォーマンスドール)が本作に初挑戦する。登場するのは、深夜の公園で遊ぶ「こなこ」と「ユキユキ」の中学生カップル。そのシーンの中に、こなこと母、ユキユキとママの、幼年期・思春期・壮年期の物語が挟み込まれ、それぞれの「母」との関係性が描かれる。1組の男女が、母と子を自在に演じ分け、こなことユキユキのさまざまな年齢の物語が展開される。2018年5月に吉祥寺シアターで初演。「母」という普遍的テーマや、韻を踏んだ歌詞と耳に残るメロディ、詩的な世界観が評価され、今回の再演に至った。オリジナルキャスト同士、新キャスト同士、そして新旧キャストが入り混じる公演と、計4パターンでの上演が予定されている。初日まで2週間ほどとなった1月下旬、都内で行われている稽古を見学した。この日、行われていたのは、中学生になったこなこと母のシーン。母の帰りを待ちながらどこか寂しさを感じるこなこと、酔っ払いながら一人本音を漏らす母を描く場面だ。糸井の作品は、ミュージカルならぬ「妙ージカル」と称される、芝居と歌を融合させた独特な作風が特徴。どんな稽古をしているのか想像がつかなかったのだが、細かく場面を区切りながら、糸井が気になったポイントで、適宜修正点を提示して、再度芝居をするという、意外とスタンダードな手法をとっていた。キャストの組み合わせを代えて稽古をしていくので、自然と互いの芝居を見合う。40代のオリジナルキャストの森下と深井が、20代のフレッシュな新キャストの土屋と上西に動線や演技のアドバイスを伝えたり、若手の土屋と上西も自分らしさを出そうと動きやセリフの言い回しを少し変えてみたり。キャストによって演出が大きく変わることはないようだが、それぞれの創意工夫が見られたのが面白かった。初演をご覧になった方も、ご覧になっていない方も、楽しめる舞台になりそうだ。公演は2月19日(水)まで。チケット発売中。取材・文・撮影:五月女菜穂
2020年02月03日1人目は完母で育てた私ですが、2人目はあえて混合育児を選択しました。母乳の出もよかった私がなぜ混合育児を選んだのか? その理由と合わせて、私が感じた母乳と育児用ミルクのメリット・デメリットをお伝えします。 母乳良好で混合育児を選択した理由とは?1人目のときは母乳もよく出ていて、子どももよく飲んでくれていたので、迷わず完母を選択しました。しかし、母乳のみ、育児用ミルクのみのように、どちらかに限定してしまうと、やはりそれぞれにメリットとデメリットがありました。 そこで、2人目は母乳と育児用ミルク、どちらも与えられるようにしようと、混合育児を選択しました。その結果、場所や状況に合わせてどちらかを選択でき、育児の負担やストレスは1人目とはまったく違いました。 母乳育児のメリット・デメリットは?母乳育児は子どもが飲みたいときにすぐ飲ませてあげることができ、荷物も少なく済むので、外出時にはとてもラクです。そしてお金がかからないのでとても経済的だと感じています。 ですが、母乳育児はほかの人が授乳を代わることができません。体調を崩してしまって薬が必要な場合は病院に行き、母乳にも影響のない薬を処方してもらわなくてはならないことが、私にとって一番不便でした。 ミルク育児のメリット・デメリットは?ミルク育児の一番のメリットは、なんと言ってもママ以外の人に授乳を代わってもらえることだと思っています。頻繁におなかが空いてしまう低月齢の時期でも、時間ごとに担当を決めておけば、ママも少し落ち着いて睡眠をとることができます。 しかし、月齢が上がってくると1回の育児用ミルクの消費量も増えてくることから、経済的には負担が大きく、外出先にベビールームがない場合に備えてお湯を常備しておく必要があるため、荷物がかさばってしまうというデメリットも感じました。 母乳・育児用ミルク・混合のどれを選択するのかはママ次第です。私個人としては、ママが楽しく育児できることが赤ちゃんにとっても一番いい選択だと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年01月21日■前回までのあらすじ教育熱心でみんなから「良いお母さん」といわれる私の母。「私のため」と母が思ったことだけはやらせてくれた。でも本当に私がしたかったことは…。》 「良いお母さん」とみんなに言われる母。それなのに不満を持つ私は悪い子? ■父と別居した母。私への要求がエスカレートしていく■母は私に罪悪感を植え付けて、私を支配する母が怒るのは全て私が悪いからだ───・・・ずっとそう思っていました。この日以来禁止されていたスカート。次に履けたのは中学校の制服でした。6年ぶりに履いたスカートは女の子らしくてかわいくて、嬉しかったのを覚えています。言うことを聞かないのは子どものわがまま?言うことを聞かせたいのは親のわがまま?本当にわがままなのはどっち・・・?※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。■本連載が書籍化!オール描き下ろし 『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』 (グラハム子著/KADOKAWA 1210円(税込))ウーマンエキサイトで連載された本作をイチから再構築した作品が書籍化!『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』として発売中です!
2020年01月16日1組の男女が時を超え、性別も超え、織りなす舞台『春母夏母秋母冬母』が2020年2月13日(木)から渋谷・CBGKシブゲキ!!で上演される。FUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介が作・演出・音楽を手がけ、土屋神葉(劇団ひまわり)と上西星来(東京パフォーマンスドール)が本作に初挑戦することとなった。【チケット情報はこちら】登場するのは、深夜の公園で遊ぶ「こなこ」と「ユキユキ」の中学生カップル。そのシーンの中に、こなこと母、ユキユキとママの、幼年期・思春期・壮年期の物語が挟み込まれ、それぞれの「母」との関係性が描かれる。1組の男女が、母と子を自在に演じ分け、こなことユキユキの様々な年齢の物語が展開される音楽劇だ。本作は2018年5月に吉祥寺シアターで初演されたが、早くも再演が決定。詩的な世界観で描く、「母」という普遍的テーマや、韻を踏んだ歌詞と耳に残るメロディが高く評価された。糸井自身も初演で手応えを感じたようで、「非常にしっくりと、しかも楽しく作ることができた、大切な作品です」と語っている。出演にあたって、上西は「2人芝居は初挑戦で、どんな風になるのか想像がつかない。いろいろなことに挑戦して、殻をどんどん破っていないとダメだなと心に決めました」と話す。また、土屋は「新しいことばかりで自分がどれだけできるのか分からないけれど、再演ということで、(オリジナルキャストの)先輩方が土壌を作って下さっている。その中からヒントを得つつ、自分なりに面白い作品にできたらなとワクワクしています」と意気込む。今回は、土屋と上西のほか、オリジナルキャストの深井順子(FUKAIPRODUCE羽衣)と森下亮(クロムモリブデン)の出演も決まっている。新キャスト同士、オリジナルキャスト同士、そして新旧キャストが入り混じる公演と、計4パターンでの上演が予定される。40代のオリジナルキャストと、20代のフレッシュな新キャスト。年齢差によってどのように作品が変化するのかも、見どころのひとつになりそうだ。糸井は「みんな“お母さん”から生まれてきた。母のことを思い出したり、反対に自分の子どものことを思ったり、優しい気持ちになれる作品。初演をご覧になった方でも、初めてご覧になる方にも楽しんでいただけると思います」と作品をPRした。チケットは発売中。取材・文・撮影:五月女菜穂
2019年12月26日ファッションとしての着物を提案する「キモノ バイ ナデシコ(KIMONO by NADESHIKO)」から、洗えるフォーマル着物「わたしの、よそいき」「わたしの、ふりそで」が登場。2019年12月6日(金)に発売される。気軽に“洗える”フォーマル着物&振袖結婚式のお呼ばれや成人式、各種パーティーといった特別な“ハレの日”に、着物のお洒落を気軽に。そんな思いで開発された「わたしの、よそいき」と「わたしの、ふりそで」の2つの新シリーズは、現代を生きる女性に向けた“洗える”フォーマル着物だ。フォーマルシーンに合う伝統柄手入れが簡単なポリエステルを素材に採用した同シリーズは、現在のフォーマルシーンに合わせて、100年以上前に完成された伝統的な柄付けを、シンプルながら品のあるクラシカルな色柄で提案。そんな伝統ある柄でも自分らしい着こなしが楽しめるよう、合わせる帯やコーディネートアイテムが豊富に用意されている。国内生産・国内縫製ながら手に取りやすい価格に価格は「わたしの、よそいき」のセットアップきものが59,000円+税、セットアップ帯が17,900円+税。「わたしの、ふりそで」の洗えるふりそでが40,550円+税〜、正絹西陣帯が39,000円+税〜と、いずれも国内生産・国内縫製ながら手に取りやすい価格に抑えられているのも嬉しいポイント。代わり映えしないドレスの代わりに、気軽に購入出来るシックな和装を選択肢に加えてみてはいかがだろう。商品情報キモノ バイ ナデシコ「わたしの、よそいき」「わたしの、ふりそで」発売日:2019年12月6日(金)価格:・「わたしの、よそいき」セットアップきもの 59,000円+税(マイサイズお仕立て付き)セットアップ帯 17,900円+税・「わたしの、ふりそで」洗えるふりそで 40,550円+税〜(マイサイズお仕立て付き)正絹西陣帯 39,000円+税〜
2019年12月06日まわりのママ友から「3人目を迷っていて…」と相談を受けることがあります。ひとりでも2人でも大変な育児。3人目となると、「母の体力と精神力がもたない!」と、私も思っていました。しかし3人目を生んでみると、子ども2人だったときよりも育児ストレスが減ったように感じます。今回は8歳・5歳・1歳の子どもの母である私から、「子どもが3人になって、育児ストレスが減ったと感じる3つの理由」をお伝えします。1:いい意味で「育児に完璧を求めなくなった」子どもが早く欲しかった私にとって、結婚4年目にできたひとり目の子どもは念願叶った瞬間でした。育児書を読んでは、できる限りそれに近づけるように努力し、子どもを「きちんと」育てようと奮闘。しかし、がんばり過ぎて疲れ果て、泣いてばかりの日が続いたこともありました。それから2年半後に2人目を授かり、上手に息抜きしたり、自分が楽しむ方法も覚えました。それでも子どもをきちんと育てたいという思いは変わらず、振り返ってみると、無理をしていたことも多かったです。さらに3年半後、3人目に恵まれました。直後に引っ越しによる環境の変化、第2子の赤ちゃん返りなどで、私の疲労はピークに。そこで気づいたのです。「大人の数が足りない!」と。子どもは3人なのに、大人は2人。大人の数のほうが少ないのに、子ども全員きちんと育てるなんてできっこない!と開き直った瞬間でした。それだけで、心がフッと軽くなりました。「親はなくとも子は育つ!勝手に育ってくれ!」と、育児に対する姿勢がガラリと変わりました。たとえば、遊んだあとは片づけする習慣がつくようにと一緒に片づけをしていましたが、それができなかったところで死ぬわけでもないし…と後回しにすることも。もちろん片づけできているほうが、部屋がきれいになって気分もいいのですが、子ども達が動かないことにイライラしたり、下の子の世話をしながら片づけをするのは大変でしたから、たまにはいいかと放置できるようになったのは大きな変化です。今では、この「完璧を求めない」姿勢は、決して間違いではないと思うようになりました。私が頑張ることで疲れたり、イライラしていることは、子どもにもいい影響を及ぼすわけはなく、また3人目ができるまでは「子どものため」と先回りしてしまうことも多かったように感じます。今では、これくらいの心もちのほうが子どもの成長にいいのではないかと思っています。2:子ども達を頼りやすくなった3人目が生まれる前、当時5歳と3歳の子どもたちに簡単なお手伝いをしてもらうことはありましたが、あとで親がやり直しをしたり、事実上手伝いと言っても、その習慣をつけるためだけのものに終わっていました。しかし3人目が生まれると、「大人が足りないのだから、子どももできることをやるべき!」と、本格的に子どもも戦力に加えることにしました。たとえば授乳中やオムツ替え中に宅配便がきたときには、子どもに受け取りをお願いするように。また、朝起きて洗濯物の山を見るのはイヤだったので、子どもに畳んでもらうようにしました。しかし現在5歳の長女がきれいに畳む一方で、8歳の長男が畳んだものは、本当に畳んだのか疑問に思うほどの仕上がり。しかし畳み直す余裕もないため、手を加えることもしなくなりました。そのうちもう少しマシになるだろう…と期待しています。子ども達にいろいろと頼むことで、本当にラクになりました。今は上の2人が毎月月替わりで1つの当番を決めて、毎日動いてくれます。今月の日課は、息子がお風呂掃除、娘がトイレ掃除です。特にお風呂掃除は、朝のバタバタする時間のなかやっていた家事の1つなので、息子に任せることで私の負担は激減です。もちろん子どもたちにとってもスキルアップとなり、いいことづくしです!3:3人目の世話をするのは上の2人長男も長女も、小さい子が大好き。第3子の授乳やオムツ替えなど、大人がしなければならないことはありますが、グズったときなどに上の子2人があやしてくれるなど大活躍。また何か危険があるときには、すぐに知らせてくれます。1歳を過ぎて歩けるようになると、もう立派な遊び仲間。「やっぱり子どもは子ども同士が一番だな」と前向きに放置しています。3人の世話をするなんて大変だと思っていましたが、実際には子どもが増えたことで子どもだけの時間が増え、親の負担は意外と増えないものだと感じました。3人目ができて思うことは、自分が人間として成長したなということ。どちらかというと神経質だった私が、さまざまな場面で「ま、いっか」と大らかに物事をとらえられるようになりました。子どもが増え、物理的に大変だと思うことはありますが、トータルで考えると育児ストレスは減り、にぎやかな3人の子どもたちと毎日楽しく過ごせています。<文・写真:ライター沖田かへ>
2019年10月24日こんにちは、ねここあんな。です!今回はまたまた前回の続き、私と母の「友人のような関係」第3弾です!▼私と母の“友人のような関係” 前回までのお話 「まずい! 母の地雷を踏んでしまった? ~ 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(1)~」 「もう頼らない! 私が母と衝突して出した悲しい決断 ~ 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(2)~」 ■お互いに我慢して言えなかった本音再び地雷を踏んでしまったことで私の中の本音もぶつけました。今までの私は母に対して、言いたいことを言おうとすると何となく我慢してしまう傾向がありました。たぶん言った後の反応を勝手に考えて、余計にややこしくなるのを避けたかったのです。自分が黙っていればこの場がいつか落ち着く、そう思っていました。翌朝、母からメールが届いていました。内容は長文でしたが、こんな感じでした。正直なところ、母は「家に着くのが2時間早まったこと」に対しての怒りはなかったのだそう。それはただの口実で、本当は以前から疲れていたというのです。というのも、実は私たちの知らないところで母はいろいろ気遣ってくれていたのでした。言いたいことを言おうとすると何となく我慢してしまう傾向があるのは、母も同じでした。母の「掃除をしたい」と強く思う気持ちの裏側にはこんな理由があったのでした。■初めて明かされた母のトラウマと、私たちへの想いそれは私の兄がまだ赤ちゃんだった頃…あのトラウマは孫の代にまで続けてはいけない。そう思って私たちが遊びに来るときは、私たちの想像を超えるほどの掃除をしてくれていたんだそうです。全ては現在飼っている猫ちゃんの毛から、孫のきっくんを守るためでした。ちなみに「それなら猫を飼うな」という声が聞こえてきそうですが、うちは兄が大きくなるまではペット禁止! の家でした。だけど兄が中学生になり、部活動も始めだいぶ体力がついてきたころに親のいない子猫を母が見つけ…兄の部屋だけ出入り禁止で飼い始めたのです。母は部屋の掃除と「兄の部屋に猫を入れない」ということは徹底しており、兄が実家にいた頃もひどい発作が出ることはありませんでした。そんな努力も知らず…夫と私の父は仲が良く、私たちが泊まったあの夜、家に帰ってからも話に夢中になっていました。母は普段から、娘の夫の気配りなどに大変感謝していることもあり、その場では言えなかったそう。しかもこの数時間後に、私も外から帰ってきてホコリなどを家に入れてしまうのでした。…そんな私たちの行動に限界を感じていた母。「せっかくキレイにしたのに」「めちゃくちゃにされる」とまで思わせてしまっていた原因は、こういった私たちの無神経さでした。自分たちが原因を作ってきたことをやっと自覚した私たち。心から反省し、そして、母に謝りました。■母の想いを知り、あらためて見つめ直した私と母の関係お互いがより良く過ごすためにも、もっと話し合わないといけませんでした。そこで私たちはいくつかルールを決めました。結局話し合いが足りなかったのが一番のトラブルの原因だったと思います。そして私自身「甘えられない」と感じていながらも、実はたくさん甘えていたことに気づかされました。・友人のような関係を築いたつもりでも、親はいつまでも「我が子」と思い心配する。・家族と言えど、話し合わなくちゃ思っていることは伝わらない。・親であっても、ある程度の線引きはきちんとする。今回、そんなことを考えさせられました。もしかしたら他人よりも難しく、友人よりも悩ましい存在が「親」なのかもしれません。親にとって「子」の存在は、今も昔も変わらず心配の種なんだと思います。だけど、きちんと話し合えば仲直りだってできるし、だれよりも強い味方でもあります。今回は衝突したおかげで、伝えたいことも言い合うことができ、より良い親子の関係を作ることができました!「喧嘩するほど仲が良い」という言葉は、親子にも適した言葉なのかもしれません。最後におまけの一枚。ということで番外編として「ばあば」という存在に焦点を当てて、次回描きたいと思います!
2019年10月23日ウーマンエキサイトのみなさん、こんにちは! ねここあんな。です。私と母の「友人のような親子関係」について、 前回 の続きです!【 前回 のお話】母と私の“友人のような関係”に今夏、トラブルが発生。実家に親子3人で泊まりに行った1週間後、再び泊まりに行きたい旨を連絡すると、母は「いいかげんにして!」と言うのでした…。■あらためて知った母が私のことを心配する気持ち同窓会のときの一泊から一週間、「また泊まらせてもらいたい」と申し出た私に母はこう返すのでした。前回の同窓会で、私は久しぶりの飲み会に羽目を外し、母に連絡を入れずに帰ったのでした。でもそれは若い頃から「連絡を入れなくても気にしない家庭だったから」。出発前に、「一次会で戻るね」と言っていた私。本当に一次会だけの参加だったのですが、会場を移動しなかっただけで同じお店で長めに飲んでいたのですよね。いつもなら息子が心配で何度も携帯を確認するのですが、その日は実家のみんなと外食に出かけていたし、夫も母もいるので安心していました。頼りすぎていたことを、あらためて反省しました。そのことを謝ろうと翌日連絡を入れると、怒りすぎてしまったことを少し申し訳なさそうに思う母がこう言うのでした。甘えられないのと同じぐらい、「心配されている」という感覚が私にはありませんでした。だから昔から、連絡の必要性を感じていなかったのです。…が、これが母にはかなり疲れる要因だったのです。そんなふうに心配されていたなんて思わず、私は自分が迷惑をかけたことを謝りました。友人のような存在と思っていた母ですが、母にとって私は、いつまでも「子」であったことを再確認させられました。その後、結局は「予定通り泊まってもいいよ」ということで落ち着きました。ちなみに私たちもなぜそうまでして一泊したかったのかというと、次の日に朝早くから東京駅発の高速バスに乗り込みたかったのです。埼玉の家を早くに出るよりも、都内の実家に泊まらせてもらえたら助かるという考えがあったのでした。なので「お風呂やご飯などは一切用意しなくても良いので、ただ一晩寝かせてくれれば大丈夫」と、母に伝えていました。でも、それも今思えば相手には迷惑だったのだと思います。■再び地雷を踏んでしまった! ほつれてしまった母との関係私と母の関係は、一件落着に見えたようなのですが…トラブルが起きた直後だったので少し慎重に動こうと思い、夫婦で家を「出る時間」を話し合いました。話し合いの末、22時出発になったことをメールで伝えておきました。息子きっくんは寝かしつけに時間がかかるため、この時間に出発することは今まで何回かあったのでとくに疑問に思いませんでした。…しかし、このやりとりがキッカケで、母との関係がさらに泥沼化することになるとは思いませんでした。やっちまったと思いました。夫と「ねるじかん」と「でるじかん」で話がかみ合っていなかったのです…。あぁたしかに今思えば、夫との会話がおかしいと思った…あの変な間は、そういうことか。そんな思いが頭をグルグル。このタイミングで予定より2時間早く出発するのは母がどう思うだろうか…。でも夜遅いよりは早く到着したほう方が迷惑は少ないかな? と思い、ドキドキしながら連絡をしてみると…またしても地雷を踏んでしまいましたーーーーー。■もう頼らない! 爆発してしまった私の思いでも、私にも言い分がありました。どうして自分はこんなにも相手の顔色をうかがってるのだろう??とくにこの日はイヤイヤ期真っ盛りの息子に手を焼いていたので、そもそも正確な時間なんて読めなのに…! とやり切れない気持ちがこみ上げ…「料理を用意してくれるわけでもないし」「お風呂だって気を遣って先に家で入ってから出発してるのに」「きっくんに朝から振り回されて、メールひとつ打つのも大変なのに」「子育てをしてきた人がどうしてそこを理解してくれないの?」そんな思いで頭がいっぱいでした。このメールを最後に私は、実家とは距離を置こうと決心しました。「誰かに甘える」ということは、その人の迷惑になる。そう考えてしまうのは、受験や結婚、出産と節目のたびに、今まで何度も母と衝突してきたからでした。頼らないと決めたとたん、心にぽっかり穴が開いたような感覚に…ここまでは、「私サイド」のお話でした。この後、ついに母の胸の内が明かされます。なぜこうも私たちが泊まることで、母の感情が乱されていたのか…そして私たちがたどりついたお互いの反省点についても話したいと思います。長くなりますが、次回に続きます!
2019年10月10日はじめまして!ニタヨメと申します。この度連載をさせて頂くことになりました、どうぞよろしくお願いします。まずはじめにうちの家族の紹介をさせて下さいまずは私、ニタヨメ。関西在住の30代ズボラ主婦です。食べることとお絵かきが好きです。30を過ぎた頃から体重がどんどん増えています。お次は子ども達。長女は2017年生まれの小学6年生。背が高くたまに飛び出す迷言がチャームポイント。真面目な性格で曲がった事が許せない正義感のあるタイプです。(占いみたいなこと言ってしまった)長男は2010年生まれ小学3年生。優しく平和主義でいつもニコニコと笑顔が多い子です。たまにグサッとくる毒舌が出るのですが和やかな雰囲気で言うので中和されています。我が家のアイドル的存在、次女。父母はもちろん、姉兄からもたくさんの愛を注がれ育ったフリーダム娘。ひょうきん者の兄の影響で変顔を取得。最後に我が家の大黒柱、父です。髭フサフサ。初対面は少しとっつきにくく見えますが、意外とかわいいものが好き。佐藤浩市さん似。長女と次女は8歳差、長男と次女は5歳差の年の差きょうだいです。長女も長男も次女のことを可愛がってくれるのですが…しつこすぎて嫌がられることも 笑次女怒りの拒否!でも2人には何も効いてない様子です。これからもおとぼけ家族の日常をお届け出来たらと思いますのでよろしくお願いします!
2019年07月27日こんにちは、ユキミです。3歳の息子に日々振り回されております、母でございます。母になって3年、毎日思うことがあります。それは…とにかくゆっくり座れない…!!子どもがテレビを見ていたり、奇跡的に1人遊びをしているときは「ここぞ!」とばかりに一気に家事をし、何かあるとすぐに呼ばれ、遊び相手に駆り出され、また呼ばれ…、あ、はいはい。ごめんなさい、お茶お茶っと…、うーん。今日のご飯絶対にスプーンいらんメニューなんだけど、ないと気持ち悪いのかな。よし、ついでにフォークもどうぞ。これで…、大丈夫ぅぅぅぅー!!拭けば平気だよ、拭けばーー!!オッケーオッケー息子も私も気にするなぁぁぁー!!濡れた息子を拭き、テーブルを拭き、あぁ…、床にまでこぼれている…。よし、お茶も入れなおしてこれで…よし。すると…、ん!?まだ何かあるのかい!?んもぉぉぉぉぉ!!誰のせぃぃぃぃぃ!?と叫びたくなる気持ちをぐっとこらえ、最後の力を振り絞って母は、「いただきます…」と呟いたのでした。ちなみにこの後の食事中も、「こぼした」「落とした」「これいらない」「トイレ行きたい」など、全く休まらない母…。食べたかどうか、味わう暇もない夕飯。そのくせ目の前の食べ物は全て消えてお腹に入っている…、という切ない状況。なんてこった…。いつになったら私は、「いただきます」から「ごちそうさま」まで座って食事ができるのでしょう…。
2019年07月05日私の上の子が赤ちゃんだったころ、周囲は完全母乳育児だったママ友が多く、母乳とミルクの混合育児だった私は憧れの思いで見ていました。私の周囲に限っていえば、そんな1人目完母だったママ友たちが2人目を妊娠すると、みんな口を揃えて「今度は混合で育てたい」と言うのです。その理由とはいったい何なのでしょうか? 「パパの育児」に影響?ママ友たちに話を聞くと、その理由は「パパの育児」と関係していました。完全母乳だと、おっぱいを飲ませるのはもちろんのこと、その後のゲップ出しも直後にうんちが出たときのおむつ替えも、ついつい流れでママがやることが多かったそうです。 たしかに授乳が済んだらゲップ出しはパパにバトンタッチ……とは、意識していないとなかなかできないかもしれません。 赤ちゃんはおっぱいがないとダメ?また、母乳指導に熱心な産院などでは、母乳育児を軌道に乗せるには「可能な限り頻回授乳を!」と言われることが多いと思います。その影響もあってか、赤ちゃんがグズると、まずは「おっぱいかな?」となり、その習慣が赤ちゃんがある程度大きくなってからも続いてしまったそうです。 同様に寝かしつけのときも、まずはおっぱい。グズったときも寝かせるときも、赤ちゃんはママのおっぱいがないとダメという思い込みができてしまったということでした。 授乳以外は積極的にパパに任せてみてもでも本当なら完全母乳で育てていても、グズったときにあやしたり寝かしつけたりするのはおっぱいがなくても可能な場合もあるはず。保育士さんやベビーシッターさんは、預かった赤ちゃんがグズったときも眠たいときも、おっぱいなしで対応していますよね。時と場合によるかもしれませんが、パパだって慣れないうちは大変かも知れませんが不可能ではないはずです。 赤ちゃんを完全母乳で育てたい! パパには積極的に育児をしてもらいたい!と考えているママさんは、授乳以外のお世話は意識してパパに任せてみるのもいいかもしれませんね。 イラスト:imasaku著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年06月19日「個性を大事に」「向き不向きは人それぞれ」「自分らしく」「自分と他人は違う、違っていて良い」と、子どもに伝えようにも、親自身がそういう状態でなかったとしたら、どのように「みんなちがってみんないい」の素晴らしさを示せばよいのでしょう?■「子どもかわいそう」押し付けにさようなら私も大好きな金子みすゞの詩にこんな一節があります。「みんなちがってみんないい」出典:『わたしと小鳥とすずと』このように語りかけることが「オトナと子ども」の間ではままあると思いますが、これはママやパパにも当てはまることではないでしょうか。現時点で、とくに女性は妊娠や出産を機にこれまでの生き方からガラッと生活を変えざるを得ない方が大半ではないかと思います。親になることは「自ら選択したこと」だとしても、「成長や変化」として受け入れるにはあまりにも環境やシステムの不具合が多く、個人個人が思うような子育てをかなえにくいのが現状ではないでしょうか。また「お母さん」になった途端に、社会から求められる「理想や幻想」も多いと感じます。「お母さんだから」「お母さんなのに」「お母さんじゃなきゃ」…この辺の言い回しはすべて平成以前から脈々と受け継がれてきた「呪い」のように感じます。しかもこれらはたいてい「子どもがかわいそう」という善意(あるいは善意とみせかけた何か)からくる個人的な価値観の押し付けではないかと(もちろん子どもの生命や尊厳に関わる場合はこの限りではありません。その時は第三者だろうが速やかに然るべき機関へ!)。そして厄介なことにこの「呪い」はたいてい言葉のみ、そう「口は出すけど手は出さない(手助けしない)」。 ■「お母さんだから」は博物館の倉庫に!価値観だけ押し付けて、膨大な責任と仕事はすべて「お母さん」に丸投げ…。そんな逃げ場のない育児は、令和に持ち越さず、旧時代の遺物として参考までに博物館の倉庫にでもしまっておけばいい。ママやパパになっても1人の人間であることには変わりはありません。どんな生き方やどんな選択をしても、親になったことを一瞬でも後悔することなく、親になってからも「選択肢を失わない・奪われない」社会であってほしいなと思います。というわけで、昭和生まれ平成育ち現在進行形でドタバタ子育て中の私も、「呪い」をはねのけて、まずは気持ちだけでも「令和ママ」でいこうと思います! 「オープン! マインド」「オープン! リソース」「オープン! アップ」親となり育児をしている限り、ささいなことで、多少なりとも不安に感じたりや悩んだりはつきもの。でもそれを1人で抱え込む必要はありません。■ママが楽することへの批判は受け流そうそんなときは、頼れるものなら「子育てサポート」や「ベビーシッター」などの育児のプロ、「家事代行」などの家事のプロ。そんな各種プロを自分の体調不良や仕事など「止むに止まれぬ事情」だけではなく、「リフレッシュのため」「パートナーとデート」「ひとり静かに過ごしたい」など気軽に頼っていいのではないかと思います。しかし前述したものはお金がかかります。あまりお金をかけず手軽に余暇や息抜きをするなら、パートナーだけでなくおじいちゃんやおばあちゃん・ご近所さんを頼ったり、SNSや動画サービスや各種アプリなどもあります。親だけでなく子どもも楽しく過ごせるなら、活用しない手はないはず!そういったことに、いわゆる「楽をしている」「手抜きだ」という批判にこそ、「キミはキミわたしはわたし」の精神で受け流すのがいいのではないでしょうか。■「キミはキミわたしはわたし」は親子でもそれから、じつはこの句には子育て中のママやパパに対するエールの意味だけではなく「親と子の関係」に対して「キミはキミわたしはわたし」を意識することで、「子どもを尊重する」という意味も込めています。突き放すとか放任主義とか、自分さえよければということではありません。別の人生を歩む他者であるということを認めるからこそ大切な存在として接することができるのではないかと。かけがえのない存在ということに対して「お母さんだから子どもを思うのはあたりまえ」という発想は過去の遺物として倉庫へ…。もちろんこれは子どもに語りかける言葉ではなく、あくまで私自身が子どもに向き合う時に意識しているというだけのことです。子どもから見れば、今のところ私に対する気持ちは「お母さんだから」に他ならないでしょうから。それを否定することはしません。それでも子どもたちが成長していくなかでだんだんと「キミはキミわたしはわたし」という発想を、考え方の一つとして身につけてくれたらという願いはあります。まず相手を他者として認識することで、違う考え方や文化を理解するきっかけにできるのではないかと思うのです。他者とは当然コミュニケーションが必要になります。「人は人、自分は自分なんて当たり前じゃん」と言われそうですが、それをないがしろにしてきたから、さまざまな「ハラスメント」が発生してきたのではないでしょうか。そして、それが平成の後半になって、インターネットやSNSなどの普及により噴出し顕在化したように感じます。「キミはキミわたしはわたし」という考え方は、子どもたちがそれぞれ社会で生きていく上で、自分自身を守り、これから出会うであろう大切な人たちを守るスキルになるのではないかな、とも思うのです。育児に奮闘するママやパパ、これからの社会を生きる子どもたちに送る一句です!\「1人で抱える」は平成でおしまい!/「令和ママ」は「OPEN子育て」主義! 家事も育児も1人で抱え込む時代はもうおしまい! 3つの「OPEN」 をキーワードに、もっとオープンな子育てをしませんか?平成から令和に変わるこの時代の変わり目に、ウーマンエキサイトは「平成」ママを調査結果から振り返り、新しい時代「令和」を生きる新しいママ像を提案します。■令和の時代に期待することを詠む「#令和ママ川柳」も大募集!最優秀賞の方には「令和(=018)」に合わせて賞金18万円を贈呈! さらに100名様以上の方を対象に数々の賞をご用意しています。応募期間は2019年4月23日(火)~2019年6月16日(日)23時59分まで。>>>「#令和ママ川柳」のご応募や詳しい応募要項は こちら から!
2019年06月11日吉高由里子が“残業ゼロ! 定時で帰る!”をモットーに生きるヒロインを演じる「わたし、定時で帰ります。」の3話が4月30日に放送。SNSによる情報漏洩から始まった今回のストーリーに他人事とは思えないという視聴者からの共感の声が相次いで寄せられている。ブラック労働の反動から“定時で帰る”ことを徹底して生きるようになった主人公・東山結衣に吉高さん。結衣の“今カレ”諏訪巧に中丸雄一、“元カレ”種田晃太郎に向井理、結衣の真面目過ぎる同僚・三谷佳菜子にシシド・カフカ、職場復帰した結衣の先輩・賤ヶ岳八重に内田有紀、結衣の部下の新入社員・来栖泰斗に泉澤祐希、結衣たちのブラック上司・福永清次にユースケ・サンタマリアといったキャストでおくる本作。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。巧の実家に挨拶に向かおうとしていた結衣に晃太郎から連絡が。ファイアーストロング社のCM撮影時に撮られたと思われる動画がSNSで拡散され炎上しているという。巧の両親への挨拶をドタキャン、結衣もクライアントに謝罪に向かうことになる。CM撮影現場の様子を来栖がスマホで撮っていたことを思い出し、結衣は何度も来栖に電話を掛けるが連絡が取れない。来栖は翌朝何事もなかったかのように出社、来栖は仲間内に流した動画が流出したもので自分も被害者だと主張。種田らが咎めると来栖は「じゃあ辞めます」と辞表を提出、会社を飛び出してしまい、結衣は「私、人を育てるの向いてない」と悩む…というのが今回のストーリー。新人社員がSNSに情報を流出して炎上…他人事とは思えない展開に「ほんとに意識低すぎるわやめればいいってもんじゃない」「実際にああいう態度の子の教育係をやったけど、本当に無理」など怒りの声から「新人ディスりが凄くて耳が痛い」「ちょっと耳が痛いというか。自分を見てる感じ」など来栖に共感する声、さらに「見てると採用担当の僕は胃が痛くなります」など自分の立場に置き換えて見た声まで様々な意見が。また“炎上事件”の原因となった来栖役の泉澤さんは朝ドラ「ひよっこ」や大河ドラマ「西郷どん」、『マスカレード・ホテル』などへの出演で注目される期待の若手俳優。わたし、定時で帰ります。今日は第3話、来栖やっちゃってます。これを見て令和を迎えて下さいませ。お見逃しなく!#わた定 pic.twitter.com/NmDJ7VMTr2— 泉澤祐希 (@xxxyukikixxx) 2019年4月30日泉澤さんにも「本当に幅広い演技ができる俳優さん」「泉澤祐希くんが見れることは嬉しい。癒やされる」「面白い役者になりそう」など今後の活躍に期待を寄せる反応も多数寄せられている。(笠緒)
2019年04月30日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。授乳、それは母子を物理的に、また精神的にも繋げている大切な関わり。だからこそ卒乳、断乳って、ものすごく苦労するイメージがありました。いや実際、高熱が出たり何日も共に泣き明かす夜があったり…と本当に大変な思いをされている方も多いと思います。普段の連載では、読んでくださっただれかの役に立つ情報になるように…と考えているつもりです。が、今回に限ってはワタシの体験談は正直、なんの役にも立たないかもしれません…。ただこんなパターンもあるよ、というちょっぴり寂しいお話です。ありがたいことに、ワタシの母乳は需要と供給のバランスが合っていたようで、だいたい子どもの離乳食が進み、上の歯が出てくる8~10ヶ月くらいの間に急激に作られる量が減ってきます。現在三男はまだ下の歯だけなんですが、おっぱいも既に役目は終えた自覚があるようです。そのためなのか…我が家は上2人については自分から勝手に卒乳していったというか…見放されたというか…母乳は1歳になるまでは飲ませたいと思っていたワタシ。でもその頃すでに寝かしつけ時にしか飲んでいなかった長男。なんと1歳直前(正月生まれ)の大晦日にあっさり授乳無しで寝られてしまい、ワタシは除夜の鐘で魔法が解けたシンデレラ状態。つまり…みるみるうちにしぼむ乳。食べた分だけ肉がつく腹と肌荒れ…ホルモンバランスってすごいですね! 1日1回でも授乳していると体調や肌質も全然違いました。そして、第一子だったこともあり、卒乳は日を決めてちゃんとお別れをしたい…という熱量もあったのですが…アタシの方が、重かったみたい…(笑涙)翌日以降も長男がおっぱいを求めてくることはなく、毎食のご飯を美味しそうに食べていました。自分が嬉しそうに吸い付いていた母乳の存在なんてきれいさっぱり忘れられ、あっけなさすぎてだいぶ落ち込んだのを覚えています。だから次男には今度こそ1歳まであげて、ちゃんとお別れしよう!と決意を新たにしたのですが…生まれたてからすごい吸引力でゴッキュゴッキュ飲んでいた次男。ワタシが次から次へと高カロリーおやつを食べまくっても追いつけないほどの勢いで母の体から栄養分を吸い取っていたためか…あっという間に母乳は底をつき(?)やっぱり8ヶ月の頃には、一応待てば出るんだけどすぐには出ない…なんなら2、3分は待ってもらわないとツーンとしてこない、という状態になり、食いしん坊次男はイライラ。吸っても出てこないおっぱいをバシバシ叩いたり大泣きしたりされ、ワタシも焦るものの焦ってもどうにかなるわけではなく。食べることに興味もポテンシャルも高かった次男は、あっという間に母乳を欲しがらなくなり、当たり前のように一人前の食事をとるようになっていきました(笑涙)そしてそして今。三男は11ヶ月です。次男とは裏腹に細身で全然体重も増えないんですが、これまた食に対する意欲がすごい!痩せの大食い状態で、一体この小さい体のどこに入っていくのかと思うほどの量を食べます。はい、またしても母乳量は激減し、日中欲しがることもありません。こうやってもうすぐ、三男もあっさりと食事に連れられて卒乳していくことでしょう。3人完母で育ててわかったこと。少なくともうちの子たちに関しては、ワタシのおっぱい…本当に『THE☆食料』としか認識されていない…!!!!!よく母乳は精神安定剤にもなっているというじゃないですか。食事が普通に食べられるようになっても、ママとのスキンシップタイムとして飲んでいるとか。もちろんそんな方の断乳話を聞くと本当に大変そうで、こんなこと言ったら不謹慎かも…って分かってます!でもやっぱり…ちょっと羨ましい。その相思相愛な様子、憧れてしまう。こき使われて疲れ果て役目を終えたのに我が家の男子は誰も労ってくれないワタシのおっぱいさん、せめてリスペクトしてほしい…ということで、最近小学生もいる我が家でよく繰り広げられる「う◯こ」「ち◯こ」系下品な言葉ラインナップの中に「おっぱい」を含めようもんなら欠かさずカミナリ落としております。それが功を奏したのか?先日長男が同級生男子と遊んでいていつも通りふざけ始め、お友達が「おっぱい」と言った瞬間、長男が間髪入れずに「あ、おっぱいの悪口は言っちゃダメ!」と制していました(笑)キョトンとしているお友達に、「だって僕たちはおっぱいやミルクが無かったらこんなに大きくなれてないでしょ、だから…」と母の完コピで説明している姿がちょっぴり微笑ましくもありつつ、恩着せがましく言いすぎたことを反省した母なのでした。
2019年04月17日子育て真っ最中に迎えた実の母親の死、そんなときにどうやって自分の生活を続けていけばいいのでしょうか。母親が亡くなってつらいけれども、子どもとの日常はとめどなくやってきます。昨年出版された 『さよならわたしのおかあさん』 。前回の記事、 「“母は助けてくれてあたり前”と信じてた『さよならわたしのおかあさん』(前編)」 では、作者・吉川景都(よしかわ けいと)さんに、母親との日々や亡くなった後の生活について教えていただきました。今回は4歳になった娘のえっちゃんとの日々や、将来目指したい親子像などについて吉川景都さんに話を伺いました。■母の死と娘の誕生はセットで考える――おかあさんが闘病している中でのえっちゃんの誕生は、大変なこともあったのかなと思うのですが…。おかあさんがしんどい時期に自分もしんどくてダブルパンチのように感じることもありました。ただ、新しい命の誕生というのはあきらかにいいことで、おかあさんもそのときはすごく喜んでくれたし、私も子どもに対して親がこう思うんだっていうのを、おかあさんがいるうちに感じられて、すごくよかったですね。――なるほど、同時にあったことにも意味があるということなんですね。「おかあさんの死」と「えっちゃんの誕生」は、私の中ではセットになっているんです。娘が生まれてきてくれて、そこの開いたドアにおかあさんが入っていった。向こう側に行ったおかあさんは新しく生まれてきたえっちゃんのことを見守っていてくれているんだなと捉えています。■子どもと向き合う自分の中に見る「おかあさん」――今、えっちゃんを育てるなかで、おかあさんの存在を感じることはありますか。自分自身がえっちゃんに対して言うこととかやることが、ほぼおかあさんのままみたいなんですよね。「これ、言われたことある!」って言ってから思い出すこともよくあって。この間、えっちゃんとお菓子作りをしたんですけど、もうずいぶん作っていなかったのに、基礎の動きを体が覚えていたんです。おかあさんが教えてくれたことが、ポンって出てきた。きっと、自分の中にはまだ思い出し切れていないことがあって、これからどんどん思い出していける。すごく心強くて、ここまで育ててもらったから、これからも育てていけるんだって感じています。――「自分が生きていること自体が、お母さんの形見」というあとがきの言葉が印象的です。子育ての中で、子どもと付き合い向き合っているうちに、母の考え方とか教えてくれたことが、自分の中にあるなって何回も思いました。そういう経験が積み重なると、「おかあさんって消えていないな」って実感ができますよね。姉妹と話していても、「おかあさんだったらこうするだろうな」って想像できる。それってもう「いなくてもいる」っていうのと一緒だなって思います。――えっちゃんは、おかあさんのこと覚えているんですか。きっと本人は覚えていないと思うんですけど、たまに気を使って、こっちに話題を振ってくれるんですよね(笑)。あとは、最近「天国ってどこにあるの?」とか、急に聞いてくるときとかあって、「お空の上だよ。いつも見ているんだよ」と言っています。■家族の闘病と子育ての両立――おかあさんの闘病と子育てを両立するのは大変だったと思います。どうやって乗り切ってきたのでしょうか。がんばりすぎないことは大切だと思います。私自身も、おかあさんが小康状態のときに、自分の仕事を進めたり子どもを保育園に行かせたりと、日常に戻る時間を確保していました。おかあさんがいなくなったあとも生活は続く、だからこそ、自分自身や子どもの生活を端の方でちゃんと維持しつつ、そこに戻れるようにしておくことは大切だと思います。――ホスピスで最期を過ごしたからこそ、きっとそうした無理のないみとりができたのでしょうね。おかあさんは、体調の波があったときすぐに相談できる場所にいたい、家にいるとみんなに迷惑かけるから嫌だと言って、ホスピスに入りました。入院したとき、本人は晴ればれとした顔をしていて、「もうこれで大丈夫だ」と思ったんだと思うんです。無理に自分たちがなんとかしなきゃって思わないほうがいいと思うし、思う必要はないと思います。■母から受け継いだもの、自分なりに作る娘との関係――どういう親子関係を目指していきたいのか、吉川さんなりにどう考えているのでしょうか。私はおかあさんに何でも話してきたので、えっちゃんにとってもできれば、私が一番の相談相手でありたいし、友だちや恋人ができたりしても、最後は「お母さんがいるからね」って言える存在でありたい。おかあさんにしてもらったように、ベッタリするのではなくうまくサポートしていってあげられたらいいなと思います。――ほかにおかあさんのようになりたいと思うところはありますか。私は心配性なので、つい先回りしていろいろと心配してしまうんです。でも、おかあさんは私が「芝居がやりたい」とか「音楽がやりたい」と言ったとき、いつもまずは「やってみれば」と言ってくれました。だから、私も将来えっちゃんのことをあまり心配しすぎずに見守りたいですね。たとえ「ユーチューバーになりたい」とか言われても(笑)。本人に任せて、もし失敗しちゃったときは受け止めてあげたいです。――おかあさんが弱音を吐かなかった、そうした姿も目標になりそうですよね。おかあさんがまったくつらい面を見せなかったというのは立派だと思うし、自分もそうありたいと思うけれど、とてもできないなあと。いまとなっては、もっと弱音を言ってほしかったという思いもあるし、自分だったらもうちょっと弱音を言っちゃうと思いますね。そういうところを、おかあさんの要素も入れつつ自分なりの母親になっていきたいです。ただ、本当に自分がそういう風になったら「お母さんは大丈夫だよ」って言っちゃうのかもしれないですけどね(笑)。■「命のバトンをつないでいく」吉川さんのメッセージインタビューでは、吉川さんが言葉ひとつひとつを丁寧に選びながら話をしてくださり、おかあさんとえっちゃんを大切にする思いが伝わってきました。そして、まさに子育てとは「命のバトンをつないでいく」ことなのだと、書籍とインタビューをとおして強く実感しています。筆者自身も2年半前に実の母親を大腸がんで亡くし、喪失感がなかなか埋められずにいました。そんなときにこの本に出会って、心のささくれていた部分にそのメッセージが染みこんできました。母親から私に確実に命のバトンは受けつがれていて、きっと次は自分がそれを子どもに渡す番なのだと感じています。おそらく書籍を読み終えると、「お母さん」のことを深く知りたい、どう思っているのか感じたいと願うのではないかと思います。親、自分、子ども、そのずっとつないでいく命のバトンのなかに、何を込めていけばいいのか。そんなことを考える機会となりそうです。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))■吉川景都(よしかわ・けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo
2019年04月10日子育てする中で実の母親というのは、お手本ともなり、頼れる存在ともなりえます。そんな母親がもし死を迎えることになったら、娘である自分たちはどうすればいいのでしょうか。漫画家の吉川景都(よしかわ けいと)さんは、昨年肝臓がんを患い母親との別れをつづったコミックエッセイ 『さよならわたしのおかあさん』 を出版されました。いつも笑顔で冗談を言い続けたおかあさんとの日々や、3年間の闘病、そして亡くなった後の生活について描かれた作品は、連載中からSNSでも話題を集め、出版後も多くの反響を呼んでいます。母親と過ごした日々や、別れの乗り越え方などについて、吉川景都さんに話を伺いました。吉川景都(よしかわ けいと)さん神奈川県出身。漫画家。2003年少女誌「LaLa」でデビュー。『24時間サンシャイン!』で初の単行本を上梓。多岐に渡る作風が特徴的で、テンポのいい会話でみせるストーリー、エッセイコミックなどで人気を博す。著書に『片桐くん家に猫がいる』『子育てビフォーアフター』(新潮社)、『モズ』シリーズ(集英社クリエイティブ)、『鬼を飼う』(少年画報社)などがある。Twitterアカウント: @keitoyo ■一番の相談相手のおかあさんが病気になったとき――吉川さんとおかあさんはどんな関係性だったのですか?私は3姉妹の真ん中なのですが、将来やりたいことを見つけるまでにも時間がかかったので、姉妹の中でも一番心配をかけたんじゃないかと思います。でも、どんなときもおかあさんは「しょうがないよ、まあ、やってみたら?」と言って受けとめて、伴走してくれました。私にとっても、一番の相談相手はおかあさんでしたね。――ガンだとわかったとき、おかあさんはどんな様子でしたか。おかあさんはC型肝炎からガンに進行したのですが、それがわかったときに送られてきたメールは、いつもどおりの絵文字が盛りだくさんの、おもしろいメールでした。私は驚いて、すぐに電話でわーって泣きながら、「どうするの、ガンなんて!?」と、言ってしまって。おかあさんは「いまは治る病気だし、大丈夫」と言ってくれた。ただ、母が亡くなったあとで、父から「病気がわかったときは、おかあさんは泣いて『どうしよう』と言っていたんだ」と聞きました。――あくまでも母親として心配をかけまいとしたんですね。私は、おかあさんの不安を聞いてあげようって気持ちよりも先に、自分がおかあさんを失う不安を取り除きたい気持ちが来てしまいました。「おかあさんはまあ治るだろう」と、現実感がなくて。同時に私は不妊治療をしていたので、「急がなきゃ!」という焦る気持ちが急に湧きあがってきました。■おかあさんのガンがわかってから迎えた妊娠と出産――産前に里帰りしたときは、どんな気持ちでしたか。出産は自分にとって、思っていたよりも前代未聞なことで自分の生活が根底から変わることへの不安がすごく大きかったんです。自分だけがその立場に立たされていて、こんなに大変なんだと思ったら、今まで築きあげてきた「大人っぽい自分」という外側がなくなって、わがままな自分が出てきました。そのときにおかあさんがちょうど病気で、甘えるに甘えられない、不安な気持ちもぶつけるにぶつけられないと感じた時期でしたね。――お互いにつらかったでしょうね…産後はどうでしたか。産後1~2ヶ月で仕事を再開したのでいっぱいいっぱいで、同時におかあさんの病状がだんだん悪くなっていって。おかあさんの状態を受け入れられない自分と初めての子育てで大変な自分というのがごちゃごちゃになっていて、余裕がありませんでした。「その時期もっと実家に帰ればよかった」って今は思うけど、当時はそれどころじゃなかったですね…。■みんな後悔を抱えながら生きていく――最期の日々、おかあさんはどんな様子でしたか。ホスピスに入ってからも、私たちにはつらい表情はほとんど見せなかったです。ただ、一度だけ「くるしい」って電話を掛けてきたことがあって、よっぽどやりきれなかったんだろうって思います。大急ぎで病室に行ったら、やっぱりまたいつも通り「大丈夫。さっきはごめんね」って言うんですよね。――おかあさんとの最期の日々について、今思うことはありますか。私は実家から少し距離があったところで暮らしていたので、「もっと会いに行けばよかった」という思いは、亡くなってからずっとありました。ただ、後悔って家族全員に何かしらあって、一番近くにいた父も、姉や妹たちもそれぞれ「もっとできることがあった」と思っているんですよね。そう考えてみると、「全部やりきったぞ」と言って終われることなんてないんだろうなとは感じています。みんなある程度の後悔を抱えながら生きていくのかなって。■母との別れは、生のままの傷が残っていてほしい――おかあさんが亡くなってから、どれくらいで気持ちに区切りがつきましたか。まずお葬式が終わったときに、おかあさんとの間にある扉が閉まった感じはしました。さらに、亡くなってから1年くらいしてから、母の地元の大分県に分骨に行ったのですが、その道中が家族旅行みたいで。母はいないけど、家族としての形をなんとか保っていけると感じられて、少し気持ちに区切りがついたように思います。あと、私にとっては『さよならわたしのおかあさん』を描いたことがすごく大きかったですね。――読者からの反応はどうでしたか。同じ経験をした方から、「同じような気持ちだった」、「書いてもらえてよかった」と言ってもらえることがあって、描いてよかったなと思いましたね。あとは、「この本を読んで、今日母親に電話しました」とか、「先延ばしにしていた帰省を来月に決めました」というような声もいただいて、描くのはやっぱりしんどかったけどやってよかったなと感じています。――母親の死をどうやって乗り越えればいいか、少しでも気持ちが楽になる方法はないでしょうか。漫画を描くまでは、おかあさんにまつわるさまざまな事柄がそれぞれバラバラに自分の中にありました。しかし思い返してみると、すべてにつながりがあるのだと見えてきたんです。母が亡くなったあとは、悲しいシーンばかり思い出しがちでしたが、つなげて考えるとその間に笑えることや楽しいこともあったなと。起きた出来事を書き出して時系列順に並べてみると、気づくことがあるんじゃないかと思います。――今でもつらいときもありますか。すごくしんどい時は、今も「おかあさんがいない」って泣いてしまいますね。けどそれって頻度が減っていくだけで、多分これからもずっとそうなるときはあるんだろうなって。そこは別に整頓しないで、いつまでも泣ける自分でありたいし、忘れずにいたいですね。生活の中では落ち着いて整頓はされているけれど、おかあさんとは遠く離れたくないし、生のままの傷が残っていてほしいって思っています。■母から見た子ども、子どもから見た母親像とはインタビューでは、吉川さんのおかあさんへの深い愛情が伝わってきました。そして、自分自身のつらい経験を漫画という媒体をとおして伝えてくれた思いを、ママという立場だからより強く共感することも多々あるように思います。本書での最期までほとんど弱音を吐かず、娘を支えた「おかあさん」の姿には、母親のあり方とは何か考えさせられるものがありました。その一方で子どもから見た母親像というものも強く印象付けられ、自分と母との関係、そして自分と子どもとの関係について深く思いを馳せる良い機会にもなりえると感じました。「どんな最期だとしても、何も後悔が残らないことはない」という吉川さんのメッセージには、経験した人だからこそわかる言葉の重みがあります。家族とのつらい別れは、避けたくてもきっといつか必ずだれにも訪れますが、そのとき少しでも自分の心を楽にできるようなエッセンスが、吉川さんの漫画にはところどころに散りばめられていました。次回は、現在の娘さんとの生活、これからの親子関係について、引き続き吉川さんにお話をお伺いします。■今回のお話を伺った吉川景都さんのご著書 『さよならわたしのおかあさん』 (吉川景都/新潮社 ¥1,080(税込))
2019年04月09日映画『わたしは光をにぎっている』が、2019年11月15日(金)に全国ロードショー。松本穂香が演じる“子供のまんま”でいたい女の子の物語『わたしは光をにぎっている』は、“子供のまんまでいたい”女の子が、新しい場所でどのように居場所を見つけるかを描いた作品だ。舞台は長野・野尻湖。祖母と2人で淡々と暮らす宮川澪は、あるきっかけで上京し、父の親友が営む銭湯で働くことに。都会に馴染めずにいる澪は、銭湯の常連客達と親密になっていき、東京での暮らしが楽しくなっていく。そんなある日、銭湯が閉店することを知ってしまう。主人公・宮川澪を演じるのは、実力派若手女優の松本穂香。NHK連続テレビ小説「ひよっこ」で、主人公の同僚・澄子役を演じて以降、門脇麦主演の映画『チワワちゃん』や『君と月夜に光輝く』、湯浅政明監督の最新作『きみと、波にのれたら』に声優として出演するなど、出演作が続いている。メインキャストまた主人公・澪を取り巻く登場人物たちには、以下のキャストがそれぞれ抜擢されている。銭湯の常連・緒方銀次役(渡辺大知)銭湯の常連・島村美琴(徳永えり)美琴の彼氏・新井稔仁(吉村界人)銭湯の店主・三沢京介(光石研)澪の祖母・宮川久仁子(樫山文枝 )監督に中川龍太郎監督は、1990年生まれの新進気鋭監督として注目を集める中川龍太郎。本作は、第41回モスクワ国際映画祭の出品が決定。なお、第39回モスクワ国際映画祭において国際映画批評家連盟賞を受賞した前作『四月の永い夢』に続き、2作品連続の出品となる。あらすじ宮川澪は、20歳。両親を早くに亡くした彼女は、長野・野尻湖のほとりのこじんまりした民宿を祖母と2人で切り盛りし、淡々とした日常を送っていた。しかし祖母の入院を機に民宿を閉めざるを得なくなり、父の親友であった京介を頼って上京し、彼がひとりで経営する都内の銭湯の元で居候をすることになる。職を探すが、都会の空気にうまくなじめない澪は、徐々に銭湯の仕事を手伝うように。映画監督の夢を持つ銀次や会社員の美琴など、銭湯にたむろする常連客達と次第に親密になる澪。銀次の映画を観たり、美琴に飲み会に誘われたりと、東京での日々が少しずつ楽しくなっていく。しかし、区画整理のため銭湯が近いうちに閉店する運命にあることを知った澪は、ある決断をするのだが・・・。【詳細】映画『わたしは光をにぎっている』公開日:2019年11月15日(金)監督:中川龍太郎出演:松本穂香、渡辺大知、徳永えり、吉村界人、光石研、樫山文枝
2019年04月06日今年で92歳になる私の母は、スペインにある私の家の近くのマンションでひとり暮らしをしています。母が生まれて初めてひとり暮らしを始めたのは79歳の時。今もとても元気でなんでも食べますが、一度転んで歩けなくなったことがありました。86歳のとき、1人で入浴した際に、腰を打ち付けてしまったのです。立ち上がるのがやっとの状態からまた歩けるようになり、92歳になった今でも寝たきりにならないのは3つの理由がありました。■ 1.昭和2年生まれのプライドベッドの周りに欲しいものがすべて手に届くように配置しています。腰が痛いだけではなく、腰を打った拍子にいろいろな所に影響が出てしまったのではないかと思います。足の指もうまく動かなくなり、足を左右交互に動かすことができなくなりました。それでも、オムツを拒否して絶対嫌だと言います。昭和2年生まれのプライドでしょうか。仕方がないので、ポータブルトイレをベッドの横に設置しました。ポータブルトイレは今は物置状態ベッドに腰掛ける→ベッドから立ち上がる→ポータブルトイレにつかまり立ちをする→ポータブルトイレに座るこの工程でなんとか1人の時も他人に助けられずに用を足せました。■ 2.車椅子を購入廊下で歩く練習が可能最初は食事を寝室まで持って行っていたのですが、ポータブルトイレもあることですし、食事をするのはやはり居間のほうが気分が晴れます。また、テレビも居間に置いてあるので楽に寝室に行けるように車椅子を購入しました。車椅子で居間に行くようになると、なんとなく機嫌も良いように感じます。自分の部屋であっても、そこから動けないというのは、囚われている気分になるのでしょう。そのような状況を私のブログにも書いていたのですが、経験者の方から「車椅子を買ったのなら車椅子を押して歩いてみるといいですよ」とアドバイスをいただきました。さっそく車椅子を押してみると、右、左と足が自然に動くではありませんか!何度も繰り返して普通に歩けるようになりました。みっともない姿を見せたくないという格好付けの母が練習できたのは廊下が広かったおかげです。そして車椅子があれば家の中ならどこにでも行けるのは「バリアフリー」だから。特別に意識してバリアフリーにしたわけではなく、もともとスペインの家の仕様が敷居がないため、どの家もバリアフリーなのです。もしかしたらそれもスペインでは寝たきりの高齢者が少ない理由なのかもしれません。■ 3.お風呂に手すりをつけるもともとは1人でお風呂に入っていた時に倒れてしまったのが原因で腰を痛めてしまったわけですが、それでも手すりは必須です。現在は私がフォローしてお風呂に入れていますが、西洋式のお風呂は日本のものと比べてバスタブの高さが低く、横になるタイプなので入りやすいと思います。手すりがあるので、自分で力を入れてなんとか1人で上がれるので、補助の必要がありません。ちなみにピソ(マンション)のエレベーターにも手すりがついているので安心です。■ 1人でなんでもできる環境づくりが大事bino / PIXTA(ピクスタ)母は今も1人暮らしをしています。1人暮らしをしていると意外と歩くことが増えて、じっとしているわけにもいきません。それだけリスクも増えますが、動く機会も増えます。最初の画像をご覧になって、散らかってると思われた方もいるかもしれませが、なんでもすぐに取り出せる状態が心地よいなら、とそのままにしています。私が考える寝たきりにならない家の条件は、以下の3つです。バリアフリーで歩く練習のできる廊下のある家周りに必要なものが配置され、簡単に手に取れるようになっている自分1人でなんでもできるようにする工夫がされている寂しくないかしら?とおっしゃる人もいるのですが、自分のペースで暮らせることが合っている人もいます。家族であっても、寝起きの顔を見せたくない、入れ歯を外した顔が恥ずかしいなど、高齢者にも恥じらいがあります。誰でも1人暮らしが最善策というわけではありませんが、自由に1人でいることも選択肢の一つではないでしょうか。
2019年03月26日こんにちは!ことは母です。1人娘のことはさんと、長身お髭がワイルドな主人と仲良く暮らす、天然パーマ三人家族です。今回は私が実際に使ってみて役に立った(と言うか現役バリバリで役に立っている)ベビーグッズをご紹介します!授乳クッションまず一つ目は、授乳クッション妊娠中期頃に購入しました。ボタンを外すと抱き枕状になるタイプのもので、大きくなってきたお腹に負担がかからないように寝る事が出来て毎日愛用していました!いざ娘が産まれてからは授乳クッションとして毎日お世話になり、娘がお座りをし始めてからはいざ転がっても頭を守ってくれたりととてもとても重宝しました!一年以上共に過ごしてきたので多少へたった感じはしますが、まだもう少しお世話になる予定です。ベビーサークル二つ目は、ベビーサークルです。我が家が購入したのはかの有名なベビー専門店のもので、簡単に畳んだり広げたり出来るんです!畳むと片手で運べるくらいのサイズになり、収納も楽々!骨組み以外の布部分は自宅で洗う事も出来ます!サークルとしては勿論の事、我が家ではベビーベッドとしても使っています。なんとこのサークル、ベビー布団がすっぽりぴたっと収まるんです!!木製のベビーベッドでは寝返りの時に柵にガンガンぶつかり、添い寝では主人と私より早起きしてベッドを脱出してイタズラしまくることはさんにはぴったりのベッドです!番外編そしてこちらは番外編!ベビーグッズでは無いのですが…とにかくママは自分にかける時間がありません!どんなに酷い寝癖がついてもサクッと出かけられる帽子。我が子を抱っこしても走り回る我が子を追いかけても安心なスニーカー。オムツや着替え、飲み物やおやつ等膨大な荷物を持ち運び易いリュック。お財布と携帯、ハンカチティッシュはすぐ出せるように肩掛けポーチ。これらは私が娘とお出かけする時の必需品です。こんなグッズも用意しておけるとより安心ですね!いざ購入しても意外と使わずに終わったり、お古で貰ったものをものすごく活用したり、なかなか選ぶのが難しいベビーグッズ。その子の性格やそれぞれの家庭の生活スタイルでも必要な物は違うのでしょうが、少しでも参考になればと思います!●ライター/ことは母
2019年02月08日今回で、中東イランでの2度目の年越し。イランでは、西暦ではなくイラン暦で生活をするため、クリスマスや年末年始感はあまりありません。2019年1月1日は、イラン暦では1397年10月11日。あと2ヶ月ほど経つと、年末年始の慌しさがやってきます。 そんなイランですが、日本のクリスマスやお正月を祝うことに似た、冬の大イベントがあるんです!それが1年で1番長い夜に行われる「シャベヤルダー」という行事。 今回は、冬の景色とともに古くから伝わるイランのお祝いを紹介します。 イランではクリスマスではなく冬至を祝う? イランでは冬至の前日の夜を「ヤルダー」「シャベヤルダー(ヤルダーの夜)」といい、お祝いをします。 冬至は1年で1番夜の長い日。すなわち「明日から次第に昼が長くなっていく」ことから、イランでは古くから「光が闇に勝利する日」と考えられ「太陽の生誕」を祝う風習があるそうです。その長い夜の終わりを祝い、太陽の生誕の朝まで続くイベントを「シャベヤルダー」と呼びます。 シャベヤルダーが近くなると街のあらゆる場所で「赤いフルーツ」が綺麗に飾られたものをよく目にするようになります。 イランでおなじみのザクロ、そしてスイカ。そして名産のナッツ類がずらり。 赤いフルーツは「太陽」を象徴しているらしく、必ずシャベヤルダーの飾りで目にします。これらを食べることで、寒い冬も、健康に元気に過ごせますよう、という願いを込めているそう。 いよいよシャベヤルダー当日!イランの家族はどう冬至を過ごす? シャベヤルダー当日。イラン人は、家族や仲のいい友人を集めて家でお祝いをしたり、外で集まって食事をしたりして、お祝いをします。シャベヤルダーの形は様々。比較的伝統的な形のシャベヤルダーにお邪魔することができたので、写真とともにご紹介! 会場は友人のおうち!そこに、家族(イランの家族の定義はとても広く、日本で言う親族の集まりのようになります。)や友人が続々と集まります。 お飾りもバッチリ。横にはクリスマスツリーも一緒に。 人が集まると、まずはみんなで夜ご飯。イランの伝統的な料理をいただきます! ごはんを食べながら、みんなで他愛のない話をし、夜が更けるのを待ちます。踊ったり歌ったりしながら、長い夜を過ごします。(踊るのが好きなイラン人。踊りは欠かせないようです!) そして、もちろん飾るだけではなく、赤いフルーツを食べます。すいかをお母さんにいただきパクリ。 「味はどう?あまい?すっぱい?」と尋ねるイランの友人。「甘いよ」と答えると、にっこりし「恋人との暮らしも甘いものになるさ」と告げられるのでした。 この時点で既に時計は2時近く。シャベヤルダーは長い夜を大切な人と過ごすイベント。朝まで続くと言われています。 そして3時を迎えたころ、友人のお父さんが詩集の朗読を始めました。イランの有名な詩人「ハーフェズ」の詩集から、ランダムにページを開き、そこに書いてある詩の内容から、これから先の日々を占う習慣があるそうで、みんなで詩の朗読を聞きます。 驚いたのは、シャベヤルダーの夜は小さな子供も一緒に長い夜を楽しむということ。日本人のわたしたちは耐性がなくこのあたりで脱落するのでした。 前述しましたが、シャベヤルダーの過ごし方の形は様々。日本のお正月のように、形は変化すれど、お祝いをする心や、考え方は変わらないことに通ずるものを感じました。 おまけですが、外国人が暮らすエリアではクリスマスの飾りを目にすることもあります。撮影時期は1月過ぎでしたがフォトスポットのようになっていました! ちょっと変わったイランの年越し。そこには、文化と家族や友人との繋がりを大切にするイラン人の暮らしが垣間見えるイベントがあるのでした。 さて、雪も降り寒さの厳しいテヘランでの暮らしも2年目。遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします! text:Mami Yamada
2019年01月23日こんにちは!ことは母です。9ヶ月になる娘ことはさんと、長身お髭がワイルドな主人と仲良く暮らす、天然パーマ三人家族です。突然ですが、ことはさんは超が付く程のパパっ子です!パパがいない時は私ととっても仲良くしていてくれますが、パパがお休みの日はママの存在はただの「おっぱいさん」と化します…(涙)抱っこはパパにせがみ、私が抱っこをしてもうなぎの如く身体をくねらせ主人の元へ。ご飯もパパがあーんしてくれないと食べてくれない事が多々あります。母は少々切ないです…笑しかし、悲しい事ばかりではありません。むしろパパっ子にはメリットしか無いと言っても過言では無いでしょう。パパっ子のメリットとは…必然的にパパがイクメンになります!抱っこもパパ、ご飯もパパ、お風呂もパパ、寝かしつけもパパ…可愛い我が子に求められれば、やらない訳にはいきませんものね!これだけの事をしてもらえれば、パパがお家にいる日はママの負担がかなり減りますし、哺乳瓶を克服している子、卒乳している子ならば、ママも気兼ねなくお出掛けしてリフレッシュ出来ちゃいます!パパっ子育成メソッドさてここからが本題です!!パパっ子を育成するにあたって大切なのは、ママがパパを愛する事!これに限ります!私の知っている限りでは、夫婦仲の良い家庭で育った子は皆ことごとくパパっ子です。これはお子さんが何歳になっても、むしろ年齢が上がるごとに顕著に効果が表れると思います。ほとんどの家庭では、子供達はパパよりもママと過ごす時間が多く、ママの言動や趣味嗜好の影響を少なからず受けます。なのに、大好きなママがパパの悪口を言っていたりパパを邪険に扱っていては『パパ=大切じゃない』となってしまいますよね。実際はどうであれ、いつも一緒にいるママが「パパはすごい!優しい!かっこいい!ステキ!」と言っていればお子さんも自然と洗脳されていくはずです!笑まとめ少しの寂しささえ我慢出来ればママの負担が減ったりリフレッシュタイムを確保出来たりとメリットだらけ!ぜひパパっ子に育ててパパとママ二人で育児を楽しみましょう!●ライター/ことは母
2019年01月23日こんにちは!ことは母です。9ヶ月になる娘ことはさんと、長身お髭がワイルドな主人と仲良く暮らす、天然パーマ3人家族です。みなさん家事に育児にお仕事にと毎日大忙しの日々を送っているかと思います。そんな毎日をパパが気持ちよくサポートしてくれたらとても心強い ですよね!わが家の主人は俗に言う所のイクメンです。ただ、本人にその意識は全く無いです。なぜなら自分も育児をするのが当たり前 だと思っているから!家事に関しても然り。同じ家で生活しているのだから自分も家事をするのが当然という意識を持ってくれているので、手伝うという気持ちでしている訳では無いようです!では、最初からそうだったかと言うと全くそんな事はありません!夫婦ゲンカと工夫を重ね、ようやく誕生したイクメン夫新婚当初は私もなんだか張り切っていたので、なんでもかんでもやってあげていました。それこそ脱いだズボンや靴下を片付ける、なんて事まで!笑やってもらうのが当たり前になっていた主人。自分がそうさせたくせに、だんだん新婚気分が抜けてきた途端にぶちギレる私。笑その頃はよく夫婦ゲンカして(というか私が一方的に怒って)いました。ではそこから、今のような家事・育児を気持ちよくやってくれてお仕事も頑張ってくれる主人に どう変わってもらったのか。今回はそんなお話です!↓●まず、察してちゃんをやめる●やって欲しい事は分かりやすく簡潔に伝える●ありがとうは全身全霊で伝える●家をパパにとって居心地の良い空間にする●やってくれている事に対して文句を言わない↓こうしてスーパー優しい夫は出来上がりました!笑よく男性と女性は脳ミソが違うなんて言いますが、男性側の気持ちになって伝え方を考えると良いのかも しれませんね!あと男性は人間といえどやはりオス!オスの本能を刺激する方法が効果的かもしれません!(私の個人的見解。笑)●ライター/ことは母
2018年12月14日「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」少し前にゼクシィが掲げたキャッチコピーが話題を呼びました。僕らの親や上司の世代とは違い、僕らは「結婚してもしなくてもいい時代」に生きています。それに加え、事実婚・夫婦別姓・選択的シングルマザー(夫はあえて作らず子どもだけ作る生き方)・ポリアモリーなど様々な恋愛観・結婚観が出てきて、もう何が何やらです。だからこそ余計に悩んでしまうことはではないでしょうか。「わたしは本当に結婚したいのか?」と。■結婚は「しなくてもいいもの」になったこれまでの時代の結婚は、ざっくり言うと「とりあえずするものだからする」ものだったと言えます。就活と一緒ですね。みんながやってるからわたしもやる。というやつです。しかし結婚はいまや「みんながやるもの」ではなくなりました。では「わたし」はどうしたらいいのでしょうか?残念ながら、そこに正解はありません。というかこれからの10年間ぐらいで「いろいろな正解」が生み出されていくことでしょう。それだけ夫婦のあり方やパートナーシップの形が多様化し、再定義されていく傾向にある時代なのです。ですからあなたも、遅かれ早かれ「わたしはどうしたいのか?」を真剣に考える必要に迫られるはず。そんなあなたのために、僕からちょっとだけアドバイスさせてください。■「とりあえず保留」でも全然OKいま結婚に対して「する・しない」で迷っていても、当分迷っていて問題ありません。彼がどんなに素敵で優秀でいいパパになりそうな人であっても、周囲の人間が「そろそろ結婚しないの?」としつこく聞いてきても、あなたの中でGOがでないなら受け流してください。かくいう僕は結婚して1年半になりますが、結婚式を挙げていません。「とりあえず保留」の状態です。一時期は準備に取り掛かるためにプランナーさんに相談もしたのですが、いろいろあって結局流れました。そこで改めて二人で話し合ったのですが、「高いお金をかけてやる理由が特に見当たらなくない?」という結論になり、「とりあえず保留」になっています。あなたも思い切って彼と話し合ってみてください。二人の中で「とりあえず保留」の結論が出てもいいんです。■子ども産むなら早いほうがいいのでは・・・?それは間違いありません。子どもが確実に欲しいなら妊娠は早いほうがいいです。女性の卵子の数は生まれた瞬間に決まっていて、年齢を経るごとに減っていくため、その分妊娠の確率も減っていきます。それはまごうことなき事実です。しかし、だからと言って「早く結婚しなきゃいけない」という結論にはなりません。むしろ焦ってしたくもない相手と結婚しても、子どもが不幸になるだけです。選択的シングルマザーという生き方があるように、出産と結婚は必ずしもセットでなくてもいいのです。■「なんとなく結婚」でも全然OK一方で「なんとなく結婚したいから結婚したい」という理由で結婚しても構いません。上の世代からは「そんな安直な理由で人生の大切な決断を決めるな!」と怒られそうです。でも、そのほとんどが「みんながそうしているから結婚した」人たちなので、耳を貸さなくてもいいでしょう。もし離婚することになっても、一回ぐらいバツがついたからといって、社会からの評価は下がりません。バツがあるかないかで人を判断するような人がいても、あなたの幸せとは無縁の人です。安心して無視しましょう。そしてハウコレ世代の女性たちにはぜひ知っておいて欲しいのですが、親の不幸は子供の不幸、です。子どもは親の仲の悪さの原因を「自分の存在のせい」しがちです。子供を苦しめないためにも、夫婦仲が悪くなるぐらいなら離婚してしまった方いいです。離婚は悪ではありません。むしろ是になるときさえある。だから1回目の結婚にそこまで真剣に悩まなくてもいいのです。■結婚してもいい人、結婚しない方がいい人の違いでは、最終的に自分が「結婚してもいい人」なのか「結婚しなくてもいい人」なのかはどうやって見分けたら良いのでしょう?それはただ一点、「話し合いができるかどうか」で決めることができます。事実婚だろうが法律婚だろうが、全てのパートナーシップに必要なのは二人の話し合いです。これはどれだけ多様化しようが変わらない真実だと僕は考えます。これはあなた自身にも言えることですし、彼にも言えることです。あなたがきちんと話し合いができる人でも、彼がそうでなければ、あなたはまだ「結婚しない方がいい人」なのです。僕は妻と出会う前までは「結婚しない方がいい人」でした。ですが話し合える妻と出会ったからこそ「結婚してもいい人」になったわけです。注意して欲しいのは「結婚しない方がいい人」はいますが、「結婚した方がいい人」はいない、ということです。「結婚してもいい人」がいるだけです。あなたが結婚してもいい人なら、とりあえず保留でもとりあえず結婚でも構いません。きちんと話し合える二人なら、そのあとどんな問題が起きても乗り越えられます。心配しなくても大丈夫。そして、「結婚しなくても幸せになれるこの時代に」、「この人とだったらどんな困難でも乗り越えられるだろうな」と思える人と、人生と二人三脚で生きていくことこそが、結婚をする意味だと僕は思います。(川口美樹/ライター)(ハウコレ編集部)
2018年10月29日