今回は@エトラちゃんは見た!さんの投稿をご紹介! 「突然見知らぬ女性に酒をぶっかけられた話」第2話です。カリンさんの彼、クロキさんも混ぜて、話は兄、タチバナさんの元カノの話に…。楽しく話しているところに…出典:lamire彼のグチで盛り上がっていて!?出典:lamire「それ、禁句ー」出典:lamire別れて正解だと思うけど…
2022年04月14日今回は@エトラちゃんは見た!さんの投稿をご紹介! 「突然見知らぬ女性に酒をぶっかけられた話」第1話です。社会人1年目のカリンさんには、とても仲のいい兄がいました。そんな兄と久しぶりに飲むことに…。仲のいい兄と…出典:lamire兄と久しぶりに飲みに行くことに。出典:lamireそのせいか…出典:lamire彼も交えて3人で飲むことに。出典:lamire幼い頃に両親が離婚し、兄が面倒を見てくれていたからか、とても仲よしな兄弟。カリンさんの彼氏、クロキさんも交えて3人で久しぶりに飲むことに…。次回の配信もお楽しみに!本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2022年04月13日兄の彼女と鉢合わせ…!?しかしそれが大事件に… !@エトラちゃんは見た!さんの「【#11】クズな兄に起きたスカッと話」を紹介します。兄は両親に絞られたあと、カリンに責任転嫁しようとしていましたが…?兄はユリさんと別れることに…郵便の中身はまさかの…!?どちらともお別れ…カツラさんが1度だけ訪問アカネはまさかの既婚者…そして多額の慰謝料を請求される兄。結果どちらとも別れることになり、両親には絶縁されてしまうのでした…。次回の配信もお楽しみに!本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2022年04月10日兄の彼女と鉢合わせ…!?しかしそれが大事件に…! @エトラちゃんは見た!さんの「【#9】クズな兄に起きたスカッと話」を紹介します。 兄が連れてきたのはアカネと別人のユリでした。カリンは優しそうなユリさんを前に嘘をつくことができず、この間アカネと鉢合わせした事実を伝えますが…!?兄の浮気を暴露動揺する兄追い打ちをかける私平手打ちを食らった兄
2022年04月08日兄の彼女と鉢合わせ…!?しかしそれが大事件に…! @エトラちゃんは見た!さんの「【#8】クズな兄に起きたスカッと話」を紹介します。「結婚したい人がいるから会わせたい」という兄。 もうアカネとは2度と会いたくないと思っていたのに…とカリンは頭を抱えていましたが、兄が連れてきた女性はまさかの…!?連れてきたのは「ユリ」じゃあ、アカネは…?疑うユリ…アカネとは違い、優しそうな人嘘はつけない…焦る兄
2022年04月07日兄の彼女と鉢合わせ…!?しかしそれが大事件に… !@エトラちゃんは見た!さん「【#7】クズな兄に起きたスカッと話」を紹介します。 妹だと分かった瞬間、媚を売りだすアカネ。不愉快な状況から逃れたくて、カリンは帰ることにしましたが…!?あれから2週間後…兄が結婚を考えている!?兄が到着ついにその時が…!
2022年04月06日兄の彼女と鉢合わせ…!?しかしそれが大事件に…! @エトラちゃんは見た!さんの「【#2】クズな兄に起きたスカッと話」を紹介します。 兄は仕事で不在のようだったので、仕方なく家に上がることにしたカリン。しかしそこには女物の靴があり…!?兄の部屋に入ると…何かを察する彼女ユリ…!?
2022年04月01日兄の彼女と鉢合わせ…!?しかしそれが大事件に… !@エトラちゃんは見た!さんの「【#1】クズな兄に起きたスカッと話」を紹介します。 母からおかずを持って行くように頼まれて、兄の家に行ったカリン。しかしそこには”女物の靴”があり…!?#1「クズな兄に起きたスカッと話」兄はまだ仕事の様子…もしかして…!?
2022年03月31日多動が強い兄は、お目当てのものに一直線!小さいころはなんとかつかまえられたけど…Upload By スガカズ重度の自閉症と知的障害がある兄の周りで起こったことを、きょうだい児目線で振り返っています。一緒に暮らしていたとき、特に大変だったのは、突発的に起こる「脱走」で、これには家族含め、親戚も長い間向き合ってきた問題でした。兄が初めて脱走したのは3歳のときだったようです。普段から手をしっかり繋いでいても、「気になるもの」を見つけると、小さな子とは思えない力で手を払ってお目当ての場所まで一直線に走り出してしまっていたのだそうです。今は亡き私たちの母には生まれつき股関節が脱臼しやすい病気があり、歩行は可能ですが走らないように昔から医師に指導されていました。なかなか思うように走れない状態で多動の強い兄を追いかけるのは本当に大変だったようでした。それでも兄が小さいころはなんとか大丈夫だったのですが、成長するにつれ走るスピードがどんどん速くなっていき、母方の親戚を総動員して探すこともありましたし、ときには警察にお世話になることもありました。母は兄の脱走を減らす目的で、毎日2~3時間ほど散歩の時間をつくっていたそうです。兄が歩いたり走ったりしている後ろで、自力で走れない母は原動機付自転車でついていきます。「満足するまで走らせたほうが、帰宅してから寝てくれるし、突然いなくなることが減るんだよ」と私に話していました。兄が18歳を迎えたある日の夕方、自宅から突然いなくなり…Upload By スガカズ時は過ぎ、兄が18歳を迎えたある日の夕方、事件が起きます。兄が一人で自宅を抜け出してしまいました。どうやら、家の内側から取りつけていた脱走防止用の鍵が施錠されていなかったようで、それに気づいた兄が外へ出てしまったようです。母が気づいたころには時すでに遅く、近所を探しても一向に見つかりませんでした。親戚(母のきょうだい)に電話し警察に捜索願を出しました。Upload By スガカズこの日兄は家に帰ってくることはありませんでした。当時は日本でインターネットサービスが導入されていない時代でしたし、街頭に防犯カメラはありませんし、携帯電話も一般的ではありませんでした。わが家には兄のほかにも姉や私がいるため、母が頻繁に探しに行くことは難しく、個人でできることはかなり限られます。ただただ見つかることを祈って警察からの連絡を待っていました。次の日になりました。母は不安を口には出さずいつも通りに過ごしていましたが、きっと同じような気持ちだっただろうと思います。■1日経ち、2日経ち…3日目の深夜に警察から電話がもしかすると誰かに連れて行かれたのではないか?飲まず食わずでどこかで倒れているのではないか?はたまた…最悪な想像が脳裏に浮かびます。そしてついに3日目の深夜1時ごろ、自宅に警察からの電話が。Upload By スガカズ一一兄は無事でした。私はそのとき寝ていたので朝になって兄が帰ってきていることに気がついたのですが、あとになって詳細を知りました。重度心身障害のある兄は、3日間も何をしていた?Upload By スガカズ脱走した日、兄は自宅の最寄り駅が目に飛び込むと、そのまま改札に入る人の後ろにくっついて、電車に乗り込んでしまったようです。もしかしたら移動中、居合わせた人に声をかけられたりしたのかもしれません。ですが、兄は知らない人から声をかけられると走って逃げてしまう特性があります。普段から散歩で鍛えられていたため、走るのが速く、追いかけて捕まえることは難しいだろうと容易に想像がつきます。そして電車の乗り降りを繰り返し繰り返し…ついに自宅のある大阪府の南部から、150kmも離れた滋賀県の湖東地方(琵琶湖の近く)でようやく補導されたようでした。どこで寝泊まりをしていたのかまでは結局分かりませんでしたし、いろいろな人に迷惑をかけてしまいましたが、見つかった現場は琵琶湖が近いこともあり…とにかく無事だったという事実だけでも幸いです。母はさっそく一緒に対応してくれた叔母(母の妹)に「無事に見つかった」と電話をし、そのあと仕事から帰って眠っていた父を起こし、叔母の運転する車で滋賀県の警察署に向かいました。こうしてようやく丸3日ぶりに兄と再会することができました。父と母は警察署の職員さんに、「命の危険があるのだから」と、お灸をすえられたようでした。同行した叔母は、帰りの道中で「二度とあってはならないことだ」と、兄を含め父と母三人に対して強く叱ったと後日聞きました。知的障害のある兄の命を守ることの大変さある程度の知能がある人なら「やっていいこと、いけないこと」の判断がつきますし、「お母さんが心配するから一人で外に出てはいけない」と考えて踏みとどまることはできるでしょう。しかし、体は18歳でも重度の知的障害のある兄には今回、そういった判断はできませんでした。目に入った情報から、突発的に行動してしまうことがあるので、それを40代の、足に持病がある母が完全に制御することはやはり難しいです。ただ、18歳の兄には、「家族が近くにいるときは一人で出ていかない」という自分なりのルールのようなものが存在していたため、ある程度は日常生活をおくる上で歯止めはかかっていたのだろうと思います。また「信号が赤のときは渡ってはいけない」「踏切が下りているときは渡ってはいけない」ことは理解していたため、18年間命を落とすことなく無事だったのだろうと思います。三日間もの脱走のあと、父と母の意思は変化したような気がします。このころから「親なきあと」の兄の人生のために、兄が障害者支援施設へ入居することを本格的に検討するようになりました。障害者支援施設に入居して20年経った現在までに、一度施設から抜け出したことがあると聞きました。施設は山手に位置するため、一本道が多い地域なので、比較的早い段階で見つけることができるのだそうです。仮に外へ出たとしても、「○○ホームの人だ」とご近所の方も把握できるだろうとも思えます。兄は現在40代後半なので、18歳のエネルギーあふれる当時とは違って体力の衰えを感じているようで、ここ数年間落ち着いているようです。そして、私はこうして過去の思い出を振り返っていますが、現在兄が無事に年を重ねられているのは、兄をサポートしてくださっている周囲の方々のお陰だと心から思いますし、感謝してもしきれません。執筆/スガカズ(監修:三木先生より)ご自身の病気も抱えられてお母様は本当に大変でしたね。周りの方たちや警察からは厳しく言われたとのことでしたが…24時間ずっと気を抜けないまま生活している中で、ごく稀にこういったトラブルが起きてしまうことは責められないと私は思ってしまいます。ともあれ、お兄さんは年齢と共に落ち着かれて、現在もお元気なようで良かったです。
2021年10月26日会社員だった山田千紘(やまだ・ちひろ)さんは、2012年、電車にひかれる事故に遭いました。一命を取り留めたものの、事故で右手と両足を切断。当時の出来事について、YouTubeチャンネル『山田千紘 ちーチャンネル』でお兄さんと振り返りました。手足3本を失った事故に巻き込まれた理由は?事故が起きた当日、会社員として働いていた山田さんは、体調不良を感じつつも職場の先輩と会食に参加しました。会食後、電車に乗車した山田さんですが、そこから記憶はないといいます。目が覚めると事故発生から10日が経過し、病室のベッドに横たわっていました。警察に事故当時の詳細を聞いた山田さん。電車内で熟睡した結果、最寄駅を通過し、戻るため終着駅で降りたその後…。ホームに電車が来ていた時、乗ろうとしてベンチから立った後、足を滑らせて線路に転落。電車のブレーキは間に合わず、ひかれてしまいました。山田千紘 ちーチャンネルーより引用兄が、手足を失った弟にしたことお兄さんは、山田さんが手術を終え、集中治療室に移った当時を回顧。集中治療室には、家族が泊まれる部屋が用意されています。ですがお兄さんによると、ほかにいた患者の家族も使うため、1週間以上の滞在はできない状況でした。「弟のそばにずっといたい」と考えたお兄さん。山田さんの隣にもう1つベッドを置いてもらい、1週間以上生活しました。当時、休むヒマなく働いていたお兄さんが10日間休みを取り、ずっと見守っていたことを周囲から聞いた山田さんは…。兄への信者になったような、リスペクトの気持ちを抱くようになって、一生ついていこうと思った。山田千紘 ちーチャンネルーより引用社会への復帰を目指すも、絶望した弟に…懸命なリハビリ生活や資格取得の末、再び働こうと就職活動を始めた山田さんに、壁が立ちはだかります。会社の面接を受けようとしても、手足がないことから、応募できる仕事が限られていたのです。「頑張ってきたのに、社会から求められていないのか」と絶望した山田さんは、自ら命を絶とうとしました。まさにその時、お兄さんから電話がかかってきます。号泣しながら「ごめん」と謝り続ける山田さんに、お兄さんはこう告げました。普段、俺にキレない兄ちゃんが、「周りから恵まれているのに、まだ自分のことしか考えていないのか」と怒ってきて…。山田千紘 ちーチャンネルーより引用お兄さんの言葉がなければ、「もしかしたら、あの時で人生は終わっていたかもしれない」と当時を振り返る山田さん。お兄さんの心からの言葉を受け、気持ちを入れ替えた山田さんは、「周りのことだけを考えて、生きていこう」と考えるようになり、今に至ります。兄弟の絆に、多くの人が感動しました。・涙が止まりません…。兄弟愛の深さに、勇気をもらいました。・胸が熱くなりました。お兄さん、「人生何回目?」と思うほど器が大きいですね。2人が見せた絆と生き様は、多くの人の心に響いたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年07月16日さとう(ki972note)さんが描いた、兄妹猫のエピソードをご紹介します。登場するのは、さとうさんが飼う兄猫の、菊次郎くんと妹猫の、夏ちゃん。2匹のエピソードには「心が温かくなった」「ラストで胸がギュッとなる」などの声が上がりました。『最近のふたり』子猫の頃、菊次郎くんは夏ちゃんのことが大好きで、2匹は仲がよかったといいます。しかし、2匹が1歳を迎えると、徐々にその関係性は変わってきて…。かつては仲がよかった2匹でしたが、夏ちゃんの押しが強いせいか、菊次郎くんは距離を置くようになってしまいます。相手のことはお構いなしに我が道を行く夏ちゃんと、気難しく頑固な菊次郎くん。不器用な2匹はすれ違い、心の距離も離れていくのでした。仲良しだったコンビ、ついに解散宣言!?ある寒い日のことです。飼い主さんがふと、猫たちのほうを見ると、そこにはピッタリとくっついてくつろぐ2匹の姿が…!菊次郎くんは「なっちゃんが寒そうだったから、こうしてるの」といっているかのように、夏ちゃんに寄り添います。もうすぐ2歳となる菊次郎くん。成長したことで、子猫の時とは違う方法で、夏ちゃんに愛情を注ごうとしているのかもしれませんね。ネット上では、2匹の兄妹愛に「よかった!」「なんだかんだ仲よしなんだね」「目頭が熱くなった」などの声が寄せられました。一見仲が悪そうに見えても、絆を感じる2匹のお話に心が温かくなりますね。[文・構成/grape編集部]
2021年04月09日2人の息子がいるシューフ(@shuerff)さんは『忘れられない光景』についてTwitterに投稿。反響を呼んでいます。ケガをした弟に兄が…長男が7歳、次男が4歳だった頃のこと。ある日、夕食前に次男が頭から落ちて大ケガをしたことがあったそうです。すぐに救急車を呼び、次男は搬送。長男と義母に家で待機してもらい、投稿者さんも病院に付き添いました。処置が終わり、次男とともに帰宅した投稿者さんは、食卓を見て笑顔とともに涙が出そうになったといいます。次男がいつも座る席の前に置いてあったものは…。次男に救急車呼んだ時のこと思いだした。当時4歳の次男が頭から落ち大量出血して救急搬送、長男(6)と義母が家に残った。夕飯前で、支度は済んでこれから食べようというときだった。処置でかなり時間がかかりやっと帰宅したら、食卓の次男の席には長男が作ったおにぎりが山盛りに置いてあった。— シューフ (@shuerff) September 8, 2020 長男が次男のために作ったおにぎりでした。※写真はイメージ小さな手で握られた不格好な海苔おにぎりが、いつも使っている次男のお皿に、こんもりとのっていたそうです。義母に話を聞くと、長男は自分のご飯を食べずに「次男ちゃん、きっとお腹が空いてる。おにぎりなら大好きだからいっぱい食べれるから」と話し、一生懸命おにぎりを握っていたとのこと。その時の食卓の光景を、投稿者さんは今でも忘れられないとつづっていました。弟を想う兄の優しさに、ネット上でも感動の声が多数寄せられています。・これから仕事なのに目から汗が…。お兄ちゃん優しい。・うちも2歳差兄弟です。今、1歳と3歳でわちゃわちゃしてますが、いつかそんな優しい風景を見たいです。・弟を心配して不安な気持ちや、早く元気になってほしい気持ちがいっぱい込められていたのでしょうね。感動しました。・とても素敵なお子さん達ですね。優しい話に癒されました。ちなみに、次男は頭を2針縫うほどのケガでしたが、帰宅後はケロっとしていて「お兄ちゃんのおにぎりおいしい!」とパクパク食べたそうです。心配していた長男は、弟が元気におにぎりをほおばる姿を見て、さぞかし安心したことでしょう。子供の純粋な愛情を感じるエピソードに、心が洗われますね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月11日女優として、映画やドラマ、CMなどでマルチに活躍している杏(あん)さん。実の兄も俳優として活躍しており、数々のドラマや映画に出演しています。そんな杏さんの兄の名前や出演ドラマ、仲のよさがうかがえるエピソードなど、さまざまな情報をご紹介します!杏の兄は俳優・渡辺大出演ドラマは?杏さんの兄は俳優の渡辺大(わたなべ・だい)さんです。2人の父親はハリウッド映画にも出演している俳優の渡辺謙(わたなべ・けん)さんで、親子そろって役者として活躍しています。イケメンな父親と美人な妹を持つ渡辺大さんも、もちろん容姿端麗!自身のインスタグラムでその姿を公開するたびに、「かっこいい」「素敵!」とファンを喜ばせています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 銀座一丁目にあるダンヒルのパーティーに参加してきました!森保サッカー日本代表監督にもお会い出来てドキドキでしたアパレルだけではなく、バーや理容院もあってビックリです!僕はシェービングを体験させていただきました、ツルツル… #dunhill #森保ジャパン #バーバーもあるよ #バーもある #着こなせるようになりたいですね 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2019年 4月月26日午前7時58分PDT父親に似て、鼻が高く目が大きい渡辺大さん。身長185cmという日本人離れした体格にも、見とれてしまいますね。デビューして以来、俳優として活動している渡辺大さんは、数々のドラマに出演しています。デビュー作は2002年に放送された時代劇『壬生義士伝~新撰組でいちばん強かった男~』(テレビ東京系)。同作では父である俳優・渡辺謙さん演じる吉村貫一郎の青年期役として出演しました。2003年には大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(NHK)に豊臣秀頼役で出演。以降も大河ドラマ『功名が辻』や『足尾から来た女』、『独眼竜花嫁道中』、『一路』、『鳴門秘帖』などのNHK制作の時代劇に多く出演しています。 この投稿をInstagramで見る 明日からNHKBS時代劇「鳴門秘帖」がスタート!毎週金曜夜8時から!僕は法月弦之丞を追いかける天童一角を演じます! #鳴門秘帖 #NHKBS時代劇 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2018年 4月月18日午後10時11分PDTこのほかにも2009年放送のドラマ『臨場』(テレビ朝日系)や2015年放送の『永遠の0』(テレビ東京系)、『遺産相続』(テレビ朝日系)、2018年放送のドラマ『明日の君がもっと好き』(テレビ朝日系)といった話題作に出演。 この投稿をInstagramで見る 「明日の君がもっと好き」クランクアップしました!志田未来ちゃんと同時のアップでした〜、ドラマ中ではクセの強い夫婦をやらせていただきました(笑)どんな結末を迎えたか、、、お楽しみに! #明日の君がもっと好き #クランクアップ #志田未来ちゃん #クセがすごい夫婦 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2018年 2月月18日午前3時29分PSTさらに、同年に放送されたドラマ『ヒモメン』(テレビ朝日系)では俳優の川口春奈さん演じるヒロイン・春日ゆり子の幼馴染み・松平鷹彦役を担当し、主人公2人の恋路を引っかき回す役どころに挑戦しています。 この投稿をInstagramで見る ⠀ \\渡辺大さんオールアップ//⠀ ⠀ 「最終回にゲストとして出させてもらって本当に光栄でした!返しで笑いをこらえるのが辛かったくらい腹抱えて笑った現場でした。どうもありがとうございました!」と挨拶し、撮影を振り返りました⠀ ⠀ #松平鷹彦役⠀ #渡辺大 さん⠀ #お疲れ様でした㊗️⠀ #土曜ナイトドラマ⠀ #ヒモメン⠀ #最終回放送まであと4時間‼️⠀ #第7話⠀ #9/8(土)よる23時15分~ 【公式】ヒモメンテレビ朝日公式アカウント (@himotvasahi)がシェアした投稿 - 2018年 9月月8日午前3時15分PDT同じく2018年に放送されたドラマ『中学聖日記』(TBS系)では、俳優・有村架純さん演じるヒロイン・末永聖に密かに恋心を寄せている小学校の同僚教師・野上一樹役で出演。優しさの塊のような存在感のある演技で、視聴者の目を釘付けにしていました。 この投稿をInstagramで見る 中学聖日記、夜10時からTBS系にてオンエアです!僕は野上という小学校の教師をしております。どうストーリーに関わっていくか…ぜひご覧ください! #中学聖日記 #TBS 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2018年11月月13日午前4時40分PST この投稿をInstagramで見る 3年後。新たな出会い。予期せぬ再会。来週も見逃せません! #tbs #火曜ドラマ #中学聖日記 #有村架純 #岡田健史 #町田啓太 #マキタスポーツ #友近 #渡辺大 #村川絵梨 #吉田羊 #夏川結衣 #火曜 #第7話 #11月20日 #放送時間が違います #よる10時20分スタート TBS10月火曜ドラマ「中学聖日記」 (@chugakuseinikki_tbs)がシェアした投稿 - 2018年11月月14日午後1時17分PST この投稿をInstagramで見る 明日はいよいよ第8話。 小宮第一小学校に、大事件勃発⁉️ #tbs #火曜ドラマ #中学聖日記 #有村架純 #岡田健史 #町田啓太 #マキタスポーツ #友近 #渡辺大 #村川絵梨 #吉田羊 #夏川結衣 #火曜 #第8話 #11月27日 #よる10時 #明日 #小宮第一小ティーチャーズ TBS10月火曜ドラマ「中学聖日記」 (@chugakuseinikki_tbs)がシェアした投稿 - 2018年11月月25日午後8時49分PST紹介した以外にもさまざまな役どころを演じ、着実に演技力を磨いている渡辺大さん。さらなる活躍に期待が集まっています。杏と兄・渡辺大は仲よし!、趣味も一緒?渡辺大さんは2010年5月27日にツイッターを更新。ファンから寄せられた「兄妹仲はいいですか?」という質問に回答しています。普通の兄妹とかわんないっすかね〜。RT @se178 @daiwatanabe 大君は妹の杏ちゃんと仲いいですか?★— 渡辺大 (@daiwatanabe) May 27, 2010 「普通の兄妹と変わらない」といいつつも、2人は大の仲よし!2016年9月19日には妹の杏さんからもらったという英語の辞書を嬉しそうに公開しています。妹から届いた英語の辞書。お互いいくつになってもこういう物ではしゃいでいます。 pic.twitter.com/MmLV3uA1YH — 渡辺大 (@daiwatanabe) September 19, 2016 兄妹そろって『スター・ウォーズ』にハマっているのでしょうか。互いに大人になっても、好きなものではしゃぎあえる関係性はとても素敵だと思います。杏、兄の結婚と、子供が生まれることをばらす杏さんがトークバラエティ番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、公式発表前に、兄・渡辺大さんが結婚し、さらに子供がうまれることをバラしてしまい、大きな話題になりました。兄が結婚したことがよっぽど嬉しかったのでしょう。このエピソードを聞いただけでも兄妹仲がよいことが分かりますね。その後、渡辺大さんと妻との間には第1子となる長男が誕生。続けて、第2子となる女の子も生まれ、2児の父親として育児に奮闘しています。そんな渡辺大さんも2015年10月29日に『徹子の部屋』に出演。子供たちには非常に甘くて子煩悩な父親であることを明かしています。美男美女の家系の血筋を引いているため、子供たちもきっと容姿端麗なのでしょう。いつか親子でテレビ出演してほしいと期待してしまいます!杏プロフィール生年月日:1986年4月14日出身地:東京都血液型:A型身長:1743所属事務所:トップコート2001年に、ファッション雑誌『non-no』の専属モデルとしてデビュー。その後、海外のファッションショーでも活躍し、『パリ・コレクション』にも出演するなど人気モデルとして活動する。2007年には、ドラマ『天国と地獄』(テレビ朝日系)で女優デビュー。以降もドラマ『華麗なるスパイ』(日本テレビ系)や『サムライ・ハイスクール』(日本テレビ系)など、数多くの作品に出演し、演技の幅を広げる。2011年放送のドラマ『名前をなくした女神』(フジテレビ系)でドラマ初主演を務め、話題に。一方でバラエティ番組にも出演し、2012年からはバラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の人気コーナー『グルメチキンレース・ゴチになります!』にレギュラーとして出演している。その後も、ドラマ『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)や『デート〜恋とはどんなものかしら〜』(フジテレビ系)など、数々の作品で主演を務め、実力派としての地位を確立している。[文・構成/grape編集部]
2020年08月27日俳優として活躍している小栗旬(おぐり・しゅん)さん。実は兄も俳優として活動していたことがあり、現在は会社経営を行っています。そんな小栗旬さんの兄が映画監督志望だったことや、テーマパーク『ムーミンバレーパーク』との関係など、さまざまな情報をご紹介します!小栗旬の兄も俳優! 映画監督を目指し、現在は社長?小栗旬さんの兄は小栗了(おぐり・りょう)さんといいます。小栗了さんも俳優として舞台や映画で活動していたこともあり、兄弟そろって「イケメンすぎる」と話題に!こんなご時世ですが、コミュニティーFMで番組やります。15日の水曜日、夜22時から「水曜夜の小栗了」です。えー、なかなかテンパった感じのする一回目なので、お時間あったら聞いてみてください。ネットで聞けるそうです。ご視聴は→ #発するFM #小栗了 #ラジオ番組 pic.twitter.com/idaIjCdZUC — 小栗 了 (@RyoOguri) April 13, 2020 そんな小栗了さんは1976年9月5日に東京都で誕生。1995年に映画監督になるべく、アメリカに渡っています。2001年には役者として活動するため、帰国。その後、演出家・蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんの舞台や、スティーヴン・セガール主演の映画などに出演しています。2006年に俳優を引退し、オペラ制作会社の『アートクリエーション』に入社。2007年からは同社の制作部門が独立する形でイベント制作会社『NAC』の取締役に就任しました。同年に日本スタッフ代表として『シルク・ドゥ・ソレイユシアター東京』の立ち上げに貢献。2020年現在も代表取締役社長として、企業イベントの企画や演出、制作、進行やアクロバットショー、格闘技、演劇、クラシックコンサートの演出などマルチな活動を展開しています。小栗旬と兄、『鋼の錬金術師』で共演!小栗旬さんは2005年に公開されたアニメ映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』で声優に挑戦。同作では兄の小栗了さんとの共演が実現し、2人並んで公開アフレコ取材に臨んでいます。左から小栗了、小栗旬 2005年小栗旬の兄とムーミンバレーパークの関係って?小栗了さんは、2019年3月16日に埼玉県飯能市にオープンしたテーマパーク『ムーミンバレーパーク』で行われる、ショーやアトラクションの演出を手がけています。同施設はムーミンシリーズの世界感とオシャレな北欧のライフスタイルを満喫できるとあって、子供だけでなく大人の間でも人気に。また、現地にもとからある湖や山を施設に取り入れているため、自然美に囲まれた風景も楽しめると多くの人を癒しています。ムーミンバレーパーク紹介そんなムーミンバレーパークの目玉である、『エンマの劇場』で行われるショーの演出や脚本を担当している小栗了さんです。ムーミンバレーパークの新しいショーの演出と脚本担当させてもらいました。「勇気を知った少女」楽しんでもらえたでしょうか?こんな時だからこそ、なにか質問や聞きたいことがありましたら、答えられる範囲で答えようかと思います。批判もwelcome! #ムーミンバレーパーク pic.twitter.com/5NNbxthuG3 — 小栗 了 (@RyoOguri) March 28, 2020 ここでは『Sound AR』という最新の音響技術を使用。これまでにない臨場感やサウンドが味わえるとあって、ムーミンファン以外の間でも話題になりました。そんなアトラクションを完成させた小栗了さんは、次のようにコメントしています。昨今、体験して経験するアトラクションは増えていますが、体験して経験して感動を残せているものは少ないと思います。このSound ARはムーミントロールの成長譚として、一緒に経験していただき、ムーミンが感じた気持ちを共有してくださったらありがたいです。想像力をフルに活用して楽しんでいただけたらと思います。ムーミン公式サイトーより引用また、自身のツイッターでは『ムーミンバレーパーク』に関するさまざま情報を投稿。今の相方。ムーミンバレーパーク、埼玉県飯能市に3月16日オープン!ぜひ、来てね! pic.twitter.com/Z4hqv8ktP5 — 小栗 了 (@RyoOguri) January 16, 2019 ムーミンバレーパーク、本日オープンしました。二ヶ月半のムーミン谷での仕事は自分にとって本当に勉強になる時間でした。関わって頂いた皆様、ありがとうございました。後は、観に来ていただける方々が喜んで、楽しんでもらえたら幸いです。 pic.twitter.com/4iyi1nbTOR — 小栗 了 (@RyoOguri) March 16, 2019 『ムーミンバレーパーク』での仕事は、小栗了さんにとってかけがいのない財産になったのでしょうね。小栗旬の父も舞台監督 小栗家は演劇一家?小栗旬さんと小栗了さんの父親は、舞台監督の小栗哲家(おぐり・てつや)さんです。小栗哲家さんは年末に行われる合唱イベント『サントリー1万人の第九』で舞台演出を務めており、2017年の大阪城ホールで行われた同イベントでは、息子・小栗旬さんと初の親子共演を果たしています。この時、小栗旬さんはシラーの詩を日本語に翻訳した『よろこびのうた』を朗読。終了後は「とても楽しかったです」と興奮した様子を見せ、父親の仕事ぶりを高く評価しています。いつか小栗了さんも、このイベントに参加し、親子で活躍する姿を見せてほしいですね。小栗一家のさらなる活躍を楽しみに、これからも応援しています!小栗旬 プロフィール生年月日:1982年12月26日出身地:東京都血液型:O型身長:1843所属事務所:トライストーン・エンタテイメント幼少期の頃から児童劇団に入団し、子役として活躍。ドラマ『GTO』(フジテレビ系)に出演し注目を集めると、以降『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や『ごくせん』(日本テレビ系)、『花より男子』(テレビ朝日系)など数々の人気ドラマに出演し、ブレイクを果たす。また、『宇宙兄弟』や『銀魂』、『追憶』『人間失格 太宰治と3人の女たち』などの映画でも存在感のある演技を披露。日本を代表する俳優の1人として活躍を続けている。小栗旬が『離婚危機』をキッパリ否定! 妻・山田優との関係性は?[文・構成/grape編集部]
2020年08月20日3人の男の子を育てながら漫画を描いている、まりげ(@marige333)さん。ある日、次男のぽんちゃんと三男のさんちゃんを連れ、公園に遊びに行きました。夕方になり、そろそろ帰宅しようと2人に声をかけたものの、さんちゃんはまだ帰りたくない様子だったのだとか。すると、弟想いの兄は…。【 帰宅拒否。兄の心、弟知らず 】(4枚)末っ子、自由過ぎ pic.twitter.com/kMXpCg6Ot4 — まりげ (@marige333) August 4, 2020 母親の「置いて帰っちゃいますよ」という言葉を真に受けた兄。「かわいい弟を置いていくことなんかできない!」と母親に訴える兄に、ほほ笑んでしまいますね。投稿には、さまざまな声が寄せられています。・ぽんちゃん、かわいすぎます!・うちの長男も同じようなことをするので笑ってしまいました。弟のことがかわいくて仕方ないみたいです。・我が家は兄弟ゲンカばかりするので、うらやましすぎます…。「弟を置いて行かないで」と訴える兄を横目に、1人で走り続ける弟。自由奔放な弟が、兄の優しい気持ちに気付く日が待ち遠しいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月05日優しい飼い主さんと暮らす2匹の犬、8歳のローマンと6歳のスパンキー。2匹は初めて会った瞬間からすぐに仲よくなり、今では本物の兄弟のようにいつも一緒に過ごしています。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2014年 5月月11日午後12時53分PDT海外メディア『Bored Panda』によると、飼い主さんはある日、ローマンの耳が腫れているのに気が付いたのだそう。動物病院で診てもらったところ、耳に血腫ができていて手術が必要だということが分かったのです。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2019年12月月27日午前7時29分PST手術が2週間先まで予約できなかったため、その間に耳の腫れが悪化してしまい、ローマンはだんだんと元気がなくなってきたのだとか。またスパンキーはそんなローマンを見て、とても心配するようになったのだそう。そして手術の5日前、ローマンの体調を心配した飼い主さんは室内に監視カメラを付けて、自分が不在の間も犬たちの様子を確認することにします。すると…カメラに信じられない光景が映っていたのです。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2020年 6月月28日午前6時32分PDTカーペットの上に横になっているローマン。するとスパンキーがベッドを引きずって彼のそばに持ってきてあげたのです。それから2匹はぴったりと寄り添って眠っていました。感動した飼い主さんの姉妹が動画をSNSに投稿するとたちまち拡散され、多くのコメントが寄せられています。・なんて優しい子。涙が出たわ。・彼らはこの星でもっとも賢くて愛情深い生き物だ。・兄弟愛だね。普段から2匹は遊ぶ時も眠る時もいつでもそばにいるのだそう。きっとスパンキーはローマンの具合がよくないことに気付き、少しでも助けてあげたいと思っているのでしょう。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2017年 2月月5日午後5時43分PST『Bored Panda』によるとローマンの耳の手術は無事に終わり、術後の経過も良好だとのこと。今では耳の不快感がなくなり、すっかり元気を取り戻したそうです。よかったですね。ローマンの手術の後も、スパンキーはずっと彼のそばに寄り添っていたといいます。体が健康でない時は心も弱くなってしまうものです。そんな時に優しい弟犬のサポートは、ローマンにたくさんの癒しとエネルギーを与えてくれたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月13日2020年7月9日放送のトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、お笑いコンビ『品川庄司』の庄司智春さんが出演。司会の黒柳徹子さんに読み上げられた、母親からの手紙の内容に驚く声が上がっています。庄司智春の兄の身に起きた、夏休みの悲劇アイドルグループ『モーニング娘。』の元メンバーである藤本美貴さんと結婚し、3人の子供に恵まれた庄司さん。子育てのエピソードに続いて、お笑いの道に進んだ経緯を黒柳さんに話しました。番組の終盤になると、徹子さんは庄司さんの母親から預かった手紙を代読。感謝の言葉とともに書かれていたこととは…。智ちゃんへ今日はいつもは口に出せない感謝の言葉を伝えたいと思います。智ちゃんが大好きだったお兄ちゃんがたった11歳で亡くなり、家の中が暗くなった時は、末っ子のあなたがいつも家族を笑わせようとしてくれていましたね。そしてもうひとつ。私たち夫婦が海外旅行に行ったことがなかったので、結婚式をハワイで挙げてくれましたね。本当に楽しかったです。嬉しかったですよ。美貴ちゃんにも感謝ですね。とにかく、病気せずに元気でいてください。母、久美恵より徹子の部屋ーより引用手紙につづられていたのは、庄司さんが小学4年生の時に起こった悲劇。小学6年生だった兄が夏休みに学校のプールで倒れ、亡くなったことについて触れていました。手紙の内容に耳を傾け、「明るくしようとテンションを上げていた感じはある」と当時を振り返った庄司さん。お笑いタレントになったルーツには、きっと兄の影響もあるのでしょう。また、庄司さんは「この世界に入る時もたぶん、両親的にはあんまり賛成ではなかったと思うんですけど、やっぱり兄が若い時に亡くなっているんで、好きなようにいかしてあげたいなという想いはあったのではないか」と語りました。【ネットの声】・まったく知らなかった。幼少期からつらい思いをされて大変だったと思う。・自分もどん底の気分だったろうに…人のために振る舞える人って素敵。・強い人ですね。応援したくなりました。家族を亡くした心の傷は、いつまでも痛み続けます。もしかしたら、心に傷がつく前と同じ状態まで癒えることはないのかもしれません。しかし、失った時の痛みを知るからこそ、『大切な人たちとともに過ごす時間の尊さ』を理解できるということも。愛妻家で知られる庄司さんの家族愛の深さに、多くの人が納得しました。[文・構成/grape編集部]
2020年07月12日事実無根の風評被害を書かれている。遺憾の意を表したい。そんなメッセージとともに、1枚の写真をTwitterに投稿した、こばるん(@428sk1_guardian)さん。一体投稿者さんが受けた風評被害とはなんなのか…それが、こちらです。妹の漢字練習の例文に事実無根の風評被害を書かれている 遺憾の意を評したい pic.twitter.com/HpgJtZGV9p — こばるん@東こばると (@428sk1_guardian) June 24, 2020 兄の成績が悪すぎて、留年した。漢字の『留』を使った例文に、兄の留年という事実無根のネタをチョイスした投稿者さんの妹。先生の「つらい例文ですね…」という赤字が、より一層悲しみをあおります!【ネットの声】・「あまりにも」を入れる、妹の気持ちたるや。・予言の書では…?・どうしてそれを選んだんだ!コメントにもあるように、妹さんが例文として書いた「兄が留年」が実現しないことを願うばかりです…![文・構成/grape編集部]
2020年06月25日ウーマンエキサイトの読者のみなさん、こんにちは!8歳と5歳のやんちゃ兄弟を育児中のなーみんです。子どもが小学生にもなると友達が家に遊びに来たり、逆に遊びに行ったりということがありますよね。我が家も、長男が2年生後半くらいになった頃から、友達が遊びに誘いにくるということが増えました。■長男のお友達が家にくると出てくる“ある問題”家の中にはなるべく入れたくなかった私…。(家の中がキレイじゃないから 笑 )でもお友達と一緒にゲームがしたいなどの理由で少しだけ入れることも。外にゲーム機を持っていかれるよりは、家でやってくれたほうが良いですよね!長男のお友達が来ると必然と次男も一緒に混ざって遊び始めます。何度も遊んでくうちにすっかり長男の友達も自分の友達と思うようになった次男。でも“ある問題”が出てくるようになりました。家遊びに飽きたお兄ちゃんたちは「今度は外で遊ぼうー」と言って外に行こうとするのですが、さすがに次男も~というわけには行かず。そこで引き留めるんですが、これがもう大変で大変で。「じゃあ、みーはママと公園に行こう!」と言ってもダメなんですよね…、お兄ちゃん達と一緒じゃないと。同じ公園に行けばいいことなんですが、そうなると次男も混ざりたがるため遊び方が制限されてしまい長男も不満そうで。長男と次男は3歳離れているのですが、今の時期だとその差が結構大きくて。遊び方もダイナミックになってくる長男に対して次男はまだそこまでついていけません。長男は全力で遊べなくなってしまうので、それがストレスになっているようでした。■長男が思いついた“ある方法”そこで長男が思いついた“ある嘘”。嘘は良くないんですが、時にはついて良い嘘もあると思っています…!長男が友達と遊びに行くときは「学校に行ってくる!」と言っています。そうすると次男もすんなり諦めるんです(笑)嘘をつかれて可哀想だなという部分ももちろんあるんですが、この嘘は許しています。私も子どもの頃に6歳離れた妹と一緒に遊ぶことがあったのですが、やっぱり遊び方も制限されるしストレスに感じてたこともあるので長男の気持ちがわかるんです。兄弟仲良く遊んで欲しいという願いはありますが、友達との時間も大事にしてほしいですよね!来年は次男も小学生になるのでこの嘘は通用しなくなると思いますが、その頃にはもう少し我慢ができるようになってることを願っています!
2020年06月18日強豪校へ行った兄にようになることがモチベーションの次男。楽しそうにサッカーしているけど、チームメイトとのレベル差もあり、最近ではスクールを辞めたいようなことを口にすることも。運動神経あまりよくなく、兄のように強豪校へ進む進路は無理そうだけど、進路についてどう話せばいい?前向きにさせるか、違うことにモチベーションを持たせるか......。と悩むお母さんよりご相談をいただきました。みなさんならどうしますか?今回もスポーツと教育のジャーナリストであり、先輩サッカーママでもある島沢優子さんが、取材で得た知見をもとにお母さんへ3つのアドバイスを送りますので参考にしてください。(文:島沢優子)(写真はご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)<<グローブがなく素手でGKを務めた息子。Bチームは面倒見てもらえないのか問題<サッカーママからのご相談>10歳の息子ですが、強豪校に行った兄を目指し、週1だけクラブチーム下部組織のスクールに通い始めました。最初はモジモジしていましたが段々と意欲的になり、今では早く行ってグランドの端っこで仲間とアップしています。楽しそうにしているのですが、たまに「今日は3人に突っ込まれ削られた」など不満を口にします。チームメイトとレベルがかなり違う(息子が下手)のは親もわかっているので、プレーがうまくいかなかったことは仕方ないと思うのですが、息子にとってはスクールでの不満が帰宅してから寝るまで続いている感じです。それに対して私は「サッカーの中での事はサッカーで解決しなさい!」とか「仕方ないよ」としか言えなくて。最近は「所属チームだけでいいかな?」と、スクールを辞めたい様な事も口にします。前向きにさせる様にするには親はどうしたらいいのか悩んでいます。兄は6年時にJrユース合格の為準備としてスクールに通い始めましたが、兄弟で運動神経は全く違う(今回相談している弟は鈍い)ので下部ジュニアユース→他県強豪校という進路は無理そうに思います。ですが、兄の様になる事だけがモチベーションの子に、どうやって進路を話したら良いかも不安がありご相談しました。息子を前向きにさせる方向がいいのでしょうか、それとも違うモチベーションを持たせるのがいいのでしょうか。アドバイスよろしくお願いします。<島沢さんのアドバイス>ご相談いただき、ありがとうございます。お母さんからのメールには、以下のような問いがありました。前向きにさせる様にするには親はどうしたらいいのか。息子を前向きにさせる方向がいいのでしょうか。それとも違うモチベーションを持たせるのがいいでしょうか。いずれも「○○させる」が並んでいます。まずは、お母さんの中から、この「○○させなくては」「○○させるべき」「○○させたい」という欲求を追い出してください。■子どもが自分から頑張るために、親はどうすればいいか私も長男が小学校低学年のころはそんな言葉ばかりを頭に思い浮かべていました。「宿題をやらせるのはどうしたらいいか」「サッカーの自主練をやらせるにはどんな方法があるだろう」ところが、親が「こうさせるぞ!」と頑張れば、頑張るほど、うまくいきません。子どもから「嫌だ!」と反発されたり、渋々取り組んだとしても、しょせん親(他者)から言われてやることなので成果が上がりませんでした。では、どのようにしたか。何十万人もの子どもにサッカーを教えながらコーチたちを導いてきた池上正さんや、脳科学の専門家、成果を上げている教育現場の人たちの話を参考にしました。すべての人が口をそろえておっしゃったのは「放っておけばいい」でした。そして、実際に放っておくと勝手に自分で自分の道を選び、そこに向かって努力を始めました。つまり、成長が始まったのです。したがって、お母さんも次男さんを、まずはほったらかしにしましょう。こうさせたい、などと考える。それはいわゆるコントロールしようとする行為です。前向きにサッカーに取り組んでほしいなら「いつでも応援しているよ。できることがあったら言ってね」とひとこと言ってあとは黙っていればいいことです。「私が干渉したままでは、息子は成長しない」ぜひそのように考えてください。■兄弟であっても違う個体なので、上の子の経験に縛られないようにしようそもそも第一子は、兄姉がないぶん可視化できる見本はないし、親も最初の子どもなので知見、経験がない。それは一見ディスアドバンテージに映ります。が、その実、子どもも親も何かの前例や価値観に縛られることなく、その子らしい道を自由に模索できるアドバンテージでもあると思います。第二子は兄や姉の姿が良くも悪くも見本になり、親のほうも、上の子の経験に良くも悪くも縛られがちです。要するに、比べてしまう。これはストレス以外の何物にもなりません。日本の子育てには「切磋琢磨する」とか「きょうだいで競い合って」という表現がありますが、そうしたいかどうかは子どもが決めることです。ご相談文を読んだだけなので想像の域ですが、ご長男は、おそらく小さいころからサッカーが得意で自分からどんどん取り組んで強豪校への道も自分で選んだのだと思います。したがって、親のほうもただ見守っていればよかったでしょう。ところが、次男は長男とは違う個体です。違っていて当然。でも、親は迷う。お母さんはいままさに「子育ての森」で迷子になっています。■子どもをコントロールしないで見守ることでは、どうするか。以下の三つを参考にしてください。1.コントロールしようとしない。冒頭でも伝えましたが「○○させる」とは考えないこと。「この子、どんな大人になるかなあ」とゆったり構えてください。子育ては、飯の食える一人前の大人に育てることが第一目標です。サッカーで強豪校に行く、名門のジュニアユースクラブに行く。これはプロセスにおける名誉かもしれませんが、実際はあまり重要なことではありません。例えば、本人が生きがいを見つけて気持ち良く人生を歩む。そんな姿を思い浮かべると、サッカーで試合に出られようが出られまいが大したことではない――親はそう思って見守ったほうがいいと思います。子どもはこのことに懸命になるでしょうけれど、親はそのカオスに巻き込まれることなく離れて見守ったほうがいいのです。子どもは必ずや、のちにお母さんがそのような達観した姿勢で置いてくれたことに感謝するはずです。「いろいろうるさくいわずに放っておいてくれて助かったよ」と。2.「言わなきゃ」よりも「聴かなきゃ」「サッカーの中での事はサッカーで解決しなさい!」とか「仕方ないよ」としか言えなくて。とあります。お母さんがおっしゃっているように、どちらの言葉も意味がありませんね。お母さんだけじゃないです。みなさん「親だからきちんといいアドバイスをしよう!」と思い込んで、空回りしがちです。そうではなく、お子さんの話を聴いてあげてください。別にじっくりじゃなくてもいい。「どんな気持ちだったの?」「どう?大丈夫?サッカー、楽しい?」質問をすると、次男君が自分の気持ちと向き合える機会が作れるかもしれません。■子どもの気持ちを親が決めつけていませんか(写真はご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)3.兄弟を比べない自分の中で比べたくなります。でも、比べないこと。比べるのなら、いいところを必ず探してあげましょう。お母さんだって、よそのお母さんと比べられると嫌ですよね?子育てがうまく行ってない人の99%が、きょうだいで比べたり、よその子とわが子をよく比べます。「うちはこんなんだよ。Aさんちの息子さんはいいなあ」と。お母さんの言うように「兄の様になる事だけがモチベーション」だとしたら、もしかしたら親御さんの態度も関係しているかもしれません。「サッカー、楽しい?楽しいなら続ければいいと思うし、そう思えないなら違うことをしてもいいよね」と伝えてください。子どもの気持ちを決めつけていないか?子どもの力を信じているか?ご自分の子育てを、少しとらえなおしてみましょう。島沢優子(しまざわ・ゆうこ)スポーツ・教育ジャーナリスト。日本文藝家協会会員(理事推薦)1男1女の母。筑波大学卒業後、英国留学など経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』や『東洋経済オンライン』などで、スポーツ、教育関係等をフィールドに執筆。主に、サッカーを始めスポーツの育成に詳しい。『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実そして少年は死ぬことに決めた』(朝日新聞出版)『左手一本のシュート夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『王者の食ノート~スポーツ栄養士虎石真弥、勝利への挑戦』など著書多数。『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(池上正著/いずれも小学館)ブラック部活の問題を提起した『部活があぶない』(講談社現代新書)、錦織圭を育てたコーチの育成術を記した『戦略脳を育てるテニス・グランドスラムへの翼』(柏井正樹著/大修館書店)など企画構成も担当。指導者や保護者向けの講演も多い。最新刊は『世界を獲るノートアスリートのインテリジェンス』(カンゼン)。
2020年06月11日新型コロナウイルス感染症の影響で2020年4月に、緊急事態宣言が発令。学校は休校となり、多くの子供たちが家で勉強をしなければいけませんでした。しかし、同年5月、一部の地域で緊急事態宣言が解除され、学校が再開されたところもあります。3人の子供を育てている、秋山(@Aki8ma_3)さんの長男も早速小学校が始まりました。入学式以来の登校となる長男。「大丈夫かなー」と不安げな様子だったといいます。2歳の次男は、そんな長男の言葉を聞いて頼もしくこのようにいったそうです。にいちゃん、だいじょうぶだ!オレがいるぞ!不安を漏らす兄に対して、勇ましい発言をした次男。しかし、発言直後に次男に大ピンチが!なんと、不安…ではなく、おしっこを漏らしてしまったのです。かっこよく決めたものの、夫に抱きかかえられてその場から退場。ついに小学校の再開が決まった。入学式以来の学校に「大丈夫かなー…」と不安そうな長男(6)の声をそばで聞いていた次男(2)が「にいちゃんだいじょぶだ、オレがいるぞ」って言ったあとにおしっこを漏らして夫に抱えられて退場しました。— 秋山 (@Aki8ma_3) 2020年5月22日 2歳児らしいオチに「かわいすぎるでしょ!」「気持ちは十分に伝わった!」などのコメントが寄せられていました。その場からは退場になってしまったものの、次男に元気づけられた長男はきっと勇気を出して登校することができるでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年05月23日妹系女子がモテる理由とは?男性に好かれやすい女性は男兄弟がいる可能性が高いです。特にお兄ちゃんがいるパターンが多く、自然体で男性心理やコミュニケーション術を学んでいます。小さなころから男性と自然体でコミュニケーションを交わしてきた強みモテる女性は男兄弟がいる可能性が高いです。それも、いわゆる頼れるお兄ちゃんがいる場合が少なくありません。その理由として最初に挙げられるのが、男性とのコミュニケーションに慣れている点です。姉妹だけの家庭、あるいは一人っ子の状態で育った女子はあまり男性とのコミュニケーション経験が積めません。一方でお兄ちゃんがいる家族構成だと、幼少期から当然のように男性と会話やスキンシップをする事となり、自然体で男性相手のコミュニケーション術が学べるのです。ポイントは自然体なコミュニケーションであり、兄と普段から色々な話題を話す事で、いわゆる男友達やボーイフレンドの前でも、活発でフレンドリーな一面を見せられます。自然体で男性に甘えられる、それが妹系の長所幼少期から兄と一緒に遊ぶ、会話をする、スキンシップを交わす事で無意識的に男性心理や男心が分かるようになっている、これもまた妹系女子の強みです。嫌味なく男性に甘えるのが得意であり、普段は活発で積極的な性格なのに急に、自分に甘えてくる、そんな子猫のような愛らしいしぐさに世間の男性陣は弱いです。兄がいる女性だと、どういった風にお願いすれば良いか過去の経験から無意識的に最適な言葉や仕草を学んでいます。そしてただ男性に頼るだけではなく、きちんと毎回丁寧にお礼を言ったり、普段から周囲の男性を本心で慕っているため、職場や学校においても、ぶりっ子という評価は受けず、文字通りグループの妹役として愛されやすいのです。男っぽい趣味に理解がある、それもまた妹系女子のアドバンテージ男性的な趣味に理解があるのも妹系女性の強みであり、普通の女子だとあまり話題についていけない、人気少年漫画のディープな話や過去に大ヒットしたテレビゲームの話や深夜アニメの話なども、どんどん加わっていけるのがアドバンテージです。兄と一緒にテレビゲームを子どもの頃からプレイしていたり、兄の影響を受けて男性向けのサブカルにとても詳しくなっていれば、学校や職場の男性陣と違和感なく、世間話や趣味のトークで盛り上がれます。普通の女子にはない男性的な趣味を幼少期から学んでいる、更に嫌味なく男性とサブカルの話題で盛り上がれるため、自然と男性陣から好感度が高くなりやすいのです。
2020年02月19日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者となった兄を献身的に世話してきた両親は、長い年月をかけて現実を受け入れ、ようやく前向きに人生を歩みだしました。いっぽうで私は、人間関係に悩むようになっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 20人と人との “距離”ってなんだろう……?精神を病んだ兄に全てを注いできた両親ですが、祖父母の言葉でありのままの現実を受け入れることができ、心にゆとりを持ち始めました。そのことをとても嬉しく思った私ですが、私自身は人間関係に悩むようになっていました。地元にいる時は、自分の意図と関係なく作られる人間関係も、地元を離れると良くも悪くも関係づくりは「自由」です。仕事で出会った人、飲み会で出会った人、友人の紹介で出会った人——。自分のことを正直に話す必要もなければ、相手のことを深く知ることも「自由」。その場限りの人間関係に対して、兄の話をすることは基本的にはなく、「兄弟っているの?」と家族の話題になれば、笑顔で「ひとりっ子だよ〜」と言ったり、「兄がいるけど遠くに住んでいて、まったく会っていない」と言ったりして適当に流していました。小学生、中学生と幼いときの私は、兄に対して「自業自得だ」と酷く不満を感じていましたが、年齢を重ねるにつれて精神的にも少しずつ大人になり、兄のことを責める気持ちは消えていました。しかし、障害を持つ兄の話題をあえて膨らませる必要はないと思っています。それは今でも変わりません。これらの言動は、相手に対して変な心配をかけないための返答であり、“良い嘘” だと感じていただけると幸いです。心の壁が顕著に出るのは、恋愛だった兄の話を具体的に知っている人は、私の周りに今でも少ないです。本当に気心しれた数人のみ。……良くも悪くも、悩んでいたり落ち込んでいたりする姿を極力見せないようにしてきたおかげで、「いつも笑顔で元気な子」「悩みがなさそう」というイメージで生きてこれたと思っています。仕事の人間関係や女友だちの間柄では、そこまで深く悩むことがなかった私ですが、顕著に心の壁が出てしまう時がありました。それは、大学を卒業しても克服しきれなかった、恋愛——。飲み会やデートはたまにすることはあっても、生涯を一緒に歩むことができる男性をイメージすることは、20代後半になってもできませんでした。学生時代の彼以降、何人かとは恋愛関係にありましたが、今振り返っても “作り物の私”。仕事の合間に時々会って、デート。笑顔で写真を撮っては、「また会おうね」と元気にメッセージを送るだけ。彼から距離を詰められると、「最近は忙しいから」「今週は、予定があるから」など、会う頻度をわざと減らすこともありました。「なんか心音って、心を開いてくれないよね」数年一緒にいた彼からは、同棲の話が出たこともありますが「私は、まだ結婚は考えていない」「一緒に住むのは、まだいいや」「自分の時間を大切にしたい」と、言われたら相手が傷つくであろう言葉をわざと言っている自分に薄々気づきながら、素直に恋愛することを避けていました。「なんでそんなに強がるの?」「もう少し、心を開いてほしい」「悩みがあるなら言ってよ」と言われるほど、私の心は殻に閉じこもっていったのです。その時は、ただ強がることしかできなかったけれど、わざと突き放していた本当の理由は、すべてを知られるのが怖かったから。私が兄の立場だったら、家族にこんなふうに思われるのはとても苦痛です。そんな気持ちを抱いてしまうのはよくないことだと思うけれど、相手がどんな反応を見せるのか……。もしかしたら、嫌われるかもしれない。オブラートに包んではっきりとは言わなくても、距離を置かれるかもしれない。自分には、背負いきれないと思われるかもしれない——。誰からもそんなことを言われていないのに、なぜか私は勝手に不安を感じていました。加えて、悩みや弱い部分を知られたら、自分を保てなくなるのではないか? と崩れる精神状態を恐れて、ある一定の人間関係より深くなる瞬間を感じると、突き放す癖が治らなくなっていきました。結婚や子育てのイメージ世の中では、「婚活」がブームになりましたが、幼い頃から兄の世話で苦労していた両親を見ていた私は、「家庭=大変」というイメージがどうしても拭いきれませんでした。もちろん、最愛の人と結ばれて子どもができて、新しい家族とともに幸せな家庭を作ることは、素晴らしいと頭では理解しています。理屈では消化できていても、心がついていかなかったのです。ずっと、ずっと——。©gilaxia/Gettyimages©ljubaphoto/Gettyimages©fizkes/Gettyimages
2018年07月26日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神を患った兄につきっきりになってから、気づけば早10年。走り続けた両親に安堵を与えたのは、祖母や祖父の言葉でした。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 19“頑張る気持ち” は、どんどん首を締めるばかり兄の状態が変化し始めてから、気づけば10年近くが過ぎていました。母は仕事をやめて、平日は仕事の父も休日は病院に同行。薬の飲み忘れがないようにフォローしたり、病院や薬に頼ることなく模索したり……。それを、10年も続けたのです。「頑張れ」「精一杯行動すれば、なんとかなる」「道は開けるに違いない」——。それらの言葉は、時として本人たちの首を締める言葉にもなります。私は、両親の “頑張り” に誇りを持っていましたが、それ以上頑張り続けたら両親のほうが疲れ果ててしまうと感じたので、これらの励ましの言葉は一切口にすることはありませんでした。まだできる、もっとできる……。この10年の間、私はプライベートを優先する両親の姿を見たことがありません。旅行や遠出の移動は、兄を連れて行くと周囲に迷惑がかかるため極力避けていましたし、兄は当然自炊ができないので、母や父のどちらかがご飯と薬の用意をしなければならず、夫婦でのんびり過ごすということもしなかったのです。また、病院に行くときはオシャレな格好が似つかわしくないからと、地味な服装で医師や看護師に頭を下げる日々……。たまには、好きな服を着て息抜きに旅行をしたって、罰は当たらないのではないか? と思うほど、両親は自分たちの人生すべてを兄に注いでいました。兄のためにも、「前を向いて生活しなさい」そんな時に支えてくれたのは、祖母と祖父の存在です。祖父母の家には、兄を連れていくこともあり、彼らは実際に兄の様子を目の当たりにしていました。そして、両親が思い悩む気持ちを汲み取りながら、親身に相談に乗ってくれることも……。唯一、兄の状況を知っていた祖母や祖父から言われた助言。それは、「お兄ちゃんは、病気です。前を向いて生活すれば良い」という、励ましでもなく応援でもない言葉でした。兄の状況を過度に悲観するのではなく、受け入れてあげること。そして、両親は自分たちの人生を明るく生きなさいという指針だったのです。兄の状況がよくなることを願う気持ちはみんな同じでしたが、“良い意味” で兄を受け入れることが、両親にとって大切なターニングポイントになったと言います。本来なら、仕事をしてやりがいを得ているかもしれないし、最愛の人を見つけて家庭を持っているかもしれない。そんな期待を抱えていたから、大人になった兄の “今の姿” をちゃんと受け止めることができなかった。それが、両親の本音だったのかもしれません。現状をふまえ、少しずつ気持ちを楽にすることで、張り詰めていた “何か” がほぐれていったのがこの時期でした。おそらく、娘の私が同じ言葉を言っても、両親の心境を変えることは難しかったと思います。祖父母だから言える、“本物の助言”。苦しい時に染み入る言葉は、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が大切だと学びました。以前通っていた病院へ戻ることにそして、両親は高額な自費診療をやめて、2つめに訪れた一番兄が落ち着いていた病院へ兄を再び通わせることにしました。いろいろと問題はありましたが、薬の量や体との相性、処方の方向性などを総合し、最も兄に合っていると判断。毎日思いつめていた気持ちが少しずつ穏やかになっていったのです。母は、パートタイムで仕事に復帰。仕事をする意味は、「お金を稼ぐ」ことだけではありません。仕事をすることで、いろいろな人とコミュニケーションが取れ、たわいのない世間話や趣味の会話をする時間を持てるようになりました。植物が好きな母は、花いじりをしたり、休日はガーデニングのワークショップに出かけたり。父は仕事漬けの毎日を少しずつ改めて、休日は早く起きてゴルフをしたり、ピアノを習い始めたりとアクティブに行動し始めました。“自分の時間” が、両親の毎日にやりがいと楽しみを見出すきっかけに繋がったのです。そんな両親の姿をみて、私は嬉しさを感じていました。いっぽうの私は、進路だけでなく、恋愛に対しても悩みを抱えていました。——。明るく振舞うことは得意だけれど、弱さや悩みをさらけ出せる、深い関係を築くことがうまくできなかったのです。©Zinkevych/Gettyimages©CaoChunhai/Gettyimages©AH86/Gettyimages©Ulianna/Gettyimages
2018年06月23日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神疾患の兄は薬の量も半分に減り、落ち着きを取り戻したかと思った矢先。両親は、新聞に大きく載っていた自費診療の病院を発見しました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 18両親は、誰よりも兄の回復を待っていた兄がお世話になった病院は、今まで2か所。両方とも、保険が適応される精神科でした。高校のある時期から激変した彼の状況に戸惑いながらも、やっと慣れてきた生活でしたが、両親は障害者手帳を発行された後も、兄の回復を諦めませんでした。「お兄ちゃんは、どこも悪くない」「また何かの拍子できっと、よくなる」と……。もちろん、自分の子どものことですから、両親が兄を良くしたいと思う気持ちは痛いほどわかります。しかし、妹の私からすると、当初に比べれば兄の状態はだいぶ落ち着いてきたように思えました。暴力的な言動や、過度の引きこもり生活を抜け、薬の量が半分に減り、入院ではなく通院に変わり病院に行く頻度もかなり落ちている。また、障害者手帳の申請や、障害者年金の受理までしているのだから、両親はもう少し気持ちを楽にしてはどうかと客観的に見ていました。世の中にあふれている「広告」そんなある日、「お兄ちゃんの病院を変えようと思う」と母から連絡がありました。なぜいきなりそんなことを言い出したのだろうか……?と考えていたのですが、よく聞けば新聞に大きく載っていた精神科に最後の望みをかけて診てもらいたいとのこと(当時は、藁をも掴む思いだったので深く考えていなかったけれど、その新聞掲載は記事ではなく広告だったそうです)。私は実家から離れて暮らしていたので、どんな状況だったかはわかりませんが、「都会に有名な精神科があるらしい」と田舎生まれの両親が言うのです。内容を詳しく聞いてみると、その病院は保険がきかない自費診療。実家から電車と新幹線、そして診察代や薬代を合わせたら1回行くだけでも約5万円くらいはかかります。正直、心の病気で悩んでいる人が一向に減らない現代で、自費診療を受けたから何かが急激に変わるとは思えず、私は半信半疑でした。しかし、基本的に、病院のことや薬については両親が決めていることなので、「興味があるなら、行ってみても良いんじゃない?」と反対はしませんでした。診断結果と処方薬が変化し、さらに悪化父が休みのときは一緒に行くこともありましたが、基本的に母と兄の2人で都会の病院へ通うようになりました。2年半近くそこの病院にお世話になりました。病名は、統合失調症ではなく「高次能機能障害」と診断があり、処方内容も異なりました。1回の診察で約5万円かかるので、総合的にみるとかなり高額な費用だったと言えます。結論からいうと、その病院に通って兄の病状は悪化してしまいました。高額な費用がかかったにも関わらず、兄はいつも興奮している状態で、当初の荒々しい兄に戻ってしまったかのよう……。両親が当時を振り返ると、「ビジネスとして成り立っている病院もあると思う」とのこと。もちろん、私たち以外の家族では成功した例もあるかもしれませんし、兄とは診察内容が合わず無念な結果になっただけ。そう思いたいのですが……。夢中になっている両親を救った言葉しかし、働くことができない状況の精神障害患者を対象に、自費診療を家族が長らく続けることは現実的に考えると難しい計画です。また、個人的な意見では、新聞に広告を出す予算があるならば、診察料をもっと良心的な値段に落としてもいいのではないでしょうか。とはいえ、「精神障害」患者を抱える家族にとっては、どんな手段でもいいから改善したい、社会復帰のためになんとかしたい、と辛抱強く頑張るケースは少なくありません。そんな藁をも掴む想いで頑張り続けた、両親を救った言葉。それは、祖母や祖父からの助言でした。©Geber86/Gettyimages©Daniela Jovanovska-Hristovska/Gettyimages©kieferpix/Gettyimages©AH86/Gettyimages
2018年06月07日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。通い慣れた精神科で、まさかの出入り禁止になった兄。バスに揺られて新しい病院へ向かいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.15誰にも相談できずに通い続けていた他の患者さんへ迷惑行為を重ねたために「出入り禁止」となった精神科は、兄が初めてお世話になった病院。入院と通院を始めてから、気づけば5年の月日が過ぎていました。その間に前進したことは、病名が統合失調症と判明したことや薬を毎日23錠飲むこと。そして、長らく通った病院から診断書を書いてもらうことで障害者手帳を申請し、重ねて書類の内容から障害者年金(※)を受け取れるようになったことです。※障害者年金は、診断書の内容や生活状況などで国から降りる金額が異なります。身内や近しい人たちにこのような経験をしている人はおらず、相談する先はいつも病院か市役所でした。兄がこのような状態になってからは、誰に相談したらよいのか? 正解はどこにあるのか? と、両親は日々模索したといいます。しかし、兄の病気のことは公にはできないため、家族間で内密にしながら改善方法を探すのは困難を極めました。インターネットやスマホの普及に伴って、たくさんのweb情報が公開されている現代にも関わらず、「精神障害」については触れにくくセンシティブな問題。信頼できる情報を探すことは、非常に難しいことでした。そして、「精神障害」に関する本を読んでも参考にはなるけれど、気軽に相談できるような相手ではなかったり情報元が古かったり……。ましてや同じ病院に通っている家族に聞いても、お互いに悩んでいることは同じなので、解決策はありません。そんな出口のないトンネルを、両親はひたすら彷徨い続けていました。「出入り禁止」が、逆転の発想に繋がる当時は、この「出入り禁止」を言い渡されたことはショックでしたが、今思えば違う医師の意見を聞く良い機会だったと思っています。相談する先がないため、両親は常に病院の方針と医師の言葉に従うだけの日々。「薬を◯錠飲んでください」と言われたら、疑いの余地もなく飲むしか選択肢がありませんでした。しかし、新しく訪ねた精神科で初診を受けたときのこと。病名は同じ統合失調症でしたが、薬の量がなんと1日12錠になったのです。嘔吐や気性の激しいアップダウンに耐えながら、23錠を5年間飲んでいたのにも関わらず、違う医師に診てもらったら半分近くまで薬の量が減少……!母に当時のことを聞いたら、「初めの病院は、薬が強いものが多く出されていた」「その時は相談する相手がおらず、医師の指示に従うしかないと思って鵜呑みにしていた」といいます。セカンドオピニオンの大切さを感じた出来事に変化したのです。病院によって方針がまったく異なるもし、あの「出入り禁止」がなければ、今も診察内容を疑わずに大量の薬を飲み続けていたかもしれない……そう思うと、不安がよぎります。もちろん、右も左もわからない状況の中、病院や医師のサポートのおかげで、いろいろなことが前進しました。しかし、二つ目の病院では薬の量が半分近くになった。これは、兄の体への負担を考えると、減らしたほうが良かったと素人の私たちには思えました。もし、同じように精神科の薬で悩んでいる方がいたら、腰が重たくても違う病院の診察を受けたり、違う医師の言葉に耳を傾けてみたりすることを強くオススメしたいと思います。外科のように、目に見えて切り傷が治っていく様子がわかれば良いのですが、“心の病気はその治っていく様子が見えない” のが難点です。診察後は基本的に、「飲み薬」が出されるのみ。症状が悪化したことを報告しても、また違う薬を重ねて出すだけ。その繰り返しで、どんどん薬の量が増えていくのです。初めての経験で、周囲に相談ができない状況のなか、見たこともない薬の名前をただひたすら飲む……。もちろん、それらが体に合っていて、症状が良くなっている兆しがあれば良いのですが、疑わずに副作用の強い薬を飲み続けるのは、私たちの経験からも一度見直したほうが良いと感じています。大学へ進学した私は、彼への壁が厚くなり……。その頃、高校を卒業した私は、県外にある女子大へ進みました。専攻は、幼い頃から心の支えだった音楽。「家族のことを教えて欲しい」と踏み込んでくる彼氏の言葉に耐えられず、私は彼とお別れを告げて自分のやりたいことに専念し始めます。今思えば、あの彼が唯一 “自然体な私” を知る男性でした。そこから私は、女子ばかりの大学生活を送り、男性と深い距離になることが難しくなっていきましたーー。©AngiePhotos/Gettyimages©Doucefleur/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages
2018年05月16日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。お世話になっていた近所の病院へ勝手に出入りする兄は、気づけば迷惑行為をするようになっていました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 14「家からすぐそこ」が逆効果だった田舎だった私の実家は、スーパーに行くのもコンビニに行くのも、徒歩30分はかかりました。近くにあるものといえば、自動販売機と雑貨洋品店くらい。ですから、車がないと生活ができません。そんな環境ではありましたが、母は車を運転できなかったので、遠出をするときや買い物をするときは、いつも父が出向いていました。困ったのは兄の通院です。平日、父は仕事で朝から晩までいないため車を出すことはできません。すなわち、病院はなるべく近い場所が好ましかったのです。幸運にも、近所の精神科は徒歩10分程度。自動販売機の次に近い場所にあったと言ってもいいくらいの距離でした。つまり、兄の通院は「すぐそこ」に行くだけ。これが、母にとってメリットだったのですが、兄にとってはデメリットでもありました。ひとりで勝手に病院に行く兄骨折や切り傷は、「治療が終わればまた元の生活ができる」というゴールがありますが、兄の病気はそういうものではありません。ですから、正直なところ精神科病棟は患者もその家族も、どんよりとしています。私がこうして綴っているように、精神的な病気を持つ人が家族にいると、終わりのないマラソンを走り続けているようなもので、基本的に顔は曇り空。明るく病院内で過ごすのは、難しいことでもありました。さまざまなタイプの精神的な治療を受ける患者がいるなか、兄は必要以上に人に話しかける性格でした。もちろん、精神安定剤を飲んでいるため、本来の兄の性格や本望だったかと聞かれたら答えはわかりません。母が目を離した隙に勝手にひとりで病院へ行き、患者さんに声をかけたり、見ず知らずの女性に電話番号を聞いたり、「たばこをちょうだい」と言ったり。そうしたことが続き、ついに医師からの呼び出しを受け「診察中止と病院の出入り禁止」を言い渡されてしまったのです。飲み込むしかない医師の言葉実家の周りには、もちろん他に精神科はありませんでした。母は、バスや電車を使って兄の通院をサポートしなければならない。どんよりとした空気で居心地は決してよくないけれど、やっと通い慣れた病院。そんな頼みの綱から、まさかお断りをもらうとは……。もちろん、病院側の立場になれば無理もない話で、多くいる他の患者やその家族たちに迷惑がかかるのは好ましくありません。医師からの宣告に、反論する余地はありませんでした。一から病院を探し直すことにそこで長らく通った近所の精神科を横目に、バスや電車でなるべく通いやすくて兄に合うような精神科を紹介してもらうため、県内で有名な大学病院に相談しに行きました。そして、利便性、評判、入院施設の有無などトータルで好印象だった病院を紹介してもらい、切り替えることになったのです。兄と母はバスに揺られて初めての診察へ。新しい病院で緊張しながら状況を話すと、医師の口から思いがけない診察結果が返ってきましたーー。©jsmith/Gettyimages©Михаил Руденко/Gettyimages©tuaindeed/Gettyimages©Milos-Muller/Gettyimages
2018年05月05日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された、兄。両親でさえ、この状況を受け入れることに時間がかかりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 12直視できないのは、私だけではなかったこの連載を読んで、兄の凄まじい変化に胸が痛んでいる方もいらっしゃると思います。その胸の痛みは、当時の私たち家族が感じていた紛れもない事実。妹である私ですら、この現実を直視することができずに心をかたく閉ざしていったことを今でも覚えています。そして、両親はさらに苦しい気持ちだったと私は想像しています。なぜなら、障害者手帳が発行された後も両親は、兄のことを周囲に言わなかったからです。この事実を隠していました。冷たく鋭い世間の目唯一両親がこの事実を話していたのは、祖父母と両親の兄弟のみ。本当に近い身内だけが知っていました。両親が仲良くしている古くからの友だちや知り合い、近所の人などは兄がこのような経緯を辿ったことは知りません。「世間体なんて気にしなくても良いじゃん」という意見もあると思いますが、この話をしたことで私たちが得るのは、多くの人からの「かわいそうだね」「大変だったね」と哀れみや同情の言葉だけ。兄が良くなるわけではありません。たとえ遠い身内だったとしても必要以上に兄の話をするのは、余計に私たちがストレスを抱える原因にもなったので、両親もなるべく内密にするようになったのだと察しています。また、よくある “親戚の集まり” のようなものも、兄が迷惑をかける可能性があるため、ほとんどうちにはありません。物心ついた時から結婚式やお葬式、法事などは両親のみが参加。兄は参加しないのが家族のなかでの暗黙の了解でした。“諦めと守り” の意味を理解する兄の回復を切に願っていた両親ですが、明るい兆しは一向に訪れる気配がなく、苦渋の決断をして、障害者保健福祉手帳を申請しました。これは、仕方のない選択でした。しかし、この決断は、デメリットだけではありませんでした。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された兄は、障害者年金として2か月に1回、国から13万円の援助金をもらえることになり、病院の診断や薬代の負担が軽くなったのです。また、交通機関が無料になるなど、地域によって異なるものの、待遇を受けられることに。こうして時間はかかったものの、「障害者」になることを選んだことで、兄を守ることができた。そう考えると、非常に前向きな選択だったと言えることでしょう。今となっては “生活の一部” となっているこの状況も、当時の両親からすると “ギリギリまで諦めたくなかった” というのが本心だと思います。なぜなら、もっと早い段階で障害者手帳を手にすることができたから。8年粘り続けてやっとの思いで申請した。これが、両親の決断だったと思うと、私は深い拍手を送りたいと心から感じています。その頃、私は初めて彼氏ができたこの頃、私は高校生。地元の飲食店でアルバイトを始めた私は、同じバイト先の年上男性と距離が近くなっていました。高校2年生から付き合い始めて、1年半か2年近く一緒にいました。第一希望の高校を落ちた私は、特に楽しみを見いだすことができずにただ通っていた高校生活と、冴えない家庭の間に挟まれて、バイトで元気に働くことが唯一楽しい時間でもありました。家も自転車ですぐ近くの彼。一緒にいる時間が長くなるにつれて、言葉が詰まる質問。それは、「心音の家族って、どんな感じなの?」という話題でした。好きな人に一番聞かれたくないことだったのです……。©laflor/Gettyimages©c11yg/Gettyimages©undefined undefined/Gettyimages©Toru-Sanogawa/Gettyimages
2018年04月18日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。検査入院の結果から、「統合失調症」と診断された兄は大量の薬を服用するようになりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 9飲み始めた “大量の薬”病院で渡された大きな袋と紙の束は、大量の薬と、それぞれの薬に対しての作用と副作用が書かれたものでした。怒りを抑える薬や夜眠りにつくための薬、意欲を出す薬など……。こんなに大量の薬を飲んだこともなければ、いつまで継続するかもわかりません。「とりあえず、様子を見ましょう」という医師の言葉だけが頼りだった両親は、毎食、どのタイミングで飲むのか、指示書を丁寧に読み始めます。飲み忘れがないようにタイマーをかけたり、カレンダーに印をつけるなど、今までしたことがない習慣を作ることからスタート。毎日大量の薬を飲むことは、飲ませる両親も飲み込む兄も大変なことでした。兄は、自分から薬を管理して飲めるような精神状態ではありませんし、ましてや「なんでこんな薬飲まないといけないの?」と時折薬を嫌がることもありました。その気持ちは、家族全員同じ。誰もこんな大量の薬、兄に飲ませたくはなかったですし、これを飲んで良くなる保証はどこにもありません。薬で感情をコントロールする意味私は、自分自身で喜怒哀楽を持つことがもっとも素敵で、健康的だと思っています。そのことを実感するようになったのは、兄がこの大量の薬を飲むことを、目の当たりにするようになってからでした。3年間引きこもりで次第に人とのコミュニケーションが難しくなっていった兄ですが、それでもまだ “自分の意思” で行動したり発言したりすることが微かにあったと記憶しています。大量の薬を飲むことで、“自分の意思” ではない感情になっていった兄の姿は、周りから見ても明らかでした。突然ハイテンションになり笑い出したり大声を上げたりしたら「お兄ちゃん、お薬の時間だよ」と母は丁寧に袋分けした薬を取り出し、兄に飲ませる。そうすると、次第にテンションが下がりじっと椅子に座ることができるようになります。また、急に悲観的な気分になったのか部屋から出なくなった兄を見て、母は「今度はこっちの薬を飲もうね」とお水と薬を差し出します。そうすると、集中力が少し出てテレビを見始めたり顔を洗ったりする “行動” に出ます。これらはすべて、薬が兄の感情をコントロールしているのです。そう、まるでロボットか操り人間のように……。“作用” が強ければ “副作用” も強かったもちろん薬を飲んだおかげで、兄の不規則な生活スタイルは改善し、感情の起伏を制御することはできました。しかし、メリットだけではありません。作用があれば副作用もあるといいますが、まさにその通り。大量の薬を日々飲むことは、いろいろな副作用が伴ったのです。筋肉質でスポーツマンだった兄は、体脂肪も少なく55〜60キロ前後の締まった体でしたが、薬の副作用で25キロも増加。そして、喉が異常に乾くようになり、炭酸ソーダやジュースをがぶ飲みしてしまう癖ができ、トイレの回数も異常に増えました。トイレでしてくれたらまだしも、寝ている間にそのまま自分の布団で……ということも日常茶飯事。成人を迎えようとしている兄が、どんどん幼くなるばかりで何度布団を買い換えたかわかりません。また、薬との相性がどうしても悪い時には嘔吐がひどく、食べては吐いて、食べては吐いて。でも喉が乾くからたくさん水分補給はするけれど、また吐いてしまう。そんな、見るに耐えない状況だったのです。しかし、痩せ細るわけではなく薬の副作用で、どんどん太っていきます。この不思議な現象に薬の怖さを知りました。薬が病気を悪化させている?疑いたくはないけれど、この “大量の薬” がさらに兄の体を痛めつけているのではないか? と感じるほど、薬のパワーは強く現れていました。そのことから母は、1日23錠の薬を自己判断で減らし、医師に内緒で少しずつ調節するようになっていきました。「とりあえず、様子を見ましょう」という言葉通りに飲んでいたら、兄はこのままどうなってしまうかわからない。不安にかられた母が悩んだ末にとった選択でしたーー。©stock_colors/Gettyimages©SvetaZi/Gettyimages©SasinParaksa/Gettyimages©bernie_photo/Gettyimages
2018年04月01日文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 8気づけば3年間も引きこもりだった母が仕事をやめて、兄をいろいろなところに連れて行くようになってから、3年が経とうとしていました。外出といっても頻繁にあるわけではなく、兄はほとんどの時間を自室に閉じこもって過ごしていました。高校退学後、数か月の間は友人が家に来ては「僕にできることはありませんか?」「大丈夫ですか?」と声をかけてくれていましたが、「ごめんなさいね、あまり人に会いたがらないんですよ」と、母が友人たちに言うごとに、ひとり、またひとりと心配する声も少なくなっていきました。3年間も家のなかで過ごしていた兄は、こうして人間関係と社会から孤立していきました。理解不能な “兄の世界”「気分転換」「思い出づくり」と懸命にしていた、兄を外に連れ出す母の行動は、道行く人からの冷たい視線を受けて恥ずかしい思いをするだけでした。また “あの頃の人気者だったお兄ちゃんに戻るよね” という願いは届かず、次第に兄は大声を出したり、突然笑い出したりするようになり……。しまいには、「ねえ、今日ご飯食べたっけ?」と自分がとった食事のことも、忘れていくようになりました。少し前までは会話が噛み合っていたはずの兄は、まともなコミュニケーションすらできない状態になりました。両親と私は「はいはい、また言ってる」と受け流すように変化していきます。そろそろ20歳を迎えようとしているのに、精神年齢は5歳以下の幼児。兄にいったい何が起きているのか? 時間が過ぎるほど、不安が募っていきました。近所の精神科へ見かねた両親は、危機感を感じてついに病院に行くことを決意。近所にある精神科を調べはじめました。健常者で生まれてきて、運動神経も良い人気者だった子どもを、まさか精神科に連れて行く日が来るとは……。怪我をしているわけでもないし、何か体に不自由があるわけでもない。兄には、どこも悪いところなんてないはずです。病院で診てもらったら、きっと何か新しい発見があるかもしれない。「大丈夫ですよ、異常はありません」という言葉を聞けたら、安心する。そう願って、人生で初めて精神科を訪ね、様子を見るために検査入院をすることになりました。検査入院の結果は……。退院後に診察室に呼ばれて、医師から告げられた診断は「統合失調症」の可能性。症状は独語、突笑、幻聴、精神状態不安定などがみられるとのことで、そのような病名が浮上しました。診察を終えて渡されたのは、指示書とともに、大量のカプセルに錠剤、粉末……なんと1日23錠も飲むのです。診断結果と大量の薬を前にして、両親も私も放心状態でしたーー。(C)taniche/Gettyimages(C)Imgorthand/Gettyimages(C)LightFieldStudios/Gettyimages(C)psphotograph/Gettyimages
2018年03月27日