女優の大島優子と俳優の金子大地が出演する、大塚製薬・カロリーメイトの新CM「青いカロリーメイト」編が、9日より放送される。新CMでは大島が先輩社員、金子が後輩社員役で登場。リモートワークが中心になる中で、画面越しだけでなくリアルな“背中”を通して大切なことを教えようとする先輩と、そこから仕事の深さと面白さに気づいていく後輩の姿を描いている。撮影では、初共演ながら本当に仲の良い先輩後輩のような姿を見せた2人。大島が金子にカロリーメイトを渡すシーンでは、何度も息を合わせようと試行錯誤したが、うまくかみ合わず、撮影現場は笑いに包まれた。■大島優子・金子大地インタビュー――先輩の背中を見て、仕事の深さを知るという内容ですが、今の仕事の深さや面白さを知るきっかけとなった、先輩とのエピソードは何かありますか?金子:背中を見て勝手に感じています。こうやったほうがいいよと言っていただくよりも、どの現場でも勝手に受け取って背中を見て学ぶことの方が多いですね。今回の大島さんからもすごく感じました。大島:ほんとですか!?金子:とても感じました。緊張させないように気さくに話しかけてくださったりとか。会社にこんな先輩がいたらきっと仕事も楽しいんだろうなと、演じながら思いました。大島:嬉しいこと⾔ってくれるじゃないですか! ありがとうございます(笑)。私はお芝居などたくさんの先輩方とお仕事をさせていただきましたけど、⼀番尊敬してこういう先輩になりたいなと思うのは、何事にも柔軟性がある先輩ですね。自分もそういう先輩というか、そういう人間に憧れるなと改めて思って、自分の中でもいろんな先輩が浮かびました。――ちなみに大島さんはグループ在籍時をはじめ、後輩が多くいらっしゃると思いますが、後輩に対して⾒せる「背中」で意識されたことはありますか?大島:当時はたぶん自分に厳しくて人にも厳しかったんですよね。でもそれは、人に言うには自分がちゃんとやってなきゃいけないっていう……。⼀番自分に厳しくしておくというのは、意識してやっていたと思いますね。――「進もう、すべてを栄養にして。」というコピーがありますが、お2人が日々仕事をする中で、栄養にしていることや心がけていることはありますか?金子:バランスはやっぱり⼼がけたいなと日頃思っています。タンパク質とか。大島:そっち? 本当の栄養素の方?金子:でも⼀番は心の健康、心の栄養が大事だと思います。楽しく生きる、ですね。好きなものを食べて、好きなことをして……というような。大島:私も心の栄養だなと思います。私たちの仕事って急にギアを変えたりするじゃないですか。普段使わないエネルギーを使っていたりするので、心の栄養を蓄えていないと、なかなかギアがかからなかったり……。みなさんどんなお仕事でもそうかもしれないですけど。なので小さいことでも、嬉しかったこととか、幸せに感じることとかを拾い集めて栄養にしています。――試行錯誤しながら前に進もうと、日々仕事を頑張っている⽅々に向けて、メッセージをお願いします。大島:私自身も今回のCMで、顔だけじゃなくて背中を⾒るということに気付かされたと思います。親の背中を見たことはあったけど、誰かの背中を⾒てハッとさせられることはなかったかもしれない。でもそれは⾃分が⾒ていなかったからかもと思いました。これからは頑張っている⼈の背中を見て、「自分も頑張ろう」と思うのもいいなと思ったので、みなさんにもそういうメッセージが伝わっているといいなと思います。金子:人の背中だったり、人が頑張っている姿を⾒てエネルギーをもらうことってすごくありますよね。そういうコミュニケーションが今(あまり)できない環境だと思うんですが、その中でも連絡を取り合ったり、繋がって「みんなで頑張ろう」ってなればいいなと。僕も元気を届けられるように頑張りたいなと思います。
2022年04月07日今年で3年目を迎えるPFF(ぴあフィルムフェスティバル)による映画賞「大島渚賞」の授賞式が4月4日、東京・丸ビルホールで行われ、受賞を果たした藤元明緒(ふじもと・あきお / 33歳)監督が出席。自身にとって所縁が深いミャンマーの情勢や、ウクライナ侵攻に触れながら「映画は無力じゃない。そう信じて作っていかないと強く思いながら、優しい世界につながるような映画を仲間たちと届けていきたい」と決意を語った。2019年に創設され、映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若き才能に授与される同賞。「日本で活躍する映画監督(劇場公開作3本程度)」、「原則として前年に発表された作品がある」監督を対象に、高い志を持って世界に挑戦した大島渚監督に続く次世代の才能を期待と称賛を込めて顕彰してきた。坂本龍一氏が審査員長を務める。第1回は『鉱 ARAGANE』や『セノーテ』が世界各国で高い評価を受ける小田香監督が受賞。昨年の第2回は「該当者なし」という結果を経て、今回、ベトナム人女性労働者たちを描く長編第2作『海辺の彼女たち』が昨年公開され、話題を集めた藤元監督の受賞となった。4月16日からは、インドとミャンマーの国境地帯で日本兵の遺骨発掘作業に携わる少数民族ゾミ族を描いた短編連作『白骨街道 ACT1』(監督/脚本/編集)が公開される。壇上で挨拶に立った藤元監督は「映画を志して上京した10年前には想像もつかないこと。まだ実感が湧いていないが、大先輩の名前を冠した賞をいただき、うれしいですし、お客様の映画に対する思いやりに背中を押される」と喜びの言葉。ミャンマーに暮らす映画製作の仲間が逮捕されたり、行方不明になったりしていると明かし「映画って本当に何ができるんだろうと考えた1年でした。立ち向かうものが強大すぎて、精神的にもきついものがあった。映画を作る、映画を観るという行為は、平和な環境と人びとの健康があって成立するもの」と涙ながらに訴える場面もあった。表彰式には審査員の黒沢清(映画監督)、荒木啓子(PFFディレクター)が出席。黒沢監督は『海辺の彼女たち』について「観た瞬間、胸がざわざわとかきむしられる感覚で、随所にハッと凝視してしまう、映画に吸い込まれるような瞬間があった。堂々と世界に『こういう日本映画がある』と胸を張って推薦できる、大島渚賞にふさわしい作品」と絶賛。一方、選考過程で坂本が「これはドキュメンタリーでも良かった。フィクションである理由が今ひとつ理解できない」と語ったことも明かした。その坂本からはメッセージが届き、荒木氏が代読。坂本は「やっと大島渚賞の意味が明確になりつつあります」と意義を再確認する一方で、「毎回、候補に挙がる作品の質が低いことに、忸怩たる思いを抱えている。最近の日本映画の大きな傾向として、他者を傷つけることを極度に恐れている」と厳しい言葉も。「これこそ、大島渚賞にふさわしいと言える作品に出合えることに大いに期待しています」と今後の展望を見据えていた。取材・文・写真=内田涼
2022年04月04日映画『ウェディング・ハイ』(3月12日公開)に出演する中村倫也と関水渚のオフショットが25日、公開された。同作はバカリズムが手掛けた完全オリジナルストーリーで、大九明子が監督を務める。絶対に「NO」と言わない敏腕ウェディング・プランナーの中越(篠原涼子)は、お茶目だけど根は真面目な石川彰人(中村倫也)といつも明るい新田遥(関水渚)のカップルを担当するが、参列者たちの熱すぎる思いが暴走し、式は思わぬ方向へ。新郎新婦のSOSを受け、披露宴スタッフと力を合わせ様々な問題を解決しようと奔走する中越の姿を描いた群像コメディ映画となっている。この度公開されたのは、新郎・彰人を演じた中村が実際に撮影した、超リアルな自撮りショット。本当に式を挙げた直後のような幸せいっぱいな2人の様子が収められている。さらに担当プランナー・中越とドレスを試着する遥の映像も。彰人が撮影しているという設定の映像では、遥が純白のドレスを試着しはじけるような笑顔で向かって「ジャ〜ン!」と披露する。そして、遥のウェディングドレス姿に拍手する中越が、カメラを向けられ思わず照れてしまう。また、実は彰人と遥の結婚式の参列者の1人(遥の友人)という設定で、密かに結婚式の写真をアップしているInstagramアカウント「HARUKA‘s WEDDING」(@harukas_wedding)が公開されている。撮影現場でエキストラの人が、本当の結婚式さながらに携帯で撮影した写真がアップされており、アカウントを見つけた中村のファンを中心に「めっちゃリアルで何だかドキドキする」「いやいや、生々しさ(笑)私も泣きたい」「なんか気持ちがざわつくのは気のせい?!」など、興奮気味な感想が多数寄せられている。
2022年03月25日3月12日(土)に公開される、結婚式が舞台の群像コメディ映画『ウェディング・ハイ』。この度、彰人(中村倫也)と遥(関水渚)による感動のプロポーズシーンをとらえた場面写真とオフショットが公開された。本作は、芸人・タレントとしても活躍するほか、向田邦子賞やギャラクシー賞を受賞するなど、脚本家としてもその才能を発揮するバカリズムが手掛けた完全オリジナルストーリー。監督は『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』で数々の賞を受賞した大九明子。主演の篠原涼子をはじめ、中村倫也、関水渚、岩田剛典、向井理、高橋克実などが、抱腹絶倒の波を巻き起こす。ほかにも、中尾明慶、皆川猿時、六角精児、尾美としのり、浅利陽介、前野朋哉、池田鉄洋、片桐はいり、臼田あさ美、宮尾俊太郎、泉澤祐希、佐藤晴美ら、多彩なキャストが勢揃いした。ウェディングプランナーの中越(篠原涼子)に支えられ、新郎・彰人(中村倫也)と新婦・遥(関水渚)のカップルは幸せな式を迎える、はずだった。しかし、スピーチに人生を懸ける上司・財津(高橋克実)をはじめ、クセ者参列者たちの熱すぎる思いが大暴走。式はとんでもない方向へ?中越は披露宴スタッフと共に 数々の問題を解決しようと奔走するが、新婦の元カレ・裕也(岩田剛典)や、謎の男・澤田(向井理)も現れる。果たして、絶対に「NO」と言わない敏腕プランナーは全ての難題をクリアし、最高の結婚式をふたりに贈ることができるのか。公開されたプロポーズシーンの写真は、交際から約1年経ち、次第に結婚を意識し始めていた遥に、彰人がサプライズでプロポーズする場面。婚約指輪のケースを開き遥を見つめる彰人。プロポーズの言葉も気になるところだ。もう1枚は、プロポーズシーン撮影後のオフショット。緊張した面持ちでプロポーズする彰人から一転、中村と関水のふたりが楽し気にポーズを決めている写真。3枚目は、彰人と遥の家で撮影されたスチール。遥は魚屋の娘という設定のため、水槽や魚のぬいぐるみなど、随所に海の生物が散りばめられたインテリアにも注目だ。本編では、ふたりが出会う瞬間の初々しい描写から結婚式当日を迎えるまでの様子が、様々な“結婚式準備あるある”を交えながらコミカルに描かれるという。初共演ながら、息もぴったりだったふたり。先日行われた完成披露試写会で、関水は中村との共演シーンについて「中村さんは人と壁を作らない優しいオーラを持っている方なので、変な緊張をせずに楽しく撮影できました」とコメントしている。お互いリラックスした状態で撮影は順調に進められた様だ。『ウェディング・ハイ』3月12日(土)公開
2022年02月02日女優の大島優子が15日、千葉・舞浜アンフィシアターにて行われた「BVLGARI AVRORA AWARDS 2021」ゴールデンカーペットセレモニー/授賞式のフォトコールに登場した。同アワードは、創造力と知性そして才能に満ちあふれ、多くの人々にインスピレーションを与える女性を表彰するもの。キャスティングディレクター・奈良橋陽子氏の推薦を受けて同アワードを受賞した大島は、「10人の中の1人として選んでいただき光栄という言葉しかないんですけど、自分の人生の中でチャレンジをしてきていろんな出会いがあって、最近だと奈良橋さんに出会うことができまして、出会いがあったからこそ受賞することができたと思います」と喜んだ。今年も女優として数々の作品に出演し、私生活では7月に俳優の林遣都との結婚を発表。「今年は結婚もあったり、お仕事も順調にたくさん自分の幅を広げさせていただくことができたので充実していたんですけど、家族になかなか会えなかったり、人に対しての思いやりを感じた年だった」と振り返った。そして、「来年は、人との触れ合いがもっと増えて元通りになったらいいなと切に願っています」と述べ、挑戦したいことを聞かれると、「いろいろやりたいこともあるんですけど……ないです。やれたら皆さんにどこかで発表します」と笑顔で答えた。撮影:加藤千雅
2021年12月15日女優の大島優子が15日、千葉・舞浜アンフィシアターにて行われた「BVLGARI AVRORA AWARDS 2021」ゴールデンカーペットセレモニー/授賞式のフォトコールに登場した。同アワードは、創造力と知性そして才能に満ちあふれ、多くの人々にインスピレーションを与える女性を表彰するもの。キャスティングディレクター・奈良橋陽子氏の推薦を受けて同アワードを受賞した大島は、「10人の中の1人として選んでいただき光栄という言葉しかないんですけど、自分の人生の中でチャレンジをしてきていろんな出会いがあって、最近だと奈良橋さんに出会うことができまして、出会いがあったからこそ受賞することができたと思います」と喜んだ。黒のドレスにブルガリのジュエリーを身につけ、輝きを放った大島。「ポイントはネックレスがチョーカーみたいに首回りにタイトになっているので、ハイネックのドレスを選ばせていただきました」と説明し、「(ジュエリーの)重みを感じて、つけた瞬間に心臓がバクバクすごく高鳴って、今も自分の腕じゃないような感覚です」と心境を語った。
2021年12月15日『ミッドサマー』『サスペリア』などでもタッグを組んだ、画家のヒグチユウコ、アートディレクターの大島依提亜の両氏が、それぞれのイメージで再構築した『ラストナイト・イン・ソーホー』の魅惑的なコラボレーションポスターが完成した。タイカ・ワイティティ監督『ジョジョ・ラビット』で脚光を浴び、M・ナイト・シャマラン監督最新作『オールド』にも出演した新鋭トーマシン・マッケンジー、そしてNETFLIXオリジナルシリーズ「クイーンズ・ギャンビット」で各賞を受賞したアニャ・テイラー=ジョイという、2大最旬女優が競演する本作。トーマシンとアニャは、ロンドンの異なる時代に存在する2人の若い女性を演じる。今回の映画ファン待望のコラボレーションは、それぞれエロイーズ(トーマシン)とサンディ(アニャ)、2人の女性キャラクターをメインに据えながらも全く異なる新たなデザインが映画の世界観を拡張させるポスターとなった。ヒグチさんがイラストを、大島さんがデザインを担当したポスターでは、ペンで描かれた繊細なタッチで独自の世界観が広がっている。エロイーズとサンディの儚い夢と待ち受ける恐怖が時代を超えてシンクロしていく様を捉え、青と赤のキーカラーで2人を対照的に彩るイラストポスターに仕上がった。ヒグチユウコ・イラスト×大島依提亜・デザインポスター対して、大島さん単独のデザインポスターは、エドガー・ライト監督が本作を製作するにあたり影響を受けたブライアン・デ・パルマ監督やダリオ・アルジェント監督が描く、クラシックホラー作品の雰囲気が漂う。女性が恐怖の世界へと足を踏み入れてしまう危うさと、その中で浮かび上がる美しさを併せ持つビジュアル。大島依提亜単独のデザインポスター2種のポスターは、上映劇場の渋谷シネクイント、ホワイトシネクイントなどに掲出予定となっている。ヒグチユウコ(画家)優れたホラー映画は、気品と美しさです。そのどちらも兼ね備えた素晴らしい作品です。大島依提亜(アートディレクター)華々しい映画史の暗闇で密かにその存在を紡いできたホラー映画の名作たちが霊となって集結し、一つの映画として光の表舞台に蘇る。恐怖映画を愛する人々のみならず、全ての映画ファンに観てほしい傑作映画がここに(でもちゃんと怖いよ)『ラストナイト・イン・ソーホー』は12月10日(金)よりTOHOシネマズ日比谷、渋谷シネクイントほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ラストナイト・イン・ソーホー 2021年12月10日よりTOHOシネマズ日比谷、渋谷シネクイントほか全国にて公開© 2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
2021年11月29日元AKB48で女優の大島優子が27日、神奈川・パシフィコ横浜で開催されたAKB48・横山由依の卒業コンサート「MXまつり『横山由依卒業コンサート~深夜バスに乗って~』supported by 17LIVE」にゲスト出演。花柄のシースルーワンピース姿で登場した。2009年にAKB48に加入し、2015年12月~2019年3月まで同グループ2代目総監督を務めた横山。12月9日にAKB48劇場で卒業公演を行う。卒業コンサートでは、大島優子、北原里英、指原莉乃がゲスト出演し、派生ユニット・Not yetが再集結。4人で「週末Not yet」「Already」をパフォーマンスすると、一夜限りのレアなNot yetの姿に会場ではどよめきが起こった。大島は「あなたのことは心配していません。これからも輝き続けてください」とメッセージ。また、横山が「みなさんお忙しいのに来てくれてうれしい」と話すと、大島は「来るに決まってるじゃない!」と返した。横山が新婚の大島と北原を「お二人とも、おめでとうございます」と祝福する場面も。2人は「ありがとうございます」は照れ笑いを浮かべていた。撮影:蔦野裕
2021年11月28日映画『たまの映像詩集 渚のバイセコー』の公開記念舞台あいさつが13日、都内で行われ、三宅伸、尼神インターの渚、空気階段の水川かたまりと鈴木もぐら、園都が出席した。吉本興業と岡山県玉野市がタッグを組んで製作された本作は、徳島・池田高校を高校野球の日本一へと導いた蔦文也さんの孫・蔦哲一朗の監督作品。岡山県にある「玉野競輪」全面協力のもとで撮影された3本のオムニバスストーリーで、人々の想いがぶつかり合う競輪だからこそ描くことのできた人間臭さ、海や山、瀬戸内の多島美が演出する幻想的なロケ地など、玉野市の魅力を余すところなく凝縮している。前日に公開初日を迎え、この日の舞台あいさつにはキャスト陣が勢揃い。第2話「渚のバイセコー」に出演した渚は「自転車で走っているとホンマに気持ちがエエねん。セリフがないから演技が難しいと言われるけど、そもそも演技なんてしていない。あのまんまでムズいとかないねん。一生懸命自転車こげたで」と演技はほとんどしなかったとか。第3話「氷と油」で空気階段の2人とゆりあんレトリィバァと出演した園都は「アドリブも多かったんですが、ゆりあんさんが楽屋でもぐらさんとフリースタイルのラップバトルをしていました。それとかたまりさんはポーカーフェイスでお芝居もナチュラル。ゆりあんさんのアドリブにも対応していてさすがだなと思いました」と水川を絶賛し、「今回はフィルムで撮影していますが、本当に映像美というか玉野市の自然がしっかり切り取っていて私たちも癒やされてパワーをもらいました。玉野の魅力が届くと思います」とアピールした。第1話「美しき競輪」に出演した三宅は、現役の競輪選手で舞台となる岡山県玉野市在住。「お話を頂いた時は嘘みたいな話で本当に? という感じでしたが、(劇中で)競輪選手になってそれも岡山県玉野市で映画を撮らせて頂けるなんて、本当に選手としては最高のご褒美でしたね」と話し、演技については「ド素人ですから」と謙そんするも、観客から拍手が送られたり鈴木から「Vシネで見たことありますよ。相当な演技力でビックリしました」と称賛されて照れ笑いを浮かべる場面もあった。また、ロケ地となった岡山県玉野市にも言及し、渚が「玉野市の自然がすごくてビックリしました。コロナ禍で東京から私たちみたいに撮影で来るのに抵抗があると思いましたが、そこを受け入れてくれて玉野市の皆さんが協力してくださったことがうれしかったです。温かいなと思いました」と感謝しきり。玉野市は空気が美味しかったせいかタバコも美味かったそうで、鈴木が「空気が澄んでいて景色もキレイだし本当に美味しかったんです。あの時は『わかば』だと思いますが、『パーラメント』を吸っているんじゃないかと思いました」と振り返り、渚も「タバコ吸うシーン、美味そうやなと思ったでしょ。めっちゃ美味いんよ!」と鈴木の意見に同意していた。
2021年11月14日AKB48の元メンバーでタレントの大島麻衣が、24日配信のABEMA『チャンスの時間』(毎週日曜23:00〜)に出演。「“週刊誌にバレずに”芸能人と付き合いまくり先生」として特別授業を行った。これまで100組に上る「芸能人カップル」を繋いできたという大島。“○○さんを紹介してほしい”といった連絡が入ると明かし、「私が仲良くなくても2~3人繋げば、誰かしら知り合いがいる」「ネットワークを駆使して出会いの場を提供する」と語る。そして「女性芸能人の中にも、週刊誌にスクープされやすい女性とそうじゃない女性がいます」と、“安全な女性芸能人の見極め方”をテーマに授業を開始した。その中で、大島は“安全な女性芸能人との出会い方”として「SYMルートの活用」を提案。「S=品川祐(品川庄司)、Y=吉村崇(平成ノブシコブシ)、M=森田哲矢(さらば青春の光)」「3人の共通点は人脈が広い」「安全な人脈を持つのがこの3人」と説明する。さらに中でも特に信頼できるのが品川だと言い、「品川さんは監督業もやられてますから、芸人だけでなくアイドル、女優、ミュージシャンと、幅広い」「品川さんは既婚者なので、一緒に参加する女性芸能人の安全も確保されている」「すごく楽しくて、また行きたいなと思える飲み会を開いてくれるのが品川さん」と持論を展開した。なお、今回の様子は「ABEMAビデオ」にて1週間無料で視聴できる。(C)AbemaTV,Inc.
2021年10月26日書籍販売数・累計100万部突破の数学ミステリーシリーズ『浜村渚の計算ノート』が待望の舞台化!12月27日(月)の大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ公演を皮切りに、大阪と東京で上演される。ミュージカル「浜村渚の計算ノート」チケット情報ミュージカル『浜村渚の計算ノート』は、中学生の浜村渚(はまむらなぎさ)が、警視庁の数学オンチな刑事たちや同級生とともに、戦後最大の数学者であるドクター・ピタゴラスが率いる数学テロ組織【黒い三角定規】に立ち向かい大活躍する物語。主人公の浜村渚役は一般からのオーディションで選考中だが、脇を固めるのはトップミュージカル俳優・岸祐二をはじめ、『ライオンキング』元シンバ役の友石竜也、幅広いジャンルで活躍する上山竜治、『刀剣乱舞』など2.5次元ミュージカルで人気を博す三好大貴など、豪華実力派俳優陣。また、お笑い芸人のFUJIWARA原西孝幸や、元SUPER☆GiRLSの宮崎理奈、世界大会でも話題のブレイクダンスチーム・FOUND NATIONの出演も決定しており、圧倒的な演技、歌、ダンスを体感しながら、コミカルな要素に大笑いし、数学の謎解きにスカッとして、いつの間にか数学が好きになる…といった教育要素も詰まった、今までにない《新感覚ファミリーミュージカル》となっている。本作は、12月27日(月)から30日(木)まで大阪・梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、2022年1月6日(木)から8日(土)まで東京・光が丘IMAホールにて上演。チケットは、10月12日(火)11:00から17日(日)23:59までファミリーマート先行(抽選)を実施。
2021年10月12日「この度、私、林遣都は大島優子さんと結婚する運びとなりましたことをご報告させていただきます」7月29日、公式サイトに大島優子(32)との結婚を発表したのは林遣都(30)だ。同日、大島も自身のサイトで結婚を報告。「これからも豊かになる時間を届けられるように精進していきたいと思いますので、変わらぬ応援をよろしくお願いいたします」と呼びかけている。12年に公開された映画『闇金ウシジマくん』で初共演した2人。その後、19年に放送された連続テレビ小説『スカーレット』(NHK総合)で戸田恵梨香(32)演じる主人公の幼馴染役を共に演じている。そしてスポニチアネックスによると、『スカーレット』撮影終了後の昨年夏ごろに交際をスタート。“極秘交際”を徹底するため、自宅などでのデートを重ねてきたという。林と大島の結婚が報じられると、ネットでは《おめでとうございます!とても素敵なカップルですね!》《スカーレットの幼馴染役で仲良くて、なんかいいなぁという空気感が漂ってたのはこのせいだったんですね》《この2人だとお目目くりくりの可愛いお子さんが生まれそう》と祝福する声が。いっぽう林に対して、こんな声も上がっている。《林遣都AKB好きなのかな?》《アイドル好き?AKB好き?なのかしらたまたま?》《AKB好きすぎるだろ》実は19年12月、『週刊文春デジタル』が林と“ぱるる”こと島崎遥香(27)の交際を報じていたのだ。大島にとってAKB48時代の後輩にあたる島崎。記事によると2人は同棲の準備までしていたものの、最終的に別れることになったという。結婚発表に際し、AKB48のファンから《林遣都くんAKB好きだな!仲間か?》との声も上がる林。意外な形で、ファンがさらに増えるかもしれない。
2021年07月29日2021年7月29日、俳優の大島優子さんと、同じく俳優の林遣都さんが結婚を発表しました。元AKB48・大島優子と『おっさんずラブ』林遣都が結婚を発表ネット上では、「おめでたい!」「大好きな2人で嬉しい」などの声が。祝福の声は芸能界からも多く寄せられています。吉高由里子「1人でタラレバいってるからね」結婚発表の同日、テレビドラマ『東京タラレバ娘』(日本テレビ系)で大島さんと共演をした、俳優の吉高由里子さんがTwitterを更新。同作品は、大島さんや吉高さんらが演じる独身女性3人が、結婚していない事実に悩みながらも、それぞれの幸せを模索する物語です。そんなドラマの設定も交えて、吉高さんはこんなメッセージをおくりました。ねぇーおめでたいよぉー大事なお2人大好きなお2人優子遣都末長くお幸せにねあ、うんっ2人ともだから1人でタラレバ言ってるからね☺️うん、大丈夫全然大丈夫だからねっ☺️笑どんどんおめでたいニュースが続きますように❤︎— 吉高由里子 (@ystk_yrk) July 29, 2021 プライベートでも親交がある吉高さんと大島さん。メッセージには絵文字がふんだんに使われ、友人を祝福する想いが伝わってきますね!また、同作で共演した榮倉奈々さんは既婚で、大島さんも結婚したため、冗談交じりに「1人でタラレバいってるからね」とコメント。投稿にはファンからこのような声が寄せられています。・吉高さんらしいコメントで最高です!きっと大島さんたちも喜んでいると思うな。・おめでたいですね!吉高さんもそろそろ、タラレバ娘卒業ですかね…!・ドラマファンとしてはタラレバ娘を卒業するのは少しさびしい…!でも結婚した3人がまた共演する姿が見たいです!まるで自分のことのように、2人の結婚を喜ぶ吉高さん。素直で裏表のない吉高さんの人柄が、ファンに愛される理由でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年07月29日元AKB48で女優の大島優子(32)と俳優の林遣都(30)が29日、所属事務所の公式サイトを通じて、結婚することを発表した。大島は「私事で大変恐縮ではございますが、この度、林遣都さんと結婚する運びとなりましたことをご報告させていただきます」と発表。「この仕事を始めてから25年、多くの方に支えていただき、皆様の声を励みに、人生の大半を仕事と過ごしてきました。今日この日までも、温かく見守ってくださっていること、心から感謝しています。ありがとうございます」と感謝の意を表した。続けて「応援の声や姿は、今でも鮮明に思い出し、身体に染みついているようで、このような報告ができることを嬉しく思うと同時に喜んでくださったらとても嬉しいです」と現在の心境を述べ、「皆様のおかげで世界がより一層広がっていき、これからの自分自身へのエネルギーにもなることを改めて実感している次第です。これからも豊かになる時間を届けられるように精進していきたいと思いますので、変わらぬ応援をよろしくお願いいたします」とメッセージを送る。そして「最後に、世界中の新型コロナウイルスが一日も早く終息すること、そして皆様が笑顔でいられる日々でありますよう、心から願っております」と結んだ。一方の林も「この度、私、林遣都は大島優子さんと結婚する運びとなりましたことをご報告させていただきます」と発表し、「15歳で俳優というお仕事に出会い、気付けば人生の半分を俳優として過ごしてきました。デビュー当時から応援してくださっている方々、何かの作品をきっかけに僕を知り興味を持ってくださった方々、いつも皆様の存在が支えとなり、届けてくださる温かい言葉を糧に、一歩一歩歩んでくることができました。本当に感謝しています」と謝意。そして「今後はより一層責任と覚悟を持ち、何事にも真摯に向き合い日々精進して参ります。どうか温かく見守っていただけたら幸いです」と伝え、最後に「世の中大変な状況は続きますが、皆様が安心して暮らせる日が訪れることを心から願っております」と締めくくった。
2021年07月29日アイドルグループ『AKB48』の元メンバーで、現在は俳優として活躍する大島優子さんと、同じく俳優の林遣都さんが結婚することが、2021年7月29日に発表されました。大島優子さんは、同日、自身のウェブサイトで林さんとの結婚を発表するとともに、ファンや関係者に向けた感謝のコメントをつづっています。いつも応援してくださる皆様へ私事で大変恐縮ではございますが、この度、林遣都さんと結婚する運びとなりましたことをご報告させていただきます。この仕事を始めてから25年、多くの方に支えていただき、皆様の声を励みに、人生の大半を仕事と過ごしてきました。今日この日までも、温かく見守ってくださっていること、心から感謝しています。ありがとうございます。応援の声や姿は、今でも鮮明に思い出し、身体に沁みついているようで、このような報告ができることを嬉しく思うと同時に喜んでくださったらとても嬉しいです。皆様のおかげで世界がより一層広がっていき、これからの自分自身へのエネルギーにもなることを改めて実感している次第です。これからも豊かになる時間を届けられるように精進していきたいと思いますので、変わらぬ応援をよろしくお願いいたします。最後に、世界中の新型コロナウイルスが一日も早く終息すること、そして皆様が笑顔でいられる日々でありますよう、心から願っております。大島優子オフィシャルサイトーより引用林さんもまた、同様に自身のウェブサイトでコメントを発表しました。いつも応援してくださる皆様へこの度、私、林遣都は大島優子さんと結婚する運びとなりましたことをご報告させていただきます。15歳で俳優というお仕事に出会い、気付けば人生の半分を俳優として過ごしてきました。デビュー当時から応援してくださっている方々、何かの作品をきっかけに僕を知り興味を持ってくださった方々、いつも皆様の存在が支えとなり、届けてくださる温かい言葉を糧に、一歩一歩歩んでくることができました。本当に感謝しています。今後はより一層責任と覚悟を持ち、何事にも真摯に向き合い日々精進して参ります。どうか温かく見守っていただけたら幸いです。世の中大変な状況は続きますが、皆様が安心して暮らせる日が訪れることを心から願っております。林遣都 オフィシャル・ウェブサイトーより引用林さんといえば、テレビドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)への出演で人気・知名度ともに伸ばした、注目の俳優の1人。一方、大島さんは『AKB48』でセンターを務めるなど、人気メンバーの1人として活躍。同グループ卒業後は俳優として数々のテレビドラマや映画で活躍しています。そんなビッグカップルの結婚のニュースに、驚きと祝福の声が寄せられました。・優子ちゃんが結婚ってまじか!おめでたい!・まさかのカップルに驚きを隠せない。・遣都くんといえば『おっさんずラブ』が印象的。共演者も祝福するのかな。ともに人気俳優として活躍する林さんと大島さん。また、これまで目立った交際報道がなかった2人だけに、今回の結婚のニュースは日本中に衝撃を与えた様子です。林さん、大島さん、ご結婚おめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2021年07月29日悩みを持つ女性たちが続々訪れる、とあるバッティングセンター。訳あってここでアルバイトをする高校2年生の舞(関水渚)は、“野球論”で例えた独自の人生論で女性の悩みを解決に導く元プロ野球選手の伊藤(仲村トオル)と出会う。伊藤を“おっさん”と呼び邪険に扱いながらも、舞も人生を学んでいく、“ライフ・イズ・ベースボール”を合言葉にしたヒューマンドラマが開幕!女性たちの悩みを野球を通して解決するヒューマンドラマです。「初めて台本を読んだ時、舞の言い回しや余計なひと言がひっかかり、やりにくさを感じました。その理由は、自分とどこか似ているから。私も親と喧嘩をするとつい嫌な言い方をしてしまうんですが、若さゆえに不器用な舞にそんな自分を見たようで…。でも似ているからこそ演じやすいかもしれない、と発想を変えたら共感して演じられるように」第1話には元メジャーリーガーの岡島秀樹さんが登場して話題となったが、毎回、往年の“野球レジェンド”が登場するのも見どころ。「プロの方とお会いするのも、プレーを間近で見るのも初めてで、岡島さんは現場にいらっしゃっただけで力強くて明るいオーラを放っていてびっくり。みなさん体が大きくて、大迫力のプレーに感動でした」高校時代は野球部のマネージャーをしていたこともあり、関水さんのプロフィールには“スコアブックをつけることが趣味”とも。「実はそれは高校時代のもので、最近の趣味はウィンドサーフィンです。すみません…更新しておいてください(笑)。このドラマは野球を全く知らない方でも楽しんでいただけると思います。というのも、毎週登場する女性たちの悩みは仕事、家庭、人間関係などさまざま。きっと共感できることもあるはずです。たとえば、第5話で佐藤仁美さんが演じる、夫婦間のすれ違いに悩む女性の回。私の場合は友達や家族間に置き換えたら他人事ではなくなりました。そんな悩みに、ゲストの選手の方や“おっさん”が前向きになれる言葉をくれるので、ホッとできるんです。ドラマを見てくだされば、きっといい夜になるのではないでしょうか」『八月は夜のバッティングセンターで。』スマホ用アプリゲーム「八月のシンデレラナイン」を原案に、関水渚さんと仲村トオルさんのW主演でドラマ化。毎週水曜、深夜1:10(ほか)テレビ東京ほかにて放送中。第2話には悩める女性・天野佳苗役に堀田茜さん、元プロ野球選手の山﨑武司さんが登場! ©「八月は夜のバッティングセンターで。」製作委員会せきみず・なぎさ1998年6月5日生まれ、神奈川県出身。17歳で「ホリプロタレントスカウトキャラバン」のファイナリストに選ばれて芸能界入り。19歳の時「アクエリアス」のCMに出演。映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』にコックリ役で登場し話題に。ロンパース¥20,350(AMERI/Ameri VINTAGE TEL:03・6712・7887)イヤリング¥3,080(mimi33/サンポークリエイト TEL:082・248・6226)※『anan』2021年7月21日号より。写真・小笠原真紀スタイリスト・後藤仁子ヘア&メイク・伏屋陽子(ESPER)インタビュー、文・若山あや(by anan編集部)
2021年07月20日関水渚と仲村トオルが、この夏放送の新水ドラ25「八月は夜のバッティングセンターで。」にW主演することが決定した。本作は、アニメ化もされた「青春×女子高生×高校野球」をテーマにした野球型青春体験アプリゲーム「八月のシンデレラナイン」から着想を得た完全オリジナルドラマ。舞台は、都内のとあるバッティングセンター。わけあって夏休みにアルバイトをすることになった女子高生・夏葉舞と、「バットのスイングだけで、その人がどんな悩みを抱えているかわかる」と豪語する47歳の謎の元プロ野球選手が、毎回バッティングセンターに現れる悩める女性たちを、「野球論」で例えた独自の「人生論」で解決へと導いていく、新感覚のベースボール・ヒューマンドラマ。夏葉舞役には、『町田くんの世界』『カイジ ファイナルゲーム』「4分間のマリーゴールド」などに出演した若手女優の関水渚。悩める女性の相談を次々と解決する謎の人物・伊藤智弘を、現在放送中の「ネメシス」に失踪したアンナの父・始役で出演する仲村トオルが演じ、初共演。今回ドラマ初主演となる関水さんは「大きなプレッシャーもありますが、自分自身が楽しんで舞を演じる事で見てくださる皆様にも楽しんでいただけるように頑張りたいと思います!」と意気込み、役柄については「若くてまっすぐで羨ましくも思ってしまうほどでした」と印象を明かす。一方、仲村さんは演じる伊藤について「昭和の町に一人はいた『人の事を他人事としない』、最早、死語かもしれない『おせっかい』に全力投球する時代遅れの男のように思います。AIに負けないくらい令和に必要な人だと思います」と説明。また「野球が好きな人には凄く楽しく、野球をそれほど好きじゃない人でも『野球、いいなぁ』と感じてもらえるような、見てくださった次の日にバッティングセンターに行きたくなるようなドラマにしたいと思っています」とコメントしている。なお、本作には野球好きであれば誰もが知っているような、往年の野球レジェンドたちが登場。「皆さんの野球のプレーを間近でみれることがとても楽しみです」(関水さん)、「野球というスポーツの中には人生に役立つことがとても多くあると思っているので、出演してくださるスーパープレイヤーの方々から沢山いただけることがあるのではないか、と、とても楽しみにしています」(仲村さん)と期待している。水ドラ25「八月は夜のバッティングセンターで。」は7月7日より毎週水曜日深夜1時10分~テレビ東京ほかにて放送。(cinemacafe.net)
2021年05月18日今、注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回は女優の中田青渚さんです。今泉力哉監督の作品でヒロインの一人に抜擢!4月公開の映画『街の上で』に出演。「演じたイハは、思いつきで行動するような掴み所がない子。私も周りからこうやって見られていることあるかもって感じながら演じました」。デビューのきっかけになったオーディションを、景品の図書カード欲しさに受けたほどの漫画好き。「弟から漫画を借りたり、アニメの情報交換をすることも。自立した強い女性に憧れていて、『ONE PIECE』のビビが好き」。今行きたいのは海外。「海外に行ったことがなくて…。初めては、友達と韓国か台湾に行きたいです」お風呂上がりにYouTubeを見ながら…。ストレッチを続けたら体が柔らかくなって、身長も伸びた気がする(笑)。スケッチブックと色鉛筆を買いました。チャリティ企画で絵を描くので、模写して練習中。上手になりたい~!『ONE PIECE』は何度も読んでいます。物語が長いので、「頂上戦争編」の57巻や59巻をよく読み返しています。なかた・せいな2000年生まれ。「第5回Sho‐Comiプリンセスオーディション2014」でグランプリを獲得し、デビュー。4月9日に公開の映画『街の上で』では、城定イハ役で出演。※『anan』2021年4月7日号より。写真・土佐麻理子文・松下侑衣花(by anan編集部)
2021年04月06日女優の大島優子が、ミニストップ「やみつキッチン」の新CMに出演することが23日、分かった。新CM「お弁当」編は24日より、「帰り道」編は4月1日より全国で放送される。新CMでは、働く女性を演じる大島が、休日の昼下がりや仕事から帰宅した自宅で、幸せそうにごはんを食べる姿を描いた。お弁当や唐揚げを、口いっぱいに頬張る大島のキュートな“やみつき顔”に注目だ。撮影では、商品を美しく映すため、自ら姿見を使って積極的に練習するなど高いプロ意識で挑んだ大島。厚切りチャーシューが噛み切れずに「ふふふっ」と笑ってしまったり、熱々の唐揚げに驚いたりと、豊かな表情を見せた。撮影後、最近やみつきになっているものを聞くと、大島は「生クリームにはまっています。店頭で生クリームを使った製品があれば購入したり、夜にチョコチップクッキーを作って、生クリームにつけて食べるほど生クリームにやみつきになっています」と“生クリーム愛”を明かした。やみつきな“おかず”には「唐揚げ」を挙げ、「餃子も好きですが、20個が限界です。でも唐揚げは、自宅のキッチンで揚げながら、25個も食べてしまいました」と語る。また、現在の桜の季節にやってみたいことは「ハイキングに挑戦したいです。趣味として山登りをよくしていますが、桜が見える山に登ったことがないので、ぜひ挑戦してみたいです」と語った。
2021年03月23日●キャスターを「つらい」と感じた瞬間「自分で決めて進むことに、気が引けてしまう。10代と20代と流されるまま過ごし、たまに歩くとダメージ床だったりして、だいぶ痛みに慣れ達観したようなフリをしてスタートさせた30代」(1st写真集『モノローグ』あとがきより)フジテレビ時代に『ニュースJAPAN』キャスターなど数々の報道番組を担当し、フリー転身後はバラエティやグラビアにも果敢に挑む大島由香里(37)。10代から20代、そして報道畑をひたむきに突き進んできた過酷な日々、それらの足跡を振り返る表情は凛々しく、どこか誇らしげだ。現在の大島にとって、「ダメージ床」とはどのような意味を持つのか。そして、踏破の先に見据えることができた「自分らしさ」とは。○■“FFの世界観”と重なる人生――昨年は『週刊現代』での本格的なグラビア初挑戦。そして、1st写真集『モノローグ』(講談社)の発売。「今しかできないこと」や「今だからこそ記録すべきこと」への思いが強くなったのは、最近ですか?完全にそうですね。幼い頃から「どうぞどうぞ。私はいいので」と譲ってしまう性格で、アナウンサー時代も「私がやりたい!」とグイグイ行くタイプではありませんでした。譲り続けてきた人生、とでもいうんでしょうか。あまりそういうイメージは持たれてないと思うんですけど(笑)。でも、これから娘を育てていくためにはこのままじゃダメだなと。「大島由香里」という自分を強く打ち出して、幅広くお仕事をさせてもらいたい。「もっと頑張っていきたい」と心に強く思う中で、この写真集という仕事は大きなきっかけになると感じました。――ブログの文章もそうですが、ゲームがお好きなんですか? 写真集の最後に書かれていた「ダメージ床」が印象的でした。年齢とキャリアを重ねてきた中で、私ができるのはしっかりと自分の思いを言葉で伝えること。そう思って、写真集の最後にメッセージを書かせて頂きました。ダメージ床の絶望感ってすごいですよね(笑)。小さい頃、ゲームの画面が点滅してHPが減っていくあの感じが若干のトラウマで。「これはあと何歩で脱出できるんだろう……」と小さい頃に悩まされたことがずっと記憶の中に残っています。大人になると、子どもの頃にプレイしたRPGが重なることって多いですよね(笑)。人生を振り返る上で、自分の中で一番腑に落ちたのがFFの世界観でした。――確かに人生においても経験値を稼いでHPが上がると、過去に苦痛だったはずの「ダメージ床」を楽々と歩けるようになる。10代から20代はそこまで自覚はなくても、いろいろ傷ついたり、嫌だと感じたり、知らず知らずのうちに我慢していたり。それを今になって気づくというか。幼い頃は経験や情報が少ないからこそ、それが普通だと思って過ごしていたんです。でも、それなりに経験を積んでいくと、「あのとき、よく耐えられたな……」と思うことが多くて。でも、30代になってもいろいろなことがあって大変でしたけど、レベルアップすることができたからこそ、ここにいられるんだと思います。○■母の一言が人生の転機に――先ほど控えめなタイプだったとおっしゃっていましたが、キャスターは気が強くないと務まらない仕事だと思っていました。だから、つらかったです(笑)。人に譲るのは親の性格の影響もあると思います。人になるべく迷惑を掛けないようにとか、他の人が平穏に生きられるなら自分が我慢すればいいとか。今になってようやく分かったんですけど、そういう選択肢を選んで生きてきたんだと思います。アナウンサーの試験は一度落ちて、翌年の2度目で受かったんです。1年目は大学3年の夏、何も分からずに募集開始が早いからとりあえず受けて。セミナーやアナウンサースクールも一切通わずに受けたんですけど、試験がとにかく楽しかった。もともとテレビを観るのは好きだったので、昨日観たテレビのスタジオに入れたり、大きなカメラを目の前にしたり興奮の連続でした。『すぽると!』のセットでの試験が強烈に記憶に残ってて、そういう刺激的で怒涛のように過ぎていく採用試験が終わり、テレ朝も最終まで残っていたんですけどそれも落ちてしまって。「どうしよう……」と抜け殻になっていたときに、母から「アナウンサー以外に興味あるの? ないんだったら、来年も受けてみたら?」と言われたんです。母の世間知らずが良い方に転がりました(笑)。その言葉がなければ、アナウンサーにならずに全く違う業種に携わっていたと思います。――人生を左右する言葉ですね。面接で「4年生? 採用試験落ちたらどうするの?」と聞かれて、「そのときに考えます」と答えました。今思うと、本当に恐ろしい(笑)。●自分を閉じ込めていたアナウンサー時代の後悔○■救われた言葉「その声だからニュースが伝わる」――2度目の挑戦で無事にフジテレビに入社。でも、そこからが大変な道のりだったんですね。アナウンサーは、想像していたものとまるで違いました。情報バラエティをやりたいと言い続けていたんですけど、よくよく考えてみれば、面接の質問も報道の方だけでした(笑)。希望と違いましたが、見られないこと、行けないところを取材できましたし、すべてが糧になりました。夕方ニュースのフィールドキャスター時代は本当につらかったですね。泥のようになりながら二泊三日で取材して、VTRになって私が出ているのは街録の手だけとか(笑)。そんなことはざらにありました。地道にひたすら頑張るしかなかった。でも、見てくださった方から「助けられた」と感謝されたりすると救われました。それでも、体力的、精神的にしんどかったですね(笑)。性格や声、キャラクターはテレビを作る上ですごく大切なこと。私は報道を希望したことは1度もないですが、「その声だからニュースが伝わるんだよ」と言われたときに初めて自分の声を好きになって。今まで気づかなかった自分に、目を向けるきっかけにもなりました。――苦手なことや自分に不必要だと思ったことの中にも、思わぬ発見があると。自分のやりたいことだけをやるのと、自分の選択肢になかったことにも踏み入れるのとでは、その道程は2倍も3倍も険しいものになる。だからこそ、自分は恵まれていたんだと今になって思います。それから、私は『ニュースJAPAN』という番組でキャスターの席に座ることができたので、フィールドキャスター時代の苦労が報われた。フィールドキャスターは何人かいて、キャスターになれるかどうかのタイミングで結局アンカーの席に座れない可能性もあるわけです。(滝川)クリステルさんが大きくした番組の後任という重圧もありました。私の前任は、一期上の先輩の秋元優里さんでした。一期上の先輩がアンカーになると、3~4年は変わらないので、一期下の私は絶望するんですよ(笑)。秋元さんに決まったとき、「どうしよう私……」と思ったんですけど、秋元さんが3年やられた後に「大島で」と言ってくださった報道の方がいて。新人のときから報道でがんばってきて本当に良かったと思いました。○■重圧と向き合い続けた『ニュースJAPAN』――『ニュースJAPAN』の最初の収録は覚えていますか?いまだに覚えてます。ガチガチに硬くなって緊張しているのが自分でも分かりました。それから、「大島の『ニュースJAPAN』にしたい」といろいろな人に言われるんですが、改めて「私らしさってなんだろう」と。アナウンサーとしてそういうことをやってきてないので分からなくて。周りのスタッフさんが試行錯誤して、イメージカラーから衣装まで、番組の見せ方についてすごく話し合ってくださっているので、そういう支えてくださる方々の姿を見て余計に緊張する(笑)。これで最後に私がやらかしてしまったら……それまでのスタッフさんの努力が水の泡になってしまうのが、すごく怖かったです。――自問自答した「自分らしさとは」。終盤には見えてきたんですか?「ニュースを正しく伝えること」が私にとって最も重要なテーマですし、やっぱり「私なんかよりもニュースを大事にしたい」となってしまいます。それについては自分でも納得していますが、どんどん前に行くタイプでもないので「自分らしさ」はどうしても後回しに。バイクの免許を取ったとき、「バイクの企画やってみようか」と意見を上げてくださったこともありました。もっと自分を前に出していたら違った番組になっていたのかなとか、今でもふとしたときに頭をよぎります。フジテレビのアナウンサーである限り、フジテレビを背負ってニュースを伝えなければならない。「私見=フジテレビの意見」になってしまうということはいつも言われていました。もともと前に出る性格ではないですが、自分をどんどん閉じ込めていったアナウンサー時代でした。――その経験があったからよかったと感じることも。もちろんです。アナウンサーだったら当たり前と言われるかもしれないですが、カメラマンさん、照明さんを始めとした技術さんも含めて、現場でどのように伝えるのが一番伝わりやすいかを、相当な現場の数を経験して一緒に考えました。自分を出していくようになったのは、本当に最近ですね。子どもが生まれてからかもしれない(笑)。――ブログには、お子さんが生まれてからの育児の日々についても一時期はたくさん投稿されていましたね。ブログは思ったことをそのまま自然体で書いているので、そのときの心境がすごくあぶり出されていると思うんですけど、子どもを産んでからずっと子育て日記だったんです。でも、そこに「自分」はいない。確かに大島由香里は生きている。でも、それは娘のため、娘のサブとして生きているというか(笑)。多くのお母さんたちもみんなそうだと思いますけど。いつか娘も独り立ちする。そうしたときに、「○○の娘」じゃなくて一人の女性として個性をもって生きていってほしい。そして、私も「娘の母」じゃなくて、一人の女性として、一個人として生きていきたい。そんなことをふと強く思うようになったんです。もちろん、家族のつながりは大事にしたい。「一人で生きられるようになる」というのが娘を育てていく上でのテーマなので、いつか「私もブログに出たい!」と言われればまた娘が登場するかもしれません(笑)。■プロフィール大島由香里1984年1月24日生まれ。神奈川県出身。成城大学卒業後、2007年4月にフジテレビに入社。『FNNスーパーニュース』、『ニュースJAPAN』、『あしたのニュース』、『新報道2001』などを担当。2018月からはフリーアナウンサーとして活動し、『バラいろダンディ』(TOKKYO MX)でアシスタントを務めている。2021年2月に1st写真集『モノローグ』(講談社)を発売、YouTube公式チャンネル『大島由香里に乾杯 !』を開設した。歌唱力に定評があり、3月23日放送(18:30~)のテレビ東京系『THEカラオケ☆バトル』にも出演。
2021年03月21日自主映画の祭典「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」が昨年新設した映画賞「大島渚賞」の第2回記念イベントが3月20日、都内で開催された。今年は審査員長である坂本龍一(音楽家)、審査員の黒沢清(映画監督)、荒木啓子(PFFディレクター)らが選考を進めてきたが、「該当者なし」という結果に。イベントに出席した黒沢監督は「面白いテーマを見つけてくる能力はあるなと思うが、でもその先が……。もったいない」と審査を振り返った。映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若き才能に授与される「大島渚賞」。第1回は、『セノーテ』『鉱 ARAGANE』が各国で高く評価されている小田香監督が受賞した。今回は該当者がいなかったため、当初予定されていた授賞式の代わりに、記念イベントという形で式典を実施。なお、審査員長の坂本は療養を理由にイベントを欠席した。黒沢監督は、かつて坂本が学生に向けて発した「誰かを傷つけるのが怖いなら、作品を作るな」という言葉を引き合いに、「せっかく興味深いテーマをつかみながら、実にうまくまとまっていたり、なぜか感動的だったり。でも、感動させるテーマじゃなかったよねと……。最終的に誰も傷つけず終わった作品が結構あった」と総評を述べた。その上で「特に新人監督に送る映画賞はいつも議題になるんですが……」と前置きし、「作品の完成度で選ぶべきなのか、それとも作家の個性や独特な文体というか、『次回作が見たいな』と思える人に賞をあげるべきか」と経験談を披露。「そのどちらも吹き飛ばす、問答無用にこれだよねっていえる作品、監督が残念ながら見当たらなかった」と該当者なしの理由を説明した。また、坂本、黒沢監督両名でそれぞれ異なる「強いて言えばこれ」といえる1作品があったとも明かし、「双方の特別メンションという案もあったが、これについては、ぴあさんの英断でなくなった」。この件について、荒木氏は「お二人の気持ちをくんだ。まだ、大島渚賞は開拓中であり、その道がおかしくなってしまうので」と話していた。イベントには、大島監督の子息で昨年公開された監督作『なぜ君は総理大臣になれないのか 』や、プロデュース作『ぼけますから、よろしくお願いします。』など話題作を手掛ける大島新監督が来場。また、坂本と黒沢監督がともに“ベストワン”と激賞する『日本春歌考』(1967年製作)の特別上映が行われた。取材・文・写真=内田涼
2021年03月20日フジテレビ時代に『ニュースJAPAN』キャスターなど数々の報道番組を担当し、フリー転身後はMC業のほかバラエティにも果敢に挑んでいる大島由香里(37)。昨年8月に『週刊現代』で本格的なグラビアに初挑戦し、今年2月22日に発売した1st写真集『モノローグ』(講談社)は早くも重版が決まるなど話題を呼んでいる。結婚、出産を経てフジテレビを退社し、現在はシングルマザーとして生きる日々。今回の写真集オファーを、彼女はどのように受けとめたのか。そして、タイトルの「モノローグ」に込めた思いとは。――表紙に選ぶ写真をかなり悩んだそうですね。表紙は買う方、買わない方が全員が目にするものなので、「これでいいんだろうか」と悩みに悩んでしまって(笑)。最終候補の2枚まで絞って周りの関係者では男性と女性で意見が分かれたんです。「素の自分」が一番出せている自然な写真の方が男女問わず印象が良いのかなと思って、こちらを選びました。それから、アナウンサーは感情を抑える仕事でもあるのですが、今回表紙に選んだ写真は見る人の立場や状況、その時の感情によって印象が変化しそうな表情だったのも選んだポイントです。あとは、スマホのサイズで見たときにどちらの見栄えがいいかなとか。――そんなに細かいところまで!一生残る本ですから(笑)。しかも、丸々1冊が自分というなかなか作ってもらえない内容です。――昨年、週刊誌の撮り下ろしで本格的なグラビアに初挑戦。その後、写真集のオファーがあったそうですね。やっぱり、ちょっと悩みましたね。でも、結局は自分で決めることなので、あまり周りには相談しなかったです。批判する人はきっと何をやっても批判すると思うので、「じゃあ何のためにやるのか」と考えた時に「自分のために残そう」と思って。あとは、『バラいろダンディ』で共演しているくらたま(倉田真由美)さんが「若いうちに撮ってもらえばよかった」とおっしゃっていて、くらたまさんだけじゃなく私の周りでは同じような思いを抱いている女性が多くて。「あの時、撮ってもらってよかったな」と思える自分が想像できたのでお受けすることにしました。何よりも、お仕事としてきれいに撮って頂けて、それが一生残る上に売って頂けるなんて夢のような話で(笑)。――タイトルの『モノローグ』には、どのような思いが込められているんですか?「一人の女性として生きていく」というニュアンスの言葉がいいなと思って、「ひとりごと」が自分の中でしっくりきたんですけど、字面や響きが私の中の世界観とギャップがあるなと感じて、「ひとりごと」よりも奥深いような「独白」を意味する「モノローグ」にしました。フジテレビアナウンサーという肩書からフリーになって、私生活面でもステージが変わりました。“大島由香里”という一人の女性としての強い意志、そして次のステージへの節目として見てもらえればいいなと思って撮影して頂きました。――表紙には「1st」とあるので、気が早いですが次回作も期待してしまいます。やっぱりそこ、引っ掛かりますよね(笑)。どういう反応があるのか怖い部分もあるんですけど、自分は満足しても周りにはいろいろな意見があるということを再確認するための写真集でもあると思います。自分ができる限りのことを凝縮したつもりなので、「次」を考えてもちろん作ってないです(笑)。人生に1度しかない「1st写真集」。壮大な前フリとかでは決してありません(笑)。あと最近改めて気づいたんですけど、ニュースもバラエティも、映画やドラマ、本と違って、生産と消費をされるものであまりコンテンツとして残らない。今回、写真集のオファーを頂いた時に、真っ先に思ったのが「私がこの世からいなくなってもこの本は残る」。ずっと残り続けるものを作ることができて、「今までと違う仕事」という実感があります。――昨年は『週刊現代』での本格的なグラビア初挑戦。そして、1st写真集『モノローグ』(講談社)の発売。「今しかできないこと」や「今だからこそ記録すべきこと」への思いが強くなったのは、最近ですか?完全にそうですね。もともと、私は「どうぞどうぞ。私はいいので」と譲ってしまう性格で、小さい時からアナウンサー時代も、「私がやりたい!」とグイグイ行くタイプではありませんでした。譲り続けてきた人生。あまりそういうイメージは持たれてないと思うんですけど(笑)、これから娘を育てていくためにはこのままじゃダメだなと。「大島由香里」という自分を強く打ち出して、幅広くお仕事をさせてもらいたい。「もっと頑張っていきたい」と心に強く思う中で、この写真集という仕事は大きなきっかけになると感じました。■プロフィール大島由香里1984年1月24日生まれ。神奈川県出身。成城大学卒業後、2007年4月にフジテレビに入社。『FNNスーパーニュース』、『ニュースJAPAN』、『あしたのニュース』、『新報道2001』などを担当。2018月からはフリーアナウンサーとして活動し、『バラいろダンディ』(TOKKYO MX)でアシスタントを務めている。2021年2月に1st写真集『モノローグ』(講談社)を発売、YouTube公式チャンネル『大島由香里に乾杯 !』を開設した。
2021年03月18日女優の大島優子が、キリンビール「ホワイトホース」の新イメージキャラクターに起用されたことが18日、分かった。新CM「ホワイトホース 美味いほーっす」編は、18日より全国で放送される。「ウマいほーっす、WHITEHORSE」のフレーズからスタートするCMでは、焼鳥を頬張った大島が、ハイボールを一口飲み「はぁ…」とうっとり。「No.1」ポーズを取ったあとのはじける笑顔にも注目だ。自宅ではよく餃子を作るという大島だが、日頃の“家飲み”を「ハイボールをメインで飲むのが好きなのですが、最近は氷もちゃんと買ってきて、綺麗なグラスに入れて、雰囲気作りからテンションを上げておうち飲みを楽しんでいます」と明かす。また、2021年を迎え新生活で始めたいことを「色々なことを学びたいです! 英語でも、歴史でも、経済でも、まだまだ知らないことがたくさんあるので、おうち勉強をしたいと思っています」と語った。
2021年03月18日流星の中でも特に明るいものをさす、火球。2021年3月14日午前3時頃、伊豆大島の上空付近で大きな火球が確認され話題となりました。イトウ(@orecola)さんがとらえた、2枚をご紹介します。場所によっては、富士山へ落下していくような光景が見られたという、今回の火球。まるで映画のワンシーンを切り取ったような、1枚がこちらです。可及的速やかに、先ほどの火球と富士山です! #流星 pic.twitter.com/3FHzqRKzVs — イトウ (@orecola) March 13, 2021 空には無数の星。その中でひときわ輝く火球が、尾を引きながら大地へと伸びています。夜の富士山と火球のコンビネーションは、思わず言葉を失ってしまうほど幻想的な光景です。イトウさんが色を調整したこちらの1枚も、まるで絵に描いたように美しいですね。国立天文台によると、「火球は、平均すると1か月に数個程度の頻度であるが、見ようと思ってなかなか見られるものではない」とのこと。ネット上では、投稿に対してこのような声が寄せられました。・アニメ映画『君の名は。』のワンシーンみたい…!・美しすぎる。富士山と流星のコラボなんてめったにないですよね。・すばらしい1枚。願いごとが叶いそう。こんなにも美しい火球を目撃したら、願いごとをするのをつい忘れてしまいそうですね![文・構成/grape編集部]
2021年03月16日女優の大島優子が8日、都内で行われた「BVLGARI AVRORA AWARDS 2021」国際女性デー 発表記者会見に出席した。今もっとも輝く女性たちとその取組みを讃え支援する「BVLGARI AVRORA AWARDS 2021」の受賞者発表に先駆けて行われた会見。2020年度受賞者の大島は、キャスティング・ディレクターの奈良橋陽子氏に推薦され、同アワードを受賞した。奈良橋氏から「度胸がある」と評価されていた大島。度胸がついたきっかけを聞かれると、「人生の中で大半を占めていたアイドルグループ・AKB48の時期が度胸をつけさせていただいたなと思います。大人数の女の子の中で、何か自分に長けているものを見つけ出して磨かないといけないし、うじうじしてもいられない、ほかの人に譲っている気持ちではいられないというのもあったので、度胸が自然と身に付いた」と答えた。さらに、「売れていない時代から仲間と一緒にやっていたので、頑張らないといけないと、手を取り合って度胸をつけて、ぐんぐん芸能界で、荒波の中を1つの船で進んでいかないといけないという思いでやっていたので、そこから身についたのかなと思います」とも話した。そして、次なるチャレンジについて聞かれると「新しいものにはどんどんチャレンジしていきたいなと思います。仕事でもプライベートでも、触れたことがないものにはどんどんチャレンジして、吸収して、成長の糧になるように過ごしていきたい」と語った。会見には、2016年度受賞者である柴咲コウ(女優)、2020年度受賞者であり21年度の推薦者となった伊藤詩織(ジャーナリスト)も出席した。
2021年03月08日2020年にPFF(ぴあフィルムフェスティバル)が創設した映画賞、大島渚賞の第2回目の受賞者を発表すべく審査員長である坂本龍一(音楽家)、審査員の黒沢清氏(映画監督)、荒木啓子(PFFディレクター)らが選考を進めてきたが、「該当者なし」という結果に至ったことが発表された。大島渚賞は、映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若くて新しい才能に対して贈られる賞。かつて、大島監督が高い志を持って世界に挑戦していったように、それに続く次世代の監督を、期待と称賛を込めて顕彰する。第1回は、『セノーテ』『鉱 ARAGANE』が世界各国で高い評価を受けるなど、次々に新たな作品を生み出している小田香監督が受賞し、話題を呼んだ。なお今回は該当者がいなかったため、当初予定されていた授賞式の代わりに、「第2回大島渚賞記念イベント」が3月20日(土・祝)に開催される。審査員の黒沢と、荒木が登壇し、この決断に至った審査員の思いを伝えるとのこと。また、特別ゲストとして大島監督夫人であり女優の小山明子を迎え、大島映画の魅力について語り合う。さらに、坂本と黒沢が、ともに“ベストワン”と激賞する『日本春歌考』の特別上映も行うので、ぜひ奮って参加してほしい。●審査員長・坂本龍一もし大島渚賞などという形で大島渚が権威になるのだったら、それこそ大島渚が最も嫌ったことだろう。だから大島渚に迎合するのは絶対にだめなのだ。そうではなく大島渚を挑発し、批判し、越えていくことこそ最も大島渚賞にふさわしいと言えるのだ。そのような映画にわたしたちは出会いたい。●審査員・黒沢清「いろいろあったけど、よかったよかった」となる映画が多すぎる。本当にいろいろあったなら、人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれをあってはならないものとして葬り去ろうとするだろう。人と社会との間に一瞬走った亀裂を、絶対に後戻りさせてはならない。あなたがささやかに打ち込んだクサビは、案外強力なのだ。よかったよかったと辻褄を合わせる必要なんかどこにもない。「たかが映画だろう」と周りは言うかもしれない。しかし映画とは何だ?ぼんやりとみなが想像するものだけが映画ではない。表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで、人と社会とを永遠に分断させよう。これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ。このような映画製作に挑む若者を探している。それは大島渚が切り開いた道であり、決して閉ざしてはならないと思うから。●審査員・荒木啓子国内外の映画キュレイターやジャーナリストから推された新人監督たちを語りながら、映画、そして映画監督への期待のみならず、映画の可能性、喜び、を覚醒させる坂本、黒沢両氏の、映画愛、大島渚愛溢れるスリリングな時間があっという間に過ぎていった。青春映画、子供映画、恋愛映画、戦争映画、時代劇、実験映画にドキュメンタリー。そのフィルモグラフィーの多彩さ、絶え間ない挑戦に驚かされる大島渚監督は、映画の技術を会得し、映画とはメロドラマであると言い切れる人だった。いち早く海外に飛び出し、また、テレビという媒体の面白さも発見した人だった。多面体過ぎて掴むのが難しいほどのその活躍の芯にある、映画という創作。大島渚賞の審査会議は映画についての長い熱い対話となり、思い切った決断結果となった。【イベント概要】「第2回大島渚賞 記念イベント」日時:2021年3月20日(土・祝) 14:00開演会場:丸ビルホール(東京都・千代田区)<トークショー 出演者(予定)>審査員:黒沢清、荒木啓子特別ゲスト:小山明子トークショー終了後、『日本春歌考』無料参考上映トークショー入場券:一般2,500円、学生1,500円3月8日(月)よりチケットぴあにて発売※『日本春歌考』はトークショー入場券をお持ちの方のみ、鑑賞いただけます。
2021年02月26日巨匠大島渚監督の全貌、というべき、500ページを超す資料集が4月に出版される。書名は『大島渚全映画秘蔵資料集成』(国書刊行会刊)。編著者は『大島渚のすべて』(キネマ旬報社)という監督研究書もあり、大島監督とも30年以上の交流があった映画評論家・映画監督の樋口尚文さん。大島家、大島渚プロダクション全面協力のもと、大島監督の書斎から保管庫、大島プロが管理している資料庫まで膨大な量の資料を調査し、整理、分析を加えた。手がけた作品の企画から上映に至るまでに書きとめられたノート、集められた資料、図版を、作品ごとに掲載。映画の製作過程およびその人物像について時代背景を含め詳細に解説しているほか、監督本人の貴重な証言を時系列で並行して配し、その軌跡を浮き彫りにした。大島監督の学生時代の数学のノートに始まり、助監督時代の日記、監督デビュー後のさまざまな企画メモ、撮影プランの紙片、はては製作中の契約書、領収書までを精査するなか、『愛のコリーダ』編集時のフランスの現像所から大島監督が持ち帰った幻のフィルム、『戦場のメリークリスマス』の巨大なアートのごときセットの建造過程や『マックス、モン・アムール』のマックスのボディ・スーツの制作工程にまつわる貴重資料などを続々と発掘。企画されたが、映画化にはいたらなかった東映やくざ映画『日本の黒幕』の制作メモ、早川雪洲とルドルフ・ヴァレンチノの確執を描く『ハリウッド・ゼン』の複数のシナリオ、テオ・アンゲロプロスが大島渚を撮ったカンヌ映画祭用の幻のフィルムなど、映画ファンなら目がくらむような垂涎の資料を濃厚な解説とともに収録している。この本の刊行にあわせ、4/3(土)から4/23(金)まで、シネマヴェーラ渋谷で「オーシマ、モン・アムール」と題し、大規模な大島渚回顧上映を開催。さらに、4/16(金)から新宿・武蔵野館他で『戦場のメリークリスマス 4K修復版』と『愛のコリーダ 修復版』の2本をリバイバル公開する。4月、大島渚にスポットがあたる!【編著者・樋口尚文さんのコメント】昨秋、長年着手せねばと思っていた故・大島渚監督が遺した膨大な資料の精査についに踏み切り、小山明子さん、大島渚プロダクションの大島新監督の全面的なご協力を得て、藤沢の大島邸の書斎、保管庫から大島プロの保管庫、さらに関係各所に通い詰めて、資料の分類と撮影を続けましたが、これだけでまるまる三か月を要し、さらにそのアーカイヴの分析・執筆作業が数か月を経てまだ続行中です。大島監督が遺した資料のボリュームは圧倒的で、私がぜひ知りたいと望んだ異色作の創造工程をつまびらかにする数々の手がかりや実に珍しく興味深い写真の数々など驚いた「発掘物」は枚挙にいとまがありません。本書はこの恐るべき質と量の資料群を念入りに蒐集保管していた大島監督ご自身の「アーカイヴ熱」を再現することにも留意しながら、この「映画」と「知」の巨人の足跡をいきいきと記録したいと考えています。『大島渚全映画秘蔵資料集成』監修:大島渚プロダクション編著:樋口尚文(国書刊行会)B5判 / 総500頁 / 予価 8,800 円+税 / 2021年4月刊行予定『大島渚全映画秘蔵資料集成』刊行記念大島渚監督作品特集上映「オーシマ、モン・アムール」4月3日(土)〜23日(金)(c)大島渚プロダクション(c)大島渚プロダクション
2021年02月18日「『いけいけ、もっとやれ!ああ、もう、何やってんのよぉ~~』。プロ野球中継がある日は、こんなふうに一喜一憂しながら、リビングで1人大声を張り上げています。気づいたら、ソファからも立ち上がってたり。野村監督(克也・享年84)がチーム再生に乗り出したころからのタイガースファン。特にいまはコロナでいろんなことが自粛になっているから、野球観戦が唯一といってもいい楽しみですね。ときどき篠田がやってきて、『ほら、三振するぞ~』なんて、わざと言うんです(笑)」今年、映画デビュー60周年を迎えた女優の岩下志麻さん(79)。くしくも、その作品『乾いた湖』を監督し、やがて夫となるのが、いまも会話に登場した篠田正浩さん(89)だ。お2人は結婚以来、自立した夫婦の先駆けとして、互いを「戦友」と「同志」と呼び合いながら第一線で活動してきた。120本以上もの映画に出演し、その大半で主役を演じた岩下さんだが、最も多いのが夫である篠田監督とのコンビだ。そんな岩下さん。実は、学生時代は女優を目指していたわけではないと話す。「銀座生まれの吉祥寺育ち。父も母も、ともに新劇の俳優でした。3歳のとき、はしかと肺炎を併発して、生死の境をさまよう大病をしました。そのせいで、両親に溺愛されて育ちました。もともと父は、私をピアニストにしたかったみたいです。吉祥寺に行く前に、弱な私のためにと、空気のいい鵠沼海岸の近くに引っ越したんですが、その家にドイツ製のワイン色のピアノがあったのを覚えています。中学のころには、精神科医を目指していました。近所に精神を病んだ方がいらして、私は、なんとかこういう人を治す職業に就きたいと思ったんです」猛勉強で受験を突破し、進学校の都立武蔵高校へ。成績も学年で1番の努力家ぶりだった。しかしこの無理がたたって、病いに倒れてしまう。「そこへ、父がNHK初の連続ドラマ出演の話をいただいてきたんです。父にしたら、目標を失って虚脱状態だった娘を、なんとか元気づけようと思ったのでしょう。『私も、じゃあ、気分転換にやってみようかな』。そんな軽い気持ちでした。その後、成城大学文芸学部に入学した年に松竹から新人契約のお話をいただき、大学と同時に入社しました。とはいえ、主役をやりたいといった思いはみじんもなく、あくまでアルバイト感覚だったんです」今年、映画製作100年という節目を迎えた松竹だが、岩下さんが19歳で契約を交わした60年当時、すでに映画界はテレビに押され斜陽といわれていた。同時に、篠田監督や故・大島渚監督らによる松竹ヌーヴェルヴァーグが注目され、そんななか、清純派のスター女優候補として、会社の大きな期待のもとデビューした。「私、のんびりしていたので、いつか“駆けずのお志麻”なんてあだ名が付いて。当時の松竹は女優王国で、上下関係も厳しく、先輩の女優さんから面と向かって「グズ!」と怒鳴られたりも。斜陽といわれながらも、現場はやっぱりすごい活気にあふれていましたね。デビューから2年後、小津監督の遺作となった『秋刀魚の味』でヒロインを演じました。この撮影後、小津監督がおっしゃったんです。『志麻ちゃん。人間は悲しいときに、悲しい顔をするんじゃないよ。人間の喜怒哀楽というのは、そんな単純なものじゃないよ』この言葉は、その後もずっと私の演技の原点になっています」映画デビュー60周年。岩下さんは、来年早々に80歳となる。最近、特に意識するのは、10年前に91歳で亡くなった母・美代子さんの存在だと語った。「私が80代!びっくりしちゃうわよね(笑)。80代というのは、やっぱり老い、そして死に向かっていきますからね。そんなとき、晩年を私たち家族と二世帯住宅で過ごした母の姿を思い出すんです。最後は15年くらい脳出血の後遺症で車いす生活でしたが、どんなときも、私たち家族を、『おかえりなさい』とニコニコ笑顔で迎えてくれました。まさに太陽のような人でした。私の80代というのは、老いに向かうなかで、いかに笑顔でいられるか。母の姿がテーマです。意外に私、いつも自然体なんです。だから、年を取るのもそんなに怖くない。あるがままです」「女性自身」2020年10月20日号 掲載
2020年10月12日『サタンタンゴ』などで知られるハンガリーの巨匠、タル・べーラ監督が後進育成のため設立した映画学校「film.factory」で学び、卒業制作として作られた初長編映画『鉱ARAGANE』が世界各国で高い評価を受けた小田香監督。その長編デビュー作では鉱山の地下奥深くへと分け入った小田監督だが、新作『セノーテ』では一転、水中へとカメラを向けている。『セノーテ』とは、メキシコ、ユカタン半島に点在する洞窟内の泉のこと。ここはかつてマヤ文明の時代、唯一の水源であり、雨乞いのために生贄が捧げられたと言い伝えられる。マヤの人々には、現世と黄泉の世界を結ぶ場所と信じられていたという。ここは、映画学校の同級生から教えられたそうだ。「サラエボでの学校生活が終わりを迎えつつあるころ、メキシコ人の学友から誘われたんです。こういう泉があるから『来てみては?』と。それで1年間ぐらい、関連の書物を読んだりしてできる範囲で調べて、1年後、実際に現地へ行ってリサーチをしてみることにしました。現地ではさまざまなセノーテを回って、現地の人たちにいろいろな話をききました。テストでカメラも回していたのですが、セノーテで暮らすマヤにルーツをもつ人々の顔がすごく印象に残りました。また、日本に戻ってきて少し映像をまとめたんですけど、それをみたときにもう少し掘り下げたい気持ちが出てきました。そこで、もっとプロジェクトとして続けたい、何年か続けて現地を撮影したら映画になるかもなと思って、本格的に取り組もうと心に決めた気がします」そこから小田監督はあまり泳ぎが得意ではないにもかかわらず、泉の撮影を想定してダイビングのライセンスを取ったりと下準備を整え、2年ほどの間に3度の現地撮影を敢行。完成した作品は、神秘の泉の底へとカメラが入っていく。その一方で、現地で生きる人々のポートレイト的な顔の映像や、マヤ演劇のセリフやマヤ語、現地の環境音を採収。そうした映像や音声が混然一体となってこちらへ届いたとき、滅亡したマヤ文明の苦難の歴史やマヤの人々の文化、セノーテという泉に広がる世界がわかに浮かびあがってくる。小田監督自身は現地でどんなことを感じていたのだろうか?「セノーテによってかなり違います。神聖さを感じるところは、やはり水の中へ潜らずに水面を浮いているだけでもひとりでいると、なにか起きるんじゃないかと、畏れを感じる瞬間がある。一方で、もう入場料をとって、更衣室やシャワールームを用意して遊べる観光地化されたセノーテもある。そういうところはもう泉というよりは、プールみたいでしたね」また、小田監督の目からみて、現地の人にとってどういう場所に映ったのだろう。「ひじょうに生活に近い場所ですね。井戸として使っているところもあるし、暑い地域ですから、現地の人たちの水浴び場のようにもなっている。ですから、現地の人にとってはひとつの公共の場。実際、管理は現地の彼らがしている。洞窟ですから、場所によってはけっこう下らないと泉まで着かないのですが、その間のはしごとかは彼らが管理している。ただ、その一方で少数ですけど何割かの人にとってはいまもまだ神聖な場所で。近寄ってはいけないと考えている人もけっこういらっしゃる。生活に密着した場でもあるけれども、自分たちにとってルーツや文化を感じさせる場所でもあるように私の目には映りました」このようにまだ見ぬ世界を飛び回って、そこでの発見や体験を作品にしているように映る小田監督。ただ、『セノーテ』の公開に先駆けて開催された『小田香特集』で上映された初監督作品の『ノイズが言うには』や、『あの優しさへ』では、自分自身という人間を深く見つめ、探究してもいる。「『ノイズが言うには』に関していうと、自分という人間に対して向き合わなければいけない時期であった。それで自分の心の葛藤にアプローチしたんですけど、このときは映像や映画、記録することの可能性や危うさをまだ自分でもよくわかっていなかった。そのことを後悔はしていないんですけど、もうちょっとうまいやり方があっただろうと今も思う。確かに家族を特に母親を傷つけたことは間違いなくて、しこりが残ることになってしまった。そのあと、(タル・)ベーラのもとで学ぶことになるんですけど、このころは自分が興味をのもったものを撮影しようという方向に意識が変わったんですね。それでまず『鉱ARAGANE』が生まれた。ただ、日本に戻ってきて、これからも映画制作を続けていきたいと思ったとき、『ノイズが言うには』できちんと整理できなかったことの後始末をつけたいと思った。それでできたのが『あの優しさへ』で。いまは正直なことをいうと、『ノイズが言うには』のころに抱いていた、自分がセクシャル・マイノリティであるといった個人的な葛藤はない。『あの優しさへ』で整理することができた。なので、いまは自分の心の内ではなく、外に目が向いています。ただ、日々、わたし自身、生活しているので、10年に1回かどうかわからないですけど、なにか葛藤は出てくるかもしれない。ですから、そういう自分の内面に迫るような作品を今後も作る可能性はないとは言えないでしょうね。ただ、自分の中では、自分の内面を探究することも、知らない世界へ行って、その未知の領域を知ることも、作品作りにおいてはあまり違いないといいますか。両極にはあるんですけど、断絶しているものではない。わたし自身が見たものを体感したことを作品にするという点においてはつながっていると考えています」前作の『鉱ARAGANE』も、今回の『セノーテ』も自らカメラを廻している。撮影に関してはこんなことを常に考えているという。「私は風景を撮っていても、人の気配を撮っていると思っています。なので、今回だったら、自然の風景でも昔は人が住んでいたとか、そう感じたところを撮っている。逆を言えば、自然の中に、人間の気配のようなものを感じないときは撮りません。あと、なにかを説明するために(カメラを)廻すことはないです。たとえば、こういうショットが必要だから撮っておくということはない。あくまで自分の心が動いたときだけしかカメラは廻さないです」撮影も自らこなすが、編集も自分で手掛ける。この選択もまたこういう考えからきている。「人に任せられたら楽なんだろうなとは思います(笑)。任せてみて、どうなるかをみてみたい気持ちもないわけではないです。ただ、現時点では自分でやらないとダメですね。というのも、なぜ、このショットを撮ったのか考える作業は、やはり自分でしないといけない。私自身、撮影しているときそこまできちんとわかっていない、このショットを撮った動機や理由が、編集の中で浮かび上がってくることがある。ショットの持っているリズムやイメージで見えてくるものがある。その探し物は自分でしないといけない。だから、いまのところ自分でやるのがベストだと思っています」作品はロッテルダム国際映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭に正式出品され、高い評価を得た。また今年3月には、世界に羽ばたく新たな才能を育てるために新設された第一回大島渚賞を受賞。審査員長の坂本龍一らに絶賛された。「大島渚賞は思ってもいない受賞といいますか。大島渚監督という世界的な映画監督の賞をいただくことになるとは夢にも思っていませんでした。いま、この賞の重みをひしひしと感じています。ただ、そう感じる一方で、あまりプレッシャーを自分に与えないようにとは思っていて。大島さんの名に恥じぬようとか、ここ数年でなにかしらの結果を出さないととかはあまり考えないようにしたいなと。それより10年、20年と映画作りを継続していくことで、『小田でよかった』と思ってもらえたらなと思っています。それぐらい長い目で見てもらえたらなと思っています。あまり目先のことを考えず、自分のスタイルを変えることなくマイペースで活動していけたらと思っています」その大島渚賞では、タル・ベーラからメッセージが寄せられ、「あなたと出会う幸運に恵まれたこと、それは私の人生のひとつの贈り物でした」「映画を作ることとは何か、それをあなたはよくわかっていました」「我が道を行きなさい」と最大級の賛辞を送っている。彼から学んだ1番のことはなんだろうか?「film.factoryでは、現在の第一線で活躍するフィルムメイカーが講師として来てくれて、そのバックグラウンドを私たちと共有してくれました。でも、ひとりひとり、その作品へのアプローチも違えば手法も違う。映画作りにはルールもなければ正解もない。結局、自分で実際にやってみて、自分で失敗して学んで、その中で、自分の映画言語であり映画文法を見つけていくしかない。それは誰かに教えられることではない。自分で探し出すしかない。ベーラは『シェルター』になるといって、なんにでも相談にマンツーマンでのってくれました。ただ、自分の映画作りということに関しては、教えることではない、『自分で考えてみつけるしかない』と。film.factoryでの日々は、そのことに気づかせてくれる時間と場所を提供してくれたんだなと今振り返ると思います。結果、自分にとっての映画作りを『鉱ARAGANE』でまだおぼろげながら見つけることができた。今回の『セノーテ』は、それをきちんと確認できた気がします」『セノーテ』9月19日(土) 新宿K’s cinemaにてロードショー、全国順次公開
2020年09月17日長年連れ添い、紆余曲折を経ながら、最後は「夫を介護する」という試練と向き合うことになった妻たち。そのとき、夫に何を思うのか。きれいごとだけでは片づけられない複雑な思いを超え、見えてきた「夫婦って何?」の答えに、耳を傾けましたーー。■小山明子さん(85・女優)/夫は故・大島渚(享年80)「ロンドンで倒れて帰国した夫の大島には、右半身のマヒが残りました。彼を支えるといっても、私は女優で何もできないのがつらくて」国際的に活躍していた映画監督の大島渚さん(当時63歳)が、滞在先のイギリスで脳出血により倒れたのは’96年2月。妻の小山明子さんには、その日から介護生活の重圧がのしかかる。「息子2人もいましたが、ずっと家事はお手伝いさん任せでしたから、カロリー計算などしたこともない。周囲の励ましの声が、逆に『お前は妻失格だ』と聞こえ、私は最低な女だと、自分で自分を追い込んでいったんです」ついには自殺願望も出現し、自身も閉鎖病棟へ入院となる。診断は、重度のうつ病だった。ある日、夫に付き添い、リハビリ室で待機していると、隣にいた年配の女性が話しかけてきた。「奥さん。あの方、有名な映画監督の大島渚よ。大変ねえ~」小山さんは当時を振り返る。「すぐ目の前にいるのは妻の私なのに気づかない。『そうなんですか』と返事しながら、心臓が凍りそうなほどショックで。帰って鏡を見たら、頭は白髪、十数キロ痩せて、化粧もしていない老婆のような姿の自分がいました」この出来事が「介護うつ」から立ち直るきっかけとなった。「20歳で女優になって四十数年。いかに自分が夫に依存していたかを知るんです。精神的にも自立しなければ、と思いました」その第一歩として、地元・藤沢市の広報誌で見つけた社会保険健康センターのスイミングスクールへ通い始めた。その後、順調に回復した大島監督だったが、結婚40周年を迎えたころから、再び多発性脳梗塞や十二指腸潰瘍穿孔などが襲う。「夫の入院と同じころ、うちで何十年も働いてくれた70代のお手伝いさんも入院。ここをなんとか乗り切らなければと、私は2つの病院に通い続けました。周囲に頼ることも覚えました。4年間のうつ体験は、無駄じゃなかったんです」退院してきた大島監督は、「要介護5」の判定となり、さらに過酷なリハビリの日々が始まる。「討論番組などの影響で『バカヤロー』のイメージもあった大島ですが、素顔は家族にも誰にも『ありがとう』の人でした。それが脳の病気の後遺症と思われますが、このころから車いすの押し方が悪いといっては、『このバカ女!』など罵声が出るようになるんです」息子さんたちは、「ママ、よく我慢できるね」といったが、小山さんの思いは違っていた。「私は、八つ当たりしてもらってストレス発散して、少しでも長生きしてもらいたかった。だって、十二指腸の手術後には、最悪のことまで覚悟していたのですから」このころ、上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン神父の著書に感銘を受け、抱えているものを手放すなどの処世術を実践した。「もう過去の栄光にとらわれるのはやめよう。1人の闘病する人間とその妻として、一日一日を笑って生きよう。女優の代わりはいくらでもいるけど、大島渚の妻は私だけなんです」’10年10月には、ともに大病を経験した夫婦の念願だった金婚式も無事に済ませた。大島監督が80歳で死去したのは、その3年後だったーー。夫を見送って7年。気づけば自身も80代半ばとなり、体も悲鳴を上げ続けている現実もある。「4年前から毎年、乳がんや心臓の手術を繰り返し、昨年も脊柱管狭窄症と肺がんの手術。仕事を続けるときに不安のままいるよりはと、私は手術を選んできました」現在はコロナ禍で延期などになっているが、自身の介護体験を語る講演などは今後も続けていく。同時に続けたいのが“2人旅”。「大島は孫にとっては、いつも病床で寝ているおじいちゃん。その教訓もあって、私は元気なうちに5人の孫とそれぞれ2人旅をして、思い出作りをしています」「女性自身」2020年9月15日 掲載
2020年09月09日