現代社会で問題視されている、社会人の過労。労働基準法で過度の時間外労働を禁じるなど、さまざまな対策をとっていますが、残念なことに従業員を酷使する『ブラック企業』はなくなりません。身体を酷使するだけでなく、精神にも影響を及ぼす、過労。仕事が原因で、精神を病んでしまう人は珍しくないといいます。過労で心療内科に行ったら、医師に告げられたひと言ネコロス(@youyakuya)さんも、過去に過労で心身が疲弊した1人。限界寸前まで追い詰められ、危機感を覚えたネコロスさんは、初めて心療内科を受診することにしました。健康のためにも、仕事を休むことを勧めた心療内科の医師。しかし、当時のネコロスさんは仕事に対する責任感が強すぎたため、医師の提案を受け入れられなかったといいます。過労で追い詰められる人たちは、真面目な性格が多いとされています。そのため、どれだけ心身が疲弊しても「仕事を休んではいけない」「他人に迷惑をかけてしまう」と思ってしまうのです。命を絶つ選択が頭をよぎるほど、仕事によって精神を消耗していたネコロスさんも同様。しかし、医師のこのひと言にハッとさせられ、自分の健康を大切にすることができるようになったといいます。ネコロスさんの命を救ったといっても過言ではない、医師のひと言。漫画を読んだ人からは、称賛する声が続出しました。・広まってほしい言葉だ。命よりも大切な仕事なんてないよね。・ここまでハッキリといえるこの医師、かっこよすぎる。いい医師なんだろうなあ。・これくらい追い詰められている時は、強い言葉で止められたほうが心に響くんですよね。この時の言葉によって、心身に支障をきたすほどの状態になったら、迷わず投げ出すことができるようになったという、ネコロスさん。こういった場合の『逃げ』は決して恥ずかしいことではありません。「自分の大切なものを『守る』」という考えは、生きる上で重要といえるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年05月03日現在、4歳の娘と夜勤ありの夫との3人で生活をしています。仕事を掛け持ちしながら家事と育児の毎日です。やらなければいけないことばかりですが、時間に追われることが苦手な私は徐々に精神的に追い込まれてしまいました……。 ついに娘が幼稚園に入園。新しい環境へ!自宅で娘の育児をしていましたが、「幼稚園に預けたら仕事を増やして、今まで以上に頑張ろう」と思っていました。そしていよいよ春になり、娘は幼稚園の年少組に通い始めたのです。 最初のほうは、「まだ眠いから幼稚園に行かない!」と言って泣いたりしていて、私は毎日なだめながら連れて行くことに疲れを感じながら出勤していました。そして、徐々に私自身の体の変化を感じ始めたのです……。 疲れがとれず、訳もなく涙が出る夏ごろになると、娘は幼稚園に慣れてきて楽しく通うようになり、園であった出来事を毎日報告してくれました。しかし、私は余裕がなく、仕事から帰ってきたら体が疲れ切って動くことができませんでした。笑顔で話を聞いてあげることも厳しい状態だったのです。 家事も完璧にこなすことができずに、「精一杯、母親として頑張らなければいけないのに」という思考に追い込まれ潰されそうになっていました。娘を寝かしつけたあと、「余裕がなさすぎる自分が嫌だなあ……」と泣く日々が続きました。 心療内科へこのままではいけないと思い、夫と家事の分担のバランスやリフレッシュしたいときは積極的に幼稚園の一時保育を利用することなどを話し合い、どのようにしたら乗り越えていけるか相談しました。 また、私自身精神的につらかった以外に動悸や頻脈などの症状もあったため、心療内科に行くことに。すると、定期的に通院することで、徐々に心が軽くなっていったのです。心療内科に行って初めて、私は完璧を追い求めるあまりに、自分自身を苦しめていたことを改めて振り返ることができました。 現在は仕事をセーブして、家事を夫と半分ずつに分担できるようにしています。幼稚園の一時保育を使えるときは利用して、頑張り過ぎないように現状をキープしています。「母親なんだから頑張らなければいけないし、頑張ることが当たり前」の思考にとらわれることがありましたが、客観的に考えられるようになってきました。今では笑顔で毎日幼稚園での出来事を聞くことができて、慌ただしくも楽しい日々を過ごしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:木野つむぎ2018年生まれの女の子のママ。おだやかな娘と夜勤あり夫と3人暮らし。
2023年04月20日心療内科とは?精神科とは?心療内科とは、何かしらのストレスが背景にある心や体の不調を診ることを専門とする診療科です。精神疾患の中には、症状として頭痛や吐き気、めまいなどの体調不良が現れるものがあります。しかしその不調の原因が精神的なものと分からないまま対処しても、なかなか症状が改善しないことがあります。また、身体疾患でも、症状が悪化したり経過が長引いたりすることに、精神的な要因が大きく関わるものもあります。そんなとき、症状の原因となる精神的なストレスに、カウンセリングなどを通してケアも同時に行うのが心療内科です。心と体の関係を考えながら、体の不調をケアしてくれるのが心療内科なのです。参考:心療内科(心療内科)|厚生労働省e-ヘルスネット精神科は精神疾患の診断と治療を専門的に行います。厚生労働省が認定した国家資格の医師資格を持ち、精神疾患や精神障害、神経症、心身症などの診断と治療を行う場所です。主な治療の内容としては、薬物療法や心理社会的治療、精神療法などを行います。以前は、統合失調症 やうつ病が精神科受診の代表でしたが、最近では認知症や依存症、発達障害などでかかる人も増えてきました。参考:精神科医(せいしんかい)|厚生労働省e-ヘルスネットQ:心療内科と精神科に違いはあるの?行く目安や病院の選び方で大切なことは?ストレスが背景となる不調があるときには、精神科への受診をイメージする方も多いと思います。心療内科と精神科とは何が違うのか気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、心療内科と精神科の診察の対象となる病気は、現時点では明確な区別はありません。ただ、心療内科には「内科」とついていることからも分かるように「身体症状」に対する対症療法などの経験が豊富な医師が多いようです。ストレスが背景となる不調がある場合、心と体の様子を見ながら時間をかけて治療することが多くあります。心療内科、精神科いずれの場合も医師との相性を重視し、「自分にとっての良医」を探すことが大切です。そのための一つの指針として薬の「飲み心地」について話し合えるかどうかが重要です。不安なことや、悩みがある場合、気軽に相談できる病院を選べるとよいでしょう。Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンQ:頭痛や吐き気などが続いています。このような身近な症状でも心療内科や精神科を受診してもいいのでしょうか頭痛、倦怠感、吐き気などの体の不調が続くのはストレスが背景にあるかもしれません。ストレスが招く体の不調には以下のようなものがあります。・頭痛・倦怠感・めまい・不眠・過呼吸・食欲減退、過食・吐き気・胃痛、腹痛、下痢・動悸・咳、ぜん息発作・発汗・抜毛など身近な症状が多く並びます。このような不調が続く場合、その背景には以下のような疾患が隠れている可能性があるのです。Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンQ:心療内科や精神科の受診対象となる病気や障害は?Upload By マンガで分かる発達障害のキホンうつ病は気分障害の一つで、一日中気分が落ち込んでいたり、何をしても楽しめないなどの精神症状と、不眠、食欲減退、疲れやすいなどの身体症状が現れます。統合失調症は、脳のさまざまな動きがまとまりづらくなり、幻覚や妄想などの症状が起こる病気です。幻覚や妄想は本人には現実のように感じてしまうので、病気が原因だと自分自身で気づくことが難しいといわれています。うつ病の中でも、心の不調が体の不調に隠れてしまっているものが「仮面うつ病」と呼ばれています。主な症状は吐き気や腹痛、倦怠感、動悸などです。身体症状なので、精神科や心療内科ではなく内科、産婦人科などで診察を受けても異常が見つからず「単に調子が悪いだけ」と誤診されてしまうこともあります。過敏性腸症候群(IBS)は腹痛や下痢、便秘といった腸の不調が見られる病気です。日常生活への支障は痛みによる不快感だけではありません。急におなかが痛くなってトイレへ駆け込む、出勤前にトイレから出られなくなる日が多いなど、学校や仕事に影響が出ることもあります。【参考】機能性消化管疾患心療ガイドライン2014|日本消化器病学会自律神経とは、体のバランスを整える神経です。その自律神経のバランスが崩れることにより起こる倦怠感、不眠、めまい、頭痛、動悸、食欲不振などさまざまな症状の総称を自律神経失調症といいます。なお、自律神経失調症は正式な病名ではありません。参考:自律神経失調症(じりつしんけいしっちょうしょう)|厚生労働省e-ヘルスネット突然息苦しさを感じ、呼吸が乱れ、息が入ってこないように感じるのが過換気症候群(過呼吸)の特徴です。動悸や胸の圧迫感のほか、手足のしびれや筋肉のけいれんを感じることもあります。突然息苦しさや動悸、冷や汗、恐怖感などを感じてパニック状態になる症状が起き、「またパニックが起こるかもしれない」と感じ、そのせいで社会生活に支障の出ている状態をパニック障害といいます。不安感が原因で外出ができず、学校や会社へ行くことができなくなることもあります。食事をうけつけなくなる「拒食症(神経性食欲不振症)」と、無謀な食べ方を繰り返す「過食症(神経性過食症)」。この両方を合わせて摂食障害と呼びます。どちらもやせ願望や肥満恐怖をもち、心身両面からの専門的治療が必要になってきます。バセドウ病に伴う動悸や発汗などの身体症状やイライラなどの症状が精神症状と間違えられることがあります。バセドウ病の確定診断と治療は、内分泌内科で行われます。脳そのものの病気や脳血管障害などの理由により、認知機能の低下が起き日常生活全般に支障が出てくる状態を指します。代表的な種類とてしてアルツハイマー型認知症などがあります。なお、認知症の診断には、頭部CTスキャンなどの検査が必要であるため、検査装置を備えた医療機関を受診する必要があります。特定の物質や行動ややめたくてもやめられず、日々の健康や人間関係、仕事などに悪影響や支障が起きている状態のことです。アルコール、ニコチン、薬物などが原因の物質依存症とギャンブルなどが原因の行動嗜癖(こうどうしへき)、うつ病、統合失調症を始め、仮面うつ病、過敏性腸症候群(IBS)、自律神経失調症、換気症候群(過呼吸)、パニック障害、摂食障害、などがあります。最近は認知症、依存症、発達障害なども増えてきましたなどがあります。生まれつきに見られる脳の働き方の違いで、行動面や情緒面の特徴が幼児期からみられます。自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、限局性学習症(学習障害)、チック症、吃音などが含まれます。心療内科や精神科における治療の流れ心療内科や精神科ではカウンセリングを含めた診察、検査を経てそれぞれの症状に合わせた治療を行います。まずは医師に現状を伝えます。病歴や症状、薬を飲んでいるかなどはもちろん、原因になりそうなストレスや家族との関係、生育歴などを話します。もし同じ病状でほかの病院にかかっていた場合はそれも話しておくと良いでしょう。うまくまとめて話せないことも多いため、受診前に簡単に話す内容をまとめてメモしておくとスムーズです。話しているうちに人間関係や仕事の相談をしたくなる気持ちも出てくるかもしれません。ですが、心療内科の医師は体の不調の原因を探るために話を聞いています。悩みを聞いて答えを探してほしいという場合は、カウンセリングルームを利用するという方法もあります。じっくりと話を聞いてもらえ、一緒に考えてくれますが、健康保険が適用されません。問診のあとは体の不調の原因や程度を探るため、必要に応じて血液検査、心電図などが行われます。心理状態や性格を知るために、心理検査(心理テスト)をすることもあります。簡単な質問に答える検査のほか、カードに描かれた模様を見て何に見えるかを答えるロールシャッハテストなど、あいまいな質問で深層心理を探る検査が行われることもあります。心療内科や精神科診療にはどのくらい費用がかかる?心療内科や精神科へ行こうと思ったとき、気になるのは費用ではないでしょうか。内科と違って問診(カウンセリング)の分の時間もかかるので、高額なイメージはあるかもしれません。カウンセリングルームとは違って医療機関では健康保険が適用されます。そのため驚くような額にはなりません。ただし医療機関の診療では、初診以外は何十分も時間をとれるわけではないことも憶えておく必要があります。病院によりますが、保険適用になるため、初診で払う費用の目安は2500円~5000円程度のことが多いようです。症状によっては薬や検査代が別途かかることもあります。臨床心理士によるカウンセリングを行っている場合など、別途予約料が必要なところもあります。予約の要不要を含めて、行く前に病院のシステムを調べておくと安心です。心療内科の対象となる病気には、自己負担が1割となる「自立支援医療制度」が適用されるものもあります。利用には医師の診断書と市町村での申請が必要で、市町村や都市に指定された「指定自立支援医療機関」でなければ適用されませんが、大半の心療内科や精神科の医療機関は指定を受けています。治療に時間と費用がかかる場合は、制度の適用について医師に相談してみると良いでしょう。参考:自立支援医療(精神通院医療)の概要|厚生労働省「自分にとっての良医」を探すことが大切心療内科や精神科は、ストレスが原因と考えられる多様な症状に対応してくれます。費用もほかの診療科とそれほど変わらず、特に高額ではありません。症状の中には自覚しづらいものも多くあるので、気になる症状があれば、一人で抱え込まずに一度心療内科や精神科へ行ってみるのも良いでしょう。ストレスの内容や症状について話すことで、客観的に自分を見つめることもできます。ストレスが背景にある不調や病気などは、心と体の様子を見ながら時間をかけて治療することが多いため、医師との相性を重視し、「自分にとっての良医」を探すことが大切です。あわせて普段からストレスをためないような生活を送ることも重要です。ストレスは多くの病気の引き金になります。学校や仕事、人間関係など、ストレスと無縁に生きることはできませんが、できる限りため込まず上手に発散できると良いですね。イラスト/taekoコラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。SLD(限局性学習症)LD、学習障害、などの名称で呼ばれていましたが、現在はSLD、限局性学習症と呼ばれるようになりました。SLDはSpecific Learning Disorderの略。
2023年03月28日私は44歳のときに、今まで経験したことのない心のざわざわ感、不安感を抱えるようになりました。そこで、あることをきっかけに46歳でヨガニドラー(ヨガの睡眠)を始めたところ、徐々に不安感が軽減したのです。そこで、今回は私がヨガニドラーに出合ったきっかけと、どのように変化したかを紹介します。★関連記事:「汗びっしょり、不安感、倦怠感が…」40代からの心と体の不調は更年期症状!?50代で見つけた解決法【体験談】不安感はある日突然やってきた!私の不安感はある日突然やってきました。44歳のときです。仕事中にパソコンを操作しているとき、今まで経験したことのないめまいに襲われました。しばらく休憩室で横になってもグルグル回ったまま。その日は早退させてもらって、自宅で1日中寝ていましたが、その日を境に1日の中で何回もめまいに襲われ……。その後、定期的にめまいの症状に悩まされることになりました。耳鼻科で受診した結果、「良性発作性頭位めまい症」と診断されました。めまいの原因は不明でした。半年ほどの通院と処方されためまいに効く薬で治まったのですが、「いつ、めまいが来るのか?」「外でめまいが起きたらどうしよう?」。そんな思いを抱くようになり、不安感でつらい日々を送ることになったのです。今思えば、仕事で体を酷使することが多かったのと、子育てでは長男が高校1年の時期に不登校になり、また中学1年の次男が所属していた野球チームでのお母さんたちとの人間関係で心身ともに疲れ切ってきたのだと思います。最初に起きためまいで内科と耳鼻科を受診し、そのときは原因不明のめまいと診断され、その後、不安感が強く出て心療内科へ。しばらく心療内科への通院を続けたものの、もしかしてこれは更年期?と思って婦人科へ。婦人科では血液検査の結果、更年期障害の診断を受けてホルモン補充療法を開始。最終的には心療内科と婦人科に落ち着いて治療をすることに。心療内科では抗不安薬と抗うつ薬を処方してもらい、まさか自分が心療内科のお世話になるなんて、ずっとこのままなんだろうか? とにかく不安な日々を過ごしていました。ヨガスタジオでヨガニドラーを体験当時、私は心身の不調を改善するために、ヨガにハマっていました。私はスポーツインストラクターをしていて体を動かすことが好きだったのもあり、通っていたヨガスタジオのワークショップを受けていました。ヨガを通じて、筋肉や心の緊張が解けていくのを感じていたからです。ワークショップの1つに瞑想を学ぶコースがあり、受講生となり2カ月ほど通いました。これはヨガの哲学を学ぶコースです。カリキュラムの中にヨガニドラーを体験する時間があり、これが私とヨガニドラーとの出合いとなりました。ヨガニドラーは「眠りのヨガ」です。ヨガマットの上にあお向けになり目を閉じてくつろぐポーズで、インストラクターのガイドに耳を傾けるものです。ヨガというとストレッチの要素が入ったポーズを取るものと思っていた私は、「これで体に良いことがあるのかな?」と半信半疑で思っていました。しかし、一度体験してびっくり! なんともいえない心の安らぎとリラックスを感じたのです。これはやってみる価値がある!と思って、続けることにしました。ヨガニドラーを続けてみた結果ヨガニドラーのCDを買っていたのもあり、自宅でもおこなうことにしました。今は有料のアプリを使って毎日1日1回、昼食の後に20分ほどのものをルーティンにしています。ヨガニドラーはインストラクターのガイドに従いながら、じっとあお向けのポーズで体を細かく意識します。ヨガニドラーとは自律訓練法のようなもの。以前通院していた心療内科のカウンセラーによると、自律訓練法は自己催眠により意識的にリラックス状態をつくって、自律神経のバランスを回復させる治療法だそうです。1つ異なるところは、「サンカルパ」(サンスクリット語で決意の意味)といって、自分の習慣を変えるポジティブな決意を3回唱えるところ。ヨガニドラーの中には2回サンカルパの時間がありますが、毎回変えずに言い聞かせるようにやります。2回のサンカルパは、ヨガニドラーの中で最初と最後におこないます。私は、「体の不調を軽くしたい」「毎日を快適に過ごしたい」ということをサンカルパで言い聞かせました。その結果、徐々に抗うつ薬とは卒業でき、抗不安薬の量も減らすことができました。私にとってヨガニドラーは、日常の忙しさから解放されるための、自分を見つめ直すきっかけにもなっています。ヨガニドラーを始める46歳のときは、頑張ることが良いこと、無理してでも自分を奮い立たせて突っ走ってきたところがありました。しかし、頑張ることだけが良いことではなく「自分にやさしく」することも大事なんだ!と思えるようになり、日々の体調に耳を傾けるようになりました。しんどかったら、「今日は無理しないでペースダウンしよう、こんな日もあるよね~」というように。まとめ以前の私は自分のことは後回し、仕事では責任のあるポジションに就くなどに加え、体の変化についていけなくて落ち込むことが多々ありました。もともと体が弱かったこともあり、体の不調には慣れていましたが、まさかメンタルの不調になるとは思いませんでした。ストレスに対する受け止め方が若いときより弱くなっていることを改めて感じています。ペースダウンした結果、不安感も以前より少なくなりました。ヨガニドラーを通じて体を緩めることを日常的にしているからだと思います。以前お世話になったヨガインストラクターによると、人は体を緊張させることは得意だけど、緩めることは苦手だそうです。これからも、ヨガニドラーを続けて「自分にやさしく」過ごしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/わみ(52歳)管理栄養士・健康運動指導士としてフリーランスで活動中のアラフィフ女子。 40代前半から不調に悩まされあらゆることを試行中。
2023年03月07日アスペルガー症候群の夫、ユーマさんとの結婚生活からカサンドラ症候群になり、離婚したアコさんのお話です。夫のユーマさんはやさしくて真面目な人。しかしアコさんは、結婚後、息苦しさと孤独を感じるように。特に産後は、ユーマさんに育児の悩みを相談しても一緒に悩んでくれる様子が見られず、アコさんの心はどんどん離れていきました。そんなある日、娘のために発達障害の本を読んでいたところ、アコさんはユーマさんに症状が当てはまることに気が付きました。「もしかしてユーマは発達障害なのかも」と、アコさんは疑いをもつように。その後も、ユーマさん意思疎通がうまくできない日々が続き、アコさんは疲弊していきました。やがてアコさんは眠れなくなってしまって――!? 心療内科を受診した結果… ※誤)ミュニケーション→正)コミュニケーション ※誤)割り着ればいいんだよ!→正)割り切ればいいんだよ! ユーマさんはお願いごとは何でも聞いてくれましたが、アコさんにとって、意思疎通は難しいものでした。 たとえば、「子どもを見ていてね」とお願いすれば、本当に見ているだけ。絵具を床にぶちまけていても、子どもたちが絵具まみれになっていても何もしません。 またあるとき急いでいたアコさんは、「時計見て!」とユーマさんに言いました。時間を教えてほしかったのですが、ユーマさんは時計を見つめるのみ。 すべてを説明しなければ伝わらないことに、アコさんは疲弊してしまいます。 そんな日が続き、アコさんはある夜から、眠れなくなってしまいました。心の不調を感じたアコさんは、心療内科を受診。 診察の結果、「うつになる手前」ということでした。そして、「診断するとしたら今は不安障害で、ノイローゼの一種」だと医師は言いました。 思い当たる原因はあるかと医師に聞かれたアコさんは、夫であるユーマさんとコミュニケーションがうまくとれないこと、わかり合えないことなど、困っていることを伝えました。 深刻な悩みを打ち明けたアコさんでしたが、医師はあっけらかんと言いました。 「男なんてそんなもんだから割り切らないと! お金稼いできてくれる人って割り切ればいいんだよ!」 アコさんは、反論する気力も起こらず苦笑い……。 そして、医師に言われたことはきっと正しいのだろうと、信じるしかなかったのでした。 アコさんはこのとき、時間をかけて検査してもらった結果、うつではないことにはホッとしたと言います。けれども、医師に割り切るよう笑って言われたことはとてもショックだったに違いありません。悪気はなく励ましのつもりだったのかもしれませんが、ますますアコさんが、自分の考えがおかしいのではないかと、自分を責めたり、落ち込んだりしてしまいそうですね。 監修/助産師 松田玲子 作画:鳥頭ゆば 著者:マンガ家・イラストレーター アゴ山シングルマザーで2児の母です。自分の体験談や過去に出会ったヤバイ人たちの話などを書いてます。イラストは鳥頭ゆばさんに描いて頂いています。
2023年02月24日私は5歳と2歳の娘たちを育てています。5年間子育てをしていますが、イヤイヤ期に突入した下の子と上の子の対応が大変で、ここ数カ月ほどが一番育児がつらいと感じ、現在、うつ状態になってしまっています。どのような症状が出ているのか、症状を良くするために何をおこなっているのかをお話ししたいと思います。 つらくなった原因下の子が2歳になりイヤイヤ期に突入する前は、上の子のペースで物事を進められました。しかし下の子に自我が芽生えてきてからは、何をするにも姉妹で意見が衝突して、時間がかかるように。例えば、1人が階段で帰りたいと言えばもう1人はエレベーターが良いと言い、次はエレベーターのボタンをどちらが押すかでもめるなど……その繰り返しなのです。 「なるべく2人の意思を尊重してあげないと」と思い、1回で済むことも順番にやらせたり、諭したり、なだめたりと頑張っていたのですが、争いが減ることはなく私の神経だけがすり減っていきました。 私の体の変化特につらかったのが幼稚園の夏休み期間中です。2カ月弱の間、姉妹が四六時中一緒にいることでいざこざは絶えず、私のストレスもマックス! 仲良く楽しく過ごしたいのに、怒ってばかり。そんな自分に嫌気がさし、母親としての自信も喪失。そして、夏休みが明けたころ体調に変化を感じるようになってしまいました。 とにかく体が重く、何もしたくないし、すぐ涙が出るのです。家族のためにも元気に普段通りにしなくては、と気持ちを奮い立たせても、何かがおかしく、子どもたちと一緒の空間にいることさえしんどかったです。 心療内科と育児相談へそんな状態が1カ月ほど続いたので私は心療内科に行く決心を……。初診では何がつらいのか、どのような症状かを10分ほど医師と話し、安定剤が2週間分処方されました。そして2回目の受診で、あまりよくなっていないことから抗不安剤が追加されることに。 薬の力を借りるとともに、育児の悩みや不安も聞いてもらいたいと思い、地域の子育て相談にも行ってみました。相談にのってくださった子育て支援者さんは真摯に話を聞いてくださり、母として頑張りすぎないためのコツをいろいろと教えてくれました。普段人には言えないような深く、暗い話を支援者さんたちとすることで、私は自分の気持ちを整理することができ、ストレス発散ができました。 体調がおかしいなと感じてから2カ月ほど経ちました。まだ本調子ではありませんが、どん底のときに比べるとかなり良い状態です。もうしばらく医療と地域の子育て支援者さん、そして家族の力を借りて本来の自分を取り戻していきたいです。 監修/助産師 松田玲子作画/はたこ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年01月31日私はあがり症な上に過去の経験がトラウマとなり、人前で話すことがとても苦手です。人前に立つと必要以上に緊張して声が震えてしまいます。そんな私ですが次期PTA役員を務めることが決定してしまいました。そうなると嫌でも大勢の人の前で話さなければいけません。「何とかこのあがり症を改善したい! 」と勇気を出して心療内科を訪れてみた私についてお話しします。★関連記事:不安障害でどん底だった6年間。苦しみながらも克服できた理由は…【体験談】小学校時代のことがトラウマとなり…私があがり症になったきっかけは小学3年生のときにあった歌のテストです。私が歌う番になったら、クラスの男子数人から「あいつ、また変な声で歌うぞ」とからかわれたことが原因でした。それまで私は先生から「歌がじょうずだね」と褒められていたので、歌うことに対しては自信がありました。しかし自分の歌う直前に思いもよらないことを言われてしまったので、大きなショックを受けてその場で泣いてしまいました。その後何とか歌い切ったものの、声は泣き声のままでうまく歌えなかったことがトラウマとなり、人前で何かをする自信がすっかりなくなってしまいました。その結果、国語の授業の音読さえも声が震えるように……。この経験により、私はすっかりあがり症になってしまいました。あがり症を克服したと思ったもののそんな私は社会人になり、接客業に就きました。会社では「接客業は人前で話すことに慣れなければいけない」という方針だったため、毎日1人ずつ、全員がスピーチをする時間がありました。そのため「毎日いちいち緊張してはいられない」と感じ、そこから徐々に人前で話すことが苦痛ではなくなりました。社会人の間は、ある特定の場面で緊張して声が震えることが時々ありましたが、そこまでひどくなくやり過ごせてきました。しかし結婚・出産後は人前に出る機会がなくなり、気が付けばあがり症が復活。いつの間にかあがり症に戻ってしまっていた私は、次の春からPTA役員を務めることになってしまいました。もし委員長になってしまったら、地区の保護者の前で話さないといけないのはもちろん、PTA会議では学校の先生や保護者の前で発表をしなければなりません。「このままではいけない! 何とかあがり症を克服したい!」と思い、勇気を出して心療内科へ行ってみることにしました。心療内科を受診してみて心療内科と聞くと、あがり症の悩みくらいで行ってはいけないところなのかな? と思っていましたが、足を運んでみたら悩みは違えど、私くらいの年齢の女性が多くいたことに驚きました。「心療内科は余程心のダメージがない限り、行ってはいけないところ」というイメージだったのが「心療内科は気軽に相談してもいいところ」という印象に変化し、受診してみてよかったと思いました。そして診察では、あがり症になったきっかけやこれまでの経験、何に一番困っているかなどを丁寧に聞いてもらった上で「社会不安障害」という診断名が付きました。これからはSSRIという抗うつ薬を飲んで、少しずつ様子を見ていくことになりました。私は「薬を始めるとやめられなくなってしまうのではないか」ということが心配でした。医師によれば薬を服用しながら成功体験を重ねていくことで、減薬して最終的には薬に頼らなくてもいい状態を目指すことができるそうです。その点も私が安心して治療を始められた一つでした。まとめあがり症に長年苦しんできた私が、PTA役員という避けられない現実に直面し、症状改善のため初めて心療内科へ行ってみました。敷居が高いような気がしていた心療内科でしたが「特別なところではないんだ」と感じてホッとしています。私がPTAの大役を実際に務めるまではまだ少し先なので、薬の効果は今のところよくわかりません。しかしあがり症さえ克服できれば、PTAの仕事自体は楽しくできるかなと思っています。これから病院に通いながら、あがり症が少しずつ改善できたらうれしいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/中川 あかし出産後、訪問ヘルパーとして働いていたが、子どもの病気のため退職。趣味はお菓子作りとパン作り。
2023年01月09日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気づいたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月20日私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気づいた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫? 疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた生気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら……娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶ預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:小川恵子8歳と5歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年11月09日私は現在2児の母親であり、2人目が生後半年ごろに心療内科から自身が「適応障害」であると診断を受けています。「ずっと苦しかったけど、まさか自分に精神疾患の病名がついてしまうとは……」と、診断が下された当初は戸惑いを隠しきれませんでした。主な原因となったのは育児でしたので、少しでもラクになるよう改善に向けておこなったことをお話ししていきます。 下の子出産後から心身が苦しくなった下の子を出産した直後から「感情のコントロールがききづらくなり、上の子に対して当たりがキツくなる」「泣いたらいけない公共の場面で急に涙が溢れる」など日常生活に支障が出始め、心身共に常に苦しい気持ちや憂うつさが抜けなくなる状態がずっと続いていました。 しかし、当時の私の心療内科のイメージと言えば「死にそうなくらいに苦しくなったときに受診するもの」で、「それまでは気の持ちようでなんとかなる」との考えがありました。 薬の服用はあくまで対処療法と気づく心療内科を受診することに大きなためらいがあったのですが、無理をして育児をおこない、その結果メンタルを崩している私を見かねた夫の助言もあり、下の子が生後半年のころにやっと心療内科を受診しました。 そこで漢方薬や精神安定剤を処方され服用してみると、たしかに以前よりも気持ちは落ち着くし、前より感情面の起伏はフラットになったので一定の効果はありました。しかし、心療内科へ通院してみて初めて、薬を服用してもそれは単なる対症療法だと気づいたのです。 育児をひとりで背負い込む責任の重さ結局、私のメンタル不調の大きな足枷となっていたのが子どもたちのお世話です。しかし、過去の私の考え方は「ママになれば皆していることなのに、なぜ私は不必要にイライラしてしまったり怒鳴ったりしてしまうの? 」「皆と同じことがこなせない。子どもたちにずっと笑顔で接することができない」などと、今思えば不必要に自分を攻め込んでいました。 そんな最中、「なぜ、自分をそこまで追い詰めるのだろう」とふと考えてみたら、私は「子どもが順調に育たなければすべて私の責任だ」と、自分ひとりで育児を背負い込む思考になっていることに気づいたのです。 書籍やTVの情報が私を救ってくれた育児のつらさを解消したいがためにさまざまな書籍などを読み漁り、特に感銘を受けたのがNHKで放送されていた『ママ達が非常事態!?』という番組。放送の中で、人間は本来、ひとりで子育てするのではなく「たくさんの仲間とつながって共同的に育てていきたい」という本能があるという知識を授かりました。 私の育児環境を見直すと、たしかに上の子のときから里帰り出産すらせず、かといって夫も育休取得ができず、ずっと平日はワンオペ育児で慢性的な孤独を抱え込んだまま育児をしていたのだな、と自分の考えを改めるきっかけとなったのです。「そうか、だから私はこんなに育児がつらかったのか」と原因がわかれば、自分が何をすべきか見えてきました。 以前は「3歳ごろまでは自宅で子どもをみないと!」と固執する自分がいたのですが、現在は考えも柔軟になり、日中は保育園を活用してプロの方に子どもたちを任せることにしました。共同で子どもたちを育てている感覚になれて、余裕が生まれるとともに前向きさを取り戻すことができました。保育園には感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年09月17日両親には頼れず夫婦2人で育児に奮闘していた矢先、突如発症した吐き気や手足の震え、湧き上がる恐怖心。心療内科を受診し、産後うつとパニック発作と診断された私。周りの方に助けられ徐々にわかってきた、心の負担の原因とは? 改善に向けおこなってきたことや、現在の状態などをお話しします。 母乳へのこだわりが産後うつの引き金?私は産前から母乳で育てたいという想いが強かったのですが、産後母乳の出が悪く授乳に加え30分以上搾乳をしており、一度の授乳に1時間以上かかっていました。 夫と協力しつつ家事と育児をこなし、産後2週間が経ったある日、夜中搾乳していると突然めまいと吐き気、「育児が怖い」という感情が湧き上がってきました。しかし、そのときは原因がわからず産院に相談し、授乳中でも服用できる安定剤を処方してもらい症状は落ち着いたのですが……。 症状再発、療養。産後2カ月経ったころ、不眠と育児への恐怖心が現れました。私は産院から聞いていた、産後ケアサービスを1週間利用することに。しかし産院で療養し退院後、日中子どもと2人でいる恐怖に耐えられずパニックになり、保健師さんに相談し再び産後ケアサービスを利用。そして産院の紹介で心療内科を受診すると、産後うつとパニック発作という診断を受けました。 気持ちを改めたく別の産院も利用したのですが、その産院では退院に向けて義父(義母は亡くなっているため)にも協力を得られないか話をしてくれました。そして2週間後、無事に退院することに。 話をしたから気づいたこだわり心療内科の先生と話していく中で、母乳で育てたいという思いが負担になっていること、夫婦2人での育児に限界を感じていたことに私は気づいたのです。子育て経験のある先生からの「ミルクでいいじゃん」というひと言で肩の荷が下りました。 そして、相談にのってもらっていた保健師さんは「育児にこうしなきゃということはないから。少しでも休むことが大事」だと言い、自分が改めてこだわりでがんじがらめになっていたのだと気づけたのです。 周りに頼るという大切さ義父に子育てを手伝ってもらうことに抵抗を感じていたのですが、義父は毎日家に来て私に休む時間を作ってくれたのです。嫌な顔せず子どもの面倒を見てくれ、一緒に育ててくれる人がいる安心感で徐々に恐怖心が和らいでいきました。 そして投薬治療は5カ月で終了となり、そのころには子育てに対しての気持ちにも余裕ができていました。 この経験を経て、私は育児を頑張るのはほどほどに、限界を感じたら助けてもらうということの大切さに気づきました。産後うつの要因や症状は人それぞれですが、私は自分の異変に気づいたときすぐに助けを求めたことで悪化を防げたのではないかと思います。たくさん助けてくれた周りの方には感謝しかありません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/山口がたこ監修/助産師REIKO著者:中井ゆき自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年08月17日異性から見た自分の第一印象、知りたくないですか?心理テストで診断してみましょう!また、話し方講座の講師と心療内科医の、会話がスムーズになる第一印象作りのコツも併せて紹介します。異性から見た第一印象がわかる私の第一印象ってどうだった?なんてなかなか聞きにくいですよね。異性となるとなおさらです。人気占い師・心理テストクリエイターの脇田尚揮さんによる心理テストで異性から見たあなたの第一印象を診断しましょう。Q.次のアイスのうち、あなたが一番食べたいのはどれですか?A:オレンジのアイスB:コーンの3色アイスC:コーンの2色アイスD:スイカのアイスあなたはどれを選びましたか?さっそく結果を見てみましょう。A:「オレンジのアイス」を選んだあなた……マジメな印象あなたは周囲の異性から「マジメな人」という第一印象を持たれやすいようです。そのため、せっかく話が盛り上がっていたのに連絡先の交換まで至らなかったり、知り合っても二度目が無かったりと“あと一歩”のところでつまずくことが多いのでは?気になる異性に「もう一度会いたい」と思わせたいのなら、まずはメイクやSNSの使い方を再チェックしてみるといいかもしれません。B:「コーンの3色アイス」を選んだあなた……ピュアで可愛い印象あなたは異性に「ピュアで可愛いなぁ」と思われることが多そう。そして、相手から一目惚れされることも多いはず。でも、もしも「なんとなく思い通りにいかない」と感じているのなら、それはチャンスをモノにできていない可能性が。チャンスをものにしたいのなら、相手の気分の盛り上がりを見逃さないようにしてみて。C:「コーンの2色アイス」を選んだあなた……女性らしく色気がある印象あなたは色気によって、異性を虜にするタイプ。あなたの洗練された女性らしい魅力に、周囲の男性は内心ドキドキしているはず。あなたが望めばその色気によって、目上の異性はもちろん、仕事で知り合った年下の異性をゲットすることもできそう。ただし、あふれんばかりのフェロモンが火種となって争いが起きないように注意して。D:「スイカのアイス」を選んだあなた……明るくて付き合いやすい印象あなたは周囲の異性から「明るくて付き合いやすい」という第一印象を持たれているでしょう。ただ、色んな人に好意を持たれることに苦手意識を持っているのでは?その結果、無意識にセクシーアピールを封じ込めてしまっているよう。異性の前でもあまり気負わずに、自然体で振る舞うようにしましょう。©Olga Naumova/gettyimages※ 文・脇田尚揮※ 2021年8月26日 配信会話がスムーズになる第一印象作りのコツ初対面の印象ってずっと残りませんか?だからこそ、第一印象はよりよいものにしたいですよね。話し方講座の講師渡辺由佳さんと心療内科医にの吉田たかよしさんに初対面の印象を左右するブラッシュアップテクを教えてもらいました。第一印象UP!「ヘア&メイク」髪は、清潔感に直結するパーツ。ボサボサしているとだらしない人と思われがちなので気をつけて。今の時代、メイクはマスクとのバランスも計算する必要が。前髪を左分けにしたらスーパーマンのできあがり!左分けの前髪が好印象、という事実を効果的に取り入れているのが、1978年の映画『スーパーマン』。冴えない新聞記者クラーク・ケントは、事件が起こると電話ボックスに入って、マッチョで強いスーパーマンに変身する。劇中、クラーク・ケントは前髪を右分けにしているが、電話ボックスから出てきたスーパーマンは左分け。吉田さんによると、ほかにも左分けのヒーローが登場するハリウッド映画はたくさんあるそう。作り手側は経験的に左分けが好印象を与えることを知っていて、演出に活かしているのだという。第一印象UP!「姿勢、距離」肩を落として自信なさげな姿勢や、相手に不快感を与える距離はNG。胸を開けば見た目も気持ちもオープンマインドになって、話しやすい雰囲気を醸し出せるはず。オンラインでは“目が合ったふう”の演出を。初めてオンラインで会う人と、画面越しに目と目を合わせるのは難しい。そんなときは、ビデオ通話ソフトの設定を見直して。たとえばZoomなら「スピーカー ビュー」、Microsoft Teamsなら「参加者のピン留め」機能がおすすめ。Zoomだと話者が、Teamsだと特定の参加者が大きく表示されるので、視線はその人の上に。すると視線がカメラに近くなり、通話相手は自分の目を見て話している、という印象を受ける。また話を聞くときは、オンラインであっても軽くうなずくくらいのリアクションをとると好印象。吉田たかよしさん心療内科医、医学博士、本郷赤門前クリニック院長。アナウンサーや政治家秘書などを経てクリニックを開設。受験生の脳機能やメンタルの管理、勉強法指導を行う。TVやラジオへの出演も。渡辺由佳さんコミュニケーションインストラクター、元アナウンサー、大妻女子大学非常勤講師。自分磨きスクール「シェリロゼ」講師。著書に『どんなに緊張してもうまく話せる!』(日本実業出版社)など。※『anan』2021年10月6日号より。イラスト・サヲリブラウン取材、文・風間裕美子(by anan編集部)※ 2021年9月29日配信第一印象を良くしよう!第一印象が良いと、恋愛や仕事などで大きなアドバンテージを得られます。心理テストの結果などを参考に、初対面の印象をアップし、同時に内面も磨けるといいですね。まとめ構成・小田原みみ
2022年08月13日私は24歳で1人目を出産しました。けれど、本当は子どもは産みたくないと思っていました。結婚にも、子どもをもつことにも夢をもっていなかったためです。それは自分が育った環境が、愛にあふれているとは言い難い環境だったこと、心療内科に通っていることが関係していました。私が子どもを産むなんて、育てるなんてできるはずがないと思っていたのです……。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 私は産みたくないと思っていました自分のおなかの中に命が宿っていることを知ったとき、私はまだ結婚をしていませんでした。結婚というものに夢をもったことがなかった私は、同じくらい子どもを産むということにも消極的でした。それは自分の育った環境が、愛にあふれているとはいえないものだったことが大きく関係していると思います。また、私自身が心療内科に通っている状態で、子どもを産むなんて恐ろしいことだと思っていたというのもあります。私のような人間が、ひとを育てていくことなんてできるはずがない。そう自分ひとりで考え、決めつけてしまっていたのです。 彼との話し合い私はすぐに彼に、おなかに赤ちゃんがいることを話しました。そして産みたくないという私の気持ちも伝えました。すると彼は、私の気持ちを尊重し、産まない決断を了承してくれました。しかし次の日、仕事から帰った彼は青白い顔をして私に「産んでほしい」と言ってきたのです。その日は1日中子どもを産むかどうかを考え続けてくれていたらしく、「家事の手伝いはあまりできないけれど、子どものことはたくさん手伝う。普通のお母さんになろうとしなくていいから、いっしょに子どもと成長していこう」と言ってくれました。彼もまた私と同じように、家族に恵まれてこなかったために、自分の家族を作ることを心のなかで望んでいたことを、この話し合いを通してはじめて話してくれました。 母からの応援その後、同居している私の母にも出産について相談をしました。母は、いつも明るくお調子者な彼の真剣な様子に驚いていましたが、私と産まれてくる赤ちゃんとの生活に関する話を真剣に聞いてくれました。そして「私も年齢的にできることは限られているけれど、出来る限りの手伝いをするから、産んでみたらいいと思う」と賛成してくれました。私はパートで仕事をしていたので、その後は職場の上司にも、結婚すること、妊娠していること、産むつもりであることを伝えました。上司も、いっしょに働いている人たちも、私の体調などを心配しながらも応援してくれると言ってくれました。 私は、出産とは母親と子どもの問題なのだと、無意識に思い込んでいたのだと思います。だから全部を自分が背負わなくてはいけないのだと感じて自分ひとりで決めようとしていました。けれど、赤ちゃんを産むまでの道のりは、ひとりで進めなくてもいいのだと知りました。心配なことや、不安なことはまわりに頼ったり、聞いたりしても大丈夫だと。私にとっては、新しい家族のカタチです。産むのは母親にしかできませんが、そこまでの道のりを、家族やまわりの人たちに助けてもらって、そうして赤ちゃんとの対面は叶うのだなと私は知ったことで、産むことを決意しました。でした。子育ては大変ですが、あのとき産むことを決意してよかったと思っています。著者:福島 総子7歳と10歳の元気な兄弟の子育てに四苦八苦の毎日を送りつつ、趣味の読書や映画鑑賞を活かしての記事執筆を続けています。
2022年08月09日37歳のときに不安障害を発症した私。当時、私は栄養士の仕事をしていたのですが、人が少ない職場で自分が休むと迷惑がかかるという思いから休みも取らずに朝早くから夜遅くまで働き詰めでした。そんな中で発症しました。その後、約1年半の通院生活を経て、自己判断で通院をやめたものの、なかなか完全には治らず不安定な状態はずっと続き……。43歳で回復したと感じられるようになるまでは人生のどん底で、これから自分がどうなるのかが本当に不安でした。私が不安障害を発症してから克服するまでに何をしたのかを紹介します。★関連記事:「まさか私が不安障害になるなんて…」絶望のどん底から回復までの道のり【体験談】不安障害の発症当初にしたこと不安障害を発症してから1年半ほどは心療内科に通いつつ、自分でできることは何かを考えて行動していました。していたことは以下の3つのことです。1.ちゅうちょせずに薬に頼った不安障害と診断された当初は、精神安定剤などの薬に頼ることは不安でした。ですが私の場合、発症すると急に動悸が激しくなったり夜眠れなくなったりして、体調が悪くなって精神状態にも影響を及ぼしていたので、薬に頼ることも大切ではないかと思うように。ちゅうちょせずに薬を飲むようになったおかげで、安定した精神状態を保てる時間が増えました。2.不安を感じる環境から逃げた不安障害を発症してから、職場にいると急に動悸がしたり手が震えたり、不安が増したりするようになりました。休職という手もあったのかもしれませんが、私の場合はこの仕事を続けること自体が不安だったため、辞めました。3.いつも楽しくなるように心がけた日常生活では、バラエティーやコメディなど楽しい気持ちになれるテレビを見ました。テレビを見ている間は不安が和らぐのです。また、楽しい音楽を聴いて踊ること、美術館や公園など心が豊かになる場所に行くことも気分を上げるのに効果的でした。友人と会って、不安に思っていることやたわいのない話をするのもよかったです。半面、事件や事故などの悲しい話題などはより不安感が増してしまうので避けました。ラクになるために性格を改めることに上記を続けた結果、心療内科に通い始めて1年半ほどで徐々に薬が減り、頓服薬のみの処方に変わりました。そこで私は、今後は薬がなくなるが何かあったときに行けば良いやと思い、自分から通院を中止。そう思えるくらい回復したと感じていたのですが、やはりまだ不安定な状態は続いていました。結局は自分の性格を変えなければ不安定な状態が続くと考え、自分の性格を改めることにしました。ネットで検索したところ、不安障害になりやすい人は以下に該当するようでした。・感受性が強く繊細で心配性。小さいことにクヨクヨしやすい。・完璧主義で理想が高い。頑固で負けず嫌い弱気な性格と強気な要素を併せ持った人が発症しやすいようでした。私は、まさに自分のことだと感じました。性格を変えるために実践したこと私が自分の性格を改めるためにしたことは以下の3つです。1.終わったことをクヨクヨしない例えば仕事でミスをしても、あのときこうすればよかったなどとクヨクヨ考えると、後悔する気持ちをずっと引きずることになります。終わったことはさっさと忘れて、次にどうすれば良いのかを考えるようにしました。2.完璧主義をやめる理想が高すぎる私は、自分の知識や技術の蓄積のために毎日何かをしないと不安になっていました。頑張らなくてもいいんだよと自分に言い聞かせて休むようにし、その分自分が楽しくなることに時間を使いました。3.負けず嫌いを捨てる人との競争をやめ、過去の自分と競争することにしました。以前の私には他の人のほうがうまくできると、それを追い抜こうとして頑張る傾向がありましたが、それをやめ、過去の自分よりも今の自分がどれだけできるようになったかを基準にするように。そうすることで負けず嫌いがなくなり、心に余裕ができました。不安障害の原因を自己分析した結果不安障害にはいくつか種類があり、医師の診断では、私はその中のパニック障害でした。電車やバスなど乗り物に乗っているとき、歯科医院や美容室にいるときなど、自分の意思だけではその場から離れにくい場所にいることで急に激しい不安に襲われ、発作を起こすことが一般的な症状のようです。ですが私の場合、乗り物内では発作は起こらず、日常生活で急に不安になるという状態でした。そこで原因を分析すると、私は自分自身で心の中に逃げられない箱を作っていたことがわかりました。例えば不安障害が治らなかったらどうしようという不安がある場合、不安障害が治らないという箱を心に作って中に入り、自ら逃げられない状態を作っていたのです。そこから出る方法を考えた結果、結局は「人生どうにでもなる精神」を持つことが大切だと気が付きました。将来起こるかわからないことを心配しても仕方ない。それよりも今を楽しむ気持ちを持とう。これに気が付いたとき、心がずっとラクになりました。だから今の私のモットーは「今を楽しく生きる」です。将来起こることは将来に任せ、今を大切に生きることこそ幸せに生きるコツだとわかりました。まとめ私はこの「今を楽しく生きる」という考え方に至るまでに6年間もかかりました。一歩進んで三歩下がったり止まったりする毎日で、はい上がってくるというよりは、月日がたつに連れて心がだんだんと浮いてくる状態でした。ただ、たくさんのことに触れ続けて考えた結果、この考え方になり救われました。どん底を経験し、不安障害になってしまうほど仕事を頑張ったことを後悔していましたが、そこから物事を見る目が変わり、回復したあとは病気になる前の私よりもより深く物事を見ることができるようになりました。「今を楽しく生きる」というモットーで、これからも楽しく生活をしようと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/サトウユカ著者/葉月(44歳)自分のしたいことを追求しすぎて、結婚もせずアラフィフ直前に。楽しく自分らしく生きるために日々模索中。栄養士・調理師の資格持ち。趣味は料理とパン作り、食べ歩き。
2022年08月06日パニック障害と産後うつで心療内科に通い始めて2年半。夫や子どもにイライラしてしまうことを医師に話したところ、薬の量を増やしましょうと提案されました。医師からはカウンセリングを受けることをすすめられると同時に、精神を安定させるためにはセロトニンを増やすと良いとのアドバイスをもらいました。そこで、セロトニンを増やすために、自分でできることを調べました。夫と子どもにイライラしてしまう…薬が増えるのは悪いことではない2年半ほど前に、心療内科でパニック障害と産後うつであると診断されました。それからずっと、私の体調の変化に合わせて薬の種類と量を調節しながら通院を続けています。薬を飲まない生活に戻ることを目的に治療してきたつもりでしたが、医師に夫や子どもにイライラしてしまうことを話すと薬の量を増やすことを提案され、ショックを受けました。ですが薬を飲んで2日くらいたつと、イライラする心が落ち着き、安定してきました。ただ、私はそれを手放しでは喜べず、「薬の効果だと思うと少し怖いような気もする」と心療内科の医師に伝えたところ……。「薬を飲めば落ち着くことがわかったというのが、今は良いことだと思いますよ」と言われてハッとしました。今まで私はそんなふうに考えたことがありませんでした。薬を減らすこと、飲まない状態になることが治療のゴールだと思っていたからです。医師の言葉で、自分自身が穏やかに毎日を過ごせることが一番良いことなのではないかと気付くことができました。カウンセリングの効果を期待できるように医師に「本来のあなたは穏やかな性格だと思いますよ」と言われ、そうだ本来の私は穏やかなほうだったと思い出しました。そこから夫や子どもにイライラしてしまうことに対してカウンセリングをすすめられました。カウンセリングは過去に受けたことがあるのですが、そのときはあまり効果がなく途中で通うのをやめました。でも、今回私自身の治療に対する考えも変わったので効果があるのではないかと期待しています。以前は、薬を飲まない生活に戻りたい、カウンセリングで何が良くなるのかわからないという状態でした。しかし今は、薬を飲みながら心を安定させて、カウンセリングではイライラしてしまう家族のことを話せば良いのかなと考えています。カウンセリングをすすめられるほど悪い状態なのかとショックでしたが、今では良くなるための方法の1つだと捉えています。精神を安定させるにはセロトニンが必要医師いわく、セロトニンを増やすと心が穏やかになるとのこと。ネットでも検索してみると、セロトニンは「幸せホルモン」と呼ばれ、精神が安定する脳内物質ということでした。増やす方法を調べたなかで、私が実践できそうなことは、バランスの良い食生活をする、日光を浴びて15分ほど散歩するという2つでした。簡単なことですが、私には意識しないとおろそかになる部分です。精神を安定させるためには、健康な体が必要なのだと思いました。薬と同じようにできそうなことから無理のない範囲で実践していき、自分に合う手段を見つけていこうと思います。まとめ以前は、パニック障害、産後うつの薬での治療を早く終わらせたいと考えていました。しかし、最近、薬の量を増やしてイライラが落ち着いたことで、穏やかに毎日を過ごすために時には薬を飲んで精神を安定させることも必要なのだとわかりました。以前は途中でやめてしまったカウンセリングも今は通うのを楽しみにしています。また、医師からセロトニンを増やすと良いとのアドバイスをもらったことは、薬以外に自分ができることは何かを考えるきっかけになりました。病院に通って2年半たちますが、治療のこと、薬のことを前向きに捉えられるようになってきてよかったです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。マンガ/山口がたこ著者/れいこ (43歳)電化製品好きな夫、保育園児の子ども2人、猫と暮らしている。コーヒーと美容家電が好き。
2022年05月06日41歳のとき、子どものため10年ぶりに車の運転を再開。慣れない運転に追い込まれた私はパニック障害になり、激しい動悸や呼吸が苦しいという症状に悩みました。まずは心療内科へ通うことにし、併せて鍼灸院での治療もおこなったときの体験をお伝えします。パニック障害になったきっかけは車の運転子どもを送迎するために、41歳にして車の運転をなんと10年ぶりに再開することになりました。家から片道30分かかる療育園に子どもが通うことになったからです。通園が決まったのが急であったこと、さらに引っ越してきて1年もたっておらず土地勘に不安な部分が大いにあったことから、私は大変慌てました。10年ぶりの運転だったこともあり、マンツーマンで指導してくれる教習所にお願いし、運転はなんとかできるようになったのですが……。3カ月後、車の運転中に激しい動悸に襲われました。これがパニック障害の発作だったということは、あとで心療内科に行ってわかったことでした。慣れない車の運転と子どもの発達について悩み、あっという間に自分自身が追い込まれて心身ともに力尽きてしまったようです。心療内科での治療と並行して鍼灸院へ激しい動悸に襲われたあとに内科を受診しましたが、心療内科に行くことをすすめられました。心療内科ではすぐにパニック障害との診断。薬で治療をすることになり、車の運転はやめることにしました。そこで電動自転車に乗り換えたのですが、激しい動悸はしばらくの間ほぼ毎朝起こりました。病院からは薬を処方されていましたが、薬で安定するようになるには、自分に合いそうな薬を飲んで試し、数量を調整していくという長い段階が必要になりそうでした。メンタルがつらいと同時に、体も肩凝りや腰痛がひどくつらかったので、以前から興味があった近所の鍼灸院に行ってみることにしました。体が緊張状態だと心も緊張状態に鍼灸院に初めて行き自分の事情を話したところ、精神的なことで来る患者さんもいることを教えてもらい、安心しました。また先生は心療内科で出される薬の種類や生理周期を私から聞いて、私に合った治療を考えてくれました。「体が緊張状態だと心も緊張してしまう、そのあたりをほぐしていきましょう」とのことでした。お灸は「熱い!」と感じる部分と、まったく熱く感じない部分があり、不思議でした。鍼は痛いこともなく、刺されていることも感じませんでした。月に1回、約半年ほど通ったところで、先生と話し合って通院を終了することにしました。初めて来たときより調子がとても良くなっていること、私自身の激しい動悸が減ってきたことが理由です。まとめ車の運転がきっかけでパニック障害になりましたが、心療内科と鍼灸院でのダブルケアで少しずつ良くなっていきました。その間に子どもも少しは成長したので、悩みが減ったのも関係していると思います。鍼灸院の通院は終了しましたが、心療内科には月に1回、2年半ほど通院し継続して薬を処方してもらっています。鍼灸院の先生からは、体に良いツボを教えてもらい自分で市販のお灸を購入し使っています。健康になるために、自分でできることは少しでも良いからおこなっていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/マメ美著者/れいこ (43歳)電化製品好きな夫、保育園児の子ども2人、猫と暮らしている。コーヒーと美容家電が好き。
2022年04月24日私は2人の娘を育てている専業主婦です。長女は小学校2年生、次女は幼稚園の年少です。私は昨年の4月、次女が幼稚園にあがったタイミングでうつ病を発症。現在は心療内科に通っています。育児をすることが困難でしたが、ある日、私の異変に気付いた幼稚園の先生が、声をかけてくれたのです。私の目には、思わず涙があふれました……。まさか私がうつ病に次女が幼稚園に通い始め、育児がラクになったはずのタイミングでうつ病を発症しました。原因は定かではありませんが、もともと生真面目で完璧主義な私。家事も育児もうまく手が抜けない性格で、うつ病になりやすい気質だったと思います。調子が悪いときは何もできなくなり、ベッドから出ることも困難でした。 そんななか、幼稚園の送迎とごはん作りだけは何とかやっていましたが、幼稚園から14時に帰ってくる次女の遊び相手になる余裕はなく、長女が帰宅する16時までひたすらYouTubeを見せ、その間、私はベッドに横たわっていました。 「お母さん、大丈夫?疲れている?」ある日、いつものように調子が悪いなか、娘を送迎したときのことです。よほど疲れた正気のない顔をしていたのか、娘の担任の先生が「お母さん、大丈夫? 疲れている?」と声をかけてくれました。そのやさしい言葉に思わず涙があふれました。 すると心配した担任の先生は職員室に連れて行ってくれました。そして、「つらいんだったら園の預かり保育を使ってね」と言ってくれたのです。預かり保育は仕事をするママだけではなく、病気で保育が困難なママ、リフレッシュしたいママも使ってもいいんだよ、と説明してくれました。 預けたら…娘はまだ入園したてで園生活にも慣れていないこともあり、私は預かり保育を利用することに抵抗を感じていましたが、ある日、意を決して利用することに。預かり保育中、次女はいつもとは違う様子に少し戸惑いもあったようです。しかし、お迎え時に先生からは「大丈夫です。楽しく遊んでいるときもありましたから。それよりお母さんが元気で笑顔になることが大事ですよ」とありがたいお言葉をいただきました。 普段は、次女の様子を気にしながらベッドに横になっていたのですが、幼稚園でしっかり見てもらえていると思うと、安心してゆっくりと休むことができました。また、困ったら頼れるところがあるというのは精神的な支えになりました。 最初はしぶしぶと預かり保育に行っていた次女も、今では喜んで行くように。家で構ってあげられない状態より、幼稚園で他のお友だちや先生と遊んでいるほうが次女にとっても良いと感じています。私の体調が悪く保育枠に余裕があるときにはこれからもお願いして、娘たちのためにも、私自身の体調を整えることも大事にしたいと思います。安心して任せられる環境を用意してくれている幼稚園には、本当に感謝しています。 監修/助産師REIKO著者:小川恵子8歳と4歳の姉妹の母。育児サークルの幹部や習い事、執筆活動など、精力的に育児を楽しんでいる。
2022年04月06日子どもをうまく愛せない……。そう深く思い悩み、心療内科を受診した私の行き着いた先は「愛着障害の疑いがある」という診断でした。なぜ愛着障害になったのか? それは私自身の生い立ちにありました。 なぜ無性にイライラするの?私は現在2児の母親ですが、上の子どもを出産したときは実家との折り合いが悪く、里帰り出産をしませんでした。したがって、退院してからは自分ひとりで子育てをしなければならず、毎日とても必死だったのを覚えています。そんなストレスフルな環境で、上の子どもが1歳半くらいのときから、子どもに対して無性に腹立たしくなってしまうことがありました。 子どもは特にかんしゃくがひどいとか、何か成長に関して大きく気になることがあるといった問題もありません。冷静に考えてみれば、ごく一般的な子どもが、ごくごく普通にママに愛情を求めて泣いたり、自己主張したりしているだけなのに、それだけでもイライラしてしまう自分がいたのも事実です。 2人目もワンオペ。そして精神の限界へ本格的に上の子に対して嫌気がさしてきたのは、下の子を出産したときでした。このときも里帰りはせず、退院直後から3歳になった上の子と新生児をワンオペで見る毎日。もう私の精神も限界に達していたのでしょう。思わず感情的に怒鳴り散らしたり、またある日は突然涙が止まらなくなったり。 そんな状態が下の子を出産して半年。私の情緒は落ち着くばかりか、ますます不安定になっていき、ついに意を決して心療内科を受診することに。結果は「適応障害」と「産後うつ」。おまけに「発達障害の疑いがある」とも言われ、後日心理テストを受けることになったのです。 発達障害を調べるテストを受けた私発達障害などを詳しく調べる検査は2日かかりました。1日目は臨床心理士さんとの面談があり、具体的にどのような家庭で生まれ育ったか、また学業成績など客観的な私の過去のデータについて話したのです。2日目はIQテストや、日常生活においてどれほど困難さを感じるかの自己記入式テストをしました。 2日合わせて3~4時間ほど費やして、精密に検査をしていただきましたが、結果は「発達障害はない」との所見でした。しかし、私の症状や実親からの虐待などの出来事から「愛着障害である可能性がある」と聞かされたのです。 検査を通してわかったこと「愛着障害」とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなど適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。 愛着障害と聞かされたときは「やっぱりな」と腑に落ちる私がいました。しかし、この検査を通して愛着障害と判明したことで、今までの生きづらさの理由がわかり、それを私の子どもたちに味合わせたくないと強く感じたのです。 イライラの理由が明確にわかったことで、これからは自分のつらかった過去とも向き合いながらも、子どもたちを育てていこうと心に決めることができたので、私は検査を受けてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラストレーター/あさうえさい著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年03月03日■前回のあらすじ病院の予約を取らず先延ばしにする夫をせっついて、やっと心療内科の診察の日を迎えました。看護師さんのヒアリングを経てようやく診察室へ…。■ADHDの傾向はある、しかし…?最初は、前回かかった適応障害についての話から始まりました。当時ナギさんはこの病院に行って、適応障害の診断書と薬を貰ったのですが、その後退職&体調も良くなったので自己判断で薬をやめて(本当は勝手にやめるのはダメです)、病院にも行っていませんでした。なので、その後と現在についての簡単な聴き取りがありました。そして次に私に、ふだん夫に落ち着きのなさや衝動的な行動は見られるか? という主旨の質問がありました。私は「最初は気づかなかったんですけど、ADHDの存在を知って多動という言葉を見た時に、夫はこれかも、と思いました」と答えました。ただとっさだったので具体例が挙げられなかったのが悔やまれます…。※私は後から「もっとこう言えばよかった」と思うことがいくつかあったので、もし心療内科へ行く時は事前に伝えたいことやエピソードをメモしておくことを強くおすすめします!■なんかコレジャナイ感がある!出された薬をネットで検索してみたら、どうやら「うつ」に効く薬らしい…? ナギさんは「俺がストレスあるって答えたのは、自分の特性からくるストレスなんだけど…。この薬でいいのかな?」と言っていました。正直私も同意見だったのですが、「夫はADHD?」という考えに偏りすぎているのかもしれないと思いました。「先生はプロだし、何か考えがあってこの薬を出したんだろう。この薬の効果によって今後の方針を決めようとしてるのかも。だから言われた通り飲んでみようよ」とナギさんに伝えました。そして薬を飲み始めたナギさんですが、どうやら薬を飲んだ直後からものすごく眠くなるらしい。(もちろん個人差あると思います)ナギさんはしばらくは仕事の休みもなく病院には行けない状態。また勝手に飲むのをやめようとしていたので慌てて「電話して聞いてみなよ」と言うと、なんとか納得してくれました。次回に続く「もしかして、夫はADHD?」(全19話)は21時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年01月11日■前回のあらすじどうして病院に行ってほしいか理由を話すと理解してくれた夫。しかし、もし治療することになった場合の薬の服用については不安感を示し…。■病院予約するまで2ヶ月…「行く」と言ってから実際に病院予約するまで2ヶ月かかりました。私がせっつかなかったら、恐らくまだ行ってなかったと思います (こういう大事なことに関する先延ばし癖も本当に多いです)。 私が病院を調べてURLを送るところまでして、やっと動いてくれました。しかし、私がおすすめした病院はかなりの人気らしく「予約が2ヶ月以上先まで埋まっている」と言われたそうです。心療内科ってそんなに混んでるんだ…。ナギさん(夫)は独身の頃に仕事が原因で適応障害になっているのですが(転職したことで回復)、そのときにかかった病院にダメ元で電話してみたら、ちょうどナギさんが休みの日に予約が取れたので、そちらの病院に行くことにしました。■いよいよ診療内科での診察私が看護師さんに聞かれたのが・ここに来た目的・どういう状態になるのが理想か・その他ナギさんについて気になる点看護師さんは基本的に聞き役で、私が言ったことを紙にまとめていました。そしてその後、私とナギさんで先生のいる診察室に呼ばれたのでした…。次回に続く「もしかして、夫はADHD?」(全19話)は21時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年01月10日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年11月29日育児につまずき、思い詰めて心療内科を受診した私。そこで医師から投げかけられた言葉は「発達障害の疑いがある」という、私にとって意外な言葉でした。そこで心理テストを受け、結果を受け止めた今の自分の心境をお伝えします。ほかのママとどこかで比べてしまう現在、私は3歳と0歳の姉妹を育てている2児の母親ですが、上の子も下の子も出産後から両親や親戚などに頼らず、ほぼワンオペで育児をおこなっていました。孤独に育児をしていたこともあってか、ほかのママ友たちと自分を比べると「どうも私は子どもに対する愛情に欠けているのではないか」と思ってしまう自分がいることに気付いたのです。たとえば、子どもとどうやって遊べばよいか本気でよくわからなかったですし、一生懸命に育児本を読んでそのようにおこなっても、いまいち乗り気になれない自分がいたりしました。特に下の子を出産したあとの数カ月の間は、上の子に対して感情的に怒鳴るなどひどい扱いをしていたことも事実です。そんな出来事から「私はもしかして産後うつなのでは?」と思い悩み、また慢性的な睡眠障害もあって、思い切って心療内科を受診したのです。 思い切って心療内科を受診心療内科を受診したのは下の子が生後半年を過ぎたころでした。医師からの診断は「適応障害と産後うつ」そして「発達障害の疑いがある」という、私にとっては衝撃的な話でした。恥ずかしながら発達障害というワードだけは聞いたことがありましたが、詳しくは知りませんでした。早速家に帰って発達障害について調べてみたり、セルフチェックテストなどをおこなったりしました。たしかに今までの人生を振り返ってみて対人関係においてのつまずきや、職場でのトラブルなどはあったのも事実ですし、いわゆるADDやADHDの症状である「忘れっぽさ」や「衝動性の強さ」「こだわりの強さ」があったように感じました。 愛着障害と診断を受けて後日、2日ほどに渡って精密な発達障害の心理テストを受けたのですが、結果は「発達障害の所見はなし」でした。しかし、私が過去に実親から暴力などの虐待を受けたことがあるということから、「愛着障害の可能性がある」と医師から聞かされました。愛着障害とは、乳幼児期において暴力やネグレクトなどで傷を負い、適切な愛情を持って育てられなかった子どもが、社会人になったときに対人関係や仕事、そして育児などに支障が出る障害のことだそうです。医師からその診断を受けたときは、正直言って「やっぱりな」と思う自分がいました。 まさか自分が発達障害の疑いを持たれるとは思いもよらず、心理テストの結果が出るまではモヤモヤでいっぱいでしたが、発達障害やそのほかの精神疾患などについての勉強にもなりました。客観的に自分が親にされてきたことは虐待だったのだと受け止め、過去の自分と向き合うことで本当の私になれる気がしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年11月29日私は5歳と2歳の娘たちを育てています。5年間子育てをしていますが、イヤイヤ期に突入した下の子と上の子の対応が大変で、ここ数カ月ほどが一番育児がつらいと感じ、現在、うつ状態になってしまっています。どのような症状が出ているのか、症状を良くするために何をおこなっているのかをお話ししたいと思います。 つらくなった原因下の子が2歳になりイヤイヤ期に突入する前は、上の子のペースで物事を進められました。しかし下の子に自我が芽生えてきてからは、何をするにも姉妹で意見が衝突して、時間がかかるように。例えば、1人が階段で帰りたいと言えばもう1人はエレベーターが良いと言い、次はエレベーターのボタンをどちらが押すかでもめるなど……その繰り返しなのです。 「なるべく2人の意思を尊重してあげないと」と思い、1回で済むことも順番にやらせたり、諭したり、なだめたりと頑張っていたのですが、争いが減ることはなく私の神経だけがすり減っていきました。 私の体の変化特につらかったのが幼稚園の夏休み期間中です。2カ月弱の間、姉妹が四六時中一緒にいることでいざこざは絶えず、私のストレスもマックス! 仲良く楽しく過ごしたいのに、怒ってばかり。そんな自分に嫌気がさし、母親としての自信も喪失。そして、夏休みが明けたころ体調に変化を感じるようになってしまいました。 とにかく体が重く、何もしたくないし、すぐ涙が出るのです。家族のためにも元気に普段通りにしなくては、と気持ちを奮い立たせても、何かがおかしく、子どもたちと一緒の空間にいることさえしんどかったです。 心療内科と育児相談へそんな状態が1カ月ほど続いたので私は心療内科に行く決心を……。初診では何がつらいのか、どのような症状かを10分ほど医師と話し、安定剤が2週間分処方されました。そして2回目の受診で、あまりよくなっていないことから抗不安剤が追加されることに。 薬の力を借りるとともに、育児の悩みや不安も聞いてもらいたいと思い、地域の子育て相談にも行ってみました。相談にのってくださった子育て支援者さんは真摯に話を聞いてくださり、母として頑張りすぎないためのコツをいろいろと教えてくれました。普段人には言えないような深く、暗い話を支援者さんたちとすることで、私は自分の気持ちを整理することができ、ストレス発散ができました。 体調がおかしいなと感じてから2カ月ほど経ちました。まだ本調子ではありませんが、どん底のときに比べるとかなり良い状態です。もうしばらく医療と地域の子育て支援者さん、そして家族の力を借りて本来の自分を取り戻していきたいです。 監修/助産師 松田玲子作画/はたこ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年11月28日2人目出産後、育児疲れがピークにきてしまったママ。上のお子さんに対して、つい感情的に怒鳴るなどメンタル面が不安定に……。思い切って心療内科を受診したところ、予想外の原因が判明したそうです。 私は現在2児の母親です。2人目を出産後、主に上の子に対して感情的に怒ってしまうことが増え出し、さらに2人育児の疲労感からか夜もまともに寝られず、とうとう心療内科を受診しようと決めました。病院を受診した最初の数カ月は、医師も私もPMS(月経前症候群)の症状とは気付きませんでしたが、思い切って心療内科の門を叩いたことによって自分の内面について気づきをたくさん得られた体験談をお話しします。 子どもの手に熱湯がかかるトラブルが!2人目を出産後、当時まだ2歳だった上の子に対して感情的になる場面が多々あり、怒鳴ったり八つ当たりすることが増えてきました。ある日、まだ生まれて間もない2人目の育児用ミルクを作っている最中に、上の子が「お母さん、私を見て!」と言わんばかりに、突然私の足に全身でアタック。お湯が上の子にかかってしまうトラブルが! 思わず「危ないじゃないの!」と思いっきり怒鳴ってしまい、そのあとも怒りがおさまらず。一応は子どもの手がやけどをしていないことを確認し、手を冷やしました。 子どものことを考える余裕はなかったしかし、このときに「子どもがやけどしていたらどうしよう」「熱いお湯がかかってしまってかわいそうに……」といった心配の気持ちよりも、「私の邪魔ばかりして! なんて迷惑な子どもなんだ」と、恥ずかしながら自分のことしか考えられない私に気付きました。 2人目を産んだあとも事情があって里帰りなどできなかった私は、生活全般に対して余裕がまったくなく……。それゆえの行動だと今なら理解できるのですが、当時の私は激しく怒ったあとに「なんて自分はダメな母親なんだ」と深く気持ちが沈み、暗い気持ちになる……このくり返しで辟易していました。 心療内科を受診し、自身の内面を観察不眠症にも悩んでいたため、「このままだと、私も子どももダメになる!」と思い、2人目が1歳になるころに心療内科を受診する運びに。初診時に適応障害と診断され、「軽いうつ状態ですね」とも言われました。 そこからは2週間に1回程度のこまめな通院をくり返し、主治医と「どんなときにイライラしてしまうのか」といったカウンセリングをおこなうことで、自分の内面を振り返る大きなきっかけとなったのです。 自分がPMSだとやっと気付いたそして、心療内科を受診してから2カ月ほど経ったときのこと。産後の体が元通りに戻っているかを確認するために、自発的に月経周期をアプリで記録していたのですが、そこで「どうも月経1週間前に子どもに対して当たりがキツくなる」ということを自分自身で気づき始めたのです。 そして、すぐに主治医にそのことを話すと、先生からも「それは典型的なPMSだね」と言われました。その後、PMSであれば漢方薬かピルを処方できると提案され、私は漢方薬を処方してもらうことに。 ホルモンバランスを整える漢方のおかげで、さらにメンタルの調子がよくなりました。多少の気分の変動もありながらも、過去と比べると明らかに穏やかな気持ちで過ごせています。心療内科へ行くまでは「私なんかが行ってもよいのだろうか?」となかなか足が踏み出せずにいましたが、思い切って心療内科の門を叩いてよかったと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月25日私は現在2児の母親であり、2人目が生後半年ごろに心療内科から自身が「適応障害」であると診断を受けています。「ずっと苦しかったけど、まさか自分に精神疾患の病名がついてしまうとは……」と、診断が下された当初は戸惑いを隠しきれませんでした。主な原因となったのは育児でしたので、少しでもラクになるよう改善に向けておこなったことをお話ししていきます。下の子出産後から心身が苦しくなった下の子を出産した直後から「感情のコントロールがききづらくなり、上の子に対して当たりがキツくなる」「泣いたらいけない公共の場面で急に涙が溢れる」など日常生活に支障が出始め、心身共に常に苦しい気持ちや憂うつさが抜けなくなる状態がずっと続いていました。 しかし、当時の私の心療内科のイメージと言えば「死にそうなくらいに苦しくなったときに受診するもの」「それまでは気の持ちようでなんとかなる」との考えがありました。 薬の服用はあくまで対処療法と気付く心療内科を受診することに大きなためらいがあったのですが、無理をして育児をおこない、その結果メンタルを崩している私を見かねた夫の助言もあり、下の子が生後半年のころにやっと心療内科を受診しました。 そこで漢方薬や精神安定剤を処方され服用してみると、たしかに以前よりも気持ちは落ち着くし、前より感情面の起伏はフラットになったので一定の効果はありました。しかし、心療内科へ通院してみて初めて、薬を服用してもそれは単なる対処療法だと気付いたのです。 育児をひとりで背負い込む責任の重さ結局、私のメンタル不調の大きな足枷となっていたのが子どもたちのお世話です。しかし、過去の私の考え方は「ママになれば皆していることなのに、なぜ私は不必要にイライラしてしまったり怒鳴ったりしてしまうの?」「皆と同じことがこなせない。子どもたちにずっと笑顔で接することができない」などと、今思えば不必要に自分を攻め込んでいました。 そんな最中、「なぜ、自分をそこまで追い詰めるのだろう」とふと考えてみたら、私は「子どもが順調に育たなければすべて私の責任だ」と、自分ひとりで育児を背負い込む思考になっていることに気付いたのです。 書籍やTVの情報が私を救ってくれた育児のつらさを解消したいがためにさまざまな書籍などを読み漁り、特に感銘を受けたのがNHKで放送されていた『ママ達が非常事態!?』という番組。放送の中で、人間は本来、ひとりで子育てするのではなく「たくさんの仲間とつながって共同的に育てていきたい」という本能があるという知識を授かりました。 私の育児環境を見直すと、たしかに上の子のときから里帰り出産すらしなかったし、かといって夫も育休取得ができず、ずっと平日はワンオペ育児で慢性的な孤独を抱え込んだまま育児をしていたのだなと、自分の考えを改めるきっかけとなったのです。「そうか、だから私はこんなに育児がつらかったのか」と原因がわかれば、自分が何をすべきか見えてきました。 以前は「3歳ごろまでは自宅で子どもをみないと!」と固執する自分がいたのですが、現在は考えも柔軟になり、日中は保育園を活用してプロの方に子どもたちを任せることにしました。共同で子どもたちを育てている感覚になれて、余裕が生まれるとともに前向きさを取り戻すことができました。保育園には感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月19日両親には頼れず夫婦2人で育児に奮闘していた矢先、突如発症した吐き気や手足の震え、湧き上がる恐怖心。心療内科を受診し、産後うつとパニック発作と診断された私。周りの方に助けられ徐々にわかってきた、心の負担の原因とは? 改善に向けおこなってきたことや、現在の状態などをお話しします。 母乳へのこだわりが産後うつの引き金?私は産前から母乳で育てたいという想いが強かったのですが、産後母乳の出が悪く授乳に加え30分以上搾乳をしており、一度の授乳に1時間以上かかっていました。 夫と協力しつつ家事と育児をこなし、産後2週間が経ったある日、夜中搾乳していると突然めまいと吐き気、「育児が怖い」という感情が湧き上がってきました。しかし、そのときは原因がわからず産院に相談し、授乳中でも服用できる安定剤を処方してもらい症状は落ち着いたのですが……。 症状再発、療養。産後2カ月経ったころ、不眠と育児への恐怖心が現れました。私は産院から聞いていた、産後ケアサービスを1週間利用することに。しかし産院で療養し退院後、日中子どもと2人でいる恐怖に耐えられずパニックになり、保健師さんに相談し再び産後ケアサービスを利用。そして産院の紹介で心療内科を受診すると、産後うつとパニック発作という診断を受けました。 気持ちを改めたく別の産院も利用したのですが、その産院では退院に向けて義父(義母は亡くなっているため)にも協力を得られないか話をしてくれました。そして2週間後、無事に退院することに。 話をしたから気づいたこだわり心療内科の先生と話していく中で、母乳で育てたいという思いが負担になっていること、夫婦2人での育児に限界を感じていたことに私は気づいたのです。子育て経験のある先生からの「ミルクでいいじゃん」というひと言で肩の荷が下りました。 そして、相談にのってもらっていた保健師さんは「育児にこうしなきゃということはないから。少しでも休むことが大事」だと言い、自分が改めてこだわりでがんじがらめになっていたのだと気づけたのです。 周りに頼るという大切さ義父に子育てを手伝ってもらうことに抵抗を感じていたのですが、義父は毎日家に来て私に休む時間を作ってくれたのです。嫌な顔せず子どもの面倒を見てくれ、一緒に育ててくれる人がいる安心感で徐々に恐怖心が和らいでいきました。 そして投薬治療は5カ月で終了となり、そのころには子育てに対しての気持ちにも余裕ができていました。 この経験を経て、私は育児を頑張るのはほどほどに、限界を感じたら助けてもらうということの大切さに気づきました。産後うつの要因や症状は人それぞれですが、私は自分の異変に気づいたときすぐに助けを求めたことで悪化を防げたのではないかと思います。たくさん助けてくれた周りの方には感謝しかありません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/山口がたこ監修/助産師REIKO著者:中井ゆき自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月19日■前回のあらすじ坂田のおばちゃんに助けを求めていた母。振り返ると2年前から母の異常行動は始まっていたのでした。■さまざまな不調に襲われる母■友人に相談したところ…医師の言う通り、友人に紹介された心療内科へ通い始めた母。…なのですが、様子がおかしい。その理由は次回判明することに…!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全54話)「母とうつと私」連載は21時更新!
2021年07月13日心療内科医・医学博士に教わる「ごはん術」6月28日、食事により脳内ホルモンを合成する栄養を補ってストレスケアを図ろうという新刊『ストレス脱出レシピ』が主婦の友社から発売された。同書には『心療内科医に教わる「ごはん術」』という副題が付けられており、医療法人友徳発心会ひめのともみクリニック院長で、心療内科医、医学博士の姫野友美氏が監修を務めている。A5判、144ページ、価格は1,496円(税込)である。足りないのは頑張りではなく脳への栄養姫野友美氏は、日本心身医学会専門医(評議員)であり、日本東洋医学会専門医でもある。また、テレビ番組「主治医が見つかる診療所」「中居正広のニュースな会」などの出演でも知られ、クリニックでは、コロナうつやコロナ不安を含む相談にも応じている。コロナ禍では、収入減やテレワークの増加、孤独感など、これまで以上にストレスを抱える人が増えている。そのほか、やる気が出ない、疲れがとれないといった悩みを抱えている人も少なくない。頑張ってもたまってしまうストレスについて、姫野氏は、足りないのは頑張りではなく、脳への栄養だとしている。新刊では、ストレスケアで摂るべき栄養や脳内ホルモンを解説し、ストレスケアのためのレシピを掲載。献立例、作りおきおかず、低糖質の主食、おやつなどが掲載されている。(画像はプレスリリースより)【参考】※ストレス脱出レシピ - 株式会社 主婦の友社 主婦の友社の本
2021年07月06日私は44歳のときに、今まで経験したことのない心のざわざわ感(不安感)を抱えるようになりました。そこで、あることをきっかけに46歳でヨガニドラー(ヨガの睡眠)を始めたところ、徐々に不安感が軽減したのです。そこで、今回は私がヨガニドラーに出合ったきっかけと、どのように変化したかを紹介します。不安感はある日突然やってきた!私の不安感はある日突然やってきました。44歳のときです。仕事中にパソコンを操作しているとき、今まで経験したことのないめまいに襲われました。しばらく、休憩室で横になってもグルグル回ったまま。その日は早退させてもらって、自宅で1日中寝ていましたが、その日を境に1日の中で何回もめまいに襲われ……。その後、定期的にめまいの症状に悩まされることになりました。耳鼻科で受診した結果、「良性発作性頭位めまい症」と診断されました。めまいの原因は不明でした。半年ほどの通院と処方されためまいに効く薬で治まったのですが、「いつ、めまいがくるのか?」「外でめまいが起きたらどうしよう?」。そんな思いを抱くようになり、不安感でつらい日々を送ることになったのです。今思えば、仕事で体を酷使することが多かったのと、子育てでは長男が高校1年の時期に不登校になり、また中学1年の次男が所属していた野球チームでのお母さんたちとの人間関係で心身ともに疲れ切ってきたのだと思います。最初に起きためまいで内科と耳鼻科を受診し、そのときは原因不明のめまいと診断され、その後、不安感が強く出て心療内科へ。しばらく心療内科への通院を続けたものの、もしかしてこれは更年期?と思って婦人科へ。婦人科では血液検査の結果、更年期障害の診断を受けてホルモン補充療法を開始。最終的には心療内科と婦人科に落ち着いて治療をすることに。心療内科では抗不安薬と抗うつ薬を処方してもらい、まさか自分が心療内科のお世話になるなんて、ずっとこのままなんだろうか? とにかく不安な日々を過ごしていました。ヨガスタジオでヨガニドラーを体験当時、私は心身の不調を改善するために、ヨガにハマっていました。私はスポーツインストラクターをしていて体を動かすことが好きだったのもあり、通っていたヨガスタジオのワークショップを受けていました。ヨガを通じて、筋肉や心の緊張が解けていくのを感じていたからです。ワークショップの1つに瞑想を学ぶコースがあり、受講生となり2カ月ほど通いました。これはヨガの哲学を学ぶコースです。カリキュラムの中にヨガニドラーを体験する時間があり、これが私とヨガニドラーとの出合いとなりました。ヨガニドラーは「眠りのヨガ」です。ヨガマットの上にあお向けになり目を閉じてくつろぐポーズで、インストラクターのガイドに耳を傾けるものです。ヨガというとストレッチの要素が入ったポーズを取るものと思っていた私は、「これで体に良いことがあるのかな?」と半信半疑で思っていました。しかし、一度体験してびっくり! なんともいえない心の安らぎとリラックスを感じたのです。これはやってみる価値がある!と思って、続けることにしました。ヨガニドラーを続けてみた結果ヨガニドラーのCDを買っていたのもあり、自宅でもおこなうことにしました。今は有料のアプリを使って毎日1日1回、昼食のあとに20分ほどのものをルーティンにしています。ヨガニドラーはインストラクターのガイドに従いながら、じっとあお向けのポーズで体を細かく意識します。ヨガニドラーとは自律訓練法のようなもの。以前通院していた心療内科のカウンセラーによると、自律訓練法は自己催眠により意識的にリラックス状態をつくって、自律神経のバランスを回復させる治療法だそうです。1つ異なるところは、「サンカルパ」(サンスクリット語で決意の意味)といって、自分の習慣を変えるポジティブな決意を3回唱えるところ。ヨガニドラーの中には2回サンカルパの時間がありますが、毎回変えずに言い聞かせるようにやります。2回のサンカルパは、ヨガニドラーの中で最初と最後におこないます。私は、「体の不調を軽くしたい」「毎日を快適に過ごしたい」ということをサンカルパで言い聞かせました。その結果、徐々に抗うつ薬とは卒業でき、抗不安薬の量も減らすことができました。私にとってヨガニドラーは、日常の忙しさから解放されるための、自分を見つめ直すきっかけにもなっています。ヨガニドラーを始める46歳のときは、頑張ることが良いこと、無理してでも自分を奮い立たせて突っ走ってきたところがありました。しかし、頑張ることだけが良いことではなく「自分にやさしく」することも大事なんだ!と思えるようになり、日々の体調に耳を傾けるようになりました。しんどかったら、「今日は無理しないでペースダウンしよう、こんな日もあるよね~」というように。まとめ以前の私は自分のことは後回し、仕事では責任のあるポジションに就くなどに加え、体の変化についていけなくて落ち込むことが多々ありました。もともと体が弱かったこともあり、体の不調には慣れていましたが、まさかメンタルの不調になるとは思いませんでした。ストレスに対する受け止め方が若いときより弱くなっていることを改めて感じています。ペースダウンした結果、不安感も以前より少なくなりました。ヨガニドラーを通じて体を緩めることを日常的にしているからだと思います。以前お世話になったヨガインストラクターによると、人は体を緊張させることは得意だけど、緩めることは苦手だそうです。これからも、ヨガニドラーを続けて「自分にやさしく」過ごしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)
2021年06月08日現在、3歳の長女と生後8カ月の次女の2人の子どもを持つママです。実は子どもを産む前から感情の起伏がかなり激しかった私。たとえば理不尽に夫を怒鳴りつけたり、職場でも他の同僚たちと争いごとが絶えなかったり……。そんな私が「本格的な限界」を感じて、とうとう心療内科へ受診したいきさつをお話しいたします。 睡眠不足が慢性化して感覚がマヒしていた私子どもを産む前から、職場でのストレスなどがあると気になって寝つきが悪い・早朝覚醒といった睡眠障害の症状がありました。しかし、「心療内科」と聞くと受診には抵抗があるのと同時に、睡眠障害の期間が長きに渡っていたので感覚がマヒしており、私のなかで「眠たいけどまだまだ頑張れる」といった気持ちがあったのです。 長女を出産後は、就寝後から起床時まで2時間おきに起こされるのが当たり前の生活で、さらに睡眠不足となり、また昼間や夜間に寝られるチャンスがあっても「またどうせ長女に起こされるから」と気にしすぎて長女が寝た隙に一緒に寝る、といったようなこともなかなかできませんでした。 何も悪いことをしていないのに苛立つ私そして、次女を出産後、とうとう私のメンタルは限界に。具体的には、長女に対して何もしていないのにイライラするようになってしまったのです。しまいには2人の寝かしつけの際に、泣き叫んでいる次女の様子を見た長女が気をつかってか「私、先に寝るね」と言ってきたことにすら腹が立つ始末でした。この状況であれば「空気を読んでくれる物わかりの良い子だわ」と感じる場面なのかなと思います。しかし、長女は普段からお友だちにおもちゃを取られたりしても何も言わない子だったので「自分の意見がない子なのか」と、過去の長女の気にくわない言動と被ってしまって、変な苛立ちを覚えていたのかもしれません。 心療内科を受診した私「とうとう私のメンタルも限界に近いのか」と自身で気付き、まずは市の保健所に連絡。その後、精神保健福祉士の方たちに私の話を聞いてもらい、思い切って心療内科を受診したのが、次女が生後8カ月のころです。医師は私の気持ちや本心を的確にかみ砕いてくださり、「あなたが言いたいことはこう?」と聞いてくれたのが心強かったです。 そして「そんなにずっとつらい思いをしていたのなら、もっと早く受診したらよかったね」と私の気持ちに共感してくれたのが、本当にありがたかったです。 現在は、産後うつと適応障害と診断を受け、服薬とカウンセリングを受けながら心療内科へ通院しています。心療内科を受診したことで「弱い自分」や「ありのままの自分」を受け止められるようになり、「なんでも適度に、できないことはやらない」くらいの気持ちでいられるようにしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年05月10日