私は義母の介護するため、泣く泣く仕事を辞めました。いまは献身的に介護をしていますが、夫は感謝どころか偉そうな態度ばかりとってきて……。だんだんと介護疲れが増し、ひとりで面倒を見るには限界を感じ始めました。私は義母の介護するため、泣く泣く仕事を辞めました。献身的に介護をしていますが、夫は感謝どころか偉そうな態度ばかりとってきて……。自分の親なのに手伝うことすらせず、他人の手を借りることも許しません。しかしだんだんと介護疲れが増し、ひとりで面倒を見るには限界を感じ始め……。 夫のありえない態度にブチ切れ!このままでは自分がおかしくなると思い、介護サービスの利用をお願いしました。当初、夫は利用を拒否していましたが、私が不機嫌で態度が悪いと家庭を平穏に保てないのでは? と問うと、あっさり許可を出しました。自分が面倒なことはすべて避けるのです。 夫は介護の大変さもわからないのに、他人の助けに甘えるなどと言ってきます。その上、無職になった私に「自分が養っているのだから生意気を言うな」と暴言まで吐くのです。 それから1年。夫の態度はさらに悪くなっていきました。あるときは、山奥にある義母がかつて住んでいた家をリフォームすると言い出し……。私が片付けを拒否すると、自分の主張を受け入れられないのかと苛立ち始めます。「稼いでいる俺が一番偉いんだよ」「お前は黙って俺の言う事だけ聞いていろ」どこまでも奴隷のように扱ってくるため、さすがにキレました。「あんたより稼いでいるから聞かない」 あまりにも腹が立ち反撃スタートあまりにも「稼いでいる人間が偉い」 と強調するので、空き時間を利用して投資の勉強をしていました。今では夫より稼げるようになり、貯金残高は1000万以上に。仕事をしていたとき、金融関連の資格をとろうと学んでいたことも役立ちました。 私が外で働き、夫が主夫になって介護をしたほうがいいのでは?と提案しましたが、夫は断固拒否。仕事を辞めたくないなら離婚してほしいと迫ると、イヤイヤながらも離婚を選択しました。私はすぐ行動を起こし、家を出ることに。 その半年後に義母は他界。そのころ私は再就職し、バリバリ働いていました。株もまだすこし続けており、収入は離婚時よりさらに上がりました。夫も私の真似をして株に手を出しましたが、借金までしてつぎ込んだお金はすべて水の泡になったようです。 私が出て行ったあと…ついでに離婚後のことを聞いてみると、やはり自分で義母を介護することはできず、施設に入れたそうです。人には面倒をみさせておいて、結局はそういうことになるなんて……。今はあくせく働いて借金を返す日々だそうです。 私は仕事を生きがいに、楽しい毎日を送っています。次に出会うなら、自分を支えてくれるようなやさしい男性がいいですね。 ◇ ◇ ◇ 夫はいろいろと才覚のある妻に対して劣等感を抱いており、妻が仕事をやめた途端、威張り散らすようになったのかもしれませんね。気持ちよく生活するためにも夫婦協力し、お互いの良いところに目を向けながら生活したいものですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2023年10月23日思い込みと感情の起伏が激しい母親と、家族に関心がない父親のもとで育ったユズさん。大人になって初めて、自分の親が「毒親」なのだと気付きました。そんなユズさんが体験した、幼少期から絶縁するまでの物語です。小学生のユズさんは両親の結婚記念日に、サプライズで手料理をつくりました。母親は喜んでくれましたが、父親は「汚いから食わない」と言い捨てられてしまいます。その言葉にユズさんはショックを受けました。中学生になるころ、母親はより教育熱心に。訪問販売の高額な教材を大量に購入し、入学後に学校の副教材費が必要だとわかると激怒。学校にクレームを入れ、担任と副担任のおかげで事態は収拾しますが、それ以降ユズさんはことあるごとに母親から「退学させる」と言われるように……。当時、ユズさんの近所には父方の祖母が住んでいました。母親は祖母と同居していたことがあり、自由やお金を制限されて嫌な思いをしてきたと話しますが……。父方の祖母との思い出 ユズさんは、いつもあたたかく迎えてくれた父方の祖母のことが好きでした。しかしユズさんが中学2年生のころ、祖母が末期ガンに。 母親は入院する祖母の世話で病院に通いますが、父親の弟妹が顔を見せることはなく、自分ひとりが世話をすることに不満を募らせます。家庭がピリピリする中で、今度は同居する母方の祖母に認知症の症状が見られるように……。 徘徊で何度も警察のお世話になるなど認知症の症状は日に日に重くなり、母親は両家の祖母の世話で板挟み状態になるのでした。 長男の妻というだけの理由で、父方の祖母の世話をしなければならなくなった母親。自分の母親も認知症で大変なのに、さすがにひとりで背負うには荷が重すぎますよね。 本来なら、父親や弟妹が率先して世話を行わなければならないはず。できない理由があったとしても、母親だけに世話を押し付けるのは問題でしょう。 学校や勉強があるユズさんに負担をかけるわけにもいきません。周りの理解と協力がない状況では、ストレスが溜まってもおかしくないですよね。著者:マンガ家・イラストレーター 北瀬ユズ
2023年10月14日親が年齢を重ねるにつれ、長生きしてくれるありがたさを感じるとともに、介護のことを考え始める…という人もいるのではないでしょうか。体力的な衰えもありますが、認知症などによって、日常のコミュニケーションが難しくなってしまうことも。そう聞くと、大変なイメージを抱いてしまうものでしょう。しかし、中には『奇跡』のようなエピソードもあるようです。たっつん(@tattsun_cw)さんが、スタッフの経験談をX(Twitter)に投稿し、話題になっています。寝たきりな認知症の人に、話しかけ続けたら…あるスタッフが、寝たきりでひと言も話さなくなった認知症の人に、ほかの人よりもよく話しかけていたそう。たっつんさんによると、認知症の人に話しかけることで脳に刺激が与えられ、認知症の進行を遅らせることができるともいわれているようです。そこで、たっつんさんは「返事もない人に、どうしてそんなに話しかけるの?」と、あえて聞いてみることにしたのだとか。すると、スタッフは自身の実体験を話し始めました。「あるおばあさんにずっと話しかけていたら、ある日『はい!』って返事をしてくれました。それが嬉しくてもっと続けていたら、だんだん会話できるようになって、最終的には自分でご飯を食べられるほど改善したんですよ」※写真はイメージ認知症の進行を遅らせるどころか、症状が大幅に改善したという、驚きのエピソード…!このような体験をしたからこそ、スタッフは「またそうなってくれる人がいるかも」と思って、認知症の人に積極的に話しかけるのだといいます。自分よりもひと回り近く若いスタッフに対し、かっこよさと憧れを感じた、たっつんさんなのでした。【ネットの声】・スタッフさんの温かさを感じます!相手を見て、可能性を信じて対応しているというのが、とても伝わってきました。・「返事ができなくても、耳は聞こえている」と聞いたことがあって、昏睡状態だった患者さんにずっと話しかけていたら、ある日突然目覚めたんです。最終的には自分で歩いて退院されました。・介護を続けていると、たまに『奇跡』のような、生命の強さを感じる場面に出会います。・叔父が同じような状態だったのですが、叔母が毎日ずーっと話しかけていて、改善してきました。たとえ認知症を患っても、根本的には人と人とのコミュニケーションが大事なようです。介護にとどまらず、身近で大切な人とは、少しずつ会話を重ねたくなりますね。[文・構成/grape編集部]
2023年10月13日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母は、治療のため入院。その後、退院した母は、以前より穏やかな姿が見られるようになりました。しかし、きちんと服薬できていなかったせいか、病状は不安定に。普通の日もあれば、被害妄想が激しい日もあり、そんな母の姿に、わたしちゃんは疲弊していきます。わたしちゃんが小学生5〜6年生のころ。母が病気であることも、不幸であることも、自分に責任があるかのような罪悪感を抱いていたわたしちゃん。体に大きな穴が空いているような感覚が大人になっても消えず、欠如感を感じていました。 「やさしいお母さんがよかった。我慢ばっかりするのいやー」と苦しんでいたわたしちゃんは……。 悪化する母の病状とわたしの胸にあいた穴 ※訂正:(誤)運動方→(正)運動法 体に穴があいたような感覚のまま、中学生になったわたしちゃん。家のことを必死に隠し、通学していました。 妄想が頻出したり、日常生活が困難になったり、病状は安定せず、入退院を繰り返す母。わたしちゃんは、家族への関心から目を逸らすように趣味に没頭し、学校でも自分の存在感を消すことで自分を守ろうとしていました。 大人になったわたしは、中学生のわたしちゃんに、小学生のころの気持ちに耳を傾けるよう語りかけます。 「私もみんなみたいに大事にされたい!」「私のこと見てほしい!」 自分自身を振り、涙する中学生のわたしちゃん。 「無理なダイエットに夢中になることで、つらい気持ちを忘れたかったの……」 小学生時代のわたしちゃんである、“インナーチャイルド”の声を振り返ることで、生きづらさを抱える過去の自分に寄り添いたいと考えた大人になったわたし。その作業を繰り返していく中で、「本当は母が好きなんだ」ということに気づき、認めることができました。 もし今、亡き母を目の前にしたら、小学生のわたしちゃんが伝えたいことは何か……。 「笑ってよ、お母さん」 わたしちゃんは心から母の幸せや、笑顔を願っていました。 「数少ない母とのいい思い出を大事に握りしめていたんだな」と気づき、純粋で愛情深いやさを持っているわたしちゃんを、愛おしく感じる大人になったわたし。 呪いのように感じていた苦しい気持ちが外れるような感覚を覚えるのでした。 つらかった母との思い出を振り返り、当時感じていたことを深く考えることで、苦しさから開放された大人になったわたし。幼少期のわたしちゃんは、ただただ純粋に、母が大好きで母に愛されたかっただけだったんですよね。 母からの愛情を十分に感じることがなかったわたしちゃん。大人になる過程でも苦しい思いをしたようですが、“現在のわたし”が幸せに暮らしていることを願うばかりです。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月11日今回は、人気のマンガをクイズ形式で紹介します!マンガのストーリーがどんな結末になるか考えてみてくださいね。仕事を続けながら義母の介護を任された母ある日、主人公の夫が「母さんと同居して介護してほしい」と言い出します。何の相談もない突然の申し出に主人公は驚きました。義母との同居出典:エトラちゃんは見た!主人公は看護師として働いているため「夜勤もあるのよ」と断ると…。夫はまさかの一言を放ちました。問題さあ、ここで問題です。「夜勤がある」と断る主人公に夫が言った言葉は?ヒント夫は主人公の仕事を尊重していない様子です。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:エトラちゃんは見た!正解は「母さんも大事な家族だろ」でした。さらに夫は「夜勤のない病院に移ってくれないか」と言い出します。自分の仕事を無下に扱う夫の発言にイラッとしてしまう主人公。しかし、身勝手な夫はこれを機に主人公への負担をどんどん増やしていくのでした。イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。
2023年10月11日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母は、治療のため入院。その後、退院した母は、以前より穏やかな姿が見られるようになりました。しかし、きちんと服薬できていなかったせいか、病状は不安定に。普通の日もあれば、被害妄想が激しい日もあり、そんな母の姿に、わたしちゃんは疲弊していきます。ある日、突然家に訪ねてきたわたしちゃんの友だちを怒鳴りつけ、追い出した母。わたしちゃんは驚きますが、何よりも自分の友人関係まで壊されてしまうのではと、とても悔しい思いをします。 不安定な母の病状に振り回され、「安心できる場所を一生懸命探すしかなかったのに、自分の世界も壊されたよう……」と感じていたわたしちゃんは……。 大人になっても消えない心の傷 家族で車で出かけることになったある日。車に乗り込む前に、「行かない!」と怒り出した母を置いて行った父。 置いてきぼりの母を車内から見たわたしちゃんは、罪悪感を抱いていました。 大人になったわたしは、「たくさん罪悪感を持っていてつらいよね。大変な家庭だけど、お母さんに愛があるわたしちゃん」と、当時の自分を振り返ります。 「お母さんの病気も、不幸も、わたしちゃんはなーんの責任もないんだよ」 そして、「親が幸せであることって、大事ですね」と、大人になったわたしは感じていました。 このころのわたしちゃんは、自分の体に大きな穴が空いてしまっている感覚がありました。 欠如感を感じ、さまざまなことが“自分軸ではない”という感覚でした。 趣味に没頭しても、友だちと過ごしても、恋人ができても、自分の家庭ができても埋まらない感覚。 何を手に入れても、常に寂しさがつきまとっていました。 「この穴がなければ、もっと幸せで活躍していたかも……」 大人になったわたしが穴を覗いてみると、「やさしいお母さんがよかった。我慢ばっかりするのいやー」という声が聞こえてきます。 「自分の声を大事に拾うといろいろなことに気づけるようになった」 大人になったわたしは、「胸の空洞は、知識や経験で埋まるものではなく、たくさん我慢していた気持ちに気づいて、認知のゆがみを直すことで、ちょっとづつ埋まってきている」と感じているのでした。 母の症状の変化に一喜一憂し、時に罪悪感すら覚えていたわたしちゃん。どんな状況でも、母に対して愛情があったからこそ、わたしちゃんは苦しい思いをしていました。子どもは親の姿を見て育ちます。「親が幸せであることは大事」とありますが、その通りですね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月10日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母は、治療のため入院。その後、退院した母は、以前より穏やかな姿が見られるようになりました。「このままよくなって、普通のお母さんになるかも……?」と期待していたわたしちゃんですが、そんな気持ちもすぐに裏切られてしまいます。服薬をきちんと続けられなかったせいか、被害妄想の症状が再発した母。期待していた分、再び奇行を繰り返す様子にショックが大きかったわたしちゃんは、「自分だけが不幸」という気持ちにさいなまれてしまいます。 不安定な病状の母に振り回されるわたしちゃんは……。 尋ねてきた友だちの母親に対して…!? ※訂正:(誤)気嫌→(正)機嫌 ※訂正:(誤)同志→(正)同士 不安定な母の病状。普通の日、無気力の日、被害妄想が激しい日など、ころころと変わる母の様子に、わたしちゃんは振り回されていました。 「友だちと遊んでくる」と出かけようとするわたしちゃんを普通に見送る日もあれば、泣いて止めてくる日もあり、日によって違う母の態度に疲れてたわたしちゃん。 「どういう反応されるかわからないから、なるべく関わらないように……」 そんな気持ちで過ごしていました。 自分を表現するのが怖くなってしまったわたしちゃんは、大人になってからも、他人の反応に敏感になります。 家庭環境が影響し、人に対して、“苦手なタイプ”と感じることが多くなってしまうのです。 ある日、よく家に遊びに行く間柄のお友だちのお母さんがわたしちゃん宅を尋ねてきました。 お互いの親も含めて出かけたことがあるような関係性でしたが、突然訪れた友人のお母さんに、キレた母。 「私の働くコンビニでクリスマスケーキを予約できるよ! いかがですか?」 「いらないっ!」 キレながら思い切り扉を閉めた母に、「わたしの友だちのお母さんなのに……断るにしてもなんであんな風に……!」と、母を責めるわたしちゃん。 しかし、母は反省する様子は全くありません。 「驚き……不信……悔しい……恥ずかしい……」 さまざまな思いが入り混じるわたしちゃん。大人になったわたしは、「自分の友人関係まで壊されるようで、本当に嫌だったよね」と振り返ります。 家庭環境が複雑な中、一生懸命探した自分の世界を壊されたようで、わたしちゃんはとても嫌な思いをするのでした。 自分の母が友人の母に、感情的にキレているところを目の当たりにしたわたしちゃん。病気の影響で不安定な精神状態にあった母ですが、思春期のわたしちゃんにとって、とてもつらい出来事ですよね。 冷静に過去を振り返れるようになった、大人になったわたし。幼少期につらい思いをしていた分、少しでも穏やかに過ごせていることを願うばかりです。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月09日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母は、治療のため入院。その後、退院した母は、陽性症状(妄想や幻覚)がおさまり、陰性症状(元気がない、意欲低下など)が出ていました。甘えたい盛りの幼少期、母親とまともに意思疎通できない状況に、つらい思いをしてきたわたしちゃん。クラスメートとの家庭環境の差を実感したり、素直に気持ちを吐き出せない生活に、ストレスが重なります。 小学校高学年のころは、太っていること、歯並びが悪いこと、肌が荒れていること、分厚いメガネをしていること……。見た目に劣等感を持つようになり、「家庭環境も悪い上に、醜いなんて不幸!」と感じ、「世の中は不公平だ」という気持ちが強くなっていったわたしちゃんは……。 少女の淡い期待は… 母が退院後しばらくすると、以前までケンカばかりしていた父と普通に会話し、メソメソはするものの怒鳴ることもなく、家事もするようになります。 穏やかな母の様子に、「もしや……このままよくなって普通のお母さんになるかも……?」とわたしちゃんは、期待していました。 しかし、淡い期待もつかの間。「こうしないと地震が起きるんだ」と、険しい表情でテーブルを叩く母の姿を目にします……。 服薬を続けられなかったせいか、妄想などの症状があらわれ、病状が悪化した母。期待していた分、ショックも大きかったわたしちゃんは、期待すること自体が怖くなってしまいます。 このころわたしちゃんは、人は誰しも、“幸せのコップと不幸のコップ”を持っていると感じていました。 「わたしの不幸のコップは満タンなのに、幸せのコップは空っぽだ。他の人は逆なのに!」 誰かが請け負わなければならない不幸があるとするなら、「他の人の不幸のコップに入ってね」と思い、自分が見舞われた小さな不運に対しても、「他の人の不幸のコップがもう少し増えたっていいじゃない!?」と、考えるように。 大人になったわたしは、「毎日つらい気持ちを我慢してたから、自分だけが不幸で損をしている気分がしちゃうよね」と、当時のわたしちゃんに寄り添います。 「どんなふうに感じる気持ちも、わたしちゃんの気持ちだからね」 やさしいわたしちゃんも、黒い感情を抱くわたしちゃんも、どれもわたしちゃんの気持ち。 「そんなふうに思っちゃダメ!」と思わずに、認めてあげることでラクになったと、大人になったわたしは感じるのでした。 幼少期の経験から、黒い感情にも目を背けず、認めてあげることで気持ちがラクになったと話す、大人になったわたし。過去を振り返ることでさまざまな気づきを得て、自分を責めず、自分らしく生きていく糧を身につけていきます。 皆さんは、幼少期の苦い思い出から学んだことはありますか? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月08日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母は、治療のため入院。その後、退院した母は、陽性症状(妄想や幻覚)がおさまり、陰性症状(元気がない、意欲低下など)が出ていました。今まで母の異常な姿ばかり見てきたわたしちゃんは、母を信頼することができず、態度が一変した母に、怒りを感じるように。小学5〜6年生のころ、家ではゲームをして現実逃避していたわたしちゃん。夏休みには明け方までゲームをしていたため、急激に視力が落ちてしまいます。 クラスメートが家族との夏休みの思い出を話し合う様子を横目に、「自分だけが不幸」と感じていたわたしちゃん。クラスメートとうらやむ気持ちを我慢したり、諦めたり……。 そして、「自分は悪くない。親のせい」と、母を恨まなければやってられない状況に陥っていました。 醜い姿の自分に… 小学校低学年のころ、唯一覚えている家族で外食した思い出。珍しくわたしちゃんのわがままを聞いてもらい、ファミレスに出かけました。 「私、これがいい!」 「え!? そんな高いもの頼むの!?」 入院する以前に陽性症状があった母は、メニューを見ながら驚き、わたしちゃんが選んだメニューを否定しました。 「自分はお金をかけてもらう価値ないんだって思っちゃうよね」 大人になったわたしは、当時のわたしちゃんの思いを振り返ります。 「いろんな思いを受け止めてほしかったね。自由にわがまま言っていいんだよ」 このころのわたしちゃんは、「他人に不満に思われない程度に、思いを抑えなければならない」と感じるように。 「『自分なんて……』という無価値感が植え付けられた出来事」と大人になってから振り返ります。 小学校高学年のころ、劣等感を抱くことが多くなったわたしちゃん。太っていること、歯並びが悪いこと、荒れている皮膚、分厚いメガネ……さまざまなことが重なり、「私って、すごく醜い……!」と思っていました。 「家庭環境が悪い上に、醜いなんてまさに不幸」 「親が生活や食事に気をつけてくれていたら、大丈夫だったかも」と悔しさを感じていたわたしちゃん。「自分は不幸、世の中は不公平だ」という気持ちが強くなっていくのでした。 「自分は醜い」と感じていた当時のわたしちゃんに、「そんなことないぞー! 絶望しないでー!」と語りかけた大人になったわたし。「どんな姿でも大事なわたしちゃんだよ」と、前向きな言葉をかけました。 大人になったわたしが当時のわたしちゃんを励ましたように、思春期に感じる見た目のコンプレックスは一時的なものなのかもしれません。もし、子どもが自身の容姿で悩むことがあれば、寄り添う気持ちを忘れずに、自分に自信を持てるような言葉をかけてあげたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月07日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母は、治療のため入院することに。その後、退院した母は、陽性症状(妄想や幻覚)がおさまり、陰性症状(元気がない、意欲低下など)が出ていました。騒いでいた母とは一変し、やさしく語りかけてくる母に、戸惑いを感じていたわたしちゃん。 涙もろくなっているようで、わたしちゃんが初潮を迎えたことを黙っていたと知り、「教えてよ……」と涙するほど。 今まで母の異常な姿ばかり見てきたわたしちゃんは、母を信頼することができず、態度が一変した母に、怒りを感じるようになっていました。 子どもらしく甘えたいだけ 夏休みのある日、顔が赤くなり、痛みを感じるようになったわたしちゃん。 「お願いだから病院に行って」と涙ぐみながら懇願する母に背中を押され、渋々病院に行くことに。 ひとりで訪れた病院で、医師から病状の説明を受けるも、小学生のわたしちゃんは理解することができませんでした。 「大人に一緒に来てほしかったよねー!! 子どもなんだからもっと大人に頼りたかったよね」 そう振り返る大人になったわたし。 わたしちゃんは、困っているとき、子どもらしく気持ちを出したり、頼ったりしたいと願っていました。 このころ、つらい状況から現実逃避をするため、ひたすらテレビゲームをしていたわたしちゃん。夏休みにいたっては、朝方までゲームをしていることも。 夏休み明けの教室では、「海に行った」「家族で遊園地に行った」など、クラスメートが夏休みの思い出を話し合っていました。 「いいなぁ。みんな夏休み楽しく過ごして……」 ゲームばかりしていたせいか、視力が落ち、黒板が見にくくなっていたわたしちゃん。 「視力が落ちているのもショックだったよね。皆んなの夏休み、うらやましくて、なんかずるいって思っちゃうよね」 大人になったわたしは、「自分だけが不幸な気がしてつらかったよね」と、当時のわたしちゃんに寄り添います。 クラスメートをうらやむ気持ちから、我慢、諦め、そして「自分は悪くない」とわたしちゃんは、周りを恨む気持ちが強くなっていくのでした。 小学生ながらひとりで病院を受診したわたしちゃんは立派ですね。しかし、「子どもらしく周りの大人に頼りたかった」と感じさせてしまう環境は、小学生には酷な現実です。 わたしちゃんがつらい状況で生活している中、家庭の外でサポートできる大人がいなかったのか、考えてしまいます。皆さんは幼少期のころ、家族以外に、心を許せて頼れる大人は周りにいましたか? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月06日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母。ある日、わたしちゃんが家に帰ると、母の姿がありませんでした。父方の祖母に迎えられ、「母が入院した」と伝えられます。「悲しいだろうけど、頑張ろうな」という祖母からの言葉に、複雑な心境のわたしちゃん。母がいない平和な生活をうれしく思ってしまったり、病気がよくなるのか期待したり……。 「『悲しい』のひと言で済ませないでよ!」と祖母に怒りすら覚え、さまざまな感情が渦巻いていました。 そんな気持ちのまま、尋ねた母の入院先で……。 母の変化に戸惑う少女 母の入院先にお見舞いに行ったわたしちゃん。 「早く退院して家に帰りたい。頑張るから待っててね」と母は、人が変わったように涙を流していました。 病状の変化で、不安定な状態の母。「わたしちゃん! 家にいられなくてごめんね……」とわたしちゃんを抱きしめます。 「なんか嫌……驚き……不満……心配……」 わたしちゃんは抱擁してきた母に対し、マイナスな感情を抱きますが、それを隠していました。 「わたしちゃんが抱きしめてほしいときに全然してもらえなかったのに……急にされても素直に喜べないよね」 そして、「母が病気なことに自体に、罪悪感を持っていた」と振り返る、大人になったわたし。 「母親が心身ともに元気でないと、自分を責めるような気持ちになるのでしょうか……」 当時のわたしちゃんは、罪悪を強く持っていました。 退院した母は、陽性症状(妄想や幻覚)がおさまり、陰性症状(元気がない、意欲低下など)が出ていました。 騒いでいた母とは一変し、わたしちゃんにやさしく語りかける母に、戸惑いを感じていたわたしちゃん。 「もう生理はきた?」と母に尋ねられますが、わたしちゃんは初潮を迎えたことを隠していました。 しかしある日、ゴミ箱をあさった母は、わたしちゃんに生理がきていることに気づき、「教えてよ……」と涙を見せたのです。 わたしちゃんは激怒。 「ゴミ箱あさって人のゴミ見んなよ! 信じられない! ほっといてよ」 生理のことを母に話したい気持ちがあったわたしちゃんですが、今まで母の異常な姿ばかり見てきたわたしちゃん。相談できるはずもありませんでした。 「それなのにゴミをあさられて、生理のことが突然バレたら、恥ずかしくて悔しくて、怒っちゃうよ」 大人になったわたしは、冷静に当時を振り返ります。わたしちゃんはこのころから、母に対して怒りばかり感じるようになっていったのでした。 幼いころから積もりに積もった母への負の感情。突然、母を信頼して心を開くようなことは難しかったのではないかと、容易に想像できてしまいます。 子どもは親の反応や、態度にとても敏感ですよね。子どもに真っ直ぐな愛情を注ぐことはもちろんですが、親子だからこそ、信頼関係を積み重ねていくことが大切なのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月05日現在、実家の実母(要介護3)と同居の義母(要介護1)2人の世話をしている私。2人とも可能な限り自宅で過ごせるよう、きょうだいと協力したり介護サービスを利用したりしながら生活しています。在宅でのお世話は、できないことが少しずつ増えていくのを見つめる日々でもあります。今回は、要介護1で基本的なことは自分でできる義母だけれど、やはり介護が必要な部分もあるのだと再認識させられた出来事についてお話しします。何事? 真夜中に義母の叫び声ある晩、「痛いよ~、痛いよ~、肩が痛いよ~」と、階下の義母の部屋から悲鳴のような声が聞こえてきて、眠っていた私はその声で目覚めました。義母はもともと大きな声で寝言を言う人で、義母の寝言で夜中に起こされたことも一度や二度ではありませんでした。ただ、今回ほどの大声は初めて。しかも、呪いのように同じ言葉を繰り返しています。様子を見に行こうかと思いましたが、何となくおっくう……。同居する義母への対応が実母と違うのは自覚しています。しかし、少し距離を取って接しているのは自分を守るためでもあります。これから長く介護していくことになる義母に善意だけで関わるのは無理。要介護1は入浴、排泄など基本的なことは自分でできますが、洗濯、料理などの家事はもうできません。よかれと思って手助けをすると、あれもこれもと用事を頼んできて、閉口することになるのは経験済みです。出来の悪い嫁で良いと思っています。義母の叫び声はしばらく続きましたが、じきに静かになったので私もそのまま眠りに就きました。叫ぶ原因は何? 今夜も夜中に起こされるところが話はここで終わりませんでした。その後、頻繁に義母は真夜中に叫ぶようになり、夫も私も夜中に頭を抱えることになりました。義母が腕や肩が痛いのは昔からで、いつも湿布を何枚も貼っていたのですが、昼間は叫ばないのに夜中だけ叫ぶなんて何かの嫌がらせかとまで思いました。隣近所の家が離れているから良いものの、街中だったら虐待しているのではないかとご近所から疑われるようなレベルの大声です。義姉も心配して義母を整形外科に連れて行ってくれたのですが、いつも湿布を処方されて終わり。違う整形外科で診察してもらっても、「もうお年ですからねぇ」のひと言です。離れて暮らしている義姉は、痛い痛いという義母の言葉を、電話で何回も聞かされるので心配を募らせていったようです。一緒に暮らしている私たちは、食欲もあるしけがもしていないことがわかっているので、それほど心配していませんでした。このギャップが原因で言い合いになることもありました。医師次第で、状況は変わるその後、叫ぶ原因がわかりました。 近所の個人病院ではどうにもならなかったので、夫が整形外科の専門医がいる総合病院に連れて行ったのです。「精神的なものかもしれないですね」と、医師に言われたようです。その日は大学病院から派遣されている女医さんが来ていて、その方が診察してくれたのもよかったのかもしれません。「夜中に誰か助けてと叫ぶほど痛いはずはないですね」と血液検査をしてくださり、血液中の鉄分の不足や夜間のドーパミン不足が原因かもなどと、今までと違う側面から診察、治療してくれました。現在は軽い精神安定剤が処方されています。おかげで、夜間の叫び声は随分少なくなり、私も不眠でイライラすることが減りました。また、これが精神科病院だと診察に連れて行きづらいのですが、総合病院の整形外科です。湿布と一緒に精神安定剤を出してもらえるので、本人も嫌がることなく通院してくれます。痛みを訴えるときは精神的なことが原因の場合もあるのだとわかりました。まとめ要介護1の義母は、自身の身体的なことは大体こなせるのですが、要介護という文字が付く通り、何かしら支援が必要な部分があります。それが精神的な問題だと、一緒に住んでいる私たちはかなり影響を受けるのに、原因がわかりづらいので対応が難しかったです。今回は知識のある医師に巡り合えてラッキーでした。まだまだ続く介護生活。私自身がまいってしまわないように、適度な距離を取りながら過ごしていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。介護カレンダー/ウーマンカレンダー編集室著者/ころふじ(55歳)夫婦と義母の3人暮らし。 父が急死したため、実家でひとりになった母の元へほぼ毎日通ってお世話している。介護だけの毎日でうつになりそうなところを在宅ワークに救われていると感じる。
2023年10月05日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母。夏休みに父とふたり、父の実家に帰省すると、静かで普通の生活を“天国”と感じるほどでした。母の病状が悪化していると感じたわたしちゃんは、「病院に行ったほうがいいのでは」と父に相談します。しかし、父は家族と向き合おうとせず、外で女の人を作り、あまり家に帰ってこない状況が続いていました。 夫婦ゲンカも増え、母の異様な絶叫が響くわたしちゃんの家。 「お父さんにどうにかしてほしい。でも信頼できない。母の病気だけではなく、頼れる大人がいないことがつらい」 わたしちゃんが自身の状況に絶望していると……。 突然、状況が一変…!? ある日、家に帰ると母の姿はなく、父方の祖母に迎えられたわたしちゃん。 「お母さんに入院したよ。わたしちゃんも今まで大変だったな。悲しいだろうけど、頑張ろうな」 祖母にイラッとするわたしちゃん。母が入院したと聞き、なんとも言えない複雑な心境でした。 「驚き、心配、安心、喜び、不満、嫌悪……」 母がいない平和な生活をうれしく思ってしまったり、病気がよくなるのか期待したり、さまざまな感情が渦巻きます。 「『悲しい』のひと言で済ませないでよ」 大人になったわたしが振り返るように、複雑な心中のわたしちゃんは、やさしくしてくれる祖母に素直になれずにいました。 小学校高学年になると、積み重なったつらい境遇は、わたしちゃんの考え方に影響を及ぼします。 テレビや友人の家庭での不幸話に、まったく共感できず、「病気だろうが、離婚だろうが、ちゃんと母親と意思疎通できることがうらやましい。かわいそうとか思えない」と、自身の不幸と比べるようになります。 「それくらいずっと我慢してたし、つらかったんだね」 大人になったわたしが、当時のわたしちゃんに寄り添いますが、成長しても他人と比べてしまう気持ちは残っていました。しかし、大人になった今は、その気持ちごと認めるしかないのだと、わかったのです。 周りの不幸話を聞いても、「うちよりマシでしょ」と感じてしまうほど、長くつらい状況が続いていたわたしちゃん。甘えたい盛りの幼い子どもにとって、近くにいる母親と心が通じ合えないというのは、子どもが追い詰められてしまうほど苦しいことですよね。 母の入院や、家を手伝いに来た祖母の助けにより、状況が少しでも改善し、わたしちゃんの心が軽くなることを願うばかりです。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月04日年齢とともに不安になってくるのが“脳の衰え”。認知症になる人は増え続け、2025年には65歳以上の5人に1人、約700万人が認知症になると推計されている。「まだ自分は大丈夫」と思っている人も多いと思うが、日常生活に支障をきたすほどではないものの、記憶力や注意力などの認知機能に低下が見られる状態をMCI(軽度認知障害)といい、認知症の一歩手前とされる。MCIの人も現在約400万人いるといわれ、MCIの時期に何もしないで放置すると1年で10%、4年で40%が認知症に移行するという報告もある。「MCIになると必ず認知症になるというわけではありません。対策を講じることで正常な状態に戻る可能性もあります。いつまでも元気で過ごすためにも、早期発見をして予防と治療に結びつけることが大切です」そう語るのは、認知症予防専門の「ひろかわクリニック」(京都府宇治市)の広川慶裕院長だ。■耳周辺の筋肉をゆるめ脳の健康をキープどんな治療法があるのだろうか。広川院長は、台風など気圧の変化で起きる気象病をはじめ、自律神経が乱れたときに行うと症状が緩和されるという「耳マッサージ」が、「認知症の予防にも効果がある」と提唱する。「認知症を予防するために私のクリニックでは、食事や運動、生活習慣の改善などさまざまなことを行います。そのうちのひとつに『耳マッサージ』があり、患者さんには毎日行ってもらっています。アルツハイマー型認知症の場合は、特に海馬の周辺の血流が落ちてきます。耳マッサージで脳に血流を促すと、細胞に酸素と栄養が行き渡るようになるので、脳の機能が回復してくるのです。個人差はありますが、早い人では毎日の耳マッサージを行ってから、2~3週間で効果が出てきたケースもあります」(広川院長・以下同)海外の研究でも、耳のツボを押すなど耳を刺激することで脳への血流を促すと、徘徊やうつ、怒りっぽくなる、暴力をふるうなど、認知症に伴って現れる行動、心理状況(BPSD)が改善するといった報告もある。「中医学でも、耳には体全体につながる12の経絡が集まっています。経絡とは気やエネルギーの通り道で、そこを押して刺激を与えることで、全身の臓器が活性化してくると考えられています。頭がスッキリして、記憶力自体が改善する可能性がありますので、スキマ時間にいつでもどこでも簡単にできる『耳マッサージ』を覚えておくと便利ですよ」やり方は簡単。全部手順どおりにやる必要もなく、1日1~3分くらいの時間でOK。寝起きなど頭がぼんやりしているときにやると効果絶大で、逆に寝る前などはやらないほうがいいという。■認知症予防に効果!「耳マッサージ」4【1】耳折りまずは、「耳折り」から。最初に「耳折り」を行うと、一気に血流がアップして覚醒するので、両手を使って両耳でやってみよう。「手の小指側を使い、耳をギョーザの形のように前側に折ります。次に手の親指側で耳を上から下に押さえて上側の耳を折り、最後にもう一度手の小指側で耳たぶを下から上に折ります。それぞれ3~5秒程度静止させます。耳全体が刺激され、血流が促されます」【2】耳もみ次に「耳もみ」を。耳にはツボが集中していて、押すと不調が改善するといわれている。「外側の上部には自律神経、耳たぶには疲れ目、耳の前方の突起部分『耳珠(じじゅ)』には鼻炎やホルモンにかかわるツボがあります。耳の外側上部から耳たぶにかけて指で押していきましょう。痛みを感じる部分があったら、そのツボの内臓にあたる部分が弱っているというシグナルです」【3】耳ひっぱり3番目は「耳ひっぱり」を。親指と人さし指で耳をつまみ、両耳を外側に向かってひっぱり、数秒間キープして勢いよく離す。耳をひっぱると、耳と頭の間にすき間ができて、「蝶形骨(ちょうけいこつ)」が自由になる。「神経の通りがよくなるとともに、血流もよくなり、こりや疲れが解消されるといわれています」そのあと、耳を上方向、下方向に順にひっぱりパッと離す、を繰り返しトライしよう。【4】耳まわし最後は「耳まわし」だ。親指と人さし指で耳をつかみ、外側にひっぱり、数秒間キープしたら、上から下へ向かってぐるぐる回す。しばらく回したら、次は下から上へ、逆方向に何度か回す。耳周辺の筋肉をゆるめることで、首や肩こり、頭痛、不眠が解消されるという。不眠は認知症のリスクを高めるひとつなので、耳マッサージは習慣化させたいところ。「血流を促すため最初に『耳折り』を行ったほうがいいのですが、基本、順番や時間は適当でもかまいません。長続きの秘訣は気楽にやることなので、一つでもいいので耳マッサージを毎日続けましょう」脳の健康と若さをキープするためにも、毎日トライしよう。
2023年10月04日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。被害妄想からお隣さんを攻撃したり、自分の服をハサミで切り刻んだり、日常的に奇行が続いていた母。そんな母に、嫌悪感を抱きはじめていたある日、わたしちゃんは友人宅で初めてホットケーキを食べます。夢中で頬張りますが、ホットケーキを初めて食べるのは自分だけだと気がつき……。「恥ずかしい……うらやましい……ずるい……もっと食べたい……うちのお母さんと違う……」「キレイななお家も、やさしそうなお母さんも、全部うらやましい」と、みじめな気持ちにさいなまれていました。友だちの家に行くたびに、友だちの家庭が羨ましくて仕方ない気持ちになっていたわたしちゃんは……。 娘の気持ちに気づかないふりをする父 ※訂正:(誤)わずらわわし→(正)わずらわしい 毎年夏休みには、父と2人、父の田舎に1週間ほど帰っていたわたしちゃん。 生活の中に、突然の大声がなく、奇行をする人がいないとうだけで、天国のように感じていました。 平和な生活は、現実のみじめさを実感する時間でもあり、「家に帰るの嫌だな」とわたしちゃんは、夜な夜な涙を流してしまいます。 「なんでうちは平和じゃないんだ?」 泣いているわたしちゃんに気づく父ですが、無言のまま。わたしちゃんは、父から反応がないことに、がっかりしていました。 「お父さんになんで泣いているかわかってほしかったよね」「ずっと、周りの大人になんとかしてほしかったよね」 大人になったわたしが振り返るように、当時のわたしちゃんは、「わたしが毎日つらい気持ちでいることをわかってほしい」と期待しながら生活していました。 そして、いよいよ母の病状が深刻になっているように思えてきたころ。病院にかかる必要性を感じ、父に相談しますが、「行こうとしないんだよな〜」と父は、のん気に構えていました。 母から「お父さんは女の人のところに行ってるから帰ってこないんだよ」と言われたわたしちゃん。 いつもの妄想なのか、事実なのか、わからずにいるものの、わたしちゃんの心に暗い影を落とす言葉でした。 夫婦ゲンカが増え、母の異様な絶叫を耳にしながら、「お父さんにどうにかしてほしい」と思っていたわたしちゃん。しかし、「他に女の人がいる」と耳にしたわたしちゃんは、お父さんを信頼できず、悲しみに包まれます。 「ちゃんと自分たち家族と向き合ってほしかった」「お父さんには逃げる場所があるけど……ひとりぼっちのような気分で本当につらかった」 わたしちゃんが“つらい”と感じていた原因は、母の病気のせいだけではなく、家族に向き合わない父や、ケンカが絶えない両親、なんとかしてくれる大人がいないこと……さまざまな状況に、絶望していたのです。 精神疾患の母がいる家庭で、「自分や家族と向き合ってほしい」と父に求めるのは当たり前のこと。わたしちゃんと同じように、父もつらい思いをしていたかもしれませんが、大人と違い逃げ場がない子どもをフォローできるのは、周りの大人だけです。最も身近な父親が、子どもからも目を背けているようで、わたしちゃんを思うと胸が痛みますね。 「なんとかしてくれる大人が必要でした」と大人になったわたしが回想していますが、家庭環境に悩みを抱えている子どもに、外の人間が何かできることがないのか、考えさせられます。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月03日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。仕事や不倫もあり、家にいないことが多かった父。母の精神疾患に理解がなく、夫婦は揉めてばかりいました。幼な心に、「両親の仲が良ければ、母の病気ももう少しよくなっていたかも」と感じていたわたしちゃん。小学3〜4年生のころには、ストレスから食に走ってしまい、だんだんと太っていきました。同じく太っていた母から、「太ってるんだから食べるのやめな!」と否定されたことで、悔しい思いをします。 太っている自覚はあったわたしちゃんは、母の言葉を受け、太っていることが“悪い、怖い”という感覚に悩まされてしまい……。 幼心に芽生える劣等感 小学校中学年のころ、母の行動に対して常に嫌悪感を抱くようになったわたしちゃん。 ある日、自分の服をハサミで切り刻む母の姿を見て、兄に愚痴をこぼしました。 「ねーあの人、自分の服をハサミで切りまくってるよ。変なのー」 すると兄からは「あの人とかそういう言い方やめろよ。あと、自分の服切ってても別にいいんじゃね?」と、母に理解を示すような言葉が返ってきました。 「もしかしてお兄ちゃんは、私と同じ気持ちじゃないの!? なんで?」 兄が味方をしてくれないことに驚き、モヤモヤするわたしちゃん。 「自分と同じように、母を責めてくれると思っていたから、お兄ちゃんから責められてショックで悲しかったよね」 大人になったわたしは、「むしろお母さんを悪く言う自分が悪い人間なのかと思い、つらかった」と振り返ります。 わたしちゃんは、同じ境遇で育つ兄に、母に対する気持ちを共感してもらいたかったのです。 また別の日、友人宅での出来事です。 友だちのお母さんからおやつを振る舞ってもらい、実物のホットケーキを初めて見たわたしちゃん。 「おいしい!」 夢中で頬張っている最中、周りの友だちが「ホットケーキ大好きー!」「わたしも! ママありがとう!」と言っている言葉を聞き、わたしちゃんは複雑な心境になります。 「恥ずかしい……うらやましい……ずるい……もっと食べたい……みじめ……うちのお母さんと違う……」 初めて食べるのは自分だけなんだと気づき、みじめな気持ちに……。 「キレイななお家も、やさしそうなお母さんも、全部うらやましかったね」 わたしちゃんは、友だちの家に行くたびに、友だちの家庭がうらやましくて仕方ない気持ちになるのでした。 自分と、友だちの家とのギャップに苦しんだわたしちゃん。大人になったわたしが、「この友だちの家のことは、強烈に覚えている」と語るように、幼いわたしちゃんにとって、とてもショッキングな出来事だったようです。 大人になっても、他者と自分を比べて、落ち込んでしまう瞬間があるかもしれません。皆さんは、幼いころや現在、友だちと自分を比べて「うらやましい」と感じるようなことはありますか? 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年10月02日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。お隣さんへ「出ていけー!」と叫んだり、ブツブツ言いながら徘徊したり……奇行を続けていた母。ついに、訪ねて来たお隣さんから苦情を言われてしまいます。言い争う大人たちを前に、恐怖を感じていたわたしちゃん。自分の家が周りに迷惑をかけていることに罪悪感を覚え、常に非難されているような感覚におびえていたわたしちゃんは……。 母の精神疾患に理解のない父 わたしちゃんの父は、仕事と不倫でほとんど家にいませんでしが、基本的には穏やかでやさしい人。しかし、母の病気には理解を示さず、揉めてばかりいました。 あるとき、「お金盗まれたりするから、3万円ちょうだい」と父にお願いした母。 父は、「盗まれるわけないだろ。急に言われてもないよ」と断りました。 すると母は、「いいから早く金をよこせと言ってるんだ!」と言って、刃物を持ち出したのです。 母の様子に焦り、手持ちのお金を差し出す父。その様子を見ていたわたしちゃんは、恐怖でおびえていました。 「お母さんが本当に刺しちゃうんじゃないかって、すごく怖かったよね」「お父さんとお母さんが仲良くないこと、とても悲しかったね」 わたしちゃんに語りかける、大人のわたし。言葉はやさしい父でしたが、家族と向き合うことはしてくれませんでした。 小学3〜4年生のころ、ストレスから食べることだけが癒やしになり、太っていったわたしちゃん。満たされない気持ちを食欲に向けていました。 あるとき、家でロールパンを食べようと手を伸ばすと、「だから太るんだよ! やめな!」と母に怒られてしまいます。 太っている母に注意されたことで、モヤモヤを抱えるわたしちゃん。 「本当は自分でも太っていることが嫌だったから、親として太らないように気をつけてほしかったよね」「わかってもらえなくて、食べたいもの食べられなくて、悲しかったね」 太っているという自覚はあったわたしちゃんは、太っていることが“悪い、怖い”という感覚に悩まされることになるのです。 やり場のないストレスから太ってしまったわたしちゃんは、中学生になり、過激なダイエットをしてしまったそう。体形へのコンプレックスは、多かれ少なかれ誰しもが抱くものかもしれませんが、他人からのささいなひと言がコンプレックスを加速させる場合があります。「自分の一番の理解者」であってほしい母からの言葉は、わたしちゃんにとても大きな心の傷を負わせてしまったようです。 子どもが太っていることをコンプレックスに感じているのであれば、一番身近な存在である親が気持ちにが寄り添い、サポートしてあげられるといいですよね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月30日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。テレビに出ている有名人を指差し、「夜になるとお母さんの首を絞めにくるんだよ」とわたしちゃんに話す母。「そんなことないと思う」とわたしちゃんが言い返すと、「本当に苦しいんだから」と、わたしちゃんの首を絞めるマネをしてきました。現実離れした母の被害妄想。わたしちゃんは、母と心を通わせることを諦め、どこか満たされない、寂しい気持ちを抱えるようになっていました。 母の奇行に心を閉ざし… 学校で運動会の玉入れに使用する玉を家庭で作ることになったとき。 病気のせいなのかは不明ですが、家事能力が低い母が作った玉は、俵型ではなく四角いものでした。 提出するのも恥ずかしさを感じていたわたしちゃんは、運動会当日、四角い玉が自分のものだとバレないかヒヤヒヤ。 「うちは、みんなと違うのかなぁ……って思うことがちょっとずつ増えたんだよね」 大人のわたしが、当時のわたしちゃんに語りかけます。 わたしちゃんは、自分の家は劣っている、恥ずかしい、知られたくないという感覚が強くなっていきました。 奇行を続けていた母の元へ、ある日、お隣さんが訪ねてきました。 「毎日毎日、いいかげんにしてください」 お隣さんからの苦情を受け、言い争いを始める大人たち。 「目の前で大人が言い合っていたら、それだけでも怖いよね。自分も含めて責められているような気がしちゃうよね……自分の家が迷惑をかけている罪悪感も、つらいよね」 大人のわたしが当時を振り返るように、わたしちゃんは、周りから非難される恐怖に常におびえるようになりました。 大人同士の口論に恐怖を覚え、「自分の家は周りに迷惑をかけている」と罪悪感を抱いたわたしちゃん。母は精神疾患を抱えているため、仕方のないことも多いのかもしれませんが、わたしちゃんは何ひとつ悪くありません。幼い子どもに罪悪感を抱かせてしまう状況に、心が痛みますね。このようなとき、周りの大人が、子どもの心をどのようにフォローすべきなのか、考えさせられます。>>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月29日「9月25日に厚労省が認知症の進行を遅らせる効果のある国内初のアルツハイマー病治療薬『レカネマブ』(エーザイと米バイオジェンの共同開発)を正式に承認し年内にも日本の医療現場で使えるようになる見込みだと報じられました。このように認知症を取り巻く環境は刻々と変化しており、認知症保険の選び方もそれに応じて変わってくると思います」こう話すのは「NEWよい保険・悪い保険2023年版」(徳間書店)の共同監修などでおなじみの“保険のプロ”長尾義弘さん(ファイナンシャルプランナー)だ。この保険は、認知症に特化したもので、認知症と診断されると給付金が受け取れるもの。一部には、正常な状態と認知症の間にある軽度認知障害(MCI)を保障する商品もある。「厚労省によると、日本国内における認知症患者数は2020年の600万人から25年には730万人、高齢者の5人に1人が認知症になると推測され、深刻さを増しています。そうした背景もあり、認知症保険はいま注目の保険。それだけに大手を含め多くの保険会社の商品があり、それぞれに保障内容や保険料が異なるため、選び方がむずかしくなっているのが現実です」また今回のアルツハイマー病治療薬『レカネマブ』は症状の進行を抑えるもので治すものではない。まだ認知症は治る病気ではないのだ。そうしたことをふまえて今回、長尾さんが認知症保険選びのポイントとあげるのは次の3つだ。(1)保険料が安い「現在の物価高で家計が苦しい現状では、月々の保険料負担をいかに抑えるかは重要な視点です。高齢者の5人に1人という数字は重いですが、裏を返せば5人に4人はならないとも言えます。それを考えると貯蓄で足りない分を保険で補うことで診断一時金として100万円程度を基準になるべく保険料の安い商品を選びましょう」(2)親を対象にして加入できるかどうか「じつは認知症介護で実際に介護する側の子供の負担が大きいという現実があります。もし自分の親が心配という場合、自分の親を対象に加入できる商品があります。この商品に親が入っていると、介護になって施設に入るときの初期費用にも役立ちます。また認知症治療費用の一部にすることができます。アルツハイマー病治療薬『レカネマブ』が承認され、認知症治療に展望が開けてきたいま、これも将来を考えた大切な備えだと思います」(3)軽度認知障害(MCI)と診断されたときに給付金が出る「認知症保険は、認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)についても保障している商品が増えてきました。MCIの段階で治療すると健常者に戻る可能性があるからです。認知症の早期発見、早期の治療がとても重要です。MCIの給付金で早期治療の動機付けになってほしいという意味もあります」新しく承認されるアルツハイマー病治療薬『レカネマブ』の対象は、軽度認知症MCIである。今後は、認知症の早期発見・早期治療がより一層重要になってくる。今後、認知症保険も、よりMCIに対応する保障やサービスが充実してくることを期待したい。
2023年09月29日「厚労省によると、日本国内における認知症患者数は2020年の600万人から25年には730万人、高齢者の5人に1人が認知症になると推測され、深刻さを増しています。そうした背景もあり、認知症保険はいま注目の保険。それだけに大手を含め多くの保険会社の商品があり、それぞれに保障内容や保険料が異なるため、選び方がむずかしくなっているのが現実ですこう話すのは「NEWよい保険・悪い保険2023年版」(徳間書店)の共同監修などでおなじみの“保険のプロ”長尾義弘さん(ファイナンシャルプランナー)だ。この保険は、認知症に特化したもので、認知症と診断されると給付金が受け取れるもの。一部には、正常な状態と認知症の間にある軽度認知障害(MCI)を保障する商品もある。長尾さんが各社の商品を厳選比較。いま入るべき最新の認知症保険ベスト3は下記の通りだ。第1位朝日生命「人生100年時代の認知症保険」大きな特徴は、本人だけではなく、配偶者や親も加入することができるという保険。保障内容はシンプルで、認知症介護一時金と認知症診断一時金。認知症介護一時金は、認知症と診断されて、かつ要介護1になったとき。認知症診断一時金は認知症と診断されたときというのが要件だが、月々の保険料が割安なのもポイント。告知も3項目だけの緩和型で入りやすい。■保険料60歳男性:1120円60歳女性:1274円保険金額の例:認知症介護一時金=100万円、認知症診断一時金=10万円、保険期間・保険料払込期間=終身第2位太陽生命「ひまわり認知症予防保険」(スマ保険)特徴は、2年に1回、予防給付金が受け取れること。認知症では、早期発見がもっとも重要。この予防給付金は、認知症の検査を受診する動機付けにもなる保険。ちなみに契約者が「MCIスクリーニング検査プラス」を受診すると当検査を提供するMCBI社より2000円のQUOカードがもらえるサービスもある。認知症により所定の状態が180日継続した場合も受け取れる認知症治療給付金もプラスすることができる。告知は緩和型なので入りやすい。■保険料60歳男性:3394円60歳女性:4370円保険金額の例:認知症診断保険金=100万円、予防給付金=1万円、死亡保険金=25万円、保険期間・保険料払込期間=終身第3位SOMPOひまわり生命「笑顔をまもる認知症保険」特徴は、軽度認知症と診断確定をした場合に、5%の軽度認知症一時金を受け取ることができる。たとえば、認知症一時金100万円の契約は、軽度認知症一時金で5万円、認知症一時金で95万円になる。また、骨折した場合でも「骨折給付金」が出る。災害死亡給付金は、骨折給付金の10倍が出る。告知は緩和型なので入りやすい。■保険料60歳男性:3430円60歳女性:4335円保険金額の例:認知症一時金=100万円、軽度認知症=5万円、骨折=1回につき5万円、災害死亡=50万円、保険期間・保険料払込期間=終身「第1位の朝日生命『人生100年時代の認知症保険』は保険金の支払要件が認知症と診断されたときと少し厳しいですが、本人だけではなく、配偶者や親も保険に加入することができ、なにより月々の保険料の割安感が決め手でした。認知症の検査を受診する動機付けにもなる予防給付金がついている太陽生命『ひまわり認知症予防保険』、軽度認知症と診断確定をした場合に、5%の軽度認知症一時金を受け取ることができるSOMPOひまわり生命『笑顔をまもる認知症保険』もぜひ検討してみてください」なお、現在加入している医療保険やがん保険にも「指定代理請求特約」をつけておくことが大切と長尾さん。「この特約は家族などが本人に代わって保険金を請求できるようにした特約で、無料でつけることができるもの。認知症と診断され、給付金を受け取る際、すでに意思表示がむずかしくなっているケースが想定されますので、この特約で、あらかじめ指定代理請求人を指定しておくことで、スムーズに給付金などを請求することができます」
2023年09月29日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。唯一の理解者である、“今のわたし”が当時のわたしちゃんの気持ちに寄り添います。母の病状で特に目立っていた被害妄想により、毎日のようにお隣さんを攻撃していた母。あるとき、物干し竿に、「◯◯◯◯(お隣さん)出ていけ!」と書いた紙を吊るし、母は警察から注意を受けていました。「お母さんも自分も捕まっちゃっうんじゃないかと、怖かったんだよね」当時を振り返る、今のわたし。 警察に注意された出来事は、わたしちゃんの記憶に鮮明に残っており、母の言動は他の人から非難されることだとはっきり認識しました。 周りの目を気にするようになったわたしちゃんは……。 母の現実離れした被害妄想 現実離れした被害妄想も多かった母。 テレビに出ている有名人を見て、「寝てるときにお母さんの首を絞めに来るんだよ」と、わたしちゃんに話します。 「この人、すごく有名な人だよ。うちに来たりしないと思う」 あるとき、どう考えてもおかしいと思い、言い返したわたしちゃん。 すると母は、「わたしちゃんはまだ小さいからわからない! こうやってお母さんの首を絞めてくるんだよ」と言って、わたしちゃんの首を絞めるマネをしました。 「お母さんには話が通じないと思って、悲しかったよね」 大人になったわたしが振り返るように、わたしちゃんはこのころから、母と意思の疎通や心を通わせることを諦め始めました。 小学生に上がる前の記憶。 「お母さんのおっぱいを触ってみたい」 母に甘えたい気持ちから、母のおっぱいを頻繁に触っていたわたしちゃん。 「ちょっと! しょっちゅう胸を触りに来るのやめて!! うっとうしい」 わたしちゃんは、母の言葉にショックを受けます。 「お母さんに甘えたい」という当たり前の欲求が満たされないことが多く、わたしちゃんは、常に寂しい気持ちを抱えるようになっていました。 幼い子どもにとって、「母親と触れ合いたい」と感じるのはごく当たり前のこと。拒絶されてしまったわたしちゃんですが、大人になった彼女が振り返るように、このような出来事は、子どもの自己肯定感の低さにつながるのかもしれません。 家事、育児、仕事と忙しく動き回ることが多く、余裕がなくなってしまうことも多いですよね。しかし、幼い子どもとのスキンシップの時間は、何ものにも代え難いものであることも事実です。そのことを忘れないようにしたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月28日統合失調症の母に育てられた“わたしちゃん”。思い出せる一番古い記憶は、幻覚や妄想で騒いでいる母の姿。病気のせいもあり、家の中は汚く、自分で食事を作り食べることもしばしば。母の病状で特に目立っていた被害妄想により、毎日のようにお隣さんを攻撃していて……。統合失調症の母。被害妄想から、いつも騒いでいる母の元で育った、わたしちゃんの日常は……。 毎日お隣さんに攻撃する母 わたしちゃんが物心ついたころにはすでに、統合失調症を患っていた母。幻覚や被害妄想で騒いでいる姿が、思い出せる一番古い記憶なのだそう。 母の病状で目立っていた被害妄想により、お隣さんへの攻撃が日常的におこなわれていました。毎日、風呂場の窓からお隣さんに向けて大声で怒鳴る母。 「誰にもわかってもらえない、助けてもらえない」 そう感じていたわたしちゃん。唯一の理解者といえる、大人になったわたしが当時のわたしちゃんにやさしく寄り添います。 「つらかったね。平和に静かに暮らしたかったよね」 さまざまなかたちでおこなわれる母の攻撃。物干し竿に、「◯◯◯◯(お隣さん)出ていけ!」と書いた紙を吊るした日、母は警察から注意を受けていました。 「おまわりさん来てる! お母さんが注意されてる! え、お母さん捕まるの?」 わたしちゃんの記憶に鮮明に残っている出来事です。このことで、母の言動は他の人から非難されることだと、はっきり認識しました。 そしてわたしちゃんは、周りの目を気にすようになるのでした。 幼少期の記憶をたどり、大人になった自分が当時の感情に寄り添う、わたしちゃん。「唯一の理解者である、今の自分」という言葉があるように、本当の意味で自分のことをわかってあげられるのは、自分しかいないですよね。 幼少期のつらい記憶にはフタをしてしまいがちですが、大人になった今、振り返り、当時の気持ちに寄り添ってみることも大切なのかもしれませんね。 著者:マンガ家・イラストレーター HiKARi
2023年09月27日皆さんは、家族の発言に衝撃を受けた経験はありますか?今回は、母に家族の介護を押しつけ続けた父のエピソードと、感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!人生を棒に振る?主人公の母は看護師で、頼まれると断れない性格です。そんな母に、父は自分の家族の介護を押しつけてきました。父方の祖母や伯父、伯母の介護を数十年続けた母ですが、やっと介護から解放され…。ある日、主人公の姉が「結婚したい人がいる」と報告をしてきます。しかし、姉の結婚相手に同居の祖父がいるという話を聞いた途端、父は結婚に反対をしました。理由を聞いたところ、なんと「介護をさせられるから」だというのです。「介護で人生を棒に振るな!」と発言する父に、主人公は真っ青になって母のほうを見ます。父の家族の介護を続けてきた母は、絶望した表情で…。母に問い詰められ…出典:エトラちゃんは見た!母は「私は人生を棒に振ったんですか?」と父を問い詰めます。母の気迫に、返す言葉がない父でした。読者の感想母方の家族の介護ならともかく、自分の家族の介護を押しつけてきた父は無責任すぎますね。母の心情を思うと胸が痛いです…。(30代/女性)今まで頑張ってきたことを否定するような言い方で、怒るのも納得でした。主人公たちの優しさが、お母さんを支えていたのかなと思います。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年09月25日「骨折は命にはかかわらないと思っていませんか?加齢により、骨が弱くなり転倒して折れてしまうと、寝たきりや要介護、そして認知症のリスクが高まります。高齢者で、足の付け根を骨折した2人に1人は、5年以内に死に至っています。骨を軽視すると怖いんです」そう語るのは『ひざたたき 世界一かんたんな健康法』(アスコム)の著者で、光伸メディカルクリニック院長の中村光伸医学博士。特に、閉経を迎えた女性は、女性ホルモンが減少することで骨量が急激に減少する。60代になると、多くの女性が骨粗しょう症予備群になっているという。「閉経後の10年間で、女性の骨量は15〜20%減少してしまうのです。じつは骨には柱として体を支えるだけではなく、血液を作り、全身の新陳代謝をコントロールするという役割もあります。骨もまた、大切な“臓器”のひとつなのです」しかし、現代の生活は、この“臓器”を弱めるものだという。「100年ほど前までは、人間の基本の動きは『歩き』でした。しかし、自転車、電車、車が普及し、私たちの運動量は激減しています。骨は、負荷を与えて刺激すればするほど元気に強くなりますが、運動量が減れば刺激も減少し、骨も弱まってしまいます」特に、近年は骨を弱める出来事があった。新型コロナウイルスの流行に伴う自粛生活だ。「全身の骨は、約5年間で生まれ変わりますが、この5年のうち3年間はコロナ禍でした。在宅も増えましたが、1日に何歩歩いていましたか?私たちの骨は、今、確実に弱まっています。その解消のために、ぜひやってほしいのが、『ひざたたき』です」ひざを叩くときは以下のポイントに注意しよう。【1】手を軽く握ってタテにする。【2】ひざの皿とももの間あたりを上からまっすぐたたく。【3】ひざから下はなるべく床と垂直にする。【4】かかとも床に直角にし、足の裏をしっかりと床につける。「背筋は伸ばして行ってください。腕には力を入れず、胸の高さまで上げたこぶしを、自然と落とすようにすると、ちょうどいい刺激になりますよ」だが、なぜひざをたたくと骨が丈夫になるのだろうか?「人の体では、古い骨が溶かされて削られる『骨吸収』と、新しい骨が作られる『骨形成』が繰り返されていきます。運動不足や女性ホルモンの減少によって、両者のバランスが崩れると、骨吸収が優位になってしまいます。しかし、ひざをたたいて骨への刺激を与え続けることで、そのバランスがよくなって、骨を丈夫にすることができるのです」効果はそれだけではない。若返りホルモンも分泌されるのだ。「骨の中にある骨芽細胞は、骨に刺激があると反応して働きがよくなり、若返りホルモンの『オステオカルシン』を分泌します。これは骨ホルモンとも呼ばれていて、血管を通り、全身に運ばれて心臓、肝臓、腎臓、すい臓、腸など多くの臓器の機能を活性化させます。血液の代謝をよくして免疫力を上げ、筋肉量のアップも期待できるのです。さらに、血糖値の上昇を抑えたり、アルツハイマー型認知症を予防したりする効果があるとみられています」もう一つ「オステオポンチン」という免疫力を高めるホルモンも分泌されるという。「これまで、この2つの若返りホルモンは、骨が大量に作られないと分泌されないと考えられていたのですが、最新の研究によって、骨に刺激があるだけでも出ることがわかったんです」踏み台を使った昇降運動で骨を刺激すると、若返りホルモンが分泌することが、最初に確認された。「ならば、座った状態でひざをたたくことで同様の刺激を与えれば、同じような効果が期待できると考え、実験を行いました。その結果、ひざをたたくだけでも、若返りホルモンが出ることを確認したのです」中村先生が重視したのは、「かんたんに継続でき、安全な動きであること」。ひざたたきは、まさにその条件にぴったりだ。「骨を強くするには、継続が何より大事。テレビを見ながら、トイレで、電車でなど、座る機会があれば、積極的にやってください」10回1セットで、1日合計100回を目指そう。さらに、余裕がある人は、左の「足踏みトントン」もやってほしい。「人生100年時代。50代なら、まだ40年以上も人生は続きます。ひざをたたいて、体の土台である骨を強くして、いつまでも元気でいてください」ひざたたきで、100歳まで歩ける体を手に入れよう。
2023年09月15日皆さんは、家族の健康に気を配っていますか? 今回は、母が入院することになってしまったエピソードを紹介します。母の異変ある日、実家の母の体調が悪いと、叔父から電話がかかってきました。母は認知症の疑いもあるとのことで、飛行機で私の住んでいる所に来てもらい、一緒に病院に行くことにしました。久しぶりに会う母は元気がなく、疲れた様子。一晩私の家に泊まってもらったのですが、そこで事件が起きました。夜中にトイレの場所がわからなくなり、お漏らしをしてしまったのです。どんどん悪化する母…次の日病院に行き、母は入院して経過観察することに。1ヶ月ほど入院した後、認知症だと診断されました。退院した日に、母に「入院長かったでしょ?」と聞くと「えっ、私はどのくらい入院してたの?」と言ってきたのです。本人は2、3日程度にしか思っていなかったそう。改めて病気の恐ろしさがわかりました。(40代/女性)家族の入院は家族が入院することになると心配ですよね。突然のことに慌ててしまうかもしれませんが、家族が過ごしやすいようにしてあげられたらいいですね。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(lamire編集部)
2023年09月13日祖父母ともに要介護状態となったとき、3人きょうだいのうち唯一祖父母と同じ町に住んでいた母が、自身も苦しみながらも祖父母を献身的に支えてきました。そんな母が、祖父母ともに他界した今、振り返って感じる介護をしている中でやっていてよかったこととは。★関連記事:父の介護で外出できない日々にひと筋の光が!憂うつな気持ちを軽くしてくれたものとは母が直面した介護のある生活私の母は、3人きょうだいの末っ子。生まれ育った田舎に残り結婚し、私を含む3人の子どもを育ててきました。やがて、祖母が認知症を患い始めたことにより、母に訪れた介護問題。祖母のサポートをしながら慣れない家事を頑張る祖父に、母も全面的に協力していました。そんな中、祖父がある日、外出先で突然倒れ、そのまま寝たきり状態に。そのときには既に介護施設で過ごす時間が多くなっていた祖母と、突然入院した上に祖母とは別の介護施設で過ごすこととなった祖父。母は祖父母の入所後も、祖父母の寝具や衣類の洗濯、各施設との打ち合わせ、祖父母宅の管理など、母自身もフルタイムで働きながら懸命に祖父母のサポートをする日々でした。末っ子の私は当時高校生でしたが、母は私の負担が大きくなるような手伝いはさせず、私が学校や部活に集中できるよう配慮してくれていたのだろうと思います。そんなふうに毎日祖父母のために忙しくしている母を間近で見ていたため、少しでも力になれるよう、祖父母の面会にだけは私も一緒に連れて行ってもらっていました。祖母はどんどん私たちのことを忘れていくし、祖父はほとんど声も出せません。それでも、大好きな祖父母が少し反応してくれるだけで母も私もうれしいものでした。そのころから10年以上たち、祖父母ともに他界した今、母には介護をしているときにやっていてよかったと思うことがあるそうです。介護中にやっていてよかったこと母が教えてくれたのは、次のような内容でした。・介護にかかった費用、収支の記録をつけておく母が祖父母の通帳を管理していたのですが、パジャマや毛布などの生活用品から、施設の利用料金まで細かく収支をつけ、祖父母のお金の動きがわかるようにしていました。それが親戚など周りからの信頼につながったと言います。「何にどのくらい費用がかかったのか」「計算は合っているのか」とわざわざ親戚が見返すことはないのですが、しっかり管理しようとする母の姿勢や、実際にきちんと記録してきた事実に、これなら信用できると親戚にも安心してもらえたのでしょう。・自分のきょうだいと情報共有をする大きな金額が動くときや、入所先が変更になったとき、体調に変化があったときは遠くにいるきょうだいにも母は情報をシェアするようにしていました。叔父や叔母からすると、離れているからこそ、今の祖父母がどんな状態なのか把握できるだけで安心するとのこと。さらに、きょうだいと連絡を取り合うことで、母自身もひとりで悩みを抱え込むのを回避できたそうです。距離があるため、物理的に助けることが頻繁(ひんぱん)にはできない叔父と叔母は、母のこまめな連絡や金銭管理に安心して任せることができ、「あなたに助けられた」と母の頑張りにとても感謝したと言います。一番大事なのは自分自身も大切にすること忙しい介護の中で、疲労やストレス、不安に恐怖などさまざまなものと闘っていた母。祖父が入院してからも、毎日仕事帰りに各施設を訪ねてから帰宅し、夕飯作りやその他の家事をしていました。 そんな生活が続き肉体的にも精神的にも疲れ果てている中、母の友人から、「自分の時間も作っていいんだよ」という助言が。それからは、意識して自分の趣味に費やす時間を増やしていったことで、自身の心の健康を守ることができたと母は言います。その体験があったからこそ母も、知人がかつての自分と同じような境遇だと知ったとき、「自分のことも大切にしてあげてね」ということを伝えたそう。その知人もまた、母のその言葉に救われたのか涙を流したと言います。介護で悩む方はたくさんいて、やるべきことをしていたら1日が終わってしまった……という多忙な毎日を過ごしている方も少なくないのだと思います。そういった境遇の方一人ひとりが、意識して自分をいたわる時間を作っていけたらいいよね、とよく母と話しています。まとめ祖父母の介護を通じて、寂しさや焦り、不安などさまざまな葛藤を抱えながら、とても苦しい思いをした母。自分のきょうだいが近くにいないならなおさら、しっかり金銭管理をし、きょうだいとこまめに連絡を取り合うことが重要だと言います。 身内間のトラブル防止になるのに加え、厳しい状況を理解してくれる人がいるだけで、介護する側の精神的な安定にもつながるのだと教えてくれました。そして何より重要なのは、自分自身をいたわる時間を作ること。精神的にも肉体的にも大きな負担がかかる介護。私も介護問題に直面したときには、自分のできる範囲で、周りにもうまく頼りながら、サポートしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/RIka.航空業界に勤めた後、3人の子どもをのびのび育てるべく田舎にUターン。子どもたちと一緒に、実家の採れたて野菜でピザを作ることに夢中なライターです。
2023年09月06日ずっと気になっていた介護脱毛をするために、動き始めました。やらなくてはと思っていたものの、先延ばしにしていた介護脱毛についての私の体験談をお話しします。★関連記事:蒸れによる湿疹や悪臭対策に!「おまたの悩み」が劇的に減ったVIO脱毛【体験談】介護脱毛は「今のうちに」介護脱毛とは、将来介護されるときを見越して、排せつ物などの拭き取りで介護者の負担にならないようにデリケートゾーンであるVIO脱毛をしておくことをいうそうです。きっかけは保険の見直しをしてもらったときに言われた「40代で若いと思っていても、元気な人が脳卒中になり、倒れてからは寝たきりになった人を知っている」の言葉です。前日まで元気だった人でも、寝たきりになるリスクがある……。私はアラフォーで、まだまだ元気なものの、前に健康診断で再検査になって大学病院に行った過去もあり、老後準備は早めにしておかなくてはいけないことを実感しました。アラフォーやアラフィフで、ムダ毛が白髪交じりになってしまうと、美容脱毛やレーザー脱毛の効果が薄れます。理由は、黒いメラニン色素に反応できなくなってしまうからだそうで、そういったこともあり、早めに動かなくてはと思っていました。かといって、一気に高額な出費は無理な話です。そんなとき、介護脱毛ができるサロンの予約サイトを見ていたところ、「都度脱毛」の文字があり、これなら通えそうだと感じました。「都度脱毛」の初回料金は安かった選んだのはエステサロンの美容脱毛で、種類は光脱毛。そして、料金形態は1回ごとに料金を支払う都度払い形式。私はこれまで、脇、腕、足の脱毛は独身時代に完了しているため、なんとなくの相場を知っています。脱毛は、エステサロンでだと割安ではあるものの、コースで契約するとどうしても金額が高くなってしまうイメージがありました。しかし、1回ごと支払う都度払いなら、そこまで家計負担にならず、いいように思いました。また、初回は安く「顔を除く全身脱毛」は12,980円が6,900円とお試し価格でできました。この都度脱毛は、脱毛コースを一気に契約するほどお金に余裕がないことをカバーできることはもちろん、白髪になったら通えなくなるので都度払いがよかった点。脱毛を始めるなら早めがいいと聞いていたこともあり、見つけてすぐに申し込み。決断は早かったです。初回の施術が終わって次は2回目久しぶりに施術を受けた光脱毛、過去に脱毛経験がある私は、事前にシェーバーでムダ毛を剃っていきました。もしシェービングを忘れた場合などでサロン側でシェービングをすると有料になるそうです。その点は注意が必要だと思いました。気になっていた痛みはほぼなく、全身脱毛も約20分くらいで終了。過去には脱毛でゴムで弾く痛みを感じたので、1回目の効果が本当にあるのか不安ではあるものの、とりあえず無事に終了しました。まとめ都度脱毛を選び、介護脱毛をスタートさせたアラフォーの私、できる限りやっておこうと思っています。エステティシャンによると、VIO脱毛が完了すると、お手入れが不要になりラクになるとのこと。白髪になってしまうと、VIO脱毛に限らず、脱毛全般ができなくなってしまうため、注意も必要だと思っています。「あのときやっておけば」を防ぐため、今のうちから動いてみました。あとは、結果が出るのみ。次はいつ行くかはまだ決まってはいないものの、飽きずに通っていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/Kumiko3(41歳)夫と小学生2人の4人家族。Webライター。子育てしながらの仕事は想像以上に大変。アラサーよりも疲れやすく、美容院では肩凝りを指摘され、夕方にはエネルギー切れ。白髪も生えてきて、毎日イライラするのはもしかして更年期!?それでも身だしなみは整えて、目指せナチュラル若見えキラキラ美人!
2023年09月06日自分の親やパートナーの親が要介護に、という現実はそう珍しくないでしょう。元気だった親が歩けなくなったり、認知能力が落ちたりする姿を見ると、「将来、要介護にはなりたくない」と思ってしまいます。健康寿命を延ばそうと国でもいろいろな施策をおこなっていますが、今回は国も注目する、日本人に不足しがちな栄養素を紹介します。産婦人科医の駒形依子先生にアドバイスをいただきました。教えてくれたのは…監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。★関連記事:要介護にならないために!日本人に不足しがちな「たんぱく質」をうまく摂取するコツを解説【医師監修】知っておきたい「フレイル」とは?要介護になりやすい状態のこと最近、メディアで目にしたり耳にしたりすることが増えた「フレイル」という言葉。どんな意味を持つのでしょうか。「フレイルとは、虚弱という意味を持ち、加齢とともに心身の活力が低下し、将来的に要介護状態となる危険性が高くなった状態をいいます。健康と要介護の中間に位置し、放っておくと要介護につながる危険が高まります。しかし、早めに気付いて適切な取り組みをおこなうことで、その進行を防ぎ、健康寿命を延ばせます」(駒形先生)。要介護というと70代、80代のイメージが強く、40代、50代の自分たちにはまだ先という気もしますが……?「健康とフレイルの間には、プレ・フレイル(前虚弱)という期間もあります。心と体のちょっとした衰えを感じ始める時期のことです。フレイル予防は、このプレ・フレイルの時期に自分の心と体の衰えに気付き、自分事として捉えることが第一歩とされています」(駒形先生)。フレイルを予防するには?たんぱく質を積極的に摂取フレイル予防には「栄養」「運動」「社会参加」が3本柱が必要とされています。中でも「栄養」について、厚生労働省は2020年4月に生活習慣病やフレイル予防を目的に、たんぱく質摂取推奨量を1日50gとしました。「女性ホルモンのエストロゲンには筋肉の再生機能もあるのですが、更年期にエストロゲンが減ることで筋肉の再生が鈍く、遅くなります。 例えば、今までと同じ生活をしていて筋力が“1”衰えていたのが、更年期になると“5”衰えるイメージ です。筋肉は合成と分解を繰り返していますが、その合成の材料になるのがたんぱく質です。筋力が衰えやすい更年期こそ、意識的にたんぱく質をとる必要があります」(駒形先生)。たんぱく質の効率的なとり方は?間食をたんぱく質に置き換え!「たんぱく質による筋肉合成は上限があるため、とりだめはできません。3食になるべくたんぱく質を多く含む食品を加えることが望ましいですが、できる方とできない方がいると思います。そこで、間食にたんぱく質をとるようにするだけでも、摂取量を上げることができます。パンやケーキ、お菓子を、ヨーグルトやサラダチキンにするだけでも十分効果的です。コンビニでも買えるもので手軽にとるのが長続きの秘訣でしょう。そして最後に。気を付けて欲しいのは、たんぱく質をとっても運動しなければ筋肉量は増えず、肥満の原因になるということ。筋肉量低下の予防は、たんぱく質の摂取と運動のセットで考えてください」(駒形先生)。まとめたんぱく質をとるだけではフレイル予防にならない……。食べるのは大好きでも、運動はできればしたくないという私にとって耳の痛い話でした。20年後、30年後も元気で若々しくいるには、まずは要介護になる可能性が自分にもあるという現実を捉えることの大切さを実感しました!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/岩崎みどり(49歳)ライター歴25年。35歳で第1子、38歳で第2子出産。最近、たるみが加速して二重顎が悪化。身長153㎝なのにLサイズの服が少しきつくなってきて……人生最後のダイエットを計画中。著者/監修/駒形 依子 先生2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。
2023年08月30日楽天等の通販サイトを中心に生活雑貨の卸・販売を行う株式会社テンダイ(本社:東京都中央区日本橋箱崎町、代表取締役社長:本間 淑浩)は、2023年8月24日(木)から、当社のInstagramアンケートで介護用品として支持を得た『トイレスリッパ』のX(旧Twitter)プレゼントキャンペーンを実施します。X(旧Twitter)プレゼント画像※キャンペーン詳細URL: ■X(旧Twitter)プレゼントキャンペーンについて※楽天リアルタイムランキング第1位:8月21日 17:20応募期間 : 2023年8月24日(木)~9月4日(月)応募方法 : フォロー&リポスト(1) @tendaitwをフォロー(2) キャンペーン投稿をリポストプレゼント内容 : トイレスリッパ 合計5名様当選者発表 : 2023年9月5日(火) ※当選者のみDMへお知らせプレゼント発送予定日: 2023年9月12日(火)キャンペーン投稿 : ■Instagramアンケートについてアンケート実施期間:2023年8月2日(水) (ストリーズ)アンケート内容 :「介護用スリッパどちらが良い?」アンケート結果 :TOILETマーク付きスリッパ…75%人型マーク付きスリッパ…25%アンケート画像■楽天ランキング取得実績について姉妹品の『トイレスリッパ』は、楽天の「スリッパ・ルームシューズ」部門リアルタイムランキングで第1位を取得しました。商品名 :トイレスリッパカラー :M:23.5~25.5cm(ベージュ) L:25.5~27.0cm(ネイビー)価格 :820円(税込)材質 :表地・甲裏:塩化ビニール(抗菌剤入り)底面 :合成ゴム販売サイト:楽天 楽天リアルタイムランキング受賞歴詳細:7月1日 02:50楽天リアルタイムランキング1位画像■その他介護シーンにオススメの商品について商品名 :抗菌カバー 低反発 クッション 三角 背当て ミントグリーン価格 :3,930円(税込・送料無料) ※一部地域除外サイズ :(約)幅 68.5×奥行 26.0×高さ 12.0 cm材質 :カバー:ポリエステル100%(抗菌加工・やさしく手洗い)中材 :ウレタンフォーム(洗濯不可)販売サイト:楽天 商品名 :抗菌カバー 低反発クッション 角座 ミントグリーン価格 :2,780円(税込)サイズ :(約)幅 40×奥行 40×高さ 4 cm材質 :カバー:ポリエステル100%(抗菌加工・やさしく手洗い)中材 :ウレタンフォーム(洗濯不可)販売サイト:楽天 商品名 :抗菌カバー 低反発 クッション 三角 ミントグリーン価格 :2,780円(税込)サイズ :(約)幅 38.0×奥行 22.5×高さ 10.0 cm材質 :側地:ポリエステル100%(抗菌加工・やさしく手洗い)中材 :ウレタンフォーム(洗濯不可)販売サイト:楽天 商品名 :抗菌カバー 低反発クッション ドーナツ ミントグリーン 円座価格 :3,580円(税込)サイズ :(約)幅 41×奥行 41×高さ 5.5 cm材質 :側地:ポリエステル100%(抗菌加工・やさしく手洗い)中材 :ウレタンフォーム(洗濯不可)販売サイト:楽天 商品名 :食事介護用 エプロン 3枚組※食事介護用エプロンは1枚販売もございます(色・柄は違います)カラー :ピンク系アソート(ライトピンク・サーモンピンク・ライトイエロー)グリーン系アソート(ライトグリーン・ライトブルー・ライトイエロー)価格 :3,680円(税込)サイズ :(約)長さ 99cm×幅 79 cm フリーサイズ材質 :ポリエステル(ポリウレタンコーティング撥水加工)洗濯 :40℃以下(塩素系洗剤・漂白剤不可) ※乾燥機不可販売サイト:楽天 商品名 :入浴介護用 エプロン ショート※ロングタイプもございます(総丈130cm・胴回り77cm)カラー :ピンク、ブルー、イエロー価格 :1,680円(税込)寸法 :(約)総丈:100cm胴回り :77cm材質 :ポリエステル(ポリウレタンコーティング撥水加工)洗濯 :40℃以下(塩素系洗剤・漂白剤不可)販売サイト:楽天 ■公式サイトについて・HP : ・公式Facebook : ・公式Instagram : ・公式X(旧Twitter) : ・販売サイト(楽天) : ・販売サイト(Amazon): ■会社概要商号 : 株式会社テンダイ代表者 : 代表取締役社長 本間 淑浩所在地 : 〒103-0015 東京都中央区日本橋箱崎町 東成ビルディング5階設立 : 1981年9月事業内容: 日用雑貨品、食料品、農産物、畜産品及び衣料品の小売、卸売ならびに輸出入業務資本金 : 100百万円【本件に関するお問い合わせ先】株式会社 テンダイ デジタル推進担当TEL : 03-6231-1306 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年08月24日頭痛と異常なイビキで病院に行った父。良性の腫瘍があることがわかり手術することになったのですが…まさかその後、突然家族を忘れてしまうことになるなんて。愛する人が変わってしまっても、愛し続けられますか?とはいえ腫瘍は良性。手術すればよくなるはずだったのですが…父は家族を忘れてしまったなんとか一命をとりとめた父。しかし…そして父は奇妙な言動を繰り返すようになりました。一生愛すと誓いあったはずの人に忘れられてしまった母。そして、父を介護する日々が始まります。母は娘たちの助けはほとんど借りず、ひとりで20年もの介護生活を送ったのでした。もう自分を愛してくれない夫との壮絶な日々を乗り越えた母の原動力とは?こちらは吉田いらこさんの体験をもとに2023年7月9日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に対する読者からのコメントをご紹介します。家族の気持ちに想いを寄せる読者の言葉元気だったのに突然家族を忘れてしまった父。多くの読者が人生のはかなさをかみしめていました。・他人事ではなく明日は我が身と考えさせられました。・健康で元気な状態でいることはすごいことなんだと改めて思います。・ある程度年取ると人間いつどうなるかわかりませんね。生きてることが不思議なんですよね壮絶な介護の現場。自身の経験を思い出した読者が目立ちました。その中でやはり国や公的機関のサポート、そして情報発信が大事だという声があがっていました。・ 私も、義両親が認知症になり大変でした。一番上の孫は、じいちゃんっ子だったんで、泣き出しました。徘徊するじいちゃんを原付で追いかけてくれたりと、いろいろ世話を手伝ってくれました。今でも思い出します。家族の結束と協力が必要だと思いました。家族が、全部負担するのは大変なので上手に施設の利用をおすすめします。・このコミックを読んで、いろいろ思い出しました。でもきっときっとご本人が一番辛いのだと思います。・ 認知症のリアルが描かれていて、勉強になります。私も20年以上前に、認知症の父の介護を経験しました。 当時は情報が乏しかったし、病気に関する周囲の理解も進んでいませんでした。 病気の本人はもちろん辛いと思いますが、家族の心のキズも計り知れません。 病気に対する理解を広めるために、ぜひ情報発信を続けて頂きたいです。・ 亡き祖母も認知症でした。読んでいて切ないですが、自分や身近な人が認知症になるかもしれない今、このマンガをスタートに理解を深めていくことの大切さにも気づかされました。・国全体でもっとサポートすべきかと。障がい者の家族の実情を少しだけ知ることができたので、自分ができることをしたい。寄付や傾聴くらいしかできないかも知れないが。母親はもっぱらひとりで介護をし、娘たちは独立した後戻ることも少なくなって、のちに主人公は母親に介護のほとんどを任せたことを後悔します。しかし読者からは後悔などしなくて良いと主人公を慮る声があがっていました。・老人福祉介護施設で働いています。 仕事でなら何回も聞かれても、笑顔で答えますが、自宅で自分の親に何回も同じことを聞かれたら、それはもう殴りたくなる気持ちになるのは当たり前です。このお話の中でまだ高校生の主人公には大変辛い経験だったと思います。・無事に育って自立するのが恩返しですよ。気に病むことはない。・お母さんお疲れ様でした。娘さん視点のようですが、お母さんからみれば大変な家庭環境で無事に立派な大人になってくれてそれだけでも助かったというような心境だと思います。お母さんが介護に明け暮れてる中自分は学校生活を続けて家を出て家庭を築いてお母さんに負担を強いたという気持ちもあるかもしれないけどそれは反面お母さんの望みでもあったはずですよ。子どもの幸せは親の一番の願いです。・作者の方の勇気に感謝します、ありがとうございました。高校生の頃の話が自分をみているようで泣きそうになりました。家族のことを周りに言いづらいし、相手の負担になるから結局言えない。でも誰かにわかってもらいたい気持ちもある。自分だけで抱えるのは重過ぎる。・私の父は転倒して頭を強打、その後しゃべることができなくなり、だんだん歩くこともできなくなり寝たきりになりました。元気な時は大きな声で私の名前を呼んでいたので、もう一度名前を呼んでほしいと言う気持ちがあふれました。父と重なり涙がが出ました。 寝たきり、誤嚥、胃瘻、延命、私も経験しましたが決断するまで調べたり悩んだり本当に辛かったです。お母さんは強くて優しくて、長年の介護、本当にお疲れ様でした。 素晴らしい作品をありがとうございました。愛する家族が突然別人のようになってしまい、自分のことを忘れてしまったら…? それでも、相手を愛し続けることはできるのでしょうか…?▼漫画「若年性認知症の父親と私」
2023年08月22日