小学2年生だった次男がいじめにあう発達障害の中でもADHDとASDのほか、躁鬱病(双極性障害)がある猫ママ(仮名)さん。学生時代はまだ発達障害や躁鬱病が今ほど世の中に知られておらず、周囲の理解が乏しい中、「突然落ち込んで動けなくなる」ことが多かった。「あの子は怠け者」。夏休みの宿題もやり切れたことがなく、いつも「頑張らなきゃ」と無理をしていた。高校卒業後、1年余り会社勤めを経てすぐに結婚。3人の子宝にも恵まれた。ただ、当時小学2年の次男が日に日に元気がなくなっていくのを見て、違和感を覚えていた。すると授業参観の日、担任教師から「お子さんが友達に対して注意をすることが多く、反感を買っている。その話を本人にしたら、最近元気がなくなってしまった」と言われたという。しかし、詳しく状況を確認をしたところ、担任教師の対応がクラスのいじめを助長していたことが発覚。学校に事実を伝え、事態は収拾したものの、猫ママさんの心に引っかかったことがあった。「友達に注意をすることが多い」とは――。周囲に自閉スペクトラム症のある子どもがいたことから発達障害の勉強をしていたという猫ママさんにとって、次男の特性があてはまることに気付いた瞬間だった。Upload By 桑山 知之「勉強もできて友達だってたくさんいる、こんなにいい子なのに、発達障害だなんて有り得ないって最初は思いました。でもある日、夕飯を作っていたときに肉じゃがを見て次男が『これ、何ていう食べ物だっけ?』って言ったんですよね。何度も食卓に出している献立の名前も知らなかったのか、今まで意識したこともなかったのかと――それで次男にはなにかあるという確信に変わったというか。でも、どこか気持ちが軽くなったんですよね」(猫ママさん)その後、学校でのルールに耐えられなくなり、眠れない日々を過ごしたという次男。診断の結果、ADHDとASDがあることがわかった。「しんどいからできない」のか「甘えている」のかが分かりづらく、叱るのを躊躇した時期もあったが、特性を深く理解することで線引きがわかるようになったという。息子が苦手なことは自分も苦手――自身も発達障害の診断をUpload By 桑山 知之次男のあと、長男や三男の障害も明らかになった。そして猫ママさん本人も35歳のころ、診断を受けた。夫は診断こそ受けていないが、息子の担当医によれば「間違いない」という。こうして“発達障害一家”として歩んでいく決意を固めた猫ママさんは、子どものサポートに徹しようと仕事をせず、書類や水筒を忘れたらいつも学校まで届けた。「家族のサポートをする上で、私自身の苦手分野と彼らの苦手分野が被りすぎていることは、ハッキリ言ってかなりの負担です。誰か1人でもいいから、片づけができるといいんですが…。彼らの負担を軽くするために、彼らがどうしてもできないことはやってあげたいと思っています。ですが、私も同じようにどうしてもできません。私だってできることなら誰かに頼りたい」(猫ママさん)Upload By 桑山 知之思い返してみれば、猫ママさん自身も子どものころ、空気が読めなかった。周囲の様子をきちんと理解できていなかった。相手の表情や、何を喋っているか、あらゆる情報が今でもほとんど思い出せない。でも母親や教師からはよく怒られた。当時を知る高校の同級生からは「あのころはマシンガントークがすごくつらかった」とも言われた。どうやら、しょっちゅう友達の間に割って入って自分の話をまくしたてていたらしい。発達障害一家だからこそわかること「ゆっくりだけど、みんな学んでいる。」これはドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の中に差し込まれたコピーだ。猫ママさん一家も、決して例外ではない。Upload By 桑山 知之社会には、どうしても守らないといけないルールや、やらないといけないことがある。しかし、発達障害のある人にとって、「できないこと」や「わからないこと」があるのも事実。猫ママさんは、自分なりのペースで「誠意を持って生きる」ことが大切だと話す。「そもそも、自分が何をわかっているのか、わかっていないのか、わかっていないことがわかっていないというか。それダメだよって言ってくれれば、ダメなんだってわかるんだけど、言われなかったり酷い目に遭わなかったらわからないんです。そういう人多いんじゃないかな、ラインがわからない人。感覚としてわかんない。備わっていないんです」(猫ママ)Upload By 桑山 知之苦しんで育ってきた自分だからこそ、息子3人が一体どういったことに苦しんでいるのかがわかる。そのサポートをしながら、親がレールを敷くのではなく、本人の意思を尊重してきた。そのうえで、子育てにおいて大切なのは、「何ができるか」ではなく、「愛される人間であること」だという。「いちいち他人を敵に回すようでは、困ったときに助けてあげようと思ってもらうことはできません。逆に、できることが少なくて手がかかっても、いわゆる憎めない人には、ピンチのときに誰かが必ず助けてくれると思うんです。特性ゆえにわからないならなおのこと努力が要るのではないでしょうか。そのためには、障害を受容し、許容することが大前提になるのだと思います。まず親が一番最初に、わが子をしっかりと受け止め、許容すること。できないことを受け止め、その中で一緒に歩いていくこと。そしていつか必ず『手を離す』覚悟を持って」(猫ママさん)長男は25歳になり工場用機械を作る会社に就職。次男は21歳で名古屋のアパレルショップで働いている。三男は全日制の高校に通う1年生だ。猫ママさんは10年前から、発達障害や家族のことを知ってもらおうとブログなどを通じて発信を続けている。特性と躁鬱の症状で仕事は途切れがちだったが、現在はクローズ(※障害があることを申告せずに一般雇用で就労すること)でサポート側として2年半継続して勤務している。ゆっくりだけど、みんな学んでいる。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文/桑山知之取材協力/若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・三木先生より)「誠意をもって生きること」「愛される人間であること」はすごく大事ですね。どういった苦手さを持っているかももちろん人生に大きく影響するのですが、その困難に直面したときに誰かに助けてもらえたり許してもらえるようなキャラクターだったり振る舞いができたりすることは、実は何よりも強い武器なのかもしれません。
2021年12月22日小学3年生のころUpload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)がある息子リュウ太が小学校3年生のときに親子で教育相談所(※)に通っていたときのことを書きたいと思います。※「教育相談所」は、地域の教育委員会が設置している相談機関。地域によっては「教育センター」という名称の場合もあります。ほっとできる場所がなかった息子Upload By かなしろにゃんこ。このころの私は、勉強にやる気を出さない息子に対して、嫌がっている塾に無理やり行かせたり、宿題ができるまで厳しく接してしまうこともありました。同じ年頃の定型発達の子どもと同じように課題に取り組めるようにしなければならないと焦っていたのです。思い返すと厳しすぎる親だったと思います。一方でこのころの息子は、家庭では勉強のことなど厳しく言われ、学校ではお友達とのトラブルが多発していました。家庭でも学校でもほっと安らげるときがなかったのではないかなと思います。今思えば、特性が原因でうまくいかないことを親も理解できていなかったために叱られたり、友達とトラブルになったりしていたのだと分かります。しかし、まだ子どもの特性とその支援がよく分かっていなかったこの当時、イライラしている息子に対してどうしたらいいのか、どこに頼ったらいいのか私自身とても悩んでいました。そんなとき小学校の担任の先生の勧めで、地域の教育相談所に親子で通うことになりました。これが私たち親子の最初の公的な支援機関との関わりでした。そこで母の私は相談員の方と育児の相談・カウンセリングを受け、その間に息子はサポートルームで指導員さんと過ごしていました。※地域によって相談室・サポートルームの有無や利用のしくみは違うため、お近くの教育相談所(または教育センター)にお問い合わせください。サポートルームでは息子が過ごしていたサポートルームは、6帖ほどの畳の部屋でオモチャがたくさん置いてありました。そして優しい指導員さんがいて、一緒に遊んでくれます。どれでも好きなオモチャで遊んでよく、どんな遊び方をしてもOKでした。子どもが遊びを通して「自己肯定感を育む」場所なのだそうです。Upload By かなしろにゃんこ。そこでは、指導員さんは息子がやることに一切否定的なことを言いませんでした。「そうだよ、それでいいんだよ!その遊び方や考え方でいいんだよ!」と絶賛してくれるのです。学校ではトラブルが多発し、家では母や父にガミガミ叱られることが多かった息子にとって、最高の場所だったようです。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。私の育児相談やカウンセリングをしてくださった相談員の先生は、私が話す家庭の情報から今の息子にとって必要なことを導き出し、サポートルームで”息子が安らげる時間”を提供してくれたのだと思います。小学校3年生から5年生の2年間、隔週1時間お世話になりました。Upload By かなしろにゃんこ。小学5年生のときUpload By かなしろにゃんこ。小学5年生のときに「リュウ太くんはもう大丈夫、ほかにもこの場所に来るのを待っている子がいるからバトンタッチしようね」ということで、サポートルームに通わなくなりました。最後の日に息子は「ここ好きだったのに寂しいな…」と言いました。息子に発達障害があるかもしれないと分かってから、いろいろな支援機関に足を運びました。息子は親に連れられて仕方なく支援機関に通っていた感じに見えたのですが、このとき息子がサポートルームに毎週来ることを楽しみにしていたんだと分かってほっこりしました。困っているときは頼っていい。大丈夫になったらそっと離れても心配ない。Upload By かなしろにゃんこ。息子をまるごと受け止めて接してくれたサポートルームの方々と、その場所が好きだったいう息子の様子を見てから、私は公的な支援機関を頼ることに抵抗がなくなりました。困っているときは頼っていい。大丈夫になったらそっと離れても心配ない。この経験から、現在も息子にも「困ったら公的な支援機関に相談しようね!」と気軽に話すことができるようになりました。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)子育てに行き詰ったときについ感情的になってしまったりすることは多いと思います。また、支援機関に行くことは勇気が必要ですし、その間お子さんはどうしようと悩むこともあると思います。かなしろさんが体験されたように、保護者もお子さんも支援してもらえる場所もあります。地域によって相談室やサポートルームなどの有無やしくみは違うため、すべての教育相談所(※)がかなしろさんが体験されたようなシステムをもっているとは限らないので、お近くの相談できる機関や親の会などから情報を得るといいかもしれません。※「教育相談所」は、地域の教育委員会が設置している相談機関。地域によっては「教育センター」という名称の場合もあります。
2021年12月21日「助けて」運良く空きがあった発達クリニックへ2歳の後半からほぺろうの癇癪は悪化。一日のうち10回は癇癪が起爆し、一回につき1時間ほど引きずるという毎日を繰り返し、当のほぺろうも、つき合わされる私も満身創痍でした。さすがの私も「成長を待てば何とかなるものではないかも」と察し、誰かに助けを求めなければと思い始めました。調べてみると、ちょうど近所に発達クリニックがあったので意を決して電話。一般的に発達クリニックは予約を取るのが大変だと聞いていたので、半年は待つことを想定していましたが、運良く「2週間後に空きがあります」との返事に私は飛びつきました。Upload By ぼさ子初めて訪れた発達クリニック。病院っぽい佇まいを見ただけで、ほぺろうは案の定、大号泣!!パニックを起こし、抱きかかえるのも至難の業でした。待合室に検査の人が来て「こんなに泣かれては検査できません。本当に今日検査しますか?」と聞かれました。そう言われて「発達検査って、泣かない子しか受けられないものなの!?」と頭をよぎりましたが、当時の私は発達クリニックをよく知らなかったので、この時点で「ほぺろうは発達クリニックでも手に負えないんだ」と愕然としました。でも今日を逃したらもう予約は取れないと思った私は、「すみません、すみません…やれることだけでもお願いします」と必死にお願いしました。Upload By ぼさ子ほぺろうに検査は到底できないので、暴れるほぺろうを抱えながら行った”保護者の聞き取り調査“。待合室中にほぺろうの泣き声が響き渡り、ほかの患者さんやクリニックに申し訳ない気持ちで心が折れそうでした。検査の人にも「今日は無理じゃないですか?」と何度か声をかけられましたが、当時の私はほぺろうの困りごとを助けてほしくて「聞き取り調査だけでもお願いします!」と必死でした。しかし、やがてベテランらしきスタッフが登場し強い調子で言われました。「こんなに泣くなんて、すごい声」と。お子さんは連れてこないでさらに、「聞き取り調査の結果は10日後に出ますが、説明が泣き声で聞こえないのでお子さんは連れてこないでください」と言われました。結果が出る日は夫にもほぺろうを預けられないことが分かっていたので、「どうか子ども連れでもお願いします」と私は頭を下げましたが、「無理なら諦めてください。その日しか予約は取れませんよ」と言われてしまいました。そして当日、嫌な顔をされると分かりつつ この日しか話を聞けないということなので、号泣するほぺろうを抱えて再び来院。待合室に入るなり、「詳しい説明はいらないでしょう」と言われてしまい、そのまま追い返されるように帰りました。Upload By ぼさ子「今 本当に困っているけど、ほぺろうもしんどいし周りにも迷惑かけるから、ほぺろうに手がかからなくなる日まで診察は諦めるべきなのかな…」そのときすでに心身擦り減っていた私は、何が正しい判断か分からなくなっていました。そして「私たち親子は、発達クリニックにも助けてもらえない存在なんだ」と、ますます孤独が深まりました。Upload By ぼさ子クリニックが変われば対応も変わる時が経ち、その後、引越しを機に現在お世話になっている発達クリニックを発達支援センターより紹介してもらいました。そこでもほぺろうは変わらず大号泣。申し訳なさすぎて、以前の発達クリニックでの経験から「次回から先生のお話だけの日は、息子を夫に預けてきた方がいいですか?」と恐る恐る聞いてみました。すると先生が、「お子さんの様子を見るのも診察のうちなので、なるべく連れてきてほしいです」と仰ってくださり、存在を否定されなかったことに私は目頭が熱くなりました。Upload By ぼさ子医療・療育関係のみなさまへの願い初めて発達クリニックを訪ねてから数年が経ち、優しく親身になってくれる方々にたくさん出会うことができました。今なら「初めて行った発達クリニックは、配慮がなかったな」と思うことができますが、何も知らなかった当時の私は、発達障害のある子を助けてくれるはずの機関に見放されるなんてと思い詰めていました。あのような対応は滅多にないと信じたいですし、現在お世話になっている発達クリニックのような対応が一般的なのかもしれません。『もしかして発達障害?』とわが子の発達に心配を抱える親子は、おそらく診断が出る前が一番精神的に不安定なのではと想像できますし、心身がすでにボロボロになっている可能性が高いと思うのです。医療機関や療育関係のみなさまにとっては、数多くいる相談者の中の一組かもしれません。でもその一人ひとりの親はわが子を心配し、とまどい悩み必死です。どうか保護者の気持ちにも寄り添っていただけたらと願ってやみません。Upload By ぼさ子執筆/ぼさ子(監修:初川先生より)あぁ、なんと最初のクリニックのひどいこと…!!拝読しながら衝撃を受けました…!困っているから受診しているのに、そんな親子をさらに追い詰めて、一体何がしたいんだと怒りすら湧いてきます…。同じ支援者界隈の人間として、つらい思いをさせてしまったことをお詫びしたいくらいです。ほんとにもう…!さて、しかしながら、残念な支援機関や医療機関が存在するというのは、私も各所で耳にすることです。それを回避する方法として、一つには、地域の相談機関や子育て支援機関にまず相談して、その中でおすすめの医療機関など地域の情報を得るという方法があります。行政の相談窓口だと、特定の医療機関をおすすめすることは実は難しいことですが、それでも実際には、「このあたりの人がよく受診する医療機関」については教えてくれたりします。ぼさ子さんが最後のイラストで描かれているように、「子どもの安心って親の安心からつくられる」はまったくその通りです。保護者の方をまず支えるのが支援機関の最低限の務めだと思います。クリニックであれ、相談機関であれ、最初に訪れる際にはとても勇気が要ったことと思います。「相談に来てよかったです」や、「あのとき勇気を出してよかったです」と感じていただけるのが支援者の使命だと多くの支援者は思っています(なのにほんとに、どうしてあんなことに…!)。みなさまが良き支援者・機関と出会えることを祈りつつ、支援者として気が引き締まるお話でした。
2021年12月17日どう接したらいいのか分からない1~2歳のむっくんは言語発達や身体的な発達は一般的な目安通り進んでいましたが、歩くようになったころから多動が強くなり、じっとすることが難しくなりました。何かに興味を示したら、手を振り払って道路に飛び出そうとしたり、手が振り払えないように強く握っていると今度は自分の腕が抜けるまで引っ張ったり。いつも本気で追いかけていないと身の安全を守ることができませんでした。また偏食、入眠の難しさや、たびたびの激しい癇癪に途方に暮れることもありました。私は育児に疲弊しきって、1歳半健診で医師に相談しましたが元気な子だねと言われただけ…。2歳過ぎには当時住んでいた市の育児相談先にも相談しましたが、お子さんから離れる時間をつくりましょうというアドバイスのみ。このころは出かけることも億劫になり、自宅でひたすら子どもへの接し方をネット検索していたように思います。Upload By ウチノコ発達障害があるに違いないあるときふと思い立ち、困っている内容に『発達障害』というワードを組み合わせて検索してみました。すると次々とヒット!当時の私はむっくんに発達障害があるか否かには興味はなく、とにかく現在の困り感を緩和したい気持ちでいっぱいでした。ようやく求めていた情報に出合うことができて、未来が明るくなったような気持ちさえしたものです。Upload By ウチノコただ当時は夫の転勤で引っ越したばかり。慣れない土地で勇気を出した相談も「大丈夫」と言われてしまい、心が折れていました。再び第三者に相談する勇気が持てないまま、日々をなんとかやり過ごしていたように思います。そんな中、夫が3年間海外に行くことになり、私は子どもと共に実家に身を寄せることに決めました。住み慣れた土地に戻り、両親の助けが得られるようになったことから少しずつこわばっていた心もほどけていきました。Upload By ウチノコ集団生活の始まりやがて3歳になった息子は園での集団生活を始めます。すると、家庭以上に接し方の難しさが目立つようになりました。教室から脱走はしょっちゅうで、そもそも自分の席に座りつづけることが周囲の子どもたちのようにはできませんでした。製作などみんなと同じ活動を行うことを嫌い、自分の好きなように自由にふるまうことも多かったようです。癇癪も相変わらず起こしやすく、先生や周囲の子に手が出てしまうこともありました。Upload By ウチノコただ入園したことで、息子への関わり方の難しさを保育士さんと共有することができました。私はやっとむっくんのことを安心して第三者に相談できるようになったのです。保育士さんに相談するうちに発達障害がある子のための支援がいろいろとあることを知りました。支援体制を整えるためには専門の病院にかかり息子に必要な手立てをアドバイスしてもらうことが必要だと知り、3歳過ぎにやっと専門病院にかかることができたのです。診断の先にあったものその後、むっくんは自閉スペクトラム症(ASD)とADHDの診断を受けました。さらにむっくんは感覚過敏が強く、つらい思いをすることが多いだろうとの指摘を受け、今まで関わりが難しかった理由を私はやっと知ることができました。Upload By ウチノコむっくんのように理由の見えにくい癇癪や他害が目立ってしまうと、周囲から繰り返し叱責されるなどの「無理解による不適切な対応」を受けやすくなります。結果それが本人を苦しめることになり、ますます状況が悪化することもありえます。診断前は、私もたくさん「不適切な対応」をしていました。だけど、診断を受けて発達障害を学ぶことで、息子への「不適切な対応」を少しずつですが変えていくことができました。また、保育園では保育所等訪問支援などの専門家による支援を受けて、適切な対応の周知や環境改善を行っていき集団生活での状況も確実に変わっていきました。診断のおかげで、周囲の大人が知識を得て変わることができ、むっくんのつらさが和らいで状況が変わっていったのだと思います。今、悩んでいる方へ育児の悩みを人に相談することは、なかなか勇気が必要です。その上、多動があると子どもから目を離しにくいため落ち着いて相談する時間さえ取りにくかったり、他害は周囲の目が気になってしまい相談しにくいこともあります。私はなんとか相談したものの受け入れられず、結局孤立を選びました。だけど、孤立は人を必要以上に追い詰めます。追い詰められた中で状況を変えることはとても難しいです。だから、私は発達障害があるか否かを考えるよりも、まずは安心して相談できる場所や人を諦めずに探すことが大切な気がするのです。私が保育士さんに出会えたように、理解してくれる人は必ずどこかにいます。今、育児に悩んでいる方が安心して相談できる誰かと繋がっていることを私は願っています。執筆/ウチノコ(監修:鈴木先生より)本来はすべての自治体で専門的に相談できることが理想ですが、なかなか医療とのつながりがありません。診断することで「不適切な対応」が少しでも変えられれば、早期介入・診断が重要となります。本来なら1歳半や3歳児健診のようなメジャーな健診で専門医につなげる必要があるのですが、人脈などのパイプが担当医や担当保健師さんにないと「様子を見ましょう」という決まり文句で経過を見ないで終わっている現実があります。自治体で専門医による定期的な神経発達症の勉強会が行われていないことが問題なのです。
2021年12月16日子どもの”発達障害がある可能性”に気づいた、私の母のケースUpload By 丸山さとこ私には発達障害のある小6の息子がいます。また私自身、大人になってから(息子が生まれる前)自分に発達障害があることが分かりました。息子のコウは、幼少期から「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの発達障害あるあるの行動がよく見られましたが、私は3歳児健診まで息子に発達障害があることに気がつきませんでした。一方で私の母は、私の幼少期に「娘には発達障害があるかもしれない」と感じていたそうです。今回は、私自身の幼少期と母が感じていたことについて書きたいと思います。私と発達障害の関係の始まりは、私が幼児だったころにさかのぼります。今よりもずっと発達障害に関する情報が少なかった昭和50年代でしたが、私の母は「娘は何かしら発達に障害を抱えているのではないか」と感じていたそうです。幼いころの私について、母は「言葉の発達は早いものの言葉づかいが子どもらしくなかったり、力は強いのに歩く姿が不器用でよく転んだりしていたのが気になっていた」と言います。その母は、『さとこが少しでも歩きやすいように』と”少しでも軽い靴を探す”などの工夫をしていたそうです。Upload By 丸山さとこ幼いころの私に対して、コミュニケーションの遅れは特に感じたことがなかったそうです。しかし「とにかく子どもらしくないような違和感があった」「甘えない・後追いをしない・大喜びをしない・おままごとをしない、などの行動に引っかかりを感じていた」と母は振り返って言います。幼いころのコウのように「物を並べる・オウム返し・目線が合いにくい」などの、分かりやすい発達障害がある傾向は見られなくとも、母は私の”日常の中のささいな姿”に対して違和感を覚えることが増えていったそうです。Upload By 丸山さとこ健診で総合病院に行った際など、母は何度か娘の発達に関する違和感について医師に相談してみたそうです。しかし「知的にも順調に発達しているし動作にも問題は見られない」と言われ、”不安症な母親への軽い子育てアドバイス”をもらってその場は終わったそうです。私はその後、成人してから発達障害(ASD・ADHD)の診断を受け、現在ではADHD治療薬を服用しています。今になって振り返れば、幼い私に対して母が抱いていた違和感は正しかったわけです。Upload By 丸山さとこ保育園に入園してからの私は、”指示の通らなさ”や”こだわりと見られる行動”によって集団の中でも目立っていたそうです。現在の基準であれば「発達障害がある可能性」を指摘されたかもしれません。ですが、母が違和感を抱き始めたのは私が未就園児のころであり、集団の中での違和感が目立つよりも、もっと早い段階の話だったのです。『なぜ違和感に気づくことができたのだろうか?』と先日改めて母に聞いたところ、意外な…けれど、とても腑に落ちる答えが返ってきました。”自分の子ども”以外の子どもと接することで、分かることもある!?現在60代の母が若かったころは今より子どもの数が多く、近所や親戚の子どもを預かったり見かけたりすることもかなり多かったそうです。公園や広場や園で見かける姿とも少し違う、子どもたちの”家庭での素の姿”を目にする機会も多かったため、経験から漠然と『個性はいろいろあるけれど、子どもには大抵こういうところがある』という”一般的な子ども像”を持つに至っていたのだと思う…と母は言いました。Upload By 丸山さとこ「だから、さとこを育てていて『子どもなら多かれ少なかれするはずの行動をとらない』ことが引っかかったんだと思う」「発達障害の知識はなかったけれど、とにかく子どもらしくなくて妙だな~…と感じていたよ」…と続く母の話を意外に思いつつ、同時に「あ~、でも、ちょっと分かるかも! そういえばそういうことあったな!!」と思い、私はヒザを打ちました。コウが小学生になったころ、未就園児だった親戚の子を預かったことがあります。そのときに「これが定型発達とされる子どもか~!」と発達の違いに驚いた経験があったからです。私も、大人になってからコウ以外の子どもに関わった経験がなかったわけではありません。親戚の子どものお守りをしたことや、友人の子どもと遊んだ経験はありましたし、コウが産まれてからは公園でほかの子どもの様子を見ることもありました。けれども、当時の私はコウとほかの子どもを比べたり周りを見たりする発想が(今以上に)乏しかった気がします。私自身に発達障害があるから…ということも理由かもしれませんが、単純に、初めての子育てで周りを見たり比べたりする余裕がなかったからなのかもしれません。Upload By 丸山さとこそんな私であっても、3歳児健診のおかげでコウが発達障害である可能性に気づくことができたので、「今の時代でよかったな~」と思います。周囲と比べて焦らなくてもよいと考えてはいますが、その時々のコウの発達状況における"必要な手立て"が見つけられるように「『周りの様子』と『コウの現在位置』を見ることは大切なんだな~!」と思う私でした。執筆/丸山さとこ(監修:井上先生より)幼児期は女の子の場合、男の子よりコミュニケーションの発達が早い傾向があるため、発達障害の特性は目立たないケースが多く、今のお医者さんでも女の子の発達障害を早期に診断するのは難しいものです。お母さんがこの当時、さとこさんの発達の偏りに気づいていたということは、周りの人と比較するだけでなく、さとこさん自身を本当によく観察されていたのだと思います。同じ母という立場で、自分の母親と子育ての話をする中で、これからもプラスのヒントが見つかるといいですね。3世代のよい親子関係性が築けているのがすてきだと思いました。
2021年12月09日休み時間のたびに友達とのトラブルが…Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は感覚過敏やストレスで教室にずっと居ることが難しいことがたびたびありました。休み時間はストレスから解放されてほっと一息いれたいところですが、小学校5年生のころは休み時間もほっと一息とはいかなかったようです。というのも、同じクラスにどうしても息子とトラブルになってしまう3人組がいたからです。3人は息子が気になるのか、休み時間になると近寄ってきて、息子がイライラするような言葉をわざとかけてきていたと言います。息子も反応しなければよかったのかもしれませんが、すぐにカッとなってしまうので、その反応が面白かったのでしょう、休み時間のたびにやり合ってしまうので、毎日とても疲れてイライラしていました。声をかけられないようにしようと、教室から外に出ても、3人組は、学校中追いかけてくることもあったようです。Upload By かなしろにゃんこ。私がPTAの用事で学校にいるときなどは、息子はPTA会議室まで逃げてくるほどでした。そんな様子を見て、私も「学校に通わせたくないな~、休ませようかな?」と悩んでいました。実は、このクラスメイトたちの行動を「いじめ問題」として取り合ってもらえない事情がありましたUpload By かなしろにゃんこ。息子は、たとえ相手が3人だったとしても、やられっぱなしにはならず言い返したり抵抗したりしていたため、「いじめ」の被害者としてとらえてもらうことができなかったのです。また、負けん気の強い息子なので、意地でも「ぼくはいじめを受けている」と先生に言いたくなかったという面もありました。また、わが家では低学年のころから親子で「暴力はふるわない」と約束をしていました。というのも、低学年のころにはケンカが原因でクラスメイトの家に謝罪に行く経験もあったからです。そんなこともあり、高学年になった息子は約束を守って耐えていました。息子が見つけた、「第2の居場所」Upload By かなしろにゃんこ。20歳になった息子に、このころのことを聞いてみると、当時、トラブルになるクラスメイトから唯一逃れられる空間を見つけ、そこで過ごすようになったということを話してくれました。息子は、授業が終わる少し前に教室を出て、「やすらぎルーム」と呼ばれる教育相談室に行って気持ちの調整をしていたのだそうです。教室にいることがつらいときなど、「やすらぎルーム」はいつでも利用ができる駆け込み寺のような癒しの空間でした。「やすらぎルーム」は、誰でも放課後まで利用ができて、机に座らなくてはいけないなど決まりはありませんでした。床で寝転んでもOK。本を読んでもOK。絵を書いてもOK。友達とボードゲームをしてもOK。Upload By かなしろにゃんこ。ただし、「静かに過ごさなければならない」という決まりでした。ですから、騒いだり暴れたりする3人組は入ってきません。「やすらぎルーム」に集うのは、比較的おとなしく静かなタイプの生徒が多かったようで、息子は静かに本が読めたりと、楽で居心地がいい場所だったと言います。とはいえ、ずっとクラスメイトとトラブルを抱えているわけにもいきませんから、私が相手の保護者に電話で事情を説明して、追いかけたり、からかったりすることをやめてもらえるよう伝えました。もちろんすぐに解決したわけではありませんでしたが、徐々に回数が減り、小学校6年生のころにはトラブルはほとんど起こらなくなりました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。担任の先生からは、息子とトラブルになる子は、息子と似たようなタイプの子だと報告を受けてきました。似た者同士で気になってしまうことは、やはりあるのかもしれません。息子は「あのやすらぎルームがあったからイライラしたとき、体がだるい日でも卒業まで乗り切れたという感じはしてる、あの場所すごい好きだったな」と、今は少しふっきれているようでした。教室で落ち着いて過ごすことができずつらかった時期に、教室以外の第2の居場所があってよかったと、感謝することは忘れずにいたいと思います。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:鈴木先生より)昔からあった「駆け込み寺」の学校版ですね。「やすらぎルーム」が校内で唯一やすらげる場としての役割がありますね。そこ以外でも校内で居場所があればいいのです。不登校児などには「保健室」が居場所の代名詞のように使われていますが、先生との相性の問題もあり、必ずしも保健室でなくてもいいと思います。第2の居場所としては、時には校長室・相談室・会議室などを避難場所に使う子もいれば、中には階段の踊り場に避難している子もいて千差万別です。重要なのはそういう第2の場所に避難できることと、その場所でも勉強できるという教員の理解と学校の保証が必要なのです。
2021年11月26日明治大学国際日本学部の山脇啓造ゼミ(多文化共生論)は12月8日(水)に、第9回なかの多文化共生フォーラム「多様性のあるやさしいまちを目指して」をオンラインで開催します。参加無料。東京を始めとする日本の外国人住民の数は新型コロナウイルスの影響によって若干の減少が見られるものの、依然としてたくさんの外国人住民が日本に暮らしています。今後も多文化共生の重要性はより高まっていくことでしょう。山脇ゼミでは今年度も多文化共生をめざした活動を多数行ってきました。中野区長と外国人留学生の懇談会や小学生や高校生向けワークショップ、さらにやさしい日本語学習のためのアプリ開発ややさしい日本語ラップのミュージック・ビデオの制作にも取り組みました。今年で9回目となる今回のフォーラムでは、第一部で今年度の山脇ゼミの活動報告を行い、第二部では、多文化共生を考えるトークセッション&パネルディスカッションを行います。身近な文化の違いから「多文化共生」について学び、理解を深める企画となります。第二部のパネルディスカッションには、外国人住民の多い芝園団地自治会事務局長の岡崎広樹さん、全国で多文化共生ワークショップを開いている株式会社Culmony CEOの岩澤直美さんにご登壇いただきます。今年度も昨年に引き続き酒井直人中野区長をお招きし、講評をいただきます。参加者の皆様にはオンライン(Zoom)でご参加いただき、「多様性のあるやさしいまち」をどのように目指していくか共に考えていただける場をつくります。■ 第9回なかの多文化共生フォーラム「~多様性のあるやさしいまちを目指して~」■日時:2021年12月8日(水)18:15~20:15■会場:Zoom■プログラム第1部 山脇ゼミ活動報告第2部 「身近な暗黙のルールから考える多文化共生」前半:参加者とゼミ生のトークセッション後半:有識者によるパネルディスカッション■主催:明治大学国際日本学部 山脇ゼミ■協力:中野区■参加方法:下記URLよりお申し込みください(締切:12月5日18時) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年11月24日接し方で大きく変わる!学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))のある子どもへの接し方のポイントUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害の子どもは知的発達に遅れがないため、自分に障害があると認識するのに時間がかかります。できるようになりたい気持ちはあるのにできないというモヤモヤした気持ちはとてもデリケートです。何気なくかけた言葉や行動が本人を傷つけてしまう場合もあるので、注意して接しましょう。そこで、3つの学習障害のタイプ別に、子どもへの接し方のポイントをまとめてみました。学習障害は一人ひとり特性の偏りが異なりますので、以下をヒントにさまざまな方法を試してみましょう。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。読字障害(ディスレクシア)のある子への接し方■文字を見やすくしてあげる例えば、文字を大きくしたり、UDフォント(※)を使うなどして分かりやすい字体にしたり、読む範囲以外の上下左右を隠したり、黒板のチョークの色をユニバーサルデザインのカラーチョークにしたりすることで、本人にとって文字が読みやすくなることがあります。ほかにも、文字が小さすぎて読むのが困難に見受けられる場合は拡大コピーなどの工夫が効果的です。また蛍光ペンで重要と思われる部分にだけ色をつけることで、読む情報量を調整できます。このような工夫により、文章を読むことに対しての抵抗感を減らすことができます。※UD Font (Universal Design Font:ユニバーサルデザインフォント )ユニバーサルデザインに基づき「できるだけ多くの人が利用可能であるように」をコンセプトに配慮や工夫をしてつくられたフォントです。Upload By 発達障害のキホン■音声にする耳からの情報は理解できることが多いため、問題文などの文章を音声にして聞かせると宿題がはかどることもあります。教科書を見ながらその音声を聞くことにより、文字・音・意味が繋がる可能性があります。最近では電子教科書もあり、音声での読み上げシステムが備えられているので活用するのもよいでしょう。■ふりがなや分かち書き、スラッシュを利用する漢字などが分かりづらい場合、ふりがな(ルビ)を振ることが効果的な場合もあります。教科書にふりがなを振ったり、テストにふりがなを振ってもらうのも効果的な場合がありますが、学校の先生の理解を得ることが難しいこともあります。また、文章のどこまでがひと固まりなのか理解できないことがあります。このような場合はまとまりごとに空白を開ける「分かち書き」をしたり「スラッシュ」(/)を引いたりして、どこが文章の区切りとなっているのか、明確に表してあげると文章を読みやすくなることがあります。Upload By 発達障害のキホン■スマートフォン・タブレットなどのICTを活用するスマートフォンやタブレットを使うと、文字を拡大できたり、音読機能があったりと便利です。学校の理解があれば、板書を写真撮影したり、録音機能などにも利用できます。学習用の無料アプリなどを使って楽しく勉強することも可能です。■書字表出障害との合併に注意した対応を読字障害がある場合、結果として文字を書くことにも困難を感じることもあります。以下の書字表出障害への対処法も試してみましょう。書字表出障害(ディスグラフィア)のある子への接し方■漢字を分解して、漢字のパーツごとへの理解を促す書くことを苦手とする場合、位置関係をつかむことを苦手としている場合があります。そのため、漢字そのものを覚えさせるのではなく、「へん」や「つくり」に分けそれぞれの意味を教えてあげることにより、漢字を覚えやすくなります。また、パーツを足し算して漢字をつくるゲームをするなど、楽しみながら文字を学ぶのも一つの手です。パーツの配置のバランスがつかみやすくなるので、漢字に対しての苦手意識が薄れる場合があります。Upload By 発達障害のキホン■視覚過敏を緩和するように支援する読字障害においても同じことが言えますが、視覚過敏がある子の場合、紙の白さを過敏に目が感じ取ってしまいます。文字の黒さと紙の白さのコントラストに目がちかちかしてしまうこともあり、長くノートに向き合えない場合があります。光の反射の少ない紙質など、その子に合わせたノートを選んでみるのも方法の一つです。■マス目やケイ線を用意する書字表出障害の子の中には、手先の不器用さが目立つ子もいます。大きなマス目のノートを用意してあげたり、文字のバランスをつかむためにリーダー線が入った漢字練習帳を使用するのも良いでしょう。また、黒板を見て書きうつすにわかりやすくなるよう、マス目黒板を使ってもらうのも効果的です。Upload By 発達障害のキホン参考:カラーマスノート(日本医療福祉教育コミュニケーション協会)■ICTを使用する書字障害のある子は、文章をすらすら読むことができても、書くとなると困難さを伴います。合理的配慮により、学校内でのスマートフォンやタブレット利用が許可されるところが増えてきています。学年が上がるにつれて学ぶ内容も難しくなるので、授業についていけるよう、タブレットなどのICTを利用してノートを取ったり、文字を書くことの代替となるものを利用するというのも有効です。算数障害(ディスカリキュリア)の子あるへの接し方■位ごとに色を変える算数障害の子は、2桁以上の計算をするとき、無意識に頭の中で位を入れ替えてしまうことがあります。位をまたぐ計算をするとき、位ごとに色を変えることによって、計算の混乱を防ぐことができます。一の位は赤で書き、十の位は青で書き…のようにルールを決めて計算に取り組むと、「赤は赤と足す」、「青は青と足す」という認識が生まれ、計算がしやすくなります。Upload By 発達障害のキホン■計算の際には枠を引いてあげる算数障害の子の中には、読字障害のある場合もあります。そのため数字の問題を読み取るときに困難を示す場合があります。二桁以上の計算問題を解くときは、どの桁がどの桁と計算すべきかを理解するために、桁ごとを分ける線を引いてあげるのもよいでしょう。Upload By 発達障害のキホン■視覚的な手がかりになるものを利用する算数障害の子は「数」という概念の理解に困難を示す子が多いです。そのため、おはじきなどを使って実際に数えて計算を行ったり、絵や図に文章問題を書き換えて理解を促すことも効果的です。Upload By 発達障害のキホン■電卓を利用する簡単な計算が理解できるようになっても、学年があがるにつれ内容が難しくなるので、授業についてくことが困難となってしまいます。ある程度算数の概念が理解できるようになったら、担当の先生に理解を仰ぎ、電卓の使用を許可してもらうのもよいでしょう。■ICTを利用するパソコンやタブレットなどを使って楽しく算数を学べるソフトもあります。算数に対して苦手意識を強く持ってしまうと、本人がさらにつらい思いをしてしまうので、まずは苦手意識を持たないよう、楽しく算数を学ぶということを意識しましょう。最近では算数を学べるスマートフォンのアプリもたくさん出ています。まとめ■その子に合った学び方を探す例えば、文字を読むことが難しい子どもでも、耳から入ってくる情報であれば覚えることができる場合があります。その子どもに合っている情報のインプットの仕方とアウトプットの仕方を探しましょう。特に、ICTを活用した学びと相性がよい子どもが多いです。学習障害は、見方を変えれば視界が広がります。「できない」に目を向けるのではなく「できる」に目を向けることはとても大切なこと。人と同じではなくていいのです。子どもひとりひとりに合った指導法や接し方は、その子の未来を広げるだけでなく、今の親子関係も明るいものに変えます。専門家や周囲の人のアドバイスを元に適切な環境で学び、生活しやすい場所をつくってあげましょう。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年11月21日コウの発達障害に気づかなかった私Upload By 丸山さとこ以前コラムでも書いたことがありますが、息子のコウは幼児のころ、”発達障害あるある”とされる行動が多い子どもでした。「物を並べる」「回転するものを長時間見つめる」「パニックになり壁に頭を打ちつける」などの行動をよくしていたコウ。『そういう性格なんだな』『それが好きなんだな』と捉えていた私は、息子に発達障害がある可能性を考えていませんでした。Upload By 丸山さとこ当時は本当にそう考えていましたし、その言葉に嘘はありません。ただ、今改めて振り返ってみると、正確には「(診断されるレベルの)発達障害がある可能性を考えたことはありませんでした」と書くべきだったのかもしれません。今回は、その辺りの少し複雑な心境について書いていこうと思います。コウの発達障害に気づかなかった私私は、自分自身が大人になってから医師に「発達障害のある可能性は高いが、就労と結婚をしているので検査は不要でしょう」と告げられるという経験をしています。コウが未就園児のころには『発達障害の特性はグラデーションである』ことを既に知っていました。ですが、そのことはコウに対する支援を探すきっかけにはならず、むしろ「積極的に情報を取りに行かない理由」になってしまいました。Upload By 丸山さとこ自分の経験から「発達障害がある傾向があって生活上つまずきを感じたとしても、つまずきの程度がよほど重くなければ、診断を受けることはないのだろう」と考えていたのです。2歳の誕生日を迎えたコウは、発語自体はあるものの会話のバリエーションは少なく、決まった形の問いかけ以外に答えることはほとんどありませんでした。そのため、公園でコウに話しかけてくれた近所の子から「この子はどうして話さないの?」「大きいけど赤ちゃんなの?」と聞かれたこともありました。この時点で、保護者によっては既に違和感を覚えるような状況だったのかもしれないな…と思います。Upload By 丸山さとこですが、私は前述の経験から「よく笑い、目が合うこともあり、(ある程度は)意思の疎通が可能なコウは、発達障害がある傾向があったとしても診断を受けるほどではないのだろうな」と思っていました。発達の凸凹自体は何となく認識していたものの、「彼の凸凹は得意・不得意の範囲とされるものであって、発達障害があるとはいえないのだろうな」と考えていたのです。2歳後半になり”セリフとして覚えた2語文”を話すようになったコウは、言葉による要求も行うようになってきました。それは”覚えたセリフ”をカードのように使っている状態だったので、「オウム返しを使って望ましい状況を再現しているだけ」と感じた私は『これで会話が成立していると言えるのだろうか?』という疑問を少し抱きました。Upload By 丸山さとこそれでも、私と話すときのコウは言葉での意思疎通が可能なため「コミュニケーションがとれている」と言えなくはない状態でした。しかし、コウの話せる文章が増えるほどに違和感が増えていきました。その後、児童館で人から話しかけられたコウが”話しかけられたセリフ”を延々と繰り返したことをきっかけに「これは何かあるのかもな」と薄っすら思い始めました。そして、3歳児健診でハッキリと息子に発達障害がある可能性を告げられたとき、『このくらいでも”発達障害がある可能性あり”として対応していくのか~!』『確かにほかの子どもと様子が違うからな~!』…という2つの気持ちを同時に味わっていました。”意外に思う心境”と”納得する心境”が一度にやってくる印象深い体験でした。Upload By 丸山さとこ私自身、発達障害にネガティブなイメージはなかったことから「発達障害がある可能性」と告げられたこと自体に対しては大きな戸惑いもなく、「コウは発達障害がある可能性が高く、支援が必要なのだ」と認識が切り替わりました。そこからの私は、コウの発達に関して改めて情報収集をしつつ、知能検査を受けたり療育園へ申し込みに行ったりするなどの”支援のための行動”を開始しました。不安や迷いがなかったのは、『ありのままのわが子を受け入れる愛情深い母親だから』ではありません。状況に対応するだけで手一杯だった当時は、「必要だ」とされることを「必要なんだな」と思うがままに取り入れていっただけの、流されるままに進んでいくような日々だったな~…と思います。Upload By 丸山さとこ家庭では以前から「コウに伝わるように」と意識して接していたことから、発達障害がある可能性を告げられてからも接し方が大きく変わることはありませんでした。しかし、改めてコウの様子を観察しながら「なるほど、確かに”発達障害あるある”な行動なんだな…!」と納得したりしていました。「すべて今だから言えることなんだろうな」と思う現在の私です1歳半健診で「反応が薄いのでちょっと様子を見ましょう」と言われたときや、2歳の健診で「コミュニケーションに不安があります」と心理士に言われたときなど、今になって振り返れば、コウの発達障害にもっと早く気づけたチャンスは何度もあったのだろうなと思います。3歳児健診まではハッキリと発達障害の名前を出されなかったことや、療育園を勧められなかったこともあって、息子の様子は「個性の範囲なのだろう」という判断をしていました。ですが、それについても、私の方から「気になるんです・心配なんです」と専門家の先生に伝えていたらハッキリと告げられていた可能性もあったかもしれません。Upload By 丸山さとこ早く気がつけばもっと選択肢があったかもしれないし、コウにとってより適切な環境を用意できたかもしれません。一方、2歳まで住んでいた自治体には通える療育園がなかったことから、実際には早く発達障害があることに気づいていたとしても焦るばかりだった可能性もあります。可能性をあげればキリはありませんが、それらはすべて「今だから言えることなんだろうな」と思います。Upload By 丸山さとここれからも、さまざまな可能性の山をかきわけて右往左往しながら選択をしていく中で、「こういう選択肢もあったのか!」「もっと早く考えていれば…」と思うことは山のようにあるのだろうなと思います。選ばなかった選択肢の結果が分からない以上、”ベストな選択だったのかどうか”という判断自体があとからできるようなことではないのかもしれません。それでも、定期的に足跡を振り返って検証をしつつ進んでいくことは大切なのだろうと思います。せめて、「いつでも予想外の展開や方向転換はあるのだろうな」という覚悟だけは持っておくといいのかな~と思う、予想外の展開に弱い私でした。(監修:三木先生より)とても良い振り返りですね。とてもバランスが難しいところなのですが、「まあこんなもんかな」と思って気楽にすることと、「この子にはこれが必要だ」と意気込むことは両方とも必要だと思います。そういう意味では、結果的にいいタイミングで気づかれたんじゃないかなと思いました。
2021年11月18日最初に「もしかしたら発達障害かな?」と感じたのは小学1年生のころUpload By かなしろにゃんこ。小学4年生のときにADHDと広汎性発達障害と診断を受けた息子のリュウ太。「もしかしたらうちの子って発達障害かな?」と感じたのは小学1年生のころからでした。リュウ太が小学校に入学してすぐに集団行動ができないことで担任の先生から相談がありました。教室が落ち着かなくて机に座っていられずにソワソワしたりイライラして鉛筆をかじってしまうことがあり、鉛筆はいつもボロボロでした。思い返すと「発達障害なのかな?」と感じたことはいろいろとありますが、「ん!?やっぱり変わってるかも」と思ったのはクラスの子とのコミュニケーション。小学校低学年から小5まで、息子は半端なく人づき合いが苦手でした。それはこんなことからでした。相手の反応は気にせず、話し続ける息子Upload By かなしろにゃんこ。息子は学校から帰ってくると「みんな僕の話を聞いてくれない! 無視する!嫌がって文句言われる!」と頻繁に愚痴を言っていました。私は、(この子ってみんなに嫌われているのかしら…?)と思い心配しました。担任の先生からの説明ではこうでした。「リュウ太くんは早口でまくし立てるように話すので相手が圧倒されてしまったり、突然自分が話したい話題を前置きもなしに長く話すので話された子は困ってしまって、逃げてしまうことがあるんです。話したいことをセーブしたり相手の顔色を伺って話すことは、年齢的にもまだできなくても仕方がないのですが、うまくいかないと感じた経験から少しずつ周りの子とのつき合い方を覚えていけるといいですね」担任の先生からそう聞いてから改めて息子を見てみると、相手の反応を見て“今聞いてもらえそうか?話題に興味がありそうか?”などを考えいないようでした。そんな様子を見て「コミュニケーションが下手すぎるな」と感じました。特に低学年くらいの時期はまだ相手の気持ちを尊重してつき合うなどは難しいのかもしれませんが、息子の場合は特に自分の話題やタイミングがまずかったんじゃないかな?と考えずに同じことを何度も繰り返すことが多くありました。それでさすがに「この子は自分以外の人の気持ちや状況を判断する力が乏しいかもしれない、これって発達障害なのかも?」と思うようになりました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。こんなことを小3のときに担任の先生に相談した際に「教育相談所にお話ししてみませんか?」と勧められました。そして、市が運営する生涯支援センターの教育相談所に息子と通うことになります。そこから相談員の方に「発達障害の心配があるのならクリニックで検査を受けてみるのもいいですよ」と勧められて、クリニックを受診しました。でも、発達障害があることが分かっても療育が進むわけではなく、息子の人づき合いの苦手感は高学年になっても続きました。Upload By かなしろにゃんこ。周りの子と趣味が合わないことでも浮いてしまいます。複数の子に混ざって雑談の輪に入っても流行りの話題についていけずうまく混じれない。ですので、輪の中でも仲の良い友達とだけ話そうとするので雑談の雰囲気を壊してしまい、結果仲間に入れてもらえなくなってしまいました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。息子に雑談の空気について聞いてみると、一人ひとりの会話を拾って返答することが結構難しかったのだそうです。だから一対一でつき合う関係が楽なんだ、と。趣味の幅を広げられるようになった中2のころからはいろいろな人と話せるようになったと言います。小学生時代は人間関係でつまづいてしまったときに「自分のやり方の何がいけなかったかな?」と考えて、成長するスピードが遅くて失敗続きの息子を見ては心配してハラハラしていました。勉強ができない心配よりも友達とうまくやれないことが一番心が痛かった母でした。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:初川先生より)お子さんが帰ってきて「みんな話を聞いてくれない!無視する!」と訴えたら、とても心配になりますよね。その後かなしろさんは担任の先生のお話を聞いて、リュウ太くん目線の出来事と、周りの子目線での出来事の見え方の違いに気がつかれたのですね。自分の言動に自覚的であることはなかなか難しいので反省して次に生かすことはとても難しいです。そのために、特別支援教室などでは、スキルとして「人の話を聞く」「自分の好きな話をする」ことをロールプレイやゲームなどを通して学び、その後、生活場面での実践へと至ります。さて、お子さんが人づき合いで苦戦しているのを見ているのは保護者としてハラハラしますし、つらくなることもあると思います。お子さんがそのことについて家でこぼした際に、叱咤激励するのではなく、苦戦を労いつつ、「一対一で話すほうが楽」の話のようにお子さんなりの工夫を聞いてみるのはとてもいいですね。お子さんなりに試行錯誤するのを見守るのはハラハラしますが、そうして身につけたスキルは一生ものだと思います(※あまりにもお子さんが苦戦していてつらそうな場合は、担任の先生や教育相談所の方など、教育・心理の専門家にぜひその旨ご相談くださいね)。
2021年11月08日学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))の治療法・療育法Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害って治療できるの?治療と聞くと薬物治療を思い浮かべる方もいますが、今のところ手術や薬物などで医学的な方法による根本的な治療法はありません。学習障害における治療とは子どもの将来を広げるための手助けのようなものです。学習障害のある人は多くの場合、教育面・生活面での環境調整や療育といった支援で困難さが軽減されます。学習障害のある人は脳機能の偏りのため特有の見え方・感じ方をしており、生活上や学習上、努力だけで乗り越えづらい困難があります。そのため日々過ごしていく上で、周りからのサポートが必要になってきます。まずは学校や地域の専門機関などの力を借りて専門家チームの検査・評価のもと、子どもの特性を理解しましょう。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。学習障害なのではと感じたらどこへ相談すればいい?専門機関とは子どもの場合、発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所などを指します。大人の場合は発達障害者支援センター、障害者就業・生活支援センター、相談支援事業所へ行ってみましょう。まずは身近な相談できる専門機関に行ってみて、障害の疑いがある場合には専門医を紹介してもらうこともできます。また、家庭での対応も重要となります。子どもへの接し方は、子どものやる気や達成感を養い、うつ病や引きこもりなどのいわゆる二次障害を防ぐ上で大切な役割を担います。学習障害の発見が遅くなったり、誤った障害の理解により「自分は何をやってもできない」と子どもが思い込んでしまうことが原因となり、勉強意欲の低下、不登校などの二次障害と総称される症状や状態を引き起こしてしまう可能性も少なくありません。やる気、達成感を育てることは学習障害の子どもにとって最良の対応法といえるでしょう。学習障害の治療の判断基準は?いつから始めるべきなの?学習障害は知的発達に遅れがみられないことから、発見が難しくなります。そのため、実際に読み書きや算数などの学習が開始される小学校入学後に気づくケースが多くなっています。また英語だけに現れる学習障害の場合もあり、中学進学後に分かることもあります。このように特性のタイプや障害の程度によって症状に気づく時期が異なります。どのような症状があれば治療を行うべきなの?文部科学省の定義によると、学習障害(LD)とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD)」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」の3つに限定されます。このように読みに困難さがある人もいれば、読むことはできても、書くことに困難さがある人もいます。「学習障害」の状態や特性の現れ方は人によって異なります。子ども本人が学習に困難を感じていたり、同年齢の子どもと比べて著しく習得に遅れが見られるなど、子どもの様子から学習障害があるかもしれないと感じた場合は、まず学校や発達障害者支援センター、児童発達支援センター、児童発達支援事業所などで相談してみましょう。その後、専門家の検査により学習障害と判断されてから治療を行うのが一般的ではありますが、医師による診断がつかなかった場合や検査を受ける前であっても、その子に合った環境を整え、学習方法を見つけてあげることが大切です。治療を始める年齢は何歳?治療を終える判断基準は?学習障害があることに気づいたら、すぐにその子にあったサポートを進めることが望ましいです。学習障害にはいくつかタイプがあり、さらに一人ひとり、学習に得意不得意の偏りがあります。また、その人の現在の年齢によっても学ぶ内容は変わってきます。そのため、一人ひとりに適している治療や支援方法は異なると考えることができます。同様に、治療を終える判断もそれぞれです。通常学級で勉強をしながら、理解できなかった部分だけ通級指導教室で個別に指導を受ける方法もあります。学習障害の治療法・療育法早期発見・早期療育が望ましいとされる学習障害ですが、一体どのような治療法、療育法があるのでしょうか。今回はその方法についてご紹介していきます。◆学習障害の療育方法療育とは、社会的な自立をめざしてスキルを習得したり、環境を整えるアプローチのことです。このような療育は、発達障害を専門とする病院や公立・民間の児童発達支援事業所などで行われています。学習障害はその子の認知特性や苦手な部分によって、それぞれ直面する困難や課題が変わってきます。そのため、その子の特性に合わせた学習方法を獲得することが目的となります。療育法にはさまざまなものがありますが、学習障害の療育で最も大切なのは、その人に合った学び方や環境をつくることで、その人が困難を感じている分野に対する苦手意識を解消することです。苦手意識を持ってしまうと、その分野の学習に対して取り組む意欲がなくなり、困難は改善されないまま育ってしまいます。そのため、一人ひとりの子どもの成長速度や学び方に合わせて、できるだけ成功体験を増やしてあげることが大切です。つまり、子ども自身が「これなら学びやすい・学ぶことができる」という方法を探すということです。学校や療育施設などと連携し、学習方法を変えたり、環境を整えたりといった工夫を組み合わせ、さまざまな方法を試しながら、その子に合った学習方法を探していきます。・その子にあった覚え方や学び方を工夫する…クイズにして覚える、漢字のパーツを分けてパズルを作るなど・環境的な配慮をする…プリントはゴシック文字を使う、文字の色を変えるなど・代替手段を使用する…タブレットの音声読み上げ機能を使う、計算機を使うなど言葉や社会性など、それぞれの能力を習得する時期に近い段階で早期に療育を開始することで、障害による困難さが軽減されやすくなると考えられています。一般的に年齢が低い段階で、その子にあった療育を始めると、その後の社会適応力も高くなるといわれています。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年11月06日理屈では分かっているけど「ついやっちゃった」…!?Upload By 丸山さとこいろいろな経験から成長していく子どもの姿は、ときにもどかしくも嬉しいものです。児童精神科医の三木先生にお話をうかがっていく中で、経験から学習していくためには「問いを立てる力」や「振り返り」が大事なのだということを学んでいきました。以前のコラムでは、三木先生から「丁寧に構造化してフィードバックしていけば理解ができるお子さんのようなので、それは凄くよかったですよね」とあたたかいコメントをいただいた息子のコウですが、構造化やフィードバックを行うにあたって衝動性の高さが壁になりやすい現状があります。理屈では理解していることでも「ついやっちゃった」「何となく」と衝動性で動いてしまうことが多く、振り返りをするときは「分かんない…気がついたらこうなってた…」と言って考えが止まってしまうこともしばしばです。今回は、そんなコウの衝動性の高さに対してどう捉え、どう対処していったらいいのかを三木先生にうかがいました。丸山(以下、――)理解できたとしても衝動性に負けるというパターンがあって、今のところ「失敗させずに成功例を数多く積ませる」というのが効果的なようです。息子には「旨味を得たければ、手っ取り早く解決しようとせずに正攻法でいった方がいいよ」と伝えてはいるのですが、『面倒だから』『その方が手っ取り早いから』という気持ちの方が強く出るようです。Upload By 丸山さとこ――例えば…子どもが親の目を盗んで(ルールを守らずに)ゲームをすること自体は珍しくもないことだと思いますが、それはバレない算段があるからできることですね? アプリでゲーム機の使用状況が分かるわが家では「親に隠れてこっそりと」は成立しませんし、息子もそのことは分かっているので我に返ったときは後悔しますが、喉元過ぎれば…という状態が長く続きました。息子が「今日は調子がいいから(衝動的な行動を)我慢できそう!」と言う日はリビングにゲーム機を置いて、息子が「今日リビングにあったけど触らなかったよ!」と自慢をしてくるのを「約束守れたね」と褒める…ということを、少しずつ引き延ばしていって。今はリビングにゲーム機があっても勝手に触らないことがほとんどですが、たまに無断使用はありますし、約束の時間を過ぎることもあります。三木先生:ふむふむふむ。――ルールを守らなかったときは、「ルールは守らなくてはいけないね。どうしたらよかったのかな?」「何でやっちゃったんだと思う?」という感じで話をしています。「見えたからよくなかったんだと思う」と言う息子に「何かお母さん協力できることある?」と聞くと、「預かってほしい。なかったら触らないから」と言ったりするので、そういうときは、「預かる」という体で実質取り上げている状態になることもあります。Upload By 丸山さとこ――衝動性とのつき合い方の1つの方法としては、まず「今飲んでいるADHD治療薬を今後も飲み続け、年齢に合わせて増やす」「ほかの薬を試してみる」などの選択肢があると思いますが、服薬以外のアプローチとしてはどのようなものがあるでしょうか。息子が衝動性とつき合って行くためには、どのようにしていったらいいのかも知りたいです。衝動性に対しては、「前頭葉の発達待ち」が基本!?三木先生:いやーなんか、衝動性って本質的にはもう、前頭葉の発達待ちみたいなところがあると思うんですよね(笑)。なので、それを待つしかないよねっていうところと、あと、あんまり生活に不具合をきたすようだと、内服も検討しましょうかという話になってくるかな…。――『トイレトレーニングは膀胱の発達を待ってから』みたいな話になってきますね…。Upload By 丸山さとこ三木先生:そうですねえ。あとはまぁそれに加えて、見通しが立てられるタイプのお子さんだと、利害をできるだけ計算するようにする。ただそこで、未来の価値を過小評価するっていう「時間選好性」の問題が出てきます。これが衝動性の本質だと思うんですよね。そうなると、そこの割引率(過小評価をする程度)ってあんま変えられないんですけど、”未来にあるメリット”をできるだけ多く数え上げられるように、普段から思考するというか…まぁそういう思考になるように一緒に考えていくとかですかねえ。Upload By 丸山さとこ三木先生:あとはもう仕込みですよね。衝動的に行動しないように、目の前の刺激をできるだけ少なくするような環境調整を自分でするように、普段から心がけるという仕込み。――あぁー、じゃぁその「お母さんゲーム機を預かって」というのも、環境調整を自分で行うことのひとつでしょうか?三木先生:そうですね、それいいですね。衝動性の誘引になるものを、自分の環境から積極的に取り除く行動を自分でとるのはとても良い方法です。それは、問題を気合じゃなくて仕組みで解決するための環境調整を自分でやるということですよね。三木先生:そのほかの視点としては、価値観と文化の話みたいなのがあると思うんですけど、結局大人だってお菓子食べたりゲームしたりとかは、まぁある程度しょうがないなと思ってるから、子どももやる訳じゃないですか。もしそれが「死ぬほどまずいぞ」となったら多分みんなやらないと思うんですよ。それをやらない方がお子さん自身にとって価値が高いという判断になるので。――そのはずですが…息子がゲームに初めて出合ってしばらく2、3年の間は本当に凄くて。親がトイレへ行くとか台所へお湯を沸かしに行くとか、そういうレベルの『絶対に短時間で戻ってくることが分かる状況』であっても、視線が外れた瞬間に手を伸ばす時期があったんです。それで一瞬ゲームができたとしても、使用制限で最終的には損をすることは理解しているので、「やるんじゃなかった」とよく泣いていました。三木先生:それは、見通しがちょっと…いや、大分甘かったんですかね?――いえ、なんかもう…「『ゲームだ!』『あっ、できる!』って思った瞬間、それで頭がいっぱいになっちゃった。何も考えてなかった」と息子は言っていて。Upload By 丸山さとこ――先程お話した通り、ゲームに関しては以前よりも落ち着いている今現在の息子ですが、根本的にこの”衝動性の問題”は、ずーっとあるのだろうなと感じています。なので、親がどうサポートしていけばよいのかということだけでなく、”本人が自分の衝動性と今後どうつき合っていくとよいのか”というのも気になるところです。前頭葉の発達を待つ間に「衝動性のまま動いたら旨味がある」と強烈に刻み込まれてしまうと、後々訂正するのが難しいのではないか?というあたりも気がかりで…。発達待ちの期間をどうしのいでいったらいいのかな?と思います。三木先生:それは、少し前に出た、本人の今の理解がどのくらい分かるレベルなのか、できるレベルなのか、というのが判断の基準になると思います。親が介入すべきポイントって、結局実害が起きるときだと思うんですよ。特に、長期的なダメージがあるようなトラブルが起きるとき。なので、そこは僕は遠慮なく介入していいと思うんですよね。ただ、その方法は表面の年齢に合わせてっていうのはさっきの話と同じで…そこは親の仕事ですね。うちって厳しすぎ?子どもに対する”制限のかけ方”で迷っています――うちは”罰やご褒美がない代わりに制限がある”というシステムになっているのですが、息子にはその辺りをある程度率直に話しています。「包丁を安全に使えない子にいきなり包丁を使う料理はさせられないし、道路に飛び出しちゃう子は一人で公園に行かせることはできない。いろいろなことを経験するのは大事なことだけど、親としては死ぬような大ケガはしてほしくないから」と。Upload By 丸山さとこ――それで「成人までは、親が『今のあなたでは危ないな』と思ったことに関しては『これは渡せないよ、やらせられないよ』ってものが出てくるけど、そこは成人までの我慢だと思ってある程度ご了承いただきたい」とお願いしていまして。三木先生:そうですね。まぁ実際には成人してからも若干続くことはあるんですけど(笑)。一応目安としてはそう伝えたいですね。――はい、若干続くことはあるそうですね(笑)。だからこそ、年齢が進むほど、一般的な目線から見れば『子どもの年齢に対して妙に制限の厳しい親』と見えるのではないかという落ち着かなさや、実際に制限が厳しすぎるのでは?という不安はあります。なので、息子には「親という越権行為をある程度はご了承いただきたい」とお願いしています。三木先生:あ~、うん。全然いいと思います。――具体的には、息子は片付けが苦手なので「15分以内に片付けられる量まで出しているものを減らそう」というルールを決めているのですが、それも11才になった子に厳しすぎるかな?と迷いがあります…。三木先生:うーん…僕は別にいいんじゃないかなーと思うんですけどね。コウと接する毎日の中で、”子どもに対する制限のかけ方”について『過剰に厳しくなってはいないか?息子を萎縮させてしまってはいないか?』と悩むことは多く、三木先生に「全然いいと思います」とお答えいただいても、すんなりと飲み込めない気持ちがありました。そんな私に、三木先生は”親が介入すること”についての考えを話してくださいました。Upload By 丸山さとこ――ある程度の枠がないと息子も混乱したり崩れたりしやすいので、必要性にせまられてというところはあります。でも、世間から「そこまでガチガチに管理するの?支配的過ぎない?」と引かれる程の状態になってはいないだろうかと揺れる気持ちもあります。三木先生:うーん…それはでも、年齢標準から考えてということなので、「〇歳だからこれは自分でできないといけない!」という考え方って、それがちゃんとできる標準的な子であるという前提があってこそじゃないですか。実際問題として、本人の発達の程度としてそれができないのであれば、ある程度大人がサポートするのは僕はしょうがないと思うんですよね。極論なんですけど、アルコール依存症の人をアルコールから隔離するのと同じですよね…。――あー、分かります…。本人がコントロールできない衝動を、環境によって助けていくというところが同じ形だなと感じます。三木先生:だから、あんまり僕はそこ気になんないですねえ。まぁ僕はやや「親の介入があってもいいと思う派」だっていうのはありますが、ちゃんとする、カチっとすることはしていいと思います。大人として世の中に放って大丈夫にするために、先にちゃんと枠を提示しておく…みたいな。場合によってはある程度一方的であってすらいいと思うんですけどね。「アカンもんはアカン。理屈やない」っていう部分というか。関係性にもよりますけど、「この人が言うんだったら」という関係で、ここぞというときだったらいいと思います。本当に大切なことなのに、大人が怯んで譲ってしまう方がまずいと思うので。衝動性の強さに対してどう接していくのか、指針が見えてきました。毎日の生活の中で息子のサポートやケアに追われていると、「どう接するとよいのだろうか?」という迷いはありつつも、立ち止まって一つひとつ考える時間が持てなくなるときがあります。そんな中、発達障害のある子どもの症例に多く触れていらっしゃる三木先生からアドバイスをいただいたことで、「衝動性の強さに対してどう接していくのか」について指針が見えてきました。未来の価値を過小評価する性質について、”割引率”はあまり変えられないものと理解したことで、具体的なサポートの仕方も見えてきたと感じます。「未来にあるメリットをできるだけ多く数え上げられるように」サポートしつつ、コウ自身も、少しずつそれらを自力で数えられるようになっていけたらいいなと願っています。執筆/丸山さとこ
2021年11月04日学習障害(LD)/ 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))の原因は?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン学習障害の原因は、医学的にはまだはっきりとは解明されていませんが、以下のようなことが研究から分かってきています。※現在は「限局性学習症」という診断名となっていますが、一般的には最新版DSM-5以前の診断名である「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。Upload By 発達障害のキホン中枢神経は脳や脊髄、体のさまざまな部分の働きを指令する部分です。学習障害の症状は、情報を伝達し処理する脳の機能がスムーズに働いていないことで引き起こされると考えられています。◆見え方に偏りがある「視覚認知」の問題じっと見つめたり、視線を上手に動かすことが困難で、行を飛ばして読んだり黒板の文字を写すのが苦手な場合があります。見た情報を脳が処理する視覚認知の機能が弱く、文字を認識するのが難しいこともあります。また見え方に特性があり、文字がぼやける、黒いかたまりになって見える、逆さまに見える、歪んで見えるなど違った見え方になってしまうという人もいます。学習障害の症状・困難の理由を理解しようUpload By 発達障害のキホン◆音韻認識が苦手文字と音を結びつけるのが難しいため、音声を聞いて文字を書いたり、文字を見て即座に読み上げるのが難しいことがあります。◆書く動作が苦手文字を書くという動作自体が苦手です。脳内で身体に指示を出し手を動かすという伝達機能がうまくいっていないからだという説が有力です。文字を揃えて書く、バランスを考える、筆圧を調整する、文字間の距離感を取るなどが苦手です。そのため、筆算の際に桁がずれることも多くなり、間違えやすくなることもあります。◆ワーキングメモリーの弱さ一度にいろいろなことをするのが苦手で、聞きながら書く、読みながら意味を考えるなどが難しいこともあります。記憶するのが苦手な場合、漢字の形や読み方をなかなか覚えられないこともあります。記憶や推論することが苦手だと、数字そのものの概念、規則性、推論が必要な図形の領域を認識するのが難しかったり、文章題を読み、意味を理解することや、グラフや表、図形などからイメージすることが苦手だったり、算数障害につながることもあります。その子の困難の背景を考え、寄り添ってサポートを苦手さの理由や原因は一人ひとりのケースで違います。その子がどこに困難を感じているのか、またその理由はどこにあるのかを観察してみるとよいでしょう。環境を調整したり、やり方を工夫したりすることで対処法が見つかることがあります。現在は、見分けやすいチョークやユニバーサルフォント、音声読み上げ機能のある電子教科書、タブレットやキーボードなど、学習障害のある子をサポートする道具や機器もあります。その子がうまくいきやすい方法があれば、学校での合理的配慮を求めることもできますので、ぜひ、学習障害について理解を深め、サポートしていきましょう。イラスト/かなしろにゃんこ。
2021年10月31日この漫画は書籍『おうち性教育はじめます』(フクチマミ著、村瀬幸浩著)の内容から一部を掲載しています(全12話)。 ■前回のあらすじうんち、おしっこ…など親が困ってしまう言葉を連呼する子どもたち。こんなときはどうすればいいのでしょうか。村瀬先生の回答は…。■おうち性教育Q&A 子どもが大事なところを触っている…やめさせるのではなく、マナーを教えて見守ることが大切なんですね。次回に続く(全12話)「おうち性教育はじめます」連載は6時更新! 『おうち性教育はじめます』 フクチマミ著、村瀬幸浩著(KADOKAWA) ¥1,430(税込) \ この後どうなる!? /書籍「おうち性教育はじめます」はこちら 「うちにも赤ちゃんはくる?」といった、突然やってくる素朴な質問への答え方から、性犯罪の被害者・加害者にならないための日々の言葉かけ、思春期に訪れる男女の心と体の変化まで、親子で一緒に学ぶことができるパパママの必読本。毎日の家族の会話で子どもを守り、これからの時代を生き抜くための力を養うための「おうち性教育」のはじめ方をわかりやすく学べる一冊。
2021年10月27日危険が分かっていないわが子の行動にヒヤヒヤする日々…自閉症のある息子のPは激しい多動があるわけでもないのですが、目に入ってくる情報や刺激が人一倍強いので、気になる物が目に入った瞬間に、そこへ向かって突然走りだしてしまうようなことがよくありました。手をつないでいても振り払ってしまうし、一瞬でその場から走り去ってしまうので何度もヒヤリとした体験をしていました。Pは何の前ぶれもなく突然行動することがあるので、前もって危険を回避したくても予測が困難なことばかりでした。これまでに1番ヒヤッとしたのは、道路の向こう側に電車が走っていたのをPが目にした瞬間に、歩道から道路へ急に飛び出したときです。道路と歩道の境界にはガードレールがあったので私も少し油断をしてしまっていたのですが、たとえそばを歩いていたとしてもとっさには防ぎきれないことがあるかもしれないことを実感しました。Upload By みんそんなこともあり、3歳ころまではリュックに紐がついているタイプのハーネスを使っていたのですが、ハーネスをつけていると何となく周りの人の目が気になるなと感じていました。ハーネスを使っている私たちに「それ便利そうね!私が育児をしていたときにも使えば良かった」と言う人もいれば、「犬の散歩をしているみたいじゃない!自由に歩かせてあげられないの?」と言う人もいました。私も子どもを持つ前なら「ハーネスってそんなに必要なのかな?」と、ハーネスを使う親子を見かけたら不思議に思っていたかもしれません。でも自分が親になって初めて、ハーネスが怪我や事故の防止になり、周囲にも迷惑をかけずに済む場合があることを痛いほど理解できました…というより必要に迫られたのです。Upload By みんPにはなかなか指示が通らなかったし、手をつないでいても振り払い平気で走り去ってしまったり、自分では危険を認識できていなかったりなど、ハーネスがなければ防ぎきれなかったであろう場面がたくさんあり、実際ハーネスには何度も救われました。ハーネスは迷子になることを防止するためだけのものではなく、私にとってはどちらかというと子どもの「命綱」のようなイメージになっていました。そしてPが4歳になり身体が大きくなってくると、小さい子が使うようなリュックに紐付きのハーネスという見た目が少し気になり始めたので、次は手をつないだ上でさらに保険になるよう手首にもハーネスをつけるようにしました。でも5歳を過ぎてからは大分落ち着いて歩けるようにもなってきたので、ハーネスは交通量の多い場所や、海や川など危険な場所で限定的に使うようになりました。私たち親子にとってハーネスは安心してお出かけする為のお守りですUpload By みんこうして最初は人の目を気にしてしまっていた私は、いつからか「子どもを守るために必要だからハーネスを使っているんだ」と、人の目は気にせずに堂々と使えるようになりました。子ども用ハーネスに対する理解が少しでも増え、ハーネスが必要な親子が安心してお出かけできるようになると嬉しいなと思います。執筆/みん(監修:初川先生より)突発的な行動があるお子さんにとって、ハーネスは心強い味方ですね。確かに見た目から犬の散歩のように見え、心ない言葉をかける人もいるかもしれません。が、お子さんの安全を守れるのは行動を共にする保護者だけなのですよね。また、ハーネスの存在によって、必要以上に子どもにきつく叱ることもなくて済む面もあると思います。言葉で言って聞かせてもまだまだ自分で行動を制御するのが難しい年齢の場合は、上手にハーネスを使うことで危険と折り合いをつけつつ“自由に歩く経験”ができるのではないかと思います。
2021年10月25日「学習障害(LD)」「 限局性学習障害・限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」とは?Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホン文部科学省の定義によると、学習障害とは、全般的な知的発達に遅れがないものの、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」能力のうちいずれかまたは複数のものの習得・使用に著しい困難を示す発達障害のことです。英語ではLearning Disabilityと呼ばれ、LDと略されることも多いです。学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)及び高機能自閉症について(文部科学省)医学的な診断基準とされるDSMでは「学習障害(LD)」とされていましたが、最新版のDSM-5では、診断名が変更され、現在は「限局性学習障害/限局性学習症(SLD(Specific Learning Disorders))」になっています。限局性学習障害の定義では障害内容は「読み」「書き」「計算」に限定されます。※「限局性学習障害・限局性学習症」が正式名称ですが、一般的に「学習障害」と呼ばれることが多くあるため、ここでは学習障害と表記します。学習障害の原因はいまだにはっきりとは解明されていません。有力視されているのは、先天性の遺伝要因にさまざまな環境要因が相互に影響し、脳の中枢神経系に何らかの機能障害が生じることが原因だという説です。親のしつけや養育方法、本人の努力不足が原因ではないことが医学的にわかっています。「読めるのに書けない」など苦手や困りごとは、人によって一部だけに極端に表れることもあれば、いくつか重複していることもあります。自閉スペクトラム症やADHD、協調性運動障害や感覚過敏などのほかの障害を合併している人もいます。特定の学習にだけ困難がある場合、周りから理解されにくく、「怠けている」などと誤解され、苦しんだり、不登校やうつなどの二次障害に陥ってしまう子どもも少なくありません。障害の名称や診断の有無などにこだわりすぎず、一人ひとりどのような特性や困りごとがあるか理解し、対処していくことが非常に重要になります。学習障害の3つのタイプと特徴・症状学習障害の困りごとには以下の3つのタイプがあります。症状や困りごとが全てあてはまる人はかえって少なく、特徴は人それぞれです。年齢によって困りごとや特性が変化したり軽減することもあります。複数のタイプが混じっていることもあります。※以下で紹介する症状・困りごとは年齢や学習の習熟度などによって、誰にでも見られるものもあります。当てはまるからといって学習障害であるとは限りません。◆読字障害(ディスレクシア)…「見た文字を判別し、音にして読むのが苦手」学習障害と診断された人の中で一番多く見られるタイプで、見た文字を判別して読んで理解したり、音にするのが苦手です。読むことに障害があると、結果として文字を書くことにも困難を感じる場合が多いため、読み書き障害と呼ばれることもあります。Upload By 発達障害のキホン◆書字表出障害(ディスグラフィア)…「文字を書くという動作が苦手」「文字が書けない」「書いてある文字を写せない」などの書く能力に困難があるタイプです。文字が読めるのにもかかわらず書けない場合もあります。Upload By 発達障害のキホン◆算数障害(ディスカリキュリア)…「算数、推論が困難」数字や数式の扱いや、考えて答えにたどり着く推論が苦手な学習障害のタイプを算数障害・ディスカリキュリア(dyscalculia)と呼びます。数字に関する能力にのみ障害がある人が多いため、算数の学習を始めてから発見される場合がほとんどです。「1」「2」「3」などの基本的な数字や、「x」「+」などの計算式で使う記号を認識することに困難をもっていることもあります。Upload By 発達障害のキホン
2021年10月24日息子に発達障害があることを本人に告知したのは小5のころでしたUpload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太が発達障害の診断を受けたのは小4のときでした。児童精神科のクリニックの臨床心理士さんには「本人への告知は道理がわかる年ごろになってからがよい」というアドバイスをもらっていた私ですが、リュウ太への療育のことを考えると本人に告知したほうがやりやすいと思い、リュウ太が小5の秋に告知したのでした。Upload By かなしろにゃんこ。その後、中学生になったリュウ太は学校に置いてある発達障害の本を読んで、自分でも発達障害とは何なのかを更に勉強したと言います。ですが、反抗期の期間は親を避けることが多かった息子は、療育などがあまり進まず母は焦るばかりでした。トホホ…Upload By かなしろにゃんこ。告知はしたものの親を避けている時期、息子とは発達障害や特性についてあまり話すことができていなかったのですが、反抗期が終わりかけた17歳くらいから(終わるの遅っ)私は、親子の会話の中でADHDや発達障害などの言葉をよく出すようにしました。Upload By かなしろにゃんこ。発達障害があることは、隠さなければならないものではないと思っていたので、特性が原因での困りごとやトラブルが起こったときには「ADHDの特性で思いついたらやっちゃうこともあるから、相談してね」と伝えたり、生活の中で何か工夫できないか親子で考えるためにあえて言葉にして、言うようにしました。そうして忘れ物対策、衝動的に夜間騒音をたてないための相談や話し合いなど、親子で大ケンカにならずに進んでいったと思います。…でも、「告知はあの時期で良かったんだろうか…?」とその後も私はずっと考えていました。Upload By かなしろにゃんこ。息子が20歳のときに「発達障害の告知を受けたときにどう思った?」と聞いてみました。息子は「地獄に落とされたようにショックだったな」と言いました。そして、発達障害という言葉にショックを受けたと当時のことを思い出しながら語り出しました。「子どもだったから“発達障害って何?ADHDってどういう意味?”って、そもそもよく分からなかったけど『障害』って言葉に驚いたんだよね。お母さんに『ADHDってこうなんだよ、リュウ太が忘れ物をよくするのはADHDの特性で~…』とか説明されたときは落ち着いて聞けなかったんだけど、数日頭から離れなくって。でも、あぁ…だからオレってみんなと違うんだって分かった。」というリュウ太。Upload By かなしろにゃんこ。息子は集団行動をうまくとれなかったことや、周りの人と興味が違って遊びの話が合わなかったことなどを振り返ったそうです。「自分に発達障害があることは仕方がないことだけど、それで差別みたいなことを受けるかもしれないって思うとイヤだった」と話してくれました。ですが、中学では仲のよい友達には自分がADHDであることを話していたと言います。「友達に『オレ発達障害でADHDなんだ~』って話しても『へーそう』って言われるだけで別に付き合いは変わらなかった。友達の兄弟も発達障害だよってヤツもいたし。ただ『障害』っていう言葉のショックを受け入れるのに7年くらいかかったな~」とも息子は言いました。Upload By かなしろにゃんこ。そんな息子は、専修学校の高等課程2年生のときにSNSの『ADHDあるある』という掲示板を読んで笑ってしまったと話します。「オレと同じヤツが世の中にいっぱいいること。同じ失敗をしていること。あるあるや大喜利で失敗をネタにしちゃってること。そんなのを見ていてADHDの自分を徐々に受け入れていけた感じかな~?」息子が言うには、自分でも「ここから受け入れた」とハッキリは分からないけれど、だんだん癒えてきた感じなんだそうです。Upload By かなしろにゃんこ。今でもオモシロイ『ADHDあるある』の書き込みを見つけると私にも読み上げてくれて、一緒に笑ったりしています。同じ特性がある人の書き込みを自分の特性と重ねたり、自分でも気がついていなかった特性を知ったりして、ADHDがあることを悪いことだと思わないくらいに息子の受け止め方が変わっていってくれたことは嬉しいです。私は息子に発達障害があることを受け入れるに5年かかりましたが、息子もまた自身に発達障害があることを受け入れるのに同じくらい時間がかかっていたんだとわかりました。告知をした時期は本当にあれで良かったんだろうかと考えていた私でしたが、わが家はこれでまぁ良かったのかもしれないと最近思えるようになりました。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:井上先生より)「告知の時期はいつがいいんでしょうか」という悩みはよく聞きます。告知の時期というのは、特にいつごろがいいと決まっているわけではなくて、一人ひとりそのタイミングは異なります。基本的には、自分の得意なことや、苦手なことを整理しながら自己理解を進めつつ、必要に応じて告知を行うのがよいと思います。またお子さんの発達に合わせて、かなしろさんのように何段階かに分けて伝えると、本人が受け入れやすくなるかと思います。
2021年10月23日「息子のチックで悩んでいます」第6話。息子さんが忘れっぽいこと、落ち着きがないことを医師に相談すると、ADHDの可能性を告げられました。「ADHDは性格のようなものだと思っています」という先生の言葉に励まされたまめねこさんでしたが、息子への対応をどうしたらいいのかわからなくなり……。2人の息子さんのママであり、自身のお子さんの知育体験や「まめねこマンガ相談室」としてママから寄せられたお悩みをマンガ化しInstagramに投稿しているまめねこさん。今回ご紹介するのは、まめねこさんが現在進行形で抱えている不安を描いた自身の体験談です。 6話不安の沼に落ちて… 先生から「ADHDは性格みたいなもの」と言われたものの、叱ってどうにかなるものでもないし……と考えれば考えるほど、息子さんへの対応がわからなくなり、不安に陥ってしまったまめねこさん。 しかし、いろいろな本を読みながら「こうしたらいいかも?」と試してみたいと思うことが発見できたそうです。 まめねこさんと息子さんにとってのぴったりの方法が見つけられますように! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター まめねこ4歳差男子2人のママ。クセの強い長男と、自我芽生えまくりの次男、ふわっとした夫、ブッサかわな愛犬とで5年前から山奥暮らしを満喫中。Instagramでは日々の知育あそびや、フォロワーさんのお悩みをマンガ化して投稿しています。
2021年10月14日発達障害のある子どもの障害受容についてUpload By スガカズ私、スガカズは、現在4人の子どもを育てているママです。・長男(中2 ASD、ADHD)・次男(小5 、ADHD)・長女(年長 、定型発達)・三男(年中、定型発達)次男はADHDがあり、通常学級に在籍していますスガカズ(以下、――)発達障害のある子どもの障害受容について相談したいです。わが家の次男はADHDがあり、通常学級に在籍しています。次男の3歳上の長男(ASD、ADHD)には小4のときに私が本人に障害告知をして、小5のときに他者(クラスメイト)に自分の障害について知ってもらう機会がありました。そのときには、クラスメイトに自然と受け入れてもらえたのですが、次男の場合は同じように受け入れてもらえるのか不安な部分があります。「次男ももう小5だし、障害告知をする時期が近づいているのかも…」と思ってはいるのですが、次男は他者の感情に敏感だったり、自己肯定感が低いところがあるので、自分の障害に対してネガティブに受け止めてしまうのではないかという懸念があります。また、友達とケンカをすることもあるので、「発達障害がある次男」を周りに受け入れてもらえるのだろうか?といった漠然とした不安があります。本人に障害告知をする前に親である私からできることはあるでしょうか?三木先生:次男くんは周りの子とどんな関係をもっていますか?Upload By スガカズーー毎年クラスに何人か仲良くしてくれるお友達がいるようです。低学年のころはうまくいかないことが起こると癇癪を起こすこともあったのですが、本人なりにクールダウンしたり折り合いをつけたりと努力している姿が見られますし、先生からもそのようにうかがっています。仮に友達と口論になったとしても、時間をおいて自分から謝る面も見られます。友達がいるのはよいのですが、一方で大人しいタイプの子からこわいと思われている面がありそうです。「クラスの女子が(仮にAさんとします)、オレのことこわがっているかも知れない。この前ちょっとぶつかったときに、Aさんは悪くないのに『ごめんなさい』って謝ってきたんだ。その子に昔なにかした訳じゃないんだけど。」と次男が言っていました。三木先生:なるほど。キャラが立っているほうが敵味方がハッキリしやすいですが、そういったタイプなんでしょうかね。ーーそうですね。敵味方がはっきりしているタイプだとは思います。周りのお友達も、次男が自分からいじわるするタイプではないと理解してくれているようなのですが、次男を苦手な子も一定数いるだろうと思っています。私からは、次男に「周りに優しく接したら女の子にもモテるんじゃない?」「どうしても言い合いになってしまった場合は、ライオンさんの声(大きい声)は出さないでね」とは言ってはいるんですが、まだ行動に落とし込むのは難しそうです。なので発達障害があると周りが知ったときに、「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思われるかも知れないなと…。「障害があるからしょうがない」と周りが思うのは、あながち間違いではない…?三木先生:障害受容って、「受容」に「障害」って名前がつくととたんに難しい問題になるんですよね。「障害があるからしょうがないね」っていうのはちょっと違うと思っていて…。「だから恐いんだ。もう関わらないでおこう」と思う気持ちを否定したり、だからと言って「障害があるんだからしょうがないよ」と「気持ちのついていかない受容」を強制するのも逆に差別になってしまいますよね。ーーそうですね。他者の気持ちを強制するつもりはありません。トラブルが起こったとしても次男が障害のせいにするのは避けたいと思います。ただ、過去に「しょうがないね」と思うことで解決した経験がありまして…。Upload By スガカズUpload By スガカズーー次男が小4のときに公園に1人で遊びに行った日がありました。しばらくして私が迎えにいくと次男がその日初めてあった男の子(仮にBくんとします)とケンカをしていました。きっかけは水鉄砲を次男だけ貸してもらえなかったという、子ども同士でよくありそうな理由だったのですが、Bくんとのやりとりを見たときに、次男と似ている発言も見受けられたため、「もしかすると次男と同じように、情緒に課題のあるお子さんかも知れない」と感じました。そのときBくんのことを知っている子が近寄ってきて「Bくんは〇〇小学校の特別支援学級に通っている子だよ」と教えてくれたんです。そのあと、次男とBくんは無事に仲直りしたのですが、家に帰ってきたときに次男は、「特別支援学級に通っている子だって分かったから、次会って同じような態度をとられても怒らないし、仲良くする」と言って納得しているようでした。これって事実(Bくんが特別支援学級に在籍していること)を知らないままだと、次男にとっていじわるな子で終わってしまったと思うんです。三木先生:確かにその時期(学童期)の子どもには「障害」という名前がついているほうが分かりやすいこともありますね。次男くんが納得したように、直感的に「そういうものだからそうしましょう」という考えで、世の中が平和になるわけですし、悪くはないと思います。ただ、それが当事者が開き直る場合だととたんに周りと仲良くできなくなってしまいますから、次男くんが自身の発達障害に対して、「しょうがないでしょ」とならないように保護者のほうで働きかけることは大事ですね。当事者も周りの人も、考えはその人によるし親が強制できるものではないし、強制するべきではないと思うので采配は難しいところですが。「周りに受容してもらう」ではなく、「自分の属性を理解して仲間を作る」Upload By スガカズ三木先生:次男くんのよいところは、「受容してもらえるであろう仲間」が何人かいることです。そこを掘り下げて、「周りは次男くんのどんな能力や人柄を気に入って仲間になっているのか」 「どうすれば理解・評価の幅を広げられるのか」を教えてあげるといいと思います。それによって「周囲の理解やサポート」という間接的なリソースをさらに獲得できるわけで、障害があろうとなかろうと受容してもらいやすい結果につながると思います。次男くんだけでなく外的要因もありますよね。おそらく今までのクラス編成がよかったり担任の先生に恵まれたり、あるいは家庭側でやってきた関わりの結果、彼の味方をしてくれる人たちを失わずに済んだこともあると思うので、今までの学校生活を振り返ってみましょう。ーー次男との話し合いで過去の物事を振り返るとき、「いい友達がいてよかったね。先生は次男のことよく理解してくれているね」といった結論に至ることはよくあります。ただ、先ほど言った大人しいお子さん(Aさん)の話なんかは、「自分は嫌われているかも」というネガティブな情報があるので、考えることは嫌みたいです。Upload By スガカズ三木先生:Aさんとの関係性は、本人が歩み寄れる努力をしたいと思っている問題なら、Aさんに直接「何がそんなに恐いの?」と聞くことも解決策の一つですね。例えばAさんが率直に「怒り方が恐くて」と理由を言ってくれたなら、共通理解ができます。その上で、次男くんが歩みよろうと思うのなら、学校や家庭、あるいは本人自身が「どうするべきか」考える機会ができます。あるいは、「分かってはいるけどできない(怒り方を変えられない)」という段階かもしれません。そうすると別の問題を解決する必要があります。「できない自分に対してどうすべきか?」という問題です。Aさんが「学校に行きたくなくなるほどの問題」なら解決すべき問題ですが、相手にそこまで迷惑でもなく「ちょっと嫌だな」くらいなのであれば、受け入れてもらうことを諦めて距離を取るのも一つの方法です。「あなたも苦手な子はいるでしょ?」「全ての人に受け入れられることは難しい」と教えてあげる、でいいと思います。ーーなるほど…。私は親なので「できるだけ仲間を増やしてほしいな」とどうしても思ってしまいますし、「障害のある次男を受け入れてもらえるにはどうしたらいいんだろう?」と漠然とした心配がありましたが、三木先生に言語化してもらえたことで情報がクリアになりました。Aさんとのことも、現在はクラスが違うので話す機会はほとんどないため、現時点で大きな問題ではなっていないようなのですが、同じような状況が今後発生したときの参考になりました。三木先生:人と共存する中で一番大変なのは小中学校の時期なんじゃないでしょうか。ただ、同じ地域に住んでいるだけなのに否応なく同じ教室に集められ、集団で生活させる訳ですから。大人になればなるほど属性が絞り込まれていくのでだんだん暮らしやすくなっていくはず。良くも悪くも、この先こんなに幅広く人と付き合う環境はなかなかないと思います。無理にその環境に合わせる必要はないですが、本人の意思と次男くんに合った環境整備をしつつその場、その場で寄り添ってあげれば次男くんも少しずつ成長していくんだと思いますよ。感想次男自身が自分の障害を前向きにとらえていけるように、障害告知するタイミングを大事にしたいと思っています。「障害」は三木先生がおっしゃるように、他者の考えを強制できるものではないと思うので学校など外の世界でどんなやりとりが行われるのか親は予想できません。「自分の属性を理解して仲間をつくる」ことをよく考えて寄り添っていき、次男自身がもう少し他者への理解も進む段階(おそらく小6あたり)で障害告知したほうがよさそうだなと感じました。執筆/スガカズ
2021年10月11日マイブームがコロコロ変わる息子Upload By かなしろにゃんこ。小さいときから絵を描いたり工作することが大好きだったADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太でしたが、人物画を描くことは苦手。小6のときに胸のあたりから手が生えている絵を描いて私を驚かせました。デッサンなど気にせずに自由に描く子どもらしい絵であり、「大人になると人の目を気にして感性が濁るものだ、この絵はスゴイ」と褒めたのですが、息子は「腕の位置が違うのか…」とショボン。「子どもらしい絵」をバカにされたと解釈したようで「絵のセンスなし!?」とガックリ落ち込んでしまいました。そこから人物画のコンプレックスが育ってしまったようで、人物を描くことを避けていました。しかし中学生のときにイラスト制作の楽しさを覚えた息子にマンガデッサン(美術のデッサンとは異なります)を教えると一生懸命絵を描き続けたのです。特に夢中になれることもなくて毎日イライラ気味だった息子が自信をつけて取り組んでいけるものになりました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。“好きこそ物の上手なれ”で、息子はハマると強い特性からデザインソフトなどデジタルの操作にも徐々に慣れていきました。(就活に向けて!? 勉強嫌いのADHD息子にパソコン操作を伝授! すると意外な一面があらわれて… というコラムにしました) 現在はスマートフォンやiPadなどのデザインアプリで手軽に絵が描けたり動画編集ができるようになり、イラストだけではなくアニメ動画も作れるように。創作の幅が広がり作品を発表する場所も増えたことも息子をあと押ししました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太は専修学校の高等課程に入学したあともコツコツと絵を描いて人気クリエイターに触発されたり、同じ絵を描く仲間とSNSでつながったりして楽しむようになりました。車の整備士を目指してたので専修学校の高等課程を修了して、その上の専門課程に進み本格的に整備のための進路を選択する時期がやってきたときのことです。専門課程で学んだあとはいよいよ整備士になるため資格試験へと進み、就職するんじゃないかな~と思っていたのですが、息子の口から出た進路希望は「クリエイター養成専門学校に入学したい」でした。イラストや漫画、映像技術などさまざまな学科がある学校です。行きたいと言われてもわが家は入学金や授業料を払える経済状況にありませんから「学校で習う以上のことをお母さんが教えてあげるから我慢しなさい」と伝えました。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太はどうしても諦めきれなくて3ヶ月間しつこく「同じ趣味の友達をつくりたい」と私にお願いしてきました。整備士の専修学校に進むときも確か同じこと言っていたな~と思い出しました、学校=友達をつくる場所。このように考えて間違いはないと思うのですが、将来の仕事にうまくつながっていけないことには困りますから諦めてもらいました。「マイブームがコロコロ変化するから、また気が変わるんじゃない?」こんなことも諦めてもらいたい理由だと息子に言うと「確かに…3つのマイブームが3日周期で変動するんだよね、好きなことには変わらないんだけど熱量がコロコロ変化するな~」と自分を分析して、そのときは納得してくれました。そのあと一年間は「専門学校行きたかったな―」とイヤミたっぷり言われ続けましたけど…(泣)Upload By かなしろにゃんこ。人付き合いを学ぶ意味でも専門学校などに通わせるのはアリかと思いますが、今でもこの選択は合っていたのか悩みます、トホホ…。現在息子は、車の整備士として働いていますが、まだ諦めていないみたいで「会社にバレない程度に副業でやりたい」と言っています。二兎を追う者は一兎をも得ずともいいますが、コロナ禍もあり以前と違い2つの仕事を持ち生きることもありではないかと思います。何歳になっても夢を諦めないで地味にコツコツやっていってほしいと母は、思うのでした。(監修:井上先生より)たいぶ昔に関わっていたお子さんで、アニメと車が好きな方がいました。その方は今では、車体にアニメのキャラクターなどの塗装をした自動車(通称「痛車」)をつくれる整備士になっています。好きなことややりたいことの何を「本業」にして、どう活かすか、かなしろさんとお子さんとが話し合われた様子が目に浮かぶようです。小さなころは就職に役立つかどうかに関わらず、いろいろな趣味を楽しませたほうが子どもの心の健康に役立つと思います。また、かなしろさんのお子さんのように人物画が苦手な子は、美術の教科書や絵の教科書で教えるよりも、アニメやイラストの描き方のハウツー本のほうが本人が理解しやすいことがあります。輪郭や目の描き方などが、段階的に詳しく説明されていていることが多いので、それに沿って真似て人物を描くことで、人物画への苦手意識が薄れたり、描けたことの達成感を味わえる機会になるかもしれません。
2021年10月07日俳優の本郷奏多が、12月16日に自身7作目のカレンダー『本郷奏多カレンダー2022』(SDP 2,750円)を発売することが決定し、あわせて表紙&特典ポストカード絵柄&メイキング映像が6日、公開された。今回のカレンダーは、30歳を記念してクールにキメた昨年のカレンダーとは打って変わって、本郷の実際 の趣味と絡めたシチュエーションで撮影を実施。飾らず自然体の姿を切り取り、普段はなかなか見ること のできないリラックスした姿が収められている。また、本人たっての希望で、ファースト写真集でもカメラマンを務めた小林ばく氏が撮影を担当。さらに今回のカレンダーでは、表紙のタイトルと各月の数字は本郷の手書きによって制作されている。本日公開となったカットは、通常版表紙、イベント限定版表紙、特典ポストカードの絵柄3点の合計5点。通常版表紙では屋外で寝ころぶ姿、イベント限定版表紙ではソファーでくつろぐ姿を披露。特典ポストカードでは、運転席のひとコマ、メガネ姿、ギターを抱えた姿をとらえ、本郷がその場にいるような風景を感じることができる仕上がりとなっている。なお、『本郷奏多カレンダー2022』発売記念イベントも開催予定。またSTARDUST SHOPPERSでは、直筆サイン&シリアルナンバー入りカレンダーを販売、受付期間は本日18時から20日23時59分まで。○■本郷奏多コメント2022年もカレンダーを発売させていただくことになりました。手書きのメッセージやちょっとしたイラストが入っていたり、手作り感のあるほのぼのとした出来になっているので、より身近に感じていただけると思います。是非手に取っていただけたら嬉しいです!(C)SDP
2021年10月06日全品200円!安くて旨い居酒屋、実は…Upload By 桑山 知之名古屋市千種区にある歓楽街・今池。ディープスポットとして知られる町で、今年2月、明山さんは居酒屋「せんべろ元気」をオープンさせた。冷奴や枝豆といった定番メニューから、油淋鶏や唐揚げ、串カツといった本格料理まで、すべて200円という破格で提供している。もちろん、生ビールやハイボールなどの酒類も200円。「安くて旨い」と評判は上々だ。Upload By 桑山 知之それもそのはず。メニューは値段こそ安いが、同級生が経営する製麺所や食品会社、岐阜県海津市の有名串カツ店などから取り寄せた一級品を提供している。「まともにやったら回らない」。今池で生まれ育った明山さんの人脈があってこその価格設定である。飲み屋街の一角で、ありそうでなかった「昼から飲める」「安くて旨い」店。呑兵衛ならだれもがふらりと入りたくなる。実は、就労継続支援B型の事業所だ。義理ではダメ「福祉に甘えない」場所に明山さんには全盲の祖父がいた。鍼やマッサージの仕事で自立もしていたが、一歩外に一緒に出れば、周りからかわいそうな目で見られることが多かった。子どもながらに社会の偏見に対し、常に違和感を覚えていたことが、障害者福祉の世界に飛び込んだきっかけだった。2002年に福祉の専門学校を卒業後、愛知県内の社会福祉法人に就職し、4年ほど勤務した。2006年に子どもの放課後等デイサービスを運営する「ぜによ」に入社し、2019年4月からは代表を務めている。「児童デイサービス元気」の名称で3カ所のデイサービスを運営しながら、明山さんが重視している「自立のための教育」の一環として何かできないか模索し続けてきた。Upload By 桑山 知之「障害があろうとなかろうと、ちゃんと同じラインに立ったうえでやらなければいけないんじゃないかなと。福祉だからお店来てくれって、お店をやる以上は違うと思うんです」(明山さん)社会福祉法人に勤めていた際、作業所の利用者が山で切ってきた木を使って椅子や机を作っても、結局は安いものしか買ってもらえなかった。言わば「情け」でというのがほとんどだった。「福祉に甘えてはいけない」という思いが沸々と沸き上がった。Upload By 桑山 知之デイの先輩が働く姿が刺激に居酒屋「せんべろ元気」は新型コロナウイルスの影響を受け、営業時間や酒類の提供など不安定な要素もあるが、オープンから約半年が経ちじわじわと地元住民らから支持を集めている。店には現在、2人が働いている。そのうちの1人は、知的障害がある男性(20)。放課後等デイサービスに通っていた小学2年のころから彼が口にしていた「いつかラーメン屋で働きたい」という夢に向け、この店で修行中だ。Upload By 桑山 知之「今まで一緒にデイサービスで遊んでいた先輩がこうやって一生懸命働いているのは、めちゃくちゃ刺激になるんです。金銭教育、お金の使い方も学んで、働くとどうやってお金がもらえるのかという見本が目の前にある。毎年秋に施設で『ショップ元気』という、作ってきた製品を利用者が自ら販売の擬似体験をするイベントがあるんですけど、その進化版をやっているんです」(明山さん)就労継続支援B型とは、障害のある方が一般企業への就職が不安、あるいは困難な場合に、雇用契約を結ばないで軽作業などの就労訓練をおこなうことが可能な福祉サービスのことを言います。作業の対価である「工賃」をもらいながら、 障害や体調にあわせて自分のペースで働くことができます。参考:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します | 仕事ナビかわいそうだから、頑張っているからといった“義理”ではいけない。福祉に甘えず、本当にその子が働ける姿を見てもらう。明山さんは、就労の場として接客などの経験を積ませながら、飲食業をはじめとするサービス業の関係者を招き、子どもたちの就職も後押ししていきたいと考えている。Upload By 桑山 知之「同居していた祖父は、鍼灸師として自立していたんです。福祉だからお客さんが来ていたわけではなくて、きっと人一倍の努力をしてお客さんを掴んでいたというか。だから、福祉というフィルターを通さずに社会で通用する人材を輩出していきたいですし、福祉と社会の垣根を取っ払っていくことが僕の使命です」(明山さん)取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海(監修・井上先生より)就労継続支援B型で地域で飲食店をされる場合、地域の方や同業者の理解や協力を得ることに対しては目に見えないご努力があったのかと思います。体調面から、夕方から夜にかけての方が働きやすいという方もいらっしゃることから、選択肢の広げ方としてはユニークな試みだと思います。地域の人たちの交流の場、生きづらさのある方同士の交流の場になっていくといいですね。出張の際にはぜひ行かせていただきたいです。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
2021年09月30日ひたすら追い掛け回す日々むっくんの多動は歩き始めた生後10ヶ月ごろから始まったように記憶しています。何か気になるものが目に入ったら一直線! 私がついてきているかなんて確認もせず突っ走る。よく言えば好奇心旺盛な子ですが、車道への飛び出しやぶつかりなどの危険を回避するために神経をすり減らしながら「少しはじっとしてよ!」と怒っていたような記憶があります。いつも追いかけていないといけないため、誰かと子育ての会話もできませんでした。ときどき、ほかの子と自分の子を比較して落ち込むというエピソードも聞きますが、比較しようにもほかの子の様子を観察することもできず、幸か不幸かそういう落ち込みも感じられない。そんな幼児時代でした。Upload By ウチノコ身の安全が守れないむっくんは動きたいときに抱っこや手つなぎで行動を制されると癇癪を起こし、手を振り払って車道へ飛び出しそうになることもありました。当時は逃げられないように苦肉の策でこんな手のつなぎ方をしていました。Upload By ウチノコしかし、このつなぎ方にもデメリットがありました。それは、とっさに手が離せないため、子どもが腕を引っ張られすぎて肘に亜脱臼を起こし肘内障になってしまう可能性があること。むっくんはとても力の強い子な上、痛みの感覚が少し鈍いところがあるので、自分で怪我をしないよう加減することが難しく親側が加減を判断する必要がありました。Upload By ウチノコ手を離せば危険、手をつなげば肘内障で本当に困りました。肩は抜けにくいので上腕固定でつかまった宇宙人のように歩いたり…。2歳過ぎにはむっくんの安全を守る自信がなくなり、親子で家に引きこもりがちになりました。幸いむっくんは外出が好きではない子だったので、外に連れ出さない私はダメな親だと、私が自己バッシングしていたくらいでむっくんはご機嫌で過ごせていたことが幸いですね。Upload By ウチノコ今思う多動の理由当時は何故突然走り出してしまうのか、出先でじっとできないのかわからず。なんで私はこんな大変なんだろう?しんどいしんどい、つらいつらい。と思っていました。だけど今はその理由がわかるような気がしています。むっくんは8歳の今でもさまざまな刺激に対して不安を感じやすく、感覚過敏の強い子です。見るもの、触るもの、聞こえるもの、全てが初めての幼いころは今よりもっと過敏だったのだろうと思います。例えば初めて行った場所でよくわからない音が聞こえたら、不安になり確認したくなるのは当然です。見たことのないものがあれば、安全を確認することで安心できると思います。Upload By ウチノコ私はその刺激が何なのかを知っているから不安も感じないし、刺激に気づきもしません。だけど過敏なむっくんは小さな刺激にたくさん不安を感じて反応してしまい、それが「多動」という状態を招いていたのだと考えています。本当にしんどくて、つらかったのは私ではなくてむっくんだった…だから外出を好まなかったのだと今ならわかるのです。感覚過敏を知ってからむっくんは3歳のときに発達障害の診断を受けました。その後は発達障害を知り、感覚過敏を知り、私の接し方を変えることができたおかげで大変さはずいぶんと変わりました。私が接し方を学ぶ前の1歳半と、学んだあとの3歳児検診ではこんな変化も見られました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコUpload By ウチノコもちろん年齢の違いはありますが、ああ、こういうことだったんだなと。この子はずっとただ調べたかった。ただ確認したかった。ただ安心したかっただけなんだなと、今はむっくんのことをそんな風に捉えています。無知だった自分への後悔当時の私は発達障害のことも感覚過敏のことも知識がなく、むっくんの世界を理解しようとしませんでした。自分のことばかり考えて、むっくんの行動を一方的に押さえつけました。当時の写真や映像には不安そうな顔のむっくんが写っていて、自分の無知が申し訳なくて情けなくて涙が出てきます。仕方なかった。だけどもし、むっくんの目線で世界を見る努力ができていれば・・・もっとほかにやりようがあったとも思うのです。むっくんの多動は6歳ごろに落ち着きました。いろいろなことを知り、知識で自分の行動をコントロールできるようになったのだと思います。そのころ手のつなぎ方を一般的なつなぎ方に戻しました。久々にすべての指でぎゅっと握ったむっくんの手は、大きくて分厚くてしみじみと成長を感じました。今もときどき必死で握りしめたあの小さな手を思い出して、もっと楽しめばよかったと寂しくも思うこともあります。だけど、今のむっくんは昔の自分の多動話を聞くとものすごく喜んでくれて、それがなんだか私の救いになっているのです。Upload By ウチノコ執筆/ウチノコ(監修:三木先生より)服装や手のロックなど、できることを一通り試す姿勢は素晴らしいですね。そういう不安や葛藤を自分たちで乗り越えてきたからこそ分かることもあると思います。こういう痛みをおぼえているからこそ、手が大きくなったことを実感する喜びもひとしおなのかもしれませんね。
2021年09月17日片付けの秘訣を伝授?「物の数を少なくしてみよう!」Upload By 丸山さとこADHDの特性によるものなのか、コウはとにかく片付けることが苦手です。それでも、覚えやすく出し入れしやすい収納環境を整えることで、小学校低学年くらいまでは声をかけたときに片付けることができていました。ところが、コウの年齢が上がるにつれて片付けは少しずつ“難しくて嫌なもの”になっていき、5年生になったころには部屋がいつも散らかっている状態になってしまいました。その原因は、物の量の増加でした。年齢と共に入れ替わりつつも、教科書や本や工作道具はゆっくりと増えていきます。基本的にはゲーム機やタブレットで遊ぶことの多い年齢とは言え、けん玉・パズル・ボードゲームなどのオモチャも地味に増え続け…気づけば管理しなければならない持ち物の総数が大分増えていました。Upload By 丸山さとこそうなると、物を使う度に出しっぱなしにしていくコウは「大量の物」を前に嫌になったり疲れたりしてしまいます。食事や就寝の前など定期的に片付けるようにはしているものの、「2時間でよくここまで散らかせたね!?」と驚くほどグシャグシャになった部屋を前に親子共々、茫然とする日が増えていきました。厳しすぎ!?「15分で片付けられる量だけ出す」ルール大きくなり過ぎた片付けの負担に立ち向かうのはかなり大変で、次第にコウ一人では「今日中に終わらなかった…」という日も現れ始めました。Upload By 丸山さとこそんなコウをときに励ましときに見守り、ときに(ケンカしつつ)手伝いながら片付けを進めていく中で、『これはもう、コウが把握管理できる物の量を越えてるんだな…』ということをひしひしと感じるようになりました。1つひとつの物をしまうところは分かってはいるものの、物が多すぎて、”しまう”という作業自体が面倒になっている様子のコウ。そんな彼を見て、私は「これはもう物を減らすしかないな」と思うに至りました。観察や話し合いや試行錯誤を繰り返した結果、コウが集中力を保ったまま片付けをできる時間は15分くらいだろうということが分かってきました。20分を過ぎてくると次第に動きが鈍くなり、しまう場所も適当になっていくのが見て取れます。Upload By 丸山さとこ15分を過ぎた時点で一度切り上げ、休憩を挟んでから続きを行う方法も試してみましたが、どうやら完全に飽きた状態からのスタートになってしまうようでした。「それはそうだよな。嫌いなことを休憩後に再開するのは面倒だよな…」と思うと納得の結果だと感じられました。それらのことから、”15分で片付けられる物の量”が現在のコウにとっての適切な量なのだろうという仮定を立てて、片付けを組み直すことになりました。少しずつ物を減らして「散らかっても片付けられる部屋」に!片付けについて話し合いつつ「物の量が多すぎて管理できる限界を超えていると思う」と伝えると、「そうなってると思う。片付けにかかる時間が長すぎるし…」と、うなづくコウ。それなら一度減らしてみようか…ということで、「今これは部屋に出ていなくてもいいかも?」という物をコウに選んでもらい、“普段遊ぶときには開けない箱”に入れてもらいました。(出したいものがあるときは、同数の物と入れ替えるシステムにしました)そうして15分で片付けられる量まで物を減らすようにすると、コウの部屋は“散らかっても片付けられる部屋”になりました。Upload By 丸山さとこ使い終わった物をいつでも戻せるようになったわけではないため、今でも部屋はだいたい散らかっていますが、コウの負担は減ったようで以前よりも気楽に片付けをするようになりました。物を減らすまでは片付けに半日から数日かかることも珍しくなかったので、15分で片付けられるようになってからは「そろそろ片付けて~」と言いやすくなったのが何よりありがたいです。これからも「ごはんだよ~部屋片付けて~」と言いながら地道に片付けを推奨しつつ、方法を一緒に模索していきたいなと思います。執筆/丸山さとこ(監修:初川先生より)片付けが苦手な人は多いですね(かく言う私も片付けがとても苦手です…)。片付けが苦手なコウくんに対して、低学年時は環境調整で対応し、高学年になってからはお母さんが鋭い観察とアイデアでうまくご対応されたという今回のエピソード。とても素晴らしいです。片付けに挑むコウくんのキャパシティとコンディションを観察によってよくぞ見極められ、そして例えば「どうして片付けできないの! 」のような叱責に傾くことなく対応されています。物には執着がある割に、片付けてしまうと(物をしまって見えなくなると)「ない」ことになり、執着も薄れるお子さんもいると思います。片付けにまつわる困難さはさまざまですが、大人が怒っても片付けはできるようにならないので、今回のような工夫でお互い納得のいく手立てが取れるといいですね。
2021年09月16日癇癪を起こした息子をほったらかして家から飛び出しましたUpload By かなしろにゃんこ。こんにちは、かなしろです。ADHDと広汎性発達障害がある息子は、気性が荒く幼少期から癇癪持ちでした。過去に癇癪のときの息子の気持ちなどをコラムに書いたことがありますが、今回は私がしていた「息子が癇癪になったときの対策」についてお話ししたいと思います。息子がまだ3歳だったころ、遊びの中でうまくいかなかったとき息子は、頻繁にプンプン腹を立てていました。オモチャを投げたり、足を踏み鳴らしたりして、体全体で怒る息子の様子を見て「なんでこの子はこんなにイライラしているんだろう?」と不思議でしたし、怒っている子と同じ空間にいると、とってもイヤな気持ちになって子育てがつらく感じてしまっていました。ミニカーを並べて遊んでいて、思っていた場所に置けずにずれたりするとキーキー怒り出してしまう息子。そんな息子に「怒らないの、大きな声を出さないの、泣かない」などと私もついつい口を出してしまっていました。口を出すと息子はさらに泣いたり叫んだり、余計に怒ってしまいます。Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。当時私は「癇癪」という言葉がどんな状態を表す言葉なのかよくわかっていませんでした。だから息子はうまくいかないとよく怒るけど、本人の経験不足から我慢が足りずに怒っているだけで、大きくなったら癇癪はなくなるものだと思っていました。しかし息子のうまくいかなかったときのイライラや爆発する怒りは、成長しても収まることはなく、「これが癇癪というものなのか!」と知りました。そんなある日、我慢の限界が来て…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。癇癪持ちは治らない!おもちゃの線路がうまくはめられない、時間内にクリアしないといけないゲームは焦ってできない……など、できなかった場合「そんなこともあるよね」と諦めることができない息子。あるとき癇癪を起こした息子がイヤで、私は息子の視界から少し離れました。すると息子は、(なぜ母はいなくなったのか?)と気になったのでしょう。怒るのをやめてポカーンとしていました。少し離れたところから息子の様子を見ると、息子のさっきの怒りは鎮まっていました。これは効果がある、息子が癇癪を起こしたら離れるといいのかも!Upload By かなしろにゃんこ。それから、息子がうまくいかなくて怒っているときに離れることができない場所では、徹底的に「見ざる聞かざる言わざる」にしてみました。(もちろん、荒れた息子が人の迷惑になったり、危ない行動をとらないように視界の端で気にしながらですが)そうすると、干渉しないことで息子の場合は早く怒りが治まることがわかりました。私が機嫌をとろうとして関わると余計に荒れてしまう。息子自身沸きあがる自分の感情をどうしたらいいのか分からずに、戦っている形が「癇癪」なのかもしれません。癇癪に同調して寄り添う姿勢ももちろん大切だと思います。ですが、今まで息子が癇癪を起したときに、私が無理に止めるような関わり方をしていたせいで、怒りが長引いていたのかもしれないな、と思いました。Upload By かなしろにゃんこ。この経験をきっかけに、癇癪は息子自身の心の問題で、もしかしたら親が必要以上に干渉しなくてもいいのかもしれない。怒りや喜びなど、本人がいろいろな感情を味わい、それが成長につながっていくのかな、と思うようになりました。癇癪のときにどうしてほしかったか、その後成長した息子本人に聞いたコラムもありますので是非読んでみてくださいね。執筆/かなしろにゃんこ。(監修:三木先生より)大人のコンディションが悪いときは、寄り添っても逆効果になってしまうこともよくあります。寄り添いと見守りを大人のコンディションによって使い分けるのはとても良い方法だと思います。つまるところ、「しんどいときは無理をしない」で良いのかもしれません。
2021年09月09日生後10ヶ月から動き回っていた太郎太郎は生後10ヶ月ごろから1人で動き回っていた。とにかく元気で休む暇なく歩き回っていた。動きが激しく追いかけるのに必死な毎日。1つのおもちゃで集中して長いこと遊ぶことが少なく、おもちゃで遊んでいてもすぐに癇癪を起こしていた。周りの反応や表情を見ることも少なく、動き回っていた。私は小さい子どもと触れ合う機会もあまりなかったため、子どもとはこういうものなのかと思いながらも「大変だ」「きつい」「育て難い」と思っていた。育児に対して「体力的にきつい」とは言えるけど、わが子に対して「育て難い」と思うことさえもしてはいけないという思いがあり周りに打ち明けきれずにひた隠しにしていた。(この考えは、さらに自分を苦しめていたことに後ほど気づくことになります)Upload By まゆんUpload By まゆん保育園の運動会での出来事1歳7ヶ月のころ、保育園で開催された運動会。保護者の膝上にわが子を座らせ同時に身体を横に揺らしたり、向かい合ってぎゅーっと抱擁したりする親子の触れ合いのプログラムがあった。プログラムに参加している同学年の親子は、落ち着いて音楽と先生のアナウンス指示に合わせ楽しそうに参加していた。わが子と目を合わせニコニコしたり、抱き合ったりとお互い笑顔になっていた。Upload By まゆん私たち親子はというと…太郎は指示に合わせて、私の膝上になかなか座ろうとはしなかった。膝上に立とうとして足をパタパタさせたりしていた。何とか座らせることはできたが、落ち着きがなくずっと、もぞもぞそわそわ(しかし、めっちゃ笑顔)Upload By まゆん続けて先生が「手を握りましょ~」と言うと、周りは保護者が子どもの手を取ると、子どもはそれに誘導されるように手を握って音楽に合わせることができていた。太郎のもぞもぞそわそわはどんどんエスカレート。ニコニコしながら私の膝上に立とうとしたり跳ねようとしたり、全く手も取れなかった。私とは一切目も合わさなかった。「もう…ちょっと落ち着いてくれ…手を取ってくれ…目を見てくれ…」と落ち着きがない太郎に疲れを感じ、周りからどう思われているかな…なんて考えている私がいた。Upload By まゆん太郎は私と触れ合うことがうれしくてずっとニコニコしているのに、私は太郎の笑顔をまっすぐに受け止められていなかった…。母の直感Upload By まゆんこのころから、周りとの「違い」を少し感じ始めていた。そしてこの時期、私は看護師として病棟勤務から外来勤務へ部署異動した時期でもあった。小児科の発達相談外来にも助っ人として少し携わる機会があった。発達相談では、保育園~小学校低学年の子どもについての相談が多かった。その外来に来ていた子どもたちは、注意力が続かなかったり、静かに座っていることが難しかったりする様子が見られた。医師の呼びかけに「はい!」と返事はするものの、医師の目は見ず、違うところに意識はいっているようだった。Upload By まゆんここから私は「もしかして…」と考えるようになっていった。この時期に発達外来の医師に太郎の相談をしていましたが、1歳7ヶ月で年齢も低く評価が難しいとのことで、しばらく経過をみることになっていました。たしかに1歳や2歳の時期はみんな元気に動きまわってて、周りからはなんの問題もないように見えたと思います。しかし、日常生活をずっと一緒に過ごしている私は、ハッキリとはわからない「何か」にずっとひっかかりがありました。「何かが違う」「でもなんだ」という母親の直感というものをずっと感じていました。この活発さは子どもだからか?いや、それにしても……という風に。看護の世界でもあるのですが、「看護師の直感」というのは重要視されています。同じように、親としての直感と言うものもあるのではないかと思います。根拠は明確ではないが何かが違うという直感、その直感を無視せずに誰かに伝えたり、相談したりするということは私が経験した子育ての中では重要なポイントになっています。執筆/まゆん(監修:井上先生より)自閉スペクトラム症に関しては、近年、2歳代で診断するシステムが確立しようとしていますが、一般にはまだ十分に普及していません。2歳以下の場合は、まゆんさんのような気づきはあるものの、どこに相談をすればよいか分からなかったり、相談に行くことがためらわれたりといったことがあるかもしれません。最初から医療機関に相談することに不安や抵抗がある場合は、お子さんの特性に合わせた子育てについて、園の先生や子育て支援センターなど身近な方や機関に相談してみてはどうでしょうか。
2021年09月08日Instagramでフォロワー9.7万人超えのkoto(@kotoko_no_sekai)さんの育児マンガをご紹介!注意欠陥・多動性障害のコト子ちゃんを育てています。ある夜、ひとりっ子のコト子ちゃんが突然「お兄ちゃん」がいると話し始めたそうです。kotoさんには、思い当たる出来事が……! 前回のお話:「わたしね、お兄ちゃんいるんだよ」ひとりっ子の娘が突然不思議なことを言い出した話「ママもお兄ちゃんに会えるかな?」 コト子の口から、急に「静岡県にある富士山」なんて言葉が出て不思議でした。教えた記憶もなく……。いつもは話し方も、もっとぎこちないのです。 そして、まさかのひと言……。本当に不思議な夜でした。お兄ちゃんの様子が聞けた気がして、うれしかったです。ちなみに今のところ、第二子の予定はありません。 いつもは話し方もぎこちないのに、突然「お兄ちゃん」についてスムーズに話し始めたコト子ちゃん。 授かった時期も合っているとは……本当に不思議な出来事ですね! kotoさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO
2021年09月05日ADHDの診断・検査Upload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンUpload By 発達障害のキホンADHDの診断ができるのは、専門医だけです。子どもの場合は、大学病院や総合病院の小児科・児童精神科・小児神経科や発達外来などで受けることができます。いきなり外来の予約をとるのはハードルが高いときには、保健センターや児童発達支援事業所、かかりつけの小児科などに相談するのもおすすめ。診断を希望することを伝えれば、医療機関を紹介してもらえるでしょう。診断では、子ども本人への面談や検査のほか、家族への聞き取りも行われます。ただ、通常1回の受診で確定診断に至ることはありません。それは、他の発達障害や自閉スペクトラム症との区別や、併存があるかどうかの判断が非常に難しいためです。発達障害の専門機関は他の病気に比べるとまだ少ないものの、発達障害者支援法などの施行によって年々増加しています。日本小児神経学会の「発達障害診療医師名簿」では、発達障害の診療を行える医師の一覧を確認できます。日本小児神経学会「発達障害診療医師名簿」診断を受けるタイミングや目安は?定型発達の子どもでも2~3歳ごろまではじっとしていることが難しく、集中力も長く続かないものです。乳幼児期は、ADHDの症状かどうかを見極めるのはむずかしいとされています。このため、診断を受けるのは4~5歳ぐらいからが多くなっています。4~5歳になると、多動や衝動性のほかにも言葉の遅れ、不器用などの特性が明らかになることが多く、また集団行動をするときの課題もだんだんと分かってくるからです。受診をする一つの目安は、日常生活に支障をきたすことがあるかどうか。・同じ世代の子どもと比べて、著しく不注意・多動性・衝動性に基づく行動が多い・不注意・多動性・衝動性の症状のために、友達とトラブルになりやすい・学校の授業についていけない、学力の低下が著しい例えば、こうした困りごとがあれば、一度、専門機関を受診してみるとよいでしょう。また、本人には困った様子がなくても、保護者や周囲の人が強く感じている場合も診断を受ける目安になります。診断・検査の流れは?ADHDの診断は、医師の問診がメインになります。子ども本人に自宅や学校でどのような生活を送っているのかを詳しく聞いたり、本人の様子を見たりして、症状や特性を判断します。また、保護者との面談では、これまでの生育歴・既往歴・家族歴などの聞き取りも行われます。正確な情報を得るために、保護者や担任の先生にチェックリストを記入してもらうこともあります。併せて発達検査や心理検査を行い、総合的に判断します。こうした問診は1度ではなく、何回かに分けて行われます。正確な診断のためには、時間をかけてじっくり子どもの特性や症状を見極めることが不可欠! 子どもがリラックスして医師と話せるよう、病院に行く前には「明日は先生とお話するよ」など、あらかじめ予定を伝えておくといいですね。診断に必要な準備や持ち物は?普段の行動や学校での様子なども、診断のための大切な情報です。医療機関を受診する前に、「不注意」「多動性」「衝動性」のADHDの3つの特徴がどのくらい現れているか、本人の状態を把握しておきましょう。資料として役立つこともあるので、日常生活でのようすがわかるメモを持参するのもよいでしょう。医療機関から持ってくるように、と言われるものには、たとえば次のようなものがあります。□担任に記録してもらった学校での様子のメモ、連絡帳など□保育園や幼稚園時の連絡帳□通知表□母子手帳□子どもの自筆のノート診断に必要な持ち物は受診する医療機関によっても異なります。持ち物や事前の準備については、予約時に確認しましょう。
2021年09月04日Instagramでフォロワー9.7万人超えのkoto(@kotoko_no_sekai)さんの育児マンガをご紹介!注意欠陥・多動性障害のコト子ちゃんを育てています。今回は、コト子ちゃんが突然不思議なことを話し出したときのエピソードを2回に分けてご紹介します。ひとりっ子の娘が突然「コト子ね、お兄ちゃんがいるんだよ」と言われてびっくり! ママが驚いたそのワケは? ひとりっ子の娘が突然… 不思議なことがあったので、忘れないうちに描きます。 1人っ子のコト子ちゃんにお兄ちゃんが……?! 「まさか……」と思い、ドキドキするkotoさん。 このあとコト子ちゃんは、お兄ちゃんについてどんな話をしてくれるのでしょうか……?! kotoさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO
2021年09月04日12歳から路上で靴磨き「あなたの靴に魂を…」Upload By 桑山 知之革好きの家庭に育った市原さん。母親がブーツを磨いているのを見て興味を持った。3歳のころから母子家庭で、母親は2人の子どもを養うために仕事を掛け持ちし、帰りはいつも遅かった。妹と母親の帰りを待つ間、市原さんは決まって母親の靴を磨いていたという。「寂しい思いもしたんですけど、お母さんの靴を磨いて、帰ってきたらすごく褒めてくれるというのが嬉しくて。そこで愛情に飢えていた分、褒められたときに愛情が満足したというか。その気持ちを覚えてから、野球のグローブとかスパイクもやり始まりましたね」(市原さん)小学4年のとある日の夜、テレビの特集を見て靴磨きという仕事があることを知った。中学1年から名古屋の高架下の路上で、通行人相手に靴磨きを始めた。「あなたの靴に魂を込めさせてください」とホワイトボードを掲げ、プロではないからと代金は取らなかった。中学時代は陸上部に所属。学校ではうまくなじめなかった。いじめにも遭った。そんなときは決まって、歯ブラシとスパイクを持って教室を抜け出し、体育館の裏でひたすらスパイクを磨いていた。なぜ生きづらいのかが、分からなかった。Upload By 桑山 知之パニックを機に発達障害が判明強みを靴磨きで岐阜市内の通信制の高校に進学し、週2日学校に通った。スーパーや居酒屋、ラーメン屋など、人間関係がうまくいかずアルバイト先を転々としながら、路上で靴磨きを続けていた。高校2年のとき、パニック障害に陥ってしまう。「休み時間に(クラスメートたちが)キャッキャしているのがすごくうるさくて耐えられなくて、暴れちゃって。ガラス割ったりとか、机ぶん投げたりとか。でも分からないんですよ、自分がなぜ暴れているのか。でも体が勝手に動いちゃって。先生4人がかりで押さえられて、僕には何が起きたのか分からない、何をしていたのかあまり覚えていない」(市原さん)Upload By 桑山 知之感覚過敏で周りの音や匂いに敏感なほか、人に見られることが特に気になった。医師からADHDとASDという診断を受けた。うつ病とパニック障害も併発していた。当初は布団から出ることができないほどだったが、母親に支えてもらいながら精神科に通院。約2年かけて日常生活ができるまでに回復した。そのときも、ひたすら靴を磨いていたという。やっと分かった「生きづらさの正体」と向き合うことで、自分の道が見つかった。持ち前の集中力と記憶力が、靴磨きで活かせる。発達障害の特性が、強みに生まれ変わった瞬間だった。高校卒業後、路上で靴磨きを続けていた市原さん。2017年12月、名古屋で有名な靴磨き専門店の主人に声をかけられ、弟子入りを決意した。朝5時半に起き、8時には出勤。深夜まで修業は続いた。帰宅後も一人、寝る間も惜しんで靴と向き合い続けた。発達障害の特性が、市原さんを支えていた。「命を削ってでも磨け」。師匠から教わった言葉だ。初デートで履いた靴、結婚式で履いた靴、亡くなった夫の靴――。客が持ち寄るそれぞれの靴には、さまざまな思いが詰まっている。「半端な気持ちではできない」と、どれだけ靴に魂を込められるのかに、強くこだわりを見せる。命を削ってでも…靴磨きに懸けた人生Upload By 桑山 知之岐阜県関市に今年4月、靴磨き専門店「LEON」をオープンさせた。岐阜県内で唯一の専門店だ。汚れ落としで使うクリームはすべて、知り合いの農家から直接仕入れたハチミツやオレンジなどを調合して手作り。靴を磨くのに使うネル布は、「感覚が変わってしまうから」と学生時代の体操服の切れ端を今も使用している。障害者手帳2級。今も不安で手の震えや動悸などの症状が出ることもある。やらないと気が済まない性格から、中途半端な出来栄えでは一切眠れない。「靴を見れば、その人の性格がわかる」。その技術に魅了された全国各地のファンから郵送での依頼を受け、60足以上を磨く日もある。「発達障害があるからこそ見える世界や、できることがあるんじゃないかなと。でも、普通の親は普通に育てようとして、その個性をつぶしているんじゃないかと思うんですよ。どんどん大人になって、個性がなくなっていく。最低限の礼儀礼節以外、僕のお母さんは制御しませんでした。あえてでしょうね。止めなかった。暴れたりもしましたけど、理由を聞いて何も怒らなかった。僕を自由にさせてやりたかったんだと思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之心も磨く職人に「僕にとって障害はギフト」完全予約制で、客と話をしながら靴を磨くスタイルのため、60分間という時間を確保。それでいて相場の半額の2000円という破格の安さだ。取材に際し、筆者もローファーを持ち込んだ。「桑山さん、サイズが合ってないですね。ゆるいんじゃないですか?」靴の使い方から性格まで、すぐに見破られてしまった。「主婦の方だったら旦那さんの悩みごととか。障害のある方は、どういう風に乗り越えてきたか聞かれたりします。完全予約制にしないとそういう風にできないんです。お客さんと会話して、お客さんの心も磨くのが靴磨きですから」(市原さん)現在、弟子を10人以上抱えている市原さん。岐阜県内の放課後等デイサービスなどで発達障害のある子どもたちにも、靴磨きを教えているという。Upload By 桑山 知之「僕にとって障害はギフトだと思っています。神様から贈られたというか、障害者って落ち込む必要はなくて。僕だってもし靴磨きと出合わなかったら、ずっとバイトを転々としていたと思います。そこに時間が掛かる人もいるかもしれないし、意外と近くにあったりする場合も多いかもしれません。例えばすごく掃除にこだわる人もいますけど、それを職業にすればいいと思うんです。私生活の一部が、僕は靴磨きだったので。何をモノにして認めてもらえるか。その中でずっと続けていたのが靴磨きだったんです。まさか職人になるとは思っていませんでしたけど……偶然ですけど、必然だったのかなって思います」(市原さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海監修:三木崇弘(児童精神科医)
2021年08月31日