ママたちが子育てやパパとの関係で悩んだりするように、もちろんパパだって子育てやママとの関係に悩むことがあります。「パパが育児に対して悩みを持つというのは、育児に関わりたい気持ちがあるからこそ」と、大阪教育大学教育学部教授の小崎恭弘先生は言います。小崎先生は、父親の育児支援に関する専門家で、3人のお子さんのパパでもあります。今回、パパたちが抱える育児の悩みにアドバイスをいただきました。 パパが育児で悩みだしたこと自体が大きな変化小崎先生:「『イクメン』が流行語大賞に選ばれたのは2010年でした。そのひと昔前までは、『パパは仕事、育児はママ』という固定的性別役割分業が明確で、社会全体にパパが育児をする前提もなかったから、そもそも当時のパパたちは育児の悩みが少なかったでしょうね。今のパパは積極的に子どもと関わりたいけど、社会の雰囲気やママのハードルが高めに感じたりして、どうしたらいいかわからない、ママのようにうまくいかないなどの悩みが出てくるのでしょう」 とはいえ、パパ側にも原因がある場合があると言います。 小崎先生:「“産んだ=育てられる”と勘違いしているパパは多いです。自分はどこか関係ない、ママは育児ができて当然、と思っていませんか? 当事者意識を持って育児に向き合うことが大切です。お産と直接授乳する以外のことは、パパは全部できるんだと認識しましょう」 Q.子育てはわからないことだらけ。小さな赤ちゃんはどう扱っていいかわからない。(生後1カ月)小崎先生:「パパがわからないように、ママも実はよくわかっていないのです。わからなくてもやるしかないので、わかっているように見えるんですよ。わからないだらけのことを、ママと一緒に考えていく・積み重ねていく中で、2人でだんだんと育児に慣れていけばいいんです。新生児期は一番変化する時だから、成長をより実感できるときでもあります。そのためには、日ごろの様子を知ることと、原始反射など赤ちゃん特有の成長・発達について、勉強・理解することがポイントです。そのうえでお世話などの経験をしていけば、少しずつ赤ちゃんの接し方もわかってコツがつかめてくるでしょう」 そのためにはママにもお願いがあるとか。 小崎先生:「日常の様子を写真や動画でパパと共有しましょう。私は妻とずっと“育児日誌”を交換していましたが、今はスマホですぐに記録を残せるし、共有するのも簡単ですよね。パパにどんどん送って、赤ちゃんの日々の様子や成長を知ってもらいましょう」 Q.子どもに「ママがいい!」「こっち来ないで」と言われてつらいです…(年齢2歳6カ月)小崎先生:「たしかに子どもに『ママがいい!』と言われたら落ち込みますよね。ですが、ママと過ごす時間が長い場合などに、ママとの関係性が生活の基本となって子どもが安心感を持ちやすいということはよくあることだし、自然なことでもあります。 さらに、お風呂や寝かしつけがいつもママなら、それは子どもの中でそういうルール(儀式)ができあがっているんです。子どもにとっては“いつもどおり”が安心だから、「ママがいい!」と言うんですね。これを言うと、そこで諦めちゃうパパが多いんですが、そのルールは変更可能だということも知ってほしい。子どものルールは日常の中で作られています。仕事から帰宅した後や休日は、積極的に子どもと関わってスキンシップをはかりながら一緒に過ごす時間を増やしましょう。そうしていうくちに、パパとのお風呂もねんねも安心だと伝わるでしょう。また、パパの方が楽しいという時期もでてくるものです。体を動かす遊びなど、パパは得意なことで積極的に関わっていくとよいですね」 Q.一生懸命やっているのに、ママが認めてくれません。仕事で疲れているなか、ぼくだって頑張っているのに。(生後9カ月)小崎先生:「今のパパたちは頑張っていると思います。けれどママも、日中は後追いが始まって息つく暇がなかったり、夜泣きなどで寝不足になったりしているかも。そんなママの日ごろの家事・育児の頑張りを認めたり感謝の気持ちを伝えたりしていますか? していないなら、どこかで家事・育児より仕事の方が大変と思っているのでは? まずは“どちらが大変”などの考えは改めて、ママの日ごろの家事育児を認めることが先決かもしれません」 それでも、ママに自分の気持ちを伝えることは良いことだとも小崎先生は言います。 小崎先生:「今までは、男がそんなことでグチグチ言うなよという空気があったと思います。でも『しんどい』とか『認めてほしい』と口にするのは悪いことではないし、なによりパパたちの本音ですよね。ぜひパパにはそういう不満を言い合える“パパ友”を作って発散してほしいですね。NPOや行政のセミナーなどを活用したり、SNSやネットの繋がりを利用したりして、パパ友の輪を広げましょう。そして、ママにも伝えて、お互いに、楽しいことだけでなくつらいことやしんどいことを言い合える、話し合える関係を築いてほしいと思います」 Q. 妻と子育て方針や価値観が合わないときは、どうしたらいいでしょうか。(叱り方、習い事など…)(年齢:1歳9カ月)小崎先生:「子育てに関しては、お互いに育った環境が異なることもあり、価値観が合わないことは自然なことです。まずはお互いに子育てへの想いを理解することが大事です。 その上で、いろいろな事をすり合わせしていきましょう。細かいルールを決めるのは大変なので、子育てで大事にしたいこと、どういうことをしたら叱るのかなどの、大まかな方向性を確認するといいと思います。その方針も、生活をしていく中でズレや意識の違いが生じることもあるので、そういったときにその都度話し合って、確認・修正していくこともとても大切です。 また、習い事に関してはその種類を相談するよりも、習い事でどういう経験をしてほしいのか、子どもに何を身につけさせたいのかということを話し合うといいでしょう。親の思いだけで決めるのではなく、子どの個性や特性を大切にすることも忘れずに!」 Q. 妻が妊娠中ですが、父親になるという実感がわきません……。小崎先生:「妊娠するとおなかが大きくなったり、ホルモンの影響などで感覚や気持ちに変化があったりするママと比べると、パパは自覚がしにくいということはあると思います。人によって、実感が持てるタイミングもさまざまでしょう。無理して父性を自覚する必要はなく、これから育児グッズなどの準備をしたり、生まれてからスキンシップを重ねたりして芽生えていくので焦らなくても大丈夫です。ママと2人でどんな子育てがしたいかを話し合ったりしながら、親になる歩調を合わせていきましょう。 ママにはぜひ『パパスイッチ』をたくさん見つけて、押してほしいです。赤ちゃんの名前を考えたり、胎動を一緒に感じたり、保険の見直し、お金の手続きなんかもいいスイッチですね。その際にもしパパが「俺、それわからない」と言ってきたら、「私もわからない!」と返答してみてください(笑)お互いに初めての育児なんだから、どんどんパパを巻き込んで、2人で一緒に親として成長していきましょう」 Q. 育児に協力する気持ちはあるけど、簡単に会社に休むって言えない…。(妻が妊娠中)小崎先生:「今の社会がまだまだ追いついてないというか、これはパパだけの問題ではないことをママにも理解してほしい。だけどパパは、仕事も大切だけど、同時に家族も大切なはずです。これからはその二つの視点を持って、キャリアと家族・子育てを考えていきましょう。仕事の工夫や取り組みも、子育ての一つです。 4月からは育児・介護休業法が改正されて、企業側は育児休業を取得しやすい環境整備や、育児休暇を従業員に促すことが義務化されます。10月からは“パパのための産休”もスタートしますから、そういった制度をうまく活用しましょう。ちょっとずつですが社会も変化しています。ほかのパパや後輩たちのためにも、そういう文化を根付かせていく意識も大切でしょう」 関連記事:いよいよ4月から男性の育児休暇が変わる!?パパの産休もできるって本当?改正後のポイントは 子育てというミッションを共にやっていくという気持ちを大切に「育児の悩みの根底には、『自分の方が大変』、『自分ばっかり頑張っている』といった『自分だけ』という思いがあるからかもしれません。しんどいことも大変なこともある子育てというミッションを、2人で共にやっていくという意識を持ちましょう。パパがママの頑張りを認めている夫婦は、ママもパパを認めているはず。お互いさま精神ですね。 そしてパパは、『出産』というとてもすごいことを控えている or 成し遂げてくれたママへの配慮を絶対に忘れないこと。妊娠〜1歳ぐらいまでの期間は、ママが心身ともに一番大変なときです。大変なときこそ、ママをしっかりサポートして一緒に子育て経験を積み重ねましょう」 取材・文/早田佳代監修者:保育士 大阪教育大学教育学部学校教育教員養成課程家政教育部門(保育学)教授 小崎恭弘兵庫県西宮市初の男性保育士として施設・保育所に12年間勤務。3人の息子が生まれるたびに育児休暇を取得。市役所退職後、神戸常盤大学を経て現職。専門は「保育学」「児童福祉」「子育て支援」「父親支援」。NPOファザーリングジャパン顧問、東京大学発達保育実践政策学センター研究員。テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等にて積極的に発信をおこなう。「男の子の本当に響く叱り方・ほめ方」(すばる舎)、「育児父さんの成長日誌」(朝日新聞社)、「パパルール」(合同出版)など、著書多数。著者:ライター 早田佳代編集プロダクション勤務を経て、フリーの編集・ライターに。不妊治療、妊娠・出産、健康、ダイエットなどの企画を中心に活動中。取材先などで得た情報を、よりわかりやすく伝えることがモットー。
2022年03月30日長女を出産してから約1年後、やはりきょうだいをつくってあげたいと思い、2人目を考え出しました。2人目は2歳差を希望していた私。結果わが家は2歳差ずつの3姉妹となったのですが、そのときに考えた、なぜ2人目が欲しいのか、ひとりっ子ではなくきょうだいをつくりたいのかという理由、そして2人目が2歳差であることのメリット、デメリットについてお話しします。 2人目が欲しかった理由私も夫も長女をひとりっ子にしたくなかった理由……それは、私は4人姉妹、夫は8人きょうだいと、多くのきょうだいのなかで時には切磋琢磨し、時には力を合わせながら一緒に育ってきたからです。私自身、今でも姉妹とても仲が良く、頻繁に連絡を取り合っています。 お互い頼りにし合い、今も昔もみんながいてくれてよかったなと思います。小さいうちは一緒に遊ぶ仲間として、大きくなってからは頼れる仲間として、一番身近な存在がいるといいなという思いで、2人目を考えたのです。 2歳差のメリットまずは、姉妹の歳が近いので一緒に遊べること。上2人はもちろん喧嘩もしますが、お互いいないと寂しいと言うほど、一緒にいることが楽しいようです。2人目が生まれる前は、私が家事をしなくてはいけないときに遊び相手がおらず、長女には寂しい思いをさせてきました。 今では2人で遊んでくれるので、母としては少しラクだなと感じることもあります。その他に、2歳差だと幼稚園や学校に一緒に通えて受験や入学もかぶらないこと、生活リズムが大きくはずれないこともメリットだなと感じています。 2際差のデメリット2人目妊娠中に長女が1歳児で、抱っこもまだまだ必要な時期でした。出産してからも0歳児を抱えながら、魔のイヤイヤ期を迎える2歳児と向き合うことになったので、今振り返ればとても精一杯で、次女が赤ちゃんのときの記憶が長女ほどないのが事実です。 また、私は育休を取っていたので、育休明けすでに妊娠しているという状態でした。育休明けの仕事についての話し合いの場で妊娠報告をしましたが、正直気まずかったです。数カ月復職してまたすぐ産休に入るので、収入の面でも影響がありました。 メリット・デメリットいろいろとありますが、わが家は2歳差でとてもよかったと思っています。10年ほど働いていた職場に迷惑をかけてしまったことは心苦しかったですが、小さな子どもたちが一緒に遊んでいる姿を見ると、うれしくて幸せで涙が出そうになります。赤ちゃんは授かりものなので、欲しいと思ってできるものではないですが、タイミング良くわが家にやってきてくれた子どもたちに感謝しています。 監修/助産師REIKO著者:北川なつみ5歳、3歳、1歳の3姉妹の子育て真っ最中のママ。保育士として約10年認可保育園に勤務し、現在は育休中。子どもたちと毎日たくさん笑って過ごしたいと、日々子育てに奮闘中。
2022年03月03日当時私は、小学4年生の息子と小学6年生の娘を2人育てるシングルマザー。夫と離婚し、仕事や家事、育児に追われる毎日でした。付き合っていた彼は6つ上。彼にも離婚歴があることは知っていました。妊娠11週目のある日、彼から「大事な話がある」と言われます。そして、彼の戸籍謄本を見て、私は衝撃の事実を知ることになったのです……。見せられた戸籍謄本には、2枚目があった彼との子どもを身ごもり、妊娠11週のことです。大事な話があると言われ、私は入籍の話かなと思っていました。手渡されたのは、1通の封筒。入っていたのは、戸籍謄本でした。彼の情報の下には、奥さんの名前と誕生日、入籍日、そして、離婚した日。正直、知りたくなかった内容ばかり。さらに「2枚目を見て」と言われて、もう1枚あることに初めて気付きます。そこには、男の子の名前が書かれていました。「実は元奥さんとの間に子どもがいる。」と彼は言いました。そして、子どもが1歳6カ月のときに離婚し、それから会っていないこと、養育費を月に5万円払っていること、元奥さんはすぐ再婚して、再婚相手との間にも子どもがいること、これらを淡々と続けて言いました。私は目の前が真っ暗になり、「そっか」としか言えませんでした。 悪化するつわり…彼からは何度も「俺は、子どもができにくい体だから」と聞いていました。デリケートな話なので詳細は聞きませんでしたが、子どもができないことで離婚したのだろうと、私は勝手にそう思っていました。そのため、妊娠がわかったとき私は驚き、奇跡が起きたのだと、喜びの気持ちでいっぱいになっていました。ひとりになるとあの戸籍謄本を思い出し、涙があふれます。もともとあったつわりも、余計にひどくなった気がします。水分もほとんど摂れなくて、吐いて貧血をおこしてしまう状況になることも。そんなときは10分も立っていられません。そんな状況でも、仕事も家事も育児も休めないので、体重は10kg落ちてしまいました。 このままじゃダメだ。私が出した決断私の元夫は、すぐ多額の借金をする人です。将来、子どもたちにお金を借りにくるかもしれません。元夫が、借金を残して亡くなる可能性もあります。その場合、子どもたちは相続放棄の手続きが必要となるでしょう。そのため、再婚相手に子どもがいるということ自体がショックでしたが、養育費の支払いがある、という金銭面の問題にもさらに不安がつのってしまいました。 また、彼に子どもがいるという、大事なことを子どもたちに隠しておくのは気が引けて、私の子どもたちに子どもがいることを伝えてほしいと彼にお願いしました。しかし、いま子どもたちと関係を築き上げているところだからと話したがりません。何度も話し合った末、もう少し待つことに。 そして私は2つ決断しました。1つは、彼が子どもたちに実の子の話をしたときは、家族の関係を取り持てるよう私が間に入ること。もう1つは、万が一彼の子どもを引き取ることになったときは、分けへだてなく4人の子どもを育てる、ということです。 私の祖父母は再婚同士で、そのことを母から打ち明けられたのは小学生のころでした。祖父とは血が繋がっていないことがわかり、知ったときはショックは受けました。しかし、愛情をいっぱい注いで私をかわいがってくれた祖父。祖父は血の繋がりがなくても本当の家族になれることを教えてくれました。私はふと、このことを思い出しました。 夫婦だって、もともとは血の繋がりのない他人同士ですし、血の繋がりがあっても意見が合わないことはよくあります。これから彼が実の子どもの話を私の子どもたちにしたとき、子どもたちがどんな反応をするのかわかりません。ショックを受けたとしても、祖父が教えてくれたことを思い出し、不安はありますが、お互いを思いやる気持ちがあればきっと家族になれると信じて寄り添っていきたいと思います。 著者:樋口 みき13歳と1歳の女の子、10歳の男の子を育てる母。離婚、婚活を経験し、ステップファミリーとして生活。年の差兄弟の生活スタイルの違いに翻弄されつつ、パワフルに生きています。
2022年02月25日わが家には、小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。もともとは子どもは2人欲しい、と思っていたのですが、子育てしていくうちに子どもたちのかわいさからいつしか、子どもは3人いてもいいなあと思うようになりました。けれど、結果的にわが家は子どもは2人、ということになったのです……。そのいきさつをお話しします。ずっと、子どもは2人が良いと思っていた私は3人きょうだいの末っ子です。実家は家族5人で住むには少し手狭だったので、19歳で引っ越しをするまでずっと、母と同じ部屋で寝ていました。自分の部屋がないことがずっと不満でした。 自分の周りにはたまたま2人きょうだいの子が多かったこと、また母はいつも忙しそうに「3人は大変」と言っていた記憶があったので、自分は将来は子どもは2人が良いな……と漠然と思っていました。一方、夫はお姉さんと2人姉弟。子どもは2人くらいがちょうど良い、と思っていたようです。 3人目が欲しいと思ったきっかけ私が住んでいる地域は比較的専業主婦のお母さんが多いこともあり、お子さんが多い家庭も多いようです。娘が通った幼稚園にも、お子さんが3人、4人いるお母さんたちが多く、みなさんパワフルなので、はじめは驚きました。 けれど、そんなお母さんたちがせわしないながらも幼稚園の委員をこなしていたり、お子さんたちそれぞれに習い事をさせていたり、毎日充実して楽しそうにキラキラと輝いて見えたのです。そんなお母さんたちのなかにいるうちに、憧れに似た気持ちを抱き、いつしか自分も3人目が欲しい、と思うようになりました。 2人目を不妊治療で授かったわが家3人目が欲しいと思うようになった理由はもう1つあります。わが家は2人目不妊で、息子は不妊治療の末授かりました。息子がおなかにいたとき、息子は双子でした。ですがバニシングツインで1人消えてしまったのです。 そのことがわかったときは本当にショックで悲しかったですが、それと同時に、お空に帰ってしまったその子をいつか絶対呼び戻したい!と強く思ったのです。 3人目が欲しいな、と言った私に夫は夫は仕事が多忙なので、息子が生まれる前から私はワンオペ育児でした。1人のときはなんとかなっていたのですが、子どもが2人になると余裕がなく、明らかに家の中は荒れ気味でした。でも、今はそれで仕方ない、と思っていたのです。そんななか、3人目を考えているということを夫に軽く伝えてみました。すると夫は目を丸くして、「3人目〜?」と驚いたような反応で、その反応にしばらく悩みましたが、やっぱり欲しい!と思った私は、今度は真剣に「3人目が欲しい」ということを伝えたのです。 すると夫はこう言いました。「どの口が言ってんの?」。普段キツいことを言う夫ではないので、余計この言葉はグサッと刺さりました。それと同時に、それなら少し助けてくれてもいいのに……私たちの子どもなのに⋯⋯と悲しくなり、夫のことが他人に見えてしまいました。そしてそれ以上、3人目の話はできなくなってしまったのです。 幼稚園に入園したやんちゃな息子が、お友だちの弟や妹にやさしくしてあげているのを見たり、3人目を妊娠した友人の話を聞いたりすると、今でも3人目が欲しかったな、と思うことがあります。けれど、子どもを2人授かれたことも当たり前のことではありません。そのことに感謝をして、今目の前にいるかわいい2人の子どもたちに、しっかり目を向けていきたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年02月16日初めての妊娠で、出産に向けての大きな心配は、陣痛の痛みに対する恐怖と、いきんだときにうんちが一緒に出てしまうのではないか、ということでした。出産のときにうんちが出てしまったら恥ずかしいし、医師や助産師さんにも申し訳ない……。出産時のうんちが心配だったので、事前に産科病棟に勤めている看護師の友人から情報収集したことと、実際の私の出産のときはどうだったのか、お話しします。 出産のときの心配ごと私は19歳のときに初めて妊娠し、臨月を迎えました。出産のときに心配だったのが、陣痛の痛みはもちろん、いきんだときに一緒にうんちが出てしまうかも……ということでした。医師の目の前で、うんちが出てしまったら恥ずかしいし申し訳ない……。 病院によっては、事前に浣腸をしてうんちを出すようにする病院もあるようですが、私の出産予定の病院では、特に事前の処置は何もしていないとのことでした。 実際はどうなの?みんな出るもの?総合病院の産科病棟に勤めている看護師の友だちに、実際出産時にうんちはみんな出てしまうものなのか、聞いてみることにしました。友だちからの回答は「結構みんな出るよー! あれだけすごい力でいきむから、そりゃあ出るでしょ。医療者は何も気にしてないよ」とのこと。 「みんな普通に出ちゃうものなんだ……。日常的によくあることで、医師や助産師はまったく気にしてないんだ……」と思うことができ、出産時のうんちはそれほど気にならなくなりました。 陣痛がきた!産むときににうんちは出た?そして、ついに出産のとき。いざ陣痛がきて、最後のいきみのときに「あ、今うんち出たな……」という感覚がありましたが、痛みと疲労で恥ずかしさや申し訳なさはそれほどありませんでした。「うんちが出たら臭うのかな?」ということも心配でしたが、臭いはまったく気にならなかったのです。 後日、出産のときに担当してもらった助産師さんに「出産のとき、便が出てましたよね?」と聞くと「出てたかな? でも、赤ちゃんが無事に生まれたんだから、うんち出てもよし!」と明るく答えてくれ、少し残っていた恥ずかしさと申し訳なさが消えてなくなったような感覚になりました。 産科病棟に勤めている看護師の友だちに確認し、「出産時にうんちが出るのは、よくあること」とわかっていたので、陣痛中もうんちのことをそれほど気にせず出産に臨むことができました。実際に出産のときにうんちは出てしまいましたが、赤ちゃんが無事に生まれてきてくれたことと比べると、大したことなかったように思います。 監修/助産師REIKO著者:吉川 みきな13歳女の子と3歳男の子の年の差姉弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年02月08日私は20歳の誕生日と同時くらいに、第1子を妊娠しました。初めてのわが子にうれしい反面、不安や苦労もありました。特に、周りから「若いママだから……」という目で見られることに苦痛を感じました。2022年民放改正前の体験です。 妊娠判明は成人式の直前!妊娠が判ったのは、成人式の1カ月前でした。妊娠に対してうれしい反面、まだ成人して間もない自分に、子どもを育てられるのかという不安もありました。 それでも産みたいという気持ちは固く、「私、産むから」と現在の夫に宣言。同い年の夫は「う、うん……」と、押される形で出産・結婚を決意してくれました。そのままお互いの両親に妊娠と結婚を報告し、妊娠4カ月の状態で成人式に出席しました。 「若いママだから」と言われたくない!第1子である長女は、私が20歳のうちに生まれました。幼いころから子ども好きだったので、自分の子どもがうれしくて、かわいくて毎日が幸せでした。初めての育児に緊張しながらも、保健師さんの言うことを堅実に守り、育児書と毎日にらめっこをし、懸命に育児をしました。 子どもが口にするものはすべて手作りし、衛生面、健康面にすごく気をつかいました。子どもに対する愛情からが半分、残りの半分は周りから「若いからちゃんとしていない」と思われるのが嫌だったのです。 それでもやっぱり偏見の目…わが子を連れて外に出かけると、「赤ちゃんかわいいわね~」と声をかけられるのですが、決まって最後に「ちゃんと育てなきゃダメよ」と言われるのです。子どもが細かったためか、時には「ごはんちゃんと食べさせているの?」とか「ごはん作ってないんでしょ?」と言われたこともありました。 夫の親戚からは、はっきり「虐待していない?」と心配されていました。若いママというだけで、周りから育児放棄や虐待などの心配をよくされました。自分なりに懸命に育児をしていたので、周りからの偏見の目は悔しかったです。 私は子どもを愛している付き合いのある人たちは理解してくれるものの、結局のところ、見ず知らずの人からの偏見の目はなくなりませんでした。いつしか私も抵抗することをやめ、「この子のママは私。この子がいいと思ってくれているのなら、それでいい」と思えるようになりました。偏見の目で見られようとも、私は子どもを愛しているんです。長女を産んでから数年間、偏見の目に悩まされましたが、自分なりの答えにたどり着くことができました。 年齢を重ねた現在ならば、当時の偏見の目を理解できます。昨今の子ども虐待のニュースもありますし、何より子どもが子どもを産むようなものですから、心配にもなります。でも当時の私にはその気持ちが理解できず、偏見の目が苦痛で仕方ありませんでした。もし今の私が、当時の私に声をかけてあげられるのなら、「子育て頑張っているね! ちゃんとわかっているよ。大変なことがあれば人に頼ってもいいから、あまり無理し過ぎないでね」と伝えてあげたいです。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/きょこ 著者:ライター 木村なち
2022年02月08日ベビーカレンダー公式YouTubeでは、「子どもを持つ幸せのカタチ」をテーマに様々な方にお話を伺っています。今回はご自身ももうすぐ出産を迎える長村さんに、同性カップルの方の妊娠や出産についてのリアルなお話をお伺いしました。家族をつくりたい!と思った時に現実にはどんな課題が出てくるのかなど、詳しくお話してくれています。 家族をつくりたい!同性カップルの妊娠・出産に立ちはだかる壁とは?この動画では、長村さんとパートナーの女性同士のカップルの「子どもを持ち、家族をつくる」ことについてのお話を中心に伺っています。子どもを持つという選択に至るまでの経緯や、実際に女性同士のカップルが妊娠し、子どもを出産するにはどのようなステップを踏んでいくのか、そこに立ちはだかる課題や注意点など多くのリアルを詳しくお話してくれています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声をご紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 妊娠に至るまでの経緯は?長村さんの場合は、長村さんと女性パートナーの共通の知人に当たる外国籍の方に、ドナーとなってもらい精子提供をしてもらったそう。長村さんとパートナーの方との間ではお付き合いをはじめる段階の頃から、「子ども」についての話をしており、長村さんが将来子どもを持ちたいという思いがあること、また、パートナーとなる女性が違う考えを持っているのであれば一緒になるという考えはないことなどをじっくりと話し合っていたそうです。 同性カップルが子どもを持ち、家族を作るというモデルがまだまだ少ない中で、なかなか長村さんの意思を理解してくれる方が少なかったり、周りにそのようなモデルの家族が少ない分、出産を経て子育てをし、家族として過ごしていくというイメージがしにくい…という現実もあるのだとか。 同性カップルの間に生まれた子どもはかわいそう?親のエゴ? 何年も前からメディアで同性カップルの間に子どもが生まれたという記事が出る度に、「子どもがかわいそう」や「親のエゴで子どもを持つのか」などの反応が多く寄せられるそうです。そのような反応は今でも変わらないのだとか。しかし、長村さんは「同性カップルの間に生まれた子どもが「幸せ」か「幸せじゃない」かは、その子が決めること」だと強くおっしゃっています。また、親のエゴで子どもを持つのかという言葉に対しては、同性カップルだけに限った話ではないともお話しています。 まだまだ、世間の「同性カップル」に対する理解が追いついていないというのが現状なようです。 周囲に言われてショックだったこと親に同性カップルでの妊娠を伝えるということも勇気が必要なことだと長村さんはおっしゃっています。長村さんの場合は、母親に妊娠を伝えた際に初めは「ショックだ」と言われたそう。その言葉が長村さん自身にとって辛かったそうですが、今現在は、お母様も気持ちを切り替えて全面的に応援してくれるような体制になっているのだとか。親や近くにいる方が味方になってくれるというだけで、不安な妊娠や出産もなんだか心強くなりますね! 辛かったことや差別はある?日本では同性婚が法律で想定されていません。そのため、まだまだ受け入れ体制がしっかりと整っていないのが現状です。「同性同士(パートナーも女性)で子どもを持つってどういうことなの?」となかなかイメージがしにくく、疑問を持つ方が多いそうです。差別をされているのか、されていないのかはそれぞれの環境によっても大きく変わってくるようです。 また、日本では法的に同性パートナーとの婚姻が認められていないので、カップル同士や生まれてきた子どもと「血のつながりを持つことができない」「法的なつながりがない」という点も辛く、悩む点だと言います。法的な支えがあると色々な面で責任がでたり、ストッパーになってくれたりもするのでは?とおっしゃっています。 女性同士カップルならではの悩みとは?女性同士のパートナーの場合、1人が子どもを産んでさらにその後パートナーも子どもを産み、兄弟や姉妹を作るということも増えてきているそう。 女性同士のパートナーの出産での悩みとは 子どもを産んだ方と、産んでいないパートナーとで気持ちのギャップが生じやすいそう。子どもによって、2人の関係が壊れてしまうのではないか・・という不安から別れの原因の一つになってしまうこともあるようです。長村さんは、法的に「結婚」という選択肢を得ることがでいないが故に、どうしても不安定な状況下に置かれてしまい、不安が余計に強くなってしまうということがあるかもしれないともおっしゃっています。 気持ちを伝えることが大切家族を作っていく上で、パートナーにも産まれてくる子どもにもしっかりと自分の気持ちを伝えていくことが大切。「あなたが大切だよ」ということを伝えて、しっかりとした家族やパートのとの関係を築いていくことが大事なんですね。 子どもへはどのように伝える?子どもには、この家族のカタチをどのようにして伝えていくのかも大切なこと。長村さんの場合は、将来子どもが大きくなって、ドナーと会いたいと言われたら会わせるつもりでいるそう。また、母親が2人いるという家族のカタチについても隠すことなく話そうと思っているそうです。子どもとの関わりの中で、どのような関係性を築いていくのかが大切ということですね。 家族のカタチは「普通」か「普通じゃないか」で見るのでない周囲の人からは、「普通」か「普通じゃないか」で見られることが多く、もしかしたらいつか子どもが大きくなった時に「その家族のカタチは普通じゃない」と言われる時がくるかもしれない。しかし、その時には「どれだけあなたのことを望んで私が産んだのか」ということを子どもにしっかりと伝え、決して悪いことをしているわけではないし、この形も家族のカタチの一つであるということを包み隠さず話していくことが重要であると長村さんは考えています。 どんな家族をつくっていきたいかもうすぐ出産を控えている長村さん。どんな家族をつくっていきたいのか?という質問に「子育てを通して、色々な人を巻き込んでいけたらいいな」と思っているそう。家族のような関係性をいろんな人と育むことが、広い意味での「家族」というものになっていくと良いですよね。 この動画では、長村さんとパートナーさんがどのような気持ちで妊娠・出産のステップに進んでいったのかや、同性パートナーだからこそ起きる悩み、妊娠するまでの様々な課題についてより詳しくご紹介しています。ぜひ、動画もご覧くださいね。家族のカタチは様々。そして子どもを持つ幸せのカタチというのもまた人それぞれです。長村さんたちの家族のカタチについて、詳しくはYouTubeをご覧ください。 ベビーカレンダー公式YouTubeでは、女性同士カップルの出産動画も公開中。感動する出産動画をぜひチェックしてみてくださいね。
2022年02月03日29歳のとき、当時付き合っていた彼との子どもを、思いがけず妊娠しました。しかし、彼の態度は残酷で、私は彼と別れることに……。 息子はもう10歳ですが、私が未婚の母になることを決意したときのことをお話します。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声をご紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 予期せぬ妊娠!そのときの彼の反応は…「これ以上、子どもはいらないんだ」 29歳の春先、妊娠がわかったときに彼から言われた言葉です。彼には離婚歴があり、3人の子どもとは良い関係が続いている、ということは交際前から知っていました。とはいえ、私のおなかの中に宿っている命を、それを理由に否定されるとは思ってもみませんでした。そのあと何度かの話し合いでも、彼の主張は「今回はあきらめて」の一点張り。挙句のはてには「子どもがいたらもう恋愛はできないよ。俺とダメになったとしても次の恋にいけるようにあきらめた方がいい」と身勝手なことを言われる始末。 私の人生にもうあなたはいらない!身勝手なことを言い、自分の主張を譲らない彼に、私はもうすっかり愛想がつきてしまいました。 「これ以上の話し合いは無意味です。もう、私から連絡しません」 そう最後にメールして、私は関係を終わらせることにしました。実は、私は自分がこの人生で子どもを持つ、ということは願っていませんでした。ですが、おなかに宿ったこの命を消してしまう、ということは考えられませんでした。口のうまい彼と一緒にいたら、そのうち丸め込まれて堕胎することになるのではないか、そんな危機感もあり、彼との別れを選択しました。 大丈夫、私には味方がたくさんいるその当時、妹が授かり婚をしたばかりだったので、父母が不意の妊娠についてそれほどネガティブに考えていないことは、なんとなくわかっていました。経緯を説明し、結婚はできないが産みたいことを話すと、母は黙って聞いていたあと、「おなかの中の子どもが一番大事よ」と言ってくれました。父や祖母は怒るどころか新しい命だと喜んでくれました。妹はびっくりしていましたが、「うちの子にいとこができてよかったー」と、私に寄り添うコメントをしてくれました。 思わぬ妊娠でしたが、周囲に応援してくれる家族がいたことと、専門職の免許を持っていたこともあり、未婚でも育てていける、と腹を決めることができました。そして現在、10歳になった息子との2人暮らしを楽しんでいます。あのとき結婚にこだわらなくてよかったと思っています。 著者:春日井透子小学4年生の息子と2人暮らしの未婚シングルマザー。言語聴覚士というリハビリの専門職の仕事とライター業をかけもちしています。
2022年01月25日私たち夫婦はお互いに離婚歴があり、お互いに息子がいますが同居はしていません。そんな事情もあり、子どもはつくらず2人の生活を楽しんでいこうということで再婚しました。しかし、入籍して半年くらい経ってから、夫からのあるひと言で妊活を決めたのです。夫との出会いから結婚まで私は2回の結婚経験があり、どちらも失敗に終わりました。しかし、現在の夫と職場で知り合い、この人となら今度こそ幸せになれるかなと思い、同棲を始めたのです。 毎日が楽しく、作ったごはんも喜んで食べてくれて30代後半で普通のカップルがするような素敵なデートもいっぱい体験させてくれました。そして結婚を機にマイホームを購入し、新婚生活を数カ月送っていたときに、夫に言われたのです。 うれしい言葉に悩んだ末、決断何気なくテレビを観ているときに、夫から「おまえとの子どもが欲しいな」と言われたのです。私は「本気で言ってるの?」と聞いたら、夫は「おまえとの子どもがいたら、今とは違う幸せがあるのかなーって思ったんだ」と言われ、うれしくて涙が出たのを今でも覚えています。 言われたことはとてもうれしかったのですが、やはり悩みました。38歳での出産で私は「大丈夫かな? 育てられるかな?」と不安しかなかったのです。私たち夫婦には両親がいないので頼れるところがないということが、私にとっては大きな悩みでした。しかし、やっぱり夫の子どもを産みたいと思い妊活を始めたのです。 妊活を開始後、半年で妊娠妊活を始めて半年、妊娠検査薬を試してみると見事に陽性でした。すぐに夫に妊娠検査薬の写真を添付してLINEで報告すると、「やったね! おめでとう!」という返事がきて本当にうれしかったです。 妊娠が確定し、35歳以上の出産はリスクが高いのも不安の要素で、もともと体格がよかったので太り過ぎにもかなり注意していました。 無事に出産して3年出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、結局、妊娠41週2日に緊急帝王切開で娘を出産しました。娘は3歳になりイヤイヤ期真っ最中ですが、とても元気いっぱいです。 娘の笑顔を見ると、本当にあのとき不安を乗り越えて妊活してよかったと心から思います。これから先、親子でたくさんお出かけするのが今の私の楽しみです。 20年ぶりの出産で体力的にも精神的にも不安いっぱいの妊活でしたが、夫のうれしいひと言で前向きになり、頑張って子育てしていこうと思いました。私たちは親もなく、頼れる場所がないことがどれほど大変かを知っているので、妊活にはかなりの勇気が必要でした。何度も何度も夫と話し合った結果、私たちの子どもを身ごもることができ、幸せを実感しています。 監修/助産師 松田玲子著者:のろ ゆうこ2歳女児をワンオペで育てる母。現在、シナリオライターとして活動中! 主に育児・家庭に関する記事を執筆している。
2022年01月19日私が元夫と離婚したのはDVが原因です。妊娠中にも繰り返される暴力、ひどいときは首を絞められて気を失ったこともありました。離婚を選択する度胸も生活力もなく、精神的にも元夫に依存していた状態だったので、「私は一生、この人と暴力と一緒に生きていくんだ」と思っていました。ですが、娘が生まれて心境が一変! ここでは、妊娠から離婚を決意するまでの私の体験をお話しします。DV彼氏との間に子どもを授かり、結婚当時19歳だった私は、同棲中の彼氏(元夫)との間に子どもを授かりました。子どもを授かる前から殴る蹴るなどの暴力や、包丁を持ち出しての脅し、携帯電話や眼鏡を壊されるということがあったので結婚に不安はありました。 しかし、陽性の妊娠検査薬を見てうれし泣きしている彼氏を見て、子どもを授かった喜びのほうが勝ってしまったのです。そして、その姿を見て「子どももできたし、結婚もするし、暴力も終わるだろう」そんな期待を持っていました。 結婚しても出産してもなくならない暴力ですが、やはり元夫は簡単には変わりませんでした。妊娠初期のころはまったくなくなっていた暴力も、徐々に手を上げられるようになったのです。でも「子どもにとって父親がいないのはかわいそう。子どもが生まれたら暴力も終わるだろう」⋯⋯そう考えて離婚は選択肢にも上がっていませんでした。 毎日元夫の顔色をうかがい、私はこの人がいなくなったらだめになる、元夫も私がいなくなったらだめになる、そう思い込んでいました。そして子どもが生まれましたが、やっぱり暴力はなくならなかったのです。 こんな父親、子どもにとって必要?私はだんだんと、「子どもが大きくなって、パパがママを殴っている姿を見るのは悪影響じゃないか」「子どもにまで手を上げるようになったらどうしよう」と考えるようになりました。そのうち、「暴力を振るう父親はいらないんじゃないか」という結論に至ったのです。 そのとき、子どもは生後2カ月。離婚するなら子どもの記憶に残る前がいいと思いました。離婚までの計画を練り、元夫をなんとか言葉巧みに説得し、2週間後には離婚届を出しました。 離婚後の心境とその後の生活離婚してすぐは「やっと解放された!」という気持ちより、この先、子どもをひとりでちゃんと育て上げられるのか、子どもが片親ということで寂しさを感じるかもしれない……という不安のほうが大きかったです。 ですが、元夫の顔色をうかがう必要がなくなり、私自身よく笑うようになりました。子どもも元気にすくすく育ち、現在は中学生です。私を気づかっての言葉かもしれませんが、「ママがいっつもいてくれるから別に寂しくない」と言ってくれたりもします。 子どもが生まれたことでやっと目が覚め、DV夫と離婚することができました。今は毎日娘と笑顔で過ごすことができていますが、離婚前や離婚したばかりのころはこんなに明るい未来は想像できませんでした。こうして、娘との穏やかな毎日を過ごすことができ、あのときの私の選択は間違っていなかったと胸を張って言うことができます。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな12歳女の子と2歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年01月09日私は性交渉が大の苦手で、第二子を出産してから4年間レスでした。でも、3人目が欲しくて始めた妊活。フルタイム勤務と育児で毎日フラフラでした。月に1度、排卵前後3日間の夫婦生活にギブアップし、見つけた妊活アイテムを使うことに。妊活で変化した夫との関係についてお話しします。もう妊活に疲れてしまった3人の子どもをもつ共働き夫婦です。3人目を希望し、夫婦生活を積極的に始めました。しかしセックスは痛いだけの私。いつも夫に誘われるのを寝たふりで4年も避けていたため、内心イヤイヤです。それでも妊活のため、不妊外来で言われたタイミングで、月に排卵前後の3日間は夫のご機嫌をとり、夫婦生活をしました。 しかし、半年過ぎても思うように妊娠できませんでした。毎日の仕事と育児のあと、くたくた状態での妊活。私はなかなかうまくいかない妊活に、精神的にも肉体的にも疲れてしまいました。 「夫婦生活 きらい 妊活」で見つけた不妊外来でタイミングを言われるのもストレスで、通院を中断。私は少しノイローゼになっていたため同じ思いの人がいないか、「夫婦生活 きらい 妊活」でブログ検索を始めました。すると「わが家はシリンジで第二子をつくりました」という記事が。 実は4年間のセックスレス中、ひとりで済ませていた夫。そのせいか、私とのセックスでは最後までできず、「精子だけ直接注射できたら良いのにね」とボヤいていました。まさにコレ!と思った私は、さっそくシリンジキットを取り寄せてみました。 「精子製造機じゃない!」と焦る夫夫にシリンジキットを説明し、「じゃ、よろしく」と言うと、「待て、俺は精子製造機じゃない! することはする」と反抗姿勢。4年セックスレスだったので、また私から誘われなくなるのが心配だったようです。しかし通院は中断しても、個人的にタイミングをとっていた私。 次のタイミングの3日間、仕事から帰宅する夫に私が何度も誘おうとすると、「⋯⋯寝たい。ムリ。あれ持ってきて、トイレで出すから」とついに観念しました。それから第三子を授かると、予想通り夫婦生活はなくなりました。夫は「妊活のときはあんなに求めてきたのに」と、また嘆いています。 この妊活での夫の態度から、子どもができてからの私は、夫への愛情表現がなくなっていたことに気づきました。その後、夫婦生活はなくても、子ども抜きで一緒にお風呂へ入るなどスキンシップをとるようになった私たち。今では夫から夜も誘われなくなりましたが、アイテムを使用しての妊娠をきっかけに、夫婦の愛情は夫婦生活の行為よりも、お互いの意識の問題だと気づくことができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:巳村 糸8歳、5歳、0歳の子どもを持つママ兼保育士。趣味は旅行、レジャー、ショッピング。家族5人になり、軽自動車を手放して7人乗りの天井が見える車を購入。この夏は初のオートキャンプを計画中。
2022年01月07日わが家では念願の娘が生まれてから、夫と「子どもは2人欲しい」という話をしていました。しかし、問題は妊活のタイミング。私の周りでは「子どもは2学年差がおすすめ」という声をよく聞きましたが、娘は早生まれのため、私が仕事復帰して数カ月以内に妊娠しなければ間に合いません。そこで、自分たちの生活や職場への影響を考え、育休中に2人目を妊娠することを目指した私の体験談をお話しします。生理が再開しない私は母乳の出がそこまで良くなかったため、少し育児用ミルクを足して混合育児で娘を育てましたが、それでも毎日12回前後の頻回授乳を続けていました。その影響なのか、出産後1年経っても生理は再開しませんでした。 そして、保育園は1歳児入園をねらっていましたがあっけなく落ちてしまったので、今すぐ断乳する必要もないかと思い、結局1歳半になるまで母乳育児を続けました。その結果、産後1年7カ月のときにようやく生理再開。この時点で2人連続育休は叶わぬ夢となりましたが、2人目を希望する気持ちは変わらなかったので、ここから妊活をスタートしました。 夫婦と娘のタイミングが合わない無事生理は再開したものの、いざ妊活となるとさまざまな壁が待っていました。第一に「夫とタイミングが合わない」ことでした。夫は21時過ぎに帰宅し、そこから夕飯を食べてゆっくり過ごすのですが、そのとき私は娘の寝かしつけをしています。 娘が2歳になるころには私も職場復帰をして忙しくなっていたので、寝かしつけてそのまま一緒に寝てしまうことも多く、平日夜は妊活できませんでした。また休日の朝、娘が起きる前に奇跡的にタイミングが取れそうなときも、途中で娘が起きてくることが度々びあり、夫婦ともに2人目は諦めかけていました。 まさかの退職後に…私が仕事復帰して1年経つころ、時短勤務からフルタイム勤務へ切り替わる予定でしたが、保育園の預かり時間の関係で始業時間に間に合わず退職することになりました。教育費や家のローンのことを考え、早く次の就職先を探さないといけないと焦って就職活動していたところ、新型コロナウイルスの感染拡大により就活市場が縮小……。 そこで、とりあえず就職は一旦諦めてフリーランスで在宅ワークしようと考えましたが、その月に第2子妊娠が判明しました。うれしいよりも、まず驚いたというのが正直な感想でした。これまでどんなに頑張ってもできなかった子どもが、たまたま1回とったタイミングでできるなんて。結果的に4学年差となりました。 私は「2人目は妊娠しづらい」という話を聞いたことはありましたが、自分で経験してそれを痛感しました。予想外の連続で授かった第2子ですが、不思議なもので「このタイミングだから妊娠できた」気がして、とても愛しく思っています。ようやく私たちの元にきてくれたおなかの子どもを大切に育てていきたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:潮田しずく1児の母で、現在第2子を妊娠中。元大学職員。現在はフリーランスとして、自身の経験をもとに子育てに関する体験談を執筆中。
2021年12月27日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私もパパも2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産した後に2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2021年12月17日子どもは3人!の予定でしたが、40歳過ぎてまさかの4人目妊娠! 悩んでいた私たち夫婦は義母に子どもの妊娠について報告しましたが、予想していたのとは違う言葉が……。そのときの私たちの気持ちの変化や決断、その後のお話です。 まさかの4人目妊娠!34歳で1人目の子どもを出産し、3歳、5歳、7歳の子どもたちがいました。結婚した当初から子どもは3人!と決めていたのでまったく妊娠の予定はなかったのですが、41歳目前のときに体調不良に。この感覚はもしかして……と思い、妊娠検査薬をしてみると陽性。 予定になかったのでとても驚きました。すぐに夫に連絡し、どのような返事がくるのだろう……と思いながら伝えたところ、意外にも「よかった!!」とすぐに返事がきました。ただ、私は年齢的にも身体的にも先のことを考えると複雑でした。 夫婦での話し合い私たち夫婦は新しい命が宿ったことにとても幸せでしたが、問題はたくさんあり、夫が帰宅してから話し合いをしました。 「私の年齢が40歳を過ぎていること。3人目出産後、体調を崩したこともあり、今回無事に出産・育児ができるのかということ。子どもたちの教育費など金銭的なこと」など。 ある程度計画していましたが、4人となると大きな変更が必要になります。体や金銭面で不安があり、出産は簡単に決めることができませんでした。 義母に報告私たち夫婦だけでは決断できなく、夫から義母に4人目妊娠したことを報告してもらいました。報告したのは、「おめでとう! 楽しみにしているよ!」という言葉が返ってくることを少し期待していたからです。 悩んでいた私たちに、出産という決断の背中を押してもらえると思っていました。ですが、義母から言われたのは「生活していけるの? 今の3人の子どもたちを一生懸命に育てたらいい」という言葉でした。 夫婦の決断義母の本音を聞き、夫も予想外の義母の返事にショックを受けたようで、私に「俺たちの子どものことだから自分たちで後悔しないように決めよう」と言ってくれました。中絶するなら少しでも早く決めなければいけない、でも簡単に決めることもできず、たくさん話し合いました。 夫は一番私の体調のことが気になっていたようです。私は数年先のことを想像し、夫に「やっぱり産みたい。産まないことを選択したら一生後悔し続けるはず」と素直な気持ちを話しました。 出産を決めた私たちは義両親に報告。義母はしっくりいかないようでしたが、義父は「よかった! 産まないと決めたらどうしようかと思っていた」と。その後切迫早産になりましたが、結果的には出産予定日より10日早くなったものの、無事赤ちゃんを出産することができました。かわいい赤ちゃんの顔を見た義母は、今ではメロメロでとても溺愛しています。いっぱい悩んだけれど産む決断をして本当によかったです! ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。 ※2021年12月14日:内容の一部を修正
2021年12月11日1人目を授かったとき、妊活期間はわずか6カ月でした。きっとまたすぐに授かれるだろう……そんなつもりで2人目を計画しましたが、なかなか飛んできてくれないコウノトリ。年の差が5歳のわが家の2人目妊活エピソードをお伝えします。ある日突然コウノトリにお手紙を書いた娘2人目の妊活に踏み切ったきっかけは、娘が3歳のときの出来事でした。初めての育児、ほぼワンオペ育児だったこともあり、毎日必死だった私にはまだとても2人目を考える気持ちの余裕はありませんでした。夫は娘を溺愛してはいるものの、仕事が忙しいため、子どもはひとりでもいいかなと思っていたようです。 でも娘は幼稚園で下の子がいるお友だちをうらやましく思ったようで、ある日突然、コウノトリさんに「いもうとかおとうとをください。こんなこ」と絵も添えて、つたない文字で一生懸命手紙を書いたのでした。それを見た夫と私は、2人目の妊活をスタートすることに決めました。 不妊治療専門クリニックを受診2人目の妊活も、1人目同様すぐに妊娠できるだろうと思っていたのですが、1年経っても授かりませんでした。娘のためにも2人目を早く産んであげたかったので、アドバイスをもらうつもりで不妊治療専門のクリニックを訪ねました。 まずさまざまな検査をしていただきましたが特に問題は見つからず、そのままタイミング法を続けながら、妊娠の確率を上げるための薬を飲み始めました。 タイミング法から人工授精へ半年くらいタイミング法を続けたころ、先生から人工授精のお話がありました。年齢も30代半ばを過ぎていたため、結果につながりやすいだろうとのことでした。夫に話すと、そこまでしなくても……という反応でしたが、気乗りしないながらも協力してくれてありがたかったです。人工授精を開始したらすぐ授かれるかと思っていましたが、なかなか結果に結びつきません。 娘のお世話をしながらの通院や薬の服用などに疲れてきたので、スポーツジムを契約し、気分転換を図りました。そして5回目の人工授精。検査時の数値もあまり良くなく、今回もダメだろうな……と思った矢先、まさかの双子の妊娠が判明!! 妊活スタートしてから1年と9カ月目のことでした。 バニシングツインを乗り越え、無事出産まさかの双子妊娠で、わが家は喜ぶと同時に大騒ぎになりました。弟か妹のどちらかが欲しいと思っていた娘も困惑していたようです。しかし残念ながら、1人は初期にバニシングツイン(双子のうちの1人が亡くなり、子宮内で消えてしまうこと)で、いなくなってしまいました。 悲しみのなか、もう1人の妊娠継続に影響がないか心配しましたが問題なく成長し、健診には毎回娘が一緒に行ってくれて心強かったです。そして出産予定日前に自宅で破水。家には私と娘しかいませんでしたが、娘は5歳になっていたので、私の指示通り動いてくれました。そして夜中の出産だったにもかかわらず、娘の強い希望で出産にも立ち会うことができました!※コロナ禍前の体験談です。 現在娘は7歳、息子は2歳になりました。2人ともお互いのことが大好きで、本当に仲良しです。また、娘は母性に溢れており、私よりも母らしいことがあります。なかなか2人目を授かれず、歳の差が大きくなっていくことに焦りを感じていましたが、今ではワンオペ育児の中戦力となってくれている娘に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年11月27日少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年11月25日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧や妊娠糖尿病について病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽいものは食べられず、甘いものなら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やお尻に神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・お尻の痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年11月08日産後は生理が再開するまで時間がかかると思っていた私。しかし実際は想像とはまったく違い、想定外のことがたくさん起きました。そんな私が体験した産後の生理についてご紹介します。産後の生理について知らなすぎた私産前に参加した母親学級で、「産後は徐々に元の体に戻っていく」と聞いていました。産後の生理再開について個人差はあるものの、半年くらい生理は再開しないんだろうなと思い込んでいたのです。1カ月健診では産科の先生から「悪露の残りが少しあるけど特に問題ないから、少しずつ日常生活に戻していくように」との指示がありました。日常生活に戻るうえで夫婦生活についても話がありましたが、生理が始まらないということは排卵もされないと思っていた私は、何も考えずに1カ月健診後すぐに夫婦生活を再開。このときは後々、どんなことが起こるか考えてもいませんでした。 え? 悪露? それとも…?産後1カ月半で違和感を覚え、トイレに行くと出血がありました。1カ月健診で「悪露がまだ出るかもしれないが、そのうち治まる」と言われていたので、悪露がまだ出ているんだとばかり思っていました。しかし、2日目にはなんだか出血量も増えて下腹部や腰に痛みもあるような……。もしかして生理かも?と思っていたら、約4日で出血が止まりました。時期にして産後45日ほどのことです。産科の医師に念のために確認すると、「早い人だと産後1カ月ほどで再開する人もいる」とのこと。そう⋯⋯これが私の生理再開の合図だったのです。 生理が再開したということは?生理が再開したということは、周期が不安定だが排卵も再開していることが多いそうです。帝王切開での出産だったために、医師から次の妊娠までは1年くらいは空けるように言われていたこともあり、生理再開の相談をしたときも「くれぐれも妊娠しないように気をつけること」と言われました。 しかし! 産後の排卵周期の不安定さを甘く見ていたからなのか、産後5カ月ごろに2人目の妊娠が判明し、そのときすでに妊娠10週。産科の医師からはすごく怒られた記憶があります。 産後の生理の再開時期には個人差があるとは思っていましたが、まさかこんなに早く再開するなんて思ってもみませんでした。無知が故に妊娠し、第2子を妊娠できたことはとても幸せなことでしたが、産後の排卵や生理について勉強しておくべきだったと反省しました。 ※産後の性生活については、1カ月健診で問題なければ再開しても問題ありません。また、産後の生理再開には個人差があり、月経の前に排卵が起こるため、望まない妊娠を避けるためにも避妊が必要です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2021年11月04日上のお子さんが1歳になり、2人目妊娠のタイミングを考えるようになったママさん。夫婦で今後の家事・育児の役割分担ついて話し合い、2人目妊娠に至るまでの体験談を紹介しています。 上の子が1歳になり、2人目を考えるように結婚して夫婦で子どもについて話し合ったときに「できれば子どもは2人欲しいね」とお互い話していました。そんなことから、上の子が1歳になったころには2人目を意識するようになりました。 しかし正直なところ、ちょうど上の子が1歳になったと同時に保育園へ預け始め、仕事復帰も果たしたばかり……。家事・育児と仕事の両立がとても大変ななか、今2人目を妊娠して私はやっていけるのだろうかと、不安がよぎることが多々ありました。 2人目のタイミングは2歳差を計画!2人目のタイミングは少し迷いましたが、1人目の出産がすでに高齢出産だった私。自分の年齢を考えても、2人目妊娠のタイミングを先にするほど余裕はないと思っていました。私自身、4人きょうだいで育ち、大人になってきょうだいの心強さを感じています。だから自分の子どもには将来、親がいなくなっても支え合えるきょうだいを作ってあげたい。 そこで、2歳差を意識して計画を立てました。そのためには夫の協力は必須。家事・育児の分担について、洗濯・お風呂掃除は夫、料理・部屋掃除は私、と話し合いました。 2人目妊娠は計画通りにはいかないものちょうど2歳差になるように計画したものの、理想通りにはいかず……。私は1人目も不妊治療をおこなって妊娠しているので、不妊治療を再開することに。1人目はなんとかタイミング法で妊娠できましたが、私の年齢も上がっているせいか半年経っても妊娠せず……。 先生からステップアップを提案され、体外受精へ踏み切りました。家事・育児、仕事を両立しながらの不妊治療はかなりつらかったですが、最近やっと妊娠を確認することができました! 無事生まれるまで安心はできませんが、ギリギリ計画していた2歳差で生まれてくる予定です。私は子育ても仕事も頑張りたいと思っているタイプなので、夫が家事や育児に協力的でないと2人目は考えられませんでした。夫婦で納得いくまで話し合い、夫が家事育児の分担をすすんでしてくれたからこそ2人目を生み育てようと決心できたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年10月17日義母は、身長が私とほぼ同じです。そんな義母に、妊娠前から「ごはんちゃんと食べてるの?」、妊娠中には「もっと食べなきゃ!」「産後は、痩せてると育児できないよ」と、会うたびに体重のことを指摘され、嫌な気分になりました。「義母と、親しくしたいけれど、嫌なことは嫌だ」と正直に私の気持ちを夫に伝え、義母との良好な関係性を築けるように義母と私の間に入ってもらいました。私の体重を気にする義母…義母は、身長150cm、40kg前後の私に「体重何kgくらいあるの?」と会うたびに聞いてきます。ごはんはしっかり食べているし、保育士をしているのでよく体を動かすこともあり、さらに体質も関係しているのか私は太ることができません。 義母は妊娠前・妊娠判明直後、産後も私に体重を聞いてきましたが、それが大きなストレス。保育士をしていることもあり、子育てをしていくだけの体力はしっかりあると思っていました。産後、子どもを見にきたときの義母からのひと言目は「何kg増えたの?」でした。 体重で決めつけられるのが苦痛妊娠中のことです。安定期に入り、義実家にも妊娠したことを報告しました。すると、「私は、産後痩せちゃって子どもをお風呂に入れられなかったのよ。だから太ったほうがいいのよ!」と、痩せていると子どもを支えられないと、義母は決めつけてきました。 義母は、過去の自分の経験から心配しているのだと思いますが、考えを押し付けられているように感じました。「最低でも42kgはないと、子育てしていけないよ!」と具体的な数字まで出してきましたが、体重や体調は人それぞれ。妊娠中は、義母に会うのが嫌になってしまいました。 我慢できず、夫に打ち明けた結果せっかくのうれしい出来事の妊娠・出産なのに、体重のことばかり気にする義母に、私は会いたくなくなってしまいました。夫に「私は、義母に体重を指摘されることがすごく嫌だ。仕事では保育士をしているし、痩せているけれど子育てはちゃんとできるよ!」と義母に対する怒りをぶつけました。 夫は、そのことを義母にそれとなく伝えてくれたようで、息子が1歳になった今でも時々言われますが、子育てを楽しむ心の余裕ができたこともあり、以前ほど気にならなくなりました。 義母との関係を悪化させたくなく、体重の指摘、義母の経験を押し付けられることを我慢していました。体力や体重は人それぞれという考え方はない義母。我慢しすぎず、もっと早く夫に伝えればよかったな、と思いました。息子が生まれ、義母と会う回数が増えました。良好な関係を築いていくために、私が我慢すればいい、と考えてましたが、夫に頼ることもときには大切であると実感しました。 著者:白田 よう保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年10月12日5歳の娘さんと生後10カ月の息子さんを持つママは、息子さんを妊娠中に初めて尿もれを経験し、産後も続いてしまったそうです。妊娠中~産後にかけて尿漏れにどう対処したのか、リアルな体験を紹介しています。 私には5歳の娘と生後10カ月の息子がいます。2人目の妊娠で、初めて経験したマイナートラブルの1つに「尿もれ」があります。自分には無縁だと思っていた尿もれを経験し、恥ずかしながら出産後には自然と治まると思い、甘く見ていた私の尿もれ体験談をご紹介します。 尿もれとは無縁だったのに1人目のときは、妊娠中〜出産後も一度も尿もれはありませんでした。そのため退院指導で助産師さんから骨盤底筋のトレーニングを教えてもらったときも、正直なところ「そういう人もいるんだな~」くらいの気持ちで、私には無縁の悩みだと思っていたのです。 1人目の出産から4年以上が経ち、2人目を妊娠。5月末生まれの2人目の妊娠後期は、ちょうど花粉のピークのころでした。妊娠中は花粉症の服薬を控えていたこともあり、大きなくしゃみを連発したそのとき……! 初めてちょろっと漏れる感覚があり、かなりショックだったのをよく覚えています。 産後は自然と治まるはず2人目の妊娠後期に初めて尿もれを経験し、大きなショックを受けてからもなお「妊娠中の尿もれはよくあることだと聞くし、きっと出産後は自然と治まるはず」と自己判断して、尿もれ対策に生理用ナプキンを当てて残りの妊娠期間をしのいだ私。 今になって振り返ってみれば、そう自分に言い聞かせることで、初めて経験した尿もれのショックから目を背けたかったのかもしれません。でも私の期待とは裏腹に、出産後もくしゃみや咳のタイミングで尿もれが続いてしまったのでした。 産後の1カ月健診を機にトレーニング開始出産後、母体の1カ月健診で先生から「何か気になることはありますか?」と聞かれたときに、正直に尿もれのことを相談してみました。先生からは「出産を機に起きる尿もれの場合、骨盤底筋の衰えが原因であることが多いので、毎日最低でも100回お尻の穴を引き締めるイメージでトレーニングするとよい」と教えてもらいました。 毎日意識しないとついつい忘れてしまうので、授乳中をトレーニング時間に設定して100回から200回を目安に続けたところ、産後半年で自然と治まりました。 自分には無縁な悩みだと思っていた尿もれを経験し、本当にショックでこのまま一生続くのではないかと不安な気持ちにもなりました。幸いなことに産後半年で治まりましたが、今後も予防のためにトレーニングは毎日欠かさずにおこなおうと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。また、尿漏れ対策に生理用ナプキンを使用するとデリケートゾーンにかゆみや肌トラブルが発生する場合があるので、使用する際は尿漏れ用のナプキンをご使用ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年10月10日初めての出産後、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころでした。それから毎月妊娠検査薬とにらめっこをして約半年、待ちに待った陽性判定が! ですが、順調にいくと思っていた妊娠は思いがけない結果となってしまい……。改めて妊娠・出産は奇跡なのだと感じずにはいられなかった体験談を紹介します。考え始めた2人目私が長男を出産したのは20代前半のころで、授かり婚だったため、1人目を妊娠するにあたり妊活をすることはありませんでした。できれば長男にきょうだいを作ってあげたいこともあり、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころです。 ちょうどそのころになると2人目の話をするママも多く、実際に妊娠するママ友もおり、自分も2歳差で産めたらいいなと思っていました。 待ちに待った陽性判定2人目を考え始めてから、毎月生理が来るたびに落胆していましたが、避妊をやめてから半年後、妊娠検査薬で待ちに待った陽性反応が! 妊娠5週にあたる日に産婦人科へ行き、正常妊娠であることを確認できました。 このままいけば長男と2歳半、2学年差での出産予定。ですが、胎嚢の大きさが小さめで、排卵日がずれているのかもしれないと医師から言われたことが少し気になりました。 2週間後に再診。しかし…初診から2週間後、妊娠7週で再度受診したときのことです。心拍が確認できるころでしたが、あるはずの心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見当たりません、あるのは大きくなった胎嚢のみです。ここで医師から私が告げられたのは「流産の可能性がある」ということでした。 ただ、翌週になれば心拍が確認できるかもしれないということで、1週間後に再診になりました。つわりもありましたが、長男の妊娠時と比較してラクだったのを覚えています。 初診から1カ月。結果は…妊娠8週に再度受診しましたが、やはり大きくなっているのは胎嚢のみで心拍は確認できませんでした。もう1週様子を見ることになりましたが、妊娠9週になっても心拍は確認できず……。胎嚢も崩れてきており、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の診断がおりました。 このまま自然排出を待つより手術してしまったほうが良いということで、翌週には流産の手術をしました。幸いにも私の場合、他の病気などが原因ではありませんでしたが、医師の話によれば経産婦でも半分近くの方が流産を経験しているそうです。 流産から3カ月経ち再度妊娠しましたが、「また流産するのでは……」とヒヤヒヤしていたのは忘れられません。結果として長男と3歳差で次男を出産し、その後に次男と2歳差で長女を出産しました。自分とは無縁だと思っていた流産を経験し、妊娠そして出産は奇跡なんだと改めて感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年10月02日いよいよ2人目の出産が近づいてきた妊娠37週。産婦人科の先生からは「もういつ生まれても大丈夫」と言われ、陣痛を待つ日々が続きました。しかし出産当日、あろうことか陣痛を放置し、入院費用を安く済ませようとした私の恥ずかしい失敗談をご紹介します。入院費用が無駄になったママ友第2子妊娠中のときのこと。出産したばかりのママ友に会いに行きました。「陣痛が来たと思って、夜中11時に入院したの。そしたら痛みが消えちゃって、病院の朝ごはん食べてそのまま帰ったんだよ」と、出産前の体験談を話してくれました。 彼女の通う産婦人科は、午前0時から翌日午前0時までの24時間で1日分の入院費がかかる仕組み。ママ友は数時間病院にいただけで、2日分の入院費約2万円を支払ったというのです。 そこで私は自分が通う産婦人科の入院費用のシステムを調べることもなく、「とにかくギリギリまで家で耐えよう」というおかしな思考に。 陣痛なのかわからない…我慢すべし!1人目の出産時は陣痛促進剤で陣痛を起こしたため、陣痛が来る前から病院でスタンバイ。痛みがあると、すぐに助産師さんに相談できる状況でした。家で陣痛を待つのは第2子が初めて。 出産予定日前日の午前4時。腰に重い痛みが出てきました。陣痛の間隔をアプリではかるものの、10分だったり、20分だったり。まれにかなり強い痛みがありましたが、起きてきた上の子の朝ごはんを作ったり、洗濯をしていたりすると痛みを忘れることも。 「こんな朝早くに行ったら、早朝の追加料金がかかるかもしれない。これは陣痛じゃない……」。間隔がバラバラという理由だけで、陣痛ではないと自分に言い聞かせ、家で我慢していました。 病院に着いたときには子宮口8cm午前10時を過ぎても、痛みは続いていました。でも間隔は、5分のときもあれば15分のときも。「外来も始まった時間。追加料金もないはず」と思った私。一度病院に電話をしてみると、電話口の助産師さんからすぐ来るようにとの指示。病院へ着き、器械を20分ほどつけて陣痛の確認。子宮口の開きもチェックしてくれました。 すると、助産師さんは焦った様子。陣痛は4~5分間隔、子宮口は8cmも開いていたのです。私はすぐに分娩台へ。点滴の処理が終わるのを待って、助産師さんから「はい、いきんで」の声が掛かります。5回いきんだら、第2子がこの世に誕生していました。病院に到着して約1時間後の話です。 「もう少し入院が遅かったら、家や道端で生まれてたよ。3人目は気をつけて」。そうやさしく注意してくれた助産師さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。入院代をケチろうと軽く考えていた私。子どもと自分にとって、非常に危険な行動をしてしまいました。陣痛か迷ったら、まずは病院へ電話をして相談するべきだったと後悔しています。 ※入院のタイミングは産院の指導に従いましょう。また、出産前に何か気になるとこがある場合は、産院に連絡し、指示を仰ぎましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年10月01日私は4人の子どもを育てていますが、下の3人の妊娠中はにおいつわりで苦しい思いをしました。私は妊娠すると嗅覚が異常に鋭くなるらしく、今まで大丈夫だったほとんどすべてのにおいで気持ち悪くなってしまいます。そしてその状態は出産まで続くのですが、周りの人にはなかなか理解してもらえず、妊娠中は耐えて耐えての毎日でした。そのときの体験談をお話しします。 ※コロナ禍前の体験談です。 こんなにおいまでダメになる一番ダメだったにおいが排水溝のにおいで、一番キツいのがお風呂タイムでした。お風呂に入るたびに吐きそうになりながら、鼻息を止めて上の子をお風呂に入れる毎日。シャンプーや洗濯の洗剤、柔軟剤、ソープ類など何から何までダメになり、大好きだった香水やアロマオイルなどのにおいも受け付けなくなりました。 また、玄関を開けて家に入ったときのにおいでさえ気持ち悪くなるくらい、追い詰められていた時期もあります。洗剤やシャンプーに関しては、2人目の妊娠時にいろいろ試して大丈夫な物を見つけられたのが救いでした。 同居ゆえのつらさ自分たちが使う物はなんとかできるのですが、義父母の発するにおいはどうしようもなく、このことでかなりつらさを増していました。義母の洗濯の洗剤や柔軟剤のにおいが強烈で、部屋のほうまで漂ってきて地獄でした。 また、キッチンを共有しているので、そこでの洗剤や義母が洗ったタオルの柔軟剤のにおいが手を拭いただけで付き、具合が悪くなっていました。幸い、食べ物のにおいはわりと平気だったので、料理はできたのが救いかなとは思います。 私がとったせめてもの対策家の中のにおいが基本的に無理なので、体力と相談しながら出かけるようにしていました。家のお風呂以外は不思議と大丈夫だったので、温泉や自分の実家に行ったときには、束の間のにおいからの解放を味わったものです。 また妊娠中でも使用できる薄めたアロマオイルをスプレーしたりして、不快なにおいをごまかしたり、マスクをしたりもしました。他にもドラマを観たり、友人とおしゃべりをしたりして気をそらすことも効果的でした。 においつわりは目に見えにくいので、苦しいのは自分だけで、周りからは理解されにくいのがつらいところだと思います。今さらですが、もっと自分とおなかの赤ちゃんが快適に暮らせるように、家族にお願いしてもよかったのかなとも思います。妊娠中は無理をしたり我慢したりするよりも、工夫することが大事だと思った体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKOイラスト/キヨ著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年09月10日私は妊娠初期のころ、つわりに耐えながら「これよりきつい陣痛なんて耐えられるのか?」などと思っていました。でも産院で実施されていたヨガに通ったことで出産に良いとされる呼吸法を学び、出産への恐怖が軽くなりました。妊娠中や出産時にどのように良い影響があったのかをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です。 ヨガで妊娠後期トラブルを解消医師から安定期に入ったら体を動かすよう言われました。しかし妊娠後期になると、足のつりやむくみで動くのがおっくうに。毎日の体の不調で気分も落ちていました。そんなときに産院でヨガが開催されていることを知り、健診のついでに参加しました。 ゆったりと無理のない動きのマタニティヨガ。体を伸ばすことがとても気持ちよく、それからは毎週ヨガに通いました。そして足のつりやむくみが解消されていき、気持ちも上向きになりました。 ヨガで学んだソフロロジー呼吸法ヨガではソフロロジー呼吸法の練習がありました。穏やかな音楽をBGMに、呼吸を意識することでリラックスした状態になります。さらにイメトレによって出産を前向きに捉えられるよう、気持ちをコントロールします。お産をラクにする効果があるとされているようです。 気持ちのコントロールには練習が必要。毎週ヨガに通った結果、臨月には練習中にリラックスしすぎて眠ってしまうほどになりました。 陣痛開始! 意識もうろうとしながらも…ヨガで体のトラブルが解消し、ソフロロジー呼吸法で自分をリラックスさせる方法も習得。妊娠41週目、いよいよ陣痛がきました。産院での陣痛中は呼吸を意識しました。そして呼吸を意識する余裕がなくなってきたところでナースコール。 すでに子宮口が9cm開いているとのことでした。私があまりに静かに陣痛に耐えているので、助産師さんもお産が進んでいることに驚いていました。呼吸に集中することで痛みが軽減されていたようです。 出産の瞬間まで呼吸を意識した結果…子宮口が9cm開いていることがわかってすぐに分娩室へ運ばれました。分娩台に乗っても常にソフロロジー呼吸法に集中し、陣痛時間5時間で生まれました。出産の瞬間は呼吸どころではなく痛かったのが正直なところ。ただ出産後に助産師さんから「呼吸が乱れなかったからスルッと生まれましたよ」と言ってもらえました。自然とソフロロジー呼吸法を継続できていたようです。 私の場合、ソフロロジー呼吸法により、出産は最小限の痛みで乗り越えられたようでした。妊娠中は穏やかで落ち着いた時間を過ごせるきっかけになったヨガ。妊娠中にヨガに通い、ソフロロジー呼吸法をマスターしておいてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:海原えめ3歳の男の子を育てるアラフォー母。幼児食インストラクターの資格を保有。育児において食生活を大切にすることを重視している。
2021年08月28日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒に買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもは1人でもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが一番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2021年08月14日私は妊娠35週ごろから、まとめて眠れなくなってしまいました。夜中~朝方にかけて何度も目が覚める、一度目を覚ますとなかなか寝つけない。そんな日が続いたのです。それは子育てが始まっても変わりませんでした。ただ、授乳もありましたし、子どもが成長すれば戻るだろうと楽観していました。しかし断乳しても眠れません。眠れないと、「眠い」以外にもつらいことがいっぱいありました。これは私の睡眠に関わる失敗談です。 お母さんになる練習?私は妊娠35週くらいから、夜中に何度も目が覚めるようになりました。それまでは眠るのに困ったことはなく、子どもへの影響を考えると不安な気持ちになりました。 助産師さんに相談すると、「赤ちゃんが生まれたら夜中におっぱいをあげることになるでしょ。今からお母さんになる練習をしているのよ。昼寝をすれば大丈夫よ」と教えられ、納得してひと安心。それからは時間さえあれば昼寝をするようにしたのです。 断乳しても眠れない!子どもが1歳ごろに夜間断乳したのですが、夜中~早朝にかけて何度も目が覚めるということが続きました。一度目が覚めるとなかなか眠れないこともあり、つらかったです。当然、日中は強い眠気が出ましたし、集中力や判断力も落ち、心身ともに余裕がもてません。 最低限の家事や仕事をするのが精一杯で、子どもや夫にやさしい言葉1つもかけられなくなりました。さらに免疫力も落ちたのか、しょっちゅう風邪を引くようになってしまいました。子どもよりも病院に行く回数が多かったぐらいです。 今はだいぶ元気になりました子どもが3歳になるころ、私の医療費もかさみ、何より自分がつらいので一念発起しました。睡眠に関することをサイトや本で調べ、生活を見直したのです。まず昼寝は15時までに20分以内にしました。 朝は日光浴をして、元気が出てきたら散歩に切り替えました。週末など時間があるときはお風呂にゆっくり浸かるようにしました。生活を見直して3週間もすると、夜中に目覚める回数が減り、目が覚めたとしてもすぐに寝付けるようになったのです。 育児が始まると待ったなしで時間が過ぎていきます。自分のことで何か新しいことを始める余裕なんてありませんでした。出産前から子どものことだけでなく、自分のこともビジョンをもてていたら、トラブルにも対応しやすかっただろうなぁと後悔しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年07月28日32歳で結婚した私には、高齢出産は他人事ではなく、いろいろと調べていました。高齢出産の場合、早産や妊娠高血圧症候群になるリスクが高まること。成功例のような芸能人の高齢出産報道の裏で苦しんでいる母親がたくさんいること。それらを知った私は34歳までに妊娠しなかったら子どもはあきらめようと決めていました。しかし私が妊娠し、告げられた出産予定日は35歳の誕生日をとっくに過ぎた日付でした。 とにかく自重正直、あきらめかけていたときに妊娠した子です。私でも妊娠できたんだ!と驚いたのと同時に、大丈夫なのか?と不安が襲ってきました。情報や知識がある分、恐怖心も強かったのです。だからとにかく自重しました。 無理、無茶、頑張る、は一切しない。早寝、早起き、朝ごはん。おなかを冷やさないように飲み物は温かいものにし、散歩をして血行が悪くならないように過ごしました。その結果、定期健診のたびに助産師さんに誉められ、不安もやわらぎました。 気持ちに余裕が持てる妊娠がわかると同時に子ども中心の生活に切り替えましたが、不満はほとんどありませんでした。というのも結婚が早くはなかったおかげ(?)で、仕事も遊びもたくさんしてきました。結婚してからもしばらく子どもができなかったので、夫と2人で過ごす時間も十分に持てました。 その結果、仕事のキャリアに対する不安や遊びへの未練はほとんどなかったのです。妊娠中は自炊をしたり、散歩をしたり体調を整えることに専念できました。 体力はないけど楽しむ知恵はある出産は想像以上に体力を消耗しました。しかも回復する隙を与えてくれない、怒涛の育児。オシャレをして、おでかけするママたちをネットや雑誌で見ると、まぶしいやらうらやましいやら。けれどしょうがないと受け入れ、今の自分ができることを考えました。 とことん子どもと一緒に過ごしたり、写真をはがきに加工してネットを見られない祖母に子どもの近況を伝えたり、本を読んだり。体を使わず知恵を絞って、みんなと同じではない、私だけの新米ママ生活を作り上げました。 この先、子どもに障害があることがわかるかもしれない、そんな不安は今でもあります。けれどリスクを取って産んだのは私だと腹も据わりつつあります。先のことばかり考えて不安になるのではなく、今を大切に子育てしたいと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年07月19日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は42.4万人でママたちの間でも話題になっています。今回は、46歳で12人目を出産したHISAKOさんが、高齢出産のリスクについて語る動画をご紹介! 12人目がどうしても欲しかった! まずは、12人目の不妊治療について教えてくれました。HISAKOさんは前の旦那さんとのお子さんが10人います。再婚して、11人目となる今の旦那さんとのお子さんが1人生まれただけでも最初は十分と思っていたそうです。でも、どこかで11人目のお子さんと同じ遺伝子を引き継いでいる兄弟を作ってあげたいと思ったそう。 「上の兄弟たちに失礼かもしれないけど、自分の気持ちに嘘つかんとこ!」と明るく本音を話してくれるHISAKOさん。 できることは全部やって、それから諦めようと44歳で不妊治療をスタートしました。しかし、顕微受精を5回行っても妊娠できませんでした。やれることはやったからあきらめようと言いつつ、手帳には排卵の日にハートマークをつけていたそうです。45歳の1年間はそんなふうに過ごしていました。46歳になってそれももうやめようと決めて、普通に過ごし、でも避妊はしないでいたら、なんと自然妊娠が判明! 妊娠が継続するとは思っていなかった 助産師であるHISAKOさんは、46歳での自然妊娠率、流産率などを考えて、奇跡で妊娠はできたけれども、「きっと流産するな」と思ったそうです。ところが、流産せずにお腹の子は乗り切ってくれました。 46歳の妊娠の心配は流産だけではありません。例えば、染色体異常であるダウン症のリスクは、20代であれば1万分の1ですが、35歳になると300分の1に、46歳になると30分の1になるそう。実際にHISAKOさんも出生前診断について考えました。 でも、出生前診断でわかるのは一部の染色体異常のみ。それ以外にも生まれてこないと分からない異常もたくさんある。さらに、生まれたときは元気でも、そのあと病気や怪我をすることもある。そう思ったら、「そんだけわかって、だから何なん?」と思ったそう。 来るもの拒まず受け入れるしかない 結局は、受け入れるしかないというという結果になったHISAKOさん。でも、不安がないとか、すごい覚悟があるとかそういうことではないと言います。「不安ですよ、一緒やで私も」と。今は、障害があたったりしても受け入れると思っているけど(当時妊娠28週)、実際に生まれてきたらどうなるかわからないと話しています。最終的には、出生前診断は受けないことにしたそうです。 このあと9番目の子どもが生まれてすぐに耳の検査に引っかかったこと、7番目の子どもが発達障害であること、2人とも妊娠中は何も問題がなかったことも話してくれています。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年07月11日私には6歳の女の子と生後11カ月の男の子がいます。娘のこともかわいがってくれているものの、息子を妊娠して以来、義理の両親から「長男ファースト」な言動が垣間見えてモヤモヤしてしまった、そんな私の体験談をご紹介します。 「長男なんだから」義理の両親にとって、子どもは夫と妹さんの2人です。結婚当初からよく「長男なんだから、お盆とお彼岸には必ず帰ってきてお墓の管理を」とお義母さんに言われてきた私たち夫婦。 子どもが生まれる前はお義母さんの言う通りに、お墓参りのためだけに春と秋のお彼岸とお盆の年に3回、休みの日に夫と2人電車で2時間かけて帰省。でも、子どもが生まれてからは時間の面でも体力の面でも余裕がなく、自然とお墓参りは免除されるようになりました。 「女の子だったらどうしようかと…」娘を出産してから4年後、念願の第2子を妊娠。娘がすごく育てやすくかわいくてたまらなかった私は、2人目も女の子でもいいと思っていました。でも、お義母さんは違ったようで……。 妊婦健診のたびに性別がわかったのか電話で聞かれ、妊娠6カ月でおなかの中の赤ちゃんが男の子だとわかると、「これでまた女の子だったらどうしようかと思っていたわ! 男の子でよかった~」と心の底から安堵したように言われました。お義母さんに悪気はなく純粋に喜んでいる様子でしたが、「女の子だったらどうしよう」のひと言に、私はすごくモヤモヤしたのをよく覚えています。 「跡取りを産んでくれてありがとう」義理の両親は、会うたびにたくさん遊んでくれたり、おもちゃや洋服などをプレゼントしてくれたりと、娘のこともよくかわいがってくれています。でも、誘っても娘のお宮参りには来なかったので、私は勝手に義理の両親は子どものイベントにはそんなに興味がないのだと思っていました。 その後無事に息子を出産し、初めて会わせたときのことです。「近藤家の跡取りを産んでくれてありがとう」とうれしそうに言うお義母さん。さらには、娘のときにはなかった夫側の親戚への息子のお披露目会やお宮参りの日取りの相談まで……。男の子と女の子でこうも態度が違うものかと、ギャップにすごく驚きました。 お義母さんの何気ない「長男ファースト」な言動にモヤモヤしましたが、義理の両親は昔ながらの「家を守る」という感覚が強いからだと理解しています。嫁いだ身として私は義理の両親の気持ちを尊重しつつも、男の子と女の子の差で娘が疎外感を感じないように娘のイベントにも足を運んでもらえるように気をつけようと思います。 作画/はたこ著者:近藤あいこ6歳女児と1歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月26日やっぱり家が好き〜おっとぅんとみったんと私〜
モチコの親バカ&ツッコミ育児
たんこんちは ボロボロゆかい