義両親からの配慮のない質問にモヤモヤとしてしまったエピソードをご紹介します。もうやめて…私は結婚してから3年後に、不妊治療に踏み込みました。なぜなら、ずっと子どもに恵まれなかったからです。義両親は不妊治療のことを知ってはいましたが、「子どもはまだなの?」と会うたびに聞いてきました。 不妊治療を始めた1年後、やっと妊娠が判明。待望の子どもが生まれました。しかし、1人目で苦労したことを知っているはずなのに、今度は「2人目はまだ?」と聞いてくるように……。 自己嫌悪に陥っただけでなく、ショックで申し訳ない気持ちが込み上げてきました。このままでは自分の心が壊れてしまうと感じたので、それからは話をされても「考えています」と話をすぐに終わらせるように。その結果、義両親から子どものことを聞いてくる回数が減りました。また、2人目の妊娠を焦らず、息子が大きくなったらこんなことをしてみたいなどとポジティブなことをたくさん考えるようにしています。 作画/まげよ著者:さいとうりほ30代、1児の母。毎日家事と育児に追われ、忙しい日々を過ごしている。
2023年09月25日TBSテレビの火曜ドラマ『18/40~ふたりなら夢も恋も~』 が2023年9月12日、最終回を迎えます。放送後には、見逃し無料配信動画サービスTverのランキングで度々1位になっていた本作。望まない妊娠をした18歳と妊娠は難しいと言われた40歳、2人の女性を通して描かれたのは、妊娠・出産・子育てをめぐる悩みや葛藤でした。人生の転機とも言える、妊娠・出産・子育て。最終回を迎える今日、ドラマの中で描かれた妊娠・出産について考えてみました。ドラマのあらすじ副題にある通り「ふたり」の女性の人生を描く本作。タイトルの数字は、彼女たちの年齢を示しています。 18歳の有栖(福原遥)は高校卒業とともに妊娠が判明。夢を叶えるために大学進学を決めていた矢先の妊娠で、戸惑いが隠せませんでした。そんな中出会ったのが、バリバリのキャリアウーマンである40歳の瞳子(深田恭子)。瞳子はいつか子どもを…と思っているなか受けた健診で子宮内膜症がわかり「子どもができにくい体である」と告げられました。 おなかの子の父親に逃げられて一度は中絶を考えた有栖を変えたのが、瞳子でした。瞳子は有栖の出産だけでなく、夢を叶えるサポートまで買って出たのです。 望まない妊娠をした有栖と妊娠を望むも叶わなかった瞳子の2人が、妊娠・出産・子育てを経て、歳の差を超えた絆を築き、現代の女性の生き方や悩みを乗り越える物語です。 18歳が子どもを産み、育てるということ出産を決めた有栖は、生まれるギリギリまで大学やアルバイトを続けることを望みますが、周囲に妊娠を知られることに抵抗を示します。案の定、有栖を見てひそひそ話す学生もチラホラ。そこには若年妊娠への偏見が描かれていたように感じました。 ドラマでは瞳子をはじめ、家族や友人の助けのもと、出産・子育てと学業の両立が叶った有栖でしたが、予期せぬ妊娠や貧困などで子どもを育てるのが難しく、出産前から支援が必要と行政に認定される「特定妊婦」がここ10年で8200人に増加していると言います。 高校生という多感な時期、妊娠・避妊についての正しい知識を持つことが必要だと言えますね。 一方、ひとりで子育てのすべてを抱え込んでしまう『孤育て』も社会問題になっています。これは若年妊娠に限らず、子育てを抱え込みすぎたゆえ、虐待や育児放棄につながってしまう悲しいケースも起こっています。 有栖が子育てをするには、周囲のサポートが必須。必要に応じて周りに助けを求めること、そして手を差し伸べることの必要性を感じた気がしました。 子どもを産まない人生を選択した女性出産をした有栖に対し、ドラマの中では子どもを産むことを諦めた女性の姿も描かれています。1人は妊娠が難しいと言われた瞳子。そしてもう1人、有栖の主治医で瞳子の友人の薫(松本若菜)です。 第9話では、薫が誰にも言わずに8年にもわたる不妊治療をおこなっていたことを告白。そして、授かることができないまま卒業を宣言したのでした。 医者として2000人もの赤ちゃんを取り上げてきた薫の告白。SNS上では薫を思い、涙した視聴者がたくさん見られました。 そのほかにも、娘が若年妊婦になったシングルファザー、元彼の子どもごと有栖を受け入れたボーイフレンドなど、さまざまな視点で『妊娠・出産・子育て』について考えさせられるドラマだったと感じています。 親子・家族で性についてや子どもを産み育てることなどについて話し合うきっかけにすると良さそうですね! 『18/40 ~ ふたりなら夢も恋も~』2023年9月現在では、見逃し無料配信動画サービスTverやU-NEXTで配信されています。まったく異なる環境で妊娠・子育て・結婚に悩む女性のストーリー。配信は期間が限られていることがほとんどなので、ぜひ配信期間中にご覧ください。
2023年09月12日長男が3歳のころのお話です。義母と電話で話していると、「2人目ができないのは私のせいだと夫が言っている」と聞かされました。なぜか、私が原因で子どもができないことになっているのです。私も2人目が欲しいと悩んでいた時期で、その言葉はとてもショックでした。そこから私がどのように対処したかや、今の義母との関係についてお伝えします。男性不妊のわが家義両親には伝えていませんでしたが、私たち夫婦は男性不妊のため、不妊治療で長男を授かりました。私は2人目が欲しいと考えていましたが、夫が不妊原因に対処しようとせず悩んでいました。 そんなときに、義母と電話で話していると「あなたたちが2人目を作らないのは、恭子ちゃん(私)のせいなんでしょ。○○(夫)がそう言っていたわよ」と。夫がそんなことを言うはずないとはわかっています。それでも夫が言っていたと伝えてくる義母に不信感を抱き、ショックと怒りで言葉が出ませんでした。 義母の話は嘘だった以前から、義母は自分の伝えたいことを、誰かが言っていたと遠まわしに伝えてくることはありました。きっと義母自身が、私が2人目を欲しがっていないと考えて、それを責めたい気持ちがあったのだと思います。 念のため、夫に義母から言われたことを確認しましたが、当然ながらそんな事実はなく、義母の言葉は嘘だと判明。妊娠・不妊というとてもプライベートな問題について、軽々しく口を出してくる義母に対して怒りが収まりませんでした。 もう義母に会いたくない義母からの言葉のダメージは強く、翌週に義実家に行く予定でしたが、私はとても行く気にはなれませんでした。義母に会ったら似たようなことを直接言われるのも目に見えていたので、私は義実家に行かないと断固拒否。夫と子どもだけで行ってもらい、私がどうして行かないのかの説明は夫に任せました。 不妊原因については話さなかったようですが、義母の言葉に私が傷ついていることは伝えたので、それ以降、義母から連絡が来ることもなく、会いに行かないことをとがめられることもありませんでした。 義母との関係修復のきっかけ半年ほど義母と距離をとったことで私も冷静に考えられるようになり、義母は、私たちに2人目ができないのを気にしていたのだと考えられるようになりました。でも、それを上手に話すことができずに、あのような言い方になったのだと思います。あのときは私自身も2人目ができないことを悩んでいたので、義母の言葉に過敏に反応してしまいました。 そうやって冷静になったころに、子どもの誕生日に義両親からプレゼントが届いたので、いい機会だと思い、プレゼントのお礼の電話を私から義母にしました。直接話したことが関係修復のきっかけとなり、今は義母と適度な距離感で過ごせています。発言に対する謝罪などはありませんが、現状に満足しています。 義両親の言動を変えるのは難しいですが、何もかも我慢する必要もないので、無理せず付き合えるよう距離をとることも大切だと気が付きました。距離をとることで問題が大きくならないよう、義母への説明を夫にお願いしたのもいい判断だったと思います。何より、しっかり冷静になれるまで時間をかけるのが、私にとってはポイントでした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:高橋 恭子6歳男児のママで現在妊活中。理学療法士として働きながら、ヒプノセラピストの資格を取得。仕事、子育て、家事など経験を生かした記事を執筆中
2023年09月05日第2子妊娠中、妊娠9カ月、突然の出来事が起こりました。それまで大きなトラブルもなくほぼ順調に来ていたのに突然の体調不良。そしてお尻の辺りがひんやりしました。破水したのかと思ったのですが……!? 真夜中に起こった衝撃の体験を紹介します。腹痛と寒気が…第2子出産を機に退職することを決めていた私。あと1週間で有休消化に入ろうとしていた妊娠9カ月のことです。3連休の週末初日、上の子と自宅で遊んでいるときになんだか腹痛と寒気を感じるようになりました。仕事に行っていた夫の帰宅までは、なんとかごまかしながら子どもの相手をしていました。 しかし、夜には発熱。翌朝は体温が下がったものの、水様便を伴う腹痛があり、その日は自宅でゆっくりしていました。そして夕方には次第に体温が上昇、その夜事件は起こりました。 お尻がひんやり!?夜中も何度か腹痛で目が覚め、そのたびにトイレへ行ってはまた寝る、を繰り返していましたが、深中の2時ごろ、お尻の辺りがひんやりして目が覚めたのです。1〜2時間おきに繰り返す腹痛とお尻の湿った感じ……。まさか、陣痛と破水?! 慌てて布団をめくると、なんと水様便が漏れてしまっていたのです。とりあえず出産に備えて購入していた夜用ナプキンを当て、おしりの下にバスタオルを敷いて寝ることに。そのあとも何度か腹痛で起きましたが、徐々に治まり、翌日にはナプキンも不要な状態になりました。あのときは本当に焦りましたが、その後は何事もなく、胎児は妊娠39週5日までおなかにいました。 無理は禁物だと実感あと1週間で有休消化という状況で、まだ会社のデスクは散らかったままでした。さらに、引き継ぎしたいことや関係先へのあいさつなどやることがいろいろ残っており、焦りやストレスがたまっていた私。そんなストレスなどが原因となって体調を崩してしまったようです。幸いにも早産にはならなかったものの、無理は禁物と思い知らされました。 第1子産休の時に引き継ぎで苦労したので早めに取り組んだつもりでしたが、もっともっと余裕が必要だったかなぁとも反省しました。何事にも無理をせず、ストレスをためないように心がけることが大切だなと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:柳 蓮花4歳、0歳の2児の母。第1子出産後はフルタイムで仕事をしていたが、第2子出産を機に退職。在宅ワークの道を模索しつつ、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2023年08月06日スカッと系人気YouTubeチャンネル『パニコレ』から、「えっ!?夫が見知らぬ赤ちゃんを抱いてる…」を紹介します。パニ子は大手企業に勤める30歳の会社員。結婚5年目の夫・ジュンとは仲睦まじい日々を過ごしています。 ある日、パニ子の姉から待ちに待った子どもを授かったという報告が! パニ子は自分のことのように大喜び! 最近、夫が冷たい…「お姉ちゃん、赤ちゃんができたんだって!」とジュンに報告しますが、「あ、そう」と意外な反応。それどころか、結婚5年目なのにまだ自分たちには子どもがいないことをパニ子のせいにして、問い詰めてきます。そして、パニ子の仕事が忙しい日々が続くと、「嫁のくせに俺より帰りが遅いのは大問題だな! いつまで経っても子宝に恵まれないし、仕事のせいで夫婦の時間が削られるなら、夫婦としてやっていけないな!」と、離婚をほのめかすようになりました。 ジュンの突然の変わりぶりに、パニ子は困惑するばかり。 夫が新生児を抱っこ!?一体、誰の子?それから1カ月ほどが経った休日の朝、ジュンは「買い物へ行ってくる」と何やらソワソワしていた様子で出かけてていきました。その直後にパニ子の姉から電話があり、赤ちゃんが生まれたとのこと! パニ子は姉を見舞いに産院へ向かいます。 しかし、そこで信じがたい光景を目にしてしまうのです。なんと、産院でジュンが見知らぬ女性とともに新生児を抱いているではありませんか! 2人の会話を立ち聞きして、女性は「マヤ」という名前で、赤ちゃんはジュンとマヤの子であること、そしてジュンがパニ子と離婚後、マヤと結婚するつもりであることを知ってしまいます。 ジュンは「マヤ、ようやく産まれたんだね、僕たちの赤ちゃん♡」と、とても嬉しそう……。ショックと怒りに打ちのめされるパニ子でしたが、ジュンの非道な行為に激怒。パニ子は次の一手を打つべく、義父に連絡を取りました。 義両親・両親に夫の浮気を暴露!パニ子からすべてを聞いた義父は、すぐに病院に来てくれるとのこと。また、姉のお見舞いに来たパニ子の両親にも真実を打ち明けます。 両親・義両親とパニ子は、ジュンとマヤ、そして新生児のいる病室のドアを開けます。「ねぇ、その赤ちゃん、どういうこと?」突然現れたパニ子たちに、ジュンとマヤは驚きを隠せません。全員が揃ったその場で、言い逃れできない状況に冷や汗ダラダラのジュン。「俺の子なんだ……」と不倫を認めたジュンに、パニ子とジュンの両親たちは「不倫したうえに子どもまで生ませるなんて何事だ!」「金輪際、うちに関わるな!」と激怒! パニ子は「ジュン、あなたとは慰謝料を請求して離婚します!」と宣言。そしてマヤに対しても、「誰かを不幸にして幸せになんてなれないって、たっぷり教えてあげるから」と言い放ちます。 不倫相手に子どもを生ませた夫の悲惨な末路パニ子は不倫したジュンをその日のうちに自宅から追放。マヤは夫の職場の後輩だったことがわかり、すぐに会社へ社内不倫を報告。不倫話はすぐに社内で広まって、居づらくなったジュンとマヤは会社を退職。二人はすぐに別れたそう。多額の慰謝料を支払うため、ジュンは闇金にも手を出すまでに。 一方、パニ子自身は仕事で成功を収めて昇進! ジュンとの離婚後、充実した日々を送っています。甥っ子との時間に癒されつつ、明るい未来に向けて一歩踏み出しました。著者:ライター パニコレ
2023年07月15日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒に買い物をしたりお茶をしたり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれてたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもは1人でもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが一番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2023年07月12日幼稚園に通う4歳の女の子と2歳の双子の男女を育てています。双子の妊娠時につらくて涙が出るほどだったのが、つわりです。この期間は、私にとって人生で一番長く感じ、とにかく大変でした……。日を追うごとにひどくなるつわり産院での妊娠判定日の3日ほど前からムカムカと吐き気がしていました。そこから日を追うごとに吐き気が強くなり、その1週間後にはほぼ寝たきり状態に。最初はごはんが食べられないだけでしたが、次第に水分もとれなくなり不安になりました。 上の子の妊娠時もつわりがひどかったのですが、1カ月ほどでつわりが終わったので、今回もとりあえず1カ月を乗り越えようと思っていました。しかし、1カ月たっても終わるどころか強まる吐き気。点滴のため通院をしていたのですが、そのための外出すらしたくないと思うほどでした。 すぐに入院をすすめられ…双子の妊娠のため大学病院へ転院し、1回目の受診日になりました。体重は妊娠前から10kgも減り、ケトン体+4というひどい状態だった私。先生から入院を強くすすめられましたが、上の子のこともあり、入院をせずに自宅で過ごすことに。しかし、自宅ではお世話が十分にできない状態だったので、実家へ帰り両親に頼ることにしました。 そして、つわりが始まってから約2カ月後に治まり、妊娠6カ月ごろには妊娠前と同じように食事がとれるようになりました。 このムカムカは、まさか!?つわりが終わってからは、食べたいだけ食べていました。すると妊娠8カ月ごろから今度はおなかが大きくなったことにより、後期づわりが出てきたのです。 吐くことはなかったですが、少しずつしか食べられず……。「またか」と思いながら、出産までずっとムカムカと闘うことになりました。 ちなみに、つわりがひどい中でもなぜか大食いの動画は見ることができ、「つわりが終わったら、動画に出てきたアレが食べたい」と目標を持つと、気持ちが少しラクになりました。つわりで不安が多かった妊娠期間でしたが、おなかの中ですくすくと成長してくれた子どもたちに感謝です。 監修/助産師 松田玲子著者:やまぐち さき4歳の女の子、1歳男女の双子、夫との5人暮らし。子宮内膜症からの手術、不妊治療を乗り越えて育児中。闘病や不妊治療、双子の出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2023年06月05日産後は生理が再開するまで時間がかかると思っていた私。しかし実際は想像とはまったく違い、想定外のことがたくさん起きました。そんな私が体験した産後の生理についてご紹介します。産後の生理について知らなすぎた私産前に参加した母親学級で、「産後は徐々に元の体に戻っていく」と聞いていました。産後の生理再開について個人差はあるものの、半年くらい生理は再開しないんだろうなと思い込んでいたのです。1カ月健診では産科の先生から「悪露の残りが少しあるけど特に問題ないから、少しずつ日常生活に戻していくように」との指示がありました。日常生活に戻るうえで夫婦生活についても話がありましたが、生理が始まらないということは排卵もされないと思っていた私は、何も考えずに1カ月健診後すぐに夫婦生活を再開。このときは後々、どんなことが起こるか考えてもいませんでした。 え? 悪露? それとも…?産後1カ月半で違和感を覚え、トイレに行くと出血がありました。1カ月健診で「悪露がまだ出るかもしれないが、そのうち治まる」と言われていたので、悪露がまだ出ているんだとばかり思っていました。しかし、2日目にはなんだか出血量も増えて下腹部や腰に痛みもあるような……。もしかして生理かも?と思っていたら、約4日で出血が止まりました。時期にして産後45日ほどのことです。産科の医師に念のために確認すると、「早い人だと産後1カ月ほどで再開する人もいる」とのこと。そう⋯⋯これが私の生理再開の合図だったのです。 生理が再開したということは?生理が再開したということは、周期が不安定だが排卵も再開していることが多いそうです。帝王切開での出産だったために、医師から次の妊娠までは1年くらいは空けるように言われていたこともあり、生理再開の相談をしたときも「くれぐれも妊娠しないように気をつけること」と言われました。 しかし! 産後の排卵周期の不安定さを甘く見ていたからなのか、産後5カ月ごろに2人目の妊娠が判明し、そのときすでに妊娠10週。産科の医師からはすごく怒られた記憶があります。 産後の生理の再開時期には個人差があるとは思っていましたが、まさかこんなに早く再開するなんて思ってもみませんでした。無知が故に妊娠し、第2子を妊娠できたことはとても幸せなことでしたが、産後の排卵や生理について勉強しておくべきだったと反省しました。 ※産後の性生活については、1カ月健診で問題なければ再開しても問題ありません。また、産後の生理再開には個人差があり、月経の前に排卵が起こるため、望まない妊娠を避けるためにも避妊が必要です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師 松田玲子著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2023年06月05日同性カップル(婦x婦)の日常をYouTubeチャンネル『Maho Risa Family』で発信しているMahoさんとRisaさん。職場での出会いを経て、パートナーシップ宣誓(※)をし、家族となりました。そして、2022年11月に2人の長男であるぽこ太郎くんが誕生。そこで今回は、同性カップルならではの、お2人が直面した妊娠・出産後の出来事を紹介します。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 左:Risaさん 右:Mahoさんとぽこ太郎くん(2023年5月現在、生後6カ月) 「付き合ったころから子どもが欲しい」と思っていたというおふたり。さまざまなステップを経て、デンマークの精子バンクで1,000人以上のドナー候補の中からドナーを決定し、5回目のチャレンジでRisaさんが赤ちゃんを授かりました。 そして2022年11月はじめ、ぽこ太郎くんが誕生。「かわいい!」「天使!」と、ぽこ太郎くんに愛を注ぐMahoさんとRisaさん。 妊娠報告動画では、Mahoさんは「同性カップルの子どもという、普通ではない環境に悩む日がくるかもしれない。だからこそ普通の何倍も、私たちは子どもを幸せにする努力をしたい」と決意をお話しされていました。 そしてぽこ太郎くんが保育園に通いはじめた今。産院、行政、保育園などさまざまな場面で同性カップルならではの出来事があったことを振り返ります。今回はそれぞれの場面で起こったことを紹介します。 ※各自治体が同性カップルを婚姻に相当する関係と認めて、証明書を発行する制度のこと産院への不安。「あの方ちょっとワケあり?」と思われる…? 1つ目は産院でのこと。Risaさんは、産婦人科に行く際には「なんて言えばいいんだろう? なんて説明したらいいんだろう?」と緊張していたと言います。 産婦人科を受診するときに最初に記入する問診票。病院によるとは思いますが、Risaさんが通った産院の問診票には、「母」と「父」の詳細な情報を書き込む欄があったそうです。 Risaさんは「父」を空欄にすることで「あの方ちょっとワケあり?」と思われてしまうのではないかという不安があったと言います。「母と父ではなく(本人以外の欄は)”パートナー”だったら書きやすいのに……」と率直な感想を語っていました。 産院の反応は?立ち会い出産は?悩んだ結果「父」は空欄に。医師からは「シングルなんですか?」とふわっと聞かれたそうで、「(子どもの)父親はいないけれど養育するもうひとりの親として同性パートナーがいます」と答えたRisaさん。「そうなんですね、わかりました」とそれ以上は何も聞かれなかったそうです。それよりもRisaさんが不安に思っていることはないかと、Risaさんの気持ちにフォーカスした質問が多かったというのが印象的でした。どんな家族もありのままに受け入れている産院の姿勢が伝わってくる気がします。 ちなみに、「同性パートナーですが、立ち会えますか?」とうかがった際、「はい、立ち会えますよ」とあっさりと医師が承諾してくれたそうですが、これには裏話が……。実はこの産院の立ち会いは、本来は親族のみだったのですが、医師が間違ってOKを出したことからそのまま認められたのだそう。助産師さんが教えてくれて「ラッキーだった」ことがわかりました。「OKしてもらえていなかったら、こんなふうに笑って話せなかったかもしれないね」とおふたりは振り返ります。 そして、LGBTQや事実婚の人たちが必ずしも立ち会い出産ができるわけではないという現実を実感したRisaさんは、「同性婚が法律で認められる世の中になってほしい」と切に訴えていました。 出生届を提出!まさかのシングルマザーに…!?2つ目は市役所でのこと。ぽこ太郎くんが生まれた後、「出生届」を市役所に提出したRisaさん。「出生届」には生まれた子の母と父の欄しかないため、Risaさんはシングルマザーという登録になりました。その後も役所で手続きをするたびに、シングルマザーという扱いで、シングルマザー向けのサポートを案内されたり、「1人で子育ては大変だけれど両親のサポートはあるのか」などと聞かれたりしたそうです。 そこでRisaさんは思い切って同性パートナーがいることを説明しました。すると、市役所側は同性パートナーのことに難なく理解を示してくれたのだとか。市役所で主催している子育て学級にもふたりで参加したそうです。 保育園で聞かれた質問が的を得ていて、逆にビックリ!?最後は保育園。保育園が決まり、園長先生との面談にRisaさんが行ったときのことです。保育園は付き合いも長くなるし深くなるため、「自分たち家族のことを深く理解しておいてもらった方がお互いにとって良いだろう」と考えていました。 事前に渡された家庭状況を記入する書類には、やはり「父親」「母親」の情報を書く欄があったそうです。しかし、法的な書類ではないということもあり、「父親」の欄を「母親」に書き換えて、Mahoさんの情報を記入したのだそう。 その面談では、園長先生から思いもよらぬ、でも納得のできる質問をされたとRisaさん。園長先生は、ぽこ太郎くんを精子バンクを利用して出産したことや、RisaさんMahoさんが2人で養育をすることを把握したうえで、次の3つことを聞いてきたそうです。 1)父親とはどういう関係性ですか?まずは「どういう関係として父親が存在しているのか、父親に親権はありますか?」という質問です。 これは、親権を持っている父親だと園に迎えに来られたときに、子どもを渡さなくてはいけないため、保育園側としては把握しておく必要があるそうです。Risaさんは父親に親権がないことを伝えました。 2)他のママたちになにかを聞かれたときは?2つ目は「周りの子どもたちやママから聞かれたらどう答えればいいですか?」という質問です。 Risaさんは「私たちはオープンだし、周りのママ(パパ)に隠そうとは思っていないので聞かれたらそのままお伝えしてください」とお話しされたそうです。おふたりのオープンな様子や事実を知ってほしい、こういう家族がいることを世の中に広めたい、そんな気持ちも悟って、園長先生は聞かれたのかもしれませんね。3)2人のママをどう呼んだらいいか 最後は「2人のママのことは、どんなふうに呼べばいいですか?」という質問。園長先生から「Risaママ、Mahoママですか?」と聞かれて、Risaさんは「じゃあそれで!」と即答したのだとか。というのも、自分たちのことをどう呼ぶか、たとえば「ママ」と「マミー」にするか、「ママ」と「お母さん」がいいかと、ずっと悩んでいたのだそう。「園長先生のおかげで自分たちの母としての呼び名が決まった!」とMahoさんも笑顔を見せます。 保育園からはこの3点を聞かれたのみ。同性カップルの子どもを受け入れたことがあるのかなと思うような的確な質問だと関心するMahoさんに、「すごく自然に聞かれたよ」と答えるRisaさん。受け入れに対してネガティブな雰囲気が一切なかったのだそう。「この園だったら大丈夫だと安心した」とMahoさんは胸をなでおろしました。 園長先生が、実際に保育が始まってからでてきそうな小さな疑問までもすでにイメージしてくれていたことで、3人のことをごく自然に受け入れてくれたことを感じられたのでしょうね。 そしてRisaさんも、ぽこ太郎くんに物心がつき、おしゃべりをするようになったら、周りの子どもたちに「なんでママがふたりいるの?」と聞かれる日がくるだろうと言いました。でも「この保育園なら、心配事も少ないし、相談もしやすい。近くにあってよかった」とおふたり。3人にピッタリの保育園に出会えてよかったですね! LGBTQを差別する人たちは「知らないだけ」 今回の産院・行政・保育園の対応については「伝える前の緊張」はあったものの、「想像していたほどネガティブなことは一切なかった」とおふたり。日ごろからLGBTQについて「知らないだけで、きちんと会話をすればほとんどの人が味方になってくれる」と考えているそうですが、実際に今回もそう感じたのですね。 おふたりの周りにたくさんの理解者がいるのは、こうした「わかって欲しい」「察して欲しい」ではなく「会話をすること」「知ってもらうこと」を大切にされているおふたりの姿勢も、関係しているのだと思います。 視聴者からは、 「そういえば、わが家の幼稚園や小学校では父の日、母の日とかの絵や工作、作文とかあった気がする。そのときがきたら、これからどうやって対応していくかだけど、ふたりならうまくやっていける」 「おふたりはラッキーだと言ってましたが、おふたりが真剣だから周りも協力したくなるんじゃないかなーって思います!」 「元保育士です。ふたりパパやふたりママ、パパママ、ひとりママやひとりパパなどこれからどんどん多様性に富んだ家族が増えると思います。これからの保育園、保育士の対応など考えていかないといけないんだろうなーと思いました!」 といった意見が寄せられています。 根拠のない誤解や偏見というのは、世の中のあらゆる場所にあるもの。MahoさんとRisaさんの動画を観て、「知らないこと」を「知ろうとする」心がけも大切であることを感じました。そして多様な家族と、多様な性・生の在り方が認められる世の中になってほしいと強く思いました。「諦めなくていい」。おふたりの動画には、LGBTQ当事者の方も、そうでない方も、日々の生活に希望を感じるようなメッセージが込められています。 Risaさんのお仕事復帰とぽこ太郎くんの保育園入園という、新しい生活をスタートさせたMaho Risa Family。ベビーカレンダーはこれからも3人を応援しています!YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠中の様子、出産、子育てについてなど、さまざまな動画が投稿されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:ライター 逆井マリ
2023年05月30日パニ子は37歳の専業主婦。夫・吉樹とは結婚7年目で、不妊治療を続けています。スカッと系人気YouTubeチャンネル『パニコレ』から、「不妊に悩む夫婦の目の前で倒れた女の子との絆」を紹介します。パニ子は37歳の専業主婦。夫・吉樹とは結婚7年目ですが、子どもはいません。 目の前で女の子が倒れて……2人は子どもが大好き。現在不妊治療3年目です。不妊治療はお金や体力・時間との勝負。その難しさにパニ子は時折ネガティブになってしまいますが、吉樹はいつも励ましてくれています。 ある日、2人が気分転換に近所の公園を散歩していると、突然、小学生くらいの女の子が目の前で倒れました。2人は応急処置をして救急車を呼び、病院まで付き添うことに。結局、女の子は軽い熱中症だとわかり一安心。 その後、女の子の母親が病院に現れましたが、パニ子たちにお礼を言うこともなく「倒れたんだって? あれだけ迷惑をかけるなって言ったでしょ!」と女の子を叱責しています。 パニ子たちは「そんなに叱らなくたっていいのに……」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、病院を後にしました。 女の子が突如いなくなった翌日、公園の前を通りかかったパニ子は昨日の女の子と再会! ひまりという名前のこの女の子はきちんと昨日のお礼を言い、2人は買い物帰りに毎日のように公園で楽しい時間を過ごすように。ひまりとの時間は、不妊治療の困難さを忘れさせてくれる癒しの時間でした。 しかし1カ月後、突如としてひまりの姿が公園から消えました。パニ子は心配して待ち続けましたが、一向に現れる気配がありません。吉樹に相談すると心配してくれましたが、どうすることもできずにいました。 不妊治療を続けることさらに3年、2人は子どもを諦める決断をしました。そして、病院を出る際、「養子縁組制度」についてのポスターが目に入ったのです。 女の子と奇跡の再会。家族へ。養子縁組制度に関心を抱いた2人は、施設を訪問。そこでは、なんとひまりが生活していたのです! 3年ぶりに会ったひまりはパニ子夫婦のことを覚えていてくれて、感動の再会を果たしました。ひまりの母親が姿を消したという事情を知った2人は、ひまりを家族として迎える決断をしました。 ひまりの意見を聞いてみると「私、パ二子さんみたいな女性になりたい!きっとこの人たちの子どもは、すっごく幸せなんだろうな、羨ましいなって思っていたの」と。吉樹が「俺たちは親子になるべく出会っていたんだよ、迎えに来るのが遅くなっちゃってごめんな」と言い、3人でぎゅっと抱き合い、晴れて家族になりました。 3人の穏やかで楽しい暮らし今日はひまりの中学式。「ママ、もう時間だよ!早く出発しないと!」「私の忘れん坊は、パパ似だね! パパは保護者代表挨拶するんだから、しっかりしてよね!」と朝から準備に追われています。そんなドタバタの朝も、パニ子一家にとっては楽しい日常です。「さあ、卒業式へ行こう!」と、3人は笑顔で家を出発しました。これからも穏やかな日々が3人に続きますように……!著者:ライター パニコレ
2023年05月25日私は36歳のときに3人目を妊娠。妊娠がわかる前は月に1回程度のペースで夜の営みがありました。上の兄たち2人のときは、妊娠中も産後も夫の性欲はあり、セックスレスになることは今回が初めての経験です。私は育児に疲れており、性欲は未だにないのですが、私が思う夫のセックスレスの理由を考えてみました……。3人目妊娠初期の出来事…妊娠検査薬で妊娠がわかった妊娠初期のころに夜の営みをしました。しかし、その2、3日後に微量の出血と陰部や腟のヒリヒリ感があり、産婦人科を受診。出血の原因は着床出血で、腟のヒリヒリ感はカンジタ腟炎だと医師から言われ、軟膏をもらいました。 私はカンジタ腟炎になったのは初めてで、夫に治るまでは無理だからと伝え、この日からセックスレスがスタートしたように思います。 3人目が女の子とわかると夫に変化が私のカンジダ腟炎は2週間後の妊婦健診で治ったのがわかりましたが、つわりが始まったり切迫流産になったりして私のほうがそれどころではなく、セックスレスのまま妊娠中期に入りました。 そして、夫がおなかの子の性別を気にし出して、担当医から「女の子かも」と言われたことを告げると、太っている父親と思われたくないという一心でダイエットに没頭し始めてしまったのです。 おなかを触ってもらえず不安になる私夫はダイエットに集中して、夜は疲れて爆睡……。胎動があり、兄たちは触ったり声をかけてくれたりするのに、夫は関心がないのかと思うくらいおなかに触れてくれませんでした。 兄たちのときは胎動を感じながら夫婦、親子のスキンシップをとれたのに、今回はまったく近寄ってこない夫。不安に感じ、いつもならしない私がおなかを触ってもらうために夫の布団に潜り込んだくらいです。 私が思う夫のセックスレスの理由私は、きっと3人目が生まれたら夜の営みを求めてくるだろうなと思っていました。ですが、産後5カ月を過ぎてもその素振りはありません。 私自身の性欲はないので、夫に何でしないのかと聞こうとは思わないですが、生まれたのが女の子だったことが、夫に何かしらの気持ちの変化をもたらしたのかもしれません。兄たちのときにはセックスレスにならなかったので、何となく、3人目が女の子だったことが影響しているような気がしたのです。 現在は娘の2時間ごとの夜泣きが始まり、夫婦して体力を削られていますが、もし今後そういう雰囲気になったときには、疲れているからと断わらないようにしたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2023年05月10日27歳で長女を出産し、2人目が欲しいと思いながらも草食系の夫にちゃんと伝える勇気がなく、ずるずる32歳になった私。そんなとき、不妊治療をしていた上司から言われた「本当に2人目が欲しいなら迷っていないで早いほうがいいんじゃない?」のひと言に刺激を受け、2人目計画を始動したお話です。夫は草食系夫はいわゆる草食系で、もともと営みがなくてもいいタイプの人。結婚前から健全なデートがほとんどで、「ピュアな人なんだな」と私は感じていました。そのため、結婚してから長女を妊娠するのにも、排卵日などを考慮しながらで1年ほどかかりました。 私も夫も「子どもは2人欲しい」と思ってはいましたが、2人目が欲しい=営みが必要、というのが私たちにとっては大きなハードルでした。 2人目計画を言い出せないそれでも2人目は欲しく、漠然と「2人目欲しいね」と私が言い「そうやね」と夫も言いますが、それ以上は続かないのです。長女の妊娠が判明してから営みをしていないので、もうそういう雰囲気にもなれません。 私たちが2人目を作るとなると、基礎体温を測り排卵日を考え、「今日、排卵日だよ」と伝えなければなりません。それらを考えただけでおっくうになり、夫に2人目計画を言い出せずにいました。 このままではマズイそんなこんなで5年が過ぎ、私は32歳になりました。そんなとき、職場の3つ上の上司が不妊治療を始めたそうで、こんなことを言われました。「加齢と共に卵子も老化するから妊娠しにくくなるんだって。だから本当に2人目が欲しいなら、迷っていないで早いほうがいいんじゃない?」と。 卵子の老化、聞いたことはありましたが、改めて言われると年齢的にも焦りを感じ、「夫に2人目計画を伝えよう!」と決心しました。 2人目計画始動その夜、この気持ちが収まらないうちにと思い、上司に言われたことを夫に伝えました。「今、重い腰を上げないとあとから2人目が欲しいと思ってもできないかもしれない。まだ可能性があるうちに頑張ってみようよ」と。 2人目が欲しいという思いは夫も同じなので、納得してくれました。それから私たちは2人目に向けて始動したのです。 2人目計画を始動してから1年半ほどの34歳で妊娠し、35歳で次女を出産しました。夫に2人目計画を伝えるのはとても勇気がいりましたが、無事に次女を妊娠~出産し、今、家族4人で本当に幸せです。あの上司の言葉がなければまだ重い腰が上がってなかったかもしれないので、心から感謝しています。 監修/助産師 松田玲子著者:石井ゆうき9歳と1歳の姉妹を持つママ。秘書として時短勤務。1人目出産直後に夫が転職に失敗したことを機に、お金にまつわることに興味を持ち、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしている。
2023年05月08日4人目となる末っ子の妊娠が判明したのと同時期に、私の身に起きたとても痛かった出来事です。自分の体に向き合うことの重要性を学び、迷わずにもっと早く行動を起こしていれば……。歯が痛い!しかも何本も…4人目の妊娠が判明するまで、歯科健診に行っていなかった私。痛みが出ることもなかったので、自分の歯は健康であると思い込んでおり、気にすることもありませんでした。 妊娠4カ月になったころ、突然生じた痛みに耐えられず歯医者へ駆け込むと、なんと複数本の虫歯が判明! 神経を抜かなければいけない歯もあり、長期にわたる歯医者通いが決まりました。 産科で、歯科治療に使用する麻酔がおなかの中の赤ちゃんへ影響がないことを確認し、歯科医師と相談して臨月に入るまでは少しずつ治療を進めていくことに。そして、治療の全工程の半分ほどは、出産前までに終えることができました。 時間もお金もかかって後悔出産後は新生児のお世話に忙しく、歯医者へ行けたのはなんと出産から3カ月後! そこから毎週のように治療に通い、歯を削ったり被せ物をしたりと、時間もお金もたくさんかかってしまいました。 育休中で収入のない時期に高額な治療をすることがとても心苦しく、夫に伝えるのをためらってしまうことも……。「仕方がないよ」とは言ってくれましたが、夫が稼いでくれたお金を使ってしまったことへの罪悪感や後悔が強く残りました。 3人の子どもたちのことばかり気にして自分のことを後回しにしてしまっていたツケが、4人目の妊娠判明と同時に一気に押し寄せてくる結果に。4人目を出産してから2年経ちますが、現在は定期的に歯医者で診てもらっており、今後も続けていきます。今回の出来事は改めて自分の健康を維持するのは大事であると思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/ななぎ著者:高山ななみ
2023年04月23日私には大学時代から仲良くしていた友人がいました。彼女とは毎日のように一緒に過ごし、大学卒業後も学生時代と変わらない付き合いを続け、お互い結婚するタイミングもほぼ同じで、驚くことに第1子を授かるタイミングも数日違い。「私たちの仲の良さは、赤ちゃんまで伝染したんだね」と言い合い、喜びに溢れていましたが、この妊娠をきっかけに私たちの関係は終わりへと向かっていったのです……。親友への妊娠報告彼女とは大学で初めて知り合ったはずなのに、長い付き合いのような居心地の良さを感じ、毎日のように一緒に過ごしていました。その後、社会人となってからは、お互い結婚をし家庭を持ちましたが、毎週のようにお互いの家を行き来したり、夫婦同士で旅行へ行ったりと、家族のような関係を築いていました。 そして、結婚して1年が経ったころです。私の妊娠が判明し、親友へ妊娠報告をしました。すると彼女の口から「え! 私も妊娠したんだけど!」と、まさかの言葉が。どうやら、親友とは数日違いで妊娠していたようです。 親友の様子に嫌な予感…私と親友は、お互い電話越しに大喜びでした。「私たちの仲の良さが、赤ちゃんにまで伝染したんだね」。そんなことを言い合いながら、赤ちゃんが生まれた未来のことを想像して、2人してワクワクしていたことを今でも忘れません。 しかし、妊娠の報告をしてから2週間ほど経ったときに、親友の旦那さんから「妻の体調が悪い」という連絡を受けました。親友に連絡したところ、「つわりがひどくて、しばらく連絡ができない」と言われました。そのころ、私にはつわりがなかったため、親友に何かあったのではないかと少し嫌な予感がしたのです。 深い悲しみに暮れる親友親友からの連絡が途絶えて1カ月が経ったころです。親友の旦那さんから、流産の報告を受けました。妊娠初期の流産でした。親友は深い悲しみと、妊娠中の私のことを気づかって連絡をしなかったそうです。その後、しばらくしてから親友から着信があり、改めて流産の報告を受けました。 お互い電話越しで大泣き。親友に「つらかったね。本当によく耐えたね」と伝えると、親友は私に「元気な赤ちゃんを産んでね」と言ってから電話を切りました。そして私は、妊娠中は親友に連絡するのを控えようと思い、以前のように頻繁に連絡を取り合うことはなくなったのです。 お互いにママとなり、終わった関係親友の流産から3カ月が経ち、彼女は再び妊娠。その後、無事に出産し、私の息子と同級生となる赤ちゃんが誕生しました。その後もママ友としての関係が続いていた私たち。しかし、親友は私の息子に対して、「小さいね。うちの子のほうがあとに生まれたのに、うちの子のほうが大きい」「うちの子のほうがよく食べる。うちの子のほうがあとに生まれたのに」など、自分の子どもと比較する発言が増えたのです。 その後、第2子を妊娠した私のおなかを見た親友に、「おなか小さくない? 大丈夫なの?」と言われたことで私はひどく傷つき、これをきっかけに自然と会う回数も減っていきました。そして、私は親友との関係を終わらせることにしました。 親友がなぜ私の息子と自分の子を比較し、息子を下げるような発言をしたのか、真意はわかりません。もしかしたら、ほぼ同じタイミングで妊娠したこともあり、私の息子を見ることで深い悲しみが蘇ってしまったのではないかと想像してしまいました。学生時代からの関係がこのような形で解消されてしまったのは、今でもとても悔しい気持ちはありますが、亡くなってしまった命のご冥福を祈り、また、親友が今もどこかで幸せに過ごしていることを願っています。 作画/ななぎ著者:はやきゆうこ3兄弟のママ。5歳・3歳・0歳のやんちゃな男の子3人と多忙な夫の5人家族。子育ての経験を中心に執筆活動中。
2023年03月25日私が元夫と離婚したのはDVが原因です。妊娠中にも繰り返される暴力、ひどいときは首を絞められて気を失ったこともありました。離婚を選択する度胸も生活力もなく、精神的にも元夫に依存していた状態だったので、「私は一生、この人と暴力と一緒に生きていくんだ」と思っていました。ですが、娘が生まれて心境が一変! ここでは、妊娠から離婚を決意するまでの私の体験をお話しします。DV彼氏との間に子どもを授かり、結婚当時19歳だった私は、同棲中の彼氏(元夫)との間に子どもを授かりました。子どもを授かる前から殴る蹴るなどの暴力や、包丁を持ち出しての脅し、携帯電話や眼鏡を壊されるということがあったので結婚に不安はありました。 しかし、陽性の妊娠検査薬を見てうれし泣きしている彼氏を見て、子どもを授かった喜びのほうが勝ってしまったのです。そして、その姿を見て「子どももできたし、結婚もするし、暴力も終わるだろう」そんな期待を持っていました。 結婚しても出産してもなくならない暴力ですが、やはり元夫は簡単には変わりませんでした。妊娠初期のころはまったくなくなっていた暴力も、徐々に手を上げられるようになったのです。でも「子どもにとって父親がいないのはかわいそう。子どもが生まれたら暴力も終わるだろう」⋯⋯そう考えて離婚は選択肢にも上がっていませんでした。 毎日元夫の顔色をうかがい、私はこの人がいなくなったらだめになる、元夫も私がいなくなったらだめになる、そう思い込んでいました。そして子どもが生まれましたが、やっぱり暴力はなくならなかったのです。 こんな父親、子どもにとって必要?私はだんだんと、「子どもが大きくなって、パパがママを殴っている姿を見るのは悪影響じゃないか」「子どもにまで手を上げるようになったらどうしよう」と考えるようになりました。そのうち、「暴力を振るう父親はいらないんじゃないか」という結論に至ったのです。 そのとき、子どもは生後2カ月。離婚するなら子どもの記憶に残る前がいいと思いました。離婚までの計画を練り、元夫をなんとか言葉巧みに説得し、2週間後には離婚届を出しました。 離婚後の心境とその後の生活離婚してすぐは「やっと解放された!」という気持ちより、この先、子どもをひとりでちゃんと育て上げられるのか、子どもが片親ということで寂しさを感じるかもしれない……という不安のほうが大きかったです。 ですが、元夫の顔色をうかがう必要がなくなり、私自身よく笑うようになりました。子どもも元気にすくすく育ち、現在は中学生です。私を気づかっての言葉かもしれませんが、「ママがいっつもいてくれるから別に寂しくない」と言ってくれたりもします。 子どもが生まれたことでやっと目が覚め、DV夫と離婚することができました。今は毎日娘と笑顔で過ごすことができていますが、離婚前や離婚したばかりのころはこんなに明るい未来は想像できませんでした。こうして、娘との穏やかな毎日を過ごすことができ、あのときの私の選択は間違っていなかったと胸を張って言うことができます。 監修/助産師 松田玲子著者:吉川 みきな12歳女の子と2歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2023年01月20日私たち夫婦はお互いに離婚歴があり、お互いに息子がいますが同居はしていません。そんな事情もあり、子どもはつくらず2人の生活を楽しんでいこうということで再婚しました。しかし、入籍して半年くらい経ってから、夫からのあるひと言で妊活を決めたのです。夫との出会いから結婚まで私は2回の結婚経験があり、どちらも失敗に終わりました。しかし、現在の夫と職場で知り合い、この人となら今度こそ幸せになれるかなと思い、同棲を始めたのです。 毎日が楽しく、作ったごはんも喜んで食べてくれて30代後半で普通のカップルがするような素敵なデートもいっぱい体験させてくれました。そして結婚を機にマイホームを購入し、新婚生活を数カ月送っていたときに、夫に言われたのです。 うれしい言葉に悩んだ末、決断何気なくテレビを観ているときに、夫から「おまえとの子どもが欲しいな」と言われたのです。私は「本気で言ってるの?」と聞いたら、夫は「おまえとの子どもがいたら、今とは違う幸せがあるのかなーって思ったんだ」と言われ、うれしくて涙が出たのを今でも覚えています。 言われたことはとてもうれしかったのですが、やはり悩みました。38歳での出産で私は「大丈夫かな? 育てられるかな?」と不安しかなかったのです。私たち夫婦には両親がいないので頼れるところがないということが、私にとっては大きな悩みでした。しかし、やっぱり夫の子どもを産みたいと思い妊活を始めたのです。 妊活を開始後、半年で妊娠妊活を始めて半年、妊娠検査薬を試してみると見事に陽性でした。すぐに夫に妊娠検査薬の写真を添付してLINEで報告すると、「やったね! おめでとう!」という返事がきて本当にうれしかったです。 妊娠が確定し、35歳以上の出産はリスクが高いのも不安の要素で、元々体格がよかったので太り過ぎにもかなり注意していました。 無事に出産して3年出産予定日を過ぎてもなかなか生まれず、結局、妊娠41週2日に緊急帝王切開で娘を出産しました。娘は3歳になりイヤイヤ期真っ最中ですが、とても元気いっぱいです。 娘の笑顔を見ると、本当にあのとき不安を乗り越えて妊活してよかったと心から思います。これから先、親子でたくさんお出かけするのが今の私の楽しみです。 20年ぶりの出産で体力的にも精神的にも不安いっぱいの妊活でしたが、夫のうれしいひと言で前向きになり、頑張って子育てしていこうと思いました。私たちは親もなく、頼れる場所がないことがどれほど大変かを知っているので、妊活にはかなりの勇気が必要でした。何度も何度も夫と話し合った結果、私たちの子どもを身ごもることができ、幸せを実感しています。 監修/助産師 松田玲子著者:のろ ゆうこ結婚3回目にして幸せを手に入れた北海道出身ライター。23年前に息子を出産し、20年ぶりの出産を経て現在は3歳の女の子をワンオペで育てています。美味しいものを食べ歩くことが大好きなアラフォーです。
2023年01月08日私は8歳の長男と6歳の次男、そして4歳の三男の3人の子どもを育てています。にぎやかな日々を楽しく過ごしていますが、実は3人目を妊娠したときに、産むかどうしようかかなり悩んでしまったのです。葛藤した当時の体験談をお話しします。4歳と2歳の育児に追われる日々当時4歳のわんぱくな長男と2歳の泣き虫な次男の子育てに追われる日々の中、仕事復帰をした私。そんなときに予想外の妊娠をしました。当時の私は家事や育児、仕事の両立でメンタルがギリギリの状態でした。 こんな私に子どもを3人も育てられるのだろうか? また、経済的不安もあり、人工妊娠中絶も考えてしまいます。夫に相談したところ、できれば産んでほしいが最終的には私が決めてという返答だったので、中絶について調べるとともに、同じ悩みを抱えている人がいるのでは?とインターネットで探しました。 同じ悩みを持つ人が意外に多かった…3人目の妊娠についていろいろと調べているうちに、意外にも同じような悩みを抱えている人が多くいることがわかりました。その中で、人工妊娠中絶が可能な病院自体、少ないことを知ったのです。そのときの私は3人目を育てる自信をなくしていたので、近くで人工妊娠中絶ができる病院があるか、電話で問い合わせて見つけました。 いざ病院に行くと、先生は中絶を希望する理由などは聞かず、「まだ手術をするには早いから、次回までにどうするか決めてきてね」と言いました。私にもう一度考え直す時間を与えるかのような先生の対応により、私の中で何かが変わっていったような気がしました。 自分を見つめ直して考え方を改めた先生が何かを察してくれたかのように感じた私は、考え方を改めてみようと思いました。私の場合は、そのときの現状でいっぱいいっぱいとなっていることから、新たな子育てへの不安を感じていたのです。そこで、家事などもう少し手を抜けるところは抜くことにしました。 また、きょうだいも2人より3人いたほうがうれしいのではないかと思えるようになり、経済的な不安については働きながら節約できるところはするなど、どうにかなるだろうと考え、私は「産もう」と決意しました。このことから、いろいろな物事に対して、今だけではなく先のことも考えながら行動するようになりました。 無事に三男も生まれてきてくれ、現在は、3人で仲良く遊んでいる姿がよく見られます。次男も三男のお世話をよくしてくれるようになり、私は大変どころか上の子に大変助けられています。手を抜くところは抜いて、子どもたちと向き合って過ごすことの大切さを実感しました。そして3人の子どもたちと楽しく過ごしている今、産むという決断をしてよかったと思っています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/シュー子著者:太田 ゆみ小2、年長、年中の男の子3兄弟のママ。フルタイム勤務で働きながらブロガーとして暮らしやキャンプ記事を執筆中。
2022年12月31日2020年1月からの2年間、松山家のみなさんはカナダのバンクーバー島にて、旅をしながらトレーラー生活をしていました。夫のまささん、妻のみほさん、5歳の長男ゼンくん、2歳の次男セージくんの4人暮らし。限られたスペースであるトレーラーハウスでの生活っていったい……!? ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 家族で旅をする理由東京で営業のお仕事をされていたまささん。みほさんとは東京で出会い結婚しました。当時2人はそれぞれ仕事をしていて、それなりに余裕のある暮らしだったそうです。しかし、休みなく働くことに疑問を感じ、会社を辞めて、夫婦でワーキングホリデービザを取得。2012年に夢だったカナダへ出発しました。当初は1年後に帰国する予定でしたが、カナダ生活がすっかり気に入った2人。ワークビザを取得できる職場を探し、カナダ生活を継続したのだそうです。 そして、10年間カナダで暮らしている間に2人の子どもに恵まれ、家族4人で2年間トレーラー生活をしていました。トレーラーハウスとは、住宅の設備を備えた車のこと。カナダではトレーラハウスを購入し、主にキャンプ場で暮らしていたそうです。 「旅はすごく刺激を受け、自分自身の成長にも繋がります。旅=人生です」と話すまささん。カナダへと旅に出たのは、自分で選択しないまま人生が進んでいっているように感じたことがきっかけだったと言います。 現在は日本に帰ってきて、お世話になった方々やフォロワーさんなどたくさんの人に出会いながら、北海道から沖縄まで自走式キャンピングカーで日本全国を巡っています。 まささんの旅のコンセプトは『人に出会う』『人とつながる』。生きる上で大切なことは「自分で考え、自分で決定し、自分で道を決めること」だと語るみほさん。子どもたちには、「旅で人と出会って多様な文化を知って視野を広げ、好きなことをして生きて欲しい」と2人は話します。 それでは、カナダのバンクーバー島でのトレーラー生活は、いったいどのようなものだったのでしょうか。お仕事は? 保育園は? それからトレーラーハウスはいくらぐらいかかるの? 家賃は発生するの? などなど、疑問がいっぱい。 当時のモーニングルーティンとともに紹介します! トレーラーハウスから保育園へ!?モーニングルーティンまずはカナダでのトレーラーハウス暮らしのモーニングルーティンを見てみましょう。この日はクリスマスを目前にした12月の半ばです。 朝8:15 朝食外の気温は2度。でも、ガスヒーター・ポータブルヒーターのおかげでトレーラーの中はポカポカです。和食中心の松山家。今日の朝ごはんは納豆うどん♪ 日本で食べられるものは揃えているそうです。家族そろって、いただきます! 自分でお着換えができたことを話す、ゼンくん。パパにお話を聞いて褒めてもらってとってもうれしそう! 「なんでも自分でやってみる」これが松山家の方針です。 8:45am ゼンくん保育園に出発!準備ができると、まささんはゼンくんを車に乗せて保育園まで送ります。みほさんが1人の時間が持てるように、次男のセージくんも一緒に連れて行くのが日課です。 英語にこのころ自信がなかったゼンくんは、保育園ではおとなしいそうですが、元気よく出発! 高速道路を利用しますが、カナダでは無料! そして渋滞はまったくないのだそう。 保育園は山の上の方にあり、山、海、島が見えてとても景色が良いのだとか。保育園に到着したまささんが景色に見とれていると、「それより早く行こうよ」とニコニコのゼンくん。保育園が大好きな様子が伝わってきます。 一方、3人を送り出したみほさんはと言うと……。 「ようやくわが家に静寂が訪れました」と、洗い物・部屋の片づけなどのお掃除タイムが始まりました。 トレーラーハウス全体に掃除機をかけても約5分。「掃除がすごくラクなのが、気に入っているポイントです」とみほさん。 10時ごろにこれらの家事を終えると、つかの間の1人時間。 音楽を流しながらストレッチをされていることが多いそうですよ。ここはカナダの自然あふれるキャンプ場。窓の外には緑が見えて、体も心も気持ちよくなれそうですね。 9:10am次男セージくんはお昼寝タイムへ長男ゼンくんを保育園に送り届けたまささんはと言うと……。 山道を2人でドライブしながら、次男のセージくんの寝かしつけ。11時くらいまではまささんはセージくんのことを見るようにしているそうです。 「チームワークがとても大事。小さなことで喧嘩している場合ではなく、人間力が試されるんですよ」とまささんは語ります。家事も分担しているとのこと。 そして気持ちよさそうにセージくんがお昼寝すると、まささんも1人時間へ。この時間は「頭の中を整理する時間」だと言います。 次のビジネスについて、クリエイティブなことについて思案する、なくてはならない貴重な時間です。開放的でメディテーションにピッタリの環境に見えますね。 11:00am お仕事タイム10時半にまささんとセージくんはトレーラーハウスに戻り、11時からまささんのお仕事タイム。まささんは、カナダに住み始めてから、ビジネスを立ち上げ遠隔で運営したり、Youtubeを編集したり。トレーラーハウス住まいのこのときは、家の中かキャンプ場のラウンジでパソコンを使っていたそうです。 松山家のようにトレーラーハウスで暮らしている方など、ラウンジにはいろいろな人が集まります。「ここではいろいろな生き方をした人に出会える。そしてみんなが家族みたいで、それがいい!」とまささん。 「環境や出会いによって人は簡単に変われる」と、まささんはご自身の体験を通して感じているそう。「早く歳をとりたい! 子どもたちの将来が楽しみ!」と日々本当に充実されていて人生を楽しんでいる様子が伝わってきます。 いったい家賃はいくら?生活費は?トレーラーハウスは格安!?ところで、とても素敵なトレーラーハウスですが、住居も兼ねた車なので、キッチンやシャワーなどいろいろな設備がついています。いったいいくらぐらいで購入したのでしょう?その額は……! 12,000ドル(税抜き)! 日本円にして当時の物価で100万円弱! 小さいとはいえ、この金額でトイレもシャワーもキッチンも電子レンジや冷蔵庫、ベッドなどが完備された家が購入できるというのは、破格かもしれませんね。 まささんは販売サイトを通じて、中古車を個人から購入したそうです。 ただ、壊れている箇所がいくつかあり、修理代を全て含めると200万円ちょっとだったとのこと。自分でDIYをする必要があり、それは結構大変だったそうです。やり始めて「DIY向いていないかも……」とも思ったそうですが、お友だちにも協力してもらい、素敵なトレーラーハウスが完成しました! とにかくすべての修理を自分でしたとのこと。もし森の中でトレーラーが壊れた場合、自分でできないと困りますよね。まささんは雨漏りや水漏れなど、あらゆることをすべて自分で直していたそうです。 気になる家賃は? キャンプ場に住むっていくらかかるの?キャンプ場で暮らしていたまささんたちご一家は、毎月家賃を支払っていました。 コロナ禍ということもあり、窓越しに金額を自分で聞いて支払うシステムだったそうです。電気、ガスもキャンプ場の設備をトレーラーハウスに接続して使用する仕組み。そのため家賃と一緒にそれらの費用も支払います。ちなみにカナダでは水道代が無料。厳密にいうと、税金に含まれているのだそうです。「寒いのでたくさんヒーターも使ったし」と電気代も気になるまささん。気になる金額は……! 電気代もガス代も入って426ドル! 当時の日本円で約35,000円でした。 ちなみに前の先月は、777ドル!(当時、日本円で約64,000円)お友だちが遊びにきたこともあって少々高め。月によっても結構差がありますね。 「トレーラー生活なので家賃は安いけれど、なるべくトレーラー生活で家賃はかけたくないよね。夏は3倍になってしまうだろうし……。」と話し合う2人。どうやったら生活費を減らせるか、できることはないかと、いつも2人で話し合っていたそうです。生活のことすべてを自分の力で決めなければいけないトレーラー生活。夫婦のコミュニケーションがポイントのようですね。 「普通の家に比べるとトレーラーハウスのクオリティは低いと思います。『トレーラー生活、憧れます』と言われることも多いですが、実際にやってみると思った以上にやらないといけないことがたくさんあります」とまささん。けれども、「旅はいろんな出会いがあり、刺激があってたくさんのことを学べる。旅を攻略できれば人生を攻略できる」そんな風に考えているのだそう。確固たる信念のもと、このライフスタイルを貫いているご夫婦は、多様な文化を受け入れ、とても魅力的です。 「どんな人生になるのか楽しみ」と語るまささんの瞳はキラキラと輝いています。 ◇ ◇ ◇ 限られたスペースで生活されている松山家。ある日、雨の中ゴミを車で捨てに行くというまささんに、みほさんは「1人で大丈夫?」と声をかけていました。そこには自然とお互いを思いやるやさしさがあります。 また、意識的にそれぞれが自分時間を確保する工夫されていたのも印象的。家族みんながお互いを尊重しあい、心地よく暮らすためにどうすればいいのかを考えているからこそ、このトレーラー生活を楽しんでいるのでしょうね。 現在は日本の拠点を探すため、家族4人キャンピングカーで日本一周中。動画は日本各地から配信されていて、見ているだけでおもしろい……! 松山家の旅生活はまだまだ続きます! YouTubeチャンネル「キャンプの松山家。」さんの動画では、トレーラー生活の大変なこと・素晴らしい出会いなどありのままの動画がたくさん! 海外生活やトレーラー生活に興味がある方はぜひ参考になさってくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年12月28日職場の同僚のMahoさんとRisaさん。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートさせ、家族になりました。YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、そんなお2人の正直な気持ちや家族のあり方について、ありのままの姿を動画で紹介されています。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 そして先日無事、2人の長男であるぽこちゃんが誕生!同性カップルの妊娠、育児とは……? 今回はRisaさんの妊娠期間から、出産、そして新生児の育児について、お2人の様子を紹介します。 同性カップルの私たちが妊娠にいたるまでと、妊娠中のよかったこと・困ったことまずは、妊娠にいたるまでを振り返ります。 私たちの妊娠 職場の同僚であるMahoさんとRisaさん。最初は仕事仲間として接していたそうですが、徐々にお互いを意識するようになりました。そしてお付き合いを始め、パートナーシップ宣誓(※)をし、家族になりました。将来子どもが欲しいと思っていたMahoさんは、Risaさんと過ごしていくうちに「Risaとだったら、絶対に子どもを幸せにできる」という確信を持てたそうです。「どんな人生を歩んでいきたいか」「どういう家族を作っていきたいか」について、きちんと話す場を作ってお互いの気持ちを言葉にして伝えあい、2人で子育てをしようと決心!そして実績が豊富なデンマークの精子バンクで、1,000人以上のドナー候補の中からドナーを決定し、5回目のチャレンジで赤ちゃんを授かりました。 さて、同性カップルの妊娠生活とは……!? いったいどんな感じだったのでしょうか。 ※各自治体が同性カップルを婚姻に相当する関係と認めて、証明書を発行する制度のこと 同性カップルだからこそ理解できたことも!?妊娠中よかったこと3つ出産したRisaさん(写真左)とパートナーのMahoさん(写真右) 妊娠中、「同性だったからこそわかり合えたことがあった」とお2人。 その1.ホルモンに理解がある「女性はホルモンに左右されるということを実感している」と話すMahoさん。Risaさんのメンタルが不安定なときは、「ホルモンの影響なので仕方がない。嵐や雷のようなもので、どうしようもない」と考え、Risaさんに気晴らしになるようなことを勧めつつ、どっしり構えていたそうです。 Risaさんは産休に入りたてのころ、「仕事をしないことで社会に貢献している自覚が得られない」と、自分の置かれている状況に不満を感じてしまったときもあったそう。今Mahoさんは当時を振り返り、「Risaの苦しさを理解していることを、もっと伝えればよかったね」とRisaさんに話します。 Mahoさんのおおらかでやさしい人柄が伝わってきます。ホルモンが女性にもたらす影響を、パートナーが心からわかってくれるというのは、妊娠中だけでなく産後のRisaさんにとっても、とても心強いでしょうね。 Risaさん自身、メンタルの不調に悩んだときは、たくさん本を読んだり、動画を見たりして、自分でどうすればいいのか解決策を探していたそうです。 「自分の中でどう解消すればいいのかを知りたかったので、メンタルコントロールなどの自己啓発・自己認識の本を読んだ」というRisaさん。「自分の今の状態」を認識することで、客観的になれることもあったのだとか。 その2. 柔軟に役割分担ができる家事などの役割分担に関しては、妊娠中に限らず、普段からお互いが過ごしやすくなることを優先に考え、やりたいことを無理せずやっていたお2人。これは「同姓カップルだから」ということではなく、もともとのお2人の考え方や関係性によるものなのだそうです。 たとえば、Risaさんがつわりでつらいときは、家事はMahoさんがメインで担当。Risaさんが産休に入ると、そのころ体調がよかったこともあり、Risaさんがメインで家事をされていたとのこと。 「やらなきゃダメ」という感覚ではなく、「やれたらやる」というスタンスで、デリバリーなども活用しつつ過ごしていたそうです。 それから、良い意味で「相手に期待していない」と話すMahoさん。産休中のRisaさんがご飯を作って待っていてくれると、「ご飯作ってくれてありがとう……!」と思ったそうです。 「相手に期待しない」というのは相手にプレッシャーをかけることもなく、また自分も相手がしてくれたことに素直に感謝ができて、平和な関係をもたらすのですね。 その3. お互い自分ごと化ができる これは婦×婦の同性カップルならではのお話かもしれません。 お2人は、Risaさんの次にMahoさん、という順で、2人とも出産することを考えているそうです。 「(同性だからか)Risaが直面していることを自分ごと化して考えられる」と話すMahoさん。「自分のときはどうかな?」と、より一層相手のことを理解しようとする気持ちになれるそうです。 Risaさんはつわりで自分が辛い思いをしているなか、将来Mahoさんがつわりになったときのことを想像して心配になっていたそうです。思いやりにあふれたカップルですね。 一方、同性カップルだからこそ困ったこともあったそうです。 同性カップルならではの悩み。妊娠中、困ったことそれほど困ったことはなかったものの、「強いて挙げるとすれば……」とお2人は続けます。 説明が大変……! 病院や市役所では、男女の既婚カップル前提で話をされることが多いとのこと。Risaさんは最初は苦労したようですが、説明を重ねるうちに、端的に言えるようになっていったそうです。相手の方も、「あーーー、分かりました……!」と驚きつつも理解してくださるようになっていったのだとか。 Mahoさんは、主に父親が参加する、市役所の子育て教室に参加したそうです。その際、周囲の方に普通に接してもらえて、説明したことで断られたりすることは無かったので、「とてもありがたかった」と言います。 確かに、同性カップルだからこそ相手に理解してもらうためには説明が必要な場面もありますよね。「人によって“家族”に対する理解が違うため、これからは『母が2人いるカタチの家族である』ことを周りの人に伝えていきたい」とお2人は考えているそうです。 Mahoさん立ち会いのもと、いよいよRisaさんが出産!そしてついに…… ぽこちゃん誕生! Risaさんもぽこちゃんも、母子ともに健康で出産自体もスムーズだったとのこと。本当におめでとうございます……! Risaさんは、出産する前夜におしるしがあり、翌日に定期健診へ。「(出産は)1週間以上先かな」と言われたものの、その日の夜10時に破水。翌日の朝7時半に産まれたそうです。「あっという間だった……」とRisaさん。 こんなにかわいいポコちゃんが生まれてきてくれましたよ♡ どんな出産だったのか、Risaさんにお話をうかがいました! ・出産にMahoさんは立ち会えましたか? Risaさん「立ち会えました! 分娩を予約するときから同性カップルであることは伝えていたので、破水後に病院に一緒に行ったときも、出産間近になって分娩室に行くときもスムーズでした。お医者さんも看護師さんも自然に接してくれました」 ・出産時のエピソードを教えてください! Risaさん「Mahoが到着するまでは『1人で陣痛に耐えなければ……』と孤独な気持ちになり、時間が長く感じました。でも、Mahoが到着してからは、『痛い時に話しかけたほうがいい? そっとしといたほうがいい?』とこちらの希望を聞いてくれながらずっと手を握ってくれていたので、やさしさを感じ、そばにいてくれると心強かったです」 さらに、「陣痛の波が来て私がいきむたびに、Mahoも息を止めてしまっていたようで、2人で酸欠気味になっていました」と当時を振り返ります。 妊娠中だけでなく、出産時もMahoさんは常にRisaさんをサポートされていたのですね。お2人で息を止めていたエピソードが一心同体のようで微笑ましい……! 一緒に出産しているかのようで、RisaさんにとってMahoさんの存在がとても心強かったのが伝わってきます。 では、産後はどのように過ごしているのでしょう? ふたりママの子育ては、パパママと一緒!?ぽこちゃんが生まれて1カ月。 お顔もしっかりしてきました! 産後の1カ月を振り返って、「まだ1カ月かぁ……! と思えるほど、あっという間だった」と語るRisaさん。Mahoさんは、「かわいすぎて仕事との両立が難しかった」と笑います。 夜は比較的長く寝てくれるものの、3週目を過ぎてから泣くことが増えてきたそうです。そんな変化にも成長を感じますね。これから家の中だけでなく、少しずつお散歩など、活動範囲を広げていく予定だそうです。 産後の生活についても、Risaさんにお話をうかがいました。 ・Mahoさんはどのように働かれていますか? Risaさん「Mahoは週1-2回出社で、それ以外はリモートワークをしています。リモートであっても、日中はほぼ会議のようです。Mahoは仕事を頑張っています」 ・お2人の育児の様子を教えてください! Risaさん「平日の日中は私がずっとお世話していて、お風呂と夜のミルクは2人でやっています。そして夜中は私が「遅番」担当(笑)。ミルクや寝かしつけをやっています。土日の日中はMahoがメインで担当して、平日抱っこできない分を取り戻しているようです」 お話をうかがっていて、協力しているというよりも、自然にされているのが伝わってきました。Mahoさんのポコちゃんへの想いも伝わってきますね。 伝えたいのは感謝の気持ち ぽこちゃんが誕生したいま、お2人が周囲に何よりも伝えたいのは、感謝の気持ちだそうです。 もちろん、・10カ月支えてくれたMahoさん・おなかでぽこちゃんを育ててくれたRisaさん・元気に生まれてきたぽこちゃんに感謝しつつ…… 『新しい家族のカタチを受け入れて応援してくれた家族、友人、会社など周囲の人たち』への感謝の気持ちでいっぱいとのこと。 世の中、多様性への理解が広がってきましたが、周囲の人たちの中には、Mahoさん・Risaさんの家族のあり方に、一瞬驚いたり戸惑ったりしている様子の方もいらっしゃったそうです。それでも、最終的に、「周囲の方が好意的に受け入れ、支えてくれた」とお2人。ポコちゃんの誕生という一大イベントを乗り越えたお2人は、自分たちのことを受け入れ支えてくれた家族、友人、会社など周囲の人たちへの感謝の気持ちが尽きません。 ◇◇◇ 今回取材させていただいて、改めてお2人の誠実な人柄が周囲の方を巻き込み、大きな渦になっているように感じました。今後もYouTubeを通じて、新しい家族のカタチについて発信していかれるとのこと。 これからの、Maho Risaそして+ポコちゃん Familyの未来が楽しみですね。 YouTubeチャンネル「Maho Risa Family」では、お2人の日常生活の様子、妊娠経過についてなど、さまざまな動画を投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年12月27日わが家では念願の娘が生まれてから、夫と「子どもは2人欲しい」という話をしていました。しかし、問題は妊活のタイミング。私の周りでは「子どもは2学年差がおすすめ」という声をよく聞きましたが、娘は早生まれのため、私が仕事復帰して数カ月以内に妊娠しなければ間に合いません。そこで、自分たちの生活や職場への影響を考え、育休中に2人目を妊娠することを目指した私の体験談をお話しします。生理が再開しない私は母乳の出がそこまで良くなかったため、少し育児用ミルクを足して混合育児で娘を育てましたが、それでも毎日12回前後の頻回授乳を続けていました。その影響なのか、出産後1年経っても生理は再開しませんでした。 そして、保育園は1歳児入園をねらっていましたがあっけなく落ちてしまったので、今すぐ断乳する必要もないかと思い、結局1歳半になるまで母乳育児を続けました。その結果、産後1年7カ月のときにようやく生理再開。この時点で2人連続育休は叶わぬ夢となりましたが、2人目を希望する気持ちは変わらなかったので、ここから妊活をスタートしました。 夫婦と娘のタイミングが合わない無事生理は再開したものの、いざ妊活となるとさまざまな壁が待っていました。第一に「夫とタイミングが合わない」ことでした。夫は21時過ぎに帰宅し、そこから夕飯を食べてゆっくり過ごすのですが、そのとき私は娘の寝かしつけをしています。 娘が2歳になるころには私も職場復帰をして忙しくなっていたので、寝かしつけてそのまま一緒に寝てしまうことも多く、平日夜は妊活できませんでした。また休日の朝、娘が起きる前に奇跡的にタイミングが取れそうなときも、途中で娘が起きてくることが度々びあり、夫婦ともに2人目は諦めかけていました。 まさかの退職後に…私が仕事復帰して1年経つころ、時短勤務からフルタイム勤務へ切り替わる予定でしたが、保育園の預かり時間の関係で始業時間に間に合わず退職することになりました。教育費や家のローンのことを考え、早く次の就職先を探さないといけないと焦って就職活動していたところ、新型コロナウイルスの感染拡大により就活市場が縮小……。 そこで、とりあえず就職は一旦諦めてフリーランスで在宅ワークしようと考えましたが、その月に第2子妊娠が判明しました。うれしいよりも、まず驚いたというのが正直な感想でした。これまでどんなに頑張ってもできなかった子どもが、たまたま1回とったタイミングでできるなんて。結果的に4学年差となりました。 私は「2人目は妊娠しづらい」という話を聞いたことはありましたが、自分で経験してそれを痛感しました。予想外の連続で授かった第2子ですが、不思議なもので「このタイミングだから妊娠できた」気がして、とても愛しく思っています。ようやく私たちの元にきてくれたおなかの子どもを大切に育てていきたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:潮田しずく1児の母で、現在第2子を妊娠中。元大学職員。現在はフリーランスとして、自身の経験をもとに子育てに関する体験談を執筆中。
2022年12月02日生まれつき耳が聞こえない難聴のユカコさん。一般採用で入った大企業に人事として入社。その後結婚し、難病をもつ長女・なっちゃんが生まれました。ユカコさんは育児に悩んだりもしましたが、「自分にできることをしたい」と勤めていた会社を退職し、難聴児の言葉の教育をサポートする会社を立ち上げ活躍されています。難聴者であるユカコさんのYouTubeチャンネルでは、生活や子育て、難病の娘さんのことなど、障害のある暮らしについてご家族のリアルな姿を動画でご紹介されています。今回は、おなかの赤ちゃんに難病があるとわかったときのこと、難病の長女なっちゃんが大きな手術を幼いながら頑張り、ご家族でリハビリを乗り越えて車いすを返却する様子をご紹介します。動画を観た方からは「自然と涙が」「感動しました」「涙が止まりません」などの声が続出。 ユカコさんはいったいどのようにして、ご自身が難聴を抱えながら、難病の子どもを育てているのでしょうか。その答えは、家族の在り方にありそうです。 生まれつき難聴の私が難病児を出産。「この子を育てられない」と号泣したあの日。 聞き取りやすい言葉と発音ですらすらとお話しをされるユカコさん。じつは、生まれつき耳の聞こえない重度の難聴者です。ユカコさんは話す相手の口の動きを見て、言葉を読んでコミュニケーションを取っています。 幼稚園から中学校まで一般の学校で過ごし、希望の高校・大学へと進学。大学ではお友だちと遊んだり、海外旅行をしたり、とにかくチャレンジを続け満喫した4年間だったそうです。その後は一般採用にて、大企業に人事として入社。お友だちとのキャンプで出会ったテツさんと結婚し、長女・なっちゃんを出産しました。 なっちゃんを妊娠中、妊娠後期になって、おなかの赤ちゃんの病気が発覚。長女なっちゃんは50万人に1人の骨の病気を持って生まれてきました。 最初は「難聴の私にどうして難病の子どもが生まれたんだろう……」と受け入れることができませんでした。 テツさんに泣きながら相談したところ「そっか、わかった。ユカコのやりたい方向で考えよう」と言ってくれました。そして、ユカコさんのお母さんは「育てられなくてもいいよ。障害児を育てるのは2人目やから、私が頑張って面倒を見てあげる」と力強い言葉をくれました。 ユカコさんには赤ちゃんの泣き声も聞こえないため、難病を抱えるなっちゃんのお世話は精神的にも肉体的にも非常に大変だったそうです。 テツさんやご家族のサポートもあり、徐々に受け入れられることができるようになったユカコさん。改めて難病児・障害児のことを考えてみると、教育の選択肢がとにかく少ないことに気がつきました。 「難聴のことなら自分にできることがある!」と思い、2018年に会社を辞め、難聴児の言葉の教育を中心とした団体・株式会社デフサポを立ち上げました。 難病のわが子が過酷な手術を……元気いっぱいすくすくと大きく成長していくなっちゃん。しかし、病気の影響で、成長するにつれて両足の長さに差がでてきたため、短い方の足の骨を伸ばす手術をすることに。ユカコさん夫婦は、全国各地の医師を探しまわり、どうにか手術をしてくれる先生を見つけました。 手術後は痛がってずっと泣き続けるなっちゃん。「すごくかわいそうだった……。とにかく頑張ったなぁ。」とユカコさんは振り返ります。ユカコさんとテツさんが交代で病院に行くため、次女のかんちゃんも寂しい思いをしながら頑張っていたそうです。 術後1カ月半ほどが経ち、器具がついた状態で退院。入院していたときに比べて、なっちゃんの表情は徐々に明るくなっていったそうです。 退院後は、テツさんが常に後ろから支えながら、川や山などの自然の中にも積極的にでかけたそうですよ。 とにかく大変だったとご夫婦で口をそろえておっしゃっていたのが、退院後のリハビリです。リハビリには毎日2時間ほどかかり、「仕事もある中で体力も時間も減って忙しすぎて記憶がない」とのこと。 『とても大変な日々だったけれど、将来なっちゃんにとってプラスになるなら』という気持ちで乗り越えたというお2人。 「一番頑張ったのはなっちゃん。そしてかんちゃんも頑張ったね。私たちはあの2人に比べたら全然……」と笑顔でおっしゃっていたのが印象的でした。 今なっちゃんの元気な様子を見て、「頑張ってよかったな」と心から思っているそうです。 ついに、車いすを卒業! 1年後、器具が取れて、ギブス生活を過ごしたなっちゃん。今ではランドセルを背負って元気に自分の足で学校へ通えるまでになりました。 そして今日は1年ほど使った車いすを返却の日。子どもたちの手でピカピカに綺麗に拭いていきます。 ユカコさんは耳が聞こえないため、子どもたちの口を読みながら会話をしています。そしてテツさんがさり気なくサポートし、常に子どもたちを褒めながら掃除を進めていきます。 最後に一度乗ってみるなっちゃん。座ってみると車いすが小さく見え、成長したのがわかります。「『車いす、いっぱい貸してくれてありがとうございました』と言って返そうね」と伝えるユカコさん。 きちんと自分の言葉で「ながいことかしてくれてありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えることができました。 なっちゃんの足がなおり、ジャンプできるようになった姿を見て、職員さんも驚いていましたよ。 退院後、1年以上お世話になった車いす。その期間はご家族4人が力を合わせて頑張った期間でもあります。手術後痛くて泣き叫んでいたなっちゃんがここまで成長した姿を見ると、胸が熱くなりますね。 動画を観た方たちからは、「なっちゃんも家族のみんなもがんばったから車いすにありがとうってお別れが言えたんだよね。 お世話になったものに素直に感謝する心を教えるテツ&ユカコご夫婦はホントにステキ」 「つらい思い出があるだろうにちゃんと『長いこと貸してくれてありがとう』って言えることに本当に感動しました! 涙出ちゃう……。これからもっともっと楽しいことが待ってるよ! がんばった分、素敵なことがたくさん2人の子どもたちに降り注ぎますように! もちろんご両親にも!!」「お父さんも普段からお子さんとちゃんとお話ししてるんだなっていうのがよくわかります。常に褒め続けているし2人の動きよくみていらっしゃる。本当に素敵なご家族です」「つらい時期を乗り越えて、車椅子を返却したときの気持ちを思うと涙がでます。 本当に良かったですね!」と感動の声がたくさん届いているようです。 ◇ ◇ ◇ お世話になった車いすを子どもたちの手で掃除をして、感謝の気持ちとともに返したユカコさんご家族。辛い日々を乗り越え、「ありがとうございました」と伝えながら自分で車いすを返却したなっちゃんは本当に強い……! なっちゃんの将来のことを想い、日本全国お医者さんを探し回って大きな決断をし、サポートし続けたユカコさんの芯の強さにも脱帽です。 決して明るいことだけではなかった日々。その都度ご夫婦で気持ちを共有して乗り越えてこられたのが動画から伝わってきます。他の動画を拝見していても、とにかくユカコさんの笑顔・子どもたちへのやさしい声かけ、テツさんのサポートが印象的……! ぜひユカコさんご一家の絆を動画でもご覧くださいね。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 難聴者であるユカコさんのYouTubeチャンネルでは、生活や子育て、難病の娘さんのことなど、障害のある暮らしについてご家族のリアルな姿を動画でご紹介されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。著者:ライター 福島絵梨子
2022年11月29日上のお子さんが1歳になり、2人目妊娠のタイミングを考えるようになったママさん。夫婦で今後の家事・育児の役割分担ついて話し合い、2人目妊娠に至るまでの体験談を紹介しています。 上の子が1歳になり、2人目を考えるように結婚して夫婦で子どもについて話し合ったときに「できれば子どもは2人欲しいね」とお互い話していました。そんなことから、上の子が1歳になったころには2人目を意識するようになりました。 しかし正直なところ、ちょうど上の子が1歳になったと同時に保育園へ預け始め、仕事復帰も果たしたばかり……。家事・育児と仕事の両立がとても大変ななか、今2人目を妊娠して私はやっていけるのだろうかと、不安がよぎることが多々ありました。 2人目のタイミングは2歳差を計画!2人目のタイミングは少し迷いましたが、1人目の出産がすでに高齢出産だった私。自分の年齢を考えても、2人目妊娠のタイミングを先にするほど余裕はないと思っていました。私自身、4人きょうだいで育ち、大人になってきょうだいの心強さを感じています。だから自分の子どもには将来、親がいなくなっても支え合えるきょうだいを作ってあげたい。 そこで、2歳差を意識して計画を立てました。そのためには夫の協力は必須。家事・育児の分担について、洗濯・お風呂掃除は夫、料理・部屋掃除は私、と話し合いました。 2人目妊娠は計画通りにはいかないものちょうど2歳差になるように計画したものの、理想通りにはいかず……。私は1人目も不妊治療をおこなって妊娠しているので、不妊治療を再開することに。1人目はなんとかタイミング法で妊娠できましたが、私の年齢も上がっているせいか半年経っても妊娠せず……。 先生からステップアップを提案され、体外受精へ踏み切りました。家事・育児、仕事を両立しながらの不妊治療はかなりつらかったですが、最近やっと妊娠を確認することができました! 無事生まれるまで安心はできませんが、ギリギリ計画していた2歳差で生まれてくる予定です。私は子育ても仕事も頑張りたいと思っているタイプなので、夫が家事や育児に協力的でないと2人目は考えられませんでした。夫婦で納得いくまで話し合い、夫が家事育児の分担をすすんでしてくれたからこそ2人目を生み育てようと決心できたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月29日保湿さえやっておけば大丈夫だろうと間に合わせようとした結果、臨月間際でおなかの大きさに耐えられず妊娠線ができ、産後に後悔することに……。ズボラな私が4回の出産を経て、妊娠中やっておけばよかったと後悔した体験談をお話しします。保湿さえしておけば!と出産した第1子初めての妊娠中はゆっくり雑誌を読む時間もあり、妊娠中の過ごし方や、準備するものなど情報を集めていました。その一方、自分のケアには無頓着だった私は、大きくなるおなかが痒くてよくかいていました。調べると、おなかが大きくなると脇腹やおなかの皮膚が伸ばされていったり、妊娠中のホルモンの変化によって痒くなったりすることがあるとのこと。いろいろな専用クリームがあると知っていながら、保湿さえすればいいかと家にあった保湿クリームを塗っていました。 臨月間際で見えないところに妊娠線が!おなかの赤ちゃんに語りかけながら保湿クリームを塗っていると、赤ちゃんが動いて反応してくれることもありました。いよいよ臨月間際になったころ、おなかの下のほうにピリッとした感覚があり、見えない部分だったので夫に見てもらうと、妊娠線ができているとのこと。もう少しで出産なのに!とショックでした。そのとき保湿だけで済まさずに、やはり妊娠線予防効果があるオイルやクリームなどで対策するべきだったと後悔したのです。 できてしまった妊娠線は消えない…第1子でできてしまった妊娠線は今からケアしてももう消えないと諦め、その2年後に第2子を妊娠。第1子のときに妊娠線はもうできているからと諦めもあり、おなかが痒くなるとお風呂上がりに家にあった保湿クリームを塗るだけで、新たに妊娠線予防用のクリームは買いませんでした。そして無事、第2子を出産。私の体格は身長が150cmほどで小さいほうですが、第1子のときは出産までに14kg、第2子でも12kgと体重が増えてしまいました。2人とも3,500gとやや大きめだったため、2人を産んだ時点でおなか全体に妊娠線ができてしまい……。その後、第3子と第4子は帝王切開で手術になったため、おなかには手術の痕も残っています。 妊娠線ができる原因は乾燥だけではなく、体が小柄だったり、急激な体重増加だったりが原因となることもあるそうです。今思えば、妊娠線予防は保湿だけでなく体重管理もきちんとするべきでした。ですが、その妊娠線も子どもたちにおなかのことを言われるたびに、「あなたたちがママのおなかで大きくなった証だよ!」と前向きに話しています。監修/助産師REIKO著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月28日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断を迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病について、病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽい物は食べられず、甘い物なら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やおしりに神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・おしりの痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:桜井りこ2児の姉妹ママ。不妊治療から流産を経験し妊娠。美容系会社勤務、現在は育児休暇中。整理収納・株、投資信託が趣味。美容・コスメ系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月28日少人数の職場ゆえ、2人目の出産の際には、他のスタッフに極力迷惑をかけないようなタイミングで産休を迎えようと計画的に妊活をしたつもりでした。ところが、根本的な知識不足によって最も人手が欲しいタイミングで出産を迎えてしまったのです。ざんげの気持ちでいっぱいだった2人目の出産体験談です。※コロナ禍前の体験談です 我慢を続けた2人目妊娠私たち夫婦は3人子どもを持ちたいと思っていたので、1人目の出産直後から2人目の妊娠をいつにしようか考え始めました。そして、1人目は1年間育休をいただいたので、復職して丸2年は我慢しようと決めました。 1人目を産んだころは私の周囲も1人目出産ラッシュ。ところが復職して1年が経ったころ、同じころに1人目を産んだ同僚たちが2人目出産ラッシュに入ったのです。幸せそうな同僚たちに焦りとうらやましさを感じ、妊活をスタートしてしまおうかと思いましたが、他のスタッフに迷惑をかけたくない一心で我慢に我慢を重ねました。 痛恨の計算ミス私の職場では8月中旬に大きな主催イベントがあり、私自身もそのイベントのなかで担当企画を持っていたため、そのイベントが終わってから産休に入るようにしたいと考えていました。イメージとしては9月中旬の出産です。 しかし、1人産んでいるにもかかわらず、妊娠0日目の数え方を完全に勘違いしていた私。しかも2人目妊活を開始してすぐに妊娠したため、出産予定日が大事なイベントのわずか1週間後になってしまったのです! やさしい職場に助けられ職場に迷惑をかけたくないと計算したはずが、最も迷惑をかけるタイミングでの妊娠となってしまった私。それでも上司含め同僚たちも笑顔で受け止めてくれ、「やりたいなら体を一番に、やれるだけやりな」と、私の判断で本番までできる範囲で関わっても良いと言ってくれました。 経過も良好だったので、一応出産予定日の3週間前には産休に入ったものの、その後も自分の体調と相談しながら担当企画の進捗を見届けさせてもらっていました。 まさかの本番まるかぶり胎児の経過も良好で、イベントの前日リハーサルにもほぼ終日立ち会い、このままイベント本番を迎えてから出産できるなと勝手に安心していました。ところが翌日の本番早朝、まさかの陣痛が! しかも気づいたときにはもう5分間隔。最も恐れていたイベントの本番と私の出産本番が丸かぶりになってしまったのです。 分娩台の上でも陣痛の痛みとイベントが無事に進んでいるかの不安とが入り交り、出産後も喜び半分、ざんげの気持ち半分という、なんともほろ苦い経験となってしまいました。 私の場合は理解のある職場だったので、大迷惑をかけてしまったにもかかわらず笑顔で祝福してくれましたが、申し訳なさが消えず、自分では素直に喜びきれませんでした。3人目こそしっかり計算をし、笑顔で職場にも報告できるような妊娠・出産を目指したいものです。 監修/助産師REIKO著者:笹谷みずき 二女の母。地方の住宅街から離れた山の中在住。現在は外勤めですが、いつかは自宅周辺の自然を活かした事業を起こしたいと目論見中。地方での出産・子育ての楽しさを伝えるべく、自身の体験談を中心に執筆中。
2022年11月22日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 作画/ぐら子監修/助産師 松田玲子著者:伊藤あいり3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年11月21日結婚して1年が経過したころ妊娠し、義両親に妊娠したことを伝えたところ、義母から驚くべき言葉を返されました。え!? おめでとうじゃなくて……?なんと、義母から「出生前診断は受けたの?」との返答が! おめでとうと言ってもらえると思っていた私は、とてもショックでした。 出生前診断については、妊娠初期のころに夫と相談して受けないことに決めていたので、義母にはそのことを伝えましたが、翌日から毎日、義父母から夫に出生前診断を受けるようにと連絡がありました。しまいには、実母にまで……! もうノイローゼになるかと思いました。 不安だった結果が出るまでの1週間仕方なく、クアトロ検査(妊婦さんから採血した血液中の成分を測定して、赤ちゃんがダウン症候群、18トリソミー、開放性神経管奇形である確率を算出するスクリーニング検査)を受けることにしました。しかし、私がお産する病院ではクアトロ検査の取り扱いがなく、むしろ「なんで受けるの?」と聞かれ、助産師さんと話していたら涙が止まらなくなり、泣いてしまいました。 それでも、義母からの連絡は続き、出生前診断ができる病院を探しました。当時は仕事もしていたなか、出生前診断が受けられる週数は決まっていて、予約も必要であるため、本当にスケジュールがタイトでした。 クアトロ検査の結果が出るまでの約1週間、不安で不安で仕方なかったです。しかも、血液検査、超音波検査合わせて8万円もの費用がかかりましたが、義両親からの援助はなく……。受診のとき、夫がわざわざ休みをとって病院に付き添ってくれたことだけが救いでした。 孫フィーバーに急変!診断結果が安心できるものだったので、ほっとして義母へ連絡したところ、手のひらを返したように孫フィーバーに急変しました。 超音波の画像をみて、「どっちに似てるかなー。名前決めていい?」と……。また、私は里帰りはせずに、実母に1カ月通ってもらいお世話をお願いすることになっていたのですが、週一で義母もお世話したいと言い出し、産後ぐらいゆっくりさせてほしかった私は困惑しました。 今では、義母との距離もようやくわかるようになってきました。そして、夫に義母との架け橋になってもらうことが、重要だと改めて実感しました。 ※出生前診断によってすべての先天異常がわかるわけではありません。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小池佳子32歳で結婚。33歳初産。バリバリの営業職。夫は年下の草食系男子。
2022年11月18日結婚当初から、私たち夫婦は2人以上子どもが欲しいねと話していました。夫婦共に子どもが好きでしたし、夫は2人きょうだい、私は3人きょうだいだったため、きょうだいがいる家庭が当たり前だと思っていたのです。そんな私たち夫婦の共通認識に変化が起きたきっかけは、1人目の妊活でした。1人目の妊活夫は既婚の友人が多く、私との結婚前から友人の妊活話を聞くことがあったようです。そのなかで、友人が奥さんから「今日排卵日だからよろしくね」と言われてセックスするというエピソードを、「俺はそんなふうにプレッシャーをかけられるのは絶対に嫌だ」と話していました。 そんな夫の気持ちを尊重して約1年間は基礎体温と排卵検査薬から排卵日を予想し、排卵日前後にそれとなく私から誘っていました。 人生で一番つらい日々妊活を始めて最初の半年は特にストレスもなく過ごすことができていましたが、次第に夫は誘う私の手を眠いと言って払い除けるようになっていきました。そんな日もあるかと最初は気にしなかったものの、「勘弁してよ」「何? そんなにしたいの?」「んー(寝たフリ)」などと拒まれることが増え、次第に私は夫を誘うことが怖くなっていきました。 しかし夫との子どもが欲しかった私は何度も誘い、何度も拒否され……。女性としての自信を失い、愛されていないのでは? と思い悩む日々を送っていました。 子どもが欲しいと語る夫への提案拒まれる悲しさを夫に話すとその月は応じてくれましたが、私が言ったから仕方なくしているんじゃないかと思い、悲しみが消えることはありませんでした。それでも共通の友人に子どもが欲しいと語る夫。そんな夫に私が提案したのは不妊治療でした。 最初は反対していた夫でしたが、検査の結果私に問題はなく、夫が乏精子症と診断されたことから不妊治療へ協力的に。結局タイミング法や人工授精では授かることができず、体外受精で第一子を授かることができましたが、あんなにつらい思いをするのであれば、もう子どもは1人でいいと考えるようになりました。 妊娠、出産、そして2人目妊活へ夫は妊娠中も産後も私の体を気づかってくれ、穏やかに過ごすことができました。そして育児に積極的に参加する夫の姿を見るうちに、もう1人子どもが欲しいと思うように。しかし、妊活のつらい記憶からなかなか踏み出せずにいました。 そんなときに見つけたのが、生理日から排卵日を予測してくれる携帯のアプリです。夫にもアプリをダウンロードしてもらうことで、私が生理日を入力すると妊娠しやすい時期を夫に共有できるようになりました。そして、私からは誘わずに夫のタイミングで誘ってもらうことで2人目妊活に踏み出すことができたのです。 夫に拒まれ続けたつらい記憶から2人目妊活に踏み出せずにいましたが、アプリのおかげで数年ぶりに夫から誘われ、2人目妊活を始めることができました。夫も自分の態度のせいで私につらい思いをさせてしまった罪悪感から、2人目妊活を言い出せなかったそうです。授かることができるかはわかりませんが、ストレスを溜めず、ゆったりとした気持ちで過ごしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:小谷 かずえ不妊治療を経て出産。現在3歳女児の母で元ウエディングプランナー。転勤族で九州在住し、ウエディング関係の記事や妊活に関する記事を執筆中。
2022年11月15日2人目の妊娠が判明したのは産後4カ月のときでした。順調にいけば、12、3カ月差の年子になります。思いのほか早く妊娠したことで、現実的にワンオペでの妊娠、出産、育児が可能なのか悩み、葛藤した話をお伝えします。2人目妊娠はいつでもよいと思っていた私は1人目を出産するときに、以前勤めていた職場を退職しました。そのときは専業主婦となり2カ月ほどで1人目を出産し、育児に専念中でした。 私も夫も2人目の妊娠については、子どもは授かりものだから妊娠したときが良い時期なのだと、楽観的に考えていました。さらにそのときは仕事に縛られないことや周りにも年子が多くいたこともあり、2人目は早くてもいいのかなと思っていた産後4カ月目……妊娠が判明したのです。 このまま出産して本当に大丈夫なのか出産予定日は上の子の誕生日の1カ月後でした。周りに年子が多くいたとはいえ、さすがにこの年齢差の年子の知り合いはいません。妊娠が現実となり、2人目の妊娠時期を楽観的に考えすぎていたのかなと思い始めました。つわりや臨月になっても上の子のお世話をちゃんとできるのか、出産したあとに2人の育児をできるのか真剣に悩みました。 年子は子どもが小さいうちはすごく大変でも、大きくなったら一緒に遊ぶようになって一気にラクになるとも聞きます。私は、少なくとも子どもが小さいうちはワンオペで育児をしなければならないので、自分が耐えられるのかたくさん考えました。 結論、産むことに最終的には産む決心がつきました。私は以前から婦人科系の疾患で妊娠しにくい可能性があると言われていたこともあり、順調に2人目を自然妊娠で授かったということは奇跡なのではないかと思いました。 さらにそのときは仕事もしていませんでしたので、縛られることもないタイミングで良い時期だったと感じます。産む決心がついてからはインスタなどを通じて同じ境遇のママさんの投稿を見て励まされたり情報を得たりして、今も育児の参考にしています。 わが家では思っていたよりも早く2人目を妊娠・出産しましたが、年子を産めてよかったと思っています。たしかに産後1年間は壮絶な日々が続きました。今は1歳と2歳になり、喧嘩もよくしますが、それ以上に一緒に遊ぶ姿をみる機会も増え、微笑ましい光景がみられます。あっという間に時が過ぎていってしまうので、日々噛みしめて2人の成長を見守っていきたいです。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:雨宮春季13カ月差の年子姉妹、1歳児と2歳児の母。前職の看護師を辞めて現在は育児に専念中。次女が重くなってきて2人を連れての外出に限界を感じてきた今日この頃。最近は家に引きこもりがち。
2022年11月07日わが家には、小学生の娘と幼稚園児の息子がいます。もともとは子どもは2人欲しい、と思っていたのですが、子育てしていくうちに子どもたちのかわいさからいつしか、子どもは3人いてもいいなあと思うようになりました。けれど、結果的にわが家は子どもは2人、ということになったのです……。そのいきさつをお話しします。ずっと、子どもは2人が良いと思っていた私は3人きょうだいの末っ子です。実家は家族5人で住むには少し手狭だったので、19歳で引っ越しをするまでずっと、母と同じ部屋で寝ていました。自分の部屋がないことがずっと不満でした。 自分の周りにはたまたま2人きょうだいの子が多かったこと、また母はいつも忙しそうに「3人は大変」と言っていた記憶があったので、自分は将来は子どもは2人が良いな……と漠然と思っていました。一方、夫はお姉さんと2人姉弟。子どもは2人ぐらいがちょうど良い、と思っていたようです。 3人目が欲しいと思ったきっかけ私が住んでいる地域は比較的専業主婦のお母さんが多いこともあり、お子さんが多い家庭も多いようです。娘が通った幼稚園にも、お子さんが3人、4人いるお母さんたちが多く、みなさんパワフルなので、はじめは驚きました。 けれど、そんなお母さんたちがせわしないながらも幼稚園の委員をこなしていたり、お子さんたちそれぞれに習い事をさせていたり、毎日充実して楽しそうにキラキラと輝いて見えたのです。そんなお母さんたちのなかにいるうちに、憧れに似た気持ちを抱き、いつしか自分も3人目が欲しい、と思うようになりました。 2人目を不妊治療で授かったわが家3人目が欲しいと思うようになった理由はもう1つあります。わが家は2人目不妊で、息子は不妊治療の末授かりました。息子がおなかにいたとき、息子は双子でした。ですがバニシングツインで1人消えてしまったのです。 そのことがわかったときは本当にショックで悲しかったですが、それと同時に、お空に帰ってしまったその子をいつか絶対呼び戻したい! と強く思ったのです。 3人目が欲しいな、と言った私に夫は夫は仕事が多忙なので、息子が生まれる前から私はワンオペ育児でした。1人のときはなんとかなっていたのですが、子どもが2人になると余裕がなく、明らかに家の中は荒れ気味でした。でも、今はそれで仕方ない、と思っていたのです。そんな中、3人目を考えているということを夫に軽く伝えてみました。すると夫は目を丸くして、「3人目〜?」と驚いたような反応で、その反応にしばらく悩みましたが、やっぱり欲しい! と思った私は、今度は真剣に「3人目が欲しい」ということを伝えたのです。 すると夫はこう言いました。「どの口が言ってんの?」と。普段キツいことを言う夫ではないので、余計この言葉はグサッと刺さりました。それと同時に、それなら少し助けてくれてもいいのに……私たちの子どもなのに⋯⋯と悲しくなり、夫のことが他人に見えてしまいました。そしてそれ以上、3人目の話はできなくなってしまったのです。 幼稚園に入園したやんちゃな息子が、お友だちの弟や妹にやさしくしてあげているのを見たり、3人目を妊娠した友人の話を聞いたりすると、今でも3人目が欲しかったな、と思うことがあります。けれど、子どもを2人授かれたことも当たり前のことではありません。そのことに感謝をして、今目の前にいるかわいい2人の子どもたちに、しっかり目を向けていきたいと思います。 監修/助産師 松田玲子著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月05日ヲタママだっていーじゃない!
ムスメちゃんとオコメちゃん
猫の手貸して~育児絵日記~