思えば息子の偏食は、母乳拒否から始まっていた?Upload By かさはらあやこ現在、3歳7ヶ月の息子。2歳までは好き嫌いをすることなくなんでもよく食べていた(と思い込んでいました)。いま振り返ってみると、産まれたときから偏食の片鱗を見せていました。まず生後1日目から母乳を拒否。抱かれることが嫌なのか、口に異物が入ってくる感覚が嫌なのか、味が嫌なのか…おっぱいを吸おうとせず、暴れ泣く。わが子を愛おしく感じられる時間であるはずの授乳は私にとってとても辛く憂鬱な時間で、生後3ヶ月時には完全ミルクでの育児となりました。離乳食を始めたときも、口に食べ物が入ると吐き出し、顔を真っ赤にして泣きながら怒っている息子に、はじめての育児で何も分からない私は熱かったのか、冷たすぎたのか?柔らかすぎなのか、固すぎなのか?と振り回され、何をしても食べない苛立ちで叱ってしまうなど、食事の時間が本当に憂鬱でした。唯一食べてくれたのは市販のベビーフード。〝そんなものばかり与えて楽をして、つくりなさい!〟実母にはそう言われました。買い物をするにも、3食ベビーフードを与えていると思われる後ろめたさから(誰もそんなことは思わないのに)通販で購入したり、健診のときにも「ベビーフードを〝与えてしまっています〟」という言い方をして、自分を守っていました。過保護・神経質・ラクしてる...家族からの言葉も突き刺さりUpload By かさはらあやこ上手く咀嚼ができないため、丸呑み状態の息子。消化不良で、嘔吐や下痢を繰り返しています。みかんや葡萄は、飲み込もうとしたときに喉に引っ掛かり吐いてしまうので、2歳をすぎても薄皮を剥いて食べさせていましたし、トマトは湯むきを欠かしませんでした。また、虫歯になるとじっとして治療を受けることが難しく、全身麻酔での治療になってしまう可能性があるため、甘いものは絶対に与えませんでした。それを見た家族や親戚は神経質で過保護だと失笑し、そこに栄養があるんだから食べさせなさい、と言われたり、私の見ていないところで甘いものを与えたり。普段食べないものを〝たまたま食べた〟ときなども「食べるじゃん!あんたのつくるものが不味くて食べないだけでしょう」と馬鹿にされました。授乳をなぜ頑張れないのかと言われたり、ミルクやベビーフードで楽をしていると言われたり。挙句の果てに神経質で過保護…。悪意があるわけではなく、自分の子育て経験を踏まえたアドバイスのつもりだったのだろうと思いますが、日々うまくいかない食事の時間と向き合っていた私にとっては大きなストレスでした。もし、同じような想いをされている方がいたら私は声を大にして言いたい。あなたは何も悪くありません!!こだわりは2歳半からエスカレート!食事マナーどころではなく...Upload By かさはらあやこ2歳半を過ぎたころから息子の偏食とこだわりに拍車がかかり、はじめてみるものや久し振りにみたものは絶対に口にしようとせず、決まった、よく食べるものを出すしか方法がなくなっていきました。必然的に同じメニューになりますが、食べていたものでも急に食べなくなったりするので、いろいろ用意しておかなければなりません。ごはん、おかずご飯がだめだったときのパンパンがだめだったときの麺全て拒否をしたときのバナナ…果物を食べてからでないと他のものを口にしない、一口サイズにちぎったパンをパズルのように繋ぎ合わせなければ気が済まない、食べられるもの、大好きな食べ物でも形が変わると一切口をつけなくなる...などのこだわりも発動するので、提供の仕方にも工夫が必要です。さらに、食べ物をテーブルに並べて遊びはじめたり、椅子に立って揺れながら食べる、テーブルに足を乗せる、立ち歩きながら食べることは日常茶飯事。外食などはほとんどすることができません。食べてくれればOK!手を抜かないと続かないUpload By かさはらあやこ食育?なにそれ?状態のわが家ですが、まずは息子が食事の時間を楽しい時間だと思えるよう、3食必ず好きな果物を出したり、〝食べさせて〟と要求してくれば食べさせてあげたり、椅子に立とうが、離席して立ち歩こうが、危ないこと以外はガミガミ注意しないようにしています。本来ならば、しつけをするべきなのかもしれませんが、どんな状態でも食べてくれればオッケー!マナーより栄養摂取の親心。そして私自身もストレスが溜まらないように、毎食頑張ってつくることをやめて、買ってきたパンを食べさせたり、冷凍食品を活用するなど手を抜けるところは抜き、食べない日があっても、無理に食べさせようとしたり、栄養が偏っていることに対して過剰に心配することをやめました。いつか息子が、「ママのつくったあれが食べたい」と言ってくれる日を夢見て、ゆるゆると頑張っていこうと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月25日■ 前回 のあらすじ娘の世話が余裕だと言う夫に、もっと子育てにかかわって欲しいと伝えると…。■夫の休日、また娘を預けることにそこにいたのはなんと…。私の母を呼んで一緒にkoto子お世話していた夫。でも、誰かに頼りたくなる気持ちはすごく分かる…!ようやく、夫も気付いてくれたようです。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月24日2月5日オープン!日本初、バリアフリーと多言語で鑑賞できるオンライン型劇場『THEATRE for ALL』をご紹介!Upload By 発達ナビニュース2021年2月5日にオープン予定の「THEATRE for ALL」は、日本ではじめて演劇・ダンス・映画・メディア芸術を対象に、日本語字幕、音声ガイド、手話通訳、多言語対応などを施したオンライン型の劇場です。障害や疾患があり従来の劇場に出向くことが困難だった方や、母語が日本語以外の方、また、芸術に対して「わからなさ」がバリアとなり馴染んでこられなかった方などに対して、開かれた劇場であることを目指しています。「THEATRE for ALL」では作品の配信はもちろん、作品解説や対話型のワークショップ等、鑑賞者の鑑賞体験をより豊かにし、日常にインスピレーションを与えるラーニングプログラムの開発にも力を入れています。2月から3月にかけて、バリアフリー対応つきの映像作品約30作品、ラーニングプログラム約30本を配信予定。アクセシビリティに特化したオンライン型劇場「THEATRE for ALL」に今後も注目です!Upload By 発達ナビニュース<詳細>【オープン予定】2021年2月5日(金)【料金(1作品あたり)】無料・500円・1000円・1800円・3000円など【鑑賞方法】配信作品ページより鑑賞したい作品のチケットをご購入のうえご覧ください(要会員登録)よこはま発達相談室主催のWEB講座「自閉症スペクトラムのアセスメントセミナー」をご紹介Upload By 発達ナビニュース2021年1月30日(土)に、よこはま発達相談室主催の「自閉症スペクトラムのアセスメントセミナー」が開催されます。このセミナーでは、公認心理師である講師が実際の臨床場面で、どのようなアセスメントを組み合わせながら実施しているのか紹介しながら、それぞれのアセスメントで何を見ているのかということについても解説します。講座では、フォーマルなアセスメントを中心にスライドを用いて、講師が説明を進めていきます。Upload By 発達ナビニュース当日は、オンライン上でリアルタイムで講義を進めると同時に、質疑応答の時間も設けています。また、事前に回収した質問に対しても解説しながら講義を進めていきます。<詳細>【日時・場所】2021年1月30日(土) 14:00〜16:30オンライン(Zoomを用いて行います)【対象】医師・心理士・言語聴覚士などの支援者【講師】北沢香織さん(公認心理師・臨床心理士・臨床発達心理士)佐々木康栄さん(公認心理師・臨床心理士・精神保健福祉士)【料金】11000円(税込)【お問い合わせ先】mail : seminar@ypdc.nettel : 045-942-1160一般社団法人 発達精神医学・心理学研究会 セミナールーム子どもの自立について考える!発達障害講演会『知ってほしい!子どもの3つの分岐点 6才・14才・17才 自立のためにすること』Upload By 発達ナビニュース2021年2月28日に、発達障害オンライン講演会『知ってほしい!子どもの3つの分岐点「6才・14才・17才」自立のためにすること。』が開催されます。この講演では、子どもの自立を考えるにあたって、3つの分岐点にフォーカスを当てています。その3つとは、6才:学校という集団生活がはじまったとき14才:中学の卒業を控え、今後の進路について考えるとき17才:社会に出ていくことがいよいよリアルになってきたときです。本講演で講師をつとめるのは、発達障害のある経営者として、複数のTV番組にも出演経歴をもつアズ直子さんと、教員経験や自身も発達障害のある子どもを育てた経験をもつ平塚英子さん。子どもの自立について当事者と支援者、二つの目線で大切にしたいことなどをお話しします。<詳細>【日時・場所】日時:2021年2月28日(日)13:00~15:30場所:オンライン【料金】2000円(税込)【お申し込み方法】下記のフォームからお申し込みください。【お問い合わせ先】発達凸凹子育て・親育て講演会実行委員会and.e.therapy@gmail.comTEL 090-5803-1731LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー光武克さん予備校講師、家庭教師、「発達障害BAR The BRATs」のオーナー(現在は休業中)とYouTubeチャンネル運営、医療系アプリのコンテンツ開発と、いくつもの仕事を掛け持ちしている光武克さん。それだけ聞くと「なんでそんなに大量の仕事をこなせるの!?」と驚く人もいると思いますが、その背景には自身のADHDとASDの特性をつかみ、サバイブするためのたくさんの工夫がありました。光武さんに、現在の働き方に至るまでの経緯を聞きました。通知簿ではいつも「生活態度」を指摘される子どもだった。成績を上げることで特性をカモフラージュする生存戦略――光武さんは小さいころ、どんなお子さんだったのですか?光武克さん(以下、光武):あまり覚えていないのですが、不器用な子だったんだろうなと思います。幼少期から交流のある友人によれば、出会いは遊具から落ちて大泣きしている僕を助けたことだったそうなので(笑)、不注意かなにかで、よく怪我はしていたんでしょうね。Upload By 姫野桂光武:小学生のころは落ち着きがなく、宿題などの提出期限を守れないことも多々ありました。小学校の通知表って、学習面と生活態度の評価があるじゃないですか。生活態度の中の「基本的な生活習慣」の項目は、毎回「努力しましょう」に印がつけられていました。当時、僕はすごく動物が好きで、どうしても犬を飼いたかったんです。そうしたら、親から犬を飼う条件として「基本的な生活習慣」の改善を言い渡されて。結局犬は飼ってもらえなかったので、小学校6年間では改善できなかったんでしょうね。――勉強面はいかがでしたか?光武さんは予備校の講師もされていますし、小学生のころから勉強が得意だったのでしょうか。光武:それが、小学生のときは中の上ぐらいで、ずば抜けて成績が良いわけではなかったんです。中学校に上がってから、成績が良い方がいろいろとメリットが大きいというか…自分の不注意など、周囲から変に思われる部分が目立ちにくくなることに気づいて。「あいつは成績がいいから」と言われるキャラクターでいたほうが安全だろうということで、勉強するようになったのかもしれません。中学生のときには、親も昔通っていた、地元で有名なスパルタ英語塾にも通っていました。教科書の例文を20ページ分、つまらずに読めないと帰れないような塾だったのですが、そこで勉強したおかげで語学の道が少し開けた部分があります。高校でも英語の勉強には力を入れ、留学も経験しました。――当時、光武さん自身も、「自分は変わったところがある」という認識だったのですか?光武:自分が変わっているという自覚はたしかにありました(笑)。僕の出身地は田舎ということもあり、なかなか閉鎖的な環境だったので、自分の言動が目立ちやすい部分はあったと思います。でも、それと同時に、「周りの方がおかしい」という感覚もありましたね。なんでそんなに合理性のないことを、みんなが口を揃えて言うのかがわからない。それでも、ここは言ったらいけない場面だから言わない、といった対処をしていました。Upload By 姫野桂考古学者を目指すも、自分の特性との合わなさに挫折。予備校講師のアルバイトで見つけた適性――子どものころ、将来なりたい職業などはありましたか?光武:歴史、特に古代史が好きで、考古学者になりたいと思っていました。中高生のころは、吉村作治先生の本をよく読んでいましたね。2歳ぐらいのころ、奈良の親戚を訪ねた際にも大仏を30分ほどひたすら見つめていたそうなので、昔から古いものが好きだったようです。具体的に研究したい内容までは見えていませんでしたが、「研究」への憧れを持って大学にも進学しました。大学入学後は、古代史の研究をしたいなあと思い勉強していたのですが、やればやるほど歴史の研究に向いていないとわかってきました。歴史学の研究は緻密さが必要で、1つの資料にじっくり向き合い続けることになるんですが、それがもうしんどくて。僕のADHD特性との相性がすごく悪かったんですよね。飽きちゃうんですよ(笑)。なりたいと思っていたものに、絶望的に自分が合っていないと気づいたのが、大学2年生か3年生のときでした。これが初めての大きな挫折だったかもしれません。それから他にやりたいこともなく、このままだと就職もできそうにないしどうしようと悩んでいたのですが、当時していた予備校講師のアルバイトで、自分に向いていそうなことも見つかりました。教育の仕事って、ある面では仮説検証のような部分があると思うんです。学んだことをもとに、自分の中で仮説を立てて実践して、それがうまくいくか、つまり生徒にとって学びやすいかどうか確かめる。その一つである予備校講師の仕事は、歴史学で扱う資料と違い、生徒からすぐに反応が返ってくるじゃないですか(笑)。それがすごく面白かったし、目の前で反応を見られる環境では集中しやすくて。やったことのフィードバックがすぐに返ってくる、具体的な社会現象や人間を相手にするほうが僕には向いているのだと気づきました。そこから、社会学や教育学の本を読むようになりましたね。大学3、4年生ぐらいのことでした。Upload By 姫野桂悩んだ末、内定を辞退しフリーランスの予備校講師へ――光武さんはその後、就職活動もされていますよね。わたし自身もそうでしたが、発達障害のある方からは、「自分をよく見せなければいけない就活が苦しかった」という話を聞くことが多いです。光武さんの場合はいかがでしたかか?光武:もう、めっちゃ苦しかったです。ルールを説明してもらえれば、そのルールに従って動けるんですが、就活って「ルールは自分で考えなさい」みたいなゲームじゃないですか。エントリーシートで暗に求められていることなど、明確な指示がないものについては、要領をつかむまで苦労しました。結局、「どんなに社会が変わっても食いっぱぐれないだろう」と思った教育と医療の業界に絞って、当たり障りのないエピソードや、ウケのいい話を自分でつくり、組み合わせながら就活をしていました。でも、そもそも就職したくないという気持ちがあったので、「なぜうちの会社を受けようと思ったんですか?」と聞かれたら「そこに応募ボタンがあったから」という感じですし(笑)、「同業他社の中でなぜうちを選んだのですか?」と聞かれて、変に正直に「うーん、特に理由はないですね」と言ってしまったこともあります。そんなわけですから、最後に奇跡的に1社だけ、製薬会社から内定をもらうことしかできませんでした。――しかし、光武さんはその内定を辞退して、フリーランスの予備校講師になったんですよね。それはなぜだったのでしょうか?光武:就活の段階からグダグダで、まともに社会生活を送れる自信もなく、その会社でうまく働いていくイメージができなかったんです。そこで正社員になるという選択肢しか当時はなかったんですが、「これはベストではない、選んじゃダメなやつだ」という確信があって。かといって代替案もなく、悩むうちに時間だけが過ぎていました。そんなときに、個人事業主(フリーランス)として予備校講師をやっていくという方法もあると教えてもらったんですよ。これは乗るしかないと思い、そちらの道を選びました。――そのときのことについて、ぜひ詳しくお聞きしたいです。光武:その働き方を聞いたのは、アルバイト先の社員の方とお酒を飲んでいたときでした。ちょうど悩んでいたころ、勤めていた予備校で講師の授業力コンテストの第1回が開催されて、僕は東京都で1位を取ったんです。そこで教える力を認めてもらえたのか、部長クラスの方に、「君はプロとして、十分それで食っていけるよ」「個人事業主でやるという道があるよ」と言っていただけて。「ああ、そういう道があるんだなあ」とそこで初めて知りました。その話をきっかけに、大学生講師である「学生コーチ」から「プロコーチ」という枠に契約を切り替えてもらったのが、大学4年生の12月前後でした。一応「プロ」と名乗れるようになったことで、「これでなんとか食べていけるようになるんじゃないか」と思いましたね。あれは一つの転機だったかもしれません。だから、決して「フリーランスになりたい!」と思ってなったわけではないんです。当時はフリーランスという言葉も知りませんでしたし。今振り返ると、ずっと上司がいない状態で働いてきたのは、失敗だったなと思います。「こうすればうまくいく」という仕事のノウハウや、働く上でのメンタリティまで教えてくれる人が身近にいなかったので。20代のころの自分に、そういった「ロールモデル」になる人を、きちんと見つけたほうがいいよと言いたいですね。Upload By 姫野桂自助会での経験をきっかけに、「発達障害バー」という形態を選ぶ――フリーランスの講師として働き始めた光武さんが、その仕事を続けながらも、2018年、33歳で「発達障害BAR The BRATs」を開くまでに、仕事面ではどんなことがありましたか?光武:20代のころは、理想に燃えて講師の仕事を頑張っていました。しかし、教える仕事自体は楽しかったのですが、自分がやりたいことや興味があるものと、教育ビジネスの世界で展開されるものに、すごくギャップを感じるようになってしまい…。今はそのあたりのバランスがうまく取れるようになりましたが、当時は何よりもスコアアップが求められる受験指導に対して、嫌悪感がとても強くなってしまったんです。「予備校講師の仕事が嫌だ。一刻も早く辞めたい」とまで思っていた時期もありました。Upload By 姫野桂――それが「発達障害バー」という新たな仕事のスタートにもつながったのでしょうか。光武さんは、大人になってから発達障害の診断を受けたのですよね?光武:はい。31歳か32歳のときに、ADHD、ASDという診断を受けました。心境としては、これでようやくいろんなことの説明がつくんだなと腑に落ちた感じでした。当時、妻との関係がうまくいっていなかったので、この診断が関係改善の糸口になるかもしれないという安心が一番大きかった気がします。今ならわかりますが、なんらかの形で理由が説明できようとできまいと、嫌なものは嫌ですよね(笑)。結局、妻とは離婚に至りましたが、それも発達障害バーを始める一つのきっかけにはなりました。――人が集まる開けた場をつくることは、なかなかエネルギーが必要だと思うのですが、なぜ「バー」という形式を選んだのですか?光武:それまで、既存の発達障害当事者の自助会にも参加したことがあるんですが、自分にはちょっと肌に合わないなと感じて。そのときの経験を踏まえて考えた結果です。行ったタイミングの問題や、自助会ごとの違いもあるとは思うのですが、以前ある自助会に参加したときは、僕が求めていたような内容、例えば「プライベートの人間関係で、こんなときはどうしたらうまくいく?」「仕事のこんな場面でつまずいたときはどうしたらよかった?」といった話をする雰囲気ではなかったんです。そういった具体的なハックやプライベートな話を、もうちょっと気軽な空気で話せる場所があるといいなと思ったのが、大きなきっかけですね。僕の場合は、お酒が好きなこともあり、そういった話を友達や同僚とするときはお酒の席が多かったんです。だから、バーという形態なら、ふらっと気軽に立ち寄れて、気軽に話ができるんじゃないかと思い、発達障害バーをオープンさせました。――お店を持つことに不安はありませんでしたか?光武:めっちゃありましたよ。そもそも僕、お店を持つつもりはなかったんです。最初オープンさせたのも一時的な店舗でしたし、当初はイベント的に開催して、終わらせるつもりでした。ところが、思いのほか、お店を残してほしいという声が大きかったので。何らかの形で続けられないかと模索した結果、場所を渋谷に移して営業することになりました。(※現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休業中)自分の特性を把握し、チームでトライアンドエラーを繰り返す――昼間は講師の仕事、夜はバーに立ちつつ、2019年からはYouTuberとしての活動も始めていますよね。最近は、さらに医療系アプリのコンテンツ開発もされていると聞きました。それだけいくつもお仕事をしていても、混乱しませんか?光武:「何曜日の何時から何時までは、どこで働く」というように、曜日や時間帯でやりことを区切った働き方をしているので、自分のADHD特性にはむしろ合っているのではないかと思いますね。適度に力が分散されて、適度に違う刺激を受けられるので。僕がこうやって働いている姿を見て、不登校だった子の大学受験の家庭教師を依頼されるなど、1つの仕事が他の仕事につながることもありますし。Upload By 姫野桂――さまざまな種類の仕事を複数並行して進めていくにあたり、何か気をつけていることがあれば教えてください。光武:僕の場合、何か作業をするときにマニュアルなどをもらっても、その中の重要なポイントがわからないとミスがすごく起きやすいんですよね。逆に言えば、作業する上での最低ラインが、要点の箇条書きでいいので示されていれば問題なくできる。齟齬が生まれるとすれば、要点の解釈ミスでしょうか。今取り組んでいるアプリのコンテンツ開発では、そのあたりがうまくクリアできています。上司となるプロジェクトマネージャーの方が、「自分も指示出しが雑になってしまうから、毎日15分、絶対にミーティングで話しましょう」と提案してくれたんです。ミーティングの場では、その都度できあがったコンテンツのよかったポイントをフィードバックしてもらったり、「この点とこの点が満たせていればOKという認識で大丈夫ですか?」とこちらから確認したりしています。おかげで、作業がすごく楽にできていますね。あとは、僕は今通院も服薬もしていなくて、どうしても脳の調子に波があるんですよ。それこそコンテンツ開発でも、まったくアイデアが浮かばず、「今日は全然書けない日だな」というときもある。それでも、「次は何時にミーティングだから、それまでにこの条件さえ満たして、何本出せればいい」というのがわかっていれば、そのときは難しかったとしても、合間の時間でパパパパッと書くこともできますよね。脳の波に乗れないときはいくら考えてもダメなので(笑)、そこで悩んでもしょうがない。書けるときに書くしかないと考えて、例えば夜中の3時とかでも、「あ、今いける」と思ったら書くようにしています。そうやって、うまーくうまーくやっていますね。――たしかに、わたしも「いける!」と思ったタイミングで書くことはありますね。光武さんの場合、講師などの1人で取り組むお仕事をされている一方で、YouTube含むバー関連のお仕事はチームで取り組んでいらっしゃいますよね。そちらの働き方についてもお聞きしたいです。光武:今一緒に働いているのは、「一緒にやりたい」と言ってくれた中から最終的にチームとして残った人たちです。「協力したい」と言ってくれる人は多かったのですが、実際にチームとしてうまく機能するかどうかは、さまざまな要素や相性がかかわってきます。その人たちとは、一緒にやる中でお互い特性を探り合っていって、「ここが嫌なのか」「こういうときはこうすれば良いのか」と、トライアンドエラーを繰り返しながら、ようやくまとまってきたところです。YouTubeの仕事は、僕は現場に行って撮影される担当で、撮影や編集などの作業は別のメンバーがやっています。僕はログインパスワードすら知らないレベルの分業体制です。――そういえば、光武さんにご連絡したときも、光武さん専用の連絡フォームから担当者の方に返信をいただきました。光武:組織として、役割がかなりきっちりと分かれているんです。それぞれが得意なことやできることをなるべく多く行い、苦手なことはなるべくそれが得意な人やできる人に任せるといったような体制になっています。Upload By 姫野桂セルフモニタリングを通して、自分の「反応」を客観的に捉えると解決策が見えてくる――紆余曲折を経て現在の働き方をされている光武さんですが、進路に悩んでいる人へ向けて、何かアドバイスがあればお願いします。光武:発達障害などの特性があると、どうしても働きにくい部分はあると思うんですよ。とくに、僕にもあるような脳の波の問題は大きいのかなと。そこに関しては、「うまくいかないときもある」という、ある程度の割り切りは必要なのかなと、個人的には思います。一番大事なのは、自分がどんな場面で、どんな「反応」をするかということを、客観的に捉えることだと思うんですよね。Upload By 姫野桂光武:僕は昔から楽器を演奏するのが好きで、トランペットとピアノを長く趣味として続けています。でも僕の場合、パニック障害のような傾向があり、特定の場面で著しく緊張して音を出せなくなることがあるんです。それがなぜ起こるのか原因がわからず、苦手意識をずっと持っていたんですが、ゆっくりセルフモニタリングをして紐解くことで、そのとき自分に何が起きているか、少しずつわかってきました。例えば、「人からどう思われるかを意識して、『ここでこういうアクションをとって、こんな風に思われたら嫌だ』という考えが起こると、肩がすごく固くなるんだ」とか。そうやって自分の状態を確認していくと、悪い流れの兆候が出始めた段階で自覚ができるので、1回楽器を置いてみたり、「今はちょっとダメです」と伝えたりして、悪化を防ぐことができるようになったんです。何かあったら一旦止まって、調子が戻ったらまた練習に参加するというプレーの仕方に変わりました。そういったセルフモニタリングと、それを受けての行動の変化は、仕事の場面でも活きる部分があると思うんです。仕事でも、ある特定の場面で同じ反応が起きるようなら、セルフモニタリングをしてみて「こうやったらうまくいった」「こういうときはこんな身体の反応がある」「こんなことが頭に浮かぶと、こんな身体の反応がある」と確かめていく。大体、仕事などで失敗しやすいケースは、どこかで考え方のクセが出ていたり、失敗するようなイメージが出てしまったりしていると思うので、そこを自覚できるようになるだけでも、かなり変わってくるのではないでしょうか。そこからさらに、「前回はこうしたらこうなったから、今度はこうしてみたらどうだろう」等と、試行錯誤し、わかったことをリスト化していくと、自分の取扱説明書になると思います。――最後に、光武さんの今後の目標を教えてください。光武:ベースにあるのは、「自分自身の生活を、できる限り、もうちょっと生きやすくしたいな」ということですね。そして、自分が生きやすくなれば、多分同じようなタイプの人が生きやすくなるとも思うんです。自分より若い人に「光武ってやつがこうやってなんとなく生き延びたんだな」というのが伝わって一つのロールモデルになれば、そこを目標に頑張る人も出てくると思います。そんな人が増えれば、ちょっとずつ社会の仕組みも変わっていくかもしれません。まずは地道にコツコツ、近い感覚や考え方を持つ人を増やすのが大事なのかなと思っています。また、自分にとっての仕事は、ご飯を食べるためのツールという側面の他に、他者と関わる中で自分がやったことを残すものという側面も持つものです。「人に知られたい」というよりは、もっと自己満足に近いものなのですが、「俺はこういうことをやったんだなあ」と納得できる、形になるようなものが残せたらいいなあと思いますね。Upload By 姫野桂一見するとスーパーマンのように数々の仕事をこなしているように見える光武さんですが、その根底には発達障害ならではの特性との合致と、チームで動く仲間たちとの協力がありました。人間関係を構築することに苦手意識がある人もいるかもしれませんが、光武さんのようにトライアンドエラーを繰り返していけば、チームで動くことも可能になるのではないでしょうか。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日■ 前回 のあらすじ夫に娘の育児を任せてみたものの、余裕な顔で「全然大変じゃなかった、毎週見れるよ」と言い始め…。■少しでいいから自由な時間が欲しい!激務に追われる夫のストレス発散だったので、ジムに行くことはこれまで口出ししませんでした。しかし、ここまで余裕な態度を取られたらそうはいかない…!koto子のことをもっと理解して欲しい、その一心でした。■夫の本音…?なに…?夫の本音がポロっとこぼれました。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月23日神奈川県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報放課後等デイサービスキッズパークでは、学習を中心に、社会生活に必要な技能・知識・マナーだけでなく、PCスキルの習得にも力をいれています。小学校・中学校でも導入実績のあるゲームを楽しみながら、 PCスキルに加え集中力、計画性、創造性を育てます。 また、プログラミング検定(初級~)の基礎も学べるほか、学習面では、学校の宿題サポート、補習~授業の先取り等、英語、数学、国語、理科、社会で教科ごとの専門スタッフが手厚くサポート。通信制高校のサポート校を併設しているので、進路についても相談可能です。神奈川県の放課後等デイサービスをもっと見る埼玉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報叱られない教室【らいくす】放課後等デイサービスでは、名前の通り「叱らない」ことをモットーとしています。お子さんの得意不得意を見つけ、得意な事をどんどん伸ばしていき、前向きな気持ちになってから苦手の克服に向け支援をしています。集団でリトミック体操やクッキング等行うレクリエーションのほか、ミニハードルやボール投げなど、体を使った活動で基礎体力と体幹を鍛えます。また読み書きや宿題のサポートも行っており、経験豊富なスタッフが一丸となり、愛と情熱を込めて精一杯サポートしています。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る栃木県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報ブロッサムジュニア大田原教室では、お子さんのアクションの背景を分析し、お子さん一人一人に合ったオーダーメードの療育プログラムを用意しています。学習支援では、塾での支援経験のあるスタッフも在籍しており、個別に相談を受け付けています。また教室の外でもたくさん遊んで学べる環境を用意しており、理科の実験教室は子ども達に大人気!地域交流の一環としてさまざまなイベントを開催し、地域との交流を大切にしながら、日々子ども達の成長をサポートしています。栃木県の放課後等デイサービスをもっと見る栃木県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報ブロッサムジュニア大田原教室では、「ただ今ここにいるだけで、あなたはすばらしい」という言葉をモットーに、お子さんの個性を丸ごと受け止めて伸ばしつつ、新しいスキルも身につけられるようインクルーシブ療育を行います。個別療育では、マンツーマンで心身機能面・行動面・生活面をサポートします。集団療育では、自然に得意を伸ばし不得意にも取り組めるように、「遊び心満載」のプログラムを用意。教材の中にはスタッフがお子さんごとにハンドメイドで作成するものもあり、より一人一人に寄り添った支援を目指しています。栃木県の児童発達支援事業所をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月23日■ 前回 のあらすじ娘の現状を知らない夫に理解してもらうために、ひとりで育児を任せてみることにしました。■娘を夫に任せ病院へひとりで外を自由に歩ける開放感も束の間、家では大変なことになっているはずだと大急ぎで帰ったものの…。夫に「余裕だった」と言われたときは、考えすぎ? 私が育児下手なだけ? とさらに混乱しました…。■娘の子守が余裕!? 一体どうやって…当時めまいの症状があった私には、ドライブは危なくてできませんでした。余裕そうな顔で「毎週見れるよ」と言う夫に私は爆発寸前だったのです…。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月22日集団活動から掃除当番まで、小学校生活にはいろいろな「困った」が学習、集団活動やお友達との関わり、掃除や給食など、小学校生活では学ぶことがたくさん。そのぶんさまざまな困りごとが発生することもありますよね。家族の目が届きにくい学校の中での出来事について、どのように考えていけばよいでしょうか。今回は『小学校生活の困りごと』コラムをまとめてお届けします!気になるコラムはぜひリンクをクリックして読んでみてください。授業参観や運動会、集団生活の様子に息子の特性を感じてコウくんは集団への一斉指示を受けて行動することや、周囲の様子をみて行動することが苦手。参観日などに「どこにいるか一目でわかる」ほど行動が目立つこともありました。そんな光景も見慣れたものとなっていましたが、運動会でのある様子に、改めて「発達障害なんだな」と感じたのです。みんなの「普通」の中にいる息子の姿を見た、夫の一言運動会の集団ダンス中、コウくんがどこにいるかわからないまま、「どこかに映っているよね」とスマホを構え続けたさとこさん。息子の姿が見つからなかったことについて、夫が言ったある言葉にハッと驚かされることに。掃除をサボるのにもワケがあったーー確かに結構大変かも!?小学生の掃除当番小学校の掃除の時間、「掃除しているフリ」をしてサボることが多かったリュウ太くん。単なる掃除ギライかと思いきや、他にも困っていたことがいろいろとあったようです。リュウ太くんは「学校より社会の方がオレに優しい」とも言いますが、いったいどういうことでしょうか。小1息子の「縄跳び跳べた」を疑った母。背景にあった"筆箱事件"体育の授業で行う縄跳び。2回跳ぶのがやっとだった小1のミミくんは、ある日「30回跳べた」と母に報告してきます。このときに「そんなに跳べるわけがない」と本気にしなかった母。息子の言うことを信用できなかったのには、ある出来事が関係していて...突然決まった転校。学校選びの難しさに気づいて急な引っ越しが決まり、転校先の学校の見学へ行った荒木さん。校長先生とのやりとりから、「この校長先生は、子どものことを一番に考えてくれる先生だ」と安心して転校を決めたはずでしたが、転校初日驚きの事実が発覚!学校選びの難しさを実感するのです...LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月22日「オンラインまなびフェスタ2021」が大切にしているのは、発達ナビユーザー皆さんの声です。2021年に5周年を迎えたLITALICO発達ナビが贈る、「オンラインまなびフェスタ2021」が2021年3月7日(日)に開催されます。皆さまのお役に立てますよう、専門家や企業と一緒に、家庭学習が楽しくなる教材や、進路選びのポイント、おすすめの学用品など、幅広いテーマのセミナーを準備しています。未就学~中学生まで、発達が気になるお子さんの保護者の方々にぜひ知っていただきたい情報が満載!オンライン開催なので、全国どこからでもご参加可能。事前に行ったアンケートでは、95.8%の発達ナビユーザーのみなさんに「参加したい」とご回答いただきました。2月中旬より参加予約を開始しますので、ぜひスケジュールを空けておいてくださいね。Upload By 発達ナビ編集部「オンラインまなびフェスタ2021」を企画する上で、何より大切にしているのは発達ナビユーザーのみなさんの声です。事前アンケートで寄せられた声を踏まえ、・発達が気になるお子さんの育児や療育に専門的な視点を取り入れられるようになること。・暮らしをサポートする商品・サービスについて知り、お子さんに合うかもしれないものの選択肢を増やすこと。を、このフェスタで実現できるように準備を進めています。Upload By 発達ナビ編集部また、特に興味のあるテーマとして声の集まった、「親子の関わり」や「進路選びや将来の仕事」、「学校の勉強・生活」について、役立つ情報に溢れた1日となるようにと企画をしています。そのためにも、専門家やたくさんの企業、そしてLITALICO全体のサービスを総動員して、発達ナビユーザーの皆さんにとって有意義な時間をつくっていきますので、どうぞお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部■日時:2021年3月7日(日)10時~17時後日アーカイブ配信も予定しています。■参加費用:無料■形式:Zoomなどオンラインツールを用いた配信■参加方法:事前申込必須。2月中旬より参加申し込みを受け付けます。■内容:専門家講演、発達が気になるお子さんを応援する企業によるセミナーその他、イベントに参加すると応募できる抽選会なども企画しています!※予定のため、今後変更となる場合もございます今回は先行して、「オンラインまなびフェスタ2021」のコンテンツの一部をご紹介させていただきます。特別講演:「親子関係のことから学校でのお悩みまで発達障害子育てQ&A ー鳥取大学院 教授・井上先生に質問ー」特別講演は、井上先生と発達ナビ編集長牟田によるトークライブです。「発達が気になる子の子育て」にまつわるお悩みや不安など、みなさまからの事前質問を受付け、当日はその中からピックアップして井上先生にお話を伺います。さらに、当日はチャット機能を使ってリアルタイムで井上先生に質問できるチャンスも!貴重な機会ですので、ぜひご参加ください。(時間の都合上、すべてのご質問を取り上げることは難しい場合もございます)その他の特別公演情報も追ってお知らせいたします。Upload By 発達ナビ編集部井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授 / 公認心理師 / 臨床心理士/専門行動療法士 / 自閉症支援士エキスパート / LITALICO研究所 客員研究員応用行動分析学をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のための様々なプログラムを開発している。専門家セミナー:「発達が気になるお子さまの『かんしゃく』が起こる背景と手立て」毎月の個別相談やオンライン勉強会を通して、発達が気になるお子さまの子育てをオンラインサポートする「発達ナビPLUS」。本セミナーでは、発達ナビPLUSで、個別相談やオンライン勉強会の講師を担当している公認心理師・菅佐原先生に、お子さまの「かんしゃく」をテーマに登壇いただきます。発達ナビPLUSでよくご相談いただく、お子さまのかんしゃくのお困り。家庭学習や習い事などお子さまのまなびをスムーズに進めるために、かんしゃくとうまく付き合うことが大切になるケースも多いです。かんしゃくが起きてしまう仕組みや、対応するときのポイントについて解説します。Upload By 発達ナビ編集部菅佐原 洋先生公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士慶應義塾大学先導研究センター研究員、常磐大学助教を経て、現在LITALICOジュニアとLITALICO発達ナビのチーフスーパーバイザーに。発達障害のあるお子さまへの直接支援、幼・小・中学校での特別支援アドバイザー、大学・教育センター・医療機関でのスーパーバイズなど発達臨床歴20年超。発達ナビPLUSについて詳しくはこちら企業セミナー:発達が気になるお子さんを支える、商品・サービスのご紹介「まなびフェスタ2021」は、発達が気になるお子さんの成長を応援する、たくさんの企業の皆さまに協賛をいただいております。育児や療育、普段の暮らしをより豊かにする商品・サービスをご紹介いただきますので、ぜひご期待ください。今回ご参加いただく企業の皆さまから、当日お話される内容をいただきましたのでご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部Upload By 発達ナビ編集部"遊び"を通して新たな支援、遊具メーカーが創る~発達障がいという言葉を使わない社会~アネビーは、「発達障がい」を「感覚障がい」と言い換えます。なぜなら感覚の違いは他の障害と違って、環境の設定や社会の理解が深まることでなくすことができるからです。遊具は医療器具と同じような役割を果たし、子どもたちが一日をいちばん長く過ごす場所の環境を、遊び=遊具の力で変えていきます。本セミナーでは、「感覚障がい」を特性に変える遊具の効果を紹介します。ぜひ、ご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部株式会社アネビーUpload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスは、「感じて、考えて、作り出す」体験を通じて、自分らしく生きるための土台となる思考力や創造性を育てる、新しい通信教育です。アプリと毎月届くキットを組み合わせて、STEAM教育領域の多彩なテーマを学びます。基本的に無学年制で、お子さま一人一人の特徴や発達段階に合わせて、自由に取り組むことができます。思考力教材制作のプロチーム「ワンダーラボ」が自社制作しており、IQや学力にも効果があることが、本教材にも収録されている思考力育成アプリ「シンクシンク」を用いた実証実験で確認されています。当日は、弊社代表の川島が皆さまからの質問に直接回答いたします。皆さまのご参加、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスについてはこちらUpload By 発達ナビ編集部学習教材「すらら」の学習者数が2020年12月末時点で約33万人となりました。お子さん1人ひとりに合った学習が求められる時代、「無学年方式」はこれからの教材トレンドです。全国学習塾1,016校、学校1,026校が採用し「勉強のプロが認める教材」としてブランド先行しておりますが、それに迫る勢いで家庭学習サービスとしてのご利用者も年々、増えてきております。家庭学習の利用者の半数以上が不登校、発達障害、2020年も多くのお子さまを導くことができました。2021年も是非、注目いただけたら嬉しく思います。Upload By 発達ナビ編集部株式会社すららネットUpload By 発達ナビ編集部コクヨの「しゅくだいやる気ペン」は、家庭学習の習慣化をサポートする、まったく新しいコンセプトのIoT文具です。いつもの鉛筆に取り付け、専用のスマートフォンアプリと連動させることで勉強への取り組みを分析し、日々の努力を見える化します。子どもには家庭学習に取りかかりやすく、保護者には褒めやすくするきっかけを与え、親子の円滑なコミュニケーションを通して「やる気」を育む体験デザインを目指しました。「かきたくなる。ほめたくなる。」の好循環を生み出すことで、子どもたちが楽しく自発的に学習する習慣を促します。Upload By 発達ナビ編集部コクヨ株式会社Upload By 発達ナビ編集部「ふわりぃランドセル」でおなじみの、ランドセルメーカー、株式会社協和です。当社は創業以来、70年以上にわたり千葉県にある工場でランドセルを作り続けております。この度のイベントでは、からだに負担なく快適に背負え、お子さまにとって使いやすいパーツを選ぶ事ができるランドセル「オーダーメイドUランドセル」を中心に、ランドセルの機能や選び方のポイント等をご紹介いたします。市販のランドセルと同等の価格なのにさまざまなパーツや色を選んでカスタマイズできるランドセルです。是非ご覧いただき、ランドセル選びにお役立ていただきたいと思っております。より多くの皆さまのアクセスを、ふわりぃランドセルスタッフ一同、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部株式会社協和Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校は「未来のジブンが好きになれる高校」です。学び辛さや生き辛さのある生徒のためのSNEC(スペシャル・ニーズ・エデュケーション・センター / スネック)には、教員だけではなく「支援と伴走」を実現させて、生徒の興味関心を引き出し社会進出に向けて能力の伸長をサポートするため、支援員やスクールカウンセラーが常駐しています。通信制のメリットを最大限活用しながら、生徒たちと一緒に高校卒業や、その先の進路に向けて学習をしたり、特別講座を開催したりしています。また、保護者の方や学校の先生等に向けての勉強会を開催も行っています。「ぷれすね」という、SNECのノウハウを活かして中学生が楽しく学ぶ環境もあります。Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校Upload By 発達ナビ編集部「あったらいいな」をいちばんに。いい保険って何だろう?保険に求める安心や満足は、きっと、一人ひとりの暮らし方やその時代によって変わっていくはずです。私たちがいちばん大切にしたいこと。それは、お客さま自身でさえ気づいていない「あったらいいな」を敏感に感じとって、新しい発想で保険を創り出していくことです。あった。よかった。たすかった。新しい保険で、みんなをもっと笑顔にできますように。「あったらいいな」をいちばんに。ネオファースト生命は、保険を通じて新しい安心や満足をお届けする、第一生命グループの生命保険会社です。Upload By 発達ナビ編集部ネオファースト生命保険株式会社他にもまだまだ参加予定!また随時お伝えいたします。参加者向けの楽しい企画も準備中!発達が気になるお子さんの役に立つ商品を抽選でプレゼント!「まなびフェスタ2021」をより楽しんでいただくための企画もご用意しています。協賛いただいた企業から発達が気になるお子さんに役立てていただける商品をご提供いただいております。今後もプレゼント商品は増える予定です!詳細は2月中旬公開の記事第2弾でお伝えするのでお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部wemoは手首に巻くバンドタイプのメモ帳です。油性ボールペンで書き、消しゴムや指で簡単に消せ、何度でも書き消し可能です。手首に巻いて使用、安全性にも配慮、なくすこともなく、何時でも確認できます。“見通しメモ”として、発達障害の子どもたちに安心感を与えられると、保護者の方々に大変ご満足をいただいております。について詳しくはこちらUpload By 発達ナビ編集部京都大学COI(センターオブイノベーション)では、企業と大学が共同で研究開発から商品化までを行っています。今回は、ユニ・チャーム(株)と共同開発した楽しくオムツ離れができるトイレトレーニングパンツ「トレパンマン」をプレゼントとしてご用意しました。その他にも、トイレトレーニング無料アプリ、ナチュラルムーニーや(株)ほっこりーのプラスと共同開発したLINEで子育ての困りごとに答えてくれる「ほっこりAI」(開発中)などをご紹介しておりますのでよろしければサイトもご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部トレパンマンについて詳しくはこちら【アンケート実施中】専門家の先生、企業の皆さんへの質問を、どしどしお寄せください!当日のコンテンツをより磨いていくために、発達ナビユーザーの皆さんにアンケートを実施します。専門家や参加企業への質問などを受け付けておりますので、下記のボタンよりぜひご回答ください。ぜひ皆さんと一緒に、有意義な1日をつくることができたらと思っております。フェスタでの開催内容について、新たに決定したことについては、随時発達ナビユーザーの皆さんにお伝えしていきます。こちらも楽しみにしていただけると嬉しいです。たくさんの方のご参加を、心よりお待ちしております。
2021年01月21日■ 前回 のあらすじすぐの入園は難しいとのこと。まずは入園するために夫に相談することに…。■激務の夫は娘の現状を知らない…夫に少しでも休んでもらうために、育児はほぼ自分でやってきた。だから、夫はまだkoto子の困り感を知らないのです…。■夫に理解してもらうためにとった私の作戦とは夫はオムツ替えやミルクなど、一通りのことはやったことはありましたが、完全にひとりで子守をするのは初めてでした。果たして、夫は本当に「楽勝」で子どもを見ることができるのか…!?あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月21日主人の40才の誕生日の出来事我が家は主人の転勤などで何度か引越しをしています。その中でも娘が小学校4年生の時の引越しと転校は、彼女にとても大きな影響を及ぼしました。娘10才の12月。主人の誕生日を祝っているさなかに主人がおもむろに言いました。「あ、そういえば40才で会社の家賃補助がなくなるんだった。年度末までだからあと3ヶ月だ」私は絶句しました。当時私達が住んでいたのは家賃傾斜型賃貸物件(毎年家賃が上がるタイプ)で、主人の勤務先からの家賃補助がないと家計が苦しくなるのは明らかでした。いきなりの告白に戸惑いつつ、私達は年明けに物件探しを始めることにしました。できれば転校はしたくありませんでしたが、間取りや予算を考えると3ヶ月ですべての条件を満たす物件はなかなか見つからず、かろうじて見つかったのは隣の校区の物件でした。今までの学校に越境で通学可能なギリギリの場所ではありましたが、通学時の安全面などが悩みどころでした。最初の学校見学の印象転校先の学校の様子も知りたかったので、まずは私一人で学校の見学に行きました。その学校は一学年2クラスの少人数の学校でした。娘の在籍は通常学級でしたが、先のことも考えて私は特別支援学級も見学しました。特別支援学級在籍者は全校で2人で(知的クラスと情緒クラスの区別なし)娘の学年には利用者はいないとのことでした。特別支援学級の先生はベテランで、手厚い支援が受けられそうな印象でした。私が娘の成育歴や発達検査の結果を伝えると、女性の校長先生は「今までの学校とこちらの学校、どちらを選んでも良いんですよ。今度は娘さんも一緒に見学にいらしてくださいね」とおっしゃいました。私は「この校長先生は、子どものことを一番に考えてくれる先生だ」と直感しました。娘の気持ちを確かめると...その後、娘を連れて学校見学に行ったとき、校長先生は娘に直接質問をしました。校長先生「荒木さんは苦手なことはある?」娘「相手に強く言われると、言い返すことができません」校長先生「分かりました。もし困ったとことがあったら何でも先生に相談してね。少しずつ自分の気持ちを表現することも学んでいきましょうね」このやり取りで安心した娘は「今の学校の友達とは中学になったらまた会えるし、転校先で新しい友達をつくる!」と転校を決めたのでした。始業式当日に知った驚愕の事実!校長先生が...ところが転校先の学校の始業式に行くと...Upload By 荒木まち子見学したときに対応してくれた校長先生は、別の学校に異動していたのでした。これからどうなる!?『学校の先生に異動はつきもの。学校を選ぶ際には先生の異動のことも想定しておくべき!』ということを学んだ私。この後、私達親子は校長先生の考え方や、キーパーソンとなる先生の存在の有無で、学校の雰囲気はガラリと変わるということを知ることとなったのです。続く...Upload By 荒木まち子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月21日■ 前回 のあらすじ普段の娘の様子や、今まで感じていた不安を園長先生にお話しすると…。■園長先生からの言葉は…残念ながら定員一杯ですぐの入園は難しそうでした。まだ発達障害かどうかもわからない段階でしたが、娘のためにも療育園に通わせたい。そのことを夫に相談すると、まさかの大反対…!? あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月20日短期留学時、クラスメートとぶつかる大学3年のとき、私はアメリカの大学に短期留学をしました。私の所属する大学とアメリカの大学の提携のもと行われる短期留学プログラムです。私が学んだのはテクニカル・コミュニケーションという、論理的なコミュニケーションを学ぶ科目で、授業は英語で行われました。英語が得意で理屈っぽかった私にとって、テクニカル・コミュニケーションという分野はとても知的好奇心を刺激されるものでした。人の表向きの言葉と内心がどこかズレていて「空気を読む」スキルが必要な日本と違って、アメリカでは言うほうも聞くほうも言葉のままに解釈します。また、アメリカの大学では学生は勉強熱心なほうがカッコいいと捉えられていて、学生同士の初対面の挨拶には必ず「あなたの専攻は何?」という問いが含まれました。そうした日本とアメリカの文化の違いもあって、私は水を得た魚のようでした。レポートなどでも毎回トップクラスの好成績をあげていました。しかし、そんな私に対して陰口を浴びせる日本人学生のグループがいました。一番前の特等席で教授に質問しては「Good question!」とか言われている私の背中に向かってヒソヒソと「きもい」とか「がっついてるよね」とか言うのです。嫌がらせを先導しているのは一人の女子学生でした。仮にAさんとします。Aさんたちグループは私の所属大学の、テクニカル・コミュニケーションを專門とする講座から単位取得にあたっての義務として送り込まれてきた人たちでした。あとになって思いましたが、自分たちが普段からみっちりトレーニングしているテクニカル・コミュニケーションの分野にぜんぜん関係ない学生が紛れ込んできて自分たちそっちのけで注目を浴び、好成績をあげたら、そりゃあ皆が面白くないのも自然なことかもしれません。こうした私が嫉妬を受ける背景があったことに加え、Aさんと私は本当にたまたまですが知り合いで、悪いことにもともと折り合いの悪い同士でした。高校のとき同じ高校に通っていて、クラスメートになったことがあったのです。高校の頃、数人で強固な仲間意識のあるグループをつくり、いつもなにやら私には理解できない内輪ネタで耳打ちしあったり大きな声で盛り上がったりしいるのがAさんで、私はよく彼女たちのことを非常に冷ややかな目で見ていました。当時発達障害の自覚がなかった私は「ねえ、何がそんなに面白いの? ちょっと静かにしてくれる?」ぐらいの突っ込みをしたような記憶があります。大学生になってもAさんはいつも群れて行動する人で、「いかにも日本人学生らしい」振る舞いをしました。教室の後ろのほうに固まって座ろうとして、教授がもっと前に来なさいと繰り返し促しても顔を見合わせてニヤニヤしながら「やだーあ」と引いた態度をするだけ。教授が授業中に当ててももじもじして「わかんないですー」みたいな答えをするし、質問を促しても誰も手を挙げない。私はAさんたちの振る舞いが同じ日本人として恥ずかしかったし、教授に悪いからと思って、彼らの代わりに前に座り、質問をしていたところもあったのです。でもAさんにとって私は、高校からの因縁も含めて「憎き宇樹!」ぐらいの感じだったのかもしれません。嫌がらせを先導するのはいつもAさんでしたが、私はAさんのいないところでAさんのグループの名前も知らないぐらいの女子2人と行きあったときに挨拶してみたら無視されたりして、ずいぶん嫌な思いをしました。結局、あるときあまりにAさんの陰口が執拗なので、いいかげん私は怒り心頭で全員の前で自分の意見をまくしたてました。あなたたちが私を嫌っているのはわかっている。だったら個々人が直接文句を言いにくればいいじゃないか。それができないから群れて嫌がらせするなんて情けないと思わないのか。そちらにとっては義務で仕方なく来ているから仲間同士の絆も大切なんだろうが、こちらは勉強がしたくてわざわざお金を払って来ているんだから、こういうやる気のある学生の邪魔だけはしないでもらいたい… こんな感じだったと思います。「やだー、きもーい…」とAさんは隣の子に小さい声で言って、以来、私に嫌がらせはしてこなくなりました。代わりにまるでそこに私がいないかのように振る舞うようになりました。私はざまあみろと思いましたが、自分の対応がこれでよかったのかはあまり自信がありませんでしたし、互いが平和に暮らすために互いのことを無視しなければいけない学生たちってなんだか寂しいなと、とても後味の悪い思いが残りました。私のことが気に食わないからといって集団で嫌がらせをしたAさんの行為は間違っていたと思います。そこについてはAさんは批判されてしかるべき。また、私が勉強を頑張り、教授を気遣った行為自体は間違っていなかったはずだと思います。けれど私も私で、発達障害ゆえに「何よりも仲間との絆の感覚を優先する」という感覚が理解できていませんでした。自分の発達障害に自覚もなかったゆえに、高校の頃からずっと、Aさんに対してあまりに冷たい視線を浴びせていたように思います。Aさんにとっては私の視線が何か彼女のコンプレックスを刺激するものであったり、悪意ある攻撃と感じさせるものであったりしたのでしょう。「発達障害があって空気が読めないから嫌がらせされてしかるべき」という話ではなく、もっと早く自分の発達障害について知っていれば、同じAさんと私でももう少しうまく、互いに攻撃的にならずにつきあえたのではないかと思うのです。そう思うとなんともやるせない気持ちになります。就職活動の時期にも対人面の問題が就職活動でも徐々に対人面の問題点が浮き彫りになっていきました。大学名と成績のおかげか書類審査は通るのですが、どこの面接に行っても落とされてしまうのです。質問に対して事実を答えただけで面接官が怒りだしたり、あなたは思想的に偏っているから危険分子だと言い立てられたり、就活本のとおりに頑張ってやったことに呆れられたりして全部落ちてしまう。同じ時期、通っていた就活スクールのクラスメートとも複数回喧嘩になりました。私はマスコミを目指していたためマスコミ就活スクールに通っていたのですが、彼らとどうにも反りが合わないのです。一度めは、私がクラスメートから「非国民」と言われて激怒した案件。当時Jリーグが流行っていました。私が「世の中の人たちが急にほっぺたに日の丸を描いて熱狂しだした様子が気持ち悪い」と言ったところ、「それって非国民じゃね?」と言われたのです。その男子学生は新聞社を目指しているということだったので、私は怒りに震えながら「非国民という言葉の重みをわかって言っているのか。これからジャーナリストになっていく人間がそんな安易な感覚で非国民という言葉を使っていいのか」と返しました。二度めは、やはりJリーグに絡んである女子学生が「あの国の審判がズルをしたから○○人は嫌い」と言い出して、やはり私が激怒。「どうしてある国の一個人が悪いことをしたからといってその国の国民全員を嫌いと言ってしまえるのか。これからマスコミで仕事をしていく人間としてそんな感覚でいいのか」と返したのでした。いずれの場合も相手は「は? 何が悪いの?」といった感じで、なんとなく私が悪者となって排除されてしまいました。何より解せなかったのは、マスコミ各社にどんどん内定を得ていくのが彼らばかりなのだということ。私は、非常に有能な仕事人として出世した父に、小さい頃から「常に有能で個性的で、強く、周囲を蹴落としてのし上がる者であれ」と教えられて育ちました。また発達障害があったため、自分が知らぬうちに巻き込まれているパワーゲームについての洞察を欠いていました。女性、それも私のように身体が小さく動作の緩慢な女性が、「有能さと個性」を前面に押し出し、周囲を蹴落としてのし上がろうとするような態度でいたら。父のような大柄で数々の武道を極めた屈強な男性がそうした態度でいるのとは、世間的な風当たりの強さがまったく違う。こうした世間の風潮が正しいかどうかは別として(私は間違っていると思いますが)、それは残念ながら事実です。私は結局のところ、どこかの会社に入ってジェネラリストとしてスキルを磨いて… というようなキャリアパスは向いていなかったと思いますし、こうしてフリーで物書きをできている今の自分の立ち位置に満足しています。でも当時、私に発達障害の自覚があって、自分の振る舞いが周囲にとってどのように受け取られうるのかということについて知識だけでもあったなら、もう少し平穏で、自分も周囲もいたずらに傷つけないですむ学生時代を送れたのではないかと思っています。就職しても挫折は続く結局、私が就職試験に通った唯一のところは予備校経営の会社でした。その会社は社内に出版部があったし、その頃には「こんな自分を採ってくれるところならどこでもいい」という気持ちになっていたからです。しかし、その会社はいわゆるブラック企業でした。ひとりに3〜5人分の仕事が降りかかっていて、常に社内は上層部からしててんてこまい。残業代は見込み分がもともと手当としてついていてそれ以上は出ないうえ、タイムカードを切ったあとにも仕事を続けるという慣習も定着していました。毎日12時間以上会社にいる日が続き、事務作業に加えて生徒の担任業務60人分を任され、焦りすぎて頭は真っ白。30人いた同期が2ヶ月で半分になり、私は7月になってついに倒れて、そのままその会社を辞めました。その後1年ぐらいぽつぽつとバイトをしては辞めるような生活をしたあと、私は父のコネである大学の任期つきの事務職員の職を得ます。「あのお父さんの娘だ」という周囲のプレッシャーから私はすぐに体調を崩しました。神経性の下痢と抑うつ傾向に悩まされ、1年間に2回休職。短い間に休職と復職を繰り返しながら私は、先輩から遠回しに服装のことを注意されて「決まってるなら職務規定に書いておいてもらわないと」と返したり、「自分で仕事を探せ」と言われて学生が頻繁に出入りする部屋のドアを急に磨きだしたりと、自分としては大まじめなのですが今思えば実に発達障害者らしい言動に出ました。想像していたことではありましたが、この年の年末近くになって私は上司に呼び出され、「君の来年度の契約更新はできない」と告げられます。どうにもうまくいかない自分なりの懸命の努力で就職してみたところで、なぜか何もかもうまくいかない現実。大学職員をクビになったあともあれこれバイトや職にチャレンジしましたが、いつも職場の人と気まずくなったり、体調を崩したりして辞めてしまう。奮起して新しいところに応募しても、年を追うごとに書類審査さえ通らないことが増えていきました。自分の能力についても体力についても自信を失った私は、だんだんと家族以外の人と話すことに怯えるようになりました。電話をかけねばならないとなると動悸がして手が震えてきて、何度もシミュレーションしては怖くなって電話をかける手を止めて先延ばしにしてしまう、ということも続きました。体調が悪い日が増え、もともと不安定で私にとって懸念事項だった母の状態もさらに悪くなっていき… 私は少しずつ出かけられない日が増えて、ひきこもりニートの道に進んでいってしまったのです。年生まれ、佐藤愛: 女の人生、ある発達障害者の場合 Kindle版
2021年01月20日『わが子が生きやすい世界』って何だろう?姪っ子から学んだこと自閉症と知的障害を持つわが家の息子ほぺろうは、人とコミュニケーションを取ることが苦手です。目も合わなければ応答もままならず、他人との「やりとり」はほぼできません。それ故ひとり遊びが多く、人と関わりながら遊ぶことはあまりないです。普通に見ればコミュニケーションの取りにくさは「扱いにくさ」でもあると思うのですが、そんなほぺろうのことをすごくかわいがってくれる人がいます。それは...私の姪っ子!現在中学生の彼女はほぺろうが生まれたときからかわいがってくれているのですが、その様子はほぺろうの障害が判明して特性が出るようになっても全く変わらないのです。Upload By ぼさ子「扱いにくいとか思わないで、普通に接してくれるのありがたい」と思う私に、姉(姪っ子の母)は「特に意識してないだけだよ~。近所の子ども達にもこんな感じだもん」と言うけれど、いやいや、それってすごいことだよ!Upload By ぼさ子ところが姪っ子の場合はもともと子ども好きとは言え、ほぺろうに対して「障害があるから」とか「可哀想だから優しくしよう」などという考えではなく、誰に対してもいたって普通。ボランティアとも違う、その姿勢はまさに...Upload By ぼさ子特に意識してないのは、イコール『当たり前に受け入れている』から。『わが子が生きやすい世界』...。もちろん成長の努力は惜しみませんが、『いろいろな境遇を当たり前だと思ってくれる世界』を私は望んでいるのだと姪っ子を見ていて気づきました。『自分とは違う存在・考え方があって当たり前』というボーダーレスな社会であって欲しい...。それが『多様性社会』であり、障害者に限らず、すべての人にとって生きやすい世界なのかもしれません。目標は『メガネの存在』!?私達はメガネをかけている方々の存在に何の違和感も持っていません。今その存在を特に意識していないのは、視力に不自由を抱える多くの人達が『必要性』を訴えてきた歴史の成果なのだと思います。もしメガネがなければ、今も彼らは視覚障害者として就職も普通の生活も困難だったかもしれません。それが今では、メガネはおしゃれアイテムだったりモテ要素だったり...。メガネの存在は『当たり前』であり、『ノーマライゼーション』を体現してくれた実例ではないでしょうか。Upload By ぼさ子障害者が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会最近読んだ、とある記事の一説に『障害者が生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい社会である』とあり、感銘を受けたと同時にすごくハッとさせられました。というのも、ほぺろうの将来を憂いてネガティブだったころの私は、自分達親子の存在がただただ世の中の迷惑にならないように身を小さくして生きていかなければ...と思っていて「自分達の必要を望むことはワガママ」「周りに合わせるのが義務」と考えてきたからです。でも、この言葉に触れて私は「そうか、障害が社会の役に立てるなら堂々と訴えてもいいのかも!」という前向きな力をもらうことができました。社会にとって役立つ『当たり前』になったとき、その必要を訴えてきた障害の存在も『当たり前』になっているかもしれません。今の私にできることまだまだ発展途上ではあるけれど、今は昔より発達障害への理解や支援が進んでいて、私やほぺろうもその恩恵をありがたく受けています。きっとそれは、ご本人や親御さん、支援関係者の皆さんなど発達障害に悩んできた先輩達が声を上げ続けてくれていたおかげに他ならないのだと思います。私の存在は地球に対して“砂一粒”くらいのちっぽけさですが、ほぺろうや将来の誰かに繋がったらいいなと願い、ほぺろうの記録や情報を発信し続けていこうと思います。そして『わが子が生きやすい世界は、みんなも生きやすい世界』を叶えるには、いろいろな境遇が『当たり前』として受け入れられることを望みつつ、他人に望むだけでなく私自身もいろいろな境遇を受け入れる気構えが必要なのだと思います。Upload By ぼさ子
2021年01月20日■ 前回 のあらすじ初めて人に共感してもらえたことで、この療育園に通いたい気持ちが強くなり…。■園長先生との面談で…※参照: vol.7「何か違う…」 娘に感じていた違和感の正体がハッキリわかった瞬間 療育園の先生はどう感じられたのか、すごくドキドキしていました…。園長先生の答えは…?あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月19日多くのご家庭の悩みごとは?反抗的、ゲーム・ネット依存、学校での人間関係など小学生や中学生の子どものいるご家庭の多くが、子どもが言うことを聞いてくれなかったり、反抗的な態度に困ることがあります。「勉強を全然してくれない。学年が上がるごとに成績がどんどん下がってきているのに、まったくやる気を出してくれない」「ずっとゲームばかりしている。そのせいで夜更かしになり、朝は起きれず、遅刻してばかり…」「学校での人間関係がうまくいっていないみたい。学校に行きたがらず、休みがちになってきた」せっかく子どもの気持ちも尊重したいと思っても、何を悩んでいるのかわからなかったり、本人にやる気がないように見えてしまうこともあります。そのせいで、保護者としては学校と子どもの板挟みになってしまうこともあるかもしれません。小・中学生は「自分のできないこと」を自覚し始める時期。放っておく・見守ることも一つUpload By LITALICOライフ発達障害のあるなしに関わらず、小・中学生は「自分はいくら頑張っても無理だ」などと現実の壁を意識するようになる時期です。クラスメイトと比較して自分の容姿を気にしたり、できないことにショックを受けることもあります。発達障害のある子の場合は、社会のルールや人間関係に苦手意識を持ち、失敗や挫折を重ねてしまいがちです。そういったままならなさや自立心の芽生えによって、大人の言うことを聞かず、反抗的になることがあります。保護者としてははがゆいかもしれませんが、重要なのは子どもが自分で決めて、行動できるようになることです。その場で「もうやめなさい」と言うのではなく、事前にルールを話し合って決めることが大切です。保護者としてなぜゲームやネットをしすぎてほしくないのか、一日どれくらいならOKなのか、意見を整理したうえで、「一日何時間」など約束をします。約束をしたのにすぐには守れないこともあるかもしれません。どうすれば決めたとおりにできるのか、一緒に考えたり、ときには問いかけながら見守るのも一つです。子どもはなかなか自分の思ったように行動ができません。「もう〇年生なんだから」「これくらいできるようにならないと」とつい言いたくなってしまうこともあるかもしれませんが、ぐっとこらえて辛抱することも大切です。保護者も子どもも意見が合わず、心が疲れてしまいやすい時期です。子どもの良いところをたくさん見つけて褒めることで、お互いの気持ちが楽になることもあります。話し合いが難しい場合も、褒める言葉や感謝の言葉であれば、耳を傾けてくれるかもしれません。監修:古川 圭介(株式会社LITALICOライフライフコンサルタント。心理カウンセラー。発達障害のある子ども向けの教室にて子育てが楽になるペアレントトレーニングを、のべ3,000家庭以上に実施。)保護者ができる見守り方は?「こうなったらどうしよう」を整理しておくよりお子さまに合った環境・選択肢を整えることも保護者だからこそできることの一つです。例えば下記のようなことが気になったときに、より合う環境を選ぶ、いざというときの指針にできるかもしれません。・学校に行きたがらない意思は尊重してあげたいけれど、内申点はどうなるんだろう?・中学校進学に向けて通級か支援級か悩ましいけれど、そもそも地元の中学校はどのような体制なんだろう?・子どもの夢や楽しみになるような、高校以降の進路や仕事はある?先々の「悩みやすいポイント」や最新の進路情報が、勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「中学・高校の選択と今からできる準備」では、発達障害のある子にあった進路の選択・特長を知ることができます。 今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話しています。また、より現実的に情報を活かしていただけるよう、勉強会の各都道府県版では、都道府県ごとに下記の情報も紹介しています。【こんな情報が都道府県ごとにわかる!】・中学校の選択肢(公立支援学級の仕組みや私立中学の特徴など)・高校の選択肢(公立高校の取組み、通信制高校の事例、高等専修学校、特別支援学校高等部など)・高校以降の就労、自立に関してLITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニングをサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年01月19日筆箱に傷をつけたのは?ミミの筆箱は使い始めて1か月位で、鉛筆で突いたような跡がたくさんついていました。小学生がよくやりそうなことだと思い、ミミには何も言いませんでした。Upload By taeko3か月ほど経ったころ、パパがその筆箱のキズに気づいてミミをキツく叱りました。私が慌ててフォローしたけれど、それで怒りが収まるパパではなく...。ミミは小さな声で、「○○ちゃんが突然バンバンって刺してきたの」と一言。いじめかもしれない、と思ったけれど落ち着いて行動しなくては。その日の夕方担任の先生に電話して事情を話すことにしました。落ち着いて、伝えたいことを頭の中で整理して...「ミミは同級生の女の子がやったと言いますが、いじめのようなことはありますか」「いじめがあったとしても、本人が解決することだから子ども同士の問題に口出しをするつもりはないです」「ミミが嘘を言っている可能性もあります」先生の答えは...いじめはなく、以前ミミが筆箱を鉛筆で突いている様子を見て大事に使おうと注意したことがあるそう!ミミはなぜ嘘を?Upload By taekoミミは、パパが怖くて誰かのせいにすれば怒られないと考えたのかなと思います。パパにはやんわりと「ミミには問いたださないでほしい」とお願いし、パパも受け入れてくれました。後になって「人のせいにしてはいけない」と伝え忘れたことに気がついたけれど、時間が経ってしまっていて今伝えてもあまり効果がないと思い、次の機会に伝えることに。Upload By taeko信じてあげられなかった縄跳び保育園のとき、園の遊びの1つに縄跳びもあったけれど、ミミは興味がなく一切やりませんでした。小学校では体育の授業で縄跳びがあります。購入するときに何色がいいか聞くと、「いらない」とかたくなに嫌がるミミ。縄跳びができないから「いらない」と言うのだろうけれど、授業で必要なので「使わなくてもいいから買うね」と伝えて購入。半年後の担任の先生との後期面談時に縄跳びの話になり、ミミは最初はゼロ回だったのが最近2回跳べたらしく、先生はものすごく喜んでくれました。クラスでは50回跳べたら表彰状がもらえるそう。ミミが表彰状を貰うのは相当大変そうだと思った私は、家用に縄跳びを買い、休みの日に一緒にやってみました。ミミの跳び方は勢いで跳ねていて2回がやっと。どうやら学校で習った二重飛びの方をやりたい気持ちが強くて、縄を早く回転させているようでした。私が見本で跳びながら「まずは普通に跳んでごらん」と言っても、普通飛びは一切やらないミミ。Upload By taeko体育の授業のあった日、「30回できた!」とミミは嬉しそうに言いました。私と練習したときはぜんぜん跳べていなかったので、「30回も跳べるわけがない、ミミは私を喜ばせようと嘘を言ってるのかも」と思ってしまいました。でも、もしかしたら本当に跳べたのかもしれないので、その場では「すごいじゃん」と軽く喜びました。さらに1週間後、表彰状を持って帰ってきました。「50回跳べたんだよ!」とミミ。本当に跳べたのか!?まだ信じられない私は、担任の先生への手紙に書きました。先生からの返事は、「跳べましたよ」。私は反省しました。「できるわけない」と決めつけてしまっていた...。Upload By taeko子どもを信じようミミの言葉を本当に信じていたら、もっと一緒に喜べたのに。よく考えれば、跳べないのに表彰状を貰ってもミミは嬉しいはずがないし、きっと受け取らないでしょう。ミミのことをもっと信じよう!筆箱の嘘も、怒らずに聞いていたら嘘ではなく、本当のことを教えてくれたかもしれません。今度、ミミと私だけでこっそり話しをしてみたいと思います。Upload By taekoLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月19日■ 前回 のあらすじ療育園に通うことに、初めから自信のある親子はいないと園長先生に教えられます。するとある女の子がやってきて…■話しかけてくれた見知らぬお母さん■初めて出会った、同じ気持ちを持つ人私と同じ思いで日々頑張っている人たちがここにはいるんだ…。初めて一筋の光が見えた気がしました。でもここは療育園。支援が必要とされる子しか通えません。果たして、園長先生の判断は…あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月18日集団の中にいるわが子の姿に…?Upload By 丸山さとこ前回にひきつづき、コウが1年生のときの運動会の話です。午後の部で行われたダンスは子ども達が遠くて小さくて、「コウのいる班は…どこ?」と撮るべき場所も分からないままスマホを構えていました。『やっぱり、小学生にもなると人数が増えるし規模も違うなー。でも、一応ムービーのどこかに入ってるよね!』と思いながらスマホをしまう私に、夫が「コウがどこにいるか分からないなんて初めてじゃない?」と言いました。一瞬意味が分からず、「え?どこにいるか…?」としばらく考えてから「あぁ…本当だ!そんなこと初めてだね!?」と驚きました。集団の中にいるコウが見つからないことは初めてで、夫に言われて気づいてからは本当に衝撃を受けたのですが、言われるまでは全く気づきませんでした。Upload By 丸山さとこ”遠くに見える集団ダンスの中でわが子を見つけられない”という出来事があまりに普通のことだったからです。一方、お昼にコウを呼びに行ったときに見た”1人ポツンと残っている姿”や、”親の呼びかけに応えず、話しかけても興味なさそうにフラっとどこかへ行こうとする姿”もまた私にとっては普通の光景であり、「あぁ、通常運転のコウだなぁ」と感じるものでした。翌年以降も”集団ダンスをしているコウ”は見つからないようになりましたが、集団行動の中で浮かないようになったかというとそうではなく、むしろ学年が上がる毎に「授業中の何気ない行動」や「雑談中の振舞い」などの違和感は目立つようになっていきました。クラスメイト達が”高学年らしい振舞い”をする中で1人”幼児~低学年のような振舞い”をするコウは、「普通にしているとき」が一番見つかりやすいのだな…と感じます。「息子は発達障害なんだな」と改めて思った、運動会での出来事2つの”普通”と一緒に過ごす毎日コウと暮らしていく中で、”一般的に言われる普通”と、”コウとの間で起きる普通”の両方が私の中ででき上がっていったのかもしれません。私は、それはそれで良いことなのかもしれないなと感じました。Upload By 丸山さとこ初めての子育てであるということもあったのかもしれませんが、私はある時期まで”コウにとっての普通”だけを基準に「子どもってこんなものなのかな…?」と思って育児をしていました。そのため、コウの発達の凸凹に気づくことが遅くなり、療育などの福祉に繋がることも遅れたところがあると思います。Upload By 丸山さとこ当時は市内に療育施設が少なく、市から案内された施設は「泣いてでもやらせる」スパルタな方針で運営されているところだったので、『もし早くにそこへ通っていたら親子共々グッタリしていたかもしれない…』と考えると結果オーライだったのかもしれませんが、もう少し早く繋がっていたほうが情報を得られて、親子共々助かったことも多かったかもしれないなと思います。学校での生活には”普通”がたくさんあります。そして、コウはそれらの普通から外れていることがたっぷりあります。Upload By 丸山さとこ共同注視は苦手で、集団への声掛けに気づきにくく、個別の声掛けがないと動けないことはしばしばです。(では個別に声掛けをすれば良いかといえば、「何の話だっけ?」「え…さっき〇〇って言ったのに…?」という指示の通りの悪さで、毎年担任の先生も頭を抱えていらっしゃるようです)そんなコウへの合理的配慮をお願いする際には、”コウの普通”と”一般的な普通”の両方を知っている必要があるのだと、毎年学年が上がる度に思います。個別の声掛け、短い指示、視覚支援、連絡帳のチェック等々…先生方には頭が上がりません。Upload By 丸山さとこコウのことを知るために”コウの普通”を学び、社会の中でコウがどのように過ごしているのか、どのように過ごせたら楽になるかを知るために”一般的な普通”を学び、その間で毎日を送っていけたらいいなと考えています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月18日■ 前回 のあらすじ療育園を案内して頂くと、私の想像とは違い、娘のような困り感のある子どもはいないように見えました。■園長先生に言われたのは…「頑張ってきたんですね」その言葉にハッとさせられ、どれだけ心に響いたか…■初めはみんな同じ、不安を持っているふと、園長先生のところにお花を持ってきた可愛らしい女の子。一見、困り感のない子に見えたのですが…あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月17日フツウの学生時代から一変就職先から告げられた「辞めてほしい」名古屋市で生まれた石橋さんは、義務教育を経て高校に進学した。成績がすこぶる優秀だったというわけではないが、勉学でつまずいたり、校内で問題を起こしてしまうようなタイプではなかったという。「学生時代を振り返ったんですけど、特になくて。例えば先生に呼び出されるようなタイプでもないですし、赤点を取っていたタイプでもなかったんです。何人かの友達に『学生時代、俺ってどうだった?』って聞いてみたんですけど、別に普通だって」(石橋さん)大学受験にも合格。「困っている人の役に立てれば」と、医療・福祉系の学部を選んだ。より広い視野で社会福祉を学ぼうと、セミナーに参加するため米・ハワイの大学まで足を運ぶなど、向学心はむしろ人一倍強かった。そんな石橋さんが異変に気付いたのは、愛知県内の病院に就職してからだった。「普通の人と比べると物覚えが遅いとか、向こうから指摘をされて。これだけミスもあるし、病院としては正直辞めてほしいっていう話がありました」(石橋さん)Upload By 桑山 知之「グレーゾーンかもしれない」就職後に自閉スペクトラム症の診断石橋さんの就職先は、病院にある「医療相談室」だった。ソーシャルワーカーとして、入院患者や家族の希望を聞き取るほか、家族間や金銭的な悩みなどにも応えるといった、あらゆる問題を調整する業務にあたっていた。複数の入院患者のことを同時並行で進めなければならず、またそれが次から次へと続くわけだが、石橋さんが受け持つ患者の数は先輩と比べて少なかったという。「先輩たちは10人とか15人を同時に担当していたんですが、僕は正直なところ5人でも回せていなかったんです。5人分の困りごと、例えばこの人はこれが困っている、家族さんの背景はこうで、この家族さんにはここの支援機関だとか。人によって別のところと話さなきゃいけないし、この人は市役所のこの部署と話さなきゃいけないしとか、同時にやっていくのが困難だったっていうのは確かにあります」(石橋さん)Upload By 桑山 知之そして就職から半年以上が経ったある日、石橋さんはパニック発作を起こした。「当時、僕がパニック発作って分からなくて、病院に行っても原因が分からなかったんです。それで、精神科に行ってみたら、それはパニック発作ですねって言われて。もしかしたら発達障害があるかもしれない、“グレーゾーン”かもしれないって」(石橋さん)「次に何をしなきゃいけないのか、複数が同時に来ると分かんなくなってしまう」という、自閉スペクトラム症の特性のひとつとされる「同時処理困難」があった石橋さん。困っている人の役に立ちたいと夢見た医療の道だったが、促されるような形で退職したのだった。Upload By 桑山 知之職場からの「キミがいなくなっても困らない」――ミスをまとめた書類も発達障害はグラデーション状に広がっており、白か黒かといったはっきりとした判別が難しい。むしろ中間部分である「グレーゾーン」の方が多いとも言われている。自身も当事者であるライター・姫野桂さんの著書『発達障害グレーゾーン』(扶桑社)などにもあるように、発達障害の傾向はあっても、診断までは出ないというケースは全国的にも多く見られている。今回インタビューに応じてくれた石橋さんは、精神科にかかった後、自閉スペクトラム症の診断こそ出たものの、日常生活では特に困難さがあるわけではなかった。自分のことを周囲にどのように理解してもらうかを悩んだ末、勤務先の病院にも、障害のことを思い切って打ち明けた。すると、衝撃的な言葉が返ってきた。「(勤務先の病院に)言われたのは『キミがいなくなっても病院は次の人が入ってくるんだから、病院としては困らない』と。日本全国で大学卒業する人が誰もいないんだったら別だけど、そんなことはない。毎年入ってくるんだから、キミがいなくなっても病院としては困らないって。使えないから切ればいいっていうのは理解できるんですけど…」(石橋さん)石橋さんを辞めさせるためなのか、勤務先では石橋さんの仕事上のミスや当時の状況を事細かに同僚が書き起こし、ファイルにまとめていた。「何度も同じミスがあり、すべてに他者の確認作業と修正が必要」「他の作業をしていると、やることが抜ける」「相手の置かれている状況が想定できない」――。石橋さんは、退職を選ばざるを得なかった。Upload By 桑山 知之誰も取りこぼしたくない実体験を通して知った弱者の気持ち現在、石橋さんは再び職に就くためにLITALICOワークスで就労移行支援を受けようとしている。そこには、昔からブレずに抱いている思いがある。「誰も取りこぼしたくないっていうのはありますね。社会的に不利に追い込まれてる人とか、そういう人が不利益を受けるんじゃなくて。ひとり親、障害者、高齢者、親がいないお子さん……。そういう人たちが不利な状況になりやすい社会にはしたくないなって思うので、そういう人たちも幸せを感じられるような世の中にしていきたいなっていうのは漠然とありますね」(石橋さん)かつての勤務先で自身の発達障害を打ち明けても相手にされず、辞めるよう促された過去。石橋さんの心の中で、より強い思いが湧き上がった。「そういったことを言われた経験を踏まえて思いましたね。弾き出されるときって、こんなに露骨に弾き出されるんだなって。実体験としてすごく思いました。だからこそ社会の中で誰ひとり取りこぼしたくないし、自分の力が役に立てる場所でやっていきたいです」(石橋さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月17日■ 前回 のあらすじ偶然見つけた年齢制限なしの療育園に問い合わせてみると、見学させてもらえることになりました。■園長先生が園内を案内してくれることに娘が暴れていてもまったく動じず、自然に対応してくれたことにほっとしました。しかし、園内の様子は私が勝手に想像していたものと、遠くかけ離れていたのです…■私が目にした光景は…ルールを守って遊べて、危険なこともせずに遊べている園の子どもたちを見た瞬間は、ネットで集めた情報はあてにならない…それが正直な感想でした。しかし園長先生が私に言った言葉、その意味は…あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月16日指差しがない、ことばを話さない…赤ちゃんの発達で気になることはありませんか?赤ちゃんは、1歳になる前から喃語を発しはじめ、指差しなどで意志を伝えるようにもなっていきます。その後1語文を発するようになり、1語文が出るようになってから6~8カ月くらいたつと二語文を話すようになると言われています。このコラムでは、赤ちゃんのことばの発達に関するコラムについてまとめています。お子さんのことばの発達について気になったり、どんなことがいつぐらいにできるようになるのかの目安、関わり方などの参考にしていただければと思います。0歳の赤ちゃんのことばやコミュニケーションの発達に関するコラム「喃語はいつぐらいから出るもの?」と疑問、不安を感じている保護者向けのコラムです。喃語がなかなか出ない、と悩んでいる場合、どのように接したらいいかや相談先などがわかります。赤ちゃんと目が合わない気がする…。なぜ合わないのか、原因として考えられることから、赤ちゃんの視力の発達についてなどまでご紹介しているコラムです。喃語が出始めると、一語文を発する前に赤ちゃんは指差しをするようになります。ですが中にはなかなか指差しをしない場合もあります。その原因や、指差しの引き出し方、悩んだときの相談先などを解説しています。1歳~2歳の赤ちゃんの発達や1歳半健診に関するコラム1歳6か月になると、多くの自治体で1歳半健診が実施されます母子手帳には、1歳6か月ごろの発達の目安として、次のような設問が記載されています。・「ママ」「ブーブー」など意味のある言葉をいくつか話しますか・うしろから名前を呼んだとき、振り向きますかこうした発語がないと不安に感じる場合もあるでしょう。赤ちゃんのことば、コミュニケーションの発達について、言語聴覚士の監修のもと解説しているコラムです。そもそも1歳半健診ではどんなことを診ているのでしょう。1歳半健診での検査内容や目的などについて詳しく解説したコラムです。ことばの遅れが気になったら子どもが言葉を覚え、話し始める時期には個人差がありますが、おおむねの基準として、次のような状態である場合には、ことばが遅れていると判断できるといわれています。・1歳半で、意味の伴った言葉が2つ以下である場合や、簡単な指示の理解ができない場合・3歳で、「ジュース のむ」など2つの単語による言葉である「2語文」が出ていない場合我が子のことばの遅れが気になる場合、ことばの力を育むためにできることがあるのかや、どのようなところに相談をしたらいいのかについてご紹介しています。ことばやコミュニケーションの遅れの背景に、発達障害がある場合もあります。早期に気づき相談・診断を受け、適切な支援を受けることで、お子さんの能力をより発揮させ、自信を高めることにもつながります。また、二次障害などを予防しやすくなると言われています。発達障害の診断について、何歳くらいから診断が可能となるのか、などについて詳しく紹介をしています。発達ナビライターの体験コラム発達ナビでは、発達障害があるお子さんの保護者が体験エッセイを執筆しています。ことばやコミュニケーションの発達についてのエッセイコラムも多数配信しています。ことばの発達が遅かったり、コミュニケーションが難しかったお子さんとの関わり方の工夫なども紹介されています。ぜひ参考にしてみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月16日■ 前回 のあらすじ周りの人から言われる「普通」という言葉にモヤモヤし涙する日々。そこで私はある行動にでることにしました。■ある所に電話をかけてみることに育児の悩みが尽きず、誰かに頼りたい気持ちでいっぱいでした。年齢制限があったり、診断がついている子どものみ受け入れの園が多かったけれど、そんな中見つけたこちらの療育園…。さっそく電話をかけてみることに。■療育園を見学してみたいと伝えると…すぐに見学させてもらえることになり、少しほっとしました。専門の知識がある先生に見てもらえば、また何か道が開けるかもしれない…ドキドキしながら、ついに療育園へ…。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月15日■ 前回 のあらすじ子育て相談室に行ったものの、何も道が開けないまま…。モヤモヤしつつ、あるイベントに行くと保育士さんに声をかけられて…■保育士さんの呼びかけに娘の反応は…相手が誰であろうとまったく反応を示さない娘…。そんな娘を見て保育士さんは…■「普通」っていったい何…?「普通」という言葉に敏感になりモヤモヤして涙する日々、そこで私はこの時期に考えていた最後の行動に出るのでした。あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月14日今週はどこを?今日の担当は?毎回混乱していた「掃除」の時間Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。ADHDと広汎性発達障害がある息子リュウ太は小学4年生まで掃除に困っていました。みんなが当たり前にやる掃除当番なのに、リュウ太は自分はどの場所を掃除する係なのかがわからず、毎回誰かに聞かないとできなかったと言います。当番表は教室の掲示板にあり、どの班がどこを担当するのか一目でわかるようになっていますよね。でも、リュウ太は掲示板をほとんど見たことがなかったのです。興味がなかったこともあり、クラスのルールや目標など学校生活に必要なことはだいたい掲示板を見ればわかるようになっていることを知らなかったのです。班の親切な女の子に質問して「うちの班は今週は廊下だよ」と教えてもらっていたそうです。でも「今週は」と言われていても、次の日にはまた忘れてしまいます。間違ったら注意されるし、やりたくなくなる...「やっているフリ」をして教室をウロウロUpload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太は2年生~4年生の期間は人に否定されることに恐怖を感じていたそうで、わかっているつもりで勝手に行動して「違うよ」と後から注意されたり文句を言われたりすることを恐れていました。そのため、毎回誰かに聞いてからでないと動けなかったようです。リュウ太(22歳)「学校のルールがイマイチわからなくて、戸惑うことが多かった。みんなはわかっているみたいだけど、オレは知らないことが多くて大変だった。例えば掃除も雑巾担当なのか、ほうき担当なのかわからないし、ほうき係はどこから掃いていったらいいのか?どこまでやるのか?こんなこともわからない」Upload By かなしろにゃんこ。リュウ太(22歳)「雑巾係も、オレは雑巾をすぐになくしちゃうから、できないことが多かった。明日になればまた汚れるんだから、掃除なんてしなくていいと思うようになって、掃除の時間に別の場所をウロウロ歩いて掃除をしなくていい状態にしてた。やり方が違うと周りから文句を言われるし、やりたくなくなる。だんだん掃除が苦痛になっていって、4年のときはやってるフリをしてさぼった。掃除のやり方が学校できちんと決められていないことが苦手だったのかも!?個人が担当する区域はどこからどこまで、道具がない場合はどこに相談するべきか、いろいろなルールに気を使いながら行動することや、決まりごとに対しての「?=はてな」が多すぎて疲れちゃうんだよね。それで掃除が本当に嫌になったんだ。別にオレが掃除をやらなくてもいいかって」という掃除にまつわる困り感の一通りを話してくれましたが、母は「掃除どんだけキライだよっ」とツッコミましたよ(笑)困っていたのは、「掃除そのもの」ではなく...?Upload By かなしろにゃんこ。掃除がキライという感情が息子の中にあるのは知っていたのですが、学校のルールにはてな?がありすぎて困っていたことは知りませんでした。確かに掃除だけでもたくさんのやり方があります。トイレ掃除は水を撒いてブラシでこすること!など初めて行う作業だと戸惑うこともあります。ほうきでの掃き掃除や雑巾がけでも、教室の前から後ろに向かって履く、一列になって拭く...など、決まりごとがたくさんありますよね。おそらく先生や上級生が最初に手本を見せてくれて、みんなはそのやり方を見て覚えたのでしょうが、リュウ太は細かいルールや手順が把握できていなかったのでしょう。「こうでいいの?」とやり方を確認してもらいながら進めることができたら安心なのでしょうけれど、息子リュウ太はクラスの中で浮いている存在でしたから周りが手取り足取り教えてくれることもなく、苦手な分野ではとことん臆病で消極的になっていたことがわかりました。Upload By かなしろにゃんこ。実は困っていたのは掃除という作業ではなくて、作業サポートが得られないことだったんですね。「困ったときに質問をする、相談する、お願いすることができて、SOSが出せたとしても、周りがいい対応をしてくれるわけじゃないってことが一番困ったことなのかもしれない。学校生活のほうが社会よりも大変だったかも!?給食のルール・プールのルール・図書室のルールでしょー。ルールについては意外と覚えること多かったかもなー」とリュウ太はいいます。社会に出てからは、「質問したらみんな答えてくれるし、丁寧に教えてくれる。それに社会人になってからすごくイヤな人って周りにいないかも。学校よりも社会はオレにやさしい」ということなんだそうです。それなりに学校の中で一人でどうにかしようと踏ん張っていたんだな、母に相談しないでわからないものと戦っていたんだな~と思ったのでした。学校生活を母も振り返って、本当に覚えることたくさんあったんだな~って思いました。そりゃ大変だったかも!LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月14日持久走大会が苦手な娘。広汎性発達障害の娘は、幼稚園のころから走るのが苦手です。速く走ることも苦手ですが、長い距離走ることも大嫌い。小学生になってから、毎年のイベントである持久走大会では、毎回練習だけで憂鬱な気分になるようでした。Upload By SAKURA私たちも毎回、「ちゃんと最後まで走れるだろうか」と、胃がキリキリする思いで見守ってきました。持久走大会も今回で4回目。学年ごとに少しずつ距離が増えていくシステムで、1年生と2年生は距離も短くなんとか完走してきましたが、3年生は「完走できないのでは!?」と思うくらいギリギリの走りでした。Upload By SAKURA始まった持久走大会の練習。そして、今年度もやってきた持久走大会の練習。しかし、今年の娘は違いました。Upload By SAKURA毎年、練習であんなにひーひー言っていたのに...そんな娘の口から、『楽しい』という言葉が出るなんて!娘の目標は…私たちは、毎年娘が完走することしか考えておらず、娘がいつも一番最後にゴールすることを指摘したことはなかったのですが…Upload By SAKURA今まで、練習のきつさばかり言っていた娘から出た言葉とは思えないぐらい、前向きな発言でした。Upload By SAKURA目標を高く持つのはすばらしいことですが、娘の場合、目標通りにいかなかったときにパニックを起こすことがあります。学校でそうなるのは避けたいと思った私は、自分なりの目標でいいと話しました。それから娘は『今日も最後まで頑張ったよ。マイペースに走ったよ!』と、練習の報告をしてくれるようになりました。楽しみにしていた、持久走大会当日!しかし…そして、ついにやってきた持久走大会の当日。応援に行くね~!と見送ったのですが、天気が悪くなり、運動場の地面の状態が悪いことから、持久走大会は延期になりました。Upload By SAKURA帰宅した娘に、「今日、持久走大会なかったね。」と声をかけると…Upload By SAKURA持久走大会の延期が原因で、泣いてしまったというのです。突然の延期!そのとき娘は…娘の話と、先生の連絡帳から整理した話はこうでした。持久走大会の準備で、体操服に着替えていた子どもたち。そこへ先生がやってきて、持久走大会がないことが伝えられました。Upload By SAKURA半分着替えていた娘は、みんなの前で号泣。通常学級の先生は、突然泣き出した娘に驚いたそうです。おそらく娘は、あると思っていた持久走大会がなくなった...突然の予定変更にパニックを起こしたのでしょう。結局、持久走大会がなくなったことで、娘は通常授業を受けるため特別支援学級に移動。そこでも泣いていた娘に、特別支援学級の担任の先生から、延期になったことを説明され、ようやく泣き止んだそうです。Upload By SAKURA後日、持久走大会は行われ、娘は目標通りマイペースに完走してくれました。Upload By SAKURA他からはわかりにくい、娘の成長。毎年、きつくて練習を嫌がるんじゃないか...完走できるか...走りながら泣かないか...いろいろな心配をしていたのですが、今回はそのへんの心配は必要ありませんでした。3年生まであんなに走ることを嫌がっていた娘が、なぜ今回はこんなに前向きになれたのでしょう。走ること自体、好きにはなっていませんし、体力も走りを見た感じ、特別ついてはいません(笑)Upload By SAKURA私が思うに、何事にも「やだなー」から入ってたところが、「がんばるぞー!」に変わったところが大きいと思います。姿勢が前向きになったのかな?と感じます。順位は4年連続最下位ですし、走るのが速くなったというような目に見えてわかる大きな変化ではありませんが、私は、娘の劇的な成長だと感じました。前向きに頑張ろうと張り切るその姿に感動したのですが、その代わり、予想外のところで泣いてしまった娘。しかし、それもやる気の現れ!当日天気が微妙だったときは「今日はないかもしれないよ」という声かけをした方がいいと、私も一つ勉強になりました。のんびりマイペースな娘は、ゆっくりではありますが、一歩一歩進んでいます。5年生はどんな成長を見せてくれるのでしょうか。他の子と比べず、自分の中の目標を少しずつクリアしていってほしいと思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月13日■ 前回 のあらすじ娘の発達には何か問題があると思い、まずは子育て相談室へ行くことに…。■相談室のスタッフから、想定外の言葉が…「普通」…?育児のプロに見てもらったら、何か道が開けると思っていただけに、何も答えが出なくてショックでした…。■「普通」という言葉に悶々とする日々突然、名前を呼んでも良いかと聞かれて驚きました。娘は「普通」で、私が考えすぎで育児ノイローゼになってしまったのかと、この頃が一番モヤモヤしていた時期です。さて、保育士さんの真意は一体…?あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は専門機関にご相談ください。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月13日■ 前回 のあらすじ娘の「何か」が違う…。その「何か」の正体がわかりました。それは、私が娘に求められていないということ…■今思えば違和感の連続だった…抱っこどころか、触らせてももらえない私には、ほかのお母さんたちの話は理解しがたいものがありました…。■できることから始めよう!まずは子育て相談室へ娘の発達障害を疑い、ついに動き始めました。…とはいえ、まだ0歳の娘にしてあげられることは限られているので、ひとまず、子育て相談室へ相談に行ってみることにしました。次回に続きます。【同じテーマの特集はこちら】 〜子どもの発達障害を知ろう、考えよう〜 【同じテーマの連載はこちら】 産後の話 この連載の全話を見る >>
2021年01月12日「計画通り」はあり得ない。そもそも計画が立てられない!5秒後には違うこと考えているからUpload By 発達ナビ編集部牟田暁子編集長(以下――)双雲さん、ADHDの特性があるとお聞きしました。ご自身の特性について、教えてください。武田双雲さん(以下、双雲):じっとしていませんね、とにかく。それと、どこかに行こうと思っても、すぐ行方不明になります。なんでも衝動的にやるから、計画通りに物ごとが進んだことが人生一度もない。計画することが無理というか、計画したとしても5秒後に違うことをしてる。書道もお手本通りに書けないし、書こうとしても、二画目から違うことをやっちゃう。――お話を伺っている今もですか?双雲今は大丈夫、喋ってるからね。しゃべりながらめっちゃ動いてるでしょ。――それは、子どものころから今まで変わらず?双雲:変わらないですね。小学生のころ、授業中にカーテンが揺れているのを見て、カーテンとシンクロしてゆらゆら動いていたんです。風はまっすぐに吹いてくるのに、カーテンにぶつかると曲線になるのが不思議じゃないですか。だからカーテンの動きを真似て理由を考えていた。そうすると、「何をやってるんだ!」って先生に怒られて、「カーテンになってます」と答えたりしていました。――もっと小さいころは?双雲:幼稚園時代の記憶は一個もないですね。その瞬間の感情のまま動いてたんじゃないですかね。ひたすら明るい子だったらしいです。小学校5年生ぐらいまでは、記憶がないぐらい、多分、本当に楽しかったんだと思う。――そうですか。中学時代以降はどんな感じでしたか?双雲:高校でハンドボール部の試合の真っ最中に、「ああ、雲がきれいだなぁ」ってボーッと空見ていて、レギュラー外されたりだとか。一番怖い先輩に「何見てんだこの野郎!」ってからまれたときに、その人の目が茶色系であまりに綺麗で、「目がすっごく美しいです」って感動を伝えたら、気に入られたのか、何を言っても無駄だと思われたのかは分からないですが、それからもう全員に絡まれなくなっただとか、そんなことがありました。大学受験も、家庭教師と一緒に賭けみたいにして勉強したヤマが当たって、模試ではずっとE判定だった東京理科大学に受かっちゃった。運がいいんですよね。――学校を卒業されてからは企業勤めされていましたよね。双雲:そうです、NTTで2年半ぐらい法人営業やってました。もう、トラブルだらけでしたよね。上司にめちゃめちゃ怒られてましたから。今だから言えるけど、営業に行くと言って1人で海で遊んでたこともありました。でも、運だけはいいから、営業成績は後半でガーッと上がったりしているんです。たまたま出会った人と宇宙の話をしていたら気に入られて、その人が実は会社経営者だったので大きな仕事を受注できたりだとか。ただひたすらニコニコしているだけで、いろんな部署へフラフラ行くし、「報・連・相」もできないし、とにかくウロウロしてる。もう上司からしたら全く意味のわからないやつですよね。――ご退職され、書道家となった経緯を教えていただけますか?双雲:小さいころから書道をやっていたこともあって、簡単なメモ書きでも結構きれいな文字を書いていたんですよ。あるとき、同僚の名前を手書きで書いたら、その人がぽろぽろと涙して。「私は自分の名前が嫌いだったけれど、こんなにきれいに書いてもらうことができて、自分の名前が少し好きになれたように思う」と。そんな風に言われたら、うれしくて。それで、こんな風に喜んでもらえる仕事をしよう、書道の道に進もうと思って会社を辞めたんです。人に喜ばれることがなにより好きだったからだと思います。書道なら、喜ばせることができると。40歳のころ、「なんだ、ADHDって自分のことだった」と気づいたUpload By 発達ナビ編集部――ご自分に、ADHDの特性である多動性、衝動性があるんだなと気づいたのはいつごろですか?双雲:気づいたのは、40歳ごろかな。あるとき、スティーブ・ジョブスや偉人と言われてる人たちが、発達障害だったというニュース記事があって、「なんだそれ?」と思って調べたんです。そこではじめてADHDという言葉を知って、リンクにあったADHDチェックテストをやってみたけど……まず質問項目を読んでいられない。2問目から飽きちゃう(笑)。それで、書道教室の生徒さんに読み上げてもらったんです。口頭テストならできたので。そしたら、満点だったんですよ。妻はね、もっと前から気づいていたんですって。僕には内緒で。どうも困ることが多いからと、本を読んでいたそうです。――ADHDがあると気づいたことで、何か変わりましたか?双雲:変わったというか、僕はいろんな人から、「なんでそんなに執着がないの?」とか「そんなふうに明るくなりたい」というようなことをよく言われるんです。そこで逆に、興味がわいたんですよ。みんなはいろいろ深く考えてるのかも、って。それで、自分のことを研究してみた。自分とほかの人たちとのギャップを調べたんです。そしたら、どうも僕はポジティブらしいとわかったんです。なんか、やたらと感謝しまくって生きていると。それが普通だと思ってたんですけどね。繊細で、苦手なところからはひたすら逃げる。そういう意味ではネガティブUpload By 発達ナビ編集部――そこまでポジティブだと、苦手だなとか生きづらいなと感じたことはこれまでの人生ではない?双雲:いやいや、いっぱいありますから。敏感だから、自分と合わない人とかコミュニティからは一瞬にして逃げます。僕が合わないところにいても人に迷惑をかけるだけだし、落ち込むことが怖いので、動物的な感覚でそういう場所を避ける。そういう意味で、めっちゃネガティブですよ。ウロウロされると困る場所で僕がウロウロしちゃうと、みんな困るでしょ? だから、葬式も出たことがないんです。どうしても人に迷惑かけるのはわかっているので、人をすごく振り回して迷惑をかけるようなことはしないようにしています。暴れん坊ではないし、人に嫌われるようなことはできるだけしたくないと思っています。――気を遣っているんですね。双雲:小学5年生くらいのころから、友達や学校の先生とどんどん合わなくなっていったんですよね。高校3年生くらいまでが、人間界から離れていく感じだった。高校時代、最初は友達も僕を誘ってくれたんですよ、休日に街へ遊びに行くとか。でも僕、いなくなるんです毎回。僕が「きれいだなぁ」って、風に揺れる葉っぱを見てる間にみんないなくなっちゃう。そんな風だから、だんだん呼ばれなくなっていく。そうして、だんだん友達が離れていくっていうのを、もう何回も繰り返しているんです。嫌われているというよりも「もうあいつはいいや」「よくわからないやつだ」と思われるのが多いよね。みんなが離れていく夢、今でも見るんです。その時はつらいと思ってなかったけれど、今思うとたぶんつらかったんだと思います。1人で、友達をつくらずに、宇宙のことを考えていたから宇宙にのめり込めたんだと思う。――そういうネガティブな気持ちを、ご自分ではどう扱うんですか?双雲:ネガティブな感情が出たときも、「へー、自分はこういうときは怒るんだ」とか、「今、機嫌悪いんだ」とか、ちっちゃい自分が頭の上のあたりに浮かんでいて、自分を客観的に見ているんです。そいつが、僕を何のジャッジもせずにニコニコ見てくれる。自分を客観的に見る自分が、自分を全肯定してくれる。だから安心して怒れるし、安心して落ち込めるっていうか。そのおかげでかなり楽ですよ。ほめてほめてほめまくる両親に育てられ、ほめられネイティブになったUpload By 発達ナビ編集部――ご両親は、そんな双雲さんをどんなふうに育てられたんですか?双雲:とにかくほめまくるんです。「天才!」とか「すごかー!」しか言われない。今もそうですよ。もう、45歳なのに(笑)。会ったら1時間でも2時間でもずっと、さすがだ、すごいすごいって僕をほめ続けるんですよ。――それは嬉しいですよね。双雲:嬉しいもなにも、僕にとってはそれが普通のお父さんお母さん。これが日常で、「ほめられネイティブ」というか。でも、家庭の外では、学校時代も会社でも、怒られたりしましたけどね。――そこまでほめられていたら、怒られても動じないんじゃないですか?双雲:根底のところで「これでいい」と思っているから、全く平気ですね。怒られても、その時は「怒られちゃったー、シューン…」となるんですけど、根っこが太いから大丈夫。自信があるというのとも違って、自己肯定感がすごく高くて自分が大好きなだけ。誰かと比べてすごいとか優れているとか、思ったことはないです。勝とうとも思ったことない、勝ち負けにそもそもこだわらないし。――誰かよりもすごいというよりは、自分は大丈夫、という感じですか?双雲:そう、自分は大丈夫。それは何とかなるから大丈夫、というのとも違って、もう絶対的なものですね。――こうして根っこがしっかりしたまま生きてこられたから、自分が輝ける道を見つけて、歩んでこられたんでしょうね。双雲:そうですね。発達障害の話って、凸凹の話じゃないですか。この凸凹が激しめで、凹の部分はドコーンと凹んでいて、どうやってもできないことがある。僕も、自分ができないほとんどのことは、全部周りの人がやってくれる。スケジュールや作品の管理は秘書がしてくれています。凹っている部分が激しいことを「発達障害」というのならば、そこを平均的にしていくことなんてできない。できるところを伸ばすしかない。必ずどこか、凸っているところがあるから、欠点を補おうとしない方がいいですよ。僕は、しゃべるか書くかだけしかしない。作品の制作だけ。将来のために頑張れ、はおかしい!双雲:今のこの武田双雲の基礎は、両親がつくってる。もう間違いなく、両親が「すごかー」と言い続けてきたことの賜物です。――今のご活躍ぶりは、すごいですもんね。双雲:いや、今みたいな活動をするずっと前から、生まれたときからですよ。ひたすらほめてくれるし、これまで怒られたことも注意されたことも一度もない。もちろん、「飛び出したら危なかばい!」とかはあったけれど。うちの両親は、僕に将来の話をしたことがまったくないんです。こういう大学に行けとか、こんな人間になって欲しいとかも言われたことがない。僕のことを信じ切っているんです。――「将来、幸せになってほしいから今頑張れ」などということも言われなかった?双雲:将来のために今頑張ろうって、矛盾だらけですよね。頑張れっていう漢字は、”頑なに張る”って書くんですよ。ピーンと張ってたら、すぐに切れちゃいそうじゃないですか。これでどうやってなりたい人になるの?って思う。将来のために今を犠牲にするなんて、おかしいって絶対。富士山を見て感動したときに、富士山にこうなって欲しいとか思わないでしょう?何分後に雪が降ってほしいとか思わないでしょ?それと同じ。両親も全く僕を変えようとしたこともないし、将来についての言葉を聞いたことは、一切ないですね。幸せは、今、この瞬間に感動し続けることしかないUpload By 発達ナビ編集部――ところで、「すぐに飽きてしまう」と言いながらも、書道だけはずっと続いているんですね。双雲:とにかく好きなんです。筆とか墨とかの道具、その匂い。書道の全部が好きなんです。好きなもので、人に喜んでもらえるとやっぱ一番続くじゃないですか。書道は、3歳からやっているからもう40年以上。唯一飽きないのが書道だけ。飽きっぽい僕がこれだけやってるから、相当好きなんだと思うんです。――好きなこと、飽きないことを見つけるって大事ですね。5秒後にはほかのこと考えちゃう双雲さんなのに、40年以上も。双雲:集中力が続くのは短いです。普通の書道家の方の100分の1くらいしかない。その代わり集中力は高いです。逆転の発想で、人が100時間集中して努力する分を、1分間に凝縮して、エネルギーがその100時間分にならないかと考えます。――なんだか宇宙的ですね。でもそのコツ、知りたいです!双雲:一番はね、感動することです、あらゆることに。自分の目が動いてることに感動して、生きてることに感動して、空気があることに、空に風に感動して、葉っぱの揺らぎに感動して、見境なく感動する。――そういった感動のエネルギーをためておくと、いざ書く、というときに出てくる?双雲:そうそう、だから書くそのときの心の動きだけじゃなくて、1回1回の感動を味わい尽くしてそれを繰り返すと、エネルギー値は高まります。見境なく感動することって、実は小学校低学年ころまではみんながやっていたことですよね。これは価値があるとかないとか、レッテルは貼らない、ジャッジもしない。見たもの感じたものすべてに感動していく。小さいころは、石ころを蹴るだけで楽しかったじゃない?落ち葉を見るだけでちょっとワクワクしたよね。そのときに、落ち葉という名前も知らなかった。大人になるといろんな思想や文脈が入り込みすぎちゃうけど、子どもってそういうことは思わない。そのまま大人になるのはまずいと思われるけれど、たまたま僕は発達できないまま、無邪気でいられたのが、今はアーティストとしてはそれがいいと言われる。僕は正しいわけじゃないんだけれど、共感してるくれる人が多い、ということなんだと思う。――今を感じて、感動し続けるんですね。双雲:大人になって、幸せを獲得するためにお金を稼いだり、人から評価をもらったり、いい大学に行ったり会社に就職したりということに、みんながいいというレッテルを貼っている。でも、もし収入・地位・名誉みたいなものを獲得するのが幸せになることなら、何も得てない子どもは不幸だということになってしまう。逆に、評価されてる人は皆、心が満たされているのかというと、満たされてないじゃないですか。社会的に大活躍している人が壮絶な精神病になったり自殺したりするでしょ、昔から。だから社会的評価とか実績とかは幻で、幸せとは関係ない。社会的評価や成功はゲームなんだというくらいに思っておけばいいんです。いつか幸せになる、は絶対ないです。今、石ころを見て幸せな方がいいじゃないですか。――ひとつひとつ今身の回りにある環境に感謝していくと、幸せになる、そういうことなんでしょうね。ひたすら「かわいい、大好き」と思って育てる。それが一番!Upload By 発達ナビ編集部―ー双雲さんご自身と似たようなタイプのお子さんを育ててる保護者へのアドバイス、ありますか?双雲:たとえば、とても真面目な「ちゃんとしなきゃ」と思ってる人が、ADHDのお子さんを持ったら大変なことだということはわかります。だって、全部裏切るもん。コントロールしようとしている人がいたら絶対コントロールできないし、「こうあってほしい」と思ったようには絶対ならないし。できれば、世間の指標ではないところで、ほめるっていうよりも、その子のことをすごく好きでいることが一番いいと思います。「かわいいかわいい」「大好き」っていうのが、一番いいと思います。――うちの子は、最重度の障害が心身ともにあるんです。でも、笑い上戸でいつも楽しそうで、「今、このとき」を全身で楽しんでいますね。双雲:お子さんには、劣等感ってある?――ない、でしょうね。うまく話すことができないので、音楽の授業でみんなが歌ってるのに自分は歌えなくて「つまんないの」くらいには思ってるみたいだけど。双雲:自分を客観的に見て、劣っていると思うようなことがないのはいいよね。――自分も子どももまるごと認めて、今を幸せに生きていくってことなんでしょうね。双雲:一緒にいて、楽しいっていうのが一番いいですよね。一緒にいる時間が好きとか、楽しいとか安心感があることがすべて。それだけでいいと思う。楽しいよね~って。さまざまな失敗談も朗らかに語り、他者との比較や勝ち負けは関係なく、ただただ「自分が大好き」と言い切る武田双雲さん。小さなころからご両親がどんなときも肯定し、賞賛してくれたことが、その自己肯定感につながっている様子が感じられました。多くの人を惹きつける書についても、「集中が続かないぶん、1分に100時間分のエネルギーを込める」と、ご自身にあった方法で熱量の高い作品を生み出し続けているようです。アートに活きる考え方から、あたたかな親子の関係まで、発達が気になる子と向き合うヒントもたくさん詰まったインタビューでした。取材・文:関川香織撮影:CowfilmsLITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月12日ヲタママだっていーじゃない!
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