「切迫流産」について知りたいことや今話題の「切迫流産」についての記事をチェック! (3/4)
私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症がわかりパニックに長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども私は自分の妊娠を諦めることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度の流産でした。「もしかして妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進む他に道はないのだと気づきました。そんななか、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために、問診とは別にアンケートと採血をおこないました。検査結果は特に問題はなく、経過観察をすることになりました。 原因不明の不育症と経過観察私は不育症の検査結果に問題がなかったため、安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は、経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年07月20日■前回のあらすじ妊娠検査薬の線はずっと薄いままで不安を抱えていたある日、突然の腹痛に襲われトイレに駆け込むと、白っぽい塊が落ちたと同時に痛みが消え…。■病院で診てもらうと「初期流産」と伝えられた心にぽっかり穴があいたような気持ちのまま帰宅することに…■夫に報告、悲しさと申し訳なさでいっぱいに誰のせいでもないけれど、思わず原因をいろいろと考え込んでしまいました。■数ヶ月後、新たに妊活開始!妊娠しやすい体づくりをいろいろと試しながら妊活に取り組みましたが、なかなかうまくいきません…。親子3人で並んで歩く日がくることを願いながら、2人で美しい花火を眺めたのでした。次回に続きます。\人気作家の動画もぜひご覧ください!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪Instagramで大人気のすやすや子さんの記事を掲載しています。
2020年07月17日高齢初産婦だった私は、妊娠6週2日に絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)と切迫流産の診断を受けました。しかし産科医から安静の指示はなく、私は通常通り勤務していました。勤務中もいわゆる「茶おり」と言われる出血があり、何度も不安になりました。切迫流産であったころを振り返り、私の後悔をお伝えしたいと思います。 絨毛膜下出血で流産の危険病院で妊娠が判明してから茶色の出血が2~3日に1度ありました。絨毛膜下出血があり、このまま出血が自然に体内へ吸収されれば問題ないと医師から言われました。しかし、妊娠7週目に胎児心拍が確認できてからも出血は続いたのです。 そこで医師からは止血剤が処方されましたが、医師曰く、止血剤は気休め程度であるとのこと。流産する可能性もあると説明を受け、私は出血するたびに仕事後に通院し、エコーにて胎嚢を確認しました。腹痛もあり、歩くのもつらい状態でした。 切迫流産なのに安静指示が出ない!あまりにも不安で体調も悪いので、仕事を休みたいから診断書を書いてほしいと私は医師に頼んだのですが、医師は日本産婦人科学会が出しているガイドラインの冊子を私に見せてくれました。ガイドラインには、「切迫流産に対して安静療法が有効な治療であるというエビデンスはない」ということが書かれていました。 医師曰く、「医師により考えや方針はいろいろあるが、切迫流産の場合、安静にしていても流産するときはする」ということでした。そのため、診断書は書けないと言われたのです。 心身共につらい日々を乗り越えてもともと生真面目な性格で仕事を休んだことがない私は、なかなか自分で仕事を休むという選択をすることができませんでした。毎日出勤し、勤務中に出血してはトイレで涙を流していました。精神的にも肉体的にもつらかったです。 なんとか妊娠10週目を迎え、ようやく母子健康手帳をもらいに行くことができたときは本当にうれしかったことを覚えています。通っていた産婦人科はお産を扱っていなかったのでこの時点で総合病院へ転院することになりました。 妊娠期間中、1日も仕事を休むことはありませんでした。無事に出産しましたが、子どもの愛らしい顔を見ていると、この子のことを第一に考え、どうして休むという選択をしなかったんだろうと思っています。もし流産していたら、もっと後悔していたことでしょう。赤ちゃんの命を守れるのは母親の自分だけなので、自身の体調が悪ければ仕事を休み、体を休め心穏やかに過ごすことが大事だと実感しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:きのもとりんこ0歳女の子1児の母。看護師資格保有。自身の妊娠や育児の体験談を中心に執筆している。
2020年07月13日自然流産後の経過、回復も順調。この先のことを先生とお話します。 気持ちも前向きにして次のタイミング指導の話をしました。 この病院では流産後は体の回復をするために、1周期はお休みしましょうとのことでした。病院や経過で妊活お休み周期も違うんでしょうかね(ちょっとわからない)。 とりあえず1周期だけのお休みでよかった……のですが、忘れてはならない多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の私。生理周期が42~70日周期なので1周期とはいえ長~~~い!!今妊娠できる体なんだってやる気に満ち溢れているのに、次の生理がまた2~3カ月後とかだったらと思うと……! ということで前に話の出た排卵を誘発するスーパー魅力的なお薬、クロミッド様のお話を持ちかけたのですが…… 今回は自然に次の生理を待ちましょうとのこと!玉砕!!! 第49話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月23日5週3日で流産し、婦人科へ。 先生から流産について話を聞きました。 自分が流産するまでは本当にこんなことが自分に起こるなんて思ってもみませんでしたし、なんなら体に問題があるから流産するんでしょ、なんて浅はかな考えでした。 流産は健康な人でも誰にでも起こりうること。 15%だとしたら約7人に1人は流産を経験するってことですよね? 思ったより結構な割合ではないでしょうか……。妊娠経験者のうち1回の流産経験者は約40%とも書かれてました。(このあたりネットの情報なのであしからずです) 調べ出すと週数での流産率だの、流産にも段階があって名前が変わってくるだのいろいろありますが、こういうのって自分が経験しないと詳しくは調べませんよね。 もちろん流産しないに越したことはないですが、いろいろ知ることができたのはよかったです。 第47話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊活中のお話「妊活レベル1 まっふの冒険記」を連載。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月09日妊娠検査薬の陽性反応を見るも、5週3日でのお別れ。 流産後、婦人科へ。 気持ちは持ち直してたはずですが、やはり婦人科に行く道中は気が重かったです。 本当だったら診てもらって妊娠を喜んでたはずなのに……と。出血のことを先生に言葉にしたときも、少しうるっときてしまいました。 5週のことだったので生理が大幅に遅れただけかも、とも錯覚しましたが、陽性反応はしっかり出てたので「自然流産」との診断結果でした。先生にそう言葉で言われてやっと流産しちゃったんだなと自覚したりも。 たった1週間のできごとでしたが、本当に長く幸せで楽しみな1週間でした。 第46話につづく 著者:イラストレーター 漫画家 まっふ令和元年5月1日生まれの男の子を子育て中の漫画家。多嚢胞性卵巣症候群からの妊娠を備忘録としてブログにのんびり4コマで更新中。ベビーカレンダーでは妊娠中のお話「妊婦レベル1 まっふの冒険記」を連載中。息子とのお昼寝と一日の終わりにするゲームがなによりの至福。
2020年06月02日2人目の妊娠中は仕事を続けており、また上の子の育児もあったため、大変なこともありました。そのころの体験談をお伝えします。 おなかの張りを感じる…もうすぐ妊娠後期に入ろうとしたころ、私はまだ保育士の仕事をパートで続けていました。職場には妊娠中ということは伝えていて、仕事も配慮してもらっていましたが、仕事中におなかの張りを感じることがありました。 切迫早産のため自宅療養にちょうど健診の日が近かったため受診したところ、子宮頸管の長さが短く、切迫早産と診断されました。医師から自宅療養をするようにと言われ、おなかの張り止めの薬を処方されました。まだ産前休暇に入っていなかったので、それまで仕事を続けるか悩みましたが、職場に相談して早めにお休みをいただくことになりました。診断書を提出するときは申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「体が大事だから。元気な赤ちゃんを産んでね」と園長先生から温かい言葉をいただきました。 上の子とのコミュニケーション上の子は3歳で園に通っていましたが、2人目を妊娠したころから、夜泣きなどの赤ちゃん返りが始まっていました。特に抱っこしてほしいと訴えることが多かったのですが、切迫早産になってからは、抱っこしてあげたくてもできないのがつらかったです。ですが、何度か伝えると、子どもも次第に理解し始め、お手伝いしてくれたり、自分の気持ちを話すようになりました。 私が気持ちを伝えることで、子どもも徐々に自分の気持ちを言葉や行動で示してくれるようになったのがうれしかったです。また、赤ちゃんのころのアルバムや絵本を見せると、自分が小さかったときのことを思い出すようで、よかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:西川 優4歳、0歳の男の子の母。現在は産休中。
2020年05月31日人気インスタグラマーいくたはなさんの連載「夫を泣かせた話」の続きです。■前回のあらすじ母が流産したときの話を話してくれました。辛い決断をした母の言葉は、私の心にまっすぐ響いてきました。しかし、突然母が私の異変に気付き…腕や顔に出ていたポツポツしたものは発疹というよりも、所々点々と赤いシミのように見えたので、その時は気にも留めませんでした。しかし、その翌日からはひどい水下痢に。実家でゆっくりしたいのはやまやまだったけど、次男の誕生日をどうしても祝いたくて帰宅しました。次男は誕生日ケーキに大喜び。当日にプレゼントを用意できなかったのを謝りましたが「ママと一緒にケーキ食べれるからいい」と言ってくれました。ローソクの火を消す時にも「お願い事すると叶うんだよ」と言い、火を消す時にも「ママのお腹痛いの治るといいな」と言って消してくれました。流産の悲しみで頭がいっぱいいっぱいではありましたが、今生きている命がどんなに大切なのか再認識することができました。しかし幸せな気持ちになれたのもつかの間、私の体調はどんどん悪化していきます。次回に続きます。→次回は4月22日(水)更新予定!\「3人目が欲しい私と欲しくない夫」が動画に!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪ 【4人目と5人目の話】 連載 「Vol.1」から読む ≫ 【夫のことを泣かせた話】 連載 【いいから黙って抱いてくれ!】 連載
2020年04月21日待望の妊娠でしたが、残念ながら流産してしまった私。その後の妊活や体の変化についてお伝えします。 流産してしまったけれど…諦めきれない!待望の妊娠でしたが、1度目は残念ながら流産してしまいました。とても悲しかったですが、どうしてもわが子に会いたい!という思いが強く、妊活再開を決意しました。元々クロミッドを服用して基礎体温を整えていたので、妊活再開にあたり再びクリニックを受診しました。 クロミッドを処方してもらい、排卵日を待っていました。いつもなら排卵痛後に高温期に突入しますが、いくら待っても高温期にならず……そのまま生理が来てしまいました。なんと流産後、クロミッドだけでは排卵することができず、無排卵月経となっていました。これにはとてもショックを受けました。 hCG注射に挑戦もうステップアップするしかないのかと思い先生に相談すると、hCG注射の提案をされました。排卵を起こしてくれる注射で、卵胞チェックをして排卵前に注射すると2~3日で排卵するとのことでした。 どんな方法でもちゃんと排卵させたい! その一心で注射をお願いしました。生理5日目にクロミッドを飲み、その後卵胞チェック。排卵直前を狙って何度か卵胞チェックをしました。そして排卵ギリギリのところでhCG注射を施行しました。筋肉注射ともあってとても痛かったです。 そして無事に排卵!どうか排卵しますように……!数日間ドキドキとしながら過ごしました。その結果……無事に排卵し、久しぶりに高温期に突入しました!! まだ妊娠したわけではないけれど、無事に排卵したことがとてもうれしかったです。それからクロミッド+hCG注射の治療を数回繰り返し、再び妊娠することができました。流産後は体調が変化しやすいと聞いてはいましたが、私の場合は悪い方へ傾いてしまいました。ですが、新たな治療方法と出合えたため、無事妊娠することができました。ひとりで悩まず、先生に相談し、自分に合った治療を探すことができてよかったと心から思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:南野ふみ妊娠9カ月。不妊治療・流産を経て再び妊娠。
2020年03月29日妊娠中期に切迫流産と診断を受け、大事をとって傷病休暇などを使って早めに仕事を休むことになった私。休暇に入ってから体調も良く、安定した日々を過ごしていたのですが、出産予定日1カ月前に突然切迫早産になってしまったのです。急きょ入院になり、始めた点滴治療が予想外に過酷なものでした。つらい切迫早産の治療体験談と、治療を乗り越えて成し遂げた出産の様子を紹介します。 妊娠中期からのおなかの張り妊娠5カ月に入ったころから、私は体を動かすとおなかの張りを感じるようになりました。産婦人科を受診すると、子宮頸管長が通常よりも少し短めなので動き過ぎないようにと指示を受けました。しかし仕事柄動かずにはいられず、頻繁に張るようになり、とうとう切迫流産と言われてしまったのです。初めての妊娠で仕事を休んで良いのかわからず上司に相談したところ、「医師の診断があるのなら休みなさい」と言ってくれたので、妊娠6カ月のころに傷病休暇を取ることに。休暇を取ってだいぶ体調がよかったのですが、おなかの張りは度々あり、結局そのまま産前休暇に入ることになってしまったのです。 出産予定日1カ月前に突然の陣痛!私はおなかが張らないように安静に過ごしていたのですが、出産予定日の1カ月前、突然「おしるし」のようなピンクのおりものが。同時におなかの張りが頻繁になり、痛みを伴うようになりました。急いで病院へ行くと切迫早産の診断が下って、すぐに入院になり、ウテメリンという張り止めの点滴を打つことになったのです。ウテメリンは入院する前まで錠剤を服用していたので抵抗なく点滴も打ったのですが、予想外に副作用が強く出てきました。おなかの張りがおさまるまでの1週間、とても過酷な治療となりました。 くじけそうだったつらい切迫早産治療点滴を流している間は手足の震えと、心臓が飛び出しそうなほどの動悸で苦しくて仕方がありませんでした。ゆっくり眠ることもできず毎日寝不足。一定量の点滴液を流し終えたあとに、点滴を入れずに様子を観察しているときは、気絶するように眠っていました。私が入院していたときはちょうどクリスマスの時季。家族で楽しい時間を過ごすつもりだったのに、ひとりで過酷な治療と向き合い、気が滅入ってしまいそうな1週間でした。 治療を乗り越え、喜びの出産おなかの張りがだいぶおさまり、赤ちゃんの体重も増えたので、入院から1週間後に私はやっと退院することができました。妊婦生活を満喫することもままならなかったつらい治療から解放されて、とても晴れやかな気持ちだったことを覚えています。退院後はおなかが張ることはありましたが、無事に正期産の時期に入りました。そして、出産予定日の10日前、破水から始まったお産は微弱陣痛で時間がかかりましたが、無事にわが子と対面することができたのです。 点滴治療を受けていたときは、早産でもいいから治療をやめて出産したいと思いましたが、しっかり成長して元気に生まれてきてくれたわが子を見て、つらい治療を頑張ってよかったと涙があふれたのでした。 もともと子宮頸管が短くておなかが張りやすかったのに、あまり体を労わらずに仕事をしていたことを反省したできごとでした。おなかが張っているときは自分もつらかったし、赤ちゃんも苦しんでいるのかなとかわいそうに思っていましたが、おなかの中でしっかり大きくなり無事に生まれてきてくれて感謝の思いでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年03月27日私は妊娠すると赤ちゃんは必ず育つものだと思っていました。でも、子宮外妊娠と流産を経験し、妊娠して赤ちゃんが順調に育つことは奇跡なんだと感じています。その経験があったから、いろいろなことを乗り越えられてきました。そんな私とわが子のお話をさせてください。 妊娠判明から子宮外妊娠と自然流産10代だった私は、妊娠検査薬で妊娠していることがわかりました。うれしい気持ちと同時に不安になり、自分ではどうすることもできなくて母に相談しました。その後、病院に行って検査したところ、子宮外妊娠と診断されました。気になったので調べてみると「子宮外妊娠には“妊娠”という言葉はついていますが、そのまま妊娠を継続することはできない」とありました。ショックで落ち込んでいるさなか、何日か経ったころに突然おなかが痛くなり、病院で流産と言われました。非常につらく、悲しかった経験でした。 2度目の妊娠から出産前日流産から半年が経ち、精神面も落ち着いてきたころのこと。妊娠初期症状があったので、妊娠検査薬を使ってみたところ再び妊娠していました。 臨月のある日、私は尿漏れのような感覚があり、不思議に思ったのですが、あまり気にせずに夕方までのんびりと過ごしていました。ところが、姉にそのことを話すと「早く病院に電話しなさい」とぴしゃり。急いで病院に電話したところ、「早く病院に来てください」との話だったので準備をしていました。するとはっきりとわかるくらいの破水をしてしまいました。 いよいよ出産!次の日の朝、陣痛促進剤を打つことになりました。だんだんと陣痛が強くなり始めてからの記憶はあいまいですが、立ち合い出産だったので姉と夫に後日聞いたところ、顔を真っ赤にしながらいきんでいたそうです。 ですが、なかなか赤ちゃんが下りてこず、急きょ吸引分娩で無事3,916gの男の子を出産しました。保育器に入っていたため、出産したあとはすぐに抱っこできず、ようやく抱っこできたのは出産から3~4日経ってからでした。 子宮外妊娠と流産を経験し、10代での子育て。今考えると自分がどれだけ浅はかな考えをしていたのかを思い知りました。でも、その経験があったからこそ、私は今までいろいろなことを乗り越えられてきたんだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト:(c)chicchimama著者:榊原みやび子育て中のママ。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年03月08日切迫早産なんてどこか他人事のように思っていたのですが、妊娠23週の定期健診でまさかの切迫早産に。突然の長期入院生活に戸惑い、悲しい気持ちになったこともありましたが、周りに救われ出産まで至った体験談をご紹介いたします。 切迫早産と入院基準妊娠23週の妊婦健診で、念のため子宮頸管長を測ることに。2年前に円錐切除術を受けており、妊娠初期に計測した際は問題なかったので油断していたのですが、通常3.5~4cmのところなんと2cmを切っていたのです。 先生は大慌てで、夫もすぐに診察室に呼ばれ、「今日から入院です」といきなり告げられました。もちろん入院準備などしていなかったので、夫に少しずつ必要品を届けてもらいました。 子宮頸管縫縮術を体験!入院して張り止めの24時間点滴プラス絶対安静の生活がスタートしましたが、これが本当につらかったです。食事もトイレもベッド上で寝たきりなので、腰痛はひどくなるし散々でした。安静にしているのに頸管長は短くなる一方でしたので、妊娠23週でマクドナルド術という子宮頸管縫縮術(しきゅうけいかんほうしゅくじゅつ)を受けることに。麻酔は下半身のみで、手術自体は5分程度なのですが、術前・術後の準備や片付けを含め1時間くらいかかりました。術前はすごく怖くて医師や看護師さんを困らせていたのですが、術中もこまめに声をかけてくださり、落ち着いて手術に臨むことができてよかったです。 術後の安静度と退院目途入院して2週間後、手術を受けたことで安静度がぐっと下がり、張り止めの点滴もはずれて内服だけになり、これだけでも手術をしてよかったと思いました。トイレ・食事・洗面・シャワーも自由で、院内を歩いてよいというレベルにまで達し、つらく長い長期入院でこの措置はうれしかったです。通常、術後の経過を見て1週間から10日で退院となるそうですが、私の場合、自宅が遠かったのと頸管長が相変わらず1cm台だったので、妊娠35週を目標に入院継続となりました。 夫の支えいきなり切迫早産と告げられ、入院生活がつらすぎて泣くことも多々ありましたが、遠慮せずに周りを頼り、気持ちを吐き出してよかったと思っています。切迫早産で入院している他の妊婦さんたちも頑張っているんだから、赤ちゃんのために私も頑張らねば、と思って入院生活を耐えてきました。夫の「ストレスの耐性値は人によって異なるから、他人と比べるなんて意味ないよ」という言葉にも救われ、ずいぶん気持ちが軽くなりました。 はじめは我慢することが多かった入院生活ですが、好きなグッズを家から持ち込んだり、夫や院内のカウンセラーの方に話を聞いてもらったりとストレスをじょうずに発散していくことができました。最終的に妊娠30週で破水し、その後妊娠31週2日で出産となりましたが、医師・看護師さん・夫、みんなに支えてもらったことをとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田口 玲第二子妊娠中のワーキングマザーです。子どものお受験や、離婚、再婚を経て育児に仕事に奮闘中です。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年02月23日妊娠の喜びから一転、流産となってしまったとき、その悲しみは計り知れません。私は2度の流産を経験し、やっとの思いで妊娠から出産までたどり着きました。今回は、私のケースをご紹介します。 悲しくて虚しい、2度の流産初めての妊娠では、妊娠11週になっても胎児心拍の確認ができず、稽留流産(けいりゅうりゅうざん)となり、搔爬手術(そうはしゅじゅつ)を受けました。手術から2年後、再度妊娠。妊娠7週で胎児心拍の確認ができましたが、次の健診では胎児心拍が止まってしまい、またしても稽留流産、搔爬手術となりました。 エコーで動いていない赤ちゃんの心臓を見るのはもちろんつらいのですが、その後はさらに悲しみが溢れ出します。特に2度目の流産のときは、自分のおなかの中で2人も亡くなってしまったことで、自分を責めていました。 「子どもが欲しい。でも、もう流産したくない」という葛藤医師からは、流産や死産を繰り返す「不育症」の血液検査をすすめられましたが、もし出産できない体だったらどうしよう、という思いから悩んでいました。また、染色体検査などは、その後の夫婦関係にも影響があると言われています。 「子どもが欲しい。でも、もう流産したくない」。そんな葛藤に苦しみ、検査を受けるか悩んでいた私に、実母は「私があなたに検査してほしいと思っているから、私のわがままを聞くと思って検査して」と言いました。そのひと言に背中を押され、私は検査を決意しました。 不育症検査、治療を経て出産不育症外来のある病院で、まずは保険適用内の検査をし、結果を受けて保険適用外の検査へ進むという段階的な検査を計画しました。 検査の結果、幸いにも原因となっていた病気が判明し、治療法があることもわかりました。そして治療を開始した半年後に3度目の妊娠。病気に関しては妊娠中に合わせた投薬に切り替え、通院を続けることになりました。病気に関しても妊娠に関しても、どちらも専門医に見てもらっているという安心感がありました。 流産の悲しみを忘れることはできませんが、不安な気持ちは家族や医師のおかげで取り除くことができました。子どもは多くの人に支えられて育つということを、この経験から教わった気がします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku監修/助産師REIKO著者:斉藤ふみ一児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年02月11日念願の2人目妊娠! しかし、喜びも束の間……。切迫流産で入院、その後子宮口を縛る手術を受け、長期自宅安静に……。どんどん子宮頸管は短くなり、起き上がる時間は減り、ファミリーサポートを利用。それでも悪化し続け、最後は予定より早く里帰り……。第二子の妊娠期間、長男は我慢ばかりでした。 妊娠から出産までの道のり私は第一子(長男)を妊娠中に切迫早産で長期入院をしており、第二子妊娠では産婦人科の先生から子宮口を縛る手術をすすめられました。切迫流産、切迫早産にならないように家事は最低限にとどめ、歩くときはゆっくり歩くことを心掛けていました。 ところが妊娠15週ごろに出血があり、切迫流産で2週間の入院。出血が止まり、一時退院後、再入院し子宮口を縛る手術は無事成功。その後は自宅安静の日々が始まりました。 外に出られない長男は私の自宅安静期間、里帰り期間ほとんど家の中で過ごしていました。夫となら外出できたのですが、私たち夫婦の両親、ファミリーサポートでは大泣きして外出を拒否! 私が切迫流産で入院してから、長男も何かが違うことを感じ取ったのか、私と離れるのを嫌がりました。 外に出られない長男は我慢できずに家の中を走り回り、私は起き上がって止めることもできないので大声で怒ってばかり……。長男を怒ってしまったこと、思いっきり走らせてあげられないことを申し訳なく思っていました。 離ればなれで我慢長男が他に我慢していたのは、私や夫と離れたことです。私は専業主婦なので、長男は生まれてから私と夫どちらか必ず一緒にいるのが当たり前。ところが、入院で私と離れ、私の状態が悪化し、早めの里帰りで夫と離ればなれにもなりました。 私が入院中は面会に来るとずっと緊張していて、帰るときは大泣き。里帰り中に夫がくるとずっとべったり。帰るときは長男が大泣きしないように、夫はこっそり帰っていました。ファミリーサポートを利用して長男を外に連れ出そうとしましたが、私と離れるのを嫌がり、結局家の中で遊んでもらうだけでした。 長い安静期間、家族やファミリーサポート等の力を借りて妊娠38週で無事に元気な女の子を出産しました。長男はやきもちをやくこともありますが、妹ができたのを喜んでくれています。妊娠期間中は我慢ばかりさせて、つらい思いをさせてしまいましたが、2人目が生まれるまで長男とゆっくり関わることができたのはよかったと思っています。 著者:八木さつき2歳男児、0歳女児の母。ケアマネージャーの資格を取得。妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2019年12月21日私は、長女・次女の妊娠中、仕事を続けていました。妊娠経過も順調で、妊娠7カ月だからまだまだ大丈夫! と思って動いていたら、突然おなかが張って緊急入院に……。そんな私の体験談を紹介します。 おなかの張りは突然やってきた長女を妊娠しても、私は仕事を続けていました。経過も順調だったのですが、とあるイベントで一日動き回ったあと、急におなかに張りが……。おなかの中で風船がふくらむような、たまに張りを感じていたときとはまったく違う感覚がしました。 これはまずいかもしれないと感じ、病院に連絡をして受診。そのまま緊急入院になりました。陣痛のような張りがあったようで、張り止めの点滴でおさまらなければ、早産になる危険があったとのことでした。 油断と動きすぎは禁物!妊娠中にどれだけ動いても張らない人もいれば、少し動いただけでも張ってしまう人など、個人差はあるようですが、私は後者のようで長期入院となりました。 個人差はあれど、切迫早産は誰もがなる可能性があるということ、おなかの張りは赤ちゃんに負担がかかっているということを知っていれば、無理をしないで済むかもしれない、「自分は大丈夫」という油断と頑張りすぎは妊婦さんには禁物だと感じました。 安定期とは「ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」入院の際、「安定期とは何をしても大丈夫な時期ではなく、ママが赤ちゃんを守ることのできる時期」と主治医に言われました。 妊娠初期に流産などが起こることもありますが、妊娠5カ月以降はママが気を付けることで、赤ちゃんを守れるということが少し増えるのだそうです。普段の生活で、ほんの少し気をつければ妊娠10カ月まで赤ちゃんをおなかの中で守ることができるのなら、それに越したことはないと感じました。 仕事はもちろん大切です。でも、赤ちゃんの命もとても大切です。バランスよく過ごすためにも、油断をせず無理をせず、少し気を付けながら妊娠生活を過ごしたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:山本かやの二児の母。ウエディング業界から飲食業に転身後、妊娠を機に退職。現在は専業主婦。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味はガーデニングと家庭菜園。
2019年12月18日私は2人目を妊娠しているときに切迫早産で緊急入院になり、上の子を預かってくれる保育園を探すのに苦労した経緯がありました。そして3人目を妊娠したときも、初期の段階で入院が必要になると診断されたのです。そのときに急きょおこなった保活の体験談についてお伝えします。 ママが専業主婦だと保育園入園は難しい私の住む地域は、ママが専業主婦だと基本的に認可保育園に入園させることはできず、申し込めても出産予定日の前後8週だけでした。もしくは母親が入院するなどで保育ができなくなった場合のみです。2人目を妊娠中のときは、親戚が勤める病院の職員用の保育園になんとか預けることができたのですが、決して簡単に入れたわけではありません。そして3人目の妊娠が判明したときは、医師が「初期の段階で入院になる可能性が高い。早めに保活したほうがいい」と、妊娠10週のときに診断書を書いてくれました。 どうしても入園先が見つからない先生にすすめられたこともあり、早めに保活を始めましたが、どこも空きがなかったのです。しかも相談していた自治体の方は、専業主婦と聞いた時点で保活の話を積極的には受け入れてくれず、家族のなかで保育をする人はいないのかという話ばかりで順調に進みませんでした。そうこうしているうちに妊娠13週のころに、医師から「今すぐにでも入院してほしい」と言われてしまい、どうしたらいいのかわからずに落ち込んでしまいました。 認可外保育園も検討した結果…困り果てていたとき、今まで相談していた自治体の方が「認可外保育園で検討してみてはどうか」と提案してくれました。もちろん視野にはあったものの、金銭的にも厳しかったため候補には入れてなかったのです。しかしそうも言っていられなくなり、いくつか問い合わせましたが、どこの保育園も空きがなく難航……。そんななか、一つの園が事情を察してくれて「空きがあるわけではないけれど、職員の増員も含めて検討させてほしい」と言ってくれたのです。その後、復職予定の保育士さんが早めに復職されることになり、わが家の子どもたちも無事に入園することができたのです。本当にホッとしました。 子どもを2人を保育園に預けることになり家計的には大打撃ですが、その保育園では子どもたちだけでなく、私の育児に対するフォローもしてくれました。産後の不安定な時期も支えていただき、本当に助かりました。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年11月27日妊娠に気づかずに、自然流産をしていることがあるってご存じですか? 全妊娠数に対する流産率は約15%もあり、なんと6人にひとりは流産を経験しているというのです。自然流産にはどんな兆候があるのでしょうか? また、自然流産後、妊娠はすぐにできるのでしょうか? 自然流産について解説します。【監修】イシハラクリニック副院長 石原新菜 先生小学校は2年生までスイスで過ごし、その後、高校卒業まで静岡県伊東市で育つ。2000年4月帝京大学医学部に入学。2006年3月卒業、同大学病院で2年間の研修医を経て、現在父、石原結實のクリニックで主に漢方医学、自然療法、食事療法により、種々の病気の治療にあたっている。クリニックでの診察の他、わかりやすい医学解説と、親しみやすい人柄で、講演、テレビ、ラジオ、執筆活動と幅広く活躍中。著書に、13万部を超えるベストセラーとなった『病気にならない蒸し生姜健康法』(アスコム健康BOOKS)をはじめ、『「体を温める」と子どもは病気にならない』(PHP研究所)等30冊を数える。■自然流産とは妊娠22週未満までに何らかの原因で妊娠が中止されることを自然流産といいます。妊娠22週前後は、だいたい妊娠5カ月。ママのおなかが突き出てくるころです。赤ちゃんが生きるためには、妊娠22週までママのおなかの中で育つ必要があるということで、このように定義づけられました。自然流産の原因自然流産は、妊娠初期に多く発生するトラブルのひとつです。自然流産の原因の多くは、母胎側ではなく胎児側に因子があることが多く、初期流産にいたっては胚の染色体異常で妊娠が中断されるケースが約60~70%にも及びます。流産の原因となる染色体の異常は、受精時に発症していることがほとんどです。参考サイト:日本産婦人科学会 「流産・切迫流産」 時期によって異なる呼び方妊娠12週未満の自然流産を「早期流産」、12週~22週未満の自然流産を「後期流産」といいます。流産が起こる確率は早期が13~14%、後期が1~2%と、圧倒的に妊娠12週までに発症する早期流産が多くなっています。切迫流産とは切迫流産は、流産が迫っている状態のことをいいます。まだ、自然流産はしていない状態です。症状としては、おなかの張りや痛み、出血などがあります。妊娠初期におこるトラブルのひとつで、妊婦全体の約20%に症状がみられるというデータもあります。稽留流産と進行流産稽留(けいりゅう)流産は、赤ちゃんは死亡しているにも関わらず、出血や腹痛などの症状が起きていない状態をいいます。自覚症状がないため、健診まで気づかないケースがほとんどです。進行流産は、腹痛や出血が起こり、子宮から胎のうなどが出始めている状態。しかし、この段階では流産を食い止めることは難しい状態です。流産の状態自然流産の状態は完全流産と不全流産に分けられます。完全流産は出血や腹痛もなく、子宮内の残留物がすべて子宮から出てしまっている状態です。不全流産は、出血も腹痛もあり、子宮から残留物が出始めている状態で、まだ一部が子宮内に残っています。出血が止まらないケースもあり、原因となる子宮内の残留物を取り除く手術が必要になります。流産と死産の違い妊娠週数の違いで、流産と死産に分けられます。流産は妊娠22週未満におなかの中で赤ちゃんが亡くなることを、死産は妊娠22週以降におなかの中で赤ちゃんが亡くなることを指します。流産であっても死産であっても。妊娠12週を過ぎると、市区町村への死亡届の提出が必要になります。■自然流産の兆候となる症状流産が差し迫っている状態を切迫流産といいますが、主な症状としては、腹痛や腹部の張り、出血などがあります。中には心配がないケースもありますが、自己判断をせずに、すぐに受診しましょう。出血自然流産の兆候のひとつに出血があります。受精卵が着床するときに、着床した位置や状態に問題があり出血が止まらなくなる場合があります。また、卵膜の一部である絨毛膜(じゅうもうまく)の外側に血の塊がたまり、出血することもあります。血の色は茶色に近いものは注意します。おりものの量が増えたり、いつもと違うにおいがする場合も注意が必要です。腹痛・腹部のハリ自然流産の兆候に腹痛や腹部の張りもあります。症状は人によってさまざまで、動けなくなるほど激しい痛みが出る人もいれば、軽い痛みで終わる人もいます。中には痛みが出ない人もいます。体を横にして少し休むことで、痛みや張りが治まる場合もありますが、強いほど流産の可能性は高まる傾向にあるという専門家もいます。いつもと違う痛みがある場合はすぐに受診しましょう。■自然流産後の経過や生理・妊娠について自然流産後、腹痛はいつまで続くのでしょうか? また、自然流産後、生理はいつぐらいから再開するのでしょうか?進行流産の場合の経過進行流産の場合、流産の手術をするか自然排出を待つか、いずれかを選択できる病院もありますが、多くは手術をすすめられます。手術することで残留物からの感染症、腹痛や出血を止めるためです。腹痛や出血は、胎のうを子宮から取り除くことで改善します。また、胎盤から出るhCGホルモンの分泌を止めることでも症状がおさまります。残留物がすべて出た後、子宮がリセットされるからです。稽留流産の場合の経過稽留流産の場合も、流産の手術か自然排出を待つか、いずれかを選択できる病院もありますが、多くは手術で子宮の残留物を取り除きます。摘出手術後は、病室で数時間休んだ後、帰宅が可能です。また、病院によってはシャワーや入浴も通常通りできる場合もあります。手術後はいつまで安静にしたらいい?流産手術から約1週間後の診察まで、家でゆっくり過ごすことがすすめられます。日常生活で特に制限されることはありませんが、栄養バランスのとれた食事を心がけ、体を休め、なるべくストレスの少ない生活を送ることで、回復を促しましょう。自然流産後はいつから生理がくる?流産手術から1カ月後にはたいてい生理がきますが、状態によっては遅れる人もいます。次の妊娠の準備をするためにも、焦らず、ゆったりした気持ちで生活することが大切です。自然に生理が来るのを待ちましょう。自然流産後、いつから妊娠していい?流産が確認された場合は、流産の手術後、医師のアドバイスに基づき通常の生活が始まります。次の生理が来るまでは、性行為は控えます。通常は生理が2~3回来て、子宮に問題がなければ、妊娠の許可が出ます。長期間に渡って避妊をする必要はありません。■まとめ自然流産をすると、ママが責任を背負ってしまい、気持ちがふさぎがちになります。しかし、解説したとおり、前期の自然流産の原因の多くは胎児側の問題です。ママの体や行動に問題があったわけではないことがほとんどです。ですから、前向きな気持ちで次の妊娠の機会を待ちましょう。また、自然流産を3回以上繰り返した場合、治療が必要なケースもあります。きちんと病院で検査をして治療をすることで、自然妊娠も可能あり得ます。参考資料:・ 日本産婦人科学会 ・『はじめての妊娠・出産 最新版』(ベネッセコーポレーション)
2019年11月20日3人目を妊娠し、出産まで幸せな気持ちいっぱいで過ごせると思っていたのですが、実際は思い描いていたマタニティライフとはほど遠いものでした。切迫流産と診断され、予想外の手術を経験し、心配ごとが尽きないまま家族でハラハラしながら出産まで過ごすことに……。そんな波乱万丈だった妊娠から出産までのお話をお伝えします。 え?! 子宮頸管無力症と絨毛膜羊膜炎?!私が切迫流産と診断されたのは妊娠8週目でした。妊娠が判明してからすぐに切迫流産の診断がされ、この先妊娠が継続できるのだろうかと不安でいっぱいに……。でも1人目と2人目も切迫早産を経験していたこともあり、「なんとか頑張れるかな?」とも思っていました。しかし、診断書には切迫流産の他に「子宮頸管無力症」と「絨毛膜羊膜炎(じゅうもうまくようまくえん)」とも書いてあったのです。どちらも流産や早産の要因となるものでした。 妊娠継続のために必要な手術絨毛膜羊膜炎や子宮頸管無力症と診断され、“安静第一”の指示を受けました。私は、長男は早産で、娘のときも切迫早産で長期入院の末の出産だったので、とにかく安静にしていました。しかし、子宮頸管長は短くなるばかりだったのです。ついに、「妊娠を継続するために手術の必要がある」と医師から告げられました。「子宮頸管縫縮術」という、下半身に局所麻酔をし、子宮口が開かないように子宮頸管を縛る手術です。術前術後で約1週間ほどの入院でした。上の子2人と会えない不安と、おなかの子への心配とで気持ちが忙しかったことを今でも思い出します。 手術したのに…長期入院になってしまった子宮頸管縫縮術を終え、完全に安心しきっていたのですが、なんと手術で縛った子宮頸管がギリギリのところで保てている状態に! 医師からは「全然“大丈夫”ではない」と言われてしまいました。結局、切迫流産で妊娠20週から出産する妊娠36週までの長期入院をすることになったのです。入院中は、子宮収縮抑制剤を決まった時間に服用し、2人目のときにつらかった点滴にならないように毎日を過ごしていました。安静にするためにおしゃべりも寝たままでするという徹底ぶり。妊娠35週で内服から点滴に切り替わってしまったものの、なんとか正期産の時期ギリギリまで妊娠継続することができました。 出産まで1日たりとも安心できなかった妊娠期間でしたが、妊娠36週5日に帝王切開で出産することができました。多くの困難のなか乗り越えられたのは、夫と上の子どもたち、そして私たち家族を助けてくれた親族のおかげです。てんやわんやの妊婦生活でしたが、今考えると貴重な時間だったように思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。受診している産院・病院によって対応は異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2019年10月07日私が幼い頃私の母は、仕事をフルタイムでこなし、祖父母に助けられながら、日々家事育児をこなしていました。忙しいぶん、すべて完璧というわけではありませんが、頑張って毎日働いている背中をいつも眺めていたのを覚えています。そして、忙しいながらも休みの日は色々な場所へ遊びに連れて行ってくれた母が大好きでした。…しかし、私が幼い頃、ある事件がおこりました。初夏のころ、山が隣接しているとても広い公園で私は迷子になってしまったのです。■妊娠中の体で探してくれた母そのとき母は私の弟を連れており、お腹の中には赤ちゃんがいました。まだ安定期ではなかったのではないかと思います。無理してはいけないのに、母は弟といっしょに坂道をのぼったりくだったり、たくさん歩いて私を探したそうです。さんざん歩いて、アイスの棒で地面に落書きをしている私を母がみつけてくれました。■体調を崩してしまった母しかし、その無理がたたり、母は切迫流産になったそうです。結果的には流産はしませんでしたが危なかったという話を聞きました。そのことは自分が大人になった今もずっと覚えていて、小さな罪悪感になって胸の中に残っていました。自分も子どもを産んで母になると、その母のそのときのしんどさが想像できるようになり、母親があのとき一生懸命私を探してくれたことや、流産しかかったことを思うと、申し訳なさでいっぱいになりました。それで、最近母に会った時、その時の話をしてあやまろうかとおもったら…「え、そんなことあったっけ?」と母にいわれてしまいました。母はそのときのことをもうすっかり忘れていたのです。育児のしんどいこと、つらいことって、母にもたくさんあったと思うのですが、時がたつと忘れてしまうのかもしれません。今さらながらあやまりたいと思っていましたが、「全然覚えてない」といって笑われてしまったので、そのままになってしまいました。でも、母が忘れても私は忘れないで、苦労して私を育ててくれた母への感謝の気持ちはずっと持ち続けていようと思います。
2019年09月25日こんにちは! 助産師のREIKOです。前回に引き続き、便秘のお話をしたいと思います。入院中は、慣れない環境に加え、大部屋の場合は同室の方への気づかいなどもあり、お家にいるときのようにはなかなかいきませんよね。私が働いていた病院でも、入院中、便秘とたたかっていたママが多くいらっしゃいました。今回は、私が働いていた病院を例に、妊婦さんの入院中の便秘ケアについてお話ししたいと思います。 切迫早産で安静が必要なママは?お産以外で入院されているママの次に多かったのが、切迫早産で入院しているママでした。切迫早産の治療はまず安静。24時間おなかの張りを抑える点滴をおこなっている方がほとんどです。 やはりあまり動かないことに加え、「いきんで赤ちゃんが生まれてしまうのでは」と心配になる方が多く、入院を機に便秘のお薬を使い始める方もいらっしゃいました。処方されるお薬は、酸化マグネシウムかラキソベロン®。排便の状況にあわせて量を調節しながら内服していました。2つのお薬を併用される方もいらっしゃいました。 また、食事制限のないママはおやつにプルーンや飲むヨーグルトなどを摂っている方もいらっしゃいました。 絶対安静の場合切迫早産も症状によって、シャワー可、トイレ・洗面のみ可、絶対安静など安静度に違いがありました。絶対安静の場合は、膀胱留置カテーテルを挿入し、トイレに立つことは許されません。 お通じのときは、ベッドサイドにポータブルトイレを置いてそこで……という場合と差し込み便器を使用して、ベッドに寝たままという場合とがありました。 やっぱり気になるのは同室者!?入院中、個室であればあまり気にすることなく、お手洗いも使えますよね。多数室の場合は、気を使ってしまうのでは? と思うかもしれません。 確かに最初はそうかもしれないですが、切迫早産などの入院は長期間におよぶことが多かったので、”同志”と言った感じでしたよ。「ちょっと(トイレに)こもってくる―」と宣言して行かれる方や、「今日はまだ出てないよね?」なんて、同志の状況把握!?をされている方もいらっしゃいました。 絶対安静のママの多くは個室を選択される方が多かったですが、「大部屋で」という方もいらっしゃいました。その際は、臭いや音などが気にならないように窓を開けたり、消臭スプレーを使用するなどしていましたよ。 寝たままでのお通じは難しいやはり差し込み便器を使用して、寝たままでお通じをするのは難しいようです。なかなか思うようにいかず、何日もお通じが出ない……ということも。 絶対安静というケースは、いつ赤ちゃんが生まれてもおかしくない状況ともいえるので、どうするかの判断が難しいのですが、状況に合わせてポータブルトイレを今日だけ使用可の指示を医師からもらうこともありました。 「ポータブルトイレ不可! でもお通じが出なくて苦しい、おなかが張る」というときは、滅多にはありませんでしたが、これも医師の指示で、なるべく刺激をしないように注意しながら摘便(肛門から指を入れ、便を摘出するケア)をしていました。 便秘と子宮収縮とは関係がないという医師もいましたが、お通じが出なくておなかの張りを訴えるママも少なくありませんでした。切迫早産の症状が改善しないことには運動もままならないので、なかなかスッキリ解決! というのは難しいかもしれませんが、医師や助産師に相談しつつ、少しでも便秘解消できたらよいのではないかと思います。 監修者・著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2019年08月27日妊娠4カ月、心の準備ができていないまま、私は緊急入院することになりました。ここでは、私が切迫流産になった原因と治療の様子についてお伝えします。 妊娠4カ月ごろに切迫流産で入院妊娠4カ月ごろ、突然おなかに張りと痛みを感じました。我慢できてしまう痛みだったので、安静にして落ち着かせようと横になって過ごしました。ところが、痛みは強くなり、次第に陣痛のような定期的な痛みになってしまいました。 急いで病院に向かい、担当医に診察してもらうと「切迫流産」と診断されました。その場ですぐに入院となり、私はショックと痛みで唖然とするばかりでした。 切迫流産の原因は「子宮筋腫」だった切迫流産の原因となったのは「子宮筋腫」でした。妊娠前からあった子宮筋腫が、妊娠前よりも大きく育ち、さらに細菌に感染して変性を起こしていたようです。 入院中は、抗生物質の入った点滴をして治療してもらい、痛みは数日でおさまりました。しかし、おなかは依然として張りやすく、動くとすぐに固くなりました。「なるべく歩かないように」と指導を受け、車椅子で移動するといった入院生活でした。 切迫流産について知っておくこと、緊急時の確認をしておくこと感染の原因は不明、子宮筋腫には菌がたまりやすく、感染しやすくはあると担当医から説明がありました。私は幸いなことに受診と治療が早かったので、その後も妊娠を継続することができました。 「子宮筋腫の有無やその状態」「妊娠したときのリスク」「切迫流産の症状」などをよく知っておくこと、さらに、何かあったときの病院の連絡先や移動手段を確認しておくことが大事だと感じました。 切迫流産と診断されたときは、非常にショックを受け、恐怖を感じたことを覚えています。妊娠中は、何かあっても対処できるよう、家族と緊急時の確認をしておくと安心ですね。著者:富士ちあき一児の母。子宮筋腫や切迫流産を経験しながらも無事に男の子を出産。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※2019年8月23日 内容の誤りを訂正
2019年08月23日前回 の記事で採卵の話をさせていただきましたが、今回は採卵後の話をさせて頂きたいと思います。1度目、自然周期での採卵でひとつも卵子が取れなかった私。間髪空けず、今度は低刺激(最小限の排卵誘発剤を使用)での採卵を行い、無事卵子を取ることができました。精子の状態によってはお医者様の判断で顕微に切り替えて貰えます。とにかくまずは第1段階突破ということで、ホッと一息。しかしここから怒涛の確認地獄が待っているのです!なぜなら、受精卵が無事分割しているかをまた電話で確認し、そのあとは胚盤胞まで育てて凍結できたかをまた確認する事になるから!連絡するように指示される時間は大体昼間なので、時間作るのが地味に大変で…無理な時は夫にお願いしたりしていました。この不安とドキドキは結局出産するまで続きました(切迫流産で18週から36週までの長期入院になったため)現在2人目は? と聞かれることがありますが、不妊治療〜出産までの事を思い出すと、どうしても一歩踏み出せない自分がいます。
2019年08月22日私は妊娠34週で破水し、緊急帝王切開手術で双子を出産しました。妊娠5週から8週まで切迫流産になりながらもその後マタニティライフは順調だったので、突然の破水は本当にびっくりしました。妊娠中から、破水・出産までの体験をお伝えします。 妊娠直後から切迫流産妊娠判明時に双子であるとわかり、そして妊娠5週で切迫流産の診断がありました。「安静にするように」とのことだったので、大事をとって休職させてもらうことに。私は保育士という仕事柄、子どもを抱っこしたり走って追いかけたりすることが多いので、休職できてよかったです。 安静期間はできるだけベットから動かず、家事も最小限にすることに。夫の仕事の都合で引っ越しもあったのですが、業者さんや夫にすべてお願いして極力動かないようにしていました。ゆっくりと休んだおかげか妊娠9週では切迫流産の状態を脱し、一安心しました。 順調だった妊娠中期~後期妊娠9週以降は特にトラブルもなく、順調なマタニティライフを送りました。体重増加もほどほどで、つわりもほとんどなく、おなかの張りもそれほど感じず、体も心も安心して生活していました。切迫流産の経験から、動きすぎず安静を心掛けた生活を送っていたのもよかったのかもしれません。双子ではありましたが、特に入院を必要とするようなトラブルもありませんでした。ただ、何があるかわからないという思いから、入院セットと陣痛タクシーの登録は妊娠20週ごろには準備を終えていました。 突然の破水と緊急帝王切開穏やかに過ごしていた妊娠34週2日目。トイレに行くと、生臭い大量のおりものが出ていたのです。「これが破水かもしれない」と直感的に感じ、病院に電話をしました。電話口の助産師さんから「すぐに病院に来てください」と言われ、用意していた入院セットを持ってタクシーで病院へ。到着して診察を受けると、破水しているとのこと。すぐに帝王切開手術をすることになりました。破水したのが14時で、出産したのは17時。あっという間のできごとでした。 妊娠34週での突然の破水、そのまま緊急帝王切開による出産となり、とても驚きました。どんなに順調でも、早めに出産準備をしておいたことで、突然の破水にもそれほど動揺することなく、安心して病院にかかることができたと思っています。出産後はトラブルもなく、双子の子どもたちも順調に育ってくれて安心しています。 著者:小川かなえ2歳の双子姉妹の母。東京郊外在住。元保育士、不妊治療を経て妊娠出産。子連れハイキングやキャンプなどアウトドアも再開。現在は親子の森のようちえんを運営し、地域や自然とともに子育てをしている。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年08月06日待ち望んで妊娠したのに、流産をしてしまうことがあります。流産後は、いつから妊活を始めるべきか悩んでしまうものです。さらに、一度流産すると繰り返してしまうのではないかと心配になってしまう人もいるでしょう。ここでは、流産後の妊活の開始時期、流産を繰り返す可能性、そして妊活中の注意点についてお伝えします。 流産後、いつから妊活を再開すべき?流産には「自然流産」と「化学流産」があり、前者の自然流産はさらに「切迫流産」、「進行流産」、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の3つに分類されます。 まず1つ目の「切迫流産」は、流産はしていないが、流産の危険がある状態をいいます。主な切迫流産の症状は出血ですが、出血量や腹痛の程度によっては妊娠を継続できる場合もあります。2つ目は「進行流産」です。腹痛や出血を伴い、胎嚢などの子宮内容物が体から出かかっている状態であり、残念ながらこの状態から流産をくい止めることは難しいとされています。3つ目は「稽留流産」で、胎児が子宮内で死亡している状態をいいます。稽留流産には上記の切迫流産と進行流産にあるような、腹痛や出血などの自覚症状がほとんどないため、お母さんが気づかないうちに起こっている場合が多くなっています。こうした場合は、検診で心拍を確認できないことで流産が判明します。 自然流産の場合、子宮が流産前の状態まで戻るのに時間を要することがあります。いつから妊活を再開するかについては、流産した週数や母体の状態、病院の方針によって違うでしょうが、1~2回は生理を見送ってからの妊活再開が望ましいと考える医師が多いです。焦らず、担当医師のいうことを聞いて、ゆっくりと心と体を休ませましょう。 次に、後者の「化学流産」について説明します。妊娠超初期段階といわれる妊娠4週から妊娠6週までの間に妊娠検査薬で陽性が出たのに、数日後に生理が来てしまったり、産婦人科を受診しても胎嚢が発見されなかったりするケースです。主に受精卵の染色体異常によりうまく着床できない、または着床しても発育が止まってしまった場合に起こります。妊娠検査薬を使わなければ通常の生理との区別がつかないことがほとんどです。そのため、化学流産後の治療などはなく、ほとんどの人が次の生理もいつも通りにきます。化学流産の場合は、時期を気にせず妊活を再開してもよいでしょう。しかし、心配な人は医師に相談してみてください。 1度流産したら繰り返すこともある?1度流産すると、また流産してしまうのではないかと不安になる人も多いのではないでしょうか。残念ですが、実際に流産を繰り返してしまう人もいます。流産を2回以上繰り返した状態を「反復流産」、流産を3回以上繰り返した状態を「習慣流産」といいます。 初期流産の原因は赤ちゃんの染色体異常であることがほとんどです。しかし、反復流産と習慣流産のように流産を繰り返す場合は、他の原因も考えられます。夫婦どちらかの「染色体均衡型転座」がある場合、細胞分裂の過程で異常が起きてしまうため、妊娠を継続できません。また、「子宮形態異常」があると、その子宮の形によって着床障害や胎児や胎盤を圧迫してしまい、流産を起こしやすくなります。他にも、甲状腺機能異常、糖尿病などの「内分泌異常」や、抗リン脂質抗体症候群やプロテインS欠乏症などが代表的な病気である「血液凝固因子(血栓性素因)異常」も、流産の原因として挙げられます。原因がある場合は適切な治療をおこなうことで、妊娠・出産が可能です。 一方で、流産を繰り返してしまう人の半数以上は、原因不明という現実もあります。原因がわからないのでは前に進めないと思われるかもしれませんが、その後、妊娠出産したという女性はたくさんいますので諦めないでください。 流産後の妊活で大切なのは流産後の妊活では、妊娠を強く望みすぎて精神的にストレスを抱えてしまう女性が多いです。ストレスは自律神経を乱し、ホルモンバランスに悪影響を与えてしまいます。ストレスを溜めないこと、そして、じょうずに発散することを心がけてください。 また、妊活には規則正しい生活と、バランスのとれた食事が必要です。特に、体を温める食べものがおすすめです。流産後は、心と体を休ませる大切な時間だと考え、仕事や家事などは無理をせず、周りの人に頼りましょう。不妊症と診断された場合でも、不妊カウンセラー等の専門家に相談しながら、夫婦にとって必要な情報提供を受けたり、適した方法で妊活できるようサポートしてもらいましょう。 【参考】日本不妊カウンセリング学会 まとめ赤ちゃんを望む女性にとって、流産は心も体もつらく、なかなか立ち直れない人もいるでしょう。そんなときは無理に元気になる必要はありません。おなかにいた赤ちゃんを想って、思い切り泣くのもよいでしょう。パートナーと旅行にいくのもおすすめです。心と体が落ち着いたら、自然と「また妊活をしてみようかな」という気持ちになるかもしれません。そう思えるようになるまでは、ゆったりと過ごしてくださいね。 監修者:医師 医療法人 晧慈会 浅川産婦人科 理事長 浅川 恭行 先生1993年 東邦大学医学部卒業、1999年 東邦大学大学院医学研究科博士課程修了。浅川産婦人科の院長を務めるほか、日本産婦人科医会 幹事、東邦大学医療センター大橋病院 産婦人科学講座 客員講師、鶴見大学歯学部 産婦人科学講座 非常勤講師として活躍。
2019年07月24日私は、結婚2年目で妊活を始めました。2度の流産と不育症の可能性を考えながらの3度目の妊娠・出産までの経過をお話しします。 妊娠!けれど流産…結婚して2年目。そろそろ子どもが欲しいと思い、妊活を始めました。夫は楽観的で、すぐに授かると思っていた赤ちゃん。想像通り妊活を始めて3カ月後には妊娠することができました。妊娠検査薬を見て2人でとても喜び、すぐに産婦人科へ。妊娠5週目で赤ちゃんもしっかりと確認でき、その1週間後には心拍も確認できました。大喜びで両親に妊娠を伝えました。 しかし、その2週間後の妊娠8週目……小さな心拍の光は消えてしまっていました。エコーを見た瞬間にわかり、頭が真っ白に。医師から流産していること。赤ちゃんが自分から出て来なければ手術をしなければならないこと。初期の流産は赤ちゃん側の異常が多く育つことができない子だったんだよ、と伝えられました。 医師の前では気丈に振る舞い、車に戻ってから大泣きしました。 どうして自分が……とネットで検索する日々。ただ、初期の流産は割と多く……友人や職場の方も流産経験があると聞いていたことがあり、出て来なかった赤ちゃんを出す手術をしてしばらくすると落ち着くことができました。今回はただ運が悪かっただけ。妊娠できることがわかってよかったじゃない! そう思い前向きに妊活をしようと決めました。 2度目の流産…不育症の可能性手術をすると妊活を2カ月はお休みするように言われました。その間に夫婦2人のうちに! と旅行に行ったり、デートをしたりして気分転換でリフレッシュをしました。 2カ月が経過し、再び妊活を再開。 今度はそこから半年後に再び妊娠することができました。産婦人科に行ったのは妊娠6週目。再び小さな心拍が見えました。 ただ……とてもゆっくりで弱いチカチカ。医師も「心拍は見えたけど、できたばっかりなのかどうか……」という曖昧な感じで悪い予感がしました。 1週間後、悪い予感が当たってしまい再び小さな光は消えてしまっていました。2度目の流産。なぜ!? と思うと同時に悪い予感がしていたため、調べていたことがありました。 「不育症」。 妊娠はするものの流産や死産を繰り返すとその可能性があると言われています。 ただ理由がハッキリしない不育症も多いそうで、その場合は何度もトライするしかないそうです。医師からも不育症の可能性の話をされ、保険がきく範囲での血液検査をすることになりました。2度目の手術を受け、再びの休息期間に血液検査を受けました。 3度目の妊娠、そして出産!血液検査の結果、特に問題視されるようなものは出ませんでした。原因不明。 私としては何か原因があったほうが治療法がハッキリしていいなと思っていたのでガッカリ。 でも同時に私が原因で赤ちゃんの心臓が止まってしまった訳ではないのだと安堵もしました。 ただ、強いていうのであれば血液を固める抗リン脂質が基準内ではあるけど高めの数値だということ。そのため、血流が固まりやすく、胎盤の血流が悪くなったかもしれないのでバイアスピリンという薬を妊娠前から内服し、妊娠後も胎盤がしっかりできる時期まで飲み続けるという方法をすすめられ、試してみることになりました。 運良く薬を初めて一回で妊娠。 そしてバイアスピリンを妊娠33週まで毎日飲みつづけた結果、赤ちゃんも順調に育ってくれて妊娠38週で出産することができました。 諦めなくてよかった!私は運良くバイアスピリンが効いたのか、不運が2回重なっただけだったのか、3度目は無事に出産することができました。3度目の妊娠中は常に不安との戦いでした。初期はいつ心臓が止まってしまうか、中期は胎動がハッキリするまで、胎動がわかるとあった胎動がしばらくないと不安だったりしました。後期はおなかの張りが出てしまい、さらに張り止めの薬のお世話になるという、けっして順調とは言える妊娠生活ではありませんでした。 それでも無事に出産することができ、大切な息子ができました。 2度目の流産の後、実は妊活をお休みしようかと思いましたが、たまたま会った不妊治療を専門にしている女医さんに言われた言葉があります。「流産しても妊娠できたというだけで、不妊からするとすでに1ステップ進んでいるんですよ。諦めなければきっと出産できますよ!! 年齢が進むと卵子も老化するからつらいかもしれないけれどチャレンジしてください!」と。 この言葉を聞いて頑張れるところまでは頑張ろうと思いました。 もちろんつらかったら少しの時間リフレッシュも大事だと思いますが、私は期間を空けずにチャレンジし続けてよかったです。 著者:渡 美羽生後3カ月になる一児の母。 障害者施設でパートで働いており、現在は育休中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー(通常分娩)
2019年06月30日妊娠30週のとき、私は切迫早産と診断され、正期産の時期まで自宅安静を指示されました。でも、自宅で安静なんて難しい! 料理、洗濯、掃除、ほかにもやらなければならないことがたくさんあります。そんななか、自宅で少しでも長く安静にしているためにやってよかったことをご紹介します。 マットレスを1階に移動するまず、2階の寝室にあるベッドから、マットレスを1階の和室に移動しました。寝るときに毎回階段を上らなくてもいいようにしたかったのです。これが大正解! わが家のマットレスはある程度高さのあるタイプなので、一般的な敷布団に比べて、布団から出るときの足腰への負担が軽減されました。また、疲れたらすぐに柔らかいマットレスで休むことができるようになりました。 骨盤ベルトを装着する助産師さんから早産対策のために骨盤ベルトを紹介され、私も使用していました。装着すると、たしかに下半身が支えられているような感覚がありました。助産師さんの指導のもと、練習して装着していたので正しく装着できていたとは思うのですが、正直かなり邪魔ではありました……。足が開きにくくなり、とても動きにくいのです。 でも、私は普段から動きが大きめだったので、これが逆によかったと思っています。動きが小さく控えめになり、自然と安静にすることができました。 罪悪感はあったけど…頼れるだけ夫に頼る初めは、毎日仕事が忙しい夫にまったく頼れずにいましたが、ある日の掃除中、突然おなかの張りと痛みが! 結局、大事には至らなかったのですが、肝を冷やしました。そのあとは、罪悪感を抱きながらも「赤ちゃんのため!」と割り切り、可能な限り夫に頼ることにしました。 わが家の場合、家事の手順書を作って夫に渡しました。夫は、私に家事の方法などを確認する必要がなくなったためか、すすんで家事をしてくれるようになりました。夫に大感謝です。 このほかに、早産の予防として私が実践していたことは、腰を高くして寝る、トイレでいきまないなどです。食事、トイレ、お風呂以外の時間をすべて安静にしているのは本当につらい日々でしたが、無事に早産を回避することができました。 イラスト:sawawa著者:丸川 朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年06月16日妊娠時、元気であれば赤ちゃんの性別はどちらでも……と思いつつも、やはり気になり希望もあるものです。2人目妊娠のために通院して、タイミング指導を受けながらの産み分けにチャレンジした、わが家の体験談をご紹介します。 きっかけは化学流産のあとの通院で長女が1歳を過ぎたころ、妊娠検査薬で陽性反応が出ました。しかし、長女のときと比べて、検査薬の判定部分の色が薄く、また日に日に薄くなっていくという不安な日々……。陽性反応を確認後、3日程度で生理より多めの出血がありました。 急いで婦人科に行き、エコーなどで調べてもらいましたが、残念ながら妊娠は確認できず、いわゆる化学流産(※)となってしまったようでした。 タイミング指導を受けることに気落ちする私に産婦人科の先生が「次の子を希望しているなら、しばらく継続して通院してみる? エコーで排卵日を確認するよ」と言ってくださり、継続して通院することに。週1回程度通院し、毎回エコーで確認してもらいました。 そして2回ほど通院したとき「男の子希望なら、今晩タイミングをとって」と指示が。その旨を夫に携帯でメール。激務の夫が帰宅したのは日付が変わってからでしたが、なんとかタイミングをとることに成功しました。 産み分けにチャレンジしつつも…… 結果を待つ2週間はドキドキでした。実は前回の化学流産は、男の子を熱望したあまりの結果ではないか……と自分自身を責めていました。 「この際、ぜいたくは言わない。男女どちらでも授かれればうれしい」。産み分けにチャレンジしながらも、そんな気持ちでした。 そしていよいよ妊娠判定。陽性でした! さらに、タイミング指導が奏功し、数カ月後には待望の男の子を無事出産することとなりました。 私の場合は化学流産のあとということもあってか、タイミングの指導も保険適応で通院費はとても安かったです。毎回、エコーで診てもらえて、先生から的確なアドバイスをいただける安心感もありました。 ✿❀ベビカレ春のマンガ祭り❀✿大好評のマンガ記事をいつもより増量し、毎日5本以上お届けする期間限定の“マンガ祭り”開催中! 人気のレギュラー連載6作品に加え、新たにゲスト連載10作品が登場します♪イラスト:imasaku著者:東慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。 ※化学流産正式名称は、生化学的流産、生化学(的)妊娠など。血液中あるいは尿中hCG陽性のみで妊娠と診断されるものの、その後の超音波検査で胎嚢が確認されず、流産症状を伴うことなく月経様の出血がみられた状態。体外受精後の経過中に診断されることが多い。※参考:『系統看護学講座 専門分野Ⅱ 母性看護学各論 母性看護学2』(医学書院) ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年04月19日先日胃腸炎で初めて地獄のようなエンドレス嘔吐に見舞われました。そのとき、「重度つわりの方はもしかして、こんなにしんどい状態を何週間も耐えていたのか」と勝手にその雄姿を称え涙を流しました。そんなこんなで今回は、自分の妊娠中のつわりの事を思い返してみたいと思います。先日 記事 にも書かせていただいた通り、私は体外受精で娘を妊娠しました。そのため、妊娠4週と言うだいぶ早い段階で陽性判定を病院からいただいていたので、ドラマなんかでよくある「つわりの症状で妊娠に気づく」と言うことはありませんでした。不妊治療が長かった事もあり、つわりに憧れていた部分もあったので、実際に6週辺りから胃がムカムカし始めた時は感動すら覚えたりしたのですが…そして菓子パンの他には…実際体験してみると1日中気持ち悪いはダルいわで、泣きそうになりました。それでも1度目の妊娠の時はつわりが軽くなったと思ったら稽留流産していたので、24時間続く吐き気が、赤ちゃんから送られてくる元気のサインのような気がしていました。結局つわりは10週辺りにおさまったんですが、去年出産した姉は同じく体外受精での妊娠で、妊娠中一度もつわりを経験する事がないまま元気な赤ちゃんを出産しました。姉妹であっても人によって妊娠中の症状は全然違うし、つわりがあるから赤ちゃんが元気、つわりがないのはよくないって事はないんだなぁと実感しました。
2019年04月18日待望の妊娠。しかし、まもなく流産とわかり、涙、涙の誕生日を過ごしましたが、夫婦の絆を再確認。その後日談です。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産確定したけれど、つわりで気持ち悪い心拍が確認できなかった頃から、気持ち悪さを感じるようになりました。まさか、つわり?? 流産しているのにつわりがあるの? もういないのに、ただ気持ち悪いだけなのは辛い…。 その一週間後、再度診察をするもやはり赤ちゃんの姿はなく、流産確定となりました。この時期の流産は自然と体外に出てくることが多いとのことで、2週間、生理がくるのを待つことになりました。流産を伴う生理は重く、子宮の収縮の痛みが激しいかもしれないとのこと。そのときは生理痛止めを飲んでもいいと言われました。それでも出てこなければ、手術となるそうです。体温が下がってきたので、自然に出てきてくれるのかな~。「出てきたものから、その姿を見つけようとしてもムリです」と聞いてないのにドクターに言われました。僕ら医療者が探そうと思って探せば見つけられるかもしれないけど、普通一般的にはムリですと。そうか、ムリか…(←探そうと思ってた人(笑))そして、気持ち悪さはやはりつわりだそう。生理がくれば治まるとのことでした。何か食べていないとムカムカするので、グミなどを食べました。夜になると、ひどくなる傾向があるような気がします。ある夜はオットが背中をさすってくれました。優しさが嬉しくて、悲しくて、少し涙が出ました。 そして、生理が始まりました。「量が多いし、痛みもひどいと思います。」そう言われていたので、夜用のナプキンをつけました。つわりは生理が始まって、翌日にはほとんどなくなりました。初日、2日目の日中と、それほど量も多くないし、痛みもありませんでした。体調も問題なく、案外楽勝…と思っていたら、夜から痛みが徐々にひどくなりました。下腹部に重~い鈍痛が…。ずっと痛いわけではなく、波がありました。その波がかなりのビッグウェーブで、波がきているときは喋ることもできなくなるくらいでした。初潮が来てからこのかた、ほとんど生理痛はない私。たまにお腹が痛くても気にしなければ、忘れてしまう程度のものでした。あとから出産を経験して思ったのですが、このときの痛みの波の感じは陣痛に似ていました。流産もまたひとつのお産なのかもしれない。この当時の私は全くその考えには至っていませんでしたが。 出血は、黒に近い色の血の塊がガンガン出てきました。赤ちゃんのために用意したベッドがはがれて落ちてきてるんだなぁと思いました。赤ちゃんもどこかにいるんだなぁとも思いました。でも深くは考えません。もう実体はない。どこかで、空の上から?赤ちゃんの国から?きっと見下ろしている。どうも、ありがとう。ごめんね。・・・それから1週間、痛みをともなう塊の出血もあったので、おそらく赤ちゃんは流れ出ていったろう、とドクターも私も思っていました…。が…超音波にハッキリと映る胎嚢。まだ残っていますね~と、ドクター。さらに1週間様子を見ることに。う~ん、あの痛みはなんだった…今回の受精卵はとっても良い状態でした。だから流産してしまったことは先生も残念そうでした。さらに1週間後、胎嚢は残ったまま状態は変わっていませんでした。手術をすることが決まりました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月08日受精卵移植によって待望の妊娠。しかし間もなくして、初期流産とわかり…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産後に込み上げる、申し訳ないという気持ち心拍確認の日、赤ちゃんは成長を止めていました。心拍は確認できず、初期の流産でした。超音波の画面を見ながら、私も気付きました。ドクターは無言で何度も何度も角度を変えてみています。その度に、浮き彫りになるのは胎嚢のみ。そういうこともあるのかも、と想像してはいたけれど。ぐりぐりと超音波の機械を押し付けられていたら、なんだか悲しくなってきてポロポロと涙がこぼれました。診察室に戻り、ドクターの話を聞くときもボロボロ泣きました。「原因はハッキリ言って分かりません。もともと染色体異常で自ら成長を止めたのかもしれないですね。」8週目までの流産は自然淘汰、どうあがいてもどうしようもないってことは知っています。でも、耳にガーゼをかぶせたみたい。ドクターや看護師さんの話が聞こえるけど、耳の上をなぞっていくだけで頭の中には入ってこない。けっこうショックなんだなぁ、私。妊娠できたことで、うろたえていたくせに。でも、どっちも本当の私なのか…。診察後、高校時代の友人たちと遊ぶ約束をしていたので向かいました。私以外の既婚者はみんな子持ちです。治療を始めたころは、友達の赤ちゃんと会うのに少し憂鬱になったりしたときもありました。でも最近は、友達の赤ちゃんも妊娠も、知らない妊婦さんも、ほとんど気になりません。気にしてもしょうがないことを学習したみたいです。人は人、私は私。大事な仲間なので、今までお互いに、どんなことでも話をしてきました。だから、今回のことも言おうと思っていたけど、なかなかタイミングがつかめずにいました…。と、いきなり、ケーキが登場。3日後が私の誕生日だったのです。サプライズで準備してくれていました。しかも手作り。嬉しかった。瞬間、自分の誕生とお腹の子の死を思い、正反対であるその出来事に込み上げるものがありました。我慢できずに泣きました。友人たちは嬉しくて泣いたと思ったようでした。(もちろんそれもありますが。)ケーキも食べ終わり、のんびりしたところで実は…、と今回の事を伝えました。なんとか、泣かずに喋ることができました。友人たちは、真剣に聞いてくれました。その後の労わりや慰めの言葉は、やはりガーゼの上を通り過ぎるように聞いてしまったけど…申し訳ないけど、しょうがない。素直にそれらの言葉を受け止めるには少し時間がいることなんだと思う。オットには病院を出た後、報告しました。しんみりしたけれど、やはりそういう可能性もあると構えているところもあったので、気丈に受け止めてくれました。しばらく休んで、また頑張ろうな。と。数日後、缶ビールを飲みました。すると、350mlを飲みきれませんでした。移植前は、1日数本を毎日平気で飲んでいたのに。なんだか苦くて、すぐに酔いが回って。体が飲まないことに慣れてきていたんだなぁ、けっこう母親らしくなってたんだなぁ、私。涙が出ました。一度涙が出ると止らなくなりました。まだお腹の中にいる。私の子ども。オットの子ども。子宮にしがみついて、成長してくれようとした私たちの小さな命。それなのに、自分が妊娠したことでうろたえパニックになっていた私は、ただの一度も、お腹に手をあてることも、話しかけることもしませんでした。全く愛情をもって接してあげることがありませんでした。本当に、ごめんなさい。こんな結果になってから、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。本当に私は、ただの一度も、お腹に向って話しかけなかった。子どもは気付いていたろうか。こんな母親の仕打ちを。一番もらいたかった母親の愛を感じられなかった。かわいそうな、私の子。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年07月11日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト