皆さんは流産の確率を飛躍的に下げる『着床前スクリーニング』という検査をご存じですか?あまり聞き慣れない方もいらっしゃると思いますが、着床前スクリーニングとは簡単に言うと体外受精の際に行われる検査の一つです。日本でほぼ唯一着床前スクリーニングを実施している『大谷レディスクリニック』の報告によると、平均年齢40.4歳の女性に行った愛着床前スクリーニングでは、着床率が約2.2倍になったとのこと。また、流産率は通常の約4分の1にまで減少した といいます。過去に流産経験を持つ人や高齢出産する女性にとっては大変興味深い数字ですよね。今回は、着床前スクリーニングについてお話しします。●着床前スクリーニングって何をするの?日本で現状行われている体外受精の方法と、着床前スクリーニングの方法は少し異なります。日本で行われている体外受精の方法は、女性から取り出した卵子を男性の精子に受精させていくつかの受精卵(胚)の中から医師が目視で健康状態にあると判断した胚を選んで子宮に戻すというもの。一方、着床前スクリーニングでは胚の一部を摂取して検査をし、染色体に異常のないものを選んで子宮に戻します。前者は目視による選別 のため、実際には異常を持つ胚を子宮に戻してしまうことも多いですが、後者ではきちんと染色体検査 をしているため、確実性が高いと言われています。しかし、日本ではこの着床前スクリーニングは禁止されており、体外受精を行う際は前者の方法が取られます。●着床前スクリーニングが日本で禁止されているワケなぜ日本では着床前スクリーニングが禁止されているのでしょうか。ひと言で言うと、「倫理上の問題があるから」 です。日本の母子健康の増進を目指す『日本産科婦人科学会』という非常に影響力の大きい学会が、着床前スクリーニングは「命の選別になる恐れがある」という理由で禁止しているため、日本の病院では導入されていません。着床前スクリーニングはダウン症などの染色体異常や性別の判定ができる精密さがあるため、命の選別につながりかねないという懸念があるのです。とはいえ、前述した大谷レディスクリニックの研究結果を受け、日本産科婦人科学会は3年間かけて大規模な臨床実験を行うことを2015年に決めています。結果次第では数年後には日本でも着床前スクリーニング検査を受けられる日が来るかもしれません。●あなたはどっち? 着床前スクリーニング検査への賛否●反対派の意見『人が命の選別をするなんてあり得ない。たとえ受精卵だとしても、それはすでに命の卵みたいなもの。それを選別するということは、殺人をしているのと同じこと だと思います』(41歳女性/独身)『子どもは親を選べません。逆に親が子どもを選ぶこともできないはずです。自然の摂理に反して選別をすることに強い違和感を覚えます』(32歳女性/2歳男児のママ)『よく考えて欲しい。たしかに技術としては素晴らしいけど、これは今障害を持って生きている人たちを否定する行為に他なりません。彼らは失敗作なのですか?そんなわけないでしょう。どんな障害を持っていても、生きていく権利が人間にはあるはずです』(45歳女性/7歳女児のママ)倫理的な側面から反発する人が多い印象を受けました。たしかに着床前スクリーニングを受けるということは、本来生まれてくるはずだった“異常のある受精卵”を選別して排除する ことにつながりかねません。その行為に他意はなくとも、染色体異常を抱えながら生活している人にとっては自分が否定されているような気持ちになる可能性もあります。物を整理整頓するかのような感覚で命を選別していいのか、そういう問いかけも反対派の人たちからは聞かれます。●賛成派の意見『子どもに健康な状態で無事に生まれてきてほしい 。それはどんな母親でも思うことです。着床前スクリーニングを受けて異常のない受精卵を選ぶことに何の問題があるのか分からない』(38歳女性/妊活3年目)『着床前スクリーニングを反対している人は、自分が流産するツラさを知らない人たちだと思います。少しでも流産の確率を下げる方法があるならそれにすがる……一度流産を経験した女性は皆そうすると思います』(34歳女性/2歳男児のママ)『正直私には障害を持つ子どもを育てていく自信がありません。もし障害のある子が生まれたら、子どもにも不幸な思いをさせるかもしれません。だから私はこの検査には賛成です』(27歳女性/独身)賛成派の意見にはさまざまなものがありますが、「子どもを健康に産むためにはやむを得ない」という人が多く見受けられました。とくに流産を一度経験してしまうと、二度と出産できない体になってしまうケースもあります。そのため、次に産まれてくる子どものために着床前スクリーニングを受けたいという人もいました。----------いかがでしたか?いずれ日本でも認可されるかもしれない着床前スクリーニングですが、“命”に絡む問題であるため意見はさまざまなようです。今後どのような動きになっていくのか、注目しておくようにしたいですね。●文/パピマミ編集部
2016年07月25日化学的流産とは、妊娠のきわめて初期に起こる流産で、受精はしたものの何らかの理由で着床しなかったり、または着床が続かなかったりした状態を指します。化学的流産が起きた場合は個人差により痛みも出血もありますが、妊娠していたこと自体に気づかずに過ぎるケースが多いようです。過去には化学的流産に気づく人はほとんどいなかったと言われていますが、近頃では妊娠検査薬の性能が向上し、妊娠のごく初期段階(妊娠3~4週ごろ)でも陽性反応が出るものがあるため、化学的流産が知られるようになりました。初期流産(化学的流産)が起きやすい時期妊娠12週目以前に起こる流産のことを初期流産といいますが、その中で化学的流産は妊娠5週目頃に起きやすいようです。流産自体は妊婦さんのうちおよそ10~20%が経験するとの統計もありますが、この数値には化学的流産は含まれていません。医学的には、胎嚢や胎芽、胎児の心拍が確認されてはじめて妊娠が確定しますが、化学的流産が起きる時期は胎児がそこまで成長しておらず、妊娠確定対象になりません。化学的流産は、医学上では流産として扱われていないために流産としてカウントはなされず、産婦人科の問診票でも“流産の回数”に記載する必要はありません。初期流産(化学的流産)の症状、原因となる理由化学的流産は、いつもよりも重く、痛みが強い生理が遅れてやってきたような感覚が自覚として現れると言われています。流産前は受精卵に反応して体内のホルモンバランスが変化し、子宮内膜も厚みを増しています。化学的流産にともないこの子宮内膜がはがれるため、通常の生理よりも強い痛みを感じる傾向があるためです。個人差はありますが、出血に混じり、親指の先ほどの白い塊が出るケースもあるようです。化学的流産の原因のほとんどは、受精卵の染色体異常によるものです。染色体異常のある受精卵はそもそも着床できないか、着床しても胎嚢が確認できる前に発育が止まってしまいます。それが通常の生理と同じメカニズムで体外に排出されるのが化学的流産であり、掻爬手術などの医療措置は基本的には行いません。初期流産(化学的流産)を防ぐには原因のほとんどが受精卵の染色体異常であることから、これを防ぐ手立てはありません。化学的流産が起きたとしてもその原因がママの生活習慣などにあったというわけではなく、自然に淘汰された結果として考えられています。例えば妊娠が分かる前にスポーツなどで身体を動かしたり、仕事で心身が疲弊していたり、夜更かししたりした後で化学的流産が起きても、それはママのせいではありません。妊娠が分かる前に薬を飲んでしまった場合も同様です。初期流産(化学的流産)が起きてしまったら化学的流産は受精卵の自然淘汰であり、自然の摂理です。どんな人にでもそれなりの確率で起こる可能性があります。あまり大きく気を落とさずに、心の回復を待ちましょう。通常、健康的な30歳の女性であっても、受精する卵子の約25%に染色体異常があると言われています。化学的流産の原因のほとんどが受精卵の染色体異常により起こりますが、一度経験した人が次回以降も科学的流産を起こすつながりを示すものはなく、次回以降の妊娠に影響することはありません。ただし、まれなケースですが何度も繰り返し化学的流産が続くようであれば、不育症など母体側の原因も考えられるため、産婦人科を受診したほうがよいでしょう。化学的流産は、早期妊娠検査薬などで早めの妊娠チェックを行った人こそ気づきます。赤ちゃんを心待ちにした気持ちとは裏腹に、陽性反応が出たにもかかわらず流産したという現実に大きなショックを受けるかもしれません。ですが、化学的流産が起きるということは少なくとも排卵や受精には問題がなく、妊娠は可能であるということでもあります。自信を持ち、妊娠しやすい健やかな身体作りを心がけ、いつでも赤ちゃんを状態で迎えられるように過ごしましょう。
2016年04月04日流産とは、妊娠22週未満に妊娠が終わってしまうことで、自然流産の発生頻度は約15%です。妊娠12週未満を早期流産、12週以降22週未満を後期流産と区別します。後述する「切迫流産」は、流産ではありません。妊娠初期に、少量の性器出血や軽度の下腹部痛があり、子宮口が未開大であるときは、「切迫流産」と診断されます。切迫流産とは、出血や腹痛が原因で診察を受けた場合につく病名。流産発生の危険があり、安静や入院しての治療が必要な場合があります。切迫流産は、不安になってしまう名前ですが、まだ流産してしまったわけではなく、妊娠を継続できるケースも多いので、パニックにならず、お医者さんの指示に従いましょう。一方、多量の性器出血があり、陣痛のような下腹部痛があって、子宮口が開大している時は、流産が進行している状態である進行流産が疑われます。その他、胎児及びその付属物が完全に排出される完全流産、一部が残留する不全流産、胎児が子宮内で死亡し、子宮内に停滞しているが、母体には自覚症状がない稽留流産などがあります。残念な話ですが、流産は妊娠のうち約15%に起きる、そう珍しくない現象なのです。なかでも妊娠初期の流産は、主に受精卵・胎児に問題があって妊娠が継続できないケースが大半。受精卵の染色体異常や、胎児の臓器が育たないといった理由であり、妊婦さんが生活に気をつけたからといって防げるものではありません。また、妊娠検査薬では陽性反応が出たものの、子宮内に受精卵が着床できず、そのまま月経がはじまる(検査薬も陽性ではなくなる)場合を、初期流産(化学流産、ケミカルアボーション)といいます。この現象は、これまではふつうの生理だと思われていた出血が、妊娠検査薬の発達により最近になってわかった現象で、いわゆる流産にはカウントされません。みんなどうだった? 妊娠初期の「流産」の体験談・母子手帳を貰うとき、質問される内容が、流産何回など、プライバシーに関する事もあるので、オープンな窓口に抵抗を感じました。(36歳)・双子の妊娠だったが、妊娠初期には流産の可能性もあるからと医師に言われたため、妊娠が分かってすぐには母子手帳を取りに行けませんでした。(27歳)・心拍が確認されて、妊娠初期の流産の確立が下がってから母子手帳を貰いに行きました。以前に一度流産してしまったので。院側からもだいたいそのくらいに母子手帳を貰ってきてくださいと言われました。(39歳)・母子手帳を貰う時、流産の事を記入しなくてはいけないのが辛かったです。(32歳)・母子手帳を提示して、初めて勤務時間の短縮や軽減を受けられるので、妊娠してすぐに母子手帳を交付してもらいました。前回は妊娠初期に流産になり、まっさらの手帳だけが残って悲しかったです。(34歳)・母子手帳をあまり早く交付してもらうと、万が一、妊娠初期に流産してしまった時に悲しい思いをするから、妊娠判定の婦人科ではゆっくりでいいと言われました。でも転院して妊婦健診を受けるためには母子手帳と一緒にもらえる健診補助券が必要だったので、10週で交付してもらいましたが、結局いつ交付してもらうのがよいのかがよくわかりませんでした。(33歳) 赤すぐ妊娠情報
2016年04月04日流産とは、妊娠22週未満に妊娠が継続できなくなること。流産の発生時期が、12週以降22週未満の場合、「後期流産」として初期流産と区別され、法令上は、この後期流産は死産として扱われます。 自然流産の発生頻度は約15%ですが、そのうち初期流産は約13.3%、後期流産が約1.6%です。つまり、妊娠中期には流産の確率は妊娠初期に比べて下がります。妊娠中期が一般的に「安定期」と呼ばれるのは、このことにもよります。しかし、確率は低くなるものの、残念ながらゼロではありません。妊娠中期に起こる後期流産の原因は、絨毛膜羊膜炎、頸管無力症、子宮筋腫、子宮の奇形などの母体に要因がある場合が多くなります。このような症状を持っている妊婦さんでも、必要に応じた治療をおこなうことで、流産を防ぐことができる場合もあります。また、「切迫流産」と呼ばれる症状は、まだ流産したわけではなく、妊娠が継続できる可能性は高いですので、悲観しすぎず、医師の指示に従いましょう。切迫流産の際には、子宮収縮がある場合はウテメリンなどの張り止めを投与したり、感染症には抗生剤を投与します。子宮頸管の状況によっては手術で子宮頸管を縛る場合もあります。切迫流産の場合はとにかく安静にすることが重要なので、妊婦さんにとってはつらいでしょうが、とにかく無理をせず休むことが重要です。絶対安静の場合は、入院の措置が取られることもあります。みんなどうだった? 妊娠中期の「切迫流産」の体験談・1度目は妊娠中期での流産で、ラミナリアでの処置を受け分娩入院しました。2度目は妊娠初期、7週からの出血で切迫流産で15週まで入院。絨毛膜下血腫が原因でしたが、安静が一番の治療だということで、とにかく寝ていました。胎盤が完成する5か月に入るとウソのように落ち着きました。・安定期に入って安心して出かける機会が多くなりました。ある日出血して切迫流産と診断されました。約半月お風呂も入れず、絶対安静でベットで寝ている毎日だったので、今までいかに動きすぎていたかが、よくわかりました。・切迫流産、早産の可能性があったので、会社に事情を説明し妊娠7ヶ月から産休にしてもらいました。自宅では家事も旦那さんにお願いできるところはお願いして安静にしてました。・下の子の時、妊娠中期の5か月ぐらいの時、スカートやタイツにダーッと流れるほどの大出血をしました。胎盤が下のほう気味だったのと、上の子の世話で無理してしまったせいで、切迫流産のような感じになったようです。母に来てもらい、どうにか乗り切りました。上の子がいると休めませんが、割り切って休息するようにしないと大変なことになります。・営業の仕事を継続しての妊娠での切迫流産はきつかった。上司や産業医に相談し、業務軽減の措置、通勤の時間帯をずらす、時短勤務などを実施した。医師の診断書が必要だが、いつの間に科体がしんどくても仕事をがんばってしまいがちなので、しっかりと今の自分の状態を勤務先には話しておくべきだと思った。 赤すぐ妊娠情報
2016年04月04日あり子のワーママ奮闘記
PUKUTY(プクティ)只今育児奮闘中!
たんこんちは ボロボロゆかい
マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。しかし、ある日突然不正出血が……! 不安になったため、次の日に病院を受診すると、医師からは「異常なし」と言われホッとしていました。その後、安静にしていると出血はなくなったのですが、その後も何回か出血をしたり、治まったり……というのを繰り返していたため、再び病院を受診することに。出血の頻度を指摘し、「娘の抱っこは控えるように」と伝える医師。その言葉を真摯に受け止め、安静にした生活を送っていると出血は治まったのでした。 それから月日は流れ、妊娠7カ月を迎えたマキノさん。すでにおなかが大きくなっていたのですが、別の悩みが出てきて……? 妊娠7カ月を迎えると、不正出血の悩みは解決。しかし… 妊娠7カ月に入り、不正出血がなくなったマキノさん。 しかし、その分おなかが前に出てきたため、日々の生活が大変になっていきました。 おむつ替えや食べこぼしを拾う際など、育児中はしゃがむ場面がとにかく多く、マキノさんはしんどい思いをしていました。 実家のお母さんとの電話中、「しゃがむのがしんどくて、お風呂入れるのとか限界やわ……」と、思わず本音がこぼれてしまいます。 「そんなんやったら里帰り早めたら?」 「そやなぁ……。ちょっとパパに相談してみるわ」 妊娠中の娘を気づかうお母さんの提案に、マキノさんはそう返したのでした。 確かに育児中は何かとしゃがむ場面が多いので、おなかの大きい妊婦さんにとってはかなり大変ですよね。そんな中で、お母さんが「里帰り出産の時期を早めたら?」と言ってくれたのは、かなりありがたい提案だったのではないでしょうか。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。
2024年04月29日もうすぐ生まれてくる子どものことを思うとわくわくしました。性別は調べなかったのでどちらが生まれてもいいように赤ちゃんのものをそろえていました。勝手に決めないで!!そんなたのしい日々を壊したのが夫の両親です。 義理実家に行ったときに名前は決まったのか聞かれました。顔を見てから決めたいと伝えたらもう決めておきなさいと言われてしまいました。 どんな名前にするのかいくつか考えていました。しかし性別も分からないので生まれてから決めます。と言ったら今すぐに決めなさいと言われました。 そしてとんでもないことを言いだしたのです。「初めの子は夫の名前から一文字とってつけるべき」と決めつけられました。 何も言わない夫に腹がたったので赤ちゃんの名前は生まれてから自分たちで決めると言ってもらいました。 もちろん夫の名前から1文字つけませんでした。 名前をつけるときに義理両親の意見を聞き入れなかったことを2年たった今でも文句を言っています。 子どもの名前のことで文句を言われるので義理実家に行くのを控えるようにしています。 ◇ ◇ ◇ 名前は子どもへの初めてのプレゼントになるので、夫婦で納得した名前に決めたいですよね。もちろん、お互いの親の意見を取り入れる選択肢もありますが、決めつけられると嫌な気持ちになりますよね。今後は、旦那さんの協力も得ながら、義両親とも良好な関係を築けるといいですね。 作画/さくら著者:竹内香苗30代、2歳の男の子を育てる母。夫婦でカフェ経営。趣味はラジオを聴くこと。
2024年04月29日子どもが生後4カ月半のときに、義母との同居生活が始まりました。そもそも同居を始めたのは夫の仕事の都合で、夫の地元に転居が必要になったから。私は盆暮れにしか会わない義母に対して悪い印象は一切なく、初めての子育てで大変な思いをしていたので助けてもらえるかもしれない、とむしろ同居を歓迎していたくらい。しかし、いざ同居生活が始まるとそううまくは進みませんでした。 唯一の共通点は子どもそれでも、私と義母は子ども(義母にとっては孫)が大切だという認識は一致していました。何かトラブルが起きたときに「子どもの負担が少なくてすむ方法は何か」といった視点から解決策を考えることも多々。例えば義母が夕食の準備をしてくれる日。義母の昼間のスケジュールの都合で夕食の時間が遅くなることがありました。 しかしそうすると、おなかがすき過ぎた子どもは機嫌が悪くなる、食事もスムーズに進まない、寝る時間も遅くなる、ということが起こるのです。そこで義母は自ら夕食開始の時間を固定し、逆算して1日のスケジュールを組むようにしてくれました。 3年経って体制が整いました同居生活が3年になるころにはだいぶ体制が整いました。家事の役割分担や平日のタイムテーブル、休日のスケジュールの調整など。また毎日顔を合わせ、言葉を交わしていくうちにお互い親しみや好感、信頼感が増してきているようにも感じています。 まだまだ手がかかる子ども中心の生活ではありますが、それぞれが役割を果たして、どうしたい、どうしてほしいかをはっきりと言葉にしてコミュニケーションをとるというわが家のスタイルが確立されています。これから家族が歳を重ね、社会も変化していくと思いますが、わが家もそれに合わせて変化し続けていけそうです。 同居を続けて思うのは、歳を重ねた義母を近くで見られる安心感、家事を分担できるラクさ、子育てに関わってもらえるありがたさです。「同居」というとナーバスなイメージがつきまといますが、良いこともいっぱいあると私は感じています。 著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター しおみ なおこ
2024年04月29日マンションを売却し、家が建つまでの間、義実家で4カ月同居していました。私は3人目を妊娠しており、長男は3歳、次男は1歳でした。元々義父は厳格な人で孫にも叱ったり、三つ子の魂百までという考えで、何度も嫌な思いをしたことはありました。義父の態度にイラッ!!その日は、長男が機嫌が悪く何をするにも怒っていました。いつもは義父の隣で食事中する長男が「ママの隣がいい!!」と言い出しました。すると、長男に向かって「お前いい加減にしろよ、ワガママ言いすぎだ!」と義父が怒鳴り、叱って来たのです。ママの隣に座りたい、ただそれだけのことだったのですが、それまでの機嫌の悪さを見ていた義父からすると、ワガママばかりだと思ったのでしょう。義父が夫に連れて行け!と言い、2階の部屋に連れて行きました。満足げな義父を見て、私は怖くて手が震え涙が出てきてしまいました。 私は次男を義母にお願いし、長男のいる2階へ行き抱きしめて泣き止むのを待ちました。その日は、義父とは一切言葉を交わしませんでした。翌日、義父が仕事から帰ってくると、私に対してごめんねと謝って来ました。私にではなく、長男に謝って欲しかったです。 ◇ ◇ ◇ 義父がいる前で、子ども達が機嫌が悪かったりワガママを言ったときは、別室に移動するようにしました。義父は昔から仕事が忙しく子育てを全くしなかったので、子どものイヤイヤ期やわがままも許せないようです。今回は家が建つまでの間の同居でしたが、この先同居することは2度とないと誓いました。 作画/まげよ著者:藤木奈美子30代、5歳、3歳、2歳の兄妹を育てる母。医療機関に勤務。趣味はドラマ鑑賞。
2024年04月29日義実家に訪れたときのこと。まだチョコを食べさせていなかった娘に、義母がおやつとして出してきたのは、チョココーティングのバニラ棒アイス。チョコはまだ食べさせていないことを伝えると、義母はまさかの行動に出て……。チョコつきアイスを娘に食べさせようとする義母に…3歳になったばかりの娘と夫、私の3人で、車で30分ほどの義実家を訪れたときのことです。 娘にはまだチョコレート菓子を食べさせていなかったのですが、突然義母が3時のおやつにと、チョコでバニラアイスをコーティングした棒アイスを出してくれたのです。 娘にまだチョコを与えていないことを私が義母に伝えると、「あら、そうなの?」と言って、なんと義母は袋を開け、チョココーティングの部分だけをベロンベロン舐め始めたのです。そしてバニラだけになった棒アイスを「どうぞ」と笑顔で娘に渡そうとするので、私は思わず「いや! 大丈夫です!」と断ってしまいました。 そんな私の態度に憤慨した義母は、「だったらはじめから食べないって言ってよ! かわいそうじゃない、どうせ食べさせてあげないなら!」と言ってきました。私は心の中で「突然アイスを出してきたのはそっちじゃない……」と思い、モヤモヤが残りました。 義母の性格が無頓着なのか、義母が育児をした時代がそうだったのかはわかりませんが、今は食べ物や食べさせ方について、とてもデリケートに考えるものだと思っています。こんな育児観のギャップを理解してくれない義母には、何を言っても無駄だなと思いました。 ※幼児は、棒付きアイスの棒で喉を突く恐れがあります。食べさせる場合も、必ずそばで見守り、誤飲やケガに注意しましょう。 作画/きりぷち著者:青井ひまり監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月28日イヤイヤ期真っ最中の娘を育てながら、正社員として働くりささんは、現在第2子を妊娠中。平日はワンオペ育児でヘトヘトでした。妊娠4カ月を迎えて会社の上司に報告をしたところ、参加していたプロジェクトのメンバーからも外されてしまいました。さらに休日は義実家で家事を押し付けられ、まったく休む暇がありません。自由気ままに過ごす夫が羨やましく思えて、つい夫に「入れ替わりたい」と非現実的なことを言ってしまいました。すると、なんと本当に入れ替わってしまい、夫はりささんとして過ごすことに。覚悟を決めたものの、ひどいつわりに耐えながらの家事や育児は想像以上に大変で、母親に助けを求めた夫。しかし「妊娠は病気じゃない。手伝ってほしいなんて贅沢」と一喝されてしまい、八方塞がりでした。入れ替わってから初めての妊婦健診。もちろん、夫にとっては何もかもが初めてのことでした。とにかく、つわりをなんとかしたいと思って先生につらいと訴えますが、薬を処方してもらえるわけでもなく、励まされただけ……。 しかし、エコーで小さいながらも懸命に生きる赤ちゃんの姿を見て感動した夫は、「おなかの子も絶対に守ってやる!」とあらためて心に誓いました。これまでのことを謝りたい… ママとしての生活はやることが多く、夫にとって時間との戦い。夕食は簡単にうどんで済ませようと思い、たしかストックがあったはず……と、冷凍庫を探していると「パパ用からあげ」と書かれた袋を見つけました。それは夫の大好物。他にも、煮魚や餃子、コロッケ……。 きついつわりに耐えながら、好物をたくさん作ってくれていたことに気付いた夫は、涙が止まりません。そして、何も知らずに当たり前のように食べていた自分を思い返し、またも後悔……。入れ替わったままでもいいから、せめて会いたい。会って、これまでのことを謝りたい。たくさん話したい。夫は泣きながら、心の中で何度もそう呟いていました。 つわりで体調がわるくても、夫には手作りの料理を食べてほしい。できるだけ温かいものを食べてほしい。冷凍のストックには、りささんのそんな思いが詰まっていますね。ワンオペの中、そこまで準備をするのは簡単ではないはず。ちゃんと顔を合わせて、お礼を伝えられる日が来ると信じたいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター しろいぬしろ 著者:原作者 中澤夕美恵
2024年04月28日藤井爽子(そうこ)はやさしい夫・拓也、3歳の娘・未来(みくる)と慌ただしくも幸せな毎日を送っていた。ある日、爽子は家の掃除中に、娘と同じ「未来」という名前の女性に宛てた夫の手紙を発見、さらに身内の形見だと言って結婚指輪の代わりに身につけている指輪に「MIKURU」という刻印があることを知ってしまった。どうやら、夫には娘と同じ名前の恋人がいたようだ。不信感を抱えたまま、2人目の妊活を考え始めた爽子だが、娘が慕う保育園の先生の先生の下の名前が未来(みくる)であることを知ってしまう。そこから新たな疑惑が芽生え……。 自分の中で一番大切な…「保育園のカナエ先生が夫の元恋人なのか」という疑惑を解消するため、会社の先輩と夫が通っていた大学へ赴いた爽子。 夫を知る教授からアルバムを見せてもらうと、そこには、若かりしカナエ先生が夫とのペアリングをして笑う写真があった──。 やはり、カナエ先生が「未来(みくる」だった。 その夜、爽子は夫を外に呼びだした。そして「何か言うことない?例えば未来の名前のこととか」と切り出した。 驚く夫に爽子は、未来という女性に向けた手紙を見つけたこと、指輪の裏に「MIKURU」と刻印がしてあるのを発見したこと、そして大学でカナエ先生の写真を見つけたことを明かした。 夫が言うには、確かに大学のときにカナエ先生と付き合っていたという。しかし結果的にすごく傷つけて別れることになってしまい、保育園で偶然再会。そして、いまはメンタルが不安定なカナエ先生のために「支えになりたくて」と言った。娘の名前についても、「そのときはその名前が一番いいと思った。自分の中で一番大切な…」と語った。 爽子は愛されていると思っていた間にも、夫の中にはカナエ先生がいたと言うことがどうしても許せず、悲しかった。感情のあまり夫の頬を平手打ち。結婚指輪を投げつけて夫の前から去った。そして、置き手紙をして娘とともに家を出たのだった。 ◇◇◇ ついに夫とカナエ先生の関係が明確になりました。誰しも大切な元恋人との思い出はあると思いますが、結婚してからも元恋人の「支えになりたい」というのは今のパートナーからすれば気持ちのいいものではありません。ましてや娘に元恋人の名前をつけるなんて言語道断ではないでしょうか。爽子さんのショックはいかばかりだったでしょう。これからどういった道を選んでいくのか。爽子さんにとってつらいことだと思いますが、頑張ってほしいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 樹ユウマ
2024年04月28日亮太さんは妻の麻耶さん、4歳の息子・和馬君の3人家族。亮太さんは、麻耶さんに対して不満があり、会社で寝泊まりして1週間になります。亮太さんが家を出ることになった理由とは……?何を伝えてもいつも屁理屈ばかりの麻耶さんに、亮太さんはいつしか「話し合うだけ無駄」と考えるように。その内亮太さんは体や心の異変を感じ始め、とうとう仕事に集中できなくなってしまいます。そんな亮太さんの様子を見た社長は、体調を心配して早退させることに。ところが、帰宅した亮太さんの耳に聞こえてきたのは、麻耶さんが浮気相手らしき男性と電話している声だったのです。 思わずその場で麻耶さんを問い詰めそうになる亮太さんですが、子どもの手前、夫婦喧嘩するわけにはいきません。 ところが、肝心の和馬君の姿はリビングに見当たらず……? まさか、ひとりで外に…? 亮太さんは家中を探し回りますが、和馬君の姿はどこにもありません。 麻耶さんは心当たりのある庭を探そうとしますが、なぜか庭へ続くリビングの窓には鍵がかかっています。 結局和馬君は庭にもおらず、麻耶さんは、自分がいつどのタイミングで窓の鍵をかけたのか思い出せないままです。 母親として無責任な麻耶さんの態度に亮太さんは苛立ちを感じますが、今は和馬君を探すのが先決! 2人協力して和馬君をもう一度探すことにしたのでした。 「いつもこうだから」「今まではこんなことしなかったから」が通用しないのが、子育てというもの。 子どもの成長はあっという間で、親が知らないうちに、本当にさまざまなことができるようになるからです。 今できなくても明日できるようになることもあるということを念頭において、先回りした事故ケガ対策をしていきたいですね。とにかく今はただ、和馬君が無事に見つかることを祈るばかりです。著者:マンガ家・イラストレーター くろねこ
2024年04月28日妊娠34週目に入ったころ。産休に入る準備をしながら、ふだん通り仕事をしていました。その日はいつもより動いていなかったのですが、その割におなかが張るなと思い……。帰宅して入浴したところ、お風呂が赤くなって出血に気づきました。急いで病院へ行ったところ……。 急な出血。まさかのことに驚いて…妊娠34週4日。産休に入る準備をしながら、仕事をしていました。その日はおなかの張りに加えて少し痛みもあり、休憩をしながらゆっくり帰宅。家に着いてソファで少し休み、落ち着いたのでお風呂へ入ることに。 入浴するとお湯が赤い!? 見ると、ドバドバドバーッと出血していました。あまりの出血の多さにびっくりしてしまい……。訳がわからず、かかりつけの産婦人科に電話。すぐに来てくださいとのことで、寝ていた夫を起こし連れて行ってもらいました。 その道中も出血が止まらず、バスタオルをあてながら病院へ。産婦人科の超音波検査で診てもらったところ、赤ちゃんは無事だということでひと安心しました。ですが、安心したのも束の間。 妊娠34週ということでかかりつけの産婦人科では産めず、救急車で少し離れた総合病院へ向かいました。医師から「常位胎盤早期剥離(妊娠中に何らかの理由で胎盤がはがれること)」と告げられ、子どもの心拍も不安定だったため、緊急帝王切開での出産となりました。 緊急帝王切開は真夜中だったのですが、本当に多くの方に助けられました。無事に子どもが生まれてきてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。 ◇ ◇ ◇ 母子共に無事で本当によかったです。おなかが張ったら無理をせず、いつもと違う症状があった場合はかかりつけ医に相談することが大切。体調の変化に気をつけながら、生活したいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/森田家著者:田中あずさ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月28日三女を妊娠中、年末に義母から子どもたちへお年玉が届いたため、私はお礼の電話をかけました。すると、義母からいきなり「もう連絡してこないでくれ!」と言われてしまったのです。納得のいかないことばかり言われる最中、あることがきっかけで、やっと義母が絶縁を望む理由がわかり……。お礼の電話から一転…三女を妊娠中、年末に差し掛かるころ、夫の実家から子どもたちへお年玉が届きました。夫は仕事でなかなか電話をかける時間がないため、代わりに私が義実家へ電話をかけると、いつもより声が暗い義母。お年玉が届いたとお礼を告げると、「もう連絡をしないでくれ!」といきなり言われてしまったのです。 突然のことで思考が追いつかず、理由を聞くと……義実家よりも私の家族ばかりに孫を会わせていること、一時期入院していた義父が病院から退院した際に連絡をしなかったことなど、すでにお互いに話して納得したり、謝罪したりした内容だったので、私は解せないことばかりで困惑してしまいました。 縁を切りたい本当の理由電話の最中、長女と次女がケンカを始め、次女の金切り声が響きました。その声が義母にも聞こえたようで、「そんな子、うちじゃ面倒見たくないよ」とバッサリ。連絡を取りたくない本当の理由がはっきりした瞬間でした。 私の娘たちは発達障害をもっており、かんしゃくが始まると物を壊してしまうほど暴れてしまいます。この出来事の1カ月前、出産直前に何かトラブルがあったときに娘たちを預かってほしいと、義母が渋る中、私は強引にお願いしてしまいました。今思うと行政に相談するなど他にも方法があったのかもしれませんが、当時の私は義実家に頼るという選択肢しか思いつきませんでした。 もともと子どもが好きではない義母。発達障害を持っている子を預かることを考えただけでも相当負担だったのでしょう。しかし、わが子を「そんな子」と言われた瞬間、カチンと来た私は、今後連絡しないことを伝え、電話を切ってしまいました。 もともと義実家と仲が良くない夫仕事から帰ってきた夫に、義母との電話でのことを話すと、夫は激怒。夫はもともと自分の家族と仲が良くありません。結婚をきっかけに、育ててもらった恩もあるし、せめて孫の顔は両親に見せようと、自分の実家に顔を出すようになった経緯があります。後日、夫は自分の実家に電話をかけて、大ゲンカ。夫からも義母に「今後は連絡をしない」と伝えると、「こっちのセリフだ」と言われ、電話を切られたようです。それ以降は、こちらからも義実家からも連絡のやり取りはありません。 その後、以前に長女のかんしゃくについて児童相談所で相談に乗ってもらったことを思い出し、出産の際に預け先がないことを相談すると、そのときは預かってくれるとのことでホッと一安心。結局、新型コロナの影響で出産直前に休業になった夫が子どもたちを見てくれました。たとえ身内であっても、何かをお願いするときは相手の都合などをよく考えてからでないと、今回のようにトラブルの原因になってしまうと考えさせられた一件でした。 イラスト/森田家著者:なか さおり
2024年04月28日義母が作ってくれたごはんをおいしそうに食べる2歳半の娘。しかし突然、顔を真っ赤にして苦しみ出して!?突然苦しみ出した娘義実家に行くといつも義母がおいしいごはんを作ってくれて、子どもたちも喜んでたくさん食べます。ある日、いつも通り義母の手作りごはんを2歳半の長女がモリモリ食べていて、私たちも微笑ましく見ていました。しかし、突然長女がオエッとし、顔を真っ赤にして苦しみ始めました。慌てて私が背中を叩くと、口の中から何かが出てきたのです。よく見てみると大きめのそら豆……。どうやらポテトサラダに入っていたようで、私はそら豆が入っているとは思わず、まったく確認していませんでした。義母も豆が危ないという認識がなかったようです。 長女はこのあと、そら豆を取り除いたポテトサラダを何事もなく食べ進めていました。義母とは仲がよく、また悪気があったわけでもないのであまり責めることはできず、それ以来出されたごはんを必ず私がこっそり確認して、大きな物や危なそうな物があったらさりげなく避けるようにしています。 ◇ ◇ ◇ お子さんに何事もなく、本当によかったです。作ってもらったごはんやお店で食べるごはんは、危険な大きさの物が入っていないか食べさせる前に確認して、入っていた場合は取り除くことが大切ですね。 豆やナッツ類など、硬くてかみ砕く必要のある食品は、5歳以下のお子さんには食べさせないようにしましょう。また、ミニトマトやぶどうなど、球状の食品を丸ごと食べさせると窒息するリスクがあるので、4等分にして、よく噛んで食べるよう言い聞かせてください。 もしお子さんが喉に物を詰まらせてしまったら、すぐに119番通報をし、以下の応急処置をおこなってください。 <意識がない、呼吸がない場合> 心肺蘇生(気道確保・胸骨圧迫)をおこないます。※母子健康手帳に方法が記載されています。もしものときのために、日ごろから手順を把握しておくと安心です。 <1歳以上の子どもの場合> 腹部突き上げ法(ハイムリッヒ法)をおこないます。①子どもの背中側から救護者の両手を回す②みぞおちの前で両手を組み、勢い良く両手を絞ってぎゅっと押す <1歳未満の乳児の場合>①救護者が膝を曲げ(もしくは椅子に座り)、太ももの上に子どもをうつ伏せに抱きあげる②子どもの背中の、肩甲骨の間のあたりを手のひらで5~6回強く叩き、詰まった食品を吐き出させる(背部叩打法)。 それでも窒息が解除できない場合や、意識がない場合には…… ③子どもをあお向けに寝かせ、心肺蘇生と同じように、左右の乳頭を結んだ線の中央で、少し足側を指2本で押す。 作画/さくら著者:うーちゃん監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月28日原ぱら子さんは、夫と娘の3人家族。これは原ぱら子さんが体験した引っ越し騒動のお話です。娘を出産してから賃貸マンションへ引っ越した原ぱら子さんたち。下の階の住人から、子どもがいるため騒音に気をつけるよう言われてしまいます。しかしある日、下の階の住人が朝から晩までホームパーティーで大騒ぎ。さらにはベランダで喫煙までされて、原ぱら子さんはモヤモヤしてしまいます。 実母に娘の面倒をお願いしたら…保育園の入園申請に必要な書類をそろえるため、会社へ行くことにした私。母に来てもらい、娘をお願いしたのですが、すでに娘は泣きそうで……。 原ぱら子さんが帰宅すると、母から家庭支援センターの人の名刺を渡されます。 会社へ行っている間、泣き続けていた娘。その泣き声を聞いた誰かが通報し、家庭支援センターの担当者がやってきたのです。 原ぱら子さんから電話して、家庭支援センターの担当者へ状況を説明して一件落着。しかし、「私がこの子を虐待したと思われたのかな」と原ぱら子さんは深く傷ついてしまうのでした。 娘の泣き声で通報されてしまった原ぱら子さん。思ってもみない出来事に驚き、傷ついたことでしょう。 通報した人も娘の泣き声を聞き続けて心配したための行動でしょうが、親としては悲しくなってしまいますね……。 ただ家庭支援センターの方も親身に話を聞いてくれたり、原ぱら子さんの悩みに対する迅速な対応は心強いですよね。利用できる機関があれば頼って、原ぱら子さん自身の負担が少しでも軽くなってくれればいいですよね。著者:マンガ家・イラストレーター 原ぱら子
2024年04月28日これは長女の妊娠中に、県外にある実家へ3カ月ほど里帰りしたときの話です。当時、私の実家では両親と未婚の兄が同居していました。母は現役で働いており、平日は毎日多忙です。1歳半になる長男を連れての里帰りでしたが、みんなが長男をかわいがってくれ、里帰りをしてよかったと感じていました。ところが、里帰りから1カ月ほど経つころ、母の言動にモヤモヤすることが増えてきて……? 言い方がきつい母とついに衝突! 母は、おつかいで買い忘れがあった父に文句を言ったり、兄の洗濯の干し方に難癖をつけて自分で干し直したり……。父と兄は言い返さず穏便に済ませるタイプですが、私は母と性格が似ており、口論になることも少なくありません。そのため、あと2カ月、母と揉めずに過ごせるのか心配でした。 そして、ある朝。妊娠中で普段以上に眠気を感じて、なかなか起きることができないでいた私。先に起きた息子がひとりでリビングに行ったのですが、「両親もいるから大丈夫よね」と思い、甘えさせてもらうことに。しかし起きてからリビングへ向かうと、テレビに夢中になっている息子の姿が。普段、夕方しかテレビを見せていなかったため「朝からテレビ見てるんだ……」と私が何気なく口にすると、母は「文句があるなら自分で子どもの面倒みなさい!」と激怒! 母のあまりの剣幕に、私は思わず泣いてしまいました。 それを見た父と兄が、間に入ってすかさずフォローしてくれました。私は両親や兄が私にも息子にも気をつかってくれていたことを改めて感じ、実家の環境に甘え過ぎていたことを反省。それからは洗濯物を畳んだり、夕飯を作ったりと、できる範囲で家事をするように。母も言い方が柔らかくなり、無事に長女を出産してからもみんなで育児に協力してくれました。家族だからといって甘え過ぎたり何でも言ったりしていいわけではなく、思いやりの気持ちが大切だと改めて気づいた出来事です。 作画/Pappayappa著者:徳澤さくら
2024年04月28日先日、夫にお風呂掃除を頼んだのですが、掃除方法が私の予想を超えてきました。私は衝撃のあまり、思わず絶叫してしまったのです……。 いつまでも出てこない夫夫は集中すると、時間を忘れて掃除に没頭してしまいます。思い切りがいいため、よく考えたらおかしいとわかることでも気付かず進めてしまうこともたびたびで……。 先日、夫にお風呂掃除を頼んだのですが、30分経っても浴室から出てきませんでした。やるとなったら気が済むまでとことんきれいにしてくれるので、とても助かっていたのですが……。 驚愕の行動やっと浴室から出てきた夫が「浴室乾燥機もきれいにしてシャワーですすいだから」と一言。私は驚いて「え!!水かけるのはダメに決まってるでしょ!」と絶叫しました。夫によると、お風呂掃除用の泡洗剤を大量に直接かけてからスポンジで擦り、シャワーの水をかけて終わったとのこと。 電気式の浴室乾燥機なので、水を直接かけてしまったら故障の原因にもなりかねません。電源が入っている場合は感電してしまう恐れもあります。イライラした私は「考えたらわかるでしょ……バカなの?」と夫に言いかけましたが、必死に抑えました。説明書を開き、湯気はOKだけれど水やお湯は故障の原因になるのでかけないようにと書いてるところを見せると納得していました。 今後のためにまさか浴室乾燥機まで掃除してくれるとは、私は思ってもみませんでした。あまり小言を言いすぎるのは良くないなと思ったのですが、今後のためにも「次からはフィルターの目詰まりを掃除したり、表面を雑巾で水拭きする程度にしておいてね」と夫に伝えました。私から指導が入ったため夫は少々不満げな表情。でも「はいよ」と答えてくれたので一安心しました。 万が一浴室乾燥機が故障していたら、私はもっとイライラしていたと思います。今回浴室乾燥機の掃除の仕方を伝えたものの、時間があくと夫は完全に忘れてしまうということを私は長年の経験からわかっています。もしまたお風呂掃除を頼むときは、掃除の仕方を一から夫に伝えるつもりです。 イラスト/はたこ著者:鬼頭いちか
2024年04月28日7歳の長女の話です。ある日のこと、学校から娘が発熱したとのことでお迎えの電話がありました。まさかの入院!?急いでお迎えに行くと、保健室でグッタリしている娘の姿がありました。様子を聞くと、「とにかく眠い」とのことで、帰宅してから布団で休ませることにしました。疲れもあったのか、娘はそのまま夜までグッスリ寝ていましたが、「おなかが痛い」と訴えが変わりました。熱はどんどん上がり、40度前後。解熱剤を与え、翌朝病院に連れて行こうと娘の看病をしていましたが、腹痛は引かず、娘はついに痛みで泣き叫びました。「これは今すぐ救急車だ!」と思い、朝4時ごろに救急車を呼びました。下の子は近くに住む祖母に頼み、私は付き添いで救急車に乗りました。腹痛と熱にうなされ、顔面蒼白な娘が心配で、手を握り必死に呼びかけました。田舎で小児科が近くになく、少し遠くの総合病院に運ばれました。後ろから車で追って夫と連絡をしながら、不安でいっぱいでした。病院に着いて、点滴などの応急処置をしてもらい、一旦入院になりました。夫は仕事もあるため、付き添いは私がしました。感染症の検査はすぐに結果が出ないため、入院翌日におこないました。そして、検査の結果は「インフルエンザ」でした。 ◇ ◇ ◇ 1週間入院することになりましたが、娘がずっと訴えていた腹痛は高熱によるものだったそうです。付添い入院で私も感染してしまい、交代も入浴もできずつらかったです。入院は大変でしたが、救急車が来てくれたときの安心感は半端なかったです。まさかインフルエンザで救急車を呼ぶ羽目になるとは思いませんでしたが、子どもは急変することもあるので、迷わずすぐに呼んでよかったです。救急隊の方に感謝です。 ※「救急車を呼んだほうがよいか」、「今すぐ病院に行ったほうがよいか」など、判断に迷ったときに、「♯7119」(又は地域ごとに定められた電話番号)に電話することで、救急電話相談を受けることができます。 作画/さくら著者:藤田楓40代、7歳、3歳のお喋り姉妹の母。ディズニー大好きな専業主婦です!監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月28日小学生の息子がいる私たち家族は、巨大な団地で暮らしています。子どものいる世帯がほとんどで、学校や地域の子ども会などで他の学年のママ友とも知り合う機会が多くありました。なかでも私が仲良くしていたのは、中学生の息子Aくんを持つママ。そのAくんママからある日、「うちの夫とBくんのママが怪しい……」と相談を受けたのです―。 Aくんママの不安AくんとBくんが同級生ということもあってか、家族ぐるみで仲良くしていたそう。しかし、AくんパパとBくんママが近所の居酒屋でサシ飲みをしているところを目撃したという人が相次いで現れたそうです。 Aくんママも噂を確かめる術がなく、不安になってしまっているとのこと。「もし何かあったら教えてほしい」と言われたので、私も協力することを約束しました。 それから数日後、仕事が遅くなって夫に子どものお世話を頼んだ日のことです。なんと、帰りに不倫現場を目撃してしまいました。 Aくんパパの車からBくんママが降りてきたのを見てしまった私は、そのまま2人から目が離せなくなりました。そして不倫を確信したのは次の行動です。暗がりだったこともあってか、2人は別れを惜しむようにキスをしていたのです……。 その晩、私はためらいつつもAくんママに連絡しました。Aくんママは他の筋からも証拠を集めていたそうで、もう驚くことはありませんでした。電話口で「夫とBくんママに鉄槌を下す」と宣言していました。 証拠を集め終えたAくんママは、すぐさま弁護士に依頼。その月のうちに、Bくん一家は団地から姿を消しました。Aくん一家は団地に暮らし続けていますが、Aくんが就職したら離婚する予定だとAくんママは言います。 何かの間違いであることをどこかで祈っていましたが、残念ながらAくんママの予感は的中していました。壊れてしまった2つの家族を見て、男女として惹かれ合ってしまったとはいえ、親ならば子どものことを第一に考えるべきだと改めて感じた私。両家族の子どもたちが幸せに暮らせることを願うばかりです。 イラスト/ぽん子著者:所沢さくら
2024年04月28日ゆる子さんは夫、娘、息子の4人家族。赤ちゃんのころから不思議な子だった娘。2歳のある日、おなかの中にいたときの記憶を語りだしました。あまりの信憑性の高さに、ゆる子さんは驚愕しつつ、娘の言葉を信じるように。 月日は流れ、七五三当日。祈祷が始まると急に倒れ眠る娘。その後、七五三の時に撮影した写真が届き、アルバムを見た娘は「こんなとこ行ってないよー」とひと言。これまでの恐怖体験談が娘の記憶から全て消えてしまったのです。娘の霊感がなくなり、自分がしたことは正しかったのかと悩むゆる子さん。しかし、娘に2度と怖い思いをして欲しくないと思い、スピリチュアルの話を聞かないと心に決めます。その後、娘から不思議な話を聞くこともなく自宅に戻り平穏な日々を過ごすのでした。ある日、ゆる子さんの友人から久ぶりに会おうと連絡が入ります。娘も友人の子どもと遊んだことがあり、覚えているか尋ねると「緑の子か!」と言いゆる子さんは不思議に思います。 後日、友人の子どもを見た娘はソワソワし「なんか 変」と言いゆる子さんからはなれません。続けて、「ちがう人だよ」とポツリ。その日は友人の子どもとまったく遊べずに時間が過ぎていくのでした。友人の発言にあ然 友人と別れ自宅へ向かう帰り道、ゆる子さんは緊張しちゃった?と娘に尋ねます。すると娘は「初めて会ったみたいだったの…」とポツリ。娘の発言を聞いたゆる子さんは、また記憶が消えてしまったのでは?と緊張が走るのでした。 ある日、友人と友人の子どもと遊んでいました。娘も友人の子どもに慣れてきた様子を見せホッとするゆる子さん。すると、突然「前みどり色だったのに急にむらさき色になってビックリしたけど、もうずっとむらさき色だから慣れたよ」と娘が言うのです。この発言を聞いた友人は娘に向かい「オーラの色とか見えちゃう系!?」と目を輝かせながら質問をします。 スピリチュアルなことに興味があるという友人は「私って何色に見える?」と娘に尋ねます。娘が「ピンク」と答えると、友人は占い師に言われた色と一緒だったと大興奮。その様子を見たゆるこさんは、娘の発言を怖くないのかと友人に尋ねます。しかし、友人はキョトンとしむしろ能力を伸ばしてあげないと! と娘の発言を受け入れるのでした。友人の前向きな姿勢に、私が前向きだったら娘もありのままに育っていたのかなとぼんやりと考えるのでした ◇◇◇ 娘の不思議な能力をカミングアウトするのは、いくら仲のいい友人であっても怖がられないかと不安になりますよね。これまで娘の霊感に恐怖を抱いてゆる子さんにとって友人の発言は意外すぎるものだったのではないでしょうか?この先、ゆる子さんが娘さんの言葉を受け止め、前向きに対応していける日が来ることを願います。著者:マンガ家・イラストレーター ゆる子
2024年04月28日私は37歳の主婦。夫と小学6年生息子との3人暮らしです。息子は小学校1年生のときからサッカーを始め、今でも夢中。同じサッカー部員のA君と大の仲良しで、「2人揃ってワールドカップに出場して、ゴールを決める」というのが2人の目標です。サッカー部の母親たちはお弁当を作ったり、差し入れを持ってきたり、積極的に部活に協力しています。ただ、A君のママ・B子が少し厄介者なのです……。息子がエースだからといって、女王様気どりチームの中でずば抜けたサッカーセンスを持っているA君。その母・B子が「正直言って、息子の邪魔になってない? 下のレベルの子と練習しても、意味がないじゃない」と言ってきました。A君がチームの大黒柱なのをいいことに、B子も保護者たちの中でも1番上だと思っている様子。 チームの食事会のため保護者総出で食事の準備をしていても、1人だけ何もしません。「チームの大黒柱を息子にもつ私が、どうして雑用しないといけないの? 息子の活躍のおかげでチームの成績がいいんだから、私に感謝しないといけないんじゃない?」なんて、女王様気どり。 鞄から勝手にキーを取り出し、車を出して衝突事故に練習試合が行われる日、子どもたちはマイクロバス、保護者は数名の車に分かれてグラウンドに行くことになりました。私は今回、車を出す番です。現地に到着して、打ち上げのカレー作りを始めても、B子は相変わらず何もしません。それどころか、「ランチに行くから、あなたの車のキー借りるわよ」と、勝手に鞄から車のキーを取り出したんです! 私は慌てて追いかけますが、B子は車を発進させてしまいました。 しかし、ペーパードライバーだったB子は、駐車場に停車していた高級車に追突!慌てて私が駆け寄ると、「あ、運転手はこの子です」と罪をなすりつけてきました! 高級車の運転手は母だった!高級車の中から出てきた運転手は、なんと私の母! 孫の勇姿を見るために来てくれていたのです。怪我はなかったものの、今朝納品されたばかりの高級車が台無しに。 B子が運転していた証拠はドライブレコーダーに残っているので、嘘は一目瞭然。おまけに娘から車のキーを盗んで車を乗っ取り、罪をなすりつけようとしたことに、もう母はカンカン! そこに息子のA君が現れて、「みなさん本当にごめんなさい! 僕がサッカーができるのは、チームメイトや監督さんやコーチのみなさん、それに保護者さんたちのおかげなんだ! なのにママは、偉そうにしてみんなに迷惑をかけ、ひどいことをした。こんな母親を持って、僕は恥ずかしい!」と正論をぶつけます。B子は息子の言葉に目が覚めたようで、泣きながらこれまでのことを謝罪し、これからは一保護者として積極的に動くと宣言していました。 チームはその後、地元の小学校対抗サッカー大会に出場。決勝戦では、息子とA君が連携してゴールを決めるという活躍を見せ、見事勝利! これからも2人の成長を見守っていこうと思います。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月28日赤ちゃんがお昼寝をしようとしていると…隣に大好きなワンコのシュシュがやって来て、添い寝をし始めました♡赤ちゃんの可愛らしい行動と、シュシュの反応に注目ですよ! お昼寝の時間だけど… お昼寝をしようとしていた赤ちゃんですが…隣に大好きなシュシュがやって来たので、すっかり眠気が覚めてしまったよう。シュシュが近くにいるだけで、ご機嫌です♪ 一緒に遊ぼうよ? どうやら、シュシュと一緒に遊びたい赤ちゃん。シュシュの方をジーーっと見つめて様子を伺います♪ ちょっと触ってみようかな…?隣にいるシュシュのことが気になってたまりません(笑) 大好きなおけけをさわさわ♡「シュシュやっぱり気持ちがいいなぁ…」 シュシュはというと…なかなかこっちを向いてくれません。 「シュシュ、寝てるのかしら??」と赤ちゃんの心の声が聞こえてきそうですね♪ 実は…!? ママがシュシュのお顔を覗いてみると… !? 実はシュシュ、起きてました(笑)赤ちゃんの様子を後ろ姿越しにしっかり把握してくれているようです♪ そろそろ振り向いてあげようかな!?しばらくすると… ゴロンッ!! シュシュも赤ちゃんと遊びたくなってきたのか、ようやく赤ちゃんの方を向いてくれました! とっても嬉しそう♪ お顔スリスリ攻撃も♡ ようやく遊んでもらうことができて、赤ちゃんも大満足♪とっても嬉しそうですね! この様子はぜひ動画でご覧くださいね。シュシュと赤ちゃんとやりとりがとっても愛おしいですよ♡ これからも見守っていてね♪ シュシュが隣にきてくれて、一緒に遊べてよかったね。いつも一緒に過ごしている、赤ちゃんとシュシュ。まるで人間の姉妹のような関係が素敵ですね。 YouTube「山奥暮らしのシュシュ@chouchou_the_gp」では他にも可愛らしい動画がたくさん配信されていますよ。シュシュだけでなく、たくさんのわんこと暮らしている女の子家族の様子はぜひYouTubeでご覧くださいね。また、Instagramも更新しているのでそちらもぜひチェックしてみてくださいね。 ※赤ちゃんが動物と触れ合う際には、必ず近くで大人が見守るようにしましょう。 画像提供・協力/山奥暮らしのシュシュ
2024年04月28日私は10歳の娘と5歳の息子の母です。夫とは離婚を前提に別居中なので、私はひとりで日々育児と家事と仕事に奮闘しているのですが、ふとしたきっかけで、心の緊張がほどけて子どもの前でも泣いてしまうことがあります。先日は、見ず知らずの人にかけられた言葉で、外でも泣いてしまいました……。民家の前で立ち往生ある日の夕方、息子を自転車に乗せて習い事に向かっていました。息子が眠くなってきてしまったので急いでいたのですが、風の強い日だったため、運悪く私の目にゴミが入ってしまったのです。 私はハードコンタクトをつけているため、ゴミが入った目は激痛。自転車を停めて、動けなくなってしまいました。そして眠くて機嫌の悪かった息子は、自転車が止まったことでさらに機嫌を損ね、グズり始めてしまいました。 こちらを見ている男性は咄嗟に自転車を停めたのは、築年数もかなり経っていそうな和風の戸建て民家の目の前。お邪魔かな……と思いましたが、目からは涙が溢れ出るものの、ゴミはなかなか取れません。息子のグズりは悪化し続けていました。 困ったなぁと思っていると、ふと誰かの視線がこちらに向いているのを感じました。家の住人と思われる年配の男性が玄関から出てきて、こちらを見ているのです。怒られる! と思ったそのとき、驚くことが起きました。 まさかの言葉に涙が……民家から出てきた男性は私に「大丈夫?」と言ったのです。てっきり怒られると思ったので、予想外の展開に慌てながら「あ、大丈夫です」と答えた私。すると男性はさらに、こう言って家に入っていきました。「何かつらいことがあったらいつでも言いなさい」と。 見ず知らずの私なのに、こんなふうに言ってくれたことに驚きました。と同時に、日々のいろいろなことに疲れていたこと、ちょうど父を病気で亡くしたばかりだったので父に言われたように感じたこともあり、私はうれしくて、さらに泣いてしまったのです。そんな私の反応にびっくりしたのか、息子はグズるのをやめて静かになったのでした。 知らない人に声をかけることをちゅうちょしてしまう世の中ですが、やさしい言葉をもらうことは、たとえ見ず知らずの人からであっても心が温まるうれしいことなのだなと感じた出来事でした。まだまだ先の話ですが、自分がいつか子育てが終わったころ、もし日々の育児に悩めるお母さんたちに出会ったら、ちゅうちょせず温かい言葉をかけてあげられるようになりたいと思っています。 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年04月28日混んでいるスーパーのレジ前でかんしゃくを起こし始めた3歳の次男。次男の対応に手こずっていたとき、見知らぬ女性が声をかけてきました。とてもショックだった出来事です……。 夕方スーパーのレジ前にて平日の夕方、長男が習い事に行っている間に買い物を済ませようと、次男とスーパーに向かいました。スーパーに入る前に「今日はお菓子1個だけね」「ジュースは買いません」と約束し、次男も大好きなチョコレートのお菓子を手に取り、そのときは満足気だったのですが……。 夕方の買い物客が多い時間だったためレジが混んでおり、1つのレジに5人ずつくらい並んでいました。あと2人終われば次は私の番というところで、次男が「ジュースもほしい」と言い出してしまい……。 事前にジュースは買わないことを約束済みでしたし、長男を習い事に迎えに行く時間が迫っていたこともあり、ジュースを買いに戻るという選択肢は私の中にありませんでした。すると、次男は大泣きして抗議しはじめたのです。女性の一言…すると、後ろに並んでいた見ず知らずの女性が声をかけてきました。 「ジュースくらい買ってあげなさい」 次男のグズグズを見かねてだとは思いますが、とても冷たい口調で言われてしまい驚き、ショックを受けました。長男のお迎えの時間が迫っていることや今日はお菓子一つだけと事前に約束していたことなど、なにも女性は知りません。 「わが家の事情をなにも知らないのに口を挟まないでほしい! 放っておいてくれ!」と思ってしまいました。 私は女性の一言にイライラしてしまい、反論する気にもなれませんでした。子どもを連れていると思いやりのある言葉をかけていただくこともありますが、そうではない言葉をかけられたのが初めてだったため、なんとも言えない気持ちになりました。この出来事から、自分が誰かを傷つけたりすることのないよう、相手の事情や背景などを考慮することを心がけようと決めました。 イラスト/海乃けだま著者:鬼頭いちか
2024年04月28日私と夫は「お互いにいいと思う名前を生まれてくる子どもにつけたい」と決めていました。 義母の発言に困惑…ある日私たちが決めた子どもの名前を義母に伝えたところ「わが家は代々同じ漢字1文字を受け継いで名づける」と言われました。 たしかに義母の言うとおり、夫もその漢字1文字が名前に入っていました。ただ私は「そのようなルールがあっても、自分たちが考えた名前にしたい」と思い、義母に言うと、義母から反発の嵐が。さらには「この漢字を使いなさい」と連絡が来るようになり、正直憂鬱でした。 こんな状態が続くと「妻にも生まれてくる子どもにも良くない」と判断してくれたのか、夫は義母の目が届き難い遠いところに引っ越しする方法を提案。夫の職場から遠くなってしまっても、家族を守るための夫の判断とのことでした。 それを聞いた義母は「引っ越しだけは止めてほしい」と言い、うろたえていました。 その後、口出ししないことを条件に引っ越しと子どもの名前の問題は無事解決。 義母は、子どもの名前や引っ越しのごたごたがあったことをすっかり忘れたように、今では孫に会いによく遊びに来てかわいがってくれます。 作画/市田スナオ著者:岸本幸子待望の子どもを授かり、育児休暇中。初めての育児に、不安と楽しみが交錯中。
2024年04月28日息子を実両親に預けたときのこと。帰ってくると、手足にある症状が見られ……。反省した出来事です。 短い時間だったけれど…2人目を妊娠中のときのこと。息子を保育園へお迎えに行き、歩いて数分の実家へ散歩がてら行きました。私の父は畑が趣味で、夏の暑い時期は日が落ちてくる夕方に畑作業をしていました。 息子もときどき、「じいじの畑を手伝う!」と畑へ。その日もいつも通り、息子は畑に一直線でじいじの横で一緒に遊んでいました。畑には私の母もいたので、今のうちにちょっと家に帰って洗濯物だけ取り込んで戻ってこようと思い、両親に息子をお願いしました。 預けたのは15〜30分ほどだったと思います。畑にいた息子を連れて帰ってくると、息子の両腕・両足には無数の虫刺されの跡が……。気づいてほしかったという気持ちと、私が注意すべきだったという反省でモヤモヤ。このことがあってからは、事前に虫よけスプレーをかけたり、長袖の服に着替えたりして対策を行なってから出かけています。 ◇ ◇ ◇ 子どもには外で思いっきり遊んでほしいですが、春から秋にかけては虫刺されが心配ですよね。服装に気をつけたり、虫よけスプレーを持ち歩いたり。そのほか、汗をかいたらこまめに拭くなどして気をつけたいですね。 イラスト/シュー子著者:佐藤ゆい
2024年04月28日幼い時から人見知りが激しく、抱っこすることもできなかった孫Upload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイわが家は母である私・ワッシーナを筆頭に、家族全員が個性いろいろで、発達に特性があるタイプです。私の孫デンデンは、幼い時から人見知りが激しくて祖母の私にもなかなか懐かず、抱っこすることができませんでした。まるでフィギュアスケートの技のイナバウアーみたいに反り返ってしまうからです。2歳になった頃のお正月に家族全員で集まってレストランで食事会をしました。その時デンデンは、レストランに入れず、およそ1時間ほど屋外で泣き叫んでいました。初めての場所や両親以外の人には緊張してしまい、その場に入れなかったり、うまく挨拶ができなかったりするのです。その後、私と長女ニャーイ(デンデンの母)は「たぶん場面緘黙の傾向があるのでは」と話し合いました。それぞれで場面緘黙でのこまりに対しての工夫を調べたり、発達支援施設へ相談に行き、意見交換をしてきました。担任の機転と声かけで、クラス全体で温かく迎える雰囲気があって回復へUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ昨年の春のことです。いよいよ孫デンデンの小学校入学式の日がやってきました。昔からお世話になっている発達支援施設に相談して、家族で考えた工夫を実行しました。事前に親子だけで、入学式の会場となる小学校の体育館を下見して、雰囲気に慣れるようにしました。入学式当日は、コロナ禍の後ということもあり、保護者同伴は2名までに制限するということが決まり、祖母の私は参列できませんでした。工夫の成果が出て、落ちついて入学式に参加できているといいなと思いつつ、ニャーイからの報告を待ちました。ところが、その日の午後、ニャーイから送られてきた動画を見て、ものすごく驚きました。スーツ姿のデンデンが泣き叫びながら、ネクタイを引きちぎるように外し、ワイシャツを脱ぎ捨て、逃げ回っていたのです。ニャーイは脱ぎ捨てられたネクタイやシャツを拾いながら逃げるデンデンを追いかけています。正直なところ、こんなパニック状態の時に、よく冷静に動画撮影ができたものだと逆に感心しました。後日、ニャーイにそのときの気持ちを確認したら「動画があると発達支援施設に相談しやすいだろう」と考えたそうです。以下は、長女ニャーイの感想です。ニャーイ:パニックになっているデンデンを落ちつかせるのは、何をやっても効果なしね。もう待つしかない感じ。デンデンの担任が、ベテランの優しい女性の先生だったので、とてもラッキーだったわ。先生は、入学式の前にも建物の影から出てくることができないデンデンに寄り添ってくれて「式に出ても、出なくてもどっちでもいいんだよ、どうする?」という声かけをしてくれた。式の最中は私たち親子だけ会場の体育館裏でデンデンが落ち着くのを根気よく待つことに。ふと思いついて、デンデンを連れて誰もいない教室を下見してみたの。デンデンの席とロッカーを確認して「ほら、知ってるお友だちがまわりの席だよ」って安心するように声かけした。それから教室を出て、また体育館の影に戻ったけど、結局、入学式の最後までデンデンは参加できず。入学式だけでなく、その後の記念撮影も背を向け嫌がってクラスの子たちと一緒に並べなかったわ。記念撮影が終わって教室に戻った生徒と担任の先生のところに行って「私たち、帰りますね」って声かけしたら、先生の対応がとてもよかった。先生は「さっき記念写真撮ったんだけど、デンデンも一緒にまた撮ろう!」って誘ってくれたの。先生の声かけの内容は聞き取れなかったけれど、初対面なのにデンデンはなぜか納得して記念撮影に加われた。クラスの子どもたちも不平を言わずにもう一度、記念写真のやり直しに協力してくれたのよ。デンデンはせっかく正装してきたのに、ネクタイ、ワイシャツを脱いで、スーツの下はTシャツのみ。でも、先生の親切な対応に恵まれて、本当によかった!入学式の後も不登校気味でなかなか学校に行けず、大変。やっと行けた学校では、担任の先生の対応と同級生に恵まれたおかげで温かく迎え入れてもらった感じ。クラスのお友だちも「デンデ~ン」って声かけしながら、たくさん来てくれて、デンデンは教室に入ることができたの。おかげで今では毎日、学校に通えている。最近では、デンデンが「明日、学校楽しみ!」っていうの。先生とお友だちには本当に感謝しているわ。大勢の前に立つと固まってしまうデンデンに、先の見通しとご褒美を提案Upload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイデンデンは、家以外の場所では固まって動けなくなってしまうことがあります。小さい頃から通っている保育園でさえも、おゆうぎ会では、最初から最後まで毎回、固まりっぱなしでした。4才の時、やっと舞台でおゆうぎができましたが、動作をひとつ間違えたことで固まり、泣いてしまいました。しかも一時的ではなくて、おゆうぎの間中ずっと固まって退場もできません。先生に退場を促された瞬間、さらに大泣きしてしまいました。そんなデンデンですが、小学1年生の12月に行われた音楽発表会では、クラスでなかよしのお友だちがたくさん励ましてくれて、ついにみんなと一緒に演奏を最後までやり通すことができました。以下、長女ニャーイの感想です。ニャーイ:今回は念入りに準備したわ。本番の前の週に、自宅でイメージトレーニングをしたの。発表会のプログラムの最初から最後まで、しっかり説明し、楽しい催しであることを伝えたり、2歳上の兄フクロッシュの時の動画を見せたりした。フクロッシュからも、説明と励ましがあって、その時は、前向きな気持ちになれたようで「明日はがんばる」と言っていたのだけど……。当日の朝になって過去の嫌な体験を思い出してしまったようでグズりだし、「たくさん人がいるとイヤ」とか「体育館はイヤ」とか言いだしたの。無理強いは良くないと考えたので「じゃあ、演奏会は休もうか」といったんは受け入れ「でも、ママは行かなければならないので、デンデンはお家で留守番する?」と聞いてみたの。するとデンデンは「留守番はイヤだ。一緒に行く!でも舞台には立たない!」と主張したので、「でも、クラスのみんなはステージで演奏するのに、デンデンは客席でいいの?」と質問してみた。デンデンは「後ろで演奏するのは目立つからイヤだ」って。クラスで背が高いほうのデンデンは一番後ろの列で演奏することになっていたのだけれど、本人は目立ってしまうと感じているみたい。兄フクロッシュも「だいじょうぶだよ」と励ました。でも本人は「失敗したら、どうしよう」と不安がっていたわ。「じゃあ発表会が終わったら、帰りにデンデンの大好きなハンバーガーを食べに行こうね」とご褒美を用意。頭ごなしに命令しない、本人の気持ちをしっかり受け止めて否定しない。発達支援施設やラクマお父さん、ワッシーナお母さんのアドバイスをしっかり思い出しながら対応したわ。現在、学校での授業中の様子は?ニャーイは、三者面談のときに、デンデンの授業中の緘黙傾向について担任の先生に確認してみたそうです。ニャーイ:先生によると「授業中にデンデンを当てると、目は合うけど、話しかけても返事がない。見た感じは、まるでやる気がないように見える。でも、本人のノートを確認したら、きちんと答えを書いているし、答えは合っている」って。どうやら先生から当てられたら固まってしまうみたい。先生は「(授業の中で)できることか、できないことかは本人に決めさせています」とのこと。デンデンの気持ちや心の状態を尊重してくれる先生で、とても感謝しているわ。ついこの間、3学期の最後の授業参観の時にデンデンは生まれて初めて手を上げて発言した。もう涙が出るくらい感激した!成長と共に場面緘黙の傾向も落ち着いてきたデンデン。今は環境に恵まれ、学校にも楽しんで通っていますが、新しい学年になったら先生やクラスメイトも変化があるので、状況に合わせて工夫も新しくしなければと思いを巡らせています。執筆/ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ(監修:森先生より)大変な中でも動画を撮る冷静さを失わなかったニャーイさんの対応は素晴らしいですね。専門家への相談がスムーズになったことと思います。さて、実は進級や入学のシーズンには、お子さんの場面寡黙に関してのご相談はとても多いのです。「場面寡黙」という言葉から、「黙り込んでしまう」という印象を受けるかもしれませんが、実際は特定の場面や状況で意思疎通が困難になったり、パニックになる状態を指します。新しい環境や知らない人との交流に緊張、不安やストレスを感じることが原因となります。対策としては、まずはお子さんの不安な気持ちに寄り添って、プレッシャーをかけないようにしましょう。お子さんがリラックスして、自分の気持ちを表現できるようにします。とはいえ、入学式などでは保護者自身も緊張したり慌ててしまっていて、冷静な対処が難しいことがほとんど。先生や支援機関を頼って相談することがとても大切です。情報を共有して、一緒に対処法を考えていくことです。必要な支援を受けながら、お子さんが自分自身を表現する方法を見つけることができるように、安心できる環境を整えていくと場面寡黙の症状も徐々におさまってくるでしょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年04月28日3人目の産後は、上の子たちの世話や家事は同居していた義母がしてくれるということで、自宅で過ごすことにした私。朝晩は食事を用意してくれましたが、「お昼はカップラーメン食べて」と出かける義母との感覚の違いに驚いた体験談です。 3人目の産後は自宅で過ごすことに上の子2人の出産時は実家に帰り、実母が産後の私を気づかい栄養のある食事を3食作ってくれました。そして、産後の1カ月健診が終わるまで実家にいて、その後自宅に帰りました。 3人目の産後は義父母と同居したこともあり、義母が産後の家事をしてくれるという話になったので、退院後は自宅で過ごすことに。産後の自分の体調に不安はありましたが、上の子2人の学校もあったため、子どもたちのことを考えるとそうせざるをえない状況でした。 帝王切開手術後の家事は難しい産前はほぼ私が家事をおこなっていたのですが、3人目の出産は初めての帝王切開手術だったので、思うように体が動かせませんでした。そのため義母が家事をしてくれて助かっていましたが、昼食だけなぜか作らないというスタイル。「カップラーメン食べてね!」と出かけてしまうのです。 ちょうど義父が入院中で、義母がお見舞いに行っていることは知っていましたが、病院には着替えを渡しに行く程度で、その後は自分の時間だからと遊びに行っているようでした。夫が義母に何をしているのか聞くと、「自分もストレスを発散させる時間が必要だから。家事はきちんとやっているから問題ないでしょう」と言ったのです。 夫が昼食作りを頑張ってくれて…退院から10日後、ちょうど上の子たちも夏休みに入り、昼食が必要になりました。それでも義母は昼食を用意することはなく、朝食が終わると身支度をして外出し、夕方まで帰ってきません。自分で家事ができたらサッと作るのですが、術後でもあり、生まれた子の世話だけて精いっぱいです。自分が動けない悔しさと、価値観の違う義母への感情で涙が溢れました。 上の子たちのこともありますし、カップラーメンでは……と夫に相談しました。すると、夫は仕事が夜勤で昼間は動けたので寝る時間をけずって買い物をし、昼食を作ってくれました。それを知った義母は、「家族のために息子がやるのは当然! 昼間は自分も用事があるから」と言ったのです。「産後の家事は義母に任せて」という話ではいつの間にかなくなっていました。 3人目を妊娠してからの同居だったので、上の子どもたちを自宅に残して実家に帰ることもできず、義母の行動にただただ驚いた産後でした。今は考え方の違いから義父母とは別居して程よい距離感で付き合い、穏やかな生活を楽しんでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年04月28日子どもが小学生のころ、仲の良いママ友が、化粧品の訪問販売をしていました。肌トラブルに悩まされてきた私は、決まったメーカーの化粧品しか使わなかったのですが、ママ友は熱心に自社商品を勧めてきました。1回ぐらい購入しようと思っていたのもあり、「部屋でゆっくり説明させてほしい」という言葉を受け、わが家でお話を聞くことに。しかし、これが間違いだったのです……。 ママ友は家に上がると…あまりの圧の強さに、お付き合いも兼ねてそろそろ1回くらい購入した方が良いかな……と感じていた私。「ゆっくり説明させてほしい」という言葉を受けて、わが家に上がることをOKしたのが失敗でした。 靴を脱ぐやいなや、ママ友はわが家の奥までサーっと早足で入って行ったのです。そして洗面所やキッチン、寝室のドレッサーなどを私に無断でチェック。そして、呆気に取られてぽかーんとしている私に向かって、「こんな化粧品使ってたらダメよ!」「今すぐうちの商品に全部変えなきゃ」とダメ出しを始めたのです。 その後もダメ出しと自社商品への賛美を2時間ほど続けていたママ友。結局その日は「このあと予定があるから」と理由をつけて帰ってもらいました。 それからは「使いかけの化粧品があるから」「お金がないから」とごまかし続け、次第にそのママ友との付き合いを減らしていきました。 いくら仲が良いとはいえ、勝手に部屋や持ち物をチェックされたのは衝撃でした。相手の気持ちも考えたうえで行動することが大切だと改めて感じた出来事でした。 イラスト/ぽん子著者:雪原こつめ
2024年04月28日