2015年12月に訪れた出会い縁あって私は『今、意思決定支援について考える-知的障がいをもつ子どもの 10人の親の意思決定支援』<発行PandA―J大門・明石塾(現・ネットワークかみひこうき)>という冊子のイラストを担当させていただきました。社会福祉士の編集長は…?初めて聞いた言葉『福祉オンブズマン』打ち合わせのため編集長のNさんの事務所兼ご自宅にお伺いしたときのことです。Upload By 荒木まち子社会福祉士は精神保健福祉士、介護福祉士と並ぶ国家資格です。医療・福祉・教育・行政機関等において日常生活を営むのに問題がある人からの相談に対して助言や指導、援助を行なう専門職で、社会福祉協議会や社会福祉施設、病院、地域包括支援センター等でのソーシャルワークを行っています。具体的には、在宅・施設で生活している人々の相談に応じたり、必要なアドバイスや利用可能な制度・サービスの紹介、サービスの利用調整や関係者間の連絡など、相談者を支えて抱える課題を解決するためにさまざまな仕事をしています。社会福祉士の概要について| 厚生労働省住民に代わって福祉サービス活動を調査、または、福祉サービスに関する苦情等の処理にあたっている機関です。保健福祉サービスに関する利用者又は利用希望者からの苦情を、中立で公正な第三者の機関を通して迅速に処理することを目指しています。そして利用者等の権利及び利益を保護し、保健福祉サービスの質を落とさないように努力するとともに公正で信頼される保健福祉行政を推進するという目的をもって設置されています。福祉オンブズマン制度 | 小金井市私の知らなかった本をたくさん見せていただくUpload By 荒木まち子Nさんに見せていただいたのは読んだことがない本ばかりでした。私はそれまで“障害について説明した本”や“障害児育児の書籍”は読んだことはありましたが、“支援者と当事者の関係”や“保護者と成人した障害児(者)との関係についての本”、“支援者向けに書かれた本”などはあまり目にしたことがありませんでした。大切なのは『人』社会福祉士や福祉オンブズマンが携わる相談は「高齢者介護」「児童福祉」「生活困窮者」など福祉分野の全てが対象で、障害児・者に限ったものではありません。多岐にわたる障害の特性や対応を理解するための労力を惜しまず、当事者の権利養護のための取り組みをしてくださっているNさん。お話をするにつれ、Nさんが相談者の悩みに真摯に向き合い、熱意を持って問題解決の為に取り組んでくださっていることがひしひしと伝わってきました。いくら制度が改善されても、立派な施設ができたとしても、やはり大切なのは“人”なのだと思います。将来、娘が一人暮らしやグループホームで暮らし始めたとき、もし困ったことに直面したとしてもNさんのような心強い味方が身近にいたらきっと安心して暮らせるだろうと、このとき私は感じたのでした。先駆的な活動2015年といえばこの発達ナビサイトもまだオープンしていないころです。娘は当時高校生でわが家はまだ社会福祉士や福祉オンブズマンはとは無縁な時期でした。でもその当時から子育ての先輩や支援者の方々は『意思決定支援』や『後見人制度』についての学び合い、先駆的な活動をされてきました。意思決定支援リーフレット(神奈川県)成年後見登記制度 Q&A - 法務省親として自分ができることを考える今後、保護者と行政、施設職員、法曹界の人々、民間企業や市民後見人、成年後見支援者の繋がりが深まり、障害者の権利擁護についての協働の取り組みはさらに活発化していくことでしょう。障害のある子どもの保護者として私自身もこれから『何ができるのか』『何をするべきなのか』をしっかりと考えていこうと思っています。おまけUpload By 荒木まち子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月17日どんな習い事をさせるべき?現在小学5年生の娘は、4歳のときに広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)の診断がつきました。それより前の、3歳(まだ診断はつかずグレーゾーン)のとき、私たちは少しでも発育の刺激になればと、娘に初めての習い事をさせることにしました。Upload By SAKURAひとことで習い事と言っても、いろいろ種類があります。体操教室、水泳などの身体を動かす、スポーツ系。塾や、英語などの勉強系。絵、ピアノなどの、芸術系。コミュニケーション能力への刺激を考えると、集団の中で受けるほうがいいのか・・・いろんなことを考え、どんな習い事にするかとても迷いました。この時期の娘は、少しだけしゃべれるようにはなっていましたが、自分のやりたいことや興味のあることを自分で言えない状態でした。私たちは娘の普段の様子から、どんなことなら興味を持つか、楽しいか、推理するしかありませんでした。たまたま近所にあった、ダンス教室。少し時間をかけて考えていたとき、娘と散歩から帰宅した旦那が・・・Upload By SAKURA家の近くにダンス教室があると教えてくれました。通うなら、なるべく近いほうがいいと考えていた私。歩いていける距離にあるのは、嬉しいことです。娘も、音楽に合わせて身体を動かすことは好きなように見えましたし、ダンスなら集団だろうし、コミュニケーション面での刺激も期待できるかも!そう考えた私は、とりあえず見学に行くことにしました。不安いっぱいの中の見学。しかし・・・当時、娘はしゃべることは少しずつできていたものの、ちゃんとした会話はなかなか成立せず、相手の指示は聞き取れない状態。見学に行く途中、私は「こんな状態の娘でも受け入れてくれるのか・・・」「入会を断られるのではないだろうか・・・」という不安がめぐっていました。Upload By SAKURA見学当日の娘は、まったく緊張することもなく躊躇なく集団の中に一人で入って行き、和気あいあいと体験することができました。Upload By SAKURA特に、言葉のやり取りがうまくいかなかったり集団を乱したりすることはなく、楽しそうな娘を見て「入会しようかな」という気持ちになっていましたが、「娘の発育が遅れている、言葉が苦手」ということを黙って、入会するわけにはいきません。見学を終えたあと、指導してくれる先生に(発育、言葉の遅れなどの)話をすると…「一番下のクラスなので、ダンスの技術よりも楽しく踊ることができればいいというスタンスなので、大丈夫ですよ」と言ってもらえ、通うことになりました。先生の話をなかなか理解することができず、指示と違う動きをしたり、所かまわずマイワールドに入ってしまい踊りが止まってしまうことは多々ありました。けれど、先生も理解してくれ「気が向いたらやってくれればいいですよ~」と優しく声をかけてくれたので、途中で通うのを嫌がることなく、発表会にも何度も出ることができました。Upload By SAKURA結局ダンスは、引越しを期に通えない状態になる5歳まで、続けることができました。もう一つ習い事を増やしてみることに。二つ目は…このダンスに通っている4歳のときに、娘は広汎性発達障害の診断がついたのですが…。発達外来の定期健診時に、先生から「習い事を増やしてみては?」と提案され、主人とも話し合い、もう一つ習い事を増やすことに。Upload By SAKURA二つ目の習い事として、考えたのはピアノ。当時、娘は、通っていた幼稚園で、よくピアノを弾いたりして遊んでいて、興味を持っていたように感じたからでした。最初は楽しそうだったけど・・・さっそく、家から近い場所を探して見学に行き、習い始めることにしました。Upload By SAKURA鍵盤に触る娘はとても嬉しそうで、音楽に合わせて身体を動かしたりするのも、とても楽しそうでした。しかし、段々と、楽譜通り弾いたり指の本格的な指導になってくると、娘は楽しそうではなくなりました。Upload By SAKURA「やめる?」と聞くと『やめない』とは言うものの、好きなように鍵盤が触れないことにイライラしているように見えました。このころの娘には、こだわりも意地も出てきていて、「やめたくない」という気持ちが本心なのか意地になっているのか、私も判断がつかない状態でした。習い始めたときは、楽しそうじゃなかったらすぐやめさせようと思っていたのですが、そう簡単に決めることができず、私はどうしたものかとピアノに連れて行くたびに迷っていました。私の体調不良がきっかけで、お休みすることに。そんなとき、ちょうど息子を妊娠中だった私は出血を繰り返し、自宅で安静にすることに。ピアノの送り迎えもできない状態になりました。そこで、(私の体調不良が理由ではあったけど)娘のピアノをお休みすることにしました。Upload By SAKURA突然ピアノに通わない状態になり、娘がパニックになるのでは?と心配していた私でしたが、娘はピアノに通えなくなったことを特に気にする様子はありませんでした。結局、私の体調は出産直前まで安定することはなく、ピアノのお休み期間はとても長いものになりました。その後、無事息子を出産をしたのですが、産後すぐに引越しが決まっていたため通えなくなり、ダンスと同じタイミングでやめることになりました。引越ししてから、また新しい習い事を近くで見つけようと思っていたのですが、しばらくは生後間もない息子の世話や、娘の小学校入学でバタバタした日が続き、幼稚園年長~小学1年生はまったく習い事をしない時期が続きました。(続く)LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年07月14日水嫌いなお子さんのための処方箋。「水を怖がる子」ってどんな子? 水嫌いな子にやったほうがいいこと、ダメなことって? 3児ママ小児科医の保田典子先生に聞きました!こんにちは。3人の子どもを子育て中の小児科医、保田典子です。みなさんのお子さんは水、大好きでしょうか? それとも、怖がりますか? これからプールや水遊びが多くなる季節になりますが、子どもが水を怖がらないとお風呂などもラクになると思いますので、今回は「水を怖がる子」のための処方箋をお伝えしたいと思います。 「水を怖がる子」ってどんな子?今までたくさんの子を見てきて、「水を怖がる子」は、その子の特性で怖がりな子が怖がってしまうパターンがとても多いように感じています。 水が全然平気な子は、水が鼻に入っても、ちょっとすべって水に頭ごとざぶんと入ってしまっても、また懲りずに水に向かっていくのです。なので、水嫌いの子は水だけでなく、高いところに登る、乗り物(自転車や遊園地のアトラクションなど)に乗ることなども怖がりでできない・やらない子に、水を怖がる傾向があると考えています。 水を怖がってしまうと、プールも怖がってしまうので、水泳もなかなかレベルアップしにくいことがあります。 水嫌いの処方箋1:なにが嫌なのかをきちんと把握する水が嫌い、水が怖いといってもいろいろあったりします。0歳の子だと、「顔に水がかかる感じが嫌」だということが多いかと思います。1歳を過ぎると、漠然とした水への恐怖が出てくることがあります。2歳を過ぎると「溺れちゃうかも」みたいな想像が、水が怖い気持ちにつながります。 水を嫌がる・怖がるお子さんは、水がかかる「感覚」が嫌なのか、水に溺れてしまう「恐怖」が嫌なのか、それだけでも判断できるとその先の対処がラクになります。 水嫌いの処方箋2:子どもが「嫌なこと」はしない水がかかる感覚が嫌なタイプの子は、まずはシャワーキャップなどで顔に水がかからないようにしてあげる方がいいでしょう。シャンプーのときはシャワーキャップを使って、顔を洗うときはなるべく顔にバシャッと水がかからないように、手で水をよけてあげながら洗ってあげることがいいでしょう。無理に水に慣れさせようとすると、かえって水嫌いが長引く可能性があります。 溺れる想像による恐怖心で水を怖がってしまう子は、お風呂の湯船は大丈夫でも、プールに入れないという子が多いです。この場合は、プールに入るときにずっとしっかり抱っこしてあげて「絶対安全」と子どもに感じさせるような状況にします。 抱っこのまま、ちょっとずつプールに足をつける、腰まで入ってみるなどプールに少しずつ慣れさせてあげましょう。また、アームリングなどの浮き輪をつけてあげて「安全だよ」という気持ちを高めてあげるなどして、ちょっとずつ「大丈夫の範囲」を広げていくようにしてあげましょう。 水嫌いの処方箋3:スモールステップで慣れていく!水嫌いの子、水が怖い子でも、子どもはだいたい「水遊び」は大好きです。プールは嫌でも、お風呂に顔をつけるのは嫌でも、水遊びは好きなんです。不思議ですね。なので、水が怖い子が少しでも水に慣れてもらう第一歩としては、水遊び風にして水に慣れてもらうことです。 水遊びといっても、水が怖い子のための水遊びは、タライや浅いビニールプールに水を張って遊ぶことからが良いと思います。わが家ではお風呂の洗い場に小さいビニールプールを置いて、水遊びをしていました。暑い日のシャワーは、あせも対策にも良いので、「お風呂プール作戦」はオススメですよ。 お風呂プールは裸でも、水着を着てプール気分を盛り上げてもいいですね。0歳、1歳の子は水着でテンションは上がらないと思いますので、裸でよいと思います! 2歳以上であれば、水鉄砲などの水を使うおもちゃをお風呂で使ったり、プール遊びなどで水鉄砲で水を顔にかけたりして水に慣れていきましょう。公園のじゃぶじゃぶ池などもいいですね。 赤ちゃんや小さいお子さんの場合、水深数センチでも溺れる可能性がありますので、子どもから目を離さないように気を付けましょう。 水嫌いにならないために「溺れてしまいそうで怖い」という感覚は、その子の特性でのちのち出てきてしまうものなのですが、「顔に水がかかる感覚が嫌」はある程度、経験も関係してきます。 生後すぐの沐浴などでは、水が顔になるべくかからないように丁寧に洗ってあげたりしますが、沐浴のときからある程度おおざっぱに洗って顔に水がかかるのに小さいときから慣れてもらうと、水が顔にかかっても平気になります。 「溺れそうで怖い」に関してもベビースイミングなど、小さいうちからプール慣れしておくと発症予防になることが多いかなとは思います。水遊びが気持ちいい季節になりました。赤ちゃんを育児中の方、お子さんが水を怖がるという方はぜひ参考にしてください。 監修者・著者:医師 高円寺こどもクリニック院長 保田典子 先生2003年筑波大学医学部卒業、国立国際医療センター、大阪市立総合医療センター小児循環器内科勤務を経て、2014年東京女子医科大学大学院博士課程修了後現職。小児科専門医。一般診療、小児循環器診療に加えて、漢方治療や発達相談にも対応している。2021年、高円寺こどもクリニック開院。3児の母。
2021年07月03日障害者手帳は3種類Upload By 立石美津子発達障害者手帳、これがあったらどんなにいいかと思いますが、残念ながら存在しません。障害があることを証明する手帳は次の3つのみです。・身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳つまり、知的障害を伴わない、あるいは軽度の発達障害の人のための “発達障害者手帳”というものは存在しないのです。発達障害がある場合、精神障害者保健福祉手帳の対象として分類されています。厚労省精神障害者保健福祉手帳の障害等級の判定基準について障害者手帳があると就活でも活用できる従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者・知的障害者・精神障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)民間企業の法定雇用率は2.3%です。従業員を43.5人以上雇用している事業主は、障害者を1人以上雇用する必要があります。一般枠で企業就労するのが難しい場合、障害者雇用枠で就労することができますが、その際に障害があることを証明する手帳が必須となります。しかし…・視覚障害、聴覚障害、上肢下肢の欠損、体幹障害による歩行困難など身体障害がなければ、身体障害者手帳の対象とはなりません。・(自治体によって異なりますが)東京都の場合、知能指数が76以上だったら療育手帳の対象とはなりません。愛の手帳について | 東京都保健福祉局精神障害があると認めたくない保護者もいる一定の知能指数のため療育手帳対象に該当しない、身体障害もないため身体障害者手帳の該当にならないとなると…残るのは“精神障害者保健福祉手帳”となります。すると、「うちの子は発達障害。精神障害ではない!」と憤る親御さんを見かけたことがあります。これに対して私は心の中で「いやいや、そうじゃないのよ。知的障害のない発達障害児が、障害者雇用促進法のもと、法定雇用率でカウントされて企業就労するには、なんらかの障害者手帳が必要。今の制度上では、知的障害のない発達障害児は精神障害者保健福祉手帳が必要となるのに」と呟きました。知的障害がなくても療育手帳の対象になる地域も発達障害のある人は知的障害がなくても、社会生活を送るにあたって多くの困難を伴います。社会生活での困難と言う面では、知的障害、精神障害、身体障害がある人と同じだと言えます。そのため、知能指数が療育手帳の範疇以上の人に対しても、療育手帳を発行している自治体もあるようです。全国的にこれが広まればよいと感じます。Upload By 立石美津子自己申告制日本の福祉は自己申告制です。親がわが子の障害に気づいて積極的に動くことで取得できます。精神障害者保健福祉手帳について紹介しましたが、こちらが取得できない場合もあると思います。たとえ障害者手帳の対象とならなかったとしても、障害福祉サービス受給者証をとって、福祉とつながっている人だということを示す方法もあります。「精神障害者保健福祉手帳が必要?わが子には精神障害はないのに!」と憤るのではなく、福祉サービス、制度を活用することで、わが子の将来の選択肢を広げられるかもしれません。精神障害者保健福祉手帳で雇用枠での就労を目指したり、受給者証で福祉サービスを活用したり、支援者につながる機会を増やすことが、わが子を守ることにつながるのではないかと思います。
2021年07月01日「頑張れ、フツウになれ」死を考えていた学生時代Upload By 桑山 知之2019年5月、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材で、筆者は初めて神山さんと出会った。「学校の先生が文字読めないなんて、悟られたくない。悟られちゃいけない」「どうやって死のう、ばっかり考えてましたね。『頑張れ頑張れ、フツウになれフツウになれ』って言われ続けると、そういうふうにならざるを得ない」彼は、文字が読めない教師。にこやかな表情とは裏腹に、これまで経験してきた生きづらさが言葉の節々からにじみ出ていた。岐阜市で生まれ育った、すぐに熱を出してしまう、体の弱い男の子。自分は文字が読めないと知ったのは、小学2年の道徳の授業だった。B4見開きのプリントの文章を読み、感想を書くという課題で、一時間経って読めたのはわずか3~4行だけだった。「ぼくはみんなと違う」――。それからは、どう叱られずに一日を過ごすかが神山少年の課題となった。教科書が丸々覚えられるようにと、3歳上の姉が音読してオープンリールのテープに吹き込んでくれ、擦り切れるまで聴いて授業に臨んだこともあった。それも小学校高学年になると、文量が増えて立ち行かなくなってしまう。Upload By 桑山 知之「先生たちにも『あいつはどうしようもないやつだ』って言われて。『学校に来る価値のない人間』とか『教室に入るな』とか、そういった言葉は日常茶飯事で。先生がそういう風にみんなの前で叱って、つるし上げたりすると、クラスの雰囲気もそうなって、いじめられました。みんなにバカにされていました」(神山さん)神山さんの母親は、端的に言えば世間体を気にしていたという。学校で何かがあると自宅に電話が入り、家に帰れば「あんたなんか産まなきゃよかった」「あんたのせいで近所も歩けない」と罵られた。中学、高校も含めて学生時代は「どうやって死のうか」とずっと考えていた神山さん。紆余曲折を経て選んだ道は、陸上自衛隊。活字とは縁遠い職業だった。つらい思いは自分で最後に…決断、そして教師へUpload By 桑山 知之18歳の神山青年は、2等陸士として京都・宇治市にある駐屯地にいた。誰も自分のことを知らないところへ行って、人生を再出発させる。体力に自信がある神山さんにとって、文字を使わないこの仕事はまさに天職だった。2年ほど過ごし、自衛隊の中で成人式をやってくれることになった。「上官が『今までの20年間をしっかりと振り返って、今後どう生きていくか人生設計を立てなさい』と話をしてくれて、考える時間もくださって。そこで、自分のようにあんなにつらい思いをするのは自分で最後にしよう、そういう教育者になりたいな、自分がそういう教育を変えていけるようにしたいなと思ったんです」(神山さん)Upload By 桑山 知之すぐに上官と相談して、夜間の短大に通い始めた。朝6時に起きて夕方まで訓練をやったあと、大学に行き、帰ってくるのはいつも23~24時だった。それでも、「同じ苦しみを抱えている子たちを放っておけない」という一心で頑張れた。そして23歳の頃、教員採用試験に合格した。しかし、教え子に対しては、なかなか自分の苦手さを伝えられずにいたという。「教科書は前日に丸暗記して、読んでいるフリをしていました。技術科の教師だったので、技術科の教科書と、自分が担任するクラスの道徳の授業ですね。行頭の文字とかキーワードだけで、そのあとの文章が出るように覚えたり。丸々暗記しようと思うと大変ですけど、段落の頭でその段落が思い出せるように、ブロックで覚えるのを毎授業やってました」(神山さん)27歳で知った自分はディスレクシアUpload By 桑山 知之自己の学習障害を隠したまま、神山さんは通常学級を6年間受け持った。そんなとき、NHKのとある番組でアメリカの小学校のことが報じられていた。それがディスレクシア(識字障害)だった。「そこではディスレクシアとかいう言葉は使われていなかったですね。読み障害とかそういう感じ。でもアメリカは移民の国なので、そういう子たちのプログラムで教育は保障できるっていう。その子たちの特性はこうです、というもの全部が自分に当てはまるから、本当に驚きました」(神山さん)その後、神山先生は特別支援学級を受け持つようになる。テレビでディスレクシアを知って「自分の中でつっかえていたものが取れた」ため、自分の苦手なこともすべてオープンに話した。劣等感を抱えている子どもたちの心に寄り添うことができた。Upload By 桑山 知之特別支援学級を5年間受け持ったあと、特別支援学校で17年間にわたり勤務。そして、主幹教諭という立場で3年間、岐阜市内の小中高などを回っていろんなアドバイスや支援をおこなった。いつしか神山さんの存在は全国各地で知られるようになり、講演依頼が絶えないほどになった。現在は、岐阜市内の小学校の用務員をやりながら、子どもたちや保護者らの相談を受けている。「日本の教育って無意識に人との比較をしてしまっているんですよね。人との比較で自分を評価することを学んでしまっているんです。それよりも、過去の自分と比べる方が自然かなって。もっと言えば、『あなたはそのままでいいんだよ』ではなくて、『あなたはあなただからいいんだよ』って僕は言いたいです」(神山さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年06月23日長男が8歳のとき、発達障害の1つである「ADHD」の診断がおりました。さらにお医者さんが言うには、自閉症の傾向も高めとのこと。生後半年ごろには育てにくさを感じていたのですが、受診に至ることはありませんでした。長男の発達障害がわかるまでの体験談と、「こうすればよかった!」と思ったことを紹介します。うちの子に限って!と思っていた私赤ちゃんのころからまったく人見知りをせず、抱くと毎回反り返っていた長男。とにかく動き回る子で、生後10カ月のころには私が疲労で倒れてしまいました。特におかしいなと思ったのが、月齢に合わせて届く通信教育のおもちゃをまったく使いこなせなかったこと。 ビデオ教材で見た子どもたちと違い、長男はおもちゃが分解できないことにかんしゃくを起こしていたのです。そこで発達の遅れを気にすればよかったのですが、私も初心者ママ。「まさかうちの子に発達の遅れがあるはずない」と思い込んでしまいました。 健診では悩みをうまく伝えられず…3歳までに何度か健診がありましたが、長男の発達について指摘されることはありませんでした。普段はかんしゃくを起こしがちな長男ですが、健診のときはたまたま落ち着いていたのです。 さらに健診では、保健師さんとママが1対1でお話する機会があります。保健師さんには長男に手がかかることは伝えていたのですが、具体例をうまく伝えられませんでした。事前に気になることをメモしておけば、スムーズに相談できたのかなと思います。 IQテストでまさかの平均値!健診をスルーした長男でしたが、何度か自主的に市の子育て相談にも行きました。そこでも問題は指摘されず、私はすっかり疲れ果てていました。そして5歳のとき、保育園の先生から市の療育室を紹介されたのです。 その療育室では、IQテストを受ける機会がありました。このときには「長男には何か問題があるはずだ!」と思っていた私は、これで何かわかるかも!とうっすら期待……。しかし結果は平均値。ここまでくると、私の育て方がいけないのでは?と思う自分がいました。 受診の希望を伝えると一気に話が進み!転機が訪れたのは、小学2年生に進級してすぐのこと。次男の1歳半健診のときに、長男のことで悩んでいると相談したのです。すると、県から委託されている相談先を紹介されました。それを聞いた私は即行動! 新しい相談先でIQテストを受けると、発達にかなりの凹凸があるとわかりました。 受診の促しはありませんでしたが、今度はこちらから受診を希望していると伝えました。そこからはトントン拍子で病院を紹介され、すぐにADHDの診断がおりたのです。 ふり返ると、こうしておけばよかったなと思うことがいくつかあります。まずは、「わが子に限って」と思い込まないこと。それから、健診では事前に気になる点をメモしておくこと。そして、親としての希望があればこちらから伝えていくことです。自分がどう思っているか・どうしたいのかを相手に伝えることは、とても大事だと学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2021年06月21日考えないわけにはいかない、「きょうだい児」の妹のことUpload By かさはらあやこ障害や病気がある子の兄弟姉妹のことを〝きょうだい児〟といいます。私がこの言葉を知ったのは 自閉症について調べるようになってからなので、一般的にみるとたぶん知らない人の方が圧倒的に多いだろうし、当事者の気持ちになって考えることなど身近にいない限りはないと思います。そして自閉症育児に奮闘しているわたしが、きょうだい児について悩んでいると言ったら、周囲の人はきっとこういいます。まだ小さいのに考えすぎ大丈夫育て方次第そう、そうかもしれない。でも、考えないわけにはいかないのです。兄に手がかかって我慢を強いてしまうのではないか。しつけが不平等になってしまうのではないか。好きな人と結婚できないのではないか。この先に感じるであろう疑問や将来への不安に、しっかり耳を傾けてあげられるだろうか。食事中に首をひたすら振る兄をみて喜んで笑いながら真似をする。突然泣き叫んで酷い癇癪を起こす兄を不思議そうにみつめる。おもちゃを奪い合った後にこちらに視線を投げてくる…。そんな娘に、なんと声をかけてあげればいいのか、どうやって接していけばいいのか、ずっとずっと悩んできました。医者から言われた「誤学習をする可能性がある」Upload By かさはらあやこ娘が1歳になったばかりのころ、息子の通院している病院で、娘について「みたところ発達が非常に良いので、早く集団に入れたほうがいい。誤学習をする可能性がある」と言われました。兄の真似をして首を振ったり、兄が食事を口に運んでもらう様子をみて自分で食べなくなったり、〝誤学習〟に心当たりがあったわたしは、とても焦りました(その日のうちに某幼児教材を契約したくらい焦りました)。翌日に児童発達支援の先生が、「私はそれを誤学習だとは思わない」とはっきり言ってくださったため、モヤモヤした気持ちは打ち消すことができましたが、医者からの「誤学習」という強いワードは心の中から消えることがなく、いまも、ことあるごとに脅かされています。妹が保育園でお友達を押してしまった。押し寄せる不安Upload By かさはらあやこ4月から保育園に入園。慣らし保育が終わって少し落ち着いたころ、妹がお友達に対して「だめ!やだ!」と言ったり、ときには手が出て、押してしまったりする案件が発生。家で遊んでいるとき、兄におもちゃを奪われることが多い妹は、大きな声を出して抵抗し、奪い返しに行きます。兄も、こだわりのあるおもちゃであれば何度でも奪いに行き、奪い奪われ癇癪を起こし、妹は大声で泣く。そんなことが目の前で起こっているとき、両者にどう声を掛けていいのかわからず、ただ呆然と見ているしかない状態で、こちらに余裕がないときは特に、息子に癇癪を起こされては困ると、「いっちゃんはいいの!」と兄を庇うこともあり…。そのせいで、「だめ!いいの!」と、娘も混乱しているような言葉を発しながら、おもちゃを奪うようになってしまいました。私が母親だから、兄が自閉症だから、というような家庭環境のせいで、このまま娘が保育園という社会の中で、横暴な振る舞いをするようになったらどうしよう。どうしよう。どうしたらいいんだろう。そんな気持ちが一気に押し寄せてきて、涙が止まりませんでした。きっと正解なんてない。関わってくれる人たちと一緒にUpload By かさはらあやこすぐに保育園の担任の先生に相談し、それから児童発達支援の先生方にも相談。先生方はすぐに時間を割き、真剣に話を聞いてくれました。そして、いま私が悩んでいる娘の行動は問題行動ではなく、年齢的には相応しい2歳児の遊びであり、コミュニケーションの取りにくい兄とのやり取りの一つであること。物を取られるかもしれないという不安感をなくすため、取られても戻ってくる見通しを持たせる遊びを取り入れて、物の永続性を学習させる。家庭でのルールを少し緩和する(兄によしとすることを妹にもよしとする)。など〝私に対しての〟具体的なアドバイスをくれました。(先生方、本当にありがとうございました!!)〝きょうだい児〟の問題に関しては、同じように悩んでいるひとたちが数多く存在すると思います。沢山いるはずなのに、〝きょうだい児・喧嘩・正しい声の掛け方〟と検索しても、欲しい答えは見つかりません。どう声をかけたらいいのか。どう接したらいいのか。正解なんてないのだと思います。だから、・聞いてもらう・色々な人の意見を聞いて考える・いまはやりすごす(成長を待つ)・目を瞑ってなんとか乗り越える・一人で悩みすぎないそんなことが必要なのだと思いました。そして、この問題に関しては、成長と共に悩みの種類も変化し、一生悩みは尽きない気がします。自分ひとりで抱え込むのではなく、関わってくれている人たちみんなに育ててもらうつもりで悩みとうまく付き合っていかなくてはと思います。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年05月20日「できるけど疲れる」ことがたくさんある筆者が吉川先生を知ったのは、2018年11月にNHK総合で放送された『発達障害って何だろうスペシャル』だった。千原ジュニアさんや南沢奈央さんらをMCに据え、スタジオには小島慶子さんのほか、筆者がテレビ取材もさせていただいた“トリプル発達障害”の漫画家・沖田×華さんも出演。そこでの吉川先生の発言に、思わず膝を打った。「発達障害のある方に関して『何かができるかできないか』っていうことだけで見ると、見誤るんですね。『できる』と『できない』の間に『できるけど疲れる』ことがたくさんある」(吉川先生番組内で)誤解を恐れずに言えば、吉川先生はちょっと異質的な存在だ。元々教員になりたかったが、学校教員の文化が自分に合わないことに高校時代に気づき、子どもの精神科医という道を選んだ。大学教員などを経て「自分は研究者向きではない」と感じたといい、現在では多くの発達障害当事者や養育者に支持されている。Upload By 桑山 知之「“正確さを犠牲にした分かりやすさ”っていうのを意識しているんです。専門の研究者って、正確さを大事にしなきゃいけない立場ですよね。正確さを犠牲にできないじゃないですか。でも僕は研究者ではないから、『誤解を招きかねないけど分かりやすい』ということがいくらか許される立場なんです。研究者になってしまうとできない表現や書き方ができるというのが、研究者ではない医者の特権かなと」(吉川先生)確かに、前述の「できるけど疲れる」ことがたくさんあるというのは、それに当てはまらないケースがあるのも事実だ。しかしながら、発達障害の苦しみを理解するうえでは非常に分かりやすい表現だといえる。福祉や法律といったあらゆる領域をまたいでいるからこその見識の深さを、自身は「ひとつの領域を突き詰めるというのがあんまりできなくて……」と謙遜する。Upload By 桑山 知之この子、発達障害かも?まずは「人手集め」から我が子にADHDや自閉症スペクトラム障害のような特性がみられた場合、多くの養育者はまず子どものことを理解しようと、発達障害の知識を蓄えることからスタートしてしまいがちだ。しかし、吉川先生によれば、まず「人手をできる限りたくさん集める」ことが入口として一番“無難”だという。「人手が足りないときに知識だけ集めたり、トレーニングだけ受けたりすると、わりとややこしいことになるんですよね。例えばこの子に何か新しいことを好きになってもらおうとすると、ちょっと演出しないと難しいよって。お母さんが歯磨きをしたあとに、すぐに僕もやる!ってなる子は歯磨きを覚えさせるのも難しくないんだけど、真似っこしたい気持ちが弱い子に対しては歯磨きって楽しいんだよっていうか、何かひと手間ふた手間かけないと歯磨きが好きにならないし、できるようにならないかもしれない。だから今、この子の子育てで何かを好きにさせるためにもできるようになるためにも、もっと言うと虫歯にさせたり怪我をさせたりしないためにも、余分に人手が要りますよねっていうところを共通認識にしていくことが入口なんですよね」(吉川先生)Upload By 桑山 知之あくまで順序としては人手、すなわちマンパワーを集めることが最優先事項。それがひと段落したあと、知識や技術を身につけていく。そのためにも、家族以外からサポートを受けることが精神的な支えになるそうだ。一般的には母親が先に気づいて父親はあとからついてくることが多いが、夫婦間だけでなく祖父母世代との間でも「足並みが揃うまでに時間がかかる」ことは多い。「早い時期に関わる支援者はつい子どもの特性とか子どもに対する関わり方をどんどん伝えたくなるんですけど、それよりも先にどうやってお父さんと足並みを揃えるのか、おじいちゃんおばあちゃんへの説明をどうしようか、っていう相談に応じていただいたほうがいいと思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之「できたら褒める」は要注意「挑戦したら褒める」にシフトをドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』を放送したのは2019年5月。発達障害は、ここ5年ほどの間に急速な認知が広がったように筆者は感じている。こうした中、人手を含めたリソースの供給などが追いついていないと吉川先生は話す。「社会の認め方もそうですけど、当事者やその身近な方の認め方も確実に変わってきているというのは、確実にそうですね。ただ、変わってきているのも、いいところも悪いところも両方あるかなって思っています。必要な方が援助にたどり着きやすくなったってことはあると思うんですが、急速に知識だけが広がってきたので、支援のためのリソースがまだ充分足りていない。文化の変化というか、そういう人たちがたくさんいるんだっていうのを含んだ“文化の成熟”っていうのも遅れているんじゃないかなと」(吉川先生)Upload By 桑山 知之吉川先生は、発達障害の有無にかかわらず子育てをする中でつい陥りがちなことがあると指摘する。それは、「できたら褒める」ということだ。「できたら褒められるっていうのを子どもが学びすぎると、大人が好きなのは完成と達成と勝利だけと思ってしまうんですよね。そうすると、どうせ達成できないから僕はやらない!ということになってしまう。発達障害のあるお子さんの中には、難しそうな課題は手を出さなくなる子が一定の割合でいるんです。どちらかというと、『挑戦したら褒める』作戦でいく方が、子どもを育てやすくなると思います」(吉川先生)Upload By 桑山 知之完成と達成にフォーカスするよりも、何かに取り掛かり始めたところで応援することに軸足を置いた方が育てやすいという。特に、きょうだいの中に発達障害と定型発達の子がいたり、知的障害のある子がいる場合、完成と達成を評価してしまうと他方への褒め方が見つからなくなる。それよりも、挑戦に対して「ナイストライ」「いいチャレンジだったね」と声を掛ける方が“辻褄が合いやすい”と吉川先生は話している。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年05月17日■前回までのあらすじ夢だった仕事を開始。さらに付き合いが途絶えていた友人とも交流を深めていこうとするが、どうしてだか彼は反対する。そしてとうとう彼に「話がある」といわれてしまい…。■もし、彼と別れても… 恋人との別れはすごくつらいこと。それはほとんどの人がそう思うことでしょう。でも、そのつらさがずっと続くわけではないことも、多くの大人は知っていると思います。『人は、つらいことがあっても乗り越えることができる』私はそれを摂食障害を克服したことで学びました。一生治らないと諦めていた摂食障害。時間はたしかに9年もかかってしまったけれど、私は回復することができた。このことが私の大きな自信になりました。これまでの私なら相手の顔色を伺い、相手の意に沿わないようなことは決してしなかったでしょう。でも今の私なら、恋人と別れても、1人でも生きていける。そう思うことができるようになったのです。だから逃げることなく、落ち着いて話し合いにのぞむことができました。→次回に続く※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。
2021年04月29日“自分らしい人生を描くライフプラン”実践するコンサルタント2名をご紹介Upload By LITALICOライフ(写真・左)大手教育関連企業に入社後、会社の経営に従事しつつ、地域に根付いたサービス提供を推進。中学から大学までの入試全般から、普段の学習方法や不登校等々多くのご相談を経験。現在は、進路選択から習い事へのアドバイスや教育費の備え方など広く相談を実施している。(写真・右)中学時代にいじめに遭ったこと・障害のある家族がいることから「人と人/人と環境の境目にある壁をこわすこと」を軸にする。当事者の家族であることから、家族の心のケアや障害年金、また「よくわかる高校受験」勉強会の開発者でもあり、入試全般、不登校問題の相談経験も豊富。LITALICOライフの面談はどのようなことをする?LITALICOライフ編集部(以下、ーーー):お二人は、発達障害・特性のある子のご家庭と日々ライフプラン面談をしています。面談ではどのようなことをするのでしょうか?加藤晋太郎さん(以下、加藤):ご家庭の多くは、子どもや家族の将来について「もっと良くなりたい」という気持ちがあります。そのお手伝いです。髙橋基さん(以下、髙橋):発達特性のある子は、進路や自立後の情報が手に入りにくいですよね。我々は情報を持っているので、整理しながら「どうありたいか」「どうすればそれが実現できるか」を一緒に考えます。よくある相談内容は?意外に多い「何からすればいいのかわからない」Upload By LITALICOライフーーご家庭からはどのようなご相談が多いですか?加藤:「行ける高校はあるか」「将来就けそうな仕事はあるか」など…ご家庭によってさまざまです。「何から考えたらいいかわからない」という方も意外に多いですね。髙橋:多いですね。ーー「相談内容がわからない」ケースもあるのですね。加藤:「何かを変えたい」と思いながらも、整理する時間が日常でとれないのだと思います。髙橋:面談は、そういった保護者さま自身の幸せや「実現したいこと」を再認識していく場でもあります。自分の願いを見つけるコツは「普通」「他の人と同じに」を一度忘れることーー保護者さま自身の「実現したいこと」は、どのように整理・再認識していくのでしょうか?加藤:例えば子どもの進路や趣味探しであれば、保護者さまは、子どもの特性や性格をよく知っています。それらを言葉にして整理していくだけでも、「実はこれが向いているかも」「一度挑戦してもいいかも」と見えてくることがよくあります。髙橋:保護者さま自身のことであれば、例えば「どうやったらうちの子は大学に行けますか」という質問もよく受けます。加藤:受けますね。髙橋:その場合、「なぜ大学に行って欲しいのか」「保護者さまにとって大学とは何か」と会話していくと、中には「やっぱり価値のあるものだから行って欲しい」という方もいれば、「よく考えたら行かなくてもいい」という方もいます。ーー会話していくなかで、考えが変わることがあるんですね!加藤:変わることもありますし、自分でも気づいていなかった価値観が見つかることがありますよ。髙橋:「わたし、こんなこと思っていたんですね」って言われますよね。加藤:「普通にしなきゃ」「他の人と同じにしなきゃ」と感じることがあると思いますが、世の中変化しています。例えば、コロナによってオンラインの活用など、学びのかたちも変わってきていますよね。最終的には自分たちの「こうしたい」という気持ちが大切だと思います。進路選択や相続。一般的に「良い」と言われていることも、詳しく知ると…?Upload By LITALICOライフ髙橋:「情報を正しく知る」のは重要ですよね。加藤:重要ですね。例えば「通信制高校が良いらしい」という情報があったとして…髙橋:卒業率や大学進学率、実際のカリキュラムなどを見てみると、相性の良い子と悪い子がいます。ーー通信制高校は今、注目されていますよね。子どもによって相性があるのでしょうか?加藤:はい。授業の受け方や、同世代とのコミュニケーションは独特な部分があります。「良い」と言われていても、合うかどうかはお子さま次第です。髙橋:面談で、人生にまつわる先の話をしていくと、相続の話にもよくなりますよね。ーー相続というと、親なきあとのお金のことでしょうか。お金持ちのご家庭が気にされそうですね。髙橋:お金のあるなしは、あまり関係ないかもしれません。人の別れは、避けては通れないものですから。加藤:保護者の方は「今」がとても忙しいので、考える機会がない方が多いと思います。面談では、将来や、保護者の方の家族の話になることもあります。すると「意外に時間がない」「突然のことで困る事態は避けたい」という気持ちになる方は少なくないですね。ーー相続というと専門的な印象がありますが、そういったことも相談できるんですね!髙橋:そこが私たちの強みです。現実的な家族関係やお金の問題をクリアしたうえで、「実現したい」ことに向き合いたいですからね。加藤:相続に関しても「子どもにお金を託しても管理できないから遺さないほうがいい」という意見もあります。でも、遺し方はいろいろあります。他の人に託したり、月々一定額届くようにしたり、一部の金額だけ渡したり。髙橋:その子が一人っ子ではない場合は、きょうだいのことも大事ですね。ーー将来のこと、きょうだいのこと、自分の親やお金のこと…。いろいろなことを繋げて相談できるんですね。加藤:相続や法律についても私たちは情報があるので、保護者さまは「どうありたいか」集中して考えられると思います。面談は「自分の意志で人生を描きたいと感じられる」「保護者さま自身の幸せを考える」場Upload By LITALICOライフーー最後に、保護者さまにとって面談がどういう場であってほしいか、教えてください。髙橋:保護者さまは、子どものことをすごくよく考えていらっしゃいます。だからこそ、あえて「今はあなた自身の幸せを考える場です」とお伝えしています。守りたいことや起きてほしくないことを整理して、自分たちにとっての形を追求することを、私は手伝いたいです。加藤:人生の時間は有限だと、私自身よく感じます。これからの数十年を俯瞰すると、自分ができることには物理的に限りがあります。生きているなかで何をしたいのかは、人や家庭によってさまざまです。「自分の意志で人生を描きたい」と感じられる、価値のある場にしたいと思っています。ーーありがとうございました。加藤晋太郎さんのプロフィール・無料勉強会はこちら髙橋基さんのプロフィール・無料勉強会はこちらLITALICOライフでは、発達障害のある子のご家庭と日々、「進路」や「将来」といったライフプラン(人生設計)について相談・面談をしています。14以上のテーマの無料勉強会を開催していますので、気になる方は参加してみてください。勉強会のあとに、個別の無料面談を希望することができます。LITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニング(人生設計)をサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年04月29日いじめで引きこもりに…「半分死んでいた」飲食関係の会社で働く父親と、元保育士の母親のもとで育った古橋さん。6歳上の姉とともに暮らしていた。中学1年の10月ごろから不登校になった。原因は、小学生時代から続いたいじめだった。「人がもうダメになって。小学校6年の終わりにいじめが始まったんです。小学校の人たちと縁が切れて、中学校に入ったら中学校で縁ができた人たちにもいじめられて……。あぁ、ちょっと無理、ってなって。自分の中で、引きこもりになるってことはすごくいけないことをしたっていう、人を殺すよりもいけないことをしたって考えていました。当時は、信号の赤を渡ったら地獄に落ちるぐらいの勢いで凹んでいたから。だからもう引きこもりになるってことは死ぬっていうか、半分死んでいるみたいな。生きてはいるけど。なんか死んではいないだけって感じで捉えていました」(古橋さん)Upload By 桑山 知之よく忘れ物をする子供だったという古橋さん。引きこもっている間に、自閉症スペクトラム障害だと診断を受けた。19歳の頃、鬱のため通院もしたが、なんとか苦しみを乗り越え、愛知県内にある通信制の高校や放送大学を卒業した。その後、就労支援のサービスを受け、エクセルやワードなどの資格を取得。2019年、晴れて貸し会議室などを運営・管理する会社にパートとして就職した。業界大手の一流企業だ。「その会社は時給社員っていう肩書きがある会社でした。社員だけどパートっていう、契約社員でも正社員でもなかった。営業の人が使う情報を入力して、資料を作成するような仕事ですね。そういったところでVBA(ビジュアルベーシック・フォー・アプリケーションズの略。Microsoft Officeに含まれるアプリケーションソフトの拡張機能のこと)を 使って、メールの下書きが自動で作れるようにしたりしていました」Upload By 桑山 知之襲い掛かった“コロナショック”就職から1年余りで週4日勤務、時給900円。手取り月収はおよそ7万円。決して裕福な生活こそできないが、それでも古橋さんは「正社員のような長時間労働は自分には難しいだろう」と、無理をせずに仕事に励んでいた。しかし、世界的なパンデミックの波が、古橋さんを襲った。「去年の春からコロナが流行って、不要不急の業務はやめるってことになって、お休みになったんです。それからずっと自宅待機になって、結局9月に退職しました。貸し会議の業界自体がお客さんを集めて運営するようなものなので……。人が集まれない状態ですから」(古橋さん)Upload By 桑山 知之「密を避ける」という時節柄、部屋に人が集まって会議をするという需要は激減した。自宅待機中、古橋さんは雇用調整助成金のおかげで給料のうち6割は支給されていたものの、「会社も運営が難しくなって人員を減らさないといけなくなり、その関係で切られた」という。現に、古橋さんと同じ立場であるパートは全員退職していた。「そりゃショックでしたよ。でも、しょうがないかなっていう思いが強かったですね。だってコロナの状況でしたし。なんでこうなったのかっていうのも、自分のせいじゃないってわかるし。じゃあ、就職活動頑張らなきゃなって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之コロナと距離「自分を受け入れてほしい」元々は正社員志望だったという古橋さんだったが、飲食関係の中小企業で正社員として働く父親が朝から仕事に出て、翌日未明の2時や3時まで自宅に戻らない姿を見て、子どもながらに「これは無理だ」と悟った。社会情勢の影響を受けるのは経済面などで「弱い立場」の人間であることが多い。旧来の“当たり前の幸せ”すらまともに享受できない現代において、新型コロナウイルスは、こうした社会と市民との距離をはっきりと顕在化させているのではないかと筆者は思う。「いま、社会に望むことはあるか」との問いに、古橋さんはこう即答した。「そりゃあ自分を受け入れてほしいってことじゃないですか。社会に出て、パートナーを得て、家族ができて、成功できればなって。社会に受け入れられるっていうのは、僕はその2つだと思います」(古橋さん)社会との距離をあぶり出した、新型コロナウイルス。引きこもりで通信教育だったため友達作りの場が不足していた古橋さんは、親以外に相談相手がいない。取材中も「僕たちには相談相手が必要だ」としきりに話していた。古橋さんに愛情を注ぎ続けていた母親は、取材時にガンで入院中だった。その後、3月18日に息を引き取ったという。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之正しいからおもしろい行き着いた“適者生存”古橋さんは、去年11月から再び就労支援のサービスを受け始めた。幸い、以前も担当していたスタッフが在籍しており、また受け持つことになったそうだ。古橋さんがいま大切にしていること。それは「正しくないとおもしろくない」ということだ。「別に誰かに正しさを教えられたわけじゃないけど、自分の中でいつのまにか形成されたこだわりなんです。正しくないと楽しくないし、おもしろくないんです。正しくないよりは正しいことを楽しく感じますし」(古橋さん)Upload By 桑山 知之図書館に行っては歴史や社会、政治、自然科学といった専門書ばかりを読み漁る。その中で、ある言葉と出会った。いまの古橋さんの心を支えているという。「自分が最近好きな言葉が『適者生存』で。適しているから生き残るっていう意味らしいんですけど、実はそうじゃないんですよね。生物学の本に書いてあったんですけど、『生き残ってるのがすべて適者なんだ』って考え方なんです。適してないものは滅ぶんじゃなくて、すでに滅んでるんだって。だから、発達障害があるってことは環境に適していないっていうことではなくて、『生きているってことはすでに適している』っていう意味で適者なんだって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年04月25日発達障害・感覚過敏のある子は、電車通学のハードルが高過ぎる件出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』他、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。今回のコラムは、通学電車にまつわるお話を…。発達障害&グレーゾーンの子や、感覚過敏のある子は、電車通学…特に満員電車での負担がとても大きいでしょう。なぜなら、・感覚過敏のある子の身体接触等の苦手さ問題・ADHDのある子のうっかり忘れ問題・ASDのある子の予測不能な事態でのパニック問題…などがあるために、ハードルが特に高いのです。これらの問題は、決して大げさではなくて、せっかく受験で希望の学校に合格しても、「通学電車の負担が大きすぎて、不登校になったり、自主退学や転校を考える生徒さんもいる」と聞くほど。(実はうちのパパも若いころ、電車通勤の負担から大企業を辞めて、研究の道に入り直した人なのです)ですから、うちの長男・次男の中学受験では、最初の学校選びの段階で本人と相談しながら、例えどんなに素晴らしい学校でも、通学に1時間以上かかる学校や、複雑な乗り換えや混雑路線を使わざるを得ない学校などは、予め志望校リストから除外してしまいました。そして無事、長男・次男共に、ドア・ツー・ドアで1時間以内・乗り換え1回の私立中高一貫校に入学できたものの、小学校を卒業したばかりの当時若干12歳で、満員電車での通学に挑まなくてはなりませんでした。そこで、うちで親子で行ってきたさまざまな工夫や対策など、通学電車にまつわる諸問題の乗り越え方を、新型コロナの影響下での通学状況の変化も踏まえつつ、ご紹介していきますね。電車の使い方と身体接触に徐々に慣らす!出典 : うちでは、まず、「電車自体に慣れる」ところから、スタート。それまで、うちは地方在住なので普段の移動は車か自転車中心で、電車は年に1度の祖父母宅への新幹線での帰省程度でしたから。そこで、小学生の受験勉強時代から、学校見学や体験授業参加の際には、「実際の通学ルート」を使うことに。そして、本人用の交通系ICカードをつくり、券売機でのチャージの仕方、基本的なマナーなど、”いろはのい”から時間をかけて教えました。基本に慣れたら、次は、時間の余裕があるときに、トラブル時などを想定して、ワザと降車駅を乗り越してみたり、途中駅でトイレを借りたり、別の路線で遠回りして帰ってみたりも…。この際、「こういう時、どうすればいいと思う?」などの声かけで、なるべく本人が自分で判断できるようにして、それでも難しいときには、「駅員さんに聞いてみようか」「この場合は、こうすればいいんだよ」など、具体的に”困ったときには、どうすればいいか”を教えました。こうして、受験シーズンくらいには、電車にかなり慣れたので、「今日は〇太郎についていくから、かあちゃんを〇〇中学まで連れてって」と、(多少間違っても)なるべく手出し口出しせずに、見守るようにしました。出典 : そして、最後の難関、朝の通学時間帯の満員電車!志望校の合格後、長男と試しに朝のラッシュ時に一緒に電車に乗ると、今までとは別次元の混雑ぶり。身体接触が苦手な長男は「人が多すぎて、乗換駅で降りられない!!」「押されてどこにも掴まれない…」「いろんな匂いでキモチワルイ」とパニック寸前の涙目に。やはり、かなりハードルが高かったようです。そこで、本人と作戦会議をし、「満員電車よりも早起きのほうがマシ!」という結論に…。学校に門が開く時刻を聞き、朝は一番乗りで登校することにしました。ピーク時よりはかなりマシですが、それでも結構混んでいるので、入学後の最初の一週間ほどは、私も一緒に電車に乗って、「今日は一駅手前まで」「今日は乗換駅まで」と、様子を見ながら日毎に付き添う距離を短くしていき、最後は最寄り駅から見送るだけに。つまり、うちでは、親は「ステップを踏んで徐々に慣らし、だんだんと手を離す」ことで、子は「それでも無理なことは、人に相談し、できる工夫する」ことで、なんとかしました。ちなみに、3年後の今では、長男も混雑に慣れ、登校時間もずるずると遅くなってきましたが、「コロナのことで、ピーク時も多少人が減ってる気がする」とのこと(確かに、近隣地域ではマイカー・自転車通勤も増えています)。マスク着用の上、車内の換気もされているので、匂いへの負担も減ったよう。また、学校側も感染が拡大している時期は、オンライン授業や分散登校など、柔軟に対応してくれるので、潔癖で心配性の次男もホッとしている様子です。うっかり忘れの自覚と、持ち物の工夫と習慣化Upload By 楽々かあさん身体接触の次に懸念されたのは、うっかり屋の長男の電車での「忘れ物・落とし物」と、降車駅での「乗り過ごし」問題です。そこで、長男の通学用のリュックは、図のようになりました。元々、「よくなくすものには、ヒモをつける!」が、うちの忘れ物対策の鉄則。特に、定期とスマホと財布と家の鍵などの大事なモノは、フックのついたスプリング式のコード(通称「びょんびょん」。100円ショップのキーホルダーコーナー等で入手可能)をまとめ買いし、それぞれつけるように習慣化(※フックがかからない箇所は、カラビナやリング、バッグのタグなどと組み合わせる)。たったこれだけで、長男は今までスマホも定期も、一度も落としたことはありません(「びょんびょん」だらけで、年頃の子には少々カッコ悪いかもしれませんが、背に腹は変えられません!)また、今では長男も"自分はよく忘れる"自覚があるので、電車を降りるときには、座っていた座席を目視したり、制服やリュックのポケットなどを手触りで毎回ポンポンと確認したりする習慣をつけているのだそう。出典 : そして、「乗り過ごし」対策も、あまりに当たり前のようですが、長男自身が「自分で、気をつける!」ことで、対処しました。ここで大事なのは「どうすれば、気をつけられるか」を、具体的に考えることです。長男は、"自分がかなりうっかりしている"ことも十分自覚しているので、例えば、通学中にスマホで好きなサイトや動画を見ていると、つい、目的地の駅で降り忘れてしまうことをよ〜く知っています(実際、何度かやらかしました)。そこで、シンプルですが、学校の最寄り駅の数駅手前の大きな駅で、人が沢山乗り降りするので、「その駅になったら、スマホをやめて、アナウンスを聞く」ように習慣化しているそうです(これだと、視覚・聴覚を使っていても気づくとのこと)。スマホの乗り換え案内系のアプリにも、位置情報から降車駅が近づいたら通知やバイブレーション機能で知らせてくれるものもあるので、長男と似たようなお子さんは、自分が気づきやすく習慣化しやすい方法を見つけるといいでしょう。また、親の私のほうは、最初のころは位置情報アプリなどを使って、学校に無事到着したり、設定した範囲から長男が出たら通知が届くようにしたりもしました。ここでの大事なポイントは、自分(我が子)の特徴を自覚して工夫し、それを「習慣化する」ことだと思います。不測の事態には、事前知識と「こうすれば、大丈夫」という対処法!出典 : そして、「いつもと違うこと」「予測不能なこと」が苦手な子は、"電車が予定通り動かない”ことなどに遭遇すると、強い不安やストレスを感じたり、場合によってはパニックに陥ることもあるでしょう。でも、ご存知のように、電車の運行は、事故や故障などの他、急なゲリラ豪雨や、大雪、台風、地震などの気象条件や自然災害などによっても、突然止まったり、ダイヤが乱れたりすることがあります。うちではまず、「電車には、こういう可能性もある」と、予め、一緒に電車に乗っているときや、テレビのニュースなどを見ながら話し、さまざまなケースを”知識として”教えました。事前知識が少しでもあれば、実際にアクシデントが起こったときの衝撃がかなり違いますから。そして、前出の「通学リュック図」にあるように…・財布の中に非常用の千円札と保険証のコピー、自宅の連絡先・サバイバルセット(応急手当、ビニール袋、非常用トイレ、他)・晴雨兼用折りたたみ傘・頓服薬(頭痛・腹痛用など)…などを、常時入れっぱなしで「もしも」に備えています。それに加えて、特に役立った"不測の事態"への対策は、長男自身による「防災訓練」でした。出典 : 実は長男は、小さなころから「地震怖すぎる」等と、自然災害に対する恐怖心が人一倍強かったことで、逆に知識が豊富になり、日頃から防災意識が高く、何かと災害対策を実践するようになりました。その一環で、中1のあるときに、地震などで帰宅困難になったときを想定して、「おれ、1回、学校から家まで歩いて帰ってみる!」と言いだし、午前授業だけの日の帰りに、3時間ほどかけて徒歩帰宅しました(以来、年1度くらい、徒歩帰宅しています)。これで、「もし電車が止まっても、歩いて帰ればいい」と実感でき、かなり安心できたようです。そして実際に、この経験が大活躍しました。昨年の春のコロナ休校明けに、次男がようやく中学初登校できた日のこと。なんと、帰りの電車が、突然のトラブルで急に全線ストップしてしまいました。学校の最寄駅付近で、周囲が大混乱の中、合流して私に電話をかけてきた長男と次男によれば、「タクシー乗り場はすでに長蛇の列で無理そう」とのこと。でも、私が「もうすぐ長女が小学校から帰ってくるから、スグには車で迎えに行けない」と伝えると、「じゃあ、歩いて帰るか、〇次郎!おれ、道分かるから、大丈夫〜」と、長男は慌てず騒がず、次男と一緒に歩き出しました(乗換駅から復旧していたので、そこから通常ルートで帰宅)。やがて、「ただいま〜」と、ぐったり次男と共に、ケロリとした顔で無事帰宅した長男を見て、「あの〇太郎が、随分パニックに強くなったなあ」と、私は彼の成長を頼もしく感じました(ちなみに、現在は「痴漢冤罪怖すぎる」と、ネットで誤解されない対処法を検索しまくっています)。予測不能な事態も、事前の知識と、「こうすれば、大丈夫」という対処法が分かっていれば、案外落ち着ける場合も多いのではないでしょうか。多様な通勤通学方法の普及で、下がるハードルも…出典 : 現在、新型コロナウイルスによる影響が長期化する中で、発達障害&グレーゾーンや、感覚過敏のあるお子さんは特に、学校・日常生活の中での負担や不安・ストレスを感じる場面も多いことでしょう。その一方で、テレワークやオンライン授業の推進、通勤通学時間の分散化、マイカー通勤や徒歩・自転車通学の増加などによって、多様な通勤・通学方法が社会全体で模索される中で、高かった電車通学のハードルが多少下がってきた部分もあるように思います。これを機に、多様な子どもたちの通学の負担が少しでも減って、本来の学校生活に集中できるように願っています。大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2021年04月20日音楽や映画などを中心としたエンタメ系のフリーライターとして活躍する吉田可奈さんは、仕事をしながら2人の姉弟を育てるパワフルなシングルマザー。しっかり者の姉 “みいちゃん”と知的障害を抱えた弟 “ぽんちゃん”との日々を綴ったエッセイ&マンガ『うちの子、へん?』(扶桑社刊)が今話題になっています。第1回では他の子との違いに気付いたきっかけや、障害を持つ子どもとの向き合い方について、第2回ではシングルで育てるためのさまざまな工夫や、実際に利用しているサポートなどについてお話を伺いました。そして、インタビューの締め括りとなる今回。子育てをする中で傷ついた言葉や救われた言葉、幸せに感じる瞬間について語っていただいています! 障害児を育てるママへの接し方は難しい-吉田さんとお話していると明るくさっぱり伝えてくださるのであまり悲壮感を感じないのですが、過去に言われて傷ついた言葉ってありますか? 吉田さん:エッセイにも書いたんですけど、母親に「いつ普通になるのかね」と言われた時は、すごく傷ついたというか、頭に来ましたね。「普通って何?」みたいな。あと、障害を持った子と触れ合ったことがない人たちに、遊んでいる姿を見て「そうは見えないのにね」「いつか喋れるようになるよ」と言われた時は、モヤモヤしました。 -障害のあるお子さんを持つママへの接し方って、傷つけるつもりでなくても傷つけてしまうこともあって、難しいと感じることがあります。 吉田さん:そうですよね。慰める気持ちや、相手を安心させようする優しい気持ちで言ってくれていることは分かっているんですよ。でも、実際にそういう言葉を聞くとやり切れない想いになってしまうんです。もし、身近にそういうママがいたとしたら、普通に話を聞いてあげるだけで十分だと思います。当事者にしか分からないことが多いし、変なアドバイスとかは逆撫でしてしまうことも多いと思うので。普通の会話の中で向こうが聞いてきたら答えるくらいで良いんじゃないでしょうか。 -障害の有無関係なく、人の家の子育てに口を出さないで!ってことですね。 吉田さん:まさに、簡潔に言うならそれです!障害って、うちの子みたいな言語障害にも知的障害がある場合とない場合があるし、自閉症やダウン症にもいろんな種類があって、本当に1人1人全然違うんですね。それなのに、「あの自閉症の子はこうしたからあなたもこうしてみたら?」とか、「あのダウン症の子、すごく書道が上手だからあなたも習わせてみたら?」とか言われると……。その人が良かれと思って言ってくれているのは分かるし、ありがたいとも思うんですが、どうしても素直に受け止められないんです。 -もし、障害児を育てているママ友がいて、すごく苦しんでいたとしたら、どうするのがベストなんでしょう? 吉田さん:何かママ自身がリフレッシュできることを考えてあげてみてはどうでしょうか。一緒にどこかに出かけたり、美味しいものを食べたりとか、そういうことが喜ばれるんじゃないかなと思います。あと、子どもたちを一緒に遊ばせてあげる。力の加減が分からないから強く掴んじゃったりすることもあるし、難しいんですけどね。そこはもちろん、ママが責任を持って制するようにして。全部理解して欲しいなんてワガママなことは言わないから、ある程度そういう子なんだというのを分かったうえで一緒に公園で遊んでくれたりするだけでも嬉しいものです。 障害を「逆手に取ろう」という言葉に救われた-なるほど。では、逆に救われた言葉や出来事はありますか? 吉田さん:同じマンションに住んでいた自閉症のお子さんを持つママに「うちの子に障害があるかもしれない」と伝えた時、「じゃあそれを逆手に取って遊ぼうよ」って言ってもらったことですね。知的障害者に交付される【愛の手帳】(※1)というものがあって、それを持っているとテーマパークでも列に並ばずに遊ばせながら待ち時間を過ごすことができたり、交通機関が割引になったり、旅行が格安で行けたりするんですよ。そういうのを使ってどんどん遊びに行こう!って。 ※1愛の手帳…東京都が知的障害者(児)に対する社会の理解と協力を深めるために交付している手帳。障害の程度によって、1度から4度に区分される。東京都以外では「療育手帳」が交付されている。 -すごく前向きな言葉で、励まされますね。 吉田さん:本当に、その言葉にはすごく救われました。今はちょっと遠いところに住んでいるのですが、今でも年に1回くらい会っていて、相変わらずすごく明るいし、勇気をもらえます。しかも、その自閉症の子は、知能指数(IQ)と日常生活の様子を見る障害の判定基準をクリアすることができて、最近手帳を返還したんですよ。そういうやり方もあるんだという前例を見せてくれることで、希望が持てました。私のところにも「実は誰にも言えなかったけどうちの子もそうなんです」とか、「今3歳で、障害があって絶望していたけど元気が出ました」とかDMが送られてきたりして、自分がこうやってぽんちゃんとのことを話すことで、安心してくれたりとか元気になってくれたりするのがすごく嬉しいです。 -先が見通せるって安心しますよね。 吉田さん:そうなんですよね。小学校に上がることすら怖いかもしれないけど、そこはぽんちゃんを見て、デイサービスに通わせれば日中ママは普通に働けるんだとか、そういうことを知って安心してもらえたら。極論的に言えば、健常児であってもこの先、何があるかわからないですよね。未来のことは誰にも分からないし、先のことを憂いて暗くなるよりも、今日はこれが楽しかったねって毎日楽しいことを積み重ねて10年過ごした方が絶対に良いと思うんです。 3人で入るお風呂がコミュニケーションの時間 -子育てする上でのこだわりや譲れない部分ってありますか? 吉田さん:ずっと大事にしていたのは、オン/オフをちゃんと切り替えることですね。お姉ちゃんが小学生のうちまでは、土日は仕事を入れないようにして必ず出かけていました。ちょっと遠出をしたりとか、泊まりがけで旅行に行ったりとか。2ヶ月に1回くらいは旅行に行っていたと思います。 -すごいパワフル。では、お子さんを育てている中で特に楽しい、幸せだなと感じる瞬間はどんな時ですか? 吉田さん:お姉ちゃんが今年で中学2年になるんですけど、すごく良い子に育ってくれていて。友だちみたいにAbemaの恋愛ドキュメンタリーを一緒に見たり、原宿に遊びに行ったりできて、すごく楽しいですね。ぽんちゃんも、そこに対して「やだ」とかが一切なくて、どこでも付いてきて楽しんでくれるんですよ。とにかくぽんちゃんはかわいいです(笑)。ビジュアルもかわいいし、言葉を発さないから生意気なことも言わないし、毎日かわいいね、かわいいねって言っています。あと、今でも毎日3人でお風呂に入っているんですけど、それが楽しくて。そこだけがちゃんとコミュニケーションがとれる時間というか、お風呂には携帯も持ち込まないしテレビもないから、その30分くらいはみんなでギャーギャー喋っています。成長するにつれてどんどん湯船が窮屈になってきているんですけどね(笑)。 -それは素敵ですね。最後に、2人にどんな子に育って欲しいですか? 吉田さん:今、本当に2人に対して不満がないんですよ。お姉ちゃんは中学生になって友人関係とかもいろいろ複雑になっていく年頃ですが、そういう中でも客観的に物を見て上手くサバイブしているので、それはそれで良いなと思っていて、ぽんちゃんもすごく人懐こいので、どこでも上手くやっていけるタイプだと思うんです。2人とも、そのまま楽しく毎日を過ごしていってくれたら良いなと思います。 3回にわたりお届けしてきた吉田可奈さんのインタビュー。知的障害を持つ子どもをシングルで育ててきた経緯や工夫、考え方などについて語っていただいきましたが、終始明るく前向きで、聞いているこちらが幸せな気分になり、元気をもらえました。きっと、この10年の間には大変な思いや出来事もあって、これから壁にぶつかることもあるかもしれませんが、しっかり者のお姉ちゃんと可愛いぽんちゃん、そしてパワフルなママの3人であれば、どんなことも負ける気がしませんね。同じ境遇のママや子育てに悩んでいるママも、吉田さん一家のポジティブな空気を感じて元気になっていただけたら幸いです! PROFILE:吉田可奈さんエンタメ系のフリーライターとして活動しているシングルマザー。13歳、10歳の子どもを子育て中。発達障害・知的障害の子どもに関する著書を出版している。
2021年04月18日音楽や映画などを中心としたエンタメ系のフリーライターとして活躍する吉田可奈さんは、仕事をしながら2人の姉弟を育てるパワフルなシングルマザー。しっかり者の姉 “みいちゃん”と知的障害を抱えた弟 “ぽんちゃん”との日々を綴ったエッセイ&マンガ『うちの子、へん?』(扶桑社刊)が今話題になっています。前回は、他の子との違いに気付いたきっかけや、障害を持つ子どもとの向き合い方についてお話を伺いました。 今回の記事では、シングルで育てるためのさまざまな工夫や、実際に利用しているサポートなどについて語っていただいています! じぃじとばぁばにお金を払ってサポートを依頼-シングルマザーで2人のお子さんを育てていて、さらに下の子に障害がある状態って大変だと思うのですが、実際に苦労したことなどありますか? 吉田さん:うちは本当に、運が良かったというか。シングルになると大体は経済面やサポートの面で苦労すると思うのですが、私の場合、1冊目に出した本『シングルマザー、家を買う』(扶桑社刊)にも書いたように、実家の目の前に良い物件を見つけて、両親のサポートを受けることができたんです。 -それが今住んでいらっしゃる家ですか? 吉田さん:はい。私が死んでも子どもたちが雨風をしのげる場所が欲しくて、離婚届を出したその足で不動産屋に行ったんです。そうしたら、運良くこの家に出会えて、30年ローンで購入しました。団地なんですけど、80平米もあって実家の目の前。その頃は年収が200万円くらいしかなかったのでローンを組むのは勇気が要ったのですが、当時の収入でも無理のない月額4万円の返済で契約したので、その後も経済的にかなり助かっています。 -ご両親のそばだとサポートしてもらいやすくて良いですね。 吉田さん:本当に、じぃじとばぁばには助けられていますね。私の仕事はライブレポートとかもあって週1〜2回は夜遅くなるので、そういう時はじぃじが家に来て泊まってくれたりとか、上手くサポートを受けて仕事ができています。コロナで緊急事態宣言が出てからは夜の仕事がほとんど無くなったので、だいぶラクになりましたけど。あと、うちの場合は完全に頼りきるのではなく、金銭が発生しているんですよ。年始に1年分としてある程度の金額を振り込んでいるんです。 -金銭が発生しているのは面白いですね。親しき仲にも礼儀あり、ということでしょうか。 吉田さん: どうしても食費など、子供を預けるのであれば発生する金額があります。それを振り込むことで、両親の負担が金銭面だけでも減るのであればと思い、年に1度、まとめて振り込むようになりました。 シングルでいることで逆にストレスフリーでいられる -じぃじとばぁばのサポートがあるとはいえ、やはり働きながら子育てするのは決してラクではないのでは? 吉田さん:今までシングルの状態でしか子育てしていないので、他とくらべて大変なのかどうかはよく分からないです。よく友だちかから旦那さんへの不満で「何もしてくれない」とか、「こういう扱いを受けている」とか聞くじゃないですか。うちの場合はそこに関しての悩みがひとつもないから、むしろすごくラクなんですよね(笑)。1人だったら自分でやるしかないし、期待する相手もいないじゃないですか。家事効率も完璧なんですよ。何時何分にご飯が炊けて、何時何分に風呂に入れて、何時何分に寝られて、何時何分から仕事ができて……という、完璧なタイムスケジュールで進められるんです。子どもたちも、上の子は中学生なので自由にやっているし、ぽんちゃんは「こうするよ」って言えば全部「はーい!」って素直にやってくれるし。やっぱり、同じくらいの年齢で同じくらいの思考を持った人が近くにいると、すごく面倒くさいんだろうなと思いますね(笑)。 -人にペースを乱されることがないっていうのは確かにストレスフリーですね。 吉田さん:そうそう。全然ラクです。 障害児手当と放課後デイケアサービスに助けられる毎日 -ほかにサポートなどを受けたりしていますか? 吉田さん:シングルマザーに【母子手当】(※1)が出るのはご存知の方も多いと思うのですが、あれって所得制限があって、たしか230万円を超えると貰えないんですよ。(母1人子ども1人の母子世帯で、一部支給額が支給される場合)普通にフルタイムで働いたらそんなの余裕で超えちゃうじゃないですか。私も離婚後1~2年くらいしかもらっていませんでしたし。ただ、私が受給してもらっている障害児手当【特別児童扶養手当】(※2)には助けられています。医師に診断書をいただき、審査に通れば受給できるのですが、結構知らない人が多いんです。障害の状況に応じて1級だと月5万円くらいと結構手厚いので、知的障害があるならすぐにでも調べて利用した方が良いと思います。 ※1母子手当(児童扶養手当)…離婚による母子世帯など、父又は母と生計を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進のために支給される手当。※2特別児童扶養手当…精神又は身体に障害を有する児童を家庭で監護、養育している父母等に支給される手当。 -なるほど、そういうものを駆使すればシンママでもガッツリ働きながら育てられると。 吉田さん:そうですね。あとは、小学校に入ったら障害児向けの放課後デイサービスがあるので、それもおすすめです。うちは曜日別で2カ所に通わせているんですけど、そこが本当に手厚くて、小学校まで迎えに行ってくれて、18時過ぎになったら自宅まで送ってくれるんですよ。さらに土曜日でもイベントをやってくれたりするので、すごく助かっています。 -デイサービスを2カ所利用しているのはどうしてですか? 吉田さん:良さげなところを探したんですけど、保育園と一緒で空きがないと入れないんですよね。それに、入りたいところと入れるところが違っていたりもして。結局2カ所に通うことになってしまったのですが、今となってはそれが逆に良かったなと。 -空きがなかったからなんですね。でもなぜ、結果的に良かったと? 吉田さん:親だけが見ていると子どもの変化って分かりづらいけど、より多くの大人がぽんちゃんの存在を知って見てくれていることで、昨日の状態と今日の状態が違うことに気付けたりするんです。例えば、うちの子は金曜日だけ違うデイサービスに通わせているのですが、そこでは気づけなかったことに別の曜日で気付いたり、またはその逆があったりとか。私はそのデイサービスのことをめちゃくちゃ信頼しているんですけど、知的障害があって喋れないので、何があったとかも言えないじゃないですか。虐待などのニュースも日々ある中で、リスクを分散するというのはすごく大事だなと思います。 -病気の発見とかにもつながりそうですね。 吉田さん:うちの子は隠すことができないので、分かりやすいと言えば分かりやすいんですけどね。中には優しくて気を遣っちゃう子もいて、そうすると、嫌な目に遭っていても一切表情に出なかったりして、そういうところは気を付けてあげないといけないなと思います。あと、デイサービスに通わせてから、私は全然知らない人がぽんちゃんのことを知っていたりするんですよ(笑)。他の施設に通っている子のママに駅で声をかけられたりとか、郵便局に行ったら職員さんが「あ、ぽんちゃんだ」って声をかけてくれたりとか。結構いろんな場所に散歩に連れて行ってくれているみたいで、見守ってくれている大人が増えて、本当に助かっています。職員さんのお給料上げて欲しいくらい(笑)。 -なかなか昼間に出かけられないご家庭だと特に有難いですね。 吉田さん:本当に。1人で不安や大変さを抱え込む必要はないし、そういうサービスや支援に頼ることはすごく大事だと思いますよ。 働きながらシングルで障害のある子どもを育てるためのさまざまな工夫や、実際に助けられているという行政支援、民間サービスなどについて、メリット・デメリットも含め詳しく教えていただいた今回。次の記事では、子育てをする中で傷ついた言葉や救われた言葉、幸せに感じる瞬間について語ってもらいました。次回もお楽しみに! <第3回につづく>PROFILE:吉田可奈さんエンタメ系のフリーライターとして活動しているシングルマザー。13歳、10歳の子どもを子育て中。発達障害・知的障害の子どもに関する著書を出版している。
2021年04月17日音楽や映画などを中心としたエンタメ系のフリーライターとして活躍する吉田可奈さんは、仕事をしながら2人の姉弟を育てるパワフルなシングルマザー。しっかり者の姉 “みいちゃん”と知的障害を抱えた弟 “ぽんちゃん”との日々を綴ったエッセイ&マンガ『うちの子、へん?』(扶桑社刊)が今話題になっています。今回は、そんな吉田さんに、他の子との違いに気付いたきっかけや、障害を持つ子どもとの向き合い方についてお話を伺いました。 「他の子と比べて小さい」と気づいたのがきっかけだった-シングルマザーになったのは、いつ頃だったのでしょうか。 吉田さん:12年前ですね。23歳で結婚して、26歳で1人目を出産、29歳で2人目を出産したのですが、いろいろあって、2人目が産まれてすぐに離婚しました。 -子育てに対する不安はなかったんですか? 吉田さん:子育てに対する不安は、ほとんどなかったです。子どもは2人ともすごく育てやすかったし、それよりも夫婦関係のトラブルの方がしんどくて、それを取っ払ってからは、ものすごく気持ちがラクになりましたね。 -2人目の男の子“ぽんちゃん”がちょっと他の子と違うなと感じたのは1歳くらいだったそうですが、どんなことがきっかけだったのでしょうか。 吉田さん:4月生まれで1歳になってすぐに保育園に入ったんですけど、ある日、保育園のおばあちゃん先生に「あきらかに(他の子と比べて)小さいね」と言われたんです。たしかに、めちゃくちゃ小さかったんですよ。6kgにも満たないくらいで。それまではあまり気にしていなかったんですけど、「一度病院で診てもらった方がいいよ」というアドバイスをいただいて、その日の帰りにかかりつけの病院に行ったんです。そうしたら、「たしかに小さいね」と言われて。そこから医師の指示のもと、離乳食とミルクの他に漢方と栄養ドリンクをあげることになり、それで1年間変化がなければ大きい病院に行きましょう、と。 -それで変化がなかったので大きい病院に? 吉田さん:そうですね。1年経っても喋らないし、歩かないし、体重も増えないし……ということで、紹介状を書いてもらって、大きい都立の子ども病院に検査を受けに行くことになりました。 -その時、どんな心境でしたか? 吉田さん:それまでの1年間の中で「大丈夫、うちの子は違うだろう」という気持ちと、「もしかしたら障害を持っているのかもしれない」という気持ちが半々くらいあって、その狭間でずっとグラついていたので、不安というよりも白黒つけたいという気持ちの方がすごく強くなっていました。こればかりは、悩んでも仕方がないじゃないですか。障害があるのなら、そのように育てなければならないし。 ―病院ではどんな検査を受けたんですか? 吉田さん:遺伝子検査をはじめ、成長ホルモンがちゃんと出ているかを調べる内分泌検査とか、染色体検査、神経内科、眼科、耳鼻科など、1泊2日で本当にいろんな検査をしました。 -その時の結果で、障害があると判明したんですか? 吉田さん:それが、全部異常なしだったんですよ。あとは様子を見ましょうと言われて、うーんと思いながら帰りました。その後しばらく様子を見ていてもやっぱり言葉が出なかったので、今度はMRI検査を受けて。そうしたら、脳に言葉を司る神経みたいなのがあるんですけど、そこにちょっと問題が見つかったんです。通常、2〜3歳くらいになるとそこが開くらしいのですが、うちの子の場合は、それがまったく開いていない状態でした。最悪開かないまま人生を終えるかもしれないし、急に開く場合もあるらしく。そこでようやく、ぽんちゃんはしゃべれないタイプの子だということが発覚した感じでしたね。 「やれるだけのことはやってあげよう」と療育センターへ-ぽんちゃんは【表出性言語障害】だと著書に書かれていましたが、これはどういったものなのでしょうか? 吉田さん:病院で直接そう言われたわけではないんですけどね。しゃべれないということが分かって療育センター(※1)に通うことになり、まずはぽんちゃんの状態をお話しするじゃないですか。その時に、職員さんがメモしていたのがチラッと見えて、そこに【表出性言語障害】(※2)と書かれていたんです。それで、家に帰って調べてみたら「言葉が出ないけど相手の言うことは理解できて、リアクションはできる」と出てきて、それがまさにぽんちゃんの状態と一緒だったので、ああ、うちの子はそうなんだと。やっぱりショックではありました。 ※1療育センター…障害のある子どもが、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士、臨床心理士、臨床発達心理士などの専門職から、それぞれに合った治療と教育を受けられる施設。※2表出性言語障害…言葉を理解しているが、言葉を使う能力が年齢の水準を下回る障害。 -話す練習をしたりしましたか? 吉田さん:もう、良いと言われているものは全部試しましたよ。それでも成果は得られず。周りにも「いっぱい話しかけてみたら?」とか「ここに通わせてみたら?」とか、最終的には「こういう宗教に入ってみたら?」とかいろいろ言われましたが、私自身、はなから(いろいろやらせても)無理だろうという気持ちがあって。割と早い段階から療育センターに通わせて訓練を受けていたので、プロに勝るものはないと思っていたんですよね。 -療育センターでは、どんな訓練を受けていたんですか? 吉田さん:療育センターでは、【ST】と【OT】(※3)という体力と言語の訓練を2歳から週1回ずつ受けていました。検査の結果を受けてすぐに通えることになったのは、以前から市役所に相談していたからなんですよ。中には、そこに通っている=障害児みたいになっちゃうのが嫌で、なかなか相談できず療育センターに入りづらくなってしまったというケースもあるみたいですけど、うちの場合は早い段階で見切りをつけて、やれるだけのことはやってあげようという考えだったので。 ※3STとOT…STは言語聴覚療法、OTは作業療法を指す。 ちゃんと障害を受け入れ理解することで不安がなくなった -著書の中で、子どもの障害を受け入れることを【障害受容】という言葉で語られていますが、認めたくないママさんは多いのでしょうか。 吉田さん:難しい問題ですよね。私の場合は、最初に出会ったのが知的を伴わない自閉症の男の子のママで、早い段階で障害受容できている方だったんですね。サークルを自分で作ったり、毎日すごく楽しそうに暮らしているのを見ていたので、あまり抵抗がなかったというか。うちの子が知的障害かもしれないということが分かった時も、すぐにそのママに電話して相談したんです。そうしたら「手帳をもらって逆手に取ろう」って言ってくれて(笑)。手帳があればディズニーランドとかも並ばなくて良いし、旅行も安く行けるよって明るく後押ししてくれたことで、変にマイナスに捉えずにいられたんだと思います。 -とはいえ、やはり先のことを考えると不安になることも多いと思うんです。そういった時の気持ちの持っていき方というか、どう考えて行動するのが良いと思いますか? 吉田さん:障害があるのなら、この子が一番生きやすい場所を与えてあげようと考えるのが良いのではないでしょうか。だってしょうがないじゃん、親がどう思われようと関係ないよねって。結局、そのママのお子さんは自分の持っているものを生かせる学校に進学できて、今ではめちゃくちゃ高偏差値の私立中学に通っています。それは、彼女が自分の子どもの障害や能力をちゃんと理解して、それが最大限に発揮できる環境を選んでいった結果だと思うんです。 -障害がある場合、普通の学校に入れるかどうかというのも悩みどころだと思うのですが。 吉田さん:たまに私のところにも、SNSのDMを通して相談が来たりします。【特別支援学校】(※4)と【特別支援学級】(※5)の違いを説明すると、支援学校は障害を持った子の自立支援をするための学校で、生活する上での基礎的なことを教育して、そのまま職業訓練を受けて就職するという流れなんですね。対して支援学級は、通常の学習教育が難しい生徒のための学級なので、軽度の障害、いわゆるグレーの子たちが通っているんです。どちらに通うのがいいのかは親が決めることなので、悩むところですよね。 ※4特別支援学校…障害の程度が比較的重い子供を対象として教育を行う学校(小・中学部)。※5特別支援学級…障害のある子供のために小・中学校に障害の種別ごとに置かれる少人数の学級。 -まずは何よりも、お子さんの障害を受け入れることが大事だと。 吉田さん:そう思います。あと、よく勘違いされてしまうのが、自閉症の人は何かの能力に特化しているというのをドラマとかでよく見るじゃないですか。あれって、障害がない人の一部が天才なように、障害がある人たちの中でも一部の天才の話であって、普通の自閉症の子は、何かに特化しているということはあまりないんですよ。だから、まずは将来的に自立できるような教育をちゃんと与えあげるのが一番大事なことなのではないでしょうか。 -大人になった時に困らないことの方が大切ということですね。 吉田さん:そうそう。親は先に死んでしまいますから。特別支援学校では、スーパーに行ってリンゴを1個買います、お釣りはこうやってもらいますみたいなところから教えてもらえるんですよ。障害を持った人が生きるための学校ですね。 子どもの障害を受け入れるまでの過程や、学校進学などの現実的な問題について明るく前向きに語っていただいた今回。次の記事では、障害を持つ子どもを育てることで経験した苦労や、シングルで育てるためのさまざまな工夫、実際に利用している行政支援などについてのお話を聞きました。次回もお楽しみに! <第2回につづく>※2021年4月19日 文中のSTとOTの説明が逆になっておりましたので修正いたしました。PROFILE:吉田可奈さんエンタメ系のフリーライターとして活動しているシングルマザー。13歳、10歳の子どもを子育て中。発達障害・知的障害の子どもに関する著書を出版している。
2021年04月16日他の生徒からの「えこひいき」発言ににうまく返答できなかった私は3年前まで学習塾で指導をしていました。2年生のクラスを担当していたとき、おそらく学習障害があると思われる生徒に特別メニューで課題を与えていたところ、ほかの生徒たちから意見が出ました。問題は、1年生学習範囲の「9+3」などの一桁同士の繰り上がりの問題など易しくし、宿題量も減らしていました。するとほかの生徒から「問題も簡単だし、宿題も少ない。立石先生はえこひいきしている、ずるい」と。さらに「あの子はバカだ。頭悪い」とほかの子たちは囁きました。言われた子はその場で周りに気づかれないようにシクシク泣き出しました。算数のプリントが涙で濡れました。私は囁いた子を別室へ連れて行き叱りました。どういう言葉で叱ったか忘れてしまいましたが、「それは言ってはならないことだよ」ともし言っていたとしたら、子どもたちは口には出さなくても、ますます、その子のことをバカにしたでしょう。違う課題を与えていたことをうまく説明が出来なかったことだけは記憶しています。幼児クラスでも同様幼児のクラスでも同様のことが起りました。発達障害特性がある子どもで、落ち着きがなく教室内を立ち歩くことがありました。私が「皆と同じ」を強要することなく許していたら、家に帰って「先生はえこひいきしている」と保護者に訴える子が出てきてしまいました。そこで次のように言いました。「背が高い子、低い子、走るのが速い子、遅い子、給食をお替りする子、しない子。眼鏡をかけている人、いない人、人間はみんな一人一人違います。うまくできることとできないことがそれぞれあります。椅子に座るのが得意な子も苦手な子もいます。○○君はじっと座っていることが苦手だけれども走るのが得意です。だから立ち歩いてしまっても、○○君は走りたいのをグッとこらえて頑張っているのだから先生は叱っていないのよ」ですが、子ども達が納得できたかどうかは定かではありません。マザーテレサの言葉に「できないのではありません。できることが違うだけです」とあります。もしかしたら、この言葉を入れたら納得したのでしょうか。難しい問題です。合理的配慮はずるいのかあるテレビ番組で見た光景です。クラスに学習障害(LD)のあるA君がいました。文字が読めないので、担任はテストの時間はその子だけ教卓の横に座らせ、先生が問題を読み、答えを口頭で聞いて○×を付けていました。するとほかの生徒たちから「ずるい!僕も先生の横に座りたい!」と文句が出ました。困り果てた担任は「この子だけ特別扱いはできない。えこひいきになってしまう、そうしたらいじめにあってしまうかもしれない」と感じ、個別対応を諦めました。近視の子に眼鏡を禁止して「気合を入れて黒板の字を写しなさい」とは言いません。眼鏡だけでなく黒板の近くの席にする配慮をするでしょう。ところが、発達障害についてはほかの子と同じ学習のさせ方をしてしまうという例としてとりあげられていました。障害がある人の不当な取扱いを禁じ、個々のニーズに合った合理的配慮の提供を求めることによって、差別を解消しようとする障害者差別解消法があります。これに沿って対応しなくてはならないのに、ほかの児童のクレームに押し切られてしまった担任の先生でした。A君はこの経験から「僕は周りに助けを求めてはいけないんだ。何もかも自分の努力でこれからの人生を歩んでいかなくてはならないんだ」と思ったでしょう。ツールの活用学習障害のある生徒には先生が読んでやる、または音声ソフトを使わせればよいと思います。例えば、マルチメデア教科書(デイジー教科書)という音声ソフトもあります。参考:マルチメデアデイジー教科書について背景と文字の境界が混ざってしまい、行を飛ばしたり、読めなかったりすることもあるので、こんなときはリーデングスリットを使わせればよいのです。また、黒板の文字を写せないのならば、タブレットで写真を撮らせればよいのです。子どもの特性に合わせてツールを上手に活用することで、学びの困難を少しでも軽くすることができます。Upload By 立石美津子高い壁の向こうで行われているスポーツの試合…背が低い子に「背を高くして観戦しなさい!」と言っても無理です。ですが、踏み台を使えば平等に楽しむことができます。学習も同じで、合理的配慮とは、同じ土俵でチャレンジするためのサポートの形で、この踏み台がリーデングスリットやデイジー教科書、タブレットなのです。共に学ばせながら、ときには定型発達の子どもと障害のある子どもの教育環境を変えたり、特性を踏まえて違う課題を与えたりするのが本当のインクルーシブ教育ではないでしょうか。とはいえ、私自身も、他の児童が納得できる説明の仕方を未だに見つけられないでいます。
2021年04月12日2児の姉妹ママが、次女出産をきっかけに感情のコントロールをするのが難しくなったようで、次女が生後半年のころに思い切って精神科を受診したところ、適応障害と診断されました。今は感情の落ち着きを取り戻しましたが、過去について悔やんでいる点があるそうです。 私は現在、4歳と1歳の2児のママです。次女が1歳になる前、精神科を受診して「適応障害」と診断を受け、服薬を開始しました。今は子どもの成長とともに育児も少し落ち着いてきて、かつ自分自身の仕事も安定しているので、服薬しなくてもある程度余裕を持って子どもたちを見られるほどにメンタル面が安定しています。そんな、今の私だからこそ言える、長女に対しての反省と後悔の念を体験談としてお伝えします。 精神科で適応障害と診断されるまでの経緯次女が生まれてからというもの、長女のメンタル面を配慮せずに怒鳴りつけるなど、我慢させてばかりの日々でした。長女の寝顔を見るたび「ごめんね、明日からは反省して良いママになるから」と心に決めても、次の日には自分でもコントロールできないくらいすぐ怒鳴る自分が恐くなり、ついに次女が生後半年のころに精神科を受診することに決めたのです。 精神科医に今までの経緯や、感情抑制がきかないことなど包み隠さずお話しして、すぐに「適応障害である」との診断を受けました。 悪いことをしたなと思った2つのこと適応障害の主な原因は育児疲れだと医師から言われたのですが、次女が生まれてから1歳を過ぎるまでの間は、本当に大変でした。自分自身も予想以上に2人育児がキツくて、長女に当たりっぱなしだったと思います。 しかし、比較的余裕のある今、「長女の甘えを受け入れられなかったこと」と「自身の余裕のなさから長女の感情を置き去りにしてしまったこと」に対し、悪いことをしたなと反省しています。 長女の甘えを受け入れられなかった今だからこそ理解できるのですが、次女が生まれたときは長女はまだ3歳にもなっていないころだったので、当然、ママに甘えたい気持ちがまだまだあります。そこに次女のお世話のタイミングなど、私の事情は関係ありません。 次女が生まれたばかりのころは、「ママ、着替えられない!」「ママ、お外行きたい!」などといった欲求すら、私の日常ルーティン(洗濯や料理する家事の時間帯)と噛み合っていなければ、すべてイライラして「今忙しいから!」とバッサリ切り捨てていたように思います。 一番私が暗かった時期は「長女はなんでこんなにわがままなんだ」とイライラしていましたが、今思えば月齢に沿った自然な行動をしていただけだと思います。私が自分勝手だと解釈してしまったのは、自分自身のゆとりのなさからくるものでした。 ゆとりが持てる環境は「自らが作り上げて得られるもの」と「時間の経過で自然に得られるもの」と2つあるのだな、と実感しています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:石塚みよ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月05日「長男の発達障害の話」第3話。療育をすすめられ、ショックを受けているばよさんの気持ちを思いやることもなく、矢継ぎ早に決断を迫る主任保育士の態度に堪忍袋の緒が切れた!その場で判断せずに夫と帰宅したものの、その後数カ月にわたって夜眠れなくなってしまったばよさん。「長男が発達障害」という現実を受け入れるのにかかった時間は……? 「長男の発達障害の話」第3話 あの面談のあと、なかなか眠れなくなりました。ショックと怒りでめらめらと……。 心は置いてけぼりでしたが、タロの成長に関わる大事なことだからと療育相談センターに行きました。 面談からどれくらい経ってたかな。遅くとも面談の翌月にはセンターに向かったと記憶しています。 悲しみ、自責、ショック、否定、成長への希望……現実を受け入れるのに2年かかりました。 いろいろな感情が大波、小波、津波のように次から次に押し寄せた2年でした。 同じように面談で子どものことを言われたママ友と情報を共有したり交換したことで、本当に救われました。 「なんでうちの子が発達障害なんだろう……」 なかなか受け入れることができずに苦しむばよさんでしたが、ひとまず療育相談センターへタロちゃんを連れて行き、検査やトレーニングをおこないました。 そして、同じように面談で子どものことを言われたママ友とつらい気持ちや情報を共有しました。 次回、長男が小学校入学するにあたって、「通常級」か「支援級」か、葛藤することに。ばよさんの答えは……?! 監修/助産師REIKO
2021年03月23日「長男の発達障害の話」第1話。Instagramでフォロワー4千人超えの星河ばよ(@bayo_fantasy)さん。2人の男の子のママです。長男タロちゃんの発達障害の判明から、小学校の就学までの葛藤のお話を短期連載でご紹介します。長男タロちゃんが保育園に通っていたころ、主任保育士さんにつきつけられた事実!初めて聞く保育園でのタロちゃんの様子にショックを受け……? 「長男の発達障害の話」第1話※発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症、アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。(厚生労働省 「知ることはじめよう みんなのメンタルヘルス 総合サイト」より) 当時は次男の育休中で、長男は日中保育園に通っていました。 「わが子は他のお友だちができていることが、できない」 思いもよらなくて、いきなり辻斬りに遭ったようにとてもショックでした。 現実を受け止めるのが私にはやっとでしたが、主任保育士は私たち夫婦にグイグイ迫ってきました。 「療育相談センターに行ってみますか? それともセンターの方に保育園まで巡回にきてもらいますか?」 保育園での他の子と違うタロちゃんの様子を聞かされ、ただでさえショックを受けているのに、主任保育士にこれからどうするのか、その場で判断を迫られたばよさん。 どう対応するのでしょうか……? 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 星河ばよ
2021年03月21日3人の息子さんを育てる母親、TOPPU(@toppu_ayu)さん。発達障害を抱える長男との、『9年間』の出来事をTwitterにつづっています。投稿には、発達障害の当事者や関係者から反響が相次ぎました。母親がつづった長男との9年間ラストに胸が熱くなる「お子さんは、障がいを持っています」小学校の教育委員会から突然いわれた、そんなひと言に、母親は戸惑いを隠せなかったといいます。わらにもすがる思いでたどり着いた療育施設のスタッフからは、「もっと子供をよく見て。将来、犯罪者になるよ」といわれたこともあったそうです。そして、長男は小学3年生から『特別支援学級』へ行くことになります。※写真はイメージ小学校生活は、決して楽なものではありませんでした。友達と上手く関われず、人前に出ることが苦手だった長男は、行事のたびに「やらない。できない」といって泣いてばかり。長男だけでなく、次男や三男の世話もしながら家事や仕事に追われるうちに、母親の心は限界を迎えようとしていました。※写真はイメージ少しでも長男を理解するため、障がいについて学んでいったという、母親。そんな日々の中、唯一長男と一緒に楽しめたのは、走ることでした。中でも長男は『長距離走』が得意で、母親のこぐ自転車の横で走る姿は、とても生き生きとしていたそうです。そんなある日、長男はこんなことをいいます。「アイスホッケー、やってみたい」※写真はイメージ「チームプレーは難しいのでは」という不安を抱きつつも、アイスホッケーをやらせてみた母親。すると、長男はほかの子との交流こそないものの、黙々と競技に取り組み、チームの卒団までやり切ったのです。そして、小学校の卒業が間近となった日、息子さんは母親にこう告げます。「俺は、もう大丈夫」「俺は、もう大丈夫だから」もしかしたら長男は、「母親に心配をかけている」と感じていたのかもしれません。少しずつ成長する長男。中学校へ入ると、母親と相談した上で部活動は『陸上』を選びました。すると、小学生の頃のアイスホッケーや長距離走の経験が強みとなり、めきめきと頭角を現していきます。そして最後は、アンカーに選ばれるほどの活躍を見せたのでした。※写真はイメージ「進路は自分で決めて、陸上でさらに上を目指したい」「やらない。できない」といって泣いてばかりいた、長男の姿は、もうここにはありません。長男は、自分でやりたいことを見つけ、志望の高校へ見事合格を果たしたのです。長男のやりたいことを全力で応援し続けた、母親。例え障がいがあっても、息子さんは自分で大きな一歩を踏み出すまでに成長していたのでした。小学校の入学の知能検査で引っかかり、なんの知識もない私に「お子さんは障害を持ってます」と言い切った教育委員会の人が始まりで、「なんでそんな事いきなり?!」となって普通級で入学。初めての参観日で全然ついていけてない長男を見て、発達障害を学んでる人に話を聞きまくった9年前。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 親子二人三脚で過ごした9年間の話には、多くの人が心を打たれ、このような声が上がっています。・「俺はもう大丈夫」という言葉に涙。息子さんも投稿者さんも、たくさんの苦労をしたのでしょうね。本当に尊敬します。・うちの子も、大変なことが多かったけれど周りを気遣える、優しい子に育ちました。読んでいて自分と重ねてしまい、涙が止まりません。・子育てをしていると、不安に押しつぶされそうになる時がありますが、我が子を信じて「やりたいことを伸ばしてあげたい」と思います。最後に投稿者さんは、「私たちだけの力ではなく、周りの人にたくさん助けてもらいました。相談に乗ってくれた周囲の人たちに心から感謝しています」と話しています。子育てをしていると、心がちぎれそうなほどつらい出来事や、先の見えない不安もあるでしょう。それでも、最後まで我が子を信じて見守り続け、子供が自分の足で歩いていけるようにすることが大切なのかもしれません。投稿全文はこちら小学校の入学の知能検査で引っかかり、なんの知識もない私に「お子さんは障害を持ってます」と言い切った教育委員会の人が始まりで、「なんでそんな事いきなり?!」となって普通級で入学。初めての参観日で全然ついていけてない長男を見て、発達障害を学んでる人に話を聞きまくった9年前。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 たどり着いた療育者に「もっと子供をよく見て。将来、犯罪者になるよ」と言われて泣きながら担任に相談しに行った。コーディネーターの方も間に入り、発達検査を受けて、あれよあれよという間に診断もついた。病院と繋がり、色々な手続きを踏まえて3年生から特別支援学級在籍になった。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 その間に三男は産まれ、次男も年子だから入学し、登校渋りがあって母子登校。仕事もしてたし、本当にボロボロだった。家の壁にはやる事を書いた紙を貼り宿題を見ながら家事もやり、帰宅した子供達と公園に行く日々。当然、友達とも上手く関われず行事の度に「やらないできない」で泣いてばかり。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 人前が苦手な長男は運動会なんて出られたもんじゃなく、何度も担任と掛け合ったけど理解してもらえず、無理矢理参加した形になり、運動会の途中で脱走して探した事もある。発達検査は母子分離ができなく同室なのにできなくて、日にちや場所を変えて行ったりもしてきた。何をやるにも泣いてばかり→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 学校にも謝ってばっかり。公園では楽しそうに友達同士で遊ぶ子の側で、1人でボール投げたり自転車乗ったり。「ママついてきて」がいつまで続くのかな‥って思いながら。行事も苦痛、レクも苦痛。他の保護者と話すのさえ苦痛だった。息子をもっと知りたくて、私はとにかく障害の情報を学びまくった— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 唯一、長男とやってたのは走る事だった。彼は長い距離を走らせたら生き生きしていたから、三男を後ろに乗せて自転車を漕ぎ、次男も自転車で長男は走っていた。その頃から少しずつ、彼は変わっていき、放課後デイサービスに通ったりして体を動かして遊ぶ事が増えた→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 唯一、長男とやってたのは走る事だった。彼は長い距離を走らせたら生き生きしていたから、三男を後ろに乗せて自転車を漕ぎ、次男も自転車で長男は走っていた。その頃から少しずつ、彼は変わっていき、放課後デイサービスに通ったりして体を動かして遊ぶ事が増えた→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 そんなにやりたいなら‥と思い、ダメなら辞めたらいいぐらいの気持ちでやらせたら卒団までやり切った。ただ、他の子との交流はあまりせず黙々と言われた事だけやってた感じで、それもまた親として不安に思う事があったけど。小学校の卒業間際、彼は「俺はもう大丈夫だから」と言ってくれた。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 何が大丈夫なのかはわからないけど1つ大人になった様な気がした。中学入学後は、チームプレーの壁について話し合い、納得の上で陸上を選んだ。小学生の頃から積み上げてきた長距離がとても強みになり、記録を出し、駅伝にも選ばれて出場した。最後はアンカーもやらせてもらった。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 中学校生活では全く勉強には力を入れず‥笑、親もやりたい事しか応援しなかった。そうしたら、進路は自分で決めて陸上で更に上を目指したいと目標を持った。有言実行、行きたい学校に合格し今日、卒業を迎えた。長い長い9年間。すごく成長できた9年間。自分で選び、自分で決める。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 この先、挫折の壁は絶対やってくるけど自分で決めたから乗り越えられるだろう。頑張れ。卒業式を終えて、さっき友達と遊びに出かけました。あの泣き虫君が、楽しそうに。親の役目はお小遣いを渡す事のみです。笑笑何が言いたいかと言うと‥先の事は誰にも分からない。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 「今」発達障害という言葉で、立ち止まってしまったり、悩み悲観的になっている方もたくさんいると思う。私もそうだったし、当時の苦しみは忘れられない。そして保護者や周りの方は物凄い努力と大変さを感じて生きていると思う。それはこの先も続くと思う。我が家も、ずっと。→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 でも、環境を整えて出来る事が増えたら成長できるんだなって、今、思えました。報われない努力はない。「地域の小学校は無理だよ」と途中で言われた長男。色んな事があるけど本人の可能性を大切にしたいなと思いました。そして、お疲れ様、わたしよく頑張った!頑張った!笑— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 15, 2021 たくさんの方から励ましや共感の声を頂きありがとうございます✨本当は1人ひとりにお礼を伝えたい所ですが、ここでまとめてのお礼ですみません♀️私目線で書いた事、息子からしたら「美談でまとめるな!」と怒られそうです‥笑きっと彼は私が感じるよりたくさん辛い思いや悔しい思いをしてきたと→— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 16, 2021 思います。親子なので醜い言い争いもしたし、理不尽な事も言ってしまってたと思います。ですが、みなさんから息子を褒めてもらえた事、嬉しいです4月から親元を離れますが、自信を持って送り出せそうです✨私も含め、今後も共に頑張りましょう‼︎本当にありがとうございました✨— TOPPU(´-ω-`)★ (@toppu_ayu) March 16, 2021 [文・構成/grape編集部]
2021年03月17日社会の常識を疑う…兄の自由帳に書かれた“謎の言葉”筆者がヘラルボニーという存在を初めて知ったのは、とある意見広告だった。2019年12月当時の背景としては、内閣府が「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄した問題について、安倍晋三首相(当時)は、名簿をシュレッダーで廃棄した人物は「障害者雇用の職員で、短時間勤務だった」と答弁したのだった。そうした中、東京・霞が関の弁護士会館の前に掲示されたのがこの意見広告だ。「この国のいちばんの障害は、『障害者』という言葉だ。」Upload By 桑山 知之29歳、岩手県出身の一卵性双生児。4歳上に、重度自閉症と重度知的障害のある兄・翔太さん(33)を持つ。崇弥さんと文登さんは、保育園から小学校、中学校、高校までをともに岩手県で過ごし、その後は別々の道を歩んでいた。Upload By 桑山 知之文登さんは東北学院大学(宮城・仙台市)に進学後、大手ゼネコンに就職。一方、崇弥さんは東北芸術工科大学(山形市)の企画構想学科へと進学した。そこで放送作家を軸にマルチに活動する小山薫堂さんのゼミに所属。卒業展示では、社会の“常識”を疑う「常識展」を企画した。インドと日本の水を比べるものや、駅に花を植えることに心からの喜びを感じているホームレスなど、常識を問うさまざまな作品を並べた。その主軸こそが、自らの兄だった。「常識展っていうタイトルやアイデアの出発点も、兄貴がかわいそうではないという伝え方をしたいっていうところから入っているので。障害=かわいそう、とか、障害=欠落、というものをそうではないという世界観を提示したいって思って。だから兄貴を題材にすると決めて最初からスタートしていました。昔からそういうのを提示したい思いはありましたね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之現在の屋号「ヘラルボニー」。一度耳にしたら忘れない“謎の言葉”に出合ったのは、この卒業展示の制作のため実家を訪れたときだった。「兄貴の部屋の押し入れをバーッて探していたんですよ、いろんなものを。母親もよく残していたなと思うんですけど、何十冊も自由帳とか絵日記とかあって。けっこう絵日記も世界観がおもしろいものが多くて、これなんかフォントおもしろいですよね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之「障害者だって同じ人間なんだ」中学時代に母とすれ違いも2人が幼いころから、自閉症の兄とともに福祉団体に遊びに行くのが毎週末の決まり事だった。そこでは、自閉症に限らずダウン症や精神障害などさまざまな人が集っていた。2人にとっては、そこで“障害”というものはあまり関係なく接しているのが当たり前だった。ただ、小学4年のころに覚えた違和感を、文登さんは作文に綴っていた。「団体の人と土日一緒に出掛けていたときに、目線とか……同い年ぐらいの人が指を差して、僕らの兄の集団を笑っていたんです。それに対して腹が立って。小4ながらに自分の中で思ってた感情っていうものがけっこう多くあったんだろうなって。僕ら双子の中でのフツウの感覚と、社会側のフツウの感覚のズレみたいなものとか、単純に『兄をバカにすんなよ』っていう思いもそこに乗っかっているのかなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之2人はやがて中学校に進学し、卓球部に所属した。兄は県内の特別支援学校へと進学。しかしここで、関係性は一度悪化してしまったという。「僕らの中学校は自閉症スペクトラムのことを『スぺ』って言ったりする子がいて、『お前、スぺの教室行けよ』みたいな。自閉症=欠落、スぺ=欠落みたいな風な使い方をするような中学校だったんです。試合の応援にも母親が兄貴をよく連れてきていたんですけど、僕もすごい兄貴が応援に来ることにアレルギーが起きるようになったんですね。それで母親に『兄貴連れてこないでよ』ってすごい言っていたんですけど、母親はしきりに『隠すことじゃないよ』って逆上するわけですよ」(崇弥さん)「自分たちの心の弱さから、小4のころはふざけんなよって言えても、中学ぐらいになって言えなくなってしまう自分もけっこういて。『スぺ』っていうものが蔓延して、スぺのきょうだいだって思われるのがすごく嫌になってしまった時期があって」(文登さん)Upload By 桑山 知之障害者の兄がいることは決して恥ずべきことではない。そんな思いから、部活を引退するまで母親は兄を連れて試合に応援へ駆けつけ続けたのではないかと2人は推測する。しかし、地元から200キロ離れた高校へ進学すると、自然にこの“すれ違い”はなくなった。「周りから言われることを避けるために、兄貴を迫害することによって自分を守っていた」と崇弥さんは振り返る。「中学時代も、兄貴のことを嫌いになったりとか、兄貴のことを大切に思ってない、ではないんですよね。兄貴のことはずーっと大切で、好きな状態はずっと今も思っていて。ただ、中学のころは防衛本能が働いていたっていうか……。高校に上がると、その当時の友達とかもいなくなったので、環境が変わったので普通に兄のことも言えるようになったんですよ。なので、自分で過ごしている環境ってすごく大事なんだろうなってホント感じますね」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之子育てに正解はないという。「もしかすると正解は『ずっと連れて来るもの』って書かれるかもしれないけど…」としながら、きょうだいにはきょうだいの生活があり、親としてはその立場を考えるのもアリではないかと崇弥さんは語った。文登さんはそれを「逆張りだ」と笑いながら、親子で話し合う場の必要性を思案していた。前身ブランドからヘラルボニーができるまで崇弥さんは、小山薫堂さんが代表を務めるオレンジ・アンド・パートナーズという広告会社に4年半勤務した。かつて薫堂さんが住んでいた東京・赤坂のアパートも紹介してもらい、住んでいたという。社会人2年目の夏、岩手へ帰郷した際、衝撃を受けた。「岩手県にある『るんびにい美術館』(岩手・花巻市)っていう、それこそ知的障害のある作家が描いた作品が展示されている、社会福祉法人が運営している美術館がありまして。そこに行ったときにものすごい衝撃を受けて、これはおもしろい!っていう風に思ったんです。一発目に文登に電話をかけて、『なんかやろう!』って。何かを立ち上げようと」(崇弥さん)あの衝撃からちょうど1年後、2人はヘラルボニーの前身となるブランド『MUKU』を立ち上げた。ラッパーの晋平太さんを介して、『見えない障害と生きる。』にも出演したGOMESSさんに依頼し、楽曲も誕生した。見た人を惹きつけるプロダクトはすぐに話題となった。しかし一方で、崇弥さんはもどかしさを感じていたという。「当時は副業だったので、もっと全然いけるのに……っていつも思っていたんですよ。もっとコミットしたら絶対にいけるのに、でもこんなにリソースを割けないから悔しいなっていつも思っていて」(崇弥さん)Upload By 桑山 知之そこから2年後の2018年7月、謎の言葉「ヘラルボニー」を掲げた会社を設立した。翌年には経済誌『Forbes』が選ぶ「世界を変える30才未満の30人」に双子起業家として選ばれたほか、先述の意見広告でも一大ムーブメントを巻き起こした。建設現場の仮囲いを期間限定のミュージアムと捉えたプロジェクトも話題を呼んだ。そして何より、障害のある作家がつくるアートを生かした製品は、飛ぶ鳥を落とす勢いでファンを獲得し続けている。その大きな要因として、「着想の出発点」が違うからだと筆者は思う。「時代に後押しされているというのはものすごく感じます。もともとSDGsやりたいとかそういう思いで始めたわけでは全然ないけれども、社会側がSDGsっていう文脈を持ってきてくれているし、ダイバーシティやりたいって思ってダイバーシティって言ったこともないけれども、社会側がダイバーシティ&インクルージョンっていう文脈をウチに紐づけてくれるし。社会側が色んな文脈をウチの会社にありがたいことに紐づけてくれたっていうところがすごくある」(崇弥さん)「10年前やっていたら全然違う結果になっているだろうけれども、今っていう時代にやれているからこそっていうのもあるだろうなと。僕ら双子揃って運が良くて、いろんな方に恵まれているというか、自分たち双子としては大したことないんですけど、関わってくれている皆さんが本当に素晴らしい人が多いんです」(文登さん)Upload By 桑山 知之異彩放つ活躍数字で語れる会社に人気セレクトショップ『TOMORROWLAND』での製品販売や、吉本興業とのコラボブランド『DARE?』など、ヘラルボニーの躍進は止まらない。今年度の売り上げは1億円を超えるという。もちろん、アーティストへの還元も忘れない。「正直ホント数字面ではまだまだなんで。数字で語れる会社になれたらいいなってすごい思いますね。あそこは数字も素晴らしいよね、障害のある作家にもめっちゃ還元するよね、っていう会社になりたい」(崇弥さん)「今後の目標設定とかもすべて透明化させたいなと来期から思っていて。障害のある作家さんにどれぐらいバックしていて、これまでどれだけバックしてきたか、みたいなところとかも全部見える化して、それに対する社会的なインパクトとかもつくっていきたいなと」(文登さん)Upload By 桑山 知之兄・翔太さんは現在、岩手県奥州市にある就労継続支援施設(B型)「わかくさ」で、コーヒーのパック詰めや空き缶つぶしをしている。週に3回はグループホーム、残りは自宅で暮らしているという。きっと弟2人の“異彩を放つ”活躍を、誇らしく感じているだろう。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月21日障害児ママの葛藤第4話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。4話目、 発達テストの結果…?!4歳前の時点で、あーはハサミもお箸も使えませんでした。その代わり(になるのかならないのか)ひらがなとカタカナは全部読めました。 上に挙げたのは一例ですが、保健師さんに発育テストをしてもらったところ、とにかく発達の偏りが激しいという結果に。その後、療育施設探しに奔走し、あーは療育へ通うことになりました。 療育初日、目からポロポロ目からうろこどころか、生魚くらいピチっと出てきそうな感じでしたYO!!!あのあーを飼い慣らして、「楽しかった!」の一言を引き出すなんて、療育にはどんな魔法使いがいるんだろう……!?と単純に疑問でした(笑)。 療育に1年通った効果 療育の効果は、1年やそこらで出るものではないというのはなんとなく感じていたので、子どもへの明らかな効果というお話ではなく、親への効果はてきめんでした。 「あーはこんな風に感じているんだ」とか「ここはわかっている」「ここは苦手分野」「このような働きかけならわかってくれる」など、あーと接するなかでじっくり一緒に考えてくれる施設の方が、いるのといないのじゃ天国と地獄!! 今でも大人げなく叱ってしまうことはままあるけれど、「うちの子、自閉症かも?」って悩んで葛藤していた時代と比べれば、ずいぶん穏やかにあーに接することができている気がします。 ようやく、「自閉症スペクトラム」と向き合える環境が整って、スタートラインに立てたなあという感じです!よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月26日障害児ママの葛藤第3話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。3話目、3歳半健診で発達相談を案内されたあとのお話です。 3歳半健診、その結果は…?!この3歳半健診のとき、座っていることができず走りまわり、踊り狂い、床に寝転ぶ息子。一方、周りの静かな子どもたち……。 あれ、うちの子、やっぱり普通と違うかも? あーが自閉症だという診断を受けることが怖くて怖くて、「じゃない」情報ばかり気にしていたように思っています。発達障害にありがちな ●電車の時刻表とか種類をたくさん覚えている⇒ 違った! よかった!(でもキャラクター図鑑大好き、キャラ全部覚えてる) ●言葉が出ない ⇒ 言葉は出てる! よかった!(でも全部独り言) ●運動が不得意な子が多い ⇒ 運動は得意! よかった!(でも手先は不器用) ●おむつが取れない子が多い ⇒ 取れてる! よかった!(取れてるだけで、たびたび漏らしている) などなど。なんか書き出すと、私ってどれだけチキンな母親なんだろう……(涙)。 発達相談▶保健師相談 市の発達相談が受けられるのは、なんと3カ月待ち! 期待しすぎたのが悪かったのかもしれませんが、市の発達相談はテストなどをするわけでもなく、病院に紹介状書いて終わり。とてもあっさりしたものに感じました。 児童精神科…そんなに待つの? いろんな友だちに聞いてみたところ、自治体によってかなり違うみたいですが、うちは8月に児童精神科へ電話をしたら、12月に予約を取り直すように言われ、「早期療育とは!?!?!?」となりました。 当時第二子を妊娠中で、12月には出産も控えており、バタバタすることは容易に想像がつく……。どうなる……!? わが家に救世主、現る!はい、救世主登場!私はここまで、あーの育児の悩みを相談できる専門の方に巡り会うことができていなくて、とにかくあーについて専門家の方と話してみたかったんです。 あーのこんなところはどうなのか、あんなところは何なのか、こんなところに困ってます……と。夫婦2人で話していてもどん底へ落ちて行くだけな気がして。 だから、救世主様の登場に、どれだけ救われたかわからないっ……!!! よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月25日障害児ママの葛藤第2話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。2話目は、夫のネガティブ発言に激怒したり、療育について知った頃のお話です。 夫の「うちの子は異常なんだ」発言に…いやー、怒ってばっかだったな、このころ。今もだけど(笑)。夫にも、子どもにも、まったく余裕なかったです。 もしかしたら今、あーがこんなに言うことを聞かないのは、私があのときこんなこと言ったかもしれん、とか私があのときスマホに夢中だったからかもしれん、とか私があのときばあばに預けちゃったせいかもしれん、とかあれこれ考えては焦っていました。 「療育」という選択肢 Uくんが療育に通っているという事実は、今後のわが家の動向にもかなり影響が出てきます。ありがとう、Uくん母! うちの子、普通…じゃない? 母の葛藤 感情的に大きな声を出しても、あーの心の奥に届いている感じはまったくしませんでした。ただただ、叱られているからおびえているだけ。 でも、無理な要求をしているつもりでもなく、必要以上な「良い子」を求めているつもりもなく、話しかけたら答えてくれるとか、ただ「普通」の行動をしてほしかっただけだったんです。 大人からしたら理解できない、いや、他の子どもからしても理解できないであろう反復行動を延々繰り返す遊びを「もうやめようか?」と提案したら大かんしゃくを起こしたりとか、とにかく普通の言葉が通じない長男にほとほと疲れてしまっていた。 3歳半ばでしたが、1歳・2歳のイヤイヤ期が永遠に続いている感じで、終わりは来るのかと毎日憂うつでした。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月24日障害児ママの葛藤第1話。2児のママ、よいこさんの体験談をマンガでご紹介します。自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。1話目は、赤ちゃん期のお話です。 自閉症スペクトラム児の赤ちゃん期は…?あーは本当に敏感な子で、自分は泣いていなくても、他の赤ちゃんが泣いてたらつられて泣いちゃう「つられ泣き」のほかに、予防接種で腕をまくられただけで泣いたり、お風呂上がりに服着させられるので泣いてたり……とにかく一日中泣いていたように思います。 あれ…この子、育てづらい? 特に2歳〜就園前3歳前半は、文字通り戦争の日々でした……。今思えば、そんなに怒ったって当時の長男には届かなかったのに、とにかく頭に血がのぼりっぱなしだったな。 このころになると、あーの同級生にもぽつぽつ弟や妹が生まれ始めたんですが、「うちは子どもひとりなのに、なんでこんなに大変なんだろうか」「私のキャパが狭すぎるせいなのか!?」と悶々としていたように思います。 もしかして、自閉症かも? 一番悩ましくてつらかったのは、あーというより、夫との関係だったかもしれないな。 夫はやさしくて誠実で真面目なんですが、その分心配性で大げさなんですよね。私は夫から「大丈夫だよ!」の一言が欲しいんですけど。 で、私が「大丈夫だよ!」と言うと「楽天的だね、もう少しまじめに考えなよ」って返されたりね……。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2021年01月23日『わが子が生きやすい世界』って何だろう?姪っ子から学んだこと自閉症と知的障害を持つわが家の息子ほぺろうは、人とコミュニケーションを取ることが苦手です。目も合わなければ応答もままならず、他人との「やりとり」はほぼできません。それ故ひとり遊びが多く、人と関わりながら遊ぶことはあまりないです。普通に見ればコミュニケーションの取りにくさは「扱いにくさ」でもあると思うのですが、そんなほぺろうのことをすごくかわいがってくれる人がいます。それは...私の姪っ子!現在中学生の彼女はほぺろうが生まれたときからかわいがってくれているのですが、その様子はほぺろうの障害が判明して特性が出るようになっても全く変わらないのです。Upload By ぼさ子「扱いにくいとか思わないで、普通に接してくれるのありがたい」と思う私に、姉(姪っ子の母)は「特に意識してないだけだよ~。近所の子ども達にもこんな感じだもん」と言うけれど、いやいや、それってすごいことだよ!Upload By ぼさ子ところが姪っ子の場合はもともと子ども好きとは言え、ほぺろうに対して「障害があるから」とか「可哀想だから優しくしよう」などという考えではなく、誰に対してもいたって普通。ボランティアとも違う、その姿勢はまさに...Upload By ぼさ子特に意識してないのは、イコール『当たり前に受け入れている』から。『わが子が生きやすい世界』...。もちろん成長の努力は惜しみませんが、『いろいろな境遇を当たり前だと思ってくれる世界』を私は望んでいるのだと姪っ子を見ていて気づきました。『自分とは違う存在・考え方があって当たり前』というボーダーレスな社会であって欲しい...。それが『多様性社会』であり、障害者に限らず、すべての人にとって生きやすい世界なのかもしれません。目標は『メガネの存在』!?私達はメガネをかけている方々の存在に何の違和感も持っていません。今その存在を特に意識していないのは、視力に不自由を抱える多くの人達が『必要性』を訴えてきた歴史の成果なのだと思います。もしメガネがなければ、今も彼らは視覚障害者として就職も普通の生活も困難だったかもしれません。それが今では、メガネはおしゃれアイテムだったりモテ要素だったり...。メガネの存在は『当たり前』であり、『ノーマライゼーション』を体現してくれた実例ではないでしょうか。Upload By ぼさ子障害者が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会最近読んだ、とある記事の一説に『障害者が生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい社会である』とあり、感銘を受けたと同時にすごくハッとさせられました。というのも、ほぺろうの将来を憂いてネガティブだったころの私は、自分達親子の存在がただただ世の中の迷惑にならないように身を小さくして生きていかなければ...と思っていて「自分達の必要を望むことはワガママ」「周りに合わせるのが義務」と考えてきたからです。でも、この言葉に触れて私は「そうか、障害が社会の役に立てるなら堂々と訴えてもいいのかも!」という前向きな力をもらうことができました。社会にとって役立つ『当たり前』になったとき、その必要を訴えてきた障害の存在も『当たり前』になっているかもしれません。今の私にできることまだまだ発展途上ではあるけれど、今は昔より発達障害への理解や支援が進んでいて、私やほぺろうもその恩恵をありがたく受けています。きっとそれは、ご本人や親御さん、支援関係者の皆さんなど発達障害に悩んできた先輩達が声を上げ続けてくれていたおかげに他ならないのだと思います。私の存在は地球に対して“砂一粒”くらいのちっぽけさですが、ほぺろうや将来の誰かに繋がったらいいなと願い、ほぺろうの記録や情報を発信し続けていこうと思います。そして『わが子が生きやすい世界は、みんなも生きやすい世界』を叶えるには、いろいろな境遇が『当たり前』として受け入れられることを望みつつ、他人に望むだけでなく私自身もいろいろな境遇を受け入れる気構えが必要なのだと思います。Upload By ぼさ子
2021年01月20日フツウの学生時代から一変就職先から告げられた「辞めてほしい」名古屋市で生まれた石橋さんは、義務教育を経て高校に進学した。成績がすこぶる優秀だったというわけではないが、勉学でつまずいたり、校内で問題を起こしてしまうようなタイプではなかったという。「学生時代を振り返ったんですけど、特になくて。例えば先生に呼び出されるようなタイプでもないですし、赤点を取っていたタイプでもなかったんです。何人かの友達に『学生時代、俺ってどうだった?』って聞いてみたんですけど、別に普通だって」(石橋さん)大学受験にも合格。「困っている人の役に立てれば」と、医療・福祉系の学部を選んだ。より広い視野で社会福祉を学ぼうと、セミナーに参加するため米・ハワイの大学まで足を運ぶなど、向学心はむしろ人一倍強かった。そんな石橋さんが異変に気付いたのは、愛知県内の病院に就職してからだった。「普通の人と比べると物覚えが遅いとか、向こうから指摘をされて。これだけミスもあるし、病院としては正直辞めてほしいっていう話がありました」(石橋さん)Upload By 桑山 知之「グレーゾーンかもしれない」就職後に自閉スペクトラム症の診断石橋さんの就職先は、病院にある「医療相談室」だった。ソーシャルワーカーとして、入院患者や家族の希望を聞き取るほか、家族間や金銭的な悩みなどにも応えるといった、あらゆる問題を調整する業務にあたっていた。複数の入院患者のことを同時並行で進めなければならず、またそれが次から次へと続くわけだが、石橋さんが受け持つ患者の数は先輩と比べて少なかったという。「先輩たちは10人とか15人を同時に担当していたんですが、僕は正直なところ5人でも回せていなかったんです。5人分の困りごと、例えばこの人はこれが困っている、家族さんの背景はこうで、この家族さんにはここの支援機関だとか。人によって別のところと話さなきゃいけないし、この人は市役所のこの部署と話さなきゃいけないしとか、同時にやっていくのが困難だったっていうのは確かにあります」(石橋さん)Upload By 桑山 知之そして就職から半年以上が経ったある日、石橋さんはパニック発作を起こした。「当時、僕がパニック発作って分からなくて、病院に行っても原因が分からなかったんです。それで、精神科に行ってみたら、それはパニック発作ですねって言われて。もしかしたら発達障害があるかもしれない、“グレーゾーン”かもしれないって」(石橋さん)「次に何をしなきゃいけないのか、複数が同時に来ると分かんなくなってしまう」という、自閉スペクトラム症の特性のひとつとされる「同時処理困難」があった石橋さん。困っている人の役に立ちたいと夢見た医療の道だったが、促されるような形で退職したのだった。Upload By 桑山 知之職場からの「キミがいなくなっても困らない」――ミスをまとめた書類も発達障害はグラデーション状に広がっており、白か黒かといったはっきりとした判別が難しい。むしろ中間部分である「グレーゾーン」の方が多いとも言われている。自身も当事者であるライター・姫野桂さんの著書『発達障害グレーゾーン』(扶桑社)などにもあるように、発達障害の傾向はあっても、診断までは出ないというケースは全国的にも多く見られている。今回インタビューに応じてくれた石橋さんは、精神科にかかった後、自閉スペクトラム症の診断こそ出たものの、日常生活では特に困難さがあるわけではなかった。自分のことを周囲にどのように理解してもらうかを悩んだ末、勤務先の病院にも、障害のことを思い切って打ち明けた。すると、衝撃的な言葉が返ってきた。「(勤務先の病院に)言われたのは『キミがいなくなっても病院は次の人が入ってくるんだから、病院としては困らない』と。日本全国で大学卒業する人が誰もいないんだったら別だけど、そんなことはない。毎年入ってくるんだから、キミがいなくなっても病院としては困らないって。使えないから切ればいいっていうのは理解できるんですけど…」(石橋さん)石橋さんを辞めさせるためなのか、勤務先では石橋さんの仕事上のミスや当時の状況を事細かに同僚が書き起こし、ファイルにまとめていた。「何度も同じミスがあり、すべてに他者の確認作業と修正が必要」「他の作業をしていると、やることが抜ける」「相手の置かれている状況が想定できない」――。石橋さんは、退職を選ばざるを得なかった。Upload By 桑山 知之誰も取りこぼしたくない実体験を通して知った弱者の気持ち現在、石橋さんは再び職に就くためにLITALICOワークスで就労移行支援を受けようとしている。そこには、昔からブレずに抱いている思いがある。「誰も取りこぼしたくないっていうのはありますね。社会的に不利に追い込まれてる人とか、そういう人が不利益を受けるんじゃなくて。ひとり親、障害者、高齢者、親がいないお子さん……。そういう人たちが不利な状況になりやすい社会にはしたくないなって思うので、そういう人たちも幸せを感じられるような世の中にしていきたいなっていうのは漠然とありますね」(石橋さん)かつての勤務先で自身の発達障害を打ち明けても相手にされず、辞めるよう促された過去。石橋さんの心の中で、より強い思いが湧き上がった。「そういったことを言われた経験を踏まえて思いましたね。弾き出されるときって、こんなに露骨に弾き出されるんだなって。実体験としてすごく思いました。だからこそ社会の中で誰ひとり取りこぼしたくないし、自分の力が役に立てる場所でやっていきたいです」(石橋さん)Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月17日菅野美穂と浜辺美波が母と娘を演じる新水曜ドラマ「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」が、1月13日よりスタート。この度、浜辺さん演じる娘・空がコスプレを披露、その“漫画愛”が明らかとなった。浜辺さん演じる空は、筋金入りの漫画好きという設定。その空が愛する漫画はどれも実在するものばかりで、そのひとつが「EDENS ZERO」。1話の冒頭、コミックマーケットから帰宅した空の胸元には「EDENS ZERO」の主人公 シキ・グランベルの缶バッジが…。さらに、1話には空がシキのコスプレをしている姿も登場する。そして空の部屋には、たくさんの漫画やフィギュアがずらり。空がコスプレをするほど好きな漫画「EDENS ZERO」の単行本はもちろん、棚には「はたらく細胞」のフィギュアも。そんな中、空イチオシの漫画が「幸せカナコの殺し屋生活」。漫画の中で主人公カナコが言うダジャレ「ウソウソウソウソコツメカワウソ!」は空も気に入ってよく使っているよう。ドラマの中にちょこちょこと登場する空の“漫画愛”にも注目だ。第1話(1月13日放送)あらすじ下町情緒漂う都会の一角、すずらん町ーー。水無瀬碧(菅野美穂)は、シングルマザーとして娘を育てつつ連載を抱える小説家。“恋愛小説の女王”としてかつて一世を風靡したが、目下の心配事は大学生の娘・空(浜辺美波)に浮いた話がまるでないこと。そんなある日、続編を見込んだ碧の渾身の初ミステリー「アンビリカルコード」が大コケしたことで、碧は編集長・小西(有田哲平)から連載の打ち切りを告げられる。意気消沈する中、新しく担当についた編集者・橘漱石(川上洋平)から次回作に、と久々の恋愛小説を発注される碧。しかし華やかな表の顔とは裏腹に、恋愛から遠ざかっている自分に自信をなくしていた…。その頃、地元商店街の老舗鯛焼き屋・おだやでアルバイトをする空は、4代目店主で碧の幼馴染・ゴンちゃん(沢村一樹)に、いくつになっても危なっかしい母の心配を漏らしていた。訳あって碧と同じ独身、幼い頃からの腐れ縁のゴンちゃんは先代の俊一郎(中村雅俊)と共に頼れるご近所さん。友達のような相棒のような、仲良し母娘の碧と空を温かく見守ってきた。そんな中、水無瀬家を揺るがす心ときめく“運命的出会い”が碧と空に訪れようとしていた。さらに空は、大学きっての“陽キャ”モテ男で、同じゼミの入野光(岡田健史)のひと言についカッとなり、ある事件を起こしてしまう…。新水曜ドラマ「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」は1月13日より毎週水曜22時~日本テレビ系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2021年01月08日切り替えが苦手で集団行動が遅れがちUpload By スガカズ長男はWISC-IVの結果で処理速度が低いことがわかっています。また、注意散漫、過集中といった特性もあり、学校で次の行動に移るときに時間がかかります。なかなか次の行動に移れないとき(特に教室を移動する授業)は、クラスメイトや先生が声をかけてくれることがあるのだそうです。学校で見かけた長男とクラスメイトのトラブルUpload By スガカズ1年前のある日、私は当時小3だった次男の忘れ物を届けに学校へ行きました。すると廊下で小6の長男がクラスメイト2人となにやら揉めていました。クラスメイトに何か言われており手をひっぱられています。長男は何も言わず泣きそうになりながら拒んでいました。体操服に着替えていること、授業の始まりを知らせるチャイムが鳴っていたことから、「長男の行動が遅れているからクラスメイトが呼びに来たんだな」と理解しました。長男は次の行動に移るときに無理やり促されるのを嫌います。私はクラスメイトとのやりとりを見て「長男にとって大事な経験だ。今私が間に入るよりも、後で話を聞いてアドバイスした方が冷静に話し合える」と思い、後ろ姿を見つめていました。「病気(障害)だから仕方ない」長男の発言に腹を立て…Upload By スガカズ放課後、長男が帰ってきたので私は廊下でのやりとりについて聞きました。概ね私の予想通りで、体育館に行く途中で考えごとをしていたそうで動きが止まっていたそうです。長男がなかなか動こうとしないので、クラスメイトが「早く来て!」「遅い!」と強い口調で促していたそうです。「それは大変だったね。注意されていたとき、あなたはどんな気持ちになったの?」と聞くと、「オレは、できることとできないことの差がハッキリしている。だけどクラスの女子が無理やりオレをひっぱって連れて行こうとしたんだ」「オレ、病気だから行動がゆっくりでも仕方ないのに!」と怒り口調で答えました。私は長男が強めに促されてイヤだった気持ちは理解しますが、「仕方ない」という言葉に腹が立ち、思わず長男を叱ってしまいました。「障害だからいいでしょ」と許してもらおうとしたり、「仕方ない」からといって諦めたりするのは間違っていると思います。大事なのは、「障害に対して自分がどう向き合えばいいか」「言ってくれた相手とトラブルにならないためにどうしたらいいか」を考えて行動することだと言いました。このとき長男は「言われたのは自分の方なのに」と納得した様子ではありませんでした。どうすれば分かってもらえるのか?と考えたときに、長男に促す側の気持ちを体験してもらうことだと思いました。無視されたり開き直られたらどんな気持ちになる?Upload By スガカズUpload By スガカズその日の夜、きょうだいが全員そろったときに長男に話しかけられました。私は話しかけられていることを理解していましたがそれに反応せず、きょうだいの相手をしていました。何度も何度も話しかけていたのに長男は無視されたので、私に怒りました。怒っている長男に対して私は、「今、どんな気持ち?」と聞きました。子どもたちに話しかけられても対応できないときに「ごめんね」「ちょっと待ってね」「〇〇の後話きくね」と言うように私は気をつけていること、「〇〇だから仕方ないでしょ」という風に言ってないこと、もし「仕方ないでしょ」と言われたり無視されたらどんな気持ちになる?と長男に言いました。「…イヤな気持ちになる…」と長男は答えました。クラスメイトが声をかけてくれる(行動を促してくれる)のはありがたいことで、その行動に対して何も言わずに嫌がったり怒ったり「病気だから仕方ない」と言うのは間違っているともう一度言いました。Upload By スガカズその後聞いていなかったときや無意識で起こったことに「ごめん!」というセリフが出たり言葉で説明したりする場面が見られるように。私は素直に反応してくれたことが嬉しくて「気づいてもらえてお母さんうれしいよ」と言いました。もちろんすべてが好ましい反応にはなりませんが、気をつけようと思い言葉に出すことは、より良い生活を行うために必ず必要になってくることで、一歩前進したと言えます。中1の現在、できないことに対して「自分で解決策を考える」姿も…Upload By スガカズ中1になった現在は、どうしてもできないことに対して、考える場面も見られます。できない理由を言葉にして、私にお願いすることもあります。「どうしたらいいのか分からない」と、そのままにしてしまう場面も沢山ありますが、自分の障害を「仕方ない」と諦める前に、人に相談したり自分なりの案を試してほしいと思います。
2021年01月04日発達が気になる子の就園。サポートは受けられる?出典 : 発達が気になる子どもが保育園や幼稚園に入園する際、集団生活についていけるかどうか、お友達と関われるかどうかなど、不安に思うこともあるかもしれません。また、園生活が始まってから、気になる様子が見られ始めるという場合もあります。就園前や就園してから、必要な配慮を依頼することはできるのでしょうか。また、発達が気になる子どものサポート制度はあるのでしょうか。幼稚園や保育園では「障害児保育」を実施していたり、「加配」の先生をつけられたりする場合があります。このコラムでは、そうした制度について解説します。特別な配慮が必要な子どもを受け入れる基準は、自治体や園によってさまざまです。例えば、以下のような基準があります。・障害者手帳の保持者・特別児童扶養手当対象者・医師等による診断を受けていることなど例えば東京都練馬区では、(1)申込みに必要な書類一式、(2)『心身状況表』、(3)『主治医等見解書』、(4)身体障害者手帳、愛の手帳、精神障害者保健福祉手帳等を所持している場合は、障害の程度が分かるページのコピーの提出が必要です。入園に関すること(練馬区)ほかにも市区町村独自の基準を設けているところがあるので、詳細はお住まいの自治体に問い合わせて確認する必要があります。また、園ごとに受け入れ人数が決まっていることも多いです。希望する場合は、申し込み期日などを確認しておきましょう。「加配制度」とは、他児と同じように保育園の生活を送ることが難しい子に大人がつき、生活面や集団参加をサポートしてくれる制度のことです。保護者からの申請によって加配をつけられる園が全体の約4割、申請がなくても保育所独自に加配を行っているケースが2割程度あります。また、私立の園では自治体の補助金等による加配を実施している割合が高くなります。補助金をどのように分配して使用するかは園によって異なるため、私立の園では公立の園と比べ、申請を出しても加配をつけられないケースが多いようです。公立・私立問わず、申請を出しても加配をつけられるかどうか、どのような配慮を受けられるかどうかは園によって異なります。加配を申請する際はまず園に問い合わせて、今まで加配制度を利用した子がいたかどうか、その際はどのような配慮を行なっていたかなど確かめると良いでしょう。保育所における障害児保育に関する研究報告書(みずほ情報総研)埼玉県 私立幼稚園等特別支援教育費補助金加配の先生とは?出典 : 加配の先生とは具体的に、どのような支援をしてくれるのでしょうか。詳しく説明します。加配の先生は配慮の必要な子どもに対して、それぞれのケースにあわせた支援を行います。具体的には、以下のようなサポートがあります。・身辺自立の支援例えば食事でスプーンやフォークをうまく使えない場合や自分でトイレに行けない場合などに、サポートを行います。加配の先生と家庭で連携しながらトイレトレーニングを行い、オムツを卒業できたという声もあります。・お友達との関わりや集団参加をサポートうまく友達と遊ぶことができずトラブルになってしまうときや、集団参加が苦手で周囲の子と同じように行動できないときなど、加配の先生が介入してサポートします。友達と遊ぶときのルールや声かけの仕方など隣について教えることで、少しずつ自分の力で関わったり集団参加できるようになっていけるケースが多くあります。・保護者とのコミュニケーション子どもの発達や家庭での関わりなど、保護者は子育てについてさまざまな不安を抱えていることも多いでしょう。そんなとき、担任の先生のほか、加配の先生に相談できることがあります。客観的なアドバイスを受けられることで保護者が状況を整理できたり、悩みに寄り添ってもらえる安心感があるでしょう。また、多くの自治体では発達支援に理解の深い専門家が施設を巡回しており、加配の先生は専門家の助言にもとづいた支援を行っています。加配の先生は、子どもの数に対してどの程度ついてくれるのでしょうか。半数近くの自治体で、具体的な基準は決まっていません。「障害の程度を問わず一律の配置基準を設けている」という自治体もあれば「障害の程度により基準が異なる」という自治体もあります。障害の程度を問わず一律の基準を設けているところだと、「3人もしくは2人に保育士1人」という基準を定めている自治体の割合が多く、約3割の市区町村では子どもとマンツーマンになるよう基準を定めています。申請方法や費用は?出典 : 公立の園には多くの場合加配制度があり、私立の場合も自治体から補助金を受けて実施している場合があります。自治体によって補助額は異なるため、自治体ごとに確認する必要があります。加配を支援する補助金には、「療育支援加算」と「障害児保育加算」があります。「療育支援加算」は障害児保育を行う園に適用され、「障害児保育加算」は小規模保育、事業所内保育、家庭的保育といった地域型保育を支援します。なお、加配制度を利用するのに保護者の自己負担はありません。加配制度の申請方法は、自治体によって異なります。ここでは一例として、とある自治体における申請方法を記載します。①診察予約②診察・相談・書類申請③書類発行具体的な申請方法については、お住まいの自治体に問い合わせて確認してみてください。小学校でも加配制度を利用できる?出典 : 加配制度を利用して園に通い、卒園後に小学校でも同じようなサポートを受けることはできるのでしょうか。小学校で配慮を受けるには、特別支援学級や特別支援学校に通うという選択や、通常学級に在籍しながら通級や特別支援教室を利用して必要な支援を受けるという選択があります。ほかにも、通常学級で個別のフォローを受けられる場合があり、フォローする大人は「加配」「補助教員」「支援員」「民間ボランティア」など、呼び方や役割が少しずつ異なります。例えば授業に集中しにくい子に付き添って声かけをしたり、友だちとコミュニケーションを取るのが難しい子の仲立ちをしたり、LDのある子に代読や代筆をする、と言った形で、学習や集団生活のサポートを受けることができます。ただし自治体で人員と予算を検討するため、親が加配の希望を伝えても難しい場合があります。逆に親が希望を出さない場合でも、学校判断で申請されることもあります。自治体によって手厚い人員が確保できる場合とそうでない場合があるため、差があるのが現状です。また、放課後や土曜日など家庭保育が難しい場合に子どもを預かる「放課後児童クラブ」においても、厚生労働省の出しているガイドラインで「配慮を要する児童を可能な限り受け入れに努めること」という記載があるものの、加配制度の有無や基準は各自治体に委ねられています。放課後児童クラブ運営指針解説書(厚生労働省)支援をうまく活用して、お子さまの発達をサポートしよう出典 : 配慮の必要な子どもをサポートする制度には、事業所に通って日常生活の自立支援や機能訓練を受けられる「児童発達支援」や、園や学校に支援員が訪問して集団生活への適応をサポートする「保育所等訪問」もあります。医療機関や療育センター、市町村の保健センターなども、園と連携をとって必要な配慮についてアドバイスをしてくれる場合があります。園の外の支援も、うまく利用してみてください。まとめ障害や特性があり特別な配慮が必要な子どもは、加配制度を利用することができます。ただし、利用できる基準や申請方法等は自治体によって大きく異なるため、必ずお住まいの自治体に問い合わせてみてください。まずは、かかりつけ医や療育の先生に相談してみても良いでしょう。児童発達支援や保育所等訪問など他のサービスも利用しながら、お子さまの園・学校生活をサポートしていきましょう。
2020年12月28日