2020年12月12日に放送されたトーク番組『サワコの朝』(TBS系)に出演した、タレントの加藤茶さんと加藤綾菜さん夫妻。結婚10年目になるまでに、さまざまな壁を乗り越えてきたといいます。加藤茶夫妻に7年間続いた世間からのバッシング45歳差婚ということもあり、結婚当初は世間からのバッシングが続いたという加藤さん夫婦。『バッシング』という言葉だけではいいまとめられないような、酷いことをされた過去を明かしました。実家も特定されて、実家のほうにもクレームが(一般の人から来た)。お母さんの携帯番号が次の日にはネットにバレて。幸せになれるはずの結婚だったのに、なんでこんなことになったんだろうっていうのはすごい1~2年悩んだ時があったんですけど。私が乗ってる自転車がペンキ塗られて木に吊るされたりとか。サワコの朝ーより引用綾菜さんは、ネット上に個人情報を晒され、家も特定されてしまったといいます。しかし、バッシングに耐えた加藤さん夫婦。加藤茶さんは「それがあったから10年頑張れた」と振り返り、綾菜さんも「7年叩かれて謙虚になることを教わった」と前向きなコメントをしました。生死をさまよう病で必死の看病結婚4年目には、加藤茶さんがパーキンソン症候群で倒れてしまいました。綾菜さんは「絶対死なせない」という思いで看病にあたったといいます。その後、加藤茶さんが自宅で大量の吐血をし再び入院に。綾菜さんがある動画を再生すると、加藤茶さんは驚異の回復を見せたのだとか。加トちゃんは意識がもうろうとしているので、とりあえずずっと隣にいてもかける言葉もなかったんですよ、私。なので、ドリフの階段落ちコントを見えてるか見えてないか分からないですけれど、見せて。加トちゃんは、記憶があまり意識がもうろうとしているので、志村さんとのコントとかをずーっと見せてたら、加トちゃんがうっすらくすくす笑うようになって。サワコの朝ーより引用意識がもうろうとする中で「もう1回舞台に立ちたい。元気になってたくさんの人に笑ってほしい」と語った加藤茶さん。実は、同年3月に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)で亡くなった志村けんさんと、再びコントをする約束をしていたことを明かしました。盟友・志村けんさんとコントの約束もまだ、コロナウイルスがどのような病気かが分かっていない頃に感染が発覚した志村さん。病院に運ばれて亡くなるまでは、たった4日のことでした。加藤茶さんは、盟友をなくし果たせなかった約束をさびしそうに語ります。志村がちょうど70になって、僕たちに追いついてきて。よし、70になったらできるコントあるよな、これをお客さんに見てもらおうなって志村と話してたんですよ。多分ね、間が空くと思うんだけど、間が味になって出ると思うんで、だから面白いと思うよって、絶対やろうなって。サワコの朝ーより引用加藤茶さんは「あっけなく逝ってしまったのですごいショックだった。かけがえのない相方だった」と振り返りました。番組の視聴者からは、バッシングを受けた新婚生活や加藤茶さんの志村さんへの想いにさまざまなコメントが寄せられています。・愛に年齢は関係ないことが分かった。幸せそうだな…。・ウルっとした。全員70歳を超えたドリフ、見たかったです。・加トちゃんが元気になってよかった。素敵な夫婦ですね。綾菜さんは、ヘルパー1級を取得するなど介護の勉強にも献身的に取り組んでいるといいます。長期間バッシングが続くも、2人の間には固い絆と愛情があったのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月13日志村けんさん(享年70)が新型コロナウィルスによる肺炎のため、今年3月29日に亡くなってから8カ月が経つ。だが、所属事務所・イザワオフィスのHPのトップページでは、いまも生前と同じ「事務所の顔」として写真やプロフィールなどが掲載され続けている。さらにDVD発売などの情報は、NEWのマークをつけていまも更新が続く。「所属タレントが亡くなった場合、ほとんどの場合はひっそりとHPからなくしていくケースがほとんどです。なかにはファンの気持ちを思い、残すケースもありますが、“事務所の顔”であり続けることはめずらしいでしょうね」(芸能関係者)実は志村さんだけではなく、2004年に急逝した、いかりや長介さん(享年72)もイザワオフィスのHPでは“健在”だ。メンバー2人が他界してもなお、ドリフターズのメンバー全員が同社HPのトップにはずらりと並んでいるのだ。いしだあゆみ(72)、麻生祐未(57)、小泉孝太郎(42)など、一線級で活躍する所属タレントがいるにも関わらず、いまだ志村さんやいかりやさんを“顔”として掲げ、いまもなお新着情報を更新し続けているのはなぜなのかーーイザワオフィスに聞いてみた。「いまも志村の名前を冠にした番組は続いていますし、DVDやグッズの販売も続くので、HPを変える理由がありません。新着情報は今後も更新していく予定です」確かに「志村友達」のように名前を冠した番組は続いている。今後、新たなDVD発売も予定されている。加えて“志村さんのみならず、ザ・ドリフターズはいまも事務所にとって大切なグループ”とイザワオフィスは言う。「ドリフターズは41年前の事務所の設立時からの所属で、看板として貢献してくれた、感謝すべき存在です。そしてグループとして解散したわけでもない。今でもそのコントは映像で流れています。われわれとしては“ドリフターズはまだ活動中”と考えています」「8時だョ!全員集合」の番組終了から35年。いかりやさんと志村さんが天国に旅立った後も、ドリフターズはイザワオフィスの看板タレントなのだ。
2020年12月05日『ザ・ドリフターズ』のメンバーである、仲本工事さん。2020年で79歳を迎え、YouTubeチャンネルを開設したり、Twitterを始めたりと、精力的に活動しています。そんな仲本さんがTwitterで驚きの投稿をし話題に。なんと、80歳を目前にして子供ができたというのです。この歳でまた子供ができました。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) November 25, 2020 これにはファンも衝撃を受け「おめでとうございます」「すごい」と、一時、ネット上が騒然とする事態に。しかし、約12時間後…『笑撃』のオチが明かされたのでした。お騒がせしてすみません。家族になったのは2ヶ月の猫のまる君です。男の子です。 pic.twitter.com/p7cWriNSl3 — 仲本工事 (@nakamoto_koji1) November 25, 2020 そう、仲本さんが『子供』といったのは、生後2か月の子猫、まる君。確かに仲本さんにとっては子供のような存在ですが、『ザ・ドリフターズ』のコントのような展開に、さまざまなコメントが寄せられています。・さすが一流のオチですね!・あり得ない話ではないので驚きましたが、猫も立派な家族には違いありません。・ダメだこりゃ。また、寄せられているコメントの中には、2020年3月に亡くなった『ザ・ドリフターズ』のメンバー、志村けんさんの生まれ変わりでは…というものも。80歳を目前に、子猫の『パパ』になった仲本工事さん。まる君はきっと愛情をたっぷり受け、元気に成長していくのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2020年11月28日『ザ・ドリフターズ』のメンバー加藤茶さんの妻・加藤綾菜さんが、自身のYouTubeチャンネル『加藤家の日常』で、モーニングルーティンを公開しました。タレントとしても活躍し、最近では介護資格を取得したことでも話題になっている綾菜さん。仕事や学校のない日の朝、綾菜さんは、どのように過ごしているのでしょうか。この動画を見て、綾菜さんのイメージが変わったという人も。それでは、早速ご覧ください。結婚当初は45歳の年の差結婚として話題になり、バッシングもひどかったそうです。それでも、結婚から9年を迎えた今、献身的に加藤茶さんを支え続ける姿に好感を持ち、応援する声も多く聞かれるようになりました。今回の動画でも、自然体でありながら丁寧に暮らしている綾菜さんの様子に、こんなコメントが寄せられています。「あやなちゃんって自然体なんだよね。加トちゃんの奥さんだからって気取ってないし。だからすごく好感が持てます」「ほんと笑ってしまうぐらい気取ってない。サッパリしてる奥さんだなー」「綾菜さんは本当、働き者で努力家!見習いたいけどなかなかできるもんじゃないです。カトちゃんは幸せだね」キレイに掃除されているのに生活感が感じられる部屋や、飾らない姿に親近感を持つ人も多かったようです。忙しい中でも、愛する人のために料理をし、家事も勉強もこなす…例え大切な家族であっても、なかなか出来ることではないと思います。加藤茶さんの才能に惚れ込み、ぶれない綾菜さんの愛情に芯の強さを感じます。自分の気持ちをまっすぐ信じて、それを行動で示すことができる綾菜さんの姿勢は、とても素敵ですね。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2020年10月27日ザ・ロウ(THE ROW)が2021年スプリングコレクションを発表。>>その他のザ・ロウの記事はこちらから
2020年10月07日『ザ・ドリフターズ』のメンバーである、お笑いタレントの仲本工事さんが、2020年9月21日にTwitterを開始。初投稿では「みなさん、私のこと覚えてますか?」と呼びかけ、まさかのTwiterアカウント開設に大きな反響が上がりました。同月22日現在、79歳の仲本さん。時代の流れに乗り、Youtuberデビューも発表するチャレンジ精神に称賛の声が上がっています。こんばんは仲本工事です。みなさん、私のこと覚えてますか?御年79歳!Twitterをはじめました。またYouTubeもはじめます。来年80歳になるのですがまだまだ色々とチャレンジしていきます。応援をよろしくお願いします。 #ドリフ #体操 #YouTube #めがね男子 #フォロワー募集 pic.twitter.com/5Wcu2xEuX3 — 仲本工事 (@nakamoto_koji1) September 20, 2020 しかし、まだTwitterの世界に慣れていないせいか、シュールな投稿も。拡散機能のリツイートを『リフォーム』といい間違えたり、Twitterの使い方に戸惑ったりと、早くも多くの人を笑わせているようです!みなさんリフォームお願いしま〜す。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) September 20, 2020 使い方わかりません、目が疲れますね。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) September 20, 2020 ごめんなさいこれツイッタの電源の切り方教えてください。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) September 20, 2020 投稿はまたたく間に拡散され、「仲本さんのアカウントが面白すぎる」「デジタル慣れしていない、おじいちゃんみたいで和む」と話題になりました。なんと、アカウント開設からわずか1日で3万7千人以上のフォロワーを集めています。今後も仲本さんは、Twitterや自身のYouTubeチャンネル『ありがと~ね~』でいろいろなことにチャレンジしていく模様。テレビだけでなく、ネットでもたくさんの人を笑顔にしてくれそうですね![文・構成/grape編集部]
2020年09月22日長年連れ添い、紆余曲折を経ながら、最後は「夫を介護する」という試練と向き合うことになった妻たち。そのとき、夫に何を思うのか。きれいごとだけでは片づけられない複雑な思いを超え、見えてきた「夫婦って何?」の答えに、耳を傾けましたーー。■加藤綾菜さん(32・タレント)/夫は加藤茶(77)「これから先、彼に何があっても動じることなく、私がサポートしたいと思いました」そう語るのは、加藤茶夫人として自然体で夫に尽くす姿が共感を呼ぶ加藤綾菜さん。綾菜さんは短期大学進学時に広島から上京。’09年、六本木の割烹料理店でアルバイトをしていた19歳のとき、来店した茶さんに気に入られ、交際を経て’11年6月に入籍。「世間の反応を覚悟のうえで、責任を感じて入籍してくれた彼には感謝しています」というが、結婚当初は45歳年下というだけで綾菜さんへの風当たりは相当なものだった。そんなさなかの’15年、茶さんは『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK総合)のロケの夜に倒れ、そのまま入院、闘病生活を余儀なくされる。診断結果はパーキンソン症候群という大病。しかし、手が震え、スプーンもまともに持てなかったという茶さんに、献身的に寄り添い、看病する綾菜さんの姿が報じられると、世間の目は次第に変化していった。「あのころは絶対に彼を死なせたくないという使命感に燃えていました。主治医の先生からは『回復は難しいでしょう』といわれましたが、結婚して数年しかたっていないのに、という思いがありましたし、生命の力を信じる心が強かったんです。『彼の大好きな仕事に復帰して舞台に立ってほしい』と、そればかり願っていました」この後、茶さんは奇跡的に回復、舞台にも復帰を果たした。「退院時に『1年後、舞台に立とうね』という目標を立て、『今日は5分歩けたから、明日は6分を目指そう』とか、地道なリハビリに励みました」復帰を果たしたものの、茶さんの年齢を考えると、いつ何があるかわからない。そう考えた綾菜さんは、ついに昨年から実践的な介護の知識を得ようと専門学校へ入学。130時間の研修を受け、この5月には幅広い分野でヘルパーができる介護職員初任者研修の筆記試験に合格した。合格を報告すると、茶さんも「とても安心だよ。ありがとう」と喜んでくれた。現在、介護福祉士を目指してさらに研鑽を積む日々を送っている綾菜さん。学ぶほどに介護の奥深さを痛感するという。「生半可な世界ではありません。学ぶことと、現場で実践するのでは大違いでした。重度の認知症の方は歯磨きの介助で口を開けていただくことも容易ではない。介護の本当の大変さをまだ私は理解していない。そう感じてどこかの施設で職員として働きたいと願っていたら、受け入れていただける先があったんですよ」そう目を輝かせる綾菜さんだが、7月に入職できるはずが、コロナ禍で延期に。それまでの間に大学の通信教育も開始したが、茶さんの食事作りを怠らない綾菜さんの一日は、それだけで十分忙しい。「出かけるときに彼の食事を冷蔵庫に入れるのはダメなんです。彼は『お皿がいっぱいあって、どれを食べたらいいかわからなかった』と食べずに過ごしてしまう。だから作ったらキッチンに置いて、保冷剤をたくさん載せて。お皿はそのまま置いておいてもらえばどれだけ減ったかわかります」綾菜さんにとって介護の修業も大事だが、あくまで“加トちゃんファースト”がモットー。この気持ちが強くなった要因には、志村けんさんの急逝もあった。「命には限りがある。一緒に過ごせる時間の大切さ」を痛感したという。「彼は当初、とても落ち込んでご飯も食べられない状態でした。最近は少し元気を取り戻して、ご飯も1膳ぐらいなら食べられるようになったので、彼が生きていられるだけでありがたいと思うようになりました。結婚当初は彼が女の人とラインをしていることにヤキモチやいたり喧嘩したりしたけど、いまは朝、笑顔で『おはよう』っていえることがうれしい。彼が一日でも長く芸人として舞台に立てるように生活すべてを支えるのが私の役割と思っています」綾菜さんは「ザ・ドリフターズで育った世代」とはいえないが、いまも昼夜ネタ作りに余念のない茶さんを見ているだけでも、そのすごさは伝わってくるそう。「支えがいがあるし、彼を支えられることに感謝ですね」9年間のなかで「子どもがいなくてかわいそう」「悩んでいるんだろうね」などといわれたこともあったが、綾菜さんは夫婦2人きりの幸せを満喫しようと思っている。「どんな夫婦にも悩みごとはあるはずだし、どうしようもないことはあまり悩まないことにしているんです。いまは2人の時間があることに感謝。お互いを思いやって残りの人生を一緒に過ごすことが、ただひとつの願いですね」「女性自身」2020年9月15日 掲載
2020年09月09日タレントの加藤綾菜(かとう・あやな)さんが、2020年7月26日にインスタグラムを更新。夫でお笑いタレントの加藤茶(かとう・ちゃ)さんのピンショットを公開し、多くの反響が寄せられています。加藤茶の寝起きショットに「イ、イケメンすぎる…」加藤綾菜さんは「朝、目覚めてのこの完成度」とコメントし、加藤茶さんのアップ写真を投稿しています。 View this post on Instagram A post shared by 加藤綾菜 (@katoayana0412) on Jul 25, 2020 at 8:25pm PDTさらに、同日に公開した『パート2』では、愛犬と寄り添った加藤茶さんの姿が。 View this post on Instagram 朝目覚めてのこの完成度✨✨ 77歳イケメンよね?? 家でも綺麗にしてます☺️ part2 #無修正 A post shared by 加藤綾菜 (@katoayana0412) on Jul 25, 2020 at 8:29pm PDT優しい微笑みを浮かべ、イケメンぶりを爆発させています。投稿を見たファンは口々に「77歳には見えない!」「やばすぎでしょ」と、若々しいビジュアルを絶賛。また、2人の仲のよさをうらやましがる声も寄せています。・すごくイケメン!どんどん若返っていますね。・か、かっこいいです…。今日もまた惚れてしまいました!・素敵!お互いに愛し合っているのが分かる写真ですね。結婚当初は45歳の年の差婚で世間を驚かせた2人でしたが、結婚9周年を迎えた今ではおしどり夫婦として知られています。加藤綾菜さんは夫のために介護を学び、介護職員初任者研修(旧ホームヘルパー2級)を修了。加藤茶「めっちゃ幸せ」加藤綾菜が明かした『介護試験のエピソード』に「尊敬」の声また、食育インストラクターの資格を取得しており、手料理で夫の健康をサポートしています。仲むつまじい2人の活躍を、これからも応援していきたいですね。結婚9周年を迎えた加藤茶夫婦妻の投稿に、祝福のコメントが続々[文・構成/grape編集部]
2020年07月27日2020年6月21日に放送されたバラエティ番組『志村友達 大集合スペシャル』(フジテレビ系)。同年3月に亡くなった、お笑いタレントの志村けんさんと深い親交がある著名人がゲスト出演し、これまでに放送された人気番組『ドリフ大爆笑』『志村けんのバカ殿様』などのコントが一挙公開されました。ネット上では「何度見ても面白い」「たくさん笑った」といった反響が寄せられ、多くの人々が志村さんを偲び、また彼が遺したコントを楽しんだようです。研ナオコが着用していた衣装が話題に翌22日、番組に出演したタレントの研ナオコさんが、ブログを更新。研さんは、志村さんが所属していたコントグループ『ザ・ドリフターズ』の加藤茶さんや高木ブーさん、仲本工事さんらとともに撮影した、オープニング時の写真を公開しました。番組のオープニングでは、1977年に放送開始した『ドリフ大爆笑』のパフォーマンスを再現。『ザ・ドリフターズ』のいかりや長介さんの代役をお笑いトリオ『ダチョウ倶楽部』の肥後克広さんが、そして志村さんの代役を研さんが務めました。研さんはブログで「番組を見てくださりありがとうございます」という感謝の言葉とともに、オープニングで自身が着用していた衣装について、次のような想いをつづっています。実際にけんちゃんが愛用していたメガネと衣装をお借りしましたとても特別な思いでけんちゃんの代役を務めさせていただきました。研ナオコオフィシャルブログーより引用研さんのブログに対し、視聴者からは絶賛のコメントが寄せられています。・オープニングの研さんが、とても志村さんに似ていて、冒頭から笑いました。・やや大きいサイズのズボンを着ている研さんを見て、涙が出ました。研さん、ありがとうございます。・志村さんの衣装が似合っていました。きっと志村さんも番組を見て、笑っていたと思います。志村さんをリスペクトする想いで、代役に挑んだ研さんの姿は、多くの人の胸を打ちました。志村さんも、きっと見守っていてくれたことでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年06月25日2011年に当時23歳だったタレントの加藤綾菜さんと結婚した、『ザ・ドリフターズ』のメンバーである加藤茶さん。45歳差という『超・歳の差婚』は世間を驚かせました。結婚から9年が経ち、加藤茶さんは77歳に。そんな加藤茶さんを支えていくため、綾菜さんは必死に勉強をして介護試験に合格したといいます。加藤茶「めっちゃ幸せ」加藤綾菜が明かした『介護試験のエピソード』に「尊敬」の声加藤綺菜、介護の知識を深めるため介護施設で働くことを決意同年6月16日、綾菜さんがInstagramを更新。初任者研修の合格では満足せず、介護の知識を深めるために実務者研修の合格を目指すことにした心の内を明かしました。介護の基礎知識を学ぶ初任者研修からステップアップし、より実務的な知識と技術を求められる実務者研修。綾菜さんは「介護の現場に立ちたい」という思いから、介護施設で働くことにしたといいます。撮影が終わり緩和ケアの授業をうけたノートを復習。やっぱり、初任者研修(ヘルパー2級)をとったなら1級(実務者)とって知識を深めたい!自己満のためじゃなく役に立つ自分になりたいと心から思ったよ!介護の現場にも立ちたい。。。学びたい!って事で働かせてもらえる施設を探してまして。。。 見つかりました。働かせて頂ける事になりました‼️感謝です。katoayana0412ーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 加藤綾菜(@katoayana0412)がシェアした投稿 - 2020年 6月月16日午前7時48分PDT情報番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)で初任者研修の合格を明かした際、「介護試験は介護職のためではなく夫のため」といっていた綾菜さん。きっと勉強しているうちに、さらに知識を深めたいという思いや、介護現場で働きたいという気持ちが強くなったのでしょう。加藤茶さんとの結婚が報じられた際は、その年の差から綾菜さんに対して心ない言葉や憶測がネットで飛び交ったこともありました。しかし、綾菜さんの加藤茶さんを想う姿に多くの人が心打たれたようです。・結婚当時は心ない言葉も多かったけど、夫のために頑張っているのが伝わってきます。・純粋にすごいと思う。尊敬するし、頑張ってほしいです。・自分は介護従事者ですが、行動力が素晴らしいと思いました。応援しています!大切な家族のためだからこそ、綾菜さんは「もっと学びたい」「頑張りたい」と思うことができるのでしょう。今後も夫婦で仲よくいてほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年06月17日「ジュリーはもともとコントなんかやってなかったわけです。でも『全員集合』で、志村さんと面白いことをやろうということで、意気投合したんでしょう。そこは当人同士の阿吽の呼吸ということでしょうね。志村さんが考えたことを2人で打ち合わせして、生(放送)の感覚で面白いことをしたということです。それぞれ歌とお笑いで天下を取ったスーパースター同士が、認め合っていた。そんな関係だったと思いますよ」ジュリーこと歌手の沢田研二(71)の元マネージャーだった森本精人氏は、こう語った。志村けんさん(享年70)の“幻の遺作”となった松竹映画『キネマの神様』。その主演に沢田が務めることを発表された。3月に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した志村さんにとっても、かつて同じ事務所の先輩後輩であり、同時期に“スーパースター”として過ごしたジュリーは最高の人選だろう。「志村さんはザ・ドリフターズとしてお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)で活躍。かたやジュリーは『勝手にしやがれ』や『TOKIO』などの大ヒットによる国民的歌手として君臨。その2人による『全員集合』での野球コントや鏡を使ったコントは、番組の名物の一つでした」(テレビ誌記者)そんな2人は『全員集合』終了後も強い絆で結ばれていた。’01年にはラジオ番組『ジュリけん』、’03年には舞台『さぁ、殺せ!』で共演していたのだ。志村さんの仕事関係者が当時の2人の交流を述懐する。「志村さんが’06年から舞台『志村魂』を始めたのは、沢田さんとの共演舞台『さぁ、殺せ』がきっかけだったんです。沢田さんはとにかく一生懸命やる人で、あれだけの人気歌手なのにコントも器用だった。そんな沢田さんが、舞台での志村さんのことも褒めてくれたんです。2人ともお酒好きだから、舞台終わりにはよくバーで朝方まで飲んでいました。酔っ払ってくると志村さんも当時の人間関係の愚痴を言ったりもしていたんですが(笑)、そんな話も沢田さんは嫌がらず『うん、うん』と、一晩中聞いてくれていましたね」当時のインタビュー(『Hanako』’03年7月23日号)でも2人は息のあったところを見せていた。志村さん「アルコールで全身消毒していますからね、僕らは。元気ですよ」沢田研二「生(の舞台)はいいですよ。失敗したら、明日頑張ろうって飲むでしょ。よかったらよかったで飲むから」スーパースター同士がかつて育んだ縁は、時を経てまた繋がることになった。沢田が代役となる『キネマの神様』は、前出の元マネージャー・森本氏の娘婿がプロデューサーを務めているのだ。「今回の映画出演の件で(ジュリーと)連絡は取っているわけではありませんけど、彼の一ファンとしていい作品になってもらいたいし、頑張ってほしいという気持ちです。昔、ジュリーに『(フランスの名優の)ジャン・ギャバンみたいな渋い俳優になってよ』と言ったら、『映画をやるなら、かっこ悪い不器用な老人をやるよ』なんて答えてくれました。そういう役のほうが楽しく演技ができるという意味だったと思います。『キネマの神様』では、まさに不器用な老人の役ですが、志村さんとのご縁のことも考えると、ジュリーにとってもいいお話だったと思いますね」(前出・森本氏)天国の志村さんも公開を楽しみにしていることだろう。
2020年05月25日『ザ・ドリフターズ』のメンバーで、『加トちゃん』の愛称で親しまれる加藤茶さんの妻・加藤綾菜さんが、2020年5月20日放送の情報番組『ノンストップ!』に出演。77歳の喜寿を迎えた加藤茶さんのため、介護試験を受けたことについて語りました。加藤茶のことを生涯サポートしていくために2011年に、45歳の年の差婚をした加藤茶さんと加藤綾菜さん夫婦。一時期は、その年齢差から「財産目的か」などとバッシングが加藤綾菜さんに集中したこともありました。しかし、加藤綾菜さんは、大動脈解離の手術後に服用していた薬が合わず、手足の震えや筋肉の硬直などが起こる『パーキンソン症候群』になった加藤茶さんを支え、確かな夫婦愛を築いてきました。そんな加藤綾菜さんは、加藤茶さんが大病をした時にパニックになった経験から「ちゃんとケアできる自分になりたい」と思い、介護試験に挑戦することを決意。加藤茶さんに伝えると…。「加トちゃんがこれから先、生きていくのに、私全部サポートしたいから、そのために介護の資格を取ろうと思ってる」という話をしたら、「めっちゃ幸せ」みたいな。「ありがとう、頑張ってね」みたいな感じでいってくれました。ノンストップ!ーより引用加藤綾菜さんが受講したコースの場合、テキストによる講義と実技演習の授業を約130時間受講し、実技と筆記の試験に合格する必要がありました。試験当日は朝の2~3時まで勉強していた加藤綾菜さん。5時30分に起床すると加藤茶さんも一緒に起き、「綾菜ちゃん、頑張ってね!絶対大丈夫!受かるから!」と応援してくれたとか。試験に合格した加藤綾乃さんが吉報を知らせた際も、「これで安心だ」といったあと、健康寿命が大切なことから「たくさん運動してずっと健康でいるね」ともいってくれたそうです。試験を終えた加藤綾菜さんは、番組の取材に改めて次のように心中を語りました。この穏やかな生活がずっと続けばいいなっていうのがやっぱり一番。本当、この自粛中にいろいろ考えて、本当に元気でいてくれるだけでいいんだっていうのを深く感じたっていうか。なんで、本当に今のまま、穏やかに生活できたらいいなと思っています。ノンストップ!ーより引用なお、「介護試験は介護職のためではなく、あくまでの加トちゃんのため」とのこと。加藤綾菜さんの頑張りに、多くの人が心を打たれています。・純粋に尊敬するわ。・いい夫婦だな~!・綾菜さんの努力している姿が、とても美しくたくましかったです。・大切な人の前で無力なのはイヤ!役立てるのは、嬉しいですよね!また、加藤綾菜さんは以前に食育インストラクターの資格を取得し、減塩料理の教室にも通っていました。学びを活かした手料理のおかげで、加藤茶さんの血圧は196から135まで低下。現在も加藤茶さんの健康をサポートしています。仲むつまじい夫婦のエピソードに、心温まりますね![文・構成/grape編集部]
2020年05月21日2020年5月16日、山田洋次監督の映画『キネマの神様』のTwitterアカウントが代役のお知らせを投稿し、反響が上がっています。志村けんの代役を発表『キネマの神様』は、志村けんさんが主人公・ゴウの役、菅田将暉さんが若き日のゴウの役を演じる予定だったW主演映画。若き日のゴウの撮影は終了しており、4月上旬から現代のゴウの部分を撮影するはずでした。しかし、志村さんが出演辞退後に新型コロナウイルス感染症による肺炎で逝去。またキャストやスタッフの感染防止の観点から、撮影を見合わせる事態になっていたのです。そんな映画のゴウの役を、歌手の沢田研二さんが務めることが発表されました!新しい出演者と公開に関して、「キネマの神様」よりお知らせです。公式サイトをご確認ください。公式サイトURL pic.twitter.com/74cqTpAiSq — 映画『キネマの神様』公式 (@kinema_kamisama) May 15, 2020 同日は、志村さんの四十九日。志村さんへの追悼の想いを込めて、この日に発表となったのでしょう。沢田さんと志村さんは、かつて同じ事務所の先輩後輩の関係。産経新聞によると、沢田さんは次のようにコメントを寄せているとのことです。沢田さんは「志村さんの、お気持ちを抱き締め、やり遂げる覚悟です」とコメントを寄せた。産経新聞ーより引用また、『キネマの神様』の原作者である作家の原田マハさんもTwitterでこのように投稿し、新たなキャスティングを称賛しています。撮影中止を余儀なくされた山田洋次監督が電話で言っていた。「コロナの後、人々はどんな映画を観たいだろうか。そんなことばかり考えて過ごしています」熟考と、直観と。最高のキャスティングに心からのエールを。 #キネマの神様 #志村けん代役 #沢田研二 pic.twitter.com/tGZT1IGiaI — 原田マハ (@haradamaha) May 15, 2020 沢田研二のキャスティングに対する人々の反応ネット上では、志村さんに代わり沢田さんがゴウ役を務めることに「この上ないほどの適役」「コントでも共演した仲だから納得」「なんか泣ける配役。感動した」などの声が上がっています。また、「下の名前が『けん』と『けんじ』で似ているし、若い頃のお2人の雰囲気も似ていた」という声も。実際に見比べてみると、確かに似た雰囲気が感じられます。『グループサウンズ、ザ・タイガース』のボーカル、沢田研二『ザ・ドリフターズ』の志村けん代役が決まった映画の撮影を、志村さんは温かく見守ってくれることでしょう。なお、映画の公開は当初2020年12月を予定していたものの、来年となる見通しだとのこと。完成した映画を劇場で観られる日が待ち遠しいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月16日「突然の志村さんの逝去後、放送された特別番組は軒並み高視聴率でした。1日の『志村けんさん追悼特別番組』(フジテレビ系)は21.9%、『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)は27.3%、『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)は20.1%。各局とも故人の国民的人気に改めて畏敬の念を抱いています」(制作関係者)“バカ殿”は志村けんさん(享年70)にとって自身のお笑い哲学の象徴だった。ザ・ドリフターズで学んだ「動き7割、言葉3割」というコント哲学。その代表的なキャラクターが“バカ殿”だったのだ。《バカ殿も変なおじさんも純粋なんだよね。純粋すぎて周囲からは変に見えるだけ。そういう意味では俺も変わらないなぁ。頭の中、お笑いだけだから》(『週刊ポスト』’16年8月5日号)バカ殿に、自分自身を重ねていた志村さん。コント一筋、笑いに懸ける自身の生き方を象徴するキャラクターがバカ殿だった。生涯、独身だった志村さん。心の底では、家庭を持ち、子供を育てることを常に夢みていた。「志村さんは生前、『自分に子供が生まれたら、一緒にバカ殿ごっこをするのが夢』と、話していたんですよ。子供のような年代の後輩芸人たちをかわがっていたのも、そんな志村さんの思いの表れだったのかもしれません」(演芸関係者)「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月23日4月16日発表の「オリコン週間DVDランキング」で、3月29日に亡くなった志村けんさんの『志村けんのだいじょうぶだぁ BOXII ウンジャラゲ編』、『志村けんのだいじょうぶだぁ BOXⅠ だっふんだ編』が、ジャンル別「バラエティ・お笑い」でそれぞれ3位と4位にランクインした。また、志村さんが所属していたザ・ドリフターズの『ザ・ドリフターズ結成50周年記念 ドリフ大爆笑 DVD-BOX』をはじめとする作品も5作品同時ランクイン。ジャンル別「バラエティ・お笑い」で、志村さん関連の7作品が同時TOP10入りを記録した。また、DVD総合でも7作品はTOP100入りした。4月1日に生放送された『志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)を皮切りに、各局が志村けんさんの追悼番組を続々と放送。20日付の同ランキングで前週圏外から一気に急浮上した。『~BOXⅠ だっふんだ編』『~BOXIIウンジャラゲ編』は、1987年から1993年まで放送されたお笑い番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』から、「変なおじさん」や「ひとみばあさん」などの名物コントをはじめ、石野陽子、松本典子、桑野信義などおなじみレギュラー陣とのショートコントも収録。どちらも2枚組、本編収録時間が約4時間におよぶベストコント集となっている。
2020年04月16日2020年3月29日に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなったタレントの志村けんさん。一緒に組んでコントもやったことのあるという、タレントのビートたけしさんは自身がMCを務める情報番組『新・情報7DAYSニュースキャスター』(TBS系)で約4分間にわたって、志村さんへの想いを語りました。ビートたけし「何もこの芸人がこんなとこで…」同年4月11日の放送で、たけしさんはコロナウイルスで亡くなった同世代の仕事仲間である、志村さんとの思い出や人柄を話しました。まあお笑いについては、要するにコント芸人そのもので。俺はいろんなものに出たんですけれども、この人(志村さん)はコントひと筋の人で。なかなかね、できないですよ。こういう人は。時代の、テレビの時代がいろいろ変化してもこの人はやっぱりお笑いのコントというものを突き詰めて。その代わりこの人はけんちゃんは、俺にこぼすけど「俺しゃべり下手なんだよ」って。「しゃべれねぇんだ、フリートーク下手でな」って正直にいうけどね。だから、何もこれで逝かなくてもいいじゃんっていうところあるよね。もうちょっと、いずれ人間は死ぬけど何もこの芸人がこんなとこでって思うけど、本当に逆に考えれば、けんちゃんはいいところで収まったなって感じが。俺はもっと苦労するのかなって思う。いいところでいなくなったよっていう。逆にいえば幸せじゃんって。売れたままいなくなっていくんだから。そんなこといったらファンに怒られちゃうけどよ。俺とさんまは「孤独死だよ」ってよくいってるけど…。新・情報7daysニュースキャスターーより引用志村さんのことを東京のコントを守り続けた素晴らしい人とも称賛した、たけしさん。また、『ザ・ドリフターズ』と『オレたちひょうきん族』として、同時期のお笑いブームを作った志村さんを、苦労人でありながらもコント一筋の人だったと振り返りました。そんな志村さんを亡くし、たけしさんは心が暗くなってしまったといいます。ちょっとだから鬱になっちゃって。ノイローゼになっちゃって。もうなんか、だからなんにも考えなくなったね。俺は一体どういうこれから人生を歩むんだってぐらいまで考えたよ、やっぱり。どうしようって思ったね。でもちょっと冷静になってくれば、やりたいと思ったことを一生懸命やるべきだと。それでしょうがないんじゃないっていう。余計なことを考えることはよそうっていう答えにはなったけどね。新・情報7daysニュースキャスターーより引用たけしさんは、大切な仲間を亡くして何も考えたくなくなり、ノイローゼになってしまったことを告白。志村さんの死をきっかけに、これからの自分の人生をもう一度考え直したそうです。【ネットの声】・たけしさんの言葉が心にしみる。また涙が出てきました。・ジーンときた。ショックは大きかっただろうな…。・ひょうきん族と、ドリフ。いい戦友だったんだろうね。同時代のお笑いブームをけん引した、たけしさんだからこその言葉は多くの人の心に響きました。[文・構成/grape編集部]
2020年04月12日これまでの活躍を振り返るインタビューに応えてくれた研ナオコさん(66)。訃報など誰も予想しない時期の取材だったが、志村けんさん(享年70)について語る研さんは終始笑顔だったーー。「志村さんとは付き合いが長いですよ。彼がドリフターズのメンバーになる前からですからね」本誌記者にそう振り返るのは研ナオコさん。3月29日、新型コロナウイルス感染による肺炎により、志村けんさんが70歳でこの世を去った。《けんちゃんと、もう会えなくなっちゃう悲し過ぎてあり過ぎる思いが整理できません一緒に仕事が出来て幸せでしたありがとう…》『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)など、コント番組で志村さんと多数共演していた研さんは、訃報の翌日、ツイッターで悲しみをそうつづった。本誌が研さんにインタビューを行ったのは、志村さんの訃報以前。今年50周年に突入した芸能生活を振り返ってもらったが、志村さんについて話す研さんの表情はとりわけやわらかかった。2人の出会いは、’69年に放送が開始された『8時だョ!全員集合』の楽屋でのこと。「『全員集合』の本番前、私はドリフのメンバーがいる楽屋に、よく遊びに行っていました。そのとき、志村さんはまだいかりや長介さんの付き人をやっていたころだったかな。楽屋にいた志村さんとしゃべっていたら、とにかく笑いが止まらなくて。だから私は『なんだ、メンバーより面白いじゃん!ねぇ長さん、この子ドリフのメンバーに入れたらどう?』って、いかりやさんに言ったことがあるんです(笑)」研さんの提案が実現したかのように、’74年、志村さんはザ・ドリフターズに加入。以降、コント番組やCMなどでも、志村さんと研さんのコンビは、お茶の間に笑顔を届けた。「志村さんとのコントは、毎回、セリフがきっちりと決まっていなくて、スタッフさんも私たちが何をするかわかっていなかったんです。だから、撮りこぼしがないように、つねに現場にあるすべてのカメラを回しているんですよ。私たちもお互いが何を言うか、わからないので2人で笑っちゃうんです。だって、くだらないアドリブばっかりだったんだもん(笑)」志村さんとバラエティ番組を席巻していた当時を懐かしむ研さん。今年は芸能生活50周年を記念し、梅沢富美男(69)とのエンターテインメントショー「梅沢富美男劇団」の公演も予定している。また、研さんは「研ナオコ Naoko Ken」チャンネルにて、YouTubeでの活動にも挑戦中!“戦友”志村さんへの思いを胸に、研さんの芸能活動の勢いは止まらない。(取材:インタビューマン山下)「女性自身」2020年4月21日号 掲載
2020年04月09日ザ・ドリフターズのメンバー・加藤茶(77)の妻で、タレントの加藤綾菜(31)が4月8日に自身のインスタグラムを更新。志村けんさん(享年70)の新型コロナウイルスによる訃報の後、夫を心配するファンに近況を報告した。綾菜は今月5日に『サンデー・ジャポン』(TBS系)に生出演した際、訃報を聞いた直後の茶について「真っ白になって、放心状態になっていた。昨日も泣いていて全然元気はない」と話していた。この日は、文字の練習ノートの写真とともに「お家で何もしないと気分落ちるので字を綺麗にしたいなぁって書き書き。本を読んだりこの1週間色々な事を考えて色々落ちついたら医療的ケアの資格の学校に行く為準備して今から勉強開始。人の役に立ちたい!」と自身の近況を報告。つづけて「カトちゃん大丈夫?って沢山のコメント有り難うございますご飯も食べてるし大丈夫です!友達からまたお花が届いて癒されてます」と茶が元気に過ごしていると伝えた。また、タレントの鈴木奈々(31)からは毎日「大丈夫?」と電話がかかってくるそうで、「最高の親友」と感謝の気持ちをつづっている。2人は同じTWIN PLANETに所属しており、綾菜の芸能界デビュー前から親交があることが知られている。過去にも加藤夫婦、鈴木夫婦でWデートをした写真をインスタグラムで公開するなど、お互いのSNSにたびたび登場している。鈴木が’18年6月に『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に出演した際には、茶から手紙で「多い時は週5で来て、仮眠をとって帰ることもある」と鈴木が加藤の家に入り浸っていることが明かされていた。綾菜の投稿には《鈴木奈々ちゃんの人柄出てますね。すてきな親友》《鈴木奈々ちゃん優しいですね》と2人の友情に感動するコメントや、《ご飯を食べられていると聞けて安心しました》《綾菜さんがいてくれてよかったです》と安堵する声が寄せられている。
2020年04月08日「粋な差し入れですね」「センス抜群」新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなった志村けんさんを追悼する特別番組の舞台裏が明かされ、そんな声が上がっています。研ナオコの差し入れは、やっぱり…2020年4月1日に放送された、特別番組『志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)。番組には、『ザ・ドリフターズ』の加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさんをはじめ、親交の深かった研ナオコさんらが出演し、志村さんを偲びました。話題となっているのは、同番組の収録に参加した出演者からの差し入れの内容。研さんの夫である野口典夫さんが、自身のブログで差し入れを公開しています。バラエティ番組『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)のファンならば、研さんと生たまごの組み合わせにピンときたはず。『志村けんのバカ殿様』にナオコ姫として出演していた研さんが、ねっとりとした口調で「生たまご~」というシーンは、番組内での鉄板ネタの1つでした。きっと出演者は研さんの差し入れを見て、笑みをこぼしたことでしょう。【ネットの声】・これは、志村さんに向けての差し入れですよね?・赤まむしドリンクも欲しくなりますね!・あえてこれを差し入れに選ぶところが、さすがです。差し入れに生たまごを選ぶ研さんのセンスはもちろん、こうして思い出話だけでも多くの人に笑いを届ける志村さんもまた、「さすが」のひと言。志村さんも空の上で、研さんの差し入れに笑っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月07日新型コロナウイルスによる肺炎のため3月29日に死去した、タレントの志村けんさん(享年70)。その追悼特番として4月1日に放送された「志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう」(フジテレビ系)の世帯視聴率が関東地区で21.9%(ビデオリサーチ調べ)を記録したと、各スポーツ紙が報じた。番組では「ザ・ドリフターズ」によるコントや、「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」から名作コントを放送。ドリフのメンバーやゆかりあるタレントらが生出演した。各紙によると世帯平均視聴率は全国8地区のうち7地区で20%を超え、さらに先月30日からスタートした個人視聴率は関東地区平均で14.8%を記録。番組を1分以上視聴した「到達人数」(推計)は、全国で4,000万人以上に達したという。「若者を中心にテレビ離れが進んでいるなか、4,000万人の視聴は驚異的な数字です。地元・東村山市の駅前に置かれた献花台には老若男女がひっきりなしに訪れ、いかに多くの国民から愛されているかがうかがえます」(ワイドショー関係者)他局でも追悼番組を期待する声があがるなか、NHKは4日から6日に3日連続で放送することを発表した。4日は16年9月放送された「となりのシムラ#5」(NHK総合、午後5時15分)、5日は18年1月放送の志村さんが警視庁を退職し、探偵事務所を立ち上げる男を演じた「スペシャルコント 志村けん in 探偵佐平60歳」(NHK BSプレミアム、午後2時半)を放送。そして6日には10年3、4月に放送された番組を再構成して「鶴瓶の家族に乾杯~志村けんさんありがとう~2010年福島県小野町の旅」(NHK総合、午後7時半)として放送する。「新型コロナウイルスの影響で、特に4日と5日は在宅している人が多いはず。また志村さんの笑いで心が癒やされる人も多いはず。局内でも『どこまで数字が伸びるのか』と注目されているそうです」(テレビ局関係者)
2020年04月03日タレントの志村けんさん(享年70)を追悼する番組「志村けんさん追悼特別番組~46年間笑いをありがとう~」(フジテレビ系)が4月1日に放送された。ザ・ドリフターズを筆頭にゆかりのある面々が出演し、その死を悼む姿が反響を呼んでいる。新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった志村さん。その訃報の衝撃は大きく、いまだ急逝を惜しむ声がやまない。そんななか「バカ殿」の公式Twitterアカウントが同番組を告知したところ19.1万ものリツイートと63万もの“いいね”を記録。大きな話題となり期待が高まっていた。番組では時代劇のコントを見ていた加藤茶(77)が爆笑し「ものすごい面白いですね。こんなに笑っていいんですかね」とコメント。仲本工事(78)も「面白いね。すごいね。リズムが速いし、一つ一つに全部アクションがついている」と讃えていた。また研ナオコ(66)は志村さんが収録中、映ってないところで変な顔をしてきたと明かし「笑かしちゃう雰囲気に。アレにのっちゃう」と回想した。追悼番組でありながらも和気藹々とした雰囲気だった「46年間笑いをありがとう」。各メディアによると関東地区の視聴率は21.9%、そして瞬間最高視聴率は27.3%を記録したという。また《あんな和やかな追悼番組も良いもんですね(涙)。やっぱり志村さんのコントは面白かったし、懐かしかった。そして、何より、世代の違う子供たちも大笑いしていましたよ》《あっという間の2時間だった。気づいたら番組終了5分前。もっと見たかったー!》といった感想が上がる。さらにコロナ影響下にあるため、こんな感謝の声も上がった。《心配性なので、コロナ疲れしてきたところなのですが、志村さん追悼番組で久しぶりに笑えたしその反動で泣いて涙活もしたので少し心が軽くなったような気がします》《本当に番組見ていた時はコロナも忘れたし、不安な仕事の現況を忘れたよ》《追悼番組でゲラゲラ笑って、コロナ疲れから救われたかも 志村さんありがとう》《志村さんの追悼番組、沢山のコントが流れてて、近年のコロナ疲れが吹き飛んでます!最後の最後まで、本当にありがとう!!》放送終了後、研はTwitterで志村さんの遺影の前で微笑む自身の写真をアップした。そして、こうつづった。《生放送のスタジオの中は、笑いでいっぱいでした。けんちゃんも喜んでいるかなぁ。皆さん、ご覧いただきありがとうございました》
2020年04月02日2020年3月29日、新型コロナウイルス感染症と診断されたお笑いタレントの志村けんさんが肺炎で亡くなりました。日本のお笑い界を長年支えてきた志村さんの訃報は国全体に衝撃を与え、悲しむ声が相次いでいます。ショックを受けたのはファンだけではありません。志村さんと親しかったタレントも深い悲しみに暮れているようです。研ナオコ、志村けん追悼番組に出演後…バラエティ番組『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)などで共演していた、タレントの研ナオコさんもショックを受けた1人。志村さんの逝去が報じられると、Twitterに「けんちゃんと、もう会えなくなっちゃう。悲しすぎてありすぎる想いが整理できません」と投稿しました。研ナオコ、志村けんの訃報に涙…「またバカ殿一緒にやりましょうね」とコメントしていた研さんは、同年4月1日に放送された追悼番組『志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)に出演。番組では『ザ・ドリフターズ』のメンバーなどが集まり、志村さんの傑作コントが放送されました。放送後、研さんはTwitterを更新。志村さんの写真をバックに写真を撮り、このように思いを述べました。生放送のスタジオの中は、笑いでいっぱいでした。けんちゃんも喜んでいるかなぁ。皆さん、ご覧いただきありがとうございました。 pic.twitter.com/xcuLt68utS — 研ナオコ (@naokoken77) April 1, 2020 同番組はこれまでのコント振り返るという、お笑いタレントならではの笑いにあふれた追悼番組でした。しんみりとするだけでなく、多くの人に笑ってもらうことができて、志村さんも喜んでいるのではないでしょうか。「けんちゃんも喜んでいるかなあ」と思う研さんの頭には、笑顔の志村さんが浮かんでいたのかもしれませんね。きっと今後も、映像として残っている志村さんのコントは多くの人を笑顔にしてくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月02日2020年3月29日にタレントの志村けんさんが新型コロナウイルス感染症による肺炎で亡くなったことを受け、追悼番組『志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう』(フジテレビ系)が4月1日に生放送されました。番組には、『ザ・ドリフターズ』の加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさんをはじめ、親交の深かった研ナオコさんやいしのようこさんなどが出演。志村さんのコント映像を振り返り、故人を悼みました。加藤茶さんの弔辞全文番組の最後、加藤さんから志村さんへの『弔辞』が贈られ、その内容に多くの人が心を打たれています。志村、ひどすぎるぞお前。一番若いお前が俺たち差し置いて天国に行っちゃうなんてね。まだオレたちとやらなきゃいけないこと、たくさんあっただろうに。それを1人で先に行っちゃうなんて、お前は馬鹿だよ。天国の長さんもまさかお前が最初に来るなんて思ってなかっただろうな。びっくりしたと思うよ。長さんの次は、高木ブーだと思ってただろうな。でも久しぶりに2人きりでいろんな話ができるから、長さんも喜ぶんじゃないかな。ま、いずれそう遠くないうちに、俺たちもそっちに行くと思うから、それまで長さんと酒でも酌み交わしながら、ドリフの新しいネタでも考えておいてくれよ。5人がそっちに全員集合したら、そっちのお客さんを大爆笑させようぜ。約束だぞ。じゃ、それまでゆっくりと休んでくれ。大好きな志村よ。令和2年4月1日ザ・ドリフターズ加藤茶志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとうーより引用『ザ・ドリフターズ』への愛をにじませた加藤さんの弔辞。読み上げた後、仲本さんはコメントを求められると「まったく同じですね」としんみりした表情を見せました。同じく感想を聞かれると、話し出すまでに少し沈黙した高木さん。「今、完全に寝てたよ」と加藤さんのツッコミを受けて会場の笑いを誘った後、次のように語りました。俺決めたの。決めました。46年だっけ。ドリフターズとして志村と一緒にやってたの。志村は死なないの。ずっと生きてる。志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとうーより引用ネット上では番組を見た人たちから、コメントが多数寄せられています。・志村さんが亡くなった実感がないです。セットの後ろから「誰が死んだってぇ!?」と出てきそうな感じがした・「笑う」って素敵なことだなと改めて思った。人を幸せにした志村さんの素晴らしさが分かります。・ブーさんがいった通り志村さんはいつまでも生き続ける。だから、これからもずっと大好きです。・やっぱり、ドリフはすごい!久しぶりに見返して大笑いした。志村さんありがとう。これからもまだまだ笑わせてもらいます。長年お茶の間に笑いを届け、日本中の人を元気づけてきた志村さん。その偉大な功績は世代を超えて、永遠に人々の間で語り継がれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年04月02日フジテレビでは4月1日(水)、「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」をオンエアする。新型コロナウイルス肺炎のため3月29日に亡くなった志村さんとゆかりのあるゲストを迎え、これまでの軌跡をふり返る。1950年、東京都東村山市に生まれ、音楽と笑いに魅せられ「ザ・ドリフターズ」に弟子入り。24歳で正式メンバーとなると人気番組「8時だョ!全員集合」で「東村山音頭」を披露し、これが一躍話題に。その後「ヒゲダンス」や「最初はグー」ではじまるじゃんけんなど、数々のネタが子どもたちを中心に人気を博した志村さん。その後「志村けんのバカ殿様」の放送が開始されると、ダチョウ倶楽部や柄本明らと共演、新たな笑いのスタイルを開拓。番組内に登場した“変なおじさん”がまたしても子どもから若い世代を虜にして大人気に。1999年には高倉健主演の映画『鉄道員』に出演。同作以来21年ぶりの映画出演となり、菅田将暉とW主演を務める山田洋次監督作『キネマの神様』が12月公開予定だったが、3月25日に新型肺炎の罹患と、同作の出演辞退が発表。その後闘病が続いていたが、3月29日、満70歳で逝去した。今回は、ドリフターズ時代からバカ殿、「だいじょうぶだぁ」など数々の名作コントを一挙放送。変なおじさん、ひとみ婆さん、いいよなおじさんなど志村さんが生み出した名物キャラも次々登場。加藤茶、仲本工事、高木ブー、研ナオコ、いしのようこら、志村さんとゆかりのあるゲストとともに、46年にわたるコメディアンとしての偉大なる軌跡をふり返っていく。「志村けんさん追悼特別番組 46年間笑いをありがとう」は4月1日(水)19時~フジテレビ系でオンエア。(笠緒)
2020年04月01日タレントの志村けんさん(享年70)が、3月29日午後11時10分、新型コロナウイルスによる肺炎で死去した。発症が発表されてからわずか1週間での訃報に日本中が悲しみに暮れた。芸能界からも志村さんの死を悼む声が相次いだ。「ザ・ドリフターズ」のメンバー・加藤茶(77)は「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです」と事務所のHPにコメントを寄せた。また12月公開予定の映画『キネマの神様』で志村さんと共演する予定だった菅田将暉(27)は、30日放送の『菅田将暉のオールナイトニッポン』で「個人的には、これからだったので。テレビで見ていたスーパーヒーローとこれから一緒にモノづくりをするという段階でこういうことになったので」と悔しさを滲ませていた。そんななか、小池百合子東京都知事(67)の哀悼コメントが物議を呼んでいる。30日、都庁で報道陣からのインタビューを受けた小池知事はこう発言した。「まず、謹んでお悔やみを申し上げたいと思います。志村さんといえば、本当にエンターテイナーとして、みんなに楽しみであったり笑いを届けてくださったと感謝したい。最後に悲しみとコロナウイルスの危険性について、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、最後の功績も大変大きいものがあると思っています。お悔やみ申し上げます」志村さんを悼みつつも、死に対して“功績”という言葉を使った小池知事に対してSNS上では批判の声が相次いでいる。《志村けんの訃報による小池都知事の最後の功績発言言いたいことはわかるし多数がなんとなく感じてるけど言葉が悪い「最後に警鐘を鳴らしてくれた」とかいうのが普通功績なんて言ったら「死んでくれてありがとう」と解釈されても仕方がない都知事レベルだから大失言だよほんと》《「よくぞ死んでくれました」と言ってるようなものじゃないか。初主演映画も決まり、朝ドラだって重要な役で出るはずだったんだ。死んだことが功績だなんて、言われたくはなかったはずだ。もっと、もっと、生きて仕事がしたかったはずだ》《亡くなった故人の無念や想いを考えれば別な表現がいくらでもあるはず》いっぽうで小池知事をフォローする声もあがっている。《小池都知事の発言がどうこうじゃなく、これから志村けんさんの死というものを残された自分たちが本当に功績にしていかなきゃいけない。あんな偉大な人の最期がコロナに負けたじゃ納得いかない。あの人が日本を救ったって言えるぐらい》《小池都知事の「最後の功績」は不適切だとは思うけど、生前は全国民を比類なく笑顔にして、死後はコロナの恐ろしさを身をもって国民に知らしめて、きっとそのおかげで助かる命が沢山あって、結果論だがこんなに偉大な人がいるだろうか、とは思う。もちろんもっと長生きして欲しかったけど》
2020年03月31日2020年3月29日、タレントの志村けんさんが新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなりました。30日に日本中を駆け巡った訃報に対し、共演していた芸能人を始め、多くの人が追悼のコメントを寄せています。そんな中、ロックミュージシャンの布袋寅泰さんがある曲をギター演奏する姿を披露し、多くの人々の涙を誘いました。布袋寅泰が『ヒゲダンス』のテーマ曲を演奏布袋さんは、「志村けんさんの訃報を知りとてもさびしく思う」という一文から始まる、志村さんへの想いをInstagramに投稿。あわせて、お笑い番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)で、出演者の志村さんらがたびたび踊っていた『ヒゲダンス』のBGMに使われていた『「ヒゲ」のテーマ』を演奏した動画をアップしました。布袋さんがギターで奏でる、懐かしの曲をお聴きください。 この投稿をInstagramで見る HOTEI Official(@hotei_official)がシェアした投稿 - 2020年 3月月30日午前6時29分PDT布袋さんは、番組について「楽しいコントだけではなく、生演奏に合わせて日本の演歌やポップスやブルースやロックの生歌が聴ける、素晴らしい番組だった」と振り返ります。そして、若かりし頃、テレビにかじりつくようにして番組を見ながら、一緒に音楽を奏でていたことを明かしました。僕はいつもテレビの前にギターを抱えて座り、画面から流れる様々なジャンルの音楽に合わせてコピーをしたり勝手にソロを弾いたりコードを探したりしていた。ビデオもYouTubeもなかったあの時代に、あの番組は僕にとってのギター教室でもあった。hotei_officialーより引用さらに、布袋さんは当時の思い出を振り返ると共に、志村さんへの感謝の想いやコロナウイルスへの注意喚起をつづります。最高のエンターテイナー、志村けんさんの御冥福を心からお祈りします。いつの時代もシュールで深いユーモアを私たちに届けてくれてありがとうございました。そして我々はコロナウィルスの脅威に対し、また気持ちを引き締めましょう。天国の志村さんも強くそれを望んでいらっしゃると思います。hotei_officialーより引用布袋さんの投稿に対し、ネット上ではさまざまな反響が上がりました。・ドリフ世代なので懐かしいし、強く共感します。こんなに切なく聴こえる『「ヒゲ」のテーマ』は初めて…。・素敵な演奏をありがとうございます。まだ悲しみは癒えませんが、この曲を聴きながらご冥福を祈りたいです。・泣いてしまいました。突然の訃報に戸惑う私たちを慰め、これほど寄り添ってくれる音楽はほかにないと思います。周囲の人を安心させる優しい笑顔と、類まれなるユーモアセンスが魅力な志村さん。テレビ越しに見るその人柄や笑いに影響を受けた人は数多くいたことでしょう。志村さんが私たちに残してくれた思い出は、記憶の中で永遠に生き続けます。[文・構成/grape編集部]
2020年03月31日ザ・ドリフターズの加藤茶、仲本工事、高木ブーが30日、志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎のため29日に死去したことを受け、所属事務所の公式サイトで追悼コメントを発表した。加藤茶は「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです。皆さんも身近に感じて、気を付けてくださるようお願い致します」と胸中をつづり、仲本工事は「ドリフも順番に逝く歳になったとは思ったけど、一番若い志村が長さんの次になるとは、、、。非常に悔しいです」と吐露。高木ブーは「志村早すぎるよ、俺より先に逝くなんて。3年前に、久しぶりにドリフでコントやった時、『高木さんも80歳過ぎて、頑張ってるんだから、自分も頑張らなきゃなぁ』って言ってたよね。また一緒にコントやりたかったのに。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。なお、所属事務所は「弊社所属タレント 志村けん(本名=志村康徳) が、令和2年3月29日 午後11時10分、 新型コロナウイルス肺炎のため、満70歳で逝去いたしました。ここに生前のご厚誼を深く感謝すると ともに、謹んでお知らせ申し上げます」と発表。「ご遺族の意向により、通夜及び葬儀は、近親者のみにて執り行われます。誠に勝手ながら、ご香典・ご供花・ご供物の儀も、固くご辞退申し上げます。なお、『お別れの会』等の実施につきましては、ご遺族と相談の上、決定次第、ご連絡申し上げます」としている。
2020年03月30日キャンディーズ解散から41年、これまで女優として活躍してきた伊藤蘭さん(64)が、5月29日にアルバム『My Bouquet』をリリース。ソロ歌手としてデビューした。’78年、後楽園球場の解散コンサートは、女性シンガーで初めてスタジアムで行われたものだった。その後、役者として復帰し、水谷豊さん(66)との結婚後、35歳で出産。育児と仕事の両立に悩みながらもPTA活動も体験した。「何もしないで後悔するより、やってみて苦労するほうが楽しい」とチャレンジすることで自分を成長させてきた。「“年齢の壁”は笑って乗り越えたい」と6月11、12日には東京で、14日には大阪で「ファースト・ソロ・コンサート」にも挑む――。「ソロのお話は、以前からちょこちょこ言われていたんです。でも、ちゃんと受け止められず、軽く受け流していました。去年の春、もう一度言われて、決めました。あと何十年も元気でやっていられるかわからない。元気もあるし、エネルギーもある、いまのうちに尻込みせず、勇気を出して挑んでみようかなという気持ちになりました。娘もしっかり育ちました。主人も変わらず、エネルギッシュに仕事をしている。ですから、タイミング的にも、よかったんです」夫の水谷さん(66)は、俳優業だけでなく、現在公開中の映画『轢き逃げ 最高の最悪な日』で脚本・監督を務めている。娘の趣里さん(28)は、主演映画『生きてるだけで、愛。』で、今年3月、日本アカデミー賞新人俳優賞に輝いた。「夫からも、娘からも刺激を受けて、私も触発されました。家族それぞれが向かっているものを持っていて、3人が集まったとき、それぞれの話ができるというのは、喜びが3倍になるんです。60代になったからといって、落ち着くモードに入るのは早いかな。オファーがあるとき、それに応えられる私でいたいと思って、ソロデビューを決意しました」蘭さんは’55年1月13日、東京で生まれた。渡辺プロダクションに入ったのは、’69年。14歳のころだ。「もともとね、フォーリーブスに会いたいと思って、そのバックで踊るスクールメイツに応募したんです。最初は母に反対されたんですが、翌年、また、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院を受けて、通いだしたのが、この世界に入るきっかけです」3年後には、NHKの『歌謡グランドショー』のオーディションに合格。同時に受かった田中好子さん、藤村美樹さんと組んで、トリオを結成する。そのとき、NHKスタッフが命名したグループ名が「キャンディーズ」だった。’73年9月、『あなたに夢中』で歌手デビュー。しばらくはヒットに恵まれなかったが、デビュー前からザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』にレギュラーとして出演し、お茶の間では大人気。スターダムにのし上がったのは、センターを田中さんから蘭さんに交代した5曲目『年下の男の子』(’75年)の大ヒットからだった。「いまでこそアイドルというカテゴライズはありますが、あの当時は、なかったんですね。『私たちはアイドルです』という認識では活動していなかったと思います。3人の意識としては、歌手でした。歌があるから、バラエティもやっていい。でも、真ん中は歌で、歌に戻るんだという意識でした」ところが、絶頂期にあった’77年7月17日、キャンディーズは突然、解散を発表する。「普通の女のコに戻りたい」日比谷野外音楽堂でのライブで、蘭さんが泣きながら放ったこの言葉は、流行語にもなった。解散に踏み切った3人の決意に、ファンも涙ながらに呼応した。大学生を中心に結成されていた全キャン連(全国キャンディーズ連盟)を中心に解散の日に向けてファンが盛り上がりを作っていった。’78年3月にはシングル『微笑がえし』が、キャンディーズ史上初めてオリコン1位を獲得する。解散コンサート当日は、途中経過をNHKニュースが生で放送し、後日、TBSで録画放送されると、単独歌手のコンサートでは最高の視聴率32.3%を記録。その記録はいまだ破られていない。「当時の熱ですか?ふっと1人になったとき、いまひとつ、実感として湧かないので、わからないんです。どこかで、あの(解散の)渦に巻き込まれ切れていない自分があったのかもしれない。なんとなく、別世界という……。あのころは、解散というゴールがあって、そこで終わるという最大の目的に向かって、みなさんに盛り上げていただきながら、がむしゃらに走っていました。スタッフと合宿もしましたし、解散コンサートを一緒に作り上げていく感じがありました。4月4日に向かって、全国各地の大きな会場を回って。50曲以上、歌いました。その集大成が後楽園。あの日、私は、この光景を忘れないよう、目に焼き付けるように歌いました。いまでも、目を閉じると、あの光景が浮かんでくるんですよ」キャンディーズ解散後、蘭さんは芝居の世界に足を踏み入れた。実は中学時代は演劇部の部長を務め、東京都大会で2位に入るほど、演劇に打ち込んでいたのだ。’80年、大森一樹監督の出世作であるATG製作の『ヒポクラテスたち』で、女優デビュー。’81年には、野田秀樹さん率いる夢の遊眠社に参加。ジャージ姿で稽古に励み、舞台『少年狩り』などに出演。その後は、山田洋次さん、倉本聰さん、市川森一さんなど、名だたる監督や脚本家の作品に出演。女優としての地歩を築いた。’89年、水谷豊さんと結婚。翌年には長女・趣里さんを出産して、35歳で母親になった。「子どもが生後5カ月くらいのころから、2時間ドラマはやっていましたが、子育てがおろそかにならないように、バランスを取りながら、仕事をさせていただいていました」両立が大変になってきたころ、蘭さんを支えたのは、青年座の女優・初井言榮さん(90年没・享年61)の言葉だった。「蘭ちゃん、女性はね、本当に我慢して、我慢したときに、内側から素敵な薄桃色の優しさがにじむものなのよ」いまの我慢は後の自分に生きてくる――。この言葉が、蘭さんの心にずっと残っている。「20代のころ、ドラマで共演したときに、言われたんですね。フェミニストの方からすると『えっ?』と思う発言かもしれないけれど、たしかにそういうことってあるなぁと私は思うんです。いろんな角度から、我慢ということを考えることは、必要ではないか。自分が何かを主張したいとき、それをやみくもに主張するのではなく、ちょっと我慢することで、表現の仕方や言い方が変わる。そこが大事なのではないか、と。我慢を重ねることで、表現のバリエーションも増えるし、人間としても豊かになっていくような気がします」蘭さん自身、仕事と子育てを両立させていたこの時期は、葛藤を抱えながら自分と向き合っていた。「振り返れば、子どもに寂しい思いをさせたんじゃないか。もっと寄り添えたんじゃないかと思うこともありましたね。仕事も子育ても、どちらもないがしろにはできない。ひとつのことに専念している方、打ち込める方に比べれば、心身ともに分散してしまいます。あのころは、『仕事も、育児も、どちらもちゃんとやるしかない』と、自分に言い聞かせていました。PTAもやりましたよ。娘が小学生のときに安全対策委員を(笑)。何もしないより、やってみて苦労するほうがいいですよね。お母さん同士のお付き合いで学ぶこともありました。それが楽しくもあり、私を人としても、母親としても、成長させてくれたんです。いまに至る大事な過程だったなと思います」アルバム『My Bouquet』には、そんな蘭さんの人生のスピリットがこめられている。11曲中3曲で、蘭さん自ら作詞も担当した。妻の挑戦を夫である水谷さんはどう思っているのだろう?「今回は、特に相談らしい相談はしていなくて、自分でやると決めてから、『どう?』と、伝えたら『いいんじゃない?』と。音が完成するまで、聴くのを待ってもらっていたんですが、最後には『いいかげん、早く聴かせなさい!』って(笑)。マスタリングが終わったものを聴いてもらったら、3~4回、聴いてくれていましたね。『1曲1曲がバラエティに富んでいて、飽きないね。聴き入っちゃうね』と、言ってくれました」【伊藤蘭さん衣装】ワンピース、カーディガン:HANAE MORI
2019年06月03日お笑いタレントの志村けん(69)が4月5日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)にゲスト出演。自身の50年の芸能人生を振り返りながら、師匠である今は亡きいかりや長介さん(享年72)への想いを語った。東京の東村山市に生まれ育ち、学生時代は「ザ・ビートルズ」に憧れていたという志村。大学に進学した2人の兄とは別の道に進みたいと、コメディアンになることを決意した。そして大好きな「音楽」と「笑い」の2つを兼ね揃えていた「ザ・ドリフターズ」のリーダーであるいかりやさんへ弟子入りすると決めたという。そんな志村がドリフターズの付き人をつとめてから6年、転機が訪れる。メンバーの荒井注さん(享年71)が、体力の限界を理由に脱退したのだ。そんななか、いかりやさんの推挙もあって志村が新メンバーとして加入することに。急きょ付き人から“見習い志村”として『8時だョ!全員集合』に出演することになる。しかし当時の荒井さんの抜けた穴は大きく、コントは低迷。志村もなかなか人気の出ない日々が続いていた。だがある日の番組会議中、志村が何気なく「東村山音頭」を歌った。それを聞いたいかりやさんが「舞台でやってみろ」と提案。本番で披露したところ、大ウケしたという。以来、「カラスの勝手でしょ」や「ヒゲダンス」などヒットギャグを連発。志村はドリフターズに欠かせない中心メンバーとなっていった。しかし志村の人気上昇とは対照的に、全員集合の視聴率は徐々に低迷。1985年に終了してしまう。これを機にいかりやさんは俳優という違うジャンルにシフトし始め、ピン芸人としてブレイクする志村とは違う道を歩んでいくこととなった。このころから、世間では“いかりやと志村の不仲説”が囁かれるようになった。だが番組内では志村自身も知らなかった、その後のいかりやさんのプライベートが明らかに。実の息子である浩一さんがVTR出演し、告白したのだ。いかりやさんが志村の番組録画を毎回チェックしていたことや、亡くなる直前に志村の舞台を一観客として見に行っていたエピソードが紹介された。そのVTRを神妙な面持ちで見つめていた志村。番組の最後にMCの中居から「志村さんにとって、いかりや長介さんとは?」と尋ねられると、稀代のコメディアンは涙ながらにこう語っていた。「師匠としては間違いがなかったですね」この様子にツイッターでも、感動の声が続出。《今日の金スマの志村さん見ながら子供時代を思い出した》《ドリフ世代ではないけど、志村さんといかりやさんの師弟愛に心打たれて、思わずドリフ大爆笑のオープニング動画を探した》など、幅広い世代からドリフターズ愛が寄せられていた。
2019年04月06日「あのころは仕事が終わると、寝るというより、気絶していましたね(笑)」今年で芸能生活40周年を迎えた山田邦子(58)。ゴールデンタイムで冠番組を持った唯一の女性ピン芸人であり、NHK「好きなタレント調査」では8年連続第1位。’80年代から’90年代にかけてレギュラー番組を数多く抱え、多忙を極めていた。「1週間は7日しかないのに週16本くらい出ていましたよ。仕事が午前6時終了で、次の仕事が6時半スタートなんて日もあって。帰れない日は楽屋で寝ていましたね。テレビ局ってお風呂もあるので」まさに働きづめだった。「この後からテレビ局も働き方が変わってきて、夜12時以降の収録がなくなったんです。こんな仕事の仕方をしていたのは私たち世代が最後でしょうね。局入りするキャスターの方を見て、ああ、今何時ごろなんだなと確認していました」学生時代から数々の素人参加番組に出演し、次第にテレビに出るようになる。そして『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の故・横澤彪プロデューサーから声がかかる。「秋から出ないかと誘われて、“ギャラはいくらですか?”と聞いたら、驚かれましたね(笑)」当時はまだ短大生。ギャラの交渉も自ら行った。「事務所に所属するときですね。卒業後の就職先も内定していて当時の初任給の平均が12万円くらい。すでにいろいろ出ていたんで、その3倍はもらわないとって」事務所に入る前にドラマ『野々村病院物語』(TBS系)に出演し、ギャラは週給4万円。その後、数々のバラエティに出演。デビュー当時からまったくものおじしないタイプだった。「私、小さいときからテレビの世界と、現実の世界を区別していなかったんですね。クレージーキャッツやザ・ドリフターズ、花の中三トリオや新御三家は全部、自分と同じ立場の人。勘違いもはなはだしい(笑)。キャンディーズやピンクレディーも、自分が4人目だ、3人目だくらいの感じ。頭の中では西城秀樹と付き合って、そのあと、郷ひろみを振る!みたいな。原辰徳さんと結婚すると日記には書いてありましたからね」そんな“図々しい勘違い”が幸いし、先輩たちにはかわいがられた。「タモリさんには、酔っぱらっておんぶしてもらったこともあるし、宇津井健さんに靴を買ってもらったり。たけしさんにもどれほどごちそうになったことか。そのときに自分も将来後輩にごちそうするようにしますって誓ったんです」『オレたちひょうきん族』では、薬師丸ひろ子、島倉千代子などのモノマネを披露、担当コーナー「ひょうきん絵かき歌」も大人気に。「台本を開くと“など”と書いてあるだけだったりするのはしょっちゅう。たけしさんが昨日はこんなことがあった、なんてしゃべると、それが面白いから、じゃあそれやろうって。するともう本場です。たけしさん、さんまさんらがいて、みんなで手さぐりだけど勢いがすごくありました」デビューして40年、ドラマ、映画、ミュージカル、司会など、あらゆる仕事をこなしてきた。「私はピン芸が職業だから、最初はドラマや映画の仕事が嫌でした。今はそうした作品が残っていることを勲章のように思いますけどね。気づいたら何でもできるようになっていた。歌もまあだいたい平均点くらい歌えるようになって持ち歌もたくさんあるし、モノマネやイベントも。生放送の仕切りも何か突発的なことがあってもへこたれないですね」
2019年04月01日