いじめが続いて気づいた「これは私に問題がある」東京・目黒に生まれたコッピーさんは、研究者の父と専業主婦の母、それに姉の4人家族。「外交的だった」小学生の頃から、生きづらさを抱えていたという。「小4ぐらいのときに、お腹が痛くなることが増えました。今思えば仮病のようなもので、保健室によく行っていました。無理矢理休もうとしていたんですよね。友達もいたし、なんなら中心的な存在で楽しかったんですけど、今思えばその空間がつらかったというか……。朝から夕方まで椅子に座ってじっとしているっていうのがつらかったんじゃないのかなって。たぶん教室にいられなかったのかな」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之女性のASDは男性よりも分かりづらいという。コッピーさんはその正義感の強さから、廊下を走る上級生などにも物怖じせず注意していた。「今考えれば、ASD特性も出ていたのかな」と当時を振り返る。さらに都内にある中高一貫の私立女子校に進学すると、いじめの標的にされてしまう。「中1の春からいじめに遭いました。仲良かったグループから仲間外れにされることがあって。なんか話しかけても無視されたり、目の前でヒソヒソ言われたり。仲良くなった別の子もいじめの主犯格で、その子にもガッツリいじめられました。廊下ですれ違うと舌打ちされたり、ブスって言われたりしました。それを相談してた相手も実はいじめっ子とつるんでいて、『裏でアイツこんなこと言ってたよ』って面白がっていたみたいで……それを最終的に知って人間不信になりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之その後も、グループに所属しては仲間外れにされることがあった。「これはたまたま失敗したのではなく、私に問題がある」――。そう気づいたコッピーさんは、そこからどうしたら人間関係をうまく結べるのかを考えるようになった。悪目立ちをしないように、無難に会話をやり過ごすといった“暗黙の了解”を学び始めたのだった。マルチタスクができない夢のために受験へ中高一貫校だったが、高校2年の頃に週に4日通えばOKだという単位制の私立高校に編入した。ADHDの症状として多くみられる過眠症はコッピーさんも例外ではなかったが、授業のコマも好きに組むことができることで朝もゆっくり過ごせるようになった。クラスメイトは「ギャルみたいな子」がいて怖かったものの、コッピーさんも髪を染めるなどして適応。そして、アルバイトをやってみたいと思い立つ。Upload By 桑山 知之「コンビニバイトが簡単だって聞いたからやっていたんですけど、意外と覚えることが多くて、マルチタスクなんですよ。それが致命的にできなかったんですよね。年上のお姉さんとかにすごく怒られて。品出し(商品を陳列すること)している最中に列ができちゃっていて、だけどまったく気づかなくて。ハッとして走っていくんですけど、そのあとめっちゃ怒られる。あとお金の勘定ミスがすごくて、マイナス5000円とか出しちゃうんですよ。けっこう深刻に悩んでいたんですけど、フリーターの上の人に自腹を促されて、泣く泣く支払ったりしていました」(コッピーさん)その後、制服がかわいいということでカフェでのバイトに切り替えたが、結局マルチタスクをこなさなければならない状況は変わらなかった。そんな17歳という悩み多き頃、気になった邦画を片っ端からレンタルしていたとき、とある映画に出会う。舞台はタイ。臓器移植や人身売買などを描いた『闇の子供たち』(監督:阪本順治、原作:梁石日)だ。「子どもたちが人身売買されている現状が描かれていて、売春のシーンもあったり、めちゃくちゃ衝撃的なんですね。私は人間関係とかしょうもないこととかで悩んでいるけれど、こんな壮絶な状況の人がいるんだって衝撃を受けました。私の悩みは贅沢な悩みだったんだなって。今思えばそれぞれの立場があってそれぞれの悩みがあるんだって思うんですけど。当時はすごく罪悪感に近いものを感じたんですね。普通に暮らしていることに不満を持って、途上国支援がしたいと思いました」(コッピーさん)国際協力や途上国支援ができるような仕事に就きたいと志すも、それには大学を出る必要があると感じたコッピーさんは、死ぬ気で受験勉強に励んだ。友達付き合いも一切やめ、インターネットはすべて遮断。集中力などとっくに切れているのに、1日に十何時間も机にへばりついていた。精神的に病みかけながら臨んだ受験当日、周囲の他の受験生が気になった。「第一志望の受験の日に覚えているのは、近くの人が貧乏揺すりをしていたんですよ。それがずっと気になっちゃって。あと、ページをペラペラめくる音が気になったり、試験官がどこにいるかとか、些細な刺激が気になって、ずっと集中できませんでした」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之自分と向き合うということ行き着いた「マイノリティの尊重」カンボジアやミャンマーなど、東南アジア諸国を実際に自分の目で見た。しかし、“この人生を歩んできた私”がそこで働く必然性をなかなか見出せなかった。大学のカリキュラムに加え、児童養護施設でのボランティアや、雑誌『ビッグイシュー』のインターンシップにも自主的に参加した。国内の貧困問題を学んだ末、「貧困」と「人間関係」には密接な関わりがあると感じた。不登校児を専門に対象とする『東京家学』で家庭教師も経験した。こうして“自分が関わるべき必然性”を追求していった結果、日本での社会問題に目を向けること、さらに当事者と研究者両方の視点での発達心理学にたどり着いた。Upload By 桑山 知之「心理学で『アタッチメント理論』っていうものがあって。簡単に言うと、初期にお母さんと言うか主な養育者との間に築いた関係性は、生涯に渡って人間関係に応用されていくよって言うこと。それぐらい1番最初の人間関係って大事だと。家庭環境でつまずくと、その後の人生にまで影響があるって衝撃だったんですよね。家庭環境のように、自分にはどうにもできないのに人生に影響してしまう要因がたくさんあるのに、世の中ではほとんど考慮されていないことに大きな違和感を覚えたんです。それって貧困とか障害に関してもそうですが、『みんな頑張っているんだからあなたも文句言わずに頑張れ』という世の中のスタンスに、それはおかしいぞって思うようになって、心理学的観点から自分の障害についても向き合っていきたいと思うようになりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之修士論文のテーマは「成人期のADHD者の質的研究」。レジリエンス(逆境から適応に至る現象)について、ADHDの人はどういうプロセスで適応するのかを当事者へのインタビューを通してまとめ上げた。現在、コッピーさんは東京大学大学院で心理学博士課程の1年。一般就労をしているADHDのある人に適応状態や働き方をヒアリングし、論文にまとめている。「社会に出たADHDのある人ってどうやって生活しているんだろう?というのがすごくあったんですね。でも、スティグマ(負のレッテル)のせいで公表しながら生活している人にまったく出会えない状態だったので、じゃあみんなコソコソどうやって生活しているんだ?というのが、疑問のスタートでした。正直怖さもあって向き合ってこなかった部分で、感情移入しすぎてしまわないかと思ったんです。なんかもう世の中ひどい、辛いみたいな気持ちになるかなって避けていたんですけど、それをテーマにすることで発達障害に関する知識が深まりました。私自身、ASDだったかもしれない、かつてその傾向が強く出ていたかもしれないってことも、そこまで深くやらないとわからないことだったと思うので、結果的にたどり着いてよかったなと思います」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之「しっくりきた」両親マイノリティ尊重する働きかけをコッピーさんは発達障害について研究を続ける傍ら、「ブラインド当事者会」と題しTwitter上で当事者同士が情報を交換するハブになるなど、少しでも生きやすい世の中になるように活動している。「多様な立場の人のことをインプットする。自分が想像できないぐらい違う感じ方の人がいて、それも網羅できないぐらいいるんです。発達障害に限らず、マイノリティを尊重することであったり、想像力を働かせる方向に、そういうことができる人を育てるような働きかけができたらいいなって思っています」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之コッピーさんが自らを障害者だと名乗ることについて、「両親はきっと当初、自分たちの子育てが否定されたように感じ、抵抗があったのではないか」と言う。しかし、時間をかけて説明した。過去のコッピーさんの行動が発達障害の特性として体系的に説明されていくにつれ、「しっくりきている」のが目に見えてわかった。今となっては両親とも、コッピーさんの取り組みの社会的意義を理解した上で応援してくれていると言う。将来的には、心理学の授業を通じてあらゆる社会問題を考えていくような授業ができるようになりたいと語るコッピーさん。多様な立場の人のことをインプットできる授業を通して、自分が想像できないくらい違う感じ方をする人達が網羅できない程いるんだという感覚を持つことで、相手のことを決めつけずに思いやりを持って接することができるような人が増えて欲しいと願っているそうだ。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年03月09日新型コロナウイルスの流行が長引き、終わりの見えない不安のせいか、大人だけでなく子どもたちも精神的に不安定になっていると聞きます。実際、国立成育医療研究センター発表の 「コロナ×こどもアンケート第4回調査 報告書」 によると、アンケートに回答した小学4~6年生の15%が中等度以上のうつ状態にあり、中学生で24%、高校生は30%にも上っています。親として、不安を抱える子どもにどう接していけばいいのでしょうか。ウィズ・コロナの新しい生活様式で、親が気をつけるべきポイントをご紹介しましょう。■コロナ禍で子どもが不安になる2つの理由長引くコロナ禍で、子どもの様子が少しずつ変わってきて心配だというお話をよく耳にします。「園や学校に行くのを泣いて嫌がるようになった」「イライラがたまっているのか、子どもが家で物に当たったり、暴言がひどくなった」慣れない生活様式の中で、不安定になってしまった子どもにどう対応していいかわからないというお父さん・お母さんは少なくありません。では、どうして子どもは精神的に不安定におちいり、問題行動をとってしまうのでしょうか? その原因は、大きく分けて2つあると思われます。一つは、一番身近であるお父さん・お母さん自身がコロナウイルスに対し、強い不安やストレスを感じている状態であること。コロナウイルスもたらす健康への影響、さまざまな社会環境への変化などをまだ理解できない低年齢の子どもは、本来、大人のように目には見えないコロナウイルスに不安や恐怖を感じることはありません。しかし、お父さんやお母さん、周囲の大人が精神的に不安定になっていたり、これまでとは違う生活にストレスを感じていたりすると、その気持ちは子どもに多かれ少なかれ伝染してしまうものです。いつも守ってくれる頼りになるはずのお父さんやお母さん自身の不安を子どもは敏感に感じ取ってしまうものです。それが子ども自身の不安となっているのでしょう。二つ目の原因は、コロナ対策で変わってしまった園や学校での生活です。飛沫感染を防ぐため、話すときは必ずマスク着用、給食は一方向を向いて無言、音楽の時間も合唱禁止、楽しい園・学校行事も次々と中止。あれもダメ、これもダメと言われる生活に、大人以上に子どもは疲れてしまっています。また、習いごとや塾で多くなっているリモートのレッスン、授業は、子どもによって向き不向きがあります。自分で積極的に取り組める子どもには向いていますが、そうではない場合は対面より習熟が難しいシステムです。対面よりも不便なことが多いリモート授業は進度が遅くなると思われがちですが、実は逆、早くなってしまうようです。対面授業やレッスンでは、先生が子どもの様子を見ながら進められますが、リモートではそこまで目が届かないからです。先生は子どもの理解度を確認しながら進められず、子どもも質問しづらい環境なので、授業が自然と早く進んでしまうのです。習いごとや塾の進度についていけない、好きな先生にも会えないし質問もできないため、子どもにフラストレーションがたまるのでしょう。■コロナうつから子どもを守る親の言動・行動子どもが不安がってモヤモヤしている、ちょっとしたことでイライラするようになったと感じたら、主に次の2点に気をつけて、お父さん・お母さんの日頃の行動や言動を見直しましょう。・意識的にポジティブな発言や行動を心がける。・子どものことを園や学校に丸投げしない。例えば、新型コロナウイルスの新規感染者数を発表するニュースに触れたとき「え、まだそんなに?」と反応するのではなく、「重症者数は減ってるから心配ないよ」と子どもに声をかける。おでかけ先から帰ってきたら、子どもに「手を洗わないとコロナにかかって大変なことになるよ」と言うのではなく、「手を洗うとコロナが逃げていっちゃうね」と言い換える。たった一言でも、大人がどう受け止めているかを子どもはよく観察しています。思わず出てしまったネガティブな言葉に、子どもは大きく影響を受けて不安に感じます。コロナ関連の発言はネガティブになりがちなので、意識的にポジティブな表現に変換しましょう。大人が発する不安が子どもに伝わらないように、親の判断で、不安をあおるテレビ番組やニュースは、あえて見せないというのも一つの方法です。大人なら信用できる情報だけ、必要な情報だけをピックアップできますが、子どもはそのまま真に受けてしまうからです。また、子どものことを園や学校に丸投げしないことも大切です。今は未曾有の状況のため、園や学校は感染予防に注力し先生たちもギリギリの対応に追われています。そのため、これまで通りの役割が担えないこともあるでしょう。最終的に子どもを守れるのは親、子どものSOSに気づけるのも親ではないかと思うので、「これは園(学校)の役割でしょう?」と丸投げは厳禁です。例えば、園のお迎え時や学校から帰宅した子どもに、まずは「今日、園(学校)はどうだった?」「勉強難しかった?」と何でもいいので声をかけましょう。そんなたわいのないやり取りでも、「お父さん・お母さんはちゃんとあなたのことを見ているよ、大丈夫だよ」というサインになります。園や学校の目が行き届いていないとしても、お父さん・お母さんはあなたをいつも気にかけているよと、何となくでも子どもに伝わればいいのです。登校・登園がこわくなってしまった子どもは、学校や園で「あれもダメ、これもダメ」と否定的な言葉をたくさん言われ、「楽しい場所だったはずなのに安心できなくなった」と不安が増したのかもしれません。やさしかった先生に厳しい、強い語調で手洗い・うがい・マスク着用を指示されたなどがあると怖い、不安という気持ちが植えつけられることもあるでしょう。だからこそ、子どもを守るうえで必要なことは園や学校への丸投げするべきではないのです。子どもが不安に思っている状況を先生とも共有すると同時に、どんなときでも家は安全だと親は子どもに伝える続けることが大切です。まだまだ収まる気配のないコロナ禍で、何が正解なのかわからず、頼るものがない世の中。そこでは、自分の経験や直感で判断するしかありませんが、一番に子どもに与えるべきものは安心感です。園や学校に無理やりは行かせないという選択肢も含め、親の行動や姿勢が試されているときです。 エキサイトお悩み相談室で佐藤先生に相談する
2021年03月08日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー古澤瑛子さん特別支援学校卒業後、飲食店やレンタルビデオチェーンでの勤務を経て、現在はアパレル企業で勤務する古澤瑛子さん(以下、アコさん)。約1年前に実家を離れ、発達障害や知的障害のある人たちが共に暮らす「グループホーム」で生活しています。先天性の遺伝子疾患・ウィリアムズ症候群とADHDのあるアコさんの良き理解者であり、子どもの療育やグループホーム運営を長年続けている「一般社団法人発達障がいのためのハッピーライフ研究会」の高見澤千佐先生と共に、幼少期から現在に至るまでをお話しいただきました。Upload By 鈴木悠平生まれつき心臓が弱く両親は心配していた。先生と出会い、療育でたくさんの経験を――お二人とも、今日はよろしくお願いします。はじめに、アコさんの幼少期のころのお話や、先生との出会いについてお聞かせください。古澤瑛子さん(以下、アコ):活発で、外で遊ぶのが好きな子でした。親からは「すぐどこかへ行っちゃう」って心配されていたみたいです。高見澤先生のところには、4歳から療育に通っています。会ったときからすぐ仲良くなって(笑)、そこからずっと、お世話になっています。Upload By 鈴木悠平高見澤千佐先生(以下、高見澤):ウィリアムズ症候群の特徴で、アコさんは生まれつき心臓が弱いのもあって、お母さんはものすごく緊張感を持って彼女を育てておられたんです。転んで怪我して入院するんじゃないか、なにかあったら死んじゃうんじゃないかって、どこかに連れていくのもすごく慎重で。わたしはいろんな子を見てきたプロなんで、まぁお母さんそんなに緊張しないで、と(笑)。アコさん本人も、わたしと相性が合ったらしく最初っからすごくなついてくれたし、自分で学んで覚えていく力はすごくある子だなと思ったので、どこにでも連れて行って、とにかくいろんなことを体験してもらいました。アコ:はい、いっぱい体験しました!先生のところでは合宿もあって、しょっちゅうお泊まりにも行ってましたね。高見澤:うちの療育にはだいたいいつも50人ぐらいが来ていて、半分が知的障害、半分が発達障害のある子どもたちです。基本的には幼児のときから通ってもらって、二十歳以降の自立を見据えて、一人ひとり課題に取り組んでもらっています。勉強だけでなく、言語療法や運動療法まで、その子がそのとき必要なことを、という感じですね。彼女は、手先の不器用さがあったり、気がものすごく散りやすかったりして、小さいときは集中して取り組むのがなかなか大変だったんですけど、うまくいかなくて泣くことはあっても、次の日にはいつもニコニコで現れて「先生、会いたかったー!」って(笑)。いつも明るいよねー。アコ:今でも先生にベッタリですね(笑)。みんな一緒に過ごしていたはずなのに、「障害がある」というだけで扱いが変わるーー保育園や学校などでの、集団生活はいかがでしたか?アコ:保育園のときは、遊具にうまく登れなくて、運動会の競技に参加できないと言われて…高見澤:運動会で、はしごを登って鐘をカーンって叩く種目があるんですが、参加を遠慮してほしいって園から親御さんに言われたことがあったんですよ。Upload By 鈴木悠平ーーそんなことが…高見澤:でも、わたしが園に行ってコツを教えたら10分でできるようになったんだよね!アコ:はい!先生にコツを教わったらすぐできました。高見澤:運動会当日もバッチリできて、みんなに大拍手をもらったよね。やっぱり当時はまだまだ、「障害があるとみんなと同じことはできないんじゃないか」というような偏見が強くて、本人も「それはおかしいんじゃないか」っていうのはすごく感じ取っていました。アコ:小学校に入ってからも、途中までは楽しく過ごせていたんですが、6年生のときにクラスメイトに思いっきり蹴り飛ばされて、それがすごく辛くて、不登校になっちゃったんです。高見澤:心臓が悪いっていうことは、本人は普段からいろんな人に言ってたんです。それなのに胸を蹴られたっていうのがものすごいショックだったみたいで。アコ:はい、ほんと怖かったし、友達に蹴られたっていうのがショックでした。知らなかったんならともかく、知ってるのにどうしてこんなひどいことするのって。高見澤:障害のある子が疎外感を経験しやすいのがこの時期で、やっぱり難しいですね。だいたい4年生ぐらいまでは、みんなフランクに、障害がある子もない子も一緒に遊んでたりするんですけど、思春期に入りかけると違いを気にするようになって、仲良しグループがつくられるときに障害のある子が仲間はずれにされやすいんですよ。今までは「一緒においで」って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。Upload By 鈴木悠平高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。高見澤:最初は福祉的就労でしばらく働いたんです。わたしも見に行ったんですが、アコさんはお客さんに合わせて話すのが得意で、「雨ひどかったですねー」とか「今日何になさいますか?」とか、常連さんともすぐ仲良くなって、楽しくやっていましたね。参考: LITALICO仕事ナビ 福祉的就労とはどんな働き方なの?一般就労との違いなどについても説明しますアコ:そのあとに、障害者雇用での就職先をいくつか見に行って、次に就職したのがレンタルビデオチェーンの店舗の仕事です。何年か経ってから、そこが一度障害者雇用を終了するということで辞めなくちゃいけなくなったんですが、就労支援センターに通っている間に今の会社の人が見学に来て、それで就職が決まりました。そこから7年間、今の会社で働いてます。――今のお仕事が一番長いんですね。若い世代に人気のアパレルブランドの、渋谷の店舗で働かれているとお聞きしました。具体的にはどんな業務を担当されているんですか。アコ:わたしの担当は主に倉庫の業務ですね。スペインから送られてきた洋服を出して、輸送用のハンガーから店舗用のハンガーに入れ替えて…という感じで、お店に出る前の商品を整える仕事です。――へええ、なるほど。普段なかなか見られない、バックヤードでのお仕事、興味深いです。仕事の中で、やりがいや楽しさを感じる場面はありますか?アコ:仕事のやりがいは、ええと、そうですね…やっぱり働いてお給料をもらえるのが。Upload By 鈴木悠平高見澤:仕事の内容というか、お金だよねぇあなたは(笑)。アコ:はい、まさにお金ですね(笑)!――シンプルな答え(笑)。働いて稼いだお金は何に使うんですか?アコ:お金を貯めて自分のほしいものをひとつずつ買っています!こないだはiPhoneも買ったし、次はApple Watchとか、Bluetoothのイヤホンを買いたいなって。高見澤:あとは食だよね。グループホームではお昼ごはんの提供はないので、ご実家からお弁当を持って行くことが多かったんですけど、せっかく毎日渋谷に通勤してるんだしということで、「ランチを自分のお金で食べる」という念願を叶えて、いろいろ好きなもの食べて楽しそうですよ。毎日、わたしが仕事で忙しい中、お昼になると「先生、今日はポークチョップです!」「今日は中華♡」とかって写真が送られてきて(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:なかなか攻撃力のある「飯テロ」をしてくるんですよ(笑)。アコ:でも今はApple Watchを買うために節約モードに入ってて…今日もカップ麺でした。高見澤:耐え忍んでますね(笑)。でもほんとに、お金は楽しいみたいだね。アコ:楽しいですね。なんか、初めてなんですよ。ケータイを自分で選んで変えられるとか。――自分でお金を稼いで、自分で使いみちを選べる。アコ:そうそう、それは本当に感動しましたね。高見澤:やっぱりお家にいる間は、全部親御さんがやってくださっていたんでね。このグループホームの個室の家具やカーテン、彼女は全部自分で決めたんですよ。いろんなお店を回って、毎回店員さんに詳しく説明してもらって、すっごく悩んで決めてって、もう大変で(笑)。「わたし、カーテン選んでいいんですか!?」ってすごく感動しててね。Upload By 鈴木悠平アコ:実家にいるときは、そんなことをやらせてもらえなかったんですよ。高見澤:毎月、給料が入ってきたら「これがあなたのお給料です。どう使おうか」って、テーブルの上に出すんですよ。グループホームに生活費として入れる額をよけて、残りの中で「この中からあなたは今月いくら貯金したい?」「お昼にいくら使いたい?」「何かほしいものありますか?」って、毎回やるんだよね。アコ:はい、そうです。先生と一緒にやってます。高見澤:彼女、すごい悩んで吟味するので、いつも2時間から3時間かかりますよ(笑)。でも、自分でお金の使い方を決めるっていうのはほんとに楽しいみたいですね。やっぱりどうしても親御さんがいると心配しちゃって「あなたのお小遣いはこれね」「だけどそれは買っちゃダメ」とか「ほしいんだったらお母さん買ってくるから」ってなっちゃってたので。アコ:そうですね。お金以外でも、「どこどこ行ってくるよー」って外出するときも「1人で行かないで」って親が心配してついてくるというパターンがほとんどで。――ご両親も心配ゆえなのでしょうけど、アコさんにとって「自分で決める」機会を持てたのは、大きな変化だったんですね。グループホームでの日々の暮らしについても教えていただけますか。高見澤:ここは男性2人女性2人の、彼女を含めて4人で暮らしています。朝晩は食事の提供があって、昼はそれぞれ。この人はごはんが何より楽しみで、「今日の夕飯なんですかー!」って仕事からもルンルンで帰ってくるよね(笑)。アコ:はい!もう、ごはん大好きで!高見澤:共有スペースの掃除や片付けは、4人で分担決めてやってます。で、各自の部屋は、自分で掃除なんだよね。アコ:はい、やってます。掃除も洗濯もやっぱり、実家で親がいると頼りっぱなしというか…自分も甘えが出ちゃうので、それもなくしたかったんですよ。自分の部屋を持って一人暮らししつつ、みんなと一緒に家事をして、気持ちや思い出を分かち合えるっていうのが、すごく嬉しいですね。――なるほど、食事付きのシェアハウスみたいな感じですね。楽しそうです。高見澤:区が募集をかけるようなグループホームだと、知らない人同士で入居して、あんまり交流がなくて、というかたちになることも少なくないんです。わたしが運営しているグループホームは、それまで療育に来ている人たちが入るので、だいたいが顔見知りですね。月に1回ぐらいは、みんなで焼肉屋に行ったりとかしてますよ。――いいですねえ。高見澤:もちろん中には、グループホームの共同生活で、まわりにどう接していいかわからなくて困っちゃう人もいるんですが、彼女はそういうときにすごく自然に声をかけてくれてね。最初は黙ってた子が、気づいたら「あ、おはようアキコ」「今日また夜、会おうね」って言って会社に行くようになってたりね。お互い影響し合っていい感じに変化していくんですよ。アッコムードの力だなって(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:彼女のこのキャラクターが、家では「お節介」って言われがちだったんですよ。「あんたそんな他人のことはいいから、自分のことやんなさい」っていっつも言われてたんだけど。ここではそのお節介が、すごくうまく作用してるんだなって思います。わたしはずっと、自分が大好き高見澤:ご両親との関係や、お互いが願うことのギャップの話もいろいろしてきましたが、彼女のずっと変わらない、素敵だな、美しいなって思うところが、すごく自分のことを愛していることなんですね。ウィリアムズ症候群は先天性の疾患で、本人も割と早くからそのことを理解していたんです。どうしても、障害のある子を産んだ親御さんは思いつめやすくなる面はあって、彼女のお母さんも「ウィリアムズに産んじゃってごめんね」って思っていた時期があったんです。わたしも彼女本人がどう思っているか少し心配していたので、療育に通ってしばらくしてから「ウィリアムズ嫌だ?」って聞いたことがあったんですけど、「いや、わたしは自分のこと大好きだから、ウィリアムズに生まれてよかった」って、あっさりでした。それ、今でも言うよね?アコ:はい、言いますね、ずっと言ってます(笑)。自分のことは、好きですね、ふふ。お母さんに「産んでごめんね」って直接言われたときにも、「いや、わたしはウィリアムズに生まれて嬉しいなって思ってるよ」って。Upload By 鈴木悠平――自分を大好きでい続けられるって、素敵です。きっとお母さんもアコさんにそう言われて楽になったと思います。高見澤:ほんと、ずっと言ってるよね。ウィリアムズ症候群の親の会があるんですけど、「わたしもそこに入って、後輩と会いたい」って言うぐらいで。親の会は親じゃないと入れないって言ったら悔しがってましたね(笑)。アコ:なんで本人は入れないの、行きたいじゃん、みたいな(笑)。――最後に、進学や就職、将来の生活について、不安や悩みのある若い読者に向けてメッセージをお願いします。アコ:そうですね…やっぱり、楽しく暮らしてほしいなっていうのが一番ですね。落ち込んだり、学校行けなくなったりとか、そういうこともあるけど、将来もあるし、前向きに生きていってほしいなっていうか。発達障害でも知的障害でも、ウィリアムズでも、好きなことをやったり、恋人をつくったり、いろんな幸せを感じて生きていけばいいじゃないかって、わたしは思っているんです。――アコさんにとっての、高見澤先生や、特別支援学校が一緒だった先輩、ここで一緒に過ごす友達みたいな、一緒に幸せを分かち合える存在をつくっていけるといいですよね。アコ:そうですね。ほんとに大事な存在です。嬉しいです。高見澤:ずっと朝から晩まで、けらっけら笑って生きてるよね。アコ:もうけらっけらけらっけら、ずっと笑ってます(笑)。――アコさんのように、いじめや不登校を経験している子もいると思います。そうした時期を経験して大人になったアコさんから、なにか伝えたいことがあれば。アコ:いじめられたときはとにかく、1人で抱え込まないでほしいなって思いますね。わたしもつらかったですけど、相談できる人が1人でも2人でも増えるといいなって。高見澤:あんたそんなこと言うようになったの、すごいね。はっはっは(笑)。アコ:わたしも抱え込んでたときがあったんですよ(笑)!高見澤:抱え込んでたって、毎日のようにわたしとワーワーワーワー言ってたじゃん(笑)。アコ:だから!抱え込んじゃってたからそうやって先生に相談したんじゃないですか(笑)。Upload By 鈴木悠平先天性の遺伝子疾患を抱え、両親に心配されたり、学校でのいじめや不登校を経験しながらも、ずっと「自分が大好き」だと語り、周りとも明るく活発にかかわりながら生きているアコさん。インタビュアーの私も、アコさんのお話を聞いているだけで明るい気持ちにしてもらいました。アコさん自身の明るい性格もさることながら、高見澤先生やグループホームの同居人をはじめ、日常を分かち合える大切な人たちの存在が、きっとものすごく大きなエネルギーになっているのだろうな、とも感じました。実家暮らしでも一人暮らしでもない、「グループホーム」という選択肢も、ぜひ読者のみなさんに参考にしていただければ幸いです。取材・文:鈴木悠平編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日まずはお子さまの特性や、あったらいいなと思う配慮を整理するお子さまが小学校入学への準備といっても、いったい何から考えるのがいいのでしょうか。例えば、「動き回ってばかりで、まったくじっとできない」「トイレがまだ一人でできない」「全体に向けて言葉で出された指示の理解が難しい」など、お子さまが学校生活を安心して送れるか、気になるところを考えてみましょう。もしそれらの理由や対策に心当たりがあれば、合わせて整理してみてください。それによって「椅子にクッションがあればバランスがとれて長く座ることができる」「絵や図を使いながらなら指示を理解できる」など、できるようになる手がかりがあるかもしれません。とはいえ、うまくいく・いかないには様々な状況や事情があります。まずは「あのときだけはすんなりできていたなぁ…」など、ヒントを整理してみるのも一つかもしれません。就学相談の際に、それらの情報が役に立つことがあります。就学相談って?Upload By LITALICOライフ小学校には一般的なクラスである「通常学級」や、支援のある「特別支援学級」など、いくつかの就学先があります。どの就学先がお子さまにとってよりよい環境になりそうか、保護者・児童、教育委員会で話し合って決めるのが就学相談です。お子さまに障害があったり発達に気になるところがあったりするときに申し込むことができます。時期は地域によって異なりますが、入学する1年前の春から始まる地域も多くあります。また、基本的には就学時健康診断のように通知が来ないため、保護者から申し込む必要があります。もし就学相談を受けたいと思った場合は、通っている幼稚園・保育園から申し込むケースもあるので、まずは幼稚園・保育園に確認していただくか、あるいはお住まいの市区町村の教育委員会に連絡してみてください。就学相談では、発達検査や知能検査、お子さまの行動観察をすることもあります。普段の様子を質問されることもあるため、事前に整理しておくとスムーズです。どんな学級・学校がある?小学校の就学先には4つの選択肢があります。どの学級が合うのかは、人それぞれです。・通常学級…一般的な集団のクラスです。・通級指導教室…ふだんは通常学級にいながら、一部特別な指導が必要なときに、週数回程度、移動するクラスです。・特別支援学級…一人ひとりがニーズに合った教育を受けることを目的とした、最大8人の小さなクラスです。・特別支援学校…障害のあるお子さまが通い、自立を促すために必要な教育を受ける学校です。通級指導教室や特別支援学級は、学校によって設置されているところとそうではないところがあります。また、設置されている場合も支援や授業の内容は異なりますので、実際に確認・見学をすることが大切です。情報が少なかったり、判断が難しいこともあるかもしれません。LITALICOライフの無料勉強会では、それぞれの学級の特徴や、卒業後の進路の違い、就学相談のコツまでご紹介していますので、ぜひのぞいてみてください。生活習慣・こころの準備のためにできることは?お子さまにとっても保護者さまにとっても、小学校入学は大きな変化です。勉強や授業、登下校など、小学校入学で生まれる変化に事前に少しずつ慣れる機会があると、お子さまにも保護者さまにも心の準備の助けになります。起床時間・毎朝の行動を整えていく特性によっては、生活習慣を簡単には変えられないお子さまもいます。小学校入学前から、小学校に登校するのに合わせた起床時間に起きるようにして、朝ごはん、顔を洗う…などの行動を習慣にできるとスムーズです。通学路や学校の建物に慣れる慣れない道や建物が苦手な子どももいます。通学路を散歩コースにしたり、学校の近くを通りかかったときに「4月からはここに通うんだよ」と伝えることで、不安がやわらぐことがあります。翌日の持ち物の確認・準備をする習慣をつける寝る前に翌日のスケジュールや持ち物リストを確認しながら準備する習慣ができると、忘れ物がなくなったり、朝にパニックとなってしまうことがなくなりやすくなります。机に向かってじっとする機会を設ける小学生になると、授業で45分間座ることを求められます。絵を描いたり本を読むなど、お勉強でなくともかまいません。一日5分程度でも机に向かい、慣れていきましょう。いずれも少しずつ始めて、少しずつ慣れていくことが大切です。【東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡、広島に特化した情報から全国版までお届け】就学相談のスケジュールや、就学先の選び方がわかるUpload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「幼児期からの就学準備」は、これから小学校入学について考え始める・準備を始めるご家庭に向けて、今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてご紹介しています。また、東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡、広島では地域に合わせた情報もお伝えしています。勉強会後、より詳しく相談したい方には無料の個別相談もありますので、ご活用ください。【小学校入学前の準備に向けて、こんな情報がわかります】・4つの就学先って、何がどう違うの?実際は?・就学先によって、中学や高校以降の進路に影響はあるの?・これからの進路をどう考えたらいい?・就学相談って、いつからどんな準備をすればいい?勉強会はオンライン開催で、チャットを使った質問にも、時間の許すかぎり講師がお答えしています。「○○と聞いたのですが本当?」など、気になることを投げかけてみてください。LITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニング(人生設計)をサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年02月10日発達障害当事者の視点から描かれた夫婦のものがたりーー漫画『僕の妻は発達障害』2巻月刊コミックバンチにて連載中の『僕の妻は発達障害』は、「大人の発達障害」をテーマにあつかった作品です。漫画家のアシスタントとして働く夫と、発達障害のある妻の日常生活が描かれています。本作では、発達障害がある人の生きづらさを描くと同時に、支援者にもスポットを当てています。悪意がないとわかっていても、発達障害のある妻・知花の行動にストレスを感じてしまう、夫・悟の描写もあり、決して良いことばかりではない、リアルな2人の生活がわかります。2巻では、結婚生活を送る中で衝突や理解のズレが多くなり、少しずつ疲弊していく2人の様子や、妻・知花が発達検査をうけたエピソードなどが描かれています。ぜひ幅広い方に読んでいただきたい一冊です。保護者のサポートにフォーカスした『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』保育園、幼稚園、小学校、学童保育の先生など、子育て支援に関わる方に向けて書かれた本、『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』。著者は、NPO法人えじそんくらぶ代表で、臨床心理士をつとめる高山恵子さんです。長らくADHDを中心とした発達障害の子どもとその家族、支援者をサポートする活動を続けています。本書の前身は、2007年に出版された『育てにくい子に悩む保護者サポートブック』(学研)。今作では主に幼児期の支援者向けだった前著の内容を大幅に加筆修正し、小学生の保護者支援にも活用できる1冊にまとめています。本作では、多様な子ども、保護者がいることを前提に、それぞれにどういうサポートをしたら最適な支援になるのか具体的な事例とともに紹介しています。支援者はもちろん、「わが子の育てにくさ」に悩む保護者の方にもおすすめの1冊です。発達障害当事者の高校生が描く『発達障害の私の頭の中は忙しいけどなんだか楽しい』本書の著者のなずなさんは、2001年生まれ。5歳で高機能広汎性発達障害(ADHD傾向)と診断され、中学時代には不登校も経験。現在は、通信制高校を卒業し、体力の回復を目指しながら夢に向かって進んでいます。なずなさんが自身の世界を描いたこの本では、なずなさんが、自分の世界をマンガと文章で説明し、「フラッシュバック」などの困りごとについて、独自の対処法を紹介しています。そこに、なずなさんの主治医である精神科医の松本喜代隆先生が、キーワードごとに一般的な解説や対処法のヒントを挙げています。当事者による貴重な記録を読める本作。書いてあることはなずなさんの個人的な経験ですが、松本先生の解説・ヒントとともに、誰が読んでも参考になることがあふれています。子どもと大人の境目にある思春期の見守り方も教えてくれる1冊です。自閉症の娘と家族の愛と成長の記録ーー『ムーちゃんと手をつないで』4巻筆者のみなと鈴さんが自身の経験をもとに、自閉症子育ての経験を描いた漫画『ムーちゃんと手をつないで』。『ムーちゃん』ことむつみの成長と、家族の愛について描いています。「他害」がテーマとなった4巻。周りの人に噛み付くなど他害してしまうムーちゃんに悩む母の彩は、どうにか解決したいと療育施設の先生に相談します。しかし、そこで先生に言われたことは、「他害行動はそうそう簡単に消失しない」というものでした。4巻では、ムーちゃんの他害について何ができるのか葛藤する母・彩とそれを懸命にサポートする周囲の様子が描写されています。発達障害のある子どもを育てる親と子の成長を描いた本作。ぜひ子育てに関わる方に読んでいただきたい一冊となっています。お母さんが楽に、元気になれる本ーー『ママのピンチを救う本』本書は2005年に出版された『のび太・ジャイアン症候群5 家族のADHD・大人のADHD お母さんセラピー』の改訂版です。発達障害のある子どもの支援者にフォーカスした本書。なかでも保護者であり、家庭の調整役になることが多いお母さんに寄り添い、お母さんたちの毎日が楽に、幸せになるようなアドバイスを豊富に掲載しています。発達障害がある子どもがいる家庭では、お父さんやお母さんにも似た特徴が少しずつ見られることがあります。本書では、発達障害がある子どもや大人、診断がつくほどではないけれど発達障害の傾向がある人が、家庭でどのようにすれば過ごしやすくなるかについて考察しており、日々の暮らしを快適にするヒントがたくさん詰まっています。ぜひ参考にしてみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月06日アメリカの女性やマイノリティには分厚い“ガラスの天井”があるという。どんなに優秀でもぶち破れない壁がある、と。「誰もなし遂げていないことなら、なぜ挑戦しないの?」そう言い、次々とその天井を破ってきたカマラ・ハリス氏(56・以下敬称略)。女性初の“アメリカ副大統領”だ。カマラに絶大な影響を与えたのは、母だった。科学者の母は、子どもたちが質問しても、すぐに答えを出さず、いつも姉妹をこう諭した。「鍵は、あなたの仮説です。これが実践や実験で証明されるのよ」母の故郷・インドにも子どものころから訪れていた。母方の祖父は、47年、現在のパキスタンからインドへ亡命。インドの独立を求めて戦った人だ。その後、インド政府高官となった祖父は、故郷を追われた経験を生かし、アフリカ・ザンビアの難民問題解決に当たっている。祖母は、インドの貧困地域に暮らす人々に避妊などの性教育を行い、格差対策に取り組んだ。常に弱者の視点から、政治や人権を考えるカマラの資質は、祖父母の代から、母を介して継承されてきたものだったのだ。カマラは母についてこう話す。「マミーは153cmの小さな体でありながら、一度話せば、2m以上に見えるような人だった」12歳のとき、母の仕事のため、カナダのモントリオールに転居。高校生のときには、法律の道に進むことを決めていた。「この仕事は人を助けることができる。それだけの力を持つことができる」法曹資格を取得した彼女のその後の活躍はめざましい。98年まで、カリフォルニア州アラメダ郡で地方検事補として働いた後、’03年、サンフランシスコで検察トップのポジション、地方検事に立候補する。周囲は皆、反対した。「女性のキミには無理だ」「マイノリティには無理なんだ」有色人種や女性など、アメリカのマイノリティには今もなお分厚い“ガラスの天井”があるといわれている。どれほど優秀で仕事ができても、必ず見えない天井にぶち当たり、挫折を強いられる、と。そんななか、カマラは毅然とこう言い放った。「誰もなし遂げていないことならば、なぜ、挑戦しないの?」11年には、カリフォルニア州の司法長官に立候補し、当選。16年に上院議員に当選と、カマラは次々にガラスの天井を突き破った。もちろん、それは、彼女の勤勉さと努力に裏打ちされた仕事ぶりが評価されたからこその快挙だ。カマラは地方検事補時代から性犯罪に取り組んだ。彼女が地方検事になった3年間で、有罪判決率は52%から67%に上昇している。罪は厳しく裁く一方で、一貫して死刑制度には反対した。司法長官時代、多くの注目の裁判で、死刑求刑を拒否したことでも有名だ。犯罪に手を染める子どもたちに多い不登校を改善する政策を練り、更生プログラムも立ち上げている。移民問題にも取り組んだ。トランプ政権下で、移民の親子が引き離される政策が実行されると、すぐさま現地に飛んで、移民の母親の声を聞き、国の政策を批判した。カマラの名前が全国区になったのは、18年の上院公聴会だった。法曹界トップの最高裁判事でエリート白人のブレット・カバノー氏を相手に、一歩も引かないカマラの姿が全米で中継されたのだ。カバノー氏がしどろもどろの答弁を繰り返すのに対し、カマラは終始、冷静沈着。上院議員2年目の新人だったカマラだが、ときにほほ笑みさえ浮かべ、余裕ある態度でカバノー氏を追い詰めた。その手腕をアメリカ国民は驚きの目で見つめ、おおいに沸いた。彼女の豪腕ぶりを語るなら、リーマン・ショック後の住宅危機で、家を失った人々の救済問題も忘れてはならないだろう。20億~40億ドルの示談金で決着しようとする銀行側をカマラは厳しく追及した。アメリカ5大銀行の1つ、J.P.モルガンのCEOに電話を入れ、直談判。示談金は実に184億ドルまで加算されたのだ。成功はしたものの、彼女にとってもイチかバチかの賭けだったようだ。《20億~40億ドルを拒否して、うまくいかなければ彼らに何が残るのか。自分が正しい道を歩めるように祈っていた。こんなとき、母なら何て言っただろうと考える。母はきっとこう言うだろう。『自分の腹の声を聞いて、自分の信念を守るのだ』と》信じる道を貫くカマラを支えたのは、いつも母の教えだった。母から教わった志で、次々とその天井を破ってきたカマラ。そしていまや、史上初の女性でアジア系のアメリカ大統領も夢ではない場所に立ったのだ。彼女だけでない。立ち上がる勇気をもとう。それはきっと、あなたの未来を明るくするはずだ――。「女性自身」2021年2月2日号 掲載
2021年01月25日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー光武克さん予備校講師、家庭教師、「発達障害BAR The BRATs」のオーナー(現在は休業中)とYouTubeチャンネル運営、医療系アプリのコンテンツ開発と、いくつもの仕事を掛け持ちしている光武克さん。それだけ聞くと「なんでそんなに大量の仕事をこなせるの!?」と驚く人もいると思いますが、その背景には自身のADHDとASDの特性をつかみ、サバイブするためのたくさんの工夫がありました。光武さんに、現在の働き方に至るまでの経緯を聞きました。通知簿ではいつも「生活態度」を指摘される子どもだった。成績を上げることで特性をカモフラージュする生存戦略――光武さんは小さいころ、どんなお子さんだったのですか?光武克さん(以下、光武):あまり覚えていないのですが、不器用な子だったんだろうなと思います。幼少期から交流のある友人によれば、出会いは遊具から落ちて大泣きしている僕を助けたことだったそうなので(笑)、不注意かなにかで、よく怪我はしていたんでしょうね。Upload By 姫野桂光武:小学生のころは落ち着きがなく、宿題などの提出期限を守れないことも多々ありました。小学校の通知表って、学習面と生活態度の評価があるじゃないですか。生活態度の中の「基本的な生活習慣」の項目は、毎回「努力しましょう」に印がつけられていました。当時、僕はすごく動物が好きで、どうしても犬を飼いたかったんです。そうしたら、親から犬を飼う条件として「基本的な生活習慣」の改善を言い渡されて。結局犬は飼ってもらえなかったので、小学校6年間では改善できなかったんでしょうね。――勉強面はいかがでしたか?光武さんは予備校の講師もされていますし、小学生のころから勉強が得意だったのでしょうか。光武:それが、小学生のときは中の上ぐらいで、ずば抜けて成績が良いわけではなかったんです。中学校に上がってから、成績が良い方がいろいろとメリットが大きいというか…自分の不注意など、周囲から変に思われる部分が目立ちにくくなることに気づいて。「あいつは成績がいいから」と言われるキャラクターでいたほうが安全だろうということで、勉強するようになったのかもしれません。中学生のときには、親も昔通っていた、地元で有名なスパルタ英語塾にも通っていました。教科書の例文を20ページ分、つまらずに読めないと帰れないような塾だったのですが、そこで勉強したおかげで語学の道が少し開けた部分があります。高校でも英語の勉強には力を入れ、留学も経験しました。――当時、光武さん自身も、「自分は変わったところがある」という認識だったのですか?光武:自分が変わっているという自覚はたしかにありました(笑)。僕の出身地は田舎ということもあり、なかなか閉鎖的な環境だったので、自分の言動が目立ちやすい部分はあったと思います。でも、それと同時に、「周りの方がおかしい」という感覚もありましたね。なんでそんなに合理性のないことを、みんなが口を揃えて言うのかがわからない。それでも、ここは言ったらいけない場面だから言わない、といった対処をしていました。Upload By 姫野桂考古学者を目指すも、自分の特性との合わなさに挫折。予備校講師のアルバイトで見つけた適性――子どものころ、将来なりたい職業などはありましたか?光武:歴史、特に古代史が好きで、考古学者になりたいと思っていました。中高生のころは、吉村作治先生の本をよく読んでいましたね。2歳ぐらいのころ、奈良の親戚を訪ねた際にも大仏を30分ほどひたすら見つめていたそうなので、昔から古いものが好きだったようです。具体的に研究したい内容までは見えていませんでしたが、「研究」への憧れを持って大学にも進学しました。大学入学後は、古代史の研究をしたいなあと思い勉強していたのですが、やればやるほど歴史の研究に向いていないとわかってきました。歴史学の研究は緻密さが必要で、1つの資料にじっくり向き合い続けることになるんですが、それがもうしんどくて。僕のADHD特性との相性がすごく悪かったんですよね。飽きちゃうんですよ(笑)。なりたいと思っていたものに、絶望的に自分が合っていないと気づいたのが、大学2年生か3年生のときでした。これが初めての大きな挫折だったかもしれません。それから他にやりたいこともなく、このままだと就職もできそうにないしどうしようと悩んでいたのですが、当時していた予備校講師のアルバイトで、自分に向いていそうなことも見つかりました。教育の仕事って、ある面では仮説検証のような部分があると思うんです。学んだことをもとに、自分の中で仮説を立てて実践して、それがうまくいくか、つまり生徒にとって学びやすいかどうか確かめる。その一つである予備校講師の仕事は、歴史学で扱う資料と違い、生徒からすぐに反応が返ってくるじゃないですか(笑)。それがすごく面白かったし、目の前で反応を見られる環境では集中しやすくて。やったことのフィードバックがすぐに返ってくる、具体的な社会現象や人間を相手にするほうが僕には向いているのだと気づきました。そこから、社会学や教育学の本を読むようになりましたね。大学3、4年生ぐらいのことでした。Upload By 姫野桂悩んだ末、内定を辞退しフリーランスの予備校講師へ――光武さんはその後、就職活動もされていますよね。わたし自身もそうでしたが、発達障害のある方からは、「自分をよく見せなければいけない就活が苦しかった」という話を聞くことが多いです。光武さんの場合はいかがでしたかか?光武:もう、めっちゃ苦しかったです。ルールを説明してもらえれば、そのルールに従って動けるんですが、就活って「ルールは自分で考えなさい」みたいなゲームじゃないですか。エントリーシートで暗に求められていることなど、明確な指示がないものについては、要領をつかむまで苦労しました。結局、「どんなに社会が変わっても食いっぱぐれないだろう」と思った教育と医療の業界に絞って、当たり障りのないエピソードや、ウケのいい話を自分でつくり、組み合わせながら就活をしていました。でも、そもそも就職したくないという気持ちがあったので、「なぜうちの会社を受けようと思ったんですか?」と聞かれたら「そこに応募ボタンがあったから」という感じですし(笑)、「同業他社の中でなぜうちを選んだのですか?」と聞かれて、変に正直に「うーん、特に理由はないですね」と言ってしまったこともあります。そんなわけですから、最後に奇跡的に1社だけ、製薬会社から内定をもらうことしかできませんでした。――しかし、光武さんはその内定を辞退して、フリーランスの予備校講師になったんですよね。それはなぜだったのでしょうか?光武:就活の段階からグダグダで、まともに社会生活を送れる自信もなく、その会社でうまく働いていくイメージができなかったんです。そこで正社員になるという選択肢しか当時はなかったんですが、「これはベストではない、選んじゃダメなやつだ」という確信があって。かといって代替案もなく、悩むうちに時間だけが過ぎていました。そんなときに、個人事業主(フリーランス)として予備校講師をやっていくという方法もあると教えてもらったんですよ。これは乗るしかないと思い、そちらの道を選びました。――そのときのことについて、ぜひ詳しくお聞きしたいです。光武:その働き方を聞いたのは、アルバイト先の社員の方とお酒を飲んでいたときでした。ちょうど悩んでいたころ、勤めていた予備校で講師の授業力コンテストの第1回が開催されて、僕は東京都で1位を取ったんです。そこで教える力を認めてもらえたのか、部長クラスの方に、「君はプロとして、十分それで食っていけるよ」「個人事業主でやるという道があるよ」と言っていただけて。「ああ、そういう道があるんだなあ」とそこで初めて知りました。その話をきっかけに、大学生講師である「学生コーチ」から「プロコーチ」という枠に契約を切り替えてもらったのが、大学4年生の12月前後でした。一応「プロ」と名乗れるようになったことで、「これでなんとか食べていけるようになるんじゃないか」と思いましたね。あれは一つの転機だったかもしれません。だから、決して「フリーランスになりたい!」と思ってなったわけではないんです。当時はフリーランスという言葉も知りませんでしたし。今振り返ると、ずっと上司がいない状態で働いてきたのは、失敗だったなと思います。「こうすればうまくいく」という仕事のノウハウや、働く上でのメンタリティまで教えてくれる人が身近にいなかったので。20代のころの自分に、そういった「ロールモデル」になる人を、きちんと見つけたほうがいいよと言いたいですね。Upload By 姫野桂自助会での経験をきっかけに、「発達障害バー」という形態を選ぶ――フリーランスの講師として働き始めた光武さんが、その仕事を続けながらも、2018年、33歳で「発達障害BAR The BRATs」を開くまでに、仕事面ではどんなことがありましたか?光武:20代のころは、理想に燃えて講師の仕事を頑張っていました。しかし、教える仕事自体は楽しかったのですが、自分がやりたいことや興味があるものと、教育ビジネスの世界で展開されるものに、すごくギャップを感じるようになってしまい…。今はそのあたりのバランスがうまく取れるようになりましたが、当時は何よりもスコアアップが求められる受験指導に対して、嫌悪感がとても強くなってしまったんです。「予備校講師の仕事が嫌だ。一刻も早く辞めたい」とまで思っていた時期もありました。Upload By 姫野桂――それが「発達障害バー」という新たな仕事のスタートにもつながったのでしょうか。光武さんは、大人になってから発達障害の診断を受けたのですよね?光武:はい。31歳か32歳のときに、ADHD、ASDという診断を受けました。心境としては、これでようやくいろんなことの説明がつくんだなと腑に落ちた感じでした。当時、妻との関係がうまくいっていなかったので、この診断が関係改善の糸口になるかもしれないという安心が一番大きかった気がします。今ならわかりますが、なんらかの形で理由が説明できようとできまいと、嫌なものは嫌ですよね(笑)。結局、妻とは離婚に至りましたが、それも発達障害バーを始める一つのきっかけにはなりました。――人が集まる開けた場をつくることは、なかなかエネルギーが必要だと思うのですが、なぜ「バー」という形式を選んだのですか?光武:それまで、既存の発達障害当事者の自助会にも参加したことがあるんですが、自分にはちょっと肌に合わないなと感じて。そのときの経験を踏まえて考えた結果です。行ったタイミングの問題や、自助会ごとの違いもあるとは思うのですが、以前ある自助会に参加したときは、僕が求めていたような内容、例えば「プライベートの人間関係で、こんなときはどうしたらうまくいく?」「仕事のこんな場面でつまずいたときはどうしたらよかった?」といった話をする雰囲気ではなかったんです。そういった具体的なハックやプライベートな話を、もうちょっと気軽な空気で話せる場所があるといいなと思ったのが、大きなきっかけですね。僕の場合は、お酒が好きなこともあり、そういった話を友達や同僚とするときはお酒の席が多かったんです。だから、バーという形態なら、ふらっと気軽に立ち寄れて、気軽に話ができるんじゃないかと思い、発達障害バーをオープンさせました。――お店を持つことに不安はありませんでしたか?光武:めっちゃありましたよ。そもそも僕、お店を持つつもりはなかったんです。最初オープンさせたのも一時的な店舗でしたし、当初はイベント的に開催して、終わらせるつもりでした。ところが、思いのほか、お店を残してほしいという声が大きかったので。何らかの形で続けられないかと模索した結果、場所を渋谷に移して営業することになりました。(※現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休業中)自分の特性を把握し、チームでトライアンドエラーを繰り返す――昼間は講師の仕事、夜はバーに立ちつつ、2019年からはYouTuberとしての活動も始めていますよね。最近は、さらに医療系アプリのコンテンツ開発もされていると聞きました。それだけいくつもお仕事をしていても、混乱しませんか?光武:「何曜日の何時から何時までは、どこで働く」というように、曜日や時間帯でやりことを区切った働き方をしているので、自分のADHD特性にはむしろ合っているのではないかと思いますね。適度に力が分散されて、適度に違う刺激を受けられるので。僕がこうやって働いている姿を見て、不登校だった子の大学受験の家庭教師を依頼されるなど、1つの仕事が他の仕事につながることもありますし。Upload By 姫野桂――さまざまな種類の仕事を複数並行して進めていくにあたり、何か気をつけていることがあれば教えてください。光武:僕の場合、何か作業をするときにマニュアルなどをもらっても、その中の重要なポイントがわからないとミスがすごく起きやすいんですよね。逆に言えば、作業する上での最低ラインが、要点の箇条書きでいいので示されていれば問題なくできる。齟齬が生まれるとすれば、要点の解釈ミスでしょうか。今取り組んでいるアプリのコンテンツ開発では、そのあたりがうまくクリアできています。上司となるプロジェクトマネージャーの方が、「自分も指示出しが雑になってしまうから、毎日15分、絶対にミーティングで話しましょう」と提案してくれたんです。ミーティングの場では、その都度できあがったコンテンツのよかったポイントをフィードバックしてもらったり、「この点とこの点が満たせていればOKという認識で大丈夫ですか?」とこちらから確認したりしています。おかげで、作業がすごく楽にできていますね。あとは、僕は今通院も服薬もしていなくて、どうしても脳の調子に波があるんですよ。それこそコンテンツ開発でも、まったくアイデアが浮かばず、「今日は全然書けない日だな」というときもある。それでも、「次は何時にミーティングだから、それまでにこの条件さえ満たして、何本出せればいい」というのがわかっていれば、そのときは難しかったとしても、合間の時間でパパパパッと書くこともできますよね。脳の波に乗れないときはいくら考えてもダメなので(笑)、そこで悩んでもしょうがない。書けるときに書くしかないと考えて、例えば夜中の3時とかでも、「あ、今いける」と思ったら書くようにしています。そうやって、うまーくうまーくやっていますね。――たしかに、わたしも「いける!」と思ったタイミングで書くことはありますね。光武さんの場合、講師などの1人で取り組むお仕事をされている一方で、YouTube含むバー関連のお仕事はチームで取り組んでいらっしゃいますよね。そちらの働き方についてもお聞きしたいです。光武:今一緒に働いているのは、「一緒にやりたい」と言ってくれた中から最終的にチームとして残った人たちです。「協力したい」と言ってくれる人は多かったのですが、実際にチームとしてうまく機能するかどうかは、さまざまな要素や相性がかかわってきます。その人たちとは、一緒にやる中でお互い特性を探り合っていって、「ここが嫌なのか」「こういうときはこうすれば良いのか」と、トライアンドエラーを繰り返しながら、ようやくまとまってきたところです。YouTubeの仕事は、僕は現場に行って撮影される担当で、撮影や編集などの作業は別のメンバーがやっています。僕はログインパスワードすら知らないレベルの分業体制です。――そういえば、光武さんにご連絡したときも、光武さん専用の連絡フォームから担当者の方に返信をいただきました。光武:組織として、役割がかなりきっちりと分かれているんです。それぞれが得意なことやできることをなるべく多く行い、苦手なことはなるべくそれが得意な人やできる人に任せるといったような体制になっています。Upload By 姫野桂セルフモニタリングを通して、自分の「反応」を客観的に捉えると解決策が見えてくる――紆余曲折を経て現在の働き方をされている光武さんですが、進路に悩んでいる人へ向けて、何かアドバイスがあればお願いします。光武:発達障害などの特性があると、どうしても働きにくい部分はあると思うんですよ。とくに、僕にもあるような脳の波の問題は大きいのかなと。そこに関しては、「うまくいかないときもある」という、ある程度の割り切りは必要なのかなと、個人的には思います。一番大事なのは、自分がどんな場面で、どんな「反応」をするかということを、客観的に捉えることだと思うんですよね。Upload By 姫野桂光武:僕は昔から楽器を演奏するのが好きで、トランペットとピアノを長く趣味として続けています。でも僕の場合、パニック障害のような傾向があり、特定の場面で著しく緊張して音を出せなくなることがあるんです。それがなぜ起こるのか原因がわからず、苦手意識をずっと持っていたんですが、ゆっくりセルフモニタリングをして紐解くことで、そのとき自分に何が起きているか、少しずつわかってきました。例えば、「人からどう思われるかを意識して、『ここでこういうアクションをとって、こんな風に思われたら嫌だ』という考えが起こると、肩がすごく固くなるんだ」とか。そうやって自分の状態を確認していくと、悪い流れの兆候が出始めた段階で自覚ができるので、1回楽器を置いてみたり、「今はちょっとダメです」と伝えたりして、悪化を防ぐことができるようになったんです。何かあったら一旦止まって、調子が戻ったらまた練習に参加するというプレーの仕方に変わりました。そういったセルフモニタリングと、それを受けての行動の変化は、仕事の場面でも活きる部分があると思うんです。仕事でも、ある特定の場面で同じ反応が起きるようなら、セルフモニタリングをしてみて「こうやったらうまくいった」「こういうときはこんな身体の反応がある」「こんなことが頭に浮かぶと、こんな身体の反応がある」と確かめていく。大体、仕事などで失敗しやすいケースは、どこかで考え方のクセが出ていたり、失敗するようなイメージが出てしまったりしていると思うので、そこを自覚できるようになるだけでも、かなり変わってくるのではないでしょうか。そこからさらに、「前回はこうしたらこうなったから、今度はこうしてみたらどうだろう」等と、試行錯誤し、わかったことをリスト化していくと、自分の取扱説明書になると思います。――最後に、光武さんの今後の目標を教えてください。光武:ベースにあるのは、「自分自身の生活を、できる限り、もうちょっと生きやすくしたいな」ということですね。そして、自分が生きやすくなれば、多分同じようなタイプの人が生きやすくなるとも思うんです。自分より若い人に「光武ってやつがこうやってなんとなく生き延びたんだな」というのが伝わって一つのロールモデルになれば、そこを目標に頑張る人も出てくると思います。そんな人が増えれば、ちょっとずつ社会の仕組みも変わっていくかもしれません。まずは地道にコツコツ、近い感覚や考え方を持つ人を増やすのが大事なのかなと思っています。また、自分にとっての仕事は、ご飯を食べるためのツールという側面の他に、他者と関わる中で自分がやったことを残すものという側面も持つものです。「人に知られたい」というよりは、もっと自己満足に近いものなのですが、「俺はこういうことをやったんだなあ」と納得できる、形になるようなものが残せたらいいなあと思いますね。Upload By 姫野桂一見するとスーパーマンのように数々の仕事をこなしているように見える光武さんですが、その根底には発達障害ならではの特性との合致と、チームで動く仲間たちとの協力がありました。人間関係を構築することに苦手意識がある人もいるかもしれませんが、光武さんのようにトライアンドエラーを繰り返していけば、チームで動くことも可能になるのではないでしょうか。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日「オンラインまなびフェスタ2021」が大切にしているのは、発達ナビユーザー皆さんの声です。2021年に5周年を迎えたLITALICO発達ナビが贈る、「オンラインまなびフェスタ2021」が2021年3月7日(日)に開催されます。皆さまのお役に立てますよう、専門家や企業と一緒に、家庭学習が楽しくなる教材や、進路選びのポイント、おすすめの学用品など、幅広いテーマのセミナーを準備しています。未就学~中学生まで、発達が気になるお子さんの保護者の方々にぜひ知っていただきたい情報が満載!オンライン開催なので、全国どこからでもご参加可能。事前に行ったアンケートでは、95.8%の発達ナビユーザーのみなさんに「参加したい」とご回答いただきました。2月中旬より参加予約を開始しますので、ぜひスケジュールを空けておいてくださいね。Upload By 発達ナビ編集部「オンラインまなびフェスタ2021」を企画する上で、何より大切にしているのは発達ナビユーザーのみなさんの声です。事前アンケートで寄せられた声を踏まえ、・発達が気になるお子さんの育児や療育に専門的な視点を取り入れられるようになること。・暮らしをサポートする商品・サービスについて知り、お子さんに合うかもしれないものの選択肢を増やすこと。を、このフェスタで実現できるように準備を進めています。Upload By 発達ナビ編集部また、特に興味のあるテーマとして声の集まった、「親子の関わり」や「進路選びや将来の仕事」、「学校の勉強・生活」について、役立つ情報に溢れた1日となるようにと企画をしています。そのためにも、専門家やたくさんの企業、そしてLITALICO全体のサービスを総動員して、発達ナビユーザーの皆さんにとって有意義な時間をつくっていきますので、どうぞお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部■日時:2021年3月7日(日)10時~17時後日アーカイブ配信も予定しています。■参加費用:無料■形式:Zoomなどオンラインツールを用いた配信■参加方法:事前申込必須。2月中旬より参加申し込みを受け付けます。■内容:専門家講演、発達が気になるお子さんを応援する企業によるセミナーその他、イベントに参加すると応募できる抽選会なども企画しています!※予定のため、今後変更となる場合もございます今回は先行して、「オンラインまなびフェスタ2021」のコンテンツの一部をご紹介させていただきます。特別講演:「親子関係のことから学校でのお悩みまで発達障害子育てQ&A ー鳥取大学院 教授・井上先生に質問ー」特別講演は、井上先生と発達ナビ編集長牟田によるトークライブです。「発達が気になる子の子育て」にまつわるお悩みや不安など、みなさまからの事前質問を受付け、当日はその中からピックアップして井上先生にお話を伺います。さらに、当日はチャット機能を使ってリアルタイムで井上先生に質問できるチャンスも!貴重な機会ですので、ぜひご参加ください。(時間の都合上、すべてのご質問を取り上げることは難しい場合もございます)その他の特別公演情報も追ってお知らせいたします。Upload By 発達ナビ編集部井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授 / 公認心理師 / 臨床心理士/専門行動療法士 / 自閉症支援士エキスパート / LITALICO研究所 客員研究員応用行動分析学をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のための様々なプログラムを開発している。専門家セミナー:「発達が気になるお子さまの『かんしゃく』が起こる背景と手立て」毎月の個別相談やオンライン勉強会を通して、発達が気になるお子さまの子育てをオンラインサポートする「発達ナビPLUS」。本セミナーでは、発達ナビPLUSで、個別相談やオンライン勉強会の講師を担当している公認心理師・菅佐原先生に、お子さまの「かんしゃく」をテーマに登壇いただきます。発達ナビPLUSでよくご相談いただく、お子さまのかんしゃくのお困り。家庭学習や習い事などお子さまのまなびをスムーズに進めるために、かんしゃくとうまく付き合うことが大切になるケースも多いです。かんしゃくが起きてしまう仕組みや、対応するときのポイントについて解説します。Upload By 発達ナビ編集部菅佐原 洋先生公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士慶應義塾大学先導研究センター研究員、常磐大学助教を経て、現在LITALICOジュニアとLITALICO発達ナビのチーフスーパーバイザーに。発達障害のあるお子さまへの直接支援、幼・小・中学校での特別支援アドバイザー、大学・教育センター・医療機関でのスーパーバイズなど発達臨床歴20年超。発達ナビPLUSについて詳しくはこちら企業セミナー:発達が気になるお子さんを支える、商品・サービスのご紹介「まなびフェスタ2021」は、発達が気になるお子さんの成長を応援する、たくさんの企業の皆さまに協賛をいただいております。育児や療育、普段の暮らしをより豊かにする商品・サービスをご紹介いただきますので、ぜひご期待ください。今回ご参加いただく企業の皆さまから、当日お話される内容をいただきましたのでご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部Upload By 発達ナビ編集部"遊び"を通して新たな支援、遊具メーカーが創る~発達障がいという言葉を使わない社会~アネビーは、「発達障がい」を「感覚障がい」と言い換えます。なぜなら感覚の違いは他の障害と違って、環境の設定や社会の理解が深まることでなくすことができるからです。遊具は医療器具と同じような役割を果たし、子どもたちが一日をいちばん長く過ごす場所の環境を、遊び=遊具の力で変えていきます。本セミナーでは、「感覚障がい」を特性に変える遊具の効果を紹介します。ぜひ、ご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部株式会社アネビーUpload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスは、「感じて、考えて、作り出す」体験を通じて、自分らしく生きるための土台となる思考力や創造性を育てる、新しい通信教育です。アプリと毎月届くキットを組み合わせて、STEAM教育領域の多彩なテーマを学びます。基本的に無学年制で、お子さま一人一人の特徴や発達段階に合わせて、自由に取り組むことができます。思考力教材制作のプロチーム「ワンダーラボ」が自社制作しており、IQや学力にも効果があることが、本教材にも収録されている思考力育成アプリ「シンクシンク」を用いた実証実験で確認されています。当日は、弊社代表の川島が皆さまからの質問に直接回答いたします。皆さまのご参加、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスについてはこちらUpload By 発達ナビ編集部学習教材「すらら」の学習者数が2020年12月末時点で約33万人となりました。お子さん1人ひとりに合った学習が求められる時代、「無学年方式」はこれからの教材トレンドです。全国学習塾1,016校、学校1,026校が採用し「勉強のプロが認める教材」としてブランド先行しておりますが、それに迫る勢いで家庭学習サービスとしてのご利用者も年々、増えてきております。家庭学習の利用者の半数以上が不登校、発達障害、2020年も多くのお子さまを導くことができました。2021年も是非、注目いただけたら嬉しく思います。Upload By 発達ナビ編集部株式会社すららネットUpload By 発達ナビ編集部コクヨの「しゅくだいやる気ペン」は、家庭学習の習慣化をサポートする、まったく新しいコンセプトのIoT文具です。いつもの鉛筆に取り付け、専用のスマートフォンアプリと連動させることで勉強への取り組みを分析し、日々の努力を見える化します。子どもには家庭学習に取りかかりやすく、保護者には褒めやすくするきっかけを与え、親子の円滑なコミュニケーションを通して「やる気」を育む体験デザインを目指しました。「かきたくなる。ほめたくなる。」の好循環を生み出すことで、子どもたちが楽しく自発的に学習する習慣を促します。Upload By 発達ナビ編集部コクヨ株式会社Upload By 発達ナビ編集部「ふわりぃランドセル」でおなじみの、ランドセルメーカー、株式会社協和です。当社は創業以来、70年以上にわたり千葉県にある工場でランドセルを作り続けております。この度のイベントでは、からだに負担なく快適に背負え、お子さまにとって使いやすいパーツを選ぶ事ができるランドセル「オーダーメイドUランドセル」を中心に、ランドセルの機能や選び方のポイント等をご紹介いたします。市販のランドセルと同等の価格なのにさまざまなパーツや色を選んでカスタマイズできるランドセルです。是非ご覧いただき、ランドセル選びにお役立ていただきたいと思っております。より多くの皆さまのアクセスを、ふわりぃランドセルスタッフ一同、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部株式会社協和Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校は「未来のジブンが好きになれる高校」です。学び辛さや生き辛さのある生徒のためのSNEC(スペシャル・ニーズ・エデュケーション・センター / スネック)には、教員だけではなく「支援と伴走」を実現させて、生徒の興味関心を引き出し社会進出に向けて能力の伸長をサポートするため、支援員やスクールカウンセラーが常駐しています。通信制のメリットを最大限活用しながら、生徒たちと一緒に高校卒業や、その先の進路に向けて学習をしたり、特別講座を開催したりしています。また、保護者の方や学校の先生等に向けての勉強会を開催も行っています。「ぷれすね」という、SNECのノウハウを活かして中学生が楽しく学ぶ環境もあります。Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校Upload By 発達ナビ編集部「あったらいいな」をいちばんに。いい保険って何だろう?保険に求める安心や満足は、きっと、一人ひとりの暮らし方やその時代によって変わっていくはずです。私たちがいちばん大切にしたいこと。それは、お客さま自身でさえ気づいていない「あったらいいな」を敏感に感じとって、新しい発想で保険を創り出していくことです。あった。よかった。たすかった。新しい保険で、みんなをもっと笑顔にできますように。「あったらいいな」をいちばんに。ネオファースト生命は、保険を通じて新しい安心や満足をお届けする、第一生命グループの生命保険会社です。Upload By 発達ナビ編集部ネオファースト生命保険株式会社他にもまだまだ参加予定!また随時お伝えいたします。参加者向けの楽しい企画も準備中!発達が気になるお子さんの役に立つ商品を抽選でプレゼント!「まなびフェスタ2021」をより楽しんでいただくための企画もご用意しています。協賛いただいた企業から発達が気になるお子さんに役立てていただける商品をご提供いただいております。今後もプレゼント商品は増える予定です!詳細は2月中旬公開の記事第2弾でお伝えするのでお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部wemoは手首に巻くバンドタイプのメモ帳です。油性ボールペンで書き、消しゴムや指で簡単に消せ、何度でも書き消し可能です。手首に巻いて使用、安全性にも配慮、なくすこともなく、何時でも確認できます。“見通しメモ”として、発達障害の子どもたちに安心感を与えられると、保護者の方々に大変ご満足をいただいております。について詳しくはこちらUpload By 発達ナビ編集部京都大学COI(センターオブイノベーション)では、企業と大学が共同で研究開発から商品化までを行っています。今回は、ユニ・チャーム(株)と共同開発した楽しくオムツ離れができるトイレトレーニングパンツ「トレパンマン」をプレゼントとしてご用意しました。その他にも、トイレトレーニング無料アプリ、ナチュラルムーニーや(株)ほっこりーのプラスと共同開発したLINEで子育ての困りごとに答えてくれる「ほっこりAI」(開発中)などをご紹介しておりますのでよろしければサイトもご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部トレパンマンについて詳しくはこちら【アンケート実施中】専門家の先生、企業の皆さんへの質問を、どしどしお寄せください!当日のコンテンツをより磨いていくために、発達ナビユーザーの皆さんにアンケートを実施します。専門家や参加企業への質問などを受け付けておりますので、下記のボタンよりぜひご回答ください。ぜひ皆さんと一緒に、有意義な1日をつくることができたらと思っております。フェスタでの開催内容について、新たに決定したことについては、随時発達ナビユーザーの皆さんにお伝えしていきます。こちらも楽しみにしていただけると嬉しいです。たくさんの方のご参加を、心よりお待ちしております。
2021年01月21日逆境に強く、ポジティブ思考の人になるためのキーワードがあります。それが「レジリエンス」。 “心の筋肉” とも言われ、鍛えれば人生がパワーアップするそうです。また、レジリエンスは、近年注目されている「やり抜く力(GRIT)」を構成する4つの要素、根性(GUTS)・回復力(RESILIENCE)・自発性(INITIATIVE)・執念(TENANCY)の1つでもあります。レジリエンスを鍛えることで、やり抜く力もアップするはず。今回は、親子で身につけたい能力であるこのレジリエンスについて、詳しく見ていきましょう。レジリエンスとは「折れない心」であり「回復力」いま話題のレジリエンスとは、「折れない心」であり、逆境から立ち直る「回復力」のこと。一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会では、次のように説明されています。レジリエンスとは、心理学においては、「逆境やトラウマ、惨事、脅威、さらには重大なストレス源に直面したときにうまく適応するプロセス」であり、総じて「困難な経験から『再起する』こと」と定義されます(アメリカ心理学会の定義より)。(引用元:一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会|JPPA認定 第3期レジリエンス・トレーニング・コースのご案内)※太字は編集部が施したストレスマネジメントの専門家である小関俊佑氏(桜美林大学准教授)は、「レジリエンスとは、ストレスに負けずに自分がやりたいことをやるためにあるもの」と言います。人生にストレスはつきものです。ストレスを上手にかわすためにも、レジリエンスを育みたいところ。レジリエンス育成はできるだけ早い時期がいいとされています。なぜならば、いろいろな経験の積み重ねこそがレジリエンス育成につながるから。では、レジリエンスとは具体的にどういう力なのか。次に見ていきましょう。レジリエンスが高い子と低い子の違い臨床心理士で医学博士の小玉正博氏は、レジリエンスには次の7つの要素が含まれていると言います。気持ちや感情をコントロールする力変化する状況に順応できる柔軟性「自分は大切な人間だ」という感覚人に助けを求められる力楽観的であることネガティブな気持ちを引きずらない力 「成績が悪かった」「友だちとケンカした」など、子どもにとって困難なことが起こり、落ち込んだり挫折したりしたとき、これらの要素をもつ子(レジリエンスが高い子)ともたない子(レジリエンスが低い子)では次のような反応の違いが出てきます。【レジリエンスが高い子】・・・楽観的、人に頼ることができる「なんとかなる」「この状況は長くは続かない」「いままでのようにきっと大丈夫」「お父さんかお母さんに相談してみよう」【レジリエンスが低い子】・・・悲観的、自分の殻に閉じこもる、ひとりで耐える「どうしたらいいのかわからない」「きっともうダメだ」「もうどうでもいい」「恥ずかしいから、誰にも話したくない」「怒られるかもしれないから、親には話せない」「自分でなんとかしなきゃ」このような反応の違いには、ふたつのポイントがあります。まずひとつめは、子どもに自己肯定感があるかどうか。自己肯定感とは、自分のよい面だけでなく欠点も含めて「私は私」と認められる感覚のこと。自己肯定感を高める活動をしている日本セルフエスティーム普及協会は、「自己肯定感を高めることでレジリエンスも高くなる」と説明しています。レジリエンスの土台は自己肯定感なので、レジリエンスを高めたいのであれば、まずは自己肯定感を高めるべきなのだそう。そして、ふたつめのポイントは、周りにSOSを出せるかどうか。これにはまず周りとの信頼関係が必要です。普段から親や友だちとの人間関係において、人との関わり方を学び、人から助けられる経験をすることがとても大切になります。問題を抱えてひとりではどうしようもなくなったとき、助けを求められるかどうかは、そのようなコミュニケーション体験の有無によるのです。これらをふまえたうえで、レジリエンスを育むコツをご紹介します。親子でやってみよう!レジリエンスを育む方法“折れない心” には、「自己肯定感」と「信頼関係」が必要だということがわかりました。次はいよいよ、レジリエンスを育むための方法をご紹介します。「自己肯定感を上げてレジリエンスを鍛えるトレーニング」と、「親子で信頼関係を築き、レジリエンスを強化する方法」です。ぜひ今日から親子一緒に実践してみてくださいね。方法1:劣等感に負けない、自己肯定感を育むトレーニング法政大学文学部心理学科教授の渡辺弥生氏は、「人がネガティブな感情をもつのはあたりまえで、むしろ必要」と言います。なぜならば、嫉妬や劣等感がモチベーションになり、よりよい自分であろうとするための成長ステップになるから。しかし、その過程でネガティブ感情に負けてしまっては意味がありません。そうならないために、渡辺教授が提唱する「レジリエンスを鍛える4つのトレーニング」で “心の筋肉” を鍛えてみてください。「I am」マッスル私は〇〇(自分を肯定する言葉)例:私は優しい「I can」マッスル私は〇〇ができる(自分ができること)例:私は泳げる「I like」マッスル私は〇〇が好き(自分が好きだと思うこと)例:私はサッカーが好き「I have」マッスル私には〇〇がいる、私は〇〇をもっている(自分が大事にしている人や宝物)例:私には頼りになるお父さんがいる、私は電車のおもちゃをもっているこのトレーニングは、子どもがもつ「いいところ」「いいもの」を「見える化」し、自分自身の劣等感に打ち勝つことを目的としています。子どもは、ポジティブな気持ちで眠りにつくことができるでしょう。そして、毎日続けることで自己肯定感もアップします。方法2:親子の絆を深め、レジリエンスを強化する方法子育てコーチング専門家でNPO法人ハートフルコミュニケーション代表理事の菅原裕子氏は、「レジリエンスがもともと低い子はいない」と言います。親との関係や、周りの人との関わりによって、子どものレジリエンスの高低は変化するのだそう。東京学芸大学名誉教授で臨床心理学者の深谷和子氏も、子どものレジリエンス育成の重要な鍵となるのは、親や家族との信頼関係だと指摘しています。家庭を「居心地のよい場所・心の拠り所」にすることで、子どもは外の世界で嫌なことがあったとしても、安全基地であるお父さん・お母さんのもとで充電し、気持ちを回復させることができるのです。それでは、深谷氏をはじめとした専門家の意見を取り入れた、親子コミュニケーションのポイントをお伝えしましょう。【親子の会話】子どもとの信頼関係を深めるのは、なんといっても “毎日の会話” です。しかし、親だけが一方的に話してしまうのはNG。もし子どもが失敗してしまったときでも、「だから〇〇しなさいって言ったのに」なんて言わず、「悲しいね」とネガティブな感情を受け止めてあげましょう。子どもの話をじっと聞き、どんなネガティブな感情を受け止めることで、親子の信頼関係のベースが築かれます。実際に、この方法で不登校が解消した例も報告されているようですよ。もしテストで思ったような点数がとれなくて子どもが落ち込んでいるときなどは、「勉強頑張っていたよね!」と努力の過程をほめてください。すると、ストレスを感じていたとしても、再度、挑戦する力が湧いてくるものなのです。また、親自身の「失敗談」や「立ち直りストーリー」を話すのも◎。「完璧な人はいない」というメッセージは子どもを安心させます。【子どものお手伝い】親を助ける、親の役に立つお手伝い経験は、子どもを無力感から開放し、「自分は家族のなかで大切な存在だ」と再確認できる機会です。洗濯物をたたむ、冷蔵庫からドレッシングを出す、買い物をお願いする、旅行の計画を立てるなど、簡単なお手伝いから少し難しいお手伝いまで、とりあえずどんなことでもお願いしてみませんか?「できた!」という達成感から自己肯定感も育まれますし、「失敗しちゃった……」という場面でも「頑張ってお水を運んでくれたよね。ありがとう!」と、親ができたことを認めてあげることで、子どもは、心を回復させる力を手に入れることができますよ。レジリエンスを学べる本そして家庭外では、ゲームなどのバーチャルではない、リアルな遊びを通して、できるだけ多くのお友だちと遊ばせましょう。また、スポーツに励むこともレジリエンス強化に効果があると、深谷氏は推奨しています。どうやら、レジリエンスを鍛えるには、まだまだたくさんの方法があるようです。おすすめの書籍をいくつかご紹介しますので、ぜひ読んでみてくださいね。『親子で育てる折れない心 レジリエンスを鍛える20のレッスン』うまくいかなくてもへこたれずに頑張ることができる、失敗しても立ち直れる――そんな「レジリエンス・キッズ」を育てる技術を紹介した1冊。どんなタイプの子どもにも有効なトレーニングばかりです。毎日3分、親子で取り組んでみませんか?『子どもの「逆境に負けない心」を育てる本』「挫折しやすい子」「キレやすい子」「すぐあきらめる子」が変わる!レジリエンス教育の第一人者による実践ワークブックです。日本の学校でも効果が実証済みの教育プログラムをイラストとともに説明しています。『イラスト版 子どものレジリエンス』著者は、子どものレジリエンス研究会代表の上島博氏。「気持ちを言葉にしよう」や「ストレスをパワーに変える」など、落ち込んでいる気持ちを回復させる方法がたくさん書かれています。子どもと一緒に読みたい1冊。『ヘコんでも折れない レジリエンス思考』健康心理学が専門の医学博士・小玉正博氏が「レジリエンス」について詳しく解説。また、ストレスから心を回復させるための思考法も事例とともに紹介しています。鋼のような強い心ではなく、復元力に富む「しなやかな心」をつくりましょう。***変化の激しい時代を力強く生き抜くために、「レジリエンス」はこれまで以上に必要不可欠な能力と言えるでしょう。レジリエンスを育むためには、子どもに大きな影響をもたらす大人(親)のレジリエンスを高めることも重要です。親子一緒にレジリエンスを鍛えていきましょう。(参考)一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会|JPPA認定 第3期レジリエンス・トレーニング・コースのご案内SHINGA FARM|子どもの「心理的レジリエンス」を高める3つのコツとは?AllAbout|子どものレジリエンスを鍛える10のコツ!逆境を跳ね返す力とはベネッセ教育情報サイト|乳幼児から育む、折れない心【前編】困難に負けない、レジリエンスとはベネッセ教育情報サイト|乳幼児から育む、折れない心【後編】レジリエンスを伸ばす保護者の働きかけとは朝日新聞 EduA|逆境に負けない心、「レジリエンス」を育てるには他人に助けを求める能力も身につけて一般法人日本セルフエスティーム普及協会|レジリエンス(折れない心)は自己肯定感でつくる日経DUAL|レジリエンス、しなやかさ、負けないメンタル…「心が強い子」の育て方|レジリエンスを育むにはこの気質を理解することから個別指導塾スタンダード|どんな困難にもくじけない!我が子のレジリエンスを鍛えるには?STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|劣等感を自尊心に!寝る前に親子で実践、「レジリエンス」の簡単トレーニング法STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|子どもの「レジリエンス」を高めるのは、親子の会話。結果ではなく“挑戦”を褒める!
2021年01月20日多くのご家庭の悩みごとは?反抗的、ゲーム・ネット依存、学校での人間関係など小学生や中学生の子どものいるご家庭の多くが、子どもが言うことを聞いてくれなかったり、反抗的な態度に困ることがあります。「勉強を全然してくれない。学年が上がるごとに成績がどんどん下がってきているのに、まったくやる気を出してくれない」「ずっとゲームばかりしている。そのせいで夜更かしになり、朝は起きれず、遅刻してばかり…」「学校での人間関係がうまくいっていないみたい。学校に行きたがらず、休みがちになってきた」せっかく子どもの気持ちも尊重したいと思っても、何を悩んでいるのかわからなかったり、本人にやる気がないように見えてしまうこともあります。そのせいで、保護者としては学校と子どもの板挟みになってしまうこともあるかもしれません。小・中学生は「自分のできないこと」を自覚し始める時期。放っておく・見守ることも一つUpload By LITALICOライフ発達障害のあるなしに関わらず、小・中学生は「自分はいくら頑張っても無理だ」などと現実の壁を意識するようになる時期です。クラスメイトと比較して自分の容姿を気にしたり、できないことにショックを受けることもあります。発達障害のある子の場合は、社会のルールや人間関係に苦手意識を持ち、失敗や挫折を重ねてしまいがちです。そういったままならなさや自立心の芽生えによって、大人の言うことを聞かず、反抗的になることがあります。保護者としてははがゆいかもしれませんが、重要なのは子どもが自分で決めて、行動できるようになることです。その場で「もうやめなさい」と言うのではなく、事前にルールを話し合って決めることが大切です。保護者としてなぜゲームやネットをしすぎてほしくないのか、一日どれくらいならOKなのか、意見を整理したうえで、「一日何時間」など約束をします。約束をしたのにすぐには守れないこともあるかもしれません。どうすれば決めたとおりにできるのか、一緒に考えたり、ときには問いかけながら見守るのも一つです。子どもはなかなか自分の思ったように行動ができません。「もう〇年生なんだから」「これくらいできるようにならないと」とつい言いたくなってしまうこともあるかもしれませんが、ぐっとこらえて辛抱することも大切です。保護者も子どもも意見が合わず、心が疲れてしまいやすい時期です。子どもの良いところをたくさん見つけて褒めることで、お互いの気持ちが楽になることもあります。話し合いが難しい場合も、褒める言葉や感謝の言葉であれば、耳を傾けてくれるかもしれません。監修:古川 圭介(株式会社LITALICOライフライフコンサルタント。心理カウンセラー。発達障害のある子ども向けの教室にて子育てが楽になるペアレントトレーニングを、のべ3,000家庭以上に実施。)保護者ができる見守り方は?「こうなったらどうしよう」を整理しておくよりお子さまに合った環境・選択肢を整えることも保護者だからこそできることの一つです。例えば下記のようなことが気になったときに、より合う環境を選ぶ、いざというときの指針にできるかもしれません。・学校に行きたがらない意思は尊重してあげたいけれど、内申点はどうなるんだろう?・中学校進学に向けて通級か支援級か悩ましいけれど、そもそも地元の中学校はどのような体制なんだろう?・子どもの夢や楽しみになるような、高校以降の進路や仕事はある?先々の「悩みやすいポイント」や最新の進路情報が、勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「中学・高校の選択と今からできる準備」では、発達障害のある子にあった進路の選択・特長を知ることができます。 今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話しています。また、より現実的に情報を活かしていただけるよう、勉強会の各都道府県版では、都道府県ごとに下記の情報も紹介しています。【こんな情報が都道府県ごとにわかる!】・中学校の選択肢(公立支援学級の仕組みや私立中学の特徴など)・高校の選択肢(公立高校の取組み、通信制高校の事例、高等専修学校、特別支援学校高等部など)・高校以降の就労、自立に関してLITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニングをサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年01月19日’19年の取材時に「2020年は破綻と崩壊の年になる」と、コロナ禍による混沌を予言するかのように警鐘を鳴らした江原啓之さん。その混迷の先にたどり着いた’21年はどんな年になるのか。どう生きれば、幸せをつかめるのか。幸せへの近道は、まず“家族の悩み”を解決することから。家族の問題に向き合う読者の悩みに、江原さんが優しく、時に厳しくお答えします。■「浮気を許す妻」が偉いのでしょうか《コロナ禍で夫婦ともに自宅勤務推奨になり、気付いてしまったのが夫の浮気。昼間からメールが頻繁に届くのであるときスマホをのぞくと、相手は仕事関係者らしく、文面を読むとどうも深い間柄のよう。問い詰めると「結婚した途端に自分に接近してくる女性がいるなんて」と謝罪されましたが、私たちにはまだ子どももなく、マンションは賃貸。「許す」「許さない」の線引きをどうすればよいのか、わかりません》(37歳・東京都・デザイナー)相談者の方がもし「許せない」「憎い」というのなら、それは愛しているからなのでしょう。芸能人の場合、仕事のかねあいもあるので「許す妻が偉い」というわけではなく、事態を収束させたいという狙いもありますよね。愛の反対は無関心です。浮気が発覚しても「そうですか」と言えるのなら、それは愛していないから。「許せない」ということは愛情があるからで、非常に苦しい思いをしなければなりません。しかし、憎むことは負のエネルギーを使い、疲弊し、やがて自分にもはね返ってきてしまう。ですから選択肢は「許して前に進むか」「許して別れるか」、ふたつにひとつです。どちらにしても憎まず許すこと。そのうえで、愛する気持ちと許せない気持ちを天秤にかけて、それでも愛が勝るのであれば、自己憐憫に浸るのはやめましょう。許したなら「2度目はないからね」と伝えて、その件にはその後、一切触れないことです。そもそも出会いは宿命で、相手と結婚することは決まっていました。しかしその後、どう紡いでいくかはあなた方次第。夫婦だ家族だといっても、たましいのレベルでいうと同じ課題を持って修行するクラスメートのようなもの。与えられた課題を終えたのだと思えば卒業する。今生で同じ学びを続けようと思えるのなら、お互いを応援するクラスメートであり続ければよいのです。■「ひきこもりの息子」と向き合えません《昨春からリモートワークが多くなり、ひきこもりの息子と四六時中、一緒にいるようになりました。私はシングルマザーで、息子は中学1年で不登校となり、いまは3年生。これまで見て見ぬふりをしていましたが、昼間、何をしているのか、こっそり部屋をのぞいてみるとアダルト動画をよく見ているようです。私が出会い系アプリにはまっていることも悪い影響を与えたのだろうかなど、いろいろ考えてしまいます》(30代・群馬県・保険会社勤務)母親というものは子どもにとって太陽のような存在であるべきで、我が子を燦々と照らす存在にならなければなりません。子どもとは植物と同じで、太陽に向かって伸びていくもの。家庭のなかに明るさと喜びがないと子どもは枯れていくばかりです。結局、お子さんはあなたのあり方が映し出されている“合わせ鏡”なのです。息子うんぬんではなく、まずはあなたから変わること。そして見つめ直してほしいのは「あなたはお子さんを愛していますか?」ということ。あなたの質問を読むと、自分のことさえ愛しているとは思えません。自分を愛していたら、建設的な生活をするでしょう。お子さんのひきこもりをどうにかしたいのであれば、第三者に頼ることも必要ですが、まず自分です。まずは親子で日の出とともに起床し、太陽の光を浴びて生きることを目指してください。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月18日勉強が得意ではないいっちゃんと得意なタケル1歳の頃から絵を描き、歌をつくってきたいっちゃん…。いわゆる「お勉強」はあまり好きではありません。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ対してタケルは小学校では「ハカセ」と呼ばれていたようなタイプ。Upload By 寺島ヒロ小さい頃からなんでも記憶するのが得意で、中高生向けのビジネスプランの大会やゲーム大会でも良い成績を残してきました。テストの結果などでいい成績を残すことは、進学を考えるうえで大変重要。実際、タケルは1年の1/3以上遅刻をしていましたが、テストの点数でカバーして大学の推薦を出してもらえたこともあるのです。体調不良や粗大運動の困難さえも「理屈を勉強して、対処すればなんとかなる!」と力技で乗り切ってきたタケル。そんなタケルにとって、いっちゃんは大変頼りなく、心配な妹のようです。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ睡眠障害がふたりの勉強時間を阻む!しかし…睡眠障害もあるいっちゃん、お兄ちゃんとなかなか時間が合いません。お兄ちゃんも決して暇ではないので、自分のもろもろの用事を済ませてからいっちゃんに声をかけるのですが、そのときにいっちゃんが暇とは限らないわけです。普段のいっちゃんは、すごい集中力で何かつくっているか、寝ているかのどちらか。ちょうどいいタイミングで声をかけるのは大変です。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロそれはともかく...。全速力で走って倒れるような毎日ですが、充実した生活を送るいっちゃんを見ていると「学校の勉強は大事!今やっていることをすぐにやめて、お兄ちゃんと勉強しなさい。」と言いにくいんですよね。絵を描いている時や音楽の打ち込み(最近『GarageBand』を使うようになりました)をしているときには、普段全く人の顔色を見ないお兄ちゃんも話しかけることをためらいます。それほどの集中力なのです。寝ているときにはたまに起こそうと努力していますが…起こそうとして起きるならそもそもこんな苦労はしないのです。どうにもできないなら活かせない?いっちゃんのそんな状況を見て、「そこまで好きなら、例えば絵や音楽を専門にする学校に行けばいいのでは?」と言ってくださる方もいます。しかし、どんな学校であろうと基本的には登校せねばなりません。それに、いわゆる「芸術系の学校」は朝から晩まで絵を描いたり、歌を歌っているイメージがありますが、実際のところは普通教科にプラスして実技があるという感じです。実習などに時間を取られる分、リベラルアーツな科目の時間は凝縮されており、1回休むと大きく点数を削られます。私も芸術系の学校出身なのですが、私の行っていた学校は授業を2回休むとアウト、1年分の単位が出ませんでした。私も睡眠障害があったので、しばしば朝の授業に間に合わず、留年もしています。単位取得の難しさを考えると積極的に勧める気にはなれないというのが正直なところ。では、どうするか…?実のところ、まだこれといった結論は出ていません。ただ、どんなところでもいいから入れそうな高校に在籍し、18歳にこだわって高卒の資格を取得することを目指すのは、なんとなくいっちゃんには合わないような気がします。元々中学校からはみ出しているので、いれものを用意すればそれに合うように収まるということもないでしょう。オンライン授業やリモートワークが急速に普及したこの一年で、「何がなんでも朝起きて登校、出勤すべし!」という圧力を、以前に比べて明らかに感じなくなってきました。来年ではないかもしれませんが、登校をせずに高校で学べる日も遠からずくるかもしれません。そう考えると無理に中学を卒業したらすぐ次の学校へ入れる必要も、もしかしたらないのかも…と思えてきました。のんびり…とは、さすがにいきませんが、社会情勢も見ながら、いっちゃんが納得する道を焦らず探っていけたらと思う今日この頃です。Upload By 寺島ヒロ焦らない焦らない。これも親修行…。
2020年12月31日発達ナビPLUS会員の”うちの活用術”をお届け!「ほっとして泣いてしまいました…」「目から鱗でした!」「2~3回読み返しました!」などの反響を多数いただいている発達ナビPLUSの個別ケース相談。発達ナビPLUSでは、お子さまやご家庭の個別の状況を踏まえて、個々の困りの原因分析と適切な手立てを回答する個別ケース相談に加え、視聴し放題のオンライン勉強会、子育てヒント動画、ダウンロードし放題の特別支援教材といったサービスが毎月自由に使えます。今回は、発達ナビPLUSを利用中の保護者さま2名それぞれの使い方や使ってみての声をご紹介します。※匿名性を担保するため、一部の内容や流れは改変しておりますのであらかじめご了承ください。オンライン勉強会の動画をパートナーにも見せたことで、子どもへの接し方の共通認識にUpload By 発達ナビ編集部● 佐藤さま(仮名)【お子さま】小学2年生/通級利用/放課後等デイサービス利用【発達ナビPLUS入会当初のお悩み】・宿題に一人で取り組めない・やりたくないことがあると癇癪に・物を投げる、妹への暴言、他害も・親のアドバイスを受け入れない-発達ナビPLUSをご利用いただくきっかけは?夏ごろから、学校への行き渋りが出てきて不登校気味になっていました。家にいても、妹にあたったり、部屋を荒らしたりと…特に宿題など勉強を一人でやらず、教えようとすると対処ができないほど暴れていました。放課後等デイサービスは週1回利用しているのですが、あまり頼るところが分からず…それがきっかけでした。-発達ナビPLUSはどのように活用していますか?最初にオンライン勉強会に参加しました。こちらは、顔出しもないので気軽に参加しやすく、事前に質問を送って当日の講義で答えてくれるのも嬉しかったです。心理士の先生の「癇癪、暴言、自傷、他害との付き合い方・接し方」では、この時期、発達に特性がある子が心と体のバランスを取ることの難しさや、課題の具体的な理由分析、いくつかの対応方法まで学べました。特に良かったのは、パートナーにもオンライン勉強会の過去動画で同じ内容をみてもらったことで、子どもへの対応について共通認識を持てたことです。視聴後に接し方のスタンスを話し合い、夫婦でお互いによくなかったこと、これから実施することを決めてチャンレジしています。参加したことで、学習障害の可能性も感じ、個別ケース相談で相談することにしました。自分たちだけでがんばらない!具体的な提案と寄り添った回答に自信を取り戻せました!Upload By 発達ナビ編集部-個別ケース相談の申し込みはどうでしたか?書くことがそこまで得意ではないのですが、相談フォームに質問項目が整理されていることで、状況を整理する良いきっかけになりました。-専門家からの回答はどうでしたか?まず量にびっくりしました(笑)。思ったより細かい内容で、夫婦で2~3回読み返しました。自分たちがしてきたことで子どものためになっていた対応とその理由も具体的に説明いただき、ほっとして泣いてしまいました…ねぎらいの言葉もありがたかったです。なんというか、優しかったですね。思いがけない子どもの特性など新しい気づきもありました。本人も自覚してない感じで、こっちで気づくきっかけがもらえたのは本当によかったです。できないところばかりに目がいきがちですが、得意なところもあることが分かり、今までの方法では学習を無理強いさせていたかもしれないと気づかされました。子どもの認知の特性と理解のしやすさについて、いくつかの仮説とそれぞれの手立てをいただいたので、より合った方法をこの後の1ヶ月試してみたいです。また、放課後等デイサービスや教育機関への相談の仕方、助けてもらえる福祉・教育の範囲を初めて理解したので、今までより見通しがたって気持ちが楽になりました。抱え込まずに頼れる部分は頼っていこうと思っています。-今後はどのように発達ナビPLUSを活用していきますか?今回は学習について個別ケース相談をしましたが、学習面以外でも色々な分野に関して相談できるとわかったので、来月にきょうだい間のトラブルに関して相談したいと思います。頼れる人がいない…近所からの苦情がこないかおびえる日々Upload By 発達ナビ編集部● 新田さま(仮名)【お子さま】年中/診断なし/児童発達支援利用【発達ナビPLUSに入会当初のお悩み】・こだわりが強い・思い通りにならないと癇癪を起こす・幼稚園で暴れることもある・偏食がひどい-発達ナビPLUSをご利用いただくきっかけは?子どものこだわりが強く、思い通りにならないとすぐに癇癪を起こします。登園してすぐにすべり台で遊ばないと気がすまず、やることの順番が変わると大癇癪。また、その日の予定が少しでも変わったときも泣いて大暴れし、園に行けないこともしばしばあります。偏食もひどく、食べられるものが2~3種類しかないため、毎日の食事作りが苦痛でした。児童発達支援の先生には相談できる時間がなく、話せたとしても立ち話で10分程度。あれもこれも聞ける余裕はありません。頼れる人が他にいればよいのですが、パートナーは単身赴任で家におらず、家のことはすべて自分でやらなければならない状況です。最初は必死にサポートしていましたが、最近は疲れ果ててしまい、子どもが激しく泣いても何もせず立ち尽くしてしまいます。ただ子どもの声でいつかご近所から苦情がくるかもしれないと思いますし、やっぱり何とかしなければとは思うのですが、解決の糸口など見つけるすべもなく…憂鬱でたまりませんでした。そんなときに、見つけたのが発達ナビPLUSでした。心理士の方やOT・STといろいろな専門家の先生方に相談できることが決め手でした。もらった仮説から分かった…癇癪の原因は過敏さだったUpload By 発達ナビ編集部-発達ナビPLUSはどのように活用していますか?元々人と話すのが苦手だったので対面だと聞き忘れてしまったり、言われたことをメモできなかったりしていたので、個別ケース相談をすぐに使わせていただきました。-専門家からの回答はどうでしたか?保護者の私へのいたわりの言葉をかけてくださったことに感謝します。いつも「何とかしなければ」で頭がいっぱいだったのですが「頑張りすぎるくらい頑張っている」という一文に、救われました。児童発達支援以外にも、使える福祉支援が複数あることは知りませんでした。さっそく教えていただいた具体的なサービスについて区役所に利用を問い合わせてみます。アドバイスにあった、癇癪の原因の分析のしかたはとても参考になりました。確かに妹の泣き声や小さい子の声で耳を押さえて辛そうにしています。相手が嫌い、の意思表示かなと思っていたので、苦しさまで想像が及びませんでした。いただいた仮説から、冬服になってから服を着るのを嫌がるのも、感覚の過敏さかもしれないと思い、機嫌の悪い日に着ていた服を交換したら拍子抜けするほどすんなり着替えてくれました。でも本人も何が苦しいのか自覚できてなさそうなので、引き続き様子を見て相談させてください。偏食と予定の見通しの付け方についても、いただいた提案を早速試してみたいと思います。子どもの味方でもありつつ「私のサポーター」としての言葉で返してくださるのが嬉しいです。【無料】体験会で、お得なクーポンGET!Upload By 発達ナビ編集部発達ナビPLUSでは、無料のサービス体験会を随時開催しています。個別ケース相談の回答例や、オンライン勉強会の一部を視聴するなど、詳しくサービスについてご理解いただくことができます。チャットでスタッフに質問することもできます!さらに、オンライン体験会にご参加いただいた方には、初期コンテンツ利用料が【 50%OFF 】のクーポンをプレゼント中!イラスト:かなしろにゃんこ。
2020年12月27日北海道放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaディードジュニア札幌では、「未来につながる成長体験を」をコンセプトに、中学生~18歳前後の発達障害のあるお子さんで自身の特性を生かしたい方、不登校の方などを対象として、就職や進路実現の準備をサポートする放課後等デイサービスです。「生きる力」につながる3つの力、「はたらく」「くらす」「つくる」の力を伸ばす豊富なプログラムがあり、グループ会社でのさまざまな就業体験もできます。挑戦の先には失敗もありますが、失敗しても次に向けて一緒に考えて支援するスタッフがいます。スタッフや仲間、学校や社会とつながりながら、成長し合い、自立をめざせる場です。北海道の放課後等デイサービスをもっと見る福島県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaユニバーサルプレイス きっずでは、就学児が学校授業終了後や長期休暇中に生活能力の向上のために必要な訓練や、社会との交流の促進など多様なメニューを設け、ご本人の希望を踏まえたサービスを提供しています。家庭や学校をイメージした環境の中で療育をし、お子さん自ら自分で考え行動する主体性・自主性を尊重しながら、見守る支援を大事にしています。またお休みの日には外出やイベント等様々な体験をし、保護者様サポートとして定期的な面談や交流会等を開催しています。福島県の放課後等デイサービスをもっと見るUpload By minami.shiozawaユニバーサルプレイスりとるは、未就学児を対象に、日常生活における基本的動作や知識や技能の習得や、または集団生活への適応のための療育や生活の自立の為の支援を行っています。特別支援学校や保育士等、経験豊富なスタッフが日々自身も勉強しながらお子さまの個性や特性に合わせ、できる事やりたい事を支援する中で、自己肯定感を育みます。事業所のこだわりは、発達期から積極的に色々な事にチャレンジし、就労まで一貫して療育が行えるという「将来を見据えた支援」です。福島県の児童発達支援事業所をもっと見る東京都放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaピースホームタウン駒沢では、運動をメインとし、理学療法士と作業療法士が作成した運動療育のプログラムを用意しています。まずは基礎的な身体作りを行い、脳の発達を促す運動を取り入れることで身体能力や運動神経を向上させることを目指します。また、落ち着きのなさ、動作のぎこちなさなどの発達の遅れの問題に対し、感覚統合の考え方をもとにした運動も取り入れています。その他充実したプログラムでお子さんの「できる!」を増やせるようにスタッフが精いっぱいサポートします。東京都の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaシュウエール 宮前区平第2では小2・小3を中心とした「コミュニケーション能力の向上」と「学習の支援(主に授業の補習)」を、子どもたちの様子を見ながらサポートしています。ソーシャルスキルトレーニングでは、数名のグループを作り、コミュニケーションカードゲーム等で自分の意見を発表します。学習面では毎日少しずつスモールステップで進め、少しでも出来るようになった事をほめて自信につなげてあげる事が大切です。なのでシュウエール 宮前区平第2では、お子さんが学校で習った事の理解度を把握し、つまずいている部分を見極め、前の学年との関連があればそこに戻ってあげるといった工夫を行います。熱心なスタッフがお子さんについて精一杯サポートします。Upload By minami.shiozawaシュウエール等々力緑地は学習塾運営の指導ノウハウを生かし、学習支援を中心に療育を行っている事業所です。障害特性に合わせた、読み聞かせやワーク、語彙力を高めるゲームなど、楽しみながら学習の習慣が身につくよう支援するとともに、学校授業の補習・進学アドバイス等も行います。その他にも、サーキットトレーニングなどの運動や、コミュニケーション能力向上を目指したソーシャルスキルトレーニングなど、様々な療育プログラムを実施し、興味と関心の幅を広げていきます。できる楽しさを大事にしながら、経験豊富なスタッフがお子さんに合わせてサポートします。Upload By minami.shiozawaきっずあいらんど港南台教室では、学校の宿題への取り組み・個別プログラム・運動プログラム等を行っています。運動プログラムでは、「36の動作」を基本に、お子さんの興味・関心を引きながら、バリエーションを豊富にした運動サーキットに挑戦し、今できることを伸ばし、「またやりたい」とより楽しく活動ができるように楽しみながらからだを動かしていきます。お子さんが、幼児から中高生になるまで一貫して療育ができる多機能型施設となっており、一人ひとりの成長を観察して療育方針を決定、社会性や協調性を培っていくことを目的としています。Upload By minami.shiozawa放課後等デイサービス ハミングバード荏田西では、広い庭で野菜やハーブを育てる体験や、生き物を飼育し共存の仕方を学ぶなど、自然や生き物と関わる中で、季節を感じながらゆったり・じっくり自分と向き合う時間を作りつつ、お子さんの感受性やコミュニケース力を身につけられるよう支援しています。他にも学習が不安なお子さんのために、宿題学習を始め、プリント課題にも取り組み、成績向上を目指しサポートしています。セラピードッグと楽しい時間を過ごしながら、経験豊富なスタッフが支援します。神奈川県の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県児童発達支援事業所Upload By minami.shiozawaヨリドコロ横浜妙蓮寺では、「アートデザイン療育」という正解不正解のない色彩をベースとしたカリキュラムを通し、子どもたちの表現力や創造力を養い、無限の可能性を引き出していくサポートをしています。また、毎回のおやつ作りでは、実際に食材に触れ、楽しみながら食材を切ったり、焼いたり飾り付けたりと、食べる事への興味関心を作るきっかけとなっています。お子さんの現状をしっかりと把握したうえで、「現段階でのお子さんの成長にとって何が一番良いのか」をご家族と一緒に追求し、楽しく個性を伸ばせる環境作りを心がけています。神奈川県の児童発達支援事業所をもっと見る埼玉県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa放課後等デイサービスぱすてるでは、運動療育、買い物体験や調理実習、遠出の外出等、幅広く支援・体験ができる場を提供しています。その中でも最新の支援として、VRを活用した発達支援プログラムがあります。ソーシャルスキルトレーニングをより実践に近い状態で体験することができ、効果的な療育をすることができます。喜びや達成感をみんなで共有できる支援を行い、お子さんの「楽しい!」「またやってみたい!」を大事にしながら子どもたちの可能性を引き出し、将来に繋がるような支援をスタッフ全員で提供していきます。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る千葉県児童発達支援事業所Upload By minami.shiozawaてらぴあぽけっと柏教室は、2021年2月にオープンする新しい事業所です。ABAを取り入れた個別療育を行っており、お子さんの発達段階に合わせて「たくさん・小さく・確実に」を心掛けています。発達段階に合わせた825項目からなるプログラムから、日々目標達成できるようスモールステップでのプロセスを見つけ、その日一緒になるセラピストがマンツーマンでお子さんの成長を見守ります。小集団活動も取り入れ、教室外・ご家庭でも養育に役立てられるよう、保護者との連携をとりながら、日々研修に励んでいるセラピストがサポーしています。千葉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa放課後等デイサービスKurumiでは、主に4つのプログラムからお子さんに応じた支援を行っています。学習では宿題を中心にサポート、運動では筋トレ、ストレッチ、生活では制作活動を通して療育を通して見通しを持つことや、集中力、創造力を養います。社会では集団の中で大事になってくるソーシャルスキルトレーニングやジョントレーニング等、ルールや気遣い等を学びます。子ども一人一人の個性やニーズを的確に把握し、主体性と自己肯定感を尊重し、成長や学びにつながる活動から達成感と満足感が得られるような療育に取り組んでいます。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る福岡県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa療育支援エフ原北教室では、お子さんの将来の可能性を広げ、しっかりとした就労や自立した生活をイメージし学齢期からの積み上げを目的とした療育を行います。具体的には、個別のカリキュラムのもと、テキストやタブレットを使い、将来の就労スキルのベースになる脳機能向上のトレーニングとソーシャルスキルトレーニングを行うことで、学校生活での困りごとや将来の不安を解消していきます。苦労する場面、身に付きにくい能力も熟知した経験豊富なスタッフがお子さんをしっかりとサポートします。福岡県の放課後等デイサービスをもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2020年12月26日学校に行かない道を選んだけれど不登校生活をはじめたむっくん。家庭の中では少しずつ落ち着きを取り戻し、表情も明るくなっていきました。しかし、私が「一緒に出掛けてみるのもいいかも」と思い、誘ってみると渋い顔...。どうやら周囲から「どうして学校に行かないの?」と聞かれることを想像して怖がり、外出に踏み出せないようでした。Upload By ウチノコそこで、もし聞かれたらどう答えるのかをむっくんと決めることにしました。むっくんと一緒に決めておけば、私が誰かに説明するときも安心できます。そこで、私たちは「行かない理由」「今後への気持ち」「周りにどう接してほしいと思っているか」の3点を説明できるようにしました。また、聞かれることが嫌ならば、出会う可能性の高い人、関わりの深い人にはこちらから先に説明しておけばいいかも!と思いつき、直接伝えることにしました。Upload By ウチノコ周囲へ伝える最初に、4歳の弟に伝えました。むっくんと決めた3点に加えて、弟にも疲れたら保育園を休めるんだよということを伝えました。兄が休んでいることを知ったら、保育園に行かなくなるかもと内心不安でしたが、園が楽しい弟は今のところそういうこともありません。それでも、弟は今後も影響を受けることが多いと考え保育園にも事情を説明し、弟の様子に変化があれば教えてもらえるようお願いしておきました。Upload By ウチノコまた、むっくんには同じ小学校の2年生に「よっちゃん」といういとこのお姉ちゃんが居ます。小さなころからずっと一緒で、登下校も一緒、一番近い存在です。早速伝えてみると・・・Upload By ウチノコUpload By ウチノコUpload By ウチノコよっちゃんをはじめむっくんの友達は、仲の良い子が急に来なくなって、きっと不安や心配を感じていたでしょう。そして、学校へ行かないという「自分と違う選択」を聞くことで、戸惑いや驚き、寂しさ、羨ましさなどさまざまな感情を抱くことも当然だと思います。もし、よっちゃんの「どうして?」という言葉に、私が一方的に説明を続けていたら、よっちゃんの心に芽生えたモヤモヤはむしろ広がるばかりだったかもしれません。伝えるということは、こちら側の事情だけを一方的に説明して理解を求めることではなく、その話を聴いた相手の心にも寄り添う必要があるということを私は教えてもらいました。まず、小学校の先生に「お友達には正直に不登校のことを伝えたい」という私達の思いを伝え、同時に「もし子どもから質問があれば正直に答えていただいてかまいません」ということもお伝えしました。そして、いよいよお友達に「学校に行かないこと」を伝えます。クラスメイト、交流級の仲良し同級生、登校班の上級生・・・反応はさまざまでした。Upload By ウチノコ伝えた後は、その子自身の感情に焦点を当て、傾聴し、気持ちを汲んだり、努力を認める言葉かけを意識したりしました。子ども達の話を聴いていると、むっくんのように休む選択も大変だけれど、学校へ毎日行くこともやっぱり大変で。「みんなとっても頑張っているんだなぁ」と感じました。日々頑張っている子どもたちみんな、たくさん褒めてもらえていたらいいなぁと思っています。Upload By ウチノコ子どもだけではなく、連絡先を知っているクラスメイトやお友達の親御さんには直接お会いしたり、メールなどを使って連絡したりしました。私自身も伝える前は何とも言えない不安があったのですが、えいっ!と伝えてみると、皆さん優しい反応で・・・今も偶然出会えば、「元気にしてる?」とむっくんの頭をなでたり、以前と変わらず接してくださって。その優しさに、私はとても救われています。Upload By ウチノコ伝えたことで得たもの周囲に伝えてから、少しずつ外出できるようになったむっくんですが、調子は上がったり下がったり。相変わらず周囲の目を気にする日もあります。Upload By ウチノコそれでも週に1時間の登校では、クラスの子ども達は今までと変わらず(むしろ前のめりに)接してくれて、友達も偶然道で会えば駆け寄ってきてハイタッチ。温かい言葉をかけてくれた上級生もいました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコ不登校開始から2か月たった今は、夕方に公園で下校後の子ども達と野球や鬼ごっこで遊ぶ日もあります。学校に行かなくても、みんなと同じではなくても、友達はむっくんを受け入れてくれる。今のこの経験はむっくんの人生にとって、財産になるとても大切なものだと感じています。当初私も「不登校になれば、友達と縁が切れるかもしれない」と、不安を抱いていました。だけど、学校に行かない現在も変わらず友達はむっくんに成長と変化をもたらしてくれているのです。Upload By ウチノコもし学校に行かない理由や、どう接してほしいと思っているのかを伝えていなければ、お友達もむっくんへの接し方がわからず、疎遠になっていたかもしれません。皆に直接、正直に思いを伝えたことが信頼を生み、今の程よい関係を生むことに繋がったように感じています。成長するということ今、周囲の子ども達は自分とは違う道を歩くむっくんを、その子たちなりに理解し、どう接していくか模索しているように感じています。距離が開いた子もいれば、新しく友達になった子も、距離が近くなった子もいます。むっくんにも、怖がっていた周囲の子からの「どうして?」に理解してもらいやすい伝えかたを模索する様子が見られています。そんな子ども達それぞれが歩み寄り、時に距離をとり「ちょうどいい」を探す姿に、私は頼もしさとほほえましさを感じています。むっくんを見ていると、何を選択をしても、人は常に学び、前へ進んでいくのだなぁと感じます。むっくんには悩みながらも自分の選択に胸を張り、堂々と歩いていってくれると嬉しいなと私は思っています。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月22日子どもを勇気づける「親の失敗体験」出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』他、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。子どもが落ち込んでいるときや失敗したとき、親はなんて声をかけていいのか、戸惑ってしまうこともありますよね。かける言葉が見当たらないこともあるし、励ますつもりだったのに、なぜか怒らせてしまう結果になったり…。こんなときには、まずは子ども自身の話を否定せずに「うん、うん」「そっか、そっか」と、最後まで聴いてあげるのがいいと思いますが、それでも気持ちを引きずってしまう場合などに、親ができる"とっておきの秘策"があるんです。それは、親自身の「失敗体験」を話してあげること!特に繊細な子や、失敗体験が多くなりがちな子などの場合、話のタイミングやその子の受け止め方によっては、親の立派な武勇伝や学歴自慢、成功体験などは、かえってプレッシャーになることもありますが、親の失敗体験やしくじりエピソード、黒歴史、短所や欠点についての話なら、ほぼ「ハズレ無し」で、どんな子も勇気づけ、元気にすることができると思います(うちの経験上!)。それでは、恥ずかしながら”うちの実例”エピソードを、いくつか紹介しますね。出典 : まずは、不器用すぎて失敗が多くなりがちな長男を始め、うちの3人の子ども達になぜか大人気で、もはや定番ネタと化した「クッキーがおもちになった話」から。大学時代、学園祭で私が所属していたサークルは毎年喫茶店を出店していたのですが、そこで手作りクッキーを手分けしてつくり、飲み物と一緒に添えて出すことになりました。私は、お菓子づくりだけはどうしても苦手で、それまで一度も成功した試しがありません。不安しかありませんでしたが、材料も受け取ってしまったし、仲間達に負担をかけるわけにも行かず、仕方なくつくる羽目に…。とはいえ、クッキーはごく一般的な、生地を伸ばして型抜きしてシートに並べて焼くだけの、誰にでもできる"ハズ"の簡単なモノ。もちろん私は、我流のアレンジなどは一切加えずに、レシピに書いてある通りに素直につくったつもりでした。ところが、オーブンレンジを開けて出てきたのは、見事に一枚につながった謎の物体…。どうしてこうなるのか。時間もなく、仕方なしに「ソレ」を四角く切り分けて持っていくと、「な、なんだコレは!」と、ざわつく仲間達。そのうちの勇気ある1人が試食して一言…「うん、おもちだね」。結局、心優しい仲間達が、「クッキーだと思わなければ、意外と美味しいかも?」「モチモチ新食感だね」等と笑いながら食べてくれ、その後も何度か飲み会でネタにされたりもしましたが、今では学生時代のいい思い出です。こんな母の失敗体験を、何かある度に「ねえねえ、あの、おもちの話、して〜!」と子ども達にワクワク顔で迫られ、読み聞かせのように何度も繰り返し話しました。わが子がこんなに喜んでくれるなら、「あの時、失敗して良かった」とすら思えてきます。出典 : 子どものゲーム依存などを心配されるご家庭も多いかと思います。うちは基本的には「やるべきことさえやっていれば、ゲーム時間に制限はつけない(ただし、夜9時就寝!)」というルールです。それでも、特に好きなことに熱中しやすい長男は、オンラインゲームにのめり込み過ぎて心配になることも…。でも、ここで正論のお説教をするよりも、私のしくじりエピソードを話すほうが、ずっと説得力が出るんです。実は私、ちょうど今のうちの子達の年頃に、「パズルゲーム中毒」のようになってしまい、ちょっとヤバかった時期があるんです。私は元々パズルが大好きで、小学生の頃はジグソーパズルやルービックキューブなどに、健全な範囲で夢中になっていたのですが、思春期のころは、ちょうどファミコンブーム全盛期。そして、「上から落ちてくるT字やL字のブロックをキッチリ積んでいって、I字ブロックで一気に全消しする」という、例の元祖パズルゲームに私はどハマリして、もう本当に一日中、ぼーっとブロックを積んでは消し、積んでは消し…と、ひたすら繰り返していました。当時の私は、悶々と悩み続ける事も多く、自分で思考を止められずにしんどかったのですが、パズルゲームに無心で没頭している時間だけは、パズルに必要な部分以外の脳をオフにして、ほっとできたんですね。でも、その結果、ゲームをやめたくてもやめられない状態に…。それで結局、学校の成績が下がったり、ついゲームに手が伸びてしまって受験勉強に集中できなかったりもして、いろんなところに影響が出てしまいました。…こんな私の実体験を子ども達に切々と語ると、結構真剣に耳を傾けてくれるんです。やっぱり、経験者のリアルな話は重みが違いますからね。当然、こんな自分のダメっぷりをわが子の前で晒せば、親としての威厳なんて簡単に地に堕ちてしまいます。でも、だからこそ、子どもと同じ目線で語る言葉のほうが、難しい年頃の子達の心にも、ちゃんと届くんじゃないかな、なんて思います。まあ、長男は「でもさ、もし、かあちゃんがゲームに浪費した時間を勉強とかに全フリしてたら、人生の分岐ルートも違って、オレ達も生まれてなかったかもよ。だから、今、オレ達がいるのはテ◯リスのおかげ」なんて、言ってくれたりも…。出典 : そして、次男が小学校時代、体調を崩して学校に行けない日が続いていた時に、本当に役に立ったのが私自身の不登校の経験でした。私は、小学3年生のころ、1ヶ月ほどですが、同じように体調不良がきっかけで急に学校に行けなくなったことがあります。だからこそ、本人は「本当は学校行きたい」と言うけれども、どうしても身体が思うように動かないときの気持ちがよーく分かるので、かつて私の母がそうしてくれたように、無理に行かせたり、説得を試みたりはしませんでした。そして、家でテレビをぼーっと見ながら過ごす次男との母子2人の時間に、当時のいろんな思い出話をしました。例えば…「あの頃、かあちゃんはさ、学校って人が多くて疲れちゃったんだよね。いつもザワザワしてるしさ〜、休み時間はちっとも休めないしさ〜」…なんて切り出すと、我慢強い次男も、「そうそう、そうなんだよ」なんて、少しずつ本音や溜め込んだ不満を話してくれたりも。それから、「こういうとき、かあちゃんのかあちゃんがね、忙しい仕事の合間に『何か食べたいものある?』って聞きに来てくれたのが嬉しかったんだよね。で、〇次郎は今、何か食べたいものある?」…と、懐かしい思い出と共に希望を聞くと、嬉しそうにリクエストしたり…と、普段は兄や妹になんとなく遠慮している次男も、時折こっそり私に甘えてくれるようにもなりました。そうしている間に、本当にゆっくり、ゆっくりと、次男の体調は回復していきました。Upload By 楽々かあさんまた、春のコロナ休校が終わり、学校が再開された直後に、朝「行きたくない」と長女の登校しぶりが続いたときも、私の過去の「ズル休みの経験」が活きました。長女は悪知恵を働かせて、朝の検温を愛犬の脇の下で計って、「37.5度」という、なかなか”いい数字”を出して、得意そうに体温計を見せてきましたが、実は、体温の偽装に関しては私もプロなのです(良い子はマネしないでね)。「かあちゃんも小学生のとき、ズル休みしたくてさ〜…」と、当時、水銀体温計で、「心配されて病院に連れて行かれるほどの高熱ではなく、かつ、親が一応念の為、休ませておこうと思えるラインの、ちょうどいい数字」を出すにはどうしたらいいか、あんな方法やこんな方法で試行錯誤したことを話すと、ちょっと尊敬(?)の眼差しを送ってくれました。それから、運動が苦手だった私が「マラソン大会がイヤ過ぎて、毎年前日にお腹を出して寝た」だとか、「運動会が消えてなくなるように、台風の進路に全身全霊で念を送った」だとか、ちょっとカッコ悪い思い出話を気前よく披露すると、苦手な行事を前に沈んでいた子ども達を笑顔にすることもできました。どんなにネガティブな気持ちだって、身近な人に分かってもらえたり、「自分だけじゃない」と思えたりすることで、気がラクになることも結構あるのではないでしょうか。親の失敗体験は財産!出典 : こうして見ると、私は自分の失敗体験やしくじりエピソード、黒歴史…あるいは短所や欠点なども「あってよかった」と、財産のように思えてきます。ちょっとくらい失敗したって、間違ったって、寄り道したって、結構なんとかなるものだし、少々できないことや苦手なことがあっても、ちゃんと大人になれますから。「失敗のお手本」が目の前にあれば、子どもだって思い切って失敗できるハズ。そして、不思議なことに、子どもに自分の失敗体験を話してみると、なんだか親のほうも元気になるんです。それは、「親だって、完璧じゃなくてもいい」「子どもの前で、立派な親であり続ける必要はない」…と思えると、少しだけ”いい親”のプレッシャーから解放されて、肩の荷を降ろすことができるから…なのかもしれませんね。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2020年12月18日凸庵流自分の考えを言語化するポイント出典 : 私はASDとADHDと診断されている30代の男性です。現在とある企業でプログラマとして仕事をしています。職場では自分の考えを相手が理解できるよう伝えられることや、誰かの困りごとに対して具体的な解決方法を提示できることを高く評価してもらっています。私が自分の考えを言語化するときに意識しているポイントは3つあります。1. まず自分が何を感じてどう考えているのか気づくこと2. 自分が感じていることや考えていることに気づけたら、それを自分が納得できるよう言葉にしてみる3. 自分が納得できた言葉を、相手に伝わるような表現にして伝える自分の考えを言語化するためには、相手に伝わる表現にすることも大事ですし難しいポイントにはなりますが、まずは自分が何を感じてどう考えているのか気づくところから始まると思っています。言い方を変えると、自分の気持ちや考えに気づけないとそれを誰かに伝えることができないということです。...なんて偉そうに書いている私ですが、子どものころは自分の考えを誰かに伝えることはまったくできていませんでしたし、その必要性すらよくわかっていませんでした。それどころか「自分が何に対してどう感じていて、何を考えているのか」ということをあまりよく考えていませんでした。みんな私の気持ちがわかってるから自分から誰かに伝える必要なんかないと本気で思っていた子どものころの私出典 : 私が小学生になったころ、周りのひとたちや両親が、いつも自分がやってほしいと思っていたことをやってくれたり、助けてくれたりすることを、とても不思議に思っていました。私が教科書を忘れてオロオロしていたら隣の席のひとが「教科書忘れたの?みせてあげるよ」と言ってくれたり、台所でうろうろしてたら母が「おなかがすいたの?」と聞いてくれたり。いま思えばASDの特性で、私が他者の気持ちを想像できなかったから不思議に思っただけだったのかもしれません。ですが当時の私は、何も言わずとも、やってほしいことや困っていることに周りの人たちが気づいてくれているということが本当に不思議で、一時期本気で「みんなには私の考えが読めるんだろうな」と思っていたことすらありました。そんな当時の私は「周りのひとたちが自分の気持ちを読んでくれるなら、自分の考えを言葉にしなくてもみんなわかってくれるよね」なんてことを考えていました。自分の考えを誰かに伝えなきゃいけないなんて少しも考えていなかったのです。周りのひとはみんな読心術を使えるエスパーだと思っていた私でしたが、小学校4年のころに不登校になったときの出来事をきっかけに、自分の考えはちゃんと伝えなきゃダメなんだと気づくことになります。私が不登校だったのころの詳しいお話は以前記事にさせていただいたので、そちらをご参照いただけますと幸いです。周りのひとも私の気持ちを読むことができなかったんだ…と気づいた母の一言出典 : 不登校のころに母親と言い争っていたとき、私は「母は私の気持ちをわかってるはずなのになんでこんなことをするの?」と思いながら話していました。そのため、話す内容も母親が私の気持ちや考えをわかっている前提になっていたと思います。そんなある日、どんな話をしていたのかは覚えていないのですが、話しをする中で母親から「そんなの言ってくれなきゃわからないよ!」と言われました。私としては「えっ?そうだったの...?」という驚きがあり、しばらく何も言えませんでした。私がエスパーだと思っていたひとたちの中でも特に自分の気持ちを読んでくれていると思っていた母親が、「言ってくれなきゃわからないよ!」と言うなら、他のひとはもっと自分のことがわからないはずだよな...と、このとき初めて自分の気持ちや考えを伝えることの必要性に気づいたのです。そして、少し落ち着いてきていざ自分の気持ちや考えを伝えようと思ったとき、そもそも自分がどう感じているのかがわからないことに気づきました。そのころの私は内省する時間がとても多かったので自分の考えを持つことはできていたのですが、気持ちや感情については「いい感じ」と「嫌だ」くらいしか意識したことがありませんでした。そのため、他者に伝える必要性に気づいてからも、「これはいいんだけどこれは嫌」というような、つたない言葉で自分の気持ちを伝えていたことを覚えています。自分の考えを自分の言葉で話していた思春期の私出典 : 自分の考えは言葉にしないと誰にも伝わらないことに気づいた私は、もう周りの人たちがエスパーだと思ったりはしませんでした。当時の私は、自分が感じたことや考えていることを自分の言葉で率直に話すようになっていました。その際、自分の考えの参考にするために相手の考えも聞きたかったので「あなたはどう思うの?」とよく人に聞いていました。おそらく相手からは「こいつ、よく議論を吹っかけてくるな」と思われていただろうと思います。なんとか自分の考えを相手に話すことができるようにはなったのですが、その後社会人になり、このコミュニケーションの方法でも問題が起こるようになってきます。そのころの出来事も以前記事にしています。自分の考えを言語化できるようになったいまの私出典 : 社会人になりいろいろな失敗をする中で、自分の考えを相手が理解できるように伝える必要があるんだなと気づきました。そのために、いまの私が自分の考えを誰かに伝えるときには、自分がそう考えた背景や理由を相手に伝えるようにしています。先の記事の例でいうと、上司「凸庵くん、これどうやって実装したらいいと思う?」私「○○のようにするのがいいと思います」上司「どうしてそう思ったの?」私「この方法はこういうデータを取り扱うため、この方法だとこういう理由で他の方法と比べて安全ですし、だいたい1週間くらいで実現できるのでこの方法がいいと思いました」のように話すようにしています。相手に察してもらうのではなく、自分の考えをなるべく誤解を与えないよう伝えることが大事なんだなと思っています。自分の気持ちがわからなくなったときには心地いいなと感じることをやってみる!出典 : 実は最近仕事が忙しかったこともあり、子どものころのように自分の気持ちや考えがわからなくなってしまう日々が続いていました。自分の気持ちや考えがわからないと自分の考えを伝えることもできなくなってしまうため、仕事上でもなかなか苦戦する状況が続いていました。そんな中、自分が心地いいなと思う生活をして「あー、いま自分はすごく気分がいいな」と感じていることに気づいたことで、少しずつまた自分の気持ちがわかるようになってきました。少し具体的な話をすると、私はいつも22時以降にお風呂に入っているのですが、ある日たまたま20時より前にお風呂に入った日があり、そのときとても充実感を感じました。「もうこれで寝るだけだ!」と思えて、すごく自由な気持ちになったのです。それからしばらく20時前にお風呂に入る生活をつづけたところ、だんだん自分の他の気持ちにも気づけるようになっていき、こうして記事をかけるくらい自分のことを言語化できるようになりました。まずは自分の気持ちや考えに気づくことがスタート出典 : 私は自分の考えや気持ちを誰かに伝えるときに一番大事なことは、自分の気持ちを誰かに伝えることに意味や価値があるんだと気づくことだと思っています。そしてその次に大事なことは、自分の気持ちや考えに気づくことだと思っています。発達障害当事者の方の中にはこのどちらか片方、もしくは両方とも苦手な方が多いのではないかと感じています。なのでもしかしたら発達障害当事者の周りの方の中にも、当事者の考えや気持ちがわからないと感じている方もいらっしゃるかもしれません。気持ちや考えがわからない当事者の方に対しては、「この本どうだった?」のようにまず率直に聞いてみるのが良いのではないかと思います。そして、当事者の方の回答に「あー、そうだったんだ!○○くんはこういうのが好きなんだね」のように何かリアクションしてあげることが良いのではないかと思います。というのも、子どものころの自分の気持ちになって考えてみると、自分の気持ちや考えを聞いてもらって、その内容にリアクションしてもらうことで「あれ?これって自分が言わなきゃわからなかったのかな?」とか「今度は自分から言ってみよう」と思うきっかけになるかもしれないなと思ったからです。自分の経験がもとになった内容ですが、私の経験が皆さんやお子さんの生活の役に立てば幸いです。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月16日ステイホームの影響もありタロットが密かなブーム。タロット好きで、動画配信でリーディングもする人気声優・歌手の蒼井翔太さんと、タロット界の第一人者である鏡リュウジさんが、タロットの魅力について語ります。セーラームーンの影響で、タロットに魅せられて。鏡さんはタロットに関する著書も多い、その世界の第一人者。そんな鏡さんが「この人のタロット占いはすごい」と一目置く蒼井さんがタロットを始めたのは約1年半前。――蒼井さんがタロットに興味を持ったきっかけは?蒼井:小学校低学年のとき『美少女戦士セーラームーン』のアニメで占いの館に行くという回があって。タロットカードがふわっと立ち上がるシーンを見て、タロットって不思議だな、すごいなと思ったんです。でも興味はあるけど少し怖いなというイメージがあって……。関わったらなんか大変なことになるんじゃないかという妄想から、手を出さずにいました。鏡:ミステリアスでダークなところが、タロットの魅力のひとつですよね。実際は怖いことなんて何もないんですが(笑)。蒼井:その後、RPGゲームのキャラクターがタロットで戦う姿に惹かれて。それで秋葉原の『魔術堂』で購入したのが、「インフルエンサー」という綺麗な絵柄のカード。占う前に、まずはどんなカードがあるのか一枚一枚をずっと眺めて、78枚のカードの意味を全部ノートに本から書き写したりしてました。タロットと対峙すると、自然と言葉が浮かぶ。――今はどれくらいの頻度で占っているんですか?蒼井:カードには毎日触ります。夜寝る前、目についたカードを手に取って一枚一枚じっくり眺めたり、もちろん占うときも。声優のオーディションってひとつの作品で4役受けたりすることもあるんですけど「今日受けたオーディションでどの役が受かる可能性が高いか」とか、そういうのを“一枚引き”でお遊びで占ってみたり。鏡:この前、実際に占ってもらったんですけど、蒼井さんは変な話、多くの占い師さんより遥かにすごい。一枚一枚を眺めるっておっしゃいましたけど、カードへの愛情や理解が深い。それと、自分の心の中を常に内観されていると思うんですよ。だからカードを見たときにインスピレーションがすごく湧き上がる。タロット占いで陥りがちなのが、カードの意味を暗記して、それを無理やり繋げるような棒読みリーディング。でも蒼井さんはそれが一切ない。相手の話や状況をよく聞いたあとカードを並べて、ひと呼吸置いてその間に湧いたイメージと、占う相手へのモニタリングをして自然に結びつけた言葉の選び方が、本当に素晴らしいんです。蒼井:語彙力ないんですよ、僕。小学校から不登校だったし。でもタロットと対峙してると、自然と言葉がイメージで浮かんでくる。カードの意味をノートに書いたと言いましたが、実際占ってみると書いた単語は出てこなくて別のところから湧いてくる感じ。僕にとってタロットはコミュニケーション方法のひとつで、僕ひとりが解釈して伝えるより、目の前の相手と一緒にタロットを見ながら答えを探していくやり方。言い切られたほうが、占ってもらう方は気持ちがいいとは思うんですけどね。鏡:でもそれがタロット占いの理想型だと思うな。プロとして鑑定している方は、それができないことが多い。占いはズバッと当てるものだという期待のプレッシャーに負けて「答え」を出したくなっちゃう。例えば相談者が「結婚できますか?」と聞いたときに、「できます」って言ってあげたほうが楽だけど、そこでイエス・ノーと言い切らない胆力をつけることが大事。――タロット初心者が占いを上達させるコツはありますか?蒼井:本でもYouTube動画でもいいからたくさん触れて、その中でいいと思う人がいたら、その人の占いをいろいろと見てみるのがいいんじゃないかな。鏡:体系的な占いの中ではタロットっていちばん新しいんですよ。だから覚えなきゃならないことなんて本当は一切ないので。好きなカードを買って好きなように占えばいいんです。蒼井:あとはやっぱり、一枚一枚カードを見ること。体調が毎日変わるように、カードもその日によって見え方が違う。だから本を読む前に一度カードを眺めて「この絵はこんなふうに見えるな」という自分なりの解釈をしてみる。その上で本と照らし合わせて違っても、カードに対する解釈がひとつ増えたと思えばいい。そうやってカードに対するイメージを増やしていってほしい。あとは解釈を膨らませるためにいろんな漫画やアニメ、映画を見て、知識を蓄える。鏡:昔、チャールズ・ハーヴェイという有名な占星術師の授業で「なるべくたくさんのいい小説と舞台と映画を体験しなさい、そこに面白いことが詰まっているから」と言われたんです。蒼井さんと全く同じ。そうやって自分の中の引き出しを増やすと解釈に柔軟性が出ますよね。――タロットから影響を受けたことって何かありますか?蒼井:タロット一枚の絵でもいろんな解釈があるように、例えば嫌なことがあっても、前に進むための壁なのかもしれない、とひとつの出来事を多面的に見られるようになりました。鏡:それがタロットに限らず、占いの最大の効能かも。状況を「愚者」の立場から見たら、「皇帝」の立場から見たらどうだろう、と様々な角度から見られるようになる。タロットは、物事を見るレンズのひとつなんです。あおい・しょうた8月11日生まれ。中性的な容姿と透明感のある声で人気の声優、歌手。2021年1月8日公開の劇場版『美少女戦士セーラームーンEternal』〈前編〉ではフィッシュ・アイを演じる。ジャケット¥45,000(SHAREEF/Sian PR TEL:03・6662・5525)カットソー¥12,000(ADANS/Sakas PR TEL:03・6447・2762)パンツ¥36,000(CoSTUME NATIONAL/コスチューム ナショナル 青山店 TEL:03・4335・7772)ネックレス¥30,000リング¥30,000(共にJOHAN SILVERMAN/TEENY RANCH TEL:03・6812・9341)靴はスタイリスト私物かがみ・りゅうじ心理占星術研究家、翻訳家。英国占星術協会会員でもあり、占星術のほか、タロット関連書籍も手掛けている。著書に『タロットの秘密』(講談社現代新書)など多数。※『anan』2020年12月16日号より。写真・ティム・ギャロスタイリスト・ヨシダミホヘア&メイク・山本隆太取材、文・さかいもゆる(by anan編集部)
2020年12月15日母との確執、長距離通学に疲弊して私は、過労で倒れてまでの受験勉強を経て難関私大に入学したものの、さまざまな二次障害を起こして不登校ぎみになりました。母との確執も合わせ、詳細は過去記事に書いています。交際相手のエスカレートする独占欲私がのちに問題となる男性とつきあいはじめたのは1年次の秋口。年が明けてバレンタインを迎えるころには、私はすでに彼の態度に違和感を感じていました。手作りのチョコレートには、材料の関係でつくりやすい分量があります。レシピに従ってつくったら、靴一足が入る程度の箱ひとつにいっぱいのチョコレートができました。男性に箱ごとチョコレートを渡し、「じゃあ余ったぶんはみんなと分けようね」と言ったら、「嫌だ、俺が全部食う!」と言って箱を抱え込みます。最初冗談だと思って笑っていたら、彼は真顔。私はぞっとして、身体が硬直するのを感じました。同じころから、彼は私が家に帰ろうとすると怒って駅前で大声で騒いだり、停めてある自転車を蹴り倒して威嚇したり、私を脇に抱えて無理やり引きずったりと、暴力的な方法を使って彼の下宿に連れ帰ろうとするようになりました。なんとか振り切って帰ると、夜中に何十回も電話をかけてきます。留守電を聴くと恨みがましい声で死んでやるとか殺してやるとか言い募っている… 私は恐ろしくなって、彼に逆らうことができなくなりました。これはいわゆるデートDVの状態だったと思います。やっかいな人と関わりを持ってしまったと後悔しましたが、ときすでに遅し。私は当時友人も少なく、頼れる大人もおらず、支援ともつながっていない。いまの自分がどのような状態なのかを知るすべもない。総合して私は、彼のような男性との危険な関係性から抜け出すための力を持ち合わせていませんでした。どうしてこんなことになってしまったんだろう朝帰りや外泊を繰り返し、しょっちゅう未明に男性と電話で話している私を見て、母は「男にうつつを抜かしている」と言い放ちました。私はこのときかなり困っていたのですが、すでに母は私の中で、困ったときに頼るような相手ではなくなっていました。私が母に悩みごとを相談するのをやめたのは、私が中学生ぐらいのときだったと思います。母にショックを与えるようなことを相談するとすぐに泣き出したり寝込んだりしてしまうし、私が風邪を引いたときも看病するどころかあからさまに「うつるから近寄らないでほしい」という感じの表情をする。それどころか、「私を不安にさせてひどい」みたいなことを言いだすので、私は母には心のうちも体調の変化も必死に隠すようになっていたのでした。こうした感じだったので、私は母には本当の事情を開示することはありませんでした。「開示したらかえって面倒なことになる、下手したら母が考えなしの行動に出て男性の感情を逆撫でし、結果的に誰かの命に危険が及ぶ」と思ったのです。母は単純に、「娘をとられてなるものか」といった感じで男性に嫉妬したように見えました。そして、家庭内ストーカーのようになりました。家の中にいれば私を終始追い回す。1時間外出しただけで10回以上電話をかけてくる。こうして私は、「男性から右腕を、母親から左腕をぎゅうぎゅう引っ張られてちぎれそうになる」ような事態に陥りました。しばらくの間、二人の「ストーカー」の間でどちらの機嫌もとろうと懸命でしたが、結局疲れきり、2年次の夏休みに入ると男性の下宿に転がり込んで、家に帰らなくなりました。彼の望むとおりにしなければ自分は殺されると思ったのです。そんな状況でも多少なり甘い夢を見て始めた同棲生活でしたが、私はすぐに「どうしてこんなことになってしまったんだろう」という思いでいっぱいになりました。日雇いのアルバイトで生活費を稼ぎ、男性のお下がりの服を着回す。洗濯機はない。男性の下宿は6畳のワンルームで、折り畳みのシングルベッドを広げたらもういっぱい。窓には網戸もなく、蚊に刺されほうだい。あいた時間はいつも男性と一緒にいて、一挙一投足を男性の思うとおりにしなければ凄まれたり暴力をふるわれたりする。彼が好きだと言ったものを好きだと言わなければいけないし、彼の嫌いなものをうっかり好きだと言ってはいけない。まるで精神的な首輪のつけられたペットだと思いました。私は当時の幼い頭で、当面の命の危険を避けるためにできるだけよい選択肢をとったつもりだったのですが、私は命の保証の代わりに、自分がまがりなりにも20年ひとりの個人として積み重ねてきたものを、環境も意志もすべて捨てなければならなかったのです。父からの脅しのような助け舟「このまま帰らないなら学費を払わないぞ」大学の後期開始が近づいてきたある日、父から一本の連絡が入ります。「このまま家に帰らないと言うなら勝手にしたらいい。その代わり勘当だ。もううちの子ではないとして、後期の学費も払ってやらない。好きなように堕ちていけばいい」父は私が家出してわりとすぐに一度、私を呼び出して説得しようとしましたが、このとき父は、私と母との関係性の問題、父が不在がちなことによる困難を訴える私に対し、相変わらず取りつくしまもない態度でした。それで私は悲しくなって、引き続き男性の家にいつづけることを選んだのでした。あれから1ヶ月ほどして出された「帰らないなら学費は払わない宣言」は、父の悩み抜いた末の最後の助け舟のように思えました。このまま彼と一緒にいれば、自分はいずれにしろもっと「堕ちて」いくのだろう、と私は想像していました。自分は学業もまともにしないまま大学を辞めるだろうし、子どもができるなどして身動きができなくなったら彼の支配するDV家庭のいっちょあがり、彼はきっとそれを狙っているだろう、と思っていたのです。でも、父の「帰らないなら学費は払わない」とは、よく読めば「帰れば学費は払ってやる」ということです。父は不器用な人。まがりなりにも親子として長年つきあってきた中で、私にもそれぐらいの裏の意図は読めました。いま正直に事情を話せば、さすがにあの母も含めて、私を家庭を挙げて守ってくれるのではないかと思えました。だったら私は「堕ちない」ほうをとりたい…そもそも、私は堕ちようと思ってこの男性とつきあいはじめたわけではありません。私はこの男性とつきあうまで、(当時発覚していなかった)発達障害や両親とのアンバランスな関係性からくる、生きづらさや居場所のなさに汲々としていました。「生きるのがつらい、寂しくてどうにかなりそうだ」と思い始めたのはいつだったか、うまく思い出せないほどです。高校生ぐらいのときにはすでに、誰か私だけを見てくれる異性がいてくれないと死んでしまいそうな気持ちでした。そんな調子でしたから、初めてつきあった人には「重たい」とすぐにふられてしまいました。それで私は「誰でもいいから私を求めてくれる男性が欲しい」と思い詰めて、うっかりこのDV傾向の男性とつきあってしまうに至ったのです。ときどき今でも「自分が浅はかだったのではないか」と後悔することがありますが、一生懸命トラウマ治療をして、自分の中の罪悪感や恥に対処しています。そんなわけで私は、大学の後期が始まる前に、数ヶ月ぶりに家に帰りました。あまりのストレスによる解離性健忘だと思うのですが、その前後のことはほとんど覚えていません。世界同時多発テロ事件、そして学生運動が交際相手から離れるきっかけに家に戻り、事情も家族に話して少し理解を得たものの、彼ときっぱり離れるのにはそれから1年近く時間がかかりました。一度生命の危険を覚えるような支配を受けてしまったからだと思います。1年後、2001年9月に世界同時多発テロ事件が起こりました。じわじわと彼との距離をとりながら少しずつ勉強の楽しさを取り戻していた私は、あるクラスの先生と仲間の「今は小説なんか書いている場合ではない、反戦運動をしなければ!」という主張に共鳴して、にわか左翼学生になります。男女混じった10人ほどの仲間と平和や文学について語り合う日々に、私は初めて、中距離の友人関係というものの良さを味わいました。それでよけいに彼から離れようとしました。私の心境の変化を敏感に感じ取った彼はある日、私を大学近くのカフェに呼び出して「別れよう」と言います。私は1年前からずっと別れたかったので、「いいよ! 別れよう!」と二つ返事で答えますが、私の返答に彼は激怒します。別れ話でよくあることではありますが…。その日はリベラルな活動家が講演に来るという日で、学生運動の仲間たちともども楽しみにしていた日でした。それで私はなんとか彼を振り切って、キャンパス内の仲間が集まっているところに行きましたが、そこへ彼が飛び込んできて私を輪からひきずり出しました。彼はそのまま暗がりに私を引きずっていって、私を地面に引き倒しました。コンクリートに頭を打った私はうずくまります。皆がざわついて、一瞬のうちに宇樹親衛隊が結成されました。皆で私を彼から匿(かくま)います。体格のいい男子学生数人が彼を囲み、「宇樹はもう帰った、しつこいようなら警察を呼ぶぞ」と凄むと、彼は悪態をつきながら帰っていきました。この一件で彼はみんなに面が割れて、二度と私に近寄ってこなくなりました。彼がこの程度の人で幸いだったと思いますが、私は怖くて、ふたたび大学に行けるようになるまでだいぶ時間がかかりました。つい最近まで、ときどき急に当時の光景が蘇り、身体が凍りつくPTSDの症状に悩まされていました。「万一街中で彼に出会ったら、私は彼に殺されるのではないか」と怯えてしまったり。トラウマ治療でずいぶん楽になりましたが、今もときどき蘇ってくる恐怖感と戦っています。交際相手からは離れられたけれど…私はこうして、大学3年の秋にようやく問題の男性と離れることができました。けれど、私がこの男性の件でトラブルに巻き込まれている間、家の中ではもうひとつの問題が深刻化していました。それまで病弱ながらもフルタイムの仕事で千葉県から都内まで通勤していた母でしたが、私が外泊を繰り返すようになったあたりで本格的に仕事に行けなくなり、休職しました。もともと休みの日は寝込んでいるか、家で一日中、録画した映画を観ているかの超インドア派な母でしたが、一歩も家を出ない日がほとんどになりました。彼女は居間の真ん中に、手の届く範囲にリモコンなどを置いた「コックピット」を築き…。このあとの展開は、次回以降の記事でお伝えします。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2020年12月04日むっくんの異変私がむっくんの様子に違和感を覚えたのは、不登校を決断する3週間前でした。もともと家で癇癪をよく起こす子でしたが、その頻度が激増!四六時中イライラしており、以前は穏やかにやり取りできていたことにも、激しい反応を示すようになりました。Upload By ウチノコそんな様子に、私は「小学校ではどうだろう?」と不安を覚え学校での様子を先生に確認するも、穏やかに過ごせているとの返答。イライラもパニックも家庭内のみで、この時点では学校への行き渋りもありませんでした。異変の理由?その後も大荒れが続くむっくん。そんな時少し前から運動会の練習が始まったと聞きました。「それだ!!」年間行事の中で運動会の練習はむっくんと最も相性の悪い行事です!おそらくそのストレスを家庭で吐き出しているのだとようやく納得。Upload By ウチノコ先生の話では、練習は嫌がりつつも何とか参加しているとのことで、私はむっくんが学校でとても頑張っていることを知りました。「むっくんは疲れていて、自己コントロールが困難になっているのだな...期間限定だし仕方ない、耐えよう」と家で極力休めるよう心がけることにしました。学校に行きたくないしかしその週末に、むっくんは初めて「学校に行きたくない」と言い出しました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコこれは疲れが限界だと判断し「疲れているみたいだから、1日休もうか」と、私から提案しました。ホッとした顔で喜んだむっくんは、元気休みでストレスから解放され、自宅でゆっくり静養。「明日は頑張るよ!」と明るい顔で言うものだから、一見回復したようにも見えました。しかし...不登校へ翌日は休んだことを怒られるかも...(もちろんそんなことはないのですが)と、少し緊張した顔で学校へ行きました。Upload By ウチノコ今までも何度か授業拒否はありましたが、同じ日にいくつかの授業に出ない、となると入学してから初めてのことでした。ここへきて私もようやく今までとは違う状況であることを理解。慌てて即日、学校に面談をお願いしてむっくんの状況を共有。対応の希望を伝え、短時間登校を始めました。Upload By ウチノコUpload By ウチノコむっくんは、家庭でよくパニックを起こしますが、一度も小学校では起こしていませんでした。それはやはり「友達にあの姿を見られたくない」という思いで、必死に自分をコントロールしていたのだろうと思います。それが続けられないことは、むっくんにとって一番辛い状況だと感じました。崩れ始めたきっかけは運動会の練習でしたが、入学後の頑張りをこれ以上続けること自体が限界なのだと感じました。満身創痍のむっくんには、一度負担をゼロにして回復する時間が必要だと判断し、翌日から学校を休むことに決めたのです。行かないと決めたけれど...むっくんは保育園時代から集団生活を好みませんでした。行き渋りも強く、私はいつか不登校を選んでも不思議はないなぁと考えていていろいろと準備をし、覚悟もしていたつもりでした。Upload By ウチノコそれなのに、家でのんびり過ごしているむっくんに、苛立ちや焦りを覚えました。先のことばかり考えてしまい、不安が次々と襲ってきます。想像と経験はやはり全然違うものだなと、そんな自分にも正直がっかりもしました。Upload By ウチノコ私の心の変化むっくんが休むようになって、私はまず自分の気持ちを外に出すことから始めました。家族に「黙って話を聞いてほしい」と頼み、ひたすら話を聞いてもらい、SNSで発達障害について理解のある方々とも繋がっているので、そこでも気持ちを吐き出させてもらいました。また、準備として繋がっていた方々ととにかくお話をさせていただきました。Upload By ウチノコたまっていた気持ちを吐き出して、いろいろな方のお話を聴きながらさまざまな価値観に触れ、不登校経験者の方々の今を知り、何より実際むっくんと日々を過ごすうちに、少しづつ不安は和らぎました。Upload By ウチノコ和らぐどころか、だんだんと楽しくなってきてしまったのです。こんなにゆっくり、弟の邪魔もなくむっくんと一緒に過ごすのは久々で、新鮮で。「面倒!仕事させて!」と思う日もありますが、明日は何しようと、ワクワクする自分も見えてきました。Upload By ウチノコ何かを失った気がしていたけれど、手放した代わりに得ているものがある。そう考えられることも増えてきて、今は以前より焦りも落ち着いてきています。新しい形を探していこう学校で学べることは多岐にわたります。そういった良さを手放すには勇気がいりますが、不登校だからこそ学べることも、たくさんあるのだと思います。むっくんは、決まった一本道を歩いているわけではありません。これからはむっくんが楽しく、幸せに歩ける「ちょうどいい道」を一緒につくっていけたらと思っています。次回「むっくんの周囲の子ども達へ学校に行かない決断を伝えた時の話」に続きます。
2020年11月27日埼玉県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報放課後等デイサービスすくすくすてっぷ朝霞店では、2つを療育方針で支援を行っています。ひとつ目は「子どもの成長」です。さまざまなプログラムからお子さまの興味関心を広げ、得意なことを伸ばすことで、将来の仕事にもつながるよう成長を促します。ふたつ目は「地域の理解」です。年に2回の大きなイベントを開催し、お子様の活躍を披露する場を設けると共に、地域の方々との関わりを持つ機会を増やしています。お子さまがいろいろなことにチャレンジできる環境を整え、保護者様の意見も取り入れながら、知識経験豊富なスタッフがサポートします。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る埼玉県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報こぱんはうすさくら川口戸塚教室では、ひとつのプログラムの中に多数の目標を設定し、お子さまのニーズに合わせた療育に取り組んでいます。お子さまの発達段階はアセスメントツールを用いて正確に把握し、スモールステップで支援していくことで、社会生活能力の獲得を目指します。スタッフは経験豊富でチームワークも抜群、研修等には日々積極的に参加しているそう。お子さま一人ひとりの才能を輝かせられるような場所を目指し、スタッフが細かくサポートしています。埼玉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報就労準備型放課後等デイサービスBe Smile Mastersでは、ソーシャルスキルトレーニングやビジネスマナー、パソコンスキルや学習等を通して、将来の就労という課題に早いうちから意識を向けていただく事で、社会生活への移行を実現することを目的として支援を行っています。また、不登校のお子さまへの配慮にも力を入れていて、生活リズムを整えたり、学習支援を行ったりしているそう。社会経験豊富であったり、教員資格のあるスタッフが、お子さまの状況を確認・理解しながら支援するとともに、個性も伸ばしていけるよう、日々サポートしています。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県幼児教室・学習塾Upload By 発達ナビ施設情報LITALICOジュニア幼児教室・学習塾武蔵小杉教室は12月1日に新しくオープン予定の教室です。言葉の遅れや学習やコミュニケーションのつまずき、集団行動などの困りごとを中心に一人ひとりの特性やスキル、好き興味関心、困りやその背景などを専門的に分析し、お子さまへの直接授業だけでなく、ご家庭でも成長を促すためのご家族さまへのサポートやレクチャーも行います。教室スタッフは、日常場面での生活のしやすさやスキルの発揮を見据えた、総合的かつオーダーメイドのサービスを提供し、お子さまの成長をサポートしたいと考えているそう。園・学校、家庭でのご様子を適宜面談等でヒアリングしながら、それぞれの場面で、お子さまの「できた」を拡げられるよう、保護者と密に連携しています。神奈川県のその他発達施設をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2020年11月22日●出会いは2007年のドラマ『オトコの子育て』今年、『犬鳴村』『Daughters』と主演映画が続く三吉彩花と、主演映画『タイトル、拒絶』ほか『ホテルローヤル』『ステップ』など多くの作品が公開されている伊藤沙莉。ともに引っ張りだこの二人が、「源氏物語」を題材にした内館牧子氏の小説を、黒木瞳が監督した『十二単衣を着た悪魔』で共演している。「源氏物語」の世界に入り込んでしまった現代のフリーター・雷(伊藤健太郎)が、陰陽師として生き抜いていく本作で、これまで悪女と見られてきた弘徽殿女御(こきでんのにょうご)を、現代的なカッコイイ女性として演じた三吉と、結婚相手として雷を支えていく倫子(りんし)を演じた伊藤。本編では共演シーンがなかったものの、実は二人は小学生の頃から知る「三吉」「沙莉」と呼び合う仲! そんな二人だからこその掛け合いで、本作の魅力だけでなく当時の思い出などもざっくばらんに語り合った。○■弘徽殿女御はとても愛情の強い女性――源氏物語の絵巻の中に入ったようでした。三吉さんは現代の女性も憧れるかっこいい弘徽殿女御を、伊藤さんは現代の女性も可愛いと好きになる倫子を演じました。三吉:こんなに強い女性を演じさせていただくのは初めてでした。自分で口にしながら気持ちのいいセリフが多かったですね。一見、怖い女性に見えますが、いろいろなものを犠牲にしながら戦っている、とても愛情の強い女性。黒木監督からも、弘徽殿女御への思い入れをたくさんお話いただいて、セリフのニュアンスや佇まいなど、細かいところも一緒に作っていただきました。――三吉さんはクランクイン前に、黒木監督とみっちりレッスンされたそうですね。前に監督からお話を伺った際に、途中から三吉さん自身の弘徽殿女御として、役を消化して出せていたと。三吉:嬉しい! 「もうちょっと高い声で」とか、「滑らかに」とか、監督の細かな指導を日々吸収しながら必死にやっていました。とても濃い時間でした。○■雷と出会って、黒だったものが真っ黄色に――倫子は源氏物語にはいないキャラクターですね。伊藤:はい。倫子は雷の結婚相手です。結婚するというだけで、大人みたいに感じるけれど、でも倫子はまだ自分が整っていない状態。それでも大人として過ごさなきゃいけない。「もうちょっと子どもでいていいのに」みたいな育ち方をする人って、今でもいると思うんです。流れに逆らえずに。特にあの時代は恋愛結婚でもないから、倫子は「自分に当たった人はかわいそうだな」とも思っていた。それが雷と出会って、黒だったものが真っ黄色になったくらいに、パンって何かが跳ね上がった。その変化は大事にしたいと思いました。それと倫子はピュアではあるけど、弱い人間じゃないと感じました。――そうですね。しっかり支えになっていました。伊藤:自分とはまた違うベクトルで自信のなさを抱えた雷が目の前に来て、倫子の根っこにあった強さが出てきたというか。じゃなきゃ、雷を支えられない。そうした強さもどこかに垣間見えたらいいなと思いました。あと、強く見える弘徽殿女御にも弱い部分があって、クッとこらえているのが伝わるから、かっこいい女性に見えるんだと思います。完全無欠の鉄でできた女性ではない。それを三吉さんが、すごくステキに演じられてました。あ、すみません、「さん」付けでやらせていただきます。三吉:えー、やだ。こちらこそすみません(笑)。○■仲良しの二人の出会いは2007年のドラマ――おふたりは劇中での共演シーンはありませんでした。伊藤:そうなんですよ。そうそう、弘徽殿女御の登場シーン。あそこで扇子を投げるじゃん。あれって一発でOKだったの?三吉:扇子を最初に投げるのは私だけど、あとの扇子の動きはCGだから。伊藤:あ、そうなの!? あれ? 私、いいお客さんじゃない? どうやって撮ってるんだろうって真剣に思ってた。三吉:あはは。でも周りの人の動きがあるからね。御簾を上げるスピードだとか、みんなで合わせるのがすごく大変だったんです。クルクルクルって上げるんだけど、なかなかできなくて。「こうやるのよ」って監督が一番うまかった(笑)。伊藤:そうなんだぁ。――おふたり、とても仲良しですが、これまで共演は。伊藤:小学生のときから知ってるんです。最初は『オトコの子育て』(07 テレビ朝日系)っていうドラマで共演して。三吉:そこから年数があって『GTO』(14 カンテレ・フジテレビ系)でも一緒だったよね。――そうでしたね!伊藤:何年越しの付き合いだろうね。あと、オーディションでずっと会ってたんだよね。三吉:そう。当時から本当にすごいスーパー子役がいると思ってて、一緒になりたくなかったんです。オーディションって、5人ずつくらいのグループに分かれてたりするんですが、会場に入っていくと、「うわ、いる」って。伊藤:いやいや、スーパー子役って(笑)。「毎回、いるよ」ってね。私、オーディション魔だったんです。○■伊藤は三吉の母とも仲良しだった――確かに世代が一緒だとオーディションでも会いそうですね。そこから『GTO』でも一緒だと、学園ものは仲良くなりそうですね。伊藤:でも三吉の役は不登校だったからね。三吉:そうなんです。私は保健室っ子だったので。結構、みんなお芝居の中でのグループで一緒にいたりするから、そこではあまり話す機会がなかったかな。伊藤:だから一番密だったのは小学生のときだよね。三吉は、あの頃、一生お菓子食べてた。ジャンクなヤツ。三吉:今もです。あの頃のアノお菓子が一番好きです。伊藤:そうなの!? 当時から本当に背が高くてスタイルがよくて、すでに完成されてたんですよ。「こんなに一生、お菓子食べてるのに!どういうことなの!?」って思ってたんですけど、お母さんが答えなんです。キレイで、背が高くてスタイルがよくて。そういえば、三吉のお母さんって、当時、はっちゃけてたよね。三吉:今もです。伊藤:あはは! そうなんだ、サイコーじゃん! 当時は三吉とも喋ってたけど、お母さんとはもっと喋ってた。「沙莉、元気ぃ?」みたいな感じだったから、「あ、はい! 今日も元気っす」って。三吉:いまだに話に出るよ。今回もこの映画のこと見て、「え、沙莉、出てるの?」って言ってた。○■二人の関係は、三吉が姉で伊藤が妹?――なんだか同級生と会ってるみたいですね。伊藤:ほんとにね。三吉:いま何歳?伊藤:26歳。三吉:あ、そうなの。私は24歳。伊藤:え、2コ下なの? ずっと1コ下だと思ってた。意外と離れてるじゃん。――三吉さん、落ち着いてますからね。伊藤:同級生役が多かったから、同級生の感覚。というより、ホント三吉のほうがお姉さんぽいし、毎回お姉さんだと思って接してます。三吉:ウソでしょ。伊藤:ホントです。●互いに気になる「いつ休んでるの?」○■本作の見どころはお互いのシーン――今回、同じ作品で、大人になったお互いを観ていかがですか?三吉:私は、この映画の見どころは「倫子と雷のラブストーリーです」って他の取材でも話してるんです。伊藤:えー!三吉:本当に。弘徽殿女御は、もちろんかっこいい女性ですし、彼女によって雷が成長していく物語ではあるんですけど、一方で、ピュアで可愛い、とても温かい、そして最後にホロっと泣いてしまうような、そんな純愛が展開されていて。倫子も、ほんとだんだんたくましく見えてくるし。「二人のラブストーリーが見どころ」だとずっと言ってます。伊藤:三吉、ほんと、いい子だね。いや、嬉しいです。でもこれはお返しじゃなくて、私は強い女性を演じるって、本当に難しいと思うんです。ただ強くモノを言ったりしても、本当の強さには見えない。弱いヤツほどよく吠えるから。でも弘徽殿女御からは、ちゃんとした強さが滲み出ている。今回、三吉とは最初の所作指導で少し一緒だったくらいなんです。そのときにはゼロだったので、本編では完成された弘徽殿女御が出てくるんだろうと予想はしていましたが、でも予想以上だったというか。強く生きているように見えるのに、同時に切なさもあって。目が語る情報量がものすごく多くて、本当に三吉、さん、じゃなきゃできない弘徽殿の女御だったと思います。三吉:やだぁ、ありがとうございます。伊藤:いやいや、本当に。なんか上からに聞こえたら申し訳ないですけど、大正解の弘徽殿女御だったなって。しっかりと人間味があって、とても魅力的でした。○■もしもタイムスリップできるなら……――タイムスリップものでもあります。三吉さんは、時代でも物語でもで、どこかに移動できるならどこに行きたいですか?三吉:恐竜がいる時代に行ってみたいです。伊藤:アハハハ! 絶対ヤだ、食べられちゃうよ。三吉:恐竜に会いたいんです。伊藤:覗くんじゃなくて、会いたいの?三吉:触れたい。目を合わせたい。伊藤:ヤだ! めちゃくちゃデカイんだよ。どれに会いたいの? ティラノ?三吉:まあ、ティラノとか。一通り。――自分自身が恐竜になって戦いたいとかは?三吉:それは全然ないです。戦うのは本当に嫌いなので。伊藤:馬みたいな感覚で会いたいとか?三吉:そうそう。卵がかえる瞬間とか見たい。○■「光源氏」づいてる伊藤が三度目の正直で演じたいのは?――伊藤さんはこのところ光源氏づいてますが。(※ドラマ『いいね!光源氏くん』)伊藤:づいてますね~。――また光源氏ものの世界に入れるなら、今度はどんな役を演じたいですか?伊藤:役柄で言ったら、自分としては倫子がジャストだと思うんです。でもそうだなぁ、これまではどっちも受け入れる側なんですよ。現代で受け入れるか、平安で受け入れるか。三吉:確かに。伊藤:だから今度は受け入れられたいです。自分が降り立った時代で戸惑ってみたい!三吉:ねえねえ。沙莉っていつ休んでるの?伊藤:ええ! それはこちらのセリフですよ。三吉もすごく忙しそうじゃん。三吉:いや、仕事とかって話じゃなくて。伊藤:あ、テンションのこと?三吉:畳みかけるスピードが速すぎなんだもん。家に帰ったらめっちゃ静かとか?伊藤:家だとスイッチ切れてるね。充電してる。いまはまだ充電98くらいあるからね!三吉:あはは、そうなんだ。○■今度はがっつり共演をして喧嘩でも――本当に仲良しですね。今度は本編で共演しているお二人が見たいです。三吉&伊藤:本当に!伊藤:がっつり喧嘩とか。三吉:したいしたい。でも負けそう。伊藤:何言ってるの、大丈夫だよ。上から見下ろすだけで勝てるよ。三吉:あはは。そう?――最後に公開に向けてひと言ずつご自身のシーンから見どころをお願いします。三吉:弘徽殿女御は、たとえ犠牲を伴ったとしても、息子や国のために色んな事を成し遂げていく強い女性ですが、後半、六条御息所に問いかけるところがあって、そこは撮影しながらもグッと気持ちの入ったシーンでした。そういったところから弘徽殿女御の温かさを、ジンワリ感じていただけたらなと思います。伊藤:雷と倫子のシーンって、結構点描で展開していくんです。2人が育んでいく日々の全部を見せることはできないので。そのなかでも雷が歌うスピッツが絶妙なんです。三吉:わかる!伊藤:あそこが本当に絶妙で、倫子と雷の時間の流れを象徴するシーンにも感じられるので、ぜひ堪能してください。■三吉彩花1996年6月18日生まれ。埼玉県出身。ファッションモデルとして活躍。女優としては、映画『グッモーエビアン!』(12)、『旅立ちの島唄~十五の春~』(13)での演技が評価され、第67回毎日映画コンクールおよび第35回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。近年、『ダンスウィズミー』(19)、『犬鳴村』(20)、『Daughters』(20)と主演作が次々と公開されている。■伊藤沙莉1994年5月4日生まれ。千葉県出身。2003年に子役としてデビュー。主な出演作に映画『獣道』(17)、『寝ても覚めても』(18)、『劇場』(20)、ドラマ『ひよっこ』(17)、『これは経費で落ちません!』(19)、『いいね! 光源氏くん』(20)。アニメ『映像研には手を出すな!』(20)など声優としても活躍。本年は、第57回ギャラクシー賞個人賞ほかを受賞。望月ふみ 70年代生まれのライター。ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画系を軸にエンタメネタを執筆。現在はインタビュー取材が中心で月に20本ほど担当。もちろんコラム系も書きます。愛猫との時間が癒しで、家全体の猫部屋化が加速中。 この著者の記事一覧はこちら
2020年11月20日金曜ドラマ「恋する母たち」に登場する男性陣たちを描く、Paravi オリジナルストーリー「恋する男たち」。その第4話では次世代を担う若手俳優が演じる3人の母たちの息子たちが主人公となる。その息子たちとは、吉田羊演じるキャリアウーマン・林優子の息子で、長らく引きこもり生活を送る大介、仲里依紗演じる蒲原まりの息子で、何不自由ない生活を送りながらも両親に反抗を繰り返す繁秋、木村佳乃が演じる石渡杏の息子で、女手ひとつで育ててくれた母を常に思いやる優しい高校生・研。大介を演じるのは、今年7月に公開された長澤まさみ主演映画『MOTHER マザー』で初演技にしてメインキャストに大抜擢され、その類稀なる表現力が話題を呼んだ奥平大兼。また、繁秋を演じる宮世琉弥は、若手俳優の登竜門ともいわれるCMに抜擢され、ドラマや映画への出演経験が続いている。その端正なルックスから同年代からの支持も厚い。そして、研を演じるのは、初出演ドラマ「おじさんはカワイイものがお好き。」で瑞々しい存在感を見せ視聴者を魅了した藤原大祐と、次世代を担う若手俳優たちが主役を張る。この3人は中高一貫の名門校・麻蔵学園高校の落ちこぼれ3人組。1学期の期末試験の成績が悪く、このままでは1年生の終わりで留年が決定してしまう。そんな中、行われた追試は成績優秀な大介が2人のためにまとめた資料のお陰でなんとかクリア。大介と繁秋は中等部からの友人だが、高等部から麻蔵学園に入学した研は不登校の大介とまだ会ったことがなく、一度会ってみたいと3人で食事に行くことを提案。人見知りの大介だが、あることがきっかけで研と一気に親しくなり、3人は楽しい夏を過ごすことに。しかし、実は大介にはある秘密があり…。奥平大兼/林大介役 「本編で描かれなかった大介の恋のお話です」「恋する母たち」で林大介役をやると決まった時に、初めて地上波のドラマに出演できる喜びの反面、期待に応えられるかという不安もありましたが、撮影を重ねるにつれ楽しさが増していきました!今回の「恋する男たち」第4話は、本編で描かれなかった大介の恋のお話です。いつもの大介とは違った難しさがあり日々悩んでいましたが、これまで以上に監督とコミュニケーションをとったり、はじめて同世代の役者とお芝居ができることがうれしくて、乗り切ることができました。経験のない自分なりに頑張った作品なので、本編では描かれない男たちの物語をぜひ、楽しんで見てください!!宮世琉弥/蒲原繁秋役 「実は...みたいな部分がたくさん発見できる」宮世琉弥です!「恋する男たち」第4話はついに僕たち3人の息子の物語です! 本編では描かれない息子たちの感じていることや関係などが丁寧に描かれているので、実はこういう子なんだな、とか、実は…みたいな部分がたくさん発見できると思います。僕が台本を読んだ時は想像していた斜め上がきてビックリしました。笑いあり、切なさありで僕たちと一緒に青春を送っているような気持ちにもなれますし、大人の皆さまと少し違った、今しかできない最高の物語になってますので、ぜひ見てください!!藤原大祐/石渡研役 「親の前では見せない一面を」本編第5話放送後に配信される「恋する男たち」第4話では、僕たち高校生3人の物語が描かれています。それぞれ違った性格で、異なる家庭内の問題を抱えている3人の、親の前では見せない一面を見ることができるのが、この物語の面白いところだと思います。また、大介にはある秘密があり、この秘密が3人の夏を一筋縄では終わらせない原因になっていきます。楽しいだけでは終わることのできないリアルな青春を楽しんでいただけたら幸いです。Paraviオリジナルストーリー「恋する男たち」第4話は11月20日(金)「恋する母たち」第5話放送終了後に配信予定。金曜ドラマ「恋する母たち」は毎週金曜22時~TBS系にて放送中。(text:cinemacafe.net)
2020年11月19日最難関私大に進学はしたけれど……私は、中高一貫の私立進学校から、いわゆる最難関私大へ進学しました。学歴カーストの中、いじめとは無縁に過ごすことができた中高6年間については、以前のコラムでもご紹介した通りです。過酷な受験勉強を経て大学に進学した春。私は、大学受験で無理しすぎたせいで心身ともに燃え尽きていて、「もう一生勉強したくない」みたいな気分になっていました。当時は精神科とつながっていませんでしたが、今思えばすでに離人感や抑うつなどの二次障害が出ていて、「毎日を寝て起きるだけで精一杯」という感じでした。履修登録はてんやわんやでした。それまで受動的に授業を受けるだけだった私にはカルチャーショックでしたし、ほかの学生とコミュニケーションをとりながら情報を集めなければいけなかったからです。履修登録の疲れもさめやらぬ中で授業が始まります。そこで私は自分が文学にまったく興味を抱けないことに気づいて、愕然としました。私が進んだのは、小説家になりたいと志向する人が多く在籍するコース。過労で倒れてまで入った最難関大での四年間を棒に振るかもと怖くなりました。今思えば私は、「義子ちゃんは小説家になるのよね、なるのよね、なるのよね?」という母の気持ちにおもねって進路を選択していたのです。自分の興味に正直になって理系の大学に進めばよかった、と後悔しました。センター試験では理系の難関大に受かっていて、あとは得意な小論文を書けば受かるところでしたが、辞退してしまっていたのです。服装や化粧に対する強迫観念に苦しむように思い返してみると、服装や化粧といった容姿や身支度に関することについて、母との間で葛藤を抱えて育ったのが私でした。小学生のころまでは、母の好みのお嬢様風のピンクのフリフリの服や、祖母の手編みのセーター(上質のウールなのよと言い聞かせられましたが、感覚過敏の私には苦痛でした)などを着せられてとても嫌でした。一人だけ流行に沿っていないうえ、ほかの子のものより上質なこともわかるので、学校でいじめられるという理由もありました。皆と同じ量販店の服やキャラものの服が着たいと言うと、母は「こっちのデパートのものやおばあちゃんの手作りのほうが品質もいいし素敵なんだからこっちを着なさい」と言います。母は、私が思春期に入って自分の好きなように化粧したり服を選んだりしようとするとだんだんうるさく口を出すようになりました。髪をブラウンに染めたら「あなたは肌が白くてきれいなんだから髪なんか染めたら台なし」、エスニックな格好をしていたら「そういう服はお母さん好きじゃないわ、もっとお嬢様らしいフワッとしたものを着たら」など。母に気に入られる格好をしたい、でも若い女性として、人から今どきのお洒落で可愛い女の子と思ってもらいたい。そういった葛藤にさらされ、答えが見つからない中で、私はだんだん身支度にやたらと時間をかけるようになっていきました。「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えで頭がいっぱいになるのです。クローゼットからあふれるほどに服があるのに、「着られる服がない」。母から「お母さんの思い出の服だから」「とても上質なものだから」と押しつけられたお下がりがクローゼットの大半を占め、そのほかは私が試行錯誤しながらこづかいで買い集めた服でした。ストレスからか顔中にニキビができていて、それをどう隠すかにも腐心しました。私は、もともと昼夜逆転傾向だったことに加え、身支度に3,4時間かけるようになりました。家を出られるようになったころには夕方で、結局出かけるのを諦める、ということが続き、不登校気味になりました。当時、これが強迫性障害だなどとは思いもしませんでしたが、最近になって強迫性障害が専門の先生にかかるようになり、これが「整理整頓強迫」という、少しマイナーな症状だと知りました。整理整頓強迫は、自分の身の回りのものごとが思ったとおりに仕上がらないと繰り返しやり直してしまうものです。当時の私が強迫性障害が専門の精神科医にかかっていたら診断が出ていたと思います。身支度に関する整理整頓強迫には、醜形恐怖や対人恐怖といった、「人からどう見られるか」に強い不安を抱く恐怖症が関わっているそうなのですが、私にはまさに、こうした醜形恐怖や対人恐怖がありました。上に書いた「こんな服・顔ではだめだ。人に笑われる、人に不快感を与える」という考えがそうです。母はそんな私を、無遠慮に批判したりからかったりするようになりました。「ファッションショーじゃないんだから」「ナルシスくんみたい。よっぽど自分の顔が好きなのね」とか。私は「自分は実際にはまったく逆の理由で身支度にかけているのだ」「半分ぐらいはあなたのせいだ」と母に伝えたかったですが、どうせ通じないだろうと考え、諦めたまま過ごしていたのです。家からなかなか出られない私と、喜ぶ母。「こんな時間が永遠に続けばいいのに」そんなふうにして大学に行けずに苦しんでいていた私ですが、私の心中をそっちのけにして、母はあからさまに喜んでいました。学校に行けずにいる私をつかまえては、嬉しそうにテーブルに両肘でほおづえをついて、いろいろな話に半日付き合わせるのです。そしてある日母は、うっとりと目を潤ませて「なんて幸せなの、こんな日が永遠に続けばいいのに。ねえ、ずっと一緒に暮らそうよ…」と言いました。私はその瞬間、母に対して強い嫌悪感と絶望を抱きました。「この人は母親なのに、娘には娘の人生があると理解していない」と感じたのです。どうやらいろいろな生きづらさを抱えてきたらしい母にとって、「最難関私大の文学部に進み、将来が小説家として有望な娘を持つ自分」の姿は、自分の夢が叶ったような幸福感をもたらすものだったようです。(彼女が「あなたに小説家になるように望んだのは、小説家が自分の夢だったけどなれなかったから」と告白し、まったく悪びれずにテヘッと笑ったのは、私が30になるころでした)同時に、学歴の面で彼女を超えてしまい、彼女よりも若く、自由な時代に生きる私に、彼女は嫉妬も覚えていたのかもしれません。だから自分の支配下に戻したくて、私の容姿をあれこれコントロールしようとしたのだと思います。つまり、母が私に対して発していたメッセージは、以下のようなダブルバインドです。「有能で美しく、親の私のトロフィーであれ、私の夢を叶えろ。でも私のプライドが傷つかないように、親の私より有能だったり、美しく幸せであったりしてはいけない」親の幸せのために、自分は不可能を可能にしなければならない…私が深く動揺し、心を病んだのも当然だったと思います。この年、私は秋口に同級生の男性とつきあうようになります。この男性はまもなくデートDV傾向を示すようになりました。私は彼と別れようとしましたが、彼は暴力と脅しで私を支配します。家に帰ろうとすると彼は私を脇に抱え、無理やり引きずって自分の下宿に連れ帰ろうとしたり、駅前で大声でわめいたりするので、当時は彼に従わざるをえませんでした。彼は離れているときは何十回も電話をかけてきたり、夜中でも応答することを求めます。要求に応えないと暴力をふるうのです。夜中でも男性と電話している私のことを、「男にうつつを抜かしている」と判断した母は、ここに書けないほどひどい言葉で私を批判するようになりました。そして、彼女も私に何十回でも電話をかけてくるようになります。私は、ストーカー(男性)と家庭内ストーカー(男性に嫉妬する母)との間でぎゅうぎゅうと両腕を引っ張られてちぎれそうかのような状態になっていました。感覚過敏を抱えて1時間以上の道のりを騒がしい都内まで通う体力的負担もあいまって、私はますます家に帰りたくなくなります。この後の展開は次の記事でお伝えします。
2020年11月15日田中圭主演、鈴木おさむ脚本で衝撃的なストーリーが展開する新土曜ナイトドラマ「先生を消す方程式。」の3話が11月14日オンエア。田中さん演じる義澤の“不死身ぶり”と、さらに過激化する頼田を演じる山田裕貴の演技に今週も注目が集まっている。成績優秀者揃いだが担任になった教師が皆、短期間でメンタルを蝕まれ辞めていく「帝千学園」3年D組。このクラスには、大人を追い詰め壊れていく姿をゲームのように楽しむ生徒が集っていた。そこに義澤経男が赴任してくる。常に笑顔で生徒たちのプライベートな情報を何故か熟知している彼を“消そう”とする生徒たち。だが義澤は彼らに負けることはなく…という本作。常に笑顔を絶やさない数学教師の義澤経男に田中さん。さわやかな好青年だが生徒らと義澤を消そうと企む副担任の頼田朝日に山田さん。義澤の恋人で高校教師をしていたが生徒によって意識不明になってしまった前野静に松本まりか。また父親が検察トップで高いIQを誇る学園一の優等生の藤原刀矢に高橋文哉。母親が有名な医者で20万人以上のフォロワーを持つ人気インフルエンサーでもある長井弓に久保田紗友。同級生の女子生徒にマッチングアプリで“パパ活”をさせていた大木薙に森田想。大手ゼネコン社長を親に持ちおじも政治家、親が学校に多額の寄付をしているため好き放題に暴れている剣力に高橋侃。不登校で自室に閉じこもり、黒魔術や都市伝説などオカルトに傾倒する伊吹命に秋谷郁甫といった顔ぶれが生徒役で出演。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。今回は弓の過去が明かされた。好意を抱く家庭教師が母と関係を持っているところを目撃した弓は、悲しみを受け止めてくれた刀矢のために尽くすことを決意。そんな弓に頼田は“義澤を消すのにとてもいい方法がある”と、首吊りに見せかけて義澤を“消す”提案をする。義澤を呼び出して首に縄をかけ、仮死状態にまで追い込んだ弓たちだが、翌日、奇跡的に復活した義澤が教室に戻ってくる…というストーリーが展開。「義澤の不死身さも、ここまでくると怖い」「めちゃくちゃ過ぎて逆に面白い!先生不死身だし」「田中圭不死身の補正かかってるね何度死にかけても蘇る」「先生が毎回不死身すぎて段々笑えるようになってきた」など、田中さん演じる義澤の不死身ぶりに視聴者から驚きの声が上がる。また今回も保健室で義澤を殺害しようとするなど、頼田の行動も過激化。頼田役の山田さんの演技に「良い意味で狂ってる山田裕貴という俳優、やっぱし最高」「めちゃくちゃヤバいやつで素敵です」「山田裕貴の怪演。笑っちゃうくらい狂っててもはや面白い」と、今週も注目が集まっている。(笠緒)
2020年11月15日家族による介護といえば、40代や50代の世代が自分の親を介護しているというイメージがあるだろう。だが、じつは10代や20代で介護している若者が多くいる。相談する相手もおらず、理解もされない孤独な介護を強いられているーー。「小・中学生や高校生など18歳未満の『ヤングケアラー』や18歳以上の『若者ケアラー』が大勢いることを知ってほしいです。しかも、通学や仕事をしながら家族を介護している、そんな若年介護者は増加しているのです」そう語るのは、16歳から難病の母親の介護した経験から、ヤングケアラーの支援や若者ケアラーの転職支援を行っている「Yancle(ヤンクル)」代表の宮崎成悟さん。総務省の調査によれば、15~29歳で家族を介護している人は’17年で21万100人。その5年前の調査(17万7,600人)から急増している。そのうち10代は全国に3万7,100人いることが、毎日新聞の分析で判明した。「総務省の調査では14歳以下の小・中学生が含まれていないため、本当の実態は把握できていません。ヤングケアラーのなかには、8歳からアルコール依存症の父親の世話をしていた人もいます。家族を介護している子どもたちはもっと多い可能性があります。若年介護者が増加している背景は、少子高齢化社会が進んだうえに、シングル世帯や共働き世帯も増加したこと。家族ケアをする大人の人手が少ないことから、たとえ未成年でも大人が担うような介護をしているのです」(宮崎さん)そんな若年介護者の問題点はどんなことなのだろうか?「家族がケアすることは悪いことではありません。ただ、認知症の祖父や祖母のケア、障害のある兄弟姉妹の介護、病気の親の世話などをするなかで、負担が限界を超えて、学業や就業、若者らしい生活や将来、自由まで犠牲になってしまう。その結果、不登校になったり、中退したり、進学や就職を諦めてしまったりするケースが多いのです」宮崎さんも、高校卒業する直前に母親の容体が悪化。介護に注力するため大学進学を一度は諦めた経験がある。さらに、介護の話をしても周囲が理解してくれない場合も多いという。「介護は中高年層がやるものだという認識が強いため、若くして介護していると『なんであなたが?』と疑問視されることが多い。そのため学校や会社でも事情が伝わらず、1人で抱え込んでしまうケースも少なくないのです。若年介護者の多くは、どんなにつらくても、家族のことだからとSOSの声を出しづらい。まずは実態把握が急務。さらに相談したり、カウンセリングが受けられたりするサポート体制が必要です。そしてなにより大切なことは、私たち大人が、若年介護者がいることに無関心でいないことです」厚生労働省は12月から若年介護者の実態調査を始める。今も多くの若い介護者が苦しんでいることを胸に刻んでおこう。「女性自身」2020年11月24日号 掲載
2020年11月12日みんなはどうしてる?進路を考えるときに読みたいコラムをまとめました小学校への入学や、中学校・高校への進学は、お子さんの学びや生活に関しての大きな決断をするタイミングですよね。就学相談や進路指導など相談できる機会はあっても、わが子にとってどのような選択がよいのか、どう判断したらよいのか...悩みも多いかと思います。発達ナビユーザーに行った「どんなコラムが読みたい?読みたいテーマを教えて」アンケートでも、「進路選び」についてのコラムが読みたいとの声を多くいただきました。そこで、連載ライターによる「進路」に関するコラムをまとめてご紹介します。Upload By 発達ナビ編集部【小学校】特別支援学校?通常学級・特別支援学級・通級指導?就学先をどう決めた?面談や見学を通して、どんな環境がわが子に合うのかをじっくり検討したウチノコ家。むっくん本人の気持ちも確認して、決定した就学先は...複数の小学校を見学して、クラスの人数や雰囲気などを見ながら、わが子に合う環境をイメージ。希望を提出したのは、年長の9月でした。先輩ママや家族、主治医の意見も参考に、通常学級に入学したSAKURAさん家のあーさん。最初は順調だったけれど、学習面も友達関係も少しずつ課題が見えてきて...本人にとってよりよい環境をなんども検討し、2年生からは「特別支援学級」に転籍することに。【中学校】より子どもにあった環境を考えたい。私立受験も選択肢?娘が5年生のときに考え始めた進路。小学校では通常学級に在籍しているけれど、中学校は?特別支援学級、通級指導教室、私立中学など、選択肢にあがった先をそれぞれ見学することに。小学校時代から高等部進学に至るまで、全7話の連載。まずは第1話から読んでみてください。小学校では周囲と馴染めず、いじめも経験した宇樹さん。私立中学に進学すると取り巻く環境が一変して...6年生になってから私立中学を受験することに決めた、スガカズ家の長男。どの学校がいいか、メリットとデメリットを整理しながら親子二人三脚で学校選びをしていきました。【高等学校】子どもの気持ちも尊重して選びたい、中学卒業後の進路さまざまな選択肢を検討した上で、通常学級に入学した荒木家の娘は、中学2年生で特別支援学級に転籍することに。高校選びも早くから動き出していたけれど、中学生活を経て気づいた大切なことは...受験勉強になかなか身が入らなかった中学3年生のリュウ太くんが、「行きたい学校があるから」とパンフレットを持ってきたのは『専修学校』でした。不登校の娘が、パンフレットをみて「見学に行きたい」と言った通信制高校の技能連携校。見学に行き、付設するフリースクールに週に1回通い始めて...
2020年11月08日「ひきこもり解決のゴールは外に出て働くことではなく、楽しくできる仕事を見つけることです」。ひきこもりの人たちも無限の可能性を秘めている、と生活経済ジャーナリストは語るーー。「自らも娘の不登校を経験した母親として何か力になれることはないかと思い、不登校訪問専門員の資格を得て、さまざまな人たちと面談してきました。能力はじゅうぶんにあるのに、“自分はひきこもりなんだから、どうせ無理”と働くことをあきらめてしまうのはもったいない。じつは、ひきこもりの状態から適職を探し当て、成功している例はたくさんあるのです」そう語るのは生活経済ジャーナリストの柏木理佳さん。男女や年齢層を問わず、さまざまな世界で活躍する“元ひきこもり”の人たちへの取材をもとにした『ひきこもりは“金の卵”』(日経プレミアシリーズ)を出版した。ひきこもりは、けっして人ごとではない、と柏木さん。「内閣府が行った調査によると、半年以上ひきこもり生活を続けている人は15〜39歳で推計54万人、40〜64歳で推計61万人と報告されています。つまり、子ども世代だけでなく、親世代もひきこもりになる可能性がある。しかも、その半数以上が、7年以上ひきこもり生活を続けているといいます」柏木さん自身も、小学生の娘の不登校、ひきこもりと向き合ってきた。「4歳で吃音がはじまり、心療内科でもなかなか改善せず、学校も嫌いなまま。ひきこもりは母親の過干渉が指摘されているため、自分を責めたりもしました」柏木さんは学術書を読みあさり、一日中抱きしめたり、あえて外に出し、塾や体操教室に通わせたりするなど、さまざまな方法を試し、失敗も経験した。「コロナ禍ではありますが、娘は休みながらも通学できるようになりました。試行錯誤を重ねて感じたのは、答えは一つではないということ。大人のひきこもりについても同じことが言えると思います。その人に合った生きがいを見つけるには、さまざまな職種や働き方のヒントを得ることが大事なのです」自宅にいながら仕事を見つけ、年収500万円のサラリーマンと遜色ない収入を得ることも不可能ではない、と柏木さんは語る。それでは実際に、柏木さんが見てきた事例を見ていこう。【1】企業の調査に答え、少額でも“収入ゲット”の積み重ねを「60歳のAさん(女性)は、ひきこもりの息子さんに『せめて光熱費だけでも出しなさい』と話したそうです。すると息子さんは家のパソコンを使って、ポイント還元や図書券などがもらえる企業アンケートに挑戦しはじめました」生活パターンや趣味、嗜好を企業に教えるだけで収入になるというケースだ。「簡易なアンケートに答えるだけなら、多くの収入は見込めませんが、その積み重ねが“自分でも稼いでいる”という自信になります」もっと深く商品開発に携わることで、多くの収入を得ることもできるという。「試食会や商品に関すること細かなヒアリングなどを実施し、消費者の意見をもとに開発されたヒット商品も多くあります。そのような企業の商品開発に参加すれば、半日で5,000円ほどの日当をもらえるケースも。現在は在宅でできるものも多いです」【2】パソコンを使って情報発信。月収40万円を超えた例も大学卒業後に就職した企業を1年以内に退職し、起業した会社も大損害。以後ひきこもりが続いたBさん(27歳・男性)。「このまま何もしないで生きていくわけにはいかないと、自分の気持ち、失敗談などをつづったブログを立ち上げると、徐々に応援の書き込みが増えていきました」数カ月すると、月間のアクセス数は200万を超えるように。Bさんは月40万円ほどの広告収入を得られる、人気ブロガーになった。「出社する必要もないため、自分の居心地がよい環境で、好きなことを書くことがそのまま収入に直結しているのもプラスに働いていると思います」大学卒業後に就職した企業をすぐに辞め、3年ほどひきこもったCさん(45歳・男性)も、同じような体験をしている。「ブログは同じ価値観の人たちが集まりやすいのか、共感のコメントが多数寄せられると、自己肯定感と自信が強まるようです。Cさんはブロガー以外にもWEBライターとして活躍し、20万円以上稼ぐ月もあるそうです」【3】在宅での動画がバズりナレーターの道に好きな分野が芸能活動に関わるものであっても、今はリモートで仕事を見つけることができる。「Dさん(40歳・女性)はかつて、人との関わりが得意でなく、ひきこもりがちに。ひとりの時間では、好きなアニメのキャラクターの声をまねていました」趣味が高じて、自分の描いたイラストに声を当て込みYouTubeにアップしてみると《声がカワイイ》《本を朗読してほしい》と投稿が寄せられ、ナレーションの仕事を始めることにーー。「YouTubeでの動画が話題を呼ぶと、広告収入なども含めて年収1,000万円にもなる、というケースは少なくありません。また、声優やダンサーなどの職種は、オンライン上で生徒を取り、レッスンを行うことも可能でしょう。1回のレッスン料として2,000〜3,000円を収入として得ることができます」いずれのケースも、自分のペースで社会に参加し、収入を得ることができている。柏木さんは最後に、“ひきこもりは決して悪ではない”と語る。「ひきこもりを解決するゴールは、必ずしも外に出て働くことではありません。彼らが自分にできる仕事で、楽しく暮らせることがゴールなんです」ITが発達したいま、ひきこもりを救う活躍の場所はたくさんあるのだ。「女性自身」2020年11月10日号 掲載
2020年10月29日「自らも娘の不登校を経験した母親として何か力になれることはないかと思い、不登校訪問専門員の資格を得て、さまざまな人たちと面談してきました。能力はじゅうぶんにあるのに、“自分はひきこもりなんだから、どうせ無理”と働くことをあきらめてしまうのはもったいない。じつは、ひきこもりの状態から適職を探し当て、成功している例はたくさんあるのです」そう語るのは生活経済ジャーナリストの柏木理佳さん。男女や年齢層を問わず、さまざまな世界で活躍する“元ひきこもり”の人たちへの取材をもとにした『ひきこもりは“金の卵”』(日経プレミアシリーズ)を出版した。ひきこもりは、けっして人ごとではない、と柏木さん。「内閣府が行った調査によると、半年以上ひきこもり生活を続けている人は15〜39歳で推計54万人、40〜64歳で推計61万人と報告されています。つまり、子ども世代だけでなく、親世代もひきこもりになる可能性がある。しかも、その半数以上が、7年以上ひきこもり生活を続けているといいます」柏木さん自身も、小学生の娘の不登校、ひきこもりと向き合ってきた。「4歳で吃音がはじまり、心療内科でもなかなか改善せず、学校も嫌いなまま。ひきこもりは母親の過干渉が指摘されているため、自分を責めたりもしました」柏木さんは学術書を読みあさり、一日中抱きしめたり、あえて外に出し、塾や体操教室に通わせたりするなど、さまざまな方法を試し、失敗も経験した。「コロナ禍ではありますが、娘は休みながらも通学できるようになりました。試行錯誤を重ねて感じたのは、答えは一つではないということ。大人のひきこもりについても同じことが言えると思います。その人に合った生きがいを見つけるには、さまざまな職種や働き方のヒントを得ることが大事なのです」自宅にいながら仕事を見つけ、年収500万円のサラリーマンと遜色ない収入を得ることも不可能ではない、と柏木さんは語る。それでは実際に、柏木さんが見てきた事例を見ていこう。【1】子育ての経験を生かし、オンライン上で講師をする子どもが独立し、そろそろ仕事をしたいと考えたEさん(57歳・女性)。「大卒で大企業に勤めた経験があるのだから、仕事はいくらでもある」と思っていたが、なかなか就職先は見つからない。次第に自信を失い、ひきこもりがちに。「何か生かせないかと考えたときに、Eさんが行き着いたのは、3人の子どもを受験させたという子育ての経験でした。そこで小学校の学習プリントの採点を在宅ワークで開始。進路に悩む学生には、受験についてのカウンセリングなどもするようになったんです」カウンセリングの仕事は30分5,000円ほどを相場にできるそう。生徒が増えれば増えるほど、収入は増えていく。【2】自分のペースで適職に。訪問サービスで1対1の接客「高卒でコンプレックスがあるが、医療専門学校で知識を学べばスタート地点に立てる」と考えたFさん(45歳・男性)。整骨院で働いていたが、複数の人とのコミュニケーションが苦手だった。「そこで、シンプルなやりとりで済む1対1の訪問マッサージという方法にシフトチェンジ。収入は30分の施術で3,000〜5,000円程度。固定客を取って、ストレスをため込まない働き方を見つけ、充実した生活を送っています」【1】と同様こちらの仕事も、固定客の数が増えるほど収入は増えていく。客1人あたり月数万円を稼ぐケースもあるそうだ。【3】NPOを頼り地方へ移住。収入は少額でもゆとりある生活大企業勤めだったが、上司とのあつれき、妻との離婚が重なり、ひきこもってしまったGさん(49歳・男性)。失意の中、偶然《若者移住者募集・移住手当、家賃補助あり》というチラシを目にする。「GさんはNPO法人が運営する、ひきこもりの若者が共同生活を送るシェアハウスに入居しました。高齢者地区のため、仕事はレンタカーで買い物代行をしたり、粗大ゴミを出したり、電球を交換するなどの“お年寄りのなんでも屋”。人助けを通して自分の存在意義を再確認し、仕事に復帰できたケースは多くあります」いわゆる“なんでも屋”の仕事は、時給900円ほどが相場。ツメツメで働くわけではないので大きな収入は見込めないが、都心で暮らしていたころより圧倒的に出費が少なく、時間的にもゆとりある生活が送れているそう。いずれのケースも、自分のペースで社会に参加し、収入を得ることができている。柏木さんは最後に、“ひきこもりは決して悪ではない”と語る。「ひきこもりを解決するゴールは、必ずしも外に出て働くことではありません。彼らが自分にできる仕事で、楽しく暮らせることがゴールなんです」ITが発達したいま、ひきこもりを救う活躍の場所はたくさんあるのだ。「女性自身」2020年11月10日号 掲載
2020年10月29日発達障害の作家が描く「生きづらさに寄り添う物語」ーー漫画『僕の妻は発達障害』「大人の発達障害」をテーマにあつかった本作。漫画家のアシスタントとして働く夫と、発達障害のある妻の日常生活が描かれています。本作では、発達障害がある人の生きづらさを描くと同時に、支援者にもスポットを当てています。悪意がないとわかっていても、発達障害のある妻・知花の行動にストレスを感じてしまう、夫・悟の描写もあり、決して良いことばかりではない、リアルな2人の生活が描かれています。本作は、多様性社会の現代において、夫婦とは何か?普通とは何か?そんな重要なことを考えさせてくれる作品となっています。ぜひ、発達障害のある人、支援者の方に読んでいただきたい一冊です。子どもの「トリセツ」をつくろう!ーー『自己理解力をアップ!自分のよさを引き出す33のワーク』本書の著者は、NPO法人えじそんくらぶ代表・高山恵子さん。自分自身も知らない、多様な自分の姿を知り、うまくいかないことが、うまくいくようになる問題解決の方法を紹介しています。意外と知らない自分のほんとうの姿。その中には、まだ気づかざる才能や可能性が隠れているかもしれません。逆に、自分の苦手なことに気づかないために、大きなストレスやトラブルの種になることもあります。本書では、そんな自分のほんとうの姿をしり、自分が「うまくいく条件」を探す方法を紹介しています。本書に書かれている、サポートを受けるメインの対象は子どもたちですが、実は大人にも実践できることがたくさん掲載されています。ぜひ親子で読んでほしい一冊です。赤ちゃんが自分から食べる離乳法を紹介!ーー『手づかみ離乳食』「楽しい離乳」をテーマとした本書。著者は、たつのシティタワークリニックの院長で、昭和大学医学部の客員教授もつとめる田角勝さん。田角さんは、これまでの離乳・離乳食の常識は、大人目線で考えられたもので、もっと赤ちゃん視点で考えるべきだと言います。本書では、「離乳食はスプーンですりつぶしたおかゆを一口から」といった常識に対して疑問をぶつけながら、赤ちゃん視点の新しい離乳を提案しています。また、食べ方や量、食べむらなど、育児をするなかで保護者の方が感じるさまざまな不安に対しても、エビデンスをもとにわかりやすく解説をしてくれています。また離乳時につまづきやすいポイントについても丁寧に解説してくれているので、「子どもが離乳食を食べない」そんな悩みをかかえる保護者の方に役立つ一冊です!脳科学の知識から、発達障害を理解するーー『改訂版脳からわかる発達障害』本書は、2009年に刊行された『脳からわかる発達障害』の改訂版です。著者は、教員や指導主事として、発達障害、不登校、非行など多様な子どもの教育に関わってきた鳥居深雪さん。LD、ADHDなどがある子どもたちは、日常生活のなかでさまざまな問題をかかえることがあります。本書では、脳科学の知識をもとに、発達障害のある子どもたちが日常で抱えやすいトラブルについて解説しています。また、鳥居さんがこれまでの経験から学んだ支援のコツや具体的な事例も、紹介されています。脳科学の基礎知識から子どもの行動をわかりやすく説明した本書。子育てをしている保護者の方や、支援者など、教育・子育てに関わる方におすすめしたい一冊です。
2020年10月17日