息子が習っている道場で習い始めた空手フィットネス。そこで出会った60代の先輩ママはレッスン中、バテ気味の私たちを横目に淡々と練習。パンチやキックのフォームも美しく見本に選ばれるほど。どうしたら彼女のようにパワフルに年を重ねることができるのか、普段何をして体を鍛えているのか聞いてみたところ、50代から始めたジム通いについて教えてくれました。★関連記事:「年だからと諦めていた私が…」筋トレでアラフィフ女子の垂れじりが変わった!【体験談】空手フィットネスで出会ったジム通いの達人通い始めた空手フィットネスでしばしば一緒になる60代の先輩ママ。最初は年齢をちょうど私と母の間くらいかなと見当をつけ、母に比べて痩せているしシャキッとしていて元気そうな方だなと思っていました。ところが一緒に練習をしていると、ただ元気だというだけでなく、例えば新しく教えてもらった型もすぐにできてしまうのです。体重移動や手足の動かし方などを先生にさっと質問をして、ロジカルに理解したら、すぐに体現できる器用さがありました。頭の回転も早く、身のこなしも軽やか。タフさもあり、後半バテ気味な私たちを尻目に、休み時間も黙々と練習を続けています。フォームがとても美しく、先生が見本の型に選ぶほど。ひょっとしたら自分より身体的には優れているのかもしれない。そう思うほど、身のこなしが若いのです。「彼女は、普段一体何をしているのだろう?」。何度かご一緒するうちに、そんな疑問を抱くようになりました。50代から始めたジム通いは毎日欠かさずある日、練習後に60代の先輩ママとおしゃべりをする機会に恵まれました。「普段から何か鍛えていたりするんですか?」とずっと気になっていたことを尋ねてみたところ、「今は通っていないのだけど、50歳になってからジムに通ったのがよかったのかも」と教えてくれました。立ったままピンと背筋を伸ばして水を飲みつつ、にこやかに答えてくれた彼女に、どれくらいのペースで通っていたのか聞いてみたところ、「毎日ですね」とさらっと答えたことにびっくり! 聞くと、当時はまだお子さんも高校生。しかも働いていたため、夕方仕事を終えたらいったん帰宅して、掃除、洗濯、夕飯の準備などひと通りの家事をこなしてからもう1度電車に乗って、夜ジムに通っていたというのです。「面倒くさくなることとかなかったのですか?」「ジムでは何をトレーニングしていたのですか?」「おすすめの筋トレなどあったら教えてください」。矢継ぎ早に質問する私に、彼女は1つずつ丁寧に答えてくれました。「面倒くさくなるときだってもちろんありましたよ。でも、毎日通うと決めたから意地になっていたところはありましたね」「トレーニングの内容は、ボクササイズと筋トレ。毎日行っていたのでジムのスタッフの方とも顔見知りになり、相談しながらメニューを調整していました」「コアを鍛える運動は毎日すると良いと思います。まずはコアをしっかり作ることがどんなスポーツをする場合も大事ですよね」彼女は毎日、仕事をして帰宅して家事。夜はジム通いの日々をなんと10年も続けたと言い、「子どもが高校、大学、社会人になってもそんな生活を続けていたので、子どもから『お母さんは何を目指しているの?』とよく聞かれましたよ」と当時のエピソードを笑って話してくれました。私は今まで朝ランニングをして、空手フィットネスをしているのでかなり運動をしているほうだと思っていましたが、改めて上には上がいるのだと思い知った瞬間でした。まだまだ頑張れる!気持ちが前向きに変化私も平日は仕事をしているので、夕方帰宅するとすぐに子どもの宿題を見て、夕飯を作って、お風呂を掃除して。子どもたちが入浴中に宿題や手紙のチェックをし、洗濯物を畳みながらソファに座ってしまうとなかなか次の家事に移れないほどヘトヘトになってしまいます。彼女はここからジムに通っていたんだと知ってから、まだまだできると思うようになりました。「年を取るのは簡単でしょ? できる限り年を取らないように努力すれば、老化は確実に遅らせることができます。結局、すべては自分次第ですよね」。10年以上、毎日ジム通いを続けた理由をそう語った彼女の言葉が、今も心に残っています。仕事や家事のあとに毎日ジムに通うなんて絶対無理に決まっている。挑戦する前から諦めてしまっていましたが、限界は自分が決めるのだと今は思っています。とはいえ、わが家は子どもがまだ小さいため、まず始めたのが洗濯物を立ったまま畳むこと。また、インナーマッスルの強化にはプランクが効果的という記事を読み、プランクは毎日するようにして1カ月、パソコン作業中も背中が丸まらなくなってきています。まとめ彼女のように元気に年を取りたい。あれから何度か空手フィットネスで一緒になりましたが、どんどんできることを増やしてレベルアップしている彼女は、私にとって憧れの存在です。自分で限界を決めてはいけないんだ。周りから見たら無謀に思えることも、自分にとって必要だと思うのならば、臆さずに挑戦してみよう。そんなふうに思えるようになったのは、彼女の影響です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/みうママ(50歳)昨年閉経を迎えた更年期ママ。泣く、怒る、時々笑う。喜怒哀楽の激しさに拍車がかかる日々。思春期の娘VS更年期の母という戦いに明け暮れている。パパと息子の男性陣は戦々恐々。地雷があちこちに埋まっているファミリー。家族は夫、1男1女の4人家族。
2023年04月22日眉間のシワが気になり始めたアラフィフ主婦のへそさんのマンガを紹介します。服も脱げず、寝返りすら打てなくなるほどの肩の痛みに悩まされていたへそさん。日々痛みに耐えながら、精神的にもつらい思いをしていました。そんなある日、夫にとあることを指摘されて……!?★前の話へそさんは腕のだるさや肩の痛みから、もしかしたら自分は五十肩になったのではないかと思っていました。お風呂に入るのもやっとというほどの状態にへそさんは悩んでいました。そんなしんどい日々を過ごしていましたが、ある日へそさんの夫から「なんか良くなってない?」と肩に変化が起こったことを指摘されました。こんにちは。アラフィフ主婦のへそと申します。ひどい肩凝りがあった私は毎日肩周りのストレッチをおこなっていたのですが、ある日腕を前後に動かすと肩から二の腕にかけて激痛が走るようになってしまっていました。それ以降肩の調子は悪くなるばかりで、ついには自分で服を脱いだり背中を洗ったりすることもできなくなってしまいました。夫にサポートしてもらいながら、肩の不調と付き合っていました。すると、いつの間にか肩の不調は治っていたのです! 特別何かしたわけでもなく、私自身も自覚がなく、夫に指摘されて初めて気付いたくらいでした。知らぬ間に腕を上げたり、自分で服を脱いだりできるようになっていたという謎な事態。五十肩だったのか……それは不明なままですし、肩の状態が元通りになったというわけではありません。ですが、痛みで夜も眠れないという最悪の状態は脱することができました!--------------自分でも気付かない間に肩の状態が改善されていたというへそさん。体に不調があると生活の質も悪くなってしまいますし、症状が良くなってよかったですね。しかし何か不安なことがあるときは、ちゃんと病院に行くことも大切ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/へそ(52歳)バツイチ再婚同士の夫と2人暮らし。最近の悩みは眉間のしわ。ブログ「おそがいチャンネル」にて日々の気付きを絵日記にしてつづっている。
2023年04月21日イラストレーター&漫画家のフカザワナオコさんは、アラフィフ女子の日常についてマンガにされています。今回は、フカザワさんが家事の合間に実践している、ちょっと変わった表情筋のトレーニング方法についてお届けします。★前の話日中、ずっと家で1人で仕事をしているフカザワさん。コロナ禍によるマスク生活も加わり、表情筋が完全に衰えてるのを感じたフカザワさんが始めた表情筋トレーニングとは……。もうほんと表情筋がやばい!日中は家でずっと1人で仕事しているので、夫が帰って来るまでは本当にずっと無の表情なのです。表情筋が完全に衰えているのを感じていて、しかもコロナ禍中のマスク生活もあるし、シワとたるみがすごいなと……。しっかり顔が疲れているのがわかる!さすがにどうにかしたいといろいろ考えてみたのですが、家事をしてる何げない時間に、モノマネ芸人のコロッケさんがモノマネのときによくやっている「目とか口をニン!って上に上げている表情」があるのですが、それをマネするようにしてみたのです。なかなか普段はしない表情なので、顔の体操になりそうだなぁと。そうしたらこれがなかなかどうして、表情筋をすごく使ってることを実感できて!お茶碗を洗っているちょっとの時間でもやってみると、しっかり顔が疲れてるのわかるんですよね。コロッケさんありがとう!別にどこかで披露するわけでもないけど、家で1人でコロッケさんがやるモノマネのマネをして表情筋を鍛えるわ。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フカザワ ナオコ(49歳)イラストレーター&漫画家。コミックエッセイを主に描いている。2021年9月8日に新刊『40代が、こんなにしんどいなんて聞いてなかった』(1430円/幻冬舎)が発売。絵日記ブログ「ひとこま作者」を日々更新中。 Instagram:@fukazawanaoko1973
2023年04月20日眉間のシワが気になり始めたアラフィフ主婦のへそさんのマンガを紹介します。五十肩を解消するためにストレッチなどをおこなっていたというへそさん。しかし、五十肩は日に日にひどくなるばかり。ついに自分で服を脱ぐことすらできなくなってしまったへそさんは……。★前の話元々肩凝りがひどかったへそさんは、日々ストレッチをおこなっていました。肩や腕にだるさや痛みを感じながらも、コロナ禍だったためなかなか病院へは行けずにいました。ですが、五十肩は日を重ねるごとにひどくなる一方。Tシャツを脱いだり背中を洗ったりすることが大変になってしまったへそさんを救った人とは。こんにちは。アラフィフ主婦のへそと申します。腕を前後に動かしたとき、肩から二の腕にかけて痛みが出ることがきっかけでした。前後できないだけで、上下には動くから五十肩ではないでしょ〜と思っていました。しかし、五十肩の症状に当てはまることが増え、自分もついに五十肩になったのかもしれないと思い始めました。日に日に痛みはひどくなり、うかつに寝返りも打てないほどに。他にも腕のだるさなんかもあり、精神的にもつらくなっていました。ただこのころは新型コロナウイルスが猛威を奮っていたこともあり、なかなか病院に行こうとは思えず……。服を脱ぐのもひと苦労な状態になっていたところ、夫が献身的に私を支えてくれました。お風呂で背中が洗えず困っていたときも、一緒にお風呂に入って背中を洗ってくれたり……本当にありがたい限りでした!--------------肩の痛みで身も心もつらい思いをしていたへそさんを支えてくれたのは、へそさんの夫でした。夫婦でお風呂に入るのは気恥ずかしい部分もありますが、へそさん夫婦のように背中を流してあげられるような関係はすてきですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/へそ(52歳)バツイチ再婚同士の夫と2人暮らし。最近の悩みは眉間のしわ。ブログ「おそがいチャンネル」にて日々の気付きを絵日記にしてつづっている。
2023年04月20日在宅で仕事をしている私。頻繁に納期の短い仕事が入るため、基本的に長時間作業になり、ほぼ徹夜で仕上げる場合もあります。40歳を過ぎた途端に老眼が始まり、50代突入後は近くを見やすくするために度数を落とした眼鏡を愛用するように。最近ではパソコン作業中に画面がチカチカ、目はショボショボ、まぶたはピクピク。調べると眼精疲労の症状らしく、目の疲れを取る方法をいくつか試してみました。★関連記事:「お年ごろですからね」つらい眼精疲労で眼科を受診すると医師から衝撃のひと言が!【体験談】デジタル機器の設定変更と使い方を工夫パソコンを使った仕事中やスマホの使用中に目の調子が悪くなるため、原因はデジタル機器にあると確信。そこで、最初にスマホやパソコンそしてタブレットの設定変更とブルーライトをカットしました。文字設定は大きく、画面の明るさは読書灯モードに変更し、パソコンにはブルーライトカットフィルムを貼ってしばらく目の様子を観察することに。すると試してすぐに目の疲れがかなり和らぐのを実感! 特にパソコンのブルーライトをカットしたら、使用前と使用後で驚くほどの違いを感じました。仕事用ノートパソコンは光沢液晶画面なので、ブルーライトを抑える反射防止シートを貼ると光の反射でチカチカしていた画面がかなり落ち着いて穏やかな見え方になり、目のショボショボがほぼ消え去りました。これと同時に、目の症状を明らかに悪化させていると思われる長時間連続でのパソコン作業環境も改善するべく、頻繁に休みを入れることを実践。意識して同じ姿勢を取り続けない工夫をし、目の周りと体全体の筋肉が凝らないようにしました。休憩を入れることで目から首・肩にかけての引っ張られたような凝りが消え、画面を凝視しながらの長時間作業がどれだけ体に悪影響だったのかがわかりました。目に良い食べ物やハーブティーを摂取口からとるものは体の健康状態に大きく影響すると考え、次に試したのは眼精疲労に良い成分を含む食べ物を食べたりハーブティーを積極的に飲むこと。目にはブルーベリーが良いとよく聞くので調べてみると、含有成分であるポリフェノールの一種「アントシアニン」に抗酸化作用と血液の循環を改善する働きがあり、目の疲れに効果的だとわかりました。アントシアニンを含む他の食品はアサイー・ビルベリー・ハイビスカス・黒豆などがあり、アサイーは鉄分・アミノ酸・ビタミンCも豊富だと知り、早速毎日の食事に取り入れました。アサイーピューレとブルーベリーや、疲れ目に良いとされるビタミンB群などの栄養素が強化されたシリアルを大好きなギリシャヨーグルトに入れたり、マンゴーや豆乳を混ぜたスムージーもお気に入りのレシピです。疲労回復に良いビタミンCとクエン酸も含まれるローズヒップ&ハイビスカスティーも常飲しています。水晶体やその奥の黄斑に多く含まれて抗酸化作用を持つ「ルテイン」という成分も疲れ目に良いそうです。ルテインの量は加齢によって減少するそうなので、含有食品であるブロッコリーやケール、ほうれん草をさっと塩ゆでしてサラダを作ったり軽く炒めたりして積極的に食べています。マッサージと蒸しタオルで目をリラックスパソコン画面を長時間見続けたために血行が悪くなっていると思い、疲れ目に効くマッサージの方法をネットで調べてみました。そのマッサージを参考にし、アロマオイルを使って試してみました。まずロールオンできるアロマオイル(リラックスや安眠向けの香り)をこめかみや首の後ろ両側に塗って、やさしい香りに包まれます。目の周りのツボを参考にしながら眉の下のくぼみに沿って親指で指圧のように外側に向かって軽く指圧し、人差し指でこめかみに円を描くようにマッサージして、下まぶた側のくぼみと頬の間あたりを人差し指・中指・薬指でゆっくり押し、最後に頭全体のマッサージをすると、目の周りの凝りや張り、緊張がスーッと抜けていきました。マッサージ後に濡れたタオルを600Wの電子レンジに約1分入れて蒸しタオルを作り、少し冷まして目の上にしばらく乗せます。すべてに時間をかけておこなうので頻繁にはできませんが、仕事のない夜や比較的時間を取れる日には仕事や家事の合間におこなっています。目の疲労も取れるし、何よりも心も体もゆったりとした気分になれるので大好きな時間です。アロマのロールオンはいろいろなブランドの商品があるので、香りを試してお気に入りを探すのも楽しみになりました。まとめ目の疲れで学んだことは、体のメンテナンスの大切さです。健康を保ちながら長寿を全うするためには、質の良い食事や睡眠、運動など自分でできることを怠らないこと。そして症状がある場合には、医療機関の受診に加え周りの人の体験談やネットの情報も試してみる価値があると思いました。今回は医療機関に行く前に治ったのでホッとしていますが、やはり20代のころのように無理はきかないので、今後は全身をしっかりメンテナンスしていくつもりです。そして自分の体の状態を常にチェックし、少しでも異常が出たら先延ばしせずにすぐ対応して元気で長生きを目指していきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/よーさ(52歳)英語なんでも屋・ライター。長い海外生活で気付いたらストレートの髪が天パに。現在は夫と思春期の息子と南国に暮らす。40歳で老眼、50歳で白髪が増えホットフラッシュに苦しむ。仕事で不規則な生活なため運動不足解消に時々走ったり泳いだりする。甘い物が大好きで困っている。
2023年04月19日40代のころから、家事に育児、役員活動とフル回転で頑張ってきました。最近疲れが取れない、動悸がすると思っても、加齢のせいだろうと特に気にもせず軽く考えていました。動悸も疲れやすさも、更年期にありがちな症状だからと、ついつい見過ごしてしまっていたのです。しかし、更年期の症状だと思っていたのに実は怖い病気の症状だったという私の体験を紹介します。★関連記事:閉経後はリスクが高まる「心臓病」。胸だけではなく、顎やおなか、歯にまで痛みが出るって本当?最近、体調が悪いけど加齢のせい?40代前半、子どもは小学校低学年で私は育児の真っただ中。しなければならないことも多くPTA活動や町内会活動、育児に家事と、自分の時間がほとんど持てないのが悩みの種でした。ほんの少しでも時間ができれば、親しい友人とランチしたり、趣味の読書や音楽鑑賞を楽しんだりしてリフレッシュ。そんな生活の中、なんとなく体調がおかしいなと感じる場面がありました。でもそれは、最近疲れやすくて寝てもなかなか疲れが取れない程度のこと。「私ももう40代。いい年だし、加齢のせいかな」なんて軽く考えて毎日をやり過ごしていました。ところがある日、明らかにおかしなことが起きました。すべきことを終えていつものように床に就いたのですが、突然、動悸で目が覚めたのです。動悸は、寝ているのにまるで走ったあとのような速さでした。 また、2年ほど前から異常に空腹感を覚え、以前の2倍以上は食べているにもかかわらず太らないどころか痩せていくという症状もありました。今思うと明らかにおかしい症状なのに、疲れているから動悸もするし、忙しいからおなかがすく、疲れやすいのは加齢が原因、年齢的にも更年期だと決めつけていたのです。突然倒れて救急搬送、意外な病気が判明一連の体調不良は加齢によるものだろうといつものように忙しく過ごしていたある日、なんと、私は突然倒れて救急病院に搬送されました。そのときの症状は激しい回転性のめまい。前の晩はいつもの動悸は感じたものの、普段と変わりなく就寝。しかし翌朝トイレに起きようとすると、自分の周囲が回っているのです。少しでも動いたり目を開けたりすると気持ちが悪い状態でした。ひとときも立っていられず、目をつぶったままその場に倒れ込んでしまいました。異変に気付いた家族が、ただごとではないと救急車を呼んでくれました。病院では、脳の病気を疑われCT検査などをしたものの異常はなし。やっぱり過労かとひと安心したのですが、担当医は私の問診内容から血液検査を受けるようにすすめてきたのです。どういうこと? 心配な病気だったらどうしようと結果が出るまでそれはそれは不安でした。そして血液検査の結果、バセドウ病の疑いがあることが判明。しかも検査値がかなり高いということで、すぐにでも治療が必要だと専門病院を紹介されました。定期的な通院、検査、服薬の日々から完治へ専門病院では詳しい血液検査がおこなわれました。検査の結果、重度のバセドウ病と診断されました。バセドウ病とは、甲状腺という臓器から出る甲状腺ホルモンがなんらかの理由で過剰に分泌される病気で、症状としては疲れやすさ、動悸、めまいなどがあります。甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることで、体は休みなく働き続けることになるのだそうです。安静時に動悸がしたのも、空腹で食べても太らず痩せていったのも同じ原因だとわかりました。放っておけば血栓ができて死ぬこともあると言われ、単なる加齢による疲れだと考えていた私は、目が覚めた思いでその日から真剣に治療をスタート。治療は主に投薬治療。メルカゾールという薬を処方され服用して3日後、全身に副作用の薬疹が。すぐに別の薬に切り替えてもらい、数年間検査をしながら服用を続けました。通院も1週間に1回と頻繁で、携わっていた役員活動はとても続けられません。役員仲間には事情を話し、お休みすることに。 迷惑をかけていることが悩みでしたが、自分のためにも家族のためにも治療に専念することを決意したのです。結果、徐々に検査値も改善。体調も良くなり、治療から5年後には完治し、10年後の現在は元気に過ごしています。まとめ40代から50代にかけての体調不良は、加齢によるものと軽視しがちでした。私は家事や育児、役員活動、大忙しな毎日。そのため、体調がおかしいと思っても、更年期の症状だろうと、ついつい自分の健康は後回しにしてしまいました。しかし今回の件で、私は命に関わる病気が潜んでいる可能性もあると思い知りました。少しでもおかしいと思ったら、ためらわずに早いうちに適切な治療を受けることで、その後は悩みなく健康な生活を送ることができるのだと実感。今後は、大事な家族を悲しませないためにも自分のためにもくれぐれも安易に考えず、どこか少しでもおかしいと思ったら病院を受診するようにしたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/catholic (55歳)ネコが大好きな50代の主婦。仕事が休みのときには副業ライターとして活動。完全オフのときにはかわいいネコ動画鑑賞で癒され、読書や音楽鑑賞を楽しんでいる。
2023年04月18日イラストレーター&漫画家のフカザワナオコさんは、アラフィフ女子の日常についてマンガにされています。今回は、数年前に見たテレビ番組で、いまだに強く印象に残っているエピソードについてお届けします。★前の話フカザワさんがあるテレビ番組の、「タイプ別髪の毛のお悩み大解決!」というコーナーを見ていたときのこと。髪の毛にボリュームがないと悩んでいる女性を見て……。私はむしろその髪の毛になりたくて…もう何年も前に見たテレビ番組のコーナーだったんですけど、すごく印象に残っていて、いまだにふと思い出しちゃうんですよね。髪のお悩みに美容師さんがアドバイスするっていうもので、髪の毛がまとまらなくて困っているボサボサタイプの女性と、逆に髪の毛の癖がなさ過ぎてどんな髪形も長持ちしなくて困っているっていうペッタリタイプの女性、それぞれ1人ずつ登場していて。それを見たとき、髪の毛に癖がないっていうのが悩みになるのか!とすごく驚いてしまったのでした。というのも私はまさに、前者の髪の毛がボサボサに膨らみやすくまとまらなくて困っているタイプだったので、癖のない髪の毛が本当にうらやましくて……。むしろ私はその「ペッタリで悩んでます~」っていう女性のような髪の毛になりたくて、ストレートになるっていう高いトリートメントを使ったり、ドライヤーのかけ方をいろいろ試みたりしているので、なんだか複雑な気持ち……。でもこれって結局、当事者になってみないとわからない悩みだったりするんですよね。ペッタリな彼女も髪の毛にボリュームを出すために日々苦労しているのかもしれないし、したい髪形ができないっていう悩みもずーっと抱えているのかもしれないし……。クセ毛はナチュラルパーマみたいですてき!?そういえば、この間髪を切ってもらった美容師さんが褒めじょうずな方だったようで、私が「クセ毛で悩んでいて~」っていう話をしたら、「えー! ナチュラルなパーマみたいですてきですよ! ワックスを軽く付けるだけですごくいい感じですよ!」と言ってくださって。営業トークも込みなのは百も承知だけど、自分ではこの癖の強い髪の毛をそんなふうに思ったことがなかったので「そういう考え方もありなのか!」と、とても驚いたのです。髪の悩みって、考え方や捉え方一つなのかなぁと。癖のない髪の毛への憧れがなくなることはないと思うけど、でもペッタリヘアで悩んでいた女性や褒めじょうずな美容師さんを思い出すと、髪への悩みも人それぞれだし、ないものねだりなのかもなぁとしみじみ思ってしまいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フカザワ ナオコ(49歳)イラストレーター&漫画家。コミックエッセイを主に描いている。2021年9月8日に新刊『40代が、こんなにしんどいなんて聞いてなかった』(1430円/幻冬舎)が発売。絵日記ブログ「ひとこま作者」を日々更新中。 Instagram:@fukazawanaoko1973
2023年04月17日40代になってからというもの、子育て、両親の世話、仕事など活動量が多くなるのに、体力が低下していると感じるようになりました。他にも寝汗がひどくなってしまったり、不調を感じることが増えました。しかしこの体力低下について、ほんの少し行動を起こすことで改善する糸口を見つけることができました。その改善法についてお話しします。★関連記事:冬なのに寝汗で目が覚めるのがつらい! ホットフラッシュによる寝汗を減らすために心がけた3つのこと自分に向き合うことができないと感じる日々40代になり、子育てや両親の世話、仕事などで多忙を極めるようになりました。それなのに更年期や加齢の影響で体力の低下を実感し、事がうまく進まず焦燥感からかイライラが最高潮に達してしまうことも……。自分と向き合う時間を取ることは大切だと思うものの、それができればこんなことにならない!早朝から家族のお弁当の準備、会社での仕事、帰宅後の家事、週末は実家の掃除をしたり介護とは言わないものの父の様子を見たりと、とても「自分に向き合う時間」はないと思っていました。コントロール不可能な体調不良が襲うように私は更年期に入った辺りから生理前の高温期に入ると寝汗がひどくなり、生理が始まると寝汗が引くというサイクルでした。しかし45歳を過ぎたころからは生理が始まっても寝汗がおさまらず、夜中に2回も着替え、シーツも毎日洗濯していました。次第に睡眠不足、体重低下も起こるようになり、日々の活動に大きな影響が出始めました。仕事に集中できずミスが増え、記憶力が低下して約束をすっぽかすなど、まさにコントロール不可能な体調不良からすべてがうまくいかなくなってきました。何げない会話に情報が詰まっているこのカードは本物ではありません会社での休憩時、先輩に寝汗と体重減少のことを話したところ、評判の良い婦人科に知り合いがいるとのこと。場所も近所だったことから早速婦人科に行ってみました。先生にしっかり話を聞いてもらい、更年期障害から来る自律神経の乱れと診断され、自律神経を調整する効果があるというトラゾドン塩酸塩錠、メイラックス錠、加味帰脾湯(かみきひとう)などの薬を処方してもらいました。薬を飲み続けたところ、気持ちも落ち着き、あんなにひどかった寝汗もなくなりました。スマホやパソコンで症状について調べることは便利ですが、同じ経験をした周囲の先輩や友人と会話し、リアルな情報が解決の糸口となり何げない会話に情報が詰まっているのだと実感しました。まとめ周囲に相談したくても時間がないことやプライベートな内容なため、相談を控えてスマホやパソコンで調べて結局ひとりで悩み過ごす日々。病院もどこへ行ってよいか迷っているうちに症状が悪化することもあるので、まず情報収集の第一歩として周囲で同じような経験をした先輩や友人に相談をすることで、解決の糸口が見つかるかもしれないと思った出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/伊達 敦子(49歳)13歳と11歳と9歳の3児の母。フルタイム会社員、共働きをしながら子育て中。時短アイテムをフル活用し、家族との時間を確保することに励んでいる。
2023年04月17日生まれたばかりの娘を見て、次は男の子だと言い放った義父。その後も会うたびにプレッシャーをかけてきて、幼児だった娘を伴って遠方へ墓参りに連れて行かされ、なんと家系図まで持ち出してくる始末。それでも心が動かない嫁の姿を見てか、ほめ殺しまで。そんなにも跡継ぎ男児が欲しいのかと、義父の執念には驚かされました。男児誕生まで続いたその執念の記録を紹介します。★関連記事:「元気でいてもらわないと」妻が健康でいるのは夫や子どもの世話係のため!? 義父の衝撃発言にドン引き男児が誕生するまで義父の執念は続き…娘の顔を見た瞬間に義父が衝撃のひと言現在16歳になる娘が生まれた日のことです。夫が義父に、無事に生まれたことを電話連絡するやいなや、翌日には遠方から娘の顔を見に夫婦で駆けつけてくれました。さぞかし喜んでくれると思いきや、義父は衝撃のひと言を放ったのです。生まれたばかりの娘をのぞき込みながら、「次は男の子だなあ」。初めての出産で、陣痛に丸1日以上苦しみ、やっとの思いで娘を世に産み出した翌日にです。あまりの無神経発言に、その場にいた実母も夫も義母も一瞬あっけにとられていました。慌てて、「ほんとかわいいわねえ」と義母が気をつかい、話をそらしてくれたのですが……。しかし、そんな程度で諦める義父ではありません。娘が生まれて1カ月後にまた義両親の訪問があり、そのときもしきりに、「次は男の子だ!」を連呼し続けていたのです。さすがに、義母も夫も気にしないようにと私に声をかけてくれたのですが、そんな周りの様子などお構いなしで、わが家に訪問するたびに、義父は同じ発言を繰り返していました。当の私は、あまりに初産がつらく、その後の育児も思いとは裏腹にうまくいかないことの連続で、くたくたになっていたのです。もう子どもは1人で十分だと。義父は家系図まで見せてきた私の意思を尊重してくれ、義父以外の人は、誰も「2人目を」というプレッシャーを与えてくることはなかったため、気が付けば3年以上の月日が経過し、娘は幼稚園の年少になっていました。しびれを切らした義父は、旅行を企画してきたのです。電車をいくつも乗り継がなければいけないような、ものすごく遠方にある義父の先祖の墓参りでした。当時の娘は体が弱く、すぐに高熱を出してしまう子だったため、幼稚園を理由にやんわり断りを入れました。しかし、「幼稚園など休ませればいい」のひと言で片付けられ、その墓参り旅行に参加することになりました。案の定、観光地でも何でもない辺ぴな場所にあるお寺で、お坊さんの長い説法を聞かされ、蚊が大量発生しているような墓に連れて行かれ、娘はぐずってしまいました。さらに追い打ちをかけるように、宿に着くやいなや、私と娘が義両親の部屋に呼ばれたのです。そこには、家系図が広げられていました。特別由緒のある家系でもなく、ごく普通の家ですが、古い先祖の話から刻々と聞かされ、これを途絶えさせないために男の子が必要だと説明を受けたのです。そのじょう舌さと形相から、義父の執念を感じた瞬間でした。最後はほめ殺し作戦でそれでも心が動かない嫁の姿を見てか、すると今度はほめ殺し作戦に切り替えてきたのです。第一弾は、キリのよい年齢の誕生日でもないのに、義父から30本のバラの花束が私宛てに贈られてきました。今までの人生で、夫はおろか歴代の彼からもそんなプレゼントをもらったことがなかったため、ありがたくいただき、部屋に飾りはしましたが……。翌年の誕生日には、第二弾といわんばかりに、アレンジメントフラワーが届きました。もちろん、こちらもありがたくいただき、お礼の電話をして部屋に飾りました。さらに、会うたびに「あなたは笑顔がいいね」とか、「この料理はうまいね」とか褒められるようになったのです。このころには、直接的に「跡継ぎの男の子が欲しい」とか言われることはなくなっていましたが、何か魂胆が見え隠れしており、素直には聞き入れられませんでした。その後、娘の育児がラクになってきたこともありますが、私の中で2人目が欲しいという思いが湧き上がってきたため、娘の出産から5年経過して、妊活を再開しました。そして6年ぶりに第2子として男の子を出産したのです。まとめ2人目が男の子だったこともあり、まさに義父の執念が実った形でもありますが、2人目は私としては義父の思いをくんでのことではなく、自分の中で機が熟しただけです。当然生まれてきたのが男の子だったのは偶然に過ぎません。でももちろん、娘も息子もかわいくて仕方ない存在です。もし2人目も女の子だったら、義父は果たしてどのような態度を取ってきただろうと思うこともあります。それにしても何としても跡継ぎ男児が欲しいと、手を替え品を替え、5年にわたった義父の執念にだけは感服します。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/竹みか(46歳)小4男子と高1女子の母。食べるのも作るのも大好きぽっちゃりオバチャンでしたが、半年前に一念発起。ダイエットに目覚め、体重15kg、体脂肪率7%落とすのに成功。今も絶賛継続中!
2023年04月14日若いころからアトピー性皮膚炎で、刺激の強いシャンプーやスプレーなどが苦手だった私。40歳を過ぎたころから白髪がチラホラ、45歳を過ぎるとかなりの本数の白髪に悩まされるように。しかし、市販の一般的な白髪染めは刺激が強すぎて私には合いません。困り果てていた私を救ってくれたのは、母が紹介してくれた「ヘナ」でした。★関連記事:染めるほどツヤがアップ&髪しっとり! セルフでもできる「ヘナ染め」に変えて正解!【体験談】45歳を過ぎて白髪が大量に増える40代後半には1、2本だった白髪が、45歳を過ぎるとあちらこちらに見られるようになりました。私の定番のヘアスタイルは、ロングヘアをサイドでぎゅっとしばるスタイル。髪を下ろしている人に比べると白髪は目立ちにくですが、本数が増えてくるとさすがに目立ってきます。私は普段はノーメイクで服装もカジュアル、性格も大雑把なほうです。「白髪も少しぐらいあってもいいや~」と軽く考えていました。ちょっとした外出のときには、ヘアカラースティックで目立つ白髪だけ染めていました。ところが、ある日手鏡で後ろの髪の毛に白髪が無数に混じっているのを発見した私は、ぞっとしました。まさか、ここまで増えていたとは……。いくら無頓着な私でも、これ以上は放っておけません!肌が弱くて一般的な白髪染めは使えない私は、今まで白髪のお手入れをさぼっていた自分を恥じました。こんなにたくさんの白髪がある私の後ろ髪を見た人たちは、私のことをおばあちゃんと思っていたかもしれません。「今度こそ白髪をなんとかしないといけない!」と一念発起しますが、どんな白髪染めを使ったらいいのかわかりません。私は幼少期からアトピー性皮膚炎で、さまざまな化粧品やシャンプーにかぶれてきました。流行のシャンプーやコスメに憧れても、肌が弱いため使うことはできませんでした。40歳を過ぎてからは、頭皮の吹き出物が顕著に。刺激の強いシャンプーを使うと、頭皮のかゆみや痛みが強く出てしまいます。そのため美容院に行くこともおっくうになり、ロングヘアの毛先を自分でカットしていました。試しに友人が使っている白髪染めを使ってみましたが、見事にかぶれてしまいました。やはり私に合う白髪染めはないのかもしれない。そんなふうに落ち込んでいきました。ヘナならかゆみがなく髪がツヤツヤに市販の白髪染めでかぶれてしまった私を救ってくれたのは、70歳の母でした。母がすすめてくれた「ヘナ」は、植物100%の天然の白髪染めで、髪や頭皮にやさしい白髪染めとのこと。これなら、肌が弱い私でも使えそう!早速借りて使ってみると、染め方も簡単。ヘナをお湯で溶いて練って、気になる部分に塗るだけ。シャワーキャップをかぶって40分経過したら洗い流して終了です。自然素材は人肌以上の温度で効果を発揮するため、ヘナをお湯で溶くことがポイントだそうです。シャワーキャップを被ったら上からドライヤーで熱を与えると、より染まりやすくなった気がします。使用後の感想としては、かゆみはほとんど感じませんでした。頭皮の吹き出物への刺激も気にならない程度。天然100%なので、頭皮に付着しても安心です。もともと化学的なものが苦手で無農薬食品やオーガニック野菜などを好む私との相性はよかったようです。肝心の染まり具合ですが、染めた直後は黒ではなく赤オレンジに染まっていました。しかし3日から1週間ほど経過すると、周りの髪の毛になじむ落ち着いた赤茶色に。ヘナの回数を重ねることで、より自然な色合いになっていきました。ヘナの草の匂いが気になるという人もいますが、私はあまり気になりませんでした。ヘナ染めの後は髪がツヤツヤになり、髪の手触りもよくなりました。初めてのヘナ染めの後は髪がごわついたという人もいますが、私の場合は大丈夫でした。母は、髪の健康のためにもヘナを使い続けたいと言っています。ヘナは完璧な黒髪にしたい人や即効性を求める人には向いていないかもしれませんが、もともと大雑把な性格の私には満足できる白髪染めです。肌が弱くても使える白髪染めの存在を知った私は、心から安心することができました。まとめアラフォー・アラフィフになって大量の白髪に悩まされた私を救ってくれたのは、自然由来の白髪染めヘナでした。ヘナは自然な色合いに染まるのに時間はかかりますが、肌への影響やアレルギーはほとんどないとのこと。長年アトピー性皮膚炎に悩まされてきた私ですが、特にトラブルを感じずに使うことができました。これからは定期的にヘナで白髪染めをして、もっとおしゃれも頑張ろうと思いました。人生100年時代、まだまだ老け込むわけにはいきません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/サトウユカ著者/neko(49歳)夫と両親の4人暮らし。バツイチ。コロナ禍で趣味の外食ができなくてストレスをためている。増加する一方の白髪と体重に悩み中。アトピー性皮膚炎。健康体の80歳を目指している。
2023年04月12日イラストレーター&漫画家のフカザワナオコさんは、アラフィフ女子の日常についてマンガにされています。今回は、ダイエットのために愛用しているものについてお届けします。★前の話数年前からカロリー計算アプリで、食べたものなどを毎日記録しているフカザワさん。珍しく間食をしなかった日があったのですが……。コメントが手厳しいカロリー計算アプリもう何年も使っているカロリー計算アプリなのですが……。その日食べたもののカロリーや運動量、体重などを記録することで「今日はちょっと食べ過ぎちゃったな」とか「じわじわ体重増えてきた!」とか気にすることでダイエットにつながるといいなと思い、続けています。1日分の食事や運動量を記録し終えると、その日の食生活についてのアドバイスをしてくれる仕様になっているのですが、それがなかなか手厳しくて!私はだいたいお菓子の食べ過ぎを注意されることが多く、まず褒められることがないんですよね。これは初の褒められパターン!?と思ったら…まぁ実際お菓子の食べ過ぎは自覚しているのでしょうがないんですけど、珍しく間食しなかった日がありまして、夕飯とかもそんなこってりしたものじゃなかったので「これは初の褒められるパターンか!?」と記録しながらドキドキ……。でも、カロリー計算アプリのその日のアドバイスは「今日は炭水化物(要するにご飯)が多かったようです」というもので、しかも「おかずを薄味にしてご飯の量を減らしましょう」という指摘までありまして。たしかにその日はいつもよりご飯を食べちゃったけど、そんなどんぶり飯を食べたわけじゃないんだし、それよりも間食しなかったことを褒めてくれてもいいのにー!いやいや、そんな甘いことでは健康的な食生活を送れないってことを、教えてくれているんですかね……。たかがアプリ、されどアプリで、やっぱり人って褒められたいと思ってしまうものなんだわ~。いつか褒めてもらえる日が来ると信じて、これからも食べたもの記録しようと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フカザワ ナオコ(49歳)イラストレーター&漫画家。コミックエッセイを主に描いている。2021年9月8日に新刊『40代が、こんなにしんどいなんて聞いてなかった』(1430円/幻冬舎)が発売。絵日記ブログ「ひとこま作者」を日々更新中。 Instagram:@fukazawanaoko1973
2023年04月11日難産だった私は、産後にひどい尿漏れを経験しました。当時は助産師さんのアドバイスにより改善。しかしその後、40代になり再びひどくなり……。尿漏れ専用の吸水パッドを使うという手もありましたが、そのお金をケチった私が自力で尿漏れ改善に取り組んだ体験談です。★関連記事:「出ちゃった…」40代更年期から急増する尿漏れ。どうして? 緩和できる?【医師監修】産後にひどい尿漏れを体験産後にひどい尿漏れを経験しました。出産後数日はちょび漏れどころか全部漏れ。立ち上がっただけでおしっこが出てしまい、止めることができずに全部出てしまう状態。とてもショックでした。私は30歳で出産しましたが、分娩室に半日こもるほどの難産で、結局会陰切開して吸引分娩になりました。そのせいか、尿道周辺にも比較的大きなダメージを受けてしまったようです。立っただけで漏れてしまうようなことは数日でなくなりましたが、その後も笑ったりせきをしたりすると、尿漏れで下着がびしょびしょに。このまま一生こうなの? 尿漏れを気にしながら育児するの? と不安で悲しい気持ちになりました。助産師さんに相談したところ、やさしく「産後の尿漏れはよくあること。少しずつ良くなるから心配しないで」と慰めてくれました。また、骨盤底筋のトレーニングをすると回復が早くなることを教えてもらいました。方法は以下の通りです。あお向けに寝て足を肩幅くらいに開き、膝を曲げる。尿道・腟・肛門周りを意識して10秒ほどぎゅうっと締める。脱力し、また2のように締めるのを10回ほど繰り返す。 このトレーニングは寝たままでできるので、産後の添い寝時間などにまめにおこなっていました。トレーニングを続けた結果、尿漏れは徐々に軽くなり、数か月ほどでなくなりました。ふとしたはずみに漏れることがなくなり、安心したことを覚えています。40代になってから再び尿漏れが…しかし出産してから約10年、40代になってから再び尿漏れが始まりました。くしゃみやせきをすると、軽く尿が漏れてしまうのです。テレビで見かける尿漏れ用の吸水パッドのCMも気になるように……。年齢的に仕方ないのかな、と老いを感じて少し悲しくなりました。 そんなある日、ドラッグストアの女子トイレを借りたところ、「あなただけではありません、恥ずかしがらずに尿漏れ専用パッドを買いましょう」というそのお店手作りの宣伝ポスターが貼ってありました。しかし私はケチなので、生理用品を毎月買っているのに、さらに尿漏れパッドまで買うのはお金がもったいない! と思ってしまいました。もし尿漏れパッドに頼ることになれば、この先何年も買い続けることになりそうです。節約できるものは少しでも節約したい! そんなケチケチ精神から、産後のことを思い出し「トレーニングで尿漏れを解消しよう」と決意したのです。尿漏れ改善のためのトレーニングその日から、尿漏れパッド代を節約すべく、産後に実践していた骨盤底筋を鍛えるトレーニングを再開しました。これに加えて、ピラティス講師をしているアラフィフの友人から教わった以下のようなトレーニングもおこないました。こちらは立った姿勢でのトレーニングです。 肩幅くらいに足を開いて立つ。 腟で空気を吸い上げるようなイメージで、尿道・腟・肛門周りを引き上げるように締める。友人のアドバイスによれば、尿道周辺を締めるときには、箱からティッシュを引っ張り上げるようにシュッと腟を上に引き上げるイメージで力を入れると良いそうです。私はこのトレーニングを通勤中の電車でしています。電車はいつも混んでいるし、スカートをはいていることが多いので、ひそかにお股を締めていることは誰にも気付かれていないはず……。この駅とこの駅の間はすると決めて、定期的におこなっています。トレーニングを地道に続けて半年ほどたち、今ではせきをしても、思いっきりくしゃみしても尿漏れしなくなりました! トレーニングをさぼるとまた尿漏れが復活しそうな気配を感じるので、毎日の習慣として継続しています。できるだけ長く、自力で尿漏れを防いでいきたいです。 まとめ産後の経験を生かして、尿漏れをトレーニングにより改善できました。地道にトレーニングを続ければ、骨盤底筋は鍛えられるようです。これからも続け、できるだけ長く尿漏れパッドにお世話にならずに生活していきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。著者/もめん(46歳)高校生の娘が1人の働く母。世界中のおいしいものが食べたい。特に甘い物が好き。おいしく食べるために常にダイエット中。食べること以外の趣味は、語学学習、読書、ヨガ、散歩。
2023年04月11日アラフィフまでキャリアを積み重ねて精神的・経済的には成熟してきたけれど、体力的にきつくなり「若くない自分」を感じずにはいられない年齢に。プライドだけが先に立ち、年相応にきちんとしなくては、頑張らなくてはという思い込みで焦ってしまい、空回りすることも。そんな私が思い切っていくつかのことをスパッとやめてみたことで、心と体がラクになった体験をお話しします。★関連記事:「え!? こんなところまで!?」鏡を見るのが怖い! 顔に現れる老化現象キャリアにしがみつくのをやめてみた40代から50代にかけては責任のある仕事を次々に任されるようになり、生活の半分以上の時間を仕事に割り当てていました。深夜残業や祝日出勤もいとわず、自称キャリアウーマンでいることに酔いしれていた私。昭和生まれのアラフィフの世代の私には、「つらくても頑張ればその先にはきっと良いことがある」という根拠のない根性論が身についていて、休んだり、仕事を辞めたりすることに不安や罪悪感を覚えてしまうところがありました。そのため、自分の体調よりも仕事を優先してしまい、気付いたころにはいつも疲れていて顔色が悪いただのおばさんに。50代になると40代のときの気力はすでになく、ぎりぎりの体力の中で自分を無理やり奮い立たせながら頑張っていました。「頑張る」という言葉には妙な魔力があるけれど、結局、自分を追い込んで無理した先にあったものは、心と体から声のない悲鳴を上げている自分でした。体調を壊し結核になったことが引き金となり、仕事を辞めて休養を取る選択をしました。他人の目を意識することをやめてみたアラフィフまでキャリアを積み重ねていくうちに、自分の中で「成熟したアラフィフ女性はこうあるべき」という固定観念に取りつかれ、周囲にはできるキャリアウーマンに思われたい、決してダサいおばさんには見られたくない、という願望があり常に周囲の目を気にしていました。50歳を過ぎた大人の女性なのだから、若者のようにはしゃいではいけない、感情を表に出してはいけない、年相応のスマートに見える服装を選ばなくてはいけないなど、周囲からスマートな女性に見られることにしがみついている自分がいました。多分、無難なアラフィフ女性に見えることで世間一般に属しているような安心感があった気がします。そんなある日、同年代の友人に言われたことでハッとしました。「もうアラフィフなんだから頑張り過ぎないで。人にどう思われてもいいじゃない」。仕事で成果を出すために50歳までずっと走り続けてきたけれど、自分に返ってきた結果は期待した周囲の評価ではなく疲れ切った心と体。他人にどう思われるかなんてどうでもいいことで、自分がどうしたいかが一番大切。そう気付いたことで、自分らしくいられるようになりました。決めつけるのをやめてみた年齢とともに経験を積み重ねるほど、常識という分厚い壁が目の前に立ちはだかり、もう若くはないから●●はできない、年齢的に●●を始めるのは遅すぎるなど、勝手に自分の可能性にフタをしていました。やってみなくてはわからないのに、経験値が高い分、やる前からリスクを計算し過ぎる癖がついて新しいことに挑戦する足かせに。実際に、自分が常識と思っていることは自分の経験値のみが物差しとなるため、「決めつけること」で視野や行動を狭めて、良く言えばコンサバ、悪く言えば臆病(おくびょう)なおばさんになっていました。「もう少し若ければ●●が始められるのに」と立ち止まっていましたが、ともにバリバリ働いていた大切な友人の死がきっかけとなり、挑戦できることの有り難味を改めて痛感。限られた人生の中で何かを始めてみたいと感じました。それを「思い立ったら吉日」と捉え、前から興味もあったので、地域に貢献できる子どもたち向けの英語のボランティア講師や、自分の可能性を広げるために副業でライターを始めてみました。何事も決めつけないで始めたことで、得意分野が増えたので、新しいことをとりあえずやってみる、ダメだったらやめればいいくらいの緩さで、いろいろと挑戦してみることにしています。まとめ「アラフィフのおばさんだから」という自分の偏見にとらわれ、知らず知らずのうちに50代のおばさんはこういうものという枠にはまっていました。とらわれない自分でいるためにこだわっていたことをすっぱりやめてみたら、心が軽くなり肩の荷がどさっと下りた感覚です。どうしてもっと早く気付かなかったのだろうと思うこともありますが、人生のプロセスをいろいろと踏んだからこそ見えてきたものだと思っています。頑張り過ぎない自分になれたことで、人生がより豊かになった気がしています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/いずみ(53歳)独身。コロナ禍を機に、人生における健康の大事さを実感し、里山に移住し田舎暮らしを楽しんでいる。
2023年04月09日通販で見つけた自然素材の白髪染めを使ったのが40代後半のとき。白髪が気になりながらも美容院代をケチって自分で染めていたのです。しかし、かぶれてかゆみを伴う結果に。他の白髪染めも使いましたが、結局は美容院で染めることになり現在に至った白髪染めの変遷について紹介します。★関連記事:「縮毛矯正は何歳まで?」「白髪染めと矯正は同時にできる?」美容師さんに相談してみた!【体験談】美容院代がもったいない!白髪とはこういうものなのかと身をもって知ったのは、40代半ばを過ぎたころでした。当時は美容院代節約のために髪を伸ばしていた私。結ぶために鏡を見ながら髪をかき上げると、ちらほら白いものが見えました。これが白髪かと思い、気付いた当初は大ショックでした。「嫌だな。なんとかしたい。これじゃ、老けた白髪のおばさんだ」と、鏡に映る自分の姿を見て思ったものです。そこに見えるのは、白髪姿でくすんだ肌の私でした。それまでは童顔のために年齢よりも若く見られることが多かったのですが、白髪があるともう若くは見えません。同じ年ごろのママ友たちに聞くと、美容院で染めている人、市販品で染めている人に分かれました。私はどうしようと思ったのですが、美容院はお金がかかると思い、まず市販品で染めてみることに。そのころは、子ども3人の学費や塾などの費用でわが家は火の車。長男は専門学校、次男は私立高校、長女は高校受験のために塾に行っていましたので、私の美容院代を出すのはきついと思いました。私も働いて子どもの塾代や習い事代、足りない生活費などは私が払っていたため、生活が厳しかったのです。自然素材なのにかぶれた?白髪染めはどんなものにしようかとネットを見ていたときに、当時多くのネット通販で扱っていた自然素材の白髪染めが目に入りました。値段も安いし、愛用者の声も多く載っていたので、なんとなく良さそうだなと思いました。何よりも自然素材なので、良いものに違いないと思いました。しかし、ここでふと気になったのは、何日か前に電話で話した私の母の言葉。「自然素材の白髪染めでかぶれた。かゆくてたまらなくなり、すぐにやめた」というのです。そのときは母に共感して「やめて正解だね」と話していましたが、それはこの白髪染めかもしれないと直感。とはいえ、どうしても使いたいという気持ちになり、たまたま母に合わなかっただけだと自分に言い聞かせました。自然素材なのだから、私には大丈夫と理由もなく思い込んでいたのです。思い立ったが吉日と思い、早速その白髪染めを手に入れ、すぐに書いてある通りに使ってみました。きれいに染まってくれるのに違いないと思いながら。けれども、そんな願いもむなしく、私も母と同じようにかぶれてしまいました。その白髪染めを使うたびに頭の地肌全体が我慢できないほどかゆくなり、こんなに頭がかゆくなったのは初めてのことで、母の言う通りだと思いました。その上、使い方が良くないのか思ったように染まらず、白髪部分は白いまま。シャンプー後にトリートメントのように使っていたのですが、髪を拭くと必ずタオルが茶色くなりました。ヘアカラーが染まり切らずに落ちたのだと思います。仕方なくその白髪染めを使うのをやめると、かゆみはピタッと治まりました。自然素材でもかぶれることがあるのだと、身をもって知ったわけです。安く済ませようとしたのですが、結局は無駄なお金を使ってしまいました。月1の美容院での白髪染めに落ち着いたあれから10年近くの月日が流れ、56歳になった私は月1で美容院に通って白髪染めをしています。子どもたちには手もお金もかからなくなったため、自分のためにお金を使えるようになったのです。あの白髪染め以来、他の市販品を使っていましたが、幸いかぶれることはありませんでした。しかし白髪が多くなり、自分で染めるのを煩わしく感じるように。私が使っていたトリートメントタイプの市販品だと色が持たず、頻繁に染める必要があったからです。ずぼらな私には向いていませんでした。そのため、5年前から市販の白髪染めはやめて、それまで年に1回ほど行っていた美容院に月1回行くことにしました。定期的に行くことで割引やポイントサービスもあるので、そんなに高い費用はかかりません。このくらいの費用で済むならば、もっと早くから通っていればよかったと思ったくらいです。最近はヘアカラーのみならず、デジタルパーマもかけて、髪の毛のおしゃれを楽しんでいます。白髪のおしゃれを楽しむ有名人もいますが、まだ白髪の自分を受け入れる勇気がないため、私には無理だと思いました。いつの日か白髪の自分に自信を持てるようになったら、白髪染めをやめるかもしれませんが、恐らくあと10年以上は美容院で白髪染めを続けるかと思います。まとめ最初に白髪を見たときは、びっくりしましたが、今では白髪を見るのも慣れてきました。しかし、そのまま放置するのは嫌なので、美容院で好きなカラーに染めてもらっています。自然素材の白髪染めにはかぶれたのですが、美容院で使用する白髪染めの薬剤にはかぶれません。私の髪に合っているだと思います。また美容院だと料金内でたっぷりとトリートメント付けて白髪染めしてもらえるので、髪の健康を保つためには良いような気がします。それにゆったりとした時間を過ごせるため、私にとっては最高の癒やしタイムです。これからも美容院で白髪を染めながら、熟女のヘアカラーのおしゃれを楽しみたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/村澤綾香著者/どれみ(56歳)ピアノ教師。28歳、27歳、22歳の3人の子どもの母。子どもの手が離れてケチだけどやさしい夫と2人暮らし。ピアノを教えながらライターも副業とし、人生を楽しんでいるが、下腹と垂れじりが悩み。体重は163cm46kgなので肥満ではないが、体型をなんとかしたいと思っている。しかし、とにかく運動ぎらいで運動音痴。1日中でも座っていられるくらいである。
2023年04月08日昔から食べ過ぎたり、お酒を飲み過ぎたりするとおなかが緩くなり、頻繁にトイレに行くことが多くて困っていた私。遠出のドライブや旅行のとき、念頭にあるのはおいしい食べ物でも、きれいな景色でもなく、トイレの心配のみです。トイレの臭いに敏感で、汚いトイレを思い出すだけで吐いてしまう私が、旅行や移動でその悩みを解決しようとした体験談を紹介します。★関連記事:頻尿になりやすい「やりがちNG」って?トイレで夜何度も起きる人が見直すべき毎日の習慣【専門医】我慢できずに漏れてしまったことも…私が小さいころは、父が勤める会社の慰安旅行や交流を目的としたバーベキューやレクレーション大会が盛んだったので、よくバスや車で郊外まで出かけることがありました。そんなとき母が気にしていたのは私のトイレ問題。今のようにコンビニが普及していない時代、トイレといえばドライブインか公園のトイレ。または保養施設のトイレしかありませんでした。おなかが弱い上に、汚いトイレを見ると吐いてしまう私。しかも車酔いしやすい子どもでした。自分でもおなかが痛くなるのはつらいので、子どもながらにおにぎり一個だけなど気を付けるのですが、周りのおじさんが「うまいぞ、これ食え!」とくれたおいしそうな肉の塊などはついつい食べてしまいました。また、暑い夏に遊んだ後のアイスもしっかり食べてしまうので、最後はきまって腹痛です。なるべく自宅まで我慢するとか、臭いを嗅がないように息を止めて、汚い場所を見ないようにして公園のトイレを使うなど涙ぐましい努力をしても、我慢しきれず漏れてしまうこともあった情けない思い出があります。海外旅行はトイレがきれいな国へ大人になり、腹痛とうまく付き合えるようになりました。トイレが使えるコンビニも増えて、汚い公園のトイレを使うこともなくなりひと安心。旅行が大好きになり、独身時代は年に一度の旅行が生きがいでした。旅行先はシンガポールや韓国など、無意識にトイレがきれいな都会を選んでいるのか、さほど腹痛に襲われても困ることはありませんでした。韓国で出されたキムチを連日食べ続けた結果、激しい腹痛に襲われ100m歩くたびにトイレに駆け込むことになったときも、きれいなトイレばかりで助かりました。一番困るのはバスでの長距離移動です。バスの中のトイレが使えない中で、腹痛に震えて1〜2時間のバスの旅に耐えたのは今でも冷や汗が出る思い出です。家族とトイレがかぶる問題の解決策は子どもの通学時間と出勤時間が重なると出てくるのがトイレ問題です。同じ時間に朝ごはんを食べて動きだすから当然トイレに行きたくなるのも同じ時間。決まって家族でそろって便意に襲われます。トイレを使用する優先順位は「早出の夫>次に出る長男>次男>>>>>私」です。そうはいっても腹痛に優先順位なんてありません。何度近所のコンビニに走り、無駄な買い物を繰り返したことでしょう。我慢し過ぎるとおなかの調子が悪くなり、1日すっきりしないことになります。急激に痛くなったり、逆にトイレにこもってもすっきり出ないのに腹痛のままなどトラブルに襲われます。こんなことを繰り返していては体に良いわけがないので、なんとかこのおなかの不調を招く悪循環をなんとかしたいと考えました。そこで、まず朝は家族より2時間早く起きるという対策を取りました。私は目覚めてから2時間後くらいに便意を感じるので、家族より早めに食べることでトイレ争奪戦を一歩抜け出すことができました。さらに、長距離移動でトイレの確保がままならない恐れがあるときは、移動1時間前から飲み食いしない、2時間前に必ずトイレにいって自分のおなかの具合を気にするように心がけると、バスや車で冷や汗をかくことが減りました。まとめ昔に比べるとおなかを壊す回数も減りました。特に朝、トイレを家族の誰かが使っていて入れないときに、冷や汗をかきながら我慢して近所のコンビニに行くということが激減しました。体調が不安定だからなのか、食べ過ぎなのか、体からのサインかもしれないので自分の体をいたわって腹痛に付き合っていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/やましたともこ著者/まさみ(45歳)中学生と小学生の男の子を持ちフルタイムで働いている。昨年化粧品メーカーを辞め、別の業種に。慣れない仕事と化粧品業界のときと変わらない「女同士の上辺の関係」を生暖かく苦しみながら見つめる日々。帰れば子どもの送り迎えと家事に追われ、趣味だったスキンケアもできずカサカサな肌となる。
2023年04月08日私は趣味でフラダンスを13年続けています。周りは同世代の女性が多く更年期の悩みはよくある話題。汗で化粧が崩れる、なぜかイライラするなどある程度知っているつもりでした。相談できる仲間もいるので大丈夫と軽く考えていたのです。しかし、更年期は想像以上につらく厳しいものでした。漢方やサプリでも改善されず、周りの友人に相談する気力さえ失いひとりで悩んでいた日々。そんな私が仕事に趣味に充実した生活を取り戻した体験をお話しします。★関連記事:「1時間おきにホットフラッシュが!」ホルモン補充療法でつらい更年期障害が緩和【体験談】ホットフラッシュと息切れで眠れない日も悪化するホットフラッシュにただ耐えるコロナ禍でマスク生活が始まると、以前は気にならなかったマスクがたまらなく息苦しく感じ始めました。突然大量の汗が出てきて、電車でたった1駅の通勤で、会社に着くと下着まで全部着替えなければならないほど。冬になるとさらに悪化し、1日200回を超えるホットフラッシュと同時に、全力疾走した後のようにハアハアと息苦しくなるのです。冬でも半袖でベランダに出て涼み、夜は掛け布団をめくって、窓を全開にして休みました。強烈なほてりと息苦しさでまったく眠れない日々が続きました。当然昼間は、仕事中にうとうとしたり、運転中にヒヤッとしたり。更年期は病気じゃないと知りつつも「本当にこれが更年期? 誰か助けて! 」と心の中で叫んでいました。つらくて横になっても容赦なく襲ってくる症状に、いつの間にか笑顔も消え、人と会うのが億劫(おっくう)になっていました。婦人科で更年期と診断。漢方治療に期待!あまりのつらさに、友人のすすめで婦人科に行くことにしました。血液検査・尿検査の結果から、やはり更年期との診断。「まずは、漢方薬を試してみましょうか」ということで、「桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)」を処方されました。「これで少しはラクになるかも」とワクワクしながら1日3回の服用を開始。しばらくすると、食が細かった私はごはんが食べられなくなり、毎日漢方だけを口にするという状態が続きました。ホットフラッシュにも特に変化が見られず、もう一度先生に相談したかったのですが、2カ月先まで予約がいっぱい。諦めてその後は市販薬やサプリを飲み、婦人科系のツボにおきゅうをするなど、自分で試せるものは何でも試しました。思い切って始めたホルモン補充療法休みなく襲ってくる息苦しさとホットフラッシュに心も体も悲鳴を上げ始め、ある日「もう1日も耐えられない」と、会社を早退し近くの婦人科に飛び込みました。追い詰められていた私は「もう1日たりとも我慢できない。漢方も効かない。まったく眠れていない。ホルモン補充療法を今すぐやりたい! 」と必死に訴えました。先生は話をひと通り聞いた後、健康診断で異常がなかったこともあり、子宮体がん検診をした上で2週間分のエストロゲン(貼り薬)と黄体ホルモン(飲み薬)の薬を処方してくれました。ついにホルモン補充療法のスタートです。服用を始めて2日目の夜、なんと数カ月ぶりに朝までぐっすり眠ることができたのです。「朝、眠りから覚める」という久々の感覚に、思わず胸が熱くなり気が付けば涙があふれていました。次の日も、その次の日も、毎日6~7時間連続して眠れるようになり、同時に昼間の激しい息苦しさとホットフラッシュも少しずつ改善されていきました。こうして私のつらい更年期症状はみるみる消えていったのです。現在治療を始めて半年、たまに頭痛やめまいはありますが、夢にまで見た平穏な日々が戻ってきたのです。副作用と今後のリスクへの対応ホルモン補充療法の効果には満足していたものの、当初はおなかに出た発疹や結膜下出血を薬のせいだと思い込み、大騒ぎして先生を困らせました。実際、副作用と思われる症状も多少あります。例えば、生理2日目ぐらいの出血が1カ月以上続く、2週間以上便秘が続く、胸がパンパンに張って痛いなど。出血は薬の飲み方を変えると改善され、便秘はしばらくすると自然に治りました。胸の張りは今も続いていますが、我慢できないほどではありません。今後は子宮体がん、乳がん、血栓などのリスクを考慮し、半年に一度検査を実施、様子を見ながら続けていきたいと思っています。まとめ私の場合、娘が成人し「さあこれから何をしよう」と意気込んでいたところで更年期に突入。想像をはるかに超えた苦しさに疲れ果てていました。母親の影響で、ホルモン補充療法に否定的だった私は、わらにもすがる思いで始めたこの治療法に救われました。今では元気を取り戻し、50代にして会社員を辞め、フリーランスの世界に挑戦しながら趣味も楽しんでいます。私の更年期はまだ始まったばかりです。このまま何もなく終わるのか、またつらい日々が待っているのかわかりません。今のうちに好きなことをして、生活習慣を見直し未来に備えるつもりです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。マンガ/山口がたこ著者/R.S.(53歳)30代で出産し子育てと仕事に奔走すること早20年。50代に入り更年期の症状で仕事も手につかない状態に。ホルモン補充療法を始め元気を取り戻したことで、思い切って会社員を辞めフリーランスに転身した。趣味はフラダンスと愛犬の散歩!
2023年04月07日普段はほとんど運動をしない私が山登りに誘われました。体を動かさない私がなぜ誘われたのか不思議でした。でも行き先を聞いて納得。そして、体力のない私でも果たして頂上まで登れるのかと不安もありましたが、良い運動になればという思いで「行ってみようかな?」という気持ちになりました。これは私がとても充実した休日を過ごしたときのお話です。★関連記事:毎日、猛烈な睡魔との闘い! 家事と仕事の両立のため始めた体力づくり。無理なく続けられた方法は山登りしようよ!と誘われて出掛けたらうさぎ年生まれで年女の今年は、なぜだか同級生と「会おうよ!」という機会が増えています。子育てからも手が離れ、休日に余裕が出てきたからかな?と思います。最近みんなで集まると、必ず話題に上がるのが、健康について。ウォーキングを始めたとかジムに通っているなど、自身の体力の保持にきちんと取り組んでいる様子を聞くと、何もしていない自分は少し焦ります。そんな私を山登りに誘ってくれた友だちに感謝しつつ、当日の服装を確認すると、動きやすい格好とスニーカーで十分と聞き、「そんなに大変じゃなさそうかな」と安心して参加しました。予定は数週間後。山頂付近にある大きな岩でできた「うさぎ岩」を目指して、標高600mほどの山に挑戦することにしました。下山後にはご褒美としてランチ付き温泉も予約して、準備は万端です。途切れることなく続く会話うさぎ岩は岐阜県にあり、私の住む名古屋から車で2時間ほどの距離にあります。駐車場に着くと、すでに満車でした。普段は混み合うことはあまりないようですが、今年はうさぎ年。天気の良い土曜日とあって、皆さん考えることは一緒のようです。駐車場で待機中も会話が途切れることはなく、さまざまな話題が飛び交います。家族のことや自身の仕事の話、時には高校生時代の思い出話も飛び出して、あっという間に時間が過ぎていきました。何とか無事に車を駐車して、いよいよ出発です。舗装された道を進んでいくと、山肌に少しだけ草木が途切れた入り口らしき場所がありました。そこからけもの道を登っていく様子です。始めは楽しく、おしゃべりしながら登っていましたが、だんだんと口数が少なくなり、途中から無口になり……。足元の土はフワフワとしていて歩きやすかったのですが、日ごろの運動不足で登り坂のキツいことキツいこと。途中から膝がガクガクしてきて大変です。それでも諦めることなく、人が通った道らしき場所を進むと、うさぎ岩ビュースポットという場所に到着しました。結構登ってきたようで、見晴らしの良いところでした。頂上のほうを見上げるとうさぎ岩が見える、とてもすてきな場所です。ちょうど下山してくる人たちと出会い、あいさつを交わしました。皆さんがトレッキングシューズを履いてステッキを持っているのを見て、本格的な山だったんだと気付きました。最後の力を振り絞ってうさぎ岩へ「ここからはキツイよ。気を付けて」。そう言われたのですが、うさぎ岩はもうすぐそこに見えています。「ここまで来られたし、大丈夫でしょう……」と思いながら、あとひと息の頂上に向かいました。しかし、言われた通り登り坂は今までとは違ってさらに急な上に長く続いています。頂上を見るとくじけそうになるので、足元だけを見て一歩ずつ足を進めました。そしてやっとの思いで頂上に到着。緑のきれいな景色が広がっていて感動的です。「はい。一つずつ」。お茶を飲みながら休憩していると、そう言って友だちがクッキーを配ってくれました。その甘いクッキーがおいしかったこと。疲れを癒やすとは、このことだと改めて実感しました。雄大な景色を眺めながら、「次の年女のときも、みんなで登れるといいね」と誰かが言いました。「60歳で山登りは無理でしょ」とみんなで笑います。体力に自信はないのですが、それを目標に運動を始めるのもいいかなと心の中で思いました。「それまで体力を維持して、健康でいようね」。そう誓い合って下山しました。そのあと食べた食事も、温泉も大満足だったことは言うまでもありません。山登りの最中は無口にもなりましたが、それ以外はずっとしゃべり倒して、まさにストレス発散の1日でした。まとめたまの休日に気の合う仲間と一緒に過ごせるようになったのも、子育てが一段落し自分の時間が持てるようになったからです。これから増えていく自分の時間を、こうやって充実した時間として過ごせる人生が送れたらうれしいなと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/くらげ(46歳)23歳社会人、専門2年、高2の娘を持つシングルマザー。本業の他に収入を増やそうと始めたWEBライターだが、時間の使い方がつかめず悪戦苦闘している。【自由と安定】を求めて絶賛精進中。
2023年04月06日私は占いが大好きで、人生の要所要所で個人の占い師に占ってもらっています。ただ、四捨五入すると私ももう50歳、占いに左右され過ぎてきたような気がしています。今まで占いにかけた総額はおそらく100万円以上、時にはものすごく高額な数珠を買ったりして、結果いまいちぱっとしない人生を歩んでいる私の体験談です。★関連記事:ストレスで無意識に…髪の毛を抜く手が止まらない悩みを解決したアイテムとは?小さいときから占い大好き小学生のとき、友だちの間で流行っていたのは占いやおまじないの本。●●を唱えながら髪をとかすと両想いになれるとか、占いの本でラッキーカラーを身に着けて気になる人にそっと近づくと振り向いてもらえるとか、今考えると恥ずかしくて逃げ出したくなるようなことをして、願いをかなえようとしていました。もちろん、おまじないや占いの通りにしても願いはかないません。イケメンで成績の良い大好きな男子はクラスで1番かわいい、当時大人気だった中山美穂にそっくりな女子とラブラブになる現実。友だちとの人間関係に悩んで、仲良しになれるおまじないを調べて実行したり、占いを研究して距離を保ったほうが良いと言われたものの結局喧嘩したままで、さらには仲間外れになるという結末でした。それでも占いが好きだったのは、本やテレビで見た占いがたまに当たるからです。自分の星座ランキングが1位だった日、大好きだった男子と日直のペアになって幸せだったり、月刊誌の占いで、今日のテストはバッチリ! と言われたら90点だったりと、当たらないわけではないからでした。深刻に悩むと占いに走る社会人になり、仕事がうまくいかなくなったり、付き合っている人と険悪になったりすると、相変わらず占いに頼りました。ただ、このころは本やテレビではなく、占い師に直接占ってもらうことが多くなって来ていました。当たると聞けば120kmの道のりを運転して向かい、会社の先輩からすごく頼りになる占い師がいると聞けば電話で見てもらう日々。最も占いにハマっていたのが、化粧品メーカーに勤めていた時代です。先輩後輩の板挟みになりながら売り上げや目標にも追い詰められる日々を送っていて、迷いに迷っていました。そのため、それはわらにもすがる思いで占ってもらっていました。印象的だったのは、仕事で悩んでいたとき「職種は向いているけど職場が向いていないし、組んでいる先輩が相性が悪すぎる」と言われたこと。たしかに先輩と組んでから自分の意見を言えなくてつらくてうまくいっていないことを思い出し、配置転換してもらいました。気分的なものもあったのか、物事が好転したのを覚えています。付き合っているのかわからないような腐れ縁の元カレとの占いでは「腐れ縁のような古い縁を切らないと新しい良縁は来ません」とアドバイスされました。結果、腐れ縁をバッサリ切ったところ、現在の夫にプロポーズされ結婚に至ったので、参考になることもたくさんありました。悩み過ぎてついに物品購入子どもが生まれ、名付けの段階でも候補を10個挙げてみてもらい、運勢の良さそうな名前にするなど、占いへの傾倒は続いていました。ただ、ここで「え?」と思ったのが「このままだと病気になりやすい子だから、この印鑑で作った通帳に毎月一定の金額を貯金すると丈夫になる」と言われたときです。そのときすすめられた象牙の印鑑はなんと15万円! ただ、早産で未熟児で生まれてしまったためそれを信じて印鑑購入、そして通帳作成。今では外を走り回る野生児となったので、当たったといえば当たったのですが、断りにくい状況で高額な印鑑をすすめてくることに違和感を覚えました。さらに、仕事で行き詰まり、天然石を販売する店で占ってもらった帰り、すすめられて買ってしまったのが何と30万円の数珠。今考えるとありえない買い物なのですが、ポンとボーナス1回で購入してしまい、家で大後悔です。もちろん数珠を買って仕事が驚くほどうまくいくなんてわけもなく息詰まる日々は続きます。ここで、「あれ、私占いに左右され過ぎ」とやっと気付きました。占いに頼るより、自分の生活や環境をじっくり見直すべきじゃないのか、占いはあくまで手助けでしかないと思い始めたのです。占い、風水、おまじないは精神安定剤例えば、風水で水回りをきれいにすると幸運が運ばれるということに関しては、宝くじが当たらなくても、仕事で出世しなくても、水回りがきれいなのは家族も自分もうれしいし、人がいつ来ても慌てなくていい、来客を歓迎できることにつながると思えました。ラッキーカラーを身に付けて良いことがあると単純にうれしいし、たとえ良くないことが起きても、これを身に着けていたからこれくらいで済んだんだラッキー! と考えます。占いはあくまでアドバイス、当たるも八卦当たらぬも八卦といいますが、信じ過ぎて不安になって高いグッズを買ってしまうのはとても危険だと痛感しました。今では、占いとはほどほどの距離を保ち、楽しく利用できるようになりました。まとめスマホで「今一番当たる占い師!」などと見るとついつい課金したくなります。また、街中でいかにも当たりそうな易学者が座っていると、5,000円くらいなら払ってしまいそうになるくらい今でも占いは大好きです。30年前に、仕事もできない専業主婦に憧れるポンコツ美容部員だった私に「あんたは専業主婦に向いていないし、一生働くよ」と手相を見て言ってくれたのも街中の占い師でした。不幸になるとか、人生下降しかないなどの良くない内容の占いが出ることもあります。気にしないのも無理なので、いい忠告と思うくらいにして振り回されないようにじょうずに占いと付き合っていきます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/へそ著者/まさみ(45歳)中学生と小学生の男の子を持ちフルタイムで働いている。昨年化粧品メーカーを辞め、別の業種に。慣れない仕事と化粧品業界のときと変わらない「女同士の上辺の関係」を生暖かく苦しみながら見つめる日々。帰れば子どもの送り迎えと家事に追われ、趣味だったスキンケアもできずカサカサな肌となる。
2023年04月04日今回ご紹介するのは、高齢者ドライバーとなった親の運転について悩む、むらいひとみさんの体験談です。高齢になり危ない運転をすることが増え、車庫入れの際に車をぶつけてしまうこともあったというむらいさんの父親。ある日、父親は近所のショッピングモールの駐車場で事故を起こしてしまいました。現場に警察が駆け付け、事情を聞かれた父親からは衝撃的な発言が……。★前の話むらいさんの息子を連れて近所のショッピングモールまで外出した両親。運転は母親がしていましたが、泣き止まない息子をあやすため、仕方なく駐車だけ父親に任せることに。しかし、駐車場では父親が起こした運転時の踏み間違いによって、複数の車が絡む事故が発生してしまいました。被害者や警察を交え事故の状況確認をしていると、父親から思わぬ発言が飛び出し……。父が踏み間違い事故で車をぶつけてしまった相手は複数いました。なかには小さな子どもを乗せた方も……。その方の車内では、いつも助手席に乗る娘さんが、その日はたまたま後部座席に座っていたそう。そこへ父が車の助手席側に車で突っ込んだのです!相手は「お前、俺の娘に何かあったらどう責任取るつもりや!」「これがもし助手席やったら骨折どころじゃ済まへんぞ!」と父に対して、怒り心頭。そうこうしているに、警察も到着し、事情聴取が始まりました。私の母は、被害にあった方のひとりから「あんたはよ家帰り。ここにおっても何もできひんやろ?」と声をかけられたのだそう。先程まで父に対して怒鳴っていた男性からも「もうすぐ雨降るし、早よ帰り」と促され、息子と家へ帰ることに。男性の娘さんも帰宅するということだったので、タクシー代を渡し駐車場を後にしました。帰りながら母は「なんて申し訳ないことを……なんで変わっちゃったんや私」と、父が危険な運転をしていることをわかっていたのに、運転を変わってしまった自分を責めたそうです。一方事故現場では、父が免許証を不携帯であったことが発覚……。その後、私に「免許証を持ってきて欲しい」と父から電話がかかってきたということでした。-----------------このような事故は起きないことが一番ですが、もし起きてしまったら事故現場はパニックになり、加害者、被害者ともに感情的になってつい言い過ぎてしまうこともあるでしょう。しかし、相手方の言い分ももっともですよね。相手方の娘さんが後部座席ではなく、いつも通り助手席に座っていたら……と考えると恐ろしい状況です。今回は不幸中の幸いでしたが、むらいさんの父親は、今回の一件で自分の運転の危険性に気が付く大きなきっかけになったのではないでしょうか。これを機に、家族からの再三の呼びかけの意味もしっかりと受け止め、今後の運転について考え直してほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/むらいひとみタイが大好きで、幼い頃に住んでいたタイの思い出漫画をインスタグラムとブログにて掲載しています。お笑い番組を見るのが好きです。いつかTV番組「SASUKE」に出てみたい。
2023年03月29日冬になると、毎朝のようにふくらはぎがつり、その痛みで悶絶して起きていた私。痛みが遠のいた後も、1日中ふくらはぎに違和感を持ちながら生活しなければなりませんでした。冬は寒いし、足がつるのも仕方ないと半ば諦めていたのですが、最近ふと、今年の冬はまったく足がつっていないことに気付いたのです。足がつる原因を調べてみたら、冷えだけが原因ではなく、ダイエットが功を奏したのだとわかりました。★関連記事:明け方に突然足がピーン! 中高年に多い「こむら返り」の対策、試してよかったこと【体験談】足がつる原因を調べてみた40代前半までは、めったに就寝時に足がつることがなかったのですが、40代も半ばを過ぎ、寒い冬になると毎日のように夜中や寝起きにふくらはぎがつるようになっていたのです。そこで、足がつることについて、本やネットで調べてみたところ、急に体を動かしたときに起こりやすい症状だということがわかりました。そして、運動中はもちろんのこと、長時間の立ち仕事や激しい運動をした後に筋肉疲労が蓄積されたことで起こる場合もあるそうなのです。筋肉疲労以外にも、寝ているときや朝方にも起こるそうです。その原因は冷えをはじめ、ミネラル成分といった栄養不足や水分不足、あるいは熱中症、急激な寒暖差、さらには加齢や運動不足などで筋肉量が減ったり、血行不良になったりすることも一因になるとのこと。40代半ばになり、体重が激増し、まったく運動をしなくなってしまったので、冬場、毎日のように就寝中に足がつっていたのも当たり前でした。足がつる原因を調べていくうちに、その対処法は、偶然にも私が1年間おこなってきた食事改善と運動によるダイエットと重なるものばかりだったことに気付いたのです。食事改善と水分補給が役立った足がつらないためには、ナトリウムやカリウム、リンといったミネラル成分をとったほうが良いそうです。神経から筋肉に動くことを伝達するために必要な成分だからとのこと。ミネラル成分が豊富な食材としては、大豆製品や乳製品、海藻類、乾物類、ナッツ類、発酵食品などがあります。どれもこれも、ダイエットのために努めてとるようにしていた食材ばかりでした。体重を落とすためには腸内環境を整えることが大切だと、ダイエットの食事講座で習っていた私は、積極的に食物繊維やミネラルが豊富な大豆製品や乾物、海藻類、発酵食品をとるようにしていました。腸内環境を整えれば、小腸で栄養が吸収され、カスは便となって排出されます。結果的に、足がつることの予防になっていたようです。ダイエットのために水分補給にも気を配り、毎日1リットルを目標に飲んでいました。体内の余分な水分である老廃物を体の外に出し、むくみを防止するためです。体が水分不足に陥ると命の危機を感じて、水分をため込むのでむくんでしまうそうなのです。汗をかいて水分不足になりやすい就寝前にもコップ1杯の水を飲んでいました。この習慣もまた、足がつることの予防になっていました。運動で血流が良くなり、つらないようにダイエットのため代謝アップとカロリー消費をしたかった私は、筋トレとピラティスを取り入れていました。2種の運動で血行も促進され、筋肉量も増えたことが、図らずも足がつることの予防になっていました。特に気を付けて動かしていたのがふくらはぎです。全身の血行を巡らすポンプの役割をしているため、鍛えることでむくみ防止になり、下半身痩せにも一役買ってくれています。ふくらはぎを鍛えるにはかかとの上げ下げが一番効果的だと思いましたが、当時は、かなり太っていたため、3段階に分けておこなっていきました。最初は片手を壁に添えて、足を肩幅に開いておこないました。その際に、前のめりになっているとふくらはぎに負荷がかからず、効果が半減してしまうので、上半身は姿勢をよくし、おなかも平らにするように心掛けていました。次に壁から手を離しておこなうようにしました。グッとふくらはぎに負荷がかかるようになったのです。最後は両足をくっつけ、足を30度ほど開いておこないます。ものすごくふくらはぎに負荷がかかりますが、効果は抜群でした。ふくらはぎはスッキリし、ほとんどむくみも発生しなくなり、就寝中に足をつることもなくなったのです。まとめ寒い日々の中で、就寝中に足がつってしまうのはつらいことです。まさかまさか、ダイエットが足をつる予防になるとは思いもしませんでした。調べれば調べるほど、体はすべてつながっているのだとわかりました。きれいに痩せるために腸内環境を整える食事改善は、結果として体に必要なミネラル補強になり、足がつる予防に。代謝をアップさせ、カロリーを消費するための運動は、血行を良くし、筋肉量を増やし、これまた足がつる予防になったのです。冬だから、年だから仕方ないではなく、40歳を過ぎたからこそ健康を維持するために自ら動き出すことが大切だなと実感しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。イラスト/サトウユカ著者/竹みか(46歳)小4男子と高1女子の母。食べるのも作るのも大好きぽっちゃりオバチャンでしたが、半年前に一念発起。ダイエットに目覚め、体重15kg、体脂肪率7%落とすのに成功。今も絶賛継続中!
2023年03月29日親はいつまでも元気でいてくれる気がしていました。あちこちガタが来てはいても、車の運転ができて、自分で動けて、まだ働いている。子どもの送迎もしてくれて、買い物にも行ける。そんな自分の考えが甘いことを思い知らされることがありました。70歳を過ぎた父親が脳卒中と動脈瘤を患い、少し前まで車を運転できるほど元気だったのが、体の自由がきかなくなり介護を余儀なくされるかもしれないという現実が急に迫ってきたという体験談です。★関連記事:「今のうちに自分の好きなことをしたい!」祖母の施設入居をきっかけに母の介護を考えることになりきっかけは膝の手術両親も70歳を超え、いろいろと持病を抱えるようになりました。両親ともに血圧が高いので、毎日の血圧測定と血圧の薬の服用は必須です。さらに母は甲状腺の数値が安定しないので、その薬を飲んでいました。父は体を動かす仕事なのにもかかわらず膝が悪く、2年前に手術をすることになり、その際の精密検査でカリウムの数値が悪いことが判明! 医師から果物、特にバナナはカリウムの数値が悪くなるので控えるように言われました。ただ、果物が大好きな父はついつい好物のバナナや果物を摂取してしまうため大量の薬でコントロールするようになりました。父の急病を知らせる電話が!ある日鳴った、早朝の電話の呼び出し。出てみると慌てた様子の母からでした。「お父さん、手がしびれて動かないって言っている。救急車を呼ぶから来て!」と。半年ほど前も最高血圧が200を超えてしまい、念のため救急車を呼んでいました。前回救急車を呼んでさほどたっていないため、母も短い期間に再び呼んで良いのか迷ったそうです。でも、手がしびれて動かないという事態に母も何かを感じ取り、即119番。6時45分くらいに父が新聞を取りに行く→手がおかしいことに気付く→母に手が動かないことを伝える→7時少し前に母が救急車者を呼ぶ。救急車を呼ぶまで10分でした。検査の結果は脳梗塞。異変に気付いてからの行動の早さに医師も感心されていました。血栓を溶かすための薬が投与され、さらなる検査の結果、動脈瘤が2個見つかりました。半年前に血圧の上昇で救急車を呼んだ際の検査で動脈瘤が発見され、現在は経過観察中でした。そのときは1個だった動脈瘤が2個に増えていました。小さい会社を母と2人で経営している父は、自分が動脈瘤の手術をすることで会社がストップすると思い、これまで手術に踏み切れなかったようです。しかし、今回はさすがに腹をくくってくれたらしく、手術を承諾してくれました。残ってしまったまひ動脈瘤の手術は成功し、その後の経過も順調です。影響があったのは脳梗塞のほうでした。治療が早かったため、深刻なまひは残らずに済みましたが、左側に後遺症が出ました。最初にしびれた左手はいまだに動かしにくいまま、左足は歩けるものの以前のようにスタスタとはいかずに歩くとつらそうです。リハビリの効果もあり日常生活には支障はないものの、疲れやすくなり、横になることが増えました。次回また同じように脳梗塞が起こったら、今回のような比較的軽い後遺症では済まないと医師からも言われています。そうなれば年齢から考えても介護が始まります。体も大きく体重もある父を介護するには、母ひとりでは無理。そのため、今回のことで実家の経済状況や今後のことを真剣に考えることになりました。施設に入るにしても自営業の父にはお金もさほどなく、足の悪い母には無理はさせられず。わがままで頑固な父が素直に施設に入るとも思えません。かといって子どもにお金がかかり、家族のある私と兄弟が仕事を辞めて介護に専念することもできません。今までおざなりにしてきた問題が、自分に迫ってきた感覚です。ある程度のお金を残しておくこと、兄弟と母とでこれからのことを話し合うきっかけとなった父の入院、手術でした。まとめその後も父の血圧や体調に一喜一憂する私たちなのですが、年齢を考えても今どうなってもおかしくないことは事実なので、覚悟しておかなければと考えております。次回脳梗塞を再発し、深刻なまひが残った場合は今のようにフルタイムで私が働きながら介護を手伝うのは難しいため、ヘルパーの方や福祉の手を探しながらになると予想しております。家族だから乗り越えられるというような甘いものではないことはわかっているので、母や私が破綻しないような策を考えていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/まさみ(45歳)中学生と小学生の男の子を持ちフルタイムで働いている。昨年化粧品メーカーを辞め、別の業種に。慣れない仕事と化粧品業界のときと変わらない「女同士の上辺の関係」を生暖かく苦しみながら見つめる日々。帰れば子どもの送り迎えと家事に追われ、趣味だったスキンケアもできずカサカサな肌となる。
2023年03月29日イラストレーター&漫画家のフカザワナオコさんは、アラフィフ女子の日常についてマンガにされています。今回は、郵便の配達員さんがポストに入れようとしているときに、いつも気になることについてお届けします。★前の話フカザワさんは結構せっかちな性格。郵便の配達員さんがフカザワさんの家のポストに荷物を入れようとしていると……。配達員さんがポストに入れようとしているところで、対面で受け取るのはあまり良くないかな?とも思いつつ……。量が多いのか、ポストに入れるのに時間がかかっているのがなんとなく伝わってきて、思わず衝動を抑えられず、玄関を開けて受け取ってしまいました。たしかに大きめの郵便物が多めで入れにくそうでしたー。防犯面もあるので、むやみやたらに開けないほうが良いですが、このときは時間とか音とかでいつもの郵便であることがわかっていたのでつい……。一応、ドアののぞき穴もチェックしました。入れられなかったら配達員さんもピンポンするだろうし、待っているのもありなんだろうけど、なんだかこのときは待てなかったわ〜。もともと結構せっかちなとこがあるのですが、最近特にそうなってきたような。こういうのって年齢とともに強まってしまうんですかね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フカザワ ナオコ(49歳)イラストレーター&漫画家。コミックエッセイを主に描いている。2021年9月8日に新刊『40代が、こんなにしんどいなんて聞いてなかった』(1430円/幻冬舎)が発売。絵日記ブログ「ひとこま作者」を日々更新中。 Instagram:@fukazawanaoko1973
2023年03月27日更新はがきが届いたので、運転免許証の書き換えに行ってきました。改めて免許証をまじまじと見て、写真の自分が若いことに気付きます。それもそのはず、前回の更新は5年前。今度の更新は……何事もなければ5年後の52歳になります。老いは避けられないことですが、なるべく回避したい! そう思いながら受けた、運転免許証の更新の日の出来事をお話しします。★関連記事:「早く来たのに」想定外…免許更新用にバッチリメイクした熟女を待ち受けていたのは #熟女系 70緊張で体がこわばる集団行動平日は仕事が休めず、今回は県の免許試験センターへ行ってきました。日曜日ということもあり多くの人で賑わっていましたが、係員の方のテキパキとした誘導で比較的スムーズに進みます。ただ、かなりの時短を求められているようで、列に並ぶ際には「古い免許所とはがきを右手に持つように」とか「お金を準備してこの列に並ぶように」などの指示があちこちで飛び交っていました。聞き間違えないように、勘違いしないようにと指示を聞きながら、受付で会計を済ませ、書類を記入し、視力検査へと進んでいきます。何げない行動のように感じますが、大きな声で指示が飛び交っている中では「間違えたら大変!」と自分にプレッシャーを掛けてしまい、とても緊張しました。周りの人の動きを確認しながら、自分もなんとかそれに合わせながら進んでいきます。あれ!?見えない…恐怖の視力検査視力検査には1〜8の番号が振られたブースがあり、私は8番に通されました。目が悪くなった自覚はあるものの、元の免許証には眼鏡等の条件は付いていないため、まずは裸眼で挑むことにします。機械をのぞき込むとCの形に似た記号のランドルト環が表示されたのですが、ものすごく小さくて切れている部分が見当たらず、〇にしか見えません。「わかりません」と言うと、検査官が「うーん」と言い「これは?」と次のランドルト環を出します。私はかろうじて左側に切れ目があるように見えたので「左」と答えました。「じゃ次はこれ」。そんなやり取りが何度か続きましたが、はっきりと見えるものはなく、ぼんやりと切れ目があるように見えるほうを選んで答えます。「うーん。今回は両目でギリギリだけど……次回は眼鏡を持ってきたほうが良いですよ。運転も十分気を付けて」。そう言って合格にはなりました。見にくくなった自覚はあったのですが、まさか両目でギリギリ0.7程度まで悪くなっているとは思いませんでした。シワを伸ばして口角上げて写真撮影次に古い免許証の写真と本人が一致しているか、目視の検査をされながら「コンタクトレンズは着けていない?」と確認されたりして写真撮影になりました。並んでいる間に身だしなみを整えはできるものの、あまり時間はなく流れるように撮影台の前に通されました。マスクを外して、カメラのレンズに写る自分の姿を見ながら、口角を上げてシワを伸ばして……と調整しているうちにあっという間に撮影は終了です。「まだ顔を整えてる途中だったのに……」と思っても後の祭り。そのまま免許証ができ上がるまで講習を受け、免許証を受け取って帰宅しました。まとめ運転免許証の更新に行って、スーパーやコンビニのレジ周りでもたついてしまう年配の方の気持ちが痛いほどわかりました。周囲の目を気にして「間違えてはいけない」と自分にプレッシャーを掛けてしまうのは「迷惑を掛けないように」と思う気持ちからなのだと体感しました。また、自分でも感じていた視力の低下は想像以上に進んでいて、視力検査を含めて眼科を受診してみようと思いました。でき上がった免許証はまずまずの写真写りでホッとしましたが、これから5年の間にこれ以上老けないよう自分自身への戒めとしても活用していこうと心に決めました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/くらげ(46歳)23歳社会人、専門2年、高2の娘を持つシングルマザー。本業の他に収入を増やそうと始めたWEBライターだが、時間の使い方がつかめず悪戦苦闘している。【自由と安定】を求めて絶賛精進中。
2023年03月27日7年前、私が42歳のときに出合った太極拳。初めは慣れない動きを覚えるだけでも難しく、週に1回、90分の教室で習った動きも次の週にはすっかり忘れてしまう始末。いつまでも動きを覚えられない罪悪感から、当初は教室もさぼりがちでした。そんな私が妊娠、出産を経た今でも続けられた理由と、これからも一生涯続けていきたいと決めた出来事についてお話ししたいと思います。★関連記事:「続けてよかった!」無理なく手軽に!お金もかからずできるラジオ体操で体調が改善!太極拳に興味を持ったきっかけ42歳のころ、とある町で鍼灸師として仕事をしていました。人口2,000人ほどの小さな町の古民家を借りて鍼やお灸の施術をする中、患者さんとの会話の中で時折耳にする「太極拳」という言葉。中国で生まれた拳法である一方、健康体操の側面のほうが有名で、日本でも早朝の公園などでゆっくりと動いている様子が見られる太極拳。名前と雰囲気は知っていても、そう身近な存在ではありませんでした。ところが患者さんの中で何人か町の太極拳教室に通っている人が現れ、そのうちに太極拳教室の先生の妹さんが治療に来るようになったのです。妹さんの話では、先生は3年ほど前から太極拳を教えていらっしゃるとのこと。町を出て生活していた先生が太極拳を学び、ある理由から故郷の町に戻ったのをきっかけに教室を始めたそうです。治療の合間に妹さんから先生や太極拳の話を聞くことで、私は少しずつ太極拳に興味が湧いてきました。70歳近くでも肌ツヤ良しで若々しい太極拳の先生太極拳について興味は湧いたものの、まだ教室に通うことまでは考えていなかったある日のことです。先生の妹さんから、先生と同居している高齢のお母さんの訪問治療を依頼されました。先生は太極拳の教室をしながら、同居しているお母さんの介護をしていたのです。数日後、町の中でも高台にある先生のご自宅に伺いました。太極拳の練習場付きのご自宅で先生と初めての対面。先生は70歳に近いご年齢にもかかわらず、姿勢良し、スタイル良し、肌ツヤ良しの若々しさ。介護の疲れなど微塵も感じさせませんでした。先生のように年齢を重ねられたらどれほどすてきだろうと初対面の私ですら思うくらいの輝きに、私は思わず「太極拳の体験に行きたいんですが」と言葉を発していました。町での練習は週に2回。好きなときに参加できるとのことでした。先生にお会いした日がちょうど練習日だったため、私は仕事終わりに練習を覗きに行くことにしました。規則性のない動きに悪戦苦闘町のホールを借りておこなわれていた練習には、下は小学生から上は80代まで老若男女20人ほどが参加していました。先生の丁寧な指導と活気あふれる教室の雰囲気に心を決めた私は、その日のうちに入会申し込みをすることに。会費は月額3,000円とリーズナブルで、ユニフォームもカンフーパンツとカンフーシューズのみ購入するだけでよいという点も、入会を決めた理由の一つでした。それから毎週1回、太極拳教室に通う日常が始まりました。ただ、やってみると本当に難しく、先生の動きをまねて動くことはできても、いざ「じゃあやってみて」と言われてもまったくできません。これまで縁のなかった、中国武術の規則性のない動きに私は悪戦苦闘しました。あまりにも覚えられないので、最初の半年くらいは教室の方向に足が進まずさぼりがちになるほどでした。けれど私の心情を察した先生が、お母さんの治療の後に個人レッスンの時間を設けてくださったおかげで、少しずつ太極拳の動きに体がついていくようになりました。出産を経て一生涯続けることを決心太極拳を初めて3年ほどがたち、検定にも挑戦して楽しさも感じてきた矢先、46歳で妊娠がわかりました。出産に対する不安も、出産直前まで太極拳を続けることで打ち消されたように思います。その経験から、太極拳は体を健康にするだけでなく、心の安定も図る要素があるように思えました。その後、私は無事に出産し、産後1カ月ほどでまた太極拳を再開しました。私の人生の中で一番のチャレンジだった高齢出産を心身ともにラクにしてくれた太極拳は私の宝です。まとめ太極拳を始めてからまだ7年しか経っていませんが、毎日太極拳を続けることで、今、体がどのような状態にあるか、心がどのような状態にあるかをなんとなく感じられるようになりました。太極拳のゆっくりとした動きは、自分自身の心と体に向き合うための大切な時間を生み出してくれるようです。太極拳と出合えたおかげで、高齢での出産はなんとか乗り切れましたが、これから経験するであろう50歳からの体の変化に抗うためにも、私は一生涯太極拳を続けていきたいと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/サトウユカ著者/陽(48歳)20代で出産した娘が成人式を迎えた矢先、46歳で妊娠。現在、2歳女児の子育てに奮闘中の鍼灸師。太極拳と書道が趣味で、着物を愛するレトロ母。20年前と今の子育ての違いに驚きと新鮮さを感じる毎日。
2023年03月26日今回ご紹介するのは、高齢者ドライバーとなった親の運転について悩む、むらいひとみさんの体験談です。高齢になり危ない運転をすることが増え、車庫入れの際に車をぶつけてしまうこともあったというむらいさんの父親。生後間もない息子を連れて出かけていた父親から「免許証を持ってきてほしい」という電話を受けたむらいさん。出かける前は母親が運転すると言っていたこともあり、むらいさんが母親に状況を確認すると……。★前の話むらいさんがショッピングモールへ到着すると、父親が複数の車を巻き込む事故を起こしており、警察に事情聴取を受けていました。むらいさんは一緒にいたほうがいいのか聞きましたが、父親が「大丈夫や」と言うので帰宅することに。帰宅すると、そこには父親と一緒に出かけていたはずの母親と息子の姿が! 状況が整理できず混乱するむらいさんは、どういうことなのか母親に事情を聞きますが…… 。私の頭の中は混乱していましたが、「なんでお父ちゃんが運転してるの!?」となぜ父が車を運転していたのかを母に問い詰めました。母いわく、駐車場が混んでいて渋滞しているなか、私の息子が泣き止まなかったのだそう。助手席の父にミルクを作ってとお願いしましたが、母に育児を任せきりだった父は動いてくれなかったようでした。母は泣き続ける息子の世話をするために、先に車を降り、やむを得ず駐車だけ父に任せることにしたそうです。喫茶店で合流することにし、車を降りた母が息子にミルクを飲ませて落ち着かせていると、「ドーーンッ!!」と施設内に響くほどの大きな衝突音が!嫌な予感がした母は急いで駐車場へ戻ると、そこには他の車のドライバーに怒鳴られている父の姿があったのだそうです。-----------------今回の事故の一件は、どうやらむらいさんの父親の運転が原因で引き起こされたものでした。泣き止まない孫をあやすためとはいえ、母親は運転に不安がある父親には任せるべきではなかったのかもしれません。しかも、誰も同乗していない状況ともなれば、口を出してくれる人もいないので運転に対する注意もおろそかになってしまったのではないでしょうか。父親に運転させるつもりはなく出かけた母親でしたが、もし運転中に孫がぐずったら、もし自分が一時でも運転できなくなる可能性が出てきたら、というところまで考えておいたほうがよかったのかもしれませんね。先回りしていろいろな状況の想定ができていれば、もしかしたら今回の事故も回避できる方法があったのかもしれません。単純に「運転させない」というだけでなく、「運転させる状況にしない」という対策を考えることも大切ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★関連記事:「俺がいるじゃん」飲み仲間からのまさかの告白にアタフタして! #熟女系 #若かりしころの恋 7★関連記事:「老眼かよババァ!」あの温厚で礼儀正しい厨房担当くんが本当に暴言を? #ヤバイ職場を辞めた話 46★関連記事:「大丈夫や!」車を破損しても大丈夫と言い張る高齢者ドライバーの父 #踏み間違い事故のリアル 1著者/むらいひとみタイが大好きで、幼い頃に住んでいたタイの思い出漫画をインスタグラムとブログにて掲載しています。お笑い番組を見るのが好きです。いつかTV番組「SASUKE」に出てみたい。
2023年03月25日30代、40代と海外で営業職をしていたころ、人とのつながりがビジネスに直結することがあり、より多くの人とつながることを常に模索していました。気乗りしない食事会にも参加し、お互いに適当な距離を保ちながら表面上の会話を楽しんで、「本当の私は違うのに」と思いながら周囲からは社交的だと言われ……。そんな私が田舎暮らしを機に人付き合いをリセットして、自分の本当の居場所を見つけた体験をお話しします。★関連記事:52歳でリストラされ、都会育ちの53歳のおばさんが田舎移住に挑戦!田舎暮らしを成功させた心得とは本当の自分が見えていなかった人付き合い2021年まで海外の営業職で駆け抜けていたころ、できる限り多くの日系企業の人とつながりを持つために、積極的に異業種交流会や飲み会などに参加して、名刺を配りまくっていた時期がありました。もちろん、気が合わない人や会話がかみ合わない人はいましたが、仕事だと割り切り適当な会話と愛想笑いを繰り返しながら……。海外の日本人コミュニティでは、つながりを持つことで仕事上、有利に働くことが多くあったため、人脈を広げることに躍起になり、友人や知人から「〇〇さん知っているよ、紹介しようか?」と言われれば駆けつけ、連日連夜の食事会や休日のゴルフなど、オンとオフの境目がない日々を送っていました。そんなやり取りを心の中ではストレスに感じながらも、日本人のコミュニティに属し多くの知り合いを持つことで、今思えば安心感を得ていた部分もあったように思います。自分の本当の居場所ってどこ?連日、食事会などに参加したことで人脈を広げることができ、そのおかげで仕事もそこそこ順調でした。さらに、いろいろな方から食事やゴルフの誘いを受けるようになり、自分なりに充実した生活を送っていたかと思います。ただ、相変わらずの社交辞令的な会話のままで何となく違和感を覚えながら……。それでも海外でポツンとひとりでいるよりはよっぽどマシだと思い、いろいろな人と交流を続けていたけれど、どこに行っても知り合いに会ってしまうことがだんだんとストレスに変わっていきました。どこに行っても会社の看板がちらつく生活で、「自分の本当の居場所ってどこだろう?」という思いが、ふつふつと湧いてきたのもこのころです。海外の日本人コミュニティは、良くも悪くも人との距離が近いため、濃い日本人同士のつながりが日常にあるのが現実。楽しんでいたはずの日本人の集まりがだんだん面倒くさくなり、プライベートな時間ではあえて日本人がいない場所を選び、仕事以外は徐々に日本人コミュニティを避けるような生活になっていきました。田舎暮らしで淘汰された人付き合いコロナ禍の真っただ中に日本に思い切って帰国し、今までとはまったく違う地域おこしの仕事に飛び込んで初めての田舎暮らしに挑戦。物理的な距離感から会えなくなった友人や知人は多くいましたが、コロナ禍のおかげでかえってネットでつながる生活が多くなり、近しい友人や知人とは今まで以上にオンラインやSNSで近況を報告し合うようになりました。結局、お互いの距離感や会う頻度は、友人関係にそれほど影響なく、つながれる人、つながれない人が徐々に淘汰されていったよう。考えようによっては、人付き合いがスリム化されたことで、長く付き合える人間関係がより強く築けた気もしています。田舎にライフシフトをして不便になったおかげで、自分と向き合う時間が増えたことが大きな収穫です。何よりも、都会の生活圏では巡り合えないような、現役バリバリの70歳、80歳過ぎの田舎のお父さんやお母さんの「生きる力」が、最大の学びとなりました。誘惑や雑音がない田舎暮らしで自分の時間を大切にする余裕が生まれたことで、あえて手紙を書く、電話をするなどの丁寧な付き合いを改めて始めています。まとめ「環境が変われば人生が変わる」ことを身をもって体感したことで、多くの気付きや学びがありました。今思えば以前の私は、「海外でバリバリ働いている営業ウーマン」の自分に酔っていただけで、忙しさにかまけて自分自身をきちんと見つめる余裕がなかった気がします。現状にもやもやしながらも違う世界に飛び込むのは勇気のいることだけど、「人生やってみなくてはわからない」ことばかりなので、「1.先ずはやってみる」「2.その先はやりながら考える」ことを、自分の負担にならない程度にゆる~く実行しています。環境、習慣、人間関係を変えたことで、より自分らしくいられる場所を見つけられました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/いずみ(53歳)独身。コロナ禍を機に、人生における健康の大事さを実感し、里山に移住し田舎暮らしを楽しんでいる。
2023年03月25日抜歯や虫歯の治療で、歯医者がすっかり苦手になった私。その結果、最長で歯医者から10年くらい遠ざかっていました。その間、ケアが行き届かずに口の中が大変なことになってしまった私の体験談をご紹介します。★関連記事:3年で12本の抜歯。手術を7回も受けるも歯周病は一向に良くならず…【体験談】歯医者嫌いの始まりは親知らずの抜歯「きれいな歯だね〜。歯磨きもよくできている」。小学生のとき学校の歯科検診で、毎回歯医者さんに言われた言葉です。「私は歯が強いんだ、歯磨きがじょうずなんだ」と子ども心に誇らしく思っていました。友だちや兄弟が虫歯になって通院していたのに対し、私はめったに歯医者には行きませんでした。流れが変わったのが、大学生になったとき。親知らずが痛くなり、近所の歯医者に行きました。抜歯のため、麻酔を初体験。大きな注射で歯茎に突き抜けるような痛みが走りました。そのときはなぜか表面麻酔をしてもらえず、とても痛かったのを覚えています。まだ奥歯の感覚が残っているのです。口角が切れるほど大きな口を開けて、結局合計5回麻酔注射をされました。しかし、抜歯中も痛みをしっかりと感じ、ふらふらになりながらやっとのことで帰宅。その日は痛みで寝込んでしまい、歯医者にはもう行きたくないというトラウマが残りました。治療が怖くて歯医者に行かなかったら…歯科治療がすっかり怖くなった私は「私の歯は丈夫だから」と自分に言い訳し、極力歯医者に行かないようになりました。そして、虫歯がひどくなってからやっと歯医者に行くので治療が痛くなりやすく、さらに歯医者から足が遠のくという悪循環に陥ることに。妊娠と出産を経験した私の口腔内の状況は子どものころより悪化していたにもかかわらず、定期的なメンテナンスをすっかり怠っていたのです。すると、40代になって「なんか歯が長くなってきた」と感じるようになりました。鏡で見ると歯茎が下がっており、特に下の前歯がネズミの歯のように長くなっているのです。さらに、歯磨きのときによく歯茎から出血していました。日本臨床歯周病学会によると、30歳以上の成人の約80%が歯周病にかかっているそうです。しかし、その当時の私は「歯周病」というものをよく知りませんでした。「CMで聞いたことがある」程度の認識で、まさか自分が歯周病になっているなんて思いもしませんでした。立派な歯周病になっていました…新型コロナウィルス感染性が拡大し、マスク生活を余儀なくされていたある日。私は、マスクの中で自分の口臭に気付きました。非常にショックで、それ以降は今まで以上に一生懸命歯磨きをしますが、口臭は改善されません。仕方なく、ネットで歯医者のWebサイトや口コミを調べ、「痛くない治療」を前面に押し出しているT歯科に行くことにしました。年配の先生から「歯周病がかなり進行していますね〜。口が臭うでしょう」と言われました。とてもショックで恥ずかしかったです。「しっかりケアをして、定期検診に来ること」と念を押されました。歯周病の治療は、歯垢・歯石の除去を歯科院でおこない、後はセルフケアをするのが基本なのだそうです。通常、歯周ポケットの深さは2mm以内とのことですが、私は最も深いところで7mm! 歯科衛生士さんに歯の掃除をしてもらい、ブラッシング指導を受けました。家では歯ブラシとタフト、歯間ブラシとフロスを駆使し、毎日10分以上かけてセルフケアを実践。すると、半年後には歯周ポケットが2〜3mmになり、口臭も劇的に改善しました。下がった歯茎はもう戻りませんが、現在はセルフケアと4カ月に1回の通院で済むようになったのです。まとめ治療が痛くて嫌だからといって、子どものころの丈夫な歯を言い訳に、歯医者から逃げていた私。結果として歯のメンテナンスを怠り、歯周病になってしまっていました。下がってしまった歯茎は皮膚のように再生してくれません。下唇をめくると長くなった前歯がのぞき、後悔することも。歯周病は完治しませんので、ケアをし続ける必要があります。歯周病と診断されて1年半ほどたちますが、歯のセルフケアは毎日しっかりおこなうのが習慣になりました。今では歯医者に通うことも苦痛ではありません。歯は一生物の宝ですので、せめて今の歯が年をとっても抜けずに維持できるように、ケアを継続していこうと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/川田悟司先生(川田歯科医院院長)川田歯科医院院長。咬み合わせ認定医。長年に渡り、咬合診査・診断をおこなう。著者/SN(46歳)38歳のときに離婚。 大学2年生と高校1年生の子どもがいる。今は高校生の娘とチワワと暮らしている。ブラックな仕事を退職したいと考えているが、住宅ローン・子どもの学費が重くのしかかっており、踏み切れないでいる。40代に入り、人生最大のモテ期に突入。
2023年03月24日今回ご紹介するのは、高齢者ドライバーとなった親の運転について悩む、むらいひとみさんの体験談です。高齢になり危ない運転をすることが増え、車庫入れの際に車をぶつけてしまうこともあったというむらいさんの父親。ある日、むらいさんが実家で過ごしていると、運転をしていないはずの父親から「免許証を持ってきて欲しい」という電話がかかってきました。急いで父の元へ向かったむらいさんが見たものとは……?★前の話両親は産後のむらいさんを休ませるために、息子を連れて近くのショッピングモールまで3人で行きました。久しぶりのひとりの時間を満喫するむらいさんでしたが、突然父親から「免許証を持ってきてほしい」との電話が!事情を聞けないままむらいさんがショッピングモールまで急行すると、そこで待っていたのは目を疑うような光景でした。むらいさんは車越しに父親に免許証を渡しましたが……。私が実家でゆっくり過ごしていると、父から「免許証を持ってきて欲しい」と電話がかかってきました。母が運転すると言っていたのに……何があったの!? と落ち着かない気持ちをどうにか抑えながらショッピングモールに到着。そこには、なんと車を複数台も巻き込む事故が起きており、現場では父が警察と話していました。私はぼう然としながらも免許証を父に渡し、「一緒にその場にいようか?」と声をかけました。しかし父は「大丈夫、大丈夫」と言い、その場を去っていってしまい……。このときは、父の「大丈夫」を信じ、いったん家へ帰ることにしました。ところが、帰宅するとなぜか家には父と出かけたはずの母と息子の姿が!ひとまず息子が無事なことに安心しましたが、「なぜ家に?」「お母ちゃんが運転してたはずなのに」「事故した相手はどうなってるの?」と何から聞けばいいのかわからなくなるくらい、私の頭の中は混乱していました。-----------------思わぬ事故が起こったときなどは、どれだけしっかりしている人でも正常な判断ができなくなってしまう可能性もあるのではないかと思います。そんなときは、なるべく第三者がそばについてあげられるとよりスムーズに対応できるのではないでしょうか。きっとむらいさんの父親も大丈夫とは言うものの、不安と焦りの気持ちもあったのではないかと思います。むらいさんには母親から事故の状況をしっかりと確認し、早く父親の元へフォローに駆けつけてあげてほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/むらいひとみタイが大好きで、幼い頃に住んでいたタイの思い出漫画をインスタグラムとブログにて掲載しています。お笑い番組を見るのが好きです。いつかTV番組「SASUKE」に出てみたい。
2023年03月23日40代に入ってから足の爪が硬くなりました。爪の端には黒いほこりのような塊が詰まるようになり、深爪に切ることが当たり前に。足の指に炎症が起きて痛みを感じ、何げなく繰り返した深爪を後悔した体験談です。★関連記事:「爪をいたわってあげたい!」加齢とともに割れやすくなった爪をお手入れしてみたら【体験談】足の爪が二枚爪に?切ると硬くて苦戦40代に入りふと気付いたのが、いつからかわからないけれど足の爪が硬くなっていることでした。何かでぶつけたわけでもなく、爪が剥がれたわけでもない。以前より明らかに爪が分厚くなっていました。それに加えて爪の端には黒いほこりのような塊が詰まるようになったのです。最初は爪楊枝で掘り返していましたが、なかなかきれいに取れません。ついに面倒くさくなった私は、爪切りで角を切り落とします。それに合わせるように周りの爪も深く切るようになっていきました。そうなると伸びて白くなる部分も深くなっていきます。白くなると切りたくなる爪を前に、深爪だとわかりながらも切ることをやめられませんでした。爪に感じた違和感と、急に起きた痛み44歳になったころ、爪を切りながら違和感を覚えます。心なしか爪が肉に埋もれているように見えたのです。ある日靴を履いたとき、足の先に痛みを感じました。我慢できるけれど、ジンジンとした痛みです。見ると左足の人差し指が真っ赤に腫れていました。爪は肉に食い込み、膿があり熱を持っています。腫れと膿は数日間続きました。痛いけれど病院に行くほどでもないと思い、診察に行くのを渋り続けました。それから3週間ほどたつと、腫れは治まり、膿も消えているようでした。腫れは白くふやけ、簡単に皮膚が剥がれるようになっていました。皮膚を剥いでみたものの、やはり膿はどこかで出てしまったのか、以前の爪と変わりありません。治ったと思いそのままにしていましたが、ある日気になって巻き爪を検索してみました。画像を見ても私の爪は巻き爪とは言い難く、くるんと巻かれていません。ところが、その巻き爪と同じカテゴリーにあった陥入爪(かんにゅうそう)の言葉に目を奪われます。あ、似ている。巻かれていないけれど、爪の端が肉に覆われています。ひどいもので血が滲んでいる画像もありました。これ以上ひどくなるのは困るし嫌だと思い、病院へ行くことにしたのです。巻き爪と思っていたら「陥入爪」と判明近所の皮膚科は手荒れがひどい私と次男が度々お世話になっており、評判も良いお医者さんです。足を見せるのが恥ずかしいと思うより、ひどくなるのを避けるため行くことにしました。靴下を脱ぎ、ベッドに座って足を先生に見せると、すぐに「陥入爪だね。痛いでしょ」とひと言。どうやら私の陥入爪はまだ軽いほうらしく、「ひどくなれば手術もあるけど、あなたのは切って化膿止めを塗ることで様子を見ましょう」と言われました。先の丸くなったはさみで、爪の側面に向かって斜めに切り、化膿止めを塗っておしまい。はさみを入れられる瞬間は少し怖かったけど、痛みもなく、その後化膿することもありませんでした。診察の中で先生は「深爪が原因になったり、合わない靴を履いて外反母趾になることで陥入爪が悪化することもある」と言いました。たしかに私は深爪を繰り返し、丈も幅も合わない靴を無理やり履いていたのです。その後履き慣れた靴に履き替えたことが、腫れが引いたタイミングと同じ時期だと後に気付きました。まとめ現在も様子見ですが、今は深爪をしないようにし、そして足の爪をあまり見ないようにしています。見てしまうと、どうしても爪を切りたくなってしまうので……。また、丈も幅も合わなかった靴はデザインが気に入って買った靴でしたが、新たに履きやすいスニーカーを探すことにしました。私の足は幅が広く甲が高くて丈が短いので、なかなか思うものに出合えませんが、歩くのが楽しくなるような靴を見つけたいと思います。今回はささいなことが体に無理をさせ、病気につながるんだと痛感。違和感を覚えたら無理をしないことだと思い、教訓にします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouYuberとしての情報発信もおこなっている。イラスト/サトウユカ著者/えっか(45歳)22歳専門学生の長男、19歳専門学生の次男、18歳高校3年の長女の3人を育てるシングルマザー。末っ子が大学進学となり収入を増やすべく副業ライターを始める。おいしいものを食べるのが特に大好き。 お出かけ好きで体形の割にフットワークは軽い。ジャニーズアイドルに日々目がハート。若く見せたいちっさいおばはんである。
2023年03月23日今回ご紹介するのは、高齢者ドライバーとなった親の運転について悩む、むらいひとみさんの体験談です。高齢になり危ない運転をすることが増え、車庫入れの際に車をぶつけてしまうこともあったというむらいさんの父親。ある日、実家に子どもを連れて遊びに行ったむらいさん。両親が子どもを連れて出かけてくれるということで、ひとりでゆっくりしていると不穏な電話がかかってきて……。★前の話近ごろ、父親の運転が危ないと感じるようになってきたむらいさん。しかし注意するとムキになる父親は、むらいさんたちが説得すればするほど頑固になってしまい、運転をやめてくれる様子はありませんでした。家族での話し合いがなかなかできないまま月日が流れたある日、むらいさんは子どもを連れて実家へ遊びに行きました。両親に生まれて間もない子どもを預けて、ひとりの時間を楽しむ予定でしたが……。私が出産後、実家に子どもを連れて遊びに行ったときのことでした。母が産後の私を気づかってくれ、私の息子と父と3人で出かけてくれることに。父と車で出かけることに心配もありましたが、運転は母がしてくれるとのことだったので安心して送り出しました。久しぶりにひとりの時間を満喫していた私ですが、ふと嫌な予感が頭をよぎりました。「お母さんが運転すると言っていたし……大丈夫」と自分に言い聞かせますが、そのとき家に電話がかかってきたのです。電話に出ると父から「机の上に自分の免許証があるから、出先まで持ってきてほしい」とのこと。何があったのか聞くのが恐ろしく、また聞いてしまうとこれから免許証を届けに行く私が、正常に運転できなくなりそうでした。私は何も聞かず、落ち着かない気持ちを深呼吸で抑えながら、父と母の元へ車で向かいました。-----------------父親から突然の電話。しかも、運転していないはずなのに免許証が必要だと助けを求められたむらいさん。何があったのか理解できず、頭の中はパニック状態だったでしょうね……。直前に感じた嫌な予感も相まって、気持ちも落ち着かなかったのではないでしょうか。しかし、これから自分が運転することも考え、冷静に対応したむらいさんの判断力はお見事ですね。こういうときのちょっとした判断の違いが後々大きく影響してくることもあるかと思います。すべての事態に冷静に判断を下すことは難しいと思いますが、目の前の情報だけに翻弄(ほんろう)されず、まずは落ち着いて状況を把握していく、という部分から対応できるようになると何かあったときの対応に困らなくなるかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/むらいひとみタイが大好きで、幼い頃に住んでいたタイの思い出漫画をインスタグラムとブログにて掲載しています。お笑い番組を見るのが好きです。いつかTV番組「SASUKE」に出てみたい。
2023年03月21日