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母の日に贈る電報特集&コラムを公開。電報台紙・ギフト商品・メッセージ文例を豊富に掲載。母の日限定ギフトラッピングも。2025年の「母の日」は5月11日(日)。株式会社シー・モア(所在地:大阪府大阪市北区、代表取締役:佐合曜)が運営するインターネットの電報屋さん「電報屋のエクスメール」のサイト( )内にて、母の日に日頃の感謝を伝えるための特集ページおよびコラムページを公開いたしました。「電報屋のエクスメール」では、定番のカーネーションだけでなく、心のこもったメッセージを“言葉の贈り物”として届ける電報サービスを展開。母の日ならではの贈り物アイデアや、感謝の気持ちを伝えるメッセージ文例をご紹介。今年の母の日にぴったりの電報の送り方をご提案いたします。“ありがとう”をかたちにして贈る、母の日の電報ギフト離れて暮らすお母さんへ、今年は電報で「ありがとう」の気持ちを届けてみませんか?遠く離れた場所からでも、電報ならあなたの想いをしっかりと届けることができます。自分の言葉を添えられるのも電報の魅力のひとつ。SNSやメッセージアプリで簡単にやり取りができる今だからこそ、あえて“かたちに残る言葉”を贈ることには特別な意味があります。お花やギフトだけでなく、普段はちょっと照れくさくて言えない感謝の言葉で綴る電報を添えることで、きっと心に響く大切な贈り物になるでしょう。エクスメールの電報は全国送料無料。事前のご注文なら5月11日(日)の母の日当日のお届けも可能です。さらに、数量限定で母の日専用ラッピング対応。今年の母の日を思い出深い特別な一日に演出します。気持ちにぴったりの贈り物が見つかる。母の日限定ラッピング付きギフト特集「電報屋のエクスメール」では、2025年の母の日に向けて、大切な想いを届けるための電報とギフトを取り揃えた特集を公開しています。ギフトには、カーネーションなどのフラワーギフトをはじめ、日常づかいに嬉しいお箸セットや、おしゃれで実用的な雑貨などをご用意。中でも、届いてそのまま飾れるプリザーブドフラワーやソープフラワーの花束は、手間なく楽しめる贈り物として人気です。これらのギフトには、母の日限定デザインのラッピングをしてお届けします。また、電報台紙には、優しい色合いや花柄モチーフなど、母の日にふさわしいデザインを多数ラインアップ。気持ちにぴったりの台紙を選んで、感謝の気持ちを丁寧に伝えることができます。想いを言葉にして届ける「電報」と、心に残る贈り物を組み合わせて、今年の母の日を特別な一日にしてみませんか?2025母の日特集【母の日特集ページ】URL: 「どう贈る?」のヒントがここに。母の日メッセージ&ギフト選びコラム「どんなギフトが喜ばれる?」「感謝の言葉、どう書いたらいい?」そんな方に向けて、エクスメールでは母の日に役立つコラムページを公開中です。フラワーギフトや雑貨、体験型カタログなどカテゴリ別にギフトの特徴を解説し、選び方の参考になる情報を掲載。さらに、お母さんや義母、奥さまなど贈る相手に合わせた電報メッセージ文例や、英語で伝える感謝の言葉なども掲載しています。自分らしい贈り方を見つけたい方にぴったりの1ページです。2025母の日コラム母の日電報コラムURL: 届けたい“ありがとう”を形にする、母の日おすすめセレクションサンクスギビィングクレパスで描いたような“ありがとう”の文字が母の日の気持ちをやさしく届けてくれる電報台紙です。普段はなかなか口にできない感謝の想いも、この台紙なら素直に伝えられるはず。母の日のメッセージカードにぴったりの一枚です。~おすすめ文例~「お母さんいつもありがとう!口では恥ずかしくて言えないからカード送ります。これからも元気でいて下さい。」商品詳細: サンクスギビィング( 【母の日】アレンジメント・サンクス母の日限定の華やかなアレンジメントは、定番のカーネーションを主役にした特別な一品。母の日専用フラワーピック付きで、感謝の気持ちがしっかり伝わる贈り物になります。~おすすめ文例~「母の日おめでとう。いつも元気な母さんがいて、いつでもあたたかく迎えてくれる家のある幸せを感じて、感謝しています。ありがとうの心をおくります。」商品詳細: 【母の日】アレンジメント・サンクス( 桐箱 箸置付 ペアミント ピンク 21C (母の日)上品な桐箱入りのお箸ギフトは、「いつもありがとう」の言葉とカーネーションの絵柄入り。箸置き付きで実用性と美しさを兼ね備えた、母の日にぴったりの感謝を伝える贈り物です。~おすすめ文例~「遠くに離れて、母さんのありがたさがよーくわかりました。いつか親孝行するから、身体に気をつけて、長生きしてください。」商品詳細: 桐箱 箸置付 ペアミント ピンク 21C (母の日)( 【バルーン電報】ソープフラワーローズブーケレッド香り豊かなソープフラワーのブーケに、ミニバルーンを添えた華やかなギフト。鮮やかな赤いバラが気持ちを明るく伝え、受け取ってそのまま飾れる手軽さも魅力です。感謝の気持ちをまっすぐ届けたい母の日にぴったりのアイテムです。選べるミニバルーンには、“お母さんありがとう”の言葉が添えられた母の日限定デザインも、2種類ご用意しています。~おすすめ文例~「日頃の感謝を込めて。お母さん、いつもありがとう。体を大切に、いつまでも元気でいてください。」商品詳細: 【バルーン電報】ソープフラワー ローズブーケ レッド(httpswww.exmail.co.jpoption_listfsf014_bln)母の日当日のお届けもOK!特別ラッピングで想いがもっと届く電報屋のエクスメールでは、母の日の贈り物をより特別なものにしていただけるよう、母の日限定の特別対応をご用意しています。全国どこでも送料無料でお届けできるため、北海道・沖縄・離島にお住まいのお母さまへも安心してご利用いただけます。さらに、5月10日(土)までのご注文で、母の日当日である5月11日(日)のお届けにも対応。大切な日にしっかりと想いを届けられるようサポートいたします。また、「母の日限定ラッピング」も数量限定でご用意。華やかで特別感のある専用ラッピングで、ギフトの印象がぐっと引き立ちます。ご希望の方はご注文時、備考欄に「母の日ラッピング希望」とご記入ください。母の日には、“ありがとう”を電報に込めて贈ろう母の日は、いつも伝えそびれてしまう「ありがとう」を伝える絶好のチャンスです。電話やSNSでは伝えきれない想いを、電報という“かたちに残る”方法で届けてみませんか?エクスメールでは、心を込めたメッセージが伝わる電報と、気持ちに寄り添うギフトを多数ご用意。全国どこでも送料無料、母の日当日(5月11日)のお届けにも対応しています。今年の母の日は、特別な贈り方で、大切な人へ感謝の気持ちを伝えてみませんか?特集&コラムを参考に、“ありがとう”の贈り方を見つけましょう。「電報屋のエクスメール」について「電報屋のエクスメール」は、2002年にサービスを開始したインターネット専用の電報サービスです。日本国内だけでなく、世界120カ国以上に電報をお届けできるのが最大の特徴。さらに、文字数に関係なく一律料金のわかりやすい価格設定を採用しており、初めての方でも安心してご利用いただけます。選べる電報台紙は、フォーマルなデザインから個性的なものまで豊富に取り揃え、ぬいぐるみやフラワーなどのギフト商品と自由に組み合わせることで、唯一無二のオリジナルメッセージギフトを送ることができます。結婚式や誕生日、卒業・入学のお祝いや、葬儀といった大切な場面で、心を込めたメッセージを世界中へお届けするサービスとして、お客様から多くの支持を集めています。<参考URL>母の日 特集ページ 母の日 電報コラム 電報屋のエクスメール(本店) 電報屋のエクスメール(楽天) 会社概要企業名: 株式会社シー・モア代表者: 佐合 曜所在地: 大阪市北区大淀中1-12-10 新梅田KSビル4F設立: 2001年6月事業内容: メールの作成代行、通信販売、広告代理業資本金: 10,000,000円 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2025年04月23日電報の送り方、マナー、どの台紙で送ればいいのか、迷うポイントを解説した電報コラムの記事数が70を越えました「電報コラム」 70記事突破について株式会社シー・モア(所在地:大阪府大阪市北区、代表取締役:佐合曜)が運営するインターネットの電報屋さん「電報屋のエクスメール」のサイト内で公開している「電報コラム」( )の記事数が70記事を突破いたしました。「電報コラム」とは「電報コラム」は、「電報屋のエクスメール」が提供する、電報に関する専門情報を網羅したウェブコンテンツです。送り方やマナー、贈るシチュエーションに応じた電報台紙やギフト選びのポイントをわかりやすく解説しています。また、電報を送る際に迷いがちなメッセージ文例についても、参考例を多く掲載しています。特に、結婚式の祝電や誕生日、ビジネスのお祝いシーンだけでなく、葬儀の弔電に関するマナーや表現にも深く踏み込み、読者の悩みに寄り添う内容が好評です。特に現代では電報文化が一部で薄れつつある中、このコラムは「知らなかった」「役に立った」といった声を数多く集めており、実用的な情報源として多くの注目を集めています。「電報コラム」人気記事の紹介■電報とは?電報の歴史から現在の利用シーンまでご紹介 電報の歴史的な背景から現代の利用シーンまでを網羅した記事です。「電報って何?」といった基本的な疑問を持つ方から、「どのようにして電報が文化として根付いたのか」を知りたい方まで幅広く楽しめる内容となっています。電報初心者にもおすすめの一記事です。■電報の料金はいくら?安くて早いエクスメールのサービスをご紹介 電報を利用したいけれど、「料金がどれくらいかかるの?」という疑問に答える記事です。一般的な電報料金と比較しながら、電報屋のエクスメールのサービスがいかにお得でスピーディーかを詳しく解説しています。初めて利用する方に特に好評です。■【祝電】結婚式の電報の送り方とは?マナーや文例も詳しく解説 結婚式に電報を送りたい方に向けた記事で、送り方の基本から適切なタイミング、失礼のない文例まで詳しく紹介しています。結婚式に招待された際に参考にされる方が多く、「これで安心して祝電を送れる」との声をいただいています。■【弔電の送り方】宛名・文面の書き方やマナー、喪主以外への送り方も解説 お悔やみの電報に関するマナーや書き方を詳細に解説した記事です。宛名の書き方や弔電を送るタイミング、喪主以外への送り方など、配慮が求められる場面に役立つ内容が詰まっています。弔電を送る際の不安を解消する一助となる記事です。■岳父とは?意味や義父・尊父との違い、弔電での使い方について解説 「岳父(がくふ)」という言葉にフォーカスし、その正確な意味や「義父」「尊父」との違いを詳しく解説した記事です。特に弔電を送る際に適切な表現を選ぶためのヒントが豊富に記載されています。言葉の選び方が重要な場面で多くの読者に支持されています。「電報屋のエクスメール」について「電報屋のエクスメール」は、2002年にサービスを開始したインターネット専用の電報サービスです。日本国内だけでなく、世界120カ国以上に電報をお届けできるのが最大の特徴。さらに、文字数に関係なく一律料金のわかりやすい価格設定を採用しており、初めての方でも安心してご利用いただけます。選べる電報台紙は、フォーマルなデザインから個性的なものまで豊富に取り揃え、ぬいぐるみやフラワーなどのギフト商品と自由に組み合わせることで、唯一無二のオリジナルメッセージギフトを送ることができます。結婚式や誕生日、卒業・入学のお祝いや、葬儀といった大切な場面で、心を込めたメッセージを世界中へお届けするサービスとして、お客様から多くの支持を集めています。<参考URL>電報コラム 電報屋のエクスメール(本店) 電報屋のエクスメール(楽天) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年11月22日プロレスラー青野未来が、週刊プロレスモバイルの土曜コラム「未来のサンキューデイズ」を更新。【画像】WWE所属のジュリア、NXT Halloween Havocで新たな輝きを放つ!!今回は「今を生きる」というテーマで、最近の学びについて綴られている。ファンからは「心が洗われた」「鈴虫寺の説法が心に響く」などの感想が寄せられ、青野の精神的な成長に共感する声が広がっている。彼女のコラムは、リングでの戦いだけでなく、日々の人生における気づきを共有する貴重なコンテンツとなっており、多くの読者にとって励ましや気づきを与えている。青野未来の土曜コラム更新されました✨今回は最近の学びを✍️ぜひ読んでくださいませ #週プロモバイル #pw_mg — 青野 未来 (@miku_aono) October 18, 2024 青野未来の哲学的な一面に、ますます注目が集まっている。
2024年10月20日ホイルおにぎりが美味しい理由って?「サンホイル®」を販売する東洋アルミがお届けするおにぎりコラム東洋アルミエコープロダクツはホームページ内『暮らしのアイデア』にて「おにぎりの日に試したい!サンホイルで包むホイルおにぎりの魅力」のコラムを2024年6月14日に公開いたしました。URL: おにぎりの日に試したい!サンホイルで包むホイルおにぎりの魅力 : 6月18日は“おにぎりの日”。石川県鹿島郡鹿西町(ろくせいまち=現在の中能登町)で日本最古の「おにぎりの化石」が発見されたことから、当時の鹿西町が「おにぎりの里」としての地域おこしのために制定。日付は鹿西の「ろく(6)」と、毎月18日の「米食の日」と合わせたものだそうです。〔*参照元一般社団法人日本記念日協会より〕弊社では記念日に合わせてコラムを発信する等「ホイルおにぎり」をおすすめしています。ホイルで包むとおにぎりが美味しいって知っていましたか?おにぎりコラム集 : サンホイルで包むホイルおにぎりの魅力おにぎりは何で包んでも同じだと思われる方もいるかもしれません。でもシンプルな食べ物だからこそ、食感やご飯の風味が感じられるものでもありますよね。「ホイルおにぎり」は、べちゃつかず、食感や海苔の風味も保てるので美味しい!!お米の粒感・のどごし・表面の水分状態が良いという調査結果もあるんです!「ホイルおにぎり」のおいしさの理由は!アルミホイルの特性から解説!!サンホイルで包むおにぎりサンホイルの特性アルミホイルは様々な特性を持っています。調理だけでなく掃除や保存に使われるのは、素材の特性を活かした使い方ができるからです。ここでは、おにぎりのおいしさを守るために活きるホイルの特性を簡単にご紹介します。保形性作りあげた形状を保つ性質です。クシャっとしわを付けたり、丸めたりすることもできます。防湿性水分の透過を防ぐ性質です。湿気を通さず、水分を逃しません。遮光性/遮蔽性光や外気を通さない性質です。包んだ物の酸化・劣化などを防ぐことができます。サンホイルを使うメリットおにぎりの食感ホイルの保形性により、握ったおにぎりがしっかりと保持できます。持ち運ぶシーンでも、おにぎりの食感を守ってくれます。べちゃつかないホイルとおにぎりに隙間ができることで余分な水分が逃げて、お米の粒同士が糊状にくっつくことが起きにくくなり、おにぎりをベチャつかず、パサつかずに包むことが出来ます。おにぎり水分おにぎりイメージホイルおにぎりの作り方基本的な作り方をご紹介します。1. ご飯をボウルに入れて、お好きな具材を混ぜます。2. 混ぜたご飯を適量取り、おにぎりの形に握ります。この時、ラップやおにぎり型を使うと衛生的で便利ですね。3. 握ったおにぎりをサンホイルで包みます。*サンホイルはおにぎり協会認定商品!おにぎりを包むのにもおすすめです。ラップで握ってホイルで包むまとめ“おにぎりの日”には、ぜひサンホイルを使って作る「ホイルおにぎり」の魅力を体験してみてください。シンプルながらもおにぎりの美味しさが引き立てられ、一度やってみると違いが分かるはず…!!サンホイルのほかにも、内側が吸湿紙・外側がアルミの「おにぎりホイル」もありますよ!おにぎりにぴったりの小さ目サイズで、外側にはデザインがあって、行楽シーンやランチタイムにおすすめです。ムーミンコラボのデザインもあるので、ぜひチェックしてみてくださいね!サンホイルおにぎりホイル「サンホイル」商品情報 : 「おにぎりホイル」商品情報 : サンホイルブランドサイト | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年06月17日家庭用アルミホイルブランド売上No.1のサンホイルを販売する東洋アルミエコープロダクツがお届けするアルミホイルのQ&Aコラム東洋アルミエコープロダクツはホームページ内『暮らしのアイデア』にて「アルミホイルQ&A②~アルミホイルって電子レンジで使える?」のコラムを2023年11月28日に公開いたしました。URL: アルミホイルQ&A No.2熱に強く、オーブントースターでも使用できるアルミホイル。電子レンジでの使用がNGなのは本当?『アルミホイルって電子レンジで使えるの?』の疑問について電子レンジの発熱の仕組みからアルミホイルでの加熱についてコラムでチェックしてみてください。詳しくは下記よりコラム『暮らしのアイデア』をご覧ください。アルミホイルQ&A③~アルミホイルって電子レンジで使える? : アルミホイルといえば「サンホイル」サンホイルは家庭用アルミホイルブランドで売上NO.1です。そのサンホイルが2023年10月にリニュール発売し、国内初*2家庭用アルミホイルに、グリーンアルミの使用を開始しました。パッケージも新しくなり、さらに使いやすくなっております。*1:売上No.1 [売上No.1ブランド](株)インテージSRI+アルミホイル市場 2021/11/1〜2023/2/28マーケットサイズ(販売⾦額)*2:国内初〔⾃社調べ(2023年9⽉)⽇本国内における「家庭⽤アルミホイルのグリーンアルミ化」について〕アルミホイル売上No.1ブランド*¹の「サンホイル」が リニュー アル。国内初*²家庭⽤アルミホイルに「グリーンアルミ」の使⽤を開始し、CO₂排出量の削減に貢献します。 : サンホイルブランドサイトサンホイルブランドサイト | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : これからもずっと、あなたの“スタンダード”でありたい。楽しさつくる、笑顔をつつむ、サンホイルです。東洋アルミエコープロダクツ株式会社は、環境にやさしいライフスタイルをサポートする企業として、今後も社会に貢献してまいります。会社概要商号 :東洋アルミエコープロダクツ株式会社代表者:代表取締役社⻑ ⼭⼝正起本社所在地:⼤阪市⻄区⻄本町1丁⽬4-1設⽴:1969年11⽉1⽇URL:[ ]{ } 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年12月11日お弁当の数だけ物語がある!東洋アルミエコープロダクツはホームページ内『暮らしのアイデア』にて「わたしのお弁当ストーリー」のコラムをお客様の声とともに2023年4月19日に公開いたしました。URL: 春休みが終わって、新しい期が始まりました!お弁当作りが終わった!という人。これから始まる!という人。いやいや、ずーっと作り続けていますよ!という人。栄養バランスを考えたり、彩りをよくしたり。量は足りるかな?食べる時まで、おいしさを保ってくれているかな?など、お弁当には作り手の想いがギューッと詰まっています。お弁当の数だけ、物語がある!今回は、お弁当作りで「おべんとうカップ」を愛用してくださる方から寄せられたお弁当ストーリーを紹介していきます。みなさまからいただくお声にある名称では、「お弁当カップ」「おかずカップ」と呼ばれたりもしているようですね、みなさんはなんと呼んでいますか?お弁当作りのエピソード汁漏れ課題を解決!「汁も油も吸いとるケース」お客様の声吸いとるケースとは3層構造になっているので、汁気を超速吸収!味移りを防いで、おいしさそのまま!汁も油も吸いとるケース | 商品情報 | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : 味移り問題を解決!「抗菌深いぃおべんとケース」お客様の声深いぃケースとは深さがあるからしっかり仕切れる!おべんとうカップです。抗菌加工もあって安心。抗菌深いぃおべんとケース | 商品情報 | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : 東洋アルミのコラム『暮らしのアイデア』暮らしのアイデア | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : 会社概要商号:東洋アルミエコープロダクツ株式会社代表者:代表取締役社長山口正起本社所在地:大阪市西区西本町1丁目4-1設立:1969年11月1日URL: 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年04月21日15年以上改良開発を続けている歴史あるロングセラー商品東洋アルミエコープロダクツはホームページ内『暮らしのアイデア』にて「フレームカバー」の紹介コラムを2023年3月16日にご愛用者の声とともに公開いたしました。URL: フレームカバー#入居前にやることでSNSでもよく投稿していただけている「フレームカバー」をご紹介!▼詳しくはコラムをチェック▼春からの新生活!入居前に準備したい『フレームカバー』 | 暮らしのアイデア | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : フレームカバー使用シーンイメージ『フレームカバー』はコンロの汚れ防止アイテム『フレームカバー』とだけ聞くと、どこに使うものなのかパッと思い浮かばないかもしれません。「ビルトインコンロと調理台のすきまに入り込む汚れを防ぐもの」です。コンロの天板のフチには細かな汚れが入り込みやすく、拭き取りだけでは取れない汚れがどんどん溜まってしまいます。『フレームカバー』はフチの形状にぴったりフィットしてすきまをカバーするので、汚れが入り込まず、掃除が楽になります。目立たないすっきりとしたデザインで、取り付けた見た目もキレイ♪ビルトインコンロであれば、IHクッキングヒーターでもガスコンロでもお使いいただけます◎中央が折れやすい設計でコーナーもフィット!東洋アルミの『フレームカバー』こだわりをご紹介【15年以上改良を続けてきた形状】2008年の発売以降、15年以上改良開発の歴史のあるロングセラー商品。様々な機器を調べて取り付けやすくぴったりフィットする設計を追求!ただのテープではなく、ブーメラン形状でさまざまな機種にぴったりフィットします。反発も少ないこの形状は特許申請中の東洋アルミだけ◎粘着剤も劣化が少ないものを選定しています。機器の変化に合わせて、これからも改良開発を続けてまいります。コンロにピッタリフィットさせやすい特殊な形状ご愛用いただいているお客様の声もご紹介お客様からの実感のお声取付けのコツ等詳細はコラムをご覧ください。春からの新生活!入居前に準備したい『フレームカバー』 | 暮らしのアイデア | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : フレームカバー フリーサイズ品名:フレームカバーフリーサイズJAN:4901987224297取り扱い店舗のご案内 : 楽天ショップで購入 : Amazonで購入 : フレームカバー商品詳細ページフレームカバー | 商品情報 | 東洋アルミエコープロダクツ株式会社 : instagram投稿 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年03月17日「新学期」をテーマにした学校生活に役立つコラムをピックアップ!新学期、入園、入学、進学などもひと段落し、新生活にもだんだんと慣れてきたころでしょうか。今回は「新学期」をテーマにした、学校生活に役立つ情報コラムや連載コラムなどをピックアップ!新学期のストレス問題、合理的配慮の求め方などの役立つ情報から、新学期のあるあるトラブル、解決ライフハックまで、さまざまなコラムがあるのでぜひ参考にしてみてください。2021年度に実施した、LITALICO発達ナビのユーザーさまへのアンケート調査では、「発達が気になるお子さまを育てる中で、課題や困難を感じるのはどのような場所ですか?」質問への回答結果を見ると、かなりの多くの方が学校や保育園、幼稚園での悩みを抱えていることがわかります。特に新学期、子どもも親も慣れない環境にガラリと変わることで、かなりの不安や悩みが出てくる時期ではないでしょうか。特性があり、支援が必要な子どもを持つ保護者の方にとっては、担任の先生にどこまで合理的配慮を頼んだらよいのか、どのように伝えたらよいのかも悩ましいところですよね。さまざまな体験談と解決策を描いたコミックエッセイから、こうした悩みの解決のヒントを見つけられるかもしれません。Upload By 発達ナビ編集部学校生活に役立つ情報コラム新学期が始まりもうすぐ1ヶ月。環境や関わる人が大きく変わることの多い新学期は、子どもも親も気づかないうちに疲労やストレスがたまりがちに。子どもの出すイライラサインや症状とはどんなものなのでしょうか。新しい学校、クラス、友達との出会いにお子さんがわくわくしている一方、親としては新しく子どもの担任になる先生との連携や協力、合理的配慮のお願いなど心配事もたくさんあります。そんな新しい先生との関係の築き方、コツを解説します。新学期についてのコミックエッセイASDのあるミミくん。小学2年生進級前のギリギリのタイミングで担任の先生が変わることが分かり…!?新学期に母親のtaekoさんが新しい担任の先生にお願いしたこととは…?3歳のときに自閉スペクトラム症と診断を受けた長男けんとくん。年中のときに市の発達支援施設から地域のこども園に転園することになったのですが、不安なことだらけで…。そんなけんとくんの入園式~入園してすぐのエピソードです。自閉スペクトラム症と知的障害があるほぺろうくん。3歳のころに保育園に入園したのですが、癇癪を起こしたら?お友達とコミュニケーションは取れる?一緒に保育園生活できるの?と母親のぼさ子さんは不安がいっぱいで…。自閉スペクトラム症(広汎性発達障害)のある長女あーさん。休校あけの新学期、「学校は楽しい」と言っているのになぜか家や放課後等デイサービスで大号泣!その原因は以前もあった「あること」が理由で…。4月(新年度)になると、情緒不安定になる自閉スペクトラム症(広汎性発達障害)があるあーさん。毎年恒例のことだから…と母親のSAKURAさんは覚悟していましたが、今年は何もかも一味違い…!?4月は入園・入学・進級に合わせて持ちものを新調するご家庭も多いのではないでしょうか。上履きの左右問題、ランドセルのフック、折り畳み傘の開け閉めなど、特性のある子のつまずきやすいポイントを解消する工夫がたくさん紹介されています。発達障害がある子どもの進学、進級問題。何が最適なのかがわからず、悩んだり不安に思ったりすることも多いのではないかと思います。子どもに合う居場所を見つけるのが大切ですが、どのように見守ったら良いのでしょうか。まとめ新学期は、子どもにとって環境が大きく変化するため、子どもにとっても、親にとってもストレスや不安を抱えがちな時期です。親子で取り組めること・先生にお願いしたいことを考えたうえで、先生と良好な協力関係を築き、子どもが楽しく過ごせるように学校生活をサポートしていくことが大切です。
2022年04月30日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。なんらかの理由があって不満そうにする子供。大人がその気持ちを理解し、解決に導くにはどうすればいいでしょうか。第18回『あなたごととわたしごと』外食をしていると、少し離れた席で子どもの泣き叫ぶ声が聞こえた。姿は見えないけれど、保護者らしき人がどうにか静かにさせようとしているのが伝わってくる。なかなか泣き止まない声を聴きながら「周りの目も気になるだろうし大変そうだな」「自分ならどんな風に声をかけるだろうか」と思い見ていた。僕が泣き声を気にしていることを察したのか、一緒にいた友人が声の聞こえる方を一瞥しながら「なんや不満なんやろなあ」とつぶやいた。呑気なセリフに笑ってしまう。そりゃ何か不満なことがあるから泣いているのだ。なにを当たり前のことを、と思いながら、当たり前であるのになにか大事なことを言ったように感じる。さっき僕は、大人の目線で「泣きやますことが大変そうだなあ」と思っていた。当然に子どもには子どもの泣いている理由があるけれど、なぜ泣くのかを考えるときに具体的になにが嫌なんだろうかと想像することはあっても、漠然と「不満なんやなあ」と思うことはあまりない。「不満なんやろなあ」という言葉は他人事に見えながらも(実際に他人のことではあるけれど)、実はその子の気持ちにそのまま寄り添う言葉なのではないか。子どもが泣いてしまったり癇癪(かんしゃく)を起こしたりした時に真っ先にそれを鎮めようとする。何が嫌なんだろう、どうやったら泣き止んでくれるんだろう、と焦ってしまう。そんな時に一旦、無責任に「不満なんやなあ」と呟いてみるのもいいかもしれない。それで何かが分かったり解決の糸口を見つけたりするわけではないかもしれないけど、その一言で少し肩の力が抜けて向き合い方が変わるかもしれない。ある時、小学校からの帰り道に急に「学童に行きたくない」と言い出した子がいた。無理に連れて行くわけにはいかないため、休めるかどうかを確認するために保護者に連絡してみたが都合がつかず、渋々学童に向かうことになった。話を聞くと学校で嫌なことがあったらしい。施設に着くまでに気分を切り替えられるように、愚痴を聞いたりくだらない話をしたりして笑いながら到着できた。けれど、いざ室内に入ろうというところでその子は足を止めてしまった。説得しても動こうとはせず、他の子が室内で活動しているのを放っておくわけにはいかないため、別の支援員にその子を見守るようお願いして、僕は一度室内に入り用事を済ませることにした。室内から様子を見ていると、支援員はずっとその子の愚痴を聞いているようだった。埒があかないのでタイミングを見て再度室内に入るように声をかけようかと思っていると、しばらくして何事もなかったかのように部屋に入ってきた。相変わらず不貞腐れてはいるけれど、少しスッキリしているようにも見える。相手をしてくれていた支援員にありがとうございますと声をかけると、「いえ、どうしていいか分からなくて、ただ話を聞いていただけでなにもしていないです」と返ってきた。「なにもしてない」という言葉で、自分が見落としていたものに気づく。僕は玄関先で過ごされるのも困るため、その子を室内に入れることしか考えてなかった。楽しくなるようにと話したことも、その子が学童を嫌がらないようにと思ってやっていた。けれど、それは僕の思いをただ押し付けているだけだったんじゃないかと。なにもせずただ話を聞く。それはすなわちその子の話に耳を傾けるということだ。なにもしていないように見えるけれど、そのなにもしないということがその子に寄り添っているということなんだ。そうやってうまくいったから、子どもに言うことを聞いてほしいときにはまずその子の言葉を聞こう。という話ではなく、知らぬ間に自分ばかりになってしまっているかもしれないから気をつけていたいという話。「こちらの思い通りに動いてもらう」ためにその子の言葉に耳を傾けるのではないもんね。こちらがしてほしいと思っていることは、その子がしんどくならないための数あるうちの一つだ。僕にできるのは、僕が思うその“いい方法”を押し付けることではなく、その子のしんどさに目を向け耳を傾け、そのしんどさを解消できる色んな方法を一緒に見つけていくことだよね。こないだ、掌の中(たなごころのうち)という言葉を知った。文字通り「手のひらの中」のことなんだけど、転じて「手のひらの中にあるように、思いのままになること」の例えとして使われるらしい。そういえば相手を思い通りに動かそうとすることを「手のひらの上で踊らせる」と表現するな、とか、子どもの頃に読んだ西遊記という本でそんなエピソードがあったような気がするな、とか曖昧ながら思い出す。相手を思い通りに動かしたいという欲求は人類の普遍的なテーマなのかもしれないな、と大層なことを考えながら、「けれど」と思う自分もいる。そんな傲慢な思いばかりではないよなあ、と。純粋に、本当に心の底から相手のことが大切だからこそ、という思いは間違いなくあるはずなんだ。その思いを表現する方法を間違うことがあっても。本心として「その子のために」と思ったことが自分の傲慢なのかもしれないことを知ると、自分のその子を思う気持ちさえも否定されたように感じてしまう。全部が間違っている気がして前に進めなくなってしまう。そんなことを思いながらその言葉について調べていると「思いのままになることのたとえ」だけでなく「大切に育て、取り扱うことのたとえ」としても使われることがあるらしいことを知る。同じ言葉なのに反対にも捉えられる意味を持っていて、その言葉が僕と同じように葛藤しているように見えた。大切だからこそ掌の中で育ってほしい、そんな葛藤を子どもとの関わりの中では多く感じる。「その子のために」と思えば思うほど、自分があれもこれも世話をしてあげたくなるけれど、「その子のために」と思うこと自体は悪い事ではないんじゃないか。もし「思い通りにさせたい」という“傲慢な僕”が顔を出したら、そんな僕を否定したり無理に失くしたりしようとせずに「それだけ大切に思っているんだ」って思うことにしよう。そして「大切にする方法を間違えないようにね」って自分に言い聞かせながら、“傲慢な僕”を横に置いておいてあげるのだ。別の方法を見つけてみるから、君はそばにいてもいいけれど大人しくしておいてね、って優しく諭しながら。余談ですが「お腹が痛い」と訴えてきたので「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫じゃないけど大丈夫」と返ってきた。心配するほどではないけれど痛いものは痛いということだろう。痛みが落ち着いたと思ったらまた痛みが押し返してくるようで、その度に「いたた」とこぼしている。何度も「大丈夫?」と聞くのもしつこいような気がして、なんて声をかけようかと悩んだ挙句、棒読みで「かわいそう」という言葉が出た。他人事な感じがすごい。全然心配しているように聞こえない。なんかごめん、と思っていたら案の定「ひとごとか!」と笑いながら突っ込まれた。「ほんまに心配してんねんで」と弁解しながら、その人の痛みはその人のもので、どうしたって他人事だよな、とも思ったりする。同じように、自分のことはどこまでいっても自分ごとだ、と“傲慢な僕”を思い浮かべる。そんな中でわずかにある、相手のことを思ったり心配したりする気持ちはどっちなんだろう。と考える。どちらか一方だけとは限らないか。自分ごとと他人事が重なる部分があって、その部分を自分ごとにし過ぎたら相手の領域にまで踏み込んでしまうけれど、自分ごとでなくなったなら心配することもなくなってしまうもの。突き放すでも寄せすぎるでも混ぜるでもなく、その重なったところを重ねたまま大切にする。それが寄り添うってことなのかもしれないな。それからは、僕が例えば「二日酔いか気圧のせいか、朝から頭が痛くて」と嘆いたりするたびに、棒読みで「かわいそう」と返ってくるようになった。気持ちのこもった心配ではないけれど、二人にだけ分かる符号のようなものだから、労ってくれていることが伝わってくる…なんてことはない。全然心配してもらっているようには感じない。もっと心配してくれよ!と少し寂しくなる。けれど、それでいいのだと思ったりもする。その少し素っ気なく感じるお決まりのやりとりが、お互いに踏み入れない部分があることを尊重するためのやりとりな気がして心地よかったりするのだ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2022年03月10日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。親なら一度は直面する「静かにしないといけない場所で子供が騒いでしまう」という悩み。子供と触れ合ううちに、きしもとさんはあることを感じたといいます。第17回『今できなくても、ずっとでも。』「子どもに注意するときに笑いながら怒るやつ、よくしてたでしょう?僕もあれ最近やるんです」と、同僚から言われた。「真面目な顔して言うんじゃなくて、あえてミステリアスに笑いながら注意するんです」と、丁寧に説明してくれるけれど、意味がわからない。まったくピンときていない僕をよそに、「宿題してる子の横で騒いでいる子に厳しく注意しても、またしばらくしたら騒いじゃうでしょう。で、こっちも疲れるじゃないですか。ていうか、そもそもなんでやかましくしたらあかんねんって話なんですよ」と、誰に向けているのかわからない愚痴を漏らしている。「子どもにとっては、あんな狭い部屋で静かにするってことの方が無理なんですよ」と、急に話の核心が現れた。なるほど、たしかにそうだな、と納得する。子どもがやかましいこと自体は別段悪いことではない。良く言えば快活で元気な子とも言える。その部屋が狭いから元気なことが困るだけで、べつにその子に「静かな人」に育ってほしいわけではないのだ。ただ今、その場所でそうしてほしいだけなのに、「それができない子は悪い」として怒ってしまうことって、色んな場面で起きている。もちろんルールを守れるっていうのは大事だけれど、ルールってのはお互いに気持ちよく過ごすためにあるものやもんね。静かにしなきゃいけない環境がその子にとってはしんどいことだってある。静かにできない子が悪いのではなく、「静かにしなきゃいけない環境」と「元気なその子」とが噛み合っていないのだと見ると少し見え方は変わってくる。いい気づきだなと思っていると、「だから最近は、“今だけ静かにしてほしいねん”って伝えるようにしているんです」と言うので「笑いながら怒った顔で?」と尋ねると、「そんな変なことしませんよ」と返ってきた。いや、自分が言うたんやん。通勤途中の電車で、赤ちゃんが泣いていた。抱かれて座っているうちはご機嫌だったけれど、ベビーカーに乗せようとすると泣いてしまうようだった。荷物が多いのでどうしてもベビーカーに乗ってもらわないと次の駅で降りられないらしい。泣き声が車内に響くこともあり居た堪れないようで、嘆くように「お願いだから」とこぼしながら困ったようになだめていた。もしそんな時があったら、と想定していたその時が来たと思い、勇気を出して「ベビーカー押すので抱っこしててあげてください」と声をかけた。警戒して当然なのに「お願いします」と言ってもらえたので、緊張しながらもホームに降ろした。エレベーターの近くに辿り着く前に「ここで大丈夫です」と言われて、たどたどしくベビーカーを手渡すとすぐに去っていった。出過ぎたマネだったかな、怖がらせたなら逆に申し訳なかったな、とその日は一日反省会だった。助けになりたかったけどうまくできなかった。ずいぶん前に発達支援の仕事をしていたころ、障害がある子に付き添って電車やバスに乗って出かけることがあった。小学生から中高生までそれぞれが行きたい場所へ、例えば科学館や映画館やファストフード店など、その子の“お出かけ”に付き添う。その子の特性によって、電車やバスの中で独り言を呟いていたり、急に大きな声を出してしまったりすることがあった。その度に僕は周りの目を気にして言い訳するように「静かにしようね」と声をかけた。本当はその子のことを怒る必要なんてないのに、周りの目を気にして怒らなきゃいけないように感じて半ばアピールのように怒ってしまっていた。その子は悪くないのに、静かにしなきゃいけない場所とその子とがただ噛み合わないだけなのに、もし大きな声を出してしまうにしても、出さないように工夫するにしても、その子がしんどくないようにできたかもしれないのに。電車に乗って、赤ちゃんが泣き止まなくて周りに謝っていたり、飲食店で癇癪(かんしゃく)を起こして叫んでいる子に静かにするよう怒っていたりする場面を見るたびに、その時の後悔を思い出す。本当は怒らなくていいのに怒ってしまうことって、お互いにとてもしんどいんだよね。誰も悪くないもん。迷惑かもしれないけれど、変なやつだと思われたかもしれないけれど。「大丈夫ですよ、気にしないで大丈夫だから」と伝えたかったんだよな。下手だったけど。幼児や小学生と電車に乗るとき、「静かにしていようね、大事なことだからね」と教育や躾の上で大切なことのように話していた。静かにじっとできてえらいね、と褒めてあげることもあった。けれど、よく考えたら電車のなかでは静かにすることを、その子の力による必要ってあるんだろうか。じっとしていられることって、大事なんだろうか。そもそも「静かにする力」ってなんなんだと聞かれたら答えられない。もちろん、静かにしなきゃいけない場面もあるけれど、それならどんな方法であっても「その場で静かにする」ができればいい。じっと座っていなきゃいけないのなら、どんな方法であっても「その場でじっと座っている」ができればいいんじゃないか。その時、その環境でそれをする必要があるだけなら、その子がしんどくないようにスマホで動画を見たりお菓子を食べたりして気を紛らわせたっていいんじゃないか。その環境で、自分がしんどくない方法で適応できるならそれでいいはずなのに、なにか、物に頼らずにその子の力でそれを克服することが大切なことのように思っている節があった。「その子がそれをできるようになること」ばかりを大事にしなくていいのかもしれないな。たとえば子どもがガラス窓に向けておもちゃを投げたとして、当然投げちゃいけないよと伝えるけれど、今その子が「窓に向かって物を投げない」を身に付けないといけないか、身に付けられるか、といったら、その子の発達によっても性格によっても変わってくるんだよね。ダメなことをまだ理解できなかったり、理解できても衝動を抑えられなかったりするのなら、その子に繰り返し注意して怒って怒られてを繰り返すのはとてもしんどい。それなら、「その子の力で我慢できること」にこだわらずに、投げても大丈夫な環境に変えたり、投げてもいいものを与えたりすれば、怒ることも怒られることも減ってお互いのしんどさが軽くなる。「しないでって言ったことを何回言ってもする」と悩んだ時には、今その子が身に付けなくてもいいことを、身に付けることが難しいことを、その子に求めているのかもしれないと思ってみれたら。僕たち大人は、子どもに「やらないでほしいこと」もたくさんある。「きちんとさせなきゃ」と思っている。あいさつができるようになってほしいし、ありがとうが言えるようになってほしい。廊下は走らないでほしいし、道路には飛び出さないでほしい。ガラス窓に物を投げないでほしいし、公共の場では静かにしてほしい。けれど、それは「いまできなきゃいけないこと」なんだろうか。「ちゃんとさせなきゃ」と思っていたことが、もしかしたら「いまだけ」できたらいいことかもしれないし、「いつか」できるようになってほしいことかもしれない。「やらないで」と言ったことをやって、その度に注意して、また同じことを繰り返してまた怒って、そうやってお互いにしんどくなっていくのなら、できなきゃいけないと思っていることの中から、できなくてもいいことを見つけてみたい。「できなくていいこと」は「怒らないでいいこと」だ。それを少しずつ増やしていけたら、しんどさは少しずつ減っていくんじゃないか。それは「怒っちゃいけない」と自分を責めるためのものではなく、「怒らなくて大丈夫だよ」と余裕を持つために。あわよくば、笑って見過ごせるように。高学年にもなると、「おかえり」と声をかけても無視をされることがある。お年頃、と言ったらその子に失礼だろうけれど、いわゆるそういう時期だ。無視されるのはなかなか辛いんだけれど、かといって無理にあいさつをするように怒ることはしないようにしている。子どもが言うことを聞いてくれなかったり、約束を守ってくれなかったりすると、残念な気持ちになる。それは、裏切られた悲しさというよりは、思ったように育っていないように見えて抱く不安のようなものだ。なんで言うことを聞いてくれないんだろう、なんで思ったように育ってくれないんだろう、と自分や子どもを責めてしまう。けれど、言うことを聞かなかったり思ったように育ってくれなかったりするのって、よく考えたら、その子がその子として育っているということだ。期待を裏切られたら裏切られた分だけ、その子はその子として生きていて僕の想像の外側で育っている。あいさつしないのも、ごめんねを言わないのも、ピーマンを食べないのも、その子がその子として生きている証だ。そんなふうに思えたら、返事が返ってこなくてこっそり傷つきながらも、その子の小さな意志を感じて少しだけ嬉しい気持ちになれるんだ。余談ですが電車に乗ったらおじいさんからジャズが流れていた。もちろんおじいさんから音楽が鳴るわけがないので、繋いだはずのイヤホンが外れているのだろう。おじいさんは気づいていないようだ。車内は空いているとはいえ、少し離れて座る僕にも聞こえる大音量で漏れているので誰かが指摘するかと思ったけれど、みんな気づいていないのだろうか声をかける人はいなかった。気づいたぼくが声をかけるのが親切かとも思ったけれど、そうはしなかった。そのジュークボックスおじいさんに気を遣ったというよりは店内BGMのように流れている音楽が心地よかったからだ。お裾分けしてもらう気分でそのままにした。これが、YouTube動画の音が若者のイヤホンから漏れていたらまた心境は違うのかもなと考えて、自分の身勝手さに苦笑いする。目的の駅に着く少し前でジャズの演奏は聞こえなくなった。おじいさんが自分でイヤホンのコードが繋がっていないことに気付いたようだった。最後まで聞けなかった残念さと、おじいさんが音漏れに気づいた安堵を感じながら電車を降りた。子どもたちと生活をともにしていると、子どもたちが自分の人生の一部に感じることがある。けれど、その子はその子の、僕は僕の人生を生きていて、たまたま重なり合った時間を過ごしているだけなんだよね。その子が聴く曲を僕が選べはしないけれど、漏れた音をお裾分けしてもらうような、たまにイヤホンを片方貸してもらうような、そんな関係であれたらいいなと思う。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年12月03日SNSフォロワー累計28万、ブログ月間200万PVの人気恋愛コラムニスト神崎メリさんが『なぜかいつも「ど本命」に愛される女性の 4つの習慣』(永岡書店)刊行を記念してイベントを行います。恋愛や婚活がなぜかいつもうまくいかない女性には、実は気づいていない残念な共通点が。 恋愛や婚活でやらかしてしまう女性と、なぜかいつも「ど本命」に愛される女性では、日常やっている何気ない習慣に、決定的な違いがあると神崎さんは新刊で書いています。新刊書籍に書ききれなかったことや、参加者から事前に募集した恋愛にまつわるお悩みについて、神崎さんが率直に本音を語るトークイベントです。また、80名限定で、特別チケットをご購入頂いたお客様には、皆さんからのお悩みを事前に指定のアンケートにてお答えいただくことで、書籍に直筆でアドバイスを頂ける特典も用意。当日会場にお越し頂けない方についてもオンライン配信にてお楽しみいただけますので、是非奮ってご参加下さい。【トークイベント参加概要】■開催日時:2021年12月3日(金)19:00~20:30■開催会場(オンライン含む):◇TSUTAYA BOOKSTORE渋谷スクランブルスクエア(フリードリンク付)〒150-6111東京都渋谷区渋谷2-24-12 11F 渋谷駅直結◇オンライン配信■チケット金額・店頭参加 :2,750円(税込)~・オンライン参加 :1,650円(税込)~※その他にもサイン本付・直筆ひと言アドバイス入りの特別チケットもございます。※店頭参加のイベント中はSHARELOUNGE内のフリードリンクやフリースナックもセットでお楽しみいただけます。■定員数(先着順)・店頭参加:30名・オンライン視聴:200名※特別チケットは店頭+オンラインで80名限定!■申込締切・直筆のひと言アドバイス入りの特別チケットのみ「11月28日(日)24:00」まで・上記以外のチケットは「12月1日(水)24:00」まで【神崎メリ(かんざきめり)さんプロフィール】恋愛コラムニスト。1980年生まれ。ドイツと日本のハーフ。恋愛指南をする公式ブログが月間200万PVと人気を集め、恋愛や結婚に悩む幅広い年齢層の女性たちから熱い支持を得ている。「男心に寄り添い、しかし媚びずに、女性として凛として生きる力」を 「メス力(めすりょく)」と名づけ、それこそが幸せの第一歩だと提唱。 SNS総フォロワーは28万人、書籍は出すたびに発売前からamazonでランキング1位を獲得し続けている。『なぜかいつもど本命に愛される女性の4つの習慣』(永岡書店)SNSフォロワー累計28万、ブログ月間200万PVの人気恋愛コラムニスト神崎メリさん最新刊。恋愛や婚活がなぜかいつもうまくいかない女性と、なぜかいつも「ど本命」に愛される女性では、何が違うのか?!●切り替え上手●執着しない●許すこと●堂々としているという、「4つの習慣」にヒミツがあるとして、著者自身の体験と、成功している多くの女性のケースを紹介し、選ばれるために大切なことを解説。11月10日発売/単行本 224ページ/1,430円(税込)ISBN: 978-4522438022【イベント】クリスマス直前!ど本命に愛されて幸せになる! 神崎メリさん秘密のお茶会 本音トーク♪ | 渋谷スクランブルスクエア : なぜかいつも「ど本命」に愛される女性の4つの習慣 | 児童書、生活実用書の永岡書店 : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月15日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。生きていると、後悔をするような出来事が起こることも。子供と接する上で、きしもとさんが悔やんだ出来事とは…。第16回『まっくろイヤや、まっしろがいいの。』「明日早起きをして、おいしい朝ご飯を食べに行こう」と言われて「きっと朝寝坊するよ」と、僕は答えた。夜更かしをしているからきっと早起きはできないだろうし、早起きできないままダラダラとしてしまう、いつもそうでしょうと。案の定、次の日は朝寝坊して朝食兼ねた昼食、あえておしゃれに言うならばブランチを食べることになった。食べながら「ほらやっぱり言った通りでしょう」と僕が言う前に「早起きできなかったなあ」と残念そうにしている姿を見て、昨晩のことを少し後悔した。それが叶わないと思っても、その時はただ楽しみだねって返せばよかったな。先回りなんかせずに、今の楽しみとして“明日を一緒に楽しみにすること”はできたんじゃないかなって。そして、一緒に「早起きできなかったなあ」と悔やめばよかった。学童の施設で、お泊まり会をしてみたいと言い出した子がいた。何年か前に企画した子がいたことを知って興味を持ったらしい。子どもの「今やりたい」という気持ちを尊重して、前向きに実現していくのが僕の役目だ。なんでもかんでもできるわけではないけれど、やりたいなって思った気持ちを逃さずに、大事に育ててあげたいと思っている。けれど、その時は別のことで手がいっぱいになっていて「いいね、どうやったらできるか考えてみようか」と促したまま、そのあとなにも言ってこなかったのでそのまま放ったらかしにしていた。数日後、「そういえばあの話」と切り出すと、「もういいねん」と素っ気なく返事をされた。ただ興味が薄らいだというだけでなく、友達関係も思うようにいかない時期でそんな気分じゃなくなったらしい。本当にやる気があるのなら諦めずにやり遂げるし、それができないのは本当にやりたかったわけではない…なんてことはなくて、やりたいと思ったことをやり始めて自分で走り出すためには助走が必要で、その助走をつけるための環境や支援がさらに必要だ。できるかできないかの主導権をその子が持っていないならなおさら、その子のやる気のせいにしてはいけない。その子がやめてしまったのは、単に興味が薄らいだのではなく、僕がうまく拾えなかったからかもしれない。タイミングを逸してしまったことを悔やみながら、けれど無理に引き戻すのも違う気がして、「また思いついたら言ってね」とだけ声をかけた。数ヶ月経って、友人関係も良好になっていき、学童での活動も充実してきた頃にまた、その子から「冬休みを使ってお泊まり会がしたい」と提案があった。一度失くなったチャンスがまた来たことはありがたかった。このタイミングは逃さないぞ、と張り切って企画を進めることにした。その子が友達たちと色々な案を出し合い練っている間に、僕は組織上層部に掛け合って施設利用などについての手回しをする。しかしながら、なかなか組織からはゴーサインが出なかった。過去に何度も開催しているのに、その時は色んな事情が重なり一筋縄ではいかなかった。冬休みには間に合わず、僕はその子に春休みに向けて交渉していくことを伝えた。もちろん嘘をつくわけにはいかないので、できるか分からないけれど相談しているということを伝えて、その子は「それでもいい」と楽しみにしてくれていた。そしてその春、結局お泊まり会は開催されなかった。大規模な感染症流行が原因だとその子には伝えたけれど、それは表向きの理由で、本当は“大人の事情”がクリアできないままパンデミックが起きて、そのまま有耶無耶になったのだった。多くの子どもたちが通う場所だから、すべての子どもたちの思いに応えたりやりたいことを叶えたりすることは難しいし、安全が第一なのでどちらにしてもできなかったと言えばそうだ。そうやってじぶんで自分に言い聞かせるけれど、後悔は消えない。その時にしか咲かないのに、水をやるのを怠って、目を離したすきに姿を消している。そんな風に育たなかった芽が数え切れないほどある。また新たな芽が出てきたのを見て安心してしまいそうになるけれど、気づかれずにそのまま閉じてしまった芽は間違いなくあった。すぐに気づいていたらグングンと育っていたかもしれないものさえも後回しにして枯らしてしまっていたんじゃないかと、いつも過ぎてから後悔する。その全てを拾えるわけないし、悔やんだってしょうがないのは分かっている。けれど、あの時拾えていたら、その子はワクワクできたしその楽しそうな顔を僕は見ることができたのにと思うことが数え切れないくらいある。7歳の友人が、先日「アスレチックに行ってみたい!」と言い出した。YouTubeで見て興味を持ったらしい。楽しそうだね、と話をしてネットで調べたりしたけれど、その日は時間がないからアスレチックはまた今度にして近くの公園で遊ぶことにした。たっぷり遊んで満足げに帰っていったのに、夜になってひとりビールを飲みながら、「アスレチック行きたい!」と言ったその子の姿を思い出して、「ああ、なんでちょっと無理してでも行かなかったんだろう」って後悔している自分がいる。何年か前にはアンパンマンミュージアムに行きたい!と言っていたのを思い出す。何度か行ってはこれで最後かなあ、まだ楽しめるんやなあ、と思っていたらいつの間にか言わなくなった。いつまで行きたい気持ちがあったのかな。最後に行きたいなって思った時に連れていってあげれたかなと考えてしまう。数週間後に会った時に「さあ、アスレチック行こっか!」と決定事項のように言ってくれた姿を見て、「なんで決まってるねん」と笑ってツッコミながらホッとする。まだ失くなっていなかった、間に合ったと安心する。おもちゃコーナーで大好きなアンパンマンのおもちゃをねだられたときに「また今度ね」って言って、次に行った時には「もういらない」って言われてしまう。「これ好きって言ってたよね」と、変身して戦うプリティな癒しキャラの人形を手に取ると、「もうお姉ちゃんやから好きちゃうし!」と怒られる。そんな時に、ああ過ぎてしまったのか、と大事なものを取り逃してしまった気持ちになる。その子にはその時しかないのに、「また今度ね」って言うたびに色んなものを取りこぼしてそのまま気づかずに過ぎていくのかもしれない。なんでもかんでも拾えるわけないし、その興味の移り変わりがすべて僕のせいなんて、おこがましいことを言うつもりもない。成長の中で変わっていくことも逃したことで偶然生まれる新たな関心もあるだろう。ただ何度も同じような後悔をしてしまうのは、半分はそのワクワクを拾えなかったことを申し訳なく思う気持ちと、もう半分は僕が寂しいからなんだろう。その時にしかない、その子の姿を、もしかしたら見られたかもしれないその子の姿を、もう二度と見られないんだろうなと思うと、後悔のような残念なような寂しいような切ないような、うまく言い表せられないけれど、そんな気持ちになる。ついこないだも、後悔するのを分かっているはずなのに、キックボードが欲しいと言い出したその子に「危ないからな、気をつけなあかんからな」と買う前から言ってしまった。次会った時に一緒に買いに行こう。一緒に練習して、一緒に楽しみながら、一緒に危ないから気をつけることを確認しよう。そうやって大事なものを逃さないように心の準備をしておくことにする。余談ですが何年か前、当時3歳のその友人が泊まりに来た時のことを思い出す。朝から一日中遊んでいたのに、日が落ち始めて窓の外が暗くなってくると「まっくろイヤやの!まっしろがいいの!」と、泣きながら天に向かって怒っていた。この楽しい時間が終わってほしくない!もっと遊びたい!と、つたない言葉で表す姿が、「いまを生きているんだ」と全身で語っているようで、とても愛おしかった。遊びたくて遊びたくて仕方がないのだろう、夜中になっても全然寝ずに、電気を消しても布団の中で延々としゃべり続けていた。「はよ寝えな」と半ばうんざりしながら、終わって欲しくないほど楽しい時間だと思ってくれていることを嬉しく感じた。大きくなったいまはもう、“まっくろ”になっても、寝て起きればまた“まっしろ”が来ることを知っているんだろう。夜になることを「まっくろ」なんて表現しないんだろうなって寂しくなりながら、「まっしろがいいの!」と泣いていたその姿を何度も思い出す。ずっとずっと「まっしろがいいの!」と、言えるような人生でありますように。「楽しい今日が終わってほしくない!」って、そんな毎日を送っていてほしいな。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年10月21日「男性の気持ちは、男性に聞くのが一番早い!」恋愛コラムニストのTETUYAです。突然ですが、僕はお酒を飲むのが大好きです。お酒を飲むと、楽しくなって、つい気持ちが大きくなるもの。そこで今回は、「お酒にまつわる恋愛コラム」を紹介します。お酒を飲んだときの男性の本音を、のぞいていきましょう。■ 「酔っている」ことを認めない昔、茶の間でウトウトとTVを見ながら寝ている父を横目に、TVのチャンネルを変えると「オイオイ、見てるよ」と言われました。男性は一般的に、プライドの高い生きもの。寝ていることを認めない父と同様、酔っている男性に「酔ってる?」と聞くと、大体は「酔ってない」と言います。こんなとき、女性なら「酔っちゃった」と明るく楽しく言うのに対して、男性は「お酒に弱い」と認めようとしません。「酔ってないよ」以外でも、お酒に酔ったときの男性の言葉は信用しないほうがいいかもしれませんね。■ 女性が2倍「可愛く」見える周りの男友達と話していて、皆が共通して言うのは、「お酒を飲むと、女性が2倍可愛く見える」ということ。別の男友達の名言で、「2:8の法則」がというものがあります。一般的に「2:8の法則」とは、お店の売上の8割は、そのお店のお客様の2割の売上で成り立っている……などを指します。蜂の群れのうち、真面目に働いているのが8割で、働かないのが2割とか、この法則に当てはまる例を挙げれば、キリがありません。そんななか、僕の友達が言う「2:8の法則」は、2回目に会った女性は、魅力が8掛けになるというもの。男性陣は、皆、納得して共感していました。たとえば、初めて合コンなどで会った女性がいるとします。その人と2回目に2人で会ったとき、1回目に会ったときに比べて、その魅力は「0.8倍」に感じられるのです。これは1回目に、合コンでお酒を飲んでテンションがあがった状態が引き起こす、見誤り事故みたいなものですね。■ 甘い言葉で誘う以前にも触れたように、男性は、お酒が入ると女性が2倍可愛く見えます。だからこそ、シラフのときには言えないような、甘い誘い文句を恥ずかしがらずに言えるのです。何度も言いますが、女性の皆さん、お酒に酔ったときの男性の言葉を信用してはいけませんよ。話半分、いや、話1割で聞いておいてください。また、もし好意を寄せる相手が「つきあおうよ」「可愛い」「好き」のような誘い文句を言ってくるようなら、動画で「証拠」を残しておくといいでしょう。そして、シラフのときに、その動画を見せて、「つきあってね」と言うと、彼は何も言えませんから。■ 告白はシラフでお願いしよう今回はお酒を飲んだときの男性の本音についてご紹介しました。とにかく、酔ったときの男性の告白を鵜呑みにするのは危険。告白されても、「今度、シラフのときにもう一度言ってね」というくらいの返しでいきましょう。(TETUYA/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年10月16日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第15回は、『素直な子供』について。また、誰もが持っている劣等感について、きしもとさんが持論を展開します。第15回『気休めだけど、持ってってや。』レジャーシートを広げてごっこ遊びをしているところに、フリスビーが飛んできた。遊んでいた女の子たちは突然飛んできたフリスビーに驚きはしたものの、特に迷惑そうにすることはなく、不安定に転がるフリスビーの行く先を見つめていた。レジャーシートから少し離れた、手を伸ばしても絶妙に届かない辺りでフリスビーが止まる。拾ってあげようかそのままにしていようか迷っている。一人の子が立ち上がりフリスビーの方へ歩いて行ったが、案の定というか、拾おうとした女の子と取りに来た見知らぬ男の子とほぼ同時にフリスビーの元に辿り着いた。お互いに気まずそうにしながらも「せっかくだから」という雰囲気で、女の子が拾って渡してあげた。男の子が「ありがとう!」と思いのほか大きな声でお礼を言ったので、素直な子だなと感心する。女の子は返事をせずに戻っていった。素っ気ないなと思う。普段はおちゃらけて僕たちを笑わせてくれるような、天真爛漫を絵に描いたような子なので不思議に思う。それでも、知らない子に親切にしてあげているのを見て嬉しかったので、僕はその子の側に行き「ありがとうって言ってもらえたなあ」と声をかけた。褒められるためにやったわけではないだろうから、偉いとかすごいとかではなく、喜んでもらえて嬉しかったねという気持ちをただ共有するつもりで、話しかけた。少し照れながら、まんざらでもない顔をする。返事をしなかったのは照れ臭かっただけなのだと思い「答えてあげたらよかったのに~」と、助言をするいうよりはどちらかというと調子付かせる感じで言った。するとその子は笑いながら「わたしの声へんやから」と答えた。思いもしない言葉だったので「ん?なんで?変じゃないで?」と間の抜けた返答をしてしまう。「こないだ友達に、笑い声が変やって言われたから声聞かれたくないねん」言う。そんな一言で声を出すことを躊躇するようになるなんて悲しすぎる。けれど、その場で「誰やそんなこと言ったん!許せへん!」と息まくことができないのは、僕自身もその一端を担っていたかもしれないと思ってしまったからだ。いつも変な顔をしながらみんなを笑わせていたその子が、笑われることに本当は傷ついていたのかもしれない。なにも知らずになにも考えずに笑っていた僕は、大きな間違いを犯していたんじゃないか。「まったく変なんかじゃないし、君の楽しく話す声も元気に笑う声も好きやで」と伝えたけれど、その言葉は不安を打ち消す魔法の言葉ではなく、ただの気休めにしかなっていないような気がした。気の弱い、控えめな女の子がいた。その子には仲のいい友達が2人いて、その日も、その2人に付いて遊んでいた。自分の意見をあまり言わずに2人の言いなりになっているように見えて、その子がひとりになったときに「嫌なら嫌って正直に言っていいんだよ」と、声をかけた。「僕はあなたの気持ちに気づいているからね」という風に、救いの言葉として伝えた。するとその子はしばらく黙ってから涙を流した。残念ながらその涙は、理解者が現れた感動からではない。「怒られた」と思って泣いていた。「嫌って言っていいんだよ」という言葉が、嫌だと言えない自分が悪いのだと思わせてしまっていた。そんなつもりじゃないんだよ、と言っても遅い。自分の思いに正直になっていいよっていう言葉で僕は、嫌と言えないその子自身を否定しまっていたのだ。その子は、仲良しの2人に付いて遊ぶことを嫌とは思わず、もしくは自分で嫌だという気持ちに気づいていない中で、外側から「嫌って言えない自分はダメなのだ」と、元々は持っていなかった不安を持たされたことになる。素直な子と聞いてどんな子を思い浮かべるだろう。気持ちよく「ありがとう!」と言えたり、悪いことをして「ごめんなさい」と言える子を見て素直だなと感じる。なにかお願いをして「うん!」とか気持ちよく返事してくれると素直ないい子だなあと思う。けれどそれは、子どもに素直になることを求めているんじゃなくて、聞き分けが良くて可愛げがあることを求めているのかもしれない。僕が求めている姿や正しいような姿だから素直だと感じているのかもしれない。以前、ある保育士さんが「子どもに注意した時、すぐにケロっとしていると馬鹿にされている気になったり、もっとしょんぼりしろよ…と思ってしまう自分がいる」と言っていたのを思い出す。言い返してきたり、嫌がったりしても、それがその子の率直な思いなら「素直」ということのはずなのに、「素直じゃない」と思ってしまう。そんな風に思ってしまう自分に気づいて、自分はダメだなあって落ち込む。じゃあ、「嫌だ」とはっきり言えることが素直なんだろうか、と考えてみる。いや、自分の気持ちを表せられたらいいけれど、表さないのもその子の表現であるなら否定しちゃいけない。自分の気持ちを真っ直ぐ表すことが素直であることならば、恥ずかしくて黙ってしまうことも、嫌って言えないのも、その子のそのままの気持ちでそのままの姿だ。その子の「素直な姿」を僕が勝手に、「自分の思いが言える子に」と理由をつけてひねくれさせているだけだ。もちろんうまく自分を表せられなくてしんどい思いをしている場合もあるだろうから、ほっとけばいいわけじゃない。素直であることを大切にしたいなら、その子の素直な気持ちを「自分の気持ちを素直に表そうよ」なんて矛盾した言葉で否定してしまわないようにしたいということ。その保育士さんは「自分が言っていた素直な子って、自分が保育しやすい子どもなんじゃないか、そこからズレた素直さが受け入れられないんだろうな」と葛藤を見せながら言った。そして「その子の素直さって「価値」ではなくて、ただ守られるべきもののはずなのに」と続けた。本当だな。素直であるかどうかを測っている時点で、その子の本当の気持ちなんて見ることができていないのかもしれない。それでも、僕は子どもに本当の意味で素直な気持ちでいてほしいから、間違えて傷つけてしまわないように向き合っていたいんだ。そのためにできることはなんだろうって考えたら、その子がどう感じているんだろうって思いを巡らせることしかないのかもしれないけれど。小学生のときに「笑い方気持ち悪いな」と言われたことがある。たったその一言だけで、それから20年以上経った今でも、自分が笑っている顔を写真で見たり、ビデオ通話をしていて視線の端に入ったりするのも嫌だ。きっと言った子は覚えてないだろうから、同じようなことを僕も誰かに言っていて、同じように僕も覚えていないんだろう。あからさまに意地悪で言っていることもあれば、全く悪気がなく言っていることもある。自分にそんなつもりがないのに相手を傷つけてしまうことも、相手にそんなつもりがないって分かっているのに自分が傷ついてしまうこともある。自分の笑顔をまじまじと観察して嫌いになったわけじゃないのに、なんとも思っていないそいつに言われたその一言で、なんで自分で自分を嫌いにならなきゃいけないんだろう。「お前に言われたないわ」と一言返せばよかったのに、と思いながら、一言返したとしてもきっと傷ついていただろうし、ずっと心に残っている。それは、人格を揺るがすような大袈裟なものだけでなく、例えば好きなお菓子なんかを「そんな味が好きなの?」と馬鹿にされたりしても、「大きなお世話じゃ」とは言えず、言えたとしても心のどこかでは「自分は変なんだろうか、劣っているんだろうか」って思ってしまうだろう。いま抱いている不安や劣等感はどこからやってきたんだろうって改めて考えてみると、もしかしたら自分で見つけたものではなく、僕じゃない誰かが作ったものを持たされているだけかもしれない。僕は頭髪が薄くおデコが後退している。いわゆるハゲだ。ただ僕がハゲていることを喜べないのは髪型でオシャレができないからではない。なぜか劣っているように感じるからだ。ただ、冷静になってみたら髪の毛が少ないだけでなんで劣ってるってことになるんだ。ならないだろう。悪口で「ハゲ!」とか言われるけど、誰が言い出したんだ。あれ悪口じゃなくてただの事実やからな。事実を言うだけやったらこっちだって言ったるわ!イケメン!ハンサム!いかん、取り乱してしまった。劣等感を刺激して、さも正しい姿があるように見せて、そうでなければ劣っている、と感じさせる物を社会の中では多く目にする。戦略的な商業広告から、普段の生活の会話まで、なにかしら「こうあるべきなんじゃない?」という感情を持たされている。小学生のまだ低学年の子でも「太ってるからおやつ食べない」とか「足の毛が濃いから見せたくない」と言う子がいる。周りと自分との違いに気づいて自分の身なりなどが気になっていくことは発達の過程で見られる育ちのひとつだ。だけどこの場合は違うだろう。その子が自分とほかの子を見て気づいた違いではなく、自分ではない誰かから持たされた劣等感だ。そしてそれはとても悲しくてしんどいことだ。「素直になろう」とか「元気でいよう」という言葉も、もしかしたらそうなっているのかもしれない。子育てでしんどいことや不安に思うことも、自分で考えて生まれた不安ではなく、周りから持たされた劣等感ということも多くあるんじゃないか。「子どもがかわいそう」「親として」「愛情が」そんな言葉なんか「大きなお世話じゃ!」と一蹴すればいいのかもしれないけれど、そう思おうとしても心の奥底では「自分はできていない」と思ってしまう。子どもたちと楽しく過ごしたいと思っていても、行儀良くさせなきゃ、好き嫌いさせない、手抜きしちゃいけない、そんなことを考えてしまうと、なぜだか楽しく過ごしているだけではダメな気がしてしまう。逆に「心の余裕があることが大切です」「楽しんだほうがいいです」なんて言葉を聞いても、楽しめていない自分がよくない気がするし、さらに余裕がなくなっていく。そのしんどさは、もしかしたら誰かに持たされているのもかもしれない。その子の姿を見て不安になっていると思っていても、どこかで聞いた正しい姿ではないから不安なのかもしれない。自分とその子の関係が苦しいように見えて、誰かが言っていた形にならないから苦しいのかもしれない。その子と自分との関係は、ふたりにしか分からないのに。色んなしんどさがあるけれど、その子と自分との関りだけで両手はいっぱいなんだから、誰かに持たされた不安はその辺に置いとけたらいいな。いや、この言葉もまた僕が誰かに不安を持たせているかもしれないから、置いておけなくてもいいなとも思えたらいいなって書き足しておこう。余談ですが「笑い声が変だと言われたから」と言っていたその子が、その後声を出さなくなったり話さなくなったりすることは、少なくとも一緒に過ごした一年程の間には、なかった。相変わらずおちゃらけている姿を見てそんな大げさに考える事ではなかった、と思いたいけれど、それはできない。もしかしたら、あれからずっと気にしているかもしれないし、忘れていたとしても何かのきっかけで思い出すかもしれない。みんな何かしら誰かから持たされた不安を抱えているのだと思う。「そんなことないよ」って言われても、きっと残念ながら、その呪いみたいなものはずっと無くならない。けれど、そのたびに「そんなことないよ」って言ってもらえたことも思い出して、どうにかやっていけるのかもしれない。「大丈夫やで」「そんなことないで」そんな言葉は気休めのように聞こえるかもしれないけれど、僕もその気休めの言葉に救われていたりする。誰かに言われたしんどい言葉を捨てられないなら、ついでに別の誰かが言った気休めもカバンにぶち込んでおくのはどうだろう。なんとなく取り出してしまったしんどい言葉に絡まって「そんなことないで〜」と出てきてくれ。僕がかけた言葉も「でも、あいつはそんなことないでって言ってくれてたよな」って、しんどい言葉に釣られて思い出してくれたらいいな。「なんて言ってたか覚えてないけど、そんなことないでって言ってくれてたような気がするな」って。「どこの誰やったか覚えてないけど」って。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年08月14日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第14回は、つい他人と比べてしまうことについて、きしもとさんが持論を展開します。第14回『みんな頑張ってて、みんな怠けてる。』梅雨なのに何日か気持ちのいい晴れた日が続くことを梅雨の中休みというらしい。カラッといい天気だったので、7歳の友人を誘って少し遠い普段行かない公園に行くことにした。宿題を持ってきたので公園へ行く前に済ませることに。二桁の足し算をする横で応援しながら、学校楽しい?なんの授業が好き?と、邪魔もしていた。邪魔されているのに律儀に「国語と道徳が嫌いかなー」と答えてくれたので理由を聞いてみると、道徳の授業で聞いたらしい物語を話してくれた。サルくんがロボットを作って学校に持ってきました。みんなが「すごーい」と言ってサルくんの周りに集まってるのを見て、クマくんは「僕も作ったことがあるよ」と言いました。そしたら、みんなから「持ってきて見せてよ」と言われました。クマくんは急にお腹が痛いと言ってどっかに行ってしまいました。クマくんの気持ちはどんなだったでしょうか?伝聞調ではあるけれど、しっかり話を聞いて理解しているのが分かる。伝わるように話をしてくれたのを聞いて、むしろ国語得意なんじゃないかと思ったが、得意だからといって好きだとは限らないか、と思い直す。ほんでほんで?って続きを聞くと、「どう思うか聞かれてんけど、うまく答えれへんかってん」と、その時のことを思い出すのかしょんぼりしている。「どう思ったの?」と尋ねると「ズルイと思ったって思ってん」と小さな声で自信なさげに応えてくれた。的外れな答えとは思わない。「みんなにすごいなーって言われてるサルくんをクマくんはズルいって思ったんか」と、言葉を補足しながらその「ズルい」の意味を汲み取ろうとしてみる。自身が友達をみて「ズルい」と思うことがあるのかもしれないな、と学校生活を想像する。その「ズルい」が、羨ましいなのか妬ましいなのかは分からないけれど、自分にとって知っている感情で、それがその言葉なのだろう。「あの子だけズルいなーって思うことあるもんなあ。クマくんもサルくんみたいにみんなからすごいって思ってもらいたかったんかもしれへんなあ」と、何かの答えに誘導するわけではなく、例えば映画を観ながらヒロインの心情を考察するくらいの気軽さで、話してみた。「うんうん、そやろそやろ」と頷いてくれる。「けど、みんなの答えは違っててな」と、また急にトーンが下がる。「自分だけ間違えてると思って泣きそうになってん」と。発表してみんなから非難を浴びたんだろうか。発表する前にみんなの答えを聞いて自分は間違っていると思って自信をなくしたんだろうか。「それは辛いなあ、けど間違ってないと思うで」と伝えると、「あ、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ!」と急にケロっとするので、思わず吹き出してしまった。泣きそうになってないんかい!とツッコミながら、けれど、と思う。具体的な辛さは分からないけれど、その泣きそうになるっていう気持ちは分かるような気がする。僕も同じような思いになったことが、いつかあったかもしれない。自分の感じたことや考えたことは間違っているかもしれない。みんなとは違うかもしれない。みんなは分かっているはずなのに自分は分かってないかもしれない。そんな漠然とした不安で苦しくなることがある。答えのないものを答えられるか試されているような、自分の考えがあるのか試されているような。正解がないというのなら答えさせないでおくれよ、と愚痴りたくなる。夕方18時前に電話がなる。僕が体調を崩してから、ドイツにいる友人がほぼ毎日同じ時間に電話をかけてきてくれる。少しだけ世間話をした後で将棋のネット対戦を3局だけ楽しんで、ではまたと電話を切る。だいたい僕がうっかり飛車を取られてそのまま負ける。心配してくれているのと、息抜きなのと、将棋で僕をぶちのめしたいのと3:3:3くらいの割合だろう。残りの1割はなんだろうな。その日電話に出ると、開口一番「よくない話があったんだけど聞いてくれる?」と、尋ねられた。海外映画では「いい話と悪い話どっちが先に聞きたい?」というような台詞を聞くけれど、日本では先に断ることってあまりないよなあと、どうでもいいことを思いながら「聞こうか」とそれっぽい返事をする。「ドラッグストアに石鹸とスマホ用のプリペイドカードを買いに行ったんだけど、買うもの2つだけだからメモせずに行ったのね」ドイツのドラッグストアはコンビニみたいな感じなのかな、と想像する。「で、プリペイドカードはすぐ見つかって、あと、最近おじさんになってきたからか肌荒れひどいしYouTubeでビタミン入りの美容液がいいって見たのを思い出して、せっかくドラッグストアに来たからと思って買ったんだよね」急におじさんのお肌事情の話に飛ぶ。お肌にはビタミンがいいのか。ビタミンてのは何にでも効くんだな、YouTubeはなんでも教えてくれるんだなと、またどうでもいいことを考える。「買うもの2つだから満足して帰ってきたんだけど、家に着いて手を洗おうとした時にさ」と話したところで、「あ、石鹸」と、思わずオチを言い当ててしまった。これもまた映画っぽいやりとりだなとくだらないことを考えていると「ほんま自分が嫌になるわ〜」と、オチを横取りされたことを気に留めずに自身の失態に落ち込んでいる。「あるよなあ」と共感する。「あるんや」と意外そうだったので、そんなきっちりしてるように見えるのかな?と思いながら「うん、毎日のようにあるで。毎日というか、1日に何度も」と返すと、「俺はたまにでこれだけ落ち込んでるのに、それが毎日なんて、生きてるの嫌になれへん?」と心配された。ものすごい勢いで失礼なことを言うな。「けど安心したわ」と続けたので、失礼には目を瞑ることにした。ダメな自分と同じような姿を他の人にも見えたら安心する、その気持ちはとても分かる。それは、蔑んだり見下したりするという意味ではなくて、この人も完璧じゃないんだと思えて、同じ人間なんだと思えるからだ。自分は人と比べてできていないなあ、と思うことはよくある。僕はとくに、よく忘れ物をするし、優柔不断だし、うっかりミスもする。大人になってもできないことだらけだ。だから、きっちりしてる人と話す時はいつも心なしか緊張する。ズボラだとか雑だとかダメなやつだとか思われてるんじゃないかと不安になる。逆に、きっちりしている人からすれば、ゆるい人と話すときには、「柔軟で臨機応変に対応できる人との会話は緊張する」と思っているかもしれない。いや、それは都合よく考えすぎか。僕はいつもどこかで、自分はダメだなあと思っている気がする。ただ人と比べてダメだなあと思うだけならいいんだけど、しんどいのは自分が頑張りたいのに頑張れない時だ。これじゃダメだと分かっているのにできなくて情けなくて、でもどうしたらいいか分からなくて頑張れない自分を責めてしまう。こんな風にできたらいいなって前向きに思えたらいいけれど、それじゃダメだぞ、としっかり後ろ向きに考えてしまう。几帳面できっちりしているのと、ズボラで優柔不断なのとだったら、どっちがいいだろう。感情的な人と理性的な人とどっちがいいだろう。自分がなれない「それ」になろうとすることはいいことかもしれないけれど、その前に「それになれない自分」を責めてしまって潰れてしまいそうになる。「自分を責めちゃダメだよ、自分はそのままでいいって思おうよ」って言葉で、さらに自分を責めて抜け出せなくなっていく。どちらが善くて、どちらが悪いって思ってしまうけど、きっと本当はどちらも悪くない。その人はたまたまきっちりしていて、僕はたまたま忘れっぽいだけ。ズボラなことで誰かに迷惑をかけることもあれば、きっちりしていることで誰かを傷つけることもあるかもしれない。几帳面なことで助かる人がいるかもしれないし、ゆるいからこそ救われる人もいるかもしれない。都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにしようと思う。できている人とできていない人を分けて「できている人が正しくて、できていない人が間違ってる」ってしてしまうのは、とってもしんどいもの。こんな人間でいたいな、と思うことがある。子どもと関わる時にこんなことに気をつけたいな。と思うことがある。けれどできなくて、自分はできないなあって思ってしまう。もしかしたら、みんなが「自分はダメだなあ」と思っているかもしれない。そんなふうに思ってみると、少し気持ちが楽になる。みんな頑張ってて、みんな怠けてて、みんな自分はこんなんじゃダメだって思ってて、頑張りたいけど頑張れなくて、みんな怠けてて、みんな頑張ってる。やっぱりそれも都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにする。余談ですが無事宿題を終わらせて、少し離れた広い公園へ来た。芝が傾斜になっていて、その芝を上下に挟むように細い歩道がある。子ども連れが数組レジャーシートを広げている。「そういえば小さい頃ここで転けたことあるねんで」と、芝を指差し、スマホに保存されている動画を見せてあげる。当時2歳の友人の手を握って芝の坂道を登っているときに、僕の方が足を滑らせて転んでしまい、その勢いで一緒に転んで大泣きしてしまったのだ。大の大人がひっくり返る動画を見て声を出して笑ってくれたので、どさくさに紛れて「ごめんね泣かして」と7歳になった本人に改めて謝罪した。「悪くないよ!」と返ってきた。「でも、巻き込んじゃったからさ、悪いのは悪いねん」と説明しても、「悪くないってば!」と強めに返してくる。気を遣わせてしまったかなと思いながら、身軽に大型遊具を登るのを離されないように追いかける。なんて言えばいいか分からないから「許してくれてありがとね」と伝えた。すると「好きな人のこと悪いって言いたくないし、自分が悪いんやって思ってほしくないもん」と小さな声で言うのが聞こえた。大事な人のことを悪いって言いたくないし、大事な人には自分が悪いって思ってほしくない。こんなにシンプルなことを、僕は言葉にされてようやくなにより大切なことだと気づく。優しさとか慈しみとか凡庸な言葉しか浮かばない。分かっているのに、僕はあなたに自分が悪いって思わせているかもしれない。分かっているのに、僕は自分で自分のことを悪いって思ってしまっているかもしれない。また自分はダメだなあって思いそうになっている。けれど、君がそう言ってくれるなら、自分で自分のことを悪いって思わないことにするよ。長いローラーすべり台を滑り降りながらそんなことを思って泣きそうになった。いや、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年06月27日仕事をしている女性にとって、職場の居心地の良さは重要なポイント。お金とキャリアのためだけに通いつづける職場は、結構つらいものですね。では、もしもあなたが職場の華になったとしたら?1日の大半を過ごす職場が、とたんにバラ色になるはずです。そこで今回は、職場で愛される女性の共通点をご紹介します。■ 仕事をしっかりこなすあなたが職場恋愛を意識していたとしても、そこは職場。与えられた仕事をしっかりこなすことも、職場でモテるための絶対条件です。とはいっても、バリバリのキャリアウーマンである必要はありません。同僚男性が応援したくなるのは、社会人としての責任感をもって、一生懸命に仕事をするあなたの横顔。残業もイヤな顔をせず引き受ける、そんなあなたを見て、男性は自分も頑張ろうと奮起するのです。■ いつも笑顔で明るい職場でモテる女性は、男性にとっては戦場のマドンナ。同僚男性は、仕事の合間にチラ見しては目の保養をしています。そんなマドンナに必要なのは、つねに見られていることを意識して、口元に微笑みを絶やさないこと。どんなに仕事が忙しくても、眉間にシワを寄せたり、舌打ちをしたりしてはNG。■ 聞き上手自分の意見を述べることは大切ですが、女性の強い自己主張は、たとえ内容が正しくてもうるさく聞こえてしまうもの。まずは聞き手に徹し、時折うなずきながら、じっくりと人の意見を聞くことを意識してみましょう。そしてほかの意見も認めたうえで「たとえば、こういう考え方もあるのではないでしょうか?」と、ひとつの提案として自分の意見を投げかけてみてください。その際、断定的な言い方をせず、控えめな表現を使うことができれば、なおOK。強く主張するよりも説得力が増し、男性には「冷静に自分の意見を言える女性」とインプットされるのです。■ 悪口を言わない職場という狭い社会では、たった一言が、数倍になって返ってくることがあります。とくに、仕事の不満、上司の悪口、同僚の噂話、この3つはどのようなシチュエーションであっても絶対に言わないこと。そこを徹底していくと「あの人の口からネガティブな言葉を聞いたことがない。誰に対しても公平で、人の悪口は言わない人」と高く評価されるようになります。■ 日頃の振る舞いが大切「これじゃ職場は緊張しっぱなしで気が抜けないじゃない!」と思われるかもしれません。そう、職場は気が抜けない場所なのです。職場でモテる女性に共通して言えることは、社会人として公の場での「わきまえ」ができるということ。日頃の生活態度や考え方や、育ち、習慣が職場での立ち居振る舞いに出てしまうといってもいいでしょう。(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年06月13日気になる男性にアプローチする上で、どういった言葉を使って気持ちを伝えるかは重要になります。素直に「素敵だと思うなあ」「かっこいいよね!」と言うのももちろん効果的。もしそのような基本を伝えているのであれば、もう一段階ステップアップしてみませんか。今回は「男性が、女性から言われたいこと」を紹介します。■ 「あなたが初めて!」男は「最初の男」になりたがり、女は「最後の女」になりたがるとよく言われています。「こんなところに連れてきてくれたのは、あなたが初めて」「私をメールで泣かせたのは、あなたが初めて」「こんなにスーツが似合う男性は初めて」……こんなふうに使えるとよいでしょう。ポイントは、頻繁にではなくたまに褒めるという点。あまりいつもいつも褒めていると彼に本心かどうか疑われたり、つけ上がって始末に悪くなったりするかもしれません。■ 「あなたってスゴい!」「あなたってスゴい!」のたったひと言は、とても効果的。言ったあとで頼んでもいないのに男性が過去の武勇伝を話しだすのは、自身の承認欲求を満たすためなのです。この反射的な行動は医学的にも解明されていて、女性に褒められることで男性ホルモンが活発に分泌されるからなんだとか。褒めてくれた女性のことを、一瞬にして好きになってしまうこともあるようです。では「スゴい!」と褒めてあげる内容は、どんなことがよいのでしょうか。ベストなのは、彼が誰にも負けないと自負していること。ですが仕事、ファッション、笑いのセンスなど、少しでもこだわりをもっていることならなんでもOKでしょう。■ 「なんでも話せちゃう」とにかく男性は、競争好き。ライバルを押しのけてのナンバーワン、オンリーワン、特別という言葉が大好きです。女性にとってのオンリーワンとなれば、男の自尊心はこれ以上ないほど満たされた状態になるでしょう。そんな男性にとって「あなたにはなんでも話せちゃう」というひと言は、小躍りしたくなるほどうれしいはず。男性は冷静を装いながら「いつでも相談にのるから話してよ」と胸を開き、あなたはそこに飛びこむだけとなるのです。■ 「すごく頼れるよね」自分の存在をアピールしたいのが男性ですから、「すごく頼れるよね」と言われるのもうれしいようです。誰かの助けになることで、自分の強さや能力を実感することができるんだとか。頼られた相手が好きな女性であれば、その喜びはひとしおでしょう。ただしこの言葉も乱用せず、相手にちゃんと実感をもたせた上でのご褒美でなければなりません。まずは車の運転、テレビの配線、DIY、パソコンの設定など。女性が苦手な分野で、お手伝いしてもらいましょう。そしてほどよいタイミングでサラリと「助かったー!頼りがいあるよね!またお願いしてもいい?」と伝えてあげてくださいね。■ 「いっしょにいると…」「いっしょにいると楽しい」「いっしょにいると安心する」「いっしょにいると面白い」この言葉のキモは「いっしょにいると」という短いフレーズ。気になる彼女からこの言葉を引き出したいがために、男性は笑いのネタを仕込んだりお酒の銘柄を一夜漬けで覚えたり、あるいはドライブ用の選曲をしたりなど涙ぐましい努力を惜しみません。そんな男性にとって最高のごほうびが「いつもいっしょにいたい」という言葉。一夜漬けの勉強がバレようとデートが空回りしようと、あなたとの時間を最高のひとときにしたいと言う努力が見えたらチャンスです。男性には、「いっしょにいて楽しかった!」のひと言をかけてあげましょう。■ 関係を盛り上げてみて今回紹介した言葉は男性の本能をくすぐり、恋愛を始めるスイッチになります。また、長年付き合っているマンネリカップルにも有効。パートナーを褒めることで「ずっとあなたと恋愛していますよ」と伝えることにもなるからです。恋愛が始まっていない人も停滞期ぎみな人もこれらの言葉を上手に使って、関係を盛り上げてみませんか。(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年06月11日こんにちは、愛カツ編集部です。突然ですが、あなたには「フェチ」はありますか?フェチとは、「身体のパーツ」や「要素」、「シチュエーション」といったある特定の部分に関心を抱くこと。フェチは人それぞれだと思いますが、世のなかの女性が男性のどんな部分に惹かれるのか少し気になりますよね。そこで今回、愛カツの女性ユーザー350名に「あなたのフェチは?異性の好きなところを教えて♡」というアンケートを実施しました。(実施期間:2021年5月20日~5月31日)アンケートの結果をもとに、女性は男性のどんなところに魅力を感じているのかをご紹介していきます。■ アンケート結果今回実施したアンケートは以下の通りです。【女性限定】あなたのフェチは?異性の好きなところを教えて♡(実施期間:2021年5月20日~5月31日)回答数:353名■ 一番多かったのは「声」フェチもっとも回答数が多かったのは「声」で、つぎは「匂い」という結果に。なんと、声と匂いで全体の4割近くを占めることとなりました!どうやら女性は、異性の「外見」よりも「感覚的な部分」に魅力を感じる傾向にあるようですね。「男性は視覚、女性は聴覚で恋する」という有名な言葉がありますが、あながち間違っていないのかも……。美声の男性を指す「イケボ」という言葉もある通り、男性特有の低い声にドキドキすることはもちろん、好きな人の声を聞くだけで安心する女性も多いでしょう。「匂い」に関しても、60票も入りかなりの人気を博しているようです。なんでも、自分にとって好きな匂いだと感じる異性は、遺伝子レベルで相性が良いのだとか。声や匂いはどちらも本能的な部分と言えます。そうした部分から、無意識で自分と相性の良い異性を感じ取っているのかもしれませんね。素敵な「声」と「匂い」の男性がいたら、それだけで好きになってしまいそうです。■ 「手」・「腕」フェチも多い外見面のフェチとしては、「手」と「腕」の回答が多かったです。目に見えるパーツだからこそ、性差を強く感じる部分なのでしょうか。骨ばっていてゴツゴツした大きな手や、手の甲に浮き出る血管は男性らしくてとても魅力的。また、男性の細くてしなやかな指に色っぽさを感じるという意見もありました♡いっぽう、「腕」フェチの女性は、袖をまくったときに見える男性の筋肉質な腕にときめくよう。編集部でも「腕に浮かぶ筋がカッコいい」「腕枕されたい」という意見があがりました!手や腕は触れる機会が多い場所だからこそ、好きだと感じる女性が多いのでしょうね。■ 「その他」の回答は…その他(約2割)のなかには以下の回答がありました。全体的に票数が並ぶ結果に。・髪:20人(5%)・おへそ:16人(4%)・足:14人(3%)・喉仏:14人(3%)「手」・「腕」と同じように、喉仏も男性らしさを感じるパーツのひとつです。好きな人と会話するときに、つい喉仏に目がいってしまう方もいるのではないでしょうか?そして、意外にも「おへそが好き」という少しマニアックな回答もありました。人間は隠されたものほど見たくなる……という性質があります。おへそは普段見ることができない部分だからこそ、より魅力を感じるのかもしれません。あなたの好きな男性がどんなおへそをしているのか、気になってしまいますね。ほかには「髪」や「足」という回答もありましたよ。■ あなたは異性のどこが好きですか?今回のアンケートでは、「声」や「匂い」といった感覚的な部分に魅力を感じる女性が多い結果となりました。さまざまなフェチをご紹介しましたが、共感できる部分もあったのではないでしょうか?世のなかにはまだまだ多くのフェチがありますから、今回ご紹介したもの以外のフェチをお持ちの方もいるはず。アンケートを集計していくなかで、「フェチの奥深さ」を改めて感じました。「私は男性のこんなところが好きなんです!」「こんなフェチを持っています!」という意見があれば、ぜひ教えてくださいね。愛カツ編集部では、今後もみなさんが読んでいて楽しくなるような恋愛コラムをたくさんお届けしていきたいと思います。(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年06月11日気になる人ができると、「好きになってほしい」「気を惹きたい」と思うのは当然のこと。そんなときアプローチの方法をたくさん知っていると、成就する確率がグンと上がります。そこで本記事では、男性目線で「グッとくるモテしぐさ」を5つピックアップしてみました。ぜひ実際に応用して、気になる人との距離を縮めちゃいましょう。■ 笑顔でアイコンタクト「笑顔」と「アイコンタクト」はどちらも男性ウケがよく、かわいらしさをアピールできるものです。そしてこの2つは組み合わせることで魅力が増し、相乗効果を期待できます。とくに会話しているときはアピールのチャンス。ほんのりと微笑みながら、思い切って彼と目を合わせてみましょう。表情がやわらかいだけでも相手は「話しやすい」と感じます。さらにうなずくなど相づちを打てば、会話上手でなくてもいい雰囲気が漂うでしょう。■ 耳に髪をかける男性からすると髪は「女性らしさ」を感じるポイント。とくに、セミロング~ロングヘアには、女性としての魅力を感じやすいそうです。そこでおすすめなのが、耳に髪をかけるしぐさ。耳にかけると首筋が強調されて、とても色っぽく見えます。簡単なしぐさなのに根強い人気があり、効果バツグンなんです。髪に触れている間、男性は思わずその一部始終を目で追ってしまうはず。似たしぐさで、「髪をサイドに流す」「前髪をかき上げる」「髪を一つにむすぶ」なども男性ウケがいいですよ。■ 眠そうにウトウトする無防備な姿にドキッとする男性は多いもの。なかでも代表的なのが「眠そうにウトウトする姿」です。子どものような無防備な姿はかわいらしく、思わず「抱きしめたい」「頭を撫でたい」「添い寝したい」と感じるのだとか。同じようなものに、「あくび」「伸び」「眠そうに目をこする」などがあります。「〇〇君といると安心して眠くなっちゃう」と一言付け加えておくと、より効果バツグンです。■ ほっぺを膨らませるほっぺをプクッと膨らませる姿は、子どものような無邪気さが感じられてとってもキュート。拗ねているとき、考えているとき、食事のとき、退屈なときなど、いろいろなタイミングで頬を膨らませてみてください。わざとらしくアピールするのではなく、「ふとした瞬間」に「さりげなく」がベターです。男性には、好きな女性をチラチラと目で追う傾向があるので、ほっぺを膨らませるあなたをみつけて「かわいい!」と思ってくれるかも。■ 真剣な顔前述した笑顔とは対極ですが、「真剣な顔」も意外と男性ウケがいいのだとか。たとえば「仕事中は真剣」「プライベートはニコニコ笑顔」など、ギャップが大きいほど強く惹きつけられます。とはいえ、険しい顔で仕事をすると近寄りがたくなるので要注意。頑張り屋さんな女性の周りには、自然と人が集まります。夢中になって仕事している姿を見て、「応援したい」「支えになりたい」と感じるのです。こうした心理効果を与えるためにも、誰かと目が合ったときや会話するときには、笑顔で明るく接しましょう。■ 実践して距離を縮めよう男性によってグッとくるポイントは異なります。そして、得意なアプローチ方法も人それぞれです。そのため、まずは「これならできるかも!」と思った方法から試してみることがおすすめ。実践する中で試行錯誤して、距離を縮めるチャンスを増やしましょう。また背景にある男性心理を理解すると、タイミングがつかめて恋愛も進めやすくなります。「いま彼はどんな気持ちかな?」と相手目線で考えるのはもちろん、いろいろな恋愛コラムなどで男性心理をチェックしてみてくださいね。(岡あい/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年05月27日結婚する気がない彼氏を見ると、これから先、一緒にいていいのか悩むのは当然のことかもしれません。Webで検索すれば「結婚適齢期の女性と結婚しない男なんて別れるべき」とか「結婚するよう仕向けろ」だとか、情報で溢れかえっています。でも今のあなたに必要なのは、恋愛マスターの意見ではなく、あなたと彼の気持ちを客観的に判断すること。そこでこの記事では、「結婚したいあなた」と「結婚したくない彼」との付き合い方について、今できることをまとめました。■ お互いの気持ちを確認するまずスタートは、結婚したい意思を彼に伝えて彼の気持ちを聞くことにあります。「将来について話したい」と前置きしたうえで、「私は今結婚したいと思ってるけど、あなたはどう?」など、簡潔な疑問文にすると彼も答えやすく、こちらも理解しやすくなります。結婚したくないといっても「いつかは結婚したい」「結婚したいかはわからない」「一緒にいたいけど、結婚は考えられない」「今はしたくないけど、○年後にはしたい」など、その温度感はそれぞれです。「○○だから結婚したくない」というものであれば、○○の解決策を彼に提案できるかもしれません。それに彼の温度感がはっきりわかれば、自身の気持ちも整理しやすくなるでしょう。■ 彼と結婚したいのか、それとも彼の気持ちが明確にわかったら、「彼と結婚したい」のか、ただ「結婚したい」のかを考えてみましょう。「彼と結婚したい」と思っているつもりでも、実際には「結婚したい」だけというケースも多いものです。彼と結婚したらどんな生活になるか、思い浮かべてみるのもいいかもしれません。あれこれ想像すると、意外と彼でなくてもいいというケースも多いもの。別れて次の人が見つかるかわからない、という不安から彼に囚われすぎていませんか?■ 子どもが欲しいなら期限を決める子どもが欲しいなら、期限を決めて彼といるのもひとつの方法です。「○年(ヶ月)後までに結婚しないなら別れる」と彼に伝えることも、選択肢となるでしょう。ただし、○年後に結婚しようと彼に言われた場合には要注意。人の気持ちなんて、変わることも大いにあるのですから。「彼と過ごす時間」と「子どもが欲しい気持ち」を天秤にかけた上で、交際期限を決めるといいかもしれません。■ 今現在、幸せかを考える結婚してくれない彼について悩んでいる女性に「今、幸せですか?」と聞くと、「わからない」とか、「彼が結婚してくれたら」とか、曖昧な返答をされる方が多いように感じます。「あなたはいま彼といる時間が、幸せですか?」もしNOだったりわからなかったりするなら、結婚なんてもってのほか。別れるほうが賢明です。今現在幸せと言えないのであれば、今のまま結婚すべきではありません。彼を大切に思っているか、彼に大切に思われているか、まずは確認してみてはいかがでしょう?■ 幸せの基準は千差万別結婚したほうが幸せとか、別れるべきとか、そんなことは周りの誰かが言っているだけ。そんなことはどっちでもよくて、自身が「どう生きていくか」「どう生きていきたいか」を考えるべきです。そして、いろんな将来を想像してみてください。○年後に「結婚してくれると信じて待っていたのに」と泣いているとか、「彼が結婚するって言ってくれるまで、じっくり待ってよかった」とか。「あのとき別れたから結婚できた!幸せ!」とか。たくさんの姿を想像して、後悔しない選択肢を探してほしいのです。付き合うも別れるも、彼とあなたのことです。周りの目や意見ではなく、自身の気持ちとじっくり向き合ってみてください。(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年05月22日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。子供の成長は、とても喜ばしいもの。ですが結果だけに目がいってしまい、大切なものを見落としてしまっているかもしれません。第13回『すこしずつ、変わっていくだけ。』こないだ、ピーマンを生で食べた。7歳になった友人と食事をしている時に、学校の給食でピーマンが出るとテンションが下がるという話になった。面白半分で「そういえば、こないだピーマンを生で食べてんけど、意外とこれが美味しくて」と話をすると「食べてみたい!」と言い出した。間違いなく好奇心だけで言っている。その好奇心を取りこぼさないように冷蔵庫からピーマンを取り出し、手渡して種をとる方法を教えてあげた。流水で洗って塩をかけると、嫌いだと言っていたのに好奇心の方が勝ったのか勢いよくかぶりついた。パリッと“美味しそうな”音が鳴る。もぐもぐと味わいながら笑顔になったので「おいしい?」と尋ねると、表情を歪ませてお皿に吐き出した。美味しいのは音だけだったらしい。苦い後味を紛らわすために白米を口いっぱいに含む。「出しちゃったけどさ、学校のみんなには食べたって言おう」と笑っていた。「味はどうでしたか?」という質問には「まずかったです!」と元気に答えたのに、しばらくしてから「もう一回食べてみる」と言い出した。クセになるのだろうか。せっかくなので次はマヨネーズをかけてみることにした。すると、さっきより苦味が少ないのか、一口食べて「これはイケる」とばかりに追いマヨネーズ。二口三口と食べ進め、「食べてみて?美味しいわ」と嬉しそうに勧めてきた。それから面白くなって、ケチャップやソースでも試してみた。「ケチャップが美味しいって思ったけど、やっぱりマヨネーズが一番やわ。そのままで食べるのは苦いので0点です!」と、ゲラゲラと笑いながら、結局1人でまるまる一個食べてしまった。僕はピーマンを見るたびにその時のことを思い出しては、パリパリッという心地いい音とゲラゲラと笑う声が耳に蘇ってつい口元が緩む。ピーマンは子どもの嫌いな食べ物の代表格だ。子どもの舌は苦味を感じやすいから無理に食べさせることはないと聞いたことがある。好き嫌いが多くて不安だという子育て中の悩みはよく聞くけれど、ピーマンに限らず嫌いなものを無理に食べることはない。好き嫌いはよくない、という価値観は根強いけれど、無理に食べさせようとすることで、逆に食べること自体が嫌いになっては元も子もない。まず食べることを楽しむことができたら、いつか食べられるようになるかもしれない。もちろん食べられるようにならないかもしれないけれど、ピーマンを食べられなくても生きてはいける。嫌いなものを克服できた。それはきっと本人にとって喜びだろうし、大人にとっても何か成長の瞬間に立ち会ったようで嬉しく感じる。だけどなぜだか、この生ピーマンを食べた話を「苦手を克服した話」にすると、違和感がある。なんでだろうと考えて出た答えは単純明快で、僕が伝えたいと思ったのはその子が苦手を克服したことではなくて、まずそうな顔をしたり美味しそうな顔をしたりして笑い合ったその時間なのだ。ただ楽しく食事をした。いろんな調味料を出してきて、半分遊びみたいだから行儀が悪いかもしれないけれど、とにかく楽しかった。それを伝えたいのに「苦手を克服した」というレンズ越しに見ると、途端にそのおもしろさが見えなくなる。できなかったことができるようになった。それがとてもいいことのように感じる。もちろん、いいことなんだろうけれど、そればかりに目がいってしまって大切なものを見落としてしまっている。そんなことって意外と多くあるかもしれない。同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と考えを巡らせているようだった。何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で、ひとり、でんぐり返りをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏していて、緊迫した雰囲気が漂っていた。その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。その時の僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子の良い姿を見たような気がしたのだと思う。演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で普通になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。成長したように見えるその姿は、追い込まれて苦しみながらギリギリで頑張っていることなのかもしれない。逃げ道を無くして克服することは成長ではない。ましてやその頑張りを求めて喜ぶなんて、なんだかおかしいような気がしたのだった。毎日わがままを言っていた子が、ある日を境に何も要求をしなくなったとして、そんな時に僕は、聞き分けが良くなったとか自制が効くようになったとか、勝手に成長だと思ってしまう。けれど、その実は「言っても無駄だと悟ったから」かもしれない。自分の思いを伝えるエネルギーがなくなったからかもしれない。社会では、言っても無駄だからと諦めて黙ることを、「大人になる」と表現する。けれど、それは成長して大人になったのではなくて、身を守る術を身につけただけだ。僕は子どもの何を見ているんだろう。できているように見えるその姿は、みんなから外れないように、こぼれないように、少しでも普通になるために必死にしがみついているのかもしれない。僕自身がまさにそれで苦しんでいるのに、子どもの姿となると、みんなと同じようにできて、トラブルを起こさないでいられるようになったそれを、成長だと感じてしまう。学校に行けるようになった。ピーマンが食べられるようになった。友達と仲良く過ごせるようになった。落ち着いて話が聞けるようになった。聞き分けが良くなった。じゃあそれで、その子は生きやすくなったんだろうか。それで一つ問題が解決したように感じるけれど、その子のしんどさは「できなかったことができるようになった」という姿に隠れただけで、ずっと深くに残ったままかもしれない。子どもの育ちを見守って、その育ちに喜びを感じる立場だからこそ、その成長した姿に喜びを感じる。それは悪いことではないけれど、それと同時に、無理していないだろうか、しんどさを抱えさせていないだろうかと、見えない部分にも目を向けていられたらと思う。できなかったことができるようになって生きやすくなることもあれば、しんどくなることもきっとある。僕がほんとうに大切にしたいことは、できなかったことができるようになることではない、もっとほかの何かだ。見栄えのするものに覆われてしまってその大切にしたいことが見えなくなる前に、ちゃんとそれに気づけるようにしていたいな。去年と今年を比べて、先月と今月を比べて、昨日と今日を比べて、子どもができるようになったことは、きっとたくさんある。その分、サボるようになったとか片付けをしなくなったとか、やらなくなったこともきっとある。その度に、一喜一憂する。「成長というよりも、変化しているだけなんですよね」とその同僚は言った。昨日と比べてしまうけれど、日々の姿がその子の姿で、それは成長でもなく後退でもない。ただ、移り変わっているだけなのだと。僕はどこかで、子どもの育ちは右肩上がりで、多少の浮き沈みがあったとしても、伸びていくもの。そんな風に思っていたのかもしれない。できるようになることも、できなくなることもある。その変化の中で、その時のその子が生きやすくなる方法を、その都度見つけていけたら。それは、見栄えしなくて不安になるかもしれないけれど、そうやってとどまることなく心配事が見えている方が、いいのかもしれない。子どものしんどさに気づけなくなるよりかは、もしかしたらその方がいいのかもしれない、なんて思う。余談ですが手巻き寿司の正解ってなんだろう。シンプルに刺身だけを巻くのもいいし、胡瓜や大根を添えて巻くのも飽きない。何も考えずに目についたものを乗せて、巻ききれず溢れそうになったのにかぶりつくのも、何味かわからないけれど美味しい。大葉なんか入れると最高だ。そういえば、僕は子どもの頃から、シソ(いわゆる大葉)が嫌いだった。独特の香りが苦手で、素麺つゆに間違え入れて勢いよくすすってしまい、勢いよく吐き出したことがある。シソはシソでも、ばあちゃんが作るシソジュースだけ飲めた。原液を水で薄めて飲むんだけれど、きれいな薄い紫色でシソ独特の香りがしない。大人になっても嫌いだったんだけれど、いつからか食べられるようになっていて、気づいたら好物になっていた。今では素麺にも手巻き寿司にも欠かせない。僕はシソのことを好きになってよかったって思うけど、だからと言ってシソが苦手な人に勧めたりはきっとしない。苦手なものは、苦手なままでいい。もし、いつかそれを好きになったなら、それは「克服した」のではなくて、ただ「きらい」が「すき」に変わっただけなんだろうなって思う。苦手なままなら、それは成長していないのではなくて、ただ、そのままなだけ。克服するのではなくて、おもしろそうだから試してみる、そんな感じで楽しめるのなら、嫌いなものも試してみようかなって思えるのかもしれない。例えばやったことない組み合わせで手巻き寿司にしてみて、色んな味を試してみるように、あんまり美味しくなくても食べられるようにならなくても、それでもいいかって思えるような気がする。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年04月09日テーマパークでのデートは、何度行っても素敵な思い出になるもの。せっかくの特別なデートですから、「お、この子気が利くな」と思われる女性を目指してみましょう!そこで今回は、男性のニーズを調査して、「男性の心をくすぐる、最強の気遣いテクニック」を集めました。簡単にマネできるので、ぜひ実践してみてください。■ 1.彼の好みを事前にリサーチするテーマパークには、いろいろな種類のアトラクションがあります。自分が好きなアトラクションでも、相手も好きとは限りませんよね。とくに、絶叫系やホラー系が大丈夫かは、事前に確認してあげるのが◎また、作品ごとのアトラクションがあるのなら、好きな作品を事前に聞いておいて、現地で「○○くんが好きなあれにいこう!」と言ってみましょう。そんなあなたに彼は、「話を覚えてくれている+気遣ってくれてくれてる!」と感じて、グッと好印象を持つはず!■ 2.待ち時間を会話で盛り上げるテーマパークはいつも大人気!そのため、待ち時間はたいてい長くなるものです……。そんなとき、アトラクションに関係する楽しい話ができれば、待ち時間も楽しく過ごせます。子どものころの話や、最近頑張っていること、面白いハプニングなどの話題も用意しておきましょう。話し下手な人は、事前に携帯にメモしておいて、ちょっとトイレで確認……なんていうのもいいかもしれません。ただし、元カレと来たときの話などはNGですよ。あくまでも楽しい話題を提供しましょう!■ 3.のんびりする時間をつくるテーマパークにいくときは、「1分も無駄にせずアトラクションに乗りまくる!」「つねに効率の良い導線を考える!」なんて楽しみ方を心得ている方も多いかもしれません。もちろん相手がそれを楽しいと思うなら、一緒にはしゃいでOK。ただ、もう少しのんびり楽しみたい……という男性がいるのも事実。そんな彼なら、無理に連れまわさず、レストランでおしゃべりしたり、ベンチに座って、のんびり非日常的な空間を眺める時間も用意してあげるのがおすすめ。彼が言い出しにくそうにしていたら、あなたのほうから「ちょっと休憩したいな」と言ってあげてくださいね。■ 4.ティッシュやハンカチを渡す食事やトイレなどのときも、気遣いを示すチャンス。レストランで食事をしたり、カートで売っているおやつを食べたりするときには、ハンカチやウェットティッシュをサッと出してあげましょう。また、トイレから戻ってきた彼の手が濡れていたら、ハンカチを渡してあげてみて!彼もその気遣いに、きっとキュンとくるはずです。もちろんこのテクは日常のデートでも大活躍しますよ。■ 5.冬にはホッカイロを渡すテーマパークは基本的に野外。寒い日だと、その寒さが気になるものです。とくに、手足が冷えると辛いですね。そんなときに、温かいカイロがあると、身も心も温かくなります。靴に入れて、つま先を温めるカイロもおすすめです。このほか、ちょっとしたおやつや、そのテーマパークキャラのグッズもカバンに忍ばせておくのも◎さりげないあなたの気遣いがとても嬉しいはずです!デートを、より盛り上げることができるでしょう。■ 6.昼と夜で雰囲気を変える昼と夜とではガラッと雰囲気が変わるのも、テーマパークの魅力。それに合わせて、昼は楽しく無邪気にはしゃいで、夜は落ち着いた、オトナの雰囲気を演出してみてください。メリハリをつけて、夜にロマンチックな雰囲気を出せれば、デートとしてはかなり高得点。まずは、オトナの雰囲気を意識。声のトーンを少し落として、ゆっくり動いてみて!寄り添って歩いたり、見つめたりする表情は、彼の脳裏にいつまでも焼き付いて離れない思い出になるはずです。■ 気遣いで素敵な思い出に!せっかく非日常的な空間に行くわけですから、どんな頻度で、何回行こうとも、その日1日を、素敵な思い出にしたいもの。小さな気遣いをいつも忘れず、優しい笑顔があふれるデートにしてくださいね。(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年04月05日彼氏に「愛され続けたい」と願うのは自然な感情だと思いますが、一方的に求めてしまうと危険ですよね。彼も「愛したい」と思うものの、それ以上に彼女からの期待が大きいと疲れさせてしまうかも。そこから関係が悪化し、お別れすることになるのは避けたいところ。今回は、彼氏と長続きする、「ずっと愛される」ための極意についてご紹介します。■ 尽くすときはとことん尽くす「これをしてあげたから○○して」というのではなく「お互いが〇〇しよう」。そう思える関係を目指すのがベターです。ただし男性は女性にくらべて、察するのが苦手な生き物と言われることも。「○○して」と甘えたり頼ったりしながら誘導してもらえると、非常に助かるよう。愛されるポイントは、尽くす行為にメリハリをつけることではないでしょうか。たとえば、丸一日彼のために尽くす日を決めて、彼がしてほしいことをとことんやる。忙しそうな彼に代わって、旅行のプランを全部提案。そんな行動と合わせて、甘えるポイントもしっかり作る。こういうイメージでしょうか。尽くすところはとことん尽くして、甘えるところはキッチリ甘える、頼る。そんな可愛さがあれば、きっと彼も手放したくなくなるはずです。■ 見返りは求めない自然なギブアンドテイクは、長続きに欠かせませんが、ある意味それは結果としての理想でしょう。自分から見返りを求めて行動していると、すべての言動が薄く見えることも。そしてときを重ねても、なかなか愛情を積み上げられませんよね。一方、「好きだから」「愛してるから」。ただそれだけでパッと行動できれば、彼にとっても貴重な存在となるでしょう。彼にしてあげることだけは、ストレートな感情でいいようです。「好かれたいからする」をやめて「してあげたいことをする」を意識してみてくださいね。■ 「察してほしい」は禁物なにも言わずに察してもらえると、嬉しい女性はとても多いもの。でも、そのためになにも言わないのはよくないですよね。ましてや、察してもらえなかったことへの不満は、彼の愛情を遠ざけてしまいがち。してほしいこと、してほしくないことは、シンプルにわかりやすく伝えるのがオススメ。多くの場合、そのほうが男性は安心しますし、付き合いやすいと感じるのですから。してほしいこと、してほしくないことを伝えたあと、気持ちを理解してもらう。この順番を意識してみませんか?意思疎通がスムーズであればあるほど、長続きしやすくなるはずです。■ 考え方が違うのは当然そもそも彼とは違う人間。考え方も感じ方も違いますよね。彼氏なんだからわかってもらえて当然ではなく、わかり合えないのが当然と考えてみませんか?わかってもらえるときは、彼が一生懸命考えてくれた結果なのでしょう。そのうえで、やっぱりわかり合えないことは、良い意味で割り切るのが正解だと思います。彼は彼、私は私と考えれば、「ま、いっか」と楽になれますし、彼が理不尽と思える要求をせずに済むものですよね。「○○なときはこうしよっか!」と、提案して、気持ちよく一緒にいれる彼女を目指してみませんか?■ わかりやすく「好き」を伝える「好き」「愛されたい」という気持ちは、ときに暴走しがちです。自分にとっては当然の行動や要求が、彼にとってはプレッシャーになることも……。あなたから、彼にとってわかりやすい「好き」を伝えることができれば、ずっと一緒にいたい彼女になれるはず。まずは、できることから意識してみませんか?(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年04月03日彼氏がいるあの子も、いないけど愛されるあの子も、実は筆者が感じるある共通点がありました。それは「好き」に素直だということです。「え、複数の人が好きってこと?」と勘違いさせてしまうかもしれませんがそうではありません。今回は、そんな愛され女子に共通する「好きへの素直さ」について、深堀りしていきたいと思います。■ 好きなものを声に出して発信するまずは、好きなものに対して素直に発信したり表現したりしているということ。これが、愛され女子の第一歩なのかも。たとえば、可愛いと思っても、「こういうのを『好き』って言ったら、どう思われるかな?もっと女の子っぽいもののほうが……」と、心のなかで考えながら、「好き」を発信することに遠慮した経験はありませんか?愛され女子は、自分が「いいな」と思うことに対して素直なんです。なので迷わず「こういうの好き~!」と、迷わず伝えています。好きなことを発信するとなぜ愛されるのか?それは、男性に好みが伝わりやすく、好きなものが同じときには、親近感が湧きやすくなるから。男性に好みを伝える時にも「こういう男性好きだな~」と伝えるだけで、恋愛対象として意識させることができるかもしれませんよ。■ 「好き」を新しく開拓するのも上手愛され女子は、「好き」を素直に発信する分、新しい「好き」を求めて色々な分野を開拓するのも上手な気がします。ここまで読んでいて、「好きなことっていっても、ん~……、そんなにないよ…。」と感じているなら、新しい「好き」を増やしてみませんか?おすすめは、いままで自分が好きなものとは、まったく違うジャンルのものに触れてみること。いままで興味のなかったスポーツを観戦してみたり、やったことのないハンドメイドに挑戦してみたり。読んだことのない本や、聞いたことのないジャンルの音楽を聞くのもおすすめです。思わぬ「好き」が見つかるかもしれませんし、視野や価値観が広がって、いままで「好き」だったものが、もっと好きになるかもしれません。自分が「いいな」と思ったらSNSを使うなどして「好き」を発信してみて。■ 仕事や辛いことにも前向きに楽しみ方を見つける仕事に対して、「はぁ~。やる気起きないな~。」と、ため息をつきながら仕事をしている人よりも、「よし! 午後もうひと頑張りしよ!」と楽しそうに仕事をしている人では、後者の方が応援したくなるものでないでしょうか。なんだかこちらまでやる気を分けてもらったような気がしますよね。仕事など辛いことにも自分なりに楽しめる取り組み方をしたり、仕事を楽しくする工夫ができないか探してみたりしませんか?こういうところにも「好き」を見つけられる人が、愛され女子なのかもしれません。■ 休みの日も「好き」に貪欲に行動するお休みの日は、ダラダラぼ~っとしているうちに、気づけば夜…。そんなことになっていませんか?積極的に好きなことして休日を楽しむ子であれば、それだけで一緒に過ごしたいと思われるケースもあるんだとか。休日だからこそ楽しめる趣味を増やして、「好き」に貪欲に行動してみて。「面倒くさい」や「こっちのほうがラク」は、ちょっぴり封印。積極的に色々行動することで、その内出会いも自然に増えてくるはず。■ 愛され女子に共通する「好きへの素直さ」「好き」は、増やすことも、大きくすることも、深くすることもできます。少しでもいいので「あ、これいいかも」と思うものが見つかったら、内に閉じ込めずに発信してみませんか?その数と機会が増えれば触れるほど、周りの人から愛されやすくなるはずです。(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年04月02日今回は、年下と交際1年目で結婚になかなか踏み切れない、踏み切ってもらえない筆者が男性たちに調査を行いました。筆者自身、「私も言ってる……」と苦笑いしながら、男性たちに「代わりに使える言葉」も聞いてきました。25歳以上の女性であれば一度は口にしたことがあるおばさんくさい言葉。つい言っているはずですので、よく注意してくださいね!■ 「〇〇知らないの?」特に年下男性と話していると「あの曲を知らないなんて!」と思ってしまう。きっとみなさんにも経験があるのでは?ジェネレーションギャップはどうしようもないこと。でもここで「なんで知らないの?」とバカにすると、男性も困ります。もしこんなシーンに遭遇したら、その〇〇の良さについて彼に教えてあげて。ついでに、彼が知っていることについても聞いて、深堀りする質問をしてみてください。互いの気持ちを理解するよう努めていけば、「おばさん臭い」印象から「色々教えてくれるお姉さん」に変われるはずですよ。■ 「もうちょっと若ければ」年齢を重ねるとともに、若さを羨ましく思う女性も多いはず。若さだけで羨ましいこともありますよね。肌もきれいで、寝不足でも元気でいられる。でもこのセリフを口にしたとしても、ただおばさん臭いと思われてしまうだけです!若い子を羨ましく思ったら自身と比べず、「かわいいと思う気持ち」を素直に表現するといいかもしれませんよ。ただし、言いすぎは禁物。おばさんどころかオッサン化しかねないので、注意してくださいね。■ 「年齢的に厳しい」食べられない、運動できないとき、こんな言葉を吐き出したことはありませんか?でも実際には40代50代でも食べたり、運動したりする人はいるわけです。この言葉はどちらかといえば言い訳にしか聞こえません。男性陣からすれば年齢を出さず、ただ「厳しい」と言えば、印象が違ってくるようです。年齢にまつわる話題を口にしそうになったら、年齢には触れず気持ちだけ表現してみてはいかがでしょう?■ 日頃から意識して違う言葉を使おうみなさんは今回の言葉をいくつ使ったことがありましたか?これを機に反省して、違う言葉を使っていきましょう。まずは意図的にこれらの言葉を「言わない」ことから!日頃から心がけて、「おばさんみたい」と思われないようにしましょうね!(恋愛コラムのプロ集団・5656/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年03月09日「男の気持ちは男に聞くのが一番早い!」恋愛コラムニストのTETUYAです。世の中の恋愛コラムに出回っているLINEテクニック。コミュニケーションツールとして欠かせないものだからこそ、知りたいと思うのは当然のニーズですよね。そこで今回は、もう少しマニアックに、そしてディテールにこだわったテクニックをご紹介したいと思います。気になる男性とLINEの交換をした初期に使える、「好感度アップ」のためのテクニックです。参考してみてくださいね。■ 1.タイミングを見計らうLINEを送るタイミングにもテクニックはあります。そのポイントは、男性があなたのLINEを最高のタイミングで受けとること。最高のタイミングとは、「心に余裕がある状態」「幸福な気持ちの状態」の2つがベストなタイミングで送ることです。この2つの最大公約数的になるタイミングとはいつだと思いますか?それは土日休みの彼なら日曜日。あとは、平日にLINEするならランチタイムです。この、「ちょっと気持ちに余裕がある」タイミングを狙うのが良いでしょう。さらに細かいシチュエーションを言うなら、たとえばあなたは、彼が「2次会もセットの飲み会」に行くという情報を得たとします。スタートが19時であれば、1次会が終了して2次会が流れ込む21時30分あたりにLINEするのも効果的です。1次会でお酒も入って、間違いなくテンションが上がっているはず。一息ついたタイミングであなたからのLINEを見たら、より幸福感が倍増します。■ 2.スタンプをなるべく使わないLINEのスタンプがある意味は、文章を考えて打つのが面倒くさいときの、「レスキュー」の意味合いが強いと僕は勝手に思っています。だから、スタンプを連発されるほど、自分が「手を抜かれている」と思ってしまうんです。おそらく、僕以外の男性も、同じことを思う人が多いかもしれません。それを逆手にとるなら、スタンプをなるべく使わず、自分の「文才」で極力LINEを送ることを心がければ、間違いなく好感度は高いと思います。他の女性との差別化にもなり、効果的です!■ 3.ハートマークを使うまだ、知り合って間もないうちから、「ハートマークを使いなさい!」ということです。不思議とハートマーク使うと、相手の好感度があがるんです。ポイントとして、会った初期の頃は、赤、ピンクじゃなくて黒だったり黄色のハートマークを使うこと。やっぱり、赤やピンクのハートマークは、お互いの関係性がもう少し深くなってから使うのがベターでしょう。ハートマークがついていることで、男性も好感は持ってもらえているんだなと、勝手に想像してオープンマインドになりやすいのです。■ LINEで好感度アップを狙おうすでに、「それ、私やってる!」というテクニックもあったと思います。それは自分を褒めてくださいね!僕は、LINEでも自分なりの魅力をどうやったら伝わるか?と、つねに送る相手に応じて、スタンプや言葉のチョイスを考えています。皆さんも、LINEをただのツールとしてでなく、もっと「自分をアピールするツール」として考えてみると、もっと色んなアイデアが思い浮かぶかもしれません。(TETUYA/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年02月19日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。「つらい環境でも耐え忍べば報われる」という意味を持つ『石の上にも三年』という、ことわざ。ですが、長く続けることよりも難しいのは…。第12回『石の上にも、三日坊主。』始めることと続けることって、どちらが難しいんだろう。興味を示したけれど輪に入らずに、あそびに参加しない子がいる。そのあそびに興味がないのかといえばそうではなく、観戦しながら一緒に楽しんでいるので仲が悪いというわけでもない。むしろやりたそうにはしているけれど、誘ってみると「やったことないから」と断られる。「教えるよ」と声をかけても頑(かたく)なで、あまりしつこく誘うと逆に離れてしまうので、一歩を踏み出すきっかけを見逃さないように見守るくらいしかできない。保護者の方にお話しすると、家では興味深げにそのあそびについて話しているらしい。やってみたい気持ちはあるようだ。じゃあ、なんでやらないんだろう。やってみたいのにやらない。どうしてだろうって考えてみる。無理にそのあそびをさせたいわけではない。したいならしたらいいし、したくないならしなくていい。「見ているだけ」も、その人の楽しみ方だ。サッカーをしたことがなくても観戦は楽しめるし、経験者よりも劣っているということもない。実際にプレーしている人と見ている人、そこに優劣はないのだから。ただ、なにかが足枷になっていて一歩を踏み出せないのであれば、その足枷を外してあげたいなと思う。もちろん、その子と自分は違う人間だし場面も違うから、正しい答えが出るとは限らない。けれど、分かるわけないからといって開き直ってしまったら、分からないままだ。想像したり思いを馳せたりしていれば、すこしでもなにかのヒントが見つかるかもしれない。5年くらい前、友人に誘われてボルダリングを始めた。室内の壁に打ち付けられた、岩のでっぱりやくぼみを模した“ホールド”というものを登っていくスポーツクライミングと呼ばれるものだ。初日はペットボトルの蓋も開けられないくらい腕がパンパンになったんだけど、何度か通っていると筋肉痛も心地よく感じるようになり、日ごとに登れるようになっていった。競技自体も楽しいんだけれど、目に見えて自分の成長が感じられるのも嬉しかった。大人になってのびしろを感じる機会って少ないもんね。ある程度技術がついてきたあたりから、初めは見えなかった面白さを感じるようになってきて、一層楽しめるようになった。そのものの本質的な面白さがわかるまでには時間かかる。あそびもスポーツも仕事も同様だろう。時間をかけてこそ見えてくるものは確かにあるよね。三日坊主という言葉がある。物事が続かないことを揶揄(やゆ)する言葉だ。逆に、辛抱強くいればうまくいくかもしれないという意味として、石の上にも三年ということわざがある。初めは冷たい石の上でも、長く座り続ければいずれ温かくなるということだ。継続は力なりというように、三日で辞めるより続けられた方がきっといい。途中で投げ出さずに粘り強くやり抜くことって、何かを成し遂げるためだけではなく、楽しむためにもとても大切なことだろう。子どもたちにも、やり始めたことは途中で投げ出さずにやり抜いてほしいと思う。今は面白さを感じなくても、続けていれば楽しくなってくるよって。根気強く続けた先に見える面白さや追求することの楽しさを知ってほしい。壁にぶち当たっても乗り越えてほしい。そのときに味わう達成感は格別だ。けれど、と少し考えてみる。何気なく腰掛けて、なんとなく座っていただけなら三年座っていられるかもしれない。けれど、あらかじめ石が温かくなるまでは何年もかかりますよ、と言われていたら、そんな石には座らないんじゃないだろうか。どうしても座らなきゃいけない状況はあるかもしれない。そんな人にとっては、「いつか温かくなるかもしれない」という見通しがあれば安心する。だけど、それは座り続けるための理由ではなく、あくまでも我慢を続けるための慰めだ。そうやってやっとのことで温まったお尻に感じるのは、きっと達成感ではなく、辛かったことから解放された安堵だろう。少し走ってみようかなと思ったときに、遠くにあるゴールにたどり着くまで走り続けないといけないとしたら、ましてや、周りのみんなはその道のりを悠々と走っているのを見たら「今回はやめておこうかな」と、スタートを切ることさえしないんじゃないか。そうしたら、そのまま「興味はあるけれどやっていないリスト」に追加されることになる。続けたら花が咲き、実がなるかもしれないけれど、そもそも始めなかったら芽さえも出ない。なんとなく始めてみて、一歩ずつ進んで、気づいたら遠くまで来ていた。座っていたらいつの間にか温くなっていた。それくらいでいいのなら、最初の一歩も気軽に踏み出せそうな気がする。どうして僕はその面白さを知れるくらい続けられたんだろう、と考えた時に思うのは、同じように下手くそな友人がいたからではないだろうか、ということ。もちろん、上手い人に憧れて鍛錬して上達する人もいるだろうけれど、自尊心の低い僕の場合は、周りの人たちが板チョコのような薄さのホールドを掴んで身軽に登っているのを見て、憧れよりも惨めさを感じた。僕だけが、バナナみたいなデカいホールドに不格好にしがみ付いている。身軽さなんて微塵もなく、ナマケモノのように壁にへばりついて腕をプルプルさせたあげく引力に負けてマットの上に落下する。初心者なんだから当たり前だし、恥ずかしがって楽しめないのはもったいない。そんなこと分かっているけれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。だから僕は、慣れるまではひとりで行けなかった。一緒に通う、同じタイミングで始めた同じように下手くそな友人がいたから、その恥ずかしさが紛れていた。自分より下手だから安心できるのではない。「失敗しても大丈夫だ」と思えるから安心できるのだ。持つべきものは偉そうに教えてくれる熟練の友ではなく、共に失敗する未熟な友だった。そんなことを思い出しながら思う。興味を持ったあそびに参加しないその子は、新しいことに挑戦することが嫌というよりは、「みんなができていて自分だけできない」のが嫌なんじゃないだろうか。「失敗するかもしれない」という気持ちが足枷となっているんじゃないだろうか。なんとなく始めて、なんとなく覚えて楽しんでいる間に上達することってある。特に幼少期はそういうことが多いだろう。自分が人よりも劣っているかも、そんなことを思うとはじめの一歩は踏み出せない。大人なら子どもよりも上手にこなして「やってみなよ、教えてあげるよ」って、色んなことを教えてあげたい。けれど、未熟な友として共に失敗しながら成長していくのも良いのかもしれない。簡単に投げ出したり、逃げ出したりしないでほしい。けれど、途中で辞めることを「悪いこと」にしてしまっては、その経験はきっと「あの時も投げ出してしまったし、今回もどうせ続かないからやめておこう」になる。投げ出さないように嫌なことに耐えて育つのは、根気強さではなく我慢強さだ。根気強さや粘り強さはきっと、「もう少し続けたら面白くなるんじゃないかな」という期待のもとにあるんじゃないかな。それはきっと、与えられるものではなく、気軽に始めてたまたま続いた、そんな経験の積み重ねから生まれるんだろう。だから、途中で投げ出さずに続けてほしいなら、途中で辞めても大丈夫って思いたい。いつ立ってもいいからこそ、気負わずに安心して座り続けられるのだ。身になりかけたものを途中でやめそうになったときに「もったいないな」って思ったりもする。こんなに勉強してきたのに生かせないのはもったいないな。この資格取ったのに、別の仕事するなんてもったいないな。ここまで原稿書いたのに、ボツにするのはもったいないな。そんなことを大人になっても、いや、大人になったからこそ思ったりする。きっと、これまでそれに注いできた時間が無駄になるようで嫌なんだと思う。けれど、これまでの時間はこれまでの時間で、これからの時間はこれからの時間だ。ちなみに、これまで注ぎ込んだものを無駄にしたくない!という思いで損をすることが分かっていてもそれを続けてしまうことを、コンコルド効果っていうらしい。博打好きの同僚が教えてくれた。博打と一緒にするなよ、と思うけれど、同時に納得もしてしまう。未来のためにやってきたことを間違いにしないために、これからを犠牲にしているならそれは、未来ではなく過去のために生きているということになる。きっと誰だって、失敗するのは嫌だ。けれど、それが失敗じゃないとしたらどうだろう。「やるなら途中で投げ出しちゃダメだよ」「どうせ続かないんだからやめときなよ」って言葉は減るかもしれない。飽きたなら途中で辞めればいい。しんどければ逃げればいい。簡単に投げ出せばいい。そんなことを言葉にするのは憚られるけれど、それが許されるなら、大人も子どもも、少し肩の荷が降りるような気がする。甘いんじゃないだろうか。その子のためにならないんじゃないだろうか、と思ってしまうかもしれない。途中で辞めてしまう子を見て、歯痒い気持ちになるかもしれない。けれどそれは失敗じゃないし、無駄なんかじゃないとすれば、育んでいるものに目を向けられる。新しいことに挑戦できた。別のことに興味を持てた。できない自分を受け入れられた。全部大成功だ。何にも見つからなくても、自分の気持ちに正直になれた、無理しなかった、だけでも十分だ。それを失敗にしなければ、次の挑戦ができるかもしれない。気軽に、なんとなく興味を持って、なんとなく始められるかもしれない。そんな一歩が積み重なって、気づいた頃にどこか遠くまで来ているかもしれない。もちろん、どこにも辿り着かないかもしれないけれど、それはそれでいいじゃない。活発な子に育ってほしいなら、元気がなくてもいいよって言ってみる。なんでも食べる子に育ってほしいなら、無理して食べなくてもいいよって言ってみる。強い子になって欲しいなら、泣いてもいいよって言ってみる。今と未来は地続きだけれど、今のこの時間を、未来の何かにつなげるために無理しなくていい。「こんなんじゃダメだ」ではなく、「できなくても大丈夫」って安心できたなら、どこかの何かのきっかけでなんとなく「もう一歩踏み込んでみようかな」って思えるのかもしれない。余談ですがこの連載コラムは、月2本くらい書くつもりでスタートした。次第に月1本くらいのペースになっていった。1月から始まり12月にちょうど第12回の原稿を書き始めた。三日坊主の自分が月一を継続したと喜んでいたら、八割方書けたくらいで手が止まってしまい、結局予定より2ヶ月遅れた。初めは、「続けられるか分からないけれどとりあえずこの一本を」と書いていたのに、過去に積み上げたものや達成しそうな何かを見た途端、身動きが取れなくなったのだ。けれど、書いた。今までのものなんて忘れて、次のことも考えないで、目の前のことだけ考えて、ちゃんとできた。えらいな、自分。結局、ボルダリングは2年ほど続けたけれど、引っ越してアクセスが悪くなったことで足が遠のき、そのまま辞めることになった。せっかく鍛えたのだから衰えないようにと通い始めたフィットネスジムは、2、3回通って飽きてしまった。かと言って一度始めたのに途中で辞めるのもなんだかやはりダメな気がして「今月は月謝も払ったし…」と先延ばしにし続けていたら、結局1年間ほとんど通わないのに毎月月謝が引き落とされていた。これがコンコルド効果か、と無表情で納得した。始めたいけれどきっかけがない、ということもあれば、続けたいけれど途切れてしまうこともある。やめたいのにダラダラと続けていることもある。三日坊主が石の上に座っているのを想像してみる。ただの坊主なら修行っぽいけれど、三日坊主が座り続けているのならば、よほど居心地のいい石だろう。そんな石が見つかればいいなって思う。いつか見つかるかもしれないから、そんな石が見つかるまでは、少し冷たいお尻ももう少し我慢してみようかな、なんて誤魔化してみたりする。座っているのがしんどいならば、寝転んででもへばりついてでも居心地いい姿勢を見つけてやろうか。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年02月06日彼氏をつくるまでは、女子は「やっぱかわいい女子のほうがモテるよね」とか「やっぱダイエットしないとモテないかな」などと言っている。たしかに男子はかわいくない女子よりかわいい女子に気持ちが向くから、かわいらしさを追求することはあながち間違っていることではないように思います。かわいいってすごく漠然としている言い方なので論点があいまいだけど、でも漠然と「かわいいほうがモテる」と誰だって思いますよね。……でも、いざ付き合ってしまうと「かわいいだけでは済まされない」んだから!■ 男子は「おれのことをわかってくれている女子」が好き男子が長く付き合いたいと思う女子って「おれのことをわかってくれている女子」です。かわいいとか、かわいくないとか、太ももが太いとか細いというのは、二の次三の次四の次です。まずは「おれのことをわかってくれているかどうか」です。なので、たとえば、交際後もかわいさを追求したりダイエットしたりなど、自分のことに目がいきがちな女子っていると思うけれど、そういう彼女の彼氏は欲求不満だったりするんですよね。もちろん女子が女子らしく、かわいさを追求したり、洋服選びに真剣になるのは、ある意味ではいいことなんだけど……その気持ちの何割かを彼氏に向けないと、彼はやがて彼女に愛想を尽かすことになります。■ 「自分磨き」だけじゃ、愛されない長続きしているカップルの彼女を見ていたら、つねに気持ちのどこかで彼の仕事を応援しているんですよね。こう書くと「いつも彼の仕事を応援しているって、それお母さんみたいでイヤだな」と思う女子もいると思うけど、それ、考え方が極端すぎるから。気持ちの何割かを彼に向けるといいのであって、すべての気持ちを彼に向ける必要はないです。つまり、いつも彼のことを気持ちの片隅で意識するというのが、長続きの秘訣。反対に、交際が長続きしない女子を見ていたら、彼女は「愛され女子になるための自分磨き」みたいな本を読んでるんですよね。自分磨きをするのっていいことかもしれないけど、自分磨きというくらいだから、彼女は彼ではなく自分を見ているんですよね。でも恋愛って相手、つまり彼を見ないと長続きしないようになってるんですよね。■ 「愛されるため」のコラムには書いていないことネットの恋愛コラムを見ていたら、かわいい女子は彼氏に長く愛されるとか、気の利く女子は長く彼に愛されるとか、いろんなことが書かれているけれど……。本当は「彼のことをいつも心の片隅で意識するだけ」で愛され女子になるし、交際が長く続くようになるという、それだけのことなんです。さて、今あなたの彼氏はどこで何をしていますか?彼のことをつねに意識していると、この質問に答えることができるようになります。「会社で仕事をしているに決まってるじゃん」と思う人は、たとえば彼と別々にすごす日曜の午後、彼はどこで何をやっていますか?……この質問に即答できるようになれば、彼とタイミングが合ってきます。あなたが彼に会いたいなと思った時、ふと「今から会わない?」と彼からLINEが来るなど、タイミングが合ってきます。タイミングが合うようになれば、そのふたりは長く付き合うことができるでしょう。(ひとみしょう/作家)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年01月12日10代から40代の女性356人が回答!美容メディア「mira(ミラ)」を運営するKINDLER株式会社が、「美容に関するアンケート調査」を実施。結果を2021年1月7日付けのプレスリリースで公表しました。調査は2020年12月28日から2021年1月5日にかけて実施。15歳から49歳の女性356人が対象となっています。調査結果によると、回答者の42パーセントが新型コロナウィルス(COVID19)の影響で化粧品の購入方法に変化があったと回答。そのうち81パーセントがオンラインショップ(ECサイト)での購入に切り替えたと回答しています。化粧品の対面販売でコロナの影響を感じたかどうかという質問には74パーセントが「はい」と回答。理由としては「コスメのお試しが難しいため、購入機会が減った」(79.7パーセント)が最多でした。国内の美容医療については75パーセントが「利用したい」と回答。医療内容では「体の脱毛」(56.1パーセント)、「美肌」(45.5パーセント)などが人気でした。自分に合った美容法が1分で見つかる!「mira」は、自分に合った美容法を1分で購入できる美容メディア。iPhone、Androidのほかウェブ版でも利用可能です。フェイスタイプやコンディションを診断できる「フェイススキャナー」のほか、髪・肌・ボディなどのパーツに応じたおすすめアイテムの紹介記事、地域で検索できる美容医療施設情報、恋愛コラムなどを閲覧できます。(画像はプレスリリースより)(画像はKINDLER株式会社より)【参考】※KINDLER株式会社
2021年01月10日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。まだ感情のコントロールが苦手で、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまう子どもたち。他人の苦しみや欲求は、どうすれば理解できるのでしょうか。第10回『同情するならお湯をくれ。』「怒りたくて怒ってるんじゃないよ」と言われて「なら怒らなければいいじゃないか」と思ったことがあるのは僕だけではないだろう。学校からの帰り道、歩きながらノートを広げている子がいた。「危ないからノートしまって歩きなよ」と声をかけると「だってー」と返してきた。「危ないことは危ないからやめてね」と口答えを制した。理由があろうと危ないことは危ないのだ。しばらく歩いたところでお茶を飲みながら、またノートを広げていた。「しまっときって言うたやろー!」と少し語調を強めると、注意されて落ち込むというよりも楽しみを邪魔されたというような表情をした。心配していることを伝えるつもりで言い訳のように「怪我したらあかんからな。ほんで、暑いから水分しっかり取ってな」と言うと「だから飲んでてんやん」と言い返してきた。なんだかやけに反抗的だなと思いながら視線を落とすと、広げたノートに地図のようなものが書かれているのが見えた。スタートらしき場所には「がっこう」と記されており、路線図のようにいくつかの四角を線で繋げていて、ところどころに手書きの星マークがつけられていた。双六のようにも見える。「なに見てたの?」と、指摘としてではなく興味本位で尋ねた。「帰り道に暑くてお茶飲まなあかんから、飲むポイントを書いてんねん、いまここ」と言って[学校]と[学童]の間にあるチェックポイントの一つを指した。「真夏の水分補給」も子ども達に指導している交通ルールと同じく大切なことだ。それを自分たちで工夫して実践できるようにしていることに感心しながらも「いいことやけど、危ないからノート広げて歩くのはやめような」と伝えた。しばらくしてから、「おもろいなあ」とそのノートのことを思い出していた。自分たちで相談して書いたんだろうか。決められためんどくさいことも、あそびに昇華してるなんてすごいじゃないか。「いいことやけど」ってなんやねん。ただただめっちゃおもしろいやん。「いいことや」って取ってつけたように言ったけど、あの子たちには「怒られた」ってことだけが残っているんじゃないかと少し後悔した。自分で自分に「怒りたくて怒ったんちゃうねん」と言い訳した。「なら怒らなければいいじゃないか」と子どもの頃のぼくが顔を出す。危ないことは危ないからやめてもらわなきゃいけない。けれど、もっとほかに伝え方があったんじゃないか、間違いを指摘することをそんなに焦らなくてもいったん話を聞くことくらいはできたんじゃないか、と何度も考えていた。思い通りにいかないときに癇癪を起こしてしまう子がいる。諭すように話したり、思いに寄り添うように声をかけたりしてみても全く応じることはなく、言葉をかければかけるほど興奮したり、脱力して床に寝そべり駄々をこねたりする。腫れものを触るように接していき、癇癪玉が爆発したら最後「鎮まりたまえ!」と災難が過ぎ去るのを待つようになだめ、根負けして思い通りにさせるか、そうでなければ開き直って強引に言うことを聞かせるしかない。その子は好きなあそびを中断されるたびに駄々をこねた。みんなで遊んでいるときには機嫌よく過ごしているけれど、終わってしまったり中断されると手をつけられなくなっていた。ある日、その子は好きなあそびをせずに一人で過ごしていた。ひとりでのんびり過ごしているのかといえばそうではなく、かと言って別のあそびに夢中になっている訳でもなさそうで、あえてそのあそびから離れているように見えた。何かあったのか尋ねてみると、その子は少し黙ってから「もう、ああなるの嫌やねん」と小さく言った。「ああなるの」とは「キーーーッ!」ってなること、つまり「癇癪を起こしてしまうこと」だ。「思い通りにいかないことがあったら癇癪を起こす子」ぼくはそんな風にその子のことを見ていた。思い通りにいかないことを押し通そうとする姿は、半ばわがままにも見えた。その子にも制御ができないのだ、とそのときに初めて気が付いた。本人が苦しんでいるなんて思ってもいなかった。癇癪を起こさないようにしたり、それを鎮める方法を話し合いもした。けれど、それは「その子がしんどいから」ではなく、「僕たちがしんどいから」やっていた。その子が癇癪と戦っているのに、僕とも戦わなきゃいけないなんてそりゃあしんどい。僕には見守るか支えるしかできなかったのだ。もしかしたら、わがままな姿や怠慢に見える姿が、ただ気に食わなかったのかもしれない。誰も困りはしないのに何故だか許せない、そんな感情ってあるんだよね。その子が感情をコントロールできなくて、うまく表現できなくて苦しんでいるかもしれない。それを分かっていても、それでもやっぱり「自分の言う通りにしたいだけじゃないか」とか「ただのわがままなのではないか?」と感じてしまう自分がいる。考えてみれば、その子が癇癪を起こさずに言うことを聞いて欲しい、と望んでいる僕の考えも、自分の思い通りにしたいというわがままだよね。僕たちはなんで、人がわがままに振る舞っていたりサボっているように見えたりするのが許せないんだろう。たとえば危険があるとか誰かの迷惑になるとかなら分かるけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、手を抜いていたりサボっていたりズルをしていたりすると許せない。気に食わないな、と思うだけなら勝手だけれど、「その子のためにならない」というもっともらしい理由をつけて厳しくしてしまうこともある。親を甘やかしたらいけないという価値観も、保育や教育の業界から聞こえてきたりする。「気に食わない」だけで批判するのは理不尽だって誰でも分かるけれど、それが「教育」とか「当たり前」という仮面を被ってたら、そういうものなのかもと思ってしまう。しんどい人は救われるどころかさらに追い込まれていく。しんどいのなら、甘えてもいいんじゃないのかな。なんで、甘えたり手を抜いたりすることが許せなくなってしまうんだろう。あ、例えば、狩りで生きてきた時代には、サボってしまったら生死に関わるから本能的に「サボるのは許せない」と感じるのかもしれないな。とか適当なことを考えてみたけれど、「サボりたい」「休みたい」も生きるために必要な心の声じゃないか。「何個しんどかったら帰れるんですか?」中学校に勤めている友人が、保健室で生徒に聞かれたらしい。熱は無いけれどアトピーの調子が悪いし具合もよくないので帰りたい。けれど、サボりだと思われて帰らせてもらえないとのこと。甘やかしてクセになってもいけないし、だからって子どものしんどさに寄り添えないのもつらいものだ。僕は子どもの頃からアトピーなんだけれど、痒いとか痛いとかだけでなく、向けられる視線やかけられる言葉に傷付いたり、自分は頑張りたいのに頑張れないしんどさもある。学童でも身体が痒くて目の前の宿題に集中できない子がいて、それを見て「集中力がないな」と思ってしまいそうになる。けれど、絶対に「集中しなよ」と声をかけることはしない。だって、集中できるならしてるもんね。痒いから集中できなくて、集中できないからまたイライラして掻いちゃって、終わりが見えなくてボーッとしてしまうんだ。荒れた肌は見た目も良くないし、フケが服についたりするから清潔感がないとか言われる。清潔にしていないとすぐに悪化するから、一度来た服を洗わずに着ることはないしシーツだってしょっちゅう洗う。その辺の清潔感のあるイケメンよりも、きっと清潔であることを心がけているけれど、見た目の清潔感は伴わない。食生活が良くないんじゃないかとか生活習慣が悪いんだよって言われることもある。怠慢だから、サボっているからだよと病気をその人のせいにしたがる。しんどくてエネルギーを使いすぎて、いつもなら容易にできることが、ガス欠でできないこともある。当たり前にできるべきことができていないから、またやっぱりサボってるって思われる。その人のしんどさはその人にしか分からない。同じ痛みでも、平気な人もいれば、動けないくらい苦しむ人もいる。その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。病気に限らない。健康でも、その時の環境や状況でしんどい人はきっとたくさんいる。家族がケガをしたり、飼っている猫が病気だったり、失恋したり、推しが引退したり。病気だからとか障害だからとかではなくて、なにもなくてもそのしんどさに目を向けていたい。「そんなことくらいで」なんて他人が言っちゃいけないんだよね。みんなは大丈夫なのに自分がしんどくても、「そんなことくらいで」って自分で思ってしまうことも、もうやめたい。みんなしんどいことは嫌なはずだよ。そのしんどさから逃げたり解放されることを望んだりするのって悪いことじゃないはず。みんながしんどくなくて、みんながサボれる社会の方が断然生きやすいやんか。「なぜしんどいか」なんて関係なくて、そこにしんどさがあるのなら、それをまずは解消したい。甘えてなにがいけないんだろう。弱くてなにがいけないんだろう。教育というモノを言い訳に、育てるという名目のもとに、その子のしんどさを否定してはいないだろうか。まっとうに生きる。勤勉に生きる。それが幸せになるためではなく、ちゃんとした大人として見られるためなのであれば、もうそれにならなくてもいいやって思うの。ちゃんとした大人、を目指すなら、人のしんどさを自分の尺度で測らずに、想像したり寄り添える大人でありたいと思う。「正しいこと」よりも先に「生きやすいこと」を大事にしてみようよって思う。他人が大切にしているものを否定しないのと同じように、他人のしんどさを否定しない。それができたならきっと、自分の大切にしているものもしんどいことも、自分で否定しないでよくなるんだと思う。子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。少なくとも、相手には相手のしんどさがあることを知れるから、強さを求めて追い込んだり傷付けたりすることは減るだろう。みんなが強いことを望んで傷つけ合うよりも、弱さを認め合って支え合えたら。甘いと言われようと、僕はそうありたいと思うのだ。余談ですが別の日の帰り道に、「泥棒って、ご飯食べてるんかなあ」と尋ねてきた。不意に問われたその意図が分からなかったので、なるべく断定するような答えにならないように「どうやろうなあ」と返すと「食べてないんやったら、カップラーメンにお湯入れてあげたいわ」とその子は言った。ただカップラーメンをあげたい、ではなく「お湯入れてあげたい」という具体的な優しさが、哀れみとか同情ではなくその子の本当の思いであることを感じさせた。「泥棒ってお金ないんやろ、だからカップラーメンに」と繰り返す。生まれながらに悪い人、ではなく、お金がないから悪いことをしてしまう。そんなふうに考えられる人がどれだけいるだろう。悪い人の代名詞である泥棒だけれど、その子にとっての泥棒は悪い人ではなく困っている人なのだ。犯罪を犯すのはその人のせいで、貧乏なのは自己責任だと叩かれるこの社会で、この子は泥棒のカップラーメンにお湯を入れてあげたいと言っている。それを聞いてぼくが抱いた感情を、なぜだろう、うまく言い表せられない。考えを巡らせすぎたのだろうか、「あーーー」と叫んで「あかん、ほんまに泥棒にお金配りたくなってきた」と泣きそうな顔で呟いた。もしぼくが泥棒なら、って少し想像したら、泥棒でもないぼくが何故か救われたような気持ちになった理由が分かった気がした。ぼくが泥棒だったなら。きっと、そのもらったお金でカップラーメンを買うだろう。ビールを飲んだり美味しいお肉も食べたいけれど、餃子やお寿司も食べに行きたいけれど、でもきっとカップラーメンを買うだろう。そして、その子がお湯を入れてくれるのを待つのだ。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年10月27日