映画『希望のかなた』が2017年12月2日(土)より公開される。「難民問題」に向き合うヒューマンドラマ『希望のかなた』は北欧フィンランドの首都・ヘルシンキが舞台。生き別れの妹を探すシリア難民の青年カーリドは、“いい人のいい国”だと聞いていていたフィンランドで、無常にも難民申請を却下され、ネオナチからのいわれのない暴力にさらされる。そんな中、レストランオーナーのヴィクストロムをはじめとする市井の人々が救いの手を差しのべ、彼らの小さな善意に救われるという物語だ。世界が忘れかけている“当たり前”の人間性を、辛辣なユーモアと無償の優しさをもって描いたヒューマンドラマとなっている。なお本作は、2017年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した。フィンランドの名匠がメガホンを握る監督は“フィンランドの名匠”と呼ばれる、アキ・カウリスマキ監督。社会への深い洞察を得意とする彼は、前作『ル・アーブルの靴みがき』で“港町三部作”と名付けたシリーズ名を“難民三部作”に変え、今回の『希望のかなた』で全世界の課題となった「難民問題」に向き合う。シリア人のキャストを起用カーリドを演じるのは、シリア人俳優シェルワン・ハジ。映画初主演ながら、ダブリン国際映画祭にて最優秀男優賞を受賞した注目の俳優だ。そして、サカリ・クオスマネン役のヴィクストロムを始めとする、個性的なカウリスマキ組の常連役者と監督の愛犬・ヴァルブも出演している。ストーリー内戦が激化する故郷シリアを逃れた青年カーリドは、生き別れた妹を探して、偶然にも北欧フィンランドの首都ヘルシンキに流れつく。空爆で全てを失くした今、彼の唯一の望みは妹を見つけだすこと。ヨーロッパを悩ます難民危機のあおりか、この街でも差別や暴力にさらされるカーリドだったが、レストランのオーナーのヴィクストロムは彼に救いの手を差しのべ、自身のレストランに雇い入れる。そんなヴィクストロムもまた行きづまった過去を捨て、人生をやり直そうとしていた。それぞれの未来を探す2人はやがて“家族”となり、彼らの人生には希望の光がさし始める…。【作品詳細】『希望のかなた』公開日:2017年12月2日(土)監督・脚本:アキ・カウリスマキ出演:シェルワン・ハジ、サカリ・クオスマネン原題:TOIVON TUOLLA PUOLEN / 英語題:THE OTHER SIDE OF HOPE配給:ユーロスペース© SPUTNIK OY, 2017
2017年09月23日高校生の進路相談、私の希望を先生が二度見したのは出典 : 「これ、間違いじゃないわよね?」進路相談の場で、担任・F先生は戸惑うように私を見つめた。その高校では2年生から大学進学コースの文系及び理系、専門学校及び就職希望者のためのコース、3通りのクラスに分かれるのであった。1年生の冬に希望コースを決め、それに基づいて進路相談をする。向かい合わせに座った私は、きっぱりと答えた。「間違いじゃないです」私が用紙にチェックを入れたのは「進学・理系コース」。彼女が驚くのも無理はない。なぜなら私は算数障害だからだ。あいまいさのない、数字の世界が大好きだった出典 : 高校1年生の初夏、中間テストの返却時。「人には得意不得意があるとは言いますが、こんなにも差が開く人もいるのか、と驚きましたね」F先生の言葉に、クラス中がどっと笑った。誰なんだろう、どれくらい差があったのだろう。私も笑っていた。成績表を渡され、私の笑顔は凍りつくことになる。“こんなにも差が開く人”は、他でもない私だったからだ。現代国語と古文、英語のリーディング及びグラマーは、ケアレスミスによる1点マイナスで99点。数学は三択問題1問だけが正解して、3点だった。我ながら衝撃的過ぎて、他の教科の点数を覚えていないほどだ。何が衝撃かというと、点数の激しい開きだけではない。私は授業を理解しているつもりでおり、なおかつ家では数学の予習復習ばかりしていたから。そこまでやって、3点。しかも三択問題。解せない。本当に解せない。好きこそものの上手なれというではないか。そう、私は数学や理系教科が大好きだった。出典 : 衝撃を受けてはいたが、自分が計算について不得手であることを、このときに知ったわけではない。小学校低学年のころは、さしたる周囲との差はなかったように思える。「あれ?」と感じ始めたのは、図形の面積、立体の体積の計算を覚えるころだった。計算が複雑になり、情報が増えるにつれ、数字や計算記号そのものを認識しにくいと感じている自分に気付いたのだ。いくら公式や方程式、考え方がわかっていたところで、土台がガタガタなのだから、正解が出せるはずもない。当時は発達障害だなんて思いもしないから、「学習不足であるに違いない」と、算数や数学の勉強ばかりに勤しんだ。断っておくが、私は努力家でも何でもない。なんというか、片思いの相手の気を引こうとして、あの手この手を尽くしているような気持ちだったとでも言うべきか。そしてテストで赤点を取るたびに、こっぴどく振られたかのように落ち込んでいたのだ。それでも理系に進みたかったのは、勉強するのが楽しかったら。後に自閉症スペクトラムと診断される私は、曖昧さのない数字や計算の世界を愛していた。しかし、大学時代は「楽しい」だけで過ごせても、社会ではそうはいかない―先生にそうした現実を突きつけられ、説得された。私はギリギリまで悩んだが、将来を考え、もうひとつの大好きな道、言葉の世界に進むことを決断、文系にコース変更。そこに一抹の寂しさがなかったわけではないが…恋に破れた私と、数字に愛された息子進路変更をした直後、とあるご縁により、私はアルバイトとして原稿納入の仕事を始めた。そして兼業の期間もありつつ、ライターの仕事をしている。訳あって高校を中退、進学はしていないのだが、結局文系の道を歩んでいるというわけだ。そして自閉症スペクトラムとADD(注意欠陥障害)の診断を受け、同時に算数障害であることを知らされる。そう、私は数字に振られていたわけではない。単に住む世界が違っただけ。叶わぬ恋なのは当たり前の話。現在は、慎重に見比べた上で電卓を使うなどの注意や工夫をし、生活に支障がない程度に数字と付き合うことができている。数字や科学等、理系っぽいものは今でも大好きだが、恋というよりただのファン。そう割り切っており、科学館へ遊びに行ったり、実験キットで楽しむ程度だ。Upload By 鈴木希望共に暮らす小学2年生の息子は、数字が好きで、なおかつ計算が得意。絵を描くように計算式をノートに綴る彼を見て、羨ましいような切ないような気持ちになりつつ、私は文系の道を選んだことを、決して後悔はしていない。でも、もし担任教師の反対を押し切って理系の道に進んでいたら、どうだっただろう。たらればの話をしても仕方がないが…うん、それはそれで幸せだったに違いない。多分ね。
2017年07月30日2年生。本人も気に病むほど、注意欠陥の特性が顕著になって…出典 : 我が家の小2息子、小学校入学以降、注意欠陥障害(ADD)特性が目立ち始め、この年齢の男子のそもそもの特徴もあいまって、順調に「アホ男子化」している今日この頃。授業参観=息子にとってのイレギュラーな環境では、ますます注意力散漫になったことは以前のコラムでお伝えしたが、あんなものははっきり言って序の口だった。「今日の授業で空のペットボトルが必要なんだよ!」と朝に報告したり、「実はあの日、新聞紙が必要だったんだよね」と翌日以降に告白するのは通常運行。最近では宿題など、毎日コツコツと何かをこなすことが困難になってきた。要は、エネルギー出力が安定しないのだ。何日も溜め込み、ある日一気に集中して片付けている。自分も息子同様にADDの傾向があるため、「あれ?私もこんなだったっけか?」と小学生時代を振り返ってみるが、似たもの親子とはいえ別個人。宿題も提出していたし、忘れ物も少なかった。私のチェックが甘かったのかと反省し、一応声かけを繰り返すようにしているが、ままならないことは多々ある。息子自身もそんな自分が歯がゆいと感じているようで、「自分は将来どうなってしまうのか」と不安そうに呟いた夜もあった。親子の心配をよそに先生は太鼓判!?個人面談で耳にした「息子の成長」とは出典 : 担任の先生は、私たち母子に揃って発達障害があることをご理解してくださっている。対策について相談しようと思っていた矢先の6月、個人懇談が行われた。「息子さん、随分と成長しました!」着席するや否や、先生がそんなことを笑顔でおっしゃるものだから、私は面食らってしまった。毎日宿題を提出できないことや忘れ物が増えたことは決して退化ではないが、成長とは呼びにくい。ポカンとする私に、先生はどのように成長したのかを説明してくださった。■成長①以前であれば、苦手な作業(息子の場合は絵など)に関しては遅々として進まず、手すら出そうとしないこともあった。今では「自分ではここまでできるけれど、この先を進めることが難しい。手助けかヒントをもらえないだろうか」というように申告してくる、もしくは自分なりの代替案を提示してくるようになった。■成長②以前は、宿題や忘れ物をしてもこちらから指摘されるまではそのままだった。今では宿題や忘れ物に関しても自分から報告してくる、そして「何か借りられる物があれば貸して欲しい」と自分から願い出てくるようになった。つまり、自分のウイークポイントを把握し、失敗や不得手をリカバーしようという姿勢が見られるようになったということだ。家で息子はそんなことを口にしなかったから、私は更に驚いてしまった。そう言われると…うん、確かに大きく成長している。「できないことや失敗自体は悪いことじゃないんですよね。特性上、受け身になってしまうのも仕方ないと思っていました(息子と私は受身型と呼ばれるタイプの自閉症スペクトラム=ASDも持っている)。そんな息子さんがここまでできるようになったのは、本当に素晴らしいことですよね!」ー昭和50~60年代に、私は学童期を過ごした。そのころといえば、失敗をすれば教師に叱責され、廊下や教室の後方に立たされるなど、見せしめのような懲罰を課せられることが当たり前の時代。出典 : 「私も小学生のとき、あんな先生に出会いたかったな…」我が子の特性を尊重し、温かく見守っていただけているありがたさと、ほんのちょっぴり息子をうらやむ気持ちを抱きながら、私は自転車のペダルを踏み、帰路についた。生きていくために必要なのは、失敗や不得手に対する怯えではないUpload By 鈴木希望ミスしないように注意したり、スキルを磨くことはもちろん大事だが、実際社会に出てみると、失敗や不得手をリカバーしようとする努力を要される場面の方が多いと私は感じている。はっきり言って、うまくできなかった事実そのものに目くじらを立てているのは時間の無駄なのだ。そんな時間があれば、他人に助けを求めることを含め、問題を解決するための具体的な行動を起こした方が良い。成人発達障害当事者の中でも、自分がした失敗を気にするあまりに思考がネガティブスパイラルに陥ってしまったり、また失敗をすることを恐れて行動できなくなってしまうことが少なくないようだ。「あのね、失敗や不得手に怯えて行動しても、何もいいことないからね。かえって失敗が増えるのよ。これ、経験談。注意と怯えは別物。急ぐと焦るも別物でしょ?あ、関係ないか」私も相談を受けることがちょくちょくあって、だいたいこんな風に答えている。と、偉そうに書いているが、かくいう私もつい最近までこれができなかったし、今も少しだけ苦手である。ASDの特性上、抱え込みやすい(誰かに頼るという発想が即座に浮かびにくい)というのもあるが、どこかに「失敗や不得手は悪いこと、叱責されるべきこと」という感覚が残っているのかもしれない。とにかく、「生きていくために必要なのは、失敗や不得手への怯えではなく、それが起こったときに対処しようとする姿勢」ということで担任の先生と意見が一致し、私は嬉しい。もし今もどこかで無意味な懲罰が行われているのだとしたら、一刻も早く滅してほしいと願ってやまない。ーさて、息子の宿題や忘れ物に関する対策だが、「これまでどおりの声掛け、学校と家庭の連携」という話でまとまった。帰宅した息子に早速確認だ。「息子さんや、連絡帳を見せてくれないかい?」「あ、連絡袋ごと学校に忘れてきた」「オイ!!!!!!」出典 :
2017年07月12日問答: 「目の見えない人が、向こうから歩いてきたら?」私「とりあえず挨拶じゃね?」Upload By 鈴木希望数年前、とある講座で「向こうから目の見えない人が、杖をつきながら歩いてきました。あなたならどうしますか?」という質問をされた。私は、「そうですね、とりあえず挨拶をします」と返したのだが、そこで列席者の中から笑いが起こったのだ。「どうして?向こうから知らない人が来たからって、特に何もすることないじゃん。強いて何かするとしたら挨拶じゃない?」―笑われる理由が、心底わからなかった。すると講師の方は続けた。「同じ質問をとある学校の生徒さんたちにしたんです。優しい方が多くて、手を引いてあげるだとか、行き先まで案内するなどの意見が出ました」ああ、そうか、それが模範回答だったのかと思いながら聞いていたら、「でも、目が見えないというだけで、その人が困っているとは限らないんですよ。だけど目が見えないということで、“この人は困っているはず”と無意識にラベリングしてしまう人が多いんですね」あ。うっかりというべきか、「偏見のない人」のような回答を私はしてしまっていた。もちろん私はまるっきり偏見がない聖人などではない。「他人の要求なんて、はっきり言ってもらえないとわからないよ、エスパーじゃないんだし」と、自分の察せなさを正当化しようとぼやいているような人間である、というだけなのだ。「障害があるのに頑張っている」うーん、それ必ずしもイコールかなぁ?Upload By 鈴木希望側頭葉てんかんと発達障害があるということを明らかにしているからか、「障害があるのに頑張ってるね」というようなお言葉をしばしばいただく。その度に私は、「うーんまぁ、自分なりに頑張ってはいるなぁとは思うんですが、障害があるのにとか、それは関係ないんじゃないかという気がします」…と、言いたい気分になりつつも、相手との関係性を考慮して「あーはい、そうかもしれません」などと曖昧に返したり返さなかったりしている。いやね、「障害があるのに頑張ってるって、まるで障害の自認がなかったころは頑張ってなかったみたいじゃない!」とか抗議したいわけじゃないんですよ。なんて、誰へともなく頭の中で弁明しながら。障害ゆえに頑張らなければいけないこともあるにはある。だからって、「障害」と「頑張る」が必ずしも結び付くわけではないよね、ということを言いたいだけなのだ。でもそれを直接言ったもんなら、優しいお人からはこんな答えが返ってくるのだ。「障害があると、そうではない人にはわからない辛さがあるんでしょう?だからやっぱり頑張ってますよ!」ああ、まぁね、そうね。感覚過敏とかね、ほんと辛い。確かにこれは、ない人にはわからない辛さだろうな。とはいえ、「だから頑張ってる」にはならないと思うのよ。障害には、そうでない人にはわからない辛さがあるように、障害のある私には、そうでない人ゆえの辛さはわからない。それ以前に、障害がない人だって頑張っているだろう。そして、どっちがより頑張っているかなんて比べようがない。「あなたはかわいそうで不幸な存在」と、他人が決められるものなのか。Upload By 鈴木希望障害を表明、あるいは他者に認識できる状態になった途端、人はかわいそうで不幸な存在に見えてしまうということなのか。見えてしまうのは百歩譲って仕方ないとしても、本当にかわいそうで不幸なのかどうかは、本人が決めることなのではないかと思ってしまう。もちろん、「かわいそうで不幸な存在として見られていたい」と感じている人もいる可能性があるので、「障害者だってみんな幸せなんです!」と主張する気はさらさらない。そこは個人の問題だから。前項で述べた、「発達障害」と「頑張る」が必ずしも結びつくわけではないという話同様に、「障害」と「不幸」あるいは「幸せ」も、必ずしもイコールになるわけではない。いろいろ偉そうなことを書きつつも、自分が全障害者の代表になんてなり得ないということはわきまえているつもりだ。そして「障害者はかわいそうで不幸だ」とついつい断じてしまう人にも、やっぱりまぁ、それなりの事情があるのかもしれないので、「えっと、本当に不幸かどうか確認…あ、そこまでしなくてもいいんですが、実のところは当人にしかわからないってことで」と、やや弱腰の提言をしたい。先回りの気遣いをする前に出典 : こう言ってしまうのはなんだが、必要のない気遣いは持て余してしまうのだ。例えば、自閉症スペクトラムを持つ私には軽度の相貌失認があり、人の顔と名前を一致して覚えることが困難だ。しかし、同じ自閉症スペクトラムでも相貌失認がない場合もあり、そうした方は「顔と名前を覚えるのが苦手」という前提で話を進められると、困惑してしまうのではないだろうか。他にも、「お前、アスペだろ」という揶揄の言葉に傷付く当事者の存在もあるが、私などは揶揄と知りつつ「アスペだよ」と返してしまう人間なので気にならない。私を慮ってか、軽口を叩く友人を「アスペルガー当事者である鈴木に対して失礼だ」と厳しく制してくださる方がいて、焦ったことが過去にある。「求められていない気遣いは、すべからく余計なお世話」と言いたいわけではない。手出し口出しをするのは、様子を見るとか、「困ることはないか」と問うてみるなど、まず気遣うべきポイントを探ってからでもきっと遅くはない。そう思うだけなのだ。コミュニケーションなどは特に、双方のコンディションや相性、関係性によってOKとNGのラインが変わってくるから見極めが大切。そうなってくると障害の有無や度合いは関係ないということになり、「障害があろうがなかろうが人間。幸も不幸も人それぞれ」という、言ってしまえば陳腐な結論にたどり着いてしまう気がするが、まぁ実際そんなものではなかろうか。冒頭でも述べたとおり、私は偏見を持たない人間ではないし、思い込みが激しい側面もあると自覚している。それだけに、「簡単にラベリングをせず、個をしっかり見て人と接したい」というのが願望であり、日々の目標。難しいときもあるけれど、とりあえず、挨拶から頑張ろう。相手に障害があろうがなかかろうが。
2017年05月28日ぶっちゃけた話、トラウマ語りに飽きてしまったUpload By 鈴木希望高校中退して職を転々、パートナーからのDV被害でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に摂食障害、郷里に帰ってシングルマザー、極め付けは、親子揃って発達障害、自閉症スペクトラム(ASD)の診断が下りましたとさ。改めて書き出してみると笑えるぐらいの「マイノリティラベル」が私には付着している。そりゃあ確かに、42年弱生きてきて、私なりにいろいろあったと思う。今だっていろいろあるし、これからもそれなりにあるのだろう。過去の散々なできごとについて、古い友人たちは嫌というほど私から聞かされている。自分が抱えてきた辛さをわかって欲しくて、仲良くなる人にはのべつ幕なしに話していた、振り返ってみると恥ずかしい時期もあった。最近では、世間でもずいぶんと発達障害への認知や注目が高まってきたようだから、私も何かの拍子に「当事者枠」で質問されたりコメントを求められることもあるのだけれど、昔のように自分からトラウマ話をベラベラ喋ることはずいぶんと減った。求められれば口にはするし、話の流れで断片が出ることはある。その程度。だけどそれは、強い心で過去のトラウマを克服したのだとか、決してそんなに大それたことではない。単純に、飽きてしまったのだ。発達障害のトラウマ語りというやつに。折り合いをつけて変化した、わたしの中の発達障害30代の終わりに下った発達障害の診断がもたらしたのは、特性を特性とは知らずに悩み続けていた私にとって、比較的明るいものが多かった。Upload By 鈴木希望「普通」と呼ばれることが当たり前のようにできないのは、努力が足りないわけではない、ましてや性格が原因でもない。それが分かったことは、ひとつの"救い"だったと思う。工夫をしたり自分なりの落としどころを見つけることで、特性要因の失敗を回避したり、あるいは欠点と思われていた特性を利点として活かすこともできる―そうした可能性が見えてきたからだ。以来、私は遅まきながら発達障害について調べ始め、当事者の方やそのご家族とも交流する機会に恵まれた。この「発達ナビ」のコラムも、その延長線上にある。そうした中から得られた情報を元に「これは特性なのか」「この場合はこういう対処をすればいいのね」と、自分の思考や言動のパターンと発達障害の特性を照らし合わせる行為は実に面白く、私にとって趣味のようになっていった。もちろん困ったことが起こらないわけではないし、頭を抱える日もあった。今でもある。とはいえ、基本的には呑気な性分であるから、「なんとかなるし、なんとかするしかない」と、どうにかこうにか、時には周りの方々から大いに助けていただきながら、本日に至っている。ここ数年の私は、そんな風にして「発達障害当事者としての自分」の存在を確認しながら過ごす時間が多かった。だけど最近は、「発達障害者としての自分」になんだか飽きてしまったように思う。いや、実際のところ飽きたからといってやめられるものではないし、発達障害に関する情報について無関心になったわけではないので、「飽きた」というのは語弊があるだろうか。前述のトラウマも同様、自分が内包するもののひとつとして折り合いを付けた、落としどころを見付けて納得した、という表現が近いかも知れない。「トラウマを持つ自分」あるいは「発達障害当事者としての自分」ではなく、「鈴木希望(トラウマ、発達障害"も"ある)」という意識に変わったと言うべきか。自分の特性はこれから先もそうそう変わりはしないし、これまで意識的に続けてきた自己分析や対応ノウハウも自分の中にだいたい落とし込まれたから、自分をわざわざ「発達障害者」として定義しなくても、まぁまぁサバイブできてしまうようになったのだ。「どうにかしてきた呑気な成人当事者」としての視点に需要はあるのか。Upload By 鈴木希望この春から小学2年生になった息子は、私より早い段階で当事者である事実と特性に折り合いを付けていたようだ。幼児期から発達障害があることを知らされてきた息子にしたら、「発達障害も最初から自分の一部」という感覚なのかもしれない。無論、トラブルが皆無というわけではない。けれど、事が起き、抱えきれずにフリーズしてしまったり、涙目になったりすることがあっても、最後には彼も言う。「なんとかなるし、なんとかするしかない」と。Upload By 鈴木希望そんなわけで、私たち親子は、発達障害の特性で困ることが多少はあっても、深く悩み続けることはほとんどない。日常生活を送る上では大いに結構なのだが、コラム執筆には困ってしまう。「発達ナビ」は「お子さんの発達が気になる保護者向けのポータルサイト」であるわけだし、ご覧になった方にお役立てていただける、もしくは楽しんでいただける文章を書かなければならない。困った。大いに困った。困って悩んで、何ヶ月も休んでしまった。困って悩んでいる真っ最中の年末と年度末、「発達ナビ」の編集長の鈴木悠平さんとお目にかかる機会があった。サイトの1周年を迎えるに当たって、成人当事者の思いや、「困ることがあっても深く悩み続けることがほとんどない」という当事者の視点にも焦点を当てたいのだと編集長はおっしゃった。しかし、あまりにも呑気な私の観点に需要などあるのだろうか。「今悩むことがないとはいえ、これまで、のんさん(私のあだ名)なりにサバイブしてきたわけですし、発達障害の子どもの問題と成人当事者の問題は地続きですし。どうにかしながら生きている人が、どう考えてどう暮らしているかについて、語る価値はあると思います」なるほど。確かに、私も息子と接しながらかつて自分が来た道を思うように、立場を逆に置き換えたら、私は発達障害児の将来サンプルのひとつでもあるわけだ。もちろん人それぞれなわけだから、私ではない人が私のようにしたからって、私のようになるわけではない。さっぱり参考にならない可能性もある。ただ、私のような成人当事者が発言をすることで、「発達障害だからって将来苦しむとは限らないんだ」あるいは「こんなやつでもどうにかできるんなら、自分や我が子もどうにかできるのかも」と思われる方がいらしたら嬉しい。そんなわけで今後は「なんとかなるし、なんとかするしかない」と言いながらどうにかしてきた呑気な成人当事者としての思いを中心に書いていこうと思っている次第。ときどきは息子のことも書くかも知れない。私たち親子は、涙を誘うような苦労話も、障害を乗り越えた成功物語も、たぶん提供できない。だけど、どうにか生きてきた"フツーの"発達障害トークってものも、あったっていいんじゃないかな。今はそう思う。
2017年05月08日こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。わが国の子どもたちは諸外国に比べると自己肯定感が低く、夢や希望といったものを持っていない傾向があるということは、内閣府をはじめとするさまざまな研究機関や団体による意識調査で明らかになっています。その理由についても、生まれたときからすでにそこにある圧倒的な格差だということまでは、ほとんどの専門家のあいだで一致した見解です。ところが、原因までだいたい分かっているというのに、子どもが希望を持てる世の中にするための解決策については、残念ながら行政レベルでは遅々として進んでいないというのが実態でしょう。筆者はこの状況を改善するための一つの方法として、“家庭環境を超えた友と出会える場所”が自然に存在している状態を意識して作ること が必要なのではないかと思っています。●「邪魔する奴は僕が許さない」~映画『スタンド・バイ・ミー』のゴーディとクリスの友情〜スティーヴン・キング原作でロブ・ライナー監督の手による1986年公開のアメリカ映画『スタンド・バイ・ミー』を見た人は、40代以上のパパとママには多いことと思います。1950年代末、オレゴン州の小さな町に暮らす4人の少年たちは、趣味も志向も家庭環境も違うけれど妙に馬が合い、喧嘩をしながらもいつも一緒に遊んでいました。この少年たちが好奇心から“死体”探しの旅に出るひと夏の物語なのですが、主人公である文学少年・ゴーディはまずまずの恵まれた家庭の子ではあるものの、自慢の兄が事故死して両親から冷遇され、作家になりたいという将来の夢も失いかけています。一方、ゴーディの親友・クリスは非常に賢明な少年であるにもかかわらず、父親がアル中、兄はふだつきの不良という家庭環境から周囲の信用を得ることができず、本来は進学コースに進むべき聡明さの持ち主なのに「うちの環境で進学コースになんか行けるわけがない」と諦めています。旅のさなか、二人は「君には物語を書く才能がある。続けるべきだ」「君が進学コースに行けないなんてありえない。絶対に行けるから諦めないで勉強してくれ。邪魔する奴は僕が許さない」と語り合い、この友情が礎となってゴーディは作家に、クリスは弁護士に成長していくという映画でした。ゴーディとクリスは同じ町に住み同じ学校に通う仲間でしたが、この二人のように“家庭環境はずいぶん違うけれど感性の部分で共鳴できる友人”に出会えるチャンス が今の日本には少ないというのが、筆者の問題意識です。●同質的な環境に育った子ばかりが集まってしまう学校や塾今、わが国の子どもたちが置かれている日常の場所はどうでしょうか。学校はというと、私立学校の場合は完全に同質的な環境に育った子の集団となっているようです。そういう筆者も中学校は私立の慶応普通部という男子校に通ったのですが、当時のその学校には筆者のような潰れそうな町工場の子もいれば、国務大臣の子、医者の子、中小企業のサラリーマンの子もいて、ゴーディとクリスのような家庭環境を超えた友と出会うチャンスがかなりありました。友人たちから聞くところによると今はそうでもないようで、潰れそうな町工場の子や中小企業のサラリーマンの子は、ほとんどいなくなってしまったようです。その意味では、公立学校の方が家庭環境の違う子とは出会えます 。ところが、せっかくいろいろな家庭環境の子がいるにもかかわらず、進学を目指す子は結局一定以上の経済力の家庭の子だけで集団を形成していくため、学校を卒業して職人になる子や無業者になってしまう子たちとのあいだに交流がなく、友情が成立する余地がありません。塾も同様です。このような状況こそが、筆者の問題意識の根底にあるのです。●どこの家の子も好奇心で入っていけるような場所が地域にあるといい人間のことですから、育った環境が違おうと考え方が違おうと、感性の部分で共鳴できるものがあれば友情を築くことができます 。筆者の中学生時代、Kくんという立派な印刷会社を経営している家の子がいました。明日潰れてもおかしくない化学薬品工場の子の筆者とは経済力が全然違いました。でも筆者はKくんの人としての大きさに惹かれてKくんと同じラグビー部に入り、KくんはKくんで筆者が書く作文や感想文を「言葉に魂がこもっている」と褒めてくれました。考え方も、どちらかといえば保守的なKくんとどちらかといえばリベラルな筆者とではずいぶん違っていましたが、尊敬し合っていました。そのKくんは大人になって慶応大学の教授を経て、今は京都芸術大学で教鞭をとっているのですが、慶応の教授時代に東京都の港区と連携して“地域の人たちのための家”のようなものを設立したのです。昭和の一軒家のような日本家屋の空き家を改造して、地域の大人も子どもも、おじいさんもおばあさんも、学生もサラリーマンも商店主も、好きなときに好きなように利用してくださいという“場所” を作ったのです。筆者は50歳になったころ、Kくんに招待されて一度その“家”を訪れました。12月のはじめだったので、家の中には『ここにある材料を好きなように使って自分だけのクリスマス・リースを作ってね』というコーナーがありました。そこで筆者が目にした光景は、「うちはお母さんは一人で働いてるからクリスマスなんてやってもらえないの」と言う低学年の女の子と「勉強で分かんないところがあったらいつでも教えてやるからな」と言う高学年の男の子の、仲良く並んで話しながらリースを作っている様子だったのです。●“場所”作りが行政には期待しにくい理由と“小さな一歩”がとても大切なワケあの低学年の女の子と高学年の男の子の姿を目にしたとき、筆者は「さすがはKくん。今はまだ小さな一歩かもしれないけれど、素晴らしい場所を作ってくれたものだ」と思いました。正直言ってわが国ではもう、行政に任せていたらKくんのような発想は出てきません 。なぜならば、すでに中央省庁のキャリア官僚はほとんど全員と言ってもいいくらいまで首都圏の富裕層出身の人たちで占められているからです。もちろん彼らが悪い人だなどとは申しません。でも、弱い立場にある人や、「努力」や「ハングリー精神」といった言葉がむなしくなるくらいの経済的ハンディキャップを最初から背負ってしまっている子どもたちに対する想像力や共感力を彼らに求めるというのは、やはり難しいことでしょう。その意味ではKくんが作った“家”もそうですが、NPOの人たちの手による「無料塾」や「子ども食堂」なども運営スタッフの人たちと多少の年齢差はあるにしても“家庭環境を超えた友と出会える場所”として機能しているのだろうと思います。最後に、中学から高校1年まで一緒だったNくんの話をさせてください。Nくんは慶応幼稚舎という小学校からエスカレーターで上がってきたお金持ちの子だったのですが、普通部時代にご両親が離婚し飲食店を営むお母さまに引き取られ、そのお母さまの飲食店もNくんが慶応高校1年のときに経営が立ち行かなくなり、私立学校の学費を払えなくなって退学していきました。別れる際に、絵を描くのが上手だったNくんに筆者は「絵だけは描き続けてくれよな」と言い、Nくんは私に「鈴木の作文、またどこかで読ませてくれ」と言いました。今、きっとNくんはこの空の下のどこかで絵を描いているのだろうと筆者は信じています。と同時に、もはやセレブリティーの子弟でほとんどが占められるようになってしまった母校に、あのころの雰囲気はもうないのではないかと思うと一抹の寂しさを禁じえません。「Kくんが残していってくれた“家”あたりから新たな“場所”の作り手が育ってくれたらいいのにな」といった気持ちでいっぱいです。【参考リンク】・今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~ | 内閣府()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/坂井由有紀(央将くん)、貴子(優くん、綾ちゃん)
2017年05月02日1日1枚ずつ学校に上着を忘れてきてしまう息子は、ある日とうとう…Upload By 鈴木希望Upload By 鈴木希望Upload By 鈴木希望Upload By 鈴木希望小学校に上がってからADD(注意欠陥)の傾向が目立ってきた息子。忘れ物や失くし物はしょっちゅうです。上着を置きっぱなしにしても、「夕方は暖かかったから…」という理由ならわかるんですけどね(笑)その日の朝に「もう上着は1着もないから!」と、私が念を押したのが印象に残っていたようです。「だからって一気に全部着てこなくても…」という私の言葉に、息子は「覚えてるときに全部着て帰らないと、また忘れたときに困るでしょ?」と、自分の特性を把握しているからこその行動でもあったのでした。
2016年10月30日三国志が好きすぎて、武将たちが凸凹仲間に見えてきた!出典 : こんにちは、アスペルガー症候群(ASD)と注意欠陥障害(ADD)でフリーライターの鈴木希望です。普段『発達ナビ』さんでは、自分と同じくASDとADDを持つ息子の親として、また発達障害当事者としてのコラムを寄稿しています。さて、私は友人知人の間で「三国志の人」と呼ばれています。書店に入ればもちろん三国志コーナーに直行。「そうそう(相槌)」を「曹操(三国志の武将)」と誤変換したことに気付かず原稿を送信してクライアントさんに大笑いされてしまうほどです。半ばノイローゼですね(笑)知識で言えば初心者レベル。ですが熱量ばかりはそこそこにありまして、少し前には「初心者の視点で三国志について語る」という趣旨のコラムの執筆を始め、以前にも増して意欲的に三国志について学んでおります。そんなふうに三国志漬けで過ごしておりましたら、「あれ?この人、発達障害っぽいんじゃない?」と感じられる人物が結構いることに気付いたのです。というわけで、今回はいつもと趣向を変え、『あの英雄が自分とそっくり!?発達障害当事者が読む、凹凸だらけの三国志』と題して、その一部をご紹介いたします!※以下、『三国志演義』他、歴史小説としての三国志を主に参照しています。ご承知おきください。素直すぎる最強武将・呂布奉先はADHD!?Upload By 鈴木希望まずは呂布奉先(りょ・ふ・ほうせん、以下呂布)。羅貫中(ら・かんちゅう)の小説『三国志演義』では序盤に登場し、最強の武人と謳われる人物です。1日に千里を駆けるという名馬・赤兎馬に跨る姿は、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞賛されました。異民族の血を引く美丈夫だったという説もあり、ドラマなどではイケメン俳優さんが演じる姿も見られます。戦場では敵なしだったというこの呂布ですが、とにかく気が変わりやすい!というか、目先の利益にとらわれがち。1度目は前述の赤兎馬欲しさに、2度目は女性関係のトラブルが原因で、あろうことか義父を2人も殺しちゃっています。出典 : 他にも、世話になっていた領主の留守中に領地をのっとったり、かと思えばその相手に和解を申し出たり…。要は「そのとき、そのときに1番魅力的なものを選ぼう!」と、後先について深く考えずに動いてしまっているんですね。結果、周りからの信用を獲得できず、部下に裏切られて絞首刑という最期を迎えてしまったのですが…。心のままにパッパッと動いてしまう呂布の衝動性に、ADHDっぽさを私は感じています。衝動性だけではありません。前述したとおり、武勇に関しては他を抜きん出ていた存在。120歩離れた場所にある戟(げき。武具の一種)を矢で射るなど、ここぞという瞬間にはずば抜けた集中力を発揮しています。興味のないことにはずぼらにさえなるけれど、好きなことや得意なことにはとことん取り組める部分もまた、ADHDの匂いがしますよね。猪突猛進、でもうっかり!張飛の愛されADHD説。Upload By 鈴木希望お次は張飛益徳(ちょう・ひ・えきとく、以下張飛)、多くの三国志作品で主人公に据えられる劉備玄徳(りゅう・び・げんとく、以下劉備)の部下で、義弟だった武将です。戦では劉備軍の中心となって功を上げ、24回行われた一騎打ちでは無敗という猛将中の猛将。武勇は敵国の将にも知れ渡り、高く評されていました。一方『三国志演義』や中国の民間伝承では、短気で無鉄砲、大酒飲みなそこつ者として描かれています。出典 : 先に言っちゃいます、張飛はADHD!真っ先に思い出したのが次のエピソード。敵軍迎撃のため劉備軍が出陣した際、張飛とわずかな部下が城を守ることになりました。張飛の酒癖を心配した劉備は禁酒を言い渡し、張飛自身も「絶対に守る!」と約束するのです。が!舌の根も乾かぬうちに「景気付けだ!」とばかりにさっそく飲む!酔った勢いで部下と仲違い。恨みを抱いた部下は呂布と内通。そして張飛は呂布に城を奪われてしまうという、取り返しのつかない大失態を犯すのです…。たぶん、「劉兄貴に内緒で飲めばいいや」などと考えていたわけではないのでしょう。「(禁酒を)絶対に守る!」と本気で思っていたのでしょう。でも、飲みたくなったから飲む!そしてうっかりミス!ザッツADHD!戦場での猛々しい姿との対比もあって、張飛のうっかりぶりはなんだか憎めない、可愛らしい一面に見えてきます。ずるいぞ張飛!後年には頭脳戦に持ち込むなどの“やればできる子”っぷりも発揮。適応能力の高さもADHD的ですね。軍神・関羽。お前、アスペだろ!?Upload By 鈴木希望続いて関羽雲長(かん・う・うんちょう、以下関羽)、張飛と同じく劉備の部下にして義弟。張飛にとっては義兄です。忠義に厚い武将として知られており、顎に美しいヒゲをたたえた“美髯公”とも呼ばれていました。元は塩の密売人で、中国式簿記の生みの親とも言われている関羽。文武両道で、特に歴史書『春秋左氏伝』を好み、そのすべてを暗唱できたのだそうです。私は、そんな関羽をASD認定しています。規則性を見出しルールを作るのが得意だとか、1つのものをこよなく愛し、暗唱できるまでになってしまう面は、ASDの特性に当てはまりますよね。出典 : 関羽はやむなく敵将・曹操孟徳(そう・そう・もうとく、以下曹操)に投降、客将になっていた時期があるのです。曹操に気に入られた関羽は厚遇され、さまざまな贈り物を受けるも一切手を付けず。衣服を贈られたときなどは、主君・劉備からもらった衣服を脱がず、上から身に着けたありさま。それを見た曹操は「関羽は真に義の人」と讃え、劉備を大層羨みました。しかしASD当事者である私は、「変化が嫌いで慣れない物に不安を抱いたのでは?」「あ、もしかして感覚過敏?曹操からもらった服は肌触りが不快だった?」などと邪推してしまうのです(笑)。また、戦場で腕に毒矢を受け、取り除くための外科手術に臨んだときには麻酔を拒否、肉を食い酒を飲み碁を打ちながら平然としていたのだとか。これって豪胆というより感覚鈍麻では!?余談ですが、我が家の小学1年生ASD息子が保育園児のころ、5針を縫うほどの切り傷を作って流血しているにも関わらず、まったく気付かず遊び回っていたことがありました。あいつ、関羽かな?超世の傑・曹操に凸凹が!?見える、私には…。Upload By 鈴木希望最後は1番書きたかったような、書きたくなかったような…中原の覇者・曹操孟徳です。劉備のライバル的存在で、『三国志演義』ほか多くの作品では冷徹な悪役とされています。天才的な軍略家で政治家、そして詩人としても名を残している多才ぶり。徳を重んじる儒教の考えが根強かった時代に、「才能さえあれば他は不問」という画期的な求人を出した合理主義のフロンティア。このように書くと「え?どこに凸凹が?」と疑問ですよね。でも、私には強烈な凹凸ぶりが感じられてしまうのです。前項で書いた関羽へのプレゼント攻撃。そもそも関羽は「主君・劉備の生存が確認したらすぐに駆け付ける」という前提で身を寄せていたまで。一生曹操の元で暮らす気なんてありません。でも関羽を自分の部下にしたくてたまらない曹操は、「自分だったら喜ぶんだけどな~」という基準で、美女やら財宝やらを贈り続けていたのですが…関羽、一切手を付けないんですよ。喜んでないんですよ。ねえ曹操、気付こうよ。関羽、何をしてもあなたに振り向くことはないから。相手の顔色が読めてないのかな?「どうにかすればなんとかなる」って思い込んじゃっているのかな?その行動、すっごくASDっぽいよ…?出典 : あと、劉備があなたを欺くための猿芝居を「へ~、畑仕事が好きで雷が大嫌いなんだ~」って信じちゃうのもASDっぽいよ。それでうっかり逃げられちゃうあたり、ADDっぽくもあるかもしれない。ADDっぽいといえばね、敵国の策略として送られてきた軍師を、そうとは知らずにあなたは大はしゃぎで大歓迎、その言葉を素直に信じて大敗を喫してしまったよね…。何やってんだよ、曹操!!!いちいち私みたいなことするなー!!!!!そうなのです、曹操ファンのお叱りが来ることを覚悟で書くと、彼は『三国志』作品の中で私がもっとも近親憎悪を感じる存在。自分と同じくASD・ADDだと見ています。「自分の好きなものは相手も好きになるかも!」と信じて疑わず、それこそ延々三国志の話をしてしまったり、嫌味やからかいに気付かずニコニコ喜んでいたり…そんな過去の失敗エピソードが曹操の姿と重なって、私はいたたまれない気持ちになるのです。「近親憎悪」と書きましたが、親しみも感じており、大好きなんですけどね。稀代の英雄に自分みたいな面が見えると、「あ、やっぱり人間なのね」って思えるじゃないですか(笑)。物語の向こうの誰かが、特性の魅力を教えてくれるかも出典 : いかがでしたか?異論、反論、「まったくわからない」などなど、さまざまなご意見があると思います。もちろん、発達障害の診断名は現在の基準ですから、はるか昔の武将たちが実際に該当するかどうかは分かりませんし、私自身も他人を「○○っぽい」と断定することは本来好みません。ですが、こうして昔の人たちの特性を分析してみると、遠い存在に思えていた英傑たちが身近に感じられたり、自分と似た面を持つ人物を発見し(私にとっての曹操ですね)、一歩引いた位置で特性を捉えられたりし、「あれ?結構面白いかも!」という思えるきっかけになるのかもしれません。三国志に限らず、小説や漫画を読みながら「あれ?もしかしてこの人も?」などと、登場人物の言動を発達障害の特性と照らし合わせてみると、物語の見え方が、そして発達障害に対する印象が変わってくるのではないか、と私は思っています。そんな風にして発達障害を身近なものとして捉え、気軽に話せる場が増えていくことを、当事者のひとりとして願って止みません。三国志を様々な角度で紹介中!『三国志情報バトル』:鈴木希望プロフィール
2016年10月05日新生活の一番のネックは「人の名前を覚えること」Upload By 鈴木希望就職、進学、転居、転職―新生活を始めるとき、皆さんが1番気がかりなのはどんなことですか?アスペルガーとADDを持つ私の頭にまず浮かぶのは「人の顔と名前を覚えること」です。1週間毎日顔を合わせている人に「初めまして」と挨拶してしまうことはザラ。学校や職場で顔を合わせていた同級生や同僚が私服になった途端、いったい誰なのかわからなくなってしまうほどです。短期記憶力が弱いのはもちろん、軽度の相貌失認があるのかもしれません。相手に関心がないから覚えられないというわけでなく、興味がある人のこともなかなか覚えられないからこそ辛いのです。同じくアスペルガーでADDの息子も、やはり人の顔と名前を覚えるのが苦手。意気投合して仲良く遊んだ相手でも、顔と名前を1度で覚えられることはかなり稀です。保育園のころも、10人前後のクラスメイトを覚えるのに何ヶ月もかかっていました。人の顔が覚えられない「相貌失認」(失顔症)について知ってください記憶には苦戦、でもなぜか余裕の表情。Upload By 鈴木希望さて、4月から小学校に入学。クラスの人数は倍以上、20人超になります。それについて不安はないのかと何となく聞いてみたところ、「まあ、何とかなるし、何とかするしかないでしょう」と、頼もしいような呑気なだけような言葉が返ってきました。息子が余裕の表情を見せていたのもあり、私も大して心配はしていませんでした。入学後、クラスメイトの顔は存外早く覚えられた模様。問題は名前。「学校にいるときは名札があるから大丈夫なんだよねー。でも帰ってくると忘れちゃうんだよなー」と、苦戦気味の模様。それでも、「保育園のときだって、すぐにではないけど覚えられたんだし、まあ大丈夫だよ」息子がどう「大丈夫」なのかとワクワクしていた私は約1ヶ月後、予想外の対策方法を知ることになるのです…。その手があったか!こだわりを活かした記憶術Upload By 鈴木希望そしてゴールデンウィーク直前のある日のこと。学校から帰宅した息子は、満面の笑みで私にこう告げたのです。「今日は○年○組○番の子と●年●組●番の子と3人で帰ってきたよ!」そう、息子は数字にこだわりを持つ男。そこを活かしてまずは学年と組、番号を覚える作戦に出たのです!「人を番号で呼ぶって、お前は看守か!!!」私は大笑いしながら突っ込んでしまいましたが、「その手があったか!やるじゃん息子!」と心の中では感心しきりでした。しばらくすると「○年○組○番の子」という呼び方は「○年○組○番の(フルネーム)君」という呼び方に変わり、今では学年と組、番号を名前と並べて呼ぶことはほとんどなくなりました。スタンダードな記憶術に私が感激した理由。キーワードと関連付けて何かを覚えるというのは、昔からあるスタンダードな記憶術のひとつで、決して目新しいものではありません。私が感心したのは、息子が自分なりに、しかも特性を活かしてその方法を見つけ出してきたことです。「いやー、お前さんすごいな!天才だな!!」と、私が感嘆していたところ、何か勘違いしたのか「○○君は何年何組何番、●●ちゃんは何年何組何番で…」と、既に名前を覚えている友達の学年と組、番号を報告してくるようになりました。(笑)「私、正直君の友達の番号にはあまり興味がないんだよね」と息子に伝えたのですが、「数字を覚えて、のん(私の呼び名)に伝えるのが楽しいから、これからも言わせてよ!」とのことなので、日々報告を受けています。自分で対策を見つけてきた息子だから、これからもきっと大丈夫。Upload By 鈴木希望そうそう、友達の呼び名がいつまで経ってもフルネームなので、その辺について質問してみたところ、照れたように笑ってこう答えてくれました。「どこまでが苗字でどこからが名前か、まだ時々迷っちゃうんだよね」「あー、『三国志』読んでてさ、“諸葛亮公明、どこで区切ったらいいのかわからない!”みたいな感じ?」「それそれ。あ、ハルは『三国志』好きだし、諸葛亮孔明をどこで区切っていいのかはわかるよ!」「いやいや、今のは例えだって。で、それはどうするの?」「うーん、これも何とかなるし、何とかするしかないよね!」息子なら、また息子らしい、息子なりの対処方法を楽しみながら見つけるような気がしているので、私はただニヤニヤしながらその報告を待つばかりです。
2016年07月17日子育てなどの理由で現在未就業ながら再就職を希望する女性は仕事の条件面や子供と仕事の両立について不安を感じている傾向があり、再就職希望の女性が学びたいスキルと雇用側の企業が求めるスキルには大きなギャップがある実態が、NTTコム オンライン・マーケティング・ソリューションが12月11日に発表した「再就職希望の女性と雇用側の意識格差に関する調査結果」から浮かび上がった。同調査は、同社と実践女子大学 斎藤明研究室が共同で、同社が運営するインターネット・アンケート・サービスである「NTTコム リサーチ」の登録モニターのうち、就業経験はあるが現在働いておらず再就職を希望する女性及び、企業の採用担当者を対象として、10月14日から16日にかけて実施したもの。なお、有効回答者数は再就職希望の女性が304人、企業の採用担当者が160人。現在未就業の理由を尋ねると、子育てが50.7%で最多であり、以下「働きたいが仕事が無い」(29.6%)、「働くためのスキルが無い」(15.5%)と続き、これらが再就職への妨げとなっている傾向が見られるという。再就職を考えるにあたって気がかりになることでは、正社員での就職を希望する回答者では「職場になじめるか」「希望の収入が得られるか」といった仕事の環境・条件面に対する不安を、契約・派遣社員の希望者では「子供が病気の際の対応」「子供の預け先が無い」といった子供と仕事の両立についての不安を感じている傾向が見られた。現在未就業の女性に前職を尋ねると、役職が無い正社員が57.6%で最も多いが、再就職で希望する就業形態では「希望は無い」(38.5%)が最多であり、役職が無い正社員の希望は34.9%で前職と比べると22.7ポイント減少している。一方、雇用側の人事担当の意見としては、女性の再就職で想定する雇用形態では正社員、とりわけ役職が付く職位での採用も想定している傾向が見られ、就業希望側と雇用側の希望に大きな開きがある。企業側が求めるスキルとしては「コミュニケーション能力」「ビジネスマナー」などが多く、以下「データをまとめるスキル」「プレゼンテーション能力」「人事、労務関連」「経理、財務関連」が続き、再就職を希望する女性が学びたいと考えているスキルとの間にミスマッチが生じている。再就職するには、企業側が求める能力についてのスキルアップも考慮すべきではないかと同社は推測する。また、正社員に対して求める行動特性や業務の遂行能力(コンピテンシー)では、「自己成熟性」(71.4%)や「組織・チームワーク力」(68.4%)、「対人・営業活動スキル」(61.2%)を挙げる企業が多い。再就職に向けて不足を感じ今後学びたい能力・スキルを聞くと、「パソコン操作」が55.9%と最も高く、以下「外国語」(30.6%)、「タイピング能力」(24.3%)と続く。不足スキルと今後学びたいスキルの差を見たところ、これら以外に「コミュニケーション能力」や「ビジネスマナー」「プレゼンテーション能力」などで大きい傾向があり、能力不足を感じているものの学習意欲は高くない要素だと同社は見る。能力・スキルを習得したい場所としては、「書籍、教材」「通信講座」「資格スクール」の順で並ぶが、正社員での再就職希望者は「大学・大学院」での学習意向が、契約・派遣社員の希望者や希望が無い回答者と比較してやや高い傾向にある。「大学で研究された上でのより専門的な知識を得られる」「年齢層の近い人がより多く、同じ問題意識や感覚が共有できそう」など、他者との問題意識共有や協働を目的とした学び直しの場所として大学に期待している傾向も伺えるという。子育てや介護をしながら働く女性に対する企業側のサポート制度では「勤務時間の短縮制度」が64.4%で最も多く、以下「休暇取得制度」(50.6%)、「遅刻、早退の許可」(41.3%)と続く。従業員500人以上の大企業ではさらに、加えて在宅勤務や託児所設置などの制度が充実している。一方、未就業女性を再雇用する場合の課題として「特に課題は無い」が54.4%と過半数に上るものの、残り半数は「再雇用」と「復職後の社内制度や環境」に対し何らかの課題を感じており、特に全体との比較で大企業においてその割合が高い傾向が見られたという。また企業でのSOHO形式での業務委託の導入意向については、大企業では既に導入済みと検討予定が計34.0%と若干高いものの、全体では24.4%にとどまっており、「予定は無い」と回答した企業が全体の75.6%と大半を占める。
2015年12月12日人気少女マンガを実写化した『俺物語!!』の初日舞台あいさつが10月31日に、都内で行われ、主演の鈴木亮平をはじめ、ヒロイン役の永野芽郁、坂口健太郎、鈴木砂羽、寺脇康文、河合勇人監督が登壇した。舞台あいさつ/その他の写真見た目はイカツイが心優しい15歳の高校生・剛田猛男が、恋や友情に一途に奮闘する姿をコミカルに描く本作。わずか1カ月間で体重を30キロ増やし、役作りに臨んだ鈴木は「妥協せず、やれることはやった。ただ、若くないし、絶世の美男子でもない…。映画を見てくださる方がいるのか不安だった」と葛藤を明かし、「今日は集まってくださりすごくうれしいです。ありがとう!そして好きだあ!」と客席に向けて、猛男ばりの雄叫びを披露した。ハロウィンにちなみ、「どんな仮装がしたいか?」と質問されると、鈴木は「この映画で中学生、高校生を演じたので、次は小学生がいいですね。自分の限界を試したい」と笑いをさそった。舞台あいさつには、鈴木が役作りのために増量した30キロと同じ重さの“猛男かぼちゃ”も登場し、「これだけの重さが、(体に)ついていたなんて」と当の本人も驚いた様子だった。鈴木の役作りに対しては、「とにかく食べて食べて、さらにジムにも通っていて、すごかった」(坂口)、「菓子パンをプロテインで流し込んでいたよね」(寺脇)と称賛のコメント。周囲の心配をよそに、鈴木本人は「先日、人間ドックを受けましたが、すこぶる健康でした」と余裕の表情だった。劇中には、鈴木がラップ越しの坂口を相手に“キスの練習”をするシーンもあり、「本番前に、とりあえず歯は磨こうって話になって(笑)。うがい薬で口をゆすいで、歯を磨く自分になぜかキュンとしました」(坂口)、「ラップがあるとはいえ、やっぱり(歯を磨くのが)マナーかなって」(鈴木)。人気俳優の“胸キュン”トークに、会場は大いに盛り上がった。『俺物語!!』公開中取材・文・写真:内田 涼
2015年10月31日ベイクルーズのブランド&「鈴木えみ」とのコラボ商品!株式会社ベイクルーズが運営するイエナ スローブ(IENA SLOBE)は、人気モデルの鈴木えみとのコラボレーションによる、お洒落なファッション商品を発表する。秀でたセンスを持つカリスマ“えみちぃ”で愛される、鈴木えみとのコラボで実現したファッションアイテムは“今、身につけたい物”がモチーフだ。同ブランドならではのガーリーな雰囲気とともに、流行スパイスがブレンドされた素敵なコレクション!IENA SLOBEのブランドコンセプト“今を自由に生きる、女性の為のリアルクローズ。伝統的な価値観をベースに流行を常に取り入れる。あくまでも自分らしく、活動的に生きる女性の為の洋服。ガーリッシュで気ままな雰囲気の中に、品の良さを感じるラインナップ。形にとらわれることのない、遊び心あふれる大人のスタイリングを提案”などが、おもな同ブランドのコンセプトという。鈴木えみについて1985年生まれ。“えみちぃ”などの愛称で親しまれ、日本のファッションモデルとして活動。1999年のデビュー以来、テレビやCM、ファッション雑誌および写真集など幅広い分野で活躍している。(画像はプレスリリースより)【参考】・株式会社ベイクルーズ プレスリリース (PR TIMES)・株式会社ベイクルーズ
2015年05月04日ライフスタイルファニチャーブランド「アルフレックス(Arflex)」が、テキスタイルデザイナーの鈴木マサルとコラボレーション。特別展「MARENCO×鈴木マサル」が4月21日まで、アルフレックスショップ大阪で開催中。鈴木マサルは多摩美術大学の染織デザイン科を卒業後、粟辻博デザイン室に勤務。やがて独立すると、05年からファブリックブランド「オッライピイヌ(OTTAIPNU)」を主宰している。その後はフィンランドの老舗ファブリックブランド「マリメッコ(marimekko)」のデザインを手掛けるなど、これまで様々なメーカーやブランドのプロジェクトに携わってきた。今回のイベントは家具とテキスタイルデザインの楽しさを伝えることを目的に、昨年東京で開催された展示会を再現。アルフレックスのシンプルな家具に、鈴木の大胆かつ鮮やか、そしてユーモラスな要素を併せ持つデザインが融合している。中でも注目なのが、ブランドを代表する「マレンコ(MARENCO)」のコラボモデル。このソファーはデザイナーのマリオ・マレンコが一瞬のうちに描いたスケッチから生まれたもので、無駄のない個性的なフォルムは、発売から40 年経った現在でも多くの人々に愛され続けている。コラボ作品の一つ「ダンス(DANCE)」(3人掛け/78万8,000円)は、鈴木が“攻める”気持ちで手掛けたという、日常使いのリアリティから逸脱したデザインが特徴。「色も柄も、なるべく合わないようなものを隣に並べた」という鈴木の言葉通りに、名作ソファーが現代アートのように芸術的な姿へと生まれ変わっている。一方、「パーク(PARK)」(3人掛け/74万2,000円)はシャープなモダニズムとは対局の存在として、可愛らしく感情移入のしやすい動物をモチーフに使用。ソファー全体を1枚のキャンバスとして捉え、座面や肘掛けなどを横断するようにプリントした。その中で、各パーツ間で分断され、結合されたモチーフが絵画的に表現されている。これと良く似た技法を用いているのが「バルーン(BALOON)」(3人掛け/61万2,000円)だ。マレンコのフォルムにも似たドッドモチーフを横断的にプリントすることで、予測出来ない変則的なパターンが誕生。あたかもソファの形が変化しているような錯視を生み出している。素材にはマレンコの定番である麻を用い、一版ずつ手捺染でプリントした。更に、木目の方向にまで気を配り、途切れることなく流れるようなフォルムを生み出しているチェア「リン(RINN)」(5万3,000円から)でも、今回鈴木とのコラボが実現。座面にマレンコにも用いられた全20種類のファブリックを使用し、アートな感性をプラスしている。また、音響メーカー「バング&オルフセン ジャパン」とコラボし、今年3月に発表された「BeoPlay A9」の限定スピーカーカバーも出展される。今回のコラボについて、鈴木は「異なる技術で作られた3種類のテキスタイルに包まれたマレンコは、皆さんの知っているあのクールなマレンコとはまったく別の姿を見せました。色柄が空間を漂い、人の心の中で揺らぎ、高揚させ、形にならない感覚が新しいリアリティとなって生活を、そして環境を変えていくのです。モダンデザインとカワイイデザインが絡み合い、テキスタイルによって劇的にソファー自体が、環境が、変わっていくその瞬間。皆様、是非高覧下さい」と語っている。【イベント情報】MARENCO×鈴木マサル会場:アルフレックスショップ大阪住所:大阪府大阪市中央区南船場4-2-11 ベネトン心斎橋ビル6階会期:4月10日から21日まで時間:11:00から19:00まで(10日は18:00から20:00まで)休館日:4月15日
2015年04月18日鈴木おさむが作・演出を手がける舞台『美幸 -アンコンディショナルラブ-』に、大島優子、鈴木浩介の出演が決定。2016年5月、東京・本多劇場、大阪・サンケイホールブリーゼで上演する。本作は鈴木が、妻の森三中・大島の学生時代にあったいじめ経験に着想を得て書下ろしたふたり芝居で、2012年と2013年に山崎樹範、鳥居みゆきの出演で上演されている。書道コンテスト優勝をきっかけに学校で執拗ないじめにあい悲惨な学生生活を送った過去を持つ女・美幸が主人公。彼女は会社で出会った元役者の雄星に、自分の過去と同じ境遇を感じ“無償の愛”を捧げることを誓うが、その愛は次第にエスカレートして、雄星を悩ませるすべての人々に復讐を企てていく。今回タイトルロールの美幸を演じるのは、先ごろ映画『紙の月』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した大島優子。美幸の憧れの存在である雄星をはじめ、男性登場人物5役をひとりで演じ分けるのは舞台、ドラマで活躍する人気の個性派俳優・鈴木浩介。ふたりは出演決定にあたり以下のコメントを寄せている。■鈴木浩介おさむさんの奥様は大島さんですよね。今回ご一緒させていただくのも大島さん。ダブル鈴木、ダブル大島、不思議なご縁を感じております。まさか、僕の名字が鈴木だからキャスティングされたわけではないですよね?おさむさん、優子さん、ご一緒させていただくのを楽しみにしております。全力で頑張ります。■大島優子以前から、作品によって様々な表情を持つ鈴木浩介さんの演技に憧れていました。今回ご一緒できて大変光栄です。舞台上の二人芝居でどういう世界を作れるか今から楽しみで、興奮しています。いかに衝撃的に、そしてリアルに美幸を演じられるか、おさむさんに身を委ねて最後まで喰らいついていきたいです。
2015年03月17日※画像は、鈴木奈々オフィシャルブログ より結婚が決まり幸せいっぱいの鈴木奈々さんのプロデュースファッションモデルでタレントの鈴木奈々さんが、オフィシャルブログでプリシラとのコラボレーションをしたウィッグ商品のプロデュースをしたことを発表した。自身も雑誌やファッションショーの際にプリシラのアイテムを利用している。鈴木奈々さんは、同じくファッションモデルの益若つばささんの大ファンで、イベントやファッションショーの追っかけをしていたところ、Popteenのスタッフにスカウトされた。その後、Popteen専属モデルとなり、誌面で単独企画を任されるなどの看板モデルとして活躍。卒業後は、EDGE STYLEに移籍をし、テレビ番組などでも活躍をしている。自宅で簡単にイメージチェンジ今回発売されるウィッグは5種類。元気印の鈴木奈々さんのトレードマークでもあるツインテールのシュシュやポニーテール、前髪ウィッグなど使い勝手のよいアイテム。オフィシャルブログでは、実際につけてポージングをした鈴木奈々さんのカットも見ることができる。発売日程はまだ決定していないが、2013年11月予定。最近では、地毛が短いままでもロングヘアを楽しんだり、普段はできない髪色をウィッグで楽しんだりしている人も多い。エクステでは、毎回の手入れも不便だし、気軽に変更もできない。ウィッグなら、自宅で簡単に装着出来、違うタイプを楽しむことが簡単にできるのも、人気の秘密だろう。【参考】▼プリシラ▼鈴木奈々オフィシャルブログ実年齢マイナス20歳!愛用者の91%が満足する魔法のコスメとは?(9月3日)4カ月老ける研究結果も!! 知らないと怖い「お肌の悪習慣」(8月29日)元の記事を読む
2013年09月11日シャープは20日、「希望退職の募集」の結果及び特別損失の計上に関して発表した。希望退職募集の対象会社は、同社及び主要国内連結子会社で、募集人数は2000人程度。募集期間は2012年11月1日~11月14日で、退職日は2012年12月15日。募集の結果は、希望退職者数は2960人。応募者数が募集人数を超えたため、2012年11月9日に募集を締め切った。希望退職の募集に伴い発生する費用は、同社及び主要国内連結子会社合計で約253億円で、2013年3月期第3四半期決算において特別損失として計上する予定。なお、この費用は2012年11月1日に公表した2013年3月期通期連結業績予想に織り込み済みとなっている。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月20日