はじめまして、こんにちは!ちょっとイラストが得意なライターのいるみと申します!もうすぐ、子どもたちの夏休みが始まりますね!「ついこの間、春休みだったのに……もう夏休み!?」と思っている方も少なくないはずでは?皆様は、毎年どのように子どもとの夏休みを過ごしていますか?今回は子育て中の友人たちに夏休みの過ごし方を聞いてみました!●図書館やデパートにお出かけ!『外が涼しくなるまで家でダラダラしていることが多いです。テレビばかり見せてしまっていて子どもたちに対して罪悪感でいっぱいになる』(20代/年中・0歳児男の子と女の子のママ)『子どもが家ではつまらないと言うので、できる限り外出するようにしています。平日は児童館や図書館に行って、休日はスーパーやデパートに出かけています……でも本当は家でゆっくりしたーい!』(30代/年中・2歳児男の子のママ)すごくリアルな意見ですね。元気があり余る子どもたちを遊ばせたくても、真夏の外遊びは気温も日差しも強いので暑い時間帯は家にこもりがちになってしまいますよね……。そんなときは、教育施設や商業施設を活用するのも手ですね!●お風呂場プールで水遊び!?『天気がいい日は、とりあえずプールを用意していつでも入れるようにしている』(30代/年長男の子のママ)『家が賃貸なのでベランダでプールをしたいが、周りが気になってしまう……。たまにお風呂場で水遊びをさせているが、危なっかしいので目が離せない』(20代/年少・3歳児男の子のママ)夏と言えば水遊びですもんね!わが家も賃貸暮らしなので、ベランダでのプールは万が一の転落や近隣の目が気になって家での水遊びは諦めていたんですが、「お風呂場で水遊び!その手があったか!」と思いました。なぜ今まで思いつかなかったのか……。今年の夏はわが家も“お風呂場プール ”を開園してみようと思います!※自宅のプールやお風呂場でも、安全に注意して遊ばせましょう。●大切な夏休みにするために今回インタビューさせていただいた方々の中で、『大変なこともあるけど、子どもとの時間を有効に使って楽しい思い出を作りたい!』と言う前向きな言葉を聞いたとき、私たち親が少しでも前向きに考えることで子どもたちと“楽しい夏休み”を過せるのではないかと……。夏休みが始まる前の、絵空事に感じるかもしれませんが、一瞬そんなことを思いました。しかし!このステキな思いを忘れずにいたなら、いつもよりさらに、ステキな夏休を過ごせるのかもしれません。最後に、私たちが笑顔で優しく過ごすにも、無理をしないで頼れるものには頼って、休息を取りつつ長い夏休みを乗り切りましょう!●ライター/ページェント・いるみ(イラストライター)
2017年06月30日最近難しさを感じるのは、どうやら娘は私のことを“エロくてキモい”と思ってそうなことだ。なんでそう思うのよ、と言うと「だってママの原稿をたまに見ると、セックスってやたら出てくるし」と言われて意気消沈。たしかに私は仕事で夫婦関係、男女関係を書くことがあり、そういう話をしたりもする。原稿には当然「セックス」という単語が出てくることもある。ただ、基本的は別に子どもたちが読んでもかまわないものを書くことにしていて、これまで私の書いたものを割と読んでいる夢見も、その辺はわかってくれている風ではあった。ところが最近、なんとなく反応がいつもと違うのだ。つい先日、こんなこともあった。友達親子と夕飯を食べていたときのことだ。「もう◯◯は私より胸が大きいんだよー」。友達親子のお母さんの方がそう自虐的に言って、娘の◯◯ちゃんの方は、ちょっと自慢げな顔をする。「えっ、そうなの?!」と私が驚いたその様子に、夢見はどうも不快感を抱いたようなのだ。「ママ、エロい!◯◯ちゃんの胸をじっと見てたでしょ!」いきなりそんな風に言われ、えーーっ、と動揺。そんなつもりは全くなかったし、ましてやあったとしても、さっきまさにその話をしてたんだから、無意識に視線を送ってしまったとしてもそれは不可抗力では。母と娘。同性だし、親子だしと思っても、特に自分の心身が大人のものに成長していく過程では、何となく気持ち悪かったり、自分でも自分をもてあますような気がしたりするものだ。デリケートな話題だからと、必要なことを話すときにも極力さらりと、ドライに伝えるように気をつけてきた。ところが、最近の夢見はどうも、私の中に、男性目線を見出していて、そこにキモさを感じているようなのである。これに気づいたとき真っ先に連想したのは、思春期の女子が典型的に陥りがちなあれ、つまり「パパくさい」である。うちには普段、お父さんがいない(オッサンのような風貌をした息子はいるが)ので、一般に異性の親に向けられる嫌悪の矛先が、私に向かっているんじゃないかと思ったのだ。だけど、この話以外にも最近夢見はよく私に苦言を呈す。ちょっとしたリアクション一つ取り上げて、は~っと、わざとらしいため息とともに、マジでこいつはどうしようもないなという顔をされたり、「ママうるさい」「ママキモい」なんて言われたりするともう泣きたくなる。夢見は学校の勉強が特別できるというタイプではないけれど、物事の分析力は並みの大人顔負けに高い。すくなくとも私の目にはそのように映っているし、彼女のそういった能力には絶大な信頼を置いている。だからこそ、そんな娘に人間性を全否定されると、結構ストレートに凹む。自分では気付いてない大きな欠陥を、とうとう娘に見つけられてしまったかもしれない……。もしくは親の離婚や何やら、彼女に強いてきたこれまでの体験が、やっぱり彼女の心を傷つけていたのかもしれない……。夢見が私にムカつきたくなる、思いつく限りの可能性を次々と拾い上げては、どっぷり落ち込んでしまうのだ。ところが、そんな悩みをぽろっと打ち明けた、同じく子を持つ友人からの一言で、私はあっと膝を打った。「それ反抗期じゃないの?」そうか……これが反抗期!?考えてみれば長男にはそいう時期があまりなかったので、すっかりその可能性を度外視していた。だけど、考えてみれば私にだってあった。冷静に考えると親には何の落ち度もないのに、親が急に自分より賢くない存在に思え始めた時期。親の言うことをどうしてか薄っぺらく感じる時期。親の何気ない一言が無性に気に触る時期。世に言う「反抗期」なるものが。友人はさらにこんなことを言った。「親っていうのは、壁にならないといけないんだと思う。子どもが反抗できる、わかりやすい対象に。子どもだって自信がないんだから、親がぐにゃぐにゃしてどっちつかずだと、結局子どもが迷う」……仰るとおりです。親子とはいえ、一緒に生活を共にする同居人であり、できればいつだってお互い、いい気分でいたい。けれども、子どもというのは日々急速に成長していて、その過程では、ときとして調和より、ヒリヒリとした摩擦を必要とすることだってあるのだろう。そうやって、何かしら打てば響く相手がいることが、後々よく働くことだってあるのだろう。……壁だ。頑丈な壁にならねば。ちょっと打たれてすぐ凹む脆弱な壁だった自分を、悔い改めたのであった。イラスト:片岡泉
2017年06月27日ママにとって育児の悩みを共有できる“ママ友”の存在は心強いもの。同じような境遇にあるからこそ、お互いを助け合えるものですよね。しかし、一方ではママ友との“格差”に頭を悩ませる人も少なくありません。中には劣等感を抱いて「自分はダメなママなのかも」と落ち込む人もいます。そこで今回は、ママたちがママ友との間に格差を感じた瞬間について聞いてみました!●(1)ランチ一食3,000円!?『子どもが通っている小学校にとてもお金持ちのママがいます。旦那さんがIT関係の社長をやっているとのことですが、いつもブランドものに身を包んで自慢げに振る舞っています。前にそのママにランチに誘われたときは、なんと1食3,000円 。うちの旦那のランチ6食分か……と悲しい気持ちになりながら食べていました。やはりお金を持ってるママ友には格差を感じやすいですね』(38歳女性/2児のママ)あまり意識したくないところではありますが、やはりお金の問題は意識してしまいますよね。生活水準が自分よりも高いママ友に会うと、いかに自分が庶民かを思い知らされます。ただ、お金持ちぶりを周りにアピールしている人は大抵周囲から嫌われているものです。あまり気にせずに付き合っていきたいですね。●(2)モデル並みに美人のママ友『分かりやすいところでいうと、やっぱり外見かな。私のママ友にモデル体型で顔も美人な人がいるんですけど、本当に同じ人間なの?ってくらい造りが違います。この前そのママ友を休日に家に呼んだら、夫がデレデレして気持ち悪かったです。思春期が終わってからはある程度自分の見た目には折り合いをつけていたつもりでしたが、彼女と一緒にいるとなんだか悔しい気持ち になります』(29歳女性/1児のママ)女性はママになってもキレイでいたいもの。でも、忙しい子育ての中で自分の美にお金や時間をかけるのは難しいものですよね。そんな中、体型も顔もキレイなママ友がいると嫉妬してしまうのは仕方ありません。体型ならある程度努力でなんとかできる部分がありますが、顔は生まれつきのものなのできっぱり諦めるようにしたいところです。●(3)パートのママは見下される『どんな職業をやっているかでも格差があったりしますよ。たとえばうちの小学校だと、正社員ママがパートママを見下してる感じ があります。PTAの活動でも、正社員として勤めているママたちが仕切って、面倒な雑用をパート勤務のママたちにやらせています。本人たちに自覚があるのか分かりませんが、正直イライラします』(41歳女性/3児のママ)この方のママ友コミュニティの中では、職業による格差を感じることが多いようです。とくにPTAでは、正社員としてバリバリ働いているキャリアウーマン風のママたちが仕切っているそう。おそらく悪意はないのかもしれませんが、見下されているような言動をとられるのは嫌ですよね。劣等感を抱かずに“職業に貴賎なし”と割り切りたいものです。●“他人と比べるクセ”をなおすことが大切日々ママ友との格差を感じて落ち込んでしまうという人もいるでしょう。しかし、どんなに羨ましいと思うような相手でも、自分と同じように何かしらの悩みを抱えているものです。ママ友との格差で悩まないようにするには、“他人と比べない”という一言に尽きます。そのためには意識のベクトルをママ友に向けるのではなく、自分の子どもに向ける必要があります。「何事も子どもが一番大事」と割り切ることで、煩わしい人間関係のストレスから解放されるかもしれませんよ。●文/パピマミ編集部●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年05月30日「今日も夜泣きで寝不足」「離乳食がマンネリ…何つくろう?」と、子育ては悩んだり迷ったりの連続。かわいい我が子の成長を日々見守れるのは幸せな半面、大変なことも多いですよね。そんな風に疲れた時は、芸能人ママの育児ブログをチェック!芸能界で活躍しながら子育てにも奮闘するママタレントのブログには、同じような悩みや不安の声はもちろん、育児を楽しく乗り切るヒントがたくさんあります。そこで、おすすめブログをリストアップしてみました。子育て中のママ必見! ママタレントの育児ブログをご紹介。2014年以前に出産のママタレント滝沢眞規子出産日:2003年(長女) / 2007年(長男) / 2008年(次女) 滝沢眞規子オフィシャルブログ「MAKIKO'S DIARY」 ▼関連リンク梨花出産日:2011年11月18日(長男) RINKAオフィシャルブログ「RINKA HAPPY LIFE」 ▼関連リンク寺島しのぶ出産日:2012年9月11日(長男) 寺島しのぶオフィシャルブログ「ほどほどに」 ▼関連リンクこの年代で特におすすめなのが、雑誌「VERY」の人気モデル滝沢眞規子さんのブログです。3人の子育てに奮闘しながらも、仕事や家事を上手に両立させている滝沢さん。メリハリのある育児を行うポイントや、旦那さまとの夫婦円満の秘訣などが満載。誰もが憧れる素敵リッチライフを覗くことができます。寺島しのぶさんのブログは、日々の何気ないできごとを記したほのぼの系。フランス人アートディレクターの旦那さま、ローランさんと息子まほろくんの写真もたくさんアップされています。2015年出産のママタレント虻川美穂子出産日:2015年2月3日(長男) 虻川美穂子オフィシャルブログ「はれ時々あぶ」 ▼関連リンク安めぐみ出産日:2015年3月17日(長女) 安めぐみオフィシャルブログ ▼関連リンク東原亜希出産日:2015年7月1日(第3・4子 双子の女児)2009年5月8日(長女) / 2010年11月26日(長男) 東原亜希オフィシャルブログ ▼関連リンクはしのえみ出産日:2015年10月16日(長女) はしのえみオフィシャルブログ ▼関連リンク眞鍋かをり出産日:2015年10月(長女) 眞鍋かをりオフィシャルブログ ▼関連リンク木下優樹菜出産日:2015年11月3日(次女)/ 2012年8月6日(長女) 木下優樹菜オフィシャルブログ ▼関連リンクこの年代でのイチオシは、人気お笑いコンビ「北陽」のあぶちゃんこと、虻川美穂子さんのほのぼの育児ブログ。妊娠~現在までの日々が綴られています。初めての子育てに対する不安があるなか、あぶちゃんらしく楽しみポイントを見つけてがんばっている様子が手に取るようにわかります。何とも微笑ましく、一緒に子育てしている気分になれるブログです。2016年出産のママタレント小森純出産日:2016年3月19日(次男)/ 2014年6月12日(長男) 小森純オフィシャルブログ ▼関連リンク西山茉希出産日:2016年4月11日(次女) / 2013年10月30日(長女) 西山茉希オフィシャルブログ ▼関連リンク三倉佳奈出産日:2016年4月28日(長男) / 2014年10月14日(長女) 三倉佳奈オフィシャルブログ「三倉さんちの次女ブログ」 ▼関連リンク安倍なつみ出産日:2016年7月26日(長男) 安倍なつみオフィシャルブログ ▼関連リンクhitomi出産日:2016年10月22日(次男)2008年12月23日(長女) / 2014年11月22日(長男) hitomiオフィシャルブログ「Love Life」 ▼関連リンク西方凌出産日:2016年11月29日(長女) 西方凌オフィシャルブログ「Love Life」 ▼関連リンク小原正子出産日:2016年11月30日(次男)/ 2015年3月19日(長男) 小原正子オフィシャルブログ「女前。」 ▼関連リンク大渕愛子出産日:2016年12月6日(次男)2015年3月26日(長男) 大渕愛子オフィシャルブログ ▼関連リンクこの年代でのおすすめは、お笑いコンビ「クワバタオハラ」の小原正子さんの育児ブログです。旦那さまは元メジャーリーガーのマック鈴木さんで、2人の男の子育児にドタバタの毎日。「女前。」というタイトル通り、まさにカッコイイ小原さん流の育児術が満載で、つい毎日チェックしたくなっちゃいますよ。2017年出産・妊娠中のママタレント福田萌出産日:2017年1月23日(長男)2013年7月29日(長女) 福田萌オフィシャルブログ「楽しいこといっぱい」 ▼関連リンク優木まおみ出産日:2017年1月26日(次女)2014年4月4日(長女) 優木まおみオフィシャルブログ ▼関連リンク山口もえ出産日:2007年6月18日(長女) / 2011年3月23日(長男)出産予定日:2017年初夏(第3子を妊娠中) 山口もえオフィシャルブログ ▼関連リンクこの年代で注目したいのが、ママタレントとして大活躍の優木まおみさんのブログ。2人の愛娘とのお出かけや食事の様子、自身の私服を公開するなど、オシャレママのヒントがたくさん。参考にしたいオーガニックアイテムや子供服情報も頻繁にアップされており、飽きずに読めるおすすめ育児ブログです。育児ブログはママのサプリメント「この芸能人、出産時期がわたしと同じ!」と思うと、なんだかうれしくなりますよね。同じ時期に出産したママタレントのブログを見ると、育児の悩みやストレスを共感し合えて大きな励みになります。そして、オシャレで楽しい生活を垣間見られるだけでなく、自分では思いつかない解決策が見つかることも。「こう考えればいいんだ」「これやってみよう!」と、楽しく育児を乗り切るヒントをたくさんもらうことができます。日々の楽しみや疲れた時の心のサプリメントに、あなたのお気に入りブログを見つけてみては?
2017年05月16日夫が成功者となって、夫婦関係が破綻する。世の中的にはあるあるだし私の個人史的にもあるあるだが、一説によるとこの原因のひとつに、妻の“嫉妬”があるらしい。(……嫉妬?)初めて聞いたときには全然ピンと来なかった。何しろ夫婦というのは二人で一組。お互いの成功を自分のことのように喜び合うことができて、そしてときに相手の成功を自分の成功と勘違いして鬱陶しく思われることもあるような二人である。成功に伴い大金を手にした夫が夜の繁華街に入り浸り家に帰って来なくなる、成功に伴いモテだした夫がヤリチンになる、成功に伴い自信をつけた夫の言動が次第に俺様化していく、というようなステップを経て、妻の側に寂しさや憤りが生まれたとしても、それは決して嫉妬ではないんじゃないだろうか。もし妻が夫と同じ仕事をしていれば起こり得るだろうが、私の場合は専業主婦だったこともあり、自分の中に嫉妬の感情があると感じたことはなかった。ところが自分が仕事をするようになって、仕事での成功が、単にお金と名声だけを運んでくれるものではない、ということを知ると考えが一変した。かつての私には、無自覚な嫉妬があったのかもしれないと思うようになった。知らなかったから、それが嫉妬だと気がつかなかっただけなのかもしれない、と。というのも、夫の成功に伴い嫉妬の対象となるのは、資産や名声やキャリアではないのだ。そうではなく、それらを持っているものだけに開かれる扉。家庭の外の、心地よい居場所の数なのだ。成功して社会的評価を上げた者は、社会のいろいろな場所(銀行や証券会社やキャバクラや女性宅など)で歓迎される。ここにずっといていいよ、と無条件に受け入れられる居場所が複数できる。一方で妻の方はというと、成功者の妻という肩書きで暖かく迎えられる機会もなきにしもあらずだが、実際のところ生活はそう変わらない。ましてや専業主婦ならば、どんなに夫が成功しようと、自分が安心して滞在できる居場所は家庭だけ、という場合も決して少なくない。安心して滞在できる場所というのは、言ってみれば、自分という存在を支える屋台骨だ。複数あればそれだけ安心だが、一本しかなければ当然心細く、その一本が折れてしまえば自分が沈む。ひとつの家庭の中で、家庭の中にしか居場所がない者と、家庭の外にも複数居場所がある者が暮らせば、その環境への依存度の違いから、自然と温度差が生じる。複数の強固な屋台骨に支えられた方の強さや、余裕が、それがないものには、ただただ羨ましく思え、それを持たない自分が孤独に感じられるのだ。そしてこれ、必ずしも夫婦関係に限らず、親子間でも起こり得る。子どもは大人に比べて自由が利かず、たいていの場合は住んでいる場所から自動的に定められた、自分が選んだわけでもない学校に毎日通わされている。彼らを支える屋台骨は、ある時期まではどうしても、家庭だけ、ということが多い。そんな中で、親が家庭の外に、家庭と同じくらい心地良く過ごせる、歓迎される場所を持っているというのは、子ども心にも嫉妬の対象になり得るだろうと思う。たとえばひとり親の恋愛を子どもがすぐに受け入れられないのだって、理由のひとつは、それが家庭の外で育まれる、親だけの屋台骨に見えるからだろう。仕事仕事で親が家を空けがち、という場合にも、寂しさとともに、心のどこかに、家庭の外に屋台骨があることへの嫉妬が生まれている可能性がある。私自身、離婚して、働き出してから、個人としての私を心から歓迎してくれる居場所を、以前よりたくさん持つようになった。だから生きやすくなったし、明るい気持ちで過ごす時間が増えた。だけど一方で、子どもに対して、たまに少し罪悪感を持つことがある。自由のない子どもを、足場の不安定な場所に残して、自分の足元だけを強固にしているようで、後ろめたいと感じることがある。けれども先日、ある友人がこんなことを言ったのだ。「大切な仲間なら一緒に連れていけばいいんだよ」家庭に限らず、今自分が心地よいと思える居場所には必ず、その場を一緒になって作り上げてくれている大切な仲間がいる。ふとしたきっかけで、自分がそこから一歩、足を踏み出そうとしたとき、跡に残される仲間の心にはどうしたって影が落ちる。ずるいな、と思うかもしれないし、羨ましいな、寂しいな、と思うかもしれない。でも、だからって足を引っ込めちゃいけない。大切な人たちを守りるためには、ちょっとやそっとじゃ折れて沈まない強い自分が必要で、そのために屋台骨を強化するのだ。自分を支えを、意図して増やすのだ。それによって大切な誰かが傷つくというのは本末転倒だから、一緒に連れていくしかない。……とはいえ、当然ながら、私が私の仕事や友人関係から得られる屋台骨は私だけのものであって、親子というだけで自動的に子どもたちにとっても居心地の良い場所になるとも限らない。けれども、少なくとも足場にはなり得るんじゃないだろうか。ここじゃない、何か違う、と思っていていい。そうした違和感を持ち続けながら、子どもたちがいつか、自分の力で、自分だけの屋台骨を見つけられるようになれば。そうなるように、そうなる日まで、子どもたちを一緒に連れて行こうと思うのだ。イラスト:片岡泉
2017年05月02日ぱっつん前髪にメガネの愛らしいルックスはもちろん、センスのよいプチプラコーデが話題となり、インスタグラムのフォロワー数は56万人以上! 最近ではテレビなどのメディアにもひっぱりだこの双子姉妹、りんかちゃんとあんなちゃん(通称りんあんちゃん)。インスタグラムを始めたきっかけは? 子ども服選びのコツは? 双子育児の醍醐味は? 気になるあれこれを、りんあんちゃんのママ、matsukoさんにお聞きしました。後半ではりんあんちゃんご本人たちにもインタビューしています!育児あるある? 「背中スイッチ」期はこうして乗り越えた!matsukoさんは小さいころから「双子の女の子のママになりたい」と思っていたそうで、双子を授かったとわかったときは「夢がかなった!」とすごく嬉しかったとのこと。でも、実際に生まれてみると想像以上に大変なことがたくさんあったそうです。「産後しばらくはほとんど寝れず、特に1カ月過ぎてからは、せっかく抱っこで寝てくれたかな…と思ってもベッドに寝かすと起きる、いわゆる『背中スイッチ』に悩まされました。双子って不思議なことに、起きるのもミルクも、トイレも、ほぼ同じタイミングなんですよ! この時期は、自分のことが何もできないし、ぐっすり眠れない。肉体的にも精神的にもきつかったです」そんな大変な時期に心の支えだったのが、双子の子育てブログを見ることだったというmatsukoさん。「双子ならではの育児情報はもちろん、1ヵ月後はこうなるんだ、3ヵ月後はこんな感じなんだと先が見えてすごく励みになったんです。それで、私の双子育児経験も、もしかすると誰かのヒントになるかもしれない…と思い、ブログを始めました。インスタグラムは、実兄にすすめられて始めたんです。こんなに長く続けられると思っていなかったので、自分でもびっくりしています」matsukoさん流、失敗しない「服の選び方」インスタグラムではりんあんちゃんのおしゃれなコーデが人気ですが、matsukoさんが子ども服を選ぶときに心がけていることはどのようなことなのでしょうか。「服を買い足すときには、まず、ネットで下調べ。次に、店舗で実物をチェックします。この段階では買わずに家に帰って、すでにあるアイテムとどんなコーデができるかをシミュレーションします。そして、コーデがしっかり固まったら、次のショッピングでようやく購入です。ふたり分ということもあって、慎重に買うようにしています。次に買おうかなと思っているアイテムは、スニーカーです。りんかもあんなも、取材のちょっとした合間でも公園で遊んだりするので、動きやすくて、どんなコーデにも合わせやすい、ナイキの黒のスニーカーを狙っています」りんあんちゃんの元気の秘密りんあんちゃんは、ふたりとも元気いっぱい! 体力をつけるためにしていることをお聞きしました。「ふたりが歩けるようになったころから、できるだけ歩かせていました。双子用のベビーカーは大きくてなかなか気軽に使えなかったし、かといってふたりとも抱っこするのも無理だったので。私も、双子育児には体力が必要で、足腰を鍛えなきゃ! と思っていたので、寄り道などもしつつ1歳のよちよち歩きに合わせて2時間ほどかけてスーパーまで買い物に行ったりして、たくさん歩くようにしていました。そんな生活を送っていたからか、りんかもあんなも歩くのは苦にならないようで、1日中歩き回っても『疲れた~』とぐったりすることがなく、助かっています」子育てのなかで心がけていること「毎日のように言っているのは、『ひとにはやさしく、じぶんにはきびしく』です。相手のことを想える、やさしい人になって欲しいと思っています。いまでは合言葉のように、私が『ひとにはやさしく』と言うと、りんかは『りんかにはきびしく』と続けるんです(笑)。いま、幼稚園の年長クラスですが、ふたりともどちらかというと、人に合わせるのが上手なタイプみたいです。だからなのか、お友だちにも恵まれて休日は誰かしらと遊んでいますね。」りんあんちゃんのトレードマークでもある「メガネ」への想い「インスタグラムを始めて、双子のファッションを考えるのがどんどん楽しくなってきていたタイミングで、りんかとあんなには遠視があり、メガネでの視力矯正が必要だとわかりました。最初はかなりショックを受けたのですが、『メガネもファッションの一部。メガネが浮かないファッションをこの子たちと楽しもう!』と、思い直して、フレームが大きくて目があまり大きくならないようなレンズのメガネを探し、いまのスタイルにたどりつきました。大きくなって、子どもの頃の写真を見たときに、『メガネ姿の自分の写真をみたくない』と、ネガティブな感情を抱いてしまうことは避けたくて。だから、メガネに合わせたファッションを楽しむことで、『これが私たちのスタイルなんだ』って前向きにとらえてもらえたらいいなと思っています」りんあんちゃんに質問!この日は複数の取材をこなしつつも、疲れた様子を全くみせず、自作の歌をうたいながらごきげんにインタビューに答えてくれたりんかちゃんとあんなちゃん。年長さんになったふたりは、いまどんなことを考えているの? ちょっぴり聞いてみました!―どんな服が好きですか?あんなちゃん:しましまとフリフリが好き!りんかちゃん:あんなと同じ、しましまとフリフリが好き。おそろいの服を着るのが大好き!―ふたりが大切にしているものを教えてください。りんかちゃん:シルバニアファミリーのぬいぐるみの、「くろっち」です。あんなちゃん:あんなは色ちがいの「しろっち」。カート(おもちゃのカート)にのっけて遊んでいたらりんかがこわしちゃったんだよ。りんかちゃん:こわしてないよ!―好きな人はいますか?あんなちゃん:東野幸治さん! かおが好きなの。りんかちゃん:三戸なつめちゃんと、生田竜聖アナウンサー!―行きたいところはありますか?りんかちゃん・あんなちゃん:ディズニーのイースターイベント! ミッキーとミニーの、イースター帽子がほしいから!―将来の夢を教えてください。りんかちゃん:メイクやさん(メイクアップアーティスト)になりたいな。あんなちゃん:本屋さんか、モデルさん。―双子でよかったな、と思うのはどんなときですか?あんなちゃん:いつでもふたりで遊べること!りんかちゃん:おもちゃのとりあいでけんかになるけど、ママが「なかよくして」って言ったらすぐになかなおりできるところ! いっしょにいると楽しいよ。 『りんあんコーデ 基本の4着で1か月着まわせる』 matsuko著 KADOKAWA刊、1,296円(税込)アイテム数もコストもミニマムなのに、シンプル&おしゃれなコーデがかなう! matsukoさんのコーデテクニックを余すところなくつめこんだ1冊です。いますぐまねしたくなるアイディアがたっぷり!
2017年04月25日子どもの何が一番いいって、雪解けが早いところだ。すごく大人慣れしている子どもを除いて、会ってすぐの小さい子というのは大抵の場合、見知らぬ大人と目を合わせようとしない。何か害を加えられるんじゃないかと、親の側でこちらを警戒している。それでも、何となく近くにいて、本人が手元でやっていること(おもちゃをいじるとか、絵を描くとか)に「上手だね」と声をかけたり、たまにそっと背中をなでたりしていると、どうやら有害な人間ではないらしい、ということを察してくれ、次第に目も合わせてくれるようになる。ここで前のめりにならず、そうかと言って引きもせず、変わらず安定した態度を取っていると、今度はこちらからの語りかけに「うん」とか「いいよ」とか、受け入れの返事を返してくれるようになる。そしたら次に、ちょっと的外れなことをあえて聞いてみる。機関車トーマスのおもちゃを持っている子どもに「それ、パーシーだったっけ?」と聞くのだ。すると「ううん、トーマス」と訂正してくるので「あ、そっか、トーマスだった、よく知ってるね」と返す。ここまで来ると後はスムーズ。最初は片道通行だった会話が、一往復、二往復とどんどん増えていって、最終的には「あっち行こう」とか「一緒に遊ぼう」とか、子どもの方から誘いにきてくれるようになる。この前、友達の3歳になる子どもをうちで預かった。近所の保育園までお迎えに行って、家に連れて帰って、晩御飯を食べさせて、ママのお迎えを待つ。うちの末っ子、夢見も気づけば11歳。身長なんか私とそう変わらなくなっている今、あらためて言うのも何だけど、3歳の子ってびっくりするくらい小さい。多分、1メートルもない。そんな小さい生き物が、保育園にやってきた私を見かけるなり、さっと立ち上がって「あこたん!」と嬉しそうな表情を浮かべるのだ(私は彼女にそう呼ばれている)。一緒に遊んでいた先生に、律儀にもぺこりとお辞儀をしてから、私のもとに走って駆け寄ってくる。何かもう、完全にファンタジーだ。当然、わが子らにもこういう時代が確かにあったはずなのだ。けれどもこの小ささ、この健気さ、この無邪気さに、当時の私はちゃんと気づけていただろうかと、少し不安になる。ちょっと前までハイハイしていた赤ん坊が一人で歩けるようになった、ただそれだけで、乱暴に一丁前の大人を押し付けていたような気がして、心の奥がチクチクと痛む。保育園を出ると、公園に立ち寄って、コンビニで買ったシャボン玉を飛ばした。夕暮れの小さな公園には私たち以外に誰もおらず、3歳の子はシャボン玉を吹きながら「誰もいないねえ」と言う。「みんなどこに行ったのかな?」と私が尋ねると「この公園、もう閉まっちゃうからね。みんなもう、おうちに帰ったの。そして明日になったら、またみんな来るの。夜になると、またおうちに帰るの」と答える3歳児。なんということだ。この子は幼いながらに、立派に人の営みというものを知っている。いよいよ中年にさしかかり、最近では感情が秒速で高まる私の目頭が、またもやぐっと熱くなる。子どもに「私を信じていいよ」と伝えたところで、警戒心を解いた彼らが正直な気持ちで要求してくるのは、飽きるまでシャボン玉に付き合うとか、ボールを転がしあうとか、そんなものだ。ところが大人同士だと、なかなかこうはいかない。お金や仕事、心や体。大人たるわれわれは、この殺伐としたコンクリートジャングルで、自分の平穏な日常を、自分の責任で守っていかなきゃならない。警戒心はそうやすやすと溶けないし、また仮に解けたとしても、相手の中から現れた素直で正直な欲求があまりに生々しければ、こちらが受け入れられない場合だってある。だけど、そうやって自分を守るつもりで交わす大人のやりとりに、たまにふと疲れたり、ふと侘しさを感じることがある。小さい子どもは、大人同士ではそう簡単に受け渡しできないもの、でも本当なら、もっと素直に受け渡したいものを、あっという間にポンと手渡してくれる。自分にも、そんなやりとりが出来るのだと思い出させてくれる。だから、たまらなく愛しいのだ。イラスト:片岡泉
2017年04月04日普通クイズというと、子どもの遊びみたいな呑気なものをイメージするけれど、例えばテレビ番組「アタック25」に出てくる人たちのように、「何でそんなこと知ってるの!?」とぎょっとするレベルの知識を競い合う「競技クイズ」なる世界があるらしい。先日ひょんなことから、そんな競技クイズを体験できるイベントに誘ってもらい、行ってきた。会場には、テレビでよく見る早押しボタンや、正解の音、不正解の音などさまざまな効果音が出せる専用マシンまで用意されていて、かなり本格的。そんな中、いざ回答者席に座ってみると、あたかもテレビの中に入った気分で俄然テンションが上がる。「よーし、バンバン答えてやるぞー!」と意気込んでみるものの、いざ問題が読まれ始めると、当然ながらこれがなかなかに難しい。早押しクイズなので、問題の読み上げが最後まで終わらないうちに、誰よりも早くボタンを押し、正解を答えなくてはいけないが、まずその答えがわからない。EXILEのメンバーの名前、去年ノーベル賞をとった人の名前、全然分からない。そして答えが分かったとしても、(本当に合ってるかな……)と一瞬のためらいが、ボタンを押すまでの間にタイムラグを生じさせ、そうこうしている間に他の人が答えてしまうのだ。せっかく来たのだからなんとか一問くらいは答えたい。このまま見せ場なく終わるのは悔しい……! じわじわと焦り始めた矢先、私にもようやく念願のチャンスタイムが到来した。「正式名、流行性耳下腺炎と呼ばれる……」ピンポーンッ!!!!!!満を持して私の早押しボタンが火を吹いた。手元のランプが赤々と点滅するのを確認し、自信満々に回答。「おたふく風邪!」「……正解っ」よかった、お飾りじゃなかった、私の早押しボタン。ほっと胸をなでおろすと、正解者の証、うまい棒コーンポタージュ味が私のもとに届けられた(その日はそういうルールだったのだ)。ここから、急に楽しくなってきた。一度火を噴いたマグナムの勢いは止まらない……というわけにはいかなくても、その後も何度か正解を繰り出した。「パッケージから切り取ってポイントを集めると……」「ベルマーク!」「……正解!」「不活性と活性の二種類があり……」「ワクチン!」「……正解!」競技クイズ、なかなかダイレクトに自尊心を満たしてくれる。私も結構いけるな、と悦に浸りながら、ふとあることに気がついた。流行性耳下腺炎がおたふく風邪であることは母子手帳や予防接種の問診票に書いてあるのを見て知った。ベルマークの存在は多くの人が知っているだろうが、私は数年前にPTAのベルマーク委員(児童の集めたベルマークの点数を地道に集計する係り)をやったので特に記憶が鮮明だったのだろう。ワクチンについては、毎年子どもたちと打つインフルエンザの予防接種で、活性と不活性があることを知るに至る。……つまり、私の正解は全部、子育てで身につけた知識によるものだったのだ。一見何ということもないこの発見に「そうか、そうだったのか……!」と、私は密かに一人、感慨に打ち震えた。というのも、私は今でこそ仕事をしているものの、つい5年ほど前までは専業主婦だった。それも、一度も就職経験のないまま家庭に入った専業主婦で、当時はそのことをかなり負い目に感じていた。けれども今回のような場で、あらゆるジャンルの知識を雑学としてフラットに並べられると、私が子育てを通じて知ったことだって、当然ながらその経験のない誰かにとっては未知なことだったり、またもし知っていたとしても、記憶の彼方に押し込まれている、色褪せた話題だったりするわけで、つまりこれって、十分に立派な専門知識じゃないか、と思ったのだ。もちろん、仕事を始めてから得た知識だってたくさんある。ビジネスメールの書き方、請求書の作り方、打ち合わせの作法。ついでに、エッセイを書いてお金をもらい、曲りなりにも文筆の専門家になったりもした。けれど、じゃあ家庭の中で、子育てだけをやっていたときの私は何者でもなかったのか、何を学ぶこともなく、成長することもなかったのかといえば、そんなことはなかった。あの当時の私だって、大切な家族の暮らしのために役立つさまざまな知識や知恵を、毎日、少しずつ身につけていたはずなのだ。曲りなりにも、家族の、子育ての専門家として。先日、ある仕事で取材させていただいた児童精神科医の先生が、こんなことを仰っていた。「私は確かに心の専門家ですが、その子のことをよく知っているという意味では、親御さんがお子さんの専門家なんですよ」主婦業だって、親業だって、毎日向き合っていれば、それぞれ立派な専門家。だから私たちは、自信を持っていいのだ。……何に役立つことがないような気がしたって、少なくとも初心者の集まるクイズ大会では、2、3問正解が出せる。イラスト:片岡泉
2017年03月28日息子モーの通う中学の卒業式前日。私とママ友は、仕事の昼休みのわずかな時間を使って、明日の卒業式に着る服を探しに町へ繰り出していた。「ついに卒業ね。いやー絶対泣いちゃうわあ」と、ママ友が感慨深げに言う。ところが、前日になって慌てて服を探し出すくらいなので私にはあまり実感がなく、「そうかな~」と言うと、ママ友が言う。「だって、幼稚園から一緒だった子たちとついにお別れになるんだよ、悲しいよ!」なるほど、言われてみればそうだな、と思う。確かに、近所の幼稚園から近所の公立小学校、公中学校へと通ったモーには、最長12年もの間、同じクラスで過ごした友人たちが何人もいる。うちにもよく遊びに来ていたし、町で会えば「ちわっす」とニコニコしながら挨拶してくれる。気づけばみんな身長180センチ近くになっていて、社会では大人扱いされてもおかしくない。でも、100センチのころから知っている私から見れば、みんないつまでも可愛い子どものままだ。もはや、親戚の子どもみたいな感覚である。ここまで成長を見てきた近所の子たちがバラバラになって、それぞれの新天地に巣立っていくと思うと、確かにちょっと寂しい。……とはいえ、中学を卒業したってモーとの毎日の生活は変わらないし、お別れじゃないわけだし……。「ところで明日の卒業式、何時に集合か知ってる?」「そういえば知らない」情報に疎い母二人。学校から子に配られたプリントが、子から親に届くラインに断絶があるのも最後まで平常運行で、やっぱりいまひとつ実感がわかない。同じ日の夕方、モーの担任の先生からスマホに着信があった。まさか、最後の最後に何かやらかしたのでは、と冷や冷やしながら電話に出ると、「直前になって申し訳ないんですけど、モーさんは3月生まれでしょ? モーさんが生まれたときの様子や名前の由来、小さい頃どんなお子さんだったかをお伺いしたくて」と担任の先生。この担任の先生は毎月、お誕生月の子どもの親に簡単なヒアリングをして、こんな風に生まれてきましたよ、という小さな物語を、学級便りに載せてくださるのだ。先生のこういう心遣いや、さすが国語の先生とお話をするたびに唸らされる美しい言葉遣い、そして同じ女性として、ついうっとり見惚れてしまうほどエレガントな所作。息子共々、全幅の信頼を置いている先生だった。「そうですねえ、息子は生まれたその日、うまくおっぱいが飲めなくて、お腹をすかせて夜通し泣き続けて……」「まぁ!そうでしたか。それは大変でしたねえ」……そうでした、すっかり忘れていたけど大変でした。一晩中抱っこして、病室で揺れ続けて。ようやく生まれてきたわが子の涙ひとつ止めることもできないなんて、私は親失格なんじゃないかと一緒になって泣きたい気持ちになったなあ。「幼稚園の運動会のかけっこでは、一人だけスキップしちゃって……」「あらまぁ、昔から大物ですねえ」……そうだ、スキップしちゃったなあ。小さかったなあ、あのとき。それがこんなに大きくなっちゃって……でも中身は全然変わらないよなあ。先生の、包み込むように優しい相槌に促されるまま昔話を続けていると、さっきまであんなにクールな気持ちでいたのに、不思議とどんどん胸に熱いものがこみ上げてくる。うっ、これはまずいぞ、落ち着け、落ち着くんだ私、ここはデパートの婦人服売り場だ(まだ服を探していたのである)、ここで取り乱してはいけない、と必死で動揺を沈めようとするものの、やっぱりついに、そのときはきた。「幼稚園の学芸会のとき、自己紹介のマイクを向けられて……あの子、“ウンコです”って言ったんです。ははは、ウンコってね。昔から本当にお調子者で、体だけは大きくなっても、今と全然変わらないんですよね……ウンコって……ウンコ……ううっっ」。デパートの婦人服売り場でウンコを連呼しながら咽び泣く女。先生は電話口でエレガントに笑い声をあげている。「本当にっ……先生には何から何までお世話になりましたっ……息子の良さをわかっていただいて……見守ってくださって……、ちゃんとお礼をお伝えできて本当によかった……」と、鼻をすすりながら言う私に先生が優しく語りかける。「彼はね、あの人柄で、これからどこにいっても友達が寄ってきます。何にも偏見のない彼の物の見方は、お母さんの家庭教育の賜物ですよ」。ここで労いの言葉なんてさらなる反則技です先生。涙をポロポロ流しながら、ああ、息子は明日卒業するんだなあ、と思ったのだった。そうして迎えた卒業式当日。受け付けを済ませた保護者には、式次第とともに、一通の封筒が配られた。封筒には息子の文字で「母へ」と書いてある。「いやーここで親への手紙!? これもう絶対泣いちゃうじゃん、泣かせにかかってるじゃん! ずるい! 卑怯!」保護者席に隣り合って座ったママ友が言う。確かにこれは確実に泣かせにかかっている。しかしこちとら昨日からすでに涙腺が緩んでいるのである。この際とことん無抵抗主義。煮るなり焼くなりどこからでもかかってきなさい。ハンカチを手に覚悟を決めて、いざ厳かに開封の儀。……ところが、そこに書かれた息子からの手紙に、私は目を疑ったのだった。以下、全文である。母へ/ははへ/ハハへ/motherへいかがお過ごしでしょうか。僕は元気です。本日3月17日を以って中学校を卒業します。思えばさまざまなことがありました。東京都知事の汚職発覚、某人気タレントの不倫騒動や某有名女優の宗教団体への出家。そしてヒラリー・クリントン大統領候補の敗戦。とても波乱万丈な中学校生活でしたが、とても楽しくもありました。この3年間で僕はたくさんのことを学びました。ついに卒業と思うととても感慨深い気持ちになります。3年間、僕を支えてくれたのは誰あろう母でした。毎日、ありがとうございます。とても感謝しています。そして最後に、また3年間よろしくお願いいたします(_ _)たてよみ(嘘) 息子よりお前は年末の週刊誌か何かかと。そして最後の謎のYouTubeトップへの導線は何なんだよと。卒業式は、爆笑のうちに幕を閉じた。イラスト:片岡泉
2017年03月21日考えてみると、19歳で人の親になる、という年齢的な未熟さを差し引いても、私はあまり、年下や赤ん坊を可愛がれないタイプだった。だからって、赤ん坊や子どもが嫌いだったわけじゃない。いかんせん自己愛が強すぎたがゆえに、自分より年下で、自分を評価する立場にない人間の存在が、そもそも視界に入ってこなかったのだ。だから、いざ産んでみて、困った。何しろ可愛がり方がぜんっぜんわからないのだ。赤ん坊は確かに可愛い。手のひらに収まるほどのサイズ感も、初めてこの世界にやってきてキョトンとしてるのも、手のひらをぎゅっと結んでいるのも、眠っているとき、たまにビクッと震えるのだって、とても可愛かった。この子を守っていかなければ、という親としての責任も感じた。けれども、抱く、抱いて揺れる、乳を与える、おむつを替えるといった、必要なケア以外の可愛がり方、必要ではないけどあると良い接し方というものが、全然わからなかったのだ。そんなんだから、出産後すぐに病院にやってきた実家の母が息子をあやす姿を見て、衝撃を受けた。母は「あら~もう眠いねぇ、眠い眠い~」とか「おなかすいたね~」とか、意思表示などできるはずのない赤ん坊と、しょっぱなから対話しているのだ。「え、なんで分かるの?」と思わず聞くと、「だって眠そうにしとるやんね~」などと釈然としないことを言う。そうか、経験値の高い人には分かるものなのか、と思わされたが、そうこうしているうちに母、今度は「うぅ」とか「あぅ」とか、赤ん坊があげた声にならない声に対して「へ~そうね~、うん、うん」とあたかも対話が成立している風に、返事を返す。これを見て、私はようやく理解した。母が、経験によって培った観察眼で、赤ん坊の気持ちを察している部分もそりゃあるにはあるのだろうが、一方で、当然ながら全部わかっちゃいないのだ。目の前で繰り広げられているのは、私の知っている対話ではなく、ただひたすら受容の表現。「おなかすいた」「眠い」「オムツが不快」。言えないけれど、言いたいこともあるでしょう、わかってあげますよ、受け止めてあげますよ、そんな、受容の表現だったのだ。今思えば、赤ん坊の気持ちを一方的に言語化し、成立しない対話を続けることにはもう一つ別の意味もあった。新生児というのは、赤黒かったり、黄色がかっていたり、目の焦点も定まらないし、体もしわしわ。赤ちゃん、と聞いて一般的にイメージされる、ちぎりパンみたいな赤ちゃんとはまた全然違って、強いて言えば宇宙人みたいな様相を呈している。そんな、不思議な生命体の声なき声を、一方的に人間語にし続けることで、その小さな体の中にも確実に、人格や人の意思といったもの、その小さな種が存在するのだと、そういう自覚を、親の中に培ってくれるように思う。……なるほど、こういう風にやるのか、と母の様子を見て学んだものの、その瞬間からすぐに母と同じことができるようには残念ながらならず、この手の声かけはなかなか上達しなかった。というのも親になるまでの私は、大人から褒められたい、認められたいというモチベーションだけで生きていたのだ。人様からのフィードバッグが全て。私の行いに対して返ってきた年長者からのリアクションを見て、達成感を得たり、次のトライにつなげる糧にしたり。評価を与えられ、受容され続けて生きてきた。ところが、親になるということは、私がそれをやる側になるということ。いきなり天と地がひっくり返ってしまったのだ。どうしようどうしようと、新しい環境に日々まごついている間に、気がつけば子ども達はすっかり対話が可能な年齢となってしまい、今に至っているように思う。親戚や友人の赤ちゃんを前に「へ~そうなの、うん、うん」といった一方的な声かけをスムーズに繰り出せるようになったのはごく最近のことで、ああ、生まれたばかりのわが子らにもこんな風に接してあげられていたらなあ、と思うこともあるものの、でももしかしたら、当時あんなに風格を見せつけた母だって、私や妹が生まれたばかりのころは、やっぱり私と同じように、まごついていたのかもしれない、とも思う。子が育つのと同じように、親だって親として成長するのだ。イラスト:片岡泉
2017年01月31日わが家では、車の中のDJ権を誰が握るかの争奪戦が、かなり頻繁に勃発する。うちの車のスピーカーは決して特別良いものでもないが、何しろスマホと繋げるので、好きな音楽を流すことができる。狭い閉鎖空間、大都会東京を駆け抜ける車の中でお気に入りの曲をかけるのは、かなり気分が良いのだ。DJ明子、DJモー(長男)、DJ夢見(長女)。それぞれにはそれぞれの得意とする分野があり、モーはEDM(エレクトリック・ダンス・ミュージックの略だそう。パリピの音楽である)、夢見はアニソンとボカロ、そして明子はチャゲアスと玉置浩二を専門としている。あるとき、夜の首都高速に乗った私たちの車の音楽の権利を握っていたのはモーであった。後部座席から、例によってゴリゴリのダンスミュージックを流し、ドンドコドンドコ、曲がマックスに盛り上がるのと同時にモーが言う。「さあ、母さん。カーチェイスを始めよう」始めんわアホ、と。そんな感じの毎日を過ごしている。……この連載、基本的には育児にまつわる話を書くということで始まったものの、気がつくと結構子どもたちが育っていた。まだまだ指導するべきことはあるものの、子どもたちとの現在の関係は、育てる者と育てられる者というよりは、どちらかといえばシェアハウスの住人同士のような、並列の関係になりつつある。(シェアハウスに住んだことはないけれど)。だから、最近彼らとの日常を通して得る気付きもまた、子育ての気づきというよりは、人間関係の中で生じる気づきに近いことが多い。だけど、この連載を始めるきっかけを作ってくれた、ウーマンエキサイトの編集者、石上さんは現在2歳の子を持つママで、せっかく声をかけてくれたのだから、できれば彼女が今知りたいことや、彼女が今直面している子育ての救いとなるようなことを、ほんのわずかでも書けたらいいなと思う。そこで、最近はずっと子どもたちが小さかった頃のことをあれこれ思い出そうと、写真を見返したり、子どもたちに聞いてみたりなどしているのだが、これがどうして、自分でもびっくりするほど当時のことが思い出せない。トイストーリーのおもちゃは処分するとき心が痛んだなあとか、断片的な記憶はあるものの、当時私がどういうことに悩んでいて、そこからどういう気づきを得ていたかという肝心なことが、なぜだか全然思い出せないのだ。一体どうしてこんなにもすっかり忘れてしまったんだろうなあと考えていると、ふと思わぬ可能性が頭をよぎった。……もしかしたら、思い出したくないのかも、と。不思議なことに、そういう風に思い至った瞬間、急に一つ、思い出したことがあった。18歳で妊娠し、19歳で出産した私は、「やっぱり若いお母さんだからね」と世間に白い目で見られたくなかった。出産が誤った選択だったと思われたくなかった。そのためにも、ちゃんと子育てしなきゃいけないと、何となくいつも、大きなプレッシャーを感じていた。ちゃんと、という漠とした言葉がまた非常に厄介で、何を持って「ちゃんと」と言えるのか全く明確じゃない。だからせめてもの気持ちで“私は常識的な人間です”と、必要以上に社会に示そうとしていたのだが、そのせいで、本当ならもう少し余裕をもっていたっていいところで、子どもたちの言動を、過剰に制していたこともあったような気がする。これらのことを思い出した途端、当時、日常的に抱えていた緊張感や孤独、強がりたい気持ちが急激に蘇って、うっ、と胸が苦しくなった。記憶の奥に眠っていたもの、蓋をしておきたかったものは、どうもこれだったのだ。今では、周囲に年下のママも沢山いるし、私が年相応に老けたことによって、子どもの一人や二人いても好奇の目で見られたりもしなくなった。ましてやそれなりに子どもたちが育って、それぞれちょっと変わったところはあるけど、他人に挨拶ができたり、思いやりをもって接したりできることを、彼ら自身が示してくれるようになった。そうやって子どもたちが個人として社会との関わり合いを深めていくことで、親である私は徐々に、勝手に背負いこんだ妙な重圧から解放されていった。だから、すっかり忘れてしまっていたけれど、電車やバスの中で、泣いている赤ん坊を一生懸命あやすお母さんに、つい、大丈夫ですよ、と声をかけたくなるのは、やっぱりそこに無意識に、かつての自分を投影してしまっていたからだったのだろう。私は若くして母になったことを負い目に感じていたけれど、そうでなかったとしても、親になることに真摯に向き合う上では、きっと誰もが、嫌が応にも、自分の弱さ、未熟さを突きつけられることがあるだろう。自分が親になるのにふさわしい人間か、世の中の善悪、正誤を子どもに提示できるだけの人間か。自分が自分を疑うほど、社会もまた同じような目で自分を見つめているような気持ちになる。結局、子どもを産んだ当時から今に至るまで、私の精神的なあり様は何も変わっていような気がするけど、それでもなんとか15年間は、親でい続けることができた。そんな今、昔の私にかけてあげたい言葉は、こうだ。“大丈夫。社会はあなたが思うほど、あなたが親としてふさわしい人間かどうかを見定めようとはしていない。”たとえ自分が自分を信じられなくても、社会の方は、案外、そんなに冷たくない。たくさんの見知らぬ人が、子どもを大切に思ってくれる。未熟な親に、暖かく手を貸してくれる。冷たいように見えるとすれば、社会にいる多くの人は、その思いを伝える方法を持っていないだけなのだ。(WEラブ赤ちゃんステッカーもそのために発案したものだ。)自分が信じられなくても、本当は暖かい社会を信じて、頼って、やっていけばいい。“あなたの子どもはそうやって、不器用なあなたと、優しい社会に守られながら、気の利いたことが言える程度にはちゃんと育つよ、だから、大丈夫”緊張感でいっぱいだった昔の私に、今、そんな風に伝えてあげられたらな、と思うのだ。イラスト:片岡泉
2017年01月24日モーも夢見も、完全に母乳で育った。といっても、別に熱心な母乳信仰を持っていたわけでもない。母乳で育った子の方がIQが高くなるとかいう謎言説を信じていたわけでもない。ただ単に、その方が楽だったからだ。おぎゃーっと泣いたら、ベロンと服をめくって、おっぱいを咥えさせればそれでいい。母乳は赤ちゃんのファストフードである。ところが、ミルクだと決してそうはいかない。湯冷ましを作ったり、粉を溶かしたり、哺乳瓶を消毒したりと、かなりの手間がかかる。私のものぐさ加減というのは天井知らずであったので、そのうち自分の服をベロンとやるのすら億劫になって、出産後1、2ヶ月は、上半身ほぼ裸、おっぱい丸出しのアマゾネススタイルで過ごしていた。思えばそういうだらしない生活が離婚を招いた一因かもしれないが、楽でいることには抗えなかったので仕方がない。授乳で楽を極める上で、裸族であることともう一つ、避けて通れないのが、添い乳である。添い乳というのは、赤ちゃんを布団に寝かせたまま、かつ母親も寝たままの姿勢で授乳することであって、赤ちゃんの首が据わるまではなかなか難しいのだけれども、ある程度しっかりしてくると、夜中の授乳にこれ以上楽なことはない。そうやって楽を極め、二人の子どもに合計で約5年間、授乳し続けた結果、私のおっぱいは、伸びた。乳首も、伸びた。幼き日のモーは「パパ」「ママ」という単語の次に「でんち」という言葉を覚えたのだが(なぜなら子どものおもちゃには大抵単三か単四の電池が必須だから)、あるとき私の乳首をまじまじと見つめながら、おもむろに「でんち」と言った。言われてみれば確かに似ていた。あれから10年以上経ち、さすがに乳首はやや短縮されたものの、伸びたおっぱいは伸びたままである。むしろ、母乳が生成されていた当時は長いなりにもハリがあった分だけまだよかった。完全に生産を停止した母乳工場は、今や悲壮感を漂わせる廃墟と化してしまったのだ。散々楽をしたツケを、日々ひしひしと感じている。もし今後、私がまかり間違ってTEDでスピーチなんかをすることにでもなれば、キラキラした目で「しかし、私はこの伸びたおっぱいを、二人の子を立派に育てた証として誇りに思います」とでも言うだろうけれど、現実には離婚をし、独身に戻り、もしかすると今後、私のおっぱいは授乳とは別の用途で、再び活用されるべきときが訪れるかもしれないのである。そんなとき、まあおっぱいの一つや二つ、もともと持ち弾の少ない私のせめてものウェポンとなってもらわねば困るのである。危機感に駆られた私は、あるときついに、東京でも有名なとある病院の、乳房外来の門を叩いた。「おっぱいが長いんです」診察室に入るやいなや胸もあらわに相談すると、男性のドクターは、手にした定規で私の鎖骨の中心から右の乳首まで、そして同様に鎖骨の中心から左の乳首までの長さをそれぞれ測り、おもむろに言った。「平均より、5センチ長いです」「ご、5センチ……?!」わかっていたことではあったが、数値化されたインパクトは絶大で、私は絶句した。「大きいし、重いし、これじゃ肩も凝るでしょ」ドクターは私の乳房を抱えながら、さも気の毒と言わんばかりの顔で私に言うと、おっぱいを吊り上げ、かつ、小さくし、ついでに乳輪も一回り小さくするという手術を勧めてくれた。(……え、乳輪?)乳輪については全く気にも留めていなかったのでそのとき初めて乳輪が大きいという事実に直面したが、ドクター曰く、おっぱいが吊りあがり、小さくなると、乳輪の大きさが気になるようになるので、ということであった。言われた一通りの手術を受ければ、私のおっぱいは再び夢と希望と美しさを取り戻し、ひまわりのように上を向くことがあるのだろう。手術は日帰り、傷はしばらくは残るが次第に薄くなる、といった説明を一通り聞いた後で、私は万を持して核心に迫った。「それで、費用はおいくらです?」そこでドクターの提示したその額、なんと120万円。私、その日2度目の絶句。検討します、といって病院を後にしたものの、当然ながらそんな費用はどこにもなく、結果、今日に至るまで私のおっぱいは手付かず、平均より5センチ長いままである。起き上がるのも、服を着るも怠り、おっぱいの力に頼りきった育児で楽をした結果、時を巻き戻す費用は120万円。TEDでスピーチしなくたって、私はこの長いおっぱいを誇りに思いながら生きて行こうと思うのであった。……長いウェポン、ライフルだと思えばかっこいいし。イラスト:ハイジ
2017年01月17日最近ハマって通っている、タイ古式マッサージの店がある。ご存じの人も多いかと思うけれど、タイ古式マッサージというのは普通の指圧やオイルマッサージより、かなりアクロバティックな施術をしてくれる。行きつけの店では、元気なタイ人のおばちゃんが、うつ伏せになった私の背中に四つ這いで乗っかって、肘や膝で凝っているところをグリグリやってくれたり、必要に応じて踏みつけたり、力一杯叩いたり、ひっぱったり、ねじったりする。文字だけ見ると手荒な暴行を加えられているようだが、マッサージ+ストレッチという感じで、かなり体が楽になるのだ。行きつけの店で私を担当してくれる人は、「アキコさんいらっしゃい♪」と私を下の名前で呼ぶ。どうやらこの店ではどのおばちゃんもそんな調子で朗らか。先日は隣の部屋から「ハイハイ、ゆみちゃんお待たせ~」という別のおばちゃんの陽気な声が聞こえてきた。ゆみちゃんもまた相当な常連かと思いきや、直後に「タイ古式マッサージは初めて?」という会話が続き、えっ、そうなの?と私は内心、仰天した。タイに行ったことがないのでそれがお国柄なのかどうなのかわからないけれど、少なくともこの店にいるタイ人のおばちゃん達は、みなものすごく気さくで、おまけにちょっとびっくりするくらい優しい。「今日はどこがつらい?」「足がパンパンで……」「ああ~つらいねえ。いっぱい歩いたねえ。」初めにつらいところを聞かれるのは、どこのマッサージ屋でも見られるお決まりの会話である。だが、この店のおばちゃんは「足がつらいんですね」じゃなくて「つらいねえ」と、さも自分の体もつらさを感じているように言って、その上で、いっぱい歩いたねえ、と労ってくれる。なんだかちょっと、お母さんみたいだ。実はこの有り余る優しさに触れ、当初は少し戸惑った。心の中で小さく、警戒のアラートが鳴った。ただにこやかに迎え入れられるおもてなしなら、お客さまは神様の国ニッポンで散々味わってきたはずなのに、それとは全然違う種類の優しさである。何が違うって、とにかく距離がぐっと近いのだ。「私たち、さっき会ったばかりですよね……?」と尋ねたくなるほど寄り添ってくれる。会話の中で、絶対に突き放されないのだ。あるとき、施述中にふと、私がシングルマザーであることや、長男が14歳であることを打ち明けると、おばちゃんはこんな風に言った。「そっかあ。じゃあ大人になるまであと6年、頑張ろうねえ」「頑張ってね」でもない、「頑張らなきゃね」でもない、「頑張ろうねえ」は、じんわりと、凝り固まった心に沁みた。私が小さかったころ、母が泣いているのを一度だけ見たことがある。後々、なぜ泣いていたのかを尋ねると、私の虫歯で受診した歯医者さんから「子どもの虫歯はお母さんの責任です」と厳しく叱責され、気落ちしていたのだという。当時は、そんなことで泣かなくても、と思ったけれど、自分も親となった今なら当時の母の気持ちが少し分かる。子どもに怪我をさせてしまった。子どもに忘れ物をさせてしまった。子どもを“りこんのこども”にしてしまった。私もまた、あのときの母と同じように失敗した、と感じて、ことあるごとに落ち込んだり、反省したりすることがよくある。子育て中の親はいつだって、子どもをまっとうに育てなきゃいけないという責任を大なり小なり感じている。そして責任とは、負っている人とそうでない人の間に、明確な境界を作る。だから、親は何かと孤独を感じやすい。親子を取り巻く社会の人だって案外暖かい。本当は応援したいという気持ちを多くの人が持ってくれている。だけど、望むように助けられないかもしれないから、叶わないのに手を貸す期待を追わせるのは無責任だから、多くの人は「頑張ろうね」じゃなく「頑張ってね」と、境界の外側から励ましてくれる。安易に責任を負わないために、その方が誠実だと思って、距離を置く。いざというときの保険みたいなものだ。……だけどそんな保険、本当に必要なんだろうか。その場、そのとき、誰かの気持ちに寄り添いたいと思ったことを、その後いつまでも全うしなければ、誰かに無責任だと咎められるようなことなんてあるだろうか。「頑張ろうねえ」、といくらタイ古式マサージのおばちゃんが言ってくれたって、明日から私と一緒に子育てしてくれるわけでも、私の代わりに生活費を稼いできてくれるわけでもない。そんなことはじめから明白だ。でも、そもそも望んでもいない。何をしてくれるわけでなくとも、ただ境界の内側に、思いがけず一歩踏み込んできてくれる、近くから声をかけてくれる、それだけで十分なのだ。今が終わればもう会うこともないかもしれない私に、頑張ろうねえ、と近くから声をかけてくれる誰かのいる世界に生きている。その事実が、明日も生きていかねばならないこの社会を、少しは信頼してみようかな、と思わせてくれるのだ。
2017年01月10日「親が『しない』ことで、子どもは『できる』ようになる」と話すのは、テレビ『情熱大陸』でも紹介されたことがある「 花まる学習会 」代表の高濱正伸さん。ママが、「しない」なんて許されるの!? 育児まっただ中のママたちも、「育児の『不要なもの』を捨てること」について、ちょっと立ち止まって一緒に考えてみませんか? ■「してあげられない」ことを責める必要はなし「そもそも、ママたちは、『子どもにいろいろとしてあげたい。でも、それをしてあげられない私はダメ』。そんな風に感じる生きものなんです。でも、パーフェクトなママでいられないからって、自分を責める必要はまったくないんですよ」と、高濱さんはいう。そうアドバイスされたからといって「なるほど!」と、すんなりとは思えないのもママ心。「むしろ、なんでもかんでも親が整えてあげることで、子どもの成長を妨げてしまうことだってあります。ですから、今回は、あえて『しない』という選択をすることで、伸ばせる力について考えてみましょう」(高濱さん)■「しない」という選択「しない」ということで伸ばせる力なんて、本当にあるのだろうか。!? 「子育ての中で、『しない』を選択することによってママの時間的負担や、『してあげられていない…』と自分を責めていた気持ちの負担を取り除くことができますよ」(高濱さん)大切なのは、ママの気持ちが軽くなり、笑顔が増えること。そのニコニコオーラは、必ず子どもにも伝わる。「笑顔がすてきな子どもは、魅力的に育ち、将来自分の力でメシが食えるようになるでしょう」(高濱さん)つまり、「将来、自分の力でメシが食えるようになる子ども」を育てるためには、ママの気持ちが軽くなることが、とても大切なことなのだ。■「しない子育て」と「してはいけない子育て」ここでとても難しいのは、「しない子育て」と「してはいけない子育て」の線引き。たとえば、「しない」の一例として、「集中して遊んでいる子どもの手を止めない」と、高濱さんがアドバイスをしたとする。すると、ママからこんな質問が出る。「生活リズムを整えるためには、集中して遊んでいる子の手を止めないといけません。早く寝かせるのと、遊ぶ手を止めないこと。どちらを優先すべきでしょうか?」と。子育ては、矛盾だらけだ。そこで真面目なママたちは、悩む。悩むことで苦しくなり、心に余裕がなくなって、子どもへの声かけもキツイものになってしまう。「大切なのは、『ここだけは譲れない』という基準を決めることです。そうすることで、何事も柔軟にとらえることができるようになり、心も少しは楽になるのではないでしょうか?」(高濱先生)。これからの連載では、『ここだけは譲れない』基準というものをどう考えていけばいいのか、そして「しない」子育てとはどのようなことなのかを紹介していきたい。■今回取材を受けてくださった高濱正伸さんの著書『 「しない」子育て」 (花まる学習会代表 高濱正伸/KKベストセラーズ)』(本体1,250円+税)●高濱正伸花まる学習会代表・NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長。 1959年熊本県人吉市生まれ。県立熊本高校卒業後、東京大学へ入学。東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。算数オリンピック委員会理事。 保護者などを対象にした講演会の参加者は年間30,000人を超え、毎回キャンセル待ちが出るほど盛況。なかには“追っかけママ”もいるほどの人気ぶり。「情熱大陸」「カンブリア宮殿」など多数メディア出演もしている。ロングセラー『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』ほか、『小3までに育てたい算数脳』『わが子を「メシが食える大人」に育てる』『算数脳なぞぺー』など、著書多数。2016年7月からニュース共有サービス「NewsPicks」のプロピッカーとして活躍中。
2017年01月02日産後や育児中のママをサポートする団体やサロンが多く見られるようになった今、ママだけでなくパパも応援しよう!と活動しているママ団体がありました。子育てママ応援塾「ほっこり~の」。どんな様子なのかパパ講座に潜入取材!“ママを助けるため”のパパ講座ある日曜日、東京都北区十条の「ほっこり~の」店舗隣の自治会館で「パパのための料理講座」が開催されていました。パパのための料理講座といっても、自分が食べたいものを作る男の料理ではありません。妻や子どものために作る”お父さんの家庭料理”です。この日は6人のパパが参加。奥さんが勝手に申し込みをしていたというパパ、お子さんと一緒に料理を楽しみたいというパパ、リピーターさんの姿も。エプロンと三角巾がなんともかわいくて新鮮です。初対面のパパが2人1組になり、分担をして料理をしていきます。12月とういことでクリスマス向けメニュー、メインのロールキャベツにツリーサラダ、ロールケーキのデコレーションなど、子どもが喜びそうなものでした。講師は家庭科教師で現在育休中のママ。日頃「ほっこり~の」の利用者でもある彼女が、この日のために試作を重ねてレシピをまとめてくれたのだとか。このレシピに従って手順良く、話をしながら和気あいあいと料理を作るパパたち。微笑ましくて、見ている私もうれしい気持ちになりました。子育てママ応援塾がどうしてパパ向け講座を?一般的にパパ同士が集まり活動することが多いと思うのですが、どうしてママ団体がパパを応援するに至ったのか、代表の内海千津子さんに聞きました。「私が6年前にひとりでサロンを始めた頃は、実は男子禁制でやってました。というのも私を含め、夫の協力を得られず頼るところのない弱い立場のママを救いたかったから。孤立しているママたちの居場所を作りたかったからです」第1子出産後フルタイムワーカーとして働いていた内海さん、家庭と仕事のバランスを取るのが難しく体調を崩しあえなく退職、専業主婦になりました。その後第2子を出産するも、夫の協力が得られず孤立。子どもを連れて自分の居場所を探して転々と…寂しい思いをされてきたそうです。「協力的なパパの話をするママたちがキラキラ輝いて見えて、あの頃は苦しかったです」と当時を振り返りました。その後ひとりでサロンを開くべく活動開始、自分の貯金をくずして場所を借りてリノベーション。子育て支援サロン「ほっこり~の」を開業して今年で6年目に入りました。授乳・おむつ替えを無料でできて休憩もできる場所、ママたちが一瞬でも肩の荷を下ろしてほっこりしていってもらえる場所でありたい。その思いから「ほっこり~の」と名付けられたサロンでは、子ども連れOKのママ向けの講座を多数開催。年間のべ3000人のママたちが足を運ぶまでになりました。日々の講座でリフレッシュしたり自分を磨くママ、講師として活躍するママ、立ち寄ってスタッフとおしゃべりをしていくママ、ときには悩みを打ち明け涙を流していくママもいるそうです。(わらべうたベビーマッサージ後の絵本紹介のひとこま)そんなママの生の声と時代の流れから、「やはり一番近くにいるパートナーのサポートなしでは本当の意味でママを救えないと思った」と内海さんは言います。特に第1子の産後は右も左も分からない。どうして泣いているのか?おっぱいもあげてオムツ交換もしたのに…何をやっても上手くいかない、親になってこんなにつまずくとは想像もしていないものだから、かなりの行き詰まりを感じます。それに加え核家族化はどんどん進み、サポートしてくれる親や親族が近くにいない、転勤で友だち、知り合いのいない場所に引っ越してくるなど、育児は孤独を極め、知らず知らずのうちに追い詰められていくのだと言います。ママたちの「孤育」を防ぐためには、一番近くにいるパートナーのパパに理解してもらうこと、助けてもらうことがまず必要だと内海さん。ママの話を聞いてもらうだけでもいい、気持ちを少しでも共有してもらうこと、それには“夫婦のコミュニケーション”が不可欠。そのきっかけとなるよう、パパを応援する講座にも力を入れているのです。夫婦のコミュニケーションのきっかけにこれまで「パパ鍼灸師が教える!パパからママへママからパパへのマッサージ塾」「パパのためのベビーマッサージ講座」や「プロの男性声優さんによる、パパの読み聞かせ講座」、父親学級で有名な「渡邉大地さんの新刊トーク&サイン会」など、ユニークな講座が行われました。「パパ友が欲しい、ネットワークが欲しいと、パパもつながりを求めていることにも気付きました」。実際にやってみてパパからのニーズも見えてきたそうです。パパ向けの講座に一緒に参加したママからは、「夫が子どもをマッサージをする優しい横顔に癒されました」「改めて互いのことを感謝する貴重な機会になりました」という声も。このような積み重ねがパパの育児参加のスイッチを入れ、また夫婦関係の潤滑油となり、ひいてはママが救われることにつながると、熱く語ってくれました。最後に今回講座に参加したパパとママに感想を聞かせてもらいました。「意外と簡単にできました。なかなかおいしかったです」「機会があれば、家でも作ってみようかな」とパパはまんざらでもない様子。ママは「おいしい~!やればできることがわかったのであとは家での実践を期待するのみ!」と、家族でパパの料理を楽しんでいました。家族をつなぐ“食事”、パパの料理講座は家族の距離がぐっと縮まるとても良い講座だったようです。今後もどのようなパパ講座が開催されるのか注目していきたいと思います。<取材協力:子育てママ応援塾「ほっこり~の」><文・写真:フリーランス記者林未香>
2016年12月25日子育てにはやらなくてはならないことがいっぱい! あれもこれもこなさないと、ちゃんと育てられないのでは、なんて不安になることもあるでしょう。そんながんばりすぎて疲れているママにおすすめの育児マンガをご紹介。世間的には「ダメ母」といわれることもある主人公たちですが、多くのママが共感できる要素があるはず。■『おにぎり通信』(二ノ宮知子 著/集英社)『のだめカンタービレ』の作者、二ノ宮知子さんによる子育てファミリーエッセイ。一般的な育児マンガとの違いは、家事や育児のほとんどを二ノ宮さんの夫が担当していることです。それではママである二ノ宮さんは何をしているかといえば、人気作家らしくマンガの締め切りに追われる日々。「育児より仕事のほうが楽」とまで言ってしまうほど、一家の大黒柱として働いています。生活のほとんどを夫に任せっぱなしなわけで、子どもたちには「パパがいい」と言われてしまう始末。その都度、ママ業をがんばろうとするけれど、朝は起きられなかったりと、なかなかうまくいかないようで…。そんな失敗をしつつも、幸せそうに暮らす家族の姿にほっこりしてしまいます。子どもの成長に沿った笑える「あるある」ネタも盛りだくさん。でも、ママとしては主夫として奮闘するパパの姿にも共感してしまうかもしれません。■『毎日かあさん』(西原理恵子 著/毎日新聞出版)「毎日新聞」で連載中の育児マンガではありますが、作者である西原理恵子さんが連載中に離婚してしまうなど、波乱万丈な様子も描かれた作品です。「かあさん」は晩酌をしながら子どもを寝かしつけたり、運動会の日に寝坊して質素なお弁当しか作れなかったりと、決してほめられる子育てではないかもしれません。でも、大きくなった子どもたちを見て「食事なんか手作りすることなかった あんなに抱っこしてほしがってたのに もったいないことしちゃったなあ」と振り返るほど、子どもたちへの愛情はしっかり伝わってきます。そんな思いにホロリとしながらも、なぜか棒を集めてくる男子の習性など、笑えるエピソードも満載で、育児への勇気がもらえるはず。 ■『私たちは繁殖している』(内田春菊 著/ぶんか社)妊娠から出産、そして4人の子の育児風景を描いたマンガ。主人公がシングルマザーを経て結婚、離婚、さらに再婚するなど、こちらもなかなかの波乱万丈っぷりです。1巻には妊娠から出産にかけての様子が詳しく描かれていて、プレママには参考になりそう。「おしるし」がきてから陣痛時の呼吸法、出産直後の様子などリアルに描かれています。豪快すぎる子育て法には賛否両論ありますが、この本を読んで母乳育児に挑戦した、子育てが楽になったと思う人もいるほど、長く愛されている作品です。■『ママだって、人間』(田房永子 著/河出書房出版)妊娠したけどすぐには母性がわいてこない、妊婦の性欲問題、出産への恐怖、産後の夫婦関係など、他人には聞きづらい、言いづらいことが赤裸々につづられた異色作です。母親学級でママコミュニティに違和感を覚えるエピソードは、初めてママになったときに感じたことがある人もいるかもしれませんね。ほのぼのしたシーンはあまりないのですが、その分、幸せの裏に隠されたママの悩みがぶっちゃけられています。ママであることに疲れたときに読みたくなる1冊です。どの作品もママとしては異端児ともいえる女性が主人公ですが、ハッピーな面だけでなく、大変なことやドロドロしたことも描かれているので、育児に苦労してきたママたちから共感を集めています。「ダメなのは私だけじゃなかった!」と安心するもよし、「ありえない!」と笑い飛ばすもよし。育児マンガだからといって、共感できなくても大丈夫。ほかの人の育児風景を見ることで、ヒントが見つかるかもしれません。・ 『おにぎり通信』(二ノ宮知子 著/集英社) ・ 『毎日かあさん』(西原理恵子 著/毎日新聞出版) ・ 『私たちは繁殖している』(内田春菊 著/ぶんか社) ・ 『ママだって、人間』(田房永子 著/河出書房出版)
2016年12月21日本当なら、人生の1分1秒でも長く自分の部屋にこもって、好きなアニメや漫画と、その二次創作ばかり見ていたい娘・夢見。そんな彼女が渋々とは言え、学校のあとの塾に通い続けているのには訳がある。国語の授業で使うテキストで、学校では決して読めない、面白い評論や随筆が読めるからなのだ。今日はこんな話だった、と塾帰りに毎回報告してくる夢見が、あるとき特別に興奮気味に、もうおかしくてたまらないといった様子で教えてくれたのが「あたたかい手」というエッセイ。詩人である工藤直子さんの幼少期の、父と母とおならにまつわる話だ。あるとき、食べ過ぎによりお腹をこわしてしまった幼き日の工藤さん。その様子を見て慌てふためく父母は、消化を促そうと、朦朧(もうろう)とする娘の腕を抱きかかえ、歩かせてみたり、運動をさせてみたり、あの手この手で奮闘。そんな中、幼き工藤さんは、父の鼻から鼻毛が1本出ているのを発見するほど冷静で、序盤からまるでコントみたいなのだが、オチだって決してはずさない。「出るものが出ればなんとかなるだろう」と考える父は、何度目かのトイレでぷーっとおならの音がしたのを聞いて安心するも、すかさず母から「それはあなたのおならじゃないですか」とツッコミを受けるのだ。塾の教室が爆笑に包まれたというその話を、娘に言われるままに読んで、やっぱり私もお腹を抱えてゲラゲラ笑った。それをきっかけに、この話が収録されている工藤さんのエッセイ集『とうちゃんと』を知り、すぐにAmazonで買って読んでみた。するとこどの話も本当に素晴らしくて、ときに笑い、ときに涙しながら、あっという間に夢中で読んでしまった。おならの話は群を抜いて面白いけれど、もう一つはっとさせられたのが「個人落語」と名付けられた話。父親の右手人差し指には縦に一本、爪の真ん中を通るように大きな傷跡があったという。幼い工藤さんは、父がそのケガを負ったときの子ども時代の話をとても気に入っていて、何度も繰り返しせがんだのだという。似たような経験が、私にもある。今となっては60代も後半に差し掛かったわが父。そんな父がまだ幼かったある日、ふと空を飛ぶヘリコプターを指差してこう言ったのだという。「屁ヘリコプターだ!」……すると、たまたまそれが、今は亡き私の祖父、つまりは父の父の耳に入り、運悪く怒りをかう。帰宅するなりバッチーンッと祖父に頬を張られた父少年は、その衝撃で11ートルくらい吹っ飛ばされたとか……。あらためて文字にするとなかなか鮮烈なエピソードだが、子どもだった私にとっては何度聞いても爆笑モノで、渋る父にねだっては、繰り返しこのときの話をしてもらった。だって、自分にとっては立派な大人以外の何物でもない父に、実は私の知らないまぬけな子ども時代がちゃんとあって、おまけに私の中では、温和で、寡黙な印象しかない祖父が、元気に猛り狂ってビンタしているのだ。そんなことがあったのかという驚きと、在りし日の父少年への親しみと、そして子ども心にもほんの少しのもの哀しさと。父の話を聞くたび、私の中にはたくさんの感情が湧き上がった。あらためて思えばあのとき、まだたった数年しか生きていない幼い私は、初めて“今、この瞬間”から少しだけ距離を置くことを学んだのだ。自分と、その周囲を、今いる場所から一歩下がって俯瞰(ふかん)してみる。するとそこには、祖父から父、父から私へ、途切れることなく続いてきた、血の通った、長い、長い時間が存在していたのだ。「ねえ、あの話しして?」考えてみれば、母になった私はあまり子ども達に昔の話をしたことがない。だから、子ども達にこんな風にせがまれたりしたこともそうそうない。……話さなきゃな、と思う。私がまだお母さんになる前の話。今のモーや夢見と同じくらい不器用だった、子ども時代の話。大人になって、ようやく笑い話にできるようになったけれど、それでもやっぱり、ほんの少しほろ苦い昔の話。何しろそれは、どんな素敵な絵本だってかなわない、私と子ども達だけの、特別な物語。彼らの“今”を形作る、特別な物語なのだ。イラスト ハイジ参考書籍 『とうちゃんと』 (工藤直子/筑摩書房)
2016年12月20日もう散々議論し尽くされているテーマだと思うけれども、柿ピーの柿とピーについて、私の認識で言えば、「ピー」、すなわちピーナッツは、柿の種の美味しさをより色濃く印象付けるための、あえての我慢アイテムという認識だった。”人生楽ありゃ苦もあるさ”の楽を知らしめるためにどうしても必要なスパイスとしての苦。あるいは、世の中の光を際立たせるためのあえての影、それがピーである、と。苦労を避けて通ってはいけない、努力なしでは成功は得られない。義務教育でそんな風に教わってきたから、柿ピーを前にしてもやっぱり、柿とピーのバランスを考え、柿、柿、柿、ピー、柿、柿、柿、ピー、くらいのペース配分を戒めのように自分に課してきた。それが正しい大人としての自分の務めであると言わんばかりに。けれども34年間生きてみて、いろいろなことがあった。福岡の片田舎から東京に出てきて、さまざまな人たちと触れ合ううちに、あれ、思ってたのと違うかも、ということに気づき始めた。私のように、子どものころの先生の教えを律儀に守って、目の前の苦を享受している人間は、ともすればふとしたとき、生きることに疲れたりする。疲れ切って動けなくなったり、逆に感覚を麻痺させて死んだ目で動き回ることもある。一方で、感じることを止めない人達というのは、できる限り無駄な苦を回避するし、そのために考えながら生きているのだ。そういう人達は、考えているわりにあまり疲れているようには見えない。目の前に差し出された苦をありがたがって受け取るだけが賢い大人のやることではないのかもしれない。あの山のてっぺんまで登るようにと言われて、最短距離だからとただ闇雲にまっすぐ進む。目の前に立ちはだかる巨木や岩を馬鹿正直によじ登って突き進むのは思考停止だ。本当は、それらを器用に避けながら、無理のないルートを切り開くことこそ賢さにほかならない。そんな世の中の真実についに気付いてしまった私の目の前に、満を持して現れた至高のおつまみ、それが「柿の種・ピーナッツ抜き」であった。……インターネットで見つけた時、「こ、これは……!」と雷に打たれたような衝撃が走った。今まで、なんで無用の修行をしていたんだ私は、と。そもそも、たかが酒のおつまみ。思考力を身につけた大人なんだから、ピーははじめから回避すればよかったのだ。柿、柿、柿、柿。堂々とそれを繰り返してよかったのだ。にもかかわらず、苦々しいピーを回避しないことに、さも大義があるかのように自分を偽ってきた。愚かだった。後ろ向きな姿勢で食べてきた無数のピー達への追悼の念とともに、ついにわが家に、6パック入りの大箱で届いた「柿の種・ピーナッツ抜き」。黄身だけで作る卵ご飯と同じくらい、ある意味でこれは大人にだけ許された究極の贅沢とも言えるかもしれない。子ども達にはまだ早すぎるのではないか。筋力を十分につける前に近道を教えるようなものではないのか。そんなことを思いちょっと悩ましくも感じた。ところが、学校から帰ってくるなり「柿の種・ピーナッツ抜き」を見た息子が、悲鳴をあげて言った。「ピーナッツ抜き!? そんな柿ピーに存在価値なんてない!!」えっ……私は仰天した。単に無駄な苦であるピーの価値をそんなに高く見積もっていたなんてまさか息子はドM?! 柿ピーをめぐる、わが家の思想的対立の火ぶたが切って落とされた、かに思えたが、よくよく話を聞くと、考えれば当然のことがわかった。息子は、ピーナッツが好きだったのだ。私の体から分裂してこの世に登場し、私の調理したもの、私の買い与えたものを食べて成長した息子が、まさかピーナツ好きになろうとは。血が繋がっていたって、一緒に暮らしていたって、親と子は別人なのである。イラスト ハイジ
2016年12月13日「ママってさあ、よく突然独り言を言うでしょ。それにしょっちゅう鼻をすする。ネットで調べたんだけど、それってチックっていう病気らしいよ?」ある日突然こんなことを最近娘に言われて、ドキっとした。確かに私は独り言が多い。そこには20年以上前から自覚がある。ふと過去の恥ずかしい失敗を思い出したり、目先に締め切りの迫った原稿が1行も書けていなかったりするとつい、「あああっ」と声をあげて、現実から気をそらそうとしてしまうのだ。もっとライトに、「うん」とか「あっ」とかも言うけど、もっとエモーショナルに「もうだめだ~!」と言ったりもする。でもそれだとあまりに破滅的で救いがないので、最近では「いや、でも大丈夫!」とか、「でも、頑張ろう!」とか、過去の恥ずかしい場に居合わせた他人のような気持ちで、自分に励ましの声をかけるようにしている。自己救済措置。……と本人は一件落着、みたいな気持ちでいても、そばで聞いている子どもの気には当然触るだろう。黙って台所に立っていた母親が、急に一人で喋り出すのだから、子どもたちは気の毒だな、と思う。しかし、それはチックなのだろうか。ただ単に独り言のうるさい人とは違うのだろうか。鼻をすする、についても、単なる慢性鼻炎のせいではないのか……と思っていたものの、娘に言われた翌日、私はついに気付いてしまったのだ。「はあああもうだめだ、仕事終わらない……いや、まだ頑張ろう!」という思考の延長で、言うならば気持ちを切り替えるリフレッシュのために、確かに私、すうううっと、大げさに息を吸い込んでいたのだ。娘のみならず息子に至っては「俺はドアの外のヒールの足音と鼻をすする音で、母さんかそうじゃないかを見分けられる」とまで言うくらいだから、きっと私は無意識でも、その必要もなく何度も鼻をすすっている。そうか、これか。これだったのかと。チックなのかどうなのかはさておきギョッとした。何しろ自分がほぼ無自覚にやってきたこと、たとえ気付いたとしても生理現象の一つだと扱ってきたことに、実は全然別の意味があったかもしれないのだ。自分のちょっとしたストレスを逃そうと、無意識の私が暗躍していたかもしれない。自分の知らない自分と、思いがけず出会ってしまったような気持ちになった。しかし、そんなことよりもっと怖いのは、そんな私の無自覚な私に気付き、その違和感を指摘したのが娘の夢見だったということだ。おそらく彼女はあるときふと何かでチックを知って、「ママのあれはもしや」と疑問を持ったのだろう。そしてさらに深く調べ、うん、やっぱりそうだ、と思い至ったんだろう。わが家の最年少・夢見がついに、うちの「当たり前」が、本当によそでも「当たり前」なのか、家庭と社会を照会できる能力を身につけてしまったということなのだ。思えば、前の夫と離婚してからの3年ほど、家庭の中というのは、社会から隔絶され、私が唯一、完全に気を抜いていられる場所として機能してきた。パンツ一丁で歩いても大丈夫。ソファに足を放り投げて転がったって大丈夫。昨夜の洗い物が翌日もシンクの中に溜まっていたって大丈夫。ロビンのウンコがあちこちに転がっていたって踏まなきゃ大丈夫。……まあ色々なことが大丈夫だった。だって、結局はいつか自分で処理するわけだし、子ども達だって生まれながらにこの家で生活しているわけだから、今さら何の疑問を持つこともなかろう、とある意味たかをくくっていた。ところが今後はそうはいかないのだ。実は私が一般的には片付けの苦手な部類の人間であることも、実は標準よりやや衛生観念に欠けていることも、実はいまひとついろいろな面でだらしない部分があることも。今後は玉ねぎの皮を剥くように、次々と暴かれ、家族だからこその鋭さでグサッ、ズサッと指摘されていくのだろう。……怖い。怖すぎる。年齢を重ねるほどに、自らの欠陥こそ個性と開き直って、楽に生きていけるようになるのだろう。漠然とそんな風に楽観視していた。今抱えている若干の後ろめたさも、そのうち私の中のわずかな正しさが根負けして、そんなにだらしないならもういいよ、と影を潜めていくんだろうと。しかし敵は私の中だけにあらず。少なくとも子ども達が独り立ちするまでのもう数年間は、せめてもう少し真人間に擬態する努力を積むべきか……。決断を迫られている。イラスト:ハイジ
2016年12月06日妊娠中も子育て中も、おしゃれで可愛いコーディネートを楽しみたいというママも多いのではないでしょうか。そんなママにおすすめのマタニティグッズやファッションを紹介していきます。妊婦さんには嬉しいお腹周りがゆったりサイズの服や、産後も着ることができる便利で可愛いファッションもあります。赤ちゃんと楽しみながら過ごす時間を大事にしましょう。妊娠中や産後でもおしゃれはできる?おすすめのマタニティファッションをご紹介!赤ちゃんに会うのが楽しみな妊娠期間ですが、出産に向けてお腹がどんどん大きくなってくるため、今まで着ていた服を着ることができないなんてことがあります。ですが、妊娠中でも妊婦さんならではの可愛いファッションを楽しめます。妊婦さんにおすすめの服装や、赤ちゃんが生まれてからも使うことができる便利なアイテムもご紹介します。ワンピースでゆったり可愛く妊婦さんにおすすめの服装といえばワンピースです。定番中の定番ですが、腰回りがゆったりとしているデザインで、妊娠中にこれほど楽な服はありません。マタニティ専用でなくても、ゆったりとしたデザインであれば一般的なアパレルショップで購入することもできます。伸縮性のあるデザインならば締め付けるような感じもなく、お腹も目立ちにくいのでおすすめです。シンプルなデザインならば使い回しやすく、赤ちゃんが生まれてからでも着用することができます。また、フレアワンピースなら可愛らしく着ることができ、腰のデザインがゆったりしているものがおすすめです。大きめサイズのゆるめニット冬や寒い時期にはゆるめのビッグサイズニットがおすすめです。ゆるニットやビッグシルエットは今ブームになっていますので、ゆったりした服が身体にあっている妊婦さんにはおすすめです。スカートはウエストがゴムになっているデザインを選ぶと、お腹に負担がなく可愛らしいコーディネートを楽しむことができます。また、ニットに大きめのストールを組み合わせるとお腹が目立ちにくいので、サブアイテムとしてストールを活用するのもおすすめです。授乳口付きの服は産後も便利マタニティウェアには、お腹周りがゆるやかなものだけでなく、産後に授乳する際に便利な服もあります。服にファスナーやボタンがついていて、それを外すとすぐに授乳ができる仕組みになっている服は、有名人や芸能人でママになった方も着用しています。外出先でも簡単に授乳することができ、赤ちゃんの顔も隠れるので安心です。1枚こういった服を持っていると、育児の際に役に立ちます。おしゃれなデザインや可愛らしいデティールの授乳口付きの服が販売されているのでぜひチェックしてみてください。ダッカー付きのコートで赤ちゃんも安心冬場におすすめのマタニティファッションが、ダッカー付きのコートです。赤ちゃんを抱っこしたまま着ることができます。ダッカーは取り外し可能なものが多く、寒い冬場はダッカーで包んで抱っこしてあげれば外出のときも安心です。また、赤ちゃんはママに守られながら抱っこされている形になるので、赤ちゃんの異変にも気づきやすいのでおすすめです。マタニティファッションを選ぶときに気をつけたいことマタニティファッションについて紹介しましたが、何よりも重要なのは快適さや赤ちゃんの安心感です。オシャレを楽しむことも大事ですが、当然、ママや赤ちゃんが使いやすい服でなくてはいけません。また、直接赤ちゃんの肌に接することのある服は、コットンなどの優しい素材を使用したものを選ぶようにしましょう。かぶれてしまったり、擦れて乾燥してしまったりといった原因になりかねません。おしゃれも楽しみながら、素材や利便性を考えたファッションを目指しましょう。
2016年11月29日10年前、息子がまだ幼稚園児だったころ。とあるママ友が無邪気な笑顔でこんなことを言った。「うちの息子ね、家で育てているオジギソウに、モーくんの名前をつけて可愛がってるのよ」某幼児用教材の付録にオジギソウの種がついてくるそうで、土に植え、立派に発芽し、お辞儀をするようになった知人宅のオジギソウに、なぜか息子の名前がつけられたというのだ。一体、なぜ……。条件反射で吹き出しつつ、内心さまざまな思いが渦巻いた。仮にもし、育てているその草がオジギソウじゃなくて、クローバーとか、ミントとか、ローズマリーとかだったらまた別の話になっていたのだろうけれど、よりによってオジギソウである。ちょっとつつくと、お辞儀をするように葉を閉じることからその名がついた、あのオジギソウ。万年平社員さながら律儀にお辞儀をする、モーの名のついたオジギソウを、息子の友人は一体どんな気持ちで可愛がっているというのか。決して覗いてはいけない深淵を覗いてしまったような、なんとも言えない複雑な気持ちになったものだ。しかし、へこへこお辞儀するかはさておき、確かに息子は幼いころから三枚目キャラではあった。仮に草に例えたときにも、決してクローバーや、ミントや、ローズマリーというような、カフェっぽい名前にはならなそうな、そんな子どもだった。3回経験した幼稚園の運動会。駆けっこで、息子は決まってスキップをした。自己紹介のマイクが回ってきたときには大きな声ではっきりと「ウンコです」と言った。さすがに小学生にもなるとウンコで笑いを取ろうとすることはなくなったものの、代わりに少々知恵をつけて、真面目にやったほうがもっとウケる、ということに気付いた様子。ある年の学芸会、「どうしても……どうしても彼にしかできない役があるんです!」と担任の先生に熱っぽく語られ楽しみに会場に行くと、息子の担当はなんと“効果音”だった。といっても、楽器やCDを鳴らすわけではない。嘘みたいな本当の話で、彼にしかできない役とは、他の子の歌の合間に「チャッ!チャッ!チャッ!」と、効果音を発声することだったのだ。最初から最後まで大真面目にやったことにより、会場はどっと沸いた。終演後のモーは、「オレ、人に笑われるの大好き!」と満足げに語ってくれた。その言い方だとちょっとドキッとさせられるけれど、おそらくモーは「オレ、人を笑わせるの大好き」と言いたかったんだろう。スポーツが得意というわけでもなく、かといって秀才かというとそっちでもなく。恵まれた都会育ちでありながら、未だに浮いた話のない息子。しかし、14歳になった今も、昔からの性格は全く変わらず、日々いかに人を笑わせるか、ということに全力を注いでいる。会話の間合いを見て、ここぞというところでぬかりなく一発芸をかましてくる。最近では、人を笑わせるための独自のロジックすら形成されているようだ。万年平社員だって中島みゆきに言わせれば地上の星。私や夢見のみならず、息子はきっと、周りにいる沢山の人を地上から明るく照らしている。あこがれの対象として人々の頭上から眩く輝かなくたって、オジギソウに重ねられたって、私はそんな息子を、とても自慢に思うのである。* * *ところで、私自身小さなころからオジギソウがとても好きで、未だに山や公園でそれらしい葉っぱを見つけると、つい指でつついて、オジギソウかどうかを確かめてしまう。(でもこれがなかなか見つからないのだ)。触った瞬間に動いてくれると、なんとなく草と意思疎通ができているような気がしてワクワクする。先日読んだニュースによると、植物には知性や感情があると考える科学者が急増しているのだという。まことしやかに囁かれている、観葉植物に優しい言葉をかけ続けるとよく育つ、というあの言説を実験された方はぜひその後の経過を教えてほしい。あわせて、最近ツイッターで見かけた、“水にエッチな言葉をかけ続けると水素水になる”、というツイートに、深く唸らされたことをここにご報告します。……完全に余談ですが。イラスト:ハイジ
2016年11月29日キャリアコンサルタントの上田晶美です。育児休暇を経て仕事に復帰してがんばる女性たちのために、さまざな情報をお届けしてまいりました。今回は、育児休業明けの先輩ママSさんの、その奮闘ぶりと工夫の一例をご紹介しましょう。■その1. 「コミユニケーション力」を使うのみ!育児休業から復帰したてのママSさんに聞きました。彼女は金融機関で働く、第一子の育児休業を終えたママで、短時間勤務制度を利用しています。「人より短い時間の中で仕事を終えなくてはならない。とにかくプレッシヤーが大きいですね。私の支店では、短時間勤務はまだ一人目なので、悪目立ちしないか、心配が尽きません」一番困っていることは? と聞くと「上司とコミュニケーションをとる時間がないことですね。残業できないから、朝のうちに話をしておきたいと思うと、支店員がみんな殺到していく時間なのです。そこで私はストーカーのように上司の動きを観察して、さっと廊下で捕まえています」またはアメリカ映画のように、同じエレベーターに乗りこみ、伝えることもあるという。なかなかの工夫ですね。■その2. 会議は「午前中」にお願いする「これは私からみなさんにお願いしたことなのですが、以前なら営業が終わって、夕方5時からの会議というのがありました。私は4時退社なので、出ることはできません。できるだけ、午前中に大事な会議は開いてもらうようにお願いしたところ、みなさんが受け入れてくださり、開いてみると案外好評でした。やはり、5時からの会議は退社時間が気になってみんな嫌だったのですね。当然残業という空気になりますから」プライムタイムともいえる午前中に会議を平育ようになったおかげで、スッキリした頭でみんな参加でき、長々話してもいられないので、会議の時間自体が短くなったそうです。ワークライフバランスへの対応は育児中のママにだけではなく、社員全員に上手な時間管理を促すという効果があるのですね。「午後から新規の案件が入ると緊張します。引継ぎして帰らなくてはならない可能性が出てくるからです」 ■その3. お礼は大げさなくらいに言うそこでSさんが心がけているのは、大げさなくらいお礼を言うことだそうです。短時間勤務の人がいると「自分にしわ寄せがくるかも」と周囲は誰でも警戒します。それでなくても忙しいのに、人の仕事まで押し付けられてはたまらないと思うのが、本音ではないでしょうか?実際に引き継いで先に帰らなくはならなくなったとき、そんな相手の気持ちをしっかりと考えて、それ以上のお礼の気持ちを伝えるようにしているそうです。頭を下げるのはただですから!それに、言葉だけでなく、小さな付箋に感謝の気持ちを書いてデスクに張っておくのだそうです。いちいちメールを書くのは面倒でも、付箋に一言ならすぐに書けますし、手書きの方がより気持ちがこもります。ママになったので、動物がらなどのデザインの付箋も似合うようになったそうです。そんなせいもあってか「Sさんはママになってやわらかくなった」とよく言われるとか。子供がいるからこそ使える付箋のかわいさに助けられているのかもしれませんね。ただし、赤ちゃん柄などはお子さんのいない女性に対して、角が立つのでやめましょう。応援していますよ!
2016年11月23日2回目の今日は、この連載の登場人物について、もう少し詳しく説明しようと思う。まず、この日記には息子が登場する。息子は小さい頃から一部で“モーくん”と呼ばれていたので、ここでもモーと呼ぶことにしようと思う。実際、本人にそう呼びかけたところで「俺そんなあだ名で呼ばれたことないけど」と混乱すると思うのだが、この名前は私が大昔に書いていたブログの記事に由来している。今や中学3年となり、立派にオッサンへのフォルムチェジを果たした息子だが、まだ2、3歳の、オムツを履いていたころ。ウンチ後にお尻を拭くときに、“牛さんみたいに四つん這いになって”というのを、わが家では“モー、して”と言っていたのだ。(いらぬ説明かもしれないけれど念のために、牛がモーと鳴くからだ)。寝返りができるようになるのを皮切りに、オムツ替えって途端に格闘技になるが、歩き出すとなおさら大変で、じっとしている一瞬の隙に、手際よく済まさねばならない。そうじゃないと、下半身丸出しのまま伸びやかに走り出してしまうからだ。息子もご多分にもれず、一度“モー”をしても、数秒と待たずに四つ這いのまま走り出してしまう暴れ牛だったので、その様子を当時のブログにおもしろおかしく書いた。それがきっかけとなり、彼はネット上の一部の読者の方々に、モーくんと呼ばれるようになったのだった。……アメリカだったら訴訟されかねない。で、同じブログの中で娘の方はというと、夢見、と呼ばれていた。これは、まだ娘がお腹の中にいる頃、長男モーが決めた名前だ。「生まれてくる赤ちゃんはどんな名前がいいと思う?」と、当時3歳だった彼に何気なく聞くと「いい夢をたくさん見られるように、夢見がいい」とモー。3歳ってそんなこと言ったかな、と今となってはちょっと驚くのだけど、確かにあのとき彼はそう言って、当時妊婦で、センチメンタル過剰だった私は、そんな兄の優しさにちょっと泣いて、それを早速ブログに書いて、それで娘は“夢見”になったのだ。たまに勘違いされることもあるのだが、夢見は本名ではない。なぜ本名にならなかったかというと、父親が22歳、母親が18歳という年齢で勢いで結婚。その後も色々と無計画に生きてきた親から、さらに夢ばかり見る子供が生まれてきては命に危険があるのではないかという懸念が、名付けのときにどうしても払拭できなかったためだ。だが幸いにもここはインターネットの世界なので、何を気にすることもなく堂々と“夢見”と呼んでいきたい。それから、わが家にはもう一人、というかもう一匹、ロビンという犬がいる。ロビンは、私とモーには文字通り尻尾を振ってすり寄ってくる愛くるしい犬だが、夢見については少し様子が違う。「ママとモーくんが帰ってきたときには飛び着いて行くのに、私が帰ってきたときには、ちらっと目を向けるだけで一歩も動こうともしない」と、よく夢見が不満をもらしている。どうやらロビンは夢見を完全に自分より下位の存在、犬か何かであると考えているようだ。ということで、この家族日記は、モーと、夢見と、夢見がちな娘にシビアな現実を見せつける犬のロビンと、そして私綾瀬はるか、じゃなかった紫原明子の4人の生活を綴っていくものである。最後に、タイトルと文末のイラストについても少し説明をしたい。まず、タイトルの方のイラストを描いてくれたのは、中学3年生の天才イラストレーター、らく君だ。実は彼、息子の幼稚園時代の友人なのだが、最近になってすごい才能の持ち主だということがわかり、この連載のタイトル画像をお願いした。インスタグラムで毎日1枚更新されるイラストからは、日々溢れんばかりの才能を見せつけてくれているので気になる人はぜひフォローしてみてください。らく君Instagram: rakufutty また、毎回内容に添って描き下ろされる文末のイラストは、30歳のイラストレーター、ハイジによるもので、何を隠そうハイジは私の妹、且つ現在4ヶ月の赤ちゃんを絶賛子育て中の母でもある。子育ての合間にiPadでイラストを描いてくれるのだが、この原稿を描いている段階で、当初隔週だった更新予定が毎週に変更になったことを未だ伝えていないので、これを読んだらあの子どんな顔するだろう、ワクワクが止まらない!イラスト:ハイジ
2016年11月22日毎日、子どもたちの世話に追われるママたち。そんな中、みるみるたまっていくのが育児ストレス。これを発散するにはどうしたらいいのでしょうか? みんなが密かにやっている、とっておきの秘策を紹介します。■ママはとにかく健康第一!どうでもいいことにもイライラする、ちょっとしたことでキレやすい、物事をすぐ後ろ向きにとらえてしまう、何をやるにも身が入らない…。このような自覚症状があったなら、相当ストレスがたまっている証拠。早急に、デトックスを行いましょう。とはいえ、やることがいっぱいで、毎日フル稼働のママたち。のんびり旅行したり、時間を忘れておしゃべりしたり、心ゆくまで飲んだり…なんて悠長なことはできないものです。仮にゆっくりできたとしても、「子どもたちは大丈夫かしら?」「早く帰ってあげなくちゃ」と気が気じゃないはず。そうした心配とあせりによって、さらなるストレスを溜めるくらいなら、我慢していたほうがマシ…、なんてママも少なくないでしょう。でも、発散されずに蓄積されたストレスは、カラダをむしばむこともあるので要注意。ママの健康こそが家族のしあわせ。定期的なストレス解消だって、立派なママの仕事と心得ましょう!■こころとカラダはつながっている!多くのママたちが望むのは、時間もお金もかけることなく、パッとリセットできる簡単な方法。実際、多忙な先輩ママたちがどうやって気持ちを切り替えているのか、その方法を聞いてみました。「犬の散歩がてら公園に立ち寄り、鉄棒などの遊具にぶら下がってカラダを伸ばす。イライラすると、余計なところに力が入ったり、カラダが縮こまったり。そんな凝り固まった背中をビヨーンと伸ばすだけで、気持ちもスーッとなるから不思議」(30代前半)「逆立ちをする。血流がよくなりあらゆる滞りが解消されて、一気にスッキリ。運の巡りもよくなる感じ。ただ、何度か失敗してふすまに穴が…」(30代前半)ストレスがたまるとカラダが硬くなってしまいます。肉体がカチカチになるとさらに気持ちが落ち込み、悪循環。このように、こころとカラダは連動しているもの。カラダをほぐせばこころもやわらか。ストレッチやちょっとした運動は、ストレス解消の王道です。また、一心不乱に単純作業をするのも有効なのだとか!「野菜をひたすら刻む。私のおすすめは、長ネギ。これを数本買ってきて、気が済むまでトントンやり続ける。これをしたあとの夕飯には、みそ汁にもおかずにも長ネギがどっさり。それを見て夫が、『スッキリした?』と聞くのがいつものならわし。残ったネギは、袋に入れて冷凍室へ。必要なときにすぐに使えるので、とても便利!」(40代前半)家事は、イヤイヤやればストレスのもとだけど、イキイキと取り組めば気分転換に最適。トントン刻んだり、ゴシゴシこすったり…。料理や掃除など、一定の動きを無心に続けていると、充実感に満たされるはず。■ひとりになれる、なじみの店を見つけておこう家族に内緒の癒やしスポットを作っておくことも大事。「私にはあの場所がある!」という希望が、ママをサポートしてくれます。「買い物ついでにペットショップに立ち寄り、かわいい動物たちを見て癒やされる。私の行きつけの店には看板犬がいて、その子を触ることもできるので、なでたり抱っこしながら、こっそりグチをこぼしている」(30代前半)「幼稚園に子どもを預けたあと、車で1時間行ったところにある、スーパー銭湯で昼風呂を堪能。近場だと知り合いとバッタリ遭遇する可能性があるので、離れたところまでわざわざ足を運ぶのがポイント。お迎えの時間までまったりして、その日は帰宅後、子どもと昼寝!」(30代後半)家族とは一緒に行かない、「自分だけの場所」があると、ちょっとだけ「ママ」の重荷から解放されるかもしれません。忙しい日常から逃れたいときにもおすすめですね。特別なことをしなくても、日々のちょっとしたことでストレスを解消できます。溜め込みすぎる前に、少しずつ発散していきましょう!
2016年10月20日“ほっこりママ”という言葉を耳にしたことはあるでしょうか。これはその名の通り、ナチュラルでほっこりした生活や子育てを心がけているママたちのこと。布おむつに布ナプキン、綿や麻100%の服、白木の玩具、手作りオヤツ、オーガニックフード。これらはすべて、“ほっこりママ”を代表するアイテムです。彼女らが目指すのはゆったりとした、丁寧な暮らし。子育てにおける理想のあり方のひとつともいえますが、のめり込みすぎて周囲が見えなくなっているママに出くわすこともしばしばあります。今回は、いき過ぎた“ほっこりママ”たちに困ったことがあるという人たちに話を聞いてみました。●(1)「ワクチンは毒」「ハチミツで全部治る」……病院通いを非難された“ほっこりママ”さんたちは医療的な話に非常に敏感。よかれと思ってさまざまな助言をしてくれるのですが、時に煙たく思われてしまうことも。『インフルエンザの季節になると毎年「ワクチンは毒。製薬会社の陰謀に巻き込まれちゃダメ! 」と力説してくるママ友がいる。子どもの送迎で顔を合わせるたびに、「予防注射受けてないよね?ちゃんと熱を出したほうが免疫がつくからね!」と確認されるのが苦痛です。わが家のことはほっといてくれ……』(30代女性/幼稚園児のママ)『子どもが風邪ひいて病院にいった、といったら、「風邪くらいで病院!?そんなの、体を壊しにいってるようなもんだよ!」と言われた。そして翌日、「コレで何でも全部治るからね。病院の薬は捨てるんだよ 」と言って、大量のハチミツを押し付けられた。正直困りました』(40代女性/小学生のママ)●(2)「白い食べものはダメ」「市販のお菓子はNG」……食べ物のこだわりが強すぎる食べもの、飲みものに強いこだわりを持っている“ほっこりママ”たちも多いようです。『ホットケーキミックスを買っているところを見られ、「白い食べものは体に良くないからダメ なんだよ。小麦粉や白砂糖もやめたほうがいいよ」と言われました。あんまりそういうこと言われたくないな〜、とやんわり返したところ、「娘さんのこと、心配じゃないの!? どうなってもいいの!?」といきなりの逆ギレ。気分悪かったです』(30代女性/小学生のママ)『市販のお菓子やジュースは一切与えないっていうママさんがいる。みんなでオヤツ持参して遊ぶときも、その子だけふかし芋とか炒った豆とか、ボソボソの手作りクッキーとかを持ってくる 。でもその子、親の見てない所でよその子のオヤツを盗み食いしてることが分かったんです。うちの子のチョコやスナック菓子もかなり取られていました』(30代女性/小学生・保育園児のママ)●(3)「ボディソープやシャンプーは使わない」……それはいいけどニオイが気になる体の清潔のためには欠かせないと思われている、ボディソープやシャンプー。これらに含まれている化学的な成分などを嫌う“ほっこりママ”さんの話を聞かせてくれた人もいました。『石鹸も、ボディソープも、シャンプーも、歯磨き粉も使わない。子どもにも使わせていないっていうママ友がいます。そういうのは全部体に有害な物質が入ってる し、皮脂こそ最も大切な体のバリアなんだってさ。それはまあいいんだけど、夏場はちょっと臭うんですよ。特に上のお子さんは男の子なので……分かりますよね?(苦笑)』(30代女性/小学生・幼稚園児のママ)----------いかがでしたか?「どのようなライフスタイルを選ぶのも個人の自由。けれど他人の意見を聞かず、必要以上にゴリ押しして勧めてしまうのはNG。周囲に迷惑をかけない範囲で“丁寧な暮らし”を楽しんでいるならOK」……今回のインタビューでは多くのママたちがそのように感じていることが分かりました。さて、あなたの周りには“ほっこりママ”さん、いますか?●文/パピマミ編集部
2016年10月18日暗闇バイクエクササイズ「FEELCYCLE(フィールサイクル)」は10月22日より、映画『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』とコラボレーションしたスペシャルレッスンを期間限定で開始する。10月29日公開の同作は、スレンダーなブリジット・ジョーンズが主人公。劇中では彼女がFEELCYCLEをイメージさせるインドアバイクエクササイズを行うシーンも登場。"スレンダーボディを手に入れた秘けつはこのバイクエクササイズ!? "と思わせるシーンがあったことから、コラボレーションが決定したという。スペシャルレッスン「BB2BRJ(ビービーツー ブリジット・ジョーンズ)」は、エリー・ゴールディングが歌う主題歌「スティル・フォーリング・ユー」を含めた映画サウンドトラックで構成する。『ブリジット・ジョーンズの日記』第1作を象徴する曲「オールバイマイセルフ」も含まれ、映画の世界観を追体験できるプログラム構成になっているとのこと。レッスンの開発を担当したFEELCYCLEエグゼクティブトレーナーのMario氏は「レッスンを受けた後に、映画を観終わった気持ちと同じ気持ちになれるようなプログラムになるよう心掛けて制作しました」とコメントしている。レッスン開催場所は、FEELCYCLE(六本木他、全国順次拡大予定)。開催期間は10月22日~12月末。予約は、FEELCYCLE公式サイトから受け付ける(初回トライアルの場合は予約不可)。
2016年10月18日ブログやSNSなどで楽しく育児をしているママがクローズアップされることが多い今、子育て中のパパとママに本音を緊急調査しました。育児には「これが正解」というものがないだけに、親も壁にぶちあたりながら、子どもといっしょに成長してているようです。Q.子育てがつらいと感じたこと、ある?1.ある 80.6%2.ない 13.9%3.わからない・どちらとも言えない 5.5%80%以上の人がつらいと感じたことがあると回答。やはり育児は楽しいだけじゃない!というのが、親の本音のようです。■みんなつらい時期がある!ママたちはわかってます泣きわめいたりぐずったり、言うことを聞かなくて途方にくれることも。でもそれは、自分が子どもと向き合ってるからこそ感じる思いです。子どもといっしょに親も成長していくんですね。「ないってほうが不思議。真面目に子育てに向き合えば向き合うほど、つらい気持ちも出てくるんじゃないかな」(宮城県 30代女性)「あります。大事な子どもだからこそ、幸せになってほしいからこそ、これでいいのか悩むのが親なんじゃないかと思います」(茨城県 40代女性)「出かけるのも、家事するのも、食事するにも、何にしても自分のペースはないし。だから、お母さんがぐずる子どもをあやそうと焦っているのを見ると、声をかけずにはいられなくなる。泣いても、ぐずっても気にしなくていいよ!みんな通った道だから」(宮城県 40代女性) ■不登校も子どもといっしょに乗り越えていくいちばんつらいのは子どもが大変なときに代わってあげられないこと。親としてできる精一杯のことをしてあげるというのが、実はむずかしいことなのかもしれません。「今、中2の娘が不登校。悩んでいても人に打ち明けられすに引きこもっている。できれることならばその苦しみを代わってあげたい」(千葉県 30代女性)「発達障害とわかるまでは、癇癪やパニックをどうしたらいいのかわからず、しつけも上手にできず、つらかった。周りの目もつらかったし、外に出るのも怖かった」(神奈川県 40代女性)■大変からこそ幸せを実感することもとくに子どもが小さいときの大変さは、あとになると大切な思い出になることが多いようです。手がかかって目まぐるしかった日々も、二度とは戻らない幸せな時間です。「保育園の送り迎えから、オムツ替えも、ご飯を食べさせるまで私の役目でした。初めの一年は本当に長く感じました。でも思い出がいっぱいです。本当に大切な時間を過ごさせてもらったと子どもたちに感謝しています」(神奈川県 40代男性)「お母さんになった瞬間から子どもに時間を奪われ、邪魔されて。何かしようと思っても『ママ〜』と言われて、トイレすら一人になれない。それでも幸せなんです!」(千葉県 40代女性)Q.子育てがつらいと感じたこと、ある?集計期間:2015.12.16〜2015.12.23アンケート回答数:4105件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2016年10月07日秋は実りの季節。毎日の食事に欠かせないお米も、美味しい季節を迎えます。そこで、秋に出まわる「新米」で、鍋炊きごはんに挑戦してみませんか?■新米ってどんなお米?「新米」と表示して売ることができるお米は、JAS法で「その年に収穫されたお米で、且つその年のうち(12月31日までに)包装されたもの」とされています。新米に対し、前年のものを古米と呼びます。(さらにその前年のお米は古古米、と呼ばれます)。つまり、新米とは「鮮度のいいお米」。鮮度のいいものはみずみずしく美味しいもの。新米は古米よりも水分が多くふっくらと美味しく炊き上がり、噛むほどに甘みが感じられます。■新米を上手に炊くには通常はお米1の容量に対して水は1.1~1.2倍程度。水分を多く含む新米はお米1の容量に対し、同量~1.1倍程度、という具合に減らします。お米1合は180ccです。分量に幅があるのは、お米の種類や状態によって水分量に違いがあるためです。また、水分を含む分柔らかいので、やさしく研ぐのがおすすめです。昔の家庭科の授業では、お米をギュっと洗うよう習った方もいると思いますが、近年では精米技術が上がりお米の外皮はキレイにとれているそう。新米に限らず、あまり力を入れるとお米が割れてしまうので、気をつけてくださいね。■新米で作る鍋炊きごはんのレシピ土鍋や厚手の鍋でごはんを炊くと、じっくりと熱が加わることでより美味しくなります。新米の場合は粘りや甘みも増すので、ついついごはんがすすみますよ。レシピ制作:料理家 崎野晴子<材料 3合分>米 3合水 3合同量~1.1倍(540~590cc)※お米の種類や状態によって多少異なります。様子を見て加減してください。<作り方>1、お米をボウルに入れ、かぶるくらいの水を入れる。3回ほど研いだらすぐに水を捨てる。(最初にぬかの匂いが一番濃く出るので、匂いが残らないよう、最初はさっと研いですぐに水を捨てるのがポイントです!)2、力を入れすぎないように、お米を研ぎ、水ですすぐ。(これを3~4回繰り返します)3、しっかりと水気をきり、かぶるくらいの水(分量外)を加えて20分吸水させる。4、20分たったらしっかりと水気をきり、お鍋にお米を入れ、分量の水を加える。強火にかけ、タイマーを11分にセットする。蒸気が上がって吹いてきたら、弱火に。時間になったら火を止め、11分蒸らす。強火は鍋底からはみ出ない程度に。あまり強すぎると焦げてしまいます。炊き時間はお米の分量によって変えていきます。1合の場合は7分、2合の場合は9分、4合の場合は13分でセットします。蒸らし時間は炊き時間と同じ時間にセットします。お米の産地が異なると、多少水分量を変えないときれいに炊けないことがあります。初め様子を見たいときは1合でチャレンジして、加減してみてくださいね。
2016年10月06日『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズ第3弾となる『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』(10月29日公開)で再びブリジット・ジョーンズ役を演じる女優のレニー・ゼルウィガーが、本作のプロモーションのため11年ぶりに来日することが4日、明らかになった。『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)の際にも日本を訪れたレニーだが、今回が『シンデレラマン』(2005)以来11年ぶり4回目の来日。10月20日に都内で行われるジャパンプレミアに参加する予定だ。レニーは、先日開催されたワールドプレミアにて、「彼女は永遠の楽観主義者! 控えめで、どんな逆境にいてもユーモアを見つけることができるの」とブリジットの魅力を熱弁。「完璧に完全でない人だからこそ、人々は彼女に共感するんじゃないかしら」と語っていた。『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズの11年ぶりの新作となる本作は、アラフォーになるもいまだ独身というブリジットの物語。イケメンな恋の相手マーク・ダーシー役は、前作に引き続き、アカデミー賞俳優のコリン・ファースが務める。そして今回、マークの恋のライバル、ジャック・クワント役にドラマ『グレイズ・アナトミー』で女性ファンを増やしたパトリック・デンプシーが出演する。(C)Universal Pictures.
2016年10月05日慣れない育児を家族にサポートしてもらいながら、産後の体を回復させることができるなど、新米ママにとって心強い「里帰り出産」。その反面で、思わぬトラブルが起きるケースもあるようです。実際に里帰り出産によるトラブルを経験したママの声を元に、“里帰り出産”について考えてみましょう。■どうしてこうなるの…里帰り出産に多い「母親との関係悪化」友だちのように仲の良い親子だったのに、どうしてこんなことに…。里帰り出産でのトラブルのひとつが、実の母親とのもめごとです。娘の役に立ちたいという思いから、必要以上に自分の考え方を押しつけてしまう母親が多いようです。実際に、里帰り出産で母親と衝突した経験があるママの意見を聞いてみました。・赤ちゃんが泣き止まないと「ママは下手くそだねー」と言われて腹が立った(32歳)・授乳の時間が決まっているのに、子どもが泣くたびに「おっぱいをあげろ」としつこく言ってくる(33歳)・機嫌のいいときだけ抱いて、泣きだしたら押しつけてきた(30歳)・子どもが寝かけているのに抱いたり話しかけたりしてくる。母の声で子どもが起きたら、寝かしつけが下手だと言われた(32歳)なかでも、最も多かったのが「あなた(娘)のときはこうだったから、この子(孫)もきっとこうよ」と自分の経験を押しつけてくるパターン。自分の経験に絶対的な自信を持っているため、娘の行動にダメ出しをしてしまう母親が多いようです。育児を助けてもらうつもりが、母親との意見の食いちがいでけんかになったり、思わぬ言動の数々に失望したり不信感を抱いたりしてしまうのです。■あえて里帰り出産を選ばない女性たちの意見は?里帰り出産が当たり前だった世の中ですが、最近はあえて里帰り出産を選ばない女性も増えています。・最初に楽をしていると、自宅に帰ったときに大変と感じてしまいそうだから。(33歳)・パパ側のおじいちゃんおばあちゃんにも気兼ねなく会わせてあげたいので、出産後は自宅で過ごすことにしました。(33歳)・一番最初から夫婦二人で子育てをしたいから。(30歳)・里帰り中、パパが浮気しないか心配だから。(33歳)里帰りを終えれば、家事や育児はすべて自分が行わなければなりません。当たり前だった家族のサポートがなくなり、今度は子育て素人のパパとの生活がスタートします。夜間の授乳の際にすやすや寝ているパパを見てイライラしたり、モタモタするパパの態度に失望したり。気持ちが不安定になって精神的に追い詰められ、夫婦関係に影響をおよぼす可能性もあるかもしれません。それなら最初から自宅で過ごし、試行錯誤しながら夫婦二人で育児に奮闘する方法を選択するという人もいるようです。■選ぶのはママ自身! 生活スタイルに合わせてパパと相談をもちろん、里帰り出産には良いこともたくさんあります。臨月になればお腹の重さもピーク! 前駆陣痛がはじまったり、むくみがひどくなったりして体調に不安を抱える時期でもあります。実家に里帰りしていれば家事などを行う必要もなく、ゆっくりとお産を待てます。また、産後は夜間の頻回授乳や夜泣きで十分な睡眠がとれないことの多いもの。実家にいれば、少しの間家族に預かってもらって、自分の気持ちや体を休めることができます。家族のサポートを通して、改めて家族の大切さに気づき、親子の絆が深まることでしょう。そして母になった責任感を再確認するきっかけにもなります。里帰り出産をするかどうかを選ぶのはママ自身。誰に言われることもなく、自分自身がベストだと思う環境で育児をスタートさせることが大切と言えそうです。(マムズラボ)
2016年09月24日