美容感度の高い女子たちに大人気の「渡韓美容」。リフトアップ、シミ取り、ニキビ跡治療など肌管理をしに韓国へ渡っている人をSNSではよく見かけますが、「やりたいけど、韓国で施術するのは勇気がいる……」と二の足を踏んでいる人も多いのでは?私もその一人でしたが韓国で大人気のクリニックが日本に上陸したというニュースを聞き、旅立ったのは家から30分もかからない「新宿」! 「リエンジャン美容クリニック 新宿」で人気No.1の「リフテラ2(HIFU・高密度焦点式超音波)」を体験してきたので、詳しくレポートします。■ダウンタイムなし。切らずにリフトアップを叶える「リフテラ2」リエンジャンは韓国で7店舗を展開する美容外科クリニック。韓国のリエンジャンでの日本人人気を受け、2024年3月4日に日本初となる「リエンジャン美容クリニック 新宿」をグランドオープンしました。アクセスは西武新宿駅から徒歩約1分。SIL新宿の4階にあり、きれいな待合室で待っていると続々とお客さんがやってきました! オープンして間もないのに、すでに多くの予約が入っているそうで、その人気の高さを感じました。メニューはシワにアプローチする「ボトックス」、ニキビ跡を治療する「ポテンツァ」など豊富にそろい、一番人気は「リフテラ2」。超音波技術を使って肌を引き締め、リフトアップや小顔を叶えてくれます。料金は全顔で医師施術の場合66,000円ですが、2024年4月30日までまさかの10,780円。美容クリニック初の人にも嬉しい価格です。施術を受けるために、まずはメイクを落とします。クレンジング・洗顔・化粧水・乳液・タオル・ヘアバンドが用意されているので、特に自分で持っていく必要はありません。ベージュを基調とした洗面所がおしゃれ!■シャープなフェイスラインが嬉しい……! 効果を即実感そして個室でベッドに寝転び、施術開始。リフテラ2はダウンタイムがなく、すぐに洗顔やメイクも可能なので、私も気負いせずに受けられました。美容クリニックで行なっているリフトアップは皮膚を切り、たるみを除去するという方法がありますが、リフテラ2は切らずに、リフトアップが叶えられるのも人気の理由。今回担当してくれたのは、リエンジャン美容クリニック理事長の大和田 朋美先生です。ちなみにリエンジャン美容クリニック 新宿の医師や看護師は全員日本人。最先端の韓国美容を、言語の不安なく安心して体験できます。リフテラ2は専用の2つのカートリッジで照射していくのが特徴。1つ目は面が大きい「LINEタイプ」で、広範囲に超音波を届けることができます。まずは頬の下から上へ引き上げるように、LINEタイプのカートリッジをあててもらいました。先生より「少し痛みがあると思います」と言われたものの、私はそこまで痛みを感じず。顔をマッサージされているような感覚でした。2つ目のカートリッジがリフテラ2の大きな特徴である「PENタイプ」。LINEタイプよりも細やかにあてられるので、クマ、おでこ、ほうれい線など繊細なパーツまでカバーできます。LINEタイプでは頬をぐいっと引き上げていましたが、PENタイプは特定の場所をめがけてクルクルとあてていくイメージ。こちらも痛みはほぼ感じませんでしたが、あとで見ると少し赤みがありました。あっという間に施術は終了し、鏡を見てみるとスーっと直線になったフェイスラインに感激……! 歳を重ねるたびに感じていた頬のゆるみや曲線が、シャープになったことを実感できました。頬の高い場所に、脂肪がキープされているような感覚。個人差はありますが、3か月~6か月ほどは効果が続くそう。楽しみ!家から往復約1時間でプチ体験できた、私のなんちゃって「渡韓美容」。「飛行機に乗る必要もなく、こんなに気軽にできるなら、ほかのメニューも試してみたい!」と思いました。施術によっては術後に洗顔やメイクができないものなどもあるので、注意事項はよくご確認を。韓国でやってみたかった美容を、新宿で体験してみてくださいね。・リエンジャン美容クリニック 新宿住所:東京都新宿区歌舞伎町2-46-3 SIL新宿4FHP:(撮影・取材・文:小浜みゆ)
2024年03月29日大学在学中から劇団TipTapを旗揚げし、オリジナルミュージカルを届け続けている演出家・上田一豪。東宝 演劇部に所属し、『四月は君の嘘』『ミュージカル のだめカンタービレ』『この世界の片隅に』といった人気コミックのミュージカル化作品、『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル 』(演出スーパーバイザー)、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『トッツィー』といった大劇場の翻訳ミュージカルなど、演出作は多岐にわたる。2月7〜12日にかけては、2015年に初演した後に再演を重ねたミュージカル『Play a Life』を東京・銀座 博品館劇場で上演。同作は2017年にラジオドラマ化され、2021年のコロナ禍では文化庁収益強化事業のモデル作品として4K映像でのライブ配信、2023年3月にはフジテレビ初の本格ミュージカルドラマとして制作され上田が自ら監督を務めるなど、形を変えて上演され続けてきた。今回は、「日本のオリジナルミュージカル」についての思いや課題、今後の発展のために望むことについて話を聞いた。○日本と海外、ミュージカルをとりまく環境の違いは?――「日本のオリジナルミュージカルを作る」という動きが近年盛り上がっているように思います。“日本のオリジナルミュージカル”についてどう思っていますか?“日本のオリジナルミュージカル”というジャンルがあるような気がしますけど、そもそもこちらに入ってくる翻訳ミュージカルだって、基本的には海外の方たちが0から作ったオリジナルミュージカルで、たまたまそれを輸入したり再演出したりするという違いなのかな、とは思います。0から1にするっていう意味においては、一緒なのかなと。ただ、自分が日本語で書くミュージカルについては、感性的な部分や世界観、日本のカルチャーに沿ったものにしたいとは心がけています。ミュージカルの場合は特に言語と音楽の関係があるのが難しくて、日本語はどちらかというと平板なので、音楽になりにくいんです。英語だと、喋っている抑揚が音楽やリズムになるんだけど、日本語を西洋音楽に乗せていく難しさは大きく、どう不自然に聴こえないものにするか、意識して作る必要があります。――いろんな演劇があると思うんですけど、特にミュージカルは音楽や感情の表現が、日本語や日本のカルチャーと馴染みづらかったりするのでしょうか?最近まで「ミュージカルは突然歌うから気持ち悪い」なんて言われていましたし(笑)。アメリカやイギリスなどは音楽とともに育つ環境があって、日本とは違うところなのかなと思います。小学校の授業で普通にミュージカルをやることもあるし、キリスト教の方なら小さな頃から「ページェント」というイベントで、人前で歌ったり踊ったりしている。日本でもかなり抵抗が薄くなってきているとはいえ、難しい問題だとは思います。“日本のオリジナルミュージカル”というと気負ってしまったり、和の要素を入れようとするところもあるかもしれませんが、個人的には海外の人が観ても「普通のミュージカルじゃん」と思ってもらえるものにしたいという気持ちはあります。自分が観て育ったミュージカルの方程式みたいなものにのっとりつつ、より日本人が咀嚼しやすい内容にするというのが、自分なりにやっていることです。オリジナル作品に関しても、現代を舞台にした作品などの場合は、あまり固有名詞で名前をつけないようにしていて、それは観ている方と地続きでいたいという思いがあるんです。「〇〇」という登場人物の話ではなく、「自分にもあり得るのかな」と感じていただけたら、と。――日本では「ミュージカル専門の演出家」といった方の数が少ないような印象もあります。海外の演出家の方との違いなど感じることはありますか?日本の場合は演出家になる道が特殊というか、あまりシステマティックじゃないし、ミュージカルにおいて特に難しい状況は感じます。本来は音楽やダンスなどに造詣がないと演出するのも難しいとは思うんですけど、周りのクリエイティブスタッフが充実していたらそれなりの形になるのが、ミュージカル演出の強さでもあるし、難しさでもあるかもしれません。状況は作品によってまちまちで、演出家のスタイルによっても変わるし、僕個人は音楽やダンス、セットや転換においてもある程度コントロールしたいタイプです。海外の演出家でも、「このシーンはこのテンポで、この言葉の時に音色はこう」と音楽にこだわるタイプもいれば、歌のところは歌唱指導の方にお任せしていて、お芝居のところだけを作るタイプもいますし。ただ日本の場合は、そもそも譜面を読める人があまりいない、といった環境などもあるかもしれません。――なんとなく日本のミュージカルと翻訳ミュージカルとで、芝居のテンポ感なども違うのかな、と感じることもあるんですが、それって何が作用するんでしょうか…?音楽に左右されることが多いのかなと思います。歌の入り方について大きく分類すると、「歌の間は時が止まる」「歌の間に時が進む」と、2つのパターンがあって。古典的なミュージカルは、例えば「この人が好きだ」といった一つのモチーフで時間が止まってしまうことが多い。でも今のミュージカルは、モダンな音楽とお芝居が有機的に絡み合って、歌の中で物語が進んでいく。日本人はそういったミュージカルを作るのが上手じゃなかった時代があったと思うんですが、最近は変わってきているのではないかと。音楽とお芝居を丁寧に計算して作らなきゃいけないので、とても難しい作業ではあります。それから、いわゆる翻訳ミュージカルは、「ミュージカルじゃなきゃいけない理由」がある作品が多いように感じます。例えば『ネクスト・トゥ・ノーマル』や『キューティー・ブロンド』も、物語の中に実生活から外れる瞬間があって、その瞬間の感情の高まりがすごいから歌う、ということが計算されている。逆にそうではない作品についても、そういう部分を見つけ、俳優さんと「なぜそこで歌うのか」と共有するようにしています。――例えば、今回の『Play a Life』でこだわりがあらわれているのはどういったシーンですか?どの作品においてもなんですが、どうしても自分で脚本を書いてお届けする時には、“人が生きて死ぬこと”について感じたことや、自分なりに見つけた答えを表したくて描いていることが多いんです。それから、俳優が芝居の中で“嘘”をつかないで舞台上に居られるようにすること。物語と音楽のディレクションによって、ナチュラルに心が動いて、舞台上で起きていることが作られたものにならないように。俳優さんが自然にそこにいて言葉を発しているように見えるものにしたいと、いつも思っています。大劇場で1,800人を相手にする時には、大きな動きが必要になることもあるけど、『Play a Life』のような作品では、生身の人間がそこにいる、特別じゃない人の物語にしようと思って作っています。だから「歌うことがおしゃべりの延長線上にある」というルールは作っています。○演劇業界に感じる変化と今後望むことは――ちょっと大きな話になりますが、劇団を旗揚げされてから約20年の中で、日本のミュージカル界の変化は感じていますか?昔は「ミュージカルを観に行く」といった時にほとんど選択肢がなかったけど、今は同時期にたくさん作品がかかっているわけで、お客様もクリエイター人口も増えました。とはいえ、そこまで増えていない……という現状も感じます。本来だったらもっと時間と予算を当てて大きい作品ができるんだろうけど、日本の環境ではロングラン公演ができないから、短い間にたくさん作品を上演することになるし、キャストを観に来る文化だからこその難しさも感じます。ただ、ミュージカルではないけどロングランしている『ハリー・ポッターと呪いの子』といった作品もありますし、今後の変化があるのかは、気になっています。やっぱり「作品を育てたい」という気持ちがあって、ロングランはできなくても、『Play a Life』のように何年かおきにちょっとずつでも上演を続けることができれば、誰かには届くのかな。そうやって作品を知ってる人が増えていけば、面白いのではないかと。――より母数が増えていくためには、といったことも考えられたりしますか?今はチケット代もどんどん上がる傾向にありますが、本来の演劇って何か満たされない人が観て、「ああよかったな」「明日もがんばろう」と思える力があるもので、そういう方に届けるのが社会的使命だと思っているんです。裕福な方しか観られないような作品が本当に増えてきちゃったから、あまり多くのお金を娯楽に費やせない人でも安い席で観られるような幅の広さ、懐の深さを演劇業界が持てるようになってくれば、パイが広がるし上演期間も増えるだろうとは、考えます。僕の地元は九州で、学校の演劇鑑賞会もそんなに熱心なものではなかったんですけど、この間オーディションをしていたら「高校の演劇鑑賞会で舞台を観て、オーディションに来ました」という子がいて。小さい頃や、多感な時期にいい作品を観ることができるのは、すごくいいことだなと思いました。これから世界を見つけていく人が、素晴らしい演劇作品に出会える機会が増えれば増えるだけ業界が豊かになっていくんじゃないかと思います。もちろん既存のお客様に支えられている世界で、そこに作品を届けながらも、新しい若者たちにも届くように注力していかなきゃいけないなと思っています。――実は平日マチネ(昼公演)が人気という話も聞きますね。そうなんですよ! 学生の頃は「やっぱり金ソワ(金曜日のソワレ=夜公演)が売れるよね」と思っていたのに、商業の仕事になったら「昼間に来るんだ!」と。自分たちも年が上になってきているから、ライフステージによっても観劇スタイルが変わることがわかりますし、特に女性はずっと観に来てくれていた方でも「子育てで観劇なんて行ける状態じゃない」と言われたら、その通りで。1番心が疲れる世代だと思うのに、なかなかそこに届けられない。だからこそ、配信といった形などでも、ちょっとでも救えるものがあればいいなと思っております。■上田一豪1984年8月18日生まれ、熊本県出身。2006年、早稲田大学在学中に劇団TipTapを旗揚げし、2007年より東宝 演劇部に所属、2012年には文化庁在外研修員としてNYに1年間留学する。近年の主な演出作に『笑う男』『フリーダ・カーロ -折れた支柱-』(22年)、『星の数ほど夜を数えて』『ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル』(23年 ※演出スーパーバイザー)、『トッツィー』(24年)、上演待機作に『この世界の片隅に』(24年5月〜)、『四月は君の嘘』(25年8月〜)などがある。
2024年02月07日植木豪の演出作品『BREAK FREE STARS』が、ダンス&ボーカルグループ「FANTASTICS」の木村慧人、「7ORDER」の阿部顕嵐を始めとする多彩なキャストで上演されることが決まった。植木の演出によるノンバーバルダンス作品『BREAK FREE』(2018年)を基に、新たな“ダンスパフォーマンスステージ”に生まれ変わった『BREAK FREE STARS』。本作は、HIPHOPを禁じられた街で囚人となったヒップホップスターたちと、それを取り締まる刑務官たちの対立と葛藤が描かれた作品である。主人公・アース/囚人番号44らを取り締まる刑務官・ソーマを演じる阿部に話を聞いた。「豪くんにとって大事な作品に出演させていただけることがすごく光栄」だと話す、阿部。「豪くん」とは、阿部が出演していた『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』Rule the Stageシリーズで演出として共にシリーズを支えてきた植木豪のことである。「ヒプマイ」公演終了後に「顕嵐がいてくれて良かった」と言ってくれたというエピソードからも、ふたりの信頼関係の厚さが伝わる。ヒップホップが禁じられた世界で、アースたちと対立するソーマ役を演じることについいて阿部は、「お客様から見て『嫌なやつ』だと思ってもらえるように立ち回ることが今回の大きなテーマのひとつ。彼の過去などはっきりと描かれていない部分も多いので、そこを想像してもらえるように演じなくてはいけない。セリフのない部分での表現が舞台で伝わるように、お客様の視線をコントロールして自分に向けることも必要」と分析する。まず台本を通して読み、作品としての構造とその中での自身の役の立ち位置などを読み解いてから役づくりを考えるという阿部の、論理的かつ自身の感性も大切にしたアプローチに期待したい。本作でフィーチャーされているヒップホップについては、「抑圧された社会に銃などではなく歌やラップ、踊りで自分を表現して訴えかけるものだから、反骨精神や一人ひとりのアイデンティティが重要。僕自身、自分のアイデンティティや自分が表現できることは何かを考えるようになった」と語る。共演者には面識のあるメンバーも多く、「本当にいい人たちで、居心地が良い。いかに作品を良くしていくかをみんなで考えながら挑みたい」という。作中には、自身のダンススキルを発揮する場面もある。「自分を出すべきところとそうではないところ、引き算を意識して臨もうと思っています。この作品でヒップホップのパワーにふれて、『次の日からこれを始めてみようか』とか、お客様が前向きになれるきっかけが作れたら嬉しいですね」と意気込む。IHIステージアラウンド東京の360度ステージをヒップホップのパワーが席巻する公演は、10月23日(月)~11月5日(日)まで。取材・文:金井まゆみ撮影:石阪大輔<公演情報>『BREAK FREE STARS』演出:植木豪脚本:亀田真二郎/大西雄仁出演:木村慧人(FANTASTICS)後藤 大・高橋駿一・松田昇大・吉岡 佑・宇佐卓真・Toyotaka・HILOMU・RYO・高野渉聖SHINSUKEDoltonKIMUTAKUKENTAGeN神谷亮太河島樹来阿部顕嵐2023年10月23日(月)~11月5日(日)会場:IHIステージアラウンド東京チケット情報:
2023年10月12日演出・植木豪によるダンスパフォーマンスステージ『BREAK FREE STARS』が上演されることが24日、明らかになった。同作は、2018年に世界最大の演劇祭「エディンバラ・フェスティバル・フリンジ」にて日本人初の「アジア芸術アワード・ベストパフォーマンス賞」を受賞した植木演出のノンバーバルダンス作品「BREAK FREE」を原作に、亀田真二郎、大西雄仁が舞台作品として新たに脚本を書き下ろしたオリジナルの“ダンスパフォーマンスステージ”。HIPHOPを禁じられた街で囚人となったヒップホップスターたちと、それを取り締まる刑務官たちの対立と葛藤を描くエンターテインメントショーとなる。田中マッシュによるオリジナル楽曲に乗せ、植木豪が得意とするダンス×映像×照明を駆使し物語を展開していく。出演は、今注目のダンス&ボーカルグループ「FANTASTICS」で活躍する木村慧人、「7ORDER」のボーカルをはじめ、映画・ドラマ・舞台と幅広い作品で活躍する阿部顕嵐。さらに2.5次元作品をはじめ様々な舞台で活躍を見せる後藤大、高橋駿一、松田昇大、吉岡佑、宇佐卓真、今作が舞台初出演となる高野渉聖、ステージをハイクオリティなダンスで演出するダンスアーティストToyotaka、HILOMU、RYOなど、実力派で多彩なキャストたちが揃った。上演はIHIステージアラウンド東京にて、10月23日〜11月5日。(C)『BREAK FREE STARS』製作委員会
2023年08月24日8月11日(金・祝) より新宿FACEで上演されるミュージカル『ALTAR BOYZ 2023』のアフタートークショーに、東山義久と植木豪が出演することが決定した。『ALTAR BOYZ』は、2004年にニューヨークの47丁目劇場(Puerto Rican Traveling Theater)で初演された作品。ライブ感満載のこのミュージカルは日本でも2009年に初演され、キャストと組み合わせを変えながら再演を重ねている。今回は【Team GOLD】【Team SPARK】、そして新たに編成された【Team SAPPHIRE】の3チーム制となる。日本版オリジナルキャストである東山と植木は、今回Co-Producerとして名を連ねている。東山は8月13日(日) 13時公演、植木は8月14日(月) 19時公演のアフタートークショーに登場する。そのほか、演出を務める玉野和紀の登場回や、【Team SAPPHIRE】のメンバーと【Team GOLD】の大山真志を迎えてのトークなどが予定されている。また、『ALTAR BOYZ 2023』合同スペシャル公演が、9月2日(土)・3日(日) に恵比寿ザ・ガーデンホールで上演されることが発表された。本公演には3チームのキャストに加え、廣瀬真平と大音智海が出演する予定で、第9回目の『ALTAR BOYZ』を締めくくるに相応しい、集大成と言える2日間となりそうだ。■東山義久 コメントALTAR BOYZ 2023、開催おめでとうございます!今までを継承しつつも、新たなメンバーで新しいALTAR BOYZを創っていって欲しい。皆んな!!ALTAR GIRLZと素敵な時間をー!!■植木 豪 コメントALTAR BOYZアフタートークショーに出演させていただきます!募る想いを話せる事と大好きなALTAR GIRLZ の皆さんに会えるのがとても楽しみです!!!新しいチームもたくさん応援させていただきます。是非ともよろしくお願いします。■廣瀬真平 コメント長く愛されるALTAR BOYZの世界に今回もまた、関わらせて頂けることに嬉しく感謝しております。僕の言葉に全力で命と光を込め、皆様と共に最高の時間を過ごしたいと思います。■大音智海 コメントキリスト教系ボーカルグループ、ALTAR BOYZ のアブラハムとして東京に降臨します!ユダヤ人の彼と共に、皆様の魂を清めにきました。救いを求めるそこのあなた、僕らの歌とダンスを浴びに是非恵比寿へ。神のご加護があらんことを!■演出・玉野和紀 コメントいよいよ開幕のALTAR BOYZ 2023!声出し解禁となった今、MUSICAL でありながらLIVEパフォーマンスの際立った作品は待ちに待った舞台だと思います。どうぞ会場にお越しになって大いに盛り上がって下さい!そしてそして合同公演は本公演と違ってお祭り騒ぎの3チームが登場します。各チームが入れ替わりながら、そして時には3チームでガッツリのパフォーマンスは必見です!どうぞお楽しみに!<公演情報>『ALTAR BOYZ 2023』8月11日(金・祝)〜29日(火) 新宿FACE『ALTAR BOYZ 2023』ロゴ作:ケビン・デル・アギラ作詞・作曲:ゲイリー・アドラー&マイケル・パトリック・ウォーカー演出:玉野和紀台本・翻訳:北丸雄二Co-Producer:東山義久/植木 豪【出演】Team GOLD:大山真志 / 若松渓太 / 松浦司 / 石川新太 / 常川藍里Team SPARK:鍵本輝(Lead) / 米原幸佑 / 和田泰右 / 川原一馬 / 若松渓太Team SAPPHIRE:中山優貴 / 大野瑞生 / 中本大賀(円神) / 司波光星 / Rayshy【アフタートークショー】8月13日(日) 13:00【Team SAPPHIRE】ゲスト:玉野和紀、東山義久8月14日(月) 19:00【Team GOLD】ゲスト:植木豪8月17日(木) 19:00【Team GOLD】ゲスト:玉野和紀8月18日(金) 19:00【Team SPARK】ゲスト:玉野和紀8月19日(土) 13:00【Team SAPPHIRE】ゲスト:大山真志8月20日(日) 13:00【Team SPARK】※【Team SPARK】メンバーによるトークショーとなります。チケット料金:10,000円★Team SAPPHIRE プレビュー公演(8月12日(土) 17:00公演):9,500円※別途1ドリンク500円※全席指定・税込※未就学児童入場不可『ALTAR BOYZ 2023』合同スペシャル公演9月2日(土)・3日(日) 恵比寿ザ・ガーデンホール【出演】Team GOLD:大山真志 / 若松渓太 / 石川新太 / 常川藍里 / 廣瀬真平Team SPARK:鍵本輝(Lead) / 米原幸佑 / 川原一馬 / 若松渓太 / 大音智海Team SAPPHIRE:中山優貴 / 大野瑞生 / 中本大賀(円神) / 司波光星 / Rayshy※松浦司、和田泰右は合同スペシャル公演に出演いたしません。チケット料金:11,000円一般発売日:8月26日(土) 10:00〜チケット情報:公式サイト:
2023年08月10日もうすぐゴールデンウィーク!長期休みだから渡韓する女子も多いのでは? そこで、mamagirl WEBの韓国在住スタッフから届いた最新情報をお届け♪ 今、ソウルを歩いていて人気のファッションブランドをピックアップしました。ぜひチェックしてみて。一番HOT! インフルエンサーが立ち上げた【Matin Kim(マーティン キム)】 この投稿をInstagramで見る MatinKim(@matinkim_magazine)がシェアした投稿 デザイナーとして活動し、インフルエンサーでもあるキム・ダインさんが2019年に立ち上げた今一番と言ってもいいほど人気のブランド!クロップド丈にローライズのゆるパンツのコーディネートなど、若い子だけ?と思わせるコーディネートを大人でも着られるよ!という提案をしてくれているブランド。キム・ダインさんのインスタは女子の憧れ♪ この投稿をInstagramで見る 김다인(@deinkim)がシェアした投稿 キム・ダインさんは、ライフスタイルが素敵で韓国女子の憧れでもあるんです! 日常のコーディネートで【Matin Kim】のアイテムを着ている投稿もあるから、購入したアイテムのコーデの参考にチェックするのもよさそう。コ・ヨンジュンがアンバサダーの【Marithe + Francois Girbaud】♪ この投稿をInstagramで見る MARITHÉ FRANÇOIS GIRBAUD(@marithe_kr)がシェアした投稿 韓国ドラマ『還魂:光と影』のヒロイン♡コ・ユンジョンがブランドアンバサダーを務めているだけでも注目しちゃう、【Marithe + Francois Girbaud(マリテフランソワジルボー)】。フランス発のブランドだけど、韓国で大人気! ロゴ使いがイマドキでスタイリッシュなところが、韓国っぽくておしゃれ!バッグなら韓国アイドルも愛用している【STAND OIL(スタンド オイル)】 この投稿をInstagramで見る STAND OIL(@standoil)がシェアした投稿 シンプルな形とデザインでヴィーガン素材を使用しているなど、デイリーに使いやすいバッグとして人気急上昇しているのが【STAND OIL】。New Jeansのミンジや(G)I-DLEのソヨンなどなど多数のアイドルが“空港ファッション”で持っていたこともあり、韓国女子たちも注目のブランドなのです。コーデ買いすれば韓国女子になれる!ソウル生まれの【CURRENT(カレント)】 この投稿をInstagramで見る CURRENT 커렌트(@current.official)がシェアした投稿 韓国・ソウルで誕生し、いわゆる“韓国風ファッション”の代表格として現地で注目を集めているのが【CURRENT】。Le Sserafimがステージ衣装で着用していたことで、KーPOP好きもチェックしているブランド! Tシャツなど、手に取りやすいアイテムが充実しています。今回紹介したブランドは日本で買えるものもあるけど、ぜひ現地で人気の熱を感じながらショッピングを楽しんで欲しいスポットです♪ 出発前にチェックして韓国旅行を充実させてね。 あわせて読みたい🌈「韓国に行く人は絶対買って!」【ヨーグルト+チョコボール】は韓国女子の大定番!朝食に欠かせないとバズリ中♪
2023年04月25日永井豪・石川賢原作の『ゲッターロボ』が初の実写映画化。2025年春に公開予定だ。永井豪・石川賢の“元祖”巨大ロボット作品『ゲッターロボ』『ゲッターロボ』は、永井豪と石川賢により『週刊少年サンデー』に連載された漫画であり、1974年から1975年にかけてフジテレビ系で放送されたアニメ作品。変形や合体といった要素を組み込んだ、巨大ロボット作品の“元祖”であり金字塔ともいえるシリーズだ。尚、テレビアニメ版では低年齢層も鑑賞できる、勧善懲悪のストーリーをメインとしていたが、石川賢の連載では、バイオレンスでハードな展開となっているのが特徴で、アニメ・マンガともに現在も熱狂的ファンに支持されている。漫画版をベースに初の実写映画化そんな『ゲッターロボ』が、50周年の節目に際し初の実写映画化。実写映画『ゲッターロボ』では、永井豪・石川賢が手がけた漫画版『ゲッターロボ』の持つアウトロー、バイオレンス、アクション満載のストーリーを、現代的にアレンジしたストーリーが展開される。プロデューサー・監督・脚本は『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』『キャット・シット・ワン』『ブレイブストーム』『ZVP (座頭市 VS プレデター)』等を手掛けた岡部淳也が担当する。【作品詳細】実写映画『ゲッターロボ』公開時期:2025年春 予定原作:永井豪・石川賢プロデューサー:岡部淳也監督:岡部淳也脚本:岡部淳也、太田垣康男、田畑由秋脚本協力:田畑由秋撮影:古谷巧メカデザイン&イメージボード:Skan Srisuwanサウンド:Michael Verta※パイロット映像&映画完成までの過程で、デザイン、ストーリーの方向性、スタッフは、修正、変更が行われる場合有り。
2023年04月07日「『渡鬼』が終わってからも、橋田先生とは毎年、橋田賞のたびにお会いしていました。新型コロナの影響で会えなくなりましたが、『渡鬼』のスタッフさんたちも『先生は元気だから。また会えるよ』ってみんな話していました。先生はいつもパワフルだったので……。『こんなに早く亡くなるとは』というのが本音です」こう語るのは、橋田壽賀子さん(享年95)脚本の大人気ドラマシリーズ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で、野々下加津を演じた宇野なおみ(32)だ。『渡鬼』は岡倉大吉(第8シリーズまでは藤岡琢也、以降は宇津井健)と節子(山岡久乃)夫婦、そして彼らの愛娘5人を中心にした家族の物語。’90年から’11年までの21年間で10シリーズ、全500話を放映。1シーズンの放送期間は1年という長いスパンにもかかわらず、全話を通した平均視聴率は20.6%を記録した、まさしく国民的ドラマだ。また『渡鬼』はシリーズ終了後もスペシャル版が製作され、現在も『TBSチャンネル』で『スカパー!』や全国のケーブルテレビで過去シリーズが放映中。今なお愛される、ファミリードラマの傑作だ。そんな同シリーズで宇野が演じたのは、実の両親に捨てられ、岡倉家の次女・五月(泉ピン子)と勇(角野卓造)夫婦に引き取られた少女・加津。初登場は第4シリーズの第38話で当時、宇野は若干10歳だった。しかし複雑な役どころを好演し、長台詞をものともしない役者ぶりから“名子役”として広く知られることとなった。宇野の代表作ともいえる『渡鬼』。その生みの親である橋田さんが亡くなったのは、昨年4月4日のこと。一周忌を前に、宇野はありし日の橋田さんについてこう語る。「もともと加津は、1シーズンのみの出演だったそうです。でも、橋田先生が『面白い役!』と思ってくださって、次からも使ってくださることになったと聞いています。当時は子供でしたから、『日に日に台本のセリフが長くなっていくなぁ』と思っていましたけど(笑)。私が小さい頃、先生は『加津は私の分身』と何度もおっしゃっていました。大人になってからも、手紙や年賀状をお送りしたり……。先生が亡くなったことで、改めて『自分は恵まれていたんだな』と思いますね」■名子役から物書きに転身!キッカケは橋田さん宇野が子役デビューを果たしたのは6歳の頃。デビューしてすぐの舞台『放浪記』で、森光子さん(享年92)との共演を経験している。さらに『渡鬼』では前述の俳優陣だけでなく、赤木春恵さん(享年94)や池内淳子さん(享年76)といった大御所女優たちとも共演することに。“名子役・宇野なおみ”は、多くの名優たちに囲まれて育った。そんな宇野だが、現在は役者業を一旦休止。そして、ライター業を軸にして生計を立てているのだ。しかも扱う内容は、芝居に伝統文化にスポーツにと実に様々。“名子役から物書きに”とは意外に思えるが、実はこの転身、橋田さんの言葉がきっかけだという。「13歳の頃、先生がふと『あなたはいつか書くわよ』とおっしゃったんです。昔から読書が好きで、感想文や物語を書くことも大好きでした。でも、書いたものを人に見せたことはありませんでした。だから当時、とても驚いてしまって。それ以降、先生の言葉がずっと胸の中に残っていたんです」芝居が好きな気持ちは変わらないという宇野。いっぽうで、こう明かす。「でも今は、書くことを通じて芝居を紹介することが楽しくて。“芸能界引退”というのも、少し違うんですね。『渡鬼』のモバイルサイトで1年間連載していましたし、『渡鬼』時代からブログも書いています。私の中では役者業もライター業も“地続き”というイメージです」■物書き仕事と役者業の“意外な共通点”また宇野は早稲田大学を卒業したのち、バンクーバーでの留学を経験。英語能力テスト『TOEIC』では990点満点中910点と、実力は折り紙付き。その英語力を活かして、通訳や翻訳の仕事も行っているという。「コロナ禍の前は、テレビの現場で通訳をしていましたよ(笑)。来日した海外の方に突撃取材するような番組ですね。こういった仕事は英語力ももちろん必要ですが、忍耐力が何よりも肝心。撮れ高が良くないと、ディレクターさんが『帰れない!』っていいますしね。いわば半分ADさん(笑)。でもテレビのことがよくわかっていないと、できない仕事です。役者時代のことも活かされていると思います」仕事の多くは、自ら掴んできたものだという。「ライターや通訳を仕事に選んだものの、軌道に乗せる方法がわかりませんでした。ですから、企画書を作って自分から売り込んだり。慣れないうちは派遣に登録したり。大変ではありますが、一から自分で道を切り拓くのはやっぱり面白い。それに、“自分の歪な部分とバランスが取れる”といいますか……」“歪な部分”というのは?「子役という仕事を通して、幼い頃から、人生の修羅場を潜り抜けてきた人たちばかり見てきたんですよね(笑)。すでに老成した方々と接して、みなさんの経験談を聞くにつれ、なるべく失敗を避けるようになりました。すると、大人になってから『頭でっかちだな自分』と気づいて。ですから、今は仕事を通して『色々試してみよう』という気持ち。近々、YouTubeにも挑戦しようと思っています」また、宇野は「役者と物書き仕事には共通点がある」と明かす。「ライター業を始めてから、橋渡し役が好きだと気づきました。サッカーでいうとキーパーではなく、パスをする人です。ライターは自分が素敵だと思うものを『ほら面白いでしょ!』と紹介する仕事。いっぽう、役者も台本を読んで『こういう世界があるよ!』と伝える仕事ですから」■橋田さんに憧れて…“脚本を書く”という夢を抱くことに現在の仕事について「やりがいもあるし、順調です。趣味も勉強も楽しめていて、充実しています」と笑顔で語る宇野。そこで「芝居はもうしないんですか?」と尋ねると、「うーん」と少し考え込んだのち、静かに口を開いた。「実は私には一つ、夢があるんですね。それは脚本を書くということです。やっぱり橋田先生は憧れの人。私の人生は、先生からの影響を強く受けています。もちろん先生のような、歴史に残る作品を書けるという自信があるわけではないのですが……」宇野は「自分を育てたのは、やっぱり芝居の世界なんです」といい、こう続ける「その芝居の世界に恩返しがしたい。そう考えたとき、ふと『日本の芝居文化を応援できたら』と思いました。ライターとして芝居を紹介するのも、応援手段の一つ。それにプラスして、『脚本が書けたらいいな』と今は思っています。本当は先生の生前に、自分の書いたシナリオをお見せしたかったんです。でも、間に合いませんでした。ですから今は、シナリオを先生の墓前にたむけることを目標にしています」■理想の女性像は橋田さんと加津宇野には、目標がもう一つある。それは「加津を演じた女性として、恥ずかしくない生き方をする」ということだ。「子供の頃から、加津ちゃんはずっと目標でした。彼女は複雑な境遇にあっても、たくましく生きていました。もちろん弱さもある。でも、とっても優秀な女の子なんですね。物事がうまく進まないこともあったけど、全部それを糧にして突き進んで。やっぱり、かっこいいですよね」宇野は子役だったこともあり、「周囲との違いに焦りを感じたこともありました」と明かす。しかし、こう語る。「でも冷静に考えれば22歳になるまでずっと芝居をしてきましたし、違っていて当たり前。それに橋田先生は90歳になってもバリバリ現役でしたから。私なんてまだ人生の3分の1、だから次の3分の2を頑張ります(笑)。仕事でいい結果が出なくても、納得のいく脚本ができなくても、その道筋を楽しめたらいいなと思っています。だって、加津ちゃんがそういう女性でしたからね」憧れは、橋田さんと加津。2人の“理想の女性”を胸に、宇野は描いた夢へと歩き続けるーー。
2022年04月03日なかなか海外旅行に行けない日々が続く中、おうちでも韓国旅行気分を楽しもう!というのが「渡韓国ごっこ」。今回は、韓国旅行気分を盛り上げる渡韓ごっこに欠かせないアイテムを紹介します!渡韓ごっこに必要なもの日本にいながら渡韓気分を楽しむには、まずは場所から。おうちや韓国っぽレンタルルームやホテルで韓国っぽアイテムを集めましょう。ヤンニョムチキン、キンパは欠かせません。韓国のドリンクと一緒にね。かわいいルームウエアや友達とお揃いのパジャマを着て、韓国のお菓子やコスメについておしゃべりしながら、韓国気分を楽しみましょう!韓国っぽルームおへやを韓国のカフェみたいにインテリアで揃えるのは大変という時に強い味方がレンタルスペース。「新大久保・韓国カフェ」などの検索ワードで気分が上がる可愛いシェアスペースを見つけて、渡韓ごっこを演出!公式サイトをチェック!公式サイトをチェック!「ヘテ」のブドウジュースと梨ジュース大きなぶどうの粒がたくさんはいっている「ぶどうボンボンジュース」と「すりおろし梨ジュース」は韓国の人気ドリンク。購入はコチラから▼アイテムを見てみる!韓国チキンとキンパ渡韓ごっこに欠かせない食べ物!韓国チキンとキンパ。テイクアウトやUberEatsで韓国の味をおうちにお持ち帰り!公式サイトをチェック!公式サイトをチェック!公式サイトをチェック!ルームウエア&パジャマおへやで可愛いルームウエアやパジャマに着替えてリラックス♪プチプラで可愛いアイテムを紹介します。★【NANNING9】セットアップトレーナーセット購入はこちらから▼アイテムを見てみる!★【chuu】ディズニーチップアンドデール ワッフルパジャマ購入はコチラから▼アイテムを見てみる!★【CHERRYKOKO】子犬のスリッパアイテムを見てみる!韓国のお菓子太っちょマカロンとして人気のトゥンカロン専門店「MACAPRESSO」から、おうちにトゥンカロンをお取り寄せ!購入はコチラから▼アイテムを見てみる!その他★KF94マスク韓国の「KF94」は外部の有害物質を防ぎ、口元に空間ができることで口紅もつきにくい優れもの!購入はコチラから▼アイテムを見てみる!★韓国コスメ友達と韓国コスメについて情報交換したり、おススメコスメをお試しする時、少量使い切りコスメが便利!【Stimmung(スティモン)】韓国発のパウチコスメブランド。「stimmung」は「ムード・雰囲気・遊び心」というドイツ語を由来に持つコスメブランドで、韓国で2019年に誕生。1週間で使い切りのコスメは気になるカラーをお試しするのにもいいサイズ感。購入はコチラから▼アイテムを見てみる!みなさんも是非、おうちで手軽に「渡韓ごっこ」を楽しんでくださいね。渡韓ごっこの探し物はコチラから▼アイテムを見てみる!韓国の最新トレンドを発信【CuCu】オリジナルサイトで読むでもっと見る!お得なクーポンをGET!Qoo10でアイテムを探す
2022年02月02日俳優の渡部豪太(35)が17日、インスタグラムを通じ、昨年10月をもって所属事務所のスペースクラフト・エージェンシーを退社していたことを報告した。渡部は、「令和3年10月をもって所属事務所スペースクラフト・エージェンシーを退所致しました事をご報告させて頂きます」の書き出しから、「昨日までの舞台『アルトゥロ・ウイの興隆』の千穐楽の後に発表をさせて頂こうと事務所と協議をし、本日に至りました」と発表が遅れた理由を説明。「仕事への向き合い方や自身の環境の変化を感じる中で新たな段階へ踏み出したいと強く思い、このような決断に至りました」と経緯を明かし、「24年の長きに渡り私を育て、導いて下さった事務所には感謝してもし尽くせません。この度私が新たな道を進みたいと申し上げた時も真っ直ぐに向き合いそして温かく送り出して下さいました」と意向を尊重してくれた事務所への思いも記した。人生の新たな一歩を踏み出し、「役者としてより一層深く表現の幅を広げられるよう精進して参ります」とあらためて決意を表明した渡部。「今までお世話になりました皆様、いつも応援して下さる皆様」に向けての「これからも変わらぬご指導ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます」というメッセージで結んでいる。
2022年01月17日スカート澤部渡とPUNPEE(パンピー)が、コラボレーション楽曲「ODDTAXI」のアレンジバージョンを発表。スカートとPUNPEEが『オッドタクシー』OP曲をアレンジシンガーソングライター澤部渡のソロプロジェクト・スカートと、ラッパー/トラックメーカー/DJのPUNPEEがコラボレーションした楽曲「ODDTAXI」は、2021年4月よりテレビ東京で放送されたTVアニメ『オッドタクシー』のオープニングテーマとして書き下ろしたもの。今回はそんな話題の楽曲「ODDTAXI」にオリジナルアレンジを加え、YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」で一発撮りを披露した。なお、「ODDTAXI」がオープニング主題歌となったアニメ『オッドタクシー』は、タクシー運転手・小戸川を主人公としたミステリー・サスペンス。脚本に此元和津也、主演に花江夏樹を迎えた『オッドタクシー』は、ほのぼのとした動物たちのビジュアルからは想像もつかない本格的なストーリー展開で話題を呼び、“衝撃の最終回”はTwitterトレンドにもなった。PUNPEEはオープニング主題歌だけでなく、劇伴音楽も手掛けている。【詳細】スカート PUNPEE コラボレーション楽曲「ODDTAXI」THE FIRST TAKEオリジナルアレンジバージョン※配信日・CD発売日等、リリース情報未定。※オリジナル版は2021年4月7日(水)配信。
2021年12月27日脚本家の橋田壽賀子さんが亡くなったことが報じられた、2021年4月5日。数多くの名作を生みだした橋田さんの死を惜しみ、『橋田ファミリー』から追悼のコメントが寄せられています。橋田壽賀子を看取った、泉ピン子最期の様子を明かす「ママと呼ぶ私の声が聞こえたのか」テレビドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)で、岡倉家の次女の夫役を演じた俳優・角野卓造さんも、「1本の柱がなくなってしまいました」とコメントを発表しました。「もう橋田先生の台本で演じることができないと思うと、今まで当たり前に書いていただいていたことがどれだけありがたく幸せだったことか。実の母とともに橋田先生、石井先生はもう2人の母であり、俳優としての屋台骨を支えてくださる大恩人です。その1本の柱がなくなってしまいました」サンケイスポーツーより引用続々と芸能界から追悼のコメントが寄せられていることからも、橋田さんがドラマ界に与えた大きな功績を実感します。[文・構成/grape編集部]
2021年04月06日真夏の日差しを受けて、供花はどこか寂しげに揺れていた。墓標に刻まれていたのは「渡瀬家」の文字。そして傍らには、もう一基の墓標が。昭和の大スター・渡哲也さん(本名・渡瀬道彦享年78)が、自分の父母、そして愛妻の家族のために作った墓地は、東京都内の古刹にある。渡さんの逝去が公表されてから2週間ほどがたつ。「逝去が報じられた翌日には、友人知人たちからたくさんの供花が送られてきましたが、故人の遺志により受け取られることはなく、運んできた車に、再び積み込まれていました。遺骨は自宅の祭壇に安置され、俊子夫人(78)が守っているそうです」(スポーツ紙記者)肋膜炎、直腸がん、大腸がん、急性心筋梗塞、肺気腫……、生涯で多くの病魔と闘い続けた渡さんの傍らには、いつも愛妻・俊子さんがいた。渡さんと俊子さんは、青山学院大学の同窓生で、兵庫県人会でたまたま席が隣り合ったのが出会いだったという。「渡さんは兵庫県の淡路島出身。俊子さんは東京出身ですが、父の仕事の都合で高校時代は神戸女学院に通っていたのです。青山学院大学の同窓生によれば、“学生時代も下宿の部屋探しからなにから、俊子さんが渡さんの面倒をみていた”そうです」(渡さんを古くから知る映画関係者)出会ってから’71年に結婚するまで7年。ようやく始まった待望の新婚生活だったが、翌年から俊子さんは渡さんの看病に追われるようになった。また渡さんは’74年に大河ドラマ『勝海舟』を肋膜炎のために降板している。当時、俊子さんは週刊誌のインタビューで、渡さんの闘病生活について語っていた。《とにかく食べさせることに気を遣いました。おにぎりなら食べやすいというので、なかにイクラや肉のつくだにをいれたおにぎりをつくったり、牛肉や野菜を一日煮込んでスープをつくったり……。でも、大変なのは夜でした。すごい寝汗をかくんです。シーツやタオルケットまで濡れるので、明け方までに3~4回、下着とシーツをとりかえなければなりませんでした》(『女性セブン』’74年2月27日号)このときの俊子さんは、半世紀近くにわたって、夫の幾度もの大病と闘っていくことになるとは、想像もしていなかっただろう。銀幕スターとしての矜持も邪魔したのだろうか、渡さんは妻の献身に対して、言葉で感謝の気持ちを表すことは苦手だったようだ。取材のときも俊子さんに関して語るときは、ややそっけなかった。「(ご苦労さん、ありがとうなんて)そんなこと言えないですよねぇ。言わなくてもわかってくれているでしょう」 「(女房は)丈夫だけがとりえでねぇ」こんな調子だった。だが前出の映画関係者が続ける。「口には出さなくても、渡さんは体調を崩すたびに、自分の睡眠を削って看病してくれる俊子さんに感謝していたでしょうし、“一人娘”をくれた俊子さんのご両親のことも大切にしていました。渡さんが亡くなるまで住んでいたのは東京都内の一軒家ですが、ここにはもともと俊子さんの実家があり、いわば“マスオさん”として同居生活を送っていたのです。俊子さんのお母さんが’93年に亡くなったときには、渡さんが喪主を務めています。通夜や葬儀には、宍戸錠、富司純子ら数百人の芸能人や関係者らが弔問に訪れるという盛大なものでした」そして渡さんは、石原裕次郎さんの逝去から20年後の’07年、ある決断を下した。故郷・淡路島の真言宗の寺院ににあった渡瀬家代々の墓を、東京都内に移したのだ。移設先は、平安時代に創建されたとされる天台宗の古刹。「俊子さんのご実家の菩提寺だったと聞いています。渡さんはそこに渡瀬家の墓を建立するだけではなく、その隣に俊子さんのご実家の墓標も新たに作り直したのです」(前出・映画関係者)墓の移設について、葬儀・お墓・終活ビジネスコンサルタントの吉川美津子さんが次のように語る。「宗派の違うお寺に、お墓を移すことは、寺院や親戚の理解があれば可能で、珍しいことではないと思います。奥さまのご実家と同じお寺に移すことで、お盆やお彼岸の法要、お墓参りも同じタイミングですることができるようになります。また渡さんは、奥さまとそのご家族を大事にされていただけではなく、ご自身のご先祖と奥さまのご先祖とのご縁をとても大切にされていたのではないでしょうか」俊子さんの父母は他界しているが、一人娘だった彼女はまめまめしく墓参を続けているという。「きっと渡さんは看病で苦労ばかりかけた俊子さんに、何かの形で報いたいと考えていたのだと思います。ご両親の眠るお墓をきれいにしてあげたいとも考えたのでしょうし、もっと先の話でいえば、俊子さんはゆくゆくは渡瀬家のお墓に入るわけですが、お隣には、ご両親もいらっしゃることになります」(前出・映画関係者)並んで立つ両家の墓標には、口下手だった渡さんの、俊子さんへの深い愛が込められている。「女性自身」2020年9月8日号 掲載
2020年08月30日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎で亡くなりました。78歳でした。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声芸能界からは、渡さんを悼む声が次々とあがっています。渡さんと親交の深かった、女優の吉永小百合さんもその1人です。吉永小百合「泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」渡さんと映画『愛と死の記録』で初共演して以降、宝酒造株式会社『松竹梅』のCMなど、数々の作品で共演をしてきた吉永さん。長年渡さんを先輩として慕い、突然の訃報に驚きを隠せなかったそうです。同月14日、吉永さんはさびしい胸の内を、こう明かしました。この日、本紙など報道各社に寄せた直筆の追悼コメントには「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで(実弟で俳優の渡瀬)恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」と寂しさを隠せず。渡さんが天国に旅立ったことがいまだに信じられない様子で、「大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です」と無念の思いをつづった。サンケイスポーツーより引用俳優の渡瀬恒彦さんは、渡さんの実弟で2017年に亡くなりました。吉永さんは、渡さんが大好きな夏の海を泳いで天国の弟のもとへ行ったのではないかと感じたようです。長年、渡さんの背中を見てきた吉永さんだからこそ感じた最後の思い。きっと海を渡り、天国で恒彦さんと再会できたことでしょう。渡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年08月18日「いつも実直で、仕事に対する姿勢は一生懸命な方でした。大事なセリフになると、必ずギュッと拳を握りしめていた渡さんの姿はいまも忘れられません」本誌にそう語るのは女優・松原智恵子(75)。8月10日に俳優・渡哲也さんは東京都内の病院で肺炎により逝去した。享年78。訃報が報じられたのは、逝去から4日後の14日夜のこと。生前、渡さんは妻に「静かに送ってほしいから、自分が死んでも、葬儀などすべてが終わるまでは誰にも知らせないように」などと伝えていたという。その言葉どおり、お別れ会や偲ぶ会の予定もない。渡さんはこの数年、肺気腫で苦しんでいた。だが日活映画時代の代表作である『無頼』シリーズ6作で共演した松原ら、親しい友人たちにも、闘病について詳しく語ることはなかったという。松原が続ける。「実は6月に浅丘ルリ子さんからお電話をいただいたのです。浅丘さんは『近いうちに、チーコ(※松原)もいっしょに3人でごはんを食べようよ』と、渡さんにご連絡したそうなのです。でも渡さんは、『いまは体調が悪くて無理だから、次の機会にまた誘ってよ』と、おっしゃったとか。いつか3人で“日活同窓会”ができるかと楽しみにしていたのに、とても残念です。渡さんのことですから、『ごはんに行けなくてごめんね』と、頭をかきながら、私たちを見守ってくださっているような気もします……」「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月18日8月10日に俳優・渡哲也さんは東京都内の病院で肺炎により逝去した。享年78。この数年、渡さんは肺気腫のために苦しんでいた。本誌が渡さんの闘病生活を目撃したのは、昨年4月、東京都内にある病院の前。酸素ボンベの入ったバッグを右手に持ち、バッグからは鼻まで酸素を送るためのチューブがのびていた。通院に付き添い、車の乗り降りを介助していたのは、愛妻・俊子さん(77)だった。ベテランの映画関係者は言う。「俊子さんは大手鉄鋼会社の役員の令嬢で、青山学院大学では渡さんの1年後輩。渡さんの一目ぼれだったそうです。しかし結婚にこぎつけるまでは何年もかかりました。当時の渡さんには大勢の女性ファンがいたため、なかなか公表することができなかったのです。ハワイで2人きりの結婚式を挙げたのは’71年3月、渡さんが29歳のときです」渡さんと俊子さんの結婚生活は49年と5カ月。しかしその間に、渡さんは幾度も病魔に襲われた。48年前の’72年7月には、京都でテレビドラマ撮影中に高熱を出して病院に運ばれた。「その後、俊子さんの伯父が院長を務めていた東京都内の病院に転院します。当時の俊子さんは妊娠中でしたが、病院食が苦手な渡さんのために、自宅で食事を作っては、運んでいたのです。肉体的・精神的負担が大きかったためか、俊子さんは何度も流産の危機に襲われました」(前出・映画関係者)’74年に放映されたNHK大河ドラマ『勝海舟』では主演だった渡さんだが、肋膜炎のため途中で降板。さらに’91年には、直腸がんに襲われる。その大手術後、渡さんは妻・俊子さんへの感謝の気持ちを雑誌のインタビューで語っている。《女房にも助けられました。(6月)二十日に手術して二十八日抜糸があったんですが、直腸をとっていますから猛烈に痛むのです。看護というのは患者と一緒に痛がっていたら絶対にできないんですね。私が痛がっていることは当然わかっている。その上で、一つ次元の高いところで、ある意味では冷静に患者を見なければいけない》(『文藝春秋』’92年2月号)実は俊子さんは、渡さんの入院中に看護法を看護師から直接指導してもらっていたという。’15年に渡さんは、急性心筋梗塞のため緊急手術を受けたが、俳優復帰のためにリハビリのフォローをしたのも俊子さんだった。当時、夫妻の知人は、その奮闘ぶりについてこう語っていた。「渡さんの退院前から、俊子さんは自宅にリハビリ用のマシンを運び入れていました。室内ランニングやウオーキング用のトレッドミルなどです。マシンを使用する運動のほかにも、階段の上り下りもリハビリになりますが、俊子さんはいつも付き添っているのです。もともと食事にうるさい渡さんですが、いまは減塩食になっており、味つけの工夫も大変です。しかし、かつて石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤の手術後に、奥さんのまき子さんが作った減塩食の写真付きレシピがあるそうで、俊子さんもそれを参考にしているようです」渡さんと俊子さんのかつての姿について、石原プロモーションで常務取締役を務めていた仲川幸夫氏はこう語る。「渡さんの自宅には松田優作さんや地井武男さんたちも遊びに行っていましたが、もてなしてくれるのは俊子さん。彼女はとっても料理が上手なので。俊子さんは聡明な女性で、渡さんは何でも彼女に相談していました。芸能界以外の人脈も広くて、そこから得た情報を、渡さんに伝え、彼も仕事の参考にしていたようです。ただ俊子さんは、“表”に出ることは一切ありませんでした。渡さんが石原プロの社長を務めていたときも、もちろんプロダクションの経営に口をはさむこともしなかった。渡さんの長年の介護は本当に大変だったと思いますよ。できればお会いしてお悔やみも申し上げたいです……」この数年、石原裕次郎さんも食べたという俊子さん手作りの減塩料理を口にしながらも、渡さんの頭から離れなかった課題が、“石原プロの幕引き”だったという。実は昨年4月、本誌は石原プロの関係者のこんな証言を報じていた。「渡哲也さんが、ついに俳優引退と石原プロモーションの幕引きを決断したのです」当時、渡さん本人に決断の理由などについて取材を試みた。すると渡さんは目をつぶり、数秒間真剣な表情で黙考した後、付き添っていた運転手に、「事務所に連絡するように伝えなさい」と、静かに言い残して、自宅へと戻っていったのだった。だが石原プロの元幹部は次のように語っていた。「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でもありました。ほかの(勝プロや三船プロのような)“スタープロダクション”のような終わり方にはしたくないということです。渡さんとしては倒産とか分裂とかで、石原裕次郎さんの名前を汚したくない。それが彼の美学なんです。’11年に健康上の理由で社長からは退きましたが、渡さんが決定したとなれば、ほかの社員たちも従います。幕引きを急いでいるのは、渡さんが自分の体調に自信を持てなくなっているからなのでしょうね」しかし俳優たちの移籍先を探す必要もあったからなのだろうか、石原プロが’21年1月をもって解散することが発表されたのは1年後の今年7月17日。“幕引き”を見届けたかのように渡さんが逝去したのは、それから3週間後のことだった。生前、渡さんは妻に「静かに送ってほしいから、自分が死んでも、葬儀などすべてが終わるまでは誰にも知らせないように」と、伝えていたという。その言葉どおり、お別れ会や偲ぶ会の予定もない。“幕引きは静かに”……、石原プロのみならず、自身の人生の終幕にも美学を貫いた渡哲也さん。その傍らにはいつも辛苦をともにし続けた妻・俊子さんがいた。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月18日8月14日、肺炎のため亡くなったと発表された渡哲也さん(享年78)。その俳優人生には、闘病がつきものだった。72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養し、73年には膠原病との診断が。74年2月には胸膜癒着症にかかり、91年には直腸がんが見つかった。97年にも早期の大腸がんが発見され、15年6月には心筋梗塞で緊急入院。晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった。そんな渡さんだったが、病を通しての“出会い”もあった。そして、そのことがキッカケで病と闘う子供達を支える活動に取り組むようになる。「膠原病で入院した際、白血病と闘う高校1年生の青年と出会いました。渡さんはその青年と交流を深め、退院するときも青年が笑顔で送り出してくれたそうです。しかし、ほどなくして彼は天国へと旅立ってしまったのです。以降、ずっと彼のことが脳裏にあったのでしょう。のちに患った直腸がんを乗り越えたころ、『病気の子供たちに勇気を与えたい』と支援活動に乗り出しました」(芸能関係者)各メディアによると渡さんは96年6月、悪性リンパ腫と闘う少年を慰問。同年9月には小児がんの患者や家族を招いたイベントにも参加している。そこには、舘ひろし(70)や神田正輝(69)といった石原プロに所属する俳優たちの姿も。会場全体で「上を向いて歩こう」を歌うなど、楽しいひとときを過ごしたという。さらに本誌は00年11月、脳腫瘍を患った当時9歳の少女・岡野亜美さんと渡さんの交流を伝えている。脳腫瘍の手術を受けて以降、辛い治療を続けていた亜美さんは渡さんと同じイベントに登壇した。しかし、ステージ裏でも亜美さんは緊張気味。その姿に渡さんは思わず、「笑顔を見せてくれよ」と声をかけた。彼女はその言葉で打ち解けることができたようで、「サインくれる?」と一言。渡さんは快く応じただけでなく、亜美さんのお絵かき帳にこうつづった。「亜美ちゃん、頑張れ」勇気をもらった亜美さんは後日、渡さんに手紙を送った。そこには「わたちゃんおじさん、しぶくてすてき。またあおうね」と書かれていたーー。06年、クイズ番組で獲得した賞金750万円を「小児がん征圧募金」に寄付したことも話題となっていた渡さん。病を乗り越えて誰かのために行動する姿は、子供たちの目に憧れの存在として映っただろう。
2020年08月17日渡哲也さん(享年78)の遺作となった、宝酒造「松竹梅」のCM。石原裕次郎さん(享年52)が87年に死去した後、渡さんが約30年に渡って引き継いだ。2人合わせて出演50周年を記念し、「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」が放送中。「SANSPO.COM」は8月16日、同社が放送継続を希望していると報じた。ただ、本CMはシリーズ最終作。裕次郎さんの三十三回忌を終えたことや、来年1月に石原プロが解散することもあって終止符を打つと決まっていた。記念すべき最後の共演者は裕次郎さんとなった。いっぽう、これまで共演した女優は2人。その代表格は吉永小百合(75)で、98年から10回登場している。令和の正月を2人で飾ったことも記憶に新しい。もう1人は、14年に起用された前田敦子(29)だ。渡さんが「あっちゃんさんと呼んでいいですか?」と語りかける、微笑ましい掛け合いは大反響だった。「異例ともいえる抜擢ですが、渡さんが直々に指名したといいます。会見では、まるで祖父と孫のように仲睦まじい様子でした。渡さんは前田さんを、『情感豊かな女性』と絶賛。前田さんも、渡さんを『理想の男性です』と語っていました」(スポーツ紙記者)なぜ、渡さんは前田を指名したのか。2人が親睦を深めたきっかけは、12年10月にドラマ『強行帰国〜忘れ去られた花嫁たち〜』(TBS系)での共演。前田にとって、AKB48を卒業してから初めてのドラマ出演だった。渡さん扮する日中戦争から帰国した元日本兵が、中国残留邦人の一時帰国を助けるドキュメンタリー。前田は、その手助けをする娘役を演じた。「渡さんは共演するまで、前田さんを知らなかったそうです。ですが、『趣味は?』『お父さんはいくつ?』など積極的にコミュニケーションを取られました。そのおかげで前田さんも緊張がほぐれ、互いに打ち解けたといいます。残留邦人についての歴史も一緒に学んだと聞きました。後輩に対して面倒見の良い渡さんは、前田さんにも丁寧にアドバイス。前田さんもそれを素直に聞き入れ、礼儀正しい姿勢も評価されました。クランクアップ後、渡さんは『前田さんが女優業を続けることに心配はない』と期待を語っていました」(テレビ局関係者)前田にとって、貴重な経験となった渡さんとの共演。その心情は察するに余りある。
2020年08月17日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎により78歳で逝去。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)はじめ、数々の作品で一世を風靡した俳優の訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声渡哲也『炊き出し』で見せた温かな人柄同月17日の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)では、渡さんの訃報を報道。その人柄について関係者が語りました。生前、ボランティア活動に力を入れていた渡さん。特に、阪神淡路大震災や東日本大震災で行っていた『炊き出し』は石原軍団の名物になっていました。番組では東日本大震災の際、渡さんと一緒に炊き出しを行った中華料理店の店主に取材。店主は渡さんについて「ものすごく気さくで優しい方だった」と述べ、当時の思い出を次のように語っていました。「明日、焼きそば焼かれるんですよね。大丈夫ですか?」と聞いたら、「阪神淡路大震災でね、数千どころか何万人に焼きそばを振る舞ったんだよ。だから大丈夫だから、おいしいから絶対食べてね」って。そういう風にいってくださって。かっこいい方でした。愛を感じたというか、一人ひとりの目を見て顔を見て、「頑張ってね。食べておいしいから、元気になってね」ってみんなに声をかけていて。すごく来場者が多かったものですから。それでも近付けない方には目で追って、手を振ってあげたりとか。大変疲れる状態の中でも目配り心配りが素晴らしい方でした。渡さんはみんなに愛を与える方。本当に感動しました。スッキリーより引用1995年1月に起きた阪神淡路大震災では、発生から1か月後にはトラックに食材を積んで駆けつけ、テント生活を送りながら被災地を回っていたという渡さん。また、2011年3月に発生した東日本大震災の際は、津波被害が特に大きかった宮城県石巻市を訪問し、大勢の被災者に食料を届けたといいます。ネット上では、数々のコメントが寄せられていました。・阪神大震災の時の炊き出しありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。・渡哲也さんって、気取らない優しい人だったんだなぁ。・震災の時、知人がお世話になりました。炊き出しは涙が出るほどおいしかったそうです。情に厚く、温かな人柄でみんなに愛された渡さん。その功績とともに、心のこもった炊き出しの光景を多くの人が忘れないでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年08月17日俳優・渡哲也さんが8月10日に肺炎で死去した。78歳だった。訃報を受け、日活映画時代から50年以上も親交のある吉永小百合(75)が追悼メッセージを14日に発表した。「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。ご冥福を心からお祈りいたします」66年に映画『愛と死の記録』で初共演した2人。渡さんは印刷会社に務める原爆症の青年役で、吉永扮する楽器店で勤める娘との悲恋物語だ。当時若い2人の迫真の演技は、感動を巻き起こしたという。「当初は、吉永さんと“青春・純愛路線”を築いた浜田光夫さん(76)がキャスティングされていたといいます。ですが浜田さんは右眼を負傷し、降板。アクション専門だった渡さんが、代役に起用されました。原爆がテーマの本作は、当初『被爆者の描写が刺激的すぎる』とカットを命じられたそうです。ですが吉永さんと渡さんは、原爆の悲劇を自分のことのように受け止めていました。そのため、スタッフたちと撮影所前で座り込みの抗議をしたほどだったそうです」(映画関係者)その後も『白鳥』(66)や『青春の海』(67)、『嵐の勇者たち』(69)などで共演し、“日活黄金期”を支えた2人。互いにキャリアを積んでからは、『時雨の記』(98)で中年男女のプラトニックな恋愛を好演。だが、00年の『長崎ぶらぶら節』で共演したことが最後となった。いっぽう渡さんが長年出演した宝酒造「松竹梅」のCMには、10回も登場した吉永。19年末に公開されたCMでは、令和初のお正月を2人で飾った。各メディアによると、この撮影が2人にとって最後の現場になったという。「17年のCM撮影時、闘病中だった渡さんは『最後の1本は大ラブシーンをやりましょう』と吉永さんに呼びかけていました。98年の『時雨の記』では、吉永さんが渡さんを相手役に指名したといいます。歳を重ねても、日活時代で築いた“あうんの呼吸”があるのでしょう。吉永さんも渡さんの“最後のお願い”に、『老夫婦の恋愛作品を作りましょう』と応えていました」(制作関係者)叶わなかった最後の共演。だが残された2人の作品は、これからも愛され続けるだろう。
2020年08月15日渡哲也さんが肺炎のため亡くなったと8月14日に発表された。78歳だった。各メディアによると渡さんは10日、妻の俊子さんに見守られて息を引き取ったという。渡さんの俳優人生には、“闘病”がつきものだった。71年3月に結婚したものの、翌72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養。さらに73年には膠原病との診断を受け、74年2月には胸膜癒着症にかかった。そして91年には直腸がんが見つかった。がんは渡さんの父、そして師である石原裕次郎さん(享年52)の命を奪った病でもあった。「お父さんと裕次郎さんを亡くした経験から、渡さんは『がんは早期治療が肝心だ』と理解していました。病名を公表することでいっそう、がんと向き合いたいと考えていました」(芸能関係者)そんな渡さんを支えたのは、俊子さんだったという。「渡さんが仕事で穴をあけることになり、俊子さんは関係各所に頭を下げて回りました。また医師には『どんな形でもいいから生きてほしい』と頼み込んだといいます。そんな姿に、渡さんのお母さんは『あなたには苦労のかけっぱなしで……』と涙ながらに感謝したそうです」(前出・芸能関係者)97年にも早期の大腸がんが見つかった渡さん。15年6月には、心筋梗塞で緊急入院をしている。「渡さんが突然胸の苦しみと息苦しさを訴え、俊子さんはすぐに病院へ。俊子さんが素早く異常に気付いてくれた甲斐もあって手術は1時間30分ほどで済み、数日後には一般病棟へ移りました」(病院関係者)渡さんの窮地を救った俊子さんは、献身的に看護し続けた。「俊子さんは1カ月もの間、病室に泊まり込みで看病していました。退院前から自宅にリハビリ用のマシンを運び入れ、さらに退院後には食事を減塩食に切り替えました。その際には、裕次郎さんの奥さんであるまき子さんのレシピを参考にしていたそうです」(渡夫妻の知人)晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった渡さん。結婚翌年から48年。病との戦いだった人生を支えたのは、俊子さんという“戦友”だった――。
2020年08月15日2020年8月10日、肺炎により逝去していたことが判明した、俳優の渡哲也さん。連続ドラマ『大都会』(日本テレビ系)や『西部警察』(テレビ朝日系)などで一世を風靡した俳優の死に、人々からは悲しみの声が広がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声同月14日、お笑いコンビ『ドランクドラゴン』の塚地武雅さんがTwitterを更新。テレビドラマ『おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』(テレビ朝日系)にて、渡さんと共演した際のエピソードを明かしました。ドランク塚地が感じた、渡哲也の『プロ根性』ドラマの撮影中、主演である渡さんが、椅子を手刀で割るシーンがあったといいます。しかし、本番になると、渡さんは手刀ではなく、頭で椅子を割ったというのです!渡さんのサービス精神と勇ましさに感動した塚地さんは、「プロだ!僕もこうならなければいけない!」と、身の引き締まる思いだったといいます。渡哲也さん…おいしいごはん というドラマで師弟の役でご一緒させていただきました。椅子を手刀で割るというシーンで本番、いきなり頭で割る姿を見て驚きとサービス精神と漢気を感じ、プロだ!僕もこうならなきゃいけない!と思ったのを覚えています!— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 茶目っ気あるエピソードも明かす塚地さんは、ドラマの撮影をしていたある日、渡さんに「塚地くん、ちょっと!」と呼ばれたといいます。「僕のお芝居がよくなかったのか」と怒られる覚悟で向かうと、各国のミス・ユニバースが写る新聞を広げて、「塚地くんはどの子がタイプ?」と聞いてきたそうです。渡さんの意外な問いかけに、「茶目っ気のある面白い人」だと感じた塚地さん。「短い間でしたが、近くで色々見せていただいたことは勉強になることばかりで忘れません」と、渡さんへ追悼の言葉を贈りました。ある日、渡哲也さんに前室で「塚地君、ちょっと!」と呼ばれ、僕のお芝居が良くなかったのか…?怒られると思いながらむかうと新聞のミス・ユニバースの各国の代表の写真を見せて「塚地君はどの子がタイプ?」と。茶目っ気たっぷりの面白い方で。笑— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 塚地さんの投稿には、さまざまなコメントが寄せられています。・とてもお優しい人だったのですね…。・素敵なエピソード。渡さんの人柄がよく分かります。・すごくいい話。思わず泣いてしまいました。茶目っ気あふれる行動は、塚地さんを和ませようとした、渡さんなりの心遣いだったのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが肺炎のため亡くなったことが発表されました。渡さんは、昭和時代を彩る数々の名作に出演。俳優の石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションに所属し、ドラマ『西部警察』シリーズなどでも活躍しました。渡さんはテレビドラマで活躍する一方、多くのCMにも出演しています。裕次郎さんがCMキャラクターだった清酒『松竹梅』を引き継ぐ形で、渡さんがオファーを受けました。同年7月29日からは、2人が共演するCMが公開されており、多くの人が悲しみにくれながら動画に注目をしたようです。酒を飲みかわす渡さんと裕次郎さん。生前、2人が『松竹梅』のCMで共演することは叶いませんでした。裕次郎さんがCMキャラクターを務めて50年となる節目に、合成技術を使って夢の共演となったのです。動画を見た人たちからは悲しみの声が寄せられていました。・合成だと分かっていても、このCMで2人の姿を見ることができてよかった。・悲しいです。天国でもおいしいお酒を飲んでもらいたいです。・昭和の名俳優がまた1人亡くなってしまい、言葉がありません。きっと今頃、天国で裕次郎さんとゆっくりお酒を飲んでいるのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日俳優の渡哲也(本名:渡瀬道彦)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去した。78歳だった。石原プロモーションは、公式ツイッターに文書を掲載し、「弊社 渡哲也(本名:渡瀬道彦)が長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため享年79をもって都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望により本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました」と伝え、「誠に勝手ながらご香典、お供物、ご弔電、ご供花などの儀は故人の遺志により固くご辞退申し上げます」と記した。そして、「尚、お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」と呼びかけた。
2020年08月14日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが逝去したことが分かりました。78歳でした。サンケイスポーツによると、同月10日に肺炎で逝去したとのこと。すでに近親者のみで密葬を行っています。複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。サンケイスポーツーより引用渡さんは、俳優・石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションが制作した連続ドラマ『大都会』や『西部警察』シリーズなどに出演。渋い演技が好評を得て、数多くの作品で活躍しました。ご冥福をお祈りいたします。渡哲也さんについての記事はこちら[文・構成/grape編集部]
2020年08月14日【BOLT】仲田シェフが伝授!『リードボーのシュークルート』の作り方材料作り方① 食材をカットして炒める鍋にバターを入れ火にかけたら、スライスした玉ねぎと塩をひとつまみ入れ、しんなりするまで炒める。玉ねぎが透き通ったら、ザワークラウトを加えてバターを絡めるように炒める。② 白ワインを加え、弱火で煮る白ワインを加えて少し沸いたらチキンストックを加え、ベーコン、タイム、ローリエを入れ、蓋をして弱火で30分煮ます。③ 煮あがったら、ベーコン、タイム、ローリエは取り出す④ ソースをつくるまずはエシャロット、マッシュルームをみじん切りにしフライパンで炒めたら、白ワイン、塩ひとつまみを加えてとろりとするまで煮詰めます。⑤ 生クリームなどを加えてさらに煮込むチキンストック、ベーコン、生クリームを入れて中火で煮込む。とろみがでてきたらベーコンは取り出す。⑥ ソースをなめらかにする最後にかんずりを加え、⑤の鍋にハンドミキサーを入れて撹拌する。⑦ リードボー(仔牛の胸腺)を焼く肉に塩をしっかりと振ってなじませます。オリーブオイルをフライパンにひき、リードボーを表面がきつね色になるまで両面焼きます。⑧ オーブンで中まで熱を加えるオーブンを170℃に温めておきます。⑧をフライパンごとオーブンに入れて、7分焼いたところでバターを投入。バターがとけて泡が出てきたところでフライパンを取り出し、バターをリードボーにかけながらアロゼ(火にかけ)し、またオーブンに戻す、を繰り返しながら焼く。※肉の大きさで焼く時間が変わりますが、芯温が56℃くらいが焼き上がりの目安です。⑨ フライパンに残った旨味をソースに加えるリードボーが焼きあがったら温かいところに置き、無駄な脂を捨てます。フライパンに残っている旨味を白ワインでそげとって、ソースに加えます。⑩ 盛りつけるシュークルートを皿に敷き、カットしたリードボーを盛り付けて上からソースをかければ完成です。さっそく今晩にでも作ってみてください。仲田高広シェフプロフィール1981年、東京都出身。調理師学校卒業後、フレンチの名店・銀座【マルディグラ】、恵比寿【レスプリミタニ】で修業後、渡仏。ブルゴーニュの【ラ・マドレーヌ】を経て、その姉妹店【オー・クリヨー・ド・ヴァン】のシェフに。その後、渡豪。メルボルンのレストランやビストロなどで経験を積む。帰国後、赤坂【まるしげ夢葉家】で居酒屋を経験、集大成として、2017年に【ボルト】開店。自由で楽しい料理と雰囲気が大人客の心を掴む。BOLT【エリア】神楽坂【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】7000円【アクセス】牛込神楽坂駅 徒歩1分
2020年04月26日細野豪志衆議院議員(48・無所属)が2月11日、「LGBTを支援する理由」をツイートした。しかしその投稿に疑問の声が上がっている。15年に「LGBTに関する課題を考える議員連盟」の顧問に就任するなど、これまでも積極的にLGBTに関する問題に取り上げてきた細野議員。そんな彼は11日、Twitterに《私がLGBTのアライ(支援者)である理由》として以下の5点を挙げた。・当事者の友達がいる・それぞれの生き方(人権)を尊重した方が良いと思う・才能のある人が多く、国や地域に活力が出る・外国人にだけ同性の配偶者に在留許可を出している(内外逆差別)のはおかしいと思う・オリンピック憲章に書いてある(今年は特に)そんな細野議員の投稿には《当事者として感謝申し上げます》《当たり前に普通に存在を受け入れて普通に幸せになれる世の中にしたいですね》といった声が。しかし、いっぽうでは「才能のある人が多く」という文言を疑問視する声が続出。ネットでは「才能と人権は関係あるの?」との声が上がっている。《あなたの友達かどうかとか、その人に才能があるかどうかとか、オリンピック憲章に書いてあるかとか、そういうことじゃないのでは?》《たとえ当事者に才能がなくて国や地域に活力が出なくても、普通に応援しませんか?》《男が好きでも女が好きでも、結婚する人もしない人も、子供がいてもいなくても、「尊重しなければいけないもの」が人権だと思います》《才能がないとダメなんですか?》
2020年02月14日青木豪が演出・上演台本を手掛ける『十二夜』(原作:ウィリアム・シェイクスピア)が2020年3月に上演される。主演を務める前山剛久と青木豪に話を聞いた。【チケット情報はこちら】本作は、青木がシェイクスピアの本場でもあるイギリス留学から帰国してすぐの2013年に初演され、観客から「こんなに笑えるシェイクスピアは初めて!」と好評を得た作品の再演。当時は客席で観た前山も「めちゃくちゃ笑いました。誰もが楽しく観られるようにアレンジされていた」と振り返り、青木は「“なんちゃってシェイクスピア”です」と語る。「僕らが勝手にシェイクスピアをやったらこんな感じになりました、すみません!みたいなイメージです。例えば衣裳も、“なんちゃって”で遊んでたらこうなっちゃったんです、というような。今回もそのコンセプトは変えません。楽しいことやってるから来て!というふうにつくりたい」今回、7年ぶりの再演で前山を主役(ヴァイオラ役)に抜擢したのは「前ちゃんとは2013年にシェイクスピア作品の『お気に召すまま』をやったのですが、そこから相当活躍してるって聞いて。なのでもう1回、前ちゃんとやるべきだと思いました」という期待から。前山は「豪さんともう1度やりたいと思っていたのでめちゃくちゃ嬉しい。『お気に召すまま』ではオーディションでメインのロザリンド役に選んでもらいました。あのとき豪さんが見つけてくれた、あれがスタートだったという思いがあるんです」と明かす。当時は「いい意味で、それまでで1番追い込まれました。豪さんの稽古って毎回トライしなきゃいけないし、殻にこもるとハッキリ指摘される。でもそのおかげで殻が破れた」。そしてそれ以降、前山は舞台『刀剣乱舞』や『あんさんぶるスターズ!オン・ステージ』など人気2.5次元作品に出演し、この11~12月は宮本亜門演出の『イノサンmusicale』が控えるなど活躍を続けており、「豪さんには僕自身の変化も見てもらいたい気持ちがあります」と意気込む。その他出演者も彩り豊か。納谷健、新納慎也、春海四方、小林勝也らが名を連ね、前山も「納谷健がいて新納さんがいるって時点で稽古場が想像できなくなる(笑)」と言う幅の広さだが、青木は「台詞をしっかり言えて美しく届けるってことがちゃんとできる人たちと、華と勢いのある若い人たちを組み合わせたかった。面白いものができるに決まってるさって気持ちでいます」と化学変化が楽しみになるひと言。前山が「豪さんのシェイクスピアは他にない魅力がある。ぜひ観に来てほしいです」と誘う『十二夜』は2020年3月6日(金)から22日(日)まで東京・本多劇場、3月29日(日)から31日(火)まで大阪・近鉄アート館にて上演。12月1日(日)まで、チケットぴあにて2次プレリザーブ受付中。取材・文:中川實穗
2019年11月28日今年7月に仏政府から芸術文化勲章「シュバリエ(騎士)」が贈られたことが話題になった漫画家の永井豪さん。社会現象を巻き起こした『ハレンチ学園』、マンガ界の歴史に名を残す『デビルマン』、巨大ロボットマンガの金字塔『マジンガーZ』など、これまで世に送り出してきた作品は350以上。その作品は海外にも広がり、特にフランスではテレビアニメ版の『UFOロボ グレンダイザー』が『ゴルドラック』のタイトルで大ヒット。今も国際的に活躍する永井さんの50年を超える画業を振り返る展覧会『画業50年“突破”記念 永井GO展』が始まる。本展では、デビュー作から最新作まで、貴重な直筆マンガ原稿、カラーイラストなど600点以上を展示。「鬼・悪魔」「ロボット」「ギャグ」「魅力的なヒーロー・ヒロイン」というジャンル別に紹介される。また会場には『マジンガーZ』や『デビルマン』の世界観をイメージしたエリアを展開。今まで表に出ることのなかった秘蔵資料などを目にすることができる。またデビューまでの道のりをマンガ化した作品も、本展のために描き下ろされ展示される。「この50年はいつも締め切りに追われていて、目の前の仕事ひとつひとつ片付けることに一生懸命でした。気付けば50年という感じ。え、もうこんなに経ったのかと」(永井さん)膨大な量の作品を描いてきた永井さんだが、ネタが枯渇することはなかった。「紙に向かえば何かしら浮かんでくるタイプ」と自己分析し、ギャグマンガとシリアスな作品を描き分ける時も「キャラクターの中に入ってしまえば、自然にモードが切り替わった」と話す。なかでも「キューティーハニー」など女の子のキャラクターには特に思い入れがあり、いずれも自分の好みの女性像をミックスして描き出したものだと語る。創作の根底に流れていたのは、人間の本性を描き出すこと。「人間自体が生物であって、生存本能、異性に対する興味。これを描かなければ人間の本質を描いたことにならないと思うんです。性とバイオレンス、あらゆる人間ドラマのベースに必ずそれはあるはず」そんな想いを胸に生み出した作品にはいずれも、50年の歳月を経ても、色褪せず誰の心にも響く衝撃がある。「僕はデビュー当時、バイオレンスやエロティックを描くのが当然と思っていた。でも僕の中ではちゃんとモラルがあって、少年誌ではここまで、と線引きしてきた。だから自分の表現に対してダメ出しをしてきた数々の編集長とも、渡り合ってくることができたのだと思います」世間の冷たい目を感じながら反骨精神で描いてきた作品が美術館に並ぶ日がくるとは感無量と語る永井さん。その世界観を体感してみて。海外でも絶大な人気を誇る『マジンガーZ』。©1967‐2019 Go Nagai / Dynamic Productionながい・ごう1945年生まれ。石ノ森(当時は石森)章太郎のアシスタントを経て1967年デビュー。2018年、第47回日本漫画家協会賞・文部科学大臣賞受賞。現在も『ビッグコミック』にて「デビルマンサーガ」を連載中。『画業50年“突破”記念 永井GO展』上野の森美術館東京都台東区上野公園1‐29月14日(土)~29日(日)10時~17時(入場は閉館の30分前まで)無休一般1600円ほかTEL:03・5777・8600(ハローダイヤル) 写真提供・永井GO展実行委員会※『anan』2019年9月18日号より。インタビュー、文・山田貴美子(by anan編集部)
2019年09月11日澤部渡によるソロプロジェクト、スカートは、彼の類まれなるポップなソングライティング力で近年は映画やドラマへの楽曲提供も多い。アルバム『トワイライト』の1曲目を飾るのはKaede(Negicco)への提供曲のセルフカバー。夜の静寂の中をゆっくり旅するようなムードが聴き手を一気に魅了する。内容はファンタジーだけど目線だけはリアルなんです。「楽曲提供の際、Kaedeさんのスタッフさんから『明るいか暗いかどっちかに振ってほしい』と言われて、迷わず『暗い方だったら得意ですよ!』と書いた曲。現状を一度投げ捨てて先に進もうとしている女の子が主人公で、暗い言葉が躍るけれど、わりと前向きな曲なんです」DJ MARUKOMEへの楽曲提供でtofubeatsとコラボした「高田馬場で乗り換えて」のセルフカバーも収録され、スカートのポップ・ワールドは多彩さを極める。その半面、澤部さん自身のちょっとダークな(!?)内面世界が垣間見えるような楽曲たちも、今作をじっくり聴かせる大事な要素になっている。「特に『ずっとつづく』の歌詞を書いていた頃に、いろんな少女漫画を読んでいたんですけど。その時に“なんで僕はこの世界でまだ結婚していないんだろう”とか“まともな大人になってないな”と感じたことが歌詞になりました。だからこの曲だけ31歳男性・無職のリアリティ(笑)。内容はファンタジーだけど、目線だけはリアルなんです。そこが今までのスカートとは違うなと」フリューゲルホルンの音色と山崎ゆかり(空気公団)のコーラスが尊い一瞬を美しくなぞるような「トワイライト」も、ミュージシャンでありながら漫画への憧れがあるという澤部さんならではの楽曲。「映像や写真と違って、漫画はその1コマの前後で何があったのかをぼかすこともできるし、描き切ることもできるところが好きなんです。そういう描写がこの『トワイライト』という曲ではできました。そしてアルバムのジャケットは、敬愛する漫画家の鶴谷香央理さんに描いてもらった、存在しない漫画の1コマ。スカートの音楽自体が架空の漫画だと思って楽しんでもらえたら」夕暮れが夜に包み込まれる、その一瞬に訪れる魔法のような時間をポップ・ミュージックというフォーマットで実現してみせる。そんな気迫とロマンに溢れたスカートの新作だ。メジャー2nd Album『トワイライト』。映画『高崎グラフィティ。』主題歌「遠い春」、映画『そらのレストラン』主題歌「君がいるなら」など珠玉のポップ・ソングが並ぶ。【初回限定盤2CD】¥3,200【通常盤CD】¥2,600(ポニーキャニオン)2006年、澤部渡のソロプロジェクトとして活動開始。’17年、メジャー1stアルバム『20/20』を発表。清涼感のあるポップ・ソングの書き手として、他アーティストへの楽曲提供やドラマや映画の劇伴制作に携わる。※『anan』2019年6月26日号より。写真・内山めぐみ取材、文・上野三樹(by anan編集部)
2019年06月24日