全国でもっとも高い青森県の乳がんの死亡率は、全国でもっとも低い山形県のおよそ2倍もあるという。地域差が生まれる理由を専門医に聞いた。理由を知ると、必要ながん対策も見えてきたーー。「一生のうちに2人に1人はがんになりますが、実はがんのかかりやすさや死亡率で各都道府県には顕著な差があります。この地域差を把握することで、自分が住む地域で当たり前になっている生活習慣を見直したり、がんに対する意識を高めたりすることが重要です」そう語るのは国立がん研究センター全国がん登録室の松田智大室長。’16年にがん患者の情報を各自治体が届け出をして、国が一元で管理する「全国がん登録」が始まって5年になる。「スタート当初は、届け出をする自治体でも、熱心な県とそうでない県があり、小規模な医療機関の数字の漏れもありました。しかし、年々、データの精度が増していて、最新のものは十分に信頼に足るデータとして、実態を捉えていると言っていいでしょう」(松田室長)6月には最新(’18年)の罹患率が報告されたばかり。そこで本誌は、「胃がん」「子宮がん」「すい臓がん」の10万人あたりのがんの死亡率と罹患率を、都道府県別にベスト5とワースト5を紹介。【胃がん】日々の食塩の摂取量が多いと罹患リスク高〈どんながん!?〉:ピロリ菌の感染、喫煙、高塩分食がリスクを高める。40歳以上で2年に1回の「胃部X線検査」を推奨。死亡者は年々減少傾向にある。塩分の摂取量が多いと、ピロリ菌が生息しやすい環境に。秋田県民の塩分摂取量は1日あたり10.6グラムで、全国平均の9.9グラムよりも多い。一方、検診受診率が高いわけでも、塩分摂取量が低いわけでもない沖縄県をはじめ九州地方は罹患率、死亡率とも抑えられ、最下位の秋田県の半分以下に。なにか別の要因があると考えられている。【子宮がん】ウイルスの感染と生活習慣が要因に〈どんながん!?〉:ヒトパピローマウイルスの感染が関連する子宮頸がん、エストロゲンのほか生活習慣が要因となる子宮体がんに分類される。検診は頸がんのみ。過去2年の子宮頸がん検診の受診率(’19年、20歳以上)は41.8%と全国3位の沖縄県だが、子宮体がん、子宮頸がんともに罹患率が高く、全国ワースト1の死亡率につながっている。四国・九州地方は、以前から婦人科系のがんの罹患率が高いことが示されている。文化や生活習慣などが深く関係していると考えられている。【すい臓がん】男女差は少ない。糖尿病と関係か〈どんながん!?〉:症状が出にくく早期発見が困難。血縁に罹患者がいること、糖尿病、喫煙などはリスクを高める。検診はないので、気になる場合は医療機関へ。がんの罹患数は、男性が女性の2〜3倍ほど多いが、すい臓がんは男女にさほど差がないのが特徴。地域性はさほど見られないが、鳥取県や山形県は発見から治療・回復までの医療ネットワークが充実。すい臓がんと関連が深い糖尿病患者が全国1位の香川県、糖尿病による死亡率がワースト1の青森県は死にやすい県となっている。「罹患率は生活習慣や環境などが反映されます。一方、死亡率はそれに加え、病院へのアクセスのしやすさ、住民の健康に対する意識の高さ、検診で早期発見できているかどうか、再検査の受診率、診断から治療に至る医療体制などで差がつく可能性があります」順位に一喜一憂することなく、データから読み解く傾向と対策をしっかり心がけよう。
2021年07月28日全国でもっとも高い青森県の乳がんの死亡率は、全国でもっとも低い山形県のおよそ2倍もあるという。地域差が生まれる理由を専門医に聞いた。理由を知ると、必要ながん対策も見えてきたーー。「一生のうちに2人に1人はがんになりますが、実はがんのかかりやすさや死亡率で各都道府県には顕著な差があります。この地域差を把握することで、自分が住む地域で当たり前になっている生活習慣を見直したり、がんに対する意識を高めたりすることが重要です」そう語るのは国立がん研究センター全国がん登録室の松田智大室長。’16年にがん患者の情報を各自治体が届け出をして、国が一元で管理する「全国がん登録」が始まって5年になる。「スタート当初は、届け出をする自治体でも、熱心な県とそうでない県があり、小規模な医療機関の数字の漏れもありました。しかし、年々、データの精度が増していて、最新のものは十分に信頼に足るデータとして、実態を捉えていると言っていいでしょう」(松田室長)6月には最新(’18年)の罹患率が報告されたばかり。そこで本誌は、「乳がん」「大腸がん」「肺がん」の10万人あたりのがんの死亡率と罹患率を、都道府県別にベスト5とワースト5を紹介。【乳がん】晩婚、晩産が罹患率の高さの要因に〈どんながん!?〉:閉経後の肥満、女性ホルモン「エストロゲン」に長期間さらされることでリスクを高める。40歳以上で2年に1回の検査が推奨。東京都や神奈川県の罹患率が高いのは、女性の社会進出が進み、晩婚、晩産のライフスタイルが影響か。死亡率が最悪の青森県と最小の山形県では2倍近くのひらきが。早期発見のカギを握る乳がん検診の受診率(40〜69歳、過去2年)は青森県45.6%に対し、山形県61.0%。罹患後の医療機関へのアクセスの悪さも影響の可能性が。【大腸がん】食生活が大きく影響。医療アクセスも大事〈どんながん!?〉:女性の死者数がもっとも多いがん。40歳以上で2年に1度「便潜血検査」と精密検査「内視鏡検査」を推奨。5年生存率は70%と高い。食生活の欧米化により微増傾向に。喫煙、飲酒、肥満でリスクが上がり、女性では赤身肉、加工肉も影響の可能性が。“死ににくい県”の岡山県と“死にやすい県”の岩手県の検診受診率はほぼ同じ。交通基盤と医療機関が充実している岡山県と、内陸と太平洋側に山脈がある岩手県で、病院へのアクセスに差があることが原因か。【肺がん】喫煙率と罹患率に明確な関係が〈どんながん!?〉:気管支や肺胞の細胞ががん化。喫煙が最大リスクだが女性ホルモンの「エストロゲン」が要因の肺腺がんも。5年生存率が低く、早期発見がカギ。罹患率、死亡率ともに最悪の北海道は、女性の喫煙率でも14%と全国いちばんの高さ。死亡率ワースト3に入った青森県(11.2%)、大阪府(10.4%)も喫煙率が高い。死亡率が低いベスト5はすべて喫煙率が全国平均以下。石川県の罹患率は高いが、死亡率は4位の低さ。検診の受診率45.7%(’19年)と高いことが影響か。「罹患率は生活習慣や環境などが反映されます。一方、死亡率はそれに加え、病院へのアクセスのしやすさ、住民の健康に対する意識の高さ、検診で早期発見できているかどうか、再検査の受診率、診断から治療に至る医療体制などで差がつく可能性があります」順位に一喜一憂することなく、データから読み解く傾向と対策をしっかり心がけよう。
2021年07月28日「一生のうちに2人に1人はがんになりますが、実はがんのかかりやすさや死亡率で各都道府県には顕著な差があります。この地域差を把握することで、自分が住む地域で当たり前になっている生活習慣を見直したり、がんに対する意識を高めたりすることが重要です」そう語るのは国立がん研究センター全国がん登録室の松田智大室長。’16年にがん患者の情報を各自治体が届け出をして、国が一元で管理する「全国がん登録」が始まって5年になる。「スタート当初は、届け出をする自治体でも、熱心な県とそうでない県があり、小規模な医療機関の数字の漏れもありました。しかし、年々、データの精度が増していて、最新のものは十分に信頼に足るデータとして、実態を捉えていると言っていいでしょう」(松田室長)【女性に多いがん】〈全がん〉罹患数:42万9,900人/死者数:15万8,900人(1)乳がん罹患数:9万2,300人/死者数:1万5,500人(2)大腸がん罹患数:6万8,600人/死者数:2万5,200人(3)肺がん罹患数:4万3,100人/死者数:2万2,300人(4)胃がん罹患数:4万1,800人/死者数:1万5,200人(5)子宮がん罹患数:2万8,200人/死者数:7,000人(6)すい臓がん罹患数:2万0,700人/死者数:1万8,400人※国立がん研究センター「がん罹患数予測」(2020年)と「がん死亡数予測」(2020年)より本誌作成。6月には最新(’18年)の罹患率が報告されたばかり。そこで本誌は、女性に多い6つのがんの10万人あたりのがんの死亡率と罹患率を、都道府県別にベスト5とワースト5を紹介。「罹患率は生活習慣や環境などが反映されます。一方、死亡率はそれに加え、病院へのアクセスのしやすさ、住民の健康に対する意識の高さ、検診で早期発見できているかどうか、再検査の受診率、診断から治療に至る医療体制などで差がつく可能性があります」全部位で女性が“死ににくい県”の1位となったのは滋賀県。「平均寿命も全国トップクラスの滋賀県は亡くなる方が少ないだけではなく、罹患率も9位の低さで、かかりにくい県でもあります。女性の喫煙率が全国2番目に低く、生活習慣の影響はあるようです。がん検診の受診率は全国平均レベルですが、医療機関が充実した京都府にも近く、罹患後にも手厚い治療が受けやすいという理由があるのかもしれません」罹患率がもっとも低かった愛知県は、喫煙率は全国平均以下で、塩分摂取量もかなり低い。さらに県民の99%が、がん診療連携拠点病院まで30分以内にアクセスできるという。一方、罹患率がもっとも高い北海道は、女性の喫煙率が全国一の高さで、さまざまながんの発症リスクを高めているようだ。がんで亡くなりやすいワースト1の青森県。乳がん、すい臓がんで全国最下位となっている。「がん検診の受診率は全国でも平均的か部位によってはそれ以上ですが、喫煙率が全国ワースト2位です。塩分の摂取量も多く、生活習慣の影響で罹患率も高くなっていると考えられます。医療の技術は全国的に差がないといわれていますから、医療機関へのアクセスの悪さ、さらに病院嫌いで症状がないと受診しない傾向にある県民性が発見を遅らせてしまうのでしょう」
2021年07月28日今年5月に出版された9割実話のエッセイ小説『母』が話題の青木さやかさんにインタビューをさせていただきました。3回目の本日は、がんを患った後の不安な心境とその対処法やご自身のパニック症、さらにダイエットに関するお話をお聞きしました。2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。インタビュー3回目の今回は、その後の様子やパニック症の過去、さらに7kgの減量に成功したダイエットについてうかがいました。★前回:がんをきっかけに自分を見直した。青木さやかさんインタビュー#2「でもという言葉は使わなくなりました」がんへの不安を解消するために忙しい日々を過ごす――病気を患ったことで、新しく見えてきたことはあるのでしょうか?青木さん入院中、私は4人部屋にいたので、ほかの方がどのように生活しているのかが見えるというか聞こえてくるんですね。『母』にも書かせていただいたのですが、病状が悪い方の、人への丁寧な関わり方や生活の仕方を知り、「私もこういうふうに最後まで人と接していきたいな」と思うようになりました。人間はいつか死ぬんだけれども、それまでは生きていかないといけないですから。――死生観にも通じるお言葉ですね。青木さん以前、上岡龍太郎さんが「大事なのは死ぬことじゃなくて、生きていかなきゃいけない時間があることだ」という趣旨のことをおっしゃっているのを聞いて、そのとおりだなって思ったんです。病気になったことを嘆いてばかりいることもできませんから、生活とか、性格とか、死ぬまでにやっておきたいこととか、自分の中で見直せるところは見直そうと思いました。私はずっと母のことが嫌いだったのですが、母との仲直りもそのひとつだったように思います。それから、病気よりも不安のほうが怖いと実感しました。――どんな不安を抱えていたのでしょうか?青木さん肺腺がんになって手術を2回受けました。そうすると、「またがんになるかもしれない」という不安がいつも私の中にあるんです。この不安を抱えたまま毎日を暮らすことは、手術後のつらい状況のときよりも苦しいような気がする。不安があるから、誰と何をしていても楽しくない。だから、この不安を消すためにはどうすればいいのかを考えながら生活しているようなところもあります。――不安を消すための方法というのはあるのでしょうか?青木さんひとつは、忙しくするようにしています。暇があるから考えてしまうと思うのですが、でも、考えごとというのはだいたいにおいて、あまりいいことではありませんから。忙しくするために、仕事はもちろん、動物愛護の活動もしています。あとは、自分の可能性を狭めることをやめました。――それはどういうことなのでしょうか?青木さん病気もしたし、この年齢だし、子どももいるしということで、目標がどんどん小さくなっていくのをやめた、ということですね。何かをやりたいと思ったら、やりますし。目の前に来たことに全力で取り組むことで、次の何かが来るのかなって思っているんです。パニック症を患い薬を手放せなかった時期があった――エッセイで告白していらっしゃいますが、肺腺がんとも関係があるのでしょうか?青木さんそういうわけでもないんです。「調子がおかしいな」って思って病院に行って薬をもらって飲んではいたのですが、あえて病名は聞かなかったので。パニック症と知ったのはつい数カ月前なんです。ただ、入院したときにはパニック症の薬を持っていきましたし、当時は睡眠導入剤がないと眠れませんでした。――現在もお薬を飲まれているのでしょうか?青木さん今は飲んでいないです。でも、治ったわけではなくて、私の中にはパニック症の根っこがあると思うんですね。それは私の癖で、こうした癖は誰にでもあるものだと思います。私の場合は余裕がなくなって不安になるとパニック症が出てしまう根っこがあるので、そうならないような生活にして、そうならないような性格にしています。だから私は、どう生きるかがすごく大事だと思っているんです。一汁三菜の食事や運動などで3カ月で7kgのダイエットに成功――最近、7kgのダイエットに成功されたことが話題になっていますが、どんなダイエットをしたのでしょうか?青木さんお仕事でタニタ式の食事術と運動に取り組みました。一汁三菜の和食中心の食事と、適度な筋トレをすることと、水分をとることで、3カ月で7kgほど落ちました。――無理なく続けることができたのでしょうか?青木さん私には合っていましたね。病気などで食事制限が必要な人以外には、ベースになる食生活の形としてはとてもいいと思いました。タニタ式の食事術はダイエットとうたっていますが、健康な体づくりに近いもののように思います。――そんな青木さんですが、ご自身の年齢を感じることはあるのでしょうか?青木さん去年あたりから老眼はありますね。でも、見えないものは見なくていいかって思ってます。娘には「ママ、シミができてきたから隠したら?」と言われたりもするのですが、老眼で自分ではよく見えなくなってきたので気持ちがだいぶラクになりました(笑)。――白髪もあったりするのでしょうか?青木さん白髪はすごくあるので、染めています。あと、髪の毛がパサパサになってきたので、1万円くらいする高いシャンプーを使ってみたのですが、パサパサのままでした。物忘れもするのでダブルブッキングをしてしまうこともあります。ほかにも、老化現象はいっぱいあるのですが、でも、明らかに30代後半よりも48歳の今のほうが元気です。<青木さやかさんプロフィール>1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年07月26日今年5月に出版された9割実話のエッセイ小説『母』が話題の青木さやかさんにインタビューをさせていただきました。2回目の本日は、二度目の手術を受けたことや肺腺がんをきっかけに訪れた生活の変化、ご自身が日々意識していることについてお聞きしました。2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。肺腺がんの手術を経て、生活やお気持ちにはどのような変化が生まれたのでしょうか。インタビュー2回目の今回は、肺腺がんをきっかけに変わった事柄をうかがいました。★前回:肺腺がんを告白。青木さやかさんインタビュー#1「私自身は元気ですし、がんと言われることが不思議でした」1回目の手術から2年弱で2回目の手術を受けた――術後2週間でドラマの撮影、2カ月後には舞台に立っていたそうですが、体力に不安はなかったのでしょうか?青木さんあまりなかったですが、ドラマの撮影などは大変な面はありました。私は舞台の仕事もしているので、体力作りをしている方なのかもしれません。といっても、ストレッチや軽い筋トレ程度のことなのですが……。でも、病気になって知ったのは、体力があって、健康で、手術ができるくらいの肉のつき方じゃないと手術を受けられないということ。私の場合、手術に向けて体を鍛えたわけではないのですが、日ごろの生活の中で体力が養われていたのかもしれないです。――1回目の手術から2年弱で2回目の手術を受けたそうですが、肺腺がんの再発ということでしょうか?青木さん主治医の先生いわく、私が患ったがんは女性に多くてできやすく、でも、できるたびに取っていけば命に関わることはないとのことでした。それに、結局のところは手術で取ってみないと、がんかどうかはわからないんです。2回目の手術はがんだと思って受けたのですが、病理検査の結果、がんではないことがわかりました。――2回目の術後もやはりつらかったのでしょうか?青木さん最初のときに比べると、熱や吐き気が多少はラクに感じられました。一度手術を経験しているので、まったくわからないことへの恐怖はなかったですし、慣れたということなのかもしれないです。安心して購入できる食材で和食中心の食事を心がける日々――がんを患ってから、生活の中で心がけるようになったことを教えてください。青木さん家での食事は比較的、気を付けるようにしています。近所のお友だちのすすめで酵素玄米炊飯器を買ったので、ご飯は酵素玄米です。それに味噌汁、ぬか漬け、梅干し、納豆といった程度のものが多いです。――厳選された食材を使っているのでしょうか?青木さん外で食べるときには気にしませんが、家で使うものは食材や調味料に気を配るようになったと思います。――以前は食生活にそれほどこだわっていなかったのでしょうか?青木さんこだわっていなかったと思います。例えば、調味料でも野菜でもお肉でも、それぞれに金額の差がありますよね。以前はその金額を安くしようと思っていましたけれど、今はそこにお金をかけようと思っています。決して高いものがいいというわけではないのですが、食材費を抑える生活はやめました。今は食材や調味料などに一番、お金を使っているかもしれません。――ご自身で納得のいく食材を買う、ということでしょうか?青木さんそれもあるのですが、大切に育てられた野菜やお肉を、機嫌の良い方たちから買い、気分の良い状態で料理をして、楽しく会話しながら食べることを心がけています。食材を買うスーパーは決まっていて、そこのスタッフの方と仲がいいですし、生産者さんとお話ができることもあるんです。作っている人や売っている人の顔が見えるので、安心して買うことができるという感じですね。ストレスをためないように自分を変えることを意識している――ほかにはどんな変化があったのでしょうか?青木さん意識的に規則正しい生活をするようにして、夜は11時には寝て、朝は6時には起きるようにしています。それから、ストレスをためないこと。私の場合、ストレスのほとんどは人間関係でたまっていくんです。それを改善しようとするとき、相手に変わってもらうことは無理ですから、自分が変わるしかないと思っているんです。――自分を変えるのは簡単そうで難しいことだと思いますが、例えばどんなことを意識しているのでしょうか?青木さん誰かの発言に対して「でも」という言葉は言わず、「はい」、「わかりました」と同意するようにしています。相手の言うことに同意していたら、それ以上はもめることはありませんから。自分自身、すごく素直になったところもあります。<青木さやかさんプロフィール>1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年07月23日今年5月に出版された9割実話のエッセイ小説『母』が話題の青木さやかさんにインタビューをさせていただきました。今回は3回に分けて記事をお届けいたします。1回目は、肺腺がんが見つかった経緯や当時の心境、治療時のエピソードなどをお聞きしました。2003年に「どこ見てんのよ!」の決めゼリフで全国区の人気を博し、以後、バラエティー番組やドラマ、映画、舞台などで活躍中の青木さやかさん。今年5月に、実母との軋轢やがん、ギャンブル依存症、ブレイク当時の秘話、結婚、出産、離婚といった経験を赤裸々に綴った著書『母』を刊行し、話題を呼んでいます。なかでも注目されたのが、本書で告白された肺腺がんの体験記です。インタビュー1回目の今回は、肺腺がんが見つかったきっかけや治療までの経緯、当時のお気持ちなどをうかがいました。肺腺がんの治療法は自分自身で判断した――青木さんの肺腺がんはどのようなきっかけで見つかったのでしょうか?青木さん2011年から人間ドックを受けているのですが、一番最初の検査のときに「肺に影のようなものがあります」と言われたんです。ただ、それががんなのかどうか、お医者さんにもわからないらしいんですね。その影が大きくなったりするとがんの可能性が高いとのことで、定期的に検査を受けることになりました。数年たって“肺の影のようなもの”が大きくなり、がんの可能性が高いと言われました。――“がん”という言葉を聞いたときには、どのようなお気持ちだったのでしょう?青木さん両親と母方の祖父ががんで亡くなっているので、自分ががん家系だという意識はありました。ただ、私自身は元気ですし、自分ががんと言われることが不思議でしたね。――お医者様に「がんの可能性が高い」と言われ、すぐに手術となったのでしょうか?青木さんいえ、どのような選択をするかは私自身が判断するんですね。私の場合は3人のお医者さんに診断してもらい、そのうちの2人は「手術をしたほうがいい」とおっしゃいました。でも、もう1人の先生は「ねずみを鉄砲で撃つようなもので、手術をするほうがリスクが高い」というご意見でした。私のがんは初期のもので、命を脅かすような状態ではなかったんです。ですから、定期的に観察をして大きくなったら手術をするという選択肢もありました。悩んだ末に手術という治療法を選んだ――それでも手術を選んだのはなぜなのでしょうか。青木さん理由はいくつかあって、ひとつは主治医の先生に「がんは急に大きくなるわけではないですから、今のうちに取ったほうがいいんじゃないですか」と言われて納得したからです。また、将来、「すぐに手術しましょう」となったときに、仕事に差し障りが出てしまうかもしれません。そう考えると、スケジュールに余裕があるときに手術をしたほうがいいのではないかとも思いました。それに、自分の中に不安材料の残しておくことは、私にとってはストレスでしたから。2017年8月に手術を受けることになりました。――手術を受けるかどうか、誰かに相談はしたのでしょうか。青木さん私が入院している間の娘の行き先を相談する、いつごろ仕事に復帰できるかを先生に相談する、会社に仕事の相談をするといったことはしました。私は3社の保険に加入していたので、保険会社に話を聞いたりもしましたね。ただ、先生には「保険がおりる可能性は低い」と言われました。――それはどうしてなのでしょうか?青木さん浸潤がん(※)じゃないと保険はおりないらしいんです。ただ、アフラックさんは保険がおりて、100万円をいただきました。とても助かりました。※がん細胞が直接に周囲の組織や臓器に広がって増殖するがん。手術の翌々週にはドラマ、翌々月には舞台に出演――がんという病気や治療に対する不安もあったのではないかと思います。青木さんものすごく不安でした。単純に「怖いなぁ」って、よくわからないことへの恐怖や、想像がつかない世界への不安がありました。ほかにも「復帰できるのかな?」、「今までどおりに声は出るのかな?」、「傷はできるのかな?」といった術後の不安もありましたし、お金や生活に対する不安もありました。――そうした不安は克服することができたのでしょうか?青木さんいえ、治療や体調がひと段落するまでは不安だったような気がします。実は私、手術前にある俳優さんの舞台を見に行っているんですね。彼も私と同じ肺腺がんを患って手術を受けているんです。術後に舞台に立つ彼はしっかりと声を出していたので、「お元気そうでよかった」って思いながら見ていました。本人に言わずに勝手に応援させてもらっていたんです(笑)。――実際の治療はいかがでしたでしょうか?青木さん1週間弱の入院をし、腹腔鏡手術で右肺結節という部分を切除しました。術後は熱と痛みと吐き気が続き、とにかくつらかったです。2日くらいでなんとか症状が落ち着いたので、退院することができました。――退院後はいつごろからお仕事に復帰されたのでしょうか?青木さん翌々週にはドラマの撮影に入りました。そのドラマは結構動きのある役だったので、すごく大変だった記憶があります。手術前の体力とまったく同じというわけではなかったのですが、気力で乗り切った部分はあると思います。手術の翌々月には舞台の仕事もしていました。<青木さやかさんプロフィール>1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティー番組で大ブレイク。そのほかドラマ、映画、舞台、エッセイの執筆など幅広く活躍中。著書に9割実話のエッセイ小説『母』(中央公論新社)など。著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年07月20日■前回のあらすじほかのがん患者さんと話すことでストレス発散した私。ある日、先生から突然、止血している包帯を取ろうと言われ…。■麻酔をして包帯を取る、まさにそのとき…!まさかの非常ベル! まさに非情! なんで今!?前後でもなく、まさに鼻に鉗子を入れた瞬間ベルが鳴り響きました…。これぞ、現実は小説より奇なり!入院中の終盤の記憶は、ほぼこのことしか覚えていません。いろんなことが吹っ飛ぶ出来事でした…。■誤報と言う先生、処置は続行!?普段だったら、私も簡単に「誤報の可能性がたかいのか~」と思っていたと思うんですけど、状況が状況なだけに「継続!?」となりました。私の鼻はどうなってしまうのか? 燃えてるとしたら、処置は完了できるのか!?■非常ベルが鳴る中、包帯取り終了!非常ベルが鳴り響く中、なんとか無事に処置が終了しました。今思えば結構非常ベルの誤報が多かったのかと思いますが(古いビルとかだとたまにありますよね)、当時は「えー! 避難しなくていいの?」と思いながら処置を受けました。結果的にはなんてことなかったんですけど、変に緊張して疲れてしまったのでした。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。※「もうすぐ退院編」を執筆中のため不定期更新となります。
2021年07月16日■前回のあらすじおばあちゃんのうめき声にイライラしてしまった私。しかし、声を掛けられお話しすると、かわいい女性で…。■患者さんたちと話すことで発散!やはり大部屋で同じ部屋になった患者さんたちの存在は、私にとってはとても大きかったです。私と同じ鼻腔がんの患者さんだけではなく口腔がん、咽頭がん、甲状腺がんの患者さん…。年齢もさまざまで、いろんなことを考えさせられる機会でもありました。そしてお互い病気について話すことで、がんの大変さを共有できたことは大きな支えとなりました。励ましあえる存在って本当にありがたかったです。入院中の人間関係は一期一会かもしれませんが、一生忘れられない出会いでした。■最後の試練!? 包帯を取ることに…!いよいよ最後の試練! 手術の後、止血のためにぎゅうぎゅうに詰められた包帯を取ることに! 手順としては、麻酔が効くまで待つ→包帯を取る→終わりというシンプルな感じなんですが、なんせ包帯が入っているのが鼻の奥なので、めちゃくちゃ怖かったです。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月15日■前回のあらすじ夜中、「痛い」といううめき声で眠れなくなった私。なんと声の主は、同室に入ったばかりのおばあちゃんで…。■うめき声のおばあちゃんにイライラ…その夜は結局全然寝れなくて、イライラしてしまいました。おばあちゃんは入院するときも家族にあれやこれやとお世話を焼かれて大事にされている様子だったので、もしや甘やかされているのでは…? だから手術後も他の人の迷惑を顧みず、大きな声を出していたのでは? とプンプンしていました。でも、おばあちゃんが怒られてるのを見るとやはりかわいそうになっちゃいました。手術受けた次の日ですしね…。■おばあちゃんに突然声を掛けられて…おばあちゃんは家族に怒られたせいか、直接謝ってくれました。その姿がすごく素直で、自分より年上の女性に対してですが「かわいいなぁ」と思ってしまいました。と同時に、こういうかわいい人やからこそ、家族に大事にされてるんだろうなぁと。怖いことをぽんと口に出せること、ちゃんと謝れること、自分の悪かったことを認められること、おばあちゃんは私が思ったよりしっかりした大人の女性なのかもしれません。おばあちゃんの話を聞いていると、お嫁さんともお互い好き勝手言えるような、遠慮がない関係だったようです。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月14日■前回のあらすじ自分の顔が変わってしまったら…と怖くなってしまった私。痛みに耐えるなか、そんな不安を抱え鬱々としてしまい…。■同室に入院してきた患者さんが…家族にとっても大切にされているおばあちゃんがやってきました。手を引いてもらって、荷物を持ってもらって。ご家族みんな優しそうだなぁと思いました。すれ違ったので、会釈だけしたのですが…。入院したと思ったら、すぐ手術を受けたみたいでした。その夜、寝ていたらうめき声が聞こえてきて…。■かなり大きくなってきたうめき声に眠れず…夜の病院って、なんとなく怖いです。どうしても喉が渇いて眠れないとき、1人で売店の自販機まで行ってきたんですが、なんか怖い!どうしても病院なんで、寝ているときでも大きな音が出ることもあります。皆さん大変な病状を抱えているから仕方ないですよね。吸引の音が大きくても、せき込む声が続いても「大変だなぁ」と思うことはあっても、腹立たしく思うことはありませんでした。「お互いさまだから…」と思っていたのですが、このおばあちゃんに対しては「痛いのはわかるけど、そんなに口に出すことないやん!」と思ってしまいました…。自分がイライラしてたから、余計かもしれません。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月13日■前回のあらすじ麻酔が切れ、ひどい痛みに襲われた私。その後ガーゼを取ってもらったので自分の顔を見ると、鼻が黒っぽくなっていて…。■どんな顔になっても子どもたちに母親は必要!「顔に大きな傷が残ってしまうかも」という覚悟をして手術に臨んだはずなのに、手術後に顔が黒ずんでいたのを見て、とても不安になってしまっていました。傷があることで、社会的に必要ではないとみなされるのではないか…、という恐怖心が私の心の中にあったのだと思います。でも、もし大きな傷が残ったとしても、子どもたちや家族にしてあげられることはまだまだある。もし私が死んでしまったら、子どもたちは単純にもっと困るよね。と考えることで、「生きる」ことへのモチベーションを上げました。私を必要としてくれる人がいるうちは、どんな自分になったとしても生きる価値がある、個人的な意見ですが、私はそう考えました。■考えても仕方ない、わかっていても…頭ではわかっているんだけど、気持ちがついていかない。怖いもんは怖い…!鼻の表面が黒くなるだけだったらお化粧で何とかなるじゃん! と前向きに考えようとしたのですが…。インターネットで調べたりして、怖い画像を見すぎたせいかもしれないです。あとは手術の後って、前回の入院のときと違って放射線治療も何もないので、痛みに耐えながら日常生活が送れるようになるまで待つ。ひたすら待つ…っていう感じなので、なんだか鬱々としてしまって。気持ちが沈んでいってしまいました…。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月12日■前回のあらすじ先生による処置が終了。そして目覚めると、夫は私がいつも通りであることにホッとするのでした。■麻酔が切れて痛い! 痛み止めを飲んでも収まらず…手術後予想していたよりも痛くて、結構つらかったです。手術終わったし、これで帰れるだろうと思っていたのですが…。■ガーゼを取ってもらって自分の顔をよく見ると…術後の痛みと抗がん剤の気持ち悪さって種類が違うんだ! と身を持って経験しました。痛いことにすごくイライラして、しんどかったです。ずーっと痛みにイライラするのかなぁ?夫視点の記事でも描きましたが、私は手術後、鼻が赤黒い感じになって、その後黒っぽく変色しました。呼吸が苦しかったので自分の顔を眺める暇もなかったし、しばらくはガーゼをしてたので気づかなかったのですが、ガーゼを取ってもらって鏡を見たら、「げ! 結構黒いやん!?」と…。次回そのあたりの心境とか、恐怖感とか描いていく予定です。ちょっと暗いお話になりそうですが、お付き合い下さい。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月11日■前回のあらすじ先生が病室で処置してくれるも、悲鳴が起こる事態に。夫や父は外に出されてしまったのでした。■ひたすら待ってくれた義父と夫前回に続き、夫の視点でお届けします。お義父さんと夫は待ってくれていました。そして処置が終わり病室に入れてもらうと、私が出血した箇所はすべてきれいに拭き取られ、綺麗になっていたそうです。■目覚めたら、いつも通りの妻で…手術が終わったら苦しそうにナースコール連打するし、血をいっぱい出すし、夫もお義父さんもだいぶ心配してくれたそうです。そりゃそうだな…。先生に処置してもらって、病室もきれいになって、ようやく安心してもらえたようです。私は麻酔がまだ効いていたからだと思うのですが、痛くありませんでした。血を出した記憶はなく、「苦しいのなくなった!」ということしか覚えていません。夫視点は今回でおしまいになります。次回からは通常スタイルに戻りますので、よろしくお願いします。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月10日■前回のあらすじ夫は手術後の私の苦しそうな様子を見て、「無事に手術が終わったはずなのに、なぜ大暴れするのか?」とかなり心配したようで…。■やっと先生が来てくれたけど…前回に続き、夫の視点でお届けします。自分では、「先生が来て処置してもらい、安心して眠れるようになった」という記憶しかありませんでしたが、かなり出血していたみたいです。■出血がひどく、夫も病室から出されてしまう…!まったく覚えていないのですが、病室を阿鼻叫喚させてたらしいです…。普段、病室で診察や処置が行われる場合は、「あらかじめカーテンを閉めて、お見舞いのお客さんには病室から出てもらう」というのがデフォルトのようですが、今回緊急事態だったので、こんな状況になったのだと思います…。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月09日■前回のあらすじ先生が来てくれて、ピンチから脱することができた私。その様子を見ていた夫の話では、私が思うよりもっと大変な状態だったようでした。■起きたと思ったらナースコールを連打する妻に…前回に続き、夫の視点でお届けします。手術は無事に終わったと聞いて、安心していたお義父さんと夫君。まさかのナースコール連打にオロオロするしかなかったそうです。私としては、夫に言ってもどうしようもないし、術後の処置をするのは医師じゃないと無理だろうと思ったんで、完全無視でした。苦しくて話す余裕がなかったのです。■言うことを全然聞いてくれない妻「無事に手術が終わったと聞いたのに、大暴れするのはなぜ?」と心配していたそうです。私としては午後の手術だったので、先生が自宅に帰ってしまったら私このまま一晩、苦しいの我慢しないといけないんじゃないかと思って、めちゃくちゃ焦っておりました。おそらく、私が目覚めてナースコールを連打していた時、先生は着替えたりしていたようです。苦しかったので覚えていませんが、周りの人たちも「麻酔が効いているはずなのになぜ?」という反応をしていたようでした。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月08日■前回のあらすじ夫に「先生が来るからね」と諭されて、やっとナースコールから指を離せた私。そして、やっと先生が!■先生が来てくれた!あくまで私の主観です。あの時まだ麻酔が切れてすぐで、意識も朦朧とした状態で感じたことを漫画にしました。実際に行われていたことと私が感じたことに乖離があります。■夫から見た私のピンチ事件ここからは夫からの視点を描きます。どうやら私が思っていたよりも大変だったみたいです。「人の言うこと一個も聞かなかった」と、夫は言っていました…。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月07日■前回のあらすじ目覚めると、手術が無事に終わった様子。私はヘルプを呼びたいのですが、声を出そうとしても出なくて…。■苦しい! しかし声が出なくて説明できず…■夫に「先生来るから」と言われるもパニックで…今回のお話ですが、あくまで私の主観です。あの時まだ麻酔が切れてすぐで、意識も朦朧とした状態で感じたことを漫画にしました。実際に行われていたことと私が感じたことに乖離があります。この後、すべてを冷静に見ていた夫視点での話を描きます。お世話になった病院の方は先生も看護師さんもきちんと対応してくれたと感じているので、病院への批判などは控えていただけると嬉しいです。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月06日■前回のあらすじ家族の想いを感じながら手術室に向かった私。手術室に入り麻酔をしてもらうと、私はすぐに意識がなくなるのでした…。■手術終わった? で、でも苦しい…!麻酔が切れてすぐ苦しかったせいか先生の話し声が聞こえました。手術がうまくいったようで、「予定した時間よりも早く順調に行ったね」と言う話が聞こえてきました。でも動けないんですけどね…。■ピンチ到来!? 起きてすぐナースコールをする私手術は無事に終わったはずなのに、最大のピンチ!?次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月05日■前回のあらすじ相部屋の若い女性患者の病気の話が耳に入ってしまい、動揺してしまった私。しかし明けて手術当日の朝、頑張るしかない! と覚悟するのでした。■手術当日、夫が頼んでいた“モノ”を持ってきてくれる娘が作った折り紙の絵馬。今も神棚に飾ってあります。今思い返すと、かなり心配をかけてたんだなぁと思います。当時娘は小学4年生だったのですが、この頃からだんだん反抗期らしいリアクションを取るようになってきました。今はすっかり超反抗期に進化…、いや、思春期!?■歩きで手術室へ? そして麻酔を…勝手に麻酔医のイメージって、繊細で線の細い方をイメージしていたんですけど、まさかのマッチョでした。麻酔ってほんとにすぐ効いてくるんですね。アッと言う間に意識がなくなってしまいました…。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月04日■前回のあらすじ手術に向けて再び入院。しかし、就寝時間直前に入院してきた女性患者を見掛けたことで、「こんな若い子ががんなんて…」と苦しい気持ちに…。■相部屋の女性患者の話が耳に入ってしまい動揺…私にとってはかなり衝撃的な出来事でした。あの若い女の子の患者さん。そのご家族。これから当たり前に将来のことに希望を持って過ごしていたのに、急にそれが不安定なものになってしまうのはつらいことだと思いました。がん病棟の入院患者は多かれ少なかれ、そういう気持ちを抱えていて…。とても悲しくなりました。 ■そして手術当日、気持ちが落ち着いた朝を迎える手術当日を迎えて、なんだか気持ちも落ち着いてきました。結局どんなことが起ころうと頑張ることしかできなくて、たまにガッカリ落ち込みますが、一番底まで落ち込んだら浮上するしかないと考えています。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月03日■前回のあらすじいよいよ手術方法を決める時。放射線と抗がん剤治療が効いてガンの腫瘍が小さくなり、内視鏡手術をすることが決まったのでした。■手術を控えて再入院!作中では描ききれなかったんですが、むーさんとは放射線治療も手術のタイミングも同時期だったので、麻酔科でも偶然会えたりして嬉しかったです。一期一会の入院生活ですが、お互い励まし合える患者仲間の存在は稀有!今でもむーさんが元気でありますようにと思いながら、この漫画を描いています。■夜入院してきた患者さんの話が聞こえてきて…こんな若い女の子が…。ガン病棟に来たということは、たぶんガンなんだろうと思ったのですが、あまりにも若くてビックリしました。カーテンも閉めていますが、どうしても相部屋だといろいろと聞こえてきてしまって…。みんな話が聞こえてしまっても何も言わない大人の対応ですが、やっぱり悪い気がして焦ります。次回に続く。「鼻腔ガンになった話」連載は14時更新!※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年07月02日《前立腺がん、去勢抵抗性前立腺がんステージ4って言うとね、もう横綱ですよ。だけど強くはない、強くはない…後がないんだ》5月12日、前立腺がんを治療するため、オーストラリアに渡ったことを自身の公式YouTubeチャンネルで明かした、西郷輝彦(74)。「西郷さんは’11年に前立腺がんの全摘手術を受けました。’17年に再発して以降、11回もの放射線や抗がん剤などの治療を続けてきました」(スポーツ紙記者)だが、ここにきてPSA(前立腺特異抗原)という腫瘍マーカーの数値が急上昇し、主治医と相談した結果、シドニーで最先端治療を受ける決断をしたと明かす西郷。《願いはただひとつ。なんとかもう少しだけ好きな仕事をさせてほしい》と悲痛な表情で訴えていた。彼が渡豪してまで選択した最先端治療とは、どんなものなのか。前立腺がんに詳しい宇都宮セントラルクリニックの佐藤俊彦理事は言う。「現在、前立腺がんは男性が罹患するがんの第1位です。西郷さんのケースでいう最先端治療は、ルテチウム-177PSMA-617と呼ばれる新規標的放射線療法です。日本ではまだ未承認なので海外で受けなければなりません。簡単に説明すると、前立腺がんによって出てくる特殊なタンパク質のPSMAに放射性物質のルテチウムを結合させることで、PSMAを発現している細胞=がん細胞だけを狙い撃ちすることができる治療法なのです。静脈に薬剤を注射します。がん細胞に集まった薬剤が体内で放射線を出すことによって治療する内用療法です。画像診断によって、リアルにがんの状態を診ることができるのです」■滞在費も合わせた治療費は総額1000万円!この治療法のメリットは?「点滴で薬剤を投与するだけなので、体への負担が少なく、体力のない患者にも比較的受けやすい療法といえます」デメリットは、まず高額なこと。「2カ月に1回の治療を4セット行う場合、1回当たり約150万円ですから、治療費だけで約600万円かかります。これに現地の滞在費なども足されていきますね」西郷は家族総出で約4カ月間、シドニーに滞在予定だという。「滞在費を合わせて1千万円以上はかかるでしょう」(医療関係者)副作用が出ることもあるという。「唾液が出なくなる唾液腺障害が出てくることもあります。健常な唾液腺も照射されてしまうことが原因です」(前出・佐藤理事)とはいえ、海外ではポピュラーな治療法になりつつあるという、この最新治療法。西郷はYouTubeでこう宣言している。《まだやりたいことがたくさんあるんだよ。最先端治療というからには治るんだろうなと思う。とにかく挑戦してみなきゃわからんのよ!》治療が功を奏し、西郷が元気な姿で帰国する日を待ちたい――。「女性自身」2021年6月1日号 掲載
2021年05月21日家族にも誰にも相談できる相手がいない。親しかった人から連絡が来なくなる……。がんを生きぬいた後も、リハビリも満足にできず、孤独を抱えるがん経験者は実は多いのだ。がん患者やがんサバイバー(がん経験者)のためのリハビリや運動、健康管理などを学べる一般社団法人・キャンサーフィットネスの代表理事広瀬眞奈美さん(58)もそうだった。だが今は、NY発のがん患者向けフィットネスの指導をすることで、同じ悩みを持ったがん経験者に笑顔と希望の輪を広げている。「私は、術前はステージ2の診断でしたが、手術後、リンパ節の生検で転移がわかり、ステージ3の状態でした。全部、取ったと言われましたが、いろいろ考えちゃって」乳がんで乳房を切除した胸は、入院中に鏡で見たが、そのショックよりも、術後の痛みとまひがいつ消えるのかで頭はいっぱいだった。「ステージ3と聞いて、どん底に落ち込んでいたので、胸を見てもことさら大きなショックはないけれど、人には話せないし、主人も息子も男性ですから、話せなくて。そこで第一の孤独があったんです。がん研の窓ガラス越しに外の世界を眺めると『私はもうこっち側の人間で、向こう側には戻れない』という気分でした」友人たちが盛り上がるアンチエイジングの話も、冷めた思いで聞いていた。「生き続けられるか否かに苛まれていた私には、なんでそんなレベルの話をしているんだろう、としか思えなくて。それに、がんになった瞬間、それまで近くにいると思っていた人の幾人かから連絡が来なくなりました」他人の心変わりの早さに大いに戸惑い、落胆もした。「退院して家に帰ると、手術前とは変わってしまった自分が強調されます。体が疲れ、まひが残って、やりたいことができない。私だけが日常生活についていけない。一生、この生活なの?と思って」手術後の運動はよいと、アメリカの文献で読んでいたが、スポーツクラブはがんを理由に入会を断られ、運動教室も見つからない。とにかく体を動かしたくて、皇居1周、5キロを40分かけて走り、水泳も始めたが、思うように体が動かせなかった。「整形外科でリハビリをと思ったのですが、そこでも断られてしまって。精神的に苦しくなって、適応障害になってしまった……」語る広瀬さんから、笑顔が消えた。雑誌で、NY発のがん患者のリハビリエクササイズ「Moving for Life」(以下MFL)を見かけたのは、そのころだ。「がん患者さんが笑いながら、踊る写真が載っていて。すごく希望になりました。さっそくエアロビクス(以下、エアロ)に通い、続けながら、抗がん剤治療に通い、さらに勉強もしないと不安で。抗がん剤で髪はないけど、頭にバンダナを巻いて、スポーツインストラクター養成の専門学校に通いました」09年4月から11月まで抗がん剤治療。12月から翌年1月まで、放射線治療。その後、ホルモン療法も受けたが、並行して、広瀬さんは専門学校に通い続けている。「週2回の座学、週3回はエアロ、筋トレ、水泳などの実技でした。体調が悪いとき、エアロで目まいがしたので、休憩させてもらおうとしたら、女性講師が厳しい人で『がんだからって、甘えるんじゃない。だったらやめたほうがいい』と。もう、ものすごく悔しくて」それからは、負けるもんかと気持ちが張って、やりぬけた。「おかげで運動の力を実感し、自信にもなりました」日本の資格を取得すると、12年に渡米する。MFLのインストラクターになるためだ。13年、3度目の渡米でMFL試験に合格し、14年にキャンサーフィットネスを開設する。その下準備は、すでに着々と進んでいた。「がんに罹患したときから、ブログを始めたんですが、そこで乳がんの人の運動教室の参加者を募集したら10人も集まったんですね。しだいに、卵巣がんや胃がんの方も来て、あらゆるがんの人の教室にしたいと思い始めていたんです」がん患者の会は、全国にあまたあるが、運動することで、がんを克服しようという広瀬さんの理念は、日本では特異なものだ。「がん患者の会って、暗いんですね。涙を流してつらい話をし、聞く。それで同じ思いを共有できる人には効果があると思いますが、私には向かなかった。それなら明るく、涙を見せず、体を動かすほうが私向きだと思ったんです」キャンサーフィットネスの利用者は全国で現在200人ほど。リハビリやがん専門医、理学療法士、栄養士の協力を仰ぎながら、さまざまな教室を開いている。心のケアや運動だけでなく、リンパ浮腫や体重超過の人のための対策クラスもあり、なんとチアダンスのクラスまであった。「16年ごろから始めたんですが、参加者が思いがけず増えたので、チアチームを作ったんですよ」好きなクラスに参加して、楽しみながら、がんと生きる方法を習得したメンバーの表情は、みんな明るく、生き生きと輝いていた。「女性自身」2021年5月25日号掲載
2021年05月17日がんは治療への不安もさることながら、心配なのはお金。実は自治体などからの支援制度は、かなり充実しているのだ。日本人の2人に1人ががんになる時代、損しないために正しい知識を持って申請を忘れずにーー!「がんを告知されたとき、これからどんなに大変な治療が待っているのか不安になりますが、その次に治療費をどう工面しようかといったお金の悩みも押し寄せてきます。ですが、実はがんになるともらえる、戻ってくるお金があるのです」こう話すのは10年前に乳がんを告知され、手術を経てその後寛解、『がんを生きぬくお金と仕事の相談室』(河出書房新社)の著書がある辻本由香さんだ。「私ががんで治療を受けたとき、知り合ったがん患者さんは、治療費を工面するためパートに出たり、仕事を辞めざるをえなかったりとお金のことで四苦八苦している方があまりに多かった。いろいろな自治体や健康保険組合などからの支援があることが、全然知られていなかったのです」制度を知らず、金銭的な理由で治療を諦める人も目の当たりにしたという辻本さんは、必要な情報を届けられないかと考え、闘病が一段落したとき、ファイナンシャルプランナーとして開業を決意。がんに罹患した人の、その後のライフプランの相談・設計を専門としている。「治療が長引くとお金の悩みが深くなります。そんなとき、制度を知っていると、心配事が軽減できます。こうしたお金は、自分から請求の手続きをしないともらえません。日本人の2人に1人ががんになる時代。ぜひ情報を知っておいてほしいと思います」そこで、辻本さんにがんになったら知っておくべき制度のなかから「小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業」「医療用ウィッグや乳房補整下着などの助成」を解説してもらった。■小児・AYA世代のがん患者等の妊孕性温存療法研究促進事業〈請求先〉各都道府県庁AYA世代には、15〜39歳のがん患者があてはまる。「がんの治療には、少なからず不妊のリスクがあります。卵子凍結など、妊娠する機能を残す医療は、がん治療の途中や、終えてからでは、できないこともあります。後悔しないようこんな制度もあることを覚えておきましょう。凍結費用は費用もかかり、がんの治療にもお金がかかるため、妊娠を諦める人も多いので、この制度ができたのは画期的ですね」(辻本さん・以下同)主治医はどうしてもがん治療優先に考えるので、「私もこの制度を利用したい!」と、患者さんが声を上げることも意義があると、辻本さんは言う。■医療用ウィッグや乳房補整下着などの助成〈請求先〉各都道府県庁「ニーズの高まりから近年始まった制度です。乳がんの術後はふだんの下着ではなく、肌にやさしい素材のものや検査に適した前開きのデザインのものが便利ですが、費用がかかります。ウィッグも精巧で人にわからないものは値段もそれなりにします。どちらも健康保険外で買い求めるため、負担がかかり、諦める人も多かったのです。自治体によって金額も異なり、そもそも補助があったりなかったりですので、各自治体の窓口に問い合わせてみてください。今後、ぜひ広がってほしい制度です」がん治療でつらいときもあると思うが、合間に手続きをして、お金の悩みから解放されよう。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年05月02日がんは治療への不安もさることながら、心配なのはお金。実は自治体などからの支援制度は、かなり充実しているのだ。日本人の2人に1人ががんになる時代、損しないために正しい知識を持って申請を忘れずにーー!「がんを告知されたとき、これからどんなに大変な治療が待っているのか不安になりますが、その次に治療費をどう工面しようかといったお金の悩みも押し寄せてきます。ですが、実はがんになるともらえる、戻ってくるお金があるのです」こう話すのは10年前に乳がんを告知され、手術を経てその後寛解、『がんを生きぬくお金と仕事の相談室』(河出書房新社)の著書がある辻本由香さんだ。「私ががんで治療を受けたとき、知り合ったがん患者さんは、治療費を工面するためパートに出たり、仕事を辞めざるをえなかったりとお金のことで四苦八苦している方があまりに多かった。いろいろな自治体や健康保険組合などからの支援があることが、全然知られていなかったのです」制度を知らず、金銭的な理由で治療を諦める人も目の当たりにしたという辻本さんは、必要な情報を届けられないかと考え、闘病が一段落したとき、ファイナンシャルプランナーとして開業を決意。がんに罹患した人の、その後のライフプランの相談・設計を専門としている。「治療が長引くとお金の悩みが深くなります。そんなとき、制度を知っていると、心配事が軽減できます。こうしたお金は、自分から請求の手続きをしないともらえません。日本人の2人に1人ががんになる時代。ぜひ情報を知っておいてほしいと思います」そこで、辻本さんにがんになったら知っておくべき制度のなかから「生活福祉資金貸付制度」「傷病手当金」を解説してもらった。■生活福祉資金貸付制度〈請求先〉市区町村社会福祉協議会または都道府県社会福祉協議会「がんで仕事を退職するなどで、生活が困窮した場合、お金を借りることができます。がんに限りません。コロナ禍のご時世ですから、この制度はぜひ知っておいてほしいです」(辻本さん・以下同)■傷病手当金〈請求先〉全国健康保険組合、協会けんぽ、共済組合などこの制度を使うには、公務員であることや会社員など健康保険に加入していることが前提。「休職中に給料が支払われなくなったときにカバーされる制度なのですが、企業側からすると面倒なのか、とりあえず『有休を先に使い切ってから申請したら?』といわれるケースも多いのです」企業によっては、社会保険料の企業負担を払いたくないため、支給申請書を作成するのを嫌がり、有休の取得をすすめる場合があるのだという。「そんなときは、労働組合に相談する。もしくは、社会保険労務士に傷病手当金の申請代行をお願いすることも検討しましょう。また、最長1年6カ月にわたり支払われますが、申請ベースで支払日もバラバラですから、2カ月に1回など定期的にもらえるよう調整したほうがお金の管理はしやすくなります」ちなみに、がんで離職することになってしまったとしても、在職中にかかった病気の治療は、会社で入っている健康保険で任意継続が可能だ。「会社の総務部で健康保険を担当している人が、そこまで親切に教えてはくれず、会社を退職するとき、保険も切れてしまうという場合は多いです。再就職の予定がないのなら、国民健康保険に入り直すよりも、会社で入っていた健康保険を継続していたほうが、高額療養費制度の多数回該当を引き継げるなど有利なこともあるんですよ」がん治療でつらいときもあると思うが、合間に手続きをして、お金の悩みから解放されよう。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年05月02日がんは治療への不安もさることながら、心配なのはお金。実は自治体などからの支援制度は、かなり充実しているのだ。日本人の2人に1人ががんになる時代、損しないために正しい知識を持って申請を忘れずにーー!「がんを告知されたとき、これからどんなに大変な治療が待っているのか不安になりますが、その次に治療費をどう工面しようかといったお金の悩みも押し寄せてきます。ですが、実はがんになるともらえる、戻ってくるお金があるのです」こう話すのは10年前に乳がんを告知され、手術を経てその後寛解、『がんを生きぬくお金と仕事の相談室』(河出書房新社)の著書がある辻本由香さんだ。「私ががんで治療を受けたとき、知り合ったがん患者さんは、治療費を工面するためパートに出たり、仕事を辞めざるをえなかったりとお金のことで四苦八苦している方があまりに多かった。いろいろな自治体や健康保険組合などからの支援があることが、全然知られていなかったのです」制度を知らず、金銭的な理由で治療を諦める人も目の当たりにしたという辻本さんは、必要な情報を届けられないかと考え、闘病が一段落したとき、ファイナンシャルプランナーとして開業を決意。がんに罹患した人の、その後のライフプランの相談・設計を専門としている。「治療が長引くとお金の悩みが深くなります。そんなとき、制度を知っていると、心配事が軽減できます。こうしたお金は、自分から請求の手続きをしないともらえません。日本人の2人に1人ががんになる時代。ぜひ情報を知っておいてほしいと思います」そこで、辻本さんにがんになったら知っておくべき制度のなかから「障害年金」を解説してもらった。■障害年金〈請求先〉日本年金機構年金は高齢になってから受け取れるだけではない。体に障害を負った場合にもらえる「障害年金」がある。まずは年金の未払いのないことが前提となるが、がんになった人も、がん後遺症で生活に支障があると認められると、障害年金の適用となる可能性が高い。「たとえば、喉頭全摘出で声が出せない、人工肛門を造設、新膀胱を造設した場合は、ほぼ障害年金が受給できます」(辻本さん・以下同)また、働いていると障害年金を申請できないと勘違いしている人もいるが、それは可能。だが、辻本さんによるといちばんの難関は、主治医に申請書を書いてもらうことであるという。「主治医が制度を知らない、また申請書は記入が複雑なので、主治医がなかなか取り掛かってくれない場合も。私の相談者で半年待たされたというケースがあります。できる限り迅速に手続きをしたほうがよいので、かかっている病院の相談員や障害年金に詳しい社会保険労務士に、あらかじめ記入方法を聞いておく。それを主治医に示すことで、スムーズに進むと思います」そのほか、自営で、がんになったため年金や健康保険の支払いが厳しいと悩んでいる人は、「減免」という手続きもあるので、まずは自治体の窓口で相談することをおすすめする。「すでに治療費が払えず、キャッシングなど多額の負債を抱えた人には、弁護士や司法書士が無料で相談にのってくれる『法テラス』を紹介することもあります」がん治療でつらいときもあると思うが、合間に手続きをして、お金の悩みから解放されよう。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年05月02日アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアで中学校の教師をしているダスティン・ヴィターレさん。彼の母親であるグロリアさんは、2020年に末期がんと診断されました。海外メディア『Good News Network』によると、グロリアさんには長年の夢があるのだそう。それは家族と一緒にエジプトを訪れてギザのピラミッドを見ること。その母の夢を知ったダスティンさんは、なんとかして叶えてあげたいと思い、エジプト旅行のための旅費を稼ぐ方法を考えます。彼が情熱を持っていることは3つあるのだとか。『学校で歴史を教えること』『家族』そして『チーズステーキ』。このチーズステーキとは『フィリー・チーズステーキ・サンドイッチ』のこと。長いロールパンに、炒めた薄切り肉と溶けたチーズを挟んだフィラデルフィアの名物料理です。サンドイッチを売って母親の夢を叶えたい!ダスティンさんは「手作りのサンドイッチを売ってお金を作ろう」と思い立ちます。そして家族と協力して、特製のフィリー・チーズステーキを販売することにしたのです。彼のサンドイッチが買えるのは週末のみ。朝4時からパンを焼き始め、ダスティンさんと彼の妻、義理の両親、兄弟姉妹、さらに友人たちも加わり、おいしいサンドイッチを作り続けました。新鮮なパンに、チーズが絡まったたっぷりのお肉が入った、ダスティンさんのサンドイッチは大好評。さらに地元の有名なシェフが彼のサンドイッチをInstagramで絶賛したことから、注文が爆発的に増えたといいます。そして彼らがサンドイッチを売り始めてから6週間後には1万8千ドル(約195万円)を売り上げ、目標にしていたエジプト旅行の費用が集まったのです。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る Dustin Joseph James Vitale(@dvitale23)がシェアした投稿 彼のサンドイッチは1つ15ドルなので、1万8千ドルを稼ぐには1千200個のサンドイッチを売ったことになります。すごい数ですね。ダスティンさんの作るサンドイッチがあまりにもおいしいため、「店を出したら?」という声も聞かれるのだとか。しかし彼は教師の仕事が大好きなので、転職するつもりはないそうです。ダスティンさんとグロリアさんのエジプト旅行は2021年後半に行く予定とのこと。母親の夢を叶えるために全力を尽くした孝行息子のダスティンさん。家族で訪れるピラミッドは、グロリアさんにとって最高の思い出になることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年04月30日2021年3月26日に、膀胱がんになったことを発表した、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』の伊達みきおさん。伊達さんは、どこにも痛みはないものの血尿が出たため、病院へ行ったところ、ステージ1のがんを早期発見できました。伊達みきお、膀胱がんを公表手術によりすべて切除し、経過観察手術は無事に終了し、経過を見ながら仕事をしていくことを明かしています。同年4月14日に、伊達さんはブログを更新。伊達さんの腫瘍を切除した病院の先生から、ある報告を受けたのだそうです。その内容はというと…。先日、僕の膀胱腫瘍の切除手術をして下さった執刀医の先生から連絡が来ました。最近、血尿が出たとの理由で初診患者の方が増えていると。先生から、僕が公表した影響もありますって言われました。実際、僕の公表を聞いて……と言っていた患者さんもいた様です。本当に、病気、病名を公表して良かったと思いました。早期発見なら大概は治療出来るからね。サンドウィッチマン 伊達みきおオフィシャルブログーより引用自分と同じように「血尿が出た」という理由で、初診を受ける患者が増えたことを聞いた伊達さん。実際に、病院では「伊達さんの公表を聞いて受診することにした」と口にする人もいたそうです。この状況に対し、伊達さんは「本当に病気や病名を公表してよかったと思いました」と自身の行動を振り返っています。【ネットの声】・伊達さんの発表は、受診しようか迷っていた人の背中を押したのだと思います。・勇気を持って公表してくださったおかげです。知名度がある人の公表は、やっぱり影響力があるので…。・改めて早期発見できてよかったです。どうか身体を大事になさってくださいね。特に痛みなどの症状が出ない場合は、なかなか病院へ行く決心がつかないものです。伊達さんの公表は、病院へ行くのをためらっていた人が1歩を踏み出すきっかけを作ったといえるでしょう。少しでも身体に異変を感じたら、早めに受診することをおすすめします。[文・構成/grape編集部]
2021年04月14日大切な人が病気になったら、精神的にも肉体的にも支えてあげたいと思う人は多いことでしょう。アメリカのフロリダ州に住むケリー・ニュージェントさんは、離れて暮らしていた父親が骨髄のがんになったと知り、すぐに荷物をまとめ始めました。彼女は自らが父親の家に住んで、看病をすることに決めたのです。父親の『看護師』になった猫ケリーさんはスイートポテトという名前の愛猫を連れて、父親が暮らすニューヨークへ行きました。初めのうちの治療は彼女の父親にとって、とてもつらいものだったのだそう。しかしお父さんには付きっきりで看病をしてくれる存在がいます。それはスイートポテト。スイートポテトは父親の家に移り住んで以来すっかり仲がよくなり、1日中一緒に過ごしているのです。彼の存在は父親にとって大きな癒しになっているといいます。@french75vintageBest Friends Forever ##bff ##bestfriendscheck ##bestfriends ##besties♬ Lean on Me - Bill Withers父親とスイートポテトが寄り添う動画にはたくさんのコメントが寄せられています。・涙が出た。この猫は父親の状況を理解している気がする。・動物は最高の癒しだよね。・彼らは間違いなくソウルメイトだ。ケリーさんの父親は治療の甲斐あって順調によくなっているそうです。父親が動けない時にずっと寄り添っていたスイートポテトは、彼が元気になってきてからも変わらずそばにいるのだとか。最近はゴルフの練習の相手をするなど、父親の遊び相手にもなっているようです。動物は人の気持ちが分かるといいます。スイートポテトは父親が癒しを必要としていることを理解しているのかもしれません。親思いの優しい娘と、いつもそばにいてくれる猫の看護師のサポートで、父親が早く全快するといいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年04月09日2021年3月26日に、膀胱がんのステージ1であることを公表したお笑いコンビ『サンドウィッチマン』の伊達みきおさん。腫瘍はすべて手術によって切除され、経過を見ているところだといいます。伊達みきお、膀胱がんを公表手術によりすべて切除し、経過観察伊達さんが、膀胱がんを公表するとネット上には多くの応援の言葉が寄せられました。その声は伊達さんにも届いていたようで、感謝の言葉をつづっています。本当に沢山のコメントをありがとうございましたm(__)m僕が入院して手術した報告が、こんなにもおおごとになるなんて思っておらず…。自分自身、驚きました。。ロケをしていても、町行く方々から『復帰おめでとう!』って声を掛けて頂いたり(笑)恐縮します本当に。サンドウィッチマン 伊達みきおオフィシャルブログーより引用バラエティ番組で共演しているアイドルグループ『Kis-My-Ft2』からは、伊達さんを心配して大量の野菜をもらったと明かしました。また、長年吸っていたタバコを止めることを決意。愛煙家として、約30年吸ってきたタバコも、ドクターから言われた事もあり…小倉智昭さんからもメールで忠告頂いた事もあり、ブログのコメントにも多数あり…色々と考えた結果。。大好きなタバコをやめる方向で進んでいます。間違いなく、確実に進んでいます。どうやらタバコに含まれるタールが僕の身体には合わないみたいで…。サンドウィッチマン 伊達みきおオフィシャルブログーより引用多い時は1日2箱以上吸っていた時もあったといいます。しかし、入院してから「タバコを吸いたい」と思わなくなったのだとか。伊達さんは、「膀胱がんは、特に再発が多いらしいです」とし、再発すると多方面に迷惑をかけてしまうことから、ストレスにならない程度にタバコを控えたいと想いをつづりました。ブログを読んだ人たちからは、禁煙を応援する声や体調を心配するコメントが寄せられています。・私も、今禁煙をしているところです。無理せず頑張りましょう。・お身体を大切にしてくださいね!長生きしてほしいです。・早期発見ができてよかったですね。ずっと応援しています。がんが再発せず、伊達さんが健康でいられることを祈るばかりですね。[文・構成/grape編集部]
2021年03月31日