天皇陛下の長年の思いが実り、両陛下が結ばれて28年。お二人の出会いは86年10月だったが、ご婚約内定のニュースが流れたのは、93年1月6日のことだった。その年の6月9日に結婚されるまでの目まぐるしき5か月間を、写真で振り返る――。【1月8日】ご婚約内定報道の2日後、初のお出かけは帝国ホテルでの写真撮影。【1月19日】ご婚約会見出会いから6年。陛下の一途な思いが受け入れられてのご婚約に、日本中が祝福ムード一色に染まった。【2月23日】陛下の33歳の誕生日をお祝いする夕食会。東宮仮御所の玄関で。【4月1日】当時の陛下のお住まい・東宮仮御所でのデート風景。楽しそうにお二人でアルバムをご覧に。【4月12日】納采の儀一般の結納に当たる納采の儀。雅子さまのご実家・小和田家を上皇ご夫妻の使者が訪れ、納采の品として雌雄の鯛、清酒、絹地を納めた。【6月1日】ご成婚直前のデートで、東宮仮御所の庭で見つめ合ってお話を。雅子さまの左手薬指には、美智子さまから贈られたパールの指輪が光る。【6月9日】ご成婚パレード直前、宮殿・車寄せに並ばれた陛下と森英恵デザインのローブデコルテ姿の雅子さま。
2021年06月19日皇室の方々は、試写会やコンサートなどで芸能人とお会いになる機会は少なくない。過去の意外な対面シーンを振り返ってみよう。天皇陛下は青春時代、歌手の柏原芳恵のファンだったことは有名な話。’86年10月にはバラ「プリンセスサーヤ」を一輪持ってリサイタルにお出かけになった。同年11月には、NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』の収録現場を見学された陛下。主演の渡辺謙らの前で伊達政宗の兜のレプリカをかぶられ、ご満悦の表情。陛下はハリウッドスターとの“共演”も。’93年11月には山岳地帯が舞台の映画『クリフハンガー』の試写会へ。登山がお好きな陛下は主演のシルベスター・スタローンと意気投合されたのか、固い握手を交わし歓談されていた。秋篠宮ご夫妻が’92年4月に試写会でご覧になったのは、井上靖原作、ロシアを舞台にした映画『おろしや国酔夢譚』。西田敏行、故・緒形拳さんと歓談された。’92年6月、紀子さまは人気絶頂だったトム・クルーズと笑顔で握手。当時の妻・ニコール・キッドマンと一緒の来日で大きな話題となっていた。上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは、美智子さまとも交流のあるさだまさしの大ファン。’92年7月など、コンサートにも何度かお出かけになっている。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年06月18日いい感じになっている男性がいるものの、本当に両思いなのか不安になる人も多いはず。意中の男性と両思いだと確信できたら、自信にも繋がりますよね。今回は、男性が見せる「両思い」のサインをご紹介します。ぜひ、このサインを参考にして、自信をつけてくださいね!■ なんでもないタイミングに突然相手からLINEが来る「好きな子には、用事がなくてもLINEで連絡取りたいと思います。その子が今何しているのか気になりますし、どんな子かもっと知りたい。LINEを送ると返信が早かったり、相槌だけでなく質問してくれたりすると嬉しいですね」(22歳/製造業)いい感じになっている男性からなんでもないタイミングでLINEが来ていれば、両思いの可能性は高いでしょう。好きな子と連絡を取りたいと思うのは、男性も女性も同じようです。もし、相手から連絡が来ることが多いのであれば、「○○って行ったことある?」とか、「○○ってお店、おいしいみたいだよ!」など、デートに繋がりやすい言葉を送ってみるのもおすすめ。相手もあなたから連絡が来たことに、喜んでくれるかもしれません。■ 「また会おう」と続けて誘ってくれる「好きな子と2人で出掛けた後でも、また会う約束はしたい。一緒過ごせる時間は楽しいし、いつも側にいれたらいいな。自分から立て続けに誘うと相手にしつこいと思われたくなら、たまには女の子からも誘ってくれると気分が上がりますね」(24歳/IT系企業)意中の男性と会う機会は続いていますか?2人で出掛けた後に、すぐ次の約束が続いているようなら、両思いの可能性が高いかもしれません。「今日暇なら会わない?」という連絡よりも、「○日空いていたら会おう!」のように事前に約束する方が両思いの確率は高いかも♡前もって予定を立ててくれる方が、あなたのことを真剣に考えていることが伝わりますね。■ 飲みかけの飲み物を「飲む?」と渡してくる「飲みかけの飲み物を好きな子が飲んでくれると、もしかしたら脈あるかもと思っちゃいます。いわゆる間接キスですし、自分のことが嫌いだったら飲まないはずなので。気持ちを確かめるために、渡してみることもあります」(23歳/建設業)飲みかけの飲み物を渡してくる男性は、気持ちを確かめるために意識してやっていることも多いそう。突然の誘いにびっくりしてしまいますよね。もし、間接キスを誘ってきたら、相手もあなたと同じ気持ちなのかもしれません。機会があれば、逆にあなたから誘ってみるのもありかも?■ このサインがあればきっと両思いのはず!男性が好きな子に対して見せるサインはたくさんありましたね。どれも分かりやすいものばかりなので、今の時点で当てはまるものもあるのではないでしょうか。「これは両思いのサインかも……」と思ったら、付き合える日が近いかもしれません♡素敵な恋の成就に繋がりますように!(愛カツ編集部)●当てはまれば脈あり…男性が「気になる女性に無意識でしていること」3つpresented by愛カツ ()
2021年06月17日東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁をお務めの天皇陛下は、昨年のお誕生日会見で世界的なスポーツの祭典が「つつがなく成功裡に終えられることを願っています」と述べられた。雅子さまも同じ思いで、双方の大会に臨まれる予定となっている。そんな、両陛下の五輪への思いを、秘蔵写真とお言葉で振り返る。■’64年・東京五輪当時4歳の天皇陛下は上皇ご夫妻とご観戦。陛下にとって、幼少時「記憶に残っている最初の大きな出来事」だそう。《各国選手団が国ごとではなく、混ざり合って仲良く行進する姿を目の当たりにすることができたことは、変わらず持ち続けている、世界の平和を切に願う気持ちの元となっているのかもしれないと思っております》――天皇陛下(’20年)■’72年・札幌五輪冬季オリンピックを観戦するため、秋篠宮さまと千歳空港にご到着■’96年・アトランタ五輪選手結団式壇上の田村亮子(当時)選手、谷口浩美主将を見守られる両陛下■’98年・長野五輪長野オリンピックでは、雅子さまのお好きなアイスホッケーの対フランス戦を観戦し、笑顔をお見せに。《多くのことを乗り越えてこられた選手一人一人に、心からの拍手を贈りたい気持ちで一杯になりました》――雅子さま(’98年)《オリンピックの場で得られた友情というものは、(中略)国境を越えた人と人との相互理解を深める上で、大きな役割を果たすものだと思います》――天皇陛下(’98年)■’16年・リオ五輪選手結団式結団式で吉田沙保里主将、右代啓佑選手らにエールを送られた。■’18年・園遊会平昌パラリンピック金メダリストの村岡桃佳選手とお話を。《日本の社会に新たな活力をもたらし、個々の人々の可能性を一層開花させるとともに、日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》――雅子さま(’18年)■’18年・パラリンピック選手とご伴走リオパラリンピック銀メダリストで目の不自由な道下美里選手を赤坂御用地に招き、伴走をお務めに。《オリンピック・パラリンピック大会を通して、特に若い人たちに、世界の人々への理解を深め、平和の尊さを感じてほしいと願っています》――天皇陛下(’20年)ご成婚以来、両陛下は長野オリンピック・パラリンピックの競技をご覧になったのをはじめ、オリンピック選手団の結団式・壮行会にも出席され、五輪に深く関わってこられた。しかし、この夏の大会は世界的なコロナ禍もあり、今も開催が危ぶまれている。いずれにせよ両陛下は、東京での大会が無事に終わり、平和の輪が広がることを願われていることだろう。
2021年06月16日お互いに自己肯定感が少なくて、告白に至らないだけの男女は多いもの。そんな男女のなかには「まだカップルじゃない」だけで、じつは両思いな2人もいるはず。本当は両思いなのに、このままの関係でいるのも「もったいない」……早めに白黒つけたいですね。そこで今回は、「付き合っていないけど本当は両思い」と言う2人の関係性を決定づけるために、「じつは両思いの男女の特徴」を4つご紹介します!■ 周りから冷やかされる「バイト先が一緒の男性に恋をしていたのですが、よく同僚に『お似合い』と冷やかされてたんですよ。最初は否定していたのですが、そのうち彼が『本当かもね。付き合ってみる?』と告白してくれて、晴れて付き合うことになりました!」(19歳女性/大学生)たとえば不倫カップルは、周囲に付き合っていると公言していないのに関わらず「親密な仲」だということがバレてしまいます。それは男女という隔たりがあるにも関わらず、他人同士ではないような親密さがキーポイントなのかもしれません。周囲は冷静に2人の仲を判断してくれます。意外と冷やかしが増えている状況なら、本当の両思いを疑ってもいいかもしれませんね。■ 無言でいても心地よい雰囲気「無言でいても気にならないのは、やはり好きな相手とはどこでなにをしても楽しいからだと思います♡無言でいても苦にならないことはわりと重要だと私は思っていて、両思いの予兆があるカップルもそんなに会話が盛り上がらずとも、馴染んでいる雰囲気がある人が多いと思う!」(35歳女性/販売)無言でいても心地いい相手はそうそういません。一緒にいても苦にならないのは、相手のことを受け入れている証拠でもあります。■ 話しているときに微笑み合っている「話しているときに微笑み合っていることが多いです。相手のことをよく理解しているからこそ、『どういうこと?』とか緊張感が伝わってこない感じです。朗らかに話している男女は、絶対に根本には信用があると思うんですよ」(34歳女性/エンジニア)一緒にいると顔が綻んでしまうのは、好きだからこそです。とくに面白い話をしているわけでもないのに、つい笑顔になってしまうのは純粋に相手が話していることを「必要な情報」と思って聞いているからでしょう。ほしい情報が得られる会話に満足な証拠です!■ よく会う「意識しないと毎日のように同じ相手に会うのって社内であっても難しいと思います。やはりいい関係になっていて『今日はどんな感じなんだろう』ということをチェックしたいがために行動するってところがあるじゃないですか?だから、相手が意識してそういう環境を作り出してくれると思うんですよ!」(29歳女性/営業)意識しなくとも、毎日のように会うのは「運命?」と疑うのも結構ですが、じつはお互いが相手を意識しているからこそかもしれませんね。最近気になる相手と急に会うことが増えたなら、それは相手が仕向けていることなのかもしれません。■ 渦中の人ほど気づいていない周囲から見て誰もが「両思い」と分かる男女って、なんとなく独特な雰囲気が出ています。そのため周囲は気づいているものですが、当の本人に「告白してみなよ」といってみるも、信じられないくらい否定してきたりしますよね。両思い同士の男女ほど、その渦中だということに気づいてないのかもしれません。恋愛の進展には、客観視することも必要なのかもしれませんね!(東城ゆず/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年06月09日6月9日は、天皇陛下と雅子さまのご成婚記念日。28年前、93年の6月9日に行われた祝賀パレードでは、雅子さまの美しいドレス姿と笑顔に、日本中が大いに沸き立った。パレードでは、沿道に手を振られながら時折言葉を交わされていた両陛下。はにかみながら会話をされるお二人の姿にも、国民は大きく心を動かされた。18年にご成婚25周年を迎えられた際には、夫婦円満のために心がけてこられたこととして天皇陛下はこう述べられていた。「相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること、そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」その姿勢は、新婚時代から変わらない。今こそ両陛下がご結婚された93年の、初々しいお姿を振り返りたい。【93年6月9日祝賀パレード】出発直前まで降り続いていた雨がぴたりとやみ、日差しが差し込むなか両陛下は沿道に集まった19万人の歓声にお応えに。途中、雅子さまが目をうるませられ、白い手袋で目頭をそっとおさえられる場面も……。【93年6月15日饗宴の儀】3日間にわたり、計6回行われたご成婚を祝う宮中饗宴の儀。1日目の夜は芦田淳デザインのロイヤルブルーのイブニングドレスをお召しに。【93年7月8日東京サミット宮中晩さん会】ご成婚の翌月、お二人で初の皇室外交の場へ。晩さん会で雅子さまは、クリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領の間の席で、少しも気後れすることなくご歓談になっていた。【93年11月1日】愛知県の特別老人ホームをご訪問。雅子さまは、寝たきりのお年寄りの手にご自分の手を重ね、「お大事になさってくださいね」と優しく声をかけられていた。【93年12月20日鴨場でご接待】埼玉県越谷市の宮内庁埼玉鴨場に各国の駐日大使夫妻らを招き、伝統の鴨猟を紹介する皇室の伝統行事にご参加。じつは、天皇陛下が雅子さまにプロポーズされたのは千葉県の宮内庁鴨場。同じシチュエーションでのご公務で、プロポーズ時のことも思い出されたかもしれない。【93年12月23日一般参賀】上皇陛下の誕生日に、初めて一般参賀に参加された雅子さま。お召し物に選ばれたのは、イエローのロングドレスだった。新たな皇太子妃を一目見ようと多くの人々が集まり、天皇誕生日の一般参賀の参賀者数は、平成最多を更新した。仲睦まじいお二人のご様子は、理想のご夫婦として今もなお国民の手本となっている――。
2021年06月09日「東京大会を実現するために、われわれはいくつかの犠牲を払わなければならない」国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長の発言が波紋を広げている。IOCは、犠牲を払うのは「オリンピック・コミュニティの中にいる全員」で、「日本国民に向けての発言ではない」と釈明。しかし、日本国民から“五輪反対”の声が日に日に強くなっているなか、火に油を注ぐ発言だったのは間違いない。朝日新聞社が5月15、16日に実施した世論調査では、東京五輪開催について「中止」が43%、「再び延期」が40%。一方で「今夏に開催」はわずか14%となっている。大幅に削減されたとはいえ、選手や関係者あわせて約7万8千人が来日する予定となっている。日本国内のワクチン接種が遅々として進んでおらず、長引く休業要請で飲食業や観光業は疲弊。多くの地域で医療体制は逼迫状態が続いている。いくらIOCが否定しようとも、そのような状況下での五輪開催は日本国民の“犠牲”なくして成立しないのは明らかだ。「バッハ会長は五輪開幕直前の7月12日に来日することが発表されています。その際には、天皇陛下と会見する予定となっています」そう語るのは宮内庁関係者。バッハ会長は5月に来日予定だったが、東京都の緊急事態宣言延長により延期になっていた。このときにも陛下への謁見を求めていたという。「バッハ会長は7月の来日でも、陛下との会見を要請しており、すでに宮内庁も日程を押さえているようです。天皇陛下は東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁を務めているため、バッハ会長から面会を要請されれば当然、応じられることになるでしょう。’16年に来日した際には、バッハ会長は上皇ご夫妻と会見しています。今回の来日でも、陛下だけでなく雅子さまもそろっての会見となる可能性があります」(前出・宮内庁関係者)■会見で五輪についての言及を避けられ…天皇陛下にとって両大会の名誉総裁は特別なお役目なのだという。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは「天皇は国内の団体等の名誉総裁職に就くことはありません。それだけにオリンピック・パラリンピック大会の名誉総裁就任は特別です」と語る。陛下ご自身も以前から東京五輪への思い入れは強かった。’18年にはパラリンピアンの道下美里選手の伴走者を務め、赤坂御用地をランニングされたこともあった。障害者スポーツについては、雅子さまや愛子さまとご一緒に観戦されるなど、関心を寄せられてきた。また、東京五輪の開催が決まってから、陛下は誕生日会見で毎年のように東京五輪について言及されてきた。昨年2月の会見では「私にとって、東京オリンピックは初めての世界との出会い」と、’64年の東京大会を競技場で観戦された思い出を感慨深く振り返られた。そして「この世界的なスポーツの祭典が、関係する方々の尽力により、つつがなく成功裡に終えられることを願っています」と、期待をこめておられた。だが、この会見からほどなくして日本でも新型コロナの感染が急拡大。東京五輪は1年の延期となった。そして今年の会見で、陛下は東京五輪についていっさい言及されなかったのだ。前出の宮内庁関係者は、陛下の心情をおもんぱかる。「国民の中でも五輪開催に反対の声が増えつつあったなか、これまで五輪を応援されてきた陛下による、いわば“無言の抗議”だったのではないでしょうか」■コロナ禍に苦しむ国民を心配されてその代わり、今年2月の会見でお言葉の大半を占めたのは、コロナ禍に苦しむ国民への心配だった。「この1年は、コロナ禍に翻弄されてきました。愛する方を失ったご家族やご友人のお悲しみはいかばかりであったことでしょう。心から哀悼の意を表します」「医療従事者の皆さんが、新型コロナウイルス感染症が流行し始めてからというもの、自らの感染の脅威にさらされながらも、強い使命感を持って、最前線で、昼夜を問わず、患者さんの命を救うために尽力いただいていることに心から感謝いたします」陛下はさらに、保健所の職員、高齢者や障害者、生活困窮者や生活困窮世帯の子供たちといった社会的弱者とその支援者にまで、こまやかに寄り添うお言葉を述べられたのだ。この会見以降も、陛下は東京五輪について一度も公の場で言及されていない。「天皇皇后両陛下はもちろん、東京大会のために努力を重ねてきたオリンピック・パラリンピック選手たちの活躍が見られることを願われていることでしょう。しかしそれ以上に、このまま東京五輪を強行開催すれば、医療機関や国民生活に多大な影響を及ぼすことを、強く心配されているはずです。国民の不安の声に耳を貸そうとせず、五輪開催を強行しようとするIOCや菅政権の姿勢に、両陛下は懸念を抱かれているに違いありません」(前出・宮内庁関係者)名誉総裁という立場への責任感と、国民の命と生活を守りたいというお気持ちの“板挟み”で、天皇陛下と雅子さまはいまも苦悩されている――。
2021年06月02日お互いが「両思い」と確信できるような状況なのに、なかなか告白してくれない男性っていますよね。毎日LINEをしてデートも盛り上がって、たまに電話もしているのに、なぜ告白をしないのでしょうか?そこには、男性にしかわらかないさまざまな悩みがあるようです。今回は、両思いっぽいのになかなか告白してこない男性の気持ちを解説します。■ 生活が変わってしまうから彼女ができると自分の生活が変わってしまうのが怖いため、なかなか告白に踏み切れない男性は珍しくありません。とくに働き盛りの年代だと、「彼女ができて仕事に影響がでないか不安」と思っている人は多いようです。恋人がいると少なからず時間もお金もかかるので、そのぶん仕事に使える時間や勉強に使えるお金は減ってしまいます。そんな彼には、「束縛しないアピール」や「奢らせないアピール」、「あなたの仕事を応援しますアピール」が効果的です。相手が懸念している点を徹底的に払拭して、告白させるようにつなげましょう。■ 冷静になる時間がほしいから両思いとわかりきっている相手がいると、毎日ウキウキして浮かれている状況でもありますよね。過去の彼女選びで大きなトラウマを抱えている男性は、「冷静になって考える時間がほしい」と思うことがあるそうです。このタイプの男性に対して、告白を急かすような行為は絶対に避けましょう。告白してこないことに対して怒ったり、不満を漏らしたりすると、「やっぱりこの子と付き合うのは不安だな」と感じてしまうことも。二人きりではなく周りを巻き込んで遊ぶ、話をしっかり聞いてあげるなど、自分の信頼度を高める努力をしたほうが近道ですよ。■ 現状で満足しているからいまのラブラブな状況に満足しており、それ以上を望んでいない。つまり、「付き合いたい」と思っていない可能性もあります。それは決してあなたのことが好きじゃないとか、浮気をしたいというわけではありません。ただ単に今を楽しんでいるので、「付き合う」という選択肢がないだけなのです。そんな彼には、思い切って「〇〇くんみたいな人の彼女になりたい」とアピールしてみましょう。もしかしたら、男性の気が変わるかもしれませんよ。■ 男性の背中をそっと押すことがポイントなかなか告白してこない男性は、決してチャラいわけではありません。付き合うことに覚悟がいると思っているタイプなので、晴れて恋人になれた際は大切にしてくれるでしょう。彼の心境に合わせて、そっと背中を押してあげてくださいね。(オルカ/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年05月20日好きな人と結ばれたいのに、結ばれない。いつも片思いばかりして寂しい。両思いになりたい。こんな気持ちになったことのある人は、少なくないかもしれません。好きな人と結ばれたいなら、押さえるべきことがあるのです。そこで今回は「見落とせない恋愛の基本」を4つ紹介します。■ 相手が押してきたら、乗っかる「好きな男性がそっけないと、焦ってデートの約束を取りつけようとLINEをたくさん送ってしまいます。『もう脈なしかな』と思うと、告白して終わりにしたい!と思っちゃう。無理な告白で気まずくなったこともあるんですけどね……」(26歳・女性)片思いで終わりがちな人は、「不利になってから動く」癖がついています。確かに、焦りは原動力になるもの。人の気持ちは動くので、男性もほかの女性や恋愛以外のことに気を取られることもあります。しかしそこに一喜一憂するのはNG。求めていないタイミングで売り込んでも、喜ばれることはありません。相手が好意を出してきたタイミングで、相手の押しに乗るのが一番効果的。変に駆け引きせず誘われたら喜んで出かける、LINEが来たらもったいぶらずに返すなど、素直な対応をしましょう。■ デートは、とにかく楽しく過ごす「会っても暗い顔をして、自分の話をしない女性に『好きです』って言われたときはびっくりした……。デートの雰囲気が暗すぎて、好かれてないって思ってたから」(27歳・男性)「自分がどう思われているか」で頭がいっぱいで、相手のことを考えられないことってありますよね。そんなタイプは自分の素を出すことも苦手な傾向があり、分かりやすく自分の魅力を出せていないのかも。今日を楽しく過ごせなければ、その先の展開なんてありません。デートでも、まずは楽しい気持ちで過ごすことを優先してください。あとのことはさておき、「いまこの瞬間をいっしょに楽しく過ごす」ことを心がけましょう。■ 相手の話すべてを真に受けない「『体調が悪い』とドタキャンされたら『本当に風邪?ほかの人とデート?』と気になって仕方ないし、『かわいいね』と褒められても、ほんとかな?と疑ってしまいます」(25歳・女性)誠実な男性も時にはウソをつくし、気分が乗らずデートをドタキャンすることがあるかもしれません。でもそんなとき、「悪くは思われたくない」からと当たり障りなく聞こえるウソをつくのです。なのに、しつこく食い下がると「付き合ってもいないのにしつこいな」と思われることになりかねません。さらっと流しておけば、気が向いたタイミングでまた誘ってもらえることもあるかもしれないのに……。相手の言うことに対しては、「とりあえずそう思っておいてくれってことなんだな」と流す余裕も大事です。■ 自己アピールはほどほどにする「彼が連れてきてくれたお店のことを、話を合わせたくて『知ってる!来たことある!』と知ったかぶりしたことがあります。彼がおごってくれそうになって、申し訳なくてお金を押しつけてしまったことも……。冷静に考えたら感じ悪いですよね」(27歳・女性)相手に自分を売り込もうとするあまりに、会話を楽しめなくなったりマウンティングになってしまったりしている人をよく見ます。片思いの相手に振り向いてもらうために必要なのは、自分が興味あることや自分でアピールポイントだと思っているところではありません。相手が興味を持っていること、されたらうれしいと感じることを理解することなのです。相手のことがよく分かれば、攻略法だって分かるはず。「私が私が」という姿勢では、両思いへの道は遠いかもしれません。■ 笑顔とリラックスを忘れないで片思いばかりの人は、ある意味まじめすぎるのかもしれません。ガチガチに身構えて告白をするのも、いいでしょう。しかし片思いの相手とその都度楽しく過ごしていたら、いつの間にか両思いになっていたなんてことが多いのも事実です。笑顔とリラックスを忘れずに、彼に向き合ってください。(中野亜希/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年05月12日「もしかして両思いかも?」……そう感じた瞬間のドキドキワクワクする気持ちって、なんとも言いがたいですよね。男性にも、同じように感じる瞬間があるみたいです。あなたのアプローチ次第で、男性からの好感度をさらにあげることもできるかも。今回は、「両思いかも?」から確実に恋人になるためのきっかけをご紹介します。■ 「また誘ってね」と言われた「年に一度のライブイベントがあったので、ネットで知り合った友人を何人か誘って行きました。男女混合グループだったんですが、みんなと何度か会っているうちに、そのなかのひとりの子が気になる存在になっていたんです。その日も楽しい1日を過ごした帰り道でした。なんとその子が、『また来年も誘ってね』と、コッソリ言ってくれたんです。みんなで?それともふたりきり?と内心気になっていると、『○○くんと一緒だとすごく楽しいから!』と言われて、期待度MAXになりました!」(23歳・男性・大学院生)いきなりデートに誘うのは、勇気が必要かもしれません。まずは、自分に興味があるか、恋愛対象かをハッキリさせたいところ。好印象を持っていることを伝えたうえで、特別な感情を彼に伝えるなら、一気に恋の雰囲気が盛り上がりそうですね!■ 相談後も気にかけてくれた「友人と少しギクシャクしていたときでした。思い切って以前から気になっている同僚に相談してみることに。軽くアドバイスをもらうだけのつもりが、かなり親身になって、彼女は話を聞いてくれたんです。相談してからずっと『どうだった?』『あれからどう?』と、心配してくれて、いつのまにか彼女が心の支えになっていましたね」(27歳・男性・会社員)片思いだと思っていても、思っていた以上に自分のことを大切に思ってくれているとわかれば、男性は「両思いかも?」と感じるようです。男性からの好感度をさらに上げたいなら、相手のことを大切にしているというアピールを何度もしてみましょう!■ 私服が可愛かった「仲のいい同僚みんなで、新しくできたお店で飲み会をすることになりました。週末だったのでみんな私服だったんですが、以前から気になっていた子の私服が可愛くて、一目見たときからドキドキが止まりませんでした。しかも嬉しいことに、お店に行くまでずっと隣りを歩いて話してくれたうえ、お店でも自然に隣りに座ってくれたんです。帰宅してからも、ずっと彼女のことが頭から離れませんでした」(25歳・男性・会社員)ちょっとした飲み会などは、意中の人と一緒に時間を過ごすチャンスですよね。なるべく近くで会話を続けるというのも、自然な好意のアピールにつなげやすくなりますよ。初めて私服を彼に見せるなら、帰宅後のLINEで感想を聞いたり、話題を広げてデートに発展させたりするのもおすすめです!■ 確信するには継続が大切彼と両思い、さらに好感度もUPしてもらうにはやはり、たたみかけて聞くことがポイントのようです。親身になって話を聞いたり感謝を伝えたりしたときも、できるだけ継続して、あなたの個人的な興味をアピールすることが大切。「もしかして?」から、「これならやっぱり両思い!」という方向へ、男性の気持ちを揺れ動かしていきましょう。(橘 遥祐/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年05月08日「現在、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、私たちの日々の生活や社会の在り方は大きく変わってきています」マスクを着けたまま、天皇陛下はお言葉を述べられた――。4月23日、天皇皇后両陛下は千代田区の憲政記念館で開かれた「みどりの式典」に出席された。雅子さまがご公務で皇居以外にお出ましになったのは今年初めてのことだった。「雅子さまは4月上旬、宮中祭祀をお休みになり、改修工事が進む新御所の見学も2度にわたり延期されました。体調を崩されていた雅子さまですが、ひさびさのご公務でのお出ましの機会となった今回は欠席できないという思いが強かったのではないでしょうか」(皇室担当記者)昨年からのコロナ禍でお出ましは激減。皇室の存在感低下が危惧されるなか、追い打ちをかけるのが“小室さん問題”の泥沼化だ。「いまや国民の不信感は小室さん母子だけではなく、眞子さまや秋篠宮家、そして宮内庁にも向けられています。このままでは皇室の権威さえも失墜しかねません。そんななか、白羽の矢が立ったのが愛子さまです。雅子さまには、愛子さまの“単独ご公務デビュー”を前倒ししようというお考えもあるそうです」(宮内庁関係者)愛子さまは今年12月、20歳の誕生日を迎えられる。「雅子さまも以前は、愛子さまには学習院大学卒業までできるだけ学業に専念してほしいというお気持ちだったそうです。しかし、皇室の危機的状況を踏まえて、お考えを改められたといいます。愛子さまは高校1年生のころ、両陛下が海外の王族を東宮御所に招かれた際に、英語で交流されました。スペイン語も堪能です。また学習院女子高等科の卒業レポートは基準の倍近い分量を執筆され、高校生離れした内容だったそうです。愛子さまはまさに “最優秀”の内親王といっても過言ではありません。皇室のイメージを回復するため、愛子さまを“皇室の顔”に――。雅子さまは、そう決心されたというのです」(前出・宮内庁関係者)これまで愛子さまは、両陛下と一緒に式典やチャリティ試写会などに参加されたことはあるが、単独でのご公務はない。最近になって、長かった髪をバッサリと切り、ボブヘアにされた愛子さま。このイメチェンも、令和皇室再生を懸けた単独ご公務デビューへのご準備に違いない――。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月04日政府は3月、安定的な皇位継承のあり方を検討する有識者会議を招集。女性天皇や女系天皇の是非を含め、皇位継承権の範囲などについて検討を進めている。現在、皇位継承権を持つのは、秋篠宮さま、悠仁さま、上皇陛下の弟の常陸宮さまの3人だけ。次世代の継承者は悠仁さまおひとりしかいない。女性天皇を容認すれば、愛子さまをはじめとする内親王も皇位継承者となる。また、女系天皇も容認すれば、内親王のお子さまも皇位継承権を持つということになり、安定的な皇位継承に近づくといえる。菅義偉首相はこれまで「男系による継承が絶えることなく続いてきた重み」をことあるごとに強調してきた。しかし、その発言に異を唱える研究者がいる。今年1月、『女系天皇 天皇系譜の源流』(朝日新書)を上梓した大東文化大学名誉教授の工藤隆氏だ。その中で工藤氏は「男系と女系がないまぜとなった継承こそが本来のヤマト文化」だと主張しているのだ。いったい、どういうことなのだろうか?その根拠を工藤氏に解説してもらった(以下、「」内は工藤氏)。「去年の8月、河野太郎防衛大臣(当時)がインターネット番組で『安定的な皇位継承に向け、父方が天皇の血を引かない女系天皇も検討すべきだ』と、踏み込んだ発言をしました。女系天皇容認論を時の大臣が公言したということで話題になったのですが、その河野氏ですら『我が国の皇室は、過去ずっと男系で継承されてきており』という前提で話しています。この認識がそもそも正確ではないのです。男系での皇位継承が本格的に採用されたのはあくまでも西暦600年代以降です。当時、隆盛を誇っていた中国大陸の唐を手本に国家体制を整える中で、皇位継承についても唐を模倣して男系に限定されたと考えられます」西暦600年代というと飛鳥時代にあたる。宮内庁のホームページにも掲載されている天皇系図では、初代の神武天皇が即位したのは紀元前660年の縄文時代とされているが、「縄文、弥生など非常に古い時代にも天皇氏族が存在したかのように記述された天皇系譜は、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)にまとめられているのですが、それらは700年代初頭の権力集団である天皇氏族が整理・編纂したものであり、客観性という点ではかなり疑わしいのです。近年の研究では、そもそも『天皇』という称号が登場したのは600年代末、天武天皇、持統天皇の時代です。『古事記』や『日本書紀』で、初代・神武からすべての『大王(族長)』に『天皇』号を与えてしまったことによって、非常に古い時期から天皇氏族が存在していたかのような錯覚が生じています。王(皇帝)が男系継承でかつ男性でなければならないというのは、もともと中国・漢民族由来の思想です。日本でも、500年代くらいから族長位継承は男系継承優位に傾いてはいたようですが、600年代末から700年代初頭、唐の国家体制を模倣するうちに、天皇につながる古い時代の大王(族長)の系譜も男系でまとめたほうがいいという観念が優位になり始めたのでしょう(男性でなければならないという部分は受け入れませんでしたが)。そして、以後の皇位継承を男系に限定するだけでなく、それ以前の大王の系譜にも、おそらくはいくつかの創作や改変を加え、初代・神武から続く男系の天皇の系譜として『古事記』や『日本書紀』にまとめたのではないかと考えられます。綏靖(すいぜい)天皇(2代)、懿徳(いとく)天皇(4代)の系譜に残された女性始祖の痕跡や、継体天皇(26代)の系譜に見られる女系継承の痕跡などは、男系継承への整理作業から漏れ落ちた事例だと考えられます」■日本には数多くの女性リーダーが存在したそれでは600年代以前、縄文・弥生から古墳時代に至る古い時代の族長位(皇位)継承は、どのようになされていたと考えられるのだろうか?「当時の日本列島には、弥生時代の卑弥呼をはじめとして、数多くの女性リーダー(族長)が存在したらしいことは、『古事記』『日本書紀』『風土記』からわかります。九州から関東まで、何人もの女性族長の存在が伝承されています。また、同じ九州から関東までの地域で、被葬者が女性と推定される古墳が少なくとも18例はあるという考古学者の報告もあります。族長位継承の実態については歴史的資料が乏しいものの、文化人類学的資料を参考にすれば、古い段階では男性の族長と女性の族長の両方が存在していたと考えられます。これも推測ですが、女性族長がいれば、女系継承もありえたでしょう。すなわち、600年代以前の族長位の継承は、男系と女系の両方がないまぜになっていたのではないかと推測されます。『古事記』『日本書紀』の天皇系譜でも、推古天皇(在位592~628年)など、600年代以後にも女性族長(女性天皇)が珍しくありませんでした。やはり、男系と女系がないまぜになって継承されていた古くからの感覚が600年代以後にも生き続けていて、少なくとも女性天皇は可とする考えははっきりと維持されていたのでしょう」701年には日本初の成文法である「大宝律令」が制定されて、その中の「継嗣令(けいしりょう)」には、皇族の世継ぎや婚姻についても規定されていた。「《およそ天皇の兄弟と皇子を、皆親王とせよ》としたうえで、《女帝の子もまた同じ》という注がつけてあるのですが、女帝の子の父についての条件は書かれていません。この条文の解釈には諸説がありますが、私は、女帝の夫が男系の皇族ではない人だったとしても、つまり“女系”の子でも、皇位継承権のある親王になれるという共通認識が当時の権力者にあった可能性があると考えています。その後、『古事記』や『日本書紀』がまとめられた奈良時代(710年~)には、皇位継承は男系重視に強く傾いていったのですが、それが明文化されることはありませんでした。女性天皇はもちろんのこととして、女系天皇も許容される余地がかすかに残されていたのだと思われます」■ヤマト文化本来の姿に戻る時期が来た女性天皇に限っていえば、実際、江戸時代(1603年~)にも、明正(めいしょう)天皇(109代、即位1629年)、後桜町(ごさくらまち)天皇(117代、即位1762年)という2人の女性天皇がいた。「皇位継承の規定を『男系』ばかりか『男子』とまで明文化したのは、明治時代(1868年~)の大日本帝国憲法下で制定された旧皇室典範が初めてなのです」天皇氏族が紀元前から存在し、その系譜が男系継承だけだったとする考え方が国家の法によって支持されたのは、明治時代以後のことである。それを踏まえたうえで、工藤氏は皇位継承問題についてこう提言する。「現行の皇室典範にも規定されている“男系かつ男子継承絶対主義”に固執する限り、皇位継承の危機的状況から抜け出すことはできないでしょう。もともと日本列島のヤマト文化では、族長位(皇位)の継承にも男系と女系が併存していて、おそらく臨機応変に両者が使い分けられていたのだと思われます。男系継承の強化は唐の皇帝制度の、日本古代国家整備の必要性に後押しされた模倣だったのであり、それに男子継承まで加えたのは西欧列強との対抗を意識した明治政府の選択だったのです。21世紀の近代国家日本では、そろそろその模倣の行き過ぎから脱して、ヤマト文化本来の姿に戻る時期が来たのではないでしょうか」
2021年04月30日雅子さま皇后3年目へ――豪華な装いを総ざらい!「和ごころ光るドレスコレクション」と題して、ロイヤルファッションの中でも特に注目される華やかなドレスの“和の心”が麗しい装いのポイントを解説。解説してくれたのは、皇室をはじめ、セレブの装いにも幅広い知識を持つ石原裕子さん。■ティアラを際立たせる「ローブ・デコルテ」ローブ・デコルテは豪華なティアラやネックレスを際立たせるためのドレス。胸元や腕など肌の露出も多くシンプルに作られている。【’93年】ご成婚布地は金糸、銀糸を織り込んだ明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)。ノースリーブと、ダイヤモンド形にカットされた胸元に新妻の若々しさが感じられる。【’19年】即位後朝見の儀半袖にハート型のVネックと皇后らしい落ち着きのあるドレスに、第一ティアラとネックレスを。■細部に気品が宿る「ローブ・モンタント」フォーマルな海外王室の式典では、ハイネックに長袖、ロングスカートで肌の露出を抑えたスタイルに。細かくあしらわれた刺繍やビーズで気品をプラス。【’13年】オランダ王国即位式シルクジャガードの光沢が印象的な布地。とても軽い素材で、歩くとスカートの揺れが優雅。共布のトーク帽で統一感を。【’15年】トンガ国王戴冠式ペイズリーをイメージさせるレースのドレス。花びらのようなデザインの襟、胸元の金糸、銀糸を使った刺繍でゴージャスに。■宝石のような「海外ご訪問ドレス」【’94年】カタール・ハマド宮殿ルビーのような色合いのシルクに、胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が豪華。【’94年】カタール・ラヤーン宮殿雅子さまの誕生石、ターコイズの色合い。胸元と袖口に天から差し込む光のような飾りを。【’94年】サウジアラビア・ヤマーマ宮殿肩を膨らませた袖、裾にフリルを重ねたスカート、エレガントなブルーサファイアの装い。【’95年】アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが、ベビーピンクと相まって、女性らしさを演出。【’95年】クウェート・バヤーン宮殿和服の裏地に使われる紅絹色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージ。【’95年】ヨルダン・ナドワ宮殿金糸で花模様を刺繍した厚みのあるレース素材の左上半身。右肩から裾にかけてはサリーのようにサテンのシルクを重ねて。■賓客をもてなす「晩餐会ドレス」【’93年】東京サミット各国首脳ご成婚の翌月、初の皇室外交の場でお召しになったアップルグリーンのシルクドレス。レースの花が飾られた繊細な作りで新妻らしく。【’14年】オランダ国王アール・デコ調のティアラ、ネックレスに優しい印象のドレスを。【’15年】フィリピン大統領レースの持つ繊細さを上手に演出。華美になりすぎない装い。【’19年】アメリカ大統領ニューヨークの州花・バラをあしらったジャケットで、令和初の国賓・トランプ大統領をおもてなし。■雅子さま流、着こなしポイント5ご成婚以来、雅子さまはカラフルな色のお召し物でよくお出ましになっていました。それが強く感じられたのが、ご成婚の翌年から天皇陛下(当時は皇太子)と2度訪問された中東諸国でのドレス姿。このときの色鮮やかなドレスを、ご訪問先で見事に着こなしていらした雅子さまはとても素敵でした。それからお年を重ねられ、平成から令和への御代替わりとなる前、そして皇后となられてからの雅子さまは、優しい淡い色合いのドレスが多くなりました。特に賓客のおもてなしなどでは、決して華美な装いはされません。けれどもその装いは一見すると無地に見える布地にも金糸、銀糸が織り込まれていたり、繊細な刺繍で装飾されていたりと、ミセスらしい落ち着きに優雅な風格をたたえているのです。雅子さまのドレスには、よく見られる5つのポイントがあります。1つ目は、ハイネックやタキシードを思わせるウイングカラー。2つ目は、ふっくらとした肩から袖口に向かって細くなるレッグ・オブ・マトン・スリーブ。3つ目は、アシンメトリーに左腰に寄せたドレープ。4つ目は、左腰にボウで結んだリボンや飾り。5つ目は、滝のように流れ落ちるカスケードライン。この5つの特徴がよく表れているのが、ご成婚後の饗宴の儀でお召しになっていた淡いオレンジのドレスでした。さらに、ドレスのスカートを着物のように重ねるデザインや地紋のある絹地からは、和のテイストが感じられます。これは、日本のさまざまな伝統美を上手に取り入れていらした美智子さまの装いから引き継がれたものです。その和のこころを、雅子さまは独自のデザインで継承されています。これからは華美になさらなくても格調の高い、皇后らしい装いが増えてくると思います。コロナ禍で賓客の接遇や外国へのご訪問がなく、新しいドレスを拝見できないのが残念ですが、今後が楽しみです。(石原さん)(写真:本社写真部/雑誌協会代表取材/宮内庁提供/時事通信/朝日新聞社)「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日ずっと片思い……これは辛いですよね。私は彼のこと見守っているだけで幸せなの!と考える女性もいますが、彼のことを見守るだけでは、絶対に両思いにはなれません。それどころか、彼はもしかすると、あなたの存在すら気づいていないかもしれません。そんな片思いを卒業して両思いになるためには、どんなことをしたらいいのでしょうか?今回は、両思いになるための方法を実際にご紹介しますね!■ 突然の告白は玉砕しやすい恋人同士になりたいと思っていても、いきなり告白はNGです。あなたはずっと片思いをして、彼への思いを溜めていたとしても、彼はその間、まったくあなたのことを知らなかったということだってあります。だから、あなたがいきなり告白しても、彼は面食らうだけ。突然の告白で「面白そうな子だから付き合ってみよう」と思うよりも、「ひとまずよく知らない人だし断っておこう」と考えるのがほとんどでしょう。突然の告白は玉砕しやすい結果になります。だからこそ、告白に際しては、ちゃんと彼のテンションも高めておかなくてはなりません。■ 少しずつ彼との距離を縮めていく両思いになるには、彼にもあなたのことを好きになってもらわなくてはなりません。そのためには少しずつ彼との距離を縮めていくことが大事です。ちゃんと彼と知り合いになって、適宜コミュニケーションも取り交わし、それなりに深い会話をする関係にならないと、相手はあなたを好きにならないでしょう。そのため、まずはあいさつを交わし合う仲になる。それをクリアしたら、LINEを交換する。その次にLINEでいろんな話をしてみる、遊びに行ってみる、などじわじわと彼との距離を縮めてみましょう。時間をかけて、少しずつ距離を縮めていけば、彼もあなたに親近感を感じるはず。両思いの1歩としては大事なことですよね。■ 彼の1番仲がいい友達を目指す恋人同士になるのは、なかなかハードルが高いことでも、友達になるのは簡単ですよね。恋人になる前に、まずは友達になることを目指しましょう。ですが、友達の中でも目指すは親友レベルです。お知り合い程度の友達になるのはとても簡単なこと。そこから毎日挨拶を交わす、たまには食事に誘う、などを経て、徐々にランクアップしていきましょう。その段階までいけば、恋人の地位まではあと少しです。最初から恋人になろうとすれば、彼も抵抗感があります。あまり知らない人なのに、いきなりふところに入ってこられても戸惑うだけ。友達から徐々に切り崩していく方法は、彼と両思いになる可能性をぐっと引き上げます。■ 片想いの彼から両思いのカップルになろう片思いから両思いになるには、あなたの思いをぶつけるだけではうまくいきません。少女マンガでは、いきなり告白した人と付き合うということもありますが、現実社会ではよく知らない人に告白されても怖いと思うだけです。まずは、知り合いになることからスタートし、両思いになるよう努力をしていきましょう!(如月柊/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年03月25日東日本大震災の発生から10年となる3月11日、天皇陛下は東京・国立劇場で開かれた犠牲者の追悼式に雅子さまとともにご出席。陛下は被災地、被災者へ寄せる思いを述べられた。「復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています」10年という長い歳月が経った今でも、復興は道半ばであり、さまざまな課題を挙げられて“震災は現在も続いている”と強調されたのだ。震災を風化させまいという強いお気持ちが伝わってくる。異例の長さともいえる6分間にわたるお言葉は、雅子さまとご一緒に、10年間の被災地訪問を振り返りながら、追悼式の直前まで推敲を重ねなられたという。その表れとして、お言葉のなかでは、「皇后と共に」と2度も言及されている。「私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています」「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」陛下はこれからも雅子さまと“二人三脚”で、被災地に心を寄せていく意志を示されたのだ。これまで両陛下は皇太子ご夫妻時代に、被災した岩手、宮城、福島の3県を3回ずつ訪問されている。追悼式を前にした3月4日には岩手県、3月17日には宮城県の被災者たちとオンラインで懇談された。今後、福島県へのオンライン訪問も検討されているという。陛下は今年2月のお誕生日会見で、こう述べられた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」10年を節目、区切りと考えるのではなく、さらなる復興のスタートとしてとらえるためにも、陛下と雅子さまが被災地を再訪される日が待たれる――。
2021年03月19日加藤勝信官房長官は3月16日の記者会見で、安定的な皇位継承などの課題を議論する有識者会議を設置し、来週にも初会合を開くことを明らかにした。女性天皇や女系天皇、女性宮家創設の是非などについて検討することになるとみられる。有識者会議のメンバーに選ばれたのは6人。大橋真由美・上智大学教授、日本私立学校振興・共済事業団の清家篤理事長、JR東日本の冨田哲郎会長、俳優で作家の中江有里氏、細谷雄一・慶応大学教授、宮崎緑・千葉商科大学教授で、男性3人、女性3人となった。これまで、小泉内閣や安倍内閣でも皇室に関する有識者会議が開催されているが、いずれも女性メンバーは2人。男女同数となったのは初めてのことだ。「自民党内の一部保守派からは反発が予想されますが、女性宮家の創設、さらには女性天皇容認への道がひらかれる可能性も、決して小さくないといえます」(皇室担当記者)実は、菅首相は女性天皇容認に賛成を表明していたことがある。’05年9月に朝日新聞が行ったアンケートで、そう回答しているのだ。また、小泉内閣の有識者会議では、約1年にわたる議論の結果、女性天皇および女系天皇を容認すべきとの結論が出されている。「報道各社の世論調査でも、女性天皇容認への賛成は約8割に達しています。次世代の皇位継承者が悠仁さまおひとりしかいらっしゃらない現実を直視すれば、小泉内閣の有識者会議と同じ結論に至るのではないでしょうか」(皇室担当記者)天皇陛下の長女・愛子さまは、今年12月に20歳を迎えられる。成年となられるタイミングで、有識者会議の議論が愛子さまの将来を大きく左右することになるかもしれない。
2021年03月19日東日本大震災から10年を迎えた3月11日、天皇陛下と雅子さまは追悼式に臨まれる。雅子さまは毎年のお誕生日のご感想で、陛下とご一緒に「被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います」などと今なお被災地を気遣われ、復興を願う思いをつづられてきた。また、皇太子妃時代には被害の大きかった東北3県の被災地を3回ずつご訪問。そのご交流のなかでのお気持ちを、折に触れ和歌に詠まれている。《春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く》’96年春、福島県土湯温泉町を訪ね、仁田沼周辺を散策された両陛下。震災の年に、その美しい自然に思いをはせ詠まれた御歌。《悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり》岩手県釜石市をお訪ねの際、釜石湾が静かに凪ぐ様子をご覧になり、地域の人々の悲しみが癒されていくよう願われた。《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》事故を起こした福島第一原発に近い広野町の福島県立ふたば未来学園高等学校の授業をご覧になり、生徒たちの真摯ですがすがしいまなざしの印象を詠まれた。《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》津波被害の大きかった宮城県名取市閖上地区などをご視察。新しい災害公営住宅に入居した被災者の喜びの声に安堵され、さらなる復興を願われて詠まれた御歌。今年3月に入って以降、両陛下は被災地により深く心をお寄せになっている。1日には赤坂御所で復興庁の事務次官らから復興状況に関する進講を受けられ、4日には赤坂御所と岩手県の釜石市、陸前高田市とをリモートで結び被災者らの代表6人とお話を。雅子さまは、一人ひとりのお話をじっくりと聞かれ、声をおかけになるなどの交流をされていた。コロナ禍の今はリモートでのご交流しかかなわないが、近い将来、陛下とともに被災地をご訪問され、慈しみの心を皇后の御歌として詠まれることだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」天皇陛下は2月の誕生日会見で、眞子さまに結婚への課題を突きつけられた。秋篠宮さまに続いて陛下も「多くの人が納得し喜んでくれる状況」が必要だと明言されたのだ。「もはや金銭トラブルだけが、小室さんとの結婚を祝福できない理由ではありません。秋篠宮さまや宮内庁長官の要請に応えて、小室さん側がトラブルについて説明したとしても、世論が大きく変わるかどうか……。追い込まれた眞子さまはすでに、“皇籍離脱”という道も考え始めているといいます」(皇室担当記者)実は、皇室典範第十一条に《年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》とあり、皇室会議の議を経るといったハードルはあるが、眞子さまは独身のまま皇室を離れることができるのだ。ちなみに、昭和の時代には故・三笠宮寬仁親王が「皇族の身分を離れ、身障者問題などに打ち込みたい」として、宮内庁に皇籍離脱を申し出る騒動があった。このときは皇族方が総出で説得し、寬仁親王は考えを改められたという。当時、皇太子だった上皇陛下は、この件について、記者会見で次のように話していた。「やはり、皇族は天皇に一番近い立場にある。要するに、象徴に一番近いところにいるわけですから、象徴にふさわしいような生き方をしなければならないと思うわけです。そして、そういうことによって天皇をお助けしていくのが皇族のつとめではないかと思うわけです。また、子供達にも、そういうふうに話している。やはり、象徴にふさわしいということは、国民が望む意向に沿っていく、もちろんそういうことも含まれているわけですけれども」天皇陛下も秋篠宮さまも、上皇陛下の教えを胸に刻んでいたのだろう。“国民が望む意向”とはますます逆行されている眞子さま。小室さんとの結婚のために皇籍を離脱したいと宣言したとしたら、何人の皇族方が引き止めてくださるだろうか……。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月16日「天皇陛下のお言葉は、まったく予想外のものだったそうで、眞子さまは非常に大きなショックを受けていらっしゃるといいます」そう語るのは宮内庁関係者。先月行われた誕生日会見で、天皇陛下は眞子さまの結婚について初めて言及された。その余波はいまだに収まっていない。「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」天皇陛下はこのように、秋篠宮さまと同意見であることを強調され、眞子さまに結婚への課題を突きつけられたのだった。眞子さまは11月に発表された文書で、天皇皇后両陛下が《私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっている》と記されていた。しかし陛下のお言葉には、そのように眞子さまを応援するニュアンスはまったくなかった。いったいなぜ、このような食い違いが生じてしまったのだろうか?「実は、眞子さまは両陛下に直接お会いして結婚の意思を報告されたわけではないようなのです。身位が異なる皇族同士は、公的な活動についてのやりとりを、すべて宮内庁職員を通じて行います。職員を通じたやり取りでは、両陛下の真意は眞子さまに伝わらなかったと思われます。眞子さまの意思に反して結婚を止めるのは両陛下であっても難しいこと。ただ、両陛下がお伝えになった考えは決して“賛成”を意味するものではなかったはずです。眞子さまは両陛下から“お墨付き”を得たつもりでいらしたのかもしれませんが、実際にはまったく違い、両陛下は眞子さまの結婚に強い懸念を抱かれていたのです」(前出・宮内庁関係者)そして、先の会見で天皇陛下は「上皇陛下や秋篠宮とは適宜連絡を取るようにしております」とも発言されていた。ただし、その詳細は明かされなかった。「コロナ禍という前例のない事態に対処するためだけでなく、眞子さまの結婚問題についても協力して対応するための連絡なのではないでしょうか。実は雅子さまも、美智子さまや紀子さまと、今までより連絡を取られることが増えたといいます。もともと、眞子さまの結婚についてほかの宮家の女性皇族から懸念の声が上がっているといわれていました。危機感を強められた女性皇族方は、皇室全体で対応するべく連携を図られているといいます」(前出・宮内庁関係者)■眞子さまに残された逆転の道は“皇籍離脱婚”窮地に陥った眞子さまに、逆転の道はあるのだろうか。「実際のところ、眞子さまと小室さんが『多くの人が納得し喜んでくれる状況』を実現するのは、不可能に近いと言わざるをえません。もはや金銭トラブルだけが、小室さんとの結婚を祝福できない理由ではありません。秋篠宮さまや宮内庁長官の要請に応えて、小室さん側がトラブルについて説明したとしても、世論が大きく変わることはないでしょう。追い込まれた眞子さまはすでに、“皇籍離脱”という道も考え始めているといいます。両陛下は、眞子さまには結婚後も皇室を支えてほしいとお考えでした。しかし小室さんと結婚すれば、国民の反発は避けられず、眞子さまが皇室の公務や行事に関わることは難しくなります。小室さんとの結婚に固執することは、両陛下との決別にほかなりません」(前出・宮内庁関係者)実は、内親王である眞子さまは自らの意思で皇室から離れることができる。眞子さまが皇籍を離脱して一般国民になってから、小室さんと結婚されるという選択肢があるというのだ。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんによれば、「仕組み上は、そういった選択も可能です。皇室典範第十一条に《年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》とありますので、眞子さまはその意思で皇族の身分を離れることができます。ただし、皇室会議の議を経なければならないので、そこでどのような判断がくだされるかという問題はあります。もし眞子さまが皇籍を離脱して一般人になられれば、どなたと結婚するかという条件はまったくありません。憲法二十四条に《婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し》とあるように、眞子さまが望まれるお相手と結婚することが可能です」ところで、眞子さまが結婚される際には1億4千万円近い一時金が支払われることになっているが、この一時金はどうなるのだろうか。「皇室経済法では、独身での離脱でも婚姻による皇籍離脱と同額の支給が可能になっています。ただし、国民の反発は避けられません。もしもそういった“法の抜け道”を利用した結婚で、一時金まで支給されるということになれば、余計に国民の反発を生みかねません」(小田部さん)一時金も皇室も捨てるという選択肢しか、いまの眞子さまには残されていないのだろうか――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月15日東日本大震災から10年となる3月11日、天皇陛下と雅子さまは政府主催の追悼式に出席される。コロナ禍で被災地へ足を運ぶことは難しい状況だが、両陛下は3月4日にも岩手県の陸前高田市と釜石市をオンライン訪問されるなど、被災地した人々の力になりたいという強い思いをお持ちだ。これまで、雅子さまは被災地の未来を担う次世代の子供たちのことを気にかけてこられた。’15年10月には、この年の4月に開校した福島県立ふたば未来学園高校をご視察。生徒たちが「2030年に直面する地域課題解決に向けた取り組み」をテーマに話し合う様子を見学された。雅子さまはこの年の誕生日に、次のような感想を綴られている。《震災前よりも一層輝く福島県にしたい、将来ふるさとに戻って地域のために貢献したい、という前向きな気持ちにあふれた高校生の言葉に接し、嬉しく、また心強く思いました》「雅子さまは本当に明るいご表情で生徒たちとお話しされました。生徒たちの話には真剣に耳を傾けられ、活動目的、学校生活などについて聞かれていました。陛下と雅子さまが参加された“特別授業”は生徒たちにも大きな経験となったのではないでしょうか」(皇室担当記者)雅子さまはこのときのことを翌’16年の歌会始の儀で《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》と詠まれている。当時高校1年生で、現在はふたば未来学園高校の同窓会会長を務めている新妻留菜さん(21)に改めて話を聞いた。「天皇陛下からは『震災のとき、どういう状況でしたか?おうちの人たちは大丈夫でしたか』とお声がけがありました。生徒会の書記の仕事にやりがいを感じていますとお話しすると、陛下は『頑張ってください』と、励ましてくださいました」新妻さんは、雅子さまが生徒たちに向けて語られた言葉が印象に残っているという。「あの日雅子さまがお話しになった『震災に遭ったこの地域の復興のために頑張ってください』という言葉が、いまの自分の生き方にも影響していると思います。地域復興のために頑張りたいという意志が強くなったように感じます。雅子さまにお会いした翌年のお歌は嬉しかったです。自分たちの高校というだけでなく、被災地の福島のことを詠んでくださった。そして今も被災地の福島、宮城、岩手の3県のことを気にかけてくださっている……。天皇陛下と雅子さまが、10年という月日がたっても震災を忘れずにいてくださっていることは、本当にありがたいです」その新妻さんは、元々は女優になりたいという夢を持っていたが、震災後に避難所などで看護師や医師の方たちに助けてもらったことで、将来は看護師になりたいと思ったという。そして、現在は、地元の看護学校で学んでいる。その励みとなっているのが“復興のために頑張ってください”という雅子さまの言葉なのだ。「震災のときは、全国各地から来てくださった人たちに助けてもらいました。もし今後、どこか違う地域で大災害が起こったときには、今度は看護師として私が助けに行けるようになりたいと思っています」天皇陛下は先月の誕生日会見で、次のように語られていた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」3月11日には政府主催の追悼式が開催され、両陛下が出席される予定となっている。両陛下はこれからも、被災地の人々にエールを送り続けられることだろう――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月11日天皇誕生日に胸元の刺繍が美しいロイヤルブルーのロングドレスをお召しになり、皇居へと向かわれた雅子さま。天皇陛下が61歳を迎えられた今回も、昨年と同じようにコロナ禍のため天皇誕生日の一般参賀は中止に。さらには駐日大使らと懇談する茶会の儀なども取りやめ、祝賀行事も出席者を縮小して催された。雅子さまは、お気に入りのドレス姿で皇居・宮殿で祝賀行事にご出席。皇后としてのお務めを果たされた。陛下は、お誕生日にあたり雅子さまについて「雅子は私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手となってくれております。私も、今後ともできる限り雅子の力になり、支えていきたいと思っています」と愛情深くお話に。夜には、両陛下と愛子さまは家族水入らずでお祝い御膳を囲まれた。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月07日愛娘の将来の幸せを願うのが父親というもの。それは皇族であっても変わらない。誕生日に際しての天皇陛下の記者会見では、父娘の「話し合い」がキーワードとなった。陛下と秋篠宮さま、それぞれの父娘関係の変遷を、写真で振り返ります――。■天皇陛下【’02年】子育て参加宣言をされた陛下が国民の前で愛子さまを抱っこ。【’02年】雨の中、学習院幼稚園の父親参観へ。行事にも積極的に。【’11年】那須御用邸でご静養中、父娘二人の時間。那須どうぶつ王国でラクダの背に乗られて。【’17年】愛子さまも両陛下のご公務に同行され、ウィーン少年合唱団のコンサートをご鑑賞。【’19年】愛子さま18歳のお誕生日写真。仲のよさがうかがえるワンシーン。■秋篠宮さま【’94年】葉山御用邸裏の海岸。パパに抱っこされてご満悦の眞子さま。【’98年】眞子さまと手をつながれて、学習院初等科入学式へ。【’14年】たびたびお二人でのご公務も。仙台市の東日本大震災では子どもたちとご交流を。【’17年】ハンガリーをお二人でご訪問。小室圭さんとのご婚約内定会見を翌月に控えての私的旅行。【’18年】ご婚約延期直後、ご公務で映画鑑賞。表情は少し硬く……。「眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」誕生日に際しての記者会見で、天皇陛下は、延期されている眞子さまのご結婚について「国民の間で様々な意見があることは私も承知しております」とお述べになった後でこのように話された。短いお言葉ではあるが、ご自身も愛子さまのお父さまであるだけに、秋篠宮さまが今抱かれている眞子さまへのお気持ちを気遣われての発言と感じられた。また陛下は、愛子さまの将来についても「結婚のことも含めて、いろいろ将来のことも話し合う機会というものがあるかと思います」とお話しに。愛子さまの成長に少し頼もしさを感じられるときもあるという。一方、秋篠宮さまも昨年の会見で眞子さまと「いろいろと話す機会があり」、その話し合いも含めて結婚を「認める」とお述べになっていた。とはいえ、陛下のお言葉にあるように、まだまだ眞子さまと話し合われる必要がありそうだ。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月06日「秋篠宮さまは結婚を認める考えを示されましたが、陛下はどのようにお考えですか」天皇陛下の61歳の誕生日を前に開かれた記者会見。眞子さまの結婚に関する質問が投げかけられると、会場にピンと張り詰めた空気が漂った。柔和な陛下のご表情が引き締まる。そして、陛下はこうお答えになった。「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、ご両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」陛下が、眞子さまの結婚問題について初めて言及された瞬間だった。この回答に、宮内庁関係者は驚いたという。「秋篠宮さまの言葉を引用されながら、現状では“多くの人が納得し喜んでくれる状況”には程遠いとの認識を示されたといえます。陛下は、現時点でこの結婚には心から賛成しているわけではない、ということを示唆されたのだと感じました。事前に雅子さまにも相談されたうえでのご回答のはずですから、雅子さまも陛下と同じお考えではないでしょうか」歴史学者の河西秀哉・名古屋大学大学院准教授は、陛下の「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております」とのお言葉に注目すべきだと語る。「天皇陛下は、国民のなかに反対論や疑念があることを十分に認識されているということです。象徴天皇制は国民の支持なくしては存立しえないものですから、現状では結婚を認めることはできないと考えているのでしょう。“多くの人が納得して喜んでくれる状況”に近づけるためには、やはり本人たちが国民の前にきちんと出てきて、疑念を生んでいるトラブルについて説明し、自分たちの気持ちを伝える必要があるでしょう。そうすることで、強硬的になっている人々の考えも変わってくるのではないかと考えます」■小室さんが帰国しない場合、単独で会見の可能性も’17年9月の婚約内定会見以来、お二人からは文書での説明こそあったものの、会見は開いていない。皇室担当記者は「今回の陛下の発言で、会見を開催する必要性が高まった」と話す。「陛下が求める“多くの人の納得”を得るためには、単に小室家の金銭トラブルについて説明するだけでは不十分といえます。眞子さまは、事態を打開するために小室さんと二人で会見を行う必要性をお感じになっているのではないでしょうか」だが小室さんは現在、ニューヨークに留学中。しかも、5月にロースクールを修了し、7月にはニューヨーク州の司法試験を受験するとみられている。金銭トラブルへの対応も、代理人弁護士に一任している状態だ。「もし、会見のために帰国するとなれば、出入国のための隔離期間も生じます。弁護士資格取得のために猛勉強を続ける小室さんにとっても大きなロス。しばらく帰国の予定はないようです。これまで秋篠宮さまから説明を求められても十分に応じず、逃げ続けてきた小室さんに、天皇陛下からの発言の“重み”が伝わっているかどうかも疑問です。天皇陛下の“問題解決指令”に焦燥感を抱いていらっしゃる眞子さまとは、深刻な温度差が生じているのではないでしょうか……」(前出・皇室担当記者)小室さんがあくまで帰国しないという選択に固執するならば、それは眞子さまにとって“釈明会見を開くなら独りで”という非情な宣告に等しいものだ。「眞子さまと小室さんは10月には30歳の誕生日を迎えます。コロナ禍もあって断念されましたが、眞子さまは昨年中に入籍する計画を練っていたほど。どうしても20代のうちに結婚したいという願望をお持ちのようです。眞子さまは、小室さんが帰国しないのならば独りでも会見を行うおつもりもあるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)ただ、すでに結婚延期決定から3年もの月日がたっている。ここから国民の評価を覆すのは並み大抵のことではないだろう――。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月03日「今後、成年皇族として公務に当たっていくことになりますが、感謝と思いやりの気持ちを持って、一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。そして、いろいろな方からたくさんのことを学び、自らの考えを深めていき、また、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていってほしいと願っています」2月23日に61歳の誕生日を迎えられた天皇陛下。記者会見では今年12月に成年皇族となられる愛子さまに、こうエールを送られた。さらに陛下は、記者からの関連質問に答える形で、将来の「愛子さまの結婚」について初めて言及された。「私もその過程でいろいろなことを恐らく相談に乗ることと思いますので、結婚のことも含めて、いろいろ将来のことも話し合う機会というものがあるかと思います」陛下はとくにご結婚に関しては、何より愛子さまご本人とのコミュニケーションを大切にされるお考えなのだろう。陛下は独身時代、ご自身の結婚について記者会見で「ご両親(上皇ご夫妻)と結婚についての考えが異なった場合どうするか」との質問を受けて、こうお答えになっている。「微妙な問題ですが、結婚相手を一方的に決められるのは困りますが、周囲の意見も尊重する必要はあると思います」皇族としてお生まれになり、将来の天皇となられるご自身の立場を重んじていらしたからこその発言だったのだろう。また、今回の誕生日会見では、女性天皇などの皇位継承問題に関する質問もあったが、陛下は「ご質問において言及されたようなヨーロッパの王室などにおける状況はよく承知しています。しかし、昨年も申し上げたとおり、制度に関わる事項について、私から言及することは控えたいと思います」と述べるにとどめられた。共同通信が昨年行った世論調査では、85%が女性天皇を認めることに「賛成」「どちらかといえば賛成」のいずれかを選んだ。また、政府は「女性宮家」創設の代替案として、女性皇族が結婚後も皇室活動を担う「皇女」制度を検討しているという。「近い将来、女性皇族が結婚されても、何らかの形で皇室に留まるという可能性が大きいのです」(皇室担当記者)そうなると、天皇の長女である「愛子さまの結婚」は、さらにお相手選びのハードルが上がることになるではないだろうか。「陛下は日頃から、皇室を取り巻く状況について愛子さまにお話しになっているはずです。愛子さまが結婚後も皇室に残られる可能性、さらには眞子さまと小室圭さんのように皇族にとってはお相手のトラブルがいかに大きな問題になるか……などについても話題に上っているかもしれません。普段からそういうお話をされていれば、将来的に愛子さまがお相手を紹介されるような際にも、陛下にご相談しやすくなるのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)成年皇族となられる愛子さまが、“運命の人”を天皇陛下に紹介される日も、そう遠くないかもしれない――。
2021年03月02日いつも優しそうなご表情の天皇陛下には、真面目そうという印象が。でも、幼いころは“シェー”をされたりと、気さくな面もお持ちだ。2月23日に、61歳の誕生日を迎えられた陛下の楽しい写真を集めてみました。【’70年】大阪万博で「シェー」!小学生のとき秋篠宮さまと大阪万博へ。三菱未来館で陛下は、当時大流行していたイヤミのシェーを披露。【’86年】大河ドラマの撮影を見学渡辺謙主演のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』のセットをご見学。伊達政宗仕様の兜をかぶられた。【’86年】柏原芳恵と感動の対面♪歌手・柏原芳恵のファンだった陛下。彼女のデビュー7周年リサイタルには一輪のバラを持っていき、プレゼントされた。【’88年】甲子園で始球式を!第70回全国高校野球選手権の始球式で、甲子園球場のマウンドから投球。【’98年】ご公務中、頭にチョウが!「第10回全国農業青年交換大会」のため石川県に。「ふれあい昆虫館」をご視察の際、雅子さまの頭に続き天皇陛下の頭にもチョウがとまり、お二人は思わず笑顔に。【’98年】突然の記念写真も喜んでご静養中には地元の人たちと積極的にご交流。葉山御用邸近くの天神島臨海自然教育園で、遊びに来ていた家族連れと記念撮影。【’99年】転んだ瞬間をフォロー北海道千歳市の青葉公園で歩くスキーを。初めての体験で転んでしまわれた雅子さまを、優しく後ろから抱き起こされた。【’02年】W杯をユニホームで応援サッカーW杯日韓大会の開催中。愛子さまと応援。実は雅子さま撮影のお写真【’02年】愛娘を自らおんぶされて那須御用邸近くの沼ッ原湿原へ。背負い子で愛子さまをおんぶされてハイキング。【’19年】犬の散歩はお手のもの♪秋田県の動物愛護センターをご視察。陛下は保護犬のリードを引かれる体験を。天皇陛下の珍スクープ写真ベスト10。全部知っていたらあなたは皇室マニア!「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日「大学での勉強に意欲的に取り組んでいることを私と雅子もうれしく思い、また、少し頼もしくなったように感じております」61歳の誕生日を前に行われた記者会見で、天皇陛下は愛子さまについてこのように述べられた。昨年4月に学習院大学文学部に入学された愛子さまは、現在も多くの学生と同じようにオンラインで授業を受けられている。これまで愛子さまが登校されたのは、昨年10月に行われた新入生ガイダンスの一度きりとなっている。キャンパスに通うことができない日々が続いているが、愛子さまの意欲的なご様子に陛下は安堵されているようだ。陛下は、雅子さまとご一緒に、愛子さまが受講される様子をそばでご覧になる機会があることも明かされた。その感想として「新たな知見を得ることができたり、何か学生時代に戻ったような気持ちになりました」と述べられている。愛子さまが進学された学習院大学文学部は、陛下が学ばれた学部でもある。’80年2月、在学中だった陛下は成年式を前に行われた会見で次のように語られている。《青春ってものはやはり、あらゆるものに挑戦し、それから自分の力を試す、自分の中のもの、外のものに限らずそういった力を試す時期であり、また、模索する時期じゃないかなって考えるんです》「陛下は幼い頃から奥州街道などの道に興味を持たれ、大学では中世の交通史や流通史を学ばれました。いっぽうで音楽部などクラブ活動にも精力的でした。多方面でさまざまな学生と交流できたことは、陛下にとってかけがえのない経験だったようです。ご卒業時の会見では、『学生たちが自分なりの生き方を見出そうと一生懸命努力していることを学びました』と回想されていました」(皇室担当記者)あらゆるものに挑戦し、自分の力を試す――。当時抱いた陛下のお気持ちは、今でも変わらないようだ。陛下は会見で、今年20歳を迎える愛子さまに向けて「いろいろな方からたくさんのことを学び、自らの考えを深めていき、また、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていってほしい」とエールを送られている。学習院大学では4月から少人数の講義に限って、対面授業を再開する予定だ。長期にわたるコロナ禍では感染防止に配慮しつつも、陛下は愛娘が充実した大学生活を送ることを願われている。
2021年02月23日天皇陛下は2月23日、61歳の誕生日を迎えられた。誕生日に際しての記者会見は2月19日に開かれた。眞子さまの結婚について質問を受けられた陛下は、以下のようにお答えになっている。「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、御両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」ほかの質問に比べて簡潔なお答えではあったが、皇室担当記者は陛下のお考えがにじむご回答だったと語る。「天皇陛下は、たいへん慎重にお言葉を選ばれたのでしょう。眞子さまや小室さんへの批判と受け取られるような文言を使うことは避けられつつも、二人には結婚に向けての”宿題”が残っているとの認識をはっきり示されたご回答だと思います。ただ、ひとつ気になったのは、眞子さまが発表された文書との”温度差”でしょうか……」眞子さまは昨年11月、結婚についての「お気持ち」を表明する文書を発表されている。そのなかには、次のような一節もあった。《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》この文書では、両陛下は眞子さまのお気持ちを「尊重」され、「お見守りくださっている」とされている。一見すると、両陛下が眞子さまと小室さんの結婚を応援されているかのような印象も受ける。しかし陛下は今回の会見で、秋篠宮さまの発言に同意する考えを示された一方で、眞子さまが使われた「尊重」や「見守る」といった表現は避けられた。「陛下も秋篠宮さまと同じく、眞子さまの意志を尊重しつつも、現状ではまだ小室さんとの結婚に“賛成”はできないとの認識なのではないでしょうか。ただ、眞子さまに『御両親とよく話し合い』することを求められたように、この問題は秋篠宮家で解決すべきであり、ご自身の発言によって事態が動くのは好ましくないと、陛下はお考えなのでしょう」(前出・皇室担当記者)会見では記者から、多くの人が納得し喜んでくれる状況になるために何が必要かという関連質問もあったが、陛下は「先ほど申し上げたこと以上のことは、今はお答えは差し控えさせていただきたいと思います」と、回答を避けられている。眞子さまと小室さんは、どのようにして陛下も願われている「多くの人が納得し喜んでくれる状況」を実現するのだろうか――。
2021年02月23日天皇陛下は2月23日に、61歳の誕生日を迎えられる。新型コロナウィルスの感染状況を鑑み、当日の一般参賀が見送られるなど祝賀行事は縮小されることとなった。菅義偉首相(72)ら三権の長から祝賀を受ける「祝賀の儀」は行われるが、飲食を伴う「宴会の儀」や「茶会の儀」は中止とされた。新型コロナによって皇室の行事や生活も一変してしまったが、陛下が変わらず続けられている行事もある。陛下は即位されたことで、昭和天皇が始められた稲作を上皇陛下から引き継がれた。陛下は皇居内の水田で春から初夏にかけて種籾まきと田植えをされ、昨年9月に稲刈りをされたことで一連の作業を初めて終えられたのだ。陛下は稲作作業を終えられた感想を文書で発表され、昨年の九州豪雨による被害や新型コロナの影響で苦境に立たされた農業従事者に向けて「御苦労もいかばかりかと思います」と労われた。そして「各地で収穫が無事に行われることを願っております」と綴られた。我が国の農耕文化である稲作を引き継がれた陛下だが、若いころから日本酒好きでも知られている。’03年に山形県米沢市の酒造資料館「東光の酒蔵」を見学され、’18年には石川県珠洲市にある宗玄酒造を視察されたこともある。そんな陛下の日本酒にまつわる“誕生日エピソード”がある。陛下は学習院大学卒業後、’83年に英国オックスフォード大学マートンカレッジに留学された。‘84年2月にロンドン・日本大使公邸で24歳の誕生日を目前に開かれた会見では、充実した留学生活ぶりをこのように語られた。「寮の自分の部屋に日本酒をおいていますが、昨年に比べるとずっと減りが激しいんです。今学期は前学期以上に学友が集まって楽しく過ごしています」留学先で誕生日を迎えられた陛下は、寮の2部屋を使ってご自身の誕生パーティーを開き、20人ほどのご学友を招いたという。「陛下は日本食や日本酒といった“日本文化”でご学友をもてなされました。英国では日本酒を温める機械がなかったので、陛下は機転を利かせてコーヒーメーカーで燗をつけたといいます。陛下が振る舞われた日本酒は彼らに大変喜ばれたようで、陛下も『翌日二日酔いになりました』と笑いながら回想されていました」(前出・皇室担当記者)当時、「ヨーロッパから日本を見つめてみたい」という志を抱かれて留学された陛下。’85年11月の帰国直後に行われた会見では、英国の学生たちとの交流について、「日本について色々聞かれまして、日本文化について深い質問もありましたし、その素晴らしさを学生を通じて再認識できたことは非常に良かった」と語られた。英国でご学友と日本酒を酌み交わした経験は、陛下にとってかけがえのない思い出のひとつだろう。
2021年02月22日2月23日、61歳の誕生日を迎えられる天皇陛下は、登山好きとしても知られている。実は、同日は「富士山の日」でもある。静岡県と山梨県では条例で定められている記念日だが、陛下が即位されたことで2月23日は’20年から祝日となっている。陛下が初めて登山を経験されたのは、5歳の時。軽井沢の離山に登ったのをきっかけに、山に関心を持つようになられた。小学校高学年の頃は、『日本の山々』(山と溪谷社)や『世界文化地理大系』(平凡社)といった本を愛読されていたという。そんな陛下にとって、富士山は特別な思い入れのある山だった。小学校1年生だった’66年の秋には、学習院初等科の屋上から富士山をご覧になっている。その時の感想を《ぼく、あんまりうれしかったので、おくじょうから、おっこちそうになりました》と文集に綴られた。’87年7月には皇族として初めて日本山岳会の会員になられ、これまで登山をされた回数は国内外を含めて170回を超える。そんな陛下が富士山に初登頂されたのは、皇太子だった’08年8月のこと。実は’88年8月にも挑戦されたが、天候悪化のため8合目で引き返されたのだった。陛下は20年越しの悲願達成に、「感慨深いものがあります。富士山の高さ、大きさを感じました」と喜ばれたという。’10年の年始に行われた歌会始では、富士山頂で見たご来光を回想され《雲の上に太陽の光はいできたり富士の山はだ赤く照らせり》とお詠みになられている。これほどまでに山好きな陛下は、南アルプスを登山された’86年8月に同行の記者団から登山をする理由を問われ「山に登っている時は雑念がありません。登ることと景色を見ることに没頭しています」とお答えになられた。「“無心になれる”ことは、陛下にとって登山の魅力のひとつでもあります。陛下はどのルートが良いか入念にお調べになることはもちろん、ジョギングやトレーニングといった準備もされます。そのいっぽうで登山中にすれ違った人々には、『どちらからですか』などと立ちどまって話しかけられるといった気配りも欠かさないのです」(皇室担当記者)’93年6月に雅子さまと結婚されてからは、翌年6月に初めてご夫妻で東京・奥多摩の高水三山に登られた。陛下は『山と渓谷』(1996年1月号)の「山と私」というエッセイのなかで、《私は、これからも妻とこのような登山の楽しみを見出せたらと思う》と綴られている。’09年8月には小学生になった愛子さまもご一緒に、斜面が緩やかな那須岳を中心に一家でハイキングを楽しまれるようになった。現在は新型コロナウイルスの影響もあり、また天皇というお立場から陛下が登山をすることは容易ではない。だが、再びご一家で自然と触れ合える日を心待ちにされていることだろう。
2021年02月22日この春、天皇ご一家の暮らしは大きく変わることになる。赤坂御所からお引っ越しされるのだ。上皇ご夫妻が昨年春までお住まいだった皇居・旧吹上仙洞御所の改修工事が3月中に終了。御代替わりから約2年遅れて皇居へのお引っ越しとなる。「昨年10月には両陛下と愛子さまが改修工事を視察されました。私室部分は、上皇ご夫妻がお使いだった部屋を両陛下が使われ、愛子さまのお部屋は黒田清子さんが使っていた部屋になるとみられています」(皇室担当記者)学習院大学は4月から少人数の講義に限って対面授業を再開する予定。愛子さまにとっては待望のキャンパスライフが始まることになる。「眞子さまが小室圭さんと出会われたのは、大学1年生のときのこと。しばらくはあいさつを交わす程度の関係だったそうですが、3年生のときに交際に発展しました。キャンパスライフを開始された愛子さまがすぐに“運命のお相手”に出会われることも十分にありえるということです」(前出・皇室担当記者)両陛下は、愛子さまのご結婚についてどのような考えをお持ちなのだろうか。天皇陛下は独身時代の記者会見で、ご両親(上皇ご夫妻)と結婚についての考えが異なった場合どうするかとの質問に、こうお答えになっている。「微妙な問題ですが、結婚相手を一方的に決められるのは困りますが、周囲の意見も尊重する必要はあると思います」秋篠宮ご夫妻の場合、小室さん本人こそ眞子さまから紹介されていたものの、母親の佳代さんと会ったのは婚約が決まったあとだったとみられている。お相手選びがまったくの“眞子さま任せ”になっていたことが、一大事に発展した要因だったのだ。「雅子さまも、ご結婚については愛子さまの意思をできる限り尊重したいとお考えでしょう。ただ、ご結婚を円滑にすすめるためにも、お相手やその家族の状況について事前にしっかり把握しておくことは必要になります。お相手について秘密を作らず、包み隠さず報告すること――。雅子さまも、それだけは愛子さまに厳命されていることでしょう」(前出・宮内庁関係者)愛子さまのキャンパスライフ開始を前に“母の不安”は募るばかりだが、杞憂に終わることを祈りたい――。「女性自身」2021年3月2日号 掲載
2021年02月18日