私の住む地域では入園前におむつがはずれていなければならない園が多いことを知りました。息子は1歳半のころからトイレトレーニングを始めていましたが、3歳前になってもまったくおむつがはずれる気配がありません。そこで強制的なおむつはずしに出ましたが、なかなかうまくいかない日々。ある日、私の怒りは爆発してしまいました。しかし、うまくいかないのには理由があることを知って怒ったことを後悔しています……。夏に家の中でおむつを強制的に外した1歳半のころからトイレトレーニングをしていましたが、3歳前になってもおむつがとれる様子のなかった息子。ネットの体験談や友人から、「夏は室内で何もつけないでいるといい。部屋の中でおもらしはしてしまうけれど、子ども自身それが嫌で1カ月でおむつはずれができるようになる」というアドバイスがあり、3歳前の夏ごろそれを決行しました。 おむつもズボンもはかないことに対してはなんの抵抗も見せず、むしろ快適そうに過ごしていた息子でしたが、アドバイスとは裏腹に、2週間経っても3週間経っても自らトイレに行くことが成功することはなく、リビングでおもらしをしてしまうという日々が続きました。 日中はおむつからおむつパッドに変更家でのおもらしがまったくなくならないまま2カ月が過ぎたころ、少し肌寒くなってきました。そこで、何もはかないトレーニングは諦めて、おむつからおむつパッドに切り替えました。おむつパッドはおむつと違って、1回おしっこやうんちをしただけで子どもが不快感をおぼえると友人から聞いたからです。 トイレに行くことを促されると、タイミングが合えばトイレでおしっこやうんちをすることができるようにはなってはいましたが、自分ではタイミングが掴めていなかった息子。おむつパッドからおしっこが染み出すことが多々ありました。そうこうしているうちに、気づけばおむつはずれに1年以上かかっていました。私はストレスが溜まっていき、息子の失敗を責める回数も増えていきました。 ショッピングモールのトイレで怒りが爆発ある日ショッピングモール内で、おむつパッドからおしっこが染み出していることがわかり、急いでトイレへ駆け込みました。1年以上のおむつはずれの失敗の日々にストレスが頂点に達していた私は、「なんでできないの! なんでわからないの!」と息子を責め立ててしまいました。 涙目で私の顔を見ながら、小さな声で「ごめんなさい……、ごめんなさい……」と謝り続ける息子。その言葉で私は、なんでこんなに小さな子どもを責めているんだろうとハッとしました。そして同時に息子の心を深く傷つけてしまったと後悔しました。 理由があったことを知って……幼稚園選びが始まったころ、ある幼稚園説明会で「おむつははずれていたほうが良いと思う親御さんが多いと思いますが、焦らないでください。このころはまだ膀胱が未発達な場合があって、本人ではどうしてもコントロールがきかないこともあるんですよ」ということを教えてもらいました。 息子は体も標準より小さかったのでこの説明はとても腑に落ちました。そして私は説明会後からは精神的にラクになっておもらしをしても責めることはまったくなくなりました。おもらしをしても怒られないことで息子もリラックスした様子になり、それから3カ月後のある日、突然トイレに完璧に行けるようになったのです。 息子の発達を見定めることなく、おむつはずしのトレーニングを1年以上強制したことは、親のエゴだったと反省しています。子育て中うまくいっていないときに、自分だけでなんとかしようと頑なになることは良くないことなのだと気づいた出来事。おむつが完全にはずれた3年たった今でも、思い出しては私は「ごめんね」と息子に思うのでした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:大井絵衣5歳男児の母。「楽しく子育てがしたい!」がモットー。台所育児を実践中で、息子が1歳のころから毎日夕飯を一緒に作るのが日課。自身の育児経験を中心に、子育て関連の記事を多く執筆中。
2023年11月08日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向があり、幼稚園に通い出すと担任から医療センター行くよう告げられ、さらに長男も園から発達医療をすすめられて困惑。幼稚園の指導により、長男の就学のため小学校の支援級の見学や知能検査を受けますが、結果は普通級。長男の検査が終わるや次男の検査を急かされ、兄弟で診察を受けに児童発達センターへ。医師からの助言を受け、息子の育て方に悩んでいた心が少し救われます。長男はADHD、次男は多動という診断を幼稚園に伝えると、自分の手柄と言わんばかりの園長の態度に、これまでの性急な指示は園長によるものと合点がいきます。新年度は幼稚園から次男の園外療育を提案され、6月から幼稚園と療育園との並行通園がスタートしていました。幼稚園の夏休み中、療育園の園長から大事な会議があるので夫と一緒に出席するよう連絡が入りました。幼稚園の園長や教育委員会も参加し、息子の今後に関わる大事な話し合いだと言われ、ゆーとぴあさんは不安を覚えるのですがーー。 まだ年中なのに…。息子の就学についての会議スタート 療育園にて開かれた、年中の次男の就学に向けた会議。幼稚園の園長と担任、療育園の園長と担任。市の幼児科と幼児相談科の職員、そしてゆーとぴあさん夫婦。総勢8名の大規模な話し合いが始まりました。 会議の後半では、幼稚園と市の幼児科から現在の週2の幼稚園で息子に加配の先生がついていることが問題に挙げられます。園長からはさらに、次年度から幼稚園をやめて全日療育園にするという考えはないのかと、ゆーとぴあさん夫婦を責めるような口調で迫られてーー。 ◇◇◇ 幼稚園と療育園、市の教育委員会。そしてゆーとぴあさん夫婦という4者の物々しい会議では、次男の通園状況についてシビアな意見が飛び交います。幼稚園と療育園の通園配分や園の加配については、ゆーとぴあさん夫婦で意見できるものでもないので答えに困ってしまいますよね。楽天的な夫は会議の連絡があったときもあまり深刻に思っておらず、当日もメモを取る準備もないまま参加していますが、なんと答えるのでしょうか? 次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年11月07日自閉スペクトラム症の息子、日常生活の中の不器用とはスバルは幼稚園での生活の中で、明らかに飛び抜けて不器用でした。特に道具を使うことが苦手で、筆、はさみ、縄跳び、楽器はもちろん、日常生活の中でも服のボタンやファスナー、お弁当包みなど、あらゆることにサポートが必要でした。この頃インターネットで「発達性協調運動障害(発達性協調運動症/DCD)」という言葉を知り、本を探して読みました。ダンスや縄跳びなどの協調的運動、ボール投げなどの全身運動、ボタンやファスナーなどの微細運動がとても苦手……。読めば読むほどスバルのことが書いてあるようで一人で納得しました。実際に「発達性協調運動障害」と診断されるのはもう少しあとになりますが、私はこの時からスバルには「発達性協調運動障害」があると思って接し、幼稚園にも配慮をお願いしていました。微細運動ではボタン、ファスナー、お弁当包みなどの身の回りのことは小学校入学までにどうにかマスターしましたが、道具の上達は非常にゆっくりです。全身運動ではブランコなどの遊具で遊ぶ姿はそれなりにサマになっていましたが、ダンスや体操は先生の個別指導がつくほど苦手でした。ちなみに両足ジャンプは4歳、片足立ちは7歳、ケンケンは8歳でマスターしたので年齢と比べてかなりゆっくり成長しているように感じています。※編集部注:発達性協調運動障害は現在、「発達性協調運動症」という診断名となっていますが、最新版『DSM-5-TR』以前の診断名である「発達性協調運動障害」といわれることも多くあります。この記事では、一般的にも使われることが多い「発達性協調運動障害」の名称も合わせて使っています。参考:発達障害(はったつしょうがい)|e-ヘルスネットもう一つの困り事年長になり「小学校」が目前に迫ってくる頃、もう一つ気になることがありました。それはひらがなが書けないことです。このくらいの年齢だと書けない子もたくさんいるのですが、「い」「こ」「つ」くらいの簡単な文字なら見本を見ながら書けると思います。でも、スバルにはそれができませんでした。ひらがなに興味がないわけではなく、むしろ文字が好きで1歳半からひらがなを読み始め、2歳の誕生日の頃には十数個、3歳の誕生日の頃にはひらがなの読みはマスターしていました。年長の春にはひらがな、カタカナ、アルファベット、小学1年生程度の漢字は読めるようになっていました。大人向けの自動車雑誌を愛読していたので「輸入車」「燃費」のような車関係の難しい漢字も読めました。しかし「い」と書かれた見本の真横に「い」を書くことができないのです。Upload By 星あかりこの「読み」と「書き」で、できることの大きな開きが私を不安にさせました。スーパー不器用BOYとして小学校入学。特別支援学級へひらがなに関しては入学直前の春休み中、とあるゲームにどハマりし「登場するキャラクターの名前やアイテムの名前をリスト化したい」という欲求が限界まで高まり、ぼんやりとですが模倣できるようになりました。そして読めるか読めないかギリギリラインではあるものの自分の名前が書けるようになりました。この時は綺麗な丸や三角はまだ書けないくらいの不器用さだったので、自分の名前もしっちゃかめっちゃかなラインではあったものの、人類が月に降り立ったレベルの感動でした。数日前の入学前の面談では「まだ自分の名前も書けません」と相談したばかりだったので、まさか入学までに自分の名前が書けるようになるとは思いませんでした。Upload By 星あかりこの時のスバルは、作業療法士さんの検査で「とても不器用」と言われたものの診断は受けていなかったので、学校にどのように配慮をお願いして良いのか少し悩んでいました。しかしスバルの就学先の特別支援学級では、診断名があろうがなかろうが困り事に向き合った配慮をしてもらえました。例えば、文字を書くのが苦手なスバルなら、マスからはみ出ていてもトメやハネがむちゃくちゃでも、丁寧に書いていれば丸をもらえました。そしてスバルの成長レベルに合わせて少しずつ正しい字が書けるように導いてくれました。成長と言っても「読めるか読めないか」から「ギリギリ読める」そして「だいたい読める」レベルのゆっくりとした成長ですが、難しい漢字でも「だいたい読める」字が書けるようになったのは本当にものすごい成長です。さまざまな教科で不器用による困り事がありましたが、先生がいろいろな方法を試してくださったり、私がインターネットで調べた便利グッズを使ってみたり、ときにはスバルから代替案を提案したり、過ごしやすいように工夫していました。それがごく普通に行われる環境でした。さまざまな苦手を抱えたほかのクラスメイトたちも、それぞれが学びやすいように工夫していました。苦手なことに対して配慮してもらえ、自分で提案した工夫が採用されて、クラスメイトもそれぞれ苦手なことを工夫しながら学んでいる環境は、スバルにとってとても過ごしやすそうに感じました。「小学校に入学するまでにひらがなが書けるように」と、気負う必要はなかったなと安堵しました。得意なはずの算数で、まさかのつまずきが……!特別支援学級の中で、得意分野を伸ばしつつ苦手分野を少しずつ底上げしながらのびのびと学んでいたスバルでしたが、特に算数は不器用が影響しないので気に入っているようでした。しかしそんな算数の授業にそれは突然現れたのです。そう、定規です。スバルは定規で直線を引くことが難しかったのです。左手で定規を押さえて右手で線を引くことがなかなかできませんでした。最初は左手で押さえた定規が鉛筆に押されて動いてしまい、まっすぐな線が引けませんでした。そこで左手で定規をしっかり抑えるようにアドバイスすると、マックスパワーの左手で定規を押さえ、同じくマックスパワーの右手で線を引くものだからプリントやノートはビリビリに破けてしまいました。どうやら左手は強く、右手は優しくというような使い分けが難しかったみたいです。これには工夫の達人である先生も悩んでしまいました。結局、裏に滑り止めのついた定規を何本も買い、何度も練習しているうちに「ギリギリ直線……?」が引けるようになりました。スバルはのちに「かけ算よりも直線を引くほうが難しかった」と語っています。そんな苦手だった定規も、いつの間にか使えるようになりました。算数だけでもコンパス、分度器、そろばんと次々と大きな壁が現れますが、アイデアを出し合いながらコツコツと地道に向き合っていると、案外知らぬ間にできるようになっていたりしました。できるようになったと言っても、上手になったわけではないし年相応とは言えないのですが、この日々を通して私とスバルは技術的にも精神的にも苦手との向き合い方を学んでいます。ときにはクラスメイトとの差を目の当たりにし悲しむ日もありますが、アイデアと地道な努力でゆっくりゆっくり進んでいます。執筆/星あかり(監修:初川先生より)スバルくんの著しい不器用さ(発達性協調運動症)に関する育ちと手立ての歴史のシェアをありがとうございます。自閉スペクトラム症、ADHD(注意欠如多動症)、SLD(限局性学習症)の3つの発達障害にくらべると、発達性協調運動症(DCD)は知名度もいまひとつであったり、手立ての方策も詳しい人は詳しいけれど、なかなか詳しい人に出会いづらいという面が残念ながらあります。特別にトレーニングや練習を重ねる方向性ももちろんありますが、日常生活や学校生活の中でできることもあり、そうした面について今回のこちらのコラムでご紹介いただいたように思います。苦手なことを「どうしてできないのだ、練習が足りない!」と無理にやらせてもできるようにはならず、今できることを着実に熟達させていくと共に、少しずつ上手なやり方へと寄せてゆくような関わりが大切です。あかりさんや学校の先生方(スバルくんは自閉症・情緒障害の特別支援学級に在籍されていますね)が一緒に工夫されてきたような、手立て・工夫を施しながら本人の成長を待つ方法、とても素晴らしいと感じました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年11月07日娘は幼稚園に通っています。娘の幼稚園のクラスでは、子どもの親だけでランチをする茶話会が年に数回開催されます。茶話会の幹事は順番に回り、今回、私が茶話会の幹事を担当することに。私を含め5名で茶話会の企画や進行をすることになったのですが……。LINEを通して仲が深まる幹事メンバーでLINEグループを作り、茶話会のランチの場所や席順などを決めることになりました。 LINE上でみんなで意見を出し合っていたのですが、徐々に茶話会のことだけでなく、日々の出来事もLINEで報告し合う雰囲気に。最初は子どもたちが登園している日中だけだったのが、夕方や夜間にもLINEが流れてくるようになりました。 1日中流れてくるLINE私には娘の他に1歳の息子がおり、時短でパートもしていました。そのため、LINEを確認できない時間もあるのですが、ある日、LINEを開くと200件以上ものメッセージが届いていたのです。 ほとんどが茶話会以外の話題で、茶話会について決まったこともわからず、膨大なLINEの会話を読むことに。しかし、茶話会について何も決まったことはないようでした。 Aさんの言葉をきっかけに…私以外にも、フルタイムで仕事をしているママ・Aさんも、LINEの会話にほとんど入っていませんでした。 ある日、Aさんから茶話会の幹事LINEグループに「仕事をしているので、毎日LINEを読むことはできない。茶話会について決まったことがあるなら教えてほしい。自分にできることは精いっぱいするので」というメッセージが……。Aさんのメッセージをきっかけに、茶話会について話し合うようになり、とんとん拍子に決まっていきました。 茶話会の幹事にならなければ、あまり関わらなかったであろうママとも交流ができて良い機会でしたが、普段、関わりがないために、言いたいことをなかなか言えないと思いました。Aさんの言葉がなければ、茶話会についてスムーズに決めることができなかったかもしれません。私は茶話会の話が進まないことに少し焦っていたので、Aさんのように他の幹事メンバーに声かけするべきだったなと反省した出来事でした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/ななぎ著者:神崎 ハナ
2023年11月07日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向があり、幼稚園に通い出すと担任から医療センター行くよう告げられ、さらに長男も園から発達医療をすすめられて困惑。幼稚園の指導により、長男の就学のため小学校の支援級の見学や知能検査を受けますが、結果は普通級。長男の検査が終わるや次男の検査を急かされ、兄弟で診察を受けに児童発達センターへ。医師からの助言を受け、息子の育て方に悩んでいた心が少し救われます。長男はADHD、次男は多動という診断を幼稚園に伝えると、自分の手柄と言わんばかりの園長の態度に、これまでの性急な指示は園長によるものと合点がいきます。新年度、幼稚園から次男の園外療育として新たな提案を受け、6月から幼稚園と療育園との並行通園がスタートしました。コロナ禍の影響で通園当初は全日療育園に通い、6月から本格的に幼稚園との「並行通園」を開始。療育園に慣れたころだったので、両方の通園に泣いたり混乱したりする次男を見て、ゆーとぴあさんは幼稚園のすすめを受け入れたことがよかったのか不安に。しかし、幼稚園側も以前に比べて療育に配慮した対応が増えて助かったと思っていたのですがーー。 夏休み。平穏に療育に通っていたところへ突然の電話が 夏休み。幼稚園は1カ月以上あり、療育園は8月の2日間のみのため、期間中次男は全日療育園に通うことに。 夏休み中に療育園の園長からの電話で、大事な会議があるので夫婦で参加するようにとの連絡が入ります。今後に関わる重要なもので、幼稚園の園長や教育委員会も参加するという大掛かりなもの。 夫に伝えると、「えーーー!」と言いつつ、まあすぐに終わるだろうと気楽な様子。対照的にゆーとぴあさんは何か一波乱起きそうな気配を感じ取りますがーー。 ◇◇◇ 息子が全日で療育に通ってくれることでゆーとぴあさんは短期バイトを入れて身軽に動けていましたが、療育園の園長から大事な会議があると告げられます。夫だけでなく、幼稚園の園長や教育委員会など参加メンバーが多いことから只事ではない雰囲気を感じ取りますが、夫はそこまで深く考えていないよう。杞憂に終わればいいですが、どんな会議になるのでしょうか? 次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年11月06日寝つきが悪い、激しい後追い…赤ちゃんの頃から繊細だった長女。初めての育児で悩み続けた日々現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、赤ちゃんの頃からとにかく繊細な子どもでした。一日のなかでも機嫌の良い時間が短く、寝つきも悪い、やっと寝たかと思ってもすぐ起きては泣き、手間暇かけてやっと熟睡に持ち込んでも、“膝のパキ音”だけで完全覚醒するような赤ちゃんでした。私は姉子が初めての育児だったので「赤ちゃんとはこういうものなんだ」と思っており、どうにかご機嫌になってくれないかと日々試行錯誤していました。そして、姉子がハイハイできるようになると、トイレも食事もできないほどに私を追いかけて来て、後追いがかなりひどかったと思います。言葉が出るのも少しゆっくりだったものの、1歳半健診の時には「姉子ちゃーん」の呼びかけに3回に1回くらいの成功率で「はい」と返事ができていました。それでも日常的に機嫌はあまり良くなく、なんで泣いているのか、なにが正解なのか、なにをすれば笑ってくれるのか……。子どもが産まれたら『いいお母さんになりたい』と強く思っていたことも重なって、私は悩み続けていました。Upload By スパ山小学1年生の冬、「発達検査を受けてみては?」と担任から急に言われて2歳3歳と年齢が上がるにつれ、夜泣きや後追いは少しづつ減っていきました。そして姉子が3歳の時に弟が生まれ、年少から幼稚園に通うようになると、「お姉さんになった」という自信をつけたようで、楽しく幼稚園生活を送っていました。年少の途中で夫の仕事の都合で転勤があり引っ越しをしましたが、転園した幼稚園でもすぐに馴染んでいたように見えました。相変わらず言葉はゆっくりだったものの、少しづつ増え、コミュニケーションがとれるようになってからは笑顔になってくれることも多くなりました。私はそんな娘を見て「ひょうきんで明るい子になったなあ」、とうれしく思っていました。しかし、小学校に入学してすぐに行き渋るようになりました。そのため、私がつき添って登校をして、校門まで先生に迎えに来てもらうという形で小学校生活をスタートしました。私は「小学生の頃は、最初はこんなもんだろう」と、のん気に思っていて、その時は何も心配していませんでした。そして小学1年生の冬、個人懇談会で担任の先生から学校での様子を聞いて、本当に姉子のことなのかと私は耳を疑いました。全体指示が伝わりにくい、少しのことで大泣きする、ほとんどのテストが白紙、授業中に教室から飛び出して校舎の外で泣いていたなど……。そして担任の先生から「発達検査(WISC)を受けてみてはどうでしょうか」と言われ、そこで初めて姉子にも発達障害があるのかもしれないと思いました(弟のハジュが既に発達障害の診断を受けていた)。まさに寝耳に水。いや、寝耳に氷水くらいの衝撃でした。正直なところ「あ、この子もか」と目の前が真っ暗になりました。そして同時に、乳児期からの育てにくさを思いだし、何となく腑に落ちる点もありました。すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。結果はかなり凸凹があり、これまで相当しんどい思いをしてきたのではないかということが分かりました。私は姉子に申し訳ない気持ちでいっぱいで、今まで気づかなかった自分をすごく責めました。そして、わずかにあった母親としての自信のようなものを完全に失ったのでした。Upload By スパ山小学2年生で自閉スペクトラム症と診断。ストレスがかかり、分離不安症と睡眠障害にも……発達検査を受けた翌年、姉子が小学2年生の夏にまた転勤がありました。今度は地方から都心部への引っ越しです。姉子も、都会の小学校に転校したことで環境がガラリと変わりました。姉子は、ストレスからか眠れないことが増え、食事もとれたりとれなかったり……。学校も休みがちになっていきました。そして、引っ越しをしたことで病院も変わり、また一から診察予約をして順番待ちをすることに。発達外来の予約が取れたのは、なんと9ヶ月後でした。その頃には、姉子は小学3年生になっていました。やっと初診の日を迎え、そこからまた検査の予約を取り、2回目のWISCを受けました。やはり凸凹がある結果となり、そこで自閉スペクトラム症と診断されました。さらにコロナ禍で、学校や世の中のただごとではない雰囲気を感じ取った姉子は、登校することはおろか、外出もできなくなりました。姉子はただでさえ小柄なのにどんどん痩せていき、夜泣きをするようになりました。そんな姉につられるようにきょうだいたちも夜泣きをして、寝不足から家族全員が「ここはどこ? 私は誰?」みたいな状態で、ぼんやりした日々を送っていました(当時の記憶があやふやです)。そして、何度目かの通院で姉子は分離不安症と睡眠障害の診断を受け、投薬治療を開始することになりました。医師から診断を受けた時、私の想像をはるかに超えた不安を娘は感じているのだと知り、「この子が消えてしまうのではないか」という気持ちに襲われました。そして、「なんとかして生きてほしい、この子を助けたい」と必死でした。Upload By スパ山小学3年生で再び転勤。3つ目の小学校へ転入そして姉子は、だんだんと回復に向かい、母子登校をしつつ学校にも足が向くようになりました。声をかけてくれるクラスメイトもいて、手を振ったりできるまでになりました。食事や睡眠がとれるようになると、笑顔になることも増え、周囲の協力もあって少しずつ姉子らしさを取り戻していきました。しかし、やっと2つ目の小学校にも慣れてきたタイミングで、またもや夫に転勤辞令が出たのです。姉子は小学3年生で、3つ目の小学校へ転入しました。ここでも母子登校を続けていましたが、やはり環境の変化が与える影響は大きかったようです。すぐ家にこもるようになりました。私は、「前の学校の転入時のようになってはならない!」と思い、SNSやインターネット、役所や病院など……思いつく限りの所で相談をして情報を集めました。そして姉子と一緒に悩みに悩みぬいて、小学4年生に進級するタイミングで特別支援学級へ転籍をしました。小学6年生になった現在は4年生で特別支援学級に転籍した頃は、最初は母子登校から始めました。じっくりゆっくり姉子のペースに合わせて、『焦らずあきらめず、ときどきほんの少し背中を押す』というスタイルで、先生方にも協力していただきました。6年生になった現在では、学校の委員会活動をしたり、下級生の子どもたちの面倒を見たり、私から離れて修学旅行に行ったり(心配で私のほうが一睡もできず(笑))と、姉子の成長に驚きの毎日です。何度もぶつかった大きな壁をぶち破ってはないけれど、その壁に緩やかな階段をつくってみんなでゆっくり乗り越えてきたから今の姉子が笑っているんだなと思います。この個性にあふれる姉子と出会えたこと、どこでもなく、私のもとに生まれてきてくれたことを感謝しています。『いいお母さんとは何なのか』、それは今も分からないのですが、これからも子どもたちの一番の味方でいたいと思っています。Upload By スパ山執筆/スパ山(監修:森先生より)環境の変化には、大人だって戸惑いがあります。スパ山さんのように、役所や病院などで相談をしてできる限りの情報を集め、頼れるところは全て頼る姿勢はとても大切です。ゴールは「学校に行くこと」ではありません。お子さんが笑顔で過ごせるように、お子さんのペースを尊重しながらゆっくり環境に慣れることができるよう、まずは睡眠食事などの生活を整えていくことです。「何度もぶつかった大きな壁をぶち破ってはないけれど、その壁に緩やかな階段をつくってみんなでゆっくり乗り越えてきた」と言える子育て、大変素晴らしいですね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2023年11月06日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向があり、幼稚園に通い出すと担任から医療センター行くよう告げられ、さらに長男も園から発達医療をすすめられて困惑。幼稚園の指導により、長男の就学のため小学校の支援級の見学や知能検査を受けますが、結果は普通級。長男の検査が終わるや次男の検査を急かされ、兄弟で診察を受けに児童発達センターへ。医師からの助言を受け、息子の育て方に悩んでいた心が少し救われます。長男はADHD、次男は多動という診断を幼稚園に伝えると、自分の手柄と言わんばかりの園長の態度に、これまでの性急な指示は園長によるものと合点がいきます。新たな面談で次男の担任から園外療育として、聞き慣れない並行通園という提案をされてーー。当初の療育から、「並行通園」に急きょ提案変更され戸惑ったものの、しっかりとした療育ができるため見学をして受け入れることに。2020年4月、長男は小学校入学、幼稚園年中の次男も療育園との並行通園を開始しますが、コロナ禍で幼稚園が自由登園になってしまい、次男は全日療育園に。療育園はやることすべてが可視化され、教室はもちろん給食に至るまで配慮が行き渡り、次男の様子からこのまま療育園に切り替えてもいいかもと思うほどでした。そして6月にコロナ休園が明け、本来の幼稚園との並行通園が始まりますが……。 並行通園スタート。慣れないこともある一方、よい変化も ※加配とは:保育園や幼稚園で、障がいのある子どもや集団生活において困りごとを抱えている子どもに対し、サポートができるよう通常の職員数に加えて保育士を配置すること。 全日療育園に通い始めて3カ月。すっかり慣れたころに幼稚園が再開し、週2日の並行通園がスタート。ゆーとぴあさんの予想通り、次男ははじめは泣いたものの、慣れてくると療育がない自由な幼稚園がよくて、療育園に行くと泣くという状況に。と言っても、幼稚園では療育園とやり方が違って混乱したり、ダラーッとしたりで、果たして並行通園が次男にとっていい選択だったのか悩むところでした。 そんなころ、幼稚園に新しく入った主任の先生は自ら療育園の見学に行き、さっそくロッカーに可視化方式を取り入れてくれたり、次男に対して加配の先生が入ってくれたりするように。幼稚園の方針が以前より療育に寄り添ってくれるように変化し、ゆーとぴあさんはとても助かっていたのですが、この後次男は幼稚園をやめることになるのでしたーー。 ◇◇◇ コロナ禍の影響もあって通園当初は並行通園ではなく全日となり、慣れてきたころに本来の並行通園に戻ることに。環境の変化に弱い次男にとってベストな選択だったのかと悩むゆーとぴあさんでしたが、幼稚園側も、療育に寄り添った対応を取り入れてくれていることにありがたい思いでいっぱいでした。現在の体制であれば、理想的な並行通園生活が送れるように思えたのですが、一体何があったのでしょうか? 次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年11月05日3歳半の時に、知的障害のない自閉スペクトラム症と診断された息子Upload By みかみかん初めまして。みかみかんです。わが家は4歳のたーちゃんと夫と私の3人暮らしです。たーちゃんは3歳半の時に、知的障害のない自閉スペクトラム症と診断されました。赤ちゃんの頃から気になる点があり、1歳半頃までは私1人で悶々と悩んでいました。2歳からは市の親子教室に通い、続いて民間の療育にも通い始めました。今思えば、早めに外部に相談して療育に繋がれて良かったと思っています。今回は、たーちゃんにはこんな特性があるということを紹介させてください。こんな子いるよね!自分の子どもにも似ているところがある!と身近に感じていただけたらうれしいです。感覚過敏で身に着けられないもの多数!Upload By みかみかんたーちゃんは、素材によって身につけられない服があります。喜ぶと思って買った服を、一度もまともに着られずに終わったことも何回もあります。この特性に気づいてからは、苦手な素材を避けて買うことができるようになりました。帽子を身に着けることも苦手です。サンサンと日光がふりそそぐ公園で、一人だけ帽子を被らないたーちゃん。「被らせたくても被ってくれないんです!」と心の中で唱えていても、他人からの目が気になって仕方がなかったです。コロナ禍でのマスクの練習や、幼稚園の園帽を被る練習も頑張りました。今思えば、私が必死になって頑張らせすぎていたところもあり、反省しています。「身に着けられない物がある」それだけで、当時は落ち込んだり悩んだりして滅入っていました。切り替えが苦手で癇癪!親子共につらい時間に…Upload By みかみかんたーちゃんは公園から帰る時、車から降りた後、玄関についた時、お風呂に入る前、などが荒れやすいです。ほかの多くのお子さんも、楽しいことをやめることは嫌がるかもしれません。しかしたーちゃんの場合は、その癇癪の時間の長さと激しさがお互いにつらすぎて、私の心が折れてしまいそうでした。私が説明をしても余計な刺激になるようで、さらに混乱させてしまいます。最近は、しばらく一人で放っておかれると心の整理ができるようで、お互いに程よい距離感で見守っています。地面に転がる姿にも慣れました。ほかにも、「やめて」と言われてもやめられないこともあります。たとえばたーちゃんが私を叩いたとき「やめて」と言っても、やめられないのです。危険な遊びをやめられなかったり、迷惑になることをやめられなかったりして困ることも多々あります。自分のやりたいことを優先しすぎるあまり、ほかのことに目を向けられないのかなと思います。とにかく落ち着きがない!Upload By みかみかん2歳から通っていた市の親子教室では、椅子に座ることがずっとできませんでした。支援員さんの言う通りに、後ろから腕をシートベルトのようにまわしてガッチリ固定していました。順番を待つことも苦手です。お友達の番でも、やりたい気持ちが強すぎて体が動いてしまいます。動けないように私がたーちゃんをホールドして待っていました。力が強いのと瞬発力があるので大変でした。満3歳児クラス(4年保育)でのエピソードもひとつ。幼稚園に通い始めてすぐの頃、教室の外の廊下に飛び出してしまうことがありました。先生が追いかけると、それがうれしくてさらに速く遠くに逃げていって追いかけっこになってしまったそうです。そこで、その後にたーちゃんが廊下に飛び出しても試しに放っておいたそうです。しばらくすると、ニコニコ笑顔で教室にちゃんと戻ってきたらしいのです。たーちゃんらしいなと思いつつ、先生の寛大な対応に感謝しました(体を動かすことが大好きなおかげか、運動はとても得意です。教えてもいないのに、でんぐり返しや側転や壁倒立をしています)。ほかにも、不安感が強い、表情を読み取るのが苦手などの特性がいろいろあります。毎日が試行錯誤の日々で悩むこともありますが、たくさんの人に支えられながら楽しく暮らしています。発達について悩んでいる保護者の方々に、一人じゃないよと寄り添えるような記事を書いていきたいです。執筆/みかみかん(監修:室伏先生より)たーちゃんの特性と、お母様の努力の日々を共有してくださり、ありがとうございます。みかみかんさんが共有してくださった素直なお気持ちに、励まされたり、一人じゃないんだとほっとされたりする親御さんがたくさんいらっしゃることと思います。みかみかんさんの次の記事を、私も楽しみにしています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年11月04日双子の妹たちのお世話を楽しそうにしていた娘が、本当は我慢していると知った私は、それまで気がつかなかったことに反省と後悔の気持ちでいっぱいに。そこである行動にでることにしました。それは、毎日たった10分のことなのですが、それが功を奏したのです。幼稚園の先生から驚きの話が双子を妊娠したと知らせたときから、生まれてくることをとても楽しみにしてた当時4歳の娘。妹たちが生まれてからは、育児用ミルクを飲ませたり、本を読んであげたり、歌をうたってあげたり、とても楽しそうにお世話をしていました。 そんな姿を見て、私はとてもうれしく思っていたのです。しかし、双子たちが生まれて半年くらいたったころ、幼稚園の先生に「ちょっと我慢しているように感じます」と言われ、正直私は驚きを隠せませんでした。 気がつかなかった娘の気持ち先生に話を聞くと、幼稚園で娘が「お姉ちゃんだから我慢するんだ」などと言っていたので「ママに甘えてもいいんだよ」と声をかけると、「でも、お姉ちゃんだから……」と少し寂しそうに答えるということでした。気になるたびに声をかけると娘は毎回同じような答えを返すので、先生は私に話をしてくれたようです。その日の夜は、娘にかわいそうなことをしてしまったという反省と、気がつかなかったことを後悔する気持ちでいっぱいでした。出産前から1カ月ほど娘を実家に預けて入院をし、産後は双子の育児が中心の生活。思えば、娘に寂しい思いをさせていたはずなのに気がついてあげることができませんでした。 双子のお世話に追われながらできることを考えた結果……娘に何かしてあげられることはないか、を考えました。ただ、どうしても日々は手のかかる双子の育児が中心となってしまいます。そのため、時間もありません。でも、何かしてあげたい気持ちで考えたのが、「娘とママだけの寝る前の10分」を作ること。 この10分は双子をパパや手伝いにきてくれている母にお願いし、私と娘だけの時間にしました。パズルをしたり、積み木をしたり、好きな本を読んだり、折り紙をしたり、2人でその日にあったことを話したり、娘のしたいことをして最後にぎゅっと抱きしめて「おやすみ」をします。娘もこの時間を毎日楽しみにしていました。 娘の様子に変化が現れた!この10分の時間を過ごすようになりしばらくしたころ、娘がよく笑っていて変化がみられると幼稚園の先生から連絡がありました。先生から「何かしたのですか?」と聞かれるほどでした。 たった10分の短い時間ですが、大事なのは「娘だけのママとの時間」だったのです。下の子が生まれるまではひとり占めしていたママとの時間がなくなり、娘は本当に寂しい気持ちでいたと思います。 娘が無理していることに気がつかせてくれた、幼稚園の先生からのひと言。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。多くのことはしてあげられなかったのですが、娘の気持ちに気がつき、少しでも寄り添うことができて本当によかったです。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:田中つばさ二卵性の双子(年中)と小学生の娘の三姉妹を育てる母。Web企画や秘書、人材系営業職を経験。現在は在宅ワークとワンオペ育児に奮闘する毎日。出産体験や双子育児に関するエピソードを執筆中。
2023年11月02日空気が読めず話が飛んでしまう、マシンガントークなのにガールズトークは苦手わが家は母である私・ワッシーナを筆頭に、家族全員が個性いろいろな発達凸凹タイプです。それぞれの特性をキャラクター化しており、動物の顔をしています。私はワシのキャラクターで、よく話が飛んでしまう特性を表現しています。私は14年前、子どもたちが専門家から発達凸凹ではと告知されたことがきっかけで、自身の特性に気づき、工夫をしてきました。Upload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ天真爛漫な父親との想像遊びの日々。海外でのびのびと育った幼児期Upload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ私が3歳の時に父親のハワイ大学院への留学が決まり、両親と妹と私の家族4人で現地に移住しました。ハワイでは学生の父が主に子守を担ってくれました。母は外で働いていたのでかかわりが薄かったようです。私の父は子どもをそのまま大人にしたようなタイプで、多動・多弁・多飲・多食でした。父は私たちとよく遊んでくれましたが、遊ぶことにも没頭するタイプだったので、父親というより遊び仲間のような感覚で一緒に過ごしていました。ある日のことです。私は、家や公園でばかり遊ぶ父に「映画を観に行きたい」とおねだりをしました。すると父は「OK!映画館をつくってあげよう」と言いました。私とまだ幼い妹が見ていると、父はおもむろにゴザを取り出しテレビの周りを囲みました。「さぁ、ワッシーナ、来てごらん、映画館だよ」とうれしそうに言います。3歳の私は、これは何だろうと不思議に思いつつ、ゴザの囲みの中に入りました。ゴザの中は暗くて、少しだけ映画館みたいな気分になりました。父はテレビの見慣れた天気予報やニュースに、いちいち感激して喜び、その内容をおもしろおかしくオーバーに説明してくれるので、私と妹はすっかり夢中になってしまいました。オーバーに褒めてチャレンジすることを励ますクラスの雰囲気に個性が輝き出すUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイしばらくしてハワイの生活に慣れると、私は現地の幼稚園に通いました。ある日、幼稚園で先生が子どもたちに「片手で上着のボタンを締められる人はいるかな?」と呼びかけました。すると子どもたちは、ものすごい勢いで「ハイ!ハイ!ハイ!」と手をあげて前に出ていきます。どの子どももみんな堂々としていて、自信満々です。ところが、いざボタン締めをやろうとすると、ほとんどの子どもはボタン締めができません。でも先生は「よくチャレンジしたね!」と、子どもたちの行動をオーバーに褒めました。私はその頃、片手でボタン締めができるかどうか分かりませんでしたが、先生からの2回目の呼びかけの時はすぐさま手をあげてチャレンジし、成功することができました。ハワイの幼稚園では、先生たちが元気にオーバーに励ましてくれるので毎日が楽しくてたまらず、私は自分らしさを全開にして楽しんでいました。私のようなタイプには、オーバーすぎるほどの表現がちょうどいい感じだったのです。私のこの時の充実した幼児体験は、4人の子どもたち全員をインターナショナルスクールに通わせる原動力となりました。帰国後、父親を失い、環境の激変に口が利けなくなり周囲から心配されるUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイハワイでのびのびと過ごしていた私ですが、そんな状況が一変する出来事がありました。父が急に体調を崩し、家族みんなで帰国することになったのです。しかし、帰国しても父の病状は回復せず、しばらくして亡くなりました。父が亡くなったあと、私は地元の小学校に通い始めましたが、あまりに急激な環境の変化に、どうしても馴染めませんでした。授業では元気よく質問する子どもや失敗する子どもなどおらず、みんな同じように行動するように指導され、とても戸惑いました。私は入学してからひと言も口を利くことができず、先生やクラスメイトたちから話しかけられても言葉を発することができませんでした。その頃は、休み時間になると誰もいない静かな校舎の裏で、一人でじっと座って過ごすことで、すり減った心を充電していました。自宅に帰ると会話をすることができるのですが、どうしても学校で口を利くことができませんでした。母や周りの大人は、そんな私を見て、とても心配していたようです。ある学年末の最終日のことです。ホームルームの時間に担任の先生が、結婚のため学校を辞めてハワイに移住することになったということで、クラスのみんなに別れの挨拶をしました。ホームルームが終わると、私は先生のところに走っていって、話しかけました。家族で買い物をしたハワイのカラカウア通り、父と遊んだ太陽がいっぱいのワイキキビーチなどを夢中で話しました。私は、ハワイに移住する先生に対して、まるで仲間を見つけたような親近感を覚えたのです。これまでひと言も口を利かず、障害があるのではないかと私のことを案じていた先生は、いきなり雄弁になった私を見て、ものすごく驚いたようです。後日、先生は「初めてワッシーナさんの声を聞きました」と、私の母にその時の様子を語ってくれたそうです。私はこのことをきっかけに、少しずつ学校でも口が利けるようになりましたが、あまり会話ができない傾向は小学校の高学年まで続きました。感覚の過敏や独特の表現が誤解され、厳しくしつけられるUpload By ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ帰国して再び沖縄で暮らすようになって、私の目の前にいきなり母が登場しました。私を産んだ実の母ですから、ずっと一緒だったはずですが、私の視界には父しかおらず、母は存在していませんでした。母は父とまるっきり異なるタイプでした。一緒に公園へ遊びに行っても、すべり台やブランコで遊ぶのは私一人で、母は離れたところでじっと見ているだけでした。父と一緒に想像遊びをすることに慣れていた私は、母の味気ない対応にものすごく失望しました。母はしつけが厳しく教育熱心で、私の感覚過敏などの特性を受け入れてくれなかったので、ことあるごとに母と衝突を繰り返していました。ある日、母がおろしたての化繊の肌着を着せてくれました。ところが私は化繊独特の匂いと肌触りに悪寒が走りました。すぐさま肌着を脱ぐと床に叩きつけました。「宇宙人に侵略される匂いだ!」と、私は叫んだのです。母は私の言うことが理解できず、わがままだと誤解して、厳しく叱りました。その後、私は思春期を迎えましたが、クラスメイトとガールズトークができなくて、よくトイレに逃げこんでいました。高校では担任教師の無理解からいじめを受け、一年間、不登校になりました。ほかの先生方の好意でレポート課題の提出で成績評価してもらい、なんとか卒業することができました。結婚後は、子どもたちの学校でのトラブルをきっかけに、子どもたちが専門家から発達の偏りを指摘されました。その後、発達凸凹当事者の家族として、療育施設でさまざまなトレーニングを受けました。そのトレーニングを通して、私自身も当事者だと気づき、やっと安心して自分らしく生きられるようになりました。今は、家族で日々楽しみつつ、工夫をしています。工夫は重ねるほど発見が増えて楽しくなるので、家族に喜びがあふれるようになりました。執筆/ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ(監修:室伏先生より)ワッシーナさん、ご自身のご経験をお話しくださり、ありがとうございました。ワッシーナさんは、お父様を亡くされるという大きな苦しみや悲しみに加えて、周囲の理解をなかなか得られずにさまざまなご苦労をされ、それらを乗り越えていらっしゃったのですね。特性による困難さというのは、実際に経験していなければ、想像はできても理解したり共感したりということが難しいこともあります。ワッシーナさんは、ご家族の最大の理解者であり、お子様にとって、そのようなお母様がいらっしゃることは最大の強みの一つだと思います。これからも、困難に負けず、喜びと笑顔のあふれるお時間を過ごしてほしいなと、私も応援しております。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2023年11月01日神奈川県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報とことこの発達支援プログラムは、個別支援・運動支援・集団支援をバランスよく取り入れています。一人ひとりの個性に合わせた個別支援計画を作成し、それぞれの「個」の力を伸ばしていけるようサポート。また、とことこ戸塚第2教室は、児童発達支援と放課後等デイサービス、どちらも運営しているため、幼少期から成長期にわたり一貫性のある支援を受け続けることができます。お子さんにとって楽しい場所であると共に、ご家族にとっても頼ることができる場、ほっと一息つける場であることを目指しています。小さな「できた!」が大きな光に変わる。ステラファミリアでは、お子さん一人ひとりの個性に合わせた個別支援や集団支援を行い、成長をサポートしています。小さなことからできることを増やし、お子さんの自信や自立につなげるお手伝いをしています。また、発達支援はもちろんのこと、将来に対する保護者の不安にも寄り添っています。お子さんの大切な人生において、一生を共に過ごせるように信頼関係を築き、「つながっている」という安心感を与えられるように心がけています。事業所は宿河原駅から徒歩5分、送迎も行っています。詳しい活動内容はブログにて発信中です。Upload By 発達ナビ施設情報神奈川県の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報とことこは、お子さん一人ひとりの発達課題に合わせた支援を大切にしています。お子さんたちの年齢が同じであっても、個性や発達段階は千差万別。とことこでは、専門スタッフが丁寧なアセスメントを行い、ぬくもりある支援を提供しています。生活能力や社会性を身に付け、経験と自信、そして、自分自身も相手も大切にできる「心」の成長もサポートしています。また、児童発達支援と放課後等デイサービスを行っているため、幼少期から児童期、青年期にかけて一貫性のある発達支援を受けることができます。就学準備のサポートもあるので、気軽に問い合わせてみてはいかがでしょうか。神奈川県の児童発達支援をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報ジョイランド本店では、お子さんが学校や社会で過ごすために必要なスキルを獲得するため、あいさつや身の回りの動作にも全力でサポートしています。また、お友達との関わり方、適切な距離の保ち方、気持ちの切り替え方法、教科書の理解やノートの整え方など、さまざまな課題や悩みに対応できるよう、スタッフが支援内容を日常的に見直し、準備を進めています。専門的な資格と幅広いスキルを持つスタッフが、お子さんと保護者の方々に寄り添ったサポートを提供しています。随時、見学や体験ができる機会も設けられているので、気軽に問い合わせてみてはいかがでしょうか。Upload By 発達ナビ施設情報放課後デイサービスくるみは、2023年8月1日にオープンした施設です。個別支援では、お子さんや保護者の方との対話を大切にし、お子さん一人ひとりの成長に合わせ「楽しい!」と思えることを第一に、「できた!」と達成感を増やす活動を組み立てて支援を行っています。また、集団での遊びや活動通じて、友達やスタッフとのコミュニケーションを取りながら、ルールや社会的スキルも身に付けていきます。教育相談も随時、受付中ですので気軽に問い合わせてみては?大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る大阪府児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報児童発達支援ぷりもでは、さまざまな専門資格を持つスタッフが、お子さんの発達段階に合わせた支援を行っています。集団支援では、集団生活で必要な動作の練習を通じて身の回りの自立力を育みます。また、運動遊びでは姿勢を保つ力やボディイメージの向上を促し、感触遊び通じて認知機能の向上をサポートしています。保護者の方々と共にお子さんのことを考える「家族支援」や、幼稚園や保育園への通園準備をサポートする「移行支援」も提供しています。随時、見学や体験も受付中です。Upload By 発達ナビ施設情報ジョイランド本店では、お子さんのことを第一に考えて、お子さんの好きなこと、興味関心のあることを支援に反映し、楽しく取り組める支援を提供しています。スタッフはミーティングを重ね、お子さんが学校や社会へ出ていくところまでを考えて、現時点で必要な支援内容を詳細に検討しています。さらに、保護者の方々と連携し、納得を得たうえで支援に取り組みます。情報共有を重ねながら、お子さんが日々できたことや新たな課題を伝え、サポートしていきます。同施設では、随時、見学や体験の受け入れも行っています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス箕面小野原教室は、2023年1月に箕面市小野原に開校された教室です。まずは、子どもたちの自己肯定感を育むことから始め、「よりよい自分になりたい」という本能的な欲求を大切に、楽しい遊びを通して、内なる能力を引き出しています。スタッフは、楽しく遊びながら学ぶことをモットーに、お子さんのキラキラした瞳にたくさん出会えることを楽しみに日々支援に取り組んでいます。コぺルの発達支援を通じてさまざまな体験をし、お子さんができることを増やし、 自信を持って日常生活を送れるようにサポートしています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス光明池教室は2023年4月に開校した児童発達支援スクールです。泉北高速鉄道「光明池」駅から徒歩10分の場所に位置しています。コペルプラス光明池教室のスタッフは、保育士や幼稚園教諭など全員が有資格者で、お子さんの発達に関する幅広い知識を備えており、一人ひとりの成長や自己肯定感の育成に全力で取り組んでいます。さらに、充実した発達支援を届けるための研修を受け、理念を心に刻み、お子さんの成長をサポートするために必要なスキルを磨いています。また、さまざまな感覚と幅広い認知を育てる教材を通じ、お子さんの集中力を高め、学びの環境を提供しています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス阿武野教室は、JR摂津富田駅から高槻市営バス「上土室」停留所より徒歩6分の場所にある児童発達支援事業所です。送迎サービスの提供はありませんが、教室利用者専用駐車場が3台分用意されています。コペルプラス阿武野教室では、お子さん一人ひとりの可能性を最大限に引き出し、新たな一面に出合えるよう、さまざまなサポートを実施。また、保護者の方の不安や悩みに寄り添い、お子さんの成長を共に喜んでいけるよう、スタッフが一丸となってお手伝いしているそう。さらに、毎月異なる教材を通して、お子さんの「できた!」という気持ちを伸ばす発達支援を提供しています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス藤井寺教室は、2023年4月に新しく開校した児童発達支援の教室です。モットーは「子どもの瞳が輝くとき、美しい未来がはじまる」。お子さんは「おもしろい、楽しい!」といった経験から多くのことを学んでいきます。コペルプラス藤井寺教室では、お子さんの好きを見つけ、楽しい経験から言語、コミュニケーション、社会性などの発達にアプローチし、お子さんの成長を保護者のみなさんと一緒に支えていきたいと考えているのだそうです。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス長居教室は、2022年6月1日に開校した児童発達支援の教室です。JR阪和線、大阪メトロ御堂筋線のいずれの線からもアクセス良好です。個別支援と集団支援、その両方を提供。保護者の方とお子さんが楽しいと感じ、「来てよかった!」と思える支援を目指し、スタッフは日々研鑽しています。スタッフはお子さんや保護者の方との対話を楽しみにしており、一緒に遊び学びながら、お子さんの成長を身近に感じられる環境を提供したいと支援しています。Upload By 発達ナビ施設情報南海高野線「堺東」駅から徒歩約5分の場所に位置するコペルプラス堺東教室では、児童発達支援と放課後等デイサービスを提供しています。日々の支援では、お子さんたちの個性を尊重し、それぞれが持つ潜在的な力を100%引き出し、何事にも前向きに組めるようにサポートしています。未就学児から小学3年生までのお子さんが利用する同教室では、小さなお子さんも落ち着いてレッスンが受けられるように、小さな机と椅子を用意。これを使うことで座ったり、課題に取り組む習慣が徐々に身につくようになり、将来の幼稚園や学校生活へのスムーズな適応にもつながっていくと考えられています。大阪府の児童発達支援をもっと見る京都府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報コペルプラスジュニア木津教室は、州見台7丁目バス停からほど近い場所に位置する教室です。学校や社会生活で必要なスキルを高めるための課題に取り組み、お子さんの「能力を引き出すための発達支援」を行っています。そして、たくさんの教材に楽しく取り組むなかで、お子さんのキラキラとした笑顔と「やったー!できた!」という自信を引き出していきます。知育だけでなく、徳育も大切にし、お子さんの心の成長もサポート。また、学習支援は、お子さんの発達段階に合わせて個別で提供しています。保護者の皆さんの不安や疑問に寄り添い、お子さんにとってよりよく、そして将来に大きな希望を感じられるような支援を心がけている教室です。京都府の放課後等デイサービスをもっと見る京都府児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス京都市役所前教室は2020年4月にオープンした、京都市中京区にある0~6歳のお子さんを対象にした発達支援スクールです。「言葉の遅れが気になる」、「集中力が続きにくい」といったお子さんの発達について不安を抱えながらも「どこに相談したらいいのか分からない」という保護者の方の心強い味方になることを目指しています。そして、楽しいレッスンを通じて、お子さんのできることを増やしていきます。保護者の方も不安を一人で抱えこまずに、スタッフに話してみてはいかがでしょうか。集団支援や個別支援もあり、無料体験レッスンも受け付けています。京都府の児童発達支援をもっと見る兵庫県児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報2023年5月にオープンしたHimawari⁺Academyは、お子さん一人ひとりに寄りそった「オーダーメイド・おあつらえ・マス割授業」を行っている施設です。お子さんの「やってみる!」「できた!」の気持ちを育み、自己肯定感を高めることを目指しています。そして、「昨日の自分より、今日の自分が好きだ」と感じられるよう、お子さん本人はもちろん、保護者の方や指導員、みんなで成長を確かめ支援していきます。施設には保育士、児童指導員、言語聴覚士、作業療法士、児童発達支援管理責任者など、さまざまな資格を持つ経験豊富なスタッフが在籍し、みなさんとの新たな出会いを心待ちにしています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス加古川教室では、瞳が輝くような楽しい発達支援を通して、自発的に取り組み、自ら能力を発揮していく姿をサポートしています。「できないことをなくす」のではなく、「できることを伸ばす」ことに焦点を当て、お子さん自身が自分の個性を認め、何事にも前向きに取り組む姿勢を目指します。スタッフは全員が有資格者で、お子さんの発達に関するさまざまな知識を持ち、それぞれのお子さんの成長と自己肯定感の向上を全力でサポートします。また、充実した支援を届けるための研修を通し、お子さんの成長をサポートするために必要なスキルを磨いています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス姫路教室は、未就学のお子さんを対象とした発達支援スクールです。コペルプラス姫路教室の発達支援は、お子さん自身の「学びたい・成長したい」という意欲を最大限に引き出すことを第一に考え、お子さんの「やってみたい!」を引き出せるような楽しいレッスンを心がけています。そして、「訓練」ではなく「楽しい遊び」を通じてお子さんの興味を引き出し、「いやでも頑張る」ではなく「楽しいからやりたい」という意欲を育むことに焦点を当てています。お子さんの瞳が輝くような「支援」を通じて、お子さんが自発的に取り組み、能力を発揮する姿をサポートする教室です。兵庫県の児童発達支援をもっと見る奈良県児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス学園前教室は、近鉄奈良線 学園前駅から徒歩5分の距離に位置しています。笑顔と活気にあふれたスタッフたちが、ワクワクするような教材を用意して、お子さんを待っています。お子さんが安心して楽しく通えるよう、保護者の方の気持ちに寄りそいながらサポートしています。コペルプラス学園前教室では「できることが増えることは、世界が広がること」と考え、子どもたちが自発的にどんどん挑戦し輝けるような支援を目指しています。無料体験レッスンも随時受け付けているので、その楽しさを直接体験してみてはいかがでしょうか。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス王寺教室は、お子さんの「学びたい・チャレンジしたい」という意欲を最大限に引き出すことを最優先に考えているそう。レッスンを通じて、お子さんが自発的に取り組み、自身の能力を発揮する姿を目指します。個別支援では、お子さんの発達段階を確認し、一人ひとりに合わせた支援プログラムを実施。また、小集団支援では、2~6人の少人数で支援を行い、人との関わり方などを学んでいきます。さらにオリジナルの教材を多数使用し、お子さんの得意分野や苦手な部分、好みに合わせて多角的に成長をサポートしています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス志都美教室では、お子さん一人ひとりの「瞳の輝く瞬間」を見つけ出し、さまざまな教材を通じて好奇心を引き出す発達支援を提供しています。スタッフ全員で、お子さんの学びたい気持ちや成長への意欲を最大限に引き出すことに力を注ぎ、同時に自己肯定感を大切に育めるようにサポートします。また、親子で通う形態をとっており、保護者の方はレッスンをマジックミラー越しに見ることができ、お子さんの表情や取り組む姿を間近で確認できます。また、広々とした駐車場が完備され、車での通所も便利な教室です。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス大和高田教室では、瞳が輝くような楽しい発達支援を通して、お子さんが自発的に取り組み、自ら能力を発揮していく姿を応援します。「できないことをなくす」のではなく「できることを伸ばす」ことを重視し、お子さん自身が自分の個性を認め、何事にも前向きに取り組む姿を目指します。2000種類以上のオリジナル教材を用意しており、さまざまな感覚や幅広い認知能力を育てるための教材を通じて、お子さんの集中力向上と充実感あふれる学びの環境を提供しています。保護者の方は、マジックミラー越しにレッスンの様子やお子さんの表情を見ることができます。奈良県の児童発達支援をもっと見る広島県児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス広島舟入教室では、一人ひとりのお子さんに寄り添った発達支援を心がけています。保護者の方とのコミュニケーションを大切にしながら、お子さんの成長をサポート。お子さんが持つ力を楽しい遊びを通じて自然に、かつ最大限に引き出していきます。「できないことをなくす」のではなく「できることを伸ばす」ことをポイントに、お子さんが自分の個性を認め、そして何事にも前向きに取り組んでいく姿を目指しています。なお、送迎サービスの提供はありませんが、車で通所の場合は、提携駐車場の駐車サービス券が用意されています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス広島駅前教室は、広島駅新幹線口から徒歩2分の場所にあり、お子さん一人ひとりに寄り添った発達支援を心がける教室です。用意された2000種類以上のオリジナル教材は、さまざまな感覚や幅広い認知を育てることを目的とし、多種多様な教材を通じて、お子さんの集中力向上と充実した学びの環境を提供。また、楽しく遊びながら学ぶことでできることを増やし、園や学校、家庭で自分らしく過ごしてしていくためのスキルを身に付けられるようにサポートしています。保護者の方は、レッスンの際にお子さんがマジックミラー越しにどのように取り組んでいるかを見学することができます。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス広島中筋教室は、広島新交通1号線(アストラムライン)中筋駅からわずか2分の場所に位置しており、駐車場も建物の裏に3台分完備されています。日々の発達支援では、お子さんの「できた!」「もっとやりたい!」という気持ちや、瞳の輝きを大切にサポートをしています。お子さんや保護者の方から「コペル楽しい!」「来てよかった!」という声をたくさん聞けるよう、魅力ある教室づくりに努め、そしてお子さんが「コペルに行きたい!」と思えるようなワクワクするレッスンを届けることを目指しています。広島県の児童発達支援をもっと見る福岡県児童発達支援Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス八幡教室では、個別支援と小集団での発達支援を提供しています。言葉の遅れが気になる、じっとしていられない、就学準備をしたいなど、それぞれのお子さんの困りごとに寄り添い支援しています。通所の際には、保護者の方がお子さんにつき添い、マジックミラー越しにレッスンを間近で見ることができます。コペルプラス八幡教室のスタッフは児童指導員など全員が有資格者。お子さんの発達に関する幅広い知識を持っており、お子さん一人ひとりの成長と自己肯定感の育成を全力でサポートしています。Upload By 発達ナビ施設情報JR城野駅 西口から徒歩6分、北九州モノレール 城野駅から徒歩8分、西鉄バス城野四角停留所から徒歩1分の場所にある教室です。車で通所の場合は、提携の駐車場も利用できます。子どもたちが「これ、おもしろそう!」と興味を示したとき、子どもたちの瞳は大きく開いてキラキラと輝きます。城野教室では、この「子どもの瞳が輝くレッスン」を大切にしています。子どもたちが自ら学び、考え、課題を乗り越えるスキルを身に付け、持っている才能を最大限引き出すお手伝いをしています。Upload By 発達ナビ施設情報コペルプラス春日原教室は、西鉄「春日原」駅から徒歩4分、JR「春日」駅から徒歩9分の場所に位置しています。また、駐車場は建物の左側に設けられており、2台駐車可能です。コペルプラス春日原教室では、お子さんの困り事や悩みを共に相談し合いながら、楽しさを大切にした発達支援を提供しています。教室は一軒スタイルで「ただいま」「おじゃまします」といった言葉が行き交うアットホームな雰囲気です。そのあたたかい空間のなかでお子さんが自信を付け、いろいろなことに挑戦できるようサポートしていきます。福岡県の児童発達支援をもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、Webからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2023年10月31日VISH株式会社(所在地:愛知県名古屋市、代表取締役社長:田淵 浩之)は、2023年11月21日(火)、22日(水)に東京都立産業貿易センター浜松町館で開催される「保育博2023」に、当社が開発・提供する幼稚園・保育園向け業務支援クラウドサービス「園支援システム+バスキャッチ」を出展いたします。保育博に出展しますVISH株式会社のブースでは、担当者が「園支援システム+バスキャッチ」を活用した幼稚園・保育園・認定こども園の日々の業務の効率化について、ご提案いたします。当社サービスの送迎バスの置き去り防止に対する機能もご案内いたしますので、是非この機会に、当社ブース(小間番号:5F-D010)にお立ち寄りください。■保育博詳細はコチラ: 【当社ブースの出展サービス】2010年にリリースされた「園支援システム+バスキャッチ」は、園バス運行情報、園児管理を中心に、保護者の連絡手段のデジタル化、教職員の働き方改革に寄与する低価格(初期導入費0円)なクラウドサービスです。2023年10月1日時点で、全国で2,300以上の幼稚園・保育園・認定こども園で利用されています(解約・閉園除く)。リリースから12年経った現在も、園支援システムの継続利用率は約98%と高い数字を保っており、高い支持をいただいております。基本機能価格園支援システム公式サイト: ■開催概要名称 :保育博2023 -保育・教育ビジネス&サービスフェア-会期 :2023年11月21日(火)~11月22日(水)10:00~17:00会場 :東京都立産業貿易センター浜松町館〒105-7501 東京都港区海岸1丁目7-1 東京ポートシティ竹芝オフィスタワーWeb ブース小間番号:5F-D010(5Fフロア)主催 :保育博実行委員会入場料 :無料(Web来場事前登録者)●来場事前登録ご来場事前登録はこちら ※メッセフランクフルト ジャパン株式会社のサイトに移動します。周辺道路の混雑緩和のために、公共交通機関をご利用ください。■電車でのアクセス<JR>・浜松町駅(北口)から約350m 徒歩5分竹芝通り方向に出て竹芝桟橋方面へ直進。<地下鉄>・都営大江戸線(地下鉄)・都営浅草線(地下鉄)大門駅・浜松町方面改札からB2出口へ。地上へ出てJR浜松町駅(北口)前から竹芝桟橋方面へ直進。<ゆりかもめ(新交通)>・竹芝駅から約100m 徒歩2分 大門駅から約450m 徒歩7分竹芝駅改札口を出て西口出口から浜松町駅方面へ直進<東京モノレール>・浜松町駅(北口)から約350m 徒歩5分モノレール改札口を出て隣接する世界貿易センタービルの正面玄関口を出て、右(竹芝桟橋)方向から竹芝桟橋方面直進。詳細はコチラ: ■地図はコチラ 【会社概要】代表者: 代表取締役社長 田淵 浩之所在地: 愛知県名古屋市中区錦二丁目10番13号 SC錦ANNEX 5F設立 : 2004年12月資本金: 1,150万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年10月31日幼稚園では理解が得られなかった息子。就学へ向けて少しでも過ごしやすくなるよう「練習」をしました!現在は7歳の息子は3歳で聴覚過敏気味、視覚優位の自閉スペクトラム症、ADHDの診断を受けました。現在は通常学級在籍、特別支援教室に通っていて、粗大運動がぎこちないところがあるのですが、発達性協調運動症(DCD)の診断名まではつかないと言われています。幼稚園の頃は、無理解な先生が多く、「息子にほかのお子さん方と同じことを求めるのは難しいと思うんです。頑張って頑張っても頑張っても、ほかのお子さんの足元くらいにしか到達しない。ほかのお子さんの6~7割いけば十分だと思っています」とお伝えしても、「子どもはみんな同じ。特別扱いはできません。発表会等の行事も経験させたいので疲れていても幼稚園を休ませないで下さい、甘やかさないで下さい。こんなんじゃ小学校上がってからが心配です」と言われ続け、お迎えの時には、あれができないこれができないと、できないことばかり報告される日々……。できないことは息子や親の努力不足といわれつらい思いを抱えていました。Upload By ユーザー体験談そんな状態だったので、小学校では息子ができることも増やして自信をもって過ごせるように、学校側と連携がとれるように、就学へ向けて家や療育でいろいろと練習をしてきました。今回は、わが家が行ったことと、小学校入学前の校長先生との面談から1年生になった今の様子をご紹介します。就学までに一歩一歩!わが家で取り組んだ3つのこと就学までを目標に取り組んだことは大きく3つあります。トイレと着替え、そして連絡帳の書き方です。息子は年長になっても用を足すときは洋式トイレに座ってしていました。立って用を足すと、おしっこが飛び散ってしまい、濡れることに過敏な息子はパニックになってしまうからです。そこで絵を使いました。1.どの位置に足を置くかを示す2.ズボンとパンツは膝下まで下ろす(おしっこが飛んで濡れてパニックになるので)3.膝を少し曲げるこれらを毎日見せて教えてました。幼稚園では、子ども用の立ってするトイレに抵抗があったようで、大人用を特別に使用させてもらっていました。回数を重ねるごとに飛び散ることも減っていきました。Upload By ユーザー体験談年少の頃から、「自分で脱いで自分で着替え自分でたたむ」ことを毎日幼稚園で実施していたので、家庭でもそうしました。うまくできないところは手伝う、頑張ったら褒める、を繰り返しました。ただ、息子に疲れが見える時は、家庭では無理にさせませんでした。たたみ方は、幼稚園の先生が絵に描いてくれていたので、家庭でもそのやり方に合わせました。また、年長の頃からタイマーを使って着替えトライアルを開始!成功するごとにじょじょに時間を短くしていきました(例えば10分→5分)。時間内に一人で着替えができたらご褒美シールをつけ、たまったらご褒美をあげるを繰り返し、今では、一声かけたら2分で着替えられるようになっています。ただ、気分が乗らないと時間がかかりますが……。年長の冬頃からは連絡帳の練習も始めました。通っていた療育の小集団で連絡帳を書く練習をさせていただくのと、自宅でも「学校ごっこ」として、ホワイトボードに時間割を書き、それを写す、できたらご褒美ポイントをつけるといったことを遊びを通して行っていました。小学生になった今は、しっかり連絡帳を書いてこられるようになっています。就学前の面談で、校長先生に息子のことをしっかり説明そして就学前健康診断の際には、息子と私と校長先生とで面談をしました。私は準スーツのような動きやすく落ち着いた服装で参加。気合いが入って体がガチガチに固まっていました。面談には診断名が書いてある診断書と発達検査の結果を持って行き、子どもの性格、幼稚園や家庭ではこんなことに困っている、でも、こうしたらスムーズに行く、というような内容を説明しました。面談中の息子は、目を輝かせてウロチョロしながら、目新しい教室で好奇心をかき立てられて「これは何?」と質問攻めでした。そんな様子も校長先生に見て頂くことができたので、なぜ息子がこのような動きをしているのかを説明し、このようなときはこういう声かけをして頂けたら望ましい行動に移れますと、たまたまですが先生の前で普段の対応の仕方を実践でき、よかったと思います。校長先生は、うんうんと穏やかににこやかに返答してくださり、ほっと安堵しました。Upload By ユーザー体験談また、良い機会だと学校のトイレを使用させてもらいました。1度でも経験があると違うので、ありがたかったです。無事小学校へ入学。担任の先生は?支援員の先生は?校長先生には理解していただけたはずと安心していたのですが、担任の先生はどういう方なんだろうと不安でした。ドキドキしていましたが、担任の先生は息子と似たような特性がある生徒さんを受け持ったことがある方でした!先生ご自身もイヤイヤ期のお子さんを子育て中で、してはいけないことは叱るけど、なぜそれをしてはいけなかったのか、どうしてそれをしたのか、今度からどうするか、を会話するような形で息子と向き合って頂けました。フランクな会話の仕方が息子にはよかったようです。先生のおかげで、息子は、嫌なことがあっても教室を飛び出さず、先生がパッと見てすぐに見つけられる範囲内に留まるようになりました。信頼関係が構築されていたのだと思います。また、望ましい行動を楽しく行えるように、『今日のミッション』という形で導いていただけました。苦手だった運動も、楽しめるようなコツを教えて頂き、周りのお友達の動きも見て覚えられるまでに成長しました。また、支援員の先生にも恵まれました。こだわり行動でなかなか教室にスムーズに行くことができない息子を見て、「これはルーティーンだから」と発達障害に詳しくないほかの先生方にも伝えて頂き、「ルーティーンやったら行こうね!できたね!」と、毎日息子に寄り添っていただけました。Upload By ユーザー体験談たった一学期の間に急成長を遂げ、周りも驚くほどでした。やっぱり環境調整が大事だと痛感しました。先生方に恵まれた1年生。発達障害に詳しくない先生にはどう伝えればいいか模索中です校長先生も1年生の時の担任の先生も、特別支援の経験があり理解していただける方だったのでこちらの希望が伝わりやすかったですが、経験が浅い先生や、教員歴が長くても発達障害に無理解な対応をされる先生にどのように伝えていけばいいかは現在も模索中です。息子は学校で嫌な出来事があっても「仕方ない」と言い、目の前の楽しいことに切り替えて、不登校になることもなく毎日楽しいと学校に通っています。息子の子育てをしてまだ7年ですが、いろいろと嫌なことを言われ嫌なことをされ、胸がえぐられるようなつらい思いを何度もしてきました。でも、つらいことがあっても楽しいことに夢中になる息子です。これからはつらい思いより楽しい思いを増やしてほしい、失敗して責められる経験より成功体験『できた!』を多く積んでほしい、わくわくする気持ちを忘れないでほしい……いつもそう願っています。イラスト/吉田いらこエピソード参考/七転八起(監修:藤井先生)「できた」を多く積むことができるように、息子さんにあったペース、スモールステップで「できた」を積み重ねる工夫に溢れるコラムをありがとうございます。合理的配慮を求めることができるようになったとはいえ、小学校や園によっては、環境調整が難しいと言われる場面もあるのかもしれません。環境調整の大切さを息子さん自身の成長が示していると思います。ときには、療育先や医療機関などからの情報提供書なども用いて、環境調整について学校や園と模索されると良いと思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如・多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2023年10月28日義実家で奮闘中のいちごさん。実家のことは気にはかけているものの、なかなか連絡はできずにいました。そんなある日、いちごさんの弟・りょうの彼女みほの妊娠が判明し、結婚することに。その後、2人目も出産。しかし、2人目の出産でお世話をしに行った実母(みほから見た義母)は、衝撃の生活風景を目の当たりにします。息子家族の実態に実母は不安を覚えますが、口出しは良くないと留まり、見守ることにするのですが……。それから数年後。久しぶりに息子家族が実家に帰省。実母は孫と会話をするうちに、嫁・みほの生活の様子を知ることになり、心配になります。 なんとみほは朝は子どもたちに起こしてもらうばかりか、お弁当の用意を忘れてしまうことも珍しくないのだとか。孫の様子を見るによくあることのようで、実母の不安はますます大きくなっていきました。 何考えてるの? 嫁・みほの家での生活に不安を覚えるも、掃除や洗濯などもしっかりできており、口を挟むべきか迷っていた実母(みほから見た義母)。 実母は孫に「公園には行くの?」と聞くと、孫は「行かない」と返答。どうやら、みほの日焼けを避けるため、普段は幼稚園以外では遊んでいないよう。 すると実父が登場し、孫をブランコに誘います。孫は喜んだ様子実父と共に外へ。しかし、孫の帰りが思ったより早く、実母が驚いていると、なんと孫の顔は真っ赤。焦った実母はみほに呼びかけますが、みほは爆睡中。そのため、息子・りょうを呼びました。 ママが日焼けを気にしていることに加え、幼稚園では外で遊んでいるからと、外で遊ぶことに対して少し遠慮がちだった孫。しかし、祖父が遊びに誘うとうれしそうにしていましたね。家の中だからこそできる遊びもありますが、外に行くことでさまざまな刺激に触れることもできます。孫には今のうちは大人に遠慮せず、したいことはとりあえず言ってもいいんだという考えを持ってもらえたらいいのですが、みなさんはどのようにしたらいいと思いますか?>>次の話原作/いちご著者:マンガ家・イラストレーター 小出ちゃこ 著者:原作者 いちご
2023年10月27日おかしい、立てない……。1話目からコメント欄でも多くの意見をにぎわせた作品「妻だって死にます」。特に頭痛で苦しんでいる妻に対して、夫が舌打ちした場面では、読者から怒りの声が多数寄せられています。この記事を機に一気読みしてみるのはいかがですか?<「妻だって死にます」あらすじ>ある日、子どもの幼稚園のお弁当を作るために早起きをした妻。しかし、起き上がったものの、台所にへたり込んでしまうほどの体調不良に見舞われてしまいます……。 妻の病院くらいで仕事を休むのは嫌!月に一度の、幼稚園のお弁当の日なのに……。 立てないほどの頭痛に見舞われる妻。ですが、なんとかお弁当を作って長女を幼稚園へ送り出し、生後2カ月の次女のお世話をします。 最低限の家事をこなしますが、夫が帰って来るころには、ヘロヘロに……。 夫が気づくくらい体調が悪い妻。明日病院へ行く間、次女を見ていてほしいと夫にお願いすると、「嫁の病院くらいで仕事休むのは嫌だ」と断られてしまいます。 死にそうに痛いのに…翌日になっても頭痛が治らないため、次女を連れて病院へ行く妻。病院では、弱い薬を処方され、次女と一緒に横になりますが、効き目はありません。 次の日になってもう一度病院へ行き、CTを受けたいから紹介状を書いてほしいとお願いしますが、予約でいっぱいだったため、すぐに診てもらうことができませんでした。 病院で点滴も打ってもらいましたが、改善せずにフラフラで帰宅することに……。 帰宅した夫に「総合病院へ行きたいから送ってほしい」と妻がお願いすると、夫は舌打ち!このとき、すでに頭痛発症から1週間が経っていました。 このように妻への思いやりのかけらもない夫の行動に、読者から多くの声が寄せられました。 生後2カ月の子どもを抱えての病院がどれほど大変か…●「嫁の病院くらいて、、、自分がもし体調わるいときどうするんですかね?旦那は普通に自分のことばかり考えてればいいかもだけど。2ヶ月の子かかえて病院がどれだけ大変か。みんなが実家に頼れるわけではない」 ●「いや具合悪いのに子ども連れ出す準備して世話しながら用事済ませて帰ったら片付けするとか無理でしょ。なんで連れて行けると思ってるんですかね」 「嫁の病院くらいで仕事休むの嫌」という夫に対して、「生後2カ月の子どもを連れて病院へ行く方が無理」という意見も届きました。仕事を休めないのはしょうがないですが、「嫌」という思いやりに欠ける言動には悲しいですよね。 え、舌打ち!?奥さんのこと心配じゃないの? ●「奥さんの事心配じゃないんですかね?こんなに辛そうなのに...救急車呼んだらいいのに」 ●「え…?舌打ち…?最低…クソやな…落ち着いたら離婚した方がいい、こんかカス 」 体調の悪い妻にやさしい言葉をかけるどころか、舌打ちをする夫の行動には読者から怒りの声が届きました。仕事が忙しそうな夫ですが、頭痛発生から1週間。妻の頭痛が普通ではないと思い始めてもいいころではないでしょうか。妻のピンチにも心配な顔すらしない夫には、一緒にいる意味があるのか……?と思ってしまいますよね。 このようにコメント欄には、夫への厳しい声が!妻の頭痛は治るのでしょうか!? 『妻だって死にます』ベビーカレンダーでは完結しているお話なので、一気読みが可能です!ぜひ読んで、皆さんのご意見も聞かせてくださいね!
2023年10月27日幼稚園から入園を拒否され、通い続けた療育現在15歳の娘は、自閉スペクトラム症、場面緘黙などがあります。小学校に入ってから診断されました。娘は2歳から週に2回療育へ通い、3歳からはプレ幼稚園にも通っていました。いずれこの幼稚園に入園しようと思っていたのですが、母と一緒でないと幼稚園の門をくぐれない娘の様子を見ていた先生に「うちでは預かれません」と入園を拒否されてしまいました。兄である息子も通った幼稚園だったので、私はとてもショックでした。ただ、歓迎されないところで子どもを傷つけるのはよくないと気持ちを変え、それまで通っていた療育を延長し、年長さんになる年は毎日通わせてもらいました。Upload By ユーザー体験談療育では話はできないけれど要求を伝えようとしたり、笑うことは難しいけれど「好き」「嫌い」を表現できていた娘。1番安定してのびのびしていた時期だったと思います。通っていた療育では、最終学年は地域に馴染むために登園日の半分以上は幼稚園へ通うという方針だったのですが、娘は幼稚園に受け入れてもらえなかったため、毎日療育へ通いました。そしてまだ診断もなかった娘は小学校は通常学級に進学することが決定。ですが、初めての行事「入学式」でつまずいてしまうことになるのです。6年生に引きずられている!?事前の約束も反故にされた小学校の入学式入学式の前日にリハーサルがあったため、私と娘は参加しました。そこで私は入学式の担当の先生に、娘はこういう特性があるため無理をさせない形にしたいこと、私と一緒に入学式を見学する形にできないかとお願いしました。ですが先生は「大丈夫大丈夫」と全く心配していない様子。それでもねばった結果、娘がきちんと参加できなかった場合は、私が待機しているところに娘を連れてきてもらいそのあとは一緒に見学をするということになりました。そして当日、入学式のスタートは、新1年生と新6年生がペアになって手をつないで、花道を歩き入場してくる場面でした。娘は歩いてこられるのか……私は娘のことが心配でなりませんでした。入場が始まり娘の姿が見えました。しかし娘はほぼ歩いておらず、6年生に引きずられている状態で入場してきたのです。(やっぱりだめだったか……)と思った私。これなら先生が娘を連れてきてくれるだろうと待っていたのですが、式の最後まで娘は私のところにはこず、椅子に座って固まったままでした。Upload By ユーザー体験談娘がどんな気持ちで入学式に出ていたのか……かわいそうやら悲しいやら……。入学式に参加させるのを止めるべきだった後悔しました。事後、先生から約束通り娘を連れてこなかったことについての謝罪はあったのですが、娘にとって入学式はつらい出来事になってしまったため、学校への恐怖心や不安感が大きくなり、しばらく私から離れようとしなくなってしまいました。そのため、しばらくの間母子登校が続きました。Upload By ユーザー体験談入学式がきっかけで母子登校に入学式後は、私と手が離せず、校門が近づくと私に抱きついてくる娘。2学期前には同じ小学校に通う兄と手をつないでとりあえず学校まで行くことはできるようになりましたが、2ヶ月程は3時間目くらいまで私も学校に残り、授業中は窓から見える廊下に、休み時間はできるだけ担任の先生と談笑し、娘に「学校は安全だよ」と教え込みました。場面緘黙があるので、コミュニケーションは首振りかホワイトボードです。からかう子どももいましたが、学校ときちんと連携できたため、行事以外は特に問題なく過ごすことができました。頑張ってくださった担任の先生、補助の先生には感謝でいっぱいです。そしてこのような状況と並行して、私は行事について別途対策をし続けていました。入学式の失敗を糧に、学校と連携した行事対策入学式のようなことを繰り返さないため、学校とは密に連携を取らせてもらいました。・4月にだいたいの状況を共有、その後は問題起きる度に報告、相談・5月から毎月末に定例会議・夏休み前の会議・毎週行った運動会の調整と終了後の反省会・音楽会の調整と終了後の反省会ただ、こう対策したからといってすぐに改善したわけではありません。運動会や音楽会での娘は微動だにしませんでした。見ている側もつらかったですが、本人もつらかったと思います。Upload By ユーザー体験談ですが、協力頂いた先生方に感謝をするとともに、先生と密にコミュニケーションをとった自分を褒めたい、と思うくらいやれることはやったと思います。それ以外にも子どもたちに接する機会を増やすため登下校などはできるだけ顔を出し、会話の輪に入ったり、また、困ったことがあれば子ども達に相談してみたりしました。たくさんの経験を積んで、笑って動いていって!現在15歳の娘は、真面目でゆとりがなく、いつも張り詰めてるのに不器用という性格です。おでかけはできるようになりましたが、緊張や不安から予定3日前になるとキレ気味になり、おでかけ後は3日間寝込みます。母としては娘にはあまり緊張しすぎず、失敗にもくじけず、たくさんの経験を積んで、笑って動いて行ってほしいと思います。働く頃に少しは耐性がついていればいいな……そのために母はできる限りサポートをしていきたいと思っています。イラスト/マミヤエピソード参考/いこま(監修:藤井先生より)事前のお約束などを行い、見通しを立てて不安を軽減することを、先生方を密に連携されていたご経験のコラムをありがとうございます。やれることはやった、とても素晴らしいと思いました。15歳になられ、お出かけもできるようになられたようですが、緊張や不安が強すぎて、体調を崩す様子もあるようですね。娘さんがご自身の心身の体調をどのように感じているかにもよりますが、医療機関などに相談して、体に不調を来さない程度に不安や緊張が和らぐ術が見つかると良いと思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年10月26日私は4歳と2歳の男の子を育てています。長男には幼稚園で仲良くしている男の子が2人いるのですが、3人が集まるといつもいたずらが始まるのです。幼稚園の授業では、3人が別々のグループになるように担当の先生が工夫しているほど。ある日、仲良くしている男の子のママ友から3人の衝撃事実を聞いて私はショッを受けました。そして、担当の先生に相談すると……。 ママ友から聞いた衝撃の話ある日、ママ友から「うちの子と○○と○○(長男の名前)が学校で、ズボンとパンツを下ろしておしりを出して遊んでたらしいよ」と衝撃発言がありました。 私は驚いてママ友に誰から聞いたのか確認したら、ある男の子が直接ママ友に話してきたらしいのです。長男は何も言わないし、私が聞いてもはっきりとしたことがわかりません。 個人面談で確認すると…ちょうど幼稚園で個人面談があったので、担当の先生に長男の様子を聞いてみました。先生は「○○くん(長男)は遊びの延長だと思って友だちについていっているようです。友だちのマネをして遊ぶことは普通のこと。」と、おしりを出したことについては確かにやり過ぎだけれど、つい真似してしまっただけのようであると、問題視していない様子。 一方で、「悪いことをしたときはこちらで注意しているのですが、○○くんは二度三度注意しなければ聞かないところがあります」とのお話もありました。 その後、長男のことを教えてくれたママ友から個人面談がどうだったか聞かれたので、先生に言われたことを報告。 そして2人で「3歳か4歳の小さい子がすることとはいえ、おしりを出すような遊びは注意はしていこうね」と話しました。 長男は今回に限らず、好きなことや夢中になったことに突き進んでいくタイプです。先生に言われた、「何度も注意をしなければ聞かない」ところは直していけるといいなと思っており、私たち夫婦が教育していかなければと考えています。すべてをダメというのではなく、子どもの成長やペースを見守りながら、バランスよく、そして個性を尊重しつつ育児をしていけたらと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! イラスト/ふくふく著者:岩見 エリ
2023年10月26日こだわりその1。必ず「へーそうなんだ」と返さなければならない!ASD(自閉スペクトラム症)のあるわが家の長男あーは、アニメのキャラクターの図鑑が大好き(今でも)なんですが、文字が読めるようになった一時期、図鑑に載っているキャラクターの名前をあーが言うたびに、私が「へーそうなんだ」と返さなければならない遊びがブームでした。コミュニケーションが一方的だったあーが話しかけてくれた!とうれしくて、あーがキャラクターの名前を言った後に、うっかり「え、そのキャラのことあーくん好きなの?ママも好き!」などとほかの返しをしたらアウト。「なんでへーそうなんだって言ってくれないんだよ!」と怒り狂います……。そう、コミュニケーションが取れるのかも!はぬか喜びで、実際は他人を巻き込んだ壮大な1人遊びだったんですね……とほほ。Upload By よいここだわりその2。車に乗る時の儀式が多すぎる!Upload By よいこ幼稚園の頃は車に乗るのも大変でした。「車に乗るため」にこなさなければならない儀式が多いのです。……意味が分からないですよね、ご説明します。まず、シートベルトは絶対に自分でしなければならない。それまでエンジンはかけてはいけないので(かけたら怒られます)、特に夏の場合は、手間取っていると車内の温度がめっちゃ高くなり暑い。つらい。そのあとDVDをつけるのですが、日本のアニメでも字幕を出さなければいけない。音声は日本語に設定しなければいけない。その設定を終えるまでは出発してはいけない……!(ああ、自分で書き連ねていてめまいがしてきた……!)こだわりその3。幼稚園ではいつも「決まった友達」と帰る!Upload By よいこもちろん、幼稚園でのこだわりもあります。あーは、毎日一緒に帰るお友達が決まっていて、絶対その子と帰ると決めていました。でも、その子と仲がいいわけでも、遊ぶわけでもないんです。ただ一緒に帰る、そう決めていただけなんです。あーが勝手に。だからその子もあーも黙って歩く……。 いつもその子にもお母さんにも申し訳ない気持ちでした。そして、その子が事情があって先に帰るとか、幼稚園をお休みした場合は大パニックです。先に帰ったその子を追いかけて路上に飛び出したこともあったし、その子が休みの日は雨の中路上で大泣きされて、道端で15分とかたたずんだこともありましたね……(遠い目)。「こだわり」はASDの特性と分かってはいるけれど……ASDのある子どもを育てていると、「他人と自分を傷つけなければオッケー、できないことは大目に見よう、できることに注目しよう!」なんてことをよく聞きます。でもね、毎回毎回そうも言ってられないというか……。たとえ他人を傷つけなくても、迷惑をかけてしまうことはあるし、母親も人間なので、「悪気はない、これがこの子の特性なんだ」と分かっていても、我慢の限界っていうものは当然あるわけで……。そこをやすやすと超えてくる場合どうしたらいいんでしょうかね!?(地団駄)12歳の今も、「こだわり」は形を変えながら継続中今回は幼稚園の頃のあーのこだわりエピソードを紹介しましたが、12歳の今もこだわりは強いです。ただし、こだわりは移り変わります。今のこだわりは、自分の好きなキャラクターの名前やアニメのタイトルをぎっしり書き連ねた自由帳をどこにでも持って行く、アニメのDVDが大好きで、何かに急かされるかのように毎週DVDレンタルショップに足を運ばなければならない(レンタルショップが少しずつ減っている昨今、近所のお店が閉店してしまったらどうしようと心配している母です)、登校時絶対に弟より先に靴を履く、など……。書いているだけで疲れます……。今回コラムを執筆するにあたり、思い返す作業をしていたのですが、あの頃はあんなに大変だったのに今となってはちょっと懐かしい気持ちすらある。12歳の今のこだわりに相も変わらず頭を悩ませている母ですが、いつかは懐かしめる未来が来るんですかね……(涙)。執筆/よいこ(監修:初川先生より)あーくん幼稚園時代のこだわりの歴史のシェアをありがとうございます。こだわりは特性によるもの、悪気はないと理解していても、なかなかこだわりを守れない状況(お友達がお休みなどはそういう状況ですね)も時にはあるわけで、もう少し何とかならないのかとじれったく思われるのも自然なことと感じます。最初の、「へーそうなんだ」で返さなければならないこだわり、とても興味深く感じました。相手を巻き込んでいるといえばそうではありますが、ただ、自分が話して相手の反応を得て安心したいということ自体は、コミュニケーションの土台の一段階ではあるのだろうなと感じました。最後に書かれていた、今は過去のこだわりをちょっと懐かしく感じる、こだわりは移り変わること。今という時の行き詰まり感、ずっとこのままなのではと不安になっている方にとっては淡く明るい兆しではありますね(とはいえ、今には今の悩ましさもあるということで、一筋縄ではいかないのだなという気配もそれはそれで大事な先達の声だと感じます)。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年10月26日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向がありました。幼稚園に通い出すと、次男の担任から医療センター行くよう告げられ、さらに長男も園から発達医療をすすめられ困惑。幼稚園の指導により、長男の就学のため小学校の支援級の見学や知能検査を受けますが、結果は普通級。長男の検査が終わるや次男の検査を急かされ、兄弟で診察を受けに児童発達センターへ。医師からの助言を受け、息子の育て方に悩んでいた心が少し救われます。長男はADHD、次男は多動という診断を幼稚園に伝えると、手柄と言わんばかりの園長の態度に、これまでの性急な指示は園長によるものと合点がいくのでした。新たな面談で次男の担任から園外療育の提案を受け、ちょうど療育を増やしたいと思っていたので願ってもない案だったのですがーー。幼稚園のお迎えで、ゆーとぴあさんは次男の担任から急きょ面談を打診されます。先生によると、療育の時間が短いけれど、次男にはじっくり療育の時間が取れる「並行通園」はどうかという提案でした。ゆーとぴあさんは急な方向転換に戸惑いを隠せません。 希望していなかった並行通園だけど、恩恵はいろいろあってーー 1週間の中で幼稚園と療育園の通う日を決めて両方の園に行く「並行通園」。最初の提案からは内容が大きく異なりますが、次男を思えばしっかりとした療育を受けられることは望むところ。見学をしたうえで、新年度から週の前半は療育園、後半は幼稚園に通うことにしました。 2020年4月、コロナ禍の中、長男は小学校に入学。年中の次男も療育が始まるため、入園式がありました。しかし、コロナ禍の影響で、長男の小学校は5月まで休校。幼稚園は自由登園だったものの、事実上の休園という状況に。幼稚園からは全日療育園に通うよう指導されますが、ゆーとぴあさんにとっては長男の面倒をみるだけで済むため、ありがたいことでした。 療育園ではおこなうことがすべて可視化され、園児の支援が手厚く、個別の部屋があり集中できたり、給食は個別に好き嫌いや量、切り方に至るまで把握されているという徹底ぶりに驚くゆーとぴあさん。すべてに配慮が行き届き、先生は常に忙しそうですが、やさしくてにこやかでした。次男も何をやるかがわかってくるようになり、このまま幼稚園を退園して療育園に切り替えてもいいと思うほどでしたが、6月になり自由登園に。コロナ休園が明けてまた幼稚園が再開するのですがーー。 ◇◇◇ 幼稚園と療育園の両方に通う並行通園を始めてすぐにコロナ禍に突入。予想外の全日療育園という事態になりますが、小学校は休校となり兄弟のうち長男のみ面倒をみればよいので、ゆーとぴあさんにとっては好都合でした。さらに療育園は園児が迷うことなく過ごせるよう支援や配慮が行き届いていることに感動します。次男も慣れてきているようでこのまま療育園に切り替えてもいいと思うほどですが、休園が明け、本来の並行通園へ。幼稚園が再開したときにスムーズに戻れるかを心配していたゆーとぴあさんでしたが、さてどうなるでしょうか?ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年10月21日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向がありました。幼稚園に通い出すと、次男の担任の先生から発達医療センターへ行くよう告げられ、同時期に長男も幼稚園から発達医療をすすめられ困惑。長男の就学のため小学校の特別支援級の見学や知能検査を受けますが、普通級という結果に。悩んだ末に支援級も覚悟していただけに複雑な感情に。長男の検査が終わるとすぐに次男の検査を急かされ、兄弟で病院の診察を受けに児童発達センターへ。医師から的確な助言を受け、次男の育て方に悩んでいた心が少し救われます。後日、長男はADHD、次男は多動という診断結果を幼稚園に伝えると、自分の手柄と言わんばかりの園長の様子に、これまでの幼稚園からの性急な指示は園長によるものと腑に落ちると同時にモヤモヤも抱えるのでした。医師の診断報告の面談後、また面談を組まれて幼稚園に出向いたゆーとぴあさん。次男の担任から療育状況を尋ねられ、病院のリハビリのみと答えると、担任はもう少し療育を増やしたほうがいいと思っており、近くの療育園で午後の療育があるので利用しないかとすすめてくれました。ちょうど療育を増やしたいと思っていたところだったゆーとぴあさんはその提案を喜びますが、面談後担任の先生は園長から叱責を受けます。どうやら園長の意図は違ったようでーー。 また面談? え、前回の提案と全然違う… 息子のお迎えに行くと、次男の担任からまたしても面談をしたいと言われたゆーとぴあさん。この前の面談で訂正したいことがあると告げられます。そこで、午後だけの療育だと短時間になってしまうので、次男には長時間しっかりした療育が受けられる療育園と幼稚園の並行通園はどうかと提案されるのでした。 並行通園という聞き慣れない言葉を思わずつぶやくゆーとぴあさんに担任は、1週間の中で幼稚園と療育園の通う日を決めて両方の園に行くことだと説明します。最初の、幼稚園が終わった午後に療育園に行くという提案からの急な方向転換に戸惑いを隠せないゆーとぴあさんは、担任の背後で操作しているであろう園長からの指示を感じずにはいられませんでした。 ◇◇◇ 前回の提案を撤回し、並行通園というあまり聞き慣れない通園方法を提案してきた幼稚園。次男の療育について、いろいろな提案をしてくれるのはうれしいことですが、それであれば最初に2つの方法をいっしょに紹介して、どちらにするかの検討時間も欲しかったですよね。ゆーとぴあさんはどちらを選ぶのでしょうか?次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年10月20日私にはある悩みがありました。それは日々、増え続ける子どもたちの製作物についてです。0歳のころから家や児童館で製作した作品の保管場所が徐々になくなり、あふれ返ってしまうように。そこで私は、自己判断で「もうこれはいらないかな」と思った物は処分することにしました。しかし、その私の判断で後悔することに……。 幼稚園でも増え続ける製作物現在、子どもたちは6歳と3歳に。年長の息子と年少の娘で、2人とも幼稚園に通っています。幼稚園でもまた、毎日のようにお絵かきや製作をし、作品を家に持って帰ってきます。息子は最近ひらがなが書けるようになり、自分の名前を書いた紙を得意げに見せてくれます。 また、娘は絵を描くのが好きなよう。どの作品も本当に愛おしいですが、保管スペースは限られています。私は子どもたちが見ていないタイミングで、いつも作品を整理していました。 息子に尋ねられて後悔!あるとき、息子から「僕が初めて描いた絵はどんなものだったかな?」と聞かれました。しかし、それはもう処分してしまっていたのです。私はとても後悔しました。 息子には「ママがなくしてしまったよ。ごめんなさい……」と謝罪。そのときの息子の残念そうな顔が忘れられません。 とはいえ、すべての作品を保管しておくことは無理があります。そこで私は、作品を子どもたちと一緒にスマートフォンのカメラで写真に撮るようにしました。 写真は印刷をせず、データ保存なので保管場所を取る必要がありません。また、何歳のときに製作した作品なのか、写真を一目見るだけでわかるので、簡単に思い出を振り返ることもできるのです。今後もこのようにして、子どもたちの作品をたくさん保存していこうと思います。 作画/キヨ著者:都 うめこ
2023年10月20日VISH株式会社(所在地:愛知県名古屋市、代表取締役:田淵 浩之)は、幼稚園・保育園・認定こども園の園業務負担軽減を支援するICTツール「園支援システム+バスキャッチ」を導入した学校法人片柳学園 片柳幼稚園(所在地:埼玉県さいたま市、理事長:橋本 義)の導入事例インタビューを2023年10月20日に無料公開したことをお知らせします。導入事例記事全文はこちら: 理事長・橋本 義様(左)と園長・橋本 道子様(右)【幼稚園基本情報】・1963年設立・園児数合計270名年少・年中・年長の各学年3クラス・教職員は合計31名・バスは3台で9コース運行・2019年9月より「園支援システム+バスキャッチ」を導入【導入前の状況】・導入前、保護者への連絡はメール配信システムを使っていた・欠席の連絡は朝、保護者から電話をしていただいて、ノートに書いて、クラス担任はそのノートを見て欠席者の確認をしていた・預かり保育の申し込みは園にノートを置いておき、送り迎えなどの際に保護者に記入していただいていた・預かり保育料は園でチケットを作成して、それを事前に現金で購入していただいていた【導入のきっかけ】・2019年10月1日から「幼児教育の無償化」がスタート・預かり保育管理のシステム化を検討していた【導入の決め手】・一番はこちらが必要としている機能をすべて持っていたこと。そして、導入しやすい金額・比較検討したシステムの中にはイニシャルコストで70万円、さらに高額なランニングコストが必要、というものもあった(「園支援システム+バスキャッチ」は初期費用:無料から、月額費用:9,000円から)・「園支援システム+バスキャッチ」は園児数に関係なく、一定の金額設定【導入効果】1. 朝7時30分ころから鳴り始める欠席連絡の電話が、ほとんど鳴らなくなった。保護者の利便性も高まった2. 預かり保育の集計がかなり便利になった。自動で請求に反映される。手作業で行うことは、いまでは想像できない3. 指導要録の「学籍に関する記録」は子どもたちのデータが自動反映。「指導及び保育に関する記録」の作成はしやすくなっている4. 未就園児の段階から保護者にアプリを入れてもらい、利便性を知っていただくことで、当園への入園にもつながっている5. お便りは、先生たちからの紙で見て欲しいという声、保護者からの紙でも欲しいという声にお応えして、紙とPDFのハイブリッド【今後の活用について】・用品注文を活用して、園のキャッシュレス化を進めていきたい【園支援システム+バスキャッチについて】2010年にリリースされた「園支援システム+バスキャッチ」は、園バス運行情報、園児管理を中心に、保護者の連絡手段のデジタル化、教職員の働き方改革に寄与する低価格なクラウドサービスです。2023年10月時点で、全国で2,300以上の幼稚園・保育園・認定こども園で利用されています(解約・閉園除く)。園支援システム公式サイト: 【会社概要】会社名 : VISH株式会社(ヴィッシュ株式会社)所在地 : 愛知県名古屋市中区錦二丁目10番13号 SC錦ANNEX5F設立 : 2004年12月資本金 : 11,500,000円代表者 : 代表取締役 田淵 浩之企業サイト: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年10月20日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向がありました。次男は保育センターの親子教室などに自主的に参加して幼稚園に備え、入園当初こそ不安があったものの、すぐに幼稚園に慣れてひと安心。しかし、次男の担任の先生から発達医療センターに行くように告げられ、長男もほぼ同時期に発達医療をすすめられて困惑します。通っている幼稚園のママ友に相談すると、園長は支援級をすぐにすすめることで有名と知りました。長男の就学のため小学校の特別支援級を見学し、知能検査を受けた結果、普通級という結果に。支援級の覚悟も持っていたゆーとぴあさんは複雑な感情に。長男の検査が終わったと思ったらすぐに次男の検査のため、兄弟で病院の診察をすすめられ児童発達センターへ。医師の冷静で的確な言葉に驚き、次男の育て方に悩んでいた心が少し救われたのでした。児童発達センターの診察を受けて、幼稚園へ報告の面談に出向いたゆーとぴあさん。園長に診断を聞かれ、長男がADHD、次男が多動と答えると「やっぱり思った通り!」と、さも自分の手柄のように誇らしげ。その様子をみて、長男と次男の病院の検査や見学などの指示は担任ではなく園長によるものだったと気づくのでした。園長は発達障害について勉強しており、園の図書室に私物の関連書籍を入れるなどの積極的な面がある一方で、親の気持ちに寄り添ってはくれずーー。 次男の療育を増やしたいと思っていたのでうれしい提案! ※OT(作業療法):手の運動や細かな動作が苦手な子どもに対して、手指の動かし方など日常的に必要な動作ができるよう練習、作業活動を通した支援をおこなう。 ※ST(言語療法):言語療法士により、「食べる」「聞く」「話す」支援をおこなう。会話やコミュニケーション方法、聞こえなどの練習のほか、摂食や嚥下の訓練などもおこなう。 幼稚園の職員室にて。園長が次男の担任にゆーとぴあさんへの新たな面談を促し、日程が組まれました。 ゆーとぴあさんは最近面談が多いと思いつつ、今度は何の話だろうと臨むと、担任の先生が次男の療育でのリハビリ状況について尋ねてきました。現在は病院でのリハビリのみと答えると、担任はもっと療育を増やしたほうがいいと言い、近くの療育園で幼稚園児対象の午後の療育が始まるので利用しないかと提案してくれました。 療育を増やしたいと思っていたゆーとぴあさんは、幼稚園のあとに行けるという好条件に、ぜひやってみたいと答えます。担任もゆーとぴあさんが幼稚園の提案を受け入れてくれてひと安心しているところへ、園長が面談後の様子を確認。担任が先ほどの内容を伝えたところーー。 「は? 私の言ったことと違うじゃない! そっちの案じゃないわよ!」すごい剣幕で担任を叱責。担任の伝言はどうやら園長の考えていたものとは違っていたようで、再度面談をして訂正するように指示をするのでした。一体何が違ったのでしょうか? ◇◇◇ 現在、次男の療育は病院のリハビリのみだったので、療育を増やしたいと思っていたゆーとぴあさんにとって、幼稚園が終わってから行ける療育は願ってもない提案でした。しかし、その提案は園長が考えていたものとは違っていたようです。園長の発達障害についての勉強熱心なところはいいのですが、ゆーとぴあさんの気持ちに沿ったものであることを願いたいですね。次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年10月19日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向がありました。次男は保育センターの親子教室などに自主的に参加して幼稚園に備え、入園当初こそ不安があったものの、すぐに幼稚園に慣れてひと安心。しかし、次男の担任の先生から発達医療センターに行くように告げられ、長男もほぼ同時期に発達医療をすすめられて困惑します。ママ友から通っている幼稚園の園長は支援級をすぐにすすめることで有名と聞かされたゆーとぴあさん。長男の就学のため小学校の特別支援級を見学し、知能検査を受けた結果、普通級という結果に。支援級の覚悟も持っていたゆーとぴあさんは複雑な感情に。長男の検査が終わったと思ったらすぐに次男の検査のため兄弟で病院の診察をすすめられ、2人を連れて児童発達センターへ向かいました。診察を受けて医師にすぐに兄弟それぞれの性質とその対応方法についての助言をもらい、驚くゆーとぴあさん。発達障害は6割は遺伝だと話し、長男と母親(ゆーとぴあさん)はADHDで薬の服用で楽になるだろうとのこと。次男と父親は多動の可能性があり、多動は一定の年齢を過ぎると収まるので大丈夫と言ってくれました。自分は多動でないことから次男の育て方に行き詰まっていましたが、「多動の子は将来働き者」というこの言葉に力をもらったのでした。 「だから言ったじゃないですか」え、そこって大事? ※adhd→ADHD(一般的には大文字で表記されます) 児童発達センターでの診察が終わるとすぐに実施された幼稚園での面談。長男がADHD、次男が多動性障害と診断を受けたことを報告し、ゆーとぴあさんが多動の子は将来働き者になるとの言葉に救われたことも伝えます。しかし、園長は話を最後まで聞くことなく、やっぱり自分の言った通りだと得意げに担任の先生に話していました。 「だから言ったじゃないですかー」病院からの診断結果を受けて、さも自分の手柄のように話している園長を見て違和感を覚えますが、一方で長男と次男それぞれの担任からの報告、病院や検査報告を急かしてくることにずっと疑問がありました。その急ぐ理由が園長からの指示だったことに合点がいきました。 ある日、幼稚園の図書ルームにてPTAの仕事である本の整理をしていたゆーとぴあさん。これまで見かけたことのない本を見つけます。それは園児向けではなく、保護者が読むための発達障害の本でした。そこへ園長がやってきて、その本を入れたのは自分であることと、本が私物であることを話してきました。 さらに園長は自身が発達障害について勉強していることや、発達障害の子が最近増えていること、研究や考え方も変わっていることを話した上で、ひと言、「ゆーとぴあさんも読んでくださいね」はいと答えましたが、言われなくともずっと前から発達障害の本や情報を探し続けているゆーとぴあさんは、またもモヤモヤを抱えるのでした。 ◇◇◇ 病院の診察報告のための面談に幼稚園へ出向いたゆーとぴあさんでしたが、園長は兄弟の診断結果が自分の見たてと合っていることを手柄のように話すことに違和感を覚えます。幼稚園が早めに気づいて専門機関への受診をするように指導をおこなうことも大事ですが、もっと大事なのは医師の助言に救われたように、ゆーとぴあさんの気持ちに寄り添ってあげることではないでしょうか。ママの不安な気持ちにも耳を傾けてほしかったですよね。次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年10月18日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受け、次男は多動傾向がありました。次男は保育センターの親子教室などに自主的に参加して幼稚園に備え、入園当初こそ不安があったものの、すぐに幼稚園に慣れてひと安心。しかし、次男の担任の先生から発達医療センターに行くように告げられ、長男もほぼ同時期に発達医療をすすめられて困惑します。ママ友から通っている幼稚園の園長は支援級をすぐにすすめることで有名と聞かされたゆーとぴあさん。長男の就学のため小学校の特別支援級を見学し、ウィスク検査(IQテスト)を受けた結果、普通級という結果に。支援級の覚悟も持っていたゆーとぴあさんは複雑な感情に。長男の検査が終わったと思ったらすぐに次男の検査のため、兄弟で病院の診察予約をすすめられました。兄弟2人を連れて児童発達センターへやってきたゆーとぴあさん。診察室に入ると次男はじっとしてられず自由に動きまわり、長男はルールを守らなくても次男が許されることにイライラしています。それを見ていた医師は、2人の対応について的確な助言をゆーとぴあさんにかけてくれました。また、長男に注意不足の傾向があり自分自身もそうであると伝えると、発達障害は遺伝であることが多いと言い、2人ともADHDの可能性があり薬を飲むことですっきりすると教えてくれます。そしてなんと医師自身もADHDだと明かしてくれました。 まさか夫のことを聞かれるとは思わなかったーー 次に次男の様子を尋ねられたゆーとぴあさん。多動がひどいこと、家にいても出ていってしまうため目が離せないこと、自分が多動でないことから次男の気持ちがわからず、育て方に困っていると暗い表情で答えます。 「旦那さんはどんな感じですか?」夫のことを聞かれたのが予想外だったのか、一瞬間を置いてから口うるさいけれど働き者で家事も手伝ってくれ仕事もテキパキこなし、片づけるのが苦手なゆーとぴあさんは助かっていると答えました。 すると医師はなるほどと相づちを打ち、多分夫は多動で次男は夫に似たのだと言い、多動は一定の年齢を過ぎるとだんだんと収まるので大丈夫と教えてくれました。「多動の人は働き者なんです。だから次男くんも将来働き者になって、お母さんを助けてくれると思いますよ」 その言葉にこれまでの苦悩やつらい思い、そして報われた思いが重なり合って涙があふれます。「多動の子は働き者」この言葉がゆーとぴあさんの心の支えとなったのでした。 ◇◇◇ 同じ兄弟の発達障害でも、長男はゆーとぴあさんの性質を受け継いでいるため、子どもの気持ちにも寄り添いやすい面がありましたが、次男の多動については理解が追いつかないと告げました。その次男は家事や片付けが得意な夫の性質を受け継いでいる可能性があり、多動は一定の年齢を過ぎれば収まってくると言う医師。多動の次男は働き者となって将来お母さんを助けてくれるとの言葉に、他人はもちろん家族にも本音を吐き出せなかったゆーとぴあさんの心のこわばりが少し緩みました。これでまた歩み出せるといいですよね。次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年10月17日私は夫と娘の3人家族。娘は4歳の幼稚園の年少です。年少も終わりに差しかかった2月。娘がささいなことでかんしゃくを起こして大泣きするようになりました。いつもと何か様子が違うことはわかるものの、理由がわからずに夫と私は困惑。娘が話した思いがけない理由とは……? 娘がかんしゃくを起こす意外な理由! 娘のかんしゃくがだんだんと激しくなり、夫も私も疲れ切っていたある日のこと。週末に家から少し離れた大きい公園に家族で遊びに行きました。その日の娘は頑なに、ひとりで遊ぶと言い、なんだか怒った様子。そのうち、ひとりで登れない遊具で困っていたので夫が手助けしようとしたところ、「来ないで!」と怒って泣き出してしまいました。その後、怒ってばかりの娘を夫が強めに叱ったところ、娘は公園の真ん中で大号泣。楽しいはずのおでかけが散々なものになってしまったのです。 その夜、夫は公園で娘を叱ったことを大反省。夫婦で話し合い、今後は何があっても娘を否定せずに、気持ちに寄り添っていくことを決めました。その結果、徐々に娘が本音を話してくれるように。娘の心が不安定になっていた理由は「年中さんになるのが怖い」というもの。娘は元々繊細でちょっとした変化も不安に感じるタイプ。親や先生の口から「年中さん」というワードが出るたびに不安を募らせていたのだと思います。 その後は、進級してからの楽しみを話したり、「どうして不安に感じるのかな?」と不安の原因を一緒に考えたりしました。担任の先生にも共有し、娘に「年中さんになっても先生はいるよ」と話してもらうことで、娘は徐々に年中に上がることを受け入れたようです。 あのとき娘の本心に気づかず、目の前の行動だけを見て叱っていたら、かんしゃくはもっとひどくなっていたかもしれません。かんしゃくはSOSのサイン。繊細な娘に疲れることもありますが、なるべく気持ちに寄り添っていきたいと思った経験でした。 作画/mosu著者:佐藤ななみ
2023年10月17日初めての出産を控え、いつ生まれるんだろうとドキドキの毎日。しかし、正期産の時期を前に頻繁に起こるおなかの張りにより、医師に自宅安静を言い渡されました。そして妊娠36週に生まれてしまい、早産だった息子に対し、人一倍気を遣って過ごしていたころのお話です。2,200gで生まれた息子おなかの中ですくすくと育っていく息子。愛しくて仕方がなく、エコー写真を見ては「早く会いたいなあ」と思っていました。しかし妊娠後期から頻繁におなかが張るようになり、妊娠35週には出血もあったため、医師から自宅安静の指示が。 結局妊娠36週に早産児として生まれた息子は、体重2,200g程度の低出生体重児でした。息子が生まれた直後から助産師さんや担当の医師が、慌ただしくしていたのを覚えています。 罪悪感からひとりで無理をしていた毎日周りの子と比べるのはよくないと思いつつも、小さい息子を抱っこしては、正期産の時期に産めなかった自分を責め、息子に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 退院後、ネットで早産児は病気にかかりやすかったり、発達が遅れたりするかもしれないリスクがあるという情報を目にした私は、「この子を大きくできるのは私だけだ、病気にかからないようにしなければ」という気持ちに。 常に健康状態を気にしたり、授乳回数を増やしたりと自分だけで毎日頑張っていました。しかし産後のボロボロな体と、夜間授乳などでの寝不足も重なって、そのころの私は心身ともに疲れ果てていました。 元気に成長していく息子に私は……夫や友だちから少し頑張りすぎだと言われても聞く耳を持たなかった私。一方で息子は生後3カ月のころには首もすわり、体もぽっちゃりと赤ちゃんらしくなってきて、あやしたりするとよく笑うようになりました。そして生後6カ月にもなると寝返りや、ひとりで座ることもできるように。 そんな成長する息子の姿を見て、私は早産児だろうとこの子はこの子なりにちゃんと成長しているじゃないか、とだんだん思うようになったのです。それからは、周りの助けも借りて、ひとりで無理をするのをやめるようになりました。 現在では、息子も背は少し小さいものの、元気な幼稚園児になりました。今だからこそ言えることですが、早産児だからと母親が責任を感じ頑張りすぎるのではなく、もっと子どもの成長を信じて育児をすればよかったと思います。これからもこの子なりの成長を見守って、一緒に成長していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:竹の内 由紀5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2023年10月17日初めての場所や同じ場所に留まることが苦手な息子にとって、行事は鬼門現在7歳の息子は、4歳で自閉スペクトラム症、軽度知的障害と診断を受けています。見通し不安があり、初めての場所や同じ場所に長い時間留まることが苦手です。入園時まだ発語がなく、特性が今よりも強く出ていた息子は、園からも配慮が必要と判断されたため、まずは週3回、午前中のみ登園するスタイルで幼稚園に慣れることを最優先していました。そんな状態でしたので、行事の時は私が息子の近くにつきそった形で参加するようにしていたのですが、夏祭りでは大パニックになってしまいました。息子の笑顔が1秒もない夏祭り。母が抱っこして盆踊りの輪に入ったら……夏祭りは夕方から行われる行事です。園庭の真ん中にやぐらを組み、周りに先生たちや保護者が運営する屋台があるという形式でした。盆踊りを園児全員で踊ったり、年長さんの出し物の時間もありました。先生たちからは「できる範囲で参加しましょう」と最初から提案されていたので、息子は私に抱っこされた状態でお祭りに参加することになりました。それでも、いつもの幼稚園と違う様子、次に何が起きるのか分らない状況は、息子にとってはストレスでしかなかったのだと思います。息子が笑顔になることは1秒もなく、常に帰りたそうな表情です。Upload By ユーザー体験談そして、ついに息子が参加する盆踊りの時間がやってきました。本来は子どもだけで踊るのですが、息子は私に抱っこされた状態で盆踊りの輪に入りました。ですが、息子は輪に入るや否や、大泣き!私の腕の中でえびぞり状態で暴れて大号泣するのです。その大音量に周りの目が気になりながらも、全身で参加を拒否する息子を何とかなだめなければと私は大焦りでした。Upload By ユーザー体験談集合写真にはえびぞりで大号泣の息子。「もう夏祭りなんてやりたくない!」えびぞり状態の息子を抱えながら、私は「やっぱりだめだったか……」と思っていました。ある程度予想はしてはいました。すぐ横にいてくれた補助の先生が抱っこを代わってくれたりしたのですが、それでも泣き止みません。おそらく、夏祭りが何なのか分かっていなかったこと、暑さと大きな音、そしてコロナ禍前だったので園庭に全園児と全保護者で人がいっぱいだったこと……、自分の知っている幼稚園の風景ではなくて、パニックになったんだと思います。クラスの集合写真では、補助の先生に抱っこされ、えびぞりで大号泣の姿で写っています。大号泣している子どもは息子だけだったので、なんだか申し訳ない気持ちと、周りは何の問題もなさそうで羨ましいと思ってしまいました。これで物凄く疲弊した私は、(もう夏祭りなんてやりたくない!)とうしろ向きな気持ちで帰宅したのをよく覚えています。Upload By ユーザー体験談コロナ禍で減った行事は息子にとってプラスに!少しずつ幼稚園に慣らしていった結果、卒園式では?その後、半年も経たないうちにコロナ禍に入ったため、行事全てが大幅に縮小したり中止になりました。しかしそれは息子にとっては好都合でした。まず、行事そのものがなくなった期間があったので、普段の園生活を慣らすことに集中することができました。年中の一学期からは午前中まで、二学期からは給食まで、三学期はみんなと同じ降園時間で帰れるようになりました。すごい成長です。年中の二学期半ばくらいからは、縮小形式で行事は復活していきましたが、しばらくは密を避けるために、保護者の観覧なしでの開催でした。園児だけで行われた行事は、いつもの園の雰囲気に近いため、だんだんと息子も参加することができるようになりました。年長の運動会あたりから、人数制限ありで保護者観覧もOKになりましたが、私のつき添いなしで、お遊戯もかけっこも元気いっぱいこなすことができていました。そして、卒園式では一人で立派に卒園証書をうけとり、一度も泣かずに参加できたのです。その成長に、私は先生と一緒にたくさん泣きました。Upload By ユーザー体験談小学生になった今は「行事に参加しなくても良い」を前提に考えています!小学生になってからも、補助の先生のつき添いをつけていただいたり、先の見通しをつけるため、一日のスケジュール表をつくって事前確認したりと学校で配慮していただいて行事に参加できています。でも今の私は、行事に関して「参加しなくても良い」を前提として考えるようになりました。息子も成長し、行事に参加することができるようになりました。ですが、年齢と共に精神的に成長し、以前より頑張れるようになっただけに過ぎず、息子に大きなストレスがかかっていることに変わりはありません。頑張り過ぎて疲弊してしまうのか、行事の翌日は行き渋りが出ることがあるため、今でも行事参加は慎重になっています。昔は「行事には参加したほうがいいのでは……」と悩んだ時期もありましたが、今は参加するしないについて深く考え過ぎないようにしています。行事に参加できなくても学校生活に支障はないと今までの経験で分かったからです。今後、息子には行事よりも普段の学校生活の中での楽しみをたくさん発見していってもらいたいです。ゆっくりとマイペースで成長していければいいなと思います。イラスト/SAKURAエピソード参考/ヒラリ(監修:鈴木先生)ASDのお子さんに限らず、初めての行事は誰でも不安がつきまといます。私は、それを打開する一つの方法として、事前にどんなことをするのか昨年のVTRがあれば見せてあげることをお勧めしています。入学式・発表会・運動会・授業参観等々に対してです。できれば少人数から始めて徐々に親離れしていく方法が理想ですが、なかなかそうはいきません。スモールステップで少しずつできたら褒めてあげましょう。先の見通しができない場合は写真や絵で経過を示すことも重要です。一つひとつ終わったらその写真や絵をはがしていくのです。学校の時間割でも同様に、机の上に1時間目〇〇、2時間目□□、と書いてあるのを貼って、授業が終わったらはがしていけばいいのです。無理やり参加させるのではなく本人がやりたくなったら徐々に参加させてあげればいいのです。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2023年10月17日土地勘もなく誰も知り合いがいない夫の地元での初めての子育て。幼稚園の雰囲気や評判など地元民ならではの情報もなく、ネットで検索してもわかりにくいものが多かったので、何から始めればいいのかとても不安でした。そんな中でとても役に立ったのは、子育て支援センターなどで知り合ったママたちからの情報でした。 ママとのつながりを作る知り合いがいない場所での子育てはとても孤独で、誰かと子育てについて話したいと思い、娘が生後半年ころから子育て支援センターに行くようになりました。はじめは緊張してうまく話せませんでしたが、みなさん和気あいあいとした雰囲気ですぐに溶け込むことができました。 その後、子どもたちが1歳を過ぎるころになると、幼稚園の話がちらほら出るように。そこで、情報通なママや幼稚園に通っている上の子どもがいるママに、1号・2号・3号の意味や優先枠のことを教えてもらったのです。 ママ情報は超有益それからは、ネット情報やママたちの情報を基に通わせたい幼稚園を絞っていきました。いくつか魅力的な幼稚園がありましたが、いいなと思う幼稚園でも実際に通っているママなどの話を聞くと、給食やバス送迎がない、幼稚園の教育方針が合わないなどという話を聞き、なるほどと思いながら候補から外していきました。 そして、候補の幼稚園のサークルに入っていると入園に有利かもとの情報や、幼稚園の教室に通うことで優先枠に入れるとの情報をもらい、すぐに入会申し込みをしました。ネットでは入園に関する情報が少ないので、センターで会うママや、近所の公園で遊んでいるときにたまたま話したママたちからのリアルな情報は本当にありがたかったです。 入園は運? 願書提出後は祈るのみ意味はないかもと思いつつ、第1希望の入園願書提出日は受付時間が始まるとすぐに提出し、抽選になったら当たりますようにと願って連絡を待ちました。また、保険として第2希望の園にも願書を提出していたので、どちらかには入れるだろうと思い不安は少なかったと思います。 その後、入園したい旨を強く訴えて願書を提出したのがよかったのか、サークルに入っていたからかはわかりませんが、無事第1希望の園に入園することができました。 知り合いのいない土地で、入園までの不安や焦りがありましたが、ママたちとのつながりがあったからこそ乗り越えられたと思います。ママたちと話をするときは、相手から情報をもらうだけでなく、何か情報を入手したときにはこちらからも伝えるようにしていたのもつながりを広げる役に立ったのかもしれません。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/miyuka著者:斎藤なおみ4歳のひとりっ子園児の母。知人のいない夫の地元で、義実家と敷地内同居をしながら子育てに励む。好きな言葉は「大丈夫」「しょうがない」。
2023年10月17日2人兄弟を育てるゆーとぴあさん。2歳児健診で長男は言葉が遅いと発達相談を受けます。次男は言葉の遅さに加えて多動傾向があるものの、健診では問題なしとの診断に納得がいかず、保育センターの親子教室などに自主的に参加して幼稚園に備えました。入園当初こそ不安要素がいっぱいの次男でしたがすぐに幼稚園に慣れ、ひと安心。しかし、担任の先生から問題行動の報告があり、発達医療センターに行くように言われ、長男もほぼ同時期に発達医療をすすめられて、就学のため小学校の特別支援級を見学。次に受けるウィスク検査(IQテスト)でほぼ決まるという長男の就学先は、普通級という結果に。すると園長は不服な様子で次は次男の検査をすすめてきてーー。病院から兄弟2人の診察予約が取れたという連絡が入り、次男の担任の先生に報告すると安心した様子。さらに診察結果はすぐに連絡するように伝えられました。予約も診察結果も頻繁に状況確認をしてくる幼稚園。何をそんなに急いでいるのでしょうか? 医師「僕もADHDなので」ーーえ、そうなんですか? ※adhd→ADHD(一般的には大文字で表記されます)※親がADHDの場合、その子どももADHDである可能性は非ADHDの親の場合と比べると5~10倍高いと言われています。親がADHDの場合、50~80%(平均70%)の確率で遺伝するという研究結果もありますが、ADHDは遺伝要因だけで発症するわけではなく、環境要因も組み合わさるとされています。 病院(児童発達センター)を予約してから半年、診察日に兄弟2人を連れて行ったゆーとぴあさん。1時間以上の待ち時間を経てようやく診察室へ。 じっとすることが苦手な次男はすぐに部屋から出てしまうので、スマホを見せようとすると、弟ばっかりズルいと長男。次男はそういう子だから仕方ないと言い聞かせますが、いつもガマンしている長男は納得いきません。結局、次男はプレイルームで待機。 その様子を見ていた医師が、長男は自分はルールを守るのに弟は許されることに矛盾を感じており、それが長男のかんしゃくの一因になる可能性もあるため、ルールは守ったほうがいいと言われます。 ほんの数分で兄弟の状況を見抜く医師に感動するゆーとぴあさん。他に何か困っていることはないかと聞かれ、忘れ物や落とし物など注意不足の傾向があり、自分自身がそうであるため、長男は遺伝かもしれないと思っていると伝えました。 「長男くんは多分ADHDで、ママもそうなんじゃないかなと思います」発達障害の6割は遺伝だと言われていると伝えられ、なんと医師自身もADHDだと聞きゆーとぴあさんは驚くのでした。 ◇◇◇ 幼稚園のすすめにより児童発達センターの診察を受けにきたゆーとぴあさん。兄弟2人を連れてくるのは大変でしたが、医師による兄弟それぞれの特性を見抜いた適切な言葉に感動します。これまで相談しづらかった悩みについて、この先生ならじっくりと耳を傾けてくれそうなので、いろいろ話せるといいですよね。 小児科専門医の松井先生によると、「多動傾向、注意欠陥等の症状は小児科外来でもよく見かけます。ご両親も似たような性格だと感じたり、ご自身もADHDだとおっしゃる方もいらっしゃいます。医師の中にもADHDの人がいて、そういう人は新しいことに積極的に取り組まれており、それはADHDの良い面でもあります。主人公のお子さんも大変なこともありますが、良い面もあることをみてあげることが大切です。周囲の人が困ってしまったり、本人もつらい思いをするのであれば、服薬するのもひとつの手段。それで楽になれば自己評価も高くなり、周りの方も安心するでしょう」とのこと。薬などの使用も選択肢に入れて、ゆーとぴあさん親子が少しでも楽になるといいですよね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。次の話ゆーとぴあさんの連載は、以下のサイトからもご確認いただけます。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ゆーとぴあ
2023年10月16日ヲタママだっていーじゃない!
ムスメちゃんとオコメちゃん
猫の手貸して~育児絵日記~