2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんの診断を受け、右胸の全摘と左太ももの組織を使って乳房の再建手術をおこなったこほこさん。術後の経過も良く、いよいよ職場復帰することになり……!?★前の話手術から2カ月。再建した右胸の傷口が壊死したりとトラブルはあったものの、体は順調に回復していました。術後すぐのころは右胸の感覚がなく、テープで胸のようなものをくっ付けられているような感じがしていました。しかしそれも時間がたつにつれて、体になじんできていました。左右の胸を比べたとき、左よりも右のほうがハリがあってやや固めなのですが、これは胸と太ももの脂肪の違いなのかな? と思っています。今は理想の胸の形をしているのですが、そのうち下垂してしまうのだそう。仕方ないとは思いつつも少し悲しい気持ちになりました。右腕は傷口が引きつる感覚があるものの、ほぼ垂直に腕を上げられるようになり包丁もしっかりと使えるようになっていました。日常生活にほぼ支障はなく、仕事も問題なくできそうでした。私は乳がんの告知を受けてから、手術で入院する直前まで仕事をしていました。約2カ月間休職していたのですが、退院後にメールをチェックしたりオンラインミーティングの様子を見たりと完全に仕事から離れることはしていませんでした。しかし、休み始めて1カ月くらいたったころから仕事の感覚が抜けてきてしまい、早く復帰しないと! と焦ってしまう気持ちもありました。焦る気持ちの半面、もう少し休みたいな〜と思うことがあったのですが、日中に1人で過ごしていると社会とのつながりがなくなってしまうのではないかと不安になったりもしました。ちょうど年度末から休職したので、上司の異動や新しい人が入ってきているとのことでした。知らない人に会うので、復職前日はドキドキしていました(笑)。復職の日は体調も良く、足取り軽く職場へと向かいました!おかし外交と称して、イラストを描いたシールを貼ったラスクを配り歩きました(笑)。年度が変わったということもあり、人の入れ替えや仕事の進め方も変わっていました。いろいろと追いつく前に会議の時間になってしまったのですが、ちょっと仕事をすると休職前にワープしたような感覚になっていました。ただ、体力が落ちたからなのか疲れはかなり感じやすかったです。めまいがすることもあり、1日おきに休みを取ったり、リモートワークにするなど焦らずに復帰すればよかったと思いました。復職から半年がたっても倦怠感を感じたり集中できない日があったりするのですが、調子良く働ける日が増えていっています。ー--------------こほこさんはもっとゆっくりと復職していけばよかったと思ったのだそう。何事も焦りは禁物ということですね。★関連記事:「全線開通ー!」黒目の縁が白く濁る? 老人環とは一体 #アラフィフ主婦ちゃんねる 44★関連記事:「こ、これは私!?」術後に痩せたと喜んでいたら思いも寄らぬ惨状が… #43歳で腎がんになった話 19★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月24日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは全摘、再建手術をおこなった右胸の傷の経過を確認するために形成外科を訪れました。そのとき、手術の執刀医から再建についてのハンドブックを渡されたそうで……。★前の話手術から54日目。退院してから3回目の形成外科での経過観察の日でした。傷の経過は順調とのことで安心していると、医師から「再建についてのハンドブックを作っている」ということを聞きました。私は自分が乳がんになるまで治療のことなんてまったく知りませんでした。告知をされたときも衝撃で頭が回らず、医師が説明してくれたことなんて右から左に抜けている状態。そんなとき、このハンドブックがあれば気持ちが落ち着いてからきちんと治療について確認できていいよな、と思いました。当然、私は何も知識がなかったので全摘といっても中身だけを取って、乳輪や乳頭は残しておけるものだと思っていました。本当は乳房の再建と乳輪・乳頭の再建は別でおこなうし体形によっては自家組織での再建ができなかったりするのだそう。乳がんになって、胸を全摘して再建するとなったときどんな選択肢があるのか知れたら気持ちは少しラクになるような気がしました。がんの病理組織診断の結果を受けて、私はホルモン療法を始めていました。その内容は、女性ホルモンであるエストロゲンを抑えるために「タモキシフェン」という飲み薬を毎日服用することと24週ごとに「リュープリン」という皮下注射を打つこと。この日は血液検査をしたのですが、特に異常はないということでひと安心!タモキシフェンはこれから10年間飲み続けなければならない薬なのですが、手術をした病院では2カ月分しか処方できないとのことでした。しかし、告知を受けた病院では3カ月分処方できるということだったので、その病院に転院することにしました。乳腺外科の医師はどちらの病院でも勤務しているので、担当医が変わることはありませんでした。タモキシフェンの副作用に悩んでいたのですが、もうすぐ職場に復帰する予定になっていたので薬についても少し相談しました。ー--------------こほこさんは形成外科で制作中のハンドブックを見せてもらったそう。こうやって自分の経験が誰かの助けになることはすてきですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月12日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。実家に帰省して療養中のこほこさん。ずっと心配をかけていた母と一緒に神社へ行った際、母からとあることを聞き……。★前の話私は約2カ月ぶりに実家へと帰省していました。まるで子どものころに戻ったかのように両親に甘えながら過ごしていました。術後2カ月近く経過し、体もかなり回復していました。実家で犬の散歩をしていたのですが、犬と一緒に走ったりすることもできるようになっていました。術後すぐは再建用に組織を取った左脚で体を支えることができず、階段の上り下りすら大変な状態でした。右胸を全摘したので、右腕を90度よりも上に上げると引きつったような感覚があったりしたのですが、それも130度くらいまで上げられるようになっていました。右側を下にして寝ることや正座もなかなかできずにいたのですが、それもできるようになりどんどん生活スタイルが元に戻っているのを感じました。実家の近所には小さな神社があります。母は毎日その神社へ行って私の手術が無事に終わるよう願っていたのだそう。コロナ禍で家族ですら面会できなかったので、その分心配をかけてしまったなと思いました。帰省中、母とその神社へ行ったのですが100段くらいある階段を2人で上りました。母はここに毎日通っていたのか……。この他にも近所のお寺まで散歩したり花や映画を見たり、レストランへ行ったりなど母とゆっくりした時間を過ごしました。実家での療養中、仕事復帰へ向けて人事の人たちと話し合いをしました。どのような休暇制度を使っているのか、私の代わりに仕事をしてくれているスタッフとの引き継ぎなどなど……のんびりモードだった気分が一気にシャキッとしました!他にも上司の方々に復帰のメールを送ったりしました。実家には2週間くらい滞在し、犬と離れる寂しさを感じながら帰宅しました。ー--------------段々と元の生活に戻りつつあるこほこさん。元の生活への準備を進めると病気が治ってきている感じがしてきますよね。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月10日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。全摘と再建をした右胸の傷の経過を確認してもらうために形成外科を受診したこほこさん。そこでドッグイヤーという聞き慣れない言葉を耳にして……。★前の話手術の傷を確認してもらうために約20日ぶりに形成外科を受診しました。傷が治ってきたのか、皮膚の盛り上がり方も少し変わってきていました。退院した日に抜糸をしてもらっていたのですが、その糸が残っていたのでこのときに抜いてもらいました。右胸の傷は術後、一部が壊死しているとのことでどうなるかと思っていたのですが……きちんと新しい皮膚が壊死した部分を埋めてくれているようでした。私は全摘した右胸の再建に自家組織を使うことにしたので、左太ももから皮膚や脂肪、血管を移植しました。ただ、太ももの皮弁(血流のある皮膚や皮下組織)だけでは足りなかったようで、半年後くらいに脂肪注射をして胸の形を整えることになりました。私の右胸の傷は端がぽっこりと盛り上がっているのですが、そこはドッグイヤーという名称になっているのだそう! かわいい名前だな〜と思ったのもつかの間、ドッグイヤーを放置していると皮膚が引きつれてしまうとのこと。自分でも傷が引きつっている感覚があったので、いずれ治すことになりました。退院から1カ月。術後の経過も良く、体調も元に戻りつつあったので実家へ帰省しました。私が住んでいるところから実家は新幹線に乗らなければいけないほど離れており、両親とは術前にあったのが最後でした。母は何かと私のことを気にかけてくれており、電話をしてくれたり、クール便でおかずを送ってくれたりしていました。無事に手術も終わったし、両親の前では元気に振る舞おうと思っていたのですが……。「痩せたね」と母は私をかなり心配している様子。体重変わってないのに痩せたように見えるのか!? と少し驚きました(笑)。親だからこそわかる違いみたいなものがあるのかな〜と思いつつ、帰省中は子どものころのように両親に甘えました。実家には犬がいるのですが、その犬を散歩したとき犬が走り出したので私も連られて駆け出していました! 再建時に組織を取った左脚を引きずることや痛みを感じることはなく、回復しているとしみじみ思いました。ー--------------術後の帰省で両親に甘えたというこほこさん。親の存在って特別なものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年12月07日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは浸潤性小葉がんが右胸に見つかり、全摘と同時再建手術を受けました。手術から1カ月たち、母から電話がかかってきて……。★前の話:「朝イチは元気だけど」服薬を開始するも眠気や吐き気に悩まされ… #乳がん絵日記 27ホルモン療法を始めてから毎日タモキシフェンという薬を飲むことになりました。服薬して3〜4時間は吐き気や眠気でダウンしてしまい、何もできずにいました。相変わらずタモキシフェン服用後の体調不良に悩んでいました。飲む時間を昼にしてみたのですが、やっぱり気持ち悪くなる……。寝る前だと飲み忘れてしまう可能性があると思い、タモキシフェンの服用時間を決められずにいました。どうしたものか……と格闘する毎日です。手術から1カ月たっていたようで、母からの電話でそのことに気付きました(笑)。コロナ禍で会うことができず、母はとても心配してくれていました。体の調子も快方に向かっているので、近々帰省しようかな。この日、私はインスタグラムで自分の闘病記を公開することにしました。私の経験が誰かの支えになればいいなと思っています。乳がんになって手術をすると決まったとき、同僚や友人にはそのことを伝えずにいました。コロナ禍で人と会うこと自体が減っていたので、ポロッと打ち明ける機会がなかったのです。年に1回会っている遠くに住んでいる旧友が「今年も会おう!」と計画を立ててくれようとしたので、そこで病気のことを話すことになりました。もっと早く回復して必ず会う! とモチベーションが上がりました。だんだん職場復帰について考えることも増え、お世話になっている別部署の先輩にも病気について伝えてみました。すると、先輩と同じ部署の人も乳がんを経験していて紹介してもらえることになりました。そして、まさかの先輩自身も乳がんの治療をしていたのだそう! とても身近な病気なのだと気付かされました。入院前、職場復帰は大体1カ月ちょっとくらいでできるかな〜と思っていました。しかし、ホルモン療法による体調不良や会社の組織体制が変わって慌ただしかったりしたこともあったので、結局2カ月間休職しました。上司も「無理せずしっかり療養してね」と何度も声をかけたりしてくれてとてもありがたかったです。退院後は自宅で職場のメールをチェックしたり、Zoomでのミーティングをのぞいてみたりして仕事からは離れないようにしていました。こんなふうに自宅からでも仕事に関われるオンラインの発展に感動!1カ月以上休むと仕事で使うパスワードを忘れ始めて、働く感覚も薄れてきてしまっていました。仕事が面倒に感じてしまい、働きたい私とゆっくりしたい私が心の中で戦っていました(笑)。ー--------------母や友人、職場の人の温かさを感じたこほこさん。病気のとき、やさしくしてくれる人がいることはすてきですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★1話から読む:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1★前の話:「朝イチは元気だけど」服薬を開始するも眠気や吐き気に悩まされ… #乳がん絵日記 27★人気マンガ作品が無料で読める!40代、50代向けのマンガ作品を毎日大量配信中♪ 無料でザクザク読めちゃいます!★関連記事:「年寄りはいらないから!」スタッフをクビにしたしわ寄せが自分に来て… #ヤバイ職場を辞めた話 4★関連記事:「まだ若いから閉経までは…」先生の言葉に喜びと戸惑いが #人間ドックで指摘された子宮筋腫 最終話★関連記事:「は?なんですと?」付き合い始めのころ、私の質問に夫はまさかの返答! #リアルタイム離婚問題 6著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年11月23日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。ホルモン療法でタモキシフェンの服用を始めたこほこさん。服薬後に体調不良を感じるようになってしまい……。★前の話:「24週間持続型で!」いよいよ始まったホルモン療法。その内容は? #乳がん絵日記 26私は右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘と左太ももの組織を使った再建手術を受けました。その後、ホルモン療法を開始したのですが、不調を感じるようになりました。術後26日目、退院して2週間がたちました。タモキシフェンという薬を朝食後に飲んでいたのですが、服薬後3〜4時間は船酔いのような気持ち悪さと眠気に悩まされていました。昼過ぎくらいになるといつも通りになるのですが、復職したときに吐き気や眠気があったら困る。服薬時間に決まりはないので、夜に飲んだほうがいいのかもしれないと思いました。朝、布団から起き上がるとき壁伝いに立ち上がっていたのですが、ようやく自力で起き上がれるようになりました!左足で自分の体重を支えられるようになり、正座もそこそこできるようになりました。お茶の稽古に通っていたので、この調子で回復すれば復帰も間近だなとうれしくなりました。再建した右胸は、傷の一部が壊死していたのですが皮膚が再生して徐々に普通の傷になってきていました。でも、まだ傷は完治していないので右腕は90度までしか上げられず、それ以上高く上げると痛みを感じていました。退院日からしばらくは前開きのブラを着用していたのですが、このころはユニクロのブラトップで過ごしていました。足から着られるし、とにかくラク!!ただ、カップの下線が右胸の下半分に食い込んでいたことがありました。右胸が感覚がないのでこういうことには気を付けないといけないなと思いました。右腕を上げると痛いので、着替えがラクな前開きのシャツやワンピースを買い足しました。左太ももの組織で右胸を再建したのですが、左太ももはめきめき回復してもう走れそうな感じになっていました!傷は左太ももの内側から付け根にかけて20cmくらいの大きさでした。左太もものほうが少し細くなっており、スキニーパンツをはいてじっくり見るとわかるかな? という感じでした。でも普段の生活で足をじっと見られることなんてないので、太さの差はほぼ気付かれなさそうでした。元々細身のパンツを着用するタイプではないので仕事用のスーツなどを買い直す必要はありませんでした!ー--------------手術によってファッションスタイルが少し変わったこほこさん。病気は普段の生活にも影響を与えるので大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★1話から読む:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1★前の話:「24週間持続型で!」いよいよ始まったホルモン療法。その内容は? #乳がん絵日記 26★人気マンガ作品が無料で読める!40代、50代向けのマンガ作品を毎日大量配信中♪ 無料でザクザク読めちゃいます!著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年11月18日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。摘出した右胸の病理組織診断の結果、ホルモン療法をおこなうことになったこほこさん。注射や薬について医師の話を聞いてみると……。★関連記事:「痺れてる?」全摘手術をした右胸の傷周辺を触るとピリピリが! #乳がん絵日記 25私は浸潤性小葉がん以外にも浸潤性乳管がん、非浸潤性小葉がん、線維腺腫(せんいせんしゅ)であったことが病理組織診断で判明しました。サブタイプなども踏まえ、ついにホルモン療法が始まりました!女性ホルモンであるエストロゲンを抑えるために「タモキシフェン」という飲み薬と「リュープリン」という皮下注射を使用することに。タモキシフェンは1日1錠の服用で良いそうなのですが、10年間も飲み続けなければいけないとのこと! 飲み忘れてしまうこともあるだろうと思い、工夫が必要だと感じました。タモキシフェンを服用するとエストロゲンの分泌が減り、エストロゲンとがん細胞の結合を防いでがん細胞の増殖を抑えてくれるのだそう。その代わり、エストロゲンの減少により生理が止まってしまうこともあるのだとか。リュープリンは4週間、12週間、24週間のいずれかに1回打たなければいけないそう。薬価も1番安いとのことだったので、手間も考えて24週間効果が持続するものを選びました。診察後、早速1回目のリュープリン注射をおこないました。注射は腕に打つと思っていたらまさかのおなか。寝転んでおなかに注射をしてもらったら、打った場所に米粒のような固い塊ができていました。この日の夜、頭痛と吐き気が出てしんどかったのですが、リュープリンの影響だったりするのかな……。リュープリン注射を打った翌日からタモキシフェンを服用することに。前日夜からの頭痛や吐き気は相変わらずでしたが、何とか朝ご飯を食べて薬を飲みました。これから長い付き合いになるタモキシフェンを飲み忘れないように、いろいろ方法を考えました。お薬カレンダーに薬を入れたり普通のカレンダーに薬を貼ることを考えたのですが、絶対に面倒になるだろうなと思ったので、薬のシートに日付を書いて管理するようにしました!とりあえず3カ月分、油性ペンで薬のシートに日付を記入。何度か飲み忘れることもあったのですが、毎朝飲む習慣をつけるようにしました。退院してからいろいろな場所へ出かけているのですが、この日は夫に運転してもらいネモフィラ畑へと行きました。車に乗ってシートベルトを付けると、手術をした右胸に当たって痛いのでシートベルトをつかんでちょっと浮かせるようにしていました。皮膚の表面は何も感覚がないのに圧がかかると痛く感じることが不思議でした。再建用の組織を取った左太ももにはバンドを巻いていたのですが、その上から着圧レギンスをはくとバンドが落ちづらく、より歩きやすかったです。ネモフィラ畑は一面青くてとってもきれいでした! 1時間くらいかけてゆっくりとお散歩しました。ただ、帰宅後に胸がムカムカしてだるさを感じました。体力が落ちているのか以前にはない疲れやすさを感じることもあるので、体力をつけなくちゃいけないなと思いました。ー--------------タモキシフェンは10年間の服用が必要なのだそう。毎日欠かさず薬を飲むことは大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★1話から読む:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1★人気マンガ作品が無料で読める!40代、50代向けのマンガ作品を毎日大量配信中♪ 無料でザクザク読めちゃいます!著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年11月11日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは浸潤性小葉がんによる右胸の全摘、同時再建手術を受け、次の治療へと進むことになりました。退院後、こほこさんが術後に傷に触れると……。★関連記事:「お世話になったよ」ホルモン療法前にやってきた生理に思ったこと #乳がん絵日記 24退院から1週間以上がたち、毎日体の回復力に驚いていました。この翌週からホルモン療法が始まるので、このころはゆっくりと過ごしていました。私は右胸の再建をしたとき、左太ももから組織を取ったので術後は少し歩くことが大変でした。退院するころには普通に歩けるようになっていたものの、左足だけで体を支えることができず苦労することもありました。しかし、退院して6日くらいたったころには階段の上り下りなどもできるようになっていました。退院後は1日10,000歩くらい歩くことを目標にして、毎日散歩をしていました。この日はバスに乗って出かけようと思ってバス停に向かったところ、既にバスが到着していました。慌ててバスに乗ろうと小走りをしたところで、あれ? 私走れているの!? とびっくり! 左足は引きずり気味でしたが、走れるようになっていました。入院する直前から仕事を休んでおり、平日にどこかに行けるのはぜいたくだな〜と思いました。美術館や神社、カフェに寄って帰宅しました。手術をした傷の周辺に触ってみると、正座をした後のようなピリピリとした感覚を感じるところがありました。さらに右胸から脇と背中にかけて感覚がないところもありました。組織を取った左太ももは裏側にピリピリ感や皮膚のつっぱりを感じるものの、内側は普通の感覚でした。感覚がない部分は触感で気付けないこともあるので、うっかりけがしてしまったりかぶれたりしていないか目視で確認するようにしました!術後23日目は夫と一緒に病理組織診断の説明を聞きに、乳腺外科へと行きました。病理組織診断では手術した組織や臓器を調べてがんの悪性度や広がりなどを調べるのだそう。まず、摘出した右胸の写真を見せてもらいました。夫は手術当日に現物を見ていたのですが、私は全身麻酔で眠っていたので初見!写真は検査用に加工されていたので、パッと見は何が何だかわかりませんでした(笑)。がんの告知前におこなった針生検で見つかった浸潤性小葉がんは11mmで1番大きいサイズだったそうです。他にも浸潤性乳管がん、非浸潤性小葉がん、線維腺腫(せんいせんしゅ)が何箇所かにありました。皮膚の近くや肋骨の近くにまでがんがあったそうで、それをすべて取ってくれたみたいでした。ー--------------こほこさんは平日に仕事を休んで出かけることに特別感を感じたそう。いつもと違う過ごし方ができる日があるとうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年11月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘、同時再建手術をおこなったこほこさん。退院後、乳がんの再発防止のためにホルモン療法を受けることになり……。★関連記事:「手術したのは利き手側で…」コロナ禍で会えない遠方の母から手料理が届き… #乳がん絵日記 232週間の入院生活を終え、退院してから1週間がたとうとしていました。手術をしたら治療は終わり、というわけではなくまだ私の闘病は続きます。術後17日目、おなかが痛いな〜と思っていたら生理が来ました。1週間後にはホルモン療法を受けることが決まったいたので、多分これが最後の生理になるだろうという予感。どうやらホルモン療法で服用する薬に女性ホルモンであるエストロゲンの働きを抑える作用があるそう。エストロゲンの分泌が減ると生理が止まるそうで……薬の服用期間や年齢のことも考えると生理とはお別れなのかな? という感じでした。私が初潮を迎えたのは小学6年生のときでした。ちょうど修学旅行の最中で、生理痛をジェットコースターに乗りまくることでごまかしていました(笑)。どちらかというと生理が重いほうだった私は、よく保健室に行っていたし痛み止めも常備していました。生理で楽しみにしていた水泳大会に出場できなかったこともあったなあ……。経血漏れしてしまったこともあったし、生理とはいろいろな思い出があります。最後の生理だと思うとなんだか少し寂しい気持ちになりました。夫の仕事が休みだった日、ひさびさに夫婦でお出かけをしました! 実は入院中、退院したら行きたいと思ったところをたくさんリストアップしていました(笑)。このころは春だったのでキリシマツツジという花で有名な神社へ。キリシマツツジで赤く染まった参道を通ってお参りをしました。神社には階段があったのですが、普通に上り下りできるようになっていました。つい3日前までは手術のときに組織を取った左足で踏み込むとよろけていたのに……回復力にびっくり!その後は予約していたマリトッツォを食べに行きました。入院中にSNSでこのお店を見かけて、病室で頬張るイメトレをしちゃうくらい食べたい気持ちでいっぱいだったので本当にうれしかったです!退院して運動量が増えたおかげか、食欲も元に戻りつつありました。夫と出かけた翌日は、形成外科で右胸の傷を見てもらいに行きました。バスに乗って病院へ向かったのですが、乗車口の段差もうまく上れたし、立っていても揺れに耐えられました。普段ならなんてことない動作もそれなりに力が必要なのだと気付きました。形成外科では手術の執刀をしてくれた先生と、入院中に経過を見てくれていた先生の両方がいました。右胸の傷で2cmくらい壊死しているところがあったので、退院後は毎日シャワー後に軟膏を塗っていました。最初は薄黒くてカサカサしていたのですが、だんだん黒いものが取れていきました。それから壊死していた部分がへこんで白い何かが見えていました。この変化が良いのか悪いのか自分ではわからなかったのですが、先生方が「ちゃんと治ってるね!」と言ってくれたのでひと安心〜!左太ももにバンドを巻いていたのですが、どうやらキツく巻き過ぎていたみたいで柔らかい包帯に変えてもらいました。術後20日目。私は喉にちょっと違和感があることに悩んでいました。というのも、手術をしていた約9時間の間、私は気管挿入をしていました。手術の直後はまったく声が出ず、ささやくようにしか話せず……。カスカスではあったものの、その日のうちに声は出せるようになりました。翌日はもっと声を出しやすくなりましたが、すぐに裏返ってしまい話がしにくかったです。その後は喉元を締めつけられるような不快感があったり空咳が出たりしていたので、のど飴をなめまくって過ごしました(笑)。術後6日目には安定して普通の声で話ができるようになっていました。術後20日目になって時々声が裏返ってしまうことがあるものの、喉は良くなってきていて違和感を覚えるけれど大きな問題はありませんでした。ー--------------入院中、退院後にやりたいことを考えていたというこほこさん。手術や治療を頑張るために楽しみを作っておくといいかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「そこまで俺もたないよ」夫の体にじんましんが! その理由は… #夫とともに四半世紀 1★関連記事:「体が弱っているせい?」血尿が出て病院へ、人の温かさが身に染みる #43歳で腎がんになった話 2★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年11月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんによる右胸の全摘、同時再建手術を受けたこほこさん。退院から2日たち、日常生活を送ろうとするも困難がたくさんあって……!?★関連記事:「ふんばれぬ…!」退院の翌朝、自宅の布団から起き上がるコツを見つけて!? #乳がん絵日記 22術後12日目、無事に退院した私は自宅でまったりと過ごしていました。手術をした右胸は利き手側だったので困ったことがたくさんありました。傷に響くので、重いものを持ったり力を入れたりすることはしばらく難しい状態でした。また、再建した右胸の傷を治すために、右腕を90度以上上げることもダメだったので動作が限られてしまっていました。退院して料理をしていたのですが、包丁でにんじんとか肉とか硬いものを切る、みじん切りのような細かい動き、重い鍋を持ち上げる、ビンのフタを開けるといった動きができず……。おたまで鍋の中身をかき混ぜることも意外と腕を持ち上げるので右腕ではできませんでした。ただ、無理に料理せずともお惣菜や宅配などテイクアウトのご飯で食事を済ませることもできるので、何とかなるか〜と思っていました。すると、料理が得意な母があらゆる食材を使った料理がクール宅急便で届いたのです! たけのこご飯やハンバーグ、れんこんのサラダなどうれしいものがたくさん!またもや母の愛を感じました。自宅での生活にも慣れてきた退院3日目。右胸の傷に貼るガーゼやテープが足りなくなってきたため、近所のドラッグストアへ行きました! 術後初めて外を歩いたのでやや疲れましたが、もっともっと歩きたくなっていきました。そこで、友人に付き添ってもらって近所の公園を散歩することにしました。休憩を挟みつつ、1時間半くらいゆっくりと歩きました。合計2〜3kmくらい歩き、夜は眠剤を飲まなくてもぐっすり眠れました。手術をしてから、右胸と左太ももの傷を治すために寝る体勢があお向けになっていて、普段うつ伏せか横向きで入眠していた私はなかなかうまく眠れなくなってしまっていました。でもこの日はスッと眠れたので、単に運動不足だったのかもしれません。右胸の再建は左太ももの自家組織を利用したので、左太ももの傷も確認していました。左の内ももから足の付け根に向かって、20cmくらいの大きさの傷がありました。普通に立ってると前後からはほとんど見えないので、あぐらをかいて傷の確認をしました。保湿してから病院の売店で買ってきたテープを週1くらいで貼り替えていました。左太ももの管を挿していた穴の周辺がプヨプヨと膨らんでて、入院中は何かたまっているのかな〜て思っていたのですが、退院日にエコーで見てもらったら自分の脂肪でした(笑)。この膨らみを抑えよう! と思いネット通販でサポーターを購入したのですが、すごくキツい。口コミでもキツいと書かれていたのですが、安いしサイズ表では問題ないなかったのです。太ももに巻こうとしたらすさまじい圧迫感を感じたので、膝を痛めている夫にプレゼントしました(笑)。ー--------------術後の制限が多いこほこさんに料理を送ってくれたこほこさんのお母さん。ふとしたことで親のありがたさを感じることってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月29日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘と同時再建手術を受け、退院して自宅へと戻ったこほこさん。病院との違いに戸惑いながらも自宅での生活に戻って……。★関連記事:「お世話になりました!」ついに退院。帰宅して感じた病院との違いとは #乳がん絵日記 21私は右胸に浸潤性小葉がんができ、右胸の全摘、左太ももの組織を使った再建手術をおこないました。それから約2週間の入院生活を経て、わが家へと帰宅しました。入院する前、脱ぎ履きがしやすく、かかとを覆ってくれて転倒防止になる靴を探していました。病院の売店に表面にファスナーがあって、足の甲の部分を調整できる靴が売っていたのですが、短期間しか履かないから手持ちの靴で何とかしたいと思っていました。スリッパやサンダルはNGだったのでスニーカーにするか……と入院直前までは思っていたのですが、術後にひもを結ぶことができるのか? と気付き、手を使わず脱ぎ履きできる柔らかくて軽い皮でできたスリッポンを履くことにしました。私は左太ももの自家組織で右胸の再建をしたので、術後すぐは左脚を持ち上げたりしゃがんだりできませんでした。なので、ひもで調整するスニーカーは脱ぎ履きに時間がかかっただろうと思います。予想外だったのは、術後6日目まで足がむくんで靴に足が入らなかったこと。はだしでもかかとが入らず、やむを得ずかかとを踏んで靴を履きました(笑)。靴についてはかかとを踏んでも良かったのですが、転倒防止の面ではあまり良くなかっただろうな……と思います。術後7日目以降はむくみも引いて、かかとまでしっかりと履いて普通に歩けるようになりました。退院して帰宅し、自宅の床に座った後立ち上がることが難しいと気付きました。左太ももに力を入れてふんばったり、正座のような角度まで曲げると左太ももの裏の傷のそばがピリピリしていました。帰宅し、布団で寝るようになって起きてから立つことが大変でした。入院中はベッドでの生活だったので起き上がるのが大変だなんて思いませんでした…!そこで起床したらまずは四つんばいになって力を分散させて、手術をしていない右脚を軸足として踏み出します。このとき、うっかり左脚に重心が移ると支えきれないので、右太ももに全体重を預けて片足で立ち上がります。右胸を手術しているので、右腕に力が入らないよう左手でサポートするようにしていました。そして右脚重心の片足だけだとヨロヨロするから、壁に手をつけて壁伝いに立ち上がる。術後15日目までの3日間は布団からの立ち上りに四苦八苦しましたが、16日目からは完全にコツをつかんで割とすんなり立ち上がることができるようになりました!なんだか病室のベッドが恋しい〜と思った3日間でした。退院翌日、午前中のうちにシャワーを浴びようと準備しました。術後初めてのシャワーでウキウキな気持ちでした。傷を濡らす勇気が湧かず、ひとまず立ったままま頭だけ洗いました。それから体にもシャワーでお湯をかけて……気持ち良い〜!右胸と左太ももを濡らさないようにしたので、かえって難しいシャワーの浴び方をしていたので、翌日からは普通に全身シャワーしました(笑)。お風呂上がりにまさかの排水の点検業者さんが登場! 入院中に点検のお知らせが来ていたようだったのですが、夫が失念しており頭が濡れたまま点検してもらいました……。その後、初めて右胸の傷を鏡で正面から見ました。傷の壊死したところは2cmくらい薄黒くカサカサ乾いたかさぶたのような感じになっていました。ー--------------病院と自宅の違いに戸惑いながらも何とか生活しているこほこさん。普段通りに生活できないことって不便ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月22日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘と同時再建手術を受けたこほこさん。術後から12日目、退院の日を迎えてこほこさんが思ったこととは……。★関連記事:「もっと入院させてもらったら?」娘を心配するがあまり母が衝撃発言! #乳がん絵日記 20私は右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘手術を受けました。同時に左太ももの組織を使って右胸の再建手術もおこないました。約2週間の入院生活も終わりに近付いてきました。入院生活最後の日の朝もさわやかな目覚めでした。いつものようにモーニングコーヒー飲みながら窓からの日の出を堪能。8時45分ごろに形成外科の先生が病室に来て、一緒に処置室へ向かいました。左太ももからの体液の排出が減ってるから、管が出てるあたりの黒い糸を切って、管を抜いてもらいました。すると、形成外科の先生から「退院です!」とひと言。病室に戻ると、乳腺外科の先生たちも来てくれて傷の確認や退院の処理を進めてくれました。看護師さんが入院費の計算書を用意してくれて、入院患者用のリストバンドも取ってもらいました。突然のことでしたが、夫に迎え頼んで部屋の片付けや荷造りして、看護助手さんと部屋の点検して10時30分ごろには退院していました。仕事を抜けて病棟の入口で待機してくれていた夫と合流して、見送りしてくれる病棟のスタッフの方たちとお別れしました。病棟スタッフの方は入院中とてもやさしくしてくれて、たくさんお世話になりました。外来や手術室、病棟などでたくさんの方に支えられてるなと実感する2週間でした。退院するのでレンタルパジャマともおさらば! 2週間ぶりに普通の服を着ました。入院中はずっとノーブラで過ごしていました。先生や看護師さんに傷をすぐ見てもらえるし、手術した胸を締め付けたくないし、浴衣タイプのレンタルパジャマは程良い厚みで手術していない左胸もノーブラとバレにくい仕様になっていました。退院日用に用意したのは前開きのブラジャーでした。いろいろなメーカーが前開きのブラジャーを販売していて、どこのものも良さそうだったのですが伸びが良いものを選びました。肌着も前開きのものを購入し、前開きのボタンで留めるタイプの軽いコットンワンピースを着用しました。ワンピースは荷物を減らすために入院日に着たものを同じものを着ました。ちなみに術後1カ月くらいまでは前開きの服ばかり着ていました。前開きのブラジャーは退院後2週間くらい着用して、その後は伸びに伸びたブラトップを着るようにしました。ブラトップのパッドが再建した右胸に食い込んでるときがあったので最初は気になっていましたが、だんだん慣れてきて今もブラトップを着ています。退院の日は、夫が仕事を抜けて車で迎えに来てくれました。おしりを座席に着けて、左太ももの裏面が座席の端にある膨らみに当たると少し痛かったです。左太ももの傷は内ももにあるので傷自体は痛くないのですが、左太ももの傷周辺の皮膚が張ってて、触っても感覚がないのに座席に当たると若干痛いという謎な感じでした……。車を降りるときも左脚から外に出すので、左太ももの裏側に体重が乗らないように腰を浮かして降りるようにしました。そしてひさびさに家に帰ってソファに座ってくつろいでると、なんだか左の腰が痛くなってきた……。病室ではずっとベッドの角度を調整して足を上げて座ってたから問題なかったのですが、足を降ろして座ったら膝下の重みを腰が支えきれていないような感じがしました。ソファに座るのは諦めて、床にクッション置いてもたれかかると快適に座れました。退院して帰宅して、なんやかんやしてなにげなく冷蔵庫で冷やした水を飲みました。その水が喉から食道を通過するとき、全摘した右胸全体がヒヤァ〜と冷たいものが通過している感覚がありました!試しに椅子にもたれて水を飲んでみたら、胸の近くではなく背中側を水が通過するのかあまり冷たさは感じませんでした。入院中も冷たい水を飲んでいたのですが、まったく気付かなかったので不思議な感じでした……。ー--------------無事退院し、家へと帰宅したこほこさん。ひさびさに家に帰るとほっとする気持ちになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月15日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘と同時再建手術を受けました。退院が近付いたある日、こほこさんがお母さんに電話するとまさかの発言が飛び出て……!?★関連記事:「右腕を上げていいのは90度まで」退院に備えて看護師さんから習ったこと #乳がん絵日記 19入院してから約2週間、大きなトラブルもなく私はのんびりとした入院生活を送っていました。仕事もせず、今まで見たかったドラマを見たり、好きな絵を描いたりして毎日過ごしていました。術後は毎日同じようなスケジュールで過ごしていました。術後すぐは抗生剤の点滴をしていたのですが、術後3日目で終了したのでそれ以降は点滴はしていませんでした。看護師さんが朝と夜に検温をしてくれたり、体液量の測定や洗髪と体拭きを1日交代でしてくれました。退院が近付くと、自分で洗髪する練習にも付き添ってくれてました。回診は朝に乳腺外科と形成外科の先生がそれぞれ来てくれて、午後も手術の執刀医たちが来てくれたりしてました。右胸の再建した皮膚の一部が壊死してたので、その様子をこまめに見てくれていた感じでした。普段と違ってたっぷりと時間があったので、映画やドラマを見たりお絵描きをしたり、本やマンガを読んだり外の景色を眺めたりとゆっくりした時間を過ごしました。左脚の管が抜けたら退院できると聞いていました。体液の量も少なくなり、そろそろ退院かも? と思い母へ報告しました。コロナ禍だったので、がんになったことを報告したときから会っていませんでした。お見舞いはもちろん禁止。なので、私の様子がよく分からずとても心配していました。母は退院後、実家で療養することを提案してくれたのですが、実家は遠方なので体調がどうなるかわからないので病院から離れるのは少し怖いと思っていました。私の家に来てお世話してくれることも考えてくれたみたいなのですが、ちょうど新型コロナウィルスの感染者数が盛り返してるころで、母も無理はできない状態でした。すると、母が「もっと入院させてもらったら?」とひと言。ホテルとは違うし延泊は難しいよ……と苦笑いしつつも、母が心配してくれていることはうれしかったです。私はたまたま空いていた個室に入院することができ、存分に病室をマイホーム化していました(笑)。必要最低限の物をちょうどよい距離に配置して快適な生活を送っていました。普段の生活もこれだけあれば暮らせちゃうような気がして、プチミニマリスト気分を味わっていました!コロナ禍だったのでレンタルパジャマ、レンタルタオル、使い捨て紙パンツを活用して荷物はなるべく少なくしていました。病室の備品の中に鍵付きの衣装棚があり、それがとても便利でした。セキュリティボックスもあったのですが、スマホや財布しか入らず、iPadなどの大きめの貴重品は衣装棚のほうにしまっていました。入院前は相部屋を想定して準備してたので、盗難防止用に鍵付きのスーツケースと、それをベッドの柵などにり付けられるチェーンの鍵も用意していましたが今回は不要でした。病院は誰でも出入りできるし、私もぼんやりしていろいろ紛失するかもしれないから貴重品管理には気を付けようと思っていました。なのでまずは現金を極力持たないようにしました。病棟の自販機は現金専用だったので小銭を用意するけれど、売店での買い物は感染予防のためにも電子マネーを活用!2週間も入院するので快適に過ごすためにiPadは絶対に持って行きたい物でした。幸いにも個室に入院できましたが、入院前はどの病室に入院するかわからなかったのであれこれ対策を考えていました。でも、大部屋なら鍵のかかるロッカー、個室なら鍵のかかる衣装棚がありました。個室を利用しましたが、寝るときはiPadを棚の奥に入れ込んで鍵をかけるようにしていました。というのも、自分が在室しているときは看護師さんや先生が入って来れるように部屋の施錠はしないようにしていました。そしてトイレや給湯室行くときなど、ちょっとした外出でも部屋のドアを必ず施錠! コロナ禍で面会禁止だったので、知らない人が入って来にくい点は少し安心でした。ー--------------入院中の防犯はどう対応するか難しいですよね。入院経験のある皆さんはどのように防犯対策をしていましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月05日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘と同時再建手術をおこなったこほこさん。経過は順調で、退院に備えていろいろなことを看護師さんから教えてもらったそう。★関連記事:「スッキリ!」全摘手術した右胸の管を抜いたら体が軽い! #乳がん絵日記 18手術から10日。術後すぐはあまりなかった食欲も回復し、病院食を完食できるようになっていました。傷口については一部が壊死しているものの、おおむね良好で順調に回復していました。術後は右胸と左太ももを体液パックにつなぐ管が出ていて、シャワー浴びられませんでした。なので、看護師さんが洗髪と体拭きを1日ずつ交互にしてくれていました。術後8日目に右胸の管が抜けて、術後10日目になるとそろそろ左太ももの管も抜けそうな感じ。近々退院という雰囲気になっていました!そこで、自分で髪を洗う練習を始めました。左手でシャワーヘッドを持ち上げて、右腕はあまり上げないよう届く範囲で頭を洗う。右腕を上げていいのは90度まで出そうで、頭を動かしながらなんとか洗髪! ドライヤーも左手で持ちあげて髪を乾かしました。久しぶりに自分で思う存分頭をガリガリできてとてもスッキリしました!!洗髪の後は胸の傷口に薬を塗る方法を教えてもらいました。前日に形成外科の先生からも傷口の処置について教わっていましたが、改めて看護師さんから右胸の薬の塗り方や左太ももの包帯の巻き方を教わりました。自分の指先はバイ菌ついてるから薬は直接指で取らず、ガーゼに塗ってそのガーゼを傷に被せてテープで止める。テープは予め必要な長さに切っておくとすぐ貼れて良いのだそう。テープやガーゼは病院の売店に売っているそうなので、退院の日に売店で買って帰ることにしました。近所のドラッグストアではテープがあったりなかったりするので、病院の売店で買いだめしました(笑)。術後11日目のこの日は退院の前日でした。いつものように夜明け前に起床して、コーヒーを飲んだりしてゆっくりとした朝を過ごしていました。そしてこれもまたいつものように近くの部屋からナースコールの音が聞こえてくる。ここの病院のナースコールは「ミードーミードー」という感じの落ち着いた音色でした。入院初日は就寝後に聞こえてくるのが気になっていましたが、毎日聞いてたら小鳥のさえずりか虫の音かというくらい耳になじんでいました(笑)。右胸の再建は左太ももの組織を使っておこなったので、左太ももにも傷があり生活に少しだけ支障がありました。しかし術後11日目になると、傷の引きつれもマシになりしゃがめるようになっていました。私は毎週日曜日に体重測定をしており、この日は体重測定の日。1週間前の手術直後の測定では、急に3kgくらい増えていたのですが、元の体重に戻っていました。やっぱりむくみがひどかったのかな? と思いました。ー--------------自分の手で頭を洗ってスッキリしたというこほこさん。けがなどで思うように洗髪ができないとなんだかもどかしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月30日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、全摘手術を受けたこほこさん。自家組織による同時再建手術もおこないました。手術から8日が経過して、こほこさんの様子は……。★関連記事:「サバイバーです!」退院後の説明中、聞き慣れない言葉を耳にして #乳がん絵日記 179時間にも及ぶ乳がんの手術から早8日。体は順調に回復しており、退院後の生活についての説明を受けたりしました。私の右胸と左太ももには管が入っていたのですが、今日は右胸の管を抜くことになりました!術後、あまり食欲がなくご飯を残し気味だったのですが、体が回復してきて久々におなかが減る感覚がありました。おかげで朝食は完食、昼食の天ぷらもおいしく食べることができました!15時ごろ、形成外科の先生と一緒に病棟の処置室へ行きました。そこで右胸に刺さっている管を抜くことに。管が刺さっている辺りに黒い糸のようなものがあって、それを切るとき若干痛みを感じました。でも、管自体はスッと抜けて痛くはありませんでした。ずっと管が刺さっていたので、最早体の一部みたいになっていたので何だか物足りないような気もする……。ですが、やっぱりスッキリして軽いという気持ちが強かったです!左脚の管はまだ抜けませんが、管同士が絡まるのを気にしなくなってよくなりました。微熱が出たりしているものの、退院が近付いた気がしてうれしかったです。入院生活の中で一番充実していたのは朝の時間でした。というのも、夜は10時ごろに寝るので、朝5時くらいに自然と目が覚めるようになっていました。当然、出勤の支度も家事もしなくていいのでゆっくり優雅に過ごせました。音楽を聴きながら、パックをして美顔器をかけていました。私が入院していたのは4月だったので、5時半くらいになると外がうっすらと明るくなり6時くらいには日の出を見ることができました。コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていると、山の端から陽が昇って色がどんどん変わっていくのが見えていました。入院中の私の楽しみで、ぜいたくな時間でした。術後9日目も朝から乳腺外科の先生や形成外科の先生が傷の様子を見に来てくれました。午後は形成外科の先生に右胸の薬の塗り方や左太もものバンドの巻き方を教えてもらいました。その後、前日に撮影した顎のCT検査の結果を聞きに歯科外来へと行きました。外来や売店など病棟の外へ出るときは長めの羽織を着ていました。これがあれば左太ももの管も隠せていたので、入院している感じが薄れていました。歩いているとき、左太ももの管を挿入している部分から体液が漏れていたのですが、気にせず歯科へと向かいました。顎は今は様子見で良いとのことでしたが、念のため6カ月後にまたCT検査の予約をしてもらいました。以前なら放置していたけれど、ちょっとのことでも検査することが大切だなって思うようになりました。ー--------------入院中は朝の時間が楽しみだったというこほこさん。入院経験のある方は何を楽しみにして過ごしていましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「大切にしているものは」今までになかった質問に私は… #看護師でシングルマザーな私の話 39★関連記事:「ラッキー!」健康のために買ったエアフライヤー、妻よりも夫がハマり… #ときめけBBA塾 120★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月16日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは乳がんによる右胸の全摘と再建手術を受けました。手術から1週間、退院後の生活について説明を受けていると「こほこさんもサバイバーです!」と看護師さんから言われ……。★関連記事:「どんどん回復する!」乳がんの全摘手術から6日、できることが増えてきて… #乳がん絵日記 16私は乳がんの手術のために2週間入院していました。手術から5日目、形成外科の先生に傷口を確認してもらうとその一部が壊死していることがわかりました。乳腺外科の先生から皮膚を貼るなどの処置があることを聞き、心配しつつも入院生活を送っていました。術後7日目になると、組織を取った左太ももの裏にあったピリピリとした感じも少し緩和されていました。前屈みができるようになりましたし、両足のむくみが解消されて靴もちゃんと履けるようになりました!でも、まだ右腕はまだ上げられなかったので、何かするときは左手を使うようにしていました。お箸とペンだけは右手で持っていました。この日は朝食後、歯科で術後の歯の様子を見てもらいました。念のため、と顎のCTを撮影することに。その後、売店で2リットルの水を買ったりして疲れを感じながら病室へ戻りました。それから薬剤師さんが来て、下痢や発疹がないか確認してもらいました。抗生剤を飲むのはこの日が最後でした。形成外科の先生も来てくれて、左太もものテープの貼り直しや右胸の傷を見てくれました。体液の排出は前日より減って、右胸から25ml、左太ももから60mlでした。同じく術後7日目、薬剤師さんが来る前に看護師さんから退院後の生活について説明がありました。「退院のしおり」というものをいただき、わかりやすく教えてもらっていると看護師さんから「こほこさんもサバイバーです!」と言われました。がんサバイバーというのは、がん治療を終えた人だけではなく、診断を受けたりばかりの人や、治療中、経過観察中の人もがんサバイバーというそうです。私も乳がんサバイバー! 何だか戦隊ヒーローのイメージがして強そうだと思いました(笑)。退院後は、動く習慣をつけるために毎日歩いたり、手術した右側の腕をなるべく上げたりしないように指導を受けました。仕事でパソコンを触りっぱなしになってしまうので、1時間ごとに休憩を取ることを心がけようと思いました。退院後の説明をしてくれた看護師さんは、いろいろなことによく気付いてくれる方でした。私は術後、左太ももに管が入っていてシャワーができませんでした。なので、1日おきに温かいタオルで体を拭いてもらっていました。術後5日目くらいにこの看護師さんが体を拭いてくれたのですが、私の足の様子を見て、タライにお湯を入れて足も洗ってくれました! すごくありがたかったです。それから、術後は食欲が落ちていてご飯を残していたのですが、それにも気付いてくれてご飯を少なめにしてくれました。朝食のパンも薄切りにしてくれたりしたお陰で、完食できるようになりました。他の看護師さんや看護助手さんも話かけてくれたり、見守っていてくれたりと、とても良くしてくれました。また入院することがあればあの病棟がいいな〜と思うくらいです!ー--------------こほこさんは入院中、看護師さんたちにとても良くしてもらったそう。心細い入院生活では、やさしくしてもらえるとうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月12日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘手術と同時再建の手術を受けたこほこさん。手術を無事に終え、順調に回復している一方で傷口の壊死などの問題もあって……。★関連記事:「一部が壊死している」術後の傷を見た形成外科の先生から衝撃のひと言が… #乳がん絵日記 15浸潤性小葉がんというがんが右胸に見つかった私は、約9時間の大手術を受けました。術後すぐは観察室にいましたが、翌日には病室へ戻ることができました。毎日乳腺外科や形成外科の先生方に様子を見てもらっていましたが、右胸の傷の一部が壊死していたそうでした。病棟には洋式トイレが2つしかなかったので、いつも早起きしてトイレに行っていました。しかし、朝5時の時点で満室。みんな早起きしてトイレに行こうという考えは一緒なんだな……という気持ちになりました(笑)。術後6日目の午前10時ごろ、執刀してくれた乳腺外科の先生が右胸に傷を見に来てくれました。前日に形成外科の先生が傷を見てくれたのですが、そのときに傷の一部が壊死していると言われました。乳腺外科の先生は壊死してしまったら皮膚を貼るなどの処置もできることを教えてくれました。左脚のぷよぷよとした膨らみについても「治るから大丈夫!」と心配する私を励ましてくれました。そういったトラブルがありつつも、体調はどんどん回復していました! 左膝を曲げると、太ももの裏が引きつるような感覚があったのですが、それもマシになってあぐらをかいて座れるようになりました。それ以外にも歩くときは左脚を引きずりながら歩いていたのですが、持ち上げて前に踏み出して歩けるようにもなりました。手術のときに気管挿入したせいで生じた喉への違和感も落ち着き、裏返りやすかった声も普通の声で話せるようになってきていました。体液の排出も右胸から30ml、左太ももから80mlとかなり減っていました。入院期間は2週間だったので、時間はたっぷりありました。なので、長期の休みがあったらやってみたかったことを存分にやって過ごしていました(笑)。映画やドラマを見まくったり、電子書籍で本や雑誌を読みまくったり、ゲームしたり。個室に入院できたので、動画を見ていないときはBGMを流したりしていました。カフェミュージックを流しながら持参したコーヒーや紅茶を飲めば、もうそこはカフェでした!体もかなり回復していましたし、病室での生活にも慣れてまるでわが家のように過ごしていました。コロナ禍での入院だったので、家族ですら面会禁止。その分、趣味に没頭していました。ー--------------すっかり入院生活に慣れたこほこさん。期間に関わらず、入院生活はできるだけ快適に過ごしたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、ア著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月10日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸に浸潤性小葉がんが見つかったこほこさんは、右胸の全摘と同時再建の手術をおこないました。手術から5日目、形成外科の先生から「手術した右胸の傷が一部、壊死している」と言われ……。★関連記事:「胸のバランスも良いですね」再建した乳房を見るタイミングっていつなの? #乳がん絵日記 14私は乳がんを摘出するために、右の乳房を全摘しました。それと同時に左太ももから取った組織で、乳房を再建しました。術後4日目、初めて正面から手術した右胸を見たのですが何だか自分のものだけどそうじゃないような不思議な感覚になりました。術後5日目の朝、乳腺外科の先生たち3人が術後の容態を見に来てくれました。外来受診していたときにはわからなかったのですが、病院にはたくさんの人がいるんだな〜と思いました。組織を取った左太ももにはバンドが巻かれていたのですが、それを取って状態を確認しました。太ももの裏が引きつっている感覚はだんだんマシになりましたが、管が刺さっている辺りが前より膨らんだ気がしました。触ったらぷよぷよとしていました!今まで左の太もも裏は触らないようにしていたのですが、初めて触ってみると皮膚が固くなって感覚がない所やピリピリと痺れているような所がありました。トイレに行って便座に座るたびにピリピリとする感覚があったので、傷に響いているのかと思っていました。ですが、それは傷の近くの皮膚だったことが判明。手術をするとその周辺の感覚がなくなったりすると形成外科の先生から聞き、納得しました。ぷよぷよとしている部分はどうなっているのか不明だったのですが、ひとまずバンドを巻いて押さえておくことにしました。それから右胸を見てもらったのですが、傷の一部が壊死していたそう。自分で確認することはできなかったのですが、皮膚がよみがえることを期待することにしました。ただ、執刀してくれた形成外科の先生や看護師さんたちには残念なニュースのような感じになってしまいました。退院後は右胸の傷に毎日軟膏を塗ることになったので、その説明も聞きました。軟膏は手ではなく、滅菌ガーゼに塗ってそのガーゼを胸に置いてテープで止めるそう。退院したらガーゼやテープを買わないといけないなと思いました。このころになると、寝る体勢もラクになってきました。術後すぐのころは、ベッドをフラットにしていると右胸と左太ももの傷が引きつる感じやピリピリと痺れているような感じがしていました。なので、ベッドの背もたれと脚の部分は上げっぱなしにして過ごしていました。傷とその周りに響くので術後4日目までは電動ベットの力を使って起き上がっていました。しかし、5日目からは自力で起き上がれるように!左脚はそんなに上げなくてもピリピリする感じがなくなったので、ほぼフラットにして枕を下に入れていました。毎日どんどん回復していて、人間の生命力に感動していました。ー--------------手術した傷の一部が壊死してしまったこほこさん。この先傷がどうなってしまうのか不安になってしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月05日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸にがんがあり、全摘手術をしたこほこさん。全摘手術と一緒に乳房の同時再建手術もおこないました。再建した乳房を見るタイミングとは果たしていつなのか……。★関連記事:「極楽じゃ〜」全摘手術から2日、術後初めての洗髪に感動! #乳がん絵日記 13右胸に浸潤性小葉がんが見つかった私は、9時間にも及ぶ右胸の全摘と再建の手術を受けました。手術の翌日には、観察室から自分の病室まで歩いて戻れるくらいには回復していました。術後3日目には、途中からしんどくなってしまったものの病棟の外で散歩もしました! 抗生剤の点滴も終わり、術後の経過は順調なものでした。術後の3日間は、手術した右胸をかばって寝返りができなかったので熟睡できませんでした。不眠気味になってしまったので、眠剤をもらって寝てみると……爆睡!寝返りを打って傷口が開いたらどうしようと思っていたのですが、無事に朝を迎えられました。この日は日曜日で、乳腺外科の先生も形成外科の先生も違う人が様子を見に来てくれました。胸の傷は新しい皮膚がかさぶたになるのを待つ必要があるとのこと。週に1回の体重測定の日だったので、ナースステーション前で体重を測ると、まさかの2kg増。術後からあまり食欲がなく、食事も残し気味だったので何でだろう? と不思議な気持ちに。まだ体がむくんでいたのでそのせいなのだろうか……。前日に病棟の外まで散歩した疲れが残っていたので、この日の散歩はほどほどにしておきました。手術で自家組織を取った左脚をかばいながら歩くので、右膝と腰に痛みを感じていました。でも、自分で顔を洗えるくらいの余裕ができて、顔を洗ってシートマスクをして美顔器を使ってスキンケアをしました! 今までは拭き取りの化粧水シートを使っていたのですが、やっぱり水で洗うと気持ちがよかったです。持ち込んだiPadで映画を見たり雑誌やマンガを読んで過ごしていたのですが、モバイルWi-Fiの上限になってしまったので、絵を描いて寝ました。手術をした右胸を鏡で正面から見たのは、術後4日目。それまでは上からチラ見するだけで、膨らみがあることしかわかりませんでした。とはいえ、まだガーゼやテープが付いているので形を見たくらいで、傷を見るのはまだ先のことでした。手術の翌日は心身に負担をかけたくなかったこともあり、手術衣からパジャマに着替えるときも胸からは目線をそらしていました。体を拭いたりもしなかったので、胸を見ることなく1日を終えました。術後2日目の朝、執刀してくれた乳腺外科の先生が体液や血管の音、胸の傷を確認してくれました。そのとき「再建したお胸のバランスも良いですね」と言われました。そこでちょっと見てみるかと思いお昼くらいに上からちらっと胸を見ました。たしかに左胸と同じくらい右胸にも膨らみがありました。その日はもう見ないでおこうと思い、胸の確認をすることはありませんでした。術後3日目も上からチラ見するだけにして、4日目になって正面から右胸を見ました。胸の大きさが小さいのもあって、ほぼガーゼとテープで覆われていました。何だか自分の胸なんだけど、自分の胸じゃないような感じもする……と不思議な感覚。組織を取った左太ももはバンドがぐるぐるに巻かれていたので、傷の位置も脚の形もよくわかりませんでした。ー--------------勇気を出して、再建した右胸を見たこほこさん。手術したときの傷口って見たいような、見たくないような、気持ちが揺れてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月03日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。乳がんの手術から2日目。右胸と左太ももから体液を出す管がついているこほこさんは入浴できず。そんなとき、看護師さんがしてくれた洗髪が……!★関連記事:「パンツはいて」どうやって着替えるの!? 戸惑う私に看護師さんが… #乳がん絵日記 12右胸の全摘と同時再建の手術から2日がたちました。9時間という大手術を無事に終えたものの、観察室にいる間は心のどこかで不安になっていました。病室に戻ってから安心したのか、少し余裕が生まれてきました。手術前から着圧ソックスをはいていたものの、脚は少しむくんでいて靴がキツくてかかとを踏んで歩いていました。右手もむくんでいることに気付き、左手と比べてみると……両手の甲にたくさんのシミらしきものが! 5日くらいで消えましたが、一体なんだったのだろうか……。目も普段は一重なのにぱっちりした二重になっていました。これも3日くらいで元に戻りました。昼食をたっぷりと食べるとおなかが動き出して、術後初めてのお通じがありました!まだ右胸と左太ももに管を通しているのでシャワーはNGでした。代わりにボディシートで体を拭くことにしました。そして、看護師さんが洗髪台で頭を洗ってくれたのですが……スッキリして気持ち良い〜! とってもうれしかったです。夜に体液測定をすると、右胸から60ml、左太ももから100mlの体液が出ていました。寝る前に抗生剤の点滴をすることに。ベッドをフラットにすると傷口が引きつる感じがするので、寝るときも背もたれと足を上げていました。いつも横向きに寝る私はなかなか寝付けませんでした。手術から3日目。この日は朝食後すぐに乳腺外科と形成外科の先生が一緒に病室へ来てくれました。手術のときに貼ったガーゼやテープを剥がして、傷口とご対面……! でも、ぼやけて見えてしまいよくわかりませんでした。再建して繋いだ胸の血管は問題ないとのことでした。それから、病棟の外まで散歩しようと思い、上着を着てワクワクのお出かけ! まだ左脚を引きずっているので、階段は無理ですが平地ならどんどん歩けました。全然歩けると思いきや、途中からしんどくなってヘトヘトに……。散歩で疲れたからか、午後から胃のムカつきを感じたり胃酸が逆流してきたりしました。空せきも出ていたので、のど飴をなめてやり過ごしました。寝る前に最後の抗生剤の点滴をして、左手に刺さっていた針も抜きました。ー--------------看護師さんに洗髪してもらい、スッキリとしたこほこさん。何日も頭や体を洗っていないと気持ち悪くなってしまうので、洗ってもらえるのはうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月29日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。無事に右乳の全摘と同時再建の手術を終えたこほこさん。病室へ戻ることになり、着替えをしようとするも管が通っているのでパンツのはき方がわからない! 戸惑っていると、看護師さんがアドバイスをしてくれて……。★関連記事:「ご主人ですよ!」乳がんの手術後、スタッフが総出で起こしてくれて… #乳がん絵日記 11約9時間の手術を終え、観察室で一夜を過ごすことになりました。ただ、昼間の手術中に麻酔で眠っていたので寝たくても寝れず……。スマホも見る気になれず、ぼんやりとしていました。夜、検温をすると熱が高かったみたいでした。術後は熱が上がりやすいみたいで、看護師さんが氷嚢を用意してくれようとしました。でも、熱っぽく感じなかったのでお断りさせてもらいました。真夜中になっても相変わらず眠気はやってこず……。様子を見に来た形成外科の先生に「あれ、起きてるやん。痛みで眠れない?」と聞かれました。ただ目が覚めているだけです、とカスカスの声で伝えました。先生は右胸の辺りに金属の棒みたいなものを当ててきました。すると、付属のボックスのようなものからゴーゴーとした音が! どうやら血管の音らしく、つなげた血管の中を血がしっかり流れているか確認していました。このときだけではなく、その後もこの確認があったので血管がつながっているかどうか確認するのは大事なのだと思いました。先生がいなくなった後、一瞬うとうとするも隣から「ウワァ!」と大声が聞こえてすっかり目が覚醒。どうやら寝言だったらしいのですが、驚いてドキドキしてしまいもう寝れなくなってしまいました(笑)。組織を採取した左太ももの裏側がピリピリとしていて、痛くなったら嫌だなあと思い痛み止めが出てくるボタンを押しました。しょっちゅう押しても一定の時間が経過しないと出てこない仕組みになっていたので、安心してカチカチとボタンを押していました。看護師さんが様子を見に来てくれたり、明け方に先生が再び来てくれたりして朝になりました。形成外科の先生が経過を見に来てくれ、右胸の血管の音を聞いていました。その後、再建したのでマンマ体操(乳がん手術後のリハビリ体操)はNG、右腕は90度までなら上げていいなどいろいろな説明を受けました。そうこうしているうちに朝食の時間。右手の人差し指に体内の酸素を測る機械を着けていて、お箸が持てないと思って外してもらったのですが……おなかが減っていなかったので、バナナと牛乳のみ頂戴することに。歯磨きはガーグルベースという受け皿と歯磨き用の水を用意してもらって、ベッドの上でおこないました。顔を拭くおしぼりももらって少しスッキリしました!昼前には観察室から病室へ戻ることに。手術衣からパジャマに着替えて、うまく歩けたら尿管も抜けるとのことでした。ひとまず、パンツをはきましょうと言われたものの……ど、どうやってパンツをはくの? と戸惑う私。というのも、私は右胸と左太ももに管をつないでいて、その先には体液のパックが。まるで初めてパンツを見たかのようにぼうぜんとしてしまいました(笑)。すると、抜いちゃいましょうかと看護師さんが尿管を抜いてくれました。いつものように右脚からパンツをはこうとすると、看護師さんからアドバイスが。先にパックと管をパンツの左穴に通して、左脚からはくと良いとのこと。本当だ〜!! と単純なことながら感動。いつもとは勝手が違うので、慣れるまでに2日程度かかりました。浴衣タイプのレンタルパジャマに着替え、観察室から病室へ戻ります。体液のパックは、首からかけた不織布のポシェットの中に入れていました。ゆっくり立ち上がると、ちょっとふんわりした感覚。左脚も引きずっているものの、なんとか歩ける! 自分の病室まで歩いて戻りました。病室の窓から見える風景が穏やかで、心がほっとしました。手術の朝からここまでたったの1日半。長いような短いような……戻ってこれたという感じがすごくしました。昼食を食べても尿意は感じなかったのですが、14時ごろになってトイレに行ってみるとちゃんと尿が出てきました。1回出てしまうといつも通り尿意を感じられるようになりました。抗生剤の点滴中にトイレに行こうとしたら血液が逆流していたようで、それを廊下ですれ違った看護師さんが気付いてくれてすぐに処置してくれました。流石はプロ……! と感動。管と体液パックの感覚や重さにも慣れて、午後は韓流ドラマを一気見していました。飽きたら廊下を歩いて散歩したりと、自由に過ごしていました。ー--------------観察室から病室へ戻る際の着替えに戸惑ったこほこさん。頭ではわかっているけど、行動ができないということってありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月22日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術の日がやってきたこほこさん。手術が終わり、看護師さんから声をかけられていることに気付いたこほこさんは何だか変な感じがして……!?★関連記事:「準備万端!」 明日の乳がん全摘手術に備えて今日は… #乳がん絵日記 10「浸潤性小葉がん」というがんになった私は、右乳の全摘手術をすることになりました。同時再建もおこなうことになり、手術時間は約9時間の予定でした。手術当日、私はというと……。朝6時までにアルジネードという経口補水液を飲んでおきます。このアルジネード、「ヤクルト」のような「ポカリスエット」のような味でゴクゴクと飲めました!私は髪が長いので、ふたつくくりにしておいたのですが、子どものころ以来だったので何だか違和感。手術衣は肩から腕がマジックテープでくっついているのですが、適当に貼り付けたらコントみたいにはだけてしまいそうでした。T字帯というおむつのような紙パンツと、サージカルストッキングという着圧ソックスをはいたら準備完了です。いざ、手術室へ出発!朝8時半前に病棟から手術室へと向かいました。病棟の入り口で夫が待っていてくれて、看護師さんと3人で手術室へと歩いて行きました。夫とは手術室の大きな扉の前でお別れ。私の手術中、夫は待機室で読書したり庭を散歩して過ごしていたそうです。手術室の内扉の前で看護師さんが話しかけてくれて、いろいろ確認などをしました。その後、手術室のスタッフさんなどたくさんの人と一緒に手術台へ。台に上って寝っ転がると、乳腺外科の先生が腕をさすりながら声をかけてくれて、ちょっと安心。あとはお任せしました! と心の中でつぶやく。麻酔科の先生が左手の甲に注射したり針を刺したりして、口から何か出てくるマスクを当てられました。眠くなるのか〜と思っていたら「まだ眠くなりません」とまさかのひと言。次に「きつめのお薬が入ります」と言われたら、あっという間にスヤァ……と眠っていました。手術が終わり、「こほこさん、終わりましたよ〜」「ご主人ですよ、こほこさん!」と私を呼ぶ声がぼんやりと聞こえました。このときは何かガタガタと移動しているような感じでした。その声に反応して、目を開けてみるも平衡感覚がわからず……斜めのほうに夫が笑っている姿が見えました。しかし私は麻酔の余力に抗えず、再び目を閉じてしまいました。後から聞いたのですがコロナ禍で夫とはこの一瞬しか会えないとのことで、スタッフさんが総出で私を必死に起こしてくださったそうです(笑)。観察室らしき場所に到着し、再度起こしてもらって何とか目が覚めました。形成外科の先生が「どこが痛いですか?」と聞いてくれるものの……声が出ない! 気管挿管をしていたから声が出なかったらしいです。聞いていたと思うのですが、忘れてしまっていた私。背中の右側にクッションを挟んでもらい、手術したほうの肩が上がってちょっとラクな感じがしました。左の太ももから組織を取って再建したので、左脚は股関節から開脚している状態でした。動いていいのかな? と思っていると、右脚は動かしていいみたいだったので足首を回したりしていました。左脚は太ももの裏にピリピリと張っているような感覚があったので、おとなしくしておくことに。夜9時ごろになって水が飲めるようになったので、ベッドの背もたれを上げて水を飲みました。背もたれを上げたせいでずり落ちてしまったので、元の位置に戻りたかったのですが傷に響いてしまいそうで踏ん張れませんでした。小刻みにズリズリと上がっていると手術衣のマジックテープが剥がれてしまいました!水が飲めるようになった時点で、酸素マスクは口を覆うものから鼻に付けるタイプに変更していました。休んでくださいと言われたものの、麻酔で爆睡していたので眠くなく……。スマホも見る気になれなかったので、カーテンの隙間から見える時計をぼんやりと眺めていました。ー--------------無事に手術を終えたこほこさん。コロナ禍の入院や手術は制限が多くて大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月15日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ明日に迫った右乳の全摘と同時再建の手術。手術に向けて朝からバタバタ。そんなこほこさんの1日とは……。★関連記事:「セレブやん」いよいよ乳がん摘出手術! オペ2日前に入院をして… #乳がん絵日記 9私は乳がんを患い、右胸を全摘することになりました。入院初日は医師や看護師などいろいろな人から手術や入院生活の説明などを受けました。ごはんもおいしく、病室もホテルを思い出すような快適さで私は何だか旅行気分になっていました。翌日は朝食の途中に歯科に行き、口腔ケアをおこないました。歯科から戻って残っていた朝食を食べると、すぐに昼食がやってきました(笑)。午後は形成外科で脚のエコーをしてもらいました。以前検査で使ったものよりも良い装置らしく、画質がとてもよかったです! 右乳の再建時に移植する神経もお取り寄せしてもらっているとのことでした。RI検査という放射性医薬品を使った体内の様子を調べる検査もおこないました。この検査は事前の注射と検査時間が分刻みで決まっていて、うっかり昼寝してしまわないよう気を付けていました。台の上にあお向けに寝転がっていると、頭の上を機械が通っていきました。検査が割とすぐに終わったので、ついでに術後すぐに飲む用の水を買い足しに行きました。庭に桜が咲いていたので、ちょっとお花見をして病室へ。乳腺外科の主治医が様子を見にきてくれて、窓から他の病棟を一緒に眺めながら少し話をしました。その後、麻酔科の先生とアレルギーについて話をしたり、看護師さんから手術室の説明を受けました。そして、病棟の看護師さんと術後に使うパジャマや水などのセットを再確認して準備完了!あっという間に夜になっていました。この日の夕食も完食! 手術当日は絶食になるため、しっかりと味わって食べました。空っぽのお皿を見て、看護師さんがにっこりとしていました。必ず洗髪をしてとのことだったので、シャワー室で念入りに頭を洗いました。家に山ほどあったホテルのアメニティーを持ってきていたので、それをバンバン使っていく!日中、看護師さんから「手術中に同じ体勢が続くと背中が痛くなったりするから、なるべくラクな体勢にしておくね」と言われたことを思い出し、何となく背中をチェック……。そういえば、入退院の説明時にも肩凝りがあるかどうかを気にされたりしていたなあ。まあ大丈夫だろう。術後はこの病室ではなく、観察室のようなところに行くので、持ち物に不備がないかシミュレーションしてアイテムを追加したりしました。寝る前に冷やしておいたアルジネードという経口補水液を飲んで就寝。看護師さんが寝られるか気にしてくれましたが、気付いたら寝ていました。手術前とは思えないくらい穏やかな夜でした。ー--------------手術を明日に控え、朝からバタバタとしていたこほこさん。手術前日ってゆっくりと体を休める印象がありましたが、検査などで慌ただしいんですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月08日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術を受けるために入院するこほこさん。コロナ禍で面会禁止の中、入院生活を快適に過ごすためにこほこさんが準備したものとは……。★関連記事:「断面を見て思わず感動!」 私が乳房再建用のCT撮影で見たかったものとは #乳がん絵日記 8「浸潤性小葉がん」という病気にかかった私。がんは右胸にあり、全摘手術をおこなうことになりました。摘出と同時に、太ももの組織から乳房を再建することにもなっており、手術時間は合計9時間を予定していました。PCR検査も済ませ、オペの2日前に入院。入院期間は2週間と言われていました。入院前日、2週間のお泊まりなんて普通ならバカンスだよな……と思いながらせっせと荷造りをしました。コロナ禍ということもあり、面会は禁止で差し入れも難しい状況だったのでティーバッグなど、入院生活を快適に過ごすためのアイテムは多めに準備しました。私は運良く個室に入院することができたので、あれやこれやと持ち込みたいものは全部持っていくようにしました。個室ということもあり、香りがある癒しアイテムを持ち込めたのはうれしかったです。美顔器なんかも持って行って、スキンケアは怠らないようにしていました(笑)。寒さ対策でカーディガンやモコモコの靴下を用意していたのですが、暑くて出番はありませんでした。マスキングテープが意外とお役立ちアイテムになっていました!パジャマとタオルはレンタルで済ませたものの、日用品なんかも入れると機内持ち込み用のスーツケースだけでは足りず……折りたたみできる大型トートバッグもパンパンになるくらいの大荷物になりました。入院日と退院日は同じ格好にしようと思い、前開きのワンピースを着て行きました。病院には朝8時半に到着。入退院の案内が混み合う前に手続きを始めました。最初に体重測定をし、病棟へと向かいました。未知の空間にビクビク……。付き添ってくれていた夫はナースステーション近くの談話室で待機していました。部屋に荷物を運び込んだら、夫と合流して麻酔科の外来で説明を受け、同意書を提出しました。夫とはここでグッバイ。次に会えるのは手術の日の朝でした。夫は元気に仕事へと向かいました。それからは病室に戻って看護師さんから部屋についての説明を受け、入院患者用のバンドを左腕につけてもらいました。こういうバンドって何かアミューズメント感があって、特別な気分になるんですよね。そして採血をおこなったり、手術までのスケジュールを聞いたりしました。荷解きをしているとき、初めて会う乳腺外来の先生がRI検査の説明をしに来ました。RI検査は放射性医薬品を注射したり服用したりして、臓器などの働きや形を観察する検査らしいです。この後もいろいろな先生が登場して、たくさんの人がいるな……と感心。お昼には人生初の病院食を食べ、おいしく完食! 薬剤師さんが薬の説明をしに来たり、看護師さんが体温測定をしに来たりと初日からいろいろな人に会えて楽しかったです。ベッドの上で夕飯を食べているとき、ふと「ベッドルームで食事するのって海外のセレブみたいやん……!」と思いました(笑)。ベッドの上が生活のメインスペースになることに対し、既視感がありました。そこで思い出したのが、出張でたまに泊まっていたホテルの広めの部屋のこと。トイレやシャワーが共同なところも合致して、何だか旅行気分になっていました。シャワー室は30分ごとの予約制でした。名前ではなく、私だけがわかる暗号のような絵を描いてシャワー室の予約をしていました。私は髪が長く、乾かすのに時間がかかっていたので、備え付けのドライヤーではなく持ち込んだドライヤーで髪を乾かしていました。手術までの間、夜はレンタルのパジャマを着て、昼はジャージを着て過ごしていました。昼も夜もレンタルのパジャマを着ていれば荷物を減らせたのですが、いかんせん初めての入院で何もわからず……。どっちでもいいとは思うんですけどね(笑)。ー--------------ついに入院の日を迎えたこほこさん。入院経験のある方はどんなアイテムが役立ちましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月01日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ入院する日が近付いてきたこほこさん。手術の説明を受けたこほこさんは夫にとあることをお願いします。そのお願いとは一体……。★関連記事:「まるでダンジョン!?」右乳全摘と同時再建手術前の検査ミッション! #乳がん絵日記 6私は「浸潤性小葉がん」の診断を受け、右乳の全摘手術を受けることになりました。同時に太ももの組織から乳房の再建をすることも決まり、着々と入院の日が近付いてきました。この日は手術の説明を聞くために夫と乳腺外科を訪れました。診察室に入ると、いつもの先生が待っていました。着席すると、早速手術の説明が始まりました。切除する範囲を正面と横から見たイメージで図示してくれました。「リンパ節に転移していたら、リンパを取ります」とのお話もあり、私はリンパが脇だけではなくあちこちにあることを知りました。電気メスを使用するので皮膚が焦げることもあるらしく……私よ、頑張れ! と自分を奮い立たせる。手術時間は乳がんの切除に2時間、再建に7時間の約9時間。その都度、担当の医師から夫に説明が入ることになっていました。切除した部分を見せてもらえるとのことだったので、夫に写真を撮ってもらうようにお願いしました!が、夫はここで痛恨のミス。手術当日は写真のことをすっかり忘れていたみたいでした。後日、病理診断の結果をいただくまでお預けになってしまいました。手術中、夫は病棟の面会室のような場所で読書をしたり、周辺を散歩しながら待機することになりました。コロナ禍のせいで病室での待機ができなかったんですよね……。乳腺外科で手術について説明を受けた後、お支払い窓口へ行きました。そこで限度額適用認定証という、高額な医療費の支払いが自己負担限度額までに抑えられるという証明書を提出しました。その後、入退院の窓口にて家族の連絡先などを書いた紙を提出。そこで改めてコロナ対策で面会ができないことや個室の確保が難しいことを教えてもらいました。一応個室を希望していたのですが、6人部屋になりそうとのこと。洗濯物の交換も難しそうだったのでパジャマとタオルはレンタルにしました。見本を見せてもらって、胸も脚も手術をするので浴衣タイプのパジャマを借りることに。そのとき、T字帯という下着も見たのですがふんどしだということを知り、やや衝撃を受けました! パンツタイプのものがあり、そちらにすることにしました。床頭台(ベッドサイドに置かれているテーブル代わりの収納台)も確認して、何を持ち込むか考えたりと快適な入院ライフを目指して準備を進めました。入院まで残り3週間。まだまだやることはありました。入院や治療中に虫歯が見つかると困るので、久々にかかりつけの歯医者さんへ。するとなんと軽い虫歯が!歯科衛生士さんに乳がんの手術をすることを話すると、歯科医に伝えてくれました。再受診ではなく、その場で治療してくれました。ありがたい〜!そして美容院にも行きました! 私は髪質が硬い上に癖っ毛で……髪が広がるのでくくっていることがほとんどでした。しかし、手術をしたらしばらく右腕が上げられなくなるので、髪がまとまりやすくならないか相談しました。すると、くくらなくてもいいようにストレートパーマを当てることに。時間がなく、飛び込みで行った美容院だったのですがきれいにしてもらえてよかったです。ー--------------コロナ禍の中では自由に面会もできず、寂しくなったり不安を感じたりしてしまいますよね。入院ライフをいかに快適にするか……悩ましいものです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月21日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんがたくさんの検査をこなすお話です。手術の日が決まり、それに向けて検査を受けるこほこさん。あまりの検査数にこほこさんが思ったこととは。★関連記事:「そういうこともあるわよ!」がんになったことを周りの人に伝えると… #乳がん絵日記 5私は「浸潤性小葉がん」の告知を受けました。今は家族や職場にがんと手術について伝え、あとは治すだけ! という状態。右乳の全摘とともに同時再建をすることになっていたので、手術に向けてありとあらゆる準備をし始めました。手術前、私はもう一度造影MRIを撮影してもらうために病院へ向かいました。更衣室には私以外の患者さんもいて、どこまで服を脱げば良いのかという話題で盛り上がっていました。私はいつも全部脱ぐようにしています。ウエストがゴムのスカートならはいていても良いのでは? と思いつつ、潔く脱衣!造影MRIを撮影した直後、平衡感覚がおかしくなってしまったのか体がふわっとしてしまいました。そこをガシッと受け止めてくれたのは放射線技師さんでした。かっこいい、好き……! なんてことを思いました(笑)。造影剤の副作用なのか疲労からなのか、帰宅途中に軽い頭痛と胃のムカつきを感じました。この日は大事をとって仕事は休みをいただきました。検査結果はすぐに出たのですが、がんがすべて写っていたのかわからなかったため全摘にしてもらうことになりました。部分摘出にならないか期待していたのですが……そこはどうしようもありませんでした。造影MRIを撮影した日、他にも検査をおこないました。いろいろな場所をめぐりながらの検査はまさにスタンプラリー。検査をしながら歩き回る病院はまるで迷宮、ダンジョンでした! 病院があまりにも広くて迷いそうになり、ダンジョンを攻略しているような気持ちになりました。検査をしながら病院内を巡り、院内マップと天井に吊るされている案内板を頼りに目的地である受付を目指しました。私は唯一受け身じゃない検査であった肺機能の検査で良い結果を残したく、全力で息を吐き切りました! 太い管に向かって息を吐いて、やり直しを挟みつつもなんとかクリア。順調に検査をこなしましたが、私にはあることが引っかかり続けていました……。手術の1カ月半前、私は同時再建の相談をするために形成外科を受診していました。というのも、乳房再建は自家組織による再建と人工物(シリコンインプラント)による再建があります。「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」という本を読み、自分は自家組織での再建をしたいとなんとなく思い、形成外科で相談をしました。背中、おなか、太もものいずれかから移植するので、おなかと太もものエコー検査をしてもらいました。その結果から、私は太ももから組織を移植することに。洋梨体形なので太ももの肉付きには自信がありました(笑)。私がずっと気になっていたこと、それは右乳の再建をしたとき乳輪と乳頭はどうなるのかということでした。乳輪も乳頭も残したいな〜、でも無理だよな〜と思っていました。ですが、乳輪と乳頭の再建もできるとのこと! そのことを聞いたとき、霧がバァーと晴れたような気持ちになって……何とも言えないうれしさがありました。このころは仕事も繁忙期だった上に、いつも緊張していて食欲不振になっていました。「自家組織から再建するなら太ったほうがいいかも……?」と乳腺外科の先生に言われたので、近所で評判のタピオカ屋に行ったりしてカロリー摂取をしていました!ー--------------手術のためにいろいろな検査をおこなったこほこさん。病院ってとても広いのでたしかに迷路みたいで迷ってしまいそうですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月14日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は乳がんの告知を受け、手術をすることになったこほこさんが家族や職場の人にカミングアウトをするお話です。夫以外の人に初めて病気になった話をすることに少し緊張していたこほこさん。周りの人の反応は一体……。★関連記事:「全摘になります」手術の説明を聞いた夫がとった行動とは #乳がん絵日記 4「浸潤性小葉がん」の告知を受けた私。右乳を全摘する手術をすることになりました。同時再建もおこなうことにし、手術日も無事決定しました。手術日が決まった翌日、職場への報告をしました。普通に話すつもりだったのですが、自分の病気について他の人へ話をしたことがなかったのですこぶる緊張しました!がんも手術もどこかひとごとに思っていたのですが、口に出してようやく実感しました。コロナ禍ということもあり、オフィスはテレワーク中で人がまばらな状態でした。その日、上司の1人が出社していたため、まずその上司を確保しました。続けてテレワークをしているもう1人の上司にZoomをつなぎ、がんと手術について話をしました。少し情緒が不安定になってしまい、説明がグダグダになってしまいました。しかし、2人の上司はそれをやさしく受け止めてくれました。私が休職している間の引き継ぎや情報共有に関しては上司の判断に任せることにしました。人事の方に休暇取得の方法を聞きに行くと、「病気が見つかってよかったね。人間ドックへ行ってよかったね」と言ってくれました。私は本当にそうだな、ちゃんと見つかってよかったなと心から思いました。そしてその週末、急遽実家へと帰省しました。母は先約があり、家を空けていたので帰るまで待ちました。その間に父と姉にがんと手術の話をしました。どんな反応をされるのか様子見しすぎてしまい、胃がキリキリと痛みました。でも、しっかりと話ができてホッとひと安心しました。登山から母が戻ってきたので、父と姉に話をしたのと同じことを言いました。心配をかけてしまうかもと思っていたのですが、「そんなこともあるわよ!」とひと言。それから「こんな小さい胸のどこにがんができるんかね〜」と笑ってくれました。本当に! 小さいのにね(笑)! 私のひいおばあちゃんも乳がんを患ったことがあるらしく、それでもずっと元気だったと母は教えてくれました。母の言葉に不安が紛れ、あとは治すだけだ! と気持ちが前に向きました。ー--------------自分の病気について他の人に話をするとき、何を言われるのか、どんな反応をされるのか、いろいろなことを考えてしまいますよね。そんなときに前向きな言葉をかけてもらえるとうれしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は乳がんの診断が確定したこほこさんの今後についてのお話です。浸潤性小葉がんの診断を受けたこほこさん。一体どのように治療するのでしょうか。★関連記事:「乳がんにも種類があるんだ…」告知された病名は聞いたこともないもので… #乳がん絵日記 3人間ドックでマンモグラフィー検査を受けたことをきっかけにエコー、造形MRI、針生検の検査をした私に下されたのは「浸潤性小葉がん」。ショックを受けながらも、転移がないか確認するためにCT検査をおこなうことになりました。告知の際に手術をすると言われましたが、まだ考えがまとまらない私にはどこか他人事のように思えました。右乳がんであると告知を受けた後、看護師さんと少しお話をしました。メンタル面のフォローをしてもらっているうちにCT検査をする時間になりました。頭は回っておらず、言われるがままCTの台に寝転び脇を見せました。この検査では全身に転移が回っていないかを確認するそうでしたが、気の抜けた返事しかできませんでした。左手に造影剤を注射し、手が冷えておしりが温かくなるのは造影MRI検査と同じでした。頭の上に輪っかのようなものがあるのがどうにも気になり……目を閉じて検査を受けました。でも造影MRI検査よりも静かなのはよかったです! 検査結果は2日後に出るとのこと。手術は系列の別病院で受けることになっていました。なので検査結果を受け取り、紹介状と一緒に紹介先の病院へ行くことになりました。告知を受けてから3日後。夫とともに紹介先の病院へ。この病院で手術すると思った決め手は、告知してくれた先生がいるからでした。診察室に入ると少し違う白衣を着た先生が! この日は今後の手術について話をしました。前の病院で撮影した造影MRI検査では、どこに腫瘍があるかはっきりしていませんでした。ですがマンモグラフィーの石灰化の広がり方や小葉がんであることなど、いろいろなことを踏まえて全摘になるとのことでした。同時再建ができる日を手術日に設定しましたが、私にはあるモヤモヤが……。それは、部分切除にできないかということでした。私が諦めきれないでいると、夫が「もう一度MRI検査をお願いします!」と言ってくれました。夫よ、なんてやさしさなんだ!それ以外にもセカンドオピニオンについても聞いてくれました。その後、エコー検査をしたのですが「やさしい旦那さんですね〜」とひと言。良い夫を持ったな、と惚れ直してしまいました。ー--------------乳がんの摘出手術をすることになったこほこさん。やはり全摘となると思うことはたくさんありますよね。それを察して発言してくれた夫さんはすてきな方ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月21日2021年に乳がんが発覚し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんの検査結果が告げられるお話です。マンモグラフィーに始まり、エコー、造形MRI、針生検とたくさんの検査をしたこほこさん。その結果は一体……。★関連記事:「異常なしなんじゃないの〜?」乖離する検査結果に期待を抱く私 #乳がん絵日記 22020年12月、人間ドックを受けた病院から「すぐに受診してください!」という電話を受けた私。約1カ月以上かけて検査をしてきた私でしたが、なかなか核心をついた診断結果は得られず……。ですが、ついに結果が出ます。マンモグラフィーとエコー検査の結果と造形MRI検査の結果が乖離(かいり)していたことから、針生検検査を受けました。その結果が出るまで2週間あるとのことでドキドキの毎日。まだ何もわかりませんでしたが、もし入院することになればしばらく温泉やスーパー銭湯には行けないと思ったので週末は大好きな風呂三昧! 身も心もリラックスしました。ですが万が一悪性だった場合に備えて、病院を夫に調べてもらったりもしました。今度こそ告知なり何なりがあると思い、また夫と病院へ行きました。今までの検査結果がはっきりしていなかったこともあり、大丈夫かも?と軽い心持ちでした。しかし、診察室へ入ると、先生はキリッとした雰囲気で……。私に下された診断結果は「浸潤性小葉がん」。乳がんとは何が違うの……? と疑問が浮かびましたが、先生の説明は続きます。浸潤性小葉がんは乳がんの一種で、私は右乳にがんがあるとのこと。がんはグレード2のルミナールAタイプ。乳がんにもいろいろなタイプがあるなんてまったく知らず……。初めて聞く横文字が多すぎて頭に入りませんでしたが、とにかく手術をすることだけはわかりました。グレードというのは病理学的悪性度のことで、「がんの顔つき」とも言われているみたいです。ルミナールは、女性ホルモンと結合する受容体が乳がん細胞に発現するタイプのこと。その中でもAタイプとBタイプがあり、Bタイプのほうががんの繁殖力や再発リスクが高いそうです。手術は先生が所属している系列病院にしました。2カ月くらい待つことになりましたが、この先生がよかったので他の病院は選びませんでした。告知直後、全身のCT検査をすることになりました。付き添ってくれた夫は仕事があったので、1人で待合室に居ました。すると、看護師さんが寄って来ました。CT検査の説明かと思ってました。看護師さんは「ちょっとお話しましょうか。ここじゃちょっとアレなんで ……」と人けのない廊下の端っこへ。何だろうと疑問に思っていると、「大丈夫ですか?」「聞きたいことはありませんか?」とすごくやさしく寄り添ってくれました。え……やさしすぎないか……。コロナ禍で看護師さんも大変なときに、こんなにも労ってもらえるなんて思っていませんでした。とりあえず、ちんぷんかんぷんなサブタイプのことなどを聞きました。リンパ節への転移がまだわからないので、手術をするまではステージについてもわからないということも教えてもらいました。他にも、セカンドオピニオンを受けるなら違う大学の系列病院が良いなど教えてくれました。そうか、がんといえばセカンドオピニオンか……。それに気付きながらCT検査へと向かいました。ー--------------乳がんの告知を受けたこほこさんは、頭の中がぼんやりとしてしまったそうです。そんなときに寄り添って支えてくれる看護師さんの存在ってとてもありがたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月14日2021年に乳がんが発覚し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回はこほこさんの乳腺にあるしこりの検査をするお話です。こほこさんの乳腺は乳頭から脇にかけて硬くなっているようでしたが、エコー検査ではわからず……。他にも検査をすることになりました。★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 12021年の年明け、私は病院にいました。2020年に人間ドックを受けたところ、病院での再診をおこなうことになり、まずエコー検査をしてもらいました。臨床検査技師さんに「しこりはこれですか?」と確認されましたが、私にわかるはずもなく「よくわかりません」と答えました。それからすぐに乳腺外科を受診しました。いきなり告知をされたとき、どうすれば良いのかわからなくなってしまうと思ったので、夫と共に診察室へ入りました。まず、人間ドックで撮ったマンモグラフィーの説明を受けました。右胸が広範囲にわたって石灰化しているとのこと。セッカイカ……? と頭にはてなが浮かびました。次に、先ほどのエコー検査の結果発表がされました。8mmくらい輪郭がにじんだものが見えます、と言われました。輪郭がにじんでいるとどうなんだ? と思いましたが、良性だと輪郭がもっとはっきりしているということでした。これだけでは診断を確定できないので、後日造影MRI検査をおこなうということでこの日の診察は終了。これだけじゃ確定できないんだ〜とのんきな気持ちで帰宅し、午後は普段通り仕事をしていました。初診から約半月。造影MRI検査の日になり、1人で病院へ。造影剤を投与する同意書を記載するとき、小児喘息を患っていたので大丈夫かな?というやりとりがありました。ですが、検査する以外選択肢がないので同意書にサインをしました。良い感じに胸をはめられる検査台のようなものにうつ伏せで寝転び、ヘッドホンをはめてボタンを握らされました。「少しでもおかしく感じたらすぐにボタンを押してください!」と臨床検査技師の方からのお気づかいがありました。カンカンと音がし、放射線科の先生から造影剤を入れる合図がされました。すると左手が冷やっこくなって、おしりが温かくなりました。じっとしなきゃ! と思っていたせいか、何だか鼻がムズムズしてしまい検査うんぬんよりも鼻がかゆいことで頭がいっぱいでした(笑)。30分くらいで検査は終了し、結果は翌週の外来で伝えられるとのことでした。造影MRI検査の翌週、ひょっとしたら告知があるかも? と思ったので夫と外来へ検査結果を聞きに行きました。造形MRI検査ではなぜか何も写らなかったみたいで、以前撮ったマンモグラフィーやエコーの結果と造形MRI検査の結果が乖離(かいり)しているとのこと。素人な私、やっぱり何にもないんじゃないの〜? と期待を抱く。が! 次は針生検をしましょうということに。同意書を書いて診察台へ横になりました。麻酔を打ち、脇の下へ枕を入れたらセッティング完了。グイッと針を刺しているような感覚がしたものの、麻酔でよくわかりませんでした。バチンバチンという音と振動がして、ちゃんと取れているのかなと思っている間に終了しました。その後、看護師さんがガーゼで脇を押さえてくれている間、世間話をしていました。針を刺したところが青黒くなったくらいで特に異常はなし。結果が出るまで2週間かかるとのことでした。ー--------------数多くの検査を受けたこほこさん。診断が確定しないと自分は病気じゃないのかもと期待してしまう半面、不安になることもありますよね。皆さんだったらどのように過ごして、検査結果を待ちますか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月07日