「まだ子供。かわいい~」。手にのせたタランチュラを愛おしそうに見つめる篠原かをりさん(26)。飼育した虫や生き物は家族同然だ。『世界ふしぎ発見!』(TBS系)でミステリーハンターを務め、国内外の秘境を、生き物との出合いを求めてフィールドワーク。コスタリカでは生きたシロアリの幼虫を食し、希少なプラチナコガネを発見したときは“いろいろあった人生だけど、OKだった”と落涙。こうした独特の感性で生きものを捉え、『恋する昆虫図鑑』(文藝春秋)や『ネズミのおしえ』(徳間書店)など数々の本を出版している。かをりさんは生まれてこのかた、数千、数万種類にのぼる生きものを愛してきたのだ。一方、人間には苦手意識や劣等感があったという。かをりさんは、横浜の元町・中華街で幼少期を過ごした。友達と遊ぶよりも、ダンゴムシと戯れるほうが至福の時間だった。「見た目が面白くて集めていたんですが、とくに模様付きのダンゴムシが好きで。そのうち、ダンゴムシの足側を見ると、模様付きのほうが卵や幼虫を持っている確率が高いと気づくんですね。それで模様付きがメスだと知ったんです」根っからの研究者気質だったのだろう、単にかわいい、面白いだけで終わらず、疑問を持ち、答えを求めた。しかし、こうした興味は虫や生きものに対してのみ。だから地元ではお嬢さまが通う高校までの一貫校に小学校から入学したが、教育方針からはみ出してしまうし、友達もできない。日常的なルールを守れず、絵の具の蓋を開けても、閉め忘れてしまうことも多くあった。「絵の具が乾いて使いものにならず、無事なのは緑色だけになってしまったことがありました。それで緑一色で、濃淡をつけながらウサギの絵を描いてたら、先生が“この子はおかしいに違いない”と思ったのでしょう。親が呼び出され『専門家の、適切な診察を受けたほうがいい』と言われました」たしかに教師にとっても、変わった子に映ったはずだ。「本当にヒトと関わることに興味がなかったので、図工の時間で『友達の絵を描きましょう』と言われたとき、友達がいなくて焦りました。勝手に私が友達と思っている子の絵を描いたら、その子が嫌な気分になるだろうって気を使って、けっきょく田んぼのザリガニを描いて提出したんです。周囲の友達は、私がそういう子だって理解していたから、とくに排斥されることもなかったです。でも、大人から見ると“学校のルールを守れない子”だから、たぶん友達の親は、娘を私と遊ばせたくなかっただろうし、先生もしょっちゅう怒っていました」ただ、怒られるのを恐れて後悔したことがある。小3の林間学校に行ったとき。集合時間に整列していると、タマムシが木の根元にいるのを偶然にも見つけてしまったのだ。「タマムシは上空の高いところを飛んでいるので、手の届く範囲にいるなんてありえないんです。人生で初めてのことだったし、捕りに行きたかったんですが、整列しないと怒られるから、あきらめてしまったんです。でも、それを20年近くたった今も後悔しています。怒られるのは一瞬だけど、自分の好きなものをあきらめたら、何年もひきずってしまう。小さな虫から教わる人生訓っていっぱいあるんです」小4のある日、注意されることの積み重ねで“これ以上、否定されたら無理だ”という防御本能が働き、1年間、不登校となった。明るく、いつもかをりさんを支えてくれる父親も、当初は「学校に行くべき」と、無理に連れて行こうとしたが、かをりさんが校門の前で吐いてしまった。両親は不登校でも気長に見守ることにして、母親は平日の昼間からかをりさんを遊園地に連れ出したりもした。学校では理解されなくても、家族は味方でいてくれたことが、支えになった。高校に進学しても、学校は苦手で100日くらい欠席。だが、母は「100日分、ほかのママよりも、かをりと一緒にいられるんだよね」と包み込んでくれたのだった。そんな両親に支えられ、大人になったかをりさん。人と違うことに劣等感を抱いたこともあったが、テレビ出演や本の出版に際し、温かい言葉をもらって意識が変わったという。「メディアに出ると“きっと嫌なことを言われるに違いない”と身構えていたんです。ところが『生きもの愛にあふれている』『好きだという気持ちがすごく伝わった』と応援のメッセージが多かった」ずっと不正解とされ、大多数の正解者にはなれなかったが、新たな世界を広げたことで自分のことを認めてくれるヒトもいたのだ。ジャングルでの体当たりのレポートを、視聴者は好意的に受け止め、劣等感を抱いていたかをりさんに自信を与えた。「生物は、同じ遺伝子ばかりだと不測の事態のときに弱い。少し別の遺伝子を持った個体がいることで、種は守られます。だから私のような異物が入って多様性があったほうが、種の繁栄につながるのかもしれません」そう語るかをりさんは、決して自嘲気味ではない。これからも、自分の「好き」を信じて羽ばたいてく――。「女性自身」2021年6月1日号 掲載
2021年05月24日過疎化の進む秋田の美しい田園を背景に、思春期の少年少女と大人たちの物語を描く『光を追いかけて』が公開決定。この度、若手最注目俳優の中川翼、長澤樹、秋田出身の生駒里奈、柳葉敏郎の熱演に魅了される予告編とポスターが解禁となり、俳優陣からコメントも到着した。両親の離婚で父の故郷・秋田へと引っ越した、中3の彰。転校先にも馴染めず、憂鬱な日々が続く。ところがある日、彰は空に浮かぶ“緑の光”を目撃。田んぼのミステリーサークルへと辿り着くと、不登校のクラスメート・真希と出会う。共通の秘密を持った2人の仲は近づき、灰色だった日常が輝き始める。一方で彰たちの中学は、過疎化による閉校の日が迫る。おとなたちも揺れ動く中、 “緑の光”は彰たちに何を伝え導こうとしているのか?この度到着した予告編では、光を失った町に引っ越してきて“大人になることを強いられる”彰と、“大人になることを拒否する”真希、そして閉校を哀しむ生徒たち、そうした子どもたちの不安が、彰の父や真希の叔父・秀雄、閉校となる学校の教師・美晴など、大人たちへも稲穂が風に波打つように伝播し、ミステリーサークルのように渦を巻きながらそれぞれの葛藤が映し出される。光を追いかけて走る彰と真希が立ち向かう運命とは…。そして、米農家としての将来を憂う秀雄たち大人の選択とは…。ミステリーサークル、それは“未来への儀式”。ミステリーサークルが人々を未来へと導き、成長させていく。併せて、到着したポスタービジュアルでも「光を望むな」「光となれ」という印象的なコピーと共に彰と真希をはじめとして、それぞれの想いを秘めた表情を浮かべている。美しい少女と出会い成長していく中島彰を演じるのは、映画『僕だけがいない街』、大河ドラマ「おんな城主 直虎」、ドラマ「青のSP(スクール ポリス)―学校内警察・嶋田隆平―」などで、子役からキャリアを重ね、存在感のある演技でいまティ ーン世代で最も注目を浴びる俳優の一人である中川翼。そんな彰にだけ心を開く不登校のヒロイン・岡本真希に扮する のは映画『破壊の日』『卵と彩子』や、舞台「INSPIRE 陰陽師」など演技の幅を広げ続け、「日刊スポーツ」が2021年の芸能界でブレークしたり、バズる「急上昇」候補として挙げている長澤樹。さらに廃校となる中学校の教師・奈良美晴役に生駒里奈、真希の叔父・佐藤秀雄役に柳葉敏郎と秋田出身の演技派俳優が名を連ねる。加えて、彰と真希の同級生役に中島セナ、彰の父親役に駿河太郎、中学校の教師役に小野塚勇人などの共演にも注目。また、主題歌「心解く」を湯木慧が担当する。そして、監督と共同脚本を担当するのはCMディレクターとして600本もの作品を手掛けた成田洋一。自身も秋田市で思春期を過ごし「思春期、それは人生の中で一番不安定で、世界が毎日変わって見える時期かもしれません。私自身、恋愛、友情、勉強、親との関係で悩み、トンネルに入り、ようやく光を見つけたと思ったら、また入る、そんな毎日でした。でも、その光は大なり小なり輝いていて、必ず、必ず存在するのです。その繰り返しが人生だし、ほんのわずかな輝きがあるだけで人生はすこぶる楽しいのです」と当時を振り返りつつ、彰や真希たちに寄り添い、語っている。中川翼〈中島彰〉役完成した映像を見た時、どこかにあった不安な気持ちがすっと消えていきました。きっと僕にとって、人生のターニングポイントになる映画だと思います。成田監督を始め、秋田の撮影では現地の皆さんとの素敵な出会いがありました。自分の居場所を探していた彰も、人見知りだった僕も、この映画が変えてくれました。今すぐ秋田に行きたくなる、秋田の魅力満載の映画になっています。一面に広がる大自然に注目して、見てみてください。長澤樹〈岡本真希〉役初めての映画、何も出来ない私が真希を演じられるか不安でした。真希は台風みたいな子で自分とは全然違うと思っていました。でも撮影が始まり、真希に寄り添ってみるとそんなことはなくて。共感できる部分が沢山あり、それが段々と増えていく事が楽しくてあっという間でした。この美しい作品が完成したのは監督・キャストやスタッフ・地元の皆さん、そして秋田という素敵な場所があったからです。この作品が皆さんの希望の光になりますように。生駒里奈〈奈良美晴〉役我が故郷秋田を舞台にした作品に出演する事が出来て素直に嬉しいです。この作品は秋田そして田舎のリアルを細かく美しく映し出された作品です。主演の皆さんの10代の心の痛みや、私が演じた若者の葛藤、親世代、祖父母世代の気持ちを成田監督が素晴らしい映像で切り取っています。私がなんとなく見ていた地元の田園風景がこんなに宝物だったなんて、、、 空の広さに感動して、嬉しいのに涙が溢れました。 是非、沢山の方に見て頂き、日常にある景色や自分の心を感じで頂けたらと思います。柳葉敏郎〈佐藤秀雄〉役大人が変わらなければ子どもも変われない。この作品を通して、秋田県民のみならず、人生に一歩踏み出す勇気を持つことの 大切さに気づいてほしい。『光を追いかけて』は9月23日(木・祝)よりAL☆VE(アルヴェシアター/秋田)にて先行公開、10月1日(金)よりグランドシネマサンシャイン池袋ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2021年05月24日時代の空気とそこに生きる人々の秘めたる本音を、絶妙な比喩を交えて表現してきた朝井リョウさん。そんな朝井さんが作家生活10周年記念作品として、昨年に『スター』(朝日新聞出版)を、そしてこの3月に『正欲』(新潮社)を刊行した。「『スター』は初めての週刊連載だったので、次々に展開するグルーヴ感のある作品を目指していました。一方、人間の欲望をテーマにした『正欲』は書き下ろしだったので、衝動のままに書くというか、読み手にとって咀嚼しにくい作品になるかもと思っていました。それで前者を〈白版〉、後者を〈黒版〉と名づけたんです。でも、完成してみれば、『スター』は閉所で誰かと誰かがずっと対話をしている話で、逆に『正欲』は、私の本の中で“生きる”ということにいちばん前向きな本になったと感じています。本当に小説って計画通りにいかないんです。ただ、『正欲』を書きながら、この数年で明確化してきた、“生と死のうち生を選ぶとして、その理由になり得るものとは”というテーマに少し向き合うことができた気がしていて、それはよかったなと感じています」朝井さんの言葉は強い。デビュー作のタイトルは、10年経ったいまもさまざまにもじられる言葉として定着している。また本書では、性欲と重なる音に「正」の字を当てはめたタイトルにしたことで、性的欲求だけではなく、生きる上でおろそかにできない承認欲求や生存欲求のような欲も俎上に乗せた。たった2文字で、正しい欲とは何か、それを誰がジャッジするのか、と突きつけられているかのようだ。「〈正欲〉という題名は執筆前から決まっていました。欲はすごく個人的なことで、正はすごくパブリックなイメージの文字。そのアンバランスさが居心地の悪さを醸し出してくれるかなと。性欲はずっと書きたいテーマだったのですが、それをテーマに据えたとして説得力が出る自分なのかと、ずっと躊躇していました」不登校児の息子を持て余している検事の寺井啓喜、自分は〈正しい命の循環〉から外れていると感じている寝具店勤務の桐生夏月、学祭の実行委員として〈ダイバーシティフェス〉を仕切る大学生の神戸八重子が、代わる代わる語り手を務め、物語は進む。冒頭に置かれているのは、ある手記と衝撃的な事件の記事だ。語り手を含め、それらに何かしらの形で関わる人々が、自らが直面している問題を語っていく。作中には、性的指向をひた隠しにしている人物も出てくる。それは決して、多様性を認めようという建前だけでは解決しない苦悩も孕んでいる。多様性という言葉にしても、〈清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉〉〈話者が想像しうる“自分と違う”にしか向けられていない言葉〉と評し、安易に是としないところが朝井さんらしい。「好きな顔のタイプとかはよく聞く話ですが、他のパーツ、たとえば膝とかの好みってなかなか聞かない。同じ体でも人を興奮させる部位とそうでない部位があるということがずっと不思議でした。『正欲』には、そういうレベルのものを筆頭に、ずっと頭の中に流れていたさまざまな回路が集合しています。どんな話題にも、それっぽい答えみたいな言葉はあると思うんです。たとえばコロナ禍でのステイホーム。私も色々と準備をして家にいられる状況を整えました。家庭ごみの清掃業者の方々の大変さに気付いたのはかなり後のことでした。それっぽい答えに安住しているときほど視野は狭まる。全員の暮らしやすさや生きやすさが実現するまでには、どうしても順番が生まれてしまう――色々と実感しました。もっと言えば、最後まで順番が回ってこない人もいるような世界で、それでも生きるほうを選ぶきっかけになり得る言葉に巡り合いたい。これは今後の課題でもあります」装幀にも一瞬で掴まれる。「メインテーマである“欲”を彷彿とさせるので、人間を含めた動物を表紙にしたかったんです。写真家の友人に相談したら、菱沼勇夫さんの作品を教えてもらいまして、内容にとても惹かれました。鑑賞者を集中させる力がすごいんです。菱沼さんの作品からは、私たちにはきっと理解ができないレベルの、被写体への執着のようなものを感じます。鴨の写真を表紙に選んだ理由は幾つもありますが、せっかく読者の方が考察してくださっているので、変に限定せずにおこうかなと思います」小説家として10年が経ち、何か変化はあったのだろうか。「私はこれまで、小説を書くときに社会を反映した広い視野を持たなければという強迫観念みたいなものがありました。やはり若いときに直木賞という大きな賞をいただいたことで自縄自縛しがちだったのですが、今回思ったのが、広い視野を持つ努力よりも狭い視野の人をたくさん書く努力のほうが向いているかも、ということです。そうすれば、極狭な私自身の視野でも小説を書ける気がする。こういう感じで、自分の中にある、できないことやわからないことへの恐怖心が少し減ったのも変化かもしれません。それは、先ほど少し触れた今後の課題に関わってくることでもあります。『死にがいを求めて生きているの』あたりから、もう生きている理由はないからと終わりを選ぼうとする自分、または誰かがいるとして、そのとき機能しうる言葉を私は見つけられているのだろうかとずっと考えているんです。その言葉を見つけ出す作業は、小説や読者のためというより自分のために、今後も続けていくと思います」変化する時代の中で、作品の質や価値はどう変わっていくのかを考察した『スター』に続く最新刊『正欲』。あらゆる欲望は、多様性という美辞麗句ですべて肯定できるのかと問いかける。新潮社1870円あさい・りょう作家。1989年、岐阜県生まれ。2009年、『桐島、部活やめるってよ』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。’13年、『何者』で直木賞を、’14年、『世界地図の下書き』で坪田譲治文学賞を受賞。※『anan』2021年5月19日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2021年05月18日実写版『るろうに剣心』シリーズが『るろうに剣心 最終章 The Final』『るろうに剣心 最終章 The Beginning』をもってついに完結する。これを記念してシネマカフェではキャスト陣のリレーインタビューを敢行! シリーズ完結への思い、いまだから言える“あの”話、主演の佐藤健に言いたいor聞きたいこと、さらにアンケートで寄せられた読者からの質問にも回答してもらう。第3回は、剣心の頼れる相棒・相楽左之助役の青木崇高!役作りのスタートは肉体からのアプローチ――足掛け10年にわたって左之助という役と向き合ってきました。ここまで長く役と付き合うことはなかなかない経験だと思いますが、映画『るろうに剣心』シリーズ、そして左之助という役柄は青木さんにとってどういう経験であり存在だったのでしょう?本当に特別だと思いますね。こんな凄いものが詰まったとんでもないプロジェクトに出会えるっていうのは、どんな仕事のジャンルにおいても、幸せだと思うんですよね。自分のキャリアにおいて、とんでもなく大きな意味を成すと思いますし、喜びですよね。幸せだと思っています。もちろん、結果として“10年”になっている訳であって、パート1の時はここまで見据えている訳ではなかったです。ここまでの作品が続いたのは、現場はもちろんですが、関係者のおかげであったり、公開された後も、多くの人に支えられたからだと思います。本当にそう感じますね。――左之助役は基本的にテンションが高めで、フィジカルで勝負するキャラクターですが、毎回、役に入る際のスイッチとなるルーティンであったり、続けてきたことなどはありましたか?パート1の撮影前は、パンチの出し方からアクションの練習を始めました。そこから少しずつキャラクターをつかんでいったんです。僕のそれまでの作品では、資料を集めたり、分析したりと、“心”から作ることが多かったんですけど、左之助に関しては、自分で動いて、動いて、動いて…その中でキャラクターを作っていく、肉体からのアプローチでキャラクターを作っていきました。だから、何年経ってもその動きを繰り返せば、キャラクターや精神が蘇ってくるというのを感じました。もちろん衣装や髪型もそうですし、スタッフの顔や神谷道場のセットを見てもそうです。だからキャラクターに戻れるかどうかという不安はなかったですね。――パート1のアクションの対戦相手は、元格闘家の須藤元気さんでしたが、パンチを習うところから始めたんですね?そうです。大丈夫かなって不安もありましたけど、いろんなアクションシーンで助けてもらって、なんとかキャラクターを成り立たせることができたかなと思います。大友(啓史)監督とパート1を携えてロスに行った時の現地のお客さんの反応がすごく面白くて。各キャラクターが出るたびに拍手したり口笛を吹いたりしてくれて、左之助のキャラクターもすごくウケていたので、もし続編やるなら、海外の人ももっと楽しめるようにと意識もしていました。“陽”のキャラクターで明るく照らす――過去作で左之助が「お前の傷を治すのは俺の役目じゃない」というセリフを言った際、海外の観客が「よく言った!」という感じでメチャクチャ盛り上がったという話を大友監督がおっしゃっていました。原作も含め、国内・海外を問わず人気の高いキャラクターですね。(登場人物たちは)暗い過去を背負っているじゃないですか。“陰”のキャラクターが多い中で、左之助は数少ない“陽”のキャラクターなので、そこは明るく照らさないといけないなと思っていました。もちろん彼は単純なヤツじゃない。思いやりのある明るさを持っているっていうのは物語の中でも必要なんじゃないかなと思います。保育園の先生から手紙をもらったことがあるんですが、不登校だった子どもが大好きな左之助を見たことによって、学校に来るようになったというのを知りました。自分自身、こういう声をもらえるっていうことに感動しましたし、左之助やこの映画にはそんなパワーがあるんだなってとても嬉しくなりました。老若男女、国内外を問わず通じるような、憎めない気持ちのいいキャラクターがあるとするなら、それを探っていたと思いますね。――読者からの質問ですが、佐之助以外に演じてみたかったキャラクターはいますか? オーディションの時点に立ち戻って「好きな役を選んでいいですよ」と言われたら…?自分的にはやっぱり左之助しか考えられないですけど…僕、切れ味のいい刀は振ってないんですよ(※左之助が拳以外で使う刀は巨大な“斬馬刀”)。だから真剣の殺陣ができるなら誰でもいいからやりたいなっていうのはありますね。吉川晃司さんが演じた刃衛は、しびれるほどかっこよかったなと思います。「俺がやっても…」っていうのはありますけど(笑)、剣心を相手に一度ちゃんと切れる刀抜いてみたいですね。――シリーズを通して一番大変だったシーンは、どの作品のどのシーンでしたか?結構どれも大変でしたので一番を挙げるのはなかなか難しいんですけど「(撮影を)朝までやった」とか「昼までやった」とかありましたね。本当にどの戦いも大変だったんですけど、毎回アドレナリンがドバドバ出てるって感じですね。脳内のアドレナリンがなかったら、撮影が成り立たなかったんじゃないかというくらいアドレナリンに助けられてました。アクション撮影後は、自分の体をさすりながら「お前、よう頑張った」「ようもった!」と労っていました。アクションにおいて、心にブレーキをかけてる映像って本人が一番わかっちゃうんでやりたくないんですよ。だから多少のケガなら仕方ないと覚悟を決めてやっていました。しかしどれもハードでしたね…。全てのアクションが終わって、メイクさんたちに体中の血のりを落としてもらっている時は涙が止まらなかったですね。全部終わったんだっていうのを体と心で感じましたね。左之助にひと言「お前も相当強いぞ!」――そんな左之助の、今回の最終章における魅力、見どころについて、ネタばれがない範囲でお願いします!喧嘩屋という彼のキャラクターだと思うんですけど、拳にこだわっている以上、(刀での戦いに)ついていけないところがあるのかもしれない。けど、だからこそ見える彼の精神性というか…。剣心が「ただいま」と戻ってくる場所はやっぱり神谷道場だし、剣心だけでなく、薫、弥彦、恵にとってそういう場所が大切だと思いました。そこを守ろうとするキャラクターの強さが見どころじゃないかなと思いますね。「つれねぇこと言うんじゃねーよ」とか「水臭いじゃねーか」といった言葉は、左之助のキャラクターをよく表しているんじゃないかなと思いますね。――作品としては今回で最終章となりますが、左之助に対して青木さんから何かひと言いただけますか?本当に素敵な人だと思います。やっぱり剣心と出会ったことで、攻める強さだけでなく、守る強さも知ることができたんじゃないかなと思いますね。その強さに関しては、お前も相当強いぞ!っていう思いはありますね。けど少しは防御も学べと(笑)。いつまでも恵(蒼井優)に治してもらってるだけじゃなくて。――シリーズが終了してしまうこと、左之助にさよならすることに対しての寂しさみたいなのはありますか?他の作品で感じるような寂しさはないですね。それより続いたことが奇跡に近いと思うので、その感謝や喜びとかが勝ってますね。10年も経ったわけで、個人的な感覚では当時のアルバムみたいなのものになってる部分もあるんですよ。ロケやキャストやスタッフさんとの思い出とかもありますし。作品を観たら、何度でも反芻できて個人的に楽しめるところはあると思います。「また続編を…」と話が来ても、同じことを思うんじゃないですかね。「こんな作品に出会えるなんてお前、幸せだぞ」「やるしかねーだろ!」って。そう言い聞かせると思います。それだけ自分にとって特別な作品だっていうことです。――改めて『るろうに剣心』チームというのはどういう存在でしょうか?クレイジーでファンキーで、本当に楽しい最高な仲間たちの集団だと思います。いろんなものが逸脱した…(笑)。ぶつかり合える喜びがある、本気な人たちっていう感じですね。――座長・佐藤健に今だから言いたいこと、聞きたいことがあればお願いします。いろんな現場を主演として背負ってると思うんですけど、ずっとクールに佇んでいるんですよ。それはとても大変なことだし、ストレスやプレッシャーも感じると思います。「ちゃんとバカやってる?」って聞きたいです。(text:Naoki Kurozu)■関連作品:るろうに剣心最終章 The Final 2021年4月23日より全国にて公開© 和月伸宏/ 集英社 ©2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Final」製作委員会るろうに剣心最終章 The Beginning 2021年6月4日より全国にて公開© 和月伸宏/ 集英社 ©2020 映画「るろうに剣心 最終章 The Beginning」製作委員会
2021年05月07日教育支援センター(適応指導教室)ってどんなところ?「教育支援センター(適応指導教室)」(以下、教育支援センター)は、主に小中学校を長期で休んでいる子どものために、学籍のある学校とは別の場所に教育委員会等が用意した公的機関です。一部高校生を受け入れているところもあります。市町村や都道府県の教育委員会等によって設置されているもので、文部科学省のデータでは1142ヶ所、全国の自治体の63%が教育支援センターを設置しています(平成29年度調査 ※)。もともとは「適応指導教室」という名称が用いられていましたが、平成15年より標準的な呼称が「教育支援センター」とされました。指導にあたるのは、教員免許を保持する職員が多く、他には臨床心理士や社会福祉士等の資格を保有する職員がいる場合もあります。また、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーなどの心理、福祉の専門家が配置または派遣されている場合もあり、子どもや保護者がカウンセリングを受けるなどの機会を用意している教育支援センターもあります。参考:「教育支援センター(適応指導教室) に関する実態調査」結果 | 文部科学省令和元年10月25日の文部科学省による「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」の中で、教育支援センターの定義は以下のように表記されています。2 設置の目的○ センターは,不登校児童生徒の集団生活への適応,情緒の安定,基礎学力の補充,基本的生活習慣の改善等のための相談・指導(学習指導を含む。以下同じ。)を行うことにより,その社会的自立に資することを基本とする。以前は学校に戻ることが不登校の子どもたちへの支援のゴールとされていましたが、平成28年の「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」において、不登校支援の視点として「不登校児童生徒への支援は,『学校に登校する』という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること」が明記され、不登校児童生徒に対する多様な教育機会の確保のための場の一つとして、教育支援センターも位置づけられています。そのため、未設置地域での設置や、体制整備、機能拡充等が進められているのです。参考:義務教育の段階における普通教育に相当する 教育の機会の確保等に関する法律施行後の取組 | 文部科学省参考:平成28年「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」文部科学省どんな子どもが利用している?情緒的混乱や人間関係の不安を抱える子どもが多い出典 : 令和元年度の調査では、義務教育課程の不登校児童者数は18万人を超えています。不登校の理由は子どもによってそれぞれ。「友人関係」「勉強が分からない」「先生との関係」「クラブ活動に関する問題」など、学校生活を巡る問題が不登校のきっかけとなった子どもたちが多い一方で、「不安感」「生活の乱れ」「家庭の状況」などを挙げる子どももいることから、不登校の理由が複雑化していることが分かります。参考:令和元年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要 P.17 | 文部科学省その中で、教育支援センターに登録している児童・生徒の傾向としては、不安など情緒的混乱で「学校に行きたくても行けないタイプ」、人間関係がうまく築けない「人間関係によるタイプ」が多くなっています。参考:「教育支援センター(適応指導教室) に関する実態調査」結果 P.14在籍者の状況 | 文部科学省また、不登校の子どものなかに、発達障害がある児童が増えているという指摘もあります。特性のある子どもに対する理解は社会全体として進みつつあるものの、一般的な小学校や中学校では適切な指導や支援がまだまだ不十分なこともあります。そのため、それぞれが抱える課題を克服できず、友達関係がうまく築けなかったり、勉強についていけなくなったりなどの問題が生じ、不登校になってしまうケースが増えています。参考:不登校児童生徒による学校以外の場での学習等に対する支援の充実 ~個々の児童生徒の状況に応じた環境づくり~P.4 | 文部科学省このように、不登校の子どもたちにはさまざまな背景があるため、教育支援センターでの支援も個々にあわせた内容で実施され、学校復帰に限らないそれぞれにあったサポートの在り方が求められています。利用スケジュールや具体的な指導内容は?全国の教育支援センターは、終日で活動している施設がほとんどですが、なかには午前のみや午後のみで活動している教室もあるため、ホームページなどで確認が必要です。1日の過ごし方は子どもにあわせて調整がされることが多いですが、基本的なスケジュールは決まっているところが多くあります。例えば東京都武蔵野市「チャレンジルーム」の場合、1日の流れは以下の通りです。9:15~朝の会・読書9:30~個別学習学習はそれぞれで進め困ったことがあったら相談員に声をかける12:00~昼食13:00~集団活動スポーツ、調理など14:15~掃除・帰りの会14:45~帰宅通室スケジュールも、個々にあわせて調整される場合が多いようです。少ない頻度から通い始めたり、午後から通室したり、体調にあわせて早退したりなど、職員と相談し、無理のないペースで通うことができます。活動内容も施設によって異なりますが、学習支援、社会体験、自然体験、調理やスポーツなどが実施されており、季節行事を取り入れている施設もあります。学習支援に関しては、ほとんどの施設で個別指導が行われており、授業形式の学習支援をしているのは30%未満となっています(平成29年度調査 ※)。決まったカリキュラムに沿って学習を進めるところと自習を主に行っているところがあり、教材は学校の教科書や持参した市販教材などが使用されます。また多くの施設で子どもとの個別のカウンセリングを取り入れており、相談やカウンセリングが不登校の子どもたちのサポートに欠かせないものとなっていることが分かります。同時に、保護者に対しての相談・カウンセリングも多くの施設で実施されています。子どもが不登校になったのは、自分の責任であると考える保護者も少なくないため、カウンセラーが話を聞きながら子どもへの対応のあり方を共に考えていくのです。必要に応じて家庭訪問が実施される場合もあります。施設によっては保護者会やグループカウンセリングなどがあり、同じ境遇の子どもを持つ保護者同士が話をすることで気持ちが楽になるなどの効果があったと話す保護者も多いといいます。保護者同士で互いの子どもへの対応について学び合う機会を提供している施設もあるようです。参考:「教育支援センター(適応指導教室) に関する実態調査」結果 P.18 | 文部科学省参考:学校適応指導教室「ひかり」| 長崎市教育委員会このほかにも、発達障害のある子どもに対しては、ソーシャルスキルトレーニングなどのプログラムを実施している教育支援センターもあります。障害の有無に関わらず、子ども一人ひとりの特性や興味関心に沿って、社会性や自信を高めるサポートをするのが教育支援センターの役割の一つです。参考:慢性疾患、心身症、情緒及び行動の障害を伴う不登校の経験のある子どもの教育支援に関するガイドブック | 国立特別支援教育研究所在籍する学校との連携も教育支援センターに通う中でも、やはり在籍する学校のことは気になりますよね。支援についての連携はしてもらえるのでしょうか。「教育支援センター整備指針(試案) 」の中では、教育支援センター(適応指導教室)と学校との連携について以下のように記されており、子どもの様子や支援の方向性、学習の成果などについての連携はもちろん、該当児童生徒が学校に復帰したあとも在籍校と連携して継続的なサポートを実施していくことが大切な役割の一つとなっています。8 学校との連携○ 指導員等は,不登校児童生徒の態様に応じ,その支援のため,在籍校との緊密な連携を行うものとする(定期的な連絡協議会,支援の進め方に関するコーディネート等の専門的な指導等)。○ 指導員等は,不登校児童生徒の学校復帰後においても,必要に応じて在籍校との連携を図り,継続的に支援を行うことが望ましい。○ 指導員等は,児童生徒の実情等の的確な見立て(アセスメント)にそった児童生徒の個々の回復状況を把握し,守秘義務に配慮した上で,本人,保護者の意向を確かめて在籍校に学習成果等を連絡するものとする。○ 指導員等は,不登校に関し,学校に対する専門的な指導・助言・啓発を行う。文部科学省のデータによると、連携方法としては、定期的に文書にて情報共有を行っている施設が約90%となっています(平成29年度調査 ※)。文章でのやりとり以外にも、教育支援センターの職員が在籍校の校長や子どもの担任などと定期的に面談を行ったり、定期的に子どもの面会のために教育支援センターを訪問したりするケースもあります。また、該当の児童生徒の支援会議に教育支援センター職員と在籍校教職員が同席し、ともに支援の方向性を検討することも。ほかにも、学校復帰を望む子どもに対しては、学校からの配布物やプリント教材を適応指導教室に届けたり、行事の案内の連絡をしてもらったりなど、少しずつ学校との接点を増やす関わりをする場合もあります。参考:適応指導教室との連携 |東京都教育相談センターなお、教育支援センターに通うことで、文部科学省が定める「出席扱い等の要件」を満たす場合、在籍校での出欠席について「出席」扱いにすることができます。この点も教育支援センターへ通室する大きなメリットと言えるでしょう。教育支援センターに通う公立学校在籍の小学生のうち約90%に、在籍校での出席扱いとする措置が適用されています。(平成29年度調査 ※)「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日別紙 | 文部科学省参考:「教育支援センター(適応指導教室) に関する実態調査」結果 | 文部科学省利用を検討するときには?対象となる条件や必要な手続きについて教育支援センターの利用には、自治体ごとに対象者の条件が定められています。例えば東京都目黒区の場合は、以下の通りです。対象区立小・中学校に在籍する長期欠席児童・生徒で、本人及び保護者が入級を希望し、在籍学校の校長が必要と認めるものです。また、沖縄県宮古島市の場合は、以下のように入室判定基準が設けられています。入室条件本人に「まてぃだ教室」に通室する意思がある。保護者が教室への送迎が充分に可能である。入室判定基準学校へ行く意思があるが行けない。登校時になると、腹痛・頭痛・嘔吐・発熱などの身体症状を呈する。家に閉じこもり、ほとんど外出しない。対人的な接触を避ける傾向にある。精神的な疾患ではない。本人に「まてぃだ教室」に通室する意思がある。自治体によって異なる基準もありますが、大切にしたいのは「本人の意思を確認すること」です。不登校の子どもがいる場合、保護者や周囲の支援者が支援のステップを焦ってしまいがちですが、見学などを通して子ども自身が通いたいと思うか、通えそうかなど、気持ちを確認しておけるとよいでしょう。教育支援センターに通うには、いくつかのステップを踏む必要があります。具体的な手続きは自治体によって異なりますが、代表的な流れを見てみましょう。市町村によって「教育支援センター」「教育相談センター」「学校サポート教室」など異なる名称で相談窓口が設置されていることがありますので、まずはお住まいの地域の相談窓口を確認してください。代表的な手続きは以下の通りです。1.「教育支援センター」などへ面談を申し込む本人、保護者、そして学籍のある学校の考えが考慮されます。2.保護者が「入室願書」を記入・提出する保護者が「入室願書」を記入し、在籍学校長へ提出します。3. 在籍学校長が「入室申込書」を作成・提出する保護者から提出された「入室願書」を元に校長が「入室申込書」を作成し、「教育支援センター」に提出します。4.「入室決定通知書」が送付される「教育支援センター」から学校と保護者へ「入室許可通知書」が送付されます。通室が決定したら、職員と本人や保護者が相談しながら、通室スケジュールや取り組む内容などを決定していきます。個別の支援計画を作成し、支援内容などについて利用継続の必要性などについて定期的な検討を行う施設もあります。不登校の子どもが利用する「フリースクール」とはどう違う?不登校の子どもが利用する施設として「フリースクール」の名前を聞いたことがある方も多いと思います。教育支援センターとフリースクールはどう違うのでしょうか。教育支援センターは公的な機関ですが、フリースクールは個人や民間企業、NPO法人等の団体が運営しています。そのためフリースクールの場合、支援の方針やカリキュラム等は運営団体によって異なります。また、公的な機関である教育支援センターは利用に費用が発生しないのに対し、フリースクールは各施設ごとにかかる費用が異なります。身近に教育支援センターもフリースクールも両方ある場合には、見学などを通して支援内容、費用、施設の雰囲気等を確認して検討できるとよいですね。なお、フリースクールへ通う場合に出席扱いとされるかどうかは校長による判断となるため、相談しておく必要があります。不登校の子どもたちが自分に合ったサポートを受けられるように不登校の子どもをサポートする「教育支援センター(適応指導教室)」では、さまざまな方法で子どもたちを支援していることが分かりました。通うことで「出席扱い」になることが多く、学校とも連携してサポートしてくれることから、子どもも保護者も安心して毎日を過ごせるようになるのではないでしょうか。活動内容や利用頻度も個々にあわせて調整されるため、発達障害のある子どもの場合も、相談しながらそれぞれに合ったサポートを受けることができます。不登校の子どもが抱える不安や課題はそれぞれに異なります。それらを乗り越え社会のなかで自立できるよう、焦らずに日々を過ごすための手段の一つが、教育支援センターの活用です。教育支援センター以外にも、不登校の子どもをサポートする制度やサービスはさまざまです。不登校の悩みを抱えている子どもや保護者はまずは抱え込まずに、市町村の相談機関に連絡してみてはいかがでしょうか。※は平成29年度調査、令和元年発表の「教育支援センター(適応指導教室)に関する実態調査」結果データを引用しています。
2021年04月30日“自分らしい人生を描くライフプラン”実践するコンサルタント2名をご紹介Upload By LITALICOライフ(写真・左)大手教育関連企業に入社後、会社の経営に従事しつつ、地域に根付いたサービス提供を推進。中学から大学までの入試全般から、普段の学習方法や不登校等々多くのご相談を経験。現在は、進路選択から習い事へのアドバイスや教育費の備え方など広く相談を実施している。(写真・右)中学時代にいじめに遭ったこと・障害のある家族がいることから「人と人/人と環境の境目にある壁をこわすこと」を軸にする。当事者の家族であることから、家族の心のケアや障害年金、また「よくわかる高校受験」勉強会の開発者でもあり、入試全般、不登校問題の相談経験も豊富。LITALICOライフの面談はどのようなことをする?LITALICOライフ編集部(以下、ーーー):お二人は、発達障害・特性のある子のご家庭と日々ライフプラン面談をしています。面談ではどのようなことをするのでしょうか?加藤晋太郎さん(以下、加藤):ご家庭の多くは、子どもや家族の将来について「もっと良くなりたい」という気持ちがあります。そのお手伝いです。髙橋基さん(以下、髙橋):発達特性のある子は、進路や自立後の情報が手に入りにくいですよね。我々は情報を持っているので、整理しながら「どうありたいか」「どうすればそれが実現できるか」を一緒に考えます。よくある相談内容は?意外に多い「何からすればいいのかわからない」Upload By LITALICOライフーーご家庭からはどのようなご相談が多いですか?加藤:「行ける高校はあるか」「将来就けそうな仕事はあるか」など…ご家庭によってさまざまです。「何から考えたらいいかわからない」という方も意外に多いですね。髙橋:多いですね。ーー「相談内容がわからない」ケースもあるのですね。加藤:「何かを変えたい」と思いながらも、整理する時間が日常でとれないのだと思います。髙橋:面談は、そういった保護者さま自身の幸せや「実現したいこと」を再認識していく場でもあります。自分の願いを見つけるコツは「普通」「他の人と同じに」を一度忘れることーー保護者さま自身の「実現したいこと」は、どのように整理・再認識していくのでしょうか?加藤:例えば子どもの進路や趣味探しであれば、保護者さまは、子どもの特性や性格をよく知っています。それらを言葉にして整理していくだけでも、「実はこれが向いているかも」「一度挑戦してもいいかも」と見えてくることがよくあります。髙橋:保護者さま自身のことであれば、例えば「どうやったらうちの子は大学に行けますか」という質問もよく受けます。加藤:受けますね。髙橋:その場合、「なぜ大学に行って欲しいのか」「保護者さまにとって大学とは何か」と会話していくと、中には「やっぱり価値のあるものだから行って欲しい」という方もいれば、「よく考えたら行かなくてもいい」という方もいます。ーー会話していくなかで、考えが変わることがあるんですね!加藤:変わることもありますし、自分でも気づいていなかった価値観が見つかることがありますよ。髙橋:「わたし、こんなこと思っていたんですね」って言われますよね。加藤:「普通にしなきゃ」「他の人と同じにしなきゃ」と感じることがあると思いますが、世の中変化しています。例えば、コロナによってオンラインの活用など、学びのかたちも変わってきていますよね。最終的には自分たちの「こうしたい」という気持ちが大切だと思います。進路選択や相続。一般的に「良い」と言われていることも、詳しく知ると…?Upload By LITALICOライフ髙橋:「情報を正しく知る」のは重要ですよね。加藤:重要ですね。例えば「通信制高校が良いらしい」という情報があったとして…髙橋:卒業率や大学進学率、実際のカリキュラムなどを見てみると、相性の良い子と悪い子がいます。ーー通信制高校は今、注目されていますよね。子どもによって相性があるのでしょうか?加藤:はい。授業の受け方や、同世代とのコミュニケーションは独特な部分があります。「良い」と言われていても、合うかどうかはお子さま次第です。髙橋:面談で、人生にまつわる先の話をしていくと、相続の話にもよくなりますよね。ーー相続というと、親なきあとのお金のことでしょうか。お金持ちのご家庭が気にされそうですね。髙橋:お金のあるなしは、あまり関係ないかもしれません。人の別れは、避けては通れないものですから。加藤:保護者の方は「今」がとても忙しいので、考える機会がない方が多いと思います。面談では、将来や、保護者の方の家族の話になることもあります。すると「意外に時間がない」「突然のことで困る事態は避けたい」という気持ちになる方は少なくないですね。ーー相続というと専門的な印象がありますが、そういったことも相談できるんですね!髙橋:そこが私たちの強みです。現実的な家族関係やお金の問題をクリアしたうえで、「実現したい」ことに向き合いたいですからね。加藤:相続に関しても「子どもにお金を託しても管理できないから遺さないほうがいい」という意見もあります。でも、遺し方はいろいろあります。他の人に託したり、月々一定額届くようにしたり、一部の金額だけ渡したり。髙橋:その子が一人っ子ではない場合は、きょうだいのことも大事ですね。ーー将来のこと、きょうだいのこと、自分の親やお金のこと…。いろいろなことを繋げて相談できるんですね。加藤:相続や法律についても私たちは情報があるので、保護者さまは「どうありたいか」集中して考えられると思います。面談は「自分の意志で人生を描きたいと感じられる」「保護者さま自身の幸せを考える」場Upload By LITALICOライフーー最後に、保護者さまにとって面談がどういう場であってほしいか、教えてください。髙橋:保護者さまは、子どものことをすごくよく考えていらっしゃいます。だからこそ、あえて「今はあなた自身の幸せを考える場です」とお伝えしています。守りたいことや起きてほしくないことを整理して、自分たちにとっての形を追求することを、私は手伝いたいです。加藤:人生の時間は有限だと、私自身よく感じます。これからの数十年を俯瞰すると、自分ができることには物理的に限りがあります。生きているなかで何をしたいのかは、人や家庭によってさまざまです。「自分の意志で人生を描きたい」と感じられる、価値のある場にしたいと思っています。ーーありがとうございました。加藤晋太郎さんのプロフィール・無料勉強会はこちら髙橋基さんのプロフィール・無料勉強会はこちらLITALICOライフでは、発達障害のある子のご家庭と日々、「進路」や「将来」といったライフプラン(人生設計)について相談・面談をしています。14以上のテーマの無料勉強会を開催していますので、気になる方は参加してみてください。勉強会のあとに、個別の無料面談を希望することができます。LITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニング(人生設計)をサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年04月29日いじめで引きこもりに…「半分死んでいた」飲食関係の会社で働く父親と、元保育士の母親のもとで育った古橋さん。6歳上の姉とともに暮らしていた。中学1年の10月ごろから不登校になった。原因は、小学生時代から続いたいじめだった。「人がもうダメになって。小学校6年の終わりにいじめが始まったんです。小学校の人たちと縁が切れて、中学校に入ったら中学校で縁ができた人たちにもいじめられて……。あぁ、ちょっと無理、ってなって。自分の中で、引きこもりになるってことはすごくいけないことをしたっていう、人を殺すよりもいけないことをしたって考えていました。当時は、信号の赤を渡ったら地獄に落ちるぐらいの勢いで凹んでいたから。だからもう引きこもりになるってことは死ぬっていうか、半分死んでいるみたいな。生きてはいるけど。なんか死んではいないだけって感じで捉えていました」(古橋さん)Upload By 桑山 知之よく忘れ物をする子供だったという古橋さん。引きこもっている間に、自閉症スペクトラム障害だと診断を受けた。19歳の頃、鬱のため通院もしたが、なんとか苦しみを乗り越え、愛知県内にある通信制の高校や放送大学を卒業した。その後、就労支援のサービスを受け、エクセルやワードなどの資格を取得。2019年、晴れて貸し会議室などを運営・管理する会社にパートとして就職した。業界大手の一流企業だ。「その会社は時給社員っていう肩書きがある会社でした。社員だけどパートっていう、契約社員でも正社員でもなかった。営業の人が使う情報を入力して、資料を作成するような仕事ですね。そういったところでVBA(ビジュアルベーシック・フォー・アプリケーションズの略。Microsoft Officeに含まれるアプリケーションソフトの拡張機能のこと)を 使って、メールの下書きが自動で作れるようにしたりしていました」Upload By 桑山 知之襲い掛かった“コロナショック”就職から1年余りで週4日勤務、時給900円。手取り月収はおよそ7万円。決して裕福な生活こそできないが、それでも古橋さんは「正社員のような長時間労働は自分には難しいだろう」と、無理をせずに仕事に励んでいた。しかし、世界的なパンデミックの波が、古橋さんを襲った。「去年の春からコロナが流行って、不要不急の業務はやめるってことになって、お休みになったんです。それからずっと自宅待機になって、結局9月に退職しました。貸し会議の業界自体がお客さんを集めて運営するようなものなので……。人が集まれない状態ですから」(古橋さん)Upload By 桑山 知之「密を避ける」という時節柄、部屋に人が集まって会議をするという需要は激減した。自宅待機中、古橋さんは雇用調整助成金のおかげで給料のうち6割は支給されていたものの、「会社も運営が難しくなって人員を減らさないといけなくなり、その関係で切られた」という。現に、古橋さんと同じ立場であるパートは全員退職していた。「そりゃショックでしたよ。でも、しょうがないかなっていう思いが強かったですね。だってコロナの状況でしたし。なんでこうなったのかっていうのも、自分のせいじゃないってわかるし。じゃあ、就職活動頑張らなきゃなって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之コロナと距離「自分を受け入れてほしい」元々は正社員志望だったという古橋さんだったが、飲食関係の中小企業で正社員として働く父親が朝から仕事に出て、翌日未明の2時や3時まで自宅に戻らない姿を見て、子どもながらに「これは無理だ」と悟った。社会情勢の影響を受けるのは経済面などで「弱い立場」の人間であることが多い。旧来の“当たり前の幸せ”すらまともに享受できない現代において、新型コロナウイルスは、こうした社会と市民との距離をはっきりと顕在化させているのではないかと筆者は思う。「いま、社会に望むことはあるか」との問いに、古橋さんはこう即答した。「そりゃあ自分を受け入れてほしいってことじゃないですか。社会に出て、パートナーを得て、家族ができて、成功できればなって。社会に受け入れられるっていうのは、僕はその2つだと思います」(古橋さん)社会との距離をあぶり出した、新型コロナウイルス。引きこもりで通信教育だったため友達作りの場が不足していた古橋さんは、親以外に相談相手がいない。取材中も「僕たちには相談相手が必要だ」としきりに話していた。古橋さんに愛情を注ぎ続けていた母親は、取材時にガンで入院中だった。その後、3月18日に息を引き取ったという。Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之正しいからおもしろい行き着いた“適者生存”古橋さんは、去年11月から再び就労支援のサービスを受け始めた。幸い、以前も担当していたスタッフが在籍しており、また受け持つことになったそうだ。古橋さんがいま大切にしていること。それは「正しくないとおもしろくない」ということだ。「別に誰かに正しさを教えられたわけじゃないけど、自分の中でいつのまにか形成されたこだわりなんです。正しくないと楽しくないし、おもしろくないんです。正しくないよりは正しいことを楽しく感じますし」(古橋さん)Upload By 桑山 知之図書館に行っては歴史や社会、政治、自然科学といった専門書ばかりを読み漁る。その中で、ある言葉と出会った。いまの古橋さんの心を支えているという。「自分が最近好きな言葉が『適者生存』で。適しているから生き残るっていう意味らしいんですけど、実はそうじゃないんですよね。生物学の本に書いてあったんですけど、『生き残ってるのがすべて適者なんだ』って考え方なんです。適してないものは滅ぶんじゃなくて、すでに滅んでるんだって。だから、発達障害があるってことは環境に適していないっていうことではなくて、『生きているってことはすでに適している』っていう意味で適者なんだって」(古橋さん)Upload By 桑山 知之Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年04月25日発達障害・感覚過敏のある子は、電車通学のハードルが高過ぎる件出典 : こんにちは。『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』他、著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。今回のコラムは、通学電車にまつわるお話を…。発達障害&グレーゾーンの子や、感覚過敏のある子は、電車通学…特に満員電車での負担がとても大きいでしょう。なぜなら、・感覚過敏のある子の身体接触等の苦手さ問題・ADHDのある子のうっかり忘れ問題・ASDのある子の予測不能な事態でのパニック問題…などがあるために、ハードルが特に高いのです。これらの問題は、決して大げさではなくて、せっかく受験で希望の学校に合格しても、「通学電車の負担が大きすぎて、不登校になったり、自主退学や転校を考える生徒さんもいる」と聞くほど。(実はうちのパパも若いころ、電車通勤の負担から大企業を辞めて、研究の道に入り直した人なのです)ですから、うちの長男・次男の中学受験では、最初の学校選びの段階で本人と相談しながら、例えどんなに素晴らしい学校でも、通学に1時間以上かかる学校や、複雑な乗り換えや混雑路線を使わざるを得ない学校などは、予め志望校リストから除外してしまいました。そして無事、長男・次男共に、ドア・ツー・ドアで1時間以内・乗り換え1回の私立中高一貫校に入学できたものの、小学校を卒業したばかりの当時若干12歳で、満員電車での通学に挑まなくてはなりませんでした。そこで、うちで親子で行ってきたさまざまな工夫や対策など、通学電車にまつわる諸問題の乗り越え方を、新型コロナの影響下での通学状況の変化も踏まえつつ、ご紹介していきますね。電車の使い方と身体接触に徐々に慣らす!出典 : うちでは、まず、「電車自体に慣れる」ところから、スタート。それまで、うちは地方在住なので普段の移動は車か自転車中心で、電車は年に1度の祖父母宅への新幹線での帰省程度でしたから。そこで、小学生の受験勉強時代から、学校見学や体験授業参加の際には、「実際の通学ルート」を使うことに。そして、本人用の交通系ICカードをつくり、券売機でのチャージの仕方、基本的なマナーなど、”いろはのい”から時間をかけて教えました。基本に慣れたら、次は、時間の余裕があるときに、トラブル時などを想定して、ワザと降車駅を乗り越してみたり、途中駅でトイレを借りたり、別の路線で遠回りして帰ってみたりも…。この際、「こういう時、どうすればいいと思う?」などの声かけで、なるべく本人が自分で判断できるようにして、それでも難しいときには、「駅員さんに聞いてみようか」「この場合は、こうすればいいんだよ」など、具体的に”困ったときには、どうすればいいか”を教えました。こうして、受験シーズンくらいには、電車にかなり慣れたので、「今日は〇太郎についていくから、かあちゃんを〇〇中学まで連れてって」と、(多少間違っても)なるべく手出し口出しせずに、見守るようにしました。出典 : そして、最後の難関、朝の通学時間帯の満員電車!志望校の合格後、長男と試しに朝のラッシュ時に一緒に電車に乗ると、今までとは別次元の混雑ぶり。身体接触が苦手な長男は「人が多すぎて、乗換駅で降りられない!!」「押されてどこにも掴まれない…」「いろんな匂いでキモチワルイ」とパニック寸前の涙目に。やはり、かなりハードルが高かったようです。そこで、本人と作戦会議をし、「満員電車よりも早起きのほうがマシ!」という結論に…。学校に門が開く時刻を聞き、朝は一番乗りで登校することにしました。ピーク時よりはかなりマシですが、それでも結構混んでいるので、入学後の最初の一週間ほどは、私も一緒に電車に乗って、「今日は一駅手前まで」「今日は乗換駅まで」と、様子を見ながら日毎に付き添う距離を短くしていき、最後は最寄り駅から見送るだけに。つまり、うちでは、親は「ステップを踏んで徐々に慣らし、だんだんと手を離す」ことで、子は「それでも無理なことは、人に相談し、できる工夫する」ことで、なんとかしました。ちなみに、3年後の今では、長男も混雑に慣れ、登校時間もずるずると遅くなってきましたが、「コロナのことで、ピーク時も多少人が減ってる気がする」とのこと(確かに、近隣地域ではマイカー・自転車通勤も増えています)。マスク着用の上、車内の換気もされているので、匂いへの負担も減ったよう。また、学校側も感染が拡大している時期は、オンライン授業や分散登校など、柔軟に対応してくれるので、潔癖で心配性の次男もホッとしている様子です。うっかり忘れの自覚と、持ち物の工夫と習慣化Upload By 楽々かあさん身体接触の次に懸念されたのは、うっかり屋の長男の電車での「忘れ物・落とし物」と、降車駅での「乗り過ごし」問題です。そこで、長男の通学用のリュックは、図のようになりました。元々、「よくなくすものには、ヒモをつける!」が、うちの忘れ物対策の鉄則。特に、定期とスマホと財布と家の鍵などの大事なモノは、フックのついたスプリング式のコード(通称「びょんびょん」。100円ショップのキーホルダーコーナー等で入手可能)をまとめ買いし、それぞれつけるように習慣化(※フックがかからない箇所は、カラビナやリング、バッグのタグなどと組み合わせる)。たったこれだけで、長男は今までスマホも定期も、一度も落としたことはありません(「びょんびょん」だらけで、年頃の子には少々カッコ悪いかもしれませんが、背に腹は変えられません!)また、今では長男も"自分はよく忘れる"自覚があるので、電車を降りるときには、座っていた座席を目視したり、制服やリュックのポケットなどを手触りで毎回ポンポンと確認したりする習慣をつけているのだそう。出典 : そして、「乗り過ごし」対策も、あまりに当たり前のようですが、長男自身が「自分で、気をつける!」ことで、対処しました。ここで大事なのは「どうすれば、気をつけられるか」を、具体的に考えることです。長男は、"自分がかなりうっかりしている"ことも十分自覚しているので、例えば、通学中にスマホで好きなサイトや動画を見ていると、つい、目的地の駅で降り忘れてしまうことをよ〜く知っています(実際、何度かやらかしました)。そこで、シンプルですが、学校の最寄り駅の数駅手前の大きな駅で、人が沢山乗り降りするので、「その駅になったら、スマホをやめて、アナウンスを聞く」ように習慣化しているそうです(これだと、視覚・聴覚を使っていても気づくとのこと)。スマホの乗り換え案内系のアプリにも、位置情報から降車駅が近づいたら通知やバイブレーション機能で知らせてくれるものもあるので、長男と似たようなお子さんは、自分が気づきやすく習慣化しやすい方法を見つけるといいでしょう。また、親の私のほうは、最初のころは位置情報アプリなどを使って、学校に無事到着したり、設定した範囲から長男が出たら通知が届くようにしたりもしました。ここでの大事なポイントは、自分(我が子)の特徴を自覚して工夫し、それを「習慣化する」ことだと思います。不測の事態には、事前知識と「こうすれば、大丈夫」という対処法!出典 : そして、「いつもと違うこと」「予測不能なこと」が苦手な子は、"電車が予定通り動かない”ことなどに遭遇すると、強い不安やストレスを感じたり、場合によってはパニックに陥ることもあるでしょう。でも、ご存知のように、電車の運行は、事故や故障などの他、急なゲリラ豪雨や、大雪、台風、地震などの気象条件や自然災害などによっても、突然止まったり、ダイヤが乱れたりすることがあります。うちではまず、「電車には、こういう可能性もある」と、予め、一緒に電車に乗っているときや、テレビのニュースなどを見ながら話し、さまざまなケースを”知識として”教えました。事前知識が少しでもあれば、実際にアクシデントが起こったときの衝撃がかなり違いますから。そして、前出の「通学リュック図」にあるように…・財布の中に非常用の千円札と保険証のコピー、自宅の連絡先・サバイバルセット(応急手当、ビニール袋、非常用トイレ、他)・晴雨兼用折りたたみ傘・頓服薬(頭痛・腹痛用など)…などを、常時入れっぱなしで「もしも」に備えています。それに加えて、特に役立った"不測の事態"への対策は、長男自身による「防災訓練」でした。出典 : 実は長男は、小さなころから「地震怖すぎる」等と、自然災害に対する恐怖心が人一倍強かったことで、逆に知識が豊富になり、日頃から防災意識が高く、何かと災害対策を実践するようになりました。その一環で、中1のあるときに、地震などで帰宅困難になったときを想定して、「おれ、1回、学校から家まで歩いて帰ってみる!」と言いだし、午前授業だけの日の帰りに、3時間ほどかけて徒歩帰宅しました(以来、年1度くらい、徒歩帰宅しています)。これで、「もし電車が止まっても、歩いて帰ればいい」と実感でき、かなり安心できたようです。そして実際に、この経験が大活躍しました。昨年の春のコロナ休校明けに、次男がようやく中学初登校できた日のこと。なんと、帰りの電車が、突然のトラブルで急に全線ストップしてしまいました。学校の最寄駅付近で、周囲が大混乱の中、合流して私に電話をかけてきた長男と次男によれば、「タクシー乗り場はすでに長蛇の列で無理そう」とのこと。でも、私が「もうすぐ長女が小学校から帰ってくるから、スグには車で迎えに行けない」と伝えると、「じゃあ、歩いて帰るか、〇次郎!おれ、道分かるから、大丈夫〜」と、長男は慌てず騒がず、次男と一緒に歩き出しました(乗換駅から復旧していたので、そこから通常ルートで帰宅)。やがて、「ただいま〜」と、ぐったり次男と共に、ケロリとした顔で無事帰宅した長男を見て、「あの〇太郎が、随分パニックに強くなったなあ」と、私は彼の成長を頼もしく感じました(ちなみに、現在は「痴漢冤罪怖すぎる」と、ネットで誤解されない対処法を検索しまくっています)。予測不能な事態も、事前の知識と、「こうすれば、大丈夫」という対処法が分かっていれば、案外落ち着ける場合も多いのではないでしょうか。多様な通勤通学方法の普及で、下がるハードルも…出典 : 現在、新型コロナウイルスによる影響が長期化する中で、発達障害&グレーゾーンや、感覚過敏のあるお子さんは特に、学校・日常生活の中での負担や不安・ストレスを感じる場面も多いことでしょう。その一方で、テレワークやオンライン授業の推進、通勤通学時間の分散化、マイカー通勤や徒歩・自転車通学の増加などによって、多様な通勤・通学方法が社会全体で模索される中で、高かった電車通学のハードルが多少下がってきた部分もあるように思います。これを機に、多様な子どもたちの通学の負担が少しでも減って、本来の学校生活に集中できるように願っています。大場美鈴(著),『発達障害&グレーゾーン子育てから生まれた 楽々かあさんの伝わる! 声かけ変換』あさ出版, 2020.6.27
2021年04月20日ウーマンエキサイトの読者のみなさまこんにちは、ちょっ子です。今回は、小学生の息子・きゃん太が学校に行くのを見送る時に決まって行う、ちょっとしたルーティンについてのお話です。見送る時のルーティン、それは行ってらっしゃいのハグをすること。これだけは息子が小学校に入った日から毎朝、絶対に欠かしていません。というのも、幼稚園の時は毎日車で送迎し、幼稚園の中に入るまでをこの目で見守ることができましたが小学生になってからはうって変わって、一人で歩いての登校…!心配で心配でたまらず、新一年生の頃は毎朝息子を抱きしめ、くれぐれも気をつけるよう何度も言い聞かせ送り出していました。その名残で、今もこれをしないと何だか落ち着かないのです。朝、どれだけ怒っても必ず玄関でハグをして、笑顔で送り出します。 夫からは「儀式」と呼ばれ、ちょっとキモがられていますが…。こんなこともふと考えてしまったりするんです。ほら、人生って何が起こるかわからないから?最近は反抗的な態度をとったり、一人で過ごしたがったり、少しずつママ依存状態から脱しつつある息子。いつまでハグさせてくれるのかわからないけど、本人が嫌がるまではこうして送り出したいなあと思っていたら…息子の手がプラーンとしたまま!ぼちぼち「もうやめて」と言われそうな兆候が現れ始めています!
2021年04月19日学校のルールが理解できず、独自路線で突き進むコミックエッセイ『毎日やらかしてます。』シリーズや、ドラマ化もされた『透明なゆりかご』などの作品が人気の漫画家、沖田×華さん。『毎日やらかしてます。』シリーズでも公表している通り、沖田さんにはADHD、ASD、LD(学習障害)のトリプル発達障害があります。「漫画家になってからは、別の世界に転生してきたみたいだ」と語る沖田さんに、現在の仕事に至るまでのお話をお聞きしました。――沖田さんは幼少期、どのようなお子さんだったのでしょうか?沖田×華さん(以下、沖田):小学校入学前は、漢字を読むことが得意で、通っていた公文式では算数で満点をとっていました。だから、親は「頭がいい子どもだ、きっと小学校でもうまくいくだろう」と思っていたらしいのですが、実際は入学式のときから浮いていましたね。Upload By 姫野桂沖田:入学式当日、靴下も上履きも忘れて、集合写真は1人だけスリッパを履いて写っていて(笑)。周りはきちっとした姿勢なのに、自分だけ姿勢もふにゃんとしてて、じっとしていられない感が写真にもあらわれていました。入学式の日って、自己紹介があって、仲良くなった子と一緒に帰ったりしますよね。わたしは、そのとき一緒に帰った友達が「一生一緒に帰る友達」なんだと思い込んで、毎日同じ子に声をかけていました。一度起こったことが、ずっとそのまま再現されるわけではないと理解できないことがよくありました。――そうだったんですね。他にも、何か周りの子と違う行動をとっていたことはありましたか?沖田:ハサミやノリなどが入った「お道具箱」の扱いで先生に叱られて、納得できずに意見を曲げなかったこともありましたね。わたしはお道具箱を大変気に入って、家に持ち帰り、中身を1つも学校に持って来なかったんです(笑)。それを見た同級生たちが代わりのお道具箱を作ってくれたんですが、喜んでいたら先生に取り上げられてしまって。先生からは「なんで自分のお道具箱があるのに家から持ってこないんだ」と言われましたが、「だってこのお道具箱はわたしのものなんですよね?だからわたしがどういう使い方をしてもいいんですよね」と答えて、納得しないことには絶対に謝らなかったらしく…。何かこだわりがあって、クラスの中でわたし1人だけが止まってしまうことも多々ありました。あとは、「テスト」というものの意味を理解していませんでした。例えば、学校の算数のテストだとランダムに足し算が出てきますが、わたしは丸暗記していた公文式のテストの答えをそのまま書いていたんです。母親には「これは公文式の問題じゃないんだから、問題文をちゃんと見ろ」と何度も言われましたが、まったく理解していなかったらしいです。Upload By 姫野桂――となると、自然とテストの点数は低くなりそうです。沖田:そうですね。算数はよく0点をとっていました。でも、全部の教科が悪いのではなく、算数だけが異常に悪くて国語は答えをすごく暗記できる、みたいな、凸凹のある子でした。成績が悪いと親に怒られるので、小・中学校ではいつも成績を改ざんすることを考えていましたね。数学のテストで200点満点中30点しかとれていないのを、数字の「1」を加えて130点にしたり、通知表の「1」に線を付け加えて「4」にしたりとか(笑)。結局バレて怒られるんですが、勉強どうこうというよりも、どうしたら親に怒られずに済むかで頭がいっぱいでした。家に帰ると「学校モード」ではなくなってしまうので、そこからうまく切り替えられず、宿題をするのも苦手だったんですよ。「どうしたらこれをちゃんとできるのかな?」と考えて、町内で勉強のできる同級生のところへ「勉強教えてー」とお菓子を持って行き、やってもらっていました。友達がほしくて入っていた文通部でも、わたしは字がキレイに書けなかったので、友達に「50円あげるから書いてくれ」って頼んで文面を言ったりして(笑)。そんな風に、お菓子やお金を渡して等価交換みたいなつもりで、できないことを人に代わりにやってもらっていました。人と関わろうと思ってはいるのですが、どこかやり方が間違っているというか、子どもらしくないというか…。そんなことばかりしていましたね。Upload By 姫野桂発達障害の自覚がないまま過ごした思春期――沖田さんは、発達障害の診断を小学生のときにすでに受けていたと漫画にも描いてらっしゃいますよね。Upload By 姫野桂沖田:はい。小学4年生のときにADHDとLDの疑いがあるとの診断を受け、ASDの診断は中学生のときに受けました。でも、発達障害の自覚はまったくなくて、「前ならえ」のような集団行動をこなしたり、おとなしく授業を受けたりしている同級生を見て、「この子たちは全員ロボットで、わたしこそが人間」と思っていましたね。「こっち来て」の一言で言うことを聞く人たちが人間に見えなくて。パッと顔を上げると、わたしが1つのことを続けているうちに、全然世界が変わっているんです。昼休みが終わって席に戻ってきたら、みんなが席についてわたしを見ていたこともありました。なんだろうと思ったら、給食が終わった瞬間に、わたしが「ごちそうさま」を言い忘れて教室を飛び出していったから、連帯責任で全員の昼休みがなくなってしまったらしいんです。でも、肝心のわたしは「みんな戻るの早いな」と思っていて、一切その罰がこたえていなかったので、先生は悩んでいたようです。――連帯責任や根性論の時代だったんですね。沖田:そうですね。忘れ物をしたときは「なんで忘れるのか」と理由を問い詰められましたが、「忘れました」以外に答えようがなくて。「忘れた」という言葉が通用しないなら、もう何も言えないなと、小学3年生のころには、場面緘黙症になってしまいました。担任にもひどくいじめられていたのですが、「一生は続かないだろう」「これさえ耐えれば、わたしはもう自由!」と思っていましたね。でも、中学ではもっと地獄を見ました(笑)。Upload By 姫野桂参考: LITALICO発達ナビ「場面緘黙(かんもく)の原因とは?声が出ない要因、子どもの緘黙はなぜ起こる?大人の場合は?について解説」――中学校ではどのようなことがあったのでしょうか?沖田:特に中学1年生のときは、担任との相性が最悪でした。わたしが生まれた時代は第二次ベビーブームの終わりごろだったので、中学は1学年330人ぐらいだったんです。その中で、わたしは成績が330人中280番ぐらいで。「あ、良かった、わたしの下にこんなにいっぱいダメなやつがいる」と思っていたら、成績が悪いのは男子ばかりで女子はわたしだけ。それで目をつけられてしまって…。体罰自体は小学生のころもあったのですが、中学からは胸をつねるような性的な体罰もありました。良くないことですが、当時はそういうことが学校でまかり通っていた時代で、私自身もまだ中学生のころは、体罰と性的な加害の区別が難しかった気がしますね。他には、生理に対する嫌悪感も強かったです。生理が始まってからは、感覚過敏で、とにかく下着をつけるのが苦痛でした。スポーツブラのゴムでかゆくなってしまったり、生理用の小さいショーツそのものや、ナプキンに経血のつく感じがすごく嫌だったり。自分がにおいに敏感だったからかもしれませんが、生理中は周りにバレないかとすごく気にしていました。今は下着や生理用品の選択肢も増えましたが、そこで大変な思いをしている女の子はいると思います。親のすすめで看護師になるも、人と働くことの複雑さに悩む――高校では看護のコースに進み、その後専門学校を卒業して看護師として働き始めたとお聞きしました。なぜ看護師になろうと思ったのですか?沖田:これはもう親の刷り込みですね。家は自営業のラーメン屋、母親は「とにかく手に職をつけろ、看護師がええ」「とりあえず女は免許を取ったら一生食いっぱぐれないし幸せになれる」ということを口癖のように言っていました。わたしは一生一人でいいやと思っていたし、特になりたいものもなかったので、親がやれっていうならやったほうがいいのかなあと受け身で選択しました。結果、大失敗でしたけど(笑)。Upload By 姫野桂――大失敗ということは、看護師の仕事はうまくいかなかったのでしょうか。沖田:看護師に限らないと思いますが、まず社会に出たときの人間関係の複雑さには困りましたね。はっきりした役割もないし、「この人はフレンドリーに話しかけてくれるけど内心は違う」とか、「実はこの人たちは敵対しているから、聞いた悪口をそのまま伝えちゃいけない」とか、そういう暗黙のルールが全くわからなくて。わたしが入ってきたことにより、職場の人間関係がめちゃくちゃになってしまうこともありました。聞かれたことに答えていただけなので、どうしてわたしのせいだと言われるのかもわかりませんでしたが、気がついたら自分が嫌われてしまっていたという…。日によって相手のテンションが変わることにも対応できませんでした。昨日同じことをやって「うん」と言っていても、翌日は機嫌次第で「ダメ」となることもある。そうなると、もう何もできなくなってしまいました。わたしの場合は、最初に教えてもらったことが一生のマニュアルになってしまって、新しいルールが加わってもアップデートできないんです。「タオルを畳む」という作業ひとつとっても、前に勤めていたところで覚えた畳み方を、いくら注意されても繰り返してしまって。自分としては丁寧に畳んでいたつもりでも、職場の人にとっては使い勝手が悪くて迷惑だったみたいです。そういう認識のズレを、当事者はわかっていない。就職しても、そういうところでつまずいてすぐに辞めてしまう人もいると思うので、できれば学生のうちに、コミュニケーションのとり方の基礎を教えてほしかったです。学校でSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)も受けられたらよかったんですが、当時は先生たちも知らなかったんだろうと思います。参考: LITALICO発達ナビ「ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは?支援の対象、方法、気をつけたいポイントについて」 By 姫野桂22歳ではっきりと「人と違う」ことを自覚する――沖田さんは、漫画家になる前に性風俗で働いた経験についても、コミックエッセイで描かれています。沖田:看護師として働いている途中から、昼は病院、夜はおっぱいパブという働き方をしていました。看護師時代はワーカホリックで、「働いていないと生きている意味がない」と感じることもあったんです。当時はお金を貯めることが唯一の生きがいになっていましたし、肉体労働としての共通点も感じていたので、あまり抵抗もなくおっぱいパブで働き始めました。それまではあまりにも人のことに興味がなかったので、わたしなりに「人間を知りたい」とも思っていたんです。お客さんには「明日結婚するから最後に遊びに来た」「嫁さんがもうすぐ出産で、しばらく性的なことはできないから来た」などと話す人がいたり、社会的地位は高いけれどマナーの悪いお客さんもいたりして、「人って、普段外から見える部分だけではないんだ、いろんな要素が固まって人格になっているんだな」ということを知りました。これは、後々漫画をつくるにあたって非常に役立つ考察になりましたね。Upload By 姫野桂沖田:風俗の仕事は、中身のある会話をしなくていいところも息抜きになりました。60分チヤホヤしたら対価がもらえるというのが、シンプルですごく性に合っていたんです。同僚の女の子たちとの希薄な関係も好きでしたね。仮の名前や性格でも通用する世界は、とても気が楽でした。それでも、当時は看護師をメインの仕事に据えていました。本当は看護師の仕事に一生を捧げたかったんですが、正看護師として美容整形科で仕事を初めて3日目ぐらいで、初めて「人と違う」という自覚が出てきたんです。22歳のときでした。――「人と違う」というのは、どういう感覚ですか?小学生での、周りがロボットに思えるという感覚とは違うものでしょうか。沖田:日本語はわかるのに、相手が何を言っているかわからないことが多々あったんです。みんなが何か一言言われるだけで動けているときに、自分だけわからないという問題が、すごくはっきり出てきました。学生時代は「わたしはいいかげんな性格だから」とすませていましたが、国家試験にも受かって准看護師から正看護師になっている今回は、「あれ?」と思いました。そのとき、自分の頭にはごそっと何かが足りなくて、それが補えずに苦しんでいるんだなとぼんやりわかったんです。それでも、具体的にどんな風に困っているのかはどうしても説明できませんでした。――すでに診断されていた発達障害とは、沖田さんの中で結びついていなかったのですね。沖田:今になってみれば、それが発達障害を自覚したときだったと思うのですが、当時は自分に発達障害があるということも全部頭から抜けてしまっていましたね。わたしには、自分と特性の似た、不登校経験のある弟がいて。彼みたいな状態こそが「発達障害」なのだと思っていたんです。弟とは似ているところも多い分、昔はすごく嫌っていたので、かえって発達障害フォビア(憎悪)のようになっていた面もあると思います。そうやって、原因はわからないながらも自分は人と違うんだと思っていたころ、同い年の看護師の先輩に「本当に役に立たないね」と言われたんです。同い年だから余計につらくて。その人に「死ね!ハゲ!」などと言われたときに、「もう死んじゃおう」と、一度自殺未遂をしてしまいました。ロープが切れて自殺には失敗し、「ああ、今日死ぬ予定だったのに死ねなかった」とがっくりしました。でも「とりあえずルーティーンをしよう」と、いつも通り病院に行ったんです。上司に怒られながら仕事をして、家に帰ってからはめちゃくちゃになった部屋を片付けていたら、なんか、やっと…「わたし、病院以外のところでも生きていけるかもしれない」と思い始めました。その日からが、おまけの人生みたいな感じになったのかな。トーン貼りにハマり、4コマを描いたのがきっかけで漫画家に――その後はどうされたのですか?沖田:これをきっかけに本格的にリセットし、親の手の届かない、知らない土地でイチからやり直そうと、看護師を辞めて名古屋へ向かいました。23歳のときです。しばらくはまた性風俗業で働いていたのですが、当時の彼氏が漫画が好きで。彼の持ってきたルポ漫画がものすごく面白くて、ファンレターを送ったのが、現在の夫との出会いでした。電話をしたり、会って話したりする中で、夫がわたしを面白いと気に入ってくれたようで。東京に来ないかと誘われたときは一瞬考えましたが、そのほうが面白そうだと思って行くことを決めました。そのときはまだ、漫画は何もやっていません。夫と一緒に暮らすようになったときに、初めて漫画のトーン貼りを手伝って、「もっとない?」「わたし一生これで生きていく!」と言うぐらいハマってしまいました(笑)。Upload By 姫野桂――トーン貼りを手伝っていたところから、どのようにしてご自身も漫画家になろうと思ったのでしょうか。沖田:ある日、わたしがあまりにも「暇だ」と言うので、彼が4コマの枠だけを出して「これで何か描いてみてよ」って言ったんです。そうしたら、わたしは5分で書き上げたらしくて。それを見た彼が「お前、漫画家になれ」って。そのたった一言で漫画家になりました。わたしはコマが4つしかないからラッキーと思ったのですが、4コマ漫画って描くのが難しいらしいんですね。その時点で、漫画の基礎ができていたみたいです。ただ、絵は全然ダメで。4コママンガの中でキャラクターがどんどん痩せていって、4コマ目には別人になっているんです。左右の区別がつかないので、指の位置を逆に描いてしまうこともありますし。書けない文字がたくさんあることにも、漫画を描き始めてから気づきました。自分で漫画にセリフを書き込んだら、4コマ漫画なのに30個も赤字で修正が入っていたんです(笑)。とくに横の線は苦手で、ペンネームである沖田×華の「華」の字も3年ぐらい間違っていました。同じ字を何度も修正しているうちに、「見え方が他の人と違っているようだ」ということにもやっと気づきました。横線が動いたり、滲んだり、広がったりして見えるんですよ。どうも明朝体はダメらしくて。学習障害の一種であるディスレクシアも、そこで初めて自覚することになりました。ゴシック体だと理解できることは、最近わかりましたね。Upload By 姫野桂漫画家になったのは、「異世界転生」レベルの変化。湧いてくるアイデアをすくい、編集者と仕分けして漫画をつくる――他のお仕事も経験した上で漫画家になった沖田さんですが、漫画家という働き方はいかがでしたか?沖田:まったく怒られなくなったのには驚きましたね。締め切りを守るのは大前提ですが、わたしが出したものに対して、基本的に誰も文句を言わないんですよ。本当は不満もあるのかもしれませんが(笑)、言ってはこない。それがすごく新鮮で、別の世界に転生してきたようなレベルでしたね。どの仕事も、つまずくときは仕事内容そのものというより人間関係ですよ。漫画家のすごくいいところは、上司も部下もいないところですが、代わりにアシスタントや編集者との関わりがあります。わたしの場合、デビュー時に、同業者である夫が、アシスタントや編集者とのコミュニケーションの仕方を教えてくれました。わたし、アシスタントのことを友達みたいに思っちゃうんですよね。「疲れました」と言われたら「あ、いいよ、それやっておくよ」と言うような、なあなあの関係になってしまう。仕事をしてくれるのが嬉しくて、アシスタントの言うことをどんどん聞いてしまうんですが、本当はそういうのはよくないんですよね。仕事上の立ち位置を理解するのは、少し難しいです。漫画をよいものにしていく中で、修正を編集者から頼まれることもあります。「ここはこういう風に直してほしい」と言われた際、最初に思ってしまうのは、「この人はわたしのことが嫌いだからこんなことを言うんだ」ということなんです。そういう考え方のクセがあるんですね。でも、そうやって友達みたいな関係として捉えていると、「じゃあわたしも嫌いになってやる!」となってしまうので、作品をつくる上でよろしくない。そういうときは、夫が「編集者は友達じゃありませんよ」「仕事だから仕方なく!」って教えてくれるんです。そう言われると、編集さんが調子の良くない日もニコニコしたり、ご飯を一緒に食べたりするのも理解できて、関係性をとらえ直せます。そして、「そっか、これは仕事なんだ」「漫画をよくするための直しの要求なんだ」と納得して、うまく仕事のやり取りができるようになるんです。夫はいつも、自身の昔のしくじりを元に、怒鳴らずいろんな方向から説明してくれますね。Upload By 姫野桂――漫画を描くときに、どんなことを考えているのかもぜひお聞きしたいです。最近では、4コマやコミックエッセイだけでなく、ストーリーものの漫画も描かれていますよね。沖田:ストーリー漫画を描くことになったときは、どうやって描けばいいんだろうと途方に暮れましたね。編集担当さんが、ものすごく根気よく教えてくれました。先日、最終回を迎えた『透明なゆりかご』は、ネームにすごく時間がかかっていました。わたしは、そのコマ1つに一点集中型。今どんな話が広がっているのか、描いている最中はまったくわからないんです。それを見て、編集さんが「あ、見えてきました」とか言うので、わたしは「何も見えないじゃない」と思うんですが(笑)。これで話が繋がっているのかなと半信半疑で描いて、いざ掲載されたものを見ると、ちゃんと漫画になっているんですよ。そういうズレみたいなものがあります。だから、わたしは編集さんに「直して」と言われたら、「はい」と直すんです。多くの漫画家さんは、自分の作品への愛ゆえにこだわりがあって、編集者と衝突することも多いと聞きますが、わたしはまったくそういうことはなく。その道のプロである編集さんのほうが正しいだろうと思うんですよね。――そこを割り切っているのはすごいですね。沖田:ADHDの特性なのか、自分が描いたキャラクターや、その名前も忘れちゃうんですよ。キャラクターが5人程度でも、過去の単行本を引っ張り出してキャラを確認しています。『透明なゆりかご』については、読者さんから「泣いた」という感想をよくいただきますが、自分は泣いたことがなくて。他人のことが描かれているのに、なぜ泣くのかは不思議なのですが…きっと何か、思うことがあるんですよね。わたしはそういった共感がなく、看護師としての経験があるとはいえ、妊娠・中絶は経験していませんが、「それでも描けるんだ!」と今回わかりました。だからといって、適当に描いているわけではないんです。ADHDの脳みその特徴のようなものだと思うのですが、常にアイデアがポコポコとあぶくみたいに出ている状態で。それをすくってポイッと出し、編集さんと一緒に仕分けするのが、わたしの漫画の描き方です。今は、20ページぐらいの漫画であれば半日ほどでストーリーの構成ができるようになりました。Upload By 姫野桂自分よりも大切なものができて、仕事に「全て」を賭けなくなった――働く中で発達障害だと自覚し、仕事も変えて年を重ねてきた沖田さんですが、最近新たに気づいたことや変化したことはありますか?沖田:40歳に近くなって、性格がいい意味ですごく変わりましたね。昔は弁当に柴漬けが入ってなかったとか、そういうちょっとしたことで「わたしの今日1日を返せ!」ぐらいに怒っていたんですが、丸くなったというか。上京して夫と一緒に住み始めてからは、心のざわつきがあまりなくなりました。また、以前は「他人のことはわからなくて当たり前、それで相手に不快な思いをさせても仕方がない」と思っていましたが、最近は「向こうの心を知ろうとしたほうが、もうちょっと楽にコミュニケーションが取れる」というふうに考え方が変わってきました。歩み寄りが生まれているような気がします。それはきっと、自分よりも大切なものができたからなんでしょうね。昔は「若くて元気で整形もしていて、いっぱいお金を貯めている自分大好き!」だったのが、今はパートナーだったり親だったりを大事にしたいという気持ちが出始めていて、自分のことは別にいいかなと。好きなことをやり尽くした感じがあるからかもしれません。Upload By 姫野桂――では、仕事についての考え方も変わったのでしょうか。以前はお金を貯めることが生きがいで、「働いていないと意味がない」と思っている時期もありましたよね。沖田:今は、あまり仕事に人生を賭けないほうがいいと思っています。あくまでも仕事は仕事で、人生の一部。あまりにも仕事だけに集中していると、うまくいかなくなったときに墓穴を掘って爆発しちゃうこともあるので、やりたいことや趣味をいっぱい見つけたほうがいいかな、と思います。たしかに仕事はお金を稼ぐ上で大切なのですが、わたしにとってのおっぱいパブのように、ちょっと副業をかじってみたり、息抜きになるものがあったりしてもいいと思うんです。――ありがとうございます。先ほど自分の好きなことはやり尽くしたというお話がありましたが、何か今後やってみたいことはありますか?沖田:『透明なゆりかご』でも描きましたが、最近はコロナ禍の妊婦さんに取材をしていて。ある方は仕事を切られてしまい、車に1人で暮らしながら、大きなお腹を隠して臨月までUberEatsの配達員をやっていたんですよ。そういった行き場のない妊婦さんに住まいをつくるプロジェクトは、クラウドファンディングなどでもいくつかあるものの、数が圧倒的に足りていない。その方を少し支援しながらこの状況を見て、もっと手軽に困っている妊婦さんを支援できないか、滞在できるような施設をつくれないか、と思い始めているところです。また、話に出てきた弟は今、グループホームに入っているのですが、そういった施設やその住人は、社会から排除されやすいところがあります。開設に反対する近隣住民に、職員が菓子折りを持って回ったという話も聞いたことがあって。何も悪いことをしていないのに、なんでそんなに嫌がるものなんだろうと不思議なんです。だから、そういったことを『毎日やらかしてます。』シリーズで描いたり、グループホームを兼ねた何か大きなところをつくったりして、発達障害のある人が困らないような場所をつくりたいなと漠然と考えています。――最後に、進路について考えている読者にメッセージがあれば、お願いします。沖田:学生なら、親と先生、先生と子ども、みたいに、1対1でやりとりをするとスムーズなんじゃないかと思います。小さいときから自分を知っている親って、近すぎるんですよね。話し合いや進路の相談のときに、自分からしたら関係ないような昔の話も引っ張り出されることがありますし。わたしもマザコンなんですが、あんまり親の言うことは聞かんでもいいかなって思います(笑)。親だけに頼らず、できれば仲のいい先生をつくっておくのもいいかもしれません。わたしの場合は、同性のおばあちゃん先生が話しやすかったです。保健の先生も仲良くなっておくといいかな。わたしは専門学校卒ですが、金銭的に余裕があれば大学に行くのがおすすめですね。大学に入ることで、もっと選択肢が広がって、社会的にも学べる気がするので。学生のときって、自分のやりたいことをすごく集中してやってみたいときもあるじゃないですか。悪いことでなければ、それに没頭するのもいいと思います。Upload By 姫野桂明るく軽快に話してくれた沖田さん。仕事以外で趣味や好きなことを見つけたほうがいいという点には、個人的に「自分には何があるのだろう」と考えさせられてしまいました。しかし、年を重ねるにつれて、その回答がちょっとずつでも見えてくるのかもしれません。取材・文:姫野桂編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子
2021年04月18日アメリカのハワイで家族3人と暮らしている、ケン・ノブヨシ(@ken_nobuyoshi)さんがTwitterに投稿した写真に反響が上がっています。投稿者さんの娘さんの小学校では、『クレイジーヘアデイ』と称し、変な髪型で登校する日があるそう。そのため、投稿者さんの妻は試行錯誤の末、娘さんの髪型をこのように仕上げました。今日娘の小学校は“Crazy Hair Day”です。早起きして無事準備完了です pic.twitter.com/uxZbSZ6jkO — ケン・ノブヨシ live in ハワイ (@ken_nobuyoshi) April 8, 2021 頭から、コーラが注がれているようです!穴を開けたペットボトルの中に髪の毛を入れ、飲み口から出すことによってリアルな仕上がりになったのだとか。『クレイジーヘアデイ』は、強制的な参加ではなく任意のイベントのようですが、多くの子供たちがさまざまなアイディアの髪型で登校しています。ほかにも、パジャマで登校する『パジャマデー』もあるようで、子供たちはワクワクしそうですね。投稿には「すごい」「面白そう」などの声が上がっていました。・面白そうでいいな…。このぐらいユーモアのある学校に行きたかった。・すごい!一瞬、何が起きているのか分からなかった。日本でもやってほしい。・発想が好きです!自由参加で個人の意思を尊重してくれるところもいいですね。・楽しそうな行事だな。すごい発想力。これはクレイジーだわ。娘さんは、同級生から髪型を褒められて喜んでいたそうです。学校生活の中にこのような特別な日があると、通うのが楽しくなりそうですね。[文・構成/grape編集部]
2021年04月10日漫画家として活躍するカレー沢薫さんの連載コラム「アクマの辞典」このコラムは、ア行からワ行まで、女や恋愛に関する様々なワードをカレー沢さん独自の視点で解釈していきます。女の本性をあぶりだす新しい言葉の定義をとくとご覧あれ!■第74回アクマの辞典バ行【ボ】➤「ぼっち」(ぼっち)「非リア充」「陰キャ」など平均より明度と彩度が低いヤツを指す言葉は多数ある。個人的には「鬼滅は見ない、なぜならみんな見ているから」と言っているヤツのほうが、これから先、人生に外灯が1本も立ってない気がするが、これらの言葉に共通するイメージは「孤独」である。よって私が「非リア充」を名乗ると「結婚している癖に、どの口が言いやがる」と瞬時にスティッキィ・フィンガーズを食らう羽目になる。既婚の非リア充ならわかってくれると思うが、結婚している=リア充、まして「モテている」ではないのだ。会社の全女子社員から「こいつと世界で2人きりになったら自害する」と思われている、いとも容易く人類滅亡を選ばせるような上司ですらなぜか結婚していたりするだろう。結婚とはその程度のものだ。しかし、家に虫以外の生命体がいる時点で非リア充ではないと言われたらそこまでである。そのぐらい非リア充や陰キャにとって「孤独」は重要な要素なのだ。最近は「孤独」に焦点を当てた言葉もある、それが今回のテーマ、バ行から「ぼっち」である。「ぼっち」とは「ひとりぼっち」から来ており、仲間がいない様を指す。クリスマスを1人で過ごすことは「クリぼっち」と言い、響きだけなら誰よりも卑猥なクリスマスを過ごしているように聞こえる。しかし、恋人がいないというだけで「ぼっち」を名乗る人間はあまりいないように感じる。仲間(ファミリー)に囲まれた状態で「今俺ぼっちなんで彼女絶賛ボシュ―中っすw」などと逆ピースをキメたら射殺されても文句は言えない。パートナーがいないだけで「ぼっち」とはあまり言わないのは「結婚しなかろうが、恋人がいなかろうが何が悪い」という価値観が広がってきたせいかもしれない。対して「ひきこもりで、友達皆無で、近所に存在さえ知られていなくて何が悪い」という風潮にはなかなかならない。確かに、イチャつく相手がいなくても困ることはないが、周囲から孤立し、困った時に頼る相手がいないというのは本当に困るし、そういった「孤立」が引き起こす事件や事故も多いのだ。少なくとも突然「三人組をつくれ」と言われた時に困るし、そこから不登校などに繋がる恐れがある。だが、私はまさに会社を辞めてから社会と断絶し、近所に誰も知り合いがいないひきこもりだが、自分のことを「ぼっち」と自称することはあまりないし、孤独にさいなまれるということもあまりない。なぜなら、一人だと「ぼっち」だと感じないからだ。「ぼっち」だと感じるのは「ぼっちじゃないヤツ」と比べるからである。三人組を作れず「今世界滅亡しねえかな」と思うのは、周りがみんな三人組を作っているからであり、さらにそいつらの視線にさらされているからだ。つまり「ぼっち」自体がキツいのではなく「他のヤツと違う」という疎外感、さらに「周りにぼっちと思われている」という羞恥心で辛いのだ。私も平素全く孤独を感じないが、窓の外で近所のママグループが井戸端会議をしているの見ると「社会だ…」と、凄まじい孤独を感じる。よって「恋人が欲しい」という時も、恋人がいるヤツと比べたり、恋人がいない寂しいヤツと周りに思われたくなかったりして、欲しいと考えていないか確認したほうが良い。私がその井戸端会議に乱入しても、その中でまた孤立するか、警察を呼ばれるかの二択なように、そんな動機で恋人を作っても「俺の自由時間が減った」と感じるだけだと思う。「ぼっちを快適と思っている自分」を認めず、他人と比べ、他人の目ばかり気にしていては永遠に「孤独感」はなくならない。--------------------------■バ行【バ】➤「バンギャ」(ばんぎゃ)…「30過ぎて乗ると体がバラバラになる」でお馴染みの深夜バスに40近くになっていても乗れていたりする、不健康そうに見えて健康じゃないと務まらない【ビ】➤「美意識」(びいしき)…美しい桜に半分以上自分の顔面がインした写真を撮ろうとしたり、下で焼肉をしたり、春は美意識の崩壊がよく見られる【ブ】➤「不器用」(ぶきよう)…顔が良いヤツだけがそう評される、あとは「気が利かない」「いらんことを言うヤツ」と呼ばれる【ベ】➤「別に」(べつに)…瞬時に「MDMA」という謎の単語が思い浮かぶようになったので、罪は償えても「イメージ」は消えない【ボ】➤「ぼっち」(ぼっち)…「ぼっち」を嘆くヤツを集団に入れてやると逆に死ぬ
2021年04月05日つらい思いを抱えている人にーー『明日、学校へ行きたくない言葉にならない思いを抱える君へ』子どもの自死が一番多いのは夏休み明けの9月1日…この本はそんな「9月1日問題」から子どもたちの命を守るための取り組みのひとつ、ニコニコ生放送番組『明日、学校へ行きたくない』をもとに書籍化された本です。本書では、不登校、DV被害、いじめ、将来のことなど、当事者の子どもたちや保護者、かつてそうだった大人たちの投稿を元に、「こども六法」を出版し、法教育を通じたいじめ問題の解決を目指している山崎聡一郎さん、カウンセラーとして多くの人の悩みや不安を聞いてきた公認心理士、臨床心理士信田さよ子さん、脳と心の関係を探求し、子どもの脳の発達や個性を発揮する学びについて社会に発信している脳科学者茂木健一郎さんの三人の専門家とともに一緒に考え、語る形で進んでいきます。山崎さんの「まず生の声をていねいに聞いていきたい」という言葉通り、寄せられた投稿に対して解決方法を提示するだけではなく、ひとりひとりの声に真摯に耳を傾けて寄り添うようなアドバイスが印象的な本書。学校へ行きたくない、生きづらいなど、うまく言葉にできないモヤモヤにそっと寄り添う『居場所』になってくれそうな一冊です。発達障害のある子どもとゲームの関わり方を解説『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』ICTとはどんなもの?という基本的な説明から、発達障害のある子どもとICTの関係、子どもの特性別のネットやゲームとの関係、ICTと付き合っていくために必要不可欠なリテラシー問題などを詳しく解説しています。「ゲームがうまくいかず暴言を吐く」「スマホばかりで昼夜逆転、朝起きられない」など『わが子はゲーム依存?』と悩んでいる家庭が増えています。まずは大人が子どもの世界を知り、親子でICTとうまく付きあっていくきっかけを考えてみてはいかがでしょうか。「依存かな?」と思ったときに親ができること、適切な支援方法など、これから欠かせない存在となっていくICTを前向きにとらえていくための参考になりますので、子育て中の方、学校の先生、福祉関係者の方など様々な方に読んで頂きたい一冊です。その就職活動、「得意」を活かせてますか?『ちょっとしたコツでうまくいく!発達障害の人のための就活ハック』発達障害特性のある人は就職活動においてもその特性ゆえにうまくいかないことが往々にしてあります。この本には、発達障害のある人や働きづらさを抱えた人の就職活動を支援し、発達障害支援や障害者雇用に関わるセミナーやコンサルティングを多数手がけてきた、就職のプロたちが教える就職活動をうまく進める知識や工夫、『就活ハック』が詰まっています。自分の強み、発達特性を知るところから始まり、エントリー方法や見出しなみやマナー、面接の対策など就職活動の流れを表やイラストを使い分かりやすく説明。今急増しているオンライン面接についての対策も紹介されています。発達特性別の向いている仕事一覧などもあるので、特性の苦手をカバーしながら得意を活かせる『就職ハック』が見つかる一冊です。今日からすぐにチャレンジできる!『1日5分で運動能力と集中力が劇的アップ 5歳からの最新!キッズ・トレーニング』運動能力の発達は脳の発達にもつながると言われています。子どもにとって、基本的な運動は野球やサッカーなどのスポーツにつながる運動能力をアップさせるのはもちろん、脳を適度に刺激して集中力(学力)を上げることに役立ちます。子どもからトップアスリートまでの競技サポートをするトレーナーが紹介するキッズトレーニングは、身体感覚を育てる9つのパーツ別体操、全身を協調して動かす6つの運動感覚、運動能力を上げるための12の運動機会と段階別に紹介されているので、子どもの発達状態に合った体操を始めることができます。科学的な研究結果をベースに作られたトレーニング内容は未就学児~小学生のこどもにぴったり。簡単にできて、運動能力が伸びるコツが盛りだくさんです。すべてのワークは図解はもちろん、動画(QRコード)もついているのでとてもわかりやすく、今日からすぐにチャレンジできる一冊です。性への教育と介入を伝える『性の教育ユニバーサルデザイン 配慮を必要とする人への支援と対応』人の性体験には大きな自由度と多様性があります。この本では配慮を必要とする人たちへの支援と対応、教育などを解説しています。本書は4部に分かれており、1部は性体験の自由度と多様性を各世代の人々の語りを通して紹介する『いっぱいあってな』、2部は配慮を必要とする人たちが持っている知識の現状や教え方、教材などを使った実践方法などを紹介する『教育』、3部は男性、女性それぞれの性的逸脱行動の事例とその対応を解説した『介入』、そして4部ではLGBTの人との面接などで留意すべき事項を中心にその対応の道筋などを提示していく『LGBT』で構成されています。研修会や講習会などで、実際に保護者や教員のかたから受けた質問など、気になるけど聞きづらい性の問題に対する答えがたくさん詰まっています。従来の性に関する支援書とは一味も二味も違う、性の学習法と性への介入法、そのすべてを伝える一冊です。
2021年04月03日まわりの音がすべて音符で聴こえる。不協和音にならないように気をつけながらしゃべる子どもだったUpload By 発達ナビ編集部数々のヒット曲を産み出してきた、音楽家・作曲家の広瀬香美さん。最近ではYouTubeオフィシャルチャンネルでの「歌ってみた」シリーズが大きな話題を呼んでいます。音楽の天賦の才をもつと同時に、生きづらさも感じていた思春期を経て、才能あふれた明るい「広瀬香美」が誕生するまでを、LITALICO発達ナビ編集長・牟田暁子がインタビューしました。牟田暁子LITALICO発達ナビ編集長(以下――)広瀬香美さんご自身の、音楽的な感受性の強さを表すエピソードをぜひ教えてください。子ども時代、どんなお子さんでしたか?広瀬香美さん(以下広瀬)「ええと~、ええっと~…」って、言うでしょう。すると、それが私には、「ド ミ~、ド ミ~」って、音符で聴こえるんです。空気の音は和音に聴こえます。たぶん電気や電磁波みたいなものの音だと思うけれど、Eフラットの和音に聴こえるんです。だから、どんな静かな場所でもベースに和音があって、そこに自分が話す声をメロディーとして乗せようとしちゃうんです。そうしないと不協和音になってしまうから。具合が悪いときには、聴こえている和音には反抗するように全然違う音で喋りたいけれど、そうすると不協和音になってしまうので、黙り込んでしまう習性がありました。今だったら、生活音が全部音楽になってしまうということは、なんて素晴らしいと思えますが、昔は、「うるさいよね、人生って」と思っていました。ただ、いつもオーケストラみたいに音が鳴っているのは、食べたり眠ったりと同じ当たり前のことだと思っていたから、誰かに悩みを打ち明けるということもありませんでした。だって、お父さんもお母さんも友達もみんなそうだって思っていたから。――それが自分だけにあることだと気づいたのは何歳ごろでしたか?広瀬「私っておかしいの?」と思ったのは、仲間意識ができたりする小学校3~4年ごろかな。「あの子、なんかちょっと言うことがおかしいよね」と言われるようになったんです。たとえば、「なおこちゃん」と呼びかけるとき、「ミレドちゃん」と聴こえたままに言ってしまったりすることがあって、「ミレドじゃない!」となおこちゃんから言われてしまう。私としては「あれ?私ミレドちゃんて言った?」というようなことがありました。だから、学校のクラスメートから「あの子は変なこと言う」と言われて、ちょっとした仲間はずれのような、いじめみたいなことになってきたころから、「みんなの世界はオーケストラのような音の世界ではないの?もしかして私だけ?」と、だんだんわかり始めたんです。小学校の高学年のころからだんだんと、そのことが自分の中で処理できなくなってきて、微熱が出るようになり、学校を休むようになりました。実際、37度7分くらいあったので、親も学校を休ませてくれるわけです。親はとても心配していろいろな病院に連れて行ってくれました。精神科、思春期内科、東京から九州から、ありとあらゆる心の病気の先生のところに連れて行ってくれたし、自分でも治したいと思っていましたよ。薬もね、こんなに(両手ですくうようにして)飲んでいました。ただ、「私は病気じゃないのに、なんでこんな薬を飲むんだろう」と思っていたので、途中から薬は飲んだふりをして、親には隠すようになりました。ゴミ箱に捨てるとバレちゃうから、ソファの隅に押し込んだりしてね。ほかにも、過呼吸症候群や脳貧血を起こして、一度発作が起こると20分くらいしないと収まらないので、寝込むこともありました。不登校時代を経て、高校を卒業。「私だけじゃない!」と分かる環境になったら、スパッと元気になった!――大変でしたね。ずっと学校には行かなかったんですか?広瀬そんな日々が高校2年生くらいまで続いて…けっこう長かったですね。小学校は日数が足らなくてもなんとか卒業して、中学高校は私立でしたが、調子がいいときは行けるんですけど、行けない日もありました。高2のときは3分の1くらいの日数しか登校できなくて、最後の期末テストだけはなんとか受けて、留年ギリギリまでいったんですが、なんとか高3になれました。でも、体調もすごく悪かったんですよね。――そんな元気のない様子は今からは想像もできませんが、今のように元気な広瀬さんになったのはいつごろから?広瀬大学に入ってから、そういう体調の悪さは、スパッとなくなりました!東京の音楽大学に通うようになったら、周りに変な人がいっぱいいたんですよ(笑)。感受性が強い人たちね。私よりも変な人がいて、なんだかほっとしました。そしてラッキーなことに、大学1年生の夏休みに、ロサンゼルスに行けたんです。ロスに行ったら、「私が一番まとも?」と思うくらい、周りの人たちが変だったんですよ。言うことも変だし、全然平気で約束破るし、「この人たちが普通なの? この国!」と思ったときに、苦しかった部分が、サーッと溶けたようになって、すっごく楽になりました。自分たちが変わっているだけでなく、私がわがままや変なことを言っても、「お~!いいね」なんて言ってくれる人たち。私が「生活音もすべての音が、音階になるの」と話すと、「すごいね! 天才じゃん!」と、全部肯定してくれるんですよ。ここが私の住みかかもしれないと思った瞬間に、何の症状も出なくなりました。とはいえ、せっかく音楽大学に入ったし、親からはとにかく卒業だけはしてほしいと言われ、卒業証書だけはもらう約束をしました。大学側にも、アメリカと日本を行ったり来たりするけれど、卒業はしたいと直接交渉しました。もうとにかく必死で、最初の2年間で、4年分の必須の単位をとりました。3~4年生はとにかく作品だけ提出すればいいようにしてもらったのです。課題も、ほかの人が1曲のところ2曲アメリカから送るから、と。しょうがないな、OKと言ってくれる理解ある先生に出会えて、ほんとによかったです。卒業に必要なギリギリの単位だけとって、一応卒業証書はもらいました。――すごいですね。たしかに恵まれた環境なのかもしれないけれど、広瀬さんの人柄もあるかと思います。広瀬いえいえ! アメリカが私をこういう人柄にしてくれたんです。思春期の私はずっと、暗くて、泣き虫で、自分のことを何も言わない子でしたから。だってしゃべると不協和音になっちゃうから。大声で泣けない、自己主張もしない、自分の悩みを打ち明けられない、友だちもいない。その当時の写真を見ると、笑顔は1枚もないんです。笑顔の作り方、知らなかったんですよね。聴こえてしまう音をコントロールする方法を教えてくれた仲間に出会えたUpload By 発達ナビ編集部――すべてが和音になってうるさくて、というのは、今も続いていますか?こうして話していて、大丈夫ですか?広瀬今はね、大丈夫です。自分でボリュームを上げ下げできる技を覚えたんです。アメリカに行ったら、同じような感性をもった友だちがたくさんいたので、どんなふうに対応しているの?と聞いてみたら、「ボリュームが変えられるんだよ、ちょっと訓練したらできるよ」と教えてくれたんです。それでコントロールできるようになりました。今は、もうずっとボリュームはゼロにしています。最近は鈍感になってきたのか、ものすごく頑張って聴こうと思わない限り、聴こえなくなりました。たまに、スタッフやメディアの人が面白がって「今、何の音が聴こえる?」と聞かれたら答えられるけれど。自分の特性を仕事に活かして、ポップス作曲家・広瀬香美が誕生するまで――そうした感覚、感性を、今のお仕事に活かせるようになったのはいつごろから?広瀬音楽しか教育されなかったし、親は音楽家にしたかったんだと思うんですよね。センスがあると思うからこそ、音楽のレッスンや、いい先生を見つけてくれたりして、音楽の才能を伸ばそうとしてくれました。私自身も、音楽の勉強しかしませんでした。自分でも音楽のセンスがあると思っていました。音楽を分析して、直す能力が自分にはあるんだな、って。子ども時代、テレビからや街で聴こえてくる音楽を、「自分ならもっといいメロディーにするのにな~」「そこ、ちょっと違うんだよな~」なんて考えていました。ただ、親が勉強させようとしたクラシックの音楽は自分の中ではしっくりこなくて、変なの!暗い音楽だなと思っていて、学ばせられる音楽にはまったく共感しませんでした。とはいえ、これは違うとは思っても、どうしていいか分からなくて……。その当時、ポップス音楽大学のようなものも、コンピューターミュージック科といったものもなかったし。だから、好きじゃなくてもクラシック音楽の勉強をするしかなかったわけです。どの科に行くかについても、行くなら作曲学科かな、というところでした。そこで、大学1年で行ったロスで聴こえてきた音楽に「ああ、この音楽がいい!」って思ったんです。マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオン、ボビー・ブラウン、そうした人たちの音楽を聴いて、「すごい!そうそう、これよ!!」って、思いましたよね。じゃあ、こういう音楽を勉強するにはどうしたらいい?というところから、先生を探しました。ポップスの勉強を始めて、やっぱりこういう音楽を作るには技術が要るし、クラシックとは書き方、作り方が全然違うんだなと知りました。好きなことだから、がむしゃらに勉強しました。そうこうするうちに曲が書けるようになったけれど、お金が足りないんですよ!ロスでのアパート代だけは親に出してもらっていましたが、勉強を続けるお金が足りなくて、曲を買ってもらうことはできないか、と考えたんです。その当時はバブルで、予算がたっぷりあった日本のレコード会社さんたちが、ロスにレコーディングのために来ていました。そこで、日本語ができる現地のアシスタントとなり、自分の楽曲をレコーディングクルーに売り込んでみたんです。そしたら、曲も褒めてもらえたけど、仮歌で入っていた私の声が気に入られて、歌の仕事をするようになりました。結局そのときは、曲はあんまり買ってもらえなかったんですけどね。そのうち、日本に帰国したときに、スタジオに行って歌うようにもなりました。ただ歌うだけでなく、音楽大学の頃の技術が重宝されました。譜面をパッと見てすぐに歌えたり、アレンジャーさんから「コーラスの和音が濁るので、ハーモナイズを直してください」と言われたり。どんどん仕事が入って、日本にいる間に1年分の家賃稼げちゃう、というくらいでした。日本で稼いで、アメリカで3ヶ月勉強して、それでまた日本に戻って…という生活。そこから私の遊牧民生活が始まりました!(笑)。気がついたら、アメリカと日本を行ったり来たりの人生ですね。ようやく、自分の話をできるときがきた!Upload By 発達ナビ編集部――最近、こうして自分のことを発信するようになったきっかけは?広瀬自分のことを、発信したいという気持ちはずっとあったんですが、「広瀬香美」という人格は、私だけのものではないんですよね。レコード会社の人のものであり、事務所のものであり、ファンの方々のものなんです、ありがたいことに。だから、自分の個人的な話や悩みを、そうそう話すわけにはいかなかったんです。元気に明るく楽しく、「冬の女王」として突っ走っていくということで、最初の15年ぐらいはトークもしてこなかったんです。歌声だけを、冬の時期に元気に届ける人として生きてきたのが、「広瀬香美」でした。その後、ちょっと病気をしたこともあって少しお休みしたあと、第2期として復活したころに、ちょうどTwitterなどのSNSが流行り始めました。当時、事務所はそういう発信を絶対許してくれなかったんです。だって冬の女王様のはずなのに、「寒いのはちょっと苦手」なんて絶対言えないじゃない?(笑)そんな制約もあって、個人的につぶやくことが咎められた時代だったんですよね。だけど、何度も事務所に呼び出しをくらいながらも、やめなかった(笑)。そのうち、広瀬香美のSNS面白いよねと言われるようになり、それがYouTube配信へとつながっています。その間に、オールナイトニッポンやUstreamでの発信もありました。私みたいな人たちが、たくさんいることを知ってほしい!Upload By 発達ナビ編集部――そのYouTubeの配信が、オフィシャルチャンネルで人気の「歌ってみた」シリーズですね。広瀬曲の解説は、子どものころから有名な曲をああだこうだ言っていたわけで(笑)、得意だから、弾いた曲を自分なりに解説をして、自分のキャラクターを発信するようになりました。それがちょうど、あの自粛生活の時期で、なかなか外に出られないときだったので、皆さんがたくさん聴いてくださることになり、楽しいねと評価されて今に至ります。そして、メインチャンネル以外に「バックヤードチャンネル」を開設して、自分の思いや演奏以外のことをお話するようになったんです。そこで話しているうちに、ふっと昔のことがフラッシュバックしてしまって、話が止まらなくなっちゃったときがあって。そのときは、これはどうせボツだからいいやと思って、泣きながら喋ったんです。そしたら、そのボツだと思ったほうの内容をスタッフが選んだんですよ。【広瀬香美】浜崎あゆみ/Mを歌い終えて…まさかの号泣【今だから言える】――こうした発信は、生きにくさを感じているお子さんとその保護者の希望になると思います。広瀬ありがとうございます。そう言ってもらえると本当に嬉しいです。私は、この国の仕組みに弾圧されたと思っているんです。弾圧のおかげで今があると思っているから、あえて弾圧という言葉を使うけれど、弾圧されてギューって抑え込まれたからこそ、パーン!とはじけることができました。日本には、パーンとはじけられないまま一生を終えてしまう人たちだってたくさんいるし、苦しんでる人たちが今もたくさんいると思います。だからといって、そういう方たちに、「あなたたちもはじけてごらん!」なんて言う気持ちは全然ないです。だけど、私が自分のこういうお話をすることによって、皆さんが何か考えるきっかけのひとつになったら嬉しいです。こういう、私みたいな人たちがたくさんいるということを、ある一部の特別な人たちではないということを、みなさんを代表として世の中に伝える広報になりたいと、心から思っています。――最後に、「発達ナビ」読者の皆さんへひとことお願いします。そういう子どもに、親はどう関わったら、いいでしょうか。広瀬私の親も、いろいろな病院に連れていってくれたり、勉強させてくれたりしました。ただ、私にとっては、別にありがたいことだったかといえば、そうではありませんでした。でも、子を思う親の気持ちは、みんな同じで、よかれと思っているわけですよね。こうした方がいいですよ、ということは私には言えません。私からの「こうしたら」という回答はないけれど、ひとつの例として、今していることをそのまま続けていったら、私みたいにはじけるときがくるかもしれません。こういう実例があるということを私がお話することによって、誰かの救いになればいいなと思っています。Upload By 発達ナビ編集部広瀬香美 Backyard channel広瀬 香美 Official YouTube channel
2021年04月01日【連載】玉置妙憂の心に寄りそう人生相談<第69回>数々のメディアにも紹介され大反響を呼んでいる新書『死にゆく人の心に寄りそう〜医療と宗教の間のケア〜』(光文社)の著者・玉置妙憂さんが毎週、読者の悩みに寄りそい、言葉を贈ります。【今回の相談内容】22歳になる娘は高校生のときに、友人関係に悩んで不登校になりました。病院に通い、担任の先生とも相談を重ねながら、当時はなんとか高校を卒業し、地元の私立大学に入学。私は大学に入れば、環境も友達も変わり、少しずつ変わっていけるかと思いました。しかし、状況はなかなか改善しませんでした。娘は家族と普通に会話しますし、一緒なら外出もできます。ただ、大学に行ったり、就職活動することはできません。私たちも病院に連れていく以外、見守ることしかできていません。私たち親が死んだときに一人っ子の娘はひとりで生きていけるのか。先の見えない悩みが頭から離れません。(50歳・女性・会社員)【回答】ご心配ですね。ご心労いかばかりか。大切なひとり娘さんですもの、目の中に入れても痛くないほど可愛がり、愛情を注いでいらっしゃることでしょう。ましてや、娘さんは人間関係の禍に巻き込まれた被害者でいらっしゃる。なんとお可哀想なことか。「私たち親が死んだとき、娘がひとりで生きていけるか」とのご心配も、痛いほどわかります。でも、お二人がいなくなったら、娘さんは、きっとひとりで生きてゆけますよ。見守ることしかできないとおっしゃっておいでですが、日々の食事はどうしていらっしゃいますか。掃除洗濯は?入浴や空調、なんだかんだと光熱費もかかるでしょう?想像いたしますに、すべて問題なく整えて差し上げていらっしゃるのではないでしょうか。娘さんにとって、お家は極めて安全な「繭」ですね。そこに潜り込んでいれば、お父さんお母さんに可哀想だとかばってもらえ、たっぷりと愛情を注いでもらえ、何不自由なく暮らしていけるのです。そんな「繭」から、どうして出るものですか。そうなれば娘さんは、無意識のうちに「繭」に居続ける理由を積極的につくります。だから、状況は改善するわけがありません。そして、あなたさまは、「繭」に籠り続ける娘さんを心配しつつも、娘さんが「繭」に居続けてくれていることに、心のどこかでほっとなさっている……。現在の困った状況は、同時に、安定した状況でもあるという、絶妙なバランスを保っているのではないでしょうか。ごめんなさい。あくまでも数行のご相談の文章から、勝手に想像したに過ぎません。どうかお気を悪くしないでくださいね。もうすぐ春です。良い気候になりますから、思い切って窓を開けて外の空気を入れましょう。膠着して澱んだ気を換えなければ変化は始まりません。明るい明日が、待っていますように。【プロフィール】玉置妙憂(たまおきみょうゆう)看護師・看護教員・ケアマネ−ジャー・僧侶。「一般社団法人大慈学苑」代表。著書『死にゆく人の心に寄りそう』(光文社新書)は8万部突破のベストセラー。NHK『クローズアップ現代+』、『あさイチ』に出演して大きな話題に。現在、ニッポン放送『テレフォン人生相談』のレギュラーパーソナリティを務める。
2021年03月26日春は出会いと別れの季節。子供たちにとって、春は新しい環境に1歩を踏み出す成長の時期でもあるでしょう。えむしとえむふじんさんは、娘さんたちが通う小学校の登校班でのエピソードを漫画に描きました。児童が集団で一緒に通学路を登下校する登校班では、上級生が下級生の面倒を見ます。長女のえむこちゃんが小学5年生の春、新1年生の男の子が班に入ってきました。男の子は最初、学校に行くことを泣いて嫌がっていましたが…。男の子が安心して学校に行けるよう、毎朝手をつないで一緒に登校した、えむこちゃん。半年後、環境にすっかり慣れた男の子は、まるで彼氏のような振る舞いになっていたそうです!ちなみに、次女のえむみちゃんは手をつなぐのを断られてしまったのだとか…。しかし、そんな平和な登校風景にも、変化が訪れます。小6女子と小2男子の最後の登校風景えむこちゃんが小学6年生になった年、新型コロナウイルス感染症が流行。感染予防のために、手をつないで登校することはできなくなりました。しかし、卒業前の最後の登校日、さびしさのあまり泣いてしまった男の子のために、えむこちゃんは一緒に手をつないで登校したそうです。読者からは「男の子、初恋かな。かわいすぎますね!」「みんなに好かれるえむこちゃんは、本当に素敵。卒業おめでとうございます」といったコメントが寄せられていました。別れは切ないですが、いい思い出は人の心を成長させます。次に新入生が入ってきたら、男の子はきっと頼りになる優しいお兄さんになってくれることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月26日いじめが続いて気づいた「これは私に問題がある」東京・目黒に生まれたコッピーさんは、研究者の父と専業主婦の母、それに姉の4人家族。「外交的だった」小学生の頃から、生きづらさを抱えていたという。「小4ぐらいのときに、お腹が痛くなることが増えました。今思えば仮病のようなもので、保健室によく行っていました。無理矢理休もうとしていたんですよね。友達もいたし、なんなら中心的な存在で楽しかったんですけど、今思えばその空間がつらかったというか……。朝から夕方まで椅子に座ってじっとしているっていうのがつらかったんじゃないのかなって。たぶん教室にいられなかったのかな」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之女性のASDは男性よりも分かりづらいという。コッピーさんはその正義感の強さから、廊下を走る上級生などにも物怖じせず注意していた。「今考えれば、ASD特性も出ていたのかな」と当時を振り返る。さらに都内にある中高一貫の私立女子校に進学すると、いじめの標的にされてしまう。「中1の春からいじめに遭いました。仲良かったグループから仲間外れにされることがあって。なんか話しかけても無視されたり、目の前でヒソヒソ言われたり。仲良くなった別の子もいじめの主犯格で、その子にもガッツリいじめられました。廊下ですれ違うと舌打ちされたり、ブスって言われたりしました。それを相談してた相手も実はいじめっ子とつるんでいて、『裏でアイツこんなこと言ってたよ』って面白がっていたみたいで……それを最終的に知って人間不信になりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之その後も、グループに所属しては仲間外れにされることがあった。「これはたまたま失敗したのではなく、私に問題がある」――。そう気づいたコッピーさんは、そこからどうしたら人間関係をうまく結べるのかを考えるようになった。悪目立ちをしないように、無難に会話をやり過ごすといった“暗黙の了解”を学び始めたのだった。マルチタスクができない夢のために受験へ中高一貫校だったが、高校2年の頃に週に4日通えばOKだという単位制の私立高校に編入した。ADHDの症状として多くみられる過眠症はコッピーさんも例外ではなかったが、授業のコマも好きに組むことができることで朝もゆっくり過ごせるようになった。クラスメイトは「ギャルみたいな子」がいて怖かったものの、コッピーさんも髪を染めるなどして適応。そして、アルバイトをやってみたいと思い立つ。Upload By 桑山 知之「コンビニバイトが簡単だって聞いたからやっていたんですけど、意外と覚えることが多くて、マルチタスクなんですよ。それが致命的にできなかったんですよね。年上のお姉さんとかにすごく怒られて。品出し(商品を陳列すること)している最中に列ができちゃっていて、だけどまったく気づかなくて。ハッとして走っていくんですけど、そのあとめっちゃ怒られる。あとお金の勘定ミスがすごくて、マイナス5000円とか出しちゃうんですよ。けっこう深刻に悩んでいたんですけど、フリーターの上の人に自腹を促されて、泣く泣く支払ったりしていました」(コッピーさん)その後、制服がかわいいということでカフェでのバイトに切り替えたが、結局マルチタスクをこなさなければならない状況は変わらなかった。そんな17歳という悩み多き頃、気になった邦画を片っ端からレンタルしていたとき、とある映画に出会う。舞台はタイ。臓器移植や人身売買などを描いた『闇の子供たち』(監督:阪本順治、原作:梁石日)だ。「子どもたちが人身売買されている現状が描かれていて、売春のシーンもあったり、めちゃくちゃ衝撃的なんですね。私は人間関係とかしょうもないこととかで悩んでいるけれど、こんな壮絶な状況の人がいるんだって衝撃を受けました。私の悩みは贅沢な悩みだったんだなって。今思えばそれぞれの立場があってそれぞれの悩みがあるんだって思うんですけど。当時はすごく罪悪感に近いものを感じたんですね。普通に暮らしていることに不満を持って、途上国支援がしたいと思いました」(コッピーさん)国際協力や途上国支援ができるような仕事に就きたいと志すも、それには大学を出る必要があると感じたコッピーさんは、死ぬ気で受験勉強に励んだ。友達付き合いも一切やめ、インターネットはすべて遮断。集中力などとっくに切れているのに、1日に十何時間も机にへばりついていた。精神的に病みかけながら臨んだ受験当日、周囲の他の受験生が気になった。「第一志望の受験の日に覚えているのは、近くの人が貧乏揺すりをしていたんですよ。それがずっと気になっちゃって。あと、ページをペラペラめくる音が気になったり、試験官がどこにいるかとか、些細な刺激が気になって、ずっと集中できませんでした」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之自分と向き合うということ行き着いた「マイノリティの尊重」カンボジアやミャンマーなど、東南アジア諸国を実際に自分の目で見た。しかし、“この人生を歩んできた私”がそこで働く必然性をなかなか見出せなかった。大学のカリキュラムに加え、児童養護施設でのボランティアや、雑誌『ビッグイシュー』のインターンシップにも自主的に参加した。国内の貧困問題を学んだ末、「貧困」と「人間関係」には密接な関わりがあると感じた。不登校児を専門に対象とする『東京家学』で家庭教師も経験した。こうして“自分が関わるべき必然性”を追求していった結果、日本での社会問題に目を向けること、さらに当事者と研究者両方の視点での発達心理学にたどり着いた。Upload By 桑山 知之「心理学で『アタッチメント理論』っていうものがあって。簡単に言うと、初期にお母さんと言うか主な養育者との間に築いた関係性は、生涯に渡って人間関係に応用されていくよって言うこと。それぐらい1番最初の人間関係って大事だと。家庭環境でつまずくと、その後の人生にまで影響があるって衝撃だったんですよね。家庭環境のように、自分にはどうにもできないのに人生に影響してしまう要因がたくさんあるのに、世の中ではほとんど考慮されていないことに大きな違和感を覚えたんです。それって貧困とか障害に関してもそうですが、『みんな頑張っているんだからあなたも文句言わずに頑張れ』という世の中のスタンスに、それはおかしいぞって思うようになって、心理学的観点から自分の障害についても向き合っていきたいと思うようになりました」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之修士論文のテーマは「成人期のADHD者の質的研究」。レジリエンス(逆境から適応に至る現象)について、ADHDの人はどういうプロセスで適応するのかを当事者へのインタビューを通してまとめ上げた。現在、コッピーさんは東京大学大学院で心理学博士課程の1年。一般就労をしているADHDのある人に適応状態や働き方をヒアリングし、論文にまとめている。「社会に出たADHDのある人ってどうやって生活しているんだろう?というのがすごくあったんですね。でも、スティグマ(負のレッテル)のせいで公表しながら生活している人にまったく出会えない状態だったので、じゃあみんなコソコソどうやって生活しているんだ?というのが、疑問のスタートでした。正直怖さもあって向き合ってこなかった部分で、感情移入しすぎてしまわないかと思ったんです。なんかもう世の中ひどい、辛いみたいな気持ちになるかなって避けていたんですけど、それをテーマにすることで発達障害に関する知識が深まりました。私自身、ASDだったかもしれない、かつてその傾向が強く出ていたかもしれないってことも、そこまで深くやらないとわからないことだったと思うので、結果的にたどり着いてよかったなと思います」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之「しっくりきた」両親マイノリティ尊重する働きかけをコッピーさんは発達障害について研究を続ける傍ら、「ブラインド当事者会」と題しTwitter上で当事者同士が情報を交換するハブになるなど、少しでも生きやすい世の中になるように活動している。「多様な立場の人のことをインプットする。自分が想像できないぐらい違う感じ方の人がいて、それも網羅できないぐらいいるんです。発達障害に限らず、マイノリティを尊重することであったり、想像力を働かせる方向に、そういうことができる人を育てるような働きかけができたらいいなって思っています」(コッピーさん)Upload By 桑山 知之コッピーさんが自らを障害者だと名乗ることについて、「両親はきっと当初、自分たちの子育てが否定されたように感じ、抵抗があったのではないか」と言う。しかし、時間をかけて説明した。過去のコッピーさんの行動が発達障害の特性として体系的に説明されていくにつれ、「しっくりきている」のが目に見えてわかった。今となっては両親とも、コッピーさんの取り組みの社会的意義を理解した上で応援してくれていると言う。将来的には、心理学の授業を通じてあらゆる社会問題を考えていくような授業ができるようになりたいと語るコッピーさん。多様な立場の人のことをインプットできる授業を通して、自分が想像できないくらい違う感じ方をする人達が網羅できない程いるんだという感覚を持つことで、相手のことを決めつけずに思いやりを持って接することができるような人が増えて欲しいと願っているそうだ。Upload By 桑山 知之平成元年愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。取材・文:桑山知之取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
2021年03月09日新型コロナウイルスの流行が長引き、終わりの見えない不安のせいか、大人だけでなく子どもたちも精神的に不安定になっていると聞きます。実際、国立成育医療研究センター発表の 「コロナ×こどもアンケート第4回調査 報告書」 によると、アンケートに回答した小学4~6年生の15%が中等度以上のうつ状態にあり、中学生で24%、高校生は30%にも上っています。親として、不安を抱える子どもにどう接していけばいいのでしょうか。ウィズ・コロナの新しい生活様式で、親が気をつけるべきポイントをご紹介しましょう。■コロナ禍で子どもが不安になる2つの理由長引くコロナ禍で、子どもの様子が少しずつ変わってきて心配だというお話をよく耳にします。「園や学校に行くのを泣いて嫌がるようになった」「イライラがたまっているのか、子どもが家で物に当たったり、暴言がひどくなった」慣れない生活様式の中で、不安定になってしまった子どもにどう対応していいかわからないというお父さん・お母さんは少なくありません。では、どうして子どもは精神的に不安定におちいり、問題行動をとってしまうのでしょうか? その原因は、大きく分けて2つあると思われます。一つは、一番身近であるお父さん・お母さん自身がコロナウイルスに対し、強い不安やストレスを感じている状態であること。コロナウイルスもたらす健康への影響、さまざまな社会環境への変化などをまだ理解できない低年齢の子どもは、本来、大人のように目には見えないコロナウイルスに不安や恐怖を感じることはありません。しかし、お父さんやお母さん、周囲の大人が精神的に不安定になっていたり、これまでとは違う生活にストレスを感じていたりすると、その気持ちは子どもに多かれ少なかれ伝染してしまうものです。いつも守ってくれる頼りになるはずのお父さんやお母さん自身の不安を子どもは敏感に感じ取ってしまうものです。それが子ども自身の不安となっているのでしょう。二つ目の原因は、コロナ対策で変わってしまった園や学校での生活です。飛沫感染を防ぐため、話すときは必ずマスク着用、給食は一方向を向いて無言、音楽の時間も合唱禁止、楽しい園・学校行事も次々と中止。あれもダメ、これもダメと言われる生活に、大人以上に子どもは疲れてしまっています。また、習いごとや塾で多くなっているリモートのレッスン、授業は、子どもによって向き不向きがあります。自分で積極的に取り組める子どもには向いていますが、そうではない場合は対面より習熟が難しいシステムです。対面よりも不便なことが多いリモート授業は進度が遅くなると思われがちですが、実は逆、早くなってしまうようです。対面授業やレッスンでは、先生が子どもの様子を見ながら進められますが、リモートではそこまで目が届かないからです。先生は子どもの理解度を確認しながら進められず、子どもも質問しづらい環境なので、授業が自然と早く進んでしまうのです。習いごとや塾の進度についていけない、好きな先生にも会えないし質問もできないため、子どもにフラストレーションがたまるのでしょう。■コロナうつから子どもを守る親の言動・行動子どもが不安がってモヤモヤしている、ちょっとしたことでイライラするようになったと感じたら、主に次の2点に気をつけて、お父さん・お母さんの日頃の行動や言動を見直しましょう。・意識的にポジティブな発言や行動を心がける。・子どものことを園や学校に丸投げしない。例えば、新型コロナウイルスの新規感染者数を発表するニュースに触れたとき「え、まだそんなに?」と反応するのではなく、「重症者数は減ってるから心配ないよ」と子どもに声をかける。おでかけ先から帰ってきたら、子どもに「手を洗わないとコロナにかかって大変なことになるよ」と言うのではなく、「手を洗うとコロナが逃げていっちゃうね」と言い換える。たった一言でも、大人がどう受け止めているかを子どもはよく観察しています。思わず出てしまったネガティブな言葉に、子どもは大きく影響を受けて不安に感じます。コロナ関連の発言はネガティブになりがちなので、意識的にポジティブな表現に変換しましょう。大人が発する不安が子どもに伝わらないように、親の判断で、不安をあおるテレビ番組やニュースは、あえて見せないというのも一つの方法です。大人なら信用できる情報だけ、必要な情報だけをピックアップできますが、子どもはそのまま真に受けてしまうからです。また、子どものことを園や学校に丸投げしないことも大切です。今は未曾有の状況のため、園や学校は感染予防に注力し先生たちもギリギリの対応に追われています。そのため、これまで通りの役割が担えないこともあるでしょう。最終的に子どもを守れるのは親、子どものSOSに気づけるのも親ではないかと思うので、「これは園(学校)の役割でしょう?」と丸投げは厳禁です。例えば、園のお迎え時や学校から帰宅した子どもに、まずは「今日、園(学校)はどうだった?」「勉強難しかった?」と何でもいいので声をかけましょう。そんなたわいのないやり取りでも、「お父さん・お母さんはちゃんとあなたのことを見ているよ、大丈夫だよ」というサインになります。園や学校の目が行き届いていないとしても、お父さん・お母さんはあなたをいつも気にかけているよと、何となくでも子どもに伝わればいいのです。登校・登園がこわくなってしまった子どもは、学校や園で「あれもダメ、これもダメ」と否定的な言葉をたくさん言われ、「楽しい場所だったはずなのに安心できなくなった」と不安が増したのかもしれません。やさしかった先生に厳しい、強い語調で手洗い・うがい・マスク着用を指示されたなどがあると怖い、不安という気持ちが植えつけられることもあるでしょう。だからこそ、子どもを守るうえで必要なことは園や学校への丸投げするべきではないのです。子どもが不安に思っている状況を先生とも共有すると同時に、どんなときでも家は安全だと親は子どもに伝える続けることが大切です。まだまだ収まる気配のないコロナ禍で、何が正解なのかわからず、頼るものがない世の中。そこでは、自分の経験や直感で判断するしかありませんが、一番に子どもに与えるべきものは安心感です。園や学校に無理やりは行かせないという選択肢も含め、親の行動や姿勢が試されているときです。 エキサイトお悩み相談室で佐藤先生に相談する
2021年03月08日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー古澤瑛子さん特別支援学校卒業後、飲食店やレンタルビデオチェーンでの勤務を経て、現在はアパレル企業で勤務する古澤瑛子さん(以下、アコさん)。約1年前に実家を離れ、発達障害や知的障害のある人たちが共に暮らす「グループホーム」で生活しています。先天性の遺伝子疾患・ウィリアムズ症候群とADHDのあるアコさんの良き理解者であり、子どもの療育やグループホーム運営を長年続けている「一般社団法人発達障がいのためのハッピーライフ研究会」の高見澤千佐先生と共に、幼少期から現在に至るまでをお話しいただきました。Upload By 鈴木悠平生まれつき心臓が弱く両親は心配していた。先生と出会い、療育でたくさんの経験を――お二人とも、今日はよろしくお願いします。はじめに、アコさんの幼少期のころのお話や、先生との出会いについてお聞かせください。古澤瑛子さん(以下、アコ):活発で、外で遊ぶのが好きな子でした。親からは「すぐどこかへ行っちゃう」って心配されていたみたいです。高見澤先生のところには、4歳から療育に通っています。会ったときからすぐ仲良くなって(笑)、そこからずっと、お世話になっています。Upload By 鈴木悠平高見澤千佐先生(以下、高見澤):ウィリアムズ症候群の特徴で、アコさんは生まれつき心臓が弱いのもあって、お母さんはものすごく緊張感を持って彼女を育てておられたんです。転んで怪我して入院するんじゃないか、なにかあったら死んじゃうんじゃないかって、どこかに連れていくのもすごく慎重で。わたしはいろんな子を見てきたプロなんで、まぁお母さんそんなに緊張しないで、と(笑)。アコさん本人も、わたしと相性が合ったらしく最初っからすごくなついてくれたし、自分で学んで覚えていく力はすごくある子だなと思ったので、どこにでも連れて行って、とにかくいろんなことを体験してもらいました。アコ:はい、いっぱい体験しました!先生のところでは合宿もあって、しょっちゅうお泊まりにも行ってましたね。高見澤:うちの療育にはだいたいいつも50人ぐらいが来ていて、半分が知的障害、半分が発達障害のある子どもたちです。基本的には幼児のときから通ってもらって、二十歳以降の自立を見据えて、一人ひとり課題に取り組んでもらっています。勉強だけでなく、言語療法や運動療法まで、その子がそのとき必要なことを、という感じですね。彼女は、手先の不器用さがあったり、気がものすごく散りやすかったりして、小さいときは集中して取り組むのがなかなか大変だったんですけど、うまくいかなくて泣くことはあっても、次の日にはいつもニコニコで現れて「先生、会いたかったー!」って(笑)。いつも明るいよねー。アコ:今でも先生にベッタリですね(笑)。みんな一緒に過ごしていたはずなのに、「障害がある」というだけで扱いが変わるーー保育園や学校などでの、集団生活はいかがでしたか?アコ:保育園のときは、遊具にうまく登れなくて、運動会の競技に参加できないと言われて…高見澤:運動会で、はしごを登って鐘をカーンって叩く種目があるんですが、参加を遠慮してほしいって園から親御さんに言われたことがあったんですよ。Upload By 鈴木悠平ーーそんなことが…高見澤:でも、わたしが園に行ってコツを教えたら10分でできるようになったんだよね!アコ:はい!先生にコツを教わったらすぐできました。高見澤:運動会当日もバッチリできて、みんなに大拍手をもらったよね。やっぱり当時はまだまだ、「障害があるとみんなと同じことはできないんじゃないか」というような偏見が強くて、本人も「それはおかしいんじゃないか」っていうのはすごく感じ取っていました。アコ:小学校に入ってからも、途中までは楽しく過ごせていたんですが、6年生のときにクラスメイトに思いっきり蹴り飛ばされて、それがすごく辛くて、不登校になっちゃったんです。高見澤:心臓が悪いっていうことは、本人は普段からいろんな人に言ってたんです。それなのに胸を蹴られたっていうのがものすごいショックだったみたいで。アコ:はい、ほんと怖かったし、友達に蹴られたっていうのがショックでした。知らなかったんならともかく、知ってるのにどうしてこんなひどいことするのって。高見澤:障害のある子が疎外感を経験しやすいのがこの時期で、やっぱり難しいですね。だいたい4年生ぐらいまでは、みんなフランクに、障害がある子もない子も一緒に遊んでたりするんですけど、思春期に入りかけると違いを気にするようになって、仲良しグループがつくられるときに障害のある子が仲間はずれにされやすいんですよ。今までは「一緒においで」って言われたのが、急に「え、なんでお前来んの」って言われたりして、そこで本人も違いを自覚して、寂しい思いをすることになる。うちの療育でも、不登校を経験したことのある人は多いです。アコ:そのまま、中学校は3年間ずっと不登校で、先生のところに毎日通ってお世話になっていました。Upload By 鈴木悠平高見澤:フリースクールとして、うちへの出席を学校の出席扱いにしてもらって、そのまま卒業ですね。―中学卒業後は、特別支援学校の高等部に通われたとお聞きしました。通常の高校か特別支援学校か、進学先はどのようにして決めましたか?アコ:やっぱりいじめられたときの印象がずっと残っていて、学校行くこと自体がすごく怖くなってしまっていたんです。でも母親は、やっぱり高校は出てほしいと言うので、先生に相談に乗ってもらいました。高見澤:うちのフリースクールに通ったあと、高校進学せずにそのまま就職できている人もいっぱいいるんですけど、彼女の場合は、お母さんがものすごく思いつめられていてね。「中学校を不登校にさせてしまったから、せめて高校だけでも」って。ただ、アコさんは漢字や英語を書くのがどうしても難しくて、その状態で入れる高校の選択肢が当時はほとんどなかったんです。だったら、就職に向けた訓練もできるし、特別支援学校の高等部が良いだろうと。本人はそういった特別支援学級・特別支援学校的なところをそれまで経験していなかったので、入学当初はかなりびっくりしていましたね。――3年ぶりの学校で、はじめての特別支援学校というと、不安や緊張も大きかったと思います。アコ:もうほんと、毎日泣いてましたね。怖い!行きたくない!って。高見澤:うちの療育にも来ていた彼女の親友が1学年上にいたのが救いで、ほぼ彼女に会うために学校に行ってたようなもんだよね。その分、その子が卒業するときは大変で(笑)。アコ:あまりにショックで「わたしも姉さんと一緒に卒業する!置いてかないで!」って大泣きしてましたね(笑)。高見澤:卒業式、本人よりこの子の方が泣いてたっていうね。働いてお金を稼ぐ。親元を離れて暮らす。自分がどう生きるかを「選べる」ことがとても幸せ――それでは、特別支援学校卒業後の就労についてお聞かせください。アコ:卒業して最初に働いたのは喫茶店です。お客さんの注文を取ったり、飲み物や料理を運んだり、それから清掃とか。高見澤:最初は福祉的就労でしばらく働いたんです。わたしも見に行ったんですが、アコさんはお客さんに合わせて話すのが得意で、「雨ひどかったですねー」とか「今日何になさいますか?」とか、常連さんともすぐ仲良くなって、楽しくやっていましたね。参考: LITALICO仕事ナビ 福祉的就労とはどんな働き方なの?一般就労との違いなどについても説明しますアコ:そのあとに、障害者雇用での就職先をいくつか見に行って、次に就職したのがレンタルビデオチェーンの店舗の仕事です。何年か経ってから、そこが一度障害者雇用を終了するということで辞めなくちゃいけなくなったんですが、就労支援センターに通っている間に今の会社の人が見学に来て、それで就職が決まりました。そこから7年間、今の会社で働いてます。――今のお仕事が一番長いんですね。若い世代に人気のアパレルブランドの、渋谷の店舗で働かれているとお聞きしました。具体的にはどんな業務を担当されているんですか。アコ:わたしの担当は主に倉庫の業務ですね。スペインから送られてきた洋服を出して、輸送用のハンガーから店舗用のハンガーに入れ替えて…という感じで、お店に出る前の商品を整える仕事です。――へええ、なるほど。普段なかなか見られない、バックヤードでのお仕事、興味深いです。仕事の中で、やりがいや楽しさを感じる場面はありますか?アコ:仕事のやりがいは、ええと、そうですね…やっぱり働いてお給料をもらえるのが。Upload By 鈴木悠平高見澤:仕事の内容というか、お金だよねぇあなたは(笑)。アコ:はい、まさにお金ですね(笑)!――シンプルな答え(笑)。働いて稼いだお金は何に使うんですか?アコ:お金を貯めて自分のほしいものをひとつずつ買っています!こないだはiPhoneも買ったし、次はApple Watchとか、Bluetoothのイヤホンを買いたいなって。高見澤:あとは食だよね。グループホームではお昼ごはんの提供はないので、ご実家からお弁当を持って行くことが多かったんですけど、せっかく毎日渋谷に通勤してるんだしということで、「ランチを自分のお金で食べる」という念願を叶えて、いろいろ好きなもの食べて楽しそうですよ。毎日、わたしが仕事で忙しい中、お昼になると「先生、今日はポークチョップです!」「今日は中華♡」とかって写真が送られてきて(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:なかなか攻撃力のある「飯テロ」をしてくるんですよ(笑)。アコ:でも今はApple Watchを買うために節約モードに入ってて…今日もカップ麺でした。高見澤:耐え忍んでますね(笑)。でもほんとに、お金は楽しいみたいだね。アコ:楽しいですね。なんか、初めてなんですよ。ケータイを自分で選んで変えられるとか。――自分でお金を稼いで、自分で使いみちを選べる。アコ:そうそう、それは本当に感動しましたね。高見澤:やっぱりお家にいる間は、全部親御さんがやってくださっていたんでね。このグループホームの個室の家具やカーテン、彼女は全部自分で決めたんですよ。いろんなお店を回って、毎回店員さんに詳しく説明してもらって、すっごく悩んで決めてって、もう大変で(笑)。「わたし、カーテン選んでいいんですか!?」ってすごく感動しててね。Upload By 鈴木悠平アコ:実家にいるときは、そんなことをやらせてもらえなかったんですよ。高見澤:毎月、給料が入ってきたら「これがあなたのお給料です。どう使おうか」って、テーブルの上に出すんですよ。グループホームに生活費として入れる額をよけて、残りの中で「この中からあなたは今月いくら貯金したい?」「お昼にいくら使いたい?」「何かほしいものありますか?」って、毎回やるんだよね。アコ:はい、そうです。先生と一緒にやってます。高見澤:彼女、すごい悩んで吟味するので、いつも2時間から3時間かかりますよ(笑)。でも、自分でお金の使い方を決めるっていうのはほんとに楽しいみたいですね。やっぱりどうしても親御さんがいると心配しちゃって「あなたのお小遣いはこれね」「だけどそれは買っちゃダメ」とか「ほしいんだったらお母さん買ってくるから」ってなっちゃってたので。アコ:そうですね。お金以外でも、「どこどこ行ってくるよー」って外出するときも「1人で行かないで」って親が心配してついてくるというパターンがほとんどで。――ご両親も心配ゆえなのでしょうけど、アコさんにとって「自分で決める」機会を持てたのは、大きな変化だったんですね。グループホームでの日々の暮らしについても教えていただけますか。高見澤:ここは男性2人女性2人の、彼女を含めて4人で暮らしています。朝晩は食事の提供があって、昼はそれぞれ。この人はごはんが何より楽しみで、「今日の夕飯なんですかー!」って仕事からもルンルンで帰ってくるよね(笑)。アコ:はい!もう、ごはん大好きで!高見澤:共有スペースの掃除や片付けは、4人で分担決めてやってます。で、各自の部屋は、自分で掃除なんだよね。アコ:はい、やってます。掃除も洗濯もやっぱり、実家で親がいると頼りっぱなしというか…自分も甘えが出ちゃうので、それもなくしたかったんですよ。自分の部屋を持って一人暮らししつつ、みんなと一緒に家事をして、気持ちや思い出を分かち合えるっていうのが、すごく嬉しいですね。――なるほど、食事付きのシェアハウスみたいな感じですね。楽しそうです。高見澤:区が募集をかけるようなグループホームだと、知らない人同士で入居して、あんまり交流がなくて、というかたちになることも少なくないんです。わたしが運営しているグループホームは、それまで療育に来ている人たちが入るので、だいたいが顔見知りですね。月に1回ぐらいは、みんなで焼肉屋に行ったりとかしてますよ。――いいですねえ。高見澤:もちろん中には、グループホームの共同生活で、まわりにどう接していいかわからなくて困っちゃう人もいるんですが、彼女はそういうときにすごく自然に声をかけてくれてね。最初は黙ってた子が、気づいたら「あ、おはようアキコ」「今日また夜、会おうね」って言って会社に行くようになってたりね。お互い影響し合っていい感じに変化していくんですよ。アッコムードの力だなって(笑)。アコ:ふふふ(笑)。高見澤:彼女のこのキャラクターが、家では「お節介」って言われがちだったんですよ。「あんたそんな他人のことはいいから、自分のことやんなさい」っていっつも言われてたんだけど。ここではそのお節介が、すごくうまく作用してるんだなって思います。わたしはずっと、自分が大好き高見澤:ご両親との関係や、お互いが願うことのギャップの話もいろいろしてきましたが、彼女のずっと変わらない、素敵だな、美しいなって思うところが、すごく自分のことを愛していることなんですね。ウィリアムズ症候群は先天性の疾患で、本人も割と早くからそのことを理解していたんです。どうしても、障害のある子を産んだ親御さんは思いつめやすくなる面はあって、彼女のお母さんも「ウィリアムズに産んじゃってごめんね」って思っていた時期があったんです。わたしも彼女本人がどう思っているか少し心配していたので、療育に通ってしばらくしてから「ウィリアムズ嫌だ?」って聞いたことがあったんですけど、「いや、わたしは自分のこと大好きだから、ウィリアムズに生まれてよかった」って、あっさりでした。それ、今でも言うよね?アコ:はい、言いますね、ずっと言ってます(笑)。自分のことは、好きですね、ふふ。お母さんに「産んでごめんね」って直接言われたときにも、「いや、わたしはウィリアムズに生まれて嬉しいなって思ってるよ」って。Upload By 鈴木悠平――自分を大好きでい続けられるって、素敵です。きっとお母さんもアコさんにそう言われて楽になったと思います。高見澤:ほんと、ずっと言ってるよね。ウィリアムズ症候群の親の会があるんですけど、「わたしもそこに入って、後輩と会いたい」って言うぐらいで。親の会は親じゃないと入れないって言ったら悔しがってましたね(笑)。アコ:なんで本人は入れないの、行きたいじゃん、みたいな(笑)。――最後に、進学や就職、将来の生活について、不安や悩みのある若い読者に向けてメッセージをお願いします。アコ:そうですね…やっぱり、楽しく暮らしてほしいなっていうのが一番ですね。落ち込んだり、学校行けなくなったりとか、そういうこともあるけど、将来もあるし、前向きに生きていってほしいなっていうか。発達障害でも知的障害でも、ウィリアムズでも、好きなことをやったり、恋人をつくったり、いろんな幸せを感じて生きていけばいいじゃないかって、わたしは思っているんです。――アコさんにとっての、高見澤先生や、特別支援学校が一緒だった先輩、ここで一緒に過ごす友達みたいな、一緒に幸せを分かち合える存在をつくっていけるといいですよね。アコ:そうですね。ほんとに大事な存在です。嬉しいです。高見澤:ずっと朝から晩まで、けらっけら笑って生きてるよね。アコ:もうけらっけらけらっけら、ずっと笑ってます(笑)。――アコさんのように、いじめや不登校を経験している子もいると思います。そうした時期を経験して大人になったアコさんから、なにか伝えたいことがあれば。アコ:いじめられたときはとにかく、1人で抱え込まないでほしいなって思いますね。わたしもつらかったですけど、相談できる人が1人でも2人でも増えるといいなって。高見澤:あんたそんなこと言うようになったの、すごいね。はっはっは(笑)。アコ:わたしも抱え込んでたときがあったんですよ(笑)!高見澤:抱え込んでたって、毎日のようにわたしとワーワーワーワー言ってたじゃん(笑)。アコ:だから!抱え込んじゃってたからそうやって先生に相談したんじゃないですか(笑)。Upload By 鈴木悠平先天性の遺伝子疾患を抱え、両親に心配されたり、学校でのいじめや不登校を経験しながらも、ずっと「自分が大好き」だと語り、周りとも明るく活発にかかわりながら生きているアコさん。インタビュアーの私も、アコさんのお話を聞いているだけで明るい気持ちにしてもらいました。アコさん自身の明るい性格もさることながら、高見澤先生やグループホームの同居人をはじめ、日常を分かち合える大切な人たちの存在が、きっとものすごく大きなエネルギーになっているのだろうな、とも感じました。実家暮らしでも一人暮らしでもない、「グループホーム」という選択肢も、ぜひ読者のみなさんに参考にしていただければ幸いです。取材・文:鈴木悠平編集:佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月28日まずはお子さまの特性や、あったらいいなと思う配慮を整理するお子さまが小学校入学への準備といっても、いったい何から考えるのがいいのでしょうか。例えば、「動き回ってばかりで、まったくじっとできない」「トイレがまだ一人でできない」「全体に向けて言葉で出された指示の理解が難しい」など、お子さまが学校生活を安心して送れるか、気になるところを考えてみましょう。もしそれらの理由や対策に心当たりがあれば、合わせて整理してみてください。それによって「椅子にクッションがあればバランスがとれて長く座ることができる」「絵や図を使いながらなら指示を理解できる」など、できるようになる手がかりがあるかもしれません。とはいえ、うまくいく・いかないには様々な状況や事情があります。まずは「あのときだけはすんなりできていたなぁ…」など、ヒントを整理してみるのも一つかもしれません。就学相談の際に、それらの情報が役に立つことがあります。就学相談って?Upload By LITALICOライフ小学校には一般的なクラスである「通常学級」や、支援のある「特別支援学級」など、いくつかの就学先があります。どの就学先がお子さまにとってよりよい環境になりそうか、保護者・児童、教育委員会で話し合って決めるのが就学相談です。お子さまに障害があったり発達に気になるところがあったりするときに申し込むことができます。時期は地域によって異なりますが、入学する1年前の春から始まる地域も多くあります。また、基本的には就学時健康診断のように通知が来ないため、保護者から申し込む必要があります。もし就学相談を受けたいと思った場合は、通っている幼稚園・保育園から申し込むケースもあるので、まずは幼稚園・保育園に確認していただくか、あるいはお住まいの市区町村の教育委員会に連絡してみてください。就学相談では、発達検査や知能検査、お子さまの行動観察をすることもあります。普段の様子を質問されることもあるため、事前に整理しておくとスムーズです。どんな学級・学校がある?小学校の就学先には4つの選択肢があります。どの学級が合うのかは、人それぞれです。・通常学級…一般的な集団のクラスです。・通級指導教室…ふだんは通常学級にいながら、一部特別な指導が必要なときに、週数回程度、移動するクラスです。・特別支援学級…一人ひとりがニーズに合った教育を受けることを目的とした、最大8人の小さなクラスです。・特別支援学校…障害のあるお子さまが通い、自立を促すために必要な教育を受ける学校です。通級指導教室や特別支援学級は、学校によって設置されているところとそうではないところがあります。また、設置されている場合も支援や授業の内容は異なりますので、実際に確認・見学をすることが大切です。情報が少なかったり、判断が難しいこともあるかもしれません。LITALICOライフの無料勉強会では、それぞれの学級の特徴や、卒業後の進路の違い、就学相談のコツまでご紹介していますので、ぜひのぞいてみてください。生活習慣・こころの準備のためにできることは?お子さまにとっても保護者さまにとっても、小学校入学は大きな変化です。勉強や授業、登下校など、小学校入学で生まれる変化に事前に少しずつ慣れる機会があると、お子さまにも保護者さまにも心の準備の助けになります。起床時間・毎朝の行動を整えていく特性によっては、生活習慣を簡単には変えられないお子さまもいます。小学校入学前から、小学校に登校するのに合わせた起床時間に起きるようにして、朝ごはん、顔を洗う…などの行動を習慣にできるとスムーズです。通学路や学校の建物に慣れる慣れない道や建物が苦手な子どももいます。通学路を散歩コースにしたり、学校の近くを通りかかったときに「4月からはここに通うんだよ」と伝えることで、不安がやわらぐことがあります。翌日の持ち物の確認・準備をする習慣をつける寝る前に翌日のスケジュールや持ち物リストを確認しながら準備する習慣ができると、忘れ物がなくなったり、朝にパニックとなってしまうことがなくなりやすくなります。机に向かってじっとする機会を設ける小学生になると、授業で45分間座ることを求められます。絵を描いたり本を読むなど、お勉強でなくともかまいません。一日5分程度でも机に向かい、慣れていきましょう。いずれも少しずつ始めて、少しずつ慣れていくことが大切です。【東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡、広島に特化した情報から全国版までお届け】就学相談のスケジュールや、就学先の選び方がわかるUpload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「幼児期からの就学準備」は、これから小学校入学について考え始める・準備を始めるご家庭に向けて、今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてご紹介しています。また、東京、神奈川、埼玉、愛知、大阪、兵庫、福岡、広島では地域に合わせた情報もお伝えしています。勉強会後、より詳しく相談したい方には無料の個別相談もありますので、ご活用ください。【小学校入学前の準備に向けて、こんな情報がわかります】・4つの就学先って、何がどう違うの?実際は?・就学先によって、中学や高校以降の進路に影響はあるの?・これからの進路をどう考えたらいい?・就学相談って、いつからどんな準備をすればいい?勉強会はオンライン開催で、チャットを使った質問にも、時間の許すかぎり講師がお答えしています。「○○と聞いたのですが本当?」など、気になることを投げかけてみてください。LITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニング(人生設計)をサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年02月10日発達障害当事者の視点から描かれた夫婦のものがたりーー漫画『僕の妻は発達障害』2巻月刊コミックバンチにて連載中の『僕の妻は発達障害』は、「大人の発達障害」をテーマにあつかった作品です。漫画家のアシスタントとして働く夫と、発達障害のある妻の日常生活が描かれています。本作では、発達障害がある人の生きづらさを描くと同時に、支援者にもスポットを当てています。悪意がないとわかっていても、発達障害のある妻・知花の行動にストレスを感じてしまう、夫・悟の描写もあり、決して良いことばかりではない、リアルな2人の生活がわかります。2巻では、結婚生活を送る中で衝突や理解のズレが多くなり、少しずつ疲弊していく2人の様子や、妻・知花が発達検査をうけたエピソードなどが描かれています。ぜひ幅広い方に読んでいただきたい一冊です。保護者のサポートにフォーカスした『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』保育園、幼稚園、小学校、学童保育の先生など、子育て支援に関わる方に向けて書かれた本、『育てにくい子の家族支援 親が不安・自責・孤立しないために支援者ができること』。著者は、NPO法人えじそんくらぶ代表で、臨床心理士をつとめる高山恵子さんです。長らくADHDを中心とした発達障害の子どもとその家族、支援者をサポートする活動を続けています。本書の前身は、2007年に出版された『育てにくい子に悩む保護者サポートブック』(学研)。今作では主に幼児期の支援者向けだった前著の内容を大幅に加筆修正し、小学生の保護者支援にも活用できる1冊にまとめています。本作では、多様な子ども、保護者がいることを前提に、それぞれにどういうサポートをしたら最適な支援になるのか具体的な事例とともに紹介しています。支援者はもちろん、「わが子の育てにくさ」に悩む保護者の方にもおすすめの1冊です。発達障害当事者の高校生が描く『発達障害の私の頭の中は忙しいけどなんだか楽しい』本書の著者のなずなさんは、2001年生まれ。5歳で高機能広汎性発達障害(ADHD傾向)と診断され、中学時代には不登校も経験。現在は、通信制高校を卒業し、体力の回復を目指しながら夢に向かって進んでいます。なずなさんが自身の世界を描いたこの本では、なずなさんが、自分の世界をマンガと文章で説明し、「フラッシュバック」などの困りごとについて、独自の対処法を紹介しています。そこに、なずなさんの主治医である精神科医の松本喜代隆先生が、キーワードごとに一般的な解説や対処法のヒントを挙げています。当事者による貴重な記録を読める本作。書いてあることはなずなさんの個人的な経験ですが、松本先生の解説・ヒントとともに、誰が読んでも参考になることがあふれています。子どもと大人の境目にある思春期の見守り方も教えてくれる1冊です。自閉症の娘と家族の愛と成長の記録ーー『ムーちゃんと手をつないで』4巻筆者のみなと鈴さんが自身の経験をもとに、自閉症子育ての経験を描いた漫画『ムーちゃんと手をつないで』。『ムーちゃん』ことむつみの成長と、家族の愛について描いています。「他害」がテーマとなった4巻。周りの人に噛み付くなど他害してしまうムーちゃんに悩む母の彩は、どうにか解決したいと療育施設の先生に相談します。しかし、そこで先生に言われたことは、「他害行動はそうそう簡単に消失しない」というものでした。4巻では、ムーちゃんの他害について何ができるのか葛藤する母・彩とそれを懸命にサポートする周囲の様子が描写されています。発達障害のある子どもを育てる親と子の成長を描いた本作。ぜひ子育てに関わる方に読んでいただきたい一冊となっています。お母さんが楽に、元気になれる本ーー『ママのピンチを救う本』本書は2005年に出版された『のび太・ジャイアン症候群5 家族のADHD・大人のADHD お母さんセラピー』の改訂版です。発達障害のある子どもの支援者にフォーカスした本書。なかでも保護者であり、家庭の調整役になることが多いお母さんに寄り添い、お母さんたちの毎日が楽に、幸せになるようなアドバイスを豊富に掲載しています。発達障害がある子どもがいる家庭では、お父さんやお母さんにも似た特徴が少しずつ見られることがあります。本書では、発達障害がある子どもや大人、診断がつくほどではないけれど発達障害の傾向がある人が、家庭でどのようにすれば過ごしやすくなるかについて考察しており、日々の暮らしを快適にするヒントがたくさん詰まっています。ぜひ参考にしてみてください。LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年02月06日アメリカの女性やマイノリティには分厚い“ガラスの天井”があるという。どんなに優秀でもぶち破れない壁がある、と。「誰もなし遂げていないことなら、なぜ挑戦しないの?」そう言い、次々とその天井を破ってきたカマラ・ハリス氏(56・以下敬称略)。女性初の“アメリカ副大統領”だ。カマラに絶大な影響を与えたのは、母だった。科学者の母は、子どもたちが質問しても、すぐに答えを出さず、いつも姉妹をこう諭した。「鍵は、あなたの仮説です。これが実践や実験で証明されるのよ」母の故郷・インドにも子どものころから訪れていた。母方の祖父は、47年、現在のパキスタンからインドへ亡命。インドの独立を求めて戦った人だ。その後、インド政府高官となった祖父は、故郷を追われた経験を生かし、アフリカ・ザンビアの難民問題解決に当たっている。祖母は、インドの貧困地域に暮らす人々に避妊などの性教育を行い、格差対策に取り組んだ。常に弱者の視点から、政治や人権を考えるカマラの資質は、祖父母の代から、母を介して継承されてきたものだったのだ。カマラは母についてこう話す。「マミーは153cmの小さな体でありながら、一度話せば、2m以上に見えるような人だった」12歳のとき、母の仕事のため、カナダのモントリオールに転居。高校生のときには、法律の道に進むことを決めていた。「この仕事は人を助けることができる。それだけの力を持つことができる」法曹資格を取得した彼女のその後の活躍はめざましい。98年まで、カリフォルニア州アラメダ郡で地方検事補として働いた後、’03年、サンフランシスコで検察トップのポジション、地方検事に立候補する。周囲は皆、反対した。「女性のキミには無理だ」「マイノリティには無理なんだ」有色人種や女性など、アメリカのマイノリティには今もなお分厚い“ガラスの天井”があるといわれている。どれほど優秀で仕事ができても、必ず見えない天井にぶち当たり、挫折を強いられる、と。そんななか、カマラは毅然とこう言い放った。「誰もなし遂げていないことならば、なぜ、挑戦しないの?」11年には、カリフォルニア州の司法長官に立候補し、当選。16年に上院議員に当選と、カマラは次々にガラスの天井を突き破った。もちろん、それは、彼女の勤勉さと努力に裏打ちされた仕事ぶりが評価されたからこその快挙だ。カマラは地方検事補時代から性犯罪に取り組んだ。彼女が地方検事になった3年間で、有罪判決率は52%から67%に上昇している。罪は厳しく裁く一方で、一貫して死刑制度には反対した。司法長官時代、多くの注目の裁判で、死刑求刑を拒否したことでも有名だ。犯罪に手を染める子どもたちに多い不登校を改善する政策を練り、更生プログラムも立ち上げている。移民問題にも取り組んだ。トランプ政権下で、移民の親子が引き離される政策が実行されると、すぐさま現地に飛んで、移民の母親の声を聞き、国の政策を批判した。カマラの名前が全国区になったのは、18年の上院公聴会だった。法曹界トップの最高裁判事でエリート白人のブレット・カバノー氏を相手に、一歩も引かないカマラの姿が全米で中継されたのだ。カバノー氏がしどろもどろの答弁を繰り返すのに対し、カマラは終始、冷静沈着。上院議員2年目の新人だったカマラだが、ときにほほ笑みさえ浮かべ、余裕ある態度でカバノー氏を追い詰めた。その手腕をアメリカ国民は驚きの目で見つめ、おおいに沸いた。彼女の豪腕ぶりを語るなら、リーマン・ショック後の住宅危機で、家を失った人々の救済問題も忘れてはならないだろう。20億~40億ドルの示談金で決着しようとする銀行側をカマラは厳しく追及した。アメリカ5大銀行の1つ、J.P.モルガンのCEOに電話を入れ、直談判。示談金は実に184億ドルまで加算されたのだ。成功はしたものの、彼女にとってもイチかバチかの賭けだったようだ。《20億~40億ドルを拒否して、うまくいかなければ彼らに何が残るのか。自分が正しい道を歩めるように祈っていた。こんなとき、母なら何て言っただろうと考える。母はきっとこう言うだろう。『自分の腹の声を聞いて、自分の信念を守るのだ』と》信じる道を貫くカマラを支えたのは、いつも母の教えだった。母から教わった志で、次々とその天井を破ってきたカマラ。そしていまや、史上初の女性でアジア系のアメリカ大統領も夢ではない場所に立ったのだ。彼女だけでない。立ち上がる勇気をもとう。それはきっと、あなたの未来を明るくするはずだ――。「女性自身」2021年2月2日号 掲載
2021年01月25日ミドルエイジの先輩たちが「自分らしい生き方」に至るまでーー光武克さん予備校講師、家庭教師、「発達障害BAR The BRATs」のオーナー(現在は休業中)とYouTubeチャンネル運営、医療系アプリのコンテンツ開発と、いくつもの仕事を掛け持ちしている光武克さん。それだけ聞くと「なんでそんなに大量の仕事をこなせるの!?」と驚く人もいると思いますが、その背景には自身のADHDとASDの特性をつかみ、サバイブするためのたくさんの工夫がありました。光武さんに、現在の働き方に至るまでの経緯を聞きました。通知簿ではいつも「生活態度」を指摘される子どもだった。成績を上げることで特性をカモフラージュする生存戦略――光武さんは小さいころ、どんなお子さんだったのですか?光武克さん(以下、光武):あまり覚えていないのですが、不器用な子だったんだろうなと思います。幼少期から交流のある友人によれば、出会いは遊具から落ちて大泣きしている僕を助けたことだったそうなので(笑)、不注意かなにかで、よく怪我はしていたんでしょうね。Upload By 姫野桂光武:小学生のころは落ち着きがなく、宿題などの提出期限を守れないことも多々ありました。小学校の通知表って、学習面と生活態度の評価があるじゃないですか。生活態度の中の「基本的な生活習慣」の項目は、毎回「努力しましょう」に印がつけられていました。当時、僕はすごく動物が好きで、どうしても犬を飼いたかったんです。そうしたら、親から犬を飼う条件として「基本的な生活習慣」の改善を言い渡されて。結局犬は飼ってもらえなかったので、小学校6年間では改善できなかったんでしょうね。――勉強面はいかがでしたか?光武さんは予備校の講師もされていますし、小学生のころから勉強が得意だったのでしょうか。光武:それが、小学生のときは中の上ぐらいで、ずば抜けて成績が良いわけではなかったんです。中学校に上がってから、成績が良い方がいろいろとメリットが大きいというか…自分の不注意など、周囲から変に思われる部分が目立ちにくくなることに気づいて。「あいつは成績がいいから」と言われるキャラクターでいたほうが安全だろうということで、勉強するようになったのかもしれません。中学生のときには、親も昔通っていた、地元で有名なスパルタ英語塾にも通っていました。教科書の例文を20ページ分、つまらずに読めないと帰れないような塾だったのですが、そこで勉強したおかげで語学の道が少し開けた部分があります。高校でも英語の勉強には力を入れ、留学も経験しました。――当時、光武さん自身も、「自分は変わったところがある」という認識だったのですか?光武:自分が変わっているという自覚はたしかにありました(笑)。僕の出身地は田舎ということもあり、なかなか閉鎖的な環境だったので、自分の言動が目立ちやすい部分はあったと思います。でも、それと同時に、「周りの方がおかしい」という感覚もありましたね。なんでそんなに合理性のないことを、みんなが口を揃えて言うのかがわからない。それでも、ここは言ったらいけない場面だから言わない、といった対処をしていました。Upload By 姫野桂考古学者を目指すも、自分の特性との合わなさに挫折。予備校講師のアルバイトで見つけた適性――子どものころ、将来なりたい職業などはありましたか?光武:歴史、特に古代史が好きで、考古学者になりたいと思っていました。中高生のころは、吉村作治先生の本をよく読んでいましたね。2歳ぐらいのころ、奈良の親戚を訪ねた際にも大仏を30分ほどひたすら見つめていたそうなので、昔から古いものが好きだったようです。具体的に研究したい内容までは見えていませんでしたが、「研究」への憧れを持って大学にも進学しました。大学入学後は、古代史の研究をしたいなあと思い勉強していたのですが、やればやるほど歴史の研究に向いていないとわかってきました。歴史学の研究は緻密さが必要で、1つの資料にじっくり向き合い続けることになるんですが、それがもうしんどくて。僕のADHD特性との相性がすごく悪かったんですよね。飽きちゃうんですよ(笑)。なりたいと思っていたものに、絶望的に自分が合っていないと気づいたのが、大学2年生か3年生のときでした。これが初めての大きな挫折だったかもしれません。それから他にやりたいこともなく、このままだと就職もできそうにないしどうしようと悩んでいたのですが、当時していた予備校講師のアルバイトで、自分に向いていそうなことも見つかりました。教育の仕事って、ある面では仮説検証のような部分があると思うんです。学んだことをもとに、自分の中で仮説を立てて実践して、それがうまくいくか、つまり生徒にとって学びやすいかどうか確かめる。その一つである予備校講師の仕事は、歴史学で扱う資料と違い、生徒からすぐに反応が返ってくるじゃないですか(笑)。それがすごく面白かったし、目の前で反応を見られる環境では集中しやすくて。やったことのフィードバックがすぐに返ってくる、具体的な社会現象や人間を相手にするほうが僕には向いているのだと気づきました。そこから、社会学や教育学の本を読むようになりましたね。大学3、4年生ぐらいのことでした。Upload By 姫野桂悩んだ末、内定を辞退しフリーランスの予備校講師へ――光武さんはその後、就職活動もされていますよね。わたし自身もそうでしたが、発達障害のある方からは、「自分をよく見せなければいけない就活が苦しかった」という話を聞くことが多いです。光武さんの場合はいかがでしたかか?光武:もう、めっちゃ苦しかったです。ルールを説明してもらえれば、そのルールに従って動けるんですが、就活って「ルールは自分で考えなさい」みたいなゲームじゃないですか。エントリーシートで暗に求められていることなど、明確な指示がないものについては、要領をつかむまで苦労しました。結局、「どんなに社会が変わっても食いっぱぐれないだろう」と思った教育と医療の業界に絞って、当たり障りのないエピソードや、ウケのいい話を自分でつくり、組み合わせながら就活をしていました。でも、そもそも就職したくないという気持ちがあったので、「なぜうちの会社を受けようと思ったんですか?」と聞かれたら「そこに応募ボタンがあったから」という感じですし(笑)、「同業他社の中でなぜうちを選んだのですか?」と聞かれて、変に正直に「うーん、特に理由はないですね」と言ってしまったこともあります。そんなわけですから、最後に奇跡的に1社だけ、製薬会社から内定をもらうことしかできませんでした。――しかし、光武さんはその内定を辞退して、フリーランスの予備校講師になったんですよね。それはなぜだったのでしょうか?光武:就活の段階からグダグダで、まともに社会生活を送れる自信もなく、その会社でうまく働いていくイメージができなかったんです。そこで正社員になるという選択肢しか当時はなかったんですが、「これはベストではない、選んじゃダメなやつだ」という確信があって。かといって代替案もなく、悩むうちに時間だけが過ぎていました。そんなときに、個人事業主(フリーランス)として予備校講師をやっていくという方法もあると教えてもらったんですよ。これは乗るしかないと思い、そちらの道を選びました。――そのときのことについて、ぜひ詳しくお聞きしたいです。光武:その働き方を聞いたのは、アルバイト先の社員の方とお酒を飲んでいたときでした。ちょうど悩んでいたころ、勤めていた予備校で講師の授業力コンテストの第1回が開催されて、僕は東京都で1位を取ったんです。そこで教える力を認めてもらえたのか、部長クラスの方に、「君はプロとして、十分それで食っていけるよ」「個人事業主でやるという道があるよ」と言っていただけて。「ああ、そういう道があるんだなあ」とそこで初めて知りました。その話をきっかけに、大学生講師である「学生コーチ」から「プロコーチ」という枠に契約を切り替えてもらったのが、大学4年生の12月前後でした。一応「プロ」と名乗れるようになったことで、「これでなんとか食べていけるようになるんじゃないか」と思いましたね。あれは一つの転機だったかもしれません。だから、決して「フリーランスになりたい!」と思ってなったわけではないんです。当時はフリーランスという言葉も知りませんでしたし。今振り返ると、ずっと上司がいない状態で働いてきたのは、失敗だったなと思います。「こうすればうまくいく」という仕事のノウハウや、働く上でのメンタリティまで教えてくれる人が身近にいなかったので。20代のころの自分に、そういった「ロールモデル」になる人を、きちんと見つけたほうがいいよと言いたいですね。Upload By 姫野桂自助会での経験をきっかけに、「発達障害バー」という形態を選ぶ――フリーランスの講師として働き始めた光武さんが、その仕事を続けながらも、2018年、33歳で「発達障害BAR The BRATs」を開くまでに、仕事面ではどんなことがありましたか?光武:20代のころは、理想に燃えて講師の仕事を頑張っていました。しかし、教える仕事自体は楽しかったのですが、自分がやりたいことや興味があるものと、教育ビジネスの世界で展開されるものに、すごくギャップを感じるようになってしまい…。今はそのあたりのバランスがうまく取れるようになりましたが、当時は何よりもスコアアップが求められる受験指導に対して、嫌悪感がとても強くなってしまったんです。「予備校講師の仕事が嫌だ。一刻も早く辞めたい」とまで思っていた時期もありました。Upload By 姫野桂――それが「発達障害バー」という新たな仕事のスタートにもつながったのでしょうか。光武さんは、大人になってから発達障害の診断を受けたのですよね?光武:はい。31歳か32歳のときに、ADHD、ASDという診断を受けました。心境としては、これでようやくいろんなことの説明がつくんだなと腑に落ちた感じでした。当時、妻との関係がうまくいっていなかったので、この診断が関係改善の糸口になるかもしれないという安心が一番大きかった気がします。今ならわかりますが、なんらかの形で理由が説明できようとできまいと、嫌なものは嫌ですよね(笑)。結局、妻とは離婚に至りましたが、それも発達障害バーを始める一つのきっかけにはなりました。――人が集まる開けた場をつくることは、なかなかエネルギーが必要だと思うのですが、なぜ「バー」という形式を選んだのですか?光武:それまで、既存の発達障害当事者の自助会にも参加したことがあるんですが、自分にはちょっと肌に合わないなと感じて。そのときの経験を踏まえて考えた結果です。行ったタイミングの問題や、自助会ごとの違いもあるとは思うのですが、以前ある自助会に参加したときは、僕が求めていたような内容、例えば「プライベートの人間関係で、こんなときはどうしたらうまくいく?」「仕事のこんな場面でつまずいたときはどうしたらよかった?」といった話をする雰囲気ではなかったんです。そういった具体的なハックやプライベートな話を、もうちょっと気軽な空気で話せる場所があるといいなと思ったのが、大きなきっかけですね。僕の場合は、お酒が好きなこともあり、そういった話を友達や同僚とするときはお酒の席が多かったんです。だから、バーという形態なら、ふらっと気軽に立ち寄れて、気軽に話ができるんじゃないかと思い、発達障害バーをオープンさせました。――お店を持つことに不安はありませんでしたか?光武:めっちゃありましたよ。そもそも僕、お店を持つつもりはなかったんです。最初オープンさせたのも一時的な店舗でしたし、当初はイベント的に開催して、終わらせるつもりでした。ところが、思いのほか、お店を残してほしいという声が大きかったので。何らかの形で続けられないかと模索した結果、場所を渋谷に移して営業することになりました。(※現在は新型コロナウイルス感染症の影響で休業中)自分の特性を把握し、チームでトライアンドエラーを繰り返す――昼間は講師の仕事、夜はバーに立ちつつ、2019年からはYouTuberとしての活動も始めていますよね。最近は、さらに医療系アプリのコンテンツ開発もされていると聞きました。それだけいくつもお仕事をしていても、混乱しませんか?光武:「何曜日の何時から何時までは、どこで働く」というように、曜日や時間帯でやりことを区切った働き方をしているので、自分のADHD特性にはむしろ合っているのではないかと思いますね。適度に力が分散されて、適度に違う刺激を受けられるので。僕がこうやって働いている姿を見て、不登校だった子の大学受験の家庭教師を依頼されるなど、1つの仕事が他の仕事につながることもありますし。Upload By 姫野桂――さまざまな種類の仕事を複数並行して進めていくにあたり、何か気をつけていることがあれば教えてください。光武:僕の場合、何か作業をするときにマニュアルなどをもらっても、その中の重要なポイントがわからないとミスがすごく起きやすいんですよね。逆に言えば、作業する上での最低ラインが、要点の箇条書きでいいので示されていれば問題なくできる。齟齬が生まれるとすれば、要点の解釈ミスでしょうか。今取り組んでいるアプリのコンテンツ開発では、そのあたりがうまくクリアできています。上司となるプロジェクトマネージャーの方が、「自分も指示出しが雑になってしまうから、毎日15分、絶対にミーティングで話しましょう」と提案してくれたんです。ミーティングの場では、その都度できあがったコンテンツのよかったポイントをフィードバックしてもらったり、「この点とこの点が満たせていればOKという認識で大丈夫ですか?」とこちらから確認したりしています。おかげで、作業がすごく楽にできていますね。あとは、僕は今通院も服薬もしていなくて、どうしても脳の調子に波があるんですよ。それこそコンテンツ開発でも、まったくアイデアが浮かばず、「今日は全然書けない日だな」というときもある。それでも、「次は何時にミーティングだから、それまでにこの条件さえ満たして、何本出せればいい」というのがわかっていれば、そのときは難しかったとしても、合間の時間でパパパパッと書くこともできますよね。脳の波に乗れないときはいくら考えてもダメなので(笑)、そこで悩んでもしょうがない。書けるときに書くしかないと考えて、例えば夜中の3時とかでも、「あ、今いける」と思ったら書くようにしています。そうやって、うまーくうまーくやっていますね。――たしかに、わたしも「いける!」と思ったタイミングで書くことはありますね。光武さんの場合、講師などの1人で取り組むお仕事をされている一方で、YouTube含むバー関連のお仕事はチームで取り組んでいらっしゃいますよね。そちらの働き方についてもお聞きしたいです。光武:今一緒に働いているのは、「一緒にやりたい」と言ってくれた中から最終的にチームとして残った人たちです。「協力したい」と言ってくれる人は多かったのですが、実際にチームとしてうまく機能するかどうかは、さまざまな要素や相性がかかわってきます。その人たちとは、一緒にやる中でお互い特性を探り合っていって、「ここが嫌なのか」「こういうときはこうすれば良いのか」と、トライアンドエラーを繰り返しながら、ようやくまとまってきたところです。YouTubeの仕事は、僕は現場に行って撮影される担当で、撮影や編集などの作業は別のメンバーがやっています。僕はログインパスワードすら知らないレベルの分業体制です。――そういえば、光武さんにご連絡したときも、光武さん専用の連絡フォームから担当者の方に返信をいただきました。光武:組織として、役割がかなりきっちりと分かれているんです。それぞれが得意なことやできることをなるべく多く行い、苦手なことはなるべくそれが得意な人やできる人に任せるといったような体制になっています。Upload By 姫野桂セルフモニタリングを通して、自分の「反応」を客観的に捉えると解決策が見えてくる――紆余曲折を経て現在の働き方をされている光武さんですが、進路に悩んでいる人へ向けて、何かアドバイスがあればお願いします。光武:発達障害などの特性があると、どうしても働きにくい部分はあると思うんですよ。とくに、僕にもあるような脳の波の問題は大きいのかなと。そこに関しては、「うまくいかないときもある」という、ある程度の割り切りは必要なのかなと、個人的には思います。一番大事なのは、自分がどんな場面で、どんな「反応」をするかということを、客観的に捉えることだと思うんですよね。Upload By 姫野桂光武:僕は昔から楽器を演奏するのが好きで、トランペットとピアノを長く趣味として続けています。でも僕の場合、パニック障害のような傾向があり、特定の場面で著しく緊張して音を出せなくなることがあるんです。それがなぜ起こるのか原因がわからず、苦手意識をずっと持っていたんですが、ゆっくりセルフモニタリングをして紐解くことで、そのとき自分に何が起きているか、少しずつわかってきました。例えば、「人からどう思われるかを意識して、『ここでこういうアクションをとって、こんな風に思われたら嫌だ』という考えが起こると、肩がすごく固くなるんだ」とか。そうやって自分の状態を確認していくと、悪い流れの兆候が出始めた段階で自覚ができるので、1回楽器を置いてみたり、「今はちょっとダメです」と伝えたりして、悪化を防ぐことができるようになったんです。何かあったら一旦止まって、調子が戻ったらまた練習に参加するというプレーの仕方に変わりました。そういったセルフモニタリングと、それを受けての行動の変化は、仕事の場面でも活きる部分があると思うんです。仕事でも、ある特定の場面で同じ反応が起きるようなら、セルフモニタリングをしてみて「こうやったらうまくいった」「こういうときはこんな身体の反応がある」「こんなことが頭に浮かぶと、こんな身体の反応がある」と確かめていく。大体、仕事などで失敗しやすいケースは、どこかで考え方のクセが出ていたり、失敗するようなイメージが出てしまったりしていると思うので、そこを自覚できるようになるだけでも、かなり変わってくるのではないでしょうか。そこからさらに、「前回はこうしたらこうなったから、今度はこうしてみたらどうだろう」等と、試行錯誤し、わかったことをリスト化していくと、自分の取扱説明書になると思います。――最後に、光武さんの今後の目標を教えてください。光武:ベースにあるのは、「自分自身の生活を、できる限り、もうちょっと生きやすくしたいな」ということですね。そして、自分が生きやすくなれば、多分同じようなタイプの人が生きやすくなるとも思うんです。自分より若い人に「光武ってやつがこうやってなんとなく生き延びたんだな」というのが伝わって一つのロールモデルになれば、そこを目標に頑張る人も出てくると思います。そんな人が増えれば、ちょっとずつ社会の仕組みも変わっていくかもしれません。まずは地道にコツコツ、近い感覚や考え方を持つ人を増やすのが大事なのかなと思っています。また、自分にとっての仕事は、ご飯を食べるためのツールという側面の他に、他者と関わる中で自分がやったことを残すものという側面も持つものです。「人に知られたい」というよりは、もっと自己満足に近いものなのですが、「俺はこういうことをやったんだなあ」と納得できる、形になるようなものが残せたらいいなあと思いますね。Upload By 姫野桂一見するとスーパーマンのように数々の仕事をこなしているように見える光武さんですが、その根底には発達障害ならではの特性との合致と、チームで動く仲間たちとの協力がありました。人間関係を構築することに苦手意識がある人もいるかもしれませんが、光武さんのようにトライアンドエラーを繰り返していけば、チームで動くことも可能になるのではないでしょうか。取材・文:姫野桂編集:鈴木悠平・佐藤はるか撮影:鈴木江実子LITALICO発達ナビ無料会員は発達障害コラムが読み放題!
2021年01月24日「オンラインまなびフェスタ2021」が大切にしているのは、発達ナビユーザー皆さんの声です。2021年に5周年を迎えたLITALICO発達ナビが贈る、「オンラインまなびフェスタ2021」が2021年3月7日(日)に開催されます。皆さまのお役に立てますよう、専門家や企業と一緒に、家庭学習が楽しくなる教材や、進路選びのポイント、おすすめの学用品など、幅広いテーマのセミナーを準備しています。未就学~中学生まで、発達が気になるお子さんの保護者の方々にぜひ知っていただきたい情報が満載!オンライン開催なので、全国どこからでもご参加可能。事前に行ったアンケートでは、95.8%の発達ナビユーザーのみなさんに「参加したい」とご回答いただきました。2月中旬より参加予約を開始しますので、ぜひスケジュールを空けておいてくださいね。Upload By 発達ナビ編集部「オンラインまなびフェスタ2021」を企画する上で、何より大切にしているのは発達ナビユーザーのみなさんの声です。事前アンケートで寄せられた声を踏まえ、・発達が気になるお子さんの育児や療育に専門的な視点を取り入れられるようになること。・暮らしをサポートする商品・サービスについて知り、お子さんに合うかもしれないものの選択肢を増やすこと。を、このフェスタで実現できるように準備を進めています。Upload By 発達ナビ編集部また、特に興味のあるテーマとして声の集まった、「親子の関わり」や「進路選びや将来の仕事」、「学校の勉強・生活」について、役立つ情報に溢れた1日となるようにと企画をしています。そのためにも、専門家やたくさんの企業、そしてLITALICO全体のサービスを総動員して、発達ナビユーザーの皆さんにとって有意義な時間をつくっていきますので、どうぞお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部■日時:2021年3月7日(日)10時~17時後日アーカイブ配信も予定しています。■参加費用:無料■形式:Zoomなどオンラインツールを用いた配信■参加方法:事前申込必須。2月中旬より参加申し込みを受け付けます。■内容:専門家講演、発達が気になるお子さんを応援する企業によるセミナーその他、イベントに参加すると応募できる抽選会なども企画しています!※予定のため、今後変更となる場合もございます今回は先行して、「オンラインまなびフェスタ2021」のコンテンツの一部をご紹介させていただきます。特別講演:「親子関係のことから学校でのお悩みまで発達障害子育てQ&A ー鳥取大学院 教授・井上先生に質問ー」特別講演は、井上先生と発達ナビ編集長牟田によるトークライブです。「発達が気になる子の子育て」にまつわるお悩みや不安など、みなさまからの事前質問を受付け、当日はその中からピックアップして井上先生にお話を伺います。さらに、当日はチャット機能を使ってリアルタイムで井上先生に質問できるチャンスも!貴重な機会ですので、ぜひご参加ください。(時間の都合上、すべてのご質問を取り上げることは難しい場合もございます)その他の特別公演情報も追ってお知らせいたします。Upload By 発達ナビ編集部井上雅彦先生鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授 / 公認心理師 / 臨床心理士/専門行動療法士 / 自閉症支援士エキスパート / LITALICO研究所 客員研究員応用行動分析学をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のための様々なプログラムを開発している。専門家セミナー:「発達が気になるお子さまの『かんしゃく』が起こる背景と手立て」毎月の個別相談やオンライン勉強会を通して、発達が気になるお子さまの子育てをオンラインサポートする「発達ナビPLUS」。本セミナーでは、発達ナビPLUSで、個別相談やオンライン勉強会の講師を担当している公認心理師・菅佐原先生に、お子さまの「かんしゃく」をテーマに登壇いただきます。発達ナビPLUSでよくご相談いただく、お子さまのかんしゃくのお困り。家庭学習や習い事などお子さまのまなびをスムーズに進めるために、かんしゃくとうまく付き合うことが大切になるケースも多いです。かんしゃくが起きてしまう仕組みや、対応するときのポイントについて解説します。Upload By 発達ナビ編集部菅佐原 洋先生公認心理師/臨床心理士/臨床発達心理士慶應義塾大学先導研究センター研究員、常磐大学助教を経て、現在LITALICOジュニアとLITALICO発達ナビのチーフスーパーバイザーに。発達障害のあるお子さまへの直接支援、幼・小・中学校での特別支援アドバイザー、大学・教育センター・医療機関でのスーパーバイズなど発達臨床歴20年超。発達ナビPLUSについて詳しくはこちら企業セミナー:発達が気になるお子さんを支える、商品・サービスのご紹介「まなびフェスタ2021」は、発達が気になるお子さんの成長を応援する、たくさんの企業の皆さまに協賛をいただいております。育児や療育、普段の暮らしをより豊かにする商品・サービスをご紹介いただきますので、ぜひご期待ください。今回ご参加いただく企業の皆さまから、当日お話される内容をいただきましたのでご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部Upload By 発達ナビ編集部"遊び"を通して新たな支援、遊具メーカーが創る~発達障がいという言葉を使わない社会~アネビーは、「発達障がい」を「感覚障がい」と言い換えます。なぜなら感覚の違いは他の障害と違って、環境の設定や社会の理解が深まることでなくすことができるからです。遊具は医療器具と同じような役割を果たし、子どもたちが一日をいちばん長く過ごす場所の環境を、遊び=遊具の力で変えていきます。本セミナーでは、「感覚障がい」を特性に変える遊具の効果を紹介します。ぜひ、ご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部株式会社アネビーUpload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスは、「感じて、考えて、作り出す」体験を通じて、自分らしく生きるための土台となる思考力や創造性を育てる、新しい通信教育です。アプリと毎月届くキットを組み合わせて、STEAM教育領域の多彩なテーマを学びます。基本的に無学年制で、お子さま一人一人の特徴や発達段階に合わせて、自由に取り組むことができます。思考力教材制作のプロチーム「ワンダーラボ」が自社制作しており、IQや学力にも効果があることが、本教材にも収録されている思考力育成アプリ「シンクシンク」を用いた実証実験で確認されています。当日は、弊社代表の川島が皆さまからの質問に直接回答いたします。皆さまのご参加、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部ワンダーボックスについてはこちらUpload By 発達ナビ編集部学習教材「すらら」の学習者数が2020年12月末時点で約33万人となりました。お子さん1人ひとりに合った学習が求められる時代、「無学年方式」はこれからの教材トレンドです。全国学習塾1,016校、学校1,026校が採用し「勉強のプロが認める教材」としてブランド先行しておりますが、それに迫る勢いで家庭学習サービスとしてのご利用者も年々、増えてきております。家庭学習の利用者の半数以上が不登校、発達障害、2020年も多くのお子さまを導くことができました。2021年も是非、注目いただけたら嬉しく思います。Upload By 発達ナビ編集部株式会社すららネットUpload By 発達ナビ編集部コクヨの「しゅくだいやる気ペン」は、家庭学習の習慣化をサポートする、まったく新しいコンセプトのIoT文具です。いつもの鉛筆に取り付け、専用のスマートフォンアプリと連動させることで勉強への取り組みを分析し、日々の努力を見える化します。子どもには家庭学習に取りかかりやすく、保護者には褒めやすくするきっかけを与え、親子の円滑なコミュニケーションを通して「やる気」を育む体験デザインを目指しました。「かきたくなる。ほめたくなる。」の好循環を生み出すことで、子どもたちが楽しく自発的に学習する習慣を促します。Upload By 発達ナビ編集部コクヨ株式会社Upload By 発達ナビ編集部「ふわりぃランドセル」でおなじみの、ランドセルメーカー、株式会社協和です。当社は創業以来、70年以上にわたり千葉県にある工場でランドセルを作り続けております。この度のイベントでは、からだに負担なく快適に背負え、お子さまにとって使いやすいパーツを選ぶ事ができるランドセル「オーダーメイドUランドセル」を中心に、ランドセルの機能や選び方のポイント等をご紹介いたします。市販のランドセルと同等の価格なのにさまざまなパーツや色を選んでカスタマイズできるランドセルです。是非ご覧いただき、ランドセル選びにお役立ていただきたいと思っております。より多くの皆さまのアクセスを、ふわりぃランドセルスタッフ一同、心よりお待ちしております。Upload By 発達ナビ編集部株式会社協和Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校は「未来のジブンが好きになれる高校」です。学び辛さや生き辛さのある生徒のためのSNEC(スペシャル・ニーズ・エデュケーション・センター / スネック)には、教員だけではなく「支援と伴走」を実現させて、生徒の興味関心を引き出し社会進出に向けて能力の伸長をサポートするため、支援員やスクールカウンセラーが常駐しています。通信制のメリットを最大限活用しながら、生徒たちと一緒に高校卒業や、その先の進路に向けて学習をしたり、特別講座を開催したりしています。また、保護者の方や学校の先生等に向けての勉強会を開催も行っています。「ぷれすね」という、SNECのノウハウを活かして中学生が楽しく学ぶ環境もあります。Upload By 発達ナビ編集部明蓬館高等学校Upload By 発達ナビ編集部「あったらいいな」をいちばんに。いい保険って何だろう?保険に求める安心や満足は、きっと、一人ひとりの暮らし方やその時代によって変わっていくはずです。私たちがいちばん大切にしたいこと。それは、お客さま自身でさえ気づいていない「あったらいいな」を敏感に感じとって、新しい発想で保険を創り出していくことです。あった。よかった。たすかった。新しい保険で、みんなをもっと笑顔にできますように。「あったらいいな」をいちばんに。ネオファースト生命は、保険を通じて新しい安心や満足をお届けする、第一生命グループの生命保険会社です。Upload By 発達ナビ編集部ネオファースト生命保険株式会社他にもまだまだ参加予定!また随時お伝えいたします。参加者向けの楽しい企画も準備中!発達が気になるお子さんの役に立つ商品を抽選でプレゼント!「まなびフェスタ2021」をより楽しんでいただくための企画もご用意しています。協賛いただいた企業から発達が気になるお子さんに役立てていただける商品をご提供いただいております。今後もプレゼント商品は増える予定です!詳細は2月中旬公開の記事第2弾でお伝えするのでお楽しみに!Upload By 発達ナビ編集部wemoは手首に巻くバンドタイプのメモ帳です。油性ボールペンで書き、消しゴムや指で簡単に消せ、何度でも書き消し可能です。手首に巻いて使用、安全性にも配慮、なくすこともなく、何時でも確認できます。“見通しメモ”として、発達障害の子どもたちに安心感を与えられると、保護者の方々に大変ご満足をいただいております。について詳しくはこちらUpload By 発達ナビ編集部京都大学COI(センターオブイノベーション)では、企業と大学が共同で研究開発から商品化までを行っています。今回は、ユニ・チャーム(株)と共同開発した楽しくオムツ離れができるトイレトレーニングパンツ「トレパンマン」をプレゼントとしてご用意しました。その他にも、トイレトレーニング無料アプリ、ナチュラルムーニーや(株)ほっこりーのプラスと共同開発したLINEで子育ての困りごとに答えてくれる「ほっこりAI」(開発中)などをご紹介しておりますのでよろしければサイトもご覧ください。Upload By 発達ナビ編集部トレパンマンについて詳しくはこちら【アンケート実施中】専門家の先生、企業の皆さんへの質問を、どしどしお寄せください!当日のコンテンツをより磨いていくために、発達ナビユーザーの皆さんにアンケートを実施します。専門家や参加企業への質問などを受け付けておりますので、下記のボタンよりぜひご回答ください。ぜひ皆さんと一緒に、有意義な1日をつくることができたらと思っております。フェスタでの開催内容について、新たに決定したことについては、随時発達ナビユーザーの皆さんにお伝えしていきます。こちらも楽しみにしていただけると嬉しいです。たくさんの方のご参加を、心よりお待ちしております。
2021年01月21日逆境に強く、ポジティブ思考の人になるためのキーワードがあります。それが「レジリエンス」。 “心の筋肉” とも言われ、鍛えれば人生がパワーアップするそうです。また、レジリエンスは、近年注目されている「やり抜く力(GRIT)」を構成する4つの要素、根性(GUTS)・回復力(RESILIENCE)・自発性(INITIATIVE)・執念(TENANCY)の1つでもあります。レジリエンスを鍛えることで、やり抜く力もアップするはず。今回は、親子で身につけたい能力であるこのレジリエンスについて、詳しく見ていきましょう。レジリエンスとは「折れない心」であり「回復力」いま話題のレジリエンスとは、「折れない心」であり、逆境から立ち直る「回復力」のこと。一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会では、次のように説明されています。レジリエンスとは、心理学においては、「逆境やトラウマ、惨事、脅威、さらには重大なストレス源に直面したときにうまく適応するプロセス」であり、総じて「困難な経験から『再起する』こと」と定義されます(アメリカ心理学会の定義より)。(引用元:一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会|JPPA認定 第3期レジリエンス・トレーニング・コースのご案内)※太字は編集部が施したストレスマネジメントの専門家である小関俊佑氏(桜美林大学准教授)は、「レジリエンスとは、ストレスに負けずに自分がやりたいことをやるためにあるもの」と言います。人生にストレスはつきものです。ストレスを上手にかわすためにも、レジリエンスを育みたいところ。レジリエンス育成はできるだけ早い時期がいいとされています。なぜならば、いろいろな経験の積み重ねこそがレジリエンス育成につながるから。では、レジリエンスとは具体的にどういう力なのか。次に見ていきましょう。レジリエンスが高い子と低い子の違い臨床心理士で医学博士の小玉正博氏は、レジリエンスには次の7つの要素が含まれていると言います。気持ちや感情をコントロールする力変化する状況に順応できる柔軟性「自分は大切な人間だ」という感覚人に助けを求められる力楽観的であることネガティブな気持ちを引きずらない力 「成績が悪かった」「友だちとケンカした」など、子どもにとって困難なことが起こり、落ち込んだり挫折したりしたとき、これらの要素をもつ子(レジリエンスが高い子)ともたない子(レジリエンスが低い子)では次のような反応の違いが出てきます。【レジリエンスが高い子】・・・楽観的、人に頼ることができる「なんとかなる」「この状況は長くは続かない」「いままでのようにきっと大丈夫」「お父さんかお母さんに相談してみよう」【レジリエンスが低い子】・・・悲観的、自分の殻に閉じこもる、ひとりで耐える「どうしたらいいのかわからない」「きっともうダメだ」「もうどうでもいい」「恥ずかしいから、誰にも話したくない」「怒られるかもしれないから、親には話せない」「自分でなんとかしなきゃ」このような反応の違いには、ふたつのポイントがあります。まずひとつめは、子どもに自己肯定感があるかどうか。自己肯定感とは、自分のよい面だけでなく欠点も含めて「私は私」と認められる感覚のこと。自己肯定感を高める活動をしている日本セルフエスティーム普及協会は、「自己肯定感を高めることでレジリエンスも高くなる」と説明しています。レジリエンスの土台は自己肯定感なので、レジリエンスを高めたいのであれば、まずは自己肯定感を高めるべきなのだそう。そして、ふたつめのポイントは、周りにSOSを出せるかどうか。これにはまず周りとの信頼関係が必要です。普段から親や友だちとの人間関係において、人との関わり方を学び、人から助けられる経験をすることがとても大切になります。問題を抱えてひとりではどうしようもなくなったとき、助けを求められるかどうかは、そのようなコミュニケーション体験の有無によるのです。これらをふまえたうえで、レジリエンスを育むコツをご紹介します。親子でやってみよう!レジリエンスを育む方法“折れない心” には、「自己肯定感」と「信頼関係」が必要だということがわかりました。次はいよいよ、レジリエンスを育むための方法をご紹介します。「自己肯定感を上げてレジリエンスを鍛えるトレーニング」と、「親子で信頼関係を築き、レジリエンスを強化する方法」です。ぜひ今日から親子一緒に実践してみてくださいね。方法1:劣等感に負けない、自己肯定感を育むトレーニング法政大学文学部心理学科教授の渡辺弥生氏は、「人がネガティブな感情をもつのはあたりまえで、むしろ必要」と言います。なぜならば、嫉妬や劣等感がモチベーションになり、よりよい自分であろうとするための成長ステップになるから。しかし、その過程でネガティブ感情に負けてしまっては意味がありません。そうならないために、渡辺教授が提唱する「レジリエンスを鍛える4つのトレーニング」で “心の筋肉” を鍛えてみてください。「I am」マッスル私は〇〇(自分を肯定する言葉)例:私は優しい「I can」マッスル私は〇〇ができる(自分ができること)例:私は泳げる「I like」マッスル私は〇〇が好き(自分が好きだと思うこと)例:私はサッカーが好き「I have」マッスル私には〇〇がいる、私は〇〇をもっている(自分が大事にしている人や宝物)例:私には頼りになるお父さんがいる、私は電車のおもちゃをもっているこのトレーニングは、子どもがもつ「いいところ」「いいもの」を「見える化」し、自分自身の劣等感に打ち勝つことを目的としています。子どもは、ポジティブな気持ちで眠りにつくことができるでしょう。そして、毎日続けることで自己肯定感もアップします。方法2:親子の絆を深め、レジリエンスを強化する方法子育てコーチング専門家でNPO法人ハートフルコミュニケーション代表理事の菅原裕子氏は、「レジリエンスがもともと低い子はいない」と言います。親との関係や、周りの人との関わりによって、子どものレジリエンスの高低は変化するのだそう。東京学芸大学名誉教授で臨床心理学者の深谷和子氏も、子どものレジリエンス育成の重要な鍵となるのは、親や家族との信頼関係だと指摘しています。家庭を「居心地のよい場所・心の拠り所」にすることで、子どもは外の世界で嫌なことがあったとしても、安全基地であるお父さん・お母さんのもとで充電し、気持ちを回復させることができるのです。それでは、深谷氏をはじめとした専門家の意見を取り入れた、親子コミュニケーションのポイントをお伝えしましょう。【親子の会話】子どもとの信頼関係を深めるのは、なんといっても “毎日の会話” です。しかし、親だけが一方的に話してしまうのはNG。もし子どもが失敗してしまったときでも、「だから〇〇しなさいって言ったのに」なんて言わず、「悲しいね」とネガティブな感情を受け止めてあげましょう。子どもの話をじっと聞き、どんなネガティブな感情を受け止めることで、親子の信頼関係のベースが築かれます。実際に、この方法で不登校が解消した例も報告されているようですよ。もしテストで思ったような点数がとれなくて子どもが落ち込んでいるときなどは、「勉強頑張っていたよね!」と努力の過程をほめてください。すると、ストレスを感じていたとしても、再度、挑戦する力が湧いてくるものなのです。また、親自身の「失敗談」や「立ち直りストーリー」を話すのも◎。「完璧な人はいない」というメッセージは子どもを安心させます。【子どものお手伝い】親を助ける、親の役に立つお手伝い経験は、子どもを無力感から開放し、「自分は家族のなかで大切な存在だ」と再確認できる機会です。洗濯物をたたむ、冷蔵庫からドレッシングを出す、買い物をお願いする、旅行の計画を立てるなど、簡単なお手伝いから少し難しいお手伝いまで、とりあえずどんなことでもお願いしてみませんか?「できた!」という達成感から自己肯定感も育まれますし、「失敗しちゃった……」という場面でも「頑張ってお水を運んでくれたよね。ありがとう!」と、親ができたことを認めてあげることで、子どもは、心を回復させる力を手に入れることができますよ。レジリエンスを学べる本そして家庭外では、ゲームなどのバーチャルではない、リアルな遊びを通して、できるだけ多くのお友だちと遊ばせましょう。また、スポーツに励むこともレジリエンス強化に効果があると、深谷氏は推奨しています。どうやら、レジリエンスを鍛えるには、まだまだたくさんの方法があるようです。おすすめの書籍をいくつかご紹介しますので、ぜひ読んでみてくださいね。『親子で育てる折れない心 レジリエンスを鍛える20のレッスン』うまくいかなくてもへこたれずに頑張ることができる、失敗しても立ち直れる――そんな「レジリエンス・キッズ」を育てる技術を紹介した1冊。どんなタイプの子どもにも有効なトレーニングばかりです。毎日3分、親子で取り組んでみませんか?『子どもの「逆境に負けない心」を育てる本』「挫折しやすい子」「キレやすい子」「すぐあきらめる子」が変わる!レジリエンス教育の第一人者による実践ワークブックです。日本の学校でも効果が実証済みの教育プログラムをイラストとともに説明しています。『イラスト版 子どものレジリエンス』著者は、子どものレジリエンス研究会代表の上島博氏。「気持ちを言葉にしよう」や「ストレスをパワーに変える」など、落ち込んでいる気持ちを回復させる方法がたくさん書かれています。子どもと一緒に読みたい1冊。『ヘコんでも折れない レジリエンス思考』健康心理学が専門の医学博士・小玉正博氏が「レジリエンス」について詳しく解説。また、ストレスから心を回復させるための思考法も事例とともに紹介しています。鋼のような強い心ではなく、復元力に富む「しなやかな心」をつくりましょう。***変化の激しい時代を力強く生き抜くために、「レジリエンス」はこれまで以上に必要不可欠な能力と言えるでしょう。レジリエンスを育むためには、子どもに大きな影響をもたらす大人(親)のレジリエンスを高めることも重要です。親子一緒にレジリエンスを鍛えていきましょう。(参考)一般社団法人 日本ポジティブ心理学協会|JPPA認定 第3期レジリエンス・トレーニング・コースのご案内SHINGA FARM|子どもの「心理的レジリエンス」を高める3つのコツとは?AllAbout|子どものレジリエンスを鍛える10のコツ!逆境を跳ね返す力とはベネッセ教育情報サイト|乳幼児から育む、折れない心【前編】困難に負けない、レジリエンスとはベネッセ教育情報サイト|乳幼児から育む、折れない心【後編】レジリエンスを伸ばす保護者の働きかけとは朝日新聞 EduA|逆境に負けない心、「レジリエンス」を育てるには他人に助けを求める能力も身につけて一般法人日本セルフエスティーム普及協会|レジリエンス(折れない心)は自己肯定感でつくる日経DUAL|レジリエンス、しなやかさ、負けないメンタル…「心が強い子」の育て方|レジリエンスを育むにはこの気質を理解することから個別指導塾スタンダード|どんな困難にもくじけない!我が子のレジリエンスを鍛えるには?STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|劣等感を自尊心に!寝る前に親子で実践、「レジリエンス」の簡単トレーニング法STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|子どもの「レジリエンス」を高めるのは、親子の会話。結果ではなく“挑戦”を褒める!
2021年01月20日多くのご家庭の悩みごとは?反抗的、ゲーム・ネット依存、学校での人間関係など小学生や中学生の子どものいるご家庭の多くが、子どもが言うことを聞いてくれなかったり、反抗的な態度に困ることがあります。「勉強を全然してくれない。学年が上がるごとに成績がどんどん下がってきているのに、まったくやる気を出してくれない」「ずっとゲームばかりしている。そのせいで夜更かしになり、朝は起きれず、遅刻してばかり…」「学校での人間関係がうまくいっていないみたい。学校に行きたがらず、休みがちになってきた」せっかく子どもの気持ちも尊重したいと思っても、何を悩んでいるのかわからなかったり、本人にやる気がないように見えてしまうこともあります。そのせいで、保護者としては学校と子どもの板挟みになってしまうこともあるかもしれません。小・中学生は「自分のできないこと」を自覚し始める時期。放っておく・見守ることも一つUpload By LITALICOライフ発達障害のあるなしに関わらず、小・中学生は「自分はいくら頑張っても無理だ」などと現実の壁を意識するようになる時期です。クラスメイトと比較して自分の容姿を気にしたり、できないことにショックを受けることもあります。発達障害のある子の場合は、社会のルールや人間関係に苦手意識を持ち、失敗や挫折を重ねてしまいがちです。そういったままならなさや自立心の芽生えによって、大人の言うことを聞かず、反抗的になることがあります。保護者としてははがゆいかもしれませんが、重要なのは子どもが自分で決めて、行動できるようになることです。その場で「もうやめなさい」と言うのではなく、事前にルールを話し合って決めることが大切です。保護者としてなぜゲームやネットをしすぎてほしくないのか、一日どれくらいならOKなのか、意見を整理したうえで、「一日何時間」など約束をします。約束をしたのにすぐには守れないこともあるかもしれません。どうすれば決めたとおりにできるのか、一緒に考えたり、ときには問いかけながら見守るのも一つです。子どもはなかなか自分の思ったように行動ができません。「もう〇年生なんだから」「これくらいできるようにならないと」とつい言いたくなってしまうこともあるかもしれませんが、ぐっとこらえて辛抱することも大切です。保護者も子どもも意見が合わず、心が疲れてしまいやすい時期です。子どもの良いところをたくさん見つけて褒めることで、お互いの気持ちが楽になることもあります。話し合いが難しい場合も、褒める言葉や感謝の言葉であれば、耳を傾けてくれるかもしれません。監修:古川 圭介(株式会社LITALICOライフライフコンサルタント。心理カウンセラー。発達障害のある子ども向けの教室にて子育てが楽になるペアレントトレーニングを、のべ3,000家庭以上に実施。)保護者ができる見守り方は?「こうなったらどうしよう」を整理しておくよりお子さまに合った環境・選択肢を整えることも保護者だからこそできることの一つです。例えば下記のようなことが気になったときに、より合う環境を選ぶ、いざというときの指針にできるかもしれません。・学校に行きたがらない意思は尊重してあげたいけれど、内申点はどうなるんだろう?・中学校進学に向けて通級か支援級か悩ましいけれど、そもそも地元の中学校はどのような体制なんだろう?・子どもの夢や楽しみになるような、高校以降の進路や仕事はある?先々の「悩みやすいポイント」や最新の進路情報が、勉強会でわかる!Upload By LITALICOライフLITALICOライフの保護者さま向け勉強会「中学・高校の選択と今からできる準備」では、発達障害のある子にあった進路の選択・特長を知ることができます。 今知りたい情報から将来に繋がる情報まで、ギュっとまとめてお話しています。また、より現実的に情報を活かしていただけるよう、勉強会の各都道府県版では、都道府県ごとに下記の情報も紹介しています。【こんな情報が都道府県ごとにわかる!】・中学校の選択肢(公立支援学級の仕組みや私立中学の特徴など)・高校の選択肢(公立高校の取組み、通信制高校の事例、高等専修学校、特別支援学校高等部など)・高校以降の就労、自立に関してLITALICOライフは、誰もが「自分らしい人生」を歩んでいけるよう、さまざまな興味・課題に合わせた情報提供や個別相談を通じて、そのひとりに合わせたライフプランニングをサポートしています。無料勉強会では、就学準備、地域ごとの進路情報、通級、支援級、グレーゾーンの子、不登校の子、親なきあと、私立中学受験まで、幅広く家族のための情報提供をしています。
2021年01月19日’19年の取材時に「2020年は破綻と崩壊の年になる」と、コロナ禍による混沌を予言するかのように警鐘を鳴らした江原啓之さん。その混迷の先にたどり着いた’21年はどんな年になるのか。どう生きれば、幸せをつかめるのか。幸せへの近道は、まず“家族の悩み”を解決することから。家族の問題に向き合う読者の悩みに、江原さんが優しく、時に厳しくお答えします。■「浮気を許す妻」が偉いのでしょうか《コロナ禍で夫婦ともに自宅勤務推奨になり、気付いてしまったのが夫の浮気。昼間からメールが頻繁に届くのであるときスマホをのぞくと、相手は仕事関係者らしく、文面を読むとどうも深い間柄のよう。問い詰めると「結婚した途端に自分に接近してくる女性がいるなんて」と謝罪されましたが、私たちにはまだ子どももなく、マンションは賃貸。「許す」「許さない」の線引きをどうすればよいのか、わかりません》(37歳・東京都・デザイナー)相談者の方がもし「許せない」「憎い」というのなら、それは愛しているからなのでしょう。芸能人の場合、仕事のかねあいもあるので「許す妻が偉い」というわけではなく、事態を収束させたいという狙いもありますよね。愛の反対は無関心です。浮気が発覚しても「そうですか」と言えるのなら、それは愛していないから。「許せない」ということは愛情があるからで、非常に苦しい思いをしなければなりません。しかし、憎むことは負のエネルギーを使い、疲弊し、やがて自分にもはね返ってきてしまう。ですから選択肢は「許して前に進むか」「許して別れるか」、ふたつにひとつです。どちらにしても憎まず許すこと。そのうえで、愛する気持ちと許せない気持ちを天秤にかけて、それでも愛が勝るのであれば、自己憐憫に浸るのはやめましょう。許したなら「2度目はないからね」と伝えて、その件にはその後、一切触れないことです。そもそも出会いは宿命で、相手と結婚することは決まっていました。しかしその後、どう紡いでいくかはあなた方次第。夫婦だ家族だといっても、たましいのレベルでいうと同じ課題を持って修行するクラスメートのようなもの。与えられた課題を終えたのだと思えば卒業する。今生で同じ学びを続けようと思えるのなら、お互いを応援するクラスメートであり続ければよいのです。■「ひきこもりの息子」と向き合えません《昨春からリモートワークが多くなり、ひきこもりの息子と四六時中、一緒にいるようになりました。私はシングルマザーで、息子は中学1年で不登校となり、いまは3年生。これまで見て見ぬふりをしていましたが、昼間、何をしているのか、こっそり部屋をのぞいてみるとアダルト動画をよく見ているようです。私が出会い系アプリにはまっていることも悪い影響を与えたのだろうかなど、いろいろ考えてしまいます》(30代・群馬県・保険会社勤務)母親というものは子どもにとって太陽のような存在であるべきで、我が子を燦々と照らす存在にならなければなりません。子どもとは植物と同じで、太陽に向かって伸びていくもの。家庭のなかに明るさと喜びがないと子どもは枯れていくばかりです。結局、お子さんはあなたのあり方が映し出されている“合わせ鏡”なのです。息子うんぬんではなく、まずはあなたから変わること。そして見つめ直してほしいのは「あなたはお子さんを愛していますか?」ということ。あなたの質問を読むと、自分のことさえ愛しているとは思えません。自分を愛していたら、建設的な生活をするでしょう。お子さんのひきこもりをどうにかしたいのであれば、第三者に頼ることも必要ですが、まず自分です。まずは親子で日の出とともに起床し、太陽の光を浴びて生きることを目指してください。「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月18日勉強が得意ではないいっちゃんと得意なタケル1歳の頃から絵を描き、歌をつくってきたいっちゃん…。いわゆる「お勉強」はあまり好きではありません。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ対してタケルは小学校では「ハカセ」と呼ばれていたようなタイプ。Upload By 寺島ヒロ小さい頃からなんでも記憶するのが得意で、中高生向けのビジネスプランの大会やゲーム大会でも良い成績を残してきました。テストの結果などでいい成績を残すことは、進学を考えるうえで大変重要。実際、タケルは1年の1/3以上遅刻をしていましたが、テストの点数でカバーして大学の推薦を出してもらえたこともあるのです。体調不良や粗大運動の困難さえも「理屈を勉強して、対処すればなんとかなる!」と力技で乗り切ってきたタケル。そんなタケルにとって、いっちゃんは大変頼りなく、心配な妹のようです。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ睡眠障害がふたりの勉強時間を阻む!しかし…睡眠障害もあるいっちゃん、お兄ちゃんとなかなか時間が合いません。お兄ちゃんも決して暇ではないので、自分のもろもろの用事を済ませてからいっちゃんに声をかけるのですが、そのときにいっちゃんが暇とは限らないわけです。普段のいっちゃんは、すごい集中力で何かつくっているか、寝ているかのどちらか。ちょうどいいタイミングで声をかけるのは大変です。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロそれはともかく...。全速力で走って倒れるような毎日ですが、充実した生活を送るいっちゃんを見ていると「学校の勉強は大事!今やっていることをすぐにやめて、お兄ちゃんと勉強しなさい。」と言いにくいんですよね。絵を描いている時や音楽の打ち込み(最近『GarageBand』を使うようになりました)をしているときには、普段全く人の顔色を見ないお兄ちゃんも話しかけることをためらいます。それほどの集中力なのです。寝ているときにはたまに起こそうと努力していますが…起こそうとして起きるならそもそもこんな苦労はしないのです。どうにもできないなら活かせない?いっちゃんのそんな状況を見て、「そこまで好きなら、例えば絵や音楽を専門にする学校に行けばいいのでは?」と言ってくださる方もいます。しかし、どんな学校であろうと基本的には登校せねばなりません。それに、いわゆる「芸術系の学校」は朝から晩まで絵を描いたり、歌を歌っているイメージがありますが、実際のところは普通教科にプラスして実技があるという感じです。実習などに時間を取られる分、リベラルアーツな科目の時間は凝縮されており、1回休むと大きく点数を削られます。私も芸術系の学校出身なのですが、私の行っていた学校は授業を2回休むとアウト、1年分の単位が出ませんでした。私も睡眠障害があったので、しばしば朝の授業に間に合わず、留年もしています。単位取得の難しさを考えると積極的に勧める気にはなれないというのが正直なところ。では、どうするか…?実のところ、まだこれといった結論は出ていません。ただ、どんなところでもいいから入れそうな高校に在籍し、18歳にこだわって高卒の資格を取得することを目指すのは、なんとなくいっちゃんには合わないような気がします。元々中学校からはみ出しているので、いれものを用意すればそれに合うように収まるということもないでしょう。オンライン授業やリモートワークが急速に普及したこの一年で、「何がなんでも朝起きて登校、出勤すべし!」という圧力を、以前に比べて明らかに感じなくなってきました。来年ではないかもしれませんが、登校をせずに高校で学べる日も遠からずくるかもしれません。そう考えると無理に中学を卒業したらすぐ次の学校へ入れる必要も、もしかしたらないのかも…と思えてきました。のんびり…とは、さすがにいきませんが、社会情勢も見ながら、いっちゃんが納得する道を焦らず探っていけたらと思う今日この頃です。Upload By 寺島ヒロ焦らない焦らない。これも親修行…。
2020年12月31日発達ナビPLUS会員の”うちの活用術”をお届け!「ほっとして泣いてしまいました…」「目から鱗でした!」「2~3回読み返しました!」などの反響を多数いただいている発達ナビPLUSの個別ケース相談。発達ナビPLUSでは、お子さまやご家庭の個別の状況を踏まえて、個々の困りの原因分析と適切な手立てを回答する個別ケース相談に加え、視聴し放題のオンライン勉強会、子育てヒント動画、ダウンロードし放題の特別支援教材といったサービスが毎月自由に使えます。今回は、発達ナビPLUSを利用中の保護者さま2名それぞれの使い方や使ってみての声をご紹介します。※匿名性を担保するため、一部の内容や流れは改変しておりますのであらかじめご了承ください。オンライン勉強会の動画をパートナーにも見せたことで、子どもへの接し方の共通認識にUpload By 発達ナビ編集部● 佐藤さま(仮名)【お子さま】小学2年生/通級利用/放課後等デイサービス利用【発達ナビPLUS入会当初のお悩み】・宿題に一人で取り組めない・やりたくないことがあると癇癪に・物を投げる、妹への暴言、他害も・親のアドバイスを受け入れない-発達ナビPLUSをご利用いただくきっかけは?夏ごろから、学校への行き渋りが出てきて不登校気味になっていました。家にいても、妹にあたったり、部屋を荒らしたりと…特に宿題など勉強を一人でやらず、教えようとすると対処ができないほど暴れていました。放課後等デイサービスは週1回利用しているのですが、あまり頼るところが分からず…それがきっかけでした。-発達ナビPLUSはどのように活用していますか?最初にオンライン勉強会に参加しました。こちらは、顔出しもないので気軽に参加しやすく、事前に質問を送って当日の講義で答えてくれるのも嬉しかったです。心理士の先生の「癇癪、暴言、自傷、他害との付き合い方・接し方」では、この時期、発達に特性がある子が心と体のバランスを取ることの難しさや、課題の具体的な理由分析、いくつかの対応方法まで学べました。特に良かったのは、パートナーにもオンライン勉強会の過去動画で同じ内容をみてもらったことで、子どもへの対応について共通認識を持てたことです。視聴後に接し方のスタンスを話し合い、夫婦でお互いによくなかったこと、これから実施することを決めてチャンレジしています。参加したことで、学習障害の可能性も感じ、個別ケース相談で相談することにしました。自分たちだけでがんばらない!具体的な提案と寄り添った回答に自信を取り戻せました!Upload By 発達ナビ編集部-個別ケース相談の申し込みはどうでしたか?書くことがそこまで得意ではないのですが、相談フォームに質問項目が整理されていることで、状況を整理する良いきっかけになりました。-専門家からの回答はどうでしたか?まず量にびっくりしました(笑)。思ったより細かい内容で、夫婦で2~3回読み返しました。自分たちがしてきたことで子どものためになっていた対応とその理由も具体的に説明いただき、ほっとして泣いてしまいました…ねぎらいの言葉もありがたかったです。なんというか、優しかったですね。思いがけない子どもの特性など新しい気づきもありました。本人も自覚してない感じで、こっちで気づくきっかけがもらえたのは本当によかったです。できないところばかりに目がいきがちですが、得意なところもあることが分かり、今までの方法では学習を無理強いさせていたかもしれないと気づかされました。子どもの認知の特性と理解のしやすさについて、いくつかの仮説とそれぞれの手立てをいただいたので、より合った方法をこの後の1ヶ月試してみたいです。また、放課後等デイサービスや教育機関への相談の仕方、助けてもらえる福祉・教育の範囲を初めて理解したので、今までより見通しがたって気持ちが楽になりました。抱え込まずに頼れる部分は頼っていこうと思っています。-今後はどのように発達ナビPLUSを活用していきますか?今回は学習について個別ケース相談をしましたが、学習面以外でも色々な分野に関して相談できるとわかったので、来月にきょうだい間のトラブルに関して相談したいと思います。頼れる人がいない…近所からの苦情がこないかおびえる日々Upload By 発達ナビ編集部● 新田さま(仮名)【お子さま】年中/診断なし/児童発達支援利用【発達ナビPLUSに入会当初のお悩み】・こだわりが強い・思い通りにならないと癇癪を起こす・幼稚園で暴れることもある・偏食がひどい-発達ナビPLUSをご利用いただくきっかけは?子どものこだわりが強く、思い通りにならないとすぐに癇癪を起こします。登園してすぐにすべり台で遊ばないと気がすまず、やることの順番が変わると大癇癪。また、その日の予定が少しでも変わったときも泣いて大暴れし、園に行けないこともしばしばあります。偏食もひどく、食べられるものが2~3種類しかないため、毎日の食事作りが苦痛でした。児童発達支援の先生には相談できる時間がなく、話せたとしても立ち話で10分程度。あれもこれも聞ける余裕はありません。頼れる人が他にいればよいのですが、パートナーは単身赴任で家におらず、家のことはすべて自分でやらなければならない状況です。最初は必死にサポートしていましたが、最近は疲れ果ててしまい、子どもが激しく泣いても何もせず立ち尽くしてしまいます。ただ子どもの声でいつかご近所から苦情がくるかもしれないと思いますし、やっぱり何とかしなければとは思うのですが、解決の糸口など見つけるすべもなく…憂鬱でたまりませんでした。そんなときに、見つけたのが発達ナビPLUSでした。心理士の方やOT・STといろいろな専門家の先生方に相談できることが決め手でした。もらった仮説から分かった…癇癪の原因は過敏さだったUpload By 発達ナビ編集部-発達ナビPLUSはどのように活用していますか?元々人と話すのが苦手だったので対面だと聞き忘れてしまったり、言われたことをメモできなかったりしていたので、個別ケース相談をすぐに使わせていただきました。-専門家からの回答はどうでしたか?保護者の私へのいたわりの言葉をかけてくださったことに感謝します。いつも「何とかしなければ」で頭がいっぱいだったのですが「頑張りすぎるくらい頑張っている」という一文に、救われました。児童発達支援以外にも、使える福祉支援が複数あることは知りませんでした。さっそく教えていただいた具体的なサービスについて区役所に利用を問い合わせてみます。アドバイスにあった、癇癪の原因の分析のしかたはとても参考になりました。確かに妹の泣き声や小さい子の声で耳を押さえて辛そうにしています。相手が嫌い、の意思表示かなと思っていたので、苦しさまで想像が及びませんでした。いただいた仮説から、冬服になってから服を着るのを嫌がるのも、感覚の過敏さかもしれないと思い、機嫌の悪い日に着ていた服を交換したら拍子抜けするほどすんなり着替えてくれました。でも本人も何が苦しいのか自覚できてなさそうなので、引き続き様子を見て相談させてください。偏食と予定の見通しの付け方についても、いただいた提案を早速試してみたいと思います。子どもの味方でもありつつ「私のサポーター」としての言葉で返してくださるのが嬉しいです。【無料】体験会で、お得なクーポンGET!Upload By 発達ナビ編集部発達ナビPLUSでは、無料のサービス体験会を随時開催しています。個別ケース相談の回答例や、オンライン勉強会の一部を視聴するなど、詳しくサービスについてご理解いただくことができます。チャットでスタッフに質問することもできます!さらに、オンライン体験会にご参加いただいた方には、初期コンテンツ利用料が【 50%OFF 】のクーポンをプレゼント中!イラスト:かなしろにゃんこ。
2020年12月27日北海道放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaディードジュニア札幌では、「未来につながる成長体験を」をコンセプトに、中学生~18歳前後の発達障害のあるお子さんで自身の特性を生かしたい方、不登校の方などを対象として、就職や進路実現の準備をサポートする放課後等デイサービスです。「生きる力」につながる3つの力、「はたらく」「くらす」「つくる」の力を伸ばす豊富なプログラムがあり、グループ会社でのさまざまな就業体験もできます。挑戦の先には失敗もありますが、失敗しても次に向けて一緒に考えて支援するスタッフがいます。スタッフや仲間、学校や社会とつながりながら、成長し合い、自立をめざせる場です。北海道の放課後等デイサービスをもっと見る福島県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaユニバーサルプレイス きっずでは、就学児が学校授業終了後や長期休暇中に生活能力の向上のために必要な訓練や、社会との交流の促進など多様なメニューを設け、ご本人の希望を踏まえたサービスを提供しています。家庭や学校をイメージした環境の中で療育をし、お子さん自ら自分で考え行動する主体性・自主性を尊重しながら、見守る支援を大事にしています。またお休みの日には外出やイベント等様々な体験をし、保護者様サポートとして定期的な面談や交流会等を開催しています。福島県の放課後等デイサービスをもっと見るUpload By minami.shiozawaユニバーサルプレイスりとるは、未就学児を対象に、日常生活における基本的動作や知識や技能の習得や、または集団生活への適応のための療育や生活の自立の為の支援を行っています。特別支援学校や保育士等、経験豊富なスタッフが日々自身も勉強しながらお子さまの個性や特性に合わせ、できる事やりたい事を支援する中で、自己肯定感を育みます。事業所のこだわりは、発達期から積極的に色々な事にチャレンジし、就労まで一貫して療育が行えるという「将来を見据えた支援」です。福島県の児童発達支援事業所をもっと見る東京都放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaピースホームタウン駒沢では、運動をメインとし、理学療法士と作業療法士が作成した運動療育のプログラムを用意しています。まずは基礎的な身体作りを行い、脳の発達を促す運動を取り入れることで身体能力や運動神経を向上させることを目指します。また、落ち着きのなさ、動作のぎこちなさなどの発達の遅れの問題に対し、感覚統合の考え方をもとにした運動も取り入れています。その他充実したプログラムでお子さんの「できる!」を増やせるようにスタッフが精いっぱいサポートします。東京都の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawaシュウエール 宮前区平第2では小2・小3を中心とした「コミュニケーション能力の向上」と「学習の支援(主に授業の補習)」を、子どもたちの様子を見ながらサポートしています。ソーシャルスキルトレーニングでは、数名のグループを作り、コミュニケーションカードゲーム等で自分の意見を発表します。学習面では毎日少しずつスモールステップで進め、少しでも出来るようになった事をほめて自信につなげてあげる事が大切です。なのでシュウエール 宮前区平第2では、お子さんが学校で習った事の理解度を把握し、つまずいている部分を見極め、前の学年との関連があればそこに戻ってあげるといった工夫を行います。熱心なスタッフがお子さんについて精一杯サポートします。Upload By minami.shiozawaシュウエール等々力緑地は学習塾運営の指導ノウハウを生かし、学習支援を中心に療育を行っている事業所です。障害特性に合わせた、読み聞かせやワーク、語彙力を高めるゲームなど、楽しみながら学習の習慣が身につくよう支援するとともに、学校授業の補習・進学アドバイス等も行います。その他にも、サーキットトレーニングなどの運動や、コミュニケーション能力向上を目指したソーシャルスキルトレーニングなど、様々な療育プログラムを実施し、興味と関心の幅を広げていきます。できる楽しさを大事にしながら、経験豊富なスタッフがお子さんに合わせてサポートします。Upload By minami.shiozawaきっずあいらんど港南台教室では、学校の宿題への取り組み・個別プログラム・運動プログラム等を行っています。運動プログラムでは、「36の動作」を基本に、お子さんの興味・関心を引きながら、バリエーションを豊富にした運動サーキットに挑戦し、今できることを伸ばし、「またやりたい」とより楽しく活動ができるように楽しみながらからだを動かしていきます。お子さんが、幼児から中高生になるまで一貫して療育ができる多機能型施設となっており、一人ひとりの成長を観察して療育方針を決定、社会性や協調性を培っていくことを目的としています。Upload By minami.shiozawa放課後等デイサービス ハミングバード荏田西では、広い庭で野菜やハーブを育てる体験や、生き物を飼育し共存の仕方を学ぶなど、自然や生き物と関わる中で、季節を感じながらゆったり・じっくり自分と向き合う時間を作りつつ、お子さんの感受性やコミュニケース力を身につけられるよう支援しています。他にも学習が不安なお子さんのために、宿題学習を始め、プリント課題にも取り組み、成績向上を目指しサポートしています。セラピードッグと楽しい時間を過ごしながら、経験豊富なスタッフが支援します。神奈川県の放課後等デイサービスをもっと見る神奈川県児童発達支援事業所Upload By minami.shiozawaヨリドコロ横浜妙蓮寺では、「アートデザイン療育」という正解不正解のない色彩をベースとしたカリキュラムを通し、子どもたちの表現力や創造力を養い、無限の可能性を引き出していくサポートをしています。また、毎回のおやつ作りでは、実際に食材に触れ、楽しみながら食材を切ったり、焼いたり飾り付けたりと、食べる事への興味関心を作るきっかけとなっています。お子さんの現状をしっかりと把握したうえで、「現段階でのお子さんの成長にとって何が一番良いのか」をご家族と一緒に追求し、楽しく個性を伸ばせる環境作りを心がけています。神奈川県の児童発達支援事業所をもっと見る埼玉県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa放課後等デイサービスぱすてるでは、運動療育、買い物体験や調理実習、遠出の外出等、幅広く支援・体験ができる場を提供しています。その中でも最新の支援として、VRを活用した発達支援プログラムがあります。ソーシャルスキルトレーニングをより実践に近い状態で体験することができ、効果的な療育をすることができます。喜びや達成感をみんなで共有できる支援を行い、お子さんの「楽しい!」「またやってみたい!」を大事にしながら子どもたちの可能性を引き出し、将来に繋がるような支援をスタッフ全員で提供していきます。埼玉県の放課後等デイサービスをもっと見る千葉県児童発達支援事業所Upload By minami.shiozawaてらぴあぽけっと柏教室は、2021年2月にオープンする新しい事業所です。ABAを取り入れた個別療育を行っており、お子さんの発達段階に合わせて「たくさん・小さく・確実に」を心掛けています。発達段階に合わせた825項目からなるプログラムから、日々目標達成できるようスモールステップでのプロセスを見つけ、その日一緒になるセラピストがマンツーマンでお子さんの成長を見守ります。小集団活動も取り入れ、教室外・ご家庭でも養育に役立てられるよう、保護者との連携をとりながら、日々研修に励んでいるセラピストがサポーしています。千葉県の児童発達支援事業所をもっと見る大阪府放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa放課後等デイサービスKurumiでは、主に4つのプログラムからお子さんに応じた支援を行っています。学習では宿題を中心にサポート、運動では筋トレ、ストレッチ、生活では制作活動を通して療育を通して見通しを持つことや、集中力、創造力を養います。社会では集団の中で大事になってくるソーシャルスキルトレーニングやジョントレーニング等、ルールや気遣い等を学びます。子ども一人一人の個性やニーズを的確に把握し、主体性と自己肯定感を尊重し、成長や学びにつながる活動から達成感と満足感が得られるような療育に取り組んでいます。大阪府の放課後等デイサービスをもっと見る福岡県放課後等デイサービスUpload By minami.shiozawa療育支援エフ原北教室では、お子さんの将来の可能性を広げ、しっかりとした就労や自立した生活をイメージし学齢期からの積み上げを目的とした療育を行います。具体的には、個別のカリキュラムのもと、テキストやタブレットを使い、将来の就労スキルのベースになる脳機能向上のトレーニングとソーシャルスキルトレーニングを行うことで、学校生活での困りごとや将来の不安を解消していきます。苦労する場面、身に付きにくい能力も熟知した経験豊富なスタッフがお子さんをしっかりとサポートします。福岡県の放課後等デイサービスをもっと見る「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2020年12月26日