元おニャン子クラブでタレントの内海和子が、今秋から「熱海移住」するという。かねてより自身のブログで公表し、家の新築計画を明らかにしていたが、「実は元旅館の義実家で高齢の義母が1人で住んでいたんです」と“熱海ハウス”について詳細を語った。少子高齢化が進む近年、ミドルシニアの老後問題のひとつになっている「離れて暮らす高齢の親の家」。 “家じまい”や自身の地方移住、賃貸など様々な選択肢がある中で、東京生まれ東京育ちの彼女が「移住」を選んだ理由とは。移住後に描くライフスタイルのビジョンにも迫った。■敷地内に番地が3つ、広大な屋敷「熱海の家」はご主人の実家――この秋から移住される「熱海の家」は、どういった御宅でしょう?ブログにもあまり詳しく書かれていませんよね。【内海和子】とてもプライベートなことだったので、これまでブログには私の家族環境のことを書くのは控えてた部分がありました。取材でもあまりきちんとお話したことはなかったかもしれませんね。それこそネット記事では「離婚した」だの、「子どもを連れて逃げられた」だの、色んな噂が出ていて笑っちゃいましたけど(笑)。――そんな記事が!【内海和子】そうなんです。離婚…していません!(笑)。実は熱海というのは主人の実家なんです。かつては旅館でした。今は営業していませんけれど、ひとつの敷地の中に三番地あるんですよ。例えば一丁目、二丁目、三丁目、みたいな。私も最近知ったんですけど、聞いてびっくりしました。その敷地の中に3つ家があって、それがくっついていたので私はずっとひとつの家だと思ってたんです。――ご主人のご実家だったということは、元々熱海によく行かれていたんですか?【内海和子】結婚したときに元々2つあった家の横に両親が、新しく家を建ててくださったんです。主人も向こうに仕事があったので。その3つの家が繋がっている感じで、そこで結婚当初は暮らしていました。――同居されていたんですね。【内海和子】はい。ただやっぱり私は東京生まれの東京育ちだったので、どうしてもその時は熱海の環境に全く慣れなかったんです。それで、本当に主人の両親には申し訳なかったんですけど、東京半分、熱海半分で行ったり来たりという生活をして自分のバランスをとってました。そのうち、だんだん東京に比重が大きくなって。結果ほぼ東京に、私の実家に住む形になって、主人も会社から東京に戻ってくる、みたいな。まぁちょっと違和感のある生活を何十年も続けていました。――結婚当初から熱海と東京の両方に家があった感じだったんですね。【内海和子】そうです。そのうち娘(アイドルの”ゆりあんぬ”さん)ができて、娘は私立の学校に行かせたかったので、お受験の問題があったりして東京メインの生活を…そうですね、娘が大学入学するまでは、ほとんど東京メインで暮らしていました。“家じまい”ではなく移住という選択「あたりまえで自然な流れだった」――その娘さんもご成人されて…。子育てがひと段落したことで“熱海移住”を?【内海和子】そうですね。娘のこともありますが、数年前に義父が亡くなりまして、義母が熱海で一人で暮らすことになったんです。もともと主人は東京と熱海の往復生活だったんですが、義父が亡くなってからは熱海の母と共に住んで、週末だけ東京に来る形になったんです。――昔は旅館だった広いお住まいにお義母様おひとりというのは、確かに心配ですね。【内海和子】家自体ももう古いですから、何とかしなきゃいけない。それなら家族がまとまって住める場所にしなくちゃ、と。普通の家だったらリフォームするとか色んなやり方があると思うんですけど。元旅館だったので、規模が大きすぎて。新婚時代に建てた家は手直しして住めるんですが、全体となるとやっぱり建て替えという選択肢になったんです。――最近では実家の「家じまい」という選択をされる方もありますが、建て直しをして家族みんなで住むというのもまた大きな決断ですね。【内海和子】熱海の家には、主人の母と私の母も住むんですが、ウチの場合、不思議なことに熱海で家族同居することに深刻な話し合いとかはなくて、当たり前のように自然な流れでした。――内海さんのお母様は東京生まれ東京育ちの85歳とうかがっています。新しい環境に飛び込むのは大きなチャレンジでは…【内海和子】本人は全然平気みたいです(笑)。東京の自宅では20年もホストファミリーをして多くの留学生と過ごしてきましたし、今でもとてもアクティブなんですよ。少し体調の悪い義母のお世話なんかもしてくれて。熱海でもそれこそ“老々介護”の日々になると思いますが、心配していません。――誰も無理な我慢をして暮らすわけではない、と。【内海和子】はい。ただ、かわいそうなのはやっぱり娘ですよね。24歳の娘がいきなり熱海に来いっていうのはやっぱり私もさすがにどうかと思っていて。なので娘に東京の家を残すつもりです。週末だけ熱海に帰ってくるっていうような、娘が今度行ったり来たりになるかなと思います。建て替え中の自宅は「地域を助け、活性化させる家」――それにしても元旅館だった三番地ぶんの敷地に新たに建てる家は、かなり豪邸なのではないでしょうか?【内海和子】豪邸ではないですよ(笑)。ただ、キッチンにはこだわってます。料理が大好きで、私のストレス解消でもあるので、主人に「キッチンだけは、好きに設計させてほしい。あとはいいから、キッチンに関してだけはわがまま言わせて」と頼みました。主人は私の料理も、どれだけ料理好きかも知ってるので。「当然いいよ」って、ふたつ返事でした。――そのこだわりのキッチンは、いつかブログで拝見することはできますか?【内海和子】もちろんです。キッチンツアーをやりたいなと思ってるので。そのためにハウスメーカーさんと、YouTubeとかSNSにアップできるようなキッチンを今計画しています。――とても楽しみです。【内海和子】ただ、熱海の家を建て替えているのは、自分たち家族のことだけではなくて、もしも大災害があったりとか、身の回りに何かが起こった時に、ご近所も守りたいなという意識もあるからなんです。まず、屋根は全部太陽光発電パネルです。大型蓄電池を設置するので電気を貯めることができるんです。それこそ災害があった時にご近所の皆さん是非うちの電気使ってくださいみたいな。電気自動車のためのコンセントも作る予定ですし……出川哲郎さん電動バイク旅だっていつでも大歓迎ですよ(笑)。出来る限り環境に良い家、ご近所と何か困った時に助けられるような家づくりっていうのは非常に考えてます。――単なる個人の家の発想とは違いますね。【内海和子】そうですね。もし災害があったら、ひとつでも何かできる家にしたいなと。近所にこういう家があるから、あの家に行ったらお水が出るよ、あの家に行ったら暖かいよ、電気がついてるよって何か協力できたら……静岡に、熱海市に、恩返しできることがあればそれかもしれないって思うんです。おせっかいかなこともしれませんけど、そうしたいなって思うんです。元々が旅館ですから温泉もありますしね(笑)。――地方移住は、いざ行ってみたら“周囲になじめない”“孤立した”という話しも聞きますが、地域との積極的な関わりを目指していらっしゃると。【内海和子】はい。非常時には役に立てる家、さらに普段は地域を…できれば熱海を活性化させる。ひとつのコミュニティハウスって言っていいのかしら。わからないですけど。そういう家を目指しています。主人の趣味なんですけど、広めの駐車場を作る計画もあります。私はそこで様々なコミュニティを作れるようなガレージ経営をしたいんです。そこで皆が集まれる、例えば私の料理を食べられる。ペットを連れてきていいよ。お庭で遊んでいいよ、っていうような。――熱海には移住コミュニティみたいなものはあるんですか?【内海和子】よくインスタとかで拝見しますね。最近は本当に若い方や若いご夫婦が増えているので、SNSなどを通じて確実に増えてきたなって感じます。例えばこの間の伊豆山の土石流(熱海市伊豆山土石流災害・2021年7月)の際には伊豆山を盛り上げるためのコミュニティができたそうですし、移住者のためのものや、お酒の飲みたい人達のための集まりや……何かこう東京から来た人が熱海を盛り上げるために小さなコミュニティをいっぱい作ってくださっているので、そういうのにもいずれ参加したいですね。――では目指すのは”完全な熱海移住”ですか?【内海和子】そこがまた微妙で(笑)。「熱海移住」という表現はわかりやすいですし、過言ではないと思います。ただ、東京は家を残してありますし、行ったり来たりができるっていう贅沢な環境を主人が作ってくれましたので、しばらくは東京も熱海もどちらも自宅、みたいな…わがままですね(笑)。ただ、年齢とともに熱海の比重が大きくなるかな、と思っています。昔の私はあまり自然に慣れ親しめるタイプではなかったんですけども、今では、あぁこんなに海の匂いっていいんだ。こんなに山があることが気持ちいいんだって感じるようになったので。少しずつ地域の皆さんと熱海になじんでいきたいですね。(取材・文/後藤直子)
2022年07月26日元おニャン子クラブのメンバーでタレントの内海和子が15日に自身のアメブロを更新。顔が真っ赤になる謎の症状を報告した。この日、内海は「顔が赤いです」というタイトルでブログを更新。「ワタシの顔が...今朝起きてから随分と赤いなぁと思っていた」と明かし「今こんなです」と顔が真っ赤になった自身の写真を公開した。続けて「どうしちゃったんだろう?」と不安そうに述べ「痒くないんだけど、数日まえから透明なポツポツがあったのは確か」と数日前から症状が出ていたことを説明。さらに「微熱もある」といい「私が何をしたっていうのーーー!!と、皮膚に言いたい」と困惑した様子でつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「疲れが溜まっているのかな」「心配です」「早く良くなりますように」などのコメントが寄せられている。
2022年06月17日岸田今日子さん女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、女子3人旅のいきさつについて振り返る。私と吉行和子と岸田今日子。女3人─。気ままな自由旅は、予期せぬ形で始まることになった。きっかけは、この連載でもたびたび登場する新宿三丁目の名居酒屋『どん底』のマスターである故・矢野智さん。彼は、スペインのマドリードにも店を構えていた。ある日、今日子ちゃんと和子っぺが、「行こうよ」と言い出した。このお店は、三浦友和さんと山口百恵さんが結婚前に旅行で訪れたり、スペイン国王夫妻も来店したことで知られている。国王がどん底に行く─、そんなジョークみたいなマドリードの名店に惹かれるところはあったけれど、私はどうしても行く気になれなかった。極度の飛行機嫌いだったのだ。といっても、根っからの、というわけではない。何度も乗ったことはあったけど、事故が相次いだことで、私はすっかり空の旅に臆病になってしまったわけ。さらには、昭和57年の「日本航空350便墜落事故」(「機長なにするんですか」の日航機逆噴射事故)によって、私の飛行機に対する苦手意識は払拭されるどころか増長するばかり。飛行機に乗らなければいけない場所には、金輪際行くことはないと思っていた。ところが─。『どん底』で話を切り出した2人は、どんどんと目を輝かせ始める。「これだけ生きたんだからいいじゃない。怖くないわよ」なんて和子っぺが言ったかと思えば、「私はマジョルカ島に行きたいわぁ」と、今日子ちゃんはまるでウシガエルみたいなトーンで、青写真を描き始める。「マジョルカ島のインク壺が欲しいの」と。なんでも父親である岸田國士先生の愛用品だったそう。テレビ東京でまさかの番組化「冗談じゃないわよ」。そう頑なに拒んでいた私だったけれど、最終的に「1年後に行きましょう」と手打ちをすることで、2人に納得してもらった。腹の中では、「どうせ1年後なんてうやむやになって忘れているはず」なんて高をくくっていたわけだけど、立ち消えになるといった雰囲気は一切なく、私はズルズルと旅行へと引きずり込まれ、2人はワクワクと計画を練り始める。約束から1年後。私は、あれだけ拒んでいた機上の人になっていた。だけど、行ってみると、これが楽しいのなんのって。気がつくと私たちは、スペインの風に吹かれながら「また行こう」と、次の旅先をあれこれと妄想し始めていた。恐怖に打ち勝つために、楽しさってあるんだろうな。その後、テレビ東京で番組化の話が持ち上がり、定期的に3人で旅をするようになった。友情の企業化。旅には一切の台本はなく、好きなようにさせていただいた。中でも台湾は印象深く、すっかり私たちは魅了され、その後も足を運ぶようになった。台湾には、小説家、俳人、歌人といくつもの顔を持つ黄霊芝さん(1928年―2016年)という人物がいた。台湾俳句会の会長でもあり、私と和子っぺは何度か招待されたことがあった。黄さんは、主に日本語で創作活動をするため、台湾俳句会へ行くと、あちこちから日本語が聞こえてくる。川柳を詠んでいる人もいれば、詩を書いている人もいる。台湾にいるのに、とても不思議な空間。正しい日本語を教えてくれる会でもあった。黄さんは、別れ際、必ず私と和子っぺに日本語の手紙をくれた。でも、和子っぺの手紙は、「吉行和子様あなたは僕の宝庫です」なんて、完全にラブレター。「この差は何なのよ」なんて腹が立つやらおかしいやら。でも、私もハワイ島を訪れた際、村の首長さんから求愛されたことがある。首長は17人(!!)の孫がいるという。今日子ちゃんが「この3人の中で誰がいちばんいい?」と聞くと、迷いもなく私を指差した。2人はけらけらと笑って、「どうぞ差し上げますから」だって。思い返すときりがない珍道中ばかりだった。ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。〈構成/我妻弘崇〉
2022年05月21日元おニャン子クラブのメンバーでタレントの内海和子が8日に自身のアメブロを更新。アイドルグループ・『平成墓嵐』、『西村ひよこと才女たち。』のメンバーで娘のゆりあんぬから貰った高級ブランド『シャネル(CHANEL)』の品を公開した。この日、内海は「母の日娘からのプレゼントは後ほどオープン!」と予告。「UGGも買ってもらいました」グローバルファッションブランド『UGG(アグ)』の品を貰ったことを写真とともに報告し「私の必需品です」とコメントした。続けて「母の日のケーキは早稲田のアトリエアニバーサリーのケーキ」と明かし「ケーキと並べただけのお寿司」とケーキや寿司が並べられた食卓の写真を公開。「サクッといただいて私は美容院へ」と述べ「ゆっくりメンテナンスしてきます」と報告した。その後に更新したブログでは「娘からのプレゼントはシャネルルージュココボーム」とゆりあんぬから贈られた『CHANEL』の品を写真とともに紹介。「このリップめっちゃ可愛いです」とお気に入りの様子で述べ「ありがとーあんぬ」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2022年05月10日元おニャン子クラブのメンバーでタレントの内海和子が26日に自身のアメブロを更新。心療内科と皮膚科の薬を約10種類服用していることを明かした。この日、内海は「皮膚科へ行く時間取れました!」とスケジュールを説明。「心療内科のお薬と皮膚科のお薬で10種類近く服用です」と約10種類の薬を服用していることを明かし「参ったなぁ、もう」と心境を吐露した。続けて「免疫抑制剤を再開する」と明かし「感染症に気をつけないといけません」と説明。最後に「引き続き頑張ろう!!」と前向きにつづり、ブログを締めくくった。
2022年04月28日【2022年3月3日】ヒルトン小田原リゾート&スパ(神奈川県小田原市根府川)は2022年3月1日付で、小川和子(おがわかずこ)が総支配人に就任したことをお知らせいたします。1989年にヒルトン名古屋でのアルバイトからキャリアをスタートさせた小川は、その後、宿泊予約やフロントなどを経て、国内のヒルトンホテル初となるホテルベースのレベニューマネージャーに就任。名古屋に続き、ヒルトン東京ベイでもレベニューマネージャーを務めました。2007年にヒルトン日本・韓国・ミクロネシア地区初のリージョナル・ディレクター・オブ・レベニューに着任、地区内すべてのヒルトンのグループホテルのレベニューを統括する役割を担いました。そして、2012年には国内ヒルトンの旗艦ホテルであるヒルトン東京の副総支配人営業推進担当に、2015年にはヒルトンのラグジュアリーブランドであるコンラッド東京の同職を歴任。多岐にわたる豊富な経験とそこから得た深い知識で多くの実績をあげてきた小川は、2019年、ヒルトン初の日本人女性総支配人として、ヒルトン沖縄北谷リゾートおよびダブルツリーby ヒルトン沖縄北谷リゾートの統括総支配人となり、感染症拡大で難しい舵取りを迫られる中でも、両ホテルの運営を成功に導いてきました。今後は客室数163、敷地面積5万2千坪の国内有数のレジャー・スポーツ施設とスパを有するヒルトン小田原リゾート&スパの総支配人として、ホテルの運営を統括してまいります。今回の就任にあたり、小川は次のように述べています。「この度、ヒルトン小田原リゾート&スパの総支配人として着任できますことをとても嬉しく思っています。近年、私たちは多くの困難に直面してきました。しかし、近い将来、状況は回復に向かうと確信しています。豊かな自然に囲まれ、類をみない充実した施設を有するこのリゾートで、ホテルのチームメンバーとともに多くのお客様との出会いを楽しみにしております。また、小田原市や観光協会、その他観光業に携わる地元の方々とも協力しながら、小田原そしてヒルトンの魅力を感じていただけるよう、上質のサービスとおもてなしを提供し続けてまいります。」ヒルトン小田原リゾート&スパについて2004年4月、日本初のヒルトン・ワールドワイド・リゾートとして開業。箱根の連なる山々と豊潤な海に囲まれた小田原に位置し、都心から僅か60分、大阪からも約2時間と日本の二大ビジネス都市にもアクセスしやすいロケーションです。四季折々の自然が楽しめる広大な敷地には、オーシャンビューの客室163室、10種類の屋内外プール、サウナ、天然温泉大浴場、岩盤浴施設、スパトリートメントサロンなど、リラックス&ウェルネス施設を完備。また、18ホールのパターゴルフコース、ゴルフ練習場、屋内外のテニスコート、フィットネスセンター、ボウリング場などスポーツ・レジャー施設も充実しています。館内には相模湾で獲れた旬の魚介や新鮮な地元食材をお楽しみいただけるレストランを含む2つの料飲施設を有します。大小19室の宴会場ではビジネスとレジャーを理想的に融合したミーティング・イベントもご提案することができます。2010年から通算11年にわたりワールド・トラベル・アワードの『ジャパン・リーディング・リゾート賞』を受賞しています。ヒルトン小田原リゾート&スパに関しましては をご参照ください。また、フェイスブックwww.facebook.com/hiltonodawara/やツイッターwww.twitter.com/hiltonodawaraco インスタグラム www.instagram.com/hiltonodawara/でも情報を発信しております。ヒルトン・ホテルズ&リゾーツについてヒルトン・ホテルズ&リゾーツは、ホスピタリティの手本となるべく、進化し続けるお客様のニーズに応えるような革新的な商品・サービスを提供し続けています。ヒルトン・ホテルズ&リゾーツは、宿泊先にこだわるお客様に、世界6大陸の人気の滞在先で約600軒のホテルを展開しています。ヒルトン・ホテルズ&リゾーツのご予約は、公式サイト( )または業界をリードするヒルトン・オナーズのモバイルアプリから。ヒルトンの公認予約チャネル経由で直接予約したヒルトン・オナーズ会員には、すぐに利用できる特典をご用意しています。最新の情報はこちらをご覧ください。newsroom.hilton.com/hhr, www.twitter.com/HiltonHotels, www.instagram.com/hiltonhotels/ 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年03月03日女優・冨士眞奈美が古今東西の気になる存在について語る当企画。第3回は1951年より東京・新宿三丁目に構える名店『どん底』について。「青春のアジトだった」と回想する楽しい思い出の数々。三島由紀夫「最近は、俺ですら予約しないと入れないよ」■著名人が通う店『どん底』2020年の2月に亡くなったオーナーの矢野智さんが笑いながら教えてくれた姿が忘れられない。ロシア民謡酒場『どん底』が時代を超えて愛されている何よりの証拠。なんでも若い人の間でも昭和レトロな雰囲気が楽しいらしく、人気を呼んでいるそうね。名前こそ『どん底』だけど、その存在は見上げるくらい大きいのだと、改めて思う。私が初めて『どん底』を訪れたのは18歳のとき。当時は、NHKの専属女優だったころで、俳優座養成所へも研究生として通っていた。お酒を飲んではいけない年齢だったけど、仲間とどこ吹く風で毎晩のように『どん底』へ通い、アルコール入り飲料を飲んでいた、はず。時効だから許してちょうだい。店名である『どん底』の由来は、智さんが舞台芸術学院の1期生で、『どん底』の舞台が最後の舞台になるかもしれないから『どん底』にしたらどうだ、とアドバイスされたことによるという。最低からの出発だからあとは上がっていくだけ。俳優座の研究生が数多く通っていたのも納得で、新人女優だった私にとっても心強い響きを持っていたのだと思う。俳優座養成所の仲間とは本当によく飲んだなぁと昨日のことのように思い出す。その中には養成所の先輩でルームシェアもしていた大山のぶ代もいた。『どん底』にも一緒に行ったけど、彼女はお酒が飲めない。ドラえもんはお酒を飲めない──そう考えると腑に落ちるところがあって、のちのち彼女が子どもたちに夢を与えるドラえもんで本当によかったんだなって思う。■有名人がこぞって通う出会いの場いろいろな人と出会った場所でもあった。三島由紀夫さん、青島幸男さん、野坂昭如さん、ハナ肇さん……。名だたる方々がお見えになって、『どん底』なんて店名にもかかわらず、その響きとは無縁な人たちがお酒を酌み交わす姿は、しゃれっ気があって面白かった。親友である岸田今日子、吉行和子とも行ったけど、ひとりでも、お金があってもなくても出かけた。私たちが通っていたころは“どんカク”と呼ばれていた「どん底カクテル」、梅酒のサイダー割りだったかな。50円で飲むことができたから、新人や研究生にとっては心だけじゃなくて財布にも優しかったのね。卵から著名人まで作家、画家、歌手、ダンサー、彫刻家、大学の先生……多士済々とはこのことで、実ににぎやかで、みんながさりげなく飲んでいる心地よいお店だった。年末になると、お店の人だけで忘年会をするんだけど、そんな場にも参加しちゃって、飲んでは寝ての繰り返し。眠くなるとソファで横になって、また起きて飲む。興が乗りすぎて、燃え盛るペチカにオーナーがジャケットを投げ入れたり、ウオツカを降りそそいで手を叩いて喜んでいるうちに火の手が大きくなってしまったりとさんざんなこともあった。私の結婚披露宴も『どん底』だった。失敗。あれも思い出これも思い出。人生は帳尻が合えば万々歳。『どん底』はマドリードにスペイン店があるのだけれど、オーナーの智さんがスペインから戻るたびに、岸田用、吉行用、私用にお土産をプレゼントしてくれた。センスいいし、面倒見がいい人。尊敬できる人だった。スペイン店には、司馬遼太郎さんや結婚する前の三浦友和さんと山口百恵さんも婚前旅行で訪れていたらしいんだけど、ホント、どこが『どん底』なのよ。智さんは亡くなってしまったけど、その遺志を娘さんが継承しているから、きっとこの先も時代の生き証人のようなお店として存続していくと思う。心を許せるアジトのようなお店があると、人生ってより彩りが豊かになる。ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。《構成/我妻アヅ子》
2021年03月27日高畑充希主演、タナダユキ監督が震災後の福島・南相馬に実在する映画館「朝日座」を舞台にしたオリジナル映画『浜の朝日の嘘つきどもと』。この度、本作の新キャストとして、甲本雅裕、佐野弘樹、神尾佑、光石研、吉行和子の出演が明らかになった。本作は、実在する映画館「朝日座」を舞台に、高畑さん演じる莉子が、経営が傾く朝日座を立て直すべく、地元住民と共に奮闘していくさまを描く、映画愛に溢れたハートフルドラマ。今回出演が明らかになった甲本さんが演じるのは、「朝日座」の支配人・森田保造(柳家喬太郎)と共に莉子(高畑さん)の「朝日座」再建に協力する岡本不動産の岡本貞雄。また、技能実習生で茉莉子(大久保佳代子)のボーイフレンド役を、『町田くんの世界』『FUNNY BUNNY』に出演する若手俳優の佐野さん。「朝日座」存続を巡り森田らと対峙するオフィスI社員・市川和雄役を、「3年A組-今から皆さんは、人質です-」「24 JAPAN」などに出演する神尾さん。そして、莉子の父でタクシー会社社長の浜野巳喜男役を、「バイプレイヤーズ」シリーズや現在放送中の「にじいろカルテ」にも出演する光石さん。そして、「朝日座」の常連で資産家の未亡人・松山秀子役を日本を代表する名女優・吉行さんが演じ、作品にさらなる深みとユーモアを加える。キャストコメント甲本雅裕この作品を一言で言うとあったかい、です。脚本、撮影現場、福島の人達、全てがあったかかった。ロケ現場の映画館ではノスタルジーな気持ちになり、馬に乗って久々に遠くを見て、路地裏で相馬の人達の会話を聞き、身近を感じたとてもいい時間でした。この映画は、人が忘れかけている何かを思い出させてくれ、改めて今を生きてるんだって事を実感できる作品だと思います。あったかい気持ちになれるこの作品に参加できた事に感謝します。佐野弘樹タナダ監督とは今回が初めましてでした。僕はバオ君というベトナム人の技能実習生という役どころでカタコトの日本語でお芝居をしています。今までにない挑戦にワクワクしながら毎日の撮影をしていました。一人一人と真摯に向き合い続けているタナダ監督の心意気を間近で感じられた宝物のような時間でした。震災、原発、コロナ禍、僕たちが生きていく上で目を逸らしてはいけないものを扱っている今作品は、最初に脚本を読んだとき書き手の、タナダ監督の、覚悟を感じました。強度がある上に、しっかりと笑いあり涙あり、最後には今日も一日頑張ろう。って思わせてくれる可笑しみみたいなものもちゃんと詰まっているそんな素敵な作品です。神尾佑東日本大震災で福島は大きく変わってしまいました。それは町によって人によって家庭によって様々で、一概に悲しみ苦しみと表現できるものではないでしょう。この脚本はそんな福島のとある人々の断片ですが、福島への情愛とそこに暮らす人々への思いをとても感じました。タナダユキ監督の人間に対する洞察力と愛情が観た人の心を温めてくれるでしょう。そして映画の舞台になった映画館が素晴らしい。もしかしたら私も子供の頃行ったかもしれない映画館。この作品の礎になっていてそれがまた見どころです。福島出身としてこの作品に少しでも参加できて本当によかったです。光石研今作は、まだまだ先の見えないコロナ禍での撮影でした。しかし、スタッフの皆さんの手厚いケアで、何一つ心配する事なく、撮影しました。タナダ監督とは、確か同郷の北九州での、小さな映画祭でお会いした事がありましたが、タナダ組の現場は初めてでした。キャメラの横にスッと座り、しっかりと俳優の佇まい、一挙手一投足を観察し、的確な指示を頂き、安心してやれました。何ともハンサムな監督デス!ストーリーも小さな映画館のお話だし、映画愛を感じます。しかし、監督の別の作品を拝見すると、ちゃんとエッジが効いてます。羊の皮を被ったなんとかですかね。めちゃくちゃ楽しかったです。吉行和子タナダユキ監督の、映画愛が、ぎっしり詰まっています。そして、震災、家族と、福島での撮影で、より強く感じた日々を思い出しました。映画とテレビドラマが同時進行で撮影されたので、両方に出ていた私は、一度に二本、タナダ監督の作品に出る機会を頂き、嬉しかったです。監督は、とてもチャーミングでした『浜の朝日の嘘つきどもと』は秋、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:浜の朝日の嘘つきどもと 2021年公開予定©2021 映画『浜の朝日の嘘つきどもと』製作委員会
2021年03月17日3月いっぱいで、まる60年の歴史を刻むNHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)。そこで、出演者たちの“特ネタ”はもちろん、人に話したくなるトリビアをクイズ形式で出題!あなたの“マニア度”は……?【Q1】『おしん』よりDVDが売れている作品は?朝ドラを何度でも楽しめる映像作品の売り上げも人気のバロメーターのひとつ。最高視聴率62.9%をたたき出した“怪物番組”である第31作『おしん』(’83年)のDVDボックス『おしん完全版少女編』は9,000セットを売り上げているが、それをさらに超える作品が。それは、上方落語家を目指すヒロイン(貫地谷しほり)を描いた第77作『ちりとてちん』(’07年)。放送終了後、人気が口コミでじわじわと広まり、DVDボックス『ちりとてちん完全版苦あれば落語あり』は1万7,000セットを売り上げている。【Q2】“鉢植え”が語りを務めた作品は?視聴者をドラマに引き込む重要な役割を持つ「語り」役。『ちりとてちん』では、上沼恵美子が務めている。第18作『火の国に』(’76年)では主人公が育てる椿の鉢植えが語り手となる、ユニークな手法が話題に(声:渡辺美佐子)。第89作『ごちそうさん』(’13年)では「ぬか床の精」(吉行和子)、第92作『まれ』(’15年)では「魔女姫人形」(戸田恵子)など、人間以外が語り手になるケースは近年でも見られる。【Q3】歴代最年長ヒロインは?第75作『芋たこなんきん』(’06年)でヒロインを演じた藤山直美は、当時47歳。“最年長ヒロイン”と呼ばれた。しかし、放送が予定されている第105作『カムカムエヴリバディ』(’21年)で、48歳の深津絵里が“トリプルヒロイン”の1人に抜擢。記録を更新することとなった。【Q4】初めて“平成生まれ”を演じたヒロインは?“平成生まれのヒロイン”が初めて登場したのは、第83作『てっぱん』(’10年)で瀧本美織が演じた村上あかり。そのほか平成生まれという設定は、第87作『純と愛』(’12年)の夏菜が演じた狩野純、『第88作『あまちゃん』(’13年)でのんが好演した天野アキのみ。ちなみに、もっとも“年上”のヒロインは第93作『あさが来た』(’15年)の今井あさ(波瑠)。時代でいえば、江戸時代の嘉永2年にさかのぼる。【Q5】約50年ぶりに朝ドラに帰ってきた女優は誰?近年注目を集めているのは、ヒロイン女優の再出演。第74作『純情きらり』(’06年)でヒロインを務めた宮崎あおいは、『あさが来た』でヒロインの姉を好演した。第100作『なつぞら』(’19年)には『おしん』の小林綾子、そして第54作『ひまわり』(’96年)のヒロイン松嶋菜々子が登場。また、第11作『繭子ひとり』(’71年)でヒロインを演じた山口果林も第102作『エール』(’20年)に出演。じつに49年ぶりの朝ドラ登場となった。【Q6】朝ドラに2度登場した稲垣吾郎。そのふたつの作品とは?戸田恵梨香がヒロインを演じた第101作『スカーレット』(’19年)に医師役で出演した稲垣吾郎。じつは30年前、第42作『青春家族』(’89年)にヒロイン(清水美砂)の弟として、中学3年生のときに出演している。’22年に放送が予定される第106作『ちむどんどん』では、黒島結菜がヒロインに抜擢。朝ドラの歴史はまだまだ続く。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日深川麻衣が主演、高良健吾、香里奈、井浦新ら実力派に、吉行和子、古谷一行と日本映画の歴史を作ってきた名優たちが共演する『おもいで写眞』が、全国にて公開中。本作でメガホンをとった熊澤尚人監督が写真を撮ることの意味、そしてオリジナル脚本で描きたかった想いを語った。本作は、ヘアメイクの仕事を夢見て上京したが夢破れ、地元である富山に帰ってきた結子(深川さん)が、その人の思い出を写真に残す「おもいで写真」の撮影を通して、地元のお年寄りとの交流を丁寧に描いていくオリジナル作品。メガホンをとった熊澤監督は、舞台である富山でオールロケを敢行。自身のオリジナル脚本による蒼井優主演『ニライカナイからの手紙』で長編デビューを果たし、その後は数々の人気原作の映画化を監督しながら、『虹の女神 Rainbow Song』『おと・な・り』『ジンクス!!!』など、オリジナル脚本の映画化にも挑み続けている。本作『おもいで写眞』もオリジナル脚本の映画化であり、原作小説や漫画の実写化が主流になってきている昨今の日本映画界において意欲作といえる。熊澤監督は本作の着想について、「10年ほど前に、新聞で偶然遺影写真についての記事を読んだんです。カメラマンの方が遺影写真を撮ろうとするけど、皆さん『縁起でもない』と言って積極的に撮ろうとしてくれないので苦労している、と。それがきっかけになって、どうやったら自分の親やお年寄りの皆さんが写真を撮ってくれるだろうと考え始めたというのが最初の着想でした」と語る。そこには、熊澤監督自身の母の存在も影響していたようだ。その後に東日本大震災が起き、監督の着想はより具体的なものとなっていった。「大きな被害を受けた場所で泥や瓦礫に埋れてしまった写真を探し出して修復したり、持ち主の元に返すことをなさったりしているのを知って、写真というものが人間にとって非常に重い意味を持ち、大きな影響を与えるものだということを感じたんです」と明かし、本作で描かれる1人ひとりの生きた人生を1枚の写真に込めるというテーマへと繋がっていることを示す。写真というのは過去を懐かしむものではなく、1枚のおもいで写真の存在が明日を前向きに生きて喜びを感じられるものとしてあるべき、という観点から本作は描かれており、劇中で自身の“おもいで写真”を見て、目を輝かせながら喜びを噛みしめる人々の姿はまさに熊澤監督が描きたかった写真という存在の意義。劇中には、富山の現地で声をかけて撮影した本物の“おもいで写真”も登場する。実際にそれぞれのおもいでの場所で撮影された写真の存在が作品により説得力を持たせることにもなっている。『おもいで写眞』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:おもいで写眞 2021年1月29日より全国にて公開© 「おもいで写眞」製作委員会
2021年02月09日一作ごとに着実にキャリアを重ねる深川麻衣さんが映画『おもいで写眞』で挑むのは“遺影”を撮るヒロイン。東京で夢破れ、祖母と暮らした富山に帰った結子が、町役場に勤める幼馴染み・一郎(高良健吾)にお年寄りの遺影撮影を依頼されることから物語は始まる。最年少として挑んだ現場は、とびきり贅沢な経験でした。「遺影という、なかなかないテーマに踏み込んだ物語です。みんなの心に残るものなのに、一方で集合写真を引き伸ばして遺影にしたり、と満足のいかないものになってしまうこともあるとはよく聞く話で…。実は結子も、祖母の遺影に心残りがある女性。それをきっかけにお年寄りの遺影ではなく、“おもいで写真”を撮る活動に夢中になっていくんです」それぞれの思い出がある場所で、最高の一枚を!最初は「縁起でもない」と顔をしかめたお年寄りたちも結子の情熱に動かされ、懐かしい場所を訪れることで、いきいきとした表情を取り戻していく。「結子は裏表がなくて喜怒哀楽がむき出しの、いまどき珍しいほど不器用な人。前半は怒った顔ばかりで申し訳ないんですけど(笑)、高良健吾さん演じる一郎の包容力や周りの方々の富山弁の温かさでほっとした気持ちになってもらえれば…」今回は最年少キャストにして主演の深川さん。高良さんはじめ先輩に囲まれて過ごした富山ロケを「贅沢な日々」と振り返る。「どの現場でも年下の方が増えていくなかで、あんな機会は二度とないかも。特に吉行和子さん、古谷一行さんという大先輩とご一緒させていただいたことは貴重な経験になりました。数え切れないほどの作品を経て、ご自身のアプローチをお持ちのはずなのに、現場では監督と対話しながら、柔軟に作品づくりを楽しまれていたのが印象的で…。仕事をするうえでは、考えることも大事だけど、その場を楽しむこともすごく大切。私もそんな年齢の積み重ね方ができたらいいなあと思いました」乃木坂46を卒業して4年半。女優として存在感を増しつつあるいま、じわじわと手応えを感じている。「最近は作品を通して私の存在を知ってくれたという方が増えたことがうれしくて。自分の変化より、周りの声で少しずつ前に進んでいることを実感できています」一人で歩み始めてから増えた「自分と向き合う時間」も演技の糧に。「私の仕事は自分の感情を掘り起こし、カメラの前で見せること。負の感情や弱さも直視しないと表現に偏りが出るから、苦手なものや意地っ張りな性格など(笑)、弱点も直視するようにしています」そして今年は、30歳の節目の年。「なんか30代は楽しくなりそうという漠然とした期待があります。警察や病院を舞台にした“職業モノ”とか未体験のジャンルにも30代で挑戦できたら。でもどんな作品でも演じたいのは“普通にいそうな人”。作品が終わった後もどこかで続きを生きているだろうと思わせる、地に足のついたお芝居をできる人になりたいです」『おもいで写眞』失意とともに富山に戻ってきた結子に幼馴染み・一郎が依頼したのは遺影撮影の仕事だった。深川麻衣、高良健吾、香里奈、古谷一行、吉行和子ほか幅広い年代の名優が紡ぐ温かな物語。1月29日より全国公開。©「おもいで写眞」製作委員会ふかがわ・まい1991年3月29日生まれ、静岡県出身。乃木坂46一期生としてデビューし、2016年に卒業。その後、初主演映画『パンとバスと2度目のハツコイ』をはじめ、映画やドラマを中心に活躍中。ワンピース¥52,000(WRYH/untlim TEL:03・5466・1662)パンツ¥18,000(Sara Malika/ルシファーリサーチ TEL:03・6427・9951)イヤリング(片耳)¥14,000(atelier ST,CAT)※『anan』2021年2月3日号より。写真・小川尚志スタイリスト・原 未来ヘア&メイク・山口朋子(HITOME)インタビュー、文・大澤千穂(by anan編集部)
2021年01月30日深川麻衣の主演映画『おもいで写眞』の主題歌に安田レイの新曲「amber」が決定、ポスタービジュアルと主題歌を使用した予告編が解禁された。『パンとバスと2度目のハツコイ』で、第10回TAMA映画賞最優秀新進女優賞を受賞し、その後も『愛がなんだ』『空母いぶき』など話題作への出演が続く深川さんが主演を務める本作。監督は、『おと・な・り』『君に届け』『ユリゴコロ』の熊澤尚人。人間の心の機微をすくい取り高く評価されてきた手腕で、いまの時代にこそ必要な世代を超えた人と人との触れ合いをオリジナル脚本で描く。予告編は、星野(高良健吾)が結子(深川さん)に「カメラマンやってくれま」という富山弁のシーンからスタート。結子は「遺影写真?」と驚くが、遺影写真の撮影を始めることにする。ところが、「お断りです」「遺影なんて縁起でもない」と断られてしまう。そんな中、和子(吉行和子)が「行きたい場所があるんよ、そこで撮るなら」と自分の思い出の場所での撮影に協力してくれる。〈おもいで写真〉は「100人のお年寄りを笑顔にするミッション」という星野。「部屋に飾って毎日見るが、楽しいがー」という和子と共に、たくさんのおもいで写真とお年寄りたちの笑顔が映し出される。かたや、柏葉(古谷一行)の「悔いが残ったんじゃやりきれん」とうなだれる姿、その直後、柏葉を大勢で探す結子たちの姿も。ラストは「彼女が撮っていたのは毎日が宝物に変わる魔法のような写真でした」というナレーションに「撮ってもらって嬉しかったよ」という和子のセリフが重なっていく。予告編にも使用されている主題歌「amber」を歌う安田レイは、2013年7月シングル「Best of My Love」にてソロシンガーとしてデビュー、2015年11月にリリースした「あしたいろ」は、TBS系ドラマ「結婚式の前日に」主題歌として共感を呼び、「第57回輝く!日本レコード大賞」新人賞を受賞した実力派アーティスト。本作では、夢に敗れた結子が世代を超えた人と人との交流をしながら、〈おもいで写真〉を通じてお年寄りたちの日々を次第に輝かせていくという希望の物語を力強い歌声で支える。安田さんは「不器用で、素直に生きるのが下手な主人公の音更結子。なんだか自分のことを見ているような、そんな錯覚に陥りました」と自身を重ねながら、「時には厳しく、時には優しく、愛の形を教えてくれるみんなと共に成長する結子を、自分に投影して歌わせていただきました。不器用なありがとうを、あなたに届けます」とコメント。また、ポスターは、緑の中に佇む深川さん演じる結子と、笑顔の星野役の高良さん。香里奈、井浦新、吉行さん、古谷さんなどのキャラクター写真と「おもいで写眞」〈それを撮ると、あなたの人生が眩しく輝き出す〉という未来に向けたメッセージが印象的なものに仕上がった。『おもいで写眞』は2021年1月29日(金)より全国にて公開。安田レイ「amber」は1月29日(金)から配信スタート。(text:cinemacafe.net)■関連作品:おもいで写眞 2021年1月29日より全国にて公開© 「おもいで写眞」製作委員会
2020年11月26日映画『おもいで写眞』が2021年1月29日(金)に公開。主演は、元乃木坂46のメンバーで、女優の深川麻衣が務める。“遺影写真”を撮る主人公、そして老人たちの感動ドラマ映画『おもいで写眞』は、祖母の死を機に故郷へ戻った主人公・結子が、祖母の残した写真館で“遺影写真”を撮る仕事を始めたことで、老人たちとの触れ合いを通して人生の意味を見出していく感動ドラマ。原作の同名小説をベースに、同著者の熊澤尚人が本作でも監督・脚本を務めたオリジナルストーリーとなっている。キャスト深川麻衣が主演に抜擢主人公の結子役に抜擢されたのは、元乃木坂46のメンバーであり、近年では『愛がなんだ』『空母いぶき』『水曜日が消えた』など、話題作への出演が絶えない人気女優・深川麻衣。本作では、メイクアップアーティストという夢に破れながらも、“遺影写真”の撮影という新たな仕事を通して成長していくヒロインを熱演する。実力派キャストが集結またそんな深川演じる主人公の幼馴染であり、結子に「遺影」撮影の仕事を勧めることとなる星野一郎役は、『アンダー・ユア・ベッド』の高良健吾が担当。そのほか、香里奈、井浦新、古谷一行や吉行和子ら、実力派俳優が脇を固める。映画実現の背景なお映画『おもいで写眞』は、主演の深川麻衣所属の芸能プロダクション・株式会社テンカラットの25周年企画として、熊澤監督とタッグを組み実現したもの。熊澤監督は映画制作にあたり、以下のようなコメントを寄せている。「このオリジナルストリーを書いたのは9年前。何度か映画化できそうになりましたが上手く行かず、推敲を重ねて粘り強く頑張った所、深川麻衣、高良健吾という魅力溢れる俳優と出会え、やっと映画になりました。映画は主人公がお年寄りと触れ合い、希望を見出す話です。吉行和子、古谷一行という名優と映画作りをさせて頂き、僕も大きな希望を得ることができました。」詳細映画『おもいで写眞』公開日:2021年1月29日(金)監督:熊澤尚人脚本:熊澤尚人、まなべゆきこ出演:深川麻衣、高良健吾、香里奈、井浦新、古谷一行、吉行和子原作:『おもいで写眞』熊澤尚人(幻冬舎文庫)<あらすじ>東京でメイクアップアーティストを志す音更結子は、メイクの仕事をしながら美容部員として働いていたが、嘘が嫌いで頑固な性格が災いし、仕事をクビになってしまう。そんな結子に追い打ちをかけるように、大切な祖母が亡くなったと知らせが――。幼いころ、自分を捨てた母の代わりに自分を育ててくれた祖母を、ひとり寂しく死なせてしまった後悔に苛まれる結子。夢も大切な人も失った結子は、故郷へ戻ることを決める。ある日結子は、幼なじみで役所に勤める星野一郎から、老人向けに「遺影」撮影の仕事をしてみないかと誘われる。写真館を営んでいた祖母の遺影がピンボケ写真だったことを悔やんでいた結子は、その仕事を引き受ける。最初は、縁起が悪いと敬遠され、なかなか老人たちに受け入れられない結子だが、一人暮らしの老人・山岸和子との出会いをきっかけに、「遺影」撮影ではなく、それぞれの思い出溢れる場所で写真を撮る「おもいで写真」を撮り始める。結子は老人達とふれあう中で、次第に赦しの意味を知り、人生の意味を見いだしていく。
2020年10月31日元「乃木坂46」深川麻衣が主演し、高良健吾、香里奈、井浦新らが共演する映画『おもいで写眞』の公開が決定した。東京でメイクアップアーティストを志す音更結子は、メイクの仕事をしながら美容部員として働いていたが、嘘が嫌いで頑固な性格が災いし、仕事をクビになってしまう。そんな結子に追い打ちをかけるように、大切な祖母が亡くなったと知らせが。夢も大切な人も失った結子は、故郷へ戻ることを決意。ある日結子は、幼なじみで役所に勤める星野一郎から老人向けに「遺影」撮影の仕事をしてみないかと誘われ、その仕事を引き受ける。最初は縁起が悪いと敬遠され、なかなか受け入れられない結子だが、一人暮らしの山岸和子との出会いをきっかけに、遺影撮影ではなく、それぞれの思い出溢れる場所で写真を撮る「おもいで写真」を撮り始める――。本作は、人が生きる豊かさと年を重ねる美しさを繊細に紡ぐ、熊澤尚人の同名小説の映画化。東京で夢に破れ、祖母の死をきっかけに故郷へと戻り、遺影写真を撮る仕事をはじめる音更結子を演じるのは、『パンとバスと2度目のハツコイ』以来の映画主演となる深川麻衣。そして共演には、結子の幼なじみで役所に勤める星野一郎役を高良健吾、結子と出会う山岸和子役を吉行和子が演じるほか、香里奈、井浦新、古谷一行ら豪華俳優陣が参加している。監督は『近キョリ恋愛』『ユリゴコロ』の熊澤尚人が務めた。キャストコメント深川麻衣今回、初めてご一緒させていただく熊澤監督と、素晴らしい出演者の皆様と、物語の舞台である富山県で撮影をしてきました。撮影の日々はとても刺激的で、苦しくもあり、あたたかくもあり、自分にとって何ものにも代え難い大切な時間になりました。写真を通して人と人とが繋がり、結子が成長していく姿を感じていただけたら嬉しいです。高良健吾台本を読んだ時に驚いた事があります。主人公が祖母の遺影を見て感じたことを、自分も祖父の葬式の時に感じました。これはどこにでもある問題なんだと。だとしたら、映画を通じて世の中になにかを投げかけられると。このおもいで写眞の物語は主人公の喪失感から始まります。主人公の不器用さにハラハラしますが、彼女の真っ直ぐさから伝わるものがあります。この映画があることによって、おもいでというものの価値観も変わるのではないでしょうか。正真正銘本当であるという事がすべてなのか。是非、楽しみにしていてください。香里奈大切な思い出や記憶は、人は何歳になっても自分の心の中に大事にしまわれていて、それを思い起こすことでまたキラキラできる。「おもいで写眞」は、写真を通して若者と年配の方々それぞれの角度から、本当に大切なことは何かと気づかせてくれるような温かい映画になっています。今回、たくさんの素敵な俳優さん方とご一緒できて、私にもまたひとつ、大切なおもいでが増えました。古谷一行「おもいで写眞」公開決まりましたね。とても待ち遠しかったし、嬉しいです。昨年の夏に暑い富山ロケで、北陸新幹線も初体験しました。深川麻衣さん、健吾君、香里奈さん、ホテルのエレベーター前でいきなりバッタリ紹介者なしで4人が自己紹介。そんなロケの始まりでした。現場では、3人共先輩に気を遣ってくれて、よく話もはずみましたね。最後の写真展のシーンは、とても温かな撮影でした。映画のテーマ通り手作りのやさしい現場でした。吉行和子おもいで写眞に出演して、心が軽くなりました。としよりと言われて、人生がだんだんぼやけていく中で、若い人のアイディアで自分の一生が呼び起こされ生き生きとしてくる。ラストの写眞展のすばらしさ。ちからづよいメッセージが溢れています。撮影中は深川麻衣さんの若さとチャーミングさにうっとり!熊澤尚人監督このオリジナルストーリーを書いたのは9年前。何度か映画化できそうになりましたが上手く行かず、推敲を重ねて粘り強く頑張った所、深川麻衣、高良健吾という魅力溢れる俳優と出会え、やっと映画になりました。映画は主人公がお年寄りと触れ合い、希望を見出す話です。吉行和子、古谷一行という名優と映画作りをさせて頂き、僕も大きな希望を得ることができました。『おもいで写眞』は2021年1月29日(金)より全国にて公開。「おもいで写眞」熊澤尚人(幻冬舎文庫)は11月11日(水)発売。(cinemacafe.net)■関連作品:おもいで写眞 2021年1月29日より全国にて公開© 「おもいで写眞」製作委員会
2020年10月28日女優の深川麻衣が、映画『おもいで写眞』(2021年1月29日公開)の主演を務めることが28日、明らかになった。同作は熊澤尚人監督の小説『おもいで写眞』(幻冬舎文庫)を同監督が実写映画化。東京で夢に破れ、祖母の死がきっかけで故郷へと戻った結子(深川麻衣)は、祖母の残した写真館で“遺影写真”を撮る仕事を始める。100人の写真を撮り、人生の先輩たちの話に耳を傾けるうち、それは単なる遺影写真ではなく、色褪せない思い出を写し出す“おもいで写真”へと変わっていく。主演の深川は、乃木坂46卒業後女優としてのキャリアを着実に気づき、『パンとバスと2度目のハツコイ』以来の映画主演作となる。共演には、深川麻衣と初タッグとなる高良健吾のほか、香里奈、井浦新などの実力派が揃い、さらに、古谷一行や吉行和子など、日本を代表する俳優陣が出演する。また本作は主演の深川所属の芸能プロダクション・テンカラットの25周年企画となる。数々の俳優、女優を輩出し映画に寄り添ってきたテンカラットが、設立25周年となる節目に、先輩たちからの学びや、自身の振り返り、そして成長というメッセージを込め、熊澤尚人監督とタッグを組み、本作の制作を企画した。撮影は、昨年初夏に富山にて行われた。○深川麻衣 コメント今回、初めてご一緒させていただく熊澤監督と、素晴らしい出演者の皆様と、物語の舞台である富山県で撮影をしてきました。撮影の日々はとても刺激的で、苦しくもあり、あたたかくもあり、自分にとって何ものにも代え難い大切な時間になりました。写真を通して人と人とが繋がり、結子が成長していく姿を感じていただけたら嬉しいです。○高良健吾 コメント台本を読んだ時に驚いた事があります。主人公が祖母の遺影を見て感じたことを、自分も祖父の葬式の時に感じました。これはどこにでもある問題なんだと。だとしたら、映画を通じて世の中になにかを投げかけられると。このおもいで写眞の物語は主人公の喪失感から始まります。主人公の不器用さにハラハラしますが、彼女の真っ直ぐさから伝わるものがあります。この映画があることによって、おもいでというものの価値観も変わるのではないでしょうか。正真正銘本当であるという事がすべてなのか。是非、楽しみにしていてください。○香里奈 コメント大切な思い出や記憶は、人は何歳になっても自分の心の中に大事にしまわれていて、それを思い起こすことでまたキラキラできる。『おもいで写眞』は、写真を通して若者と年配の方々それぞれの角度から、本当に大切なことは何かと気づかせてくれるような温かい映画になっています。今回、たくさんの素敵な俳優さん方とご一緒できて、私にもまたひとつ、大切なおもいでが増えました。○古谷一行 コメント『おもいで写眞』公開決まりましたね。とても待ち遠しかったし、嬉しいです。昨年の夏に暑い富山ロケで、北陸新幹線も初体験しました。深川麻衣さん、健吾君、香里奈さん、ホテルのエレベーター前でいきなりバッタリ紹介者なしで4人が自己紹介。そんなロケの始まりでした。現場では、3人共先輩に気を遣ってくれて、よく話もはずみましたね。最後の写真展のシーンは、とても温かな撮影でした。映画のテーマ通り手作りのやさしい現場でした。○吉行和子 コメントおもいで写眞に出演して、心が軽くなりました。としよりと言われて、人生がだんだんぼやけていく中で、若い人のアイディアで自分の一生が呼び起こされ生き生きとしてくる。ラストの写眞展のすばらしさ。ちからづよいメッセージが溢れています。撮影中は深川麻衣さんの若さとチャーミングさにうっとり!○熊澤監督 コメントこのオリジナルストーリーを書いたのは9年前。何度か映画化できそうになりましたが上手く行かず、推敲を重ねて粘り強く頑張った所、深川麻衣、高良健吾という魅力溢れる俳優と出会え、やっと映画になりました。映画は主人公がお年寄りと触れ合い、希望を見出す話です。吉行和子、古谷一行という名優と映画作りをさせて頂き、僕も大きな希望を得ることができました。
2020年10月28日深川麻衣主演、熊澤尚人監督の『おもいで写眞』が、2021年1月29日(金)に全国公開されることが決定した。本作は、深川所属の芸能プロダクション「株式会社テンカラット」が設立25周年という節目に熊澤監督とタッグを組み、制作を企画したもの。『ユリゴコロ』や『ごっこ』でメガホンを取った熊澤監督が、自身の小説『おもいで写眞』(幻冬舎文庫)を実写映画化。“人が生きる豊かさと年を重ねる美しさ”をテーマに、夢に敗れ故郷へ戻った主人公・結子(深川)が祖父の残した写真館で遺影写真を撮り始め、その中で成長していく様を描き出す。深川は本作で初タッグを組む高良健吾と共演。そのほか、香里奈、井浦新、古谷一行や吉行和子など、実力派の豪華キャストが出演する。撮影は2019年初夏に富山にて行われ、2021年1月29日に全国公開。<キャスト・監督コメント>熊澤監督このオリジナルストリーを書いたのは9年前。何度か映画化できそうになりましたが上手く行かず、推敲を重ねて粘り強く頑張った所、深川麻衣、高良健吾という魅力溢れる俳優と出会え、やっと映画になりました。映画は主人公がお年寄りと触れ合い、希望を見出す話です。吉行和子、古谷一行という名優と映画作りをさせて頂き、僕も大きな希望を得ることができました。映画作りをさせて頂き、僕も大きな希望を得ることができました。この映画の準備が始まる前に深川さんと会う機会がありました。聖母というイメージをお聞きしていましたが、お話ししてみると真の強さ、強い意志、動じない強い心を感じました。そこに『思い出写眞』の主人公結子を感じました。イメージ通りだと感じました。深川麻衣コメント今回、初めてご一緒させていただく熊澤監督と、素晴らしい出演者の皆様と、物語の舞台である富山県で撮影をしてきました。撮影の日々はとても刺激的で、苦しくもあり、あたたかくもあり、自分にとって何ものにも代え難い大切な時間になりました。写真を通して人と人とが繋がり、結子が成長していく姿を感じていただけたら嬉しいです。高良健吾コメント台本を読んだ時に驚いた事があります。主人公が祖母の遺影を見て感じたことを、自分も祖父の葬式の時に感じました。これはどこにでもある問題なんだと。だとしたら、映画を通じて世の中になにかを投げかけられると。このおもいで写眞の物語は主人公の喪失感から始まります。主人公の不器用さにハラハラしますが、彼女の真っ直ぐさから伝わるものがあります。この映画があることによって、おもいでというものの価値観も変わるのではないでしょうか。正真正銘本当であるという事がすべてなのか。是非、楽しみにしていてください。香里奈コメント大切な思い出や記憶は、人は何歳になっても自分の心の中に大事にしまわれていて、それを思い起こすことでまたキラキラできる。『おもいで写眞』は、写真を通して若者と年配の方々それぞれの角度から、本当に大切なことは何かと気づかせてくれるような温かい映画になっています。今回、たくさんの素敵な俳優さん方とご一緒できて、私にもまたひとつ、大切なおもいでが増えました。古谷一行コメント『おもいで写眞』公開決まりましたね。とても待ち遠しかったし、嬉しいです。昨年の夏に暑い富山ロケで、北陸新幹線も初体験しました。深川麻衣さん、健吾君、香里奈さん、ホテルのエレベーター前でいきなりバッタリ紹介者なしで4人が自己紹介。そんなロケの始まりでした。現場では、3人共先輩に気を遣ってくれて、よく話もはずみましたね。最後の写真展のシーンは、とても温かな撮影でした。映画のテーマ通り手作りのやさしい現場でした。吉行和子様コメント『おもいで写眞』に出演して、心が軽くなりました。としよりと言われて、人生がだんだんぼやけていく中で、若い人のアイディアで自分の一生が呼び起こされ生き生きとしてくる。ラストの写眞展のすばらしさ。ちからづよいメッセージが溢れています。撮影中は深川麻衣さんの若さとチャーミングさにうっとり!『おもいで写眞』2021年1月29日(金)全国公開
2020年10月28日「金曜ロードSHOW!」では2週連続でスタジオジブリ作品を放送中。2週目の4月3日(金)今夜は、高月彩良、有村架純、杉咲花ら人気女優たちが声優として参加した『思い出のマーニー』をオンエアする。原作はイギリスの作家ジョーン・ロビンソンによる同名児童文学。同作を日本の北海道に舞台を置き換え、スタジオジブリ作品では初めて“Wヒロイン”をメインに据え、心に傷を負ったふたりの少女の本当の“愛”と“自分”を見つけていく物語として、『借りぐらしのアリエッティ』や『メアリと魔女の花』などで知られる米林宏昌がメガホンを取って映像化。2014年に公開され大ヒットすると第38回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞したほか、第88回アカデミー賞長編アニメ映画賞、第43回アニー賞にノミネートされるなど世界的にも高く評価された。海辺の村の誰も住んでいない“湿っ地屋敷”。幼いころに両親を亡くし、養母に育てられた12歳の少女・杏奈は、一緒に暮らす養母にさえ心を閉ざしている。ある日、学校で喘息の発作を起こしたことをきっかけに親戚の家にしばらく滞在することになるのだが、そこで、青い窓に閉じ込められた金髪の少女マーニーと出会う。小さな身体に大きな苦しみを抱えて生きる杏奈。その杏奈の前に現れる謎の少女マーニー。ひと夏の出会いの中で、2人が分かち合った秘密とは一体何だったのか…?杏奈の声優には『L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。』や『黒崎くんの言いなりになんてならない』などの高月さん。マーニーの声優を連続テレビ小説「ひよっこ」のヒロイン、谷田部みね子役で国民的女優の仲間入りを果たし、『るろうに剣心 最終章』の公開も控える有村さん。杏奈の成長を手助けするキーパーソンとして、東京から海辺の村に引っ越してきたメガネの少女・彩香には、『十二人の死にたい子どもたち』『弥生、三月-君を愛した30年-』などに出演、本作を手掛けた米林監督による『メアリと魔女の花』では主人公・メアリ役も担当した若き演技派の杉咲さん。また松嶋菜々子、寺島進、根岸季衣、森山良子、吉行和子、黒木瞳らも声優として参加。金曜ロードSHOW!『思い出のマーニー』は4月3日(金)21時~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2020年04月03日「周りに求められるまま振舞っていても、時代はよくなりません」柚木麻子さんの小説『マジカルグランマ』(朝日新聞出版)に登場するのは「理想の日本のおばあちゃん」だ。元女優の主人公・正子は75歳。きれいな白髪&着物姿に柔和な笑顔を浮かべて芸能界に再デビューするものの夫の死をきっかけに仮面夫婦だったことがバレ、世間から手のひらを返すような仕打ちを受ける……。冒頭のセリフは「理想のおばあちゃん(マジカルグランマ)」から脱皮し、本当に自分が望む人生を突進する正子の言葉。私たちもいつの間にか、「母親らしく」「老人らしく」「女らしく」と、他者が望む「~らしく」という理想像を引き受けて、周りや世間に都合良く振る舞ってはいないだろうか?これまでも、今の社会や女性が直面している問題を物語に落とし込んで描いてきた柚木さんに、3回にわたってお話を聞きました。ジャンヌ・ダルクが高枕で寝ている話が必要——柚木さんの作品には、今の社会や女性が直面している問題を物語に落とし込んだものが多いですよね。文学を通して問題提起をしなければという義務感のようなものをお持ちなのですか?柚木麻子さん(以下、柚木):やっぱり、110位だからじゃないでしょうか。男女格差指数110位の青空が今日も広がっているから、目がいってしまう。『82年生まれ、キム・ジヨン』が売れましたが、日本でも私と同世代や上の世代の女性作家は、何かしらキム・ジヨン的なことを書いてらっしゃる気がします。声高にフェミニズムを謳(うた)っていない方でもそう。「怒り」みたいなものが共通認識として、恋愛小説を書いている方にもあるし、みんなつながっている。今回の直木賞の候補になった方たちは(柚木さんも『マジカルグランマ』で第161回同賞の候補に)、皆そういう怒りみたいなものを秘めて書いているなという気はしているので、お会いしたことはないけれど、みんな同志だと思っています。——最近は、特にハリウッド映画などエンターテインメントの分野で強い女性キャラクターが目立つようになりました。柚木:弱い女性が散々ひどい目に遭う話は世界に1億個ぐらいあって、それに対して強い女性の話は200個ぐらいしかないので、まだまだマイノリティだと思いますよ。ただ、強い女性は目立つので「最近、女性が強くなったよね」と言われるけど、「強い女性が勝利して死なない話」というのは、まだ少ない。歴史上、強い女性はだいたい死んでるんです。——ジャンヌ・ダルクみたいに焼かれたり……。柚木:みんなのために死ぬとか。強い女性が勝ちを収めたうえで、高枕でぐーぐー寝てる話はまだすごく少ないと思います。だから私は、そういう話を書きたいんです。——強い女性ヒーローが主役になるとメディアが取り上げるから目立ってしまうだけ。柚木:まだ全然少ないし、しつこく、しつこく言ってもまだ全然足りないと思いますよ。うるさいくらい世界の中心で“フェミ”を叫んでいい——東京にいて、こういうインタビューなどをやらせてもらっていると、「社会は大きく変わってきてるんだな」という錯覚をするのですが、地方に行くと旧態依然としていて驚くことがあります。柚木:地方都市の同族企業とか、農家の専業主婦、1970年代くらいとちっとも変わってなかったりしますよね。私の周りで「この人、すごいな」と思うフェミニストって、九州出身の方が多いんですよ。冠婚葬祭の時に母親たちが死ぬほど働いていたりした光景が目に焼き付いていて、女性文学に救われてきたという人が多い。私も女性の作品ばかり読んでいると「世の中良くなったし、もう言うことないや」と思っちゃうけど、それは近視眼的な話なので、「もう男女差別なんてない」と言ってる人って、半径5メートルくらいの友達としか会ってないのではないかなと思います。だから、マスコミがもっとブーブー言わないとダメですよ。隅々まで届かないですよ。——朝ドラのヒロインもシニアとかフェミニストにすればいいのに。柚木:めちゃめちゃフェミのものを「うるせえな!」と言われるくらい放送しないとダメなんじゃないですかね。だから、『マジカルグランマ』は「月9」ドラマにするべきなんですよ。「恋に仕事に手いっぱいの29歳、がけっぷち!」じゃなくて、「月9最高齢、75歳!年金に雇用にがけっぷち!」みたいなヒロインじゃないとダメ。渋谷109のシリンダー広告に主演・吉行和子さんが出て、サカナクションとかが主題歌じゃないと!「月9」レベル、CMレベル、電通レベルから変わらないといけない。言って言い過ぎることはないと思うんですよね。(聞き手:新田理恵)
2019年08月30日「金曜ロードSHOW!」がこの夏贈る「3週連続 夏はジブリ」企画。第2夜となる8月23日(金)今夜は『崖の上のポニョ』が登場。宮崎駿監督が“原点に立ち返り”手描きでのアニメ制作にこだわった本作を今回もノーカットでオンエアする。1995年に「CG制作室」を開設したスタジオジブリは、『耳をすませば』や『もののけ姫』でCGを本格的に導入。その後、CGはジブリ作品だけでなくTVアニメまで幅広く取り入れられアニメーションの幅を広げる。宮崎監督も『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』でCGを多用してきたが、2008年に公開された本作ではアニメーションの原点に立ち返って、手描きの躍動感を重視。その結果、生き生きとした描写も大きな話題を呼んだ。人間を辞めて海の住人となった魔法使いの父・フジモトと海なる母・グランマンマーレの間に生まれた真っ赤なさかなの女の子・ポニョは、ある日冒険の旅に出る。クラゲに乗ってたどり着いた海辺で出会ったのは、老人ホームに勤める母のリサとともに、船乗りの父・耕一の留守を守る5歳の男の子・宗介だった。宗介のやさしさに触れ彼を大好きになってしまったポニョだが、人間の悪いところをたくさん知っているフジモトはポニョを海の中に連れ戻し、魔法の力を使って閉じ込める。それでも「宗介に会いたい」というポニョの気持ちは止まらず、妹たちに協力してもらってフジモトが開発中の強い魔法の液体を海に解き放ち再び地上へ向かう。しかしポニョがばらまいた魔法の液体のおかげで原始の力を取り戻した海は、巨大なうねりとなって宗介の町を飲み込んでしまう…というのが本作のストーリー。宗介の母・リサにはNHK連続テレビ小説「なつぞら」や「監察医 朝顔」も好評の山口智子。父・耕一にはバラエティでみせる自由なキャラが人気の長嶋一茂。フジモトには『トイ・ストーリー』シリーズで声優としてもお馴染みの所ジョージ。グランマンマーレには『チア☆ダン』「緊急取調室」シリーズの天海祐希。さらに柊瑠美、矢野顕子、吉行和子、奈良岡朋子らも声優として参加、柔らかな世界観に彩りを加えている。「3週連続 夏はジブリ」企画、3夜目となる次週8月30日(金)は『天空の城ラピュタ』をオンエア。こちらもお楽しみに。金曜ロードSHOW!『崖の上のポニョ』は8月23日(金)今夜21時~日本テレビ系でオンエア。(笠緒)■関連作品:崖の上のポニョ 2008年7月19日より全国東宝系にて公開© 2008 二馬力・GNDHDDT
2019年08月23日映画監督浜野佐知さん撮影/山田智絵「とんでもないバーサンが演りたい」女優・吉行和子さんのそんなひと言で、映画監督の浜野佐知は奮起した。国内外の小説を読みあさり、これだと直感したのが木村紅美さんの小説『雪子さんの足音』だった。作品を読んだ吉行さんは、浜野のオファーを快諾したと話す。「高齢の女性の役って、孫の世話をするいいおばあちゃんか嫁いびりするいやな姑か、そんなのが多いでしょう。その女性がどんな人生を送ってきたのか、今、女として何を考えているのか。そこを想像させるようなとんでもないバーサンを演じたかったの」映画は、学生時代を過ごした地方都市に出張してきた青年・薫が、地元新聞で訃報を知るところから始まる。20年前に下宿していた月光荘の大家・雪子さんが熱中症で死亡していたのだ。彼は大学生時代、雪子さんと、同じ下宿人の小野田さんという2人の女性の過剰なまでの好意と親切に息が詰まるような日々を送ったことを思い返す。愛と狂気が、現実なのかファンタジーなのかわからない世界で、美しく、そしてエロティックに繰り広げられていく異色の作品といってもいいだろう。6月半ば、東京・渋谷で単館上映されたとき、映画上映後に浜野を囲んだお茶会が何度か開かれた。見た人たちは開口一番、「怖かった」と話す。そして「でも雪子さんがチャーミングで、小野田さんも含めて女性のもつ不可解さ、おもしろさを感じられた」と続けた。■忖度なんかぶっ飛ばす浜野は映画監督として400本以上のピンク映画を撮ってきた。男社会の中で、自分の言いたいことを果敢に主張し、自分の撮りたい映画を撮ってきたという自負がある。「映画の現場って今の言葉で言えば忖度だらけなんですよ。だけど浜野さんはスポンサーもいない自主映画だから、忖度なんかぶっ飛ばして激しい風を吹かせるの。正直で気持ちのいい現場ですよ。だから尊敬も信頼もしているんです」吉行さんは笑顔でそう語る。浜野は化粧などしたこともない。衣食住に関することには興味がない。ただ映画のことを考え、映画に登場する女性たちを通して女の生き方を応援してきた。「ずっとひとりで闘ってきたという実感はありますね。だけどそれ以上に、私は映画が好きだったのよ。映画以外、何の興味もないの」浜野は1948年、徳島県鳴門市に生まれた。父は職業軍人、楚々とした美人の母と3歳下の弟の4人家族だった。子どものころから男勝りで、「お母さんのお腹の中におちんちんを忘れてきた」と周りから言われていたという。「父は戦争で日本が負けたことを許容できず、軍人恩給も受け取らなかった。そんなタイプだから、漁師をしていたんだけど、仕事もあまりうまくいってなかったんじゃないかと思うの」10歳のとき台風で家が流されていくのを見てショックを受けた。それを機に一家は母の弟がいる静岡県へ越した。母の弟が経営する、伝統工芸品を作る工房で父は働くようになったのだ。「父は非常に子煩悩で、私を小学校へスクーターで送り迎えするほどでした。映画も大好きで、土曜日の午後は必ず家族で映画を見に行って帰りにラーメンを食べる。チャンバラが多かったけど、それが毎週、楽しみでした」■「お嬢ちゃん、映画が好きか?」成績優秀だった浜野は、県内屈指の進学校である静岡大学附属静岡中学校へ入学。決して裕福ではなかったが、幸せな子ども時代を過ごした。だが、試練は突然、襲いかかる。「ある土曜日の朝、父が“頭が痛い”と言い出して。“ごめんね。今日は映画に行けないかもしれない”と。私は不安を抱えながら学校へ行ったんですが、すぐに父が病院に運ばれたと連絡がありました。慌てて駆けつけたけど意識不明。そのまま亡くなりました」まだ41歳だった。パラシュート部隊だった父は、太平洋戦争末期、太ももに銃弾を受けたことがある。手術はしたが破片が残り、それが血流によって運ばれ、脳の血管が切れたと医師から説明があった。「あんなに元気でやさしかった父が、たった半日でいなくなってしまう。人間、いつどうなるかわからない。子ども心に真剣にそう思いました」母はまだ36歳。中学生と小学生の子どもたちを抱えて途方に暮れた。「ちょうど、叔父の工房も経営が悪化して閉鎖していたので、母は蕎麦屋で働いたり、近所の人のお手伝いをしたり、いくつも仕事を掛け持ちしていました。当時、街中にシネマストリートと呼ばれていた映画館街があって、私は父と一緒に通ったことを思いながら、学校から帰ると映画館街をふらふらしていました。映画を見るお金はないから、ポスターを見て回るんです」そんなとき、「お嬢ちゃん、映画が好きか?」と声をかけてきた男性がいた。頷くと、彼は自分が働く映画館の奥へと連れて行ってくれた。彼は映写技師だった。まるでイタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』である。「そう、まさにあんな感じ。映写室の奥の小窓から、そのおじちゃんにフィルムのことを教わりながら映画を見ました。映画ってこうやって上映されるものなんだ、フィルムはこうつなぐものなんだと心が震える日々でした。映画が私にとって特別なものになっていった時間でしたね」一方で父を失ったショックもあり、成績は下がっていく。附属といってもエスカレーター式に上がれる中学ではなかった。浜野はやっとの思いで県立女子高校に「潜り込んだ」という。■母という女に惚れていた高校生になると、アルバイトをして映画を見に行くようになった。母は成績が伸び悩む娘を心配して、静岡大学に通う大学生を家庭教師につけてくれた。ところがしばらくすると、寮住まいのはずの彼が家に居ついていた。「狭い家なのに、彼に一部屋与えて食事もさせて。私には母が恋愛したとしか思えなかった。それでものすごく反発したの。学校へ行かなくなったり、大阪の親戚のもとへ家出したり。周りは私が家庭教師を好きになったと思ったみたい」思春期の娘にとって母親の恋愛がおもしろいはずがない。しかし、それも浜野の心理とは異なる。浜野は母親に恋をしていたのである。「ずっと考えているんだけど、あの気持ちは母に対する娘の気持ちではなかったと思う。私は女として、母という女に惚れていた。だから母を取られたということではなく、私の恋人を取られたという嫉妬だったのかもしれない」浜野は中学生のころ、相手の親が心配するほど特定の女友達を好きになった。のちに上京して一緒に暮らしたのも女性である。バイセクシャルであると公言もしている。その源となるのは、「母という女」への恋慕だったのかもしれない。結局、いづらくなった大学生は家を出て行った。ところが代わりに、浜野の担任が家に来るようになった。ふたりが恋愛関係にあったかどうかはわからない。「母はとにかく寂しかったんだと思う。30代半ばで夫に死なれて頼るところもなくて。それから静かに精神的におかしくなっていったんですよ」浜野が家に連れてきた友人に、「私を笑いに来たんでしょ」と丸めたタオルを振り上げたこともある。そしてある日、母がいなくなった。近所の人と探し回ると、駿府城址のお堀でオールもないボートに乗って流されている母の姿が目に入った。「それを見て、母を追いつめたのは私だと、今度は私のほうがおかしくなっていって。私の存在がおふくろを苦しめていると思い込んだんです。私の独占欲が、母の恋愛も人生も奪ってしまったのではないかと」浜野は母親のことを話すとき、ときどき「おふくろ」という言葉を使う。そこに「自分のオンナ」と感じている一端を見るような気がしてならない。母は病院に通って徐々に落ち着きを取り戻したが、浜野の気持ちは深く傷ついたままだった。高校時代の後半は、家を出てアパートを借りて生活していた。「母との間に決定的な溝を作ったような気持ちになっていました。好きな女を傷つけてしまった罪悪感ですね」お互いに気を遣っていたから表面上は仲がよかったが、あのころのことだけは話せないままだった。■包丁を抱いて寝ていた浜野はそんな苦悩から逃れるように映画館に通った。邦画よりヨーロッパ映画が好きだった。「日本の映画で描かれる女性像って、耐え忍ぶ妻、無償の愛で包む母、父親の言いなりの娘、愛人という名の悪女。こういうステレオタイプばかり。見ていて苦痛なんですよね。フランス映画には、キャリアを持ち、ふたりの男に愛される女がいる。そのほうがカッコいいと思った」これが浜野映画の根幹でもある。彼女は当時の思いを一貫して映画で表現している。それがピンク映画であれ一般映画であれ。男目線ではなく、女目線、もっといえば「自分目線」で映画を撮りたい。夢は広がった。そんな浜野を、母は「自分のような苦労をしないためにも、一生をかけてやれる仕事を持ちなさい」と応援してくれた。それでも母が心配するからと、上京後は寮のある東京写真専門学院に入学、8ミリや16ミリフィルムで自主映画を撮ることが楽しくてたまらなかった。なんとか映画の道に入りたかったが、当時の映画会社の就職条件は「大卒、男子」のみ。映画関係を探し回り、独立プロの若松プロダクションの門を叩く。当時、若松孝二監督は反体制を旗印に性と暴力を描き、「ピンク映画界の黒澤明」と呼ばれて若者に圧倒的人気があった。そこへ、ピンク映画を見たこともないまま飛び込んで行ったのである。当然のことながら門前払いを食わされた。それでも浜野は諦めなかった。何度追い返されても通いつめ、いつしか事務所の掃除などを手伝うようになって3か月ほどたったころ、ついに若松監督が根負けしたのか、末端の助監督として現場に出してもらえることになる。だがロケ初日の夜、主演女優と主演男優が、疲れ果てて眠っている浜野の横でプライベートでセックスを始めた。やめてほしいと頼むと、翌日、「助監督ふぜいが役者に意見をした」と大問題に発展。浜野は現場を飛び出して会社に戻るが、悪いのは浜野だということになり、勢いで若松プロを辞めてしまう。「怒られるのはかまわない。いくら怒鳴られても現場からは逃げない。だけど私に謝れというのは筋が違う」それが浜野の言い分である。その後、浜野はフリーの助監督としてあちこちの現場を転々とする。ピンク映画は今も昔も低予算だ。小道具などは買えないので、浜野は工夫して手作りしたり、走り回って安く手に入れたりした。それが重宝されて助監督の仕事は途切れなかった。「セクハラパワハラは当たり前。酔っ払ったスタッフに襲われないよう包丁を抱いて寝たこともありますよ(笑)。男と同じようにがんばって男を超えるしか女が映画の世界で生き残る方法はないと思っていた。だから男に負けないよう一升瓶をラッパ飲みしたり、男と一緒に立ち小便をしたこともある」浜野は強い口調でそう言ってから、ふっと笑った。「私は女を売るようなことはしてこなかったし、女であることに甘えたりもしなかった。だけど今思うと、女のままで女の監督になればよかっただけのこと。ただ、当時はがむしゃらに男になることしか方法がなかったんです」■高校時代からの子分と結婚23歳のとき、浜野に大チャンスが訪れた。ある監督が撮影寸前に逃亡してしまい、代わりに監督デビューできることになったのだ。「ピンク映画は男を欲情させるためのものだけど、どうせなら女目線で、女にしか撮れないピンク映画を作ってやろうと思いました」自ら脚本を書き、できあがったのが『十七歳、好き好き族』だ。女の子が自らの意思で処女を捨てる姿を描いた作品で、このときから浜野の映画は一貫したメッセージ性をもっている。いつでも主体的に選び取るのは女性自身だということ。セックスも人生も。27歳のとき、浜野は「高校時代からの子分」と結婚している。夫である鈴木静夫さんは、笑いながら振り返った。「そういえば高校時代、彼女に呼び出されてバイクで家まで行くと、“そのへんを一周して”と言われるんですよ。バイクの後ろに乗せてばーっと走るとまた家の前で“ありがとう。じゃあね”って。彼女は洗った髪を乾かすために私を呼びつけた。当時はヘルメットが義務じゃなかったのでね(笑)」その関係は変わらず、静夫さんは東京の大学に入学後も、助監督として苦労している浜野をそばで見ていた。手伝えと言われれば、車を出して小道具探しに付き合ったりもした。大学卒業後は、故郷の静岡で会社員となるが、ひとり暮らしだった浜野の母のもとへよく話し相手として訪ねていたという。「彼は、何気に自分のアパートの机の引き出しにいつも予備金として2万円入れてあるって言うわけ。監督デビューしたからって、映画だけで食えるわけはないし、もうダメだとなると在来線で静岡まで行って、彼の机の引き出しから2万円もらってくる(笑)。冷蔵庫を開けると私の好きな食べ物が満杯だったりして」浜野も懐かしそうに振り返った。だが結婚という話が出たとき、浜野は「無理だ」と言い張った。映画の仕事は絶対にやめないし、子どもも産まない、と。静夫さんはそれでもいいと譲らなかった。「うちのおふくろが彼と一緒になることを強く望んでね、まあ、おふくろが喜ぶならいいかと婚姻届だけ出して、彼の両親ときょうだい、うちはおふくろだけで食事会をしました。そうしたら彼の親が、“いい子が嫁に来てくれて”と言ったの。その瞬間、私は立ち上がって“おふくろ、帰るぞ”って(笑)。嫁ってなんだよ、ふざけるな、ですよ。あとから彼が謝りに来ましたけどね」その後、東京にやってきた静夫さんと、新宿近くで飲み屋を経営したこともある。ふたりの結婚生活は44年に及ぶが、大きなケンカをしたことはほとんどないという。「ボクは情熱を傾けて一生やりたい何かを見つけることができなかった。彼女はとにかく映画に関わっていれば生き生きとしているんですよ。飲み屋をやっていたとき、ツケばかりで払わないから、一時期、映画関係者を出入り禁止にした。そうしたらとたんに彼女、元気がなくなっちゃって。ボクは生き生きしている彼女を見ているのが好きだし、何か要請があれば手伝うけど、それ以外は干渉しない」静夫さんはやさしい口調でそう言った。彼女を支えているという実感はないという。「干渉はしないけど信頼し、お互いに好きなように生きていくのがいちばんですから」■女にしか撮れないピンク映画一時期、経営していた飲み屋で知り合い、その後ずっと作品でタッグを組むことになったのが、脚本家・監督の山崎邦紀さんだ。この出会いを機に、浜野は34歳のときに『旦々舎』という制作会社を立ち上げる。自分がプロデューサーを兼ねれば、誰に遠慮をすることもなく映画を作れる。それ以来、自身が監督するときは山崎さんに脚本を頼み、山崎さんが監督をするときはプロデューサーとしてともに映画に携わってきた。「私が初めて出会った男らしくない男なんですよ、ヤマザキは。褒めてるのよ(笑)。人として話ができる。彼に出会ってから、私は“男はダメよね”と言うのをやめたんです。私は男個人をダメだと思っているわけではなくて、日本の男たちが作ってきた男社会に女の居場所がないことを怒っているとわかったから。そういうことを教えてくれたのもヤマザキでしたね」山崎さんは、「監督とボクとは真逆の人間だから、分担して仕事ができたのかも」と笑う。「監督は学校で勉強してきた頭でっかちの人ではなくて現場で叩き上げてきた人。言い出したら聞かないし、強烈に自分のメッセージをもっている。相手が誰であっても、感じたことはすぐに口にするしね。昔はすごかったですよ。ピンク映画という男社会の中で誰をもびびらせていた。“殺すぞ、てめえ”なんて言ってたからね(笑)」タッグを組んだふたりのピンク映画は受けに受けた。’80年代から’90年代にかけて、年間20本から25本くらい映画を作っていたという。常に台本を3冊抱えて撮影しているような状態だった。浜野のピンク映画には特徴がある。下着の上からの女性の股間アップ、パンフェラと呼ばれる下着の上からのフェラチオ、そしてザーメン返しの3つだ。男性監督は遠慮して股間のアップを撮れないことが多い。浜野は女性を愛するがゆえにアップを撮る。パンフェラもうっすらとペニスの形状が透けて見える。もちろんペニスは小道具を使うのだが、それでもかなり扇情的だ。極めつきがザーメン返し。口内発射された精液を、女性がそのまま男性に口移しする。「もちろん、作り物の精液だけどね。出されたものは返しましょう、ということで(笑)」男に都合のいい、されるがままのセックスをよしとしない浜野の信条である。男性監督よりずっと「エグい」浜野の作品は、そのエグさによって人気を博した。だが、いくらピンク映画で人気を得ても一般的には認められないということを痛感させられる出来事があった。’96年、東京国際女性映画祭の記者会見で、「日本でもっとも多く作品を撮った女性監督は、田中絹代監督の6本」という発表を聞き、浜野は愕然とした。自分が今まで撮ってきた300本は何だったのか。このままでは自分の存在はなかったことになる。「ならば一般映画を撮って自分の存在を日本映画界に認めさせるしかない」浜野は50歳直前に奮起した。題材は、昭和初期に活躍したあと、ぷっつりと消息が途絶えた作家・尾崎翠だ。脚本はもちろん山崎さん、そしてピンク映画で気心の知れたスタッフとともに、2年かけて『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』を自主製作した。■作品・スタッフ・役者への愛その後、高齢女性の性愛を描いた『百合祭』、尾崎翠の小説を原作とした『こほろぎ嬢』、湯浅芳子と中條(宮本)百合子の女同士の恋愛を描いた『百合子、ダスヴィダーニヤ』と、13年間で4本の一般映画を撮った。そして今回の『雪子さんの足音』が5作目となる。『百合子、ダスヴィダーニヤ』の湯浅芳子役で浜野と知り合い、今回も小野田さんという不気味ながら興味深い女性を好演している女優・菜葉菜さんは深い信頼を浜野に寄せている。「私はもともと気が強いタイプなのに、この世界に入ってから周りの目を妙に気にするようになってしまった。でも監督は絶対にぶれない人。私が私でいいと思わせてくれる。ウソのない愛情を感じます」浜野が助監督を叱り飛ばすのを目の当たりにして驚いたこともある。「チーフ助監督が山でのロケから逃亡したこともありました(笑)。でも、監督には監督の計算があって怒っているんだとわかるんです。作品に対しても、スタッフにも役者にも愛がある」浜野の愛情深さは誰もが感じるところだ。5作すべての音楽を担当した吉岡しげ美さんは、プライベートでも浜野と懇意である。「年齢も近いし、お互いに男社会の中でひとりで闘ってきた意識が強かったから、すぐに意気投合しました。プライベートで会うのは年に数回だけど、ふたりで飲みまくって食べまくってしゃべりまくって……」浜野が横で「この人、本当によく食べるの」と茶化す。「入院しているときだって、病室にクッキーの袋がいっぱい散らかってたよね」とさらに追い打ち。だが浜野が席をはずすと、吉岡さんはしみじみと言った。「10数年前、私が乳がんになったんですよ。そのとき浜野さんは、本気で心配して毎日毎日、電話をしてくる。あげく、治療法までああだこうだと言ってくるから、いいかげん、うるさい、って私が叫んじゃって(笑)。手術後、おそるおそる見舞いに来たときの彼女の顔を今も覚えています。情に厚くて、実は心配性で……。公私ともに信頼できる友人です」言いたいことを言い合えて、それでも決して信頼は揺るがない。あとからすべてを笑い飛ばせる関係を、浜野は数多く築いている。浜野が「私のオンナ」とまで言う母は、30年ほど前に急逝した。娘の一般映画を見ることはなかった。まぶたが痙攣するのを治すための「簡単な手術」の最中、脳幹出血を起こして脳死状態となったのだ。■舌でふれた「永遠の女」「3週間たって、布団をめくったら手足の指先が明らかに干からびてきている。しのびなくてね、医者に“もういいです”と言いました。ただ、延命装置は私がはずす、と。そうでなかったらおふくろも死ぬに死ねないはずだから」それでも母の死を受け止められなかった浜野は、解剖してほしい、それが無理ならせめて脳を見せろと医者に詰め寄った。「脳死というわりに運ばれてきた脳はきれいなピンク色だった。医者の目を盗んで舐めちゃった」浜野はそう言って満面の笑みを浮かべた。それは、やりたいことをやった人だけが見せる表情そのものだった。さらに通夜の晩、酒を飲み続け、親戚がいなくなった隙に、棺の母の経帷子の裾を割った。「母のおまんこを見たかった。きれいでしたよ。そこも舐めた。ぷくっと柔らかかった。味はしなかったけどね」今、10代のころ母と住んでいた静岡の家に浜野は生活の拠点を置く。都内に仕事場として部屋を借りて行き来しているのだが、そのたびにどうして若いころ、もっと静岡に帰らなかったのだろう、こんなに近いのにと後悔の念が疼くという。ついに母との遠慮の溝は埋まらなかった。だが、母は彼女にとって「永遠の女」である。「父が眠る徳島のお墓に埋葬したんですが、あちらの習慣では喉仏だけを納骨するんですよ。他の骨は廃棄なの。捨てるなんて耐えられないから私が持って帰った。私が死んだら棺の中に母の遺骨や遺灰も一緒に入れて焼いてほしいと夫に頼んでいるんです。それでやっと母と一体になれるんじゃないかと思って……」その日が来るまで、浜野は今日も映画への情熱とともに走り続ける。「映画を撮るたび、家を担保に借金したり、夫の保険を解約したり、資金の面では本当に大変なんだけど、それでも映画を撮り続けたい。撮れなくなったら私が生きている意味なんてないとさえ思っています」取材・文/亀山早苗かめやまさなえ1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、貧困や格差社会など、幅広くノンフィクションを執筆。歌舞伎、文楽、落語、オペラなど“ナマ”の舞台を愛する
2019年07月28日6月28日(金)今夜の日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」は、東野圭吾の“最も泣ける感動作”を原作に、「Hey! Say! JUMP」山田涼介を主演に迎え、西田敏行らの共演で映画化した『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を地上波初放送する。「東野圭吾作品史上最も泣ける感動作」として高い支持を得ている同名小説を原作に映画化した本作。2012年。幼なじみの敦也、翔太、幸平の3人は、ある日夜を明かすため1軒の廃屋に忍び込む。そこはかつて悩み相談を受けることで知られていた「ナミヤ雑貨店」。いまはもう廃業しており、自分たち以外誰もいないはずの店内に、突然シャッターの郵便口から手紙が落ちてくる。なんとその手紙は32年前に書かれた悩み相談だった。敦也たちは戸惑いながらも、当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書く――。次第に明らかになっていく雑貨店の秘密と、相談者たちと敦也たちの共通点。彼らがこの雑貨店に 忍び込んだのは偶然ではなかったのか?そして、敦也たちがある人物からの“最後の手紙”を受け取ったとき、彼らの運命が大きく動きだす――という物語。主演には『暗殺教室』『鋼の錬金術師』「カインとアベル」などの作品で俳優としても活躍する「Hey! Say! JUMP」の山田涼介。共演には『釣りバカ日誌』「ドクターX」シリーズなどの人気作をはじめ『アウトレイジ 最終章』や大河ドラマ「西郷どん」のナレーションなど数々の作品で知られる西田敏行。NHK連続テレビ小説「カーネーション」や「この世界の片隅に」『ミュージアム』などの尾野真千子。「仰げば尊し」や『二度めの夏、二度と会えない君』などの村上虹郎。『心が叫びたがってるんだ。』『チワワちゃん』などの寛一郎。連続テレビ小説「べっぴんさん」や大ブームとなった「おっさんずラブ」の林遣都。大河ドラマ「平清盛」や『ストレイヤーズ・クロニクル』などの成海璃子。連続テレビ小説「まれ」に先日公開された映画『さよならくちびる』も話題の門脇麦。「トレース~科捜研の男~」に『こんな夜更けにバナナかよ』などの萩原聖人。この春主演作『こどもしょくどう』が公開された鈴木梨央、「フルーツ宅配便」などの山下リオ、「警視庁ゼロ係」の手塚とおる、『沈黙 -サイレンス-』のPANTA、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン』などの小林薫、『東京家族』などの吉行和子といった豪華な面々が揃った。オムニバス形式で綴られるドラマが世代を超えた感動を巻き起こす、金曜ロードSHOW!『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は6月28日(金)21時~日本テレビ系で地上波初放送。(笠緒)■関連作品:ナミヤ雑貨店の奇蹟 2017年9月23日より全国にて公開© 2017「ナミヤ雑貨店の奇蹟」製作委員会
2019年06月28日久志本眞子と冨士眞奈美の“スー女”に挟まれる、元旭天鵬の友綱親方──柏戸関をはじめ往年の名力士にも詳しい大女優・冨士眞奈美と、高校1年生にして早くも芸能界一の相撲女子との呼び声高い久志本眞子。時代&世代を超えた“スー女”が、まさかの初顔合わせ!制限時間いっぱいの取組は……白熱必至の対談、はっけよい、のこった!■元祖スー女と現役スー女冨士まだ若いのに、“十両以上の力士のしこ名をすべて言える”くらいお相撲が好きなんてビックリ。どうしてお相撲が好きになったの?久志本初めて相撲を見に行ったのは5歳のときなんですけど、その前日に両親とちゃんこ鍋屋さんに行ったんです。そのときに偶然、旭天鵬関(現・友綱親方)がいらっしゃって、そこから興味を持つようになりました。冨士それで今に至るまで友綱部屋との交流が続くのね。久志本それからどんどんハマっていって、巡業や、各部屋の朝稽古を見に行くようになりました。学校のスケジュールとかぶらないように調整しつつ、相撲ライフを送るのが日課ですね。冨士筋金入りね!いま着ているお洋服、なんだか渋いわねえ……。久志本はい!(友綱部屋の)旭大星関の浴衣をワンピースにアレンジしています。冨士さんが相撲をお好きになったきっかけは何だったんですか?冨士私たちが子どものころは、ラジオしかなくてね。相撲と野球中継は人気番組で、いつも聞いていたから、気がついたら大好きになっていたの。私の場合、周りから「女の子は聞くものじゃない」なんて言われたことなかったし。お相撲は取らなかったけど、田んぼで野球はしていたわよ。18歳で女優になったときに、そのころは相撲と野球が好きで語れる若い女性なんていなかったから、雑誌なんかの企画でよく呼ばれたのよ。相撲部屋を訪れたり、王(貞治)さんと対談をさせてもらったりね。久志本元祖スー女であると同時に、元祖野球女子でもあるなんてカッコいい……憧れます!冨士うふふ。今では亡くなってしまった方も少なくないから本当に貴重な体験をさせていただいたわ。眞子ちゃんは、北の湖さんにお会いしたことがある?久志本小学生のときに1度だけ。優しい方でした。冨士そう。とっても優しい人。北の湖さんは、15歳のときに北海道から上京したんだけど、稽古がつらすぎて逃げて帰ることを決意したそうなの。久志本のちに大横綱になる人が!?意外……。冨士ところが、東京へは右も左もわからない状態で連れてこられたから、帰り方がわからない。上野駅に行く方法がわからなくて、あきらめて部屋に帰ってきたんだって。久志本なんかかわいい。でも、もし上野駅にたどり着けていたら名力士は生まれていなかったってことですよね。冨士そういうことよね。眞子ちゃんも、これからこういったおもしろい話を聞く機会に恵まれるだろうから楽しみね。久志本頑張ります!冨士今でもよく覚えているのは、画家の山下清さんと一緒に柏戸さんの伊勢ノ海部屋へ行ったこと。久志本柏戸さんって、あの大鵬さんのライバルで“柏鵬時代”を作り上げた名横綱ですよね!?あと……山下清さんって実在していたんですか?「裸の大将」ってフィクションかと思っていました。冨士実在の人物よ(笑)。柏戸さんたら、吸っていたタバコを素足の裏で消しちゃって、山下さんも私もビックリ!足の裏を見せてもらったら革靴みたいだった。久志本私にとっては、伝説上の人物しか登場していない……おとぎ話の世界みたい。──冨士の引き出しの多さと、懐の深さにビックリの久志本。さらに五月場所の展望に話が及ぶと、トークはますますがっぷり四つの大熱戦に……!■私のイケメン力士冨士眞子ちゃんが、いま注目している力士って誰?久志本幕下だと……冨士ま、幕下から!?さすが芸能界一の相撲女子ね!久志本恐れ多いです(笑)。注目してほしい力士は、對馬洋さん(三月場所時点で東幕下6枚目)。イケメンでもあるので要注目です!冨士イイ男と聞いてが然、興味が湧いちゃった。遠藤関とか勢関とか、昔なら寺尾とか、イケメン力士がケガをおして、苦悶の表情で相撲を取るのはもったいないわ。色男が台無しよ。久志本ちょっと話が逸れちゃいますけど、冨士さんが見てきた力士の中で、「カッコよかった!」って方は誰ですか?冨士魁傑さんや(初代)貴ノ花さんは、顔立ちもカッコよかったけど、相撲にも艶があったわね。あと、北の富士さんも個性的でカッコよかったな。久志本わかります!冨士孫ほど離れた眞子ちゃんにも、カッコよさが伝わるなんて、北の富士さん……恐るべしね。解説もおもしろいしね。久志本お会いしたときに、服装がほんとカッコよくて。冨士昔、テレビで見たんだけど、ハワイでバンダナを巻いてビーチでくつろいでいたの。さすが“現代っ子横綱”と思ったわ。久志本バンダナを選ぶなんておしゃれすぎます!冨士さんの注目力士は誰ですか?冨士私と本名が同じ岩崎さん、英乃海関と翔猿関の兄弟力士に頑張ってほしい。幕内だと、眞子ちゃんは誰に注目してる?久志本御嶽海関に期待したいです。取材をさせていただいた際、「自分にはまだ引き出しがある」っておっしゃっていたんですよ。友綱親方あれ?うちの力士はいないの?─ここで、笑いながら友綱親方が登場。「もちろん、友綱部屋の力士もよ、ね~」と顔を見合わせるふたり。まさかの親方を巻き込んだ三つ巴の後半戦が幕を開ける!■白鵬は、何回優勝するつもりだよ!冨士現役を引退されて、約3年。親方と呼ばれることに慣れてきました?友綱ぼちぼちですね。古い付き合いだから、眞子ちゃんからはあんまり親方と思われていないかもしれないけど。久志本思ってますよ!現役時代よりシャープになって、カッコいい親方だなって。冨士ほんとね。(親方の腕を触りつつ)ちょっとこれってセクハラかしら(笑)、筋肉質で身体も締まっていてすごいわねぇ。友綱大女優に触ってもらえるなんて、ごっつぁんです!(笑)。現役時代より25キロくらいやせましたけどね。冨士相変わらず肌もきれい。せっかく親方がいらっしゃるんだから、令和の大相撲の展望を聞いちゃおうかしら。友綱僕は平成4年に来日して、ずっと平成とともに相撲人生を歩んできました。ですから、いち相撲人として新しい元号はワクワクしますね。冨士「令和最初の優勝力士」って、大相撲史に名前を刻みたいでしょうから、みんな燃えているんじゃない?友綱幕内だけでなく、各段の力士がそう思っているでしょうね。願わくば、友綱部屋からそういった力士を輩出したいですよ。久志本白鵬関も、「令和最初の場所で優勝を目指す」って公言していますよね。友綱ホント、何回優勝するつもりだよ!って思うよね(笑)。冨士白鵬関と仲がいい親方だからこそ言える言葉ね。でも、あのモチベーションはすごいですね。友綱大相撲は長い歴史とともにあるから、元号が変わったからといって急に何かが変わるわけではない。でも、間違いなく世代交代の波が押し寄せている。それが令和の幕開けと重なっているんだから、偶然とはいえ、よくできているなって思いますよ。冨士そういう意味では、私は貴景勝に期待したいかな。押し相撲で攻め続ける、その姿勢が気持ちがいいんだもの。友綱彼はきっぷがいいよね。勝負審判として土俵下から見ていても、そう感じる。久志本勝負審判って感情を出しちゃいけないですよね?友綱部屋の力士が取組をするときは、難しくないですか!?友綱我慢できないときもあるよなぁ。それこそ、うちの魁鵬が三段目東5枚目で勝ち越しをかけて千秋楽で相撲を取ったとき、自分が勝負審判をしていたんだけど……冨士どうなったんですか?友綱優勢だったのに逆転負けをしてしまった!思わず、天を仰いでしまったんだけど、思いっきりテレビに抜かれていたの。ツイッターでもちょっと話題になっちゃった。冨士&久志本アハハハハハ!友綱ほかの勝負審判も、僕の気持ちがわかるから、笑っているの。親方って、大変な仕事だよ、ホント!冨士親方は若貴時代から朝青龍、白鵬、稀勢の里まで、いろいろな力士と相撲を取ってきたと思うけど、やっぱり今と昔とでは違いますか?友綱若貴時代は、幕内平均体重が140キロ台で、今は160キロ台。当然、対策や傾向も違うから、どちらの時代のほうが面白かった、強かったとは一概に言えないと思っています。それぞれの時代によさがある。そのうえで、新しい時代に向かおうとしている。冨士いいことおっしゃる。久志本しかも、今は誰が優勝するかわからない面白さもあります。友綱そのとおり!誰が令和の時代を築くのか、ワクワクするよね。冨士平成になって、ハワイ出身だけじゃなく、モンゴル、中国、ブラジル、ジョージア……本当にいろんな国から角界を目指すようになってるんでしょう。令和になったら、もっとグローバルになるかもしれないわね。もう国籍なんていってられないわね。友綱そういっていただけるとうれしいですね。冨士シンプルなルールの中で、真っ向からぶつかり合って勝敗を決める。要するに、強い男がカッコいいってことよ。それが相撲のいちばんの魅力なんだから。幸い、眞子ちゃんのような可愛いスー女もいてくれる。相撲の未来は明るいわね!久志本新弟子検査って、中学卒業からなんですよね。私と同じ年の子が、新弟子として土俵に上がっていると思うと、いちファンとしてもっと相撲の魅力を伝えられるように頑張ろうって思うんです。友綱冨士さんから眞子ちゃんに伝承だな。継承も立派な相撲の文化ですから。期待しているよ!久志本そのときは改めて伝達式をお願いします!冨士もちろん!老いも若きも大相撲、敢闘賞よ!ふじ・まなみ静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、小説家としても知られ、句集をはじめ著書多数。11年間「俳壇賞」選考委員。最新刊は『吉行和子・冨士眞奈美 おんなふたり 奥の細道 迷い道』。出演作『ばあばは、だいじょうぶ』が5月10日より全国イオンシネマほかで公開される。くしもと・まこ2003年8月28日、三重県生まれ。小学校1年のときにスカウトされ、以来女優、歌手として活躍。2016年公開の映画『クハナ』で主演を務める。趣味はスポーツ観戦で、特に相撲においては「芸能界最高スー女」の呼び声も高い。特技は「十両以上の力士は全員しこ名が言える」こととバイオリン。ツイッターは @kushimako828。友綱親方本名:太田勝。元関脇・旭天鵬。1974年、モンゴル・ナライハ市(現ウランバートル市ナライハ区)生まれ。1992年2月、のちの小結旭鷲山らと来日し、史上初のモンゴル出身力士となる。’98年1月に新入幕。’05年にはモンゴル出身力士として初めて日本に帰化。同年七月場所で昭和以降最年長の37歳8か月で優勝。’15年七月場所限りで引退。’17年に江戸時代から続く年寄「友綱」を継承し、モンゴル出身力士として初の師匠(部屋持ち親方)に。取材・文/我妻アヅ子撮影/伊藤和幸撮影協力/友綱部屋
2019年05月11日井ノ原快彦が主演を務めるカンテレ開局60周年特別ドラマ「僕が笑うと」。戦時中の大阪を舞台に、5人の孤児を養子として引き取って育てた主人公・鈴木重三郎と妻・誠子(上戸彩)の大家族の絆を描いたオリジナル作品で、竜星涼、真飛聖、飯豊まりえ、高田翔、坂井真紀、白洲迅、麻生祐未、吉行和子など豪華俳優陣が出演。放送を控え、井ノ原さんが作品や役柄、さらには共演した上戸さんや子役たちについて語った。■トレードマークの優しい笑顔は「お安い御用です!(笑)」自身初となる大家族の父親役を演じた井ノ原さん。撮影現場について「現場に子どもがいるっていいなと思いました。子役の子たちがいない場面の撮影でも、この作品に子どもが関わっているんだという温かい空気感が現場にありました。戦争中を描いたドラマですが、そういったほんわかした一面もきっとあったのだろうと、想像力を駆り立てられながら撮影をしていきました」とふり返っている。そんな井ノ原さん演じる重三郎が家族に対して向ける温かな笑顔は印象的だが、「それはもう本当にお安い御用です!(笑)」と彼のトレードマークの優しい笑顔を見せる様子も。「それは、上戸さんや子どもたち、スタッフさんに助けられたからだと思います。支度中や、撮影の合間もとにかくいっぱいお話して、本当の夫婦、本当の家族のような時間を共有しました。ですから、みんなに“シゲさん(重三郎の愛称)”を作ってもらったという感じです」と、上戸さんら共演者やスタッフに感謝の気持ちを述べた。■「最初からあるよね、こういう幸せ」を見つけていただけたら家族について幸せを感じたシーンについては、「野菜を作ったり、四つ葉のクローバーを探しているシーンですね。みんなで『頑張れよ』って声を掛け合っている時って、外からだと幸せに見えないかもしれませんが、そういう時って重三郎自身は『子どもっていいな』って思ったり、心配したりしながら汗を流していると思うんです。だから、案外、こうして忙しい時が一番幸せなんじゃないかと思いました」と重三郎の心境を思って語る。最後に、「この脚本がそのままの意味で伝わってくれたらいいなと思います。なにか作られたものではなく、『最初からあるよね、こういう幸せ』というものを、皆さんに見つけていただけたらと思います。どの時代でも普遍的に通用する物語だと思いますので、ぜひご覧ください」と出来上がった作品をPRしていた。■上戸彩、家族の笑顔は「100点満点や!(笑)」一方、その妻・誠子を演じた上戸さんは、「涙無しには見られない、台本を読んだ第一印象と変わらず、とても好きな家族のお話で、よりたくさんの方に見ていただきたいと心から思いました」と語り、作品の完成を心待ちにしていた様子。大家族のシーン以外で印象に残ったシーンについては、「坂井真紀さん演じる光子さんが登場したシーンです。母になった今…あのシーンの坂井真紀さんのお芝居には特にいろいろ感じさせられるものがあり、号泣でした」とコメント、長女・節子(伊藤栞穂)と次女・トメ子(竹野谷咲)の前に現れた謎の女性・矢野光子のエピソードに、母親として思いをはせた。また、井ノ原さんをはじめとした鈴木家の笑顔については、「100点満点や!(笑)」と劇中の重三郎の話し方をまねて答え、さらに「本当に子供達の声、表情、発想が毎日いとおしく、沢山助けていただき、楽しかったです!」と賑やかで、温かな撮影をふり返る上戸さん。最後に、「家族とは、血のつながりだけではなく、その人自身の心、お互いの想いで成り立っていること。今のこの寂しいニュースが多い世の中で、この『僕が笑うと』は皆さんの心に改めて届けたい家族の意味、家族の形が詰まった素敵なお話に出来上がったと思いました」と熱い思いを語っていた。■あらすじ平成が終わりを迎えようとするある春の日、病床にふせる老婦人(吉行和子)は、恵美(飯豊まりえ)、真一(高田翔)ら4人の孫を呼び、自分の家族について話し始める。70年以上前に老婦人が育った「他の家族とは違う」という家族とは――。昭和12年、大阪。鈴木重三郎(井ノ原快彦)は、大阪理科大学の助教授で植物研究者。結婚して10年となる明るく優しい妻・誠子(上戸彩)とは子宝に恵まれなかったが、重三郎はそれを受け入れ、夫婦仲良く暮らしていた。しかし、誠子の「母親になりたい」という思いは消えることはなく、重三郎の姉・大沢徳子(真飛聖)の息子で、満州に赴任する大沢和也(白洲迅)の送別会をきっかけに、あらためて子どもへの思いを強くする。数日後、間宮君子(麻生祐未)が営む孤児院の庭で遊ぶ子どもの姿を見た誠子は、重三郎に孤児を引き取りたいと相談する。はじめは子どもを育てる自信が無いと難色を示した重三郎だが、誠子の熱意に押されて浩太(幼少期:柳下晃河)を養子として迎え入れることに。優しく浩太と接する誠子とは対照的に、ぎこちないやり取りが続く重三郎だったが、次第に不器用ながらも父親として成長していく。研究一筋だった人生から、子どもを愛することの生きがいを覚えた重三郎の世界は一変。重三郎が笑う分だけ、浩太も笑う。物静かな男に笑顔が増えていった。そんなある日、「浩太に兄弟ができたら喜ぶかもしれんな…」とつぶやく重三郎に、誠子が「…すぐやと、あかん?」と返す。昭和18年。鈴木家は、浩太(青年期:渡邉蒼)に加えて、節子(伊藤栞穂)、健作(石澤柊斗)、虎之助(原田敬太)、トメ子(竹野谷咲)の5人の子どもたちを育てる大家族に。やがて、研究室の助手である吉田史郎(竜星涼)にも召集令状が届くなど、戦争が重三郎の身の回りにも影響を及ぼしていく。鈴木家の生活も日に日に厳しくなっていくが、それでも重三郎と誠子は常に笑顔を絶やさず、子どもたちの表情も笑顔に満ちあふれていた。しかし、戦争は着実に鈴木家の未来にも影を落としていき…。カンテレ開局60周年特別ドラマ「僕が笑うと」は3月26日(火)21時30分~カンテレ・フジテレビ系全国ネットにて放送。(text:cinemacafe.net)
2019年03月26日城島茂、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也の「TOKIO」メンバーがゲストとトークで盛り上がる「TOKIOカケル」の3月20日(水)放送回にSPドラマ「僕が笑うと」から「V6」井ノ原快彦、上戸彩がゲスト出演。2人の“しなさそう”なこととは!?1995年に「V6」メンバーとしてCDデビュー、この1月には50枚目のシングルを発表したほか、『ピカ☆ンチ』シリーズや「警視庁捜査一課9係」とその続編「特捜9」などの映画、ドラマにも多数出演。また2010年から8年にわたりNHK「あさイチ」のキャスターを務めるなど多彩な活躍をみせる井ノ原さん。「第7回全日本国民的美少女コンテスト」から芸能界デビュー、世界的にヒットした『テルマエ・ロマエ』のヒロイン役や「昼顔」シリーズの主演など数多くの作品へ出演のほか、ソフトバンクのCMでも知られる上戸さん。カンテレ開局60周年特別ドラマ「僕が笑うと」で夫婦役共演を果たす井ノ原さんと上戸さんが本番組に登場。今回2人を迎えておくる企画は、街行く人たちが芸能人に対して普段どんなイメージを抱いているのかを街頭インタビューから探っていく「しなさそうトーク」。果たして一般人は井ノ原さんと上戸さんがどんなことを“しなさそう”だと考えているのか!?俳優、女優として長くキャリアを重ねてきた井ノ原さんと上戸さんが夫婦役で共演するSPドラマ「僕が笑うと」は戦時中の大阪を舞台に、5人の孤児を養子として引き取って育てた夫婦を描いたオリジナル作品。感情をあまり表に出さない大学の助教授で植物研究者・鈴木重三郎を井ノ原さんが演じ、妊娠が難しいと告げられながらも母親への強い憧れから孤児を引き取る重三郎の妻・誠子に上戸さん。2人を取り巻く人々として真飛聖、飯豊まりえ、高田翔、坂井真紀、白洲迅、麻生祐未、吉行和子らが脇をかためる。口を開けば研究のことばかりという風変わりな重三郎が孤児を養子として迎え入れたことから、次第に笑顔が増えやがてユーモラスな父親へと成長を遂げていく姿、そんな重三郎に小気味よくツッコミを入れつつも、温かく支える誠子。2人の心温まる物語が展開する。カンテレ開局60周年特別ドラマ「僕が笑うと」は3月26日(火)21時30分~、カンテレ・フジテレビ系全国ネットで放送。「TOKIOカケル」は3月20日(水)23時~フジテレビ系で放送。(笠緒)
2019年03月20日上川隆也が執事役で出演する「執事 西園寺の名推理」の続編が4月19日(金)からスタート。この度、本作の新たなレギュラーキャストとして観月ありさが出演することが明らかになった。上川さん扮する“パーフェクトな執事”西園寺一が活躍する痛快ミステリー・エンターテインメント「執事 西園寺の名推理」。すでに、西園寺が仕える奥様・伊集院百合子役の吉行和子に決定し、前作から引き続き佐藤二朗、浅利陽介、里見浩太朗、古谷一行ら豪華レギュラーキャストが発表されている。今回新たに本作に加わることが決定した観月さんが演じるのは、全てが謎に包まれた西園寺を追うミステリアスな美女・山崎和歌子。前作では、古谷さん演じる大川の伏線などで物語を盛り上げてきたが、今回は彼女が新たな伏線として物語を盛り上げる。「シリーズものにパート2から参加させて頂くというのは、とてもありがたいことと思っています」と今回からの参加を喜んだ観月さんは、「前作の良さも残しつつ、また今作ではさらに良い作品になるように頑張りたいと思います」と意気込み。また吉行さんとは、人気シリーズ「ナースのお仕事」でナース役で共演しており、「今作でも関わるシーンが出てくるかもしれないので、また久しぶりに共演できることをとても楽しみにしています」と共演が待ち遠しいと話し、「前作から引き続き今作もとても楽しい内容となっていると思います。私は役柄的に謎の女なので良いエッセンスになり、レギュラー陣を良い意味でかき回していきたいなと思っております」とコメントしている。一方、主演の上川さんは「又一人、この作品に美しい刺客(?)が名を連ねて下さいました。毎回、様々な事件や、西園寺の幅広い知識や特技が広がる中、観月さんの演じる和歌子の、謎に包まれた言動が、この物語に更なる深みをもたらしてくれるであろう事に、期待は膨らむばかりです」と期待を寄せている。金曜8時のドラマ「執事 西園寺の名推理2」は4月19日より毎週金曜日20時~テレビ東京にて放送。(cinemacafe.net)
2019年03月13日「V6」井ノ原快彦が主演するカンテレ開局60周年特別ドラマ「僕が笑うと」が、3月26日(火)に放送されることが決定。ドラマ初共演となる上戸彩を迎え、夫婦役を演じる。本作は戦時中の大阪を舞台に、5人の孤児を養子として引き取って育てた夫婦を描いたオリジナル作品。■井ノ原快彦、ユーモラスな父親を好演!主演の井ノ原さんが演じるのは、感情をあまり表に出さない大学の助教授で植物研究者・鈴木重三郎。口を開けば研究のことばかりという風変わりな重三郎が、孤児を養子として迎え入れたことで一変。次第に笑顔が増えていき、やがてユーモラスな父親へと成長を遂げていく。本作について「今この時代だからこそ、大事なドラマ」と説明する井ノ原さん。共演の上戸さんについては「子どもに対する態度が自然で、頼もしくて優しくて、僕よりもずいぶん年下の方ですが、自分のお母さんみたいに見える時がありました(笑)」と意外な印象を明かし、「居てくれるだけで、何となく支えられている感じがありましたね。上戸さんと共演できて本当によかったです」とコメント。また「今は核家族化とか言われていますが、『血の繋がりだけじゃないんだぞ、家族は!』という思いに少しでも触れてもらえたらいいなと思います。ぜひご覧ください」とメッセージを寄せている。■上戸彩「涙が止まりませんでした」母親に憧れた妻を演じる重三郎の妻・鈴木誠子役には、井ノ原さんとはドラマ初共演となる上戸彩に決定。重三郎に小気味よくツッコミを入れつつも、温かく支える誠子。医師から妊娠は難しいと伝えられたものの、母親として子どもを育てることに強い憧れを抱き、重三郎に孤児を引き取ることを懇願する。「台本を読んだ瞬間、すぐに感情移入してしまいました。一瞬でのめり込んでいき、涙が止まりませんでした」と台本を読んだ感想を語った上戸さんは、「皆様の心がほっこり温かくなるドラマとなっております。鈴木家を通して笑顔の大切さを感じて頂ければと思います。家族みんなで揃うことが少なくなってきている現在、改めて家族の大切さを考えるきっかけになるドラマになれば嬉しいです」とコメント。撮影については「井ノ原さんは子供達とゲーム遊びなどし、私は主に話し相手になっていました。子供達一人ひとりの個性をじっくり見るのがとても楽しかったです」と子どもたちとの共演をふり返り、「仲良くなるにつれ、私たちに話しかけてくれる言葉も増えていき、たまに『お母さん』と呼んでくれることが凄く嬉しかったです。とにかく癒され、和む現場でした」と撮影の様子を明かしている。ほかにも、真飛聖、飯豊まりえ、高田翔、坂井真紀、白洲迅、麻生祐未、吉行和子らも出演する。<ストーリー>平成が終わりを迎えようとするある春の日、病床にふせる老婦人(吉行和子)は、恵美(飯豊まりえ)、真一(高田翔)ら4人の孫を呼び、自分の両親と兄弟について話し始める――。昭和12年、大阪。鈴木重三郎(井ノ原快彦)は、結婚して10年となる明るく優しい妻・誠子(上戸彩)と夫婦仲良く暮らしていた。子宝には恵まれなかったが、しかし誠子の「母親になりたい」という思いは消えることはなく、ある日間宮君子(麻生祐未)が営む孤児院の庭で遊ぶ子どもの姿を見た誠子は、重三郎に孤児を引き取りたいと相談。はじめは子どもを育てる自信が無いと難色を示した重三郎だが、誠子の熱意に押されて浩太(幼少期:柳下晃河)を養子として迎え入れることに。研究一筋だった人生から、子どもを愛することの生きがいを覚えた重三郎の世界は一変。重三郎が笑う分だけ、浩太も笑う。物静かな男に笑顔が増えていった。そして「浩太に兄弟が出来たら喜ぶかもしれんな…」とつぶやく重三郎に、誠子が「…すぐやと、あかん?」と返す。昭和18年――。鈴木家は、浩太(渡邉蒼)、節子(伊藤栞穂)、健作(石澤柊斗)、虎之助(原田敬太)、トメ子(竹野谷咲)の5人の子どもたちを育てる大家族に。太平洋戦争が始まり、生活は日に日に厳しくなっていくが、重三郎と誠子は常に笑顔を絶やさず、子どもたちの表情も笑顔に満ちあふれていた。しかし、戦争は着実に鈴木家の未来にも影を落としていく…。カンテレ開局60周年特別ドラマ「僕が笑うと」は3月26日(火)夜、カンテレ・フジテレビ系全国ネットで放送。(cinemacafe.net)
2019年01月18日12月7日(金)今夜の日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」では2020年東京オリンピック開閉会式の演出を担当する山崎貴監督の最新作で堺雅人&高畑充希が夫婦役で初共演した『DESTINY 鎌倉ものがたり』を地上波初放送する。本作は西岸良平による既刊33巻、累計発行部数900万部のベストセラー「鎌倉ものがたり」の映画化作品。『ALWAYS 三丁目の夕日』や『永遠の0』『海賊とよばれた男』などで独特の映像美によって観客を魅了、来年夏には菅田将暉主演で「戦艦大和」の建造計画をめぐる物語を描く『アルキメデスの大戦』の公開も控える山崎監督がメガホンを取って映像化を実現した。堺さんが鎌倉に住み普段から和装を好む多趣味なミステリー作家・一色正和を、歳が離れた正和の妻・亜紀子を高畑さんがそれぞれ演じるほか、正和の担当編集者・本田役で堤真一、死神役で安藤サクラ、貧乏神役で田中泯、そのほか市川実日子、ムロツヨシ、要潤、大倉孝二、神戸浩、鶴田真由、薬師丸ひろ子、國村隼、吉行和子、橋爪功、三浦友和、中村玉緒ら超豪華キャストが集結。天頭鬼の声は古田新太が担当している。鎌倉に住むミステリー作家・一色正和は初めて会った瞬間に運命を感じた亜紀子と結婚、ハネムーンから戻ったばかり。幸せいっぱいの亜紀子だが、初めての鎌倉暮らしは驚くことだらけだった。道を歩く正和と亜紀子の前を貉(ムジナ)か河童か通り過ぎて心底驚く亜紀子に、正和は「鎌倉は何千年も昔から妖気が溜りに溜まって、いろいろな怪奇現象が起こるけれどもここでは普通のこと、すぐに慣れる」と言ってのける。魔物の夜市で手に入れたキノコを食べて幽体離脱してしまったり、家に取り憑いた貧乏神と仲良くなりお茶碗を交換したりと奇妙な経験を重ねながら一色家で過ごすうちに、正和のことを少しずつ理解していく亜紀子。そんな亜紀子の存在は正和が幼いころから抱き続けてきた心の傷をも次第に癒していく。正和の担当編集者・本田が病に侵され、余命があとわずかだということが判明。正和から死神の存在を教えられた本田はこの世に残って家族を見守るために死神と取引することを決意、一方、階段で転んだ拍子に身体のある“変化”に気付いた亜紀子。彼女はこのままでは正和の寿命が短くなると知り、愛する人を守るために黄泉の国に旅立つ。そんな彼女の思いを知った正和は…という物語。金曜ロードSHOW!『DESTINY 鎌倉ものがたり』は12月7日(金)21時~日本テレビ系で地上波初放送。(笠緒)■関連作品:DESTINY 鎌倉ものがたり 2017年12月9日より全国東宝系にて公開© 2017「DESTINY 鎌倉ものがたり」製作委員会
2018年12月07日「つい先月も1週間ほどカンボジアに滞在しました。周りは私の体調を心配して『行くな』と引き留めたけど、気にしません(笑)。第2の人生をスタートさせる際に、“自分の時間とお金は、自分のために使う”と決めましたから」還暦を機に生前整理を始める人が増え“終活”ブームとなっているが、「60歳で終活なんておやめなさい!」と一笑に付すのは、小山内美江子さん(88)。『3年B組金八先生』シリーズ(TBS系)やNHK大河ドラマ『翔ぶが如く』など、数多くの名作を世に送り出してきた脚本家だ。小山内さんはまさに還暦を迎えた90年、初めて海外ボランティアを経験。今年25周年を迎えた認定NPO法人「JHP・学校をつくる会」(以下、JHP)の代表理事を務め、これまでカンボジアに350校以上、ネパールには14もの学校を作り、今もなお現役で活動を続けている。そのきっかけとなったのが、ほかならぬ最愛の母の死だった。「『翔ぶが如く』を執筆中の90年、母が91歳で亡くなった。介護から解放されてほっとした半面、胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感に襲われました。そして、この先どうしようかと自分の生き方を改めて考えていた矢先、遠い中東で湾岸危機が起こったんですね。『血はいやだけど、汗なら流せる』と思い立ち、ヨルダンの難民キャンプへ飛ぶことにしました」以来、周囲の支援にも助けられながら、海外ボランティアに私財をつぎ込んできた。「正直、貯金は全部使い切ってあの世へ行くつもり。それもあって、終活と呼ばれるようなことは具体的には何もしていません。明日逝っちゃうかもしれないのに、ジタバタしたってしょうがない」お墓や遺言の準備、財産相続などの終活をしなかったおかげで、「還暦後、人生がますます豊かになった」と語る小山内さん。そこには、自身の死生観も重なる。「自宅(横浜市鶴見区)のそばにある曹洞宗の大本山・總持寺で少女時代から『修証義』という経典を黙読しています。その教えに『死ぬときは何も持っていかれない』と書いてあるんです。お金も愛する人も連れてはいけない。ついてくるのは、あなたがこの世でやった良いことと悪いことだけだ、と。88歳になった今、とても共感できる教えです」また、終活なんて必要ないと断言できるのは、ひとり息子で俳優の利重剛さん(56)との関係性も大きく影響しているという。「息子は『借金は困るけど、それ以外は何も残してくれなくていい』と言ってくれています。基本的には月に一度、仕事の行き帰りにわが家へ寄り道したり、『元気にしてる?』とたまに電話をかけてきたりする程度。離れていても親子のつながりは変わらないし、お互いに“今”を悔いなく生きることに精一杯だもの!」こうして始めたボランティアも、気付けば28年。長きにわたって海外ボランティアを継続できたのは、仲間という心強い存在のおかげだという。「旧友の女優・吉行和子さん(83)や『金八先生』第6シリーズに出ていた上戸彩(33)がポンと大金を寄付してくれたり、いろんな人が協力してくれました。私には“ニセ娘”がたくさんいるんです。私の身の回りの世話をしてくれるスタッフが日曜日だけおらず、私ひとりになるのを心配して、毎週交代で来てくれています。それほど心配されてるんだと思えば、私もみんなを安心させる程度には元気でいなければ、と気合も入ります」いっぽうで、JHPを共に立ち上げた盟友・二谷英明さん(享年81)をはじめ、何人もの旅立ちを見送ってきた。「次は自分の番でしょうね。でも、自分の思うような生き方を貫いてきたから、それでいい。ただ、あれをやらないで失敗したと思うのはつまらないですよね。そういう意味では、もう1本、ドラマを書きたい。あとは、JHPを次世代にバトンタッチすること。でないと借金を背負って逝っちゃったような気がするから(笑)」そしてもうひとつ、やっておきたいことがあるのだとか。「いい男とハグしたい(笑)。最近、スポーツ新聞のインタビューで来られた記者さんが24歳のハンサムな青年でね。こんな風に、下心なく若い男の子と接することができるのは、この年になって良かったなと思うことのひとつなんです」そう言って、インタビュー後の撮影のため、鮮やかな赤色のリップを唇にひと塗り。「ちょっと色っぽくなったかしら」と華やかな笑顔を浮かべ、すっと居住まいを正してカメラを真っ直ぐ見つめる小山内さん。その若々しい姿は、やはり“終活”とは無縁そのもの。むしろこれまで以上に美しい花を咲かせようとするポジティブな心持ちを私たちも見習いたい――。
2018年11月22日写真左から冨士眞奈美、吉行和子手軽にできて、頭の体操にもなると、ブーム到来中なのが俳句。そんな俳句に長年親しみ、30年以上の句会歴を持つのが、女優の吉行和子と冨士眞奈美だ。プライベートでも仲よしのふたりが松尾芭蕉の「奥の細道」をたどって松島を吟行。このたび、その思い出を振り返る対談が著書『吉行和子・冨士眞奈美おんなふたり奥の細道迷い道』(集英社インターナショナル刊)となった。真逆な性格で仲がよいふたりの人生観が伝わってくる1冊だ。今回は、そんな俳句の話から故・岸田今日子さんとの思い出まで、抱腹絶倒の話を尽きることなく語ってくれた。■句をさらすことで、自分がわかることも─仲よくなられたのは、句会がきっかけとか。吉行私はもともと俳句になんて興味はなかったんだけど、あなたと今日子さん(岸田今日子)が参加していた句会に誘われて俳句を始めたのよね。ふたりの会話があまりにも楽しそうだったから。冨士そうだったわね。今、俳句ブームだけど、当時はまだ途上で。吉行あなたはずいぶん若いころから俳句をやっていて、私とはキャリアが違う。俳人の方たちにも認められているじゃない。冨士確かに俳句が面白くてしょうがない時期があったけれど、今はことさら俳句のためにどこかに出かけるということはなくなったわね。句会に参加して、与えられた季語で作るだけで楽しい。吉行句会では、誰が書いたのか明かさないのが面白いのよね。名前がわかると忖度(そんたく)しちゃうじゃない。冨士誰でも多少ルールをわきまえて作り続ければ、ある程度までうまくなる。感想を言い合って、切磋琢磨(せっさたくま)することが大事。ひとりで作ってひとりで眺めていても面白くないわよ。吉行人に句をさらすことで自分がわかることもある。冨士でも「これは絶対、吉行和子の句だ」と思った句が違ってて、すごく怒られたこともあったわよね。「私はそんな人間じゃない」って。吉行俳句には、その人の性格や考え方が出るけれど、わざと自分をはずすこともできるのが楽しいのよ。冨士あなたって、たまにとんでもないことをするから、俳句もそうなのかなって思ってしまって(笑)。泳げないのにスキューバダイビングをしたり、若いころ、ぜんそくなのにタバコを吸ったり……。─中には恋愛の句もありますが、実体験でしょうか?冨士誰かになり代わって、短い小説みたいな句を作ることもあるかな。私小説はあまりやらないわね。誰かが憑依(ひょうい)するような感じで、女優の仕事と似ているかもしれない。ただ、「これは本当にあったことね」とわかる句もあるわ。吉行実生活ではないとしても、心の中とつながってない句は書きたくないわね。お芝居と似ている。自分じゃない人を演じるけど、自分の気持ちが入らないとダメなのよ。あなたは、いつでもどこでも俳句のことを考えているの?冨士考えてないわよ。今はいつもエンゼルスの大谷翔平選手のことを考えているの(笑)。吉行大谷選手のことを「マイボーイ」って言って、1句作っていたものね。冨士ヤンキース時代に松井選手が満塁ホームランを打ったときも1句作ったわよ。スポーツ観戦が大好きだから。■今の若い俳優さんはみんな芝居が上手─冨士さんは綾野剛さんもお好きだと聞いたのですが……。冨士え~!?そんなことを言った覚えはないのだけれど、綾野剛さんは身体の線がキレイね。色気がある。今の若い俳優さんはみんな芝居が上手。昔の二枚目の俳優さんは二枚目の役しかできなかった。吉行私も綾野剛さんの芝居、好きだわ。若い俳優さんは、みんな自然に芝居ができちゃうのがすごいと思う。どんな役でもこなせる人が多い。菅田将暉さんなんて、すごく魅力的だったわ。冨士あの人はうまいわね。吉行NHKの朝ドラ『ごちそうさん』で一緒だったんだけど、当時はまだ有名でなくて、それでもうまい子だなと思った。でも、女優さんはうまくてイキイキしていても、私生活が影響してダメになるパターンも多い。冨士また、時を経て、いい役者になってくることもあるわね。実生活がその人のどう糧になっているかがわかる。吉行長い人生だから、どれだけ鮮度を保てるかが勝負ね。冨士でもあなたは、いい男といい役柄だったら、役を選ぶタイプだもんね。吉行現場にいるときがいちばん居心地がいいの。私自身でいるより誰かの役をやっているほうが落ち着いて、ここが居場所という感じがする。■リフォームした台所を使わない─お互いに、ご自宅を行き来したりすることはあるのですか?冨士うちは近いの。歩いて15分、走って10分。吉行走らないわよ。転んだら危ないから。おうちを新しくしたときだけ呼んでもらったわよね。1回だけ。冨士この人は1度も家に入れてくれないの。男のためかしれないけれど、きれいにしているらしいわ。気に入った布地を天井にまで張ったりして、お兄さんの淳之介さんが入ったときに驚いたとおっしゃっていた。台所をきれいにリフォームしたけど、汚れるから使わないのよね。それでおいしいたくわんをもらっても、匂うからそのまま1本丸かじりしたって。吉行おいしかったわ。冨士そういえば、有名な話があるわよ。あなたが俳優のKさんにだけは「何もしないからおいでよ」と家に誘って、断られたって。吉行Kさんはまじめだからね。冨士「何もしないから」って言ったのが余計だったんじゃない?(笑)彼が亡くなったときはがっかりして、私も3句ほど作ったわ。とてもいい人だったわよね。吉行あなたはお母さんが亡くなったときも、悲しみを俳句に託して、少し気持ちを抑えたりできる。私にはそれができなくて、母が亡くなっても俳句とは結びつかないの。俳句への関わり方がやっぱりずいぶん違うと感じる。冨士でも、あなたのお兄さんは亡くなる前、私にすごくいいお手紙をくださったのよ。「和子とせいぜい遊んでやってください」って書いてあったの。その手紙を「あげる」と言ったら、あなたは「いらない」って。吉行そんなことを考えていたのかとわかっただけで十分。でも、誰にでも心を開けるあなたの性格はすごいわよね。冨士これでも好き嫌いはあるのよ。吉行そうなの?知らなかったわ。冨士みなさんもわかると思うけど、この人と付き合うのは大変なんです(笑)。吉行よくがんばって付き合ってくれていると思う。冨士人間としてのあるルール、一線を越えない関係を尊重しているから長く付き合っていけるのよね。吉行女の人って、すごく仲がよかったのに、突然、敵みたいな関係になることがあるじゃない?あれは付き合い方がまずかったのよね。お互いに入り込みすぎちゃダメ。■貴婦人は、野性的な男がお好き!?─岸田今日子さんと3人でよく旅行もされていましたよね。吉行3人の旅はただただ楽しかった。みんな全然、性格が違うから。冨士この人はどこの国に行ってもマッサージを探しにひとりで夜出かけちゃうの。心配になって探しに行ったこともあったわ。吉行大丈夫なのに。旅行に行っても夕食後は別行動なのよね。あなたはお酒を飲むけど、私と今日子さんは飲まないし。そういえばあなたは、ハワイ島でおじいちゃんに惚れられたじゃない。冨士孫が17人いるロバートさんね。あなたと今日子ちゃんはヘリコプターでキラウエア火山を遊覧して。私は怖いから絶対乗らなかった。ジープで川を横断したりとか。その運転手がカッコいいって、今日子ちゃんが。吉行今日子さんはああいう激しい感じの物事や人が好きだったわよね。雰囲気と違ってね。冨士貴婦人は野性的な男を好きになるの。貴婦人といえば、今日子ちゃんは『ミス・マープル』の吹き替えを担当していたけど、声で自在に表現できる人だから、本当にうまいなと思ったわ。吉行本当に楽しかったわね、3人でいると。─最後に、今回の本の中から3句ずつご紹介を。冨士あなたの句では「雪解道(ゆきげみち)男の腸を踏むごとし」がいちばん好き。嫌いになった男ってそんな感じでしょ。吉行雪が解けてきて、土で黒くなって汚くて、腸というものは長いと聞いたな、と思いながら長靴で歩いているとき、できた句よ。冨士私たちって別れるまでは尽くすけど、別れたら未練はない。ふたりとも人生金持ちには縁がなかったわね。家電製品を買ってあげたり、貧乏な人ばっかり(笑)。吉行でもあなたには今、大谷君がいるじゃない(笑)。■ふたりの自選3句吉行和子俳号・窓烏(まどがらす)白桃や優柔不断もやさしさか恋心消えれば他人夾竹桃魂よ気儘に遊べ鳳仙花冨士眞奈美俳号・衾去(きんきょ)流れ星恋は瞬時の愚なりけりなにほどの男かおのれ蜆汁母を拭きし盥の水を打ちにけり<プロフィール>吉行和子(よしゆき・かずこ)◎東京生まれ。1957年舞台『アンネの日記』で主演デビュー。1978年『愛の亡霊』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。1984年エッセイ集『どこまで演れば気がすむの』(潮出版社)で、日本エッセイストクラブ賞。2014年『東京家族』で日本アカデミー賞、優秀主演女優賞受賞。冨士眞奈美(ふじ・まなみ)◎静岡県生まれ。三島北高等学校卒。俳優座付属養成所卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。出演作はドラマ『細うで繁盛記』、映画『切られ与三郎』『小林多喜二』など。2000年『ろくでなし』(文春文庫)『恋よ恋歌』(中央公論社)など小説を刊行。句集『瀧の裏』(深夜叢書社)を出版。「俳壇賞」選考委員。(構成/紀和静)
2018年09月29日モデルでタレントの岩本和子が7日、東京・八重洲ブックセンターで写真集『神秘』(発売中 3,240円税込み 光文社刊)の発売記念イベントを行った。写真集『神秘』の発売記念イベントを行った岩本和子モデルや美容家として活躍した後、39歳でグラビアに活動の場を広げると、週刊誌各誌で"大人グラドル"と呼ばれて話題を集めた岩本和子。現在42歳ながらも上からB83・W60・H85(cm)という抜群のスタイルに加え、Cカップの美乳で男性の視線を独占している。そんな彼女が待望の1st写真集をリリース。初めての写真集でいきなり全身ヌードやセクシーなショットを惜しみなく披露するなど、奇跡の肢体と美ぼうが官能の世界へと誘う。取材会場にウエディングドレス風の衣装で登場した岩本。その理由を「私は自分のことを愛しすぎて大好きなんです。この写真集と自分自身が結婚するというか、今日はお嫁に行くつもりでこの衣装にしてきました」と説明し、「すごく嬉しいですね。もう毎朝起きて読み、ランチの後にも見て、寝る前にもジロジロと見ています。本当にありがとうございました」と初めての写真集に感激しきりだった。そんな同写真集は、今年2月に訪れたというドバイでロケを実施。「(読者の)男性に対してドバイという夢の国でエロい私と夢のトリップをしている感じです。不倫とかスポンサーではなく、純粋な恋愛として私を抱いていただけたらうれしいですね」とコンセプトを紹介しながら、「お気に入りはコルセットを着た写真です。拘束というか締め付けられるのがプライベートでも好きで(笑)。衣装として気に入っています」とアピールしていた。42歳とは思えないスタイルと美ぼう。その秘訣を「普通に運動とか水を飲んだりしていますが、私は妄想の中で生きています。5~6年間恋愛をしていませんが、常にときめきながら女性フェロモンが溢れているからでしょうか」と妄想が大事だという。42歳ということで結婚に対する危機感をいだていると思いきや「ないですね(笑)。このまま自分の世界で夢を見ながら生きていければと思っています」とあくまでもマイペースで、恋愛に対しても「ほとんど引きこもっていますし、恋愛や男性に対する幻想が激しいので。将来は言葉の通じない国の王子様と恋愛できればと思っています」と妄想から離れられない様子だった。
2018年06月08日