吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『整えること』から未来が見える家の中で、仕事部屋の引越しをしました。これが、とてもとても大変。これまでの作品たち、CD、本、掲載誌、そして資料……そこに娘の作文や連絡ノートなどが混在し、まさにカオス。なぜこんなものをとっておいたのだろう……というものから、なんでこんな大切なものをこんなところに!というものまで。なんだ、ここにあったのか……と安堵したこと、若い頃の書き物を読み返して速攻で破棄したものまで、それは自分が歩んできた道を辿るような片付けでした。カオスの中から、デビューした頃のアーティスト写真を見つけました。今と同じボブスタイルの髪、少し上目遣いで写っているモノクロの写真。何枚かあったと記憶していたのですが1枚、本の間から出てきました。25歳の自分の未来は、すっかり私の過去になりました。実は、しばらく前からこの写真を探していたのです。なぜだかわからないのですが、未来を知らない自分に会ってみたくなった……というのでしょうか。たくさんの歌詞を書き、小説やエッセイを書き、よくひとりで旅をしたもの。時に悩んで、落ち込んで、でも立ち上がることを諦めずに。いいとか悪いではなく、今の自分にとって何が最善なのだろうかと模索しながら生きた未来が、そのモノクロの写真の中にあるのです。これからの自分への勇気づけでしょうか。いま、この瞬間の自分の中にも、これからの未来があることを確認するために。25歳、作詞家デビューした頃。素敵な未来しか思い描けなかった頃です。ものを整理する。自分のいる場所を整えるというのは、心を整えていくことでもあります。本当に必要なもの、心が湧き立つものはなんなのか。執着していたモノと共に、心の執着を手放す。ものを減らしていくことは、本当に必要なもの、大切なものを知ることでもあります。自分が亡き後を考えると、ミニマリストであることが望ましいかもしれません。自分自身にとっても、残された人たちにとっても。今回仕事部屋を整え、ごっそりと不要な書類や本などを処分して思ったのは、自分が心地いいと思う空間に身を置くことの大切さ、そして自分が好きなものと共にあることの楽しさです。心地よく、楽しんで、自分を生かしながらこれからの未来を創っていく。本の間から出てきた『25歳の私』は、示してくれました。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月30日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。喜ばせ上手、喜び上手もしもこの世界にたったひとりきりだとしたら。その世界には必要とするもの以上の豊かさがあり、誰にも束縛されない自由があるとしたら……。ありえない仮定ですが、極端に考えることで改めて気づくことがあります。どんなに豊かで自由であっても、人はひとりでは生きていけません。決して豊かでなくても、わかちあえる人がいて、ささやかなことも喜び合える人と共にいられること、プレゼントをする人がいるというのは、本当に幸せなことです。その人を喜ばせたい。誕生日やクリスマス、記念日だけでなく、ちょっとしたお礼のものを選ぶときも、どんなものが喜んでもらえるか考えます。喜んでもらいたい……これは『愛』だと思うのです。喜ばせたいという思い。相手のことを思い、何かを差し出す。プレゼントもうれしいですが、その思いがさらにうれしいものです。サプライズも、喜びと驚きが倍増します。2年前、夫が還暦にお祝いに何を贈ろうかといろいろ考えました。記念になるもの……それは形のあるものでなくてもいいのではないか。二人で食事に行くという設定で、実はレストランには夫の親しい友人たちに内緒で集まってもらいました。山口県の徳山から、神戸から、名古屋、福井から、東京の忙しく仕事をしている友人たちも集まってくれました。当日出席できなかった友人たちのメッセージのスライドショー。夫のこれまでの歩みをまとめたスライドショー。その夜鍋仕事は、とても楽しかった。夫に喜んでもらいたくてやっていたのですが、実は私も大いに楽しみました。サプライズやプレゼントが愛だとしたら、与えている私も愛を受け取っていたのでした。つまり、「与える」ということは、「与えられる」こと。また「与えられている」から、「与える」ことができるのです。「自分が蒔いた種は自分が刈り取る」という言葉があります。ネガティブな意味で語られることが多い言葉ですが、逆もまた真なり、良い種を蒔けば良いものが実るのです。相手を褒めることも、ユーモアで人を和ませるのも愛です。ささやかな心遣いも、ちょっとした親切も愛です。そう考えていくと、愛は私たちの日常の中に散りばめられている。気づかないうちに、言葉にしないうちに、やっていることなんですね。喜ばせ上手、喜び上手になりましょう。喜ばせることも、喜ぶことも愛です。それは私たちの中でくるくるとめぐり、社会全体をふわりと優しくするでしょう。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月23日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。そこは坂道だった〜小さな発見の大きな気づき駅前の銀行に行こうと、信号待ちをしている時のことでした。その小さな交差点は5叉路になっていて、横断歩道から続く道は狭い道です。郵便局がその先にあるので、これまで何度となく歩いた道でした。信号が変わるのを待っているとき、ハッと気づいたのです。目の前の狭い道は、緩やかな坂道でした。緩やかなので気づかなかったとは言え、この交差点で何度も信号待ちをしています。この街に住んで30年、そこが坂道だったことにも驚きましたが、今になって気づいたことに驚きました。「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」ユリウス・カエサルの言葉です。人間の脳は、いま興味のあるもの、意識していることしか見えないようにできている。つまり、見たくないものは視界に入らないようにできているそうです。例えば、お腹が空いていたら食べ物屋さんの看板ばかりが目についてしまうということはないでしょうか。これは実際に目に見えることだけではなく、無意識のうちに避けている問題もあると思います。さて、30年目にして初めて郵便局への狭い道が坂道だと気づいたわけですが、改めて「物事を見る、感じる」ということについて考えさせられました。見ているようで、見落としていることがたくさんある、ということです。カエサルの言葉を気づきのきっかけとするならば、見たくないものの中に大切なことがあるかもしれません。先延ばしにしてしまうことも、必要なことであったりします。これは、『ものの見方』にも通じます。小学校受験の勉強の一つに『四方見』というものがあります。ものを正面から見る。上から見る。斜めから見る。下から見る。それぞれに違う形をしています。日々、私たちが体験することも同じように、自分の立場からだとこう思う。でも相手の立場に立てばどうなのか。自分の人生においての意味はどうなのか。などと様々な角度から眺めてみると、その体験したことの意義が見えてくるのです。自分の可能性を広げる意味でも、見識を広める意味でも、目を転じてみよう。5月の朝の、駅前の交差点での発見は、大きな気づきになりました。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月16日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。無理せず、自分に優しく「好きなこと」を気づくと、多くのことを求めていない自分がいます。「気づくと……」というと唐突ですが、あるときふっと思ったのです。こんなことも、あんなことも……とアイディアをめぐらせていた自分はどこへ行ったのか。制限が多くなっているこの状況の影響なのか。今はできるだけ心地のいい環境に身を置こうと努めている自分がいました。つまりそれは、心のざわつきから自分を守ることでもあるのです。自分のいる場所を『楽園』にする。家だけでなく、自分がその都度いる場所を『楽園』にする。一年以上続いているコロナ禍は私たちの生活を一変させました。この不自由さの中で自由にできることは何か。それは、まず自分が変わり、自分で環境を変えていくこと。自分のいる場所……仕事場、人間関係、気持ちの持ち方を心地のいい『楽園』にすることです。自分にかかっている負荷を取り除き、ささやかでも楽しめることの中に身を置いてみる。困難なことを抱えている中で『楽しめる環境』を作る。それにはまず家、部屋を整えることから始めます。無理はしない。とても簡単にできることから始めます。たとえば、掃除をして、花を一輪でも飾る。花は美しいだけでなく、生きているエネルギーがあります。花を見て、嫌な気持ちになることはありません。ふっと疲れたときに花に目をやることで、気持ちも目も安らぎます。花を選び、自分で生けるとき、雑念が取り払われます。花と向き合い、花がさらに美しくなるように試行錯誤する。花に寄り添う感覚が生活を活性化させるのです。おいしいものを食べる。これも生活を楽しくする一つです。おいしいものをおいしく。美食をするということではないのです。ささやかな料理でも、好きなお皿にのせて。一手間をかけて。テイクアウトの料理でも、お皿に移し替えるだけで、ご馳走に見えてきます。音楽を聴く、アロマを焚く。きれいな花が咲いている道を選んで散歩する。公園でぼーっとする時間を持つ。美術館に足を運ぶ。好きな音楽を聴く。自分がリラックスできること、楽しめることに集中する。中でも、五感を働かせることは、感性を高める刺激になります。いまの状況を嘆くばかりでなく、新しい楽しみ方を見つける機会に変えていきましょう。とにかく元気でいること。おいしいものをおいしく楽しくいただけること。家族が仲良く、元気でいること。細々でも自分を生かせる仕事をし、いまだからこそ感じることを作品にしていくことに心を向けています。料理やインテリアなどの動画を見て生活に取り入れてみたり。多くのものを求めずとも、人生が少しでも素敵になるアイディアを取り入れていくことで、私のいる場所は『楽園』になりました。無理をせず、自分に優しく。そうすることで、人との関係も優しくなっていくのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年05月02日「13~14歳のある日、ジャニーズ事務所から電話がかかってきたことで僕の人生はひっくり返りました。デビュー後は、家族も親戚も、田舎の町中が大騒ぎに(笑)。もしジャニーさんが僕の履歴書の小さな写真を見つけてくれなかったら、今ごろ何をしてたのかな」17年12月、本誌にこう語っていたのは近藤真彦(56)。事務所の創業者である故・ジャニー喜多川さん(享年87)に才能を見出され、いまやジャニーズの“長男”に。しかし、4月30日、40年以上連れ添ったジャニーズ事務所を退所することを決断した。退所に際し、「思えば金八先生から始まり、新人賞、レコード大賞、紅白歌合戦、映画と数々の貴重なお仕事をさせていただき感謝しかございません」と事務所への思いを寄せた近藤。そして、「ありがとうジャニーズ ありがとう素敵な後輩達 ありがとうジャニーさん」と結んでいる。「マッチさんは79年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒・星野清役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦さん(60)や野村義男(56)さんと共に『たのきんトリオ』として活躍し、80年12月に『スニーカーぶる~す』でソロ歌手としてデビューを果たしました」(芸能関係者)そんな近藤は、これまで本誌でジャニーさんとの思い出をいくつも語ってきた。デビュー以降、ヒット曲にも恵まれ、瞬く間にスター街道を駆け上がった近藤。そして87年に発表した楽曲『愚か者』でレコード大賞を受賞した。その当時、ジャニーさんも大喜びだったという。「あの年はすべての賞レースをとってきたのに、レコード大賞だけは無理だと言われていて、ものすごいプレッシャーでした。だから、初めてうちの事務所でレコード大賞が取れたときは、ジャニーさんとメリーさんもとっても喜んでくれましたね。2人ってね、田原(俊彦)くんが賞を取ったときは僕とご飯を食べて、僕が取れたときは田原くんのところに行くんですよ。そういうフォローってすごくありがたかった」(20年12月1日・8日合併号)■「僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな」近藤は、84年からレーサーとしての活動もスタート。アーティスト活動との兼業は当時かなり異例のことであったが、そこにはジャニーさんの“教育術”もあったようだ。「(ジャニーさんには)とにかく臨機応変というのを教わりましたね。形にとらわれず、マニュアルにあえて従わず、という柔軟性が大事だと。1、2、3だけが正解じゃなくて、1、2、5もいいじゃない。いまは自然にそう思えるようになりましたね」(20年12月1日・8日合併号)さらに彼は17年12月、ジャニーさんが命名した楽曲『軌跡』をリリース。その当時、彼は本誌でジャニーさんからの言葉を明かしていた。「ジャニーさんからは『年齢的にも、一度人生を振り返ってもいい時期。これまで歌手とレースの二足のわらじを履いて走ってきたマッチだから、車偏の付く“軌跡”をテーマにしたらいいよ』と言ってもらいました」そして「今回ジャニーさんから『軌跡』というテーマをもらえたことで、少し僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな、とうれしく感じました」と、“師”から認められた喜びも明かしていた。ジャニーさんに支えられてきた近藤。貴重な思い出を胸に旅立った彼の次なる道はいったい――。
2021年04月30日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。思い出をつくる時間3ヶ月に一度、父の病院の検査、診察に付添います。待ち時間の長い二つの科を受診するので、その日はほぼ1日仕事になることは覚悟です。そんな病院通いの日のお楽しみは、帰りにおいしいものを食べること。外食しづらいこの状況の中、一人暮らしの父の気分転換にもなるようです。これまで何度か病院に付き添い、食事をして帰りました。あるとき、ふと思ったのです。もしかしたら、これは父と過ごせるいい時間なのかもしれない。もしかしたら、かけがえのない時間なのかもしれないと思いました。時間は限られています。お互いに、いつ何があるかわからない。私たちはそんな不確実な時間を生きているということを忘れてしまいます。90歳の父は、おそらく自分に残された時間について切実に考えているでしょう。「ママの七回忌の法要は自分の手でやりたい。十三回忌はできないだろうから」あるときふと漏らした父の言葉に淋しさを感じたと同時に、人生を生ききる矜恃を感じたのです。その矜恃に寄り添うこと。それが90歳の父が安心していられることだと思いました。思い出してみると、母が元気だった頃、母と出かけるたびに『限りある時間』を感じていました。もう30年前ですが、母と上高地へ行き、梓川沿いを歩いたことがあります。その頃母はまだ50代だったか。うれしそうな笑顔の写真を見返してみると、あの時間がかけがえのないものだったことを思います。人生、楽なことばかりでない。次々と困難を乗り越えていくこの人生という流れの中で、ささやかなことにも感動し、うれしく思い、大切にできる時間を過ごせること。そんな思い出たちは、生きていく力の一つなのかもしれません。今月の父の付き添いの帰り、父の大好きなうなぎを食べ、サントリー美術館で開催されている『日本絵画の名品』展を観ました。日頃芸術に触れることのない父は、ゆっくりと、一枚一枚の絵をじっくりと鑑賞していました。その後ろ姿を眺めながら、私と父の時間を思い出が刻んでいくのを感じました。思い出をつくっていく。私も振り返る時間がずいぶん多くなりました。人生という物語、たくさんの思い出で豊かであるように。いま、この一瞬を大切に過ごしていくことです。それが病院の待合室であっても、一枚の絵の前であっても。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月25日「同世代のスターの中でも、明菜ちゃんは別格中の別格。彼女が今、表舞台で活躍していないことが残念で仕方ないよ!」食事の席で田原俊彦(60)は熱く語り続けた――。田原と仕事関係者たちが食事をともにしたのは2月下旬だったという。田原をよく知る芸能関係者はこう語る。「その席で中森明菜さん(55)のことが話題になったのですが、それでトシちゃんにスイッチが入ってしまって……。ついには『俺がこれから明菜ちゃんに電話をかけるよ!』と言いだしたそうです」明菜と田原は同じアイドル全盛の時代を生きてきた“戦友同士”だ。「`80年代は『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』など大人気の歌番組が多数あり、トップアイドルたちは毎日のように収録で顔を合わせていました」(’80年代に詳しいライター)トップアイドルとして’80年代を駆け抜けた2人はお互いにシンパシーを感じていたのだろう。その交流は途切れ途切れながらもずっと続いていたようだ。’17年2月には田原が『爆報!THEフライデー』(TBS系)で、明菜から『トシ、元気?いつも見ているから』という内容の留守電が入っていたことを明かした。そんな2人の現在の活動状況は対照的といえる。「田原は今年2月に還暦を迎えましたが、4月25日には60歳アニバーサリーライブを開催予定。いまなお精力的に活動中です。しかし、明菜は今年5月からデビュー40年目に入りますが、’17年以降、表舞台から退いたままです」(音楽関係者)前出の芸能関係者は、「体調が悪いとはいえ、トシちゃんとしては明菜さんが不遇の日々を送っていることが許しがたい気持ちもあったのでしょう。食事の席での会話がきっかけとなり、明菜さんへの思いがあふれ出したようで、トシちゃんが『明菜ちゃんに電話をかけて復帰するように言うよ』と……。突然の宣言に同席者たちが驚くなか『俺なら口説けるから!』と自信を持っていたそうです」仕事関係者たちが見守るなか発信ボタンを押す田原。だが30秒後、「あれ、出ないね」と、バツが悪そうにポツリ……。同席者らは押し黙るしかなかった。「結局その食事が終わるまで、明菜さんから返信はなかったそうです」(前出・芸能関係者)明菜がまさかのガン無視!?だが、その後に折り返しがあった可能性もある。本誌が田原の所属事務所に問い合わせてみると、明菜に電話をかけたことは認めたものの、「(明菜さんからの)電話はありませんでした」そう答えた。古い友人からの電話にも応答しないとは、明菜の体調はそれほど悪いのか?田原の思いが通じ、歌姫が表舞台に舞い戻る日は来るのか――。「女性自身」2021年5月4日号 掲載
2021年04月19日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。苦手なことが夢につながる好きなことを、思う存分楽しめたら……。きっと一人ひとりの人生はもっと輝く。先日、参加している合唱団の発表会で、ソロでイタリア歌曲を歌う体験をしました。この体験は、私にとって40年の年月を超えた夢の実現でした。夢は叶う、叶えようと思って行動すれば叶うということを実感したのです。私は、40年間、歌うことを封印してきました。中学の音楽の試験で失敗し、とんでもない成績を取りました。私は音楽が苦手。絶対に人前で歌わない。15歳の時に、こう決めたのです。作詞という音楽制作の世界にいながら、本当にもどかしい思いをしました。もっとも、その思いも、自分の『思いこみ』に過ぎないのです。恥をかくことから自分を守る『封印』は、心と行動を萎縮させたのでした。何の本で読んだのか、出典は忘れたのですが、「自分の本当の声は、体全体を使う声楽の発声による声である」という文言に出会いまいました。……ということは、私はまだ自分の声に出会っていない。このとき、自分の声に出会いたいと思ったのです。それが6年前。ちょうどそのタイミングで友人がコーラスを始めるということで、合唱団にお誘いいただいたのでした。最初は、それはもう……惨憺たるものです。声は出ない、音域は狭い。声はかすれる。音程は取れない。それでも、声を出すことの楽しさに惹かれました。グループレッスンの前に個人のレッスンを受け6年、やっとやっとお客様の前でひとりで歌うことができたのです。苦手なことほど、実は心からやりたいと思っていること。苦手だと思い込んでいるということは、それができたらどんなに素敵だろう、と思っているのです。私は絵も下手です。絵心がないのか、空間認知がうまくできないのか。でも、絵を描けたら素敵だろうなあと思います。憧れているにもかかわらず、ネガティブに思いこんでしまうことで自分の世界を狭めているのですね。やりたいと思うことをする。楽しいと思うことをする。やったことのないことにチャレンジしてみる。やってみなければわからないことがたくさんある。苦手だと遠ざけていたことが、夢の入口なのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月18日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。寄り添うという距離感人はみんな孤独。こんな言葉をよく聞きます。孤独という言葉には、抗うことのできない深い闇がありそうで、受け入れられないと思う人もいるでしょう。孤独とはどういうことか。例えば、自分の肉体的な痛みを、誰とも分かち合うことはできません。どんなに痛くても、わかってもらえないし、わかってあげられない。悲しみも、寂しさも、その人のものです。ひとりで引き受けなければならない。そこに孤独を感じます。私は昨年の夏に右手首を骨折し、プレートを入れる手術をしました。右手を使えるようになりましたが、10ヶ月近く経った今も痛みがあります。それも、ちょっとした手首の角度とか衝撃で、叫びをあげたいくらい、痛いのです。誰にもわかってもらえない痛みを通して、人の痛みに寄り添うことの大切さを学びます。その痛みも悲しみも丸ごとわかることはできないけれど、痛みや悲しみがあることをわかって心を寄せることはできるのです。これが命に関わること、また深い悲しみであれば、その孤独感は想像を超えるでしょう。ひとり息子を病気で亡くした友人がいます。友人を慰める言葉は見つかりません。何を言っても、それは友人の心には届かないからです。ただただ、彼女の涙を受けとめるだけです。悲しみを語る言葉に耳を傾けるだけ。その語る言葉さえ、悲しみの欠片でしかないのです。「神様と約束した時間だったんだね」最愛のパートナーを亡くした友人にそう声をかけたことがあります。彼女は、その言葉に慰められ、そう思えるようになったと後に話してくれました。『神様と約束した時間』……数年前に親友が亡くなったとき、こう思うことで、喪失感を受け入れることができたのです。これは、私が、私の中で作った『物語』です。このように解釈することで、悲しみを癒すことができる。心は、悲しみから守るように、このような『物語』を作るそうです。生きていくために私たちに備わった心の機能なのですね。自分と同じように、誰もが誰とも分かちあえない思いを抱いている。従兄弟が亡くなったときのこと。自分が気づいてあげていればよかったと自分を責めて泣いていた従兄弟のお嫁さんを思わず抱きしめていました。二回しか会ったことがないのですが。抱きしめながら、彼女の悲しみではなく、悲しんでいる彼女をしっかりと感じたのです。寄り添うという距離感。分かちあえないからこそ、その距離感に愛をこめる。そこに優しいつながりができていくのではないかと思うのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月11日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。高齢の父を支える言葉「役に立っていたい」90歳でひとり暮らしをしている父の言葉です。朝、5時には目が覚めてしまう父は、6時には私の家に来てカーテンを開け、新聞を取り込み、ゴミの日にはゴミを出してくれます。植木に水をやり、玄関先を掃除して。1日5000歩歩くことを決めているので、散歩がてら私の家、妹の家をまわるのです。6時には起きられないので、滅多に朝いちばんで父に会うことはないのですが、父のルーティンは生存確認。カーテンが空いていないと胸騒ぎがして、すぐに電話をするのです。これも、父の「役に立っていたい」という思いの現れ。冬の寒さが厳しい時期に、無理して朝早く来なくても大丈夫と伝えても、まだ暗いうちにやって来ます。「暖かくして出るから大丈夫」と言って、こちらの心配を受け取ってくれません。「決めたことをやらないと、一気に弱っていく気がする」役に立っていたい。決めたことをする。これが、高齢の父を支えるルールなのです。マンションの小さな庭に畑を作り、夏にはプチトマト、なす、ピーマン、ゴーヤ、オクラなど、秋から冬にかけては水菜、小松菜、ほうれん草など。自分が食べる分だけではなく、私の家、妹二人の家にたくさん分けてもらいます。小さな畑作りも父の楽しみ、生きがい、そして私たちに食べてもらいたいという思いがエネルギーになっているのだと思います。生きているということ。ここにいるということ。これが私、ということ。若い頃に『存在証明としての何か』を求めていたように、年齢を重ねるほどまた『生きている証』を求める。若い頃は外に向けての思いだったのが、高齢になると自分に向けての思いになる。私も、作詞をしたり文章を書いたり外に向けて発信していますが、と同時に自分自身に向けての言葉を綴りたい衝動を覚えることがあります。いつか、肉体的に人の支えなしでは生きられない時が来る。その時であっても、生き方を見せていくことはできるのではないか。どんなふうに老いていくのかわかりません。昔の自己愛の強い、時に無茶苦茶なことをした父の姿が幻のような、優しく穏やかな父を見ながら、一生懸命に自分を支えながら生きることを学ぶのです。あ、父のことをこうして書いていたら、父が来ました。植木の手入れをしてくれるそうです。こんな小さな時間が宝物になり、私のことも支えてくれるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年04月04日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。旅と料理と日常と〜ぼーっと観る動画なら海外に行くことが、すっかり夢のようになってしまいました。昨年、成田空港に迎えに行くことがあったのですが、ゴーストタウンのようでした。今もその状況はあまり変わらないのではないかと思います。ボードに『欠航』という文字が続いているのを見ると胸が痛みます。そんな中、YouTubeでいろいろな旅をしている人の動画を見つけました。鉄道マニアの男性が寝台列車を紹介する動画。設備やサービスのレポートも何ということはないのですが、ついついぼーっと観てしまいます。船旅愛好家の動画も同じように、ただ目的地へ着くまでの淡々としたレポートを。そこに特別な何かがあるわけではないのですが、寝台列車でどこか行きたくなり、フェリーの旅をしたくなる。なぜか旅心を誘われます。飛行機に乗っているだけの動画もあります。ビジネスクラス、ファーストクラスのレポートだけで、観光案内などはありません。海外のガイド的な動画よりもそこへ向かうまでの動画を観てしまう。自由に動けないこの状況の中、目的地はあまりにも遠く感じます。そこへたどり着くまでの列車、船、飛行機に、旅の『ロマン』を感じるからでしょうか。空港に着いたとき、新幹線に乗ったときのちょっとした高揚感。そんな旅の始まりをわくわく感が、いまの私には心地いいのです。また、淡々と朝のルーティンをこなしている動画や、きちんとした毎日の暮らしを紹介している動画もついつい観てしまいます。登場する女性たちの暮らしぶりは実にシンプルで、流れるように家事をこなし、仕事に出かけていく。自分の暮らしぶりの何と雑なことか!反省しつつ、大いに暮らし方、時間の使い方の参考になります。また料理研究家やレストランシェフの料理動画もよく観ました。面白いことに、このような暮らし方や料理の動画を観た後、家事の手際がよくなるのです。私なりに流れるように動いている。使ったそばから調理道具を洗い、段取りも無駄がなくなっている。やはりイメージが意識の中に取り込まれているからなのでしょう。ぼーっと観ている動画、ポジティブになるのも時間の無駄にしてしまうのも……自分次第です……。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年03月28日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。伊勢丹に香水を「伊勢丹に香水を買いに行きたい」母が脳梗塞で倒れる前、何度もこんなことを言っていました。その頃すでに一人で歩くのが難しく、介護老人ホームでお世話になっていました。耳下腺あたりに悪性リンパ腫ができ、骨を1センチほど切除しました。そのために顔が少し歪んでしまいました。整形手術をしたい。入れ歯を作り直したい。高齢の母が再度手術をするのは負担が大きすぎます。顔のバランスが左右で違ってしまったので、入れ歯を作り直しても合わないのです。本当にかわいそうだったのですが、母の希望を叶えることはできませんでした。一つ一つの願いをあきらめていったのだと思います。そんな母が倒れる前に言い始めたのが「伊勢丹に香水を買いに行きたい」でした。介護老人ホームから伊勢丹まで車で1時間少しかかります。妹も私も忙しく、なかなか時間が取れずにいました。また、母が我がままを言っている感もあり、ああ、またか……と思ってしまったのも正直なところです。伊勢丹で香水を買いたい……そんな本当にささやかな願いを叶えてあげることもできないまま母は脳梗塞で倒れ、2ヶ月後に旅立ってしまいました。なぜ香水だったのか。老いと、不本意であっただろう術後の外見のこと。美しい香りを纏いたかったのかもしれません。小さな個室に残っていたエルメスの香水瓶は、ほとんど空になっていました。この母の願いを思い出すたびに、胸が痛みます。老いていく自分をどう支えるか。老いてみなければわからない心情であり、それぞれに見いだしていくことなのでしょう。それは、一生懸命に生きようとしている姿勢でもあるのです。自分を支えようとしている親の気持ちを尊重すること。香水を買いに行きたがった母が教えてくれました。90歳で一人暮らしをしている父は、毎日5千歩歩くこと、週に2回体操に行くこと、本を読むことを日課にしています。少し前までは1万歩だったのですが、さすがにそれは多すぎます。父は頑ななまでに、このルールを守るのです。冬の極寒の朝6時からでも、暗い中を歩くのです。父は、決めたことをできなくなるのが怖い、と。この思いを尊重することが、高齢の父の人生に寄り添うことだと今は思っています。老いていく自分を支えるために……。それは、「生ききる」ための覚悟なのかもしれません。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年03月21日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。旅の始まりに〜豊かさは心の中に羽田から2時間の南の島。レンタカーを借り、さらに南へ走ること2時間。ほぼ一本道の国道を海沿いに走り、さとうきび畑が広がる中を走り、ただただ長閑な風景の中を走っていきます。国道沿いにぽつぽつとカフェがあったり、お土産屋さんがあったり。どのお店も閉まっていたのは、このご時世だけの理由ではないかもしれません。平日だったからか、大型のスーパーマーケットの駐車場も閑散としていました。友人に会うために初めて訪れた島。到着し、荷物が出てくるのを待っているとき、観光案内のビデオの中で青年が歌う島唄に、なぜか懐かしさで胸がいっぱいになりました。遠い郷愁のような。三線の音色に、胸の奥の弦が弾かれるような。不思議な気持ちになりました。3、40分走るとその島の中心地近くに差しかかりました。建物は風雨にさらされ、コンクリートは黒ずみ、壁のタイルも剥げ落ち、人もあまり歩いていない。寂れた感が漂っています。時の流れから置き去りにされてしまったような町。でもそのときふと、(この島に住めるかもしれない)と思ったのです。なぜか、そんな思いが湧き上がりました。そして、住める可能性を考えてみました。何を不足と思うか。究極、そういうことなのではないか。都会で生まれ育ち、何もかもが手に入る、何もかもが便利で、刺激的で、友達もいて、仕事もしやすい。そんな日常を送っている私が、この寂れたような町を中心に抱く島に住めるとは思えない。でも、「何を不足と思うか」と問いかけてみると、この島には豊かに暮らすことに必要なものが十分にあるように思えたのです。ものに溢れ、便利さの中で生活をしている中で、「何を不足に思うか」と考えてみる。携帯を忘れた。Wi-Fiが繋がらない。それだけで気持ちはざわざわします。ただそれだけのことで。私たちは多くの便利さを享受している一方で、許容する心の幅を狭めているのではないか。持っているものに頼り過ぎているのではないか。そんな気がしてなりません。もちろん、それが悪いというのではないのです。豊かであることは素敵なことです。でも、たとえ望んでいるような豊かさでなくても、そこにあるものの中に豊かさを見いだしていく。かたちのあるものにも。かたちのないものにも。そのような感性の柔軟性が、幸せ感につながるのではないでしょうか。町を過ぎ、山道へ。いくつもの長いトンネルと抜け、いくつもの原生林の山道の急なカーブを回りながらたどり着いたのは、初めて会ったのに「お帰り」と言ってくれる人たちの住む小さな町でした。不足どころか、胸からあふれんばかりのぬくもりに包まれた場所でした。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年03月07日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。VS食洗機〜自分を笑うと楽になる食洗機にお皿を並べるとき、なぜか挑戦的になっている自分がいます。「この油汚れは落とせるか?落とせるものなら落としてみよ」もちろん、汚れはさっと水に流してから食洗機に入れます。ご飯茶碗はスポンジで洗ってから。あともう少し頑張れば、普通に洗い終えるくらいでしょうか。でも、少し、食洗機のために汚れを残します。一方夫はほとんど汚れを洗い落としてから食洗機に。食洗機の一つのメリットは、手で洗うよりも少ない水の量で洗えること。それを考えると、夫の洗い方は水の量、労力ともに無駄が多いと思いつつ……甘えてお願いしています(笑)。まったく、意味不明な挑戦です。なぜそんなテンションになるのか自分でも理解不能なのですが、そんな自分の滑稽さを自覚しつつ、毎回挑んでしまいます。ここで大切なのは、自分の滑稽さがわかっている客観性です。日々の中で、私たちの中でさまざまな感情が湧き起こります。胸の奥を風が吹き渡るような寂しさもあれば、弾むような喜びや、あたたかい気持ちがあふれそうになることもあります。そんなとき、しっかりと感情を味わうことが大切だと思うのです。湧き起こる感情をコントロールすることはなかなかできません。コントロールするのなら、しっかりとその感情を味わった後でしょう。そのとき大切なことが客観性です。自分のことを眺めているもうひとりの自分。感情のみならず、自分の行動も眺めてみることです。(なんでこんなことしているのだろう)と自分と距離を取ってみることで、自分を知ることができ、必要があれば軌道修正することもできるのです。食洗機への意味不明な挑戦。本当に滑稽です。そして、自分の滑稽さを笑います。自分のしていることを笑えるのは、困難に陥ったときに大きな助けになります。感情や混乱した状況の渦に巻き込まれずに済むのです。食洗機の例から大きなテーマになりましたが、自分を眺めるという習慣を日常の中に根付かせると、ちょっと生きることが楽になります。さて、食洗機への挑戦。油汚れがピカピカになると「さすが!」と食洗機の勝利を讃えます。そして汚れが残っていたときは敗北感があり……この挑戦によって私が勝利するということはないのであります。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年02月28日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「’82年、“ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)”というキャッチフレーズでデビュー。ファーストシングル『スローモーション』(’82年)こそ、聖子ちゃんをほうふつさせる“かわいい路線”でしたが、セカンドシングル『少女A』(’82年)以降、『禁区』(’83年)『十戒(1984)』(’84年)などは、キャッチフレーズどおりの大人っぽいセクシーさとともに、不良っぽさも満載でした。それまでの『休日の予定はお菓子作りで、趣味はぬいぐるみ集め』といった、典型的なアイドル像をガラリと塗り替えたのです」そう語るのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。明菜は’81年『スター誕生!』(’71〜’83年・日本テレビ系)で、山口百恵の『夢先案内人』を熱唱。11社からスカウトの声がかかり、’82年に『スローモーション』でデビュー。圧倒的人気を誇った松田聖子に『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)などのランキング争いで明菜が挑み、ついには追い抜くというバトル的要素も、ファンを熱くした。「どうしても聖子ちゃんのぶりっ子路線を受け入れられない女子が、“明菜派”となって応援しました。正統派の松田聖子さんと田原俊彦さん、不良っぽい明菜さんと近藤真彦さん、という対比が鮮明だったのです」しかし、明菜は不良っぽいだけではない。「アイドル番組ではコントに参加し、歌番組のトークコーナーでは、10代の少女らしく、かわいらしくしゃべる姿も見せました。ただ、ひとたびステージに上がり、前奏が始まると、別人のように表情が一変する。そのギャップも魅力となったのです」明菜自身の意見を取り入れた衣装、ヘアメークなどへのこだわりにも、牛窪さんは注目している。「男性ではジュリー(沢田研二)の存在が際立ちましたが、女性アイドルでこれほど自己プロデュース力を発揮したのは、明菜さんが初めてではないでしょうか。とくに『DESIRE−情熱−』(’86年)に、卓越したセンスを感じました」一方、近藤真彦宅での自殺未遂事件(’89年)では、芸能人生の危機が訪れたがーー。「歌手としてだけではなく、そうした人間的な弱さも含めた“中森明菜”という存在に、人々は心から声援を送りました」その後も、歌に対して真摯に向き合う明菜は、40代、50代となったファンの心を、いまもずっとつかみ続けている。「10代のときに気づかなかった明菜さんのプロ意識の高さに、社会に出てから『そうか!』と気づく人も多かったはず。いち人間として尊敬されているからこそ、女性だけでなく、根強い男性ファンも多いのではないでしょうか」「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月28日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。言葉は心〜新しい価値を生み出すやまとことば『兆し』という言葉が好きです。兆し:物事が起ころうとしている気配どんな物事なのか。吉凶合わせた『物事』とは思いますが、どこか希望を感じるのです。見えてはいないけれど、勘がする。冬の寒さの中にほんの少しだけ明るさを感じる。風の片隅にふっと温かみを感じるような。あ、春に向かっている。葉を落とした木々も、寒さの中で芽吹くための準備をしている。そんなことに思いが至ると少しうれしくなる。そんなささやかな変化を捉える感性を大切にすると、日常の中に少し彩りが生まれます。『きざし』には、『萌し』という言葉もあります。『萌し』は、植物の芽生えのこと。季節を感じるやさしい言葉です。このような言葉も季節の変化を楽しみ、心を豊かにするものです。白か黒か。善か悪か。成功か失敗か。合理的な思考、合理的な解決法は確かに経済や工業に発展をもたらしたかもしれませんが、二元論だけでは解決しないことがあります。いまの世界、日本の状況を考えても、このような二元論は限界にきていると思います。限界とは、人が寛容さを失うこと。失敗を許さない世界は、人と人とを分断していく流れになるのではないかと危惧しています。言葉は心です。人の思考、心を和らげる助けになるのがやまとことばです。漢語や外来語に対する、日本の固有語です。言霊といって、言葉にはその心が宿っていると言われています。白か黒だけではない。灰色があってもいい。玉虫色もあるのではないか。曖昧と言われる空間にある人間らしさであったり、余裕、余白、味わい、心の機微がやまとことばにはこめられています。『きざし』もそんなやまとことばの一つです。『前兆』『兆候』というよりも『きざし』と言ったほうが、まろやかさがあります。または目に見えない危うさも。白か黒、善か悪だけを見るのではない、他の価値。やまとことばで考えると、新しい価値を見いだしていけると思います。たとえば『感動』という言葉。『感動』ではどのような感動だったのかは伝わりません。しかし、「心を打った」「心がふるえた」「胸を打った」「胸がふるえた」と表現すると、それがどんな感動だったのか伝わります。言葉から世界を変えられるでしょうか。言葉は心の表れ。少なくとも丁寧な言葉を心がけることによって自分の周りはまろやかになり、それは波紋のように広がっていくのではないでしょうか。その『きざし』を表すのは、いま、私たちが口にする言葉にあるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年02月21日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。『この瞬間』の思いを大切にすることある日の夕方、ふと窓を見るとレースのカーテン越しに雲がピンク色に染まっていました。写真を撮ろうとスマホを取りに行き、外に出てみると、すでにピンク色は褪せ、雲はほとんどグレイになっていました。縁にうっすらとピンク色の名残り。それも瞬く間にグレイになっていきました。その瞬間でないと掴めないものがあります。ピンク色の雲を見た瞬間の感動やときめくものを、その瞬間に味わいきる。それが、心に、そして記憶に刻まれる感動やときめきなのだと思います。写真に残すよりもそのほうが『人生の一部』になるように思います。振り返ってみると、その瞬間に選ばなかった大切なものがいくつもありました。心は掴もうと思っていても、ためらいや欲や世間体のようなものが頭をよぎっていきます。こんなとき、心に従えば良いものを、頭で判断してしまう。そして悔やむことがあっても、いろいろな理由をつけて頭で納得しようとする。でも、心にはずっと残念な思いが残っていたりするのです。もうすぐ母が亡くなって五年目を迎えます。最後に会ったあの日から丸四年の月日が経ったのですが、いまもまだ最後に私を見ていた母の顔を忘れることができません。大きな手術をしてすっかり弱ってしまった母は、療養病院から介護ホームに移り、そしてクリスマスイブの朝に脳梗塞を起こし、右半身が動かなくなり、言葉も出なくなりました。急性期の病院での治療が終わり、リハビリの病院へ移りました。しばらく落ち着いていたのですが急速に弱くなり、また病院を移ったその日。病室を整え、帰ろうとしていたときでした。「ママ、じゃあ明日も来るからね」と言うと、母は置いてきぼりにされてしまう子どものような顔をして私を見ました。「明日ね、ゆっくり休んでね」そう言って病室を出るときも、母はそんな顔をしていました。もう少しいようかな、と思ったのですが、仕事が残っていたので帰ることを選びました。それが、生きている母を見た最後でした。その瞬間の心を選ぶ。そして味わいきる。多くの情報があり、多くの知識があり、そこに欲や世間体が割って入り、頭の中はとても忙しい。合理的な方法を選択することが、より快適で、より生活を高めると信じている……そんなことはないでしょうか。『いま、ここ』の自分の声を聴くこと。思いを置き去りにすることなく、『いま、ここ』を味わいながら過ごす。それは、自分を大切にすることでもあるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年02月14日育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「中学時代、ソフトボール部でキャッチャーをしていたことがきっかけで、野球部で同じポジションだったヤマモトくんとお付き合いしていまして、いまでもサザンオールスターズの『栞のテーマ』(’81年)を聴くと、河原の風景や、恋心を思い出します。サザンなのに、聴いていたのは海じゃなくて、河原なんですけど(笑)」そう語るのは、芸能生活35周年を迎え、2月から明治座の舞台も控えている、演歌歌手の坂本冬美さん(53)。’80年代には人生の転機が詰まっていたと振り返る。「小学生だった’70年代から石川さゆりさんが大好きで、将来は絶対に演歌歌手になるって、夢を抱いていました」’80年代に入り、松田聖子や中森明菜、田原俊彦、近藤真彦などの曲をテレビで見聞きして、フリを覚えたりもしていたが、集めていた雑誌の切り抜きは石川さゆりばかり。興味の中心は演歌だった。「そんなとき、ヤマモトくんがサザンを教えてくれたんです。さゆりさんの『津軽海峡冬景色』を初めて聴いたときと同じように、『栞のテーマ』を歌う桑田(佳祐)さんの声に、全身がシビれて。ハスキーな歌声がせつなくて、そのときは歌詞の深い意味まではわからなかったけど、胸にキュンときたのを覚えています」’87年に『あばれ太鼓』でデビューした際、プロフィール欄には「好きな歌手・石川さゆり、サザンオールスターズ」と書いた。「“いつか、桑田さんに私の曲を書いていただきたい”という夢を持っていました」デビュー2年目の’88年には、当時タブー視されていた反原発ソングなどを収録したRCサクセションの問題作『COVERS』にも参加。このアルバムには別の曲で、桑田佳祐が“Isuke Kuwatake”として参加している。「(忌野)清志郎さんとはたまたま同じレコード会社で、着物姿で評論家の方々の前で歌う私を見て、誘ってくれたんです。奇跡みたいにスゴイことだと理解していましたが、まだ新人だったから、心のどこかで“清志郎さんとご一緒できたのだから、いずれきっと桑田さんとも”なんて、甘く考えていました」それから30年以上、同じ音楽業界とはいえ、ジャンルの異なるサザンと会う機会はなかった。「それが’18年の『紅白歌合戦』でご一緒することになって、リハーサルのときにお見かけして、思わず素の自分になっちゃったんですね。北島三郎さんや、司会の内村(光良)さんが近くにいらしたのに、桑田さんのもとに駆け寄って握手を求めていました。桑田さんも、あまりに突然のことで“お、おお……”と、驚かれた表情でした」その後、デビュー35周年を迎えるにあたり、かねてからの夢を叶えたいと、桑田宛てに手紙をしたためた。「ヤマモトくんとの初恋、『栞のテーマ』とともに蘇る思い出ーー。思いを込めた手紙をお送りして3カ月ほどしてから『スタジオに来ていただけますか』との連絡が!お願いをする機会をいただけるのか、それとも断られるのか、ドキドキしながらお会いすると、桑田さんはすでに詞も曲も作ってくださっていて……。夢のようで、泣きながら詞を読みました」その曲こそ昨年の『紅白歌合戦』で披露された『ブッダのように私は死んだ』。現在、YouTubeの再生回数は177万回を超えている。「桑田さんは“そういえば『COVERS』でも、ご一緒しましたね”と覚えていらしてくださって。もしかしたら天国の清志郎さんが、私を桑田さんに引き合わせてくれたのかもしれませんね」淡い初恋、デビューの喜びと、清志郎との出会いーー。叶うはずのないと思われた夢のタネが、’80年代に蒔かれていたのだった。「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月14日育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。抜けるような高い空の下の田舎道を、自転車の荷台にガールフレンドを乗せた男子中学生が、キコキコとタイヤを軋ませながらペダルを漕ぐ。デートスポットの河原に着くと、自転車のカゴに入れたラジカセを持ち出して、女のコにちょっと自慢げに「サザンっていうんだよ。すごくいいんだよ」と、再生ボタンを押した。「中学時代、ソフトボール部でキャッチャーをしていたことがきっかけで、野球部で同じポジションだったヤマモトくんとお付き合いしていまして、いまでもサザンオールスターズの『栞のテーマ』(’81年)を聴くと、河原の風景や、恋心を思い出します。サザンなのに、聴いていたのは海じゃなくて、河原なんですけど(笑)」そう語るのは、芸能生活35周年を迎え、2月から明治座の舞台も控えている、演歌歌手の坂本冬美さん(53)。’80年代には人生の転機が詰まっていたと振り返る。「小学生だった’70年代から石川さゆりさんが大好きで、将来は絶対に演歌歌手になるって、夢を抱いていました」’80年代に入り、松田聖子や中森明菜、田原俊彦、近藤真彦などの曲をテレビで見聞きして、フリを覚えたりもしていたが、集めていた雑誌の切り抜きは石川さゆりばかり。興味の中心は演歌だった。「そんなとき、ヤマモトくんがサザンを教えてくれたんです。さゆりさんの『津軽海峡冬景色』を初めて聴いたときと同じように、『栞のテーマ』を歌う桑田(佳祐)さんの声に、全身がシビれて。ハスキーな歌声がせつなくて、そのときは歌詞の深い意味まではわからなかったけど、胸にキュンときたのを覚えています」サザンオールスターズが『勝手にシンドバッド』でメジャーデビューしたのは’78年。『栞のテーマ』を収録した『ステレオ太陽族』は、’81年にリリースされた4枚目のアルバムだ。「サザンのほかの曲も聴きたくなったんですけど、中学時代の1カ月のお小遣いは3,000円だったから、LPレコードなんて、とても買えません。それに田舎だから、レコード店どころか、貸しレコード店もなくて。けっきょく、レコードを持っているお友達に録音させてもらったりしていました」当時、ヤマモトくんと結婚できるなら、歌手になる夢をあきらめるつもりだった。「ヤマモトくんとは同じ高校に進学したんですが、残念ながら“事情”があって、お別れすることに……。それでもずっと好きだったんです。悔しくて、何年も送り合った交換日記もすべて燃やしてしまいました。サザンの曲も、ヤマモトくんを思い出してつらいから、しばらくは聴けませんでしたね」’85年に高校を卒業した後、地元の梅干し製造会社「ウメタ」に就職。「工場で品質管理をする、上司一人、部下一人の部署でした。白衣に白い帽子と長靴姿で、毎日、梅干しの塩分濃度やpH値を記録。いつも歌いながら作業をしていました」歌手への夢は持ち続けており、ステージも機材もそろっている、近所のカラオケ教室にも連日通い、歌を練習していた。「経営者の方が『いつでも歌いに来ていいよ』って言ってくれて、会社の休み時間は5分でお弁当を済ませて、すぐカラオケ教室に向かい、40分ほど歌の練習をさせてもらいました。そのとき経営者の方が私の歌を録音してくれたテープがきっかけで、デビューすることになったんです」「女性自身」2021年2月23日号 掲載
2021年02月14日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。自分を大切にする『紙』と『ペン』のある時間旅に出ると、なぜか手紙を書きたくなります。あるときはひとり、部屋で。あるときはカフェの小さなテーブルで。今ならメールやLINEなどが手軽なのかもしれませんが、ペンで字を書くという行為が、自分の中にある伝えたいことを引き出すスイッチを入れるのです。それも、仕事などで考えていることとは違う次元のことを。自分でも気付いていなかった本音や、少々センチメンタルなことであったり。ときどき、そんな自分に出会ってみたくなるのです。今、海外はもちろんのこと、国内でも気軽に旅に出ることがむずかしいときなので、気に入ったカフェの、気に入った席で書き物をしています。たとえばご近所の並木道に面したファミリーレストラン。窓際のボックス席は落ち着きます。なぜかこの席だと、仕事もはかどるのです。紙とペンの相性はとても大切です。たとえば、歌詞を考えているとき。いつも鉛筆を使うのですが、柔らかい芯の、2Bから4Bの鉛筆でないと思考がスムーズに動いていかないのです。柔らかい心の書き心地が、なんとも気持ちがいい。そして下書きの紙はA4のコピー用紙を横にして。これは『儀式』のように、デビューしたときからの慣わしです。若い頃によく一人旅をしていた頃、必ず持って行ったがシェーファーのカリクラフィー用の万年筆でした。1500円くらいのリーズナブルな万年筆です。文字に少し表情が出て、なぐり書きでも『味』が出ます。インクはBlue-black。この色も、イマジネーションをそそるのです。今、愛用しているのはuni ball SigNonoの太字、インクはdeep blue。滑るような書き心地、そしてこのペンのインクは紙にほどよく滲みます。紙も柔らかいものを。インクを吸い取るような紙が好きです。ペン先からこぼれた思考や思いを受け止めるノートも、吟味して吟味して選びます。文筆を生業としている私にとって、自分のために文章を書くモチベーションはとても大切なものです。誰にとっても「自分のために書く」のは、「自分と一緒にいる」ことでもあるのです。思考も思いも記憶も、そのままにしておくといつか薄らいでいく。そのとき、その瞬間の自分を記録する。日記でも雑記帳でも、手帳の片隅にでも、『自分』を残しておく。それは、自分を大切にすることにもつながると思います。そして、せっかくですから思いを記していく水路となる紙とペンは、自分の手に、気持ちに馴染んだものを選びたいものです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年02月07日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。落ちこみの際で止まる先日ちょっとショックなことがあり、久しぶりに落ち込みました。これまで何度も落ち込みを経験しているので、(あー、こうしていると落ち込むなあ)と、モヤモヤした心の片隅で思っています。モヤモヤとしている自分と、それを眺めている自分。二人の自分が心の中でせめぎあっています。精神状態としては混沌としているのですが、眺めている自分がいることで落ち込みのどん底に落ちずに済んでいる……という感がしています。ショックなことがある。それは人からの批判かもしれないし、仕事や人間関係のことかもしれません。自分自身のことが嫌になることもあるし、大切なものを失うこともあります。何かそんなきっかけは……爆弾を落とされたような、心の中で何かが粉々に割れてしまったような、そんな混乱があります。それから心はぐるぐると廻り始めます。(どうしてこうなってしまったのか)という思いに始まり、相手を責めたり、自分を責めたり、自分を落ち込ませた原因を何処かに探そうとします。そして次に、自分をかわいそうに思い始めます。つまり、自分を被害者のように思うようになるのです。たとえば(一生懸命にやったのに認めてもらえない)(自分のことを全否定されてしまった)(誰もわかってくれない)といった気持ちから、(私ってかわいそう)となります。これがself-pity、自己憐憫です。落ち込んだときに嵌ってはならないのが、この自己憐憫です。自分を憐れだと思うことで、一時的に楽になります。誰かのせい、社会のせいにしてしまえば、落ち込んでいることを正当化できます。落ち込むこと自体は悪いことではありません。愚痴を言いたくなることもある。人生、うまくいくことばかりではない。ですから、落ち込んだら、まず落ち込んだことを肯定する。(ああ、私いま、落ち込んでいるんだ)と認める。そして混沌とした感情をどこかで眺めている自分を獲得する。そして、ネガティブのスパイラルに入り込まないようにチェックする。さまざまな感情が入り交じり、堂々巡りをするのです。その堂々巡りをしっかりと見る。特に自己憐憫と相手なり社会への強い批判に気をつける。なぜ落ち込んでいる自分を眺める視点が大切かというと、落ち込みが強まると鬱状態になる可能性があるからです。これだけは避けたい。自分の力ではどうにもならないことがあります。落ち込んでも仕方がない。でも大切なことは、落ち込んだところで、さらに底に落ちないようにすること。落ち込みの際で止まることです。止まっているイメージをしてみましょう。ここで踏ん張る力が、落ち込みから脱する力の源になるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年01月31日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。手をつなぐ 〜見えない絆を育てる時間街で手をつなぎながら歩いている親子連れを見かけると、ふっと懐かしいような、淋しいような気持ちが胸をかすめます。娘が15歳でアメリカに留学してから8年。ずいぶん時間が過ぎました。まさか15歳で手放すとは思っていませんでしたが、考えてみると親子で一緒に暮らす年月というのはそんなに長いものではないのです。留学するのは、なかなか勇気のいる決断だったと思います。生半可な気持ちや、憧れではなく、人生を賭ける覚悟だったことは確かです。ですから親が淋しいとか淋しくないとか、つまらないことを言ってはいけないと思いました。娘がこれから自分のステージをゼロから作ろうとしているのを応援するだけです。親から離れる解放感もあったでしょうし、同じくらい不安もあったでしょう。でも、娘が覚悟を決めて巣立って行けたのは、小さいとき、どんなときも手をつないでいたからではないかなと思うのです。娘が手をつなぎたいだけ、手をつないで、そして自分から手を離していった……そんな感じがします。いつも手をつないでいること。そしていつも会話をすること。会話が成立しなくてもいいのです。空がきれいだね。風が気持ちいいね。そんなことでいいのです。そして子どもの話を聞くのです。それでどう思ったの?そんなことがあったんだ……。ジャッジを求められない限りジャッジすることなく、子どもが話すそのままをそっと手にとって愛でるように、話を聞くのです。そんな時間が確かに私の人生の一時期に流れていたのです。遠い日のことですが、それらは何ものにも替えがたい美しい時間でした。ですから若いお母さんと子どもが歩いているのを見かけると、そんな時間を大切にしてほしい!と思ってしまうのです。子育ての悩みはあったし、仕事と両立させることがきつかったこともありました。それでも、過ぎてしまうと何もかもが夢物語のような気がしてくるのです。娘と遠く離れていると、ときどき本当にゆめまぼろしだったのかしら、とふと思います。妙な感覚なのですが、これまでの人生すべてがゆめまぼろしだったような。振り返る年月が多くなるにつれ、何か確かだったものが指の間をすり抜けていくような感があります。「いま、ここ」の自分の中から、母としての自分が薄らいでいくことの淋しさがあるのかもしれません。それもまた人生の1ページであり、流れなのでしょう。もう少ししたら、私の方から手をつないでほしくなるのかもしれません。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年01月24日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。癒しのスープ風邪をひきました。毎年、冬になると一度はかかる喉風邪です。いま、このご時世に風邪を引くのは不安です。だるさはあるものの熱はないのでとりあえず様子を見ることにしました。まず、喉元を暖かく。タートルネックのセーターにさらに薄手のスカーフを首に巻きました。そしてヒートテックシャツの背中、ちょうど肩甲骨の間あたりにホカロンを2枚。お腹にも1枚。足元も暖かく。そして、オレンジジュースをたくさん飲む。ビタミンC摂取です。白湯も飲みます。食事は消化のいいものを。風邪引き1日目は鳥の骨つきもも肉とキャベツのお鍋。薬味は生姜と葱。たっぷり入れます。2日目は鍋焼きうどんに。ただただ体を温めます。仕事をしながらの養生ですが、3日目に少し気力が湧いてきました。何かを作りたくなる……これが私の回復のバロメーターです。そこで朝から作ったスープ2種。とろとろ白菜鍋とオニオングランスープです。とろとろ白菜鍋は、白菜半分をざく切りにし、大きなお鍋に。そこに塩をぱらりぱらり。オリーブオイルを2回し。4003くらいの水を入れ、蓋をして火にかけます。ことこと沸騰してきたそのまま数分、白菜がしんなりとして、白菜の水分も少しずつ出てきます。この『蒸し炒め』によって白菜の甘みが引き出されるのです。それから白菜がひたひたになるくらいだし汁をはり、白菜がくったりとするまで煮込みます。このとろとろ白菜、土鍋に移して鳥のつみれを入れながらポン酢でいただきます。生姜、葱をたっぷり。柚子の皮を薄く千切りにし、薬味にしても。果汁も使いましょう。そしてオニオングラタンスープ。玉ねぎ3個の薄切りを根気よく炒める。かなり色づいたところで、4003の野菜出汁、またはチキンスープを入れ、スープを乳化するようによく炒める。それから玉ねぎがひたひたプラスαほどのスープを入れ、味を整える。スープを耐熱の容器に入れ、焼いたフランスパン、そしてグリエールチーズをたっぷりとのせてオーブンで焼く。体調によって、チーズはなくても美味しくいただけます。スープには、何とも言えない優しさがこもっています。作る人の祈りがこめられているような。そして口にしたときに、優しさが体に染み渡っていく。何よりの滋養です。体調が優れないときはもちろんのこと、心が疲れたときにも、癒しのスープで自分に優しく。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2021年01月17日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。祈りは神様との約束新しい年へ。慌ただしい大晦日が暮れ、街は静かになる。そして日付が変わると、なぜかそれまでの空気が清まった感じがする。一年の始まりと終わりには、何か不思議な流れがあります。カウントダウンで賑わう街でも、誰もが新しい年へと気持ちもリセットすることを期待しているのでしょう。年をまたいでお参りをする二年参り。日付が変わる少し前に家を出て、家族で二年参りをしたものでした。ずいぶん昔のことですが、二十代の初め、作詞家になろうと決心して毎晩遅くまで勉強をしていた頃です。神様との向き合い方が変わりました。いわゆる『願掛け』『願う』という気持ちではなく、気づくとただただ必死に手を合わせ神様に誓っていたのです。少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、作詞の勉強は私にとってまさに人生の受験勉強でした。自分の特性を生かして生きていく大きなチャレンジをするために、自分で自分にプレッシャーをかけました。例えるなら、向こう岸に橋を渡せるかどうか……そんな気持ちです。「神様、頑張りますからどうか見ていてください」手を合わせながら、心の中でただこれだけを神様に伝えました。何度もその言葉を繰り返しながら、胸が熱くなっていきました。このとき神様に参拝するとは、感謝をして、覚悟を伝えることだと思ったのです。お願い事を並べるのではなく、所信を表明するのだと。すると、より気持ちが強くなる。あきらめない心に薪をくべるような感じです。神社の境内では火が焚かれていました。パチパチと音を立てながら、火の粉が空に昇っていく。人々の祈りを天に届けているようです。あの頃の真夜中のシンとした深い寒さ。そしてずいぶん昔のことになりましたが、あのときの静かな高揚感をいまでもよく憶えています。祈り、覚悟を伝えながら胸が熱くなり、時に涙がこぼれる。生かされていることへの感謝を伝えながら泣きそうになる。そのときに、祈りは自分の中に力となって宿るのです。新しい年に誓いを立てる。そして神様と約束をする。お願いは、「頑張りますから見ていてください」と。2020年は厳しい年でしたが、この厳しい体験を礎に、2021年を力強くまいりましょう。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2020年12月27日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。アウトプット=表現のすすめ表現し続けること。これは、人間にとってとても大切なことではないかと、最近とみに感じています。表現というと難しく聞こえるかもしれませんが、自分の思い、意見、今の自分を世の中に表していくことです。そこには素直な吐露があり、率直な意見があり、クリエイションがあります。SNSの広がりで公の場での発言、発表しやすくなってきましたが、だからこそ、その質を高めていくことが大切です。音楽大学で作詞研究という授業を受け持っています。学生たちはクラシック、ポップス、邦楽など、さまざまなジャンルの音楽を専攻しています。テクニックだけでは芸術とは言えない。そこには、さまざまな体験や学んだことの熟成と、内面を見つめる目が重要です。作詞のクラスで何を伝えていくのか。作詞における約束事はもちろんのこと、感性を磨いていく数々のワーク、そしてこれまでの歌の歴史、変遷についても伝えます。作品の質を高めていくためには、ただひたすら書く。そしてできたら添削。歌詞を書くことについてさまざまな角度から伝えていきますが、最終的には、「どう生きていくか」ということになるのです。その「どう」が、内面を磨き上げ、深い作品を書く動機に繋がります。そのためには体験することが大切なのです。その体験を通して自分の中で熟成させていったものが、作品やパフォーマンスという『真実』になりうるのです。音楽大学の学生たちはインプット、アウトプットを重ね、表現を進化させていく。常にその二つがそれぞれの中で対流し、エネルギーになり、日々新しい自分と出会っているのだと思います。そう、アウトプットしていくことは自身に進化をもたらし、エネルギーを生み出します。インプットしたものを熟成し、自分の感性を通してアウトプット=表現する。ささやかでも形にしていく。それはSNSで言いたいことを言いたいままに書く、ということではありません。『形』『作品』にすることで、それまで答えの出ていなかった思いに『答え』が出るのです。気づきがある、と言ったほうがいいでしょうか。表現することは、内なる声に耳を傾け、掬い取っていくことなのです。学び、体験し、そして表現する。そこに、人生を豊かにする流れがあるのです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2020年12月20日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。今年を表す私の一文字その年の世相を表す『今年の漢字』。毎年清水寺で発表される恒例の行事です。昨年の漢字は『令』。令和という新しい時代の始まりに、多くの日本人が希望を見出したものでした。令、美しく麗しい時代への期待感がありました。ところが一年経たない間に、世界は大きく変わりました。一年後の今年、どのような漢字が選ばれるのでしょうか。今年ほど、その漢字の意味を噛み締める年はないでしょう。日常が一変し、私たちの心のどこかにいつも『怖れ』が住みついてしまいました。マスクをしている息苦しさは、心の息苦しさでもあります。私たちは世界共通の同じ問題を抱えていますが、同時にそれぞれの人生にもさまざまなことを抱えています。12月、「今年のうちに」となぜか心が忙しくなる。大晦日から元旦へ、いつもと同じ朝を迎えるにもかかわらず、午前0時は私たちには大きなリセットの瞬間、何かが変わるような、一年の澱が浄化される感覚があります。そんな浄化の意味をこめて、自分のこの一年を表す漢字一文字を考えてみてはどうでしょうか。私のエッセイ・クラスの最終回で、このワークをやってみました。今年、イラストの作品集の制作に取りかかった人は『挑』という漢字を。まさに勇気を出した挑戦の年だったそうです。『踊』という漢字を選んだ人は、『情報に踊らされた年』と。『命』を選んだ人は、体調を崩し自分の命について深く考えたそうです。このように自分の一年を表す漢字、言葉を考えてみると、ざわついている心が不思議と落ち着きます。自分の感情や思いに言葉を与える……それが表現です。そうして心の内を表現することで、けじめがつくというのです。今年はこうだった。さあ、次に進もうと、意識的にリセットすることが、前に進むきっかけになります。さて、私の今年を漢字一文字で表すと……『痛』。なんとも情けない一文字ですが、7月に手首を骨折し、5ヶ月経ったいまも痛みに悩まされています。自分の身体を傷つけてしまったことを後悔した年でもありました。こうして世界が分断されているのも心痛いことです。さて、今年の漢字、そして皆さんの一文字はどうなるでしょうか。新しい年、希望にあふれる漢字が選ばれるような年になりますように。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2020年12月13日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。晩秋の広場にて晩秋の休日。わんこの散歩で近所のケヤキ並木広場へ向かいました。そこは車の通らない広々とした並木道で、近隣の人々の憩いの場です。ところどころに落ち葉がこんもりと山になっていて、幼い子どもたちが落ち葉に埋もれるようにして遊んでいます。雪をかけ合うように落ち葉をかけ合い、そのふわふわ、かさかさとした感触を楽しむように踏んで歩いて。そんな子どもたちを見守る若いお父さん、お母さんのまなざしは優しく、そんな親子の姿をベンチに座っている老夫婦が微笑ましく見つめている。少し離れたベンチからその光景を見ていたら、なんだか泣きたくなりました。なんて平和な日常の光景。そして抱きしめたくなるほど懐かしい思い出に。娘が赤ちゃんだった頃から、よくこの広場まで散歩したものです。よちよち歩きを始めた頃、歩けるようになったうれしさを体いっぱい表すように私に向かって歩いてきました。ちょうど今頃の季節。小さな手で落ち葉を拾ってくしゅくしゅと握ってつぶしたり、落ち葉の中に座り込んで遊んだり。23年、時は瞬く間に過ぎていました。その間には当然のことながらいろいろなことがあり、子育てと仕事と家族のこと、親のこと……。さまざまなことを小脇に抱えながら駆け抜けたような23年という時間は、私の人生のまさに中核といえる時間でした。もう巻き戻すことも手にすることもできないそんな年月に、自分の限られた時間を思うのです。悲しいわけでも、淋しいわけでもなく、ただ自分に『与えられた時間』が不思議です。何年なのかわかりませんが、晩秋のベンチに座りながら過ぎ去った年月に思いを馳せているように、生きてきた時間を振り返るときがいつか来るのでしょう。そのときの気持ちをほんの少し味わっているような感じです。出会いがあり、別れがある。家族として出会い、そして別れがある。友人たち、大切な人とも何かの縁があり出会い、そしていつか別れがある。その中には決してひと色ではない出来事や思いがあるでしょう。でも最後には「愛しかなかった」という境地になれたらいいなと思うのです。卒業試験の最後の問題が解けたように。落ち葉で遊ぶ幼い子どもたちを見ながら、今、遠く遠く離れて暮らしている娘を思います。夢のように思える子育ての頃、確かに私もこうして遊ばせていたのだ、と14歳のわんこを抱っこしながら思い出します。わんこも、ここで走り回ったことを思い出しているのかもしれません。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2020年11月29日吉元由美の『ひと・もの・こと』作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。クリスマス・リースの祈り街にクリスマス・ツリーを見かける時期になりました。東京、恵比寿のガーデンプレイスでは、毎年高さ8.4メートルの『バカラ・シャンデリア』がホリデー・シーズンを彩ります。先日、前を通りましたらその優麗な輝きを放っていました。コロナ禍という時世、日常のルーティンを守ることが大切なのかもしれません。クリスマスという、優しい気持ちになる時期、私たちの心に灯りを灯すこと。それが、大切なことだと思うのです。毎年、11月のお花のレッスンではリースを作ります。今年は泰山木の葉と、ブルーバードというシルバーグリーンの針葉樹を使った、シック、でもゴージャスな大人のリースです。リースの輪には『永遠』という意味があります。始まりも終わりもなく、永遠に回り続ける。幸福がいつまでも続きますように、という願いがこめられています。リースに常緑樹が使用されるのには、豊作を願うという意味があるそうです。また赤い柊の実には太陽の光、リボンには魔除けという意味がこめられています。松ぼっくりや姫リンゴは、神へ捧げ物の象徴だそうです。殺菌作用、抗菌作用がある常緑樹の葉を玄関に飾ることで魔を除けることを願いました。これは、お正月のしめ縄飾りと同じ意味合いです。また端午の節句では菖蒲や蓬などを使って薬玉飾りを飾ります。菊の節句とも呼ばれる重陽の節句に、薬玉と同じように芳香を放つ茱萸袋(しゅゆふくろ)に取り替えたそうです。無病息災、魔を除ける、農作物の豊かな実りを願い、古の人たちは西洋でも日本でもこのような飾り物を祈るように作っていたのでしょう。おそらく、体験的に知っていたのではないかと思います。この地球上の遠く離れた地で、人間は共通の感性、知識を持っていた……。これはすごいことですね。一年前は飛行機に乗ればどこへでも飛んでいけたのに、今は簡単に行くことはできません。そして、コロナ禍は人と人との距離を離しただけでなく、心をも分断しているように思えます。小さなブルーバードの葉をリースに刺しながら、かつて無意識の奥で人々がつながっていたことに思いを馳せます。平和であるように、人々の心が穏やかであるように祈りながら。リースや薬玉飾りには、作っている人々の祈りもこめられているのですね。リース作りは、静かで心躍る時間。もうひとつ、プレゼント用に作ろうかと。慌ただしくなる時期、こんな静かな時間がうれしいものです。※記事中の写真はすべてイメージ作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー[文・構成/吉元由美]吉元由美作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。⇒ 吉元由美オフィシャルサイト⇒ 吉元由美Facebookページ⇒ 単行本「大人の結婚」
2020年11月22日’77年にジャニーズ事務所に入所し、いまや“ジャニーズの長男”と呼ばれるマッチこと近藤真彦(56)。ドラマ『3年B組金八先生』の生徒役に抜擢され、クラスメート役だった田原俊彦(59)、野村義男(56)との「たのきんトリオ」が誕生した。「たのきんトリオの3球コンサートで、憧れの(西城)秀樹さんをマネてインディアンの格好をしたときのことはよく覚えています。薄暗くなった球場で照明を浴びながら走ったときは『俺、ついに秀樹になれた!』ってすごく感動したなぁ(笑)」(近藤・以下同)『スニーカーぶる~す』で歌手デビューした’80年から、今年ではや40年。マッチが、本誌秘蔵の少年時代の写真を見ながら、当時の貴重な思い出を語ってくれた。「昔は、芸能人の運動会や水泳大会があって、アイドルも体当たりで勝負していたんです。なかでも水泳大会への思い入れは深かったですね。ずっと弱かったことが悔しくて、1年間の“コソ練”をしたほど(笑)。本番は初ビキニで勝負してぶっちぎりの優勝!それぐらい負けず嫌いでした」’87年に『愚か者』でレコード大賞を受賞したときは、こんな忘れない思い出も。「あの年はすべての賞レースをとってきたのに、レコード大賞だけは無理だと言われていて、ものすごいプレッシャーでした。だから、初めてうちの事務所でレコード大賞が取れたときは、ジャニーさんとメリーさんもとっても喜んでくれましたね。2人ってね、田原(俊彦)くんが賞を取ったときは僕とご飯を食べて、僕が取れたときは田原くんのところに行くんですよ。そういうフォローってすごくありがたかった。思えば、当時のジャニーさんはいまの僕ぐらいの年齢だったんですよね。ちょっと考えられないな(笑)」「女性自身」2020年12月1日・8日合併号 掲載
2020年11月17日11月11日、「文春オンライン」によって30代の女性社長との不倫交際が報じられた“マッチ”こと近藤真彦(56)。記事によると、近藤と女性は10月下旬に沖縄県のリゾート地でゴルフを楽しみ、同じホテルの部屋で過ごしたという。5年前に会食を通じて出会ったという2人だが、近藤が女性を“略奪した”とも報じられた。17日未明、ジャニーズ事務所は公式サイトで近藤の無期限芸能活動自粛を発表。近藤は女性との交際を「事実である」と認めたという。94年に一般女性と結婚し、07年に生まれた一児の父でもある近藤。報道から1週間経っての発表となったのは、「家族と本人が話し合う為の時間を要していた」と説明。その結果、近藤自ら「一連の出来事に対する責任を取り、芸能活動を自粛したい」と“ケジメ”を申し出たという。77年に入所して以来、ジャニーズでは“長男”でもある近藤。田原俊彦(59)、野村義男(56)との「たのきんトリオ」を経て、80年12月に『スニーカーぶる~す』でソロデビュー。同曲は10月に逝去した筒美京平さん(享年80)作曲で、ジャニーズ史上初のミリオンセラーを樹立した。近藤にとって、今年はデビュー40周年という大きな節目。感染症拡大によって7月から11月まで中止となっていたツアーは、12月に2日間にわたり最終公演が開催される予定だった。また、『2020 FNS歌謡祭』(フジテレビ系)への出演も決定していた。ようやくファンの前に立てるチャンスだったが、今回の不祥事で白紙となってしまったようだ。ファンからは悲しみの声が広がっている。《中学生の時から好きだったのに…ショック》《マッチやっちゃいました。筒美京平先生が亡くなられた直後で、非常に残念》《マッチそうなったか…今年40thのコンサート、コロナで殆ど中止になってデビュー記念日の12月だけは出来るはずだったのに》
2020年11月17日