なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 総合商社で正社員管理職の下村さんは31歳で結婚。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始。朝6時半に家を出て不妊治療後、出社する仕事との両立で体も心も疲弊してしまいます……。 友人の妊娠出産が喜べず限界にタイミング法での妊娠を待った通院から約2年が経ち、人工授精へステップアップしないかと医師からアドバイスされた。 周囲は出産ラッシュを迎えていた。地元の仲のいい友だちから来る妊娠・出産報告。友人が出産するたび、ベビーコーナーで離乳食の食器やチャイルドシートなどのお祝い品を奮発した。次第に友人との集まりには、子どもや赤ちゃんが増えていった。 「地元の友だちはみんな大好きだけど、さすがに会うのがつらくなっていきました。おめでとうって顔では笑っていても、心では笑えなくて。親友の1人がそんな私の様子に気付いてくれて、『今は無理しなくていいんだよ』って言われ、少し気持ちが落ち着きました」 そして豊華さんは、約2年続けた不妊治療の中断を決意する。 「限界だったと思うんですよね。基礎体温に一喜一憂して、生理が来るたびに『あぁ、まただめだった』って落ち込んで。これは本人しかわからない気持ちです。タイミング法だと夫との行為も義務的になってしまって、精神的にもつらかったです。何より仕事と通院の調整がもう限界でした。一度休憩したいって先生に伝えました」 まさかの妊娠、不妊治療していたことを職場に告白 通院を休んで少し経ったころ、基礎体温がだらだらと高い日が続いた。生理も来ていなかった。もしかして……。受診するとおなかには新しい命が宿っていた。36歳の時だった。 「治療をお休みしてすぐ妊娠したので驚きました。今思えばストレスもいけなかったのかな、と。私の場合、会社にだまって通院していたことが一番つらかったんだなって気付きました」 妊娠を機に不妊治療していたことを職場に打ち明けようと決めた。本当は子どもが欲しいのに授かれず、不妊治療に踏み切れない同僚や後輩が、ほかにもいるかもしれない。会社の雰囲気が一因になっているかもしれない。ここで私が不妊治療を打ち明けることで、なにか変わるかもしれない。 まずカミングアウトしたのは、同い年と5つ下の既婚の女性社員。聞けば2人とも子どもが授からずに悩んでいたという。豊華さんが不妊治療をすすめると、2人ともすぐに専門のクリニックに通い始めた。「私が産休に入るまでは全力でサポートするから」と応援した。 豊華さんが産休に入るとき、不妊治療で通院していた2人が産休の準備に入っていた。職場の空気が変わったと手応えを感じだ。 「まぁ、社長はあんまりいい顔してませんでしたが、周りの反応は意外とやさしくて祝福してくれました。本当によかったです」 40歳目前、2人目の不妊治療へ。職場に伝えて周囲に協力を依頼 豊華さんは、無事に第1子となる女の子を出産した。育休が明けて職場へ戻ると、管理職からは事実上外されていた。やりがいを感じていたメーカーとの交渉はほぼできなくなり、女性社員が多い営業事務の教育担当になった。 もう40歳目前。2人目の妊娠を急いでいた。多嚢胞性卵巣症候群が悪化していたこともあり、体外受精を目指した。 凍結技術の進歩により、体外受精の受精卵はいったん凍結保存するケースが多い。豊華さんも凍結保存を選んだ。通っていたクリニックでは、凍結保存した受精卵を融解して移植する場合、5時間ほどかかった(※通常1時間程度。クリニックにより大きく異なる)。 「その日は1日予定を入れないでください」とも言われたため、そうなると仕事を休まなければならない。もうごまかしは利かない……周囲の助けが必要だった。今度は最初から不妊治療を同僚にカミングアウトした。 「今度は体外受精なので、もう会社の協力がないと無理!って思ったんです。最初に治療のことを打ち明け、周囲に協力をお願いしました。その代わり、同じような人がいたら私も全力でサポートしますって伝えました。産後の異動は納得できませんでしたけど、女性が多い部署になったので、伝えやすかったです」 体外受精であっても、予定通りに進まない。1回目の移植は失敗、子宮のポリープ除去手術と予想外のことが続いた。そして2回目の体外受精で妊娠。 しかし切迫流産で1カ月の自宅安静を余儀無なくされた。会社を急に休むことも、長期で休むことも多くなったが、もうあの頃のような後ろめたさはなかったという。 「私のカミングアウトによって、後輩たちが続々と不妊治療を始めていました。だからお願い! 私、休むから!って堂々と言えたんです」 2020年7月、自宅から近い大学病院で無事に第2子となる男児を出産した。42歳だった。 必要なサポートは、制度よりも「周囲の理解」と実感会社の空気は変わったが、まだ課題は残る。豊華さんが打ち明けられたのは女性社員だけ。男性からの理解は得られる気がせず、伝えられなかった。会社が組織の制度として不妊治療を応援しているのではない。周りの女性社員たちが、個人としてサポートしてくれている段階だ。 2020年の菅内閣誕生で、不妊治療の保険適用が動き出すなど、追い風が吹いている。社会が、時代が変わってきた。でもサポート制度の整備を待つよりも、周囲の理解が深まることで、当事者も協力を仰ぎやすくなると感じている。 「仕事と不妊治療の両立は本当に難しいんです。会社にだまっていることが一番つらかったです。不妊治療をすることを恥ずかしがらず、職場や同僚の協力を得て治療に臨むことができれば、妊娠にも早くつながるような気がします」 今は育児休暇中の豊華さん。仕事はこれからも続けて、さらに会社を変えていきたいと考えている。 「復帰してからの新たな目標ができました。これからは社内の女性たちが不妊治療しても出産しても働きやすい環境を作っていきたいです。『私に続けー!』という気持ちです」 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月27日川崎希さんは元アイドルで、AKB48グループに所属していたことでも知られていますが、昨年の10月に第二子となる女の子が誕生し、現在は2児のママとしてお子さんの育児に奮闘中です。また、その一方でご自身のアパレルブランドの経営をおこなっていて、最近では子育てママさんのために考案したマザーズリュックがSNSでも「高機能!」「使える!」など話題になっています。そんな育児も仕事も充実しているイメージの川崎希さんですが、実は不妊治療で苦労したり、昨年の出産はコロナ禍の出産だったので、戸惑ったりすることも多かったようです。今回は川崎さんの不妊治療の体験談を中心に、不妊治療で悩んだことやつらい時期をどのように乗り越えたのか……などを取材させていただきました。 きょうだいが欲しいという思いから不妊治療をスタートー2020年8月20日にオフィシャルブログで娘さんの妊娠を報告されていましたが、その時に「出産してからずっときょうだいができたらいいな〜と思っていた」と書いてあったのですが、きょうだいが欲しいと思ったのはどうしてでしょうか? 川崎さん:私がひとりっ子だったので、小さいときからきょうだいがいるのはいいな〜と思っていたからです。 ー息子さんを出産後、タイミングを見て妊活をされていたのですか? 川崎さん:息子を出産してすぐに次の子の妊娠を考えていたので、出産したその日に次の妊娠はいつから可能かお医者さんに聞いたりしていました。そして出産後、半年くらいしてから妊活のための通院をスタートしました。 ー川崎さんの場合、第1子も不妊治療で授かったとのことですが、それまでにかかった期間は約4年、第2子についても体外受精で授かったとのことを伺いました。第2子のお子さんを妊娠するまで、不妊治療はどれくらいの期間だったのでしょうか? 川崎さん:長男を出産して半年くらいで妊活をはじめたので、約2年半くらいだったとは思います。でも2年半ずっと通院をしてるわけではなく、気分転換のために通院せずに休む月もありました。 ー今回は体外受精を迷わず選択されたとのことですが、その理由を教えてください。 川崎さん:自然でできたらいいなとは思ったのですが、やはり妊娠できる期限が限られてる中で、ステップとしてはタイミング法や人工授精もありますが、以前に人工授精などを何回しても妊娠したことがなかったので……。自分の体質では、1番妊娠への近道が体外受精だったと長男の妊娠のときに思ったので、妊娠の可能性か高い体外受精にしました。 「まだ見ぬわが子に会いたい!」その一心で乗り越えた治療ー実際、不妊治療中の期間は苦しかったり、つらかったりすることも多かったと思います。川崎さんが一番つらいと思ったことはなんでしたか? 川崎さん:仕事との両立が大変でした。治療はあまり先のスケジュールまでわからず、ホルモンの数値を見て急にスケジュールが変更になることもあるので、仕事のスケジュールがあると調整が大変でした。あとは採血が多いので注射が苦手な私は毎回気合いを入れて通院していました。 ーそういったつらいことは、どのようにして乗り換えたのでしょうか? 川崎さん:子どもに会うことだけを考えると、治療などなんてことない! と思えて頑張れました。 ー不妊治療中、パパはどのように接してくれていましたか? 川崎さん:長女を妊娠するための治療中は長男をみていてくれたり、すごく協力的で助かりました。治療の内容などあまり詳しく説明したりはしませんでしたが、体調を気遣ってくれるなど、やさしくしてくれていました。 ー不妊治療中が保険適用化される話が出てきていますが、川崎さんはそのことについて賛成ですか?反対ですか? 川崎さん:私は賛成です。 ーその理由を教えてください。 川崎さん:不妊治療はすごく高額なので、金銭的な理由でできない方や数回でやめてしまう方もいると思いますし、私は20代から通院していましたが、体外受精は特に1回あたり50万近くする病院が多いです。そのため、かなり経済的な負担があると思います。国が少子化対策と言っていても、自然妊娠がなかなかできない方は通院するほうがいいと思うのに、今までなんで保険適用外なんだろうと思っていました。妊娠は年齢が低いときから通い始めれば年齢的に妊娠の可能性は上がるのに、若年層ほど貯蓄がないために先延ばしにしてしまうこともあると思うので、保険適用はいいことだと思います。 さて、次回は川崎さんが妊娠生活を送る上で感じた不安や、出産時に大変だったことなど、コロナ禍の妊娠・出産をテーマにインタビューさせていただきました! また、コロナ禍の妊娠・出産以外にも、子どもがいる生活についてや、子どもが生まれて変化した夫婦関係についても取材しています。次回もぜひお楽しみください! PROFILE:川崎希さん1987年8月23日生まれの神奈川県出身。タレント活動をおこなうほか、自身のアパレルブランド(株式会社アンティミンス)を経営し、その代表取締役を務めている。
2021年03月26日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 31歳で結婚。子どもができたら専業主婦を望む夫、しかし正社員で総合管理職の仕事は下村さんにとって自分の価値を認めてもらえる場所だった。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始することに。 会社には言えない…仕事との両立のために選んだ職場近くのクリニック不妊治療のことは、会社には言わないでおこうと決めていた。というより、言える雰囲気ではなかった。 「当時の私の職場は男性の方が多くて、出産しても働いている女性が1人もいなかったんです。結婚妊娠で辞めていく女性がほとんどで、有給すら使いづらい雰囲気でした」 結婚出産で退社するのは当然、お茶汲みや電話の担当は女性が当然という旧態依然とした職場が、「不妊治療は恥ずかしい」「言ったって誰も理解してくれない」という思考回路に追い込んだ。「子どもができない体と思われるのでは」という被害妄想もあった。 会社が従業員の不妊治療を把握してないケースは多い。厚生労働省が2017年に実施した調査(平成29年度『不妊治療と仕事の両立に係る諸問題についての総合的調査』によると、半数以上の企業が「把握できていない」と答えた。さらに不妊治療に特化した制度がある企業はわずか19%だった。 治療もしたいが仕事もしたい。この2つの願いを叶えるため、クリニックは自宅ではなく会社に近いところを探した。 選んだクリニックは、会社のある渋谷駅から電車で20分以内の場所にあった。インターネットの口コミ評価が高く、望んでいた自然妊娠(タイミング法)に力を入れていた。多嚢胞性卵巣症候群でホルモン調整は必要だが、それ以外に問題はなく、夫側にも問題はなかった。 「可能なら人工授精ではなく自然妊娠したい」との思いがずっとあった。そして、自宅から1時間以上かかるこのクリニックに望みをかけることにした。 午前6時半に出発…通院と仕事との両立に疲弊ベビーカレンダーの独自調査によると、「仕事をしながら不妊治療を行ったことがある人」のうち、「不妊治療を辞めた」理由として最も多かったのが「通院スケジュールを事前に立てることが大変だった」という結果になった。 豊華さんも通院スケジュールに悩まされていた。卵の大きさによっては「明日来てください」「明後日来てください」と急に来院日を指定された。タイミング法を選んでいた豊華さんの診察は、排卵前後になると頻回になった。2日おき、3日おきになることも。 けれどもメーカーとのアポイントもあった。仕事を休むことはできない。かといって遅刻や早退もできない。信頼を失いたくなかった。平日の診察は始業前に通院するか、残業しないで駆け込むかの二択だった。 会社の始業は9時から。クリニックの平日の診察は午前8時からだった。できるだけ早い順番を取るため、午前7時半には到着するようにした。診察のある日は午前6時半に家を出る。冬の朝はまだ薄暗く、突き刺す寒さがえらくこたえた。 朝一番の待合室では、いつも時計との睨み合いだった。午前9時までのカウントダウン。診察では超音波で卵の成長を確認する。「今回はだめだねぇ」と言われ沈む日もあった。診察はたった5分で終わる。よし、終わった。足早にクリニックを後にする。渋谷駅に着くと何事もなかったかのように“いつもの顔”をして出社した。診察が遅れて会社に遅刻した日は、「電車に乗り遅れました」と苦しい嘘をついた。 「こんな生活、いつまで続くの」 そんな想いがふと胸を過った。 ◇◇◇ 仕事と不妊治療。心身ともに限界……。 次回、豊華さんに訪れた思いもよらぬ奇跡とは……? >後編へつづく 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月26日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 ◇◇◇ 仕事を辞めるか続けるか両立させるか。働きながら不妊治療を始めた女性の多くは、この3択に悩まされます。厚生労働省が2017年に実施した調査(平成29年度『不妊治療と仕事の両立に係る諸問題についての総合的調査』によると、働きながら不妊治療をした人のうち、仕事と両立できずに退職した人が16%いることが明らかになりました。 ベビーカレンダーが独自に行った調査によると、不妊治療中で最もつらかったことについて約17%が「仕事との両立」と答えています。 仕事をしながら不妊治療をしたことがある人のうち、不妊治療中に「両立できずに仕事をやめた」「両立できずに雇用形態を変えた」と答えた人は合わせて17%となりました。通院と仕事をスムーズに両立させるためには、職場の協力が欠かせません。しかし「職場の理解がある」と答えた人は約35%にとどまりました。 職場の立場や環境によっては「絶対にバレたくない」と考えるケースも。こうした背景にはどんなリアルがあるのでしょうか。職場にバレずに不妊治療を続ける難しさを体験した、女性の物語をお届けします。 仕事に穴を開けたくない…後回しになった「親になる」という選択肢正社員11年目、総合商社の管理職。会社を辞めようという選択肢なかった。仕事はわたしの生きる場所、自分の価値を認めてもらえる場所だった。 メーカーとの商談は性に合っていたし、企画も任されるようになっていた。仕事に穴を開けられない責任もあった。あまつさえ、夫は建築関係の自営業。突然収入を失うこともあるかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。 31歳で結婚したが、夫との価値観の違いから子作りには積極的になれなかった。夫からは「子どもができたら仕事はしないでほしい」と言われていた。お母さんになっても仕事を続けたいと伝えると、返ってきた言葉は「だったらいらない」。 いつか子どもは欲しいけど、仕事だって辞めたくない。そんな30代前半を過ごした。2人ともいつかは親になりたいと願っていたというのに。 30代半ば、流産がきっかけで向き合った不妊治療 2人の考え方が変わったのは、34歳で流産したことがきっかけだった。妊娠が判明し、「親になる」という意識が夫婦に小さく芽生えた。だが、夫と二人で向かった産婦人科で伝えられたのは「胎児の心臓が止まっている」ということ。超音波検査で発育が止まっていると診断される稽留(けいりゅう)流産だった。 「え、心臓が止まるってどういうこと?」 ショックが大きく、現実が受け入れられなかった。妊娠って誰でも普通にできるんじゃないの? 心臓って本当に止まるの? 何度も何度も確認してもらったが、鼓動は止まったままだった。 「ショックすぎて当時のことはあまり覚えてません。付き添った夫もすごいショックを受けていました。そのときはまだ身近に流産を経験した人がいなかったので、なおさら信じられませんでした」 手術のため、総合病院に1泊2日で入院した。そのとき、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断された。 「多嚢胞性卵巣症候群は妊娠しづらい原因にもなります。妊娠を望むようでしたら、不妊治療専門のクリニックに通った方がいいでしょう」と医師は告げた。 抵抗があった不妊治療、タイミング法で始めることに日本内分泌学会によると、多嚢胞性卵巣症候群は①月経不順 ②卵巣にたくさんの小さな嚢胞(卵胞)がある ③ホルモン値がアンバランスになる(男性ホルモンが高くなるなど)、という症状が揃うと診断される。卵胞が発育不良な状態で、無月経や月経不順、不正出血などの排卵障害が起こる。程度の差はあるものの、不妊の原因になる。 振り返れば高校生の頃から月経不順に悩まされていた。だらだら続いたり、来なかったりを繰り返していた。でもまさか治療が必要とは。豊華さんの場合、ホルモンの調整が必要と指摘された。 「なぜ私が不妊治療に通わなきゃいけないのって抵抗がありました。流産はしましたが1度自然妊娠してるし、できれば通わないで医療を介さずに妊娠したいって思いが強くて。今から7年前ですから、今ほど不妊治療自体も世間に浸透していない雰囲気でした。当時は無知で不妊治療=体外受精でと思っていて。お金のこととか、ホルモン剤の副作用が強いんじゃないかとか、いろいろ心配でした」 けれども夫は常に前向きだった。 「いいと思うよ。行くだけ行って検査して、それから考えればいいじゃん」とやさしく背中を押してくれた。そのとき、35歳だった。 ◇◇◇ 不妊治療を決意したものの、「仕事と不妊治療の両立」は思っていた以上に大変だったという豊華さん。なかでも、最も頭を悩ませたこととは……? >中編へつづく 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月25日1人目は妊娠を希望してから3カ月ほどで授かったので、2人目もすぐに妊娠できるだろう、2歳差で出産できれば、と考えていました。でも、希望通りにはいかず、周りのママたちはどんどん妊娠し、なんだか取り残されたような気持ちになっていました。そんな私が2人目を授かるまでの経過をお伝えします。 タイミング法で妊活当時、1人目の子どもは1歳8カ月でした。育休中に2人目を授かりたく、断乳をしてタイミングをはかり、自分たちなりに妊活をしていました。1人目のときのようにすぐに授かるだろうという気持ちがあったのですが、なかなか授からない自分に焦りを感じ始めました。 子連れ可能の不妊治療専門の病院を探して初回の予約を取り、まだ小さい子どもと満員電車に乗って片道1時間ほどの病院へ通い始めました。検査でも大きな問題は見つからず、「1人目が自然妊娠なら2人目もタイミングでみていきましょう」といった方針のようでした。 半年ほど通いましたが、妊娠することはできないままでした。長いときで4時間ほど子どもと病院にいることがあり、「このままこんなふうに時間を過ごしていていいのか」と疑問に思い、通院をやめ、仕事に復帰しました。仕事をすることによって気が紛れるようになりましたが、復職後も自分たちなりにタイミングをとることは続けていました。 やはり2人目が欲しい!仕事に復帰して10カ月ほど経ったとき、「やはり2人目が欲しい。でも、自分たちだけではどうにもならないのではないか?」と思い、もう一度別の病院に通ってみることに決めました。仕事をしながらの通院で子連れで受診はできない病院だったので、夫の協力はとても大切でした。 再度、初期の検査から始めてプロラクチンというホルモンが高いこと、排卵はあるけれどホルモンのバランスが悪いことなどがわかりました。また、夫も精液検査をし、実際に2人で精子の動きを見ながら説明を受け、少し元気がないことがわかりました。どちらか一方ではなく、私たち夫婦は2人とも授かりにくい原因があったことを初めて知ったのです。 次のステップへタイミング法を2周期試して授からず、排卵を促す薬を使用しながら次のステップである人工授精をすすめられました。少し迷いはありましたが、タイミングをはかっても授からないのならば次のステップに進んでみたいという気持ちでトライしました。ただ、平日の実施は仕事の関係もあり難しかったので、排卵が土日に重なったときだけという条件でトライすることに決めました。 1度目の結果は残念な結果でした。しかし、その次の月、運良く土曜日に排卵が重なりそうだったのでもう一度トライしたところ、見事受精しました。新しい病院に通い始めて4カ月目のことです。心拍を確認するまでは心配でしたが、日に日に大きくなるおなかをなでながら成長を楽しむことができました。 もう一度通院してよかった!仕事をしながら、子どもを育てながらの妊活、病院通いは大変なこともありました。でもあのとき、病院にもう一度通い始めてよかったと思っています。先のことはわからないけれど、だからこそ今しなければ後悔すると思ったのです。 今月、待望の2人目の男の子を出産しました。とてもかわいいです。悩んでも仕方がないこともたくさんありますが、悩んだからこそ選ぶことができることもあると思います。私はいま「あのとき、あの選択をしてよかった」と思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:古川 詩織4歳、0カ月の2児の母。現在は育休中。
2021年03月22日「子どもを授かることだけでも喜ばしいことなのに、性別に希望を言うなんて……」。性別の希望を出すことがなんとなくタブーであるという意識があるものの、心のどこかで希望の性別の赤ちゃんを授かりたいと思っていました。女の子を授かりたい私が、病院で受けた産み分け法の体験談をご紹介したいと思います。 子どもは2人まで! だから女の子が欲しい私たち夫婦のなかでは、子どもの数は2人までだよねという話が出ていました。当時、わが家にはすでに男の子が1人いたため、次の妊娠・出産が最後になります。もしも、次に妊娠・出産をする機会があるならば、「どうしても女の子が欲しい!!」と思うように。 私のなかでは、男の子と女の子、どちらの性別の子どもも育ててみたいという気持ちが日に日に強くなり、女の子を授かるためにできる限りのことにチャレンジしてみようと考えるようになりました。 病院での産み分けで可能性アップのはずが女の子が欲しいという思いが強くなった私が真っ先に考えたのは、産み分け法の挑戦です。インターネットや本などでも産み分け法を見つけることができましたが、少しでも可能性を上げるには、産婦人科を受診し医師の指導を受けること、これに尽きると思いました。 ただ、産み分け自体に否定的な意見も多く、「ぜいたくだ」と両親や親しい友人に言われたこともあります。また、いくつかの病院を回り相談をしましたが、「産み分けなんかやらなくてもよい」とバッサリ言う医師もいました。 病院での指導内容やスケジュール幸い、産み分けを快くOKしてくれた医師に出会うことができ、指導をスタートすることに。当時の私は30歳、生理サイクルも安定し、排卵日も予測しやすい状況でした。女の子の産み分けは、排卵日の2日前を超音波検査で見極め、その日のみに夫婦生活をおこないますが、その際には腟内を酸性に保つことが重要で、当日に病院を受診できれば腟内洗浄の処置を受けます。 受診できないときには、腟内洗浄と同様の効果が得られるピンクゼリーを使用し、夫婦生活をおこなったことも。ピンクゼリーはSS研究会の物が正規品で、5回分が10,000円ほどで購入できるので、自分で用意しました。これを毎月繰り返し、あとは妊娠することを願うのみです。 産み分けから不妊治療へ女の子の産み分けにチャレンジして半年を過ぎたころ、医師からこんな言葉を告げられました。 「女の子の産み分けは妊娠しにくくなるのは事実。しかし、ここまで排卵に合わせて夫婦生活をしていても妊娠が成立しないのは、妊娠しにくい別の原因があるのかもしれない」。この言葉がきっかけで夫と話し合い、産み分けから不妊治療へシフトしていくことになりました。 わが家の場合、産み分けを通り越して不妊治療を受ける別の結果となりました。しかし、産み分けをしたことが決して無駄であったと感じたこともありませんし、むしろやらなければ後悔していた私がいたでしょう。産み分けに対するさまざまな意見はありましたが、夫婦の思いを優先させることができてよかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石井 みなみ4歳と0歳の母。過去には医療事務として勤務経験あり。自身の妊娠・出産・子育ての体験をもとに執筆している。
2021年03月20日育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。 平日の採卵は「仕事のために」麻酔なし――二階堂編集長は顕微授精による治療を1年間続けてきました。けれど、不妊治療のことは、職場ではオープンにしていなかったんですよね。 「女性社員の多い会社で、不妊治療に対しても理解のある職場だと思います。だから、隠さなくてもいいかなと思ったけれど、治療の成果が出なかったときに周りが声をかけにくくなるかもしれない、お子さんのいる社員にも気を遣わせてしまうかも……といろいろ考えてしまい、一部の人にしか伝えませんでした。 そして、仕事の上で周囲に迷惑をかけたくなかったので、週1~2回の通院はなるべく土日に予約を入れていましたね。仕方なく平日になってしまった場合はクリニックの待合室に併設されているデスクスペースで仕事をしたり。業務が滞らないように、明け方や夜中にパソコンを開くこともありました。 『不妊は病気ではないので、通院を理由に仕事を休むのに気が引ける』という人は多いです。私もそうでした。ただ、リモートワークのできる私の環境は恵まれているほうだろうし、治療の期間も決めていたので、何とかやっていけたように思います。先の見えない状態だったら、体力・気力をどこまで持つことができたか……。 自分が経験してみて思うのは、不妊治療は職場の理解を得て、柔軟にフォローし合える環境でおこなえるのが理想的。少なくとも上司の理解が得られないと、仕事と不妊治療のバランスをとるのは難しいと感じました」(二階堂) ――前回、採卵日は卵胞の育ち具合で急に決まると聞きました。仕事との調整はどのようにされたのでしょう? 「採卵日は1~2日なら調整可能とのことで、3回のうち2回の手術は土曜日に行いました。1回だけ、週末まで待つと自然排卵する恐れがあったので、平日に採卵することに。 私の通っていたクリニックでは採卵時に全身麻酔を使用するのですが、全身麻酔をしての採卵を仕事のある平日におこなうと、時間がかかりすぎてしまうと感じました。そのため私は、平日の採卵は少しでも短い時間で済ませるために、麻酔を使わずに採卵。幸い、私はあまり痛みを感じなかったのですが、人によっては体調が悪くなることもあると聞いていたので、そうなったとしたら、かえって仕事に支障が出るのではないかと気が気ではありませんでした」(二階堂) 厚生労働省によれば、生殖補助医療(体外受精・顕微授精)の場合、女性の通院の目安は『月経周期ごとに1~2時間の診察が4~10日』かつ『半日~1日かかる診察が2日』。診察時間以外に2~3時間の待ち時間があるのが一般的としています。不妊治療と仕事の両立ができず、約16%の人が仕事を辞めています※。 ※出典:厚生労働省作成リーフレット「仕事と不妊治療の両立支援のために」 不妊治療の助成や特別養子縁組にも年齢の壁――不妊治療は経済的な負担もあります。トータルでどのくらいの費用がかかりましたか? 「顕微授精を3回おこない、総額約193万円かかりました。不妊治療のためにとお金を準備していたので後悔はないけれど、やはり高額ですね。 2021年1月から体外受精・顕微授精による不妊治療の助成が拡大されて、1回あたり30万円の補助を6回まで受けることができるようになりました。だけど制度を利用するには年齢制限があり、治療開始の初日時点で女性の年齢が40歳~43歳未満なら助成は3回まで、43歳以上は対象外になるので、この制度があっても私は適用されません。ただ、このような助成が拡大されことで、チャンスが広がる方もたくさんいるはずなのでとてもいいことだと思います。 また、同時期に特別養子縁組についても調べてみたのですが、養親の年齢は45歳までや子どもとの年齢差とを設定されているところが多いようで……。ここでも年齢の壁にぶつかってしまいました」(二階堂) 後悔しないために考えたいライフプランと卵子凍結――不妊の検査や治療を受けたことのある夫婦は、子どものいない夫婦では28.2%だそうです。不妊治療を受ける人も増加していますね※。つらかったことはどんなことでしょうか。 「不妊治療でつらかったのは、努力が結果につながらないことでした。仕事や勉強は頑張った分だけ成果が出るけれど、不妊治療は着床しなければ振り出しに戻る。むしろ年をとる分、マイナスからの再スタートですね。 今の医療では卵子を若返らせるはできません。卵子の数も日々減っていく中、子どもが欲しいけれど不妊の疑いがあるのなら、早めにカップルで受診することをすすめたいです。自分の体と向き合うことで妊娠への糸口が見つかるかもしれないですから」(二階堂) ※出典:国立社会保障・人口問題研究所「2015年社会保障・人口問題基本調査」P27「図表Ⅱ-3-3 子どもの有無・妻の年齢別にみた、不妊についての心配と治療経験: 第 15 回調査(2015 年)」 ――四年制大学を卒業して就職した場合、23~24歳ごろに社会人となり、妊娠適齢期とキャリアを積む時期が重なります。二階堂編集長と同じように、仕事を理由に、妊娠を先延ばしにする人は多いかもしれませんね。 「産休や育休を取るタイミングや仕事と子育ての両立、待機児童など、今の日本で子どもを産み育てるには、乗り越えるべきハードルがあるように思います。 でも、妊娠・出産に関しては年齢を挽回できないことがあるというのも事実。妊娠適齢期は35歳ごろまでで、だいたい閉経の約10年前から妊娠する能力は失われるといいます。これからの時代、いつか子どもが欲しいのであれば、パートナーがいてもいなくても卵子凍結を検討する余地はあるのかもしれません。 思い切り仕事がしたい、子どもも産み育てたい――当たり前のことを当たり前に叶えるためには、妊娠についての正しい知識が必要です。そのうえで、自分なりの生みどきを見据えたライフプランニングが必要ではないでしょうか。手遅れになって後悔しないために……と、自戒を込めて心からそう思いました」(二階堂) インタビューを通して「赤ちゃんが欲しいと思う人が増えること、笑顔で育児できる世の中になることを心から願っている」と語った二階堂編集長。「そのためにも妊娠を望む女性や妊婦さん、ママだけでなく、全ての人が他人事でなく“自分事”と思える情報をしっかりと届けていきたい」と言います。 コロナ禍ではありますが、『こんなご時世でも産みたい』と思えるように、世の中が変わるためには、私たち一人ひとりの意識を変えることが必要だと改めて感じました。 取材・文/来布十和
2021年03月05日5.5組に1組――。不妊に悩む夫婦の割合です。晩婚化が進み、現実にはさらに高い割合とも言われています。いまや、赤ちゃんが授からない悩みは、特別なことではなくなっています。 世界保健機関(WHO)によると、不妊に悩むカップルの半数は男性側に原因があるといいます(※1)。とはいえ、心も体も女性の負担が大きい不妊治療。でも、医療技術は日々進歩しています。ベビーカレンダーの独自調査とともに、不妊治療を乗り越えた女性の物語をお届けします。 ▲ベビーカレンダー独自の調査によると、子どもをもつ2,868名の女性のうち、不妊治療をしたことがある割合は約35%(990名)。3名に1名は不妊治療を経験していた。 夫の一言に落胆、互いにたまるストレス「え。今日何もしてへんの?」 帰宅した夫が、開口一番言い放った言葉に、安藤かなさん(33・仮名)は落胆した。この日は仕事を休んで不妊治療の処置を受けた。治療内容は顕微受精のための採卵。何週間かホルモン注射を打って育ててきた卵子を、卵巣に針を刺して採取する。麻酔もしたので、帰宅後は何も手に付かず横になっていた。 「きつい一言でした。私が今日どんだけ大変な思いをしたか、わかってるはずだよねって。でも今思えば、夫もストレスがたまっていたんだと思います」 かなさんは現在、0歳と4歳の育児に奮闘する。1人目は不妊治療の末に授かり、2人目は自然妊娠で授かった。命が宿るということは、医療の手が介入しようとしまいと、奇跡の連続だと実感する日々だ。 どうして自分だけ……まぶしく映った「産休育休」23歳で結婚。子どもはすぐにでも授かりたいと思っていた。ところが結婚の翌年の夏、突然の出血で子宮外妊娠(受精卵が子宮内膜以外の場所で着床すること)が発覚。緊急の腹腔鏡手術(お腹に数か所の小さな穴をあけ、カメラや手術器具を使って手術を行う方法)を受けた。 奇跡的に卵管摘出には至らなかったが、小さな傷口が4〜5カ所お腹に残った。約1カ月間入院した大学病院の産婦人科病棟は、お腹の大きい妊婦ばかり。元気な赤ちゃんの声も聞こえてきた。早く妊娠しなければという焦りが込み上げると同時に、「どうして自分だけ」と卑屈な感情が湧いた。 「あの時のみじめな思いがきっかけで、どうしても自分の子どもが欲しいってこだわり始めました。職場の先輩たちが『産休』『育休』をとる姿が、まぶしく見えるようになりました」 その後、2年間自然妊娠を待ったがかなわず、不妊治療を開始した。 タイミング法で結果出ず、自己嫌悪に日本産科婦人科学会は、子どもを望む夫婦が夫婦生活を1年続けても妊娠しないことを「不妊」と定義する。年齢や病気などで妊娠しにくい場合は、すぐに治療を開始することも。かなさんは年齢的な余裕はあったものの、2年が経過したので不妊治療に踏み切った。ゴールの見えない2人旅の始まりだった。 初めは近くの産婦人科クリニックの門を叩いた。卵子が20代から劣化するというグラフを見せられ、ショックを受けた。「まずは基礎体温を付け、タイミング法でやってみましょう」という医師の助言に従った。 毎月何本も妊娠検査薬を使い、ちょっとした変化があるたび、インターネットで情報をかき集めた。しかし半年経っても毎月生理はやって来る。妊婦で混み合うクリニックの待合室。人の幸せが喜べない……。穏やかなオルゴールBGMを聴きながら、かなさんはこぶしを握った。 「私はなんてひどい人間なんだろうって自己嫌悪に陥りました。その状況が耐え難くて、専門のクリニックに移ることにしたんです」 専門クリニックで治療開始夫が原因で「妊娠の可能性1%」 不妊の原因はさまざまだ。病気や体質、精神的ストレスのほか、原因が見つからない場合もある。男性、女性、または両方が問題を抱えていることもある。原因の半数は男性側にある。(※1) 紹介された不妊治療専門のクリニックでは、夫婦2人の血液や卵巣、精巣など、生殖に関する器官の検査から始まった。 検査結果を聞きに行くと医師は告げた。 「旦那さんのこのデータから見ると、妊娠の可能性は1%です」 夫の精子は数が少なく、動きも活発ではなかった。かなさんにもホルモンの出方などに問題があった。「つまり、毎月ベストタイミングで子作りをしても8年後にできるかできないかといったところですね」と医師は続けた。0%じゃないんだね、と励まし合った。すぐに治療に取り組もうと、二人で決意した。 「実現するかどうかわからない自然妊娠を待つのではなく、2人ともサラリーマンである今、経済的に余裕のあるうちに積極的に治療に取り組んでみようって決めました」 データから成功を願うもかなわなかった人工授精不妊治療は、タイミング法、人工授精、体外受精・顕微受精の順にステップアップする。かかる費用も段階を追うごとに高額になる。夫婦が次に選んだ治療は、人工授精だった。 「データ的には人工授精でも厳しいとは言われていたんですが、授かったらそれはそれでラッキーだね、ということになりました」 だが3回試したものの、成功はしなかった。 どうして自分だけーーー。 再びこの言葉が襲いかかってきた。治療前にクリニックで見せてもらったデータが頭をかすめる。20代の人工授精の妊娠率を示したあのグラフ。「あぁ、私はまたグラフの“成功”の割合から外れるんだなぁって。ひどく落ち込みました」 高額な顕微受精へ精神的に追い詰められ医師に促され、すぐに顕微授精に切り替えた。顕微受精とは、顕微鏡下で卵子に直接精子を注入し、体外受精する方法のこと。かなさんは人工授精の時からホルモン注射は打っていたが、顕微授精となると何個も卵子を育てる必要があるため、注射の量も期間も種類も増えた。この頃、かなさんは“妊娠=成功”という考えで凝り固まっていた。 「当時は本も読めなくなっていましたし、休みの日も妊娠のことばかり考えていました。うつの一歩手前だったかもしれません」と振り返る。どんどんのめり込む妻を、夫は何度もたしなめた。 「もうやめようよ」「そんなに急がなくてもいい」「二人でも楽しいことはたくさんある」「仕事の環境を変えてみたら?」「養子っていう方法もあるよね」「子どもが欲しいからじゃなくて、俺と一緒になりたいから結婚したんだよね?」 しかしどの言葉も耳をすり抜けていった。 初めての顕微受精。結果、いくつか状態の良い受精卵ができ、より良い受精卵を選んで体内に戻した。かなさんの場合、顕微受精に向けた事前の検査やホルモン治療、薬代もひっくるめると、1回の顕微受精で約100万円かかった。あとは順調な経過を待つだけだった。 私のせいで……電車で涙が止まらなかった初期流産 その日から次の受診日まで、意味がないとわかっていても過剰に安静を心掛けた。「通勤の電車が揺れすぎじゃないか」と無駄に精神をすり減らした。 受診日、妊娠が確認できたものの「少し成長が遅いかな?まだ安心はできません」と、翌週の受診まで判断は待つことに。結果は、心拍確認できず初期流産だった。帰りの電車で一人、涙が止まらなくなった。 「自分がとてもかわいそうに思えてきて。子宮外妊娠したときのことも思い出して、なんで自分ばっかりって……。冷静に考えると流産なんて普通にあることなんですが、最新の医療でも私はだめなの?って落ち込みました。ただただ本能的に、子どもが育てられないのかという悲しみでした」 日本産科婦人科学会によると、年齢により流産率は大きく異なる。医療機関で確認された妊娠のうち、流産が起こる確率は20代で15%前後だが、40歳以上で50%以上と、決して少なくない。原因のほとんどが染色体異常だ。 かなさんの場合、流産が偶然だったのか母体に原因があったのかを調べるため、手術で組織を取り出し検査した。結果、受精卵の染色体には問題はないと判明した。妊娠を継続しにくい「不育症」の可能性をいくつか指摘された。 「悪気はないとわかってはいましたが、そのときに先生が『男の子だったんだね』とおっしゃって。私の体がポンコツなせいで、この男の子は育つことができなかったんだ!と考えてしまって、さらにつらくなりました」 注射と食事制限で体質を改善心拍確認、出産へ不育症への対策が始まったが、負担は想像以上だった。糖尿病予備軍とされ、注射を12時間おきに毎日打つこと、1日1食は炭水化物ゼロ、さらにほかの2食については、食後に血糖値を下げる薬を飲むことが課せられた。 食事制限で目に見えてやせたため、会社の人たちにも不妊治療のことを伝え、毎日の注射は更衣室で打たせてもらった。体質が改善してきたところで、2個目の受精卵を体に戻した。 2回目の移植では、心拍が確認できた。しかし安堵と不安がマーブル状に入り組んだ。 「心拍が確認できても、また流産の悲しみが待っているのではという気持ちがずっとありました。生まれるまで心からの安心はできませんでした」。妊娠8カ月まで、血糖値の薬は飲み続けた。 妊娠の経過は良好だった。不妊治療からおよそ3年経った28歳の春、元気な男の子を出産した。 やっと会えた……。 立ち会った夫の目は、うるんでいた。治療を通して夫とぎくしゃくしたこともあったが、負の感情もぶつけ合い、より深く互いを知ることができた。2人は、ただただ純粋な喜びに包まれた。 タイミング法、人工授精、顕微受精に費やした治療費は200万円を超えた。 「今は『あの子は高級な子やからな〜』って夫婦で冗談を言うこともあります。まさかこんな幸せな日が来るなんて。医療に感謝です。医療の進歩があったから、この子に会えたんだと思います」 ▲不妊治療をしたことがある人のなかで、赤ちゃんを授かるまでにかかった金額は「50万円以下」が半数以上。一方、200万円以上かかった人は全体の約18%と多額の不妊治療費を負担している実態が見える。 2人目の夢を吹っ切れた直後の奇跡 母になって2年が経ち、かなさんはいろいろ吹っ切れるようになっていった。2人目は欲しかったが、夫は1人で十分だと言った。夫と息子の家族3人で生きて行こうと決めた。 年間5万円かけ凍結保存してきた受精卵。愛おしかったが、サヨナラする決断をした。仕事を辞め、友だちと飲みに行くようにもなった。すると半年後、体調に異変が。2人目の命が自然妊娠で宿ったのだ。 「これまで何十本使ったかわからない検査薬で、初めて陽性が出たんです。お世話になった先生たちは『奇跡だ!』っておっしゃいました」 ▲第一子出産後も受精卵(胚)の凍結保存を更新した時の領収書「凍結保存した受精卵にも愛着がありました」 浅田レディースクリニックの浅田義正院長はこう言う。 「体外受精後の自然妊娠は数百人に1人というデータがあり、安藤さんは特殊な事例です。不妊治療にはいろいろな方法があります。不妊の原因も、施設も、医師も、成績もいろいろ。不妊治療にスタンダードも、ガイドラインもまったくありません。 中にはつらい思いを続けて、努力しても妊娠できずに自分を責める人もいますが、本来、医療である不妊治療は痛い、つらいものであってはいけないと思っています。しかし、妊娠は努力すれば必ず100%妊娠できるというものでもありません。 結果が悪くても決して自分を責めないでくださいね。そして少しでも痛みや苦しみを感じず治療できる環境を選んでください」 安藤さんは昨年、無事女の子を出産した。きょうだい並んで眠る姿、妹の手に愛おしそうに触れる息子を見て思う。あのまま2人目や仕事を吹っ切れずにストレスを抱えて生きていたら……。きっと目の前にある光景は見られなかっただろう、と。 もしも当時の自分に会えるとしたら、掛けてあげたい言葉がある。「あんまり自分を精神的に追い込んじゃだめだよ。パートナーのことも大切にしてあげて。治療の痛みに耐えた先には、幸せな未来が待ってるんだから」 (※1)厚生労働省 不妊治療と仕事の両立サポートハンドブック※不妊治療費は病院や患者の状態によって異なります【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)〜2月3日(水)調査件数:2,868名 取材・文/大楽真衣子 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月05日日本は世界で最も体外受精の実施件数が多いのに、1回の採卵あたりの出産率は世界最下位―2016年に国際生殖補助医療監視委員会〈ICMART〉が世界60ヵ国を調査したレポートからわかったのは、衝撃的な現実でした。そうしたなか、2020年の菅内閣誕生で不妊治療の保険適用が動き出すなど、不妊治療への世間の注目はますます高まっています。 しかしショッキングな現実が明らかになったものの、決して日本の不妊治療の技術すべてが劣っているわけではありません。赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える世の中になるために、日本の不妊治療の仕組みは、一人ひとりの意識はどうすべきなのか? 日本における顕微授精の草分け的存在の浅田レディースクリニック理事長・浅田医師にお話を伺いました。 出産率6.2%、日本の不妊治療の実態日本の体外受精の出産率は世界最下位―その裏付けとなるのは、ICMARTが発表した下記のレポートです。 ※ICMARTが2016年に発表したレポートより、2010年の60ヵ国・地域のデータから抜粋して作成。顕微授精、体外受精を合わせた数値。参考:『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(講談社ブルーバックス 著:浅田 義正、河合 蘭) 浅田医師(以下、カギカッコはすべて浅田医師の発言):「日本の体外受精からの出産率は、世界でダントツの最下位なんです。採卵件数に対しての出産率が非常に低く、1回の採卵あたりでは出産率6.2%。これは、世界平均20.1%の3分の1にも満たない数値です」 なぜ、日本の不妊治療はこんなにも成績が悪いのでしょうか。その理由は2つ考えられると、浅田医師は語ります。 「まずはそもそも晩婚化が進み、不妊治療を始めるタイミングが遅く、卵子の老化が進んでしまっているからです。もうひとつ、世界では推奨されていない『自然周期採卵』を推奨する風潮も原因だと考えられます」 自然周期採卵とは、体外受精において排卵誘発剤を使わずに採卵する方法。日本ではこの自然周期採卵を“体にやさしい”として推奨するクリニックも多いのです。 しかし浅田医師は「体外受精で自然周期採卵を推奨するのは日本だけ」だと語ります。 「イギリスの不妊治療に関するガイドラインでは、自然周期採卵を患者に勧めてはいけない、とはっきり書いてあるんです。統計的に排卵誘発剤を使って複数の卵子を採卵したほうが妊娠しやすいことは明らかな一方、自然に排卵する卵子はたった1個しかないんですから」 こうした現状を招いてしまうのも、「クリニックごとにバラバラな治療実態」が問題だと浅田医師は指摘。「医師としては、クオリティや品質が統一された生殖医療システムを作っていかなければならない」と語ります。 菅内閣が打ち出す不妊治療の保険適用の課題とは世界と比べ不妊治療の成績が芳しくない現状があるなか、2020年には菅内閣が誕生し「不妊治療の保険適用」が表明された日本。このことについて浅田医師はどう考えているのでしょうか。 「患者さんの費用負担が減ることについては、私は大賛成です」としながらも、課題は多いと語ります。 「まずは不妊治療で現状使用している薬剤や機械を保険適用にするために、治験や手続きのための莫大な時間と費用がかかる点です。 保険適用にするためには使用する薬剤の承認を得ることが必要で、たとえ『明日から体外受精を保険適用にします』ということになっても、保険適用で使用できる薬剤がほとんどなく、事実上治療ができない非常事態になってしまうんです」 さらに、現状の薬が無事に保険適用の承認を得られても、「今後新しい薬が出るたびに承認を得なければならず、不妊治療の技術の進歩に保険が追いつかなくなる可能性もある」と指摘します。 しかし課題がある一方、先ほど問題点として挙げられた「クリニックごとのバラバラな治療実態」については改善が期待されると言います。 「保険適用の過程で、クリニックごとの成績開示の必要性が生じれば、施設のレベル統一につながる可能性もあります。アメリカではクリニックごとの妊娠率・出産率はすべて公開されていますが、日本では日本産婦人科学会に登録して成績を全部出しているクリニックもあれば、登録すらしていないクリニックもある。 今まではこうした現状を議論する場もなかったので、実態が明らかになったのは一歩前進だと思います」 家族を考える、すべての人に伝えたいこと体外受精の成功率が世界最下位というショッキングな現状がありつつも、不妊治療の保険適用をきっかけに制度が見直されつつある日本。枠組みが変わろうとするなか、個人としてはどのような意識を持てばよいのでしょうか。 実際に不妊治療をおこなうカップルはもちろん、不妊治療についてあまり知らない方も含め、将来的に赤ちゃんを迎えたいと願うすべての人に対し、浅田医師からこのようなメッセージがありました。 「まずは正しい知識を持ってほしいですね。妊娠するための女性の体の仕組みや、卵子の老化について。また、今回お話した世界と比較した日本の体外受精の成績や、自然周期採卵を推奨しているのは日本だけ、といったことを知っていれば、どういった方針を持つクリニックに行くべきなのかも判断でき、誤った情報にもまどわされないと思います」 不妊治療というものが日本でも制度から見直され始め、大きな一歩を歩み始めた今。 この時代のうねりのなかで、不妊治療に関する正しい知識を男女問わず世の中の人が当たり前に持ち、制度と意識の両方が変われば日本の不妊治療の成功率も大きく変わるはず。そして赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える、そんな世の中になっていけると願っています。 監修者:医師 浅田レディース品川クリニック院長 浅田義正先生名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部附属病院産婦人科医員として「不妊外来」および、「健康外来(更年期障害・ホルモン補充療法)」の専門外来を担当後、米国初の体外受精施設に留学。主に顕微授精(卵細胞質内精子注入法:ICSI)の基礎的研究に従事。95年に名古屋大学医学部附属病院分院にてICSIによる治療開始。顕微授精症例の全症例を担当し、同年5月、精巣精子を用いたICSIによる日本初の妊娠例を報告。98年ナカジマクリニック不妊センター開設。2004年浅田レディースクリニック(現・浅田レディース勝川クリニック)開院。10年に浅田レディース名古屋駅前クリニック、18年には浅田レディース品川クリニックを開院。多くの不妊に悩む女性と日々向き合っている。『不妊治療を考えたら読む本 科学でわかる「妊娠への近道」』(ブルーバックス、講談社)など著書も多数。著者:ライター 平 理沙子Webライター。ITスタートアップ企業での広報なども経験あり。東京大学卒業後、新卒で娘を出産した一児の母。フェムテックやジェンダー、現在在住するシンガポール情報などを中心に執筆活動をしている。
2021年03月01日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。2年間の治療をお休みしていた大山さんですが、あることをキッカケに不妊治療を再び始めることになります。前回の治療時に比べて、どういう風に気持ちの持ち方や取り組み方が変わったのか。また、コロナ禍での妊娠ということで妊娠中に気を付けていたこと、不妊治療が保険適応されるかもしれないという今、大山さん自身が思うことなどを答えてもらいました。 「もう待てない…」と思い、治療を再開ー不妊治療をやめてから2年後に、再度治療をしようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。 大山さん:当時は2020年の東京オリンピックが終わってから、不妊治療のことを考えようと思っていました。でも、オリンピックが延期になったときに、これ以上は待てないと思ったんです。それまでは仕事も忙しくて治療にも通えなかったので、“今ではないな”と思っていたんですよね。でも、コロナ禍で仕事がなくなり、時間が出来たときに、今なら治療に専念できると思ったんです。もちろん、コロナ禍で妊娠することに対しての不安はありましたが、“今しかない”とも思いました。 ー時間があることで、精神的にも余裕を持てたのかもしれないですね。 大山さん:そう思います。2年前は藁にもすがる思いで、できることは何でも取り組んでいました。今思うと、自分にプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。年齢に対しても焦っていましたし……。でも今回は、「子どもができたらいいな」くらいの感覚で取り組めたことが、良い結果につながったような気がします。 大好きな先輩の妊娠! 「私も続きたい」という願いが叶うー不妊治療をするときに、大山さんが気を紛らわせるためにしていたことはどんなことでしたか? 大山さん:1人で抱え込むことが1番つらいことなので、同じ環境下にいた仲のいい先輩とお話をして、苦しさを共有できたことはすごく救いになりました。その先輩は、同じくらいの時期に体外受精にステップアップして、お子さんを授かることができたんです。そのときの先輩の妊娠は、心から喜ぶことができました。その成功体験を見ていたからこそ、私も続きたいなと思っていました。 ーいざ、妊娠をしたときの旦那様の反応はいかがでしたか? 大山さん:旦那さんにはLINEで「陽性だった」と伝えたら、「すごいじゃん」と返ってきました(笑)。不器用で分かりづらさはあるんですが、妊娠をしてから家事を積極的にやってくれますし、支えてくれていることは伝わりました。 ー今改めて、旦那様にどんな言葉をかけたいですか? 大山さん:はじめは積極的ではなかったかもしれないけど、不妊治療に付き合ってくれたことに対して感謝しています。また、だいずと出会うきっかけを作ってくれたことに対してもありがとうと伝えたいです。 ーこれからだいずくんと双子ちゃんたちが遊ぶ姿が見られるのが楽しみですね。ちなみに、コロナ禍での妊婦生活ではどんなことに気を付けていましたか? 大山さん:移動はできるだけタクシーや、旦那さんに送ってもらうようにしていました。また、公共の乗り物を出来るだけ避けて、人と触れ合わないように気を付けていました。ただ、心配過ぎても良くないと思うので、緊急事態宣言が出ていないころは、感染対策をきちんとおこなった上で友達とランチに行くなど、気分転換をするようにしていました。 自分の納得のいくまで治療が受けられる世の中に…ーさて、現在は不妊治療が保険適用化されるような話題が出てきています。経験者として大山さんはどのように思いますか? 大山さん:不妊治療は本当にお金がかかります。その金銭的なところで諦めてしまう人もたくさんいると思うんですが、それってすごくつらいことだと思うんですよね。だからこそ、今後は金銭的な部分で不妊治療を諦める人が出てこないような社会を作ってほしいと思います。さらに、子どもを望む方が自分の納得がいくまで治療できるような環境や制度は、しっかりと整えて欲しいと思っています。今、保険適応という言葉が出てきていますが、パフォーマンスではなく本気で取り組んでほしいですね。 ーただ、不妊治療は1人ひとりの状態に合わせて必要なオプションを付けるなど、それぞれに合った治療方法が受けられるようにしているそうですが、保険適用化することで、自分に合った治療が受けられなくなるかもしれないなど、ネット上では反対の意見も出てきているようですが……。 大山さん:そこは大きな課題だと思います。1人ひとりにあった治療がちゃんと出来なくなってしまったり、最先端のものは保険適応が難しいと聞いたりもするので、本気で子どもを望んでいる方に、ちゃんと子どもが授かれるような社会を確立してほしいです。 ーありがとうございました。では最後にメッセージをお願いします。 大山さん:子どもが欲しくても、なかなか授かることができず苦しんでいる人がたくさんいるということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいですね。さらに、それと同時に子どもを望まない人生も尊重されるべきだと思っています。子どもを持つ、持たない、結婚する、しないなど、どんな選択をしても、それはすべて尊重されるべきだし、お互いのことを思いやることができる社会になることを心から願っています。 1つ1つの質問に対して真摯に向き合ってくださり、ご自身の言葉でしっかりとインタビューに答えてくれた大山加奈さん。この度はリモート取材にてご協力くださり、誠にありがとうございました! また、取材日から1カ月後の2月19日に双子の女の子を無事にご出産されましたこと、本当におめでとうございます! 家族が増えて、これからますますご家庭が賑やかになるかと思いますが、お体に気を付けながら子育てを頑張ってください! PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月28日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。また、2021年2月19日に双子の女の子産を出産し、念願だったママになりました。不妊治療を開始したものの、思うように結果が出なかったという大山さん。そこで、思い切って体外受精に踏み込むことを決意します。今回はそのときの大山さんの心情の変化を中心にお話を伺いました。また、周囲の言動でつらかったことや、働き盛りの時期に仕事を休むということへの後ろめたさ、子どもができないことに対して考え方が変わるキッカケとなった愛犬との出会いについても話してくれました。 経済面・精神面で負担が大きいとされる人工授精に挑戦ー具体的にはどのような内容の不妊治療をされていたのでしょうか? 大山さん:最初は、自然な形で授かりたいという想いが強かったんです。なので、タイミング療法(※1)を試していた時期も長かったですね。ただ、先生からは「早く人工授精(※2)にステップアップしたほうが良い」とアドバイスをしていただいていました。でも、なかなか妊娠することができず、年齢を重ねてきてしまっただけでなく母親にガンが見つかり、早く子どもの顔を見せたいという気持ちが溢れ、体外授精(※3)にステップアップすることを決意しました。 (※1)タイミング療法:正確な排卵日を予測し、医師が性行為をおこなうタイミングを指導することで、妊娠へと導く療法。 (※2)人工授精:細い管を使い、事前に採取しておいた精子を子宮腔内に注入する治療法。タイミング療法で妊娠しなかったという人の次のステップとされている。 (※3)体外受精:卵子と精子を採取し、培養液内で受精させ体内に戻す方法。タイミング療法や人工授精と比べると金額が高く、体への負担も大きいとされている。 ー体外授精にステップアップすると決意するのは、簡単なことではないですよね。 大山さん:はい。まず引っ掛かったのは経済面のことでした。体外受精だと1回の治療は何十万とかなりの高額なので、そのことを考えると気軽に出せる金額ではないです。また、その金額を出したからって子どもを授かれる保証があるわけでもないですからね。さらに、体への負担も大きいと聞いていたので、“仕事をしながら体外受精にステップアップすることは可能なのか”ということはすごく気になっていました。大事な仕事のときに、ちゃんと仕事と向き合えなかったらそれこそ大変ですからね。 ー実際にお仕事と治療の両立をされてみていかがでしたか? 大山さん:私の仕事が1番少ない年度初めの4月に合わせて、初めての体外受精に臨みました。その当時は、精神面の浮き沈みが激しかったですね……。また、仕事と両立するために通院回数を減らそうと、排卵を促すための排卵誘発剤を自分で打つ「自己注射」というものを取り入れたのですが、昔から注射が苦手だった私は、“なんでこんなことをしなくちゃいけないんだろう”と思いながら、ときには涙を流しながら注射を打つこともありました。そこでメンタルはかなり削られました。 ー旦那様は不妊治療についてあまり賛成ではなかったと伺いましたが、どのように2人で話し合って治療を進めていったのでしょうか? 大山さん:不妊治療の話し合いもしっかりとおこなう感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。 ー実際に体外受精に挑戦したのはどのくらいだったのでしょうか? 大山さん:そのときは1度だけですね。でも、採れた卵がほぼ使えない卵だったんです。かろうじて1個だけ、他のクリニックなら廃棄してしまうようなものがあって、それを受精させて戻したんですけど、やっぱりダメで……。きっと、また採卵をしても同じ結果になるんじゃないかと思ったのと同時に、もう疲れちゃったんです。そこで一度、治療を終わりにする決意をしました。ちょうど仕事も忙しくなってきたころだったので、仕事を取ったというのもありますね。 周りの何気ない発言に傷ついてきたことも…ー不妊治療中につらかったことなどはありましたか? 大山さん:仕事では子どもと関わることも多くて、質問コーナーでストレートに「子どもはいますか?」って聞かれることがあったんです。ほかにも、「きっと加奈ちゃんならいいお母さんになれると思う」と言われたことも……。その質問や発言には悪気がないのは分かっていましたが、ちょうど治療がうまくいかなかったり、気持ちも落ちていたときだったので余計につらかったです。また、ある食事会では、子どもができないことを冗談交じりに茶化されたことがありました。そのときは思わず涙が出てしまい、とても傷つきました。 ーすごく難しい問題ですよね。 大山さん:そうですね。やっぱり、当事者じゃないとその言葉がどれだけ鋭いものかって難しいと思うんです。それは不妊だけではなく、どんな場所でも同じなので、発言は軽々しくしてはいけないなと改めて感じました。 愛犬との出会いにより、気持ちと体に変化が…出典:大山加奈さんのInstagramより(左側は飼い始めたころ(2018年5月)のだいずくん)、右側は2020年12月のだいずくん) ー不妊治療を休んだ当時は、どんな心境でしたか? 大山さん:不妊治療を休むことになってから、愛犬である“だいず”を飼い始めたんです。それからは、治療のことや子どものことをあまり考えなくなったんです。それよりも、このだいずを育てていくことに幸せを感じて、次第に“この子がいればいいや”と思うようになりました。すごく心がラクになりましたし、純粋に毎日が楽しく感じられるようになったんです。それまでは、生理が来るたびに苦しい気持ちになっていたので、久しぶりに幸せだと思えた期間でした。 ーだいずくんが心を癒してくれたんですね。 大山さん:はい。だいずが来てから、精神的にも落ち着きましたし、健康になった気がします。もともとストレスを抱えてしまうタイプで、不眠症も患っていたのですが、それも治ったんですよ。毎日だいずのお散歩に行かなくちゃいけないので、朝寝坊も夜更かしもしなくなりました。そのおかげで心身ともに健康になりました。だいずには、心から感謝をしています。 そのころのことを思い出したのか、だいずくんの話をし始めた途端、大山さんの表情もやわらかく、その場の空気も温かいものへと変わっていくのを感じました。さて、大山加奈さん独占インタビューの最終回は、不妊治療の再スタートについてやコロナ禍での妊娠・出産について答えてもらいます。ぜひ最後までお付き合いください。 <第3回に続く> ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。また、病院や治療方法などにより、金額が異なる場合があります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月27日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げています。 そんな幅広い分野で活躍する大山加奈さんですが、去年の9月に不妊治療の末、双子の赤ちゃんを授かったと公式ブログで妊娠を報告。2021年2月19日には、双子の女の子を無事出産し、念願だったママになる夢が叶いました。 今回は大山さんの不妊治療の体験談を中心に、これまでに悩んでいたことや、現役スポーツ選手時代を振り返って感じた生理と不妊の関係の重要性などを取材させていただきました。 ブログで報告する際、ためらっていた理由…ー昨年の9月にブログでの妊娠報告をされていましたが、そのときの心境を教えて下さい。 大山さん:私はずっと不妊治療をしていたので、最初は報告することをためらいました。でも、今も治療を続けている方や、不妊で悩まれている方から、「勇気をもらった」「励まされた」という声をたくさんいただいたんです。その言葉がなによりもうれしかったですし、誰かの役に少しでも立てたのなら、よかったのかなと思っています。 ー報告をためらっていた1番の大きな理由は何だったのでしょうか? 大山さん:まずは妊娠したのが双子ということで、出産のリスクが大きいからこそ、何があるか最後までわからないんですよね。なので、まだ無事に生まれていないタイミングで報告をしてもいいのだろうかということに悩みました。あとは何より、私も子どもが欲しくてもできない時期が長かったので、誰かの妊娠のニュースを目にすることでつらい想いをする方もいらっしゃると思ったんです。そんな想いが頭を駆け巡って、この報告が果たして正解なのかどうかはすごく悩みました。だからこそ、「勇気をもらった」という言葉は、本当にうれしかったです。 もっと早く知りたかった! 生理と不妊の関係性とはー不妊治療についてもお伺いさせてください。大山さんは生理不順や生理痛などに悩まされていたのでしょうか? 大山さん:いや、私は特に生理不順ではなかったです。でも、現役時代を振り返ると、厳しい練習の影響で生理痛が重くなってしまったり、生理不順になっていることに対して、知識がないためにそこに重きを置かない人たちが多かったように思います。不妊治療の先生によると、実際には生理が止まったり生理痛が重いということは、体になにか異常が起こっている可能性が高いそうです。そして、それを放っておくと「赤ちゃんが欲しい」と思ったときには不妊症になっていたり、取り返しのつかないことになっているケースもあるそうで……。だからこそ、学生時代に生理のことについてちゃんと学ぶ場所が大事だと思うんです。 ーたしかに、生理のことって、なかなか相談しづらい現状がありますよね。 大山さん:そうなんですよね。学校によってはトレーナーさんなどがいて、生理についてもちゃんと相談できる人がいるケースもあるんですが、まだまだ少ないのが現状です。なので、学校の先生や保護者と連携を取ってサポートすることが何よりも大事だと思っています。 ーこうやって発信していくことも、すごく大事ですね。 大山さん:はい。こういった記事を若い子が目にすることで、自分の生理と向き合ってもらえたらうれしいですね。実は、生理前や生理中ってホルモンのバランスの関係でケガが多くなるらしいんですよ。 ーそうなんですか!? 初めて聞きました。 大山さん:まだまだ知らない人が多いと思います。お仕事でシンポジウムなどに登壇させていただいた際に先生方がおっしゃっていたり、ネット記事やSNSなどでもそのような情報を見かけて私も知ったのですが、そう言われてみれてば……と、過去を振り返って納得したんです。その事実を指導者の方が知っていれば、その人にあったトレーニングメニューを組むことができますし、無駄なケガに苦しまなくてもすむようになると思うんです。自分自身が不妊治療を経験したからこそ、今スポーツを頑張っている方たちにはスポーツ選手として悔いがないよう選手時代を送って欲しいですし、子どもが欲しいと思ったときには手遅れにならないよう、こういったことも知っておいて欲しいです。 数値が低すぎる…! ブライダルチェックの結果にがく然ーその後、大山さんはご結婚されるときにブライダルチェックをしたとお聞きしたのですが、実際に受けてみていかがでしたか? 大山さん:私は生理不順ではありませんでしたが、体の冷えがひどかったのと現役中に腰の手術もしていたほか、痛み止めの薬をたくさん飲んできました。さらに自律神経失調症も患っていたので、精神安定剤なども飲んでいたり、基礎体温もガタガタだったんですよ。そこで一度ブライダルチェックを受けて自分の体の状態を知ろうと思いました。また、母のガンがちょうどそのころに見つかり、「孫の顔を見たい」と望んでいたので、焦りながらも妊活をスタートすることになりました。ちなみにブライダルチェックの結果は、AMH(アンチミューラリアンホルモン/発育過程にある卵胞から分泌されるホルモン)の数値が低く、当時は30歳だったのに42、3歳くらいの数値が出てきたんです。それはさすがにショックでした。 ー最初に不妊治療のクリニック外来を受けたときの心境はいかがでしたか? 大山さん:私はみなさんに顔と名前を知られていますし、体も大きいので目立つんですよね。それもあって、人の目はすごく気になりました。内診台も正直な話、すごくイヤでしたね(笑)。 ーあまり慣れるものではないですよね。ちなみに不妊治療について、旦那様とはどんなお話をされていたのでしょうか? 大山さん:実は、旦那さんはそこまで子どもを欲しいとは思っていなかったんです。さらに私がケガや自律神経失調症で苦しんでいたことも知っていたので、「そんなにつらい想いをしなくていいんじゃないか」とも言ってくれていて……。でも、私はどうしても子どもが欲しかったんです。なので、不妊治療に関しては私が主体となっておこなっていたのですが、夫婦間での温度差は感じていました。話し合いもしっかりする感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。私の体のことを気遣ってくれるのはうれしかったのですが、「子どもが欲しい」ということに対して、私と旦那さんでは気持ちの面でのスタートラインがお互い違っていたので、寂しさやモヤモヤを感じることも多かったですね。 ーそのモヤモヤした気持ちはどのように解消していたのでしょうか? 大山さん:う~ん……。日々モヤモヤはしていましたし、ときには泣いてしまうこともありました。ただ、それを旦那さんの“やさしさ”だと受け止めて、過ごすようにしていました。あとは、一緒の時期に不妊治療を頑張っている先輩がいたので、ランチやお茶などをしながら治療に対する苦しさやつらさを共有し合えていたことは、今思い返してもすごく大事な時間だったと思います。人に言いづらい問題だからこそ、同じような状況で頑張っている人が身近にいることで励まされたり、勇気づけられることが多かったですね。すごくありがたい存在でした。 「このインタビューが誰かのためになるなら……」と熱心に質問に答えてくれた大山加奈さん。ご自身の体験を包み隠さず、正直に話してくださる姿がとても印象的でした。次回は不妊治療ステップアップや2年間の休養期間など、大山さんの心の葛藤について答えてもらいます。 <第2回に続く> PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月26日育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。 奇跡にかけて期限付きの不妊治療に挑む――二階堂編集長は再婚した46歳で不妊治療を決意します。どんな思いでスタートしましたか? 「さすがにこの年齢で妊娠することは難しいと理解していました。だけど、以前のように何もしないまま、ラストチャンスを逃したくない。『万が一の可能性があるならかけてみたい』と夫と話し合い、1年間の期限つきで不妊治療に挑戦することを決めたんです。少しでも早い方がいいので、再婚して1か月後には専門医を訪ねました」(二階堂) 不妊治療にはステップがあり、排卵日を予測して性交を行う「タイミング法」、濃縮された精液を子宮に注入する「人工授精」、体外で受精した受精卵を培養し、子宮に戻す生殖補助医療の「体外受精」「顕微授精」※と段階を踏んでおこなわれることが多い。※体外受精は、培養液の中で卵子と精子が自然に受精するのを待つ方法で、顕微授精は、卵子に針を使って精子を注入して受精させる方法という違いがあります。――二階堂編集長はもっとも確実性の高い「顕微授精」から治療を始めたそうですね。 「私には時間的な余裕はもうなかったので、最終ステップの一択です。一刻でも早く顕微授精を試みたいところでしたが、まずは採卵から。しかし、卵子はいつでも自由に採れるというわけではありません。卵子はある程度育たないと受精できないので、排卵日が来る前まで卵胞が成熟するのを待つ必要があるんですね※。そのため、週に1~2回は病院に通い、卵子の育ち具合や子宮内膜の厚さをモニタリングしてもらい、状況に合わせてホルモン剤などを服用。採卵のタイミングを計っていました」(二階堂)※卵胞とは、卵細胞とそのまわりの細胞の集団で、成熟するにつれ卵胞膜が大きくなり、水の入った袋のようになり、その中に卵子があります。また卵胞は半年くらい前から複数育ちはじめ、3ヶ月前ぐらいから卵胞刺激ホルモンの命令により育ちます。そのなかで大きくなった1個の卵子が卵胞を破り、卵巣から飛び出します。これが排卵です。なお、同時に、卵子が受精して受精卵となった場合に備えて、受精卵が着床しやすいように子宮内膜は厚くなります。不妊治療では、卵胞の発育を促し、採卵後は子宮内膜を厚く整えるためのホルモン剤が投与されることがあります。 実は、クリニックの方針で、不妊治療の方法は大きく異なる「私の通っていたクリニックでは、卵巣の中で卵胞をなるべくたくさん育てて、1回の採卵で受精可能な卵子をすべて採取しましょう、という方針でした。クリニックによっては母体の負担を考えて1回の採卵数が少ないところもありますが、時間のない私には1回でなるべく多くの卵子を採取するこの治療方法しかないな、と思っていました。 余分に採取した卵子は凍結し、着床がうまくいかなかったときに次の治療に回すことができますし、少しでも若い卵子を使用できる、というメリットもありますね。 主治医によると年齢と共に卵子はどんどん老いていき、妊娠力も低下するとのことでした。子どもが欲しいという思いがあったのならば、妊娠時期を遅らせるにしても、20代や30代の若いうちに卵子凍結だけでもしておけばよかった※。今は、そこも後悔しています」(二階堂)※健康な女性による将来のための卵子凍結は、日本産婦人科学会では「推奨していない」、日本生殖医学会は「40歳以上での採卵・凍結、45歳以上での凍結卵子の使用は推奨していない」としています。 日本生殖医学会のデータによると、ART(体外受精・顕微授精)の妊娠率・出産率は35歳から急低下することがわかります。ただし若い人から卵子を提供された場合は、妊娠率は一定で加齢の影響を受けていません。このことから、卵子の老化が妊娠率を低下させると考えられています。※参考:日本生殖医学会「ART妊娠率・生産率・流産率」※参考:日本生殖医学会(アメリカ疾病予防管理センター(CDC)が発表した2003 ART Success Rates in USAのデータを用いて作成)「提供卵子と自身の卵子を用いた生殖補助医療による治療成績」 妊娠できたら奇跡、とわかっていても結果を聞いて涙――不妊治療はどのように進みましたか? 「1回目の治療では3個の卵子を採取することができました。採卵数も加齢の影響があり、若い人の方が多く採れるといいます。ところが皮肉にも、妊娠するためには高齢の人ほどたくさんの卵子が必要なんですよね」 卵子のもととなる卵母細胞は、生まれる前から作られていて、胎児のときに約700万個とピークを迎えます。その後急激に減り、思春期には約20~30万個となり、1000個以下になると閉経となります。※出典:Human+(日本産婦人科学会監修) 「主治医と相談し、少しでも妊娠の可能性を上げるために、2個の受精卵を子宮に戻し、1個は凍結保存することにしました。無事に着床すれば、妊娠、ということになります。主治医からは、2個の受精卵を使うため双子を妊娠する可能性があります。でも年齢的にその確率は低いでしょう、と。産めるのであれば、私は双子でもまったく問題なかったんですけどね。 無事に着床し、その後育ったかどうかが判明するのは、子宮に受精卵を戻してからおよそ10日後。病院からの帰り道は気持ちが高揚していて、赤ちゃんを授かることができるかもしれないと、かなり前向きになっていました。けれど数日後に出血が……。ただ、着床の時も出血することがあるので、『大丈夫、これはきっと着床出血だから』と無理やり思い込んだものの、10日後の妊娠判定の結果、妊娠はしていませんでした。2回目は、凍結しておいた受精卵を子宮に戻しましたが、こちらも妊娠に至らず。その後、再度採卵を試みたのですが、そのときは卵胞がなかなか成熟せず、採卵するまでに長く時間がかかりました。それでもようやく2個の卵子を採ることができて受精卵を戻したのですが、この3回目の治療でも、妊娠は叶いませんでした。そして、この3回の治療の間に、私も47歳に。予定していた通り、不妊治療を終了しました。これまでも親に子どもがいないことを指摘されたことは何度かあり、当時は何を言われてもあまり気にならなかったんですね。でも、不妊治療中に言われた『子どものいない人生は寂しいわよ』という実母の言葉はかなりこたえました。母にとっては不妊治療を頑張っている私へのエールだったかなと思うのですが、『子どものいない人生』が現実味を帯びてくると、その言葉の重さが、ずしんとのしかかってくるようでした。クリニックでも、泣きながら診療室を出てくる人の姿をよく見ました。私は高齢での治療だったので冷静に受け止めようとは思っていましたが、結果を聞くたびにやっぱり涙が出るんですよね……。とくに3回目の結果を聞いたときは、もう本当に赤ちゃんは産めないんだと、最後の希望の光が潰えたことに、涙が止まりませんでした」(二階堂) <第3回に続く> 医療監修/医療法人浅田レディースクリニック 理事長 浅田義正先生取材・文/来布十和
2021年02月21日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月14日何もかも手探り状態で始めた不妊治療ですが、小さな疑問や不安が少しずつ大きくなっていきました。自分たちに合う治療・病院とはなんだろうと考え続けても、答えが見つかりそうにない時期が続き、約2年が経過していました。 最初の転院原因が特定されないままに始めた不妊治療のため、タイミング療法をずっと続けていました。ただ、時間が経つにつれ、通院当初は気にならなかった片道約1時間の通院時間も負担に感じ始めました。今までの生活リズムも徐々に狂い、夫婦間の衝突も次第に増えていった結果、自宅から15分くらいで通院できる病院に転院することにしました。 次の病院は、地元では有名な不妊治療専門院に決めました。そこは院長先生がメディアにも度々露出して有名なので人気もあり、治療費も今までの病院と比べて割高でした。 毎週診察があり、1回の診察で約1万円、人工授精で約2万円、何かイレギュラーな診察があると、また数万円といった費用がかかりました。しかし、通院時間短縮や妊娠確率が上がるならと思い、その病院へ通院することにしました。 精神的な余裕がなくなっていった有名な病院だけあって、事前に大きな会場でいろいろな分野の先生から説明があり、大学のセミナーのような規模でした。ただ、ここでの説明は、私の予想と反して確率やリスクといった現実的な話ばかりでした。 私は、妊娠・出産は非常に神秘的で尊いものだと考えていたので、先生たちの生物学的な話が妊娠に対する神秘から離れていくように感じてどうしても受け入れられませんでした。うれしいはずの妊娠を前に、どんどん自分のなかに暗く不安なものを感じ始めました。 今思えば、2年続いた不妊治療でのストレスの結果、私は精神的に余裕がほとんどなく、自分本位の考え方になっていたのかもしれません。 ゴールが見えない不安の連続の毎日精神的な不安に加え、なかなか結果が伴わない状態が続いたため、この病院での治療は順調には進みませんでした。それでも、なんとか子どもを授かりたいという思いから通い続けていたのですが、2年の通院期間が過ぎたあたりから、この病院に対して不信感が芽生え始めました。 治療費だけがかさんでいき、いつまで経っても結果が出ないため、「病院側はきちんと治療しているのか?」と、病院に責任があるようにも感じ始めていました。さらに私自信の被害妄想は膨れ上がり、院内で笑い声が聞こえるたびに自分が笑われているのではないかと感じるほど、精神的に滅入っていました。 次の段階の治療へ治療内容は、この病院をきっかけにタイミング療法から人工授精へと変わっていました。医師の説明だと、治療法で飛躍的に確率が上がるわけではないと念を押されていたのですが、現状を変えたい、少しでも確率が上がるのでは、という思いで挑戦しました。 人工授精は、私の負担もさらに増大します。その病院では、朝6時に精子を病院に持ち込まなくてはなりません。そのため、不妊治療にかける時間も一気に増えました。病院によると思いますが、禁欲はもちろん、食生活から運動まで、いろいろと指示があり、妊娠のためと理解しているつもりでしたが、毎日が楽しめなくなってきていました。 自分たちが若くないため、育児できる体力や経済力を考慮すると、時間がないことが一層焦りを生んでいました。さらに、治療に時間がかかるほど経済的負担も大きくなっていくことも不安要素の原因にもなっていきました。 次回は2回目の転院・抱えていたプレッシャーについてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月12日私は第1子を不妊治療で授かり、現在は第2子不妊治療中です。不妊治療をしていると薬の服用やホルモン注射、度重なる通院などにより精神的にも肉体的にも疲れ、ささいなことでも苛立ってしまうことがあります。今回は、私が不妊治療をするなかで言われてイラッとした言葉があるので、いくつかご紹介します。 「諦めたら赤ちゃんが来るってよく言うよね」この言葉は、不妊治療をしていることを相手に伝えると大抵の人に言われる言葉です。言っている人はおそらく励ますつもりで言ってくれているのでしょうが、治療の最中であるとなかなか素直に受け入れられないのです。 もちろんその場では「 そうですよね!」 と答えますが、心の中では「 その諦めがつかないから治療をしているんです。諦めて赤ちゃんが来なかったらきっと後悔するんです」 と叫んでいます。相手が不妊治療を経験して赤ちゃんを授かった人であればまた受け止め方が違うのですが……。 「少し休んでみたらいいんじゃない?」これは夫に言われてすごくイラッとした言葉です。 1年間で子どもを授かることのできるチャンスは12回程度しかありません。だからこそ、今休んだらそのチャンスを1回捨てることになると感じてしまうのです。ゆったりとした気持ちのほうが妊娠しやすいのかもしれないと思いつつ、先の見えないトンネルを早く抜けて赤ちゃんを授かりたいと思ってしまうのです。 夫婦で治療に対する考えを伝え合うことの大切さを感じたきっかけとなった言葉でもあります。 「そんなに怒るから赤ちゃんが来ないんだよ」この言葉を言われたときの衝撃は、今でも忘れられません。一瞬何を言われたのかわからず、理解してから湧き上がる怒りに我を忘れるほどでした。実はこれ、3歳の娘に言われた言葉なのです。ついついイライラしてしまっている自分を自覚していたからこそ、言われたときは怒って娘に当たり散らしてしまいました。 その後、「この言葉は本当に傷つくし悲しくなる言葉だからもう言わないで」と娘に伝えましたが、それだけ私が怒っていたのだなぁと反省しました。 不妊治療をしていると、自分ではコントロールできないような怒りや悲しみに振り回されることがあります。それでも、周りの人の言葉をネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えて、かわいい赤ちゃんを授かることができるように頑張りたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年02月11日育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。 仕事が充実し、妊娠はどんどん後回しにした30代「私が最初の結婚をしたのは1999年、27歳のときです。当時は『妊活』という言葉もなく、私自身もいつかは産みたいけれど、もう少し先でもいいだろうという認識でした。 そして30歳のとき、転職をしてずっと携わりたかった育児雑誌の編集部で働くことになりました。徹夜もいとわずバリバリ働いていて、日々が充実するなかで感じたのは、『妊娠~出産で1年以上休むのはキャリアアップを考えると厳しいな』ということ。30代前半は仕事に打ち込みたいと、避妊のために低用量ピルを服用することにしたんです。 35歳を超えても出産はできるだろう、という楽観的な考えがあったんですね。 育児雑誌は主に出産したママ・パパが読むもの。取材でお会いするママたちのなかには、30代で産んだ方がたくさんいて、お子さんを無事授かった方のメディアということもあり、不妊で悩んだという話は当時あまり聞かなかったんです。医療も発達しているだろうし、なんの根拠もなく、私も本気を出して望めば子どもは自然に授かるもの……と思い込んでいました」(二階堂) 厚生労働省の人口動態統計によると、第一子の平均出産時年齢は2005年当時29.1歳。晩婚化・晩産化の上昇傾向はじりじりと続いていて、2016年には30.7歳となり、現代の不妊症の大きな要因と考えられています※。 ※出典:内閣府「平成30年6月4日内閣府 少子化克服戦略会議(第7回)」における「少子化関係資料」6枚目「平均初婚年齢と出生順位別出生時の母の平均年齢の年次推移」不妊治療を躊躇し、37歳で自己流の「ゆる妊活」「その後、育児雑誌『ひよこクラブ』の編集部で役職に就くなど、仕事はさらに忙しくなりました。妊活を意識したのは、ようやくその仕事に慣れてきた37歳くらいだったでしょうか。 プライベートでは、独身の友人に『生殖医療の進んでいるアメリカに行って、一緒に卵子凍結をしない?』と半分冗談、半分本気で誘われたりもしました。 といっても、当時私がしていたのは、市販の排卵チェッカーを使うくらいで、自己流のもの。朝早く出勤し夜遅く帰る生活は続いていたので、その妊活すらしっかりとは出来ていなかったですね。 ただ、自分としては妊活をしているという気持ちはあったので、胸が張ったりやたら眠くなったりと、偶然、妊娠の初期症状のような体の変化を感じると、『もしや?』と思うこともありました。ただ、期待は募るもののやっぱりできなくて……。そのときも『30代後半なのだから、人より時間はかかっても仕方がないよな』と、あまり大事には考えていませんでした」(二階堂) ―このとき、不妊治療を受けることは考えなかったのでしょうか。 「うーん、不妊治療をしている知り合いから、治療と仕事の両立の難しさを聞いて躊躇してしまったんです。彼女は、通院を理由に仕事を休むことを上司に責められたと言っていました。 10年ほど前は、不妊治療に対する理解が今以上に進んでいませんでした。『不妊治療は病気ではない。それなのに、部下を抱えるような立場で、たびたび、そして急に休んでいいものだろうか……』。そう考えれば考えるほど、不妊治療に進むハードルを高く感じてしまって、断念しました。 今だったら、通院で休めるようになんとか仕事を調整すると思うし、不妊治療中の同僚がいたら、全力でサポートに回るんですけどね。 そして39歳のとき、不妊が理由ではなかったのですが、夫と離婚。シングルになり、子どもを持つという選択肢はいったんリセットせざるを得ませんでした」(二階堂) 再婚、そして46歳からの不妊治療スタート―妊活に取り組んだのは37歳からの約2年間になります。妊娠適齢期を考えると、少し遅かったのかもしれません。後悔していることはありますか? 「それはやっぱり、妊娠・出産に対する正しい知識を得ようとしなかったことですね。当時仕事で関わっていたのは育児分野一筋で、妊娠・出産分野については今ほど知識がなかった。あとは、『芸能人の○○さんが40代で出産』なんてニュースを聞いたりすると、勝手に自信をもらって、『やっぱり自分も自然に産めるはず。人一倍体力もあるし、まだチャンスはある!』と思い込んでしまった。自分にとって都合のいい情報ばかりを信じようとしていたのかもしれません。 でも、妊娠のしやすさは人それぞれだし、医療技術が進んで高齢出産の割合が増えたとしても、人間の体そのものは昔と大きく変わらないのに……。女性の産める時期にはタイムリミットがあることを、もっと現実として冷静にとらえるべきだったと思います。 私にとって、人生のプライオリティは、仕事より、子どもを持つことのほうが高かった。それなのに、目の前にある忙しさを優先してしまった。もっと俯瞰で自分にとって何が大切であるか、見極めるべきでした」(二階堂) 妊孕性(妊娠のしやすさ)は20代後半から低下していくといわれています。排卵日を意識して性交した場合でも、30代後半になると妊娠率は約3割に。さらに夫の年齢が5歳上になると妊娠率は2割を切るのだそうです※。 ※出典:厚生労働省「平成25年5月2日第1回不妊に悩む方への特定治療支援事業等のあり方に関する検討会」資料「生殖補助医療の現状からみた特定不妊治療助成のあり方」16ページ「年齢別にみる排卵と妊娠率の関係」より「離婚から7年が経ち、46歳のときに高校の同級生だった相手と再婚。彼と過ごすうちに、『この人との子どもを見てみたい』という思いが強くなりました。以前、不妊専門クリニックを取材したことから信頼できる医師とのつながりもあり、妊活には遅すぎる年齢ですが、夫と話し合い、不妊治療を受けることを決めました。ここからが、私の不妊治療の始まりでした」(二階堂) <第2回に続く> 取材・文/来布十和
2021年02月09日不妊治療が始まると、生活のすべてを治療のために調整しなければなりませんでした。これは事前に納得していたはずなのに、いざ治療のための調整となると、精神的にも肉体的にも、想像以上の負担を強いられるようになりました。 いよいよ治療初日なんとか治療する日程を調整し、初めて病院に行きました。不妊治療の検査は何をするのか想像もつかず、不安でいっぱいでした。 診察が始まり、軽い問診のあとに妻とは別室へ連れて行かれ、精子検査を初めて経験しました。小さな個室に入り、看護師さんに説明をされたのですが、説明があまり頭に入ってこないくらい部屋の様子に驚きました。 部屋の中にあったのは、小さなソファ、小さなテレビモニターと、選んだ人の性癖がわかるようなDVDの数々です。まるで漫画喫茶の個室をアダルトな雰囲気にした上、DVDのみをずらっと並べた感じです。病院内にこんなスペースがあることにびっくりしました。 初めての精子検査妻と看護師さんがドアの向こうで待っていると思うと、一刻も早くこの空間から出たい気持ちで、すぐに作業に移りました。 好みのジャンルでもないDVDの力を借り、ありとあらゆる想像力を働かせたのですが、精神的な影響もあって思うように捗りません。なかなかスムーズに作業できないことが、余計に恥ずかしく、より一層作業を遅らせてしまいました。 なんとか採取できたのですが、容器から伝わる温もりがとても生々しく、すぐには渡すことができませんでした。 不妊の原因は不明のまま私と妻はいろいろと検査をしたのですが、私の精子は正常、妻の卵子も年齢と比較するとかなり良い状態であるとの診断を受け、結局不妊の原因は特定できませんでした。 とりあえず、しばらくは通院をすることにしたのですが、通院する日程を決めることが大変でした。初診のときと同じく、仕事の調整・祖母の時間調整に加えて、排卵日など妻の状態も配慮しなくてはいけなくなりました。 このあたりから毎日診察日のために行動をしなければならなくなり、日常生活に徐々に影響が出始めました。 だんだん小さな衝突が増えるすぐに結果が出ないことは最初から理解していたとはいえ、終わりが見えない状態が続くと、私は日に日に疲弊していきました。妻の負担も目に見えてわかり、この時期から小さな喧嘩が増え始めました。私も家事の負担を少しでも減らそうと努力していたのですが、すべてを補うことができません。 小さな喧嘩から始まり、言い争いも激しくなると、結局は不妊治療の話になり、毎日がその繰り返しでした。 治療を始める前に、夫婦でお互い励まし合い治療に向き合うことを充分に話し合いました。しかし、頭では理解していても、今までの生活リズムに影響が出始めると、想像以上に治療に負担を感じました。 次回は人工授精についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月07日私は、過去に原因不明の続発性不妊症で不妊治療を約6年間経験しました。自分には関係ないと思っていた治療でしたが、調べてみると経済的にも精神的にも負担の大きな治療だと初めて知りました。夫婦で話し合い、負担は納得しているつもりだった治療も、実際に始まるとイメージしていたものとは違うさまざまな経験をしました。 不妊治療を始めるきっかけ私たち夫婦が不妊治療を始めたのは、私が35歳、妻が32歳のときでした。私たちはすでに子どもを1人授かっており、そろそろ2人目が欲しいなと話していたのですが、なかなか授かることができませんでした。 長女を計画通り授かることができたので、2人目も欲しいタイミングで授かるものとばかり思っていたので不思議に感じていました。自然妊娠がなかなかできないので、ネットなどで情報を集めると、続発性不妊症という言葉が目にとまりました。続発性不妊症というのは、以前に妊娠したことがあり、その後妊娠しない場合を言うそうです。 さらに続発性不妊症について情報を集めると、私たちがその言葉に該当することがわかりました。そのとき、初めて私たちは不妊治療が必要なのだと認識しました。 不妊治療を始める前に私たちは、それまで不妊治療についての知識がほとんどありませんでした。ただ、「金銭的に大変」「女性は精神的にも負担が大きい」などマイナスなイメージだけ持っていました。そこで、具体的に金額がいくらかかるのか、どのような治療法なのか、精神的負担とは何かなどの情報を本やネットを通じて、事前にできるだけ調べました。 やはり、そこにあった情報は精神的、金銭的負担が大きいことや、夫婦の協力・理解が必要だということでした。私たちは、長女を含めて3人で話し合い、やはり子どもを授かりたいこと、無理なら治療を中断することを確認し、不妊治療を始めることを決意しました。 病院選びも難航まず、不妊治療をおこなっている病院選びを始めましたが、この作業が意外と難航しました。妻が、近所の病院だと誰かに知られてしまうのが嫌だということで、少し遠い病院に決めました。 しかし、その病院へ通うことで、私たちの予想していなかったハードルがありました。不妊治療をおこなっている病院ではよくあることですが、子連れ厳禁だったのです。そのため、祖母に長女を預かってもらう日程と私が仕事を休める日程を調整し、病院に予約を入れなければなりません。私は治療を始める前段階で、いろいろと戸惑うことがあり、徐々に先行きに不安を感じ始めていました。 私には関係ないと思っていた不妊治療でしたが、気軽な気持ちで始めました。おそらく、1人子どもがいるので2人目もすぐにできるだろうと、心のどこかで過信していたように思います。 次回は初めての精子検査についてお話しします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月05日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。 親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧や妊娠糖尿病について病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽいものは食べられず、甘いものなら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やお尻に神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・お尻の痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年01月05日2019年の出生数は86万5,239人で、「86万ショック」とも呼ばれ、少子化の問題はより一層深刻となりました。少子化の原因はさまざまありますが、2020年は新型コロナウイルスが影響していると言わざるを得ない状況となっています。 日本産婦人科学会が緊急調査日本産婦人科学会では、「新型コロナウイルス感染症蔓延による分娩数減少の緊急調査」「妊婦・出産後女性のコロナ禍における不安に関する WEB調査」をおこない、結果を公表しました。 「新型コロナウイルス感染症蔓延による分娩数減少の緊急調査」は、回答を得られた576施設の2019年10月〜2020年3月までの月別分娩数を2020年10月〜2021年3月までの月別分娩予約数で割り、各都道府県の減少率を調べたものです。その結果、都市部(東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪)で約24%、地方(東京、神奈川、千葉、埼玉、愛知、大阪以外の都道府県)で約37%減少しており、地域の減少率は有意に減少しているということでした。 「妊婦・出産後女性のコロナ禍における不安に関する WEB調査」では、2020年9月1日〜30日にWEBアンケ―トをおこない、回答時に妊娠している人約5,000人、今年出産した育児中の人約3,000人の回答を分析したものです。その結果、里帰り分娩を予定している、あるいは実際に里帰り分娩をおこなった妊婦さんは各々約20%にとどまり、里帰り分娩を自主的に断念した妊婦さんは約10%だったそうです。そして、新型コロナウイルスの罹患者が多い都道府県の在住者に、不安尺度が高い傾向が見られたとのことでした。 新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)された2020年日本で新型コロナウイルスの感染が初めて確認されたのは2020年1月。新規感染者の増加に伴い、妊娠・出産の場においても妊婦健診の回数を減らす、母親学級などの産前教室の休止、立ち会い出産・面会の制限など、さまざまな対応がなされてきました。そのなかで不安を抱えながらも出産している方もいらっしゃいます。 その一方で、ベビーカレンダーがおこなった調査でも、新型コロナウイルス流行前に第2子以降を希望していたママのうち約32%が妊娠を延期または諦めたという結果が出ているように、妊活や不妊治療を休⽌・延期した、および妊娠を諦めたという人も少なくありません。全国的な分娩数の減少に新型コロナウイルスが影響した可能性は少なからずあると考えられます。 また、地方での分娩数が減少した背景には、里帰り出産の減少もあると考えられています。これらの調査は、第3波と言われる現在の状況になる前におこなわれたものですが、やはり移動による感染リスクの回避したことも要因にあるのではないでしょうか。また、晩産化により妊婦さんの親も高齢となっており、里帰り出産をしたいけれど高齢者への感染リスクも考慮した結果も影響していたかもしれません。 新型コロナウイルスの影響がじわじわと2019年に続き2020年も少子化には歯止めがかかっておらず、現在厚生労働省が公表している10月までの出生数を見ても、2019年より1,700人余り減少しています。 「新型コロナウイルス感染症蔓延による分娩数減少の緊急調査」からもわかるように、今後も出生数が上がるような状況にはないようです。さらに、現在全国的に蔓延し、日々過去最高を更新している新型コロナウイルスの陽性者数や重症患者数をみても、2つの調査がおこなわれた時期よりもよりいっそう不安な状況になっており、妊娠・出産を控えるという方がさらに増えると考えられています。 今年、5月に緊急事態宣言が発出されたときに比べて、人々の認識も変化しており、なかなか感染が抑えられない状況にあります。海外ではワクチン接種が開始されたところもありますが、日本ではもう少し時間がかかりそうです。ワクチンが承認された場合の優先接種の対象者についても議論されていますが、妊娠中の女性については安全性や有効性に関する明確なデータがないことから現時点では対象にしない方針となりました。まだまだ収束の兆しが見えない状況ですが、1日でも早く、お子さんを希望される方々が少しでも安全な環境で不安なく妊娠・出産・子育てができるようになることを願うばかりです。 【参考】日本産婦人科学会:「新型コロナウイルス感染症蔓延による分娩数減少の緊急調査;結果」「妊婦・出産後女性のコロナ禍における不安に関する WEB 調査(速報)」 監修者・著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2020年12月25日5.5組に1組の夫婦が不妊(厚生労働省より)といわれていますが、妊活や不妊について気軽に相談できずに悩んでいる人は少なくありません。そこで今回は、桜十字渋谷バースクリニック院長の井上治先生に、多くの方が抱える不妊治療の疑問や悩みについてうかがいました。対談相手は、10年前に不妊治療中であることを公表し、その後3人のお子さんのママになった東尾理子さん。お2人のお話を通して、不妊治療の「今」が見えてきました。東尾理子さんプロフィール1975年11月18日、福岡県生まれ。8歳でゴルフを始め、プロゴルファーとして活躍。2009年に俳優の石田純一氏と結婚。不妊治療を経て1男2女を授かる。父は元プロ野球選手・監督の東尾修氏。桜十字渋谷バースクリニック院長 井上治先生医学博士。2005年、福岡大学医学部卒業後、慶應義塾大学病院産婦人科医局入局。東京歯科大学市川総合病院をへて、2018年、桜十字渋谷バースクリニック院長に就任。日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医、日本生殖医学会認定生殖医療専門医、母体保護法指定医。 >>桜十字渋谷バースクリニック 公式サイト 不妊治療で2回転院した東尾理子さんの「病院選び」・病院選びは「夫の居心地の良さ」も大事−−−東尾さん、不妊治療の最初の病院選びはどうされたんですか?東尾さん:「何の予備知識もなく右も左もわからないまま、主人のすすめる病院へ行きました。総合病院の産婦人科でバリキャリの女医さんに担当いただいたんですけど、主人はすごく居心地が悪そうでしたね(笑)。『旦那さんの精子、元気がないですね』って単刀直入にはっきり仰る先生で。そこでタイミング療法と人工授精を1年くらいして、結果が出なかったのでそろそろ体外受精かな…って思っていたところ、その病院では体外受精をやっていないとその時初めて知ったんです。それで、体外受精ができる別の病院へ転院しました。次の病院では男性医師が担当だったので、 まあ主人の居心地の良さそうなこと(笑)。夫が不妊治療に協力的ではないことに悩まれる方も多いと思いますが、その場合は、男性医師のいらっしゃる病院がいいかもしれません。相談しやすく旦那さんが前向きな気持ちになれるようです。ね? 井上先生」井上治先生(以下、井上先生):「そうかもしれませんね。当院はほぼ全員、1回は旦那さまも受診されています。『旦那さまも検査をお願いしますね』と奥さまにお伝えすると、大抵みなさんいらしてくれ、協力的な旦那さまが多い印象ですね。でも、稀にどうしてもいらっしゃらない方も中にはいます。その場合は、排卵検査薬を使ったタイミング療法を指導します」・精子の検査は泌尿器科やアプリでも東尾さん:「男性の場合は泌尿器科でも精子検査はできますよね? いきなり産婦人科での検査がハードル高く感じるようなら、まずは泌尿器科で検査してもらうのもいいかもしれませんね」井上先生:「それさえも恥ずかしい方には、精子の状態をチェックできるスマホアプリがあるのでそれをご紹介しています。精子がいるかいないか、運動率、濃度がわかります。奇形率まではわからないのですが、精液検査よりずっと安いですから利用しやすいと思います」東尾さん:「病院選びはとても重要だと思いますね。病院にも相性があって、一歩踏み入れた時の感覚はすごく大切だと感じました。ネットで探していいなと思ったけれど、実際行ってみたら肌に合わない、居心地が悪いという場合もあると思います。私は2回転院しましたが、病院を変えるのはとても勇気がいるものです。井上先生の前では言いにくいのですが(笑)、正直な話、病院は患者一人ひとりの人生の責任を持ってはくれません。だから、自分の意思で勇気を出して、積極的に病院のことも治療のことも勉強しなくてはいけないと思っています」井上先生:「大規模病院とクリニック、地域密着の古い病院と新しい病院、男性医師と女性医師、治療法や方針もそれぞれ違いますね」東尾さん:「どういった病院が、自分は居心地良く感じるかが大切ですね。先生お一人のクリニックなら、いつ行っても同じ先生が診て話もできる利点はありますが、その代わり待ち時間が長い場合もあります。忙しい方なら、先生は診察のたびに変わってもいいからとにかく待ち時間が短いところで、勤務先や家に近くパパッといけるところが良いという方もいらっしゃると思います。また、待っている間はなるべく居心地良くリラックスして過ごしたいから、インテリアにこだわった新しいクリニックが良いという方もいます。病院選びでは、そういった肌感覚もすごく大切ですね」仕事と不妊治療は両立する? 治療法選びが鍵−−−お仕事を続けながらの不妊治療にもご苦労があったそうですね。東尾さん:「私の場合は自分でスケジュールを決められる仕事なので、普通に会社へ勤務している方より不妊治療を進めやすかったとは思うのですが、それでも仕事で海外へ行くこともあり、治療をお休みしなければいけない期間もありました。でも、それはある程度割りきってもいいと思うんです。治療をしていると、どうしてもそれが最優先になってしまい、生活すべてを支配されるようになってきます。そうすると精神的に疲れてしまうので、不妊治療から1年くらいたった頃、優先順位にメリハリをつけようと決めたんですね。もちろん、治療が最優先というのは変わらないんですが、時には仕事を一番にしたり、旅行を一番にしたりと臨機応変に優先順位を変えるようにしたんです。」井上先生:「最近は女性が働いているケースが多く、夫婦共に忙しいと妊娠のタイミングや治療のスケジュールを組むうえで難しい部分もあります。会社によっては不妊治療に協力的なところも増えてきていますが、やはり土曜日しか通院できないという方は多いですね」東尾さん:「そういう方はどう治療を進めているんですか?」井上先生:「タイミング療法の方には排卵検査薬の使用を勧めたり、体外受精の方は薬でコントロールして採卵を土曜に合わせたりします。ただし、採卵日は2〜3日しかずらせないのでなかなか難しいですね。そういう時だけ、週2日通院してもらうのが望ましいです」・卵を増やせる排卵薬 使うべき?使わないべき?東尾さん:「実は、2軒目の病院は不妊治療に薬を使うところで、1回目の採卵で体への負担が私にはすごく大きかったんですね。そして、体外受精をしてみても結果が出ませんでした。私は、ダメなら次、次っていうタイプなので(笑)、薬を使わない病院で治療を受けてみようと、すぐに2回目の転院をしたんです。そこで長男を授かりましたが、もしそこでも思うような治療ができなかったら、またすぐに転院していたと思います」井上先生:「当院では患者さまのご希望に沿って治療を行うので、薬を使う・使わないの両方が選べます。ただし、年齢的に時間の猶予がない、忙しくてあまり通院できないという方には、薬で採れる卵の数を増やして採卵というほうが現実的かと思います。採卵は患者さまの体への負担が大きいので、医師はなるべく1回だけの採卵で妊娠に結びつけたいと考えます。そうすると、一度になるべく多く卵をとりたいため、薬を使う方法をおすすめするわけです。中には、東尾さんのように薬を使用することで体調を崩される方もいらっしゃいます。その場合は、飲み薬しか使わない、体質に合う薬を選ぶ、副作用を抑える薬を処方するなど患者さまそれぞれに合わせて薬を使っていく方法をとっています」東尾さん:「私は薬を使わない、注射も打たない病院に通っていたので、スケジュールをコントロールするのが難しく、通院回数は多かったのかもしれません。排卵直前は卵の成長や採血結果を見ながら3~4日ほど通院しました。薬をうまく使うことで通院回数が抑えられるのはいいですよね。正直、患者として通院回数が少ない方が楽ですし、ストレスを感じる機会も減るわけですから。病院の待合室でのドキドキは今でも思い出します。採卵してから受精するかどうか、受精してから胚盤胞まで育つかどうか、それを移植してから着床するかどうかとか、ドキドキしっ放しです。着床したと思ったら、そこから心拍が確認できるまでが長くて」「遠慮せず聞いて欲しい」病院は何でも相談できる場所−−−東尾さんは不妊治療中の方から相談を受けることが多いとうかがいました。東尾さん:「不妊治療をされている方は、やはり悩みを打ち明けられる場所がなくて苦しんでいる方が多いんですよね。都市部と地方では治療の悩みにも違いがありますが、イベントをすると同じ悩みを共有する方が集まるので、いろいろなことを話せるからすっきりした顔で帰られます。病院にも、そういったことが話せる場があるといいですね。診察を待っている間の10分、15分、お医者さんには聞けないこと、聞きにくいことを話すだけでも全然違うと思うんです。各病院にカウンセラーがいて、そういった悩みを吐き出すところがあればいいですよね。私自身もピア・カウンセラーの資格を取得しました。また、 日本不妊カウンセリング学会 は看護師さんの参加もすごく多いです」井上先生:「そうですね。私も診察・治療の中でそれは感じています。当院は、注射の説明をするときや実際に注射をするときに少し時間が持てるので、看護師から患者さまにお声がけするようにしています。そこでうかがった内容をその後の治療に活かしたりしています。例えば、診察では普通にお薬を使う方法で移植をとうかがっていたんですが、看護師には『実は薬を使わない自然な形で移植する方法に変えたいんです』と本音をおっしゃっていただけて。私に相談してもらうのが一番なんですが、言いにくい、話しにくいことは看護師など話しやすい相手に相談してもらうのが良いと思います」・先生への質問は積極的に ときにメモを持参することも東尾さん:「先生みなさん必ず『質問ありますか?』って聞いてくださるんですけど、時間をとったら悪いかなとか、こんなこと聞いてもいいのかなとか、患者は遠慮をしてしまいますね(笑)。聞いておきたいことがあっても、診察になると緊張して忘れてしまうこともあります。だから、私は聞きたいことをメモに書いて持参していました。その方が先生も効率よくお話しいただけるので。私はスケジュールのやりくりが大変だったので、初めての治療の場合は、そのあとどれくらい体を動かしていいですか?とか、針を刺したあとの安静はどれくらいですか? なるべくゆっくり過ごしてと言われてもゆっくりって何? 階段の上り下りは運動になるの?とか、表現の違いで受け止め方も違うのでいろいろ質問しました」井上先生:「運動や食べ物の質問はよくお受けしますね。タバコは禁煙していただくよう伝えます。でも、絶対ダメですよってお伝えするのは、移植後の性交渉くらいですね。それ以外で、普通の生活をしている分には問題ないとお伝えしています」東尾さん:「働いている方は、治療のスケジュールが気になると思いますが、先生はどう説明されていますか?」井上先生:「採卵に関していえば、自己注射で採卵日までに最低2回、採卵日合わせても3回通院してもらえれば大丈夫ということはお伝えしています。ある程度は薬によってスケジュールを管理することができます。胚移植日は前後1週間ずらすことも可能です」これからの不妊治療、今だからできること−−−もし今、妊活するとしたらどういうふうに進めますか?東尾さん:「今振り返ると、10年前の私たち夫婦の年齢(東尾さん35歳、石田さん56歳)を考えたら、最初から体外受精に挑戦しても良かったと思います。当時は、いい病院だからと紹介されたところにそのまま通って、最初は自分から何も調べたり勉強したりしませんでした。それはそれで、その時に必要なことだったと思いますが、今なら人任せにせず自分でもっとしっかり勉強しますね。治療方や治療方針にも種類があって、先生がおすすめするものが必ず自分に合うとは限らない。先生はもちろん一番いい方法を提案してくださるんだけど、それが必ずしも自分にとってベストな選択かというと、そうとは言えないこともあります。だから、病院のこと、先生のこと、治療のことを自分自身でしっかり調べて勉強してリサーチして、どういうふうに治療したいかを今なら考えると思います。例えば、私は薬を使わない治療法を選びましたが、今は薬もいろいろあるので、体に合うのなら使用しての不妊治療をやってみても良かったと思います。薬もですが培養方法も、昔と今では全然違いますよね?井上先生:「当院はタイムラプスインキュベーターという受精卵に極力ストレスをかけずに胚培養が行える培養器があり、それがとても効果を上げています( 『凍結胚盤胞移植の臨床妊娠率』 )。うちは生殖医療胚培養士も凄腕で(笑)」東尾さん:「10年前は病院や先生、培養士さん、機器の情報なども全く収集していませんでしたが、今はそれがどれだけ重要なことかわかります」−−−今はコロナ禍で不妊治療を始めたいと思っていてもなかなか難しいですが、女性も男性も35歳を境に妊娠率が急激に下がるという時間的な制約もありますよね。井上先生:「そうですね、病院へ足を運ぶのをためらわれる方は多いと思うので、まずは排卵検査薬などを活用して、妊娠にトライしてもらいたいですね。もちろん、自分やパートナーの体のことはわかっていたほうがより良いと思いますし、妊娠できるかどうかだけではなく妊娠に影響する感染症リスクもクリアにできるので、気軽に検査からしてもいいと思います。ただし、年齢にもよりますが、検査をして何の問題もないご夫婦でも、妊娠できない、不妊原因がわからない患者さまはたくさんいます。目安として20代で1年、30代で半年、タイミングを合わせても妊娠できない場合は検査にきて欲しいですね」東尾さん:「今は一般男性の100人に1人が無精子症とも言われていますよね」井上先生:そうですね。精子そのものがない場合は、どれだけタイミングを合わせても…というのがありますから、やはりなかなか妊娠しないようなら検査をしてもらうのがいいですね。いきなり検査が恥ずかしいのであれば、先に紹介したアプリを活用するのもいいと思います。東尾さん:妊娠には、子どもを授かりたいなと思っている時に、授かれる体の準備をしておくというのが大事だと思います。例えば私の場合、2人目のときに風疹抗体が弱まっていることがわかり、治療の再開を2ヶ月待った経験があります。1人目を産んだ後だから抗体も大丈夫だと思っていたのですが、治療の再開を待つ時間はとても長く感じました。そういうことも含め、自分の体が授かれるかどうかだけでも検査・確認しておくと、気持ち的にもゆったりと待ち構えられると思います。それは、女性だけではなく男性も。妊娠したいなと思った時に心も体も万全な態勢が取れるように、迷っている方は検査だけでもいいですし、もっともっと産婦人科が身近になって欲しいですね」妊娠について不安があれば、生殖医療専門医に相談を「子どもは欲しいけれど、妊娠できるかどうか」といった漠然とした不安を抱えながら年齢を重ねてしまうと、妊娠率を下げることにもつながります。少しでも不安があるようなら、まずは生殖医療専門医に相談してみてはいかがでしょうか? 井上先生が院長を務める 桜十字渋谷バースクリニック のご紹介JR渋谷駅より徒歩約5分、渋谷PARCO隣の好立地に、2018年開業した渋谷エリア唯一(※)の不妊治療専門クリニック。日本生殖医学会認定生殖医療専門医である井上治院長をはじめ、体外受精を数多く手掛けるクリニックで経験を積んだ培養室長など高い技術を持った医師・スタッフがそろい、胚(受精卵)へのストレスを最小限にした最新型培養器「タイムラプス」や培養液の工夫、卵子凍結技術の向上など、ソフトとハード両面で患者さまを支えています。※2020年12月現在【住所】東京都渋谷区宇田川町3-7 ヒューリック渋谷公園通りビル4階( Google Map )※JR山手線 渋谷駅 ハチ公口 徒歩5分/東京メトロ 渋谷駅 6番出口 徒歩4分【診療日】月~土 ※水土午後・日祝休診( 詳細はこちら )【TEL】03-5728-6626 渋谷バースクリニックを公式サイトで見る 取材/文:山本知美撮影:有本真大[PR]医療法人社団 東京桜十字
2020年12月24日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療で、なんと双子を妊娠していることが判明し……?! ついに待望の妊娠! 喜んだのもつかの間… つわりと言えば、よくドラマで炊き立てのご飯とかのにおいでトイレに駆け込むシーンのイメージがあって、それを想像していました。でも、ちょっと違う……?!おなかが空くと気分が悪くなる「食べつわり」のパターンもあるということを、このとき、初めて知りました。 つわりピークの食生活はというと…妊娠2カ月ごろから、食べづわりから吐きづわりに移行……。ビニール袋が手放せない時期でした……。 最終的に、唯一食べられたのはメロンパンだけでした。 待望の妊娠、しかも双子ちゃん! おめでとうございます! かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月15日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療をおこなっています。 卵を2つ移植し、いよいよ妊娠判定日です! 診察を待っている間、期待と不安が入り混じり……。 そのとき、思い出したのは、夫の「2人でも楽しいじゃん!」という言葉でした。そして…… 「妊娠していますね」と先生から言われて、頭の中に、その言葉の意味がじわじわ~っと伝わってきて……涙がぽろぽろとこぼれました。その後、双子ということを聞かされ、たくさんのうれしさとたくさんの責任が一気に押し寄せました。 紆余曲折あってようやく授かった命。 子どもを授かることがどんなに奇跡か、素晴らしいことか、あらためて実感しました。 待望の妊娠、しかも双子ちゃん! おめでとうございます! かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月14日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療をおこなっています。 移植する卵の数を決めることになりました。 夫は1個に賭けようとしていましたが、私は、最後に賭けたかった……。 「卵を2個戻す」 その決断を、夫は受け入れてくれました。そして、いよいよ妊娠判定の日……! つづく。 かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月13日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! 夫と「これが最後」と決めた不妊治療をおこなっています。洗浄の痛みに耐え、採卵を終えて帰宅しました。 前回採卵したときに受精したのは、わずか2個。今回も……。せめて1個だけでも……。そんな気持ちで電話を待ちました。うれしさと安堵感でホッとしたのもつかの間、今度は、次回の胚盤胞移植までキャンセルの電話が来ないことを祈る日々……。まだまだ気の抜けないときが続きます。 かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月12日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産するまでのエピソードを9回に分けてご紹介! ~ あらすじ ~旦那さんと出会って半年でスピード婚。結婚当時仕事が忙しく、不正出血が何週間も続き婦人科を受診したところ、左右両方の卵管が詰まっていることが判明! 「自然妊娠は90%以上難しい」と告げられ、不妊治療を開始するも、出血が続き命の危険に……! その後、顕微授精、体外受精を試みるも妊娠判定は陰性。一度赤ちゃんを諦めようとしたものの、やっぱり赤ちゃんが欲しい……! 自分の周囲の赤ちゃんや子どもの姿をうらやましいと思いつつ、「夫婦2人で過ごすのもいいかもしれない」。そんな風に思い始めた矢先に、義母の病気が再発しました。義母に……子どもの顔を見せてあげたい。 やってみてダメならそれでいい。でも、やらずに諦めるのは嫌だ。私にはまだ治療を頑張れる時間が残されている。だから、やりたいんだ。やってみたいんだ。 ついにダンナが「1回だけ……本当に治療はこれが最後、ダメなら諦めること」と、承諾してくれたのでした。個人差はあるものの、私の場合採卵よりも、その前の洗浄が「ひぃぃーーっ!」と、飛び上りたくなるほどの鈍痛で、永遠とも感じる時間を耐えに耐えました。 そのとき、看護師さんに「赤ちゃん欲しいんだったら頑張る!」と励まされたものの、「わかっとるわい!」と心の中で思い切り毒づいてしまった私でした。そして、卵は無事、5つ採ることができました。 かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月11日2018年2月生まれの男の子育児中のみーすけです。 ベビーカレンダーで、妊娠から出産、日々の育児のことを絵日記連載させていただくことになりました。 第1話目の今回は、不妊治療を経て、妊娠がわかったときのお話です。 ※フーナーテストとは、排卵期にタイミングを取ったあと、子宮に元気な精子がいるかどうか調べるテストです。フーナーテストは100%信用できるものではないと医師から説明されていましたが、2回とも0だと、これは自然では難しいと思いました。 高額な不妊治療には至らず赤ちゃんを授かることができましたが、妊活中はやはり焦りがつのり、精神的にもつらい時期でした。「どうせ無理なんだ……」と自暴自棄になっていたので、妊娠判明時は信じられないような、不思議な感じがしていました。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 絵日記ブロガー みーすけ2018年生まれの男の子を育児中の絵日記ブロガー。日常をマンガにしてブログを更新中! ネットで子育て情報を検索するのが趣味。最近の悩みは赤ちゃんのおもちゃを買いすぎてしまうこと。
2020年12月01日30歳で結婚し、1年経っても子どもができず1年半の不妊治療。タイミング法と人工授精を経て、念願の妊娠! しかし妊娠後、「出生前診断」を受けるかどうしようか悩みました。結果として、NIPT(新型出生前診断)を受けた私の体験談です。 出生前診断を受けようと思った理由1年半の不妊治療で主な検査をし、特にコレといった原因は見つからなかったものの、妊娠したあとも「私の体」に何か子どもに悪いことがあるのでは……?という気持ちがありました。また正直なところ、障害に対して正しい知識がなく、不安や偏見がないと言ったらウソになる自分がいました。仮に障害が見つかっても、それに向き合う準備期間にしたい。特に妊婦健診での指摘もなく、一般的に出生前診断が推奨される35歳以上の出産でもありませんでしたが、漠然とした不安から出生前診断を受けようと考えていました。 苦労した病院探し出産予定の病院では出生前診断をおこなっていませんでした。出生前診断を受けたい気持ちはありつつ、しっかりと調べていなかった私。妊娠15週のときにふと読んでいた妊婦向け雑誌に「出生前診断は妊娠18週くらいまでに受ける」という記載を読み、無知な自分に焦り、急いで病院探しを始めました。 可能であれば、確定診断の出る羊水検査が希望でした。しかし外来の患者や35歳未満の妊婦には実施していない病院が多く、見つけた病院は平日の日中にカウンセリングと検査を含めて3回来院が必要と、フルタイムで仕事をしていた私にとっては難しい条件だったのです。ネットで調べた結果、年齢制限がなく1回の来院で日曜日でもNIPT(新型出生前診断)を実施している病院を発見。すぐに予約し、週末に受診しました。 いざ検査検査はまずNIPTを受け、陽性だった場合は羊水検査に進むという流れでした。費用は23万円ほど。当日は、まず問診表や同意書を記入。その後個室に呼ばれ、医師から検査の説明とカウンセリングがありました。その後採血し、お会計で終了。所要時間は1時間弱でした。結果は10日ほどで郵送されるとのことで、10日間は「普通に過ごそう」と思いつつも、どこかでずっと診断結果のことを考えていました。陽性だった場合は、どうしようか……と。 診断結果は郵送で診断結果が届き、紙には各項目ごとの内容と「すべての項目で異常は見られませんでした」という記載がありました。 もちろん、この結果がすべてではないことは理解していますが。しかし、冒頭でもお話ししたとおり、もし障害が見つかっても、それに向き合う準備期間が必要だと考えていたので、私は出生前診断を受けてよかったと思っています。 出生前診断は賛否どちらの意見もありますが、私は受けたい自分の気持ちに正直になり、検査を受けることを決意しました。ただ、実際に検査ができる病院を探すのが大変でした。そして費用もかかりますので、受けたくても条件的に受けることが難しい人が多いのではないかと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:森まり子0歳の男の子のママ。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして活動中。主に子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの美容記事を執筆している。
2020年11月25日1人目を妊娠しているときから、「子どもは2人欲しいよね」と夫婦の意見は一致。ですが1人目を不妊治療で授かったので、「2人目不妊になるのでは?」と心配に……。なぜなら1人目ができるまでに、3年かかっていたからです。1人目が落ち着いたら……と、そのときの私はのんびり考えていられませんでした。そのような状況で2人目を授かり、私が感じたことをお伝えします。 2人目不妊を想定して早めに妊活を開始1人目は不妊専門の病院に3年通い続けて、妊娠した経験があります。そのため、子ども同士の年の差を気にしていられませんでした。2人目も不妊となると、1人目を連れて頻回に病院に通わなければいけません。薬の副作用で思うように体が動かないことも……。万が一の事を考えると、私は1日でも早く妊娠できる体に整える必要があると考え、30歳で2人目の妊活をスタート。産後6カ月目のとき生理が再開したので基礎体温の測定を開始して、安定するのを待ちました。そして1人目が生後10カ月のころに断乳をして、葉酸摂取を開始したのです。 予想に反して2人目はすぐに妊娠!結果、1人目を妊娠するまでに3年かかったのですが、2人目は妊活を開始して2カ月で妊娠しました。一番心配していた不妊問題もあっさり解決して、私たち夫婦は晴れて年子を授かることができました。年子は大変だな……と思いましたが、子育てが落ち着いたら早めに再就職をしなければいけなかったので、早々に子宝に恵まれてよかったと一安心! 不妊治療には高額な治療費がかかるため、その分を教育費に回せられると考えると安心できました。 1人目に対してフォローしたこと 子育てはひとりだけでも十分大変ですが、子ども同士の年齢が近ければより手がかかるかもしれないと感じていた私。早々に2人目を考えていたこともあり、1人目には自分でできることはなるべく自分でさせるようにしていました。 自分でごはんを食べる・簡単な脱ぎ着はもちろん、外では抱っこを極力せず「赤いボールまで歩こう!」「あっちにワンワンがいるよ! 見に行こう!」と声掛けをして、歩くことの楽しさを子どもに感じてもらえるよう工夫をしました。しかし1人目も1歳6カ月で、まだまだ甘えたい時期だったと思います。寂しい思いをさせないために、2人目の授乳中も1人目を一緒に抱っこをしたり、2人目が寝ているときは1人目との時間をたっぷりつくるよう意識しました。 私の場合は「不妊」の可能性があったため、2人目はかなり焦って妊活をしました。そのため子ども同士の年齢差も考慮できず、1歳6カ月差に……。ですが常にライバルであり心強い仲間になった子どもたちを見て、今は年子で本当によかったなと思っています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:太田 いこ岡山県在住、年子姉妹の母。フルタイムで働きながらライターとしても活動中。主に、不妊・育児・ママ友などのテーマで記事を執筆している。
2020年11月04日ぽこちゃんです&どんちゃんです
子育てはフリースタイル
両手に男児