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不妊治療を体外受精にステップアップする中村こてつさん。2ヶ月間、治療をお休みし充電期間を経て、いよいよ体外受精編の開始です。2005-8年の体験記になります。体外受精はじめましたタイミング療法→人工授精→体外受精と、不妊治療のお手本のように順調にステップアップしてしまいました。しかし、ここまで来たら後には引けません。2ヶ月間、治療をお休みして、心も身体もパワーはみなぎっています。9月末、生理開始。さあ、いよいよ体外受精、始動です!体外受精とは、卵巣から取り出した卵子を体外で受精(シャーレに入った卵子に精子をふりかける)させ、その受精卵を培養した後に子宮に戻す治療方法です。まず、採卵のための準備として、生理3日目から、低用量ピルを服用することになりました。避妊に使われるイメージの強いピルですが、不妊治療では卵巣の地ならし用な役割で、あとあと卵の質を均一にするために使用するそうです。飲み始めると高温期に入り、しばらくすると出血もなくなりました。ピル服用中は、飲酒も運動も性交も問題ないとのこと。(飲酒してよいかはいつも必ず聞いていた私です(笑))ただ飲み忘れは要注意です。生理が始まってしまいます。晩ご飯~就寝の間に1錠ずつ。14日間飲み続けます。飲み忘れてしまった場合は翌朝に飲んで、その日の夜にまた1錠。薬の飲み忘れをよくやってしまう私なので、携帯にアラームをセットして臨みました。薬の副作用は個人差があると思いますが、私の場合、飲み始めて1週間ほどは眠気との闘いでした。とにかく眠くて眠くて、無職でしたので一日中ゴロゴロしていました。あ、ゴロゴロしているのはいつものことでした(笑)。ピル服用12日目にクリニックで卵巣の状態をチェックしました。左の卵巣、何も無くキレイ。右の卵巣、ん?と私でも分かるくらいの丸い卵胞のようなものが一つ…。「卵巣嚢腫があるね~」と小さくつぶやくドクター。その前日に図書館で借りた不妊体験本で「卵巣嚢腫で手術~ほにゃらら」という文言を見たばかり。の、のうしゅ!? 今、嚢腫って言った? 先生。聞きなおしたいけれど怖くて聞けません。それがあるとまずいんですか? とだけやっと聞くと「まぁ多分、水が入ってるんじゃないかな」との的を得ていない返事。ドクター曰く、卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍であり、良性腫瘍の中で一番多いのが、卵巣嚢腫だそう。分泌物などがたまってできる袋状のものとのこと。一番最初の診察での超音波画像にも写っているから、普段から常にあるものではないかと言われました。念のため、ピルを1週間延長して経過を見ることになりました。1週間ずれるってことは、採卵日は11月初め。体外受精が始まるまでは、日にちが遅く進めばいいなんて思っていたけれど、いざ始まってしまうと、順調に進まないことにモヤモヤします。ピル服用19日目、再びクリニックへ。前回、経過を見ることになった卵巣嚢腫は今回も見えました。大きさは変わらず。やはり水の入った袋、水ぶくれみたいな感じでしょうねとドクター。これがあっても特に体外受精に問題はないとのことでした。ホッとしました。これからもずっと卵巣内にあるんですか? と聞くと「採卵のときに針刺しちゃうから、一時的に小さくなるかもしれないけれど(多分ずっとある)」とのこと。その言葉に改めて、「そうだった、卵巣に針刺すんだよな~」とドキリとしました。痛そうなのでなるべく考えないようにしていたのですが…。ギョッとしたり、モヤモヤしたり、ホッしたかと思えばドキリとしたり、体外受精に向け、心が忙しいです。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年12月06日不妊治療は終わりの見えないトンネルのように思えた、という中村こてつさん。体外受精を始める決心をしたものの、一旦治療は2か月のお休みに入ります。中村こてつさんの2005-8年の体験記です。不妊治療中ものすごくよく言われた言葉2ヶ月間の治療休み。自分で思っていたより治療へのストレスはあったらしく、何も考えなくてよい心から穏やかな日々に懐かしささえ感じました。しかし、そんな穏やかな日々は数日で、お休み中も生理が始まりそうな気配を感じると、なんだかイライラ…少しのことでムッとなり、その後急に悲しくなってポロリと涙…。子どもを持つと意識して治療を始めてから、生理前に自分の感情が不安定になることはもう自分ではどうしようもないのでした。 不妊治療をしていると人に話すと、何人もの人から言われた言葉があります。その人の友達や知人は「治療をやめたら自然にできたらしい」と。そのたびに思いました。でたーーーっ!「治療やめたら自然妊娠」説~っ、と(笑)。きっとその人は、励まし・応援の意味でその話をしてくれたのだと思います。たしかに、不妊の大敵と言われるストレスから解放されて、実際に妊娠された方もいるのでしょう。けれども不妊の理由も特定されて、ほぼほぼ自然妊娠は無理とされている私には、その言葉にパワーをもらうことはないのでした。へぇ、そうなんだ。と言うしかありませんでした。…けれども、いざ自分が治療を休むと決めたとき、心の中に蘇る「治療やめたら自然妊娠」説(笑)。ぜ~んぜんっ、期待してないしぃぃ…可能性はゼロじゃないけどさぁ~…。…そして…生理。落ち込む。というのを2回繰り返して、私の休息は幕を閉じました。人生、そう上手くはいきません。いよいよ体外受精をはじめます。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月15日8度目の人工授精を終え、体外受精に進む前、治療を休むことについて夫婦で話し合いました。私は自分の体を休めたかったし、大仕事(?)を前に時間を作るのは当然だと思っていました。しかしオットは自分の年齢を気にして、休みは設けず、少しでも早く取り組みたいようでした。話し合いは平行線。すっかり休みたいモードになっていた私は、オットの意見に段々悲しくなってきて、「でも、薬飲んだり、注射したりするのは私なんだよぉ~っ!少しくらい考える時間をちょうだいよ~、うわぁ~ん!」と、泣きました。「分かってる、それは分かってるよ」オットは言いました。いや、分かっていない。本当の意味で分かっていない、私の辛さなんて。治療について夫婦で意見が食い違い、険悪なムードになることは時々ありました。ある日、病院からもらってきた体外受精の資料をオットにも見せました。会話中、「いまだに、どうして子どもが欲しいのかたまに分からなくなるんだ~」と私が呟きました。とたんにオットの機嫌が悪くなりました。「そんな風に考えるってことは治療がイヤなんでしょ、じゃ辞めよう」…うーん、なんですぐ極論になるかな~。欲しくないわけではないのです。でも、注射だ薬だ、と慌しく流れていく治療の中で、ふとそういう風に思うときもあるのです。オットはそのグレーな部分をよく理解してくれません。性格上、黒か白か、キッパリどちらかに決まっていないと居心地が悪いようです。自分でも分からなくて悩んで、でも立ち止まることもできなくて、悩みながらも必死に前に進んでいるつもりでした…。オットはずっと思っていただろうことを言いました。「目標がないのに(子どもを望んでいないのに)、そんな気持ちで治療をしてるから成果が出ないんじゃないの?」私も思っていることを言いました。欲しい欲しいと言う割には、オットは自分から治療について勉強しようという姿勢が見えないと。人工授精にトライしていたとき「まだ体温下がらない?」とまだまだ高温期の真っ最中に何度も聞いてきました。不妊治療に関する本を図書館から借りてきても、オットが読むことはありませんでした。(もともと読書は好きではないですが)その度に、ため息が出ました。治療は二人でするものではなかったかなぁと。知識が豊富になって欲しいわけではないけれど、気持ちがあれば自然にそういった行動をとるものではないのかなぁと思っていました。妻が今、どんな治療を何のためにしているのか。オットが分かっていてくれてるのと、無知なのとでは、安心感が全然違うと思います。理解したうえでの「大丈夫?」と、そうじゃない「大丈夫?」は支えてもらっている感はかなりの差があると思います。治療を受けるのはほとんどが女性側だから、この温度差はしょうがないのでしょうか。1人で治療しているみたいな気分だ…と訴えました。するとオットは言いました。「治療には役割分担があると思っている。だから俺は主治医がこうしてくださいと言えば従う。けれど、ネットや本を見てまで知識を得ようとは思わない。」キッパリ。意味不明。役割分担で言えば、たしかに、オットは元気な精子の提供だけ、ですが(笑)。だから俺は勉強しない、って自信満々に言われても…。話し合いながら、気付きました。私はそれが不満で不安でした。もっと理解してよ、私の苦労を分かってよ、治療を変わるのは無理だけど支えてよ~!と思っていました。治療に前向きなオットは、よいと聞いたサプリを飲んだり、禁煙したりと、自分ができることは努力してくれていました。そこに、更にもっと理解してと求めるのは、私のただのワガママなのか…。けれども、暗いトンネルの中、何も手がかりがなく進まねばならないとき、オットにはいつも隣にいてほしかったのです。心細いときその腕につかまりたかった。一人じゃないと安心したかった。険悪になりながらも話し合った結果、オットも勉強する。私もクリニックに言ったら詳しく教える。分からない言葉があれば、そのつど覚えていく。という風に努力しようということになりました。私も体外受精までは頑張る。と決めました。でもやはり少し休みを入れたい…と言いました。2ヶ月間、治療を休むことにしました。 オットは私がまだ”乗り気でない”という印象で受け止めた様子でしたが、もう揉めるのが面倒くさかったのであえて説明はしませんでした(笑)。またそのときが来たら、真意を伝えようと。この頃はまだ話し合いが足りず、私の視点で書いているので、オットが悪者のように書いていますが(笑)、きっとオットはオットなりに治療の不安やストレスはあったけれども誰にも弱音は吐けず、腫物のような妻の扱いについても心を痛めていたんだろう、と今になれば思います。その時の私は自分のことで精一杯だったのでそこまで思いやることはできませんでした。こんなふうに治療中、数々の意見の食い違いや温度差を感じ、時々険悪になりました。そして、その時々にすごく腹が立ち、不快になりましたが、苦しくても、言葉と言葉で伝え合うことを積み重ねました。そして私たち夫婦は少しずつ寄り添っていきました。何も言わなくてもツーカーで伝われば一番楽なんですけどね。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月01日不妊治療を始めて、2年経とうとしていました。治療を重ねていくうちに、憂鬱になるときがありました。そのうちの一つが、『子持ちの友人との集まり』に行くときでした。子どもがいてもいなくてもどちらでもヨシ、と思っていたはずの私でした。それなのに、私より後に結婚した友人たちが次々に妊娠・出産していくのを見聞きしながら、治療を続けていると、それまで平気だった集まりが、なぜだか憂鬱になりました。大好きな友人たち、集まることが決まったら会える日をワクワクと待っていたくらいなのに。親しい友人たちは決して私に子どもがいないことを揶揄したり、デリカシーのない質問を投げかけてくるような人たちではありません。今までと変わらず私に接してくれています。それなのに私はどうしたことでしょう。なるべくなら行きたくない会いたくないと思ってしまう…落ち込むようなことを言われるのでは? なんらかの出来事で子どもがいないことを痛感させられるのでは? 勝手にネガティブな想像をして重い気持ちになっていました。しかし、行ってしまえばそれなりに楽しいのです。勝手に暗い想像をしていただけでした。ただ、友人と話が盛り上がっている最中、子どもが呼んだり泣いたりで、しょっちゅう会話を中断されてしまうとき、何とも言えない気持ちになりました。そうせざるを得ないし、母親は子ども優先なのが当たり前。そう分かってはいても、当たり前に話を中断されることにモヤっとしている自分がいて、そんな自分もイヤで、複雑な気持ちになったものでした。ある日、友人から相談されました。「それまで仲良くしていた義理のお姉さん(既婚・不妊治療中)に妊娠したとメールを送った以来、連絡がない。どうしたものか」優しい性格の友人が、珍しくムッとしている印象を受けました。初めての妊娠なのにどうして喜んでくれないんだろう、と。お義姉さんの気持ちが分かる気がしました。近しい存在の妊娠ほど衝撃を受けるものです。一番の親友からメールで妊娠の報告を受けたとき、それまでのどの妊娠報告よりもドクンと心臓が波打ちました。おめでとうの気持ちと、それ以外の気持ちが混在していました。また追い抜かれちゃった…おめでとう…自然にできる人はできるんだなぁ…なんで私はできない側だったのかなぁ…〇〇子がお母さんか、楽しみだなぁ…苦しい…おめでとう…おめでとうって言わなくちゃ……どうしてっ…私だけっ…動揺を抑えながら、心のドロドロを悟られないようにしながら、慎重に返信したのを覚えています。不妊治療を始めたら、いつのまにかもう一人の自分がいました。もう一人の私は、時々現れて、憂鬱でネガティブでドロドロしながら、自分自身の存在に傷ついていました。治療中の方が集うネット上の掲示板では、子持ちの友人と会いたくない・妊娠した友人と距離を置いてしまう・赤ちゃんの載った年賀状がイヤだと思う…、そんな意見もよく見ました。掲示板の女性たちも私と同様、傷ついていたのでしょうか。人の幸せを喜べない自分自身に。私は一体どうしてしまったんだろう。どうなってしまうんだろう。とてもとても苦しい。不妊治療のトンネルは一時的に人格さえも変えてしまうのでしょうか。私は、私たちは、ただ一つの命を育みたいだけなのに。「不妊治療していると気持ちが落ち込むことも多いの。かわいがっている義理の妹の妊娠が嬉しくないわけがないよ。時間はかかるかもしれないけれど、おめでとうって言いたいはず。だから、もう少し待ってあげて。お義姉さんから何か言ってくるまで。」自分に語りかけながら、友人にそうお願いしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月18日生理予定日から使えるという妊娠検査薬。予定日を過ぎてもまだ生理がこない。明日使ってみよう…そう決めた翌日、体温は見事に低下しました。妊娠検査薬の封を切ることはありませんでした。着床出血か? と検索しまくっていた出血も徐々に減っていき、生理だったのか不正出血だったのか分からぬまま、私の人工授精でのラストチャレンジは終わりました。ショックというよりもトホホという感じでしょうか。あぁ、やっぱりねぇ。そんな感想。クリニックに電話し、体温が下がったことを伝えました。そしてもう一つ、次、体外受精をします、とも。10月の生理が開始したら通院開始ということで、2ヶ月間は治療が完全に休みになりました。しばらく通院しなくていいと思うと心がすごく軽くなったのを覚えています。人工授精を繰り返しているとき、義父が入退院を繰り返していました。身体を悪くするのと同時に、認知症の症状が出始めました。最終的に義父はグループホームに入り、私たち夫婦が通う形になりました。時々病院やホームから歩いて抜け出してしまったり、その他にも困った行動もあったりして、私たちも心が休まらない日々が続きました。その頃は、友人たちの出産ラッシュでもあり、出産後の赤ちゃんに会うために仲良しグループで集まることもよくありました。産まれたばかりの赤ちゃんは柔らかくて甘くて、キラキラしていました。これから希望に満ち溢れた人生を歩いてくであろう命。そんなキラキラした命を愛おしそうに抱く友人。一方私は、義父の辻褄の合わない話に相槌を打ったり、抜け出してふらふら歩く後ろ姿にずっと付き合ったり、誰かに謝ったりしていました。赤ちゃんと老人、同じお世話が必要な人間を抱えている。同じ命のはずなのに違う世界が違う友人たちの子育てトークを聞きながら、そんなことを思っていました。治療と同じく、いつまで続くのか分からなかった義父のお世話。漠然とした不安な日々に心も身体も疲労していました。同じ空間にいるはずなのに、私と友人たちのいる世界は違うんだと思いました。赤ちゃんを幸せそうに抱く友人がまぶしくてまぶしくて私はそっと目を逸らしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月04日自分の中でなんとなくそんな気がしていました。もしかするとドクターもそう思っていたかもしれません。けれども、治療をステップアップする決心がつきませんでした。排卵誘発の注射の量を増やして、8回目の人工授精をすることにしました。また5日間注射に通います。そんな中、台風が接近し、クリニックが休診となった日がありました。が、私は毎日注射を打たねばならないので、暴風域を抜けるであろう夜9時に通院することになりました。夜だったので、オットも一緒に行けました。クリニックには私たち同様、注射を待つご夫婦が何組かいました。ぼそぼそと会話をする声と、窓の外を通り過ぎる大きな風の音。二つの音を聞きながら、ぼーっと座っていました。あぁ、どうして今、私はここに座っているんだっけ…台風の後、夫婦で話をしました。人工授精はこれで最後にすることに決めました。そして、8回目の人工授精の日。―これで最後―自分の中で(まさか体外受精まではしないだろう…)とたかをくくっていた部分がありました。気付けば、その『まさか』は目の前。たかをくくらず、腹をくくる時がやってきたようです。内診で、右に約10個、左に5、6個の卵胞を確認しました。このまま排卵させる注射を打つと卵巣が腫れる可能性があるということで、点鼻薬での排卵に切り替わりました。予定していた注射は、一週間体内に残り、排卵せずにいた他の卵胞がどんどん成長してしまい、結果卵巣が腫れる…という事態になりえるとのことでした。点鼻薬は注射より効果が小さいけれど、一度のみの効き目なので、上記のような副作用がないとのことで、OHSSを心配していたので、ホッとしました。そして、最後の人工授精を無事に終え、2週間後の判定を待っていました。すると、生理予定日より一週間早いのに、出血…こ、これは…着床出血ってやつ???着床出血とは、受精卵が子宮に根を生やしたとき(着床)に起こると言われる出血で、ネットで不妊治療の掲示板などを読んでいると、治療の末妊娠された方がよく使うワードなのです!検索魔になる私(笑)。「着床出血 症状」などで検索しまくります。検索結果で自分の症状と同じようなものばかりを信じ、そうでないものには理由をつけて無視していた気がします(笑)。その後も出血は続き、クリニックに相談すると様子見と言われ、次の診察までにさらに検索しまくる毎日でした。生理予定日に生理が来ませんでした。前日に届いたメール便の封を切りました。生理予定日当日から使える妊娠検査薬です。決めました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月20日ステップアップを検討する目安でもあり、自分の中の「ここまでには妊娠!」と目標にもしていた6回目の人工授精。その人工授精も妊娠することなく終わってしまいました。ここから、どうするか…オットは私の考えを優先するというスタンス。私は…私はどうしたいんだろう。産めるものなら産んでやるわい、と気持ちは切り替えたものの、切望しているわけではありませんでした。今すぐにでも欲しい! そう思えたなら、何の迷いもなく体外受精などにステップアップしていたでしょう。身体的、経済的に負担はないほうがいい…もう少し、人工授精で頑張りたい。悩んだ末、ドクターに伝え、7回目の人工授精に挑むことにしました。挑むにあたり、誘発の仕方を変えてみることにしました。これまで内服薬で排卵を促していましたが、注射で直接ホルモンを注入する方法に変えます。この方法だと、今までの人工授精より2割くらいは妊娠の可能性が上がるとのことでした。 内服薬とは反対で、頚官粘液も増えるし、子宮内膜も厚くなるというメリットもあります。デメリットといえば、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になる可能性があるということ。卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まります。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすいとの説明も受けました。そうならないためにも、様子を見ながら少量ずつ使用していくとのことでした。また、卵胞がたくさん育ちすぎて、多胎の可能性も20%とかなり高くなると言われました。このようなデメリットがあるため、治療のために同意書を記入しました。OHSSになりやすい人は、多嚢胞性卵巣症候群の人や若い人とのこと。29歳ですけど…というと、十分若いです。と言われてちょっと嬉しくなる乙女心(笑)。7回目の人工授精に向けて、治療が開始されました。 まずは卵胞を育てるために注射に通いました。5日連続、1本の注射を打つためだけに往復3時間の通院です。注射は筋肉注射で、肩かお尻のどちらに打つか選べます。腕よりはましな気がして、私はいつもお尻を選択していました。ものすごく痛く、打ったあとも筋肉痛のような痛みが数日続きました。そして7回目の人工授精を実施。これまでとは違った方法での人工授精。期待と不安で過ごす2週間でした…。妊娠できたらその後の生活は一変するなぁ。双子ちゃんだったらどうしよう~(無知ゆえの憧れがありました)。産院は家の近くがいいのかなぁ。そしたらオットは毎日来るかもね。くすくす、くすくす。-2週間後-体温の下がった朝、生理が始まりました。うん。キソタイオン、ウソ、ツカナイ。7回目の人工授精も失敗。「どれくらい長いか分からない暗いトンネルの中を歩いている」不妊治療はそんな風に表現されることがあります。治療を始めてから時間だけが経ち、気付けば私もトンネルの中を歩いていました。奥へ進めば進むほど、不安や悲しみ・焦りが体にまとわりつきます。まったく明かりのない中では、気持ちを上向きに持つことが段々と難しくなっていきます。出口は、まだ見えませんでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月06日初めての人工授精は月経が始まったことで、成功しなかったことを知りました。そこまで落ち込むことはありませんでした。「…まぁ、まだ1回目だしね。」自分の中で6回までは挑戦してみると決めていました。そして、おそらくそれまでには妊娠できると、不思議な自信も持っていました。(今思えば何の根拠もない(笑))オットは「精子無力症」と診断され、その後の複数回の精液検査でも精子の運動率は基準をかなり下回る結果が続いていました。しかし、人工授精の時は洗浄濃縮され、人工授精するには問題ない値になっていました。私も毎回の診察でしっかり排卵していると確認していました。だから回数を重ねて、確率を上げていけば、いつかきっと妊娠できる。そう思っていました。翌月、2回目の人工授精をしました。生理がきました。少し気持ちが塞ぎました。年を跨ぎ1月末、3回目の人工授精をしました。生理がきました。その少し前に、姉が第二子を妊娠したことを聞きました。涙が出ました。その翌月、4回目の人工授精をしました。結果待ちの間に私の誕生日がきました。29歳になりました。誕生日の日、生理がきました。些細なことがきっかけで大泣きしました。4回目の人工授精のときには、精子に影響することを聞いたオットが禁煙を始め、精子の値がかなり改善したこともあり、少し期待していました。(オットも大喜びしていましたが、その2ヶ月後には元に戻ってしまいました…)翌々月、季節は春になっていました。5回目の人工授精をしました。生理予定日になっても生理がきませんでした。妊娠検査薬使ってみようか…そう思った日の夜、生理がきました。もう泣きませんでした。すぐさま、クリニックへ来月の予約をしました。その翌月、6回目の人工授精をしました。あたりまえのように生理がきました。いつのまにか、ステップアップの目安である回数になっていました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年08月23日こんにちは、佐原チハルです。不妊治療は、始めるのも続けるのも苦労があると言われますが、実は“やめどき”を探すのも難しいと言われています。「もうやめようかなと思っていても、やめると決めきれない……」という方もいらっしゃることかと思います。そこで今回は、不妊治療を“やめた”という人たちの声を集めてみました。●(1)決めていた年齢になったので、やめた『夫と、「私が38歳になったらやめよう」って最初から話してたんで、もういいやってすっぱりやめられた』(40歳女性)36歳のころから2年ほど不妊治療を続けたという女性の声です。『うちは夫がもう初老なんで、夫婦で好きに過ごそうって思いきれたのかも』この女性が結婚したのは34歳のとき。パートナーさんは、なんと20歳近く年上なのだそう。『夫の年齢もあって、最初から子どもは無理かなって思ってたところもあって。2年してダメだったら、もうその先の時間は自分たちのために使おうって、治療を始める前に決めてたの』子どもがいる生活への憧れは「今もある」とのことですが、治療をやめたぶん自由になった時間で、久しぶりに遠くまで旅行に出かける予定なのだそう。やめどきは、いざとなってから判断するのは難しいものです。“余裕のある開始時点から決めておく” というのは、大事なポイントになりそうです。●(2)金銭的理由で、やめた『不妊治療って、何かとお金がかかるんだよね。うちは共働きだから続けられたけど、それでもやっぱり負担は小さくなくて』(41歳女性)好きで続けていたはずの仕事も、不妊治療の成果がなかなか出ないことで「結果の得られない無駄な浪費をするため稼いでいる」「報われない努力のための無意味なこと」に思われるようになってきてしまったそう。『買い物するたびに10円でも安いもの探そう、こんな無駄遣いはしないでもっと切り詰めなきゃ……って、何をするにも考えるようになってしまって、疲れちゃった。私にも夫にも、余裕が全然なくなっちゃって。こんな状態で子どもを迎えても喜べないんじゃないかって思っちゃった。確定申告の書類作りながら「もうそろそろいいかな」って言ってみたら、夫も「そうだね」って言ってくれて、それでおしまい』「不妊治療はお金がかかる」とは言われていますが、実際にどれくらいかかるかは、治療の内容やそれを続ける期間によります。助成が受けられる治療内容・所得であるかどうか、お住まいの自治体によっても変わってきます。いずれにしても、生活や気持ちが荒んでしまうほどの負担になってしまうのはつらいこと 。治療にいくらくらいまで使うか事前に話し合っておく、いくら使った時点で今後のことを検討するタイミングにする、などあらかじめルールを決めておくのがいいのかもしれません。●(3)一時休憩のままなんとなく、やめた『「よし、やめよう」って言ってやめたんじゃないんだよね。一旦休憩っていう感じ』(33歳男性)治療を受けていたのはこちらの男性ではなく、パートナーの女性です。女性の方が5歳ほど年上のご夫婦で、治療は女性が37歳になってから1年ほど続けたそう。『それほどお金もかけてないし、それほど高度な治療もしていないから、他の人たちと比べたら負担は少なかったと思うんだけど、それでもやっぱりつらくて。特に妻が精神的に疲れてた』治療前は2年ほど“妊活”を行っていたそう。パートナーの女性は“妊活”にも熱心だったそうで、ずっと神経を尖らせている様子が心配だった そうです。『ちょっと一休みしようって、僕から言ったの。年齢を考えたら、休もうなんて逆に言っちゃいけないんじゃないかとかも思ったんだけど』迷いながらも、「今言って休まなきゃ夫婦生活ダメになる!」という危機感があり、申し出たのだそうです。『とりあえず半年、考えるのもやめてみようってことにしたんだ。それで半年後また治療したいって思ったら、そのときはまた再開しようって。でも再開の話は僕からも妻からも特に出なくて、それっきり今も休みっぱなし』「やめるっていう決断は実はまだできてない」とのことですが、この“一旦休憩”を切り出すのにも勇気が必要だったそう。続けたい気持ち、また“年齢との戦い”だという気持ちから、「治療の中止を決めるのが怖い」という声はしばしば聞きます。まずはちょっと休憩というクッションを置くだけにして“決めずにいる”というのは、実はとても有効かもしれません。----------以上、いかがでしたでしょうか。不妊治療をやめるのは簡単ではないかもしれませんが、無理をし過ぎてしまって、日々の夫婦生活が大きく損なわれてしまうことは避けたいですよね。やめるために大切なのは、続けること同様、夫婦間のコミュニケーション なのだと思います。自分のためにも、パートナーのためにも、切り出す勇気を出すことが必要なのかもしれませんね。●ライター/佐原チハル(フリーライター)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年08月21日タイミング療法を数回試した後、数か月の通院拒否、そして開き直り( 第10話参照 )、その後、不妊治療クリニックに再デビューした私は、ドクターに次のステップに進むことを伝えました。看護師さんから『人工授精(AIH)を受けられる方へ』という用紙とともに、説明を受けました。人工授精は、精子が少ない場合や原因不明の場合に、少しでも卵子の近くまで精子を運ぶため、精子を子宮の中に入れる治療です。ちょうど排卵の時期に、採取した精液を洗浄して元気のよい精子だけを選び、細いチューブで子宮の中に注入します。私の場合ですが、人工授精のための通院は3、4回ほどでした。月経が開始したら排卵誘発剤を飲み始めます。排卵日近くなったら卵胞の大きさをチェックし、排卵日を予想し、人工授精の日を決めました。場合によっては点鼻薬や排卵を促す注射を打ったりもします。当日の朝、寝室にオットを一人残し、採精してもらいます。採れたての精子とともにクリニックへ。採った精子はそのまま注入するわけではなく洗浄し、ばい菌などを取り除きます。その間1時間ほど待ちます。診察室に呼ばれました。いつものお股開脚椅子に座ります。膣内に細い管が差し込まれる感覚が分かりました。いよいよだ…ドキド…「はい、終わりましたよ~。」えっ、もう終わり?!ドキドキする暇もなかった…自分が不妊治療を始める前は、その音の響きから否応なく不妊治療してますっ! という感じを受ける「人工授精」だったけれど、いざやってみると本当に簡単でした。体への負担も軽かったです(個人差はあるかと思います)。費用も保険適用ではないものの2万円前後と比較的挑戦しやすいです(…と思うのは、その後の治療で金銭感覚がおかしくなっていったからでしょうか(苦笑))。しかし、これで妊娠できるのなら…精神的にも身体的にも経済的にもいい、と私は思いました。ドクター曰く、人工授精で1回当たりの妊娠する確率はそこまで高くはなく、5~6回挑戦してみて結果が得られない場合、ステップアップ(体外受精・顕微授精など)を検討することが多いそう。よし! 6回目までには妊娠するぞ!1回目の人工授精の帰り道、静かに闘志を燃やした私なのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年08月09日一度目のタイミング療法は、極度の私の緊張により失敗に終わりました。その後のタイミングでは、なんとか行為は成功(笑)。回数を重ねるごとに、排卵誘発剤を飲んだり、人工的に排卵を起こす注射を打ったり、さらに強い排卵誘発の注射をしたりと、いろんなことを試したけれど、妊娠には至りませんでした。4、5回タイミング療法を試した頃、急用でクリニックの予約をキャンセルしました。その後、予約を取り直さなければならなかったのに、私はそれをしませんでした。そのまま、ズルズルと病院に行かないまま4ヶ月が過ぎました。ずっと黙って見ていたオットがとうとう口を開きました。「また、行こうか。」渋々と、私はまたクリニックに電話をしたのでした。通院を休んでいる間は、ゆっくりと自分と向き合う時間になったのかもしれません。私の中で、少しずつ心境が変化していました。治療して子どもを作ることを拒んで過ごしている今の生活。それは、ひとつの尊い命を産み育てるというそのことと果たして釣り合うのか。その価値はあるのか。もし自分に子供を産むことができるのなら、それに挑戦すべきじゃないか。私は挑戦する権利を持っている。しかもそれに期限があるならば、できるときにやるべきではないか。何もしないで後で万が一後悔するより、挑戦してそれでも出来ないなら、そのときに別の人生を考えてもいいのではないか。おそらく60歳になってから、治療を始めてもおそらくもう遅い。 やれるもんならやってみよう。産めるもんなら産んでみよう。そんな気持ちが芽生えていました。そうなると、もう自分にウソはついてないので、気持ちが軽くなりました。クリニックに通うことも苦ではなくなりました。今までは、子供いないことが不幸じゃないんだと言ってる自分なのに治療に通う自分。この矛盾が苦痛でした。しかし「産めるものなら産んでやろうじゃないか、てやんでぃ。」と開き直る(?)ことができたら、憂鬱な世界がパァ~っと明るくなったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月26日ダウン症って?治療法はあるの?出典 : ヒトの体は無数の細胞によって構成されています。細胞のなかには遺伝子があり、さらにその遺伝子がらせん状に繋がったものを「染色体」といいます。染色体は通常23組46本で構成されていますが、この並びや数にたまたま変異が起こり、21番目の染色体が通常より1本増えた状態をダウン症といいます。21番目の染色体が1本増えて3本になることが原因で起こるタイプを「標準型21トリソミー」と呼び、これがダウン症全体の95%を占めています。このほか、3本目の染色体が別の染色体にくっついている転座型、21番目の染色体が3本のものと2本のものが混じっているモザイク型があります。上記のようにダウン症が引き起こされる原因やタイプはある程度わかっていますが、ダウン症そのものを治療する方法は、現在のところ解明されていません。一方、ダウン症のある人に合併しやすい疾患(心臓や消化器の内臓疾患など)の症状を軽減したり治療したりする方法については確立されているものが多く、比較的早期の乳幼児期から、治療が開始できるようになってきています。ダウン症の確定診断はいつ行われるの?赤ちゃんの合併症はすぐにわかるの?出典 : 出生後に医師によってダウン症の疑いが認められた場合は、ご両親やご家族に説明し承諾を得たのちに、赤ちゃんの血液で染色体の検査を行い、確定診断を行います。出生前に母親の血液を採取して調べる検査もありますが、確定診断には、母親の腹部に針を刺して羊水を採取し、染色体を調べる検査を受けるのが一般的です。診断後は医師から説明があるほか、希望すれば医療機関のスタッフや地域の保健担当に詳しい話を聞くことができる場合もあります。合併症についても、妊娠中や出産後の検査で早期に診断されるものも多く、新生児期に手術が可能な場合には、生まれてすぐ医師から手術をすすめられることがあります。生まれたばかりのわが子の手術についての説明に戸惑い、医師と相談をしてもなお不安なことがあるようなら、セカンドオピニオンを求めることもできるかもしれません。ダウン症協会や地域の親の会などに相談すると、ダウン症のあるお子さんに詳しい医療機関等の情報を紹介してくれることもあるようです。公益財団法人日本ダウン症協会ダウン症親の会一覧ダウン症の合併症の治療法は?出典 : 合併症を伴わずに生まれてくるダウン症のある赤ちゃんもいますが、20〜40%の赤ちゃんは循環器(心臓など)の疾患を伴って生まれてくるといわれています。近年は出産直後に発見されることが増え、早期の外科治療によって完治することも可能になってきました。その他、消化器系の疾患が合併している可能性もありますが、このような疾患についても、医療の発達により手術法が確立され、乳幼児期のあいだに改善できるものも多くなってきています。また、風邪などが重症化すると、気管支炎や肺炎など呼吸器疾患に発展する場合や、中耳炎を引き起こすことがあります。乳幼児期に風邪をひいた場合は早めに診察を受けたほうがよいでしょう。出典:産婦人科の現在「ダウン症候群について遺伝カウンセリングで伝えるべきこと」◇循環器(心臓など)の疾患循環器の疾患のうちダウン症のある赤ちゃんに合併していることが多いのは、・出生後すぐに閉鎖するはずの動脈管が閉じない「動脈管開存症」・左右の心室あるいは左右の心房の間の壁に穴があいている「心室中隔欠損」・心臓の真ん中部分が形成されず穴があいている「心内膜床欠損症」・循環器に関する4つの症状を持つ「ファロー四徴症」などがあります。あいていた穴が閉じるなど自然に治る場合もありますが、自然治癒が見込めない場合には乳幼児期に手術治療を行います。また、心臓に疾患があると、心臓から血液を送りこまれる肺にも影響が起こることがあります。肺への負担を軽減するために、原因や状態によって、投薬治療などが行われます。◇消化器官系の疾患なんらかの原因で生まれつき十二指腸が閉じている「十二指腸閉鎖症」、肛門が閉じている「鎖肛」などの疾患があります。これらの疾患があるとミルクなどを消化して排泄することが困難になるため、新生児期の早い時期に手術が必要です。術後の予後は良好だといわれています。◇環軸椎不安定性(首の1番目と2番目の骨にずれが生じる状態)首の1番目と2番目の骨は、細い筋肉や腱によって固定されていることに加え、骨同士を噛み合わせるように突出している2つ目の骨の突起構造が小さいため、ずれが生じやすい箇所です。この関節がずれている亜脱臼の状態を「環軸椎不安定性」といい、ダウン症がある子どものうち1~2%にあるとされています。亜脱臼の状態からさらに関節がずれ、脱臼すると、脊椎の背中側にある脊椎神経の束が強く圧迫され、麻痺が起こることがあります。脱臼させないためには何より早期発見が重要です。一般に3~4歳の時期にレントゲン検査をし、環軸椎不安定性の有無を確認することがすすめられます。環軸椎不安定性と診断されると、うつむく姿勢で首に強い力が加わる前転のような運動は避けるよう指導されます。◇ウエスト症候群(点頭てんかん)ウエスト症候群(点頭てんかん)も、合併症として起こる可能性がある疾患です。身体の一部をピクピクさせてミルクを飲まなかったり、首をガクッと落としたりするような様子がある場合には、脳波の異常を調べ、必要があれば投薬等による治療を開始します。ウエスト症候群は国の指定難病に定められています。ダウン症のあるお子さんに起こるウエスト症候群は、比較的予後が良いといわれています。出典:産婦人科の現在「ダウン症候群について遺伝カウンセリングで伝えるべきこと」参考:難病情報センター◇ 甲状腺機能の問題甲状腺から分泌されるホルモンが過剰となる甲状腺機能亢進症、逆に低下する甲状腺機能低下症があります。どちらも起こる可能性がありますが、特に甲状腺機能低下症の合併率が高いようです。症状がでにくい場合もありますので、年に1回の血液検査で確認することが望ましいようです。必要があれば投薬により治療します。◇筋肉の緊張が低く柔らかい(低緊張)ただ立っているだけ、座っているだけでも、姿勢を保つためには、ある程度、筋肉を緊張させておく必要があります。ダウン症がある子どもは、筋肉の緊張の度合いが低く、体が柔らかいことが多いと言われています。そのため、寝返りやお座り、つかまり立ち、歩行など一連の運動発達がゆっくり進むようです。また、歩き始めても、足底の親指側に体重がかかってしまう外反扁平足になりやすいため、靴の中に足をサポートする足底版を入れることをすすめられることがあります。◇耳や目の問題聞こえの問題や、遠視や近視、乱視など見え方の弱さがある場合には、補聴器やメガネの装用をすすめられることがあります。また、滲出性中耳炎にも罹患しやすいため、耳を気にする様子などがあったら耳鼻科を受診してみてくださいダウン症のあるひとの医療費、養育費のサポート出典 : ダウン症がある子どもには、特に乳幼児期に合併症の手術などで高額な医療費がかかることがあります。金銭的負担を軽減するために、いくつかの医療費に関する制度を利用することができます。・乳幼児医療費助成制度自治体から医療費が助成される制度です。利用には年齢制限があり、各自治体によって定められています。ダウン症、障害の有無に限らず、対象年齢内のすべてのお子さんの医療費が助成されます。・小児慢性特定疾病医療費助成ダウン症は小児慢性疾患の対象疾病になっています。合併症のうちいくつかの疾患で長期にわたる治療を要する場合に、小児慢性特定疾病の医療費助成が受けられます。助成には条件がありますので、病院のソーシャルワーカーや各都道府県の担当部署にお問い合わせください。参考:小児慢性疾患・特別児童扶養手当医療費に関する制度ではなく、子どもの養育のための手当が支給される制度です。支給される条件は各自治体によって異なります。・障害児福祉手当重度の障害のためにかかる日常生活上の精神的、物質的な負担を軽減する目的で支給されます。障害による生活の困難さによって、受給されるかどうか判断されます。ダウン症の診断のみでは、手帳の習得はできませんが、合併症による障害があることによって日常生活に支障があると考えられる場合に、以下のような手帳を取得し、福祉サービスを受けることができます。・「療育手帳(愛の手帳など)」知的な障害によって日常生活に不便さがあるお子さんに、各都道府県から交付される手帳です。交通機関などを一人で利用できず介助者を必要とすることがあることから、公共交通機関の料金の減額や、公的機関の駐車料金の支払い免除などの福祉サービスを受けることができます。等級によって受けられるサービスに違いがありますので、各都道府県にお問い合わせください。・「身体障害者手帳」心疾患などの合併症で長期間身体的に不自由さがある場合や、歩くことが難しい場合、また聴覚障害がある場合などに、身体障害者手帳が交付されます。療育手帳と同様に、さまざまなサービスを受けることができますが、交付の対象となるかどうかは医師の診断書などにより各都道府県が判断します。こういった手帳の取得は強制ではなく任意です。保護者の申請なしに交付されることはありません。また、補助制度には地域差もあります。一度お近くの福祉担当課窓口にご相談に行かれることをおすすめします。東京都心身障害者福祉センター愛の手帳(療育手帳)について厚生労働省身体障害者手帳制度の概要ダウン症の合併症の治療法は医療以外にもあるの?療育って何?出典 : 「療育」とは、「治療」と「教育・保育」をあわせて作られた言葉です。成長を促す関わりや訓練を総称して「療育」と呼んでいます。ダウン症のある赤ちゃん、子どもは、一般的にゆっくり成長すると言われており、発達段階にあわせてさまざまな療育的なかかわりを受けている子どもが多いようです。また、自閉症など発達障害を合併することがあるともいわれており、そういった場合には、一般的な発達障害への療育的対応が役にたつことがあります。「療育」には、主に運動発達を促す目的で提供される理学療法(PT)、日常生活動作の自立を促す目的で行われる作業療法(OT)、言語コミュニケーションの発達を促す言語聴覚療法(ST)、発達心理学や学習に関する知見をもとに提供される療育的かかわりなどが含まれます。また、ダウン症のある子どもの様々な特徴を踏まえ、日常生活を不自由なく過ごせるようにサポートすることも「療育」サービスのひとつです。お子さんにどんな療育的関わりが必要なのかは、その時点でのそれぞれの発達によって異なります。療育の内容から、家庭での関わり方のヒントが得られることがありますので、相談したいこと、疑問に思っていることなどがあるときにも、利用してみてください。地域にどのような療育機関があるかは、自治体の子育てに関する窓口が情報を持っている場合があります。なお、こういった療育サービスを受けるためには、市区町村より発行される受給者証という証明書の取得が必要な場合があります。詳しくは、療育サービスの事業者または市区町村の窓口でお尋ねください。子育てには悩みがつきものです。ダウン症がある子どもの子育ても同じですが、ダウン症があることで生まれる特別な悩みもあるかもしれません。もし何か相談したいことが出てきたら、まずは身近な存在である主治医や、自治体の子育て支援に関する窓口、利用している施設のスタッフなどに相談してみましょう。出口がないように感じていた悩みにも、何か解決の糸口が見つかるかもしれません。相談先は、病院や自治体の窓口のほか、以下のような施設・団体があります。電話で相談を受け付けているところもあるようです。◇相談できる団体、施設など・日本ダウン症協会・地域のダウン症の子を持つ親の会・児童相談所・自治体の保健センター、子育て支援、福祉担当課等・自治体および民間の療育機関・知的障害者更生相談所(障害者福祉センター等の名称で事業を行っている自治体もあります。主に18歳以上の人の相談に応じます。)日本ダウン症協会全国児童相談所一覧(厚生労働省)ダウン症の合併症治療最先端医療の研究出典 : ダウン症がある人は、「アミロイド前駆体タンパク遺伝子」という遺伝子が、遺伝子病のない人と比べて1.5倍存在し、その結果、脳の中のアミロイドタンパクが増加して、若年期からアルツハイマー病様の変化を脳内に生じ、それが引き金となって、急激退行症を発症する可能性があります。それまでに知的障害や発達障害を伴っていたとしても、それとは別に、突発的に「言葉を発しない」、「寝たきりになる」、「コミュニケーションが取れない」などの症状となって現れる場合があります。根本的な治療法はないとされていますが、アルツハイマー病治療薬である塩酸ドネベシルが急激退行症に有効であるという仮説に基づき臨床実験がされています。主に認知機能の低下に対する臨床試験が、ヨーロッパの製薬会社などが開発した薬を使って行われています。日本でも、アリセプト(ドネペジル塩酸塩)などを使用した治験が開始されました。実用化に至るにはまだ時間はかかりそうですが、いつか、すべてのダウン症のある人たちが、認知機能の低下によって生活の質が下がる心配をしなくてもいい未来が実現するかもしれません。参考:ダウン症者・家族が幸せに暮らすために/近藤 達郎参考:アリセプト難病情報センター急激退行症(21トリソミーに伴う)まとめ出典 : ダウン症そのものを治療する方法は現在のところありませんが、合併症の治療についてはそれぞれ手立てがあり、また、発達を促すための療育に関する知見も日々更新されてきています。さまざまな支援や療育サービスなどを利用しながら、かけがえのない日々の子育てを楽しんでくださいね。参考:ヨコハマプロジェクト参考:NDSS(National Down Syndrome Society)参考文献 『ダウン症者の豊かな生活』菅野敦・池田由紀江(福村出版)参考文献 『ダウン症のすべてがわかる本』池田由紀江/監修(講談社健康ライブラリー)参考文献 『ダウン症は病気じゃない』正しい理解と保育・療育のために飯沼和三/著(大月出版)参考文献 『出生前診断』河合蘭/著(朝日新書)『When Down Syndrome and Autism Intersect: A Guide to DS-ASD for Parents and Professionals』 Margaret Froehlke , Robin Zaborek
2017年07月20日私とオットの不妊の要因も判明し、さぁいよいよ本格的な治療へ進みます。って、とりあえず検査だけのつもりが、いつのまにか治療を進める話になっている…けれども子どもが欲しいというオットの気持ちを考えると「やりたくない!」と突っぱねることもできず…ゆらゆらしていました。ゆらゆらしたまま通院していました。何か事情がない限り、多くの人が考えることだと思うのですが私もそう思っていました。そこで自然に近い形の『タイミング療法』をやることにしました。自分でできる方法なので、妊娠したいなぁと思っている方なら、一度は試したことがあるのではないでしょうか。基礎体温やおりもの(経管粘液)の質などの変化から排卵日を予測し、適切なタイミングで性交を行ないます。自分でもできますが、病院だと超音波検査(卵胞の大きさを計測)や場合によっては血液検査や排卵誘発剤などを使いながらタイミングを計るので、かなり正確にタイミングが取ることができます。ドクターいわく、卵子と精子の寿命などから、排卵直前に性交し、精子をスタンバイさせるのが理想らしいです。まだまだ治療に前向きになれず鬱屈とした気持ちでいたので、卵胞チェックのためにクリニックへ向かう足取りも軽くはありませんでした。クリニックは繁華街にあり、結婚してから田舎に住むようになった私には魅力的なお店もたくさんあったのですが、ウィンドウショッピングをして帰る気にもなりませんでした。ある日の受診日、ドクターが言いました。いよいよか…ごくり。メールでオットに伝えました。『今日だって。』『了解。早く帰れるよう調整する。』夜、全ての準備は整い、私たちは寝室へ。そして、先生の指導どおりのタイミングで……ココロとカラダは繋がっているんだなぁと深く実感した出来事でした。私の体が全く反応しなかったのです。…カラッカラ(笑)。こんなことは人生で初めてでした。なんとかかんとか努力しようと頑張ったオットも最後には諦めました。こうして初めての不妊治療は「できずに終了」という結果に終わったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月12日精液検査の結果、オットが精子無力症と言われました。ドクターによると、精子の運動率が低い状態を精子無力症と言うそうです。オットの運動率は基準を大きく下回っていました。卵子に向かってまっすぐに泳いでいかねば妊娠に繋がらない運動性は「その場運動」だったり「緩慢」の欄に〇がついていました。この運動率を改善する方法は分かっていないそうです。ただし、精子のコンディションは日常のストレスや生活習慣によって日々するので、一度の検査だけでは判断せず、複数回検査をします。検査結果をオットに伝えるのにショックを与えたくありませんでした。どうしてか。その頃、オットと私との間には夫婦生活への欲求のズレがありました。オブラートに包みますが(笑)、朝早くから夜遅くまで仕事のオットに、私からの愛のボールは返球してもらえず、ボールかごの中に仕舞われることがよくありました。プレイボール! のかけ声がグラウンドに鳴り響かず、寂しさから夜中にお酒を飲んでしまう日々でした。そんな感じだったので、オットが検査結果にショックを受けたら、今以上に試合できなくなるのでは? と不安でした。どう言えばいいの…精子無力症だったことより、試合できなくなるんじゃないかとの不安のほうが正直大きく、私は軽くパニックになっていました。オットが帰宅しました。どうだった?ともちろん聞かれ…私は言いました。私も一応PCOSと診断されていたので、あくまで「両方に」というところを強調しました。オットは言いました「そっかぁ…」。大きくショックを受けている風でもなく、真摯に事実を受け止めていました。「原因も分かったことだし、治療がんばろうね。」男性はプライドが高い、ましてや生きる上で大切な部分の事、きっとショックを受けるだろう。そう思い込んでいたので、オットの様子は拍子抜けでもありました。「次の治療は何するの?」と前向きなオットにいろんな意味でホッした私でした。この記事を書くにあたり、オットに当時の気持ちを聞いてみました。ショックだったけど、数年妊娠していない事実があったからそんなこともあるかなぁと思っていたそうです。そして不妊治療しようと決めた時点で覚悟もしたと。だからショックだけど原因が分かって、次に進めるな。と思ったそうです。オットは、中途半端な気持ちで治療を開始した私とは違いました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年06月28日治療をする前は「精液検査」というと、病院の小さな部屋で採精しやすくなりそうな映像を再生しながら…というようなイメージが刷り込まれていたので「オットもこの病院のどこかで…ゴクリ」と妙な緊張をしていました(笑)。 が、実際は、日にちを指定され、当日の朝に自宅で採取したものをクリニックに持参するという方法でした。それを聞いて、オットも私も、ホッとしました。次回が精液検査という診察のお会計の時、採精用の容器を受け取りました。プラスチックの蓋付のコップでした。茶色の紙袋に入っていました。一見するとカフェで買ったアイスカフェラテ…みたいな…。街で小脇に抱えても気付かれなさそう…こらこら(笑)。当日の朝。オットは一人がいいと言うので、別の部屋で待ちました。しばらくしてオットが部屋から出てきました。おお! これが…妙な感動。いい大人ですから、まったく見たことがないと言うと嘘になりますが、こうしてわざわざ容器に採ったものをまじまじと見るのは初めてでした。オットは出勤し、私はクリニックへ向かいます。時間が経つと鮮度が落ちそう…と思うと焦りました。余談ですが、採取したばかりの時はトロリとしているのに、時間が経つとサラサラになっています。朝イチでクリニックに精液を提出し、検査を待つ間は近くのカフェでカフェラテを飲みました(笑)。診察室に呼ばれ、ドクターからの話を聞きます。「旦那さんの検査の結果ですが…」ドクターは『精液検査報告書』と書かれた用紙を差し出しました。ドクターの言葉とともに用紙の下の方に丸く囲まれた「精子無力症」の文字が目に入りました。ドクターはなおも続けます。「症状の程度でいうと、中等度~重度、ですね。」精子が無力…!? しかも重度…!? この日のこの結果を聞いたあと、ドクターとどんな話をしたか、思い出そうとしましたが思い出せません。ただ、「オットにどう言えばいい?」という想いがぐるぐると頭を回っていました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年06月14日不妊治療を進めるにあたり、必要な検査がいくつかありました。(採血によるホルモン検査・卵管の通過性を調べる検査・子宮を内視鏡でみるファイバースコープ・超音波検査など)月経周期に合わせて検査を行うので、一通り終わるまでに1か月半ほどかかりました。検査の結果、私は『多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)』だと言われました。初めて聞く言葉でした。PCOSとも表現されます。ドクターから、卵巣内の卵胞(卵子の入った袋)の発育が遅く、ある程度の大きさになっても排卵されず、複数の卵胞が卵巣内にたまってしまう疾患だと説明を受けました。月経異常・多毛・にきび・肥満などの症 状を伴うことがあるとのことです。排卵がされないままだと、卵巣の皮は段々と厚く硬くなり、ますます排卵しにくい状態になってしまうようです。毎月起こるはずの排卵がなんらかの原因でうまく行われない状態は排卵障害と呼ばれ、多多嚢胞性卵巣症候群もそのうちの一つです。若い女性の排卵障害では多くみられる疾患のようです。多嚢胞性卵巣症候群と診断された場合でも、程度には個人差があり、全ての特徴を持っている人もいれば、超音波での所見だけが異常(ネックレスサイン:複数の卵胞が繋がっているように見える)の人もいて、重症度はさまざまのようです。中にはスムーズに排卵できる人もおり、自覚症状がないため気付かず自然妊娠していたり、診察して初めて知るという人もいるようですが、どの人も排卵しにくいことは確かだそう。エコーで確認すると、確かに私の卵巣にもいくつかの卵胞がありました。後の診察でも確認していくのですが、私の場合は、毎回ではないけれど排卵はできているようでした。クリニックのドクター曰く、多嚢胞性卵巣自体は体質だそうです。説明を受けながら、あぁやっぱりね…と思っていました。原因があるから妊娠もしていないわけで。しかしながら、不妊症は原因が一つではなく、複数のこともあり、また最後まで原因が分からないということも多くあります。そして、男性側に原因があることもあります。ですので、女性の検査と共に、男性も検査を受けることは必要不可欠です。 私の通っていたクリニックでは必ず行う検査として『精液検査』がありました。オットもその検査を受けることになりました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年05月31日こんにちは、こじらせ美容オタク家のともです。“妊活”と言っても、それぞれの状況はさまざま。できにくかったり、病気があったり、不妊治療をしている人もいたりと、一言で“妊活”を定義するのは難しいものです。しかし、「子どもを授かりたい」という気持ちは共通しています。妊活している人は妊活している者同士、分かり合えることも多いと思いますが、妊活なんて考えたこともない、という人は妊活のツラさを全く理解してくれないことも。ただでさえナイーブになっている時期に、たとえ相手に悪気がなくてもグサッとくる言葉を言われたら落ち込んでしまうものです。そこで今回は、妊活中に言われて嫌だった言葉をリサーチしてみました。●(1)私はすぐできたのに『子どもが3人いる友人。「3人目なんて予定外でさ……子どもなんて私は簡単にできたのにねー。もうイラナイぐらい 」と、笑いながら言われた。妊活3年目の私には予定外とかイラナイとかいう言葉もイラッとくるし、いつも“子どもができない体なのでは?”と、何か問題があるように見られている気がしてますます悲しい』(20代女性/歯科助手)簡単に妊娠できちゃった人からの、「私はすぐできたのに……なんで(笑)?」という言葉。子持ちの友人からもそうですが、特に義両親から言われると「あなたに何か問題があるんじゃないの?」というニュアンスも含んでいる気がしてしまいます(そして本当に勝手にそう思われている場合もある)。不妊の全てにおいてお互い何か原因がはっきりしているワケでもなく、原因がわからない不妊もあるのです。そこを理解してくれないのが“簡単に子どもができちゃった人たち”。不妊というだけで「あなたに何か問題アリ!」と決めつけてくるような発言を平気で言ってきたり、子どもができることは当然のような発言をしたり……。「すぐできる人もいればできない人もいる」ということがわからず、自分視点からしか物事を判断できない人の意見は気にしない方がベター。●(2)妊娠菌あげるよ『妊娠中の親友が、私の不妊を知っているので「妊娠菌あげるよ」と会うたびに言ってくる。最初は笑い話でよかったけれど、だんだん嫌味にすら聞こえてきて親友の妊娠を心から喜べなくなっている自分がいた』(30代女性/パート)これは笑えない冗談……。妊娠中の人は「妊娠菌あげるよ」ってユーモアのつもりで言ってしまいますが、子どもができなくて悩んでいる人にとっては上から目線に聞こえる 場合だってあるのです。特に不妊で悩んでいる期間が長ければ長いほど、こういう些細な言葉でも敏感に反応してしまうことも。この言葉を嬉しがる妊活女性もいますが、何度も言われていると「妊娠菌なんかあるかいっ!そんな簡単なものじゃない!」と逆鱗に触れる場合があるので注意です。●(3)子どもがいないなんてかわいそう『不妊治療も長いと、もうできなくてもいいけどできるだけのことはやりたい、という気持ちにもなってくる。そんなときに「もう何年も子どもできないよねー、自分の子どもってめっちゃかわいいのに 」なんて直に言われると、せっかく前向きになれたのにその気持ちを踏みにじられたような気分になり、その後はできるだけその人とは子どもの話題を避けるようにする』(30代女性/営業)“子どもができない……つまりこれから一生子どもがいない人生を送るなんてかわいそう”との意味にもとれる言葉はやはりNG。長く妊活している人は、子どもができない可能性も視野には入れてきています。決して子どもがいない人生が悪いワケでもなく、いない人生もアリとして、ただやることは全部やってから……という考えの人も多いのです。それなのに、「子どもがいない人生なんて私はあり得ない」「子どもかわいいよー」なんて、子どもがいるからこそ言える言葉。妊活女性は子どもがいるいないに関わらず幸せである、という考えを基盤に妊活に励んでいる人たちも大半です。“子どもがいたら人生全てはバラ色”のような発言は必要ナシ ということ。----------不妊治療をしていればお金もかかる上に、精神的、体力的な苦労も相当なものになります。「なんで普通はしなくてもいい苦労を私だけしなきゃいけないのだろう?」と、妊活中は葛藤せざるをえないところもあります。できるだけ相手の立場になって、妊活女性に対してはアドバイスよりも寄り添ってあげる姿勢で接することが大切なようです。●ライター/とも(こじらせ美容オタク家)●モデル/倉本麻貴(和くん)
2017年05月18日不妊治療クリニックの初診の日になりました。平日の午後だったので、一人ででかけました。繁華街のビル中にあるクリニックへは、我が家から車で1時間半かかります。ビルにある共同の小さなエレベーターで上がりました。上がっているのに、どんどん下に行くような気持ちでした。あぁ、とうとう来てしまった。初めに問診票を書き、その後ドクターから妊娠のメカニズムや今後の検査方法・治療方法などの説明を受けました。その後、子宮と卵巣の状態をチェックするために、診察台に上がりました。それまでテレビでしか見たことのなかった、カーテン越しに下半身を丸出しにするあの診察…。スカートと下着を脱ぎ椅子に座ると、看護師さんの「動きますね~」の声と同時にウィーンと開脚していく我が身。あぁ…その後、妊娠出産と頻繁にこの椅子に座りましたが、ずっと慣れることはなかったです…。毎回、心の中でひぇ~~! と叫びながら(笑)、自然と腰を上にずらしてあまり開脚しないような体勢を取ってしまうのですが、必ず看護師さんに「もう少し下がってください」と指摘を受けてしまうのでした。クリニックは、治療中の繊細な心にとても配慮しているのであろう気配りが行き届いていました。看護師さんも事務員さんもみなさん優しく丁寧で、通院中、心を傷つけるような言葉は何一つ言われたことはありませんでした。私の県に不妊専門のクリニックが少ないということもあるけれど、人気があるのが納得の病院でした。スタッフ皆さんは優しくも『妊娠できるよう頑張っていきましょう!』という雰囲気でした(不妊クリニックだから当たり前なのですが)。それだけに、自分の気持ちと周囲の気持ちのギャップに戸惑いました。気持ちと行動が矛盾している自分にも戸惑いました。下半身を露出して器具を入れられる妙な虚しさも手伝って、クリニックを出て車に戻ると我慢していた涙がこぼれました。泣きながら運転していると、偶然仲良しの友達を発見しました。仲良しだったのに長く会えずに、普通だったら「おおーい!」と声をかけてお茶でもするところですが、私は目をそらして彼女の横を通り過ぎたのです。泣き顔を見られたくはなかったし、その理由を妊婦の彼女に説明できる自信はそのときにはありませんでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された内容や治療法は、あくまでも筆者の感想であり治療を保証するものではありません。)
2017年05月17日オットが言いました。すでにネットで検索し、不妊治療専門の病院を見つけていたようでした。結婚してもうすぐ丸4年になろうかという、ある日。私は27才になっていました。当時の不妊の定義というと「避妊しないで2年以上妊娠に至らない状態(※)」と言われていました。私たち夫婦は、ばっちりそれに当てはまっていました。(※)2015年8月、日本産科婦人科学会は不妊の定義を従来の2年から諸外国に合わせて1年に変更。オットの提案に数秒固まりました。とうとう来たか…。正直、イヤでした。けれども、これは私だけの問題ではなくて、夫婦の問題。子どもを欲しがっているオットの想いを無視することはできない…。とりあえず検査だけはしてみる…と、渋々承諾しました。オットはその場でクリニックへ電話しました。が、妻本人からの電話でないと予約できないと言われ、また私がかけ直しました。初診の予約が3ヶ月先に決まりました。私の住む県には専門病院の数が少ないからでしょうか、初診の予約の取りにくさは現在もあまり変わっていないようです。 初診までに毎日基礎体温をつけるよう言われました。憂鬱でした。とても。それでも、病院で言われたとおりに基礎体温を記録しはじめました。基礎体温は、朝目覚めてから体を起こさずに舌下に入れて5分ほど測ります。(私は知らなかったのですが20秒ほどで測れる「予測式」というものもあるそうな!)これが曲者(笑)で、朝に弱い私はしょっちゅう二度寝してしまい、口の中からポロリと落としてしまうことがよくありました…。寝ぼけながらも「落としちゃダメだ…」とものすごい力で噛んでいたので、私の体温計は歯形でボロボロになっていました(笑)。風邪を引いたら内科に、心を病んだら心療内科に、それと同じように子どもが欲しいけれど妊娠しづらいなら不妊専門の科にかかるのは当たり前だと思います。しかし、私の場合、自分にその気持ちがないのに行かなければならないことが本当に苦痛でした。そして、初診の日がやってきました。 (※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです)
2017年05月03日結婚して3年が過ぎました。オットの希望もあり避妊はやめていました。いつでも妊娠する状態。しかし、妊娠しない。実家の母からは帰省のたびに「早く産め産め」コールが。「不妊治療」という言葉はメディアなどで知っていました。しかし、治療をしようという気にはなれませんでした。結婚して数年経った私たち夫婦に子どもがいないという話になると、同情されたり、気まずい雰囲気になったりする時がありました。冗談まじりにもっと頑張れと応援されたり、妊娠に効果的なアドバイスをいただくこともありました。もちろん不妊治療を勧められることもありました。できなくても大丈夫よと励まされ、夫婦二人でも楽しむための人生のコツを伝授されることもありました。私にはそれらのすべてが、「子どもがいないとダメ」だと言われているように聞こえました。結婚したら次は子ども。それが定番の流れ。それが幸せな人生。当たり前でしょと言わんばかりの周囲の無意識の態度がどうも腑に落ちませんでした。パートで働きだした職場の宴会で、酔っぱらった男性上司に子どもがいかに素晴らしいかをねちっこく語られ、そんな素晴らしい存在を産まないなんてダメダメ! 的なお説教をされたこともありました。半笑いで対応しながら、え? 私ダメなの!? と頭の片隅でボーっと考えていました。(その上司とは説教後、表面上の付き合いだけに徹しました(笑)。)たしかに子どもは素晴らしい。子どもがいることはひとつの幸せ。自分の人生が「子どもがいること」でしか幸せじゃないとしたら、それは悲しい。子どもがいるいないで人生が幸せかは決まらない、そう思っていました。今でも思っています。幸せかどうかは結局はその人の生き方次第。子どもは人生の何分の一かを共に過ごし、子育てという体験をさせてもらう相手であって、親の一部でも所有物でもありません。ある年齢に達したら、彼らはそれぞれの人生を歩いていくでしょう。子育てという貴重な体験はとても素晴らしいものだろうけれど、人生においての素晴らしい体験はそれだけではなく、もし今回の人生で子どもを持たなかったとしても、きっとこの世に生まれてきた別の役割があるのではないでしょうか。そんなことを考えていたので、不妊治療してまで産みたいとは思いませんでした。積極的に子どもを「作る」ための治療は、自分の今の人生を否定するような気がしたのです。自然に妊娠したなら育てるし、できなければできないで2人の生活でイイと思っていました。夫婦での生活はとても幸せだったのですから。私、今でも十分幸せなんですけど? 産まないとダメですか?産まないと不幸せなんですか?大きな声で叫びたい衝動にかられていました。
2017年04月19日私が結婚したのは23才のときでした。高校の同級生の中ではとても早い方。最近では第3次の波のほうが高くなっているか…。若く結婚したので、「子どもは、まだしばらくいいかなぁ~」と思っていました。オットもその意見に賛成でした。しばらくは夫婦二人の生活を楽しもうよ。そうしよう。でも……「しばらく」の概念って人それぞれなんですよね。オットは結婚当時35才。私よりひとまわり年齢が上でした。自分の年齢のこともあり、早めに子どもが欲しかったオット。うっすらと彼の中で『夫婦二人の楽しい生活』は1年くらい…と思っていたようです。結婚1年目を過ぎたあたりから、ときどき「まだ避妊するの???」と聞かれるようになりました。そのたびに私は「うーん…」と曖昧な返事をしていました。私は、まだまだ産むつもりがなかったのです。産むつもりがなかったとはいえ、がっちり避妊! という感じでもなく、もし妊娠したら産むつもりではありました。(とはいえ、まだ自分の中で産む決心がつきませんでした)何歳で産むか。本当に残念ながら、女性には身体的にタイムリミットがあります。「子どもは、簡単にできるものだと思っていた」通っていたクリニックでできた知り合いや、不妊治療者の集うネット上の掲示板でよく聞かれた言葉です。産みたいのに産めない。まだ産みたくないけれど、年齢的にはそろそろ産んだ方がいい。私は欲しいのに夫が協力してくれない。夫は欲しがっているけれど、私にはまだ決心がつかない。自分の思い通りにいかない妊娠・出産。自分の気持ちだけを優先できない妊娠・出産。治療を始めた頃は、妊娠するのも女性・産むのも女性。しかも何歳までにという期間を言われる。どうして女性ばかりが大変な思いをするんだろうと、憤りを感じていました。~あとがき~私、中村こてつが不妊治療をしていた期間は、2005年11月~2008年10月で、あくまでも私の体験とその当時感じたことと内容となりますのでご了承ください。
2017年04月05日みなさんこんにちは。中村こてつと申します。これは次男のケン。もうすぐ年中さんです。長男のタロ。スローペースな7歳。50才のオットー。平日戦力外(※育児に関しては。笑)見事に同じ場所につむじのある、息子たち。同時期に受精させた卵だし、『おでこにつむじ』という同じ遺伝子情報が組み込まれていたのかも!? と勝手に考える時があります。医学的にはどうなのか分かりません…。主人と子どもたちの頭の形がそっくりなのと同じで、単純にだれかの遺伝でしょ。とも思うのですが。7年以上続けている自分のブログでは、これまで不妊治療についてはあまり触れてきませんでした。この度、ご縁があり、ウーマンエキサイトさんで『体験記』として記事を書かせていただくことになりました。主に長男のときの治療について記していこうと思っています。私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。かなり昔のことで現在の医療と違う点もあるかと思いますが、当時の気持ちや夫婦のこと・仕事のこと・周囲の人々のことなど、不妊治療を体験したからこそ感じたこと、その点については現在治療を頑張られている方々とも共通する部分は多いのではと考えます。私の体験を読んでいただくことで、どなたかが安心できたり、一人じゃないんだとちょっぴり心強くなっていただくことができれば、とても嬉しいです。隔週での更新となります。よろしくお願いいたします。
2017年03月22日“卵活”という言葉を耳にしたことはありますか?妊娠を望む女性たちにとっては“妊活”と並んで身近なワードですが、そうでない人にはなじみのないものでしょう。実はこれ、卵子を凍結保存し、将来の妊娠に備えることを指す言葉なのです。マイナス196度という超低温で卵子を冷凍し、妊娠したい時期に解凍するというオドロキの最先端技術。今回は卵子凍結保存の費用や、行っている人の実態について解説していきましょう。●“受精卵”or“未受精卵”……卵子凍結保存の種類卵子凍結保存には、大きく分けて次の2種類があります。●受精卵の凍結保存体外受精や顕微授精で受精・発育した卵子を凍結保存するもの。不妊治療の一環として行われています。採卵後すぐに移植するよりも、別の周期に移植したほうが着床率が高い場合などに用いられる方法です。●未受精卵の凍結保存排卵した卵子を、未受精のまま凍結保存するものです。妊娠を望む時期に解凍し、体外受精させた後に子宮に戻して着床・発育させていきます。●不妊治療目的だけじゃない! ライフスタイル設計のために行われることも前述の通り、受精卵の凍結保存は不妊治療の一環として行われるもの です。既にパートナーがいて、妊娠を希望しているにも関わらず、なかなか赤ちゃんを授かれない女性を対象にしています。一方で、未受精卵の凍結保存はがん患者などを対象にしたもの でした。がんの治療で卵子に影響が出ることが予測されるときに、治療前に採卵して保存しておくのです。しかし、今は妊娠を望んでいないけれども、将来に備えて凍結保存しておきたいという女性が最近は増えてきています。これが冒頭に紹介した“卵活” と呼ばれるものです。たとえ現状パートナーがいなくても、若いうちに卵子を採って保存しておけば、いつか相手ができて妊娠を希望したときに元気な卵子を使って妊娠・出産にのぞむことができるというのです。●保険外のため費用は高額になる費用は病院によって異なりますが、保険適用外のため高額になります。検査から凍結まではおよそ70万円〜100万円程度 となることが多いようです。まず、実際に採卵するまでの検査費用、排卵誘発のための費用がかかります。ここをクリアしてやっと採卵となりますが、採る卵子の数によって費用は変動します。妊娠の成功率を上げるには、ひとつでも多く採卵・保存する必要があります。最低でも10〜20個以上は採卵するケースが多いようです。採卵できたら凍結作業に入ります。このときにも“凍結作業費用”として別途金額を設けられている ことがあります。さらに保管料がかかり、毎年払う必要があります。卵子ひとつに付きいくら、と定められている場合は、凍結した数が多いほど費用がかさみます。また、凍結した卵子を解凍して体外受精を行なうときにも平均で約30万円~50万円 ほどかかります。●年齢制限や成功率……卵子凍結保存の注意点卵子の凍結保存は、いつでも・誰でもが簡単に行えるものではありません。いくつかの注意点があるので、そちらも確認しておきましょう。●年齢などの制限日本生殖医学会は『卵子の採取は40歳未満まで、受精卵の移植は45歳未満まで』というガイドラインを設けています。また、日本産科婦人科学会では『移殖年齢の上限は、生殖年齢を超えないこと』と規定しています。どちらも法的拘束力はないものの、多くの病院がこのガイドラインに沿った対応をしているのが現状です。また、未婚女性には未受精卵の凍結保存を行わない と定めている病院もあります。希望する病院が自分に沿った対応をしてくれるのかどうかは、来院前にきちんと調べておいたほうがいいでしょう。●成功率の問題未受精卵は解凍後、体外受精させた後に子宮に戻します。しかし、その後無事に着床し発育するかは別の問題。100%の確率で妊娠できるというわけではありません 。病院によって技術や成功率にバラつきがあるともいわれていますので、可能であれば移植後妊娠率などのデータを開示してもらいましょう。●パートナーの問題未受精卵を凍結保存しても、その後パートナーが見つからなければ体外受精をさせることができません。場合によっては、高額な費用や手間、時間が無駄になってしまうこともあるのです。その点は凍結保存に踏み切る前に冷静に考え、よく理解しておくべきでしょう。----------多くの課題はあるものの、メリットも多い卵子凍結保存。卵子は年齢とともに老化することは科学的にも明らかになっています。そのため、特に未受精卵の冷凍保存は、現代女性にとっては重要かつ大きな選択肢となりうるのではないでしょうか。【参考リンク】・医学的適応による未受精卵子あるいは卵巣組織の凍結・保存のガイドライン | 一般社団法人日本生殖医学会(PDF)()・医学的適応による未受精卵子および卵巣組織の採取・凍結・保存に関する見解 | 公益社団法人日本産婦人科学会()●文/パピマミ編集部
2016年11月15日こんにちは、金融コンシェルジュの齋藤惠です。今や6組に1組の夫婦が、子どもを望んでも自然に授かることができずにいると言われている時代。不妊治療をおこなう人も年々増加傾向にある中で、その費用は大変高額で夫婦の家計を圧迫してしまいます。そこで今回ご紹介したいのが、2016年からはじまった、保険会社が提案する新たな商品『不妊治療保険 』についてです。必要ないに越したことはありませんが、知っていればより安心かもしれませんよ。●不妊治療保険とは?2016年10月に国内で初めて不妊治療保険を導入した日本生命の『ChouChou!』という商品を例にご説明します。こちらの商品の場合は、10歳から40歳の女性向けで、出産と特定不妊治療にかかる費用をサポート してくれます。他にも、3大疾病や保険期間満了時に一時金がもらえます。現代は女性特有のがん(子宮頸がん、乳がんなど)の発生率が上がり、過去の病気が原因で妊娠しにくい体になってしまう女性も増えています。そんな中で、実際の不妊治療費に加えて、それ以前の病気リスクも保険によってカバーできるのが不妊治療保険のポイントです。●加入のメリットは?あらかじめご案内しておくと、2016年10月現在は、日本生命以外で不妊治療保険は発表されていません。今後、他の保険会社が追随すれば、『ChouChou!』とは違う特徴の商品が登場することでしょう。その点を考慮しつつ、現行の不妊治療保険に加入すればどんなメリットが得られるのかを挙げてみます。・特定不妊治療で5万円から10万円の給付金がもらえる・出産給付金が無制限でもらえる・がん、急性心筋梗塞、脳卒中もサポート・死亡保険としても使える・満期一時金が受け取れる当然ではありますが、不妊治療保険の最大のメリットは、今まで保険商品が対象としていなかった特定不妊治療にかかる費用をサポートしてくれる点です。公的助成制度はあるものの、それだけでカバーしきれるほど不妊治療は安くありません。授かりたいのに授かれないという精神的な負担に加え、高額な出費 を余儀なくされるということが、これまでの不妊治療の課題でした。それだけに、不妊治療保険を待ち望んでいた人は多いのではないでしょうか?●加入のデメリットは?待望の不妊治療保険にも、注意しなければいけない点はあるようです。たとえば、下記のような点。・契約から2年待たないと特定不妊治療費が保障されない・満期一時金が払込保険料より少ない・保険料が割高である・40歳以降は契約できない一般の医療保険などにも同じような条件がありますよね。一番の難点は、やはり保険料が医療保険などと比べると割高 な点でしょうか。まだ始まったばかりの保険商品なので仕方がないのかもしれませんが、不妊治療保険を取り扱う保険会社が増えて一般的に浸透すれば、より安く良い条件で加入できる場合もあるかもしれません。不妊治療保険の今後の動向に期待したいですね!【参考リンク】・新商品 ChouChou!の発売について | 日本生命保険相互会社(PDF)()●ライター/齋藤惠(金融コンシェルジュ)●モデル/NANAMI(RIRIAちゃん)
2016年11月14日広汎性発達障害(PDD)の原因は?出典 : 広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders:略称PDD)は、コミュニケーションと社会性に障害があり、限定的・反復的および常同的な行動があることを特徴として分類される発達障害のグループ です。世界保健機関(WHO)の診断基準である『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)の診断カテゴリでは、このグループには自閉症、アスペルガー症候群のほか、レット症候群、小児期崩壊性障害、特定不能の広汎性発達障害という5つの障害が含まれています。広汎性発達障害は、最新の診断基準であるアメリカ精神医学会の『DSM-5』(『精神障害のための診断と統計のマニュアル』第5版テキスト改訂版)では自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害というカテゴリに変更されています。また、広汎性発達障害の障害名、症状の中には自閉症スペクトラム障害の概念では除外されたものも含まれています。ですが、行政や医療機関で広汎性発達障害の名称を使用している場合も多いこと、すでにこの名称で診断を受けた人も多いことから、本記事では『ICD-10』の診断カテゴリに準拠して広汎性発達障害の名称でご説明します。広汎性発達障害のはっきりとした原因はまだ解明されていませんが、脳の機能障害がその原因と考えられており、親の子育て方法が原因で起こるものではありません。このうち、レット障害(レット症候群)についてはX染色体上に存在する遺伝子の突然変異が原因であることが分かっています。ほかの障害についても最近では遺伝的要因の関与が有力視されていますが、必ずしも単純に親から子どもへ遺伝するという意味ではありません。遺伝的要因と環境要因が複雑に相互に影響しあっていることが原因ではないかと言われています。しかしながら具体的な障害の原因やメカニズムは分かっておらず、様々な説が議論されている段階です。広汎性発達障害って治療できるの?出典 : 広汎性発達障害を根本的に治療する薬や手術といった医学的な方法はありません。しかし、広汎性発達障害による困難を緩和・解消するための教育・療育によるアプローチは存在します。本人が困難への対応法を学んだり、困難を未然に防ぐための環境調整をすることで、生きやすい環境を作っていくことが可能です。広汎性発達障害のある人はその特性ゆえに、生活する中で様々な困難にぶつかりがちです。他者の感情の読み取りが困難なため、会話の意図を誤解して受け取ったり、コミュニケーションがかみ合わなかったりする場合があります。抽象的な指示が理解できないために同じミスを繰り返したり、こだわりのため順番やルールを守れずトラブルになったりすることもあります。中には自分に自信をなくしたり、周りに強い被害者意識を持ってしまうこともあります。こういった日々の困難さが引き金となって、うつ病やひきこもりなどのいわゆる二次障害が発現することもあるのです。特に思春期以降の不安障害や気分障害の予防が大切です。広汎性発達障害の特性による困りごとを緩和するのに加え、こうした二次障害のリスクを極力なくすためにも、周りが障害の特性についてよく理解し、どのように対応すれば本人が行動しやすいか、生きやすいかなどを考えていくことが必要です。また、てんかん発作や感覚過敏など、一部の症状に対しては薬物療法によって症状を緩和できる場合もあります。うつ病や睡眠障害などの二次障害に対しても精神安定剤などの薬物治療が行なわれることもあります。これらの二次障害に対する治療の一つとしては、心理療法である認知行動療法の有効性が示されています。広汎性発達障害の治療の判断基準は?出典 : 広汎性発達障害は主に「社会性・対人関係の障害」「コミュニケーションや言葉の発達の遅れ」「行動と興味の偏り」の3つの症状が現れると言われています。専門機関においても上記の3つの症状が見られるかを本人や保護者への問診や本人の行動観察などから評価・判断します。親が気づく子どもの症状としては「視線を合わせない、または避ける」「言葉の発達が遅い」などの症状がよく挙げられます。また、広汎性発達障害のある人のほとんどに何らかの感覚過敏が見られます。例えば、小さな物音を怖がったり(聴覚過敏)、抱っこされることを嫌がったり(触覚過敏)、偏食が多い(味覚過敏)などの感覚過敏があります。広汎性発達障害の症状は上記のように複数存在しますが、特定の症状がでたら治療が必要という明確な線引きはできません。また症状ごとに対処法や治療プログラムは異なります。本人が特性による困りごとに直面している場合、専門家による何らかの治療や支援が必要になると言えるでしょう。障害ではないかと気づいた場合には、まずは近くの保健センターや子育て支援センター、児童発達支援センターなどの専門機関に相談するようにしましょう。広汎性発達障害の治療法と治療を行う年齢は?出典 : 広汎性発達障害の根本治療はできませんが、症状を緩和するためには療育的アプローチと薬物療法の2つが効果的です。■療育療育は何歳からでも始めることができ、なるべく早くから通うことが推奨されます。療育とは、以下のように定義されています。療育とは医療、訓練、教育、福祉などの現代の科学を総動員して障害を克服し、その児童が持つ発達能力をできるだけ有効に育て上げ、自立に向かって育成することである。■薬物療法広汎性発達障害そのものを根本的に直す薬はありませんが、特定の症状を緩和するために使用することがあります。薬によって開始できる年齢や症状が決まっており、人によって副作用がある場合もあるので、主治医とよく相談し、用法用量を守って服薬していくことが大切です。薬物療法は、症状を一時的に抑えるためのものであり、症状が軽減している間に、教育や支援を行うと効果的であるともいわれています。治療を終える判断基準については、根本治療ができないため、はっきりと決まっているわけではありません。ですが、本人が特性への対処法を習得したり、環境調整を行ったりすることで困りごとが緩和されれば、治療が必要のない状態になることも少なくありません。しかし、進学や引っ越し、転職などの大きな環境変化によってさまざまな困難が再発する可能性もあるため、十分なフォローが必要です。広汎性発達障害の具体的な療育法・治療法出典 : 療育の遊びを通じてコミュニケーションの取り方を学んだり、友達を作ったりすることができます。また、ストレスを抱えがちな親にとっても療育の場は相談できる場所であり、同じ悩みをもつ親同士の交流の場所にもなっています。療育の効果は個人差があり、子どもに合った療育が必要となりますが、子どもにとっても親にとっても療育は心の面の大きなサポートになると言えるでしょう。広汎性発達障害の療育方法は様々ですが、下記の4つがよく知られています。それぞれの位置づけは異なりますが、ここでは簡単に概要のみを説明します。■ABA(エービーエー、Applied Behavior Analysis/応用行動分析)人間の行動を個人と環境の相互作用の枠組みの中で分析し、問題解決に応用していく理論と実践の体系です。広汎性発達障害に対する療育だけでなく他の障害や教育、福祉、医療、スポーツ分野でも利用されています。■TEACCH(ティーチ、Treatment and Education for Autistic and related Communication handicapped Children)米国ノースカロライナ州で生まれた、自閉症スペクトラム障害の当事者とその家族を障害支援する総合的なプログラムです。※自閉症スペクトラム障害とはレット障害を除く広汎性発達障害を指します。■PECS(ペックス、Picture Exchange Communication System)絵カードを使ったコミュニケーション援助プログラムです。上記のABAの原理に基づいて作成されています。■SST(エスエスティー、ソーシャルスキルトレーニング)対人関係をうまく行うための社会生活技能を身につけたり、障害の特性を自分で理解し自己管理をするためのトレーニングの総称です。紹介した療育方法はごく一部ですが、療育機関ではこれらの療育理論や方法を複数組み合わせたり、独自のプログラムを利用して、子ども1人ひとりにあった療育方法が行なわれます。広汎性発達障害の根本的な治療としての薬物療法はありませんが、一部の症状に対しては対症療法として薬を使用することがあります。例えば、パニック症状を緩和するためには抗精神病薬、てんかん発作や感覚過敏には抗てんかん薬などが処方される場合もあります。その他様々な症状に対して薬物療法が行なわれますが、薬は一時的なもので、症状が完全になくなるというわけではありません。また薬には副作用が出ることもあります。薬の使用は必ず医者の指示を守りながら使うようにしましょう。適切な治療やサポートを受けられない場合、広汎性発達障害の主症状とは異なる合併症や状態を引き起こしてしまうことがあります。このような症状や状態を、一般的には「二次障害」と言うこともあります。注意すべき症状・状態には以下のようなものがあります。・気分障害(うつ病など)・不安障害・睡眠障害・不登校やひきこもり・アルコールなどの依存症などこのような症状や状態が現れた場合には専門の相談機関や医療機関で早期に相談・治療を開始しましょう。二次障害の治療には、それぞれの症状によって認知行動療法などの心理療法的アプローチや薬物療法などが用いられます。二次障害の予防のためには環境調整や周囲の理解、親や家族以外にも本人が信頼して相談できる人間関係を作ることなどが大切です。接し方で大きく変わる!広汎性発達障害の子どもへの接し方のポイント出典 : 広汎性発達障害のある子どもの中には、使っている言葉の意味を理解していなかったり、遊びのルールを理解するのに時間がかかってしまう子もいます。その際は絵や写真を使うと、理解しやすくなる場合があります。また、あいまいな表現は苦手なので、できるだけ具体的な言い方をするようにしましょう。何度叱っても同じことを繰り返してしまうために、親もイライラしてつい大声で叱ってしまうかもしれません。広汎性発達障害のある子どもは恐怖心でトラウマになりやすい傾向にありますので、大声で叱ってしまいそうになったら一度その場を離れるなど、冷静になるよう心がけてみてください。広汎性発達障害のある子どもが適切な行動を習得するまでには、根気強く教える必要があることを理解しましょう。叱るときには感情的にならず、具体的に注意する方が効果的です。上記でお伝えしたように写真や絵を使うなど、どうすれば上手く伝わるかを試行錯誤することも大切です。手をひらひらさせたり、ぴょんぴょん飛び跳ね続けたりするなど、広汎性発達障害のある子どもの中には同じ行動を長時間続ける常同行動が見られる場合があります。これらは視覚支援によって見通しを持てる環境を作ったり、コミュニケーションスキルを学んだり、適切な遊びにかえることなどで改善することが多いです。無理に止めさせようとするとパニックに陥ることもあるため、何回やったら終わりと決めたり、何か違うことに集中するための課題などを与えてあげたりするとよいでしょう。広汎性発達障害の子どもを持つ保護者は、できないことや、やめさせたい行動が多く目につき子育てが不安になってしまうこともあるかもしれません。ですがマイナス面ばかりに目がいかないように、得意分野を見つけて、できることを増やすことが大切です。また、ちょっとしたことでも褒めることが子どもの自信につながります。広汎性発達障害のある子どもの子育ては通常に比べて少しコツが必要になってきます。家族だけで解決しようとするとつまづくことも多いため、プロの手を借りて、子育ての仕方を学んでいくのもおすすめです。ペアレントトレーニングでは褒め方のコツや上手な指示の出し方、危険な行動を予防する方法などを学ぶことができます。まとめ出典 : 広汎性発達障害の根本的な治療方法はありませんが、療育によってコミュニケーションを取りやすくなったり、生活の困難に対処しやすくなります。そのためできるだけ早く療育をスタートしたほうが、本人の生きづらさも減ると思います。日常生活において不安に思ったりすることもあるとは思いますが、何かあった場合は身近な専門機関に相談してみてください。また、本人にとってよい環境を整えて生きづらさを少しでも減らせるように、周囲の人たちは障害の特性を理解した上でサポートするようにしましょう。
2016年08月17日私の愛すべき家族
育児に遅れと混乱が生じてる !!
こどもと見つけた小さな発見日誌
質問形式で進められ、低学年からでも始めやすいと評判のサカイクサッカーノート。スポーツメンタルコーチであり、ノートの開発者である藤代圭一さんとサカイクキャンプのヘッドコーチを務める菊池健太コーチが、サカイクサッカーノートの工夫の秘密や書くことがサッカー上達につながる理由について対談。前編のテーマは、サッカーノートが書けないという子どもの背景について、さらにサッカー上達のためのノートの活用について考えます。(構成・文:木村芽久美)【サッカーノート関連記事】しっかりご飯を食べるなど生活面でも変化が!JACPA東京FCの3年生がサッカーノートを書き始めて自ら成長を感じること■子どもたちが自分で考え、判断する経験値を増やすためにサッカーノートは生まれた菊池:保護者もそうなんですが、サカイクキャンプに参加してくれている子の中でも「考える力を身につけたい」って言っている子たちが非常に多くて。その中の一つとして、このサッカーノートがすごく有効的なんじゃないかと思っているんです。改めてサカイクサッカーノートにどんな仕掛けがあるのか、教えていただきたいなと思っています。藤代:キャンプに一緒に参加させていただく中で、「自分で考える」ことをすごく大事にしていると実感したんです。自分で考え、判断した行動の裏には、成功しようと失敗しようと、必ず自分なりの経験値が溜まって、それが次に生かされていきます。そのサイクルをもっとサポートしたいと思った時に、「自由に書きなさい」では、なかなか書けないっていうこともわかったので、まずは僕たちが「こんなことを考えられたらいいかもね」という提案をしたいと思って作ったのが、サカイクノートです。■子どもたちの「何を書いたらいいのかわからない」を解決する工夫とは?藤代:まず子どもたちがどんなことで困っているのか、一つ目が「コーチからノートを書きなさいって言われるんだけど、何を書いたらいいかわからない」という悩みがありました。菊池:そうなんです。何を書いたらいいかわからないっていうのは、一番選手たちが思っているところなんですよね。藤代:ただ、それを指示や命令の形にはできるだけしたくなかったので、質問形式という形にしたんです。ノートの14ページ目に「〈試合・練習〉が終わったときにどうなっていたら最高ですか」「そのためにどんな工夫をしますか?」という質問があるのですが、この二つの質問をするだけで、なんとなく参加したキャンプや普段の練習でも、自分事として主体的に取り組むようになりますし、その結果、練習の質も高めることができます。菊池:「どうなっていたら最高ですか」っていう言葉も、選手たちがワクワクして「今日こんなことやりたいな」っていうイメージが見えてくると思うんです。キャンプ中も書くこと自体が苦手な子っていますが、その苦手な子も楽しそうに書き始めるところが、すごく魅力的だなと思っています。■サッカーノートは失敗していい場所。ノートにたくさん書いて思考を繰り返すことが、プレーの再現性につながる藤代:二つ目が、書いたら書いたで「大人に怒られて書きたくなくなる」ということが課題としてあって。「漢字が違う」「もっと工夫して書いて」って怒られちゃう。何書いたらいいかわからない上に頑張って書いたのに、怒られてしまって悲しい気持ちになる。そうした声があることが、子どもたちのヒアリングからわかってきました。サッカーのことで怒られるならまだしも「きれいに書きなさい」「もっと工夫して書きなさい」ということが理由で怒られることもある。そうした中で、ある程度大人が書いて欲しいことがあるんだなということに、ようやく気づいたんです。菊池:藤代さんがキャンプの時に「わからないのも正解だよ」て、選手たちに仰っていたので、僕もキャンプ中、ノートを配った時には「わからなければ、わからないでもいいよ」と伝えるようにしたんです。藤代:いいですよね。選手たちの書くハードルも下がりますし、まずは、自分で考えて、書いてみることが大切なんです。サッカーのトレーニングを繰り返しする目的って、試合で体が無意識に反応してしまうような形で、動けるようになるのを理想とするからじゃないですか。その無意識化ができるようになるまでには「どう考えたか」があるはず。だからノートではたくさん失敗していいし、自由に考えをめぐらせていいんです。試行錯誤をたくさん繰り返していくと、それが洗練されてピッチ上で表現されます。練習の部分でも、ミスとか正解ばかりを追い求めてしまうと、すごく堅苦しくなってしまって、試合ではさらに窮屈になってしまう。菊池:緊張感もありますしね。藤代:そうなんですよ、プレッシャーも感じると思うし。やっぱりサッカーって、いくつもプレーの選択肢があって正解がないスポーツだと思うんですけど、「答えはこれだよ」と僕たち大人が方向性を決めすぎてしまうと、今度は僕たちの顔色を伺って、ノートも書き始めちゃうんですよね。そうすると、コーチが褒めている子の書き方が正解なんだと同じようなことを書き始めちゃう。菊池:仰る通りで、みんなきれいなこと書いてくれるんですけど、それが本当に本音なのかなと思うこともあります。大人がその妨げにならないようにしないことも大切ですね。■ノートを書いたら終わりではなく、コミュニケーションツールとして活用することが重要藤代:まずは子どもたちがノートに書いてくれることが大事ですし、ノートに書いたら終わりではなくて「どうしてこの答えを書いたのか」「どうしてそう思うのか」と、ノートがコミュニケーションツールとして活用されることを重要視しています。だから「本当に困っていること」「本当はこうなりたい」「今こんなことに取り組んでいる」みたいな正直な気持ちで書けているかどうかというところも大事なんです。菊池:選手一人ひとりのノートを細かく見る時間があるんですけど、そこで「僕らが伝えようとしていることが伝わっていたんだな」と確認できたり、反対に「これってあんまり伝わってなかったんだな」と知ることができたり、僕らのスタッフミーティングの反省材料にもなっているんです。言葉の使い方だったり、伝わっていなかった部分に対する僕らのアプローチが少し弱かったなっていうのがわかって、午後のトレーニングでは修正したり。選手の考えを知れるので、すごく役に立っているし、大事なコミュニケーションのひとつでもあります。藤代:菊池コーチが仰ったように、僕たち指導者は、理想としては伝えたこと全てを受け取って欲しい。けれど、子どもたちにも成長のタイミングもありますし、コンディションも違うし、今までやってきた経験とか知識、技術が全然違うので、一人ひとり受け取れるものが全然違います。だからノートを通して一回アウトプットしてくれたものを見ることができると「彼には今これがすごく印象に残ったらしい」と、彼らの頭の中がわかるんですよね。菊池:本当、そうですね。藤代:具体的にはノートの15ページの「今日の自分は何点だった?」「うまくいったこと・いかなかったことは何ですか?」「どのようにすれば、より良くなりますか?」と、この辺りの質問に答えられると、まず自分の中で頭の中を整理することができると思います。子どもたちがどんなことを学び、どんなことを工夫しようとしているのか、頭の中を知ることができるので、そうすると菊池コーチが言ってくれたように「ここまでは伝わったな」「この子にはまだちょっと伝わりきれなかったから後でフォローしようかな」と、一人ひとりへの細かい対応策につながるので、ノートを活用できているんじゃないかなと思います。■書くことで振り返りの技術が身に付く。うまくいったことにも目を向けさせる菊池:最初はみんな悪かったことや、うまくいかなかったことばっかり書くんですよ、反省ノートみたいに。このノートでは両方書くことができるので「もっとよかったことも探してみようぜ」っていう声をかけると、「こんなこともできた」「こんなことが楽しかった」と出てくる。藤代:そうなんですね。菊池:サカイクキャンプって生活面でも成長できる部分があるので、別にプレーだけじゃなくても「生活の中でこんなチャレンジができたとかでもいいよ」って伝えると、表情も明るくなるんです。日本人の気質なんですかね(笑)。「いいところいっぱいあるのに」って悩ましくもあります。藤代:うまくいったことって、意識しないとなかなか見つけられないんです。でも、それを見つけようとする意識こそが、次の成長につながると僕は思っています。サッカーは、チャレンジしたことがうまくいかなくても、すぐに次、またその次へと切り替えていくことが求められるスポーツですよね。でもその"切り替える力"って、試合の中だけで身につけるのは難しい。だからこそ、毎回の練習や試合、あるいはキャンプの中で「うまくいったこと」を振り返ることを繰り返していく。その積み重ねが、やがて無意識でもポジティブに動ける自分をつくっていくと思っています。菊池:確かにそうですね。藤代:うまくいったことを意識的に探すことをして欲しいなと思っています。サッカーってチャレンジしたことがうまくいかなかったとしても、次、またその次...って切り替えていくことが試合中求められるじゃないですか。そうした時に、じゃあどうすればできるようになるかというと、やっぱり試合だけでそれをやるのは難しいですよね。意識的に毎回の練習や試合の時、もしくはキャンプ中に何度も繰り返し行って、自分自身の中でそれが習慣化していくと、意識せずともそれが発揮されるようになっていきます。菊池:そういうメンタリティーの部分って、ピッチ外でも人として成長するために大事な部分ですよね。そのためにもうまくいったこと・いかなかったことの両方が書けるようになった方がいいですね。藤代圭一(ふじしろけいいち)一般社団法人スポーツリレーションシップ協会代表理事。教えるのではなく問いかけることでやる気を引き出し、考える力を育む『しつもんメンタルトレーニング』を考案。全国優勝チームや日本代表選手など様々なジャンルのメンタルコーチをつとめる。2016年より全国各地に協会認定インストラクターを養成。その数は350名を超える。選手に「やらせる」のではなく「やりたくなる」動機付けを得意とする。新刊に「私を幸せにする食事」(東洋館出版)がある。菊池健太(きくちけんた)<資格>日本サッカー協会C級JFA公認キッズリーダーキッズコーディネーショントレーナー佐倉市立井野中学校サッカー部外部指導員<経歴>VERDY花巻ユース 日本クラブユース選手権出場(全国大会)中央学院大学 千葉県選手権 優勝千葉県1部リーグ 優勝
2025年07月08日保育・児童発達支援施設「元気キッズ」を運営する株式会社SHUHARI(埼玉県志木市、代表:中村 敏也)は、地元で人気のベーグル専門店「GES BAGEL WORKS(ジーズベーグルワークス)」と連携し、保育園のお迎え時に当日の朝焼き上げたベーグルを受け取れる保護者向けの新サービス「ベーグルお届け便」を2025年6月より本格始動しました。この取り組みは、多忙な保護者の買い物負担を軽減し、食を通じた家族のコミュニケーション創出を目的としており、朝霞市での試験導入を経て、新たに新座市・志木市を含む3市へ拡大します。元気キッズ×GEs BAGEL WORKS■試験導入で大好評の「ベーグルお届け便」が新座・志木エリアにも拡大!本サービスは、2024年度に朝霞市内の元気キッズ施設で試験的に実施され、大きな反響を呼びました。保護者向けに販売したベーグルは、即日で予約分が完売。「子どもと一緒に朝食に楽しめた」「受け取りが便利」「また利用したい」といった声が多数寄せられました。こうした好評を受けて、2025年度より対象エリアを朝霞市内に加え、新座市・志木市の元気キッズグループの施設にも拡大。より多くのご家庭に、安心・安全でおいしい焼きたてベーグルをお届けします。子どもたちの食と未来を育むGEs BAGEL WORKSのベーグル■ベーグルを通して生まれる、家族の明るい朝食時間「家族で囲む朝のひとときを、もっと笑顔あふれる時間にしたい」そんな想いから生まれた「ベーグルお届け便」は、地元朝霞市の人気店「GEs BAGEL WORKS」と提携し、保育施設でのお迎え時にベーグルを受け取れる便利なサービス。週末の朝、子どもと一緒にベーグルを楽しむ、そんな時間を保護者にお届けします。保育施設での受け取りというスタイルは、忙しい保護者の買い物負担を軽減するだけでなく、食を通じて家族の会話やつながりを育むきっかけにもなります。実際、厚生労働省の「令和5年版厚生労働白書」によれば、共働き世帯数は年々増加傾向にあり、家族で過ごす時間、とりわけ“朝の食事の時間”はますます貴重なものとなっています。(出典 )当社では、そんな大切なひとときを、よりあたたかく、笑顔あふれるものにしていきたいと考えています。■GEs BAGEL WORKS(ジーズベーグルワークス)についてGEs BAGEL WORKS ロゴ2020年に埼玉県朝霞市にオープンした同店(現在は埼玉県志木市に移転)は、地元のふるさと納税返礼品にも選ばれるほどの人気店。無添加、天然酵母、北海道産小麦「春よ恋」を使用し、ひとつひとつ丁寧に手作りされたベーグルは、開店後すぐに完売することも多い注目の存在です。アレルギーにも配慮し、乳製品・卵不使用のため小さなお子様も安心して食べられるのが特長。地元名産のにんじんを使用したベーグルはwebメディアや雑誌などにも取り上げられました。■今後の展望元気キッズとGEs BAGEL WORKSは今後、施設内でのベーグル作り体験や食育ワークショップなど、子どもたちの「食育」にもつながる活動を展開予定です。保護者のニーズに応えながら、地域の中で「食」を通じた笑顔とつながりを広げていきます。家族でおいしいベーグルを楽しむ明るい食卓【サービス概要】サービス名:ベーグルお届け便提供開始日:2025年6月より本格実施対象 :元気キッズグループの保育園・児童発達支援施設をご利用の保護者(朝霞・新座・志木エリア)内容 :提携ベーグル店のベーグルを、保育施設のお迎え時間にお届け・販売(水・木曜日を中心に実施予定)■株式会社SHUHARI 代表取締役 中村 敏也 コメント代表 中村 敏也この『ベーグルお届け便』は、単に利便性を提供するだけのサービスではありません。地元の魅力あるお店と連携し、食を通じて地域とのつながりを育み、ご家庭には“笑顔の朝”をお届けしたいという思いからスタートしました。今後は、保護者の皆さまの声を参考にしながら、子どもたちの学びにもつながるような“食育体験”など、園だからこそ実現できる価値を創造してまいります。■元気キッズグループ(株式会社SHUHARI)について元気キッズ ロゴ株式会社SHUHARIが運営する元気キッズグループは、「どんなGENKIもうけとめる」をスローガンに、子どもたちの個性と可能性を最大限に伸ばし、保護者が安心して預けられ、職員が誇りを持って働ける地域社会に根差した保育・療育サービスを提供することを目指しています。埼玉県志木市、朝霞市、新座市などを中心に、認可保育園、小規模保育園、児童発達支援施設など、合計28施設を運営し、約390名の職員が在籍しています。会社名 :株式会社SHUHARI所在地 :埼玉県志木市本町5-8-5 中村ビル2F代表者 :代表取締役 中村 敏也設立 :2006年7月事業内容:保育施設の運営、保育所・児童発達支援のコンサルティングなどコーポレートサイト: 元気キッズHP : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2025年07月08日「これ、どうやって開けるの?」「〇〇ちゃんに『遊びたくない』って言われた……どうしよう?」――子どもの「困った!」に、つい手を差し伸べてしまうことはありませんか?でもじつは、その「困った」こそが成長のチャンス。答えがすぐ手に入るいまの時代だからこそ、子どもが自分の力で壁を乗り越える「問題解決力」が重要になっています。「うちの子、すぐ諦めちゃって」「何でも『わからない』って言うんです……」そんな悩みを抱える親御さんも多いはず。でも大丈夫。問題解決力は、日常のちょっとした工夫で確実に育てることができるのです。本記事では、専門家の意見をもとに、子どもの問題解決力の伸ばし方について具体的に解説します。子どもの「問題解決力」とは?いまの時代に欠かせない理由「問題解決力」とは、目の前の課題やトラブルに対して適切な方法で解決する力のことであり、勉強や人間関係、日常生活などあらゆる場面で必要とされます。特にこれからの時代は、答えのない問題に向き合う力が求められるため、与えられた情報を覚えるだけでは対応できません。柔軟な思考と行動力を育てる「問題解決力」は、まさに子どもの将来を支える基盤となるでしょう。探求型学習教室「LOUPE(ルーペ)」を運営する伊東美波氏は、問題解決力を育む探求学習の重要性を説きます。自分で問いを立て、自分なりの答えを見つけるプロセスを大切にする探求学習。それを学ぶことで、問題に直面したときの “モヤモヤ” をそのままにせず、言葉にして整理する力が身につき、次の一歩を後押しするのだと言います。問題解決力の土台を築く「感情の整理」は、子どもだけでなく大人もぜひ身につけたいところ。トラブルに対して「いまどんな気持ちなのか」を冷静に考え、家族や仲間と共感し合い、解決策を見つけ出すことが求められるため、人生をより豊かに楽しくするのにも一役買ってくれそうですね。次項では、さまざまな分野の専門家の意見をもとに、「子どもの問題解決能力を育むために家庭でできること」について解説していきます。調理体験で育む!子どもの実践的「問題解決力」の育て方【松島悦子氏】食育や家族社会学を専門とする松島悦子氏は、「子どもの問題解決力を伸ばすのに “調理体験” は大いに役立つ」ことを明かしています。調理の過程には、材料をそろえる、手順を考える、途中の失敗に対応する……など小さな課題が次々と出てきます。こうしたプロセスを自分で乗り越えることが、実践的な問題解決力の土台になるのです。さらに、調理は小さな成功体験を積み重ねる作業でもあります。「ひとつできたら、次はちょっとだけ難しいことに挑戦する」ことで、達成感を味わいながら自己効力感や自信も育まれていくでしょう。松島氏は「親は細かく口を出すのではなく、必要な手順を伝えたらあとは極力見守ってほしい」とアドバイスします。調理を通して得られる「考えて行動する力」は、変化の激しい社会を生きる子どもたちにとって、大きな武器になるはずです。【問題解決力の育て方】休日などに子どもと一緒に料理をする機会をつくるできる工程は子どもに任せ、親は「見守る」姿勢を意識する成功したらすぐ次の課題へ。「少し難しいこと」に挑戦させてみる関連記事子どもに「調理」をさせるメリット。料理をする子・しない子の“内面”の大きな違い(この記事はアフィリエイトを含みます) 「食育」への関心が高まるなか、「親元を離れたときに困らないように……」と…親の “聞く力” がカギ!子どもの問題解決力を伸ばす関わり方【瀬川文子氏】子どもの問題解決力を育むにあたり、「親の聞き方」にヒントが隠されているのをご存じですか?心理学や教育学をベースにした親子コミュニケーションプログラム「親業」の実践を通じて、多くの家庭に寄り添ってきた親業訓練協会の瀬川文子氏によると、子どもの話を聞くときには「受動的な聞き方」と「能動的な聞き方」の2つを意識することが大切なのだそう。たとえば、うなずく・黙って聞くなどの「受動的な聞き方」に加えて、子どもの言葉を繰り返す・言い換える・気持ちを汲み取るといった「能動的な聞き方」が、問題解決力を育むのに効果的なのだといいます。特にこの “能動的に聞く” 姿勢が、子どもに「自分の気持ちが受け止められた」という安心感を与え、自ら考えて解決策を導き出す力へとつながっていきます。大事なのは、子どもの気持ちに共感し、寄り添うこと。充実したコミュニケーションは、子どものあらゆる能力を伸ばすカギになりますよ。【問題解決力の育て方】子どもの話には、うなずきや促しなど “受け止める” 姿勢をもつ言葉を繰り返す・言い換えるなど、能動的な聞き方を意識する気持ちに共感し、答えを急がず子ども自身の考えを待つ関連記事繰り返す、言い換える、気持ちを汲む。親の「能動的な聞き方」が、子どもを問題解決に向かわせる(この記事はアフィリエイトを含みます) アメリカの臨床心理学者であるトマス・ゴードン博士が、心理学、教育学、発…思考ツールで育てる!子どもの「原因と結果を考える力」【飛田基氏】「幼い子どもは目の前の欲求に従って行動しがちで、長期的な視点をもつのが難しい」と語るのは、NPO法人・教育のためのTOC日本支部で思考ツールの普及に取り組む飛田基氏です。子どもたちがよりよく考え、行動できるようになるには、日常のなかで 「因果関係を整理する力」を育てていくことが大切だと話します。たとえば、「この行動をしたら、次に何が起こるか」「こうすると、どんな結果になるか」といった “原因と結果のつながり” を言葉にする機会を増やすことで、子どもは自分の選択を客観的に見つめられるようになるでしょう。過去のインタビュー記事に詳しい方法が紹介されているので、ぜひ参考にしてくださいね。この力は、目の前の課題に冷静に向き合い、最適な解決策を見つけ出す土台になります。楽しみながら思考の訓練を重ねていくことで、問題解決力はもちろん、「長期的な視点で考える力」も自然と育っていくでしょう。【問題解決力の育て方】日常のなかで「行動→結果」の流れを一緒に整理する習慣をつける子どもが自分の選択を言葉にできるよう促す思考ツールを使って “考え方” の型を身につける関連記事子どもの考える力を伸ばす「3つの思考ツール」(後編)――NPO法人・教育のためのTOC日本支部マスターリードファシリテータ・飛田基さんインタビューpart3(この記事はアフィリエイトを含みます) イスラエルの物理学者・エリヤフ・ゴールドラットが提唱するTOC(制約理論…ストレスに負けない!「選べる力」が子どもの問題解決力を育む【小関俊祐氏】ストレスとの向き合い方という観点から、子どもの問題解決力を育む方法を提唱しているのは、日本ストレスマネジメント学会で子どものメンタルサポートにも携わる小関俊祐氏です。ストレスへの対処法には、「情動焦点型」と「問題解決型」の2種類があります。「情動焦点型」とは、過去の出来事など自分の力ではどうにもできない問題に対して気分転換を図る方法。「問題解決型」は、たとえば明日のテストのようにこれから起こることによるストレスに対して、行動を通して対処する方法です。「問題解決型」において、ストレスを回避する手段は多いほどよいとされており、小さいうちは親が “いくつかの手段” を提示する必要があります。たとえば、勉強に集中できないという悩みに対して、親が付き添って勉強する、ひとりで部屋にこもる、塾に通うなど、複数の方法を一緒に考えることが有効です。大切なのは、親が「これが正解」と決めつけず、子ども自身が納得できる形で選べるようにサポートしていくこと。そうした積み重ねが、ストレスに柔軟に対処しながら解決策を導く力を育ててくれるのです。【問題解決力の育て方】子どもが感じているストレスの“種類”に合わせて、対応を変える解決のための手段をいくつか示し、子ども自身に選ばせる親の意見を押しつけず、「一緒に考える姿勢」を大切にする関連記事子どものストレスを軽減させる“ストレスコーピング”。選択肢は多ければ多いほどいい「ストレスコーピング」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。ストレスとうまくつき合うための方法である「スト…よくある質問(FAQ)|問題解決力の育て方Q1. 問題解決力って、具体的にはどんな力のこと?A. 問題解決力とは、目の前の課題に対して自分で考え、選び、行動しながら解決に導いていく力です。正解が一つではない現代においては、「どうすればいいか」を自分で判断する力が欠かせません。困ったときに立ち止まらずに一歩踏み出せる力、それが問題解決力の本質です。Q2. 幼児や低学年の子にも、問題解決力は育てられますか?A. はい、育てられます。たとえば「靴が見つからない」といった小さな困りごとでも、「どこで脱いだかな?」「昨日はどこに行った?」と一緒に考えることが立派なトレーニングになります。年齢に合わせた「考える経験」を積み重ねていきましょう。Q3. 失敗ばかりしていると、子どもが自信をなくさないか心配です。A. 失敗は、じつはとても貴重な学びのチャンスです。大切なのは、その失敗をどう受け止め、次にどうつなげるか。親が「失敗してもいいんだよ」と受け止めてあげることで、子どもは安心してチャレンジできるようになります。成功体験とあわせて、失敗体験も “自信” につながります。Q4. 親がどこまで手伝うべきか、判断が難しいところです。A. つい手を出したくなりますが、まずは子どもに考えさせてみましょう。すぐに答えを与えるのではなく、「どうしたい?」「ほかに方法はあるかな?」と問いかけることで、自ら考える力を引き出せます。親は “見守る姿勢” を意識してサポートすることがポイントです。Q5. 問題解決力を育てるのに役立つ日常的な習慣はありますか?A. 料理や買い物、遊びのなかでも育てることができます。たとえば「卵がないけど、どうする?」など、日常のなかで自然に「考える→選ぶ→行動する」機会をつくってあげましょう。無理なく、楽しく取り入れられることが長続きのコツです。***子どもの「問題解決力」は、変化の激しい時代をたくましく生きるために欠かせない力です。そしてその力は、特別な教育プログラムで育まれるものではありません。親ができることは、先回りして問題を解決してあげるのではなく、「考える時間」を与えて、見守りながら寄り添うこと。そして、ときには一緒に悩みながら、答えにたどり着く過程を共有しましょう。小さな「できた!」の積み重ねが、これからの時代を生きる確かな力となっていくはずです。文/野口燈(参考)STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|小学校でも注目の「探求学習」を家庭で!「なぜ?どうして?」を“生きる力”に変えよう【探求型教室のテーマと実践例つき】STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|子どもに「調理」をさせるメリット。料理をする子・しない子の“内面”の大きな違いSTUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|繰り返す、言い換える、気持ちを汲む。親の「能動的な聞き方」が、子どもを問題解決に向かわせるSTUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|子どもの考える力を伸ばす「3つの思考ツール」(後編)ーーNPO法人・教育のためのTOC日本支部マスターリードファシリテータ・飛田基さんインタビューpart3STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|子どものストレスを軽減させる“ストレスコーピング”。選択肢は多ければ多いほどいい
2025年07月08日雲云テクノロジー株式会社(本社:東京都千代田区)は、2025年7月8日(火)0:00から7月19日(土)23:59まで、CuboAi公式サイトおよびAmazon公式ストアにて、「CuboAi プライムデーセール」を開催いたします。暑い夏でも、お子さまの体調管理や快適な睡眠環境づくりをサポートするCuboAiスマートベビーモニターを、年間最安値となる特別価格でご提供いたします。最大18,960円OFF!プライムデーセール開催【セール概要】■第1弾:プライムデーセール期間 :2025年7月8日(火)0:00~7月14日(月)23:59開催場所:CuboAi公式サイト/Amazon公式ストア割引方式:割引価格にて提供■第2弾:プライムデー延長セール期間 :2025年7月15日(火)0:00~7月19日(土)23:59開催場所:CuboAi公式サイト(クーポンコード割引:PRIMEDAY25)/Amazon公式ストア(ポイント還元での実質割引)■対象商品・特別価格 ※税別商品名 :CuboAi スマートベビーモニター(第3世代)通常価格 :51,800円セール価格:35,040円割引額 :16,760円 OFFCuboAi スマートベビーモニター(第3世代)商品名 :CuboAi 赤ちゃんねんね見守りセット通常価格 :66,800円セール価格:47,840円割引額 :18,960円 OFFCuboAi 赤ちゃんねんね見守りセット※赤ちゃんねんね見守りセットは、スマートベビーモニター(第3世代)とベビーセンサーパッドのお得なセット商品です。【夏の子育てをサポートする CuboAi スマートベビーモニター(第3世代)の特徴】赤ちゃんをしっかり見守る多数の機能■快適な睡眠環境をサポート温湿度センサー搭載:室内環境が快適範囲を超えたらスマートフォンにお知らせAI子守唄機能:慣れない場所でも快適なねんねタイムを演出■安心の見守り機能顔覆われカバー&寝返りアラート:本体内蔵AIで旧モデルから6倍高速検知2.5K QHDカメラ:スマートベビーモニター史上最高画質(※)で細部まで鮮明過去72時間の自動録画:無料で最長3日間分の映像保存が可能顔覆われカバー防止、寝返りアラート■成長記録機能成長トラッキング:アクセサリー不要の自動身長測定機能を世界初※実現睡眠分析:詳細な睡眠レポートで赤ちゃんの快眠をサポート睡眠分析■家族での共有家族シェア機能:最大8デバイスで簡単共有※2025年当社調べ【メッセージ】赤ちゃんの睡眠環境をしっかり管理暑い夏の季節は、赤ちゃんの体温調節や室内環境管理がより重要になります。CuboAiスマートベビーモニターは、温湿度センサーによる環境モニタリングと高精度なAI見守り機能で、ママパパの心配を軽減し、安心できる子育て環境をサポートいたします。今回のプライムデーセールでは、より多くのご家庭にCuboAiをお届けし、夏の子育てを応援したいという想いから、年間最大級の割引を実施いたします。【セール実施チャネル】■CuboAi公式サイトURL: 全期間割引価格(延長期間はクーポンコード入力で割引)■Amazon公式ストアURL: プライムデー期間は割引価格+延長期間はポイント還元で実質割引■お得な情報をLINEでお届けCuboAi公式LINEアカウントでは、セール情報やお得なクーポン情報を配信中です。CuboAi公式LINE: ■SNS公式アカウントInstagram : X (旧Twitter) : LINE公式アカウント: ※不具合や製品自体に関連するお問い合わせはメールまたは公式LINE、CuboAiアプリのカスタマーサポートへお願いいたします 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2025年07月08日普段、何気なく使っている日本語でも、いざ子どもに説明するとなると困ってしまうことってありませんか? とくにまだ漢字がわからない幼い子に「同音異義語」を理解してもらうのは、なかなかハードモードではないでしょうか。今回はまさに、同音異義語で息子さんが可愛らしい勘違いをしてしまい、パパがあたふた。日本語って難しい〜! と思わず叫びたくなるようなエピソードです。主人公は、4歳の息子さんを持つパパ。ブロックを拭いていると息子さんがお手伝いを申し出てくれたので、何気なく感謝の気持ちをつぶやいたところ…。働き手という意味の「人手」と、海の生き物の「ヒトデ」。どちらも「ひとで」と発音するのはいっしょなので、息子さんが勘違いするのは無理もないですよね。「人手」を4歳の子どもにもわかりやすく説明するのも悩ましいし、日本語って本当に奥が深いです。それにしても、「ヒトデじゃなくてタコならいい」という息子さんの発言も、ツッコまずにはいられません。何とも微笑ましいエピソードでした。みなさんの中でも、お子さんの勘違いや珍発言など、愛すべき家族のエピソードがあればぜひ教えてください。イラスト/ 最上うみみ ※このお話は実話を元に編集しています。あなたの「愛すべき家族」のエピソード募集中!当たり前のように一緒に暮らしてるけど、この常識ってわが家の家族だけ? 小さい子どもって奇想天外なことするから面白い! ついクスッと笑ってしまうけど、私の自慢の家族。そんな読者から投稿された「愛すべき家族」のエピソードを4コマ漫画でご紹介。ぜひあなたもエピソードを投稿してみませんか?記事下のアンケートフォームより投稿してください。
2025年07月08日