出産できる病院の種類出産に関わる病院には種類があります。出産までできる病院、医療に特化した病院、家庭的な雰囲気を重視した病院、自分の納得できる病院探しが重要です。助産院助産師が開院している9床以下の病院です。家庭的で安心感がありますが、双子の場合や異所性妊娠(子宮外妊娠)など医療行為が必要だと助産院では受け付けてもらえません。また、助産院では医療行為ができないため、病院での健診が同時に必要になることや、事前に健診を受けてからしか助産院での受付をしてくれないこともあります。医院や個人病院19床以下の病院が医院と呼ばれ、現在はクリニックと表記されていることも多くあります。小さな病院は常に同じ先生に見てもらえることがあるので、信頼できることが大きいです。ですが、健診のみの受け付けで出産は受け付けてくれないところもあるので、必ず確認が必要です。大学病院や総合病院ハイリスクな妊婦さんにおすすめですが、高度な医療を受けることができて安心という反面、予約が必要で待ち時間がかなり長いという面があります。まずは個人病院などで診てもらい、ハイリスクな出産になる場合や、そうでなくても妊娠後期に出産のために紹介状を書いてもらうことをおすすめします。つわりなどで待ち時間に気持ち悪くなることや、予約の日にどうしても起き上がれないほどしんどいこともあるので、待ち時間も病院選びの考慮に入れると健診が楽になります。周産期母子医療センターほかの病院では危険と判断された場合や、救急で搬送される病院です。ベッド数や病院の大きさにもよりますが、最初からここにかかりたいと思っても受けてもらえないこともあります。母体と胎児にとって最高の医療を用意してあるので、どこの病院にかかっていたとしても、危険性が高いと判断された場合にはここに運ばれます。産婦人科の探し方口コミ先輩ママに聞くのが一番ポピュラーで安心感があります。しかしこれには知り合いに先輩ママがいないとどうしようもないという問題もあります。多くの病院の情報は得られませんが、近所の病院やクリニックに関する細かい情報、生の声が聞けるのは大きいです。インターネット多くの情報を一度に集めるには有効な方法です。何を重視して病院を選ぶのかによって絞り込めることもおすすめできるポイントです。ただ、最初からインターネットに頼ると情報量が多く迷いすぎてしまうこともあるので注意が必要です。病院のホームページを見て、説明がわかりやすいと感じるところが良いかもしれません。ブログがあれば医師やスタッフの人柄の参考になりますね。雑誌や書籍産婦人科のことをまとめた雑誌が出ていますので、参考になります。産婦人科の特色がそれぞれ書かれているので全体的にわかりやすく、自分にあった病院が探しやすいです。タウンページ近くの産婦人科を探すのにはとても役に立ちます。近くの病院に的を絞って探すことができ、連絡先がすぐにわかるのが良いところです。産婦人科の選び方のポイントは?距離里帰り出産なのかどうかにもよりますが、健診にその都度行ける距離であることは大切です。夫の立ち合いを望んでいるから出産時に夫が間にあう距離が良いとの考え方もありますが、1時間以内の距離であれば十分間にあいます。あまり遠い場合は健診のために通うのも大変ですし、陣痛が始まってから病院に行くまでの距離を考えると危険性もあります。分娩方法・育児の方法病院によって分娩の方法や母乳育児の考え方が違います。どのような出産を望んでいるのか、完全母乳で育てたいのか、粉ミルクで育てたいのか、病院の方針がどうなのか事前に調べておくと後悔をしなくて済みます。筆者は臍帯血バンクへ協力したかったのですが、病院側が登録していなかったため、断念せざるを得ませんでした。譲れないものは最初の健診を受ける前に確認が必要です。助産師さんやお医者さんとの相性インターネットや口コミで、どんな先生なのか、看護師さんたちの対応はどうなのか知ることができます。フレンドリーな人が良いのか、医学的な細かい説明を重視してくれるのか、どんな人だと安心して任せられるのかを考えてください。自分の命と子どもの命を任せるのですから信頼できる人を探しましょう。一度受診してあわないと感じれば病院を変えることもできるので、実際に診察を受けてから決めても良いですね。ご飯はおいしいか出産という人生で何度もない経験をするのですが、これには体力が必要です。出産後にしっかりとご飯を食べないと体力は回復しません。できればおいしいものを食べられる方が嬉しいですよね。医療水準外から見て、その病院の医療水準を知るのは難しいですよね。参考になるとしたらお産の件数です。毎年たくさんのお産を経験しているところの方が技術や知識が保たれ、いざというときの対応もしっかりしています。医師ひとりあたり毎年何件のお産が行われているのかを比べてみましょう。もしホームページに病気やお産の説明があれば、参考文献が載っているかを見てみてください。近年のものを含めしっかり論文を読んでいれば、きちんと最新の医療を提供している可能性が高いです。また参考程度ですが、クリニックの場合は学会があるときに休診していたり代診の先生だったりすると、その先生は毎年学会で勉強していることがわかります。里帰り出産をする場合は?里帰り出産をする場合は、健診を受ける病院と出産をする病院が異なります。出産をする病院と健診を受ける病院を決め次第、すぐに連絡をしないと受け付けてくれませんので、里帰りを考えている場合は早めに行動に移すことが必要です。健診を受ける病院では、健診の結果を書いてもらい、出産予定の病院に提出しなければならないので忘れないようにしましょう。出産に備えて赤ちゃんを出産した病院については出産を記憶している限り思い出として忘れることはありません。出産する際に何を重視したいのか、病院のきれいさ、看護師さんの対応の良さ、病院の近さ、医療体制、家庭的な雰囲気、それぞれに望むものは違います。一番大切にしたいことをまず考えて、病院を選びましょう。
2023年10月04日腹痛に襲われたミロチさんは、総合病院へ転院になる前に、通院していた帝王切開ができない個人病院で診てもらうことに。「本当に下から出てくる? もし回旋異常が起きたら、大きすぎて裂けたら……赤ちゃんも私も、無事に帰って来られるの?」。急に怖くなったミロチさんですが、病院へ向かって……。 部屋に案内され早々に… 病院へ到着したミロチさんは、階段をのぼるのもひと苦労……。 通されたのは、前回の出産のときと同じ部屋。 助産師さんがお産セットを渡しながら「今は3〜4分間隔で痛みは弱いけど、2人目だから急に早まるかもしれない……」と続け、「便意が来たらそれは赤ちゃんだからグッと我慢して、呼び出しボタンを押してね!」と言われました。 すると、ミロチさんは息を切らしながら……「あの……出そうです」 「もう便意が、お尻の内側から蹴破ろうとしています!」 その言葉を受けた助産師さんは「ぶ……分娩台に行きましょう!」と、病院到着早々に分娩台へ上がることに! これにはパパも「展開早すぎませんか!?」と驚きを隠せませんでした。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2022年12月24日健康診断あるある!? いつものクセでやってしまうあの話です。■ 体内水分量、異常なし全然、心配することじゃなかった(笑)違う意味では心配しなきゃだけどもね!!!! ちょっとでも水分取ると「直通してるのかな」ってレベルで、すぐトイレ行きたくなるよねぇ。そして健康診断の結果は「問題なし」でした。よかったよ~~ホッ。
2022年10月15日腹痛に襲われたミロチさんは、総合病院へ転院になる前に、帝王切開ができない通院していた個人病院で診てもらうことに。「本当に下から出てくる? もし回旋異常が起きたら、大きすぎて裂けたら……赤ちゃんも私も、無事に帰って来られるの?」急に怖くなったミロチさんですが、病院へ向かって…… 部屋を案内され早々に… 病院へ到着したミロチさんは、階段をのぼるのも一苦労……。 通されたのは、前回の出産のときと同じ部屋。 看護師さんがお産セットを渡しながら「今は3〜4分間隔で痛みは弱いけど、2人目だから急に早まるかもしれない……」と続け、「便意が来たらそれは赤ちゃんだからグッと我慢して、呼び出しボタンを押してね!」と言われました。 すると、ミロチさんは息を切らしながら……「あの……出そうです」 「もう便意が、お尻の内側から蹴破ろうとしています!」 その言葉を受けた看護師さんは「ぶ……分娩台に行きましょう!」と、病院到着早々に分娩台へ上がることに! これにはパパも「展開早すぎませんか!?」と驚きを隠せませんでした。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター ミロチ
2021年12月18日現在、やんちゃな5歳と2歳の男の子を育てています。長男がまだ1歳のとき虫歯になったのですが、歯科でエナメル形成不全と診断されました。結果、長男は3歳まで治療により前歯が真っ黒の状態で過ごすことになってしまったのです。一生懸命歯磨きをしていたのに低年齢で虫歯にしてしまい、後悔したエピソードや治療の様子もお伝えします。 長男が1歳で虫歯と診断長男が1歳のとき、市役所でおこなっている任意の歯科検診に行きました。前歯が以前よりも若干、短くなったような気がして心配だったのです。ただ、歯磨きは念入りにおこなっていたので「まさか、虫歯じゃないよね」と楽観的に考えていました。しかし、歯医者さんに診てもらった直後、「これはちょっと……」とつぶやかれ、前歯が虫歯になっていると伝えられたのです。短くなったように見えたのは、虫歯が原因で先端が溶けてしまっていたのが原因でした。早急に歯医者に通ってくださいと言われました。歯磨きだけでなく、お菓子やジュースも与えずに気を付けていた私は、ショックで頭が真っ白に……。 歯医者で「エナメル形成不全」と診断その後、すぐに歯医者に行きました。そこでもう一度診察を受けると、「エナメル形成不全ですね」と診断されたのです。エナメル形成不全の子どもは生まれつき歯のエナメル質が弱く、そのため虫歯になりやすいとのこと。私がもっと気を付けて歯の生え始めに歯医者に連れて行っていれば、虫歯を防げたのかもしれない……と、とても後悔しました。また、前歯がちょっと短くなったような……と違和感を覚えていたにもかかわらず、診察が遅れてしまったことも反省するしかありませんでした。 進行を止める薬を塗って前歯が真っ黒に長男はまだ1歳できちんとした治療ができず、歯医者さんと相談してサホライドという虫歯の進行を止める薬を塗ることになりました。結果、長男の前歯は虫歯の箇所が黒くなってしまうことに……。口を閉じているとわからないのですが、笑うと黒い前歯が見えるため、最初はとても気になってしまいました。初対面のママさんにも、聞かれてもいないのに「この子は歯が弱くて虫歯になって~」と説明していたほどです。しかし歯医者さんは診察のたびに落ち込む私に、「母親がどんなに気を付けていても歯の弱い子は仕方ないよ」と慰めてくれました。一番心強かったのは、「幸いまだ乳歯だから、いくらでも取り返しがきくからね」と励ましてもらったことです。 その後、長男は3歳になって歯を削る治療をおこないました。歯は見た目も白くなり、幸いにも他の歯は虫歯になりませんでした。今回のことを機に、子どもの体に少しでも気になることがあれば、すぐにお医者さんに相談するべきだと痛感しました。その後生まれた次男も一緒に3カ月ごとに定期検診を受け、歯の状態を診てもらっています。1歳での虫歯はショックでしたが、歯の健康を考える良い機会だったと思えるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:竹内優実5歳と2歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2021年09月27日もうすぐ1歳の誕生日というある日、私の不注意で息子が手のひらに全治3カ月の大やけどを負ってしまいました。子どもの大やけどに直面したときの行動や対処法、その後の治療や経過とともに周りの反応や私自身の心境の変化をお伝えします。 今でも忘れられない、あのときの光景いつものように使用済みヘアアイロンをタオル掛けに吊るして収納しお化粧をしていると、火のついたように大泣きしだした息子。振り返るとヘアアイロンのすぐそばで明らかにいつもと様子が違う息子の姿がありました。 「まさか」と思い急いで手のひらを見ると、人差指、中指、一部手のひらが真っ赤になっていたのです。ヘアアイロンの電源を消したのはついさっき、設定していた温度は190度。血の気が引いた私でしたが、震える手で息子を抱えすぐに流水で冷やす処置を始めました。 ▲実際の写真 通院と看病の日々⋯流水で冷やしながら皮膚科に電話。すぐにきてくださいとのことで病院に向かい、緊急性が高かったため3時間待ちのところを優先して診察していただきました。診察の結果、熱傷の程度は中等度の深達性Ⅱ度でした。引きつれなどが生じるおそれもあると告げられ、頭が真っ白に……。そして、ガーゼと包帯を換え、薬を塗る毎日が始まりました。傷口を見るたびに後悔が襲いましたが、私にできることをするしかないと黙々と看病をしました。最初のころは心配で毎日通院し、落ち着いてからも週2〜3回診察に行く日々が2カ月続きました。 周りの反応、何を言われてもつらかった日々息子に痛い思いをさせてしまったこともつらかったですが、周りの反応に対してもナイーブになっていきました。夫をはじめ親族は「痛そう⋯⋯」と顔は歪めるものの、私に気をつかってあまり触れずにいてくれました。児童館では「うちの子なんて私の不注意であごの骨折ったのよ!」と励ましてくれるママさんもいましたが、そのやさしささえとてもつらかったです。あるときはすれ違いざま高齢者の方に、「あらやけど? やけどは親の不注意だよ」と言われることもありました。とても深く傷つきましたが、言われて当然のことをしたと思っています。 もう絶対に繰り返さないための危険対策!事故が起こってしまった原因は、私の心にありました。それは危ないと思ったものの放置したことです。向こうで遊んでいるし⋯…という甘い考えが招いた事態でした。事故後すぐに「日常で危ないと思っていること」をその対策と一緒に書き出し、夫と共有しました。想像できる最悪の事態は必ず起こると危惧すること、その不安材料を取り除くこと。意識の徹底により、そのやけどの事故から現在まではケガなく過ごせています。 事故から半年、すっかり治り、手も不自由なく使えているようです。私の不注意で痛い思いをさせてしまったことは後悔してもしきれませんが、母として成長できたとプラスに考えるようにしています。子どもが小さいうちは「想像できたら、それは起こる出来事」を合言葉に息子の安全を守っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:高橋さちこ1歳男児の母。新卒で営業職に就き、妊娠を機に退職。その後就活・保活に成功し、現在は働きつつ妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年09月23日私は、甘えん坊の1歳の男の子を育てています。最近は夫の仕事が忙しく、毎日がワンオペ育児状態です。息子が大泣きしてしまうから、「仕方がない」とあきらめて抱っこひもをしながら調理をしてしまい、息子にやけどを負わせてしまった体験談をご紹介します。 甘えん坊な息子息子は、生後6カ月から近くにママやパパがいないとじょうずにひとり遊びができずに、泣いてしまいます。特に朝と夕方は、機嫌が悪いことが多く、近くに座って一緒に遊ぶか、抱っこをしながら家事を進めています。 抱っこひもでのおんぶはなぜか大号泣で拒否。そのため、夕食作りは基本的に抱っこひもで、抱っこをしながら調理をしています。危ないなと感じることは過去にも数回ありましたが、息子に号泣されるよりも抱っこのほうがいいかなと私は甘く考えていました。 抱っこひもでの調理中に息子の近くに座り、見守っていたら機嫌よくおもちゃで遊んでいたので、夕食作りを開始しました。すると、案の定息子は大号泣しながらキッチンへ。いつも通り抱っこひもをして、炒め物を作っていました。 すると、突然息子は抱っこひもから調理中のフライパンのほうへ手を伸ばし、手の甲がフライパンにあたってしまいました。大号泣する息子にかなり焦りながらも、急いで流水で20分以上冷却。ですが、水ぶくれができてしまいました。 翌朝、皮膚科を受診症状を調べて、翌朝の受診で大丈夫とわかったので、ネットで調べた対処法をし、翌朝皮膚科を受診。幸いにも軽いやけどだったようで、3〜4日で傷は乾き、やけど痕も残らないだろうという診察でした。 診察結果に安心したものの、傷口に塗られた薬がしみて大号泣する息子を見ながら、私は胸が張り裂けそうでした。自分のせいで息子にやけどをさせてしまったことがすごくつらく、何度も謝罪。二度とこのようなことがないよう、家事の方法を反省しました。 今までは、泣くから危ないけど抱っこひもを付けて調理をするのは仕方がないと考えていましたが、息子にやけどをさせてしまってから、どんなに危険な行為だったのかを認識。母親として、息子にやけどをさせてしまったことが申し訳なくてなりません。二度と同じことがないように、昼寝の時間や夫のいる時間を有効活用、家事の時間にすることにしました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:白田 よう保育士として働いていたが、出産を機に退職。やんちゃな男の子を育てながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2021年09月21日息子の風邪がうつり、生後20日の娘が突然の発熱。あらゆる検査の結果からウイルス性髄膜炎と診断され、小児科に入院となったときの体験談です。今回は、診断されるまでの経過、入院中~退院後におこなった予防などもお伝えします。 初めての高熱…当然の入院3歳の息子が保育園で熱を出し、喉の赤みと鼻水の症状で夏風邪と診断され1週間。息子は完全に回復し、家族の誰もうつらなかったことにホッとしていたころのことです。 娘は数日後に1カ月健診を控えていました。娘を抱っこしていていつもより熱いと思い、熱を測ると40度近い熱。赤ちゃんは母親から免疫をもらっているから病気になることはほとんどないのではとどこかで思っていた私はびっくりしました。母乳の飲みも変わらず、おしっこも出ているし、咳や鼻水もありません。かかりつけ医の小児科に電話すると「今すぐ入院施設のある大きい小児科に行きなさい」と言われ、受診。 すぐにレントゲン・採血・腰からの髄液検査・点滴と次々と検査がおこなわれ、泣きわめくわが子は髄膜炎の疑いでその日のうちに入院になりました。その3日後、検査の結果から「ウイルス性髄膜炎」だと確定診断されました。 ママと2人の入院生活その日以来、病院での24時間付き添い生活が始まりました。娘は点滴と心電図モニターにつながれ、頻回の検温のたびに泣き、高熱の間は苦しいのかよく泣いていました。この病院ではママはあくまで付き添いなので、食事などは出ず、家族に持ってきてもらうかコンビニで済ませます。家族が面会にきたタイミングでお風呂を済ませ、あとは授乳か、おむつ交換か、ひたすら抱っこ。ただただかわいそうという気持ちと、早く良くなることを祈るばかりでした。 退院後も予防の日々やっと熱も下がり、炎症反応もなくなったのを確認し退院が決まりました。その際、医師から「予防接種を2回終える生後3カ月までは特に注意するように」と言われました。息子からの感染を予防するため、手洗い・うがい、保育園から戻ったらまず着替えをさせること、風邪の症状があるときには娘に近づけない、もしくは息子が触ったおもちゃなどは消毒するなどを徹底し、何とか最初の目標である生後3カ月を迎えました。もう入院させまいと常に病気には敏感になっていました。 兄妹のケアも忘れずに感染源が息子であったこと、その後も一番感染源となり得ることから、予防策をとると、さらにイヤイヤ言ったり、悲しそうな顔をする息子。幼いながらに、もっとママに甘えたいという思いが強かったのだと思います。病気中の娘も心配ですが、入院中の面会時は娘を家族に見てもらい息子と遊んだり、退院後も体調が悪いときには子ども2人を接触させないよう、ママである私が息子のそばにいる時間を意識的に作るようにしました。 新生児期であっても発熱することがあり、一見変わりなく見えても入院を伴うような病態になっていたことは、娘自身も家族にとっても大きな負担でした。早めのうちにかかりつけの小児科を決め、相談できる体制をとると共に、日頃からの対策も大事であることを学んだ体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:高橋ひな子2児の母。助産師・看護師・保健師の資格を持ち、病院勤務をしながら育児を満喫中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する記事を執筆している。
2021年09月20日出産予定日に息子に会える喜びから一転、私たち夫婦に告げられたのは「子宮内胎児死亡」でした。すでに生まれてもおかしくない週数。なぜこんなことが起きてしまったのか? 私の身に起きてしまったことをお話しします。 朝から胎動がなくなる出産予定日の朝、私は嫌な予感がしていました。トイレに行ったあとソファに座っていた私は、胎動がないことに気付きました。臨月は胎動が減るという記事を見たことがあったので、少し様子を見ることに。しかし、1時間経っても胎動がなく、急いで病院に電話をしました。 「すぐに病院へきてください」と言う看護師さんの慌てた声に、夫を起こし病院へ向かったのです。夫が車の中で「多分気のせいだよ。案外、病院に着いたら動くかもね」と、私を安心させる言葉をかけてくれました。でも、私は朝から感じた嫌な予感がずっと抜けていなかったのです。 病院にて子宮内胎児死亡宣告を受ける病院に着いたあと、電話で対応してくれた看護師さんが出迎えてくれました。診察室で先生に会うと、「胎動ないの? 週数的に気のせいだと思うけどな~」と言っていたので、心の中では生きてるはず!と思っていたことを今でも覚えています。しかし、いざ診察するとエコーに映る息子の心臓は動いてませんでした。 なぜ? なぜ? 今日出産予定日だよ?と涙が止まらない私に先生は小さな声で、「残念ながら子宮内胎児死亡です」と告げたのです。診察室で私の泣き声が響くなか、看護師さんが夫を待合室から呼びました。夫は私の泣いている状況を見てぼうぜんとしていました。 泣き声のない出産子宮内胎児死亡宣告を受けた日に入院。どうやら亡くなった胎児がおなかにいると母体に良くないそうで、陣痛促進剤での出産になりました。新生児の泣き声が聞こえないように離れた部屋を用意してくれましたが、毎日涙が止まらなかったです。 陣痛促進剤を打って3日目にとても強い陣痛がきました。正直、精神的にも体力的にも限界で、おなかの子は生きていないのに痛い思いまでして出産することに神様を恨んでいました。泣き声のない出産だったけれど、生まれてきた息子は世界で1番かわいかったです。 息子の子宮内胎児死亡は原因不明でした。胎児を解剖すればわかったかもしれませんが、息子の体を切ってまで私は原因を知りたくはありませんでした。「あのときもっと早く病院へ行っていれば」と今でも考えます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:柿本沙代第一子(男児)を臨月で死産。その後仕事を退職し、ライターとして仕事を始める。1年の不妊治療を経て現在第二子妊娠中。第一子妊娠時の体験や妊娠している現在のリアルな気持ちについて執筆中。
2021年09月19日ある日の夕方、いつものように2歳の息子を着替えさせていると、パンツに何か緑色のシミのようなものが……! 汚れかな?と軽く考えていると、2日後には息子がおしっこをするときに痛がるようになりました。すぐに小児科を受診したら「亀頭包皮炎」と診断されホッとしましたが、反省することもありました。 パンツについた緑色のシミある日の夕方、お風呂に入ろうと2歳の息子のパンツを脱がせたときのことです。ふと脱がせたパンツを見ると、緑色のシミのようなものがパンツについていました。 一瞬疑問に思ったものの、何かの汚れがついたのかな? と軽く考え、特に何も気にしていませんでした。するとそのシミを見つけた2日後の朝、息子が突然「おしっこ痛い!」と言い出したのです。 おしっこが泣くほど痛い「おしっこ痛い」と息子に言われた私は、最初はどういうことなのか理解していませんでした。ですがそのあとも、トイレに行くたびに泣きながらおしっこをする息子を見て、「性器が痛いのか!」とやっと息子が言った言葉の意味を理解しました。 よくよく見ると、性器が赤く、少し腫れている様子。「これはただごとではない」と、すぐにかかりつけの小児科を受診しました。 緑色のシミの正体受診した小児科では、尿検査や血液検査をおこなうことに。息子の性器の状態も見てもらい、血液検査の結果を待ちました。1時間ほどして先生から告げられたのは、「亀頭包皮炎」という病名でした。亀頭包皮炎とは、性器を包む皮膚と亀頭の間にバイ菌が入り、炎症を起こしてしまう病気のこと。 先生いわく、子どもの性器は包茎状態なので、特にこの病気になりやすいということでした。予防するには毎日お風呂で性器の皮を少し剥いて、きれいに洗うのが1番と先生からアドバイスをもらい、病院から帰宅。その日の夜はまだおしっこをするのを痛がりましたが、処方してもらった薬を飲ませて様子を見ることにしました。 受診後の様子病院に行った翌日、薬が効いたのか性器の腫れはおさまり、息子はおしっこを痛がらないようになっていたので、私はホッとしつつも、自分の対処の遅さに反省をしていました。 また亀頭包皮炎にならないよう、息子にも病状や原因を説明し、「お風呂ではしっかり皮を剥いて洗おうね、汚い手で触らないようにしようね」と話しました。息子はなんとなくですが、性器にバイ菌がついてしまったことは理解した様子。お風呂に入ると「ちんちんキレイキレイ」と言って、性器に泡をつけるようになりました。 私は女性なので、自分の体にないパーツについては本当に無知。でもわからないからこそ、少しの変化も見逃さずに早めに受診することが大切だと痛感しました。最初は息子の性器の皮を剥くことに少し抵抗がありましたが、今ではすっかり当たり前に。もう少し息子が大きくなったら、自分で皮を剥いて洗えるよう伝えていけたらと考えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2021年09月19日息子が1歳になったばかりのある夜、寝付いたと思って布団に寝かせると数分で起きて泣くというのを朝まで繰り返したことがありました。普段なら3~4時間おきの授乳以外は寝ていたので、私は「なんだかおかしいなぁ」と思いながらも、一睡もできない状況にイライラしてしまいました。しかし翌日、泣いていた原因が判明し、イライラしてしまったことを反省することに……。 一睡もできない夜息子は普段、午後8時くらいに眠り、翌朝6時ごろに起きるというリズムでした。その日はいつも通り寝た数分後に、起きて泣いてしまいました。その後も抱っこや授乳で寝かしつけ、布団に下ろすとまた泣くというのを繰り返し。 布団に下ろさずに抱っこしていると起きなかったので、午前3時を過ぎたころから、抱っこひもで抱いたまま、私はソファに座って目をつぶって過ごしました。一睡もできないし、片付いていない家事にもイライラ。これから1日が始まると思うと、げんなりしてしまうほどでした。 発熱に気づき病院へ朝食を作ろうとしたとき、息子の体が熱いような気がして、体温を測ると38.5度ありました。朝イチで行った小児科では「中耳炎の可能性が高い」と言われ、その足で耳鼻科へ。耳の中を見てもらうと、「急性中耳炎」との診断でした。 耳鼻科の先生によると、中耳炎にかかると幼い子どもは痛みで眠れないことが多く、耳を触るしぐさが増えるとのこと。そして、「鼻水が鼻の奥に溜まることが中耳炎の原因になるので、鼻水をこまめに吸うことが大切」と言われました。 イライラしたことを反省息子は朝まで痛みを耐えていたのだと知り、イライラしてしまったことを反省した私。耳鼻科からの帰り道、罪悪感でいっぱいでした。耳鼻科では抗生物質や痛み止めなどを処方されました。薬を飲んだあとは、お昼寝も夜もしっかりと眠れたのでひと安心。 私はこれを機に、電動の鼻吸い器を購入し、こまめに鼻水を吸うようにしました。息子は現在6歳ですが、中耳炎になりやすいようで、これまでに10回ほど発症。耳鼻科の先生に痛み止めを常備できるよう処方してもらい、痛くて眠れない様子だったら、痛み止めを飲ませるようにしています。 あの夜以来、「いつもと様子が違うときは、どこかが痛いのかも」と考えるようになり、泣き続けられると心配でたまらなくなることが多々ありました。ただ、2歳を過ぎるとおしゃべりがじょうずになり、「耳が痛い」と教えてくれるように。転んだときなども「ここが痛い」と説明できるようになり、育児が少しラクになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年09月15日私には4人の子どもがいますが、第4子の歯については少し珍しいことが次から次へと出てきます。生まれたときに歯ぐきに歯の一部があると言われたり、それが消えたと思ったら1歳過ぎても1本も歯が生えてこなかったり。ようやく生えてきた!と喜んでいたけれど、1歳半を過ぎても下の前歯は2本しか生えてきていませんでした。1歳半健診で歯医者さんに相談したら、ビックリな言葉が返ってきたのでご紹介します。 生え始めが遅くて心配していた第4子の歯は生え始めがかなり遅く、1歳を前にしてもまだ生えていませんでした。歯ぐきで噛める固さであれば問題ないとはいえ、何かをかみ切るのはとても苦手で、パンやうどんも小さく切って対応していました。 1歳過ぎてようやく下の歯が2本生え、上の歯が2本、そしてその隣に2本、と生えてきて、さらにちょっと飛ばして奥歯が2本。そのとき、「あれ? 奥歯が生えてきたのに下の歯は?」と思いました。 乳幼児健診で歯医者さんの意外なひと言!そんなころ、1歳半健診で歯科検診もあったので、歯医者さんに相談してみると、「あ~これは生えてこないですね。これから生えてくるところは歯茎が膨らんで盛り上がってくるけど、ここには膨らみがないでしょ?」との返答。 驚く私に、「いや、結構いるんですよ。私も歯が2本足りないんです」。と続けて言われました。実は第1子も乳歯が抜けたあと次の歯が生えてこないと言われたのですが、まさか乳歯の時点で足りないとは……。珍しいことではないとはいえ、正直少しショックでした。 今ある歯を大事に!驚きを隠せない私をよそに、淡々と歯のチェックをしていく歯医者さん。そして「上の4本の前歯のくっついているところは、丁寧にブラッシングしないとちょっと不安ですね~。虫歯要注意!」と言われてしまいました。 普段から食べ物や飲み物には気を付けていましたが、ここでハッとする私。ないものはないんだから、今ある歯を大事にしなくちゃ!と思い直しました。 歯医者さん自身も歯が少ないし、珍しいことではないと言われて少しほっとした面もありますが、正直なところ、ほんの少しショックでもありました。妊娠中にカルシウムが少なかったのかな?などと今更考えても仕方のないことまで考えてしまいましたが、まずはきちんと歯磨きして、今ある歯を大事にしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:小林まり元小学校教員で3男1女の母。第4子を出産後に一念発起して食育アドバイザーや保育士の資格を取り、現在は療育の現場で奮闘中。自身の体験を元に執筆している。
2021年09月15日現在4歳になる娘は、おしゃべりで世話好きの女の子です。娘の笑顔を見ていると、生後7カ月のころ、私の不注意でおむつ台から転落させた記憶が蘇ります。幸い何事もありませんでしたが、少しの油断で命にかかわる場合があると実感した出来事でした。 おむつ替えが大変な娘娘が生後7カ月のころ、近所のショッピングセンターへ行きました。そのころの娘は背中をずりずり擦りながら移動することが多く、じっとしている時間がないので、毎日のおむつ替えがとても大変。さらに、おむつ台という不特定多数の人が使用する場所がなんとなく不衛生に感じて、娘を寝かせたくないと思っていたので、短時間で帰れるところばかりに出かけ、外出先でおむつを替えることはあまりありませんでした。 しかしその日はそのショッピングセンターでの用事が長引いたため、おむつを替えてから帰ろうと思い、娘をおむつ台に寝かせ、ベルトは触りたくなかったのでしませんでした。落ちないかは心配でしたが、私が目を離さなければ大丈夫、と思っていたのです。 ほんの一瞬。その瞬間に転落!替えたおむつを捨てようとした際、ゴミ箱のフタの上に使用済みのおむつが乗っているのを見つけました。きちんと捨てない人がいるなんて嫌だな、と思って一瞬娘から目を離してしまいました。 そのとき、ドスンという大きな音が聞こえ、振り返ると娘が床に! 大泣きしている娘を抱き上げ声をかけましたが、内心はパニック状態! 「頭を打った? すぐに泣いたから平気? 床もコンクリートじゃないし……」など、必死に大丈夫と言い聞かせて自分を落ち着かせました。 娘はしばらく泣いていましたが、家に帰るころにはすっかりいつもの様子になり、授乳を終えて昼寝をし始めました。その間に私はネット検索。すぐに泣いたこと・嘔吐がなかったこと・床にはマットが敷いてあり固くなかったことなどから、ひとまずは大丈夫だと思ったのですが、やはり不安でいっぱいに……。娘がお昼寝から起きてから、かかりつけの小児科を受診しました。 「油断一秒・怪我一生」重い医師の言葉診察がひと通り終了すると、現状特に気になる点はなしということ。しかし、今症状がなくても1カ月後に出る場合もある、その際は脳外科のある病院へ行ってください、と言われました。 そして「『油断一秒・怪我一生』という言葉があるよ、目を離してはいけません」と言われ、診察は終了しました。帰り道、なんでこんなことになったのだろう、全部私のせいだ、という気持ちでいっぱいになり、涙が止まりませんでした。 とても長く感じた1カ月間その夜、娘の寝顔を見ながらひどい後悔に襲われました。「あのときベルトをしていれば……、もし娘が急変したら……、自分を責め続けても仕方ない……」。私の心の中にさまざまな気持ちが入り混じってよく眠ることができず、夜中に何度も娘の様子を確かめたことを覚えています。 娘のささいなしぐさも気になるようになり、事故を思い出しては涙する日々。医師から言われた1カ月が過ぎたころ、ようやく少し安心したのを覚えています。 娘は現在4歳になりますが、何事もなくスクスクと成長しています。あのとき、大事に至らなくて本当によかった、と思うとともに、少しの油断が大きな事故を招くことがあると感じるばかりです。そして「まあ大丈夫だろう」という思い込みがどれほど危険なのかということを実感する出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:佐野 彩4歳女児の母。結婚を機に退職し出産。地元から離れ、知り合いが誰もいない土地で子育て中。地域の情報を入手すべく、ママ友作りに奔走した経験あり。
2021年09月13日長男3,400g、次男3,600gに続き、やはり妊婦健診中から大きめだと言われてきたわが家の三男。無痛分娩でしたが、その大きさからなかなか大変な出産となりました。誕生時には先生や助産師さんからも歓声が上がった、私のビッグベビー出産体験をご紹介します。 妊婦健診のたびに指摘される体重増加長男も次男も大きく生まれたので、今回も大きいかもと予想はしていた三男。やはり安定期のころから、超音波検査のたびに推定体重も頭も大きそうだと言われました。さらに子宮頚管の短さから切迫流産として安静を強いられ、私の体重はぐんぐん右肩上がりに。 妊娠32週の超音波検査では、首をかしげながら何度も何度も胎児の身長や頭囲・胴囲・足の長さを測り直され「これは2週間先を行く成長だな……。4kg超えてしまいそうだよ」と言われ始めました。 妊娠37週で計画無痛分娩をすることに今回の出産は保育園児の兄2人がいるので、体力の回復も早く計画分娩ができる無痛分娩を予定していました。そして、妊娠36週の妊婦健診で「これはやはり大きそうだから、早く生んだほうがいいよ」と、妊娠37週に入ってすぐの出産を先生からすすめられました。 病院のベッドの空き状況を調べてもらい、予約をしたのはなんと5日後。まだ1カ月くらい先だと思っていた出産が5日後に決まり、大慌てでいろいろ準備を進めることになりました。 なかなか生まれてこないと思ったら…陣痛が始まってもなかなか進まないお産。長男・次男は7時間と4時間の出産だったし「陣痛促進剤も使うからすぐ生まれるでしょう」と言われていたのに、あれれ? おかしいな?と思ううちに日付も変わり翌日に。 内診で「きっとこの膜が邪魔しているからだ」と先生が破膜すると、一気に赤ちゃんが下がってきてずるんと生まれました! 「わぁ! 大きい」と歓声があがり量ってみると、体重は4,096g。そりゃなかなか出てこられなかったよね~とみんなで納得のビッグな赤ちゃんの誕生でした。 3度の出産を経験しましたが、どの出産もそれぞれの違いや大変さがありました。今回は約1カ月も早めの出産なのに4,000g超だったので、もし出産予定日ごろの出産だったら帝王切開になっていたかもしれません。無痛分娩に期待していたようなラクな出産ではありませんでしたが、赤ちゃんも頑張ってくれて無事に出産でき、本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:黒河レイ6歳4歳0歳の3兄弟の母。夫婦ともにフルタイムの会社員の仕事の他、育児や生活情報、映画に関する記事などの執筆活動も。現在は産後の体型を戻すことがもっぱらの課題。
2021年09月08日現在4歳の息子は、卵白と小麦のアレルギーを持っています。卵はしっかり加熱すれば全卵食べられるものの、小麦はうどん3cmでも症状が出るほど。アレルギーを治すべく、自宅でも小麦を摂取させる日々ですが、症状が出るたびに息子に申し訳ない気持ちがつのっていきました。 生後7カ月でアレルギー判明 息子のアレルギーが判明したのは、生後7カ月のときのこと。初めて食パンを食べさせた日でした。初めてなので小さじ1ほどの食パンを食べさせましたが、食後2時間経ってから急に息子が咳をし始めました。何かにむせたのか、風邪をひいたのかな?と私は思ったのですが、ふと脚を見るとふくらはぎにじんましんが! これは食パンのせいだと疑った私は、すぐにかかりつけの小児科を受診しました。先生に食パンのことも話すと、すぐ血液検査をすることに。その結果、やはり息子には小麦のアレルギーがあるということが判明しました。しかも、一緒に血液検査した卵白までひっかかってしまったのです。 1歳で負荷試験のため入院息子のアレルギーが判明してから、ひとまず小麦と卵白は除去することに。その後1歳になったときに再度血液検査をし、負荷試験を受けるために1日入院することになりました。医師の立会いのもとアレルギーがある食材を食べさせ、どれぐらいの量でどのような症状が出るかを確認するのです。 息子は特に小麦の数値が高かったので、この負荷試験ではうどんを食べさせることになりました。その結果、うどん10gほどでじんましんや咳、くしゃみや体のかゆみが出ることがわかりました。その結果をもとに、先生から自宅でも5gの小麦を摂取するようにとの指示が。ですが、そこから息子に申し訳ないと思う日々が始まりました。 少量ずつ摂取を続けた結果…負荷試験後、自宅では5gの小麦を摂取する日々が始まりました。5gでは症状が出ても軽い咳程度なので、処方された抗アレルギー剤を飲ませば、30分後には症状もおさまります。私の通っている病院の方針では、アレルギーを治すには原因となる食材を除去するのではなく、少量ずつでも摂取することが重要だと先生から聞いていたので、咳などの症状が出つつも、2日に1回は小麦を摂取させるようしていました。 そんな毎日が続き息子が2歳になったころ、再度病院で血液検査をしました。ところがアレルギーの数値は下がるどころか前回よりも高い数値に。親子で頑張ってきたつもりだったのに残念な結果となり、かなり落ち込んだのを今でも覚えています。 まさかの呼吸困難!血液検査の結果が思わしくなかったこともあり、自宅で摂取する量を10gに増やすことに。今までも咳などの症状が出ると息子に申し訳なく思っていたので、これ以上量を増やしたくないというのが正直なところ。でも治療のためと、なんとか気持ちを奮い立たせて息子にうどんなどを食べさせていました。 ですがある日、10gのうどんを食べたあと、息子がいつもより激しい咳をし始めました。その咳はどんどんひどくなり、気管が閉塞して起こる喘鳴も聞こえてくるように。息をするのもつらそうだったので、処方されているステロイド剤を飲ませると、少しずつ症状はおさまり、1時間後には咳や喘鳴も消失。 私はひと安心しましたが、こんなにつらい思いをさせていることに「ごめんね」という気持ちでいっぱいでした。アレルギー治療のためとは言え、呼吸がつらくなるほどの思いを息子にさせてしまったことに、私はとても申し訳ない気持ちになりました。 ただでさえ普段からパンや麺類を食べられず、保育園の給食もお友だちとは違うメニュー。がまんしているのがわかるからこそ、さらにしんどい思いをさせたくない……。かといって除去するわけにはいかないので、主治医の先生と相談し、現在は比較的症状が軽い5gを摂取させる日々。いつかアレルギーが治る日を夢見て、親子で頑張りたいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※アレルギーの治療法については、人によって異なります。また、指導の方法も病院によっても大きく異なるので、かかりつけの医師の指導のもと行いましょう。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター総合診療科部長 松井 潔 先生愛媛大学医学部卒業。神奈川県立こども医療センタージュニアレジデント、国立精神・神経センター小児神経科レジデント、神奈川県立こども医療センター周産期医療部・新生児科等を経て現在、同総合診療科部長。小児科専門医、小児神経専門医、新生児専門医。
2021年09月01日娘さんが生後9カ月のときにシャフリングベビーと診断されたママの体験談を紹介しています。一般的な成長と異なる点に戸惑ったこと、周囲の反応に対する心境、現実と向き合うきっかけになった小児科医のアドバイスについて伝えています。 赤ちゃんは誰でもハイハイすると思っていた私。おすわりは早かったものの、うつ伏せは苦手でなかなか動こうとしない娘は、座ったまま不思議な方法で移動するようになりました。すべてが初めてで手探り状態の育児のなか、「自分の子どもが周りとは違う」ということに悩み、気持ちが沈む日々でした。今回は、娘が生後9カ月でシャフリングベビーと診断されるまでの経緯や周囲の反応、そして当時の私の心境と葛藤をお伝えします。 わが子はシャフリングベビーかも?生後5カ月でおすわりができるようになった娘は、一方で生後7カ月を過ぎてもなかなか寝返りをしませんでした。ハイハイもする気配がなく心配していたら、いつの間にか座ったまま移動をするように。 持っていた育児書には、体の発達の順序が入れ替わったり、ハイハイをしなかったりする場合もあるとあり、赤ちゃんの成長は個人差が大きいと頭では理解していたつもりでした。しかし、実際にわが子が一般的な成長過程とは異なる現実を突きつけられると、冷静ではいられなくなるものです。 検索魔になって不安な日々当時は海外で出産・子育てをしていたので、日本語の育児書が入手困難な上に、子育て支援センターで気軽に相談にのってもらうような機会もありませんでした。それゆえ、情報収集は主にインターネットからでした。 知識は得られても、調べた情報が正しいものなのか判断が難しく、不安は拭えなかったことを覚えています。夫が赤ちゃんのころに同じ移動方法をしていたことを義母から聞いたあとは、遺伝かもしれないから仕方がないと自分に言い聞かせて過ごしていました。 好奇の目で見られることが耐え難い娘の独特な移動方法は好奇の目で見られ、次第に外で遊ばせるのがおっくうになりました。周囲の人がおもしろがる反応に対して、「恥ずかしい、隠したい」という気持ちになり、そのたびに自己嫌悪に陥りました。幸運にも否定的な言葉を言われたことはありません。 しかし、「動きがおもしろい」「珍しくてかわいい」というポジティブな意見をもらっても前向きになることは難しかったです。当事者でなければ、この苦悩はわからないと思い込み、表現しがたい負の感情に捉われていたのです。 小児科医に相談した結果を受けて…不安な気持ちが和らぐきっかけをくれたのは、娘の主治医です。9カ月健診のときに相談し、骨や筋肉、股関節を調べてもらいました。結果、シャフリングベビーという診断でしたが異常はなく、1歳健診まで様子を見ることになりました。 不安を感じたら「座って移動するのは彼女の個性で、医者の観点からはノーマルだから安心しなさい」という医師の言葉を思い出すように心がけました。私の考えを見透かしたように、立ち上がるのも遅い可能性が高いこと、フィジカルセラピーでの訓練も可能なことを説明してもらえたことも大きいです。結局、娘はハイハイしないまま1歳2カ月でつかまり立ちを始め、1歳4カ月でひとり歩きするようになりました。現在は4歳になり、健康に過ごしています。 当時は視野が狭くなり気が付かなかったけれど、皆それぞれ違う点で子育ての悩みを抱え、向き合っているのだと今ならわかります。専門家の意見を聞き、冷静に物事を見ることの大切さを実感しました。親身に寄り添い、そのことに気付かせてくれた小児科医には感謝の気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:新居はるみ1男1女の母。パートナーの転勤でアメリカ滞在中に2人の子どもを出産。自身の経験をもとに旅行、海外生活、子育て系の記事を中心に執筆。
2021年09月01日健康妊婦だったにもかかわらず、出産時突然「子癇発作(しかんほっさ)」を起こして意識不明になった私。母子共に奇跡的に無事だったものの、最終的には子どもと離れ、ひとりMFICU(母体胎児集中治療室)に運び込まれることになってしまった私の慌ただしい出産体験を、反省と共にお話しします。 ※子癇発作(しかんほっさ):子癇とは主に妊娠20週以降に初めて起きるけいれん発作のことで、てんかんや二次けいれんではないものを言います。初産婦さんや若い妊婦、妊娠高血圧症候群の人に多いと言われています。 順調なお産と思っていたのに!?出産予定日を1週間超過し、この日に出産兆候がなければ陣痛促進剤を打つと言われていた「最後の健診日」の直前、尿漏れか迷うくらいのわずかな破水から出産がスタートした私。即入院となり、陣痛は徐々に強まるものの、なかなか子宮口が開かずいきめない状態が続きました。 深夜を過ぎても赤ちゃんは頭すら出てこず、結局陣痛促進剤を使用することになったのですが、分娩台に移動し点滴を打たれた瞬間、次に目覚めたのはなんとストレッチャーの上でした。 まるで医療ドラマ!まさかのMFICUへ「名前言えますか?」「今何月何日ですか?」と聞かれ、半分寝ながら答えていると、なぜか号泣している夫を発見。どうもただ事ではない何かが起きたようだと、そのとき気づきました。 そして助産師さんから「生まれたよ」と赤ちゃんを見せてもらって、初めて出産中だったことを思い出したのでした。その後、産院からはるか50km離れた大学病院でMRIを受け、MFICUに入りましたが、自分がMFICUにいると気づいたのは入院して3日経ってからでした。 お祝い膳もなし…予期せぬ入院生活立ち会い出産をしていた夫から、分娩台でけいれんを起こし泡を吹いて倒れたこと、緊急帝王切開で子どもは無事だったことなどを聞かされた私。実は、健診では正常値だった血圧が出産当日だけ正常値をやや超えていたのですが、それとは別に陣痛促進剤を投与される直前、頭痛とチカッとした光を感じていました。 すべて子癇発作の前触れだった可能性があると、あとから知ってびっくり。予定していたお祝い膳やマッサージはもちろんなくなり、わが子に会えずに搾乳した母乳を運んでもらう入院生活となりました。 最後まで何が起こるかわからないのがお産。甘く見ずにもう少し自分で情報を得ておくことが大切だったと反省しました。特に妊娠高血圧症候群でもなかったので病院での指導などはなかったものの、事前知識があれば倒れる前に相談し、何か対処できたかもしれません。自分の体のことは自分にしかわからないので、陣痛中は我慢をせずに、ささいなことでも看護師さんや助産師さんに相談してみればよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:大瀬木あさみ炭水化物と漫画があれば生きていける1男1女の母。1人目妊娠でうっかり退職してしまい、産後は職を転々としていたが、現在はライターとして漫画・アニメや子育て、グルメなど興味がある分野を中心に執筆中。
2021年08月26日現在2歳の次男が生後1カ月のある深夜のこと、38度を超える熱が出ました。自治体の小児救急相談ダイヤルに電話をすると「すぐに大きな病院の救急外来へ行ってください」との指示。病院の検査でRSウイルスの感染がわかり、そのまま入院することになりました。まだ生まれて1カ月の次男につらい経験をさせてしまった体験談です。 RSウイルスって鼻風邪じゃないの?次男のウイルス検査を担当した医師は「発症してから4~5日目がピークなのでそれまで入院して、様子をみましょう」と説明をしてくれました。当時、RSウイルスは軽い鼻風邪という認識だった私。 医師からは「1歳を過ぎれば鼻風邪で済むことが多いが、乳児が感染すると重症化のリスクが高い。最悪の場合、死んでしまうこともあるんだよ」と指摘され、一気に不安になりました。 穏やかに眠っているように見えたのに…次男は入院したものの、熱は下がり鼻水が続いているだけの状況。おっぱいをよく飲み、ちゃんと眠れていました。定期的に検温や鼻水の吸引はしていましたが、3日間無事に過ごせたので「このまま何事もなく退院できるかな?」と楽観視してしまうほど。 ピークと言われた4日目も苦しそうな様子はなく、穏やかに眠っているように見えました。しかし看護師さんの検温で37度後半の発熱が判明。その後の血液検査で血液中の酸素が少なく、十分に呼吸ができていないことがわかりました。 夜間付き添い不可の相部屋へ4日目までは24時間付き添える個室だったのですが、血液検査後にはナースステーションの前の相部屋に移動し、看護師さんが常に状況を確認できるベッドへ。次男は酸素を体内に送るチューブを鼻に入れ、腕には点滴をしている状態で、痛々しい姿になってしまいました。 さらに「このまま悪化したら人工呼吸設備のある病院へ転院が必要」と医師に言われ、私は不安でいっぱいになりました。相部屋は夜間付き添い不可。看護師さんに「容体が悪化したら電話する」と言われ帰宅しましたが、心配で眠れず、携帯が鳴らないよう祈っていました。 無事退院できることに5日目も次男は相変わらずの容体。私はただただベッドの横で、次男の頭や体をなでたり、声を掛けたりすることしかできませんでした。 しかし6日目になると、さまざまな検査の数値が改善し、医師から「ピークは超えました」とのうれしいひと言。徐々に酸素チューブを付ける時間を減らしながら様子を見て、8日目にやっと退院することができました。 次男の呼吸がしっかりできていないと判明したとき、見た目では苦しさがまったくわからなかった点がとても怖いと思いました。そして私は次男のつらさに気づけなかったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。現在次男はイヤイヤ期真っ只中ですが、そんな日常が幸せなのだと実感する日々です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年08月16日4人の子宝に恵まれたわが家。子どもは大好きだけれど、夫と真剣に考えて、今後は避妊することにしました。いろいろ調べた結果、IUSというやわらかい樹脂製のホルモン放出剤を子宮内に装着するという処置を選んだので紹介します。 夫と家族計画について話し合った4人の子宝に恵まれたわが家ですが、今回の出産で子どもは打ち止めにすることに決めました。望まない妊娠を防ぐためにも、今後は確実な避妊をしたいところ。出産した病院で退院時に家族計画について相談すると、産後の生理が再開するころにIUSという器具を子宮内に挿入する処置をおこなうのがよいだろうということでした。 IUSはやわらかい樹脂製のもので、一度入れれば5年ほど効果があり、取り出せばまた妊娠は可能だそう。ピルを飲み続けるよりも安く、避妊率は99%ということに安心感を覚えました。 いよいよ処置!その感想は…産後半年が過ぎ、まだ生理は再開していませんでしたが病院に行くことにしました。ただでさえ4人の子育てでバタバタな毎日。今ここで妊娠したら、本当に家庭崩壊してしまうと思ったのです。病院では医師による内診のあと、そのままIUSを挿入し、あっという間に終わりました。 IUSを入れるとき、ほとんど痛みはなかったのですが、入れ終わったあとは下腹部に生理時のようなずーんとした痛みがありました。動けないほどではないけれど、動きたくない……という感じ。看護師さんに症状を訴え、奥の部屋で30分ほど休ませてもらい、痛み止めの薬をもらって帰宅しました。 心配なことと楽しみなこと2、3日の間は痛みがあり、痛みがなくなってからも生理の終わりかけのような出血が1カ月ほど続きました。5年後に取り出す予定ですが、ちゃんと取り出せるのかな?と少し不安があります。 夫婦生活には問題なく、またしっかり避妊ができるので気持ち的にはラクですし、ピルのように飲み忘れの心配もありません。生理が軽くなり、1年後には2割の人は生理がほとんどなくなるとも言われているので、本当にそうなるのかなぁ?と今から楽しみです。 器具を子宮内に挿入するという避妊法は、少し勇気が必要でした。それでも、家族との今の生活を守りたいという気持ちと、命は大事だからこそ、望まない妊娠は避けたくて選んだこと。処置当日と数日間は家事をする気になれなかったのですが、夫や子どもが気遣ってくれました。今後も自分の体や家族を大事に過ごしていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/キヨ著者:小林まり6歳、4歳、2歳、0歳の母。元小学校教員。夫は土日出勤、出張も多いNPO職員。育児の大変さを実感しながらもコツをつかみ始めてきたところ。自身の経験を中心に執筆している。
2021年08月16日当時1歳だった息子の12カ月健診で、「片方の玉が降りてきてない」と驚きの診断が下りました。「玉が降りてきてないとは一体どういうこと?」と初めてのことに、私は軽くパニック。乳幼児健診後におこなった対応と現在の状況をご紹介します。 長男の玉がない!当時の状況は…通常、男の子は陰嚢(袋)の中に睾丸(精巣)が入っている状態が正しいそうです。しかし、息子の場合は睾丸が上のほうに移動していて、陰嚢の中にきちんと収まっていない状態でした。実際に触ってみると、片方の陰嚢には睾丸があるのに、もう片方には入っていなかったのです。 そのまま指を上のほうに動かすと、本来あるはずのないところに丸いものを発見。それが睾丸でした……。毎日一緒にいて、毎日お世話していたのに、今までまったく気が付かなかった事実にも私はとても驚きました。 これは移動性精巣かも?健診の際、医師に「リラックス状態だと睾丸が降りることがある」と言われ、まずは自分で様子を見ようとその日からお風呂で息子の下半身をチェックする日々が続きました。結果、息子の睾丸はきちんと陰嚢に収まっているときもあればないときもあり、右の日もあれば左の日もありました。 驚いたことに、毎日睾丸の位置が違っていたのです。ネットで調べた結果、私は「移動性精巣」ではないかと考えました。移動性精巣は、妊娠後期に精巣が陰嚢へ収まる際、固定に不良があると引き起こされるもので、太ももを触る、冷たい物を触るなどして反射的に睾丸が移動してしまうこともあるそうです。 小児外科での診断と現在の様子あくまでも移動性精巣は私の考えであり、専門の医師の診断が必要です。そこでかかりつけの小児科で紹介状をもらい、大きな病院の小児外科を受診することになりました。 診察内容はベッドに横になり触診するだけのとても簡単なものでしたが、診察の結果は「移動性精巣の可能性が高いが特に問題ない」ということで、私は胸をなでおろしました。現在、息子は7歳。さすがにもう恥ずかしがって触診させてくれませんが、本人いわく、きちんと睾丸は降りているそうです。 異性ゆえにママにはわかりづらいのが男の子の体の事情。だからこそ健診をしっかりと受けて早期に発見することが大事なのだと気づきました。それからは普段のお世話の際に少しだけでもいいから気にして体を触ってみるように心がけています。親子のスキンシップにもなり一石二鳥です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:小山田ちよえ2男1女の母、アラフォー主婦。夫の仕事が忙しく平日はワンオペ育児に奮闘中。チョコレートとパンが大好き。復職に向けて資格取得を目指している。
2021年08月12日高校生のころから痔に悩まされてきた私。肛門の痛みにより日常生活に支障を感じた私は、婚約を機に思い切って手術をすることを決意! 手術後、痔のストレスから解放された私でしたが、出産をきっかけにまた痔が悪化して……。妊娠、出産を経て、再び痔になってしまった体験談をご紹介します。 もしや痔!? 初めて気づいた肛門のイボ私が高校生のときの話です。トイレでおしりをふいた際に、肛門からイボが1つ出ているのに気がつきました! 当時の状態は、排泄時、肛門にやや痛みを感じる程度。私は思春期であったこともあり、家族にすら相談せずに過ごしました……。 薬局でぬり薬を買うことすら恥ずかしく、ビオフェルミン錠剤を服用して便通をよくしようと努めたのです。 社会人になって悪化した痔…たまに肛門の痛みを感じるものの、痔との生活に慣れていった私。大学生時代、イボ痔であるもののさほど痛みはなく、私は肛門の悩みをあまり気にすることなく過ごすことができました。しかし、就職をきっかけに肛門の変化を感じ始めることに……。 デスクワークや飲み会が増えたことで肛門に負担をかけ、かゆみや痛みを感じるようになりました。肛門からの出血も増え、私は仕事に集中できず、日常生活に支障をきたすほどになったのです。 婚約を機に痔の手術を決意!そんななか、私はプロポーズを受けてうれしい気持ちでいっぱいに! しかし、いつか子どもが欲しいと希望していた私は、肛門の痛みにより出産に支障をきたすのではないかと悩みました。思い切ってパートナーに相談し、痔の治療をすることにしたのです。 私が通院した肛門科では週末に日帰り手術が可能で、担当医と相談のうえ「痔核結紮切除術(じかくけっさつせつじょじゅつ)」を受けることを決意! 手術後、痔に悩まされることがなく、快適な生活を送ることができました。 妊娠、出産を経て…またアレが!結婚後、初めての妊娠に喜び、痔の存在がすっかり過去のものに。しかし、出産後初の排泄時に、異変に気がつきました……。肛門に2つのイボ痔ができていたのです! 今までにないほどパンパンに膨れた痔。軽く痔に触れるだけで痛く、排泄時はあまりの肛門の痛みに涙が出ました。 産婦人科の担当医に相談したところ、妊娠・出産により痔ができることがあるとのこと。塗り薬を処方され、産後1カ月ほどはヒリヒリした肛門の痛みに耐えました。産後から3年が経過した現在、肛門の痛みはなく、しぼんだイボ痔がある状態です。 出産後、激しい肛門の痛みに苦しんだ私ですが、現在は普通の日常生活を送っています。産後、激しい肛門の痛みにどうなることかと思いましたが、塗り薬で痛みを緩和できました。痔が悪化しないように、バランスのとれた食生活や適度な運動、おしりを温めて血流をよくするなど……今は肛門に配慮して生活しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年08月09日5人出産した母から、出産までに時間がかかったり、難産だったという話を聞いたことがありませんでした。また、私より先に出産を経験した妹も、陣痛から十数時間かかったものの、安産だったと聞いていたので、私も当然2人と似たような出産体験になるんだろうなと安心しきっていました。そんな私が体験した出産までの道のりについてご紹介します。 「今日中に生まれますよ!」を信じて妊娠38週4日の朝6時、便意にも似た痛みを数分おきに感じたので早速病院に連絡。7時に病院へ到着し診察を受けると、子宮口がすでに開き始めているので「今日中に生まれそうだよ!」と助産師さんからうれしい言葉が。 でも、よく考えるとその時点で「今日中? そんなに時間がかかるんだ」と疑問に思ったものの、その言葉を信じて、あとちょっとで生まれるんだと期待に胸を膨らませていました。陣痛も7分おきにきていましたが、痛みはさほど強くなく、まだまだ笑って過ごせる程度でした。 激しい陣痛、でも子宮口が開かない!その後、子宮口がなかなか開かず、結局今日中に生まれるという予想とは裏腹に日をまたぐことに。そのころには、陣痛の間隔は4分おきになり、腰を押してもらわないと痛みに耐えられないほどまでになっていました。 早く分娩台に移動して陣痛から逃れたい!と願っていたものの、まだまだ子宮口が開いていないから分娩台へは行けないと言われるだけ。深い眠りに落ちても激しい痛みで目が覚め、また収まると眠るを繰り返し、とうとう朝を迎えました。 陣痛開始から32時間後、分娩台へ!午後2時、数分おきにくる激しい痛みを伴った陣痛に耐えながら、子宮口が10cmと十分に開いたので、助産師さんから分娩台に行けるという言葉をようやくいただきました。 陣痛が身もだえるような痛みになってから実に15時間後、寝ずに腰を押してくれていた夫も疲労困憊のなか、ようやく分娩台に上がることに。しかし、やっと終わると思ったのも束の間、今度は陣痛の間隔が12分おきになり始めたのです。 最後の最後に陣痛促進剤の投与私の疲労がピークに達していたため、陣痛の間隔が狭くなるのを待てないという判断から、陣痛促進剤を打つことに。陣痛促進剤を打って効き始めるまで1時間ほどかかり、その後、陣痛の間隔が狭まってから約30分後、無事に第1子を出産することができました。 分娩中はつらい陣痛とおさらばできるという喜びのほうが勝っており、つらいというよりは、やっと終わるというワクワクのほうが強かったです。 出産前、いろいろな方から出産体験を聞きましたが、自分のお産は体験するまでわからないと痛感しました。また、私の場合は出産そのものよりも陣痛のほうがはるかにつらかったことがとても意外でした。私は現在、第2子・第3子となる双子を妊娠中です。どんなに長くかかろうと終わりのない出産はないので、愛しいわが子に会うため、出産に向けて今から心構えをしておこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:山口まなみ2歳の女児の母で、5月には双子を出産予定。韓国人の夫と家族3人で韓国に在住。海外での子育てやバイリンガル教育に奮闘する自身の体験談を執筆中。
2021年08月05日待ちに待ったわが子が誕生し、喜びも束の間、子どもの顔に“あざ”があると気づいたのは、生まれた翌日のことでした。子どもの顔にあざがあるなんて妊娠時には想像もしておらず、当時の私はとてもショックを受けました。ここでは、その後にあざを除去するために受けた、レーザー治療の体験をお伝えしていきます。 あざだと気づいたのは…出産して数時間後から母子同室だったため、娘の顔を「かわいいなぁ」と見ていたのですが、そのときまぶたの上の一部分が赤くなっていることに気づきました。生まれたばかりの赤ちゃんの肌は薄く、赤っぽく見えるのでそのせいだと思っていました。しかし翌日、医師から「まぶたが赤っぽくなっているのは生まれつきのあざ。1カ月健診のときにまた相談してみてください」と告げられたのです。 1カ月健診後、皮膚科を受診娘のまぶたのあざは1カ月健診を迎えるころになっても薄くなったり消えたりせず、むしろ少し赤みが増していました。1カ月健診では、医師から「お母さんが気になるようだったら早めにレーザー治療をしている皮膚科に相談してみてください」と言われ、母子健康手帳に「瞼(まぶた)に血管腫あり」と記入されました。 その後、子どものあざのレーザー治療を扱っているクリニックを受診したところ、「このあざは時間が経っても消えないあざなので、レーザー治療をおすすめします」との診断でした。そのため、娘は生後3カ月でレーザー治療を始めることになりました。 レーザー治療を受ける受診する医療機関によりますが、娘が受診したクリニックでは0歳からレーザー治療が可能でした。「生まれて数カ月の赤ちゃんの顔にレーザーを当てるなんて大丈夫なのだろうか」と心配しましたが、先生も看護師さんも幼い子どもの治療に慣れており、丁寧に説明してもらえたので安心して任せることができました。レーザー治療自体はゴムではじかれたくらいの痛みがあると説明され、塗り薬の麻酔薬を使用してもらいました。娘はレーザーを当てられたときは泣いていましたが、治療終了後はケロリとしており、帰宅後も機嫌が悪くなるということはなくてよかったです。 レーザー治療、その後 その後、経過を見ながら計三度のレーザー治療をおこないました。一度の治療で劇的に変化することはありませんでしたが、徐々に赤みが引いていきました。三度目のレーザーが終わった時点でかなり薄くなっていたので、「この先は少し時間を置いてから、また考えましょう」ということになり、現在2年が経過。あざはほとんどわからないほど、薄くなっています。 あざに気づいたときはとても不安な気持ちになりました。しかし過剰に心配せず早めに医師に相談し、適切な処置を施してもらえてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:幸村あゆ5歳と2歳の兄妹の母。販売職、事務職を経て現在は子育てをはじめとする様々なジャンルの記事を執筆。子ども服やママファッション、インテリア、整理収納を研究するのが趣味。
2021年07月29日わが家の娘は、1歳ごろに「水いぼ」を発症しました。皮膚科を受診して初めて水いぼであることを知りました。背中に広がった水いぼの処置は大変でした……。わが子の水いぼ体験談をお伝えします。 わが子の水いぼの症状最初に発見したのは、3mm程度の光沢のある湿疹でした。ただ、湿疹にしては大きいなと感じていました。よく見ると中央にくぼみがあります。 皮膚科で聞いた話では、くぼみの中にある白い芯のような部分に多くのウイルスが含まれているそうで、掻きむしってしまうとほかの部位に広がってしまうとのこと。医師の言う通りで、娘の場合も放置したことで広がってしまい、10個以上の水いぼができてしまいました。 治療はピンセットでの「摘除(てきじょ)」通院した皮膚科では、水いぼをピンセットで取る「摘除(てきじょ)」という治療をおこないました。 水いぼを摘み取る際には、当然ながら痛みがあります。泣きわめく娘を押さえつけての治療は、見ている側もつらい思いでした。放置した結果、10個以上も増やしてしまったことを悔やんで、自己嫌悪に陥りました。最近では麻酔のテープ剤を使用して、痛みを和らげる方法もあるそうです。 水いぼは取るべき?水いぼは取るべきなのか、皮膚科で聞いたところ、放置しても自然に治ることもあると聞きました。ただ、完治までには長期間かかり、その間にほかの人にうつしてしまうこともあるとのこと。実際に娘の水いぼも夫にうつってしまいました。 また、水いぼを掻き壊してほかの皮膚感染症にかかるリスクもあることを聞き、水いぼが少ないうちに取っておいたほうが安心かもしれないと私は感じました。 娘の水いぼはだんだん良くなっていきましたが、何度か再発することも。再発を防ぐために、タオルの共用をしない、適切なスキンケアをするなど、医師から教わった予防も心がけました。皮膚科に通院する日々が続きましたが、2歳を過ぎたころには再発することもなくなり、ホッとしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2021年07月25日息子を自然分娩で出産後、問題なく退院し育児に専念していました。しかし、子宮の中に菌が入って感染したかもしれず、鮮血の悪露が続き、高熱を出し再入院となってしまいました。産後の高熱についての体験談をご紹介します。 出産は安産だった2月に自然分娩で息子を出産し、産後は大量の悪露に驚きましたが、病院の先生に問題はないと言われ安心していました。退院前の診察も母子共に異常なしと言われ、予定通り1週間で退院。 入院中は初めての出産と育児で手探りの状況ではありましたが、私自身食欲もあり体調も良く、育児用ミルクを足さなくてもいいくらい母乳も出ていて、大きな困りごとはありませんでした。そして産後は私の家庭の事情で夫の実家に1カ月お世話になることになっていたのですが……。 出産から10日後に再入院退院してすぐ寒気を感じましたが、冬だったのであまり気にしていませんでした。しかし、4日後、ひどい肩こりのような異常な首の痛さで起きていられなくなってしまったのです。 おっぱいが張っているときは首で体温を測るように言われていたため首で熱を測ったところ、40度超え! さらに首の痛みはひどい頭痛に変わったのです。 病院に電話で相談後、診察に向かうことになりました。病院へ向かう間、息子と一緒にいられないことと、体調不良で夫のご両親に迷惑をかけたことで涙が止まりませんでした。そして、病院で血液検査をすると炎症と白血球の値が高く、悪露は鮮血、熱も高いため入院が決まりました。 鮮血の悪露と血液の炎症が止まらず入院後も熱と頭痛は2日ほど続き、産後1週間経っても止まらないなと気にしていた鮮血の悪露も続きました。入院時から抗生剤と栄養剤の点滴をしていましたが、2日ほどはひどい頭痛で鎮痛剤の坐薬を入れてもらわなければ眠れないほど。その間息子は夫の実家で見てもらっていたのですが、搾乳してもおっぱいの痛みが治まらず、どこもかしこも痛かったです。 生まれてからずっと一緒だった息子と離れているのも、つらくて仕方がありませんでした。5日後の血液検査で炎症の値は変わらずですが白血球の値が下がったので退院の許可が下り、息子のもとへ帰ることができました。お医者様から聞いた話だと発熱や鮮血の悪露が続いた詳しい原因はわからず、子宮の中に菌が入ってしまい感染した可能性があったようです。結局、鮮血の悪露が止まったのは出産から1カ月後でした。 結果的には無事に退院することができたのでよかったですが、高熱が出たときに息子と2人きりだったらと思うと今でも恐ろしいです。夫には入院中着替えや日用品を届けてもらい、夫の両親には息子を見ていただき本当に感謝しています。普段は風邪もひかない私が高熱で入院することになるなんて、本当に出産は何が起きるかわからないと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:長岡 まこ年子の男の子2人の母で、産休育休を経てフルタイム共働き中。家電量販店で働き家電の販売や携帯電話の契約を経験。生活を豊かにする家電製品が好きで、個人的には食洗器・ドラム式洗濯機・ヘルシオはマスト!
2021年07月21日娘が生後11カ月のころ、転んで口の中を切ってしまいました。みるみる血が出てきて、夫婦で大慌て。しかもタイミングが悪く、ちょうどお盆で病院がどこも閉まっている期間でした。そのとき、子ども医療電話相談(#8000)に電話し、翌日に病院へ連れていくまでの体験談です。 お風呂上がりに出血で大慌て!娘が生後11カ月のころ、つかまり立ちをするようになった時期のことでした。娘がお風呂上がりの保湿や着替えを終え、いつものようにテレビ台につかまり立ちをしていると……。ガンッ!と音をたてて転んでしまったのです! 慌ててそこにいた夫がかけ寄ると、大泣きしている娘の口の中から血がだらり。血が多すぎてどこから出血したのかわからないくらいで、私たち夫婦は血の気が引きました。 お盆というバッドタイミングいつもならまだ病院に駆け込める時間でしたが、このときはお盆でほとんどの病院がお休みの期間。とりあえず応急処置として、清潔なガーゼタオルで血を拭いて、出血したと思われる場所を夫が押さえました。 そして私はスマホを片手に、冷蔵庫に貼っておいたメモを手に取りました。何かあったときのためにと、地域の夜間救急などの連絡先一覧を作って貼ってあったのです。その一覧のなかから、子ども医療電話相談(#8000)に電話しました。 指示をもらって少し冷静になれた#8000に電話をすると、「出血部位を乾いたガーゼで15分押さえて」「再出血する可能性があるから夜の授乳を避けて」「明日歯医者さんに連れていって」と指示をもらいました。そして言われた通りに、泣いている娘を押さえながらガーゼで出血した場所を15分押さえました。 その間に、痛みが引いてきたのか娘もだんだん落ち着いてきて、私たち夫婦もひと安心。夜は添い乳で寝ていたのですが、この日は抱っこで寝かしつけをしました。 翌日、お盆でもやっていた歯医者さんへ夜のうちに夫がお盆でも営業している歯医者さんを見つけてくれて、翌日そこを受診することに。娘自身は翌日にはケロリといていて、おっぱいも問題なく飲んでいましたが、「もし歯が折れていたらどうしよう」とずっと心配でした。 受診後、歯医者さんから「大丈夫」とお墨付きをもらってやっと緊張がとけました。切れたのは上唇小帯という、切れても問題のない場所だったようです。 この出来事で、普段から何かあったときのことを想定して準備しておくことの大切さを実感しました。特にお盆や年末年始、旅行先といった、普段と違う状況の場合は事前に対応可能な病院などを調べるようにもなりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2021年07月21日私は保育園に務める現役保育士です。日々、子どもの成長と命を預かる仕事としてやりがいと責任を感じながら保育に臨んでいます。子どもを守る立場にある保育園の職員に、新型コロナウイルス感染疑いが出ました。そのとき、園内でおこなわれた話し合いや動きなどを詳しくお伝えします。 職員の感染疑いが判明園に勤める栄養士が、年に一度の定期健診でおこなったレントゲン写真に肺炎の特徴が表れており、数日前から弱い咳が続いている事実を知った医師が、急きょ感染症医療機関での新型コロナウイルス感染症の検査を促したという情報が夕方、園長から私に入ってきたのです。 その時間はちょうど主幹保育士が不在で、副主任である私に園長から相談がありました。園長は「栄養士は給食やおやつの調理もしているので、検査結果が陽性であれば感染爆発を起こしてしまうかもしれない」と非常に慌てていました。 園長と意見の食い違い園長は「混乱をできるだけ避けるために、職員への伝達も限定した人数にしたい」と言い、それについてどう思うか意見を求められました。私の意見は真逆でした。自覚がないために感染を広げてしまう行動をとることにリスクを感じていた私は、少しでも早く全職員に周知するべきではないか。そして保護者にもすぐに伝えていくべきではないかと答えました。 すると、職員への周知はできたとしても、まだ、疑いの段階で保護者への周知をする決断をするには議論が必要だという返答が園長からありました。 深夜の緊急職員会役員の話し合いでは議論が進まないということで、急きょ招集がかかり、職員会が開かれました。その場でもう一度私の意見を職員に伝えましたが、保護者への周知はリスクではないかという意見もありました。 私は、「現在妊娠中の家庭もあります。祖父母と同居している家庭もあります。持病を持っている子ども、保護者もいます。新型コロナウイルスの感染者数が増えてきている今は、疑いの段階でも伝えていくべきではないかと思います。陰性ならばよかったで済ますべきことだと思います」と職員に伝えました。 しかし、その職員会のときにはすでに夜の11時を回ったところで、夜間の家庭連絡は難しく、明日には検査結果も出るので、それから判断しようということで議論を終えました。 結果として検査結果は陰性だったので、ほっとした職員一同でした。そして今回、危機感の違いにも気付くことができました。自分がキャリアかもしれないという自覚を持つだけで行動は変わっていくように思います。今まで以上に検温や消毒など感染予防に敏感になっている現場ですが、何よりも個人の自覚が必要になると思いました。 ※新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、一部店舗では臨時休業や営業時間の変更などを実施している可能性があります。商品購入の際には自分だけではなく周りの方、スタッフの方への感染防止対策を十分におこない、安全性に配慮していただくなどご注意ください。外出を楽しめる日が1日も早く訪れますように! イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:藤田直樹10歳長女・6歳長男・2歳次男の3人を子育て中のパパ。現役男性保育士ならではの保育経験や子育て経験を執筆している。
2021年07月16日私には生まれたばかりの娘がいます。安産で産後の経過も順調だったので予定通り退院し、自宅で新生児育児に奮闘していました。ところが退院して数日後、病院から1本の電話が……。 電話で話を聞き一気に不安に…退院前日にスクリーニング検査をすることは聞いていたものの、当たり前のようにパスできると思っていました。ところが退院して数日後、病院から1本の電話が。退院前日に娘が受けたスクリーニング検査で、異常が見つかったようなのです。正式には「先天性代謝異常等検査」と言うようで、難しい検査名を聞き、一気に不安になりました。 どんな異常があったのか聞きましたが、「医師でないと説明できないので、早めに病院に来てください」とのこと。すぐに予約を取り、翌日パパと生後間もない娘を連れて病院に行くことになりました。 必要以上にスマホで検索しないことにスクリーニング検査に関して無知だった私は、とりあえずどういった検査でどのような病気の可能性があるのかネットで調べることにしました。検査の対象となる病気は20疾患あり、症状もさまざま。ネットに寄せられた代謝異常に関する体験談を目にし、さらに不安で押し潰されそうになりました。 このままでは夜も眠れなくなる……と感じ、思い切ってスマホの電源をOFFにしてこれ以上調べないことに。不安な気持ちは手伝いに来ていた母に聞いてもらい、目の前の赤ちゃんのお世話に集中するよう努めました。 甲状腺の数値が…翌日緊張しながら病院へ行きましたが、小児科の先生も看護師さんも和やかに接してくれました。甲状腺の項目が少しだけ基準値からはずれていたと説明を受け、すぐに血液検査をしました。 結果が出るまで心配でしたが、先生から「甲状腺の項目以外は問題ないですからね。検査結果が出るまで2〜3週間かかりますが、それまではいつもと変わらず過ごしてくださいね」と説明を受けたことで落ち着きを取り戻しました。 仮に病気がわかっても、適切な処置をしてもらって娘の成長をサポートしよう!と前向きな気持ちで検査結果を待つこと2週間。「異常なし」という結果を聞き、ほっと胸をなでおろしました。 改めて感じたのは、「健康は当たり前ではない」ということ。家族みんなが元気に過ごせていることに日々感謝し、今後もママとして頑張っていこうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:貫井ゆか一男一女の母。妊娠・出産・育児に関する記事の執筆を中心にライターとして活動中。
2021年07月12日私の娘は、口唇口蓋裂という先天異常を持って生まれてきました。今回は、今まで受けてきた治療と就学後の治療についてお伝えしたいと思います。 これまでの治療と現在の治療口唇口蓋裂の治療におけるメインの診療科は形成外科でした。生後5カ月ごろ、唇を閉じ、鼻の形を整える手術を受け、1歳過ぎに口蓋裂を閉じる手術を受けました。それから6歳の現在まで、半年から1年毎に定期的に受診しています。 歯茎の裂があり、上の歯並びが悪いため、4歳ごろから矯正歯科に毎月通っています。また、鼻にかかった話し方のため、耳鼻科での聴覚検査をしたあとに、毎週近所の学校で開催している言葉の教室に通っています。そして、中耳炎になりやすいため、耳鼻科も定期受診しています。 多くの場合、唇再形成の手術が必要娘の場合、口唇裂手術後、最初は唇が少し引きつっている様子でした。手術した部分はピンク色で、痕が少しわかる状態が2歳ごろまで続いていました。けれども、成長とともにきれいな形になってきており、よく見ると多少違いがわかりますが、周りの人からは「まったくわからない」とよく言われます。 多くの場合は、小学校入学前に唇の形を整える手術が必要になるそうです。ただ、娘の場合は幸い、「見た目に問題がないから手術は必要ない」と主治医の先生からお話がありました。 口蓋裂の状態に応じて、骨移植が必要口蓋裂手術は、両脇の皮を縫い合わせておこなわれるため、手術後に上あごに穴が開いてしまう場合があるそうです。そのような場合、その穴を塞ぐ手術が必要になります。 また、娘は歯茎にも裂があり、当初は「小学校中学年くらいに腰の骨を移植する手術が必要になるかもしれない」とのお話でした。ただ、成長とともに歯茎の裂がどんどん狭くなり、今は歯茎の隙間がなくなりました。そのため、手術は必要ないかもしれないと言われています。 娘の場合、口唇口蓋裂ではあるものの、ありがたいことに経過は順調です。今後も主治医の先生と相談しながら、できるだけ娘に負担がかからないよう治療していけたらと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2021年07月05日先天性横隔膜ヘルニア(※)の影響で肺が片方しかない息子。とはいえ特に大きく体調を崩すことなく、1歳の誕生日を迎えました。しかし暖かくなってきて安心した春先、風邪をこじらせて入院することに。今回は、元気に育っていると思っていた息子の持病を改めて実感した瞬間をご紹介します。 (※)本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。心臓や肺を圧迫するために心臓や肺の発育が悪くなります。これにより心臓の機能の低下や肺低形成・肺高血圧症をきたすため、出生後に手術を受けたあとも酸素療法や心不全に対する治療が長期に必要になることがあります。小児科に行ったのに…ひどくなる咳昨年の4月、息子が風邪をひきました。とはいえ、初めての風邪というわけではなく、その前にインフルエンザにかかって無事だったこともあり、私は正直気を抜いていました。そのときちょうど上の娘が胃腸風邪をひいていて、嘔吐を繰り返していたので気が回らなかったのもあります。 午前中に2人を小児科に連れていき、もらった薬を飲ませて安心していたのですが、そこから息子の状態はどんどん悪くなっていきました。 動きが遅れた原因息子は夕食を食べたものの、咳き込んで戻してしまいました。上の娘の胃腸風邪がうつったのかもしれない。でも今から病院に駆け込んでも、胃腸風邪なら経過観察になるだろうと思いました。水分だけでもとスポイトで少しずつ経口補水液を飲ませました。 息子の呼吸はどんどん荒くなっていましたが、上の娘たちはもう寝たあと、夫は飲み会で不在。ちゃんと水分はとれているし……と、私はつい不安にフタをしてしまいました。 夫が帰宅後すぐに大病院へ息子の状態は一向に改善せず、夫の帰宅後、すぐに私の運転で大病院へ行きました。病院につくとすぐに処置が始まりました。喘息用の吸入や酸素吸入をさせようとしますが、機嫌の悪い息子は全力で拒否。結局、眠らせて口から気管に管を入れ、人工呼吸器を装着することに。 処置が終わった息子はぴくりとも動かず、生後すぐに手術が終わったあととまったく同じ姿でした。「やっと元気になってきていたのに、私の判断が遅かったから」と後悔が止まりませんでした。 歩けなくなった息子幸い、人工呼吸器は1週間ほどで外れましたが、その間完全に動きを封じられていた息子は、歩くことどころか立つことすらままならなくなっていました。出始めていた言葉もほとんどなくなり、ほぼ半年の成長がたった1週間で失われてしまったのです。 結局原因は「ウイルス性の風邪」ということしかわからず、ただの風邪でここまでの状態になってしまう息子の持病を、改めて突き付けられた思いでした。 医療ケアや服薬の必要もなくなった息子に、私はすっかり油断していました。後悔だらけの入院でしたが、おかげでその後は思い立ったらすぐに大病院に行くようになりました。これからも息子の持病を頭において、早め早めの対応を心がけようと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2021年06月30日めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
こどもと見つけた小さな発見日誌
育児に遅れと混乱が生じてる !!