今年3月のあたまに厄介な病気になり、入院していました。その頃から世の中は新型コロナウイルス感染症のため、検査も入院までの経緯も普段とは違う状態でした。その経験から、「いま病院にかかる大変さ」や「急な入院時の家族の苦労」、「いま家族を守るためにどうすればいいのか」を綴っていきます。■ 前回 のあらすじPCR検査の結果が出るまでは治療が進められなかった状況に変化が。何とか検査を受けられることになったのです。しかし、結果が出た時には既に熱発から10日が結果。その間も体調はどんどん悪化していったのでした…。 「PCR検査「陰性」判定されないと病気の治療ができない…という緊急事態に!」 とうとう都会の総合病院に入院することになりました。今まで割と健康に過ごしてきたので、入院自体が初めてだった僕。それだけに色々と不安はあったのですが、それ以上に症状が変わらないことがとにかく不安でした。相変わらず下がらない熱、ちょっと動くのもダルい。どの時間帯も眠れないのでボーっと天井を見上げるばかり。ただ、。眠れないことを相談したら医師から許可がおりて睡眠薬を飲むようになりました。それから入院期間中はどうにか眠れるようになりまして、少し身体が楽になる時間が増えていきました。睡眠の大切さを実感できましたね。まぁご飯はほとんど食べることが出来ませんでしたが…。トイレは幸い部屋から近い位置にあったので、物に捕まりながらどうにか歩いてたどり着きました。当初は部屋にポータブルトイレを置いたり車イスを使用したりしてもよいいと言われていましたけどね。何とか自力で行えました。これも睡眠と点滴のおかげだったのかもしれませんね。だがしかし。検査結果は悪化!!毎朝6時頃に血液を採取されて検査をしていたのですが、白血球や肝臓の数値が入院時より悪化していたみたいでですね。 ある日看護師さんから検査の追加を伝えられてしまいました。退院が遠のいていく予感…そして、お話はまだ続きます。この時点で病名がおおよそ確定。”伝染性単核球症”というウイルス感染によって悪化する病気だということでした。病名がついてとりあえず一安心。これで治療の方向性が定まってくる気がしたんです。で、この病気についてネット上の病気のサイトを調べてみました。が…キス病という異名で呼ばれる病気でした。この病気、日本人では成人でなることはかなり少ないらしいのですが、”キス病”という呼び方は結構有名らしいんですよね。ヘルペスウイルスなど、唾液などで感染することが多いのでこのような呼ばれ方をしているらしい。いや、ちょっとイヤなんですけど。その呼び方( ̄▽ ̄;)で、追加の検査を受けつつ、これまでの行動なども聞かれるのですが…もうね、これに関しては…イラストで察してください。てか、ないです!!いたって真面目に聞かれますが(この病気ではこのようなことを聞かれるのも一般的だそうです)、その空間は何とも恥ずかしかったりしました。実際、コップの回し飲みでもうつる可能性はあるらしく、例えば子どもとのチューなどでも感染はするらしいです。ただ、日本人の成人のおよそ9割以上は子どもの頃にこの病気の耐性がついていて、大人で感染すること自体が稀らしいんですけどね。僕はこの件で様々なウイルスや肝炎・HIVなどの検査もしましたが、いずれも陰性だったそうで。珍しい経路(日本で単純に検査できないウイルスから何かしらの経路)で感染したのでしょうとのことでした。まぁ、何ともめずらしく厄介な病気になったものです。で、この病気は特別な治療法はなし。基本安静にしていれば数週間から数ヶ月で完治するとのことでしたが…ちょっと期間が長すぎてげんなり。この辺りで少しづつ心がくじけそうになる兆候が見え始めてきました。が、このまま負けるわけにはいきません。点滴をしているとはいえ、何も食べなかったらきっともっと悪くなってしまう。病院内にあるコンビニなら僕の好きなプリンなどがあるかもしれない。でもとてもそこまで歩くことはできないし…ラインアプリで嫁さんに確認すると、まだギリギリ面会可能(原則1人のみで30分制限とマスクの着用義務アリ)とのこと!嫁さんにはずいぶんと迷惑をかけてしまいましたね。家族のありがたみをひしひしと感じました。※因みに、PCR検査をしてからほぼ毎日のように保健所から嫁さんに僕の状態確認の電話がありました。確認は退院の数日後まで、症状の緩和がはっきりと分かるまで続きました。どうしても短い時間しか滞在できないので、こまめに足りないものを持ってきてもらったり。病院内での新型コロナウイルスの感染対策のため洗濯も出来なかったので、着替えの入れ替えをしてもらったり。(病院着は看護師さんに渡すことで出来るのですが、洗濯機が使えないため下着などが洗えなかったのです)でも、うちの嫁さんそもそも運転がすごく苦手なんです。都会なんて尚更…それなのに日々1時間以上もかけて来てくれていました。こんなに迷惑をかけて、でも子どもたちも変わらず家で元気にやってくれていて。僕は早く良くならないとなぁと思いながらも、身体の自由はまだ効かないままで。そんな葛藤との戦いで入院生活は続いて行きました。次回で今回のシリーズは最終回! 6月4日掲載予定です。※今回の体験は、2020年3月時点のものです。現在とは状況が異なる場合もあります。※今回の体験記に記載された症状や対処法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。また、筆者は新型コロナウイルスへの感染はありませんでしたが、症状や疑いがある方は、最新の新型コロナウイルス感染症の対応をご確認のうえ、指定機関にご相談下さい。
2020年05月21日新型コロナに感染するセレブが相次ぐ中、マリアンヌ・フェイスフルがロンドンの病院に入院したことが分かった。マネジメントによると、容態は安定しているそうである。フェイスフルは現在74歳。過去に違法薬物の依存症、また拒食症だったことがあると、本人が認めている。自殺未遂の経験もある。フェイスフルはイギリス生まれの歌手兼女優。出演した映画に、アラン・ドロン主演の『あの胸にもういちど』『ショッピング』『パリ、ジュテーム』『マリー・アントワネット』などがある。ミック・ジャガーと付き合っていたことでも知られている。文=猿渡由紀
2020年04月06日姉妹誕生物語:長女編の続きです。前回のお話はこちらからご覧いただけます。出産のあまりの苦しみに嫁さんが握る力は相当強く、切れて血がにじむ僕の腕。でも、そんなのはどうでもいいと思ってしまうほどに苦しそうな顔をしている嫁さん。唇の周りは痛々しく毛細血管が浮き出ています。それでも。この後元気な赤ちゃんと会えることを希望にひたすら頑張るその姿。出産において男とはあまりにも無力。そう痛感させられましたが…とにかくそばにいたい。そばで見守りたい。せめて隣で頑張っている嫁さんとこれから産まれてくる赤ちゃんを応援したい。何もできない僕ではありましたが、ただひたすらそう願い祈っていました。そんな状況だったのですがね。ここでふと産婦人科の先生に声をかけられましてね。赤ちゃんの頭が見えてきたからちょっと覗いてみませんか、と。…。……。………。はい( ゚д゚)!!つい見に行ってしまいました。…因みに、これは後で嫁さんから聞いたお話なんですけどね。何を言っているんだこいつらは(# ゚Д゚)と思っていたとのことでした。す…すまん嫁よ。嫁はよもや痛さと苦しさでそれどころではなかったのでヤケクソで諦めたそうです。はい、本当にすみませんでした。出産の時…夫の立ち合いはどこまでするのか、妻はどういった希望があるのかをきちんと夫婦で話し合っておくべきでしたね。この辺りも、初めての出産ということで考えや配慮が足りなかったと思います。ちなみに、およそ7年後の次女出産のときは妻と話し合った結果、定位置から動かないことを徹底しました。でも…この時見たのは半分まで出てきていた赤ちゃんの頭でね、本当に後もう少し! という感じで感動したんです。そして、いよいよもう1回のいきみで産まれるという時に。ついに誕生の瞬間。明らかにその場の緊張感が高まっているのが感じとれました。頑張れ…頑張れ!!ここで吸引をすることに。赤ちゃんの頭に機械が取り付けられ引っ張られます。頑張れ…!!がんば…れ(゚д゚)!?そしてついに赤ちゃんの身体全てが出てきたのですが、目の前には僕の想像を遥かに超えたものが…!!なっげぇ:(;゙゚''ω゚''):!!吸引されていた赤ちゃんの頭が、めちゃくちゃ伸びている!!顔のサイズと同じ長さの頭が目の前に。これも後で聞いたのですが、赤ちゃんって産道を通るために頭の骨がかなり柔らかくなっているんですよね。なので吸引をするとこういうことになりやすいみたいで。ちょっ、それはいくらなんでも伸びすぎじゃない? という感じで、少し焦ってしまいました。でも。こうやって無事に産まれてくれた。目の前で泣いているのは、まだまだ小さいけれど確かな強さを発している新たな命。おめでとう長女。今日が君の誕生日。これから、大きくなるまで見守っていくからね。一緒に過ごしていこうね。そして。ありがとう嫁さん。ここから僕が親としての実感をもつまでには少し時間がかかってしまったけど、こうやって出産に立ち会って大変さや自分の無力さ、そしてそれでもそばにいることの大切さや嬉しさ感動などを感じることができてとても良かったと思うよ。この時のことは15年近く経った今でもとてもよく覚えている。本当にありがとう。僕を父にしてくれてありがとう。こうして、2005年のとある夏の日の早朝に長女は誕生したのでした。あ、そうそう。産まれたときにびっくりした長女の頭の形でしたが、しばらくすると(1ヶ月ぐらいだったと思います)自然な丸い形になりました。人間の身体って不思議だなぁと思いつつ、これにも感動してしまいましたね。さて、今回で長女の誕生物語は完結なんですけどね。実はこのお話、長女に今一度見てもらいたくて書いたお話でもあるのです。それは2020年の初め。長女と嫁さんによる大きなケンカが発端となっていたのでした。そのお話はまた機会があれば書かせて頂きたいと思っています。それでは、無力な父の若き頃のお話でしたが…ここまで読んで頂きありがとうございました!!
2020年03月06日姉妹誕生物語:長女編の続きです。前回のお話はこちらからご覧いただけます。さて、祭りに行く準備をしているさなかに破水してしまった嫁さん。慌てて産婦人科に連絡をし、車で向かおうとするも渋滞に巻き込まれてしまい…焦りながらもどうにか病院に到着したのでした。この時は2005年の8月27日。時刻は21時前。長女が生まれるおよそ9時間ほど前です。到着後すぐに病室へと案内されましたが、すでに痛みが強かったらしく苦しんでいる嫁さん。僕は本当にどうしたら良いのか分からずただひたすら焦っていましたが、その場に嫁さんのお母さんも駆けつけてくれたので少し安心したのを覚えています。なんせ僕も嫁さんも初めて直面する出産ですが、嫁さんのお母さんは3人も子どもを産んでいますし、嫁さんの性格も言動もよく分かっていますからね。僕は…正直この時はまだまだでしたし(-"-;で、そのうち嫁さんは病室のベッドにいつまでもいることが不安になり、分娩台に行きたいと言い出すように。お母さんが分娩台特有の不便さを教えるも、嫁さんは聞く耳を持ちません。この時は実際まだ子宮口は全開ではなかったらしいですが、とにかく初めての不安と痛みとの恐怖が大きかったとのちに嫁さんは語っていました。病院側に確認すると、この日はたまたま空いていたらしいんですよね。で、看護師さんも笑いながらでしたが分娩台へと移動していったのでした。病室から分娩台までの移動はそれはもう地獄だったそうです。そしてようやく分娩台へ。で、お母さんの言った通り分娩台は狭くて固くて動けない。ゴロゴロと動くことで気を紛らかすことが出来ず、途中台から降りて床にうずくまったり。これはお母さんに怒られていたような…。こんな姿を見ると、男ってホント無力だなとつくづく感じましてね。そんな中で自分に何か出来ることを考えて動こうと思いました。そしてドラマか何かで見たのを思い出して実践…!!しかしダメでした!!むしろ痛いから身体に触れないでと怒られてしまいました。そ、そうなのか…ムムム。で、そんなことよりも暑くてたまらないから扇いで欲しいと言われましたが、手元にうちわや扇子はなし。仕方ないので病室にあった避難訓練の経路図(A4サイズでプラスチック紙のような物)を借りてきて風をおこすことに。結局早朝までお借りしました。そんなこんなで時間はどんどんと過ぎて行き。子宮口も次第に全開となり、陣痛の間隔もかなり短くなってきました。あまりの苦しみに嫁さんが握る僕の腕は切れて血が滲みます。でも、そんなのどうでもよくなる程苦しそうな顔をしている嫁さん。唇付近は力んで浮き出る毛細血管が痛々しい。それでもこの後元気な赤ちゃんと会えることを希望に頑張るその姿。僕は何も出来ませんが、ただひたすら隣で願い祈っていました。頑張れ…頑張れ!!長女と会えるまで、あと少し…!!
2020年02月21日5歳と1歳の4学年差兄弟を育児中のゆきです。こちらの連載では現在1歳10カ月の次男を妊娠中のお話を書かせていただいてます!今回は「2人目出産のための入院で、持って行ってよかったもの」についてです。1人目のときは荷物をたくさん持っていったのに役に立たないものばかりで…、そのくせ足りないものがたくさんありました。しかしその時は里帰り出産だったため、足りないものは実母が買ってきてくれたり、洗濯した服や食べたいものを差し入れしてくれたので、なんとかなりました。しかし、いろいろなものを持っていきまくったせいで…たった数日の入院なのに、夜逃げするかのような荷物の量に…。その時の経験から、2人目のときは…と、いろいろ考えながら準備しました。2人目は里帰りナシ、さらに子どもは夜間立ち入りができない産院でしたので、面会時間も限られており、急にあれが欲しい! となっても手に入らない環境で…。▼夜間立ち入り禁止の産院について里帰りナシの2人目出産、産院選びで気をつければ良かったことは…? そんな2人目出産時を振り返り、持っていって大正解だったと思ったアイテムたちをご紹介します!■産院で買うと高い消耗品!●ティッシュ&ナプキンティッシュは、ちょっと赤ちゃんを拭いたり、鼻をかんだりでたくさん使ったので、箱ティッシュを持っていって良かったです。産褥パットは病院で追加で買うこともできましたが高い…!そしてゴワゴワして使いにくいので生理用ナプキンの方がフワフワで使い心地が良かったです。普段から生理で利用するため自分で使いやすいものは知ってますし、退院してからも使うのでいっぱい買い置きをしました。●タオル1人目の時は数枚でいいか~っと思っていましたが、お風呂や赤ちゃんの吐きこぼしを拭いたり、枕代わりにしたり、授乳中のおっぱいを拭いたり、手を拭いたり…めちゃめちゃ使いました!数枚は産院の持ち物リストにありましたが、たくさん持っていって大正解。それでも足りず、夫にも持ってきてもらったくらいです!■小腹と気持ちを満たすために!●小分けになったお菓子ご飯が17時と早いのに夜間も授乳で起きるので、深夜にお腹が空いてしまい…。そんなときのために「お菓子」を持って行きました!小分けタイプはお見舞いに来てくれた上の子にもあげることができたので便利でした。●お湯で溶かすスティックタイプの飲み物お湯で溶かすスティックタイプのミルクティや生姜湯などを持って行きました。レンジがないので、温かいものが欲しいときはこれがすごく重宝しました。授乳でご飯などがすぐ食べられないときに、温かい飲み物はものはとても貴重なものとなりました。あと、荷物に余裕があれば、2リットルのお茶や水などもあると便利だと思います。授乳でめちゃくちゃ喉が渇いてよく自動販売機で飲み物を買っていたので、持っていけば節約になってよかったな~と思いました。■意外と使い道が多いもの!●小さめのラップ授乳で乳首が切れてしまったときに保湿に張ったり、すぐに食べきれないデザートなどを包むことができました!1人目のときも産後に母に買ってきてもらい、重宝したので絶対持っていこう! と決めていました。●割れないマグカップや使い捨ての割り箸やスプーンマグカップは何かを飲むときに使うほか、上の子が来たときに食事を分けてあげるお皿代わりに使えて便利でした。割り箸やスプーンも、上の子がきたときに使ったり、いただいたデザートを食べるときに役に立ちました!こんな感じで2人目は、とても快適に過ごすことができましたし、荷物も1人目のときより少なく、ちょうどいい感じの荷物になりました。私の出産は2回とも別の産院だったのですが、小さい病院だったためどちらにも売店はありませんでした。売店があれば「いざというとき」のために持っていった荷物をもう少し減らせたのにな~と思います。人によって、または病院によって、必要なものは異なるので、今回書いたものが役に立たないこともあるかと思いますが、私の出産~入院で役に立ったものを紹介させていただきました。参考にしていただけると嬉しいです!
2020年02月13日いつも読んで頂きありがとうございます。もりりんパパです。わたくしごとですが、実は僕たち夫婦はもう間もなく結婚15周年を迎えます。早かったような長かったような…まだまだ育児の途中ではありますが、振り返ると様々なことがありました。で、ふと長女や次女が生まれた時のことを思い出したんですよね。長女が生まれたのが2005年。そして次女はその7年後の2012年に生まれました。僕はどちらも立ち会わせて頂きましたが…若さもあってか色々な事件が起こってしまいましてね( ̄▽ ̄;)そんな昔話を今回からお送りしたいと思います。良ければどうぞお付き合いくださいm(__)mケンカばかりしてた若すぎる僕たち時は2005年。この時僕は22才、嫁さんは20才になって数ヶ月でした。あの頃の僕たちは新婚。そんなこともあり僕たちはいつでもどこでも”キャッキャウフフ”…(*´艸`*)なんてことはなくケンカばかりでした( ゚д゚)恥ずかしい話、僕たちは付き合っていた頃からしょっちゅう口喧嘩ばかりしていたんですよね。頻度にして週に1回のペース…。多分今が1番平和なのではないのかと思います。ここ5年位は大きなケンカは発生していない。…気がします。で、この日は地元でお祭りが開催される日だったんですよね。行事の前になると必ずと言ってもいいほどケンカをしていたふたり。準備とかでワタワタして心がセカセカすると、ついついケンカになっちゃう。この日もそんな流れだったとは思いますが、それから意見をぶつけ合ってお互いに納得して。ようやくお祭りの花火を見に行こうということになりました。19時半頃でした。んで、さぁそれではお祭りに行きましょうかと嫁さんが室内の小さな段を降りた瞬間…パシャッ…僕には全く分からなかったのですが、嫁さんからパシャッと何かしらの音がしたそうです。それは破水の音だった…! 慌てて病院へそんでそれが何か分からなかった嫁さん…漏らしたと勘違い!!当時の僕は知りませんでしたが、妊娠するとちょっとした刺激(くしゃみなど)でも尿漏れしてしまうことはありますもんね。動揺を隠しつつ嫁さんをなだめる僕。しかしこれは違った。破水だった!!嫁さんもまさかの破水にビックリ。で、とにかくお互い初めての経験だったので焦る焦る。ある程度は予習していた2人。でもいざこの日が訪れてしまうとやはり焦ります。とにかく産婦人科に行かないと!! ということで病院に電話したり荷物の確認をしたり。予め荷物の用意はしていたはずなのにどこにあるのか分からない。そもそも持っていくものはこれで足りるのか、忘れ物はないのか!?慌てて用意をするも、嫁さんは身体に異変を訴えだします。陣痛が少しづつ始まってしまったのです。嫁さんを車に乗せて家を出発!!しかし運の悪いことに家から産婦人科までの間にお祭り会場がある…!!いつもとは比べようもないほどの人、そして赤信号。毎年大好きで楽しみだったお祭りが、この日はとにかく邪魔で仕方がありませんでした。僕の横でどんどん痛みが増す様子の嫁さん。早く! 早く!!信号が早く変わることを祈りつつ、急ぐ僕なのでした。次回に続きます!!
2020年02月06日こんにちは、もりりんパパです。年が明けて気が付くともう十数日。時が過ぎるのは本当に早いですね(^^;次女さんが鼻骨折で即入院・手術になったお話の続きです。今回でラストとなります。ここまでのお話はこちらからご覧いただけます。手術が終わり、僕たちが面会をするも、とてもお話ができる状態ではなかった次女。なので泣く泣く帰宅をした僕ですが、そこからワタワタとしている間に届いた嫁さんからのメッセージの内容にビックリ。手術の翌日に社会見学("゚д゚)!?えっ、大丈夫なん!?とっさにそう思ってしまいましたが、もうこれは決定事項のご様子。わけはあとで聞くとして、とりあえず荷物の用意です。必要な物はリュックサックやシートに水筒。体操服や赤白帽子も。それに加えて前回のお話で準備した”誓約書”などの書類関係や印鑑も。で、どうしてこのような急展開になったのかは翌日嫁さんに教えてもらいました。『…ねぇママ』 次女の涙にママは実は手術の直前にこのようなお話をしていたみたいなんです。小学校に入学して、初めての社会見学。行先は次女の大好きな動物園も含まれていて、それはそれは楽しみにしていたんです。しかし、そんなさなかに手術をすることになってしまい、諦めつつも残念で仕方がなかった次女さん。手術直前にその気持ちがあふれ出てしまいました。そこで嫁さんは病院の先生と学校の担任の先生それぞれに聞いたそうです。病院の先生からは『麻酔がとれてその後元気に回復したのなら問題なし』との言葉をいただきました。先生からも『病院の先生が問題ないと言うのであれば、学校側も大丈夫ですよ』と返事をいただきまして。これで晴れて次女さんは社会見学に参加出来ることになったのでした。(病院から退院後に現地へ直行して合流することになりました)電話の横では元気に回復して好物の冷やし中華を食べる次女。もう元気いっぱいです!お弁当の代わりに院内のコンビニで好きなものを購入そして翌朝…病院内のコンビニでお弁当を…。本来は大好きなポケモンのピカチュウのキャラ弁を楽しみにしていた次女さん。しかしそれはさすがにムリです(^^;なのでその代わりに食べたい弁当もお菓子も何でも買ってあげたと言っていました。それはもう凄い量だったそうですが(笑)でもとても喜んでいたのでそれで良し。その後9時過ぎに僕が病院に到着して退院手続きを。そして10時過ぎにいよいよ退院…!!その時の実際の様子がこちらです。こんなに嬉しいのか…と見ているこちらも微笑んでしまうようなとびきりの笑顔でした。うんうん、よくがんばったね。おつかれさま。昨夜は見れなかったその顔が見ることができてパパも嬉しいよ!では…行ってらっしゃい!!このような感じでバタバタだった次女の入院・手術のお話はおしまいです。長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂き本当にありがとうございました!
2020年01月18日明けましておめでとうございます!!いつ読んで頂きありがとうございます、もりりんパパです。2020年、始まりましたね!今年はオリンピック、そしてパラリンピックが東京で行われますね。他にも様々なことがあるようですが、どんな年になるのでしょうか。今から想像するだけでワクワクしてきます。僕も仕事で15年務めた部署(デイサービス)を離れ、隣に併設されている特養(老人ホーム)にて心機一転生活相談員をがんばることになりました!仕事に子育てにブログに趣味にと今年も楽しく活動をしていこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします!!さて、それでは今回のお話。次女さんが鼻骨折で即入院・手術になったお話のつづきです。こちらが最初のお話になっています。よければ併せてご覧ください。さて、バタバタだったし様々なことがあった手術当日。僕の中では泣いてしまったりと色々な感情が溢れてしまいましたが、とりあえずは帰宅です。ずいぶん遅くなってしまいましたし、まずは長女と夕食をとらなですからね。…いや、そういえば何か肝心なことがあったような。う~ん。まぁ、まずは飯です。腹ごしらえをしながら目を通すとしましょう。………。……。…。思ってたより重要そうな内容だった("゚д゚)どうやらこの病院では入院費に関する誓約書というのが必要で、保証人2人に記載してもらわないと退院することが出来ないのだとか…!!即座にインターネットで調べてみましたが、病院によって書式・形態は違うものの概ねこのようなものがあるそうで。んで、これがないと退院することができない。つまり退院時までに必要。………。退院明日じゃん:(;゙゚''ω゚''):誓約書を頼まないといけないのは2人。1人は僕たちが一緒に住まわせてもらっている(わが家は嫁さんの祖父祖母との2世帯住宅です)嫁さんのじいちゃんに書いてもらうとして。もう1人は…まぁ、僕の親父ですかね。でもねぇ、僕の親父ってこのような保証人というものに相当敏感で、嫌がる傾向があるんですよね。しかし時間はもう21時。時間がない!!そんなわけで意を決して親父の元に向かったのでした。まぁ、母親が介入してくれたおかげでなんだかんだ書いてくれましたけどね。こういったことが入院時に必要になってくることを再確認したので、次からは予め相手に話しておこうと思います。入院や手術なんてしないのが一番ですが、いつ何とき自分や家族に降りかかってくるか分かりませんからね…。さて、時間も相当遅くなりましたがこれでようやく退院の準備が整ってきました。と、ここで嫁さんから何かメッセージが。どういうことだってばよ!?ここにきてまさかの急展開。そんなわけで、このお話はもう少しだけ続きます。それでは、ここまで読んで頂きありがとうございました!
2020年01月04日前々回から次女が鼻骨折で即入院・手術になったお話を書いています。今回もその続きです。まだ読まれていない方は、よければこちらもどうぞ。家のどこに何があるのかわからず、もっと色々と把握しておく重要性を痛感しつつ、どうにか準備ができた僕。それから車で病院に向かいましたが、道中は大渋滞。到着する頃にはあたりは真っ暗になっていました。そしてついに次女と面会するのですが…そこにあったのは、いつもの活発過ぎて男の子と間違われるような姿ではなく。あまりにも大人しく、そしてぐったりとしている次女でした。そりゃあまだ手術が終わって数時間。麻酔がきれて目が覚めたばかりなので仕方がありません。それでも反応が見たい。大したことのない手術だけど、元気な様子が見たい。そう思って声をかけてみました。だけど…。今まで見たこともないような反応が("゚д゚)嫁さんから聞いたのですが、次女は手術直前までは本当にいつもと変わりなく活発だったそうです。終わったあと冷やし中華を食べることを楽しみにしつつ、向かって行ったそうな。…さすがに麻酔をされるのはちょっと怖がっていたそうですけどね。そして、手術は短時間で終わりまして。麻酔も程なくきれて意識も無事に戻ってきました。でも、ここからがちょっと大変だったそうで。嫁さんも数年前に大手術をしているので経験したそうなのですが、麻酔が切れる時は倦怠感などで、どうしようもなくきつくだるくなることがあるそう。次女さんもその状態になり、ちょっとした錯乱状態から泣き叫んで過呼吸になってしまいました。(先生曰く、ここまで激しく暴れた子は久しぶりとのことでしたが(^^;)そして、楽しみにしていた冷やし中華どころか食事もできない状態だったんですよね。そんな状態から少しだけ落ち着いてようやく一息ついたところでの僕の出現。でも、僕は…でも、僕は結局なんにもできませんでした。家の中は何も把握できておらず、1つ1つ嫁さんに確認しないと荷物の準備すらできない。そして、次女に対して寄り添って元気を与えることもできない。なんにもできない、できなかった!!親としてのあまりの自分の不甲斐なさに、涙が…悔しい!!でも、この時となりには長女が一緒に歩いていましたから、顔が見えないよう少し先を歩いて、うつむきながらこっそり号泣しましたが。でもね。なげいてもしかたがないですからね。今回はこうなってしまいましたが、今後もいつ何があるのかなんて分かりません。”もしも”の時の為に家の中のことはもっと把握しようと思います。失敗は成長のチャンス。それを教えてくれた次女に”ありがとう”と思うとともに、翌日の退院に向けて、様々な準備をがんばることを誓った夜でした。
2019年12月23日さて、前回次女が鼻骨折で即入院・手術になったお話を書きましたが、今回はその続きとなります。10月の初めに学校で鼻を骨折してしまった次女さん。それから手術をするか悩んでいましたが、最終的には総合病院の先生と相談して決めることに。その結果…まさかの即入院・手術が決まってしまう!!僕たちはこの日は手術を決めるだけで、数日後にまた病院に行くと思っていたんですよね。その時は僕も仕事を休んで車で荷物を運び手術を見守るつもりでしたが…ここまで話が一気に進んでしまうとは思いもしませんでした。嫁さんに至っては当日ランチをして帰るつもりでしたからね(笑)そりゃあもうラフな格好で行きましたし、何も必要な荷物は持って行っていません。しかし。ここで嘆いても何も始まりません。まだお昼過ぎで僕は仕事中だったので、嫁さんとはラインでやり取りを続けました。ここで連絡をうけた僕の頭に疑問が。たとえ1泊の入院とはいえ、たくさんの荷物が必要になります。うん、それは分かります。だけど、嫁さんはそれらを全て口頭で言いたいから、とりあえず僕が帰宅してから電話をかけてこいと言うのです。いやいやいや。そんなのわずらわしいから文章でいいやん?ラインで必要物品を書いてくれたら、それらを探して病院に向かうから!!とか思っていたんですけどね。それはちょっと甘すぎでした( ゚д゚)これはちょっと予想以上。何がどこにあるのかさっぱりです。言われたものの半分も在りかが分かりませんでした。そして夕方、ちょっとだけ早退をして中学校まで長女を迎えに行ったのちに自宅へ。(この時点で手術は終わっています)ここで嫁さんに電話をしてモノを探しますが…もうあっちやらこっちやらバタバタでしたね。いや~…自分で自分が情けなくなりましたね。家事はしているつもりではありましたが、この辺は嫁さんに甘えっぱなしだったのでしょう。印鑑の場所すら分からなかった自分が歯がゆい…。というか、いつ何がおきてモノを探さないといけなくなるか分かりませんからね。日ごろからきちんと把握しておく必要性を強く感じました。あ、そうそう。このお話を書くにあたって嫁さんとお話をしたんですけどね。このようなことを言われていました。実際、今回は生理用品など子どものモノよりも自身のモノで困ったことが多かったそうです。あと、非常に活躍したのが濡れティッシュ(除菌タイプではない)だそうで。何かと子どもは色々とこぼしてしまいます。とくに、今回のように手術後であればなおさら。そんな時、普通のティッシュでもいいのですが、少ない手間でササっときれいに出来るのは濡れティッシュタイプ。アルコール性などの除菌タイプではない方が顔や身体を拭くことも出来るのでさらに便利とのことでした。さて、話は僕に戻って、時刻は17~18時。辺りが暗くなるころ、ようやく僕と長女が病院に着きました。何とか探し出したたくさんの荷物を持って…。そしてついに次女と面会。だが、しかし。ここで思ってもみない展開が僕を待っていました…と、今回はここまでです。次のお話では”手術は終わった後がたいへんだった…子どもの病院面会時の心構え”をお送りしたいと思います。それでは、ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
2019年12月06日こんにちは、もりりんパパです。実はここ最近色々とありまして…なんと我が家の次女さん。鼻を骨折し、入院・手術までしてしまいました( ゚д゚)やんちゃすぎる次女 鬼ごっこで大出血!それはつい1ヶ月ほど前、10月の頭におこりました。小学校での休み時間に校庭で同級生と鬼ごっこをしていた次女。その時につい興奮して国旗掲揚台に登ってしまったらしいのですが、そのタイミングで後ろから押されてしまい、バランスを崩した結果、鼻から地面に激突してしまったそうで。いや…いやいやいや。気持ちは分かるが高いところに登っちゃダメです。そりゃ鬼ごっこだから押されるし足場が少ないから落ちますわ( ノД`)で、鼻の動脈を切ったらしくありえない程の鼻血を出して校長先生が飛んできたそうで。そのまま保健の先生付き添いの元救急病院に運ばれて行ったそうです。そんな連絡を受けたのが当日の昼過ぎ。その後夕方に再度連絡を頂いたのですが…検査の結果みごとに鼻を骨折…!!骨折の部位が部位だけに特に治療することも出来ず、ギブスをあてて様子をみることになりました。とくに痛みもないのか次女はいつものように元気活発に過ごしていましたね。…いや、少しはおとなしくしてくれても良かったのですが(笑)しかし、困ったことにこれで話は終わりませんでした。手術するかしないか…難しい決断1週間の経過観察を経て再度受診したのですが、どうにも折れた部位の右部分(右目の下らへん)が陥没しているとのことでしてね。幸いパッと見た程度では分からないくらいの陥没で、痛みもないのでこのまま放置するという選択肢もありました。けれども先生曰く…早急に手術をして陥没を引き上げる必要はない、かもしれないしかし、陥没の程度は悪化する可能性もある後々に手術をする場合、大がかりになり大変にはなる今から2週間くらいの間が一番負担の少ない手術で済む手術するかどうかは保護者の方が決めて下さい…ということでした。…えぇえええええ( ゚д゚)これはちょっと悩みましたね。メスを入れることなく済むかもしれない。しかし、もしかしたらもっと大変な手術になる可能性もあるわけで。うむむむむむ。悩んだ末に僕たちがとりあえず振り絞った結論は…。突然の手術に! しかし試練は手術後も続いたのでした…もしも手術をする場合、今受診している病院ではなく都会にある総合病院に行くことになっていたんですよね。なので、とりあえずそちらに受診して相談してみることにしました。内容が内容なので、さすがに慎重になってしまいましたね(^^;そしてそれから2日後に紹介状を持って総合病院へ。都会なので車での移動は大変とのことで、朝僕が駅まで嫁さんと次女を送り、そこから電車で病院まで向かうことになりました。そして。まさかの即入院&手術:(;゙゚''ω゚''):嫁さんが総合病院の先生に相談してみたところ、「手術をした方がいいかな」という気持ちが少しでもあるならしましょう! となりまして。そこから病室や先生の予定などを照らし合わせた結果…そのまま一気に手術をしましょう!! となったのでした。手術じたいはおかげさまで極めて短時間で無事に終わる事ができました。次女本人が元々手術を怖がっていなかったのも大きかったと思います。病院はホテルみたいだと喜び、検査も点滴も難なくクリア。術後のご飯を楽しみにすらしていたので、僕たちもそこまで構えることはありませんでした。まぁさすがに手術室に入る直前には少しだけ固まっていましたが、嫌がって泣くこともなく進んでいきました。しかし。本当に大変だったのはここからでした。荷物が足りない! 長女が病室に入れない! バタバタだった手術直後まず急な入院になってしまいましたからね、次女の分も含めて嫁さんの荷物が殆どありません。おまけに普段は車で移動するので車内にはある程度物を置いているものの、この時は電車での移動となったためにみごとに必要なものが何もなかったのです。慌てて僕に電話をかけてくる嫁さん。そして、仕事を早退して家に帰ったあと言われたものを家で必死に探す僕。う~ん…何がどこにあるのか全然分からない!!普段僕は家事に色々と関与しているつもりでしたが、まだまだですね。自分の力不足を痛感してしまいました。そこから電話で嫁さんに場所を教えてもらいながら何とか荷物を揃えた僕。で、時刻は16時。長女はまだ中学校にいる時間帯でしたが、おいていくわけにはいかないので迎えに。ホームルームが終わって部活に行くであろうタイミングで先生に電話連絡をして事情を説明し、無事に捕まえてそのまま一緒に病院へと向かったのでした。病院に到着したのは18時前。まさかの長女さん病室に入れない!!これもうかつでした。実は以前他の大きな病院に身内が入院したことがあったのですが、そちらは小学生までが病室に入れないという決まりだったんですよね。しかし今回の病院は成人するまで入室禁止だった模様。うっかり前の病院と同じだと思い込み、看護師さんに注意されてしまったのでした。そのため、病院に荷物を送り届け次女の様子をみたものの、すぐに帰宅しなければならない事態に。そしてこれだけでは終わりません。この病院では入院費に関わる身元保証人の誓約書を2名分用意しなければなりませんでしたが、提出期限は退院時まで。退院するのは…明日(゚Д゚;)!!それから慌てて実家に行ったりして誓約書に記入してもらったのでした。とまぁ、ダイジェスト形式でここまで当日の流れを書きましたけどね。他にも手術後の全身麻酔がとけた後の次女の様子に驚愕したり、翌朝退院後にハプニングがあったりと様々なことがおこりました。ちょっと準備不足だったのは否めませんが、おかげで必要な物や心構えはかなりわかったと思います。それを踏まえて子どもの入院でないと本当に困ったモノや役立ったモノ手術は終わった後がたいへんだった…子どもの病院面会時の心構え次女の退院時にまつわる必要だった持ち物や注意点この辺りを次回以降に書きたいなと思っています。今回はかなり長くなってしまいましたが以上です!ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
2019年11月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは。中川マナです。10月に一時帰国したとき、普段のセブに比べて空気が乾燥していることを感じました。これから寒くなっていくにつれ、風邪が流行りはじめますよね。今回は息子が生後6ヶ月のときにRSウイルスにかかってしまったときのお話です。■娘の保育園で流行る「RSウイルス」にヒヤヒヤ当時、息子0才6ヶ月。娘は3才になったばかり。私たちはまだ日本にいて、娘は保育園に通っていました。ちょうど11月頃だったのですが、保育園のお知らせ欄にはRSウイルスの感染者が出ているという張り紙が。気がかりではあるものの、息子を連れての毎日のお迎え。鼻水の出ている子や、咳をしている子を見かけると神経質になりましたが、予防以外にはできることがなく…。そんなある日、娘が風邪をひきました。ドキッとしましたが、微熱程度で、1日お休みしたら回復。よかった~、と安心して保育園に送り出した翌週、息子が発熱します。■気をつけていたものの、やっぱり感染…かかりつけの病院に連れて行くと、診察で呼吸を聞いたのちすぐ検査をしてくれました。風邪かな…?と思ったけれど診断結果は「RSウイルス」。「0才児でRSウイルスにかかると重症化しやすいので、入院も視野に入れて様子を見ましょう」という先生の言葉にショックを受けつつ、その日は病院で吸入を行い薬を処方されて帰宅します。先生から「この月齢は急変することがあって、呼吸器のことは命に関わるから」と連日連れてくるよう言われ、毎日診察に行きました。次の日にはレンタル吸入器を渡され、朝夕に自宅での吸入を指示されました。小型の吸入器は勢いがないため処置に時間がかかり…、嫌がられてまいりました。■目の不自由な夫と3才の娘を残し…息子入院息子はもともと穏やかな赤ちゃんで、RSウイルスにかかってもさほどグズることはありませんでした。しかし、次第に胸とお腹が大きく上下するような呼吸になり…。RSウイルスと言われて3日目、ついにかかりつけの先生に「紹介状を書くのですぐ入院の準備をしてください」と言われてしまいました。夫は目が不自由で、娘は3才になったばかり。実は9月に娘が1週間ほど入院して、そのとき本当に大変だったので、できれば入院は避けたかったのですが…。 ■看護師さんの姿と穏やかな息子に励まされた入院生活病棟の看護婦さんに「あら、今度は赤ちゃんが?」と声をかけられ「また入院になってしまった」と実感が湧いて改めてショック。案内されたベッドは転落防止のために檻のような柵がついています。娘の入院時もそうだったし、安全のためなのですが、この中に入っていないといけない我が子が可哀想で泣けてきます。そんな中、何が救いだったかというと、看護師さんたちの奮闘する姿と、変わらず穏やかな息子。看護師さんの気遣い、プロフェッショナルな仕事ぶりに励まされ、勇気づけられました。息子はというと、1日数回吸入する必要があったのですが、グズることもなく自分で吸入器を口に当ててくれました。赤ちゃんだし最後までずっと持っていてくれるわけではないのですが、その姿を見る度にこちらが励まされました。■多くの人に支えられていると感じた、今回の入院上の子の入院のときもそうでしたが、近隣に頼れる親族のいない我が家にとっては、パパがたよりです。夫の会社はフレックスタイムを導入しており、会社の中でも特に柔軟な働きかたを目指す部署だったのでこういうことが起きても上司を始めチームの人からの理解があり、恵まれていたと思います。パパは目が不自由とはいえ、都会なので食事の買い物などには困ることはありませんでした。スーパーの買い物では3才の娘が活躍してくれたそう。パパは娘とともにタクシーに乗って必要なものを持って病院を訪れ、私が娘と話している間は、病室に行って息子を抱っこして話しかけてくれました。そんな風にパパが私たち家族をサポートできたのも、パパの職場の人たちの理解や、会社の環境があったからこそ。ほかにも保育園の先生が「パパのお迎えが多少遅れる場合は協力できることもあるので、教えて下さいね」と言ってくれたり、友達が娘と夫のために手作りのご飯を持ってきてくれたり、たくさんの人にも支えてもらっていると感じました。また、調べたものの都合がつかず使いませんでしたが、緊急の場合は入園していない子どもも保育園で預かってもらえるサービス、夜間を通じて預かり可能なサービスなど、いろいろな仕組みがあると知る良い機会にもなりました。息子の入院で、母としてしっかりしなきゃと1人で不安を感じていましたが、多方面から支えられていると感じることができ、無事に乗り切ることができました。■現在の息子の様子は…4日間の入院ののち、息子は無事退院。現在の息子はというと…。0歳でRSウィルスにかかると、後々、呼吸器にトラブルを抱えやすくなるそうで、息子も風邪のたびに気管支炎を起こしがちですが、年齢を重ねるにつれ、丈夫になっている印象です!ひょうきん4才児として育ち、セブの人たちからは「ファニーボーイ!」と呼ばれ可愛がられています。それではまた次回!
2019年11月15日私の娘が2歳4カ月のとき、原因不明の顔面神経麻痺(ベル麻痺)で約2週間の入院治療を経験しました。今回は、私が入院生活に付き添った経験から学んだ、入院生活にあって便利だったものについて紹介します。 スリッパ、枕、折りたたみのイス 私が娘の入院付き添いをしたときは、病院の方から 「ステロイド治療で免疫力が下がり、他の病気に感染しやすくなるから、検査や治療以外で部屋から出ないでください」 との説明を受けたため、ずっと個室で過ごすことに。入院先は付添人も同じベッドで寝る病院で、ベッドの上が生活スペースになるため、脱ぎ履きしやすいスリッパがラクでした。 また、寝る際も娘と同じベッドで寝たのですが、当然枕は娘の分しかなく……。自分用の枕を持参することで少し寝やすくなりました。そして意外にも活躍してくれたのが、アウトドアで使う折りたたみの椅子です。今回は個室でスペースがあったため置くことができました。病室に1脚椅子はあったものの、夫やお見舞いに来てくれた人にも座ってもらうことができて便利でした。 ママの食事は院内のコンビニ&パパに頼む 私が付き添いをしたときは、食事は入院していた娘の分しかありませんでした。そのため、付添人の食事は自分自身で用意しなくてはなりません。病院にはコンビニが入っていて、少しの時間であれば買い物をする際に病院のスタッフが付き添いを代わってくれたました。 しかし、頻繁に買い出しへ行くことはできません。入院期間が長くなるにつれてコンビニ弁当に飽きてしまうこともあったため、夫やお見舞いに来てくれる人に食べたい物を伝えて買って来てもらうこともしばしばありました。 ママの常備薬 入院している娘は体調により薬が処方されますが、当然のことながら付添人であるママは自分自身で体調管理をしなければなりません。私は入院後半になって風邪気味となり、夫に葛根湯を買って来てもらって飲んでいました。 また、狭い病室で過ごしているため、運動不足で便秘になることも。つい娘の状態にばかりを気にして自分の体調はなおざりになっていましたが、いざというときの常備薬を準備しておくべきだったなと思います。 今回紹介したアイテムの他にも、生理になった場合のナプキンや買い物をできる程度の現金、洗面用具などいろいろと必要な物があります。いざというときのために用意するものをリストアップしておくと慌てずに済むと実感した経験になりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて入院先の医師や看護師に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月12日筆者の娘が2歳4カ月のとき、原因不明の顔面神経麻痺(ベル麻痺)で約2週間の入院治療を経験しました。診断を受けた直後から治療を開始するということで、何の準備もしていないまま入院生活が始まることになり……。今回は、筆者が入院生活に付き添った経験から学んだ入院生活に必要なアイテム(子ども編)について紹介します。 多めの着替え 娘は、24時間ステロイドの点滴治療をしていたせいか、普段はそれほど汗をかかないのにエアコンの効いた室内でも大量の汗をかきました。入院中はお風呂に入れない上に食事をこぼして服を汚すこともよくあったので、夫に頼んで着替えは多めに6組くらい持って来てもらいました。 点滴をしていたので大きいサイズのTシャツを用意したところ、着替えさせやすくてよかったです。入院したのは9月でしたが、病院は24時間エアコンが効いていたので半袖と薄手の長ズボンで過ごしていました。 いつもより多めのおむつとおしりふき やはり点滴をしていたせいか、とにかくおしっこの量がすごかったです。娘は普段おしっこもうんちもトイレでしていたのですが、入院中はトイレに間に合わずおしっこをおむつにすることがたびたびありました。 入院中はすぐに買い出しすることも難しく、いつもより多めのおむつを用意しておいて助かったことを覚えています。おむつと一緒におしりふきも多めに用意して、体を拭いたり食事のときの汚れを拭いたりしていました。 子どもが使い慣れた食器 娘が入院した病院はコップ、お箸、フォーク、スプーンなどの食器類はすべて持参でした。食事は病室のベッドの上でしていたため、娘が使い慣れた食器を持ち込み、なるべく食べやすいようにしたところ、点滴で利き手の右手がうまく使えなくても左手で器用に食べていました。コップはフタなしのものを使っていましたが、今思えばフタつきでストローでも飲めるものを使えばもっと飲みやすかったのかなと思います。 今回紹介した物の他にも先生の許可を得て持ち込んだお気に入りのおもちゃやおやつがあったので、不安な入院生活のなかでもある程度楽しく過ごすことができたようです。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月11日初めての出産では、入院時に何を持って行ったらいいか悩む方もいるのではないでしょうか。準備をするうちに、あれもこれもと荷物が増えて気づいたら大荷物になっていることも……。今回は、筆者が出産時、産院に持って行ってよかった3つのアイテムについて紹介します。 寝ながらでも水分補給ができる「ペットボトルキャップ」 1つ目は、100均でも見かける「ペットボトルキャップ」です。出産が近づくと、身動きがどんどん取れなくなり、ペットボトルを口につけて飲む、という行為すら億劫に。 しかしこのペットボトルキャップがあれば寝ながらでも水分補給ができて、とっても便利! ストロー付きのタイプと、ボトルを傾けて飲むタイプ、市販のストローを差し込んで飲むタイプなどがありましたが、筆者はストロー付きのタイプを使っていました。 産後の痛みを軽減「円座クッション」 2つ目は、「円座クッション」です。出産時の会陰切開や痔などにより股付近は非常に痛みを感じやすくなっていたため、円座クッションが産後大活躍してくれました。入院中に活躍してくれるのはもちろんのこと、退院後の生活でもしばらく活躍してくれるアイテムでした。 筆者は食事のときや車に乗るときも円座クッションを持ち歩いていました。たくさんある荷物の中で円座クッションはかさばったけれど用意してよかったです。 リラックスできる「お気に入りの飲み物」 3つ目は、「お気に入りの飲み物」です。筆者の場合は朝に出産したのですが、興奮してしまい、出産初日はよく眠ることができませんでした。また、赤ちゃんのお世話をする合間に親戚や知人がお祝いに来てくれることもあり、無意識に気を張ってしまうことがありました。 そこで筆者は気持ちをリラックスさせるために、ハーブティーのティーバッグを持って行き飲んでいました。お気に入りの飲み物があると、リラックス効果もあり水分補給にも役立ちました。 人生初の出産に向けてあれもこれもと準備をした筆者ですが、快適な入院生活を求めるあまり荷物が大量になって退院のときが大変でした。いろいろあると便利かもしれませんが、厳選することも大切だと思いました。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年05月25日前回 小児アレルギー科のある病院に転院したその日に「重症のアトピー性皮膚炎」と診断され緊急入院となった長男。入院中は2~3時間おきに全身に薬を塗る必要があるそうですが…■いよいよ入院生活スタート長男のアトピーがひどく、診察したその日のうちに入院になりました。入院してすぐに、病院が用意したパジャマにお着替えをしました。そしてすぐに「薬を塗ります」と部屋を移動しました。そこの台に乗って服を脱いで看護師さん数人で薬をベッタリと塗りました。これでもかというくらい分厚くこってりと指先から足先まで全身くまなく塗っていました。次男の時も自宅でベッタリ塗りましたが、それ以上にベッタリと塗っていました。この時使ったのはステロイドとワセリンの混合薬です。湿疹があまりひどくないところはワセリンでした。薄塗では効果が薄れてしまうようです。■今度は親が薬を塗ってあげることにこんなにベッタリと塗ったのに2時間後、また薬を塗る時間に!夜、寝ていても看護師さんに「薬の時間です~」と起こされます。子どもは寝たままでOKなので、眠い目をこすりながら薬を塗りました。夜は3時間くらい時間が空いていたような記憶があります。■翌朝になると…翌朝もしっかりと薬を塗っていきます。もうこの時点で肌の質感が昨日とは違うのがわかりました。今までどこを触ってもカサカサザラザラだった長男の皮膚がツルっとしていました。とくにお腹の質感の変化に驚きました。赤ちゃんの頃からザラザラで、こういう肌質なのかと思っていたのがツルッツルに!お腹に湿疹はなかったのでワセリンだけの保湿でしたが、こんなにも変わるのかと感動しました。3泊4日の入院でしたが、退院する頃には湿疹はほぼなくなり、肌も子どもらしいツルツルとした肌になっていました。いきなり薬をやめるとまた湿疹が出てくるので、自宅でも2時間ごとは無理だけれどなるべくこまめに薬を塗るようにと指導をされ、しばらくはがんばって保湿を徹底しました。湿疹の様子を見て、徐々に薬を減らしていく治療法なのですが、最初はコントロールが難しく「これで合っているのだろうか…」と何度も思いましたが、病院で教えられたことを守るようにして、今ではコントロールもだいぶできるようになったと思います。あの時、勇気を出して転院して良かったと心から思っています。7歳になった今も朝晩の保湿は欠かせないしたまに湿疹も出るけれど、痒がって起きたり、血がにじむほどではないので、これからも子どものサポートはしっかりしていきたいと思います。=========================================本記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。=========================================
2019年03月28日最初のきっかけは上の子の咳。元気でしたが元々喘息があるので念のため小児科を受診。特に検査などはなく、薬をもらって帰宅。その後数日で元気になりました。そして数日後、当時2ヶ月半だった末っ子四男が咳をしはじめました。上の子同様、普通の風邪がうつってしまったんだろうとこの時までは思っていました。その日に小児科を受診。すると検査の結果RSウイルスに感染していることが判明。その時は熱もなく、咳もあまりひどくなかったことから一旦帰宅し、翌朝再度受診するように言われました。そして夜。眠れてはいるけどどうも咳がひどくなってきている気がする…。朝まで様子を見るのは恐い気がして夜間の救急を受診。こういうときの母親の直感とはよく当るもので、そのまま即入院になりました。最初は付き添い入院。病院到着後、すぐにモニターと酸素と点滴がつけられました。小さな体にたくさんの管を付けられて辛そうにする四男を見ながら、私はただただ抱っこすることしかできず…。RSウイルスは3~4日が一番ひどくなるそうで、結局ICUに入ることになりました。ICUは付き添い入院ができません。生後間もないのに初めて離れる事になってしまいました。3日間酸素マスクを付けられ、大きなベッドで眠る四男を見るたびに泣きそうになりながら連日通いました。その後、一般病棟に移動。再び付き添い入院に。看護師さん曰く、今年はRSウイルスが大流行していて、例年よりもかなり多くの3ヶ月未満の赤ちゃんが入院していると言っていました。その後無事に退院した四男。RSウイルスにかかると喘息のリスクが高くなると言われました。今も念のため、咳をしだすと早めに小児科へ行くようにしていますが、幸い今も喘息にはなっていません。お恥ずかしながら、5人目にして初めてRSウイルスの怖さを知った私(たまたまなのか、上の子達はだれも乳児期にRSに感染したことがありませんでした)。『RSウイルスは何度も感染するが、幼児さんくらいだとただの風邪のような症状で治るパターンが多く、知らない間に下の子にうつしてしまう…というケースが多いです』と先生が仰っていました。今ではすっかり元気な四男ですが、当時は本当にヒヤヒヤしました。
2018年11月21日小学2年の息子が「左手首骨折」仕事中、学校からの着信。嫌な予感。働くママなら経験があるはず、の呼び出し電話。「熱でも出したかなぁ」と電話にでると、遊具から降りた時に手をついたけれどどうも痛そうなので、病院に連れて行った方がよさそうだ、と。結果、左手手首の上あたりの骨2本骨折とのこと。「やっちゃいましたか」まずはそんな感想が…。そして、次に思ったのは、「右手じゃなくてよかった、足じゃなくてよかった」でした。二の腕の辺りから手のひらまでギプス固定となりました3歳の娘が「左足骨折」でもこんなふうに意外と冷静に息子の骨折に対応できたのは、長女が3歳の時に骨折を経験していたからかもしれません。当時、長女3歳、次女1歳、息子妊娠中。保育園のジャングルジムから降りた際に、左足骨折です。それまで、骨折なんて違う世界の話だと思っていた私。「骨折」と聞いて、そんなことが実際にあるんだ!と驚きました。まず困ったのは保育園。「できれば家庭保育をお願いしたい」と言われました。園の言い分もわかります。やっと一人でトイレに入れるくらいになったのに、トイレに行けない。着替えもできない。その時教室は2階でしたので、階段の上り下りもできません。先生が抱っこで運んでくれていました。みんなが外遊びをしている間、室内で過ごさないといけないをけれど、放っておくわけにはいかない。急に先生一人増やして、と言ってるのと同じですから。そうは言っても治るまで1カ月も2カ月も仕事を休めません。お願いして預かってもらえることになりました。それは本当に助かりましたが、「骨折」も想定外なら、まさか「骨折」で保育園に行けないなんてことは想像もしていませんでした。でも、もしかしたら、園によっては断られるところもあるかもしれません。大変なのは、お風呂・保育園の送迎・子どものストレス解消・お風呂これはギプスをしている間つきまとう問題です。濡らさないようにしないといけません。ビニールをかけて、体や頭を洗う時も注意が必要です。・保育園の送迎自転車の前後に乗せての登園だったのですが、3人目の妊娠発覚にあわせてベビーカー生活に替えた矢先の長女の足骨折でした。ベビーカーに次女を乗せ、後ろにステップを付けて長女を乗せて保育園送迎をしていたのですが、自転車も使えない、長女は立てない歩けない…。長女をベビーカーに乗せ、1歳の次女の手をつないでの登園です。時間がかかるったらないですよね。見かねた友人の双子ママが、「もうベビーカー卒業するから」と前後二人乗りベビーカーをゆずってくれました。・子どものストレス解消親が子どものお世話などでストレスがたまるのは仕方ないとして、子どもは「今までできたことができない」「友達と一緒に遊べないこと」でやはりずいぶんストレスがたまるようです。長女はやっとオムツがはずれて、自分でトイレに行けることがうれしかった時期なので、自分でトイレにも行けず、またオムツ生活。しかも1歳の妹がいてママもまだまだそちらに手がかかるとき。赤ちゃん返りのような甘えが出ることもありました。そこでまずは3歳児が喜ぶ工夫。「ギプスに装飾」です!とにかくお出かけやイベントが大好きな我が家。予定していたマラソン大会にはベビーカーで出場。サンタの姿に、サンタ靴下です。本当は右足にはいているこの靴下、プレゼントを入れるようなちょっと大きめの靴下だったのでギプスの足にはけるかなと思って買ったのですが、ギプスの上からは入らず、反対の足に装着。そしてギプスの方はクリスマスらしいリボンでかわいくしました。ひざの辺りのアンパンマンはギプスを付けた時に病院で付けてくれました。普段は好きなシールをいろいろと貼って楽しみました。キティちゃんやアンパンマンなどその日の気分でいろいろと!息子の骨折は手首だったこともあり…今回息子の骨折では1カ月たったら、片側からの添え木タイプになったので、お風呂の時だけはずすことができました。これはほんとに助かりました。この上から包帯で止めているだけなので、パカッとはずすことができます。お風呂上がりには、自分で包帯を巻けるようにもなりました。今回の骨折で心配したのが学校に行けるのか。足ではないので歩けるのですが、ランドセルを背負えるか、片手が使えないので重い荷物は持てません。骨折した次の日だけは骨折した反対の肩にランドセルをかけていましたが、次の日からは上手に両方の肩に通してちゃんと一人で学校行ってくれました。送迎しなくていい、それだけでもありがたかったです。動けないストレスの他に、ギプスのところが洗えずにかゆい、というのもあるようです。今回息子に言われたひとことにぎょっとしました。暑い日で、外で遊んで帰ってきたら、「おかあさん、ありさんが入ったみたい」実際にありさんが入ったわけではなく、ありが這いまわっているようにかゆい、ということのようです。そこで、「かゆいのかゆいのとんでいけ~」というのでは小2にはちょっと、という感じだったので、おまじないを考えました。早口で「うんぽこぽこぽこぽこぽこぽん」って3回連続で言えたらかゆいの治るよ、と。はい、母お得意の口から出まかせです。でもこれ、結構効果がありましたよ。一生懸命「うんぽこぽこぽこ…」と口ずさんでいました(笑)。まぁ、そう言ってるうちに気がまぎれていたようですね。骨折しても、なんとかなる!保育園や小学校での想定外のケガや病気、いろいろありますね。はじめての時には、親も「えー?」「どうしよう」とオロオロしたり、パニックになったりしますが、大変だけど、なんとかなります。保育園入園前、「子どもが熱を出したらどうしよう」などと、いろいろ考えたりしていましたが、「骨折」というのは全くの想定外でした。でも、よその話と思わず、万が一にもそんなこともあるかも、と思っておくだけでも、いざという時に、焦らず対処ができるかもしれません。でもそんな「いざという時」が来ないことを願っています。<文・写真:フリーランス記者鳥山由紀>
2018年06月18日女優の井上和香(37)が13日、ブログを更新し「実は入院していました」と明かした。詳しい経緯については明言していないものの「私自身に関しては、もう元気です!」と無事に退院したことを報告している。 『実は…』というタイトルで更新された記事で、入院していたことを明かした井上。「手首のネームバンド。これをつけた時、「あ、入院するんだな」と実感しました」と病室で横になっている写真をアップ。 また、「娘とこんなに離れたのは初めて」だといい、「初日はテレビ電話をしたら、最初は笑顔だったのに次第に泣き顔に。私もですが、顔を見ると嬉しいけど寂しくなっちゃうんですよね」と入院初日を振り返った。 まだ本調子ではないそうだが、普通の生活がおくれるくらい体調は回復している様子。「入院している間は穏やかに過ごしてましたよ育児をせずに、ご飯もでてくるなんて、夢のような時間でした」と茶目っ気を交えて伝えた。 「今回の入院である事をしたんですが、それはまた今度お話しますね」と入院の詳しい経緯は今後のブログで公表されるものと見られる。
2017年09月13日体調不良で休業中のフリーアナウンサー・小林麻耶が20日、自身のブログを更新し、乳がん闘病中の妹・小林麻央について「入院してくれてよかった」とつづった。麻耶は、入院していることを報告した麻央の投稿をリブログ。「自宅にいたい気持ちも充分すぎるほど、分かる。けど、けど、今回は...入院を選択してくれて良かった」と安心した気持ちを明かした。そして、「『今は、がんばる時ではないよ。医療の力を借りて、回復させよう』という先生のお言葉、優しいお気持ちに妹の心が動かされました」と説明。「頼ろう、頼ろう。力を借りよう。今回の自分の学びです!!」と記した。また、「今夜は、TBSドラマ『逃げ恥』最終回だー!!」と、新垣結衣主演の人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の最終回を楽しみにしている心境もつづった。
2016年12月21日質問:前十字靭帯断裂後の違和感、いつかなくなるものなのでしょうか?スポーツに復帰は?半年ほど前、スポーツで前十字靭帯(ぜんじゅうじじんたい)を断裂し入院、手術を経験しました。2週間ほどの入院で、退院後も松葉づえや装具を付けた日々が続き、日常生活に支障をきたしました。今は普通に歩いたりジョギングしたりはできますが、半年たった今も、スポーツへの復帰ができないのと、階段の上り降りに違和感を覚えます。こうした症状はいつかなくなるものなのでしょうか?リハビリを続ければスポーツに復帰できるでしょうか?神奈川県:萌衣さん(29)回答:「前十字靭帯」の断裂についてお答えします。――「前十字靭帯」の断裂前十字靭帯の断裂に関するご相談ですね。半年ほど前にスポーツによって受傷され、入院および手術を経験されたということで、大変な思いをされましたね。前十字靭帯の損傷や断裂は、ご相談者さまのようにスポーツ、特にバスケットボールやスキーなどでジャンプをして着地するとき、膝がつま先よりも内側に入るような動きを伴う運動で起こりやすいといわれています。靱帯の組織はあまり弾力性がなく、外から無理な力がかかると断裂してしまうことが多いようです。断裂した前十字靭帯は関節内の靱帯であり、例えば足首の靱帯などのように自然にくっつくということはないので、自分の身体にある靱帯の中で、なくても生活に支障のない靱帯を取り出して、前十字靭帯が断裂してしまった部分に移植する手術を行うことになります。<前十字靭帯断裂のリハビリ>通常の歩行などは2週間程度でできるようになる方が多いようですが、スポーツへの復帰となると、やはりその後もリハビリなどが必要になってきます。どのようなスポーツに復帰されるのかや、プロの選手なのか趣味程度なのか、目指すレベルによって異なってきますが、歩行の訓練、筋力トレーニング、関節の可動域に対する訓練といったものを、術後数日など比較的早期から個々の状態に合わせて週2~3回行う、といった流れが一般的なようです。半年ほど前に受傷されたということですが、現在もリハビリを続けられているということでよろしいでしょうか。やはり、前十字靭帯断裂は大きなケガですので、完全に違和感なく運動ができるようになるまでには、リハビリを行ってもある程度の期間を要します。また、スポーツに復帰するまでの間、硬いサポーターを用いて靱帯を保護していきます。一説によると期間は7~8カ月程度ともいわれていますが、これも大きな個人差があり、もっと長い期間、違和感が残る場合もあるかと思います。ただ、徐々に新しい靱帯もなじみ、ケガや手術によるlife-insurance/medicalや筋力も回復してきますので、あきらめずリハビリを続け、無理のかからない範囲でスポーツを続けていただければと思います。ご参考になれば幸いです。どうぞお大事にしてくださいね。Doctors Me(ドクターズミー)が保証している医師が回答しています
2016年12月18日娘の不登校で心労が重なり…批判的な世間の目に押しつぶされそうだった私出典 : 小2から不登校の娘は現在中学2年生で、アスペルガー症候群の診断が出ています。そしてシングルマザーである私にも、アスペルガー症候群の診断があります。娘は小2の2学期から徐々に学校を休み始めたました。それに対し、学校からの電話や訪問は毎日続き、2学期の終わりには付き添い登校もしましたが3学期から完全に行けなくなってしまいました。その間の心労で私は5キロ太り、「こんなに醜くなってどこへも行きたくない」と実家のトイレで1人ボロボロ涙を流しました。近所の人やママ友からは「学校には行かせなきゃダメよ」と会えばプレッシャーをかけられ、道端で大泣きしたこともあります。一方で娘はというと、登校しようとしても校舎を見ただけで「気持ち悪い、しんどい」と震え出します。精神的に限界がきているのがわかりましたが、放課後には勉強しないことを条件に登校することができていました。そんなとき提案された入院。日常から切り離されたことによる変化は出典 : そんなとき、娘の主治医から提案されたのが入院でした。「日常から離れてリラックスするために、親子で1週間入院しませんか?」と薦められたのです。疲れ切っていた私はさっそく手続きをし、親子2人で個室の入院生活を始めました。私は付き添いなので食事は出ませんが、ソファーベッドもあり、院内にはコンビニがあるので結構快適な入院生活でした。学校には「お見舞いは先生も生徒も一切お断りします」と言っておきましたし、主治医も休養目的ということでほとんど介入してこなかったので、日常から切り離され病院という場に守られ、親子共にゆっくりと過ごすことができたのです。娘もその生活が快適だったのか、1度も「退屈」とか「帰りたい」とは言いませんでした。私も日常生活の雑事や、学校、近所の目などから切り離され、すっかり安心して娘とリラックスできました。完全に不登校になった娘。2人きりの時間が辛くなった私はとうとう…出典 : しかしその後、小学3年生になった娘は、相変わらず学校に行くことができないままでした。この頃から夜眠れなくなり、「布団に一緒に入って」と言ったり「眠れない」と言って泣いたりする日が続くようになりました。「生きてるのに疲れた。引きこもりやし、ママとケンカばかりしてるし。不登校児かって大変やねんで。しんどいし、心許せる人としかよう会わんねん。家におっても時々しんどくなったり、お腹が痛くなる。」娘はそう言い、私が怒るたびに泣いていました。娘が不登校になり、家にいる時間が増えたとき、私は仕事を失った直後でした。2人きりで閉じこもり、娘の辛い気持ちをぶつけ続けられているうちに、私もだんだんと精神的に追い込まれていったのです。そして訪れた2度目の入院。苦渋の決断だったけれど、他に選択肢は無かった出典 : あまりに2人きりの生活が辛く、娘の主治医に「この頃本気ではないけれど、死にたいってよく考える」と打ち明けると、●一時保護を利用して娘と一度離れる●支援学校の訪問指導を受けるために入院するという2つの案を出されました。どんなに辛くても一時保護だけは嫌だった私は、訪問指導付きの入院を選んだのでした。入院してすぐに特別支援学校に転籍した娘。支援学校の先生が病室へやって来て、親から離れ勉強する日々が始まりました。残念ながら娘は先生と相性が合わず、2人っきりで勉強することをとても嫌がりました。「先生と勉強したら学校に連れ戻されるんやろ。」といって、身体は拒否感から体調不良が悪化、苦しむようになったのです。その様子を見ていて私も辛かったですが、もし先生の薦めに従わず家に2人きりだったら…虐待に走っていたか、自分が完全に壊れていたのではないかと、今でも思います。このときはその選択しかなかったのだと、今でも思っています。親子関係が煮詰まったとき。入院することで救われることもある出典 : 子どもにとって入院は賛否両論あるでしょうが、不登校だった娘にはいいこともありました。入院の最中、私と初めて引き離された娘は、看護師さんや同じ境遇の患者さんと出会い、私以外の人に頼ること、思い通りにならないときは気持ちの折り合いをつけることを学んだのです。最初は泣いて駄々をこねるだけだったのに、看護師さんの仕事を手伝ったり、ちょっとお姉さんの患者さんには上手に甘えたりと、私と2人だけの世界からちょっとだけ出て、たくましくなったように思います。私が所属する親の会でも、親御さんが精神的に追い詰められているケースをよく見かけます。私もうつ状態が続いた結果、希死念慮がひどくなり母子共にとても危険な状態に何回か陥りました。そんなとき、主治医の先生は入院を勧めてくれ、結果として私の精神状態も落ち着き、娘に危害を加えてしまうことを防げました。親子だけで関係が煮詰まってどうしようもなくなったり、親が疲れ果ててしまったとき、入院というのも1つの選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。少し距離を置くことで関係が変わることもありますから。
2016年12月09日質問:過去に病歴があっても、医療保険に入れますか?ご安心ください。高齢化社会を反映し、既往症がある方だけでなく、治療中の方でも加入しやすい保険が増えています。みなさんがよく目にされるのは、「誰でも月々○○円でOK」などのコマーシャルでしょうか。また、ネットに掲載されている情報も豊富になり、ご相談者の方から「私は既往症があるので、加入条件の緩やかな『引受基準緩和型』じゃないとだめだと思います」と、申し出てこられるケースも増えました。注意ポイントその1「うまい話には裏がある」じゃないですが……コマーシャルでよく目にする「誰でも保険料が一律」という保険は、以下の2つのタイプに分かれます。保険料は年齢、性別にかかわらず一律だが、給付対象となるのは「傷害(ケガ)での入院や手術のみ」という、「傷害保険」のケース。「病気」「ケガ」でも給付対象となる「医療保険」だが、加入時の保険料は一律でも、年齢・性別によって受け取れる給付金額が異なるケース。「入れてラッキー」「安くて良かった」といっても、いざという時に思っていた給付金が受け取れなければ意味がありません。加入前に、給付条件をよく確認するようにしてください。注意ポイントその2本当に引受基準緩和型しか入れないの!?既往症がある場合や治療中の場合、本当に保険料が一般的に高くなる『引受基準緩和型医療保険』にしか入れないのでしょうか。病歴の種類や治療内容にもよりますが、完治している場合はもちろん治療中でも、一般的な医療保険に加入できる場合があります。完治してから5年以上経過している場合告知義務は、申込日(告知日)からさかのぼって5年以内の治療歴が対象です。最後の治療(経過をみる検査を含む)から5年以上経過していれば、申告は不要です(一部のプランは、5年以上経過していても申告対象になる場合がありますのでご注意ください)。5年以内に治療歴があっても、保険会社が定めた、保険に加入できる範囲内の治療内容に該当する場合治療内容の詳細を申告する必要はありますが、「特別条件」付(「部位不担保」や「割増保険料」など)で受け付けてくれる場合があります。この場合のメリットは、引受基準緩和型より一般的に保険料が安くなることで、デメリットは、「部位不担保」の適用期間は、一部の給付金が受け取れない場合があることです。※部位不担保…主に医療保険に適用される条件で、契約日から一定期間または保険期間の全てにわたって、身体の特定部位などを保障の対象外(不担保)とすることを条件に契約する方法。最初から「引受基準緩和型」を検討するのではなく、必ず保険会社や保険代理店に相談してみましょう。注意ポイントその3あえて引受基準緩和型の選択肢も!「引受基準緩和型医療保険」のわかりやすいメリットは、一般的な医療保険より緩やかな健康告知で加入できることです。また、保障開始後の1年間は給付金が半額になるというのも特徴ですが、これはデメリットと受けとられがちです。しかし、実は、この1年以内の保障はメリットでもあります。なぜなら、一般的な医療保険の「部位不担保」などが適用された場合、因果関係のあるものは不担保期間中の給付金はゼロですが、引受基準緩和型医療保険の場合は、半額になるとはいえ、既往症と因果関係の強いものでも給付対象になりえるからです。ご自身にとって、どの選択肢がベストなのか、十分に比較しながら検討されることをおすすめします。※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。
2016年09月09日しっかり準備していったはずの入院グッズ。いざ出産・入院してみるとコレはいらなかった、コレは必要だった!と本当のところがわかってきました。初めての出産でこれがあると便利だった物を紹介します。わたしが入院準備したものはこちら↓あってよかった!持っていて正解の入院グッズはコレ!ストロー(ペットボトルにつけるタイプ)乾燥した病室内、母乳のためにとにかく水分が必要。ふたもパカッと簡単に空けられ、寝ながらでも飲めるストローは、大活躍でした。洗濯物用バッグ、カゴ汗をかいたり、母乳や悪露で汚したりと汚れ物もでるので便利です。ぽんぽんと汚れた物を入れておいて母に持って帰ってもらいました。小さなカゴは薬やペンなど細々した物を入れておけば散らからず快適。書類をまとめるファイル退院後の生活などについての書類や領収書など書類をまとめられるファイルを1つ持って行っておきました。バラバラにならずにまとめておけるので助かりました。飲み物麦茶、ミネラルウォーターは何本あっても困りませんでした!逆にジュースはほとんど飲まなかったので病院の自動販売機で買い足すぐらいで十分かも。用意してなかった!けど入院中に必要になったものはこれ!延長コードベッドとコンセントに距離があって、充電するたびにベッドから起き上がるのがひと苦労。赤ちゃんの写真を撮ったり、家族との連絡で何かと携帯を使うので、延長コードがあると便利だなと思いました。入院中に、家族に持ってきてもらうことに。コップ、箸、取り皿自分の分はありましたが、お見舞いにきてくれる主人や母のものが必要に。抱き枕帝王切開での出産だったので、傷口の痛みを緩和するために家から持ってきてもらいました。抱き枕にはかなり助けられました。着替えのパジャマ母乳や悪露、汗など意外と汚れるので1枚では足りませんでした。多めに用意をしておくといいと思います。特に延長コードと着替えのパジャマ。以外とベッドとコンセントに距離があって充電するたびにベッドから起き上がるのは苦労するので家族に持ってきてもらいました。用意するだけじゃだめ。ちゃんと伝えておく必要があった“陣痛グッズ”あるとよかったな〜と思ったのは“陣痛中に使うタオルとうちわ”。私は診察からすぐに分娩室に入ってしまったので、立ち会いの夫に病室から持ってきてもらわなければいけなかったのですが、なんと主人がもってきたのは“カメラ”のみ。「何かあったらこれもってきて!」とちゃんと伝えておけばよかったと後悔…。かろうじて持っていたちいさなタオルで汗をふいてもらったりあおいでもらったりしました。テニスボールなどのあらかじめ用意していた陣痛グッズも、主人は気づかなかったよう。そんなすぐには産まれないのにのほほんとカメラを構える主人にイラっとしてしまったので、他の人に持ってきてもらう想定で準備をすることをおすすめします!嵐のように過ぎて行く入院生活!入院中はゆっくり休める最後の時とよく言いますが、だからといってゆっくりパックしたり〜というのはなかなか難しいもの。授乳や沐浴、栄養指導などスケジュールは意外とびっしりです。私は帝王切開で入院期間も長かったのですが、傷口が痛み“最後ののんびり〜”といった悠長なことは言ってられず、日々赤ちゃんとの暮らしでいっぱいいっぱいでした。赤ちゃんのグッズもちゃんと揃っているので、あとはママが快適に過ごすための最低限のものがあれば大丈夫です。また、産後は動くのもつらかったり、退院の朝はとっても早いので、片付けや病室が散らからないようにするための整理整頓グッズがあるととっても快適です!
2016年09月08日日本には、国民全員が加入している公的医療保険があります。これにより、病気やケガの際の治療費は、1割~3割の負担で受けることができます。さらに、子育て世代には、自治体による医療費助成制度があり、ある一定の年齢まで子どもの医療費負担は、無料~数百円(※)となる場合がほとんどです。このような公的医療保険や自治体の助成があるため、医療費負担が家計に占める割合は多くないといえます。それでは、民間の医療保険は果たして必要なのでしょうか。※市町村により金額および、医療費助成を受けられる要件が異なります。公的医療保険の保障範囲まずは、公的医療保険の保障範囲についてみてみましょう。病気やケガの際に病院へ支払う医療費負担は、年齢により負担割合が異なります。上記負担には1カ月間で上限が定められており、上限を超えた分の医療費は、高額療養費制度により還付される仕組みとなっています。公的医療保険でカバーできない医療費公的医療保険には高額療養費制度があり、医療費を全てカバーできるように思えますが、医療費には、公的医療保険ではカバーできないものもあります。それは、「保険がきかない医療費」や「自己負担が必要な入院費等」です。■保険がきかない医療費「先進医療」といわれている保険対象外の治療方法を選択した際の医療費は、全額自己負担になります。■自己負担が必要な入院費等個室や少人数の部屋に対して、上乗せして支払う費用を「差額ベッド代」といいます。この上乗せ費用は、全額自己負担となります。また、入院時に病院から出る食事の費用は、1日あたり千円強程度ですが、この食事代も全額自己負担となります。その他、病院から借りた入院用の被服費なども自己負担となります。医療費以外にかかる費用病気やケガの際にかかる費用には、病院へ支払う医療費以外にもあります。病院までの交通費や、子どもが小さい場合に子どもの世話を頼む際の費用なども、医療費以外に必要となる費用です。そして、治療に伴う費用として、がん治療の副作用に対応するかつらや、乳がん治療後に行う乳房再建など、療養時にかかる医療費以外の費用もあります。また、病気やケガにより収入が途絶えることも想定できます。このような、公的医療保険でカバーしきれない部分を補うのが、医療保険です。個々のライフスタイルやリスク、考え方等により、医療保険だけでなく、がん保険、就業不能保険等も選択肢に入れ、病気やケガをした際の不安を補えるよう、適切な保険を選択されることをおすすめします。※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。
2016年08月30日質問:日帰り入院とは何ですか?日帰りであっても、医師の診断で「入院」となったものを「日帰り入院」といいます。「通院」とは、医師による治療が必要なため、外来や往診によって治療を受けることをいいますが、たとえ日帰りであっても、病院が診療報酬上「入院」として取り扱った場合、それは「入院」となります。日帰り入院は、「入院日と退院日が同一」の入院のことで、入院基本料(病室の利用など)の支払いが必要となります。
2016年05月26日タレントのおかもとまり(26)が19日、自身のブログを更新し、入院したことを報告した。おかもとは「まさかの入院。」というタイトルで更新。入院中のベッドで点滴している写真と共に、「すぐに退院できますが、しばらしくゆっくり身体休めさせ、お医者さんのいうことをききます」と伝え、「まだただ、子供達が愛しくて心苦しい。。」と胸中をつづった。ツイッターでもブログの記事を発信。「無理せず、お大事に!」「大丈夫?」「しっかりと休んで、元気になってください!」などとお見舞いコメントが寄せられている。
2016年04月19日質問:最近は短期入院が増えていると聞きましたが、医療保険への加入は本当に必要ですか?厚生労働省の調査によると、退院患者の平均入院日数は約1カ月ですので、医療保険への加入をおすすめします。「短期入院が多いから、医療保険には加入しなくても……」と考える場合、「短期入院=経済的負担も少ない」とお考えの方が多いのではないでしょうか。入院時の経済的負担は、必ずしも入院日数と比例するわけではありません。また多くの場合、入院は突発的に決まりますので、「緊急性」「突発性」も考慮して医療保険の必要性を検討する必要があります。減少する平均入院日数。ただし、年齢ごと、傷病ごとの違いに注意が必要厚生労働省の「平成26年(2014)患者調査」によると、退院患者の平均入院日数は31.9日ですが、年齢別にみると0歳~14歳は8.4日、15歳~34歳は12.0日、35歳~64歳は24.4日と若い年齢ほど平均以下になっています。一方で、65歳以上は41.7日、75歳以上で47.6日と平均以上の入院日数となっており、年齢とともに入院が長引く傾向があります。過去の患者調査から平均入院日数をみると、平成20年は35.6日、平成23年は32.8日と短期化していることは間違いないようですが、あくまでも平均となりますので、傷病によっては1カ月以上の入院の可能性も想定しておく必要があるといえます。高額療養費制度の注意点公的医療保障制度の中の「高額療養費制度」の適用を受ければ、1カ月の自己負担額が軽減されるため、医療保険に加入しなくてもよいという意見もあります。一般的な所得(年収770万円以下)の場合、1カ月程度の入院であれば、80,100円+αの自己負担で済むので、貯蓄で賄おうという考え方です。この考え方で注意が必要なのは以下の2点です。■自己負担額は所得によって大きく変わる平成27年1月以降、「高額療養費制度」の限度額の計算式が変更になり、例えば、年収770万円以上の方の場合、最低でも167,400円までは自己負担になります。入院といえば、予定外のものが多いと思いますが、月に約17万円の臨時出費は家計に及ぼす影響は大きいと思われます。また、年収770万円以下の方の場合でも、長期入院になった場合、月に約8万円の臨時出費は大きな負担といえます。■高額療養費制度の対象外となる費用がある「食費」や「居住費」、患者の希望によってサービスを受ける「差額ベッド代」、「先進医療にかかる費用」などは、高額療養費の支給の対象外となりますので、例えば、入院時に個室に入りたい場合や、先進医療を受けることになった場合は、自己負担額が高額になる可能性があります。今はゆとりがあっても、緊急のときにも同じゆとりがあるとは限りません。治療が長引くことや、その間の家族の生活のことを考えながら、医療保険について検討されてはいかがでしょうか。例えば、一般的な所得の方であれば、入院1日あたり10,000円の給付が受けられる医療保険のプランの場合、1週間程度の短期入院でも、7日間分の入院給付金で自己負担の医療費のほとんどを賄うことができます。しかし、1日5,000円の給付金のプランの場合、5,000円×7日=35,000円となるため、自己負担額の半分くらいの計算になるので注意が必要です。もし、日額5,000円の給付金のプランに加入されている場合は、短期入院の可能性も視野に入れてプランを再設計するか検討してみてはいかがでしょうか。なお、実際には、手術が伴う入院の場合には、上記の入院給付金以外に「手術給付金」も支給の対象になる場合があり、受け取れる給付金の総額も変わりますので、その点も考慮して検討されることをおすすめします。※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。
2016年03月28日TVシリーズ「GIRLS/ガールズ」で監督・脚本・主演を務めるレナ・ダナムが卵巣膿腫破裂で入院、手術を受けることが分かった。5日(現地時間)に入院したレナの代理人は「レナ・ダナムは子宮内膜症を患っていたことを公表していましたが、今朝、卵巣膿腫破裂で病院に搬送されました」と声明を発表。「レナは手術を受ける予定ですが、病院名は公表しません。皆様のご理解と、レナのプライバシーが尊重されることを願っています」としている。レナは先月、Facebookの公式ページでも健康上の理由で、アメリカで先月21日(現地時間)から始まった「GIRLS/ガールズ」第6シーズンのプロモーション活動に参加せず休養をとることを明らかにしていた。昨年、自身が発行しているメール・マガジン「Lenny Letter」で子宮内膜症を患っていることを公表したレナ。いまは十分な静養をとって、元気を取り戻してもらいたい。(text:Yuki Tominaga)
2016年03月07日質問:「健康保険」に加入していれば、「医療保険」には加入しなくても良いでしょうか?「健康保険」に加入していても、民間の「医療保険」への加入をおすすめします。公的医療保険制度の仕組みのひとつである「健康保険」と民間の「医療保険」とでは、それぞれの担う役割が大きく違いますので、「健康保険」に加入していても、民間の「医療保険」に加入されることをおすすめします。公的医療保険の役割日本では、「国民皆保険制度」によりすべての国民が公的医療保険に加入することになっています。公的医療保険制度は、国民がお互いに支え合うことによって、誰もが安心して医療を受けられる制度で、中小企業の会社員が加入する「協会けんぽ」や大企業の会社員が加入する「健康保険組合」、公務員や教職員が加入する「共済組合」などの被用者保険と、自営業者や農業者、専業主婦など被用者保険の対象外の方のための「国民健康保険」と、75歳以上の方が加入している「後期高齢者医療制度」の3つに大別することができます。公的医療保険制度は、国民生活上のリスクを広くカバーしてくれていますが、その中でも身近でもっとも大きな役割が、医療費の自己負担軽減です。治療を受けた際に窓口で支払う医療費は、この「公的医療保険制度」で定められた割合が請求されます。医療費の負担割合・義務教育就学前:2割負担※自治体によって補助制度があり、実際に窓口で支払う金額が異なる場合があります。・義務教育就学以降~69歳:3割負担・70歳~74歳:2割負担※現役並みの所得がある場合は3割負担となります。※平成26年4月2日以降に70歳になる方が対象。平成26年4月1日以前に70歳になっている方は1割負担のままです。・75歳以上:1割負担※現役並みの所得がある場合は3割負担となります。もし、「公的医療保険」に加入していない場合に病院にかかると、医療費の全額を支払う必要があり、その負担額は大きなものとなります。民間の医療保険の役割では、民間の医療保険の役割はどのようなものでしょうか。答えは「公的医療保険制度で補えない部分」に対する備え、すなわち「医療費の自己負担金」に対する備えです。高額所得者や預貯金の豊富な方など、医療費を自己負担しても、日々の生活への影響が少ない場合には、民間の医療保険に加入する必要性は低いかもしれません。しかし、多くの家庭では、預貯金の多くは教育費や住宅購入費用などの別の目的のために備えている場合が多いでしょう。「入院」や「手術」など医療費の負担が大きくなる場合のほとんどが、突発的に起こるものです。そんなとき、民間の医療保険に加入していれば、対応が可能になります。医療保険に加入する際には、公的医療保険制度の内容をふまえて検討を例えば、公的医療保険制度のひとつである「高額療養費制度」は、一カ月の医療費の自己負担額が一定額を超えた場合、その超えた分が還付されます。そのため、健康保険の適用のある治療であれば、大きな備えは必要がないかもしれません。しかし、高額療養費制度の対象にならない高度の医療技術を用いた療養(先進医療)を想定した場合、先進医療の技術料については、健康保険は適用されないため、自己負担が高額になる可能性があります。また、入院中の食事代や、自分から希望して個室に入院したときの差額ベッド代なども高額療養費制度の支給の対象になりません。民間の医療保険を検討する場合、あらゆるリスクに対応できるのが理想ですが、全てを医療保険でカバーしようとすると、その分保険料も高額になります。そこで、ご自身が加入されている公的医療保険の種類や保障内容を再度確認したうえで、不足する部分に優先順位をつけて、どのようなプランを選択し、どのような特約が必要なのか検討しましょう。このように、民間の医療保険への加入を検討する場合は、職業や家族構成など、さまざまな条件を考慮しながら検討をする必要があります。各ご家庭に則したプランを詳細に検討したい場合には、複数の保険会社の商品を取り扱っている総合代理店で相談してみることをおすすめします。※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。
2016年03月07日