東ヨーロッパのバルカン半島に位置する、北マケドニア共和国。同国のステボ・ペンダロフスキー大統領が、いじめを受ける少女のためにとった行動に、称賛の声が上がりました。北マケドニア共和国大統領「共感は私たちの道徳的義務」大統領政治教育センターの発表によると、ペンダロフスキー大統領は、ダウン症の少女であるエンブラ・アデミさんと彼女の家族が日常的に直面している課題について話しあったといいます。学校で、差別を受けているというエンブラさんのため、ペンダロフスキー大統領は、自ら彼女の手を取り、学校を訪問。「子供たちの権利を危険にさらすような人々の行動は、容認できない」とコメントし、エンブラさんと彼女の家族を支援する姿勢を見せました。また、ペンダロフスキー大統領が、エンブラさんとともに学校を訪れた背景には、「多様な人々がお互いの個性を認めあうことが基本原則である」と示すためだったとも、語っています。Stevo Pendarovskiさんの投稿 2022年2月7日月曜日Stevo Pendarovskiさんの投稿 2022年2月7日月曜日Stevo Pendarovskiさんの投稿 2022年2月7日月曜日Stevo Pendarovskiさんの投稿 2022年2月7日月曜日SNSを介して、「共感は私たちの道徳的義務」とも呼びかけたペンダロフスキー大統領。大統領自ら差別問題に向き合う姿勢はネット上で反響を呼び、日本でも「素晴らしい」とペンダロフスキー大統領を称賛する声が寄せられました。・少女を、1人の人間として、差別問題に向き合う姿が素晴らしい。・大統領としての信念を感じます。・「差別はダメ」「いじめはダメ」と語るだけではなく、実際に行動に移すところがかっこいい。エンブラさんや彼女の家族が直面している状況は、残念なことに決して珍しいことではありません。周囲から差別的な態度を取られ、悩んでいる人は世界中にいます。顔も知らない誰かの悩みではなく、自分のこととして問題に向き合う姿勢が、世の中を変える第一歩なのではないでしょうか。ペンダロフスキー大統領自らが起こしたアクションは、世界中の人々に大切なことを気付かせてくれたはずです。[文・構成/grape編集部]
2022年02月12日ダウン症のあるきいちゃんと、大変だけど笑いのある日々!初めまして。漫画家の星きのこです。わが家は6歳になるダウン症のある男の子、きいちゃんと私とパパの3人家族です。きいちゃんはダウン症の合併症である『心房中隔欠損症』(生まれつき心臓に穴が空いている。根治手術済み)そして『甲状腺機能低下症』という病気も一緒に持って生まれてきました。2歳くらいまではそれはそれは病弱で、何度も肺炎にかかり、入退院を繰り返していたのですが、6歳の今ではとってもやんちゃになり、元気に保育園に通う毎日です。そんなダウン症のあるきいちゃんと大変だけど笑いのある日々と、ダウン症ってどんな障害?という疑問について発信していけたらと思います。Upload By 星きのこそもそも『ダウン症』とは?みなさんは『ダウン症』と聞いて何を思い浮かべますか…?「知的障害がある」くらいまではみなさんご存知かもしれません。ダウン症は正しくは『ダウン症候群』といい、21番目の染色体が通常2本のところ、3本ある『染色体異常』のあることをいいます。そのため、21トリソミー※と呼ばれることもあります。(※注:トリソミーとは、ある染色体が1本余分に存在し、合計で3本になった状態のことです。)トリソミーはダウン症が有名ですが、13番目の染色体が1本多い13トリソミー(パドウ症候群)、また18番目の染色体が1本多い18トリソミー(エドワーズ症候群)など、ほかにもいろいろな染色体異常がある子どもがいます。また逆に、染色体の数が1本少ないモノソミーという染色体異常がある子どももいます。告知は青天の霹靂で…ちょっと難しい話をしてしまいました。何が言いたかったのかというと、ダウン症を始め、染色体の本数が違う子どもは確率の差こそあれ、どのお母さんからも生まれてくる可能性があります。ダウン症はその中でも約1/1000という比較的高い確率で生まれてくるため、ほかの染色体異常のある子どもたちより少しだけ有名なのかもしれません。でもまさか自分がダウン症のある子どもを産むとは思いませんよね…?恥ずかしながら私もその一人でした。染色体異常のある赤ちゃんの多くはその特徴から生まれてすぐに障害があることがわかるのがほろんどです。そんな私も産後1週間で「ダウン症の可能性があります」と医師から告知をうけました。いやもう、青天の霹靂というか、予想だにしなかったというか、金槌で頭打たれるほどショックで頭真っ白になるとはこのことかー!と思ったほどでありますよ、はい。Upload By 星きのこUpload By 星きのこ「本当の幸せ」を子どもに教えてもらっています私がそうだったように、産後すぐに「自分の子どもに障害がある」と告げられるママさん、パパさんの多くは危機的な状況に陥ります。愛する子どもは「健康で生まれてきてほしい」と願うのが親心なのですから。じゃあ、健康でない、障害のある子の子育てが不幸なのかというと、全くそんなことはありません!もちろん、ちょっぴり大変なことはありますが、それ以上に楽しく、幸せなことがいっぱい待っています。だからどうかこれを読んでくださっているママさんは悲観しないでと伝えたいです。今では「ダウン症という障害があってもなくても、きいちゃんがわが家に生まれてきてくれて本当によかった…!」としみじみパパと話しているほどです。ゆっくりでも確実に成長していく『ダウン症のあるわが子』に勇気づけられ、感動させられ、そして「本当の幸せとは何か?」ということを日々教えてもらっています。そういったいわば最近は『私の心の師匠』にもなりつつあるダウン症のあるきいちゃんと私たち家族のお話を少しずつこの場を借りてお話させて頂ければと思います。どうぞよろしくお願い致します。Upload By 星きのこ執筆/星きのこ(監修:鈴木先生より)私がまだ研修医なりたての1985年に、「ダウン症の健康手帳」がダウン症児の親の集いである「こやぎの会」から発行され始めました。その1ページ目には「天国の特別な子ども」と題した以下のようなポエムが載っています。「会議が開かれました。(途中略)神様に向かって天使たちは言いました。“この子は特別の赤ちゃんでたくさんの愛情が必要でしょう。(途中略)この子の生涯が幸せなものとなるように、どうぞ神様、この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください。(途中略)天から授けられたこの子によって、ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。神から送られたこの子を育てることによって。柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ天から授かった特別な子どもなのです”」ダウン症の患者さんを診るたびにこのポエムを思い出しています。
2022年01月15日息子の笑顔を見たときに、「この子を大切に育てていこう」と思ったパーツモデル・美容家として活躍する金子エミさんの長男カイトさんは、ダウン症のあるスイマーとして、世界チャンピオンを目指しています。世界の舞台で活躍する度胸、強さはどうやって育まれたのか、金子エミさんにLITALICO発達ナビ編集長が聞きました。Upload By 発達ナビ編集部発達ナビ編集長(以下――)カイトさんが生まれたときのことから、聞かせてください。カイトさんにダウン症があると分かったのはいつでしたか?金子エミさん(以下、金子)生まれてすぐに気づきました。顔を見たときにハッとしたんです。席がよく隣同士だった小学校の同級生にそっくりだったんです。彼にはダウン症がありました。ショックというよりも、「なんで!?」と、ずっと考えていました。看護師さんに聞くと、「顔立ちだけでは分からない」と言われましたが、そのときの対応が焦っているような、ドキッとしているような感じに見えたから、やはりそうなんだろうなと思っていました。――金子さんがご自分について書かれた本などを読むと、初めからかなりポジティブにとらえられている感じがしましたが、実際にはどうでしたか?金子:彼にダウン症があることについて受け入れたのは、早いほうだったとは思います。だけど、1ヶ月くらいは(カイトの)鎖肛(※)の手術などもあって入院していましたから、もう日付とか時間とかよく分からない感じで過ごしていました。私が先に退院したので、とにかく母乳を絞って冷凍して、病院にせっせと届ける日々でした。その当時は、パーツモデルの仕事も今後はできないだろうと思っていましたから、手肌を気遣うこともなく普通に家事をして、手は荒れ放題でした。※鎖肛とは:生まれつき肛門がうまくつくられなかった病気―そこからどういうきっかけで、子育てもご自分のキャリアも両立しようと思われたのですか?金子:当時のマネージャーに、「ダウン症のある子が生まれたから、たぶんもうモデルの仕事はできないと思う」と打ち明けたんですね。そうしたら、彼女には身内にダウン症のある人がいたようで、「ダウン症の子、普通よ~?」と言ったんです。私は「何言ってるの?障害がある子の子育てとモデルの仕事の両立なんて無理じゃない?」と思っていたんですが、「辞めるのはいつでもできるから」と説得されました。それでとりあえず事務所に籍は置いておくことにしたんです。カイトのことを受け入れられたきっかけは、彼の笑顔でした。とにかく笑うんですよ。おとなしい子で、いつもソファのすみの定位置に座ってニコニコ笑っているんです。その笑顔が「かわいいー!」と思ったんです、心から。それが生後半年くらいのころ。そのときに、この笑顔に支えられている自分を感じたし、大切に育てていこうと決意しました。ちょうどそのころ、「そろそろ仕事復帰してみる?」という話がちらほらくるようになったタイミングでした。そして、カメラの「カシャッ」というシャッターの音を聞いたときに、ああ、やっぱりこの撮影の現場がたまらなく好きだ、やっぱり私、モデルの仕事したい、と思ったんです。仕事をしたいという気持ちと同時に、カイトの親であることを理由に何かをあきらめるということは、一つもつくりたくないと思ったんです。私がやりたいことは全部やってやろうと。それで保育園に入れる覚悟をして、仕事に復帰しました。――それでも、お子さんが小さいころは、両立は大変ではなかったですか?金子:大変でしたよ。余裕はまったくなくて、次から次へとやることがあって、キッチンで泣いたこともあります。「だれかごはんつくってー!だれかー!」って。ただ、仕事・育児・家事と分けて考えてはいなかったですね。すべて私のやるべきこと、一つの道としてシンプルに考えていました。目の前にあることをとにかく必死にやり切る毎日だったので、細かいことはもう覚えていないのですが。「得意なもの探し」をするよりも、息子のことをとにかくよく見て育てたUpload By 発達ナビ編集部――ところで、カイトさんは小さいころから運動が得意だったんですか?金子:全然!陸の運動は苦手なんですよ、走るのも体育の授業も嫌い。水泳だけがたまたま好きだったんです。――水泳に出合うまで、彼の得意なことや好きな物を特に探したりしましたか?金子:好きなことや一生懸命やりたがることが何なのかは、よく見ていましたが、何かをさせてみるということはなかったです。カイトはどちらかというと、絵や字を書いたりすることが好きで、泳いでいるとき以外は、じっとしているような子なんです。でも、小さいころから水がとても好きで、ちょっと目を離すとお風呂に直行しちゃうような子でした。危ないのでお風呂場には水をためないように気をつけていたくらい。とにかく水が好きなんだなと思っていました。――最初に通われたスイミングクラブでは障害児向けのクラスがあったんですか?金子:当時はインターネットの情報なんてないから、電話して問い合わせました。そこでは表立って障害児向けクラスを設けていたわけではなかったんですが、ダウン症のある子が通っていたんですよ。それで聞いてみた。11歳のときでした。そのときにも先生から、「この子はお水が好きだから、頑張って通わせてね」と言われたのですが、当時は私も仕事に復帰していたので、週1回からまずは通わせ始めました。中学校1~2年のころには週3回通うようになりました。――選手になれるかもと思ったのは、いつごろから?金子:私自身は一度もそういうことを思ったことがなくて。先生から、「東京都障害者スポーツ競技大会があるけど出てみる?」と聞かれて、「え?出られるんですか?」という感じでした。13歳から日本選手権に出られるから、まずは東京都の大会からということに。ダウン症だけでなく自閉スペクトラム症のある子どももいる知的障害者のS-14のクラスに出場しました。水泳は、そもそも彼がやっていて楽しくて、健康のためにということがいちばんの目的だったので、選手なんてまさか想像もしませんでした。――よく見て、認めて、カイトくんが好きなことをと思ったことがつながったんでしょうね。つらいことを楽しく乗り越えさせてくれるコーチとの出会いUpload By 発達ナビ編集部――子ども自身をよく見ること、ポジティブな言葉をかけること、とても大事だなと私も思っています。金子:ポジティブな言葉の声かけは、カイトが小さいときから大切にしてきました。彼の場合、覚えられる言葉というのが限られているので。だから、汚い言葉、ネガティブな言葉を彼にかけたことは一回もありません。たとえば、嫌いな食べ物についても、「これを食べると強くなるよ」と言います。「これを食べないと××になっちゃうよ」というネガティブな言い方はしてこなかったですね。今、彼は死に物狂いで泳いでトレーニングを積んでいるんです。精神的にもかなり追い込まれているので、ネガティブな否定形の脅し文句のようなことばを言われてしまうと、折れちゃいそう。試合前に「そういう泳ぎしていたら負けるぞ!」なんて言われると、やめてー!って思います。――うちに来てくれるヘルパーさんの中に、海外からいらっしゃった方がいて。彼女とても明るくてかける言葉がすべてポジティブ。娘が座り込んで歩かなかったりすると「大丈夫!●●ちゃんはできるよ!」と、ちょっと強引かも?という調子で励ましてくれるのですが、そんなふうに娘ができると信じ切ってポジティブに励ましてくれると、実際それで歩けたりするんですよね。金子:ほんとそういうことが大事!カイトの専属のコーチはアメリカで勉強してきた先生で、すごくポジティブで、ネガティブなことは一切言いません。だけど、練習はとっても厳しいんですよ。1日に2回練習するときは3,500~5,000mといったすごい距離を、パーソナル練習では息継ぎもほとんどさせずにがんがん泳がせる。つらいことを、こんなに楽しく超えさせるということが素晴らしくて。「楽しく強くなろうな!」って言ってくれるんです。――それにしてもすごい!5,000mですか!?金子:通い始めたころは、カイトはそんな距離を泳ぐことはぜんぜんできなくて、練習についていけなかったんです。だから、続けられないかもと思っていたら、先生から「お母さん、仕事が忙しいかもしれないけれど、カイトは水と水泳が大好きだから、練習に来てもいいよ!」と言われたんです。このコーチのところでは、初めは親も子どもと一緒にプールに入るのが条件。先生は一人で20人の選手を見ているので、指示したことが伝わらない可能性もあります。だから、「まずはお母さんがカイトに伝わる言葉で伝えて」と言われました。「僕はお母さんがどんな風にカイトに伝えているかを勉強するから。そこから、僕も何をどういえばカイトに伝わるか学びます」と言われたんです。今は、4年目に入って、ようやく一対一のパーソナルトレーニングも始まりました。ここまでの3年、コーチとカイトの間に信頼関係を築く時間でした。それは、死ぬ気で泳がないとメダルは狙えないから。だから3年間、頑張って通いました。――やっぱり世界に進出するって大変なことですね。そんなカイトさんとエミさんの関係は良好ですか?金子:今ね、カイトに「リコンしたいです」って言われているんです(笑)。リコンということばの意味をよく分かっていないで言っているんですけど、要するにあまりにいつも一緒だから、少し離れたいということみたい。四六時中一緒にいますからね、水泳に行くときはもちろん一緒だし。私の仕事のときくらいですね、別行動は。仕事も今は以前ほどは入れていませんから、カイトと過ごす時間が長いんです。一時期、カイトはB型支援作業所での仕事をしていたことがあったんですが、仕事とトレーニングの両立がきつくて、私としてもカイトには若い今しかできないことを優先してほしいと思ったので辞めることになりました。このことに関してはさまざまな考え方があるかと思いますが、少なくてもパリのパラリンピックまでは、この体制で四六時中一緒にいようと決めました。顔色を見て、食べ物の管理をして、全部見るつもりです。リコンしようとは言われますが、ほんとうに命が危ないくらいギリギリまでトレーニングしているので、体調の変化にも敏感でいたいので、とにかく今は一緒に行動しています。ポジティブな声かけが、「自分が好き」という「強さ」を育てるUpload By 発達ナビ編集部金子:声かけをポジティブにしているのがアスリートとしても成功したと思ったのは、調子が悪いときにも、自分でポジティブに考えるくせができたこと。小さいころから私がメンタルトレーナーのような役割をしてきたんだと思うんですね。社会に出ると、いやなことってたくさんあるじゃないですか?それでも、ポジティブな気持ちに変換できるのは、小さいころから、ポジティブな言葉の声かけをしてきたからだなぁと。――先日、娘の体育発表会があったのですが、娘は自分で自分をほめて拍手をしながら、楽しそうに走っていたんです。そして、ゴール直前で立ち止まって、同じレースに出ているお友達が追いつくのを応援しながら待って一緒にゴールしたと思ったら、大好きな先生のところに走って行って、「私のことほめてー!」という具合。ポジティブな言葉かけで育てると、自分のことが好きな人に育つのだなと思います。カイトさんも自分のことが好きなんですよね。金子:自分を好きでいるって、私たち自身にとってもとても大事なこと。彼を見ていると学びます。自分を大切にしていますよね、彼は。たとえば、友達と会ったときに、知らんぷりされるようなことがあってもけっこう平気なんです。そこで「ぼくは嫌われ者」とは自分で思わない。「自分は自分」と言っています。人と比べないし、ねたみもない。人がうまくできたらほめるし。あ、でも水泳だけは別です。自分がチャンピオンになりたいから、友達が優勝したときは、見ないんですよ、その友達のことを。知らんぷりしています。水泳は、やはり勝負の世界だから、足を引っ張られるようなこともあります。特に、チャンピオンになりそうなときがいちばんつらいです。今は、世界でメダルを取るか、というところまできたので環境も変わってきましたが。いろいろあっても、ひどく落ち込むことがなかったのは、自分が好きだという強さがあったからだと思っています。私はカイトの笑顔が、小さいころよりもなお一層、好きなんです。それは、人から自分が否定されるようなことがあってもまったくへっちゃらという「自分が好き」な強さからうまれる笑顔でもあると思っています。Upload By 発達ナビ編集部――カイトさんは、東京2020大会のパラリンピック閉会式に出演されましたが、とても堂々としていましたね!金子:プロのモデルの私から見ても、すごいと思いました。カイト自身、人前に立つことが好きみたいですが、大きい舞台で堂々とパフォーマンスできたのは、水泳から学んだことがあったからだと思います。ずっと毎日トレーニングしてきて、舞台は一本勝負。集中力とか、度胸とか、水泳を通じて得たものなのでしょう。カイトがなぜ、あの閉会式のクライマックスシーンに選ばれたかと言うのは、もちろんさまざまなご縁があってのことですが、やはり勝負の世界で真剣に戦ってきたから、この子なら大丈夫だと任されたのだろうと、私は思っています。本人はすごく楽しかったと言っています。見ている私のほうがプレッシャーで、疲れました!(笑) 彼は何かの使命をもって生まれてきていますよね。私はその使命を全うするお手伝いをしていると思っています。自分の夢は、ただのパーツモデルが広告の世界に出させてもらったときに、全ての夢は叶ったし、思った以上の自分になれたから、もう十分なんです。とにかく今は、次のフランスのパラリンピックにはダウン症クラスができて、スイマーとして出場することが私たちの願いです。カイトが世界の舞台で金メダルをとれたら、と。そして、たくさんの人に応援してほしいと願っています。Upload By 発達ナビ編集部文/関川香織撮影/鈴木江実子
2021年12月14日オンラインで開催された合同学術集会「つながる」ダウン症を発見したジョン・ラングドン・ダウン博士の誕生日が11月18日であることから、日本ダウン症会議は11月中旬に開催されます。2017年の第1回から2年ごとの開催で、今回、第3回を迎えました。今回は初のオンライン開催。そして、第44回日本小児遺伝学会学術集会・第3回日本ダウン症学会学術集会とともに3会の合同学術集会「つながる」として、2021年11月12日(金)~14日(日)の間、開催されました。埼玉県立小児医療センター遺伝科の大橋博文先生による、大会長講演「先天異常症候群の包括的支援」から内容を要約・抜粋します。大会長講演より「病気について知ったときの不安や孤独を解消していくのは支援と『つながる』こと」先天異常症候群、遺伝的な疾患はほんとうにさまざまなものがあります。埼玉県立小児医療センター遺伝科で2005~2015年に初診があったのは3518名、そのうちダウン症候群は934名でした。一方で、希少疾患に関しては、年間に1人しかいない病気や、診断がつかない病気も少なくありません。もちろん、個々の疾患の治療法も大切ですが、同時に療育(医療)や、さらには地域・社会資源とどうつながっていくのか、ということが課題となります。埼玉県立小児医療センターでは、病気が分かったときの病院の対応についての調査をしています。病院側の対応について、不満があると答えた保護者は約50%に上ります。また、体の合併症などについては、約8割の人が不安には感じているけれども、ほしかった情報に関しての順位は低く(回答は4割以下)、つまり、疾患そのものの情報提供はあるけれども、保護者の多くが知りたいのは、今後の心身の発達がどうなっていくのか、育児や療育の情報について、だということが分かります。このことから同医療センターの取り組みとして、1989年(平成元年)から始まったのがダウン症候群総合支援外来(通称DK外来)です。理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)、臨床心理士といったスタッフによる勉強会、家族交流会などを実施して、生後1年にわたるサポートをしています。このDK外来の参加者アンケートでは、「ダウン症のある子がたくさんいて、その親もたくさんいて、自分だけじゃないと思い、悲しさが薄れました」という声があがっています。一人ではないことが分かり、「つながる」ことで不安がなくなっていくということが伺えます。さらに、ダウン症以外の障害のある子育てをしている保護者グループとの連携をとることで、活動の幅は広がっています。不安と孤独を埋めてくれるのは、周りの人たちと「つながる」ことなのです。本人発表より「コロナ禍で、『つながる』ことで元気づけられるのは、ダウン症がある人たちも同じ」日本ダウン症会議では、第1回開催から、ダウン症のある当事者が、自分の言葉で発表をする場があります。今回の合同学術集会でも、東京学芸大学教育実践研究支援センターの橋本創一教授が座長となり、今回は3名の発表者を迎えました。発表のあと、それぞれ橋本先生との一問一答があります。Upload By 発達ナビ編集部矢野裕奈(やのゆうな)さんは、千葉県の15歳。中学3年生です。毎日楽しく通学し、部活は園芸部、趣味はダンス、カラオケ、乗馬。また、劇団「人の森ケチャップ」での活動をしています。さまざまな個性をもつ人たちと、一緒に踊ったり舞台に立つことが楽しく、それ自体が「まぜこぜの社会」の実現であることについて、写真スライドを映しながら発表しました。「私は、大好きなことに囲まれて幸せです」と話してくれた一方で、コロナ禍になって、会いたい人に会えなくなったり、会えないままのさようならも経験したりしたそう。感染拡大はとても悲しいこと。それでも、自分に起こっていることはガマンできるから、「私ができることを頑張りたいです」と結びました。矢野裕奈さんと橋本先生との一問一答より橋本創一先生(以下――)自分のことを強いと思いますか?弱いと思いますか?裕奈さん:強いです。――どんなところが?裕奈さん:コロナに勝つために、みんなのために予防すれば私は強いと思います。――高校生になったら、どんなことがしたいですか?裕奈さん:高校生になったら、勉強を頑張りたいし、お芝居も続けていきたいです。Upload By 発達ナビ編集部恒矢信輝(つねやのぶてる)さんは、三重県に住む27歳。障害者2名でのシェアハウス暮らしは5年目に入りました。マンションの一室で、ヘルパーの支援を得て自立生活しています。就労支援継続B型作業所まで電車で通勤し、野菜の水耕栽培に従事。スペシャルオリンピックスでは馬術の選手で、競泳、テニスなどもしています。また、ピアノとミュージックベルでのイベント出演も楽しんでいます。発語がない信輝さんに代わって、発表は母の景子さんがサポート。普段の生活の様子を記録した動画なども上映しました。食事の支度などはヘルパーさんと一緒にしますが、料理をする中でうまくできたことをほめられると、とても印象的な笑顔が見られます。実はお母さんがいないときのほうが、のびのびしているという姿が見られ、自立心のあらわれでもあることが伺えました。恒矢信輝さんと橋本先生との一問一答よりふだんはマカトンサインや手話でコミュニケーションしているため、橋本先生からの質問に対する回答を景子さんが選択肢を指で示し、信輝さんが選ぶという形で進行。――一人暮らしは楽しいですか?信輝さん:楽しい。――どんなところが楽しいですか?信輝さん:「母がいないこと」(「私(母)がいないこと」、「食べること」、「一人で過ごすこと」の選択肢からの答え)。――一人で暮らすのはいいですね。ビデオを見ていても、びっくりするくらい一人でできることが増えていて素晴らしいと思いました。Upload By 発達ナビ編集部金子衛(かねこまもる)さんは、東京都に住む24歳。会社員として、野菜の栽培の仕事をしています。収穫した野菜を持ち帰るときもあり、家族が喜んでくれるのが嬉しいそう。習い事は、ヒップホップダンス、習字、ピアノ。趣味はバドミントン、料理、映画観賞、音楽を聴くこと。「僕の毎日は楽しいことであふれている」と、趣味や習い事を楽しむ姿の写真スライドとともに発表したあと、金子さんは、ご自身が入院したときの経験を発表しました。昨年1月と7月と2回腸捻転を起こし、2度と起こさないようにするために手術となり、3週間近い手術入院を2回することになりました。親の面会もできないなか、どう乗り切ったかについて発表しました。入院を乗り切れたのは、やさしく接してしてくれた看護師さんや先生の存在、家族やダンス仲間からの励まし、大好きな乃木坂46、洗濯物を届けてくれたお母さんに会えた数分間などでした。こうした経験から、入院して孤独で不安なときに大切なこととして、「人とのつながりが元気をくれるということ、大好きなことがあると、大変なことを乗り切れるということ。もし、入院するときは、好きなものを持っていくことをおすすめします」とまとめました。金子衛さんと橋本先生との一問一答より――2回の入院大変でしたね。「つながる」ことの大切さ、よく分かりました。衛さん:つらかったです。――今日の発表は誰に見てほしいですか?衛さん:みんなです!(いい笑顔)――ところで、一人暮らしはしてみたい?衛さん:それはありません(きっぱり)。おうちがいいです。大変です。洗濯物とか、家事とかあるから。おうちでも(家事は)やってるけど、一人暮らしは大変だと思います。3人の発表後、橋本先生からは、今、ダウン症のある人について研究するという時代はそろそろ終わり、これからはダウン症のある本人や家族が、どういうことを研究してほしいかという段階に入っている、とのまとめがありました。「こうした本人の発表を通して、どんな自己理解をされていて、自己実現をしているのか。障害のあるなしに関わらず、ダウン症のある人もない人も、どうやって豊かな生活を営んでいきたいかが大切です。それを支えるためには、どんな課題があるのかを研究するためには、本人からの発信に常に耳を傾けていかなくてはいけないでしょう。話し言葉で表現するのが苦手な方が多いので、まわりの家族や私などが先回りして言ってしまうと、「うん」「そう」「はい」と答えてしまうこともあるので、ほんとは違うことを思っている場合もあるとは思います。こうしたご自身の言葉での発表は、そのまま問題提起となり、私たちはさまざまなことを考えさせられます。今後研究していくべきことを、提供してもらったと思っています」市民公開講座より基調講演、作家・岸田奈美さん「ダウン症のある弟が越えるべき壁を自分の壁にしてはいけないと思った」Upload By 発達ナビ編集部作家・岸田奈美さんは、母のひろ実さんが車椅子ユーザー、弟の良太さんはダウン症があり、お父さまは奈美さんが中学生のときに他界という家族構成。てんやわんやの日常を切り取り、ときに泣かせ笑わせるエッセイが人気です。「100文字ですむことを2000文字で書く」というキャッチフレーズ通り、豊かな表現で読む人の共感を呼ぶ文章を書く作家ですが、基調講演でもその饒舌ぶりが発揮されました。Upload By 発達ナビ編集部「私は特殊な家族で、平凡な日常を送っています。岸田みたいな人間もいるんだと思ってください。岸田みたいじゃなくてよかったなと思って聞いてほしい!(笑)」という言葉から始まった基調講演。3冊の著作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』、『傘のさし方がわからない』、『もうあかんわ日記』に収録されている家族を巡る数々のエピソードを、関西弁まじりのご自身の言葉でライブ感たっぷりに語りました。笑いと涙と、どんなにつらい経験だったろうと想像しがたいエピソードもたくさんありました。良太さんがいかに、周りの人から愛されている存在なのかは、エッセイの端々に表れていますが、そういう存在になったのも、「言葉でのコミュニケーションがほとんどできない弟に、母が『ありがとう』『ごめんなさい』『こんにちは』だけはしっかりと覚えさせていたから。人見知りのお姉ちゃんより、味方をつくっているんです」と話していました。講演後、市民公開講座の司会の長谷部真奈見さんとの対話の時間がありました。Upload By 発達ナビ編集部長谷部真奈見さん:最新の本『傘の差し方がわからない』のエピソードで「60歳になったときの自分の姿が見えなかった」というところ、しみじみと読みました。奈美さんが、母と弟と離れて暮らす姿を思い浮かべることができなかった、とありました。私自身も、今小学生のダウン症のある娘と、いつか離れて暮らすなんて考えられないと思ったんですよね。岸田奈美さん:悲しいですよ、やっぱり。私が先に死んだらとか、弟が死んだらどうしようとか、順番からしても母は私よりも先に亡くなるだろうし、とか…何回想像しても何回でも悲しいです。ひとりぼっちだったらとは思うけれど、それは私がどれだけ考えても、どうにもならないことなんです。お金を残すとか、弟にとっていい場所を見つけるとかはできますが、それ以上は限界があります。だから、弟が越えるべき壁を、自分の壁にしちゃだめだなと思ったんです。弟がさみしい思いをするとか、ひとりぼっちになるということは、彼が人生の中でぶち当たる壁なんです。それを私が先回りして、弟にとっていい環境ばかりを用意していたら、彼にとってよくない環境に出合ったときに、自分で助けを求める力を奪うことになるんじゃないかと、思ったんです。弟が大好きだから、弟がつらい未来は考えただけでつらい。でも、私が一生家族のめんどうをみることが大事なんじゃなくて、自立と言うのは、できるだけ依存する先を増やしていくことだと思うんです。味方を増やしていく。私がエッセイを書いているのは、味方を増やすためという一面もあるんですけど、もし私が死んでも、ひとりぼっちになった弟を見て、「あれは奈美さんとこの弟じゃないか」と声をかけてくれるかもしれない。それだけでいいんです。あとは弟がそれまでに培ってきた人生を、しゃべれないなりに人と関わってきた人生を、信じるしかない。できるだけ傷ついてほしくないけど、彼が傷つく機会を奪ってはいけないと思っています。まとめ日本ダウン症会議をはじめとする今回の合同学術集会を通じて感じられたのは、障害のある人たちが成長して成人期になったときに、自分らしく自立して生きていくためには、周りの人の考え方、環境がとても大事であることでした。その人の、できないことを克服することに焦点を当てるのではなく、その人ができることをできるだけ伸ばすこと、そして周りの人と「つながる」こと。障害のあるなしにかかわらず、子どもの将来を考えたときに不安は尽きないものです。でもその不安を超えさせてくれるのは、やはり「つながる」というキーワードなのでした。合同学術集会「つながる」ホームページ全日程プログラム、演者一覧
2021年12月01日ダウン症の娘さんを育てている、父親のオカスケ(@okasuke249)さん。娘さんの学校での様子を聞いて涙が出たといいます。娘さんは、休み時間に教室で1人ポツンと自分の席に座っていたそうです。その様子を見た先生は、娘さんに声をかけようとしました。しかし、先生が声をかける前にクラスイチのやんちゃな生徒が、娘さんの隣に座ってきたのです。生徒は、娘さんの横で黙って読書を始めたのだとか。きっと、生徒はポツンと1人で座っている娘さんを見て、近くにいてあげたいと思ったのでしょう。娘さんは、隣に座った生徒の優しさを感じたのか、笑顔で本を読み始めたといいます。ダウン症の娘今日の休み時間、クラスでポツンと1人で座っていたそうです。先生が声をかけようとしたその時…そこにクラス1のやんちゃ君が、そっと横の席に座り、黙って読書を始めたそうです。しょんぼりしていたうちの子もそれを見て、本を笑顔で読み始めたと…それを聞いて父は泣きました— オカスケ (@okasuke249) September 8, 2021 この話を聞いて、感動して涙を流したというオカスケさん。投稿を見た人たちからも、「ウルっとした」「心が温まった」「素敵な寄り添い方」などと優しい生徒に称賛の声が寄せられていました。きちんと周りの様子を見て、自分にできることでサポートした生徒は、きっと他の人の見本にもなったでしょう。寄り添った生徒のように、優しさがあふれる世の中になっていってほしいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年09月11日アメリカのラスベガスに住むパティ・バルバさんが投稿した、夫と息子の動画が感動を呼んでいます。パティさんの息子のロビーさんはダウン症をもっていて、動画の中では彼女の夫であるフアンさんがロビーさんのヒゲを剃っている様子が映っています。若い息子のヒゲ剃りを父親が手伝ってあげるというのは、ほほ笑ましいシーンです。ところが、この動画が反響を呼んだのはそれだけが理由ではありません。実はフアンさんとロビーさんは血のつながった親子ではないのです。@stilettosandsincitySo blessed with @juanbarba06 ❤ ##stilettosandsincity ##specialneedsmom ##downsyndrome ##upsyndrome ##specialneedsdad ##specialbond ##husband♬ Like My Father - Jaxパティさんはロビーさんが6歳の時にフアンさんと出会い、結婚しました。ロビーさんは現在24歳。今では、彼とフアンさんは親友同士のように仲よしなのだとか。 View this post on Instagram A post shared by PATTY BARBA•CONTENT CREATOR (@stilettosandsincity) フアンさんがロビーさんのヒゲを剃ってあげる動画には、1千800万件を超える『いいね』が集まり、コメントが殺到しました。・家族になるのに必要なのは血縁じゃなく、心から愛しているかどうかだよね。・なんて美しい瞬間。幸せの涙があふれた。・最後の息子さんの笑顔で、彼がどれほど父親を信頼しているかが分かるね。動画の中でパティさんは、フアンさんへの思いをつづっています。夫はいつも、私の息子への接し方によって、彼がどれほど私を愛してくれているかを示してくれます。私たちは、なんてラッキーなのでしょう?彼らの信じられないほどの絆を見られたことと、こんな素晴らしい男性がそばにいてくれることに感謝します。stilettosandsincityーより引用(和訳) View this post on Instagram A post shared by PATTY BARBA•CONTENT CREATOR (@stilettosandsincity) ロビーさんの笑顔からは、フアンさんのことがどれほど好きかが伝わってきます。「愛は血のつながりを超える」ということを証明したパティさんの動画に、多くの人が温かい涙を流したようです。[文・構成/grape編集部]
2021年07月12日「ダウン症」知られたくなかったのに…! 私の場合、最初に身内以外に言ったのが、親友だったのですが、告知直後だったのもあり、号泣して電話してしまいました。たぶん、友人は私のショックぶりを電話越しに感じて、友人自身も動揺したと思います。 彼女は、「なんて言っていいかわからない……」と言いました。それは友人のとても正直な気持ちだったと思います。でも、パニック状態の私はその言葉を聞いたとき、受け入れられなかったんじゃないかと思ってしまいました。(たぶん、大丈夫だよ、とか関係ないよ、という言葉を欲しかったのだと思います)。 また、それと同時に、きいちゃんがダウン症だということを告げることによって、言われた相手も動揺し、とても困らせてしまうのだとわかりました。だからカミングアウトしたら、その相手を悩ませてしまうんじゃないかと思い悩みました。 またある人には、生まれた子が障害があったとメールで告げると、返事が返ってこなかったこともあり、なんで返信くれないんだろう、やっぱり言っちゃいけなかったんだ……!と、またもや ショックを受けてしまいました。(その後、1カ月後に同じくなんて返信したらいいかわからなかったと返信がきました) これは、彼女たちが特別なわけでもひどい訳でもなく、きっとごく普通の人の反応だと私は思っています。おそらく「障害」というものが身近になかったら本当にどう反応していいかわからないと思うのです。 自分が発した言葉によって相手を傷つけてしまうから何も言えなくなったんだと思います。(もちろん、そうじゃない人もたくさんいます)。 また、実の親に「なんでもっと詳しい検査をしなかったんだ」(←悪気はない)「きいちゃんがダウン症だったことは親戚に言わないほうがいい」(←これは酷い)と言われてしまったので、「きいちゃんがダウン症だということは言っちゃいけないことなんだ……!」と、そのときは思ってしまい、どんどん心を閉ざしてしまいました。 今思うとぜーんぜん、そんなことないのですけどね(笑)。今聞いたら、わが親ながら確実に「なんて失礼なっ!」と怒ります(笑)。 でも、きいちゃんのダウン症を隠しておくことは、きいちゃんに失礼じゃないか、それに嘘を抱えて人と付き合うのは、相手に誠実ではなく、嘘の関係しかつくれないのではないか、と真面目に思い悩んでしまいました。 でも、また勇気を出して話しても拒絶反応されたら……!?と怖くて怖くて、誰にも言えない日々が続きました。暗黒時代の到来です(笑)。しかも、かれこれ1年以上悩んでしまったのですよね。ずーーっと同じことで悩んでしまったという。 1年以上悩み続けて、その後どうなったかというと……。まあ、言っても言わなくてもいっか~~~、バレてもいっか~~~、どっちでもいっか~~~という感じです(笑)。いや、やっぱり自分の意思に反してバレるのは嫌です(笑)。 会った人には直接話したりするけど、特にSNSで発表もしていません。なぜこうなったかというと、一番はやはり1年過ぎて私も落ち着いてきて受け入れができるようになったからだと思います。 きいちゃんが生まれてすぐのときはど~~しよ~~~!!とパニック状態で、いわばむき出しのハートというか、何言われても「いたたたたっっいてーー!! いてーーーー!!!! 何すんだよお~~~~!!!」という感じだったのですが、 きいちゃんと一緒に過ごすうちにきいちゃん自身のかわいさに救われ、やがてカサブタができ、むき出し状態ではなくなったからだと思います。(もちろん、まだまだ気持ちの上下はありますよ~)。ダウン症じゃなかったらなあ、といまだに思ったりすることもあります。 ただ、あきらかに2年たって、あのときよりは変わってきました。変わったというか、慣れたというか……だから、もし、今、あのときと同じ状況になったとしても、 親友に「なんて言っていいかわからない……」と言われる。↓そりゃそうだよねえ~~~わかる、わかる、私も逆の立場だったらそ~なるさ~ 知人に出したメールが一か月返信こない。↓忙しいのかな~? こんなこともあるよね~~。 くらいの反応だと思うのです。 あのころの私はとがったナイフ状態で扱いにくかっただろうなあ……(ご迷惑かけた皆様、ごめんなさい)。あとはやっぱり親の会にはいったり、DK外来に行ったり、インスタ始めて同じ気持ちを共有できる仲間ができたのはとてもとても大きいです。 そして、悩みを一旦放置したのも私にとっては正解ではありました。だから、もし、今、周りにカミングアウトしようかどうしようか、カミングアウトできないっ!!!と悩んでいるママがいたら、無理にカミングアウトしなくても、まずは自分の心を一番大事にして、ゆっくりしたらいいんだよ~~って思います。 もちろん、漫画のA先輩のようにガンガンカミングアウトできる人はカミングアウトして(A先輩の性格ってうらやましい)、そうじゃなければ問題はいったん置いておいて、自分の心が元気になるまで無理しない選択もあるのではないかと個人的には思うのです。 きっと、未来は今より絶対笑っていると思うのです。 著者:星 きのこ監修/助産師REIKO
2021年07月09日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ 今回は、星 きのこさん。現在4歳になるダウン症の男の子を育てています。今回は、お子さんが2歳のころのお話です。 ダウン症、カミングアウト問題 カミングアウトについて。 ダウン症ないし、障害を持った子どもを授かった場合、ほぼ100%のママが悩むと思うカミングアウト問題。 例に漏れず、私も相~~~~~当~~~~~~悩みました。 友人、知人に伝えるか?伝えるとしてどこまでの友人か?そして、どーやって伝える?もう頭が禿げ上がるんじゃないかと思うくらい悩みました……。 もともと私は、妊娠したときも近い友人にしか話したくなく秘密にしていました。(高齢出産だったので、何が起きるかわからないため。しかも、1回流産しているので相当警戒していました……)。 ですが、妊娠6カ月のときにお世話になっている方の誕生日パーティーに伺ったとき、まだそんなにおなかが出ていないにも関わらず、勘のいい友人に気づかれ……そのままその会で「妊娠おめでとーーー!!」ということになり、そのおめでたい場を濁すこともできず、「あ、ありがとうございます」と流れで言わざるをえず……相当焦りました。 で、後日、相変わらずSNSとかでは沈黙していたのですが、その誕生日会にいた友人から、「妊娠おめでとーーー!!」的な書き込みをされてしまったのですが、そのコメントを消去することも感じ悪いなと思い、また「ありがとうございます!」と返信したら、それを見た友人・知人から「キャーーおめでとうーーー!!」とコメントの嵐……。 もう、終わった、こーなりゃ仕方がない……と妊娠がばれたのは開き直ることにしました。もう、ここでその後の地獄の始まりのフラグが立ってますね(笑)。 その後、きいちゃんを妊娠しているときは妊娠25週で切迫早産になり、約2カ月入院したりしてなかなか大変な妊娠期間だったのですが、なんとか無事にきいちゃん出産。 私の場合、きいちゃんが生まれてすぐは医師にもダウン症だと気づかれなかったため(今思うと隠してたのかな??)妊娠・出産を応援してくださった方に報告しなきゃ!と、出産後すぐに「無事生まれましたーーー!!! 元気な男の子です!」とSNS上でも報告しました。全然無事でも、元気でもなかったんですけどね……。 当たり前ですが、皆から「おめでとうーーー!!!」の嵐……。 そして1週間後にわかったダウン症の可能性……。あんなに祝福されたのに、ダウン症でしたなんて言えない……。それに、言ったらどう思われるんだろう。 いきなり態度変わる人いたりするのかな?可哀想がられたり同情されたりするのかな?もし私のことを嫌いな人が知ったらざまあみろと喜ぶ人がいるんだろうか。 それってめっちゃくやしい……。でも、言わないと……。でも、言いたくない……。言えない……。と無限ループの始まり……。著者:星 きのこ監修/助産師REIKO
2021年07月08日人生とはつねに選択の連続であり、さまざまな岐路に立たされることばかりですが、不安で前に進めなくなってしまうこともありますよね?まさにいまも、先が見えない状況のなかで過ごしている人も多いと思います。そこで、そんなときにオススメしたい映画は、悩める人に優しく手を差し伸べてくれる珠玉の1本です。『わたしはダフネ』【映画、ときどき私】 vol. 394明るくて社交的なダウン症の女性ダフネは、スーパーで働きながら、アンティーク店を営む父のルイジと母のマリアと平穏に暮らしていた。ところが、3人でバカンスを楽しんでいた最中に、突然マリアが倒れ、帰らぬ人となってしまう。母の死によって、一変したダフネとルイジの生活。それでもダフネは徐々に本来の明るさを取り戻していったが、悲観論者のルイジは喪失感と不安にさいなまれてふさぎ込んでしまうのだった。そんな父の姿を見て、ダフネはある提案をすることに……。ベルリン国際映画祭で公式上映された際には、多くの称賛と拍手を送られて話題となった本作。日本公開を目前に、こちらの方にお話をうかがってきました。フェデリコ・ボンディ監督本作が長編2作目となるボンディ監督は、イタリア映画界でも今後ますますの活躍が期待されているひとり。今回は、監督自らがSNSで見出したダフネ役のカロリーナ・ラスパンティさんとの裏話や日本に対する熱い思いについて語っていただきました。―この作品は、数年前に年老いた父親とダウン症の娘さんが手をつないでバス停にいた姿を監督が見かけたことがきっかけだったそうですが、何がそこまで監督の心をとらえたのでしょうか?監督そのとき僕は大渋滞にはまった車のなかにいたんですが、ふと外を見たらその親子が目に入ってきたのです。そこで何よりも僕の心をとらえたのは、2人が手をつないでいたこと。それによって、彼らがヒーローや何かの生存者のように見え、そこからいろいろと自問自答し始めるようになりました。そして、手と手を取り合う父と娘の姿を映画にできないだろうか、と考えるようになったのです。なかでも不思議に思ったのは、「母親はどこにいるのか?」ということと、「父親が娘を支えているのか、それとも娘が父親を支えているのか。どっちがどっちを支えているのだろう?」ということでしたが、そういった疑問がスパークして映画になっていきました。なので、おそらく彼らが手をつないでいなかったら、そんなふうに僕の心に残ることも、映画になることもなかったと思います。―では、以前からダウン症をテーマに映画を撮ろうと考えていたというわけではなかったんですね。監督実は、その親子を目撃するまで、僕にとってはまったく未知の世界でした。それどころか、ダウン症について無知だったと言えるかもしれません。その後、リサーチをするなかでダフネ役のカロリーナと知り合うことができましたが、この映画に関係なく、僕の人生において彼女のような素晴らしい友人と出会えたことは、大きな収穫だったと感じています。すべてを受け入れて生をまっとうすべきと教えられた―カロリーナさんの存在感は圧倒的でしたが、彼女から影響を受けていることはありますか?監督まず彼女がすごいところは、ダウン症であることをネガティブにとらえるのではなく、前向きな気持ちで受け入れ、つねに自分と対話を繰り返しているところ。だからこそ、ダウン症によって自分に限界があると考えることもありません。彼女は本当に明るくて成熟した性格の持ち主なんですよ。いまの僕たちは、効率重視の世の中に生きているので、苦しみや悲しみを乗り越えるためにいろんなツールを使ったり、薬まで飲んだりしますよね?でも、そういうものに頼るのではなく、つらい状況があったとしても、そのまま受け入れ、そのなかで生をまっとうすべきなんだということを彼女が教えてくれたように思います。―驚くことに、今回カロリーナさんは脚本を1ページも読まずに撮影に挑まれたと聞きました。どのようにして撮影していたのでしょうか?監督彼女が読まなかったというよりも、僕が彼女に脚本を渡さなかったというほうが正しいかもしれませんね。というのも、事前に脚本を渡していたら、おそらく彼女はセリフや演技をかっちりと覚えてきてくれたと思います。でも、僕としてはそうではなくて、あまりいろいろ考えずに彼女にリアクションを取ってほしいと思っていたので、あえて渡しませんでした。その結果、毎朝「今日はこういうシーンを撮るよ」と話してから撮影を進めたので、通常よりは複雑な手順にはなることも。でも、彼女は記憶力と洞察力が素晴らしいので、すぐに覚えてくれましたよ。そんなふうに、とにかくカロリーナのコンディションを整え、彼女のリアクションをうまく引き出すことに一番力を注ぎました。とはいえ、その方法だと脚本に書いてあることと違う動きをしてしまうこともありますし、ときにはセリフがすぐに出てこないときもあったので、このチャレンジを一緒に引き受けて、柔軟に対応してくれた父親役のアントニオ・ピオヴァネッリには本当に感謝しています。カロリーナは偏見やステレオタイプを壊す存在―そのなかでも、思い出のシーンはありますか?監督たとえば、母親が亡くなったあと、車のなかでカロリーナに泣いてもらうシーンを撮ろうとしていたときのこと。彼女に泣いてもらうために、ある方法を取りました。撮影の数か月前に、彼女から「私、ある曲を聞くと必ず泣いちゃうの」という話を偶然聞いていたので、事前に伝えずに突然車内にその曲を流したんです。イタリアで人気のポップスグループ「883」の曲なんですが、彼女にとってはうまくいかなかった初恋の思い出がある曲なんだとか。実際、彼女は本当に涙を流してくれました。そのほかにも、彼女が職場に復帰するシーンで同僚がお帰りパーティをしてくれるシーンがありますが、それも彼女には教えていなかったので、驚いている彼女のリアクションは本物です。―確かに、リアルな表情が印象的でした。また、劇中で彼女が放つセリフには、人生における“名言”のような言葉がたくさんあり、どれも心に響きましたが、それらはどのようにして生まれたのでしょうか?監督脚本の執筆段階から、カロリーナがガイドのように僕を導いてくれていました。実際、彼女と信頼関係を築いていくとともに、脚本もどんどん変化していきましたから。彼女のご両親ともお会いする機会がありましたが、本当に素晴らしい方々で、僕のことをとても歓迎してくれました。そんな彼らとやりとりをするなかで、セリフが生まれていったように思います。あと、もともとカロリーナの言葉遣いや語彙がとても特徴的だったので、僕にとってはものすごく想像力を掻き立ててくれる存在でした。だからこそ、言葉に対する彼女の反応を映画に落とし込みたいと考えたのです。―なるほど。また、監督は「異なる人と対峙したときに感じる偏見や恐れから抜け出してほしい」ということも観客に伝えたいそうですが、そういった状況から抜け出すために私たちがすべきこととは?監督カロリーナには偏見やステレオタイプを突き崩して、消滅させてしまうようなところがあるので、彼女には本来あるべき人間関係を築く力があるのだと思いました。魔法使いのように相手の意識をパッと明るくしてしまう人でもありますが、彼女自身が自分の感情に素直で弱さも認めているので、彼女と対話する人は鎧を脱いで裸にならざるを得ないんですよね。劇中のダフネにも同じことが言えますが、僕たちは彼女のそういう部分を見習うべきかもしれません。自分にとって日本はとても思い入れのある国―本作は、監督にとっては日本で劇場公開される初めての作品となりますが、日本で公開されることに対してどのようなお気持ちですか?監督すごく光栄なことだと思っています。ベルリン国際映画祭でこの映画が日本に売れたと聞いたときは、ほかの国で公開されることが決まったときよりも特別な喜びがありました。というのも、僕は日本に何度も行ったことがあり、友達もたくさんいるので、とても思い入れが強い国でもあるからです。―ちなみに、これまでに日本の作品や文化で、監督が感銘を受けたものなどはありますか?監督まずは、黒澤明監督ですね。僕の本棚には黒澤監督の伝記がありますが、本当に傑作です。いま、大学でデザインを教えていますが、日本人の感性や美意識に惹かれるイタリア人は多いので、20人いるクラスのうち15人は日本好きですよ!―うれしいですね。私もそのひとりですが、日本人もイタリア好きは多いです。監督ということは、相思相愛ですね(笑)。―そうですね(笑)。それでは、そんな日本の観客に向けてメッセージをお願いします。監督できることなら、映画を携えてカロリーナと一緒に日本に行きたかったので、本当に残念です。でも、自分の映画が日本まで旅をして、日本のみなさんと対話することになって誇らしいですし、何よりもうれしく思っています。この作品では、他者を認めるという国を超えたユニバーサルなテーマも描いているので、それが日本のみなさんにも届くことを願っています。どんなときも前を向いて歩いていく!人生は思い通りにいかないことはたくさんあるものの、近くにいてくれる人と手を取りあえば乗り越えられるものもたくさんあるのだと教えてくれる本作。ダフネが届けてくれる“幸せになるためのヒント”は、きっと誰の心も温かく包み込んでくれるはずです。取材、文・志村昌美優しさに満ちた予告編はこちら!作品情報『わたしはダフネ』7月3日(土)より、岩波ホールほか全国順次ロードショー配給:ザジフィルムズ© 2019, Vivo film - tutti i diritti riservati
2021年07月02日母親を失い、イキイキとしていたダフネの生活に変化が訪れるUpload By 発達ナビ編集部ダウン症がある30代の女性と、その家族の姿を描いたイタリア映画「わたしはダフネ」。信頼する母親が突然亡くなり、茫然自失とする父親と二人きりになったところから物語が描かれます。自分をしっかりと持ち、毎日の暮らしの中に喜びと誇りを見出すダウン症のダフネと、お酒ばかり飲みお店をなかなかあけることができないでいる年老いた父。障害がある子どもを親が一身に支えるのではない、互いを信じあえるようになったとき、一方通行ではなく支えあう家族の形が生まれていくさまが描かれた作品です。フェデリコ・ボンディ監督へ発達ナビ編集長がインタビュー今回、この映画の監督である、フェデリコ・ボンディさんに、LITALICO発達ナビ編集長・牟田がインタビューを行いました。このコラムでは、そのインタビューの様子をご紹介します。Upload By 発達ナビ編集部編集部 牟田(以下、――):映画を描くきっかけになったのは、バス停でバスを待つ親子の姿を見かけたことだったそうですね。フェデリコ・ボンディ監督(以下、監督):ええ、偶然目にした光景がこの映画を作るきっかけとなりました。渋滞中に、車の窓から外を見ると、バス停で年をとった父親と、背の低い30代くらいのダウン症のある女性が、手を握り合っていたのです。父親は目がうつろでした。そのとき私がまず思ったのは「母親はどこに?」ということ、そして「どちらがどちらをささえているのだろう?」ということでした。手を握り合っていたことがとても印象的で、「握り合う手のような映画を撮りたい」と思ったのです。――:お互いを支え合うということをテーマにした映画を作りたいと思ったということでしょうか。監督:支え合う人々の物語を撮りたいと思ったのです。でもこれは、私にとっては未知の分野でした。そこで、住まいのあるフィレンツェの協会を尋ね、そこに所属している(ダウン症がある人の)保護者と対話を重ねました。一人では脚本を書くことすら難しかったと思っています。そして、いろんなご家庭を訪問する中で、保護者の皆さんとの話しは、どんな心理学者と話すことよりも豊かだと感じました。――:ダウン症のある女性とその父親が手を握り合っていた。一般的には、父親のほうが障害のあるわが子を支えると考えがちだと思いますが、そのようにさまざまなご家庭を訪ねて気づいたことはあったのでしょうか?監督:ダウン症がある人とそのご家族と話をするようになってすぐに分かったのは「ダウン症の有無にかかわらず、誰一人同じではない」ということです。定型発達と言われる人も一人ひとり違うように、ダウン症がある人も一人ひとり違うということです。そもそも、私はダウン症についての映画を撮ろうと考えていたわけではありません。インクルージョンはとても大切なテーマではありますが、私がまず描きたいと思ったのは、一人ひとりがもつ資質についての物語です。そして、回復の物語です。主人公であるダフネは母を亡くします。年老いた父親を支えなくてはいけないし、自身の痛みとも向き合わなくてはいけない。そこからどのような反応をしていくのかを描きたいと思いました。Upload By 発達ナビ編集部――:主人公であるダフネを演じているカロリーナは、ダウン症があり、主人公と同じようにスーパーで働いています。そしてポジティブな女性ですよね。監督:彼女は自信がありすぎるくらいありますよ!ベルリン映画祭でのインタビューで何と言ったと思います?「この作品は大傑作です!こんな素晴らしい映画はほかにありません!」そして私に向かって「あなたもよくやったわよね。この傑作が生まれたのにはあなたの貢献もあると思う」と(笑)――:スーパーで、同僚の女性が「この仕事はつなぎだから。食べていくためにやっている」というようなことを言うシーンがありました。ですが、仕事に誇りを持つダフネと話すうちに、自分のやっていることって素敵なのかもと気づかされる描写でした。監督は、そうした姿勢をカロリーナから感じて描かれたのでしょうか?監督:カロリーナだけでなく、他のダウン症がある人々からも仕事への誇りは強く感じました。カロリーナ自身、スーパーで働いていて、彼女はワインの棚を担当しているのですが、彼女の持ち場のワイン棚はとても整然としているんですよ。また、カロリーナの素晴らしいところは、(前向きさや仕事へのプライドだけではなく)そのアイロニー(皮肉)の精神です。自分自身を客観的に見ることができる力があるのです。映画の撮影中、カロリーナに「泣いたほうがいい」とアドバイスされたんです。泣くことで心を解放できるからと。でもその時は特に泣きたい気持ちでもなかったし「映画が完成したらきっと泣くよ」と言ったのですね。映画が完成して初めての試写が終わったときに彼女が電話をしてきて、開口一番に「泣いた?」と。泣いてないと答えると「泣くって約束したじゃない!」と怒って、そして言ったんです。「泣くための薬を飲むべきよ」って。映画の中に、母親が亡くなって泣いているダフネに父親が薬をすすめるシーンがあるのですが、それを踏まえてのジョークです。アイロニーのセンスが素晴らしいなと感嘆しました。Upload By 発達ナビ編集部――:映画の中には「涙を止める薬なんていらない。私は泣きたいの」「人生はしんどいの。だから人間なの」など、哲学的なセリフがいくつか登場します。そうしたセリフにもカロリーナの影響はあるのでしょうか。監督:カロリーナと両親や同僚、友人との会話をかなり観察しました。そこから得たものもあるし、手紙や電話でひんぱんにやりとりをしていたから、そこから得たものもあります。そこで気づいたのは、カロリーナの中にある「生きる喜び」や「人生を楽しみたい」という思いの強さです。彼女は自分自身の弱さを力に変える力がある。ひっくり返す力があるのだと思いました。彼女のアイロ二―のセンスも、自分を客観視できるからこそ。自身を客観視できるから、弱さも強さに変えることができるのです。――:私自身、重度の障害がある娘がいます。ダフネ、そしてカロリーナが自分に自信をもって生きている、その姿を見て、わが子にも彼女のように人生を楽しめるような人になってほしい、それができるように育てられたらと感じました。監督:カロリーナの両親は、彼女に絶大な信頼を置いています。彼女が自立できるようにすべての手を尽くしているところが素晴らしいと感じました。――:娘は自立までは難しいかもしれないのですが…娘は言葉がしゃべれないのですが、この映画を一緒に見ていた時、涙を流している私を見て、頭をなででくれたんです。そしてハグをしてくれた。障害が重いと何もできないと思いがちですが、実は私自身娘にすごく支えられているんだと改めて感じられたんです。監督:その行為は、1000の言葉に匹敵しますね。素敵なエピソードをありがとう。グラッツェ。――:グラッツェ!Upload By 発達ナビ編集部第69回ベルリン映画祭にて国際批評家連盟賞受賞。2021年7月3日よりロードショー。東京・神保町の岩波ホール他、全国順次公開予定です監督・脚本:フェデリコ・ボンディ原案:フェデリコ・ボンディ、シモーナ・バルダンジエグゼクティブ・プロデューサー:アレッシオ・ラザレスキープロデューサー:マルタ・ドンゼリ、グレゴリオ・パオネッサ撮影:ピエロ・バッソ編集:ステファノ・クラヴェロ音楽:サヴェリオ・ランツァ衣装:マッシモ・カンティーニ・パリーニ出演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ、ステファニア・カッシーニ、アンジェラ・マグニ、ガブリエレ・スピネッリ、フランチェスカ・ラビ2019年/イタリア/イタリア語/94分/カラー/シネマスコープ原題:DAFNE字幕翻訳:関口英子配給:ザジフィルムズ後援:公益財団法人日本ダウン症協会厚生労働省社会保障審議会 推薦【中学生以上、保護者・指導者等、一般(啓蒙) 】
2021年06月27日ダウン症のある人たちのポジティブなエネルギーを写真から感じて!Upload By 発達ナビニュース2021年7月、ダウン症のある人たちの前向きなエネルギーをテーマとした写真展が、東京・渋谷のヒカリエで開催。全42点の写真が並びます!写真家の名畑文巨(なばた ふみお)は小さな子どもが持っているポジティブなエネルギーをテーマに、世界のダウン症のある子どもたちを取材撮影し、写真展を展開するプロジェクトを立ち上げ実行しています。2018年にロンドンで開催された第1回写真展「Positive Energies」では、日本・イギリス・ミャンマー・南アフリカ共和国での取材を行い、今回も出展しているイギリス人写真家リチャード・ベイリーらとともに三人展を実現させました。第2回となる日本展は、東京オリンピック・パラリンピックの理念の一つでもある「多様性と調和」を背景に、障害のある人たちへの心理的障壁を取り払い、すべての人が共存できる社会へ向かうきかっけにしたいと企画されました。ロンドンでの第1回展では、次のような感想がよせられています。美しい人たちの なんて感動的で詩的な写真たちでしょう。とても心動かされる展覧会でした! 共有してくれてありがとうございます。感動的で独創的な写真たち。写真に写っている人々が最高に美しく捉えられていますね。展覧会で涙を流したのは初めてです。写真による表現が持つ力を感じました。障害に関してのこれまでの表現は、悲しかったり、絶望的な印象を与える写真が多かったけれど、これらの写真にはポジティブな精神と温かみがあります。出生前検査・診断が普及しつつある中、胎児にダウン症のある可能性が高いとき、難しい選択に直面する場面も増加しました。新しい生命をめぐる施策の選択肢の一つとして、医師による合併症リスクなどの情報のみでなく、ダウン症のある人やその家族の姿を捉えた写真展を通して考える機会にしてもらえたら、という思いも込められています。ダウン症のある人たちの生き生きとした姿を撮り続ける、日英の写真家による作品Upload By 発達ナビニュース世界中のダウン症のある子どもやその家族を取材・撮影してきた名畑文巨と、ダウン症のある人が仕事やスポーツなどに打ち込む姿を捉え発信し続けるリチャード・ベイリー。第1回写真展でもタッグを組んだ二人による写真を、東京展で見ることができます。名畑 文巨(なばた ふみお)大阪府在住。子どもが見せるいきいきとした表情やしぐさ、それを見る者が抱く幸せな感情をテーマにした作品を撮り続ける。ダウン症のある子のエネルギーに衝撃を受け、世界のダウン症のある子どもたちを撮り発信している。APAアワード2009文部科学大臣賞受賞、公益社団法人日本写真家協会会員Richard Bailey(リチャード・ベイリー)ロンドン在住。彼自身、ダウン症のある子をもつ。英国ダウン症協会を中心に、同じ立場の人が集まり誕生した写真プロジェクト「Shifting Perspectives」にてキュレーターを務め、2005年から8年間に7カ国・40都市で写真展を開催。その後、2014年に公益財団法人日本ダウン症協会主催により東京で開催。開催日時/2021年7月22日(木・祝)~8月3日(火)11:00~20:00(入場は19:30まで)※7月24日(土)のみ17:30まで(入場は17:00まで)会場/渋谷ヒカリエ 8階 ギャラリースペース「CUBE」東京都渋谷区渋谷 2-21-1入場料/無料※感染防止対策渋谷ヒカリエ様の方針に従い、新型コロナウイルス感染防止対策を行います。マスクの着用、手指の消毒、入場者全員の氏名・連絡先の記入、検温等にご協力をお願いしています。主催:写真展ポジティブエナジーズ実行委員会助成:グレイトブリテン・ササカワ財団、大和日英基金特別協賛:金澤翔子協賛:ぜんち共済株式会社、日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合特別協力:Shifting Perspectives Project後援:外務省、厚生労働省、東京都、渋谷区公益財団法人スペシャルオリンピックス日本公益財団法人日本ダウン症協会公益社団法人日本写真協会特定非営利活動法人大阪USクラブ特定非営利活動法人アクセプションズ英国ダウン症協会、ミャンマーダウン症協会、南アフリカダウン症協会ダウン症のある人たちの前向きなエネルギー「Positive Energies」が写真からほとばしる、名畑文巨とリチャード・ベイリーの二人展 | 渋谷ヒカリエ写真展「ポジティブエナジーズ」| 渋谷ヒカリエ
2021年06月26日2021年7月公開のイタリア映画「わたしはダフネ」Upload By 発達ナビ編集部ダフネは社交的でしっかり者の、ダウン症のある30代の女性。スーパーで働きながら、愛情ゆたかな両親と暮らしていましたが、突然親友のように仲が良く信頼していた母親が亡くなってしまいます。この映画は、妻を亡くし親なきあとの娘を心配するあまりふさぎこんでしまう父親と、父親とのこれからの暮らしを模索するダフネとの物語です。障害がある子どもと年老いた父親。父であるルイジは「自分が死んだらどうしよう」と娘に”なにかしてやらなければいけない”と思っていますが、ダウン症のあるダフネも父親のことを”お酒ばかり飲んでふさぎ込み、お店も閉めてしまって心配だ”と感じています。お互いへの「自分が支えてあげないとこの人はダメになるのではないか」という不安感が、二人の関係をぎくしゃくとさせてしまいます。でも、母の生まれ故郷へ向かう旅を通して、二人の関係に変化が訪れます。お互いを「信じる」ことができるようになり、親子の関係がぐっと深まっていくのです。障害がある子どもは一方的に支えるべき存在?Upload By 発達ナビ編集部障害がある子どもを育てていると、「これをしてあげなくては」「これがなかったら困るだろう」と、子どものこれからを案じて行動してしまうことも少なくありません。ですが、子どもの側も「お父さんは大丈夫かな」「お母さん元気がないな」と心を寄せ、支えようとしているのかもしれません。一方ばかりが支え合うのではなく、お互いに信じ、支え合うことが必要なのではないか―ーこの映画はそんな風に問いかけてくるようです。この映画の監督である、フェデリコ・ボンディさんは「バス停で年老いてうつろな目をした父親と、とても小柄なダウン症の女性が手を握り合っている姿をみた」ことをインスピレーションにこの映画を描いたそうです。「”ダウン症のある人について描いた映画”ではない。”握り合う手のような、支え合う人々についての映画”を撮りたいと思った」のだと。ダフネの「生きること」へのポジティブな姿勢が力をくれるUpload By 発達ナビ編集部また、映画の中で私たちが気づかされるのは、ダフネの「生きる」ことへのまっすぐでポジティブな姿勢です。ダフネの仕事へのプライド、同僚への分け隔てのない友情をまっすぐに伝えようとする態度、友人と楽しむダンスのひととき。母が亡くなったとき、ひどく悲しむダフネに薬を進める父親へダフネはこう言います。「薬なんていらない。私は泣きたいの」我慢する必要などない、泣くことで心を解放することが今の自分にとって必要だと感じて、周囲をはばかることなくまっすぐに実践します。勤務先のスーパーに新しく入ったばかりの同僚が「生活のために仕方なく働くことにした」とつぶやくと、スーパーの仕事へのプライド、尊敬する店長の素晴らしさについて、イキイキと語りかけるダフネ。そんなダフネの姿を見た同僚の表情には、変化があらわれます。Upload By 発達ナビ編集部自分に正直に、日々の何気ないことがら一つひとつにもプライドを持って生きるダフネから「自分のしていることすべてにかけがえのない意味があり、何気ない日常こそ愛おしいものなのだ」と励まされるのです。自立したダウン症の女性の芯の強さに励まされ、毎日の暮らしを大切にしたいと思わせてくれる、元気をもらえる映画です。第69回ベルリン映画祭にて国際批評家連盟賞受賞。2021年7月3日よりロードショー。東京・神保町の岩波ホール他、全国順次公開予定です。監督・脚本:フェデリコ・ボンディ原案:フェデリコ・ボンディ、シモーナ・バルダンジエグゼクティブ・プロデューサー:アレッシオ・ラザレスキープロデューサー:マルタ・ドンゼリ、グレゴリオ・パオネッサ撮影:ピエロ・バッソ編集:ステファノ・クラヴェロ音楽:サヴェリオ・ランツァ衣装:マッシモ・カンティーニ・パリーニ出演:カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリ、ステファニア・カッシーニ、アンジェラ・マグニ、ガブリエレ・スピネッリ、フランチェスカ・ラビ2019年/イタリア/イタリア語/94分/カラー/シネマスコープ原題:DAFNE字幕翻訳:関口英子配給:ザジフィルムズ後援:公益財団法人日本ダウン症協会厚生労働省社会保障審議会 推薦【中学生以上、保護者・指導者等、一般(啓蒙) 】
2021年06月19日2021年3月12日に公開された、ある連鎖を描いた動画がネット上で話題になっています。動画の冒頭に登場するのは、ベーカリーの店長とダウン症の女性・シモーネ。彼女の働きぶりを見た人たちは、みんな笑顔になりました。すると、ベーカリーを訪れた弁護士が…。シモーネの働きぶりを見た弁護士は、ダウン症のジョンを雇いました。次に、そのジョンを見た歯医者が同じくダウン症のソフィアを雇います。さらに連鎖は続き、歯科医院に行った農業主もダウン症のケイトを雇い、そんな農園に足を運んだ美容師もダウン症のポールを雇うのです!Know more about people with Down syndrome and work.Why hire a person with Down syndrome?Research shows that employees...CoorDownさんの投稿 2021年3月20日土曜日Know more about people with Down syndrome and work.Why hire a person with Down syndrome?Research shows that employees...CoorDownさんの投稿 2021年3月20日土曜日すべては、ベーカリーの店長のアクションから始まったこと。ご紹介した動画のように、誰かの行動が多くの人に影響を及ぼして、世界をよりよくするかもしれません。雇用の連鎖を描いた動画『THE HIRING CHAIN』は、国連が定めた国際デー『世界ダウン症の日』である、3月21日に向けて公開されました。世界ダウン症の日は、ダウン症の人たちが自分らしく安心して暮らしていけるよう、世界中で啓発イベントが行われています。こちらの動画も、その1つ。動画を見た人たちからは、大きな反響が上がりました。・素敵な世界!泣きました。・障害のある人が働きやすい社会になってほしい。・何気なく見たが、めっちゃいい動画だった。・障害を持つ人たちが働くベーカリーを知っていますが、みなさん素晴らしい作り手です!ダウン症の人たちが働いて自立することは、人生を充実させるうえで大切なこと。誰もが雇用の機会が得られるよう、小さなことでもアクションを起こしていきたいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年03月22日クリスマスが近付く2020年11月、オーストラリアにある大手小売店『Kマート』が新しい人形を発売しました。その人形の名前は『ベビー・チャーリー』。愛らしい笑顔のチャーリーはダウン症の子供がモデルなのです。ダウン症をもつ3歳のイライジャくんの母親であるブロディ―さんは、早速Kマートに行き、男の子と女の子の人形を購入しました。Yayyyyy finallyPosted by The journey of T21 & a TeenMum on Sunday, November 29, 2020Yayyyyy finallyPosted by The journey of T21 & a TeenMum on Sunday, November 29, 2020海外メディア『7News』によると、イライジャくんは人形を見たとたん、男の子の人形をつかんで大喜びしたのだとか。その人形を『チャーリー』と名付けて、家の中でも持ち歩いて抱きしめているそうです。Yay for inclusion!!Thankyou so much Kmart Kmart AustraliaPosted by The journey of T21 & a TeenMum on Monday, November 30, 2020Yay for inclusion!!Thankyou so much Kmart Kmart AustraliaPosted by The journey of T21 & a TeenMum on Monday, November 30, 2020イライジャくんは最初は『チャーリー』しか興味を示さなかったそうですが、そのうち女の子の人形でも遊ぶようになったようです。きっと自分と同じ、男の子の人形により親近感を抱いているのでしょうね。Cuddles with Heidi! #justlikemePosted by The journey of T21 & a TeenMum on Tuesday, December 1, 2020Cuddles with Heidi! #justlikemePosted by The journey of T21 & a TeenMum on Tuesday, December 1, 2020『ベビー・チャーリー』は1体15オーストラリアドル(約1千200円)と価格もお手頃です。ブロディ―さんが早速これらの人形のことをFacebookで紹介したところ、大きな反響が上がりました。・とってもかわいい人形ね!・早速うちの娘に買ってあげたわ。・すごく欲しい。オーストラリア以外のKマートでも売ってくれないかしら?ありそうでなかったダウン症の子供の表情をモデルにした人形、『ベビー・チャーリー』。この人形を発売することにしたKマートには称賛の声が殺到。すでに一部の店舗では売り切れになっているほどの人気だといいます。子供にとって自分にそっくりの人形で遊べることは、大人が考えるよりずっと嬉しいことなのでしょう。多様性を大切にするこのような動きが世界中に広まっていくといいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年12月09日待望の赤ちゃんを授かった人にとって、初めて我が子と対面する瞬間は忘れがたいものでしょう。ロシアに住むエフゲニー・アニーシモフさんと彼の妻にとっても、息子のミシカくんが誕生した瞬間は喜びと感動そのものだったといいます。そして彼の誕生から1分39秒後、医師はエフゲニーさん夫婦にこう告げたのです。「恐らくお子さんはダウン症をもっていると思われます」ウェブメディア『Bored Panda』によると、エフゲニーさんは医師のその言葉を聞くまでダウン症について何も知らなかったのだそう。その数日後、検査の結果によりミシカくんがダウン症をもっていることが判明した時、彼は病院を出ると涙が止まらなかったのだとか。しかし、ひとしきり泣いた後はすぐに気持ちが切り替わり、「これは僕が計画した通りじゃないか。僕らは羊水検査を受けなかったが、もし受けていたとしても僕はこの子を望んでいただろう。だから責任を持って育てなければ」と前向きになれたといいます。※画像上の矢印をクリックするとほかの画像を見ることができます。 この投稿をInstagramで見る Евгений Анисимов(@evgen_tyz)がシェアした投稿 - 2020年 3月月25日午前5時30分PDT息子をめぐり妻と対立した夫の決意ミシカくんがダウン症と診断された日から、エフゲニーさんはダウン症についての理解を深めるための勉強を始めます。ところが彼の妻は同じ気持ちではありませんでした。妻はミシカくんを育てる自信がなく、養子に出すことを望んだのです。夫婦はそれまでいい信頼関係を築いていて、何か問題があっても一緒に乗り越えてきたといいます。多くの場合、エフゲニーさんが折れて妻の希望を叶えてあげていたのだそう。しかし今回ばかりは彼は折れるつもりはなく、必死に妻を説得しました。しかしその結果、妻はエフゲニーさんとミシカくんのもとを去って行ったのです。こうして彼はシングルファーザーとして、ミシカくんを育てることを決意します。 この投稿をInstagramで見る Евгений Анисимов(@evgen_tyz)がシェアした投稿 - 2020年 3月月1日午前4時38分PST妻と離婚後、エフゲニーさんの生活は大きく変わりました。彼の生活はミシカくんが中心となり、食事作りや洗濯、掃除、散歩などで毎日大忙しだといいます。エフゲニーさんの母親が手伝ってくれているため、彼は自分の時間を持つこともできるそうで、それがとても重要だと感じているのだそう。子育ての大変さを身をもって知った彼は「子供を持つすべての夫たちに『奥さんを手伝ってあげて』といいたいよ。子育てはとても面白いけど、すごくハードだからね」と語っています。 この投稿をInstagramで見る Евгений Анисимов(@evgen_tyz)がシェアした投稿 - 2020年 3月月21日午前12時36分PDT この投稿をInstagramで見る Евгений Анисимов(@evgen_tyz)がシェアした投稿 - 2020年10月月23日午前11時59分PDTエフゲニーさんはミシカくんとの生活をInstagramで公表しています。自分たちについて知ってもらうことで、同じようにダウン症をもつ子供の家族をサポートしたいと願っているのだそうです。僕らの例が、同じ状況の人たちにとってインスピレーションになればいいなと思います。僕たちがそうだったように、今、困難な状況にある人たちへ「怖がらないで!すべてうまくいきますよ!」と伝えたいです。Bored Pandaーより引用(和訳)ミシカくんは優しい父親とおばあさんの愛情をたっぷりと受けて、すくすくと成長しています。写真を見ていると、ミシカくんがとても幸せそうなのが伝わってきますね。エフゲニーさんとミシカくんの姿を見て、勇気付けられる人はきっと大勢いることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月26日「ダウン症」知られたくなかったのに…! 私の場合、最初に身内以外に言ったのが、親友だったのですが、告知直後だったのもあり、号泣して電話してしまいました。たぶん、友人は私のショックぶりを目の当たりし、友人自身も動揺したと思います。 彼女は、「なんて言っていいかわからない……」と言いました。それは友人のとても正直な気持ちだったと思います。でも、パニック状態の私はその言葉を聞いたとき、受け入れられなかったんじゃないかと思ってしまいました。(たぶん、大丈夫だよ、とか関係ないよ、という言葉を欲しかったのだと思います)。 また、それと同時に、きいちゃんがダウン症だということを告げることによって、言われた相手も動揺し、とても困らせてしまうのだとわかりました。だからカミングアウトしたら、その相手を悩ませてしまうんじゃないかと思い悩みました。 またある人には、生まれた子が障害があったとメールで告げると、返事が返ってこなかったこともあり、なんで返信くれないんだろう、やっぱり言っちゃいけなかったんだ……!と、またもや ショックを受けてしまいました。(その後、1カ月後に同じくなんて返信したらいいかわからなかったと返信がきました) これは、彼女たちが特別なわけでもひどい訳でもなく、きっとごく普通の人の反応だと私は思っています。おそらく「障害」というものが身近になかったら本当にどう反応していいかわからないと思うのです。 自分が発した言葉によって相手を傷つけてしまうから何も言えなくなったんだと思います。(もちろん、そうじゃない人もたくさんいます)。 また、実の親に「なんでもっと詳しい検査をしなかったんだ」(←悪気はない)「きいちゃんがダウン症だったことは親戚に言わないほうがいい」(←これは酷い)と言われてしまったので、「きいちゃんがダウン症だということは言っちゃいけないことなんだ……!」と、そのときは思ってしまい、どんどん心を閉ざしてしまいました。 今思うとぜーんぜん、そんなことないのですけどね(笑)。今聞いたら、わが親ながら確実に「なんて失礼なっ!」と怒ります(笑)。 でも、きいちゃんのダウン症を隠しておくことは、きいちゃんに失礼じゃないか、それに嘘を抱えて人と付き合うのは、相手に誠実ではなく、嘘の関係しかつくれないのではないか、と真面目に思い悩んでしまいました。 でも、また勇気を出して話しても拒絶反応されたら……!?と怖くて怖くて、誰にも言えない日々が続きました。暗黒時代の到来です(笑)。しかも、かれこれ1年以上悩んでしまったのですよね。ずーーっと同じことで悩んでしまったという。 1年以上悩み続けて、その後どうなったかというと……。まあ、言っても言わなくてもいっか~~~、バレてもいっか~~~、どっちでもいっか~~~という感じです(笑)。いや、やっぱり自分の意思に反してバレるのは嫌です(笑)。 会った人には直接話したりするけど、特にSNSで発表もしていません。なぜこうなったかというと、一番はやはり1年過ぎて私も落ち着いてきて受け入れができるようになったからだと思います。 きいちゃんが生まれてすぐのときはど~~しよ~~~!!とパニック状態で、いわばむき出しのハートというか、何言われても「いたたたたっっいてーー!! いてーーーー!!!! 何すんだよお~~~~!!!」という感じだったのですが、 きいちゃんと一緒に過ごすうちにきいちゃん自身のかわいさに救われ、やがてカサブタができ、むき出し状態ではなくなったからだと思います。(もちろん、まだまだ気持ちの上下はありますよ~)。ダウン症じゃなかったらなあ、といまだに思ったりすることもあります。 ただ、あきらかに2年たって、あのときよりは変わってきました。変わったというか、慣れたというか……だから、もし、今、あのときと同じ状況になったとしても、 親友に「なんて言っていいかわからない……」と言われる。↓そりゃそうだよねえ~~~わかる、わかる、私も逆の立場だったらそ~なるさ~ 知人に出したメールが一か月返信こない。↓忙しいのかな~? こんなこともあるよね~~。 くらいの反応だと思うのです。 あのころの私はとがったナイフ状態で扱いにくかっただろうなあ……(ご迷惑かけた皆様、ごめんなさい)。あとはやっぱり親の会にはいったり、DK外来に行ったり、インスタ始めて同じ気持ちを共有できる仲間ができたのはとてもとても大きいです。 そして、悩みを一旦放置したのも私にとっては正解ではありました。だから、もし、今、周りにカミングアウトしようかどうしようか、カミングアウトできないっ!!!と悩んでいるママがいたら、無理にカミングアウトしなくても、まずは自分の心を一番大事にして、ゆっくりしたらいいんだよ~~って思います。 もちろん、漫画のA先輩のようにガンガンカミングアウトできる人はカミングアウトして(A先輩の性格ってうらやましい)、そうじゃなければ問題はいったん置いておいて、自分の心が元気になるまで無理しない選択もあるのではないかと個人的には思うのです。 きっと、未来は今より絶対笑っていると思うのです。 著者:星 きのこ監修/助産師REIKO
2020年07月29日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ 今回は、星 きのこさん。現在4歳になるダウン症の男の子を育てています。今回は、お子さんが2歳のころのお話です。 ダウン症、カミングアウト問題 カミングアウトについて。 ダウン症ないし、障害を持った子どもを授かった場合、ほぼ100%のママが悩むと思うカミングアウト問題。 例に漏れず、私も相~~~~~当~~~~~~悩みました。 友人、知人に伝えるか?伝えるとしてどこまでの友人か?そして、どーやって伝える?もう頭が禿げ上がるんじゃないかと思うくらい悩みました……。 もともと私は、妊娠したときも近い友人にしか話したくなく秘密にしていました。(高齢出産だったので、何が起きるかわからないため。しかも、1回流産しているので相当警戒していました……)。 ですが、妊娠6カ月のときにお世話になっている方の誕生日パーティーに伺ったとき、まだそんなにおなかが出ていないにも関わらず、勘のいい友人に気づかれ……そのままその会で「妊娠おめでとーーー!!」ということになり、そのおめでたい場を濁すこともできず、「あ、ありがとうございます」と流れで言わざるをえず……相当焦りました。 で、後日、相変わらずSNSとかでは沈黙していたのですが、その誕生日会にいた友人から、「妊娠おめでとーーー!!」的な書き込みをされてしまったのですが、そのコメントを消去することも感じ悪いなと思い、また「ありがとうございます!」と返信したら、それを見た友人・知人から「キャーーおめでとうーーー!!」とコメントの嵐……。 もう、終わった、こーなりゃ仕方がない……と妊娠がばれたのは開き直ることにしました。もう、ここでその後の地獄の始まりのフラグが立ってますね(笑)。 その後、きいちゃんを妊娠しているときは妊娠25週で切迫早産になり、約2カ月入院したりしてなかなか大変な妊娠期間だったのですが、なんとか無事にきいちゃん出産。 私の場合、きいちゃんが生まれてすぐは医師にもダウン症だと気づかれなかったため(今思うと隠してたのかな??)妊娠・出産を応援してくださった方に報告しなきゃ!と、出産後すぐに「無事生まれましたーーー!!! 元気な男の子です!」とSNS上でも報告しました。全然無事でも、元気でもなかったんですけどね……。 当たり前ですが、皆から「おめでとうーーー!!!」の嵐……。 そして1週間後にわかったダウン症の可能性……。あんなに祝福されたのに、ダウン症でしたなんて言えない……。それに、言ったらどう思われるんだろう。 いきなり態度変わる人いたりするのかな?可哀想がられたり同情されたりするのかな?もし私のことを嫌いな人が知ったらざまあみろと喜ぶ人がいるんだろうか。 それってめっちゃくやしい……。でも、言わないと……。でも、言いたくない……。言えない……。と無限ループの始まり……。著者:星 きのこ監修/助産師REIKO
2020年07月27日「気軽に専門家に質問ができて、さらに返信も早い」とママから日々感謝の声が寄せられているベビーカレンダーの人気コンテンツ【助産師に相談】の掲示板。その中から特に注目をあつめた質問の内容を一部抜粋してご紹介します。今回は、ダウン症に関するご質問です。 Q.成長の過程でダウン症になることがあるんですか?先日生後7カ月になった娘がいます。最近実母が、顔つきや舌をよく出したりするところなどダウン症の特徴をあげて、娘のことをダウン症ではないか? とよく言ってきます。検査をしたほうがいいと言うので、検査をしようとは思っています。妊娠中は、エコー検査で異常なしと言われていましたが、成長の過程でダウン症になることがあるんですか?ダウン症の子どもさんは成長が遅いと聞きます。娘は寝返りも生後5カ月になる前にしましたが、寝返りから戻ることができずまだひとり座りもできません。やはりダウン症の可能性があるのでしょうか? 高塚あきこ助産師からの回答実際にダウン症かどうかは染色体検査をしてみないと確定診断はできませんが、たしかにダウン症の場合には、顔貌など、いくつかの特徴的な所見があり、指摘されることも多いです。ダウン症は染色体異常によるものですので、成長過程でダウン症になるということはありませんよ。成長のスピードは個人差が大きいので、そこだけでは一概に判断はできませんが、今まで健診等で指摘されたことがなければあまりご心配がないのではないかと思います。ですが、もし、ご心配な場合には、健診や予防接種などの際に小児科でご相談なさってみると安心できるかもしれません。※参考:ベビーカレンダー「助産師に相談」コーナー※診断や具体的な治療については医師の指示にしたがってください ダウン症って?ダウン症は、本来2本ある21番目の染色体が3本ある染色体異常で、21トリソミーともいいます。この染色体異常よって、ダウン症の赤ちゃんは特有の顔つきをしており、先天性の心疾患や消化管の異常をともなうことがあります。また、筋緊張が低下による寝返りなどの発達の遅れや精神遅滞も認められます。 ダウン症の場合、成長はゆっくりではありますが、やさしく温和な性格であることが多いといわれています。近年では医療・療育・教育・福祉が進み、ほとんどの人が普通に学校生活や社会生活を送っており、平均寿命は60歳前後とされています。 ダウン症の赤ちゃんが生まれる頻度は約1,000人に1人といわれていますが、近年の日本では晩婚化にともなう高齢出産が増加している影響などから約600人に1人との報告もあるようです。 どうやってダウン症だとわかる?ダウン症の確定診断は、染色体検査によっておこなわれます。生まれた赤ちゃんの血液を検査するだけでなく、妊娠中に羊水を検査することでも診断できます。 妊娠中の羊水検査は出生前診断のための検査のひとつですが、羊水検査の前にママの血液を調べ、ダウン症を含む特定の染色体異常の確率を調べる母体血清マーカーテストやNIPT(母体血胎児染色体検査)の結果を受けておこなわれることが多いです。※参考:ニュース(医療)「ダウン症とは?検査方法や特徴を助産師が解説!【世界ダウン症の日】」【著者:助産師 REIKO】
2019年08月08日ダウン症のある人たち、みんなさまざまな個性がある!Upload By 発達ナビ編集部2019年2月11日、新宿・四谷区民ホールで「世界ダウン症の日キックオフイベント2019」が開催されました。国連制定の「世界ダウン症の日」である3月21日に向けて、全国各地でさまざまなイベントが予定されています。そのまさにキックオフとなるイベントです。ところで、なぜ3月21日が世界ダウン症の日なのか知っていますか?ダウン症がある人は「21番目の染色体が3本ある」ということから定められました。ダウン症のある人には、知的な発達はとてもゆっくり、筋力が弱め、心臓病など合併症がある場合もある、といった特徴があります。かつては短命といわれていましたが、医学の進歩に伴って、今では60歳代になっても元気に生活をしている人もいます。おおらかで人懐こく、ダンスや歌が大好き。就労している人もたくさんいます。もちろん、個性はさまざまなので、そうではない人もいます。Upload By 発達ナビ編集部そんなダウン症のある人たちについて、一般的にはまだ知られていないことがたくさんあります。ダウン症のある赤ちゃんや小さい子どもを育てているママやパパにとっては、「これからどんな大人になっていくんだろう?」という思いもあります。赤ちゃんから大人までたくさんの人たちが集まり、ステージやブースでの活躍の姿が見られるイベントは、ただ仲間が集まるお祭りではなく、さまざまな人同士の交流の場ともなっていました。ロビーでプログラムなどの資料を配るのは、ダウン症のある成人した人たち。お客様を迎えるのがうれしい彼らは、来場者に積極的に近づき、にこやかに手渡してくれました。ステージではダウン症のあるたくさんの人たちの「今」が見られましたUpload By 発達ナビ編集部ステージで繰り広げられるプログラムの司会は、フジテレビアナウンサー・笠井信輔さんと、「ダウン症のイケメン」タレント・あべけん太さん。このペアでのキックオフイベントの司会はすでに3回目。息もぴったりで、「まるで漫才コンビみたいになっているよね」と笠井アナ。けん太さんが突然アドリブをはさみこむと、「台本にないことやってる!」と盛り上げます。Upload By 発達ナビ編集部チーム・ラミ・ドリームチームによるチアダンスから、プログラムがスタートしました。知的障害のある若者たちのビューティーコンテスト「スペシャル・ビューティー・ジャパン」の参加者と、チアダンスチーム「柏ゴールデンホークス」とが一緒になって結成されたダンスチームです。このチームをサポートしている横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス監督からもメッセージが届きました!元気な音楽で力いっぱい踊るドリームチームのメンバーたち。ステージで踊った感想を聞かれると、「楽しかったです」「はじめてでしたけど、本番でもがんばりました」「家ではいっぱい練習しました」と、ハキハキと答えていました。Upload By 発達ナビ編集部Upload By 発達ナビ編集部毎年発表されている、ダウン症をもっと知ってもらうためのポスター。この日、2019年版が発表されました!ステージ上のスクリーンにあらわれたのは、着物も所作も美しい、茶道のお点前をする女性の姿。モデルに選ばれた澤田仁美さん(33歳)は小学校4年生の頃から茶道を習い、熱心に練習を重ね、今は裏千家の準教授の許状も取得しました。この日は、仁美さんとご両親そろってステージに登場。母・博子さんが、仁美さんの小学生だったころのエピソードを披露しました。Upload By 発達ナビ編集部第一部の締めくくりに、JDSアピール文の採択がされました。これは毎年、ダウン症のある本人たちに読み上げてもらう「宣言」です。ダウン症がある9人の20代の若者が壇上に上がり、アピール文を読み上げたあと、会場からの大きな拍手で「採択」されました。**************「Leave no one behind.」(リーブ・ノー・ワン・ビハインド)私たちはみんな学んだり働いたりがんばっていますそれぞれ好きなことを楽しんでいますもっともっと幸せになりたいです私たちは考えていますだれひとりのこらずみんなが その人らしく 安心してくらしていけるように!Leave no one behind(リーブ・ノー・ワン・ビハインド)**************ダウン症のある本人たちが、自分たちの言葉で生活を語る!休憩をはさみ、第2部の始まりは「ダウン症のあるご本人3人の発表とトークセッション」からスタートしました。埼玉県の戸田萌葉さん、佐賀県の西村嘉浩さん、神奈川県の香川真穂さんが、今の暮しについて、自分の言葉で発表。各自の発表のあとに、日本ダウン症協会の玉井代表理事と笠井アナウンサーとのトークセッションという形式で進行しました。Upload By 発達ナビ編集部最初に登場した戸田萌葉さんは18歳。趣味は歌うことと踊ることだそう。エレファントカシマシと忌野清志郎が大好きで、カラオケで歌うのが楽しみ、と発表しました。玉井代表理事「歌、好きなんですね。どうやって歌を覚えるの?」戸田さん「ウォークマンでよく聞きます。学校では聞いてはいけないので、もっていきません」笠井アナ「カラオケは誰と行くんですか?」戸田さん「カラオケは、おかあさんといっしょに行きます。時間は1時間と決められています。ダンスも大好きで、『ポップコーン』(ヒップホップ系のステップのひとつ)を踊ってます。テンポが速くて、ステップがいいんです。先生に教えてもらえるし、みんなで新しい曲を踊ったりするのが楽しい」トークのあとに、エレファントカシマシの「今宵の月のように」を歌いました。Upload By 発達ナビ編集部次に登壇したのは、佐賀大学附属特別支援学校高等部2年生の西村嘉浩さん(17歳)。バドミントン、空手、水泳、絵、買い物・料理、さまざまなことにトライしている様子を「自分ができたこと、これから頑張ること」としてまとめ、自作のパワーポイントのスライドを使って発表しました。そして、「ぼくたちはいろいろなことにチャレンジして、将来の夢のためにつないでいきたいです。仲間と仲良くしていきたい。夢は独り暮らしです」と力強い言葉で締めくくりました。玉井代表理事「いろいろなことにトライしていますね。いちばん好きなのは?」西村さん「大きな絵を描くこと。みんなと活動するのが楽しい」笠井アナ「ダウン症のある人は、ひとつのことに熱中する人が多いと聞いたけど、いろいろなことにがんばっていますね。いろいろ習っていて忙しいでしょう?」西村さん「はい、ばたばたしています」発表の中でも、佐賀支部に所属する女の子とSNSや電話で連絡を取り合っているという話がありました。そのことを聞かれた西村さんは、しっかりと結婚観も語ってくれました。「ぼくは彼女と結婚したいです。でも、彼女は結婚はしたくないっていう。だからもっと説得しないと!(彼女は)僕と同じ高校生なので、大人になってから結婚するんだと決心しています。まず一人暮らしをして、給料をもらえるようになったら、二人で暮らしたいです」Upload By 発達ナビ編集部3人目は、24歳の神奈川県の香川真穂さんです。ハンバーガーショップで働くようになって3年になりますが、就職が決まるまでの紆余曲折について発表しました。就労支援の勉強会で企業合同面接を受け、現在働いているハンバーガーショップを含めて3社を受けた結果は、全て不採用。がっかりしたけれど、かえって勇気が湧き、やはり「どうしてもハンバーガーショップで働きたい!」と、職業訓練などを受けて再度チャレンジしたそうです。そしてとうとう、夢だったハンバーガーショップに入社しました。「働くことができてうれしいです。あったかいハンバーガーをつくりたい」と、香川さんはにこやかに語ります。笠井アナ「スマイル、すてきですね」香川さん「まわりの方にもそう言っていただきました」玉井代表理事「学校のときの友だちが食べにくることもありますか?」香川さん「高校時代の友だちは、また別のところで働いているので、なかなか来てはもらえないんです。もっとたくさんハンバーガーつくって、たくさんのお客様に食べにきてほしいので、がんばっています」3人の発表のあと、笠井アナはけん太さんにも質問をしました。笠井アナ「けん太の就活はどうだったの?」けん太さん「11社受けて全部落ちて、やっと最後、今のところに決まったんですよ」笠井アナ「働けるって、どう?」けん太さん「働けるって気持ちいい!」と、高らかに宣言したけん太さんは、とてもたくましく見えました。3人の発表の後、ステージにはダンスミュージックがかかり、華やいだ雰囲気に一転。今年のダウン症啓発チャリティTシャツのお披露目ファッションショーがはじまりました。このパートの司会は、笠井アナから、フジテレビの上中勇樹アナウンサーにバトンタッチ。上中アナの妹さんにはダウン症があります。この日は客席で、ステージにいる兄の姿を見守っていました。日本ダウン症協会は、チャリティTシャツのブランドJAMMINと一緒に、4年前からTシャツを作っています。「23個並んだモチーフの21番目だけが、ほかと違ってどこかが3つある」というのがデザインのテーマ。これまで、葉っぱ、自転車と三輪車、おうちの窓がモチーフになりました。今年のTシャツのモチーフは「時計」。日本ダウン症協会の会員にアイディアを募集。「『誰にも24時間は平等だよね』と思い、どんな人も一瞬を大切にして人生をまっとうできたらという意味も込めています」(アイディアを寄せた会員さんの言葉)。※Tシャツの販売は、2019年2月24日までで終了Upload By 発達ナビ編集部ファッションショーのモデルは、ダウン症のある子ども・大人と、そのサポーターの方たちです。ステージには、さまざまな組合せのモデルが登場しました。親子、きょうだい、祖母も含めて3世代家族で。中学校が別々になるお友だちと小学校卒業記念に。引っ越す前に保育園のお友だちと。担任の先生と。家族ぐるみのお友だちグループも。ラストには、知的障害のあるファッションモデル「スマイルモデル」として活躍している方や、スペシャルビューティーコンテスト(知的障がいのある方のビューティコンテスト)ファイナリストも登場しました。ショーモデルに公募で選ばれたメンバーは、この日の午前中、ウォーキングの特別レッスンを受けました。レッスン指導は一般社団法人スマイルウォーキング倶楽部が行いました。代表理事の髙木真理子さんは次のように話しました。「はじめからこんなに格好よくポーズを決められたわけではありません。立ち姿はトレーニングで変わります。人前に立つのが楽しい、見られてうれしいと体感することで自信がつき、外に出ていきたい気持ちが強くなるんです。これから、もっともっと社会に出て、可能性を感じて世界へもチャレンジしてほしいです」イベントに出かけてみると、何かがわかる、何かが変わるUpload By 発達ナビ編集部イベントに参加していた、渡辺楓香ちゃん(3歳)のママ、渡辺かなこさんにこの日の感想を聞きました。「こうして、大人になった人が夢を語ってくれると、可能性を限定してはいけないと、あらためて思います。ダウン症のある人は、こういうものだと、どうしても決めつけがちになりますが、親の私たちの意識も変えていかなくちゃと思います」たくさんの個性が披露された1日。ダウン症のある人たちの今と未来がいっぱい詰まっていたイベント。このあと全国各地でのイベント情報は、「世界ダウン症の日」2019のサイトに掲載されています。近くのイベントに足を運んでみては?また、2019年11月には、日本ダウン症会議の開催が予定されています。ダウン症に関する最新の研究の報告のほか、ダウン症のある本人たちによる生活についての発表も予定しています。日本ダウン症会議|日本ダウン症協会たくさんの家族やお友だち同士が、イベントに参加していましたUpload By 発達ナビ編集部写真は、ロビーで行われたハンドスタンプアートプロジェクトに参加した2歳の男の子とご両親(右上)、ファッションショーに参加したお友だちの応援に駆けつけた2歳の女の子とご両親(右下)、「休憩時間、ロビーでの出展ブースも楽しかった!」という2歳半の女の子とママと、あべけん太さん、日本ダウン症協会理事・水戸川真由美さん(左上)、22歳と25歳の女性は同じ作業所で働くお友だち同士(左下)。みなさんの笑顔が印象的でした!日本ダウン症協会では、ほかのさまざまな障害者の親の会や支援団体とも交流しています。参加して、知ることでわかる、ということを体感しに出かけてみませんか?取材・文/関川 香織(K2U)写真提供/日本ダウン症協会取材協力/日本ダウン症協会参考:日本ダウン症協会
2019年03月01日自閉症やダウン症など、親とは違う性質を抱えた子をもつ300組以上の親子を取材した『FAR FROM THE TREE』。世界中で50以上の賞を受賞した作家、アンドリュー・ソロモンの同作は、同じような境遇にいる親子に勇気を与えると共に、あらためて家族の本質について問う内容で瞬く間にベストセラーとなり、24か国語に翻訳されるまでの反響を呼んでいます。ドキュメンタリー映画『いろとりどりの親子』は、この原作の映画化。作品では6組の親子を取材しています。ここで映し出されることは、ひとりの人間としてひとりの親として考えさせられることばかり。ちょっと大げさかもしれませんが、「これまでの社会通念をガラッと変えるようなこと」が示されているといっていいかもしれません。■親の考える「普通」と子どもが違っていたら…そもそもアンドリュー・ソロモンが本著を書くきっかけになったのは、自身がゲイでそれに対し苦悩する両親の姿を見てのこと。自分の両親と同じような状況に置かれたほかの親たちは“どう向き合ってきたのだろう?”ということから、いわゆるマイノリティに属する子のいる家族を取材するようになったといいます。彼はろうの子のほとんどは健常の親から生まれ、親は子どもを治療しようとするけれど、子どもは思春期になると、「自身のコミュニティ」を発見することに気づく。すると同時に、親から子へ受け継がれる「縦軸のアイデンティティ」と、周囲の仲間から学び、養われる「横軸のアイデンティティ」が存在することに気づいたそうです。そして、自閉症、ダウン症、LGBTに関わらず、親の「普通」と、子どもが成長とともに発見するアイデンティティが異なると、両者がその違いを認め、受け入れるまでには時間がかかることがわかったといいます。この親と子の「違いの受容」こそが本作の大きなテーマといっていいでしょう。■親の気持ちが子どもを追い詰めるこの作品には6組の家族が登場します。1組は、原作者で映画のストーリーテラーでもあるアンドリュー・ソロモンと、その父のハワードの親子。2組目は、かつてダウン症の人々の可能性を示す代弁者になるほどの知名度を得て、テレビ番組『セサミストリート』にも出演していたジェイソンと、母親の脚本家、エミリーの親子。3組目は、自閉症のジャックと彼のためにあらゆる治療を試したというエイミーとボブのオルナット夫妻。ほか3組も、直面した問題や抱えた困難はそれぞれに違いますが、最終的に彼らがたどり着いたのは「受容」の心にほかなりません。親としては「普通」の子との違いをそう簡単には認められない。先のエミリーもオルナット夫妻も「この子ならば」と一般的な子に近づけ、普通の学校に通えるように、あの手この手を打つ。でも、そのことが逆に子どもを追い詰めて、関係が悪化してしまう。最終的に行き着くのは、互いに認め合うこと。他の子との違いをきちんと認めてあげたとき、ここに登場する家族は思わぬ世界と未来が開けていくのです。■他人とわが子を比較していたら、親の愛情は伝わらないこれはなにもマイノリティに属する子をもった親に限ったことではないと思います。私自身を含め、一般的な親というのは、どうしても他人の子とわが子を比較しがちとなっているように思えます。「●●君はできるのに、なんであんたはできないの!」とか、「その歳で、この程度のことはできないと恥ずかしいよ」なんて、ついつい口から出てしまう。ほかの子より勉強が遅れているように思えると、やみくもに追いつかせようとしたり、不得意なことがあると、人並みぐらいにできるよう求めたりしがちとなってしまったり。「十人十色」という言葉があるように、子どもによって個性も違えば得意なことも違う。性格も違えば、考え方も違う。そんなことは言われなくてもわかっている。でも、実際は子どもがほかより劣っていることがあると敏感に反応してしまう自分がいることに気が付き、愕然とします。そうしてついつい冷たく、厳しく当たってしまう。でも、それは残念ながら、どんなに愛情があっても一方通行。まずは、互いの意思を尊重して認め合う。子どももひとりの人格者。そこからはじめないと親の愛情が伝わらないことを本作は教えてくれます。そして、違いを認めることで子どもを楽にできれば、じつは親の気持ちも楽になることを教えてくれます。■「自分たちには直すべきところなんてない!」心を自由にただ、この作品は、そうした親と子の関係で大切なことを伝えながら、そのさらに一歩先のメッセージをわれわれに届けます。それは、いまの社会にある固定観念のチェンジといいますか。ある意味で世の中の意識改革を求めるメッセージです。低身長症のリア・スミスとジョセフ・A・ストラモンドはこう言います。「自分たちには直すべきところなんてない」と。続けて、ジョセフはこう言います。「俺があんたなら自殺すると言い放ったやつがいる。身体が不自由なら、心も不自由だと?」。自閉症で話すことのできなかったジャックは、ある医師によりタイピングで自分の言葉を伝えることができたとき、「僕はがんばっている。僕は頭がいい」と言います。また、アンドリューは以前「同性愛は異性愛より劣ったもの」とずっと感じていたそうです。ただ、ここにきて性的マイノリティに対する見方が大きくかわってきました。病気だとみなされていた同性愛が、いまでは個性として認められることになった。ちょっと視点を変えただけで見方がかわる。そう彼は伝えます。障がい=かわいそう。こういったマイノリティに対するネガティブな社会的なイメージは、そろそろ払拭(ふっしょく)したほうがいいかもしれません。障がいがあっても、マイノリティであっても、ごくごく一般の人間と変わらない。別に自分の境遇を恨んだり、悔やんだりしているだけではない。自分なりに喜びも幸せも感じている。「違い」はけっして闇ではない、考え方によっては大きな光になりうることを、ここに登場する親子のそれぞれの生き方は物語ります。このマイノリティや障がい者に対する意識の改革は、これからの社会を考える上で、非常に重要になってくる気がします。少し飛躍した話にもなりましたが、よりよい親子関係のヒントを与えられるとともに、これからの社会の在り方について見つめるいい機会になることでしょう。ドキュメンタリー映画『いろとりどりの親子』11月17日(土)新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開自閉症、ダウン症、低身長症、LGBTなどの子どもを持つ6組の家族を取材したドキュメンタリー映画。困難を抱える子どもと、彼らと向き合う親たちが、自分たちのたどってきたこれまでの山あり谷ありの道のりと、決して苦難ばかりではない歓びの日々について語る。作品中に出てくる言葉、考え方をひとつ変えるだけで「しあわせの形は無限に存在している」ことがほんとうに実感できる心温まる映画です。公式サイト:
2018年11月16日ダウン症のある子ども向け言語プログラムを、アメリカから導入Upload By 発達ナビ施設インタビュー東京都杉並区、南阿佐ヶ谷駅からほど近い場所にある、ダウン症のある子どもたちを中心に療育を行う、児童発達支援・放課後等デイサービス「bamboo wow(バンブーワァオ)」。2016年にオープンしたこの施設は、2018年7月現在、およそ150名の登録者が在籍しています。この施設の特色は、海外で実践されている「ラーニングプログラム(LP)」をいち早く導入したこと。LPとは、イギリスの大学でダウン症のある子どもたちのデータを元に開発され、アメリカで発展した言語プログラムです。アメリカでは既に20年近い実績があり、スムーズな言語獲得や認知の向上など、大きな成果が出ているといいます。このLPを日本に持ち込んだのが「bamboo wow(バンブーワァオ)」代表の矢作桂子さんです。矢作さんは、現在小学6年生と3年生の2人の男の子を育てるお母さん。開設のきっかけは、ダウン症のある次男が生まれたことでした。矢作さんは次男を育てるなかで、あることに気づきます。“日本では、未就学児への療育は充実しているけれど、小学校へ上がると通えるところが少なくなってしまう…”また、ダウン症のある子どもに特化したプログラムを受けられる場所が見つけられませんでした。そこで矢作さんは、「ならば、私が」と立ち上がったのです。そして、ダウン症のある子どもに関する教育法や療育をリサーチしていくなかで見つけたのが、LPでした。1984年から1993年の10年間をアメリカで過ごし、英語も堪能な矢作さんは、アメリカに視察に向かいます。“プログラムをこの目で見てよかったら、プログラムを広められる場所をつくろう”このときから、既に「bamboo wow(バンブーワァオ)」の構想が矢作さんの頭のなかにぼんやりと描かれていました。アメリカへ視察に出かけたのが2017年6月。この視察を経て構想はさらにはっきりとしたものに。その後、プログラムの日本語翻訳など1年の準備期間を経て、「bamboo wow(バンブーワァオ)」をオープンさせたのです。 wow(バンブーワァオ)アメリカで出会った、ハッピーでいきいきしたダウン症のある若者たちUpload By 発達ナビ施設インタビューアメリカでの視察で感じたことや「bamboo wow(バンブーワァオ)」の特色について矢作さんにお伺いしました。ーーアメリカでの視察で印象的だったことはありますか?矢作:子どものころから一緒にLPを受けている10代のダウン症の子どもたちに出会ったのですが、その子たちが兄弟みたいな関係性だったんです。外では「なんとか苦手を克服しなければいけない」と気を張ることがたくさんあると思いますが、その子たちだけで集まったときには、リラックスして若者らしく彼氏や彼女の話をしたり、映画の話をしたり。ハッピーでいきいきしている姿がとてもいいなと感じました。ーーそんな場所を日本でもつくりたいと考えたのでしょうか?矢作:もしプログラムを広めるだけだったら保護者を集めて講演をするだけでもよかったかもしれません。でも、「ダウン症のある子どもたちが、自分のままで認められ、自己肯定感を高められる場所」をつくりたかったんです。それと同時にダウン症のある子どもを育てるお母さんやお父さんがほっとできる場も必要だと思いました。だから「場所づくり」にもこだわりました。ーー多数の専門家の方がスタッフとして在籍していると聞きました。矢作:はい。ありがたいことに予想以上に専門家の方が集まってくれました。理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、心理士、保育士、などです。現在在籍しているスタッフは21名です。私を含め、保護者からのありとあらゆる質問に答えられるような体制を整えています。ーー多くの専門家が集まっているからこそできることはどんなことでしょうか?矢作:「○○ちゃんのお母さんからこんな質問がありました」とスタッフでつくっているSNSのグループにメッセージを書き込むと、スタッフはオフの日でも、それぞれの考えをたくさん回答してくれます。専門が違うので、異なる意見もありますが、それをすべて保護者にお伝えします。このなかからいろいろ試して○○ちゃんにぴったりな方法を一緒に見つけられればと思っています。ーー本やネットでもなかなか自分の疑問や不安に対する的確な回答を探すのは難しいので、保護者にとっても心強いでしょうね。矢作:これまでの療育は、「いかにできないことを少なくするか」というところに重きが置かれていたように思います。でも、ここでは「できる、できない」は関係ありません。子どもも親も安心して過ごせて、子どもの特性を親が学び、できるだけ不安なく楽しく子育てをすることを大切にしています。そのために専門家の力を借りて、親も子もそしてスタッフもみんなで成長していきたいですね。豊富なプログラムや教材から、その子に合ったものをUpload By 発達ナビ施設インタビュー現在、「bamboo wow(バンブーワァオ)」では、アメリカから導入したLPで行う「ことばのためのプログラム」、「体づくりのプログラム」、「身辺自立のためのプログラム」、「好奇心発見のためのプログラム」、「親子プログラム」などさまざまなメニューを展開しています。1対1の個別指導からグループ指導まで、それぞれの子どもに必要なプログラムを、その子に合った形式で受講できます。「親子プログラム」は月に1度、保護者に向けての講座が行われます。”数の概念を教える”から”親なきあとのこと”まで、テーマはさまざま。保護者は「将来は就労させなくては。そのためにできないことをなるべく少なくして、愛される子どもに育てなくては」とプレッシャーを感じている方が多いといいます。このプログラムは、子どもの特性を深く知ることはもちろん、子育てをするうえで気を張ることが多い保護者が、子育ての見通しを持てたり、他の保護者との交流などを通して気を緩めることができる機会にもなっているのです。”数の概念を教える方法”は、数唱から始まり、数を数えるとはどういうことか、その後に足す、引く、掛ける、割るなどの四則計算が入ります。さらにその後、お金や時間、最後に分数を教えるという順番だそう。人間はもともと指を動かしながら数をかぞえることで、その概念を学んでいきます。そのために、指を動かして数唱する遊びをしたり、足踏みをして数を数えたり、手足で感覚をつかむ練習をたくさんするのだとか。体を動かしながら、体全体に染み込ませるように”数の概念”を教えていく――。その方法についても、丁寧に保護者に伝えます。また、”親なきあとのこと”というテーマでは、専門家による講演を通して将来の見通しをもてるようにし、そのために今何ができるのかを話し合います。ただ漠然と不安に思っていたことがクリアになり、肩の荷を下ろせる保護者も多いのだそう。また、「bamboo wow(バンブーワァオ)」にはさまざまな教材も揃えられています。ここでしか学べないLPはもちろん、アメリカから持ち帰ったものや、なかには手触りや音にこだわったオリジナル教材も。プログラムから教材に至るまで、さまざまな選択肢があるのが大きな特色のひとつと言えるのかもしれません。認知の発達や発語のためにも大切な、体づくりUpload By 発達ナビ施設インタビュー取材の日は、身体均整師である矢作智崇さんによる個別プログラムが行われていました。キネシオロジーなどによって適切な刺激を脳に送ることで、体の発達を促す「bamboo wow(バンブーワァオ)」で大切にしているプログラムのひとつです。実際に智崇さんが子どもの体に施術を行いますが、このとき、家に帰った後保護者自身が生活に取り入れられるように、とても丁寧に説明をしています。保護者からも質問が飛び、保護者自身の体で智崇さんがポイントを再現するなど、それはさながら、その親子のためだけのオーダーメイドプログラム。また、智崇さんの説明や、保護者の質問、そしてその回答は、別のスタッフがしっかりとメモにとり、プログラムの後に保護者に渡すそうです。「ここでやるだけではなくて、毎日実践してもらうことが大切」と智崇さんは話します。ダウン症のある子どもにとって、体の発達はとても大事なこと。筋力が弱いため、自分の体や脳に刺激を与える役割をもつ”運動”が苦手な子が多いのだそう。「だからこそ、外から刺激を与えることが重要なのです。きちんと体をつくることが、認知の発達や発語にもつながるとも言われています」。智崇さんは、去年より今年、昨日より今日…と更新される体や発達についての情報を収集し続けたいと話します。それは「今日ここで保護者に伝えたことを、もしダウン症のある次男がもっと小さいときに自分が知っていたら」という後悔からだそう。でもそれを次世代の子どもたちに伝えていくことで、未来はさらに明るいものになると、智崇さんは語ってくれました。遠方の希望者や、他の特性がある子にも!多くの親子にこのプログラムを届けたいUpload By 発達ナビ施設インタビュー「これからも最新最善の情報や知恵を取り入れて、子どもたちや保護者をサポートしていきたい」と話す矢作さん。遠方に住んでいて通えない親子のためのWEBレッスンや、教室の拡張、海外の良質な教材を日本に導入するなど、さまざまな形で多くの親子に関わっていくことが今後の展望だといいます。当初は、ダウン症のある子どもたち専門の施設を目指していましたが、矢作さん自身が療育を学んでいくうちに、ダウン症でなくても、多くの「発達がゆっくりした子」に各プログラムが適応するのではと考えるようになったそう。今後は、他の障害や特性がある子どもたちにもLPや各種教育を提供していきたいと考えているとか。「bamboo wow(バンブーワァオ)」は、ダウン症のある子どもたちの特性に合わせて、賑やかで雑然とした雰囲気になっています。シンプルで療育に特化した内装だと、「勉強をやらされる」とか「つまらない」と感じてしまうからです。でも、刺激が多すぎると感じる特性がある子どもの場合には、運営にも関わっているシンプルな内装の「よむかくはじく」の教室で療育をする場合もあります。「bamboo wow(バンブーワァオ)」の挑戦はまだ始まったばかり。これから子どもたちがお互いをよき仲間として、学び成長し合い、かつて矢作さんがアメリカで出会ったような、いきいきとした若者に育つのが今から楽しみです。取材・文:秋定美帆写真:鈴木江実子
2018年08月08日父になったことを感じる日Upload By 黒木 聖吾もうすぐ父の日だ。父の日は自分が父親であることを感じる日。いつからぼくは父親になれたのだろう?いや、本当になれているのだろうか?わが家には小学校4年生になった長男、ダウン症のある脩平(しゅうへい)がいる。朝、脩平が元気に家を出て、小学校へ向かう。そんな姿を見ると心からほっとする。「学校へ行く」そんな簡単なことでさえも、困難な時期があったから。起きない、着替えない、玄関にしがみつく、泣き叫ぶ…。一体、彼が何につまずいているのか、親として何をしてあげたらいいのか。夫婦でさまざまなことを話し合い、時には迷いながら子育てをしてきた。わが家の、夫婦の役割分担出典 : 妻は出版社に勤務し、書籍の編集者をしている。ある日、取材先から帰ってきた彼女が言った。「あそこで脩平が働けたらいいな」妻がそんなことを言ったのは初めてだったので驚いた。というのも、脩平の障害が判明してから、僕と彼女とでなんとなく役割の区分が違ったのだ。僕は父親として、どちらかというと、子どもの「遠い将来」を考えて活動をしてきた。障害者を取り巻く社会環境を変えたい、将来、自分の子に選択肢を増やしてあげたい。そんな思いから、アクセプションズというダウン症啓蒙のためのNPOに携わっている。一方妻は、日々の子どもの世話を通して、教育環境を整えたり、地域コミュニティでの理解に尽力している。つまり、子どもの近い将来を考えた活動だ。と、そんなふうに書くと僕も妻も、なんとも素晴らしい親のように聞こえてしまうかもしれないが、そんなことはない。実のところ、共働き夫婦の僕たちは、目の前の子どもの世話や教育で毎日がいっぱいいっぱい。とくに妻などは戦場のような毎日で、脩平の将来などまだまったく考えられないし、就労なんて想像さえできないという状態。だから、そんな彼女が突然、口にした言葉に驚いたのだった。その日、彼女が本の取材で訪れたのは、栃木県足利市にある『こころみ学園』。何がそんなに妻の心を動かしたのだろうか。法人アクセプションズ妻の心を動かした、こころみ学園とは?Upload By 黒木 聖吾こころみ学園とは、1969年、栃木県足利市に誕生した知的障害者施設のこと。当時、中学校を卒業すると行き場を失っていた知的障害のある子どもたちのために、教師だった川田昇先生が私財をなげうって山を購入し、子どもたちとともにぶどう畑を開墾したのがすべての始まりだった。僕も以前、NPO法人アクセプションズでココ・ファーム・ワイナリー(こころみ学園と併設)へ見学にいったことがあった。こころみ学園では、知的障害のある園生たちが住み込みの形で、ぶどう栽培やしいたけ栽培、ワインづくりをしている。Upload By 黒木 聖吾学園開設当時、「障害があるのだからおまえは何もしなくていい」と親に言われ、「何もやりたいことなんかない」と言っていた子どもたち、白魚の手をしていた子どもたちが、大自然の中で格闘しながら農業をするうちに、たくましく、したたかな農夫へと変わっていったという。そして、そこで栽培されたぶどうで丁寧につくったワインは、やがて沖縄サミットにも出されるほどの日本を代表する高品質のワインになった。夫婦の考えを変えた農夫たちの姿出典 : 見学に行く前、そうは言っても農業なんて大変だろうと、都会暮らしに慣れた僕は考えていた。でも、そこで働く知的障害のある人々の屈託のない笑顔を目の当たりにして、180度考えが変わった。妻もまた、別の日に取材で初めてこころみ学園を訪れたわけだが、「それぞれができる仕事を、それぞれが自主的にやる」という学園の自然体な働き方と、そこで働く人々の姿にピンと来るものがあったようだ。妻が編集した、学園についての本そして著者との二人三脚で完成した本がこれだ。妻が編集をしたこの本には、学園の創設者・川田先生の言葉が登場する。人が人間らしく生きるためには、あるていどの過酷な労働は、必要なのではないかと思います。どんなことに対しても『まだできる』とがんばり、これでもかこれでもかと挑戦して、汗を流してじぶんのものを築く。そういうことのたいせつさがわかったとき、ほんものの人間になれるような気がするのですこの言葉は深く僕の心に刺さった。中年サラリーマンである自分、そして、障害のある子の父親である自分に、「働くとは何か」「人間らしく生きるとは何か」とても根源的で大切なことを突き付けられた思いがする。それは、障害があってもなくても、なんら変わりはない。息子には「人間らしく」生きてほしい。そのために父親の僕ができること。それは息子に「まだできる」「挑戦したい」という環境を用意することかもしれない。そして、息子が人間らしく誇りをもって自分の人生を歩みはじめた瞬間、僕はようやく本当の父親になれるのかもしれない。こころみ学園だより | ココ・ファーム・ワイナリー
2018年06月04日【ニュース】手に入れられない人たちに届けよう!啓発用「ヘルプマーク」を先着5,000人に無料で郵送配布Upload By 発達ナビニュースヘルプマークを必要としていても、手に入れられない人たちのために「全国ヘルプマーク普及ネットワーク」が全国キャンペーンとして文字入りの啓発用ヘルプマークの無料配布を5月18日からスタートさせました!ヘルプマークは、外見からは分からない難病や障害のある人が周囲への支援や配慮を求めるためのものです。東京都が2012年から導入し、キャンペーンが始まった2018年5月18日現在で21都道府県でも取り入れられているそうです。認知が広まり需要も高まる一方で、当事者本人がさまざまな症状などから配布場所に取りに行きたくても行けない状況も知られるようになってきました。こうした理由でヘルプマークを受け取ることができない人たちに、本来無料で手に入るはずのヘルプマークをインターネット上で転売する騒動も起き、問題となりました。この流れを受けて、同ネットワークが今回の全国キャンペーンに乗り出したのです!このキャンペーンでは、啓発用のヘルプマークを無償で郵送配布します。住んでいる自治体で導入していない人、または導入しているが、身体、精神状態により配布場所に取りに行けない人、ヘルプマークを現在持っていない該当当事者が対象です。公式ホームページから申し込みできるので、ぜひチェックしてみてください。また、公式ホームページでは、症状や必要な援助などを書き込んでおける「折り紙ヘルプカード」もダウンロード版として常時無料で提供しています。全国の自治体のマスコットキャラクターなどとコラボした独自のデザインもあるので、お気に入りの1枚を探すのも楽しそうですね。【開始日】2018年5月18日【個数】5,000セット(無くなり次第終了)【申し込み対象者】ヘルプマーク使用対象の本人、またはその家族(1人1セット、1回限定)【配布内容】「援助が必要な方のマークです」文字入りヘルプマーク、名刺サイズのヘルプカード、くまモントーチデザイン「折り紙ヘルプカード」、ヘルプカード収納用透明ケース、リーフレット全国ヘルプマーク普及 ネットワーク 公式ホームページ【ニュース】ラミちゃん LINE公式スタンプが発売開始!収益はダウン症のある子どもたちへUpload By 発達ナビニュース横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス監督のLINE 公式スタンプ「ラミちゃん ボイススタンプ」が発売されました!ダウン症の子どもたちへの寄付を目的にラミレス監督自ら発案したそうです。お子さんがダウン症であることから、同じ境遇の子どもたちをサポートしたいという思いが込められています。LINE 公式スタンプの売上利益は、ダウン症など知的障害のある若者たちの新しい成長の機会を提供するスペシャルビューティージャパンの活動に寄付されます。スタンプは全24種類。ユニークで表情豊かなラミレス監督がデザインされています。「ラミちゃん」と呼ばれ選手時代から愛されている人柄が表れていますね。そして、野球に関連した言葉はもちろん、日常会話にもどんどん使いたいワードばかりです!今回の、LINEスタンプ発売にあたり、ラミレス監督はこのようにコメントを寄せています。「子どもが産まれると分かった時、妻と私の心に最初に湧いたのは、『神様ありがとう、偉大な祝福をありがとうございます!』という気持ちでした。そして産まれてくる息子がダウン症だと分かった時、神様によってもっと祝福されたのだと思いました。なぜなら、神様は選ばれし人にしかスペシャルニーズのある子どもの親になる機会を与えてくださらないと思ったからです。そして今、私たちは息子から無垢の愛を毎日毎日もらっていることに感謝しています。ダウン症の子どもだけでなく、スペシャルニーズのあるすべての子どもたちに美と愛をお届けできるように。たった一つのハグ、たった一つのキス、たった一つの笑顔があなたの一日を変えていきます! 皆さんに神様の祝福がありますように!」スタンプとともに、この素敵な思いとダウン症の子どもたちへの応援が広がっていくといいですね。【名称】ラミちゃん ボイススタンプ【価格】240円/全24種類【寄付先】スペシャルビューティージャパン横浜DeNAベイスターズ 公式ページ:ダウン症の子どもたちを支援するA.ラミレス監督オリジナルLINE公式スタンプが登場【イベント】「Challenged Open!2018障がい者働きがいフェア 東北」が2018年6月19日(火)に開催!(宮城県)出典 : 一般社団法人 日本障がい者就労支援センターが主催する「Challenged Open!2018 障がい者働きがいフェア 東北」が2018年6月19日に開催されます!健常者と障害者という垣根を取り払い、誰もがやりがいをもって働ける多様性のある社会を目指すのがこのイベントの目的です。障がい者就労支援団体と企業のマッチングイベントとしては日本初だそうです!!障害者が当たり前に企業で働ける社会の実現のためには、障害者就労支援事業所と企業をマッチングして、共に支え合えうことが大切ですね。当日は、障害者就労支援事業所による商品の展示即売や福祉団体、民間企業による展示プレゼンテーションなどが行われます。また、障害者就労支援施設と企業のマッチング、求人企業と就活学生のマッチングも企画。講演会では障害者受け入れの最新情報や実践企業のお話を聞けるそうです。さらに障害者によるパフォーマンスやミニコンサートもあり、盛りだくさんの内容となっています。【日時】2018年6月19日(火) 10:00~17:00【会場】夢メッセみやぎ西館展示場【参加】参加自由 入場無料【内容】福祉団体や一般企業、NPOの展示プレゼンテーション障がい者就労支援施設と企業のマッチング求人企業と就活学生のマッチング講演多数(企業の障がい者受け入れの取り組み等)ワークショップ(希望の星マッサージ/障がい者によるデータ入力/ミニコンサート/ダンスパフォーマンス等)【問い合わせ】一般社団法人 日本障がい者就労支援センター (事務局 :長南)TEL:022-236-0632一般社団法人日本障がい者就労支援センター【ニュース】記念講演は為末大氏(元陸上選手)!日本自閉症協会全国大会・全国情緒障害教育研究協議会の参加者募集中!(広島県)出典 : 年9月15、16日の両日に広島県で開かれる第25回日本自閉症協会全国大会(広島大会)第51回全国情緒障害教育研究協議会広島大会の参加募集が開始されました!『つながろうや わかりあおうや 平和のまち 広島じゃけぇ』のスローガンを掲げて、記念講演や各種シンポジウムが計画されています。記念講演では、開催地の広島市出身で元陸上選手の為末大氏を講師に招きます。「誰もが分け隔てなく自分を表現することを楽しんでいる風景を作る」とうコンセプトの新豊洲Brilliaランニングスタジアムの館長も務めており、選手時代や現在の活動など興味深い話が聞けそうです。シンポジウムは、「楽しさ」に軸を置いて「療育」「学校」「地域」のそれぞれのテーマで、専門家らが登壇してディスカッション。現状行われている実践についてや今後の課題、自閉症スペクトラムの子にとっての学校、当事者が地域で生活することが当たり前の社会になるための生活や支援のあり方などを考えます。日本自閉症協会と全国情緒障害教育研究会は同時期に発足し、今年は共に50周年という節目の1年でもあります。日本自閉症協会は前身が「親の会」で親や支援者で構成、全情研は教員と支援者の研究会です。会員や会の性質はそれぞれですが、創設期から深い関わりがあったそうで「自閉症スペクトラム」の支援における教育、福祉等の推進をはかることを目的としています。その2つの会が共催して、現状の課題や実現したい将来を共有することはとても重要な機会と言えそうです。こちらは、誰でも参加可能なので、興味のある方は気軽に応募してみてください!【日時】2018年9月15日(土)12:50〜17:45(18:00〜懇親会)16日(日)9:20〜16:00【会場】JMSアステールプラザ(広島市中区加古町4-17)懇親会:広島市文化交流会館3階【参加】2日間5,500円、15日のみ3,000円、16日のみ3,500円(自閉症協会会員は各500円引き)、学生一律2,500円、懇親会5,500円【内容】〈記念講演〉「わかりあうこと~違うことへのリスペクト~」為末大氏(DEPORTARE PARTNERS代表、新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長)〈シンポジウム〉「楽しめる"療育"をめざして。~自閉症特性を伸ばす子育て~」「楽しさのある"学校"へ。~毎日笑顔で過ごせる学校~」「楽しく生きる"地域"で。~ひとりひとりが大切~」【申し込み・問い合わせ】一般社団法人自閉症協会(担当:小松)TEL:03-3545-3380 FAX:03-3545-3381Eメール:2018hiroshima@autism.or.jp※クリックすると、株式会社東武トップツアーズのページに遷移します第25回日本自閉症協会全国大会(広島大会) 第51回全国情緒障害教育研究協議会広島大会【ニュース】自閉症の弟の母親代わりとなった少女のドキュメンタリー。映画「祝福~オラとニコデムの家~」が6月23日(土)からロードショーUpload By 発達ナビニュースポーランドのワルシャワで自閉症の弟、アルコールに依存する父親と暮らす14歳の少女・オラに密着したドキュメンタリー映画『祝福~オラとニコデムの家~』が6月23日(土)から順次全国で公開されます。家を出て行ったまま戻らない母親の代わりに、家事や13歳の弟の世話をするオラ。ばらばらになった家族の間に立ち、周囲の大人に苦しさを見せない姿は14歳という年齢を忘れさせるほど、たくましさを感じます。そんな中、弟の初聖体式が近づき、オラはそれが成功すれば、また家族が一つになれると信じてニコデムと練習を重ねていきます。久しぶりに家族がそろった初聖体式の日、初めて見せたオラの眩しい笑顔に、彼女の日常はこの日のためにあったと感じさせられます。「自分自身がこの映画の少女だった」と語るアンナ・ザメツカ監督だからこそ、自身の経験と重ね合わせて、オラに寄り添い、撮ることができた繊細な作品。子どもたちの切なる願いや声にならない心の叫びが心を打ちます。2017年ヨーロッパ映画賞最優秀ドキュメンタリー賞、2017年山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞、2017年ポーランド映画賞最優秀ドキュメンタリー賞など数々の賞を受賞。©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016【公開】6月23日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開【作品データ】脚本&監督:アンナ・ザメツカ撮影監督:マウゴジャータ・シワク編集:アグニェシュカ・グリンスカ、アンナ・ザメツカ、ヴォイチェフ・ヤナス原題:Komunia|英語題:Communion2016年|ポーランド|DCP|カラー|5.1ch|75分|配給:ムヴィオラ【問い合わせ】ムヴィオラTEL:03-5366-1545映画『祝福〜オラとニコデムの家〜』公式サイトまとめ6月も、さまざまなイベントやニュースをご紹介しました。ヘルプマークを受け取りに行けない人たちへの無料郵送やLINEスタンプでの支援など、今困っている人たちの助けになりたいという優しい気持ちが感じられる取り組みがありますね。映画や講演会などは改めて自分の立場を俯瞰して見つめ直すきっかけになるかもしれません。今後も、発達障害に関するニュースやイベントを紹介していきます!7月に全国各地で開催されるイベント・講演会などを募集します。情報をお待ちしてます!
2018年06月01日世界ダウン症の日とは?Upload By 発達ナビニュース3月21日は世界ダウン症の日です。4月2日の「世界自閉症啓発デー」と並んで、国連が定めた啓発デーです。2012年に国連で制定されたもので、ダウン症のある人は23対の染色体のうち21番目の染色体が3本あることが由来となっています。日本ではさらに3月がダウン症啓発月間とされています。世界ダウン症の日は社会の中でダウン症をより広く知ってもらい、周囲の人がより理解を深めることで、ダウン症のある人がよりその人らしく安心して暮らせることを目的としています。国際ダウン症連合(DSi)から、毎年世界ダウン症の日のテーマが発表されます。2018年のテーマは「WHAT I BRING TO MY COMMUNITY」。日本語では「いるだけで伝わることがある~どんな街にも あなたのそばにも~」です。参考:世界ダウン症の日|公益財団法人日本ダウン症協会参考:World Down Syndrome Dayダウン症をもっと知りたい!講演会・体験イベント出典 : 世界ダウン症の日に先駆けて2月12日に開かれた日本ダウン症協会主催のキックオフイベントを皮切りに、3月3日には山梨大で「なんとかなるさ」をテーマにフォーラムが開催されました。キックオフイベントでは、次のJDSアピール文(2018年版)が採択されました。生まれてきて良かった。私にはたくさんの仲間がいます。みんなといっしょに学び 働き 楽しみます。私はみんなを笑顔にしたいです。私はみんなと幸せに暮らしたいです。ダウン症のある人をはじめ、どんな人も生き生きと自分らしく暮らせる社会とは?講演会や体験型のイベントなど、2018年の世界ダウン症の日に合わせて企画されたさまざまなイベントを紹介します。みなさんも世界ダウン症の日のイベントに参加してみませんか?出典 : ダウン症のある人たちによるダンスグループ「Wings(ウイングス)」によるダンス、元劇団四季メンバーによる「ライオンキング」「キャッツ」などのメドレー、バレエのステージなどが楽しめるスペシャルコンサートです。一緒に歌ったり、客席で声を出してもOK!障害のある人も、サポートするひとたちも、みんな一緒に楽しめます。【日時】2018年4月22日(日)15:00開演【場所】練馬文化センター小ホール【参加費】チケット2,000円(税込、全席指定) For One 2018 スペシャルコンサート | All For One出典 : ダウン症があるアーティストたちによる、「Love & Peace」をテーマとした絵画や写真を展示。豊かな才能と自由な創造性を感じることができます。また、2017年に東京・新宿で開催された「バディウォーク新宿 2017」で制作されたアート作品の写真パネル等も合わせて展示されます。3月23日(金)には、ミニコンサートも予定されており、音楽を楽しみながら、作品を鑑賞することができます。【出展作家(予定)】あべけん太/いかわあきこ/トモタカイ/渡並琢磨/萩原幹大/範田賀彦/平井礼央奈/丸尾賢司(アイウエオ順)【日時】2018 年 3 月 19 日(月)-~3 月 30 日(金)11時30分~19時 (土・日・祝日は休館)【場所】カフェパピエ神谷町【参加費】無料(ミニコンサートは大人1,200円、乳幼児無料、小中学生500円にワンオーダーが必要)ダウン症のあるアーティスト8人展「Love & Peace」|NPO法人アクセプションズ出典 : 今年で8回目となる写真展です。さまざまな年代のダウン症のある人たちの写真を約50点展示。3月21日(水・祝)の13時からは「ダウン症の日フェスタ」が行われ、さまざまなイベントが開催されます。【日時】2018年3月16日(金)~4月11日(水)【場所】大阪市立中央図書館【参加費】入場・観覧無料ダウン症ニュースWeb 「ダウン症の日写真展3月16日から大阪市立中央図書館で」出典 : テレビでも活躍する、あべけん太氏とお父さまによる講演会です。ご家庭でのエピソードなど、さまざまな話が聞けそうです。【日時】2018年3月18日(日)9:30開場【場所】福山市人権交流センター1階ホール【参加費】無料(先着200名)※子どもの同席可能、授乳室有(託児はありません)トイロニジ特別支援学校で27年間の勤務経験がある川合浩司氏を講師に迎え、長い経験の中から得た、知的障害のある子どもたちの成長についての話を聞くことができる講演会です。【内容】川合 浩司 氏 (奈良東養護学校)による講演会【日時】3月21日 10:30-12:00【場所】奈良市総合福祉センター 3階 集会室【参加費】JDS 奈良北支部会員以外は一人500円奈良北支部主催第9回公開講演会JDS栃木支部の活動紹介や、ダウン症のある人たちの写真展、作品の展示などがあります。また、歌とダンスのミニステージなども企画され、楽しみながらダウン症について知り、身近に感じることができる企画です。【日時】3月19日~3月21日10:00-18:00(初日は11:00から。最終日は16:00まで)【場所】ショッピングモールベルモール(栃木県)【参加費】無料世界ダウン症の日JDS栃木支部啓発展 「知ってほしいな ぼくたちわたしたちのこと」ダウン症児親の会 北海道小鳩会によるダウン症に関するパネル展や啓発動画・関連書籍などをみることができます。【日時】3月21日 10:00-17:00【場所】札幌地下歩行空間憩いの空間【参加費】無料『世界ダウン症の日』「来て!みて!チ・カ・ホ」啓発キャンペーン富山県内3ヶ所のショッピングセンターでリーフレットやグッズが配布されます。【日時】3月21日【場所】フィーチャーシティファボーレ、イオンモール高岡、アピタ魚津店【参加費】無料日本ダウン症協会富山支部(つなGO)ダウン症啓発活動出典 : 第1部では、新型出生前診断(NIPT)の現状と課題について、4人の専門家が登壇し講演します。第2部では「これからNIPTを受けるかもしれないカップル夫婦へのメッセージ」というテーマでパネルディスカッションが行われます。【日時】2018年3月24日(土)13時~15時30分【場所】東京女子医科大学弥生記念館【参加費】無料公開シンポジウム「わかって欲しいダウン症候群~出生前診断を受ける前に考えて欲しいこと~」| NPO法人アクセプションズ普段、ダウン症に接することのない人たちに「ダウン症のありのままの姿を見てもらうこと」を目的にしたイベントです。関東では3月3日に代々木公園野外ステージで開催。関西では3月25日に行われます。アーティストやダウン症のあるダンサーによる、歌とダンスを楽しむことができます。また、ダウン症のある人の家族や支援者が集い、交流を深めることができる場でもあります。【日時】関西:3月25日(日)12時〜14時半(予定)【場所】関西:あべのキューズモール【参加費】無料グッズ販売あり世界ダウン症の日2018〜ONE+LOVE WORLD 関西公演紹介した以外にも、さまざまなイベントが開催されます。イベントの開催予定は、下記ページで確認することができます。世界ダウン症の日公式サイトUpload By 発達ナビニュース日本ダウン症協会は、「自閉症啓発デー東京タワーライトアップイベント2018」にも参加します。ブルーのアイテムを身につけて参加したいですね。【日時】2018年4月2日(月)15時15分~22時【場所】東京タワー屋外特設ステージ【参加費】無料参考:世界自閉症啓発デー2018どんな人も暮らしやすい社会を作る、第一歩にUpload By 発達ナビニュースダウン症のある人は、性別や人種に関わらず、世界中で約1000人に1人の割合で生まれます。同じダウン症であっても個人差が大きく、さまざまな特性や性格の人たちがいます。そのひとりひとりがその人らしく、安心して暮らしていくためには、周囲や社会の理解が欠かせません。3月21日は、世界中でたくさんの人がダウン症について考える「世界ダウン症の日」です。みなさんもイベントに参加して、どんな人も暮らしやすい社会を作っていく第一歩を、踏み出してみませんか?取材協力:公益財団法人 日本ダウン症協会公益財団法人 日本ダウン症協会
2018年03月16日ダウン症とは?平均寿命は変化している?出典 : ダウン症候群は、体の設計図にあたる遺伝子の「染色体」の数が、通常より1本多いことに由来して起こります。23組46本の染色体のうち、21番目の染色体が1本多くなり、全部で47本になります。21番目の染色体が3本ある一般的なものを「標準型21トリソミー」と呼び、これがダウン症候群全体の95%を占めています。このほか、3本目の染色体が別の染色体にくっついている転座型、21番目の染色体が3本のものと2本のものが混じっているモザイク型というタイプもあります。ダウン症候群の「染色体異常」そのものを治す方法は現代の医療ではまだありませんが、先天的/後天的に伴う疾患など「合併症」に対する治療法は存在します。出典:『新版ダウン症児の育ち方・育て方』(安藤忠 編集/学習研究社)ダウン症のある人の寿命に関して、1975年に発行された書籍には「ダウン症候群の赤ちゃんのうち約20~40%は生後数ヶ月、ないし数年以上いきながらえることはできない」と、記載されていました。これだけ読むと、ダウン症そのものが命にかかわる疾患だと誤解を生むかもしれません。ですが正確には、ダウン症そのものが原因ではなく、1975年頃の医療水準では、ダウン症の合併症である心疾患や感染症などによって、幼少時に重篤な状態に陥ることが多かったため、寿命も短いと考えられていたのでしょう。出典:『ダウン症候群』(D.W.スミス・A.Aウィルソン 著 長崎ダウン症児研究会 訳/学苑社 )ダウン症のある人の、現在の平均寿命は?出典 : 日本のダウン症のある人の平均寿命は、今から50年前には10歳前後といわれていましたが、現在は大幅に延び、約60歳に達しています。アメリカ合衆国でも、1950年には26歳だった平均余命が、2010年には53歳になったという報告や、ダウン症のある人の100人のうち約12人が70歳まで生きられるとようになってきたという報告があるようです。ダウン症のある人の寿命が、ダウン症のない人たちに近づいてきたことを示しているといえるでしょう(アメリカ人の平均寿命は78歳)。出典:『産婦人科の実際 2017年 04 月号』ダウン症候群についてー遺伝カウンセリングで伝えるべきこと(金原出版)出典:『シートベルトをしめて発進しよう!』(Brian G.Skotko ・Susan P.Levine 著/三輪書店)P.21出典:People living with Down syndrome in the USA: BIRTHS AND POPULATION: Gert de Graaf, PhD,i Frank Buckleyii,iii and Brian Skotko, MD, MPPiv,v参考:『ネオネイタルケア 2016年4月号(第29巻4号)』人口動態 ダウン症患者の生存率は徐々に改善している:側島久典(メディカ出版)ダウン症の合併症治療とは?出典 : ダウン症のある人の寿命が長くなった大きな要因には、近年、医学の発展によって合併症の発見と治療が、よりきめ細かく行われるようになったことがあげられます。ダウン症のある赤ちゃんの50%に合併していると言われる心疾患など循環器系の病気も、早期段階(胎児期〜乳幼児期)でスクリーニング可能になり、乳幼児のうちから手術や治療ができるようになりました。小児の心臓病を専門に扱う施設も増え、早期の外科治療ができる可能性が高まるとともに、手術の成功率も上昇しているようです。このように、生命の維持に関わる重要な臓器である心臓の疾患が比較的早い時期から治療できるようになったことで、ダウン症のある人の身体的な健康が保たれやすくなりました。つまり、合併症への対応や治療成績の向上が、平均寿命の延長に貢献しているといえるでしょう。ダウン症のある人は、さまざまな合併症を持つ可能性がありますが、適切な健康管理と発達支援、そして社会資源の活用などによって、着実な心身の成長と発達が期待できるようになってきました。参考:「Estimation of the number of people with Down syndrome in the United States」参考:「People living with Down syndrome in the USA: BIRTHS AND POPULATION」ダウン症のある人の、合併症の疾患別健康管理のポイントは?出典 : 「長寿を保つためには、健康管理に気をつけなければならない」というのはダウン症があってもなくても同じですが、なかでもダウン症のある人にとっては「合併症の治療と適切な健康管理」が生涯にわたって重要なキーワードになってきます。■合併症管理とフォローの目安健診により合併症が認められた場合、適切な管理が必要です。ダウン症のある人に起こりやすいといわれている合併症は以下の通りです(月齢等は目安)。・循環器疾患心室中隔欠損、心房中隔欠損など、さまざまな心臓の疾患が合併している可能性があります。新生児期の診察で確認されると、直ちに治療、管理が開始されます。・消化器系疾患消化器官の機能の低下や、肛門がうまく作られずふさがった状態で生まれてくる鎖肛などの疾患がある場合があります。治療はすぐに開始され、ほとんどが日常生活を送るのに支障がない状態に管理されます。また、腹筋の弱さや、消化器機能の低下などにより、便秘がちになることがあります。特に乳幼児期には服薬などにより排便コントロールが必要な場合もあります。・血液疾患、甲状腺等白血球等の数値異常や甲状腺機能のほか、血液検査で確認できる疾患の早期発見、治療のために、6ヶ月時、1歳時、以降問題なければ1年ごとに血液検査を受けることが望ましいと考えられています。・視力・眼疾患乳幼児期から白内障等の眼疾患の確認のほか、視力の測定を行います。乳幼児でも視力を測定しやすい機器等のある小児専門の眼科もあります。1年ごとの眼科受診が推奨されています。・聴力・耳鼻科疾患新生児期にスクリーニングのための聴力検査を実施し、以降、状態によっては半年から1年ごとにフォローがあります。一般的な聴力検査で測定が難しい場合には、脳波測定による聴力検査を行うこともあります。また、風邪などの感染症により中耳炎を発症しやすいため、体調を崩した時には確認してもらうといいでしょう。・歯科歯の萌出が認められたら、主治医の勧める歯科などで定期的にフォローが必要です。離乳食の進め方、食べ方の指導などが受けられる歯科もあります。・泌尿器男児は、精巣の停留の有無の確認が必要です。また、尿を溜める能力や、排尿に関する機能の問題についても、気になることがあったら相談してみてください。・整形外反扁平足などがある場合、靴の中に足をサポートするための特別な中敷きを入れることがあります。・頸椎不安定性だいたい3歳時と6歳時(就学前)に頚椎のX線検査を行うよう推奨されています。異常が認められれば整形外科でフォローが行われます。ダウン症のある人の、年代別健康管理のポイントは?出典 : ダウン症はさまざまな合併症を伴う可能性がありますが、逆に100%の確率で合併する特定の病気というものもなく、そのため健康管理に関しても決まったパターンはありません。ダウン症のある人一人ひとりに応じた、適切な健康管理を行うことが大切です。健康管理には、合併症の発見、治療はもちろんのこと、発症するリスクの高い疾患の予防が大切です。・乳児期・幼児期の健康管理乳児期までは先天性合併症の発見と発育の細やかな観察、フォロー体制の確立が大切になります。新生児期から1歳までは1ヶ月ごと、1歳から3歳は3ヶ月ごと、3歳から6歳は6ヶ月ごとの受診がすすめられることが多いようです。ダウン症のある人の成長曲線に則して、発達や日常生活(身辺自立)の経過のチェックが行われます。・学童期の健康管理学童期は健康の維持と合併症の予防が大切です。就学以降は1年ごとの受診がすすめられています。偏食や肥満のチェックなども行われます。・思春期の健康管理第二次性徴を迎える思春期には、ホルモンのバランスが一時的に崩れることがあるため、心身ともに不安定になりやすい時期です。年に一度の受診のほか、体調や精神的な変化について心配なことがあったら、医師に相談してください。・成人期の健康管理成人期には健康を維持するための生活習慣の指導、そして、成人期に発症するリスクの高い合併症の予防、早期発見・治療が重要です。参考:『産婦人科の実際 2017年 04 月号』ダウン症候群についてー遺伝カウンセリングで伝えるべきこと(金原出版)ダウン症のある人の、成人期の生活で重要なポイントは?出典 : 寿命が延びたことにより、長い成人期を視野に入れた生涯を通じての発達や生活、生き方を考えることが必要になってきました。ダウン症のある人の「生涯発達」を考えた支援が重要だと考えられています。教育を終えた成人期以降のダウン症のある人は、地域の作業所や企業などで働いたり、さまざまな日中の活動を楽しむ施設に通所、入所して過ごしています。またダンス、音楽、スポーツ、書道、絵画などの分野で活躍する人もいます。また、生活の基盤も家庭だけでなく、グループホームなどで家族と離れて暮らす人もいます。また、成人期には、さまざまな疾患のほかに「肥満」の解消など、生活習慣に関わる問題も健康管理上重要です。しかし、成人期のダウン症のある人について知識を持った内科医はまだまだ少ないようです。つまり成人期の生活で大切なことは、地域社会の中で仕事や余暇などを楽しみながらいきいきと暮らすことと、適切な健康管理です。現在、生活の幅は広がり、地域生活でのサポート体制も整いつつあります。しかし、健康管理の面ではまだまだ課題があるようです。ダウン症のある30代以降の人にあらわれやすい、認知機能の低下とは?出典 : 平均寿命が長くなってきたことに伴い、近年、多くのダウン症のある人たちが地域の中で元気に暮らしています。しかし、大人のダウン症のある人に関する新たなトピックが注目されるようになってきました。30代以降、アルツハイマー病と同じ機序によって日常生活の能力や運動能力が低下していると考えられる人がいるのではないか、とする報告がみられるようになってきたのです。ダウン症のある人は、「アミロイド前駆体タンパク遺伝子」という遺伝子が通常よりも多く存在し、その結果、脳の中のアミロイドタンパクが増加してアルツハイマー病と同じような変化を脳内に生じさせるのではないかと考えられているようです。現在、ヨーロッパの製薬会社などが開発した薬を使って、主に認知機能の低下に対する臨床試験が行われています。日本でも、アリセプト(ドネペジル塩酸塩)などを使用した治験が開始されました。ダウン症のある人の思春期、成人期以降の変化については、研究者のあいだでも様々な見解があります。ダウン症のない人とダウン症のある人の機能低下の症状が同じかどうか、認知機能低下の原因は何か、あるいは寿命に関係があるのかなどについて論じるための累計的なデータはまだ乏しく、分からないことが多いのが現状です。今後、上記の臨床試験の結果がまとめられ、別の角度からの研究がすすみ、すべてのダウン症のある人たちが安心して成人期を迎えられる日がくることを願っています。参考:『アリセプト』参考:『When Down Syndrome and Autism Intersect: A Guide to DS-ASD for Parents and Professionals』 Margaret Froehlke , Robin Zaborekまとめ医学の進歩などにより、ダウン症のある人の平均寿命は長くなりました。適切な治療などを受けることで健康に成長し、地域社会の中でいきいきと生活できる時代へと確実に向かっています。保護者や支援者によるサポートをはじめ、当事者が豊かに自律的に暮らしていける仕組みづくりも少しずつ始まり、生活の質(QOL)の向上についての取り組みも進んできています。また、就労して経済的に自立していたり、文化や芸術の分野で活躍するなど、地域の中でいきいきと暮らす、ロールモデルとなるようなダウン症のある人も増えてきています。一方で、寿命が長くなったことにより、「親なきあと」の心配もクローズアップされています。記録ノートなどを活用して情報を整理し、支援につながる手立て準備する人も増えているようです。保護者も子どもも安心して成人期を迎え、充実した生活を送ることができるよう、少しずつ情報を集め、具体的な支援方法を準備していけるといいのかもしれません。参考:『親心の記録』(日本相続知財センター)参考:『ダウン症者の豊かな生活』(菅野敦・池田由紀江 著/福村出版)参考:BRIAN SKOTKO参考:『シートベルトをしめて発進しよう ! きょうだいにダウン症のある人のための短期集中コース』(Brian G.Skotko・ Susan P.Levine 著/三輪書店)参考:『産婦人科の実際 2017年 04 月号』ダウン症候群についてー遺伝カウンセリングで伝えるべきこと(金原出版)注:記事中、医学的な内容については正式な名称である「ダウン症候群」を、それ以外の内容では「ダウン症」という略名を使用しています。
2018年01月04日日本ダウン症協会による、初めての全国的会議「日本ダウン症会議」の様子を徹底レポート!2017年11月11日・12日の2日間にわたって開かれた、第1回 「日本ダウン症会議」。ダウン症のある人やその家族、現在第一線で活躍している専門家や研究者、支援者などが集い、「新しいダウン症像」を考えて意見交換をする、日本で初めての催しです。シンポジウムや分科会、ダンスパフォーマンスや市民公開講座など…ときに真剣に、ときに楽しく、多くの人が集まり、交流した2日間、その見どころを徹底レポートします!障害は強みや価値に変わるー「バリアバリュー」を掲げた特別講演、タレントあべけん太さんのサイン会もUpload By 発達ナビニュース第1回日本ダウン症会議は、ダウン症のある人たちが活動する「LOVE JUNX」のダンスパフォーマンスで幕を開けました。キレのあるダンスに、会場からは感嘆の声が。続いて、玉井邦夫大会長の挨拶と、株式会社ミライロで講演講師として活躍する岸田ひろ実さんによる特別講演が行われました。Upload By 発達ナビニュース岸田さんは、16年前にダウン症のあるお子さんを授かりました。その後、パートナーの突然死、ご自身が病気の影響で下半身不随となるといった様々な出来事を乗り越え、現在は株式会社ミライロで活躍しています。ご自身の体験をもとに、トラウマやコンプレックス、障害は克服すべきものではなく、強みや価値として生かしていこうという“バリアバリュー”の考え方や、さりげない配慮をしていこうという”ユニバーサルマナー”について語られました。Upload By 発達ナビニュース2日間にわたり、医療・保育・教育・福祉・就労の各分科会が開催。最新の研究や取り組みが発表Upload By 発達ナビニュース分科会では、各分野でダウン症のある人に数多く関わる専門家による、研究や課題について発表がありました。1日目の医療分野の分科会では「成人期の医療課題」について、ダウン症がある人のアルツハイマーやうつ、成人期の健康状態についてや、小児科からの引継ぎでの留意点などの解説がありました。会場からは、薬剤についての質問などのほか、「仕事・通勤のストレスから認知症を発症したようだ」という声も。「ダウン症のある人は頑張りすぎる傾向がある。無理しすぎるとうつや認知症を発症することもあり、頑張らせすぎないようにしてほしい」という専門家のコメントがありました。2日目の医療分野の分科会は、子どもの健康管理がテーマ。メガネを嫌がる場合の慣れさせ方や、発語がない場合の視力検査の方法、靴選びの方法などが紹介されました。質疑応答では、発達障害などの併存についても意見が飛び交いました。参加者には医師や研究者、支援者のほか、お子さんと一緒の保護者も大勢参加。会場は赤ちゃんや子どもの声も混じり和やかな雰囲気でした。参加したお母さん方は、「普段の短い診療時間では聞けない話が聞けた」「成長するとどうなっていくかイメージしやすくなった」「本には載っていない具体的なデータを知ることができた」と話してくれました。そのほか、保育分野「就学前段階での実践事例」、教育分野「小学校段階での実践事例について」「中学・高校段階での実践事例」、福祉分野「障害児者をめぐる法的な動向」「本人の暮らしのための相談事例」、就労分野「就労の在り方について」の各分野の専門家から発表がありました。ダウン症のある人を中心にした連携。本人や家族も自分の言葉で発表をUpload By 発達ナビニュースそれぞれの分科会では専門家だけではなく、ダウン症のあるご本人や家族の発表も行われたのが、今回の日本ダウン症会議の特色ともいえます。多くの人の前での発表でしたが、新野さんはリラックスした様子で、入院時のエピソードや治療後に痛みなく働けるようになったことへの喜びを語りました。大好きな演歌歌手・氷川きよしさんの話を織り交ぜるなど、ユーモアも。終了後には「家で1日2回練習してきました。緊張しないで話せた」と感想を語りました。2日目の医療分野の分科会の座長を務めた埼玉県立小児医療センターの大橋博文先生は「医療関係者、家族、ダウン症のある人が、本人を中心に置いた視点で集まっている。発表や質問も、ダウン症のある人のよりよい健康や暮らしに向けた連携が見られたのが、今回の日本ダウン症会議でよかった点」と手ごたえを感じている様子でした。元気でかわいい親子のフラダンスで市民公開講座が幕開けUpload By 発達ナビニュース市民公開講座では、横浜のダウン症児サークル「オハナフラかながわ」のフラダンスがオープニングを飾りました。「まだ発音もハッキリしなくて言葉も出ない子も、ハンドサインに似た要素があるフラの振り付けは覚えやすいのか、いつの間にか覚えていて驚かされます。体幹も鍛えられるように思います。踊っていると自然と笑顔になれることがなによりの魅力です」と、ハマヒアポの佐々木さん。フラダンスの練習は月に2回。ダウン症のある子やきょうだい、保護者も一緒に踊っています。司会の長谷部真奈見さんに「お母さんと踊るフラはどうでしたか?」と聞かれた佐々木梨優さんは「すごく、すごくうれしくなる!」と笑顔で答えてくれました。Upload By 発達ナビニュース日本ダウン症協会として「出生前検査(診断)」について考える初のシンポジウムUpload By 発達ナビニュース今回のシンポジウムのテーマは「出生前検査(診断)」。2012年に新型出生前診断が導入されて以来、公益財団法人日本ダウン症協会は、声明や取材に応じるなどしてその立場や考え方を表明してきました。しかし、主体的に発信することや考える場を持つのは、今回の日本ダウン症会議が初めての試みです。座長を大阪医科大学の玉井浩先生、日本ダウン症協会の水戸川真由美さんが務め、足立病院院長の畑山博先生やお茶の水女子大学教授の三宅秀彦先生が産婦人科、遺伝科の医師としての専門的な立場から、出生前検査の問題をわかりやすく伝えました。出生前診断では、妊娠中にダウン症をはじめとする遺伝子疾患の可能性がわかります。検査を希望する人も年々増えています。検査の結果によって妊娠の継続をあきらめるというケースも少なくありませんが、両親が、正確な情報を得、自分たちなりの選択をできることが重要である。そのうえで、どんな選択をしても後悔させない、許容される社会にしていくことを目指すべきとの言葉が印象的でした。また、出生前診断は生まれてくる赤ちゃんを早い時期から受け入れる準備をするためにも役立つということ。その観点から母親と家族の障害受容と産後のケアについて、助産師の立場から山梨大学教授の中込さと子先生が、山梨県の取り組みを紹介しました。Upload By 発達ナビニュース最後に、ダウン症のタレントとして活躍するあべ けん太さんが登壇。満員電車に揺られ通勤する仕事のこと、休日に楽しむビールやゲームのことなど日常の姿をユーモアたっぷりに教えてくださいました。厚生労働省の研究班の社会調査でも、ダウン症のある人の9割以上が「毎日幸せ」と感じているという意識調査があります。あべさんの「おかん、産んでくれてサンキュー!」という力強い言葉や毎日を楽しく精力的に過ごす姿、そして「ダウン症のことを知ってもらうために、世界中の人に会い、テレビにも出たい!夢は世界制覇です!」という言葉は、まさにこの調査結果を裏付けるものでした。ダウン症のある人、家族、専門家が交流できた交流会Upload By 発達ナビニュース1日目の夜、大正大学内の会場で、交流会が催されました。交流会には、分科会に登壇した専門家だけでなく、日本全国から集まったダウン症のある人やそのご家族の参加も多数あり、120名以上の参加がありました。ダウン症のある人も参加するヘルマンハープの演奏でスタートし、料理を囲みながら日本各地の会員同士や、専門家との交流が生まれていました。発達ナビ編集部は、交流会に参加されていた、日本ダウン症協会の会員家族3組にお話を伺いました。Upload By 発達ナビニュース2日目の分科会で登壇し、学校教育について話す五十嵐結花(17歳)さんは新潟県からの参加。「赤ちゃんが好き。赤ちゃんをお世話する様子の動画を見るのも好き」という結花さん。「トミカも大好きで、60台以上集めている。運転免許を取って車を運転したい」と夢を語ってくれました。Upload By 発達ナビニュース愛媛県から参加の中川智仁(19歳)さんとそのご家族。お母様は「就労の分科会に参加しました。障害のある方たちの居場所づくりのために、地元で小規模作業を運営しているので勉強になりました」。お父様は、「医療の分科会に参加し、成人期の経過や気を付けるべきことが分かった」と話してくれました。Upload By 発達ナビニュース熊本県から参加した平田幸一(33歳)さんとお母様からは、「日本ダウン症協会の総会がここ数年なかったので、久々に全国の仲間と交流することができてとても有意義でした」と、喜びの声。平田さんは熊本県で支部で活動しており、毎月、体操や喫茶店体験、ボーリング、キャンプなど、余暇活動を企画しているそう。幸一さんは、水泳やバンド活動、ダンスなど多趣味。「料理が好き。カフェをやりたい」という夢もあるそうです。取材を通し、ダウン症のある人やそのご家族の、生き生きとした暮らしぶりの一端に触れることができました。また、交流会は、参加者同士交流を生み、そこからまたつながりや実践への新たな一歩が踏み出される予感を感じさせるものでした。さまざまな人がつながり、発信し続けていく大会に出典 : 日本ダウン症協会は「これからの私たち~新しいダウン症像を求めて~」と題した日本ダウン症会議を催し、シンポジウム「出生前検査(診断)をめぐって」などを通して、社会へ向けての発信を主体的に行いました。医療の技術の進歩とともに、出生前検査(診断)や新薬の開発などが進んでいます。また、世界的に、障害のみでなく、民族や宗教など、社会の不寛容が広がりつつある現実もあります。その中での、障害のある方や支援者らによる、主体的な発信は大きな意義のあるものです。ダウン症のある人や家族だけでなく、専門家や支援者も一緒に「ダウン症のある人をはじめ、どのような人にとっても豊かに生きられる社会とは何か」を問い、多様性のある社会の豊かさについて発信し続ける決意を感じられる会議でした。
2017年12月01日”バディウォーク”ってどんなイベント?出典 : 「バディウォーク」とは、ダウン症のある人たちと一緒に、みんなで歩くチャリティーウォーキング・イベントです。全米ダウン症協会が、1995年に「ダウン症啓蒙月間」の一環としてニューヨークで始め、今では世界各地で開催されるようになりました。ダウン症への理解と受容(acceptance)、社会的な平等(inclusion)を促進することが目的で、誰もが参加できる1マイル(約1.6km)を歩きながら、ダウン症のある子どもたち同士、親同士、一般市民が触れ合えるチャリティイベントです。日本では2012年10月に初のバディウォークが開催されました。2016年には東京・横浜・京都・名古屋・仙台・長崎の6ヶ所で開催され、全国に広がっています。今年のテーマは、”みんなで「インクルージョン」を考える日”インクルージョンとは、多様な個性をもつ人々がお互いを尊重し合い、認め合い、対等にかかわりながら多様な人々が一体化している状態のことを言います。また、障害のある子どもを含む全ての子どもが同じ場で学び合うことを「インクルーシブ教育」といい、日本でも学校教育に取り入れられ初めています。バディウォーク東京2017は、イベントを通じてダウン症のある方を含む多様な個性を持つ方々と触れ合うことができます。だれでも楽しめるショーやアクティビティもたくさん用意されているので、家族や友達などと気軽に参加して、楽しみながらインクルージョンを体験してみませんか。たくさんの”ハート”に包まれる1日に。”ハート”をつけて参加しよう!出典 : バディウォーク東京2017は、明るく人なつっこい性格の方が多いダウン症の一面を表す「ハート」がデザインテーマ。ぜひ、ハートをモチーフにしたアイテムを身につけて参加してみましょう!きっとたくさんのハートに包まれた一日になるはずです。ウォーキングだけでなく、さまざまなイベントが企画されています!メイン会場となる新宿中央公園では、ステージはもちろん、飲食ブースやアートコーナー、スポーツコーナーなどさまざまなブースが並びます。アートコーナーでは、参加型ペインティングアートが行われます。出典 : 焼きたてピザやジュースバー、スローフードなど、バリエーション豊かな飲食ブースも楽しみのひとつ。出典 : ステージでは、「かいけつゾロリショー」や、コーラス、歌、バレエ、ダンスなど、多彩な出演者による多種多様なプログラムが。まさにインクルージョンなステージになりそうです。出典 : 出典 : ステージの司会は、峰尾紗季さん、あべけん太さんのお二人です。出典 : 年、リオ・パラリンピック閉会式でパフォーマンスも行ないました。平日は飲食店に勤務しながら、週末はダンスや演劇などの練習に励んでいます。会社員として勤務しながら、ダウン症について少しでも多くの人に知ってもらう為、タレント活動や、父・俊秀さんと親子講演を行っています。バディウォーク東京2017開催概要2017年11月19日(日)新宿中央公園(水の広場)無料イベント詳細については下記のページでご確認ください。バディウォーク東京2017
2017年11月09日ダウン症当事者団体による、初めての全国的会議Upload By 発達ナビニュース「日本ダウン症会議」は、ダウン症のある方や家族はもちろん、現在第一線で活躍している専門家や研究者、支援者などが集い、「新しいダウン症像」を考えて意見交換をする、日本で初めての催しです。専門家もダウン症のある方も、一緒に議論する場に過去90年の間にダウン症の平均寿命は6倍となり、医療においては様々な治療の可能性が探られる一方、出生前検査(診断)の議論があるなど、ダウン症のある方や家族を取り巻く状況は近年大きく変化しています。そうした状況の中で、公益財団法人日本ダウン症協会(JDS)が、当事者団体による日本で初めての全国的な会議を開催します。医療・福祉・保育・教育・就労など、様々な領域での実践報告に加え、第一人者の方々やダウン症のある方々が、同じ席について議論したり学ぶことができる場です。市民公開講座も開催されますUpload By 発達ナビニュース11月11日(土)・12日(日)の特別講演や分科会については当日受付可能(事前登録は締切)ですし、12日13:30~15:30(13:00開場)に実施される市民公開講座は、無料でだれでも参加することができます。11日(土)は13:30に開会(12:00開場)。特別講演のほか、医療・福祉・保育・教育・就労のテーマごとに専門家やダウン症のある本人を交えての分科会が開催されます。12日(日)も、10:00から分科会が行われます。講演や分科会への参加費は、10,000円となっています。12日(日)の市民公開講座(参加無料)では、シンポジウムが開催されるほか、横浜ダウン症児サークル「ハマヒアポ:オハナフラ」で活動する、3歳から10歳の子どもと保護者によるフラダンスの発表もあります。シンポジウムでは、医師や大学教授、助産師などの専門家などに加え、ダウン症のあるタレント・あべ けん太氏らによるリレー講演や、質疑応答の時間も設けられます。いずれも、大正大学(東京都豊島区西巣鴨3-20-1)で開催されます。主催者からのメッセージ「ダウン症を取り巻く状況が大きく変化する中、当事者団体としての発信も広く専門家の協力を得ていく必要を痛感しています。今回の会議では、当事者団体であるJDSが企画する会議という特色を活かし、各部門で精力的に実践されている方の報告と、その領域における第一人者の先生方、さらには当事者が同じ席についての議論と学びの場にしていくつもりでおります。ダウン症のある方たち、その家族、支援に携わる方々、研究職の方々、ダウン症をめぐるすべての方たちに「これからの私たち」を考えていただける場にしたいと願っています。」という大会会長の玉井邦夫氏。ダウン症に関わる方の場としてだけでなく、様々な思いや多様性を認めていくことの大切さについても広く発信していく、記念すべき第1回の大会となるでしょう。
2017年11月01日ダウン症の娘との海外生活、紆余曲折の2年半Upload By Masami「障害のある子と一緒に海外で生活すること」について、考えたことはありますか?私は、現在16歳になるダウン症の娘と15歳の息子を育てている、40代後半のパート主婦です。娘がダウン症だとわかった時、将来、旅行ぐらい行けたらいいな…とは思いましたが、まさか家族で海外に暮らすことになるなんて夢にも思いませんでした。それどころか、夫には「もし転勤(もちろん国内)の話があっても、絶対に断ってね!!」と言っていたほどでした。ところが、娘が中学に入った夏、突然持ち上がった夫のタイ・バンコクへの転勤話。紆余曲折ありながら、2年半現地の生活を楽しんで帰ってきました。海外で障害のある子と暮らした体験談をつづりたいと思います。タイに行きタイ!なんて話していたら…Upload By Masamiダウン症の娘は、地域の保育園、小学校支援級、中学校の支援級へと進みました。中学校では、まさかの陸上部に所属し、私はそのサポートでバタバタとしていました。そんな時、夫に突然のタイ・バンコクへの転勤話が持ち上がったのです。娘が小さなころは定期的な病院通いや療育のこともあり、引っ越しなんてとんでもない!!と思っていましたが、中学に入るころには、いろいろと落ち着き、「今なら行ってもいいかも?」と思えるようになっていました。また、結婚した頃は海外赴任に憧れていた時期もあったので、夫婦で「タイに行きタイ!」と盛り上がりました。とはいえ、学校や生活はどうなるんだ??ということで、タイの情報収集を始めました。まずは学校。タイのバンコクには「泰日協会学校」(通称:バンコク日本人学校)という、世界で一番古い、しかも世界で一番生徒数の多い日本人学校があります。ホームページを見ると、小・中学校があり、支援級もあるとのこと。また、「Group With」という海外で暮らす家族をサポートしているサイトの、「海外日本人学校における特別支援教育―心身の発達に障害があり、特別な教育的支援を必要とする児童生徒の受け入れについて」というアンケートをみたところ、中学生の受け入れもあるような体裁で書かれていました(今ははっきりと小学校6年生までと書いてあります)。学校のホームページに「支援学校のお子さんは入学できません」とは書いてあったものの、我が娘は支援級在籍だし、何も問題ないだろうと思っていました。夫とも、「家族で行く方向で考えよう!」ということになり、数カ月後、夫は一足早くタイへ旅立っていきました。 With日本人学校編入希望が、まさかの「門前払い」に!?Upload By Masami秋から、次年度の入学・編入受付が始まることで、申し込み日に子ども二人分の申し込みをしました。ところが、まさかの「中学校には支援級がないので編入できません」とのお返事が…メールを読みながら、サーっと血の気が引きキーボードを打つ手がわなわな震えるのを感じました。しかし、伊達に障害児の母を15年もやっていません!(笑)わなわなしながらも、頭の中ではクルクルと相談先をサーチしていました。まずは日本人学校編入学担当者へ「なんとか受け入れてもらえないか」というメールを出しつつ、現地の情報を集めることにしました。偶然、以前勤めていた会社の同期がバンコクに駐在家族として住んでいたので、お友達経由で日本人学校中学部の障害のあるお子さんの状況を聞いてもらいました。また、日ごろお世話になっている元支援学校の先生に、お知り合い経由で情報を聞いてもらうことにしました。すると、このネット時代、海外の情報なのに、その日の夜には情報が入り始めました!どうやら中学校にも障害のあるお子さんがいるらしいけれども、支援級は設置されていない様子。そして、今後も障害のある生徒の中学部の受け入れは難しい状況のようだということがわかってきました。それでもやっぱり「家族でいたい」決意の先に見えてきた道Upload By Masami当時、下の息子は小学校5年生。思春期の入り口で、とてもこれからの数年間を父親なしに私だけで育てる自信はありませんでした。また、中学生になったとたんに、娘の進路に就労のことがちらつき始め、なんとなく閉塞感もあったことから「とにかく家族でタイに行く!!」という方針は変えず、最悪の場合はホームエデュケーションでもいい!!というつもりで方法を探ることにしました。日本人学校の小学校部支援級にいたお子さんが中学部に上がる時はどうしているのかと聞いたところ、ほとんどが日本に帰るか、現地校に行くとのお返事でした。でも、具体的な行き先は教えてもらえませんでした。次にあたったのは、「海外子女教育振興財団」です。ここにメールで相談したところ、インターナショナルスクールで障害児を受け入れているところをいくつか紹介してくれました。しかし、どこも軽度の発達障害のお子さんが対象のようでした。その次に、前出のGroup withのページでバンコクにある親の会「OZの会」の存在を知り、そちらにもメールを出しました。すると、財団では紹介されなかった学校情報をいただくことができました。そのうちの一つが、娘を受け入れてくれた、イギリス式インターナショナルスクールの養護学校、「The Village International Education Center 」でした。夫が「14歳の日本人のダウン症の女の子で、全く英語がわからないけれど受け入れてもらえるか?」とメールを出したところ、「大歓迎です!あなたのお嬢さんのよりよい教育環境を一緒に考えるために、日本からでは大変だと思うけれども、できたら、一度見学に来ませんか?」とすぐにお返事をもらいました。このお返事にどれほど救われたかわかりません。ちなみに、この他にも、タイの非営利団体が運営している「サタバン サエン サワン ファンデーション」という、障害児・者の通園施設に通っている日本人のお友達もいました。海外子女教育振興財団 Village International Education Centerサタバン サエン サワン ファンデーションここはプロ集団だ!やっていけそう!Upload By Masamiそんなわけで、12月のクリスマス休暇前に母子3人でバンコクへ下見に行きました。バンコクは思ったよりも都会で、日本語対応の病院も近くにあることがわかりました。街の治安も悪くなく、「ここならばやっていけそう」だと感じたのを覚えています。そして、家族でインターナショナルスクールの養護学校へ見学に行きました。ヘッドティーチャーと少し話したのち、実際のクラスに1時間ほど入らせてもらうことに。7.8人の子どもに先生が2人。丁寧に子どもたちを見ながら指導していました。いきなりの訪問にもかかわらず、娘をすんなりと受け入れ、工作をしたり読み聞かせをしたりしてくれました。娘も嫌がることなく、授業を受けている様子。その間、先生はじーっと子どものことを観察し、何ができて何ができないのかよく見ていました。日本だったら、すぐに「これはできますか?あれはどうですか?」と聞かれるようなところも、全て子どもとのやり取りの中で理解してくれたのです。できあがった作品に名前を書くとき、最後の最後で「彼女はアルファベットが書けるか?」と初めて私の顔を見て確認する様子を見て、「この人たちはプロ集団だ!やっていけそう!」と強く思うことが出来ました。背中を押してくれたのは、「専門家」ではなくて「私たちをよく知る人たち」Upload By Masami日本の特別支援教育を離れるにあたり、どこかサポートしてくれる機関はないかと、とある公的な相談機関にメールをしたところ「せっかくこれまで日本の教育で育ったのに、英語の環境になってしまうのはもったいない。たった2,3年の事ならば、お父さんに時々日本に帰ってきてもらうなどして親子の関係を保ちながら、日本で暮らすことを考えてもいいのではないか」というお答えもいただいたりもしました。でも、娘が小さなときから私たち親子をよく知る地域の主任児童委員さんや、保育園、学童の先生、友達も「家族一緒が一番、久保さんちなら大丈夫よ!!私達ここで待っているからいってらっしゃい!!」と笑顔で背中を押してくれました。そんなわけで、私達は無事2014年の4月からバンコク生活を始めたのでした。イギリス式の養護学校での2年間で学んだものUpload By Masami娘と同時期に日本人学校小学部を卒業したダウン症の男の子も一緒に入学しました。学校の中で唯一日本語が通じる相手で、最初は二人ともお互いを心のよりどころにしていたようです。彼と彼のお母さんがいてくれたおかげで、私達親子は頑張れたなぁと今でも出会いに感謝しています。最初の一年間は、学校の中には誰も日本語がわかる先生がいない状態でしたが、先生方はあたたかく私たちを受入れ、そして時には厳しく指導してくださいました。学校の大まかな流れ自体は日本とよく似ているので、娘たちは学校生活にすぐになじんでいきました。学校ではマカトンサインも取り入れていたため視覚支援も多く、困ることはなかったようです。2年目からは週の半分ほど日本人の先生がサポートで入ってくださるようになり、そこから英語の理解も進んだように感じました。娘たちは英語が全く分からないので、小学校高学年相当のクラスに入りました。授業は、算数、英語、理科、社会、家庭科、体育がありました。算数に関しては、日本の小学校のほうが難しいことをしているので、娘にとっては簡単に感じたようです。目標は「将来の自立」という点では日本と変わりはありませんが、そのアプローチは日本とはちょっと違うように感じました。どの教科も、体験を通して学んでいくスタイルで、ビデオやiPadも活用しながらすすめていました。学校で宇宙のことを学んだことで、バンコクで行われていたNASA展に興味を示したり、家庭科でバランスの良い食事について学んだことで食べるものを意識するようになったりと、学ぶことにより、娘の視野が広がっていくのを感じました。日本の中学校では、高校卒業後の就労を見据えて、洋服の畳み方だったり、挨拶の仕方だったりといった生活に関する体力作りが多くなり、教科学習が小学校に比べてぐんと減った感じがするのが、親としてはちょっと寂しかったのです。イギリス式養護学校での学びにより、生活や人生に幅が出るという体験はとても新鮮に映り、嬉しく感じました。また、先生方は娘に可能な限り英語も教えようとしてくださり、2年目に入るころにはヒアリングはかなりできている状態だったように感じます。日本で英語を教えたことのある先生が取り出しで教えてくれるようになったこともあり、結果として在タイ中に英検5級と4級に合格することが出来ました。これは、娘にとっても大変自信になりました。在学中に、学校のスタッフから感じたことは「障害があっても学ぶことを諦めない姿勢」だったように思います。学校にST・OTが常駐しており、学期の終わりには関わる先生と一緒に評価と次の学期の目標設定をします。生徒数50名程度の小さな学校なので、スタッフも先生も子どもたちの様子をよく見てくれているという印象でした。毎年全校で、リゾートホテルに泊まりに行く宿泊学習があったり、クリスマス前には全生徒が出演する劇もありました。劇が終わると学校の庭で先生や保護者と一緒にパーティーが催されるところが「インターナショナルスクールだなぁ!」と感じたところでした。1年目の担任はインド人のシルビア先生。長年特別支援教育に携わってきた大ベテランの先生です。娘たちのことを大変かわいがってくださいました。また、子どもだけではなく英語が全然できなかった私のこともフォローしてくれました。1年弱お世話になったところで故郷のインドに帰られたのですが、その時は涙の別れ。いつかインドに遊びに来てねとお誘いも受けました。また一人恩師が増えました。2年目以降は、イギリス人のエイミー先生。若くて年の近い先生で日本のアニメも知っていて、娘は先生と話したい!という気持ちが強くなって英語が上達したようにも思います。最後は娘お得意の「聞こえないふり」を見抜くほど娘のこともよく理解してくださいました。日本に帰国後半年ほどたったときに、バンコクに残る父親を訪ねながら、また学校で1日交流させてもらったのですが、どこの部屋へ行っても子どもたちやスタッフの歓迎を受けて、確かにここは娘の居場所だったのだなぁと、あらためてジーンとしました。制度がないだけに助け合うコミュニティUpload By Masamiタイには、首都バンコクを中心に約7万人の日本人が住み、バンコクの日本人学校は2017年5月現在は小・中学校合わせて約2600人の生徒が在籍しています。毎日約150台のバスが運行され、子どもたちを運んでくれています。日本人の多くが、企業のオフィスの多い街の中心地から、電車で30分くらいの範囲に集まって住んでいます。世界でも比較的治安のいいバンコクではありますが、やはり日本と同じようにはいきません。海外で暮らす人同士であること、また駐在家族は日本のように気軽にアルバイトに出たりできないため、時間に余裕のある人も多く、友達、近隣とのおつきあいは日本よりも多い印象です。日本のように、福祉の制度も整っていない反面、「何かできることがあったら言ってね」と言われることが多かった気がします。タイの特別支援教育・療育Upload By Masami前出の日本人学校には小学部に特別支援級があり、日本から特別支援教育のスキルを持った教員が赴任し、手厚く専門的な指導をしているとのことです。また普通級在籍の生徒にも必要があれば個別の支援が行われ、日本人学校においては日本と同じ程度の特別支援教育が受けられると思われます。しかし、義務教育期間ではありますが、私立なので障害のある児童や母国語が日本語でない生徒など特別な支援を要する児童については、学校と相談となるようです。詳しくはホームページなどに詳しく掲載されますので、ご確認ください。療育に関しては、日本のような療育施設はありません。その代わり病院にPT・OT・ST・心理職がおり、療育を受けることが出来ます。ただし、言語はタイか英語なので通訳を手配する必要があります。また、日本のように健康保険がないので、治療代については各企業で加入する駐在向けの海外旅行保険などで賄われます。また、療育センターに当たるものがありませんので、親子でのグループ療育や、保健福祉センターのように気軽に相談できる公的機関はありません。タイに在住の発達に心配のあるメンバーは、日本人会の相談会を利用したり、サークルで情報交換や日本で療育関係にお勤めされていたボランティアさんに相談をしたりしながら、各自の判断で病院での療育を受けながら子育てしています。子どもに寛容なタイUpload By Masamiタイは仏教が国教で、子どもたちを大事にするお国柄なので、子どもがどこで何をしても、タイの人たちは笑顔でそれを見守っています。日本人からしたら、「お行儀が悪いなぁ」と思えるようなことをしていても、誰も怒る大人はいません。それどころか「元気ねぇ」とでもいうようなまなざしで見てくれています。だから、ちょっと動きの多いタイプのお子さんをお持ちのママさんたちは、「タイは本当に育てやすい!」と話していました。また、困っていたらすぐに手も差し伸べてくれます。娘も身長がとても小さく子どもに見られるので、電車に乗るとすぐに席を譲ってくれます。障害者に対する差別がないわけではありませんが、「タンブン」という、来世のために現世で徳を積むという仏教上よいとされている行いが生活の中に根付いており、障害のある人に対しても大変親切です。車いすを利用している友人は、タクシーから降りるとすぐに人がワーッと集まってきて階段をあげてくれると言っていました。設備的には全くバリアフリーではありませんが、人の心にはバリアが少ないように感じます。世界各地からいろいろな人種、民族、宗教の人が集まる観光都市なので「多様性」には大変寛容なのだと思います。私もバンコクにいる間は、「日本人」つまり「マイノリティー」で娘と立場は同じでした。ですから、娘が「ダウン症」であることを意識する機会がすごく減ったのが大変印象的でした。海外赴任前に確認したほうがいいことUpload By Masami海外で暮らすときに、母親として気になるのは「教育」と「医療」です。現地の病院にかかる時は、会社が加入している「海外駐在保険」を利用してかかることが多いです。保険の種類によって、療育は保障の範囲外だったり、会社からも療育の費用は自費扱いとなったりする場合があるので、お子さんがたくさん療育が必要な年齢の場合は、費用負担がどうなるのかを確認しておくとよいでしょう。駐在で赴任する場合はたいてい日本の会社の健康保険はそのまま日本で使えるので、基礎疾患による経過観察が必要な受診や、詳しい発達検査などは一時帰国の時にまとめて受診する人が多いです。ただし、現地採用になってしまうとそのあたりがなくなってしまうので、注意が必要です。赴任する土地にもよりますが、たくさんの予防接種が必要な場所もあります。また、現地の医療のレベルには国によってかなり差があるので、よく情報を集めたほうがよいでしょう。小学校、中学校での日本への帰国は、住民票を入れた時点で問題なく転校できますが、養護学校高等部の編・入学については、自治体によっては自治体内の中学を卒業していることが要件となる場合もあるようです。お子さんの年齢によっては、そのあたりも各自治体の教育委員会に確認してから渡航することをお勧めします。また、海外へ引っ越しする際は、住民票は抜いていくので、「愛の手帳」などの障害者手帳は返還する自治体が多いと思います。よって一時帰国の際は手帳が使えません。ご注意ください。タイが教えてくれたことUpload By Masamiバブル世代なので、海外旅行は何度かいったことがありますが、住んだことはなかったので、今回改めて、「日本のあたりまえが当たり前じゃない」ということを強く感じました。これは、きょうだい児である弟も強く感じたようです。日本以外の多様な価値観を体で感じる機会に恵まれたことは、大変貴重な体験でした。また、タイ人の社員と仕事をしているお父さんたちの話を聞くと、その様子は、とても「障害者雇用」に似ているなぁと感じました。言葉がうまく通じない人たちといかにコミュニケーションミスを減らすか。相手の文化を尊重していかに心を通わせて、いいチームを作って企業としての成果を出していくか。障害のある人達もある意味「違う文化を持った人」と言えるのではないでしょうか。そういう意味では、障害のある子とない子が一緒に学ぶことも「インクルーシブ教育」と言わずに「グローバル教育」だと謳った方が受け入れてもらいやすいのではないかとも思うようになりました。タイは貧富の差が激しく、また、社会福祉の整備は先進国に比べて遅れています。しかし、だからこそ、人々の助け合いで成り立っている部分も多く、日本が失ってしまったものがたくさん残っているなぁと感じました。また制度がないからこそ柔軟に対応できることも多いのだと思いました。日本はこの10年、いや私たちが日本を離れている2年半の間にも、かなりいろいろな制度ができたり、児童デイなどの新しい施設が急激に増えたりと制度的には整ってきました。しかし、新たな問題も生まれており、制度や施設ができればそれでいいというものでもないのだなと、半世紀くらい遅れたタイの福祉の状況を見て思いました。最初から「無理」とあきらめないでUpload By Masamiタイで出会った、障害のある子を連れてまで海外に来たご家族は、みな明るく家族を大事にする人たちばかりでした。数年後に子どものライフサイクルに合わせて母子だけで帰国する場合も多いですが、「行けるところまでは家族一緒に!」という思いで来ているのは同じでした。障害のある子がいると、いろんなことを諦めなければならないような気がしてしまいがちです。しかし、「『やる!』と決めたら、道は開けてくるもんだよね!!」と、仲間たちとよく話していました。子どもが小さいうちはあまり実感がないと思うのですが、日本にいても、家族がみんな一緒に時間を共有できる期間は、実はそう長くはありません。一時の間、家族の時間を優先するというのも悪くないと自分や周りのお友達の様子を見ていて思います。しかし、海外は日本のように何でも整っている環境ではないし、治安やその他不安要素もあり、いい面ばかりでないのも事実。また、国や法律が守ってくれることも少ないので、すべてが「自己責任」となります。働くお母さんが増えてきている今、お父さんだけではなくお母さんにも海外赴任の話が持ち上がることもあるかもしれません。100人の話をきいたら、100通りの答えがきっとあり、どれが正しく、どれが間違っているとは言えないと思います。ただ、もしも、ご両親のどちらかに海外赴任の話が持ち上がった時は、最初から「ああ、うちは無理無理!」とあきらめるのではなく、ご家族の優先順位をよく話し合い、現地の情報を集め、あらゆる方法を考えたうえで決められるとよいのではないでしょうか。あきらめさえしなければ、親も子も「可能性は無限大!」2年間半のタイ生活を経て、実感しています。
2017年09月25日ダウン症のある子どもの子育て手帳が誕生!母子手帳と一緒に持ち歩こう出典 : 公益財団法人「日本ダウン症協会(JDS)」は2017年度に、ダウン症がある子どもの保護者向け手帳『+Happyしあわせのたね』を発行(企画・制作21+Happy)しました。B6サイズ・64ページにわたる小冊子で、お手持ちの母子手帳と併せての持ち運びも便利なサイズです。7月1日より、希望者に向け無料配布されています(要送料負担)。手帳の全ページは協会のホームページからPDF形式で閲覧可、コピーフリーでダウンロードも可能です。「しあわせのたね」特設サイト(JDS)ダウン症がある子どもの成長は比較的ゆっくりしているとされていますが、日々着実に成長していきます。一方、赤ちゃん期の成長と体調管理に関しては、保護者の方の戸惑いや不安もあることでしょう。正しい育児に関する情報をどうやって取り入れたらよいか見当もつかない、という方もいらっしゃると思います。また保護者の方のご自身の日々の生活についても、この先どうなっていくのだろう、いまの仕事は続けられるのだろうか…など、漠然と不安に思っている方もおられることでしょう。今回発行された『+Happyしあわせのたね』は、そんな新米パパ・ママの気持ちに寄り添いながら、ダウン症のある子どもを育てている現役の保護者の方からの声をたくさん集めて作られた手帳になっています。さっそく、その中身をめくってみましょう。Upload By 発達ナビニュースまず、表紙をめくると、とても柔らかな祝福の言葉ではじまります。「お子さんのお誕生、おめでとうございます」お子さんが生まれてすぐのおかあさんは、心も体もいつも通りには動きません。想像以上にヘトヘトでもあります。そんなデリケートな時期だからこそ、「言葉」はそっと包み込むような優しい存在であってほしい…プロローグのメッセージには、そんな命をはぐくみ慈しむ人たちへの想いが込められています。言葉の花束となって保護者の方の心にそっと届けられることでしょう。<先輩ママからのメッセージ>たちばなかおるさんの育児漫画Upload By 発達ナビニュースたちばなさんはダウン症のあるお子さんを育てる漫画家さん。ポップな色使いで、「ユンタくん」との日常が描かれています。この漫画を実際に手にとって読める!というのも、この冊子の魅力の一つです。赤ちゃんとの生活が始まったばかりの新米ママ・パパにとって、「今、本当にこれで大丈夫なのかな?将来はどうなるんだろう…」といった漠然とした不安は常につきものです。ましてや、ダウン症がある子どもがどんな風に育っていくかなんて全く見当もつかない、ものすごくハードな道のりなのではないか…と思うのも無理はないことかもしれません。Upload By 発達ナビニュースたちばなさんの漫画を読むと、良い意味でたくさんの「裏切り」があります。一般的には顔に共通した特徴があるとされるダウン症候群のある子どもですが、たちばなさん御夫婦は「私に似ている!」「いや、俺に似ている!」と言い合います(間に挟まれた子どもはきょとーんとしています)。――気が済むまで親バカが言い合えるほどの、仲睦まじい御夫婦の日常がそこにあります。哺乳力が弱く、授乳に時間がかかる乳児期。たちばなさんは、ながらヨガ、ながら料理、お仕事だってやっちゃう!?――どんな育児書にも載っていそうにない、肩の力の抜けたリアルなダウン症児と暮らすママの姿が、ありありと浮かんでくることでしょう。そんな四コマ漫画で綴られるユンタくんの成長漫画「生後まもなく」「歩くまで」「オムツのこと」「ゆっくり育つ面白さ」「仕事もできます」「ダウン症の特徴」「この7年」7つの作品が掲載されています。新米ママだったたちばなさんの赤裸々な気持ちを描写したシーンを含む作品は、この冊子を手に取った保護者の方にそっと寄り添い、勇気づけてくれることでしょう。成長記録<はじめての記念日>Upload By 発達ナビニュースこの手帳の最大の特徴は、子どもの成長の様子がその子のペースに合わせて記入しやすくなっていることです。ダウン症のある子ども特有のゆっくりペースの育ち(非定形発達)を、一般の母子手帳や一般的な育児書・雑誌にあるような「定型発達児向けの尺度」に合わせて計測し続けることは、保護者の方にとって精神的な負担がとても大きいはずです。ご紹介している冊子『+Happyしあわせのたね』には、その子なりの育ちをペースに合わせられるように、記録する尺度の方を調整し、編集されています。「成長記録のページ」は、エピソードベースでわが子の育ちを記録に残すことができます。また、webサイトには、ダウン症がある子どもの成長曲線を示したグラフもあります。こちらをダウンロードして、母子手帳と一緒に携帯すれば、いつでも参照することができますね。ダウン症がある子どもの成長曲線将来公的サービスを受ける際にも役立つ!<手帳の記録・通園通学の記録>のページUpload By 発達ナビニュース子どもにどんなことがあったか記録を残すことは、保護者の方のメンタル面を支えるだけでなく、お子さんの手続きなどを進める際にも役に立ちます。ダウン症のある子どものための公的なサービス(補助金の申請、療育機関の手続き、各種手帳の取得、移動支援など)を受ける際、今までどんな支援や教育、手続きがあったのか、過去にさかのぼって聞かれることがしばしばあります。一般の母子手帳にはこの<手帳の記録・通園通学の記録>に該当するページが無いため、この『+Happyしあわせのたね』に乳幼児期からの記録を残すことで、保護者の方の助けになるでしょう。役場職員や各施設の支援者に、度々子どもが生まれた時からのことを口頭で聞かれ、保護者の方にとっては煩雑な場合もあります。そんな時、手帳に残した記録をコピーして資料として渡せば、正確に情報を伝えることができますね。※お子さんの将来に備えるための記録媒体は、『親心の記録』という手帳もありますので、参考になさってください。参考:「親心の記録」「療育」?「親の会」?新米ママ・パパの疑問に応える多彩な体験談Upload By 発達ナビニュース冊子の中では具体的に、・「療育ってなに?」・「地域の親の会、参加したいけど…ドキドキ」・「職場復帰ってできるの?もう無理じゃない…?」というトピックが設けられ、先輩ママ・パパの体験談が具体的に書かれています。Upload By 発達ナビニュース上記の写真は、実際の「親の会」の様子。それぞれの親子が運動しながらスキンシップを図っている姿です。親の会ってどういった雰囲気の場所なんだろう?何をするところなんだろう?という気持ちも、こんなビジュアルで見ると具体的なイメージが湧きますね。冊子が欲しい方はダウン症協会まで連絡をUpload By 発達ナビニュース■一般の方の申し込み方法2017年7月現在、申し込み開始中です。順次発送を行っています。*手帳は無料ですが、1冊100円の送料をご負担ください。*1人1冊、在庫が無くなり次第終了します(1刷は5000部)。メール:boshu@jdss.or.jp件名「子育て手帳申込み:会員」または「子育て手帳申込み:一般」(申し込み多数の場合JDS会員を優先。ご了承ください)メール内容・氏名・日中連絡先電話番号・会員の場合は会員番号(封筒記載のID)・ダウン症のある方とのご関係*メール送信後、封筒に次の2つを入れて、JDSにお送りください。1100円分の切手2手帳送付先(郵便番号・住所・氏名)を明記した、10cm×5cm程度の紙1枚〒170‐0005豊島区南大塚3-43-11日本ダウン症協会宛(82円切手を貼り、ご投函ください)
2017年09月18日