46歳の主婦兼ライターです。40歳ごろから後頭部の上の方にあるつむじが気になり始めました。以前よりぱっかりと割れているような気がするのです。当時はロングヘアのダウンスタイルで、髪は結ばずに長めの前髪を横に流していました。仕事中は前髪が落ちてこないようスプレーでがっちり固めていました。が、そのうち後ろのつむじの辺りも割れないようにスプレーで固めるように。それから年々抜け毛が増えていき……。床のあちこちに抜け毛が!5年ほど前に現在の家に引っ越してきました。新居の床は白っぽい木目のフローリングです。引っ越しをしたばかりのときはフルタイムで仕事をしていたこともあり、掃除機をかけるのは週に2、3回でした。すると目立つのです、床に落ちた髪の毛が!髪の毛にブラシをかける場所、ドライヤーをかける場所のみならず、あちらこちらにばらばらと。そのときに「抜け毛が増えているかもしれない」と初めて自覚しました。浴室の排水口に黒いピンポン玉が浴室の排水口は引っ越し前の家と違い、ごみが処理しやすい作りでした。毎回、入浴後に排水口のヘアキャッチャーを取り出し、乾燥させてから捨てるのですが、そこにはスカスカのピンポン玉のような抜け毛がたまっていました。シャンプーをしているときには抜け毛が増えたような感覚がなかったので自分でもやや引きながら、こんなに抜けているんだと実感しました。もともと毛量は多くないけれど…私の髪質は父親似で、真っすぐで癖がつきにくく、かつ細くて量が少ないです。そういえば父も私と同じような場所にあるつむじをいつも気にしてドライヤーをかけていました。自分のつむじが気になるようになってから、薄毛が気になる場所も似たのかなと思いました。学生のころからバレッタやヘアクリップなどは一般的にハーフアップに使うようなサイズで全体が留まる毛量でした。ですが最近は、洗髪後にヘアクリップで髪をまとめるとき、うまく留めないとすぐ落ちてきてしまうように。ヘアクリップを留める土台の毛量が減っている感じです。全体的に毛量が減っているのかなと思います。まとめ見た目にスカスカというわけではないので、現在はシャンプーや洗髪の方法などに気を付けています。気にし過ぎてストレスから抜け毛が増えるのは本末転倒なので、あまり気にし過ぎないようにもしています。最近はウイッグなどの種類も豊富ですから、もっと頭皮が透けるような状態になったらいっそ坊主にして、いろいろなウイッグを楽しむのもアリかなと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師/東京美容外科沖縄院院長)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。イラスト/マメ美著者/やまと すみれ(46歳)短大卒業後、金融系の公的機関にて勤務。しかし、体調不良に悩まされることが増えたので退職。趣味はドラマと映画を見ること。
2024年04月20日お笑いタレントのだいたひかるが16日に自身のアメブロを更新。自身の乳がんが見つかった経緯を明かした。この日、だいたは「私のガンが見つかった経緯」というタイトルでブログを更新。「乳がんがみつかったのは、区からくる…無料の診察クーポン券で、乳がんと子宮頸がんの検査を…」とがん検査を受けたきっかけを明かした。続けて「行った方が良いんだろうなぁ!?位の気持ちで…毎年行っていた」と述べ「乳がんが分かった時も…嘘だと思うほど元気でビックリしました」とコメント。「でもそれ以降、区から送られてくる物は、慎重に読むようにしています」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月17日42歳のオムニウッチーさんはある日突然、無職に。そのときの出来事をマンガで振り返ります。転職して7年。その間、恋人との別れはあったものの、おおむね平穏な日々を過ごしていたオムニウッチーさん。ある朝、社長から突然の解雇通達を受けます。取り乱す社員のフォローをしながら思ったことは……。突然社長から解雇を告げられて…雑貨店の店長を務めていたオムニウッチーさん。ある日社長から、担当していた雑貨店の閉店の知らせとともに、社員全員の解雇を告げられました。突然のことに泣きだす社員を慰めるオムニウッチーさんですが、やばいのは自分では? と気付いて……。解雇、それは突然やってくる……。今の会社に入社して7年、いろいろありましたが平穏な日々を過ごしていました。そんなある日……、社長がお店に来ることに。月に一度は来店するし、今回もそのタイミングなんだろうと思っていたら、告げられたのはお店の閉店とスタッフ全員の解雇。え? 閉店? 解雇? 私たちクビってこと!?涙があふれバックルームへ駆け込む須川さんを見て「俺の顔なんて見たくないだろ?」とそそくさと帰る社長。おい! 何だそれ!!社長の態度にあきれつつも、須川さんのフォローをしなくちゃ!まだ入社して1年もたたない須川さん。たしかに入社したばかりで解雇なんてひどいよね……。でも、結婚しているし旦那さんもお堅い仕事なら正社員で働かなくても何とかなるのでは? しかもまだ30歳!! 仕事なんてきっといくらでもある!やばいのは……42歳、独身、1人暮らしの私のほうなのでは???来年には無職になる!!! どうする私!!!-----------------突然、「42歳独身無職」になったオムニウッチーさん。この窮地をどう突き進むのでしょうか。社長はそそくさと出ていってしまいましたが、しっかり従業員に向き合って経緯や今後のことを話してほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/オムニウッチー(42歳)アラフォー。北海道在住。キッチン雑貨店の元店長。Instagramでは、店で遭遇するお客さんとのエピソードや自分の体験などを漫画にしている。 Instagram:@omni_uttii821
2024年04月16日新型コロナウイルスで日本中の学校が一斉休校になる少し前、人生初の健康診断で目の前が真っ暗になるような結果が出ました。突然の「要精密検査」当時は自覚症状もなく、まだ30代前半でした。しかし、その手元に届いた結果には、「要精密検査」の文字がはっきりと書かれていたのです。「要精密検査」の結果が出たのは、乳房のしこりでした。著名人が乳がんで若くして亡くなったこと知っていましたし、その方の下のお子さんと自分の子どもが同じ年ということもあり、乳房の超音波検査を受けていたのです。その結果が、まさかの「要精密検査」でした。「もし自分も乳がんだったら、進行が早いのでは?」と思い、急いで最短で受診できる日を予約しました。再検査では、マンモグラフィーを初めて体験。あまりの痛さに、涙が出そうになりました。その日は、しこりの確認と、精密検査方法の選択をするだけで終わりでした。検査のタイプは、より正確に検査できるが、費用も上がり傷が残る可能性があるものか、精度は落ちるが、費用は安く傷も残らない方法の2つでした。私は、精度が高いほうを選びました。生体検査の結果は?生体検査(患部の一部を針やメスなどで採取し、顕微鏡などで拡大して調べる検査のこと)は、部分麻酔でおこなわれ、痛みもなく終わりました。検査中は、目隠しがされていたので、「機械の音がすごかった」というような感想しかありませんでした。検査後は、結果が出るまでの時間がとても長く感じましたが、学校が休校中で子どもと1日中一緒に過ごしていたので、思い悩んでいる暇もなく過ごしていました。そして、検査結果を聞きに行く日は、最悪の事態も想定し、夫と一緒に行くことにしたのです。結果は、良性のしこりで悪性ではなかったことにホッとしました。病名は「乳腺線維腺腫(にゅうせんせんいせんしゅ)」。悪性ではないものの、30代ということでこれから増える可能性や、増えたものの中に悪性が混ざる可能性がゼロではないことを説明されました。定期的な受診とセルフチェックを悪性ではなかったものの、定期的に超音波検査やマンモグラフィーでの経過観察は欠かせないとのことで、半年に1回必ず受診をすることになりました。また、9割良性ではあるものの、しこりを完全に除去した上での検査ではないので、「採取できなかった部分が悪性ではないとは言い切れない」とも言われました。そこで、自分でしこりの大きさを確認するセルフチェックが重要だと説明を受けました。当時は、触診では確認できなかったサイズのしこりだったのですが、突然しこりに触れるようになったときは、「すぐに受診を」と強く言われました。それから、数年たった現在、受診を欠かすことなく、セルフチェックも続けています。幸いにも、「乳腺線維腺腫」の数は増えているものの、突然大きくなるものはなく、何事もなく過ごしています。また、傷が残る可能性があると言われた生体検査の傷も、今ではまったくわからなくなりました。まとめ今回、初めて受けた乳房の超音波検査により、しこりが発見されました。これが悪性だった場合、いつ出現したかわからないしこりが放置されていたと考えると、今でもゾッとします。「しこりなんてないから大丈夫」と思い込まずに、年齢関係なく定期的に乳房の超音波検査を受けることが大切だと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/沢岻美奈子先生(沢岻美奈子 女性医療クリニック院長)2013年1月に女性スタッフだけで乳がん検診をおこなう沢岻美奈子 女性医療クリニック開院。2022年の1年間で神戸市乳がん検診を約2500件、地元企業様の会社検診や自己検診も含めると約3100件の乳がん検診を実施する。患者さんとのやりとりと通じて日常の診察で感じ考えることを、専門医目線で正しい医療情報としてInstagramに毎週投稿している。【沢岻先生からのアドバイス】定期検診は30歳くらいから受けるのが良いでしょう。普段から着替えやお風呂で乳房を洗う際などに、いつもと違うところはないか? などと、日常の中でお乳を気にかける「ブレストアウェアネス」を意識しましょう。文/奥ちまイラスト/もふたむ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月11日●チャレンジ精神が強い40歳に「ワクワクしている自分がいる」アメリカと日本の2拠点生活から、今年1月に本格的に拠点を日本に移した俳優・小出恵介。2月20日には40歳の節目を迎え、改めて日本での活動に力を入れていく覚悟を決めた。そして、ファンクラブ開設も発表。5年超のアメリカでの経験を活かして、これから海外にチャレンジしたいと考えている人たちの背中を押すコミュニティにもしていきたいという。小出にインタビューし、40歳を迎えた心境や今後の抱負など話を聞いた。――本格的に拠点を日本に移した思いをお聞かせください。昨年から日本に拠点を移しつつありましたが、お仕事関係の方や知り合いと話していると、皆はまだ僕がアメリカにずっと住んでいると認識しているような気がして、ここでしっかりと日本にいるということをお伝えできたらと。また新たに日本で頑張っていくぞという強い気持ちで、本格的に拠点を移しました。――40歳を迎えていかがですか?自分が40歳というのが信じられないですね。この仕事をさせてもらって20年ぐらい経ちますが、自分が思い描いていた40歳とは違います。もっと大人っぽい40歳を想像していました。40歳は大台感もありますが、あと30年ぐらい役者として仕事をしたいと思うとまだ折り返してないなと。そう考えると、まだまだできそうだなという感じがします。――まだまだここからだぞと?そうですね。ブランクがあった分、いわゆる仕事疲れ、業界疲れみたいなものがないんです。だから、また0から積み上げていくという感じなので、たくさん走れそうです。――思い描いていた40歳と違うとおっしゃっていましたが、仕事面ではいかがでしょうか。もっとベテランっぽくて、仕事を絞ったりするような40歳を思い描いていましたが、いろいろな都合や生活の変化を経て、ここからチャレンジしていくという強い気持ちを持ったまま40歳を迎えました。フレッシュな気持ちもありつつ、ある程度のキャリアも経験させていただいている、ちょっと不思議な状態なんだろうなと思います。――あえて挑戦心を持ち続けようという意識もあるのでしょうか。自然に、ですね。前だったら選んでなかったかもしれないジャンルや役柄にも挑戦したいと思うようになりました。そうすることで違うスキルが身について幅が広がるのではないかという期待もあり、楽しみだなとワクワクしている自分がいます。――フレッシュな気持ちというのは、活動休止されていた時期もあったからこそ?そうですね。あのまま進んでいたらベテランっぽい風を吹かせていたかもしれません。チャレンジ精神が強いフレッシュな40歳になり、今の状態がありがたいし、面白いなと感じています。○ファンクラブを通じてアメリカでの経験も「お伝えできたら」――4月6日12時からファンクラブが始動しますが、開設を決めた思いを教えてください。ここからまた新たなスタートを切るタイミングで、事務所の方からの提案もあってファンクラブを開設することにしました。アメリカ生活で培ったものを日本で活かしていけたらという思いもあり、そういう発信をするのにもいい場所だなと思います。――ファンクラブ名は「Keisuke Luncheon Klub ~Universal Axis~」に。「Universal Axis」というテーマには、国を超えた(universal)視野に基づく個の軸(axis)を形成する環境を作るという意味が込められているそうですが、このテーマを掲げた思いをお聞かせください。未来を考えて国際的なビジョンも持ちたいと考えた時に、自分は何かしら活かせるものがあるなと。アメリカで生活してきて、あらゆる日本との違いが新鮮に感じたので、そういった経験をお伝えできたらなという思いがあります。――5年超のアメリカ生活でご自身はどう変化したと感じていますか?こうでなきゃいけないという部分が減りました。向こうは年齢をあまり話題にしないですが、日本はこの年齢だったらこうあらねばいけないという、求められる役割が多い気がします。その物差しが窮屈に感じるというか、もっと自分のやりたいことをやりたいようにやっていいなと思うようになりました。――何歳からでもチャレンジしていいんだと思えるように?向こうは勇気を出してチャレンジするのではなく、それが当たり前なんです。例えば、向こうの演技の学校に行ったら、60~70歳の方も多くて、第二の人生で役者を始めるんだと。自分もそういう人たちを見て影響を受けていると思います。40歳になったからこうあらねばいけないと縛られていないのは、そのおかげかもしれません。●幅広い仕事に意欲テレビに映る姿も「もう一度見ていただきたい」――新たなスタートを切る40歳とのことですが、どんな一年にしたいと考えていますか。いろいろな仕事がしたいですし、またテレビの仕事もさせていただきたいなと。去年ぐらいからそういう話が少しずつ出ていて、今年出られたらうれしいなと思っています。――やはりテレビのやりがいは大きいのでしょうか。そうですね。自分が主に活動していた場所の1つなので、そこで自分の姿を絶対にもう一度見ていただきたいいですし、活動の幅という部分でもまたやれたらいいなと。最近は配信系も増えていてそれぞれの魅力がありますが、テレビにはテレビにしかない魅力があると思うので。――テレビ離れと言われていますが、テレビの反響は大きいですよね。大きいと思います。そして、お茶の間というのは、サブスクリプションとは違う場所な気がします。○舞台のやりがいも実感「本番の醍醐味がすごくある」――近年は舞台や映画で活躍され、今年は5~6月に3つの舞台に出演されます。舞台のやりがいはどのように感じていますか?舞台に復帰したのが2022年の『群盗』という作品で、久々の舞台だったので最初は緊張しましたが、本番の醍醐味がすごくあるなと感じました。お客さんの空気を感じられるというのもうれしいですし、撮り直しができないという意味では映像より厳しいなと。何があっても進めないといけないという覚悟が必要ですよね。――撮り直しができないという舞台の厳しさによって鍛えられた部分はありますか?舞台を重ねているとたくましくなるなというのはすごく感じています。いろいろな役柄にも挑戦させていただき、それがストックになっていきますし。あと、舞台は全身を使って表現するので、全てを見られているという緊張感もあります。映像と舞台でコツが違うので、両方ともずっと関わらせていただきたいです。――3本の舞台はあまり間がないので、準備が大変そうですね。今絶賛3本覚え中ですが、3本の台本を入れるというのは初めての挑戦で楽しいです。新しい挑戦は楽しいので。――先ほど40歳の抱負を伺いましたが、さらにその先をどのように思い描いていますか?魅力的な役者になっていきたいです。そのためにもいろいろな経験をして、演技の表現に乗せていけたらなと思います。――今はフレッシュ感が強いとのことですが、いずれはベテラン感も出ると思いますか?無理に若くいようとする必要はないので、いずれはそうなると思いますが、今は謎の新人感がありますね。全部にウキウキワクワクしていて楽しめていて、その気持ちも大事だなと感じているので、これからもそれは持ち続けたいです。●結婚で意識変化「もっと立派にならないといけないなと」――昨年1月に結婚されてから1年経ちましたが、結婚後の変化もお聞かせください。頼りになる人間でいなきゃいけないという自覚が芽生えました。自分だけだったらいろいろな意味で楽ですが、結婚してからはちゃんとしなきゃいけないという思いが出てきて、それがいい形で自覚に繋がっている気がします。――仕事にもプラスになっているなと感じる部分はありますか?1人の時よりも仕事に集中しやすくなりましたし、やる気も高まった気がします。家を代表するという風に考えると、もっと立派にならないといけないなと感じています。○海外生活を経験し「挑戦へのハードルが下がった」――今後の活躍を楽しみにしているファンの皆さんへメッセージをお願いします。ファンクラブは初めての経験ですし、これからもいろいろ新しいことに挑戦していけると思うので、ファンの方にも楽しんでいただけたらうれしいですし、自分自身も変化していく自分に置いていかれないようにしないといけないなと思っています。――ファンクラブではいろいろなコンテンツやイベントなどを計画されていくそうですね。せっかくこういう場所を設けるので、いろいろな機能を足していけたらなと思っています。そして、海外に挑戦するハードルを下げられたらいいなという思いが強くあり、日本から海外に行く人のことを応援したいなと。海外に挑戦したいという思いはあっても踏み込めない人がけっこういる気がしていて、後押しできたらと思います。――奨励したいという思いが強いというのは、アメリカでの経験がご自身に与えた影響が本当に大きいんだなと感じます。30代中盤で5~6年間過ごし、そこで形成された部分は大きいと思います。年齢にとらわれなくなったというのもそうですし、国を超えて挑戦するのは当たり前のことなんだという意識になりました。――挑戦するハードルが下がったというか、何でも挑戦できるというマインドに?一番大きい挑戦をしたので、臆病でなくなったというのはありますね。視野も広がり余裕も出て、挑戦へのハードルは下がった気がします。自分にとってとてもいい経験になったので、海外に行きたいと思っている方はあまり構えずぜひ挑戦してほしいです。■小出恵介1984年2月20日生まれ、東京都出身。映画『パッチギ!』(2005)で注目され、その後数々の話題作に出演。2018年10月より米ニューヨークに拠点を移し、2020年より日本での芸能活動を再開。2021年7月、ABEMA『酒癖50』で4年ぶりにドラマ復帰。2023年2月には主演映画『銀平町シネマブルース』で本格的に映画復帰を果たし、同年6月公開の映画『魔女の香水』にも出演。舞台にも精力的に出演し、今年は5月2~4日に『瀧廉太郎の友人、と知人とその他の諸々』、5月17日~19日に『赤いハートと蒼い月』、6月5日~9日に主演舞台『ジャックモーメント』が控えている。ヘアメイク:永瀬多壱スタイリスト:佐々木敦子
2024年04月06日俳優の松本若菜(40)が5日、都内で行われた『SOFINA iP シワ改善泡セラム』アンバサダー就任発表会に登壇した。2月末に40歳の誕生日を迎えた松本は「やっぱり節目のときだというのはある。より大人に一歩近づいたな、と」と実感を込めた。30代と比べての変化は「急にガタッと変わったことはないけど、気持ち的に変わるかなと思ったけど意外とそうではない。周りの方が40歳ってしっかりとした大人という感覚なので、そうか、いつまでもぽやぽやしてはダメだと生活しています。会見でも、後輩の子も増えるようになりましたし、しっかりしなきゃなという発言ひとつにしてもその子たちの人生を左右するようなことを発してしまうかもしれないので、一言一言を意識しています」と背筋を伸ばす。そんな松本は今後改善したいことについて、“シワ改善”“花粉症”を挙げ、3つ目として「体の柔軟性」と紹介。ピラティスを始めて1年になるといい「ヘルニアの手術をして、健康だったり体の動きだったりより一層、自分の体を見つめ直しました。まだ前屈ができないくらいなので40歳の目標は前屈。床にぴたっと手がつくようになりたいです。でも第一関節まではできるようになりました」と胸を張った。今年やりたいことは「毎年、本当にきのうより前に進んでいこう、と思ってます。つねに思っていることなので年齢関係なく人間としてのポテンシャルをあげたい。健康はすごく大切なので、ピラティスは週1だったのが5日に1回だったり、体を動かすようにしています」と意識しているそう。現状、どこまで“前屈”ができるか聞かれると、その場で、積極的に実演。「ヒールをはいての前屈なのできっと第二関節くらいまでは行けたと思います」と笑顔でアピールしていた。
2024年04月05日私は現在29歳で独り身の会社員です。高校を卒業したのち東京の大学に進学し、そのまま東京で就職をしました。ある日、30歳を迎える節目を前に、高校の同窓会の案内が届きました。楽しみにしていたのですが、当日、性根の悪い3人組が私に文句をつけてきて……? 同窓会に合わせて帰省することに29歳で独身の私は、上京してからずっとひとり暮らしをしながら、仕事に打ち込んできました。刺激がたくさんある東京での暮らしは大好きです。一方で、のんびりとした地元の雰囲気も同じくらい好きなので、年に数回ほど地元に帰省しています。今回は高校の同窓会が開催されるらしく、日程を調整して帰省することにしました。 私には、社会人になった今でも仲よくしている幼なじみの女性がいます。同窓会前日、地元に着いた私は幼なじみと久しぶりに会ってランチをしました。自然と同窓会の話題になったとき、幼なじみが「あの意地悪トリオもくるらしいよ」と言います。 高校3年生のとき、東京の大学への進学で上京が決まった私に対して、さんざん嫌味を言ってきた女性3人組がいました。「東京に行くなんて気取ってるわね」とか「ガリ勉だからねー!」とか……いろいろと悪態をつかれて、どう言い返したらいいのかわからず、大変だったのを覚えています。 意地悪トリオにさっそく絡まれてしまい…幼なじみから「明日の同窓会にはあの意地悪トリオもくるらしいよ」と聞き、私は「まあ……あれから10年くらい経ったし、彼女たちも少しは大人になったんじゃないかな?」と返しました。だからといって彼女たちと積極的に話す気もなく、私たちは「明日はなるべく彼女たちと関わらないようにしよう」と決めて、その日は別れたのでした。 迎えた同窓会当日。会場に到着して幼なじみの姿を探していると……「やっほー! 久しぶりー!」と、満面の笑みでこちらに向かってくる3人組が見えました。そう、彼女たちこそが意地悪トリオ。会場に入って早々、嫌な3人組に捕まってしまいました。 適当に相づちを打ってすぐにその場を離れようとしたのですが、3人はこのあと私に逃げる隙も与えないまま、口撃をしかけてきたのです。 大勢の前でさんざんコケにされ!?久々に会うなり、3人は「あんたまさかまだ独身なの!?」「都会で会社員をしているのに30歳で独身なんて、完全に売れ残りじゃない! 欠陥でもあるのかしら」と言い放ったのです! 私は頭にきて「職場では30歳で独身なんて普通だし、今は仕事に打ち込んでいることが楽しいから」と言い返したのですが、必死に弁解していると勘違いされてしまいます。「みじめな言い訳はいいから!」と笑われ、怒りに震えました。 その瞬間、壇上で開会スピーチが始まり、3人は一旦静かになったのですが……。 恩師や幹事のあいさつが終わると、意地悪トリオは私の肩に手を置きながら、大声で「みなさん聞いてくださーい!」「この子、アラサーの独身なんですってー!」「誰かもらってあげてー!」と言い始めたのです。何事かと同級生たちが集まってきて、注目度は上がるばかり……。私は同窓会に呼ばれて出席しただけなのに、どうしてこんな目にあわなきゃいけないのかわからず、悔しくて涙が出そうでした。 幼なじみや他の友人たちが意地悪トリオに向かって「いい加減にしなさいよ!」「いつまでも学生じみたことやってないで!」などとフォローしてくれたのですが、意地悪トリオは「私は独身のこの子がかわいそうだから、この子のためを思って言ってあげてるのよ!」「彼氏もいないみたいだし」と、ますます調子に乗るばかり。 もう我慢なりません。「黙って聞いてれば言いたい放題ね……自分基準で物事を考えるのはやめてくれる? 幸せの形なんて人それぞれでしょ」「私にとって結婚は最優先の課題じゃないの! それに、お付き合いしてる人ならいるから放っておいて!」と、再び言い返します。それでも、意地悪トリオは「彼氏がいるなんて嘘言っちゃって! 強がってるだけでしょう?」と話になりません。 これでは楽しみにしていた同窓会が台なしです。するとそのとき、ある男性が現れました。 救世主によって意地悪トリオが撃沈!バンッ!と会場の扉を開けて入ってきたのは、私の彼氏でした。その姿を見て「あのイケメンは誰?」とつぶやく女性陣。世間でカリスマ社長として名が知れている彼の登場に、男性陣からも驚きの声が上がります。私の肩を抱きながら「ごめん……見ていられなくてつい入ってきてしまった」と告げる彼。実は、彼は地元のモール建設に携わっていて、その会議の日程が私の同窓会と重なったため、一緒に地元に来ていたのです。 意地悪トリオは「なんでこんなイケメンが売れ残り女と!?」「私のほうがお似合いよ!」「アラサーで結婚してないなんて魅力がないからでしょ!」と騒ぎ出します。すると、彼が「いい女なんてどこにいるの?」「俺にとって彼女以上に魅力的な女性はいないよ」「それに今どきアラサーで未婚なんて普通でしょ」と一蹴。 彼の言葉を聞いて他の同級生たちもうなずいています。幼なじみや他の友人も口を揃えて、「ちょっとでも自分と違う人を見ると攻撃するの、昔から全然変わってないわよね」「ひとりじゃ何も言えないくせに、集団になると急に威勢がよくなって大人げないよ」と意地悪トリオを諭します。 言い返す言葉がなかったのか、3人は「あんたたち覚えてなさいよ!」とだけ言い残し、そそくさと逃げるように会場をあとにしたのでした。 後日談3人が去ったあと、彼を含めて私たちは楽しい同窓会を続けることができました。 それからしばらくして、幼なじみから聞いた話によると、意地悪トリオの1人は職場の男性絡みで問題を抱えていたようで、それが夫にバレて離婚。さらに3人は同じ職場だったらしく、1人が欠けてからは今までの威勢がすっかり消え去ったとのこと。これまで、さんざんいびってきた同僚たちと立場が逆転し、肩身が狭い思いをしながら仕事を続けているのだとか。自業自得ですね。 私はというと、同窓会が終わってから彼を両親に紹介しました。2人とも彼のことを気に入ってくれてとてもうれしかったです。仕事もプライベートも楽しんで、彼と幸せになりたいと思います! ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年03月31日今回は「17歳に結婚を迫った40歳男」を紹介します。主人公夫婦は、いつも強引で一方的な親戚に無理やりお花見の予定をこじつけられました。親戚は、40代の無職の従兄弟とのお見合いをさる魂胆があったのでした。娘は体調不良で急遽欠席し、両親もお見合いは断ったのですが…。後日、我が家に親戚と男が訪ねてきたのでした。にこやかに対応していた娘が…。20年以上親のスネをかじっている病気でもなく…年上なのは構わないけれど気持ち悪い妄想は…自分の心配を義兄は離婚を考えている聞いていないもし離婚になったら…笑顔でお見送り【次回予告】主人公は、健康なのに20年以上働かずにいる男にズバッと一喝しました。さらに親戚には「離婚を考えられている」ことを伝えます。なぜこんなことを知っていたのかと言うと…。イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2024年03月31日乳がん検診の方法は、胸部超音波(エコー)検査とマンモグラフィー(乳腺・乳房専用のエックス線撮影)検査の2種類。マンモグラフィー検査は、乳房が圧迫されるため痛いとのうわさを聞いていました。30代は妊娠・出産時期と重なっていたこともあり、まだマンモグラフィー検査を受けなくてもいいかと思い、エコー検査で済ませてきました。しかし40歳の節目の年を迎え、ついにマンモグラフィー検査を受けてみた体験談を紹介します。「マンモ適齢期」になったと感じて決意私は、夫の会社の健康保険で配偶者が受けられる婦人科検診を毎年受けています。30代のうちは、近所に検診車が来てくれるので、乳がん検診はそこでエコー検査のみを受けていました。以前、エコー検査とマンモグラフィー検査のどちらが良いかをネットなどで調べた際に、「若いうちは乳腺が発達しているので、マンモグラフィー検査では乳腺の異常が見つかりづらい。エコー検査がおすすめ」と書いてあったからです。それに30代は、妊娠の可能性が常にありました。妊娠中や授乳中は、乳腺が発達するのでマンモグラフィー検査では結果がわかりづらいと聞いていたので、マンモグラフィー検査を受けても仕方ないと思っていました。30代最後の39歳。エコー検査にするかマンモグラフィー検査にするか、迷いました。しかし「痛いって聞くし、女性芸人さんがバラエティー番組でマンモグラフィー検査を体験していて、ものすごく痛そうだった……」という記憶がよぎり、結局、それまでと同じエコー検査を選択。そして40歳になり、2度の出産を経験して、もう妊娠の可能性も乳腺の発達もなさそうと判断し、ついにマンモグラフィー検査を受けることにしたのです。前半は痛くなかったけど後半は痛かった!検診車での婦人科検診ではマンモグラフィー検査は受けられないので、今年は健康診断専門の施設に行きました。行ってみると、マンモグラフィー検査はかなり大がかりな設備が必要だとわかりました。私は2方向からのマンモグラフィー検査をおこないました。撮影台の上に乳房を片方ずつ乗せ、透明な板で圧迫して乳房を薄く伸ばして撮影します。診療放射線技師は壁の向こうから操作しており、板がアームのように伸びてきて胸を挟む仕組みです。最初、横から胸を挟むときはやや強めにギュッと挟まれた感じでしたが「あれ? 痛くない」と拍子抜け。やっぱり個人差があるのかなと。ところが、検査後半の上下から挟む動きになった途端、「痛ぁああ! 胸をもぎ取られるみたい……!」と、激しい痛みを感じました。ギリギリと容赦なく、乳房を押しつぶしてきます。どうにか耐えることができたのは「その後の安心のためならここは我慢!」とポジティブに捉えていたからです。あとで改めてネットでマンモグラフィー検査について調べてみたところ、「エコー検査と比べると、しこりを作らないタイプの乳がんの発見に役立つ」とのことでした。後悔しないための健康診断を深く考えるきっかけに40代になり、「毎年健康診断を受けていて異常がなかったのに、ある日突然、病気が進行していた」という話を身近で聞くようになりました。また、私自身がフリーランスなので「自営業で定期的な健康診断を受けていなかった。そのため、いつの間にかちょっとした体調不良が大変なことになっていた」という話もよく聞きます。たとえ健康診断を受けていても病気の発生や進行の可能性はありますが、それでも、定期的に健康診断を受けることで早期発見の確率は格段に上がり、「ちゃんと受けていれば……」という後悔はしなくて済むと考えています。もし、胸部のエコー検査で見つかりづらい異常があっても、マンモグラフィー検査を加えることで二重のチェックになり、早期発見の可能性がさらに上がると思います。40代になった今、これまでより病気のリスクも上がってくるので自分の体を知るためにも、万が一のときに後悔しないためにもマンモグラフィー検査をしてよかったし、今後も継続していきたいと思います。検査結果は写真の通り「A」で問題なしでした。まとめ私は血縁者に乳がんの経験者がいないので、乳がん検診に関してこれまでそれほど重要視しておらず、「ラクなほうでいいや」と考えていました。しかし今回、マンモグラフィー検査には、エコー検査とは違うメリットがあることがわかりました。厚生労働省でも40歳以上の女性に対し、2年に1度、マンモグラフィーによる乳がん検診の受診をすすめているようです。私自身も今後もマンモグラフィー検査を受けたいと思っていますが、身体的負担(痛い……)や精神的負担(痛いのが怖い……)がすごいので、当面、「来年はエコー検査、再来年はマンモグラフィー検査」と交互に受診しようかなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/Spinof Design(40歳)グラフィックデザインを中心に、講師やライター業などをサービスの柱としている。美術大学を卒業後、デザイン制作会社や広告代理店、印刷所の勤務を経てフリーランスに。仕事と育児のほどほどの両立を心がけている。
2024年03月23日今回は「17歳に結婚を迫った40歳男」を紹介します。主人公夫婦は、親戚に無理やりお花見の予定をこじつけられました。桜をみんなで楽しむつもりが…親戚は、40代の無職の従兄弟と主人公夫婦の娘とのお見合いをさせる魂胆があったのでした。義姉は従兄のために…出典:エトラちゃんは見た!年賀状を見せたところ…出典:エトラちゃんは見た!写真に写る娘を見て…出典:エトラちゃんは見た!一目惚れしてしまった出典:エトラちゃんは見た!ゾッとする一同出典:エトラちゃんは見た!こんなにかわいい子が…出典:エトラちゃんは見た!ちょっと待ってください!出典:エトラちゃんは見た!抗議する主人公たち出典:エトラちゃんは見た!【次回予告】主人公の写真を見て一目ぼれした男性。改めて日取りを決めようとする親戚に、両親は講義して…!?イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2024年03月19日タレントのベッキーが15日に自身のアメブロを更新。40歳を迎えた誕生日を近所の人に祝福されたことを明かした。この日、ベッキーは「誕生日の夜。幸せだったなぁ。ご近所さんが、素敵なお祝いをしてくれて」とコメントし、40歳を迎えた自身の誕生日を近所の人に祝福されたことを報告。「この風船も前日から集まって膨らませてくれてたみたいで」と飾り付けられた風船をバックにした自身の姿を公開した。続けて「そしてこんなかわいいティアラがあるなんて!うん!40という数字、輝いてる」と「40」の数字がラインストーンで輝くティアラの写真も公開。「こんな感じでがんばろーう!みんないつもありがとう!!」と感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月17日30代半ばで離婚して実家に出戻りした、40代独身マンガ家の大日野カルコさん。「くそ地味な日常」をマンガにされています。42歳のときに歯科医に勧められて歯列矯正を始めたカルコさんが、大人の歯列矯正のリアルを報告します。ワイヤーが慣れないうちは気持ち悪くて…3年前、歯科医から「このままいくと50歳までに奥歯が抜けるかも」と言われたカルコさん。医師に歯列矯正を勧められて……。歯科医院の担当医から、コロナ禍になってからいきなり歯列矯正を切り出されたんです。(10年ほど通っていて、今それ言ってくる!? と当時は心の中でツッコんだのだけど、おそらくマスク着用の義務で歯列矯正する人が増えたからだと思います)歯並びの悪さは長年のコンプレックスだったので、気持ち的にはしたい! けど、出費がキツイ(><)の葛藤で半日悩みました。当時はコロナ禍で「マスクする・人との会食の機会なし・在宅ワーク」など、「歯列矯正をやるなら今でしょ」条件がそろっていたので、思い切って42歳から歯列矯正を始めたのです。歯列矯正といえば、ワイヤーの違和感や痛さが気になりますよね。たしかにワイヤーが慣れないうちは気持ち悪くて、口の内膜にワイヤーが当たって炎症を起こしたり、やわらかいものしか食べられなくなったりしたこともありました。でもワイヤーは慣れました!最初はやわらかいものしか食べれなくても、だんだんと矯正前と同じくらいのものも食べられるようになりました。口内の炎症は、都度処置をしてもらって治りました。「き」「け」が言えなくなるそれより、常時ある煩わしさがあります。① 食べたものが70%くらいワイヤーに引っ掛かる!もやしやほうれん草系を食べると、ワイヤーに挟まって取れない(><)すぐに歯磨きができる状況ならいいけれど、できない場合はうがいでカスを取るのが精一杯なので、ワイヤーに食べかすが挟まってないかドギマギしています。② 滑舌が悪くなる上顎に傘状のワイヤーが入ると「き」「け」が言えなくなる。口の動きがとても鈍くなるので、発言後70%ほどの確率で聞き返されます(泣)。それでもだんだんと歯並びが整ってくるのは喜びです!歯は一生のお付き合い。歯並びが整うと全体で物をかみ砕けるようになるし、歯周病のリスクも下がるらしいし、歯磨きもすごくラクになりました♪かかった費用以上のバックが来る!40歳を過ぎても歯列矯正をやって本当によかったと思います。大人の歯列矯正を検討している方の参考になれば幸いです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/川田悟司先生(川田歯科医院院長)川田歯科医院院長。咬み合わせ認定医。長年に渡り、咬合診査・診断をおこなう。著者/大日野 カルコ(44歳)くそ地味系マンガ家。著書にエッセイ漫画『39歳、私いつまでこのまんま?~アラフォーからのマインドリセット』。Instagram「40代独女くそじみLIFE」日々更新。→@karukoohino
2024年03月16日30代半ばで離婚して実家に出戻りした、40代独身マンガ家の大日野カルコさん。「くそ地味な日常」をマンガにされています。2018年に皮膚科でシミ取りをしたカルコさん。これでもう安心! と思いきや……。約3年後、同じところに茶色い点が…2018年に、直径約1.3cmのシミを取るため、レーザー治療を受けたカルコさん。2週間ほどでかさぶたのようにシミが取れ、喜んだのですが……。左頬下に直径1.3cmほどのシミがあり、見るたびに憂うつになっていました。意を決してレーザー機器でシミ取りをしたのが6年前。シミが取れ、皮膚が再生したころは大喜び。「もう二度とシミができないぞ!」と……。なぜか、一度シミを取ったところは永久的にできない思い込んでいたんです。約3年後、シミ取りしたところに茶色い点ができました。おや……? まぁ、そばかすみたいな感じかな? などと思っていたら、その点は大きく2つに増え、約5年後には立派なシミが再生していました(泣)。一度シミができた部位はメラニンを作る細胞が活性化されやすく、シミが再発することがあるのだそうです。肌のターンオーバー機能を衰えさせないようにしなくちゃですね。(※あくまでも個人の感想。個人差あり)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/大日野 カルコ(44歳)くそ地味系マンガ家。著書にエッセイ漫画『39歳、私いつまでこのまんま?~アラフォーからのマインドリセット』。Instagram「40代独女くそじみLIFE」日々更新。→@karukoohino
2024年03月16日私は40歳のとき、転職活動をすることになりました。そこで、今でも使える証明写真はないかとデータをチェックしていたところ、5年前に撮影したものを発見。そのまま使えるかなと期待して写真を見たところ、私は違和感を覚えました。5年前の写真と今の顔は全然違うのです。顔がたるみ、表情が変わってしまったようなのです。そこで、何とかするべく始めたことについてお伝えします。昔の証明写真から顔のパーツの変化に気付く私は30代の半ばごろから徐々に太り始めてきたので、体形の変化は意識していました。顔については、顎の肉付きが気になることはあるものの、普段あまりメイクしないこともあり、まったくのノーマーク。そのようなとき、転職活動をきっかけに昔の証明写真のデータを見る機会がありました。5年前に撮影した証明写真に写っている私は35歳。つり眉で、キリっとした目をしています。40歳の私とは、顔の印象がまるで異なるように感じました。そこで改めて自分の顔を鏡で見てみると、眉毛は下がり眉。目元も垂れ下がっています。5年前と比較すると、顔のパーツが全体的に垂れており、ぼんやりした表情になっていることに気が付きました。転職活動で5年前の証明写真を使おうと思っていましたが、顔の雰囲気があまりに異なるため断念。5年の間にこんなに顔の印象が変わるものなのかと驚くとともにショックを受けたのです。顔の表情が変わった原因を調べてみた35歳の私の顔はりりしい印象があり、できることならこのときに戻りたいというのが本音でした。もちろんそれは不可能です。とはいえ、どうにかならないかと思い、垂れ下がった顔になった原因をネットで調べてみました。そこでわかったことは、年齢を重ねると顔がたるみ、表情の印象が変わる人が多いということです。得た情報をまとめてみると、20代の平均的な顔の特徴は各パーツがハッキリしているということです。重心が顔の上半分にあるため、顎のラインもスッキリしているそうです。しかし30代になると、目元や口元が徐々に垂れてきて顔の重心が下がってきます。そして40代になると、顔の凹凸もハッキリしなくなり、全体が重たい雰囲気になるそうです。つまり私の顔のたるみは、30代から40代にかけての女性によく起こる変化だったようです。衰えた筋肉を回復させるために顔トレ中さらにショックだったのが、顔がたるむことにより、老け顔になってしまうという情報。たしかに40歳の垂れ下がった顔を見て、明らかに老けたという印象を持ちました。その情報によると、顔のパーツが垂れ下がる原因は筋肉の衰え。そこで私は顔の筋肉を回復させて垂れ下がったパーツを引き上げたいと思うようになりました。ついに私は顔の筋トレを実践することを決意。しかし、あまりハードルを上げてしまうとなかなか継続できません。そこで私が思い付いた方法が、顔の筋肉を使う機会を増やすために、オーラルケアとして洗口液を使用することです。洗口液を口に含んで行き渡らせる行為が、顔の筋トレにつながると考えたからです。日ごろから口を大きく開けて「あ・い・う・え・お」と発声する方法も継続しました。テレビで紹介されていた表情筋トレーニングを参考にしたオリジナルの方法でしたが、よほど顔の筋肉を使っていなかったのか、口を開けただけで筋肉の筋が伸びるのがわかりました。まとめ顔の筋トレは5年たった今も継続中です。ややスッキリしたかな?という気はしますが、顔のパーツの位置を35歳のときに戻すのは難しいというのが現実です。最近も証明写真を撮る機会がありましたが、やっぱり下がり眉であることに変わりはありません。ただ、何もしないでいると、年齢を重ねるごとに顔のパーツがさらに垂れ下がる可能性大。そこで現在は、日ごろから鏡を見て顔のパーツの状態をチェックするようにしています。洗口液を使う、表情豊かに会話する、口をいろいろな形で開けるなど、ちょっとしたトレーニングを実践中です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ひこすけ(45歳)仕事で海外と日本を行ったり来たりしているため生活が乱れがち。
2024年03月12日40代になってから、年々、疲れがたまる一方でした。独身のころはひたすら眠ることでどうにか体力を回復していたものの、45歳で結婚をしてからは以前ほどの睡眠が取れなくなり、疲労度は増すばかり。「こんな調子では50代になったら働けなくなってしまう……」と焦りと不安を感じていた私ですが、あるサプリメントを飲むことで疲れを改善することができました。更年期症状とは無縁だと思っていた40代半ばを過ぎてから、同年代の友人たちと集まると「最近、暑くもないのに汗をかく」「理由もないのにイライラする」といった更年期症状にまつわる話題がのぼるようになりました。ただ、私はみんなが話しているような症状はなく、更年期症状とは無縁だと思っていました。蓄積する一方の疲れは更年期症状かも一方、私が40歳を過ぎたころから悩んでいるのは、疲れでした。20代のころは睡眠時間が3時間程度でも平気で、徹夜をしてもすぐに体力は回復していました。それなのに30代半ばを越えたころから睡眠不足がつらくなり、徹夜をしようものなら体調を戻すのに2~3日はかかるように……。40代になってなかなか疲れが抜けないのは、年齢的に仕方がないことなのかもしれないと諦め気味でした。そんな状態でもなんとかライターの仕事を続けられたのは、独身だったからだと思います。当時、優先順位の1位は仕事、2位は睡眠のような生活を送っていました。疲れがたまっているときには最低限の仕事をこなしてこんこんと眠り、おなかがすいたらコンビニやスーパーですぐに食べられるものを買う。家事に割く分の時間とエネルギーを仕事に充当するような生活でした。ただ、45歳で結婚をしてからは生活が変わりました。6時台に家を出る夫に合わせて5時半に起きるため、独身のころのように昼近くまで惰眠をむさぼることはできなくなりました。料理は毎日、掃除と洗濯は1日置きと、独身のころとは比べものにならないほど家事をこなしています。加えて、結婚を機に都内から郊外へ引っ越したため、取材や打ち合わせに出かける際の移動時間がほぼ倍に。取材から帰ってくるとぐったりと疲れてしまい、30分ほど仮眠を取らないと何もできなくなってしまいました。そんな私に転機が訪れたのは、取材である婦人科の女医さんとお会いしたときのこと。女医さんとの雑談の中で、疲れに関する悩みをお話ししたところ、「更年期にはいろいろな症状が出ますからね」と言われたのです。きちんと診察したわけではないので断言はできないものの、先生のこれまでの臨床経験から、私の疲れは更年期症状の1つである可能性が高いとのことでした。エクオールのサプリメントを飲んで改善先生からまさかの更年期症状を指摘され、「婦人科を受診して、何か治療を受けたほうがいいのでしょうか……」とうろたえる私に、先生はエクオールという成分を勧めてくださいました。エクオールは大豆イソフラボンから腸内細菌の活動によって作られるスーパーイソフラボンのことで、女性ホルモンのエストロゲンと似た働きをする成分なのだそう。そのため、更年期症状を和らげる効果が期待できるということでした。ただし、エクオールを体内で作ることができる人は日本人では約2人に1人なのだといいます。そのため、自分がエクオールを作ることができるかどうかを調べるソイチェックという検査があるのだそう。ちなみに、先生は「エクエル」というサプリメントを飲み続けているそうです。先生自身、更年期症状がラクになり、心身の調子が安定しやすくなることを実感しているとおっしゃっていました。私も早速「エクエル」を飲んでみたいと思い、ネットで購入。30日分目安の120粒入りで4,000円ほどでした。毎日4粒ずつ飲んでいたところ、1カ月ほどで疲れにくくなったことを実感。都内での取材を終えて帰宅したあと、ちょっとひと息入れただけで仕事や家事ができるようになりました。今の調子を維持できるのなら、50代になっても元気に仕事を続けられそうです。まとめ「エクエル」を飲み始めてから自分の体力にちょっとだけ自信を持てるようになりました。そこで、ここ10年ほどで10kgほど増えてしまった体重をなんとかしようと思いたち、長い間放置していたステップ台を引っ張り出して1日に30分~1時間ほど、踏み台昇降を始めました。適度に汗をかくのは気持ち良く、2カ月で体重は2㎏減。体力がついたこともあり、あと8㎏のダイエットに挑戦したいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/風間ひなた(48歳)1971年生まれ。職業はライター。家族は夫1人と猫2匹。趣味は家庭菜園とハーブ栽培。最近、興味があるのはハーブに関する資格と猫の健康管理に役立つ資格、それから減量。
2024年03月09日40歳、3歳の子どもを育てるWebライターです。Webライターの仕事を始めて2カ月後、毎朝、起きがけに頭痛に襲われるように。もともと片頭痛持ち、頭痛はそのうち治まると思っていましたが、ある日、突然こめかみから顎にかけて激痛が! 痛すぎて家事や育児もできず、しまいにはどこが痛いのかもわからないほどに。これは片頭痛じゃない! それから謎の痛みと格闘する日々が始まったのです。そのつらい痛みが消えたのは……。毎朝襲ってくる頭痛の原因は?最初は更年期による片頭痛かと思いました。私はもう40歳だし、プレ更年期なのかなと思ったのです。そこでネットで調べてみると、「月経時や排卵日には女性ホルモンのエストロゲンの血中濃度が急減し、片頭痛を引き起こすことがあるとされている」と書いてありました。やっぱりプレ更年期ということなのかなと思いながら、他の原因も模索。もしかしたら長時間のパソコン作業が原因かもしれないと思い当たりました。子どもが幼稚園に行き出したら、本格的にWebライターの仕事を始めようと張り切っていた私。しかし、子どもがいるときは子どもの相手をしながら作業を進めなければなりません。なかなかはかどらず、夜中まで作業をすることも。しかも慣れない作業に変に力が入り、肩が激しく凝っていました。そこに突然、こめかみから顎にかけてげんこつでグリグリとされるような痛みが! 寝れば治ると寝てみても、日に日に痛みはひどくなるばかり。口を動かすと痛いので、食事も会話も苦痛。また、自分の歩く振動でズキズキと痛むので、家事もできない。1日の大半をソファで過ごすようになり、表情も暗くなっていったのです。痛みがひどくて心までどんより痛みは朝から晩まで治まることはなく、鎮痛剤が手放せなくなりました。3歳の子どもはそんなことおかまいなしで「遊ぼう、遊ぼう」と言って来るので頑張って一緒に遊ぶのですが、すぐに痛みでソファに倒れ込んでしまいます。子どもに申し訳ない気持ちと終わりが見えない不安に涙を流す毎日でした。謎の痛みが出てから10日ほどたったある日、夫が「幼稚園が始まったらなかなか実家にも帰ることはできないだろうし、リフレッシュも兼ねてしばらく実家でゆっくりしてきたら? 」と言ってくれました。たしかに私も「ストレスが原因で体に異常が出たのかも」と思うこともありましたし、「ワンオペ育児から解放されたい」とも思っていたので、しばらく帰省することにしたのです。子どもも「じいじとばあばに会える~」と大喜び。早速両親に連絡して帰省することになりました。両親が神様のよう。つらい痛みが消えた!実家に帰ると、子どもはじいじとばあばにベッタリで育児の負担から少し解放されました。「今はとにかくゆっくりしなさい!」という両親の言葉に甘え、のんびりすることに。痛みはあるものの、心はスッと軽くなるような感じでした。そして少しでもラクになればと、父がマッサージ機を持ってきてくれました。早速肩を中心にマッサージを開始。その間、両親が子どもと遊んでくれていたのでマッサージに専念できました。さらに朝はラジオ体操をし、2、3時間おきにストレッチをするようにしました。3日ほどたったころからこめかみの締め付けられるような痛みが徐々に和らぎ、1週間後にはあの痛みがうそのように消えたのです。そして自然に笑顔が戻り、子どもとも元気に遊べるようになりました。まとめ結局、プレ更年期による片頭痛なのかどうかはわかりませんが、40代になり、昔より体が疲れやすくなっていたということはたしかです。謎の痛みはなくなったものの本当の原因はわからないままなので、折を見て病院へ行ってみようと思っています。また、育児や家事などひとりで抱え込まず、時には誰かに頼ることも大事だなと思いました。これからもっと年齢を重ねていくと、体の変化を感じることが増えてくるかもしれませんが、仕事と家事・育児を両立していけるよう自分の体や心と向き合うことを大切にしていきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。イラスト/サトウユカ著者/エグママ(40歳)40歳になり、変わりゆく自分にとまどいを隠せない専業主婦。プレ更年期やPMSに悩みながら子育てや家事に奮闘する毎日を送っている。
2024年03月06日40代後半の私。年を重ねるにつれ、健康への心配ごと、体に注意を払うことが増えてきました。「乳がんのリスクが上がる」ということもその1つ。しかし、そのリスクに対し「わが家は『がん家系』じゃないしね」と、すっかり油断していました。この話は、私が思いがけず乳がんになり、検診を通して「早期発見! 早期治療!」に運良くつながった体験談です。まじめに受けていた定期検診国の指針で「40歳以上の女性は2年に1回、マンモグラフィー検査による検診が適切」と定められていて、私の住む市町村でも40歳を迎える年になると「乳がん検診の案内」が届きます。その初診で医師は私の胸を見て「乳房(にゅうぼう)は、念のため、1年に1回の検診を受けたほうが良いですね」と診断され、それからは毎年決まった時期に、乳がん検診を受けてきました。苦手なマンモグラフィーの頻度が増えるのはすごく嫌でしたが、それでも毎年検診の時期になると「そろそろ予約を入れなくちゃ」と、かかりつけの乳腺クリニックの電話帳を開いていました。「コロナ禍でもがん検診を受けよう! 」と叫ばれた2021年。40代になり6度目の秋も、私は恒例の乳がん検診を受けていました。乳房専用のX線撮影装置、マンモグラフィー。2枚の板で乳房を挟まれ、ぺっちゃんこにされる強い痛み。技師さんにやさしく励ましてもらいながら、涙目になりつつ必死で耐えました(痛みの程度はさまざまで、まったく痛くないかたもいると聞きます)。あれ?今日はいつもと違う撮影が終わって「今年も乗り切った! これでまた1年、放免だー! !」と喜んでいた矢先。所見を聞くために診察室に入ると、先生が「気になる部分があるから、今日はそこを『細胞診』するね! 」と初めて聞く検査名を口にされました。「え? 何それ? ? 」とびっくりしている間に準備が整い、先生から「ちょっと痛いよ〜」と声をかけられ、注射器のようなもので乳房から細胞を取る処置がなされました。「ひー、めっちゃ痛い(泣)」「診断結果は1週間以上空けて、また来院してね」と案内され、その日はクリニックをあとにしました。そのころ、私の仕事は繁忙期に入っていました。緊急事態宣言明けの秋、一気に動きだした世の中。仕事に家事に育児にと、例年よりも「ハードだな! 」と感じる日々を、慌ただしくこなしていました。「この忙しい状況でまた通院……タスクが増えるの、困るな」「きっと検査結果は何ごともないに違いない」と信じ、気楽に考えていました。総合病院へ転院を勧められるそして迎えた再診の日。診察室に呼ばれ、先生から「次の段階『針生検』という精密検査が必要です。このクリニックでもできますが、もし、さらに検査が必要になったとき、機器がそろっている総合病院に行くことになります。この段階でそちらに移る紹介状を書きましょうか?」と伝えられました。今回で終わると思っていた通院。「次の段階へ? しかも大きな病院? ?」背筋に冷たいものがすぅっと走り、内心かなり動揺していましたが「早く決断しなくちゃ」と、紹介状を作成してもらうことにしました。先生に指示された看護師さんが「総合病院の乳腺科はすごく混んでいるから、すぐに初診の予約を取りましょうね」とその場で電話を入れてくださったのが心強く、そして温かく感じられ、印象的でした。私が紹介されたのは、さまざまながんの診断・治療にあたっている国指定のがん診療拠点病院。調べてみると乳腺科に力を入れていることがわかり、不安の中にも「頑張って行ってみよう」というポジティブな気持ちが生まれました。見つかってしまった…!左胸に乳がん総合病院に転院して1カ月がたち、私は診察室で、やさしい口調の穏やかな主治医の先生と向き合っていました。検査結果の画像データが映し出されたパソコンの画面を見ながら「詳しく調べていた左胸のここの部分、乳がんと診断されました」と、告知を受けました。先生が手書きの図解で丁寧に説明してくれるのを目で追いながら、頭の中では「告知をひとりで受けるって寂しいな……」「今ごろ夫が心配しているな……入院となったら負担をかけるな……」「仕事のスケジュールどうしよう。お休みをもらうしかないよね……」と考えをぐるぐると巡らせていました。最初は「がんになった自分」「周りに迷惑をかける自分」にショックを受けて落ち込んでいました。友人に報告すると「がんは残念だけど、見つかったことはよかった。がんになるのは仕方がない。検査して、見つけて、早く治療することだよ! 」と力強い言葉。「本当にその通りだ。もし乳がんが見つかっていなかったらと考えたほうがすごく怖い」と、ハッとしました。それからは「これでよかったんだ」と、入院、手術、治療に対し少しずつ肯定的な気持ちになり、前向きに進むことができました。私の入院は、年末年始をまたいだ12日間でした。手術は全切除(全摘出)術で、左乳房を喪失。この先数年間にわたる、ホルモン療法剤の服用開始。そこで生まれた不安や戸惑いは、そのつど納得がいくまで調べ、考え、一つひとつを乗り越えていきました。そして今、家族や友人、職場の人、医療スタッフさん、たくさんの方にサポートしてもらいながら、無事に日常生活を送っています。まとめ乳がんの発症ピークは、40〜50代の働きざかりの世代といわれているそうです。その乳がん患者さんとお話をする機会がありました。私と同じく働くママ、その上介護も加わった方、がん診断への恐怖心……受診をためらったさまざまな理由を聞きました。私はたまたま、がんの発生と検診のタイミングが合い、早期治療へつなげることができました。もし忙しさにかまけて検診に行っていなかったら……今とは違った状況になっていたかも知れません。全面的に協力してくれ、寄り添ってくれた夫。子どもながらに考え、励ましてくれた息子。家族とともに過ごせる時間に感謝し、これからも大切な人たちと一緒にいられるよう「体を大切にしていこう」と、思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。イラスト/サトウユカ著者/ショコカ(47歳)夫と小学1年生の男子の3人家族。産後の体形が戻らず、コロナ禍でさらに体重増加したのが悩み。日課は朝のラジオ体操とプロテイン飲料、夜は糖質ゼロのビール 。アラフィフの体とうまく付き合うため、仕事と家事のバランスを模索中。
2024年03月04日俳優・窪塚洋介の妻・PINKYが27日に自身のアメブロを更新。40歳を過ぎてどんどん痩せている自身の姿を公開した。この日、PINKYは「不思議だけど」と切り出し、自身について「ダイエットをやめたら、前より食べてる気がするのにどんどん痩せていく」と説明。「40歳を過ぎて体は痩せづらくなってるはず」と推測するも「トレーニングウェアも緩くなってきた」とトレーニングウェア姿の自身の写真を公開した。続けて「これはしっかりまとめて世の中のダイエット難民の方達にお伝えしなければ!」と述べ「今年はボディメイクの講座も開催しようと思っています」と予告。また「痛めた首にひびかないように、でも筋肉にはきちんと効くように調節したトレーニングをしてくれる」「トレーナーさんは本当に凄い」とコメントし「いつもありがとうございます」と感謝をつづった。
2024年02月28日周りから自分がどう思われているか、気になる人もいますよね。もし会社の同僚から、自分は独身にもかかわらず子どもがいる前提で話をされたら、あなたはどう感じますか?今回は実際の体験談をもとに描かれた、のむすん(@nomusun777)さんの「独身女子のリアル」をご紹介します。結婚へのあこがれ……34歳独身のさな。結婚願望はあるものの、どうしたら結婚できるのかわからずにいました。ひとり時間は好きでも孤独は耐えられず、結婚へのあこがれは募るばかり。そんなとき、新しく入ってきた派遣社員の人に、さなは子どもの年齢を聞かれます。独身であることを伝えると、「幼稚園ぐらいの子がいそう」と言われ……。人によるけど……モヤモヤし……逃げたくなる……世間的には子持ちに見える……?子どもの話は人によってはマウントのように感じ、苦痛になることに気づいたさな。さらに、世間から見たら自分はママに見える年齢なのだと痛感しながら、一人で生きていく準備も必要だと考えます。その後、偶然の出会いから付き合い始めたまさとが結婚していたことを知ったさなは、奥さんにまさとの浮気を暴露するのでした。子どもの話題を振ってくる同僚……、あなただったらこんなときどう対処しますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@nomusun777)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年02月19日38歳から家族の介護が優先になり、自分の体調管理がおろそかに。40歳になると動悸や息切れが気になり始めました。プレ更年期だと思い、サプリメントを半年間服用するも回復しません。経血量も増えて体調も悪化するばかり。そんなとき受けた40歳の子宮頸がん検診をきっかけに、体調不調を医師に相談すると、「年齢的にも子宮体がん検査を」と提案が。人生初の子宮体がん検査を受けた結果をお伝えします。子宮体がん検査をすすめられる子宮体がん検査とは、子宮内の細胞を採る細胞診のことで、がんの疑いがないかを調べます。医師から「40歳以上は受けたほうが良い」と打診されました。子宮体がん検査は痛みがあると聞いたことがあります。予想外の検査だったため動揺はしましたが、嫌ともいうわけにはいきません。この日の私の検査は5種類で次のような順番でした。血液検査子宮体がん検診内診超音波エコー子宮頸がん検診まず内診室に入る前に貧血の確認のため血液検査をしました。血液検査が終わるとカーテンで仕切られた内診台へ案内されます。下着を脱いで、内診台に座ります。自動で内診台が動き脚も開きますが、この瞬間はとても嫌でした。子宮体がん検査で痛みが出やすい人とは私は出産経験がありません。医師の説明では、出産経験のない人は子宮口が狭いため痛みを感じやすいと説明がありました。案の定、医療器具のクスコが入った瞬間から激痛でした。強い痛みで体が拒絶し反り返ります。医師が「おしりを下げて! 下げて!」と声をかけますが、体が拒絶しておしりも下がりません。その間も器具は腟に入ったまま。痛いので自然と体に力が入ります。力が入るので余計に痛い。医師は、無言で腟から子宮内に細いブラシのような器具を挿入していきます。器具を子宮のかなり奥まで入れているのがわかります。ブラシのようなもので、おなかをこすった瞬間におなかに鈍痛が走りました。生理痛の痛みと似ていますが、内臓をかき回されているような感覚です。5周ほどおなかをかき回すと、検査は終わりました。初めての子宮体がん検査は、クスコの挿入時から激痛です。さらにおなかの痛みも強く二度と受けたくない検査になりました。子宮体がん検査の後に続く痛み私がトラウマになった理由は子宮体がん検査の痛みにあると思います。痛み止めの服用や麻酔はありません。我慢できる程度の痛みと認識されているのでしょう。私の場合は子宮体がん検査で強い痛みを経験したことで、次の検査にも支障が出たのです。子宮体がん検査の後は内診がありました。腟から指を入れて子宮や卵巣の腫れや、しこりなどを確認する検査です。医師に「違和感があるところはない?」と聞かれても、痛みと恐怖が優先して答えられません。脚も内側に閉じてしまい医師にあきれられました。次に腟超音波エコーです。子宮筋腫が見つかりました。「聞こえますか? 筋腫があるのでモニターを見てください」と促されますが、私は恐怖でモニターどころではありません。しかも、白黒のモニターでどれが筋腫なのかわかりませんでした。「はい、最後に子宮頸がん検査をするよ!」とブラシを使って細胞を採ります。体は拒絶反応で硬直し内診台の上で涙が出ました。ここまでの検査時間は10分程度です。検査直後は、軽い出血と痛みでしばらく動けません。ナプキンを持参しておらず、自転車で来たことにも後悔しました。おなかの痛みは2週間ほど続きました。1日中ツンツンした痛みのためつらかったです。子宮体がん検査の結果は1週間後に判明しましたが、今回は異常ありませんでした。まとめ子宮体がん検査は、クスコ挿入から子宮口にブラシを入れるときに強い痛みを感じました。痛みも持続性があるので、すべての検査が恐怖でした。今も内診室に入る検査は苦手です。1週間後に子宮体がん検査の結果を聞きに婦人科へ受診しました。「前回、強い痛みがあったので検査は嫌です」と医師に伝えました。医師は「え? 痛かった? ごめんね」と驚いていましたが、二度と受けたくない検査の1つになりました。次回の検査では、痛みと恐怖を克服できるように、医師と相談しながら受けたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/佐藤ゆみ(41歳)田んぼに囲まれたのどかな田舎で生活中。大の猫好きで二匹の猫と暮らしている。現在はWEBライターとして自由気ままな生活を満喫中。
2024年02月18日初対面の人からぶしつけな質問をされると、何と答えたらいいのか戸惑いますよね。もし初めて会った派遣社員の人から、独身なのに子どもがいると思われていたら、あなたはどう感じますか?今回は実際の体験談をもとに描かれた、のむすん(@nomusun777)さんの「独身女子のリアル」をご紹介します。結婚へのあこがれ……34歳独身のさな。結婚願望はあるものの、どうしたら結婚できるのかわからずにいました。ひとり時間は好きでも孤独は耐えられず、結婚へのあこがれは募るばかり。そんなとき、新しく派遣社員の人がやってきて……。いきなりの質問……結婚もまだですが……なぜか気まずい……悪気はない……?話に割って入る同僚……これは何の時間……?いきなり子どもがいると思われ困惑しているところへ、今度は同僚の子ども自慢が始まり複雑な気持ちになるさな。自分は子どもがいてもおかしくない年齢なのだと実感し、ショックを受けます。その後、運命的な出会いから付き合い始めたまさとが既婚者だと知ったさなは、奥さんにまさとの浮気を暴露するのでした。いきなり子持ちと勘違いして話をする同僚……、あなただったらこんなときどう対処しますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@nomusun777)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年02月17日「肩身が狭いな……」独身という理由から、このような気持ちになった方もいるのではないでしょうか。今回MOREDOORでは、独身という理由で肩身が狭いと感じたことに焦点をあてたエピソードをご紹介します。※当事者の声はさまざまです。あくまで一例として、ご参考にして頂ければ幸いです。31歳会社員、Yさんの場合シフト制の職場で働いていたときのこと。GW・地元の花火大会の日・クリスマス・年末年始などになると結婚している人や子どもがいる人は休み希望を出すのが当たり前。しかし独身の自分は「出勤できますよね?」という空気があったことに肩身の狭さを感じました。もちろん仕方ないという気持ちもありますが、納得はいっていません。同じ状況の人が自分以外に二人いたので、その方達と時々は愚痴を言い合いながら働きました。独身でいることも自分で選んだことなので、誇りを持って働くべきだと思い乗り越えました。(31歳/会社員)38歳会社員、Oさんの場合独身男性の私。会社の飲み会で肩身の狭い思いをしました。参加者全員が結婚している中、私だけ独身。話題は自然と家族や子どものことになり、置いてけぼり感が半端なかったです。話に参加しようと頑張っても、「まだ結婚しないの?」「子どもは?」と質問攻め。焦りと孤独感でいっぱいになりました。早く帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、最後まで参加するしかなく……。周りの皆が家族という繋がりを持っている中で、自分だけが取り残されていると感じました。趣味や仕事に打ち込み、自信をつけることで、焦燥感や無力感を克服しました。(38歳/会社員)自分で選択した道に誇りを!周囲に所帯やパートナーがいる人が多いと、自然とそちらが多数派となってしまうことも。また逆に、独身の方が多い集まりだと、独身者の話題が多くなりますよね。どちらの場合でも、自分自身の選んだ道に誇りを持って自信をつけていくことが大切なのかもしれませんね。皆さんは、職場で肩身の狭い思いをしたことがありますか?※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。(MOREDOOR編集部)
2024年02月08日40歳のときに乳がんで乳房を全摘後、ホルモン剤治療で寛解し、再発の兆候はありませんでした。しかし、その後に脳出血を起こしました。まひが残り、リハビリを受ける状態でした。無事退院できたもののリハビリは続けねばならず、更年期症状も出てきました。周囲の理解のおかげで穏やかな更年期を過ごせるまでになるまでの体験談を紹介します。コロナ禍の脳出血乳がんで乳房を全摘し、ホルモン剤治療で寛解。その後、コロナ禍で大変だったころに脳出血を起こしました。救急車で病院に搬送され入院・治療を受けましたが、まひが残り、リハビリを受ける状態でした。当時はそんな状態だったので気にしていませんでしたが、ずっと生理が来ませんでした。かなりまひがあって入院中の私にとっては、その時期に生理がなかったことは、ある意味でよかったです。結局、退院の少し前に生理は再開しました。そしてリハビリを継続することを前提に、無事に退院できました。肩が痛くて眠れない。腕が上がらない!退院して、ぼちぼち自宅での生活を始めたころ、体調に明らかな異変を感じました。特に肩を動かしていなくても肩が痛くて寝返りが打てないため眠れず、腕も上がらない状態なのです。動悸や頭痛もありました。さすがに病院に行ったところ、医師には更年期障害と診断されました。しかし、私は乳がん治療でホルモン剤を飲んでいたため、治療はできないと言われました。ちょっと更年期を甘く見ていたので、ショックでした。在宅リハビリのため来てもらっていた理学療法士さんにアドバイスをもらいながら、なんとかやり過ごし、その結果、腕は上がるようになりましたが、更年期に伴って表れるようないろいろな症状に今も日々悩まされ続けています。正直、こんなにつらいとは思っていませんでした。定期的にやってくるイライラや憂うついろいろな体の変化も、更年期だからしょうがないと自分を納得させることはできたのですが、かわいそうなのは家族です。夫と息子がいますが、母親が定期的にイライラしたり、落ち込んだりするのに、訳がわからない状況ではさすがに気の毒だと思いました。そこでまず夫に説明し、閉経が近くなると女性の体はホルモンバランスが乱れ、身体的にも精神的につらくなることを理解してもらいました。息子もなんとなく悟ってくれたようで、私は今のところ精神的に落ち着いた日々を送っています。更年期はなってみないとわからないものですし、実際これからいつまで続くのかもわかりませんが、前向きに付き合っていくしかないと思います。まとめ乳がんになって、脳出血を起こして、更年期症状を経験するというなかなかまれな状態に陥りました。今まであまり人に弱みを見せることもなく気丈に生きてきたので、中間の息抜きだったのかもしれないなと思います。更年期は個人差があり、症状も異なると思うので、周囲の人に理解してもらうことが大切だなと感じました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/sigotonin511(48歳)専業主婦。40歳のころに初期乳がんが判明、 全摘。その後ホルモン剤治療を受け、再発もなく治療は終了。47歳のころ、生理がやたら重く、肩凝りや動悸があり、気分的にも不安定になったため、更年期障害を疑い、婦人科受診。乳がんの治療の影響で、更年期の治療はできないと言われ、そのまま無治療で現在も生活。周囲の理解を得て、更年期格闘中。
2024年01月29日皆さんは、家族との関係に違和感を抱いた経験はありますか?今回は「実家から出たことがない母親大好きな男性」にまつわる物語とその感想を紹介します。※この物語はフィクションです。イラスト:レイナの部屋【ブラックわーるど】母親が大好きな主人公40歳で独身の主人公。母親のことが大好きな主人公は、実家で母親と2人で暮らしていて一度も実家を出たことはありませんでした。なんでも母親任せ出典:レイナの部屋【ブラックわーるど】「ママがいないと♡」と身の回りの世話や家事を、すべて母親任せにしていた主人公。しかしある日、母親が「そろそろ孫の顔なんか見たいわね」と言いました。その一言で、主人公は家庭を持つという一大決心をします。しかし恋愛経験のない主人公は、どうしていいかわからず母親に泣きつき…。結局母親がセッティングしたお見合いで、結婚相手を見つけることにしたのでした。読者の感想親思いなのはいいことですが、すべて母親任せなのはよくないと思いました。結婚できるのか、心配になってしまいます。(30代/女性)身の回りの世話や家事まですべて母親にやってもらっている主人公に呆れますね…。家庭を持つという一大決心をしたものの、お見合いのセッティングまで母親に任せるとは衝撃を受けました。(20代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2024年01月20日31%が配偶者、パートナーの「男性更年期」の変化を実感している「あなたの配偶者、パートナーの男性更年期と思われる変化を感じていますか?」という質問に答えてもらった結果、およそ3人に一人が自分の配偶者、パートナーが「男性更年期ではないか?」と変化を感じていることがわかりました。感じる変化は「疲労感・倦怠感」がトップ「あなたが感じている配偶者、パートナーの男性更年期症状と思われる『変化』はどんな変化でしょうか?(複数回答可)」という質問で、男性更年期に伴う症状を複数回答で聞きました。「疲労感・倦怠感」が43.7%と半数近くになり、「不安・イライラ」「筋力や身体機能の低下」「記憶力・集中力の低下」がそれぞれ4割近くになりました。単なる老化と判断できる症状でもあるため、男性更年期が原因と断定するのは難しそうですが、やはり不安、イライラ、気分の落ち込みなど心の変化は、更年期との関連は強そうです。本人の認識は6人に一人、自覚のない人は3人に一人「あなたが感じている配偶者やパートナーの『変化』について、その本人(配偶者、パートナー)は自分で気がついているでしょうか?」との質問では、「変化は自覚しているが、男性更年期との認識がない」という答えが半数近くに。やはり男性更年期という言葉は、まず男性自身の認識が薄いことがわかります。3人に一人が「変化」があっても「自覚」がないという結果も気になりますね。症状が進むと不安……が半数近く。「家族関係のマイナス要因」も4人に一人「男性更年期の影響と思われる配偶者、パートナーの変化は、あなたや同居する家族にどんな影響を与えていますか?(複数回答可)」との質問に対して「時々、対応に戸惑うことがある」との答えも3人に一人の割合で、家族への影響が軽視できないことがわかります。症状そのものを自覚していない配偶者、パートナーが決して少なくないことからも、知識を得ること、対策を考えることが必要かもしれません。「対策していない」が約半数。一方「さりげない配慮」は3割近くに「配偶者、パートナーの変化についてあなたや家族は何か対策をしていますか?(複数回答可)」と聞きました。男性更年期が注目されつつありますが、まだ社会全体に広く認知、認識されていないと想定する中で、回答が注目されました。その結果、声かけなどさりげない配慮や食事の配慮などの具体策を実行している人も相当の割合があり、またサプリ摂取や医療機関への勧めなども一定割合を確認できました。男性更年期についての、リアルな体験・感想・意見最後に、このアンケートでは自由記述形式で経験や意見が寄せられています。ごく一部を下記で紹介しています。いずれも実際に声が聞こえてくるような、リアルなコメントです。「男性更年期についてあなたの体験、感想、意見を簡単にお書きください」との質問に寄せられたコメント(一部)■男性は更年期がある事を知らない人が多いと思います。もう少し、女性と同じように更年期がある事を知らせてほしい。■更年期症状には皆様々な症状があるので、自分がこうだったから、そうだ!みたいな言い方をする方には少し困ります。■今まで温厚だった主人が人が変わったようになることがあるので戸惑う。■自分も更年期を経験し、父親も更年期だった時もあるので、男性にも更年期があると夫に言いたいが、そんなはずはない!と言われると思うので、なかなか言えないでいるし、病院も連れて行けなくて困っている。。。■周囲の人と会話を楽しめないこと、体をまめに動かす暮らしでないことなどが更年期症状に好ましくない影響があると思う。血の巡りが良ければ…と思うが長年身についた暮らし方はなかなか変えられないから…。調査概要同調査はシックスセンスラボの独自メディア、PURAVIDA編集部が2023年12月5日〜12月12日に、40歳以上の女性(※)に対してインターネットを使って実施。全国の476名から回答がありました。集計にあたっては、40歳〜70歳以上を5歳きざみで7つの集団に分類しています。※11月27日から12月4日まで行われたスクリーニング調査で「あなたの配偶者、パートナーの男性更年期症状と思われる「変化」を感じていますか?」という設問に対し「感じている」と答えた人(全体の31%)に配信し、詳しく答えてもらったものです。シックスセンスラボ(マイナビ子育て編集部)
2024年01月19日女優の細川直美が15日に自身のアメブロを更新。乳がんの定期検診のために病院を訪れたことを明かした。この日、細川は「今日は半年に一度の乳がんの定期検診に来ています」と定期検診のために病院を訪れたことを報告し「慌てて出て来たから髪が…」と自身の写真を公開。「最近、半年に一度の定期検診が2つある」と明かし「それだけで、病院ばかり行っている気分になります」とつづった。続けて「やはり心配を抱えているより安心出来る方が良い」といい「少し面倒でも通う事にしています」と説明。「今日も何事もなく終わりますように」と述べ「暖かくなって来ました 皆様引き続き良い午後をお過ごしください」と呼びかけ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お疲れ様でした」「検診は大切ですよね」「私も行きます」などのコメントが寄せられている。
2024年01月16日タレントの北斗晶が10日に自身のアメブロを更新。乳がんの転移後に欠かさず検診に行っていることを明かした。この日、北斗は「みんな~検診行ってる!?」と問いかけ、自撮りショットを公開。「ちゃんと行ってね!!」と呼びかけ「検診にしっかりいけば病気が見つかっても早期で済む可能性が高いから」とつづった。続けて、自身については「乳がんから脇に転移してたからびびって、欠かさず検診に行ってます!!」と明かし「ビビることって大切よ~」とコメント。「今日から数回に負けて病院」(原文ママ)と説明し「なんどやってもドキドキです」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「日々の体調管理は大事ですね」「結果、何もない事を願っています」「体のメンテナンスは必要ですね」などのコメントが寄せられている。
2024年01月11日30代半ばで離婚して実家に出戻りした、40代独身マンガ家の大日野カルコさん。「くそ地味な日常」をマンガにされています。友だちにすすめられ、以前から気になっていた髪のメッシュ。ついにメッシュデビューをしてみたら……。コーディネートがラクに!メッシュデビューをしたカルコさん。理由はおしゃれの1つ、ではなくて……。髪にメッシュを入れるのが気になっていたんですが、今一歩踏み込めませんでした。でも、服装をちょこっとハンサム寄りにマイナーチェンジしたことで勢いがつき、思い切ってメッシュを入れてみました。思った以上に気分が良くてビックリ!素朴顔はちょこっとメッシュ入れたところで全然いかつくならないし、髪に「差し色」があるので服はベーシックな色でも地味になり過ぎず、前よりもコーディネートがラクになりました♪地味~にあか抜けた感じ(笑)。根本に白髪が出てきても、メッシュのおかげでそこまで目立たない!?普段の美容院+数千円で気分的にかなりラクちんになるので、私はやってよかったなぁと思いますよ。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/大日野 カルコ(44歳)くそ地味系マンガ家。著書にエッセイ漫画『39歳、私いつまでこのまんま?~アラフォーからのマインドリセット』。Instagram「40代独女くそじみLIFE」日々更新。→@karukoohino
2024年01月07日30代半ばで離婚して実家に出戻りした、40代独身マンガ家の大日野カルコさん。「くそ地味な日常」をマンガにされています。白髪が気になってきたカルコさん。洋服のコーディネートに工夫をしてみたところ……。男性が魅力的に見えるアイテム!?男性は白髪が出ていてもかっこいいのに、なぜ女性は一気に「老け」感が出てくるんだろうと思ったカルコさん。服装にある工夫をしてみることに……。白髪の出始めって、女性のほうが気にしますよね。今まで着ていたカジュアルな服だと、なんだかすごく「老けた感じ」が出てしまう……。男性だとそこまで気にならないのに、この差はなんでだろう??と、不思議に思っていました。気付いたのが、服装や全体の雰囲気で「かわいらしい要素」が多いほど、白髪とアンバランスになり「老け感」が増すのかな、ということ。白髪は「ダンディアイテム」として捉えてみては!? と思い、自分ができる範囲で服装をハンサム度が増えるように寄せていきました。ちょこっとハンサムコーデを意識例えば、パンツスタイル、黒を多く取り入れる。襟元は丸襟ではなくV字ネックにする。メンズのロンTを買うなど。そうすると不思議なもので、前より白髪が気にならなくなった!気分の問題だ!こまめに美容院に行ける人はいいけど、私のように出始め白髪の野放し期間がある人は、普段からちょこっとハンサムコーデを意識してみるのも一案だと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/大日野 カルコ(44歳)くそ地味系マンガ家。著書にエッセイ漫画『39歳、私いつまでこのまんま?~アラフォーからのマインドリセット』。Instagram「40代独女くそじみLIFE」日々更新。→@karukoohino
2024年01月07日晩婚化や少子化が憂慮される今の世の中、高齢で不妊治療する人も少なくないようです。私もご多分に漏れず、結婚が遅かったため40歳になってから不妊治療を開始。うまくいかずにあちこち病院をさすらったのち、待ち受けていたまさかの診断とは! そんな私の体験談です。県内の病院では無理ですと門前払いされ…30歳を過ぎてから結婚した私は当時、東京の実家から某県へ引っ越して不慣れな生活に四苦八苦。電車やバスの本数が1時間に1本だったり、駅前に店はなく、スーパーまでが遠かったりと、慣れない環境での生活にいっぱいいっぱいで、自分の人生設計など考える余裕はありませんでした。気付いたら40歳を超える年齢になっており、「子どもが欲しい」と慌てて思い立ち、市内にある評判の良い女医の産婦人科を受診したのです。まずは問診票を書き「不妊治療」にチェックを入れ受付に提出。人気のクリニックだけあって、1時間以上待たされ、やっと診察室に呼ばれると、女医は開口一番「最初から年齢を聞いていたら待たせなかったのに。すぐお帰りください」とひどい言葉を放ちました。「いや、ちょっと待ってください」。話だけでも聞いてほしかったので食い下がると、「あなたの年齢ではうちのクリニックだけでなく、県内ではもう無理ですよ。東京でも大阪でも自分の納得のいくお好きなところへ行きなさい」と門前払いされました。不妊治療の通院を始めたが結果は出ず妊活の一環で、SNSで知り合いになった院長が経営する鍼灸院にも通っていたのですが、その鍼灸師に「女医にひどいことを言われ、診察してもらえなかった」と愚痴りました。すると「あのクリニックは、うちのお客さんもボロクソに言われて泣かされたんですよ。気にしないで〇〇クリニックへ行ってごらんなさい、あなたより年上の人も通っていますよ」とすすめられたのが、わが家から電車を乗り継いで1時間半かかり、ローカルテレビでCMも流れる、県内でおそらく一番有名な不妊治療クリニック。そちらに通院することにしました。しかし、1年以上通院するも結果は出ず……。排卵誘発から採卵、受精、胚移植まで、結果が出ていないのに毎月同じ処方の繰り返しで、ひと月に数十万円の治療費ばかりが飛んでいき、どこが悪いのか調べてはくれないのです。漠然とした不安の中で、なぜか思い出されるのが一番初めに受診した、嫌なことを言う女医の「県内では無理です、東京でも大阪でも行きなさい」という言葉でした。当時ブログで不妊治療日記を書いていた私は、フォロワーの皆さんとの交流の中で、東京や大阪には日本国内でトップクラスの不妊治療クリニックがいくつかあることを知りました。患者は当たり前のように新幹線や飛行機で通院していると知り、私も憧れるようになりました。ぜひそちらで診てもらいたいと思い、勇気を振りしぼって在来線と新幹線を乗り継いで4時間ほどかけて大阪の超有名クリニックの門をたたいたのです。診断結果はまさかの病気疑いだった!超有名クリニックだけあって患者層はどことなくセレブに見え、場違いを感じつつも待合室で待つこと2時間。メディアで拝見していた超有名医師の診察です。医師は気さくでやさしく話を聞いてくれ、その場で必要な検査をいくつか提案してくれました。その内容は血液検査をはじめ、BCE(慢性子宮内膜炎)検査、子宮の収縮検査、銅亜鉛検査、不育症の検査など「え?」と思うようなことばかりで、県内の病院ではまずなかった検査です。10個ほど検査があったでしょうか、すべての診断結果が出るまでの半月ほどは、期待と不安でとても待ち遠しかったです。しかしその結果は! なんと「糖尿の疑い」で薬が処方されたのです。毎年の健康診断でも血液検査はしますが、一度も糖尿病と言われたことはありません。医師が言うに「一般的な健康のための適正値と、妊活のための適正値は違うんですよ」とのことでした。そのような考え方があるのだと、初めて知りました。驚くとともに、最初の県内のクリニックではどうしてそれを教えてくれなかったのだろう。「少しでも早く治療していたらもっと早くに授かれたかもしれないのに」と残念な気持ちにもなりましたが、結果がわかり、遠方まで通ったかいがあったなと思いました。まとめ近場の産婦人科で、私が高齢妊活者であるがゆえに「お帰りください」とまさかの門前払いをされ、その後テレビCMで有名な県内の不妊治療クリニックに通うも思うような結果が出ず。ただ時だけが過ぎてもんもんとした気持ちでいた私が、不妊治療のブロガーたちの後押しもあり、奮起して新幹線通院を決断したことによって、まさかの糖尿病(妊活基準)が判明しました。私がネットの民と交流せず、何も疑問に思わずに県内の病院にそのまま通い続けていたら何の結果も得られなかったでしょう。不妊治療は風邪などの一般的な病気とは違い、どこの病院でも通えば良いというものではないようでした。近場で済ませようとせず、思い切って県外へ飛び出す勇気も必要なのだと思い知りました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/村澤綾香著者/こぴあ(50歳)園芸店店主。園芸ライター。県の里親として虐待児童の一時保護など児童の福祉に携わる。主に1歳前後の里子がお泊りに来るので、日々奮闘中!
2024年01月02日