自民党・平沢勝栄衆院議員(73)が1月3日、「同性婚が増えると国はつぶれる」という趣旨の発言をしたと各メディアが報じた。そんななか、ロバート・キャンベル(62)のツイートが注目を集めている。各メディアによると平沢議員は同日、山梨県内で開かれた集会に参加。少子化問題について言及していた際「LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。もちろんいいんですよ」と前置きをし、「ただ、この人たちばっかりになったら国はつぶれちゃうんですよ」と発言したという。さらに各メディアによると「同性婚パートナーシップ証明書」などを出している渋谷区や世田谷区については、「先進区だとか自慢しているが、私にはその考え方はよくわからない」と語ったという。「平沢議員は『LGBTの同性婚が増えることで国が潰れる』と言っていますが、その根拠はどこにあるのでしょうか。少子化は貧困や雇用の問題といった、社会における様々な理由が重なって生じているもの。むしろ海外では、同性婚を認めた地域の出生率が上がったとの報告もあるくらいです。今回の発言は、ただ多様性を否定しているだけにしか聞こえないのですが……」(マスコミ関係者)そんななかキャンベルは4日、Twitterを更新。平沢議員の発言に関する記事を引用し、こう投稿した。「平沢さん、少しは勉強してくださいよ」キャンベルのツイートは現在4,300回以上のリツイート、さらに9,700回以上の「いいね」がされている。また《ほんの少し勉強すれば わかることだと思うのですが……》《「みんな違ってみんないい」と子どもたちに言っておきながら、大きくなるにつれてみんな一緒であることを強要するの、おかしいですよね》とキャンベルさんを支持する声が上がっている。キャンベルさんは昨年、自民党の杉田水脈議員(51)の“LGBTは生産性がない”という新潮45への寄稿を機に、自身がゲイであると明かした。「杉田議員が取り沙汰にされた際、『多様性の尊重は政府与党の方針でもある』と安倍首相はコメントしていました。しかしまたもや、自民党議員による失言。キャンベルさんは文学者という職業ですし、“学習しない無知”に対してなおさら呆れているのではないでしょうか」(テレビ局関係者)各メディアによると平沢議員は5日、今回の発言について取材に対応。「LGBTの方の権利を守るのは当然だと思っている。存在を否定する意図は全くない」と説明したという。しかしTwitterでは《存在を否定する意図は全くない、と述べててもLGBTの方を邪魔者扱いしてるんじゃない!》《「国がつぶれる」とまで言っておきながら、よくもヌケヌケと》と指摘する声が続々と上がっている。平成も終わる間近、日本はどこに向かうのか――。
2019年01月06日性別違和に悩む青年の初恋と成長をミュージカルタッチで描いた映画『サタデーナイト・チャーチ -夢を歌う場所-』。この度、主人公のユリシーズと恋人レイモンドの愛に満ちたデュエットシーンの本編映像が、いち早くシネマカフェに到着した。本作は、初監督・初脚本となるデイモン・カーダシスが、実在するLGBTの人々のための支援プログラム“サタデー・チャーチ(土曜の教会)”を舞台に若者たちの経験談を紡いだ、実話から生まれた物語。この度到着した本編映像には、まさに“サタデー・チャーチ”で、運命の出会いをするユリシーズ(ルカ・カイン)とレイモンド(マークイス・ロドリゲス)が登場。優しく接してくれるレイモンドにどんどん惹かれていくユリシーズ。いままでは学校でいじめられ、家族にすら自分のありのままの姿を受け入れてもらえない辛さ、孤独感でいっぱいだった人生に、初めて一筋の光が差し込んだ瞬間。ついにふたりの気持ちが通じ合う名シーンで、「君なしでは生きられない」「君なしではどこへも行けない」という歌詞が胸に迫るものとなっている。■LGBT映画に改めて注目集まる!第90回アカデミー賞にて脚色賞を受賞したほか4部門にノミネートされ、世界中に主演ティモシー・シャラメの虜になるファンが続出した『君の名前で僕を呼んで』。日本でも2018年4月に公開されるや、満席が相次ぎブームを巻き起こした。また12月、シネマート新宿・シネマート心斎橋で熱狂を呼んでいたのが『ゴッズ・オウン・カントリー』。『君の名前で僕を呼んで』と全く同じ2017年のサンダンス映画祭や第67回ベルリン国際映画祭でほぼ同日に上映され、数々の賞も受賞していながら、対照的に日本では全く配給がつかず、日本での劇場公開が危ぶまれていた作品。そんな中、両劇場で5回のみの自主上映が実現すると、333席ものチケットが全回あっという間に完売するという、まさに伝説を達成。さらに、このブームを聞きつけた配給会社により、待望の日本配給・拡大公開が緊急決定したばかり。この潮流の中で公開される本作は、『君の名前で僕を呼んで』や『ゴッズ・オウン・カントリー』と同様、とあるきっかけで出会った2人が最初は衝突するものの、徐々に惹かれ合っていき、主人公が成長していく姿が描かれていく。■「もう『ムーンライト』か、『ラ・ラ・ランド』か迷わなくてもいい」また、第89回アカデミー賞作品賞にまで上り詰めた『ムーンライト』に代表されるように、現在のアメリカの映画やドラマの潮流のひとつは、これまでスポットライトが当たることのなかった白人以外のセクシュアル・マイノリティを主要キャラクターに据えた作品。まさに本作も、その流れのド真ん中。ひと足先に公開された海外では「もう『ムーンライト』か、『ラ・ラ・ランド』か迷わなくてもいいんだ!この2作品がブレンドされて、新たな魅力的な作品が生まれた」(VARIETY紙)との声も上がるほど。今回の初々しくも愛に満ち溢れたデュエットシーンは、数あるセクシュアル・マイノリティ映画の中でも、名シーンとして語り継がれていくはずだ。『サタデーナイト・チャーチ -夢を歌う場所-』は2019年2月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:サタデーナイト・チャーチ -夢を歌う場所- 2019年2月22日より新宿ピカデリーほか全国にて公開©2016 Saturday Church Holding LLC ALL rights reserved.
2018年12月27日冬のファッションといえばニット。欧米ではクリスマスになるとおばあちゃんからクリスマスプレゼントとして手編みのセーターが贈られる風習があります。日本にはその風習はありませんが、せっかくクリスマスを楽しむのならば友人や家族、恋人同士で贈り合ってみるのもいいかもしれません。SHARE PARKは男女だけでなくLGBTや夫婦、親子、友人、同僚という大きな定義での「カップル」のためのライフスタイルブランド。お互いを特別に思い合う日々に寄り添ってくれるSHARE PARKは、クリスマスのニットを贈り合うような思いに共鳴するコンセプトがあります。今回はSHARE PARKで見つけた着心地もデザインも上質なニットをご紹介します。 着心地もシルエットも柔らかな一枚ヤクブレンドタートルニット ¥13,000(税抜)ゆったりとしたタートルネックのニットは、アンゴラに比べて毛抜けが少なく柔らかいチャイニーズラクーンの毛とカシミヤ、ヤク素材がブレンドされた一枚。天然繊維に分類されるウシの仲間のヤクの毛は上質で希少な上、保温性と通気性が高く毛玉になりにくい機能性も高い素材です。そんな黄金ブレンドのニットは、しっとりと肌に吸い付くような着心地が自慢。ダークブラウンのカラーとドロップショルダーのシルエットはナチュラルで落ち着いた印象を与えてくれます。アースカラーのパンツやスカートと合わせるとナチュラル感が引き立ちますよ。 一枚で2通りのスタイルを楽しむ2wayケーブルニット ¥6,900(税抜)前後で着用可能なニットは、ボタンを外してカーディガンとしても後ろにボタンが見えるVネックのプルオーバーとしても楽しめます。ウールとアクリルの素材が軽くて暖かく、そしてボリューム感のあるケーブル柄を表現しています。ウールとアクリルを合わせることで実現したチクチクしない肌触りが嬉しいですね。インナーにタートルネックを合わせたり、ワンピースでレイヤードさせたり気分でいろいろなコーディネートが楽しめる、SHARE PARKのオンラインショップでも人気ランキング1位の愛されニットです。 厳選されたウールとカシミヤの混合ニットウールカシミヤワイドスリーブニット ¥8,900(税抜)オーストラリア産のスーパーファインウールとモンゴル産のカシミヤがブレンドされたニット。スーパーファインウールとは、繊維の直径が19.5ミクロン以下の高級羊毛で柔らかくしなやかな肌触りと発色の良さが特徴の素材です。ウールにカシミヤが混ざることによってさらに滑らかな肌触りに。発色の良い素材なので、イエローの他のパープル、サックスブルー、オレンジといったカラーがおすすめです。アゼで柄を施した編み目が美しく、コクーンシルエットとボリュームのある袖のデザインがリラックス感と女性らしさを演出しています。 アシンメトリーで遊び心をケーブルボトルネックニット ¥8,900(税抜)ケーブル柄の中心をわざとずらしたデザインのボトルネックニットは、 前身頃と後ろ身頃の長さも異なる遊び心のある一枚です。ウールアクリル素材が軽さと暖かさを重視し、お手入れもしやすい仕上がりになっています。人気の高いケーブルニットは、デニムやワイドパンツなどと合わせてボーイッシュ感を出すスタイルがおすすめです。ボトムにインしてもアウトしても裾の長さが違うのでアクセントとして楽しめますよ。 デイリーにもお出かけにも着たいノルディックなニットワンピースアルパカブレンドノルディックニットワンピ ¥11,000(税抜)ブランドオリジナルのノルディックパターンはジグザクのラインが目を引く、一枚でさらっと着こなせるニットワンピース。羊毛とアクリルにアルパカがブレンドされ、しっとりとした着心地に。古来から体毛を加工するために品種改良されてきたアルパカの毛は、シルクのようななめらかさがあり保温性が高く丈夫です。アースカラーの配色とモード感のあるパターンでナチュラルになりすぎず、日常使いにもちょっとしたお出かけにも大活躍してくれるはず。大判のストールやマフラーと合わせても印象がガラッと変わります。 ニットの違いを楽しむニットと一言でいっても、素材や編み方、カラーやデザインで千差万別。SHARE PARKの素材にこだわった上質なニットの肌触りの違いを是非感じてみてください。その着心地の良さを、あなたにとって大切な「カップル」のお相手に。おばあちゃんから孫に贈るようなあたたかい気持ちをSHARE PARKのニットで伝えてみてはいかがでしょうか? SHARE PARKwww.sharepark-web.jp text:和田典子
2018年12月20日今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているロバート・キャンベルさん(61)は自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。現在、東大名誉教授で、国文学研究資料館館長を務めるキャンベルさんの、カミングアウトに対する世間の反響は大きかった。だか、親しい人にとっては、ずっと昔から周知の事実。キャンベルさん自身も、あえて公表する必要はないと考えていた。「私は、カミングアウトをしても、しなくてもよかったと今も思っています。ただ、反響が大きく、勇気をもらったという人も多かったので結果としてよかった。杉田議員は、自分の性的指向や性自認をどう表現していいか迷っている若い人や弱い立場の人、その親や親しい人をすごく苦しめることを書いていた。だから、私の経験やバックボーンからしても、それは間違った見解だと、反論しなければならなかったのです」キャンベルさんの左手薬指には、地模様が入ったプラチナのリングが光っている。「出会って10年目に作って、お互いに贈り合ったものです。いつもつけていましたが、昨年の結婚式の際に改めて、交わしました」昨年8月、実父が暮らすNY州のシャロンという町で、市長立会いのもと、キャンベルさんと日本人パートナーの結婚式が行われた。それぞれの好みで作ったため、2つのリングは色も形もバラバラだが、指輪の内側には、交際から10年の記念日の日付と互いの名前が刻まれている。NY州の法律に基づく結婚で、実父の家の庭にテントを張り、キャンベルさんの友人や近隣の人など30人くらいが集まって、2人の結婚を祝った。コメンテーターとして、ワイドショーで共演していた精神科医・香山リカさんはこう話す。「一緒に食事をしたときに『パートナーなんです』と紹介されました。すごく自然な感じなので、仕事のパートナーかなと思いましたが、お料理をシェアする雰囲気を見て、親密な間柄だと感じましたね。お互いが対等に、個人を尊重し合う関係に見えました」キャンベルさんは、そんなふうにさりげなくパートナーを紹介し、家族からも、友人からも、自然にゲイであると認知されてきた。日本の社会全体が、キャンベルさんを取り巻く環境のようになれば、LGBTへの無知をさらす議員など、きっといなくなるだろう。「日本という社会は、LGBTをやんわり遠巻きに見ていて、表立っては公認しない。それは波風を立てることはないかもしれないが、当事者一人ひとりの可能性を閉じ込め、開花させないことにつながっていると思います。東京都渋谷区など、各地でLGBTカップルを公認する『パートナーシップ制度』が広がっていますが、自治体単位での小さな成功の実感が広がることで、変わっていくことはあるはずです」キャンベルさんはそう言うと、澄んだ目を見開くようにしてから、ほほ笑んだ。「僕が頑張れるのは、パートナーが杖になってくれているからです。刺激し合うこともある。ビビッドな比喩がふさわしい時代もあったけれど、今では人間関係が深まり、質も深まっている。願わくば、僕も彼の杖になりたいですね。パートナーとはもっと一緒に歩きたい。歩いていたいんです」散歩が好きなキャンベルさん。多忙な仕事が一段落し、時間ができたら、トレッキングに行きたいそうだ。人生の道を並んで歩くパートナーと一緒に――。
2018年12月15日今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているロバート・キャンベルさん(61)は自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。現在、東大名誉教授で、国文学研究資料館館長を務めるキャンベルさんの、カミングアウトに対する世間の反響は大きかった。だか、親しい人にとっては、ずっと昔から周知の事実。キャンベルさん自身も、あえて公表する必要はないと考えていた。「私は、カミングアウトをしても、しなくてもよかったと今も思っています。ただ、反響が大きく、勇気をもらったという人も多かったので結果としてよかった。杉田議員は、自分の性的指向や性自認をどう表現していいか迷っている若い人や弱い立場の人、その親や親しい人をすごく苦しめることを書いていた。だから、私の経験やバックボーンからしても、それは間違った見解だと、反論しなければならなかったのです」ニューヨーク(以下、NY)市ブロンクス区。’57年9月、キャンベルさんが生まれた町だ。ブロンクスには移民が多い。彼の祖父母もアイルランドからの移民だった。母は、アメリカ生まれ、法律書専門の出版社で社長秘書として働いていた。父は物心ついたときから、家にいなかった。「父の不在は、私にとって自然なことでした。ただ、カソリックでは離婚を認めないため、母は離婚ができず、新たな人生を切り開くことができずにいました。それでも母は絶対に涙を見せなかったし、小さいとき僕はいつも母の味方でした。母と僕は性格が似ていて、愉快と感じる部分が同じ。だから、いつも母が楽しくなることを望んでいました」13歳のときだった。サマーキャンプから帰ってきた彼に、母は突然、こう言った。「ロビー、話があるの。会社の同僚のロニーと結婚しようと思うの」初対面の継父は、ワイルドな人だった。「アイルランド系は、貧しくても身だしなみにはうるさいものですが、ユダヤ系ということもあって、彼は自由人。カーキ色のつなぎとカットソーというスタイル。ひげを生やしていて、ゲバラみたいで、すごく明るくて」彼は弁護士資格を持っていて、母が勤める出版社で、法律関係の書籍の編集者をしていた。継父は、親父風を吹かすこともなく、キャンベルさんを尊重しつつ、いろいろ教えてくれるリベラルな人。すぐに「ロニー」「ロビー」と、呼び合う仲になっていた。母の再婚から1年半後に妹が生まれ、家族4人になった一家は、新しい職を求めてイギリスに渡り、その後、パリに移住。しかし、1年半ほどでアメリカに戻っている。15歳で、サンフランシスコに引っ越したころには、キャンベルさん自身にゲイである自覚はあった。「中学以降、好きになるのは同世代の男の子でしたから。サンフランシスコには、性的マイノリティが集うコミュニティがあったので、僕は孤立することもなく、葛藤や悩みもありませんでした。母は、そのころから僕の性的指向を把握し、理解してくれていたと思います。高校で仲よくしていた同級生が僕のボーイフレンドだと、敏感に察知していましたから」彼から電話がかかってくると、母は、キャンベルさんに代ろうともせずに、2人で楽しそうに長電話をしていたそうだ。「母は、僕が大切にしている人と僕の間に入りたがる人(笑)。継父は放任主義でしたが、理解のある温かい人でした」彼の性的指向をスルリと受け止め、尊重してくれた両親がいて、キャンベルさんは、その後も自分らしく人生を歩んでいく。進学した高校に、アジア系の生徒が多かったことから中国語を学び、カリフォルニア大学バークレー校時代には、建築や映画などの日本文化にも傾倒していった。大学3年のときには、1年間、東京に留学。谷崎潤一郎や三島由紀夫を日本語で読み、日本文学の面白さを知った。「日本に関わる仕事をずっとやっていきたいと思ったんです」帰国後は、ハーバード大学大学院で、江戸時代の日本文学史の構築に精力を傾けた。27歳で留学した九州大学では、2年の予定だった日本滞在が10年になっていた。九州大学の専任講師から、教師としての仕事も得て、日本文学研究者の道を着々と上っていった。しかし、そんなキャンベルさんの心の内にも1つだけ、小さな引っ掛かりがあった。理由もわからぬままに失踪した実父のことだ。「僕の人生の隙間を埋めるピースを探したかったんです。父が生きているのであれば、どういう人か知りたかった」母に内緒で遺伝子検査をしようと思ったこともあったが、勘が鋭い母は察知してしまった。「捜す権利を奪うつもりはないけれど、私は一切、関わりたくない。出会っても、私には言わないで」強く断言する母を前に、キャンベルさんは心に決めた。「母が生きている間は、決して父を捜さない」と--。その母は’01年に亡くなった。それから3年ほどしたある晩、キャンベルさんは、ふと思いついて、ネットで人捜しをするアメリカのサイトにアクセスした。エリアを指定し、人名で検索すると、住所がわかるサイトだった。「マンハッタンの真ん中でエリア検索すると、父と同姓同名の人が15人くらい出てきました」キャンベルさんは、A4判で2枚もある長い手紙を書いた。自己紹介と父親を捜している旨を記し、「もし、関心があればご連絡ください」と添えて、その15人に宛てて、夜中に投函した。それから1カ月が過ぎたころ、1通のメールが届いた。「ロバートですか?私はあなたの父親です。信じられない。返事をください」メールの主は、間違いなく実父だった。母の旧姓や自分が生まれた病院をメールで尋ねると、ことごとく一致したのだ。「NYのホテルで会った実父は、おじいさんでしたが、すごく元気でした。スタスタ歩くし、僕より骨格がいい。3日くらい一緒にいると、言葉で言えない親近感、懐かしさがジワッと湧いてきました。父と僕は、町で見かける風景や、すれ違う人のことを話すツボがとても似ています。母と僕がそうでしたが、父も感性が同じだったんでしょう」ホテルで会って、セントラルパークの自然を1時間半、散歩した。カフェで、実父の過去のことを聞いた。キャンベルさんも、自分の仕事のこと、当時すでに交際していた日本人のパートナーのことを話した。最初の手紙ですでに「ゲイである」と、書いていたのだ。「しばらくして、実父もパートナーに会わせましたが、すごく仲よくしてくれるんです。母は、僕が大切にする人と僕の関係の真ん中に入ってくる人でしたが、実は父もそうなんです(笑)」’11年、キャンベルさんは感染性心内膜炎で1カ月半入院し、半年後には心臓弁の手術を受けた。「入院中、パートナーは毎晩、病室を訪ねてくれて、一緒に夕飯を食べ、ホットタオルで顔や足の裏を拭いてくれました。僕はずいぶんと励まされ、手術後の回復へ向かおうとする心を強くできました」2人はそれまで“味噌汁が冷めない距離”には住んでいたが、入院をきっかけに、キャンベルさんが提案し、一緒に暮らし始めた。「信頼できるパートナーとの暮らしは心強く、家がにぎやかにもなり、充足を感じましたね」継父(’14年没)も晩年、パートナーと会っている。こうしてパートナーはごく自然に、家族の一員として認められていった。結婚式を提案したのも実父だ。「なぜ、これだけ長く太く、一緒にいるのに、結婚しないんだ?」実父はそう言うと、テントやケータリング、来賓の手配などもしてくれた。昨年8月、実父が暮らすNY州のシャロンという町で、市長立会いのもと、キャンベルさんとパートナーの結婚式が行われた。NY州の法律に基づく結婚で、実父の家の庭にテントを張り、キャンベルさんの友人や近隣の人など30人くらいが集まって、2人の結婚を祝った。日本での還暦祝いが、急きょ、結婚パーティになったのは、それからすぐのことだ。友人でもあるテレビの女性キャスターが、司会役を買って出た。「ケーキ入刀です!」その声に、キャンベルさんとパートナーが手を取り合って、有名パティシエのイデミ・スギノさんが作ったバースデー・ケーキにナイフを入れる。歓声が沸いた。井上陽水さんは、福岡ではおめでたい席で歌われる「黒田節」をアカペラで歌ってくれた。異性婚と何ら変わらない、友人たちの温かい祝福が、キャンベルさんの胸に染みた――。
2018年12月15日今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているロバート・キャンベルさん(61)は自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。「昨夏のことです。13歳まで育ったブロンクスに行き、半日、ブラブラ歩いたんです」約40年ぶりの故郷。キャンベルさんが知る人は1人も残っていなかったが、幼少期を過ごしたアパートは健在だった。「5フロア(5階建て)、ノーエレベーター。貧しい人の代名詞のようなアパートメントでした」ニューヨーク(以下、NY)市ブロンクス区。’57年9月、キャンベルさんが生まれた町だ。ブロンクスには移民が多い。彼の祖父母もアイルランドからの移民だった。「海を渡ってNYまでやって来て、最初にたどり着く、つまり“食らいつく”拠点がブロンクスです」“食らいつく”という表現に、移民の切実さがこめられている。アイルランド系だけでなく、ユダヤ系、アフリカ系など、さまざまな人種が“食らいついた”ブロンクスでは、各国の移民がそれぞれの文化や習慣を維持したまま、交じり合うことなく暮らしていた。「教会が、アイルランド系の人たちの生活の中心でした。私もカソリックの洗礼を受けていて、朝7時からミサの手伝いをしていました。それが終わると、隣にある学校で学びます。学校内は、ほぼ100%アイルランド人です。日曜は、私の周りのすべての人が教会に行き、大人の男たちは午後から、近くのバーへ行く。教会を中心に町があったのです。母はアイルランドの『ジグ』と呼ばれる踊りの名手でしたね」母は、アメリカ生まれ、法律書専門の出版社で社長秘書として働いていた。父は物心ついたときから、家にいなかった。「父の不在は、私にとって自然なことでした。ただ、カソリックでは離婚を認めないため、母は離婚ができず、新たな人生を切り開くことができずにいました。それでも母は絶対に涙を見せなかったし、小さいとき僕はいつも母の味方でした。母と僕は性格が似ていて、愉快と感じる部分が同じ。だから、いつも母が楽しくなることを望んでいました」7歳から、夏休みは2カ月間、ニューハンプシャー州のサマーキャンプで過ごしたが、そのたびにホームシックにかかっていた。「私が寂しいというより、自分がいないと、母が寂しいんじゃないかと思って、早く帰りたかった。母はとても社交的な人だったけれど、『もともとお母さんは寂しいんじゃないか』と思うこともありました」13歳のときだった。サマーキャンプから帰ってきた彼に、母は突然、こう言った。「ロビー、話があるの。会社の同僚のロニーと結婚しようと思うの」20分ほど、ソファでキャンベルさんの反応を確かめるように話すと、母はこう切り出した。「実は今、下のレストランで待たせているけど、会う?」初対面の継父は、ワイルドな人だった。「アイルランド系は、貧しくても身だしなみにはうるさいものですが、ユダヤ系ということもあって、彼は自由人。カーキ色のつなぎとカットソーというスタイル。ひげを生やしていて、ゲバラみたいで、すごく明るくて」彼は弁護士資格を持っていて、母が勤める出版社で、法律関係の書籍の編集者をしていた。「母は今までの生活では見せてこなかった顔をしていました。すでに、母と継父、2人しかわからないジョークとかがあって、2人の関係が深まっていることは、僕にもすぐにわかりました」母の再婚には驚いたものの、不安はなかった。子どもが感じがちな複雑な思いも、母を取られるという嫉妬も湧いてこなかった。「親離れの時期だったのかもしれません。でも、何よりも、母を支える人ができて、僕はとても安心できたんです」継父は、親父風を吹かすこともなく、キャンベルさんを尊重しつつ、いろいろ教えてくれるリベラルな人。すぐに「ロニー」「ロビー」と、呼び合う仲になっていた。「13歳で、僕は世の中を探索するほうに目が向いた。母の再婚をきっかけに、アイルランド系の閉塞した居住空間から、自由に、はじけていくことになったんです」母の再婚から1年半後に妹が生まれ、家族4人になった一家は、新しい職を求めてイギリスに渡り、その後、パリに移住。しかし、1年半ほどでアメリカに戻っている。15歳で、サンフランシスコに引っ越したころには、キャンベルさん自身にゲイである自覚はあった。「中学以降、好きになるのは同世代の男の子でしたから。サンフランシスコには、性的マイノリティが集うコミュニティがあったので、僕は孤立することもなく、葛藤や悩みもありませんでした。母は、そのころから僕の性的指向を把握し、理解してくれていたと思います。高校で仲よくしていた同級生が僕のボーイフレンドだと、敏感に察知していましたから」彼から電話がかかってくると、母は、キャンベルさんに代ろうともせずに、2人で楽しそうに長電話をしていたそうだ。「母は、僕が大切にしている人と僕の間に入りたがる人(笑)。継父は放任主義でしたが、理解のある温かい人でした」彼の性的指向をスルリと受け止め、尊重してくれた両親がいて、キャンベルさんは、その後も自分らしく人生を歩んでいく。進学した高校に、アジア系の生徒が多かったことから中国語を学び、カリフォルニア大学バークレー校時代には、建築や映画などの日本文化にも傾倒していった。日本美術史入門講座で、桃山時代の『洛中洛外図屏風』を見たときには、強い衝撃が走った。「車のライトに照らされて動けなくなった小動物のように、僕は固まってしまったんです」講師のアドバイスもあり、その感動をより深めるために、集中講座で、日本語を学んだ。大学3年のときには、1年間、東京に留学。谷崎潤一郎や三島由紀夫を日本語で読み、日本文学の面白さを知った。「日本に関わる仕事をずっとやっていきたいと思ったんです」帰国後は、ハーバード大学大学院で、江戸時代の日本文学史の構築に精力を傾けた。27歳で留学した九州大学では、江戸時代の小藩の学者や俳人、画家の板本など、未紹介の原資料を調査し、整理する仕事に携わった。「これが運の尽きというか(笑)。僕の人生を決めてしまった」原資料と格闘しながら、新たな発見ができることが面白く、没頭するうちに、2年の予定だった日本滞在が10年になっていた。九州大学の専任講師から、教師としての仕事も得て、日本文学研究者の道を着々と上っていった――。現在、東大名誉教授で、国文学研究資料館館長を務めるキャンベルさんの、カミングアウトに対する世間の反響は大きかった。だか、親しい人にとっては、ずっと昔から周知の事実。キャンベルさん自身も、あえて公表する必要はないと考えていた。「私は、カミングアウトをしても、しなくてもよかったと今も思っています。ただ、反響が大きく、勇気をもらったという人も多かったので結果としてよかった。杉田議員は、自分の性的指向や性自認をどう表現していいか迷っている若い人や弱い立場の人、その親や親しい人をすごく苦しめることを書いていた。だから、私の経験やバックボーンからしても、それは間違った見解だと、反論しなければならなかったのです」
2018年12月14日「実は、もう一つみなさんにお伝えしたいことがあります」昨年10月のロバート・キャンベルさん(61)の誕生日パーティでのことだった。朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のコメンテーターとしても知られているキャンベルさん。60歳を迎える節目のタイミングで、親しい友人を50人ほど招いて、パレスホテルで還暦を祝うパーティを開いていた。挨拶に立ったキャンベルさんは、ほんのおまけのつもりで報告した。「8月に、結婚しました」パートナーの日本人男性が、スッと隣に寄り添う。集まった友人たちの顔が、驚きと祝福で一斉に輝いた。「本当によかったねぇ」「事前に言ってよ~。でも、本当におめでとう」日当たりのいい自宅のリビングで、そのときの様子を話しながら、キャンベルさんの表情が優しく和らぐ。その膝に、飼い猫の夕吉(メス)がポンッと乗ってきた。「いいもんですね。会いたい人に来てもらって。友人たちに囲まれて、360度、祝福をされる。僕らはそんなイメージトレーニングはしていなかったから。『よかったねぇ』を浴びるように言われたのは初めてです。あの日の一人一人の表情は忘れません」今年7月、自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌に「LGBTは『生産性』がない」と寄稿し、直後に谷川とむ衆院議員が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言したことを受け、キャンベルさんは自身のブログで反論を展開。そのなかで、20年来の同性パートナーの存在を明かしている。現在、東大名誉教授で、国文学研究資料館館長を務めるキャンベルさんの、カミングアウトに対する世間の反響は大きかった。だか、親しい人にとっては、ずっと昔から周知の事実。キャンベルさん自身も、あえて公表する必要はないと考えていた。「私は、カミングアウトをしても、しなくてもよかったと今も思っています。ただ、反響が大きく、勇気をもらったという人も多かったので結果としてよかった。杉田議員は、自分の性的指向や性自認をどう表現していいか迷っている若い人や弱い立場の人、その親や親しい人をすごく苦しめることを書いていた。だから、私の経験やバックボーンからしても、それは間違った見解だと、反論しなければならなかったのです」キャンベルさんはブログの反論で、性的指向は「生を貫く芯みたいなもの」「自然と芽生え、育ち、人間としてのポテンシャルを深めてくれる資質の1つ」と、書いた。それは60年の人生を振り返っても揺るがない、偽らざる彼自身の実感だった。
2018年12月14日ウーマンラッシュアワーが12月9日、「THE MANZAI 2018」(フジテレビ系)に出演。社会問題を盛り込んだ漫才を披露し、大きな反響を呼んでいる。特に、終盤の村本大輔(38)による問題定義が評判だ。村本は得意の早口で「LGBTの人たちにカミングアウトという言葉を使わせている。自分が自分のことを言うのにカミングアウトという言葉を使わせている社会は普通じゃない」「沖縄の海ってだれのもの?日本のもの?アメリカのもの?違う。沖縄県民のものなんです。今こそ沖縄県民の怒りの声に耳を傾けるべき」とまくし立てた。さらに「この漫才は1人でもできる」と差し込み相方・中川パラダイス(37)で笑いを取ると、「漫才師だから最後は笑いに変えたけど、笑って誤魔化すなよ」と言い切って去っていった。Twitterでは賛同の声が上がっている。《ウーマンラッシュアワー、「BTSを不謹慎だと叩くなら、いまこそ被爆者の気持ちに寄り添おう」とか、時事ネタを入れつつ最後の「笑って誤魔化すなよ」は本当に刺さった》《同調圧力、予定調和に乗っかって、弱者を見てみぬフリして笑ってんじゃねぇって話》《日々のニュースやワイドショーよりよっぽど「ニュース」してるのだけは確かだ》いっぽうでその内容から《ウーマンのはちょっと笑えん。漫才として成立してなくない?》《漫才を披露するとこで自分の偏った政治的意見を言うこと自体が間違ってるだろ》《言いたいことを早口でまくし立ててるだけでしょ》といった声も。しかし賛同派はこう述べている。《ウーマンラッシュアワーは漫才の体はなしてないかもしれないけど、嫌いじゃない》《ちゃんと聞いてみたら、否定してるんじゃなくて、関心を持てって言われてる気がした》《風刺と言っていいのかはわからないけど、また次の漫才も楽しみだなと思った》放送終了後、村本はTwitterを更新。「僕の漫才には知り合った人の怒りがあります。朝鮮学校の生徒さん、沖縄の劇場のスタッフさん、被災地で知り合った人など。センターマイクの前に1人でも人がいたら僕の居場所です」「またおれの思う漫才を作ります。ありがとうございました」と感謝の気持ちを述べている。
2018年12月10日海外映画祭で高評価を得た、性に悩む青年の挫折と成長をミュージカルタッチで描いた映画『サタデーナイト・チャーチ -夢を歌う場所-』が来年2月22日(金)より日本公開。この度、本作の予告編と場面写真が到着した。■ストーリーニューヨークのブロンクスに暮らす青年・ユリシーズは父親の死をきっかけに「美しくなりたい」という思いを抑えられずにいた。ある夜、ストリートで出会ったトランスジェンダーのグループに「土曜の夜の教会(サタデーナイト・チャーチ)」へと誘われる。そこは静かで厳格な昼間の教会とは異なり、ダンスや音楽を楽しみながら、同じ境遇の仲間と語らう場として開放されていた。学校でも家庭でも孤立していたユリシーズは、その自由な雰囲気に夢中になりながら、少しずつ自分を解放してゆく。ところが、家族にハイヒールを見つけられ、自分の存在そのものを否定されてしまう。家を追い出され街を彷徨うユリシーズに、人生を変える数々の出来事が待ち受けていた――。■監督の実体験と綿密なリサーチを基に、LGBTの若者たちを描く…本作は、初監督・初脚本となるデイモン・カーダシスが、ボランティアを務めていた教会での実体験と綿密なリサーチをもとに、LGBTの人々が直面する厳しい現実や社会問題に焦点をあて、実在するLGBTの人々のための支援プログラム“サタデー・チャーチ(土曜の教会)”を舞台に、若者たちの経験談が物語を紡いでいく。セクシュアル・マイノリティであることによる学校でのいじめなどの辛い現実の一方で、土曜の夜の教会での新たな仲間との出会い、そして恋愛模様も描かれていく本作。また、ミュージカルタッチで描いているのも注目どころだ。■海外映画祭で高評価!本作は無名の監督と主演にもかかわらず、映画批評サイトRotten Tomatoesでは満足度92%flesh(11月12日現在)をたたき出し、海外の映画祭では18の賞にノミネートされ、14の受賞に輝いた。また、すでに公開されている海外では、「もう『ムーンライト』か、『ラ・ラ・ランド』か迷わなくてもいいんだ!この2作品がブレンドされて、新たな魅力的な作品が生まれた」(VRIETY紙)と高く評価されている。主人公のユリシーズを演じるのは、幾度も開かれたオーディションで大勢の参加者の中から選ばれたルカ・カイン。ブロードウェイやTVシリーズに出演していた若手俳優だ。またサタデーチャーチの仲間役には、ユリシーズを姉のように思いやるエボニーをMJ・ロドリゲス、チャーミングだが芯は強いディジョンをインドゥヤ・ムーアと、トランスジェンダー俳優が演じている。■花びら舞うN.Y.で溢れる想いを歌う――予告編公開到着した予告編では、主人公・ユリシーズ(ルカ・カイン)が「女が来たぞ」とからかわれるシーンからスタート。学校でいじめられ、弟には女装しているところを見られ、そして叔母にきつく叱られる…そんなつらい日常が描かれる。しかし、とある場所でトランスジェンダーたちに“サタデー・チャーチ<土曜日の夜の教会>”に誘われることに。新たな場所を見つけたユリシーズは、ハイヒールで歩いたり、出会った友人たちに勧められメイクも体験。だが、何とか息子を理解しようと努力する母にも「悩ませないで」と言われ、家族に存在そのものを否定されてしまう場面も…。家族との不和や恋愛の高揚感、また未来への不安や自分自身との闘いは、きっと多くの人たちが経験してきたことだろう。本作はセクシュアル・マイノリティに限らず、誰もが共感できるドラマとなっているに違いない。『サタデーナイト・チャーチ -夢を歌う場所-』は2019年2月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2018年12月07日生まれた瞬間から、切っても切れない存在といえば両親ですが、無償ともいえる愛情に救われてきた経験がある人も多いはず。そこで今回は、自分とは “違う” 性質を抱えた子を持つ親と子に迫った話題作をご紹介します。それは……。感動のドキュメンタリー『いろとりどりの親子』!【映画、ときどき私】 vol. 201作家であるアンドリュー・ソロモンは、ゲイである自分を受け入れることに苦悩した両親の姿に直面したことがきっかけとなり、問題を抱える300組以上の親子を取材。10年かけて執筆したノンフィクション本『FAR FROM THE TREE』は、家族の本質を追求した内容が多くの共感を呼び、大ベストセラーに。そんななか、本作をもとに誕生したドキュメンタリーでは、自閉症やダウン症、低身長症、LGBTなど異なる困難と向き合う6組の親子に密着。彼らの真実の姿が映し出されています。今回は、映画化を手がけたこちらの方にお話を伺ってきました。それは……。社会派で知られるレイチェル・ドレッツィン監督!30人もの映画監督から映画化の企画を持ちかけられていた原作者のアンドリューですが、「どの監督よりもテーマを明確に理解している」ということで指名したのがドレッツィン監督。そこで、制作の過程で学んだことや本作で伝えたい思いについて語っていただきました。―もともとは原作に感銘を受けて映画化したいと思ったそうですが、ご自身もお子さんがいる親として、親子関係に問題意識のようなものを感じていたのでしょうか?監督確かに、自分が親であるということで、家族の在り方や親子関係に対する興味を抱いたという部分はありました。でも、私はもともと好奇心旺盛な性格。だからこそ、ドキュメンタリー作家をしているんだと思いますが、自分の知らないことに対してモチベーションが働くんです。そして、ドキュメンタリーというのは私にとっては違う世界に誘ってくれるパスポートのようなもの。そのおかげで知らない世界に旅をすることができるんです。今回は、低身長症の方々や犯罪を犯した子どもを持つ親、それから自閉症の子を持つ親など、彼らの世界を知ることができました。そうすることで、私たちは普段こういったコミュニティの人たちと意義深いコンタクトを持つことがいかにできていないかに気づかされるのです。最初は自分のなかにも偏見があった―マイノリティといわれる方々に対して差別はないと思っていましたが、作品を観ていくうちに「無意識の偏見」が自分のなかにもあったことに気づかされました。監督が彼らと直接触れ合うなかで、忘れられないエピソードはありますか?監督私自身も作品を制作する過程で、自分が偏見を持っていたと感じる瞬間は何度もありました。なかでも印象に残っているのは、低身長症で車いすに乗っているジョセフと「リトル・ピープル・オブ・アメリカ」という集会で初めて出会ったときのこと。彼が肉体的にどういうハンデを持っているかを知ってはいましたが、実際に会うと、自分でもびっくりするくらいにぎこちなくなってしまったのです。―それまでも、そういう経験はあったのですか?監督この作品のために、すでにいろいろな方々とお会いしていたにも関わらず、ここまで自分がぎこちなさを感じたことには驚きました。たとえば、「ジョセフは腕が短いけど、握手したほうがいいのかな」とか、「もし彼が飲み物を欲しがったら私が手渡したほうがいいのかな」とか、「見つめちゃいけないけど、見ずにはいられない」といったことを考えているだけで、固まってしまったのです。―私自身もインタビューをする際、相手にどこまで踏み込んでいいのかというのが難しいところだと感じていますが、特に障害を持っている方々だとこちらが勝手に躊躇してしまうこともあると思います。そんななか、監督は彼らの言葉を最大限に引き出されていましたが、相手との信頼関係を築くうえで心がけていることはありますか?監督彼らとの距離というのは、実に簡単に縮めることができました。というよりも、最後のほうは自然に壁がなくなっていったという感じですね。なぜなら、今回出演をお願いした方々というのは、もともと個人的にも愛情を感じ、尊敬していた人たちばかり。だから、彼らと仲良くなるというのはそんなに難しいことではなかったんです。それに、私たちはいろいろなレベルで繋がることができたので、いつの間にか障害も忘れてしまっていましたね。なかでも、低身長症の夫婦であるリアとジョセフに会いに行って、一緒にディナーをしていたとき、途中で彼らが障害を持っているということをすっかり忘れている自分に気がついたんです。いまの私たちに必要なのは対話すること―そういう思いになれたのは、やはり彼らと実際に触れ合い、彼らが私たちと同じような生活を送っていることがわかったからでしょうか?監督彼らの仕事や日常についての話を聞いて、“普通” であるといまはわかりました。つまり、私たちに必要だったのは、彼らと触れ合う時間だったんじゃないかなと思っています。普段、私たちは自分と違う人と出会うと、挨拶だけで過ぎてしまうこともありますが、対話をすることも必要なことなのです。それもあって、私が撮影で気をつけていたのは、彼らと何でも言い合える関係を作ることでした。―確かに、私たちは自分と違う人と対話する時間が足りていないのかもしれませんね。だからこそ、本作では彼らがどのような心境でいるのかを知ることができるのは、とても興味深かったです。ちなみに、日本とアメリカでは、作品への反響は異なりますか?監督今回日本に来て、いろいろな方とお会いするうちに、アメリカの観客とは反応が違うと感じていたところです。―本作に登場する出演者たちは、それぞれに障害を抱えながらもありのままの自分を受け入れ、何よりも自分を愛している姿が印象的でしたが、日本では他人と違うことに対して、ネガティブに感じる人が多い傾向にあります。それに比べると、やはりアメリカのほうが多様性に対して寛容だということでしょうか?監督確かに、アメリカのほうがより「ありのままの自分でいる」という概念は根強くあるかもしれませんね。日本とはそういう差があるとは思います。今回、アメリカでの反応は、たとえば「障害がある人が大学の教授をしているの?」とか、「低身長症の人たちのなかでも委員会というのが存在しているの?」みたいに、彼らが健常者と同じようなことをしていることへの驚きがあったようです。というか、おそらくそういったことを考えたこともなかっただけだと思います。日本の観客は深いところを見てくれている―それに対して、日本の観客はどのような反応がありましたか?監督もちろん、日本の方々も同じように驚いているとは思いますが、それだけではなく、より深いところを見てくれているようにも感じています。というのも、アメリカはいろんな人種と対峙してきた歴史がすでにありますが、日本では自分と見た目が違う人と出会う機会がまだまだ少ないですよね?だからこそ、そういったことに対して、まさにいま葛藤しているところがあるのだと思いました。つまり、「どうすればより包括的なダイバーシティを許容する社会を育めるのか」といったことをみなさんがすごく考えている途中なんだと感じています。ありのままの自分でいられることは祝福すべきこと―劇中、ダウン症のジェイソンが好きなキャラクターとして、『アナと雪の女王』のエルサが登場しますが、日本でも「Let It Go」が爆発的な人気となりました。それは、私たち日本人がありのままでいることへの強い憧れがあったからだと思いますが、他人と違うことに悩んでいる人に向けてどういう意識を持つべきか、アドバイスをお願いします。監督私自身もこの作品を作ることによって多くを学びましたが、みなさんもきっとこの作品から得るものがあるんじゃないかと思います。人というのは、どうしても自分で勝手にイメージを作り、そのイメージ通りであって欲しいと思ってしまいがちですが、実際はありのままの自分でいることしかできないんですよね。それに、他人からどう思われても、その人はその人でしかありえないので、変えることなんてできないもの。逆に言えば、あるがままである人というのは、祝福すべきことなんです。もちろん、自己受容というのは一番大変なことかもしれないですが、それは人間であるうえですごく本質的なことでもあるので、ありのままの自分でいるように努力していくしかないのかなと思っています。「違う」からこそ得られるものがある!人と違うことに、誰もが不安を感じてしまうけれど、違うからこそ人生をいろとりどりに輝かせることができるもの。彼らと同じように、ありのままの自分を愛することができたとき、新たな幸せを手にすることができるはずです。心が震える予告編はこちら!作品情報『いろとりどりの親子』11月17日(土)、新宿武蔵野館ほか全国順次公開配給:ロングライド©2017 FAR FROM THE TREE, LLC
2018年11月16日自閉症やダウン症など、親とは違う性質を抱えた子をもつ300組以上の親子を取材した『FAR FROM THE TREE』。世界中で50以上の賞を受賞した作家、アンドリュー・ソロモンの同作は、同じような境遇にいる親子に勇気を与えると共に、あらためて家族の本質について問う内容で瞬く間にベストセラーとなり、24か国語に翻訳されるまでの反響を呼んでいます。ドキュメンタリー映画『いろとりどりの親子』は、この原作の映画化。作品では6組の親子を取材しています。ここで映し出されることは、ひとりの人間としてひとりの親として考えさせられることばかり。ちょっと大げさかもしれませんが、「これまでの社会通念をガラッと変えるようなこと」が示されているといっていいかもしれません。■親の考える「普通」と子どもが違っていたら…そもそもアンドリュー・ソロモンが本著を書くきっかけになったのは、自身がゲイでそれに対し苦悩する両親の姿を見てのこと。自分の両親と同じような状況に置かれたほかの親たちは“どう向き合ってきたのだろう?”ということから、いわゆるマイノリティに属する子のいる家族を取材するようになったといいます。彼はろうの子のほとんどは健常の親から生まれ、親は子どもを治療しようとするけれど、子どもは思春期になると、「自身のコミュニティ」を発見することに気づく。すると同時に、親から子へ受け継がれる「縦軸のアイデンティティ」と、周囲の仲間から学び、養われる「横軸のアイデンティティ」が存在することに気づいたそうです。そして、自閉症、ダウン症、LGBTに関わらず、親の「普通」と、子どもが成長とともに発見するアイデンティティが異なると、両者がその違いを認め、受け入れるまでには時間がかかることがわかったといいます。この親と子の「違いの受容」こそが本作の大きなテーマといっていいでしょう。■親の気持ちが子どもを追い詰めるこの作品には6組の家族が登場します。1組は、原作者で映画のストーリーテラーでもあるアンドリュー・ソロモンと、その父のハワードの親子。2組目は、かつてダウン症の人々の可能性を示す代弁者になるほどの知名度を得て、テレビ番組『セサミストリート』にも出演していたジェイソンと、母親の脚本家、エミリーの親子。3組目は、自閉症のジャックと彼のためにあらゆる治療を試したというエイミーとボブのオルナット夫妻。ほか3組も、直面した問題や抱えた困難はそれぞれに違いますが、最終的に彼らがたどり着いたのは「受容」の心にほかなりません。親としては「普通」の子との違いをそう簡単には認められない。先のエミリーもオルナット夫妻も「この子ならば」と一般的な子に近づけ、普通の学校に通えるように、あの手この手を打つ。でも、そのことが逆に子どもを追い詰めて、関係が悪化してしまう。最終的に行き着くのは、互いに認め合うこと。他の子との違いをきちんと認めてあげたとき、ここに登場する家族は思わぬ世界と未来が開けていくのです。■他人とわが子を比較していたら、親の愛情は伝わらないこれはなにもマイノリティに属する子をもった親に限ったことではないと思います。私自身を含め、一般的な親というのは、どうしても他人の子とわが子を比較しがちとなっているように思えます。「●●君はできるのに、なんであんたはできないの!」とか、「その歳で、この程度のことはできないと恥ずかしいよ」なんて、ついつい口から出てしまう。ほかの子より勉強が遅れているように思えると、やみくもに追いつかせようとしたり、不得意なことがあると、人並みぐらいにできるよう求めたりしがちとなってしまったり。「十人十色」という言葉があるように、子どもによって個性も違えば得意なことも違う。性格も違えば、考え方も違う。そんなことは言われなくてもわかっている。でも、実際は子どもがほかより劣っていることがあると敏感に反応してしまう自分がいることに気が付き、愕然とします。そうしてついつい冷たく、厳しく当たってしまう。でも、それは残念ながら、どんなに愛情があっても一方通行。まずは、互いの意思を尊重して認め合う。子どももひとりの人格者。そこからはじめないと親の愛情が伝わらないことを本作は教えてくれます。そして、違いを認めることで子どもを楽にできれば、じつは親の気持ちも楽になることを教えてくれます。■「自分たちには直すべきところなんてない!」心を自由にただ、この作品は、そうした親と子の関係で大切なことを伝えながら、そのさらに一歩先のメッセージをわれわれに届けます。それは、いまの社会にある固定観念のチェンジといいますか。ある意味で世の中の意識改革を求めるメッセージです。低身長症のリア・スミスとジョセフ・A・ストラモンドはこう言います。「自分たちには直すべきところなんてない」と。続けて、ジョセフはこう言います。「俺があんたなら自殺すると言い放ったやつがいる。身体が不自由なら、心も不自由だと?」。自閉症で話すことのできなかったジャックは、ある医師によりタイピングで自分の言葉を伝えることができたとき、「僕はがんばっている。僕は頭がいい」と言います。また、アンドリューは以前「同性愛は異性愛より劣ったもの」とずっと感じていたそうです。ただ、ここにきて性的マイノリティに対する見方が大きくかわってきました。病気だとみなされていた同性愛が、いまでは個性として認められることになった。ちょっと視点を変えただけで見方がかわる。そう彼は伝えます。障がい=かわいそう。こういったマイノリティに対するネガティブな社会的なイメージは、そろそろ払拭(ふっしょく)したほうがいいかもしれません。障がいがあっても、マイノリティであっても、ごくごく一般の人間と変わらない。別に自分の境遇を恨んだり、悔やんだりしているだけではない。自分なりに喜びも幸せも感じている。「違い」はけっして闇ではない、考え方によっては大きな光になりうることを、ここに登場する親子のそれぞれの生き方は物語ります。このマイノリティや障がい者に対する意識の改革は、これからの社会を考える上で、非常に重要になってくる気がします。少し飛躍した話にもなりましたが、よりよい親子関係のヒントを与えられるとともに、これからの社会の在り方について見つめるいい機会になることでしょう。ドキュメンタリー映画『いろとりどりの親子』11月17日(土)新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開自閉症、ダウン症、低身長症、LGBTなどの子どもを持つ6組の家族を取材したドキュメンタリー映画。困難を抱える子どもと、彼らと向き合う親たちが、自分たちのたどってきたこれまでの山あり谷ありの道のりと、決して苦難ばかりではない歓びの日々について語る。作品中に出てくる言葉、考え方をひとつ変えるだけで「しあわせの形は無限に存在している」ことがほんとうに実感できる心温まる映画です。公式サイト:
2018年11月16日さまざまな「ちがい」がある6家族の日常を丁寧に取材した長編ドキュメンタリー『いろとりどりの親子』は24ヵ国で翻訳され、世界的ベストセラーとなったアンドリュー・ソロモン氏の原作を映画化した作品です。ADHDがある息子を育てる、漫画家・イラストレーターのかなしろにゃんこ。が、この映画をルポ。映画の公開に合わせて行われた試写会や、監督来日イベントの様子を紹介します!「ちがい」と生きる家族の幸せの形はそれぞれで、胸があたたかくなる作品でしたよ。Upload By 発達ナビニュースUpload By 発達ナビニュース自閉症、ダウン症、低身長症の子どもやパートナーとその家族、重罪を犯してしまった息子と家族など、6つの家族をめぐるドキュメンタリーです。原作者でプロデューサーのアンドリュー・ソロモン氏も父親と親子出演しています。アンドリューは、同性愛者である息子を受け入れようと苦悩する両親の姿をきっかけに、身体障害や発達障害、LGBTなど、ちがいのある子どもを受け入れようと苦悩する親たちを10年かけて取材したそうです。言葉が発せず、パニックになって暴れたり自傷行為に及んでしまう自閉症のジャックと、意思の疎通が難しいと感じる両親。あらゆる療法を試した後、ようやくたどり着いた文字の「タイピング」によってジャックが家族や周囲に自分の想いを伝えられるようになったシーンは、ヘレン・ケラーとサリバン先生を思い出させます。親友3人と暮らすダウン症のジェイソン。幼少期には「セサミストリート」にも出演し、全米屈指の著名人でした。共同生活を送る3人は、「三銃士」というグループ名までつけて(笑)友情をなにより大切にしています。盃ならぬマグカップを交わして友情を確かめ合うシーンは、中年を迎えた3人がまるで少年のよう!素直で愛しくてキュン♡とすること間違いなしです。ジェイソンが幼いころは、ダウン症児への教育の可能性について全米中を説いて回った母親。一見単調にも見える、ジェイソンと母親の現在の穏やかな生活もまた、胸を打ちます。低身長症のロイーニが低身長症の人たちの大会「リトル・ピープル・オブ・アメリカ」でファッションショーに参加したり友だちを作っていく姿は母親のような気持ちになって「同じ障害がある友人ができて良かった♡」と応援したくなるし、背中を押したくなる思いになりました。低身長症の夫婦・リアとジョセフは、知的かつチャーミング。リアは「(低身長症の夫婦から)普通身長の子どもが生まれても大丈夫。だって私は、家族の中で一人だけ違ったけど、大丈夫だったから」と笑顔で語ります。底抜けに明るい二人の姿は、「ちがい」ってなんだろう、「障害」ってなんだろう、と改めて問いかけてくるようでした。レイチェル・ドレッツィン監督が来日!日本の高校生と映画について語り合う教室に潜入この映画の監督、レイチェル・ドレッツィンさんが、映画の公開に合わせて来日!さらに、日本の高校生と、映画について語り合う機会があると聞きつけて、取材をさせてもらいました。東京学芸大学附属国際中等教育学校のIB(国際バカロレア)クラスの高校2年生11名と監督とのディスカッションは、ほぼオールイングリッシュ!で進行。さらに、監督にぶつける質問や疑問は、英語力もさることながら深い共感や洞察力が感じられて、監督も「ワンダフル!」と笑顔でしたよ。参考:国際バカロレアとは | 文部科学省レイチェル・ドレッツィン監督(以下、監督):「人はさまざまなアイデンティティーを持っています。たとえば映画に出てくるリアは、低身長症ですが、女性であり、母であり、妻でもある。でも、健常者はその1つだけをピックアップしがちです」そのためには、『ちがい』がある人たちの中に積極的に入り、知ることが大切。それを伝えたかったと、映画に込めた思いを話してくれました」。ディスカッションに参加した11名の高校生は、映画を見て感じたこと、監督にぶつけたい思いを発言。監督は、その一つひとつに耳を傾け、真摯に答えていきます。今まで生きてきた中で、障害がある人たちとあまり触れ合う機会がなかったという高校生も多く「将来出会ったときに、実際には相手を肯定できないんじゃないか。そんなとき、どう向き合えばいいのだろう」という不安・危惧を口にする学生も。監督は、さまざまな人たちと実際に触れ合うことの大切さを伝えます。監督:「『ちがい』がある人の近くにいると、親密さが持てるようになります。距離があるから差別が生まれるんです。もしネガティブな先入観があるとしたら、それは親密さが欠けているから」監督自身も、登場人物の一人であるジョセフと出会ったときはぎこちなくなってしまい、どう握手したらいいかもわからなかったと教えてくれました。でも、2~3回会ううちに、彼が車いすであることも手が短いということも忘れて、レストランで自然にビールを渡していたと言います。学生からの、「障害がある人への(ネガティブだったり、不幸だと決めつけたりしている)先入観をどう変えられるのか?」という質問には、次のように語ります。Upload By 発達ナビニュース監督:「多くの人は、身近に『ちがい』がある人がいないから、そういう見方をしてしまう。多くの人は、彼らがつらいんじゃないか、生きたいように生きられていないんじゃないかと考えがち。もちろん、受容が困難な人もいるけれど、多くの「ちがい」がある人たちは、自分のアイデンティティーを誇らしく思っているし、生まれてきた自分自身を変えたいとも思っていない。『ちがい』がある人と親密な時間を過ごしてみてほしい。知らないから恐れてしまう。驚くような何かが待っていると思うから」学生たちは、疑問に思ったことも率直にぶつけます。学生:「『ちがい』がある人をあえて(映画の登場人物として)ピックアップすることは、それ自体が差別的なのでは?」監督:「親子ですら最初はぎこちなく、少しずつ受け入れていくものです。今回の映画では、極端なケースをハイライトしています。映画を通して、多くの人にとって一つのレッスンとして感じてもらいたかったのです」「ちがい」がある人が身近にいない人も多くいる。飛び込んでいけない人もいる。そんな人たちの気づきのために、見てほしいのだと語ります。また、困難を乗り越えた家族ばかりを取り上げたのでは?という学生からの問いもありました。学生:「困難を乗り越えている家族ばかりをとりあげて映画化したのでは?乗り越えられていない家族をフィーチャーしなかった理由はなぜ?」監督:「私はどの家族も乗り越えられたとは思っていません。彼らは、さまざまなシチュエーションに対して目を背けてはいませんが、乗り越えられているわけではないんです。実際、自閉症のあるジャックの母は、いまも辛い日々を過ごしていると言っている。ただ、辛くても、その中に意義を見出すことは可能だと信じている。誰もがこの物語から学ぶことができると思っています」そして、監督からも学生たちへ質問が投げかけられました。監督:「皆さんの中で、自分のアイデンティティーが日本人の部分が多いという人はいる?」学生たち:(一同、シーン)日本の学校で学ぶ、日本の学生たち。周りから見れば「日本人」としてとらえられがちな学生たち。でも、誰一人として自分が「日本人」であることが一番のアイデンティティーであると思っていなかったのです!監督:「低身長症の女性にとって、自分のアイデンティティーは一つではありません。低身長、女性、母親でもある。でも、私たちは彼女を見たときに『低身長症』だけが彼女をあらわすものだと思いがちです。一つだけのアイデンティティーでその人を決めつけないこと。マスメディアで障害がある人を描くとき、現実は違うことが多くあるものです。ステレオタイプで描いたり、大げさに描いたりしがちです。そのイメージを自分で乗り越える責任が私たちにはあると思うし、そのためには『ちがい』がある人と一緒に過ごすしかないんです。そうすると、彼らの中に、自分と同じ部分をたくさん見出すことができるはずです」そして、最後に監督から、高校生たちにメッセージが伝えられました。監督:「あなたがたと話せたことは素晴らしい経験でした!あなたたちは変化を起こせる年齢。いま、人種のるつぼといわれるアメリカでさえ、自分とちがう人に対して喧嘩をしています。今こそ、ちがいがある人を受け入れ、未来に向けて手を携えながら生きていってほしい」Upload By 発達ナビニュース監督を前に、自分たちの思いや疑問をまっすぐにぶつけていた高校生。キラキラとまぶしい高校生たちに、ディスカッションの授業を終えて感じたことを、聞いてみました!学生:「小学校のときは、クラスメートに発達障害がある子がいて、時々パニックを起こしていて。でも私たちはそれを“そういう子なのかな”ってちがいをそのまま受け止めてたんです。でも、保護者の中には“授業妨害になる”ってクレーム言ってる人もいたみたい。子どもたちは彼は特別だとか障害があるとかって意識してないのに、大人のほうが“ちがい”を意識しすぎて“ゲスト”はウエルカムじゃないって思ってたと思う。ちがいを前面に出さない、壁をつくらないことが大事なんじゃないかな」社会の中にもっと、ちがいがある人と触れ合える場所が増えたらいいという提案も!学生:「日本のマイナス点なんだけど、ちがいがある人と触れ合うのが大切ってわかってても、なかなか積極的に飛び込んでいこうとしない。ハードルが高すぎる。もっと気軽に触れ合えるような、いろんなマイノリティーが混ざっている場所が身近にあれば、受容はもっと簡単になると思う。そういうのが日常、当たり前の社会になったらいいと思う」授業を終えた学生たちからは、「ちがいがある人たちと一緒にいられる、多様な社会をつくりたい」という、あたたかくて強い決意を感じられましたよ!レイチェル・ドレッツィン監督に、単独インタビューもなんと、監督に単独インタビューする機会もいただきました!高校生とのディスカッションはどう感じたのでしょう?先ほどインタビューした高校生の発言を伝えつつ、聞いてみると…監督:「そう、大人のほうが『ちがい』を意識しすぎている…。教育って、なんのためにあるんでしょう。高等教育を行う場所であると同時に、人間として成長する場でもあるはず。多様性を認めることで、聡明になれるはずなんです。今日ディスカッションした高校生たちには、多様性を広めるプロモーター的存在になってほしいと願っています」この作品で、それぞれの親子の、“愛と受容”を伝えたかったと、ディスカッション中も口にしていた監督。次のように語ってくれました。Upload By 発達ナビニュース監督:「健常な人たちは、障害があると不幸なんじゃないかと思い込みがちですが、そうではないんです。『ちがい』がある子どもを“受容”すると同時に、子どもたちもまた、思っていた自分と『ちがう』ことを受容する。その受容は、毎日の中のさまざまなシーンで起きているんです。そして、思い描いていた形とは違うけれど、そのアイデンティティーはすばらしい贈り物であることに気づいていくんです」高校生とのディスカッションでも、「ちがい」がある人の中に入っていくことで、さまざまなアイデンティティーに気づけるし、多様性を認められるようになる、と言っていた監督。でも、すぐには飛び込んでいけない人もいる。そんな人には映画を見て、まず気づいてほしい!愛と受容にあふれた日常が描かれる『いろとりどりの親子』。ぜひ観てほしい!映画では、登場する人たちが押しつけじゃなく、自分のことを自分の言葉でたくさん語っていました。どうしたらこんな風に撮影できるの?率直な思いをぶつけてみました。監督:「トリックがあるとしたら、すべての登場人物を尊敬し、愛してたってこと。ジャーナリストと撮影対象という関係を超えて、たくさんの時間を過ごして、信頼を築けたから。それから私は最初に決めたことがあって。それは、“プレッシャーをかけないこと”、そして“こうしてほしい”って押しつけないこと」監督の愛もいっぱい詰まった「いろとりどりの親子」!徹底的に登場人物に寄り添ったからこそ撮れた6つの家族の本音と、「どんなちがいがあっても、わが子は愛さずにはいられない!」というあふれる愛。そして、幸せの形はそれぞれの家族にとってちがい、多様なんだということが伝わってくる…。ぜひこのステキな映画を親子や友人、ご夫婦で観賞していただきたいです!Upload By 発達ナビニュース映画『いろとりどりの親子』は、新宿武蔵野館をはじめ、全国順次ロードショー予定です。ダウン症、低身長症、自閉症などさまざまな「ちがい」のある6組の家族を丁寧に取材した長編ドキュメンタリー映画。原作は世界24ヶ国で翻訳されたベストセラー『FAR FROM THE TREE』。作中に登場する家族の日常は、親子の数だけ幸せの形があることを教えてくれます。■公開日:2018年11月17日(土)■上映:新宿武蔵野館ほか全国順次公開新宿武蔵野館で上映期間中の毎週火曜日、初回上映回では、声を出しても、歩き回っても、上映中の入退場も自由な「フレンドリー上映」が実施されます。詳細はホームページでご確認ください。取材・文・イラスト/かなしろにゃんこ。かなしろにゃんこ。さんのページ
2018年11月15日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「アメリカ中間選挙」です。トランプ政権への国民の審判がなされるとき。11月6日(日本時間7日)にアメリカで中間選挙が行われます。中間選挙とは、連邦議会の議員選挙のことで、今回は上院100議席のうちの35議席と下院435議席すべてが改選されます。大統領の任期の半分の時期に行われるため、実質、大統領の約2年間の働きと与党に対する国民の評価が問われる選挙になります。トランプ政権を引き続き応援したい人は現与党の共和党議員に票を入れますし、異を唱えたい人は、野党の民主党に投票します。先日、歌手のテイラー・スウィフトさんが、地元テネシー州で民主党候補者への支持を表明し、話題になりました。テネシー州は共和党の強い地域。スウィフトさんは、この2年間が自分の思い描く未来と違ってきていることや、女性やLGBTの権利獲得の必要性を語り、ファンに投票を呼びかけました。アメリカでは、行政権を持つ大統領と、立法権を持つ連邦議会がはっきり分けられ、均衡を保っています。現在の議会は共和党の議員のほうが若干多いため、トランプ大統領の法案も議会では通りやすく、政策はスムーズに進められています。しかし、これが、野党優勢の議会になると、大統領の意思は通らず、「決められない政権」になってしまいます。事前の世論調査と専門家の見立てでは、上院は共和党が過半数を維持するものの、下院は民主党が多く議席をとるのではないかといわれています。そうすると、上院と下院でねじれが生じるので、議会決定のスピードは落ちることになるでしょう。また、下院には大統領を弾劾訴追する権利があります。下院が弾劾を求め、上院の3分の2が賛成したら、弾劾裁判が行われます。トランプ大統領には、ロシア疑惑、セクハラ問題など、数々のスキャンダルがありますから、選挙で民主党が勝てば、それらの訴追がなされ、トランプ政権が任期半ばで倒れる可能性もゼロではありません。大統領も実績を誇示するのに必死でした。これまで安倍総理は、トランプ大統領との仲の良さを世界にアピールしてきました。しかし、中間選挙の結果次第では、アメリカの次の政権を見据え、日本もスタンスを考えなければいけなくなると思います。堀 潤ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2018年11月14日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)#悩みについてさらに読んでみる。#社会のじかんをもっと知りたい。
2018年11月07日【今週の悩めるマダム】東京で一人暮らしをしている27歳の息子がゲイかもしれません。新宿二丁目のゲイバーで働いているようです。以前男友達を紹介されたので、その子が彼氏なのだと思います。私は彼の生き方を応援したいのですが、LGBTには詳しくなく、母親としてどのように対応してあげればいいかわかりません。(大阪府在住・50代女性)お母さんのご心配はよくわかりますが、その前にちょっと苦言を呈したいことがございます。まず、「息子がゲイかもしれません」「LGBTに詳しくなく」と続き最後に「どう対応していいのかわかりません」で締めくくられています。この文脈から思うのは、息子さんではなくお母さんご自身の問題です。お母さんがお腹を痛めて産んだ我が子なのですから、もう少し対話があってもいいんじゃないですか?聞きにくいというのはよ〜くわかっています。でも、「かもしれない」ばかりじゃ、お答えしようがない。もし彼がそのことを“いつ打ちあけようか”とずっと悩んでいるのであれば、なおさら大切なことです。「あなた、二丁目のゲイバーで働いてるの?」「え?ああ、働いてるよ」「え〜、あなたもしかしてLGBTなの?」「ま、そうだよ。言おうと思ってたんだけど、言えなかった」「じゃあ、この間連れてきた子、彼氏?」「うん、パパと話す前にママにはちゃんと話をしておきたいことがあるんだけど……」となるんじゃないでしょうか!ここまでものごとが進んだならば、私の出番です。まず申し上げたいのは、やはり対話の重要性。彼が本当にLGBTであれば、周りが反対をしたところでどうにかなることではありませんね。ご両親が反対をしても自分の生まれながらに持ったものを他人が強制的に変更することはできませんし、絶対にしてはいけません。今日の親子問題の原因は、子どもの心の核心に耳を傾けてあげられない親が増えていることにこそあり、それが大きな流れとしてLGBTへの無理解へと繋がっているのです。LGBTと名乗ることでマイノリティの方々は結束されたのだと思いますからとやかく言うことはできませんが、実は私、個人的には「LGBT」という言葉が嫌いです。その枠の中に入りきれないジェンダーや意識や命が他にも多く存在するからです。LGBTABCDEFGHI……みたいには出来ないからLGBTでも今はいいんでしょうが。ともかく、お子さんと率直に話し合うチャンスを作ってください。とっても簡単なことです。かしこまらずキッチンですれ違いざまに「あの、ほら、あんたに聞きたいことがあるんだけど、ちょっといい?」だけで大丈夫。わからないことはお子さんに直接聞いてみましょう。「ちょっと辻さん、息子に聞けないからあんたに聞いてるんじゃない」というのでは埒があきません。お子さんがもしLGBTならば話をしたいはずです。お母さんは愛する息子の声に耳を傾けることからまずは始められたらいいと思います。その後、またわからないことがあれば私メにお申し付けください。私はここにおりますから。はい、私からは以上です。【JINSEIの格言】お腹を痛めて産んだ我が子なのですから、もう少し対話があってもいいのでは?その後、またわからないことがあれば私メにお申し付けください。私はここにおりますから。この連載では辻さんが恋愛から家事・育児、夫への愚痴まで、みなさんの日ごろの悩みにお答えします!お悩みは、メール(jinseinospice@gmail.com)、Twitter(女性自身連載「JINSEIのスパイス!」お悩み募集係【公式】@jinseinospice)、またはお便り(〒112-0811 東京都文京区音羽1-16-6「女性自身」編集部宛)にて絶賛募集中。※性別と年齢を明記のうえ、お送りください。以前の連載「ムスコ飯」はこちらで写真付きレシピを毎週火曜日に更新中!
2018年11月06日【イベント】家族で音楽を思い切り楽しもう!「Shining Hearts’ Party」(埼玉県)Upload By 発達ナビニュース障害のある子もない子もその家族も、赤ちゃんからお年寄りまでみんなが楽しめるコンサートとして毎年開催されています!途中で声を出しても、踊り出してもOK!解放的な雰囲気の中、安心して音楽を楽しめます。通常のコンサートでは、演奏中の出入りができなかったりすることが多いですが、当日は入退場も自由なのでお子さんと一緒に気軽に足を運べそうです。家族で良質な音楽を楽しんでみてはどうでしょう。【対象】障害の有無や年齢にかかわらずどなたでも【日時】2018年12月1日(土) 13:30~17:00【場所】和光市民文化センター サンアゼリア 大ホール (埼玉県和光市広沢1-5)【参加費】無料【申し込み】事前申し込み不要【問い合わせ】NPO法人子育て応援隊 むぎぐみ「Shining Hearts’ Party16 ~奏でよう!いろ(16)とりどりのメロディー~」 | NPO法人子育て応援隊 むぎぐみ【イベント】障害や難病でケアが必要な家族がいる人の生き方を考える!「きょうだいの私、結婚どうする?~リアルに語る結婚観~」(東京都)出典 : 聴覚障害、自閉症、ダウン症の当事者のきょうだい3人が登壇し、ケアが必要な家族がいる人たちの結婚について、参加者とともに考えるイベントです。「身近な人の障害、慢性疾患、難病などを理解してもらえるのか」、「結婚は諦めた方がいいのかな」などと考えたことがある人は、同じような立場の人の経験を知る機会にぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。【対象】障害等のある方のきょうだい、保護者、家族にあたる方、支援者の方など【日時】2018年11月10日(土) 14:00~16:30 (13:30開場)【場所】NATULUCK飯田橋東口駅前店4階大会議室A (東京都千代田区飯田橋4-8-6 日産ビル)【参加費】1,500円【定員】80〜100人【問い合わせ】ファーストペンギンE-mail:mukazuko55@gmail.com【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。*Peatixのページに遷移します【映画】ダウン症、自閉症、LGBT…さまざまな違いと向き合う親子の愛をたどるドキュメンタリー『いろとりどりの親子』が公開Upload By 発達ナビニュースダウン症、低身長症、自閉症などさまざまな“違い”のある当事者やその家族6組のありのままの姿に迫ったドキュメンタリー映画です。原作は世界24ヶ国で翻訳されたベストセラー『FAR FROM THE TREE』。著者であり自身もゲイであることでかつて両親とのすれ違いに悩んだアンドリュー・ソロモンが語り手として父と登場します。作中で紹介される家族は、不安や悩みの渦中にあった過去から、社会によって線引きされた“違い”への疑問、日々の中で育んだ希望や喜びまでを素直な言葉で語ります。家族がお互いに向ける深い愛情から、そこには、さまざまな苦悩があるのではなく、親子の数だけ幸せの形があることを感じさせてくれます。【公開日】2018年11月17日(土)【上映】新宿武蔵野館ほか全国順次公開【作品データ】2018年/アメリカ/英語/93分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/原題:FAR FROM THE TREE/日本語字幕:髙内朝子映画『いろとりどりの親子』公開【イベント】海外の取り組み紹介や子ども向けワークショップも。「アジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル 2018みんなの個性が活きる社会を!」(東京都)出典 : 学習障害の中でも読み書きに著しい困難があるディスレクシアのフェスティバルが今年も開催されます!2020年に岡山県で開かれる『アジア太平洋ディスレクシアフォーラム』に向けて理解を広めようと実施されています。シンポジウムをはじめ、子ども向けのアナログゲームなど多彩な企画が予定されています。海外の取り組みも知ることができるので、ぜひプログラムをチェックしてみてください。【対象】一般市民、教育関係者、ディスレクシア本人、保護者、支援者【日時】2018年12月9日(日) 10:00~19:00 (9:30開場)【場所】国立オリンピック記念青少年センター センター棟(東京都渋谷区代々木神園町3-1)【参加費】18歳までのディスレクシア当事者は無料、学生・保護者・ ディスレクシア当事者(19歳以上)は事前登録の場合1,000円(当日参加2,000円)、一般参加者は事前登録で3,000円(当日参加5,000円)【定員】300人【問い合わせ】アジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル2018事務局(認定NPO法人エッジ内)TEL:03-6435-0402FAX:03-6435-2209E-mail:apdf.japan@gmail.com【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。*こくちーずプロのページに遷移しますアジア太平洋ディスレクシア・ フェスティバル 2018 みんなの個性が活きる社会を!| 認定NPO法人 EDGE【イベント】誰もが地域で豊かに生きるために…専門家と考える未来「サイエンスアゴラ2018-地域での発達障害支援を考えよう-」(東京都)出典 : 発達障害にかかわる医療・療育・教育といった分野の研究者や支援者が、実践例を紹介するシンポジウムです。「うちの子、少し違うかも…」というテーマで一昨年から年1回開催されてきて、今回が最終回になります。当日は、登壇者が講演やパネルディスカッションを通じて、誰もが地域の中で、豊かに生きるための医療や社会支援のあり方を参加者と考えていきます。【対象】関心のある方はどなたでも【日時】2018年11月11日(日) 13:00~16:00 (12:50受付開始)【場所】テレコムセンタービル西棟 8階 会議室B (東京都江東区青海2丁目5−10)【参加費】入場無料【定員】180人【問い合わせ】国立研究開発法人科学技術振興機構(JST) 社会技術研究開発センター(RISTEX)TEL:03-5214-0132FAX:03-5214-0140E-mail:otoiawase@jst.go.jp【申し込み】以下のフォームからお申し込みください。11月8日締め切り*空席状況によって当日受付もあり*国立研究開発法人科学技術振興機構のページに遷移しますサイエンスアゴラ2018-地域での発達障害支援を考えよう-
2018年11月01日写真家レスリー・キー(LESLIE KEE)の展覧会「WE ARE LOVE photographed by LESLIE KEE」が、2018年11月23日(金・祝)から12月24日(月・祝)まで東京・銀座のポーラ ミュージアム アネックスにて開催される。2018年、写真家として20周年を迎えるレスリー・キーにとって、「WE ARE LOVE photographed by LESLIE KEE」は新たなチャレンジとなる展覧会だ。彼が今まで手がけていた2大プロジェクトを、ひとつの空間のなかで表現する。SUPER LOVEひとつは「SUPER LOVE」。同シリーズは、レスリー・キーがライフワークとして世界中を飛び回り、様々な国籍や人種、職業、親子、恋人、友人を撮り続け、500名もの愛を切り取った作品群。彼の原点である "FASHION・NUDE・PORTRAIT" の すべての要素を含んだ同作は、1枚のスカーフがやさしくしなやかに被写体の身体を包み込み、それが力強く大胆な絆として被写体同士を結びつける。 私たち人間が平等に持つ「愛」という感情を表現した超大作だ。harMony SUPER LGBT WEDDINGもうひとつは、「すべての愛は、うつくしい」を掲げ、100組以上ものLGBTカップルのブライダルフォトを撮影した「harMony SUPER LGBT WEDDING」プロジェクトだ。それぞれのカップルの写真とストーリーの冊子化・展示会などを行ってきた同プロジェクトのおさらいとなる今回は、 これら写真とストーリーを通して、様々な愛の形や、 色々な家族のあり方を伝える。【詳細】WE ARE LOVE photographed by LESLIE KEE会期:2018年11月23日(金・祝)~12月24日(月・祝) ※会期中無休開館時間:11:00~20:00 (入場は19:30まで)入場料:無料会場:ポーラ ミュージアム アネックス住所:東京都中央区銀座1- 7- 7 ポーラ銀座ビル3階【問い合わせ先】ポーラ ミュージアム アネックスTEL:03-5777 -8600 (ハローダイヤル)
2018年10月21日『新潮45』8月号に、自由民主党の杉田水脈議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文が掲載された。それに対して非難が殺到したが、『新潮45』はさらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を組む。特に“文藝評論家”の小川榮太郎氏は、LGBTを痴漢にたとえるなど、差別的と激しく批判された。9月25日、新潮社は「編集上の無理が生じた」として、『新潮45』の休刊を決めた。はたして当事者たちはこの問題をどう考えるのか。LGBTを明かした、明治大学法学部教授の鈴木賢さん(58)と、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授の岡野八代さん(51)の2人の大学教授が語った。鈴木:今回、驚いたのは、杉田氏らの意見に賛同する人たちが一定数いたことです。これはLGBTの問題だけじゃない。いわゆる相模原事件で被害に遭った障がい者の方々にもいえることですが、いまの社会には、マイナス評価を受けやすい人たちは辱めてもいいという空気が蔓延している。それが、とても怖い。岡野:いわゆる国家が「模範」とするような家族像や、人物像から外れた人間は、存在価値がない、と。自民党の改憲草案には、それが如実に表れています。いま、こんな差別と不正義がまかり通る世になっているのに、「それはおかしい」と声を上げようとする人が本当に少ない。鈴木:それどころか、「おかしい」と声を上げる人たちを嫌悪する人もいる。デモなんかすると、「権利ばっかり主張して、特権が欲しいのか」なんて非難されます。岡野:厳しい格差社会の中で生きていて、“みんな苦しいんだ。自分たちも黙ってがまんしているんだから、権利なんて騒ぐな”と多くの人が考えてしまっている。でも、“生きづらいんだったら、生きづらい世の中を変えようよ”と言うことは、私たち一人ひとりが憲法で保障された権利なんです。鈴木:要するに自分を否定され続けてきて、こんな社会を変えるなんて、絶対に無理だと諦めてしまっている。社会を変えられるという想像力を失っているのです。だから、現状はしょうがないと、私的な幸福だけを追求して、公的なテーマには関心が持てなくなってしまった。これは教育の問題も大きいんです。自分たちは主権者で、自分たちの考えで社会は変えられるんだということをちゃんと学校で教えてこなかった。政治家はそう教えたくないと考えてきたのです。だから私は、自分の学生たちには洗脳を解くつもりで、いつも話をしています。岡野:『女性自身』の読者の方も、絶対にさまざまな問題を抱えているはずです。なんで子育てがこんなに大変なのか、なんで夫はこんな帰りが遅いのか、なんでこんなに老後が不安なのか。それは、全部政治が決めている制度のせいかもしれない。あなただって声を上げていい。“こんなもんだよね、社会って”と思うことはないんですよ。
2018年10月19日『新潮45』8月号に、自由民主党の杉田水脈議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文が掲載された。それに対して非難が殺到したが、『新潮45』はさらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を組む。特に“文藝評論家”の小川榮太郎氏は、LGBTを痴漢にたとえるなど、差別的と激しく批判された。9月25日、新潮社は「編集上の無理が生じた」として、『新潮45』の休刊を決めた。はたして当事者たちはこの問題をどう考えるのか。LGBTを明かした、明治大学法学部教授の鈴木賢さん(58)と、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授の岡野八代さん(51)の2人の大学教授が語った。杉田議員は、LGBTの人は「子どもを作らない、つまり『生産性』がない」としたうえで、税金を使った支援の必要はないと主張する。鈴木:ほんとうに腹立たしいですね。支援なんてなんにもされていないんですよ。そもそも、日本国憲法では、法の下の平等が保障されていて、どんなマイノリティの人であっても幸福を追求する権利があります。また、それを具体化するために、法律を作ったり予算を決めたりする権限を与えられているのが議員です。にもかかわらず、そういう立場の人間が、特定の属性の人に対して、税金を使う必要がない、などと発言するなんて、とんでもない暴言です。岡野:“制度を変えても、生きづらさは変わらない”と言う人もいますが、それは誤りです。LGBTに限らず、政治が作る“制度”がさまざまな“生きづらさ”を作り出してきたのです。女性の生きづらさも例外ではありません。戦前は、戦力として「産めよ、増やせよ」というスローガンが掲げられ、いち家庭につき5人の子どもを産むことを奨励する人口政策が閣議決定されました。このことで、子どもを産めない、産まない女性がどんな扱いを受けたか……。一転して敗戦後は、「少なく産んでよく育てよう」という少子化政策に変わりました。鈴木:’07年には厚生労働大臣が「女性は産む機械」という発言したり、最近でも結婚式のスピーチで「3人産め」という政治家がいたりとか。認識は変わっていませんね。岡野:そうです。「生産性」という言葉に象徴されるように、女性はいつも、「子どもを産む、産まない」という国家の政策に翻弄されています。働き方だってそう。生きづらいのは“制度”の問題なのです。私は、大学で政治学を学んで、そのことに気づきました。政治学やフェミニズムを学ばなければ、私は本当に自殺していたかもしれません。それまでは、こんな世の中で大人として生きる自分を想像できなかったから。鈴木:社会の理解がないから制度が作れない、と言う方がいますが、それは逆です。制度ができれば、人は変わっていく。実際に、同性パートナーシップ制度が導入された札幌では、「これでようやく正々堂々と人に言えます」と喜んでいた同性愛の人の親御さんがいました。岡野:制度は万能ではないかもしれないけど、何かあったときに守ってくれますからね。鈴木:すでに、世界25カ国では、同性婚という制度がありますが、なにかマイナスなことが起きているのか、反対する人はもっと勉強すべきだと思いますね。ハッピーなことしか、起きていませんよ。要するに、いままで結婚できなかった人ができるようになっただけです。異性愛者の家族にはなんの影響もないんです。
2018年10月19日『新潮45』に載ったある国会議員の文章が波紋を呼んでいる。はたして当事者たちはこの問題をどう考えるのか。LGBTを明かした、明治大学法学部教授の鈴木賢さん(58)と、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授の岡野八代さん(51)の2人の大学教授が語った。鈴木:岡野先生は、杉田水脈衆議院議員(51)の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という寄稿を呼んで、ご自身がレズビアンであることをカムアウトしようと決心されたそうですね。岡野:ええ。私は今まで、ごく親しい友人にしか自分がレズビアンであるということを打ち明けてこなかったんです。これまでの経験から、レズビアンという色をつけて見られることが怖かった。でも、この寄稿を読んで、怒りと恐怖が湧いてきて……。葛藤はありましたが、このまま黙っていたらいけない、と気持ちが一変したんです。『新潮45』8月号に、自由民主党の杉田水脈議員の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文が掲載された。それに対して非難が殺到したが、『新潮45』はさらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を組む。特に“文藝評論家”の小川榮太郎氏は、LGBTを痴漢にたとえるなど、差別的と激しく批判された。9月25日、新潮社は「編集上の無理が生じた」として、『新潮45』の休刊を決めた。鈴木:私が同性愛者だと広く知られるようになったのは、『週刊新潮』の報道が原因です。私は外国人の同性パートナーと結婚式のまねごとをしたのですが、『週刊新潮』におもしろおかしく書かれて、それで知られることになったんです。2000年ごろの話です。当時、私は北海道大学の教授だったので、「クラーク博士もビックリ」というような、侮蔑的なタイトルを付けられた。べつに、クラーク教授はビックリしないと思うんですけどね(笑)。岡野:杉田議員は「LGBTだからといって、実際そんな差別されているものでしょうか」と書いています。よく知りもしないのに「差別がない」ように語ったことに、私は強い憤りを感じたんです。私は幼いころ、女っぽくないからと、名前をもじって「おかまやよ」と、からかわれていました。私は、自分がレズビアンだと自覚したのは中学生のころ。特別に親しくなりたいと思う女のコができて気づいたんです。でも、もちろん伝えられない。気持ち悪いと思われたら嫌だし、隠さないといけないと思っていました。女友達が、好きな男子の話を始めても、ついていけない。私が男性に興味がないとわかると、必ず「いいオトコに出会ってないからだ」と言われるんです。鈴木:そういう悩みを、ご両親には相談できたんですか?岡野:いえ、できませんでした。大学で上京して、はじめて私が女性と暮らし始めたとき、母に報告したんです。そしたら、音信不通というか、何も連絡がこなくなっちゃって。しばらくして、同棲を解消したと報告すると、「やっと病気が治ったのね」と言われた。私は、若いときは、長く生きられないとずっと思っていました。鈴木:それはつらいですね。うちの親は幸い、私がパートナーと「結婚式」をしたとき参列してくれました。けど、もうすでに親は介護されるくらいの年齢でしたから、今さら反対もできない、というのがホンネだったと思います。同性愛者の知り合いに、若くして亡くなっている人がたくさんいます。もちろん、はっきり自死した人もいるし、いまも亡くなった理由がわからない友人も多い。自尊心が低く、自分を大事にする気持ちが薄いので、病気になっても病院に行かず放置してしまうんです。それで、死んでしまう。岡野:いまだって、当時の私と同じように傷つき、悩んでいる人はいるはず。そう思ったら、カムアウトして抗議せずにはいられなかったんです。
2018年10月19日「はっきり言って文芸誌の『新潮』が『新潮45』を批判とか、ふざけんじゃねえよって感じだよ。なんでテメエら同じ会社でやって、正義みたいな顔してんだよ」激しい口調で文芸誌『新潮』を猛批判したのは、“天才編集者”と名高い箕輪厚介氏(33)。『多動力』『お金2.0』『日本再興戦略』など数々のベストセラーを編集した箕輪氏は、ワイドショーにも引っ張りだこ。10月11日には、dTVのネット生放送『NewsX』に登場。ニュースメディア『ハフポスト』の編集長と若手記者の質問に答えながら、この日のテーマ「文芸誌『新潮』が『新潮45』を批判」について語った。LGBTに対する差別と偏見に満ちた文章を多数掲載し、休刊に追い込まれた『新潮45』。佐藤隆信社長(62)の謝罪や説明が不十分だと抗議の声が上がるなか、同じ新潮社の文芸誌『新潮』は編集長の署名による編集後記で「蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現だ」と『新潮45』を批判していた。コーナー冒頭でこのニュースを紹介された箕輪氏は「へー!」とリアクション。そもそも『新潮』の編集後記を読んでいない様子だが、さらに以下のような言葉で『新潮』の姿勢を厳しく批判した。「(新潮社の)文芸の奴らはあれやられたら作家が怒って書かない、という自分らの論理があって」「“文芸誌『新潮』が『新潮45』を批判”より、もっとレベルの低いことは“何も言わない”ってことだけど、はっきり言って同じ会社なんだから“これで文芸誌『新潮』は自由だ”とかいうのも違う気がしますけどね」さらに「『新潮』も別に正義感と言うよりは商売で批判してるんですかね」と問いかけられた箕輪は「そこはあると思う」と即座に同意した。一連の発言は、やり玉に挙げられた文芸誌『新潮』の矢野優編集長(53)の耳にも届いたようで、10月14日には以下のツイートが投稿された。《幻冬舎の「天才編集者」箕輪厚介氏より、「新潮45」問題に絡め「新潮」批判を受けた。 氏は時代に要請され登場した凄腕編集者だし(彼の著作も読んだ)、彼のボス見城徹氏も大編集者。小川榮太郎氏のメイン出版社が幻冬舎であることは箕輪氏個人の発言と無関係だとは思う。》小川榮太郎氏(51)は、『新潮45』10月号の中でも最も批判を浴びた文章の執筆者。その文章はLGBTと痴漢を対比し、痴漢の苦しみこそ根深いと述べていた。幻冬舎は、小川榮太郎氏のデビュー作『約束の日 安倍晋三試論』をはじめとして4冊もの著書を刊行。最も多く小川榮太郎氏の著書を刊行している出版社だ。小川にとって見城徹社長(67)は、無名の”文芸ブロガー”に過ぎなかった小川氏をデビューさせてくれた恩人。そして幻冬舎にとって小川氏は、9万部以上売れた『約束の日』などベストセラーを輩出した功労者だ。箕輪氏の主張に従えば、箕輪氏による『新潮』批判も幻冬舎社員という立場で小川榮太郎氏を擁護するため「商売で批判した」と捉えざるをえない。そう、矢野編集長は皮肉っているわけだ。小川氏のメイン版元・幻冬舎の社員でありながら『新潮』批判をした箕輪氏と、『新潮45』を正面から批判した『新潮』の矢野編集長。果たして、騒動の行く末はいかに――。
2018年10月17日1997年の初演以来、何度も上演されてきた土田英生(劇団MONO)の人気作『-初恋』が、登場人物を増やして現代の世相を切り取り『-初恋2018』としてリニューアルされた。9月27日(木)に東京・東京芸術劇場シアターウエストで幕を開け、10月4日(木)まで1週間上演している。【チケット情報はこちら】とある島に建つ「ハイツ結城」。そこには同性を愛する男性ばかりが入居している。初代管理人・結城の哲学を尊敬する堅物の笹川(デビット伊藤)、密かに女装に興味を持つ源田(深来マサル)、明るさが時に空回りする真田(南翔太)、最近元気がない最年少の久野(伊藤裕一)。彼ら4人が住むハイツを、結城の娘である小百合(小島梨里杏)が甲斐甲斐しく盛り立てている。そこは、同じ痛みを共有し、安心して暮らせる“城”だった。しかしある入居者の「好きな人ができました」という告白が、彼らの関係や人生にまでも影響を与えることになる。土田が描く男たちは、バカ話に花を咲かせ、他人にとっては小さな事にこだわる。そんな様子が愛らしくて可笑しい。しかし笑いを重ねていくうち、日常会話の些細なズレが登場人物たちの認識や本性、弱さを滲ませていく。その様は、土田が今年手がけたテレビドラマ『崖っぷちホテル!』でも感じられた。土田の本を人気演劇ユニットiakuの横山拓也が潤色。モロ師岡演じる「ハイツ結城」とは袂を別った元住人・吉村らの存在を際立たせる。最近とくに“LGBT”という言葉が広く認識され始めている。テレビのバラエティ番組で同性愛を揶揄する表現に苦情が寄せられたり、渋谷区を皮切りに同性のパートナー関係を証明する制度が導入されるなど、同性愛をめぐる社会的状況は変化してきた。それでも日々、差別的な発言は問題となっている。過疎化が進む土地ならば尚更だろう。「ハイツ結城」に住む面々も、それぞれがハイツを一歩出れば、職場や街中で周辺住人から疎まれ肩身の狭い思いをして生きていた。ひとつ屋根の下で暮らすことで孤独を分かち合おうとしていた彼らだが、会話を重ねるほどに、誰ひとりとして同じ人間はおらず、心の底から理解できないことを思い知らされる。当時よりも“LGBT”への理解が広まりつつある。しかし“LGBT”という言葉が普及するほどに、そこに含まれる人間はひと括りにされがちだ。『-初恋2018』は、それぞれが違う考えを持った人間だと改めて認識させる。すると、ひとりひとりが踏み出す一歩を応援したくなってくる。取材・文:河野桃子
2018年10月04日メゾン マルジェラ(Maison Margiela)の2019年春夏「デフィレ」コレクションが、フランス・パリで発表された。6月にメンズ初のオートクチュールとなる「アーティザナル」コレクションを展開したブランドは、今季メンズ・ウィメンズの新作を合同で紹介。しかし、いわゆる合同ショーとは一線を画した性差を全く感じさせない「フリュイド」というコンセプトのもとに行われている。カテゴライズを辞めることで到達する新しい思想ジョン・ガリアーノが目指したのは、男性・女性あるいはLGBTなど、ジェンダーをカテゴライズする考えから解き放たれた新しい思考。 そもそもカテゴライズする必要が本当にあるのか…と問いを進めた彼は、新しい時代のマニュフェストを投じる。一番大切なことは、互いに認め合い尊重しあうことではないのか?と問題定義をした彼は「想像力」の大切さを訴えかける。表と裏を逆にした「インサイドアウト」手法をアイコニックに取り入れ、繰り返し洋服作りを行ってきたブランドからすると、表と裏という区別そのものを拭いさるような、斬新なアイデアである。ジェンダーの区切りとは?ランウェイには男性・女性のモデルが登場するが、従来の考えとは全く逆転させ、メンズモデルが女性性の強いものを、ウィメンズモデルが男性性の強いものを着用することで「フリュイド」の考えをより際立たせた。これは男性服?女性服?という問いから観客が放たれ、洋服そのものに着目するように仕向けたのだ。紳士服として誕生した、いわゆる男性性の強いテーラードジャケットは、ケープシルエットに変化させることでそのアイデンティティを捨て去る。プリーツドレスは、メンズモデルが着用することでケープにも、新しいシャツにも解釈することができ、フェミニニティと距離を置いた、全く新しい洋服として新しい命を宿している。「想像力」を搔き立てられるアイデア洋服そのものにも「想像力」を搔き立てられるアイデアが満載だ。シェイプはスカートの形をしているが、襟がついていたり視覚的にはジャケットにも捉えることのできるピース。後ろにはボックスプリーツが施されていて、ますますトップスなのかボトムスなのかその境目を曖昧にする。テーラードのコートは、アウターとしての主張を強めるベルトをベルクロに変更することで、ドレスのようにもみえる新しい表情を引き出した。ジャケットにはスリットを配すことで、着こなしによってはノースリーブトップスにも変化。また、トレンチコートはアームの後ろのスリットから、中に来たインナーを外に出すことができるようになっていて、アウター・インナーの関係性に新しい形を作り出した。ジョン・ガリアーノが就任以来、女性の美しさを象徴する言葉として使用してきた「グラマー」のアイデアは、今季ノマディック グラマーへと進化。その考えを象徴するピースはダウン風スカーフだ。ダウンジャケットの身頃を大胆にカットアウトしてそのまま首に巻き付け、ストールへと変身させた。枠にとらわれず、現実と非現実の狭間、そんな視覚的にとらえることの難しいものをファッションに落としこんだピースであるという。
2018年10月04日9月25日に「新潮45」の休刊を発表した新潮社。だがその後も、危機が続いているようだ。同誌は8月号で、自民党・杉田水脈衆院議員(51)の「『LGBT』支援の度がすぎる」という寄稿を掲載。そのなかで杉田議員はLGBTについて「生産性がない」と言及。さらに多様な性を認める社会は「『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」と持論を述べ、「私は日本をそうした社会にしたくありません」とも語っている。杉田議員の寄稿には当初から批判が相次いでいたが、同誌は10月号でも「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した杉田議員を擁護する特集を組んだ。そのことからも、さらに批判を生んでいた。新潮社は休刊発表の際、「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません」とコメント。また「これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません」としている。「『休刊したからといってこれで終わりではない!』との批判が噴出しています。というのも『生産性がない』として傷つけた人たちへの謝罪もなければ、同誌でなぜそういったことが起きたのかという原因を追求する姿勢もないからです。発端である杉田議員もだんまりを決め込んでいる今、『これではトカゲの尻尾切りだ』とする声も後を絶ちません」(文芸評論家)辻仁成(58)も9月26日にTwitterを更新。「LGBTや世論の批判を45休刊でかわすのか?」とコメント。続けてこうつづっている。「言論の自由を何度も盾にしてきた新潮社が休刊で逃げたら編集者魂はどうなる?謝罪意思が本当にあるなら45を続けて議論の中で出口を探せ。社員も読者も作家も納得できん」また杉田水脈議員の文章をキッカケにゲイであると公表した、文学者のロバート・キャンベル(61)も同様にTwitterで指摘。「休刊したからこの問題が終わりでは短絡的です」と述べ、「ヘイトに近い断言や事実がゆがめられたものが、どういう過程を経て出されたのか検証することが大事」と語っている。さらに漫画「テルマエ・ロマエ」の作者・ヤマザキマリ(51)も休刊を批判。実は同誌に「プリニウス」を連載中だったが、今回の休刊を受けてこう述べている。「新潮45がいくら休刊になっても、この顛末の火種となった文章を書いたひとたちが今までと変わりなく、あのような考え方を懲りずにどこかで晒していくのだろうかと思うと、連載掲載の場が失われたことよりも、それがなにより残念だ」Twitterでも《検閲の禁止、言論や表現の自由が規定されており、何人でも出版を行うことができる。でもな~。程度ってもんがあるだろう》《当事者や被害者を貶めて傷つけるような「言論の自由」って、あってもいいんでしょうか》と賛同の声が上がっている。休刊発表後も続く危機、新潮社はどう舵を切るのだろうか。
2018年09月27日9月24日に放送された『V6の愛なんだ 2018』(TBS系)に歌手のレディー・ガガ(32)が登場。番組内での行動が大きな話題を集めている。この番組はV6がMCを務めた人気番組『学校へ行こう!』(TBS系)のスタッフが再集結して制作された特番。ガガ登場のきっかけとなったのは、学生が屋上から思いの丈を叫ぶ人気企画「未成年の主張」内に登場した高校生・浅井健良くん。引っ込み思案な性格を変えるため、“英語を勉強してレディー・ガガに会ってインタビューをしたい”という夢を叫んだ浅井くん。その夢を叶えるために、番組が協力した様子を放送した。主演映画のワールドプレミアでベネチア映画祭を訪れているガガに会いに行く森田剛(39)と浅井くん。アポイントもないため、レッドカーペットを通るガガに直撃インタビューを敢行するも失敗。諦めた矢先に、映画会社スタッフの粘り強い交渉によってわずか3分ながらインタビューの機会をなんとか獲得したのだ。ついに憧れのレディー・ガガとの対面を果たした浅井くんはたどたどしい英語で《僕は自己主張が上手じゃありません。なぜ上手に自己表現ができるようになったんですか?》と質問。それに対してガガも真剣な眼差しで《私もこの映画の主人公・アリーのように自信がないところがある。でもね、あなたやファンの人たちの目を見ていると私は強くなれるわ。ありがとう》と浅井くんの思いを受け止めた。最後には「あなたは強い」と浅井くんへのエールを送り、ハグと握手した手にキスという神対応まで飛び出す感動のフィナーレ。そこには彼女の壮絶な過去が関係しているという。「強烈な個性を放つガガさんは、一部の心ない人からいじめられていた壮絶な過去がありました。代表曲『Born This Way』の通り“私は私”という思いが強く、LGBTの人々やいじめられている子供への支援に余念がない。そうした背景から自己表現をしたいという浅井君の主張にも共感し、今回のインタビューに繋がったのでしょう」(レコード会社関係者)こうしたレディー・ガガの行動にネット上では《ガガ様素敵すぎる!》《ガガもさることながら、浅井くんのアシスタントに徹した剛くんもかっこいい》と称賛の声が寄せられた。さらに「浅井くん」がツイッターのトレンドワード入りする盛り上がりを見せた。日本でも12月に主演映画が公開されるガガ。その際は来日してより多くの人々に勇気を与えてくれることを祈ろう。
2018年09月26日「約2億円をかけて開いたはるな愛さんのショーパブが、1週間あまりでもう閉店したんです」(芸能関係者)7月21日、都内に「Tokyo Ruby」をオープンしたはるな愛(46)。「Tokyo Ruby」は、はるなが全面プロデュースした本格的エンターテインメントショークラブ。はるなはオープン前日にレセプションパーティを開催し、この日のために12キロ減量したことや約2億円かけたことを告白。「ずっと夢見ていたことなので、夢がかなってうれしい!」と感無量の様子だった。だが、そんな“夢のショーパブ”が早くも閉店してしまったというのだ。たしかに記者が確認したところ、8月中旬時点で店のHPには《7月21日に開店したばかりですが、こちらの勝手な都合上一時的に休業致します。 営業の目処が立ちましたら改めてご連絡させて頂きます》との文章。“一時的に休業”とあるが、電話をかけると「おかけになった電話番号は現在使われておりません」とのアナウンスが。現地も訪れたが、扉は固く閉ざされていた。いったい、何があったのか。9月中旬、本誌ははるなを直撃した。――はるなさんのお店が閉店したとお聞きしました。トラブルがあったのでしょうか?「いやいや!実は、リニューアル中なんです。新しいショーのために機材なども入れ直していて、今準備しているところだと思います。それはたぶん、11月には終わるかと……。着物もすごいものを作っていますし、映像も作らなくてはなりません。スクリーンを使ったオープニングなので、かなり大掛かりなものになるんです。そのうえショーのリハーサルも必要なので、時間がかかるんですよ」――約2億円は、ご自身で負担されたのでしょうか?「いえ、私は内装とショーのプロデュース担当。経営は違う会社がやっているので、私はお金を負担していません」トラブルについて、「それは全然ないです!」と否定するはるな。改めて営業再開について聞いてみると、「年内を目標にしています。たぶん、年内には……」と答える。繰り返すその言葉はまるで、自分に言い聞かせているかのようでもあった――。だが直撃の後、編集部に出資者の1人である男性から電話がかかってきた。男性は「改めて経緯をきちんとご説明したい」として、こう語り始めた。「私どもは『Tokyo Ruby』をただのショーパブで終わらせるつもりじゃなくて、東京の観光名所にしたいと考えております。そしてLGBTの理解を広めていきたいですし、ニューハーフやダンサーにとっての登竜門にもしたい。そんな志のもと、出資いたしております。しかしあまりにもバタバタでオープンしてしまったため、十分な準備ができていませんでした。そのため7月31日でいったんクローズし、改めてオープンしようとしているのです」わずか10日で閉店していたとは……。さらに出資者男性が、こう続ける。「実はビルに入っている中華料理店のダクトからの排気が、そのまま『Tokyo Ruby』に来ていたんです。当初は『ニオイは出ないから』との説明を受けていました。しかしオープン前日に突然、中華料理のものすごいニオイが充満し始めて……。開店祝いに藤原紀香さん(47)や片岡愛之助さん(46)なども来ていただいたのですが、ほとんどの人がニオイに絶句。『なんなの、このニオイ!まるでラーメン店じゃない!』と言う方もいらっしゃいました。ただダクト問題についても工事する方向で話を進めておりますので、今後は改善するかと思います。営業も、遅くとも12月1日までには再開できると考えております」“異臭騒動”にも負けず、はるなは絶対あきらめない姿勢で再開を目指している――。
2018年09月25日揺らぐ信頼と、増す苦しみ前回「つづく(正確には、続いちゃった)」と締めましたが……。続きません!本当は私たちの結婚式について書くつもりだったのですが、それどころではなくなってしまったのです。きっかけは、以前にも書いた、降って湧いたような “麻ちゃんの転職するかも騒動” でした。結局、転職話は立ち消えになったものの、「相談もしてもらえないなんて……」と思い、一気に落ち込んでしまったのです。そして、改めて身の回りを見れば、3人の子どもの育児に追われる生活は終わり(まだ1人、十分手のかかる子が残っていますが)、これまでのように “麻ちゃんと2人で協力して、なんとかしなきゃ” と気張る必要もないことに、気付いてしまいました。「これまでは、子どもがいたから家族っぽい感じだったけれど、そもそも夫婦でもないし、これからもずっと一緒にいると決まってもいない……」。そう思った途端、家の中の空気は冷え、自信を無くしていました。私って、信頼に値しない相手?長年かけて、獲得してきたと思っていた信頼は勘違い?相手にとって、自分がパートナーでいいのかなぁ?っていうか、面倒くさい女って思われてる?考えすぎて、麻ちゃんと “どう接していたか” も分からない有り様になりました。無駄な思考のループは勢いを増し、暴走を始め、ついには迷走し、ついでに瞑想し(ダジャレを言っている場合じゃないけど、やってみた)、さらにはヨガを始め、泳いでみたり、飲めない酒も飲んでみたり……したけど、スッキリしない!つまりこれは、3人の子どもたちを最優先にして、これまでパートナーとしっかり向き合った経験のなかった私たちに、“2人で生きていく” という課題が突き付けられた、ということなのです。“幸せは倍に、苦しみは半分に” なんてのは、2人の関係が良い時の話。噛み合わなくなった2人なんて、逃げ場がない分、苦しみが10倍に膨れ上がってしまいます。師匠に打ち明けた思いこうなったら、私が行くところはひとつ。パートナーシップの師匠、Taqさんこと大塚隆史さんが営む、新宿「タックスノット」というゲイバーです。Taqさんはアーティストであり、ゲイのパートナーシップについて、長年説いてこられた方です(伝説のラジオ番組「スネークマンショー」で、同性愛が全く理解されていなかった70年代から、ゲイのパーソナリティとして活躍されていました)。そして、私たちの結婚式を取り持ってくださった方でもあります。私がTaqさんを知ったのは、麻ちゃんと暮らすことになるか、ならないか、という頃。婚姻制度で結ばれない私たちが、パートナーシップをどう築けばよいのか、道しるべを探していた時に、Taqさんがミクシィで連載していた(元々はゲイ雑誌「Badi」で連載されていた内容だそうです)『トゥマン道場』に出会ったのでした。“トゥマン” というのは、万葉集で使われていた “つま” という言葉に由来するそうです。この “つま” は、妻ではありません。万葉の時代では、男女を問わずパートナーのことを “つま” と呼んでいたのだそうです。そして “つま” は、「とぅま」と発音されていたことから、Taqさんが同性同士のパートナーシップのことをトゥマンと命名し(ちょっとフレンチ!)、伝道されていたのです。Taqさんが『トゥマン道場』で語られていた言葉には甘えがなく、常にパートナーと共に生きていく覚悟を問うていました。「いつか王子様が病」から抜け出せない私には、電撃に打たれたような思いでした。幸せになりたいとか、愛されたいとか、パートナーシップってそんなことじゃ、全然ないんだ。自分が本当に望むものを見極めて、それ以外は切り捨て、主体性を持って選び取る。パートナーシップを築くということはどういうことなのか、初めて教わった私たちは、貪るように『トゥマン道場』を読みました。私は下戸なうえに、一応女性ですので、ゲイバーに一度も行ったことがありませんでした。同性カップルの迷子である私たちは、藁にもすがる思いでTaqさんと話をしたいと、3人の子どもを親に預け、麻ちゃんと緊張に震えながらゲイタウン新宿二丁目(正しくは、タックスノットは新宿二丁目と道を挟んですぐの新宿三丁目にあります)に向かい、タックスノットの扉を叩いたのです。ゲイバーという言葉からイメージされる、暗いバーカウンターの店を想像していた私たちの目に飛び込んできたのは、白い壁に煌々と眩しい電気。バーというには明るすぎる店内。そしてカウンターの向こうに、にこやかな笑顔のTaqさんがいました。ただただ「『トゥマン道場』の話をもっと聞きたい!」という、高ぶった気持ちでやって来た無知なヒヨッコレズビアンカップルを、温かく迎えてくれたうえに、私たちが子育てをしていることに、とても興味を持ってくださったのでした。当時、同性カップルで子育てをしていると言うと、LGBT当事者にさえギョッとされたり、「それって大丈夫なの?」と心配された時代です。なかなか言いにくかった子育てを、手放しに“良いこと”だと言ってもらえて、とても嬉しかったことを覚えています。それ以来、季節ごとに子どもを預けてタックスノットにお邪魔するようになり、カウンターに腰掛けては、たくさんのことをTaqさんや周りのお客さんから教えていただきました。私たちにとってはまさに師匠、迷った時の灯台のような存在です。だからこそ、パートナーシップに行き詰まったときは、ココ一択なのです。迷路の中の自分扉を開けるなり「どうしたの!暗い顔!」。初めて訪れた時と同じ、明るいTaqさんの声が飛んできました。「あぁ、みんなお見通しなんだなぁ」と、カウンターにつくなり、これこれこんなことがあり、あれが嫌だ、これが嫌だ、麻ちゃんから好かれているのか分からない、とブチまける私の話を、フンフンと聞いてくれていたTaqさん。「つまり小野ちゃんは、相談してもらえなかったことで、傷ついているのね」と言うと、「でもね……」と目を細めてこう続けたのです。「相手がこうしてくれない、ああしてくれないって言い出したら、それはもう終わりなんだけどね」終わり?その衝撃的な言葉に、目が覚めた思いでした。「そうか、終わることも、すぐそこにあるのか」、「いつのまに、こんなところにまで迷い込んでしまったのだろう」と、泣きたい気持ちでしたが、泣いている場合ではありません。大切にしてきたはずのパートナーシップを、私はいつのまにか、大切にしていなかったのです。私は話がしたくなるような相手だったでしょうか?話したい、聞いてほしいと思わせる態度じゃなかったと、初めて気が付きました。「パートナーシップは技術だ」と、Taqさんは言います。「自分を変えるとか、相手を変えるのではなく、お互いが心地良いと思えるような関係づくりの技術の獲得よ」というTaqさんの言葉が、くじけそうな自分の気持ちを、なんとか踏みとどまらせてくれました。そして、改めて気を引き締め直す日々が始まりました。Taqさんにも店のお客さんにも、「そこじゃない!」と言われたけれど、まずはダイエットから。2年前に大病をしてから「薬の副作用で太って、みっともなくなった」という思いがあったので、ここはまず、自分に気合を入れるため、痩せることに。そんなレベルなので、話したくなる相手になるには、まだまだ時間がかかりそうです。冷え切った空気は、なかなか回復しませんが、毎日が現在進行形で、試行錯誤中なのです。そんなある夜、狭い我が家の洗面所、洗濯機の前で麻ちゃんと話し合いました。お互いに泣いて、ともかく仲直りしました。根深い問題は、まだまだたくさんあるけれど、“1000回ケンカして、1000回大事なことを忘れかけても、1001回仲直りして” このまま続いていけるといいなぁ(これは、私の大好きな漫画『ハチミツとクローバー』の最終巻に収められている短編漫画『空の小鳥』に出てくるフレーズなのです)。それにしても、お互いが好きで、お互いに合わせるように努力してきたはずなのに、どこで食い違ったのか?その疑問だけは残っていました。そうしたところ、麻ちゃんがこんなことを言ったのです。「あのさ、ひとつ問題が起こった時、お互いのやり方に、お互いが合わせようとして、結局2人とも変えちゃうから、いつまで経っても距離が縮まらないんじゃない?」「な、なるほどー!そういうことだったのか!道理で、いつまでも近づけないな、と思っていました!」と、腑に落ちたのです。そして、この人のこういう頭の冴えわたったところが好きなんだよなあ、としみじみ思ったのでした。Composition:Yoshiyuki Shimazu
2018年09月04日アラサーになると、「このままでいいのだろうか」とか「今後どのように年を重ねていくべきなのか」といったことを若いときよりもリアルに考え始める人も多いはず。そんなときこそ、先輩たちの生きざまやアドバイスが心に響くものです。そこで、今回オススメしたい映画とは……。ブラジル発のドキュメンタリー『ディヴァイン・ディーバ』!【映画、ときどき私】 vol. 183本作で主役となるのは、軍事独裁政権全盛の1960年代ブラジルで、ドラァグクイーンカルチャーを開拓した第一世代のドラァグクイーンたち8人。時代に翻弄されながらも、自らの生き方を貫き続けた彼女たちが繰り広げる魂のパフォーマンスはもちろん、胸に突き刺さる言葉の数々を堪能できる珠玉のドキュメンタリー作品です。今回は、そのなかのおひとりが来日されたので、直撃してきました。それは……。国際的に活躍しているディヴィーナ・ヴァレリア!劇中でも圧巻のパフォーマンスを繰り広げ、観客を魅了しているヴァレリアさん。74歳のいまなお現役であり続ける原動力や美の秘訣などについて語ってもらいました。―なんと47年ほど前にも来日されたことがあるそうですが、そのときのことで思い出に残っていることはありますか?ヴァレリア個人的なエピソードでいうと、京都のナイトクラブでショーに参加したことはよく覚えているわ。というのも、舞台にリフトで降りてくるという演出があったんだけど、リフトが途中で止まってしまって、それに気がつかなかった私は舞台に転落して、全治1週間のケガを負ってしまったのよ(笑)。―それは何とも痛そうな思い出ですが、日本に対する印象はどうでしたか?ヴァレリアそのほかに覚えているのは、日本はナイトクラブがたくさんあって、豪華なショーや国際的なショーを数多くやっていたことかしら。でも、今回久しぶりに来日してみて、日本はすごく成長して進歩もしたけれど、当時の華やかな部分が少しなくなっているようで、そこにはギャップを感じているところもあるわ。―前回とは違う印象を受けていらっしゃるんですね。では、日本の観客についてはいかがですか?ヴァレリアその当時、どの劇場もナイトクラブも、お客さんがいっぱいで本当に大成功という感じだったのよ。ショーが終わった後には、「一緒に座ってドリンクを飲みましょう」とみんなが誘ってくれたりもして、とにかく優しくていい印象しかないわね。辛くてもあきらめなかった―日本と同じく、ブラジルの観客の方々もみなさんのショーには熱狂していますが、そのいっぽうで60~80年代は軍事独裁政権下という厳しい時期を過ごしていたことも劇中では話されています。辛くて舞台に立つことをやめようと思ったことはないですか?ヴァレリアたとえば普通のアーティストだったら、テレビやほかのメディアに出ることもできたんだけど、当時はいろんなことが禁止されていたから、私たちは劇場のステージしかパフォーマンスが許されていなかったの。とはいえ、そこでも障害や弾圧はあったから決して簡単ではなかったけれど、観客はすごく私たちを受け入れてくれて、とても愛してくれていたわ。私もそれがとても好きだったから、あきらめようと思ったことは一度もないわね。―そのときに支えとなっていたものは何ですか?ヴァレリア自分の芸術に対して、観客が拍手喝采してくれたことよ。それによって、「私たちのやっていることは正しいんだ」という確信を持つことができたから。私はいつもそんなふうに思い続けてきたの。もし私がそこであきらめてしまっていたら、いまここにはいなかったと思うわ。―そんなあらゆる思いが詰まったヴァレリアさんの歌うシーンには、本当に心を揺さぶられましたが、ご自身にとって舞台とは?ヴァレリア舞台にあがるということは、私にとって最大の幸せを実感する場所。私の幸せはそこにすべて集結しているのよ。死ぬまで舞台に立ちたい!―ほかのメンバーは年齢のことなどもあり、引退について考えている方もいるようですが、ヴァレリアさんは生涯現役を貫きたいと考えていますか?ヴァレリア今回の映画に出演している8人は、全員がプロとしてショーを続けていたわけではなくて、私を含む4人だけがずっとパフォーマンスをし続けていたの。ただ、2004年に劇場の70周年記念で再び集まり、その後10年くらいそれが続いていて、映画ではその様子が映されているというわけなの。私は人生最後の日まで現役でいたいと思っていて、祈るのはそのことだけ。だから、舞台で最後を迎えるのが理想よ。―ヴァレリアさんはとてもパワフルな方ですが、どのようにしてモチベーションを保ち続けているのですか?ヴァレリア自分の仕事に対する愛がまずは大きな原動力。そして観客からの愛と共感は私にとって大きな支えといえるわ。あとは神からも力が得られているので、それで頑張り続けることができているのよ。―ブラジルでは、LGBTやマイノリティの人たちに対しての理解というのはいかがですか?ヴァレリア私にとっては、パフォーマンスそのものが私のメッセージ。観客もそこを第一に受け取ってくれているから、私が男とか女とかそういうものを超えているのよ。つまり、アートを提供する存在であるというのが先にきていて性別やマイノリティは関係ないから、その部分はずっと変わらずにここまできたと思っているわ。日本の現状に伝えたいこと―日本でも以前に比べればかなりオープンにはなっており、トランスジェンダーのタレントも非常に人気ですが、そのいっぽうで差別的な発言をする政治家がいたりするという状況もあります。そのことはどのようにお感じになりますか?ヴァレリア今回、多くのインタビューを受けるなかで、いろいろな話を聞いたけれど、日本社会そのものがまだ保守的だという声も聞いたわ。でも、私が最初に来たときには、全国どこでも大成功だったのに、40年以上が経ったいまでも日本がそんなに保守的だというのは逆に驚きでもあるわね。ただ、当時に比べて日本でもそういう人たちの活躍の場がショービズの世界でも増えているというのはとてもいいこと。とはいえ、そのいっぽうで差別的な考え方をする人たちがまだいるというのはとても残念なことだわ。個人的には、そういう発言をする人は、もしかして自身も何か問題を抱えているからこそ、ほかの人々が自分の幸せを追及した生き方をしていることを受け入れられないんじゃないかなと考えたりもするわね。―日本人は周囲からの視線や評判ばかりを気にするところがあり、なかなか自分らしく生きられないと感じている人も多いと思いますが、何かアドバイスはありますか?ヴァレリアまずは幸せになるために、自分であり続けるのをあきらめないこと。私たちが勇気を出したように、日本のみなさんも勇気を出す必要があるわね。とはいえ、もちろん社会のルールはみんな共通して守るべきではあるから、それを意識しながら自尊心を持って生きていくということが大切よ。だから、自分のアイデンティティを偽る必要はなくて、自分が自分であるということに関しては、人目を気にしないことね。そして、勇気を持って自分の本当の姿を受け入れられれば、もっと幸せに生きられると思うわ。美の秘訣は心がけにあり!―劇中で印象的なのは、みなさんの美意識の高さですが、何か心がけていることはあるのですか?ヴァレリア私にとって美の一番の秘訣は、自分と仲良くして過ごすこと。つまり、自分が自分であることに対して喜びを感じるということなのよ。だから、私には特別なクリームを使うとか、ダイエットのためにエクササイズをするだとか、エステに行くだとか、整形するだとか、そういう必要はないの。私は整形をしたこともないし、今後もするつもりないんだけど、しわも一切気にせず自分の一部として受け止めているくらいよ。―内面の美しさによって、外見の美しさも変わらず保たれているのですね。ヴァレリアいまは74歳になったのだけれど、私の場合、人生でやりたいと思っていたことは全部やってきたので、何も悔やむことがなければ、振り返ってみて何かが足りなかったということもないの。それは、つねに自分に満足していて、ありのままの自分を受け止めてきたからこそだと思うの。実際、もし自分に喜びや幸せ、満足感という気持ちがなければ、いくら整形をしても美しくなれないものよ。映画のなかでも私が言っていることだけど、私は年を重ねているのではなくて、若さを蓄積していると感じているの。女性たちに伝えたい思いとは?―とても素敵な言葉ですね。やりたいことをすべてやったということですが、そのなかでも今後やりたいことはありますか?ヴァレリア私が死ぬまで残されている時間で一番望んでいることは、自分がこの世を去るときに世界がもっと平和になっていて欲しいということ。みんながお互いに友愛の心を持ち、貧困のない幸せな世の中になることだけを願っているのよ。あと、LGBTの人たちには私が若いころに経験したようなことを味わうことなく、自由に生きていって欲しいわね。でも、それはその人たちに限らず、世界中の人がその権利を持っているので、みんなが自由に自分であり続けられたらいいなと思っているわ。―そんな幅広い視野を持っているのは、いまでも定住しないスタイルで世界中を旅しているからだと思いますが、これからもそれは続けていく予定ですか?ヴァレリアそのつもりよ。旅は私の一部でもあるから、続けようと思っているわ。というのも、旅をすることをやめたら、私が私でなくなるような気がするの。でも、もしいつか旅することをやめたなら、田舎で暮らして、にわとりでも飼いながら畑でも耕してるかもしれないわね(笑)。―それでは最後に、ananweb読者に向けてエールをお願いします!ヴァレリア私は本当に女性が大好きで、だからこそ自分自身も女性のひとつの代表になれたらいいなと思ってがんばってきたの。女性にはまだまだいろいろな自由や権利を獲得する必要があるかもしれないけれど、女性のみなさんにはそれらすべてを手にして、さらにまい進していってもらいたいと思っているわ!インタビューを終えてみて……。74歳とは思えない若々しさと、とにかくエネルギッシュなヴァレリアさん。つねに笑顔の明るさにも、取材後に「一緒に写真を撮りましょう」と声をかけてくれる気さくさにも、すっかり虜になりました。劇中で披露されるヴァレリアさんの圧倒的な歌声とパフォーマンスは必見です!人生の舞台で主役になれるのは自分だけ!いまでは想像もつかないような苦難の時代でも、自分らしく生きることをあきらめなかった彼女たちの姿と言葉に魅了される本作。私たちの悩みを吹き飛ばし、力強く背中を押してくれるだけに、自分にとっての幸せとは何かを思い出させてくれるはずです。華やかな舞台の裏に隠された真実や貴重な歴史映像の数々もお見逃しなく!華やかな予告編はこちら!作品情報『ディヴァイン・ディーバ』9月1日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー配給:ミモザフィルムズ© UPSIDE DISTRIBUTION, IMP. BLUEMIND, 2017
2018年08月30日ルビー・ローズ(「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」)がDCコミックスのスーパーヒーローのひとり、バットウーマンを演じることになった。DCコミックスを原作としたドラマ「ARROW/アロー」、「THE FLASH/フラッシュ」、「SUPERGIRL/スーパーガール」、「レジェンド・オブ・トゥモロー」の制作・放送局のCW局が発表した。ルビー演じるバットウーマンは、12月に放送されるこれらのドラマのクロスオーバーエピソードに初登場するとのこと。原作においてバットウーマン/ケイト・ケーンは同性愛者であるため、CW局は以前からバットウーマンのキャスティングにおいて同性愛者の女優を選ぶ意向を明らかにしていた。ルビーは12歳のときから同性愛者であることを公言している。「The Hollywood Reporter」によれば、CW局はバットウーマンの単独ドラマシリーズも制作し、2019年に放送予定。主人公がスーパーヒーローで同性愛者のドラマはテレビ史上初だという。「The Vampire Diaries/ヴァンパイア・ダイアリーズ」のキャロライン・ドライズが脚本の執筆を進めているそうだ。ルビーはSNSでバットウーマンに決定したことを報告。「夢が叶った」、「自分が若い頃はテレビでLGBTの人たちが活躍することはなく、孤独だったし自分は人と違うんだと感じていた。これ(バットウーマン)はまさにテレビで見たかったものよ」と大喜びしている。(Hiromi Kaku)
2018年08月08日ド直球と爆弾の沸点さて、前回は麻ちゃんとの出会いのお話でしたが、その後すぐに “どうにかなった” わけではなく、しばらく “それきり” でした。会いたい気持ちと、会うのが怖い気持ち。もし麻ちゃんを好きになってしまったら?私は、自分のセクシャリティと本格的に向き合わなければなりません。それは果たして“正しいこと”なのか?そして自分が“乗り越えられること”なのか?判断を迫られるのです。そもそも “ありのままの自分なんてものが、存在するのか?” という問い。みんな多かれ少なかれ、世の中に合わせて生きているのだから、“我慢すべきことじゃないのか?” という問いも……。そんな思いが胸の中でぐるぐる回っていました。麻ちゃんと、何度かのメールのやり取りの後、軽くお茶でもしましょう、という話になりました。絶賛 “孤育て” 中だった私は、もちろん子ども連れ。その日は大雨で、ベビーカーにレインカバーを掛け、ビショビショになりながらの外出でした。子どもが生まれてから、ついぞ行くことのなかったカフェで待っていると、ツートンカラーが進行し、毛先だけが銀髪の麻ちゃんが現れました。照れ臭いやら、緊張するやらで、ぎこちなく話し始めたものの、子どもがいては雰囲気も何もあったものじゃありません。でも、子ども好きな麻ちゃんは、苦にしないどころか、むしろ子どもに夢中。私など眼中にない様子で、「子連れは嫌がられるかな……」と思っていただけに、逆に救われた思いでした。これって、どういうことなの?私は基本的に鈍く、不粋なもので、色恋の駆け引きというものができません。はっきりと言われないと分からない女なのです。そこで「ココは聞くしかない!」と、こんな球を投げてみました。「私、あなたのことが好きなんだけど、私のこと、好き?付き合ってもいいと思う?」ド直球、ストレート!こんな聞き方、普通はないですよね。アホでしょうか?しかし、それに対する麻ちゃんの回答は、極めて殺傷力の高い “爆弾” でした。「うーん、好きかと言われたら、まだ好きじゃないかなー」そう淡々と言いました。さらに続けて、こう言ったのです。「あと、ついでに “好き” とか言うのはさ、一生に3回くらいなものだよ。最初と、死ぬ時と、あともう1回くらい」なんなのでしょうか?“脈アリ?” と期待する女心を瞬間冷凍して、なんなら釘でも打とうか、というご回答。いっそ清々しいほどです。つーか「好きとか言うのは一生で3回」って!?「あの~、今、21世紀なんスけど。アンタ、武士ですか?いつの時代からタイムスリップを?」。一体、なんの悪い冗談なのか?覚悟を決めて聞いてみた私の、この見事な吹き飛びぶりを分かっていただけますでしょうか?その後もペースを乱されたまま、私たちはプラトニックな関係を続けていました。「まあ、それはそれでいいのかもしれない……」などと思っていた時でした。麻ちゃんが次なる爆弾を炸裂させました!「そろそろ、してみてさ、それによって付き合うかどうか決めたいなー」まるで、いいことを言ったかのようなさわやかな笑顔で、そう言ったのです。1970年代生まれの女性としては、さすがに「婚前交渉は……」などとは言いませんが、男性ともお付き合いしましょうという前にベッドインしたこともないし、当然女性とそういう関係になった経験もありません。そもそも、それって、“いいことかどうか、分からないなあ……” とすら思っている私にですよ、付き合うかどうかも分からないお試しセックスを!しようと!え?服の試着をするような気軽な調子で持ちかけていらっしゃる!アナタ!!ちょっと!!!ま、そんなことを言いながら、結局そこで、私は話にのったわけです。だって「もしかしたら、女の子も好きなのかも?」と、ずっと悩んできた私に巡ってきた、千載一遇のチャンスです。「ここを逃したら、もうこんな機会は一生来ないかも!」。そんなわけで、乙女ぶりたい気持ちはグッと堪えて、清水の舞台から飛び降りました。この時、罪の意識やら常識やらは吹き飛び、完全に “のるかそるか” の度胸試しでした。ついでにもう、この際ぶっちゃけますけど、それもですよ、私、女性は未経験だって言っているのに、先攻を譲られたわけですよ!やり方、知らねぇわ!光はどこだ?初体験を経て納得したのか、麻ちゃんはようやく付き合おう、と言ってくれました。ところがウキウキとお付き合いを始めたものの、徐々に関係性が曇ってきました。原因は私の罪悪感。この頃、まだホモフォビア(同性愛嫌悪)の気持ちを、根強く持っていたからです。例えば、誰かを好きになる時、その人を好きになろうとして好きになれるでしょうか?恋愛においては、まぁ滅多にないですよね。また「なぜ異性を好きになるか」なんて考えますか?考えませんよね。それは私も同じです。私はたまたま男性だけでなく、男性のような女性も好きになりますが(女性らしい女性を好きになったことは、まだありません)、「女を好きになろう」とか「男を好きになろう」とか思っているわけではなく、たまたまいいなあと思う人が、男だったり、(一応)女だったりするのです。セクシャリティは、人が選び取れるものではない。この頃の私は、まだそのことには気づいていませんでした。同性愛は禁忌だと考える家で育った私の “ホモフォビアの大嵐” と、麻ちゃんが時折投げつけてくる爆弾による “火炎地獄” 。それは戦いの連続でした。ストレスはやがて身体に出るようになり、疲労も重なって目眩がひどく、平衡感覚を保てなくなりました。気がつくとビルの屋上から下を眺めていることもありました。「子どもがいるのだから、なんとしても生きなくては」と思い、この頃は「生きてかないと」が口癖でした。そうして何度も何度も考えるなかで、「私は麻ちゃんが好きで、麻ちゃんも私が好き。なのになぜ、これほど苦しまなければいけないのだろう」と思ったのです。まぁ、麻ちゃんが “爆弾魔” なのは置いておくとして、“ホモフォビアの大嵐” を起こしているのは、少なくとも私です。本当に同性愛とは “正しくない” ものなのか、少しずつ考えたのです。そして死ぬくらいなら真正面から向き合ってみよう、そんなやぶれかぶれな気持ちに至りました。この時期、周りにいてくれた友だちには、感謝してもし尽くせません。相談や議論に何度も付き合ってくれて、時に堂々巡りを続ける私を、放り出さずにいてくれた友だちのおかげで、三歩進んでは二歩下がりながらも、理解を深められました。長い長い時間をかけて、光射す方へ進み始めたのです。やがて麻ちゃんの娘も、時折わが家に遊びに来るようになりました。子ども同士すっかり仲良くなって、「なんで今日帰っちゃうの?」というやり取りが繰り返され、麻ちゃんもまた、ファンヒーターの石油も買いに行けない私の生活力の無さに、半ば呆れて同居を申し出てくれました。なのにまだ “ホモフォビアの大嵐” から抜け出せていない私は、「ご近所の目が!」とか、「学校に言えない!」とか、心配性を爆発させて同居の申し出を断る始末。でも同時に、いつのまにか麻ちゃんと娘がいない家の中は、静かで物足りないと感じるようになっていました。お泊まりが増えていき、1泊が2泊になり、やがて同居となったわけですが、暮らし始めてみると、今度はステップファミリーとしての悩みが次々に浮上し、それからの人生、いつも大騒ぎでした。こじれにこじれた娘との関係、2人の息子、麻ちゃんの元旦那や両親、そして私の両親……。その経緯はこれまでに書いてきたとおりです。そんな大騒ぎの生活を始めて3年ほどが経った頃、私は思いついてしまったのです。「なにか、この暮らしを始めたというケジメのようなものが欲しい」。その思いは日増しに強くなっていきました。(続いちゃった)Composition:Yoshiyuki Shimazu
2018年08月04日ハリウッドにある有名なゲイバー「The Abbey Food&Bar」のオーナー、デヴィッド・クーリーが29日にFacebookに投稿した体験談が波紋を拡げている。クーリーは同性のパートナーと共に、アラスカ航空ニューヨーク発ロサンゼルス行きの便に搭乗した。予約していたプレミアムシートに座り、しばらくすると客室乗務員がやってきて、男女のカップルを隣り合って座らせるために、クーリーとパートナーのどちらか1人に普通席へ移動するよう願い出たという。「僕らも一緒に座りたい、と説明した。しかし、乗務員はプレミアムシートを諦めて普通席に移るか、飛行機を降りるかの選択を迫った。僕らは国を横断する長旅の間中、こんな屈辱に耐えられそうもなかったから飛行機を降りた。このご時世に、ゲイのカップルに去るように言うほど、ストレートのカップルを優先することがあるなんて信じられない。僕らは2度とアラスカ航空と、最近この会社が買収したヴァージングループ(のLCC)を利用しない」(デヴィッド・クーリーのFacebookより)失意の2人は、デルタ航空で無事ロサンゼルスへの帰途についた。クーリーは、LGBTの人々に向けて、デルタ航空のようなLGBTフレンドリーな航空会社を使うよう提言した。この投稿は広くシェアされ、非難の集中砲火を浴びたアラスカ航空は31日、謝罪の声明を発表した。「この不幸な事故は、座席システムのエラーによるものです。弊社は可能な限り家族が一緒に座れるようにする方針ですが、今回の件ではそれが適用されませんでした。クーリー氏に深くお詫び致します。彼とパートナーに不快な思いをさせる意図は全くありませんでした。私どもはクーリー氏に謝罪を申し入れ、今後の是正をお約束しました。アラスカ航空は、あらゆる差別を一切容認しない方針を取っています。私たちはみな、あらゆる多様性を受け入れ、尊重します」今回の件は単なるエラー以外の何物でもなく、差別の意図は微塵もなかったという主張だ。「LGBTの人々の完全なる平等は、アラスカ航空という組織の骨子です」とも表明し、懸命に火消しを行っている。クーリーはアラスカ航空からの謝罪を受け入れたとFacebookで発表した。
2018年08月01日