幼いころから続いた、娘の「足が痛い」という訴え出典 : 歳の娘にはアスペルガー症候群の診断が出ています。ある日「学校をやめる」と宣言してから、毎日家で過ごしています。そんな娘ですが、不登校になる前はよく、足の痛みを訴えていました。そのたびに「成長痛かな?」「きっと身体が大きくなろうとしているんだよ」と軽く聞き流していました。しかし、ピアノの練習や宿題の最中など、「どうして今?」という場面でも痛みを訴えるため、不思議に思っていた私。足の病気かな?と不安に思ったりもしましたが、遊びの時間になると「もう治った!」と走り回っているので、病院へ行く程でもないのかな…と様子見を続けていたのです。本当に痛いの?どのくらい痛いの?あまりにも辛そうな娘を前に出典 : 足の痛みが子どもの心と繋がっていると気がついたのは、娘が登校を嫌がるようになってからのことでした。毎晩「足が痛い」「動かせない」と訴えるようになり、ベッドで娘の足をさすってあげる時間が増えました。学校をお休みすると痛みは引いていき、また夜になると痛みを訴えるのです。登校のストレスが、娘の体に痛みをもたらしていたのですね。学校を休みがちなお子さんの中には頭が痛い、お腹が痛いと訴えるケースが多いというのは知っていましたが、まさか足にくるとは!気がついたときは、目からウロコ状態でした。このような話をすると、「そう言えば休ませてもらえるから『痛い』って言ってるだけじゃないの?」「親が甘やかすから図に乗る」などと言われることがあります。確かにそのようなケースもあるのかも知れません。それでも、子どもがそこまで追い詰められているのならば、休ませてあげるのも大切な選択肢の1つなのかも知れないなぁ…と、個人的には思っています。娘と一緒に、痛みが現れるタイミングを洗い出してみた出典 : さて、子どもが足の痛みを訴えてきたとき、それが本当の痛みなのか?本当ならどの程度の痛みなのか?他人である私にはわかりません。それでも、涙目で痛みを訴えてくる子どもの言葉を信じることから始めてみることにしました。そして娘と一緒に、「どんな時に痛みが出るのか」を観察してみることにしたのです。観察を続けて行くうちに、少しずつ痛みの出るタイミングが見えてきました。前日から学校を休むと決めている場合は、痛みが出ることはありません。行けそうなら行ってみよう!と言ってベッドに潜ると痛みが出てきます。学校だけではなく、新しい習い事の体験日が迫っている時なども、痛みが出ることが分かりました。そうして長期間観察した結果、「安心できる場所以外へ出かける予定がある場合、足に痛みが出る」という結論に達しました。極度に緊張する場面で、手に汗をかくなどの反応が出る人もいますが、娘の足の痛みもそのような反応なのだと考えることで、少しずつ娘の不安を探る手段にもなっていきました。観察や分析を繰り返すことで知った、子どもが抱えている漠然とした不安出典 : ある日の会話です。娘「ママ、ここのところずっと足が痛いんだけど、どうしてかな?」私「あれ?特別なところに行く予定はないはずだけど...」娘「そうなの。でも痛いからどうしてかなぁと思って。」母「そうねえ・・・。あ!もしかして、この間水泳教室でテストに合格したから、次から平泳ぎに入るでしょ?それでちょっと水泳教室に行くのが不安に思えるのかも?どうかな?」娘「確かに!平泳ぎはやったことがないから、怒られたらどうしようってずっと怖かったんだ!ママ、ありがとう!それだ!」母「そっか。じゃあ少しでも不安を軽減させるために、パソコンで平泳ぎの基礎を調べてみたらどうかな?いろんな動画もあると思うよ!」娘「なるほど!やってみるね!」母「きっと、一度水泳教室で平泳ぎを教えてもらえば足の痛みは取れるから、それまではマッサージしたりして乗り切ろうね。」娘「そうだね!次の水泳教室までの我慢だね!」出典 : こんな風に会話することで、娘の中でよく見えていなかった不安を洗い出せるようになっていきました。生活の中で漠然と抱えている不安要素を、足の痛みをきっかけにきちんと捉えることができるようになり、娘自身理由が分からないまま機嫌が悪くなったり、他人にきつく当たったりすることが減っていきました。一時は娘が足の痛みを訴えるたびに「何がいけなかったのか」と、鬱々とした気分になる私でした。でも今では、「足が痛い」と相談されると、「いいサインを出してくれたね!何が不安なのか、一緒に考えてみよう!」と、プラス方向に捉えられるようになりました。子どもの訴えを信じることで、見えてくるものがある出典 : 「足が痛い」「頭が痛い」「お腹が痛い」…。子どもからいろいろなサインが出たとき、「気のせいだよ」「頑張りなさい」と痛みを無かったことにしてしまうのは、実はとてももったいないことなのかもしれません。まずは一旦痛みを受け止め、子ども自身がきちんと掴み切れていないストレスの原因を探るチャンスに変えてみても、よいかもしれませんね。
2017年01月24日普通級から特別支援学級へと転学した長男。過ごしやすさはどう変化した?出典 : 小5の長男には、自閉症スペクトラム・ADHD・学習障害の診断が出ています。就学相談では普通学級を勧められて小学校へ入学しました。ところが学年が上がるごとに学習障害に苦しめられ、学校に行くことができなくなった長男。いろいろ悩みましたが夫婦で話し合った結果、今年の2学期から知的障害対象の特別支援学級に転学しました。長男が現在通っている支援学級では、3人の担任と4人の介助員とで、1年生から6年生まで十数人の子どもたちを指導しています。授業では、学年ごと3、4人の少人数指導で、1人ひとりの実態と目標に合わせた課題の提示をしてくれるので、今まで授業のスピードについて行けず、わからなくても聞くこともできずに、ただ授業時間を耐えていた長男にとっては、やっと「学べる」授業を受けられるようになったのではないかと思います。生活面では、朝学習と朝の会から始まる規則正しいスケジュールで時間にもゆとりがあり、スケジュール変更や慌ただしいことが苦手な長男にとっては、過ごしやすいようです。また、友達と遊ぶことが大好きな長男に、新しい学校で友達ができるのか?楽しく遊べるようになるのだろうか?という不安もありました。今は同じ学年の交流学級には行かず、支援級だけで学習や生活をしています。その中で、下級生の面倒をよく見るので慕われているらしく、6年生のお兄さんとは意気投合し、放課後お互いの家で遊ぶほど仲良くなることができました。先生方のフォローなどがきっと行き届いていることもあるのでしょうが、すぐにみんなと仲良くなれて、休み時間には楽しく遊ぶ毎日を送れていること、本当に良かったと胸をなでおろしています。それでも、悩みや不安は尽きなくて…出典 : 彼の特性に合ったカリキュラムにはなったけれど、長男本人にとっても、以前より学校生活は楽になったのかな…?私たち親にとっては、それが何より気になるところです。家での様子は、以前に比べて穏やかになったと感じています。イライラして当たり散らしたり、自分を責めて大泣きしたりすることは減ってきました。それでもたまに、「学校いやだな~」「今日も疲れちゃったよ…」という言葉を長男から聞くたびに、「なんで?何があったの?何がまだ辛いの?」とビクビクしてしまう私がいます。支援級に移ってもまだ毎日が辛いなら、後はどうしてあげたらいいの?わからない…。また、将来のことを夫婦で話し合うたびに、「支援級に移ったことで、長男が将来やりたいことができなくなったらどうしよう…」という弱音を吐いてしまいます。今まで辛そうな長男をずっと見てきたので、親の私が少し過敏になっているのかもしれません。そんなある日、長男が自ら語ってくれた現在の心境出典 : そんなある日のことでした。大好きなハンバーガーショップでニコニコとお昼を食べていた長男が、私と2人きりになったとき、急に話し始めました。長男「お母さんあのね…、今ね、毎日楽しいな~と思えるんだ。大変なこともあるけど、前より楽になった感じ。」私は急に話し出した長男にビックリしましたが、笑顔で「うんうん」と聞くことにしました。長男「そうだな~…小さい頃の僕に戻った感じかな。いろんなことが楽しいって思えるし、嫌なことがあっても、まあいっかって思えるんだ。幼稚園の年中さんぐらいからね、僕ずっと辛かったんだ。グラグラする吊り橋にずっと乗ってるみたいで、いつかヒモがブチっと切れるんじゃないかって、怖かった。今思えば、1番辛かったのが、3年生の頃だったな。色んなことがワーッて僕を襲ってきて、どうしたらいいのかわからなかった。今はね、大丈夫だなって、思えるんだよ。」私たちの選択は適切だった。長男に、そう励まされた気がして…出典 : 私はただ笑って、彼の頭を優しくなでていました。次男がそのとき席に戻って来なかったら、たぶん泣いていたでしょう。長男は、幼児の頃から自分が抱えている辛さを自覚していたのでしょう。でも、上手に表現できなかったし、助けを求めることもできなかった。ただただ「幼稚園行きたくない、学校行きたくない。」と言って泣くことしかできない彼に、当時の私は「わがまま言わないの!」と理解してあげられなかった…。どれほど絶望的で救いがなく、辛い毎日だったのか…。その頃の気持ちを客観的に捉え、今こうして表現できる長男に本当に驚きました。そして、今を「楽しい!」と笑顔で話してくれた長男に、私の方が救われたような気がしたのでした。夫婦で思い出したのは、子育てで最も大切なことだった出典 : ちょうどその日の翌日、夫が嬉しそうに私に話しかけてきました。たまたま通勤途中に長男の学校を通りかかったところ、支援級のみんなで朝マラソンをしている長男に会ったそうです。友だちと笑顔で話したり、じゃれあったり…本当に楽しそうだったとのこと。夫「俺、思い出したんだよ。長男は小さい時、あんなふうに底抜けに楽しそうな笑顔をする子だったよね。長いことあんな笑顔見ていなかった気がするけど、そういえば最近また見られるようになったと思わない?」ああ…支援級に移って、あの子は本当に良かったんだ。やっと心底、そう思えるようになった瞬間でした。不安は尽きない。それでも「楽しい!」と思える日々が、きっと将来への道につながっている出典 : それでも、将来への不安はやはりあります。彼が幸せな大人になるための道を、これからも親子で真剣に模索していかなくてはならないし、支援級にいたことで辛い思いをすることが、今後出てくるかもしれません。それでも、今を「楽しい!」と言って、前を向いて生きていける。本来、長男が持っている明るさや優しさを活かし、伸ばすことができる。そんな長男なら、きっと困難にぶつかっても乗り越え、自分の道を前へと進んで行けるんじゃないか…。今の彼を見ると、そう思えるのです。私たち親にできることは、彼が「楽しい!」と思える毎日を過ごせるよう、環境を整えていくこと。そして、困難にぶつかったときに、「一緒にいるよ」と伝えて、共に乗り越えていくこと。これからも揺らぐことはあると思いますが、改めて親として彼を支え、見守っていきたいと思います。
2017年01月23日ある日、私が発達ナビを見ていると…Upload By 荒木まち子娘が自分の障害を知った日。そして月日は流れ…出典 : 娘自身が医師から障害告知を受けたのは今から3年前、中学2年生の時でした。診断を受けた後の娘は、「本当は周りの友達と同じになりたい」と泣いた時期もありました。「親の言いなりになりたくない」と親の意見全てに反抗したり、どんなに努力してもどうしてもできないことがある自分に対し、イライラしたり、落ち込んだりしたこともありました。その後、振り子のように揺れる気持ちに翻弄されながらも、自分自身に向き合い「自分の特性を認める」という辛い工程を経た上で、長い長い時間をかけ、ようやく最近「障害があることも含めて全て自分なのだ」と受け入れたのだと思います。親の望みと子どもの成長との狭間で感じること出典 : 親は子どもの問題行動を「減らしたい」とか「治したい」と考えがちです。それは至極当然の思いであって、「我が子の障害を治せるものなら治したい」と考えるのが親心というものなのかもしれません。でも、娘の言葉を聞いて、親が本当にするべきことは●子どもの障害を認め、理解すること●本人の困り感を減らす工夫を、考えていくことなのだと、改めて感じました。時には、子どもの声も尊重しつつ出典 : 「まだ子どもだから…」といって、親の考えや価値観を重視した支援ばかりをしていては、子どもが大きくなった時に歪みが生じ、二次障害につながってしまうかもしれません。「親の考える幸せ」は「本人にとっての幸せ」とは違うかもしれない…ということを、常に心の片隅に置いておきたいものですね。発達障害ということに気づかなかったり、気づいていても適切なサポートを受けられずにいると、周囲に理解されず叱咤や非難を受けたり、失敗体験を積み重ねるなどして、本人の自尊心ややる気が失われ、新たな障害が生じることがあります。これを、いわゆる「二次障害」ともいいます。
2017年01月22日息子に療育を受けさせたい!しかし、立ちはだかったのは年齢の壁だった出典 : 皆さんは、お子さんがいくつのときに療育を始めましたか?早期療育という言葉も最近は耳にしますが、早期とは一体いつからを指すのでしょうか?わが子にいち早く療育を受けさせたかった私は、療育の施設探しに奮闘しました。今回はそのエピソードをご紹介いたします。息子は2歳で自閉症スペクトラムと診断を受けましたが、以前から気がかりなことがたくさんありました。衝動性があり声をかけるのですが、見向きもせずあっという間にどこかへ走っていきます。常に動き回る息子からは目が離せません。睡眠も不安定で、常に2, 3時間寝ては起きるを繰り返していました。息子と接するたびに何かが違う…と感じていました。そして、やっと取れた療育センターでの受診日。センターでは医師から、「自閉症スペクトラム障害」「ADHD(仮)」と診断を受けたのです。診断後に療育センターから伝えられたのは、・1対1の個別療育は行っていない・集団療育は行っているが、最低でも年少さんから・低年齢すぎると発達に個人差があり、似た特性を持つお子さんだけでグループを作ることが難しいこうした理由から「2歳では療育に参加できない」ということでした。施設を探しては電話をかけ、断られる日々出典 : 診断を受けたのに何もしないで待つなんて…私たち夫婦にはできませんでした。「療育センターがダメなら民間で探してみよう!」と、意識を変えました。とにかく少しでも早く療育を受けさせてあげたい。この一心で、我が家の療育機関探しがスタートしたのです。そんなとき、別の地域に住む友人から自治体によっては2歳からでも受け入れしている施設があると聞き、インターネットで探したり電話をかけたりしました。しかし、自治体が運営している施設の情報は、その自治区の住民でないと教えてもらえなかったのです。民間施設も探しましたが…私たちの居住区から近い場所にはありませんでした。また、区役所から事業所一覧表を貰う機会もありましたが、頂いた時点で掲載してある情報は2年前と古く、しかも電話番号と施設名しか載っていないため、1件ごとに電話をかける必要がありとても大変でした。電話をかけるたび、「え?2歳?2歳じゃちょっと…」というところや「居住区の方が優先です。」と早々に断られてしまうこともあったのです。受け入れてくれる施設をやっと見つけたけれど…出典 : やっと受け入れてくれそうな施設を見付けて見学に行っても、子どもへの接し方が厳しく「無理やり何かをさせる」「怒鳴って言い聞かせる」といった現場を目にしてしまうこともありました。ある事業所へ体験指導に参加したときのことです。息子は高い場所に上るのが好きで、その日もテーブルの上によじ登ろうとしました。その瞬間、先生が息子の目の前でテーブルを叩いたのです。その後、息子は委縮していました。また、衝動的にあちこち歩き回ろうとすると、手を強くつないで目的地まで引きずるようにして連れて行きました。「無理矢理で強引なやり方に見えるかもしれませんが、このタイプのお子さんにとって重要なのは、大人に従わせること。主導権は常に大人にあるのだとうえつけることが必要になります。」と、職員の方は説明していました。この方針を聞き、素人の親目線から感じた率直な気持ちは、「安心して息子を預けることができない事業所はやめよう」というものでした。やっと見つかった、息子に合った療育先出典 : その後も諦めず、インターネットで検索する日々が続きました。そんなとき、ある施設を見つけて電話したところ、「会ってお子さんの様子を見てみたい」とのこと。2歳になったばかりだと伝えると「2歳でも療育は開始することができるんですよ。衝動性があっても、お子さん側に寄り添った対応をしてあげることができます。」と言われ、安心したのを覚えています。やっと息子を安心して預けられる施設を見つけた!そう実感しました。安心して利用できる療育先を見つけるまでとても大変でしたが、諦めずに探し続け、本当に良かったと思っています。療育は子どものためだけじゃなかった!子育ての不安をそのままにする前に出典 : 療育を受けるようになってからというもの、・意思の疎通が以前よりできるように・興味に広がりがでてきた・目の前の人の話を、以前より聞けるようになったこのような変化が見られ、自宅で息子の対処に困ることが減ってきました。息子がこうして大きな成長を遂げたのは、療育での経験が大きいと思います。施設では、息子の行動や心理面を第三者の立場で分析してくれ、対策を一緒に考えてくれます。出典 : 一方で、パートナーや親族から早期に療育を受けることを、反対されてしまうケースもあるようです。それは、子どもがまだ2歳前後で小さい場合、行動や言葉の発達にもまだ個性が表れにくく、「もう少し様子を見よう…」と判断する方も多いからなのだと思います。また、「この子は他の子とちょっと違う…」そうした小さな違和感は、常に側にいる母親なら気付くかもしれませんが、普段あまり関わりの無い家族では、なかなか気付けずに「気のせいだよ」と一蹴されることも少なくありません。この場合、子どもと母親だけが取り残され、子どもは適切な支援が受けられず、母親も味方がおらず孤独に苦しむのではないでしょうか?でも、子どもや私たち親の笑顔が増えれば、家族みんなの暮らしが安定できるのではないかと思います。価値観の違う周囲の理解を得ることは簡単ではありませんが、子どものためにも親御さんの笑顔のためにも、不安な場合は相談だけでもしてみてはいかがでしょうか?
2017年01月22日成人後に、障害者として生きるということ出典 : 私は娘の診断をきっかけに、42歳のときにアスペルガー症候群と診断を受けました。その後、45歳の時に仕事先で障害をカミングアウトしたところ、大失敗。失意の中で退職するにあたって、「もう、一般就労でこれ以上傷つくのは無理。これからは障害者就労を目指して障害者として生きよう」と決意しました(このときのエピソードは、以下関連記事をご参照下さい)。しかし、アスペルガー症候群と診断されてからまだ3年目です。まさか自分に障害があるなんて思ってもみなかった私が、障害者として生きていくことは、想像以上に苦しみを伴うものでした。大人になってから発達障害と診断された方の中には、私のような体験をする方もいらっしゃるかもしれません。「こんな気持ちになることもあるんだ…」と、心の片隅に置いていただければ幸いです。障害福祉サービスを申請するステップ、それは自分自身と向き合うことだった出典 : 診断後、障害者向けのサービスにはどんなものがあるのか?調べてみることにしました。障害福祉サービスを受けるためには、いろいろな機関とつながる必要があります。まず私が頼ったのは、障害者自立生活センターでした。このセンターを知ったのは、娘の不登校でお世話になっていた親の会がきっかけでした。親の会で出会ったのが、障害者自立生活センターの相談員さんだったのです。もしこのご縁がなければ、まずどこに相談したらいいのかわからなかったかもしれません。後で知ったのですが、各市町村には相談支援事業所があり、そこが最初の窓口になることが多いようです。障害のある人に対する相談支援について出典 : 障害者自立生活センターの相談員に付き添われ、ハローワークに障害者として登録し、地域の障害者就業・生活支援センターに相談に行きました。そして、障害者就業・生活支援センターの相談員と一緒に障害者職業センターに行き、ジョブスキルトレーニングを受けつつ、合間にカウンセラーと一緒に自分の障害特性をまとめました。障害特性の中でも、仕事に就く上で困難さにつながるものについては、自分でどう対処するのか?企業にはどのような配慮を求めるのかを、まとめるのですが、この作業は心理的にとても苦しかったです。それはまるで、「自分はこんなにもできない人間だったのか」と突き付けられている感覚で、今までの人生を否定されたような気持ちになったこともありました。訪問調査では、自分の家事能力まで明るみにされ…出典 : あちこちに足を運ぶ生活をしながら、障害福祉サービスを受けるために訪問調査も受けました。訪問調査では、何度も相談に乗ってもらっていた障害者自立生活センターの相談員が担当だったので、安心していました。しかし、ホッとしたのも束の間。長時間の面談の中、自分の弱点を見つめざるを得なかったことは、精神的にかなり堪えました。ぐちゃぐちゃの冷蔵庫や押入れには、目をつぶって生きてきた私。働く主婦として、なんとか子どもも育ててきたけれど、自分の家事能力の無さに今更ながら愕然とし、落ち込みました。医師にも「今まで、よく頑張ってこられましたね」と言われましたが、まさにそういう気分だったのです。あきらめる人が多いと聞く、「障害年金」。その理由に納得Upload By ヨーコそんな日々の中、相談員さんと「え、障害年金もらってないんですか?」「え、もらえるんですか?」というやり取りがあり、障害年金の手続きをすることになったのですが…その手続きも、私にとっては地獄の苦しみでした。障害年金の手続きには初診証明が必要なのですが、私のように40歳を過ぎて発達障害と診断された場合、精神科に初めてかかったのが20年前というケースもザラにあります。病院が廃業している・カルテも無い、ということも多く、 初診証明を取るのが大変なのです。また、成人の発達障害についてきちんと理解している医師も少ないので、適切な診断書を書いてもらうのにも一苦労。こうした現実に、諦めてしまう人が多いのも納得です。私は最初に社会保険事務所に行ったときに「これはダメだ…」と思い、手続きを社労士さんに依頼したので、まだ苦労はしていないのかもしれませんが、昨年の5月に依頼し、度重なる打ち合わせを繰り返したものの、未だ受給の目途はついていません。ちょっと心が折れそうです。7ヶ月続いた、"障害者になる"ための手続き。その結果…出典 : こうして、障害者として生きていくための手続きに奔走した生活が、7ヶ月程続いたあたりから、日常的に微熱が出るようになり体が動かず、寝てばかりの日々が続くようになりました。頭痛・吐き気といった、私がストレスを受けると現れる症状も頻繁に出てきました。今振り返ると、あのときの状態は鬱そのものだったような気がします。薦められた発達障害専門の就労移行事業所も、「行かなくては」とは思うのですが、「本当は行きたくない」「もうイヤ」という気持ちがあり、結局体調不良ということで1度も正式には通うことはありませんでした。「就労移行の話は白紙に戻したので、ゆっくりしてください」と支援者に言われてから、だんだんと体調も気持も立ち直っていったような気がします。初めて自分の発達障害と向き合ってみて、わかったこと出典 : 支援を受けるようになってから、私は自分の発達障害特性が強くなったような気がしていました。だけどそれは、初めて「発達障害である自分」としっかり向き合ったからではないかと思います。先にご紹介した障害福祉サービスを受けるための聞き取り調査や、障害者職業センターでカウンセラーと振り返った自分の特性のまとめ、そして自分への理解を深めるために発達障害について学習したこと、そうしたことが重なって「これも自分の発達特性だったんだ」と意識するようになったのだと思います。診断がつく前は、無意識に「人並みに頑張ろう」と無理を重ねて頑張り、結局空回りしていたような気がするのです。そして、「どうして私はいつも上手くいかないのだろう…」と悩み続けていたのですね。"障害者になる"ための作業を進めるにあたって、辛いこともいっぱいありましたが、自分はどれくらいのことなら無理なくできるのか、休んだ方がいいという心や体のサインにも気づくことができました。それはまるで、等身大の自分と出会い直している気分です。娘のために、幸せになることをあきらめない出典 : 現在、本格的に福祉の支援を受けるようになりましたが、まだ就労の問題は全く進んでいませんし、年金の行く末も不安です。だけど、私は幸せに生きる権利がある。そして、娘のためにも幸せに笑っていたい。いつか同じ障害を持つ娘も歩むだろう道を、照らせる存在でありたい。だから私は、あきらめません。
2017年01月20日こんにちは。NPO法人Collable(コラブル)の山田小百合です。私たちは障害があってもなくても、遊んだり学んだりできる環境づくりに挑戦しているNPO法人です。多様な人たちが集う場において、関係性をケアするという視点で、活動を行っています。先日の記事では、さまざまな反響をいただきましてありがとうございました。一つひとつ読ませていただきました。法人 CollableCollableが生まれて3年ほどですが、活動を始めるに至る経緯について、お話する機会を多くいただくようになりました。そのときによく話すのが、自分の家族のことです。今日は私が育ってきた家庭環境について、少し書かせていただこうと思います。私には年子の兄と3つ下の弟がいますが、実はどちらも知的障害と自閉症を併せ持っています。現在は父と母と一緒に暮らし、福祉事業所に通う日々を過ごしています。今となっては私自身が東京に暮らすようになったので、彼らと会うのは年2回の帰省のときくらいですが、変わらず元気にしているようです。家族がなかよくしていられるのは、両親のタフで楽観的な性格(?)が影響しているのかもしれません。とはいえ、それなりに考えたり悩んだり、時を経て今気づいたりすることもあるので、そんな経験をみなさんと共有できたらと思っています。障害のある子のきょうだいに多いのは、「面倒見がよいしっかりした子」出典 : 障害のある子どものきょうだいである子は、少し考え方が大人びていて、振る舞いも実年齢から数歳上に見えることが多いなと感じます。Collableのワークショップにも、きょうだいの子が一緒に参加してくれることがありますが、ファシリテーターが説明をする時間に静かに座って待っていたり、落ち着きのないきょうだいに声をかけたりと、しっかりもののお兄さんお姉さん(年が下であっても)です。例えば、自分の障害のあるきょうだいがトイレに中座したときに「どこにいったの?」と心配そうに質問をしてきたり、言葉が明瞭ではない子が何かを言ったとき「『これ作ったよ』だって。」と何を言ったか教えてくれたりもします。いろんな施設の方にきいても、きょうだいの子はしっかりしていると言う方が多くいます。振り返ってみても、自分自身もそんな子でした。「さゆりちゃんはしっかりしてて偉いわね」と、もはや言われ慣れてしまうわけです。おそらくそれは、兄弟が自分より少しできないことを程よく手伝う塩梅を理解して振る舞っていたりとか、弟がパニックになっているときに黙ってそこにいて待っているとか、そういう経験を日常に重ねていったからかもしれません。きょうだいは福祉や特別支援教育の勉強をしてきているわけではありません。それにもかかわらず、肌感覚として自分のきょうだいをどのようにサポートすれば良いか体得していくことが多いので、「しっかりしている」と見られやすいのかもしれませんね。きょうだいで「同じ場所に通える」のはやっぱり嬉しい出典 : 私が幼稚園に通っていた歳のころは、兄と同じ地元の幼稚園に通うことができて、幼稚園のお友達や先生たちにはとても良くしてもらっていました。ただし結果として、私が兄と同じ幼稚園に通えたのは1年のみ。私が年中に上がる頃に、兄は別の保育園に移ることになったからです。兄が別の園に移ることは、その保育園からの要望だったようです。そこから母が市内の園を訪問しては、受け入れてくれるところを探していたことを、おぼろげながらに覚えています。「よそのお家は兄弟が同じ場所に通うのに、なぜか自分の兄弟は同じ学校や園に通えない」という経験をするので、ちょっぴり寂しい気持ちにもなります。兄が特別支援学校に通ってからも、「交流及び共同学習」の時間に交流校として自分の学校に来ていたときは少し誇らしげでもありました。自分の兄弟のことを知ってもらえる機会が学校という場でもあったので、頻度は人それぞれですが、同じ学校環境の中に少しでもいられるときは嬉しいものです。Collableのワークショップでも、「兄弟で遊びに来れるところがないので」と来てくださるご家庭もいます。親も子も、根本的には同じ場所にいられることに喜びを感じるものなのかもしれません。きょうだいのことは大切。だけどやっぱり、どこか寂しい出典 : 同じ場所にいれば嬉しいし、困っていれば面倒も見る、大切な存在。しかし、矛盾するようですが、そのような境遇にある障害児のきょうだいだからこその寂しさもあるように思います。自分自身を振り返ってみても、同じ場所で遊んでいたとき、親や先生は手のかかる兄と弟に目を向けている、というのは日常茶飯事。自分が大人に見てもらいたいと思う瞬間に誰も見てくれていない、という経験も重ねてきました。だけど、そこで我慢をしていると、「いい子にしていてえらい」と褒められるので、「兄弟のことを必要なときに手助けしながら、親を困らせないことがいいことだ」と、一種の刷り込みのような状態になっていたような気もします。私の場合はおかげである日突然、感情が爆発してしまうような経験もありました。「なんでそんなにご機嫌ななめなの!」と怒られても、理由がうまく言えずにいましたが、よくよく考えると、自分の要望には目を向けてもらえないという小さな積み重ねが影響していたのかも、と当時を思い返しました。障害のある子も、そのきょうだいも、家族みんなが健康であるために出典 : 今日の記事は、知的障害のお兄ちゃんと一緒に活動に参加してくれた、とあるワークショップ参加者の女の子のことを思い浮かべながら書きました。ワークショップに来てくれた彼女に、ちょっかいを出すお兄ちゃん。そしてそれに何も言わずにただじっとしている様子に、「たくましいな」と思いつつ、「どこかで我慢をしてそうだ」と思った瞬間でもありました。お母さんも、当然ながらお兄ちゃんのことに常に目がいき、いつも不安げな様子が印象的でした。その子に出会ってから、昔、障害のある弟がいる友人が、「お母さんがいつも家で抱え込んでるから私ががんばらなきゃ」と思いつつ、苦しい胸の内を話してくれたことが一層鮮明に思い出されました。Collableが「障害がある子もない子も」というコンセプトを大切に活動をしてきた背景には、こうしたきょうだいの複雑な気持ちも受け止めながら、遊びの場を作りたいという気持ちも込められています。「障害があってもなくても、きょうだいどちらのことも見てるよ」という関係を、丁寧に作っていく場でもありたいと願っています。一見しっかりしているきょうだいは、どこかで自覚のない「我慢」を積み重ねているかもしれず、それが一見「しっかり者にみえる」状態なのかもしれません。障害があってもなくても、こどもたちが毎日心も体も元気でいられるためには、やっぱり家族の存在が大きいなと思っています。お父さんお母さんには笑顔でいてほしい。一方で親御さんにも我慢も無理もしてほしくない。親御さんの不安な気持ちを少しでも和らげられるよう、貢献したいなと思い、今日も活動をしています。
2017年01月19日愛着障害(アタッチメント障害)とは?出典 : 一般的に愛着障害とは、養育者との愛着が何らかの理由で形成されず、子どもの情緒や対人関係に問題が生じる状態のことを言います。主に虐待や養育者との離別が原因で、母親を代表とする養育者と子どもとの間に愛着がうまく芽生えないことによって愛着障害は起こります。愛着とは、主に乳幼児期の子どもと母親をはじめとする養育者との間で築かれる、心理的な結びつきのことです。専門用語でアタッチメントともいいます。子どもはお腹が空いたとき、オムツが汚れたとき、恐怖や驚きを感じたときなどに泣くことで自分の気持ちや欲求を表現しますよね。そのとき通常は決まった養育者がくりかえし子どもに駆け寄り、不快にさせる要因を取り除きます。ここでいう養育者とは、母親や父親など、身近で世話をして育ててくれる人を意味します。養育者は頻繁に子どもと抱っこなどで触れ合ったり、声かけなどでコミュニケーションをとったりもします。子どもは生後3ヶ月ころまでは誰に対しても微笑んだり見つめたりします。しかし、こういった日常的なお世話と愛情あふれるスキンシップ、コミュニケーションを受けとる中で、子どもは「この人は自分の要求を敏感に感じ取り、正しく対応してくれる」「この人は自分によく声をかけてくれるし、抱っこしてくれる」などと特定の養育者を認識するようになります。このような認識のもと、生後3ヶ月を過ぎてくると、子どもはいつも自分をお世話してくれる養育者とそうでない人を識別できるようになってきます。これが愛着形成の第一歩です。子どもは養育者と生活していく中で養育者との愛着をどんどん深めていきます。この愛着を土台に、子どもは成長していくため、養育者と子どもが愛着を形成するということは、子どもの発達に欠かせないことなのです。では、愛着を形成することは子どもの成長においてどんな意味があるのでしょうか。子どもの成長における愛着の重要性は大きく分けて3点あります。◇人への基本的信頼感の芽生え子どもは特定の養育者との間に愛着を築くと、その養育者に甘え、依存するようになります。養育者に甘え、受け入れられる。このようなやりとりを通じて、人とかかわる楽しさや喜びを体験することができます。◇自己表現力、コミュニケーション能力を高める愛着を形成した相手に対して、自分の要求を伝える、また時には相手の要求を受け入れるということを通して、子どもは自分が求めていることを表現することの楽しさや難しさを知ります。これにより表現力やコミュニケーション能力の向上が期待できます。◇自己の生存と安全を確保する子どもは不安や危機を感じた時に、愛着の対象者を「安全基地」と見なして、自分の身を守ろうとします。安全基地とは、自分の見知らぬ世界に対して好奇心を抱き、それらを探索しようとする時に、子どもが拠り所とする存在を指します。つまり、子どもが母親との愛着を形成した場合、母親を安全基地と見なすのです。自らの好奇心のもと、見知らぬ世界を探索したときには、不安や恐怖、心理的・身体的苦痛を感じることがあります。そんなときに安全基地である母親のもとに戻って、安心感を得るのです。子どもはこのような探索と避難をくりかえすことよって好奇心や積極性、ストレスに耐える力を身につけていきます。愛着障害の医療的な定義と診断基準とは?出典 : ここまで一般的に知られている愛着障害についてご紹介しました。医療の面から愛着障害を見てみると、愛着障害は「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」と「脱抑制型愛着障害」に診断が分けられます。「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」も「脱抑制型愛着障害」も、5歳以前に発症するとされています。この2つの愛着障害の何が違うのか簡単に説明すると、人に対して過度に警戒するのが「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」、過度になれなれしいのが「脱抑制型愛着障害」です。世界保健機関(WHO)が定める『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)という診断分類ではこのように定義づけられています。「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」5歳までに発症し、小児の対人関係のパターンが持続的に異常を示すことが特徴であり、その異常は、情動障害を伴い、周囲の変化に反応したものである(例:恐れや過度の警戒、同年代の子どもとの対人交流の乏しさ、自分自身や他人への攻撃性、みじめさ、ある例では成長不全)。この症候群は、両親によるひどい無視、虐待、または深刻な養育過誤の直接的な結果として起こるとみなされている。「脱抑制型愛着障害」5歳までに発症し、周囲の環境が著しく変化しても持続する傾向を示す、異常な社会的機能の特殊なパターンである。たとえば、誰にでも無差別に愛着行動を示したり、注意を引こうとして見境なく親しげな振舞いをするが、仲間と強調した対人交流は乏しく、環境によっては情動障害や行動障害を伴ったりする。引用文献:中根 允文、岡崎祐士/著ICD-10「精神・行動の障害」マニュアル (医学書院,1994年刊)同様に、『ICD-10』では反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)と脱抑制型愛着障害について、以下のような診断基準を示しています。「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」A.5歳以前の発症B.いろいろな対人関係場面で、ひどく矛盾した、両価的な反応を相手に示す(しかし間柄しだいで反応は多様である)C.情緒障害は、情緒的な反応の欠如や人を避ける反応、自分自身や他人の悩みに対する攻撃的な反応、および/またはびくびくした過度の警戒などにあらわれるD.正常な成人とのやりとりで、社会的相互関係の能力と反応する能力があるのは確かであること「脱抑制型愛着障害」A.広範囲な愛着が、5歳以前の(小児期中期にまで持続していなくてもよい)持続的な特徴としてみられること。診断には、選択的な社会的愛着を十分に示せないことが必要であり、次の項目に明らかとなる。(1)苦しいときに、他人から慰めてもらおうとするところは正常であり、(2)慰めてもらう相手を選ばない(比較的に)というところは異常である。B.なじみのない人に対する社会的相互関係がうまく調節できないこと。C.次のうち1項目以上があること(1)幼児期では、誰にでもしがみつく行動(2)小児期の初期または中期には、注意を引こうとしたり無差別に親しげに振る舞う行動D.上記の特徴については、状況特異性のないことが明らかでなければならない。診断には、上記のA,Bの特徴が、その小児の経験する社会的な接触の全範囲に及んでいる必要がある。引用文献:中根 允文ら/訳ICD-10精神および行動の障害-DCR研究用診断基準 新訂版子どもが愛着障害である場合の具体的な傾向とは?出典 : 子どもが愛着障害の場合、どういった態度・素振りを見せるのでしょうか。具体例を見てみましょう。◇反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」の場合、相手が養育者であっても極端に距離をとろうとするために以下のような様子が見られることがあります。・養育者へ安心や慰めを求めるために抱きついたり、泣きついたりすることがほとんどない・笑顔が見られず、無表情なことが多い・他の子どもに興味を示さない、交流しようとしないなど◇脱抑制型愛着障害「脱抑制型愛着障害」の場合、養育者に限らず誰に対してもべったりくっついてしまったり、自分に目を向けてほしいがために不注意や乱暴な行為に走るなど、困りごとが生じることがあります。・ほとんど知らない人に対してもなんのためらいもなく近づく・知らない大人に抱きつき、慰めを求める・落ち着きがなく、乱暴など◇どちらにも見られる態度・素振りまたどちらの愛着障害にも見られることとして、強情・意地っ張り・わがまま、といった態度が挙げられます。「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」も「脱抑制型愛着障害」も子どもと養育者との愛着形成が不安定であることによって起こるので、愛着障害の子どもは養育者を頼りにし、甘えることが上手にできません。そのため意地っ張りになってしまったり、極度にわがままになってしまったりすることがあります。・強情、意地っ張り・度が過ぎるわがままなどまた、子どもが特定の養育者を安全基地と見なしていないために、子どもの視線や行動に違和感を感じることもあります。・養育者との別離・再会のときに、養育者に対して視線をそらしながら近づく・抱っこされている間、全然関係ない方向を見つめている・見知らぬ場面において、特定の養育者を頼りに(安全基地に)する素振りが見られないなど愛着障害の原因は?出典 : 愛着障害の原因は、子どもと養育者との間に愛着がうまく形作られないことが大きく関係しています。具体的には、以下のような原因が挙げられます。・養育者との死別・離別などで愛着対象がいなくなってしまう・養育者から虐待やネグレクトを受けるなど、不適切な養育環境で育てられた・養育者が子どもに対して最低限の世話はするものの、無関心であったり放任したりしていた・養育者のような立場の大人が複数いて、世話を焼いてくれる人が頻繁に変わってしまっていた・兄弟差別など、他の子どもと明らかに差別されて育てられたこのように、本来愛着を形成する対象に危害を加えられたり、それによって自分が育った環境が安全でなかったりすると愛着の形成が阻害されてしまいます。特に、愛着を形成する大事な時期である生後6ヶ月から1歳半ころの間に上で紹介したような愛着形成が阻害されるようなことが起こると、子どもの成長に大きな影響が及びます。子どもは養育者との愛着を形成できないだけでなく、人に対する基本的な信頼感がうまく芽生えなくなってしまいます。そしてこうなると後から愛着形成を取り戻そう、修正しようとしても難しいことが多いのです。これによって先に述べたような困った態度・素振りが表れることにつながります。愛着関係をはぐくむには?出典 : 子どもの健やかな成長に必要不可欠な愛着。では、パパ・ママなど子どもの養育者が子どもとしっかり愛着を築くためにはどのように子どもに接すればよいのでしょうか。・だっこなど、親子でのスキンシップをこまめにとる・授乳、オムツかえなど、子どもの欲求に敏感に反応してあげる・親子での細やかなコミュニケーション(まだ話せないような年齢の子どもに対しても、子どもと会話をしているように声掛けをしてあげましょう)以上に示したように、愛着を築くために特別難しい技術は必要ありません。大切なのは、実際に肌と肌で感じあうことができるようなふれあいの機会を多く設ける、顔を見合わせてコミュニケーションをとる、子どもを常に見守り、細やかにお世話するというような、基本的な子育てに対して丁寧に優しい気持ちで取り組むことです。一見単純なことのように思われがちですが、基本的な子育ての姿勢を忘れずに、真摯に子どもに向き合うことが、子どもとの愛着をしっかりと構築するために重要なことなのです。愛着障害には治療法があるの?出典 : 愛着障害は、発達障害などと違って、子どもの育つ環境や養育者の子育て方法に原因がある、後天的なものです。それゆえ、投薬などを利用した治療は基本的には行いません。子どもが愛着障害と認められた場合にまず行うことは、安全基地の形成です。子どもとの間で愛着がしっかりと築かれることで、子どもは養育者のことを安全基地、すなわち困った時・不安や恐怖を感じた時に守ってもらえる拠り所として認識するようになります。愛着障害の子どもは養育者を安全基地と見なせていない場合がほとんどです。ですので、子どもに「養育者=安全基地」と認識してもらえるように、親族やかかりつけの医者など、まわりの人々が親子を支援していくことが必要です。安全基地の形成が足がかりとなって、子どもの人と接することへの安心感や信頼感を生み、他の人との接し方・距離感も改善することができます。また、子どもが愛着障害を発症するということは、養育者や家族も何らかの支援を必要としていたり、問題を抱えている場合も少なくありません。その場合、子どもだけに治療の焦点を当てるのではなく、養育者や家族を含めて幅広くアプローチすることがあります。例えば、虐待が原因の場合は子どもと養育者の距離を一回遠ざけてみたり、親へのカウンセリングや心理療法的・家族療法的アプローチを取り入れたりすることで、子どもの愛着障害の改善につながることがあります。また、養育者の抱えるさまざまな悩みや状況により、子どもを十分に育てられず、子どもに愛着障害の症状が表れた、ということもあります。その場合は生活保護や、行政や民間で提供されている育児・家事サービスの利用を視野に入れるなど、愛着障害を取り巻くすべての要因から解決策を探しだすことが必要となってきます。「子どもが愛着障害かも・・・」「子どもとの愛着形成に不安がある」と思ったときは、精神科のある病院やクリニック、カウンセリングセンター、地域の子育て支援センター、児童相談所で一度相談してみるのも良いでしょう。大人の愛着障害出典 : これまで子どもが愛着障害を発症した場合を見てきましたが、愛着障害は子ども時代を過ぎれば関係なくなるものではありません。子どものころに発症した愛着障害が治療されないと大人になっても愛着障害の症状が続くことがあります。子どもの時に養育者と愛着を築くことができなかった、ただそれだけのことのように思われることもあるかもしれません。ですが、愛着が形成されない、またそれをそのままにしておくということは、子どもが大人へと成長していくうえでの人格形成や心の持ちようなどにおいても影響を与える大きな要因になることがあるのです。実際のところ、大人で愛着障害があるということは珍しいことではありません。ただ、大人になってからも情緒や人との関係づくりで苦労することがあってもその原因が愛着障害であるという自覚が少ないケースもあります。まず大人が愛着障害を発症している場合どのような特徴があるのかご紹介します。◇情緒面・傷つきやすい・怒りを感じると建設的な話し合いができない・過去にとらわれがち、過剰反応・0か100かで捉えてしまう・意地っ張りなど情緒面では主にこのような症状が表れます。他人の何気ない発言に対して過剰に反応してしまい、傷ついてしまったり、過去の失敗や恐怖を極度に引きずってしまったりすることがあります。また、一度頭に血が上ってしまうと何に怒っているのか整理することができず、当たり散らしてしまう。「ある・ない、好き・嫌い」など物事や人を極端に捉えることしかできず、「この人は苦手な部分もあるけど、良いところもある」というように柔軟で折り合いをつけた考え方ができないということが挙げられます。◇対人関係・親などの養育者に対して敵意や恨みを持つ、または過度に従順になったり、親の顔をうかがう・親の期待に応えられない自分をひどく責める・人とほどよい距離がとれない・恋人や配偶者、また自身の子どもをどう愛すればいいかわからないなど対人関係の面では、第一に愛着障害の原因をもたらした養育者に対しての態度に症状が見られることがあります。養育者に激しい敵意・恨みをもつことでいつまでも反抗的な態度を取り続ける。反対に親に従順すぎるほどの態度を取り、大人になっても親に言いなりになってしまっているというような症状が表れます。また、子どもの場合と同じように、人とほどよい距離を保つことができない、恋人や配偶者、そして自分の子どもに対してどのように愛情を注げばいいかわからず、関係づくりに苦労することがあります。◇アイデンティティが確立できない・キャリア選択がうまくできず時間をかけた割にわずかな見聞や情報で決めてしまう・自分の選択に対する満足度が低い大人になると、仕事やプライベート、さまざまな場面で自分自身で選択することが求められます。愛着は他人との基本的な信頼感の基礎であるだけでなく、好奇心や積極性、自己肯定感の基礎ともなるものです。その愛着が子どもの時に十分に形成されず、大人になっても愛着障害が続くと、アイデンティティを獲得・確立する青年期や成人期で決断を求められる場面において苦労してしまうことがあります。大人の愛着障害が他の疾患を発症の原因になってしまうことがあります。・うつ病・心身症・不安障害・境界性パーソナリティ障害などこのように、愛着障害がある大人は生活を送るうえでさまざまな困りごとが起こるだけではなく、二次的に他の疾患を引き起こすこともあります。ですが、大人になってからでも工夫次第では症状をやわらげることができたり、困りごとを克服できたりすることもあります。最も大切なこととして、幼少期に満足に得られなかった、愛着形成のための愛情深いスキンシップやコミュニケーションを補ってあげることが挙げられます。大人になってしまうと実の親と子どものころのように密にやりとりをする、ということが難しいかもしれません。その場合は、恋人やパートナー、教師や友人などとのやり取りが愛着障害の克服の第一歩となることがあります。また、職場など対等な人間関係をつくることができ、自分の存在価値が認められるような環境に身を置くことや、自分が「理想の親」のような存在となって後輩を指導するということもアイデンティティの確立や自信をもつことにつながり、結果的に愛着障害が改善していく可能性があります。愛着障害と発達障害の関連はあるの?出典 : 発達段階の年齢にある子どもの愛着障害の症状は、発達障害の症状に似ているため、しばしば混同されることがあります。しかし、発達障害は先天性のもの、愛着障害は後天性のものである、という決定的な違いがあります。そのため愛着障害は適切な環境(愛着がきちんと形成される環境)で子どもを育てれば、症状が改善するケースが多いのです。以下、愛着障害を「反応性アタッチメント障害(反応性愛着障害)」と「脱抑制型愛着障害」をわけて、それぞれ間違えられやすい発達障害との違いをご紹介します。◇自閉症スペクトラム自閉症スペクトラムと愛着障害は、養育者と目が合いにくい、嬉しい・楽しいといった情動表現をあまり見せない、認知と行動に遅れが見られる、対人関係を円滑に築くのが苦手といった共通点があります。しかし、自閉症に見られるこだわりや反復行動は、多くの場合愛着障害には見られません。また、自閉症児の場合、知的機能は高くてもコミュニケーションに苦手意識があったり、相手の気持ちを察したりすることができないということもあります。それに対して愛着障害は、知的機能に見合った社会的コミュニケーションが見られます。つまり、愛着障害は愛着の不足によって子どもの発達が遅れているということなので、養育環境を改善すれば知的、社会面の両面を含む発達の遅れを取り戻すことができます。◇注意欠如・多動性障害(ADHD)脱抑制型愛着障害のある子どもにも、不注意や多動といったADHDのような症状が現れることがあります。ですがADHDのように、子ども自身とりわけ意識していないにもかかわらず常に不注意や多動が続く、という状態とは少し違います。脱抑制型愛着障害の場合、大人の気を引きたいがためにわざとそういった行動・態度を示すという点で、ADHDとは区別することができます。まとめ出典 : 愛着障害は乳児期に母親をはじめとする養育者ときちんと愛着を形成できていないことにより発症します。愛着がきちんと形成できないことは、子どもの知的・社会的発達に大きな影響を与えることとなります。愛着障害の治療は早期であればあるほど効果がありますが、何もせず放置してしまうと大人になっても愛着障害をずっと抱え続ける可能性があります。養育者の抱えるさまざまな悩みや困難な状況がある場合には、愛着障害を取り巻くすべての要因から解決策を探しだすことが必要となってきます。パパ・ママは子どもが生まれた直後から、声掛けやスキンシップなどの子どもへのコミュニケーションを積極的にとるようにしましょう。また、子どもに常に目をかけ、あたたかく寄り添ってあげることが、子どもとの強くしっかりとした愛着を築くために大切なことなのです。参考文献岡崎尊司/著『愛着障害の克服 「愛着アプローチ」で、人は変われる』岡崎尊司/著『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』
2017年01月19日森田療法とは?出典 : 森田療法とは精神科の医師であり研究者でもあった森田正馬(まさたけ)により創始され、1919年に確立された日本独自の精神療法です。森田療法が対象とするのは、主に神経症の症状のある人です。神経症は森田療法の開発当時の症状の呼び名であり、現在の精神医学の領域では不安障害という疾患名で呼ばれています。開発の当初は不安障害のみを対象としていましたが、現在では対人恐怖や広場恐怖などの恐怖症、強迫神経症、パニック障害、全般性不安障害などの不安神経症のある人や、最近ではアトピー性皮膚炎などの皮膚の疾患や摂食障害に対して森田療法を導入している病院もあります。森田療法は考え方の転換による治療法です。森田療法では主に、不安を持つ人がとらわれている意識などに焦点をあて、不安の悪循環から脱却することを目指します。悩みを持つ人が縛られている考え方に対して、異なる考え方の枠組みを提供することによって症状を緩和していきます。症状の時期によっては薬物療法と併用しながら治療を進めていきます。現在の一般的な医療においては「症状を取り除く」治療が行われています。つまり原因を探求し、取り除く、または修正していくことです。現代医学の原因を「取り除く」治療に対して、森田療法では症状である不安や恐怖などを受け入れることにより、症状を治療していきます。現代医学の「取り除く」医療は西欧由来の考え方ですが、森田療法の「受け入れ、生かす」という考え方は、東洋で発展してきた医学の考え方です。森田療法の治療の考え方出典 : 森田療法では「自然」であることが治療の大変重要な概念とされています。森田療法では、人間のあり方を「正常か異常」というとらえ方ではなく、「自然か反自然か」という考え方から捉えています。例えば、ペットが亡くなった時などに悲しみの感情が起こること自体は「自然」です。「反自然」とは、悲しみの感情を感じてはいけないと無理に取り除こうとする姿勢です。「直接症状を治そうとするとかえって治らない」という考え方が森田療法の前提です。生活で生じる心身の感情などの反応は本来自然なものです。神経症の患者の人は、自然なあり方を「このようにあらねばならない」と知性で捉え、本来自然なはずの自分のあり方を否定することにより苦しんでいると解釈されます。森田療法では、不安と闘うのではなく受け入れる態度を醸成していきます。森田療法が対象とする症状出典 : 森田療法が対象とするのは主に神経症(不安障害)の症状をもつ人です。開発者の森田正馬によると、もともと神経質な性質をもった人が日常生活の中での不快な感覚を気にすることから神経症が始まるといいます。そして徐々に不快な感覚が増幅して感じられることで、重い苦悩にかられ症状が進行すると考えられています。Upload By 発達障害のキホン森田神経質|公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団森田療法が対象とするのは以下のような症状のある人です。これらの症状をもつ人は森田神経質という独自の呼び方がついています。神経症(不安障害)のある人の大半は、自然に経験する症状を重大な病であると思い込み、あってはならないと強く排除しようとする特徴をもっているといいます。森田神経質の症状レベルとしてA,Bの基準を満たすと共に,Cの5つの基準のうち,2項目を満たすこと。A.症状(悩み)に対して違和感を持ち, 苦悩,苦痛,病感を伴う(自我異質性)。B.自己の今の状態(性格,症状,悩み)をもって環境に適応し得ないという不安がある(適応不安)。C.症状内容,症状への認知,関わり合い方などの項目のうち,2項目以上を満たすこと。1.症状(悩み)が起るのではないかという持続的予期不安を持つ(予期不安)。2.症状(悩み)の焦点が明らか(主に1つのことについて悩んでいる防衛単純化)3.自分の症状(悩み)は特別,特殊であると考える(自己の悩みの特別視)。4.症状(悩み)を取り除きたいという強い意欲を持つ(症状克己の姿勢)。5.症状の内容が,通常の生活感情から連続的で,了解可能(了解可能性)。北西憲二/編『森田療法を学ぶ―最近技法と治療の進め方』2014年 金剛出版/刊森田神経質になりやすい人出典 : 森田神経質になりやすい人として、森田は「内省的」「執着性」「心配性」「完全主義」という4つの性格特徴をもつ人を挙げています。■内省的である反省心が強く、真面目で責任感が強いが、わずかの弱点・欠点も過大視し、劣等感を抱きやすい。■執着性が強いねばり強く忍耐強いが、物事にこだわりやすく、融通がきかない。■感受性が強く心配性な人細かいことによく気が付き、人の気持ちを思いやることができるが、不安や苦痛に過敏となり、取り越し苦労をする。■完全を目指しがちである向上心、完全欲が強く、努力を惜しまないが、完全主義に陥りやすく、不完全であることを許すことができない。以上のような4つの性格特徴の人が森田神経質になりやすいといわれてます。森田によると、このような性格特徴のある人は、不快な感覚を気にすることを発端として、症状から脱却しようと強く願うがあまりに結果として悪循環に陥り、さらに不安定になりやすいとされます。森田療法における神経症のメカニズム出典 : ここまでは森田神経質の症状の特徴と、森田神経質になりやすい人の性格特徴について見てきました。森田は独自の理論により、神経症(不安障害)の症状のメカニズムがあるといいました。ここでは、森田療法における神経症(不安障害)の起こるメカニズムについてご紹介します。森田は、神経症(不安障害)の症状は「理想の自己の肥大」と「悪循環」により起こっているといいます。森田療法では、自己に対する意識のあり方を見直すことにより症状を和らげていきます。自己には、「理想の自己」と「現実の自己」という二つの種類があります。「理想の自己」とは「このようになりたい」と望む自分です。「現実の自己」とは、「このようにある」今の自分です。人は、「このようにありたい」と理想の自己の目標を掲げることにより、現実の自己を理想に近づけようとしていきます。Upload By 発達障害のキホンしかし、神経症(不安障害)の症状で起こっているのは、「このようになりたい」という思いが大きくなったがゆえに起こる、理想の自己が大きくなりすぎている状態です。この大きくなりすぎた理想の自己を、「肥大した理想の自己」といいます。ここで生まれた、理想の自己と現実の自己とのギャップは、「このようにあらねばならない」という義務的な思いへと転換し強い葛藤が起こります。この状態の時の特徴として持たれがちなのは、不安や恐怖の全くない状態を望んだり、「症状さえなかったら自分は望む自分に必ずなることができる」という意識です。現在の自分の状態を受け入れられず、なんとか理想の自己に近づけたいと思うことでさらに悪循環が起こります。例えば、就職試験の面接を例にして考えてみましょう。重要な就職試験の前には、緊張をしてうまくいかなかったらどうしようと不安になります。うまくやりたいという欲求が強ければ強いほど、不安や恐怖も大きくなります。不安や恐怖の感情が起こることは当然であるので、感情や欲求を受け入れられればよいのですが、理想の自己が肥大した場合には、「緊張することはだめなことだ」と考えてしまいます。そして、緊張してしまう自然な心の動きを受け入れられずに緊張する気持ちをどうにかしようと、何度も練習を行ったり、瞑想をしたりして緊張をなくそうと対処します。本当は自分の気持ちを面接官に伝えることが目的であるはずなのに、緊張を取り去って堂々と話すことに心が向かってしまいます。こうしてうまくいかなかったときには、「緊張する自分が弱いから」「だめだから」と悩み、現実の自己を追い詰めてしまいます。このように理想の自己が過度に大きくなり「こうあらねばならない」と意識をするあまり、現実の自己を縛り、問題から逃げようとするほど悪循環にはまる、これが神経症で起こっていることの一つです。Upload By 発達障害のキホン森田療法を理解するための5つのポイント出典 : 森田療法は、開発の当初には治療方法がはっきりと示されていませんでした。それぞれの医師が自らの解釈で治療を行うため、実施する医師により治療の方法にはバラつきがありました。しかし、森田療法が普及するにつれて画一的な治療の基準が求められ、その結果として2009年に森田療法のガイドラインが査定されました。そこには森田療法の治療方針の5つが定めらています。さまざまな神経症状の根底には不安や恐れ、恥、怒りなどがあります。森田療法ではまず、それらのさまざまな感情に気付いていくことを目指します。治療者からは、症状が出たときの体験について「どんな気持ちだったのですか?」「どのように感じていたのですか?」という質問を繰り返し質問を受けることによって、自分の感情を自覚していきます。また、森田療法では「感情は流れていくもの」とされています。パニック障害を例として挙げると、アメリカ精神医学会の『DSM-5』(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版)によると、数分以内に頂点に達すると書かれています。頂点を過ぎると不安が鎮まっていきます。このような「感情はそのままに放任すれば自然に消えていく」という法則に気がつけば、感情をなくそうと処理することなくそのままでいることができるようになっていきます。森田療法においては、恐怖や落ち込みなどの感情に圧倒されている患者はそれだけエネルギーがあると考えられています。それらのエネルギーは「生きる欲望」といわれ、恐怖や落ちこみなど負の感情の裏側に隠れています。治療では、そのエネルギーである「生きる欲望」を見つけ、自分を追い詰めるためにそのエネルギーを使うのではなく、自分を生かし現実に働きかけるものとしてそのエネルギーを使っていきます。普段の生活の様子をふり返り、自身が何に関心をもっているのかを考えることが「生きる欲望」の発見に繋がります。「これからどのようになりたいのか」「治ったらどのような生活をしたいのか」という問いについて考えることによって自分の欲望を発見していきます。そして発見をしたあとには、「心が動いたらすーっとそれに乗る」というように、気持ちの動きを実際の行動に繋げていきます。神経症の症状では、先ほども説明したように感情の「悪循環」が起こっています。つまり、ある感覚に対して過度に注意が集中すると、その感覚がますます過敏になり注意が固着してしまうことです。森田療法では、症状におけるこのような「注意と感覚の悪循環」のからくりを患者自身が理解することが大切です。治療者は、症状が出たときの体験に対して、「どんなことをそのときに考えていましたか」などと問い、「もっと●●でなければならない」といった考えに拘泥していることに自覚を促していきます。上でご紹介したように、悪循環に気付いたり、感情を自覚したりと心や頭の動きに着目したあとには、行動に踏み出していきます。大抵は症状が改善したあとに行動に踏み出せばいいと考える場合が多いですが、森田療法では不安や症状を行動にも踏み込んでいくことが大切とされています。なぜ積極的に行動を行っていくことが大切なのでしょうか。行動していくことのねらいは、「症状中心のあり方から生活中心のあり方」へと意識を転換させることです。最初は症状を気にするばかりであった意識のあり方は、小さい目標を決め、行動を重ねていくことで、結果的に活動的な生活態度へと繋がっていきます。行動にあたっては、治療者が指示をするのではなく、患者と治療者が相談をして行動の課題を見つけ目標を決めていきます。注意点としては、行動する際に出てきた不安などの症状よりも、目標を達成できたかどうかを第一に考える姿勢が大切だということです。この目的を達成できたかと評価の基準にすることを森田療法では「目的本位」といいます。神経症の症状による行動のパターンを明確にすることにより、「●●のようにあるべき」という考え方による「肥大した理想の自己」を見つめなおします。個々の行動に表れる神経症のパターンを見直すことは、最終的にはその患者の生き方を問い直すということになるといいます。例えば、強迫性障害の患者は症状の出る前から、完璧主義や心配性などの性格の特徴があったために、「不完全となってしまったら怖いのでやらない」など自らの行動を制限している場合が大いにあります。森田療法を進めるにつれて、不完全が気になるというのは、「そもそも完璧主義や心配性という考えすぎる性格スタイルが問題なのではないか」と自ら気がついていくようになります。森田療法では、症状のみではなくその根底に横たわる自分のあり方さえも見つめなおしていきます。北西憲二/編『森田療法を学ぶ―最近技法と治療の進め方』2014年 金剛出版/刊森田療法の治療は認定医により行われる出典 : さきほどの章でご紹介したガイドラインの5つのポイントを中心として神経症の治療は行われます。では、具体的にはどのように治療は行われていくのでしょうか。森田療法には、入院療法と通院療法があります。森田療法が確立された当時は入院による治療が主でしたが、現在では一般的には通院によって症状の改善を行います。ここでは、現代の森田療法で主流とされる通院療法を中心に森田療法の治療の具体的な進め方についてご紹介していきます。通院療法の他に入院療法についてもご紹介します。通院療法の基本は治療者との面接です。病院との距離が遠い場合には面接はメールやスカイプで行われることもあります。治療者は、精神科医や森田療法学会による認定医です。通院療法では、治療者が患者に対して行動や考え方について助言を加えていくというスタイルがとられています。まず、症状が発症するに至った経過を見ながら、問題点を絞り込んでいきます。症状や絶望や苦しみ、恐れの感情に治療者に語り、苦悩に追い込まれている今の自分のあり方をそのままつかむ作業から治療を開始していきます。初回の面接では、森田療法における「とらわれ」「はからい」などの森田療法独自の視点を使いながら、治療者から投げかけられる問いに患者が答え問題の読み換えを行っていきます。例えば、体のふるえが気になって仕方がない患者について考えてみましょう。患者が症状が出たときの体験をについて話すと、治療者からは「そのときにはどこに注意が向かっていましたか?」などと問いかけられます。そして、問われることにより自分を見つめなおしていくうちに、「もっと堂々としていなければならない」という思考や、「ふるえたらみっともない」という意識がかえってふるえを助長しているのではという思考の「とらわれ」「はからい」に気づくことになります。森田療法では、面接と並行して日記を書くことも治療の一環として行われています。「書くこと」「言葉にすること」が森田療法においては大きな特徴となっています。日記療法は開発者の森田が1919年に入院森田療法を確立した時から行われていたものです。日記には、生活の中での取り組みや実践を書いていきます。「こうあらねばならない」と自分を縛っている頭の中の思考を紙に書いて、客観的に自分の感情や考えを見つめることにより、自分の感情をありのままに受け止め、自分を理解することにつながります。面接ではなかなか内面を素直に表現できない人にとって日記はありのままの自分を表現できる場となります。症状からの回復とは、悩む以前の状態に戻ることではなく、自ら自分の感情に気づき、行動を変容させることができるようになったときであり、これが治療の完了です。入院療法は、森田療法が確立された当初主流だった伝統的なスタイルです。施設や患者の学校や仕事の関係上、現在は外来による森田療法がメインですが、入院による森田療法を行う施設もあります。対象は、通院によって森田療法を受けてきたけれど今一つ行動を広げることができなかった場合や、症状のために日常生活に支障をきたしている状態の場合などです。通院療法と同じく、医師や臨床心理士、森田療法学会による認定医によって治療は行われます。治療の期間は、大体2ヶ月~半年程と治療の期間には大きな幅があります。入院療法は4つの時期に分けて回復までの道のりを考えます。◇第1期第1期は、終日横になったまま過ごします。横になったまま、一定期間を過ごすことにより疲れた体と神経を休めます。この時期のポイントは、恐れや不安などの症状に対して何の手も加えず起こるままにします。この約5~10日の期間は、食事、風呂、トイレ以外の行為は禁止されており、人と会うこともできません。この期間は、絶対臥辱(がじょく)期と呼ばれています。絶対臥辱期に始終寝て過ごすことのねらいは、もちろん心と体を休めることです。しかし、後半2,3日に感じる退屈な気持ち、そして「活動したい」という欲求を高めることが最大のねらいです。この状態に至ることがその後の治療の足がかりとなります。◇第2期第2期は軽作業の時期です。寝たきりから起床した最初は、大きく活動をすることはしません。屋外に出て散歩や草花の観察をすることから始め、部屋の整理や陶芸など軽い作業を行います。治療者が作業を課すのではなく、入院者自身が気がついたことを行っていくスタイルをとります。気分や症状にとらわれることなく、できることからやっていくということが基本となります。この時期から、個人面談と日記の指導を行います。夕方から夜に不安が再燃しやすくなることから、入院者は夕方・夜に日記を記載し、次の日の朝に治療者に提出します。◇第3期第3期は、日常的な作業を行っていきます。第2期までは、治療者以外の人とふれあうことはありませんでしたが、第3期においては、人との共同作業も行います。具体的には、植物の水やりや犬の散歩などの作業、園芸、木工や料理などを行います。作業の内容や担当はグループの中でミーティングを行い話し合いを行いながら決めていきます。どんな作業が必要となるのか観察をして、グループ内で話し合いをしていくことに大切な意味があります。この時期のポイントは、達成感の体験と、現実に即して臨機応変な態度をとることです。大体1~2ヶ月くらいの期間を費やしてこのような態度を身につけます。作業期には、不安や症状を抱えながらも、目の前の必要な行動に積極的に関わっていく行動が大切となります。それらを体験することにより、不快な症状に対する執着から解放されていきます。◇第4期第4期は社会生活への復帰の準備期であり、1週間~1ヶ月程度です。外出、外泊を含めて社会復帰への準備をします。場合によっては院内から通学・通勤も認められます。入院療法について|公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団認定医制度について|森田療法学会森田療法は自分でもできる?出典 : もちろん、病院へ通って専門家により治療をしてもらえればよいのですが、時間などの都合により病院に通うことができないこともあるかもしれません。森田療法は自分で行うこともできるのでしょうか。メリットとしては通院費がかからない、病院まで行く必要がないことですが、デメリットとしては、どのように実践していくのか治療の方法が見えづらいことや、森田療法を継続していくためには根気が必要であることなどがあります。森田療法では「知識を身につけることでも楽になる」と言われており、神経症の症状の仕組みを理解することが治療へのもっとも近道だといわれています。自助グループに入ったり、ネット上の掲示版である体験フォーラムに参加したりすることで森田療法理論を勉強することにより、生活の中に森田療法を取り入れていき、症状の軽減を行っていきます。森田療法を実践し症状を克服した人から自らの経験や意見、アドバイスを貰うことで、実際に症状に悩み、克服した経験に根ざした意見を参考にすることもできるでしょう。自助グループに参加をすることにより、森田療法の実践の方法を学んだり、他の会員と情報を交換することができます。入会金と年会費が必要ですが、1ヶ月に1回全国で集談会という集まりがあり、世話役といわれる人や、同じく神経症のある参加者から話を聞くことができるなど、回復までを後押ししてくれます。3ヶ月にわたる基準型学習会やオンライン学習会などが定期的に開催されています。2007年に発足され、全国に集談会は120か所以上あります。生活の発見会その他にも、ネット上の会員限定の掲示板があり、神経症の症状を現在、あるいは過去にあった人がコミュニケーションをとり森田療法について学ぶことができます。この掲示板では月に1度の割合で、医療現場で活躍されている医師からアドバイスをもらうことができます。体験フォーラム|公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団森田療法を受けるまでの流れは?費用は保険が適用されるの?出典 : 森田療法を病院で受けたい場合には、森田療法が対象とする症状に合うかどうか医師が判断し、条件に見合った場合には森田療法を受けることができます。患者の状態に応じて、入院療法か通院療法かを相談を行います。通院治療と医師から判断された場合には、日記の記載や面談についてなどを医師が指示します。入院希望の方には病棟見学は、条件に見合った場合には病棟の見学を行ってもらいます。費用は、健康保険が適用されますので3割負担で受けることができます。入院を希望される場合も同様に保険適用になります。所得に応じた医療費の自己負担額の上限が定められます。入院の場合には、治療費用に加えて、食事代と宿泊代などが必要となります。森田療法を行っている医療機関については、以下のウェブサイトにまとまっているので参考にしてください。森田療法医療機関|公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団まとめ出典 : 森田療法とは、森田正馬によって確立された日本生まれの精神療法です。神経症(不安障害)を対象とした療法である森田療法は、不安や恐怖を消そうとするのではなく自然な状態であると受け入れ、行動を行うことにより神経症の症状を軽減させていきます。この記事では森田療法の考え方、治療が適応される人、ポイントや実際の具体的な治療や費用についてご紹介してきました。1919年に開発がされてから約100年ほどの時間が経ち、時代の流れに即して治療方法がアレンジされている部分もありますが、「ありのままに生きる」という価値観は当初から変わらず治療の軸となっています。症状が起こっているメカニズムを理解し、自分の感情についてそのまま受容していくという姿勢をもつことにより、症状だけに意識が向いている状態から、日常生活での自身のあり方へと視点を広げていくことができます。現代では、認知行動療法や薬物療法など他の治療行為とともに併用されることが多いです。医師と相談をしながらご自身に合う方法で治療を行っていけるといいですね。青木薫久/著『森田療法のいま―進化する森田療法の理論と臨床』2011年 批評社/刊北西憲二/著『はじめての森田療法』2016年 講談社/刊
2017年01月19日ロールシャッハ・テストってどんなテスト?出典 : ロールシャッハ・テストとは、紙に垂らしたインクを2つに折り曲げて広げたことでできる左右対称の模様が描かれた図版を見て、「何に見えるか」「どんな風に感じたか」を直感で答えていくテストです。スイスの精神医学者ヘルマン・ロールシャッハにより創始されました。90年以上の歴史をもち、日本では1930年代に紹介されて以来、臨床心理の現場で広く用いられ、研究され続けています。このテストは「投影法」という手法を用いて行われるパーソナリティ検査の一つです。パーソナリティ検査とは、行動様式や反応様式などからその人の人格を診断・評価する検査のことを指します。テストの多くは資格や職業適性の判定やストレスの原因を見つけることをねらいとして実施されます。なお、ロールシャッハ・テストは、病気や障害の有無を診断するものではありません。また、「模様が蝶に見えたら◎で、蛾に見えたら×」というような正誤を判定するテストでもありません。では、ロールシャッハ・テストでは何を調べるのか……?それは、受検者の「心」「性格」といった目に見えず、本人も意識していない内面的な世界を理解するため、すなわち「その人らしさ」を知るために試みられるテストだと考えられています。ロールシャッハ・テストを実施する目的は?出典 : 専門機関が実施するテストでは、以下の3つを目的としたものが一般的です。警察官や教員などの採用試験や、航空機や自動車の運転免許試験で実施される場合があります。その資格や職業にふさわしくないとされる、無自覚の反社会性や衝動性の有無をチェックするための検査として、ロールシャッハ・テストが用いられることがあります。原因不明の頭痛や腹痛、不眠や過食といった不調から診察やカウンセリングを受けたとき、検査の一部として精神面・情緒面の問題の有無を探るために、医師や臨床心理士から受検をすすめられることがあります。また発達相談の過程で受検を促される場合もあります。これらのケースで受検する場合は、受検者の内面を理解し、よりよい治療やカウンセリング、発達支援を提案することが目的です。カウンセリングの経過や支援の効果を調べるために日をおいて何度か実施されることもあります。ロールシャッハ・テストの手順は?出典 : ロールシャッハ・テストは面談式で行われることが一般的です。専門機関が実施するテストでは必ずインクブロットと呼ばれる図版を用います。図版には無彩色のものと有彩色のものがあり、10種類が1組になっています。テストの手順は以下の通りです。1. 受検者は図版を見て、何に見えるかを自由に回答していきます。2. 次に1の回答をふまえ、「なぜそう思ったか」という追加の質問に答えます。3. 図版の種類を変えながら、数回2~3を繰り返します。その間実施者は、1~3の作業の中で得られた答えや、カードを見たときの受検者の反応、態度などを記録していきます。「どのように見えたか」「どのように感じたか」という言葉だけではなく、「好き/嫌い」といった感情的な反応や、回答にかかった時間の長さなども含まれます。正解があるテストではないので、思い浮かばない場合は「思い浮かばない」ということそのものが回答になります。また、カードを回転させたり一部分に注目して答えることも可能です。面談式のテストでは、回答についてさらに質問が加えられることもあり、発想力や表現力を要するため、テストが終了するまでに2時間以上かかることもあります。適性検査では記述式やマークシート式で回答することもありますが、その場合も手順は同じです。図版を見る、何に見えるかを答える、そう思った理由を答える、という順番で記述したり、直感に一番近い選択肢をマークしていきます。記録された回答は、臨床実績に基づく統計データと照合され、分析されます。結果が出るまでの期間と開示の有無は、実施機関の方針によるので、各自ご確認ください。ロールシャッハ・テストは誰がどうやって判定するの?出典 : 専門機関が実施するテストの場合、回答は精神科医や臨床心理士が判定します。テストの実施者が医師や臨床心理士の有資格者でない場合は、受検者の回答や実施状況を記録し、有資格者に判定を委ねます。ロールシャッハ・テストの回答は、現在の日本においては「包括システム」(またはエクスナー法)という方式で判定されるのが主流です。「包括システム」とは、精神科臨床の場で蓄積した膨大な統計データから実証された人格の傾向を、体系的に網羅したシステムを使い解釈する方法です。その他に、日本独自の方法を体系化し、受検者の反応や言葉づかいも重視しながら分析していく「片口式」などもあります。参考:包括システムによる日本ロールシャッハ学会参考:公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会参考書籍:片口安史/著『新・心理診断法―ロールシャッハ・テストの解説と研究』(金子書房,1987)ロールシャッハ・テストは信頼できるの?出典 : ここまでの説明を読み、「こんな単純なテストで人の内面がわかるの?」という疑問を持たれた方もいるかと思います。その問いに対しては、創始から90年以上を経た今でも多くの精神科医、臨床心理士、心理学の研究者が議論を戦わせています。まず、心理分析の場でロールシャッハ・テストが活用されている理由として代表的なものをご紹介します。「心理臨床家がロールシャッハ・テストを行うのは、クライエントを援助する目的で、クライエントの『その人らしさ』を表すパーソナリティを理解するためである。」(高橋雅春・高橋依子・西尾博行/著『ロールシャッハ・テスト解釈法』P13より引用)その一方で、統計データをもとに人格を分析するという手法にそもそも問題があるという意見もあります。なぜなら受検者の生育環境、文化的背景が十分に認識されないことがあり、どれだけ膨大な蓄積があったとしても、統計データとの比較だけで分析するのは不十分だという考えを否定しきれないからです。また、分析する側にも2つの問題があります。1つは分析に必要な知識や経験を得るのに多大な時間がかかるため、正確な分析ができる人が多くないということです。2つめは受検者と実施者の人間関係が分析結果に影響を及ぼす可能性がある、という点です。参考書籍:J・M・ウッド、M・T・ネゾースキ、S・O・リリエンフェルド、H・N・ガープ共著、宮崎謙一訳『ロールシャッハテストはまちがっている』(北大路書房,2006)参考書籍:村上宣寛/著『「心理テスト」はウソでした』(日経BP社,2005)このように、ロールシャッハ・テストの信頼性に対する議論は国内外を問わず、現在でも折に触れて繰り返されています。ロールシャッハ・テストには普遍性が欠けているという科学的な意見と、長い時間をかけて洗練された手法を熟練した検査者が用いることがクライエント(相談者)理解に役立つという臨床的な意見の対立は、決着の目処が立っていません。臨床心理の現場では、目の前のクライエントの心にどのようにアプローチし支援をしていくかを考え、実行することが常に求められています。そのために、クライエントの内面を理解する一手段として、まずはロールシャッハ・テストを用いることがある、というのが実情なのです。ロールシャッハ・テストを受けられる機関出典 : ロールシャッハ・テストは実施に時間がかかり、解釈にも専門的な知識と技術が必要なため、受検できる機関は限られています。受検を希望する場合は発達障害者支援センターや児童相談所から実施できる専門機関を紹介してもらうことをおすすめします。【子どもの場合】・保健センター・子育て支援センター・児童発達支援事業所・発達障害者支援センター・法務省少年支援センター・児童相談所など【大人の場合】・発達障害者支援センター・障害者就業・生活支援センター・相談支援事業所など以下のリンクからは、全国の発達障害者支援センターを検索できるので参考になさってください。相談窓口の情報|発達障害情報・支援センターHP特別な理由なくテストを希望する場合には、まず最寄りに実施できる検査機関があるかどうかを調べてください。具体的には、精神科や心療内科を開設している病院、臨床心理士のいるカウンセリングルームなどです。候補の施設に、ロールシャッハ・テストの解釈に精通した医師、臨床心理士がいることを確認し、受検希望の旨を相談してみてください。ただし、多くの施設ではカウンセリングの過程でテストを実施するというケースが多いので、テストのみの受検は可能かどうかは確認が必要です。日本では保険医療の診療報酬体系にロールシャッハ・テストが組み込まれていますが、テストだけを受けたい場合は保険は効かないことが多いです。費用は保険適用の場合と不適用の場合で異なり、施設ごとの金額設定にも数千円~数万円の幅があるので、こちらも事前の確認をおすすめします。参考:みとカウンセリングルームどんぐりまとめ出典 : ロールシャッハ・テストは90年以上の歴史を持つパーソナリティ検査の1つで、テスト実施時の反応や回答を統計データに照合して分析し、受検者のもつパーソナリティの傾向を調べるものです。気軽な心理テストとして多くの人に親しまれている面もありますが、正しい分析にはたくさんの知識と経験を必要とする検査なので、結果の信憑性についての議論が今も続いています。このような状況を踏まえて、ロールシャッハ・テストは心の病気や発達障害を確定する検査ではなく、人格の診断・査定・調査に必要な情報収集の一手段だということ、分析結果に囚われすぎず、「こんな性格の傾向がある」と受け止めるくらいが適切だということを覚えておいてください。
2017年01月19日お喋りな息子は、「コミュニケーションができている」と思っていた出典 : 息子の発達障害を疑い、初めて発達相談に行った日。私の相談を聞いていた臨床心理士さんから、開口一番に言われたこと、それは「息子さん、お母さんと視線が合いますか?」でした。私は咄嗟に「目ですか?合ってますよ!」と言いました。それは、息子が2歳にしては年齢不相応なほどよく喋る子であったこと、そして私は息子ときちんとコミュニケーションしているという自信があったからです。よく喋っているから、息子がどこを見ているかについては感知していなかったのだと思います。けれども、ある日ふと、息子は1人で好き勝手なことを喋っているだけで、私の目を全く見ていなかったことに気付いたのでした。療育で始まった「目を合わせる練習」。一体どんなことをするの?出典 : その後、息子の支援は発達相談から療育に繋がりました。療育では毎回、さりげなく息子が視線を合わせる働きかけをしていました。息子が目で追うおもちゃを、先生が自分の目元に持っていったり、何かができたときに先生の顔を見ると褒めたりを繰り返してくれました。次第に、息子が人に何か働きかける際、相手と視線を合わせることが増えていきました。息子と視線が合うようになって初めて、「ああ、これまでこんな風に目線が合うことってなかったな」と私は気付いたのでした。視線が合うようになって何が助かったかというと、息子がこちらの表情を見るようになったことです。コミュニケーションを成立させるためには、相手が喋っている、ムッとしている、笑っている…といった、細かい表情から状況を読み取っていく必要があります。息子は「人の気持ちがわからない」訳ではなく、「人の顔を見ていないから、相手の気持ちとそぐわないことをやってしまう」ようでした。目を合わせる回数が増えるにつれ、一方的に相手にまくしたてるような行動が減っていきました。目が合うようになった息子の、新たな問題出典 : 息子と視線が合うようになり、小さな幸せを感じていた私でしたが、今度はまた新たな問題が生じたのです。それは息子が、人の目を至近距離からジーーーっと見つめ、視線が外せなくなったことでした。相手が小さな子どもであれば、背丈も同じぐらいですから、当然怖がります。相手を覗き込むようにジーーーーっと見つめて喋る息子は、みるみるうちに他の子どもたちから変な子扱いされるようになってしまいました。相手と目を合わせること自体が息子にとっては大変なことでしたが、今度は目線の外し方と適度な距離が分からなくなってしまったのです。発達障害児にとって、視線を合わせるとはどういうことなのか?出典 : 相手を覗き込んで話すことで、周りのお友達みんなに嫌がられ、本人も少しずつ「何か違う」と気付いていったようです。相手との適切な距離感を学ぶため、話すときに相手とどのくらい離れればいいのか?適度な距離を取る練習をしました。距離が取れれば、多少相手をジッと見てしまっても、そこまで違和感はありません。成長した現在でも、息子は肉体的・精神的負担が大きくなって疲労が溜まってくると、全く視線が合わなくなります。行事の練習が続くとき、初めての人と話をするとき、様々な刺激でイライラしているとき、私は息子の視線がフラフラと泳いでいくことに気付きました。この点から、視線が合うかどうかは、体調や心理状態のバロメータになっています。発達障害児にとって「視線を合わせる」ことは、気持ちに余裕がないとできないことなのですね。視線を合わせる(そして視線を外す)こと1つであっても、努力して頑張ってやっていることだということを忘れてはいけないな…と思います。
2017年01月19日多動が続き、抑制できない小学4年生の場合出典 : こんにちは、國學院大學教授の池田行伸です。私はこれまでスクールカウンセラーとして、定期的に学校の教育相談室に勤務し、カウンセリングにあたってきました。今日のお話は、15年程前、新年度になり新たな小学校にスクールカウンセラーとして赴いた時のエピソードです。教育相談担当教員に紹介されて、担任教師が相談に来ました。4年生にもなるのに5分と椅子に座っていられない男子生徒がいるという相談でした。放っておくと立ち上がり、後ろの黒板に絵を描いて遊んでいる。教師が手を引いて椅子に座らせると抵抗せず素直に従う。しかしまた数分後には立ち歩く、と言うのです。教師が椅子に座っている生徒の手を握っていると立ち歩かないのだが、四六時中手を握っているわけにもいかず困っているとのことでした。ちょうど、このような多動が顕著な子どもに対して薬物療法が開始された時期でしたから、医療との連携も選択肢に入れた支援を検討することにしました。まずは生徒の親と話す機会を設けて欲しいと担任にお願いし、母親との面会を実施します。すると母親は、開口一番に、「実は子どもが万引きして悩んでいます。」と、学校での問題行動以上にもっと深刻な悩みを打ち明けてきました。友人と店に入り代金を払わず店外に出て、出たその場で商品を開けるのだと言うのです。そのためすぐ店員に見つかります。親が弁償し、父親が万引きがどんなにいけないことかを深夜に及ぶまで教え、懇々と諭しました。生徒も泣きじゃくり、「もうしません」と何度も何度も繰り返したそうです。母親の目にも本当に改心したのだと映ったのですが、次の日また、同じことをやってしまうということでした。この話を聞き、私は専門医への受診を勧めました。しかし母親は「それを考えているのですが父親が受診、服薬に反対しているのです。」と答えましたが、「このまま放置しておくと、改善する方向には向かわないだろう。専門医の支援を受けた方が良いと思う」と説得しました。しばらく経った勤務日、朝登校するなり教育相談担当教員が喜々とした表情でやってきて、「病院で薬を処方され、医師の指示に従い、朝に服薬して登校したら1時間立ち歩くことなく椅子に座っていたと、担任が驚いていました。魔法の薬です。」と伝えてきました。この時は、薬物療法の効果を実感することができました。その後私は勤務校を離れることとなり、その生徒の状況を直接最後まで見届けることはできませんでした。ですが、数年経った頃に「あの生徒はどうなっているのだろうか」と思い、進学先の中学校の養護の先生に連絡したことがあります。生徒はあれからしばらくして服薬を中止した、父親が「これは麻薬だ」と言い、服薬させないようにしたとのことでした。学校は薬を続けて落ち着いてもらいたいと考えているのだが、父親が「学校のために子どもに麻薬を飲めと言うのか」と言い、話が噛み合わないと嘆いていました。この学校の担当を外れた私はそれ以上かかわることができませんでした。最初の試みはこのように大失敗でした。学校の教師も驚くような行動の変化は、父親をそれまでの我が子とはまったく異なる別人に出会った感じにさせたようです。元のやんちゃな我が子はどこに行ったんだと。それが飲んでいる薬のせいだとすれば、人を陥れる麻薬に思えたのでしょう。服薬の意味とはなにか?という問い出典 : その後、私事ですが、入院しなければならないほどの病を患い、カウンセラーの職を休職していた時期があります。病床でふと「服薬の意味とはなにか?」という問いが去来しました。例えば、だれでもいきなり髪が抜け落ち、つるつる頭の我が子を見たら驚愕するでしょう。それが薬のせいであれば、そんな薬は飲むなと叫ぶでしょう。しかしそれが白血病の我が子を救う唯一の方法だと分かれば目に涙を浮かべながらも一緒に頑張ろうと子どもを抱きしめるでしょう。本人もですが、幼い子どもの場合は特に、「薬を飲む意味」を親が十分理解していなければ、薬物療法による成果は得られないだろうと思うようになりました。低学年からソーシャルスキルトレーニングを積み重ねてきた子どもの場合出典 : これまでの経験から薬物療法が効果的であると思われる経過を紹介します。幼稚園、保育園の頃から多動傾向があり、順番を守らない、他の子どもが遊んでいるおもちゃを勝手にとるなどの問題行動を指摘されている子どもが小学校に入学しました。早速担任から問題行動が指摘されますが、まだ1, 2年生のうちは他の子どもも幼児期の特徴を残しており、一人ひとりばらばらの思いで発言したり、行動したりするのでそれほど問題行動が目立ちません。ですがこの時期にもできる支援はあります。・消しゴムが欲しいからといって近くに置いてある別の子の消しゴムを勝手に使わないように、使うときは「貸してね」と断ること・使い終わったら放り投げないで借りた子に「ありがとう」と言って返すことなど、学校生活でのクラスメイトとの基本的な関わり方を教えるソーシャルスキルトレーニングを、学校でも辛抱強く行うのです。これは担任だけでできることではないので、補助教員、支援員の助けを借りる必要があります。3,4年生にもなると子どもは成長し、いわゆるギャングエイジに入ります。友人が固定され、集団活動が活発になり統制のとれた動きができるようになります。子どもたちはサッカーや野球のようなチームプレーを好んで行うようになります。大人と同じように、気の合った者同士の集団ができるのです。このような時期に入ると、勝手な行動をする子どもは集団に入れてもらえなくなります。班活動してものけ者にされることが増えていき、そうなるとその子は学校やクラスが嫌になります。結果、わざと人が嫌がることを行うようになり、それを見て周りの者はさらにその子を避けるといった負のサイクルが生まれやすくなり、時にいじめや不登校に発展することもあります。幼児の頃、1年生のころからずっと見てきた上でこのような状況に直面すると、ソーシャルスキルトレーニング等の薬物療法以外の方法が限界であることが見えてきます。親も、他の子に暴力をふるった、他の子の持ち物を故意に壊したなどと、担任や保護者から苦情が寄せられ困り果てます。腕力も強くなります。このタイミングでは特に、薬物療法を含めた医療との連携をもちかけることが重要になります。子供の未来、可能性はなるべく広く持たせてあげたい出典 : 悩める親に専門医の受診を勧める際、私は次のような言い方をします。「ほとんどの人が小学生時代に身に着けた知識で生きています。読み書きや計算です。次に進むためにも小学校で学ぶ知識は必要です。成長し、将来多動傾向が改善したとしても小学校時代の学びは行う必要があるでしょう。大人になって学ぶことに自尊心が傷つけられたら先に進めません。今だからやれることがあります。一度医療の支援をうけてみませんか。少しでも集中でき、学校での学びが進めば先が見えます。」薬物療法の役割を理解し、ほかに良い方法がないと感じた親は、この提案を受けてくれます。時には父母で話しに来られます。提案を受けていただけたら、信頼のおける専門医選びを行い、薬物については医師に詳しく尋ねて下さいと言います。スクールカウンセラーは日ごろの心配に寄り添います。タイミングを一緒に考えましょう出典 : 年前と違い最近は新しい薬が用いられています。服薬すると行動が改善し、「取り合いになりこの場合は必ず喧嘩になる」という場面で問題の生徒が相手に譲ったと言って教師が驚くことがあります。年齢相応のトラブルは残るものの、大きな事故や事件は起こりにくくなります。行動の変化に気づいた級友がいぶかしがってちょっかいを出すことありますが、「○○君も成長したんだ。」と教師が言ってくれると、2,3ヶ月後には違和感なく教室で過ごせるようになったりします。もちろん、薬には副作用があります。それを気にする親もいます。詳しいことは医師に相談してもらうとして、日ごろの心配などは、カウンセラーや担任が十分聞いてあげることが大切です。親の不安には絶えず寄り添う必要があります。特に、小学校の高学年、中学生になってから薬を使うとうまくいかないことが多いです。子どもはすでに自分はのけ者、仲間外れだという意識を強く持ってしまっているので、まず薬物療法に素直に従おうとしません。自我も発達しているので、薬を飲んだ時の違和感を感じたら子どもが勝手にやめたりします。この時期になると強制的に飲ませようとしても困難です。母親以外の家族や学校から薬を勧められても飲まない生徒に、母親が「自分しかこの子を守れない」と母子で服薬を拒否し、あちこちでぎくしゃくが生じることもあります。このようなことを経験して私は次のような考えに行きつきました。どこでも叫ばれている早期発見・早期療育です。幼い頃からその子をよく観察し、その時々の支援のあり方をアドバイスすること。薬物療法にせよ、それ以外にせよ、まずはこの原理原則を守ることが重要です。ソーシャルスキルトレーニングが効果的であると思えばそれをアドバイスし、他の方法ではなかなか効果が上がらず、遅すぎないうちに医療の支援を考えさせたいと思えば、そのことをアドバイスするのです。ですから、支援に入ってから薬物療法を選ぶまでに数年かかることもあります。それくらい丁寧にコミュニケーションを続けてこないと、親は薬物療法に向かってくれないでしょうし、結果、問題解決に向けた効果も得られにくくなると思います。子どもの療育をめぐって、薬物療法が効くか・効かないか、といった二項対立の議論になることもありますが、そうではなく、親が納得して支援方法・療法を選び、選んだ療法で狙った効果を出せるよう、どのようなコミュニケーションを取るべきか。そう言った観点も忘れてはいけません。
2017年01月18日やっぱり知りたい!よそのおウチのカミングアウト事情出典 : 周囲に子どもの障害を知ってほしいとき、伝えなくてはいけなくなったとき、みなさんはどんな風に告知していますか?今回は我が家の3つの事例を振り返りながら、障害のカミングアウトの在り方について考えてみました。最初にお伝えしておくと、長男は広汎性発達障害の診断が下りています。次男は発達が緩やかで、診断は出ていませんが、「先の見通しのつかないこと」への恐怖感が強い特性があります。出典 : 私が最初にカミングアウトをしたのは、長男の幼稚園の保護者会での集まりです。長男は当時、他のお子さんのように指示に従ったり椅子に座ったりが難しい状況でした。幸いお友達も保護者のみなさんも、とても温かく優しかったので、息子をいじめたり叱責する人は1人もいませんでしたが、だからこそ、様々な理由でパニックを起こし暴れる息子が、みんなに迷惑をかけていないか?と、常にとても心配していました。そんな我が子のことを周りに知ってもらい、できない部分を認めてもらうため、勝手だとは思いつつもある種の「免罪符として」、私はクラスにカミングアウトをすることに決めたのです。そして当時の担任の先生に何度か相談し、「保護者会の日に伝えよう」ということになりました。当日は何を話そうか、主人と何度も相談を重ねました。いよいよ訪れた保護者会の日。伝えたことは以下のような内容でした。・障害があること、障害名、どのような障害なのか・聴覚に過敏さがあり、イヤーマフを使っていること・障害によってご迷惑をおかけすることがあること、ご迷惑をおかけしたら遠慮なく教えてほしいこと・パニックで暴れているときは、危険が無いかだけ見て頂き、後は構わないでOK保護者の皆さんは私が想像していたよりもさらに温かい雰囲気で、私の話を聞いて下さり、中には涙しながら私の思いに共感してくださる方もいらっしゃいました。その後、それまでよりも更に長男のことを理解し、応援してくださる方が増えたのです。このときは、クラスメイトや保護者の皆さんの人柄を信じたことが、カミングアウトの成功に繋がったのだと思います。出典 : 次は、次男が通っていた保育園の保護者会でのカミングアウトです。次男はどちらかというと「全てにおいてゆっくりタイプ」なため、カミングアウトについては完全にノープラン。しかも保育園なので、他の保護者の皆さんとはあまり接する機会もありません。先生と相談し、子ども同士のケアができていれば、特にカミングアウトをする必要も無いよなぁ…と思っていました。しかしそのときは突然訪れたのです。保育園の保護者会での一幕でした。「最近お子さんと接していて困ったことを教えてください」というお題で、フリップに絵を描いて発表するというレクリエーションが行われたのです。他の親御さんが「下品な言葉を連発してくる」「口喧嘩で子どもに勝てない」など、思わずクスっとなる年相応の可愛い「あるある」を披露していきます。出典 : そんな中、私が発表した内容は…「言葉が話せないので『ハァ~』『んん~』などの、ニュアンスで物事を伝えようとしてくるので困る」と、およそ4歳児の「あるある」とはかけ離れたネタでした。正直、このネタをネタと受け取ってもらえるのか?引かれてしまうのか?気を遣われてしまうのか?…賭けでした。でも、嘘の「あるある」を発表するのは、保護者の皆さんも我が子をもバカにしているように思えたので、正直にそのとき感じていた困りごとをイラストと共に発表しました。このときは結局、それ以上お伝えすることもありませんでしたが、「あの子がおしゃべりができないのは、悪気があるわけじゃないんだな」とは、わかってもらえた感触がありました。そしてその数ケ月後、あるお母さんから「◯◯くん、お話が増えたよね」と話しかけてもらえたときに、「ああ、あんな曖昧なカミングアウトだったけど、ちゃんと伝わったんだな」とあらためて実感することとなりました。出典 : そして最後のカミングアウトは、長男が転園した保育園の、保護者との飲み会です。いろいろあって幼稚園をやめることになった長男。その後、偶然欠員が出た保育園になんとか転園することができました。次男とは別の保育園で、園の雰囲気や保護者の皆さんのカラーも、また違ったものでした。どちらかというと、元気でノリのいい雰囲気の保護者さんたち。ざっくばらんで話しやすい方々という印象だったので、そのうちの1人であるAさんに、息子のことや発達障害が原因で幼稚園をやめたことなどを伝えていました。その数週間後、クラスで飲み会が開催されました。出産後、飲み会どころかランチもほとんど断り続けていた私でしたが「みなさんとの親睦を図るため」と、一念発起して飲み会に参加することにしたのです。そこでの乾杯の音頭をAさんがとることになり…Aさん「みんな~!新しく入った◯◯くんは、成長に凸凹があります!!イエーーーーーイ!!乾杯!!」というわけで、私は全く気を揉むことなく、乾杯の勢いでサプライズ的にカミングアウトをしてもらうこととなったのです(笑)。正直ビックリしましたが、「ああ、別にそんな大したことじゃないんだよな…」と感じ、実は私にとって一番嬉しかったカミングアウトの思い出となりました。酔いが冷めた後も、親子ともども優しく接してくださりクラスメイトに助けてもらいながら、長男は元気に保育園に通っています。カミングアウトに正解なし!でも、知っておきたいことは…出典 : いかがでしたか?●場を設けてもらってしっかりと説明●たまたま機会があったのでなんとなく●周りの方がいきなり発表私は色々なタイプのカミングアウトを経験してきました。そんな私が言えるのは、「カミングアウト、万人に当てはまる正解はない」ということです。自分にとってはこの方法が良い、子どもはこうして欲しいはず、という思いも大切ですが、カミングアウトを「する側」があれば「される側」もいるということを忘れてはいけないと思うのです。「される側」が期待通りの反応をしてくれなかったと思うこともあるでしょう。でも、私は思うのです。心の準備ができていない状態で障害のことを伝えられ、困惑しない人の方が珍しいと。「カミングアウトする必要があるかどうか」「いつ、どのタイミングがいいのか」探りながら相談しながら、当事者にとっても周りにとっても負担のないカミングアウトの方法を見つけていくことができれば、周囲との関係性は良い方向へ変わっていくと私は思うのです。
2017年01月18日放課後等デイサービスの開設要件が変更に出典 : 年1月6日、厚生労働省は、障害のある就学児向けの学童保育のようなサービス「放課後等デイサービス」について、事業所における職員配置基準を「置くべき従業者を児童指導員、保育士又は障害福祉サービス経験者とし、そのうちの半数以上を児童指導員又は保育士としなければならない」と厳格化する方向性を示しました。合わせて、事業者への「放課後等デイサービスガイドライン」の順守と、評価結果公表の義務付けを決定する方針も発表しました。こうした放課後等デイサービスの運営基準改正は、2017年4月1日より施行される予定です。そもそも放課後等デイサービスってどんな施設?放課後等デイサービスとは、障害のある就学児童(小学生・中学生・高校生)が学校の授業終了後や長期休暇中に通うことのできる施設です。放課後等デイサービスでは、生活力向上のための様々なプログラムが行われます。トランポリン、楽器の演奏、パソコン教室、社会科見学、造形など習い事に近い活動を行っている施設もあれば、専門的な療育を受けることができる施設もあります。急増した放課後等デイサービス事業者、それに伴って起きた課題出典 : 年の児童福祉法改正によって、放課後等デイサービスが児童福祉施設として制度化された結果、2012年は2,540ヶ所だった放課後等デイサービス事業所の数は、2016年には8,352ヶ所と約3.3倍になりました(各年度4月時点)。また利用児童数も、2012年の53,590人から2015年には112,162人と倍増しました(一月平均)。このように事業所が増えたことで、放課後等デイサービスを利用出来る児童は増えたのですが、急激な事業所数の増加によりサービスの質が低い事業所も少なくないことが問題視されています。具体的には、テレビを見せているだけ、ゲーム等を渡して遊ばせているだけなど、利潤を追求し支援の質が低い事業所や適切ではない支援を行う事業所が増えているとの指摘、発達支援の内容、技術が十分でない事業所も見られるという指摘や、単なる居場所となっている事例、発達支援の技術が十分でない事業所が軽度の障害児を集めている事例があるとの指摘などがあります。また一部の事業者においては架空報酬や職員不足などの不正で行政処分を受けたことが取り沙汰され問題となりました。放課後等デイサービス 障害児預かり20業者処分 不正請求や職員不足厚生労働省は2015年に「放課後等デイサービスガイドライン」を策定・公表するなどといった対策を行い、基本的事項や職員の専門性の確保等を定め、事業所に対し不断に創意工夫を図り、提供する支援の質の向上に努めることや自己評価の実施を求めてはいますが、それだけではサービスの質向上には不十分だったとの指摘・議論が行われました。放課後等デイサービスガイドラインそこで今回、厚生労働省は、放課後等デイサービスの開設要件を厳格化し、2017年4月から新基準で開設の適否を判断することと、放課後等デイサービスガイドラインの順守と評価結果公表の義務付けを決定しました。放課後等デイサービス開設の新基準、押さえておきたいポイント出典 : 今回決定した放課後等デイサービス開設要件の新基準では、職員の配置に関する条件が厳しくなり、職員となるには資格や障害児支援等の経験が必要となります。これまで放課後等デイサービスの指導員となるための要件に資格要件は特にありませんでしたが、新基準では、配置すべき職員は「児童指導員」「保育士」「障害福祉サービス経験者」とし、そのうち、児童指導員又は保育士を半数以上とすることが定められています。そして「児童指導員」となるには、・学校教育法規定の大学または大学院で社会福祉・心理・教育・社会のいずれかに関する学部・研究科・学科・専攻を卒業する・小・中・高いずれかの教員免許(教科は問わない)を取得する・児童福祉施設での実務経験(高卒以上は2年、その他は3年)・地方厚生局長等指定の児童福祉施設職員養成学校を卒業する・社会福祉士や精神保健福祉士の資格を取得するなどといった条件のいずれかを満たす必要があります。児童指導員及び指導員の資格要件等また、放課後等デイサービスに通う児童に対して個別支援計画を作成し、その子どもの支援が適切に行われるよう管理する「児童発達支援管理責任者(児発管)」を各事業所に一人配置することがかねてより義務付けられていたのですが、この児童発達支援管理責任者となるための要件が変更になりました。これまで児童発達支援管理責任者になるためには、定められた研修を受講し、また障害児者の保健・医療・福祉・就労・教育の分野における5~10年の直接支援実務経験があること、もしくは相談支援や対象の国家資格等による仕事に従事しているなどの経験があることでも条件を満たしていました。障害福祉サービスにおけるサービス管理責任者についてしかし今後は、障害児・児童・障害者の直接支援の経験(3年以上)が必須化となります。この変更により、実務経験の必要な期間は短くなりますが、介護領域の職員や相談支援業務の職員、対象だった資格の有資格者は、児童発達支援管理責任者となるための要件を満たさなくなります。職員の配置厳格化に加え、今後は 「放課後等デイサービスガイドライン」の遵守及び自己評価結果公表の義務付けも定められることとなります。また「放課後等デイサービスガイドライン」自体の見直しも検討される予定です。あなたの意見が政策に!厚生労働省がパブリックコメントを募集中(2017年1月23日まで)出典 : 厚生労働省は本改正に関して2月議会で条例改正を行い2017年4月に施行することを目指しています。そしてそれまでに広く国民から意見、情報を募集し、それを考慮しながら最終決定を行うべくパブリックコメントを募集しています。皆さんは放課後等デイサービスにおける職員配置基準の厳格化と放課後等デイサービスガイドラインの順守と評価結果公表の義務付けに関してどう思いますか?郵送、FAX、もしくは下記の電子政府 (e-Gov)の意見提出フォームよりパブリックコメントを提出することが可能です。締切は2017年1月23日まで。児童福祉法に基づく指定通所支援の事業等の人員、設備及び運営に関する基準の一部を改正する省令(案)の御意見の募集についてまた、本コラムのコメント欄にも、今回の放課後等デイサービス運営基準改正に関して、ユーザーの皆さんからの様々な意見を募集します。今回の改正方針に関しての賛否のご意見だけでなく、障害のある子どもたちが適切な支援を受けるための「サービスの質向上」という目的に向けた、他にも様々な論点からのコメントをお待ちしております。発達ナビ編集部でも、引き続き今後の審議の動向を追っていきたいと思います。
2017年01月17日思ったことは黙っていられない?アスペルガーの娘が正直すぎて…出典 : アスペルガー症候群・ADHDと診断されている小学3年生の娘は、最近誰かと話をしている最中に、意図せず険悪な雰囲気になったり相手を怒らせてしまったりすることが増えてきました。先日あった、伯父と娘との会話です。伯父「今日は本屋さんで、旅のガイドブックを買ってきたよ」娘「そんな写真ばかりの本じゃなくて、せっかく本屋さんに行ったなら、ちゃんと文字がたくさん書いてある本を買ったら良かったのに」言われた方としては、「なぜそんなことを言うんだ!」と、ついカッとなりそうな言い方です。娘は頭に浮かんだことを、そのまま口にしており、それはアスペルガーの特性の1つでもありますが、このまま放置する訳にもいきません。娘の場合、「叱られて場数を踏めば自分で学ぶだろう」という考えは途方もなく遠回りで、その間にも自己肯定感は下がり続け、「相手が悪い!」と思い込むなど、誤った解決方法を身につけてしまったが最後、なかなか修正できません。なんとか上手くコミュニケーションを取る手立てはないのでしょうか。なぜ娘は、自分の「好きなもの」以外を受け入れられないの?出典 : まず、なぜ娘が他人にとって不快な発言をしてしまうのかを考えてみました。娘は幼い頃から息をするように本を読み、「自分の人生に本がなければ、死んでいたかもしれない」とまで言う子です。つまり、娘にとって本はとても大切なものなのです。大切にするあまり、自分の好きな本以外を否定してしまうのでしょう。その傾向は昔からありました。例えばテレビのコマーシャルで、出演者がある食べ物を食べて満面の笑みで「美味しい!」というのを見ると、娘は必ず画面に向かって文句を言います。「そんなのより、ママのお料理の方が絶対美味しい!」「ママの料理も食べたことないクセに何がわかるのっ!」こんな感じでずっと本気で怒っているのです。ちなみに私は家事の中でお料理が一番苦手で、特別美味しいものを調理できる訳ではありません。アレルギーで使える食材にも限りがあるので、どちらかというとその出来栄えは平均よりも下の部類に入ると思います。出典 : それでも、娘にとって私は特別な存在なので、関係のないコマーシャルを見ても、「自分が大切に思っているモノと違うものを勧められている」と認識した瞬間、「それは自分の大切なものを否定するということか!?」という怒りに直結するようなのです。伯父さんが選んだガイドブックは、私の大切にしている本とは違う。私が大切にしているものが選ばれなかった。否定された!とても良いものなのに!どうしてこっちを選んでくれないの!どうしてそんなものを選んだの!?こっちの方が良いに決まってるのに!!!そんな娘の心の声が聞こえてくるようで、その気持ちを理解する反面、その場を険悪な雰囲気にしてしまって申し訳ない気持ちで一杯でした。好きなものを否定され、気付いたのは…出典 : その場で「なんてことを言うの!謝りなさい!」と怒って済ますのは簡単なことですが、それでは根本的な解決になりません。どうして思ったことを言ってはいけないのか、わからないままだと怖くなって口を閉ざしてしまったり、人の顔色を窺い過ぎて辛い人生になったりすることも考えられます。そこで、夜になってから娘とゆっくり話し合ってみました。私「今日、お話の途中で良くない雰囲気になったの気づいてた?」娘「うん、気付いてた…。でもさ、あんな写真ばかりの本を買ったって、仕方ないでしょ?」私「そうねぇ。でも小説や伝記を読んだって、結局その人生を生きたのはあなたとは別の人間でさ、読んで偉くなったようなつもりになるぐらいなら、本なんて読まなくてもいいんじゃないかな。もう本なんてクダラナイものにお金使うのやめた方がいい気がしてきた。」娘「えっ!?ママ、何でそんなこと言うの!?ママだって本好きって言ってたじゃない!?」私「うーん、好きだったけどもういいや!これからは別のところにお金使うことにするから、本買ってって2度と言わないでね。…ってって言われたらどう思う?」出典 : 娘「(泣きながら)ひどい…。そんなのイヤだよ…。」私「そう思うでしょ?あなたが今日伯父さんにやったのは、これ。こういうことなの。自分の大切なものや好きなものを否定され、別のものを押し付けられることが、どれだけ嫌なものかがわかってやっているの?」娘「そんなつもりはなかったの!ただ、ガイドブックより本の方がためになると思ったから言っただけなの」私「あのね。何に喜びを感じるか、何が好きで何を大切にするかは人によって違うし、自由に選択することができるのよ。それを価値観っていうの。人はそれぞれ自分だけの価値観を持っていて、他人がそれを否定したり馬鹿にする権利はないのよ。あなたも自分の大切な本を否定されて、今悲しかったでしょ?」娘「すごく悲しかった…」私「だったら、誰かの『好き』を否定するようなこと、もう2度としちゃダメよ。優しい人はね、その場の空気を壊さないように、そんなこと言われても我慢してニコニコしてくれるけど、それに甘えちゃダメなんだよ。」娘「ニコニコしてても、我慢してるときがあるの?」私「そう。でもね、誰かが我慢してくれて成り立つコミュニケーションなんて、良いコミュニケーションとは言えないのよ。」娘「じゃあ良いコミュニケーションってどんなの?」私「そうねぇ。みんなが自分の好きなお話を安心してできるといいね。あなたと話すと否定されない、バカにされない、わかってもらえる…そんな風に思ってもらえたら大成功じゃないかしら?」娘「確かにそんな人なら、安心してお話できるね!」お互いの「好き」を認め合うことから始めてみよう!出典 : そうして、娘とルールを作ってみました。① 誰かの「好き」を否定しないこと② それが例え興味のないことでも、どんなところが好きなのか聞いてみて、自分の世界を広げるきっかけにすること③ 興味がなくても、イイね!などの共感する言葉を使ってみることまずはこの3つからです。簡単そうに見えて、なかなか自分のモノにするには時間がかかりそうですが、アスペルガーの特性である「ルールに厳格」という点を逆手に取れば、シンプルなルール作りはきっと娘の役に立つはずです。アスペルガーの人は場違いな発言をすることが多いですが、それはどんな風に話をすれば良いのか分からぬまま、傷つきやすい自分自身を守ってきたせいなのかもしれません。まずは相手の『好き』を否定しない。そんな簡単なルールから始めてみませんか?
2017年01月17日中2の息子の甘え方=母にハグを求める!?出典 : アスペルガー症候群の息子は現在中学2年生。知的な遅れもなく、言語も達者。コミニケーションに問題を抱えながらも通常学級で学んでいます。身長は両親を追い越し、170センチを超えています。そんな年頃の息子ですが、思春期によくある反抗的な態度は一切なく、それどころか母親の私にべったり。さすがに「抱っこして」とは言いにくいのでしょうか、ときどき「ハグして」と言ってきます。こんな中学生をみなさんはどう思いますか?大きすぎてもはや抱き上げる事はできないので、やや引き気味な気持ちを抑え、膝枕をしたりマッサージをしたり、私はなるべく息子の要求に応えています。そこまでして私が息子の「ハグ」に応える理由、そこには母親としてちょっと切実な気持ちがあるのです。実はとってもドライだった息子。愛情を求めるようになったのは小4の頃でした出典 : 今でこそ、素直に母親に甘えてくる息子ですが、幼い頃の息子は今と全く違いました。むしろ私に対してドライな子どもに見えました。抱っこを求めることも後追いもなく、迷子になっても泣くことすらしない息子を前に、母親としての自信を失いかけたことも。弟が生まれた時期に、入院するほど大きく体調を崩したこともありましたが、それでも抱っこを求めることは、ほとんどありませんでした。その後、パニックを頻発するようになり、自分の感情を泣いて暴れるという形で出す変化はありましたが、甘えてくることはありませんでした。息子の方から私に抱っこを求めてくるようになったのは、息子が4年生になった頃です。6歳年下の弟にやきもちを焼き、私の膝の上に割り込んできたり、もっと自分を見て欲しいというアピールをしたり、それはまるで遅れてやってきた赤ちゃん返りの様でした。年齢にそぐわない、しかもあまりの変貌ぶりに戸惑いもありました。しかし、やっと出てきた息子の要求に、戸惑いつつも私は受け入れることにしたのです。赤ちゃん返りした息子を見て実感した、母としての喜び出典 : 息子はなぜ急に、赤ちゃん返りしたのでしょうか?私はこれまでの子育てを振り返り、あることに気付きました。発達障害と診断された当時、会話はできても自分の気持ちを言葉にできなかった息子。その頃、パニックを起こしては体調を崩していました。今思えば、抱えきれない心の重荷が言葉にできず、ストレスが体に出ていたのかもしれません。当時を思い出すたび、感情を上手く表現できない子どもの苦痛は計り知れず、辛かっただろうなと思います。たとえ赤ちゃん返りという、親にとって厄介なものでも、表現できるって素晴らしいことなのですね。大きくなった息子が抱っこを求めてきたとき、赤ちゃんのようにわがままを言い出したとき、戸惑いつつもようやくお母さんとして認められたような気がしました。そしてゆっくりではあるけれど、息子が発達していることを実感できたのです。発達障害児が愛着を求める過程がゆっくりなのは、自分の気持ちを表現できるまでに、時間がかかるからなのかもしれません。そして、愛着形成は子どもだけでなく、子どもに必要とされる安心感を得るため、お母さんにとっても必要不可欠なものだと痛感したのです。そもそも愛着って何?出典 : そもそも愛着とは一体何なのでしょうか?以前、講演で児童精神科医の佐々木正美先生は、愛着についてこう仰いました。「信頼できる特別なひとりの人(愛着を持つ相手)に対して、子ども自身が『自分はこの人に、無条件で永遠に愛される』という確信を持てること」私はこの「無条件で永遠に」という説明に、ストンと腑に落ちるものがありました。そして、「先生が言われるこの確信こそが愛着の正体なのではないか?」と、思ったのです。良い子だから、勉強ができるから、容姿が優れているから、女の子(もしくは男の子)だから…という、条件がつけられた時点で、本当の意味の「愛着」からは遠ざかってしまう。愛着とは、命そのものを育むような、原始的でありながら崇高な愛情が形成するものと言えるのかもしれません。中2の息子がハグを求める理由、それは発達障害児の愛着形成プロセスにありました出典 : では、「大きな息子とのハグ」と愛着はどう関係しているのでしょうか?答えは発達障害にあるのだと思います。この点に関して、児童精神科医の杉登志郎先生は著書に、「発達障害の子どもは愛着の形成がゆっくりな傾向にあり、8~9歳くらいから愛着を求め始めるケースが多く、ここで愛着の形成を確立できるか出来ないかで、予後が大きく違う。」と書かれています。また「しっかりと甘えさせて母親はじめ家族との対人関係が安定すると、孤立型から受動型、または積極奇異から受動型へ対人関係の変化が認められる」とも。実際息子は、典型的な積極奇異型のアスペルガー症候群でしたが、中学生になった頃から家族以外の人との対人関係にも改善の兆しが見えていることから、年齢に関わらず充分に甘えさせてあげることの重要性を実感しています。参考書籍:発達障害の子どもたち (講談社現代新書) (杉登志郎著)参考書籍:発達障害の豊かな世界(日本評論社)(杉山 登志郎著)ちょっと変わってても気にしない!これが私たち親子の愛着形成スタイル出典 : 息子は今も愛着表現を求めますが、彼との間に「愛着形成」が確立されつつあることを実感しています。過去にあったような、母親としてのいたたまれない気持ちは姿を消し、お互いを理解し合えていること、少しくらいの行き違いでは揺るがない親子関係を感じています。それは、優れた面をお互いに認め合うと言うよりは、お互いの短所に対して譲り合うような感じです。発達障害児の精神発達はゆっくりで、精神年齢の目安は実年齢の2/3歳と聞きます。そう考えてみると、息子は体は大きくても精神年齢は10歳未満です。とすれば、まだまだ抱っこを求めてもおかしくはない…そう自分に言い聞かせながら、今日も大きな体を「ハグ」しています。「無条件で永遠に続く愛情」を、息子が実感できるまで。かかりつけの児童精神科医に、「発達障害のある子は、実年齢より3割幼いと思って向き合ってください」とのアドバイスをもらったことがあります。(LITALICO発達ナビ「「年齢より3割幼いと思ってね」医師の言葉通り息子を見守るも…」より)
2017年01月16日子どもの特性にもいろいろありますが…Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子悩みの尽きない障害児の子育て。その中でも大きな決断となるのが…出典 : 障害がある子どもの親は、たくさんの不安を抱えています。周りの子どもたちとの成長の違いが気になったり、友達との接し方にハラハラしたり、親亡き後のことが心配になったり…。周りに協力者や理解者がいなくて、親自身が孤独を感じる場合もあります。そんな中、子どもの困りごとの解決のため、親は様々な決断を強いられます。今回はその中でも特に親が悩む決断の1つ「服薬」についてのお話です。娘が二次障害になったきっかけは「いじめ」や「からかい」だった出典 : 私には発達障害の診断が出ている高校生の娘がいます。娘は物をすぐに失くしたり、何度も同じ間違いを繰り返したりします。手先は不器用、計算も苦手ですが、興味があることには並外れた記憶力と集中力を発揮します。家族や親しい人とはよく喋る反面、他人とは上手くコミュニケーションをとることができません。受動型のADD(注意欠陥障害)の特性を持っているので、困っていることが見過ごされやすいタイプです。娘は小学校高学年の時に、学校で冷やかしやいじめの対象になったことがありました。その頃の娘はよくイライラし、自宅で物を投げては壊したり、弟に当たったりしていました。後からわかりましたが、娘は二次障害に陥っていたのです。発達障害ということに気づかなかったり、気づいていても適切なサポートを受けられずにいると、周囲に理解されず叱咤や非難を受けたり、失敗体験を積み重ねるなどして、本人の自尊心ややる気が失われ、新たな障害が生じることがあります。これを、いわゆる「二次障害」ともいいます。いじめへの対応に奔走した日々出典 : このままではいけないと思った私は、色々なところに相談をしました。以前から通っていた療育センターや病院、スクールカウンセラーや特別支援コーディネーターの先生…。新たに発達障害専門の塾や家庭教師も探しました。娘の障害の理解のために第三者にも立ち会って頂き、校長先生との話し合いもしました。いじめへの対応と環境改善の具体例を示すため、それまで学校との連携がなかった療育センターのスタッフさんに学校訪問もしてもらいました。娘自身も専門家によるSST(ソーシャルスキルトレーニング)を受け始めました。SSTでは、●イライラした原因やその後どうしたかを書き留める●言葉で表現できない気持ちを絵で表現する●スポーツで体を動かすなど感情のコントロールの方法やストレスの発散方法を学びました。ソーシャルスキルトレーニング(SST)とは、人が社会で生きていくうえで必要な技術を習得するための訓練のことです。それでも辛そうな娘の様子を見て、医師から処方されたのが「お薬」だった出典 : 学校の環境は徐々に改善されていきましたが、いじめや冷やかしが陰で行われることもあり、家での娘のイライラはまだ続いていました。しばらくして、娘の状況を知った担当医から、ごく少量のお薬が娘に処方されました。「好きで暴れている訳ではない。自分でも嫌だ。でも抑えられない。」そう訴える、娘の辛い気持ちを汲んでの処方でした。「何よりも環境を整えることが大切です。お薬はとても少量の処方です。幼児が飲む量ですよ。」処方の際、私達親子は医師からこう説明を受けました。娘はその薬を「イライラ止めのお薬」と呼んで、毎日服用しました。その後も、娘が少しでもストレスなく過ごせるよう、私はスケジュールボードを利用したり、不要なものに目隠しをしたりするなど、環境作りを積極的に行ってきました。娘を理解し、寄り添ってくれる指導者に出会ったこともあり、彼女のイライラは徐々に減っていき、お薬は10ケ月で服用を終えたのでした。使ってみて気づいた、お薬との付き合い方出典 : 一口にお薬と言っても種類、飲む量、飲み方(頓服など)様々あります。また、発達障害で処方されるお薬には、種類や人によって「合う」「合わない」があるかと思います。副作用で眠くなったり、食欲が落ちたり、逆に過食気味になることもあるかもしれません。でも、服薬することで本人や家族の困り感が減り生活の質が向上するのであれば、そのメリットはとても大きいと私は考えます。合う薬に出会うまでは様々なSSTを試すのと同様で、医師の指導の下、あきらめずに探すのも1つだと思います。子どもが大きくなると、服用したときの調子の良さ・悪さが本人にもわかってきます。親亡き後のことも考えると、本人の意思を尊重した病院との付き合い方を考えていくことも、きっと大切になってくるでしょう。また、成長と共に合う薬の種類が変わったり、適量が変わったりすることもあるでしょう。どれも「成長の証」と考え、その時々で臨機応変に対応する柔軟さも、親には必要なのだと思います。あふれる情報の中で、何をどう受け取るのか?冷静さを持って選びたい出典 : 服薬に不安を抱いたとき、まずは医師等の専門家にとことん相談してみましょう。また、親御さんを悩ませる原因の1つに、インターネットの普及も関係していると思います。良い情報も悪い情報も玉石混交で、誰もが簡単に手に入るようになりました。他方SNSでは、周囲に同じ境遇の友達や家族がいなくても、同じ悩みを共有したり励まし合ったりして、元気をもらうことができます。不安な時や悩んでいる時こそ、その情報が正確かそうでないかを冷静に見極め、全てが自分の子どもに当てはまるわけではないということを念頭に置きつつ。その情報を試してみるか、参考までに留めておくのかをしっかりと考えることが、大切なのだと思います。
2017年01月15日ウチの子、母親以外に興味ないの?興味の幅が狭かった乳幼児期出典 : 発達障害の診断を受けている長男は、赤ちゃんの時からとにかくぐずりっぱなしでした。落ち着いているのは抱っこでおっぱいを吸っているときか、胸を触っているときかのどちらかで、テレビも「いや!」、おもちゃにも興味を示しません。食事作りの間はおんぶしていましたが、だんだん重くなってくると足元で遊ばせつつ、「これはニンジン、今からお母さん、ニンジンを切るからちょっと待っててね」と見せたりし、なんとかこなしていました。そのうちふと、「野菜を触っているときは静かにしている」ということに気がつきました。母と過ごすこと以外に興味を示さなかった長男です。これは大発見かも!?と思った私は、キャベツや白菜を長男にどんどんむいてもらい、それを味噌汁や煮物にしていました。活かせるならば、どこまでも!野菜と歩んできた成長出典 : その後、長男は野菜と触れあうことが大好きなんだ!ということがわかりました。色とりどりの野菜を並べたり、分類したり、「野菜アート」づくりに熱中する長男。野菜フィーバーの始まりです。絵本で1番気に入っていたのは『やさいのおなか』。夫が「喜ぶかなと思って」と、大人向けの『野菜の便利帳』という野菜図鑑のような本を買うと「ん!(よんで!)」と何度も持ってくるようになりました。言葉の習得も植物の名前からです。「さといもんもんも(さといも)」「ぶろーりー(ブロッコリー)」、その他いろいろなシーンで野菜の力を借りました。・電車などの乗り物に乗るときは「これからにんじん色の電車に乗るよ」と緊張をほぐす・お絵かきでは丸を描けたら、トマトを見せて「トマトかけたね」、線を描いたらゴボウを持ってきて「似てるね」と盛り上げる・ハサミのときは、紙よりも先にネギを切らせるとすぐに上達・どうしても眠れないとき、ニンジンを握りながら就寝・起こすときには耳元で「キャベツ、ハクサイ…」と唱えるとパチっと目を覚ます図書館や子ども広場では緊張でガチガチになる長男でしたが、スタッフの方が野菜の絵本やおもちゃなら喜ぶということを知ってくださったおかげで、少しだけ行きやすくなりました。ありがたかったです。とうとう興味は「野菜作り」へと発展。農業から学んだたくさんのこと出典 : 歳になった頃からマンションの庭スペースで家庭菜園を始めました。1年目は親がリードしていましたが、2年目からは長男が絵本を見ながら、自分で植えるものや配置を決めたがるようになり、任せるようになりました。自己流で失敗も多かったのですが、目をつぶって好きなようにさせました。支柱を立てたり紐を結んだりといった作業も、時にできなくてかんしゃくを起こしながらも、こなすようになってきました。公園にはまったく行きたがらなかったので、屋外の活動の動機として活かしました。土を耕すことでずいぶん腰がしっかりしたと思います。農業を営んでいる祖父母の畑にも、よく長男と遊びに行きました。「よく知ってるなあ」「本当に集中力があるね」と褒めてもらいました。長男も、見事な野菜をつくる祖父母を尊敬。コミュニケーションや人間関係のベースになったと思います。好きなことから広がる世界、それは子どもの成長を信じるきっかけにも出典 : その後受けた3歳半検診では「ごっこ遊びしますか?」と訊ねられ、「八百屋さんごっこなら」と答えました。登園渋りもまれにみる激しさで、気になることは正直ありました。お絵かきについて訊かれたとき、「好きなものは描きます。野菜の絵しか、描かないんです」と相談すれば、もう少し早く発達の凸凹に気づくことができたのかもしれません。しかし家の中では、野菜を育て食べ、本を読んでいればニコニコ、会話も弾み、知識も技術も伸びるのを感じていたので、多少凸凹があってもゆったり構えることができました。小学校に入学し、集団生活になじめなくて大混乱したときは悩みましたが、「好きなこと」があるのはやはりいいことなのだ、と捉えるようになりました。今振り返れば、赤ちゃんのころ知らず知らずのうちにストレスをためていた長男は、野菜で安心を得ていたのかもしれません。9歳の現在、興味は理科、そして社会一般に広がってきています。ただ、野菜を作らない人と人間関係を結ぶのはまだまだかなり苦手、これからです。
2017年01月14日コミュニケーションに欠かせない、と言われている「オノマトペ」をご存知ですか?出典 : 初めまして。二児の母兼カウンセラーをしている、みゆき♪です。次男が3歳半で重度知的障害を伴う自閉症と診断されました。母とカウンセラーという立場から、皆様に色々な情報をご提供できれば嬉しく思います。さて、みなさんは「オノマトペ」をご存知ですか?ちょっと聞きなれない用語かもしれませんが、子育て中の方なら、実は日常的に使っている言葉なのです。オノマトペ(onomatopee)とはフランス語で、擬音語・擬声語・擬態語の総称のことで、「ビリビリ・ぱらぱら・ガッチャン」など物音や声を真似た擬音語及び擬声語、「キラキラ・にこにこ・ガックリ」など状態を真似た擬態語を指す言葉のことをいいます。例えば、「頭がガンガンする」「雨でビショビショ」…私達は日常会話で擬音語を使うことがよくありますが、これらがオノマトペと呼ばれてるものです。場面と直接に結びついたオノマトペは「臨場感」に富む表現を可能にする。(日本語学会日本語オノマトペの表現力より)実は身近な存在のオノマトペ。言葉の発達を促すツールとして使うことも!出典 : 漫画コミックでも頻繁に使われれているオノマトペ。それは、あらゆる場面を明解で直接的に伝える手段の表れだと言えます。映画の世界でも、音響は人々の心により効果的な印象を与える大役を果たしています。言うなれば、オノマトペはコミュニケーションを柔軟にする「会話の効果音」。私たち大人でもオノマトペを加えて表現した方が圧倒的にイメージしやすいことが多いです。こんなに便利なツールを、言葉の理解が苦手な子どもたちに使わない手はないですよね!子どもとの会話の中に、即イメージに繋がるオノマトペを多用することによって、頭の中に語彙が定着していきます。それらが内言語(声や文字となって外に現れない心の中の言語=思考)として蓄積され、外言語(他者に向けて用いられる音声言語=伝達)に繋がり、発語が増えていくという成長過程が、使い続けることできっとおわかり頂けるかと思います。使い方はカンタン!イメージを音にしてみよう出典 : では、実際にどのように使用すれば効果的なのでしょうか。よくグルメレポーターが「モチモチした触感で、口の中にフワァ~と甘さが広がります」とレポートしているのを耳にしたことがあると思います。このような表現を聞くと、一度も食べたことのない食材でもどんなものなのか想像しやすいですよね。皆さんも、普段お子さんと会話する時に「フワフワで気持ちいいね」「ゴッツンして痛かったね」など、無意識のうちにオノマトペを使っていると思います。それらをもっと意識的に使うことで、子どもたちは通常の話し言葉よりもイメージしやすくなります。発達障害児、特に言葉でのコミュニケーションを苦手とする自閉症スペクトラムの子どもたちへの声かけは、「短く簡潔にすること」で伝わりやすくなります。でも、いくら短く簡潔な言葉を選んだとしても、その単語自体を子どもが理解していなければ何も伝わりません。例えば「石鹸で手を洗ってね」と言っても「石鹸・手・洗う」という言葉の意味を理解していなければ、何度伝えても子どもは何をどうしていいのかわからないままです。そこで「あわあわブクブクでゴシゴシしてね」と言えば、子どもの頭の中に「石鹸で手を洗う」という動作のイメージが湧きやすくなります。「うがいして」よりも「ガラガラペーッ」、「ドア閉めて」よりも「バッタンして」の方が、子どもはピンときて行動に移せるかもしれません。ここでさらにポイント。「理解できたときこそ、繰り返して定着させること」と「大いに褒めて子どもに自信を持たせてあげること」で、より子どもの成長につながります。正しい言い方を教えるタイミングは、スモールステップで出典 : 「擬音語ばかりの会話を繰り返していると、正しい言葉を覚えにくくなるのでは?」と不安になるかもしれませんね。ですが、オノマトペを多用したからといって、子どもが擬音語しか話せなくなってしまうなどということはありません。意味のわかる単語が増えれば、お互いの気持ちのやりとりができるようになり、コミュニケーションの幅が広がっていきます。その段階まで進んでから正しい言葉を教えてあげると、すんなり受け入れられるケースが多く見られます。例えばいきなり、「これは犬よ。犬!」と伝えるよりも、子どもが犬を見て「わんわん」と理解できるようになってから「わんわんは犬っていうんだよ」と段階を踏んで教えてあげた方が覚えやすいという子も少なくありません。「わんわん」のイメージが定着してから「犬」という正しい言葉に置き換える。一見、遠回りに感じるかもしれない方法が、実は言葉の取得への近道だったという可能性もあるのです。次のステップに繋げるためにも、内言語(思考)を増やし、人と関わるのは楽しいということをいっぱい心に刻んであげてくださいね。お母さんが笑顔でたくさん接してくれることは、子どもにとって嬉しいことです。伝わらないから話しかけないのではなく、お出かけやお風呂のときなどいつもの日常の中でオノマトペを使い、子どもとの会話をどんどん増やしましょう。「何を言っても言葉が通じない」と諦める前に、できることがあります出典 : 定型発達の子どもと比べ、成長度合いがゆっくりで時間を要する発達障害児。「このまま会話ができなかったらどうしよう…」と不安になることもあるかもしれません。でも、少し試しただけで「ダメだ、通じない」と諦めずに、お子さんの成長を促すためにも、スモールステップで根気よくコツコツ積み重ねることを大事にしたいですね。我が子にとって、わかりやすい伝達方法を模索して発見するのも楽しいことです。より言葉とイメージを結び付けるコツは、声かけした時の反応を注視しつつ、ジェスチャーをつけたり、或いは絵カードや、実際に石鹸で手を洗う場面を見せながら言葉を添えることです。子どもに理解できる言葉が増えることで「ポイポイしようね」でお片づけができたりと、自らの行動につながりやすくなっていくことも。意思疎通ができるということは、言語だけではなく、行動や生活の流れもスムーズになっていきます。これまで一方的な会話しかできなかった子と初めて会話できたときのことは、今でも忘れられません。発語の遅い子どもと、少しでも気持ちがわかり合えることは、親にとっての大きな喜びですものね。そして、その喜びは子どもにとっても大切な経験となります。今すぐトライできる、コミュニケーションの架け橋となるオノマトペ。子どもの成長する力を信じて、早速今日から始めてみませんか?著書:「自閉症児の育て方 ~発達障害児 自閉症児のお母さん達へ~」Upload By みゆき♪
2017年01月14日もともと勉強嫌いだった娘。不登校になると…出典 : 娘は小2のときに指で計算しているのをクラスメイトにとがめられ、すっかり勉強嫌いになり不登校になってしまいました。勉強嫌いで不登校になってしまった子に、勉強を教えるのは大変です。特に親が教えると、反発してしまって親子関係にヒビが入ることも。これでは、子どもが勉強でどんなことにつまづいているのか、さっぱりわかりません。でも、あることがきっかけで、計算について母娘で話し合うことができました。その後、支援者の助言と照らし合わせ、娘がどうして計算に困難を感じていたのかがわかったのです。お小遣いを渡すときに沸き起こった、ある疑問出典 : ある日のことです。娘には1ケ月に1,000円ずつお小遣いを渡しているのですが、その時はたまたま2ケ月分まとめて渡すことになりました。でも、財布には5,000円札しかありません。「ごめん、5,000円札しかないからお釣りくれる?お釣りは3,000円だよ」と伝え、娘の持ってきた3,000円をもらい、5,000円札を渡しました。すると、娘は5,000円札をじっと見つめ「納得できない」と言ったのです。娘「この5,000円の中の2,000円しか使ったらダメなの?残りはママのお金なの?」私「いや、りさはお釣りくれたでしょ。だからそれはりさのお金だよ(お釣りの額については納得していたのになぁ?)」娘「説明されたらわかったような気がするけど、なんかまだ納得できない」そう言って、紙に1人で計算し始めました。そして、「うん、何かわかったような気がするんだけど、次またこういう機会があったらもっと考えてみたい」と言ったのです。お釣りの概念を理解していなかったのはショックでしたが、こうして教える機会が自然とできてよかったです。娘はどんなふうに数を計算しているの?その答えは、本人が教えてくれたUpload By ヨーコ先日、また娘と計算の話をしました。今度は13+19をどう計算するか?についてです。娘は「筆算はわかりにくいから嫌」と言い、自分なりの方法を教えてくれました。①まず10の位を見て、10が2つあるから、10×2=20②20にややこしそうな9を先に足し、これで29③29+3をするわけですが、娘は繰上りができないので、3を1と2に分解④29に1を足して30⑤30に残った2を足して32娘は言います。「簡単な方を先に始末して、ややこしいのを分解していくねん。そして繰上りしなくていいように、私の10本の指にパズルのように数字をはめていくの。私は忘れん坊だから書いた方がわかりやすい。テストとかだったら書けないから、どこまで計算したかわからへんようになる。」ちゃんと数の概念も理解しているし、分解もできています。時間はかかるけど、丁寧に考え抜かれた計算に、私は面白いと感じました。計算が苦手なのは、特性が関係していた?出典 : なぜ、このような計算の仕方をするのでしょうか?「繰り上がりができないから」以外に理由があるのでは?と考えた私はこれまでの様子を振り返ってみました。娘は言語理解は高いものの、ワーキングメモリーが低く、単純な暗記が苦手です。また、最近支援者にこんなことを言われました。「小学校の計算は初めにサクランボ算をします。そしてそのパターンを叩きこんで暗記させ、次第に計算に慣れていくわけですが、娘さんは短期記録が苦手なため、計算が頭の中でできなくて指で計算していたのではないでしょうか?」なるほどな、と思いました。娘の計算方法を紐解くと、サクランボ算は意識せずにできていますが、それを頭の中だけで処理することができないようです。忘れてしまうんですね。10の位から計算を始める様子を見ていると、独特な理解の仕方をする癖があって、教室で教えられたことが納得できなかったのかもしれないな…と思いました。そのあたりのことを先生や私が見抜けていたら…。彼女の運命も変わっていたかもしれませんね。指があかんなんておかしい!中2の娘の主張出典 : 一通り自分の計算方法を説明した後、娘は言いました。「みんなラクするために計算してるのに、紙に書いたり、指を使うのがダメなんておかしい。みんなは頭の中で覚えているんだろうけど、私はラクするために指を使っているだけなのに。」指で計算することを恥じ、何年も計算しようとしなかった娘からこの言葉が出てきて、本当に嬉しかったです。苦手だったことと向き合おうとする姿に、成長を実感しました。また、最近は九九を覚えたことによって効率的な計算方法にも興味が湧いたようで、「だけど、みんなが学校で習うような楽な計算方法も勉強したい」と言うようになりました。苦手なことも、生活と密着した行動であれば、興味を持てるようになるんですね。とても遠回りをしている娘ですが、その遠回りは決して無駄にはならないと思います。
2017年01月13日授業の内容は理解できるけど、文字を書きたがらなかった息子出典 : 年ほど前に発達障害の診断を受けた息子は、現在13歳です。小5から不登校となった息子ですが、小学校の学校生活、主に学習面の道のりは平坦なものではありませんでした。担任の先生方に「授業中に質問するとしっかり答えて内容は理解しているようなのですが、テストに何も書かないので点数がつけられません」と、毎年のように言われていました。また、先生の説明を聞きながら板書をするのが苦手だったのでノートをまったくとらず、息子は先生に何度も注意を受けたそうです。他にも息子は直線がうまくひけなかったり、コンパスで正確な丸が描けなかったりしてイライラしていることもよくありました。私自身は、息子は少し不器用で意地っ張りなところがあるからしょうがないなあ…という程度にしか思っていませんでした。息子の学習面での困難さは本人の性格の問題だと思っていたのです。発達障害の診断をきっかけに、息子が苦しんでいた本当の理由が分かった出典 : 学校での困難を解消できないまま、息子は小学5年生から全く学校に通えなくなりました。そしてその後、専門家に相談し、息子は発達障害と診断されました。息子が12歳のときのことです。診断をきっかけに、小学校での困りごとや学習上の困難さを明確に認識した私は、診断をしてくれた発達障害専門の児童精神科で「視覚認知」の検査をしてもらいました。視覚認知とは、目で見たものを正しく理解する力のこと。視覚認知に障害があると、文字を読んだり書いたりするのがうまくできない、図形の理解がしづらい、手先の細かい作業が苦手、距離感がわからない…などの困りごとがあります。学校生活の中では、漢字の形がなかなか覚えられない、うまく字を書けない、図形が正確に理解できない、ボールなどの道具を使う競技が苦手…などの困りごとが起こりやすくなります。検査の結果、息子にはこの視覚認知に障害があることが分かりました。あとで息子に聞いてみたところ、「漢字の練習をしてみたけど何回やっても形が覚えられなかった」「自分がイメージしたところに線を描こうとしても、どうしても描けないから腹が立つ」「書きたいことはいっぱいあるけど、字がうまく書けないから進まない。書かないでいると先生に怒られる」と話してくれました。本人の努力が足りないせいではなかったのに、息子の困難を性格のせいだと思い込んでいたことをとても申し訳なく思いました。そして始まった、息子の進学先探し出典 : 医師は「この年齢だと療育で治していくのはもう難しいので、板書にICT機器を使えるとよいのですが」という提案をしてくれました。そこで私は、不登校であり、かつICT機器の使用が必要な息子を受け入れてくれる中学校を探すことにしました。「自由な校風」「少人数制」「個性を大切にしてくれる」「面倒見がよい」といったキーワードで、いくつかの私立中学をピックアップし、説明会に行ったり電話やメールで問い合わせをします。そしてまずは「そちらでは不登校の子どもを受け入れていただけますか」と聞いてみて、「今、不登校でも中学から頑張ってくれればいい」と言ってくれる学校を絞り込んでいきました。不登校でも受け入れてくれるという中学校をピックアップしたら、それぞれの学校に実際足を運んで個別相談で詳しく話をする、という段階になります。入学した後に学校と息子との間でお互い「こんなはずじゃなかった」となることを避けるため、学校へ●小5から全く学校に行けていないこと●視覚認知に障害があるので板書用のICT機器を使わせてほしいことを話しました。私の説明がいけないの?ルールや協調性を重んじる学校の方針に私は…出典 : ところが、候補にあげていたすべての私立中学でICT機器を使うことは認められない、という返事が返ってきました。理由として出たのが以下です。・みんなが手書きでノートをとっている中、1人だけ機械を使わせるわけにはいかない・他の子との間に不平等感が生まれる・テストのときに機械を持ち込まれては困る…中には「入学するまでに字の練習をして、書けるようにしておいてください」という学校までありました。この言葉を聞いたとき、教育の現場には障害への理解がこんなにないんだ…と、本当にがっかりしてしまいました。それでも気持ちを立て直して、「目の悪い子がめがねをかけたり、足の不自由な子が車いすに乗ったりするのと同じで、字が書けないのは障害であって練習してできることではありません」と、食い下がりました。しかし学校には「めがねや車いすとは違います」と、けんもほろろに言われ、全く相手にしてもらえませんでした。今思えば、理解のない相手にいきなりICT機器の話をした私のやり方は間違っていたのかもしれません。でもその時の私は、障害による苦労をわかってもらえないやりきれなさとともに、母親として、息子のために何もできない自分が悔しくて仕方ありませんでした。障害を理解してもらうことは難しい。しかし、希望はゼロではなかった出典 : しかしその一方で中には、「機械を使うのは無理ですが、本人ができるだけ過ごしやすいようお母さんと協力しながら工夫していきましょう」「授業時間内に課題が終わらなかったら、配慮するようにしましょう」と言ってくれた中学もありました。もし合格していたなら、こんな中学校に行かせたかったと思います。現在息子は、地元の公立中学に在籍してフリースクールにお世話になっています。中学・高校は、「書く」という作業がとりわけ多い年代です。最近、公立の大学では受験の際に視覚認知障害への配慮をしてくれるところもあると聞きますが、一般的な理解はまだまだと感じています。「字を書くことが苦手」というだけで子どもの可能性が狭められてしまうのは、子どもにとっても社会にとっても、とてももったいないことだと感じています。異質なものを排除するだけでなく、その中には大きな可能性があるのだと、学校や社会にも気づいてもらえるよう、私にもできることをしていきたいと思います。
2017年01月12日海外の介助犬は働き者!?こんなにあった、たくさんの役割出典 : 皆さんは「介助犬」と聞くと、どんな仕事をする犬を思い浮かべますか?日本だと、目の見えない人や耳の聞こえない人の手助けをする「盲導犬」や「聴導犬」が一般的な介助犬だと思います。ですが、実は海外ではさらに多様な用途で、介助犬が利用されています。以下は海外にいる介助犬の種類です。●盲導犬●聴導犬●自閉症児向け介助犬●歩行介助犬●心のサポートの介助犬●発作予知/介助犬●重度アレルギー者のためのアレルゲン探知犬この中にある「自閉症児向け介助犬」は、自閉症児の持つ感覚的な困難さを和らげ、パニック/癇癪などのときに、ケアできるように訓練された犬です。今回は、この自閉症児向け介助犬について、海外の事例をご紹介したいと思います。自閉症児向け介助犬のお仕事を、海外の事例からご紹介出典 : 「4 Paws for Ability」Autism Assistance Dog(自閉症児向け介助犬)上記URLの「4 Paws for Ability」は、子ども向け介助犬養成・派遣団体としては、アメリカ最大の組織です。リンク先には、自閉症児向け介助犬の活用事例が書かれています。●睡眠障害のある子の睡眠導入睡眠障害のある子の側で眠り、安心させます。介助犬のおかげで、長い間家族を苦しめた自閉症児の睡眠障害が改善した例があるようです。●外出時の安全確保自閉症児がふと親元から離れてしまい、それが取り返しのつかない事故につながることがあります。そんなとき、注意が必要な状況で犬は止まるようしつけられており、犬の動きに従って子どももいったん止まります。これにより、親が子どもの安全をしっかり管理することができます。また、万が一子どもが脱走してしまった場合、犬は追跡するよう訓練を受けています。●人間同士には見せない深い関わりをもたらす自閉症児は周囲の人(クラスメイトや家族)と、なかなか深い関わりができないことが多いです。しかし、不思議なことに犬が相手であれば心を開き、良い友達となることが多いのだそうです。犬は自閉症児に安らぎと信頼関係を教えてくれます。出典 : 「 The Huffington Post」Here’s How A Dog Can Help Stop An Aspergers Meltdown( アスペルガーの子を介助犬が落ち着かせている事例)また、「The Huffington Post」では癇癪を起こすアスペルガー症候群の子どもを、介助犬が落ち着かせる様子についての記事を紹介しています。過度の刺激や予期せぬ出来事などでパニックになった自閉症児が泣き止まないとき、大きなモフモフとした介助犬がパニックを起こした子どもの体に寄り添い、ときには上からギュッと圧迫します。自閉症児は身体を圧迫すると落ち着くことが多く、訓練された犬に上から圧を加えられることにより、パニックが早めに収束することがあるようです。出典 : of Having an Autism Assistance Dog(介助犬を飼うことのメリット)上記ページでは、介助犬のおかげで自閉症児の言語能力が著しい発達を見せた、という事例も紹介されています。そのため、言語療法のセッションには犬も同伴するようにしたそうです。もっと知って広まって欲しい、いろんな介助犬のこと出典 : 犬や猫を抱っこしていると癒される…とはよく言われますが、自閉症児には「癒し」以上の様々な効果が、事例として紹介されていました。自閉症児向け介助犬のことを知り、我が家でも発達障害の息子のために犬を飼い始めました。残念ながら、自宅で飼う小さな愛玩犬ですので、特別な訓練をされているわけではありません。息子が大きな声を出したり、ぎゅっと抱きついたりするのは犬にとっては少し怖いようで、息子を見るとさっさと逃げてしまいます。ただ、息子がパニックを起こしてぎゃーぎゃーと泣いているときには、どこからともなく寄ってきて、息子の顔をぺろぺろと舐め始めます。子どもはパニックを起こしているとき、とても孤独です。息子はよく言います。「みんな困っているのもわかっている、でも自分じゃパニックを止められない」と。そんなとき犬が息子に寄り添って顔を舐め続けてくれる…それだけでも、犬を飼って良かったかなと私は思っています。自閉症児向けの介助犬を普及させるためには、訓練ができる人材やノウハウが必要です。日本ではまだまだ盲導犬や聴導犬以外の介助犬についてはあまり知られていませんが、自閉症児向けに訓練された介助犬というのが広がっていったら良いなあと思います。
2017年01月12日周囲の人に発達障害を理解してもらえるように…札幌市が「虎の巻」を作成Upload By 発達ナビニュース札幌市の保健福祉局や教育委員会が発行した、発達障害者理解・支援のためのイラスト冊子「虎の巻」シリーズが「分かりやすい」「役に立つ」とインターネット上で話題になっています。目に見えにくく、わかりづらいと言われる発達障害の特性と、家族や周りの人たちとの間で起こりがちな日常のすれ違いとその対応法について、イラストで紹介されており、「職場編」「暮らし編」「学校編」「続・学校編」「子育て編」が発行されています。Upload By 発達ナビニュースUpload By 発達ナビニュースUpload By 発達ナビニュースまた札幌市では、平成17年度より発達障がい者の乳児期から成人期までの一貫した支援を行うため「札幌市発達障がい者支援体制整備事業」を実施しているとのこと。支援制度を体系的にまとめた「札幌市発達障がい者支援施策体系」や「ライフステージに応じた支援機関一覧表」などの冊子の発行も実施したり、発達障がいの早期発見・支援体制を明らかにすることによって早期支援体制を構築するための調査も行っているそうです。このように行政として発達障害に対し積極的な取り組みをする札幌市に対し、LITALICO発達ナビ編集部は「虎の巻」シリーズ制作の背景や想いについて取材を行いました。札幌市, 発達障がい支援情報のページ札幌市発達障がい者支援施策体系札幌市, ライフステージに応じた支援機関一覧表(発達障がい者)札幌市保健福祉局の担当者さんにインタビュー出典 : ―どのような経緯で、「虎の巻」シリーズのようなイラスト冊子を発行することになったのでしょうか。札幌市では平成17年度より「札幌市発達障がい者支援体制整備事業」を実施しており、教育、就労、親の会などが連携をとって活動を行っています。その部会のひとつとして地域生活就労部会があるのですが、働く能力はあるのになかなか就労が難しい、発達障害当事者の方々に対する事業者の理解と支援が必要だという議論が行われました。そこから、今回の『職場で使える「虎の巻」発達障がいのある人たちへの八つの支援ポイント』に繋がる企画が動きだしたのが始まりです。。子供の発達障害を紹介した本は多くあるのですが、大人の発達障害に関する本が少なかったのでつくれないかという話になりました。―「虎の巻」シリーズをマンガで制作したことにはどのような意図がありますか。事業者への理解促進を一番の目的としていたため、文章がたくさん書かれていても見てもらえないと考えました。そのため読んで貰いやすさ重視でマンガ形式としました。また特に考え方の違いの部分が理解されにくいと思っており、認識の違いを「ギャップ」として伝えるのには絵の方が分かりやすいと考えました。―「虎の巻」シリーズに対し、実際どういった反応がありましたか。当事者の方々から、「この冊子を見せることで、周りの人に自分のことを分かってもらいやすくなった」という声を頂いております。また就職活動に活用できたという声もいただいています。―「虎の巻」シリーズをどういった人に見てほしいと考えていますか。まず第一に雇用する事業者側の方々に見ていただき、発達障害のことを知ってもらえればと思います。特性によるむつかしいことばかりを強調すると悪印象を与えかねないため、特性を活かせば強みとなることにも焦点を当てています。―札幌市として発達障害への対策を積極的に行っているのにはどういった背景がありますか。札幌市では関係機関伝達会議において、課題ごと、ライフステージごとに対策を検討しています。そこで検討された施策のうち、取り組めるところから取り組んでおり、また関係機関同士でしっかり連携がとれるようにしています。こういったことの積み重ねで支援が広がっています。―発達障害の早期発見・早期支援にはどういったメリットがあるとお考えでしょうか。早い時期から保護者が支援機関とつながり、共に療育を行うと、子どもの成長への効果が大きいと言われています。教育委員会や保健などそれぞれの関係機関と連携をとってほしいです。―発達障害者支援において、札幌市をどういった街にしていきたいとお考えでしょうか札幌市だけでなく全国的に、幼児期の支援は進んできているように思います。しかし、二次障害を起こしやすい青年期や成人期においてはまだまだ体制がとれていないところが大きいのではないでしょうか。札幌市では、支援が手薄くなりがちな青年期・成人期の課題においても、関係機関との連携を含めた体制整備が必要だと考えています。幼児期を終えて年齢が高くなっても、途切れのない支援が受けられるような体制作りをしていきたいです。お住まいの自治体にはどんな取り組みが?一度確認をおススメします!出典 : 今回は札幌市の事例を紹介させて頂きましたが、もしかしたらお住まいの市町村でも何かしらの取り組みを行っているかもしれません。改めて自治体のHPを確認してみてはいかがでしょうか。※「虎の巻」シリーズの冊子は札幌市民向けに制作されたものであるため、他都市の方への配布は難しいとのことです。HP上で全ページを閲覧することが出来ます。※「虎の巻」シリーズの冊子に掲載されている文章、イラスト等の無断転載、引用は禁止とのことです。当サイトは許可を頂いて掲載をしております。当サイト記事からも画像の無断転載はお控えください。札幌市, 発達障がい支援情報のページ(虎の巻もこちらから閲覧可能)
2017年01月11日不登校にまつわるさまざまな不安、どう取り除く?出典 : 何らかの事情で学校に通えなくなった場合、様々な不安がお子さんにも保護者にも湧き上がってくることと思います。・学校に通わずに社会性は身につくのか・学校に通わずに友だちはできるのか・学校に通わずに勉強はどうなるのか・学校に通わずに将来はどうなるのかわが家の場合は子どもたちの不登校を前向きに捉え、「学校という環境が合っていないなら家で学べば良い」というスタンスで過ごしていますが、そんな私にも不安はあります。そこで、1つでも不安を取り除くことができれば、親も子も心に余裕ができるのではないかと考えてみました。すると、上記項目の中で解決できそうな項目が「学校に通わずに勉強はどうするのか」だったのです。「学校のお友だちは、どんどん先に進んでいるんだろうな。私は勉強しなくていいのかな?」と娘が不安を口にした時から、なんとかこの不安を払しょくしてあげたいと思っていました。「親子で勉強するとケンカになる」という話をよく耳にしていましたので、「国語と算数は教科書の内容を全てクリアできます」と説明のあった学研教室に通わせてみたりもしました。しかし、これでは他の教科がカバーできません。理科実験教室なども探してみましたが、なかなか良い場所が見つからず悩んでいました。先生から誘われた2学期のテスト。それは、友達と同じ範囲を勉強するチャンスだった出典 : そんな折、学校の先生から「みんなと同じ2学期のテストを受けてみませんか?」というお話をいただきました。(娘は不登校ですが籍は学校に置いています)娘と相談した結果、教科書を使って親子で勉強し、テストにチャレンジしてみることに。先生からテスト範囲を教えていただき、娘とともに教科書を開いてみました。一瞬、「本当に教えられるのかな?」とひるみますが、私が不安に思うと娘にも伝わってしまいますので、一緒に勉強をし直すつもりでどっしりと構えていました。初めに手をつけた算数は、小数点の計算や図形の問題、コンパスで円を描くなどの部分がテスト範囲に入っていました。娘はまだ小学3年生。落ち着いてゆっくりと向き合えば、まだついて行けそうな内容です。「へ~!これはこういうことだって!知ってた?」と聞いてみると、案外簡単なことがわかっていなかったり、逆にそんなことを知っていたの?と驚くことも出てきたり、わが子の思いがけない一面を発見でき楽しくなってきました。テストに向け、いざ勉強!使用教材と勉強手順は…出典 : 教科書をざっと確認した後で、テスト勉強に使えそうな問題集を書店で探すことにしました。学校へ通っていた頃には意識したことがありませんでしたが、いろいろな教材が並んでいるものですね。その中でわが家が選んだのは、「教科書ワーク」と「教科書ぴったりテスト」というものです。株式会社文理が、各教科書出版社の内容に準拠して作っているものなので、内容はもちろんぴったりと合っていますし、教科書の範囲に対応した目次がついていて、とても使いやすい問題集になっています。地区によって使用している教科書の出版社は教科ごとに異なりますので、お手に取る際はお子さまの教科書をしっかりとご確認ください。試行錯誤の末、わが家ではこのような手順で勉強を進めることにしました。① 問題集をいきなり解いて丸付けをし「わからない」部分を認識する② ①で認識した「わからない」部分を意識しながら教科書を読む③ 不正解だった問題に再度取り組む④ テストに取り組み「わからない」部分への理解度を確認する問題集は書き込む前に、あらかじめコピーを取っておくと、何度も挑戦できていいかもしれませんね。文理の教科書ドリル子どもと勉強をするとき、私が肝に銘じていること出典 : テストは児童の下校終了後に学校で受けさせてもらいました。結果はまだ返ってきていませんが、「学校の勉強についていけなくなる不安」を払しょくするために始めたことですので、「教科書でお友だちが習ったところは自分も勉強した」という満足感を得られたことで、目的は達成できたように思います。今回、親子で勉強をする上で強く意識していたことがあります。「理解が進まない場合、子どもに問題があるのではなく、伝える側に工夫の余地がある」ということです。これは以前の子育てからの教訓です。我が家は娘のほかにADHDの息子がいます。息子は聞いて理解することが苦手だったのですが、そのことに気付かなかった私は、口頭で何度説明しても理解できなかった息子に呆れ果てていました。その後、息子が「視覚優位(見て理解する力が優位)」だったことを知り、絵に描いて説明したとたん、できることがどんどん増えていきました。このとき、「伝え方を工夫するだけで、理解できることもある」と知り、息子を責め続けていたことを反省したのです。わが子を1番よく知っている立場だからこそ、できることがきっとある出典 : 誰かに何かを伝える時、自分が1番得意な方法で相手に伝えることが多いのではないかと思います。しかし、相手にとっては、それがベストな方法とは限らないのです。「どうしてわからないの!」という言葉は絶対に子どもに言うまいと決めていました。その代わり、子どもがつまずいた時には「この説明だったらどう?」「ちょっと違う方法で説明してみるね」と何通りかの方法で説明をしながら、子どもに合う方法を探っていくようにしました。先生でもない私が勉強を教えることができるのだろうか?という不安から始まったお勉強タイム。終わってみれば、共通の話題が増えたり、子どもが理解しやすい方法を見つけられたことで、生活の中にも活用できたりと、プラスの面が多かったように思います。同じような不安をお持ちの方がいらっしゃいましたら、まずは1教科からでもお子さんと一緒に勉強に取り組んでみてはいかがでしょうか?お子さんの特性をより深く知っている保護者の方だからこそ、もしかすると「世界でいちばんわかりやすい先生」になれるかもしれません。私もそれを目指して頑張ろうと思います!
2017年01月10日発達指数とは出典 : 発達指数とは、日常生活や対人関係などにおける子どもの発達の規準を数値として表したしたものであり、DQ(Developmental Quotient)とも言います。子どもの成長には個人差があり、一人ひとり異なる特性を持っています。しかし個人差がある一方で、発達の道筋や順序には共通して見られる特徴があります。子どもは成長するにつれて、視野を広げ、認識力を高め、まわりの人との関わりを深めていきますが、その経験が次の成長のステップにつながります。子どもが成長していくには、それぞれの発達段階に合った生活を送ることが大切です。そのため、発達を客観的に知るものさしの一つとして発達指数が使われています。発達指数は発達検査と呼ばれる検査によって知ることができます。発達検査で分かる「発達年齢(発達の状態がどのくらいの年齢に相当するか)」を「生活年齢(実年齢)」で割り、100を掛けて算出します。発達年齢と実際の年齢が同じ場合、発達指数の値は100と計算できます。そのため平均は100前後とされていますが、発達指数の値だけで子どもの発達状態を判断をすることはありません。あくまでものさしの一つであり、発達検査から分かる能力のバランスや日常生活の様子などを総合して子どもの発達状態を把握します。参考:子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題|文部科学省参考:発達検査とは?|てんかん情報センター発達指数を知ることができる年齢は?出典 : 発達指数を計ることができる検査としては、主に「新版K式発達検査」と「遠城寺式乳幼児発達検査」の2つが挙げられます。新版K式発達検査であれば生後100日後から成人まで、遠城寺式乳幼児発達検査であれば0歳0ヶ月から4歳8ヶ月まで、発達指数を計ることができます。適用年齢は幅広いですが、主に就学前の子どもが発達検査を受けることが多いです。小学生以上であれば、発達状態を計るよりも、知能検査によって知能を計るほうが一般的だからです。ただし知的障害がある場合など、知能検査だけでは発達の状態や障害の度合いを把握することが難しいケースでは、成人でも発達検査を受けることがあります。参考:発達障害児支援とアセスメントに関するガイドライン|厚生労働省発達指数を調べる目的出典 : 発達指数を調べる主な目的は、1. 子ども一人ひとりの発達状況を理解すること2. 発達段階に合った適切な学習指導や支援を受ける際のヒントを知ることの2つです。注意点として、乳幼児においては、検査を受ける際の子どもの状態や環境に左右されるため、発達指数の値は変動しやすいといったことが挙げられます。そのため1歳6ヶ月健診などにおいて、発達指数の値が低く出てしまったために、軽度の知的障害の可能性を指摘される場合もあるようです。しかし知的障害があるかどうかの判断は、発達検査や知能検査の結果を長期的に把握しながら行う必要があります。発達指数はあくまで発達状態を知るものさしの一つです。発達指数だけでなく、発達検査から分かる発達の特徴、検査を受けている時の様子、日常生活の様子を総合して発達状態を判断することが大切です。発達指数の値だけにこだわるのではなく、定期的な検査結果から分かるお子さんの発達のペースや発達の特徴に注目するようにしましょう。発達指数と知能指数の違い出典 : 発達指数が子どもの発達の基準を数値化したものであるのに対し、知能指数とは人の知的能力(認知機能)の基準を数値化したものです。ここではそれぞれがどのように使われているのか、適用年齢に差はあるのか、検査内容の違いについてご紹介します。・目的発達指数は一人ひとりの子どもの発達状態を知る、知能指数は知的能力の発達に遅れがあるかどうかを知るために使われるものです。適切な学習指導や支援を受ける際のヒントを知るという目的はどちら検査にも共通していると言えます。知能指数と発達指数のどちらを用いるかは、年齢や障害の程度、疾患の種類などによって変わってくるため、専門家の判断によります。また知能検査と発達検査の両方を受ける場合もあります。・適用年齢発達指数は0歳から成人まで計ることができます。就学前の子どもが発達検査を受けることが多いですが、成人でも発達や障害の程度を知るために発達検査を受けることがあります。一方、知能指数は2歳から成人まで計ることができます。子どもに発達障害がある場合、乳幼児期からその兆候が表出することも少なくありません。しかし発達初期の乳幼児の発達状態を、通常の知能検査によってとらえることは困難だとされています。乳幼児は心理的、身体・運動的、社会的側面の発達が十分でないため、知能のみを検査によって測定することは難しいからです。・検査内容発達指数は発達検査によって知ることができ、知能指数は知能検査によって知ることができます。発達検査はガラガラや積木、ミニカーといった乳幼児にとってなじみのある材料を用いた検査です。それに対して知能検査は主に小学生以上を対象としているため、言語や書字などを用いて回答する問題が多くあります。知能指数も発達指数もその数値だけで、障害や疾患の確定診断をすることはありません。発達検査や知能検査を受けたとしても、診断を受けるかどうかは、本人や保護者の希望によります。乳幼児健診などにおいて、発達の遅れの可能性を指摘された場合も一度の検査だけでなく、定期的な発達検査の結果によって疾患や障害を見分けたり、診断していく場合が多いようです。さらに2歳からは知能検査を受けることができるため、だんだんと知能検査を中心に受けることになります。障害や疾患によっては、年齢が上がらないと見分けられない場合もあるため、長期的にお子さんの成長を把握していくことが大切です。発達検査を受けることで広がるメリット出典 : 発達指数と発達検査から分かることを組み合わせてどのようなメリットがあるかご紹介します。・相談機関で子どもの成長に対するアドバイスをもらえる児童相談所などの相談機関では、「検査報告書」をもとに今後のお子さんの成長に対してアドバイスをもらえます。「検査報告書」は発達検査を受けたあとにもらえるもので、検査結果や今後日常生活において注意すべきことが記載されています。発達指数の値は「数値結果」欄にあります。相談機関によるアドバイスによって、例えばお子さんの苦手な部分に対し、「なぜ苦手なのか」を知ることができます。また苦手なことだけでなく、お子さんの検査に取り組む姿勢やプロセスなども教えてもらえるため、「総合的にどう成長しているか」を把握することができます。・小学校就学のヒントを得ることができる発達検査から分かることを小学校就学の際に活かすことができます。家庭では特に気になることがない子どもでも、幼稚園などで集団生活に参加することで困りごとが現れる場合もあります。そのような場合、小学校就学を前にして不安になる保護者の方も少なくないようです。お子さんの発達に気になる点があれば発達検査を受け、早めにお子さんの得意・不得意を把握しておくことで、小学校就学後にもどのような支援をしていけば良いか、検討しやすくなるでしょう。さらに発達検査の結果や発達指数の値によっては、療育手帳をもらえる場合があります。療育手帳があることで、特別支援学級といった就学の選択肢を広げることができます。療育手帳については、記事の後半で詳しくご説明します。発達指数を知りたい時は?出典 : 小さいお子さんの場合は、乳幼児健診の際に相談してみましょう。乳幼児健診では、お子さんの身長・体重測定や診察のほかに、日頃の疑問点や悩みごとについて質問できます。特に保健センターで受ける場合は、医師、保健師、心理士などの専門のスタッフに相談することができます。また乳幼児健診では、発達の遅れの可能性を見極める精密検査が必要かどうかを判断するスクリーニングが行われます。スクリーニングにおいて気になる兆候が見られた場合は、保健機関での相談、発達検査の受検、医療機関での2次スクリーニングなどをすすめられることがあります。そのほかで発達検査の受診を検討する際は、まずはお住まいの地域にある身近な相談窓口に行くと良いでしょう。子どもか大人かによって、行くべき相談機関が違うので、以下を参考にしてみてください。【子どもの場合】・保健センター・子育て支援センター・児童相談所・発達障害者支援センターなど【大人の場合】・発達障害者支援センター・障害者就業・生活支援センター・相談支援事業所など自宅の近くに相談機関がない場合には、電話での相談をすることができる場合もあります。発達検査は、公的病院や民間病院で受けることができます。精神科や臨床心理士による検査が受けられる病院を受診すると良いでしょう。「児童発達支援センター」などで受けることもできます。発達検査の受け方、費用は、検査内容や病院によって異なります。検査は基本的に誰でも受けることができますが、特に発達に関して気になる点がないと医師が判断した場合は自費となります。検査を受ける際は、まず病院に問い合わせてみましょう。さらに発達検査の結果を受けて、専門機関で確定診断を受けたい場合は発達検査を受けた機関に問い合わせるか、もしくは改めて相談機関(保健センター、子育て支援センターなど)に問い合わせてみてください。発達指数を知ることができる発達検査の内容出典 : 発達検査にはさまざまな種類がありますが、この章では主に発達指数を知ることができる2つの検査について紹介します。これらの検査は、任意で受検することも可能ですが、基本的には相談機関や病院ですすめられて受検することが多いです。適応年齢:生後100日後~成人検査項目:328項目(「姿勢・運動領域」、「認知・適応領域」「言語・社会領域」の3領域で構成)それぞれの年齢において、一般的と考えられる行動や反応と、対象となる方の行動や反応が合致するかどうかを評価する検査です。検査は、「姿勢・運動」(P-M)、「認知・適応」(C-A)、「言語・社会」(L-S)の3領域について評価されます。なお、3歳以上では「認知・適応」面、「言語・社会」面の検査に重点が置かれます。検査結果としては、この3領域の「発達指数」と「発達年齢」が分かります。適応年齢:0歳0ヶ月~4歳8ヶ月検査項目:151項目(移動運動、手の運動、基本習慣、対人関係、発語、言語領域)「運動」「社会性」「理解・言語」の3領域6の質問項目から構成されています。上記の発達検査は発達指数や発達の全体像を知る検査です。これらの検査結果をふまえたうえで、特定機能の発達を計る検査と組み合わせることもあります。なぜなら発達指数の値が正常だった場合でも、異なる検査によって発達における課題を見つけることができるからです。例えばIPTA言語学習能力診断検査であれば、学習障害や言語発達の遅れを見つけることができます。発達検査を受けてもお子さんの発達に心配な点がある場合は、他の検査を検討してみても良いでしょう。発達指数の値によって療育手帳をもらえることも出典 : 発達指数の値だけで受けられる支援はありませんが、発達指数の値は療育手帳の取得判定の際に参考とされます。療育手帳は、児童相談所または知的障害者更生相談所において知的障害であると判定された場合や、知能指数が75以下(自治体によっては70以下)の場合にもらうことができるとされています。乳幼児の場合は、知能指数の代わりに発達指数を指標とすることができます。療育手帳を貰う流れとしては、まず発達検査を受けて発達指数を知り、指定された医師による診断書を用意する必要があります。注意点として、知的障害の程度は年齢とともに改善が見られることがあるため、療育手帳の更新ごとに障害の等級が変わるということが挙げられます。特に乳幼児においては、発達指数の値は変化しやすいので、更新期限までに必ず再判定を受け、適切な支援を受けられるようにしましょう。障害の判定は発達指数に加えて、日常生活における能力を総合して行われます。療育手帳の基準は地域によって異なりますが、参考までにここでは東京都が交付している「愛の手帳」の例をご紹介します。◇判定基準知能測定値、運動、社会性、意思疎通、身体的健康、基本的生活の6項目を0歳~6歳の子どもの判定基準としています。知能測定値として、知能指数や発達指数を用います。◇区分知能指数や発達指数の値と日常生活における能力を総合し、最重度~軽度の4区分に判定されます。参考:愛の手帳|東京都福祉保健局療育手帳を貰うことで以下のようなメリットがあります。・保育園入園時など保育・教育面での援助・公共交通機関などの割引・レジャー・スポーツ施設などの割引・給付・税の減免や控除に役立つ・就労に向けての支援さらに療育手帳を持っていることで特別支援教育を受けたい際に役立ったり、特別児童扶養手当を貰えたりする場合もあります。自治体によって異なるため、地域の相談機関に相談してみることをおすすめします。まとめ出典 : 発達指数はあくまで発達の度合いを計るものさしの一つです。発達指数の値が低いからといって障害があると決めつけることはできませんし、年齢によって改善されることもあります。そのため発達指数の値だけを見て思い込みをせず、発達検査から分かるお子さんの得意・不得意にも注目し、サポートにつなげることが大切です。客観的、総合的に成長を捉えることで、お子さんに合った学習指導や支援を見つけることができるでしょう。お子さんの発達が気になる場合は、児童相談所などの相談機関に相談し、長期的にお子さんの成長を把握していくようにしましょう。岩﨑 清隆・岸本光夫/著『発達障害の作業療法実践編』2015年三輪書店小山正/著『乳幼児臨床発達学の基礎』2006年培風館/刊
2017年01月09日ウチの子に褒めるところなんて…出典 : 「子どもは褒めて育てましょう」なんて頭ではわかっちゃいるけど、うちの子、ちっとも褒めるところが見つからないんです。褒めようと思っていても、いつまでたってもできなくって、ぜーんぜん褒めるチャンスがやって来ないんです。それにね、最近は、珍しくできたことを「スゴイね!」って褒めてみても「ウザイ!」とか言うんですよ。正直、もう何て言って褒めていいやら、サッパリわかりません。…なーんて、お悩みのお母さん。大丈夫ですよ。そんなときに使える、「子どもの自信を伸ばす声かけテクニック」を、かつてはうちの子の褒めるところが1つも見つけられなかった楽々かあさんこと、大場美鈴がお伝えします。親の理想は子どもの現実に沿ったものなのか?まずは見直してみてUpload By 楽々かあさんどんな子にも、子どもの個性には、得意なことと苦手なことがあります。「運動はできるけど勉強は苦手」とか「算数は得意だけど国語は苦手」とか…。でも実は、得意と苦手の差が大きく開けば開く程、子どものストライクゾーンが狭くなり、学校などの集団行動や、一斉一律の学習スタイルでは、クリーンヒットが少なく、なかなか結果が出せないのです。特に、スタンドプレーが得意な子や学業にあんまり関係ない分野に特化した子は、頑張っても三振続きで学校では褒められ経験が少なくなりがちです。そして平均…つまり、「これがフツー」「◯年生なら、これくらいできて当たり前」から外れることが多くなると、できる部分よりできない部分のほうが、集団行動や成績評価の上では目立ってしまうかもしれません。そしてできるところはいいけれど、できないところはものすごく頑張らないと皆についていけない。できないところが足を引っ張って、できるところまで実力を発揮できない、わかってもらえない。ホントはもっとできるハズなのに、思い通りにできない自分に腹が立つ!こんな現実の壁にぶつかって、人知れず自信をなくしているかもしれません。そこで、親の「褒めライン」を断腸の思いでグーッと、グーッと下げて子どもの「できないところ」に合わせてみましょう。比較はその子自身。結果ではなく、意欲・がんばり・部分・発想に注目して出典 : 子どもの個性の育ち方には個人差があるため、例えば得意な部分は実年齢+2才くらいのペースでグングン育ち、苦手な部分は実年齢−2才くらいでゆっくりゆっくり、その子なりのペースで育っている…などの場合もあります。むしろ、何でも平均的にまんべんなく育っているお子さんのほうが、貴重な存在かもしれませんね。そこで、比較はその子自身とします。今を生きる子どもは自分の小さな進歩や成長に気づいてないこともあるので、そこを気づかせて伝えてあげます。1年前、2年前のお子さんと比べ、少しでもできることが増えていたら、●「2年生の時は九九があやふやだったけど、最近バッチリだね。頑張っているね」と、同級生がどうであれその子なりの進歩をみます。うちの長男は、5年生でやっと九九が覚えられましたが、これは本人にとっては決して「できて当たり前」のことではないので、苦手なことができるようになると自信になります。「できたこと」を当たり前にしない。日頃の頑張りにも着目したい出典 : それでもなかなか結果がついてこない場合には、目を皿のようにして、部分的にでも「できているところ」「頑張っているところ」を探すようにします。一見周りの子達が当たり前にできることでも、その子なりのやってみた意欲、苦手分野や日々の何気ない頑張り、「ここだけは/ここまでは」できている部分などに注目します。例えば…・字を書くのが苦手な子が、宿題の漢字書き取りを雑だけどとにかく終わらせた・運動が大嫌いな子が、運動会の練習が続く時期になんとか毎日登校している・勝負事で負けると泣いちゃう子が、ゲーム大会ではずっと隅っこに居たけど、とりあえず参加だけはしたこれらは、本人にとってとてもハードルの高いことを、メチャメチャ頑張りながらやっている一例です。出典 : そこで、この頑張りに気づいてあげます。「それくらいできて当たり前でしょ」という、自分の中での常識は、一旦どこかに置いておき…●「宿題、始めたね/終われたね」●「おかえり。今日は暑かったけど、よくがんばったね」●「ゲーム大会参加したんだってね。お疲れさん」こんな声かけで、頑張りを「わかってもらえた」ことで、その子の次の挑戦へのエネルギー源になります。それから、ひいき目に見ても「素敵!」「素晴らしい!」とは絶賛しにくい、奇妙キテレツな芸術作品や、奇行・珍行動に対しては…●「う〜ん、ソレ新しいね!」「こんなこと思いつくのは、◯太郎君だけだよ」…と、発想力や斬新さ、オリジナリティを認めてあげると、ドヤ顔になるかもしれません。「すごいね」「えらいね」が使えなくなった「お年頃」の子には、こんな声かけを出典 : 一方で、得意分野の「できるところ」に関しては、本人は「こんなのできて当たり前」と、シレッと思っているものです。ですから、算数が得意な子のテストの90点を褒めても、本人は残りのできなかった10点のほうが気になってしまい、素直に喜べないこともあります。完璧さを追求したいタイプは尚更、自分が納得できなければ採点甘めの賞賛は「ウザイ」なんて、受け取ってくれないかもしれません。加えて、周りとの違いに気づき始めるお年頃だと「すごいね!」「えらいね!」と結果を褒めても「もっとすごい人、もっとえらい人は沢山いる」などと、子どもには現実が見え始めています。すると、親の身内びいきの評価だけでは満足しなくなったり、かえってプレッシャーに感じたりと、なんだかちょっと取り扱いがメンドクサイ感じがします。うちの長男も、最近は「こんなことで、大げさにスゴいとか言われても、なんかヤだ」なんて言います。ぐぬぬ、生意気な…!でも、これは子どもの興味・関心が広がり、周りのことも見え始めてきたという、成長の証でもあるんですね。ついこの間まで赤ちゃんだった、可愛い私の井の中の蛙ちゃんが、自分だけの世界では狭くなって、お外の様子を気にしだしたのです。出典 : じゃあ、そろそろお年頃になってきた子には、どうしたら自信をつけてあげられるのでしょう?それは「あなたのことに関心があり、いつも見守っているよ」というメッセージを、さらりと、そしてしつこく送り続けることだと私は思います。例えば…(子どもが「今日、◯◯の練習があって大変だった」とグチを言ってきたら…)●「そうかあ。◯◯の練習大変だったんだね」と、言ったことをそのままオウム返し(冬の寒い日に学校から帰って来たら…)●「今日は寒かったよね。温かい肉マンあるよ」と、感覚や気持ちに寄り添い&胃袋作戦(なんだかんだと不平不満をもらしてきたら…)●「そっかあ」「そうなんだー」「そうだよね~」と、共感しながら相づちプロのカウンセラーさんのイメージで、子どもの気持ちに寄り添い共感し、さり気なく日々の頑張りを認めてあげると、「理想通りには上手くいかない現実」への不満を和らげ、「見守られ感」が自信になります。また、育ち盛りの男子は特に親の褒め言葉は受け取らなくても、美味しいものならなんでも受け取ります(笑)。「美味しいものをくれる人=いい人、大事な人」と素直に入力されます。胃袋作戦、侮れませんよ。親が理想を修正しても、子どもの理想が高いときはどうする?出典 : デリケートな完璧主義タイプも、結果をあれこれ言われるより、●「最近、頑張り過ぎて疲れてない?」なんて、身体を気遣う声かけや、そっとお茶でも置いておくほうがいいかもしれませんね。それから…●「◯◯先生が、『◯太郎君は最近、係活動をよく頑張ってますね。助かります』って面談で言ってたよ」…なんて、間接アタックもいいと思います。親以外の他の人に認められる・感謝される経験も、大事な栄養になります。ちょっとだけ盛り気味でもいいので、小さなポジティブ情報も、逃さず本人に具体的にフィードバックします。それでも、なかなか多感な時期の子に響く声かけが見つからない時は、直接本人に訊いてみるといいかもしれません。私も、長男に「じゃあ、『スゴイ』じゃなくて、なんて言って欲しいの?」って訊くと…「『OK』とか『GJ (=Good job!)』とか、親指で「いいね!」マークとか、ハイタッチとか…」…と、シンプルで短い言葉やボディランゲージなどが良いのだそうです。本人の意思を聴き、それを尊重してあげるのも「一人前」として扱われ、自信につながると思います。まとめ出典 : どうでしたか?子どもはいつの間にか、親の知らない世界を広げていきます。そして、そこでちょっと苦い経験やもどかしい想いをしたり、自分の実力を突きつけられ、現実の壁にぶつかりながら、一所懸命井の中から飛び出そうと、ブツブツ言いながらも頑張っているのかもしれませんね。でも、ここまでお子さんが成長できたのは、お母さんの頑張りの証です。お年頃の子は、1人で大きくなったみたいな顔してますが(笑)、お母さんがついこの間までオムツを替え、熱が出れば看病し、毎日ごはんを作り続けてきたおかげなんです。そして、まだまだ新しい世界への不安も多いので、自分の長所も短所も、5年前10年前からの成長も、そして今現在のできる時もできない時も、誰よりも知っているお母さんが、変わらず側で見守ってくれることが、お子さんの何よりの自信になると思いますよ。参考書籍:著書「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母の毎日ラクラク笑顔になる108の子育て法」Upload By 楽々かあさん
2017年01月09日些細な失敗ですぐ泣き崩れ、人と遊ぶことを楽しめない長男出典 : テストで間違ったり競争で負けたりし、悔しい思いをすることは誰にでも1度はあると思います。でも、間違うことや負けることを極端に恐れ、思い通りにならないと泣いてパニックになる子どももいます。こうした子どもたちは、どれだけ励ましても気持ちの切り替えが難しいようです。我が家の長男も切り替えの苦手な子どもでした。子どもが好きで教員になった私は、「自分に子どもができたら、いっぱい遊んであげよう!テレビより、外遊びやみんなで遊ぶことの楽しさを教えてあげよう!」と思っていました。…ですが、長男の子育てで、それがどうにも上手くいかないことに気づいたのです。小さい頃から、自分の気に入った遊びに1人黙々と没頭することの多かった長男。それでも諦めず、カルタやすごろくなど彼の好きなキャラクターものを揃え、遊びに誘っていました。でも、ちょっと自分が不利になったり失敗したりすると、とたんに「もうだめだ~、負けちゃった~!!」と大泣きするのです。「まだわからないよ、勝てるかもしれないよ!」と励ましたり、「負けても楽しめばいいんだよ」と諭したりしても、一向に聞き入れてくれません。だんだん私も、彼の機嫌を損ねないよう気を遣いながら遊び相手をすることに疲れてしまいました。次第に、テレビに子守りをお願いすることが増え、理想の子育てとはかけ離れた現実に対し、罪悪感とイライラが募り、辛い日々が続きました。なぜこんなにも失敗を恐れるの?気になって通級の先生に相談したところ…出典 : 息子が小学校にあがると、勉強の面でも失敗による苦手意識が目立つようになりました。テストで100点がとれなかった、平仮名が上手く書けなった…そのうち、問題を1問間違えただけで「もうだめだ~、ぼくはダメなヤツなんだ~!」と大泣きしてパニックを起こすようになりました。そんな彼にイライラし、疲れ果てていた私は通級の先生に相談してみたのです。すると先生に、「それは『白黒思考』の特性ですね。発達障害のお子さんには多いんですよ!」と言われたのです。4. 悉無律思考(しつむりつしこう)別名、白黒思考といいます。物事を白か黒で判断し、グレーゾーンを認めない気質です。(LITALICO発達ナビ「適応障害とは?ストレスで心身の不調を感じていませんか?タイプ、原因、治療法、重症化予防法を解説」より)長男が失敗を恐れる姿を、「わがまま」「ネガティブな性格」のせいと考え、つまりは自分の子育てに問題あると思っていた私。先生の言葉を聞いて「失敗を極端に恐れるのは発達障害の特性の1つなんだ!」と知ることができ、正直ホッとしたのでした。それと同時に、努力ではどうしようもない特性に振り回され、1番辛いのは長男自身なのではないか…と、改めてそのことに思い至ったのです。先生からは、「ものごとには白と黒だけではない、グレーもあるんだよ!ということを知ることが大切なんです。」とアドバイスされました。先生のアドバイスを元に、最初に変えたのは私の態度。次に取り組んだのは…出典 : 特性が理由だとわかった私は、早速長男への接し方を変えることにしました。まず、1回失敗すると「もうだめだ!」と考える長男に、「失敗しても大丈夫」ということを繰り返し伝えていきました。以前は、飲み物をこぼしたり何かをなくしたりするなど、ちょっとした失敗を目にすると、私もついつい「ムカッ!」とした態度を出していました。それを反省し、長男が失敗しても「怒らず、慌てず」を心がけることにしたのです。「大丈夫!こういうときは拭けばいいんだよ。」と一緒に後始末をし、探し物を一緒に見つけた後は「ほらあった!探せば見つかるね。今度は、どうしたら探さずに済むかな?」と解決策を考えさせます。「失敗は、してもいいんだよ。失敗すれば、次から失敗しないように活かすことができるから、むしろ失敗は成長するために必要なんだよ!」ということを、生活面でも勉強面でも、繰り返し繰り返し伝えていったのです。根気よく声かけを続けてきた3年間。その後の長男の変化出典 : 年ほど経った現在、長男は失敗をしても泣かなくなりました。自分でできるときは自分で後始末をし、できないと思った時は「お母さんゴメンね、○○なんだけど手伝って。」と言えるようになったのです。また、「友達が遊んでいてこんなズルをした、あいつは悪い奴だ。」などの白黒思考を話してくれた時は、気持ちを受け止めた上で、「その子もすごく勝ちたかったんだね。でも前に、その子に助けてもらったことがあるって言ってたじゃない?」と別の見方があることを示します。「遊んでるときは、1回ぐらいズルされても『ずっるー!』とか言うぐらいで流してあげなよ。」「あんまりズルばかり続けて周りの子も迷惑するときは、みんなで言うとか、先生に相談するとかすればいいよね。」と、具体的な解決策を伝えました。出典 : 番の悩みだった「勝負の勝ち負けにこだわる」については、「負けるのイヤだからやらない」という気持ちも尊重しつつ、少しずつ慣らしていくことにしました。夫の発案で、「大人+子どものペアになってゲームをする」というのを試してみたところ、自分1人の責任ではないので気がラクになるようです。もし形勢が悪いときには、ちょっと離脱させると気持ちをコントロールしやすいようです。気持ちが落ち着くと、「お父さんがペアになってくれるならトランプする!」と言えるようになりました。すごろくやボードゲームなど、見た目ですぐ負けがわかってしまうゲームより、トランプやUNOなど、最後まで勝敗がわからない遊びのほうが合っているようです。特にUNOは、「スキップ」や「ドロー4」などで形勢が次々に変わることで盛り上がりやすいんです!私たち周りが楽しんでいると、長男も一緒になってキャーキャー言って楽しんでいました。悔しさは無くならない。それでも気持ちを引きずらなくなったのは、魔法の言葉があったから出典 : このような経験を重ねていくうちに、「負けても経過を楽しむことができる」ということがわかり始めてきたように思います。それでもやっぱり、負けると悔しがるし失敗すると落ち込んでしまう長男。そんな彼に、魔法の言葉を教えました。それが「まあいっか!」です。負けて悔しい、落ち込む様子をストレートに周りに見せたら、周りも嫌な気持ちに巻き込んでしまいます。だから、本心ではなくても「まあいっか!」と言ってごらん、気持ちを切り替えられるように持っていってごらん、と繰り返し教えたのです。正直、彼の「まあいっか!」は、今でも腹立ち紛れに言っているのが口調で伝わってきます。それでも、言葉にすることで、思考が切り替えられていくようです。少しずつ、本当に少しずつですが以前に比べたら自分で「まあいっか」と切り替えられるようになってきたように思います。「白黒思考」で捉え方を狭めるのは、自分自身が1番辛いですし、悪い方に自分を追い込んでしまいがちです。その思考を叱ったり否定したりしても、本人にはどうしようもないこと。世の中には、白か黒かでは決められない「グレー」の部分がいっぱいあること、だから完璧でなくてもいいこと、それらのことを根気強く伝えてきたことで、今の長男の生活は以前よりも肩の力が抜けてラクになってきたように思います。
2017年01月09日カミングアウトって必要?一般就労で障害者が働くということ出典 : 発達障害の診断を受けている方は、職場でカミングアウトしているのでしょうか?一般就労で働く方の中には、周囲に黙っているケースも多いようです。私も42歳までは自分が発達障害とは知らなかったので、一般就労で普通に働いていました。いえ、普通とはいえませんね。というのも、私は勤めては1年くらいで辞める、ということをずっと繰り返してきたのです。いつも理由はわからないのですが、周囲の人にだんだん嫌われ、「仕事の覚えが悪い」「やる気あるの?」と責められ、心身ともに限界になってやめるというパターンを繰り返してきました。これからご紹介するお話は、私が障害のカミングアウトに失敗し、結局退職に追い込まれた体験談です。一人でも同じ思いをする人が減ることを祈りながら書きます。障害を隠したまま仕事に就いた私。思わぬ展開で上司に障害を知られることに出典 : 私が当時働いていたのは、派遣会社に登録して応募したデータ登録の仕事です。ここは私が診断を受けてから、初めて職場でカミングアウトした勤務先です。応募時には障害のことは一切伝えませんでした。その後あっさりと採用された私は、出勤して間もなく指導係の上司に、納税関係の書類を書くよう指示を受けました。その書類には障害者かどうか書く欄がありました。「どうしよう…。」思い悩んだ私は上司に正直に伝えることにしたのです。私「あの、私、障害者手帳を持ってるんですが」上司「マジか。何の障害があるの?」私が「アルペルガー症候群です。」上司「何それ?」私はアスペルガー症候群を知らなかった上司に、自分の障害の説明をすることに。知られたときはどうなることかと思いましたが、脳性まひの妹さんがいるとのことで、私の障害にも理解を示してくれました。黙って普通に働くつもりでしたが、こうして私の障害は管理職全員と仕事のチームリーダーに知られることとなったのです。上司が教えてくれた私の個性。ショックだったけれど…出典 : その後、入社して2ケ月が経過した頃です。障害者手帳のことを打ち明けていた指導係の上司は、そのまま私の上司になりました。その日は上司との個人面談がありました。私「この頃なんだかAさんに避けられているような気がするんですよね。いつもそうなんです。気がついたら嫌われているんです」上司「君に言ったら傷つくかもしれないけど、はっきり言わせてもらうよ。君は動作が1つひとつ大げさで、『あっ!』『やってしもた』とか大きな声で独り言を言うよね。それが子どもっぽく見える。そうした振る舞いは日本の社会では異質なものとみられる。日本人は小学生の頃から横へ倣えの精神を叩きこまれるでしょ。異質なもの、変わった人は嫌われてしまう。僕も最初は君のことを『変わった人だな』と思ったよ。だけどアスペルガー症候群と聞いていたし、受け入れようという思いがあったからずいぶん違った。君のバックグランドを知らない人は、嫌ってしまうこともあると思う。知っているから受け入れられるという保証はないけれど、打ち明けてみるという選択肢もある。ちなみにAさんは逆に、『ヨーコさんに避けられてるみたいなんです』って気にしてたよ。」と言われました。これには正直ショックでしたが、「なぜか人に嫌われる」という長年の謎が解けたようでスッキリもしました。スタッフの誤解を解きたかった私は、困りごとを説明することに出典 : 上司との面談の数日後、上司抜きでスタッフとミーティングをする機会がありました。メンバーはいつも一緒に仕事している派遣社員たちです。その場で私は、普段から気になっていたことを聞いてみることにしました。私「私が質問しようとすると『何言ってるのかわからない』とBさんは仰いますが、どうしてなんですか?」Bさん「普通、自分で十分調べてからここがわからないと聞いてくるのに、あなたはそれもせず、やたら焦って聞いてくるから、何を聞きたいのかこちらもわからない」私「私にはちょっと人と違った特性があって、まず騒がしい環境で呼ばれても聴き取ることができません。それから、言葉で次々と説明されると理解が追い付かなくてパニックを起こしてしまうことがあります。あと空気が読めません。いろいろと失礼なことをしてしまうかもしれませんが、申し訳ありません。」このとき、「アスペルガーだ」とは言えませんでした。引かれるのが、偏見を持たれるのが、変に遠慮されるのが怖かったからです。Bさん「そんなこと言われても困る。まるで私がいじめているみたいじゃない」私は、「違うんです」とどれだけ説明しても、その後話を聞いてもらえませんでした。次の日から職場の空気が明らかに変わりました。ものすごく冷たいのです。後に聞いたことですが、みんなは「ヨーコさんはみんなの前でBさんに失礼な態度を取った」と思っていたそうです。そして、私の説明を「そんな私だから優しくして下さい」と訴えてきたと受け止めたようでした。もうこれ以上隠すことはできない…上司の勧めで障害を伝えることに出典 : そのミーティングからしばらく経ったある日、上司から声をかけられました。「スタッフが『ヨーコさんが何度も同じことを質問してくるから困っている』『ヨーコさんが目を合わせてくれなくなった』と訴えてきたよ」このときの私は、すっかり職場の人と接するのが怖くなり、最低限しかコミュニケーションをとらなくなっていたのです。明らかに私の雰囲気が変わったことに気付いた上司は「あのミーティングで何があった?」と聞いてきました。ミーティングでの出来事をそのまま伝えたところ、上司は「それは中途半端なカミングアウトでタイミングも悪かったね。もう、ちゃんとカミングアウトしないとやっていけないと思う。」と言いました。そこで、アスペルガー症候群についての基本的な説明と、医者から言われていた私の特性をプリントにまとめ、上司からみんなに説明してもらうことになったのです。出典 : 説明を受けた一部のスタッフは、私に妙に優しくなりました。一方でこれまでの態度と一切変わらない人や、「いろいろな個性があっていいじゃない。言ってくれてよかったと思うよ」といいながら、これまでよりも距離が遠のいたスタッフもいました。スタッフから言われた言葉の中で「ああ、わかってもらえないんだな…」と思った一言があります。「子どもの頃は学校でやってこれたんでしょ。個性の問題よ。みんな一緒。」どれだけ説明しても、「頑張っているのにできない」「努力ではカバーしきれない問題」だと、理解してもらうことは難しいな…と思った瞬間でした。また、「私がいじめているみたいじゃない」と言っていたBさんは、私の障害について「そんなこと言われても理解できない」と繰り返していたそうで、その後挨拶もしてくれなくなりました。それからしばらくして、出社拒否症のような状態になり限界を迎えた私は、会社を去りました。どうか私と同じ失敗をしないでほしい。カミングアウトするときに気を付けたいこと出典 : この会社を辞めてから、障害者相談機関でこのときの話をしました。すると、「カミングアウトはとても難しいんです。最初からジョブコーチや支援者に入ってもらって、その人から話してもらうことをお勧めします。」と言われました。今回のケースでは、私も最初は隠し通す気だったし、カミングアウトも場当たり的で失敗しても無理はなかったと思います。障害者職業センターでは、自分の特性をまとめ、「知っておいてほしいこと」「それについて会社に配慮してほしいこと」「自分ではどう努力するか」を表にする作業を一緒にしてもらいました。言いっぱなしでは誤解を招くだけになりかねません。しっかり準備して「会社や周りはどうすればいいのか」「自分でも努力すること」などを明示し、十分に計画を練ってカミングアウトすることをお勧めします。
2017年01月06日幼稚園の3年間、友達の輪に入っていかなかった息子出典 : 発達障害のある息子は、お友達との関わり方が独特です。例えば人の話を聞くのが苦手で、自分の話を一方的にしてしまったり、友達と協力が必要な集団のゲームは疲れるから関わろうとしなかったり…たまに幼稚園に様子を見に行くと、いつも1人で遊んでいます。他の子どもたちも、息子からはちょっと距離を置いている感じがします。送迎の園バスでも、仲良し同士で隣に座っておしゃべりに賑やかな中、息子は1番に誰もいない席に突進していきます。そして、窓の外をぼんやりと眺めているのです。年少から年長までの3年間、様々な面で成長が見られましたが、お友達の輪からササっと抜けてしまうところはずっと変わりませんでした。そして、何やら楽しそうにボーっとしていたり、空想上の誰かとブツブツ話をしていたりします。1人でも楽しそう…でもウチの子、どうして友達と遊ばないの?出典 : 幼稚園の先生方も私も、息子に「みんなの仲間に入ろう」と促すことは1度もありませんでした。幼稚園だけではなく、息子は幼稚園外での「ママ友付き合い」に連行されることも大嫌いです。幼稚園に通っていると多かれ少なかれ「○○ちゃんのおうちでみんなで遊ぼう」とか「みんなでピクニックに行こう」なんてお誘いを頂くことがありますが、私は3年間、見事に1度も参加しませんでした。それは、そういうイレギュラーな集まりを息子が嫌うこと、幼稚園以外で園のお友達と会うとパニックを起こすことなどを知っていたからです。こんな風にお友達の輪からすぐに外れ、幼稚園外での付き合いも一切拒否する息子を見ていたら、親も不安にならないと言ったら嘘になります。特に年少の頃は息子の行動の理由がつかめず、みんなで戦闘ごっこをする男の子たちの横で、ポールの周りをくるくる回り続け1人楽しんでいる息子に「おいおい…」と思わず思ってしまったものです。息子が語った「1人で遊ぶ理由」。そこには息子の頑張る姿があった出典 : 息子は友達に一切興味がないの?気になった私は、ある日息子に「1人で遊んでて、寂しいとかある?」と聞いてみたことがあります。そのときに、息子はこう言ったのです。「お母さんたちがみんなでキャーキャー喋る声とか、お友達がワーワー言う声が辛くて頭痛がするから、いいの」「お友達から離れて、ボーっと景色を見ていると、疲れが取れる」「バスの中でも隣に人が座って欲しくない」これを聞いたとき、私はハッとしたのです。私は、いつしか輪から外れてみんなと一緒に遊ぶ息子を「可哀想」と思ってしまっていたのです。きっとみんなに外されて嫌な気持ちになっているんだろう、そのうち成長したら入れるようになるかな、お友達の家に遊びに行けなくて寂しくないのかな…と。けれども息子の言葉を聞いて、私の考えが間違っていたことに気付きました。息子にとっては、集団生活を問題なく送るというだけでも重労働なのです。息子は聴覚過敏があるため、子どもがみんなでワーワー言っている声が大嫌いです。けれども、集団生活ではそれを我慢しながら生活しています。だからこそ、息子はお友達と遊ぶ時間よりも、1人になって自分を休ませる時間が必要だったのです。幼稚園の自由時間に1人でブツブツ言いながら集団から離れているからこそ、バスで1人の座席を陣取って景色をボーっと眺めているからこそ、息子は集団生活で頑張ることができていたのでしょう。社会性やコミュニケーション能力は、みんなの輪に入れることがゴールではない出典 : 私は息子の気持ちを聞くまで、自分が息子に療育を受けさせ、早期から支援をしていたのは「社会性を身につけ、友達の輪に問題なく入れるようにすること」だと勘違いしていました。けれども、息子の話を聞いて私は思ったのです。療育や支援を受けたことで、息子は「いっぱいいっぱいになってパニックになる前に、自分で集団から抜けて休憩を取る力をつけた」のだと。これこそが、息子にとっての「社会性」の獲得の大きなステップだったのではないでしょうか。「社会性」とは友達みんなと仲良くすることではなく、自分の特性を知りながら、自分なりに社会と上手く関わる方法を知ることなのだと思いました。それが、息子のように「お友達の輪から離れる」ということだとしても、それは決して間違ったことではないのだ、と私は感じたのです。
2017年01月05日就学準備の1つ、ひらがなの練習。読む練習はしていたけれど、いざ書くとなると…出典 : お子さんに文字の読み書きを習得してほしいとき、最初に何から教えればいいのか悩みますよね…。今回は、我が家で取り組んでいた方法をご紹介したいと思います。当時、私は年長の広汎性発達障害の娘に平仮名を覚えさせていましたが、書き方はまだ教えていませんでした。地域の小学校への就学を意識していましたので、それまでに平仮名は書けるようにしたかったのです。しかしこのときの娘は、平仮名はおろか直線でさえもまともに書けなかったので、どのようにして教えようかと悩みました。そこで思いついたのが、なぞりがきでした。私はワンコインショップで売っていたひらがなのドリルを用意しました。ドリルは直に書き込むと1回でお終いなので、半紙のような薄い紙をドリルの上に敷き、何回もなぞって練習させてみました。しかし、これでできれば何も苦労はしません。娘はなんとかなぞることができましたが、はみ出ることも多く、まだまだ難しそうでした。なぞり書きの取り組みで見えてきた娘の弱点。さて、どうする?出典 : なぞりがきの様子を見ていると、娘はどうやら平仮名の構成に曲線を含んでいるものが苦手のようでした。このため、我が家では50音でも名前でもなくなるべく直線だけで書ける文字から教えることにしました。「く」「け」「こ」「た」「に」「へ」などです。これらの文字を、今度はドリルを手本にしながら紙に書き写すことにしました。でも、もちろん最初は文字にならないので、手を添えて一緒に書いていました。このときは文字の形が整うこと(文字として読めるようにすること)をなによりも優先していました。文字を枠の中におさめることは気にせず思い切り書けるよう、紙は白紙であれば不要なコピー用紙の裏やチラシの裏などなんでも使っていました。字の大きさをそろえて書くのは、小学校に行ってからでも遅くはないと私は思います。なんとなく文字の形に近くなってきたら、1人で書かせることにしました。根気よく続けたところ、数日後にはなんとか文字になってきました。書ける文字を増やすにはどうしたらいい?出典 : 直線の文字に慣れてきたら、他の平仮名も練習を開始したいところ。その前に、私は頭の中でちょっと戦略を練ってみることにしました。「け」が書けるということは少し練習すると「は」が書けるのでは?「は」が書けることができたら「ほ」「ま」もすぐ書けるようになるんじゃないか?「わ」が書けるようになったら「ね」を練習するればどうだろう?そうやって、形が似ているものから練習させよう!と考えました。他にも「あ」の中には「の」が入っているので、「の」が書けるようになってから難しい「あ」を教えるなど、書ける文字から難しい文字へと移行していったのです。就学前は、遊びから学習への移行期。焦らず子どもと向き合いながら取り組んで出典 : 最初は難しいと思っていたことも、分解して簡単にしてから教えると、娘も練習しやすかったようでした。以前は真っすぐな線も難しかった娘ですが、小学生に上がる頃にはなんとか自分の名前が書けるようになりました。時間はかかりましたが、根気よく支援することで自信につながるようです。就学準備や紙と鉛筆の学習となると、保育園や幼稚園のような遊びの延長ではないので、1度の練習で根を詰めすぎると子どもがすぐ飽きてしまうかもしれません。そんなときは、長くても10分か15分程度で止めるようにし、後は遊びの時間に充てると集中しやすいのでは?と、思います。
2017年01月04日「支援級一択」だった息子の就学相談出典 : 障害のある子どもを持つ親にとって、小学校への就学は1つの大きなターニングポイントではないでしょうか。そして就学に向けての「就学相談」は、親にも子どもにも大きな存在感を持って就学前の1年間にのしかかってきます。私は就学相談について、周りの先輩ママたちに「とにかく苦しむよ~」と脅されていました。実際、就学相談の結果通達された答申と希望の進路とがかけ離れていたことに悩み、鬱を発症してしまったママ友もいます。それほどに、保護者にとって「就学相談」は大きな負担となる場合もあるのです。とはいえ、私は大して悩むことは無かろう、穏便に1年を過ごすことができるであろう、と気楽に考えていました。なぜなら、我が家の最初の希望は周囲の見立て通り「支援級一択」だったからです。しいて挙げれば、「支援級は学区の学校に設置されていないから家から遠くなるな~」くらいの悩み。普通級に無理して入る必要もないし、まして「普通級を勝ち取る」ほどに、普通級への熱意もありませんでした。そんな私の価値観を揺るがした、ある出会い出典 : そんな風にのんびりと構えていたある日、私に大きな影響を与える人物Aさんに出会うこととなりました。Aさんは「障害児も普通級で」ということを長年訴えている方であり、共生社会について見識のある方でした。このため、私が息子の就学先に支援級を選んだ理由をAさんには、「いや~、うちの子は支援級にしようと思ってるんですよね!なんかテキトーに過ごせそうだし、それが息子にも合っていそうなので!」と適当なコメントで返していました。Aさんは私のコメントに対し、以下のように仰いました。Aさん「でも、テキトーに過ごすということは、テキトーに流れに乗って普通級に行くことではないの?わざわざ遠くの学校に行くことはテキトー?支援級という選択は、普通級の子がやっていることを、できるかできないかに関わらず『その場で味わう』権利すら奪ってしまうのでは?二次障害などはそれが『二次的なものである』なんて周囲が決めること。本人が悩み苦しむ権利も奪っているのでは?」そう問いかけられ、私は何も言うことができずにいました。その日をきっかけに「支援級という選択は子どもの悩み、苦しみ、戦う権利さえ奪ってしまうのでは…」「私たちが味わってきた青春を、息子から奪ってしまうのでは?」と考えるように。そしてとうとう、「やっぱり、普通級がいいんじゃ…」と、それまでの考えがガラリと変わってしまったのです。「普通級へのこだわり」。淡い期待はいつしか譲れない目標へと変わり…出典 : 私に突如訪れた「普通級へのこだわり」の犠牲者はもちろん息子です。私はとにかく●45分椅子に座っていられる●先生の指示を聞けるこれを息子の人生の目標と言わんばかりに、療育先には「療育の内容を普通級を見据えた内容に」とお願いしました。この頃にはもはや、「障害特性が許せない」という心理状態だった私。今なら、「特性が許せないということは、子どもの存在が許せないということ」だとわかるのですが、当時は特性だからと理解できていた行動も許せなくなっていました。私の期待をよそに、他の子と比べ群を抜いて「できない」息子。そんな姿を目にしては、毎日泣く日々が続きました。出典 : その後訪れた発達検査の日、私のイライラはついに爆発します。「どうしていつもこうなの!小学校にすらまともに入れてもらえないんだよお前は!!」息子を怒鳴りつけ、帰りの車で息子と2人で泣きました。これまで大きな声をあげたことはあったけれど、息子を傷つける言葉を言うために怒鳴ったのは初めてでした。このままじゃいけない、それはわかっているけれど今この「普通級の選択」から逃げたらどうなってしまうのか…。「ある日突然開眼して、勉強ができるようになるんじゃ」「すごい芸術家になるんじゃ」そんなことにすがっては、いつの日か「普通」の子たちと交わる人生を勝手に期待して勝手に傷ついて、その矛先を息子に向けていました。そんなとき訪れた講演会。周囲との違いを認めなかった私に届いた、ある言葉出典 : どん底の日々を過ごしながらも、障害や支援についての勉強をやめなかった私。というよりも、子育てに何か使命を感じていないとやっていられない性分なのですが、足繁く講演会や勉強会に通う日々は続きました。その日も、私はとある講演会に参加していました。講演会では「普通の子の中に入れた方が伸びる」と障害のあるわが子を健常児の中に入れたがる親御さんが多いというお話があり、その中で講師の先生が仰った言葉がとても印象的でした。先生「あひるの群れに入れても、白鳥はあひるになりません。どんなに努力をしても。種類が違うのですから。あひると白鳥、どちらが優れているというわけでもありません。生え変わらない時期に羽を無理やり生え替わらせようとしても、あひるのような羽の色を期待しても、白鳥のように大きくなることを望んでも、違うのだからそうはならないのです。」この言葉を聞いた瞬間、私の緊張の糸が切れたのです。私の子は、「あひるの子」ではなくて「白鳥」なのだから仕方ない。普通の子の中で普通になれと努力するのはやめよう。そのために努力させるのは絶対やめよう…そう誓いました。この言葉のおかげで、私の心のモヤはすっかり晴れたのでした。子どもの未来を決める重圧は誰もが通る道。たくさん悩んだ時間がくれるもの出典 : 結果からお話しすると、私は「権利として」支援級を選びました。公立ではなく私立の学校を選んだり、文系ではなく理数系クラスを選ぶように、です。でも、私の子をあひるの子として育てようとしたがために「みにくい」と評価されることは避けたいのです。白鳥は白鳥として、違いを受け入れてもらえる環境で丁寧に育ってほしい。そう強く願っています。この考えに辿りつくまでには、過去ワースト3に入る程の落ち込みや混乱がありました。息子も傷つけました。それでも悩んで悩んで出した答えだからこそ、彼が入学した時に私は胸を張って「いってらっしゃい」と言える気がします。来年、就学相談を控えている方もいらっしゃると思います。子どもの就学先をきめるとき、悩むことがあるかもしれません。苦しいこともあるかと思います。それでもその真剣に悩んだ日々がお子さんの笑顔に繋がると信じて、進んでください。応援しています。
2017年01月03日