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ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第7話 採卵日の朝。このときの採卵は朝イチに割り振られたので、早く起きなきゃいけなくて大変でした。男性側の採取は、病院でおこなうか、自宅でとってブツを女性が持ち込むか選べます。私たちは、仕事の都合もあり自宅にしました。……普通みんな、セルフで採るよね?初めての採卵、とにかく怖かったです……! 手術室に入って怖さMAXに。 「え? ここ、麻酔せずに自分の足で入るとこじゃないよね!?」って思いました!手術室に入ったときにシーンはあの恐怖を伝えようと思って、めっちゃ頑張って描きました。我ながらなかなかの再現度だと思ってます(笑)。初採卵の手術台では、びびりすぎて下半身が浮いちゃって、看護師さんにキレ気味に注意されたのを覚えています(笑)。無麻酔採卵について。この病院は細い針を使っており、かつ低刺激で一度に採れる卵子が少ないため、基本的に痛みはそれほどでもないという説明でした。でも採卵の痛みは、個人差があるようです。 漫画を描きながら他の人のブログを読みまくりましたが、痛い人は本当に痛いみたい。みんなが楽って話ではないです~!次回、採卵の結果発表です。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月28日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。 そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚! 現在は妊娠中ということで、今回は第二子の妊娠についてやコロナ禍の妊娠・出産をどういう風に捉えているのか、いろいろとお話を伺ってみました! 第二子の妊娠発覚! 一番に来た感情は”驚き”だった…!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー今年の2月15日にオフィシャルブログで第二子の妊娠報告をされていますが、初めて妊娠が分かったときは、どんなお気持ちでしたか? 杉山さん:妊娠が発覚したのが昨年の11月くらいだったのですが、本当にビックリしました。年齢も年齢なので、もう子どもは欲しくてもできないと思っていました。なので、特に妊活もしておらず、妊娠が分かったときは、ただただびっくりしましたね。とにかく驚きが一番に来ました。ただ、時間の経過とともにじわじわと喜びがこみ上げてきましたが、高齢出産になるので、何が起こるかわからないため、慎重な気持ちで毎日を過ごしていました。コロナ禍での妊娠でしたが、そこまで戸惑いなかったです。今は無事に7カ月が経ち、力強い胎動を感じられる喜びを感じています。 ー旦那さまの反応はいかがでしたか? 杉山さん:主人もものすごく驚いていました。私自身も、最初に生理が来なかったときは、閉経したのかなと思ったくらいだったんです。でも、様子を見ているうちに、だんだん胸のあたりが気持ち悪くなって、なんとなく1人目のつわりの感覚を思い出したんです。それで妊娠検査薬を試したら陽性で……。ただ、1人目のときは本当に苦労して授かったので、今回の自然妊娠が信じられず、違う種類の検査薬でもう一度試したんですが、そこでも陽性だったので、2人で「あぁ、良かったねぇ」という風に安堵し、妊娠を喜びました。 ー息子さんには報告をされたのでしょうか? 杉山さん:何が起こるかわからなかったので、安定期に入るまでは話さずにいました。まだ5歳なので、いろんな人におしゃべりしてしまうんですよね(笑)。ただ、私たちは正直第二子に関しては諦めていたのですが、息子は一人っ子というのが物足りなかったらしく、家族の中でも一番に第2子を望んでいたんです。何かあるたびに「いつ妹とか弟ができるの? 」とよく聞かれていたので、言ってしまったらうれしさの余りたくさんの人に言ってしまうことが想像できたんですよね(笑)。なので、大々的に公表する2、3日前に伝えました。 ー報告後、息子さんの反応はいかがでしたか? 杉山さん:すごく喜んでいて、テンション上りまくっていました(笑)。私自身も6歳下に妹がいるので、当時の喜びを覚えていますし、小さなママ気取りでいろいろお世話していた記憶があるんですね。息子も弟か妹ができるというのを知ってから、お兄ちゃんという意識が高まって、「お世話したい」という気持ちが出てきたようで、しっかりしてきたなという印象がありました。 コロナ禍の今…不安になりがちだけど、考えすぎないことも大切画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーコロナ禍で妊娠に気付いたことに対して、戸惑いなどはなかったですか? 杉山さん:戸惑いはなかったです。こんなときに来てくれた子だからこそ、力強い子なんだろうなと思っていました。ただ、普段の妊娠でも薬を飲めなかったりと体調管理には気を使うのですが、コロナ禍なのでより気をつけないといけないなと意識が高まりましたね。 ーコロナ禍での妊娠、出産となりますが、どんなことに気を付けていますか? 杉山さん:自分の中で行動は気を付けていたので、そこまで心配はしていないんですよね。とはいえ、変異種や変異株が流行ってくると妊婦も重症化しやすいと聞いたので、ちょっと怖いですが。でも、無駄に心配してもいいことはないので、開き直って、基本的なことだけを気にかけるようにしています。 ー今の時期に妊活や妊婦生活を戸惑う人も多いと思うのですが、杉山さんはどう思いますか? 杉山さん:コロナ禍の妊婦健診や不妊治療って、どうしても1人になってしまっているので、不安も増えると思うんです。でも、STAY HOMEが当たり前になってきた今、家族で一緒の時間を感じられる貴重な期間だと思うんですよね。これまであわただしく時間に追われていた生活を一度リセットして、考え直すいいきっかけにもなりますし、そこで家族の絵がイメージとして湧いてくるのであれば、そこまで怖れることもなく、妊活に取り組むのは、すごくいいことだと思いますね。 ー考えすぎないことも大事ですよね。 杉山さん:そう思います。心配ばかりしていると、気持ちがマイナスの方向に働いてしまうことがあるんですよね。ちゃんと普段から気を付けていれば、結果もちゃんと伴ってついてくると思っています。 子育てして思うのは、「想像を絶する楽しさがある」ということ画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー子育てに対する考えのすり合わせなどは、どのようにされていたのですか? 杉山さん:実は妊娠中に、仕事と並行して大学院に行っていたんです。なので、てんやわんやで目の回る大変さで、当時のことをあまり覚えていないんです(笑)。ただ、落ち着いてからは、主人と話し合いながらルールをしっかり決めて、向き合うようになりました。主人とは育った環境も違いますし、子どもに対しての接し方、考え方も違うのでぶつかることもありますが、その都度早めに話して解決することを大事にしています。 ー ”一緒に育てている”という感覚が強いご夫婦なんですね。 杉山さん:そうですね。すごく強いです。主人は私が子どもに対してしていることを絶対に否定しないし、私も否定しないというのをルールにしているんです。そこで違和感を覚えたとしたら、子どもが寝たあとにちゃんと話し合い、すり合わせをするようにしています。そこでどちらかが否定し、責めるのを見せることで、子どもが、パパのほうに、ママのほうに味方に付くというのはダメだと思うんですよね。 ー お子さんが生まれて良かったと思う瞬間は、どんなときでしょうか? 杉山さん:子どもがいるのといないのとでは、生活自体が異なる物だと思いますが、息子の存在すべてが私に喜びを与えてくれているのだといつも思います。子どもの成長を見たり、共に成長していきたいと思ったり、彼の中で自分を垣間見たとき、すべてが感謝の瞬間です。 ー すごく素敵ですね。望んで家族ができたからこそ、今思うことはどんなことでしょうか。 杉山さん:想像を絶する楽しさです(笑)。息子に人生を広げてもらっている実感があるんですよ。生まれる前は夫婦2人で、独身のときは1人でという選択肢ももちろんある世の中なので、それぞれの人生で自分らしく輝けるということが一番幸せなことだと思うんです。ただ、私自身の選択としては、パートナーを得て、そこで子どもを授かることで広がりができたので、子どもには本当に感謝しています。 インタビュー配信1回目となる今回は、青天の霹靂だった第二子の妊娠や、コロナ禍の妊娠・出産についてなど、いろいろ話していただきました! 今回の取材で印象に残ったのは、「子育ては想像を絶する楽しさ」と話していたことでした。この言葉から、子育てを全力で楽しんでいることがすごく伝わってきて、とっても素敵だなと感じました! さて、配信2回目となる次回は、杉山さんが「すごくつらかった」と語っていた不妊治療のお話がメインになります。次の配信もぜひご覧くださいね! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月27日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー3万人を超えるぶちねこなみ(@buchinekonami)さんの体外受精レポをお届けします。 体外受精レポ第6話 体外受精、豆知識的な話。これはあくまで私が3年前に治療した病院での話です。 そして、採卵日前日の夫婦の会話。体外受精を経験された方、採卵方法を初めて知ったときに衝撃を受けませんでしたか? 私はかなりショックでした! 「えっ針刺すの? そこから?? マジでみんなやってんの? いや無理無理ムリ~!」って感じでした!!!ので思わず漫画にしてしまいました。 次回、採精と採卵の話です。マイルドに描きました~。 ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月27日体外受精レポ第5話 体外受精、最初の周期スタート!この病院は、1周期目は薬をまったく使わない「完全自然周期」でした(全員ではないそうです)。通院日が決まるのは、毎回1~2日前。大変でした。 幸い私は病院と職場が近かったので、検査だけのときは朝イチで予約をとり、少し遅刻して出社していました。理解してくれていた職場に感謝です。 そして、1回目の採卵日が決まった日の話。 このときは、薬で卵子の数を増やさない「完全自然周期」だったので、投薬は坐薬と点鼻薬だけでした。点鼻薬……5,000円もしたよ……。 治療当時は他の方のブログを読みまくってました。治療方針によっては、採卵まで毎日薬を飲んだり注射をしたりして、卵子の数や排卵の時間を調整するんですね。次回、体外受精に関する豆知識?な話ですー。------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月26日体外受精レポ 第4話 体外受精開始前に、甲状腺の検査をしろって言われてしてきた話です。 このとき言われた橋本病ですが、今日に至るまで特に症状がなく、なんだかよくわからないです……。 しかし不妊治療って……こういうちょっとした検査ですごくお金かかりませんか? 採卵や胚移植で数十万円かかったときは、もう腹をくくっているので、逆にそんなもんだと納得できるのですが。 ちょっと診察してもらって5000円とか8000円とか払うと、地味に精神的ダメージくらいます……私だけかな(笑)。 次回、やっと体外受精の周期が始まります~! ------------このシリーズは2016~2017年に私がおこなった治療について描いており、情報が古い可能性があります。ご了承ください。------------ ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※本記事の内容は、3年以上前にぶちねこなみさんが受けた高度不妊治療専門病院での診療のお話になります。※不妊症の中でも原因不明の不妊症の方の場合では、通常に比べ甲状腺抗体が4倍高いと報告されています。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター ぶちねこなみ釣り好き旦那&体外受精で授かった2歳差姉妹と暮らしています。Instagramでは不妊治療のことのほか、育児や過去のブラック企業体験などのエッセイ漫画を公開中。
2021年05月20日1人目を授かったとき、妊活期間はわずか6カ月でした。きっとまたすぐに授かれるだろう……そんなつもりで2人目を計画しましたが、なかなか飛んできてくれないコウノトリ。年の差が5歳のわが家の2人目妊活エピソードをお伝えします。 ある日突然コウノトリにお手紙を書いた娘2人目の妊活に踏み切ったきっかけは、娘が3歳のときの出来事でした。初めての育児、ほぼワンオペ育児だったこともあり、毎日必死だった私にはまだとても2人目を考える気持ちの余裕はありませんでした。夫は娘を溺愛してはいるものの、仕事が忙しいため、子どもはひとりでもいいかなと思っていたようです。 でも娘は幼稚園で下の子がいるお友だちをうらやましく思ったようで、ある日突然、コウノトリさんに「いもうとかおとうとをください。こんなこ」と絵も添えて、つたない文字で一生懸命手紙を書いたのでした。それを見た夫と私は、2人目の妊活をスタートすることに決めました。 不妊治療専門クリニックを受診2人目の妊活も、1人目同様すぐに妊娠できるだろうと思っていたのですが、1年経っても授かりませんでした。娘のためにも2人目を早く産んであげたかったので、アドバイスをもらうつもりで不妊治療専門のクリニックを訪ねました。 まずさまざまな検査をしていただきましたが特に問題は見つからず、そのままタイミング法を続けながら、妊娠の確率を上げるための薬を飲み始めました。 タイミング法から人工授精へ半年くらいタイミング法を続けたころ、先生から人工授精のお話がありました。年齢も30代半ばを過ぎていたため、結果につながりやすいだろうとのことでした。夫に話すと、そこまでしなくても……という反応でしたが、気乗りしないながらも協力してくれてありがたかったです。人工授精を開始したらすぐ授かれるかと思っていましたが、なかなか結果に結びつきません。 娘のお世話をしながらの通院や薬の服用などに疲れてきたので、スポーツジムを契約し、気分転換を図りました。そして5回目の人工授精。検査時の数値もあまり良くなく、今回もダメだろうな……と思った矢先、まさかの双子の妊娠が判明!! 妊活スタートしてから1年と9カ月目のことでした。 バニシングツインを乗り越え、無事出産まさかの双子妊娠で、わが家は喜ぶと同時に大騒ぎになりました。弟か妹のどちらかが欲しいと思っていた娘も困惑していたようです。しかし残念ながら、1人は初期にバニシングツイン(双子のうちの1人が亡くなり、子宮内で消えてしまうこと)で、いなくなってしまいました。 悲しみのなか、もう1人の妊娠継続に影響がないか心配しましたが問題なく成長し、健診には毎回娘が一緒に行ってくれて心強かったです。そして出産予定日前に自宅で破水。家には私と娘しかいませんでしたが、娘は5歳になっていたので、私の指示通り動いてくれました。そして夜中の出産だったにもかかわらず、娘の強い希望で出産にも立ち会うことができました!※コロナ禍前の体験談です。 現在娘は7歳、息子は2歳になりました。2人ともお互いのことが大好きで、本当に仲良しです。また、娘は母性に溢れており、私よりも母らしいことがあります。なかなか2人目を授かれず、歳の差が大きくなっていくことに焦りを感じていましたが、今ではワンオペ育児のなか戦力となってくれている娘に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年05月18日Youtube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は25.5万人でママたちの間でも話題になっています。今日は、なぜHISAKOさんが12人のお子さんを産んだのかをお話しする動画をご紹介! どうして12人も子どもを産もうと思ったの? 元々子どもがめっちゃ好きというHISAKOさん。看護師として小児科病棟で働いているときには、入院している子どもたちの隊長として、子どもたちの先頭に立って採血などに連れて行っていたそう。そんな経験と元々の体育会系の性格から、「みんな3人くらい子ども産むんだったら、私は5人くらいいける!」と思っていたそう。 でも実際は、第一子は産んでから可愛いと思うまでには時間がかかったそうです。助産師という仕事をしていたからか、赤ちゃんを仕事の対象としか思えず、「なんで家に帰ってもおむつ変えたり、授乳したり仕事みたいなことをしてるんだろう」と半年くらいは思っていたそう。しかも、出産には58時間もかかるほど難産だったそうです。 ここで「2人目は大変そうだからやめておこう」とならないのがHISAKOさんのすごいところ。「こんなに大変な出産はなかなかないわ、ってことは、第二子産めるわぁ」と思ったそうです。しかも、予言かのように第二子はたった3時間で生まれたというから驚き。そして、第二子を産んだ直後に「あ、3人目いけるわー」って思ったそうです。 こうして年子で3人の子どもを育てるようになったHISAKOさん。その後、体調が崩れて4人目はなかなか授からず、4人目の不妊治療をしようと思ったそうです。 1人目でも4人目でも関係ない! 不妊治療に行った際に先生に「なんで4人目が欲しいの?」と聞かれて、「子どもが欲しいっていう気持ちは1人目でも4人目でも、数とか関係ないんす。ただ欲しいっていうそれだけなんです」と熱く語ったというHISAKOさん。 そのときは、子宮卵管造影と通水検査をして、無事に4人目を妊娠・出産することになりました。その後、5人目を出産し、目標は達成。1人目からの5年間は専業主婦だったこともあり、5人子どもを産んだあとはまた助産師として病院に復帰をしようと思っていたそうです。 しかし、実際に自分が子どもを5人産んで育てて、出産後退院するときのママたちの不安な気持ちや、子どもが1歳になるまで疑問なことだらけなのに聞く人がいない孤独感などを知って、「子育て中のママってめっちゃしんどい」ということに気づいたそう。 そして、そんな産後のママに寄り添うことができるのは、5人子どもを産んで育てている自分だからこそできるんじゃないかと思いました。そこで、いずれ開業することを考え、地域の母子訪問などから復帰を開始したそうです。 3年半後に妊娠した6人目、そして後半チーム! 5人の子育てと助産師としての仕事に追われる中、頭をかすめた6人目。「仕事もしないといけない。でも、子どもも…」そんなことを思いつつ3年半が過ぎたある日、妊娠が判明。そして、6人目出産したあとHISAKOさんはこんな気持ちになったそう。 「ポツンと離れて6人目やったんですよ。なんか6人目ちゃんがひとりっ子みたいに思えて、すごいかわいそうに思えてきて」 「あかんわ、後半チーム!」って思いました。 すごいです! この前向きな姿勢! そして、実際に6人目をきっかけに7人目、8人目を出産。こうなったらと後半チームを完成すべく9人目、10人目まで出産します。このとき、年齢も40歳になっていたこともあり、さすがのHISAKOさんも10人目で本当に終わりにしようと考えたそうです。 ところが、10人目を産んだあとにまさかの離婚。 さて、このあと12人目を産むことになる経緯は、ぜひ動画を見てみてください。40分の長編動画でありながら、150万回再生以上なのは、見た人みんなが圧倒されるHISAKOさんのパワーがあるからこそ。 HISAKOさんの軽快な関西弁トークはおもしろく、後半少し泣ける話も出てきます。44歳で12人目の不妊治療をスタートするきっかけなども見応えあります!妊娠中のママも産後のママもみんなが共感や尊敬できる部分があると思うので、ぜひチェックしてみてくださいね。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年05月11日1人目が生後10カ月を過ぎたころ、2人目を考え始めた37歳の私。夫の意見や周りのアドバイスを聞くたびに、2人目妊娠のタイミングがわからなくなりとても悩みました。しかし、助産師の姉の言葉で不安や迷いが消えました。そんな私の体験談を紹介します。 2人目に対する夫婦の考えもともと生理不順で産婦人科に通院していた私は、1人目は予想外の自然妊娠で喜んでいました。しかし産後10カ月を過ぎるころ、私が37歳であることや、産後に再開した生理が今まで以上に不順だったこともあり、2人目も自然妊娠できるか心配になってきたのです。 夫は「1人目が自然にできたんだから2人目も大丈夫だよ!」と楽観的。私たち夫婦は2人目も強く希望していたのですが、「年の差は関係なくきょうだいをつくってあげたい」という私と、「3歳は年を離さないと子育てが大変」という夫と意見は異なっていました。 他人の言葉に揺れる私2人目をどのタイミングで考えればいいか悩んだ私は、友人や姉妹に相談してみました。上の子と5歳差で2人目を妊娠した妹は、「意外にも2人目不妊は多い。特に年が離れると。私も不妊で通院した」と話していて、私は「やっぱり早めに2人目考えなきゃ」と焦り始めました。 また、2歳差の2人の子どもを持つ友人に相談してみると、「2歳差は育てるのが本当に大変! 私があなたの年齢なら3歳は間隔をあけるわ」と。アドバイスを聞くたび、どうしたらいいのかわからなくなりました。 助産師の姉の言葉悩み始めた私は、一旦2人目を考えることをやめることに。ある日、助産師の姉と何気ない会話のなかで「赤ちゃんは授かりものだから。来てくれたときがタイミングよ」と話してくれ、私は目が覚めた思いがしました。 「私はいろいろ自分たちの都合を考えていたけれど、そのこと自体間違っていたのかも」と思うようになったのです。それから2人目計画を立てることをやめ、避妊もせず、すべて自然に任せることにしました。 2人目妊娠判明! 夫は…2人目妊娠を意識することをやめた矢先、まさかの自然妊娠が判明! 避妊はしていないものの、生理不順でいつ排卵しているかわからなかった私自身、こんなに早く妊娠するとは驚きでした。 3歳差を希望していた夫は、「えー! 早すぎ」と報告したときは若干焦ったようですが、「2歳差でも3歳差でもそんなに変わらないよね」と今では家族が増えることを楽しみにしています。 私は2人目妊娠のタイミングを、私自身の状況や上の子との年の差を考えてたくさん悩みました。しかし私の場合、「赤ちゃんを授かったときが私たちのタイミング」と考えることで2人目妊娠に対する不安や悩みが軽減され、結果的に今赤ちゃんを授かれたことを夫婦2人でとても喜んでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月07日「仲良く夫婦生活を送っていれば、赤ちゃんは自然に授かるだろう」。妊娠についてそう考えている人は少なくありません。しかし、健康な夫婦でも排卵1回あたりの自然妊娠率は約20-30%程度と言われています。若くて健康でも1年の排卵のチャンスはたった12回。 不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 自然な妊娠を望む年上夫は非協力的。気持ちのすれ違いに涙「あぁ、疲れた」 その日、夫は仕事から帰るなり、大げさに疲れをアピールしてきた。その日、というのは妊娠しやすいタイミングの日。ネットや妊活アプリで調べ、予め伝えておいたが、明らかに拒絶していることが伝わってきた。 「今日もだめか……」 夏美さんは、疲れた夫を責めることもできず、すれ違う気持ちを抱えて1人静かに泣いた。 現在、生後4カ月の女の子を育てる夏美さん。絶望と希望の間でさまよった不妊治療期間を経て、今は穏やかな日々を送っている。 27歳の時に13歳年上の夫と結婚。夫の年齢も気にして、結婚前から「すぐに子どもは作ろうね」と語り合い、ハネムーンから妊活をスタート。ところが2カ月経ってもいつも通りに生理が来る。 「そのころは妊娠に関する知識がなくて、すぐに授かると勝手に思っていたんです」と夏美さん。同じ時期に結婚した同僚たちは、次々に妊娠を報告していた。 夫にいいタイミングを伝えるも「そういうのは自然にできるものだから。欲しい欲しいと思うと逆に妊娠できないよ」と非協力的な言葉が……。夫とのタイミングが合わず、日に日に焦りは増していった。 寝込むほどの生理・・・もしかしからできにくい?と不安に毎回、生理は苦痛でたまらなかった。腹痛、腰痛、頭痛に加えて多量の出血。学生時代は寝込むほどだった。実家近くの産婦人科クリニックに長年通い、痛みを緩和するための低容量ピルを処方してもらっていた。妊活に備えてピルの服用はやめていたが、市販の痛み止めに頼りすぎることも。 人より重い生理が気になってネットで調べると、不妊と結びつく情報がいくつか引っかかった。「もしかしたら、自分は赤ちゃんが授かりにくいのかもしれない……」。胸がざわざわした。 日本産科婦人科学会では、不妊を定義する期間として、「1年間が一般的」と定義している(妊娠を望む健康な男女の間に授からない期間)。しかし問題が考えられる場合は、すぐに治療を開始するよう勧めている。 頭に浮かんだ「不妊治療」の文字、しかし夫は……夏美さんの頭には、妊活から2カ月の時点で「不妊治療」の文字が浮かんだ。妊娠するチャンスは1回の排卵でたった数日間しかない。排卵は月に1回、1年で考えるとたった12回だ。このままではあっという間に年を重ねてしまいそうな気がした。 ところが赤ちゃんは誰もが自然なタイミングで授かると思い込んでいる夫。ネットの書き込みでも、夫と同じ意見を多く見かけた。通院したいと相談すると、予想通りの反応が返ってきた。 「行く必要はないよ。自然に任せたいんだ」◇◇◇妊活には非協力で、しかも不妊治療の検査へは「行く必要がない」と言う夫。果たして、夏美さんの妊活はどうなるのでしょうか。 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月28日13年間2人目不妊だった私。10年ほど日本で不妊治療を受けましたが、授かることができませんでした。人工授精までしか受けたことがなかったのですが、移住先のドイツで高度不妊治療を受け、双子を授かることができるまでの体験談です。 ドイツの文化に従う私たち夫婦は日本で何度も不妊の検査を受けましたが、異常が見当たらない原因不明の2人目不妊でした。原因不明なままで高度不妊治療に踏み切るのは、お金の問題もあり難しいだろうと抵抗がありました。その後、移住先であるドイツのクリニックで、私が35歳を過ぎたので最後のチャンスと、人工授精を受ける目的で診てもらったのです。初めてクリニックを受診したときに、「なぜ今まで欲しいと思っていたのに人工授精止まりだったのか」「子どもを授かりたいという意思はあるか」ということを聞かれました。 ドイツ人は意見をはっきり伝えることが一番大事という考えが基本にあります。初診で担当医の思わぬ質問に戸惑いましたが、夫婦で授かりたい思いはあったのでその旨を伝えました。 ドイツ不妊治療の助成金ドイツで不妊治療をする場合、40歳までの女性に対して不妊治療3回まで約半分を公的保険でカバーしてもらえます。ドイツの保険会社は多くあり、加入している保険会社によってさまざまですが、たいていの会社は女性が40歳までであればそのような補助を受けることができます。 不妊治療を受ける際に必要な薬代も若干の補助は出ますが、多くはありません。日本よりも不妊治療を受けやすい環境(※1)ではありますが、お金の面はそこまで手厚く補助してもらえるものではありませんでした。 (※1)現在、日本における不妊治療への助成は拡充されています。 検査から治療まで大急ぎ!検査で時間を取っていてはもったいないということで、治療を決めたその日から検査を開始。担当医は私たち夫婦がとても長い期間、検査や治療を受けているにもかかわらず結果につながっていない現状を見て、顕微授精が適切な治療だと示しました。 顕微授精は日本では最も高額で、受けることが難しい治療だと思っていた私は驚きました。人工授精を何度か受けてから考え直そうかなどさまざまな思いがありましたが、治療や薬の指示など、医師や看護師さんが淡々とすべき役目をこなしているという印象を受け、今回の治療に希望をかけてみようと決断。 最初は戸惑いましたが、これもドイツ文化です。やることをやっていれば成果に近づけるという医師の助言・ドイツシステムのもと治療をすすめました。 3回目の顕微授精で授かれた1回目は授精卵が着床したものの妊娠9週で育たなくなり、稽留流産、掻爬手術を受けました。2回目では着床せず。保険補助が最後となる3回目。これで治療はやめる予定で顕微授精をおこないました。2個の受精卵を戻し、無事着床。そして、その後双子を出産しました。顕微授精を受ける際、体を多くの薬でコントロールし、心が折れそうになるようなこともありました。また流産したときも、治療を続けるべきなのかと夫婦で何度も話し合いました。双子を授かることができたことは奇跡だったと思います。不妊治療を受けることはどのくらいの期間、いくらかかるのかなど不明点が多いことが私たち夫婦にとって不安材料でした。 ドイツの不妊治療は、お金のサポートは多くはありませんが制度として整っていますし、明確な治療指示によってスムーズに治療を受けることができました。日本でもクリニックによっては明確な治療指示を受けられたのかもしれませんが、10年以上悩んでいた2人目不妊が1年半のドイツ不妊治療によって双子の命を授かることができたので、私たち夫婦は満足しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月17日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー8千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さんの難ありパイのお話を連載でご紹介していきます。ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー8千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さん。「出産レポ」、「産後レポ 入院編」、「産後レポ 自宅編」に続いて、「難ありパイ」シリーズ〈チビコーの卒乳編〉をお届けします! これにて難ありパイのお話は終了です〜!!長いことお付き合いいただきありがとうございました。 最後の授乳、まったく泣きませんでした。が、この投稿を描いてて泣きました……。当時の記録を見て、最後の授乳の前日に撮った自分専用動画を見て、涙がポロリと……。授乳は、それだけ思い出深いものだったんだろうなぁ。いつもと違ってポエミーな感じで失礼します。 自分専用の授乳動画を見てると、いい思い出ができたな〜と思います。母乳のメリットうんぬんじゃなくて、ただただ幸せな時間だったなぁ、と。 難ありパイのお話は、母乳育児を推進する内容ではございません!ストレスのない授乳方法が、母子ともに一番だと思います!!授乳中のみなさんにとって、幸せな授乳ライフとなりますように! 監修/助産師REIKO画像提供/HYPかなこ(@hyp_kanako) 著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年04月11日江上敬子さんは、「ニッチェ」というコンビを結成しているお笑い芸人です。現在はバラエティー番組にレギュラー出演するほか、「ニッチェ江上敬子のダンナやせごはん~胃ぶくろをつかむ、嫁ラクレシピ!」「ニッチェ江上敬子ダンナやせごはん~かさ増し!レンチン!缶タン!編」など、料理本の出版もおこなっています。また、2015年9月には一般男性と結婚し、2020年9月5日に第一子を出産しました。 今回は不妊治療のお話を中心に、治療中につらかったことや、つらい時期の乗り越え方などを取材させていただきました! 不妊治療中の夫婦関係は真っ黒!? 溝はどんどん深まっていき…ー江上さんは不妊治療の上、出産されていますが、どのくらい治療を続けていたのでしょうか? 江上さん:トータルの期間は2年間くらいでしたね。結婚して、子どもが欲しいなと思ったときに、自分の体がどういう状態なのか知らなくてはいけないなと思い、検査を受けることにしました。 ーそこでの結果はどんなものだったのでしょうか? 江上さん:検査は旦那と2人で行き、旦那には何も問題がなかったんですが、私は卵子が育ちづらい体質なだけでなく、子宮内膜症が見つかり、妊娠しづらいことがわかったんです。まずはそこを改善するために、1年くらいの時間を費やしました。 ー実際不妊治療をおこなっているときに、「一番つらかった」と思うことはどんなことでしたか? 江上さん:夫婦間の認識の差ですね。あとは、比重です。子どもは2人で作るものなのに、どうしても女性の負担が大きくなってしまうなぁと。女性しか子どもを産むことができないからこそ、仕方のないことなのかもしれないですが、2週間に1度、遠い病院へ早朝に通い、仕事に行き、同じ時間に薬を飲み、おなかに注射をしていると、本当につらくて「なんで私だけ」と思ってしまうこともありました。さらに、BMIが高めだと妊娠しづらいということで、体重も8キロほど減らしました。その間、旦那は普通に生活をしているからこそ、どうしてもイライラしちゃうんですよね……。本当なら、そのすべての苦労を話して理解してもらえばよかったんですが、当時は自分から話す気力もなかったんです。男性にしてみれば、「言われないからわかんないよ! 」という感じだと思うのですが、心のどこかで「言わなくてもわかってよ! 」という気持ちがありましたね……。「2人で治療しているんだから、もう少し気を遣ってよ! 」みたいな感覚の差もあったりして……。なので、そういったお互いの認識の違いから、どんどん溝が深まっていって、そのころの夫婦の仲は最悪でした。 ーそのような夫婦間の溝は、どのように解消していったのでしょうか? 江上さん:話し合いもしたんですが、当事者同士はうまくいかず……。わが家では、お互い仲がいい友達に間に入ってもらい、話を聞いてもらうことにしたんです。旦那も私も、直接言えないようなことをその友達には言えますし、第三者がいるということで、ちゃんと冷静に言葉を咀嚼して考えることもできたんです。それからは少し落ち着きましたね。今思うと、そこが不妊治療最大の山場だった気がしますし、今思えば「言わずともわかってくれよ」と思わずに、もっと自分の気持ちを素直に言っていればよかったなと思いますね。 ーそういった治療に対する夫婦間の温度に悩む方は多いと思います。男性に不妊治療について理解をしてもらうのは、なかなか現実では難しいようですね。 江上さん:そうなんですよね。でも、これから2人の子どもが欲しいと思っているのに仲が悪くなったら意味がないと思います。私も夫婦関係の暗黒時代を切り抜けるために、意識的に実践していたことがあるんです。それはとにかくポジティブな将来のことを話すということでした。「子どもができたら、どんな漢字の名前にしようか」とか、「何を習わそうか」とか、そういった妄想を楽しむようにしていました。それだけで和むんですよ。自分たちの気持ちも前向きになりましたね。 「どこまでチャレンジするのか」を2人で決めることがすごく大切ー今は不妊治療に対しての保険適用化のお話もありますが、どう考えますか? 江上さん:すごく素晴らしいことだと思います。そこで諦めてしまう人もいると思いますし、実際に私のまわりにも、そういった夫婦が何組もいるんです。なので、なるべく早く実現化してほしいですね。私の希望としては、「今子どもが欲しい! 」と思っている人たち全員に、適応されるといいなと思っています。なので、1日でも早く可決してもらいたいですね。 ー 金銭的な問題で諦めるのは悲しいですよね。 江上さん:そう思います。また、不妊治療をおこなう際に絶対に大切なのは、「どこまでやるのか」を決めることだと思うんですよ。自分たちの中で期限というか、「ここまで挑戦しよう」という線引きをちゃんと決めるというか。それに、できることをやるだけやって無理だったら、諦めもつきやすくなると思うんですよね。 ー 不妊治療を受けるときに、事前に何か2人で決めていたことはあるんですか? 江上さん:金銭面や年齢などに制限があったので、私たちの場合は最初から“何回まで”と回数を決めていましたね。「この回数で挑戦してみて無理だったら、金銭的にも続けられないし、諦めましょう」という感じできちんと2人で話してから、治療を始めました。 ー 最初に不妊治療について、どういう方向性でおこなうのかを確かめておくということは大切なことですよね。ほかにも、治療でつらいときなどは「察して欲しい」と相手に求めるのではなく、今の状況や自分の思っていることを伝えることが大切だとおっしゃっていましたが、それもすごく大事なことだと思います。 江上さん:「察してほしい」という気持ちはわかるのですが、女性も男性も自分の言葉で説明するのが面倒なんでしょうね。でも何でかそう思っちゃうんですよね。ただ、その状態だといつかケンカになってしまうと思うので、ケンカになったときに「自分たちには何が足りなかったのか」ということを見直すことが大切だと思います。男性は男性なりに絶対悩むし、しんどいだろうし、どうしていいかわからないと思うんですよね。なので、女性も「自分ばっかり」って思わないようにするのは大事なんだなって、それは自分の経験を通してそう思いましたね。 ーそれでは、不妊治療を頑張っている人たちにメッセージをお願いします。 江上さん:まず、“1人じゃないよ”ということを伝えたいですね。今はSNSを駆使すると、同じ体験をしている人や、同じことで苦しんでいる人、喜んでいる人などがいっぱい見つかるんです。なので、そういう人たちとたくさん繋がって、一緒に頑張っていることを実感してほしいですね。手を出せば、絶対に握ってくれる人はいます。決して1人で抱え込まないでほしいですね。 今回は不妊治療に特化した内容を取材させていただきましたが、いかがでしたか? 不妊治療中の夫婦関係など、一歩踏み込んだ内容についても、江上さんはときに明るく、ときに真剣に話してくださいました。さて、次回はコロナ禍の妊娠・出産についてお話を伺っています。次回の配信もぜひ楽しみにしていてくださいね! PROFILE:江上敬子さん島根県出身の1984年9月17日生まれ。マセキ芸能社に所属しており、女性お笑いコンビ「ニッチェ」ではボケを担当している。著者:ライター 吉田可奈
2021年04月09日28歳のときに不妊治療で第一子を授かり、出産した私。第一子である娘が1歳を過ぎたころから第二子の不妊治療を始めたのですが、治療を受けるなかで失敗したと思うことがいくつかあります。今回はその失敗体験を紹介します。 不妊治療の記録をすべて捨てた待望の第一子は、タイミング法を3回したあとの人工授精3回目で授かりました。おなかの赤ちゃんは順調に育ってめでたく出産となったのですが、産後2カ月が経ったあとに急きょ夫の転勤で引越しをすることに。 引越し後は見知らぬ土地で子育てをしながら片付けにハマり、勢い余って第一子の不妊治療に関する書類をすべて捨ててしまったのです。第二子の治療は引越し先の病院で受けたため、過去の資料が一切なくて困ったのを覚えています。 領収書の管理がいいかげん第一子の不妊治療では人工授精3回目で娘を授かることができたので、治療にかかる費用はそこまで高額にならず、助成金の申請はおこないませんでした。 けれど、第二子の不妊治療では10回を超える人工授精をおこなっても子どもを授かることができませんでした。治療費も高額になったため助成金申請をしようとしたところ、領収書がいろいろな場所に保管してあったり日付通りでなかったりして大変な手間が。領収書の管理はきちんとしておく必要があると痛感しました。 妊娠に対する考えが甘かった不妊治療当初から「自然妊娠をする確率はほぼゼロで体外受精でも難しい」 と先生から言われていましたが、娘を3回目の人工授精で授かったので次も思っているよりも簡単に妊娠すると考えていました。 ところが、人工授精12回、体外受精を1回おこなったものの、未だに妊娠に至っていません。私も夫も年齢はどんどん高くなり、体も衰えていくなかでどこまで治療を続けるのかまだ決めていません。出費は増え続ける一方なので、子どもが授からなかった場合にいつ諦めるのかを考えなくてはならないなと思っています。 不妊治療をしていると、まだ見ぬ未来の赤ちゃんと会える日を楽しみに気持ちが前向きになる一方で、現実的に考えなくてはならないことがたくさんあり、気持ちが後ろ向きになることもあります。それでも、後悔のないように納得のいくまで治療に取り組んでいきたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/manami.koiso 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年04月07日将来の妊娠に向けて、卵子を凍結保存しておく「卵子凍結」。「いつかは産みたい」と考える女性の一手として水面下で語られてきたトピックが、菅首相が少子高齢化対策の切り札として掲げる「不妊治療の保険適用」に関する報道が増えたことも相まって、広く知られる言葉になったのではないでしょうか。 実際にベビーカレンダーがおこなった調査において、75%以上が「耳にする機会が増えた」と回答しています。そんな「卵子凍結」について女性たちはどう考えているのでしょうか?今回の記事では、ベビーカレンダー会員の女性2,127名に向けて実施した卵子凍結に関するアンケート調査結果についてご報告いたします。 「卵子凍結」とは?そもそも卵子凍結とは、将来の妊娠・出産に向けて事前に卵子(未受精卵)を採取し、凍結保存しておくことです。もともとは、抗がん剤治療や放射線療法を受ける若年女性患者に対し、治療後の生殖能力を維持するためにおこなわれてきたものでした。 こうした背景もあり、健康な女性による将来のための卵子凍結に関しては、日本産婦人科学会は「推奨していない」、日本生殖医学会は「40歳以上での採卵・凍結、45歳以上での凍結卵子の使用は推奨していない」といった立場を取っており、現状日本では大々的に推奨されているとは言いがたい状況です。 卵子凍結に「興味あり」は37.7%、年代別で変化も上記のような前提はあるものの、日本産科婦人科学会のデータ(※1)によれば、体外受精・顕微授精の妊娠率・出産率は35歳から急低下することが明らかになっているなど、“卵子の老化”が妊娠・出産に影響を与えることもまた事実。(※1)参考:日本産科婦人科学会 ARTデータブック2018 生物学的な事実と社会的見解のはざまで、当事者である女性たちは卵子凍結についてどう考えているのでしょうか。 ベビーカレンダーがママやプレママを母体とする会員の女性2,127名におこなった卵子凍結に関する調査で、「卵子凍結に興味はありますか」と質問したところ、下記のような結果となりました。 「興味がある」(「とても興味がある」「やや興味がある」の合計)と回答した人は37.7%、「どちらともいえない」は31.0%、「興味がない」(「あまり興味がない」「まったく興味がない」の合計)は31.3%と、「興味がある」が最も多い回答となったものの、ほぼ同率で回答が割れるという結果に。ただ、回答を年齢別に抽出してみると世代ごとに傾向が変わることが明らかになりました。 まず20代は「興味がある」と回答した人は23.2%にとどまったのに対し、「興味がない」と回答した人は47.9%と「興味がある」の2倍以上に。一方「興味がある」と回答した30代は37.2%、40代は39.0%となり、年代を追うごとに卵子凍結への興味関心が高まることがわかります。 続いて、「興味がある」と回答した方にその理由について質問したところ、下記のような結果となりました。 「将来的に2人目、3人目を考えているから」(62.0%)、「次に妊娠をする場合、高齢になる可能性があるから」(54.4%)といった回答がそれぞれ半数以上を占め、妊娠・出産が高齢になった場合に備えて可能性を高めておく一つの手段として考えている方が多いことがわかります。 費用、身体的負担、本当に妊娠できるのか―卵子凍結のデメリットは将来の妊娠・出産に向けた一つの解決策として期待される卵子凍結ですが、そのデメリットについても指摘されています。 アンケートで「卵子凍結について不安に感じる点」について質問したところ、下記のような声が挙げられました。 「費用が高額になりそう」(87.1%)という経済面の懸念が最も多く、次いで「採卵時の痛みなど、身体的な負担」(51.4%)、「凍結卵子を使って本当に妊娠できるか」(49.8%)が続く結果となりました。 アンケートの回答にある通り、卵子凍結は高額な費用といった経済的負担、採卵時や投薬時の身体的・精神的負担がデメリットといえます。さらに、そうした負担を乗り越えて凍結した卵子は凍結時の若い年齢のものではあるものの、その卵子が受精するか、また受精しても着床に至るかは当然ながらわからないもの。実際に、凍結した未受精卵の融解卵子1個あたりの臨床妊娠率は4.5~12%(Fertility Steril 2013; 99: 37-43)というデータもあります。 しかし、こうしたデメリットを含め「まず情報が欲しい」というのが女性たちの本音のよう。アンケート調査のフリー回答では下記のような声が寄せられました。 「最近はメディアでも文言は出てきたが、詳しい内容までは全然周知されていないので、もっと身近に情報が増えればいいなと思う」(35〜39歳) 「女性に選択肢を増やすことは卵子凍結に限らずいいことだと思う。ちゃんとメリットデメリットなど全て情報提供されることが重要」(35〜39歳) 「もっとニュース等で取り上げて良いトピックだと思う。また、それに付随する精神的、肉体的、経済的デメリットも併せて伝えるべき」(30〜34歳) メリット・デメリットをきちんと認識したうえで、自分で判断したいと考える女性の声が目立ちます。 卵子凍結を扱う民間サービスも登場卵子凍結の話題が広まりつつあるなかで、民間の卵子凍結保存サービスも登場しています。その一つが、健康な女性が自身の将来のライフプランのためにおこなう卵子凍結を提供するサービスの開始を、2021年1月に発表した「Grace Bank」です。 Grace Bankの創業者・勝見祐幸さんによると、現状の利用者として多いのは「30代半ば〜40代の未婚者の女性」だと言います。 また、Grace Bankの特徴の一つとして挙げられるのがその「価格」です。10年間でかかる卵子の保管費用の相場が60万〜200万円と言われるなか(※2021年、Grace Bank調べ)、同社では初期費用10万円(税別)、毎年発生する費用3万円(税別、15個まで)と低価格に抑えられています。これは民間さい帯血バンクの最大手ステムセル研究所との資本業務提携と、凍結卵子の一括保管体制の確立により実現できたとのことです。 民間企業が卵子凍結を取り扱う事例としては、アメリカでの「企業の福利厚生としての卵子凍結」サービスの存在も挙げられます。2014年にFacebook社が導入したことを皮切りに、GAFAをはじめ他企業も追随しました。 こうした背景もあり、実際に米国生殖補助医療学会の統計によるとアメリカでは2014年から2018年にかけて卵子凍結の症例数が2倍(6,090件/2014年⇒13,275件/2018年)に急増しています。 赤ちゃんを望む人が、赤ちゃんと出会える世の中になるために民間企業の動きも見られ、ますますの関心の高まりが予想される卵子凍結。本アンケートでは「『卵子凍結』に関して、ご意見・ご感想・疑問点などあれば、ご自由にお書きください。」というフリー回答を募集したところ、20代〜40代の幅広い世代の女性から「若い世代が知る機会」に言及するコメントも多数寄せられました。 「まだ20代で卵子を凍結しておこうと考える人は少ないと思うし、考えている人しか情報を知る機会が無いと思う。卵子凍結について未婚の方が友人と話すこともなかなかできないと思う。今後卵子凍結が一般的な選択肢の1つになり、多くの方が気兼ねなく自分のタイミングでゆとりを持って子どもを授かれるようになれば良いな、と思います」(30〜34歳) 「晩婚化に伴い不妊治療をおこなう人が増えている今、卵子凍結の情報(どのようなものか、料金など)をもっと公表していくべきだと思う。その結果、まだ妊活していない人も将来の選択肢として考えることができるのではないだろうか」(25〜29歳) 「必ずしも良いことではないかもしれないが、卵子凍結や高齢出産のリスクについては学校で教えてくれてもいいと思う。今の世の中では自分から知ろうとしないとわからないことだらけ。知識がないために泣いている女性はたくさんいると思う」(40〜44歳) 「もっと不妊治療や、子供を授かることに関しての技術がポピュラーになり、政府の援助もしっかりして、子どもを授かりたいと願う人すべてに充実した制度が整い、いろいろな事をオープンにできる社会になればと思う」(25〜29歳) 「妊活、不妊治療、卵子凍結などの知識を若い世代にももっと知ってもらうべきと考える。いざ自身が興味を持つ頃には遅いので、10代から学校などで知る機会を与えてあげると良いのではと感じる」(40〜44歳) 少子高齢化問題の改善といった社会的意義のみならず、赤ちゃんを望む人が赤ちゃんと出会える世の中になるために。その選択肢を一つでも増やすには、若い世代を含めて卵子凍結についてメリット・デメリットを周知したうえでオープンに議論を進めていくことが、いま求められているのではないでしょうか。 <調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された女性調査期間:2021年3月21日(日)~2020年3月23日(火)調査件数:2,127件 著者:ライター 平 理沙子Webライター。ITスタートアップ企業での広報なども経験あり。東京大学卒業後、新卒で娘を出産した一児の母。フェムテックやジェンダー、現在在住するシンガポール情報などを中心に執筆活動をしている。
2021年04月05日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 総合商社で正社員管理職の下村さんは31歳で結婚。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始。朝6時半に家を出て不妊治療後、出社する仕事との両立で体も心も疲弊してしまいます……。 友人の妊娠出産が喜べず限界にタイミング法での妊娠を待った通院から約2年が経ち、人工授精へステップアップしないかと医師からアドバイスされた。 周囲は出産ラッシュを迎えていた。地元の仲のいい友だちから来る妊娠・出産報告。友人が出産するたび、ベビーコーナーで離乳食の食器やチャイルドシートなどのお祝い品を奮発した。次第に友人との集まりには、子どもや赤ちゃんが増えていった。 「地元の友だちはみんな大好きだけど、さすがに会うのがつらくなっていきました。おめでとうって顔では笑っていても、心では笑えなくて。親友の1人がそんな私の様子に気付いてくれて、『今は無理しなくていいんだよ』って言われ、少し気持ちが落ち着きました」 そして豊華さんは、約2年続けた不妊治療の中断を決意する。 「限界だったと思うんですよね。基礎体温に一喜一憂して、生理が来るたびに『あぁ、まただめだった』って落ち込んで。これは本人しかわからない気持ちです。タイミング法だと夫との行為も義務的になってしまって、精神的にもつらかったです。何より仕事と通院の調整がもう限界でした。一度休憩したいって先生に伝えました」 まさかの妊娠、不妊治療していたことを職場に告白 通院を休んで少し経ったころ、基礎体温がだらだらと高い日が続いた。生理も来ていなかった。もしかして……。受診するとおなかには新しい命が宿っていた。36歳の時だった。 「治療をお休みしてすぐ妊娠したので驚きました。今思えばストレスもいけなかったのかな、と。私の場合、会社にだまって通院していたことが一番つらかったんだなって気付きました」 妊娠を機に不妊治療していたことを職場に打ち明けようと決めた。本当は子どもが欲しいのに授かれず、不妊治療に踏み切れない同僚や後輩が、ほかにもいるかもしれない。会社の雰囲気が一因になっているかもしれない。ここで私が不妊治療を打ち明けることで、なにか変わるかもしれない。 まずカミングアウトしたのは、同い年と5つ下の既婚の女性社員。聞けば2人とも子どもが授からずに悩んでいたという。豊華さんが不妊治療をすすめると、2人ともすぐに専門のクリニックに通い始めた。「私が産休に入るまでは全力でサポートするから」と応援した。 豊華さんが産休に入るとき、不妊治療で通院していた2人が産休の準備に入っていた。職場の空気が変わったと手応えを感じだ。 「まぁ、社長はあんまりいい顔してませんでしたが、周りの反応は意外とやさしくて祝福してくれました。本当によかったです」 40歳目前、2人目の不妊治療へ。職場に伝えて周囲に協力を依頼 豊華さんは、無事に第1子となる女の子を出産した。育休が明けて職場へ戻ると、管理職からは事実上外されていた。やりがいを感じていたメーカーとの交渉はほぼできなくなり、女性社員が多い営業事務の教育担当になった。 もう40歳目前。2人目の妊娠を急いでいた。多嚢胞性卵巣症候群が悪化していたこともあり、体外受精を目指した。 凍結技術の進歩により、体外受精の受精卵はいったん凍結保存するケースが多い。豊華さんも凍結保存を選んだ。通っていたクリニックでは、凍結保存した受精卵を融解して移植する場合、5時間ほどかかった(※通常1時間程度。クリニックにより大きく異なる)。 「その日は1日予定を入れないでください」とも言われたため、そうなると仕事を休まなければならない。もうごまかしは利かない……周囲の助けが必要だった。今度は最初から不妊治療を同僚にカミングアウトした。 「今度は体外受精なので、もう会社の協力がないと無理!って思ったんです。最初に治療のことを打ち明け、周囲に協力をお願いしました。その代わり、同じような人がいたら私も全力でサポートしますって伝えました。産後の異動は納得できませんでしたけど、女性が多い部署になったので、伝えやすかったです」 体外受精であっても、予定通りに進まない。1回目の移植は失敗、子宮のポリープ除去手術と予想外のことが続いた。そして2回目の体外受精で妊娠。 しかし切迫流産で1カ月の自宅安静を余儀無なくされた。会社を急に休むことも、長期で休むことも多くなったが、もうあの頃のような後ろめたさはなかったという。 「私のカミングアウトによって、後輩たちが続々と不妊治療を始めていました。だからお願い! 私、休むから!って堂々と言えたんです」 2020年7月、自宅から近い大学病院で無事に第2子となる男児を出産した。42歳だった。 必要なサポートは、制度よりも「周囲の理解」と実感会社の空気は変わったが、まだ課題は残る。豊華さんが打ち明けられたのは女性社員だけ。男性からの理解は得られる気がせず、伝えられなかった。会社が組織の制度として不妊治療を応援しているのではない。周りの女性社員たちが、個人としてサポートしてくれている段階だ。 2020年の菅内閣誕生で、不妊治療の保険適用が動き出すなど、追い風が吹いている。社会が、時代が変わってきた。でもサポート制度の整備を待つよりも、周囲の理解が深まることで、当事者も協力を仰ぎやすくなると感じている。 「仕事と不妊治療の両立は本当に難しいんです。会社にだまっていることが一番つらかったです。不妊治療をすることを恥ずかしがらず、職場や同僚の協力を得て治療に臨むことができれば、妊娠にも早くつながるような気がします」 今は育児休暇中の豊華さん。仕事はこれからも続けて、さらに会社を変えていきたいと考えている。 「復帰してからの新たな目標ができました。これからは社内の女性たちが不妊治療しても出産しても働きやすい環境を作っていきたいです。『私に続けー!』という気持ちです」 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月27日川崎希さんは元アイドルで、AKB48グループに所属していたことでも知られていますが、昨年の10月に第二子となる女の子が誕生し、現在は2児のママとしてお子さんの育児に奮闘中です。また、その一方でご自身のアパレルブランドの経営をおこなっていて、最近では子育てママさんのために考案したマザーズリュックがSNSでも「高機能!」「使える!」など話題になっています。そんな育児も仕事も充実しているイメージの川崎希さんですが、実は不妊治療で苦労したり、昨年の出産はコロナ禍の出産だったので、戸惑ったりすることも多かったようです。今回は川崎さんの不妊治療の体験談を中心に、不妊治療で悩んだことやつらい時期をどのように乗り越えたのか……などを取材させていただきました。 きょうだいが欲しいという思いから不妊治療をスタートー2020年8月20日にオフィシャルブログで娘さんの妊娠を報告されていましたが、その時に「出産してからずっときょうだいができたらいいな〜と思っていた」と書いてあったのですが、きょうだいが欲しいと思ったのはどうしてでしょうか? 川崎さん:私がひとりっ子だったので、小さいときからきょうだいがいるのはいいな〜と思っていたからです。 ー息子さんを出産後、タイミングを見て妊活をされていたのですか? 川崎さん:息子を出産してすぐに次の子の妊娠を考えていたので、出産したその日に次の妊娠はいつから可能かお医者さんに聞いたりしていました。そして出産後、半年くらいしてから妊活のための通院をスタートしました。 ー川崎さんの場合、第1子も不妊治療で授かったとのことですが、それまでにかかった期間は約4年、第2子についても体外受精で授かったとのことを伺いました。第2子のお子さんを妊娠するまで、不妊治療はどれくらいの期間だったのでしょうか? 川崎さん:長男を出産して半年くらいで妊活をはじめたので、約2年半くらいだったとは思います。でも2年半ずっと通院をしてるわけではなく、気分転換のために通院せずに休む月もありました。 ー今回は体外受精を迷わず選択されたとのことですが、その理由を教えてください。 川崎さん:自然でできたらいいなとは思ったのですが、やはり妊娠できる期限が限られてる中で、ステップとしてはタイミング法や人工授精もありますが、以前に人工授精などを何回しても妊娠したことがなかったので……。自分の体質では、1番妊娠への近道が体外受精だったと長男の妊娠のときに思ったので、妊娠の可能性か高い体外受精にしました。 「まだ見ぬわが子に会いたい!」その一心で乗り越えた治療ー実際、不妊治療中の期間は苦しかったり、つらかったりすることも多かったと思います。川崎さんが一番つらいと思ったことはなんでしたか? 川崎さん:仕事との両立が大変でした。治療はあまり先のスケジュールまでわからず、ホルモンの数値を見て急にスケジュールが変更になることもあるので、仕事のスケジュールがあると調整が大変でした。あとは採血が多いので注射が苦手な私は毎回気合いを入れて通院していました。 ーそういったつらいことは、どのようにして乗り換えたのでしょうか? 川崎さん:子どもに会うことだけを考えると、治療などなんてことない! と思えて頑張れました。 ー不妊治療中、パパはどのように接してくれていましたか? 川崎さん:長女を妊娠するための治療中は長男をみていてくれたり、すごく協力的で助かりました。治療の内容などあまり詳しく説明したりはしませんでしたが、体調を気遣ってくれるなど、やさしくしてくれていました。 ー不妊治療中が保険適用化される話が出てきていますが、川崎さんはそのことについて賛成ですか?反対ですか? 川崎さん:私は賛成です。 ーその理由を教えてください。 川崎さん:不妊治療はすごく高額なので、金銭的な理由でできない方や数回でやめてしまう方もいると思いますし、私は20代から通院していましたが、体外受精は特に1回あたり50万近くする病院が多いです。そのため、かなり経済的な負担があると思います。国が少子化対策と言っていても、自然妊娠がなかなかできない方は通院するほうがいいと思うのに、今までなんで保険適用外なんだろうと思っていました。妊娠は年齢が低いときから通い始めれば年齢的に妊娠の可能性は上がるのに、若年層ほど貯蓄がないために先延ばしにしてしまうこともあると思うので、保険適用はいいことだと思います。 さて、次回は川崎さんが妊娠生活を送る上で感じた不安や、出産時に大変だったことなど、コロナ禍の妊娠・出産をテーマにインタビューさせていただきました! また、コロナ禍の妊娠・出産以外にも、子どもがいる生活についてや、子どもが生まれて変化した夫婦関係についても取材しています。次回もぜひお楽しみください! PROFILE:川崎希さん1987年8月23日生まれの神奈川県出身。タレント活動をおこなうほか、自身のアパレルブランド(株式会社アンティミンス)を経営し、その代表取締役を務めている。
2021年03月26日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 31歳で結婚。子どもができたら専業主婦を望む夫、しかし正社員で総合管理職の仕事は下村さんにとって自分の価値を認めてもらえる場所だった。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始することに。 会社には言えない…仕事との両立のために選んだ職場近くのクリニック不妊治療のことは、会社には言わないでおこうと決めていた。というより、言える雰囲気ではなかった。 「当時の私の職場は男性の方が多くて、出産しても働いている女性が1人もいなかったんです。結婚妊娠で辞めていく女性がほとんどで、有給すら使いづらい雰囲気でした」 結婚出産で退社するのは当然、お茶汲みや電話の担当は女性が当然という旧態依然とした職場が、「不妊治療は恥ずかしい」「言ったって誰も理解してくれない」という思考回路に追い込んだ。「子どもができない体と思われるのでは」という被害妄想もあった。 会社が従業員の不妊治療を把握してないケースは多い。厚生労働省が2017年に実施した調査(平成29年度『不妊治療と仕事の両立に係る諸問題についての総合的調査』によると、半数以上の企業が「把握できていない」と答えた。さらに不妊治療に特化した制度がある企業はわずか19%だった。 治療もしたいが仕事もしたい。この2つの願いを叶えるため、クリニックは自宅ではなく会社に近いところを探した。 選んだクリニックは、会社のある渋谷駅から電車で20分以内の場所にあった。インターネットの口コミ評価が高く、望んでいた自然妊娠(タイミング法)に力を入れていた。多嚢胞性卵巣症候群でホルモン調整は必要だが、それ以外に問題はなく、夫側にも問題はなかった。 「可能なら人工授精ではなく自然妊娠したい」との思いがずっとあった。そして、自宅から1時間以上かかるこのクリニックに望みをかけることにした。 午前6時半に出発…通院と仕事との両立に疲弊ベビーカレンダーの独自調査によると、「仕事をしながら不妊治療を行ったことがある人」のうち、「不妊治療を辞めた」理由として最も多かったのが「通院スケジュールを事前に立てることが大変だった」という結果になった。 豊華さんも通院スケジュールに悩まされていた。卵の大きさによっては「明日来てください」「明後日来てください」と急に来院日を指定された。タイミング法を選んでいた豊華さんの診察は、排卵前後になると頻回になった。2日おき、3日おきになることも。 けれどもメーカーとのアポイントもあった。仕事を休むことはできない。かといって遅刻や早退もできない。信頼を失いたくなかった。平日の診察は始業前に通院するか、残業しないで駆け込むかの二択だった。 会社の始業は9時から。クリニックの平日の診察は午前8時からだった。できるだけ早い順番を取るため、午前7時半には到着するようにした。診察のある日は午前6時半に家を出る。冬の朝はまだ薄暗く、突き刺す寒さがえらくこたえた。 朝一番の待合室では、いつも時計との睨み合いだった。午前9時までのカウントダウン。診察では超音波で卵の成長を確認する。「今回はだめだねぇ」と言われ沈む日もあった。診察はたった5分で終わる。よし、終わった。足早にクリニックを後にする。渋谷駅に着くと何事もなかったかのように“いつもの顔”をして出社した。診察が遅れて会社に遅刻した日は、「電車に乗り遅れました」と苦しい嘘をついた。 「こんな生活、いつまで続くの」 そんな想いがふと胸を過った。 ◇◇◇ 仕事と不妊治療。心身ともに限界……。 次回、豊華さんに訪れた思いもよらぬ奇跡とは……? >後編へつづく 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月26日「子どもを授かることだけでも喜ばしいことなのに、性別に希望を言うなんて……」。性別の希望を出すことがなんとなくタブーであるという意識があるものの、心のどこかで希望の性別の赤ちゃんを授かりたいと思っていました。女の子を授かりたい私が、病院で受けた産み分け法の体験談をご紹介したいと思います。 子どもは2人まで! だから女の子が欲しい私たち夫婦のなかでは、子どもの数は2人までだよねという話が出ていました。当時、わが家にはすでに男の子が1人いたため、次の妊娠・出産が最後になります。もしも、次に妊娠・出産をする機会があるならば、「どうしても女の子が欲しい!!」と思うように。 私のなかでは、男の子と女の子、どちらの性別の子どもも育ててみたいという気持ちが日に日に強くなり、女の子を授かるためにできる限りのことにチャレンジしてみようと考えるようになりました。 病院での産み分けで可能性アップのはずが女の子が欲しいという思いが強くなった私が真っ先に考えたのは、産み分け法の挑戦です。インターネットや本などでも産み分け法を見つけることができましたが、少しでも可能性を上げるには、産婦人科を受診し医師の指導を受けること、これに尽きると思いました。 ただ、産み分け自体に否定的な意見も多く、「ぜいたくだ」と両親や親しい友人に言われたこともあります。また、いくつかの病院を回り相談をしましたが、「産み分けなんかやらなくてもよい」とバッサリ言う医師もいました。 病院での指導内容やスケジュール幸い、産み分けを快くOKしてくれた医師に出会うことができ、指導をスタートすることに。当時の私は30歳、生理サイクルも安定し、排卵日も予測しやすい状況でした。女の子の産み分けは、排卵日の2日前を超音波検査で見極め、その日のみに夫婦生活をおこないますが、その際には腟内を酸性に保つことが重要で、当日に病院を受診できれば腟内洗浄の処置を受けます。 受診できないときには、腟内洗浄と同様の効果が得られるピンクゼリーを使用し、夫婦生活をおこなったことも。ピンクゼリーはSS研究会の物が正規品で、5回分が10,000円ほどで購入できるので、自分で用意しました。これを毎月繰り返し、あとは妊娠することを願うのみです。 産み分けから不妊治療へ女の子の産み分けにチャレンジして半年を過ぎたころ、医師からこんな言葉を告げられました。 「女の子の産み分けは妊娠しにくくなるのは事実。しかし、ここまで排卵に合わせて夫婦生活をしていても妊娠が成立しないのは、妊娠しにくい別の原因があるのかもしれない」。この言葉がきっかけで夫と話し合い、産み分けから不妊治療へシフトしていくことになりました。 わが家の場合、産み分けを通り越して不妊治療を受ける別の結果となりました。しかし、産み分けをしたことが決して無駄であったと感じたこともありませんし、むしろやらなければ後悔していた私がいたでしょう。産み分けに対するさまざまな意見はありましたが、夫婦の思いを優先させることができてよかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石井 みなみ4歳と0歳の母。過去には医療事務として勤務経験あり。自身の妊娠・出産・子育ての体験をもとに執筆している。
2021年03月20日最初は順調だったのに、20代後半から生理が徐々に重くなって悩んでいた私。しかし、20代半ばを過ぎてから、鎮痛薬を飲まないといけないくらい、生理痛がひどくなり、同時に経血の量が多くなったのです。仕事はデスクワークでしたが、生理中、なんとか耐えられる日もあれば、痛みのひどさに早退させてもらうこともあって……。何か病気ではないかと心配をしていました。 そんなときにある失敗をしてしまい……。しかし、後にそんな症状もある病気のサインだったのかもしれないと思うことがありました。不妊治療をきっかけで体のすみずみを検査をするまでは、私は自分が健康体だと思い込んでいました。生理痛の悪化も年齢のせいかな、くらいに思っていたのですが、子宮内膜ポリープが見つかり、それを切除したことで生理痛が軽くなったことから、生理のちょっとした変化も体からのサインなんだなと思いました。 現在は不妊治療の末、第一子を授かることができました。「生理くらい」と思わず、痛みも我慢せずに、早めに婦人科医に相談すればよかったと思っています。 監修/助産師REIKO--------原案/あやまるさん作画/ののぱイラスト制作者:イラストレーター ののぱ2014年8月生まれの息子は発達凸凹さん。(自閉症スペクトラム及びADHD) 大変なことも沢山あるけれど、ピースフルでとびきりキュートな息子にいつも笑顔をもらっているシングルマザーです!南九州に生息しています。
2021年03月11日2021年、ベビーカレンダーは新たなプロジェクトを発足することにしました。それは「赤ちゃんを産みたいと思える情報を発信していく」ということ。そこで、2021年上半期は、不妊治療にスポットを当てて、記事をお届けしていきます。この記事では、このプロジェクトを発足するに至った、ベビーカレンダー編集長 二階堂美和の思いと、自身の実らなかった不妊治療についてお伝えします。今回は第3回目です。 育児雑誌「ひよこクラブ」の編集長を経て、ベビーカレンダーに移籍し、編集長となった二階堂。20年以上育児メディアの中心にいた二階堂は、子どもを持ちたいと思い続けながらも、その願いが叶うことはありませんでした。自身の経験から強く思うのは「産みたい人が当たり前に産める社会になってほしい」。離婚、再婚を経て、40代で不妊治療を始めるまでの背景を取材しました。 平日の採卵は「仕事のために」麻酔なし――二階堂編集長は顕微授精による治療を1年間続けてきました。けれど、不妊治療のことは、職場ではオープンにしていなかったんですよね。 「女性社員の多い会社で、不妊治療に対しても理解のある職場だと思います。だから、隠さなくてもいいかなと思ったけれど、治療の成果が出なかったときに周りが声をかけにくくなるかもしれない、お子さんのいる社員にも気を遣わせてしまうかも……といろいろ考えてしまい、一部の人にしか伝えませんでした。 そして、仕事の上で周囲に迷惑をかけたくなかったので、週1~2回の通院はなるべく土日に予約を入れていましたね。仕方なく平日になってしまった場合はクリニックの待合室に併設されているデスクスペースで仕事をしたり。業務が滞らないように、明け方や夜中にパソコンを開くこともありました。 『不妊は病気ではないので、通院を理由に仕事を休むのに気が引ける』という人は多いです。私もそうでした。ただ、リモートワークのできる私の環境は恵まれているほうだろうし、治療の期間も決めていたので、何とかやっていけたように思います。先の見えない状態だったら、体力・気力をどこまで持つことができたか……。 自分が経験してみて思うのは、不妊治療は職場の理解を得て、柔軟にフォローし合える環境でおこなえるのが理想的。少なくとも上司の理解が得られないと、仕事と不妊治療のバランスをとるのは難しいと感じました」(二階堂) ――前回、採卵日は卵胞の育ち具合で急に決まると聞きました。仕事との調整はどのようにされたのでしょう? 「採卵日は1~2日なら調整可能とのことで、3回のうち2回の手術は土曜日に行いました。1回だけ、週末まで待つと自然排卵する恐れがあったので、平日に採卵することに。 私の通っていたクリニックでは採卵時に全身麻酔を使用するのですが、全身麻酔をしての採卵を仕事のある平日におこなうと、時間がかかりすぎてしまうと感じました。そのため私は、平日の採卵は少しでも短い時間で済ませるために、麻酔を使わずに採卵。幸い、私はあまり痛みを感じなかったのですが、人によっては体調が悪くなることもあると聞いていたので、そうなったとしたら、かえって仕事に支障が出るのではないかと気が気ではありませんでした」(二階堂) 厚生労働省によれば、生殖補助医療(体外受精・顕微授精)の場合、女性の通院の目安は『月経周期ごとに1~2時間の診察が4~10日』かつ『半日~1日かかる診察が2日』。診察時間以外に2~3時間の待ち時間があるのが一般的としています。不妊治療と仕事の両立ができず、約16%の人が仕事を辞めています※。 ※出典:厚生労働省作成リーフレット「仕事と不妊治療の両立支援のために」 不妊治療の助成や特別養子縁組にも年齢の壁――不妊治療は経済的な負担もあります。トータルでどのくらいの費用がかかりましたか? 「顕微授精を3回おこない、総額約193万円かかりました。不妊治療のためにとお金を準備していたので後悔はないけれど、やはり高額ですね。 2021年1月から体外受精・顕微授精による不妊治療の助成が拡大されて、1回あたり30万円の補助を6回まで受けることができるようになりました。だけど制度を利用するには年齢制限があり、治療開始の初日時点で女性の年齢が40歳~43歳未満なら助成は3回まで、43歳以上は対象外になるので、この制度があっても私は適用されません。ただ、このような助成が拡大されことで、チャンスが広がる方もたくさんいるはずなのでとてもいいことだと思います。 また、同時期に特別養子縁組についても調べてみたのですが、養親の年齢は45歳までや子どもとの年齢差とを設定されているところが多いようで……。ここでも年齢の壁にぶつかってしまいました」(二階堂) 後悔しないために考えたいライフプランと卵子凍結――不妊の検査や治療を受けたことのある夫婦は、子どものいない夫婦では28.2%だそうです。不妊治療を受ける人も増加していますね※。つらかったことはどんなことでしょうか。 「不妊治療でつらかったのは、努力が結果につながらないことでした。仕事や勉強は頑張った分だけ成果が出るけれど、不妊治療は着床しなければ振り出しに戻る。むしろ年をとる分、マイナスからの再スタートですね。 今の医療では卵子を若返らせるはできません。卵子の数も日々減っていく中、子どもが欲しいけれど不妊の疑いがあるのなら、早めにカップルで受診することをすすめたいです。自分の体と向き合うことで妊娠への糸口が見つかるかもしれないですから」(二階堂) ※出典:国立社会保障・人口問題研究所「2015年社会保障・人口問題基本調査」P27「図表Ⅱ-3-3 子どもの有無・妻の年齢別にみた、不妊についての心配と治療経験: 第 15 回調査(2015 年)」 ――四年制大学を卒業して就職した場合、23~24歳ごろに社会人となり、妊娠適齢期とキャリアを積む時期が重なります。二階堂編集長と同じように、仕事を理由に、妊娠を先延ばしにする人は多いかもしれませんね。 「産休や育休を取るタイミングや仕事と子育ての両立、待機児童など、今の日本で子どもを産み育てるには、乗り越えるべきハードルがあるように思います。 でも、妊娠・出産に関しては年齢を挽回できないことがあるというのも事実。妊娠適齢期は35歳ごろまでで、だいたい閉経の約10年前から妊娠する能力は失われるといいます。これからの時代、いつか子どもが欲しいのであれば、パートナーがいてもいなくても卵子凍結を検討する余地はあるのかもしれません。 思い切り仕事がしたい、子どもも産み育てたい――当たり前のことを当たり前に叶えるためには、妊娠についての正しい知識が必要です。そのうえで、自分なりの生みどきを見据えたライフプランニングが必要ではないでしょうか。手遅れになって後悔しないために……と、自戒を込めて心からそう思いました」(二階堂) インタビューを通して「赤ちゃんが欲しいと思う人が増えること、笑顔で育児できる世の中になることを心から願っている」と語った二階堂編集長。「そのためにも妊娠を望む女性や妊婦さん、ママだけでなく、全ての人が他人事でなく“自分事”と思える情報をしっかりと届けていきたい」と言います。 コロナ禍ではありますが、『こんなご時世でも産みたい』と思えるように、世の中が変わるためには、私たち一人ひとりの意識を変えることが必要だと改めて感じました。 ▶︎前の話を読む<実らなかった不妊治療#1> 「いつか産める」の誤算。キャリアで逃した妊娠適齢期<実らなかった不妊治療#2>「産みたい!」最初で最後の不妊治療、46歳の挑戦 取材・文/来布十和
2021年03月05日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。2年間の治療をお休みしていた大山さんですが、あることをキッカケに不妊治療を再び始めることになります。前回の治療時に比べて、どういう風に気持ちの持ち方や取り組み方が変わったのか。また、コロナ禍での妊娠ということで妊娠中に気を付けていたこと、不妊治療が保険適応されるかもしれないという今、大山さん自身が思うことなどを答えてもらいました。 「もう待てない…」と思い、治療を再開ー不妊治療をやめてから2年後に、再度治療をしようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。 大山さん:当時は2020年の東京オリンピックが終わってから、不妊治療のことを考えようと思っていました。でも、オリンピックが延期になったときに、これ以上は待てないと思ったんです。それまでは仕事も忙しくて治療にも通えなかったので、“今ではないな”と思っていたんですよね。でも、コロナ禍で仕事がなくなり、時間が出来たときに、今なら治療に専念できると思ったんです。もちろん、コロナ禍で妊娠することに対しての不安はありましたが、“今しかない”とも思いました。 ー時間があることで、精神的にも余裕を持てたのかもしれないですね。 大山さん:そう思います。2年前は藁にもすがる思いで、できることは何でも取り組んでいました。今思うと、自分にプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。年齢に対しても焦っていましたし……。でも今回は、「子どもができたらいいな」くらいの感覚で取り組めたことが、良い結果につながったような気がします。 大好きな先輩の妊娠! 「私も続きたい」という願いが叶うー不妊治療をするときに、大山さんが気を紛らわせるためにしていたことはどんなことでしたか? 大山さん:1人で抱え込むことが1番つらいことなので、同じ環境下にいた仲のいい先輩とお話をして、苦しさを共有できたことはすごく救いになりました。その先輩は、同じくらいの時期に体外受精にステップアップして、お子さんを授かることができたんです。そのときの先輩の妊娠は、心から喜ぶことができました。その成功体験を見ていたからこそ、私も続きたいなと思っていました。 ーいざ、妊娠をしたときの旦那様の反応はいかがでしたか? 大山さん:旦那さんにはLINEで「陽性だった」と伝えたら、「すごいじゃん」と返ってきました(笑)。不器用で分かりづらさはあるんですが、妊娠をしてから家事を積極的にやってくれますし、支えてくれていることは伝わりました。 ー今改めて、旦那様にどんな言葉をかけたいですか? 大山さん:はじめは積極的ではなかったかもしれないけど、不妊治療に付き合ってくれたことに対して感謝しています。また、だいずと出会うきっかけを作ってくれたことに対してもありがとうと伝えたいです。 ーこれからだいずくんと双子ちゃんたちが遊ぶ姿が見られるのが楽しみですね。ちなみに、コロナ禍での妊婦生活ではどんなことに気を付けていましたか? 大山さん:移動はできるだけタクシーや、旦那さんに送ってもらうようにしていました。また、公共の乗り物を出来るだけ避けて、人と触れ合わないように気を付けていました。ただ、心配過ぎても良くないと思うので、緊急事態宣言が出ていないころは、感染対策をきちんとおこなった上で友達とランチに行くなど、気分転換をするようにしていました。 自分の納得のいくまで治療が受けられる世の中に…ーさて、現在は不妊治療が保険適用化されるような話題が出てきています。経験者として大山さんはどのように思いますか? 大山さん:不妊治療は本当にお金がかかります。その金銭的なところで諦めてしまう人もたくさんいると思うんですが、それってすごくつらいことだと思うんですよね。だからこそ、今後は金銭的な部分で不妊治療を諦める人が出てこないような社会を作ってほしいと思います。さらに、子どもを望む方が自分の納得がいくまで治療できるような環境や制度は、しっかりと整えて欲しいと思っています。今、保険適応という言葉が出てきていますが、パフォーマンスではなく本気で取り組んでほしいですね。 ーただ、不妊治療は1人ひとりの状態に合わせて必要なオプションを付けるなど、それぞれに合った治療方法が受けられるようにしているそうですが、保険適用化することで、自分に合った治療が受けられなくなるかもしれないなど、ネット上では反対の意見も出てきているようですが……。 大山さん:そこは大きな課題だと思います。1人ひとりにあった治療がちゃんと出来なくなってしまったり、最先端のものは保険適応が難しいと聞いたりもするので、本気で子どもを望んでいる方に、ちゃんと子どもが授かれるような社会を確立してほしいです。 ーありがとうございました。では最後にメッセージをお願いします。 大山さん:子どもが欲しくても、なかなか授かることができず苦しんでいる人がたくさんいるということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいですね。さらに、それと同時に子どもを望まない人生も尊重されるべきだと思っています。子どもを持つ、持たない、結婚する、しないなど、どんな選択をしても、それはすべて尊重されるべきだし、お互いのことを思いやることができる社会になることを心から願っています。 1つ1つの質問に対して真摯に向き合ってくださり、ご自身の言葉でしっかりとインタビューに答えてくれた大山加奈さん。この度はリモート取材にてご協力くださり、誠にありがとうございました! また、取材日から1カ月後の2月19日に双子の女の子を無事にご出産されましたこと、本当におめでとうございます! 家族が増えて、これからますますご家庭が賑やかになるかと思いますが、お体に気を付けながら子育てを頑張ってください! PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月28日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げています。 そんな幅広い分野で活躍する大山加奈さんですが、去年の9月に不妊治療の末、双子の赤ちゃんを授かったと公式ブログで妊娠を報告。2021年2月19日には、双子の女の子を無事出産し、念願だったママになる夢が叶いました。 今回は大山さんの不妊治療の体験談を中心に、これまでに悩んでいたことや、現役スポーツ選手時代を振り返って感じた生理と不妊の関係の重要性などを取材させていただきました。 ブログで報告する際、ためらっていた理由…ー昨年の9月にブログでの妊娠報告をされていましたが、そのときの心境を教えて下さい。 大山さん:私はずっと不妊治療をしていたので、最初は報告することをためらいました。でも、今も治療を続けている方や、不妊で悩まれている方から、「勇気をもらった」「励まされた」という声をたくさんいただいたんです。その言葉がなによりもうれしかったですし、誰かの役に少しでも立てたのなら、よかったのかなと思っています。 ー報告をためらっていた1番の大きな理由は何だったのでしょうか? 大山さん:まずは妊娠したのが双子ということで、出産のリスクが大きいからこそ、何があるか最後までわからないんですよね。なので、まだ無事に生まれていないタイミングで報告をしてもいいのだろうかということに悩みました。あとは何より、私も子どもが欲しくてもできない時期が長かったので、誰かの妊娠のニュースを目にすることでつらい想いをする方もいらっしゃると思ったんです。そんな想いが頭を駆け巡って、この報告が果たして正解なのかどうかはすごく悩みました。だからこそ、「勇気をもらった」という言葉は、本当にうれしかったです。 もっと早く知りたかった! 生理と不妊の関係性とはー不妊治療についてもお伺いさせてください。大山さんは生理不順や生理痛などに悩まされていたのでしょうか? 大山さん:いや、私は特に生理不順ではなかったです。でも、現役時代を振り返ると、厳しい練習の影響で生理痛が重くなってしまったり、生理不順になっていることに対して、知識がないためにそこに重きを置かない人たちが多かったように思います。不妊治療の先生によると、実際には生理が止まったり生理痛が重いということは、体になにか異常が起こっている可能性が高いそうです。そして、それを放っておくと「赤ちゃんが欲しい」と思ったときには不妊症になっていたり、取り返しのつかないことになっているケースもあるそうで……。だからこそ、学生時代に生理のことについてちゃんと学ぶ場所が大事だと思うんです。 ーたしかに、生理のことって、なかなか相談しづらい現状がありますよね。 大山さん:そうなんですよね。学校によってはトレーナーさんなどがいて、生理についてもちゃんと相談できる人がいるケースもあるんですが、まだまだ少ないのが現状です。なので、学校の先生や保護者と連携を取ってサポートすることが何よりも大事だと思っています。 ーこうやって発信していくことも、すごく大事ですね。 大山さん:はい。こういった記事を若い子が目にすることで、自分の生理と向き合ってもらえたらうれしいですね。実は、生理前や生理中ってホルモンのバランスの関係でケガが多くなるらしいんですよ。 ーそうなんですか!? 初めて聞きました。 大山さん:まだまだ知らない人が多いと思います。お仕事でシンポジウムなどに登壇させていただいた際に先生方がおっしゃっていたり、ネット記事やSNSなどでもそのような情報を見かけて私も知ったのですが、そう言われてみれてば……と、過去を振り返って納得したんです。その事実を指導者の方が知っていれば、その人にあったトレーニングメニューを組むことができますし、無駄なケガに苦しまなくてもすむようになると思うんです。自分自身が不妊治療を経験したからこそ、今スポーツを頑張っている方たちにはスポーツ選手として悔いがないよう選手時代を送って欲しいですし、子どもが欲しいと思ったときには手遅れにならないよう、こういったことも知っておいて欲しいです。 数値が低すぎる…! ブライダルチェックの結果にがく然ーその後、大山さんはご結婚されるときにブライダルチェックをしたとお聞きしたのですが、実際に受けてみていかがでしたか? 大山さん:私は生理不順ではありませんでしたが、体の冷えがひどかったのと現役中に腰の手術もしていたほか、痛み止めの薬をたくさん飲んできました。さらに自律神経失調症も患っていたので、精神安定剤なども飲んでいたり、基礎体温もガタガタだったんですよ。そこで一度ブライダルチェックを受けて自分の体の状態を知ろうと思いました。また、母のガンがちょうどそのころに見つかり、「孫の顔を見たい」と望んでいたので、焦りながらも妊活をスタートすることになりました。ちなみにブライダルチェックの結果は、AMH(アンチミューラリアンホルモン/発育過程にある卵胞から分泌されるホルモン)の数値が低く、当時は30歳だったのに42、3歳くらいの数値が出てきたんです。それはさすがにショックでした。 ー最初に不妊治療のクリニック外来を受けたときの心境はいかがでしたか? 大山さん:私はみなさんに顔と名前を知られていますし、体も大きいので目立つんですよね。それもあって、人の目はすごく気になりました。内診台も正直な話、すごくイヤでしたね(笑)。 ーあまり慣れるものではないですよね。ちなみに不妊治療について、旦那様とはどんなお話をされていたのでしょうか? 大山さん:実は、旦那さんはそこまで子どもを欲しいとは思っていなかったんです。さらに私がケガや自律神経失調症で苦しんでいたことも知っていたので、「そんなにつらい想いをしなくていいんじゃないか」とも言ってくれていて……。でも、私はどうしても子どもが欲しかったんです。なので、不妊治療に関しては私が主体となっておこなっていたのですが、夫婦間での温度差は感じていました。話し合いもしっかりする感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。私の体のことを気遣ってくれるのはうれしかったのですが、「子どもが欲しい」ということに対して、私と旦那さんでは気持ちの面でのスタートラインがお互い違っていたので、寂しさやモヤモヤを感じることも多かったですね。 ーそのモヤモヤした気持ちはどのように解消していたのでしょうか? 大山さん:う~ん……。日々モヤモヤはしていましたし、ときには泣いてしまうこともありました。ただ、それを旦那さんの“やさしさ”だと受け止めて、過ごすようにしていました。あとは、一緒の時期に不妊治療を頑張っている先輩がいたので、ランチやお茶などをしながら治療に対する苦しさやつらさを共有し合えていたことは、今思い返してもすごく大事な時間だったと思います。人に言いづらい問題だからこそ、同じような状況で頑張っている人が身近にいることで励まされたり、勇気づけられることが多かったですね。すごくありがたい存在でした。 「このインタビューが誰かのためになるなら……」と熱心に質問に答えてくれた大山加奈さん。ご自身の体験を包み隠さず、正直に話してくださる姿がとても印象的でした。次回は不妊治療ステップアップや2年間の休養期間など、大山さんの心の葛藤について答えてもらいます。 <第2回に続く> PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月26日不妊治療を始めて3年過ぎたあたりから、子どもを授かりたいと思う願望が義務のように変化していき、妊娠に対する感覚が徐々に麻痺し始めていました。ついに、私たちは精神的な余裕が完全になくなってしまいました。そして、治療へ真剣に向き合うことが怖くなり、できなくなってしまいました。 治療法を変えても、結果は出ず一度転院して新たに通い始めた病院で3年近く人工授精を続け、不妊治療期間が約5年過ぎていました。しかし、毎月決まった時期に儀式のように病院へ行き、医師から妊娠していない事実を聞くと、妻だけでなく自分の努力が無駄に感じてしまい、夫婦共々どんどん落ち込んでいきました。 さらに、医師のすすめで体外受精・顕微受精を数回試しましたが、1回につき約40万円の出費になるため、長期的に継続して治療することは断念せざるを得ませんでした。そして、医師と会話することすら嫌気がさしてしまって、また転院することにしました。 2度目の転院にして、最後の病院次の病院でできなかったらあきらめよう、と夫婦で決めていました。年齢と負担だけが増えていって、本来の目標を失いかけていたからです。 次に決めた病院では、お金も精神的負担もかけたくなかったので、タイミング療法のみで治療を再開しました。ここの診療方針は、上の子どもが一緒に行くことも自由、なんとなく決められた日程での診察というのんびりとした環境で、私たちはそのおかげである程度平常心を取り戻していきました。 しかし同時に、妊娠することへのこだわりも徐々に薄れていきました。もうここが私たちの不妊治療の限界だと感じていたからです。 ストレスが減り、そして…最後の病院は、負担を感じることがほとんどなく、通院することができました。電車でひと駅の距離にあることや、繁華街にあるため、寄り道して気を紛らわすこともできたことなども要因だったと思います。 あまりストレスを感じずに治療を続けた結果、最後の病院へ通院して半年、不妊治療開始から約6年目でようやく妊娠することができました。正直、喜びよりも驚きのほうが大きかったです。 今思えば私も妻も、経済的な不安も含む精神的な不安が赤ちゃんを授かることができなかった1番の原因だったように思います。自分が頑張りすぎると、妻にとって負担になります。逆の場合も同じです。妻のため、夫のためと思ってしている行動が、かえって相手を苦しめていたのかもしれません。 改めて感じること次女が無事生まれ、今、冷静に振り返って考えると、私たちは不妊治療を体験できて本当によかったと思います。 真剣に家族揃って同じ目標に向かって取り組み、家族の結束が一層深まりました。さらに、不妊治療に予想外に時間がかかったおかげで8歳差の姉妹になりましたが、長女が本当によくかわいがってくれており、楽しんで子育てに参加してくれています。 妻はもちろんですが長女も頑張って協力してくれたおかげで、子どもを授かることができたのだと私は感じています。 ゴールが見えないまま、どこまで続ければいいのか不安を感じながら治療を続けることが、ここまでつらいとは正直思っていませんでした。ただ、子どもを授かることができ、さらに家族で苦難を乗り越えることができたという充実感も得ることができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。検査の内容などは病院によって異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama 著者:ライター 吉田直樹二児の父。原因不明の続発性不妊症のため、夫婦揃って不妊治療を数年おこない授かる。グラフィック・Webデザイン事務所を経て、現在グラフィックデザイン・Webデザインのフリーランスとして活動中。
2021年02月14日私は第1子を不妊治療で授かり、現在は第2子不妊治療中です。不妊治療をしていると薬の服用やホルモン注射、度重なる通院などにより精神的にも肉体的にも疲れ、ささいなことでも苛立ってしまうことがあります。今回は、私が不妊治療をするなかで言われてイラッとした言葉があるので、いくつかご紹介します。 「諦めたら赤ちゃんが来るってよく言うよね」この言葉は、不妊治療をしていることを相手に伝えると大抵の人に言われる言葉です。言っている人はおそらく励ますつもりで言ってくれているのでしょうが、治療の最中であるとなかなか素直に受け入れられないのです。 もちろんその場では「 そうですよね!」 と答えますが、心の中では「 その諦めがつかないから治療をしているんです。諦めて赤ちゃんが来なかったらきっと後悔するんです」 と叫んでいます。相手が不妊治療を経験して赤ちゃんを授かった人であればまた受け止め方が違うのですが……。 「少し休んでみたらいいんじゃない?」これは夫に言われてすごくイラッとした言葉です。 1年間で子どもを授かることのできるチャンスは12回程度しかありません。だからこそ、今休んだらそのチャンスを1回捨てることになると感じてしまうのです。ゆったりとした気持ちのほうが妊娠しやすいのかもしれないと思いつつ、先の見えないトンネルを早く抜けて赤ちゃんを授かりたいと思ってしまうのです。 夫婦で治療に対する考えを伝え合うことの大切さを感じたきっかけとなった言葉でもあります。 「そんなに怒るから赤ちゃんが来ないんだよ」この言葉を言われたときの衝撃は、今でも忘れられません。一瞬何を言われたのかわからず、理解してから湧き上がる怒りに我を忘れるほどでした。実はこれ、3歳の娘に言われた言葉なのです。ついついイライラしてしまっている自分を自覚していたからこそ、言われたときは怒って娘に当たり散らしてしまいました。 その後、「この言葉は本当に傷つくし悲しくなる言葉だからもう言わないで」と娘に伝えましたが、それだけ私が怒っていたのだなぁと反省しました。 不妊治療をしていると、自分ではコントロールできないような怒りや悲しみに振り回されることがあります。それでも、周りの人の言葉をネガティブに捉えるのではなくポジティブに捉えて、かわいい赤ちゃんを授かることができるように頑張りたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年02月11日「難ありパイがふかふかパイになるまで」第3話。チビコーくん出産後の授乳に苦戦したHYPかなこさん。傷つきながらも、マッサージや授乳を続けました。そして、チビコーくんの成長とともに、難ありパイも作られていきました。 「難ありパイがふかふかパイになるまで」第3話 授乳方法編です! 駆け足すぎてわかりづらいかもしれないです……。出産した産科の部屋にファイルがおいてあり、それに授乳方法のイラストが載ってたりしました。あとは難ありパイのため、周りの人よりも授乳室に通った回数も多かったので、そのときに聞いたアドバイスも書いています。他は検索魔になりまくった、ネットの情報。以前の難ありパイの話のときにも書いたのですが「ちょっと理系な育児」さんは基準が明確で安心して見ることができました。最終的に一番参考にしたかな、と思っています。今は改めて離乳食(補完食)の項目を勉強中……。 扁平だけどマッサージをしっかりしてたり元々やわらかなおっぱいだった場合は、きっと軌道に乗りやすいんだろうな~と思います。私はガッチンガッチンになってしまっていたので、意識して深くくわえさせないとダメな状態でした。 いただいたコメントを見ていると、苦労されている方がたくさんいらっしゃいますね……。私より傷が全然ひどいんじゃないか、という方も。私はチビコーの力が強い、母乳が出なくて困ったのですが、飲む力がない、母乳が出てるのに飲まれなくて乳腺炎に、などなどお悩みもパイの分だけあるんだろうな~と思っております。十人十パイですね。 次は、使った道具を紹介をしようかと考えております! ※難ありパイについては私の経験で書いている事なので、人によって方法や経過が違うことがあるかと思います。この人はこうだったんだな~と参考にしてもらえたらと思います!HYPかなこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年01月31日「難ありパイがふかふかパイになるまで」第2話。HYPかなこ(@hyp_kanako)さんのパイ図解後編です!授乳のたびに裂けていくモグラに、痛すぎて見て見ぬフリをしていましたが……。 「難ありパイがふかふかパイになるまで」第2話 私のパイ経過なんてどうでもよい話なのですが、3カ月もすると深い傷でもなんとかなる人もいるよ!という励みになればと思いました。 乳頭保護器は私の装着が下手だったのとチビコーが拒否したのであまり使いませんでしたが、保護器を使いつつ赤ちゃんにパイを伸ばしてもらい、3カ月だっけな……5カ月だっけな……無事保護器なしで飲ませられるようになった方もいますよ!(病院で聞いたお話)。なお、乳頭保護器については乳頭が固くなるのでおすすめしない助産師さんもいるようです。悩んだ際は産院の助産師さんに相談してみるのが一番かと! とりあえず、一番パイづくりをしてくれるのは赤ちゃんの吸てつだと思います。母乳の出をよくするのも同じく。出がよくなるように深く、というのが大切なのかな~と思います。もちろん、無理しちゃダメですよ! 痛みが強くて授乳が苦痛になってしまってはいけないので、時には直母を休むことも大事だと思います。 次は私が教えてもらった&調べた授乳方法について描いていこうと思います。HYPかなこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年01月30日どの家のパパもママも、わが子を愛しているのは同じ。理想の子育てをしたいけれど、忙しい日々のなかでつい妥協してしまう点もあるのではないでしょうか。今回は、息子に対して「ごめんね」と思ってしまうことTOP3をご紹介します。 3位:いつも同じごはんメニューで「ごめんね」少しでも家事の手間を減らすため、息子の食事は作り置きがメインのわが家。大量に作って少しずつ消費するため、昨日の朝ごはんと今日の夜ごはんが同じということもしばしば。 変わりばえがなく申し訳ないと思いつつ、料理のバリエーションよりも、栄養バランスの良さや、息子との時間を持つことを優先させたいというのが本音です。基本は息子の好きなメニューを作っているので、嫌がらずに毎日ぱくぱく食べてくれます。 2位:安い洋服ばかりで「ごめんね」息子は1歳を迎える前から保育園に通っています。たくさん汚す月齢では着替えの洋服が大量に必要になるため、洋服は基本的に安いもののみを購入。 「高級ブランドの服を買ってあげられなくてごめんね」と思いつつ、洋服にお金をかけるよりも、その分週末に家族でお出かけしたり外食したりするなど、他のことにお金を使いたいという想いもあります。最近の洋服は安くてもかわいいものが多くあり、わが家では大いに活躍しています。 1位:部屋が散らかっていて「ごめんね」共働きでいつも時間に追われて生活しているわが家の弱点は、夫婦共に片付けが苦手ということ。毎日の洗濯物や、片付けていないおもちゃが部屋に散乱しており、家の中で息子の写真を撮ろうとすると、背景がいつもぐっちゃぐちゃ! 「せっかくのかわいい表情なのに、残念な背景でごめんね」と思いつつも、これが今のわが家の実態。健康面に影響が出ないよう、最低限の掃除だけは欠かさないように気を付けています。 わが家のちょっと恥ずかしい「ごめんね」のご紹介でしたが、筆者も夫も息子のことを本当に愛しています。家庭のなかで優先すべきことを考え、うまくやりくりができれば、家族みんな幸せに過ごせるのではないかと思います。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:岩崎薫一年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第二子の妊娠を目指して不妊治療中。
2021年01月21日HYPかなこ(@hyp_kanako)さんの「難ありパイがふかふかパイになるまで」第1話。 Instagramで人気のHYPかなこ(@hyp_kanako)さんの「難ありパイ」シリーズを短期連載でご紹介します。Instagramでフォロワー8千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さん。3歳のチビコーくんのママです。チビコーくん出産後の授乳の苦労を赤裸々に綴っています。 「出産レポ」「産後レポ 入院編」「産後レポ 自宅編」 に続いて、「難ありパイ」シリーズをお届けします! 難ありパイがふかふかパイになるまで 第1話 難ありパイ編スタートでございます~。 まずはパイの経過を図解しました。時系列に4コマで書こうかと思いましたが、現行授乳で現在困っている方も多そうなので、まずは参考になりそうな部分をピックアップして書いていきます。次の内容は教えてもらった授乳方法、さらに次は使った器具を紹介していけたらな~と思っております。 ※難ありパイについては私の経験で書いていることなので、人によって方法や経過が違うことがあるかと思います。この人はこうだったんだな~と参考にしてもらえたらと思います!HYPかなこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2021年01月15日私は、生理が始まったころから、生理痛がひどくて、大変な思いをしました。でも、このような経験があったからこそ、今は二児の母になれた!とも思っています。 「虫垂炎かも」がまさかの生理!小学6年生のころ、朝起きるとおなかが痛くて、排尿したあとにトイレの前で倒れたことがありました。父がかけつけてくれて、おなかを押して痛みの箇所を確認。すると「これは虫垂炎かもしれない!」ということで、すぐに病院へ行きました。 しかし、病院についてからすぐに出血が……。結局、おなかの痛みは虫垂炎によるものではなく、生理だったのです。私自身も、生理でこんなにおなかが痛くなるなんて思っておらず、驚きでした。そして……とても恥ずかしかったです。 高校時代には、チョコレート嚢胞が!その後も生理痛がひどいという状態は続き、17歳のころにはレバーみたいなものがでてきたり、生理痛で動けず、学校にも行けないくらいつらい状況になったこともありました。 そこで、婦人科で検査を受けると、右側の卵巣に7cmのチョコレート嚢胞があることが判明! 左側の卵巣も腫れているとのことで、手術することに。 しかし、大きな病院を受診したところ、なんと嚢胞が小さくなっていて、このときは結局手術不要になりました。 結婚後も子宝にはなかなか恵まれず…その後、私は結婚。しかし、なかなか子宝に恵まれなくて……。「卵巣嚢腫が関係しているのかも?」と思い、婦人科を受診しました。そして不妊検査をおこない、排卵誘発剤を用いたタイミング法を3回、排卵誘発剤を服用せずのタイミング法を2回、そして人工授精を3回。しかし、いずれも妊娠には至らず。結局、体外受精のステップに進み、子どもを2人授かることができました! その後の婦人科の検査では、卵巣は腫れたりひいたりを繰り返しているようです。出産後の生理痛は、妊娠前ほどひどくはないですが、チョコレート嚢胞はまだあるので定期的に診てもらっています。 私は生理痛で倒れたり症状が強かったりしたので、異変に早めに気づいて婦人科を受診しましたが、気づかずにそのまま放置して卵巣が破裂したり捻れたりして、卵巣を摘出することになっていたら……。早く気づくことができたおかげで、今は子どもにも恵まれて、うれしく思っています。 若いときからの生理痛も、ただの生理痛とは思わずに早めに婦人科に相談し、病気が隠れていないかを調べてもらうことは大事だなと思います。 監修/助産師REIKO----------文/小林華蓮
2021年01月08日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。 親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧や妊娠糖尿病について病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽいものは食べられず、甘いものなら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やお尻に神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・お尻の痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年01月05日STEAM教育って何?
子育て楽じゃありません
細川珠生のここなら分かる政治のコト