陣痛の痛みはどのくらい? 兆候や時間、間隔など心配ごとを事前チェック。また、経産婦と初産の陣痛の差などもお伝えします。 (2/31)
2024年3月に発足したベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママをお招きして、座談会を実施しました。ママが集まると話題になるのは、三者三様の出産エピソードトークです。ベビカレメイトのママが体験した出産体験談を聞いてみると、とてもとても後悔していることがあると言います。それは無痛分娩をするかしないか、という選択。通常分娩に挑んだそうですがーー。私は通常分娩で産む!通常分娩と無痛分娩、どちらがいいか尋ねられて、ベビカレメイトのママが選んだのは「通常分娩」でした。強い痛みがあるということはわかっていたけれど、挑んでやろうと意気込んでいたそうです。 産院のスタッフさんから「いつでも切り替えられるように、無痛分娩の承諾書にサインをしておけば?」と再三すすめられても断固拒否! 頑なにサインをしないまま、出産を迎えました。いざ出産!いざ陣痛が始まると、あまりの痛さに気絶寸前……。瞬時に通常分娩派から無痛分娩派に寝返って、「無痛分娩はしない」と決めていた自分の判断を深く深く後悔したそう。 陣痛の波がおさまったわずかな合間を見てナースコールを押し、無痛分娩への切り替えをお願いしたのでした。 しかしあれだけ拒んでいた無痛分娩に切り替えるとなると、ちょっとした気まずさも残ります。無痛分娩への切り替えは、小声でこそっと伝えたそうです。陣痛中、まさかの…これで無事無痛分娩に切り替え……というわけにはいきません。本来であれば事前に見ておくべきだった、無痛分娩についての説明動画を視聴する必要があります。 すでに陣痛が始まっているからといって、DVDをスキップはできず、陣痛に耐えながら見たのだそうです。 産院のスタッフさんのいうことは聞く、備えられるものは備えておく……。今後出産をするママは、ぜひこの教訓を活かしてほしいと話していました。 ◇ ◇ ◇ この教訓は出産のみならず、子育てや仕事などすべてに言えることかもしれませんね。ベビーカレンダー編集部にとっても、良い学びになりました!
2024年04月15日ママ特化型バラエティ『夫が寝たあとに』は、藤本美貴さんと横澤夏子さんが赤裸々にママトークを繰り広げるバラエティ番組。共感が止まらないと話題です。そんな2人は3児のママ。3度の妊娠・出産を振り返り「妊娠・出産あるある」についてしゃべり倒します。 立ち会い出産は気が散る!?立ち会い出産をしたという藤本美貴さんと横澤夏子さん。 横澤さんは、陣痛に耐える妻と共に息遣いが荒くなっていた夫を思い返して「何フラフラになってんだよ!」と笑います。対する藤本さんも夫である庄司智春さんに、「安産」と書かれたうちわでひたすらあおがれ、応援されていたというエピソードを披露しました。 2人に限らず、出産に立ち会ったもののスマホを触っていて気に障った、妻を見て痛い気分になっている夫に興醒めしたなどの話も耳にします。そんな話を聞いていると、立ち会い出産は気が散るのでは?と思う人もいるのではないでしょうか。夫が立ち会う意味はある?しかし藤本さんと横澤さんは、立ち会えるなら立ち会ったほうがいいと話します。立ち会い出産は“一緒に出産を頑張った”という実感が湧くのだそう。 また、夫には陣痛の痛みが引いているときの話し相手として、そばにいてほしいと言います。ただでさえ時間がかかる出産、ひとりでただ耐えるよりも一緒に入れくれる人がいたほうが、時間が過ぎるのが早いというのも頷けます。 出産はママにとって想像し難いほどにキツいもの。同じ気持ちになることは難しくても、寄り添うことに意味があるはずです。パパにお願いしたいこと番組内ではパパへのお願いも……。それは、何回目の出産でも新鮮な気持ちでいてほしいということ。 人生で初めてわが子の誕生に立ち会ったときの、感動や喜びはひとしおだと思います。しかし、第二子以降になると緊張感や感謝の気持ちが薄れてしまい、それが言動や行動に出てしまう人もいるそうです。藤本さん・横澤さんは、それではいけないと話していました。 何回目の出産でも、ママや赤ちゃんは同じくらい頑張っているはず。立ち会うパパも同じ気持ちでいてほしいですね。 見逃し無料配信動画サービスのTverでは、2024年4月14日(日)1時00分まで4月6日放送回の『夫が寝たあとに』を見ることができます。
2024年04月09日私は今、第二子を妊娠中です。幼稚園の娘が赤ちゃん返りをして大変なのですが、夫は出戻った幼馴染の女性に頼られ、うちのことは二の次で……。私がもうすぐ臨月になるというのに、夫は相変わらず幼馴染のところにばかり顔を出しています。幼馴染の家のことを手伝ったり、一緒に食事に行ったり。 夫の幼馴染はSNSのフォロワー数が多い、インフルエンサー気取りの女性です。たまに彼女の投稿をのぞくと、一緒に食事をしている夫の姿を見かけることも。そんな時間があるのなら、家のことをしてほしいのですが……。 とくに、娘の心のケアは急を要する事態。私が出産間近ということで、娘はいろいろな不安を抱えているのです。ですが、夫の優先順位は私たちより幼馴染のほうが上のようで……。幼いころから夫は彼女を助けてきたらしく、何か頼まれると断れないようなのです。 予定日間近に起こった悲劇いよいよ出産予定日が近づいてきました。いつ生まれてもおかしくない状況なので、週末は家にいてほしいと夫に頼みました。しかし、いまだ夫は幼馴染優先の日々です。離婚後、自分の親とギクシャクしている彼女には頼る人が自分しかいないと……。 そうだったとしても、私たち家族にも夫は必要です。幼馴染を大切にすることは理解できますが、それも大概にしてもらわないと困ってしまいます。 そんな話をすると夫は機嫌を悪くし、私のことを冷たい人間かのように言います。そんなやりとりを繰り返していたら、予定日前最後の休日になりました。その日は娘が朝から微熱を出し、私の体調も優れず、なんだか嫌な予感。しかし夫の元には、幼馴染からいつものSOS信号が……。 せめて娘を病院へ連れて行ってからにしてほしいと頼みましたが、風邪だから大丈夫だろうと勝手な判断をし、さっさと出かけてしまいました。 帰るコールが来たのは、もう夜もすっかり更けたころ。「子守り任せて悪いな」「幼馴染だからアイツを放っとけなくて」夫が出て行った後、娘は高熱が出て、私は陣痛が始まり……。ひとりではどうにもならず、幸い義母に連絡がついたので最悪の事態だけは避けられました。「熱は下がったか?」「あの子はもういないよ」慌てふためく夫に、娘が高熱で病院にいることを告げました。義母がきてくれなかったら、私たち母子はどうなっていたかわからなかったことも添えて……。 家族を優先すると誓った夫それから夫は慌てて帰ってきたようですが、家はもぬけの殻。私とも連絡が取れなくなり、右往左往したそうです。私はいよいよ出産する段階で、スマホを見ていなかったので仕方ないですね。 義母と連絡を取り合ったそうですが、夫はかなりしかられたそうです。ですが、大騒ぎだったあの日も、その翌日も、夫は幼馴染と食事をしていました。それも、とても楽しそうに! 彼女の投稿をチェックしていたら、そんな写真が上がっており……。 私は夫に離婚を宣告。陣痛中に、あんなにみじめで腹立たしい気持ちになるなんて思ってもみませんでした。私が動けたら、娘をすぐ病院へ連れていけたのに……。悔しかったです。 平謝りし、これからは必ず家族を優先すると誓う夫でしたが、私はそれを信じられず……。やり直しても前のようには暮らせません。放っておけない幼馴染と、どうぞお幸せに。 幼馴染と会わなくなり…その後夫は離婚を拒みましたが、両家の両親を交えて何度も話し合い、やっと別れることができました。離婚でひどく落ち込んだ夫は、幼馴染と会わないようになり……。 夫が使えなくなると、別の男友だち、しかもまた既婚者を呼び出すようになった幼馴染の彼女。再びいざこざを起こしたようで、ネット上は大いに荒れたそうです。それを知った元夫は、今では彼女のアンチ発言までするようになり……。どの口がそんなことを言うのか、そんな元夫の姿を見てドン引きしました。 離婚したことに後悔はありません。子どもたちにはたっぷり愛情を注ぎ、楽しい家庭を築いていきたいと思います。 ◇ ◇ ◇ 夫は幼馴染から頼られて舞い上がっていたのかもしれませんが、もう少し周りの状況を冷静に見てほしかったですね。後悔することのないよう、いま何を優先すべきなのかを考えて行動したいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日ある日の朝のことです。おなかに違和感があり、陣痛!?と思って、急いで産婦人科に電話をしました。ちょっと! 何してんのよ!?夫が仕事に行ってしまっていたので、義両親が病院に付き添ってくれました。ひとりで病院に行ける痛さではなく、すごく助かりました。そして、病院に着くと、なんとそのまま分娩室に直行することに。夫が間に合うか間に合わないかの瀬戸際でした。陣痛の間隔が短くなってきたギリギリに夫が到着。一段落と思いきや、分娩室のドアを凄い勢いで開けたので、外で待ってくれていた義両親に私の姿見が丸見え!! おあー!!!と思たものの、いきむのに必死でなにも言えず……。あとから夫を怒りましたが、無事に出産できたのでよかったです。 ◇ ◇ ◇ 2人目以降は念入りに夫に伝えてあったのと、コロナ禍で立ち会いができないということもあり、特にハプニングもなく出産できました。1人目はお互い初めてのことだらけで、ハプニングがたくさんありましたが、無事出産できたことが何よりでした。 作画/さくら著者:みる20代、元気いっぱい2人兄弟のママです!!息抜きは、韓ドラ鑑賞です!監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日出産予定日に陣痛が始まりました。夫の車で病院に向かおうとしたのですが、思いもよらない展開になり……!! いろんなことが重なって…陣痛がきたので“さあ病院へ!”と夫の運転で向かおうとしたのですが、一向に車のエンジンがかかりません。どうやらライトをつけっぱなしにしていたので、バッテリーが上がってしまったようでした。 「ライトを消し忘れたらブザー音が鳴るでしょ!」と言うと、「あー、鳴ってたかも?」と夫。その間にも陣痛は進み、痛みは増すばかり。幸い、実家が歩いて行ける距離なので、母に迎えに来てもらおうと連絡するも繋がらず。 とりあえず実家まで歩くことにしました。母の車を発見して安堵したとき、急に陣痛が強くなり……。すぐに母の車で病院へ。無事に出産しましたが、危ないところでした。 ◇ ◇ ◇ 入院や出産準備は余裕をもって進めている方が多いと思います。ただ、お産はいつ始まるかわからないので、移動手段については“もしも”のことも考えておきたいですね。 イラスト/森田家著者:山田花子
2024年04月02日陣痛室で、夫と実母に驚いたエピソードをご紹介します。 なんで…夜中に陣痛が始まり、産婦人科に入院後、陣痛室に入りました。陣痛室には夫がついていてくれ、連絡した実母も到着し、待合室で待ってくれていました。最初の陣痛は余裕だったので会話などしていましたが、次第に想像を絶する痛みに……。どうやら私は「どこかをさすってほしい」とか「押してほしい」とか訴えるタイプではなく、ひたすら耐え忍ぶタイプだったようで、ひたすら無言で耐え続け、少しの合間に夫を見ると……爆睡。 「何かしてくれというワケでもないし、夜中で退屈だったから仕方ない」と自分に言い聞かせていましたが、それから何度目かの陣痛に耐えたあと、イライラも爆発し「病室で寝てきて!」と追い出しました。そして実母が代わりに陣痛室へ。「あーしてあげようか。こーしてあげよーか」という実母の提案はすべて断り、ただただ耐え忍んでいたところ……実母も寝ていました。 今だから笑える思い出のエピソードですが、その後、朝に出産を無事終え、1時間ほど分娩室でひとりで処置を受けていました。問題なく経過し、病室に戻っていい許可が出たので、車椅子で病室に戻ったところ、病室に配膳されていた私の朝食は、夫に食べられていました。(女性/40代/契約職員) 作画/きょこ
2024年03月31日2人目を妊娠、予定日まで1週間くらいのときでした。長男が生まれて初めて熱性けいれんを起こし、どうしようかとアタフタ。そうこうしていたら、おなかに痛みを感じて……。 長男が熱性けいれん、そのとき陣痛が…その日は昼間に長男と近くの公園へ。元気に遊んでいたのですが、夕方になると長男の具合がなんだか悪くなり、38℃の熱がでてしまいました。 寝かせて様子を見ていたら、長男が生まれて初めての熱性けいれんを起こしたのです。どうしようかと考えていたら、私のおなかが痛くなり始めて……。これは陣痛かも、と感じました。 このタイミングで!?と思いましたが、里帰り出産で実家にいたことが救いでした。すぐに実母を呼び、長男のことをお願いしました。そして私は従兄弟の運転で産婦人科へ。 無事に次男を出産しましたが、ホッとする間はなく……。長男が心配で母に電話をする日々。連絡しては長男の様子を聞く1週間を過ごしました。この体験から、いつ何が起こるかわからない!何が起きても大丈夫なように考えておくことは大切だと実感しました。 ◇ ◇ ◇ 突然のことにびっくりしたかと思いますが、ママ以外の大人の手があってよかったですね。無事ご出産、おめでとうございます。母子2人っきりでどちらも緊急の場合は迷わず救急車を要請し、救急車を呼ぶか迷った際は救急安心センター事業(♯7119)に電話をしても。万が一のために、スマホに電話番号を登録しておくと安心ですね。 イラスト/さくら著者:小野利菜監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月23日真夜中に陣痛が来た私は病院へ。しかし子宮口はまだ十分に開いておらず、一時帰宅することに。次の日になってもまだ痛みがあったものの、また病院に行って一時帰宅だと言われたら嫌だと思った私は……? もっと早く言って〜!真夜中に陣痛が来て、病院に向かった私。子宮口を見てもらうと「まだ全然開いていないですねぇ」と言われ、結局その日は帰宅することに。次の日になってもずっと痛かったのですが、また病院に行って子宮口が開いていないと言われて帰らされたら、検査代がもったいない!と思い、必死に耐えました。あまりの苦しみぶりに、夫から「病院に行こうよ」と言われましたが、断固拒否。しかし結局、その日の午前2時ごろ痛みに耐えられなくなり、「やっぱりもう無理かもしれない……タクシー呼んでぇ……」と涙を流しながら夫に頼み、病院へ。 子宮口を見てくれた助産師さんから「あ、もう6cmも開いてるね。このまま入院だ。痛かったでしょう」と言われました。痛すぎて会話をする気力もなく、陣痛室へ。それからも相変わらず痛みは続き、寝られず……。このまま終わりが来ないんじゃないかと思いながら、地獄のような時間を朝までずっとベッドのリモコンのスイッチをひたすら数えて過ごしました。 そして翌日、朝だ……と思っていると助産師さんがやって来て、子宮口をチェック。すると「あらちょっと! もう全開大だわ! 分娩台準備するから!」と急にばたばたし始めました。え? 我慢しなくてよかったの? 最初に教えてくれー!と思った出来事です。 ◇ ◇ ◇ 初めての出産ではわからないことも多いですよね。診察の結果、一時帰宅を提案されるのはよくあることで、それは自宅のほうがママがリラックスできるという理由もあるからです。「再受診後にまた帰らされるのは嫌だな……」と家で無理に我慢することは避けましょう。もしまた帰宅となった場合は、どのタイミングで再度連絡をすれば良いのか事前に確認しておくと安心です。 そして病院で夜を過ごすことになった場合、陣痛と陣痛の間隔が短くなってきたり、痛みを感じる時間が長くなったりしたら、夜中であっても我慢せずに助産師さんに知らせてくださいね。 作画/森田家著者:藤 のぞみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月23日出産予定日を迎え、徐々に痛みがついてきた陣痛。長男と次男のときは、陣痛の前に激しい下痢があったので、3人目も同じだろうと思っていました。しかしいつになっても便意らしい兆候が現れず、そのまま病院へ行くことに……。案の定、お産中に初めてうんちをしてしまった私の体験談をお伝えします。 私とは無縁! 出産時のうんち友人たちが出産トークをするとき、よく耳にしたのが「出産時にうんちをしてしまった」という体験。しかし、当時の私は「自分とは無縁な話」だと感じていました。実際長男と次男を出産するとき、陣痛の前に激しい腹痛と下痢があったので、おそらく私の腸の中は空っぽの状態。友人たちの話は「そんなこともあるんだ」と、あまり理解できずにいました。 長男と次男を産むときは、助産師さんから「うんちがしたいと思ったらそのままいきんでね」とも言われていたので、便意というものは私にとって「赤ちゃんを産みたい」という感覚に置き換わっていたのです。 いざ迎えた3人目の出産!そして、3人目の出産予定日を迎え、順調に陣痛を耐えている最中、ふと不安がよぎりました。「前と同じような腹痛と下痢がない……」。前日から便秘気味だったにもかかわらず、当日になったら自然とうんちが出てくるだろうと安心しきっていた私でしたが、今回ばかりはいつもと違ったようで、便秘気味のまま病院へ。 そして「このままうんちが出なかったらどうなるのだろう」という私の心配をよそに、分娩台へ登ることになってしまったのです。 便意にパニック! 初めての出産中のうんち前日から便秘だったため、お産になかなか集中できない私。いきみたいという感覚なのか、本当の便意なのかの区別もつかず、さらに襲いかかる痛みでパニック状態になっていました。とにかく、いきむことに必死になったころ、お尻に違和感が。ついに、私も初めて出産中にうんちをしてしまったのです。しかし、助産師さんたちは「大丈夫よ! 気にしないで頑張ろう!」と、すぐに処理してくれ、お産に集中できるよう促してくれました。 幸運なことに、夫が分娩室に入る前のことだったので一安心。その後はお産に専念できたこともあり、数回いきんで3人目の赤ちゃんが無事に誕生しました。 1人目と2人目の出産時の状況が似ていたため、3人目は油断しきっていました。今になって思うと、出産に向けてヨーグルトを食べたり、便秘にならない努力をしたりしておけばよかったなと反省しています。しかし、私が思っていたよりも助産師さんたちが冷静だったので、あまり恥ずかしいという気持ちにはならずに、安心して出産ができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ監修/助産師 松田玲子著者:堀江ゆうき3児の母。現在はフリーランスとして育児をしながら、体験談・出産・妊娠についての記事を執筆。
2024年03月20日初めての出産、初めての育児、今までに経験したことのないドキドキとワクワクでいっぱいでした。「不安なこともあるけれどきっと楽しいこともいっぱいある」「里帰り出産だからきっと母が心の支えになってくれる」と、そんな風に考えていました。退院の日をそんな思いで迎えると……、母の言動に衝撃を受けることになったのです! 自分が社会に出て、親になって初めて母の異常さに気がつきました。初めての出産は里帰りすることに長女が生まれたときの話です。初めての出産ということもあり、私の実家へ里帰りをすることになりました。出産予定の病院は私が生まれた病院、しかも出産予定日は私の誕生日と同じ日でした。きっと母も感慨深いものがあるだろうな、なんて思いながら私は出産の日を心待ちにしていました。 そして、ついに出産のときがやってきました。 出産予定日になったばかりの真夜中、陣痛が来たため、前もって休みを取っていた夫と一緒に急いで病院へ向かいました。病院へ到着したあと、陣痛は次第に激しくなり、今までに経験したことのない痛みに襲われる一方、子宮口はまったく開かず、気づいたら陣痛室のベッドは血まみれに……。 陣痛から約32時間後、もしかしたらもうこのまま出産は終わらないのではないかと思うぐらいの壮絶な体験を経て、ついに赤ちゃんと対面することができました。 いよいよ迎えた退院の日その後1週間の入院期間を順調に過ごし、ついに退院の日がやってきました。「この世に生まれてきたばかりの赤ちゃんを、病院の外に連れ出して本当に大丈夫なの?」と心配になるくらい赤ちゃんは小さくて、私がこの小さな命を守らなくてはと大きなプレッシャーを感じました。 退院の日は、夫の両親も遠方から実家に来て、赤ちゃんの誕生をみんなでお祝いする予定でした。私は入院をしていたので準備は母に任せてあり、夫は私の誕生日のお祝いも兼ねてケーキを買って帰ろうと提案してくれました。 前もって母には帰る時間を伝えてありましたが、その日、病院は忙しく、退院の手続きが遅くなりました。さらに帰る直前に赤ちゃんが3回もうんちをしたため、病院を出発する時間が30分ほど遅れてしまいました。 母のやさしい言葉を期待していたきっと子育ての先輩である母なら「出産お疲れさま」「大変だったね」「大丈夫だよ」と労いの言葉ややさしい言葉をかけてくれるに違いありません。そう思い、私は帰りの車の中で母に電話し、30分くらい遅れる旨を伝えました。 すると母は「は!? なんで!!?」「時間管理ができてないんじゃないの??」「配慮が足りない!」「義家族をおもてなしする気あんの!?」と、電話越しにとめどなく暴言を吐き続けたのです。 私は予想外のことにショックを受け、母が電話の向こうでひたすら文句を言い続ける中、何も言わずに電話を切りました。産後で情緒不安定だったこともあり、電話を切ったあと、車の中で私は号泣。そんな私の姿を見て夫はびっくりしていました。 私は夫に泣きながら母から電話口で言われたことを話しました。そして、「ケーキを買って帰るのはやめよう」と夫に伝え、赤ちゃんに必要な物を買うのもあきらめて、急いで実家へと帰りました。 実家へ帰ると母はまさかの…そして、実家に着くと、なんと母は何の準備もせず座って笑いながらのんびりとテレビを見ていました。私たちが家に到着して30分ほどたったころ、母は急いでお祝いの食事の買い物に行き、買い物から帰ってくると慌ててテーブルセッティングをし始めました。あれだけ私に「時間管理がー」とか「配慮がー」とか言っていたのに……。 結局、気をつかった夫が両親に頼んでくれたらしく、義両親がお祝いのケーキを買ってきてくれました。私は大泣きして目を腫らしたまま義両親を迎えることに。退院前にはまったく予想もしていなかった、なんとも気まずく胸がムカムカするお祝いになりました。 自分が母親になって初めて親のありがたみや大変さがわかるのだろう。そして親はいつまでも頼りになる存在で、子どもには無償の愛を注いでくれるものだろう。私はそう信じて疑いませんでした。しかし、親には親の考え方や接し方があると気づいたのは、自分が母親になったときでした……。私はわが子が大人になっても無償の愛を注ぎ続けたい、そして、大人になっても子どもに寄りそえる母親になりたい、そう強く思った出来事でした。 著者:たつこ6歳、3歳、2歳、0歳(10カ月)の4児の母。現在、実家で夫と子ども4人と実の両親と同居中。夫の自営業をお手伝いする形で仕事をするかたわら、自身もネット関連の仕事を始める準備中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月19日2人目の出産時、出産予定日を大幅に過ぎていたママ。やっと陣痛がきて分娩室へ行ったのですが、なかなか赤ちゃんが出てきません。どうしたのだろうと思っていると、助産師さんから意外な理由を告げられました。赤ちゃんが出てこない理由は…?2人目の出産予定日を過ぎたある日、やっと陣痛と思われる痛みがきたので病院へ! 分娩室に案内され、いざ出産と思いきや、なかなか赤ちゃんが出てこない!? それにはある衝撃的な理由がありました。 出産は人それぞれなので、どんなに経験や予習をしていても、その通りにはならないものだなと改めて思いました。息子は当時2歳だったのですが、私が入院中も毎日楽しそうな写真が父母から送られてきており、安心でしたが複雑な気持ちでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:すずきち都内に住む平凡なオタク主婦。3歳の息子と0歳の娘を育てながら絵日記やイラストをのんびり描いています。
2024年03月18日なっぱさんは夫のべじ太との間に子どもを授かりました。出産予定日の2日後に妊婦健診を再び受けたところ、むくみと血圧が高めだったため急きょ入院に。陣痛促進剤を服用後、強烈な陣痛が始まり、夫も必死でサポートします。そして陣痛開始から15時間後、やっと分娩台に移動できたのですが、なんと陣痛が遠のいてしまったのです。疲労困憊の夫も立ち合い、分娩台に登ったなっぱさん。あとひと息だと思っていた矢先……!? スタッフ増員!? この状況は…? 陣痛の間隔が長くなっていることで、医師は陣痛促進剤を追加して一気に出産するという考えを示しました。 しかし、なっぱさんの血圧が高いので最悪の場合は脳出血のリスクもあると説明。それでもなっぱさんは同意書にサインし、医師の提案通りに進めてもらうことにしました。痛みが増す中、気がつくと自分を取り囲む人の数が増えていたため、なんだか気まずく感じたなっぱさん。一発芸でもして気を紛らわせたい気持ちはあるものの、もう体力の限界でした。 苦しんでいる赤ちゃんのことも考え、最後の力を振り絞ってなっぱさんはいきみます。そして、陣痛開始から約19時間半が経ったとき、ついに赤ちゃんが誕生。 生まれてきてくれた長女の元気な産声を聞き、なっぱさんと夫は涙を流して喜びます。そして、3人で記念撮影をし、生まれてきてくれたことに感謝をしたのでした。 長時間に及ぶ出産になり、なっぱさんはもちろん、夫も赤ちゃんもとても頑張りましたね。出産することの大変さと、生まれてきてくれた赤ちゃんの尊さを、みなさんも改めて考えさせられたのではないでしょうか。 やさしく頼れる夫となっぱさんの出産の様子は、今後の育児の礎にもなったでしょう。この困難を乗り越えられた2人での育児は、とても幸せなものになりそうですね。 監修/助産師 松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月12日なっぱさんは夫のべじ太との間に子どもを授かりました。出産予定日を迎え妊婦健診をしてもらいますが、出産の兆候はまだなく……。2日後の再健診で、むくみと血圧が高めだったため、急きょ入院に。陣痛促進剤を服用してから強烈な陣痛が始まり、夫の必死のサポートを受け続け、やがて8時間が経過していました。長時間、なっぱさんの肛門を押し続けていた夫は、ついに体力の限界が見えてきます。しかし、ここであきらめるわけにはいきません……! あきらめるものか…! ※全開 → 全開大 陣痛開始から10時間が経過したころ、なっぱさんはもう子宮口が全開大だと確信します。しかし、助産師さんを呼び、子宮口を見てもらうとまだ4cm。先が見えないなっぱさんは、もう限界だからおなかを切ってほしい……と弱音を吐きます。しかし、助産師さんに一喝されて再び闘い始める2人。 そして、陣痛開始から15時間が経ち、子宮口が7cmまで開いたところで分娩台へ徒歩で移動することに。歩く力もないなっぱさんですが、自称健脚のなっちゃんと自らを鼓舞し、力を振り絞ります。 力尽きたはずのべじ太さんも、あきらめず立ち合いに来てくれたのですが、ここへ来てまさかの展開が。なんと、陣痛が遠ざかってしまったのでした……。 立ち合い出産のために、休むことなく同行する夫のべじ太さん。全力でなっぱさんの力になろうとする夫の姿に、感動した方も多いのではないでしょうか。べじ太さんのような夫がそばにいてくれると、激しい陣痛も乗り越えられるような気がしますよね。 監修/助産師 松田玲子 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月11日なっぱさんは夫のべじ太さんとの間に子どもを授かりました。臨月になり足のむくみがひどく、解消を目指し懸命に努力をするなっぱさん。しかし改善しないまま出産予定日を迎え、妊婦健診では出産の兆候はまだありませんでした。2日後の再健診で、むくみと血圧が高めだったため、急きょ入院に。陣痛促進剤を服用後、ついに陣痛が来たのです。ついに始まった陣痛。その痛みとの闘いのゴングが鳴り響いたとき、なっぱさんは……!? 想定外だ…誰か助けて! なっぱさんは、下腹部でお祭り騒ぎが起こっているかのような陣痛に襲われます。尋常ではない痛みに耐えること2時間……。夫のべじ太さんがやっと病院に到着。 助産師さんはべじ太さんに、陣痛が来たらグーで肛門を強く押してあげてと教えました。戸惑いながらも、陣痛が来たタイミングで無我夢中に肛門を押し、べじ太さんは懸命になっぱさんを助けます。 毎日プロテインを飲んでいる体を生かして、陣痛のたびに必死にグーで押し続けること8時間……。べじ太さんの体力は限界を迎えそうになりますが、愛しいわが子に会えるのを想像して力を振り絞るのでした。 8時間もの間、陣痛で苦しむなっぱさんを全力で助けるべく肛門を押し続けるべじ太さんの姿は、まさに一緒に出産をしているも同然かもしれません。 長時間痛みと闘っているなっぱさん自身も、体力の限界が来ていることでしょう。夫婦でここまで出産に全力を注いだことが、長女が無事に生まれることで良い思い出となると良いですね。 監修/助産師 松田玲子 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月10日先日、第2子となる女の子を出産しました。意気込みはどこへ?先日、第2子となる女の子を出産しました。 第1子・第2子共に自然分娩。 前回は夫に腰を押してもらって陣痛を乗り切ったという経験を踏まえ、今回も立ち合い出産を選択しました。「一緒に戦いたい!」と夫は意気込み十分。 さて当日。破水したので私は先に入院しました。暫くして陣痛が始まった私は、事前に勉強した陣痛中の過ごし方を実践。すると、子宮口9cmまで喋ったり笑ったりできるという驚きの結果に! 呼び出された夫もびっくり。 流石に子宮口全開大になると痛みでつらくなってきたのですが、ここで夫の様子にも異変が。 「具合が悪くなってきたので休んできてもいいですか……」と分娩室から退室、今度は私がびっくり! 結局、夫は生まれる数秒前に助産師さんに呼ばれ、なんとか誕生の瞬間には立ち会えたようです。 「なんの役にも立たず逆に迷惑をかけた。情けない」と夫はへこんでいましたが、娘が大きくなったら笑い話として伝えたいと思います。 ◇◇◇ 助産師さん曰く、自然経過で子宮口9cmまで痛みがなく、余裕があると言うことは珍しいようです。陣痛の痛みを和らげるのには、一般的に、呼吸法・リラックス法・ツボ押しなどをすると良いと言われています。実はベビーカレンダー編集部の私も同じく子宮口ほぼ全開大まで会話ができていました。余裕かと思っていたのですが、その後、出血が止まらなくなり大変でした。出産は本当に人それぞれ、何が起こるかわからないですね。 監修/助産師 松田玲子作画/いずのすずみ著者:清水玲奈20代、0歳の女の子と3歳の男の子の母。趣味は片付け。
2024年03月09日名前の候補を決め始めたのは出産2、3カ月前からでした。急な質問で名前が確定!字画も調べていくとなかなか決まらず、最終的にはやさしい男の子に育ってほしいという夫の願いから中性的な名前にしようとなりました。あおい、ひなた、なぎ等があがり、顔を見てから決めようと出産を待つことになりました。 いざ出産日。出産予定日前日の昼から始まった陣痛、日付をまたぎかなりの長期戦。分娩台に上がってから7時間を過ぎようとしたころ、助産師さんに「もし名前が決まっていたら、先に聞いてもいい?」と言われました。先に書類や誕生のカード等を記入しておくためでした。 顔を見てからと思っていたけれど……陣痛痛いし! 気を紛らわしたい!と、 とっさに立ち会いをしていた夫と2人で口に出た名前が一致。特にこの名前にしようなどもなく、2人の意見が合ったのでよかったのと、この名前だったらこの漢字というのを事前に決めていたので、よかったと思いました。生まれて顔を見てから決めていたら違ったのかもと今でも時々思いますが、この子にぴったりのいい名前を付けられてよかったと感じます。 ◇◇◇ 突然の質問にもかかわらずパッと返答でき、名前が一致していたと言うことは、ママとパパそれぞれの中で決まっていたのかもしれませんね。子どもの名前は、親が初めて贈る大事なプレゼントです。2人が納得する素敵な名前が付けられてよかったですね。 監修/助産師 松田玲子作画/まげよ著者:山田20代、0歳児(現在6ヶ月)を育てる母。保育士。
2024年03月09日なっぱさんは夫のべじ太さんとの間に子どもを授かります。妊娠9カ月のころ、新居が完成するまでの間はべじ太さんの実家に住むことになりました。臨月になり足のむくみがひどく、改善を目指し懸命に努力をするなっぱさん。しかし、改善しないまま出産予定日を迎えたのでした。まるで力士のような歩き方になってしまうほどの足のむくみがある中、期待と不安を抱えて妊婦健診へ向かったなっぱさんですが……!? 落ち着け自分! 出産予定日当日の妊婦健診では、赤ちゃんの様子は順調だったものの、子宮口がまだ1cmしか開いていません。ですが、それを聞いたなっぱさんは、このままトントン拍子でお産に向かうだろうと前向きでした。 翌日も受診するなっぱさん。しかし、子宮口は変わらず1cmしか開いておらず……。いつ陣痛が来るのか不安でならないなっぱさんは、必死に雑巾がけをして陣痛を促そうとします。その翌日、むくみがひどく血圧も高めだったので即入院に。 動揺しながらも入院したなっぱさんは、陣痛促進剤を服用し2時間後……。ついに、副作用の嘔吐とともに陣痛がやってきたのです。 出産予定日を過ぎても陣痛が来ないと、精神的に不安になってしまいますよね。不安な中、パワフルで前向きななっぱさんの姿勢には、心を打たれます。 むくみや血圧も心配なところですが、ここにきてやっと出産のための入院できたことは、なっぱさんや夫、義両親にとっても安心材料となったのではないでしょうか。 監修/助産師 松田玲子 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年03月09日エステの講師として働いている亜子さんは、優しい夫に出会い幸せな新婚生活を送っています。少々無神経な義母の存在は気になりますが、結婚から半年でめでたく妊娠。すると、義母はさらに暴走気味になったのです……。「親戚からベビーカーをいただいたから見にいらっしゃい」と、ボロボロでほこりまみれのベビーカーを押し付けようとしたり、さらには出産にも立ち会う気満々。亜子さんは病院の方針により夫以外は立ち会えないこと、出産後の連絡や訪問は控えてほしいことを伝えると、義母は激昂しました。そんな義母を見て、亜子さんの夫は「母さんみたいな突撃ばぁばがいるからだろ?」と発言。その発言を受けて、義母はすっかり固まってしまったのです。 出産後、里帰りせずにすぐに自宅に戻るつもりだった亜子さん。しかし、「普通は里帰りするもの」「夫が仕事で疲れて帰って来るのに赤ちゃんのお世話までさせる気?」と義母。すると口を開いたのは亜子さんの夫でした。 「いつの時代の話をしてるの? 俺の子だよ? なんで俺がやらなくていいと思ってるの?」 それでも納得しない義母に「母さんの良かれは相手を困らせてるって知ったほうがいいよ」とまで言いました。自分の言いたいことを代弁してくれた夫に対し、亜子さんは心から感謝したのでした。 そして、臨月を迎えた亜子さん。妊娠高血圧症候群の兆候があるため、いよいよ入院。陣痛促進剤を利用して出産することになったのです。またも亜子さんは義母の言葉にモヤモヤすることに――!? 出産前日の義母の言葉 結局翌週の健診までに陣痛は来ず、健診日の翌日に入院、翌々日には陣痛促進剤を使って出産することになった亜子さん。不安を抱えながらもそれぞれの両親に報告を済ませ、入院日を迎えました。 赤ちゃんに会えるという期待と、無事に出産できるのかという不安で緊張していた亜子さんのもとに、義母から電話が。 「促進剤を使うなら陣痛も短くてラクなんじゃない?」 またもとんでもない発言をした義母に、亜子さんは言葉を失いました。勝手な思い込みで話を続け、さらには自分の出産のときの話をし始めた義母。相変わらずの義母の言動にショックを受けた亜子さんでしたが、すぐさま冷静さを取り戻し、義母の話を聞かずに心を落ち着けることに専念しました。モヤモヤしつつも、義母は悪気はなく、知識がないがゆえにこういった発言をしてしまうことを理解していたからです。 とはいえ、義母との電話が終わってもしばらくモヤモヤがおさまらなかった亜子さんは、夫に義母から言われた言葉を伝えることに。亜子さんの夫は、すぐさま義母に抗議。夫に付き添ってもらううちに、亜子さんの不安もだんだんと溶け始めました。 そして、陣痛促進剤を使用してから10時間後――。 想像よりもはるかにつらい陣痛を乗り切り、亜子さんは女の子を出産したのです。義母はというと孫の誕生にそわそわして今にも暴走しそうな勢い……ではありますが、亜子さんはそんな様子を知ってか知らずか、生まれたわが子を前に、夫と赤ちゃんと3人で一丸となって頑張っていこうと心に誓ったのでした。 ◇◇◇ どうしても暴走しがちな義母ですが……暴走の原因は義母の知識のなさや思い込みの激しさにあり、どうやら悪気はなさそうです。困った義母ですが、なんだかちょっと憎めないところもありますよね。 とはいえ、当事者となると、悪気はないとわかってはいても、言われた言葉に傷ついたり、モヤモヤした気持ちになったりするもの。似たような経験から、亜子さんのショックな気持ちやモヤモヤに共感された方も少なくないと思います。 そんななか、「なんでわかってやれないんだ」「出産は比べるものじゃない」などと亜子さんの気持ちを代弁してくれる夫の存在は、とても頼もしいですよね。しっかりと意見を伝えてくれる夫がいることで、これからも義母の暴走にやきもきすることはあると思いますが、亜子さん夫婦と義母は少しずつわかりあっていけるのではないでしょうか。 昨今は、育児においては取り巻く情報や環境の変化から、祖父母世代と、今の子育て世代の常識にギャップが生じることは珍しくないと思います。暴走タイプの義母でなくても「義母の考えが古いままで困った」「今の子育てをなかなか理解してもらえない」と悩む方は多いのではないでしょうか。そんなときは亜子さんのように「知らないだけ」「違うだけ」ということを念頭において、少しずつでも理解してもらえるよう、情報や意見を伝えていけるとよさそうですね。 自治体によっては「祖父母手帳」を発行して、祖父母向けに昔と今の子育ての常識や状況の違いなどを伝える資料を発行されているので、利用して伝えると角が立たないかもしれません。また同時に祖父母世代の育児方法を今の子育て世代が理解し尊重することも、両者の関係を良好にしていくのに大切なことのように思います。 無事に女の子を出産された亜子さん。義母の暴走はまだまだ止まることはなさそう……、ではありますが、旦那さんと支え合って、これから家族3人で楽しく心穏やかに暮らせますように。 監修/助産師 松田玲子著者:マンガ家・イラストレーター おーちゃん 著者:原作者 ココ
2024年03月04日第2子の出産エピソードです。コロナ禍での出産だったため、立ち会い出産はできないと言われていました。そこで、生まれる瞬間を見せてあげられない代わりに、産声だけは録音したいと希望を伝えていたのですが……。思ってもいない展開となったのです。バースプランでは産声の録音を希望今回の出産はコロナ禍ということで、立ち会い出産はできないと産院から言われていました。そこで、バースプランには「できれば赤ちゃんの産声だけでも録りたい」と希望を伝えました。 助産師さんからは、「昼間の出産や人手が足りている時間帯なら、看護師にスマホを渡したら録画してくれるかもしれないけど、夜の出産だと難しいかもしれない」とのこと。なので、昼間の出産で運がよければ録音できるかな……程度に思っていました。 深夜の出産で録音はあきらめかけて…出産予定日の前日、夜の11時ごろにおなかが痛くなってきました。陣痛カウンターで確認すると6分間隔で陣痛が! 産院へ連絡をしてすぐにタクシーで向かいました。 診てもらうと、子宮口6cm。診察台から分娩台へ移動することになりました。夜中ということもあり、分娩台で横になっている私の様子を数十分おきに見にきてくれるのは、助産師さん1人と看護師さん1人でした。「人少なそうだし、産声を録音するのは無理そうだな……」とぼんやり考えながら、腰をさすって過ごしていました。 いきんでいると助産師さんが!?時間が進むにつれて、どんどん陣痛が痛くなり、午前3時ごろ、ついに出産の時がやってきました! 助産師さんの声に合わせて、いきんではまた力を抜いてを何度も繰り返し、途中で破水もしながら、陣痛と共に徐々に誕生の瞬間が近づいてきました。 助産師さんに「赤ちゃんの頭もう見えてきてるよ!」 と言われて、「あぁ、もうすぐ生まれるんだ。夫にも息子にも生まれる瞬間を見せてあげられなかったな。録音もできなかったな」と、頭の隅でぼんやり考えながら、次の陣痛でいきむと、助産師さんに「赤ちゃんの頭出た! もうすぐ産声あげるから! 録画用意 !!」と言われ、「えっ?! 録画用意?」と私は混乱と驚きで固まってしまいました。助産師さんにもう一度「もうすぐ産声あげるから、スマホ起動させて動画の用意!」と言われて、私は慌ててテーブルに置いていたスマホを起動して、自分の下半身にカメラを向けました。 出産の瞬間をスマホで自撮り!次の陣痛でいきむと、赤ちゃんが出てくる姿がスマホの画面を通してハッキリと見えました! そして元気な「おぎゃー、おぎゃー」という産声も! 助産師さんはテキパキと赤ちゃんの体を拭きながら、「希望通り赤ちゃんの産声録れてよかったね」と、マスク越しでもわかる笑顔で話しかけてくれました。 希望通りなのかは少し疑問でしたが、たしかに無事に赤ちゃんの産声は動画付きで撮ることができました。まさか出産シーンを自撮りすることになるとは思ってもみなかったので驚きです。1人目のときは、30時間を越える分娩で記憶も途切れ途切れでしたが、今回は陣痛から6時間ほどと安産だったこともあり、そのあとは胎盤を見せてもらったり、赤ちゃんが入っていた卵膜の破れた部分を説明してもらったりと、イベント盛りだくさんの出産になりました! その後、落ち着いてから録画を見てみると、産声はちゃんと撮れていました。ただ、赤ちゃんの声より大きい私の叫び声もバッチリ撮れていました(笑)。 無我夢中で撮りましたが、恥ずかしくて将来、子どもに見せられるかなぁ……と悩ましい動画となったのでした。 1回目の長男のときとはまったく違う体験をして、出産は1人ひとりまったく違うんだなと身をもって感じました。今回、出産しながら自分で動画を撮れたことで、何だか少し母としてたくましくなれたような気がします。とても良い経験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:かずママ手のかかるわんぱくな3歳と抱っこ大好き0歳の2児の母。現在は産休中。 監修者:医師 おおたレディースクリニック院長 太田 篤之 先生
2024年02月15日妊娠をきっかけに、夫・進さんと結婚した田中まほさん。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週のころ、ついに陣痛が!夫に送ってもらい訪れた病院では、診察の結果すぐに入院が決まりました。コロナ禍のためひとりで出産に挑むまほさん。8時間痛みに耐え続け、子宮口が全開大になったことでようやく分娩台へ! 30分後、無事赤ちゃんが生まれました。出産時に自分の体から聞こえた聞きなれない音に違和感を持つものの、痛みもなくただ喜びに包まれていたまほさん。しかし病室へ移動することになり、車椅子に乗り換えた瞬間、体を激痛が襲います。分娩台から車椅子へ移り、腰を下ろそうとしたまほさん。しかし、そのとき信じられない痛みが駆け抜けて……? わかるよ、ママも泣きたいよ! ※登場人物のマスクは省略しています。 おしりの痛みは陣痛や会陰切開よりも痛く感じ、まほさんは「痛い……」と言い続けることしかできず……。病室へ移動後も、どんな体勢になっても痛みを感じて眠れず、ごはんを食べることさえできません。助産師さんから骨盤ベルトの装着をすすめられて過ごすものの、一向におさまらない痛み。その痛みは退院したあとも続き、痛みと闘いながら初めての育児がスタートしたのでした。 陣痛や会陰切開よりも強い痛みが、退院後にも続くという状況。想像するだけで地獄のような時間ですね。最悪のコンディションで始まる初めての育児……。前途多難な幕開けですが、痛みと育児の忙しさが相まってまほさんが心身ともに疲労困憊とならないでほしいところです。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月11日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が! コロナ禍のため、病院まで送ってくれた夫には車で待機してもらい、受付を済ませたまほさん。緊張しながら診察へ向かいました。今の陣痛は10分間隔。子宮口の開きを確認してもらう間、ドキドキしているまほさんでしたが……? 出産本番まであとどれくらいかかるの!? ※登場人物のマスクは省略しています。 子宮口も無事に開いてきており、出産するため入院が決まったまほさん。しかしコロナ禍で家族の付き添いや出産の立ち合いはできないため、まほさんは準備していた入院グッズを夫から受け取ると、頑張れ!と励まされながら別れました。着替えを済ませ、必死に痛みに耐えるまほさん……。出産本番の時をまだかまだかと待ちわびていましたが、そうしているうちに気付けば病院に来てから8時間が経過。子宮口が全開になったと告げられやっと分娩台へ促されたときには、思わず歓喜の涙を流したのでした。 陣痛が来たからといって、すぐに分娩台へ上がって出産というわけにはいかないのがもどかしいところ。思い返せばあっという間に感じるのかもしれませんが、8時間もどんどん強くなる痛みを耐え続けるのは苦しいものです。終わりが見えてきたと思うと、涙も流れてしまいますよね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月08日コロナ禍で夫・進さんの立ち合いがない中、24歳で初めての妊娠・出産に挑んだまほさん。これは、出産のときに起きた思わぬ事件のお話です。妊娠初期から悩まされたつわりは、安定期に入っても続きました。そして妊娠40週、ついに陣痛が!夫に車で病院まで送ってもらう道中、どうしてもファストフード店のポテトが食べたくなったまほさんは……?夫に心配される中、念願のポテトをほおばりながら病院へ送ってもらうまほさん。実はポテトを食べるのには、まほさんなりの理由がありました。 ついに出産本番らしくなってきた! ※登場人物のマスクは省略しています。ポテトを食べながら、陣痛が来てもすぐ出産本番になるとは限らないと夫に話すまほさん。 当時はコロナ禍。夫には車で待っていてもらい、まほさんは受付を済ませます。診察の結果、すでに子宮口は5cm! 出産するために入院することが決まったのでした。 ついに入院が決まったまほさん。コロナ禍では診察や出産に付き添いができない病院も多く、孤独な闘いに臨んだ方もいるのではないでしょうか。ひとりでは不安が大きいかもしれませんが、きっと車で待機している夫も不安なはず。しかし、家族が無事を祈ってくれていると思うと、力が湧いてきますね。 監修/助産師 松田玲子 著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年02月07日アメリカで出産することになり、無痛分娩を選択した私。「痛くないってことだよね」とリラックスしていると、陣痛が来てからまさかの事態になり……!?こんなことってある!?妊娠した当時、夫がアメリカで仕事をしていたので、アメリカで出産することになりました。アメリカでは無痛分娩を選ぶ方が多いと聞いていたので、私は何の迷いもなく無痛分娩を選択します。 出産予定日になっても子宮口が開いてなかったので、予定を決めて入院することに。 まず相部屋に通され、そこでバルーンを入れて破水。すぐに陣痛が来ました。痛くなってきたので、すぐに麻酔をしてもらえると思っていたのですが、緊急で分娩台がうまって移動ができないとのこと。相部屋では無痛分娩の処置ができないらしく、「ここで産むことになったら自然分娩です」と言われました。私は、「嘘つきー! 無痛って言ってたでしょ! 分娩台が空いたか聞いてー!」としばらく夫に訴え続けていました。 その後、無事に分娩台に移動して無痛分娩で出産。私は無痛ということに安心して、陣痛がきたらどのように対処するのかなど調べていませんでした。予期せぬ事態になることもあるので、もしものときに対応できるように下調べをしておくことは重要だと学んだ出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 作画/森田家 著者:ほしのチョコ
2024年01月31日子どもの出産予定日になり、そろそろ生まれるかなと思っていたとき、夜中に陣痛が来ました。隣で寝ていた夫に「陣痛が来た!」と言うと、すぐに起きてくれました。急いで病院に向かい、夫に見守れらながら陣痛に耐えていると……。今行かなくても…!!急に夫が「アイス買ってくる!」と言って病院の外へ。突然のことに痛みを忘れてポカンとしていましたが、すぐに「この状況で?」となりました。助産師さんに笑われながらも陣痛に耐えて夫を待っていたら、なかなか帰ってこない……。そして、夫のアイスを待っている間に子どもが生まれてしまいました。感動的なシーンを見逃し、出産30分後にやっと夫が戻ってきました。夫は私がアイス好きなので、アイスを食べれば痛みが逃れると思ったらしいです。いろいろと言いたいことはありましたが、「子どもか」と思わずツッコミました。そんなこんなで無事に子どもが生まれ、大好きなアイスも食べることができ、結果としてよかったです。 後日、夫にそのときのことを話すと、「覚えていない」と言うのです。なぜかと聞いてみると気まずそうに「寝ぼけていた」と言われました。そういえば夫は寝るとなかなか起きないので、あのときは半分寝ていたのかなと感心してしまいました。 作画/いずのすずみ監修/助産師 松田玲子著者:坂野花楓
2024年01月30日出産は鼻からスイカを出すような痛さだと聞いて恐怖を感じていましたが、実際に経験して、私は陣痛に耐える時間のほうがつらかったです。産院に着いて、陣痛に耐えているときに思わず「今!?」とツッコミを入れてしまった出来事をお話しします。なかなか進まないお産…出産予定日の2日後の明け方に陣痛が始まり、産院へ着いたときには子宮口が6cm開いていたため、そのまま夫と一緒に分娩室へ移動することになりました。ついにわが子に会える!と私も夫も気持ちが高ぶっていました。 ところが、子宮口の開きが6cmからなかなか進まず、分娩室に移動してから6時間が経過。「今いきむと赤ちゃんが苦しくなるよ」と助産師さんに言われていたので、私は必死にいきむのを我慢していました。このいきみ逃しの時間が本当に苦しかったです。 いきみ逃し中にまさかの質問!必死でいきみ逃しをしている最中、産院のスタッフさんが朝食を運んで来てくれました。「食べる?」と聞いてくる夫に、首を横に振るのが精いっぱいの私。 しばらくすると別の女性スタッフさんが下膳に来てくれたのですが、その際に早口で「明日からの朝食につける飲み物はコーヒーか紅茶、どちらがいいですか?」との質問が……! まさかのタイミングでの質問に、私は思わず「今!?」とツッコミを入れてしまいました。しかし、そのベテラン風のスタッフさんは無反応で、私の回答を待っている様子。夫が「あとでお伝えしてもいいですか?」と返答すると、「わかりました」と言って部屋を去っていったのでした。 無事に出産が終わり、夫と一緒に病室へ移動したあと、「あのタイミングで聞かれると思ってなかったね」と2人で笑ったのを覚えています。 陣痛やいきみ逃しがあんなにつらいものだとは思っていませんでした。そんな出産直前のタイミングで、朝食の飲み物について聞かれるとは予想していなくて、とても印象に残りました。今でも時々思い出して、夫と笑い合える大事な思い出になっています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/森田家著者:下川 美悠
2024年01月29日現在3歳になった3人目の出産間近のある日。出産予定日が過ぎていたこともあり、自然に陣痛が来るのを待つか、産院へ行き陣痛促進剤で陣痛を誘発するか、私が選択できることになりました。産院へ行こうかどうしようかとなかなか決断できない私に、しびれを切らした義母から衝撃的な言葉を言われたのです。 出産は私のタイミング3人目妊娠中のとき、上の子どもたちもいるので思うように行動できないかもと思い、義母にお願いして出産予定日数日前から家に来てもらっていました。 出産予定日2日後の妊婦健診で、産院の先生から「子宮口が4cm開いていて胎胞も出てきている感じだから、今日〜明日中に生まれそう。一度自宅へ帰ってごはん、お風呂を済ませて気持ちの整理がついたら病院へおいで。出産予定日を超えているし陣痛促進剤しましょう」 と言われました。帰宅途中に夫へ電話し、産院の先生から言われたことを説明しました。夫は会社からすぐに帰宅し、私も産院から帰宅しました。しかし、なかなか気持ちの整理がつかず、産院へ行くのをちゅうちょしていました。 義母が放った衝撃的な言葉なかなか産院へ行かない私を見て、義母も我慢できなくなったのか、夕方の4時ごろ「さっさと行ったらいいのに。今から行ったらちょうどよい時間や」と言いました。1人目・2人目のときは、陣痛が来て約2時間で出産していました。そんな過去から義母は、今から産院へ行って陣痛促進剤で陣痛を誘発すれば、3時間ぐらいで出産して、夫は7時ぐらいに帰宅してくるだろうと思ったようです。 その言葉を聞いたとき、申し訳ない、気持ちの整理がつかない自分に情けないと思ったのと同時に、同じ出産経験があって出産の大変さや痛さなどをわかってくれていたと思っていたため、とても悲しくなりました。 味方だった夫予想もしなかった義母からの言葉に私は返す言葉がなくて、目から涙が溢れ出てきました。その様子に気付いた夫は義母に、「それは言ったらあかんこと。火の中に自分から入っていくようなものなんやから、気持ちの整理がなかなかつかないのは仕方ないこと。自分のタイミングがあるんだから、整理つくまで黙って待ってあげてくれ!」 と言ってくれたのです。 それを聞いた私は気持ちがとてもラクになり、味方がいてくれてよかったとホッとしました。 義母への反抗その後、気持ちの整理がつかないまま夜に。夜中の1時ごろにウトウトしていると、ドンッ!!とおなかに違和感を覚え、トイレへ行くと出血が! 急いで産院へ連絡して行くことになったのですが、寝ていたはずの義母が産院へ一緒に行くつもりで、化粧をしてリビングにいました。 義母に言われた言葉がずっと頭から離れず、このときばかりは顔も見たくなかったため、夫から義母に家で寝ている上の子どもたちと一緒にいてくれるように伝えてもらいました。そうして私と夫だけで産院へ向かい、午前4時ごろに無事出産しました。 今になって思えば、義母の言動は私の体調を心配してのことだったのかなとも感じますが、出産のときは不安と恐怖で気持ちもデリケートになっていました。そんなとき、出産を自分のことのようにと考えて行動してくれた夫がいて、とても心強かったです。周りのママたちや将来、自分の娘や息子のお嫁さんが妊娠、出産したときには自分の経験をいかして接したいなと思いました。 作画/山口がたこ著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。
2024年01月23日里帰り出産の前に健診へ行くと、逆子であることが判明しました。帝王切開に恐怖感があったものの、医師からの説明を受けて帝王切開を決断! 出産前の医師の説明や入院当日、出産、産後までリアルなレポートをお届けします。夕方になり「きゅううぅ…」というおなかの痛みに襲われ、これは傷口の痛みではなく後陣痛かな?と思う雛田さん。痛みに耐えながらぺったんこになったおなかを触り「もうここに居ないんだ…」と不思議な気持ちになるのでした。 そうしている間に、痛みがピークを迎えます。我慢の限界に達し、ナースコールを押して痛み止めの点滴を追加してもらい、ようやく眠りにつくつくのでした。 しかし、波のように押し寄せる痛みに何度も寝たり起きたりを繰り返し……。 ようやく朝だ… ※帝王切開後の子宮収縮の確認は施設によって異なります。 赤ちゃんの写真を見ながら後陣痛に耐え、朝を待つ雛田さん。ようやく周りが明るくなり、巡回の時間に。病室を訪れた助産師さんが「最後の痛み止めの点滴が…7時間前!?」と看護記録をみて驚きます。「痛いときは痛み止め入れますので呼んでくださいね」と言われるのでした。 次に子宮収縮の確認のためおなかを押され、術後の傷口は大丈夫かと焦る雛田さん。しかし、「筋肉痛みたいな痛み…」と、驚きのほうが勝り、あまり痛みを感じることなく無事終了。最後に「3時間おきに乳頭マッサージをしてみてください」とアドバイスをもらいます。 そして、術後動けず手にすることができなかったスマホを手渡してもらい、助産師さんは病室去っていくのでした。 子宮収縮の確認のためおなかを押されびっくりしたり、母乳についてレクチャーしてもらったりと忙しい雛田さん。たくさんおこなうことがあると焦ってしまいますよね。しかし、まだまだ体の痛みもあると思うので、無理せず頑張りすぎず入院生活を過ごせるといいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ひぃちゃん
2024年01月10日里帰り出産の前に健診へ行くと、逆子であることが判明しました。帝王切開に恐怖感があったものの、医師からの説明を受けて帝王切開を決断! 出産前の医師の説明や入院当日、出産、産後までリアルなレポートをお届けします。帝王切開手術後、気づくと足にはポンプが取りつけられ、おなかにおもりが乗っていることに気づく雛田さん。時間が経つにつれ、だんだんとおなかに痛みが。ついに耐えられなくなり、意を決して看護師さんを呼び、痛み止めをもらおうとします。 てっきり点滴をされるのだろうと思っていた雛田さんですが、看護師さんが出したのは坐薬だったのです。おしりを出すことに抵抗感を抱きつつも、我慢して痛み止めを入れてもらうのでした。 「う〜きたきた…」後陣痛がツラい! その後、夕食の時間に。術後すぐのため、まだ食事ができずベッドに横になりながら音やにおいで周りの様子をうかがいます。そうしていると「きゅううぅ…」というおなかの痛みに襲われ、後陣痛かもしれないと考察。なんとか痛みに耐えながらぺったんこになったおなかを触り「もうここに居ないんだ…」と不思議な気持ちになるのでした。 しばらくすると痛みがピークに! 決死の覚悟でナースコールを押し、痛み止めを追加してほしいと訴えます。今度は坐薬ではなく、点滴をしてもらい3時間くらいまとめて眠ることができたのでした。 その後、何度も寝たり起きたりを繰り返しとても長い夜を過ごすのでした。 忙しそうな病院スタッフの姿を見ると「ナースコールを押してもいいのかな??」と悩む方も多いと思います。病院スタッフは全ママの味方です。「耐えられる痛みだから大丈夫」と思わず、少しでも体の不調や痛みがある場合は迷わずナースコールをしてください。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ※術後の痛み止めについて一般的にアセトアミノフェンを使用します。坐薬または点滴を使い、経口摂取ができるようになれば内服薬を使用することもあります。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター 産婦人科 松井 潔 先生 著者:マンガ家・イラストレーター ひぃちゃん
2024年01月08日ベビーカレンダー公式YouTubeチャンネルでは、新型コロナウイルス感染症の影響がまだ残るなか、これから出産を迎える方の心の準備としてご覧いただくための出産ドキュメンタリー動画を12月24日(日)に公開しました。 緊張でなかなかお産が進まない初産婦さんを手厚くサポート!12月24日(日)、ベビーカレンダーは公式YouTubeチャンネルにて、28歳ママの自然分娩での出産に密着したドキュメンタリー動画を公開しました。新型コロナウイルス感染症に関する社会的状況が落ち着いてきたことを受け、少しずつ立ち会い出産の制限も緩和されつつありますが、まだ予断を許さない状況は続いている昨今。現在でも不安を抱えたまま分娩に臨む産婦さんが多くいます。 今回は、感染対策を実施する産婦人科病院で、小さな命が生まれた瞬間を動画におさめました。さらに、よりリアルな出産シーンを共有するため、助産師さんにカメラを装着して生まれる瞬間の撮影にも成功しました。これから出産を控える方々の励みとなり、そして不安が少しでも解消するきっかけになれば幸いです。 今回、東京都立川市「永井産婦人科病院」協力のもと、新型コロナウイルス感染症対策を講じたうえで、1人のママの出産に密着させていただきました。助産師さんの手厚いサポートを受けながらパパと一緒に初めての出産に臨みます。 助産師さんによる解説付きなので、入院から出産までの流れをより具体的に知れる内容となっています。2人の夫婦のもとにやってきた奇跡のような命の誕生の瞬間を、ぜひ動画でご覧ください。 ▲出産当日、陣痛から分娩、産後の回復までおこなうLDRに入室し、陣痛間隔が狭まるのを待ちます ▲お産を進めやすくするため、パパと一緒にスクワット。他にも足湯をしてリラックス効果を。緊張がほぐれたママは笑顔! ▲本格的ないきみがスタート。助産師さんたちが声をかけながらお産が進んでいきます ▲入院から約11時間後、元気な男の子を出産。ママの第一声は「えーー!かわいい!」。愛おしいわが子を抱き寄せます 今回密着したのは、パパによる立ち会い出産を選択したご夫婦。初産となるママは、妊娠40週1日目に陣痛間隔が5~7分になったところで入院。陣痛に苦しむママのために、パパがおしりを押したり声をかけたりと、ママをしっかりサポートしていました。 「助産師さんとパパのおかげで安心して出産に臨めました。生まれてきた赤ちゃんを抱っこしたときは、想像よりずっしりと重く感じました。この子の個性を大切にして育てていきたいです」 「そばに寄り添うことで安心してくれたら」と、ママをサポートしたい一心で立ち会いを希望したパパ。言葉数は少なくても、出産を終えたママの頭をやさしくそっとなでる姿に、ご夫婦の深い絆を感じました。 <東京都 永井産婦人科病院 担当医師>ご出産、おめでとうございます。お母さんの頑張りもあって、とても順調なお産でした。出産を控えている方の中には、「陣痛や出産を乗り切れるかなぁ」「無事に赤ちゃんが生まれてくるかなぁ」と不安を抱える人も多いものですが、出産は「案ずるよりも産むが易し」です。実際に出産を終えると、「意外と何とかなるものだ」という感想を持たれる方が多いようです。いろいろと考えすぎず、安心して出産に臨んでほしいと思います。 <東京都 永井産婦人科病院 担当助産師>ママ・パパ、赤ちゃんみんなで力を合わせて本当に頑張った出産でした。痛いときの深呼吸がとてもじょうずだったので、赤ちゃんにしっかりと酸素を届けてあげられていたと思います。なかなか陣痛が強くならず、不安な気持ちもあったと思いますが、できることを全力で頑張られた素晴らしい出産でした。ご出産おめでとうございます!「妊娠~出産~産後・子育て」と、たくさんの「不安」があると思います。でもその「不安」はなくそうと思ってもなくならないかもしれません。なぜなら、初めてことが待っているから。経産婦さんも「2回目・3回目…」ではなく、「2回目が初めて」「3回目が初めて」です。わからない「不安」はどうしても残ってしまいますが、「不安」は残っていて大丈夫!うまくお付き合いをしていきましょう!不安とうまくお付き合いするコツは、「疑問を解決すること」と「1人で悩まないこと」。疑問が残っていると「余計な不安」が増してしまいます。ひとりで悩んでしまうと「余計に不安」が強くなってしまいます。疑問があるとき・悩んでいるとき・困っているときは、ひとりで悩まず、必ず伝えるようにしましょう。そのために私たち専門家がいます。私たちはみなさんが「わくわくする出産」を迎えて「わくわくする楽しい子育て」をスタートできるよう全力でサポートいたします。 <ベビーカレンダー編集長 二階堂美和>新型コロナウイルス感染症が5類に移行となり、両親学級や立ち会い、面会などの制限が少しずつ緩和されてきました。しかしながら、まだ産院においては制約も多くリアルな情報が得にくいのが現状です。そのため、出産に対して不安を感じている妊婦さんの声が多く聞かれます。このような制限の多い状況下だからこそ、産院に到着してから出産するまでの流れや、陣痛の間どう過ごすかを事前に知ることで、安心して出産に臨んでもらえるのでは……そんな思いから出産の一部始終を撮影し、配信することにいたしました。今回は、メインの助産師さんの胸元にカメラを装着してもらい、助産師さん目線での出産も紹介しています。出産までの過程に寄り添ってくれる助産師さんの目線を知ることで、より安心していただけるのではないかと思っております。さらに、今回はお産を進ませるためのサポートなど、これから出産に臨む妊婦さんのお役に立てる情報も満載です。また、妊婦さんのみならずすべての方にご覧いただき、小さな命の誕生の素晴らしさを感じてもらえたら幸いです。 「感染症にかからないか不安……」「陣痛や出産が怖い……」などと、初めての妊娠・出産への不安や恐怖心を抱えている方も多いでしょう。この動画を見た方たちが、命が生まれる尊さをあらためて感じたり、「愛するわが子のために頑張ろう」と思っていただいたり、そんなきっかけになることを願っています。これからもベビーカレンダーでは、「赤ちゃんがいることの幸せ」をいっぱいに感じてもらえるよう、さまざまな情報を発信していきます。
2024年01月01日耳の聞こえないパパ・ととちゃんと、ママ・ゆうこさんが、家族の日常を公開しているYouTubeチャンネル「みゆみゆチャンネル」から、陣痛タクシー乗車中の衝撃事件をご紹介します。ゆうこさんは、耳が聞こえないパパ・ととちゃん、23歳の長女、大学1年生の次女、小学生の三女の5人家族です。 ととちゃんとゆうこさんはステップファミリーで、長女と次女はゆうこさんの連れ子、三女のかいちゃんは2人の実子です。長女はすでに結婚していて、現在1児のママ。ゆうこさんは、長女7歳、次女3歳のときに離婚。長女14歳、次女10歳のときに再婚しました。 今から1年前の12月、長女みゆかさん(当時22歳)が第一子出産のため実家に里帰り中。出産予定日を超えたある夜、事件が起こります……。 出産予定日から3日後…2022年12月14日23時半。この日は、予定日から3日超過。 ゆうこさんが寝ていると「破水した」と起こされました。 破水の量は多くないようです。予定日が過ぎて、「もうこのままずっと生まれないかもしれない」となげいていたみゆかさんは、大喜び! ととちゃんはお風呂に入っていたので、手話で病院へ行くことを伝えます。 笑みがこぼれるみゆかさん。ニコニコでととちゃんに「行ってきます」と伝え、ゆうこさんと陣痛タクシーに乗り込むのですが……。 病院へ向かう途中、事故に……!場面が変わると、みゆかさんのつらそうな声から動画が再開します。 ゆうこさんが、タクシーの中でみゆかさんの出産の意気込みを動画に収めようとカメラを持っていたところ、信号無視した車がタクシーに突っ込んできたのです! タクシーから出ると、偶然通りかかった医師がみゆかさんを診てくれたました。 幸いけが人は出ませんでしたが、みゆかさんは震えていました。 「念の為、救急車で病院まで向かった方が良い」という医師の助言で、救急車を呼ぶことに。そのままゆうこさんとみゆかさんは、救急車に乗って病院へ向かいました。 無事に出産&退院!幸い母子ともにけがはなく、そのまま、みゆかさんは無事に出産しました。 陣痛タクシーでの交通事故について、母ゆうこさんはこう語ります。 「事故に遭う前は、今の幸せも、当たり前のように毎日続くものだと疑うこともありませんでした。「じゃあ行ってくるね」と簡単に交わす家族の言葉が最後の挨拶だったかもしれない……。事故を振り返るたび、日頃から愛情を言葉にする大切さを身にしみて感じています。最近では、幼い孫が、長女である母親の姿を追って大泣きする姿を見て、自然と笑みがこぼれてしまいます。この幸せな瞬間も奇跡なのかもしれない……と、事故当時のことを時々思いだします。今日という毎日を大事に生きていきたいです。」 陣痛タクシー乗車中の避けようのない事故。ゆうこさんとみゆかさん親子にけががなく、無事に赤ちゃんが生まれて本当に何よりです。「明日が来ることが当たり前ではない」……家を出る時のささいな喧嘩や会話が最後になっていたかもしれない……。そう思うと、毎日家族を送り出すときや、自分が出かけるときの言葉や何気ない日常をより大切にしたいな、と考えさせられる動画でした。 著者:ライター 廣瀬尚子
2023年12月14日ゆるっと性教育
ドイツDE親バカ絵日記
育児に遅れと混乱が生じてる !!