ザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81)が交通事故による急性硬膜下血腫で逝去して3週間。しかし、内縁の妻・三代純歌(54)のスキャンダルが後を絶たない。「仲本さんの告別式では、純歌さんと彼女の友人男性数人が遺体をスマホで執拗に撮影していたと複数の週刊誌が報じています。さらに、11月2日発売の『週刊文春』では仲本夫妻が経営するカラオケスナックの客だったという男性が、純歌さんと不貞関係にあったことを告発していました」(芸能関係者)いまだ止まない純歌への批判。そんななか、声を上げる人がいた。「純歌さんの一連の報道には正直、『ほら、やっぱり』って思ってしまいましたね……。純歌さんと結婚する前から仲本さんがパチンコをするなんて聞いたことはないですし、舞台の合間にパチンコに行くところも見たことがないので、夫婦の“パチンコYouTube”には驚きました」こう語るのは、仲本さんと25年来の知人である女性・Aさん。連日のようにスキャンダルが報じられる純歌に、憤りを隠せないという(以下、カッコ内はAさん)。■「デュエットCDを出したんだよ」仕事がきっかけで仲本さんと知り合ったというAさん。当時、勤めていた会社の社長が仲本さんと付き合いがあったことから、Aさんも親交を深めることに。「東京出張の際に、渋谷・センター街にあった仲本さんの居酒屋『名なし』に連れて行ってもらったのが最初でした。そうしたら、あるとき仲本さんから仕事のお誘いで私に電話があったんです。それ以降、出張のたびに会社の社長と一緒に仲本さんの楽屋を訪問したり、知り合いを連れて個人的に訪問したりするようになりました。ですから、楽屋などにはたびたびうかがわせていただいていたんです。また仲本さんが1カ月ほど大阪で舞台出演されたこともあったのですが、そのときには上演期間中にお食事に行ったり、オフの日に水族館に行ってみたり。そんなふうに、気楽な感じで交流を続けていました」Aさんによると、当時の仲本さんは結婚2度目の時期だったという。仲本さんは’91年に一般女性と再婚。1男2女の父となったが、’04年に離婚している。「その頃はお子さんたちもまだ小さかったので、仲本さんはお子さんから電話があると、いつも『あれ攻略できたのか?』などとゲームの話を長々と楽しそうに話していましたよ。離婚してしまったので夫婦のことはわかりませんけど、お子さんのことはいつも気にはかけていましたね」そんなAさんが純歌の存在を知ったのは、仲本さんから「デュエットCDを出したんだよ」と連絡をもらったことだった。それからしばらくたった2012年、2人の結婚報道が浮上。Aさんはお祝いの言葉を伝えるべく、仲本さんに会いに行ったという。「たまたま大阪で仲本さんの舞台公演があったんですよ。私は仲本さんのことを“社長”と呼んでしまうんですけど、『社長、来てるのね』と思って。ささやかな結婚祝いと差し入れのお菓子を買って、楽屋を訪れたんです」■「扉を開けるやいなや純歌さんのものすごい圧を感じて……」ところが、純歌の態度に圧倒されてしまったようで……。Aさんは純歌との初対面をこう振り返る。「いままでも連絡せず楽屋に行くことがありました。なのでその時も直接、楽屋に行ったんです。当時の仲本さんは舞台出演が多かったんですね。いつもと同じように気楽な感じで楽屋に行ったんですが、扉を開けるやいなや純歌さんのものすごい圧を感じて……。空気感が全然違いましたね。それまでは本当に気楽だったのに、純歌さんがもの凄い形相で構えた感じで座られていて、私を見て『誰?』みたいなするどい視線を感じました。あの居づらさといったら、『いままでと違う』という雰囲気でしたね……」衣装のような服装にメイクもバッチリだったという純歌。Aさんはこう続ける。「仲本さんも純歌さんに気を使っているのか、少しよそよそしかったですね。でも仕事関係の共通の話題で、『あの人こうなんだってね』『どうしてるのかな』などと話しをしました。その後に『この度はご結婚おめでとうございます』と追ってお祝いを渡したら、純歌さんも少し警戒心が解けたのかあいさつ程度の会話をしました。普段だったら舞台も見て帰るんですけど、そのときは純歌さんに圧倒されてそのまま帰ってしまいました」■「あとはね、なるようにしかならないよ」そうした騒動もあり、しばらくは疎遠になっていたというAさん。しかし今年5月に本誌が報じた夫妻の別居を知って、「さすがに、どういうこと?」と心配になって連絡をとることに。仲本さんと電話で10分ほど話したという。「10年ぶりだったんで、たわいもない話しかしませんでした。『奥さんが』『報道を見て』とか言うのは悪いと思ったので、『社長、大丈夫?』って聞いたんです。すると、『うん、仕事は順調なんだけどね……。あとはね、なるようにしかならないよ……』って言ったんです。それが最後の言葉でしたね。声は『なんか諦めてるのかな?』という感じで、決して幸せそうな声ではなかったですね。まさかこんなことになるとは……」純歌が横浜にカレー店を開き、別居生活を送ることとなった仲本さん。本誌の取材に「俺、毎日そっちに行ってるんだから」と、都内から横浜に通っていることを明かしていた。不運なことに、仲本さんが交通事故に遭った場所は純歌の店からわずか100mと目と鼻の先だったという。最後にAさんは、純歌に向けてこうメッセージを送る。「優しかった仲本さんが今回、このようなかたちで亡くなられたことは残念でたまりません。純歌さんに言いたいのは、仲本さんはあなたの旦那さんである前に日本の宝だった。そんな人をぞんざいに扱っていたのであれば、私はあなたを絶対に許さない。最後に、仲本工事さんのご冥福をお祈りします」波紋が広がり続ける妻を、天国の仲本さんはどのように見ているだろうか。
2022年11月12日交通事故による急性硬膜下血腫でザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81)が逝去して2週間。いまも偲ぶ声が多く寄せられているが、仲本さんの内縁の妻である三代純歌(54)のスキャンダルが相次いでいる。仲本さんが亡くなった翌日の10月20日、本誌は都内の斎場を抜け出しスタッフたちと焼き肉店に向かう純歌の姿を目撃。「それにしても疲れたね」と焼き肉を食べながら労をねぎらう純歌だったが、「いつもそうだよ、(事務所トップの)意地悪で邪魔されて」と仲本さんの所属事務所への不満を口にする一幕も。亡くなった仲本さんについては「ばかだよね、ドジだよね。本当に困るし、寂しいよ」と惜しんでいたが、戒名料の一部を山分けしようとする会話もしていた。本誌が“焼き肉密談”について純歌に取材を申し込むと、「取材は受けていない」と話していたが、焼き肉店での会話についてだと伝えると答え始めたのだった。事務所への不満を漏らしていたことについて聞くと、「そりゃいろいろありますよ。でも和解しながら言っているので。(事務所も)一生懸命やってくれましたから」と回答。また、戒名料の件に関しては、「事務所のほうから渡した金額の範囲でやってもらっていいですか、と頼まれました。(お金をごまかすことは)ないですよ」と答えていた。■数々のスキャンダルに自ら反論するも悪びれる様子はナシ本誌は今年5月、純歌が横浜にカレー店を開いたため夫婦が別居したことを報じた。さらに仲本さんが交通事故に遭う5日前には、『週刊新潮』が“妻に置き去りにされた仲本さんがペットたちとゴミ屋敷で暮らしている”と報じた。しかし、純歌は10月27日に発売された『週刊文春』の取材に90分にわたって答え、別居した先の横浜には仲本さんも連日来ていたなどと、それまでの報道に反論。「純歌さんは友人限定のFacebookでも《嘘の記事が多すぎるマスコミ》などと主張していますが、文春に答えた内容は言い訳ばかりで、ゴミ屋敷の件についても仲本さんの責任のように語っています」(スポーツ紙記者)そうしたなか、“故人への冒涜”ともとれる行動が明るみになる。10月23日に行われた告別式では、最後の別れの場である出棺の直前に、純歌と彼女の友人男性数人が仲本さんの遺体をスマホで執拗に撮り始めたのだ。本誌は11月8日号で、参列していた故・いかりや長介さん(享年72)の長女や、高木ブー(89)の長女、そして加藤茶(79)の妻・綾菜(34)らが激怒したことを報じている。高木の娘が「やめて!仲本さんをそんな風に撮らないで!ご遺体は目に焼き付けるものでしょう!」と制止するも、純歌の友人の一人は「なんでダメなんだよ!」と言い返したという。参列者の一人は本誌の取材に、「制止にも応じず故人を撮影し続ける純歌さんたちに対し、いかりやさんの娘さんも声を荒らげていました。綾菜さんも泣き崩れて、高木さんの娘さんと3人で、肩に手を回して抱き合い、支え合っているような感じでした」と証言していた。静かに仲本さんを送るはずの場を、険悪なムードに変えた純歌。本誌の取材に「親族なら撮っていいけど、それ以外の人が撮るのはいけないんじゃないかとは言われましたが、私が注意されたわけではありません」と、“あくまでも注意されたのは友人たち”と主張した。■“愛人報道”に「私を陥れようとする人がいる」と主張そうした非常識な言動にネット上でも《ご遺体を撮るなんてあり得ない》《ただただ仲本さんがお気の毒》と批判の声が上がるなか、さらなる醜聞が。純歌と不貞関係にあったという男性が『週刊文春』に告発したのだった。「記事では、純歌さんが営むカラオケスナックの客だったA氏が、純歌さんから誘われたことを機に肉体関係を持ったと証言しています。初めのうちはホテルで会っていたようですが、純歌さんが店から近い場所に借りたマンションで逢瀬を重ねるようになったといいます。ところがA氏だけでなく、純歌さんは客やスタッフのなかから次々と違う男性を誘っていたというのです。純歌さんは文春の取材に、仲本さん以外の男性と肉体関係を持ったことを否定しています」(週刊誌記者)2日に公開された『スポニチアネックス』の記事では、純歌が“愛人報道”を改めて否定。「店には私目当てで来るお客さんや、誘ってくる人もいた。断った人もいる。ふられた腹いせで私を陥れようとしているのではないかと思う」と語っている。また、「ほとんどの人は私が原因で仲本が死んだと言う」とも話しており、「私が呼び出したから(事故現場の横浜に)来ていたわけではない。麻雀が趣味だったので仲本が来る形にはなってしまっていて、反省はしている」と述べたという。「東スポWEBでは、純歌さんは『思ったことが素直に行動に出るタイプ』と報じています。そのような性格は本人も自覚しているといい、周囲には“敵”も多いようです。とはいえ、仲本さんは都内から横浜まで、毎日のように献身的に通っていたと聞いています。仲本さんの仲間や知人たちは、高齢の夫をもっとサポートしてあげて欲しいと思っていたのではないでしょうか」(芸能関係者)数々のスキャンダルが報じられても動じることなく反論する“強心臓”の純歌。仲本さんのためにも、これ以上出てこないことを祈るばかりだが……。
2022年11月04日ザ・ドリフターズの仲本工事さん(享年81)が交通事故で逝去してからまもなく2週間。今も悲しみの声が多く寄せられるなか、“身内”による故人への行為が判明し物議を醸している。10月23日に都内の斎場で行われた告別式でのこと。本誌11月15日号では、仲本さんの妻・三代純歌(54)と彼女の友人男性数人が、出棺の直前に遺体をスマホで執拗に撮り始めたことを報じた。「お別れのとき、棺には仲本さんが大好きだったカフェオレやメロンミルクなどが入れられました。そして、いよいよ棺を閉めるというときです。純歌さんと彼女の友人らが、カシャカシャといろんなアングルから仲本さんの顔をスマホで撮りだしたのです。動画も撮っていました」(告別式の参列者)そのような行動に、高木ブー(89)の娘が「やめて!仲本さんをそんな風に撮らないで!ご遺体は目に焼き付けるものでしょう!」と制止。しかし純歌たちは動じることもなく、「なんでダメなんだよ!」と友人の一人は反発したのだった。前出の参列者は、こう続ける。「制止にも応じず故人を撮影し続ける純歌さんたちに対し、いかりや長さん(享年72)の娘さんも声を荒らげていました。加藤綾菜さん(34)も泣き崩れて、高木さんの娘さんと3人で、肩に手を回して抱き合い、支え合っているような感じでした」仲本さんにとって純歌は3人目の妻。12年に結婚を発表し、同年7月に都内ホテルでドリフターズの仲間ら約300人を招いて盛大な披露宴を行った。しかし純歌に対して、高木や加藤茶(79)は不信感を抱いていたようだ。「仲本さんの死後、純歌さんとは籍を入れておらず事実婚だったことが報じられました。しかし加藤さんや高木さんも含めたドリフの関係者たちは、その事実を知らなかったそうです。“10年前に、盛大に行ったあの結婚式はなんだったんだ”と、加藤さんらは純歌さんに不信感を抱いたそうです。加藤さんは、仲本さんが純歌さんに振り回され続けていることも心配していました。仲本さんが事故に遭った後、病院の待合室の廊下で加藤さんは純歌さんに『仲本がこんなことになったのは、あんたのせいだからな!』とまで言っていました」(テレビ局関係者)告別式で仲本さんの顔を撮影していたことについて、本誌の取材に応じた純歌は「親族なら撮っていいけど、それ以外の人が撮るのはいけないんじゃないかとは言われましたが、私が注意されたわけではありません」と否定しなかった。■生前報じられた“ゴミ屋敷に置き去り”の真相本誌11月8日号では、純歌が仲本さんの逝去翌日にはスタッフたちと斎場を抜け出し、焼き肉店で「いつもそうだよ、(事務所トップの)意地悪で邪魔されて」と仲本さんの所属事務所に不満を漏らしていたことも報じている。さらに戒名料の一部を山分けしようとする“密談”をしていた。夫婦間の不穏な空気は仲本さんが亡くなる前から漂っていた。10月13日発売の「週刊新潮」では、純歌が仲本さんを“ゴミ屋敷に置き去りにした”と報じたが、仲本さんの知人・X氏は本誌にこう証言していた。「これまでの報道では、純歌さんが出て行ってから“ゴミ屋敷化した”となっていますが、真相は違います。前に住んでいたマンションも純歌さんが掃除を一切しないため、やはりゴミが散乱していました。そのため引っ越しせざるを得なくなり、スナックの2階に移ってからも散らかり放題だったのです」その後、純歌が横浜でカレー店を始めたことで別居婚となったが、それでも毎日のように都内から妻のもとに通っていたという仲本さん。事故現場も純歌の店から約100mという目と鼻の先だった。最後まで寄り添い続けた亡き夫に対する仕打ちに、ネット上では「理解できない」と愕然とする声が相次いでいる。《ご遺体を撮ることは私はしませんが友人が撮るならなおさら理解できません。非常識だと思います》《高齢の仲本さんとの別居婚もいくら夫婦間の問題とは言え負担だったのではと不憫に感じていたけれども葬儀の場でご遺体の写真や動画の撮影は理解に苦しむ。撮影した写真や動画はいったいどうするつもりなんだ? 周囲の参列者が撮影をやめさせようとした気持ちが痛いほど分かる》《「それ以外の人が撮るのはいけないんじゃないかとは言われましたが」っていうぐらいだから噂では無く事実なのか… 自分は理解できないが、最大限譲って家族ならとは思うが妻の友人なんてどんな神経してたらこういうことができるのだろうか…》
2022年10月31日「もういいかげんにして。仲本さんがかわいそうじゃない……」それまですすり泣きが聞こえていた斎場の空気は一変した。急逝した仲本工事さん(享年81)との最後の別れの場で、出棺の直前、仲本さんの妻・三代純歌(54)と彼女の友人男性数人が、遺体をスマホで執拗に撮り始めたのだ。故人を冒涜するような行為に、参列していた故・いかりや長介さん(享年72)の長女や、高木ブー(89)の長女、そして加藤茶(79)の妻・綾菜(34)らが激怒。静かに仲本さんを送るはずの場に、険悪な空気が立ち込めた――。交通事故で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事さんの告別式が、10月23日に都内の斎場で行われた。「荼毘に付された後、仲本さんの遺骨は、自宅でもあるスナックに祭壇が作られ安置されたそうです」(スポーツ紙記者)事故の前後から、夫婦の別居生活や“自宅がゴミ屋敷”といった報道が続き、仲本さんの内縁の妻・純歌が注目を集めている。本誌も、逝去翌日に彼女が焼き肉店で仲本さんの所属事務所への不満や、戒名料の一部を着服しようとする会話を交わしていたことを伝えた。一方で純歌は10月27日に発売された『週刊文春』の取材に90分にわたって答え、別居した先の横浜には仲本さんも連日来ていたなどと、それまでの報道に反論した。「純歌さんは友人限定のFacebookでも《嘘の記事が多すぎるマスコミ》などと主張していますが、文春に答えた内容は言い訳ばかりで、ゴミ屋敷の件についても仲本さんの責任のように語っています。故人に対する思いやりは感じられません」(前出・スポーツ紙記者)告別式の参列者が振り返る。■「なんでダメなんだよ!」内縁妻の友人がまさかの反論「お別れのとき、棺には仲本さんが大好きだったカフェオレやメロンミルクなどが入れられました。そして、いよいよ棺を閉めるというときです。純歌さんと彼女の友人らが、カシャカシャといろんなアングルから仲本さんの顔をスマホで撮りだしたのです。動画も撮っていました」まず高木の娘が声を上げた。「やめて!仲本さんをそんな風に撮らないで!ご遺体は目に焼き付けるものでしょう!」それでも純歌たちは動じず、友人の一人は言い返した。「なんでダメなんだよ!」前出の参列者が続ける。「制止にも応じず故人を撮影し続ける純歌さんたちに対し、いかりやさんの娘さんも声を荒らげていました。加藤綾菜さんも泣き崩れて、高木さんの娘さんと3人で、肩に手を回して抱き合い、支え合っているような感じでした」そんな純歌に対して、加藤と高木も怒りを露わにしているという。ドリフと長年、仕事をしてきたテレビ局関係者が語る。「仲本さんが亡くなる前の週に『週刊新潮』が、夫婦が未入籍だったと伝えました。しかし加藤さんや高木さんも含めたドリフの関係者たちは、その事実を知らなかったそうです。“10年前に、盛大に行ったあの結婚式はなんだったんだ”と、加藤さんらは純歌さんに不信感を抱いたそうです。加藤さんは、仲本さんが純歌さんに振り回され続けていることも心配していました。仲本さんが事故に遭った後、病院の待合室の廊下で加藤さんは純歌さんに『仲本がこんなことになったのは、あんたのせいだからな!』とまで言っていました」“盛大な結婚式”は、12年に都内のホテルで行われた。ドリフのメンバーも出席したが、志村けんさん(享年70)は仕事の都合で欠席。ビデオレターを送ったのだが、純歌は不満を漏らしていたという。■内縁妻は「私が注意されたわけではない」「彼女は“マネージャーは来ているのに、なぜ志村さんは来ないの!”と怒り、関係者を困らせていました」(前出・テレビ局関係者)周囲が眉を顰めるさまざまな言動を受け止め、籍も入れないまま純歌と寄り添い続けた仲本さん。古くからの仲本さんの知人は、「これまでのすべての奥さんに対して本当に優しかった。そういう方なんです」と語る。「最初の奥さんが’82年に亡くなったときの話を、しばしば切なそうに語っていました。渋滞の車内で容体が急変した奥さんを見て、仲本さんは車を降りて周囲に“どいてくれ!妻が危ないんだ!”と叫び、道を空けてもらったそうです。最後は仲本さんが奥さんを抱きかかえながら自ら病院に運んだのですが、間に合わなかったと」2番目の妻に関しては離婚の際に慰謝料としてほぼ全財産を差し出したが、別れた後も“子供がとにかくかわいくてね。だから結婚してよかったと思っている”と話していたという。こうしたエピソードからは仲本さんの人間性が伝わってくるが、“3番目の妻”はどのように受け止めているのか。本誌は純歌に連絡を取った。――告別式のときに、仲本さんの顔を撮影して注意されたと聞きましたが?「親族なら撮っていいけど、それ以外の人が撮るのはいけないんじゃないかとは言われましたが、私が注意されたわけではありません」注意されたのは友人たちであると主張し、電話は切れた。「四十九日を済ませた後は、仲本さんが生前“いちばん会いたい、一人っ子として僕にすべてをささげて育ててくれた人”とよく言っていたお母さんのお墓に入ると聞いています」(前出・知人)仲本が晩年すべてをささげた純歌は、母とともに眠りたいという“遺言”をかなえてくれるのか。
2022年10月31日家を購入するとなったとき、夫の両親との同居を検討する人も多いのではないでしょうか。ただでさえ、気をつかう義両親との生活。一家の大黒柱となる夫にはしっかりとして欲しいものです。しかし、私の夫はいざ同居が始まると、実家気分で義両親に甘えてしまっていました。今回は、そんな困った私の夫についてお話しします。★関連記事:「女がやって当然!」自分が一番の夫と意見が合わないときの私の対応は…【体験談】これだとまるで私が居候みたい!同居をする上で決めたルール夫の両親との同居が決まったのは、2人目の子どもが生まれるタイミングでした。同居の話を持ち掛けられたとき、私は反対でした。その気持ちを正直に夫にも話しましたが、「俺は長男だし、ゆくゆくは親の面倒を見ていくつもりだから」 と最もらしい理由をつけて譲りません。何回話し合いをしても、意見は平行状態のまま。どうしても話がまとまらないので、最終的にはある程度ルールを決めてそれが守れるならと私が折れる形で義両親との同居が決まりました。同居に反対だった理由はいくつかありましたが、1番の理由はそもそも夫に「1人暮らしの経験がなかったこと」 です。夫は1人で生活した経験がないためか、結婚後も積極的には家事をしていませんでした。それなりには手伝ってくれてはいたのですが、同居することで両親がいるという環境に甘え、今までしてくれていたことを何もしなくなってしまうんじゃないかというのが心配だったんです。そんな夫に、「同居とはいえ、家主はあなたになるのだから、独身のときのように両親に頼りきりになってほしくない。2人の子どもの親にもなるんだから、もう少ししっかりとしてほしい」と伝えました。さらに、なんでも両親に頼まずに自分のことはなるべく自分ですること、家事や育児など分担できることはできるだけ協力することを約束し、私たちの同居生活はスタートしました。順調に見えたがフタを開けてみると…同居開始当初は夫もルールを守り、ごみ捨てなども率先してやってくれて、トラブルなく生活ができていました。私も「あれほど心配していたけれど、夫もルールを守ってくれているし、やればできるんだな」と夫に感心していたのもつかの間。だんだんと夫の本性が出始めてきたのです。あれほど口酸っぱく約束したルールも喉元過ぎればなんとやら……。次第にルールを守らなくなり、義両親のやさしさに甘えきる姿が目立つようになりました!「あれ取って」 「これやって」 「なんか食べたい」 など自分で動けばできるようなちょっとしたことも義両親にお願いし、自分はスマホをいじってゴロゴロ。甘えきって自立できていない夫を見るとイライラが止まらず……。「それぐらい自分でやれば?」 と、つい義両親の前で強く言ってしまうこともあります。これでは夫は実家にいたときと何も変わらず、だんだんと「私が夫の実家に居候しているみたいで嫌だ……居心地が悪すぎる。そもそも、最初に交わした約束は何だったんだろう?」 と不信感と不満が募るようになりました。この先のことを考えると夫が義両親に甘えるのは3人目の子どもが生まれても相変わらずで、「子どもとアパートを借りて別居をしたほうがマシ……夫が義両親から離れられないなら、そもそも離婚したほうがいいかも」 などと、別居や離婚までを考えてしまうほど、嫌気がさしていました。実際に我慢の限界が来たときには、「同居する前に約束したよね? 何で、自分でできないの?」「家主として、父親としての自覚はあるの? いつまでも親に甘えないで!」 と訴えたりもしました。相当我慢していたことが伝わったのか、そのときばかりは夫も反省。きちんと謝罪もしてくれて、翌日から約束を守ってくれるよう努力していました。ただし、それが続くのはほんの数日だけ。時間がたてばまた同じような状況に戻り、また私に我慢の限界がきての繰り返し……。今はまだ義両親も元気ですが、いざ介護が必要となったとき、夫を頼れる気がしません。そして、いつかは義両親とも別れのときが来ることも避けられない事実です。まだ義両親から自立しきっていない夫を見ると、実際に義両親が亡くなったときに果たして夫は一家の主として、そもそも父親としてしっかりとしてくれるのか……。そんな姿もまったく想像が付かず今から不安です。これからも夫に「しっかりして!」 と言い続けるしかないのかなと思うと、正直うんざりしてしまいます。まとめもっと強く同居に反対していれば、もっときちんとしたルールを決めておけばよかった、と後悔する部分が多々あるのも事実です。しかし、義両親には助けられている面もたくさんあるので、100%同居が失敗だったとは思っていません。これからは、まず夫のかじ取りのじょうずな方法を見つけていくところから歩み寄っていこうかなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/すずき恵子(35)読書とアニメ好きな1児の母。娘の好きなアニメのキャラクターになりきって、ごっこ遊びをするのが毎日の日課。リアルな体験談はもちろん、多数のジャンルで執筆しています。
2022年10月30日「明菜さんの、長年の休業からの再始動宣言に世間の期待は高まるばかり。ただ今後の具体的な活動は発表されていません。彼女は新たな個人事務所を設立しましたが、元恋人といわれる前事務所の代表が、ファンクラブなどの権利の譲渡に応じておらず、活動を“妨害”しているような状態だというのです」(音楽関係者)先行き不安な中森明菜(57)の今後。明菜を始めとして、小泉今日子(56)、早見優(56)、松本伊代(57)、堀ちえみ(55)ら、“花の82年組”の面々は、今年デビュー40周年の記念すべき年だ。彼女たちの最新の動向は――。9月に同期の小泉今日子の出演舞台を観劇していたのは、“82年組”の三田寛子(56)。舞台の感想を《とても尊敬するし刺激になりパワーを頂いてきました!》とSNSに投稿していたのだが、“パワー”が必要な理由があって……。「昨年末に夫で歌舞伎役者の中村芝翫さん(57)の3度目の不倫が発覚。8月に別居報道も出ました。三田さんは、別居について隣家の工事の騒音がすごいから夫が出て行ったと話しつつ、《主人が今の生活がいいというのであれば》とも話しています」(スポーツ紙記者)ある歌舞伎関係者によると、「三田さんの気持ちは、完全に“夫離れ”していますね。いまの彼女の生きがいは歌舞伎役者である3人の息子。歌舞伎座の主役を務めるまでに成長した彼らのため、今年8月も毎日、歌舞伎座の玄関前に立って挨拶をしていましたよ。不倫報道でミソがついたことで芝翫さんの収入が減っていることもあって、三田さんは個人の仕事も率先してやり始めています。『ひるおび』(TBS系)のコメンテーターのほか、ラジオ番組のレギュラーも始めました。今後は長くやっていなかった女優業を再開することも考えているようです」夫離れする三田の一方で、逆に現在夫の体調ケアに心を砕いているのが、石川秀美(56)だ。「’90年に同期でシブがき隊の薬丸裕英さん(56)と結婚した彼女は、同時にスパッと引退。家庭に入って5人の子育ては大変だったんじゃないでしょうか」(城下さん)去年は、初孫も生まれている。「一時期は7年間ほど、秀美さんはハワイで生活し、薬丸さんが日本から定期的に通うという夫婦生活を送っていたそうですが、この数年は秀美さんも、日本を拠点にして生活しているようですよ」(前出・スポーツ紙記者)そんななか、コロナ禍で夫の体調に異変が……。「昨年9月に薬丸さんは帯状疱疹を発症。医療機関を受診し、ほどなくして完治したようですが、帯状疱疹といえば同期の中森明菜さんが長年苦しんでいた病いです。秀美さんもそのことが頭をよぎったのではないでしょうか。薬丸さんは、今年の7月にも、腹部の激痛を訴え、胃アニサキス症だと診断されて、出演している朝の情報番組を休んでもいます。帯状疱疹は過労やストレスがたまると発症しやすいといわれますし、今後、同じように体調を崩すことがないか秀美さんが心配していて、食事面でサポートしているようですよ」(テレビ局関係者)10代後半だった彼女たちも50代後半に。40周年のその先も、まだまだ“花”を咲かせてほしいーー。
2022年10月28日仲本工事さん(享年81)急逝の翌日の10月20日、遺体が運び込まれた都内の斎場に、仲本さんの妻で演歌歌手の三代純歌(54)の姿はあった。弔問客の応接が落ち着いた彼女が斎場を抜け出しスタッフたちと向かったのは、近くの焼き肉店だった。「それにしても疲れたね」焼き肉を食べながら労をねぎらう純歌だったが、仲本さんの所属事務所への不満を口にした。「いつもそうだよ、(事務所トップの)意地悪で邪魔されて」亡くなった仲本さんについては、「ばかだよね、ドジだよね。本当に困るし、寂しいよ」と語ったが、会話は故人を悼むものだけではなかった。純歌はやや声量を落としながら、戒名料に関して話し始めた。「向こうが言ってきたの。60万渡すから自分が取ろうが相手に渡そうが自由にしてください。領収書さえくれれば。で、●●さんに正直なのを言おうと思うのね。いくら?と聞いたら、“じゃあ半々にする?”って言うと思うんだよね」詳細は判然としないが、預かっている戒名料の一部を自分たちのものにしようという相談だったようだ。一世を風靡した『8時だョ!全員集合』(TBS系)など、ザ・ドリフターズのメンバーとして日本全国に笑いを届けた仲本工事さん。10月19日22時22分、急性硬膜下血腫のため亡くなった。「前日の午前9時過ぎに横浜市内の信号のない道路を歩いて渡ろうとしていたところ、車にはねられました。同市内の大学病院に緊急搬送されましたが、翌日に仲本さんの前妻の娘さんや現在の妻の純歌さんに見守られながら息を引き取ったそうです」(スポーツ紙記者)本誌は病院関係者から事故直後の様子について聞くことができた。「仲本さんの顔はちょっと見ただけでは本人と判別できないほど、青紫色に腫れ上がっていました。肋骨も折れていました。加藤茶さん(79)と高木ブーさん(89)もすぐに横浜まで来られましたが、仲本さんの意識が戻ることはありませんでした」仲本さんの急逝により、弔問客の対応などに追われることになった妻の純歌。彼女は仲本さんにとって“3番目の妻”だ。スポーツ紙記者が語る。「仲本さんは最初の妻と’82年に死別。再婚した妻との間に2児をもうけますが’04年に離婚。そして、三代純歌さんとラジオ番組で知り合い、’12年7月に再々婚しました。この前年には加藤茶さんが綾菜夫人(34)と“45歳差婚”していたので、27歳年下である純歌さんも話題になったのです」生前の仲本さんは、純歌とスナックや居酒屋を開き、ときおり一緒にメディアに登場するなど仲むつまじいところを見せていた。しかし、結婚10年目の今年5月、本誌は純歌が「カレー店を開く」と言ってスナックを閉め、仲本さんとの自宅から家出していたことを報じている。仲本さんは本誌の直撃に「いや、そうじゃなくて……」などと語っていたが、寂しげな様子だった。さらに、仲本さんが亡くなった前週には「『仲本工事』を虐げる27歳下『モンスター妻』」というタイトルで『週刊新潮』が“ゴミ屋敷に夫放置”“家賃一年滞納で火の車”といった内容を報じたのだ。■「3万円持ってきてくれない?」頻発した純歌の“お願い”夫婦の間にいったい何が起こっていたのか。仲本夫妻の知人・Xさんは本誌にこう証言した。「純歌さんは掃除、洗濯をまったくしませんからね。家があれほどゴミだらけになっても気にしないところはちょっと信じられないレベルです。もともと『(仲本さんの)介護はしたくない』と言っていた純歌さんが、家出をして横浜に部屋を借りるようになったのにはカレー店の開店とは別の理由もあります。2年ほど前から、純歌さんは海釣りにハマっています。仲本さんは同行することはなく、一人で海に行っていたのですが、とある男性・A氏と知り合い、デートを重ねる仲になったのです」彼女の周囲には、いつも複数の男性の影があったという。仲本さんは妻の男性関係をどう思っていたのだろうか。Xさんが続ける。「自宅で純歌さんと知り合いの男性が一緒にベッドで寝ているところを、仲本さんが目撃したこともありました。ただ、仲本さんは『しょうがないよ。俺も年だし』などと言って不問に付したのです」2人の関係が変わってしまった理由はほかにもあった。「新型コロナが流行してからの純歌さんの口癖は『おカネがない』でした。お店の売り上げや仲本さんの収入が減ってしまったことに対して、不満を口にするようになったのです」(前出・Xさん)仲本さんの経済状況について、夫妻の別の知人・Yさんに話を聞いた。「仲本さんは2回目の離婚の際、所有していた都内のマンションや地方の別荘といった不動産などを慰謝料として取られ、ほぼ全財産を失ってしまいました。加えて投資詐欺にあってしまい、多額の負債を背負ってしまったとも聞いたことがあります。それでも純歌さんと知り合ったころの仲本さんは、テレビや舞台の収入が月に200万円ほどあったそうです。しかし、コロナの影響で舞台やイベントなど仲本さんの仕事は減っていき、ほぼ無収入になってしまったのです。2人は夫婦といっても籍を入れていませんでしたが、別居は金銭問題が原因なのだと純歌さん本人は話していました」こうして別居にいたった仲本さんと純歌だが、意外にも頻繁に会っていた。前出のXさんが言う。「東京の家を出て横浜で暮らし始めた純歌さんですが、朝7時とかに突然電話で仲本さんを呼び出していましたね。『おいしい魚が入ったから朝ごはん食べに来ない?』なんて日もあれば、『麻雀やりたいから来て!』とか。仲本さんが『純歌が麻雀をやめないから毎日呼び出される』『俺を呼んどいて、夕方になると俺のこと置いて先に帰っちゃうんだよ。参ったよ』とぼやいていたのを聞いたこともあります。純歌さんの趣味は麻雀にパチンコ。それに買い物好きでいつもお金が足りないので、仲本さんに『3万円持ってきてくれない?』などと毎日のように連絡していました」■本誌の取材に“ゴミ屋敷放置”妻は…知人たちの証言によれば、“鬼妻”ともいえる存在だったが、なぜ仲本さんは別れようとしなかったのか。前出のYさんは言う。「私たちが別れるように言っても、いつも純歌さんをかばっていました。仲本さんはこれが3回目の結婚で、もう高齢でした。いま純歌さんを怒らせたら一人になってしまう……という思いがあったのではないでしょうか。仲本さんを励まそうと、2月に食事会が開かれたのですが、仲本さんが店の外で煙草を吸いながらふいに、『この年になってゴミ屋敷に住まわされるなんてなぁ』と嘆いていましたがね」夫婦にしかわからない思いもあるのか。冒頭の“焼き肉密談”について確認するために、本誌は純歌に連絡を取った。「取材は受けていない」と語っていた彼女だが、取材が焼き肉店の会話についてであることを伝えると、答え始めた。――仲本さんの所属事務所への不満を話していましたが?「そりゃいろいろありますよ。でも和解しながら言っているので。(事務所も)一生懸命やってくれましたから」――戒名料の件は?「事務所のほうから渡した金額の範囲でやってもらっていいですか、と頼まれました。(お金をごまかすことは)ないですよ」――A氏のことを「彼氏ができた」と話していたそうですが?「事実じゃないです」男性関係や戒名料に関する疑惑については否定した純歌。彼女は焼き肉店でこうも語っていた。「敵が100人いたって、何億人いたっていいのよ。生きていかなきゃいけないからさ」夫を亡くしながらも、たくましく生きていこうとする妻の姿に、天国の仲本さんは何を思うのか。
2022年10月25日10月19日に亡くなったことが発表された仲本工事さん(享年81)。18日午前に横浜市内の交差点を歩いて渡ろうとしていたところ、車に跳ねられ重傷を負い緊急搬送されていた。所属事務所は公式サイトで死因について、「急性硬膜下血腫」と明かしている。1960年代後半からザ・ドリフターズのメンバーとして活躍し、最近ではYouTubeやTwitterでの呟きも人気を集めていた仲本さん。それだけに事故による突然の死には、多くの人が言葉を失っている。プライベートでは、1982年に当時の妻を病気で喪い、91年に再婚し、一男二女を授かるも04年に離婚。そして、12年7月に27歳年下の演歌歌手・純歌(54)と3度目の結婚をしていた。同年7月14日に新高輪プリンスホテルで結婚披露宴を盛大に行い、その際の会見で「大満足。それ以外言いようがない」と喜びを爆発。純歌も仲本さんについて「出会った時からモテモテで、女性が周りにいてジェラシーが沸いたことがあった」と仲睦まじい様子を見せていた。15年には2人の名前を冠した居酒屋『仲本家JUNKAの台所』をオープンするなど、二人三脚で歩んできた2人だったが、今年に入って“すきま風”が噂されるように。今年5月、本誌は「仲本家」が休業状態であることに加え、純歌が昨年末、横浜市内にオープンしたカレー店を理由に仲本さんのいる自宅へ帰らなくなったこと。また、「仲本家」の常連の間で、純歌がカレー店の関係者といっしょに暮らしていると囁かれていることを報じている。さらに仲本さんが亡くなる1週間前の10月12日には、「デイリー新潮」が、仲本さんがひとりで暮らしている自宅が“ゴミ屋敷状態”であることも報じていた。10年の結婚生活を経て、別居が報じられたが、仲本さんは一貫して妻・純歌への愛を貫いてきた。今年5月、本誌が純歌とカレー店関係者との関係について尋ねると、「そんなことないよ!だって俺、毎日そっちに行ってるんだから」と仲本さんは真っ向から否定。そして、今年5月発売の『文藝春秋』に掲載された高木ブー(89)、加藤茶(79)との鼎談では、こう語っていた。《うちら3人は健康の心配はないと思うよ。カトちゃんは綾菜さんがいてずっと監視してるし、ブーさんには娘さんがいて、僕にも奥さんが毎日、口うるさく言ってくれるからさ。そうやって誰か言ってくれる人がそばにいる限りは、長生きするよ》(『文藝春秋』22年6月号)仲本さんが事故に遭った18日夜、東スポの取材に対して、「今のところ心臓も血圧も結構、正常に近い状態なので。あとは本人ががんばってくれることだけを願ってます」と語っていた純歌。その胸中は察するにあまりある。
2022年10月20日息を吸う以外はマンガを描いていたいアラフォー女子、ぷよ子さんのマンガを紹介します。お互いの生活リズムが別なことを理由に寝室を分けているぷよ子さん夫婦。思わず家庭内別居のワードが出てしまうほど行動が別々なことに気付いたぷよ子さんがとった行動とは……?★関連記事:「家庭内別居だね!」 寝室を分けているアラフォー夫婦の本音と建前 #デブス女の修羅場 36こんにちは! アラフォーデブス女のぷよ子です。深夜から早朝の間に出勤するZ夫さんに対し、朝9時に出勤する私。生活リズムが違うので寝室を別にしていたのですが、Z夫さんは私が寂しさを感じていないか心配していました。しかし、Z夫さんが寝てくれればマンガが描き放題な私にとって寝室が別というのは逆にうれしいことでした(笑)。お互いに仕事があるので多少生活リズムに差があるのは仕方のないことだと思っていました。ただ、下手すれば食事も別で食べる日があり、夫婦として一緒に過ごすことのできる日は少ないほうでした。やっぱり家庭内別居中なのでは? と新婚らしからぬことを考えてしまう私。Z夫さんは一緒にお風呂に入ろうと提案してきましたが、キスすら恥ずかしいのにハードルが高すぎる!! 全力で逃げると「いつか絶対一緒に入ってやるからなー!」と言いながらZ夫さんは1人でお風呂に入ってくれました。なかなか一緒に過ごすことができないし、お風呂も断ってしまったのでせめて布団でも温めておこうと思いました。そう、徳川家康の草履を温めた豊臣秀吉のように……!豊臣秀吉が徳川家康の草履を温めたと思っていたのですが、本当は織田信長の草履を温めていたらしい。主君の名前を間違えるという切腹レベルのミスを犯してしまいました! 私がばかなのがバレてしまった……。ともかく、私が温めた布団でZ夫さんがぐっすり寝てくれたらうれしいな〜と思って布団を温めました。恥ずかしいので一緒に寝たりはしないんですけどね!ー--------------Z夫さんと一緒に寝るのが恥ずかしいので布団を温めたというぷよ子さん。女性がけなげに尽くす姿には胸キュンしてしまう男性も多いのでは?著者/ぷよ子低収入ブラックバイトで労働しているアラフォーのデブス女。最近妊娠し、不慣れな状況に戸惑いを隠せない。仕事の悩み、高齢妊娠の悩み、夫婦の気持ちを赤裸々に描いたブログを更新中。Instagram:@puyozip
2022年09月21日「本当に主人は主人、私は私で。皆さんにご迷惑をかけないように、ちゃんと仕事させていただこうという認識です」(「週刊ポスト」9月9日号より)タレントの三田寛子(56)が、夫であり歌舞伎俳優の中村芝翫(57)との別居を認めた。これまで芝翫の度重なる浮気報道を乗り越えてきた夫婦が結婚31年目にして離婚の危機にあるという。8月24日、厚生労働省が発表した統計によると、2020年に離婚した夫婦の5人に1人にあたる21.5%が結婚生活を20年以上続けた「熟年離婚」だったという。「新しい結婚や出産のあり方などは、芸能人の動向に少し遅れて一般人の間に広まっていきます。離婚もまた例外ではありません」家族問題評論家の池内ひろ美さんは解説する。安室奈美恵さんや酒井法子など、芸能界で“おめでた婚”があたり前になってから、一般人の間でも増えていったように、熟年離婚も以前から、芸能界では珍しいものではなくなっていたという。「熟年離婚にはいくつかのパターンがあります。芸能人も一般人もそこは同じです」(池内さん)それでは芸能人はどんな理由で熟年離婚しているのか見ていこう。■夫から切り出す離婚には女性の影が「ビートたけしさん、石坂浩二さん、橋幸夫さんはいずれも再婚ありきでした。妻とはすでに別居していて、長年自分を支えてくれた“恋人”と入籍したいという事情があった。女性からも『長年尽くしたのだから正式に』というプレッシャーもあったでしょう」そう語るのは芸能ジャーナリストの城下尊之さんだ。芸能界でも一般の世界でも、男性から熟年離婚を切り出す場合、別の女性の影が見え隠れすることが多いという。「『女優である浅丘ルリ子に老母の介護を任せるわけにはいかない』といって離婚してから、5日後に再婚した石坂さんには、世間もだまされましたね。妻側は夫の言い分を額面どおりに受け取るのは要注意です。ただ、妻が相応の財産分与なり慰謝料を受け取れるなら、世話から解放され、自分の老後を充実させられるので、そんな夫とは別れてしまってもいいでしょう」(池内さん)水前寺清子と八代亜紀は、いずれも夫がマネージャーや事務所の社長として公私にわたり妻を長年支えてきた。「2組とも超熟年になり離婚の道を選択。八代さんの夫には新たな女性の存在も取りざたされました。公私ともにパートナーというのは、気持ちを切り替える時間がありませんから、つらいのかもしれませんね」(城下さん)■自ら離婚を選んだ妻は前向きに夫婦で一緒に働いていて、妻が稼ぎ頭で夫をリードしている場合も、夫から離婚を切り出すケースは多いと池内さん。「妻は夫のことを男性としてではなく、弟子や後輩のように見てしまう。夫のほうも仕事に忙殺されている間はよしとしていますが、晩年になり仕事が減り落ち着いてくると『これでよいのか』と人生をやり直したくなってしまう」一方、子供の独立や夫の退職を機に、妻が夫を見限る熟年離婚も増えている。「河野景子さんは典型ですね。親方だった貴乃花さんが相撲協会と対立して、突如として退職。親方の妻としての役目を終えたタイミングで早々に離婚を決断しました。鈴木保奈美さんも石橋貴明さんが地上波のレギュラーをすべて失ったタイミングで離婚をしました」(城下さん)家庭を顧みず第一線で働いてきた夫の退職が、熟年離婚の引き金になることは多いという。「プライドを捨てられない夫は仕事をえり好みし、再就職先が見つかりにくい。ずっと家にいるくせに、『家のことをおろそかにしないなら、仕事をしてもいいぞ』などと不可解な束縛をしてくる。ぬれ落ち葉のような夫に妻はうんざりしてしまうんです」(池内さん)夫を見限って離婚した妻は、未練なく前向きに生きていける。河野景子は映画プロデューサーと新しい恋を始めていると伝えられているし、鈴木保奈美は本格的に女優復帰し、ドラマに引っ張りだこだ。自ら離婚を選んだ妻たちが、恋に仕事に前向きに生きているのを見れば、あなたも思うことはあるのではないだろうか?
2022年09月16日9月初旬の夜8時過ぎ、かつては花街として栄え、今は高級料亭が軒を連ねる一角に、1人の男性の姿があった。ブルーのシャツに白いチノパン。頭にはストローハットを小粋にかぶった“イケオジ”だ。入り組んだ街路を迷うことなく歩いていく。男性が向かったのは、明かりのともった2階建ての一軒家。この家にはメガネを掛けた女性が住んでおり、彼の帰宅を心待ちにしていた。ありふれた夫婦の日常といった様子だが、この家の玄関ドアの上に掲げられた表札には、男性と異なる姓が書かれてある。翌朝9時過ぎ、この家で一夜を過ごした男性は出勤のため家を出た。当たり前のように着替え、この日はTシャツにブルーのデニム姿だ。やはりストローハットをかぶっている。男性の名前は渋谷健司氏(56)。東京大学医学部を卒業し、米ハーバード大学大学院で博士号を取得したというエリート中のエリートだ。大手紙記者が語る。「渋谷さんはWHO(世界保健機関)の元事務局長上級顧問で、’21年からは福島県相馬市の新型コロナワクチン接種メディカルセンター長などを務める“公衆衛生の第一人者”。これまでに『報道ステーション』など数々のテレビ番組に出演し、政府のコロナ対策への批判を繰り広げてきました。緊急事態宣言の有効性に疑問を呈し、東京五輪について『開催できる状況ではない』とコメントするなど、歯に衣着せぬ発言は時に物議を醸しました」舌鋒鋭い文化人というわけだが、なんといっても渋谷氏を有名にしたのは、皇后・雅子さまの妹である節子さん(56)との結婚だろう。2人が結婚した’99年当時を、皇室担当記者が振り返る。「渋谷さんと節子さんは、雅子さまも学ばれたハーバード大学で親しくなりました。日本での披露宴には雅子さまも出席され、渋谷さんとの会話も弾んでいたそうです。渋谷さんと節子さんはスイス・ジュネーブから帰国後、’08年ごろから小和田邸と同じ敷地内にある家で暮らしていました」■節子さんと離婚から、わずか数カ月で電撃再婚しかし、結婚生活は19年目で終わりを迎える。’17年秋ごろに2人は極秘離婚。だがわずか数カ月後、渋谷氏が当時フリーアナウンサーだったAさんと電撃再婚したことを本誌はスクープしている。「節子さんの離婚には、小和田家のご両親のみならず、雅子さまも強くお心を痛めていらっしゃったそうです。雅子さまと、妹である池田礼子さん、節子さんの3人の絆は、とてもお強いですから」(前出・皇室担当記者)それから4年。渋谷氏とAさんは新婚生活の当初をイギリスで送っており、幸せに暮らしているかと思われた。しかし、本誌が見たのは冒頭の光景だったのだ。渋谷氏を自宅で待っていた女性は、アンジェラ・アキ似のコンサルタント・Bさん。渋谷氏と同じく、医療系のスペシャリストだ。「Bさんは渋谷氏に勝るとも劣らないエリートです。海外の大学を卒業しMBAを取得、帰国後はコンサル関連の会社を渡り歩いています。当然、英語もネイティブ並みです」(渋谷氏の知人)本誌は2人のデート現場も目撃している。7月下旬、都内の高級住宅街にある隠れ家的な日本料理店でのことだった。席数が限られ、ハイクラスなおもてなしでひそかに知られている店だ。渋谷氏とBさんは4人掛けのテーブルに案内されたのだが、向かい合うのではなく隣同士で並んで食事を楽しんでいた。さらに、テーブルの下で手を握り合うこともしばしばあった。独身のはずのBさんの手をよく見れば薬指には指輪がはめられ、もはや夫婦然とした様子もあったが……。2人は店を出ると、地下鉄に乗り帰路についた。■再婚結婚式の2次会では浮気も暴露されていた「渋谷さんとBさんの関係ですが、彼とAさんの結婚より前にさかのぼるのです」と明かすのは、前出の渋谷氏の知人だ。「渋谷さんとAさんが再婚した’18年の春のことでした。都内で2人の結婚式が開かれたのですが、2次会の席で友人からのビデオレターが流れました。その中で《渋谷さんの浮気が発覚して大変だったけれど、最終的にAさんが許し、結婚に至りました》といった内容が暴露されたのです。そのときは“解決済み”と笑いに包まれましたが、実はその浮気相手とされた女性がBさんだったのです」渋谷氏はAさんとの結婚前から現在に至るまで、Bさんと関係を持ち続けているということなのか。仕事が終わるといつもBさんの待つ家に帰る渋谷氏。2人は「不倫同棲」生活を送っていた。一方、妻のAさんとは別居状態にあり、すでに家庭は崩壊しているという。渋谷氏とAさんが結婚当初に暮らしていた、イギリス在住の夫妻の知人が話す。「渋谷氏はキングス・カレッジ・ロンドンの教授に就任しましたが、約2年で辞任しています。夫婦関係も次第に悪化し、彼の浮気でAさんが悩んでいたとも聞きました。それでもAさんは気丈に振る舞っており、帰国後も夫婦で何とかやっていくのかなと……」じつは渋谷氏の“浮き名”は、これだけではない。’99年には本誌で『小和田節子さんと私を、両天秤にかけていた彼』というタイトルで記事になり、大きな話題を呼んだこともある。ボストンで渋谷氏と恋仲にあった女性が、出会いから一方的に別れを告げられるまでの体験を赤裸々に告白したものだ。■“不倫同棲”について渋谷氏を直撃するとそんな渋谷氏に関する耳を疑うような話も本誌は聞いた。前出の渋谷氏の知人が語る。「Aさんとの再婚から4年たった今も、元妻の節子さんにたびたび連絡を取っているそうです」渋谷氏との離婚後、節子さんはかなりやせ、傷心を隠せない様子だった。そのことを忘れたように、渋谷氏は節子さんへの接触を続けているというのだ。節子さんとは結婚前から周囲で懸念の声があったと皇室担当記者が打ち明けた。「双子の姉の礼子さんから『渋谷さんはやめたほうがいいと思う』と言われていたそうなのです。礼子さんの夫も、同じ意見だったと伺いました。そのため、小和田家の方たちも心配していたのです。結婚後の数年間は順調でした。けれども、結局は離婚。今から思うと、当時の礼子さんの心配は当たっていました。小和田家は、渋谷さんに対して今もいい感情はないと思います。また、雅子さまにとって渋谷さんは“妹を裏切った義弟”という印象でしょう」節子さんは現在、再婚することもなく、京都で大学教授として熱心に仕事に取り組んでいるという。本誌は、冒頭の目撃から数日後、渋谷氏を直撃取材した。彼が「研究主幹」として勤める政策研究所のオフィスから出てきたところで、声をかけた。――『女性自身』です。渋谷さんですね?「えっ!?」――節子さんと離婚後に再婚したAさんとも、離婚されるのでしょうか?「いや、ちょっと忙しい」――いまはBさんと一緒に生活をされていますね?「うん……ちょっと忙しい」――ちょっとでもお話を……。「いや、ちょっと忙しいから」本誌に気づいた瞬間から狼狽し、記者の質問を遮ると、再びオフィスのあるタワーの中に戻っていってしまった。その後、彼の携帯電話の番号にかけたものの、締切りまでに彼からの連絡はなかった。“公衆衛生の権威”として論陣を張ってきた渋谷氏。だがいま送っている乱倫生活について、元妻・節子さんや妻・Aさんに堂々と語ることはできるのか。
2022年09月13日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!ありえない義母義母の買い物に付き合ったときの話です。「服と靴が欲しいから一緒に見に行ってほしい」と言われたので、ついていったのですが…。買った荷物をすべて私に持たせて、ランチもおごらされた挙句、「嫁なんだから当然よねぇ」と言ってきたのです。「ありがとう」の一言もなく、驚きのあまり絶句してしまいました。出典:lamire(女性/パート)別居を決意した一言まだ子どもが産まれたばかりの頃の話です。当時は義実家で義両親と同居をしていました。孫が産まれて、義両親は子どもをとても可愛がってくれたのですが、ひとつ問題が…。それは、子どもが泣くとすぐに私のせいにすることです。母乳も与えオムツも変えた状態で、少しでもグズろうものなら「ママさん、オムツの履き心地が悪いんじゃないのー?」と言ってきたり…。義両親の嫌味にグッと耐えながら生活していましたが、ある日 「おい、母乳担当〜!」の一言で、別居を決心しました。その後は義実家と関わることもほとんどなくなり、ストレスなく生活できています。(女性/パート)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。適度な距離を保ちながら、いい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブルエピソードでした。次回の「義実家トラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年09月11日元AKB48でタレントの篠田麻里子(36)が別居中だと、8月24日にNEWSポストセブンが報じた。記事によると、原因は夫が篠田の浮気を疑ったこと。大喧嘩の末に夫は長女を連れ、家を出たという。篠田の所属事務所は浮気疑惑について「事実無根」と完全否定したものの、別居や離婚の話し合いに関しては「事実確認中です」と回答したという。ママタレとしての仕事も多いため、イメージダウンは必至かと思われた篠田。だがその矢先、火に油を注ぐような展開になっている。それはスクープ発覚から4日後、自身のInstagramを更新して《本日20時 皆さんにお知らせがあります》と発表。多くの人が別居に関するコメントを予想していたところ、なんと発表内容は自身がプロデュースするボディーソープブランドの告知だったのだ。この“匂わせ”には、多くの人から失望の声が続出。しかし、篠田はどこ吹く風。その後も「ちょっと前の」だという娘との動画をアップし、スクープにはノータッチの姿勢を貫いている。そんな自分の口から説明もないままで過去動画を掲載し、匂わせ発言で注目を集める篠田に多くの人から厳しい声が上がっている。篠田といえば、過去にも自身が関わったブランドが閉店となった際に「去年までお手伝いしていた」と無関係であるとコメントし、我関せずの姿勢を貫いていた。当時も一部からはひんしゅくを買っていたが、自分の言葉で語らないというスタンスは今も変わらないようだ。こうした対応と炎上の関係について、コラムニストのおおしまりえ氏は「今の時代は、自分の言葉で語らないとこれまで以上に損をする」と話す。それは篠田に限らず、少し前に話題となった“あのタレント政治家”も一緒だという。以下、その理由を語ってもらったーー。■生稲晃子も篠田麻里子も、自分で語らず好感度をさらに落とす篠田さんのスクープからの対応は、まさに“炎上のお手本”とも言うべき対応です。実はこの対応に似ているのが、少し前に当選した元おニャン子メンバーで現在参議院議員の生稲晃子さん(54)です。彼女は選挙期間中、アンケートがほぼ無回答だったことで批判が殺到。投開票日にもすべてのテレビ局への出演を拒否するなど、自分の言葉で語ることに消極的な姿勢を見せてきました。そして当選後も旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との関係が取り沙汰されましたが、現在までその件について本人からのコメントはなし。引き続きダンマリを決めており、政治家としての資質を疑問視する声はさらに大きくなっています。篠田さんと生稲さんは報道の種類こそ異なりますが、自分の言葉で真実を語らないという点においては一緒。また、語らないことで批判の声が大きくなっているという部分も似ているのです。■自分の言葉で語ることの重要性がなぜ今、増しているのかここ数年、不倫などのスクープが報じられた際には“自分の言葉で早急に真実を語って謝罪すること”が求められるようになってきました。引き続き時代の空気としては求められているのですが、最近はその求められ方がさらに強まっているように思います。理由は、人々の接するコンテンツがSNSによって“ぶっちゃけ”要素を含むようになってきているからではないでしょうか。Twitterでは芸能人も自分の言葉で本音を当たり前に語り、YouTubeではぶっちゃけトークをしています。自分の言葉で語ることがコンテンツとして当たり前になっている今、問題が起きたときだけ自分の言葉を引っ込めることは批判のリスクにつながるのです。昔は「人の噂も七十五日」と言われました。しかし今の時代に七十五日も待っていたら、噂と一緒にその人の人気も消えてしまうかもしれません。だからこそ、すぐに本人謝罪や本人釈明をすることが何より有効なのです。■さらけ出すことこそ正義の時代の処世術今の時代は“さらけ出すことこそが正義”であり、さらけ出せば出すほど熱狂的なファンや信頼を獲得する時代といえます。篠田さんはブランド閉店の際も今回の別居報道の際も、自分の言葉で語らずやり過ごしています。裏側で夫との協議がなされているからこそ、語れないのかもしれません。しかしもしこのままスルーして真実もうやむやのままタレント活動を継続するのであれば、ママタレとしての需要だけでなくタレントとしての好感度も危ないかもしれません。篠田さんの同期でありAKBの不動のセンターこと前田敦子さん(31)は離婚後に“なんでもやります”というさらけ出しスタンスで、気づけばママタレとしての人気を着実に集めています。AKB48卒業からすでに10年近くたっていますが、こうした1つ1つの対応の違いが神7の明暗を分けていくのかなと思ってしまうのでした。(文:おおしまりえ)
2022年09月02日私は21歳のとき4歳年上の彼と職場結婚し、2人の子どもを授かりましたが、およそ5年間の結婚生活を経て離婚することになりました。離婚理由は、いわゆる価値観の違いによるもの。慎重に話し合いを重ねたうえで円満離婚となるはずだったのですが、予想外のところで話がこじれることになってしまったのでした。「どうして?」電話口で問い詰める義母義母との関係はどちらかと言えば良好でしたが、遠方に住んでいたこともあり、離婚話について相談はしていませんでした。しかし、離婚の前準備として別居をし始めたころ、とうとう夫が義母に現状を話したようで、すぐさま義母から私に電話がきたのです。 ちなみに夫はマザコン。義母も子離れできていないのでは? と思うような出来事が、これまでにも度々ありました。電話口で突然「なんで? どうして何も話してくれなかったの?」ときつく問い詰めてくる義母はこれまでとはもはや別人で、動揺した私はただひたすらに謝ることしかできませんでした。 最後の話し合い。遠方からやってきた義母別居から約3カ月が経ち、話し合いも終盤に差しかかったところで、離婚届を書くため子どもたちを連れて夫の元へ。あれ以来、義母とは連絡を取っていなかった私。最後にもう一度電話をしないとダメかな⋯⋯そんな風に思っていた矢先でした。夫の家に着くと、なんと呼んでもいないはずの義両親の姿が! 夫からも親がくるという話は一切聞いておらず、「なんで!?」と思いました。義母は最初に「あなたから直接話が聞きたい」と言ってきましたが、実際は私に不満をぶちまけにきただけだったようです。 義母主導!? 私だけが悪者扱い「お前の我慢が足りないからこうなった」「息子は一生懸命働いて頑張っているのに」と、とにかく私を責め続ける義母。しまいには「養育費なんて払えない」「学資保険は解約して。解約金は息子のお金よね?」など、夫の金銭の心配をするばかり。そもそも離婚になったのは、元はと言えば夫の金銭感覚の緩さが原因なのに、それを知ってか知らずか、義母は終始「息子は悪くない」の一点張りでした。 おとなしい義父は義母の発言にうなずくのみで、夫は何も言えずにただうつむくだけ。言い返したい気持ちでいっぱいでしたが、子どもたちが見ている前であまり争いたくはなかったのでグッとこらえ、ただただ時間が過ぎるのを待つばかりでした。今となってはあのときどう対応するのが正解だったのかわかりません。 「義母との関係は良好」と思っていたのは私だけで、日ごろから敵意でも抱かれていたのかなと、少しゾッとした体験でした。その後、離婚した元夫には養育費を払ってもらい、子どもたちとも月に一度の面会をしていましたが長くは続かず、音信不通となってしまいました。どちらにせよ、豹変する義母を止められない夫とは別れて正解だったな、とも思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:夏川さほ10歳、8歳、3歳、0歳の男女4人の母。ステップファミリー。元コンビニ店員だが、第4子出産を機に退職し、現在はフリーライターとして活動中。自身の子育て体験談や商品レビューなどを執筆中。
2022年09月01日8月28日、「NEWSポストセブン」で妻・三田寛子(56)との別居が報じられた中村芝翫(56)。記事によると、芝翫は都内の一等地にある自宅を離れ、都心の別宅で生活中だという。現在、自宅には三田と3人の息子が暮らしているといい、芝翫1人が家を出た形のようだ。芝翫といえば、襲名直前の’16年10月に京都の人気芸妓との密会がスクープされて以降、相次いで女性問題が取り沙汰されている。「昨年1月には、贔屓筋の30代女性ファンとの不倫疑惑が報じられました。さらに同年12月にも、京都・南座での顔見世興行中に宿泊したホテルで、40代女性・Aさんとの密会現場をキャッチされたのです。Aさんとは連日食事を共にし、夜更けには芝翫さんがAさんの部屋を訪れるのがルーティンとなっていたそうです。芝翫さんは当時、Aさんを“友達”と強調し、Aさんの部屋を訪れたのは『胃の調子が悪かったから胃薬をもらった』と主張。ですが今年3月にも、Aさんと密会していたことがスクープされていました」(芸能関係者)芝翫とAさんの親密な関係はその後も続いているようで、「NEWSポストセブン」では今年8月初旬にもAさんが芝翫の別宅を訪れていたと報じている。そんなお騒がせな芝翫だが、またもや三田の“神対応”が注目を集めている。「週刊ポスト」の直撃取材を受けた三田は、別居を始めた時期を「5月頃」と明かしこう説明している。「細かく説明するような話ではないんですけど、お隣の家がリフォームの工事中で地響きが凄くて、主人が家にいたら気持ち悪くなっちゃったみたいで。工事は8月末までとのことで、そのまま別宅にいるようになったんです」記者からAさんが芝翫の別宅を訪れていたことを伝えられると、「私も主人もいい大人ですし、本当に主人は主人、私は私で。皆さんにご迷惑をかけないように、ちゃんと仕事させていただこうという認識です」と回答。今後、芝翫が自宅に戻るかどうかを問われると、「もういい大人ですし、自分で考えて、決めるのだと思います」とコメント。いっぽうで「離婚の予定はない」とし、芝翫に一度目の不倫疑惑が報じられた時と変わらない姿勢を見せたという。別居について丁寧に説明しつつも、“今後は夫次第”と委ねた三田。ネット上では、気丈に振舞う彼女を讃える声が上がっている。《梨園の妻として立派だわ 三田さんの対応が完璧すぎて旦那は辛いわね 》《きちんと回答しつつも芝翫さんの名誉は傷付けない受け答え…こんな立派な梨園の妻が他にいるだろか》《三田寛子の株だけがどんどん上がっていく》29日にInstagramを更新した三田は、息子3人の幼いころの写真を添えて《全集中! 泣いても笑って! 歌舞伎座納涼歌舞伎「新選組」を観られるのはあと2回です》とコメント。息子たちの幼少期を振り返り、《芸道の師匠と京都のじいじ 二人の祖父の教えを根に 息子達は先輩方にご指導頂き 切磋琢磨し成長している 子育てを通して 私自身が学ばせてもらっている》と記している。「三田さんは息子3人を歌舞伎役者に育て上げた功績から、梨園の間でも一目置かれる存在。現在、長男の橋之助さん(26)、次男の福之助さん(24)、三男の歌之助さん(20)は、今月30日に千穐楽を迎える『八月納涼歌舞伎』に出演中です。三田さんとしては、『いまは夫よりも息子たちを支えたい』という気持ちなのかもしれません。三田さん自身もタレントとして、ラジオやバラエティ、情報番組などに出演し、仕事の幅を広げています。すでに別居中だったとされる7月には、ラジオ番組で芝翫さんと結婚した当時について明るく話す一幕も。どれだけトラブルがあっても辛い素振りをみせることのないメンタルの強さも、三田さんが支持される理由のひとつなのでしょう。周囲からも『何かあれば力になりますよ』と声をかけられるなど、三田さんの評判は上がるばかりです」(テレビ局関係者)夫婦関係は悪化も三田の評価はうなぎのぼり。今後の芝翫の行動に注目が集まりそうだ。
2022年08月29日元AKB48の篠田麻里子(36)が実業家の夫と別居していると8月24日、「NEWSポストセブン」が報じた。篠田と夫のA氏は19年に結婚。“交際0日婚”が話題になった。しかし最近になってA氏が篠田の浮気を疑うように。篠田は浮気を否定したものの、不信感を募らせたA氏は2歳の娘を連れて家を出てしまったという。「女性セブン」の取材に対し篠田の所属事務所は浮気疑惑については事実無根であると否定したが、夫婦の別居については「事実確認中です」と回答している。AKB時代は“元祖神7”として人気を博した篠田。21年には「ベストマザー賞」を受賞するなど公私ともに順調な生活を送っているかと思いきやそうではなかったようだ。篠田と同じく“神7”として活躍し、卒業後もなにかと注目を集めているのが前田敦子(31)。前田は18年に勝地涼(36)と結婚するも、21年4月に離婚。しかしそのわずか3カ月後の7月、本誌は前田の新たな恋を目撃している。「前田さんはファッションデザイナーの森川正規氏(37)の自宅に通い詰めていたのです。勝地さんとの間に生まれた男の子を連れて森川氏の自宅に泊まっていたこともあるようです」(芸能関係者)いっぽう、最近では元夫の勝地が前田とのエピソードをテレビ番組で披露することもあり、離婚後も良好な関係が続いているようだ。8月10日に第1子を妊娠していることを報告したのは大島優子(33)。夫の林遣都(31)とは21年に結婚した。「大島さんと林さんが急接近したのは朝ドラ『スカーレット』(19年)での共演でした。2人は主演の戸田恵梨香さん(34)の幼馴染役でしたが、役作りの面で相談し合うことも多く、仲を深めたようです」(スポーツ紙記者)そんな『スカーレット』の打ち上げ現場を本誌は目撃している。一次会のレストランを出た後、肩を並べて楽しそうに歩く大島と林の姿が印象的だった。初代総監督としてAKB48をまとめあげた高橋みなみ(31)は19年5月2日に15歳年上の一般男性・Bさんとの結婚を発表。本誌は結婚前に、2人のラブラブな姿を目撃していた。17年10月、高橋の姿は都心の繁華街の大衆居酒屋にあった。「このとき一緒にいた男性がのちの夫であるBさんで、高橋さんは友人2人と彼の誕生日をお祝いしていました。Bさんとは、高橋さんがAKBを卒業した直後から付き合い始めたそうです」(テレビ局関係者)また同月の別日には、都内のデパ地下で買い物をする高橋の姿をキャッチ。「高橋さんは、このときすでにBさんと半年ほど同棲していました。同棲してからは彼のためにほぼ毎日、自炊をしているそうです。食材を買い込んでは彼においしい手料理を振舞ってあげているんですよ」(高橋の知人)同じく神7の板野友美(31)は21年にヤクルトスワローズの高橋奎二(25)と結婚。同年第1子となる女児を出産し、Instagramでは愛娘の写真を掲載することも。「小嶋陽菜さん(34)はアパレルブランドのプロデュースを手掛けたり、SNSでファッションやコスメの情報を発信したりしています。渡辺麻友さん(28)は20年に芸能活動から引退。元祖神7のメンバーの芸能界引退はこれが初めてでした」(アイドル誌ライター)ともに切磋琢磨しながら一世を風靡した元祖神7。今はそれぞれの人生を歩んでいるーー。
2022年08月25日7月27日に離婚を発表した、タレントの小倉優子(38)。2011年にヘアメイクアーティスト男性と結婚。2人の子どもを授かったが、2017年に離婚することに。その後、歯科医師男性と2018年に再婚。第三子にも恵まれたものの、妊娠中に突然の別居をスタートする。その後も小倉は関係修復を望んでいたが、努力も虚しく2度目の離婚となった。小倉といえば、ママタレとしての人気は絶大。最近では大学受験にチャレンジするという番組企画でも注目を集めていた。だがテレビで見る可愛らしい見た目や雰囲気とは異なり、2度の結婚生活はハードモードに終わった。1回目の離婚の原因は元夫側の浮気だと言われているが、2回目の離婚原因は明確に示されないまま今に至る。これを受け、恋愛ジャーナリストのおおしまりえさんは「小倉さんに限らず、バツ2以上の人はパートナー選びやパートナーシップにおける“共通したミス”を犯しがち」だと話す。以下、その詳細を語ってもらったーー。■離婚につながる自分の問題点を見ていない離婚というのは「原因がどちらかにある」と思われがちですが、「一方が100%悪い」という状況はほぼありません。例えば離婚原因が不倫であったなら、もちろん悪いのは「不倫をした側」です。しかしその背景をみてみると、根っこには「互いに向き合ってこなかった」など別の問題が隠れていることも多いです。「だから不倫された側も悪い」と言いたいわけではありません。トラブルが起きるということは起こす側と起こされた側、双方の振る舞いが複雑に絡み合っていると言いたいのです。これを踏まえて複数回にわたって離婚経験のある人を見てみると、「自分にも悪い部分があった」といったような“振り返る視点”の足りないタイプが多いように思います。例えば不倫された側は不倫した側に怒りを抱き、相手の落ち度に目がいきがちです。それ自体は正しい分析だったとしても、そこに至るまでの自分の振る舞いの問題点はフラットに考えられていなかったりします。相手の悪かった点と、自分の悪かった点。両方を平等に見る目を持ち合わせていないと、結婚してもまた同じようなパターンに陥り、そして離婚となるケースはあると思います。■慎重さよりも気持ちの高まりのまま突っ走る!離婚経験が複数ある人は、それだけ異性にモテるタイプであり、魅力的とも言えます。その一方で、相手の性格の見定めが甘いケースも多いです。一般的に、2回目の結婚というのは失敗しないよう慎重になる人がほとんどです。しかし離婚経験が複数ある人は、そういった慎重さよりも、勢いや気持ちの高まりのまま突っ走る人も少なくありません。ちなみに小倉さんも離婚した夫とは2018年6月から交際し、半年後の同年12月には入籍しています。交際半年というのは恋愛が1番盛り上がる頃。ただ離婚からさほど時間がたっていないのに、超スピード婚をしたことに驚いた人もいたでしょう。ステップファミリーとしての結婚であれば、なおのこと慎重さを求めたくなるもの。交際半年の中で、どこまでお互いが冷静なパートナーシップを構築できていたか。今となっては疑問です。■「自分は自分」と言い切る“強いマイペースさ”結婚すると、他人同士が生活をともにすることになります。そのため、どんな夫婦でも歩み寄りが必要になるもの。離婚歴が多い人はこの生活上の歩み寄りが苦手……というか、自分をまず通そうとする傾向が強いように思います。例えば食事はこうしたいとか、寝る前はこういうルーティンにしたいとか。そういうこだわりを持つことは否定しません。しかし過去取材した離婚歴複数回の男女に共通していたのは、「自分は自分」とでも言い切るような“強いマイペースさ”でした。こうなると、パートナー側はよっぽど忍耐力がないと相手に合わせることに疲弊していきます。しかし当の本人はそんな問題に気づきもしないor気づいても相手が変わるべきと思っているので、関係が破綻してしまうのです。小倉さんと元夫の婚姻生活はなぜ破綻してしまったのか。妊娠中に別居というのは、よっぽどのできごとがあったのでしょう。理由の明言は避けていますが、小倉さんは今回の離婚によって“より強い女性”という印象を多くの人に抱かせたのではないでしょうか。離婚という答えに至るまでには2年近くの別居期間をもうけ、復縁を待ち続けた。そのいっぽうでしっかりと今後の生活や仕事の基盤を模索し、バラエティ番組内では早稲田受験にチャレンジするなど大きな話題を集めました。そうしてタレントとしての勢いが増したタイミングでの離婚発表となったのです。子どもたちにも惜しみない教育を与え、自身もさらなる学びを続ける小倉さん。新たな人生に幸あれと思うと同時に、彼女の人生がどこへたどり着くのか興味深くもあるのでした。(文:おおしまりえ)
2022年08月05日エバラ食品工業株式会社(本社:神奈川県横浜市、代表取締役社長:森村 剛士)は、2022年2月22日~24日の3日間、全国の15歳から79歳の男女2,000名に対し、「食」を通じたコミュニケーションに関するさまざまな実態やコロナ禍前(2019年12月以前)との意識の変化を調査した「食コミュニケーションに関する調査」をインターネットリサーチで実施しました(調査協力機関:ネットエイジア株式会社)。※本調査では、「食コミュニケーション」を次のとおり定義しています。食コミュニケーションとは、「食」を通じた人と人とのコミュニケーションのこと。具体的には、一緒に食事や料理を楽しんだり、食(食品や食文化、料理など)について一緒に学んで理解したり、食について情報交換したりすることを指します。本調査結果では、「食」を通じたコミュニケーション(以下、食コミュ)をとっている人は全体の67%で、コロナ禍の外出制限などの影響もあり、「全くとっていない」がコロナ禍前から13ポイント上昇しましたが、半数近くの人は「週1日以上」食コミュをとっていることがわかりました。なかでも、10代女性は76%と突出して高い傾向にありました。誰との食コミュが楽しいと思うか聞いたところ、10代では「親」が1位でした。また、男性では「配偶者」が1位となり、2年間に及ぶコロナ禍において家庭での喫食率が増加したことによって、家族で囲む食卓の楽しさを再認識した人が多いことがわかりました。食コミュが好き・楽しいと感じている人は、それぞれ70%を超えており、「食コミュは楽しい」と回答した人の92%が、食コミュは心身の健康につながると実感していました。今回の調査から、食を通じたコミュニケーションは、人とのつながり実感度や生活充実度、健康実感度など“人生のすこやかさ”に大きな影響を与えていることがわかりました。当社は創業当時から手軽に本格的な味わいを楽しめる商品を生み出し、家族や友人と過ごす時間を増やすことで、楽しい思い出づくりに寄り添ってきました。経営理念である“「こころ、はずむ、おいしさ。」の提供”を実現するため、これからも、おいしく、そして楽しい食体験を通じて、より多くの人が心身ともにすこやかに、日々の食生活を楽しめるよう、人と人との絆づくりの機会を広げてまいります。≪世代別・地域別 「食コミュニケーション(以下、食コミュ)」の実像≫表1: ●食コミュをとっている人は全体の67%、「全くとっていない」がコロナ禍前から13ポイント上昇70代男性では「食コミュを全くとっていない」がコロナ禍前から21ポイントの大幅上昇「週1日以上」食コミュをとっている人は47%で、10代女性は76%と突出したスコア全国の15歳から79歳の男女に、現在、どのくらいの頻度で食コミュをとっているか聞いたところ、『とっている(計)』は67.4%となりました。内訳として、「毎日」が26.2%、「週に5~6日」が5.9%、「週に3~4日」が5.8%、「週に1~2日」が8.7%、「月に2~3日」が6.9%、「月に1日以下」が14.1%となり、『週1日以上(計)』食コミュをとる人の割合が46.6%となりました。男女・年代別にみると、食コミュを『とっている(計)』と回答した人の男女差は、10・50・70代では10ポイント以上となり、それぞれ女性が大幅に高くなりました。なかでも、10代女性は、食コミュの頻度が『週1日以上(計)』と回答した人が76.3%と突出して高く、家族や仲の良い友人との食コミュを楽しむ機会が多いようです。次に、コロナ禍前(2019年12月以前)、どのくらいの頻度で食コミュをとっていたか聞いたところ、『とっていた(計)』は80.4%、「全くとっていなかった」は19.6%となり、コロナ禍で食コミュの頻度が減少したことがわかりました。では、コロナ禍前と比較し、食コミュの状況はどのように変化したのでしょうか。食コミュを全くとっていない人の全体の割合は、コロナ禍前の19.6%から現在は32.6%となり、13.0ポイント上昇し、全年代でコロナ禍前よりも増加しました。新型コロナウイルス感染拡大を受け、感染症予防のため不要不急の外出を自粛した人が増加した影響が大きいのではないでしょうか。また、コロナ禍前と現在における食コミュを全くとっていない人の差異(現在―コロナ禍前)は、10代の男女・20代男性が小さく、年代が上がるにつれて拡大しており、70代では差異が20ポイントを超えました。新型コロナウイルス感染症による重症化リスクに対する警戒度が、各年代の行動に少なからず影響を与えていると考えられます。ひとり暮らしをしている人のうち、食コミュの頻度を『週1日以上(計)』と回答した人は、全年代でコロナ禍前と比べると現在のほうが少なくなっており、特に10代では、77.4%から25.7ポイント下がり51.7%と最も変化が大きかったことがわかりました。まん延防止等重点措置を受けた感染防止対策や学校における一部授業のオンライン化により、友人・知人との対面コミュニケーションや会食の機会が大幅に減少していると考えられます。表2: ●食コミュが好き・楽しいと感じている人はそれぞれ70%超え!九州・沖縄地方で高い傾向「食コミュの頻度を増やしたい」60%、「食コミュは生活に不可欠」65%「食コミュは楽しい」と回答した人の92%が、食コミュは心身の健康につながると実感食コミュに対し、どのような実感を持っている人が多いのでしょうか。食コミュに関する意識を聞いたところ、【食コミュが好き】【食コミュは楽しい】という実感に対して、「あてはまる」と回答した人はそれぞれ70%を超えました。居住地域別にみると、九州・沖縄地方では、「食コミュが好き」、「食コミュは楽しい」と回答した人は80.0%、80.6%と、他の地域と比べて高くなっており、食コミュの機会を楽しむ地域柄が浮き彫りになりました。【食コミュの頻度を増やしたい】という意向に関しては、「あてはまる」は59.7%となり、食コミュの頻度を増やすことに前向きな人がいた一方で、「あてはまらない」は40.3%となりました。食コミュが好き・楽しいと回答した人が70%を超える結果となった一方、食コミュに消極的な人が40%いた背景には、コロナ禍の長期化による新しい生活様式に対する慣れや、行動抑制意識の持続、現在の食コミュ頻度に対して満足していることなどがあるのではないでしょうか。【食コミュは生活に不可欠だ】という考えに対しては、「あてはまる」は64.6%でした。日常生活に食コミュが溶け込み、楽しい食コミュが生活の潤いとなっている人が多いと推察されます。【食コミュは心身の健康につながる】という実感に対しては、「あてはまる」は75.5%となりました。また、食コミュは楽しいと回答した人についてみると、「食コミュは心身の健康につながる」と回答した人の割合は91.5%となりました。食コミュの楽しさを知っている人の大多数が、食コミュが心身の健康に大きな影響を及ぼしていると実感しているようです。表3: ●誰との食コミュが楽しいと思う? 全体1位「気の合う友人」男性は「配偶者」、女性は「気の合う友人」、10代では「親」が1位、70代では「子ども」が57%・「孫」が36%誰との食コミュを楽しいと思うか聞いたところ、「気の合う友人(学校の先輩・後輩含む)」(46.6%)が最も高くなり、「配偶者」(39.7%)、「子ども」(37.1%)、「親」(28.0%)、「兄弟姉妹」(18.1%)が続きました。気の置けない友人や家族との食コミュを楽しいと感じる人が多い結果となりました。男女別にみると、女性では「気の合う友人(学校の先輩・後輩含む)」が54.9%、男性では「配偶者」が42.7%と最も高い結果となりました。女性の食コミュに対する前向きな気持ちや積極的な姿勢は、自身の食コミュに関わる行動範囲・交流範囲を広げることにつながっているかもしれません。年代別にみると、10代では「親」(53.5%)が1位。70代では「子ども」が57.4%、「孫」が35.9%と、他の年代と比べて高くなりました。●どんなシーンでの食コミュが最も楽しい?「普段の夕食」が全体でダントツ1位10代では「学校での昼食」、30代男性では「バーベキュー・キャンプ」が高い傾向どのようなシーンでの食コミュを最も楽しいと思うか聞いたところ、「普段の夕食」(21.7%)が最も高くなり、次いで「飲み会・家飲み」(14.1%)、「家族の誕生日祝い」(7.3%)、「普段のデート」(4.7%)、「季節イベント(クリスマスなど)」(4.6%)でした。男女・年代別にみると、10代では「学校での昼食」(男性13.3%、女性16.8%)が高くなりました。学校で仲の良い友人とお昼ごはんを食べながら、お互いのことや学校生活について話をするのが楽しいと感じている人が多いのではないでしょうか。30代男性では「バーベキュー・キャンプ」(12.6%)が高くなり、普段とは異なる環境や自然の中での食コミュが楽しいと感じている人が多いようです。40代男性では、「普段の夕食」(29.4%)が約3割と2位以下を大きく引き離し、家族と過ごす団らんや、仕事が終わった後のひと時に幸せを感じている様子がうかがえる結果となりました。●“楽しい食コミュ”が生み出すもの・育むもの TOP3は「家族の絆」「こころの健康」「友人との絆」10代女性では「適切な食習慣や食事のマナー」を育むと実感している割合が高い傾向“楽しい食コミュ”が「家族の絆」を育んだ! 「食」を通じた家族の団らんの効果をシニア女性の半数以上が実感“楽しい食コミュ”によって生まれた・育まれたと実感しているものを聞いたところ、「家族の絆」(38.0%)が最も多くなり、「こころの健康」(34.1%)、「友人との絆」(31.8%)、「からだの健康」(24.1%)、「食への感謝の気持ち」(22.7%)が続きました。男女別にみると、女性は「家族の絆」が45.4%、「こころの健康」が40.2%、「友人との絆」が37.5%と、男性(順に30.6%、27.9%、26.0%)と比べて10ポイント以上高くなりました。日常生活での経験の中で、男性よりも女性のほうが健康や絆を生み育てる食コミュの力を強く実感しているのではないでしょうか。10代女性では「食に関する知識・理解」(22.4%)と「適切な食習慣や食事のマナー」(24.5%)がどちらも2割を超えました。10代女性には、食コミュが“食育”の機会になると理解している人が少なくないようです。また、60・70代女性では半数以上が「家族の絆」について実感している結果となりました。「食」を通じた家族の団らんは家族の結びつきや相互理解を深め、思いやりや感謝の気持ちを醸成すると感じているようです。さらに、70代女性では、「こころの健康」が50.7%、「からだの健康」が40.8%と、すべての層の中で最も高くなり、シニアライフの中で楽しい食コミュが心身の健康につながっていると実感するシーンが多いのではないでしょうか。●“楽しい食コミュ”がもたらす影響「心労やストレスが軽減される」「相手とのこころの距離が近くなる」「人生の満足度が高まる」!70代男性では「生きがいを感じるようになる」が高い傾向“楽しい食コミュ”によってもたらされると思う精神面・心理面の変化を聞いたところ、「心労やストレスが軽減される」(38.3%)が最も高くなり、「相手とのこころの距離が近くなる」(32.3%)、「人生の満足度が高まる」(28.7%)、「こころがイキイキとする」(28.6%)、「明日への活力が生まれてくる」(27.2%)が続きました。男女・年代別にみると、70代男性では「生きがいを感じるようになる」と回答した人(28.9%)が、他の層と比べて特に高くなりました。楽しい食コミュで生まれた人とのつながり・絆や人生の満足度が、生きがいの創出につながっているケースがあるのではないでしょうか。そのほか、60・70代女性では「相手とのこころの距離が近くなる」(順に45.5%、43.0%)や「明日への活力が生まれてくる」(42.7%、43.7%)、「情緒が安定する」(40.6%、35.9%)、「相手の気持ちを理解しやすくなる」(38.5%、35.9%)が他の層と比べて顕著に高くなりました。女性は年齢を重ねるほど、楽しい食コミュがもたらすポジティブな気持ちの変化を実感しているのではないでしょうか。また、60・70代のシニア女性では、他の性別・年代よりも楽しい食コミュの影響を感じている人が多いことがわかりました。●楽しい食コミュ満足度の全体平均は61点 九州・沖縄地方では68点と高い傾向●楽しい食コミュが“あなたの人生のすこやかさ”を大きく変える?“楽しい食コミュ満足度”が高い人は、「生活充実度」「人とのつながり実感度」「健康実感度」もハイスコア!食コミュの満足度や自身の生活実感について、それぞれ100点満点中の何点になるか、自己評価を聞きました。「楽しい食コミュの満足度」では、全体平均は60.6点となり、80点以上と回答した全体の43.6%の人は、充実した“楽しい食コミュライフ”を送っていることが明らかになりました。年代別にみると、平均点や80点以上と回答した人は10・20代が高くなり、若年層のほうが日常生活において、食コミュの機会に恵まれ、その機会を満喫しているようです。居住地域別にみると、九州・沖縄地方では、平均点は67.5点と最も高くなり、日常生活において、楽しい食コミュが大事な機会として捉えられ、その効果や価値、メリットを実感している人が多いと考えられます。自身の生活の自己評価をみると、全体平均点は、【生活充実度】は54.1点、【人とのつながり実感度】は48.0点、【からだの健康実感度】は50.8点、【こころの健康実感度】は52.8点でした。「楽しい食コミュの満足度」が80点以上の人では、平均点が、【生活充実度】は74.6点、【人とのつながり実感度】は68.6点、【からだの健康実感度】は68.4点、【こころの健康実感度】は73.0点と、全体平均と比べて15点以上高くなりました。楽しい食コミュは、人とのつながり実感度や生活充実度、健康実感度など“人生のすこやかさ”に大きな影響を与えているようです。●オンライン食コミュを経験したことがある人は27%、20代は41%!相手は「友人」がダントツ孫と離れて暮らす人では5人に1人が「孫」とのオンライン食コミュを希望!コロナ禍で利用が進んだWeb会議システムやビデオ通話を利用した食事会など、インターネットを利用したオンライン食コミュについて質問しました。“オンライン食コミュ”を経験したことがあるか聞いたところ、「経験したことがある」は27.3%、「経験したことはない」は72.7%となりました。男女別にみると、“オンライン食コミュ”を経験したことがある人の割合は、男性では31.2%と、女性(23.5%)と比べて7.7ポイント高くなり、男性のほうがZoomなどを活用したオンライン飲み会などでの食コミュに積極的な実態が明らかになりました。また、年代別にみると、20代(41.3%)が突出して高くなり、30代(33.9%)が続きました。20・30代は、コロナ禍で飲食店での会食を控えるも、日常生活においてオンライン食コミュを上手に活用しているのではないでしょうか。“オンライン食コミュ”を経験したことがある人(547名)に、誰との“オンライン食コミュ”を経験したことがあるか聞いたところ、「友人」(51.0%)が突出して高くなり、「配偶者」(31.1%)、「親」(28.0%)、「子ども」(26.5%)、「職場の人」(20.8%)が続きました。また、誰との“オンライン食コミュ”を希望するか聞いたところ、「友人」(17.7%)が高く、「子ども」(9.0%)、「配偶者」(7.2%)、「親」(6.6%)、「兄弟姉妹」「恋人」(いずれも5.0%)が続きました。子どもや孫と離れて暮らしている人についてみると、別居している子どもがいる人(503名)では「子ども」が20.7%、別居している孫がいる人(308名)では「孫」が18.8%と、どちらも5人に1人の割合となりました。コロナ禍で自由な移動が制限される状況の中、離れて暮らす子どもや孫と気軽に食事の時間を一緒に過ごすために、オンライン食コミュを活用したいと考えている人は少なくないようです。≪「食コミュ」感動エピソード≫●「『お母さんのごはんが一番おいしい』と子どもが言ってくれた」、「試験の日の朝、特製メニューで送り出してくれた」など、食がつなぐ思いやりや絆を再確認したエピソードを紹介最後に、食コミュで、「私はとても幸せだ!」と実感したエピソードについて質問しました。4つの食シーンに分けられ、【家族との普段の食事での食コミュ】では、「おいしい」と喜んで食べてくれる姿によって、やりがいや変わらぬ日常の大切さを実感するようです。また、【外食など特別な食事での食コミュ】では、アウトドアなど普段経験できない体験が挙がりました。【こころやからだが不調なときにサポートになる食コミュ】や【人生の節目や記念日を祝う食コミュ】では、身近な人の優しさに接し、家族や友人とのつながりや絆の大切さを再確認したり、自分のことを大切に思ってくれる人たちの愛情に触れて、周囲への感謝の気持ちが高まったりするようです。また、食コミュで、「元気が出た!頑張るぞ!」と実感したエピソードでは、3シーンに分かれました。【疲れの癒しやストレス発散となる食コミュ】では、仲の良い友人などと食べたり話したりすることによって、からだやこころの疲れを癒したり、日頃溜まったストレスを上手に発散したりするようです。また、【共感や相談、嬉しいサプライズを伴う食コミュ】では、自分の考えや思いに共感してもらったり、思いも寄らぬ嬉しいサプライズや言葉で力をもらったりするようです。さらに、【記念日の祝いや人生の大舞台での応援となる食コミュ】では、特別な記念日の祝いとして愛情たっぷりの料理やデザートを作ってもらったり、人生の岐路となる大舞台に臨む際においしいお弁当や手料理で応援されたりするようです。≪調査結果から≫昨今の環境変化によりライフスタイルが多様化するなかにおいても、多くの方が、家族や友人とのつながりや絆を深める、「食」を通じたコミュニケーションの大切さを実感していることがわかりました。特に年齢を重ねるにつれて、楽しい食コミュがもたらすポジティブな影響を実感されている方が多いようです。一方で、60~70代は、コロナ禍の影響で食コミュの頻度が減った方が多く、特に70代はオンライン食コミュを経験している方が少ないことから、コロナ禍における家族や友人とのつながりに課題があります。ソーシャルメディアを活用するなど、地域や社会、人と人とのつながりを生む商品やサービスに、食コミュを活性化させるヒントがあるかもしれません。エバラ食品グループは、これからも価値ある商品、心の通ったサービスを提供し、食を通じたコミュニケーションの機会を広げてまいります。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年07月29日50歳を過ぎ、考えれば考えるほど生活の不安が募り、落ち込むばかり……。ホットフラッシュやイライラなど更年期症状を感じており、毎日眠れない日々が続きました。思い切って同世代の人に相談したところ、その人も眠れなくて悩んでいたと言われて「私だけじゃないんだな」と思いました。やり取りを重ねるうちに、少しずつ気持ちがラクになりました。そんな時期を振り返ってみます。★関連記事:40~50代は男性も更年期!?夫婦危機の原因ともなる「妻のやりがちNG対応」は?治療はどうする?夜になると気持ちが落ち込み…不安で眠れない、これも更年期の症状なの?下の娘が18歳になり、ずっと考えていた夫との別居に踏み切りました。仕事も順調とは言えず不安定でしたが、夫との暮らしによる不満は激減しました。娘とは一緒に暮らしていましたが生活時間が違うので、ほぼひとり暮らしに近い自由な生活。友人との食事や遊びも満喫できる生活をエンジョイしていたはずなのですが、夜になると気持ちが落ち込むのです。娘は彼氏とラブラブですから、私の話なんか聞いてくれない。まあ、娘に聞かせる話ではなかったというのもありました。更年期には、家族関係や人間関係、労働環境などでストレスが多いと、憂うつになるなどの症状が出やすいとネットで調べて知っていましたが、私もそうだったようです。婦人科を受診したところ、「更年期症状だと思いますが、ホルモン剤などの治療はまだしなくても良いと思います」と医師から言われました。ちょうど母の容態が良くない時期とも重なり、もろもろの不安が押し寄せていたのだと思います。今までと違う環境で楽しい半面、精神的な不安も募っていました。眠れない日が多くなり、ひどいときは入眠まで2時間以上かかることも。次の日は仕事に行かなくてはいけないのに起きられず、遅刻も多くなってしまいました。友人に相談、考えても仕方ないと居直ったらスッキリこのままでは仕事にも悪影響が出てしまうと、思い切って同年代の友人に相談しました。話してみると、その友人も同じように不眠の悩みを抱えていました。それからは毎日、お互いの報告をし合うようになりました。そうして、「考えても答えは出ない問題ばかり。まずは目の前のことを一生懸命やるしかないね」ということに。母の介護も姉と連絡を取り合い、できる範囲で話し合いながら分担するようにしました。人と話すことで不安がなくなるわけではないけれど、気持ちはラクになります。またSNSで自分より上の世代の人と仲良くなり、お互いの立場やプライベートをほぼ知らない同士という気軽さから、自分の将来の不安や今の仕事の悩みなどを相談できたのもよかったみたいです。私は若いころからよく笑うと言われていて、いつもにこにこしていると褒められていました。でも、不眠で悩んでいたころは友人と会うことも少なくなり娘との会話も減っていたので、「そういえば最近笑うことが少なくなっている」と気付いたのです。そこで、できるだけ友人や仕事仲間とくだらない話をして、笑う時間を増やすことも心がけました。笑いはストレス解消になりました。今は心療内科なども増えているので、最後には相談することまで考えました。そうしたらなんだか気分がラクになったのです。落ち込んでいる自分の気持ちに向き合う精神的な悩みや落ち込みなどは、なかなか人には打ち明けられません。でも、抱えているだけではそれらは大きくなるばかり。眠れないのは仕方ない、でも眠ろうとする努力はするようにしました。そんなとき、YouTubeで寝る前に聴く音楽を探していると、若いときに聴いていた懐かしい音楽を見つけました。それを聴いたらその当時を思い出し、ちょっと華やいだ気分になれ、気持ちよく眠りに入れました。それをきっかけに布団に入る前には、不安な気持ちにならないように自分が楽しめることをするようにしました。例えば応援している劇団の俳優さんに手紙を書いたり、趣味の海外ドラマを見たり、小説を読んだりして、なるべく考え込まないようにしてみました。そして眠くなくても電気を消して布団に入り、気持ちが穏やかになるように、音楽や好きな小説の朗読を聴いてみるようにしました。何時間眠れなくても焦らず、不安になっている気持ちを客観的に見るようにして、そんな自分をただ受け入れ、自分と対話するようにしました。そうこうするうちに、あるがままの自分を受け入れられるようになりました。そして、不安な気持ちがあるのは当たり前、それも自分なんだと納得することができたのです。まとめ私の更年期世代の友人は、いろいろな問題を抱えている人が多く、家族との関係も変わったり、父母の介護をするようになったりしています。ひとりで抱え込んでしまう友人も多く、そんな友人には声をかけて話を聞くと、誰かに打ち明けることでラクになったと言ってくれます。もちろん私もそのひとりです。自分が落ち込んでいることや精神的にしんどいことを自覚し、誰かに聞いてもらうことでずいぶんラクになりました。また、SNSでは同じような悩みを抱えた人とネットの世界でつながり、相談できる友人ができました。相談できる友人が複数いることで、ひとりで抱え込むこともなくなり、不安感や眠れない日々から解放されるようになりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。マンガ/山口がたこ著者/ゆうの(54歳)24歳の息子と22歳の娘がいる。娘と同居中。40代に入ってからずっと、もろもろの不調と付き合いながら生活している。
2022年07月27日皆さんは不思議な体験をしたことはありますか…?原因がよくわからない何かに巻き込まれた、なんて経験した方も中にはいらっしゃるようです…。今回は実際に募集した「奇妙な体験エピソード」をご紹介します。かまいたちの仕業!?保育園に勤務していたときの話です。夏の暑い日、1歳児クラスの子どもたちが小さなビニールプールで5~6人ほどに分かれて遊んでしました。最初はとても楽しそうな声がしていたのですが、ある先生の悲鳴で事態は急変します。「きゃああああ!!!」「大変!!」と慌ただしく現場が動き出し、私も様子を見に行きました。そこには足が血まみれになった子どもが何人も立っていて、泣いているのです…!足の傷は小さな浅いかすり傷のようでしたが、複数個所が切れているため出血が多く見えました。幸い全員大事には至りませんでしたが、保護者への説明も必要なため原因究明が急がれました。しかし、ビニールプールに異常や異物はなく、細かな調査をおこなったにも関わらず、原因はわからないまま…。「かまいたち騒動」として終わることとなりました。(女性/主婦)嫌な夢夫婦と子ども3人の5人家族です。当時、私たち夫婦は離婚に向けて話し合いをし、別居していました。私が子どもを3人引き取り旦那が建ててくれた家に、旦那はホテルに…といった形の別居がスタートしました。別居から数週間後、とても嫌な夢を見ました。夢の中で私は家にいて子どもたちは寝室で寝ていました。音がして子どもの寝ている部屋に行くと、なにか得体の知れない真っ黒な大きなものが子どもたちを覗いていました。私はびっくりして子どもに駆け寄ろうとしますが、足がすくんでるのか体が動かず…。声を出そうとしたらその大きな真っ黒なものが人差し指を口に当てて「シー」とジェスチャー。特になにか話すわけでもなく子どもたちをただ見ている黒いもの…。その瞬間「あ、子どもがさらわれる。助けなきゃ!」という衝動にかられ、近づこうとすると突き飛ばされて夢から覚めました。目を覚ましたら私はリビングで寝ていて、なんだか胸騒ぎがしてすぐに子どもたちの様子を見に行きました。そこには可愛い寝顔で寝ている子どもたち…。ただ夢から覚めた後だったので怖くて子どもたちから離れることができず、そのまま私は寝てしまい起きたときには朝を迎えていました。夢を忘れることができずにいたら、旦那から「朝からごめん。子どもたちは元気?」とLINEがきていました。私が「急にどうした?子どもたちはまだ寝ているよ」と返すと「いや、昨日すごく嫌な夢を見て。子どもたちが心配で」と返信が!思わず「どんな夢?実は私も嫌な夢を見てさ」と送ったところ…。出典:lamire「子どもたちが寝ているところを大きくて黒い生き物が見てて…。こっちを見てニヤって笑うんよ」「怖くなって子どもたちのところに駆け寄ろうとしたら動けなくて。どうにか助けようとしたら飛ばされて…そしたら目が覚めた」偶然にも私が見ていた夢と酷似していました。私も同じような夢を見たことを伝えると旦那が「とりあえずそっちに行くわ」と。数時間後、旦那が家にやってきてすぐさま子どもたちのところへ。そしてその日をきっかけに旦那との関係に変化が…。毎日のように連絡を取り合うようになり、時間があれば子どもたちに会いに来てくれる。私も嫌悪感があるわけでもなく笑顔で迎えていました。それから何度も話し合って離婚は取り止めに。今は家族仲良く暮らしていますが、あの夢はなんだったのか。このままいくと2人とも大事な子どもたちに会えなくなるよ、との警告だったのか…。今でもあの物体の正体は分かりませんが、離婚を取り止めにしてよかったと心の底から思います。(女性/パート)不思議な出来事が偶然なのか、はたまた“何か別のもの”なのかはわかりませんが…。誰かが実際に体験した話には、何か奇妙な説得力がありますよね。以上、奇妙な体験エピソードでした。次回の「体験談エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年07月26日夫婦や家族、いつも仲良くいられるのが一番理想です。しかしどんなに仲が良くても意見が食い違ったり、相手にイライラしてしまうときはあると思います。 互いに障害を持ち、子どもがいないという地雷満載の我々夫婦。なおさら喧嘩の種は多い訳で……。喧嘩をしたときや間違いなく大喧嘩になりそうなときはプチ別居をするようになりました。その結果はというと……。ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=“新しい家族のカタチ”について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 ちょっとした意見の食い違いにイライラ結婚して4年、まだ短期間ですが一緒に暮らしているとさまざまなことがきっかけで喧嘩が起こります。きっかけは家事の手順や家電選びなど日々のささいなことから、冠婚葬祭や引っ越しなど人生に一度あるかないかの大きなことまで……。今までまったく違う環境で生きてきたわけですからものの考え方が違うのは仕方ありません。そうしたものをすり合わせていくのが結婚生活なのだと思いますが、なかなかすり合わせがうまくいかないときもあります。 試行錯誤した結果夫と結婚して1〜2年目のころは話し合いで折り合いをつけるはずが難航し、いつのまにか罵倒しあうような大喧嘩になることもありました。第三者に仲裁に入ってもらったこともしばしば……。しかし最近では喧嘩になったとしても、ある程度のところで距離を取ることができるようになってきています。喧嘩になったとき、私は宿泊可能な漫画喫茶またはビジネスホテルに数泊するのです。以前からひとり旅が好きだった私にはとても良い気晴らしになりますし、そのような中で考えがまとまることも多くあります。夫も会社の宿直室に上司の許可を得たうえで、ひと晩程度泊まらせてもらうこともあります。もともと朝早めに出勤してゆっくり身支度をしてから始業時間までゆっくり過ごすのが習慣である夫。会社に泊まることで、居心地の良い時間が取れているようです。 喧嘩を回避する工夫も最近は喧嘩をしていないときでも、それぞれの趣味やくつろぎの時間を今まで以上に大切にしています。結婚してからは、家事や仕事に追われてこうした時間を後回しにしがちでした。しかし、今は自分自身と向き合い、ボランティアや副業など新たな挑戦を始めて有意義な時間を確保するようにしています。お互いに自分自身の時間を確保することで、それぞれの世界が広がるようになりました。それぞれの世界が広がるたびに、2人だけでいるときも、普段より新鮮な感覚で接することができるのだなと実感しています。 現在のコロナ禍で外泊や遠出は気軽にしがたい状態が続いています。そのため、最近は、「このままでは間違いなく大喧嘩になりそう」というときのみ、県内の感染症対策のとられた場所に1〜2泊程度外泊するという形をとっています。感染状況が落ちついたら、週に1日くらいは県外の実家に帰省しながら旧友に会ったり、行ってみたかった観光地にしばらく滞在したりする「プチ別居」ができればと画策しています。著者:伊沢累身体疾患と精神疾患持ちのアラフォーのDINKs。普段は不動産関係の会社でパートをしています。元保育士ですが、心身のバランスを崩して辞めました。その後結婚し、新天地で第二の人生開拓中。
2022年07月24日30代半ばの美花さん(仮名)は、10歳年上の夫と結婚。その後、義母との近居をきっかけに、夫のマザコンが判明したと言います。夫も最初は、家に帰るよりも先に義母の家に帰って食事をする程度だったそうですが、徐々に家にも帰らず、休日も義母と過ごすようになったそう。そんな生活が1年ほど続いたある日、友人のアドバイスによって、美花さんはある行動に出ることにしました。今回は、メンタル心理カウンセラーの並木まきが、二人のその後の生活についてご紹介します。美花さんも実家に帰省。完全別居婚へ友人からのアドバイスは「美花だけが我慢している必要はないよ。夫の近くに住んでいる必要もないと思うし、それなら美花も実家に帰っちゃえばいいじゃん!」というものだったそう。その助言を聞いた美花さんは「それもそうだな」と感じ、夫に相談することなく夫と借りたマンションを引き払い、実家へと帰ったそうです。「それまでは、“夫がいつ戻ってきてもいいように家を守らなくちゃ”という気持ちが強かったんですが、友人に『夫がそんなに勝手なら、美花だけが頑張る必要なんてない』と言ってもらったことで心が軽くなったんです。もはや夫は義母と暮らしているような状況になっていましたから、経済的にも私が一人でマンションを借りて生活を維持していくよりも実家に戻ったほうがいろいろと好都合でした」美花さんの実家に事情を説明すると、両親も美花さんに同情すると同時に、美花さんの夫に対する不満をあらわにしていたそう。そして、美花さんたち夫婦は完全な別居婚へと進んでいきました。別居婚中、妻に一度も会いに来ない夫… しかし離婚には応じず「驚いたのは、私がマンションを引き払って実家に戻ったことを話しても、夫は『あ、そう』というくらいの反応だったことですね。すでに夫の生活必需品は義母の家に持っていったあとだったみたいで、引越しのときにも夫の私物はほとんどありませんでした。私が実家に帰ることで、夫がもう少し焦ってくれれば夫婦でやり直す道があるかと思いましたが、見事に期待を裏切られましたね。それから半年ほど別居を続けてみましたが、夫は一度も私に会いには来ませんでした。そういう夫の態度にも、うちの両親は呆れるやら怒るやら。だけど、話し合いをしてもまったく解決しませんし、後から知りましたがうちの両親が義母に連絡して『娘夫婦を一緒に住ませたい』とも言ってくれたそうですが、義母はそれを拒否したそうなんです」ズルズルとお互いが自分の親と暮らす生活を続けていくうちに、さすがに籍を入れ続けるのもおかしいと感じ始めた美花さんは、別居婚がスタートしてから8か月たった頃に夫に離婚を提案。しかし、夫は「世間体が悪くなるから離婚はしない」と言ったきり、話し合いに応じなくなってしまったのだとか。「仕方がないので結局、最後は離婚調停を申し立てて離婚しました。慰謝料等はもらえませんでしたが、夫と籍を入れたままズルズルと時間を費やすほうが無意味だと思ったからです。本当は離婚せずに夫と再び夫婦として生活できる道を探したかったのですが、マザコンの度が過ぎていた夫には、こちらの思いはまったく通じませんでしたね。今は離婚できてホッとしているところで、これからのことはまだ考えられませんが、次に結婚するとしたら度の過ぎたマザコンではない人を選びたいです」美花さんは現在、実家を出て、一人暮らしを始めたそうです。夫のマザコンを改善しようとしても空回りしていた時期に比べて、心身ともに健康になり、「これからの未来に向けて前向きな気持ちを取り戻した」と嬉しそうに話していました。一方、離婚した夫は義母と暮らしているそうです。もともと美花さんと夫は前職の同僚として知り合い結婚していたため、二人が離婚したという噂とともに、夫が義母と暮らしていることも広まりました。その結果、夫が過度なマザコンであることが共通の知人に知れ渡り、その後、美花さんのもとには同情の声がたくさん寄せられたと言います。妻はもう一度夫婦として一緒に暮らせるように努力をしたものの、夫が過度なマザコンであったことにより、離婚に至ってしまったケースを紹介しました。結婚前にある程度は、夫になる男性が母親に対してどんな感情を抱いているのかを知るように心がけることも必要なのかもしれません。親を大切にすることと、妻よりも義母を常に優先し、妻をないがしろにすることはまったく別の話のはずです。マザコン夫と結婚した妻が孤独な生活を強いられることがないようにしたいものですね。©hazelog/Satoshi-K/gettyimages文・並木まき
2022年07月16日皆さんは浮気をされた経験はありますか…?何度言っても直らず、しまいには別れてしまう方も…。 今回は実際に募集した浮気トラブル体験談をご紹介します!相談していた親友学生の頃、当時付き合っていた彼が浮気をしていそうで悩んでいました。決定的な証拠は掴めないものの、女の勘が働いていたと思います。そのことを親友に相談していたのですが、いつもとても親身になってくれていました。「そういう男は何度でも浮気を繰り返すし、大事にしてくれないなら別れた方がいいよ」と説得され、浮気してるって証拠はないけど、私のことを思ってそう言ってくれてるわけだし…と、別れる決断をしました。別れ話をしに彼の家に行くと、彼はお風呂に入っていて、テーブルには携帯が…。悪いことだとは思いながらも、浮気の証拠を掴みたい気持ちを抑えられずメールを開いてみると「明日デート楽しみ♡」と。そして送り主はまさかの、ずっと相談に乗ってくれていた私の親友でした。私が親友に相談した内容は全部筒抜け…それどころか2人で私の悪口まで言っていました。出典:lamireそれからは壮絶な修羅場となり、彼とも親友とも縁を切りましたが、その後2人は付き合うことはなかったようです。今思えば、親友は私の持っている物を真似したがるところがあったので、私の彼氏が欲しくなったのかもしれません。今は笑い話になりましたが、当時はしばらく人間不信でした。(女性/自由業)別居中に夫が…別居中の夫は毎日「帰ってきてくれ」と電話をしてきていました。ある日、子どもの荷物を取りに家に帰ろうと思い、夫に電話をかけましたが出ません。まだ離婚をしているわけでもないし、荷物はすべて自宅にあるし、合鍵を使って留守の間に必要な荷物を少し取りに帰ろうと思いました。家には誰もいないと思って帰ると、車がありました。旦那がいるのだと思い、中に入るとカーテンが閉まっていて寝室で寝ているようだったので、何気なく扉を開けるとそこには、女性と一緒に眠っている夫の姿が…。旦那を小声で起こし「隣で寝てる人は誰?」と尋ねると、旦那は目を大きく見開いて何かを考え「…知らない」と言ってました。そんなわけあるか~!!と思いましたが「そっか」と言って荷物だけ取り、その場を後にしました。せめて離婚してからにしろよ!って感じでした。(女性/パート)いかがでしたか?浮気をされたことがある方は、きっとたくさん辛い思いをしてきたかと思います。別れたあとは心機一転、新たに素敵な出会いがあるといいですね!以上、浮気エピソードでした。次回の「浮気エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年07月03日6月19日は「父の日」。日ごろの感謝を伝えるべく、手紙やプレゼントを準備している人も多いことだろう。1909年に、男手一つで育てた父を讃えるべくアメリカの教会で女性が礼拝を捧げたことが起源と言われている。1966年にリンドン・ジョンソン米大統領が毎年6月の第3日曜日を父の日と定めたことで世界的に普及。日本でもすっかりお馴染みになり、父の日に先立ち6月7日に発表されたベストファーザー賞では宇宙飛行士の野口聡一氏(57)や俳優の滝藤賢一(45)らが選出。4児のパパである滝藤は授賞式で「俳優の前に父親ですから、俳優の賞をもらうよりうれしい。ちなみに俳優の賞をもらった事はありません(笑)」と喜びを爆発させていた。本誌もこれまで有名人たちの“ベストファーザー”な瞬間をたびたび目撃している。その一部を紹介したい。4月からスタートした冠料理番組『DAIGOも台所〜きょうの献立何にする?〜』(ABCテレビ/テレビ朝日系)でのつたない調理姿が評判を呼ぶなど、抜群の好感度を誇るDAIGO(44)。20年9月に妻・北川景子(35)との間に第一子となる女児が誕生し、ともに第一線で活躍するかたわら、夫婦で支え合いながら子育てに向き合っているようだ。21年1月11日、5回目の結婚記念日だったこの日、2人がいたのは高級レストランではなく、たくさんの雛人形が並ぶデパートの催事場。ベビーカーを押しながら記念すべき娘の初節句のために、真剣な眼差しで雛壇を選ぶ北川。DAIGOもすぐそばで店員の説明を聞いて、ときおりベビーカーの娘に笑顔を見せていた。続いて、手慣れたパパぶりを見せたのが堺雅人(48)。21年の3月下旬、堺は当時2歳の娘を連れて関東近郊にある人気アニメのテーマパークへ。混雑時にフードコートの席をすぐに見つけるなど、常連の様子だ。そして、娘が遊具スペースで遊んでいる際には、近くの柵に腰をかけてスマートフォンで撮影。楽しそうな娘の様子を一秒でも逃すまいと熱心にカメラを向ける姿はよきパパそのものだった。最後は貫禄すら見せつけたベテランパパの市村正親(73)。20年8月に本誌が初めて篠原涼子(48)との別居を報じ、昨年7月には離婚を決断。1年以上別居を続けた夫婦だが、その間に2人の息子に寄り添う市村の姿を本誌は目撃している。20年7月下旬、有名私立小に通う当時小学3年生の次男とともに保護者同伴の説明会に向かった市村。正午過ぎに説明会が終わり、そのまま帰宅するかと思いきや今度は送迎車から入れ替わりで当時小学6年生の長男を連れて再び説明会へ。そして、説明会を終えて、車に向かう道中、市村はしっかりと長男の手を繋いでいた。普段はミュージシャンや俳優として大勢の人を魅了する有名人たち。しかし、大切な子供の前では、たった一人の“ベストファザー”だ。
2022年06月19日■前回のあらすじ再び浮気をするようになった夫。しかし妻に離婚をする勇気がないことにつけ込み、余裕しゃくしゃくな様子。ついには自由になりたいからと、別居の提案をもちかけるのでした。■別居の提案に猛反対!■義実家に行けと…!?あけみの気持ちにつけ込み、うまく言いくるめようとする夫。あまりの怪しさに、これはただの浮気ではない…!?次回に続く「とんでもない女に人生を壊された話」(全38話)は21時更新!
2022年06月17日書籍のご紹介を手掛ける株式会社プレリアは、結婚相談所マリーミー(本社:東京都渋谷区)の代表で、成婚率80%超の婚活アドバイザーである植草 美幸氏が、2022年5月14日に新刊『ドキュメント「婚活」サバイバル(青春出版社、税込1,100円)』を発売することをお知らせいたします。著者は、年間約1,000件のカウンセリング実績を持ち、婚活の専門家として多くのメディアで結婚相談所の実情を解説しています。この本では、そのように現場の第一線に立つ著者が、急激に変わっている日本の結婚・婚活について分析した「今」が綴られています。「近年、社会にどういう変化が起こっているのか」ということを、結婚・婚活の視点から浮かび上がらせた本書は、今結婚を考えている方だけでなく、これからの人生を考える全ての方に、おすすめです。書籍『ドキュメント「婚活」サバイバル』 書影【内容要約】■40代女性と30代女性の世代間ギャップコロナ禍で人と会うことが制限され、家族のよさや結婚が見直されるようになり、婚活をする人の年齢幅は広がりました。20代や60代の入会も増えていて、世代によって価値観、結婚観に差があるのは当然のことですが、実は世代として近い30代女性と40代半ば女性の間にも、はっきりした世代間ギャップが感じられます。例えば30代前半のバリキャリ女性に、年収3000万円の男性とのお見合いをご提案したところ、「いえいえ、3000万円はそのうち私が稼ぐので、それだけ稼ぐ方よりも、家事をしてくれる男性の方がいいです」と言う。結果、年収400万円で、スーパーの特売日を把握している男性と交際中ですが、彼女の世代は、職場でも男女が50:50の役割を担い、「女性だから男性にごちそうしてもらおう」などといった固定観念がありません。一方で40代半ばのバリキャリ女性2人は、「結婚は夫が面倒をみてくれるもの」「自分の稼ぎは自分のもの。生活費を出すなんて、何のために結婚するのかわからない」という固定観念から抜け出せない。さらにデート代でも「〇〇円取られた」という位です。ただこれには理由があり、30代女性の親世代は、50代でまだ働いています。一方で40代半ば女性の親世代は60代後半で高度成長期に生まれ、バブル時代をしっかり謳歌。その親が、「エンゲージリングは200万円くらいを買ってもらうのが相場よね」などと、娘に日頃から昭和の価値観を押し付けているのです。■結婚できない人の3割は親が原因!?例えばある50代男性は、カウンセリング中に母親から何度も電話がかかってきて、電源をオフにするように言っても、何事にも母親優先でした。またある30代の男性は、母親が入会の相談に来て、お見合い相手のプレゼントも、母親が買いに行き選びます。ただいかにも還暦近い母親好みのもので、相手女性は困惑。また別のケースでも、母親から「うちの息子にあんな子を紹介してどうしてくれるの?」と憤慨した電話がかかって来て、結果母親の好みで破談になることもあります。結婚したくてもできない人の約3割は、親が壊していると言っても過言ではありません。コロナ禍でずっと家にいる父親が疎ましく、1人暮らしの息子・娘の部屋に毎日のように掃除にいく母親もいます。部屋中をチェックして、異性が来たか問い詰めることもあるそうです。■コロナ禍で新しく生まれた「国際別居婚」「国内2拠点婚」夫婦の形は、昔のように「ずっと一緒の家で暮らさなければならない」というものではなくなってきました。遠くにいてもネットがあれば、メールやLINEでいつでも近くにいるような感覚でつながることが出来ます。特にコロナ禍でその考え方が広く浸透し、「適度に別居していた方が、久々に会えたときに深いコミュニケーションをとれる」というカップルもいるほどです。例えばシンガポールに2年転勤する女性に対し、お見合い相手の男性は、「いいですよ」とあっさり返事。このあとずっと一緒に生きていくのだから、結婚してから数年くらい会えなくてもいい。それよりもこの先の人生が大切、と考える人も増えた印象です。また限られた期間だけ出社すればいいという会社も増えてきて、国内での別居婚、あるいは2拠点婚を選択するカップルも珍しくなくなりました。そうであれば、結婚相手の選択の幅も、全国にグッと広がります。出会うはずがなかった人が出会い、結婚する。コロナ禍で働き方の形が変わり、出会いの形も変わり、結婚の形も大きく変わっているのです。◆書籍概要書籍名 : ドキュメント 「婚活」サバイバル著者 : 植草 美幸発売日 : 2022年5月14日出版社 : 青春出版社体裁 : 224ページ価格 : 税込1,100円URL : ◆目次第1章 20代女性、キャリア女性…彼女たちが婚活をはじめた裏事情第2章 婚活のプロも驚いた!多様化する結婚観、深まる世代間ギャップの実際第3章 50代婚活男性は、もれなく「年の差婚」の夢を見る…第4章 人間力も恋愛力も低下? 社会問題を婚活で実感第5章 婚活で避けては通れない! お金と仕事の大問題第6章 新しい婚活の形。オンラインお見合い・ネット婚活の顛末記◆著者 植草 美幸(うえくさ・みゆき) プロフィール結婚相談所マリーミー代表、婚活アドバイザー。株式会社エムエスピー代表取締役。2009年、結婚相談所マリーミーをスタートして以来、12年間にわたり年間約1,000組にアドバイスを行い、業界平均15%と言われる成婚率において、自身が担当する「植草美幸コース」では約80%の成婚率(※)を誇る。2022年1月に、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』にて、著者と会員の婚活に密着した模様が2週に渡って放送され、現在も反響が続いている。著書も多数。(※) 成婚退会者数÷全体退会者数で算出。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月11日■前回のあらすじ夫婦関係の悪化を恐れ、子どもを諦めた妻・花子。そんなある日、花子は夫の太郎からある提案を受けます。それは昇進試験の勉強期間中、家から出て行って欲しいというお願いでした。■家から出て行くってどういうこと?■滞在先のホテルを用意するという夫家事も通勤も楽になるとゴリ押しする夫。あまりの用意周到さにどこか怪しさを感じずにはいられません…。次回に続く「見つからない不倫の証拠」(全41話)は21時更新!
2022年05月02日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!雑用係…!?主人には姉と兄がいますが、義父母は草刈りやタイヤ交換、病院の送り迎えなどすべての雑用を主人に頼みます。断ると後で文句を言ってくるので、主人だけ呼び出され、仕方なく実家に行っているようです。実家に行くだけでも交通費がかかりますが、何ももらえません…ただ雑用をこなして帰ってきます。でも、義姉と義兄の子どもが遊びに来たときはおもちゃやお菓子などたくさん買ってあげるのに、私達の子どもには何も買ってくれません。お祝いも少なく、義兄の長男の出産時には祝い金と産着をプレゼントしていましたが、うちに長男が生まれたときは、スーパーの商品券だけでした…。(女性/専業主婦)別居中に…旦那と喧嘩をして別居していた時期が1カ月ほどあり、その際に旦那が謝罪してきたり、子どもにプレゼントを持ってきていたりしていました。どんな生活をしていたのかは知らず、しばらく待ち、また一緒に住むことに。その後、旦那の実家に行った際義母から「この子に10万円貸してていつでもいいから返してね」と言われて…。別居中何故か旦那はお金を借りていたらしく、理由も知らない私に返せと言われて、また喧嘩になり、別居を再開しました。(女性/事務員)いかがでしたか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。子どもの為にも義実家とはいい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブル体験談でした。次回の「トラブル体験談エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年04月25日婚活を始めても、なかなか上手くいかない方は一定数いるようです…。付き合うまではいいけれど、結婚となると色々とトラブルもあったり…!? 今回はそんな方々の投稿から集めた「婚活トラブルエピソード」をご紹介します。「素敵な彼は…」飲み会の席で彼と知り合いました。彼は市役所に勤める35歳、野球が趣味で外車に乗っていて、贅沢な生活をしている様子。彼と話をしていると楽しくて、気が合ってしまい「食事に行こう」と誘われて一緒に行きました。お酒を飲んで色んな話をして、帰りにキスをされました。それから彼と頻繁に連絡を取るようになりました。友達にそのことを話すと「彼は絶対既婚者だと思う!」と言われてしまい…。私は彼に惚れてしまって、未婚だと勝手に思っていましたが、言われてみると彼が未婚であるという確約はありません。恐る恐る彼に聞いてみると「結婚しているけど奥さんとはうまくいっていなくて別居している」と言われ…。別居しているなんて、嘘でも言えるんじゃないかと思い、彼とは連絡を取るのをやめました。恋は盲目、あの頃の私にピッタリな言葉です。(女性/会社員)「彼の浮気相手は…」昔、出会い系で会った男性がいました。何度かデートもして、付き合うことになりました。年末にデートをしていたとき、彼に電話がかかってきました。私から少し離れて話しはじめたので、ちょっと気になり、聞き耳をたてていたら、おそらく彼女のよう…。しかも私と同じ名前で呼んでいたので、二股を同じ名前の子としていたのだとわかりました。「お正月に初日の出を見に行こう」と話していたのを聞いて、ショックを受けました。ひどいと思い、そのあと「電話で話していた人は?」と聞きましたが「普通に友達」と言われ「何?」と逆ギレされました。それ以降も私は好きで連絡を何度もしたけれど、出てくれることはありませんでした。そして、私達のお付き合いは終わりました。「出会い系だから、こういうこともあるの?」と思いながらもしばらく、ひきずってしまいました。結婚を夢みていましたが、夢のまた夢だと思い知らされました…。(女性/パート)いかがでしたか?その場だけでお相手を見極めるのはなかなか難しいみたいですね…。しっかりと見極めつつも、出会いを大切にして婚活を楽しんでみてはいかがでしょうか。以上、婚活トラブル体験談でした。次回の「トラブル体験談エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年04月22日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!嫌みばかり…義理の両親と同居して10年以上経ちます。私たち夫婦は共働きですが、奥さんの仕事の都合で、夕ご飯はほぼ毎食自分が作っています。義母は「料理が苦手」という理由で料理はしません…なのに食べるときは必ず嫌味を言ってきます。「野菜をもっと入れたほうがいいよ。買えないの?」「味付けが濃いからお茶で薄めたわ」「私はから揚げは食べないから。作らないで」など…。たまに口に合った時もあるようですが「おいしかったよ。いつもより」と、まともに褒められたことは一度もありません。いつか別居するべく貯金に励む毎日です。(男性/会社員)主人の実家で…実家が離れていたため、次男の出産後、体の調子が整うまで主人の実家でお世話になりました。大変お世話になったので感謝しかないのですが、田舎だったので近くにファストフードや買い食いできる場所もなく、お腹が空いていた記憶しかありません。なぜか食事の際に「卵を食べると子どもがアトピーになりやすい」という理由で、私だけ目玉焼きが食べられなかったのが未だにモヤッとしています(笑)(女性/自営業)いかがでしたか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。子どもの為にも義実家とはいい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブル体験談でした。次回の「トラブル体験談エピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。"
2022年04月12日モラハラ夫図鑑
あの日、私はいじめの加害者にされた
右手に指輪をする夫