不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談です。卵の移植まで待つ間、図書館で中村さんが手にした1冊は『産まない女」として生きるあなたへ』。産まない女として生きるか採卵後の生理予定日に、しっかり生理がきました。人生の中でイレギュラーな採卵を終えた後だったので、予定通りきたことにホッとしました。年明けの移植についてスケジュールを決める以外は、しばらく治療もお休みです。クリスマスもお正月も、おっと! 結婚記念日も(笑)、気楽な気持ちでのんびり過ごせそうでウキウキしました。読書は好きで、図書館にはよく通っていましたが、不妊治療を始めてからは、それに関する本も読み漁っていました。治療の休憩期間に借りた一冊。『産まない女」として生きるあなたへ』。理由はいろいろあれど、最終的に「産まない」ことを選択した女性が、どのようにして自分の人生を生きていくか。不妊治療後、自分自身もその人生を歩む著者が、多くの女性へのインタビューとともに、それらの人生を輝いて生きるためのプロセスが書いてありました。顕微授精で凍結胚移植を待つ身の私でしたが、なんとなくタイトルに惹かれて手に取りました。私はこの体験記を、当時の日記を読み返しながら書いています。その時に感じたり思ったりしたことを忠実に文字にしています。日記にはこう書いていました。『自分がそうなったときの覚悟?いや、まだそんなことは考えられない。でも、もしかしたらそうなるかもしれないという漠然とした不安はある。今読むのと、自分が決心したときに読むのとでは雲泥の差の感じ方があるかな。とりあえず今の私は、私にできることをやるだけだ。やるだけやったら、どっちに転んでも、自分の答えが見つかるだろう。本の中の女性たちは「あの時こうしていれば…」と悔やんでいる人も少なくない。どれだけ悔やんでも過去はかえられない。自分が後悔しないように。思いっきり、やろう。出来るときに出来る事を。』子どもを産み育てることへの願望が薄いことを悩みながらも始めた不妊治療でしたが、治療が進み、すぐにできるものではないのだという事実を知るごとに、「産めないかもしれない」と考えたときに得体のしれない恐怖も感じていました。この本を読んだ私は、いろんな不安をぶるぶるっとふるい落とし、「今、やるしかないのだ」と改めて気合いを入れたようでした。図書館で借りるときは、本のタイトルとともに貸出日・返却日・利用者番号などを書いた小さなレシートのような紙を渡されます。返却を遅滞しないようにという目的でしょう。この本を読んでいる途中、ひらりとその紙が落ちてきました。私のものではありません。貸出日は去年の同じ頃。借りた本の名前がつらつらと並んでいます。文字数に制限があるらしく、タイトルは途中で切れていましたが、「産まない女」として生・・・あきらめないであなたの・・・大人の刺繍バッグをつく・・・おそらく女性でしょう。私と一緒で不妊の人。『あきらめないであなたの…』の後に続くのはきっと『赤ちゃん』。彼女もまた、産みたい気持ちと産めないかもしれない不安の間で揺れていたのかもしれません。その答えをいろんな情報に求めている。ちくちくとバッグを縫いながら…勝手にそんな想像をしていました。自分の人生なのだから自分で決めていい。決めていいはずなのに、どうして思い描いたとおりに進むことが難しいのでしょう。子どもを持つ持たないに関しては、特に。それとも人生は誰かに与えられるものなのでしょうか。神様の領域なのでしょうか。あの女性が今、どの人生であっても幸せであってほしい、そう思いました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月21日六本木レディースクリニックはこのほど、「妊活に関する調査」の結果を明らかにした。同調査は1月23日~25日、全国の20~40代の妊活・不妊治療経験者と未経験者女性900人を対象にインターネットで実施したもの。20歳のときに思っていた想定妊活開始年齢を尋ねたところ、全体の平均は27.35歳だった。しかし、不妊治療を経て子どもを授かった女性に実際の妊活開始年齢を聞くと、全体平均より2歳高い29.4歳となった。妊活開始の理想的な年齢は「26.3歳」で、実際に出産を経験した女性でも、想像と現実に約3年の開きがあることがわかった。不妊治療経験のある人に対し、妊活を開始してから不安を感じるまでの期間を尋ねたところ、子どもがいる人は平均8.66カ月、子どものいない人は平均8.55カ月だった。実際に不安を感じてから病院を受診するまでの期間は、子どもがいる人は2.25カ月、子どものいない人は3.35カ月で、子どもがいる人の方が約1.1カ月受診が早かった。実際に妊活として取り組んだことを尋ねたところ、「身体面」「生活習慣」「情報収集」という回答が上位を占め、「経済面」は後回しになっていることがわかった。しかし、不妊治療において最も大変なこと聞くと、1位の「精神的な負担・ストレス」(37.3%)に次いで、「金銭的な負担」(13.3%)が多くなっている。不妊治療経験のある人に対し、実際に不妊治療にかかった金額(総額)を聞くと、平均は93万円だった。許容できる金額を聞いたところ、不妊治療を経験ありの人は平均118万円で、中には500万円以上という回答もあった。一方、妊活経験ありの人は平均61万円、不妊治療・妊活も経験ない人は66万円だった。パートナーが妊活に対し積極的か(妊活を経験したことがない人は、自分が経験した場合を想定して回答)尋ねたところ、不妊治療を経て子どもを授かった女性は80.3%が「積極的」と回答した。子どもがいない既婚女性は62.0%が「積極的」と答えている。不妊治療で頼りになった人について聞くと(不妊治療を経験したことがない人は、自分が経験した場合を想定して回答)、不妊治療を経て子どもを授かった女性の60.3%、子どもがいない既婚女性の47.0%は「配偶者」と答えた。独身女性の場合、「配偶者が頼りになりそう」と回答したのは34.3%にとどまっている。不妊治療を経て子どもを授かった女性に妊娠を希望する女性へのアドバイスを聞いたところ、「望んでもすぐに妊娠するわけではないということを知っておく」(32.3%)が最も多かった。次いで、「ストレスを溜めない」(32.0%)、「貯蓄を増やす」(27.7%)となっている。不妊治療を経て子どもを授かった女性に妊活・不妊治療を経験してよかったことを尋ねると、48.3%が「子どもをさらに愛おしく思えた」と回答した。「同じような境遇の人に気をつけるようになった」(40.0%)や、「パートナーとの仲が深まった」(25.7%)という回答も多かった。
2018年02月20日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。採卵を終え一安心するも移植可能な胚盤胞がいくつできたか…ドキドキしながら結果を待ちます。移植できる卵はいくつできたか採卵の3日後、心配していた採卵後のOHSS( 第21話参照 )についてチェックするために、体重と腹囲を計測しました。採卵直後とあまり変わっていませんでしたが、内診してもらうと、少し腹水がたまっていました。残った卵胞たちもかなり大きくなっていました。それに伴い、卵巣も腫れているようです。言われてみれば、少し張った感じはありました。もう少し水が溜まってたら、かなり苦しかったと思うよ~とドクターに言われました。残った卵胞はもう排卵しないので、これ以上症状が悪化することはないとのことで、軽いOHSSとの診断です。これくらいで済んで本当に良かったです。しばらくは、飛んだり跳ねたりはNGです。卵巣がぐるんと捻じれると大変なのです。(余談ですがこの7年後、本当に捻じれてしまい(卵巣茎捻転)救急搬送されました。幸い手術は免れましたが、正直出産より痛かったです!二度と味わいたくない痛みです。)腫れた卵巣は1ヶ月で戻るのは難しいかもとのことで、移植は年明けになりました。年末はゆっくり過ごせるんだぁ~と嬉しくなりました。受精から5日経ちました。13個の受精卵のうち、いくつ胚盤胞になったか電話で確認します。高校受験のドキドキを思い出します。結果…10個!おぉ。想像していたより多い!4日目の夕方に初期胚盤胞になったものが4個。あとは5日目以降になったものが6個。私の場合はそれら全てを凍結し、OHSSが改善されてからの移植になります。4日目の4個は各1個ずつ凍結しました。5日目以降のものは各2個ずつ一緒に凍結しました。なかなかいい卵です。とドクター。とりあえず高校に合格したようです(笑)。あとは無事に卒業できるか…何はともあれ、移植できる卵が凍結できてホッとしました。最後に言われた、凍結料金9万円は悲しかったけれど…。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月07日結婚して、子どもを望み、子作り(妊活)すれば子どもはできる。多くの女性が、それも若ければ若いほどそう思っているのではないでしょうか? 私もそうでした。でも、現実はそうでないこともあるのです。20代で始まった私の不妊治療をお伝えしようと思います。文・mimi【20代からはじまった不妊治療】vol. 4(最終回)タイミングと体外受精、努力は報われない前回までのお話はこちらをどうぞ。クリニックでタイミング法をしてもらうも、一度も妊娠することがなかったので20代最後の29歳から再びKクリニックで体外受精にトライすることにしました。このころは生理がくるたびに、ヒステリックをおこし心身共に疲弊しきっていました。仕事はやめずに働きながら治療をすることにしました。不妊治療はなんとなくスケジュールが予想できるものの、病院が指定する日時は絶対です(●月●日朝●時と指定されます)。その度に、遅刻・早退をしなければなりません。毎回仕事が休みの日であればよいのですが、そううまいこといきません。自分が不妊治療をしていることをカミングアウトしたくありませんでしたが、上司に報告し、通院の際に遅刻早退しながら治療を続けました。私の仕事は担当制の事務職で早退や遅刻しなければならない日の前後に早出・残業することで周りのメンバーへの負担は最小限に抑えることができました。また周りからの、なんであの人はいつも特別に遅刻早退しているのだろう?という疑問も公表することでモヤモヤは少なかったと思います。3回目の移植で、妊娠結果8回採卵をし、ありがたいことに3回目の移植で子どもを授かることができました(受精卵を体にもどす移植は無痛です)。治療費は100万円を軽く超え、金銭的にも辛いので移植は一年に3回までと決めていた中での妊娠でした。不妊治療は妊娠というゴールに向かって進もうとしても何度も「ふりだしにもどる」でスタート地点に突き返される感覚でした。妊娠がわかった後、嬉しい気持ちとともにいつふりだしに戻されるかわからない恐怖が無事に出産できるまで常にありました。20代で不妊ということは、おそらく稀なほうではないかと思います。でも思えば結婚前、万が一子どもができてもいいよね!ということで避妊していませんでした。しかし妊娠することはありませんでした。もしかしたら私は結婚前から「不妊」だったのかもしれません。誰もがみな母親から生まれてきているので、女性は小さい頃から当たり前のように「大きくなったら私も子どもを産むんだ!」と思っている方が多いと思います。あの頃はいとも簡単に妊娠できる、なんなら赤ちゃんはコウノトリが運んでくると思っていたのではないでしょうか? だから自分が「不妊症」ということがわかったら、幼い頃から信じてきたことが覆されるからショックが大きいのだと思います。妊娠って奇跡の結晶です。「妊娠できなくてかわいそう」と思っているのは自分だけ生理が来ている=妊娠できるというわけではありません。子どもが欲しいけどなかなかできない。でも生理が来ているから大丈夫なんて思ったら、一度病院にいって検査をしてほしいです。問題がなければそれでよし、万が一問題があってもきっと解決策があります。また、不妊治療はひとりで抱え込まないが鉄則です。私は殻に閉じこもりがちで自分自身のことを「不妊治療をしている私ってとってもかわいそう」と思っていました。しかし治療を終え「かわいそう」と思っていたのは自分だけだと思いました。本当にあなたのことを想ってくれる人であれば全力で応援してくれるはずです。実際に心無い言動で傷ついたこともありました。だけど、そういう人はもう金輪際関わらなければよいんです。人間関係の断捨離をしました。まだ30数年しか生きていませんが、20代で不妊治療を経験し、自分の努力だけではどうにもならないことがあるのを痛感しました。#体にいいコト 記事を、もっとみる。#恋愛 記事、#占い 記事、#セックス 記事も読んでみる。※ 【恐怖! 年々目立つ…】毛穴、たるみ、くすみ。肌トラブル対策を教えて!(C)poplasen/Gettyimages(C)Marjan_Apostolovic/Gettyimages(C)paylessimages/Gettyimages(C)shapecharge/Gettyimages
2018年02月06日結婚して、子どもを望み、子作り(妊活)すれば子どもはできる。多くの女性が、それも若ければ若いほどそう思っているのではないでしょうか? 私もそうでした。でも、現実はそうでないこともあるのです。20代で始まった私の不妊治療をお伝えしようと思います。文・mimi【20代からはじまった不妊治療】vol. 3初の体外受精は失敗。もう一度タイミング法に前回までのお話はこちらをどうぞ。初めての体外受精は「採卵数ゼロ」という残念な結果になり、薬が合わず救急車で運ばれたショックや金銭的な面、そしてやはり20代で不妊ということが受け入れられず、体外受精はいったんお休みにして、1年間を限度に近所のレディースクリニック(以下Aクリニック)で排卵誘発剤を処方してもらいながらタイミングをみてもうらうことにしました。同時に妊娠しやすい体作りが大切だと思い、ウォーキング、ヨガ、怪しいマッサージ、温かいものしか飲まない、骨盤矯正など、妊娠によいとされたものをとことん試し続けました。基礎体温に振り回される生理周期は相変わらず35日前後。生理3日目から5日間排卵誘発剤を服用し、生理12日目に卵胞の大きさ等をチェックしにAクリニックに行きました。タイミングを指示されるのはだいたい生理19〜21日目。基礎体温をつけ続けていたのですが、タイミングを取った後体温が高くなるとテンションが上がり、しかし生理予定日になるとバッチリ下降するのです(妊娠していれば生理予定日を過ぎても高温のまま)。基礎体温が低く検出された日は何度も体温を測り直し(基礎体温は朝イチに体をほとんど動かさずベッドの中で計らないといけません。)、仕事中に「体温下がったけど陽性」「妊娠超初期症状」「着床出血」「茶オリ 妊娠」このような単語を何度も何度も調べました。知識がドンドン増えていきます。1日予定日を過ぎただけでひとりで妊娠検査薬を使い、陰性反応に凹みつつも心のどこかですっごく期待し、その後生理になり撃沈する。体温ってすごく正直なんです。生理になるたびに主人に「ごめんね。」と泣きながら謝りました。その度に「また頑張ろう。」と慰めてくれるのがまた辛く……。初めのうちは泣いてばかりでしたが、次第に生理がくるたびにヒステリックを起こすようになり、毎回夫婦喧嘩をするようになりました。友人がどんどん妊娠していく……Aクリニックでタイミングを見てもらい始めて、3か月ほどしたころから既婚友人の「妊娠ラッシュ」が始まりました。しかも、生理1日目で凹んでいる時など「なんで今日に限って」という時に報告があって、そういう時は正直辛かったです。SNSをみればマタニティライフを楽しんだり、育児に奮闘している友人がおり、その姿が羨ましく、辛く、そんな自分が嫌になっていきました。芸能人のおめでたニュースでさえ辛く感じるようになりました。器が小さいと思われてもしょうがないけど、どうして私たち夫婦は子どもが授からないんだというなんとも言えない冴えない気持ちになったり、みな努力をしないで妊娠しているのに私はどうして努力をして妊娠しなければならないのかとか、そもそも子どもって授かりものなのにどうして努力をしなければならないのか、友人の妊娠というおめでたい話を心からおめでたいと思えず嫉妬している自分が嫌でたまらず、辛かった。そんな時に救われたのは小学校からの親友のひと言。「○○(私)は友だちが多いから、それだけ報告が多いんだよ」。辛い時は友人のこの言葉を思い出し、また同じ悩みを抱えている方たちのブログなどをみて励まされましたが、Aクリニックでタイミング法を続けても、妊娠によいとされるものをいろいろ試しても、私が妊娠することはありませんでした。#体にいいコト 記事を、もっとみる。#恋愛 記事、#占い 記事、#セックス 記事も読んでみる。※ 【恐怖! 年々目立つ…】毛穴、たるみ、くすみ。肌トラブル対策を教えて!(C)kieferpix/Gettyimages(C)Blair_witch/Gettyimages(C)bee32/Gettyimages
2018年01月30日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。いよいよお腹から卵子を取り出す採卵の様子についてです。身体的にも痛いその治療は、実に懐にも大変痛かった…という後の費用のお話も…。卵はいくつ採れたかな?下半身を丸出しにして、大股を開いています。これから、卵巣内で育てた約30個の卵を採卵します。何度も卵巣に針を刺す…その想像だけでかなりドキドキしています。まず3回ほど子宮内を消毒しました。その後、膣内に局所麻酔を施します。この工程も地味に痛いけれど、まだ我慢できる痛みです。いよいよ針の挿入です。…くぅ、なんのこれしき…。歯を食いしばります。超音波によって、画面に卵巣の様子が映されています。もう一つの画面には、採った卵を入れる培養液の入ったシャーレが映っています。針が卵胞をググッと押してプシュッと入ります。プシュッと卵胞に針が刺さる瞬間はお腹の中でも感じました。針先から卵胞内の液ごと卵子が吸い込まれ、卵胞はしゅるるると小さくしぼみました。吸い込んだ卵子はシャーレに移されます。モヤモヤとした液体の中に包まれた白い丸い小さな点。「あれが私の子ども…」単純に思いました。こんな時期から顔を合わせることができるなんて、すごいなぁって。君が卵の頃から知ってるんだよ、なんて子どもに話すときがくるのかな。何個か吸った後、角度を変えるため、ドクターが針を動かしました。「ヴ~~~×△×、い、痛い~!」でも痛いって言ってもヤメてもらえるわけもなく(笑)、我慢です。手術室内に流れるBGM(平井堅さんでした)に耳を傾けたりして、痛みを無視…できるわけもなく、ただただ歯を食いしばり堪えました。20分くらい経ったでしょうか、採卵が終了しました。消毒して、2分ほど横になります。看護師さんに「休んでいきますか?」と聞かれましたが、そんなに痛みを感じなかったので大丈夫です。とすぐに着替えて、待合室で待つオットの元へ戻りました。しかし、ドクターの説明を待つ間、段々とお腹に痛みを感じ始めました。診察室に呼ばれ、ドクターから説明を受けます。「卵は20個採れました。OHSSを防ぐために、未熟な卵もあえて採りました。ですので、20個全てが受精卵になることはないでしょう。また、ご主人の精子の値が30%台とよくありませんでした。数次第では顕微授精(ICSI)にするかもしれません。」顕微授精とは、顕微鏡で見ながら卵子のなかに精子を針で直接注入し授精させる方法です。まだ不妊治療について知識が全くない頃、よくイメージしていた『卵子に針がプスッと刺さる…』あの映像。体外受精は、卵子に精子を振りかけて自然に受精するのを待ちますが、顕微授精は人工的に授精を行うため、受精が成功する確率は高いとのこと…。というような内容でした…が、そんな話も遠くに聞こえるほど、お腹が痛い…。前屈みになって、苦悶の表情を浮かべる私に気付いたドクターから指示が出て、また安静室に戻り、1時間ほど休むことになりました。オットも傍らに付き添ってくれました。痛いのと、終わってホッとしたのと、オットがいてくれる安心感で、涙が二つ、ポロリポロリと落ちました。休んだおかげで、お腹の痛みはだいぶましになりました。この日のお会計、約199,000円。私の通っていたクリニックでは、採卵数により金額が加算されるシステムで、たくさん卵が採れた私は基本料金より5万円ほど金額が高くなっていました。数字を見て、また涙が出そうになりました(笑)。帰宅し、クリニックから電話がありました。結局、全て顕微授精になったとのこと。顕微授精の基本料金が約5万円が上乗せになりました。く、苦しい。お腹も痛いけど、財布も痛い…。でも、凍結卵があれば、次回からの移植は、排卵誘発も採卵もしなくていいのです。その分の体と金額の負担はないので、ヨシとしよう。と自分を納得させました。受精したかどうかの結果は翌日分かります。培養士さんから電話がかかってくることになっています。たくさん受精してくれますように…。今のところ、野球チームもサッカーチームも作れるね、とオットと笑いました。翌日、受精確認の電話がきました。採卵した20個のうち、成熟卵が17個。そのうち受精したのが13個とのことでした。これから5日間かけて胚盤胞まで培養するそうです。胚盤胞まで培養すると良質な胚を選定でき、初期胚よりも着床率は高くなるとのこと。受精した卵は、分裂を繰り返し胚盤胞の状態になって子宮内に着床します。その状態まで体外で培養することで、卵が自力で成長する期間が短くてすむメリットもあるようです。胚盤胞になる確率は全体の5~6割程度とのこと。ということは6~7個移植できるのね…。じゃあ…バレーチームかぁ(笑)実感の湧かない私たちは、のほほんとこんな皮算用をしてこの時期を過ごしていました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月24日結婚して、子どもを望み、子作り(妊活)すれば子どもはできる。多くの女性が、それも若ければ若いほどそう思っているのではないでしょうか? 私もそうでした。でも、現実はそうでないこともあるのです。20代で始まった私の不妊治療をお伝えしようと思います。文・mimi【20代からはじまった不妊治療】vol. 2認めたくなかった「不妊」前回の記事はこちらをどうぞ。不妊専門の病院で20代で「不妊」のレッテルを貼られた私。医師によっていろいろと考え方はあるようですが、生理周期が35日ということは、排卵日がだいたい生理21日前後と推定され卵子の質がよくないとのことでした。またホルモン値については、全てにおいてあまりよくなかったのですが、体の中にあとどのくらい卵子が残っているかを示すAMHというホルモンの値がなんと40代半ばの数値でした。女性は生まれながらに卵子の数が決まっていて、加齢とともに減少していくのですが、私の卵子は20代後半にして卵子の数は残りわずかなものでした。どうしてこうなったのか、原因は不明です。それなのに自分が「不妊」であることを信じられない、認めたくない、という気持ちでいっぱいでした。でも、やっぱり子どもは欲しい。そしてこのモヤモヤした状態から早く抜け出したいと思っていました。夫婦の決断は「体外受精」不妊治療は次のような方法があります。STEP1タイミング法排卵誘発剤を服用しエコーでタイミングを指導してもらう。費用は1回あたり数千円。レディースクリニック・婦人科等で診察可能。STEP2人工授精採精し、排卵しそうなタイミングで体に精子を戻す。費用は1回あたり3万円前後。STEP3体外受精採精&採卵し、受精卵になったものを体に戻す。費用は1回あたり数十万円。このようにステップアップしていきます。徐々に進めてもいいし、STEP1からSTEP3にいってもよいし、いきなりSTEP3にしてもいいのです。私はすでにタイミング法を試しており、人工授精も厳しいと言われていたので体外受精をすることになりました。「とりあえず」と簡単にできる治療ではありません。膨大なお金がかかります。でも子どもを授かるためなら……という思いでチャレンジすることにしました。一刻も早く妊娠することだけが目標でした。私が行った体外受精のざっくりとした流れは、排卵誘発剤で排卵を誘発し、排卵する前に採卵し、精子と受精させて培養し、その受精卵を再び体に戻す(移植する)というものでした。不安もありましたが、体外受精をすれば妊娠に近づけると心の中では大いに期待をしていました。妊娠してもしなくても膨大な費用がかかるので、ある意味ギャンブルです。体に異変! 救急車で搬送しかし、初めての体外受精で使用した排卵誘発剤は今まで服用していたものと異なり、副作用で倒れてしまったのです。朝食後薬を飲んで会社へ行き、業務をこなしていたのですが、夕方ごろ急激にだるくなったのです。軽い貧血かな?と思ったのですが、ちょっと様子がおかしく医務室で休むことにしました。一時間ほど眠り、目が覚めたら心臓が異常にバクバクします。初めての経験でした。もう少し休んだら治るかな?と思い横になってもバクバクは治らず、救急車で運ばれました。脈拍は130を超え、救急車の中では何度もアラート音がなりました。病院に到着し検査をした結果心臓には異常なく、血液検査で肝臓の数値が異常に高く、排卵誘発剤を服用したことが原因とわかりました。点滴をして、体調が少し落ち着いたところで、迎えに来てくれた主人と家へ帰りました。初めてトライ。結果は……Kクリニックに連絡をするとすぐに薬の服用中止が指示されました。このタイミングは諦めて次月に別の排卵誘発剤で体外受精をするという選択肢もありましたが、生理は来ているから排卵はするだろうと夫婦で判断し、そのまま体外受精を進めることにしました。とにかく早く妊娠したかったのです。そして、いよいよ初めての採卵の日。緊張しながらも、妊娠に一歩近づけるという期待を胸に夫婦で病院に行きました。採卵は膣の中に器具をいれ、卵胞に針をさして卵胞液を吸うという方法です。Kクリニックでは採卵は無麻酔で行われます。10数台ある採卵のための待合ベッドは全てカーテンで閉められ、呼ばれるとひとりずつ歩いて手術室へ向かいます。手術室の中は薄暗く、その真ん中に内診台のような手術台がありました。手術台に乗ったら足を広げ、動かないようにベルトで巻かれて、消毒、採卵、消毒という流れです。カチャンカチャンという金属機器の音が怖く、採卵の痛みは我慢できるとはいえ体の中を針で刺されているので気持ちが悪い痛みです。採卵数にもよりますがだいたい5分程度。意識があり、嫌な痛みがあるので長く感じます。初めての採卵後、痛くて辛かったけどまた妊娠に一歩近づけた! 次は移植だ! とベッドで休みながら期待していたら看護師さんがやって来て紙を渡されました。「今回の採卵数は0です。」救急車で運ばれて、痛い思いをしたのに採卵数ゼロって……。次に進めるという期待から我慢できていた痛みが我慢できなくなりました。そして、早朝から一緒に来てくれた主人に申し訳ない、どんな顔をあわせれば良いのか、私たちには子どもができるのか……。不安になってきてベッドの上で泣いてしまいました。意を決して体外受精をすることに決めたものの、その前段階の採卵さえできず、初めての体外受精ではいきなり奈落の底に突き落とされたのでした。#体にいいコト 記事を、もっとみる。#恋愛 記事、#占い 記事、#セックス 記事も読んでみる。※ 【恐怖! 年々目立つ…】毛穴、たるみ、くすみ。肌トラブル対策を教えて!(C)bee32/Gettyimages(C)HPCPHOTO/Gettyimages(C)Hin255/Gettyimages
2018年01月23日結婚して、子どもを望み、子作り(妊活)すれば子どもはできる。多くの女性が、それも若ければ若いほどそう思っているのではないでしょうか? 私もそうでした。でも、現実はそうでないこともあるのです。20代で始まった私の不妊治療をお伝えしようと思います。文・mimi【20代からはじまった不妊治療】vol. 1すぐ妊娠できると思っていた私が結婚したのは24歳になってすぐの頃。周りからは「結婚早いね〜」と言われ、自分自身でもこんなに早く結婚するなんて思っていませんでした。でもずっと好きだった相手だし、全てがトントン拍子で進んで決まったのでなんの迷いもありませんでした。結婚後は夫婦ともに「新婚生活は3年くらい楽しみたいね!」と考えていて海外旅行へ行ったり、お互い仕事にプライベートに充実した時を過ごしていました。結婚丸3年を迎え、「そろそろ子どもを」と考えていた頃に主人の転勤が決まりました。それに伴い、私は仕事をやめて新天地で転職。この時私は27歳でした。転職してすぐに妊娠がわかるのもなんかいやらしいと思い、転職から2か月ほどして妊活を開始。当初3か月くらい頑張ればできるのではないかと軽く考えていました。生理予定日が近づくと「妊娠してるかな〜?」とワクワクし、生理がくると「また来月がんばろ〜!」と前向きに考えていました。しかし、妊活開始から3か月をすぎた頃から夫婦間で「なんかおかしい」と感じるように。生理前のイライラは毎月あるけど、ほぼ35日周期で生理も来ているのに赤ちゃんができない。「なぜ?」と思うようになりました。もしかして私って……。この「……」の部分、妊活後生理が3回来た時点でうっすら感じ始めていました。でも、まだ20代だしそんなことあるわけがない、認めたくないと思っていました。医師から告げられた「自然妊娠はしにくい」仕事中や通勤中に時間を見つけては「妊娠・不妊」についていろいろと調べるようになり、基礎体温をつけ始めました。また、排卵誘発剤というものがあることを知り、レディースクリニックで処方してもらいエコーで卵胞の大きさなどをみてタイミング指導をしてもらいました。しかし、妊娠検査薬で陽性が出ることなく、次第に毎月の生理開始日が辛いものになっていきました。妊娠できない理由がわからず、私たち夫婦はとても焦りはじめました。たまたま、主人の会社の先輩が体外受精で子どもを授かっており、とりあえず検査だけして問題がないかだけ見てももらおうかという気軽な気持ちで不妊専門病院へ行くことにしました。病院には「子どもを授かりたい」というただひとつの共通の願いをもった夫婦が何組もいました。みな同じ向きに座り、会話はなく、どんよりとした重い空気で占められていました。血液検査・内診・旦那の精液検査などを行い、3時間近く待ってやっと先生との診察。私たちが椅子に座るなりいわれたのは「自然妊娠はしにくいですね」のひと言。理由は、先生曰く次のようなことでした。・生理周期が35日は長い・ホルモン値がよくないちなみに主人には問題はなし。診察室を出た途端、なんとなく感じていたけど認めたくないことを先生に指摘されて、だけどやっぱりそれを認めたくない・信じたくない・信じられない……いろいろな思いと不安な気持ちが波のように襲ってきて病院で号泣。専門病院で検査をして先生に「大丈夫ですよ。じきに妊娠できますよ」と言われることを期待していたのに……。こうして20代で不妊治療が始まりました。#体にいいコト 記事を、もっとみる。#恋愛 記事、#占い 記事、#セックス 記事も読んでみる。※ 【恐怖! 年々目立つ…】毛穴、たるみ、くすみ。肌トラブル対策を教えて!(C)Dash_med/Gettyimages(C)artisteer/Gettyimages(C)va103/Gettyimages
2018年01月16日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。お腹の中で卵子を育てるために定期的に注射を続けるこてつさん。はたしてその結果とは…。お腹の卵は何パック?卵を育てるため、激痛の注射を打ちました。妊婦さんに囲まれながら、地元の産婦人科に通い、毎日打ち続けました。たくさんの卵が順調に育っているのか、お腹が張ってくるのを感じます。7日目、クリニックで超音波検査をしました。卵胞(卵子の入っている袋)の数は左右合わせて約30個ありました。そりゃ、お腹も張るわ。大きい卵胞で18mm程度になっていました。OHSS(卵巣過剰刺激症候群)の可能性も?採血の結果、2日後に採卵が決定しました。その後、看護師・培養士より説明を受けました。オットの精子は、人工授精のときと同じく自宅で採取します。てっきり病院で活きのいい精子を採るもんだと思っていたので拍子抜けしました。男性は、こんなときぐらいしか治療に関わっていると実感できる時はないのに、なんだか悔しくなりました。いやいや、採卵の日は、会社を休んで付き添ってくれるというオットです。ありがとうと言わねば(笑)。培養士によると、今回の私の場合、OHSSになる確立は高いとのこと。〔OHSS(卵巣過剰刺激症候群):卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まる。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすい。※医者より説明された内容で筆者が記憶しているものです。〕30個近くの卵は採卵で全て採るわけではなく、未熟なものはそのまま残します。その残した卵が後々、排卵したりして腹水が溜まることがあるそうです。治療仲間で20個採卵した人はOHSSになった話も聞いていたので、ドキドキしてきました。そして採卵は、卵の数が多ければ多いほど時間もかかるし、角度を変えるため何度も針を刺し直すそうです。膣壁には局所麻酔をするけれど、卵巣には麻酔ができない…ということで痛いらしい。うーん、うーん。怖いよう。怖さから、オットへの恨み節が再燃しました。(笑)その日の夜、地元の産婦人科にて排卵させるための注射を打ちました。いよいよ採卵当日採卵日当日になりました。朝6時半に起床。採精のため、オットを一人寝室に残し、シャワーを浴びました。無事にオットの精子、確保。痛み止めの坐薬を入れて、クリニックへ向かいました。クリニックに到着後、ほどなくして看護師さんに呼ばれました。安静室と呼ばれる部屋で血圧を測定後、下半身裸になり、上から手術着を着用しました。歩いて隣の手術室へ移動します。足を台に乗せ、大股開きになります。普段の診察はカーテンがあるのに今日はありません。ドクターの顔が股越しに見えます。そして私のお股にはスポットライトが。…なかなか、いや、かなり恥ずかしかったです。いよいよ採卵が始まります。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月10日薄毛に対する有効な治療法とされる植毛ですが、一方で治療費が高額になるイメージもあります。実際に植毛を行うとした場合、どのくらいの値段になるのでしょうか。また、植毛はどのように行われるのか、副作用の心配はないのか、仮に手術を受けた場合に術後の日常生活にはどのような制約が出てくるのかといった植毛の疑問について解説します。そもそも、「植毛」と言っても1つの治療法だけではありません。まずは植毛の種類について簡単にご紹介します。植毛とは植毛は、文字通り薄毛の部分に髪の毛を移植する薄毛の治療です。植毛には2種類があります。自毛植毛人工毛植毛まずは、それぞれの特徴を簡単に解説しましょう。自毛植毛とは自毛植毛とは、自分の髪の毛を移植する植毛方法です。男性型の薄毛の場合、生え際や頭頂部の毛髪が薄くなっても、側頭部や後頭部の毛髪は残っている傾向があります。その側頭部や後頭部の髪の毛を採取し、移植するのが自毛植毛です。移植する髪の毛は毛根から採取して移植するため、もともとの髪の毛と同じく伸びます。人工毛植毛とは人工毛植毛とは、人工的に作られた毛髪を薄毛の部分に移植する施術です。人工毛は合成繊維でできています。髪の毛が薄くなっている部分に希望の本数だけ人工毛の移植が可能です。増毛と植毛の違いとは植毛は自分の髪の毛もしくは人工の髪の毛を移植することで薄毛を改善する方法ですが、同じく薄毛を改善する方法として「増毛」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。増毛と植毛は、何が違うのでしょうか。増毛とは、育毛や発毛に近い治療と言えます。髪の毛の成長サイクルを正常な状態に近づけることで、薄毛となっている部分にある毛母細胞から新しい髪の毛が成長しやすくする治療です。植毛は外科的治療となりますが、増毛は塗り薬や飲み薬をメインに行われます。男性型脱毛症(AGA)は、進行すると毛母細胞が死滅してしまい、薬による治療が難しくなります。そのような場合でも可能な治療法が植毛なのです。自毛植毛と人工毛植毛のメリット・デメリット自毛植毛と人工毛植毛には、それぞれメリットもデメリットもあります。それぞれについて解説しましょう。自毛植毛自毛植毛のメリット・デメリットとして以下のことがあげられます。自毛植毛のメリット自分の組織を移植することから頭皮への悪影響が少ない、一度定着すれば普通の髪の毛と同じくまた生える可能性がある。自毛植毛のデメリットAGAの進行をおさえる治療は続ける必要がある、生えそろうまでにある程度の期間が必要となる(8〜10か月程度)。AGAの場合、自毛植毛を行って髪の毛が定着後であってもAGAの進行を抑えるため、薬による治療は継続する必要があります。しかし、もともと自分の組織であることから、身体が異物として認識して拒絶反応を起こすことは少ないと言えるでしょう。人工毛植毛次に、人工毛植毛のメリットとデメリットを解説します。人工毛植毛のメリットある程度長い毛を移植することから変化をすぐに実感できる人工毛植毛のデメリット人間の身体が人工毛を異物とみなして拒絶反応が起こる可能性が非常に高い(炎症や化膿の発生)、運良く拒絶反応をまぬがれても、経年劣化によるメンテナンスが必要な場合もあるなお、アメリカの「アメリカ食品医薬品局(FDA)」では、この人工毛そのものが「有害器具」に指定されており、多くの州で人工毛の使用が禁止されています。また、日本でも人工毛による治療は「日本皮膚科学会」が発表している「男性型脱毛症の診療ガイドライン」で「行わないよう勧められる」の意味のD評価となっています。植毛の治療法とは同じ自毛植毛の中でも、メスを使用する方法やメスを使用しない治療法など、いくつかの方法があります。どのような治療法があるかについて、簡単に解説します。自毛植毛自毛植毛は、以下の方法があります。FUSS法(ストリップ法)メスで頭皮を部分的に切り取り、細かい株にわけて薄毛部分に一つひとつ移植します。皮膚を大きく切ることから、術後の傷跡や1回の手術で移植できる株の数といった部分にデメリットがあります。FUE法移植する髪の毛を毛穴ごとにパンチを用いてくりぬき、移植する方法です。FUSS法より傷跡が小さく、痛みも軽減される傾向があるとされています。このほか、頭皮の一部を残して移植部分を切り取り、皮膚を縫い付けて移植する方法や、薄毛部分の頭皮を切り取って周囲の皮膚と縫い合わせる縮小術といった方法もあります。しかし、これらはほとんどの場合ごく小範囲の治療にしか適応できず、また身体への負担の大きさから減少傾向にあります。人工毛植毛人工毛植毛は、合成繊維でできた人工毛を体内に挿入する方法で、自毛植毛のような術式の違いはありません。なお、埋め込むだけとはいえ医療行為となります。植毛は失敗しないの?自毛植毛の場合、治療によって治療前よりも状態が悪化したという報告はなく、そういった意味での失敗はほぼ心配ないといわれています。ただし、移植した部分に髪の毛が生着せずに十分に見た目の変化を得られないという可能性はあります。これは、手術方法や医師の技術、アフターケアなどによっても異なります。一方、人工毛植毛の場合は、拒絶反応やアレルギー反応などによって炎症や化膿を起こす可能性が非常に高く、毛穴という毛穴が炎症と感染を起こし、頭皮全体がただれてしまった例などがあります。植毛の値段の相場とは植毛にかかる費用は、自毛植毛か人工毛植毛か、また、どのような術式で行われるかなどによって異なります。おおよその値段の相場をご紹介します。植毛は保険適用外植毛は、保険が適用されない自由診療の治療です。保険診療と自由診療の違いについて、簡単におさらいしましょう。保険診療とは、治療内容が同じであればどのクリニックでも値段が同じ治療です。また、患者の負担は治療費の3割負担が基本となっています。一方、自由診療は同じ治療内容や素材でも、クリニックが独自に費用を設定しています。また、治療費は全額、患者負担となります。そのため、自由診療のほうが患者の費用負担が大きくなりやすい傾向があります。自毛植毛にかかる値段とは自毛移植の費用は、基本的に「固定の基本費用」と「株数に応じた植毛費用」の合計で設定されています。ここで言う「株」とは、毛穴のことを指します。1つの毛穴からは1本だけ髪の毛が映えている場合もあれば、2本から4本ほど生えている毛穴もあります。そのため、1つの毛穴を1株とし、移植する株数に応じた金額が設定されているクリニックが多いようです。また、基本費用も術式によって異なるのが一般的です。移植する面積や株数によっては、値段の合計が100万円を大きく超える場合もあります。人工毛植毛にかかる値段とは人工毛植毛の場合、移植する本数によって値段を定めているクリニックが多いようです。そのため、費用に関しては一概に言えませんが、3000本の植毛では100万円を下回るくらいの費用設定をしているクリニックが多いようです。しかし、拒絶反応や感染のリスクの高さを考えると、安いから受けやすい治療とは一概には言い切れない可能性もあるので熟考が必要です。植毛による副作用人工毛植毛と比べれば安全性が高いと考えられる自毛植毛にも副作用が起きる可能性はあります。ここでは、主に自毛植毛で起きる可能性のある副作用を簡単にご紹介します。出血・痛み・かさぶた手術を行った翌日から2日目くらいまでに、まれににじむ程度の出血が見られることがあります。ほとんどの場合、ティッシュなどで数分間圧迫すれば出血は止まります。また、毛髪を採取した部分に軽いつっぱり感が出ることもあります。クリニックによっては、痛みが強いときに服用する鎮痛薬を処方してくれるでしょう。また、移植した部分にかさぶたができます。これは10日ほどで取れますが、かゆみを感じることがあってもゴシゴシとこすったり、かいたりしないよう気をつけましょう。おでこや目の周囲の腫れ手術による影響で術後5日目くらいまではおでこや目のまわりが少しむくんだように腫れる場合があります。ただし、1週間ほどで自然に改善することがほとんどです。ショックロス自毛植毛を行った患者の20%ほどに現れるといわれている副作用として、「ショックロス」というものがあります。ショックロスとは、主に手術の1か月後から2か月後くらいに現れる、植毛した部分の周囲にもともと生えていた毛が脱毛する現象のことです。弱っていた髪の毛にショックロスが出やすいものの、その程度には個人差があります。ショックロスが現れる原因は、植毛時の小さな傷や、植毛によって血流が変化することなどではないかといわれていますが、正確にはわかっていません。なお、植毛後の脱毛としては、移植した毛髪が生着せずに脱毛している場合と、毛髪の成長サイクルによって自然に抜け落ちる一時的脱落が考えられます。術後1日ほどで抜け落ちたものは生着しなかった髪の毛であり、治療後数日してから抜け落ちる場合は一時的脱毛である可能性が高いと考えられます。植毛後に日常生活で気をつけること植毛は、基本的に日帰りで行われます。植毛を行った当日以降、日常生活で気をつけたいポイントとして以下のものがあげられます。植毛当日は髪を洗わない植毛翌日以降も、移植した部分にシャワーを直接当てないようにしながらシャンプーをする頭皮への刺激が強いシャンプーを避ける頭皮を強くこすらない過度な運動は術後しばらく控える喫煙も術後しばらく控える植毛をしてから2週間ほどすれば、日常生活における制限はかなり少なくなるでしょう。ただし、移植した髪の生着率を高めるためにも、日常生活における注意点は担当医師に確認するようにしてください。まとめ植毛の値段はクリニックや選択する治療法、植毛する本数や面積などによって異なりますが、決して安いとは言えません。しかし、進行したAGAなどにも適用できることから、植毛は特にAGAの最終手段ともいえる治療です。薄毛の悩みが気になる場合は、選択肢のひとつとして考えるのもよいでしょう。植毛にかかる値段のほかにも、どのような術式を受けるか、どのくらいの面積に植毛を行うかなど、選択することは多くあります。薄毛の悩みに応えているクリニックの中には、無料のカウンセリングを行っているクリニックも多いため、悩んだ場合はクリニックで相談してみることをおすすめします。監修:小野 健太郎
2017年12月20日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届けします。卵を大きく育てるための注射を定期的に打たなければいけないこてつさん。どうやら、その注射はとっても痛いらしいのです。妊娠するための試練!? 恐怖の注射卵巣嚢腫も問題ないとされ、その日から点鼻スプレーを始めることになりました。卵の発育を均一にするのと、自然に排卵しないように抑制するために使用するそうです。朝・昼・夜の3回。だいたい8時間おきに鼻にスプレーの先を差し込んでプシュッと投薬します。プールで鼻に水が入ったときのつーんという感じと、苦い味がして、美味しくはなかったです(笑)。これもピル同様、携帯にアラームをかけて投薬忘れを防止しました。ピルを予定日数飲み終わると3~4日で生理がきます。その後、7~10日間、卵を大きく育てるための注射が始まります。この注射については前々から恐怖を感じていました。なぜなら、経験者の友人みんなに「痛いよ~」と脅されていたからです(笑)。誰一人「痛くないよ」とは言ってくれません。みんな「痛いけど頑張ってね」と応援してくれるので、ビクビクしていました。 生理が来ました。生理5日目から注射が始まりました。採血後、処置室に入ると、初めての看護師さんでさらに不安になります。(これまでの経験で、痛みは看護師さんでも違うのではと疑っていました(笑)。)どこにしますか~と聞かれて、迷ったあげく右尻をチョイスしました。頭の中で「超痛いよ~ぉぉぉ!」という誰かの言葉がリフレインします。「刺しますね♪」と看護師さん。いちいち言わないでいいよぉ~(涙)。ブスッ。「(注射液を)入れますね♪」と看護師さん。だから、いちいち言わないでいいよぅ~(涙)。液が入ってくると、じわじわと痛みが大きくなってきて、ぬうぉぉ!痛い!!本当に一瞬、クラッと気が遠くなりました。でも、これで質のいい卵がたくさんできるのだから…我慢我慢。この注射があと7~10回あるのね…ふごーーっ(痛みでおかしくなりました(笑))。クリニックへは高速を使って1時間半かかります。毎日通うのは困難な場合、地元の産婦人科でも注射できると言われました。地元の産婦人科なら車で10分弱です。絶対楽に決まっています。でも、産婦人科。…妊婦さんいっぱい。落ち込まない自信があるだろうか、私…。知らない病院・先生よりいつものクリニックのほうが絶対リラックスできるだろうなぁ。体の楽をとるか、心の楽をとるか…。が、ドクターに「注射だけのために遠くからくるなんてもったいないよ」とバッサリ切られ、翌日からの注射は地元の産婦人科で受けることになりました。そうだよね、自分の体が疲れちゃ何にもならないものね。妊婦さんの妊娠菌を吸い尽くすくらいの勢い(笑)で行こう。翌日からは、左右の腕・お尻、と場所を変えながら打ちました。注射後はよく揉まないと、後にがちがちに硬くなってしいます。なので待合室には腕を揉みまくる女性たちがよく見られました。そしてどんなに揉んでも打ち身のような痛みは残ります。そこにまた翌日注射針を刺すのは辛すぎる…ということで私はそうしていました。クリニックの帰りに、腹巻を購入しました。薄手なので普段の服の下にも着られます。カイロを入れるポッケ付きです。「移植したら、着よう。」辛い治療を頑張ったら、その見返りは当然あるような気がして、いつのまにか体外受精を楽しみにしている自分がいました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2017年12月20日不妊治療を体外受精にステップアップする中村こてつさん。2ヶ月間、治療をお休みし充電期間を経て、いよいよ体外受精編の開始です。2005-8年の体験記になります。体外受精はじめましたタイミング療法→人工授精→体外受精と、不妊治療のお手本のように順調にステップアップしてしまいました。しかし、ここまで来たら後には引けません。2ヶ月間、治療をお休みして、心も身体もパワーはみなぎっています。9月末、生理開始。さあ、いよいよ体外受精、始動です!体外受精とは、卵巣から取り出した卵子を体外で受精(シャーレに入った卵子に精子をふりかける)させ、その受精卵を培養した後に子宮に戻す治療方法です。まず、採卵のための準備として、生理3日目から、低用量ピルを服用することになりました。避妊に使われるイメージの強いピルですが、不妊治療では卵巣の地ならし用な役割で、あとあと卵の質を均一にするために使用するそうです。飲み始めると高温期に入り、しばらくすると出血もなくなりました。ピル服用中は、飲酒も運動も性交も問題ないとのこと。(飲酒してよいかはいつも必ず聞いていた私です(笑))ただ飲み忘れは要注意です。生理が始まってしまいます。晩ご飯~就寝の間に1錠ずつ。14日間飲み続けます。飲み忘れてしまった場合は翌朝に飲んで、その日の夜にまた1錠。薬の飲み忘れをよくやってしまう私なので、携帯にアラームをセットして臨みました。薬の副作用は個人差があると思いますが、私の場合、飲み始めて1週間ほどは眠気との闘いでした。とにかく眠くて眠くて、無職でしたので一日中ゴロゴロしていました。あ、ゴロゴロしているのはいつものことでした(笑)。ピル服用12日目にクリニックで卵巣の状態をチェックしました。左の卵巣、何も無くキレイ。右の卵巣、ん?と私でも分かるくらいの丸い卵胞のようなものが一つ…。「卵巣嚢腫があるね~」と小さくつぶやくドクター。その前日に図書館で借りた不妊体験本で「卵巣嚢腫で手術~ほにゃらら」という文言を見たばかり。の、のうしゅ!? 今、嚢腫って言った? 先生。聞きなおしたいけれど怖くて聞けません。それがあるとまずいんですか? とだけやっと聞くと「まぁ多分、水が入ってるんじゃないかな」との的を得ていない返事。ドクター曰く、卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍であり、良性腫瘍の中で一番多いのが、卵巣嚢腫だそう。分泌物などがたまってできる袋状のものとのこと。一番最初の診察での超音波画像にも写っているから、普段から常にあるものではないかと言われました。念のため、ピルを1週間延長して経過を見ることになりました。1週間ずれるってことは、採卵日は11月初め。体外受精が始まるまでは、日にちが遅く進めばいいなんて思っていたけれど、いざ始まってしまうと、順調に進まないことにモヤモヤします。ピル服用19日目、再びクリニックへ。前回、経過を見ることになった卵巣嚢腫は今回も見えました。大きさは変わらず。やはり水の入った袋、水ぶくれみたいな感じでしょうねとドクター。これがあっても特に体外受精に問題はないとのことでした。ホッとしました。これからもずっと卵巣内にあるんですか? と聞くと「採卵のときに針刺しちゃうから、一時的に小さくなるかもしれないけれど(多分ずっとある)」とのこと。その言葉に改めて、「そうだった、卵巣に針刺すんだよな~」とドキリとしました。痛そうなのでなるべく考えないようにしていたのですが…。ギョッとしたり、モヤモヤしたり、ホッしたかと思えばドキリとしたり、体外受精に向け、心が忙しいです。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年12月06日不妊治療は終わりの見えないトンネルのように思えた、という中村こてつさん。体外受精を始める決心をしたものの、一旦治療は2か月のお休みに入ります。中村こてつさんの2005-8年の体験記です。不妊治療中ものすごくよく言われた言葉2ヶ月間の治療休み。自分で思っていたより治療へのストレスはあったらしく、何も考えなくてよい心から穏やかな日々に懐かしささえ感じました。しかし、そんな穏やかな日々は数日で、お休み中も生理が始まりそうな気配を感じると、なんだかイライラ…少しのことでムッとなり、その後急に悲しくなってポロリと涙…。子どもを持つと意識して治療を始めてから、生理前に自分の感情が不安定になることはもう自分ではどうしようもないのでした。 不妊治療をしていると人に話すと、何人もの人から言われた言葉があります。その人の友達や知人は「治療をやめたら自然にできたらしい」と。そのたびに思いました。でたーーーっ!「治療やめたら自然妊娠」説~っ、と(笑)。きっとその人は、励まし・応援の意味でその話をしてくれたのだと思います。たしかに、不妊の大敵と言われるストレスから解放されて、実際に妊娠された方もいるのでしょう。けれども不妊の理由も特定されて、ほぼほぼ自然妊娠は無理とされている私には、その言葉にパワーをもらうことはないのでした。へぇ、そうなんだ。と言うしかありませんでした。…けれども、いざ自分が治療を休むと決めたとき、心の中に蘇る「治療やめたら自然妊娠」説(笑)。ぜ~んぜんっ、期待してないしぃぃ…可能性はゼロじゃないけどさぁ~…。…そして…生理。落ち込む。というのを2回繰り返して、私の休息は幕を閉じました。人生、そう上手くはいきません。いよいよ体外受精をはじめます。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月15日8度目の人工授精を終え、体外受精に進む前、治療を休むことについて夫婦で話し合いました。私は自分の体を休めたかったし、大仕事(?)を前に時間を作るのは当然だと思っていました。しかしオットは自分の年齢を気にして、休みは設けず、少しでも早く取り組みたいようでした。話し合いは平行線。すっかり休みたいモードになっていた私は、オットの意見に段々悲しくなってきて、「でも、薬飲んだり、注射したりするのは私なんだよぉ~っ!少しくらい考える時間をちょうだいよ~、うわぁ~ん!」と、泣きました。「分かってる、それは分かってるよ」オットは言いました。いや、分かっていない。本当の意味で分かっていない、私の辛さなんて。治療について夫婦で意見が食い違い、険悪なムードになることは時々ありました。ある日、病院からもらってきた体外受精の資料をオットにも見せました。会話中、「いまだに、どうして子どもが欲しいのかたまに分からなくなるんだ~」と私が呟きました。とたんにオットの機嫌が悪くなりました。「そんな風に考えるってことは治療がイヤなんでしょ、じゃ辞めよう」…うーん、なんですぐ極論になるかな~。欲しくないわけではないのです。でも、注射だ薬だ、と慌しく流れていく治療の中で、ふとそういう風に思うときもあるのです。オットはそのグレーな部分をよく理解してくれません。性格上、黒か白か、キッパリどちらかに決まっていないと居心地が悪いようです。自分でも分からなくて悩んで、でも立ち止まることもできなくて、悩みながらも必死に前に進んでいるつもりでした…。オットはずっと思っていただろうことを言いました。「目標がないのに(子どもを望んでいないのに)、そんな気持ちで治療をしてるから成果が出ないんじゃないの?」私も思っていることを言いました。欲しい欲しいと言う割には、オットは自分から治療について勉強しようという姿勢が見えないと。人工授精にトライしていたとき「まだ体温下がらない?」とまだまだ高温期の真っ最中に何度も聞いてきました。不妊治療に関する本を図書館から借りてきても、オットが読むことはありませんでした。(もともと読書は好きではないですが)その度に、ため息が出ました。治療は二人でするものではなかったかなぁと。知識が豊富になって欲しいわけではないけれど、気持ちがあれば自然にそういった行動をとるものではないのかなぁと思っていました。妻が今、どんな治療を何のためにしているのか。オットが分かっていてくれてるのと、無知なのとでは、安心感が全然違うと思います。理解したうえでの「大丈夫?」と、そうじゃない「大丈夫?」は支えてもらっている感はかなりの差があると思います。治療を受けるのはほとんどが女性側だから、この温度差はしょうがないのでしょうか。1人で治療しているみたいな気分だ…と訴えました。するとオットは言いました。「治療には役割分担があると思っている。だから俺は主治医がこうしてくださいと言えば従う。けれど、ネットや本を見てまで知識を得ようとは思わない。」キッパリ。意味不明。役割分担で言えば、たしかに、オットは元気な精子の提供だけ、ですが(笑)。だから俺は勉強しない、って自信満々に言われても…。話し合いながら、気付きました。私はそれが不満で不安でした。もっと理解してよ、私の苦労を分かってよ、治療を変わるのは無理だけど支えてよ~!と思っていました。治療に前向きなオットは、よいと聞いたサプリを飲んだり、禁煙したりと、自分ができることは努力してくれていました。そこに、更にもっと理解してと求めるのは、私のただのワガママなのか…。けれども、暗いトンネルの中、何も手がかりがなく進まねばならないとき、オットにはいつも隣にいてほしかったのです。心細いときその腕につかまりたかった。一人じゃないと安心したかった。険悪になりながらも話し合った結果、オットも勉強する。私もクリニックに言ったら詳しく教える。分からない言葉があれば、そのつど覚えていく。という風に努力しようということになりました。私も体外受精までは頑張る。と決めました。でもやはり少し休みを入れたい…と言いました。2ヶ月間、治療を休むことにしました。 オットは私がまだ”乗り気でない”という印象で受け止めた様子でしたが、もう揉めるのが面倒くさかったのであえて説明はしませんでした(笑)。またそのときが来たら、真意を伝えようと。この頃はまだ話し合いが足りず、私の視点で書いているので、オットが悪者のように書いていますが(笑)、きっとオットはオットなりに治療の不安やストレスはあったけれども誰にも弱音は吐けず、腫物のような妻の扱いについても心を痛めていたんだろう、と今になれば思います。その時の私は自分のことで精一杯だったのでそこまで思いやることはできませんでした。こんなふうに治療中、数々の意見の食い違いや温度差を感じ、時々険悪になりました。そして、その時々にすごく腹が立ち、不快になりましたが、苦しくても、言葉と言葉で伝え合うことを積み重ねました。そして私たち夫婦は少しずつ寄り添っていきました。何も言わなくてもツーカーで伝われば一番楽なんですけどね。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月01日オーク会はこのほど、不妊治療を専門とする産婦人科専門医・船曳美也子氏の著書『あなたも知らない女のカラダ 希望を叶える性の話』(発行元:講談社/1,200円・税別)を全国の書店およびインターネット書店などで販売開始した。同書の著者である船曳氏は2014年、健康な女性の凍結卵子による妊娠・出産に日本で初めて成功したという経験を持つ。同書は船曳氏が「正しい性の知識を知ってほしい」という思いから執筆した「大人のための性教育本」。船曳氏は「自分自身の身体について正しく知ることは、人生を自分で選択し、自分らしい人生を生きることにつながります」と考えているという。同書では「男女の性器の仕組み」「生理がなぜ起こるのか」「妊娠や出産までの仕組み」などをイラストを用いてわかりやすく解説。基礎体温測定の意義のほか、「排卵日には恋するな」「男はなぜボン・キュッ・ボンが好きなのか? 」など、読者が興味を持ちやすい角度から「性」を知ることができるという。第3章では産科・婦人科の活用方法、体外受精や卵子凍結など最先端医療の状況を解説している。「凍結卵子からの出生率」や「体外受精のプロセス・費用」といった現実的な数値を伴う参考資料も豊富に収録した。「女性は子づくりを何歳までに始めればいいか」といったデータまでもはっきりとわかるという。第4章では、不妊治療に対する社会の厳しさや、閉経後の人生の過ごし方など、女性の人生における幸せについて、ホルモンや社会心理学を交えながら問いかけている。
2017年10月30日不妊治療を始めて、2年経とうとしていました。治療を重ねていくうちに、憂鬱になるときがありました。そのうちの一つが、『子持ちの友人との集まり』に行くときでした。子どもがいてもいなくてもどちらでもヨシ、と思っていたはずの私でした。それなのに、私より後に結婚した友人たちが次々に妊娠・出産していくのを見聞きしながら、治療を続けていると、それまで平気だった集まりが、なぜだか憂鬱になりました。大好きな友人たち、集まることが決まったら会える日をワクワクと待っていたくらいなのに。親しい友人たちは決して私に子どもがいないことを揶揄したり、デリカシーのない質問を投げかけてくるような人たちではありません。今までと変わらず私に接してくれています。それなのに私はどうしたことでしょう。なるべくなら行きたくない会いたくないと思ってしまう…落ち込むようなことを言われるのでは? なんらかの出来事で子どもがいないことを痛感させられるのでは? 勝手にネガティブな想像をして重い気持ちになっていました。しかし、行ってしまえばそれなりに楽しいのです。勝手に暗い想像をしていただけでした。ただ、友人と話が盛り上がっている最中、子どもが呼んだり泣いたりで、しょっちゅう会話を中断されてしまうとき、何とも言えない気持ちになりました。そうせざるを得ないし、母親は子ども優先なのが当たり前。そう分かってはいても、当たり前に話を中断されることにモヤっとしている自分がいて、そんな自分もイヤで、複雑な気持ちになったものでした。ある日、友人から相談されました。「それまで仲良くしていた義理のお姉さん(既婚・不妊治療中)に妊娠したとメールを送った以来、連絡がない。どうしたものか」優しい性格の友人が、珍しくムッとしている印象を受けました。初めての妊娠なのにどうして喜んでくれないんだろう、と。お義姉さんの気持ちが分かる気がしました。近しい存在の妊娠ほど衝撃を受けるものです。一番の親友からメールで妊娠の報告を受けたとき、それまでのどの妊娠報告よりもドクンと心臓が波打ちました。おめでとうの気持ちと、それ以外の気持ちが混在していました。また追い抜かれちゃった…おめでとう…自然にできる人はできるんだなぁ…なんで私はできない側だったのかなぁ…〇〇子がお母さんか、楽しみだなぁ…苦しい…おめでとう…おめでとうって言わなくちゃ……どうしてっ…私だけっ…動揺を抑えながら、心のドロドロを悟られないようにしながら、慎重に返信したのを覚えています。不妊治療を始めたら、いつのまにかもう一人の自分がいました。もう一人の私は、時々現れて、憂鬱でネガティブでドロドロしながら、自分自身の存在に傷ついていました。治療中の方が集うネット上の掲示板では、子持ちの友人と会いたくない・妊娠した友人と距離を置いてしまう・赤ちゃんの載った年賀状がイヤだと思う…、そんな意見もよく見ました。掲示板の女性たちも私と同様、傷ついていたのでしょうか。人の幸せを喜べない自分自身に。私は一体どうしてしまったんだろう。どうなってしまうんだろう。とてもとても苦しい。不妊治療のトンネルは一時的に人格さえも変えてしまうのでしょうか。私は、私たちは、ただ一つの命を育みたいだけなのに。「不妊治療していると気持ちが落ち込むことも多いの。かわいがっている義理の妹の妊娠が嬉しくないわけがないよ。時間はかかるかもしれないけれど、おめでとうって言いたいはず。だから、もう少し待ってあげて。お義姉さんから何か言ってくるまで。」自分に語りかけながら、友人にそうお願いしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月18日出産という女性にとって最大の命題を笑いも交えつつ軽やかに(そして泣ける!)綴ったエッセイ『産まないことは「逃げ」ですか』。著者の吉田潮さんにお話を伺いました。自分を主語にして決断すれば、産んでも産まなくても後悔はない。子どもを産みたいかどうか、多くの女性は一度は考えたことがあるのではないだろうか。苦労なく授かる人もいれば、子どもは必要ないという人もいるし、産みたくても叶わない人も。だけど、なぜ欲しいのか、あるいは欲しくないのかじっくりと理由を問われると、そこは意外と曖昧だったりもする。34歳で「子どもが欲しい病」にかかり、39歳で不妊治療をして、結果的に「産まない人生を選んだ」という吉田潮さんも、当初は深く考えていなかったという。「過去の日記を掘り起こしたら、子どもがすごく欲しくて不妊治療をしていたはずなのに、妊娠していないとわかったとき、『ホッとした』って書いていたんです。あのときの自分は、不妊治療を頑張っていることを世間にアピールしたかっただけというか、自分ではないものに突き動かされていたのかもと思いました」突き動かされていたものの正体は「女性は子どもを産むべき」という世間一般の価値観や、「親が喜ぶに違いない」という思い込み。“自分”がどうしたいかではなく、“世間”や“親”などに主語がすり替わり、不自由さを感じていたからこそ本音が漏れてしまったのだ。「女に生まれたからには産んでおかなきゃっていう内なるプレッシャーがあった、という知人がいるのですが、彼女も自分が産みたいかどうかではなかった。勝手にリミットを設けて焦る人も多いと思うんです」吉田さんは、封印しておきたかったであろう不妊治療のときの心境や、具体的な費用、夫とのやりとりを赤裸々に綴り、「産む・産まない・産めない」それぞれの立場の間に存在する溝や、両親や夫の胸の内、本書のタイトルになっているドキリとする疑問にも軽やかに切り込んでいく。「『自分が主語』ってわがままに聞こえるかもしれないけれど、産む産まないに関しては特に、そうしたほうが気が楽になると思うんです。絶対正しい答えなんてない。一方からしか見ていなかったものは、反対側から見たら全然違う!っていうような気づきがあると嬉しいですね」“自分が主語”という考えは、産む産まないに限らず、家族とのあり方、働き方など、生き方そのものについても共通なのだと気づかされる。豪快だけど繊細な吉田さんの優しさ溢れるメッセージは、女として最強の友を得たような気持ちになれる。よしだ・うしおライター兼絵描き。『週刊新潮』での「TVふうーん録」ほか、アラサー女性応援サイト「WOTOPI」で「産むも人生 産まないも人生」を連載。コメンテーターとしても活躍。『産まないことは「逃げ」ですか』出産という女性にとって最大の命題を笑いも交えつつ軽やかに(そして泣ける!)綴ったエッセイ。ひとりで抱え込まず、パートナーにも読ませるべし!KKベストセラーズ1200円※『anan』2017年10月18日号より。写真・土佐麻理子文・兵藤育子(by anan編集部)
2017年10月16日生理予定日から使えるという妊娠検査薬。予定日を過ぎてもまだ生理がこない。明日使ってみよう…そう決めた翌日、体温は見事に低下しました。妊娠検査薬の封を切ることはありませんでした。着床出血か? と検索しまくっていた出血も徐々に減っていき、生理だったのか不正出血だったのか分からぬまま、私の人工授精でのラストチャレンジは終わりました。ショックというよりもトホホという感じでしょうか。あぁ、やっぱりねぇ。そんな感想。クリニックに電話し、体温が下がったことを伝えました。そしてもう一つ、次、体外受精をします、とも。10月の生理が開始したら通院開始ということで、2ヶ月間は治療が完全に休みになりました。しばらく通院しなくていいと思うと心がすごく軽くなったのを覚えています。人工授精を繰り返しているとき、義父が入退院を繰り返していました。身体を悪くするのと同時に、認知症の症状が出始めました。最終的に義父はグループホームに入り、私たち夫婦が通う形になりました。時々病院やホームから歩いて抜け出してしまったり、その他にも困った行動もあったりして、私たちも心が休まらない日々が続きました。その頃は、友人たちの出産ラッシュでもあり、出産後の赤ちゃんに会うために仲良しグループで集まることもよくありました。産まれたばかりの赤ちゃんは柔らかくて甘くて、キラキラしていました。これから希望に満ち溢れた人生を歩いてくであろう命。そんなキラキラした命を愛おしそうに抱く友人。一方私は、義父の辻褄の合わない話に相槌を打ったり、抜け出してふらふら歩く後ろ姿にずっと付き合ったり、誰かに謝ったりしていました。赤ちゃんと老人、同じお世話が必要な人間を抱えている。同じ命のはずなのに違う世界が違う友人たちの子育てトークを聞きながら、そんなことを思っていました。治療と同じく、いつまで続くのか分からなかった義父のお世話。漠然とした不安な日々に心も身体も疲労していました。同じ空間にいるはずなのに、私と友人たちのいる世界は違うんだと思いました。赤ちゃんを幸せそうに抱く友人がまぶしくてまぶしくて私はそっと目を逸らしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月04日自分の中でなんとなくそんな気がしていました。もしかするとドクターもそう思っていたかもしれません。けれども、治療をステップアップする決心がつきませんでした。排卵誘発の注射の量を増やして、8回目の人工授精をすることにしました。また5日間注射に通います。そんな中、台風が接近し、クリニックが休診となった日がありました。が、私は毎日注射を打たねばならないので、暴風域を抜けるであろう夜9時に通院することになりました。夜だったので、オットも一緒に行けました。クリニックには私たち同様、注射を待つご夫婦が何組かいました。ぼそぼそと会話をする声と、窓の外を通り過ぎる大きな風の音。二つの音を聞きながら、ぼーっと座っていました。あぁ、どうして今、私はここに座っているんだっけ…台風の後、夫婦で話をしました。人工授精はこれで最後にすることに決めました。そして、8回目の人工授精の日。―これで最後―自分の中で(まさか体外受精まではしないだろう…)とたかをくくっていた部分がありました。気付けば、その『まさか』は目の前。たかをくくらず、腹をくくる時がやってきたようです。内診で、右に約10個、左に5、6個の卵胞を確認しました。このまま排卵させる注射を打つと卵巣が腫れる可能性があるということで、点鼻薬での排卵に切り替わりました。予定していた注射は、一週間体内に残り、排卵せずにいた他の卵胞がどんどん成長してしまい、結果卵巣が腫れる…という事態になりえるとのことでした。点鼻薬は注射より効果が小さいけれど、一度のみの効き目なので、上記のような副作用がないとのことで、OHSSを心配していたので、ホッとしました。そして、最後の人工授精を無事に終え、2週間後の判定を待っていました。すると、生理予定日より一週間早いのに、出血…こ、これは…着床出血ってやつ???着床出血とは、受精卵が子宮に根を生やしたとき(着床)に起こると言われる出血で、ネットで不妊治療の掲示板などを読んでいると、治療の末妊娠された方がよく使うワードなのです!検索魔になる私(笑)。「着床出血 症状」などで検索しまくります。検索結果で自分の症状と同じようなものばかりを信じ、そうでないものには理由をつけて無視していた気がします(笑)。その後も出血は続き、クリニックに相談すると様子見と言われ、次の診察までにさらに検索しまくる毎日でした。生理予定日に生理が来ませんでした。前日に届いたメール便の封を切りました。生理予定日当日から使える妊娠検査薬です。決めました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月20日アトピーの治療については、根本的に治療できる方法が確立されていません。症状に合わせて薬物などによる対症療法が有効と考えられています。また、治療だけでなくスキンケアなどを併用することも求められます。ここでは、アトピーの治療について見てみましょう。アトピーの肌の状態とはアトピーの肌は、皮膚のバリアが低下し、皮脂の分泌量も極端に低下し、皮膚が乾燥した状態にあります。皮膚のバリア機能の役割は、表皮の上にある角質層が持っています。通常、皮膚のバリアをつかさどる角質層には、外部からの刺激を軽減し、細菌などの侵入を防ぎ、乾燥を防ぐために必要な水分を逃さないようにする働きがあります。しかし、バリア機能が低下すると、少しの刺激だけで皮膚炎になりやすくなります。その皮膚炎がアトピー性皮膚炎に該当します。アトピー性皮膚炎については『アトピー性皮膚炎とは』 (で解説しています。アトピーになりやすい人の特徴アトピーになりやすい要因は、さまざまにあります。考えられる要因のひとつに、遺伝があげられます。簡単にいえば、家族および親族がアトピーを持っている場合、自分もアトピーになりやすいということです。もうひとつは、病歴です。気管支喘息やアレルギー性鼻炎、結膜炎、アトピー性皮膚炎のうちひとつ、もしくは複数にかかったことがある場合、アトピーになりやすいといわれています。これらをアトピー素因といい、持っている人がアトピーになりやすいと考えられています。しかし、アトピー素因を持っていても、アトピーになる人とならない人が存在し、逆にアトピー素因を持っていない人でも、アトピーになるケースがあります。アトピーになる原因アトピーの原因は数多くあり、特定するのは困難です。考えられる原因には、アレルギーや外部からの刺激、そして内部からの刺激が考えられます。アレルギーは、花粉やダニなどのほか、食品によるアレルギーによって皮膚炎が発症することもあります。外部からの刺激については、身の回りのある洗剤や化粧品、洗顔料、シャンプーやボディソープなどがあげられます。内部からの刺激は、主に生活習慣の乱れです。生活習慣の乱れによってストレスがたまり、そのストレスが要因となって、アトピー性皮膚炎を発症する可能性もあります。アトピーの詳しい原因については『アトピー性皮膚炎になる原因』 (で解説しています。アトピーの治療の考え方アトピーの肌を根本的に治す方法は、現時点では存在しないといわれています。考え方としては、症状はない、もしくはあっても軽微で、日常生活に問題がなければ、薬物治療は必要としないといわれています。一方、軽い症状は続いても悪化して慢性化するのは極めてまれだという考えもあります。治療の目的は、症状をコントロールして、日常生活に支障をきたさない状態を維持することです。しかし、重要なのは治療ではなく、日常的なケアを行って予防することにあります。基本的には、上述した原因を避け、刺激を与えず、保湿剤などで肌にうるおいを与えることで、予防に期待が持てるでしょう。そして、重要なことは、清潔な肌を保つことです。清潔を維持するためには入浴が欠かせません。また、肌着や衣服など身に着けるものすべてを清潔に保つように心がけましょう。入浴法については『アトピーの方にオススメの入浴方法』 (で解説しています。アトピーの治療方法治療は、薬物療法、スキンケア、そして悪化因子の検索と対策を中心に行っていきます。主に行われるのは、薬物療法です。薬物療法の目的は、炎症を抑えることにあり、すでにアトピー性皮膚炎を発症している場合は、皮膚科でステロイド外用薬が処方されることがほとんどです。スキンケアについては、上述していますが、主に保湿剤を使用します。アトピー肌は、肌の水分量や皮脂の分泌量が低下し、乾燥しやすい状態にあるため、乾燥を防ぐために保湿剤が有効とされています。治療薬と保湿剤については『アトピー治療に使う内服薬の種類』 (で解説しています。悪化因子の検索と対策についてですが、簡単にいえば、アトピーの原因を突き止めるために検査し、原因をみつけたら、その原因に向けた対策が行われます。しかし、原因は数多くあるため、特定するのは困難であり、原因と考えられることを、ひとつずつ改善していくことを心がけましょう。監修:大利昌久
2017年09月18日不妊治療は成功しても、難しい。 保田圭さん(36)に対するアンチと応援の声を聞いていると、女の生き方の難しさを痛感します。保田さんは「モーニング娘。」の黄金期を支えたメンバーです。14年9月から妊活に挑んでいたとのことで、最近やっと“授かった子が男の子である”と幸せいっぱいに公表していました。 ここ最近まで不妊治療を続けていたという保田さん。治療中には授かりニュースや励ましのコメントを見ることすらつらいというほど、道のりは険しかったようです。そんな苦難を経てようやく授かった彼女。しかし、その幸せ報告を”お花畑”と批判的に揶揄する人も増えているのです。不妊治療中は応援する声が多かったのに、治療に成功したらなぜこうもリアクションに変化が出てしまうのでしょうか。 ここ数年、保田さん以外にも不妊治療を公表する芸能人が増えました。その中には保田さんと同じく批判の対象となってしまう人もいれば、引き続き応援ムードが高まる人もいます。批判の声が多い人には、森三中の大島美幸さん(37)や女優の矢沢心さん(36)などが挙げられるかもしれません。また不妊を公表しても特別大きな批判が起こらなかった人には、女優の加藤貴子さん(46)や芸人のだいたひかるさん(42)などが思いつきます。 みんな等しく妊活を成功させた女性であるはずなのに、周囲からのリアクションに差が出てしまう。そこには、何が絡んでいるのか。原因を考えていくと批判している人は、彼女たちの発言を“苦労のおすそ分け”だと感じているようです。つまり「求めてもいないのに『私も辛かったから、その辛さわかります』と発信してくる」と思ってしまっているようなのです。 たとえば「妊活中に何をしていたのか」「どんな辛いことがあったのか」「夫との温度差をどう乗り越えたのか」などの悩みは、妊活当事者同士で共有できれば心強いものです。しかし妊活卒業者から発せられる経験談を、好意的に受け止められない女性もいるのです。また批判している人には、男性が多い傾向も見受けられるといいます。彼らは、「妊娠は神秘的なもの」と言いたいのでしょうか。このように“お花畑”という揶揄が起きる背景には、2つの複雑な心理が混じっていると思います。 不妊治療を見事成功させた保田さんですが、今後はママタレ路線への転換が予想されます。「モー娘。」時代の不遇な立場を踏まえると、幸せになってほしいと心底思います。ただ「ケメコ」といじられキャラで活躍していたころと違って、最近の保田さんには笑いが足りない!お料理上手なのは素敵ですが、やはり保田圭のよさは“アイドルらしからぬところ”。正統派ではない部分で光り輝く存在です。そういう意味では今後も幸せ満点の彼女だけでなく、ガンガンいじられる彼女も見たい気もします。 「モー娘。」時代に“おばさん”と呼ばれ、抵抗しながらも笑い飛ばしたころが懐かしい。優しさと共感を振りまく姿もいいですが、お花畑なんて声をものともしない“一段と強くなったママのケメコ”になってほしいものです。
2017年09月12日AMH普及協会とジネコは10月7日、12月2日、2018年2月10日、セミナー「患者さんのための正しい不妊治療とは? 」を開催する。日本は現在、5.5組に1組のカップルが不妊に悩んでいるが、妊娠の仕組みや不妊治療に関する正しい知識は浸透していないという。多くのカップルがインターネット上の口コミやエビデンスに乏しい情報に振り回されている状態であるとのこと。そこで、不妊治療についての正しい知識を分かりやすく解説するセミナーを3回に分けて開催する。女性の体や妊娠の仕組み、最も重要な卵子の真実について、科学的見地から正しい知識を解説する内容となっている。また、プロゴルファーの東尾理子さん、女優・タレントの矢沢心さんなど、実際に不妊治療を経験した著名人や不妊治療に詳しいジャーナリストをゲストに迎え、これから妊娠出産を考える人や、実際に不妊に悩んでいる人、すでに不妊治療を受けている人にも役立つ情報を提供する。第1回は10月7日に開催。「人も卵から生まれるの? ~卵子の神秘を知ることから始めよう~」をテーマに、医療法人浅田レディースクリニック・理事長の浅田義正先生や矢沢心さんによるセミナーやトークセッションを行う。会場は品川フロントビル会議室。第2回「不妊治療を考えたら知っておきたいこと」は、12月2日に開催する。ゲストは出産ジャーナリストの河合蘭さん。浅田先生のセミナーや、浅田先生と河合さんのトークセッションを行う。会場は品川シーズンテラスカンファレンス。第3回「不妊治療とポジティブに向き合う」は、2018年2月10日に開催する。浅田先生による講義のほか、東尾理子さん、NPO法人Fine理事長の松本亜樹子さんとのトークセッションも予定している。会場は品川フロントビル会議室。参加費は無料で定員は100名。申し込みは、女性の為の健康生活ガイド「ジネコ」の、お知らせ・イベント・特集ページで受け付けている。
2017年09月07日ステップアップを検討する目安でもあり、自分の中の「ここまでには妊娠!」と目標にもしていた6回目の人工授精。その人工授精も妊娠することなく終わってしまいました。ここから、どうするか…オットは私の考えを優先するというスタンス。私は…私はどうしたいんだろう。産めるものなら産んでやるわい、と気持ちは切り替えたものの、切望しているわけではありませんでした。今すぐにでも欲しい! そう思えたなら、何の迷いもなく体外受精などにステップアップしていたでしょう。身体的、経済的に負担はないほうがいい…もう少し、人工授精で頑張りたい。悩んだ末、ドクターに伝え、7回目の人工授精に挑むことにしました。挑むにあたり、誘発の仕方を変えてみることにしました。これまで内服薬で排卵を促していましたが、注射で直接ホルモンを注入する方法に変えます。この方法だと、今までの人工授精より2割くらいは妊娠の可能性が上がるとのことでした。 内服薬とは反対で、頚官粘液も増えるし、子宮内膜も厚くなるというメリットもあります。デメリットといえば、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)になる可能性があるということ。卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まります。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすいとの説明も受けました。そうならないためにも、様子を見ながら少量ずつ使用していくとのことでした。また、卵胞がたくさん育ちすぎて、多胎の可能性も20%とかなり高くなると言われました。このようなデメリットがあるため、治療のために同意書を記入しました。OHSSになりやすい人は、多嚢胞性卵巣症候群の人や若い人とのこと。29歳ですけど…というと、十分若いです。と言われてちょっと嬉しくなる乙女心(笑)。7回目の人工授精に向けて、治療が開始されました。 まずは卵胞を育てるために注射に通いました。5日連続、1本の注射を打つためだけに往復3時間の通院です。注射は筋肉注射で、肩かお尻のどちらに打つか選べます。腕よりはましな気がして、私はいつもお尻を選択していました。ものすごく痛く、打ったあとも筋肉痛のような痛みが数日続きました。そして7回目の人工授精を実施。これまでとは違った方法での人工授精。期待と不安で過ごす2週間でした…。妊娠できたらその後の生活は一変するなぁ。双子ちゃんだったらどうしよう~(無知ゆえの憧れがありました)。産院は家の近くがいいのかなぁ。そしたらオットは毎日来るかもね。くすくす、くすくす。-2週間後-体温の下がった朝、生理が始まりました。うん。キソタイオン、ウソ、ツカナイ。7回目の人工授精も失敗。「どれくらい長いか分からない暗いトンネルの中を歩いている」不妊治療はそんな風に表現されることがあります。治療を始めてから時間だけが経ち、気付けば私もトンネルの中を歩いていました。奥へ進めば進むほど、不安や悲しみ・焦りが体にまとわりつきます。まったく明かりのない中では、気持ちを上向きに持つことが段々と難しくなっていきます。出口は、まだ見えませんでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月06日初めての人工授精は月経が始まったことで、成功しなかったことを知りました。そこまで落ち込むことはありませんでした。「…まぁ、まだ1回目だしね。」自分の中で6回までは挑戦してみると決めていました。そして、おそらくそれまでには妊娠できると、不思議な自信も持っていました。(今思えば何の根拠もない(笑))オットは「精子無力症」と診断され、その後の複数回の精液検査でも精子の運動率は基準をかなり下回る結果が続いていました。しかし、人工授精の時は洗浄濃縮され、人工授精するには問題ない値になっていました。私も毎回の診察でしっかり排卵していると確認していました。だから回数を重ねて、確率を上げていけば、いつかきっと妊娠できる。そう思っていました。翌月、2回目の人工授精をしました。生理がきました。少し気持ちが塞ぎました。年を跨ぎ1月末、3回目の人工授精をしました。生理がきました。その少し前に、姉が第二子を妊娠したことを聞きました。涙が出ました。その翌月、4回目の人工授精をしました。結果待ちの間に私の誕生日がきました。29歳になりました。誕生日の日、生理がきました。些細なことがきっかけで大泣きしました。4回目の人工授精のときには、精子に影響することを聞いたオットが禁煙を始め、精子の値がかなり改善したこともあり、少し期待していました。(オットも大喜びしていましたが、その2ヶ月後には元に戻ってしまいました…)翌々月、季節は春になっていました。5回目の人工授精をしました。生理予定日になっても生理がきませんでした。妊娠検査薬使ってみようか…そう思った日の夜、生理がきました。もう泣きませんでした。すぐさま、クリニックへ来月の予約をしました。その翌月、6回目の人工授精をしました。あたりまえのように生理がきました。いつのまにか、ステップアップの目安である回数になっていました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年08月23日こんにちは、佐原チハルです。不妊治療は、始めるのも続けるのも苦労があると言われますが、実は“やめどき”を探すのも難しいと言われています。「もうやめようかなと思っていても、やめると決めきれない……」という方もいらっしゃることかと思います。そこで今回は、不妊治療を“やめた”という人たちの声を集めてみました。●(1)決めていた年齢になったので、やめた『夫と、「私が38歳になったらやめよう」って最初から話してたんで、もういいやってすっぱりやめられた』(40歳女性)36歳のころから2年ほど不妊治療を続けたという女性の声です。『うちは夫がもう初老なんで、夫婦で好きに過ごそうって思いきれたのかも』この女性が結婚したのは34歳のとき。パートナーさんは、なんと20歳近く年上なのだそう。『夫の年齢もあって、最初から子どもは無理かなって思ってたところもあって。2年してダメだったら、もうその先の時間は自分たちのために使おうって、治療を始める前に決めてたの』子どもがいる生活への憧れは「今もある」とのことですが、治療をやめたぶん自由になった時間で、久しぶりに遠くまで旅行に出かける予定なのだそう。やめどきは、いざとなってから判断するのは難しいものです。“余裕のある開始時点から決めておく” というのは、大事なポイントになりそうです。●(2)金銭的理由で、やめた『不妊治療って、何かとお金がかかるんだよね。うちは共働きだから続けられたけど、それでもやっぱり負担は小さくなくて』(41歳女性)好きで続けていたはずの仕事も、不妊治療の成果がなかなか出ないことで「結果の得られない無駄な浪費をするため稼いでいる」「報われない努力のための無意味なこと」に思われるようになってきてしまったそう。『買い物するたびに10円でも安いもの探そう、こんな無駄遣いはしないでもっと切り詰めなきゃ……って、何をするにも考えるようになってしまって、疲れちゃった。私にも夫にも、余裕が全然なくなっちゃって。こんな状態で子どもを迎えても喜べないんじゃないかって思っちゃった。確定申告の書類作りながら「もうそろそろいいかな」って言ってみたら、夫も「そうだね」って言ってくれて、それでおしまい』「不妊治療はお金がかかる」とは言われていますが、実際にどれくらいかかるかは、治療の内容やそれを続ける期間によります。助成が受けられる治療内容・所得であるかどうか、お住まいの自治体によっても変わってきます。いずれにしても、生活や気持ちが荒んでしまうほどの負担になってしまうのはつらいこと 。治療にいくらくらいまで使うか事前に話し合っておく、いくら使った時点で今後のことを検討するタイミングにする、などあらかじめルールを決めておくのがいいのかもしれません。●(3)一時休憩のままなんとなく、やめた『「よし、やめよう」って言ってやめたんじゃないんだよね。一旦休憩っていう感じ』(33歳男性)治療を受けていたのはこちらの男性ではなく、パートナーの女性です。女性の方が5歳ほど年上のご夫婦で、治療は女性が37歳になってから1年ほど続けたそう。『それほどお金もかけてないし、それほど高度な治療もしていないから、他の人たちと比べたら負担は少なかったと思うんだけど、それでもやっぱりつらくて。特に妻が精神的に疲れてた』治療前は2年ほど“妊活”を行っていたそう。パートナーの女性は“妊活”にも熱心だったそうで、ずっと神経を尖らせている様子が心配だった そうです。『ちょっと一休みしようって、僕から言ったの。年齢を考えたら、休もうなんて逆に言っちゃいけないんじゃないかとかも思ったんだけど』迷いながらも、「今言って休まなきゃ夫婦生活ダメになる!」という危機感があり、申し出たのだそうです。『とりあえず半年、考えるのもやめてみようってことにしたんだ。それで半年後また治療したいって思ったら、そのときはまた再開しようって。でも再開の話は僕からも妻からも特に出なくて、それっきり今も休みっぱなし』「やめるっていう決断は実はまだできてない」とのことですが、この“一旦休憩”を切り出すのにも勇気が必要だったそう。続けたい気持ち、また“年齢との戦い”だという気持ちから、「治療の中止を決めるのが怖い」という声はしばしば聞きます。まずはちょっと休憩というクッションを置くだけにして“決めずにいる”というのは、実はとても有効かもしれません。----------以上、いかがでしたでしょうか。不妊治療をやめるのは簡単ではないかもしれませんが、無理をし過ぎてしまって、日々の夫婦生活が大きく損なわれてしまうことは避けたいですよね。やめるために大切なのは、続けること同様、夫婦間のコミュニケーション なのだと思います。自分のためにも、パートナーのためにも、切り出す勇気を出すことが必要なのかもしれませんね。●ライター/佐原チハル(フリーライター)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年08月21日タイミング療法を数回試した後、数か月の通院拒否、そして開き直り( 第10話参照 )、その後、不妊治療クリニックに再デビューした私は、ドクターに次のステップに進むことを伝えました。看護師さんから『人工授精(AIH)を受けられる方へ』という用紙とともに、説明を受けました。人工授精は、精子が少ない場合や原因不明の場合に、少しでも卵子の近くまで精子を運ぶため、精子を子宮の中に入れる治療です。ちょうど排卵の時期に、採取した精液を洗浄して元気のよい精子だけを選び、細いチューブで子宮の中に注入します。私の場合ですが、人工授精のための通院は3、4回ほどでした。月経が開始したら排卵誘発剤を飲み始めます。排卵日近くなったら卵胞の大きさをチェックし、排卵日を予想し、人工授精の日を決めました。場合によっては点鼻薬や排卵を促す注射を打ったりもします。当日の朝、寝室にオットを一人残し、採精してもらいます。採れたての精子とともにクリニックへ。採った精子はそのまま注入するわけではなく洗浄し、ばい菌などを取り除きます。その間1時間ほど待ちます。診察室に呼ばれました。いつものお股開脚椅子に座ります。膣内に細い管が差し込まれる感覚が分かりました。いよいよだ…ドキド…「はい、終わりましたよ~。」えっ、もう終わり?!ドキドキする暇もなかった…自分が不妊治療を始める前は、その音の響きから否応なく不妊治療してますっ! という感じを受ける「人工授精」だったけれど、いざやってみると本当に簡単でした。体への負担も軽かったです(個人差はあるかと思います)。費用も保険適用ではないものの2万円前後と比較的挑戦しやすいです(…と思うのは、その後の治療で金銭感覚がおかしくなっていったからでしょうか(苦笑))。しかし、これで妊娠できるのなら…精神的にも身体的にも経済的にもいい、と私は思いました。ドクター曰く、人工授精で1回当たりの妊娠する確率はそこまで高くはなく、5~6回挑戦してみて結果が得られない場合、ステップアップ(体外受精・顕微授精など)を検討することが多いそう。よし! 6回目までには妊娠するぞ!1回目の人工授精の帰り道、静かに闘志を燃やした私なのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年08月09日不妊治療netはこのほど、「不妊治療の医療機関を選ぶ際に重視するポイント」「不妊治療の医療機関に対する満足/不満の実態」の調査結果を明らかにした。同調査は2月13日~16日、20代~50代の不妊治療経験者109名を対象にインターネットで実施したもの。不妊治療の医療機関を選ぶ上でどのような点を重視するか尋ねたところ、88%が「立地」と回答した。次いで「医師・スタッフの対応の丁寧さ」(83%)、「医師・スタッフによる治療に対する詳細な説明」(82%)となっている。医療設備・機器の充実度や治療内容、治療実績と並び、医師やスタッフの対応や説明を重視していることがわかった。不妊治療のために通院していた病院に対する満足度を尋ねると、合計40%が「とても満足」もしくは「やや満足」と回答した。一方、合計で26%が「とても不満」もしくは「やや不満」と回答している。通院していた病院に対して満足している人・不満を感じている人それぞれに対し、どのような点について満足しているか尋ねた。すると、医療機関を選ぶ際の重視ポイントにも挙げられた「医師・スタッフによる治療に対する詳細な説明」「医師・スタッフの対応の丁寧さ」に対する評価に大きな差が見られたという。満足している人は、「医師・スタッフによる治療に対する詳細な説明」「医師・スタッフの対応の丁寧さ」について7~8割が良いと評価をしている。一方、不満を感じている人は、「医師・スタッフによる治療に対する詳細な説明」は25%、「医師・スタッフの対応の丁寧さ」では18%しか良いと評価していなかった。そのほか、「夜間・休日も診療してくれる」「待ち時間が長くないこと」「病院の治療内容」「病院の治療実績」などの良い評価も、2割前後に留まっている。
2017年08月03日一度目のタイミング療法は、極度の私の緊張により失敗に終わりました。その後のタイミングでは、なんとか行為は成功(笑)。回数を重ねるごとに、排卵誘発剤を飲んだり、人工的に排卵を起こす注射を打ったり、さらに強い排卵誘発の注射をしたりと、いろんなことを試したけれど、妊娠には至りませんでした。4、5回タイミング療法を試した頃、急用でクリニックの予約をキャンセルしました。その後、予約を取り直さなければならなかったのに、私はそれをしませんでした。そのまま、ズルズルと病院に行かないまま4ヶ月が過ぎました。ずっと黙って見ていたオットがとうとう口を開きました。「また、行こうか。」渋々と、私はまたクリニックに電話をしたのでした。通院を休んでいる間は、ゆっくりと自分と向き合う時間になったのかもしれません。私の中で、少しずつ心境が変化していました。治療して子どもを作ることを拒んで過ごしている今の生活。それは、ひとつの尊い命を産み育てるというそのことと果たして釣り合うのか。その価値はあるのか。もし自分に子供を産むことができるのなら、それに挑戦すべきじゃないか。私は挑戦する権利を持っている。しかもそれに期限があるならば、できるときにやるべきではないか。何もしないで後で万が一後悔するより、挑戦してそれでも出来ないなら、そのときに別の人生を考えてもいいのではないか。おそらく60歳になってから、治療を始めてもおそらくもう遅い。 やれるもんならやってみよう。産めるもんなら産んでみよう。そんな気持ちが芽生えていました。そうなると、もう自分にウソはついてないので、気持ちが軽くなりました。クリニックに通うことも苦ではなくなりました。今までは、子供いないことが不幸じゃないんだと言ってる自分なのに治療に通う自分。この矛盾が苦痛でした。しかし「産めるものなら産んでやろうじゃないか、てやんでぃ。」と開き直る(?)ことができたら、憂鬱な世界がパァ~っと明るくなったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月26日ダウン症って?治療法はあるの?出典 : ヒトの体は無数の細胞によって構成されています。細胞のなかには遺伝子があり、さらにその遺伝子がらせん状に繋がったものを「染色体」といいます。染色体は通常23組46本で構成されていますが、この並びや数にたまたま変異が起こり、21番目の染色体が通常より1本増えた状態をダウン症といいます。21番目の染色体が1本増えて3本になることが原因で起こるタイプを「標準型21トリソミー」と呼び、これがダウン症全体の95%を占めています。このほか、3本目の染色体が別の染色体にくっついている転座型、21番目の染色体が3本のものと2本のものが混じっているモザイク型があります。上記のようにダウン症が引き起こされる原因やタイプはある程度わかっていますが、ダウン症そのものを治療する方法は、現在のところ解明されていません。一方、ダウン症のある人に合併しやすい疾患(心臓や消化器の内臓疾患など)の症状を軽減したり治療したりする方法については確立されているものが多く、比較的早期の乳幼児期から、治療が開始できるようになってきています。ダウン症の確定診断はいつ行われるの?赤ちゃんの合併症はすぐにわかるの?出典 : 出生後に医師によってダウン症の疑いが認められた場合は、ご両親やご家族に説明し承諾を得たのちに、赤ちゃんの血液で染色体の検査を行い、確定診断を行います。出生前に母親の血液を採取して調べる検査もありますが、確定診断には、母親の腹部に針を刺して羊水を採取し、染色体を調べる検査を受けるのが一般的です。診断後は医師から説明があるほか、希望すれば医療機関のスタッフや地域の保健担当に詳しい話を聞くことができる場合もあります。合併症についても、妊娠中や出産後の検査で早期に診断されるものも多く、新生児期に手術が可能な場合には、生まれてすぐ医師から手術をすすめられることがあります。生まれたばかりのわが子の手術についての説明に戸惑い、医師と相談をしてもなお不安なことがあるようなら、セカンドオピニオンを求めることもできるかもしれません。ダウン症協会や地域の親の会などに相談すると、ダウン症のあるお子さんに詳しい医療機関等の情報を紹介してくれることもあるようです。公益財団法人日本ダウン症協会ダウン症親の会一覧ダウン症の合併症の治療法は?出典 : 合併症を伴わずに生まれてくるダウン症のある赤ちゃんもいますが、20〜40%の赤ちゃんは循環器(心臓など)の疾患を伴って生まれてくるといわれています。近年は出産直後に発見されることが増え、早期の外科治療によって完治することも可能になってきました。その他、消化器系の疾患が合併している可能性もありますが、このような疾患についても、医療の発達により手術法が確立され、乳幼児期のあいだに改善できるものも多くなってきています。また、風邪などが重症化すると、気管支炎や肺炎など呼吸器疾患に発展する場合や、中耳炎を引き起こすことがあります。乳幼児期に風邪をひいた場合は早めに診察を受けたほうがよいでしょう。出典:産婦人科の現在「ダウン症候群について遺伝カウンセリングで伝えるべきこと」◇循環器(心臓など)の疾患循環器の疾患のうちダウン症のある赤ちゃんに合併していることが多いのは、・出生後すぐに閉鎖するはずの動脈管が閉じない「動脈管開存症」・左右の心室あるいは左右の心房の間の壁に穴があいている「心室中隔欠損」・心臓の真ん中部分が形成されず穴があいている「心内膜床欠損症」・循環器に関する4つの症状を持つ「ファロー四徴症」などがあります。あいていた穴が閉じるなど自然に治る場合もありますが、自然治癒が見込めない場合には乳幼児期に手術治療を行います。また、心臓に疾患があると、心臓から血液を送りこまれる肺にも影響が起こることがあります。肺への負担を軽減するために、原因や状態によって、投薬治療などが行われます。◇消化器官系の疾患なんらかの原因で生まれつき十二指腸が閉じている「十二指腸閉鎖症」、肛門が閉じている「鎖肛」などの疾患があります。これらの疾患があるとミルクなどを消化して排泄することが困難になるため、新生児期の早い時期に手術が必要です。術後の予後は良好だといわれています。◇環軸椎不安定性(首の1番目と2番目の骨にずれが生じる状態)首の1番目と2番目の骨は、細い筋肉や腱によって固定されていることに加え、骨同士を噛み合わせるように突出している2つ目の骨の突起構造が小さいため、ずれが生じやすい箇所です。この関節がずれている亜脱臼の状態を「環軸椎不安定性」といい、ダウン症がある子どものうち1~2%にあるとされています。亜脱臼の状態からさらに関節がずれ、脱臼すると、脊椎の背中側にある脊椎神経の束が強く圧迫され、麻痺が起こることがあります。脱臼させないためには何より早期発見が重要です。一般に3~4歳の時期にレントゲン検査をし、環軸椎不安定性の有無を確認することがすすめられます。環軸椎不安定性と診断されると、うつむく姿勢で首に強い力が加わる前転のような運動は避けるよう指導されます。◇ウエスト症候群(点頭てんかん)ウエスト症候群(点頭てんかん)も、合併症として起こる可能性がある疾患です。身体の一部をピクピクさせてミルクを飲まなかったり、首をガクッと落としたりするような様子がある場合には、脳波の異常を調べ、必要があれば投薬等による治療を開始します。ウエスト症候群は国の指定難病に定められています。ダウン症のあるお子さんに起こるウエスト症候群は、比較的予後が良いといわれています。出典:産婦人科の現在「ダウン症候群について遺伝カウンセリングで伝えるべきこと」参考:難病情報センター◇ 甲状腺機能の問題甲状腺から分泌されるホルモンが過剰となる甲状腺機能亢進症、逆に低下する甲状腺機能低下症があります。どちらも起こる可能性がありますが、特に甲状腺機能低下症の合併率が高いようです。症状がでにくい場合もありますので、年に1回の血液検査で確認することが望ましいようです。必要があれば投薬により治療します。◇筋肉の緊張が低く柔らかい(低緊張)ただ立っているだけ、座っているだけでも、姿勢を保つためには、ある程度、筋肉を緊張させておく必要があります。ダウン症がある子どもは、筋肉の緊張の度合いが低く、体が柔らかいことが多いと言われています。そのため、寝返りやお座り、つかまり立ち、歩行など一連の運動発達がゆっくり進むようです。また、歩き始めても、足底の親指側に体重がかかってしまう外反扁平足になりやすいため、靴の中に足をサポートする足底版を入れることをすすめられることがあります。◇耳や目の問題聞こえの問題や、遠視や近視、乱視など見え方の弱さがある場合には、補聴器やメガネの装用をすすめられることがあります。また、滲出性中耳炎にも罹患しやすいため、耳を気にする様子などがあったら耳鼻科を受診してみてくださいダウン症のあるひとの医療費、養育費のサポート出典 : ダウン症がある子どもには、特に乳幼児期に合併症の手術などで高額な医療費がかかることがあります。金銭的負担を軽減するために、いくつかの医療費に関する制度を利用することができます。・乳幼児医療費助成制度自治体から医療費が助成される制度です。利用には年齢制限があり、各自治体によって定められています。ダウン症、障害の有無に限らず、対象年齢内のすべてのお子さんの医療費が助成されます。・小児慢性特定疾病医療費助成ダウン症は小児慢性疾患の対象疾病になっています。合併症のうちいくつかの疾患で長期にわたる治療を要する場合に、小児慢性特定疾病の医療費助成が受けられます。助成には条件がありますので、病院のソーシャルワーカーや各都道府県の担当部署にお問い合わせください。参考:小児慢性疾患・特別児童扶養手当医療費に関する制度ではなく、子どもの養育のための手当が支給される制度です。支給される条件は各自治体によって異なります。・障害児福祉手当重度の障害のためにかかる日常生活上の精神的、物質的な負担を軽減する目的で支給されます。障害による生活の困難さによって、受給されるかどうか判断されます。ダウン症の診断のみでは、手帳の習得はできませんが、合併症による障害があることによって日常生活に支障があると考えられる場合に、以下のような手帳を取得し、福祉サービスを受けることができます。・「療育手帳(愛の手帳など)」知的な障害によって日常生活に不便さがあるお子さんに、各都道府県から交付される手帳です。交通機関などを一人で利用できず介助者を必要とすることがあることから、公共交通機関の料金の減額や、公的機関の駐車料金の支払い免除などの福祉サービスを受けることができます。等級によって受けられるサービスに違いがありますので、各都道府県にお問い合わせください。・「身体障害者手帳」心疾患などの合併症で長期間身体的に不自由さがある場合や、歩くことが難しい場合、また聴覚障害がある場合などに、身体障害者手帳が交付されます。療育手帳と同様に、さまざまなサービスを受けることができますが、交付の対象となるかどうかは医師の診断書などにより各都道府県が判断します。こういった手帳の取得は強制ではなく任意です。保護者の申請なしに交付されることはありません。また、補助制度には地域差もあります。一度お近くの福祉担当課窓口にご相談に行かれることをおすすめします。東京都心身障害者福祉センター愛の手帳(療育手帳)について厚生労働省身体障害者手帳制度の概要ダウン症の合併症の治療法は医療以外にもあるの?療育って何?出典 : 「療育」とは、「治療」と「教育・保育」をあわせて作られた言葉です。成長を促す関わりや訓練を総称して「療育」と呼んでいます。ダウン症のある赤ちゃん、子どもは、一般的にゆっくり成長すると言われており、発達段階にあわせてさまざまな療育的なかかわりを受けている子どもが多いようです。また、自閉症など発達障害を合併することがあるともいわれており、そういった場合には、一般的な発達障害への療育的対応が役にたつことがあります。「療育」には、主に運動発達を促す目的で提供される理学療法(PT)、日常生活動作の自立を促す目的で行われる作業療法(OT)、言語コミュニケーションの発達を促す言語聴覚療法(ST)、発達心理学や学習に関する知見をもとに提供される療育的かかわりなどが含まれます。また、ダウン症のある子どもの様々な特徴を踏まえ、日常生活を不自由なく過ごせるようにサポートすることも「療育」サービスのひとつです。お子さんにどんな療育的関わりが必要なのかは、その時点でのそれぞれの発達によって異なります。療育の内容から、家庭での関わり方のヒントが得られることがありますので、相談したいこと、疑問に思っていることなどがあるときにも、利用してみてください。地域にどのような療育機関があるかは、自治体の子育てに関する窓口が情報を持っている場合があります。なお、こういった療育サービスを受けるためには、市区町村より発行される受給者証という証明書の取得が必要な場合があります。詳しくは、療育サービスの事業者または市区町村の窓口でお尋ねください。子育てには悩みがつきものです。ダウン症がある子どもの子育ても同じですが、ダウン症があることで生まれる特別な悩みもあるかもしれません。もし何か相談したいことが出てきたら、まずは身近な存在である主治医や、自治体の子育て支援に関する窓口、利用している施設のスタッフなどに相談してみましょう。出口がないように感じていた悩みにも、何か解決の糸口が見つかるかもしれません。相談先は、病院や自治体の窓口のほか、以下のような施設・団体があります。電話で相談を受け付けているところもあるようです。◇相談できる団体、施設など・日本ダウン症協会・地域のダウン症の子を持つ親の会・児童相談所・自治体の保健センター、子育て支援、福祉担当課等・自治体および民間の療育機関・知的障害者更生相談所(障害者福祉センター等の名称で事業を行っている自治体もあります。主に18歳以上の人の相談に応じます。)日本ダウン症協会全国児童相談所一覧(厚生労働省)ダウン症の合併症治療最先端医療の研究出典 : ダウン症がある人は、「アミロイド前駆体タンパク遺伝子」という遺伝子が、遺伝子病のない人と比べて1.5倍存在し、その結果、脳の中のアミロイドタンパクが増加して、若年期からアルツハイマー病様の変化を脳内に生じ、それが引き金となって、急激退行症を発症する可能性があります。それまでに知的障害や発達障害を伴っていたとしても、それとは別に、突発的に「言葉を発しない」、「寝たきりになる」、「コミュニケーションが取れない」などの症状となって現れる場合があります。根本的な治療法はないとされていますが、アルツハイマー病治療薬である塩酸ドネベシルが急激退行症に有効であるという仮説に基づき臨床実験がされています。主に認知機能の低下に対する臨床試験が、ヨーロッパの製薬会社などが開発した薬を使って行われています。日本でも、アリセプト(ドネペジル塩酸塩)などを使用した治験が開始されました。実用化に至るにはまだ時間はかかりそうですが、いつか、すべてのダウン症のある人たちが、認知機能の低下によって生活の質が下がる心配をしなくてもいい未来が実現するかもしれません。参考:ダウン症者・家族が幸せに暮らすために/近藤 達郎参考:アリセプト難病情報センター急激退行症(21トリソミーに伴う)まとめ出典 : ダウン症そのものを治療する方法は現在のところありませんが、合併症の治療についてはそれぞれ手立てがあり、また、発達を促すための療育に関する知見も日々更新されてきています。さまざまな支援や療育サービスなどを利用しながら、かけがえのない日々の子育てを楽しんでくださいね。参考:ヨコハマプロジェクト参考:NDSS(National Down Syndrome Society)参考文献 『ダウン症者の豊かな生活』菅野敦・池田由紀江(福村出版)参考文献 『ダウン症のすべてがわかる本』池田由紀江/監修(講談社健康ライブラリー)参考文献 『ダウン症は病気じゃない』正しい理解と保育・療育のために飯沼和三/著(大月出版)参考文献 『出生前診断』河合蘭/著(朝日新書)『When Down Syndrome and Autism Intersect: A Guide to DS-ASD for Parents and Professionals』 Margaret Froehlke , Robin Zaborek
2017年07月20日私とオットの不妊の要因も判明し、さぁいよいよ本格的な治療へ進みます。って、とりあえず検査だけのつもりが、いつのまにか治療を進める話になっている…けれども子どもが欲しいというオットの気持ちを考えると「やりたくない!」と突っぱねることもできず…ゆらゆらしていました。ゆらゆらしたまま通院していました。何か事情がない限り、多くの人が考えることだと思うのですが私もそう思っていました。そこで自然に近い形の『タイミング療法』をやることにしました。自分でできる方法なので、妊娠したいなぁと思っている方なら、一度は試したことがあるのではないでしょうか。基礎体温やおりもの(経管粘液)の質などの変化から排卵日を予測し、適切なタイミングで性交を行ないます。自分でもできますが、病院だと超音波検査(卵胞の大きさを計測)や場合によっては血液検査や排卵誘発剤などを使いながらタイミングを計るので、かなり正確にタイミングが取ることができます。ドクターいわく、卵子と精子の寿命などから、排卵直前に性交し、精子をスタンバイさせるのが理想らしいです。まだまだ治療に前向きになれず鬱屈とした気持ちでいたので、卵胞チェックのためにクリニックへ向かう足取りも軽くはありませんでした。クリニックは繁華街にあり、結婚してから田舎に住むようになった私には魅力的なお店もたくさんあったのですが、ウィンドウショッピングをして帰る気にもなりませんでした。ある日の受診日、ドクターが言いました。いよいよか…ごくり。メールでオットに伝えました。『今日だって。』『了解。早く帰れるよう調整する。』夜、全ての準備は整い、私たちは寝室へ。そして、先生の指導どおりのタイミングで……ココロとカラダは繋がっているんだなぁと深く実感した出来事でした。私の体が全く反応しなかったのです。…カラッカラ(笑)。こんなことは人生で初めてでした。なんとかかんとか努力しようと頑張ったオットも最後には諦めました。こうして初めての不妊治療は「できずに終了」という結果に終わったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月12日