夏休みを挟むと、学校に行きたがらなくなる子どもたちが増えますよね。長く休んでしまったせいでちょっとダルいな、学校が面倒くさいな……という程度ならいいのですが、もし本格的な不登校になる可能性があるなら、じっくりと向き合わなければなりません。今回は、学校に適応できない子どもたちを支える場所“フリースクール ”を紹介します。フリースクールとはいったいどのような場所で、どんなメリットがあるのでしょうか。経験者の声も集めてみました。●フリースクールは子どもの安全な居場所フリースクールは、何らかの理由で学校に行けない子どもたちの居場所 のことです。文部科学省の定める“学校”の基準を満たしていないため、正規の学校とは認められていません。しかし、だからこそ学習指導要領に縛られない、自由な学習プログラムを展開できます。これが、フリースクールの最大の魅力。教科学習に重きが置かれる一般的な“学校”は、近年の脱ゆとり施策のもとに年々厳しさを増してきています。授業時間は増え、休みは減り、子どもたちにかかる負担も増加する一方です。しかし、フリースクールではこういった画一的な指導を行う必要がありません。他者と交流しつつ、自分の好きなことを自由に学ぶのがフリースクールの主なプログラム。そのため、子どもたちは過度の負担を感じることなく、安心して過ごせるのです。●サポート校とフリースクール、どう違うの?学校以外の子どもの居場所といえば、“サポート校”と呼ばれるものもありますね。サポート校とフリースクールには似たようなイメージがありますが、実際には大きく異なります。ふたつの違いをまとめてみました。●サポート校主な目的は、通信制高校に通う生徒が3年間で確実に卒業できるように支援することです。そのため、入学できるのは通信制高校の生徒や、高卒認定試験を目指す子どもたちに限られていることがほとんど。予備校や学習塾が運営していることが多く、活動内容も学習支援がメイン になります。場所によってはあたかも学習塾のような雰囲気のところもあるようです。●フリースクール主な目的は、学校になじめず傷ついた子どもたちの精神的なサポート です。入学資格は特に設けられておらず、不登校児全般を広く対象としています。個人やNPO法人が運営していることが多く、活動内容はスクールによってさまざま。勉強だけでなく、遊びや季節行事もたくさん行われます。●「心が休まった」「費用が高い」……経験者の話実際に通っていた人やその保護者は、フリースクールをどのように捉えているのでしょうか。インタビューしてみました。『いじめにあって不登校になった私は、中学1年の夏から3年の春まで、私立のフリースクールに通いました。普通の学校と全然違い、いろんなタイプの人がいて、誰もが「ありのまま」を認めてもらえる 場所でした。毎日の活動で何をするか・しないかは自分で決めることができたし、決めたことにとやかく文句を言ってくる人もいなかったのでとても安心でした。おかげで心をじっくりと休めることができ、中3のゴールデンウイーク開けにはもとの学校に戻れました。今でもスクール時代の仲間とたまに飲みに行ったりしますよ』(30代女性/パート)これはまさにフリースクールの成功事例といえますね。子どもたちには本来、生まれ持っての回復力が備わっています。学校になじめないことで傷ついたとしても、安心・安全な場所でゆっくりと休むことができれば、自然とふたたび羽ばたくことができるのでしょう。また、お子さんをフリースクールに入れた方からはこんな話が聞けました。『のびのびした泥んこ系幼稚園を卒園した息子。地元の公立小学校に入ったとたん、画一的な教育と理不尽な評価、無意味な規律ばかりの毎日で日に日にぐったりしていったんです。息子なりに頑張って通学してはいましたが、勉強にはすぐについていけなくなりました。ストレスから体調を崩しはじめ、1年生の夏休み開けには泣きながら「僕もう学校はイヤ……」と言い出したため、フリースクールに通わせるようにしました。スクールでは一人ひとりの理解度に合わせた教育がなされ、できたことは徹底的に褒めてもらえます。わからない問題があっても決して叱られず、理解できるまで根気よく教えてくれるんだそうです。遊びも取り入れながら楽しく学ぶことができ、息子は本来の屈託なさを取り戻すことができました』(40代女性/主婦)『フリースクールは費用がネックですね。うちの娘が通っているスクールは、入会金が5万5千円。毎月の月謝が4万円 かかります。お金を出し惜しむべきではないってことは百も承知です。でも、「いつまでここに通わせなきゃいけないのかな……」と思うことは正直ありますね』(40代男性/会社員)残念ながら、現行の制度ではフリースクールに対する政府の助成は行われていません。かかる費用はスクールによってピンキリですが、中には高額な入会金や月謝を請求するところもあるようです。ちなみに、平成27年3月に行われた文部科学省による調査では、月謝の平均額は約3万3千円という結果が出ています。家庭の経済状況によっては、希望するスクールに通わせることができない可能性もありますね。公的支援の拡充が期待されるところです。----------小学生、中学生の子どもたちは「学校が世界のすべて」であるかのような錯覚を持ってしまいがちです。そんな中で、学校以外の安全な居場所があることは、学校にうまく適応できない子どもたちの希望になるのではないでしょうか。子どものためのさまざまな選択肢のひとつとして、フリースクールはおおいに検討の余地がある施設といえますね。【参考リンク】・小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査 | 文部科学省(PDF)()●文/パピマミ編集部●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年08月14日似た者同士の母と娘、二人揃って図形問題が解けない!出典 : アスペルガー症候群の診断がおりている9歳の娘は、言語IQが150を越えています。日々、ひっきりなしにお喋りをしたり、本を読み続けたり、頭の中にある言葉をパソコンに入力し続けたりしています。彼女の生活は言葉に埋めつくされていると言っても過言ではないほどです。このような状態ですから、言葉で物事をとらえるのは非常に得意なのですが、一方で算数の図形問題で頭を悩ませることが増えてきました。図形問題にはほとんど文字情報がありませんので、まず見ただけで拒否反応を示します。そして、1枚のプリントを終わらせるのに1時間以上かかるうえに、間違いを連発してしまうこともしばしばあります。そんなときは、自分を否定する言葉を吐きながら、目に涙を浮かべて問題と戦っているのです。そんな娘と同じような特性がある私は、昔から図形の問題が壊滅的に苦手でした。算数の計算自体は得意でしたので、図形問題ができなくても、特に成績が悪くなることも問題視されることもなく、なんとかやり過ごしてきました。私そっくりに生まれた娘には図形で苦労をさせまいと、算数のセンスがアップする!と謳われているオモチャや幼児教育の教材を取り入れてきたのですが、残念ながら娘にその効果が表れることはありませんでした。私も苦手な分野なので、解き方を上手く娘に説明することができません。夫に「教えてあげて」とプリントを渡すと「え、これは図を見れば簡単にわかる問題でしょ?」と言われる始末。どうして娘と私は、図形問題をスムーズに解くことができないのでしょうか?空間認知能力が低いと算数にも影響が出る!?出典 : 図形の理解に必要なものの1つに「空間認知能力」が挙げられます。空間認知能力とは、人や物の位置を立体的に把握する能力のことで、方角・距離・大きさ・広さなどを的確に理解し把握する役割を果たします。地図から目的地までの経路を探すのが得意な人や、山登りのルートなどを俯瞰して理解できる人は、この空間認知能力が高いといえるかもしれません。逆に、この能力が低いとどうなるのでしょう?自分と物との距離を上手く測れないため、自分の家の中であっても壁やドアに頻繁にぶつかってしまったり、お店に入って違う出口から出てしまうと帰る方向が分からなくなったりするのです。そして、勉強の面でいえば、字を枠の中におさめて書くことができなかったり、筆算をする時に桁がずれてしまったり、手本を見ながら線を書き写せない、という問題が出てくるのです。娘は、この空間認知能力の低さゆえに、表に出れば道に迷い、筆算をすれば桁がずれ、図形を見ても上手く全体像をとらえられないという問題にぶちあたっているのです。問題を構成するひとつひとつの要素は理解できているのです。平行・垂直、同位角・錯覚、三角形の内角の和、多角形の内角の和の求め方。それぞれはわかっているのに、それがまとまった状態で提示されると、途端に混乱してしまうのです。三角定規の一つひとつの角度は覚えていても、それが重なった状態の問題が出ると、娘の頭はショート寸前となり、自分だけの力で解くには膨大なエネルギーが必要となります。読字障害で、言葉のまとまりを意味としてとらえることが困難なタイプがあるように、私や娘の場合それが図形で起こっているのかもしれないなと思うようになりました。さらに気づいた「ワーキングメモリ」との関係出典 : また私たち親子に共通するこの苦手さには、「空間認知能力」だけでなく「ワーキングメモリ」も関係しているのではないかと考えるようになりました。ワーキングメモリは日本語では「短期記憶」や「作業記憶」と呼ばれています。何かを考えたり、作業を行ったりするときに必要な情報を一時的に置いておく場所であり、この情報を元に人は行動をするのですが、このワーキングメモリには「言語性ワーキングメモリ」と「視覚性ワーキングメモリ」があるそうです。言語性ワーキングメモリ = 言語化できる情報を保持・操作する場所視覚性ワーキングメモリ = 言語化できない情報を視覚イメージとして保持・操作する場所そして、頭の中で映像や画像を思い描いたり操作したり、思考する場所を「視空間スケッチパッド」と呼ぶそうです。私は医者でも学者でもありませんので、すべてをきちんと理解することも説明することもできませんが、脳の中にこのような領域があるのだと知ったことで、娘の困難さの原因が少しわかったような気がするのです。おそらく、娘も私も言語性ワーキングメモリの領域は通常よりも多く、視覚性ワーキングメモリの領域はとても少ないのだと思います。以前のコラムでも書きましたが、私は他人の顔を覚えることができません。大切なわが子の顔さえも、思い浮かべることができないのです。新たに出会った人について記憶する場合は、まずその人の名前を漢字で聞き、頭の中にその名前のラベルがついた文字情報を放り込んでいき、言葉で記憶するのです。娘も他人の顔をおおざっぱにしか見分けられていないようで、「おじいさん」「若い女の人」などのくくりで人を判別しているため、テレビに出てくる人を近所の人だと言い張ったり、逆に道を歩いている普通の人を「絶対にあのドラマに出ていた俳優さんだ」と言ったりします。これはおそらく、視覚性ワーキングメモリの領域が少ないため、視空間スケッチパッドに人の顔をきちんと展開することができないのが原因ではないでしょうか。そして、視覚性ワーキングメモリの働きが弱いために、算数の問題に出てくる図形を全体像として頭に思い浮かべることができず、問題を解くための手立てを探すところまでたどり着けないというのが、図形問題が解けない原因になっているのかも知れません。親子で勉強することで生きるヒントが見つかるかも!出典 : さて、図形の苦手さの原因は努力不足や経験不足ではなく、脳の構造の問題であるらしいというところに辿り着きました。「泣くほど辛いのなら、いったん図形問題から離れてもいいよ」と娘に声をかけたのですが、娘は「普通の4年生が理解できることは私も理解したい」と言うので、工夫をしながら図形問題に取り組むことになりました。図形を見ると少しチックが出るようになったのですが、本人が「やる」と決めたことなので、ストレスがかかり過ぎないように様子を見ながら進めていきたいと思います。娘は学校に行かずに家で勉強をしていますので、教えるのは私か夫ということになります。複雑な問題は夫に任せて、簡単な問題や何度か繰り返している問題は私が教えています。視覚性ワーキングメモリが低いとなると、得意な言語性ワーキングメモリを使って解いた方が娘にとっては楽になるはずですので、図形を見ながら一つひとつ言葉で説明をし、手順を言語化していきます。普通であれば、言語でだらだらと説明するより図にした方がわかりやすいから図にしてあるはずなのに、わざわざ言語に戻して理解するというのもなかなか独特で面白い特徴ですよね。そう考えることができるようになったのは、「できない」ことにフォーカスをあてるのではなく、「どう工夫すればできるようになるか」という思考にシフトチェンジできたからではないかと思います。また、立体的な感覚をつかむため、マインクラフトという三次元の世界でブロックで建物を建てたり、旅に出たりするゲームを始めました。夢中になって遊んでいるうちに苦手な分野のトレーニングができるのはとてもステキなことで、自分の子供時代と比べると、何かを学ぶための選択肢がたくさんあって、よい時代になったなと嬉しく思います。出典 : お子さまの宿題を見てあげるとき、不登校のお子さまに勉強を教えるとき。もし、正解か不正解かだけに注目していらっしゃる方がいたら、少し見方を変えてみませんか?勉強でつまづいてしまったとき、努力だけでは克服できない原因が隠されているかも知れません。どのような工夫をすれば乗り越えられるのかを考えることで、子どもが心地よく生きていくためのヒントが見えてくることもあるのです。親も子も、「勉強する」というとつい構えてしまいがちですが、親が子を知り、子が自分自身の特性を知る良いチャンスだと思って、前向きに取り組んでみるのもいいかも知れませんね。
2017年08月13日不登校支援から生まれた一冊の絵本出典 : 「なぜ学校に行かなければならないの?」「どうしてみんなと一緒じゃなければいけないの?」子どもから「なぜ?」と問いかけられた時、あなたならどうしますか?簡単に答えられそうで、よくよく考えると難しい…今回ご紹介するのは、そんな子どもの「なぜ?」と向き合う中で生まれた、『僕のナゼ、私のナゼ』という絵本です。奈良県北葛城郡にある「自遊空間ゼロ」という子どもと保護者のためのフリースペースを運営している桐生敏明さんが企画・編集をし、5月に編集工房DEPから発行されました。この絵本が生まれたきっかけは、桐生さんとつながりのある北海道のNPOを訪れた際に出会った一人の不登校児の疑問でした。その疑問は、「なぜ学校に行かなければいけないの?」といういたって、シンプルな疑問だったと言います。自遊空間ゼロは、桐生さんが陶芸教室などの親子のつながりを育むためのイベントを開催しています。その活動の根幹には、子どもとその保護者が一緒に過ごせる場所を提供したいという桐生さんの強い想いがあります。活動を続ける中で、「自然と不登校児と触れ合う機会が増えた」という桐生さん。ある時、北海道に住む昔からの知り合いを訪ねることがありました。そこで出会った不登校児の一人から「『なぜ学校に行かなければならないの?』と聞かれたんです。子どもたちの『なぜ?』という素直な疑問に対して大人はどう接すればよいのかを自分でもしばらく悩みました」(桐生さん)。そして、この子どもが抱く疑問との向き合い方を考えるうちに、不登校児の保護者たちから気づいたことがありました。「なぜ、不登校になってしまったの?」「どうすれば、学校に行くようになるの?」といった子どもの不登校の問題に、何とか「正しい答え」を出そうとするあまり、いつしか自分自身の本当の気持ちを忘れてしまう。自分の「なぜ?」に対して、模範解答を求めるあまり、もがき苦しむ。そんな保護者たちの姿です。「不登校の子どもと向き合い続けることは、保護者にとっても苦しいこともあると思います。子どもの問題を考えるあまり、大人のほうが自分と向き合えなくなってしまうことがあるんです」(桐生さん)答えを探すことは、もちろん大きな意味があります。しかし、それだけではなく自分が感じた「なぜ?」はどうしてうまれたのかを考えることも必要になることがあります。一度、子どものことに縛られずにまずは自分の置かれている環境や気持ちを素直に整理する時間を大人自身が持つことが大事なのではないか?そんな時間を持つ何かきっかけになるものはないか?そう考えた桐生さんは、子どもの実際の「なぜ?」を主題に、この絵本を作ることにしました。子どもたちのリアルな疑問を描くために、北海道や大阪の子どもたち七人に「なぜ?」と感じたことを教えてもらうなど協力もしてもらいました。大人になったら忘れてしまうような、子どもが抱く素直な疑問が一冊の絵本にまとまっています。自遊空間ZEROイルカたちと始まる「ナゼナゼ・パズル」Upload By 発達ナビ編集部絵本は、主人公のカエデという女の子が夢の中でイルカになってしまうところから始まります。何頭ものイルカたちと遊ぶ中で、カエデは「ナゼナゼ・パズル」を提案します。「カエデッ、それナゾナゾの間違いじゃないの?」「ちがうの!みんなが、自分の中に眠っている<ナゼ>を探し出すの。自分は<ナゼ>生きているのか、とか、<ナゼ>死ぬのか……とか」(同書8Pより)その提案を聞いたイルカたちはもちろん戸惑います。しかし、サカナしか探してこなかったイルカたちが自分の「なぜ?」を探し始めますそして、日常での「なぜ?」をお互いに交換していきます。だれも答えはわからないし、正解もない。そんな子どものとき、誰しも一度は考えたことのある「なぜ?」が並びます。「ナゼナゼ・パズル」は、みんなの「なぜ?」が出揃ったら、それぞれが自分にとって一番大事な「なぜ?」を選びます。最終的にイルカたちが選んだ一番大事な「なぜ?」はさまざまです。「私はナゼ生まれてきたの?」「僕はナゼ日本に生まれてきたのか?」「ナゼ、人は死にたいと思うの?」「そう思うことは、間違いなの?」など。大人が子どもに聞かれたら少し戸惑ってしまうような「なぜ?」ばかりですでは、実際、こうした「なぜ?」を問われたら、大人はどう答えるべきなのでしょうか?正解だけが大事じゃない。「なぜ?」との向き合い方桐生さんは「正解を伝えることが重要ではない」と言います。絵本の中でもそれが示されています。この世には人の数だけ考え方があります。だから、もしかしたら「正解」は存在しないのかもしれません。どんなことに対しても、ただ、多くの人が信じている、イコール正解というだけで……。(同書P53より)確かに、「周りの意見」が正解につながるとは限りません。自分で考えて、悩んで見つけた答えがその子にとっての一つの答えになることもあります。さらに、その答えも見つかるものと決まっているわけではありません。「まわりの大人たちの一つの役割は、その子が抱いた一つの『なぜ?』を、本人が逃げずに向き合えるようサポートをすること」(桐生さん)。一緒に悩む時間を過ごしたり、素直に「答えがわからない」など、考え方を伝えてあげるだけでも、身近な大人ができるコミュニケーションの一つです。「(これまでの活動を通して)不登校になるなど問題が起きるということは、自分と向き合い始める大きな機会にもなるのではないかと感じました。それは、子どもに限った話ではなく、子どもたちの問題に関わる大人たち自身が自分と向き合う機会にもなります」(桐生さん)この絵本には、桐生さんの「子どもたちが自分と向き合うことの大切さはもちろん、まわりの大人たちも自分自身と向き合う機会にしてほしい」という想いが込められています。実際の子どもたちが抱いた「なぜ?」が絵本の中でどのように、語られているのかは一つの見どころです。その疑問を見たときに、大人になった今の自分は何を感じるのか?子どもの時の純粋な好奇心や疑問を思い出す機会になるかもしれません。
2017年08月09日ひきこもりとは出典 : ひきこもりとは、学校や仕事などに行かず、家族以外の人との交流をほとんどしないで家庭に長期間ひきこもっている状態のことを指します。平成22年に厚生労働省により公表された「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」では、原則的には6ヶ月以上にわたっておおむね家庭にとどまり続けている場合としてひきこもりの定義がなされています。ひきこもりに至った理由や要因は人によって様々ですが、上記のガイドラインによる定義では、統合失調症などの精神疾患によって家にこもっている状態とは区別されています。ただし実際には確定診断がなされる前の統合失調症のある人などが含まれている可能性もあると考えられています。ひきこもりによって社会参加の回避が長期化すると、社会生活への復帰のハードルも高くなってしまいます。本人自身や家族が大きな不安を抱えている場合も少なくありません。しかし、近所の目や家族内での偏見や無理解が少なくないという現状もあります。そのため支援を受けずに家庭内で解決しようとするあまり、状況がさらに長期化し解決が難しくなってしまうことがあるのです。現在、日本には推計でほとんど家からでないひきこもり状態にある人が約23.6万人、自分の用事の時だけ外出する準ひきこもりの人が約46.0万人、合わせて約69.6万人もの人が広義のひきこもり状態にあると言われています。この事態を受け、厚生労働省をはじめ、行政もひきこもりへの支援を推進しています。出典:『ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン』p.6出典: 平成26年版子ども・若者白書(全体版)子どものひきこもりは不登校と関連が深い出典 : 就学年齢にある子どもの場合、ひきこもりになるきっかけとして、学校に行かない不登校との関連があると考えられます。不登校は子どもにとっての社会的活動である学校生活や交友関係と関連する学校という環境からの回避行動と考えることができます。不登校で、自宅以外の場所での活動がないまま6ヶ月以上家から出ない状況が続くと、ひきこもりへと移行してしまう場合があります。そして一度ひきこもりの状態になると、不登校も長期化する場合が少なくありません。つまり子どもの頃にひきこもり状態になると、その間に学校で教育を受ける機会を失ってしまったり、居場所を失ってしまったり、進学・就職するハードルが高くなってしまうこともあります。そのため、不登校からひきこもりへと進行しないようにし、もしひきこもりになってしまった場合もできるだけ早く解決することが重要になってきます。大人のひきこもりは長期化に伴う高齢化が問題に出典 : 平成28年9月に内閣府が発表した「若者の生活に関する調査報告書」によると、ひきこもり状態になったのは20~24歳の頃と答えた人が34.7%ともっとも多く、ひきこもりがいまや子どもだけでなく、大人の問題でもあることは明白です。大人のひきこもりの場合、学校でのつまづきなどをきっかけに子どもの頃からひきこもりが続いている人もいれば、就職や仕事で社会になじめず成人後にひきこもり状態になった人もいます。就労や就学しない若者を指すニートという言葉もあります。ひきこもりのなかにはニートの人もいますが、ひきこもりとニートは厳密には違います。現在、ひきこもりの高齢化・長期化が問題視されています。ひきこもり状態が長期化した結果、35歳以上のひきこもりが増加していると言われています。先ほどの調査報告書は16~35歳以上を対象にしたものですが、5年以上ひきこもり状態が継続している人が46.9%と非常に高い割合を示しています。長期化している場合、それだけ社会復帰も難しくなります。また、子どもが35歳以上となると、その親も60歳を超えていることも予想され、金銭面・精神面でひきこもりを支える家族の高齢化も問題となってきます。自分が亡くなった後のひきこもりの子どもに関して不安を感じる親も少なくありません。出典:若者の生活に関する調査報告書ひきこもりの原因出典 : ひきこもりのきっかけや要因は様々です。本人の性格や甘え、子育てのせいと結び付けられがちですが、それらは決定的な物ではなく、単純にそれだけが原因でひきこもりが生じるわけではありません。『平成26年版子ども・若者白書(全体版)』による調査では、病気や仕事・学業でのつまずきがきっかけとして多いことがわかります。Upload By 発達障害のキホン出典:平成26年版子供・若者白書子どもは成長するに従い、自立とスキルを求められるようになります。他者と折り合いをつけ、円滑にコミュニケーションをとること。勉強や将来に向けての進学・就職に成功すること。様々なプレッシャーのなかで、外=社会での居場所を失い外に出られなくなった場合、家の中にひきこもらざるを得なくなってしまうのです。つまり、どの子どもでも、ひきこもりになる可能性はあるということです。きっかけとして多いのは、いじめや人間関係がうまくいかないこと、成績の低下や受験・就職活動の失敗などの様々な挫折経験が挙げられますが、きっかけがよくわからない場合も少なくありません。一つの原因だけでなく、複数の要因が複雑に関係しているケースも考えられます。不登校が長期化してひきこもりになることもあります。最近は、背景に発達障害が関係していることもあるという報告もあります。家族としては、どうしても「なぜひきこもりになったのか」が気になり、突き止めたくなるでしょう。ですが、「どうしてひきこもりになったのか」「何のせいでひきこもっているのか」と原因探しをすることは、ひきこもり状態の解決にはあまり意味がないかもしれません。ひきこもりの解決のためには「なった要因」よりも「ひきこもり状態からどうして抜けだせないのか」を考え、支援する必要があるのです。ひきこもりと精神疾患の関係は?出典 : 定義上ではひきこもりは精神疾患の症状ではない場合のことを指しています。ですが、ひきこもり状態の中には、精神疾患と何らかの関連がある場合も考えられます。この場合、いくらひきこもりを脱しようと頑張っても、根本にある精神疾患や障害の治療や支援をしないと、解決できないことがあります。そこで、ひきこもり状態の裏になんらかの精神疾患や障害が隠れていないかどうか注意することが非常に重要です。精神疾患とひきこもり状態の関係には以下の3つのパターンが考えられます。ひきこもりの人の中には、精神疾患の症状のために家から出られないのに、そのことに気づかず、見過ごされている状態の人が0ではないと考えられています。つまり、精神疾患からひきこもり状態を引き起こしているが未診断という状態です。不安障害や統合失調症、双極性障害、うつ病などは症状としてひきこもり状態を伴いやすい精神疾患です。これらはひきこもりと対処法が全く異なります。また治療が必要な場合もあるので注意が必要です。単なる「ひきこもり」と誤解しているうちに疾患が進行しないよう、早期に精神科に相談する必要があります。なかでも統合失調症は鑑別が難しい精神疾患です。統合失調症の陰性症状は、エネルギーが下がった状態で起こる症状です。主な症状としては、うつ状態になることと、感情の起伏が少なくなることの2つがあります。陰性症状が進むにつれて他の人とのコミュニケーションが難しくなり、ひきこもり症状が生じることがあります。この状態を単なるひきこもりと誤解されてしまうことがあります。統合失調症の主な症状としては、幻覚や妄想、幻聴なども挙げられます。これらの様子が見られる際には、精神科の受診をおすすめします。ただし、ひきこもり状態でも妄想などが現れる場合もありますので、統合失調症かどうかは医師による慎重な判断が必要です。統合失調症の治療には一般的に、薬物治療を併用しながら心理社会的療法(リハビリテーション)が行われます。参考書籍:斎藤環・畠中雅子/著『ひきこもりのライフプラン』(2012年岩波書店/刊)精神疾患の症状から、人間関係のトラブルや強いストレスを引き起こし、二次的な障害としてひきこもり状態になる場合もあります。近年、発達障害とひきこもりの因果関係が指摘されることが多くあります。発達障害のある人が特性を理解されないまま不適切な環境にいることで、環境との不適応を起こし、二次障害としてひきこもり状態になってしまう場合が少なくないのです。広汎性発達障害・自閉症スペクトラムのある人はコミュニケーションの困難を感じることがあります。そのため思春期以降、複雑化する学校生活や人間関係などがうまくいかず、ひきこもり状態になってしまう場合があります。ADHDのある人も、不注意や衝動性といった特性が社会適応を困難にしたり、叱責を受けて自己肯定感が低くなってしまうことが、ひきこもりにつながりやすいと言われています。また、学習障害(LD)のある人は、学習でのつまずきが学校への忌避感や自己肯定感の低下を引き起こし、ひきこもりやすくなると言われています。発達障害の根本的な治療法は現代の医学では確立していませんが、周りの理解や環境調整、スキルトレーニングなどによって困りごとが軽減すると言われています。それらの適切な対応をすることで、二次障害としてのひきこもりを起こさないようにしたり、ひきこもり状態から早期に抜け出せるようにすることが重要です。また、ひきこもりの人の中にも、その背景に発達障害が隠れていることに気がついていない人も一定数いると考えられます。発達障害である場合、様々な社会的支援が受けられる場合もあります。幼少期の生育歴などに発達障害に該当する様子がなかったかなど、一度専門機関に相談してみるとよいでしょう。参考:ひきこもりと発達障害|星野仁彦参考書籍:村尾泰弘/編『ひきこもる若者たち』(2005年,至文堂/刊)長期間にわたるひきこもり状態や孤立から、しばしば二次障害的に精神疾患の症状が出現することもあります。ひきこもり状態にある人のなかには、ひきこもりをやめたいのにやめられなかったり、家族とぶつかったり、近所の人の目を気にしたりなど、「ひきこもっていること」そのものに対して強いストレスを感じている場合があります。これらが心身に悪い影響を及ぼし、対人恐怖症状や強迫症状、被害念慮(妄想)、うつ状態などがあらわることがあり、しばしばそれらがひきこもりから抜け出すことをより困難にします。また家庭内暴力などの問題行動を引き起こすこともあります。これらの症状は、何らかの理由でひきこもり状態を脱すると急速に快方に向かうとも言われています。参考書籍:斎藤環/著『ひきこもり救出マニュアル』(2002年PHP/刊)ひきこもりはずっと続くの?出典 : 近年ひきこもりの高齢化が問題化しています。社会との接点がないまま長期化し、なかなかひきこもりから抜け出せずに、つらい思いをしている当事者や家族もいます。そのため、ひとたび子どもがひきこもりになると、「親である私たちが亡くなったらこの子はどうするんだろう」「このままひきこもりがなおらないのではないか」と心配してしまうのも無理はありません。ですが、本人は、ひきこもりを何とかしたいと考えている場合が多いのです。現在、社会復帰に向けた様々なサポートもあります。子どもに対する対処法を知ったり、専門家による支援を活用することで、ひきこもりから抜け出せる可能性も高くなります。これから、ひきこもり状態になった場合の相談先や支援方法について詳しくご紹介します。ひきこもりを脱するために何ができるのか、考えてみましょう。ひきこもりは家庭内で抱えこまず専門家に相談を出典 : ひきこもりが長期化し、こじらせてしまう一因には、「引きこもりは家族の問題」「できるだけ他人に知られたくない」と家族で問題を抱え込むことがあります。日本社会に根強い「世間の目を気にする」「家のことは家族で解決する」という文化が、背景にあると考えられますが、そういった家族の気持ちが一層本人を家から出にくくしてしまうことがあるようです。また、ひきこもりは時に家庭内暴力や家族内での対立を生んだりします。誰にも言えずに家族だけで解決しようとすると、周りの家族にとっても大きな精神的なストレスになります。そんな時に頼りになるのが、専門家や支援団体などの相談支援です。地域の相談支援を行っている機関をご紹介します。電話での相談を行っている場合もありますので、まずは問い合わせてみるとよいでしょう。・ひきこもり地域支援センター…ひきこもりに特化した専門的な第一次相談窓口としての機能を有するのが「ひきこもり地域支援センター」です。センターには社会福祉士、精神保健福祉士、臨床心理士などがひきこもり支援コーディネーターとして配置されます。相談支援や訪問支援を早期に行うことで、適切な支援につながることを目的にした施設です。参考:ひきこもり対策推進事業|厚生労働省全国ひきこもり地域支援センター設置状況・精神保健福祉センター…精神保健福祉全般にわたる相談をおこなっています。こころの健康についての相談、精神科医療についての相談などとともに、ひきこもりなど思春期・青年期問題の相談も可能です。電話や面接で相談できますが、事前の予約が必要なこともあるのでホームページなどで確認しましょう。全国の精神保健福祉センター一覧・保健所…地域の保健所でひきこもりの相談支援を行っている場合があります。電話相談、面談による相談があり、保健師、医師、精神保健福祉士などの専門職が対応してくれます。また、相談者の要望によっては、保健師に家を訪問して相談してくれる場合もあります。保健所一覧その他、児童相談所、福祉事務所、発達障害者支援センターなどの福祉機関などに相談してもよいでしょう。家族会や当事者会では同じ悩みを持つ方と出会い、相談できます。相談会やイベントなども多数行っています。ひきこもりの支援を行う特定非営利組織(NPO)などもあり、電話相談を行っているところもあります。全国ひきこもり家族会連合会ひきこもり電話相談引きこもりを支援する民間業者などもありますが、高額な費用がかかったり、無理に家から出させるなどの不適切な扱いをされたり、近年トラブルも増えています。利用する場合は慎重に、契約前に事前に見学するなどして活動内容をチェックし、閉鎖的な環境でないか、信頼できるかなどしっかり確認するようにしましょう。こころの問題や身体症状が強く出ている場合など、精神科、心療内科、小児科などの医療機関に相談しましょう。心理カウンセリングを行っているところもあります。本人が受診を拒む場合や外出できないときには、まずは家族の相談を受け入れてくれる医療機関もあります。ひきこもりの人と家族が受けられる支援出典 : ひきこもり支援のゴールとは、ひきこもり状態を抜け出し社会参加ができるようになることです。目標とする社会参加とは、働くことであったり、家の外に親密な対人関係を持つことだったり、居場所を作ることだったり、様々です。ひきこもりの段階で支援は変わります。その過程は人によってことなりますが、「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」で紹介されているような支援ステップを踏むことが多いようです。Upload By 発達障害のキホン「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」|厚生労働省ひきこもりの支援は多くの場合、家族の相談からスタートします。ひきこもりの支援が始まるこの時期、まずは相談に来た家族への支援や、本人がどのような状況にあり、どのような支援が必要かのアセスメントが行われます。・家族支援家族の面談や、訪問支援などを通して、必要な支援を探り、関係機関との連携などが行われます。まずは家族が相談機関に定期的に相談を続けることが第一歩となります。・個人療法当事者本人が支援を受けられる状態になると、個人的な心の支援がはじまります。本人が相談に行ったり、本人への訪問支援を受け入れたり、精神科などでの治療やカウンセリングを受けたりといった段階です。具体的な個人療法についてはケースや技法によって様々ですが、当事者の抱える罪悪感や孤立感によりそい、支援を受けようと動き出した本人の気持ちを支えることを基本とします。・集団療法次のステップはグループでの活動です。精神保健機関や医療機関での集団精神療法やデイ・ケアなどの利用、フリースクールやフリ―スペースなどで家族以外の人と接します。ひきこもりの当事者の中には同世代の人とのコミュニケーションが苦手な人もいます。まずは同じ悩みを持つひきこもりの人と接することがよいトレーニングになることもあります。また、これらの場が居場所として機能します。・社会復帰に向けた就労支援グループでの活動をするうち、就労したい・外出して活動したいという気持ちが芽生える場合があります。そのような場合には就労支援などの社会参加にむけた支援が始まります。就労支援としてはハローワークをはじめ、地域若者サポートステーション、ジョブカフェ、ヤングワークプラザ、学生職業総合支援センター、職業訓練校などが挙げられます。家族がひきこもりになったときの対処法出典 : 家族がひきこもり状態になった時、どのように接し、サポートすればよいのでしょうか?・本人がどのような気持ちかを理解する親や家族は誤解しやすいのですが、本人は「怠けたいから」「働きたくないから」ひきこもっているのではありません。むしろ「ひきこもりをやめたいのにできない」と悩み、家族に対しても申し訳なさや引け目を感じています。・本人が安心してひきこもれる環境をつくるゲームをずっとしている、散らかった部屋で昼夜逆転の生活をしているといった子どもの「だらしない生活」の様子は、親からすると不愉快で、注意してやめさせたい状況です。ですが「家から出す」ために叱りつけたり無理やり学校や職場に連れ出したりすることは、逆効果になることがあります。本人にとって、家の中での家族とのつながりさえなくなると、社会とのつながりが完全に断絶されることになるのです。家族との対立や口論などが続くと、家族とさえ話せない孤立した状況を生み出します。昼夜逆転の生活も、家族と顔を合わせたくないという理由から引き起こされる場合もあります。まずは家を居心地の良い、安全にひきこもれる環境にすることが、ひきこもりの初期の段階では重要なサポートとなります。「家が居心地がよすぎると、いっそうひきこもるのではないか」と家族は不安になりますが、本人は十分に苦しみ、抜け出したいと葛藤しています。家族はそれ以上のストレスを与えないようにし、信頼関係をもって支えるようにしたいものです。・金銭面での支え方お小遣いを要求する場合も、家族としてはなかなか受け入れがたい状況かもしれません。ですが、お店に行って買い物をすることも社会参加の一つです。子どもがお金を使う機会を持たせることは、外とのつながりを保つためにも重要です。お小遣いを渡すと際限なく要求するのではないか、特に大人の場合、ギャンブルなどにつぎ込むのではないかと心配する親御さんもいます。お小遣いを渡す場合、以下のようにルールを決めることが重要です。・お小遣いは、十分に与える・金額は必ず、一定にする・その額については、本人と相談して決める斎藤環/著『ひきこもり救出マニュアル』(2002年,PHP研究所/刊)p.372より引用また、お小遣いの使途については、本人に任せ、家族は口出ししないようにします。・ストレスを抱えこまないひきこもりの原因は親や家族のせいではありません。ですが、なんとか解決したいと奔走したり、子育ての仕方が悪かったのではと悩んだり、ひきこもりは家族にとって大きなストレスとなります。また「世間の目」が気になる親御さんも少なくないでしょう。特にお母さんは自分を責め、「子どもがひきこもっているのに…」と自分の楽しみや外出を控える方もいるようです。また、親子が家に閉じこもり、子どもが親に頼り切ることで「共依存」という依存関係に陥ることもあります。そのような事態を避けるためにも相談機関に相談したり、家族自身がストレスをため込まないように息抜きをしたりしましょう。本人に社会との接点を持つモデルをみせるためにも、家族で閉じこもらないことが重要です。・家庭内暴力への対応ひきこもり状態の1~2割に家庭内暴力が伴うことがあると言われています。家族の場合、本人への遠慮や表ざたにしたくないことから容認したり、第三者の介入を拒んだりしてしまいがちですが、密室化してしまうことが最も解決を困難にします。家庭内暴力への対処は「開示・通報・避難」を基本とします。まず、家族が暴力を絶対に許さない姿勢を示します。そして「暴力が起きたらおさまるまで家族は家を出る」「暴力が起きたら警察に通報する」と予告します。実際に暴力が起きたら、脅しで終わらないように毅然とした態度で宣言通りにすることが重要です。家族が避難する場合、本人が「見捨てられた」と感じないように、暴力が起きていないうちに避難しない、避難したら外から電話などで連絡する、タイミングを見て一時帰宅をするなどの対処をするとよいでしょう。家族だけでの対処が難しい場合がありますので、専門家に相談することもおすすめします。出典:斎藤環・畠中雅子/著『ひきこもりのライフプラン』(2012年,岩波書店/刊)まとめ出典 : 家族が突然ひきこもりになったら、驚き、なんとかして解決したいと思うのは自然なことかもしれません。家族の気持ちとして、一日中家にいる本人に対して怠けている、甘えていると感じたり、叱咤激励して家から出すことを考えたりすることもあるでしょう。しかし、ひきこもりをしている本人は心の中に強い葛藤を抱えています。不安や焦燥、絶望を感じ非常につらい状況にいることに思いを馳せることが重要です。ひとたびひきこもり状態が長引くと、つらい精神症状が生じる、生活の自立が難しくなるなど、さらに問題が現れることがあります。また、周りの家族もストレスや本人を支える負担が大きくなってしまいます。そのような事態を避けるためにも、ぜひ、早期に専門機関などへ相談しましょう。多くのひきこもりのケースの解決は家族の相談から始まります。家庭内で抱えこまず、周りの支援を受けながら、ひきこもりを抜け出す方法を一緒に考えていきましょう。
2017年07月31日愛するわが子にはできるだけ幸せになってほしいというのは、子どもを持つ親なら誰しも考えることではないでしょうか。熾烈な受験戦争や就職活動など年代ごとに競争が行われているだけに、心配な気持ちをもつのも仕方ないのかもしれません。しかし、親の期待が大きすぎるために、子どもがそれを負担に感じてしまうこともあります。また、あれこれと大切に育ててきたにも関わらず、子どもが思ったような成果を出せないことがあると、失望してしまう親もいるでしょう。今回は、手塩にかけて育てた子どもが期待通りにならなかった人の声と、その対処法をご紹介します。●(1)正しいレールに乗ってくれなかった『小学校受験をさせて、いわゆる人気校に入学させることができました。合格するためにお金や時間は惜しまず、そのためにさまざまな努力を続けてきたのです。しかし中学に入って徐々に成績がさがり、高校では学校に行かない日が増えてきました。最終的に不登校となり、きちんとした企業に就職するという夢は叶わなくなってしまいました。「こんなはずじゃなかった。こんな子、私の子じゃない」とまで思ってしまいましたね。普通の幸せを願っているだけだったのですが』(40代女性/パート)有名な大学を出て、一流の企業に就職し、平穏な結婚をするのが幸せだと思っている親は少なくないでしょう。しかし、子どもが自分で行った選択を尊重することも重要です。子どもの人生は子どものものであり、決して親のものではありません。親は、レールを敷いてそれに乗せるのではなく、あくまで見守ることに徹する のです。「夜更かしする」「学校を休む」「勉強をしない」というのは、すべて子どもが選んだこと。それを認めず、「親の教育が悪かった」と思い込むのは、エゴと言うほかないでしょう。たとえ親の望んだレールが一般的には正しいものだったとしても、子どもの成長には失敗することも必要なのです。●(2)身に付かなかった生活習慣『健康な体と規則正しい生活習慣さえあれば、他にはなにもいらないと思っていました。最低限のしつけができていれば外で恥ずかしい思いをすることもないでしょうし。しかし、私の思いは子どもに伝わらなかったようで、散らかし放題の部屋に暴力的な態度。一人暮らしを始めてからは外食や弁当ばかりできちんとした食事も取っていないようです。これまでの私の努力はなんだったのでしょうか……』(40代女性/主婦)わが子のこととなると、日頃の些細なことも気になってしまうという親は多いでしょう。あらゆる行動にケチをつけ、望み通りの行動ができなければ叱責する……。しかし、これを受けた子どもはどう感じるでしょうか。そもそも、規則正しい生活などをそもそも望んでいなかった可能性もあるでしょう。それに加え、押し付けられ、さらには批判までされるとあれば、反抗する気持ち になっても仕方ありません。「恩着せがましい」とさえ言えるのではないでしょうか。●(3)苦手なことが多い子どもになってしまった『うちの子は他の子どもたちより「できないこと」「苦手なこと」が多いように感じます。普通のことができないというか……。それが原因でいじめのターゲットになってしまうようなことがあれば、後悔してもしきれません。子どもをきつく叱ることも多いですが、その後「どうしてわかってくれないの?できるようにならないの?」と自己嫌悪してしまいます。かといって、褒めて伸ばすというのも違う気がして、子育てに自信がありません』(30代女性/事務)親というものは、子どもの欠点を見つけると心配になり、平穏な状態ではいられなくなります。「あれはしちゃダメ」「どうしてこんなこともできないの」という言葉は、「他のみんなができることを当然のようにやってほしい」という思いがあるからです。これは“否定”することを意味します。しつけや教育を、欠点をなくすことだと思っているから です。しかし、親の失望は子どもを次第に無力にしていきます。弱みを見つけて指摘するのは簡単です。人と違う部分を探して、それがおかしいと言うだけ。反対に、強みというものは人と違うからこそ強みなのであり、それを見つけ、良い部分だと考えることは簡単ではないでしょう。しかし、これは褒めればいいということでもありません。結果に着目して褒めることは、子どもが親の目を気にして行動することにつながるためです。大切なのは、子どものことをよく観察し、しっかりと対話することです。----------いかがでしたか?最近では毒親という言葉も注目され、親のあり方というものが考え直されているのかもしれません。安易に叱るのは簡単です。時には我慢を強いられることもあるかもしれませんが、忍耐強く向き合ってみることが大切ではないでしょうか。●文/パピマミ編集部●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年07月31日みなさま、こんにちは。紅子です。今回は、私も含め若い世代が大人たちから頻繁に“ゆとり”と呼ばれることについて思ったことをまとめてみました。▶前回の連載記事はこちら現在の20代を中心とした若者を指してしばしば使われる言葉「ゆとり」。どちらかというとややネガティブなニュアンスを込めて使われることの多い「ゆとり」だが、そもそもゆとり世代とは具体的にどういった世代のことを指し、そうでない世代と何がどのように違うのだろうか。今回、一般的に「ゆとり世代」に対しどういった場面でゆとりだと感じるのか、また、なぜそう感じるのかを、ゆとり世代本人たちとそれ以外の世代とに分けて、前回の記事でアンケートを実施した。その結果に基づいて、この実体のあるようでない「ゆとり」とは何なのか、ゆとり世代本人たちは「ゆとり」に対し何を思うのか等々、少し掘り下げてみた。そもそも「ゆとり世代」の定義とは「打たれ弱い」「協調性がない」「野心がない」等、なんとなく甲斐性のない若者をざっくりと指して使われることの多い「ゆとり」という言葉だが、これにはきちんと該当する世代と定義がある。いわゆる「ゆとり世代」とは、1999年に改正され、2002年より実施された学習指導要領に基づく「ゆとり教育」を受けた世代のことで、これに該当するのが1987年4月2日〜2004年4月1日生まれの現在13歳〜29歳*となっている。(*2017年7月時点)ゆとり教育が実施された背景には、それまで行われていた暗記中心の詰め込み教育や過度な受験戦争、偏差値重視の教育が、いじめや不登校、非行を誘発しているという批判を受け、無理のない学習環境で自ら学び考える力を育成することを目指し実施したという流れがある。(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)具体的にゆとり教育の実施によってそれまでと変わった事は以下の4つなど。・完全週5日制・絶対評価の導入・教科にとらわれない「総合的な学習の時間」の新設・各教科の学習内容を3割程度削減私自身も1990年生まれのゆとり教育直撃世代なので、小学校のある時期から、それまで隔週であったはずの土曜の半日授業がなくなり、「総合的な学習の時間」という、授業内容が毎回バラバラな(ある時は道徳の授業と似た内容を、ある時は自習の時間、ある時は体育館でドッジボールをし、運動会の前はその準備に充てられたりする)謎の時間が突如時間割に組み込まれたのは覚えている。でも何より一番よく覚えているのは、学年が上がるたびに配られる教科書がペラペラになっていたことだ。特に算数の教科書は70数ページまでしかなく、それなりに重量感のあった低学年の頃と比べ中3の頃には夏の暑い日にうちわ代わりに扇ぐ事が出来るくらいに薄くなっていた。また、私の代は円周率3.14で習ったが、次の年から円周率は3にされるのだと塾の講師が嘆いていた記憶もある(実際に翌年実施されたのかは定かでないが、周りの同世代に聞いて回ると円周率3で習った人とそうでない人がいるのは事実のようだ)。「ゆとり教育」をざっとまとめるとこんな感じだが、ではこれらが世間の持つ「ゆとり」のイメージに、一体どう結びついているのだろうか。どういう時「ゆとり」だと感じるの?前回の記事の最後に、この記事を書くにあたってのアンケートを「ゆとり世代(65人)」と「ゆとり世代以外(126人)」とに分けて、『どういう場面で「ゆとり」って言われる?』と聞いてみた。その結果がこちら。※訂正:こちらのアンケートを実施した際、「感じたことがない」という項目を入れていなかったため、ゆとりだと感じたことがない人が「その他」の項目に記載してくれたものをここでは新たに分けてグラフにしている。(ゆとり世代として、自覚もなしに「当然ゆとりだと思われているのだろう」という思い込みでもあったのだろうか…)ゆとり世代・それ以外の世代共に、少々差はあれどやはり「仕事中」に何かしらのギャップを感じる人が多いようだ。具体的な事例として挙げられた回答はこちら。 ゆとり世代の回答・新入社員時代の時に、営業で成績が出せず、周りの先輩とも馴染めず、胃腸炎や鬱っぽくなって会社にいけなくなったときに言われた。同じように後輩も、精神的に病んで会社に来れなくなったときに言われていた。 「弱い人間」「我慢できない人間」「従順に会社のルールに従えない人間」のことを指していたように思う。・強いて言えば、仕事に求めるものって何?ってバイトしている企業の店長よりも偉いエリアマネージャーの方に聞かれた時に、僕が「福利厚生や…」と答えた際、最近の子っぽいねと言われた。・私はきっちりと休み時間をとり、残業をなるべくせずに帰るようにしていますし、会社の飲み会でも自分の意見を通すように発言します。たとえ目上の人と反対の意見でも。それをゆとりと茶化されます。・私もアパレル関係の仕事をしているのですが、仕事柄労働時間が非常に長いです。先輩やベテランの方は自分の時間を全て捨てて仕事や仕事の勉強をするべきだと教えられてきました。 もちろんそれはプロ意識であり素晴らしく尊敬することだとは思うのですが、自分の時間も欲しいと思う時は「これがゆとり世代の考え方なのか」と感じます。 ゆとり世代以外の回答・仕事で、人と比べられること(営業成績等)に対して、とてもネガティブになる所・以前の勤務先に学生インターンが来た時、社長が雑用を頼んだら、そんな事をする為に来たんじゃない、とすぐ辞めてしまった。・会社を学校だと思っているフシがある。新入社員が仕事の知識を自主的に身に付けようとしなくなっており、業務上、基本中の基本の知識を尋ねると「教えてもらってないんで!」と半ばキレ気味…。会社にいる以上はお客様からしてみればプロなわけで、1から10までをすべて研修プログラムのように教わるつもりでいたらしい。ちなみに営業職です…。・私も音大出、仕事柄新しく会った若い人に「連絡下さいね!」と頼んでも返信さえしてくれない。礼儀も何もあったもんじゃないです。仕事を頼みたいのに! ゆとり世代の回答を見ると、定時上がりや福利厚生などのライフワークバランスを重視し、自分の体調や、自分の意見を大切にしたいといった、「個」を尊重する考えを「ゆとり」と結び付けられた経験が多いようだ。一方、ゆとり世代以外の回答を見ると、仕事の場面で感じることとしてやや共通しているのは「必要最低限に留まろうとするところ」だろうか。「教えてもらっていないからわからない」「目的以外のことに時間を費やさない」「必要に駆られないと連絡を返さない」等、少々受け身で消極的な姿勢や、他者と比べられる事への嫌悪感などは「野心がない」などと揶揄される所以でもあるのかもしれない。私が注目する「ゆとり教育」の欠陥。では、これらの「ゆとり」に対する見方は、その名の通り「ゆとり教育」と関係している事なのだろうか。ゆとり教育の実施に伴い変更された主な内容をもう一度見てみよう。・完全週5日制・絶対評価の導入・「総合的な学習の時間」の新設・各教科の学習内容を3割程度削減個人的な感想としては、この項目だけ見ると先程挙げられた「ゆとりたちの言動」がこれに直結しているとは少々考え難く、どちらかというとゆとり教育を受けたからではなく、単に誰もが通る若さ故の責任感や余裕が持てるまでの段階を彼らは踏んでいるに過ぎず、たまたまその「若い世代」に該当するのが今のゆとり教育を受けた世代であることから「ゆとり」と呼ばれるようになったのではないだろうか、とも思う。ただ、我々ゆとり世代の人格形成にゆとり教育が全く無関係かというとそうでもないと思っている。もしも一般的に言われる「ゆとり」像がゆとり教育と関係しているとすれば、上記4項目のうち私の考える注目すべき点は「絶対評価の導入」だ。絶対評価とは、それまで採用されていた相対評価が文字通り“学級や学年など、全体の中でどのくらいの位置にいるのかという評価基準”であったのに対し、“全体の出来に対してどうかではなく、あらかじめ設定された指導目標を基準に評価する”というものである。この絶対評価が何故ゆとり世代の人格形成に影響しているように感じたかというと、絶対評価は相対評価に比べ、教師の主観による判断の傾向が強くなり、客観性に欠けるという指摘が導入当時から数多く寄せられていたから。また、ゆとり教育導入以降、評価の観点において「関心・意欲・態度」が重要視されるようになったことで、内申点は実質テストの点数が50%、残りの50%は授業態度等で決まるようになった。つまり、苦手な教科でも授業態度を良くすることで半分はカバー出来、逆に得意な科目でも授業態度が悪ければ5段階評価をつけるにあたって減点対象となるわけである。当然、受験を控えた生徒達は内申点を上げるためにその評価基準に則って良い成績をつけてもらえるよう努めるわけだが、関心や意欲の強さというのは一概に人の目で見て判断出来るものではない。そうなると、内申点を上げたい生徒としてはより模範的な生徒として振る舞おうと意識するだろう。学校側から言われた事に従い、規則からはみ出ることをしないよう、より気を遣うようになるのではないだろうか。私が中2・中3の頃のことを思い出しても、苦手な教科ほど得点稼ぎができるよう、「全然分かんないけどとりあえず挙手!(笑)」と言いながらやる気をアピールする生徒や(無論それが悪いことではないが)、通知表の他に内申書に書いてもらえる項目を増やすべく「やりたくねー」と言いながら嫌々ボランティアや役員業務に立候補するクラスメイトは少なくなかったように思う。覚えている限りのこれらの言動から、私たちゆとり世代は、求められた人物像に近付くべく「自分の意思よりも言われた事に従う方が賢明である」という、悪く言えば見え方を優先、質は後というような価値観を、絶対評価を通した教育を経て少なからず持つことになったのではないだろうか。そしてこれが、「言われた事しかやらない」「自分の意思がない(消極的)」などと言われる要因の一つになっているとは考えられないだろうか。もしそうだとしたら、自ら学び考える力を育成することを目指し実施したというゆとり教育本来の目的とは逆を行ったことになる。そして世代の性格として自然発生的に根付いたものではなく、少なからずこれらの教育が影響しているとしたら、やはり「これだからゆとり世代は」などとゆとり世代本人たちを責めるのは少々理不尽なのではないかとも思う。ちなみにゆとり教育が始まった2002年、私は小学校6年に上がった年だった。本当は当時中学生だった兄の通知表を参考にしたかったのだが、所在が分からずじまいの為、参考程度に小学校の通知表を比較してみた。こちらは2001年、ゆとり教育導入前年(小学5年)の通知表である。ぜんぶできている。素晴らしい。各項目を見てみると、授業に関する具体的な内容について出来たか出来ていなかったかが評価されているのがわかる。続いて2002年。ここで「ゆとり教育」が導入される。学校教育目標にも「よく考え進んで実行する子」と表記されるようになる。各項目の前に「関心・意欲・態度」「技能・表現」などのカテゴリーが加わっている。小6の私は我が国の歴史がさまざまな人々の働きによってつくられていることを分かっていなかったらしい。では中学の頃はどうなっていたかというと、こちらは2005年度、中3の時の通知表である。4ばっかり!それまでオール5だった英語はオール4になり(満点近く採って4だったのでものすごく不服だったのだが、2年の終わりまでいた教師が異動になってから後任の教師にめちゃくちゃ嫌われていたのは覚えている。前期なんて全部Aなのに4だし)、体育に至ってはオール2。ひどい。運動能力の無さは今も健在である。授業態度は軒並み微妙だったらしい。小学校と違い具体的な項目はなく、全て統一された観点にABCで評価が付いていることがわかる。久しぶりに見てみた感想としては、英語の評価の不当性を思い出して今更腹が立ってきたということである。あれは完全に教師の主観だったと思う…。ご家庭に通知表の残っている人は読み返してみて欲しい。ゆとり世代だって悪い面ばかりではない!しかし、ゆとり世代も悪い面ばかりではない。アンケートの回答を見て行くと、ゆとり世代の回答は「仕事」に次いで「知識(学力)」だったが、ゆとり世代以外の回答と合わせて見てみると「言われたことがない・感じたことがない」という回答や、ゆとり世代に対しての肯定的な意見も多い。具体的な事例は以下にまとめた。 ゆとり世代の回答・どちらかといえば自虐的な冗談で言う事が多い ゆとり世代以外の回答・世間で言われるほどゆとり世代なんて感じたことはない。おっさんにだって所謂『ゆとり』的な人はいる。結局はその人次第だと思うよ・全く気にしたことがないし、「ゆとり世代」と一括りにすることは失礼だと思う・僕は経営者で若い子も雇っていますが、感じる事は無いですね。この『ゆとり』という言葉を良い意味で使う事は無いでしょうから、その解釈から言えば、いつの時代も良い奴も出来ない奴もいます。 僕が思うに上に立つ人間の人材不足なのではと思います。部下を上手く操れないから、『ゆとり』という概念で整理すると対外的にも自分的にも楽だし共感を持って貰えるからその言葉を使うのではと思っています。(一部抜粋)・塾講師をしています。 いわゆる「ゆとり世代」もそれ以外の世代も教えていますが、特に学力面、社会常識等で違いを感じたことはありません。 もちろん、教える内容の変化はありましたが。 個人的には「ゆとり世代」というのは都市伝説のような類の意味のないものだと捉えています。(一部抜粋)・私の娘がゆとり世代ですが、この世代の人達は、差こそあれ、大体において想像力豊かで、ディベートもでき、発想が柔軟です。 指摘されて以来お付き合いの途絶えてしまう大人もたくさんいるけれど、この世代の人々は概して指摘にも耐え、反論も出てきます。 知識は確かにそう詰め込まれなかったかも知れませんが、調べる自主性、考える力、組み立てる能力、つまり生きる力に富んでいると感じます。 授業も興味深いものでした。うらやましいことがよくあります。・いい意味で意見を持っていると思う。会社でも創造的な提案を聞きます。個性的だし自分らしく生きることを私たちより自然体でできているように感じます。・ゆとり世代に対する批判は、各年代共通する年寄りの若い世代に対する批判と考えています彼らは「いい子」ですが、社会情勢に翻弄されている中、それでも努力していると思っています・彼らはすばらしい!この世代は文武両道で成功している子が多い。柔らかいものの見方ができ、創造的な子も多く、伸びようとする力もある。学力や知識が足りないうえに、型にはめたがるバブル世代のほうが問題だと思う。・1960年生まれです。90年代生まれの子供がふたりいます。彼らやその友人と会話していると、発想の柔軟さ、多角的な思考、周囲への強烈な配慮に驚かされます。 仕事のシーンにおいて打たれ弱くすぐ辞めてしまうとか、自発的に食らいついていかない受け身な姿勢などが嘆かれているのは、裏を返せば一歩引いて冷静に世界を見ていることや、スマホやSNSの普及によって昔に比べ圧倒的に情報量が増え、多様な価値観を目にする機会も増えたことで選択肢がたくさんあるということを知っているため、どこか一箇所にとらわれるのではなくより自分に合ったものを見つけたいという気持ちが強いからではないだろうか。また、ゆとり世代の回答にあった「自分の体調を優先する」「休みはきっちり取る」「ワークライフバランスを重視する」ことによってゆとりと関連付けられたという事例に関しては、ゆとり世代の判断は何も間違ってはいないように思う。電通の一件で特に大きな注目を浴びたが、近年は絶えない過労自殺などによって働き方を見直されている時代でもある。もちろん欠勤はしないに越したことはないし仕事を残さないよう頑張れるだけ頑張るというのは素晴らしい事だが、自分の生活や体調を犠牲にして根性だけで乗り切ろうとすることは時に人生を大きく狂わせる。それをゆとり世代はよく知っているのではないだろうか。社会の中では歯車として働いていてる身体でも、個人の人生においてはエンジンそのものである。「世代」ではなく、「個人」で人間を見ることが大事。今回実施したアンケートで「ゆとり世代」についてわかったことを以下の4つにまとめた。①「打たれ弱い」「協調性がない」などいわゆる今の若者に上の世代が抱いているとされる「ゆとり」イメージは確かに存在する②しかしそれを「ゆとり」という名で括る根拠については曖昧、もしくは一定ではない③「ゆとり」という括り方に疑問を持つ人も同じくらい多い④「ライフワークバランスを大切にする」「柔軟なものの見方ができる」等、嘆かれる面ばかりではない教育も社会も人を造る。時代が変われば価値観も変わり、一人一人は歳を重ねることで変わっていく。価値観はたぶん確立されないし、統一させることも不可能だ。確立されないものをカテゴライズすることで見えなくなるものは多いし、危険だ。「ゆとり世代」は確かに存在するが、ゆとり世代の中の「個人」であること、バブル世代の、団塊世代の「個人」であることを忘れないように他者を見つめ、受け入れて行く社会であって欲しい。 BENIKO HASHIMOTO(橋本 紅子)神奈川県出身。音楽大学卒業後、アパレル販売をしながらシンガーソングライターとして活動を続ける。2015年5月に結成されたSEALDs(=自由と民主主義のための学生緊急行動)に参加しSNSやデモ活動を通して同世代に社会問題について問い掛けるようになる。Instagram: by Beniko HashimotoーBe inspired! 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2017年07月23日「みんなの学校」の元校長・木村泰子先生と教育を考える、スペシャルな一週間出典 : みなさんは、「みんなの学校」という映画をご存知ですか?「みんながつくるみんなの学校」を合言葉に、そこに通う子どもや先生はもちろん、地域の人一人ひとりが「自分の学校」をつくりあげた、大阪市立大空小学校の日々を追ったドキュメンタリー映画です。2015年2月に映画が公開されるとたちまち話題となり、公開が終了した今なお、この映画を一人でも多くの人にいてほしいと願う人たちによって、毎週のように全国どこかで自主上映が行われています。大空小学校では、発達障害や知的障害のある子どもたちが、みんなと同じ教室で学んでいます。そのため、障害がない子どもたちは、様々な個性を持った子どもたちと一緒に過ごすことで、多くのことを学ぶことができます。一方で、私たちが暮らす社会には今なお、たくさんの問題を抱えているように思います。それにもかかわらず、多くの人がこの社会を自分がつくっていると自覚することなく、日常に追われています。「みんながつくるみんなの学校」があるのであれば、「みんながつくるみんなの社会」がなければなりません。そのような問題意識から、大阪市立大空小学校、元校長の木村泰子先生と、同元教諭の塚根洋子先生をお招きし、これからの「みんなの学校・みんなの社会」のあり方について、共に考え学ぶ場が企画されました。題して、「みんなの学校」元校長・木村泰子先生と学ぶ夏休みスペシャルウィーク8/6-8/10の間、一つでも多くの学校が「みんなの学校」になるように、そして私たちの社会が「みんなの社会」となるよう、たくさんの学びや行動のきっかけを届けることを目的に、教育・仕事・デザイン・マイノリティ・メディア、様々なテーマのイベントが催されます!ご興味のあるイベントにぜひ参加してみてください。Upload By 発達ナビニュース木村泰子(キムラヤスコ)大阪市出身。武庫川学院女子短期大学(現武庫川女子大学短期大学部)卒業。「みんながつくるみんなの学校」を合言葉に、子ども、保護者、地域住民、教職員一人ひとりがつくる大阪市立大空小学校の初代校長を9年間務めた。「すべての子どもの学習権を保障する学校」として、その取り組みを描いたドキュメンタリー映画「みんなの学校」が話題となった。2015年春に退職し、現在は全国各地での講演活動、教員研修、執筆などで多忙な日々を送る。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』(小学館)『不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる21世紀を生きる力』(水王舎)などがある。Upload By 発達ナビニュース塚根洋子(ツカネヨウコ)38年間の教職生活で大空小学校の9年間を終え卒業。在職中トリプルPファシリテーターの資格習得。退職後アートセラピストの資格を習得し、少しでも子どもや大人の心に向き合えるようにと学び中。モットーは「変わる自分 変われる自分 いいねぇ」。現在、木村泰子さんと共に、大阪にて毎月「みんながつくるみんなの学集会」の講師を務めるとともに講演活動も行っている。8/8(火)は「みんなの学校」 × LITALICOの対談イベント!Upload By 発達ナビニュース今回のスペシャルウィークでは、発達ナビの運営会社であるLITALICOと「みんなの学校」のコラボが実現!木村先生とのトークセッションを開催します。発達ナビの運営会社であるLITALICOは、「障害のない社会をつくる」をビジョンとして掲げ、障害者への就労支援サービス、子どもの可能性を拡げるソーシャルスキル&学習教室、ものづくりに特化した教育を行うIT×ものづくり教室などを運営しています。コラボイベントのテーマは、「みんなの社会をいかに生きてはたらくか」ゲストは、「大阪市立大空小学校」元校長の木村泰子先生と、同元教諭の塚根洋子先生障害のある方の社会への参加・参画に向け共生社会の実現を目指し、障害者雇用にも重点を置く薬樹ウィル株式会社(株式会社薬樹特定子会社)代表取締役の吉澤靖博さんLITALICOからは、「LITALICO発達ナビ」編集長の鈴木悠平学校での教員経験もある社員・木村彰宏の2名が登壇します。また、当日は冒頭、参考映像としてドキュメンタリー版「みんなの学校」(45分/関西テレビ)を上映します。【開催概要】日時:8月8日(火)18時~22時(18時から映像上映、19時よりセッションスタート)場所:LITALICOセミナールーム(中目黒)〒153-0051 東京都目黒区上目黒2-1-1 中目黒GTタワー16F参加費:無料主催:みんなの学校みんなの社会(任意団体)協力:株式会社LITALICO/薬樹ウィル株式会社協賛:株式会社クリックネット【お申込み方法】下記申し込みフォームよりお申し込みください。当日の対談の様子は、発達ナビのFacebookページでもライブ配信します!遠方でご参加が難しい方は、以下のページから中継をお楽しみください。発達ナビのFacebookページはこちら「みんなの学校」夏休みスペシャルウィークのイベントを一挙にご紹介!以下では、LITALICOとのコラボイベント以外も含めた、スペシャルウィーク全体のイベントをご紹介します!Upload By 発達ナビニュース現役教員、学生、社会人らが共に過ごしながら、これからの社会でどう生きてはたらく力を獲得できるのか、「みんなの学校」をつくってきた木村泰子先生と塚根洋子先生と一緒に考えます。対象:大学生、教員、企業などで教育に関わる方場所: BLR伊東( 〒414-0055 静岡県伊東市岡354JR伊東駅より徒歩 )募集人数:30名参加費(予定):学生18,000円社会人28,000円(宿泊費・食事含む、現地までの交通費は含まず)※2日目の夜(18時)までの参加、2日目午後(13時)からの参加も受け付けます。その場合参加費はそれぞれ8,000円引きとなります。※初日、3日目の遅刻早退も可能ですが、料金は変わりません。※交通費参考東京~伊東JR快速利用(2時間)片道2270円新宿~伊東小田急+JR利用(3時間)片道1550円【1日目】15:00現地集合15:30オリエンテーション・自己紹介ワーク…18:00調理実習~夕食21:00プログラム・ワークショップ【2日目】8:00 朝食9:00 プログラム・ワークショップ12:00昼食13:00プログラム・ワークショップ18:00調理実習~夕食21:00プログラム・ワークショップ【3日目】8:00 朝食をとりながらの振り返り10:00チェックアウト解散【お申込み】参加をご希望の方は下記よりエントリーをお願いします。Upload By 発達ナビニュース立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の協力による企画です。同大学院に所属する教員と木村先生のパネルディスカッションを行ったうえで、参加者の皆さんも加わったグループディスカッションを実施、これからの社会をいかにデザインしていくかを考えます。【開催概要】日時:8月9日(水)13時~17時場所:立教大学池袋キャンパス参加費:無料主催:みんなの学校みんなの社会(任意団体)協力:立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科【立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科】世紀の市民社会が直面する諸問題に現実的に取り組み、新しい市民的知の結集と協働のネットワークの力によって、“いかに対処すべきか”の具体的な方法論を系統的な理論と実践として探求する、新しいタイプの大学院。NPO/NGOやソーシャルビジネス、企業の社会的責任(CSR)、海外協力団体の運営、企業・自治体から地球レベルに至る危機管理に関する専門知識、方法論、マネジメント能力、グローバルな視野を有し、変化する社会状況に的確に対応できる総合的な判断力を備えた専門家=ソーシャルデザイナーを育成。【お申込み方法】下記申し込みフォームよりお申込みください生きづらさを感じている色とりどりの人たちが車座になって、「私のまぜこぜ・生きづらさ」を、ぶっちゃけトーク。 木村先生と東ちづるさん(予定)と一緒に、笑って泣いて、ワクワクドキドキの2時間です!2017年8月6日(日)~10日(木)の5日間、映画「みんなの学校」で、その教育実践が話題となった大阪市立大空小学校元校長の木村泰子先生と、同元教諭の塚根洋子先生をお招きし、これからの「みんなの学校・みんなの社会」の在り方について、共に考え、学びます。本プログラムの一環として、誰も排除しない「まぜこぜの社会」をめざして、アートや音楽、映像などのワクワクを通じて活動する一般 社団法人 Get in touch(代表:東ちづる)協力。 生きづらさ感じている色とりどりの人たちが車座になって、「私のまぜこぜ・生きづらさ」を、ぶっちゃけトーク。 木村先生と東ちづるさん(予定)と一緒に、笑って泣いて、ワクワクドキドキの2時間です!【開催概要】日時:8月9日(水)19時~21時場所:渋谷董友ビル2Fホール(キユーピー本社ビル内)参加費:1,000円主催:みんなの学校みんなの社会(任意団体)協力:一般社団法人 Get in touch/キユーピー株式会社【お申込み方法】下記申し込みフォームよりお申込みくださいUpload By 発達ナビニュースこれからの社会を生きる力として求められる「メディア・リテラシー」の大切さについての、下村健一さんの特別講座です。下村さんは、TBS報道局アナ(スペースJ、等)を15年、フリーキャスター(筑紫哲也NEWS23、サタデーずばッと、等)を10年務めた後、内閣広報室の中枢メンバーとして約2年半、民主・自民の3政権で首相官邸の情報発信に従事されました。また、東京大学・慶應義塾大学・関西大学で各3~4年の教職を経て、現在は白鴎大学客員教授の他、小学教科書の執筆など、幅広い年代の子ども達のメディア・情報教育に携わっておられます。特別講座の後、「想像力のスイッチを入れよう!」と題し、「他者への想像力」を大切にした教育実践をされてきた木村泰子先生とのミニ対談も開催します。【参考文献(ともに下村さんの著書)】・10代からの情報キャッチボール入門――使えるメディア・リテラシー・想像力のスイッチを入れよう (世の中への扉)【開催概要】日時:8月10日(木)9時30分~11時40分場所:立教大学池袋キャンパス(詳細は参加者の方にお知らせします)対象:どなたでもご参加いただけます参加費:無料主催:みんなの学校みんなの社会(任意団体)協力:下村健一事務所協賛:株式会社クリックネット【お申込み方法】下記申し込みフォームよりお申込みくださいUpload By 発達ナビニュース「すべての子どもが、その子にとって 素晴らしい教育を受けることができる社会の実現」を目指す、認定NPO法人Teach For Japan(以下、TFJ)のフェロー(派遣教師)といっしょに「目の前の子どもひとり一人に私たちはどう関わることができるのか」を考える対話イベントです。当日は、TFJのフェローによる現場での体験スピーチのほか、長年現場で子どもたちに関わってきた木村泰子先生、塚根洋子先生からのエピソードを伺った後、参加者全員で「全校道徳」を行います。※全校道徳とは、大空小学校が毎週月曜日の朝に実践する、1年生から6年生までがグループになり、車座で答えのない問いについて考える会です。【開催概要】日時:8月10日(木)13時~17時場所:立教大学池袋キャンパス(予定。変更の可能性があります)参加費:無料主催:みんなの学校みんなの社会(任意団体)協力:Teach For Japan/立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科(予定)協賛:株式会社クリックネット【お申込み方法】下記申し込みフォームよりお申込みください
2017年07月21日中学不登校だった僕が出会った“通信制高校”。そこは、自分の興味を思いっきり追求できる場所だったUpload By 吉開拓人こんにちは、現在大学生で、プログラマーとしても活動している吉開拓人といいます。これまで、ベンチャー企業でのロボットの開発などに携わってきました。開発に携わったロボット「Gatebox」今でこそ、大学生活にエンジニアの仕事にと充実した毎日を送っている僕ですが、実は中学から約3年半の不登校経験があります。そんな僕がプログラミングに打ち込み、そして大学進学という目標を持てた理由の一つには、「通信制高校」という選択肢があったことがあると思います。通っていたのは、長野県にある通信制高校「コードアカデミー」。国語や数学といった通常の高校の授業科目だけでなく、プログラミング教育に力を入れた学校です。2014年に開校されたばかりでまだ歴史は浅く、僕が卒業第一期生です。コードアカデミーでの日々はとても充実していました。自分の好きなことや楽しいことに3年間ずっとノンストップで取り組むことができただけでなく、面白い生徒にたくさん出会えましたし、その人たちから普通の高校に通う以上の良い刺激をたくさん受けとることができました。今回は、僕自身の「コードアカデミー」での高校生活をお話し、不登校であったり、学校に行く理由を見出せないでいる中高生の後輩たちに向けて、通信制高校のポジティブな活用方法をお伝えできればと思います。「勉強する目的が分からない」ー3年半の引きこもりから、プログラミングという道に出会うまで出典 : 通信制高校へ通うようになったキッカケは中学生のころまでさかのぼります。僕は中学生1年生の時から、家に引きこもるようになりました。学校に行かなくなった理由は人間関係などではなく、「勉強する目的が分からない」から。小学校と違い中学にあがってから大きく変わるのは勉強への姿勢。周りは受験モードに切り替わり、勉強に力を入れる人が増えていきます。友達が塾に行き始めるのをみて「自分も勉強をがんばらなくては」と焦燥感をかんじ勉強に向かってみたものの、目的を定めずに何かをすることが苦手だった僕は、目的のない受験勉強をし続けることに対しもやもやとした疑問を抱き始めます。そしてついに中学一年の秋、糸が切れたように通学ができなくなってしまい、そこから3年以上もの間引きこもり生活が続きました。ですが今振り返ると、この不登校経験は僕の人生のターニングポイントとなったかけがえのない時間だったと思います。一日中ゲームをしていた僕に、父が「そんなに好きなら、自分でゲームを作ってみれば?」とプログラミングの専門書を買ってくれ、僕がエンジニアになるきっかけを与えてくれたからです。※詳しくは、以前発達ナビでインタビューしていただいたコラムでお話していますので、こちらも併せてご覧いただけると嬉しいです。プログラミングに特化した通信制高校がある?ニュースを見てすぐに入学を決意出典 : 引きこもり始めて3年の月日が経った頃、「まだ学校に行きたくはない」と中学卒業後も家で過ごしていた時のこと。ふと目にしたのが“通信制高校「コードアカデミー」開校”のニュースでした。コードアカデミーは、日本でも稀なプログラミング科目を導入した高校です。国語や数学、英語といった普通科目とプログラミング科目の授業はネットで受講し、メールで課題を提出。あとは半年に一度、約5日間長野県にある本校で授業とテストを受けて単位を修得します。卒業に必要な単位を取れれば高校卒業資格が取得できるので、大学を受験する事が出来ます。さきほどお話した通り、不登校生活で一番力を入れてたのがプログラミングの勉強だったこともあり、このニュースを見たときは飛び上がるような気持ちになったのを覚えています。将来のために今以上のプログラミング技術が学べるかも…ここだったら自分のやりたいことに向かって努力できるはず。高校に通うならここしかない!不登校になる前と違い、勉強することに大きな目的を持てた瞬間でした。すぐさま資料請求し、願書を提出。入学が認められ、記念すべき第一期生としてコードアカデミーに入ることになりました。コードアカデミー高等学校通信制高校のイメージを変えてくれたのは、魅力的な同級生との出会い出典 : 「やりたいことができる!」と入学を決めたものの、正直に言うと僕自身も通信制高校にまったくネガティブなイメージを持っていなかったといえばウソになります。就職や進学には明らかに不利だし、世間にもあまり良いイメージは持たれていない…全日制の高校には確実に劣ると思っていました。少し不安な気持ちも残ったまま入学式初日を迎えた僕ですが、そんなイメージを180度変えてくれた出会いがありました。コードアカデミーの本校は長野県にあり、そこで行われた入学式の日のことです。同じく第一期生として入学式に参加していたK君と出会いました。彼は通信制高校に対してとてもポジティブな考え方を持っていたんです。「通信制高校と普通の高校の違いは、時間を自由に使えること。好きなように予定を入れて行動できる。やりたいことのために時間を有効活用できるのは大きなメリットだ。」社会問題やインターネット文化に興味があった彼は、とても好奇心旺盛。学校外でやりたい事がたくさんあった彼は、昼間の時間を「やりたい事」に使うために通信制高校を選んだのだそうです。昼間の時間は、気になるビジネスに取り組んだり、旅に出たりとアクティブに過ごしたいと張り切っていました。彼の考えは僕にとってとても衝撃的で、それでありながら僕の胸にストンと落ちるものでした。「平日の時間を有効に使えること」をどう活用するか、それが高校生活を有意義なものにするかキーポイントになっているのではないか……だったら、僕も彼のように通信制高校の環境をポジティブに活かせるように行動すればいい。この考えに出会ってから、僕の通信制高校に対するイメージは大きく変わり、結果、高校生活も充実したものになっていきました。自分で目的を持って通信制高校を“活用”してみたところ…出典 : ここからは、実際に僕が「コードアカデミー」で行動してみて体感した、通信制高校のメリットをご紹介したいと思います。学校の中の友達や繋がりは大事ですが、それだけに限られてしまうと、思考も限定されてしまいます。僕はできるだけ外に出ました。フリーランスのエンジニアの方々に会ったり、カフェで店員さんとおしゃべりしながら作業したり、平日に開催されるイベントに参加したり…通信制の平日の時間が使えるというメリットをフル活用したのです。全日制高校と違って単位制で履修の時間を自由に決めることができるからこそできたことです。また、僕は空いていた平日の時間の大半を「仕事」の時間に使っていました。働く目的は、遊ぶお金がほしいからではなく、将来に向けてプログラミング技術を磨くこと。むしろお金はおまけのような感覚でした。高校生でもプログラマーとして働ける会社を見つけて勤務していたのですが、そこで学んだことはとても大きかったです。毎日社会人といっしょに仕事をする機会をもてるのは、まさに通信制高校ならではのメリットだと思います。ほぼ毎日仕事をしていましたが、働くこと自体が楽しくて仕方なかったので、遊ぶ時間は必要ありませんでした。プログラマーとしての業務に必要なのは「コミュニケーション」と「勉強」です。仕事を通じて、その2つのスキルはどんどん磨かれていきました。この経験は社会人スキルとして一生活きていくでしょう。新しい人に会って新しい友達が出来ると、新しい情報を知る事が出来ます。そして多くの人から自分の知らない世界を教えてもらうことにより、自分のやりたいことが新しく見つかる場合もあります。もちろん時間はたっぷりあるので、そのやりたいことにすぐさま取り組むこともできます。やりたいことにフットワーク軽く、自分の満足のいくようにひたすら模索できるのは時間を自由に使える環境があったおかげだと思っています。今の大学に行くことができたのも、志望大学の先輩方に会って将来の夢を語り、受験の相談に乗っていただけたから。夢の実現のために自由に動ける時間が得られたのは、とても良かったと思っています。僕の高校時代は自由そのものでした。そして何も出来ないのび太くんだと思っていた自分でも、時間の使い方を理解し、使いこなす事が出来れば、どんなことでも出来るようになると分かりました。エンジニアは生涯勉強し続けなければいけない職業です。勉強し続けるには仕事と休みの合間に勉強の時間を作らなければいけません。それは自分の限られた自由をマネジメントするということです。高校時代、平日いつ・どこに行き、誰と会うのも自由。全て自分で選択して生活してきたお陰で、自分の自由をマネジメントする癖が付きました。その能力はこれから先、エンジニアの僕にとって大きく役に立ってくれるはずです。不安も失敗もあった。でも勇気を持って挑戦すれば、その経験はきっと自分の財産になるUpload By 吉開拓人そんな高校生活を経て、僕は今年4月に慶應義塾大学の総合政策学部に入学しました。「目的のない勉強」が嫌で学校に行かなくなった僕にとって、大学の「目的のある勉強」は楽しくて仕方がないです。興味はテクノロジー以外の分野にも広がっており、今後も高校生活で得られた行動力をもとに活動の幅を広げていきたいと思っています。僕の高校生活を転換させてくれたKくんは、在学中、自分の興味の赴くまま全国を駆け回り、フィールドワークをしていました。卒業後は早稲田大学に進学。そんな彼の最近の口癖は「情報は足で稼ぐもの」、まさに有言実行を貫いていました。Kくんだけでなく、他にも自分の興味のある領域を研究する時間に使い、学問を究めるため大学に進んだ人もいます。このように、みんな自力で進路切り開いていきました。大学生、社会人となるにつれて、ますます学習が大切になっていきます。それを両立させるためにも、僕らが通信制高校で身に付けた「自分の時間を管理」する能力が役に立ってくれるはずです。通信制高校に入って将来が不利になるのでは……と心配になることもあるでしょう、でも実は、全日制高校でなければ出来ないことより、通信制高校でなければ出来ないことの方がたくさんあると思っています。もちろん僕も、ただ順風満帆な高校生活を送っていたわけではありません。たくさん失敗もしました。でも、その失敗も今の自分には必要不可欠なことだったと思っています。そのおかげで、最近は失敗するのがそんなに恐くなくなりました。上手く活用すれば、普通の高校生が見たこと無いような景色を見たり、やれない事をやったり、出会えない人と友達になれます。時間と場所の制約がなければ自由な発想力が身につきます。その結果、好きなことを仕事にしたり、好きな分野を研究したり、興味を持ったことは何でも挑戦出来るんです。この高校生活で得られたモノは、ずっと自分の武器になるはずです。もし高校の勉強に時間を奪われ、自分のやりたいことが出来ないと感じているなら、通信制高校の入学を検討するのもいいかもしれません。僕の体験談が、少しでもお子さんやご自身の進学先選びの参考になれば幸いです。
2017年07月14日臨床発達心理士とは?出典 : 臨床発達心理士とは、人の発達・成長・加齢に寄り添い、発達心理学等の専門的な知識を生かして健やかな育ちを支援する専門家です。また、赤ちゃんからお年寄り、子育て中の保護者や障害のある人など、幅広い世代、状況の人たちを支援対象としていて、人の生涯発達に関する臨床に携わる幅広い専門家に開かれた民間資格です。人は年齢を重ねていくなかで、自分自身や家族関係、友人関係、学校生活や就職などさまざまな悩みや問題に直面します。それらの問題は環境や時間の経過、またその時々の支援の在り方によっても変化していきます。したがって、生涯発達の中で出会うさまざまな問題の解決にあたっては、まず問題を正しく理解し、それに基づいて適切な支援を行う専門家が求められます。そこで誕生したのが「臨床発達心理士」の資格です。現在、「~心理士」「~カウンセラー」などの名がついた心理士の関連資格は70以上にものぼると言われています。そのうち「臨床」という名称を持つ資格はいくつかありますが、「発達」という名前が付いているのは臨床発達心理士だけです。つまり、さまざまな心理職のうち発達を専門とする資格ともいえるでしょう。参考:一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構[編] 臨床発達心理士わかりやすい資格案内[第3版](金子書房.2017)参考:本郷一夫「臨床発達心理士の専門性と果たすべき役割」臨床発達心理士になるには?出典 : 「臨床発達心理士」資格は、学会連合資格「臨床発達心理士」認定運営機構が認定している民間資格です。臨床発達心理士の資格を取得するには、受験資格を満たしたうえで年に1度、9~12月にかけて行われる資格審査に合格しなければいけません。資格取得までの流れとしては、申請書類の購入、申請手続き、一次審査(書類/筆記/業績等)、二次審査(口述審査)、資格認定といったステップがあります。1. 発達心理学を中心とした心理学諸分野の科学的・理論的な知識2. 人間が実際に発達する場に関する社会的・実践的な知識3. 人間の発達をアセスメントし支援する臨床的な知識・技能これらを習得するための基礎となる学問領域は「発達心理学」または「発達心理学隣接諸科学」です。具体的には発達心理学、その他心理学、教育学、保育学、福祉学、小児科学、医学、看護学、リハビリテーション学、発達障害学、保健体育学、体育心理学、スポーツ健康科学、人間社会学、人間学、児童学、応用人間科学、コミュニケーション学、児童教育学社会学などです。2017年度から資格申請制度が新しくなり、申請タイプが5つにまとめられました。1. 発達心理学隣接諸科学の大学院修士課程在学中または終了後3年未満2. 臨床経験が3年以上あり、かつ発達心理学隣接諸科学の大学院を修了している3. 臨床経験が3年以上あり、かつ発達心理学隣接諸科学の学部を卒業している4. 大学や研究機関で研究職をしている5. 公認心理師を取得している変更点としては以下の2つがあげられます。・国家資格である「公認心理師」資格取得者が申請できること。・「公認心理師」資格が心理学系大学卒業以上を前提としていることから、発達心理学諸科学の大学や、短期大学や専門学校を卒業した人が申請できるタイプを廃したこと。ただし、公認心理師資格は2018年度以降習得可能であるため、経過措置として2019年度までは旧制度での申請も受け付けています。資格申請をするにあたって、自分の受けた教育歴と臨床発達支援に関する実践の経験年数に合わせて、以下に示す申請タイプの中から最も自分にあったタイプを適切に選びましょう。また、資格を取得すると、「日本臨床発達心理士会」に入会するとともに全国に20ある支部のどこかに所属することが義務づけられます。さらに、資格の有効期間は5年で資格更新をすることも義務付けられています。資格更新は、試験ではなく資格取得後に十分な研修を積んだか、高い専門性を保持することに努めたかがポイントに換算され審査されます。出典:資格取得までの流れ|一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構出典:資格申請新制度のご案内|一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構出典:資格更新ガイドライン|一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構参考:一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構[編]わかりやすい資格案内(金子書房.2017)p18~41臨床発達心理士スーパーバイザーとは、臨床発達心理士になろうとしている人や臨床発達心理士になった人(スーパーバイジー)に対して、スーパービジョン(指導者から教育を受ける過程)を通して支援し、育成する役割を担う人のことです。申請要件は以下の3つになります。1. 臨床発達心理士の有資格者2. 臨床発達心理士資格取得後、5年以上関連する業務・活動を継続3. 臨床発達心理士資格を1回以上更新している出典:臨床発達心理士スーパーバイザーとは|一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構臨床発達心理士はどのような人を支援するの?出典 : 臨床発達心理士は赤ちゃんから高齢者までの年代の人を対象として発達を支援する人の資格です。そのため、支援の対象はとても幅広いです。具体的に以下のようなケースが支援の対象となることが多いです。・新生児、乳幼児と保護者・自閉症スペクトラム、知的障害、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などの発達障害・知的障害の診断を受けた人・育児不安、虐待、不登校、引きこもりなどの現代的問題を抱える人・「気になる子」、障害の有無/グレーゾーンかの判断に対して悩みを持つ人・社会適応や成人期・老年期の悩みを持つ人臨床発達心理士の活躍の場と具体的な支援出典 : 「臨床発達心理士」資格のある人が特定の職場にいるわけではありません。赤ちゃんから高齢者を対象として発達を支援する人のための資格であることから、資格を持つ人の活躍する場は多岐にわたります。以下では、支援対象の年代別に具体的な職場やどのような仕事をしているのかを紹介していきます。・新生児医療の場:育児不安の解消、愛着形成への援助など・保育所/幼稚園:保育者、保育カウンセラー、特別支援教育コーディネーターとしての業務など・家庭支援センター:親子広場スタッフ、子育て講座の講師、家庭相談スタッフなど・保育巡回相談:主に行政からの委託で保育所、幼稚園を巡回・乳児院/児童養護施設:カウンセリング、セラピーの実施など・保健所/保健センター:妊娠中に両親学級の講師やグループワークのスタッフ、乳幼児健診および発達が気になる子どものフォローなど・小中学校/高校/大学:教師として特別支援教育コーディネーターの業務など・スクールカウンセラー:校内相談業務、保護者支援、校内研修会講師など・教育委員会:教育相談、就職相談等の相談業務、心理検査の実施など・発達支援センター:障害児童やグレーゾーンの子どものアセスメント、相談、療育など・放課後デイサービス:指導員へのコンサルテーション、保護者支援など・学童保育所:指導員へのコンサルテーション、保護者支援など・学童相談室:大学等での学生相談室でのアセスメント・児童相談所:心理判定、相談、指導業務など・特別支援学校:教育のアセスメント、指導評価の実施、保護者支援、教育機関への巡回相談など・特別支援学級/通級指導教室/言葉の教室:教育のアセスメント、教育支援計画作成、校内特別支援コーディネーター業務など・障害者施設/作業所:セラピー、カウンセリング、家族支援など・高齢者施設:カウンセリング、セラピー、心理検査の実施など・企業:企業内相談業務、心理調査など・病院・クリニック(小児科・精神科・診療内科等):患者・保護者へのカウンセリング、患者へのセラピー、心理検査の実施など上記の職種以外に、臨床発達心理士以外の資格を保持しているひとは、職種の幅にも広がりがあります。臨床発達心理士の中には、他の資格や免許も有しながら職務に就いている場合も多いので、純粋に心理職として働いているケースばかりではありません。例えば、家庭裁判所で調査官として仕事をする人、震災時に現場に赴いて支援をする人、研究者として働く人の中にも、臨床発達心理士の資格を生かして仕事をしている人が多くいます。臨床発達心理士の視点を持って、両者の領域で培われた専門性を活かして活動しているのです。しかし、医師免許を有している場合でない限り、臨床発達心理士は医療行為全般(薬を用いた治療や障害かどうかの確定診断をすること)はできません。また医師にかかる場合は、健康保険が適用されますが、臨床心理士に相談する場合は基本的には健康保険が適用されません。参考:一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構[編]わかりやすい資格案内[第3版](金子書房.2017)p89.90臨床発達心理士による発達障害に対するアセスメント出典 : 有効な支援を行うためには、その問題を解決するために情報を集め、それをもとにその人にあった支援の方法を計画していく必要があります。これをアセスメントと言います。ここでは、一つの例として発達障害の支援計画を立てるための代表的なアセスメントについて具体的に説明していきます。◇対象の支援ニーズに関する情報収集聞き取りや観察によって生育歴や育児についての情報や、発達の経過、現在の行動や状況など日常生活に関する情報を集め、支援ニーズを知ることから始まります。これは、保護者や保育者、家族などと共同で行うことが望ましいです。◇対象を取り巻く環境に関する情報収集園や施設に通っている場合は、それらの環境に関する情報を収集する必要があります。また、家庭環境や地域環境についての情報の収集も、支援を考える際に重要になっていきます。これらの情報をもとに問題の暫定的な把握をしたうえで、発達状態の情報を収集します。◇知能検査知能検査ではおもにIQ(知能指数)の値を指標とすることが多いです。従来は、精神年齢と生活年齢をもとにもとめる比例IQを用いることが多かったですが、最近では、同年代の平均との隔たりをもとにもとめる偏差IQが中心になってきています。知能検査を行う目的は認知発達の水準を科学的・客観的に評価することで、その人の得意分野、不得意分野を分析することです。知能検査の結果からわかるその人の得意、不得意分野から療法の方向性を決定するために使われます。代表的な知能検査に以下のようなものがあります。・ウェクスラー式知能検査・田中ビネー知能検査◇発達検査発達検査では日常生活や対人関係などにおける子どもの発達基準を数値で表したDQ(発達指数)を算出します。子どもが成長していくには、発達段階に適したアプローチが必要になります。そのため、発達段階を客観的に知るための手段として発達検査は使われます。ただし、発達指数の値だけで子どもの発達状態を判断をすることはありません。あくまでものさしの一つであり、発達検査から分かる能力のバランスや日常生活の様子などを総合して子どもの発達状態を把握します。代表的な発達検査には以下のようなものがあります。・新版K式発達検査・乳幼児精神発達診断法◇スクリーニング検査発達障害に関するスクリーニング検査は、どの精密検査を行うべきかの判断や潜在的な発達遅れや発達障害の可能性を検査するために行われます。スクリーニング検査は、たくさんある発達障害のうち、その子どもに当てはまる可能性がある障害を絞り込むためのものです。スクリーニング検査には網羅性が重要視されるため、正確性はそれほど高くはありません。仮に検査で陽性が出たとしても精密検査するかどうかの判断基準になるだけで、発達障害であることが確定するわけではないということに注意が必要です。スクリーニング検査は乳児健康診査、1歳6ヶ月健康診査、3歳児健康診査などの場でも活用されています。代表的なスクリーニング検査には以下のようなものがあります。・STRAW・M-チャート・ADHD-RS・LDI-R・PARS◇行動観察臨床発達心理士は言葉をかけた時の子どもの反応や、話し方、質問を正しく理解しているのかなどのさまざまな反応をできるだけ詳細に観察して、子どもの特徴やくせを見つけようとします。日常場面における観察だけでなく、臨床発達心理士が状況設定した場面における観察も行うこともあります。上記の生活情報と発達状態の情報をふまえて、それぞれの特徴にあった支援計画を立てていきます。本人に対する支援や保護者への支援だけでなく、施設との連携体制を確立させたり、担当保育者などへの支援計画を立てたりすることもあります。参考:藤崎 真知代「育児・保育現場での発達とその支援 (シリーズ臨床発達心理学) 」(ミネルヴァ書房.2002)p66-70臨床発達心理士と臨床心理士との違いは?出典 : これまでの説明にあるとおり、「臨床発達心理士」とは、赤ちゃんからお年寄り、子育て中の保護者や障害のある人など、幅広い世代、状況の人たちの発達・成長・加齢に寄り添い、人の健やかな育ちを支援する専門家です。それに対して、「臨床心理士」とは、同じ心理系の民間資格ですが、不登校や二次障害、精神障害などのこころの問題をかかえた人に対する心理療法や、こころの問題を予防するための研究にもとづいて、人のこころにアプローチする専門家です。つまり、得意とする支援対象やケースに違いがあります。しかし、どちらの資格も、医療・教育・保健・福祉分野においては活躍の場が同じこともあり、両方の資格を取得することでより広い視点でより広い職域において活躍することができます。支援を受ける人は、一人ひとりの発達の特徴に寄り添った支援をしてくれる専門家を見つけることが大切になってきます。出典:臨床心理士とは|日本臨床心理士資格認定協会臨床発達心理士と公認心理師出典 : いままでは、心理学系の国家資格はありませんでした。そのため近年、心理学系の国家資格をつくろうとする動きがありました。その結果、公認心理師法という法律が平成27年9月9日に成立して、9月16日に公布されました。公認心理師法は、公認心理師という国家資格を定めるとともに、国民の心の健康を増進させていくことを目的にした法律です。公認心理師法の大部分は公布の日から2年以内に施行されることになっています。厚生労働省によれば、平成29年9月15日までに施行される予定になっています。また、第1回国家試験は、平成30年までに実施する予定と発表されています。公認心理師はさまざまな分野にまたがる領域横断的な汎用性のある資格です。それに対して、臨床発達心理士は、臨床発達心理学・発達臨床支援の専門性を有する資格です。公認心理師の資格取得には以下のいずれかに該当する必要があります。1. 「公認心理師になるために必要な科目」を心理学関係の大学と大学院を出て修了する2. 大学で公認心理師になるために必要な科目を修めて卒業し、文部科学省令・厚生労働省令で定める施設で、規定の期間以上心理関係の仕事に従事するまた、公認心理師の職域としては、保健医療、福祉、教育、司法・法務・警察、産業・労働の5領域があげられています。この資格は、医師免許や法曹資格同様に、国家試験に合格し一度取得してしまえば終身その身分が保障されるという考えも多く、臨床発達心理士をはじめとした心理系の取得と併せて資格を取得する人が多くなることが予想されています。参考:公認心理師について|厚生労働省参考:一般社団法人臨床発達心理士認定運営機構[編]わかりやすい資格案内[第3版](金子書房.2017)p10-15まとめ出典 : 臨床発達心理士とは、人の発達・成長・加齢に寄り添い、発達心理学などの専門的な知識を生かして幅広い年代、状況の人たちの健やかな育ちを支援する専門家です。発達支援を必要としている方の困りごとにあった相談先や、サポートを受けられる場の選択肢のひとつとして、臨床発達心理士があるということを知っていただき、よりよい支援を受けられるきっかけになれば幸いです。また、資格制度の変更があったり、新しく公認心理師という国家資格が認定されたりと、手続きや選択が複雑に感じられますが、だからこそ今後より一層発達領域の専門資格として、臨床発達心理士の技能がとても重要な役割を担います。発達支援の仕事をしたいと考えている方が、その専門性の高さを活かしてご活躍されることを願います。
2017年07月12日みなさま、こんにちは!海外生活25年続行中、国際結婚、国際子育て真っ只中のバイリンガル教育パパ、Golden Beanです。いじめや不登校、学級崩壊など深刻な問題が毎日のように新聞やテレビで取りあげられ、日本の学校教育には不安がありますよね。公立学校に通わせて大丈夫かしら?かわいいわが子がいじめられたり、登校拒否になってしまったりしたらどうしよう?“お受験”で私立に行かせようかしら?でもちょっと待って。新しい時代は“国際化”の時代。国際社会を生き抜くためには“英語力”が必要不可欠。そのためには、できればわが子をインターナショナルスクールでバイリンガルな国際人に育ててあげる のもひとつの選択肢かも。そうお考えのママやパパはきっと多いのではないでしょうか?でも、インターナショナルスクールって、どんな学校なの?どんな子どもたちが学んでいるの?インターナショナルスクールでどんなことを学べるの?詳しく知りたいですよね。シンガポール、オーストラリア、上海と3か国で娘をインターナショナルスクールに通わせてきた私が、自身の経験を交えつつお話しさせていただきます。●インターナショナルスクールは日本に住む外国人の子どもたちのための学校インターナショナルスクールとは、どのような学校のことを指すのでしょうか?“英語で授業を行う学校”でしょうか?“インターナショナルスクール”は本来、母国でない国に滞在して母国の教育を受けられない外国人の子どもたちのために設けられた学校 を指すのです。日本におけるインターナショナルスクールは、外国のカリキュラムを使用して外国人の子どものために英語で教育を行っている学校であって、日本人の子どもをバイリンガルに育てることを目的としているわけではないことをまず理解しておきましょう。●日本におけるインターナショナルスクールの歴史と性格日本におけるインターナショナルスクールの歴史は、明治初期に始まりました。欧米からキリスト教の布教のために来日した宣教師たちが、日本人のためのミッションスクールを作る一方で、自分たちの子どもや日本に滞在する外国人のための学校として作ったのがインターナショナルスクールの始まりなのです。また最近では、日本に滞在する外国人の数も増え、その一方で親の仕事の関係などで海外で生活をした後日本に帰国した、日本人帰国子女をどのように学校で受け入れるかという問題が起こってきました。在日外国人の子どもの教育だけでなく、日本の生活習慣や制度になじめない日本人の帰国子女たちを受け入れる学校 としても、インターナショナルスクールは大きな役割を果たしているのです。●インターナショナルスクールで身に付くことインターナショナルスクールで学べることを、一つひとつ見ていきましょう。●(1)優れた英語力が身に付く世界で共通して使われている言語は英語です。国際社会で活躍するためには、英語でコミュニケーションができることは最低限の条件でしょう。インターナショナルスクールで子どもたち同士がコミュニケーションをとる言語は英語です。もちろん授業も英語で行われますが、勉強としての英語だけではなく、友人との対話や遊びの中で英語に親しめるという、子どもたちにとっては絶好の英語学習環境です。授業だけでなく日常生活も英語で行われるインターナショナルスクールという環境に身をおき、英語を体に染み込ませてしまえば、たとえその後使う機会が減ったとしても、英語を忘れてしまうということはまずない と言えるでしょう。●(2)自分とは異なる文化への理解力が身に付く異なるバックグラウンドや国籍、文化、習慣を持つ子どもたちが、一緒に遊んだりケンカをしたりしながらお互いを知り、影響を受け合うという体験は、子どもたちにとって貴重な学びとなります。あるとき娘が、何やら一生懸命パソコンでメールを打っておりますので、何を書いているのだと尋ねたところ、シンガポール人の友人とイタリア人の友人がケンカをしたので、双方にメールを送って仲直りをさせようとしているのだ、と答えます。わが子ながらすごいな、私にはできないな、と感心いたしました(笑)。友人だけではなく、教える先生方の国籍も多岐にわたっています 。娘が現在、上海で通っているインターナショナルスクールの場合、算数の先生はイギリス人、英語の先生はアメリカ人、科学の先生はカナダ人といった具合です。話す英語も微妙に違うようで、娘はそれぞれの国の英語を、「これはブリティシュ・アクセント(訛り)。これはアメリカン・アクセント……」などと言いながら器用にまねしてみせます。先生もそれぞれ違う文化を持っているのです。そうした異なる人たちが集まって同じ学校で学ぶ中で、お互いの文化や習慣の違いを理解し認め合う能力 が身に付いていくのです。●(3)個性尊重の教育により、個性が伸びる子どもたち一人ひとりの個性を重視した教育もインターナショナルスクールの良さです。たとえば、個性重視の教育をテーマにした日本の私立学校でも、1クラスの人数が40人を超えている場合があるのに対し、日本にあるインターナショナルスクールのほとんどは、1クラスの人数が20人前後 です。授業も先生が黒板の前にいて一斉授業を行う日本の学校とは違い、子どもたち一人ひとりの意見を先生がよく聞いてくれ、ディスカッションやプレゼンテーション、グループプロジェクトが盛んに行われます。2対2で向かい合った形の4つの机が点在していたり、全部の机でひとつの馬蹄形をなしていたりする教室のレイアウトは、コミュニケーションが多方向で交差することの現れなのです。算数などの科目では習熟度別のクラス編成を取る場合もあります。うちの娘は算数が苦手なのですが、基礎コースクラスに入れられ、少ない生徒数の中でみっちりと補習を受けています(笑)。さらに、クラブ活動においても、日本では練習が厳しいだけでなく先輩後輩の関係が厳しかったり、いじめがあったり、それが嫌で不登校になったりと、暗いイメージが強いですよね。それに、3年間通してひとつの種目(野球部、サッカー部、柔道部などといったように)しか経験できないという場合がほとんどです。一方、インターナショナルスクールのクラブ活動では、学期ごとに違った種目を選ぶことができる のです。うちの娘は、第一学期は料理クラブ、第二学期はサッカー部、学年が変わったら今度はダンス部などと毎学期全く違う内容の課外活動を思いっきり楽しんでいます。そんなことで上達できるのかと心配していましたが、娘はダンスが楽しかったらしく、学年も年齢も違う有志とダンス部を別に作り、学校の正規のクラブ活動が終わったあと、さらにダンスをしてから帰ってくるというエネルギッシュな生活を送っております(笑)。子どもたちに必要以上の義務感を与えたり、プレッシャーを与えたりするのではなく、自由なのびのびとした学校生活を送らせようとするのが、インターナショナルスクールの考え方なのですね。●(4)自由の中で、守らねばならない規律を学べるしかし、インターナショナルスクールは単に自由なだけではありません。日本の学校と比べて、いじめや学級崩壊、不登校といった問題が少ないのは、個性を生かした教育を行っているからであることは確かだと思います。しかし、自由を支えるための規律の厳しさも同時に持ち合わせている のがインターナショナルスクールなのです。娘がGrade6(小学校6年生)のときのことです。クラスに、カナダ人の女の子とスウェーデン人の女の子がいました。この2人は仲が悪かったらしく、スウェーデン人の女の子が、クラスの他の子たちに皆でカナダ人の女の子を無視しようとメールを送ったそうです。それを知った学校は、即刻スウェーデン人の女の子を一週間の停学処分にしました。この件に関して学校から送られてきたメールには、クラス皆で一人の子を無視するというのは、心に傷を負わせる重大な暴力行為であり、その深刻さを子どもたちに理解してもらうために厳重処分としたと書いてありました。小学校6年生に停学一週間はいくらなんでも厳しすぎるのではないか、とそのときは思ったのですが、この事件後、その類の陰湿ないじめは学年全体で全く発生しなくなったという話を聞き、子どもたちは本当に大切なことを学んだのだなと思いました。もしいじめの理由が相手の文化や民族性、肌の色といった外見的要素に関わることであったら、学校の対応はさらに厳しくなります 。多国籍の人々が集まるインターナショナルスクールの中において、“生まれ持った個々の特性・背景”を標的にする行為は最も卑劣な行為であるとみなされるからです。インターナショナルスクールは自由だし、子どもたちも意見を述べることができる。しかし、YESはイエス、NOは絶対にノー。良いことは良いし、悪いことは絶対に悪い。それがインターナショナルスクールのしつけに対する姿勢なのです。●インターナショナルスクールで学ぶメリット(1)優れた英語力が身に付く(2)自分とは異なる文化への理解力が身に付く(3)個性尊重の教育により、個性が伸びる(4)自由の中で、守らねばならない規律を学べる----------いかがでしたでしょうか?インターナショナルスクールで学ぶと、どのようなメリットがあるかご理解いただけましたでしょうか?この記事を読んだママやパパに、近くにあるインターナショナルスクールを一度覗いてみようか、と思っていただけたら幸いです。【参考文献】・『全国版インターナショナルスクール活用ガイド』増田ユリヤ・著・『子どもをインターナショナルスクールに入れたいと思ったときに読む本』平田久子・著●ライター/Golden Bean(バイリンガル教育パパ)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年07月06日そんなに不登校が怖いですか?出典 : 我が子が不登校になって日が浅い…。そんな親御さんによく見られる様子があります。「もう1ヶ月も学校に行ってないんです。このまま行けなくなったらどうしよう...」「せめて朝ちゃんと起きて欲しい」「勉強だけでもしてくれなければ心配で...」といった反応です。でも、これって結局「不登校していても体や心を休ませないで、いつでも学校に戻れるようになって」というメッセージを子どもに送ってしまっていることになると思います。うちも、娘が小学校2年生で不登校になったときは、周りから「勉強が遅れたら大変よ」「甘やかしていたら本当に学校に行けなくなるわよ」「将来進学や就職ができなかったらどうするの」と言われていました。なので、不登校の子を持つ親御さんたちが周りから受けるプレッシャーのつらさはよくわかります。それを承知で言わせていただきますが、そんなに不登校が怖いですか?怖がっているのは「学校へ行かないとまともな大人になれない」と思い込んでいる親御さんだけではないですか?どうして不登校になるのでしょう?出典 : 大人も子どもも、エネルギーがなみなみと入ったコップを心に持っていると想像してください。職場や学校、家庭などでストレスにさらされ続けると コップの中のエネルギーはどんどん減っていってしまいます。でも、底をついてしまう前に環境を調整したり、たっぷりと休養を取れば、コップの中のエネルギーはまた溜まっていきます。ですが、そのまま何も手を打たずに無理を続けるとコップは空になり、ついにはマイナスの状態になってしまうのです。私も、発達障害の二次障害で神経症になったときに、主治医に「あなたのエネルギーはマイナスの状態です。そこまで行ったらプラスになるには、マイナスになるまでの倍の時間が必要です」と言われたことがあります。不登校になる子どもたちも、 コップのエネルギーがマイナスになった状態だと思います。行けなくなったときには、すでに何らかの原因で疲れ切ってしまっているのですよね。うちの娘も私が気づいたときにはコップのエネルギーはマイナスになっていて、 朝起き上がることもできなくなっていました。本当は気づいていたのに、どうして休ませてあげなかったんだろう。のちにそう後悔することになりました。ようやく少しずつ動けるようになってきたのは中学2年生のとき。期間にして5年ほどかかったことになります。ただ、今でも体調には波があり完全に元気になる見通しはまだありません。どうしても学校というシステムには合わない子もいます出典 : 学校というところは、子どもたちに一斉に同じ課題を与え、それをこなしてついてくることを要求します。そして誰とでもみんな仲良くしましょうと指導します。それは実際にはとても難しいことで、学習についていけなくなったり、友達付き合いがうまくいかなくなったりする子が一定数出てくるわけですが、先生はなかなかそこまで面倒を見てくれません。先生たちは忙しく過労気味。職員室でも自分のクラスの悩みを打ち明けられない先生が増えているそうです。脱ゆとり教育、早期教育の負担は確実に学校を蝕んでいっているのでしょう。子どもたちはそんな体制に窮屈さを感じ、ストレスを抱え込んでそれを弱い子にぶつけます。そんな中でサバイブするには、ある程度のメンタルの強さや適応力、いい意味での鈍さなどが必要になります。ストレスを感じても、うまくかわしながらやっていける子がいる一方で、真面目で繊細な子ほど学校という場に起きている矛盾にぶつかって「行きたくない!」となってしまっているように見受けられます。不登校はいつ終わるのでしょうか出典 : 不登校がいつ終わるのか。正直、こればかりはわかりません。義務教育が終わり、高校進学を節目として立ち上がるになる子は多いですし、もっと早い段階で学校へ戻る子もいます。逆に、通信制高校などに進学してもスクーリングに行けず退学してそのまま引きこもる子もいます。高校、大学で不登校になる子も増えているようです。ただ、みなさんが恐れるように、不登校からそのまま引きこもりになる子も少なくないのが現実です。ですが、親の会で当事者の青年に話を聞くと、引きこもっている間も「何とか世間とつながれないか」と自分の頭で必死に考えています。「これでいいや」と思っている子はいません。 無理に引っ張り出すなど不適切な対応をしない限り必ず自分の力で立ち上がります。5年遅れて高校に進学して大学へ通っている子、引きこもっていたけれど居場所を見つけて週3日アルバイトをしている子、30歳を過ぎてから当事者活動であちこち飛び回っている子、私が行っている親の会だけでもいろいろなケースがあるのです。ぐるりと回り道はするけれど、人一倍真剣に「なぜ生きるのか、どう生きるのか」考え、自分のペースで生きていく、そんな生き方があってもいいのではないでしょうか?私がたどり着いた答え出典 : 親は「子どもは学校に行って育つものだ」と思っています。 私もそうでした。不登校になるということは安心できるレールを外れて、どこをどう走るかわからないトロッコにのる感じです。だけど、親が「学校第一」の価値観を持ったままで、家の中まで学校の価値観でいっぱいにしてしまったら、学校へ行けない子どもはどこで生きていけばいいのでしょうか。私も娘が学校に行っている間は、家の中が学校化してました。「宿題はできたの?」「もっと丁寧に字を書きなさい」「ちゃんと明日の用意をして」「先生に怒られないようにちゃんとやりなさい」って。これがどれだけ学校がつらい子どもたちを追い詰めていたか、親の会に行くようになり、不登校中に死のうとした当事者の青年たちの声を聞いてよくわかりました。どうかお子さんが不登校になったら、まずは黙ってゆっくり休ませてあげてください。そして、一直線に学校に通う以外の生き方もある、そういう生き方しかできない子どももいるということを理解してあげて欲しいと思います。今は大人でも仕事で追いつめられて、精神を病んでしまう人が多い時代です。親世代の頃よりも世の中は確実に生きにくくなっていて、それは子どもの世界にも浸透しています。大人も子どもも苦しいのです。だけど、コップの中のエネルギーがたまれば人はまた立ち上がります。さんざん我が子を追い詰めて病気にまでさせてしまった私が、今やっとたどり着いた答えです。
2017年06月23日実は私、「選択性のかんもく」のある子でした。出典 : 今でこそ、凸凹3兄妹の子育てをしながら、「楽々かあさん」として支援・執筆活動を続け、学校の先生方と連携し、ママ友さんやご近所づきあいも無難になんとかこなせている「大人の凸凹さん」の私。でも、実は、小学生の頃は「選択性のかんもく」のある子でした。「選択性のかんもく」(場面緘黙症)では、家などで慣れた人とは話せるけど、それ以外の場所・人ではだんまりになる…などの特徴が現れます。(※「選択性のかんもく」表記について:現在日本では、本人の意思に関わらず、話すことに困難さがあることから「場面緘黙症」という呼称が一般的なようですが、この漢字表記は、視覚にやや過敏性のある筆者が、若干の圧迫感を覚えますため、このコラムでは「選択性のかんもく」という表現を使用させて頂きます。)選択性のかんもくになる原因や、発達障害との関連性は明確ではないようですが、私自身のことを振り返ってみれば、元々の体質的な凸凹などから不安感が強く、いろいろと空気を読み過ぎていたように思います(あくまで私自身の自己分析であり、選択性のかんもくになる理由はさまざまだと思います。)そんな私から、人と話すことが苦手なお子さん・大人の方、そしてお子さんを心配されながらも子育てしている母さん・お父さんに今、伝えたいことがあります。休み時間の過ごし方が分からなかった出典 : 私は、小さな頃から感覚が敏感な体質で、小学3年生の頃まで「選択性のかんもく」がありました。私の場合、軽く頷いたり、「うん」とか「はい」程度は言えたので、ある程度の意思疎通はでき、「内向的で大人しい子」といった印象だったように思います。そのため当時は「発達障害」や「場面緘黙症」などの言葉を、周囲の大人は知る由もありませんでした。でも、首を横に振るなど「ノー」という意思表示は苦手だったように記憶しています。そして、不思議と学校の授業中は発言できていたので、さほど問題にはされませんでしたが、その実、私はとっても困っていました。授業中は、「1+1は…?」と聞かれれば、答えは「2」と決まっています。「教科書の◯ページを読んで」と言われれば、そこを書いてある通りに読めばいいだけです。ところが、休み時間や、給食、登下校などの「お友達と自由に話していい時間」には、一体何を話したらいいのか、何をして過ごせばいいのか、さっぱり分かりませんでした。そこには「正解」がなかったからです。更に、こだわりも強かったので「こうしなければならない」という自分ルールがたくさんあり、自由に身動きできなくなっていました。だから、当時の私は、授業中よりも休み時間のほうが緊張して過ごしていました。今思うと、凸凹傾向で感覚が敏感だった私にとって「休み時間」=「予測のつかない時間」で、とても不安だったように思います。教室はざわざわとして情報量が多く、予測不能に自由に動き回る男子達にも、宇宙語のような言語を操る女子達にも、私の情報処理は全く追いつかなかったのです。当時の私には、学校の休み時間は混沌として、居場所のない空間でした。そして、どうしたらいいのか分からずにだんまりを決め込んで、自由帳に黙々と絵を描き続け自分を守っていました。お絵かきの中だけは自由に過ごせる居場所があったんです。Upload By 楽々かあさん今でこそ、いろんなアイデアが出て来る私ですが、当時は、クラスの寄せ書きの大半に「生真面目」と書かれるくらい真面目過ぎる子で、決められたルールや規則に従って動くことはできても、柔軟に、臨機応変に動くのは苦手だったんですね。大人になってからも、話すことは苦手。自分自身を療育した私そんな私も、小3の時の約1ヶ月間の不登校と、担任の先生のある言葉をきっかけに、少しずつクラスの子達とも話せるようになっていったのです。それでも、複数の人前で話すことや、雑談には苦手意識があるまま大人になりました。以前は、公園のママ友さん達の井戸端会議の輪の中では情報量が多過ぎて、一体誰を見て、どのタイミングで話せばいいのか分からなくて、帰宅後どっと疲れてしまったり、悶々と一人反省会をして眠れない、なんてこともありました。娘にも「ママ、いつもおばあちゃん達とお話するばっかじゃなくて、お母さんのお友達も作ったら?」と促される始末(笑)出典 : でも、うちの子達にソーシャルスキルやセルフコントロールを教えるために学んだことを、私自身が目の前で実践し、お手本を見せていく必要に迫られたのです。子どもに一つひとつ、人づき合いの仕方を教えていくのと同時進行で、私はアラフォーになってから独学で自分自身を療育し、苦手さと上手につき合えるようになりました。(療育は、何才からでも遅過ぎるということはありません!)うちの子と同じように、人づき合いを「自然と学ぶ」ができて来なかった私。だから、社交的な方なら自然と当たり前にできることも、ひとつひとつ、自分自身に再度プログラミングするように、それまでのこだわりや思い込みを書き換えていきました。そして、感じてはいけない感情などない、ということも発見しました。その結果、今では人づき合いで大きく困るということもなく、自分にちょうど良い距離感を掴み、ほどほどに人間関係に無理しない線引きができるようになって、なんとかお母さん同士の雑談も、たまには楽しめるようになりました。そして、そんな子ども時代を過ごした私が、前著の出版を機に、お母さん達の前で講師としてお話する機会を、ほんの少しだけ頂くこともできたのです。この機会を通じて「自分は意外と話すことが好きだったんだ」と、生まれて初めて知りました。そんな私から、今「人と話すのが苦手」だと感じているお子さん・大人の方に向けて書いたメッセージを、お伝えします(以下、著書より引用して公開)。今、人と話すのが苦手なあなたへーそして、小学生の頃の私へーUpload By 楽々かあさん”人と話すのが苦手なあなたは、きっととても心優しい子・方なのでしょうね。もしかしたら、誰も傷つけないように、一生懸命言葉を選び、相手の期待する「正解」を探して、言葉が出てくるまでに、すごく時間がかかったり、ましてや、グループの会話だと、誰に返したらいいのかも分からないし、せっかく「正解」らしきものを思いついても、その間にお話はどんどん進んで、今頃言ったら雰囲気が壊れるかも……なんて、結局言葉を飲み込んでいるのかもしれませんね。でもね。実は、他の人は「正解」を知りたいのではないんです。あなたに話しかけてくる人は、自分の話を最後まで聴いて欲しいだけか、あなたの素敵な声が、ほんのちょっと聞きたいだけか、あなたに興味があって、自分との違いを知りたいだけなんです。でも、自分の心がよく分からないうちは、無理に話さなくても大丈夫です。優しいあなたは、誰よりもまず、自分の心の声をよく聴いてあげて下さいね。よく知らない子・人と、そんなにお話できなくてもいいから、今は、自分の心と仲良くなって、できるだけホンネで話せれば、それで充分です。そして、もし、自分の心の声がはっきりと聴こえてきたら、自然と、だれかにそれを伝えたくなるかもしれません。もしかしたら、人を気遣って思いやり、相手に合わせてあげられる……そんな優しいあなたを必要としている人が、いつか、どこかで、待っているのかもしれませんね。人と話すのが苦手だった、私より。”出典「発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法」p.146よりおわりに出典 : 今、「選択性のかんもく」のあるお子さんや、人と話すのが苦手だと感じている子・方、そんなお子さんを見守っているお母さん・お父さんは、話すことに対する不安やプレッシャーを強く感じられているかもしれません。私もそうでした。だから、「私が大丈夫になったんだから、お子さんも大丈夫」なんて、私には言えません。お子さんにはお子さんのペースがあるし、背景となる理由も人それぞれですものね。でも…かつてそんな子だった私も、無事大人になり、この通り、なんとか元気でやっているということ、頭の片隅で覚えていて下さると嬉しいです。Upload By 楽々かあさん大場美鈴/著『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法』2017年/刊/ポプラ社
2017年06月19日こんにちは、ママライターのましゅままです。忙しいワーママは、不本意ながらも子どもよりママのほうが早く家を出なくてはならないこともありますよね。子どもに一人で登校までの時間を過ごさせるのは、ちょっと心配事が多いもの。でも、そんな心配もちょっとした工夫で乗り越えることができるんです。今回は子どもの登校より早く出勤するママがしている工夫をご紹介します。●子どもの登校より早く出勤しているママがしている工夫●(1)戸締りは休みの日も子どもの担当にしている『戸締りは休みの日も子どもの担当にしています。そのため、戸締りは一人でできていますが、たまに戸締りし忘れていることもあります……。エアコンはタイマーにしてある ので子どもはノータッチでOK、火の元は触らないように注意してあります。玄関のドアに“忘れ物チェック表 ”を貼って、なるべく忘れ物がないようにさせています。朝ごはんは子どもをちょっと早く起こして一緒にとるようにしています』(30代/小学校2年生のママ)まだ小さいお子さんを一人で出かけさせるときに心配なのは、戸締りや火の始末。鍵を閉める、という行為は小学生になれば十分できることなので、日ごろからママと訓練しておくと一人のときも慌てずに戸締りすることができますね。エアコンはタイマーにしたり、つけっぱなしでもOKのタイプのエアコンを使うのがおすすめ。朝ごはんはなるべく顔を合わせて食べるため、お子さんにちょっと早起きをしてもらったり、朝食の時間を調整したりすると良いですね。●(2)毎朝メッセージを残す『中学生なので一人のときでも戸締りはできています。朝ごはんは前日作っておいたおにぎりや前日の残り物と手紙を一緒に添えて 置いておきます。自分で焼きおにぎりを作ることもありますよ。テスト週間など子どもも一緒に早起きさせて、朝早く学校に行かせることも。高校生に上がってから親が早く出かけると学校をサボる子が出てくる、という話を聞いたことがあるので、高校に上がったら、念のため担任の先生とは密に連絡を取らなければ、と考えています。また、難しい年ごろで会話が減っているため、リビングにシール式の黒板を貼って、毎朝メッセージを残すようにしています』(40代/中学1年生のママ)小学生よりかなり頼もしくなる中学生ともなれば、一人での朝の時間もだいぶ自立して過ごすことができます。しかし、まだまだ油断はできません。きちんと朝食は取っているか、しっかり定刻通りに登校できているかなどは確認しておく必要があります。また、会話やスキンシップが減ってくる年ごろなので、メッセージを書き残しておくのは良いアイデアですね。●(3)ご近所に事情を話して頼れるようにしておく『カギは、持ち家なので子どもより早く出かけるようになってからオートロックに変えました。子どもと出かける時間差は20~30分程度なので、エアコンは私が消して出かけていきます。あとは、何かあればご近所に住むお友達の家や顔見知りのおばさまに頼るのよ 、と言い聞かせてあります。もちろんご近所にも事情は話してあります。それが子どもにはとても安心するようで、一人で家を出ることを特に嫌がる様子はありません。一番の工夫は、朝、私自身が笑顔で元気よく、子どもに「行ってきます!」と声をかけることですね。元気よく「いってらっしゃーい!」と見送ってもらえる瞬間が毎朝の幸せな瞬間です』(40代/小学2年生のママ)カギのかけ忘れが心配な場合、オートロックもひとつの選択肢。また、何かあったときのためのご近所の支援を仰ぐのは、ママにとっても子どもにとっても安心感が全く違いますね。筆者も小学校1年生からかぎっ子でしたが、同じように何かあれば同じ並びのお宅に頼るように言われており、一人で不安なことがあってもその言いつけを思い出してはホッとしていた記憶があります。また、ママが元気よく子どもに「行ってきます!」と挨拶をすることは、子どもにとって一番の心のよりどころになりますね。朝見送ることができなくても、ただ一言言葉を交わして一瞬でも笑顔を見るだけで子どもの安心感が違います。●忙しい朝に大切なのは、真心を伝えることいかがでしたか?朝は1分1秒も惜しいほど忙しい時間。しかし、忙しいときほど子どもには真心をこめてコミュニケーションしてあげたいですね。朝見送ってあげられないなら、一瞬でも顔を合わせる時間を作る、タイミングが合わず直接言葉を交わせないなら手紙やメールで他愛ないメッセージを残す、など小さなことでかまわないのです。朝ママに見送ってもらえなかったとしても、ママが子どもを思う気持ちさえ伝われば、いつでもママに見守ってもらえるような安心感に包まれて登校してくれるはずですよ。●ライター/ましゅまま(ママライター)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年05月29日<目次> ■発達障害という名前を変えたら、世の中が変わる ■ママに「子どもを見る力」がないのなら ■「良い子」「悪い子」の枠はママが楽している? ■21世紀を生きる力を考える 【木村先生がママたちに伝えたい20のこと】 ママになると、とたんに子どもについては「プロ」であることを求められてしまいます。だったら「ママのプロになってしまえばいいのではないか?」そんな風に考えて、この連載企画がスタートしました。「みんながつくる みんなの学校」を合言葉に社会から排除されがちな枠からハミ出てしまう子にも居場所を作り続けたプロ教師歴45年の木村 泰子先生に話をうかがいます。お話を聞くのは、自身が親から「みんなができることがどうしてできないの?」と言われ続け、そしていま「枠からハミ出てしまう子(発達障害)」を育てるライターの楢戸ひかるです。■発達障害という名前を変えたら、世の中が変わる?楢戸:発達障害の日本の第一人者である、「NPO法人えじそんくらぶ」代表の高山恵子先生が、いわゆる「グレーゾーン」のことを、「パステルゾーン」と呼んでいらっしゃいます。※「パステルゾーン」を命名したのは、沖縄の名護療育園の泉川ドクターによるもの。※子どもの個性的な部分は、明るくカラフルだから、グレーゾーンではなく、パステルゾーンと呼びませんか? と提案されています。木村:発達障害って名前を変えたら、世の中、きっと変わると思いますよ。その言葉、見つけましょう。みんなで学びを深めていきませんか? ■ママに「子どもを見る力」がないのなら楢戸:「子どもを見る」というのは、センシティブな作業です。ママは、日々、忙しすぎて、「自分の子どもを枠にはめてしまっているかどうか」なんてことを、いちいち考えている暇がないかもしれませんね。木村:ママ自身に「見る力」がないなら、まずは、「余計なことを言わないでおきましょう」っていうことですね。楢戸:もしかしたら、私たち母親が子どもに言っている大半のことが無駄なんでしょうか。先生の言葉を借りれば、「余計なこと」という気もしてきました…。■「良い子」「悪い子」の枠はママが楽している?木村:ここは、すごく大切なところ。学校でも、何度も、何度も、本当に何度も話してきたの。「子どもを枠にいれて評価したらあかんで」と。たとえば、「良い子のAちゃん」「悪い子のBちゃん」みたいに括ってないですか?って。それは、枠にいれていることになるの。「悪い子のBちゃん」も良いことをするときある。「悪い子のBちゃん」だと思って見てしまうと、「いま、褒めてよ」というときを見逃してしまう。それは、子ども自身の人物評価、つまりは「くくり」で見てしまっているから。楢戸:ママとしては、寄りどころがほしいんです。「この子は良い子」「この子は悪い子」みたいに決めつけてしまった方が楽なんですよ。でも、ママが楽しちゃいけないってことですね木村:自分が楽をすることを選んだママの未来は、苦悩に満ちていると思いますよ。一瞬の楽は、未来の苦悩を呼ぶんですよ。一瞬の苦しみは、未来の幸せにつながる。自分が納得して選べばいいことだから。ママたちは、どちらを選びますか? ■21世紀を生きる力を考える6本に渡ってお送りした「ママのプロになる~映画『みんなの学校』の木村先生がママたちに伝えたい20のこと~」も、そろそろ終わり。木村先生からたくさんのダメ出しをされて、正直落ち込みもしました。でも、これは必要な落ち込みだと思います。「私が受けてきた教育では、これからの時代を生き抜く力はつかないのではないか?」と、漠然と感じていました。でもそれは、「次世代に必要な教育」を見つけられないから、自分が受けてきた教育の価値基準にあわせて、子どもを育ててきたように思います。今後も木村先生と話をしながら、「次世代に必要な教育」の姿を、記事という「カタチ」にしながら、「ママのプロ」になるために自分はどうすればいいのかを考えていきたいと思います。■【木村先生がママたちに伝えたい20のこと】18. ママ自身に「見る力」がないなら、まずは、ママが子どもに余計なことを言わないこと19. 「良い子」「悪い子」で括ってしまうと、「いま、褒めてよ」っていうときを見逃してしまう。子どもを枠にいれて評価してはダメ20. 子どもを枠に入れて、楽をしたママの未来は、苦悩に満ちている。でも一瞬の苦しみを乗り越えたママの未来は幸せにつながります。≫「木村先生がママたちに伝えたい20のこと」については こちら ■今回取材にご協力いただいた木村 泰子先生の著書『 不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力 』木村 泰子,出口 汪/ 水王舎 ¥1,400(税別)木村 泰子先生プロフィール大阪市出身。大阪市立大空小学校初代校長として、「みんながつくるみんなの学校」を合い言葉に、すべての子どもを多方面から見つめながら、全教職員のチーム力で「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」ことに情熱を注ぐ。その取り組みを描いたドキュメンタリー映画『みんなの学校』が話題に。2015年に退職後、現在は、全国各地で講演活動を行っている。
2017年05月29日母子分離不安とは?出典 : 「母子分離不安」とは、子どもが母親から離れることに対して不安を感じることを言います。人間にとって「不安」とは、生まれながらに持っている自己防衛本能でもあり、生きていくうえで欠かせないものです。赤ちゃんのときに母親と離れることを怖がって泣き叫んだりしがみついたりするのは、子どもにとって母親が「最も身近で安心感を与える存在」であるからなのです。そのため、幼い子どもが母親から離れる際に不安を感じるのは当たり前のことであるとも言えます。人は生まれてすぐは母親に完全に依存した状態ですが、成長するにつれて少しずつ自立し、母親との間に距離が取れるようになっていきます。しかし、小学校に進学する頃になっても、うまくこの距離感がつかめずに、入学時、留守番をする時などに強い不安を感じてしまう子どももいます。この不安が極度に強まると、腹痛・頭痛などの身体的症状や、母親がいないと泣きだしてしまうといった精神的症状を引き起こすこします。さらに症状が悪化すると通園・通学拒否になってしまうなど日常生活に支障をきたすことがあります。この記事では、一般的によく見られる母子分離不安症状の年齢ごとの特徴や原因と、長期化し治療が必要となる「分離不安症」の診断基準や治療法などをまとめてご紹介します。年齢別に分類できる母子分離不安の特徴出典 : 母子分離不安は、年齢によって特徴や対応が変わってきます。その特徴は、大きくは3歳までの子どもに見られる母子分離不安と3歳以降に見られる母子分離不安の2つに分類することができます。3歳までに見られる母子分離不安は、母親から物理的に離れることに不安を感じ、抱き癖や泣き叫ぶといった特徴が見られます。そのため通常、母親が戻ってくるということを学ぶと不安はなくなります。子どもが発達するうえで自然なことであり、このような母子分離不安は3歳頃になると少しずつ消えていきます。3歳までの母子分離不安は、乳児期前半、乳児期後半、乳児期以降で特徴に違いがあります。・乳児期前半乳児期前半の子どもには抱き癖が見られます。常に抱っこをしていれば泣かないのですが、下ろすとすぐに泣いてしまいます。赤ちゃんは抱っこをされることで安心感を得られ、母親に愛されていると感じます。そのため抱き癖がつくということは、母親と赤ちゃんとの間に絆ができていることの証とも言えます。・乳児期後半乳児期後半になると母親の姿が見えないときに、泣いたり怒ったりします。また母親のことを探すといったこともします。これは母親の姿が見えないときに母親の存在自体がなくなると思ってしまうからです。・乳児期以降歩けるようになって母親から離れることによって不安を感じ、だだをこねたり、後追いしたりします。母親から長時間離れられるほど心が発達していないため、このような特徴が見られます。3歳以降に起きる母子分離不安は、母親がいなくなってしまうのではないかという不安や家以外での心配事などがある際に、母親に安心感を求めようとして離れられなくなることを言います。特に小学校低学年の子どもに多く見られ、家庭での問題や家以外の環境などさまざまな理由によって、母子分離不安が起こります。3歳以上の子どもに見られる母子分離不安の具体的な特徴としては、以下が挙げられます。・日常生活ずっと母親にしがみついている・部屋に1人でいることができない・母親の姿が少し見えないだけで泣きだしてしまう・迷子や誘拐などによって親から離されてしまうのではないかと強く恐れる・母親の膝に乗ってくるなどの赤ちゃん返り・乱暴行為・激しい人見知り・就寝時寝つきが悪い・両親と一緒でないと寝られない・悪夢を見る・暗闇を過剰に怖がる・電気をつけたまま眠りたがる・保育園・幼稚園や小学校学校や友人の家に遊びに行くことを拒否する、授業に集中できず勉強を理解できない、親がいないと砂場やブランコで遊べない、何ヶ月たっても登園時母から離れようとしない、小学生になっても母親が学校のどこかにいないと登校を続けられない、通園・通学拒否母子分離不安が強まると、腹痛・頭痛・嘔吐・食欲不振・息苦しさ・夜尿のような身体的症状を引き起こします。年長児以上の子どもには頻脈・めまい・気を失うように感じるなどの心臓血管系の症状が起こることもあります。さらに母子分離不安の特徴が4週間以上続くと、「分離不安症」と診断されることがあります。分離不安症とは、家または愛着を持っている人物からの分離に関する、過剰な恐怖または不安のことを言います。一過性の母子分離不安とは対処法などが異なるため、注意しなければいけません。分離不安症については、後の章で詳しく説明します。参考:野村総一郎樋口輝彦/著『こころの医学事典』2003 年講談社/刊参考:近藤直司/著『不安障害の子どもたち』2014年合同出版/刊母子分離不安の原因出典 : 歳までに見られる母子分離不安は発達上の通常の現象として現れるものです。そのため、3歳以降に見られる場合のように外部環境や家庭でのストレスなどが原因ではありません。乳児期であれば母親と一緒にいる時間の心地良さを実感するためであり、乳児期以降から3歳までであれば母親の愛情を確かめるため母子分離不安が起きていると考えられます。3歳以降にも母子分離不安が一時的に見られることがあります。その原因は主に環境の変化です。例えば小学校に入学して一人でやらなければいけないことが増え、ストレスを感じるといったことが原因で、母子分離不安が見られることがあります。こうした現象は一時的にしか続かないことが通常ですが、不安が癒されずさらに強まって悪循環に陥った場合、母子分離不安が長期化することがあります。このような子どもは、外出を強く恐れたり、家庭や母親から離れることに極度に恐怖を感じるようになります。特定の原因は明らかにされていませんが、子どもの気質や家庭での問題、学校での心配事などが組み合わさって生じます。家庭での母子分離不安への対処法出典 : ・乳児期前半抱き癖を心配して泣いても抱っこしないと、赤ちゃんは「泣いても意味がない」と思って泣かなくなってしまいます。このように感情を表現しない赤ちゃんをサイレントベビーと言い、このまま成長すると対人関係に支障をきたす可能性があります。年齢が上がると少しづつ抱き癖はなくなっていくため、心配せずたくさん抱っこしてあげましょう。・乳児期後半この時期の子どもは母親が見えないとき、いなくなってしまうと思って不安を感じています。そのため子どもから離れる時は子どもが安心するような言葉をかけてあげましょう。母親が必ず戻ってくるということを伝えることが大切です。・3歳までこの時期の子どもは母親から離れることができる時もあれば、母親にしがみついて離れない時もあります。そのため子どもがぐずっている時に厳しく叱ってしまいがちですが、厳しく叱ると子どもは不安定になり、逆効果です。性格などによって個人差はあっても、だんだんと一人で過ごせるようになるため、甘えてくるお子さんをしっかり受け止めてあげましょう。3歳以降の母子分離不安にはさまざまな原因が考えられるため、お子さんの様子がいつもと違うと感じたら「何かあったの?」などと積極的に声をかけ、お子さんが不安や心配事を伝えやすい環境を作りましょう。家庭で行うことができる対処としてはまずは親子で過ごす時間を増やすことが挙げられます。手をつないであげる、一緒にお風呂に入る、一緒に寝る、勉強や子どもの好きなことを一緒にやるなど、できるだけ日常生活においてお子さんとのスキンシップを増やすようにするとよいでしょう。一緒に過ごす時間をつくることで、お子さんの不安を少しずつ取り除いていくことができます。他にも、次のようなことを試してみるとよいでしょう。・母親と一緒に登校する・授業中母親にいてもらう・保健室登校をする・子どもを無理やり学校に連れて行かず、休ませる・それまで一人で寝ていた子どもがお母さんと寝たいと言って布団に入ってきたら拒まない・ひとりで頑張って寝ている場合は一緒に寝ようと誘う・家の中では一人でいられるようになる、勉強にとりかかるなど、母子分離不安が軽度になったら学校に行ってみないかと少しずつ誘ってみる・ごく短時間の登校から始め、学校で過ごす時間を段階的に増やしていく(最初は先生に挨拶だけして帰るなど)野村総一郎樋口輝彦/著『こころの医学事典』2003 年講談社/刊母子分離不安について相談するときは?出典 : 母子分離不安の多くは、親や周囲の人たちが子どもの不安を理解し、家庭での対処法を実践することで改善します。しかし生活に支障をきたしているような場合や、小児期前半で紹介した母子分離不安の特徴が4週間以上続く場合はカウンセラーに相談してみるとよいでしょう。母子分離不安を相談できるところを簡単にご紹介します。・子ども家庭支援センター、市町村保健センター子育て全般の相談を気軽にすることができます。また地域ごとに設けられているため、その地域において母子分離不安を相談できる機関が他にあるか、どんな子育て支援があるかなどを詳しく知ることができます。・スクールカウンセラーお子さんの学校での様子を加味したうえで、母子分離不安の相談に乗ってくれます。また学校生活をサポートしてくれる、必要な時は医療機関を紹介してくれるといったメリットもあります。お子さんが不登校になっている場合は、不登校カウンセリングセンターや不登校支援センターといった専門のカウンセラーに相談しても良いでしょう。カウンセラーに相談するだけでは解決しないときは、小児科や児童精神科などの専門医療機関に相談することもできます。参考:近藤直司/著『不安障害の子どもたち』2014年合同出版/刊母子分離不安の治療が必要な場合「分離不安症」ということも出典 : これまで説明してきた通り、多くの子どもにとって母子分離不安は発達過程で通常発生するものであり、3歳以降の母子分離不安についても、保護者が適切な関わりをすることで改善します。しかし、母子分離不安が4ヶ月以上の長期間続き、心配や苦痛が過剰なレベルである場合、「分離不安症」と診断され、専門家による治療が必要になる場合もあります。近藤直司/著『不安障害の子どもたち』では以下のように述べられています。「母子分離不安はほとんどが1年以内に完治するとされています。しかしなかなか治らなかったケースについて検討した調査では、発症年齢が低く、診断の遅れが一因であったという報告があります。」(近藤直司/著 『不安障害の子どもたち』 2014年 合同出版/刊p.24より引用)早めに相談することが適切な治療や支援につながり、母子分離不安を改善することができるでしょう。ご家庭だけで悩むのではなく、多くの機関と連携して子どもを守ることが大切です。母子分離不安の症状が小児期以降に4週間以上続く場合は、医師やカウンセラー、医療センター、医療機関に相談することをおすすめします。分離不安症の原因としては、以下のようなものが挙げられます。・不安を感じやすい性格内気、神経質、完璧主義、対人関係に過敏な性格など・学校の環境過剰な緊張を強いるような学校の空気や担任教師の指導法、いじめなど・家庭内での問題両親の不和や母親の病気、身近な人やペットの死・母親と過ごす時間が少なかった共働きや母子家庭など、今まで親子で過ごす時間が少なかった・きょうだいが生まれたきょうだいが生まれたことで、兄・姉は母親に甘える時間が減ったアメリカ精神医学会の『DSM-5』(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版)では、日常生活に支障が出るほどの母子分離不安を分離不安症としています。分離不安症の診断基準は以下のように定義されています。A.家庭または愛着を持っている人からの分離に関する、発達的に不適切で、過剰な恐怖または不安で、以下の項目のうち3つの証拠がある。(1)家または愛着を持っている重要な人物からの分離が予測される、または、経験されるときの、反復的で過剰な苦痛。(2)愛着を持っている重要な人物を失うかもしれない、または、その人に病気、負傷、災害、または死など、危険が及ぶかもしれないという、持続的で過剰な心配。(3)愛着を持っている重要な人物から分離される、運の悪い出来事(例:迷子になる、誘拐されれる、事故に遭う、病気になる)を経験するという持続的で過剰な心配。(4)分離への恐怖のため、家から離れ、学校、仕事、または、その他の場所へ出かけることについての、持続的な抵抗または拒否。(5)1人でいること、または、愛着を持っている重要な人物がいないで、家または他の状況で過ごすことへの、持続的な抵抗または拒否。(6)家を離れて寝る、または、愛着を持っている重要な人物の近くにいないで就寝することへの、持続的な抵抗または拒否。(7)分離を主題とした悪夢の反復。(8)愛着を持っている重要な人物から分離される、または、予期されるときの、反復する身体症状の訴え。(例:頭痛、胃痛、嘔気、嘔吐)B.その恐怖、不安、または回避は、子どもや青年では少なくとも4週間、成人では典型的には6ヶ月以上持続する。C.その障害は、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、学業的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。D.その障害は、例えば、自閉症スペクトラム症における変化への過剰な抵抗のために家を離れることの拒否:精神病性障害における分離に関する妄想または幻覚:広場恐怖症における信頼する仲間なしで外出することの拒否:全般不安症における不健康または他の害が重要な他者にふりかかる心配:または、病気不安症における疫病に罹患することへの懸念のように、他の精神疾患によってはうまく説明されない。日本精神神経学会/監修『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』(医学書院,2014年刊)p.189より引用分離不安症は併存症を伴うことがあります。併存しやすい疾病には、子どもの場合、不安障害のカテゴリ内にある「全般性不安症」や「限局性恐怖症」があげられます。分離不安症の医療機関での治療出典 : 医療機関や心理療法の専門施設では以下のような治療が行われます。・プレイセラピー(遊戯療法)遊びを通して本人の発達状態を理解し不安を和らげることで、自分の考えを表現できるようにします。・絵画療法・箱庭療法絵を描いたり、箱の中に好きなミニチュア玩具を置いていくという作業をしたりします。できあがった箱庭についてカウンセラーに言葉で伝えることで、自分の内面世界を表現できるようにします。症状や対人関係を改善することが目標です。・認知行動療法ものの受け取り方や考え方を修正し、悲観的でも楽観的でもないバランスのとれた考え方ができるようにします。子どもとの面談を通して進めていく治療法なので、考えを言葉にすることに慣れていない小さい子どもの場合にはプレイセラピーなどの方が適しています。・家族療法子どもだけに焦点を当てるのではなく、問題が家庭内でどのように起きているのかまで考えます。そのためご両親の子育てにおける悩みや不安も解決していきます。家族内の人間関係を調整し、子どもが安心できる環境を作っていきます。・薬物療法日常に支障をきたすほど不安が強い場合は、抗うつ剤や抗不安薬を使うことがあります。最近ではSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と呼ばれる抗うつ薬が注目されています。不安障害においても効果が実証されており、安全性も高いと言われています。薬物療法だけでは完治しないため、他の治療法と組み合わせて行います。出典:近藤直司/著『不安障害の子どもたち』2014年合同出版/刊発達障害の子どもの母子分離不安の特徴は?出典 : 発達障害の子どもにおいて、母子分離不安の特徴が見られることがあります。発達障害の子どもは対人関係のあり方が偏っていたリ、ものの捉え方が異なったりするため、障害のない子どもに比べて、極度な不安を感じることがあるからです。母子分離不安は発達障害の中でも、ASD(自閉症スぺクトラム)の子どもに多いと言われています。ASDのある子どもにおける母子分離不安は、一言で言うと対人関係上の特性が原因です。ASDのある場合、親がいなくても平気という親子関係の希薄さを示す子どもがいる一方、子どもによっては極めて強い不安感を抱き、他の子どもがいるのを嫌ったり、ひと時も母親から離れられないといった神経質、過敏傾向も示す場合もあります。母子分離不安の対処法は、発達障害が関連していようとそうでなかろうと変わりはありません。信頼でき愛着のある大人がそばにいてやさしい言葉をかけて、子どもの不安を軽減させてあげましょう。まずは、信頼できる大人との安心した関係を確保したあと、不安を感じにくくするような治療法を取り入れていくとよいでしょう。注意点として、母子分離不安が表れたからと言って、すぐさま発達障害だと決めつけてはいけません。母子分離不安そのものは病気ではなく、多くは「一時的に心配ごとがある」というサインだからです。母子分離不安の特徴だけでなく、お子さんに他にどんな特徴が見られるのかも把握するようにしましょう。まとめ出典 : 自立を始めた子どもには母子分離不安が生じます。親から離れ出すと誰もが不安になるものです。そうした、発達過程で生じる正常な母子分離不安も少なくありません。お子さんの母子分離不安がどのようなものなのか、どう対処すべきなのか、しっかりコミュニケーションをとって把握しましょう。また、甘えだと思って厳しく叱ってしまうのではなく、お子さんを認めてあげ、一緒になって不安を取り除いていくことで改善することができます。子どもは安心することで、自立できるようになるのです。一方で治療を要する母子分離不安もあります。長く続く不登校なども、母子分離不安が原因かもしれません。症状の程度によってはスクールカウンセラーなどに相談するなど、ご家庭だけで抱え込まないようにしましょう。
2017年05月29日不安が強くて出かけられない子ども出典 : パニック障害や不安神経症の人は外に出かけられなくなることがあります。それは、「外に出て具合が悪くなったらどうしよう」という強い不安があるからなんです。小学校4年生でアスペルガー症候群と診断された娘の場合は、いつ始まるかわからない腹痛が大きな不安の種となっています。また、人がたくさんいるところ、騒がしいところ、電車・車などの乗り物がとても苦手です。生まれつきの気質もあったと思いますが、外出できなくなるほどひどくなったのは登校へのプレッシャーが強くなった3年生からでした。それまでは電車に酔いながらも遠方への旅行も行くことができていました。しかし、精神的なストレスが強くなり不安がよりいっそう大きくなったことが、出かけることができないほどに娘を追い込んだのだと思います。小3で引きこもった娘が出かけるようになった理由出典 : 娘は小3で引きこもってからというものの、お医者さんの診察や年に1度くらいの散髪など、必要最低限しか出かけなくなってしまいました。外に出てお腹が痛くなることも怖かったようですが、人がいるところに出ていくのが嫌なようで、外にいても元気や活力を全然感じることができませんでした。転機となったのは、中2になった時です。学習支援を受けることになり、自転車で30分ほどの場所まで通うことになりました。娘自身も、「将来のことを考えて勉強しなくては」と思っていたようで、何度か休みながらも月1回、私と一緒に通い続けました。そして、「私は勉強している」ということが自信となり、それまでよりは出かける回数が増えていったのです。「映画館に連れて行ってくれる?」と言われた時は耳を疑うくらいビックリしました。途中退場も覚悟の上だったのですが、「ちょっとしんどかったけど楽しかった」と笑う娘を見てとてもうれしかったのを覚えています。ただ、出かけたあとは大量にエネルギーを消耗するようで、1回のお出かけで行ける場所は2ヶ所まで、時間はだいたい3時間が限界でした。そして出かけたあとは1週間は寝込んでいましたね。怖がりで慎重な性格の娘のカバンの中は、トイレに行きたくなったときに読む本、胃薬(処方してもらったものと市販薬両方)、水、飴など不安解消グッズでいっぱい。でも、そういう工夫が自分でできるようになったことにも成長を感じていました。娘みずから大チャレンジを提案!その内容とは出典 : そんな娘が中3になったゴールデンウィーク前のことです。「ママ、遊園地にキャラクターショーを見に行きたい」と娘が言いだしました。昔はよく行っていた遊園地ですが、電車3本を乗り継ぎ1時間強かかる遠さです。確かに、娘はそのキャラクターのためなら映画館も行きますし、ショッピングセンターでのショーも見に行くようになっていました。遊園地の大きな舞台のショーを見たいから、遠出にもチャレンジする気になったのでしょう。ですが、私は正直、不安でいっぱいでした。電車に3駅ほど乗るだけで真っ青になるこの子が無事に行って帰ってこれるのだろうか。でも同時に、私は娘の「行きたい」という気持ちを大事にしたいとも思ったのです。そして、無謀とも言えるこのチャレンジに娘と2人で挑戦してみることにしたのでした。行きは順調!でも帰るころになると…出典 : 行きは少し混んだ電車でも「乗ろう」とやる気を見せていた娘。ですが、乗り換えが重なるごとに口数も少なくなってきました。遊園地の手前では、「ちょっともたれかかっていい?」と私の方にぐったりもたれかかる様子に少し不安になりました。遊園地は朝一番でまだ人は少なかったのですが、娘のテンションは低く、「早くショーのあるステージに行こう」と不安そうでした。もともと遊園地の乗り物は嫌いで、小学生になっても幼児用の乗り物にしか乗れなかった娘は、周りのアトラクションには全く興味を示しません。不登校になるまでは露店や動物コーナーなどには興味いっぱいで、フリーパスを持って幼児用の乗り物を堪能し、あちこち走り回っていたので、その差にちょっと悲しくなりました。そしてお目当てのショーを2人で見ることに。しかし、ショーが終わるとすぐに「もう帰ろう」と満足ながらも疲れた顔。帰りの電車に乗ってしばらくすると「もう降りたい」と言い出したのです。途中下車してトイレに行ったり、ベンチに寝かせてみたりしましたがもう動くこともできません。駅の救護室で長い間休ませてもらったのですが、ひどい吐き気が治まらずとうとう救急車を呼ぶことになりました。やはりストレスが原因のようで、病院では「吐き気止めを飲んで少し休んでもらうことしかできませんね。入院するほどではないですし」と言われました。それでも病院に運んでもらってベッドで休んでいるという状況に安心したのか、娘も次第に落ち着いてきました。そして、「タクシーで帰る」と自分で答えを出したのです。タクシー代は大変痛かったですが、駅員さん、救急隊員さん、病院の方に親切にしていただき感謝の気持ちでいっぱいでした。自分の楽しみのために出かけられるようになってほしい出典 : 次の日、娘は私に言いました。「いきなり遠いところにチャレンジしたのは失敗だった。今度はもう少し近いところにしたい」「でもイベントに行けたのはうれしかったし、楽しかった」「いろいろな人に迷惑をかけてしまったのが残念」ああ、この子は何もかも分かっているんだ。たとえ失敗があったとしても、外出することを決して諦めていないことに、私は嬉しく思いました。今回は失敗だったように見えるかもしれませんが、決して無駄ではなく、次の1歩を踏み出すための大切な経験だったと感じます。それと、「もし外で具合が悪くなっても助けてくれる人たちがいる」ということを実感できたことも、娘にとってプラスになったと思います。以前、ひきこもりの子どもへの支援講演会で聞いたのですが、「次も一緒に行ってくれる?」と言えるようになったらひとりで行ける日も近いのだそうです。これから先、高校などのこともどうしようか考えてはいますが、まずは娘が自分の楽しみのために出かけられるようになってほしいと願っています。それがきっと娘に生きていくための楽しみと力を与えてくれると信じています。もちろん、「ママ、もういいよ」といわれるまではどこにでも付き合う覚悟です。
2017年05月26日小児科外来のカウンセリング室にやってきた母娘出典 : 病院の小児科外来でカウンセリングを行っているカウンセラーの私のもとに、不登校の娘さんと母親が心理相談を受けに来ました。そのとき娘さんは中学3年生。母親の話だと中学2年生のころから学校に行き渋るようになったけれども、教師の働きかけで今は何とか相談室登校をしているとのこと。母親が説明する間、その子は一言も話さず暗い顔をして座っていました。私は「学校で何か嫌なことがあったのか」、「友だちと気まずいことでもあったのか」と問いかけましたが、無言のまま。母親は、「家で娘に尋ねても嫌なことやいじめはないと言うのです」と代弁します。医師の方では医学的処置は行わないとのことを聞いていたので、経過観察をしながらじっくり支援の方向性を探ろうと考え、「すぐには話したくないかもしれないので、時々来て状況を知らせて下さい」と言って初回の面談を終わろうとしました。しかし母親は「どこに行っても同じことを言われます。私が心配でたまらないのです。このまま一生引きこもりになるのではないかと不安です。ここで話を聞いていただけませんか」と言うのです。娘さん本人の考えは計り知れませんでしたが、母親の困り感が大きいことも鑑み、ひとまず次週も面談の予約を入れることにしました。カウンセラーと母親と娘の三者面談、しかし彼女は一言も話さず…出典 : 翌週、時間通りに母娘がやってきました。母親はこの一週間も娘の状況は変わらないことを説明してくれましたが、肝心の娘さん本人はやはり一言も発しません。母親がしゃべり過ぎるので娘さんが話さないのかと考え、母親の発言を抑えて彼女の発話を待ちました。しかしいくら待っても言葉を発しません。最後にはうなだれ、長く伸びた髪が顔を覆い、ホラー映画の「貞子」のような状態になってしまったので、「これ以上はまずい」と思い、母親との話に戻りました。親子で訪れる小児科の心理相談の時、私は特別の事情がない限り親子別々に話すことをしません。子どもは不安を抱いて訪れます。その時に親から離れて一人で知らない人と話すことは苦痛でしかないと思うからです。廊下で待たされ母親だけが診察室に通されると、そこでは自分のことを話しているに違いないが、何を話しているのか気になるでしょう。余計な不安や苦痛を子どもに与えないために親子で話すのです。まれに母親だけに伝えなければならないことがある場合は、子どもが退屈そうに見えたとき、「退屈なら廊下を歩いてきていいよ」と言って外に出します。時間的に余裕がある環境でしかできないことかもしれません。カウンセリングというより雑談?それでも続く、奇妙な3者面談出典 : そういうわけでその母娘との面談はいつも三者で行いましたが、話すのはいつも私と母親でした。それでも娘さんは毎週来ることを拒まず、一言も話さないにもかかわらず毎回1時間近くその場に座り続けていました。半年近く話しても事態が大きく変わることもなかったので、話の内容は徐々に雑談に変わっていきます。明朗快活なお母さんはニコニコしながらたくさんおしゃべりしました。よもやま話になるとつい笑いだすようなことにもなりますが、娘さんはそれでもやはり、無表情のまま。わずかでしたが相談料を支払っていただいていましたので、談笑でお金をいただくのはどうかと思い、母親に「このまま続けますか」と尋ねました。母親は「長い目で見なければいけないのは分かっているが、娘と二人でいると気が沈んでしまうので、迷惑でなければ続けさせてください」と言ったので、ひとまず継続することに。とはいえこのままずっと談笑を続けるというのも気が引けます。なにか改善のきっかけがつかめないかと、私は彼女が在籍する中学校を訪問することにしました。しかし、娘さんは中学校では人目を避けて登校し、ほとんど相談室で好きな漫画やイラストを描きながら過ごしているとのことで、変化を期待できるような情報を手に入れることはできませんでした。高校受験が迫ったある日、無言だった娘が、はじめて「やりたいこと」を口にした出典 : それからも、カウンセラーと母親が談笑するだけという、奇妙な"三者"面談が続きました。初夏から始まった面談も初冬にさしかかっていました。母親は高校進学のことを気にし始めました。私も引き受けてくれる学校があるか気になりました。そんなある日、母親が思いがけないことを話しだしたのです。「娘は、高校はイラストやデザインが学べるところにしたいと言っています。中学校で尋ねたらA高校のデザイン科があると言われたそうで、そこを受験したいと言うのですが、先生どう思いますか」。この話も三者面談の中でした。私は母親に「それは素晴らしい。本人が受けたいと言うのならぜひ受けさせるべきです」と言いました。本人が高校には行きたいと言い、志望校もはっきりと言った。母親はこのことには喜んでいましたが、実際受験するにあたっては、相談室登校で学力がきわめて不安、試験や面接に行けるかどうか、受験に失敗したらもっと落ち込みがひどくなるのではないかなど、心配でたまらないようでした。私は、「本人が自分で道を切り開こうとしているのです。今はそれを応援しましょう。失敗したらその時に次を考えましょう」と言い背中を押しました。その後。その子は自宅でも受験勉強をし、中学校では専願という受験方法を示され、無事試験会場にも行け、めでたく志望の高校、学科に合格したのです。娘さんの高校入学後も母親はしばらくの間、「また、いつ登校しなくなるか不安だから」と言い、私との心理相談にやってきましたが、不登校が生じやすい5月の連休明けまで様子を見ても特に問題は起こらず、母親も安心して心理相談を終了しました。ずっと黙っていた娘が、なぜもう一度学校に行けるようになったのか出典 : その後も娘さんが私の相談室に来ることはなく、毎日他の生徒と同じように登校し授業を受けており、部活もバスケットボール部に入り元気に活躍しているとのことでした。母親は「嘘みたい、今までのはなんだったの」とキツネにつままれたかのようでした。心理相談を続けている間は一言も発さなかった娘さんが、なぜこのように劇的な変化を起こしたのでしょうか。私が思うに、その子自身の伸びる力がもともと眠っており、表面には出ない間も、じっくりと力を蓄えていたのだと思います。不登校、相談室登校は彼女にとって不快な経験だったと思います。彼女自身もなんとかそれを克服しようと思ったでしょう。しかしなかなか克服の道が見えず、長い間ふさぎ込むことになったのだと思います。高校進学を目の前にして、やっと自分の好きなデザインを学び、本来やりたかったバスケットを行うことに道を見出し、光を見つけたのだと思います。道を見出したのは彼女自身です。それができたのはその子の成長する力によるものと思います。小学校や中学校で不登校を経験したのちに高校生になり、「休みたくなると、もうあの不登校を再び経験したくないからという気持ちになって、それで頑張って登校したんだ」と打ち明けてくれた子もいました。一人、二人ではありません。子どもたちはしっかり学んでいるのです。そしてそのような子どもの成長する力を発揮させることができたのは母親の頑張りだったのだと思います。相談室登校の娘さんを見放すことなく、少しでも効果があることは惜しまず与え続けました。それとともに母親は、娘を支え続けるために自分の心の安定も求めました。娘さんは三者面談の中で一言も発しなくても、母親の言葉、カウンセラーの言葉をしっかり聞いていたのです。自分を支えてくれる人たちの中で自分は何をすべきかを考え続けていたのでしょう。子どもは母親や家族に支えられ、母親や家族は社会に支えられるような循環が子どもたちの成長には不可欠だとの思いを深めたケースでした。
2017年05月20日映画『となりの怪物くん』が、2018年4月27日(金)に全国の劇場で公開される。原作は、2008年~2014年まで講談社「月刊デザート」で連載され、コミックス累計発行部数は全13巻で500万部を突破している同名の漫画作品「となりの怪物くん」(ろびこ/講談社「KCデザート」刊)。ストーリー物語は、友達も全くいない、恋もしたことのないガリ勉&冷血な女子高生・水谷雫が、となりの席の問題児男子・吉田春から唐突に告白されたことから始まる。猛烈アタックする“怪物”春と、それを冷たくかわす“氷の女”雫。いつしかそんなコミカルな2人の周囲には、個性豊かな人々が集まってきて、2人にとって初めての「友達」ができていく。初めての友達、初めての恋、初めてのキス、初めてのケンカ、初めての三角関係。何もかもが「初めて」同士の二人を中心に、真っ直ぐで不器用な登場人物たちの心を繊細に描いた作品だ。キャスト菅田将暉/吉田春 - イケメンで天才だが、周囲から怖がられる“怪物”イケメンで天才だが、予測不能な行動で周囲から怖がられる“怪物”吉田春を演じるのは、昨年9本もの映画に出演し、いま最も勢いのある若手トップ俳優・菅田将暉。『銀魂』『帝一の國』『あゝ、荒野』など話題作での演技が記憶に新しい。本当は友達が欲しくてたまらないのに友達0人。高校では入学早々上級生に暴力をふるい、不登校に。挙げ句の果てに父と兄にも見捨てられ、誰も近寄ってこない孤独な生活を送っているが、雫と出会ったことがきっかけで他人の温もりを知っていく。土屋太鳳/水谷雫 - 勉強第一の冷静かつ淡白な“氷の女”ヒロイン・水谷雫を演じるのは、こちらもいま最も勢いのある若手トップ女優・土屋太鳳。『orange』『青空エール』のような、まっすぐでひたむきな役を演じることの多かった彼女が、これまでと全く逆の役どころとなる「冷血女子」を演じる。友達0人で、勉強第一の冷静かつ淡白な“氷の女”。しかし、不登校だった吉田春にプリントを届けたことで懐かれ、孤立していた学校生活が徐々に騒がしいものに。始めは春の予測不能な行動に戸惑っていたが、次第に異性として心惹かれていく。物語を彩るキャスト陣吉田春の兄・吉田優山役に、『曇天に笑う』の公開を控える古川雄輝が決定。春の幼馴染で、後に春のライバルになる・山口賢二(通称:ヤマケン)役は、『亜人』や『HiGH&LOW』シリーズなどにも出演している山田裕貴。超絶美少女だが訳あって男子が大嫌いな夏目あさ子役を、モデル・女優と幅広く活躍し、映画『一礼して、キス』初主演を果たした池田エライザが演じる。その他、速水もこみち、浜辺美波、佐野岳なども出演が決定している。監督/脚本監督を務めるのは、『黒崎くんの言いなりになんてならない』『君の膵臓をたべたい』など、数多くの青春恋愛映画を手掛けてきた気鋭の月川翔。映画『高台家の人々』、ドラマ「私結婚できないんじゃなくて、しないんです」を手掛けた脚本家・金子ありさとタッグを組み、青春恋愛漫画を映像化する。主題歌・挿入歌は西野カナ主題歌は、西野カナの「アイラブユー」。大切な人に対して「やっぱり私はキミでよかった」と、ふと思う瞬間を歌った、女の子の本音がたくさんつまった“メッセージラブソング”だ。また、自身のヒット曲「Best Friend」をはじめとする5曲の楽曲が挿入歌として使用されている。楽曲の描く世界が映画の物語とリンクし、作品をより一層豊かに彩っていく。作品情報映画『となりの怪物くん』公開時期:2018年4月27日(金)キャスト:菅田将暉、土屋太鳳、古川雄輝、山田裕貴、池田エライザ、浜辺美波、佐野岳、佐野史郎/速水もこみち監督:月川翔脚本:金子ありさ原作:ろびこ『となりの怪物くん』(講談社「KCデザート」刊)主題歌:西野カナ「アイラブユー」©2018映画「となりの怪物くん」製作委員会©ろびこ/講談社<あらすじ>行動予測不能な超問題児の春(菅田将暉)と、ガリ勉&冷血の雫(土屋太鳳)は、二人とも恋人はおろか、友達もいない。二人は高校1年生の4月、雫が不登校のとなりの席の春の家に嫌々プリントを届けに行ったことがきっかけで出会う。それ以来、春は雫を勝手に“初めての友達”に認定し、さらに唐突に「シズクが好き」と告白!はじめは無関心だった雫も、やがて春の本当の人柄に触れて、次第に心魅かれていく。そして春と雫の周りには、夏目(池田エライザ)、大島(浜辺美波)、ササヤン(佐野岳)ら、いつしか個性豊かな友達が増えていった。初めての友情、初めての恋愛。そして、春のライバル・ヤマケン(山田裕貴)の登場により、初めての三角関係も勃発!?果たして、春と雫の恋の行方は?一方、春と兄の優山(古川雄輝)、従兄のみっちゃん(速水もこみち)との間に隠された過去の秘密とは…?
2017年05月18日若手注目俳優が集結する『帝一の國』が大ヒット中の菅田将暉と、『PとJK』『兄に愛されすぎて困ってます』の土屋太鳳が、映画初共演にしてW主演。コミックス累計発行部数500万部を突破する、ろびこ原作の「となりの怪物くん」が実写映画化されることが決定した。物語は、雫がクラスでとなりの席の春にふとしたことがきっかけで懐かれ、唐突に告白されたことから始まる。猛烈アタックする“怪物”春と、それを冷たくかわす“氷の女”雫。いつしかそんなコミカルな2人の周囲には、個性豊かな人々が集まってきて、2人にとって初めての“友達”ができていく。一方、その騒がしさは、雫にとって勉強の障害が増えたのも同然だった。雫は、仕事で家にいない母親に認められるために勉強してきた。「私にとって大切なのは勉強。ひいては確固たる未来」と言い放つ雫を尊重し、見守る春。2人は次第に互いに惹かれ合っていく。そんな折、実は名門家系の息子であり、頭脳も優秀な春は、絶縁状態だった父親から後継者として実家に連れ戻されることになる。抗う春。しかし、雫は自分にないものを持っている春を冷たく突き放してしまう。そして春は悲しそうに「お前に俺の気持ちがわかるのか?」と言い残し、意気消沈のまま姿を消してしまうのだった。さらに、落ち込む雫に春・幼馴染みである山口賢二(=ヤマケン)が告白。果たして、雫と春の恋はどうなってしまうのか――。原作は、2008年~2014年まで講談社「月刊デザート」にて連載され、コミックス累計発行部数は500万部(全13巻)を超える大ヒット少女マンガ。“友達0”なガリ勉女子高生・水谷雫が、となりの席の“友達0”な問題児男子・吉田春に、ふとしたことがきっかけで唐突に告白されたことから始まる物語。初めての友達、初めての恋、初めてのキス、初めてのケンカ、初めての三角関係…。何もかもが“初めて”同士の2人を中心とした、まっすぐだけど不器用な登場人物たちの心を繊細に描き、高校生同士の恋愛という枠を超えたヒューマンドラマが多くの女性から支持を集めている。かねてより多くの原作ファンから映像化を待望されていたが、ついに実写映画化が決定。主人公・吉田春を演じるのは、昨年9本もの映画に出演し、今年も『帝一の國』ほか『銀魂』『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』『あゝ、荒野』などが控えている若手トップ俳優・菅田さん。“怪物”の中にもチャーミングさを秘めたキャラクターにピッタリという理由と、“王道少女マンガの主人公”を務めてほしいとの思いから製作陣がオファー。菅田さんも、オファーを受けた後に原作を読んでとても気に入り、とりわけ春というキャラクターに深い思い入れを持ったそうで、相思相愛のキャスティングが実現。高校生のときに史上最年少の仮面ライダー(「仮面ライダーW」)に抜擢され、デビューを飾った菅田さんは、これまで数々の映画やドラマで制服を着こなしてきたが、本作が“最後の学生服姿”となる模様。一方、ヒロイン・水谷雫を演じるのは、『兄に愛されすぎて困ってます』『トリガール!』『8年越しの花嫁』などが控え、同じく最も勢いのある若手トップ女優の土屋さん。『orangeーオレンジー』や『青空エール』のような、まっすぐでひたむきな役を演じることの多かった土屋さんが、あえて、これまでと全く逆の役どころとなる“冷血女子”を演じる姿を観たいという理由から製作陣がオファー。本作では、“恋愛したくない”ヒロインとして新境地に挑む。監督を務めるのは、『黒崎くんの言いなりになんてならない』『君と100回目の恋』を手がけ、今年は『君の膵臓を食べたい』が注目を集めている月川翔。映画『orangeーオレンジー』『高台家の人々』やドラマ「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」など数多くのドラマ・映画を手がけてきた脚本家・金子ありさとタッグを組み、青春恋愛映画の新たな金字塔を目指す。イケメンで天才だが、予測不能な行動で周囲から怖がられる“怪物”・吉田春を演じる菅田さんは、「とても可愛いキャラクターで、動物的というか、現代的」と春を分析。「誰よりも純粋で、不器用とはまたちがう可愛さがあります。怪物感というものもありますし、原作の魅力をリスペクトして楽しんで演じられたらと思います」と語り、「自分にとって最後の制服姿となると思うので、思いきり楽しみたいです」と意気込んでいる。初共演となる土屋さんについては、「独特なパワーを持っていて、自分の正義もあり、雫にぴったりの方だと思いました。春としては、土屋さん演じる雫に救ってほしい気がします。あと、最近僕は運動不足です。土屋さんは身体能力の高い方だと聞いていますので、撮影の合間にボールを使ったりして遊びたいです」と、早くも共演が楽しみの様子だ。また、不登校だった吉田春にプリントを届けたことで懐かれてしまう、勉強第一の冷静かつ淡白な“氷の女”・水谷雫というキャラクターに挑む土屋さんは、「貴重な機会を得て心から感謝すると同時に、ひと筋縄ではいかない難しさを強く予感しています」とコメント、「同世代の象徴的存在の1人である菅田将暉さんを始め力強いキャストの方々、そして御一緒出来ることが夢のようなスタッフさん方が集結する現場に、武者震いを感じずにはいられません。原作を尊重し全力を尽くします」と緊張感も覗かせながらも意気込みを語る。そんな2人を、月川監督は「本作を映画化する上で考えうる最高のキャスティング」と絶賛。「いつもこの2人の出演作をうらやましい気持ちで眺めてきました」と明かし、「菅田将暉は作品ごとにまったくの別人になり切るし、土屋太鳳の真っすぐさはいつも胸に迫ってくる。今回お2人とご一緒できる喜びを噛みしめつつ、これまで見たことのない一面を引き出せたらと画策しております」とコメント。原作者のろびこさんは、映画化決定に「嬉しく思うと同時に『春と雫を実写化って大丈夫だろうか』ととてもドキドキしました。菅田将暉さんと土屋太鳳さんという素晴らしい役者さんに演じていただけて、大変恐縮です。完成をワクワクしながら、楽しみに待ちたいと思います!」と語り、期待を寄せている。『となりの怪物くん』は2018年、全国東宝系にて公開。(text:cinemacafe.net)
2017年05月15日不登校とは出典 : 一般的に不登校とは、子どもが病気やケガ、経済的事情ではない理由で、長期間学校を休み続ける状態のことを呼びます。クラスメートや家族などの身近な人や自身が経験者である場合も含め、おそらく現代の日本ではほとんどの人が不登校の存在を知っているのではないでしょうか?不登校について、文部科学省は以下のように定義しています。連続又は断続して年間30日以上欠席し、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況である(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)このような不登校状態が継続し、十分な支援が受けられない期間が続くことは、学力の停滞、自己肯定感の低下や健康状態の悪化など、本人の学習や社会的自立を妨げる、様々な問題に繋がります。一方で、子どもが不登校になる要因には、社会環境や学校環境、家庭環境の様々な要因が影響しており、無理やりに子どもを再登校させようとするとかえって問題が悪化するおそれもあります。また、不登校問題の「解決」といっても、元々通っていた学校に再登校すること、別の学校に転校をしてリスタートすること、フリースクールや通信制高校といったその子に合った学びの場を見つけることなど、様々な選択肢が考えられます。今日、子どもの不登校問題は日本が抱える社会問題の一つとなっており、その要因を踏まえた適切な対策を行うことが求められています。Upload By 発達障害のキホン図表出典:「平成28年版子供・若者白書」このグラフは、1991年以降の不登校生徒数の推移を表したものです。不登校の子どもの数は2000年ごろまで上昇を続け、その後も高水準で推移していることがわかります。平成27年度現在、不登校の子どもの数とその割合は、小学生:2万7581 人(0.42%、228人に1人)中学校:9万8428 人(2.83%、35人に1人)高校生:4万9591 人(1.49%、67人に1人)となっています。中でも割合の高い中学生に関しては、40人のクラスに約1人以上の不登校児がいる計算となっています。出典:平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」「平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(速報値)について」不登校の実態を知る上で重要な背景としては、まず一つに近年の子どもたちの社会性等に関する課題が挙げられます。例えば、自己の将来に対する夢や希望を持てずにいることや、自尊感情が低いこと、コミュニケーション上の困難さがあったり、ストレスへの対応が難しかったりするなどの傾向が指摘されています。二つ目に、社会的背景の影響を受けた保護者側の課題にも注目する必要があります。近年、少子化・核家族化・地域内での人間関係の希薄化により家庭が孤立するケースが多くなっています。そして、そのような家庭においては、保護者の不安感も大きくなり、育児をする上での自信を喪失したり、意図せずして過保護・過干渉になることが多いとも言われています。また、長期的不況の影響により生活の余裕がなくなり、保護者が精神的なゆとりを失ってしまい、結果、子どもにもネガティブな影響が生じてしまう、といった傾向も指摘されています。このような社会的背景を受けて、保護者が抱える課題も不登校問題と関連があるのではないかと考えられています。その他、学校に通わせるのが絶対ではないという保護者の間での価値観の変化なども、不登校の増加に影響しているのではないかという見方もあります。出典:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」参考:「不登校児童生徒への支援に関する最終報告 」不登校になりやすい子どもの特徴・傾向はあるの?出典 : 平成4年、文部科学省による報告において不登校は子どもに特有の問題があることによって起こることではなく「誰にでも起こりうる」という認識が示されました。参考:不登校への対応について(文部科学省HP)しかしその一方で、不登校になりやすい子どもにはいくつかの共通した傾向が見られるとも言われています。具体的には以下のような特徴・傾向が指摘されています。・わがまま、自己中心的、非協調的・非社交的・内向的・自発性、自主性、決断力がない・忍耐力のなさ・友人関係がほとんどない・手がかからないですが、上記で不登校は「誰にでも起こりうる」と述べた通り、子どもたちがこのような特徴や傾向を備えるに至った背景や経緯(生育環境や人間関係)についても注意が必要です。また、手のかからない子どもが不登校になるというのは意外に思われるかもしれませんが、まじめで成績も優秀な子どもがある日、なにかをきっかけに不登校になるケースも少なくないようです。子ども自身が持つこれらの特徴・傾向は、次章で説明する不登校発生メカニズムにおける「様々な要因」のひとつとなります。参考:伊藤美奈子「思春期の心さがしと学びの現場―スクールカウンセラーの実践を通して」2000年、北樹出版不登校と発達障害の関連は?出典 : 発達障害がある子どもであるからといって必ずしも不登校や引きこもりになるわけではありません。しかし、周囲の理解のなさや不適切な対応により人間関係がうまく構築できない、学習についていけないといった状況が進み、結果として不登校に至ってしまう可能性が指摘されています。不登校の解決を目指すうえで、その背景に発達上の特性や精神疾患による困りごとが存在していないかどうかを見極めることは非常に重要です。なぜなら、不登校が発達障害や精神疾患による困りごとに起因している場合、そうした困難性への対処を行わない限り根本的な解決は望めないと言われているからです。例えば、発達障害のひとつである学習障害の影響によって文字をうまく読むことができないため授業についていけず、試験で悪い点を取ってしまったことをきっかけに不登校になっている生徒のケースを考えてみましょう。この場合、様々に努力して再登校まで漕ぎつけたとしても、根本となっている学習障害へ対処がないまま授業を受けるとしたら、また同じ困難を抱えて、不登校になってしまう可能性があります。こうしたケースでは、保護者は学校側の協力を得て、文字を読みやすいよう工夫したり、文字以外の方法(レコーダーなど)で学びを支援したりといった手段を取ることで根本的な原因に対処することが求められます。子どもに発達障害があることがわかっている場合であれば、事前に担任の先生などに子どもの特性を伝えることで、子どもがどのような状況下においてどのような困りごとを感じるのかを知ってもらえるよう努力しましょう。そのようなコミュニケーションを取ることで、学校側も適切な配慮をしやすくなります。また、子どもの特性に合わせた具体的な対処法に関しては、医療機関を含めた専門機関による助言や指導に従うとよいでしょう。参考:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」参考:海野和夫「Q&A不登校問題の理解と解決」日本評論社2016年参考:「発達障害が疑われる不登校児童生徒の実態」中野明德不登校が発生するメカニズム出典 : By 発達障害のキホン多くの場合、不登校は様々な要因が合わさり蓄積され下地となった状態に、なんらかのきっかけが加わることで引き起こされると考えられています。要因の種類としては社会・家庭の要因、個人の要因のほか、(本人にとっての)学校環境の魅力の乏しさ、教師の対応能力の乏しさ、他の生徒との関係性構築の難しさといった学校生活上の要因などが挙げられます。参考:伊藤美奈子「思春期の心さがしと学びの現場―スクールカウンセラーの実践を通して」2000年、北樹出版例えば、親子関係上の問題という家庭の要因、学歴偏重社会という社会の要因が絡み合い下地となった状態で、友人関係のトラブルなどの出来事がきっかけとして加わることで不登校になってしまうなどという可能性が考えられます。きっかけとなるのは学校関連の事柄であることが多く、・授業での不適応・成績低下・友人関係のトラブル・いじめ・部活動での不適応・転校などが報告されています。また、適切な対処がなされないまま不登校状態が継続すると、学習の遅れや生活リズムの乱れという新たな要因が生じ、解決の難度が高くなる傾向があります。さらに、家庭内暴力やアルコール中毒など他の問題へと結びつくリスクも上昇します。そのため、解決を目指す上では学校やその他関係機関の協力を得ながら早期対処を行っていくことが求められます。参考:「不登校児童生徒への支援に関する中間報告」不登校の経過出典 : 不登校の経過は、小・中学校、高校共通に1. 前駆期2. 開始・進行期3. 混乱・引きこもり期4. 回復期と辿るのが一般的と言われています。しかし、上記の順番ですべての時期を通過しなくても、周囲が各時期において適切なかかわり合い・支援を行うことで次の時期に進むことなく再登校は実現されます。ただし、以上はあくまで一般論であり必ずしもこうした経過を辿るわけではなく、また発達障害などが絡む場合、求められる対応が異なることに注意してください。前駆期は「学校に行こうか、どうしようか」と葛藤する時期です。学校に行きたくない素振りを見せたり、頭痛や腹痛、吐き気などといった体調不良を訴えたりします。朝起きられない、パジャマを脱がない、制服を着ない、トイレに何回も入り独占する、何回もカバンの中を確認する、前日学校の準備をゆっくりする、といった行為が見られることもあります。この時期の適切な対応は、気分の良い学校生活を送れるよう配慮し、真剣に本人の話に耳を傾けることです。開始・進行期には「学校に行けない」「行かない」という意思を明らかにする「不登校宣言」が行われます。家庭での身体状態は前駆期とほとんど同じですが、子どもによっては症状が変化することもあります。朝目を覚まさない、目を開けても起きない、布団から出ない、教科書や制服などに見向きもしなくなるといった姿勢・行為が特徴で、適切な対応がなされなければ本格的に学校を休み始めます。この時期には、本人が感じている罪悪感や自責の念などに考慮しながら精神の安定を図り、目標設定から具体的な行動化を目指す方策を考案・実行していくことが適切な対処法と言われています。目標設定の仕方と意義については次章で解説します。混乱・引きこもり期は怒りを根源とした荒い言動、沈黙、引きこもり、無気力化が顕著になる時期です。粗暴な言動をする子どものほか、自室に引きこもって食事を運ばせたり、入浴や下着の交換をせずに過ごす子どももいます。また、長期間に渡り欠席を続けたことで久々に登校することへの様々な不安を抱え、再登校の意欲が低下してしまうことも多いです。適切なかかわりがないと、自己制御ができなくなり粗暴な言動を示し、それが落ち着くと引きこもるという流れが多いようです。また、中学2年生以上、特に高校生レベルで暴力が目立つ不登校の事例では、精神疾患があることを疑う必要があり、そうした場合は医療優先の対応が必須となります。この時期には登校意欲を上げるような働きかけや、目標と目標実現のための具体的な行動計画を設定する対応が求められ、放置したり、誤った対応を取ったりすると長期化へとつながる可能性があります。回復期は、子どもが少しずつ自信を取り戻した結果、登校に対して前向きな感情を持つようになる時期です。髪を切ったり、参考書を買いたい、学校の友達に会いたいと言い出したりした場合、それは回復期に入ったサインであることが多いと言われています。本人の自己決定を尊重して書店に連れて行ったり、望まれたら本代を与えるといった配慮をするとよいでしょう。このとき、子どもが動き始めたのを喜び、親はしばしば先回りして世話を焼きがちになります。しかし、そうした家族の過度な世話焼きによって状況が後退してしまう可能性もあるため、注意が必要です。家族のために何かをする、例えば洗濯や料理、掃除などの手伝いなども状況が回復へと向かっていることのサインです。親がこうしたささやかな行動や心遣いに気づいて、「ありがとう。うれしい。」と本人に伝えることで家族間での肯定的な感情交流が生まれ、子どもの自己肯定感にもつながっていきます。参考:海野和夫「Q&A不登校問題の理解と解決」日本評論社2016年不登校から問題解決へ向けて 合意形成と目標達成へのステップ出典 : ある子どもが不登校となった場合、その問題の「解決」とはどのような状態を指すのでしょう。元々通っていた学校に再登校すること、別の学校に転校をしてリスタートすること、フリースクールや通信制高校といったその子に合った学びの場を見つけること、様々な選択肢が考えられます。何より大事なのは、子どもの自尊感情を高め、「学校へ行く」「フリースクールに行く」といったその子の選択のサポートをしていくことです。なぜなら、多くの場合不登校の問題の所在は「自分はだめな人間」という心情にあるからです。具体的には、自信のなさ、集団に参加できない社会化不全、他者への過剰な遠慮や不必要な羞恥心などの否定的な感情です。そのため、解決を目指すうえでは子どもが自分のよさに気づき、それまでより自分に自信を持てる機会を積み重ねていくことが必要です。保護者の姿勢としては、そうした子どものよさを引き出すことに努め、そのために肯定的に関わっていくことが大切です。より具体的には、家族相互の感情交流を増やすことと家族の問題を解決するための目標の設定と実現方法を考案することが求められます。また、親子の関係を見直し、子どもとのより良いかかわり方を探す手段として「ペアレントトレーニング」に参加してみるのもよいでしょう。不登校の解決を目指すうえで目標設定を行うことには大きく2つの意義があります。一つは具体的かつ達成可能な目標を設定することで、問題解決の進展に対する評価と、その評価に基づいたフィードバックを行えるようになるということです。設定された目標に対してどのように向き合い、その結果どうなったのかを判断できるようになるため、現在の対応策を見直したり新たな対応策へのヒントを得たりすることができます。もう一つの意義は、達成に合わせて小さな目標を設定し続けることで、少しずつ本人の自信を育みながらステップアップしていけるということです。本章の冒頭で述べた通り、不登校解決に向けて取り組むうえで重要なのは、子どもの「自分はダメだ」という感情を取り除き、自尊心や自己肯定感を高めることです。何かに向けてがんばった結果、目標を達成することができたという成功体験は子どもの自信を育み、次のステップへとつながっていきます。目標設定の例としては、・学校に間に合う時刻に起床する・制服に着替える・家庭学習に取り組む・家事の手伝いをする・学校の友達と会ってみる・休日に登校する・誰もいない教室に入ってみる・職員室に行くなどがあります。どのような目標を立てるのかを決める上で重要なのは、子どもの意思を尊重することです。本人の考えに耳を貸さず、親の思いを一方的に押し付けてしまうと、子どもの自尊心を傷つけてしまう恐れがあります。また、子どもが目標を達成できたときには、素直に努力をほめてあげましょう。できて当たり前と思えることでも、様々な感情を抱え葛藤している子どもにとっては大きな1歩です。一つ一つの成功体験を自信とつなげていけるよう、家族全員でサポートしていきましょう。教育機会確保法と不登校出典 : 教育機会確保法は、不登校の子どもたちの教育支援を目的として2017年に施行された新しい法律です。不登校生徒数が一向に減らない現状を背景に提出された本法では、学校に通えていない子どもの教育を受ける機会を確保するための施策を国や自治体の責務として、必要な財政上の措置を講じることを求めています。様々な議論の対象となっている教育機会確保法ですが、本章では中でも第十三条に注目して、この法律における2つの重要ポイントについて解説します。第十三条国及び地方公共団体は、不登校児童生徒が学校以外の場において行う多様で適切な学習活動の重要性に鑑み、個々の不登校児童生徒の休養の必要性を踏まえ、当該不登校児童生徒の状況に応じた学習活動が行われることとなるよう、当該不登校児童生徒及びその保護者(学校教育法第十六条に規定する保護者をいう。)に対する必要な情報の提供、助言その他の支援を行うために必要な措置を講ずるものとする。(太字筆者)まず、1つ目のポイントは「休んでもよい」ということです。無理な通学はかえって状況を悪化させる懸念があるという事実を踏まえ、「休養の必要性」が正式に認められました。2つ目のポイントは「学校以外の場における学習活動の重要性」を認めたことです。学校以外の学習の居場所となっているフリースクールなどの役割がこれまで以上に重要視されるようになりました。どのような支援が行われるのかなど、具体的な内容が決まるのはこれからですが、上記の2点が国によって正式に認められたことは、不登校の子どもやその家族にとって大きな意義を持つのではないでしょうか。不登校でも卒業できるの?学校以外の学びの場は?出典 : 子ども不登校が続くと、「勉強の遅れは取り戻せるのか」「ちゃんと進級・卒業できるのか」といった不安を感じることもあるのではないのでしょうか。本章では不登校の子どもの学びの場として大きな役割を果たしているフリースクールと、学習支援を行う通信制高校について解説します。不登校の支援機関の一つであるフリースクールは、しばしば「不登校の子どもたちの居場所・学びの場」と形容されます。フリースクールでは自分の好きなこと・得意なことを中心に学んだり、他の子どもやスタッフとの交流を通してソーシャルスキルを身につけたり、他者と協力することの楽しさを知ることができます。フリースクールは、文部科学省が定めるところの学校機関ではないため設置基準がありません。そのため、規模や運営方式、在籍生徒の学年、などは施設ごとに異なります。自由で独創的な教育を実践しているところも多く、既存の学校になかなか馴染めない子どもにとって新たな選択肢となっています。フリースクールに通う子どもたちは、義務教育期間中はもともと通っていた学校に籍を置いたままフリースクールを利用することになります。また、在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあり、卒業に必要な単位が出席日数単位を満たすことにより、義務教育上の小中学校の卒業資格を得ることができます。平均的なフリースクールの費用や子どもに合ったフリースクールの見つけ方に関しては、以下の関連記事をご覧になってください。参考:小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査通信制高校は、テレビなどの通信手段を使った自宅での学習が中心の高校のことです。以下で挙げる条件を満たしたうえで必要な単位を修了することで高校卒業資格を取得することができます。3年間の間に必要な単位を取得していれば卒業できる「単位制」と、毎年進級に必要な単位を取得しなければ次の学年に上がることができない「進級制」の通信制高校が存在しますが、現在ではほとんどが前者となっています。通信制高校を卒業するためにはスクーリング、レポート、試験の3つが必要です。スクーリングとは、登校して先生の指導を受けることで、科目によって単位をとるために必要な日数が異なります。また入学式や卒業式などの行事に参加することもスクーリングとしてカウントされます。スクーリングの出席日数に加え、定期的なレポートと期末試験によって、単位の認定がされます。通学型の通信制高校では、レポート指導の時間が設けられていることが多いため、無理なく取り組むことができるようです。通信制高校には他にも「私立・公立」「必要な出席日数」といった方法でも分類することができます。詳しくは以下の関連記事をご参照ください。子どもの不登校に関する相談先は?出典 : 文部科学省は、子どもが不登校になった場合にはまず第一に在籍校と十分に連絡を取ることを推奨しています。教育委員会では「教育センター」や「教育相談所」で子どもの教育に関する相談を行うための窓口を設けているほか、「教育支援センター(適応指導教室)」では不登校に関する相談活動や不登校の子どもに対する通所指導(カウンセリング・教科指導・体験活動)を行っています。また、東京都教育委員会が運営する東京都教育相談センターでは、子どもの教育に関する相談電話を平日であれば午前9時から午後9時まで、土日祝日は午前9時から午後5時まで受け付けています(ただし閉庁日・年末年始をのぞく)。東京都教育相談センター厚生労働省が運営する「児童相談所」「保健所」「保健福祉センター」などでも教育相談をすることができます。ただし、地域によって名称が異なるので、詳しくはお住まいの都道府県・市区町村に問い合わせるとよいでしょう。まとめ出典 : 不登校に限らず、思春期の子どもとの接し方に悩む親御さんは数多くいるのではないでしょうか。また、なかには子育てと同時に自分自身の両親の世話や介護も行っており、大きな負担を抱えている方もいると言われています。思春期に起きる子どもの変化は、時として親子関係にも変化をもたらします。そうしたタイミングで子どもが不登校になったとき、親としての責任を感じて自分を責めたり、子育てに自信を失ってしまったりすることもあると思います。子どもの不登校をきっかけにお子さんとの関わり方や親子関係を見直すことは決して悪い事ではありません。しかし、不登校を解決する上で重要なのは状況に応じて具体的なアクションを起こすことです。また、多くの場合、不登校の原因は一つではなく、様々な要因が複雑に絡み合っています。言い換えれば、子どもが不登校になるのは、必ずしもすべて親の責任というわけではないということです。さらに、本記事でもふれた通り、「不登校は誰にでも起きる」「休息は必要」という考えは文部科学省によって支持されており、今後も社会に広がっていくはずです。フリースクールなど、学校に通っていなくても学び成長できる場の役割も大きくなりつつあります。子どもとの対話を通して、前向きに、少しずつでも前に進んでいけることを願います。
2017年04月30日今週月曜はこまめとのまめの初登校でした。最初の1週間は近所のお姉さんが朝迎えにきてくれて一緒に登校していくことになっています。寒かったのです、初登校日! 冬再来か!? って思いましたもん。(2016年のお話です)玄関あけたら予想以上に寒くてびっくりした!私の住んでるところは朝は雨だったけど、そのうち雪も舞ってきてまさかこんな日に登校させるとはー! って神様を呪いました(笑) きっと同じ目にあった新一年生はたくさんいたと思う…!とくに給食がはじまるまでの3日間はお弁当と水筒ももっていかないといけなくて、ただでさえ心配してたのにぃー!ここに傘と手袋を追加して2人をおくりだしました。それでも元気いっぱいに登校していった2人を見送る…。ランドセルも大きいし、傘も大きいしでこまめとのまめの姿なんて足くらいしか見えないんだけど、それでもだんだん小さくなっていく2人を見てーなんであの人泣いてるんだろ…って思ったかな(笑)いや、ドン引き目線は私の思い違いか!? (笑)そんなお姉ちゃんも私が見送ってる間何回もこっちを見て会釈してくれたので逆にプレッシャー与えてるような気持になってわりとすぐ家に戻りました(笑)通学用に買ったパーカーがわりと薄い生地なので、なかなか登場する場がありません(笑)昼間は暖かいんだけど、家を出る時間はまだ寒くて、あったかいのを着せてしまいます。もっと暖かくなるといいなぁ。
2017年04月22日学校に行かない息子についイライラ…思い切ってこう宣言!出典 : 我が家の息子が不登校になり、約1年半になります。学校に行かなくなったばかりのころは、その事実を受け入れることができたものの、「好きなことばかりやって過ごしている」「勉強させなきゃ…学校に行ってる子たちより遅れちゃう」「進路は?受験はどうなるの?!」などなどやはり不安だらけでした。一方で息子のほうはというと、合わない環境で過ごすストレスから解放され、悠々と生活しています。そんな息子を見るとどうしてもイライラしてしまうこともありました。そんな我が家がその後どうしたのかと言うと…私はある日息子に、「もう勉強もやらなくてもいい!ネットやパソコン使用、ゲームの制限もぜーんぶもう無し!とにかく好きな事を好きなだけやっていい!ただ、ご飯はちゃんと食べて、少しは眠ること。あと、私やパパ、他の身近な人の誘いにはとりあえず乗って外へ出てみること!」と選手宣誓の如く、ハッキリと宣言したのです。理由の1つは、家事や他の仕事の合間に、息子の勉強やその答え合せをしたり、「これだけ勉強したから〇分パソコンやっていいよ」と時間を計測したり、終了時間を告げては「まだやりたい」「もうおしまい」を押し問答を繰り返したり…そんなやり取りに疲れてしまったこと。そして2つ目の理由は、息子を思いっきり自由にさせる不安より、「こうすると息子はどう変化するのか?」という好奇心とワクワク感の方が私の中で勝っていたことです。「息子本人のペースに賭けてみよう」という気持ちが私の中で生まれたのでした。宣言のあと、息子の生活に変化が…出典 : そんな生活を始めると、息子は私や主治医が驚くほど落ち着きました。かなり酷かった噛み癖も癇癪もいつの間にかほぼ消えたのです。大げさかもしれませんが、やっと「本来の息子に戻った」という気がしました。フリースクールに週に2日通うようになり、自分より年齢が上の高校生たちと大好な音楽の勉強に打ち込んでいます。他の習いごとでも、いろいろな年齢の友だちが増えたようでとても楽しそうです。Skypeなどでコミュニケーションをとることも多いのですが、息子なりに考えなかなか上手く出来ているようです。案の定、ゲームには長時間没頭していましたが…「いくら大好きなゲームでも長時間続けるのは飽きることもあるし、それなりにキツイことだ」ということも身をもって体験したようです。周りに言われなくても、本人なりに気分転換や別のことを間に入れる工夫もできるようになりました。私にとっても、息子が「いくら周りが説明したところで、本人が納得しないとほとんどのことは聞かないタイプ」ということを再確認できた出来事でした。また、息子は日々興味があることに対して、途中で投げ出すことなく自分一人で長時間パソコンに向かい黙々と解決・達成しようと没頭しています。その姿を見て、息子の学び方が基礎から積み上げていくタイプではなく、最終的な目標や目的に惹かれてこそ、そこから掘り下げていくタイプなのだと気づかされました。好きなことに対する熱量を目の当たりにし、私は「息子にとっての学びとは一体なんなんだろう」ということを深く考えさせられたのです。みんなとは違う一歩を踏み出すのは怖い。だからこそ嬉しかった、息子の一言出典 : こんな選択をしてみたものの、私自身は、ごく一般的に「学校へ行く」という経験しかしていません。それ以外の選択など考えたこともありませんでした。やはり最初は、「学校へ行かない、しかも好きに過ごすなんて本当に許されることなのか?」「あちこちから批判されるのでは…」と、世間の一般的なレールから一歩踏み外すのが怖かったです。それでも息子の不登校を受け入れた今、息子にとっての幸せとは?経験すべき試練とは?乗り越えるべきものとは?と純粋に考えた時、今の方向以外考えられなくなっていました。先日息子がこんなことを言いました。「あー、俺、変人で良かったー!」自分がいかに幸せなのかを噛み締めるように言ったのです。話を聞くと、周りの友達の愚痴や悩みを知り、自分のような生き方やそれを認める私のような親は珍しいと感じたようでした。さらに息子は、「自分と同じような境遇の友だちが、奇異な目で見られないためにはどうすればいいのか?」「自分が大人になってから、自分たちのような選択が当たり前になるためにできることは何か?」ということまで考え始めたようです。とても頼もしく思えました。息子にとっての幸せを考え抜いた選択。親がこれから出来ることはなんだろう出典 : もちろん進路や就職など、心配なことはまだまだあります。しかしその分、息子の今の生活を大事にしつつとれる進路には何があるのか考え、動いています。本人とも、「自分自身の強みは何か?」「これからどう生きたいか?」また「君の選んだ道は自由な分、厳しさもあるから正直選択肢はこれとこれだけになりそうだよ。そういう事も頭に入れて置いてね」など、具体的に日々話し合っています。息子の様子を見ていると、今は「何とかなるかも」と思えるようにもなってきました。今でも息子のこの生活に、苦言をいただくことも少なからずあります。それもまた正論でもあることはよく分かっていますし、以前の私だってそう思ったと思います。ですが今は、そんな声は聞こえないふりをして、振り払って目の前の息子を支えるべく自分に喝を入れて踏ん張っています。周りからの声に心身を消耗するのも事実です。もっともっと味方になってくれる方や、説得力のある後ろ盾がどうしても欲しくなってしまいます。そんな中で私にできることは、・息子のような生き方も「あり」なんだと、「一大人として」認め続けること・「生き方は人それぞれで当たり前」という世の中に一歩近づけるための一員になることなのかなという気がしています。
2017年04月02日主演の「嵐」相葉雅紀のほか、武井咲、生瀬勝久、滝藤賢一、中山美穂、松重豊ら豪華キャストたちが集結する新月9ドラマ「貴族探偵」。この度、本作の新たなキャストとして、『セトウツミ』『僕らのごはんは明日で待ってる』などに出演する若手俳優・岡山天音の出演が決定した。本ドラマは、麻耶雄嵩の本格推理小説「貴族探偵」と、続編の「貴族探偵対女探偵」が原作。主人公は、探偵を趣味としている貴族で、年齢、家族、学歴、住所、さらに本名までも不明。さらには、一切の推理を「雑事」と言い放ち、召使いに任せながら優雅に謎を解くという、探偵という存在の既成概念を打ち砕く前代未聞のミステリーだ。岡山さんは、2009年のデビュー以来、変幻自在の演技力で不登校の男子生徒からチンピラ、普通の大学生など様々な役どころを演じ、去年だけで映画8本に出演。今年はすでに2本の主演映画の公開が控えているなど、いま注目を集めている若手俳優。最近では、KDDIのテレビCM「au森家シリーズ」で斉藤由貴や夏帆と家族を演じ、リクルート「ホットペッパー」テレビCMでは岸井ゆきのとカップルになり、西島秀俊を挟むなど印象的なシーンを演じる。本作で岡山さんが演じるのは、“究極のゆとり刑事”常見慎吾役。彼は一流大学を出た後、神奈川県警に就職した新人刑事。特に刑事に憧れていたわけでもなく、なんとなく安定していそうだ、という理由で警察官となり、気づけば捜査一課に配属され、情熱はないが仕事はそつなくこなす、“省エネ勤務”がモットー。一方で情報収集能力は非常に高く、事件解決の糸口を見つけることもある。また常見は、生瀬さん演じる異色の刑事・鼻形雷雨の直属の部下。鼻形のことは嫌いではないが、「すこぶるCPUの性能が低い人間」と内心思っている…。現場では鼻形の場違いな言動や、とんちんかんな推理を聞くたびに「主任?」と波風立てずにツッコミ。この「主任?」という短い言葉に、様々な感情を乗せ1000パターンの言い方ができると、密かにに自負している、このドラマにふさわしい超個性的なキャラクターだ。岡山さんは、「破天荒な鼻形刑事には引き続きしっかりツッコミつつ、時折、社会人の枠からはみ出してしまう常見を皆さんに楽しんでもらえるよう、気を引き締めて演じて行こうと思います」と意気込む。さらに役柄上、生瀬さんとの掛け合いが多いそうで「初日に生瀬さんのお芝居を生で見て圧倒されました。台本からは予想できないお芝居をされるので、本番前のリハではつい笑ってしまいます。生瀬さんからアドバイスをいただくたびに、自分の知らなかった世界を垣間見ながら撮影に臨んでいます」と、現在撮影中の現場での様子も明かした。「貴族探偵」は4月17日(月)より毎週月曜日21時~フジテレビにて放送。※初回30分拡大(cinemacafe.net)
2017年03月30日学校に行くたび、「あの時の僕」に出会う「JERRY BEANS」の講演ライブは、多い年で年間約130件にのぼる。小学5年生から中学3年生まで、ずーっと学校に行けなかった自分が、大人になってからこうして全国の学校を回るようになるなんて、人生って本当に不思議で面白いなと思う。不登校だったからといって、いま学校を訪ねること自体にしんどさはない。だけど、子どもたちの前で講演をする時は、やっぱり辛くなる。何回やっても慣れない。でも心や命を伝えることに慣れてしまったらダメだと思う。だからいつも必死で伝えている。どんな年代、どんな学校の子どもでも、講演に行くたびに、「あの時の僕」と似たような子どもに出会うから。周りの子どもとの違いを感じ、常に独りぼっちで孤独な感覚を抱えている子どもたちに。今でも人に発信することは苦手で、始まる前は毎回怖くなる。講演で話していると自分も涙が出てくる。でも前を見ると、子どもたちやお母さんたちも泣いている姿に気づいて、「あぁ、僕はこの怖さに向き合わなあかん」って気持ちになる。自分の経験を伝えることで、明日死のうと思っていた人が、明日もなんとか生きていこうと思えるようになってくれるのなら、恐怖と向き合って発信していこうと決めた。学校の先生だって、決して完璧じゃない出典 : 年生の居残り授業で僕に「字が汚い」といった当時の担任とは、卒業するまで話す機会もなかった。だけどその先生は、卒業式のときに僕への謝罪の手紙を書いてくれていたのだ。その手紙は母がずっと持っていて、長らく読むことができなかった。当時、僕がまだ不安定だったから、先生の気持ちを知って自分を責めたらいけない、と思って預かっていたそうだ。講演活動を始めた頃に、ようやくその手紙を受け取った。「君の気持ちがわかってあげられずごめん。」その手紙を読んだ時に、「あぁ、きっとこの先生も、必死に子どものことを考えてくれていたんだろうな」と気付き、涙が溢れてきた。思いが真剣でも、その伝え方やタイミングがずれてしまっていることって、たくさんある。それは誰にでも起こる、人間らしい失敗にすぎなくて、先生だって例外じゃない。子どもも先生も親も、完璧を目指す必要はない。自分の弱いところを隠さずに、他人に見せていけばいい。そんな思いを、今たくさんの人たちに伝えている。「かわいそう」と言われた人にしか言えないことがあるうまく言えないけど、自殺をするような人って、ある意味勢いがあるのかなって、思う。僕も、自殺を図った日の朝、起きてすぐに「あ、今日死ぬ日や」と思い立った。深く考えることなく「あ、今日でぼくは終わる」って。だけどそこで死ななかったから、母親が止めてくれたから、ここにいる。死なずに生きていたから、不登校だった時間も、振り返れば「大切な時間」に変わっていく。僕の心の中は、今でも不登校の頃のままかなって思う時もある。不登校の僕は、周りから「かわいそう」って思われていた。でも、「かわいそう」って思われた経験が、今の活動に活きているんだと思う。「かわいそう」と言われた人にしかわからないこと、言えないことがある。だからこそ、今死のうと思っている人に、一秒でも長く生きてほしいと思う。辛い気持ちのまま人生を終わってほしくない。その一秒後に出会えるかもしれない喜びを信じて。その気持ちがあるから、みんなの前に立つことができる。僕はこれからも、この活動を続けていく。あのときの僕のように、苦しい想いをしている人、自ら死のうとする人が、一人でも少なくなることを願って。
2017年03月27日発達障害におけるグレーゾーンとは出典 : 発達障害におけるグレーゾーンとは、明確な定義は存在しませんが、定型発達と発達障害の間の境界領域を指す俗称を指します。医学的な診断基準を全て満たすわけではないものの発達障害のいくつかの特性を持ち、日常生活を送る上でも困難を抱えている状態であるとき、グレーゾーンと言われることが多いようです。グレーゾーンはあくまで俗称のため、様々に形容されますが、以下のような説明がイメージしやすいのではないでしょうか。保育や教育の場で不適応行動が見られるものの、診断がつかないあるいは未受診引用:鍛冶谷 静『DSM‐5 の改訂とグレーゾーンの子ども達の支援』四條畷学園短期大学紀要2015年定型発達との境界が曖昧で、複数の行動特性を併せ持つ引用:黒住早紀子『特別支援教育に関する教育心理学的な研究動向と展望』日本教育心理学会年報第52集2013年また、グレーゾーンと同じような状態を指す言葉として「パステルゾーン」「カラフル」「スペクトラム」などの表現をすることがあります。グレーゾーンという言葉は暗くてネガティブな印象を与えるため、明るくポジティブなイメージの「パステルゾーン」「カラフル」などの呼び名を使うべきという意見もありますが、一般的にはグレーゾーンという呼称が用いられることが多いようです。幼少期にグレーゾーンと言われた場合、年齢を重ね再度診断を受けた場合、特性に関する情報が増えたり困りごとが顕在化するなどして改めて発達障害の診断名がつくこともあれば、そのまま発達障害の診断はつかないというケースもあります。はっきりと診断の出る発達障害と比べれば症状が軽く、したがって親の困りごとも少ないと思われがちですが、グレーゾーンならではの悩みや問題事が存在するのは確かです。精神障害者保健福祉手帳や療育手帳がなくても受けることのできる公的支援を利用したり、学校や職場で合理的配慮をお願いしたりすることで困難の解消を目指していくことが大切です。発達障害グレーゾーンの症状・特徴出典 : グレーゾーンの症状は「どの発達障害の傾向を持つグレーゾーンなのか」によって異なるため、グレーゾーンに特定の症状というものが存在するわけではありません。またグレーゾーンには、その人の持つ症状や特性の程度やその現れ方が、体調や環境・場面によって左右されるという特徴があります。例えば、学校にいるときは症状が強く出るが、家では比較的症状が弱くなるといったことが起こりえます。グレーゾーンの場合、発達上の問題や困りごとが気づかれにくかったり、気づいていながら放置してしまう親御さんなどもいます。そうして適切な対処が行われない期間が続くと、元々の症状や特性がさらに強くなり、発達障害として診断名のつく「診断域」に入ってしまう可能性があります。さらに、同じような状況が原因で生じてしまう問題として「二次障害」の発現があります。発達障害グレーゾーンにある人が注意したい二次障害出典 : 発達障害の特性があることに気づかなかったり、気づいていても適切なサポートを受けられなかったりすると、周囲に理解されず怒られたり非難を受けたり、失敗体験を積み重ねてしまいます。その結果、本人の自尊心ややる気が失われ、新たな障害が生じることがあります。こうして副次的に生まれる問題を「二次障害」といいます。二次障害の例としては、以下のようなものが挙げられます。・いじめ・うつ病などの精神疾患・不登校・ひきこもり・家庭内暴力・アルコールなどの依存症これらの二次障害は、発現に気づかなかったり、気づいても適切な対処をしなかったり、あるいは放置したりすることで状況が悪化・長期化する傾向にあります。発達障害の診断基準を満たす場合と比べ一次的な症状が軽いことが多いグレーゾーンでは、この二次障害を防止・改善することが一つのポイントとなります。二次障害を防ぐためには、まず子どもの持つ発達上の特性を家族など周囲が認識し理解している必要があります。子どもの行動や困りごとが発達上の問題によるものだとわかっていれば、学校や専門機関などの協力を得ながら適切な対応策を打てるからです。二次障害は、一度生じてしまったとしても早期に発見・対処することで、症状の悪化あるいは長期化を防ぐ可能性を大幅に高めることができると言われています。発達に問題があることが気づかれにくいグレーゾーンは、対応が遅れがちになってしまうことも多いです。子どもは一人ひとり成長の速さや仕方が違うので、あまり神経質になりすぎるのも問題ですが、子どもの言動に関して気になることが多い場合は以下で紹介する専門機関に相談してみることをおすすめします。・保健センター・子育て支援センター・児童発達支援事業所など自宅の近くに相談センターがない場合には、電話での相談にものってくれることもあります。まず身近な相談センターに行って、より専門的な相談や受診の必要があればそこから専門医を紹介してもらいましょう。発達障害グレーゾーンと言われたら?出典 : 自分の子どもが「グレーゾーン」や「発達障害の疑いがある」などと言われたら、とても複雑な気持ちになる親御さんも少なくないと思います。一方、「発達障害の診断基準は満たさない」として診断を受けられなかったことで、十分な支援や治療が受けられるのか不安になる親御さんもいるかもしれません。そんなときに知っていただきたいのは、グレーゾーンの場合、家族や学校をはじめとする周囲が本人の持つ特性を理解し適切なサポートを行うことで社会にうまく適応できる可能性は高いということです。また、この事実はあまり知られていませんが、医学的な診断基準を満たしておらず診断名がついていなくても(障害認定されていなくても)受けられる支援もたくさんあります。グレーゾーンは、適切な支援によって困難が解消される確率が高いこともその特徴の一つです。障害認定されないからといって諦めず、子どもの困難を少しでも解消するための支援を受けられるよう行動していくことが重要になります。以下の2つの章では、具体的な支援の例として「療育」と「合理的配慮」の受け方について紹介していきます。療育とは?グレーゾーンの子どもが療育を実際に受けるためには?出典 : 療育は「治療」と「保育・教育」を合わせた言葉です。障害のある子どもが社会的に自立できるように専門的な教育支援プログラムを通して行われるトレーニングのことを指します。グレーゾーンの場合、療育を通して困難が解消される可能性が高いと言われており、小学校就学以前の障害児が通うことのできる「児童発達支援」や、障害のある就学児(小・中学生、高校生)が学校の授業後や長期休暇期間に利用できる「放課後等デイサービス」などの施設を利用することもできます。これらの施設における支援は、診断がなくても受給者証の発行を受けることで、少ない自己負担額で利用できるようになります。詳しくは以下の関連記事からご確認ください。また、療育センターについての詳細や、療育について定めている児童福祉法や療育を受ける上で必要な手続きについては、以下の記事をご参照ください。子どもに療育を受けさせる上でひとつ忘れてはならないのは、本人の意思を尊重することです。子ども自身が療育センターなどでトレーニングを受けることを拒んだり、前向きではなかったりする場合は、無理強いせずに、まずは家庭内でできる環境調整や工夫をしてみることをオススメします。家庭におけるトレーニングを通して成功体験を積み重ねたり自己肯定感を育んだりすることで、次のステップへとつなげることができます。また、保護者向けのペアレントトレーニングを受けるなどして家庭での接し方を学ぶのもよいでしょう。参考:親子のヒント|発達ナビグレーゾーンの子どもが学びの場で受けられる配慮・支援出典 : 発達に特徴がある子どもが困りごとを抱えずに生活をおくるためには周囲のサポートが必要になる機会も生まれます。グレーゾーンの子どもであれば、通常学級に通うケースも多いため、担任の先生の発達障害への理解が十分でないこともあります。そうした場合、保護者のほうから学校側への働きかけによって子どもが適切な支援や配慮を受けられるよう協力をお願いしてみるとよいでしょう。こうした働きかけを行う上で大切な考え方に「合意的配慮」という概念があります。合理的配慮とは、グレーゾーンを含む障害のある方々の人権が障害のない方々と同じように保障されるとともに、教育や就業、その他社会生活において平等に参加できるよう、それぞれの障害特性や困りごとに合わせておこなわれる配慮のことです。2016年4月に施行された「障害者差別解消法 (正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」により、この合理的配慮を可能な限り提供することが、行政・学校・企業などの事業者に求められるようになりました。文部科学省のホームページでは、小中学校教育における合理的配慮の提供内容として以下のように記されています。(ア)教員、支援員等の確保(イ)施設・設備の整備(ウ)個別の教育支援計画や個別の指導計画に対応した柔軟な教育課程の編成や教材等の配慮引用:文部科学省HPあらかじめ子どもの得意・不得意を学校側に伝えておくことで、子どもの特性に合わせた支援や配慮を得ることができます。学校で子どもの特性に合わせて行われる合理的配慮の例としては、・読み書きに困難がある子の場合、拡大教科書やタブレット、音声読み上げソフトを利用して勉強できるようにする。・周りの刺激に敏感で集中し続けることができない子の場合、仕切りのある机を用意したり、別室でテストを受けられるようにしたりする。・指示の理解に困難がある子の場合、指示を1つずつ出すようにしたり、見通しが立つようにその日の予定をカードや表にしたりする。などが挙げられます。学校での「合理的配慮」 ハンドブック(LITALICOジュニア)学校側に合理的配慮を求める相談を行う前に、子どもの得意・不得意を把握しておくことが重要です。どのような状況下でどのようなことをするのが苦手なのかを伝えることで、学校側も子どもの特性に対する配慮を行いやすくなります。また、子どもの特性に関する客観的な指標も役に立ちます。学校側にアセスメントの結果などを提出することで、納得して支援を行ってもらいやすくなります。グレーゾーンの子どもを通常学級と特別支援学級のどちらに通わせるべきか、または通級指導教室を併用するかなど、悩む方もいるのではないでしょうか。診断がないために先生や他の保護者から理解されず親のしつけが悪いと非難されてしまったり、「通常学級の授業にはついていけないが特別支援学級の授業だと物足りない」など、授業の内容・レベルが本人の学力とマッチしなかったりといった、グレーゾーンならではの悩みも多くあるのではないかと思います。しかしやはり、最終的に子どもの学びの場としてどちらを選択するのかは、親の判断に委ねられています。子どもの特性、学習の進み具合、学校・先生との関係などについて考慮しながら、子どもの成長に合うと思う環境を選びましょう。このとき忘れてはならないのが、本人の意思を尊重することです。多人数は苦手なので特別支援学級に行きたい、特別扱いをされるような気がするから通級や特別支援学級は嫌だ、など本人はどんな環境を好むのか、きちんと話し合うことで親子にとってよりよい選択ができるのではないかと思います。以下では通常学級か特別支援学級か、悩んだときに役立ちそうな記事をまとめました。ぜひ参考にしてみてださい。まとめ出典 : 発達障害グレーゾーンの子どもは、その症状が軽度であることも多いために、親の悩みも「大したことない」と思われがちであったり、診断がないために「親のしつけが悪い」「甘やかすな」と親戚や学校から非難されたりと、なかなか周囲に理解されず孤独を感じてしまうこともあるかもしれません。しかし未だ不十分であるとはいえ、発達障害のグレーゾーンに対する社会の認知度や、受けられる支援・配慮の度合いは以前と比べれば高まりつつあるのではないかと思います。また、グレーゾーンの子どもに対する支援に関する国の姿勢は、法律の文面を通して読み取ることができます。発達障害者支援法の第5条 第3項では、発達障害児に対する支援に関して、以下のように記されています。市町村は、児童に発達障害の疑いがある場合には、適切に支援を行うため、当該児童の保護者に対し、継続的な相談、情報の提供及び助言を行うよう努めるとともに、必要に応じ、当該児童が早期に医学的又は心理学的判定を受けることができるよう、当該児童の保護者に対し、第十四条第一項の発達障害者支援センター、第十九条の規定により都道府県が確保した医療機関その他の機関(次条第一項において「センター等」という。)を紹介し、又は助言を行うものとする。この記述において重要な点は、支援の対象者を説明する上で「疑いがある場合」という言葉が用いられていることです。このことは、発達上の特性により困難を抱えている子どもは診断のあるなしに関わらず支援されるべきだ、していこう、という国としての考え・方針の表れであり、本記事で触れたような支援も実際に拡充されつつあります。これらの支援の利用や、合理的配慮を要請することで、子どもが自分の特性による困難を乗り越え、特性による長所を活かして自分らしく育っていけるよう、子どもを信じて支えていきましょう。
2017年03月26日「何も話さなくていい」。安心して自分のままでいられる初めての友人「JERRY BEANS」のベース、八田くんと出会ったのは、僕が自殺未遂を母親に止めてもらった後のこと。親に連れられて、双子の弟の史朗と一緒に参加した、「不登校の親の会」の集まりだ。そこに八田くんもいた。八田くんとの関係は、今まで思っていた「友人関係」とは全く逆だった。友人というのは「自分のことを話せる相手」だと思っていたけど、そうじゃなかった。八田くんとの間では、「自分のことを話さなくてもいい」安心感があった。当時は、まだ不登校とか自殺のことを話せる気持ちがじゃなかったけど、八田くんは何にも聞いてこなかった。ただただ毎日遊んでいるだけで、それが居心地良かったのだと思う。僕も、八田くんの不登校についてなど聞かなかったし、聞く気にもならなかったというのがその時の気持ちだ。弱さを受け容れてはじめて、「親に愛されている」と思えるようになる出典 : 仲間ができてから、僕の生活は大きく変わった。それまではずっと家から出られなかったのに、八田くんと出会ってからは、弟の史朗と3人で毎日のように外出するようになった。生活が変わって、だんだんと自分の気持ちも変わってきた。初めは、学校の友だちに会いたくないからコソコソしていたけど、そのコソコソした気持ちすらも楽しめるようになっていった。それから、いい意味で色々なことを諦められるようにもなってきた。「こういうことも人生の大事な経験やし、みんな人間なんて未完成なんやな」って、そう思えるようになった。弱い自分をしっかり受け止めて、だれかに頼ることは、決して悪いことではないのだと思う。一番大きな変化は、「親に愛されている」と思えるようになったこと。それまで、親がぼくらのために戦ってくれている姿を見て、親は完璧な存在なんだと思っていた。けど、そうじゃなかった。実は母親も、後に鬱になったり、父親も失踪したことがある。親は親で、必死でがんばっていたんだ、誰にだって人間らしい弱い部分があるんだということがわかってきて、「みんな、同じ弱い人間やん」って思えるようになった。それでようやく、親との心の距離が近づいていった。そんな経験があったから、今はどんな状況の人に出会っても、それはその人の人生に必要なことなんだって、受容できるようになった。「人間同士、今日も生きてるわ~」なんてね。明けない夜は辛い、それでも歩いていける「JERRY BEANS」のボーカルを務める、双子の弟の史朗は、僕とは対照的な性格だ。同じく不登校を経験してはいるけど、もともと活発で友達もたくさんいた。双子というのは不思議な存在で、どっちかが本物でどっちかがニセモノみたいに思えることがある。僕は、史朗に比べて友達も少なかったから、完全に自分が史朗のコピーだと思っていた。だけど今では、弱い部分も含めて、自分は自分なんだって受け止められるようになった。僕は化粧もして、奇抜な民族衣装を着ているけれど、これもきっと僕の性格や人生の表れ。自然がもともと好きだった上に、不登校の時、ジブリの『もののけ姫』を20回以上も観ていたものだから、きっと『もののけ姫』の世界に引きこもっていたんだろうな。自然のなかにいるような格好が安心する。そのせいで、どんどん奇抜さが増していくけど(笑)。今でも性格はけっこうひねくれていて、「必ず夜は明ける!」なんていう言葉は嫌いだ。「いやいや、明けてないから、いま辛いんやし!」みたいに思ってしまう。だけど、明けない夜―不登校の時期があっても、例え困難な状況があっても人生は不思議で自分の想像以上の事が起こる。それは良いことも悪いことも両方あるけれど、少なくとも良いほうもちゃんとあるんだから生きてさえいればゆっくりでも歩んでいけるんだということは、僕の経験や唄を通して知ってほしいと思う。こんな格好のおかげで、不登校の子どもたちに会うと笑われることが多い。「いやいや雄介さん、めっちゃ元気やん!僕引きこもってもそこまでならへんわ」って。いま、辛い思いをしている子たちに、僕の姿を見て「そんな時期があってもそこまでなる!?」って、笑った驚いたりしてくれれば、それでいいかな。
2017年03月23日特別なニーズにもこたえる、通信制サポート校「しんあい高等学院」って?出典 : 今春から大阪府大阪市に設立される通信制サポート校「しんあい高等学院」。日本でもまだ珍しい発達障害のある子どもたちの受け入れに特化した通信制サポート校です。これまでの通信制サポート校と、一体どのような違いがあるのでしょうか。しんあい高等学院/明蓬館SNEC 大阪・玉造入学試験には作文と心理検査結果の提出、そして子どもと保護者それぞれの面談があります。事前に障害特性・認知特性・学習特性などを見極めたもとで授業カリキュラムを作成していきます。入学前から生徒ひとり一人のニーズを見極め、万全な受け入れ態勢を作っています。もし心理検査を受けたことがない場合は、見学や入学相談とあわせて専門職員による検査を受けることも可能です。SNEC(スペシャルニーズ・エデュケーションセンター)とは、特別支援教育のための通信制サポートシステムです。このシステムは、「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」で有名な東田直樹さんや、学習障害の理解を広げる活動を行っている講演家の南雲明彦さんなど社会で活躍している人たちを輩出した、福岡県にある明蓬館高等学校の日野校長によって発案されました。専門職員による面談・心理検査を通じ、入学前の検査結果をもとに個別のニーズにあわせて支援・指導計画を作成し、学習面を中心に身辺自立や人とのかかわり方、就労観など将来を見据えた訓練を含めてサポートをしていきます。また、進級にともなう試験も点数評価だけでなく各自にあわせた提出課題をつくることで着実に学習の定着をおこなっていけるようにしているのも特徴です。学習環境に関しても、通信制なので年1回(4日間)のスクーリング以外はサポート校への通学と自宅学習を自由に選ぶことができます。ひとクラスで一斉授業を行うのではなく、本人の望む環境で課題に集中することができる点は魅力的です。ただ高校に通うのではなく、それぞれの個性を生かせるような教育を目指しているのです。東田直樹オフィシャルウェブサイト南雲明彦オフィシャルウェブサイトそして何より注目したいのは、高校には臨床心理士・社会福祉士・特別支援の知識を持つ専門スタッフが常駐している点。学力面だけでなく生活支援もあわせたサポートを目的として動いてくれるので、思春期特有の問題があったとしてもすぐに相談できるところが魅力的です。気になる卒業後の進路もしっかりとバックアップする体制をつくっています。大学や専門学校への進学支援はもちろんのこと、就労の際は連携先の企業とのインターンシップ制度を用意していたり就労継続支援へつなぐこともできるようになっているのです。明蓬館高等学校品川・御殿山SNEC(スペシャルニーズ・エデュケーションセンター)学院長にインタビューしました学校を運営するのは法人事業で福祉に15年携わってきた真田明子学院長。今回、発達障害に特化した通信制サポート校を開設するに至った経緯について、発達ナビ編集部がインタビューを行いました。Upload By 発達ナビニュース―なぜ「しんあい高等学院」を設立しようとお考えになったのでしょうか?真田明子さん(以下、真田さん):わたしたちは15年間、福祉事業に携わってきました。2006年からは児童デイサービスを開始し発達障害のお子様や親御様と接する機会が増える中で、高校以降の進路があまり用意されてない現状に気付いたんです。そんなとき、明蓬館高等学校のSNECを知り、ぜひ関西でも同じような高校が作れないかと思いたちました。―これまで関西にはSNECのような発達障害のお子さんをサポートするような高校はなかったのですか?真田さん:実は、関西は全国で比べても通信制高校が多い地域なんです。発達障害や不登校のお子様は自然と通信制高校に進学する流れができていたので問題があまり表面化しなかったんですね。ですがその裏で、進学後に最後まで通えずまた不登校になってしまったというケースも、多く発生していたのです。その大きな要因は、お子様の障害ケースに合わせられる専門家がおらず、適切なサポートを受けられなかったからではないかと推測しています。―だから、SNECサポートシステムの通信制サポート校の設立が必要だったんですね。真田さん:そうですね。しんあい高等学院には、臨床心理士や社会福祉士などの専門資格を保有した職員を常に配置しています。教育面だけでなく生活面のサポートも行っており、お子様が困っていればすぐにこちらからフォローを入れられるようにしています。―とても手厚いサポートが受けられるようになっているんですね。なぜ、ここまで万全のサポート体制を敷いているのでしょうか?真田さん:SNECサポートシステムを考案した明蓬館高等学校の日野校長から、以前こう言われました。「多感な思春期こそ大切にしなくてはならない」と。10代に受けた考えや環境は後々大きな影響を及ぼします。この時期をしっかりサポートすることにより生徒たちが安心して社会に出られるようにしたい、と。この考えに非常に感銘を受けまして、本校でもその精神を大切にするため発達障害に詳しい専門スタッフをおくようになりました。今後も本校のように遠隔授業を用いてサポートできるような通信制サポート高校が全国に広がり、より多くの支援を必要としている子どもたちに届けばと考えております。これからの新しい通信制サポート校のカタチに期待出典 : 真田学院長にインタビューした際、このようなこともおっしゃられていました。「海外では不登校という概念自体がない国もあるんです。」学校に通うということ自体を目的とせず、どういう学び方ができるかを本質的に探っていくという考え方が根付いていれば、子どもが「不登校」かどうかを問題とする必要もなくなるのでしょう。しんあい高等学院のように「それぞれの発達にあわせた学び方」を掲げる高校が全国に広がり、新しい学びの選択肢として定着していけば、子どもたちの進路にも新しい道が開けていくのではないでしょうか。しんあい高等学院、入学についての詳細はこちら
2017年03月23日こんにちは、ママライターの木村華子です。子育て系のアドバイスを記したさまざまな媒体で、叱らない育児が推奨されていることを頻繁に見かけます。しかし、母親として3人の子どもたちと暮らす私は、「できることなら、そうしたいよ!」と、長らく叱らない育児に対して食わず嫌いな態度を貫いてきました。叱るという行動は、叱るママにとっても叱られる子どもたちにとっても大きなストレスです。「いけない」とは分かっていても、叱っている間に感情が高ぶり、ついついお説教が長引いてしまう……という経験はありませんか?叱らない育児のメリットには子どもの自己肯定感や自信を育むことなどが挙げられますが、私が最も魅力的だと感じていたのは、叱る頻度の減少がもたらす“家族全員のストレス軽減” でした。他の専門家が唱えている利点よりも単純なものですが、子育てを現在進行形で行っている身としては切実な問題です。不必要なお説教が家庭からなくなれば、わが家はもっと素晴らしい家族に変わるはず……。そんなふうに感じながら、同時に「まあ、無理だけど」と諦めていたのです。●7割以上のママが毎日叱ってる! 叱らない育児なんて机上の空論?多くのママにとって、子どもを叱る行為はあまり人にはお見せできない行為なのではないでしょうか。事実、公園や病院で見かける“叱る母親”は、(おそらく)いつもより控えめなトーンで説教をしている印象を受けます。思い返してみれば私の母親も、人前では本気で叱ることがありませんでした。もちろん、私も同じです。そのため、よそ様のご家庭の“叱る事情”は見えづらく、したがって自分の叱り方や頻度は正常なのか?を推し量る基準もなかなか持てません。そこでパピマミでは、子育て中のママたちを対象に「お子様を叱る頻度」についてのアンケートを行いました。ご協力いただいた皆様、どうもありがとうございました!●育児中のママに質問! お子様を叱る頻度を教えてください・1位:毎日のように叱っている……77%(106人)・2位:1週間に1回以上は叱っている……15%(21人)・3位:1か月に1回以上は叱っている……3%(4人)・4位:ほとんど叱らない(過去に数えるほどしか叱っていない)……2%(3人)・同率5位:半年に1回以上は叱っている……1%(2人)・同率5位:全く叱らない……1%(2人)※有効回答者数:138人/集計期間:2017年3月6日~2017年3月7日(パピマミ調べ)調査の結果、なんと77%ものママが「毎日のように叱っている」 ことが判明しました。近年あちこちで叱らない育児のメリットが話題に上っているにも関わらず、実際に取り組んでいるママはかなり少数派であることが伺えます。果たして、叱らない育児なんてものは本当に実現可能なのか、机上の空論なのではないか、という疑問や好奇心を抱いた私はある日、子どもたちを前に、「ママはもう叱りません宣言」をしたのでした。狂喜乱舞する子どもたち。この決断は正しいのか……。今回は、叱らない生活で起こった私たち親子の変化を報告します。●“叱らない育児”失敗の目撃例叱らない生活を始める前に、叱らない育児の失敗談の存在を聞いたことがありました。「実現可能なのか!?」と半分好奇心で叱らない生活を志した私ですが、当然子どもたちに悪影響を与えてしまうことはしたくありません。以下では、叱らない育児を実施した親子を知る方々による、育児失敗の目撃例を紹介します。●(1)「ごめんなさい」が言えないワガママ姫『両親のポリシーで叱らない育児を受けた年長の姪は、乱暴で自己中なワガママ姫に育ってる。レストランやバスの中でも騒ぎたい放題で、しかも悪いことだという自覚がない 。「ごめんなさい」も言えない』(20代後半・専業主婦による目撃例)●(2)叱られる経験の不足は、打たれ弱さを招く……『大人から叱られるという経験がなさすぎて、打たれ弱くなった子がいた。中学に上がってすぐに不登校になってた 。その親は子どもが学校に行かなくても叱ることをしないので、事態が改善される可能性が無いと思う』(30代前半・女性による目撃例)●(3)成功例を見たことが無い『叱らない育児をしていた家庭をいくつか知っているけど、成功例がまるでない。いじめっ子や引きこもり、暴力的など、全員何らかの問題児 に育ってる。子どもはある程度叱らないとダメだと思う』(30代前半・パート主婦による目撃例)----------これらのデメリットから、私は叱らない育児に以下2つのルールを加えることにしました。・ママは“できるだけ”叱らない・叱らなきゃいけないことには、本気で叱るよ!「叱らなければいけないこと」とは、他人に迷惑や危害を加えたとき・加える恐れがある行為や、社会のルールや道徳に反していることなどが挙げられます。親として叱るべきだと感じられるとき以外は叱らない 、というシンプルなルールです。「ママは、もう怒らないんだよね〜!」と嬉しそうな子どもたちでしたが、当初の私は(そのつもりだけど、今に叱らなきゃいけないことをしでかすんだろうな〜)と高を括っていました。今まで散々叱られる毎日を送ってきた子どもたちが、突然お利口さんに変身するとは思ってもいなかったのです。●1か月の“叱らない生活”を経て……私の宣言は2月の中ごろで、叱らない生活はまもなく1か月を迎えようとしています。私が本当に叱らずに過ごすことができたのか……結果は、子どもの年齢によって異なるものになりました。●叱らざるを得なかった、3歳児叱らない生活が最も困難だったのは、3歳になる末っ子です。第一次反抗期真っ只中の彼女は、「あれイヤ」「これイヤ」「理由はないけどイヤ」という、何が正解なのかわからない要求が四六時中続く状態。“できるだけ叱らない”というルールは守ったつもりですが、なにしろ他者へ迷惑をかける行動や、道路への飛び出しなど怪我や命に関わる行動もあり、結局は週に2〜3回ほどは叱らざるを得ませんでした。●小2と年長は叱ることが1度もなかった!最も驚いたのは、小2の長男と年長の次男を叱る機会が1度も訪れなかったというポイントです。善悪の分別がつく年の彼らには、「今日からママはできるだけ叱らないけど、そのためには君たちの協力が不可欠。何が良くて何が悪いかを自分で考えてみよう 」と伝えて叱らない生活をスタートさせました。“自分で考えて”と委ねたことが良かったのかもしれません。これまで問答無用で私がジャッジしてきた問題を、子どもである彼らが判断するという工程には、今までにない誇らしさや楽しさを感じていたように見受けられました。またこの結果には、私自身の変化も大きく関わっていると思います。「叱らない」と宣言して以来、叱りそうになったときには“本当に叱る必要があることなのか”を考えるようになりました。その結果、これまで叱り飛ばしてきたことのほとんどが必要のないものだった と気がついたのです。●毎日のように叱っているママ! (できるだけ)叱らない生活、おすすめです!約1か月間を(できるだけ)叱らず過ごした私ですが、これから先もずっと叱らないでいることはあり得ないと考えています。きっといつか、大目玉を喰らわせなければならないタイミングがあるのでしょう。このたびの叱らない生活では、叱らないことそのものがもたらすメリットよりも、“本当に叱る必要のあることなのか”を振り返る機会が重要であると感じました。今回のアンケートでは、「毎日のように叱っている」と答えたママが7割も存在していました。もちろん子どもたちの個性は十人十色で異なります。中には毎日叱らなければいけないお子様もいらっしゃるのかもしれません。子育てを行う多くのママが経験からご存じの通り、子どもを全く叱らずに育てることは不可能に近いと思います。しかし、叱らない生活には、これまでの日常にたくさん存在していた“叱るシーン”の中から、無駄なものをデトックスさせる効果がある と感じました。私たち母親が毎日ヒステリックに叱り飛ばしている事柄の中には、不必要なものも含まれているのかもしれません。ぜひそのエネルギーを、お子様との笑顔の時間に費やしてみてはいかがでしょうか。【参考リンク】・【アンケート結果(1位〜5位)】育児中のママに質問! お子様を叱る頻度を教えてください()●ライター/木村華子(ママライター)
2017年03月22日不登校は、「乗り越える」ものじゃない。僕たち「JERRY BEANS」は、全国の小中学校を回って、講演と音楽ライブを組み合わせた「講演ライブ」という活動を実施している。講演ライブを行うのはほとんどが道徳や人権の授業で、僕たちの不登校経験をもとにメッセージを伝えている。多い年は年間で約130件。こうやって書くと、「不登校経験者が過去を乗り越えて教育活動へ…」という感動ストーリーに見えるかもしれない。だけど、僕の中では、不登校っていうのは「乗り越える」ようなものじゃない。学校に行くと“講師”や“先生”だなんて呼ばれるけど、正直、心は今も“当事者”だと思っている。自分が特別な経験をしているとは思っていないし、「人に元気を与える」なんて言えるほど立派な人間じゃない。でも、講演に行くたび、当時の自分と同じような悩みを抱えている人に出会う。「自分と一緒の思いを持って生きている人がいるんだ」って知ってもらえたら、その人の気持ちがほんの少しでも楽になるかもしれない。そう思って活動を続けている。そして何より僕自身が出会った人たちに沢山心や命について教わったから。そのことを伝えたい。「どうして人と違うんだろう…」自分のペースを認めてもらえなかった幼少期出典 : 子どもの頃から他人に自分の気持ちを伝えることが苦手で、友達もずっといなかった。同じく不登校を経験している、双子の弟の史朗とは、そこが違うところ。史朗には友達がたくさんいた。幼稚園の時は、毎日親に引きずられて泣き叫びながら通園していた。小学校1年生になって、泣き叫ぶことはなくなったけれど、はじめて他人と自分との距離というか、違和感があることに気づいたんだと思う。楽しいのに笑顔になれなかったり、悲しいのに涙が流れなかったり。うまく表現できないまま、自分の気持ちを置いてけぼりにしてしまう、そんな冷めた子どもだった。自然が大好きで、段ボールで秘密基地を作って自然の中で遊んだりしていた。アースカラーの民族衣装を好む、今のファッションスタイルにもつながっているかもしれない。学校でも好きな授業は理科。とにかくマイペースな性格だった。学校にいて一番しんどかったのが、そんな“自分のペース”をまわりに認めてもらえなかったこと。自分では行きたいと思って登校するんだけど、時間が違うというだけで出席を認められなかったり、絵を描くことが好きで特に妖怪やホラーを好んで描いていた。その絵を見て、腫れ物をさわるように扱われたり。当時、不登校は本当に珍しいことだったから、先生も友達もそれを認めること自体が難しかったんだろう。今だからこうやって振り返ることができるけど、当時はわけもわからずしんどかった。自我が不確定でぼんやりしていて、なんとなく「人と違う」ってことしかわからなかった。毎日の居残り授業。先生の一言で、ついに心が折れる出典 : 年生の時、ある日学校に行こうとすると腹痛が襲ってきた。病院にいっても原因不明。でも、翌日からも身体のあちこちが痛くなって、それからは毎日遅刻して学校へ行くようになった。3年生から5年生までの2年間は、遅刻しながらも登校を続けていたけれど、だんだん自分が悪いことをしているような気持ちになっていった。同級生から「どうしたん?」とか「なんで遅れてくるん?」と軽いノリで聞かれるけど、うまく答えられない。医者に行っても「病気でもなんでもない」と言われるから、身体は本当に痛いけど、嘘ついていると思われたくなくて、何も言えなかった。そのうち、周囲の子からも「ズルしてる」って思われるようになって、遅刻する前よりもますますひとりぼっちになった。その疎外感といったら。5年生の頃、勉強が遅れていたので、担任の先生と1対1で放課後にも勉強するようになる。熱血先生で、毎日居残り授業をすることを、帰りの会でみんなの前で宣言するような人だった。そんな状況が、ますます僕を限界に追い込んでいったんだと思う。ある日の居残り授業で、その先生に「字が汚いな」と言われたとき、完全に心が折れてしまった。先生には、励ましてくれる味方でいてほしかったのに、その一言で全人格を否定されたように感じたんだろう。今思えばきっと先生に悪気はなく、むしろ僕の事を思って言ってくれていたんだと思う。翌日から、僕は不登校になった。「今日は終わりの日だ」睡眠薬を飲もうとしたその瞬間学校へ行かなくなると、罪悪感で自分を責めるようになった。先生や親にとって、自分は迷惑な存在で、「ここには自分のいる価値なんてないなぁ」と思っていた。しばらくして、いじめを苦に自殺をした少年のニュースをテレビで観て、“自殺”に興味を持つようになる。「もう僕は愛されていないし、愛される資格なんてないから、いなくなった方がいい、みんな喜ぶやろうな。誰か一人でも泣いてくれるんかな。」そんな考えが生まれるぐらいに迷走してしまっていて、自殺を愛されるための方法の一つだと思うようになった。「今日は終わりの日だ」ある朝、ふとそう思った。母親が飲んでいた睡眠薬をこっそり部屋に持って行き、自殺をしようとした。全く怖さはなく、むしろ無感情だった。睡眠薬を飲もうとしたその時、ものすごい音がして、扉が開いた。母だった。いつもと違うぼくの様子に、母は感づいていたのだ。母はすぐに僕をもの凄い力で抱きしめた。そしてボロボロに泣きながらこう言った。「学校に行かへんて死ななあかんほど悪いことなんか?あんたが元気に生きていてくれたら、それだけで十分なんや。あんたが何をしたって、誰がどう思ったって、お母さんはあんたの味方やねんで」そう言ってずっと僕を抱きしめてくれた。怒られると思っていたのに、自分は愛されてないと思っていたのに、どうして……。ボロボロと泣く母の涙に自分の背中が濡れていく。今までほとんど感情が出てこなかったのに、気づけば僕も、止められないくらいめちゃくちゃに泣いていた。
2017年03月20日軽い気持ちで始めたバイトで、自分の発達障害に気づくことに出典 : まず、どうして私がコンビニでアルバイトをすることになったのか、説明したいと思います。娘が小学校2年生の時に不登校になり、私は保育士の仕事を退職することになりました。それから約2年半の間、私は在宅で内職程度の仕事をするくらいで、ずっと家で娘と過ごしていました。この後、娘はアスペルガー症候群であると診断されます。そして娘が5年生になる頃、娘の主治医から「そろそろ、お母さんパートに出られても大丈夫ですよ」と言われたことが、私がアルバイトをはじめようと思うきっかけになります。それは、娘がアスペルガー症候群と診断されて1年が経ったタイミングでもありました。いきなりフルタイムの仕事をするのは心配だったので、近場のコンビニでバイトをすることにしました。今までやってきた仕事は事務・パソコン系と保育系のみ。でも、私の頭の中では「コンビニのバイトだったら私にでもできるだろう」という考えがありました。しかし、それはあまりにも甘い考えだったとすぐ知ることになります。 そして、自らも発達障害であることに気づくきっかけにもなりました。やることありすぎ!多彩過ぎるコンビニの仕事内容出典 : さて、コンビニのバイトってどんな仕事をするのでしょう。実際に私が経験した内容をまとめてみました。・レジ打ちもはやパソコンといっていいくらい高度なレジ。現金だけでなく、クレジットカード、Quoカード、Icoka、Suicaなど電子マネーも扱います。 交代した時にレジのお金を合わせるのもバイトの仕事。・タバコ販売ものすごい種類のタバコの名前を覚えるのは大変。番号が付けられているので「〇番」と言ってくれると助かるんですけどね。・公共料金や携帯料金など代行収納これはものすごく数が多いです。手早くしないといけないのに処理に時間がかかることや、1度に何件も出してくる人も多く、控えを確実に渡し、店舗控えも保存しないと大変なことになるので気を使いました。・切手・収入印紙販売たまに注文が入るので、やり方を忘れてよくオタオタしてました。・チケット発券お客様がスマホで見せてこられる番号を入力してコンサートのチケットなどを発券します。これもレジや連動する機械の操作を覚えるのが大変でした。・おでん・中華まん・揚げ物の調理中華まんと揚げ物は一年中。冬場はそれにおでんの調理が加わります。残っている品物の数や廃棄のタイミングも考えながら調理しなければなりません。おでんも何時にだしを入れ替えるなどマニュアルがあるので、かなりバタバタしました。不器用な私はよく火傷したものです。・掃除交代してレジのお金合わせが終わると、一人は掃除に入ります。床だけでもホコリ取り、水拭き、乾拭きを3回。さらに、店内のあちこちにあるガラスを磨き、外回りの掃除、灰皿の交換、トイレ掃除をこなさなければなりません。しかも、45分以内で終わらせないと大変怒られました。・品出しおにぎり、弁当、パン、ほかにもいろいろな大量の商品がシフト中に1回は納品されます。それをチェックする機械にかけて商品名と数を確認しながら、素早く棚に補充していきます。また、新聞も別に納品されますので、それも台帳にチェックして素早く棚に補充します。・コンビニコーヒーの販売2012年からコンビニの入れたてコーヒーの販売が活発になり、私がバイトしていた店でも導入されることになりました。導入時にはメーカーの本部から来た人に研修を受け、導入してからはキャンペーンで大忙しでした。・その他コピー機やATMの使い方をご案内することもありました。レジでじっとしていることは許されません。ちょっとでもヒマができたら商品をきれいに並べ替えたり 、お菓子の補充をしたりとやることは無限にあります。努力しているのにどうしてもできない。私のやらかした失敗の数々出典 : そんな過酷なコンビニで、私がうまくいかなかったことを紹介します。・仕事が遅い、手際が悪いバーコードを読み込んでレジをするわけですが、バーコードが商品のどこについているのか全然覚えられず、商品をくるくる回してお客様に「ここよ」と指摘されることもしばしば。袋詰めも遅く、必死で早くしようと思っているのに「アイスクリームが溶けちゃう」と怒られることもありました。掃除のやり方は、まずオーナーの奥さんから細かく指示がありました。でもそのやり方では45分では終わりません。同じシフトに入るバイトは私を含めて2人なので、「いつまでも掃除してられたら困る」と先輩バイトに怒られました。でも、みんなはどうやって手早く終わらせているのかどうしてもわかりませんでした。「適当でいいのよ」と言われてもその「適当」がわかりません。・ミスが多い代行収納でお客様に渡す控えを忘れたり、お弁当を温めるときにソースまで温めてしまい爆発寸前になったりと、ミスには事欠かず。常にメモを持ち歩いて、ミスを書きだして繰り返さないよう気を付けたのですが、それでもミスは減らすことができませんでした。・仕事が覚えられないマニュアルを読みこんだり、先輩に教えられたことはメモして、そのメモを清書して読み返したりしましたが、仕事を人並みのスピードで覚えることはできませんでした。おそらく、作業量が多すぎてメモするくらいでは追い付かなかったのでしょう。業務内容が私の処理できる限界を超えていたので、努力でカバーするのは無理だったのだと思います。・マルチタスクに弱すぎるレジにいるときにも、揚げ物のチェックをしたり、値下げの用意をしたりと仕事はいっぱいだったのですが、一つの仕事をすると他のことを忘れてしまったり、熱中するあまりお客様に気づかなかったりしました。初めて経験したパニック状態で発達障害と気づくきっかけに出典 : 「もう無理かも」と思いながら仕事をしていたある日のことです。その日のことはなんだかもやがかかったようでよく覚えていないのですが、とても店は忙しく、私は例によって仕事でミスをして先輩に怒られていました。その時にお客さんからも声をかけられ、なんというか私の脳みそはそこで焼き切れたようです。先輩の言葉もお客さんの言葉も日本語として聴き取れなくなりました。意味のない音がワーッと向けられているような感じで、頭はグラグラ、身体がスーッと冷えていくような感覚になり、しゃがみ込むか、その場から逃げたくなりました。だけど、根性で「とにかくレジを打つんだ」と作業しているうちに、徐々に元の感覚が戻ってきてパニックは収まりました。おそらく周りの誰にも気づかれることはなかったと思います。この出来事があり「あれ、私が困っていることって娘の診断に当てはまるわ」と思い至り、発達障害の検査を受けようと決意したわけです。そして受診した病院で、私自身も発達障害であると診断を受けました。4ヶ月目で退職勧告。そして私の出した結論。出典 : バイトを始めて4ヶ月目のことです。仕事を終えてバックヤードへ戻るとオーナーの奥さんから「話がある」と言われました。「実はね、あなたのことで困っているの。普通のバイトの子に比べて仕事を覚えるのが遅くて、もうこの段階ではみんなできていることがあなたにはできていない。一緒に組んでいるバイトの子も困ってるようだし…。どうしてあなたは成長しないのかしら?」叱責されるわけでもなく、しみじみと本当に困ったという風に話す様子を見てすっぱり決めました。「実は、最近検査を受けて発達障害があると診断されました。私はこれ以上、この仕事で成長することはできません。だからもう辞めさせてください。」もういくら頑張っても無理だというのが私の結論でした。そして、それはあっさりと受け入れられました。頑張っても、頑張ってもできないことがある。今まで認められなかったけど、この仕事で初めてその事実を受け止めることができたのでした。これからコンビニで働こうと思う人へのアドバイス出典 : 最後に、私が働いた店は特に売り上げがいい店で、勤務時間は昼の1時~夕方5時という業界では忙しい時間帯でした。よく下見をして、あまり忙しくない、本部直営店舗ではない店を探したり、バタバタすることは少ない深夜の時間帯などのシフトに入ることで対応できる人もいるかと思います。私も、勢いで決める前にネットなどでよく情報を集めておけばよかったと思いました。繰り返しになりますが、この経験が私が発達障害と向き合うきっかけを作ってくれました。決して良い思い出ではありませんが、自分の特性を知り、「頑張っても、頑張ってもできないことがある」という学びを得ることができた時間だったと感じています。
2017年03月17日