志村けんさん8月11日、『志村けんのバカ殿様 笑いで暑さを吹き飛ばせ!夏祭りスペシャル』(フジテレビ系)が放送された。同番組は、2020年3月29日に亡くなった志村けんさんが扮した往年のキャラクター、バカ殿によるコントなどを中心に構成。SNS上では以前から番組のことを知る層だけではなく、「バカ殿世代」ではないちびっ子らも爆笑していたようだ。志村さんの作り出したお笑いは永遠に生き続けていく。稀代の喜劇王の死が世間に与えた衝撃は計り知れないが、『週刊女性』は志村さんが亡くなった1年後、改めて親戚たちを取材していた。そんな親族によると、志村さんの遺産相続問題も起こっていてーー。(2022年3月25日配信 年齢は掲載当時のまま)。◆◆◆東京の北西部・東村山駅前には、銅像と一緒に写真を撮る人がいつもいる。みな“アイ~ン”のポーズだ。「志村けんさんの銅像です。昨年6月に完成しました。『東村山音頭』でこの地域を有名にした功労者ですからね。市内の有志がクラウドファンディングで製作費を募ったら、予定の2400万円を上回る3200万円が集まりました」(地元の住民)自撮りをしていた男子高校生は、母親のDVDで『8時だョ!全員集合』を見てファンになったと話す。「今でも毎日、全国各地からたくさんの人が訪れています。北海道から来た方もいましたし、タンクトップにジーンズの“志村どうぶつ園”コスプレで来るそっくりさんまで現れました(笑)」(駅の整備員)自宅の現在は「ぱっと見はきれいだけど」銅像の隣には、’76年に植樹された『志村けんの木』があり、空に向かって枝を広げている。長きにわたって市民から愛されてきた。「亡くなられたときは駅前に献花台を置きましたが、コロナ禍が続くいま、三回忌ではありますが同様のことを行うのは難しい。メールでメッセージをいただければ、責任を持って遺族にお渡ししています」(東村山市役所秘書広報課・渡辺茂治課長)志村さんが亡くなったのは、’20年3月29日。新型コロナの感染拡大が始まってすぐの時期だった。あれから2年がたつが、志村さんが住んでいた東京・三鷹の家は放置されたままのようだ。「志村さんが三味線を弾く音が聞こえなくなって、本当に寂しいですね。亡くなった当時はお兄さんや家政婦さんがよく来ていましたが、最近は見ません。自宅前の掃除や草むしりは、近所の人たちでやってますよ。だから、パッと見はきれいですが、中庭は草や木がぼうぼうの生え放題。野良猫が子どもを産んですみついてしまいました。ずっと人がいないので、建物も傷んできたようです。雨樋が壊れたのか、昨年の大雨のときは、屋根から流れ落ちる水が滝のようにすごい勢いでした」(近くの住民)熱海のリゾートマンションも、そのままになっている。「志村さんは何度かお見かけしたことがあります。亡くなったときは、フロントに志村さんの肖像画が飾ってあって、花が供えてありました。それを見ると、もうここには来ないんだなって寂しくなりましたね」(マンションの住人)遺産相続のをゆくえを直撃志村さんは3人兄弟の末っ子。昨年6月、2番目の兄・美佐男さんが亡くなっていた。「体調が悪いとは思えず、ずっと元気に見えました。昨年の春くらい、普通に車で出かけるのを見ましたし、挨拶もしていました。どうやらその後、いつの間にか入院していたようですね」(美佐男さん宅近所の住民)親族によると、志村さんとは仲のいい兄弟だったそうだ。「美佐男には、よくゴルフを教えてあげていましたよ。私とウマが合ったから、ウチの会社に入って働いていたんです。それが40年くらい前。でも、芸能界で活躍していたけんが“兄貴は俺が雇わせて”って頭を下げて、直談判してきたの。それで美佐男は、けんの個人事務所に入りました。酒が好きで、美佐男はけんが来ると一緒に焼酎を飲んでいた。ふだんはまじめだけど、酔うと明るくて。事務所は六本木の近くだったから、そりゃあ飲むよね」(志村さんの親族)酒好きが仇になったのではないかともいう。「何年か前に会ったとき、体調が悪いって言っていた。飲みすぎで肝臓を壊しちゃったんじゃないかな。けんの一周忌もだけど、美佐男の葬式も参列しなかった。だって呼んでくれないんだもん。コロナの事情もわかるけど、それはないよね。知之は’15年にお母さんを亡くしてから、けん、美佐男を立て続けに喪って、疲れたんだとは思うけどさ」(同・志村さんの親族)知之というのは、志村さんの長兄のこと。志村さんの個人事務所の代表取締役になっている。美佐男さんが亡くなった後にはその息子が新たに取締役になった。ただ、残された不動産の登記は、今も志村さん名義のまま。知之さんに話を聞いた。─三回忌の予定は?「命日近くで内密に小さくやります。コロナが終わらないからね」─三鷹の家の掃除は?「庭は一昨年の夏、人に頼んでやりました」─2年がたちましたが、相続は進まない?「なんとなくね、やってはいるけどなかなか。コロナで進まないっていうのもあって」─美佐男さんも亡くなられたようで……。「内臓を壊していてね」─個人事務所は美佐男さんの息子に任せる?「俺が継いだんだよ。甥と2人でやっていきます」─熱海のマンションは?「あれから行ってない。忙しくて行けないんです」志村けんの遺産が10億円というのは“少ない”相続の手続きが進んでいないのは確かなようだ。前出の親族は、いらだちを隠さない。「三鷹の家だって放っておけば、傷んで資産価値が下がるし、治安が悪くなり、近所にも迷惑がかかる。“早く相続しなさいよ”って言ってやりました。事務所にはずっと美佐男が通っていたんだから、いずれは彼の息子が継ぐのが自然だろうね」志村さんの遺産は10億円ともいわれたが、長年、芸能界のトップで活躍してきたのだから、もっと多くてもおかしくはない。「志村さんの遺産が10億円って、確かに少ないですよね。あれだけ活躍したのだから、最低50億円は持っていそうですよ。でも、おカネの使い方は激しかった。20年ほど前ですが、私が勤めていた銀座のクラブには週に3、4回は来ていました。毎回、ダチョウ倶楽部の誰かなど何人か連れてきて、支払いはすべて志村さん。100万円単位で置いていきました。同じ日に何軒か回っていたそうだから、1日にいくら使っていたのかなって」(銀座の元ホステス)ただし、巨額な相続税も発生する。相続が遅れることに問題はないのか。弁護士法人天音総合法律事務所正木絢生代表弁護士に聞いた。「相続に関連して、コロナ禍を理由に延長が可能なのは、相続税の申告・納付期限についてです。通常は10か月以内という期限が定められていますが、コロナ特例にて、延長できます。しかし、それでも1、2か月程度でしょう」遺産分割については、今の制度上は特に期限が定められているわけではない。「遺産分割が終了するまで、何年もかかるケースもあります。制度上は期間が定められているということはありません。ですから、志村さん所有の不動産の名義の変更が遅れていることと、コロナ特例は関係していないと思われます」(正木弁護士、以下同)民法の改正が予定されており、不動産の相続登記は「相続を知った日から3年以内に相続登記をすること」が義務化されることになるという。志村さんの遺族は数億円の相続税を、不動産整理をせずに、どうやって支払ったのか。「志村さんが、たくさんの現金を所有していて、そこから支払われた可能性は高いと思います。その場合は、遺族の同意書を作成する必要があります」稀代の喜劇王が遺したものは、あまりにも大きい。◆◆◆8月11日に放送された「バカ殿」のコントの内容は、良い意味でとてもベタである。色々な芸能人がゲストとして出演して、時にはアドリブも織り交ぜながら作り出す、ベタながらも新鮮な“志村けんコント”は、これからも日本中を幸せな笑いに包んでくれることだろうーー。
2022年08月16日夏の風物詩である甲子園ではすでに熱戦が繰り広げられていますが、負けないくらい熱くて激しい青春を体感できると話題の映画『野球部に花束を』もいよいよ開幕。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。醍醐虎汰朗さん【映画、ときどき私】 vol. 510アニメ『天気の子』で主役に抜擢されたのをはじめ、舞台『千と千尋の神隠し』ではハク役を務めるなど、注目を集めている醍醐さん。本作では、青春を謳歌しようと高校に入学したはずが、いつの間にか地獄のような野球部生活を送ることになってしまう主人公の黒田鉄平を演じています。今回は、過酷な撮影現場の裏側や青春の思い出、さらにいま夢中になってることなどについて、語っていただきました。―ご自身にとって本作は実写映画で初主演となりますが、現場に入ったときはどのようなお気持ちでしたか?醍醐さんワクワクする気持ちもありましたが、いろいろ考えすぎてしまった状態だったこともあり、初日はとにかくガチガチ。あまりにも緊張していたので、歩き方がわからなくなるほどでした(笑)。―緊張されていた理由のひとつには、野球が未経験だったこともあるのではないかなと思いますが、事前にかなり練習して挑まれたとか。醍醐さんクランクインの前にコーチの方がついてくださって練習しました。まずはキャッチボールから始めて、そのあとはバットを振ったり、キャッチャーの捕球練習をしたりしました。そのときに驚いたのはボールの硬さ。正直に言うと、いままでは野球の試合でデッドボールに当たって痛そうにしている人のことを「大げさだな」と思っていたんです。でも、痛いどころの騒ぎではないことがわかりました。硬球はもう石ですね……。僕も大きなあざがたくさんできました。―ということは、劇中で痛がっているシーンは実際のリアクションですか?醍醐さんそうですね。撮影中はボールを受ける手がパンパンに腫れました。でも、芝居はしないといけないし、ビビッていると監督から注意されるので、歯を食いしばって続けるしかなかったです。でも、内心では地獄だなと思っていました(笑)。芝居ではなく、本当に部活をしている気分だった―髙嶋政宏さん演じる野球部の監督はスパルタでしたが、本作の飯塚健監督もかなり厳しかったんですね。醍醐さんこれは僕の話ではないですが、本番中に髙嶋さんのアドリブがおもしろくて笑ってしまった人がいて、それがきっかけでカットになってしまったことがあったんです。そしたら飯塚監督がその人のところに近づいていって「ふざけてんのか?」と。もしかしたら、野球部よりも現場の監督のほうが、怖かったかもしれません(笑)。―とはいえ、実際に髙嶋さんの演技はかなりおもしろかったのでは?醍醐さんまだ慣れていないときは、僕も笑っちゃいましたね。ただ、髙嶋さんの演技は慣れてもおもしろいですし、絶対に笑っちゃいけないと思うと余計笑いそうになるので、カメラが違うところを向いているときに笑ったりしながら乗り切りました。―髙嶋さんからは「自分がアドリブを延々とやりすぎてみんなに申し訳なかった」といったコメントが出ているようですが、何があったのでしょうか。醍醐さん劇中で、髙嶋さんに合わせて「野球に狂え!」とみんなで一緒に叫ぶシーンを撮っていたときのこと。テストも本番もまったくカットがかからなくて、延々と叫んでいたら、翌日になって部員の大半の声がカスカスになってしまったんです。僕は喉が強いほうなので大丈夫でしたが、とはいえ舞台のお仕事以外で龍角散を溶かした水を常備して挑んだ現場は初めてな気がします。―肉体的な疲労もかなりあったと思いますが、きつかったシーンといえば?醍醐さん引退ノックをしている場面では、本当に倒れるまでやり続けたので、あのシーンでは誰も芝居していないですね。みんな本気でしたし、素で限界を迎えて倒れています。翌日もみんな歩けないくらいになっていたので、本当に部活をしている気分でした。サッカー部だった頃を思い出して、懐かしくなった―ご自身は、中学生のときにサッカー部に所属されていたそうですね。劇中の練習風景はいまなら問題になりそうなものばかりでしたが、当時を思い出すこともありましたか?醍醐さん僕がいたサッカー部もいまの時代っぽくないくらい本当に厳しかったので、そういう意味では懐かしい気持ちになりました。あと、劇中で出てくる“野球部あるある”で「怖い指導者ほど一度泳がす」というのはどこも同じなんだなと。いまでもたまに調子に乗ってると、泳がされたうえでスパーンと怒られることがあるので、この言葉は心に刻まれました(笑)。―怖いと言えば、“顔面凶器”と呼ばれる小沢仁志さんが先輩役として登場するシーン。共演されてみていかがでしたか?醍醐さん誰よりも現場に早く入り、座ることなくモニターの前でつねにチェックされていらっしゃるのがすごいなと思いました。ただ、いままで出会ってきた人のなかでも、トップレベルで怖かったです(笑)。といっても、ご本人は本当に優しい方なので、Vシネマのイメージから僕が勝手に怖がっていただけですが……。撮影の合間には、日常的な会話もさせていただいたのに、粗相をしてはいけないという気持ちが強すぎてどんな話をしたのかまったく思い出せません(笑)。―そのお気持ちもわかるほど、画面越しでも伝わる迫力がありました。今回は、中学生以来の坊主にも挑戦されていますが、抵抗はなかったですか?醍醐さんいや、最高でしたね。お風呂なんて、体感2分で終わる感覚です。中学生のときは、髪の毛がなかったら女の子にモテないと思ってショックを受けていましたが、いまはそういうのもなくなりましたし、仕事なので何とも思わなかったです。高校生に戻れたら、映画のような恋愛をしてみたい―ただ、劇中で坊主にするシーンでは、1発で決めないといけないプレッシャーもあったのではないかなと。醍醐さん本来、坊主にする場合は、一旦髪を短くカットしてからしないとバリカンに髪の毛が絡まってしまうんですが、今回は長いままの状態から一気にいったので、けっこう引っかかってしまって……。髪の毛がブチブチ抜けてめちゃくちゃ痛かったです。でも、坊主にされる僕だけでなく、僕を坊主にする人も周りが見えなくなるくらいアドレナリンが出ていたからこそできた気がします。―ちなみに、ご自身にとって青春の思い出といえば何ですか?醍醐さん暇さえあれば友達と遊んでいたので、用もないのに友達の家に泊まりに行ったり、花火をしたり、というのをよくしてましたね。―もし高校生に戻れたらしたいことはありますか?醍醐さん部活には入らなかったので、部活に熱中するのも楽しそうかなと。あと、ほかのことは何も考えずに、映画のような恋愛とかもしてみたいです(笑)。―まさに青春ですね。では、いま一番夢中になっているものがあれば、教えてください。醍醐さんそれは、『バチェロレッテ・ジャパン』です。シーズン2が始まったこともあって、僕の周りもみんな見ています。参加者の気分も楽しみつつ、バチェロレッテの尾崎美紀さんのファンとしても応援しているところです。―ちなみに、醍醐さんが女性に魅力を感じる瞬間といえば?醍醐さんたとえば、人の家に行って、みんながワーッと脱いだ靴を自分のと一緒に何気なく揃えてくれる姿とかはいいですね。あとは、よく笑う人です。求められたことにひとつずつ全力で取り組んでいる―お休みの日は、どのように過ごすことが多いですか?醍醐さん夕方くらいから友達とお酒を飲むか、サウナに行くか、そのどちらかですね。家で飲むときは、つまみとして角煮を作るのが好きなので、長い時間をかけてホロホロの肉を育てています。ただ、飲みながら料理しているので、角煮が出来上がるころにはベロベロになってしまうんですけどね。ポイントとしては、あえて少ししか作らないこと。量が少ないぶん、すぐに食べ終わってしまうのですが、そこで「お肉がもうなーい!」となるのが楽しいです(笑)。―なかなか独特な楽しみ方ですね。まもなく22歳となりますが、お仕事に関しては20代に入ったことで変化を感じることもあるのでしょうか。醍醐さんもっと若いときは遊びの延長みたいなところも少しあったかもしれませんが、最近は僕の周りもちょうど就職活動をしている人が多いので、より仕事としての意識が芽生えたところはあると思います。―現在は、映像作品から舞台、声優と幅広く活躍されていますが、今後やってみたいことは?醍醐さんいまはまだ僕が選ぶ立場にはいないと思っているので、まずはいただいたお仕事をひとつひとつ全力でやっていきたいです。そのなかで、いつか第一線で活躍されている方々と肩を並べられたかなと思えるところまで来たら、そのとき初めて自分がしたいことを考えたいなと。それまでは、求められたものを一生懸命する時期だと思っています。周りを鼓舞できるスーパーポジティブな人になりたい―それでは、男性として目指している理想像などがあれば、お聞かせください。醍醐さん僕は、スーパーポジティブで太陽みたいな人間になりたいです!その場にいるだけで周りを鼓舞できるような存在になりたいので、普段からネガティブな発言はしないように気をつけています。―最後に、ananweb読者に向けてメッセージをお願いします。醍醐さん女性にとっては、「男のノリってこんな感じなのかな?」という教科書みたいなところも楽しんでいただけると思っています。いまはこういうご時世であまりハッピーな雰囲気ではないかもしれないですが、この作品のように「ただおもしろいだけ」という映画はあまりないと思うので、ぜひ笑いに来て明るい気持ちになっていただけたらうれしいです。インタビューを終えてみて……。とにかく明るくて、太陽のような笑顔が似合う醍醐さん。そのいっぽうで、女性読者へのメッセージをお願いした際には、「女性に向けて言うのはちょっと恥ずかしい」とシャイな一面も覗かせていました。さまざまな顔を持つ醍醐さんだけに、幅広い役どころでこれからも楽しませてくれそうです。思春期あるあるに共感必至!あり得ないほど理不尽な世の中も、メジャーリーグ級の“笑いのホームラン”ですべて吹き飛ばしてくれる青春コメディ。泥まみれになっても何度でも立ち上がる部員たちの姿に愛おしさを覚え、いつの間にか胸が熱くなってしまうはず。汗と涙を流しながら全力で生きる人たちに届けたい最高のエールを受け取ってみては?写真・北尾渉(醍醐虎汰朗)取材、文・志村昌美ストーリー中学時代の野球部生活に別れを告げ、坊主頭から茶髪にイメチェンして高校デビューを目指していた黒田鉄平。夢見たバラ色の高校生活は、同級生と一緒にうっかり野球部の見学に行ったことによって、あっけなくゲームセットとなる。しかも、新入生歓迎の儀式で早々に坊主に逆戻りしてしまうのだった。鬼のように豹変した二年生と三年生、そして昭和スパルタ丸出しの最恐監督のもと、 黒田ら一年生は“ザ・ハラスメント”な世界に翻弄され、憔悴していくことに。しかし、恐れていたはずの“伝統”に、気がつけば自分たちも染まっていくのだった……。衝撃の予告編はこちら!作品情報『野球部に花束を』8月11日(木・祝)全国ロードショー配給:日活️©2022「野球部に花束を」製作委員会
2022年08月08日まもなく公開される映画のなかで、60年振りに映画化されることでも関心を集めている『破戒』。そこで、日本文学における不朽の名作に挑んだこちらの方々にお話をうかがってきました。間宮祥太朗さん、石井杏奈さん、矢本悠馬さん【映画、ときどき私】 vol. 499間宮さんが演じたのは、亡き父から強い戒めを受け、被差別部落出身者であることを隠し続けて苦悩する主人公の丑松(うしまつ)。そして、その丑松が想いを寄せる士族出身の志保役を石井さん、さらに丑松の同僚であり親友でもある銀之助役を矢本さんが務めています。今回は、現場での忘れられない思い出やそれぞれのターニングポイントなどについて、語っていただきました。―共演された感想からおうかがいしたいのですが、まずは間宮さんから見た石井さんの印象を教えてください。間宮さんもともと凛とした雰囲気を持っている女優さんだなと思っていましたが、それが今回の志保という役をより魅力的にしていると感じました。所作にも哀愁のようなものが含まれているので、立ち姿だけで説得力がある方だと思います。―また、親友役にプライベートでも親交の深い矢本さんが決まったときはいかがでしたか?間宮さん悠馬に関しては、もはや印象も何もないですよね(笑)。でも、銀之助が丑松にとっていかに重要な存在だったのかがわかっていたので、その役を悠馬がやってくれると聞いたときに、これは間違いないものになるだろうなと。そういった確信と安心感がありました。矢本さん僕は、はじめは本当の友達だからオファーされたのかなと(笑)。でも、台本を読んでみると、僕が銀之助を演じる重要度やキャスティングの意図は汲み取れたので、納得のいく形で最後まで緊張感を持って務めあげられました。ただ、最初に聞いたときは、また一緒かと笑っちゃいましたが……。2人の間にしか流れていない緊張感があった―やっぱり照れ臭い部分があるのでしょうか。矢本さんいやぁ、本当は共演なんてしたくないですよ!間宮さんあははは!矢本さんだって、みなさんも同じだと思いますが、仕事場にプライベートの友達がいるとこそばゆくないですか?まさにそういう感じです。でも、今回は題材として根底に重いものが流れているなかで、友達としての関係性をゼロから築いていくのはしんどいところもあったの思うので、そういうなかで仲のいい連れと親友役ができたというのよかったです。おかげで最初から芝居だけに集中できたので、ストレスなく気持ちがいい状態で現場に入ることが出来ました。―石井さんから見た間宮さんはいかがでしたか?石井さん本当に裏表のない方なんだろうなと思いましたが、私が京都で見た間宮さんは、佇まいなどすべてが丑松さんという印象でした。なので、取材でお会いした際、「こんなに笑う方なんだ」と思ったくらいです(笑)。間宮さん確かに、普段はラフですけど、今回の志保と丑松は、2人の間にしか流れていない緊張感みたいなものがある関係性だったので、現場ではお互いにあまりしゃべる感じではなかったよね。―長年一緒にいる矢本さんから見て、本作での間宮さんの魅力といえばどんなところでしょうか。矢本さん今回は、不完全燃焼な人生に葛藤するようなところがあり、いままで祥太朗が演じてきたなかでも精神的なカロリーが高い役。それだけに、台本を読んでいるときからどうやってこれを演じるんだろうかと考えていました。というのも、いつもは何となくどういう感じで祥太朗が肩を作ってくるかわかるんですけど、今回はどんな球種かもまったく見えないまま。だからこそ、この現場で祥太朗を見るのは新鮮でした。それに、僕の銀之助は祥太朗の丑松を見てからではないと完成しない役だったなと思います。この現場でもう一度初心に返ろうと思えた―石井さんにとっても、そんなおふたりの存在は大きかったのではないかなと。石井さんそうですね。私はあまり時代劇の経験がなく、京都の撮影所も初めてだったので、とても緊張していましたが、おふたりが他愛のない話で盛り上がっていたり、テンションが高く元気だったおかげで、リラックスして演じることができました。―ほかにも、幅広いキャストが揃っていましたが、印象に残っている方は?間宮さん僕は、大先輩の石橋蓮司さんですね。矢本さんいや、もう大、大、大先輩ですよ。間宮さん撮影中に天候の関係で、人力車に乗ったり降りたりを何度も繰り返していたことがあり、すごく大変そうでしたが、人力車の上で前のめりの状態のままでも、何も言わずにじっと止まっていらっしゃる姿がすごく印象的で。本当に優しい方なんです。矢本さん僕は、本田博太郎さん。いままでもけっこう共演しているんですが、こういう緊張感のある作品でもいつも通りで、「俺は爪痕を残すことしか考えていない!」とおっしゃっていたんですよ。博太郎さんほどの大先輩で、あの年齢で、もう十分されてきたのに、まだ爪痕を残そうという精神と役者としての欲深さみたいなものがすごいなと。自分も若手の頃から考えると、そういう欲が少し減ってきていたので、焦りも感じましたし、いい刺激になりました。俺もこうじゃないといけないな、みたいな。間宮さん確かに、爪痕残そうと思わなくなったら終わりだよね。矢本さん役者になりたてのころに、「80歳まで爪痕残すんだ!」と言っていたことを思い出して、もう一度初心に返ろうと思いました。ターニングポイントで人生が大きく変わった―丑松は戒めを破ることで、人生の新たな一歩を踏み出していきますが、みなさんにとって大きなターニングポイントを振り返るとしたらいつですか?間宮さん実は、一昨日ある番組を収録したときに気がついたんですけど……。矢本さんえまさか一昨日がターニングポイント?もしかして、いまはターニング後に会えてるってこと?間宮さん違う違う!そんなピンポイントじゃないから(笑)。でも、僕は今年ですね。『破戒』という歴史のある文学作品で主演をさせていただき、ゴールデンタイムでドラマ初主演、さらに3クール連続でドラマにも出させていただいているところなので。とはいえ、いまは渦中にいるからわからないですが、何年かして振り返ったときに、今年がターニングポイントだったと感じるのではないかなと。そういう年を経験してから30代に突入できるというのは、今後意味を持つような気がしています。石井さん私は2年前にアーティスト活動と女優業の両立から、お芝居一本にしようと決めたときです。ただ、私もまだまだがむしゃらに進まなければいけない時期で、振り返る余裕はないですが、みんなで話し合いをしながら決めたことでもあるので、そこがターニングポイントだと思います。実際、人生は大きく変わりました。矢本さん僕は明確にあって、役者を始めた初日です。実は、それまでは友達からおもしろいとチヤホヤされていて、僕は自分のことを天才だと思ってたんですよ(笑)。でも、大人計画の研究生として先輩たちの舞台稽古を見学していたら、アドリブがあまりにおもしろくて「役者とはこんなバケモノしか活動できないものなのか。俺なんてただの凡人じゃないか」と打ちのめされまして……。その翌日には、「役者をやめたいです」と言っていました(笑)。でも、あの日の“洗礼”というか、挫折がなかったらいまみたいに自分のやりたいことに対して心を強く持てなかったと思うので、1日目に地面に膝がついて本当によかったです。自分は何者でもないと思いながらやっている―みなさんは、ご自身に課している“戒め”はありますか?矢本さん僕は調子に乗りやすいので、天狗にならないように、つねに自分に言い聞かせています(笑)。いまは、バイプレイヤー的な感じの立ち位置なので自分をキープできていますが、もし一気に売れるようなことがあったら危険だなと。実際、もしいまの若い子みたいにスターになるようなタイプだったら、半端なく嫌なヤツになっていたでしょうね。なので、「俺は何者でもないんだ」と思いながらやっています。間宮さん戒めというわけではないですが、仕事に関することだと、僕たちの場合は作品ごとに職場自体が変わって、雰囲気も全然違うので、そこに対応できる柔軟さは持ち続けていたいですね。自分がしたいことを貫くというよりも、その現場の空気に合った自分の居方(いかた)をそれぞれで見つけていきたいなと思っています。石井さん私も戒めではないかもしれませんが、何事も嫌いにならずに、楽しみたいという心意気を持つようにしています。つらいことがあったとしても、それによって何かを嫌いになりたくないので、まずは楽しむことを大事にしながら日々を過ごしているところです。自分の好きなことをしているときが一番魅力的―それでは最後に、ananweb読者へメッセージをお願いします。石井さんこの映画は、若い世代の方にも観ていただきたい映画になっているので、多くの方に届いてほしいなと思います。矢本さん僕は、女性というのは、年を重ねれば重ねるほどキレイになると思っているので、それだけを伝えたいですね。間宮さん(笑)。ここってそういうコーナーなの?じゃあ、とりあえずその系統に合わせると、女性は自分の好きなことを心から楽しんでいる姿が一番魅力的だと思います。あと、映画に関して付け加えると、最近は恋愛リアリティー番組とかで、男女が公の場でイチャイチャする姿に見慣れてきたかもしれませんが、志保と丑松はプラトニックな関係。ただ目が合うだけでも、指が触れそうになるだけでもドキドキするようなところがあり、僕もそこがいいなと思ったので、そういった奥ゆかしい感じも楽しんでいただきたいです。インタビューを終えてみて……。大変な撮影をともにしたからこそ生まれたお互いへの信頼感も伝わってきた間宮さん、石井さん、矢本さん。3人揃っての取材は今回が初ということでしたが、緊張感の漂う劇中とは違い、とてもリラックスした笑いの絶えない取材となりました。いつもとはまた違う表情を見せるみなさんの熱演は、ぜひスクリーンで堪能してください。自らの信念を持って未来を切り開く!生きていくうえで誰もが抱える葛藤や人間としての尊厳など、現代にも通じるものが描かれている本作。“戒め”を破った先に開けた道へと向かって歩いていく丑松の姿、そして胸を締め付ける恋模様にも心を揺さぶられる渾身の1本です。写真・角戸菜摘(間宮祥太朗、石井杏奈、矢本悠馬)取材、文・志村昌美ストーリー自分が被差別部落出身ということを隠し、地元から離れた小学校で教師として勤めていた瀬川丑松。彼は出自を隠し通すように、亡くなった父からの強い戒めを受けていたが、そのことに悩み、差別の現状を体験するたびに心を乱されていた。そして、下宿先の娘で士族出身の女性・志保への恋にも心を焦がすことに。友人の同僚教師・銀之助に支えられながらも、苦しみのなかにいた丑松は、被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎に傾倒していく。そんななか、学校では丑松の出自についての疑念もささやかれ始め、丑松の立場は危ういものになっていくのだった……。胸に刺さる予告編はこちら!作品情報『破戒』7月8日(金)丸の内TOEIほか全国ロードショー!配給: 東映ビデオ©全国水平社創立100周年記念映画製作委員会写真・角戸菜摘(間宮祥太朗、石井杏奈、矢本悠馬)
2022年07月07日『志村けんの大爆笑展』が、6月12日(日)まで名古屋パルコ南館7階 イベントスペースにて開催中。本展は、「ザ・ドリフターズ」で活躍、テレビのバラエティー番組などに出演して人気を集めたコメディアン、志村けんの初の企画展だ。すでに東京、大阪、仙台、福岡など、どの会場でも大きな盛り上がりをみせ、ついに名古屋での開催となる。輝かしい歴史と笑いに徹底的にこだわったプロフェッショナルな素顔を、かつらや衣装、小道具のほか、セットの再現やプライベートの貴重品などを通して紹介している。『志村けんの大爆笑展』会場はいくつかのブースに分かれて展示。ご家族から拝借した貴重品とともに笑いのルーツを年表にして展示するほか、『名物キャラクター大集合』では「変なおじさん」や「ひとみばあさん」をはじめ、志村けんが生み出した名物キャラクターが集結。コント内で実際に使用されたかつらや衣装に加え、緻密に計算し制作された小道具などをコント映像と解説と共に紹介する。『志村けんの大爆笑展』また、会場内にはコントを体験できる写真撮影スポットがあり、『志村けんのだいじょうぶだぁ』でおなじみの鏡を使用したコントや、ドリフターズ時代からの定番の「タライ落とし」もあり、志村けんのコントを体験できるのも必見だ。撮影可能エリア。実際にコントを体験することができる。撮影可能エリア。実際にコントを体験することができる。「ひとみばあさん」のブティック『高級ブティックひとみ』がグッツショップイベント限定でオープンするのも見逃せない。ここでは「変なおじさんパジャマ」や、志村けんが愛用したブランドとのコラボ商品など、ここでしか手に入らない限定グッズが目白押しだ。『志村けんの大爆笑展』多くの志村けんグッズが並んでおり、何を買おうか悩んでしまいそうなほど。時間に余裕を持ってご来場いただくのがおすすめだ。『志村けんの大爆笑展』『志村けんの大爆笑展』また、『志村けんの大爆笑展』初日となる5月28日(土)には、仲本工事がオープニング店長として来場した。「志村のお祭りみたい」「いたるところに志村がいるみたいで懐かしい気持ちになる」と本展を鑑賞した感想をもらう。初日には仲本工事がオープニング店長として来場仲本工事がいるところはこの展覧会の一番の見どころと言っても過言ではない「殿の部屋」。志村けんの代表作“バカ殿”がお客様の目の前に降臨! 特殊メイク・等身大で非常にリアルに再現してあり、「志村けんのバカ殿様」の世界に引き込まれる。こちらも撮影スポットなため、志村けんと一緒に写真を撮るのがおすすめ!本当に本物の志村けんがいるように思えてしまうほどの再現力なので腰を抜かす人も続出しそうだ。『志村けんの大爆笑展』会期: 6月12日(日)まで会場:名古屋パルコ南館7階 イベントスペース開催時間:11時~20時 (最終日は18時まで/入場は閉場60分前まで)入場料:当日券一般・大学生1,200円 / 小中高生600円※未就学児は無料。※未就学児のお子様のみの入場はできません。※障害者手帳の提示で本人は無料、介添えは有料です。
2022年06月02日映画には、知られざる真実や忘れられた過去にも光を当てる力がありますが、注目作『山歌(サンカ)』では、かつて日本の山々に実在していた「サンカ」と呼ばれる流浪の民の姿を描いています。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。杉田雷麟さん【映画、ときどき私】 vol. 475本作で、主演に抜擢されたのは、『半世界』や『罪の声』『孤狼の血 LEVEL2』といった話題作への出演が続いている若手実力派俳優の杉田雷麟(らいる)さん。劇中では、生きづらさを抱えていた中学生の則夫が山でサンカの家族と出会い、さまざまな経験を通して変化していくさまを見事に演じています。今回は、初主演作への思いや今後挑戦してみたいことなどについて、語っていただきました。―まずは、初主演が決まったときのお気持ちからお聞かせください。杉田さんオーディション用の脚本では、ラストの父親と対峙する場面しか描かれていなかったので、そのときはまだ自分の役や内容についてあまりわかっていませんでした。実は、主演であることも受かってから知り、「え主演?」となったほどなので(笑)。―かなり驚いたと思いますが、同時にプレッシャーも感じたのではないかなと。杉田さん確かに、初めは主演ということに気負ってしまったところもありました。でも、本読みを進めていくうちにだんだん緊張がほぐれていき、則夫が自分の体のなかに染み込んでいった感じです。サンカについても、監督が僕の疑問点についてきちんと説明してくださったおかげで現場にはすごくいい状態で入れました。―笹谷遼平監督は杉田さんの影の部分に惹かれたとおっしゃっていますが、何か意識されていますか?杉田さんオーディションに行くときは、毎回「絶対にこの役を獲るぞ」という感じで気合いを入れて行きますが、重めの役が続いていたときに受けたオーディションだったので、そういうふうに見えてしまったのかなと。監督からは「影が2メートルくらいに見えた」と言われました(笑)。一番に考えていたのは、自分らしくいること―ちなみに、普段の杉田さんはどんな感じですか?杉田さん友人といるときは、ツッコんだり、ボケたりする感じで、けっこう明るいほうだと思います。とはいえ、スベることは多いですが……。―(笑)。今回、現場では主演として心がけていたこともありましたか?杉田さん自分らしくいたいというのを一番に考えていたので、主演というのはあまり意識していなかったです。それよりも周りの方に助けていただいたほうが多かったので、またこういう機会があれば、次はがんばりたいと思います。―撮影から3年近く経っていますが、初主演を経験したことで変化を感じる部分もあるのではないでしょうか。杉田さん演技については、3年前より成長していてほしい気持ちはありますが、役者に対する思いやこの道で生きていく覚悟に関しては、役者を始めたときからずっと変わっていません。いい意味であの頃とは変わっていない気がしています。―素敵ですね。本作で描かれている「サンカ」については、どのような印象を受けましたか?杉田さん最初に聞いたときは、何にも縛られることなく、自由に生きていてうらやましいというか、少し憧れるようなところはあったかもしれません。でも、劇中でも描かれているように、サンカの人たちが生きにくい時代になっていると知り、自分たちが何気なく便利に暮らしている陰で、やはり何かが犠牲になっていると改めて感じました。命や自然の偉大さについて改めて実感した―自然に対する見方や生き方など、何か影響を受けたところもあったのでは?杉田さん撮影では、実際に魚やヘビをさばくシーンがありましたが、直前まで生きていたものを焼いて食べたので、僕たちは命をいただいているんだなと実感しました。普段の生活ではあまり考えていないことだったので、ヘビの頭を切り落とすシーンでは僕の素のリアクションが映っています。―ご出身は栃木県ということですが、子ども時代はどんなふうにして過ごされていましたか?杉田さん僕は自然のなかで遊ぶことがわりと多かったので、トカゲやヘビを追いかけていたりしていましたね。ただ、最近はあまりそういうことに触れる機会が少なかったので、今回の現場を通じて、改めて命や自然の偉大さについて考えました。―杉田さんはサッカーやボクシングなどをされてきたということで、体力には自信があるほうだと思いますが、それでも山での撮影は大変だったのではないかなと。杉田さん雨が多くて寒さなどのきつさはあったものの、山に溶け込んでいるような感覚でいられたので、体力的な問題はありませんでした。ただ、撮影の最後のほうで大量発生していたヒルに刺されてしまい、かかとが血だらけになったことはありましたが(笑)。今回は、自分と則夫を切り替えることもなく、初めから終わりまで猛ダッシュで駆け抜けているようなイメージだったので、どちらかというとドキュメンタリーに近い撮影環境だったかもしれないですね。20代はいろいろな役をやって、幅を広げたい―今年でいよいよ20歳となりますが、法改正によってすでに4月から新成人となりました。心境の変化などはありましたか?杉田さん社会的にはすでにいろいろなことが適応されてはいますが、正直あまり実感がないというか……。やっぱり僕のなかでは、12月の誕生日に20歳を迎えたときが節目になる感じはしています。―どんな20代にしたいですか?杉田さん20歳になったら、今後演技をしていくうえで必要な感情が生まれ、幅も広がると思うので、とにかくいろいろな役をやりたいです。そのためにも、いまやれることを全力でできたらと。20代は、物事をもっと客観的に見れるようにもなりたいです。―ちなみに、これまでターニングポイントとなった作品や監督との出会いといえば?杉田さん本作の笹谷監督は伊参スタジオ映画祭で大賞を受賞したことでこの映画を作ることができたと聞きましたが、そのときに自分のなかでも監督をやってみたいという気持ちが生まれました。そういう意味では、この作品もひとつのターニングポイントになっている気がします。いつか自分の作品を海外に出してみたいと考えている―すでに脚本を書き始めているそうですが、どのようなものを書かれているのか教えていただけますか?杉田さん自分で読み返してみても、浅くてダメだなと思うものばかりなのでまだちょっと……。というのも、自分でも明確にコレだと言えるものが見つけられていなくて、どこに行こうかなとさまよっている状態なので。これまでわりと暗めの役が多かったので、そういうタイプの作品にひっぱられがちなんですが、それが本当に自分の撮りたいものかどうか僕自身でもわかっていないんだと思います。まずはいろいろと書いてみて、俳優と監督の両方ができるようになりたいです。映像化まではまだ遠い話ではありますが、いつか自分の作品を海外に出して、多くの方に観てもらえるようになれたらいいなと考えています。―非常に楽しみです。ちなみに、ご自身は普段どんなタイプの作品が好きですか?杉田さん洋画を観ることが多いですが、日本だと刑事ドラマをよく観ています。―最近観てよかったものがあれば、教えてください。杉田さん僕が大好きなトム・ハンクスさん主演の『ターミナル』とホラー映画の『ソウ』。どちらもほぼ同じ場所で展開されていますが、それであそこまでおもしろくできるということは、やっぱり脚本がおもしろければいい映画が作れるんだと、この2作品だけでも、思い知りました。最近は、時間があるとだいたい動画配信サービスで映画やアニメを観ていますが、俳優の仕事を始めてからは純粋な観客としての目線ではなくなりましたね。どうやって撮っているのか、つねにいろいろなことを考えながら観ています。これからもいい意味で変わらずに、がんばっていきたい―これから俳優として目指している理想像はありますか?杉田さん主役でも脇役でも両方務まるようになりたいですし、少し出ているだけでも印象に残るような俳優になりたいと思っています。いつか刑事役もやってみたいですし、コメディなども含めてどんどん幅は広げていきたいです。僕は演じているときが一番楽しいですし、現場では学ぶことも多いので、とにかく一生懸命やることをいつも意識しています。―それでは最後に、ananweb読者へメッセージをお願いします。杉田さんこの作品では、僕らが演じている以外にも、山の情景や命の描写などたくさん映し出されているので、観ていただいたときに、何でもいいので何かを感じ取ってもらえたらうれしいです。僕自身は、これからもいい意味で変わることなく、成長していきたいと思っています。応援よろしくお願いします。インタビューを終えてみて……。「現場と違って、取材での撮影は恥ずかしくて苦手」とはにかみつつも、さまざまな表情を見せてくれた杉田さん。雷麟というお名前は本名で、雷のように厳しく、頭がよくなるようにという願いが込められているそうですが、それを体現するような唯一無二の存在として、今後ますますの活躍に期待です。山が訴える声に耳を傾ける圧倒的な山の景色のなかで、人間も自然の一部であることを感じるとともに、真の意味で「生きる」とは何かを改めて考えさせられる本作。則夫のように、多くの人が生きづらさを抱えている現代にこそ観たい1本です。写真・北尾渉(杉田雷麟)取材、文・志村昌美ストーリー高度成長にわく1965年の夏。中学生の則夫は受験勉強のため、東京から祖母の家がある山奥の田舎を訪れていた。父と祖母に勉強を強いられ、一方的な価値観を押し付けられていた則夫は、ふとしたきっかけで、山から山へ漂泊の旅を続けるサンカの長である省三と娘のハナ、母のタエばあと出会う。既成概念に縛られることなく自然と共生している彼らと交流を深めていく則夫。生きづらさを抱えていた則夫にとって、いつしかサンカの家族は特別な存在となっていた。そんななか、彼らが山での生活を続けられないほど追い込まれていることを知った則夫は、ある事件を引き起こすことに……。引き込まれる予告編はこちら!作品情報『山歌(サンカ)』4月22日(金)よりテアトル新宿、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開配給:マジックアワー©六字映画機構写真・北尾渉(杉田雷麟)
2022年04月21日川上麻衣子「(志村さんが住んでいた)麻布十番を歩いていると、志村さんどうしているかな?久しぶりに連絡しようかなって。亡くなったという実感がないから、そんなことを考えてしまうときがしょっちゅうあります」そう優しく笑うのは、女優の川上麻衣子さん。志村さんの冠深夜枠、その第1号番組である『志村X』(1996年フジテレビ系)、さらには後続番組『変なおじさんTV』(2000年フジテレビ系)の途中まで、約7年にわたって共演。志村さんとは、一時期、同じマンションに住んでいたほど親交が深かった。「一緒に藤山寛美さんのVTRを見たり、志村さんが気に入った映画を見たりしていました。志村さんが好きだったのは悲喜劇。底抜けに明るいものを好む人ではなかった。登場人物たちが悲しければ悲しいほど、周りから見ればおかしい。悲しみの中の笑い。そういうことを大切にされていた人でした」川上さんの生まれ故郷・スウェーデンへ一緒に旅行をしたこともあったという。「私が毎年行くので、そのタイミングで一緒に行ってみたいって」。ところが、その道中、志村さんの付き人が、財布やパスポートなどが入った志村さんのかばんをタクシーに置き忘れたというから悲喜劇さながらだ。「かばんが戻ってくるかわからない。大使館に行っても、パスポートの再発行ができないかもと伝えられると、志村さんは『それもいいかもしれないね』って(笑)。お付きの人に怒るでもなく、あわてるでもない。志村さんが取り乱したり、あわてたりする姿を見たことがない」カバンの鍵の数字を忘れた志村さんお金がないから、移動はもっぱら地下鉄と徒歩。「電車や街中で特徴的な人を見つけると、隣に座って形態模写をするんですよ。私は笑いをこらえるのに必死だったんですけど、一瞬で特徴をつかんでしまう。本当に面白くてうまいんですよ。スウェーデンでも、志村さんは志村さんでした」数日後、無事にかばんが戻ってきたものの、アクシデントは続く。「3ケタの数字をそろえて解除するかばんだったのですが、志村さんは普段から数字を合わせっぱなしにしていました。だけどタクシーの運転手さんが気を使って、開けられないようにと数字を回してくれたみたいで。『オレ、数字なんて覚えてないから開けられない』って。みんなで志村さんが好きだった女性にまつわる数字じゃないのって推測して、1人ずつ思い出しながら数字を合わせていったら……本当に開いたんです(笑)。忘れることができない旅行ですね」自らオチまで作ってしまう。志村けんさんは、徹頭徹尾、喜劇人だった。「落ち込んでることがあっても、志村さんのコントを見ると、世の中はバカバカしいことだらけなんだから大丈夫だよって、勇気をもらえますよね。悲しいかもしれないけど、そんなに深く悲しむことなのか─。表現者はみな孤独だという前提の中で、志村さんは笑いと向き合ってらっしゃった。私は、孤独と上手に付き合う方法というのを、志村さんから教えていただいたような気がします」かわかみ・まいこ1966年、スウェーデン・ストックホルム生まれ。1980年のNHK『ドラマ人間模様【絆】』で女優デビュー。ドラマ・映画・舞台と幅広く活躍中。4月2日(日)、第11回「インターペット ~人とペットの豊かな暮らしフェア~」(東京ビッグサイト)にてトークイベント出演。4月21日(木)まで、猫好きのための情報の発信基地を作るため、クラウドファンディングに挑戦中。4月23日(土)、阪神梅田本店「まるごと猫フェスティバル2022」にてサイン会開催。取材・文/我妻弘崇
2022年03月29日2022年3月26日、コントグループ『ザ・ドリフターズ』の仲本工事さんがTwitterを更新。2020年3月に新型コロナウイルス感染症で亡くなった、『ザ・ドリフターズ』のメンバーである、志村けんさんの墓参りに訪れたことを報告しました。墓参りには、同じく『ザ・ドリフターズ』のメンバーである、高木ブーさんと加藤茶さんの3人で訪れたそうです。久しぶりに三人揃ってお墓参りに行ってきました。やっぱり、グループで一緒に仕事をした時のことが一番甦りました。今となっては、良い思い出です。志村、ありがとうネ。 pic.twitter.com/fdfF4IAEPj — 仲本工事 (@nakamoto_koji1) March 26, 2022 同日、高木さんも自身のインスタグラムを更新し、「3人でやっとお墓参りに行けました」とコメントしています。早いもので、志村が亡くなって3回忌です。今日、3人でやっとお墓参りに行けました。bootakagi85ーより引用3人で墓参りする姿に、ファンからは「もう3回忌なのか…」などの声が寄せられています。・志村さんが亡くなって、もう3回忌なのか。早いなぁ。・何世代にも笑いを届けてくれた志村さん。未だに亡くなったなんて信じられない自分がいます。・この3人がそろって、並んでいるだけでなんだか嬉しいです。志村さんも笑っていると思う。・志村さん、幼少期からたくさんの笑いと元気をありがとう!3人が墓参りしてくれて、志村さんも喜んでいるだろうな。加藤さん、高木さん、仲本さんがそろって、志村さんの墓参りへ訪れた姿は、多くの人の涙を誘いました。3人そろって墓参りする姿を、天国の志村さんは、にこにこと笑いながら見守っていたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2022年03月27日志村けんさん東京の北西部・東村山駅前には、銅像と一緒に写真を撮る人がいつもいる。みな“アイ~ン”のポーズだ。「志村けんさんの銅像です。昨年6月に完成しました。『東村山音頭』でこの地域を有名にした功労者ですからね。市内の有志がクラウドファンディングで製作費を募ったら、予定の2400万円を上回る3200万円が集まりました」(地元の住民)自撮りをしていた男子高校生は、母親のDVDで『8時だョ!全員集合』を見てファンになったと話す。「今でも毎日、全国各地からたくさんの人が訪れています。北海道から来た方もいましたし、タンクトップにジーンズの“志村どうぶつ園”コスプレで来るそっくりさんまで現れました(笑)」(駅の整備員)自宅の現在は「ぱっと見はきれいだけど」銅像の隣には、’76年に植樹された『志村けんの木』があり、空に向かって枝を広げている。長きにわたって市民から愛されてきた。「亡くなられたときは駅前に献花台を置きましたが、コロナ禍が続くいま、三回忌ではありますが同様のことを行うのは難しい。メールでメッセージをいただければ、責任を持って遺族にお渡ししています」(東村山市役所秘書広報課・渡辺茂治課長)志村さんが亡くなったのは、’20年3月29日。新型コロナの感染拡大が始まってすぐの時期だった。あれから2年がたつが、志村さんが住んでいた東京・三鷹の家は放置されたままのようだ。「志村さんが三味線を弾く音が聞こえなくなって、本当に寂しいですね。亡くなった当時はお兄さんや家政婦さんがよく来ていましたが、最近は見ません。自宅前の掃除や草むしりは、近所の人たちでやってますよ。だから、パッと見はきれいですが、中庭は草や木がぼうぼうの生え放題。野良猫が子どもを産んですみついてしまいました。ずっと人がいないので、建物も傷んできたようです。雨樋が壊れたのか、昨年の大雨のときは、屋根から流れ落ちる水が滝のようにすごい勢いでした」(近くの住民)熱海のリゾートマンションも、そのままになっている。「志村さんは何度かお見かけしたことがあります。亡くなったときは、フロントに志村さんの肖像画が飾ってあって、花が供えてありました。それを見ると、もうここには来ないんだなって寂しくなりましたね」(マンションの住人)遺産相続のをゆくえを直撃志村さんは3人兄弟の末っ子。昨年6月、2番目の兄・美佐男さんが亡くなっていた。「体調が悪いとは思えず、ずっと元気に見えました。昨年の春くらい、普通に車で出かけるのを見ましたし、挨拶もしていました。どうやらその後、いつの間にか入院していたようですね」(美佐男さん宅近所の住民)親族によると、志村さんとは仲のいい兄弟だったそうだ。「美佐男には、よくゴルフを教えてあげていましたよ。私とウマが合ったから、ウチの会社に入って働いていたんです。それが40年くらい前。でも、芸能界で活躍していたけんが“兄貴は俺が雇わせて”って頭を下げて、直談判してきたの。それで美佐男は、けんの個人事務所に入りました。酒が好きで、美佐男はけんが来ると一緒に焼酎を飲んでいた。ふだんはまじめだけど、酔うと明るくて。事務所は六本木の近くだったから、そりゃあ飲むよね」(志村さんの親族)酒好きが仇になったのではないかともいう。「何年か前に会ったとき、体調が悪いって言っていた。飲みすぎで肝臓を壊しちゃったんじゃないかな。けんの一周忌もだけど、美佐男の葬式も参列しなかった。だって呼んでくれないんだもん。コロナの事情もわかるけど、それはないよね。知之は’15年にお母さんを亡くしてから、けん、美佐男を立て続けに喪って、疲れたんだとは思うけどさ」(同・志村さんの親族)知之というのは、志村さんの長兄のこと。志村さんの個人事務所の代表取締役になっている。美佐男さんが亡くなった後にはその息子が新たに取締役になった。ただ、残された不動産の登記は、今も志村さん名義のまま。知之さんに話を聞いた。─三回忌の予定は?「命日近くで内密に小さくやります。コロナが終わらないからね」─三鷹の家の掃除は?「庭は一昨年の夏、人に頼んでやりました」─2年がたちましたが、相続は進まない?「なんとなくね、やってはいるけどなかなか。コロナで進まないっていうのもあって」─美佐男さんも亡くなられたようで……。「内臓を壊していてね」─個人事務所は美佐男さんの息子に任せる?「俺が継いだんだよ。甥と2人でやっていきます」─熱海のマンションは?「あれから行ってない。忙しくて行けないんです」志村けんの遺産が10億円というのは“少ない”相続の手続きが進んでいないのは確かなようだ。前出の親族は、いらだちを隠さない。「三鷹の家だって放っておけば、傷んで資産価値が下がるし、治安が悪くなり、近所にも迷惑がかかる。“早く相続しなさいよ”って言ってやりました。事務所にはずっと美佐男が通っていたんだから、いずれは彼の息子が継ぐのが自然だろうね」志村さんの遺産は10億円ともいわれたが、長年、芸能界のトップで活躍してきたのだから、もっと多くてもおかしくはない。「志村さんの遺産が10億円って、確かに少ないですよね。あれだけ活躍したのだから、最低50億円は持っていそうですよ。でも、おカネの使い方は激しかった。20年ほど前ですが、私が勤めていた銀座のクラブには週に3、4回は来ていました。毎回、ダチョウ倶楽部の誰かなど何人か連れてきて、支払いはすべて志村さん。100万円単位で置いていきました。同じ日に何軒か回っていたそうだから、1日にいくら使っていたのかなって」(銀座の元ホステス)ただし、巨額な相続税も発生する。相続が遅れることに問題はないのか。弁護士法人天音総合法律事務所正木絢生代表弁護士に聞いた。「相続に関連して、コロナ禍を理由に延長が可能なのは、相続税の申告・納付期限についてです。通常は10か月以内という期限が定められていますが、コロナ特例にて、延長できます。しかし、それでも1、2か月程度でしょう」遺産分割については、今の制度上は特に期限が定められているわけではない。「遺産分割が終了するまで、何年もかかるケースもあります。制度上は期間が定められているということはありません。ですから、志村さん所有の不動産の名義の変更が遅れていることと、コロナ特例は関係していないと思われます」(正木弁護士、以下同)民法の改正が予定されており、不動産の相続登記は「相続を知った日から3年以内に相続登記をすること」が義務化されることになるという。志村さんの遺族は数億円の相続税を、不動産整理をせずに、どうやって支払ったのか。「志村さんが、たくさんの現金を所有していて、そこから支払われた可能性は高いと思います。その場合は、遺族の同意書を作成する必要があります」稀代の喜劇王が遺したものは、あまりにも大きい。
2022年03月25日俳優・山田裕貴が日本を代表するコメディアンの一人、志村けんさんの若き日を演じるドラマ「志村けんとドリフの大爆笑物語」の放送日が12月27日(月)に決定。さらなる追加キャストが発表された。先日、雑誌「日経トレンディ」(日経BP社)が選ぶ「2021年今年の顔」にも選ばれた山田さんが、デビュー10周年の節目の年に志村けんさん役を演じる本作。いかりや長介さん役を遠藤憲一、加藤茶役を勝地涼、高木ブー役を加治将樹、仲本工事役を松本岳が演じることも発表されている。そして今回発表された、荒井注さん役には金田明夫、志村さんの父親・志村憲司さん役には渡辺いっけい、母親・志村和子さん役には宮崎美子、さらにムロツヨシもある役で出演する。ドラマは、志村さんがコメディアンになることを決意し、いかりやさんの元を訪れ、1968年、高校卒業間際にバンドのボーヤ(付き人)として携わるところから始まる。見習い時代の修業の日々、そして1974年にメンバーの一員となってから1990年代までの、想像を絶するような過酷なスケジュールや、人気の裏に隠された挫折と苦悩、葛藤を描く。また、毎週行われていたネタ会議の様子や、徐々に築かれていく加藤との友情も明らかに。いままで表には出ることのなかったメンバーとのやりとりや、いかりやさんとの関係など、今回のドラマ化に当たって取材して初めてわかったことも描かれる。出演の話がきたときの感想を、金田さんは「志村さんの半生を描くドラマがあるということ、そのメンバーの中の荒井注さん役を、と聞いて、“やらせてください”と、二つ返事でした」と言う。「実在の人物を演じることは、その人物の気持ちをどのぐらい代弁できるのかなとか、彼だったらどう思ってるのかなとまずは考えます。そして形態模写というよりは性格模写のような感じで気持ちを作っていくのですが、今回はそれを楽しんで演じられればいいなと思って臨みました」と語った。子どもの頃からドリフターズを見て育ったという渡辺さんは「本当にドリフターズが好きで見ていました。志村さんが見習いで入ってきて、はじめはあまりうけていない頃からよく覚えているので、今回の出演のお話には感慨深いものがありました」とコメント。さらに芸名の由来には、「お父さんの名前を取って“志村けん”という名前になったことを今回初めて知って、ちょっと鳥肌がたちました」と語る。そして志村さんとは生前、親交のあった宮崎さんは、「今回このようなお話をいただいて、みんなに愛された志村さんを大事に育て、その志村さんが大好きだったお母さんの役を演じることができて、本当に光栄で幸せだなと思います」と言う。約1年ぶりとなる福田組の撮影現場にムロさんは、「ここが僕のホームなんだなと思い出させてくれる時間でした」と言い、「志村けんさんと加藤茶さんという偉大なるお二人を、山田裕貴さんと勝地涼さんが演じられるいうことで、私なりの応援の方法はないかと思って、出演させていただきました」と二人にエールを送る形での出演となった。最後には「今日も楽しいおふざけができました」ともコメントしており、どのような役で登場するのかにも注目だ。「志村けんとドリフの大爆笑物語」は12月27日(月)21時~フジテレビ系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2021年11月24日若かりしころの志村けんさんと山田裕貴あまりにも衝撃的だった、昨年春の志村けんさんの死。今も志村さん、そしてザ・ドリフターズを求めるファンは老若男女、国境も飛び越え数多い。8月の大阪を皮切りに開催されている展覧会『志村けんの大爆笑展』(大阪と東京は終了)も、数時間待ちの整理券が発行されるなど、連日多くのファンが足を運んでいる。テレビでもドリフの特番は『ドリフ大爆笑』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』などを放送するフジテレビを中心に、現在も地上波での特番や、BSで再放送するなど、人気のほどがうかがえる。■山田裕貴のすごさがわかる一枚9月には、サンドウィッチマンやカンニング竹山、劇団ひとり、遠藤憲一、純烈ら豪華な顔ぶれがドリフの名作コントに挑戦する特番『ドリフに大挑戦スペシャル』が放送され、加藤茶、仲本工事、高木ブーらも新作コントを披露。11月にはドリフの3人と、ももいろクローバーZによる武道館でのライブ『もリフのじかん』も開催予定。ドリフ熱の冷める気配はない。そんななか発表されたのが、フジテレビで12月に放送されるスペシャルドラマ『志村けんとドリフの大爆笑物語』だ。ドラマでは志村さんがザ・ドリフターズの付き人からメンバーとして加入し、そして国民的大スターに駆け上がっていくさまが描かれていくという。福田雄一氏が脚本・演出を手がけ、志村さんを山田裕貴が演じるということが発表され、志村さんの衣装を着たビジュアル写真も公開された。「この写真を見て驚きました。さまざまな作品で大活躍する山田裕貴ですが、パッと見誰だか分からないぐらい志村けんさんに寄せていました。その演技ぶりから“憑依型”と呼ばれることもある山田のすごさが、この一枚からも伝わってきます」と、あるテレビ関係者は言う。■激似とウワサの加藤茶=菅田将暉この完成度から今後の期待は高まるが、そうなると気になるのが、ドリフの他のメンバーを誰が演じるのかということだ。そこで早くも盛り上がっているのが、加藤茶役の俳優について。「かねてから若いころの加トちゃんに似ていると言われている菅田将暉に演じてほしいという声が多方面からあがっています。確かに表情や顔のパーツがよく似ていますよね(笑)」(同前)菅田将暉と山田裕貴での「加トちゃんケンちゃん」コンビが実現したら、なんとも豪華な限りだ。脚本と演出が福田雄一氏ということで、福田作品によく出演する俳優陣の名前も上がり、あるドラマウォッチャーが予想する。「佐藤二朗さんにムロツヨシさんといった、おなじみの顔ぶれはかなり濃厚かと思います。そう考えると、佐藤さんがいかりや長介さん、ムロさんは、志村さんとのメンバー交代をした、重要なポジションとなる荒井注さんを演じてほしいですね」一方で、山田裕貴が志村けんさん役ということであれば、若い世代を取り込むためにも若手でキャスティングする可能性も捨てきれない。そこで目をつけたのが大ヒットしたドラマ・映画の『今日から俺は!!』の面々に期待したいと、前出のドラマウォッチャーが続ける。「菅田将暉が加藤茶さんなら、賀来賢人がいかりやさんで、仲本工事さんに仲野太賀、高木ブーさんに矢本悠馬なんてどうでしょうか。なかなかいいチョイスだと思います。でも、加藤さん、仲本さん、高木さんを、あえて本人に演じてもらうといったチカラ技もあり得るかもしれません(笑)」放送が近づくにつれ、ほかのキャストも順次発表されることになるが、それまでは予想を楽しみつつ、5人(+荒井注)勢ぞろいのビジュアル再現を楽しみにしたい。〈取材・文/渋谷恭太郎〉
2021年10月22日志村けんさんの半生を描いたドラマ「志村けんとドリフの大爆笑物語」の放送が決定。山田裕貴が志村さんを演じ、福田雄一が脚本・演出を手掛ける。昨年3月、新型コロナウイルス感染症に伴う肺炎のためこの世を去った、日本を代表するコメディアンの一人、志村さん。今回ドラマでは、志村さんがコメディアンになることを決意し、1968年、高校卒業間際にバンドのボーヤ(付き人)として「ザ・ドリフターズ」に携わるところから始まる。見習い時代の修業の日々、そして1974年にメンバーの一員となってから1990年代までの、想像を絶するような過酷なスケジュールや、人気の裏に隠された挫折と苦悩、葛藤が描かれる。また、毎週行われていたコントのネタ会議の様子や、徐々に築かれていくメンバーとの友情も明らかに。そして、「8時だヨ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」の懐かしい一場面も登場する。今回そんな志村さんを演じるのは、『東京リベンジャーズ』で東京卍會副総長・ドラケン役や、「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」の刑事・山田武志役が近年話題となった山田さん。「お話をいただいたときは、“本当に僕ですか?僕で大丈夫ですか?”と、信じられませんでした。楽しみよりもプレッシャーの方が大きかったです」と心境を明かした山田さんは、役を演じるにあたって、コントシーンを何度も繰り返し映像で見て研究したそうで、撮影の合間もスタッフ相手にコントの練習に励むほど、熱心に取り組んでいたという。そして「実はコントシーンの撮影日が、31歳の誕生日でした。すごくうれしくて、もしかしたらそれは志村けんさんからのプレゼントだったのかなと思います。ドラマの中のセリフで、“笑いたがっている人、笑わせましょうよ”とありますが、そういうドラマになればいいなと思っていますし、その日1日は、志村けんさんに変わって皆さんを笑顔にできるとうれしいです」とコメントしている。福田さんもまた、喜びとともにとてつもないプレッシャーを感じていたそうで「ドリフの歴史の一端を担うことができるだろうかという不安と、僕自身、志村けんさんへの思い入れがとてつもなく強かったので。何しろ、志村さんは少年時代からずっとテレビの前で見てきた大スターでしたから」と思いを明かし、「本当に大変なプレッシャーの中でしたが、山田裕貴さんはじめ役者の皆さんが本当に頑張ってくれましたし、スタッフも本当に素晴らしかったので、いい作品が撮れていると思います。編集はこれからですので、私がプレッシャーから解放されることはありませんけれど、きっといい作品になると信じて、ぜひ、お楽しみに!」と呼びかけた。「志村けんとドリフの大爆笑物語」は12月、フジテレビにて放送予定。(cinemacafe.net)
2021年10月20日志村けんさん(享年70)のコメディアン人生46年を振り返る初の企画展「志村けんの大爆笑展」(10月17日まで東京・松坂屋上野店本館6階催事場にて開催中。11月6〜28日に宮城・TFUギャラリーミニモリ、12月22日〜2022年1月11日に石川・金沢エムザでも開催。詳しくは公式HPまで)が東京で開催中だ。本展は家族から提供された志村さんの貴重な私物や、名物キャラクターの衣装や小道具、コント体験ができる撮影スポットなどで構成されている。そんな「志村けんの大爆笑展」を、『金スマ』(TBS系)の再現ドラマで志村さんの幼少期を演じた星流くん(12)が体験!「殿の部屋」では、志村さんの代表作「バカ殿様」の等身大人形がお出迎え。ザ・ドリフターズの仲本工事さん(80)も「隣にいると話しかけちゃう」と太鼓判を押したリアルさ。星流くんもその完成度に「すごい!」と驚きの様子。「アイーン」のポーズで記念撮影です。「志村けんの大爆笑展」は、見るだけでなく撮影も楽しめる内容になっているのがポイント。「変なおじさん」「いいよなおじさん」など名物キャラクターの実際に使用していた衣装がずらりと並ぶなか、星流くんは、『8時だョ!全員集合』(TBS系)で使用されていた白鳥の衣装の前で「だっふんだ!」の表情でパチリ!また、ザ・ドリフターズの鉄板ネタ、天井からタライが落ちてくるコントを体験できるスペースが。星流くんもタライに当たったときのリアクションが試される!?ほかにも、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)で人気だった鏡のコント体験も!鏡から体を半分出して、宙に浮いてるような写真や動画も撮れちゃいます。「あんだってぇ!?」でおなじみのひとみばあさんのブティックには、イベント限定グッズが盛りだくさん!レアなグッズに「欲しい!」が止まりません。「笑いがなければ人は生きられない。だから僕は笑いを大事にしたい」ーー。そう語っていた喜劇王・志村けんさんが遺した笑いの世界を楽しんで!
2021年10月16日お笑い芸人・志村けんさんの企画展『志村けんの大爆笑展』の東京開催が2日、松坂屋上野店で初日を迎え、オープニング店長を務めるザ・ドリフターズの仲本工事が、開店前に取材に応じた。仲本は「この時期にこういうものをできるということは喜ばしいし、志村とってもいいことだと思います」と心境をコメント。会場を回って、肌の質感から細部にまでこだわって製作された“リアルバカ殿様”が「一番落ち着くかなあ」という。あまりのリアルさに、つい話しかけてしまうそうで、「『お前なんで先逝っちゃったんだよ』とか『カトちゃんが一番悲しんでるぞ』とか言いました。日本の財産だったからね」と、しみじみ。ほかにも、「『(8時だョ!)全員集合』や『(ドリフ)大爆笑』で見たシーンの現場がありますので、そこで体感してもらって楽しんでもらえればと思います」と呼びかけた。志村さんとの思い出を聞かれると、「一番印象に残ってるのは『ジャンケン決闘』かな。あれが盛り上がってやってても楽しかったな」と、志村さんがあの“最初はグー”を生み出したコーナーを回想。志村さんが亡くなってから1年半という月日が経ったが、「僕らはわりと単純だから、あんまりそういう思い出に浸ったりとかはしてないんです。こういう機会に『ああいうことがあったな』とか鮮明に思い出されるというのでいいんじゃないですか? 志村の思いまで背負って演技したり、コントしてたら、きっと湿ったもんになっちゃうと思うので、それはそれ、これはこれって線引きをきちっとしてやっていけばいいと思います」と強調した。はっぴの下に、志村さんの様々なキャラクターが描かれたTシャツを着用した仲本。志村さんの描かれたTシャツを着るのは初めてだそうだが、着心地は「気持ちいいです(笑)」。「Tシャツが好きで1年中着てるので、こうやって仲間のTシャツを着るっていうのは、僕は好きですね」とご満悦の様子で、プライベートでも「いろいろと着て、私のファッションにしたいと思います」と笑顔を見せた。その後に開店すると、仲本はオープニング店長として来場者1人1人を出迎え、幅広い世代に愛される志村さんの人気を実感していた。同展は、17日まで開催。入場時間は10時~20時(最終入場は19時30分まで)で、入場料は一般・大学生1,200円、中高生800円、図録付き2,000円。
2021年10月02日お笑い芸人・志村けんさんの企画展『志村けんの大爆笑展』が、10月2日から松坂屋上野店で東京開催を迎える。この初日に、ザ・ドリフターズの仲本工事が、オープニング店長に就任することが決まった。大阪開催では、連日多くの客が来場し、志村さんの笑いのルーツやコント映像、衣装などで喜劇王の軌跡を懐かしんでいる。特に、肌の質感から細部にまでこだわり製作された“リアルバカ殿様”は来場者を圧倒。また、大人気の「鏡のコント」が体験できるエリアなども用意されている。東京開催では、イベントの告知映像のナレーションを務めた仲本が初日の開店時に客をお出迎え。人気キャラクター“ひとみばあさん”のお店「高級ブティック ひとみ」では、アメリカで1920年に創業したキャップブランド“NEW ERA”とのコラボ商品を発売する。国民的キャラクター“変なおじさん”をモチーフにしたデザインを含め3種類が販売される予定だ。仲本は「笑いに対して生涯かけて勉強し努力し追求し続けた志村の遺(のこ)した作品を、ぜひみなさんも会場に足を運んで見に来てくださいね! 僕もみなさんに会えるのが楽しみです。志村もきっと喜ぶよ」と話している。(C)イザワオフィス/フジテレビ
2021年09月01日お笑い芸人・志村けんさん初の企画展『志村けんの大爆笑展』(企画制作:フジテレビ/イザワオフィス)が、8月6日から全国10都市以上で開催されることが決まった。同展では、志村さんの幼少期の写真など、その笑いへのルーツを年表形式で紹介すると共に、一番のファンである家族から借りた貴重品を展示。また、緻密な計算で作られた劇用小道具や衣装も大量に展示する。「喜劇王『志村けん』の軌跡」では、志村さんの笑いのルーツを大年表にして、その軌跡を追う。幼少期から喜劇王が創り上げた数々の名作コントと功績を、マル秘エピソードと家族から拝借した貴重品と共に紹介する。「名物キャラクター大集合」では、志村さんが生み出した国民的キャラクター“変なおじさん”、“ひとみばあさん”をはじめ、名物キャラが集合。コント内で実際に使用されたかつらや衣装に加え、緻密な計算で創作された小道具も公開。コント映像と解説と共に紹介する。写真撮影スポット「殿の部屋」では、志村さんの代表キャラ“バカ殿様”を特殊メーク・等身大でリアルに再現。おなじみの“アイーン”ポーズで出迎える。『志村けんのバカ殿様』撮影セットも再現し、“バカ殿様”の世界観に引き込む。写真撮影スポット「名作コント体験」では、『志村けんのだいじょうぶだぁ』でおなじみの鏡を使用した摩訶不思議コントや、ドリフターズで定番の“タライ落とし”コントを体験。物販コーナー「高級ブティックひとみ」では、大人気商品「変なおじさんのパジャマ」や、志村さんが愛用した「GOD SELECTION XXX」などの有名ブランドコラボ商品をはじめ、イベント会場でしか手に入らない限定グッズが販売される。ザ・ドリフターズの高木ブーは「志村は笑いに対してドリフのメンバーの誰よりも貪欲だったよね。そんなアイツの作品をぜひ皆さんお楽しみください。僕の中では志村はずっと生きてる。だからみんなが大爆笑展に来てくれるのを、アイツも会場で待ってるんじゃないかな」とコメント。仲本工事は「あんなに笑いに対して努力した男、僕は見たことがないよ。すごくいろんな笑いを見たり、音楽を聴いたりと、とにかく勉強熱心だった。そんな志村が遺(のこ)した作品をみなさんも是非会場に足を運んで見に来てください!志村もきっと喜ぶよ」。加藤茶は「ドリフターズの坊やとして入ってきた志村を誰よりも可愛がってきたのは俺じゃないかな。アイツにはずいぶん無茶させられたんだけど、憎めない奴だった。会場にはそんな志村と俺のエピソードなんかも展示されているみたいなんで、皆さんぜひお越しください」とアピール。企画制作のフジテレビ・板谷恒一氏は「2020年3月29日、新型コロナウイルス感染症による肺炎のため亡くなられた志村けんさん。志村さんは生前、こんな言葉を残されています。“笑いがなければ人は生きられない。だから僕は笑いを大事にしたい”。現在も先の見えない状況が続き、多くの皆さんが不安な日々を過ごされています。そんな中でも、志村さんが残された“笑い”はどんな時でも私たちを笑顔にしてくれました。このイベントを体感していただき、改めて志村さんをしのぶと共に、数多く作られた珠玉のコントで“大爆笑”していただくことで、日本が前を向いて生きていくための大事な糧になれば幸いです」と話している。開催日程は、下記の通り。・2021年8月6日~2022年12月(予定)・大阪会場を皮切りに全国10都市以上を巡回(予定)■大阪会場2021年8月6日~9月5日(なんばスカイオ7階 コンベンションホール)入場料金:一般・大学生1,000円(800円)、小中高生700円(500円)■東京会場2021年10月2日~10月17日(松坂屋上野店 本館6階 催事場)入場料金:調整中宮城会場は2021年11月~、石川会場は2021年12月~開催予定
2021年06月30日ステイホームが続くなか、家族と過ごす時間が増えたことで、改めて家族としっかり向き合った人も多いのではないでしょうか?そこで、今回ご紹介するのは、ある決断をした母親と家族の姿から生き方や家族のあり方について考えさせられる話題作です。『ブラックバード家族が家族であるうちに』【映画、ときどき私】 vol. 387ある週末、医師のポールと病を患っている妻リリーが暮らす海辺の家に集まってきたのは、娘たちとその家族。彼らの目的は、安楽死を決意したリリーが家族と最後の時間を過ごすためだった。母の意思を受け入れてはいるものの、苛立ちを隠せない長女ジェニファー。いっぽう、次女のアナは母の決意を受け入れられず、姉と衝突を繰り返していた。複雑な思いを抱えながらも、一緒の時間を過ごす家族たち。徐々にそれぞれが抱えていた秘密が明らかになるのだった。そして、ジェニファーとアナは、母の決意を覆そうと試みるのだが……。アカデミー賞受賞経験のあるスーザン・サランドンとケイト・ウィンスレットをはじめ、実力派俳優が顔を揃えていることでも注目の本作。そこで、こちらの方にその舞台裏についてお話をうかがってきました。ロジャー・ミッシェル監督『ノッティングヒルの恋人』や『恋とニュースのつくり方』など、さまざまな人気作を手掛けてきたミッシェル監督。今回は、本作の現場で初めて経験したことや俳優陣から感銘を受けた瞬間などについて、語っていただきました。―オファーをもらってすぐに決断したそうですが、普段から作品の題材を決めるときは、即決するタイプなのでしょうか?それとも、この作品は特別でしたか?監督普段はわりと頭で物事を考えるタイプではありますが、作品に関しては直感が一番正しいガイドになることが多いですね。今回も、すぐに魅力を感じました。ただ、直感なので、オファーを受けたときは自分と題材とがどうしてつながっているのかわからないことも。撮り終わって数年経ってから、「ああ、こういうことだったんだ!」とわかることもけっこうあるくらいなんですよ(笑)。―では、本作に関しては、どのような部分に監督の直感が働いたのか答えは出ていらっしゃいますか?監督題材はもちろんのこと、ひとつの家に家族全員がほぼ丸3日間一緒にいなければいけないという設定がおもしろいと思いました。それはまるでアガサ・クリスティの作品のように、容疑者たちが集まる週末に誰かが死んでしまうことがわかっているような展開だなと。登場人物も、それぞれのキャラクターに踏み込みやすい物語なので、そういった部分に惹かれました。スーザンの存在と演技に助けられた―母のリリーを演じたスーザン・サランドンさんの存在感は、この作品の大きな柱になっていたと思いますが、ご一緒されてみていかがでしたか?監督この映画では死よりも、生を描いているので、スーザン自身の魅力をリリーにも吹き込んでいきたいと考えていました。彼女は機知に富んでいて、洗練されたユーモアを持ち、本当にタフでイキイキとした人なんですよね。撮影中、彼女のアイディアを取り入れながら最終的な脚本を完成させていきました。スーザンのおかげでリリーはセンチメンタルになることなく、リアルでありながらエッジの効いたユーモアのあるキャラクターにすることができたのではないかなと。題材が重いので、なるべくそういった軽妙さを出したいと思っていましたが、アドリブも含めた彼女の素晴らしい演技に助けられました。―対する娘のジェニファー役を務めたケイト・ウィンスレットさんも、素晴らしかったです。監督今回、一番初めにキャスティングされたのは彼女でしたが、「ケイト・ウィンスレット」という名前が自分の企画につくだけでまるでハチミツのようにほかの俳優たちを引きつけてくれました(笑)。そうやって素晴らしいキャストに集まってもらうことができ、より魅力的な作品になったと思います。―ケイトさんの役との向き合い方は、どのようにご覧になっていましたか?監督この役はいままでの彼女が演じてきた役とは違うタイプのキャラクターだったと思いますが、そういう醍醐味も感じながら演じてくれました。実は、公開前に私の知人に作品を見せたところ、驚くことに最後のクレジットになるまで、ジェニファーがケイトであることに気がつかなかった人もいたくらい。つまり、それだけ彼女が役になりきっていたということだと思います。彼女の冒険心や喜びは周りにも影響を及ぼしていて、みんなのお母さんのようでもありました。そんな彼女が言い出しっぺで、キャストも含めたみんなでブラックバードの柄のタトゥーを入れたことも。私にとって人生で初めてのタトゥーとなりましたが、それくらいみんなの仲がいい現場でした。映画作りは予期せぬ出来事を見つける作業の連続―その一体感は、作品からも伝わってきました。監督撮影中はみんなで現場に近くに泊まっていたこともあり、つねに一緒の時間を過ごしていたので、ある種のストックホルム症候群のような状態に陥っていたのかもしれませんね(笑)。ただ、それによって、お互いのことを思いやれる関係性を築くことができました。―舞台となった家にも、そういった空気感を生み出す力があったのではないでしょうか?監督今回は家もキャラクターのひとりと言ってもいいほど、重要な存在となりました。当初はイギリスのあらゆる場所を探しても見つからなかったんですが、そんなときにケイトから「うちの近くにいい家があるから見に来てほしい」と。それを聞いた私は、「現場と自宅が近ければ遅く起きても行けるから、すすめているんだろう」くらいに考えていたんです(笑)。でも、その場に足を踏み入れた瞬間に、「ここで撮影したい」と思うほど素晴らしい場所でした。イギリスにも関わらず、家のデザインはアメリカ的で、海沿いの景色もアメリカの東海岸を思い起こさせるような雰囲気。リリーのキャラクターとも呼応する家になると感じました。―実際に現場では、監督も予期しないような瞬間が生まれたこともありましたか?監督映画作りというのは、毎日現場で自然発生的に起こる予期せぬ出来事を見つける作業でもあると私は思っています。俳優たちの演技に関して言うと、そういった“化学反応”のような瞬間はたくさんありました。特にテーブルを囲んでのランチやディナーのシーンでは、俳優にアドリブを入れてもいいと伝え、長回しにしているので、そこで生まれたものは多かったですね。監督としてはつねに網を持って待ち構え、突然飛び出してきた蝶々をつかまえるような感覚だと言えると思います。そのためには、準備もきちんとしなければいけないですけどね。―とても素敵な表現ですね。監督あと、もうひとつ気がついたことは、本作のようにシリアスでエモーショナルな作品のときほどジョークが飛び交ったりして笑いの絶えない現場になりますが、逆にコメディのときはすごくダークな雰囲気になることも……。そこが反比例するのはおもしろいですが、人生というのはそういうものかもしれないですね(笑)。安楽死の持つ複雑な側面を知ることとなった―なるほど、非常に興味深いお話です。こういった作品と向き合ってみて、監督自身の死生観に影響を与えたことはありましたか?監督この映画を作るにあたって、すごく考えたのは安楽死について。特に、いろんなリサーチをするなかで、「世界中で安楽死を合法にすべき」と主張することがいかに難しいことかを知りました。なぜなら、安楽死には複雑な面がたくさんあり、悪用されてしまう可能性があることもわかったからです。この作品は安楽死に関する政治的な映画ではありませんが、リリーの選択については、誰もが考えさせられるとは思います。英語で安楽死を意味する「Euthanasia」の語源がギリシャ語の「良い死」から来ていることも、興味深いことだなと感じました。―監督にとって、この作品で一番の挑戦だったことは?監督挑戦でもあり利点でもあったのは、家のなかというひとつのロケーションで少人数の俳優たちと撮影したこと。なぜなら、カーチェイスやファイトシーンのような刺激的なカットを入れることができないだけに、俳優とストーリーだけで観客の関心をずっと引き続けなければいけなかったからです。それだけに、どうやって新しい形で撮影できるかをつねに考えながら撮影していました。―これまでに日本の作品や文化で、監督が感銘を受けたものがあれば教えてください。監督黒澤明監督をはじめとする日本映画を築いた方々の作品が非常に好きで、影響を受けています。とはいえ、これは私だけではなく、世界中の方が同じように感じているのはないでしょうか。私はまだアジアを訪れたことがありませんが、近いうちに日本にはぜひ行きたいです。―お待ちしております。それでは、日本の観客に向けてメッセージをお願いします。監督観たら気持ちが落ち込んでしまうような物語だと身構えてしまう人もいるかもしれませんが、「ぜひ観てください」と心の底から言えるような作品になりました。死についてではなく生についての映画になっているので、コロナ禍を経験したいまの時代にぴったりの1本だと思います。家族だからこその葛藤と秘密に震える静かでありながら、心の奥に鋭い問いを突きつける本作。家族との向き合い方や目に見えない絆、そして生きるうえで自分が譲れないものについて、思いを巡らせずにはいられないヒューマンドラマです。彼らとともに、濃密な時間を過ごしてみては?取材、文・志村昌美胸が熱くなる予告編はこちら!作品情報『ブラックバード家族が家族であるうちに』6月11日(金)より、TOHO シネマズシャンテほか全国ロードショー配給:プレシディオ、彩プロ© 2019 BLACK BIRD PRODUCTIONS, INC ALL RIGHTS RESERVED
2021年06月10日自分だけが頑張っても「私らしく生きる」のは難しいということ、隣のあの子は敵じゃないということ、そろそろみんな気が付いている。みんなが生きやすい未来を作るために何ができるんだろう。今回はライターの志村昌美さんに、自立したヒロインを描く映画を紹介してもらいました。5月28日(金)発売 Hanako1197号「気持ちいい生活の選びかた。」よりお届け。1.『ハンズ・オブ・ラヴ 手のひらの勇気』フェアであることを求めて戦うことの大切さ©2015 Freeheld Movie, LLC.All Rights Reserved同性婚が認められなかった時代に、とあるカップルが遺族年金の権利を巡って制度に立ち向かう姿を描いた実話ドラマ。「主演のエリオット・ペイジは本作の参加を機に同性愛者だとカミングアウトし、その後トランスジェンダーであることを公表し改名。そういう彼の生き様も含めて、気づきや学びの多い作品です」(DVD4,180円、デジタル配信中/発売・販売元:松竹)2.『アイリス・アプフェル! 94歳のニューヨーカー』ルールに囚われがちな私たちの心に響く作品©IRIS APFEL FILM, LLC.NYのカルチャーシーンに影響を与え続けるアイリス・アプフェルのドキュメンタリー。「この作品は名言だらけなのですが、私が好きなのは“ルールがあっても破るだけ”という言葉。いくつになってもカラフルな服をまとい、心から人生を楽しんでいる彼女を見ていると、年を重ねるのが怖くなくなります」(DVD 5,170円/発売・販売元:KADOKAWA)3.『あなたの名前を呼べたなら』タブーとされている、階級を超えた恋愛の話インド出身の女性監督ロヘナ・ゲラの長編デビュー作。ファッションデザイナーを夢見ながらメイドとして働く主人公と、彼女が尽くす御曹司の関係性が少しずつ変わっていき……。「幼い頃から階級差別を目の当たりにしてきた監督の思いのこもった作品。今なお格差や古い慣習に苦しむ女性がいることを学べるだけでなく、純粋にラブストーリーとしても楽しめます」4.『ビリーブ 未来への大逆転』性差別撤廃に貢献した、実在する女性の物語©2018 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC.女性弁護士のルース・ベイダー・ギンズバーグが史上初の男女平等裁判に挑む姿を描いた実話ドラマ。「女性が家庭に入るのが当たり前だった時代に、仕事と結婚・子育てを両立した彼女の生き様がすばらしい。この映画に感銘を受けたら、ドキュメンタリー『RBG 最強の85才』もぜひチェックを」(Blu-ray 2,200円、DVD 1,257円/発売・販売元:ギャガ)5.『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』13歳の主人公のピュアな言葉が心に響く©2018 A24 DISTRIBUTION, LLC“クラスで最も無口な子”に選ばれてしまうほど内気な女の子が、不器用な自分を変えて憧れのクラスメイトたちに近づこうと奮闘する様子を描く。「ティーンが主人公の映画ですが、人間関係での葛藤や孤独など、大人が見ても共感できる点がたくさん。思春期の揺れるアイデンティティをどう確立していくか、見ているうちに一緒に思考を巡らせることができます」6.『ドリーム』理不尽な境遇でも努力し続けた3人の女性Photofest/アフロ1960年代に活躍した宇宙飛行士ジョン・グレンの功績を陰で支えた、NASAで働く3人の黒人女性スタッフの知られざる物語を映画化。「人種と性別、2つの差別に苦しむ女性たちが夢に向かって奮闘する姿を描いた作品です。“前例がなければ自分が前例になればいい”という彼女たちの考え方に勇気をもらえます」(Blu-ray発売中、デジタル配信中)7.『幸福路のチー』主人公と一緒に、自分の人生について考える©Happiness Road Productions Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.台北近郊に実在する「幸福路」を舞台に、祖母の死をきっかけにアメリカから帰郷した女性が幼少期の思い出を振り返りながら自分を見つめ直す様子をとらえたアニメーション映画。「主人公が自分らしさを取り戻す姿を見つつ、台湾の歴史や社会情勢についても学べる作品。アニメだとより気軽に見られると思うので、自分の幸せを見つめ直すいい機会になるはずです」8.『5月の花嫁学校』女性が解放されていく姿をユーモラスに描く1967年のフランス。女性解放運動が強まり、完璧な主婦を育てる修業は時代遅れとされる中、若い女性のための家政学校の校長が起こした変革とは!?「自由と平等を手にした女性たちが変化する様は必見。新しい良き妻の鉄則と女性の権利向上に尽力した女性たちの名前を挙げるシーンも注目です」(ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開)9.『37セカンズ』自分らしく生きようともがく姿が心を打つ出生時に37秒間呼吸ができなかったために足が不自由になってしまった女性が、ある出会いをきっかけに自らの殻を破って成長していく様子を追う。「障がいがあろうとなかろうと、女性が抱える葛藤はみんな同じなんだなと実感した作品。HIKARI監督は日本人女性監督としてこれから世界で広く活躍していく方だと思うので、そのあたりにも注目してもらいたいです」時代の変化に伴い、自立したヒロインが求められるように。女性ヒーローである『ワンダーウーマン』や『キャプテン・マーベル』をはじめ、それまで主人公の男性を引き立てる存在だった女性たちがパワフルに活躍する姿が目に入るようになってきた今。「現代が舞台の作品はもちろん、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』のように古典がベースの作品でも女性の描き方に変化が感じられます」と志村昌美さんは話す。とはいえ、まだまだ平等だとはいえないのが現実だ。「クロエ・ジャオ監督がアジア系女性初のアカデミー賞監督賞を受賞したりと、業界が変わりつつあるのを感じるので、今後ますます女性のパワーが強くなっていくことを信じています」Selector…志村昌美(しむら・まさみ)映画宣伝会社で作品の宣伝業務を経験した後、ライターに転向。監督や俳優のインタビュー、映画評などを中心に雑誌やWebで執筆活動を行う。(Hanako1197号掲載/illustration : naohiga photo : MEGUMI, Yoshiki Okamoto, Keiko Nakajima text : Yuko Tanaka, Koharu Ishizuka, Momoka Oba, Rio Hirai, Mariko Uramoto, Makoto Tozuka, Ayako Nozawa edit : Rio Hirai(FIUME Inc.))
2021年06月05日大人気コミックからはじまり、ドラマ、映画と着実にパワーアップしている『賭ケグルイ』シリーズ。最新作となるのは、映画版第2弾の『映画 賭ケグルイ絶体絶命ロシアンルーレット』です。その舞台裏について、本シリーズには欠かせないこちらの方にお話をうかがってきました。高杉真宙さん【映画、ときどき私】 vol. 384舞台は、ギャンブルの強さで生徒の階級が決まる私立百花王学園。高杉さんは、“最狂の賭け狂い”である主人公・蛇喰夢子の親友としてつねに隣に寄り添っている鈴井涼太を演じています。今回は、役に対する思いや現場の様子、そして人生を賭けた自身の分岐点について語ってもらいました。―まずは、劇場版の続編が決まったときのお気持ちから教えてください。高杉さん3年くらいこの役をやらせていただいていますが、僕自身も鈴井ともう一度会えるんだとうれしい気持ちが強かったです。そういったなかでも、進化した鈴井と以前とは違う高杉真宙を見せられたらいいなと思って挑みました。どこまでできるかわかっているぶん、その信頼を裏切ることなく、さらに上を目指していく必要がありますが、それを超えていくところにもおもしろさがあったと思います。―前回演じたときから、2年ほど空いていると思いますが、すぐに感覚は戻りましたか?高杉さん今回は、わりと時間がかかりましたね。特に大変だったのは、『賭ケグルイ』でも大事なリズム感を思い出すこと。ラスボスのようなキャラクターがたくさんいるなかで、それぞれ異なるリズム感を持つみなさんにうまく乗っていくのが鈴井の役割でもあるので、その感覚を取り戻すのにけっこう苦労しました。―個性の強いキャラクターの方々に囲まれていますが、惹かれる女性キャラクターはいますか?高杉さんあまりにもみなさん濃い方々なので、正直なことを言うと、できることならあまり関わりたくないキャラクターばっかりですよね。実際、僕がこの学園に入ったら、生きていける気がしません(笑)。鈴井としては、浜辺美波さん演じる夢子と言いたいところですが、森川葵さん演じる早乙女芽亜里の男気があるところが意外と好きですね。ただ、芽亜里もお金にはがめついですからね……。となると、やっぱり夢子の賭け狂っている姿と普段とのギャップが素敵だなとは思います。特に今回の映画版では夢子のお茶目な部分がときどき出ていて、これまでの作品とは違う魅力が見れるところもいいかなと。とはいえ、あくまでも「強いて言えば」ですけどね。そこは強調しておきたいです(笑)。予測できないのがこの現場のおもしろいところ―(笑)。このシリーズでは、高杉さんの顔芸もすごいですが、意識していることはありますか?高杉さん『賭ケグルイ』の現場に行くと、挙動不審に思われているかもしれませんが、役作りをするうえで僕は顔の筋肉をずっと動かしていないと落ち着かないんです。普段の生活で、あんなに顔を動かしていることはありませんから。そういう意味でも顔をほぐす運動は、鈴井を演じるうえでは、すごく重要なこと。決して不審な行動ではなく、意味のあることだというのをちゃんと書いてもらえるとありがたいです(笑)。周りの方々もみなさんすごいので、それに負けないようにしたいという気持ちで演じました。―今回は、劇中でミュージカルシーンもあり、驚きましたが、ご自身で演じてみていかがでしたか?高杉さんそのシーンは、一番緊張しました。曲が送られてきたとき、『賭ケグルイ』で歌うことになるとは思わず、少し笑ってしまいましたが、本当にいろいろなことに挑戦させていただける現場だなと思います。でも、僕はあまり歌が得意なほうではないので、とにかく緊張しました。このシリーズでは、どこまで進化させられるんだろうと思いますが、予測できないのがこの現場のおもしろいところでもあるのかなと。結果的には、楽しんで演じられたと思います。―では、主演の浜辺美波さんのすごさを目の当たりにしたような瞬間があれば、教えてください。高杉さん浜辺さんは、相変わらずオンオフの切り替えが早くて本当にすごいです。一番初めに夢子が賭け狂っているシーンを撮ったときの表情は、いまでも記憶に刻まれていますが、今回新たに最凶の相手と向き合うなかで、そのときのことを思い出しました。そういう浜辺さんの姿はかっこいいんですよね。いろいろな夢子の表情が見れますが、やっぱりそこが一番魅力的だなと感じています。―素の浜辺さんはどんな方ですか?高杉さん最初は静かな方なのかなと思っていましたが、このキャストのなかでは一番年下なのに、一番しっかりしていて、みんなを守ってくれるような大人っぽいところがある方です。僕はこの現場ではいじられキャラなんですが、いつの間にか浜辺さんにもいじられるようになりました(笑)。でも、そうやって接してくださるおかげで僕は現場にいやすいので、優しい方なんだと思います。鈴井のおかげで現場での立ち振る舞い方がわかった―高杉さんは、以前からいじられキャラだったんですか?高杉さん『賭ケグルイ』の現場でいじられキャラでいることっていいなと気がついたので、僕に現場での振る舞い方を教えてくれたのは、鈴井かもしれません。最近は、自分と鈴井は意外と近いのかなと思うようになりました。ほかの現場でも、先輩からいじられることは時々ありますが、僕は自分から話しかけるのがあまり得意ではないので、コミュニケーションのきっかけにもなるいじられキャラは居心地がいいですね。いまはそれに甘えています(笑)。―今回、初参加となったのは、シリーズ史上最凶最悪のヴィランである視鬼神真玄を演じたジャニーズWESTの藤井流星さんです。どのような印象を受けましたか?高杉さん以前、僕はジャニーズWESTのメンバーの方とお仕事したことがあったので、そういったお話もできるなとすごく楽しみにしていました。女性キャストが多くて寂しかったので、男性同士でいろんなお話ができてうれしかったです。撮影中の藤井さんは、世界観もキャラクターもかなりしっかりと作り込まれていたので、すごかったですね。こちらも何かしないといけないと思うくらいの強い圧を感じて、本当に魅了されました。ダンスを踊りながら演じるシーンでは、すべての動作に色気があり、ラスボスとしての存在感もしっかりと出ていたので、これは勝てないなと思って見ていたほどです。なので、もしギャンブルでペアを組むなら、藤井さんがいいですね。最後に華麗に決めてくれそうな気がしています。大きい勝負では意外とギャンブルするタイプ―そんなふうに魅了されつつも、高杉さんも鈴井くんとして負けたくないという気持ちもあったのでは?高杉さんそれも当然ありましたが、「アットホームだけど負けないぞ!」という気持ちがみんなのなかにあるのが『賭ケグルイ』の現場。チームでありライバルでもある関係をみんなが楽しんでいるからこそ、いい意味で競争ができているのかなと。それが、この現場のいいところだと思います。何年も演じるなかで鈴井は僕しかいないという自信もありますし、愛着だけは誰にも負けません。―鈴井くんの好きなポイントはどんなところですか?高杉さんすごくバタバタしているんですけど、自分のためだけではなくて、人のためにしているところが愛らしい人だなと。こんな学園でも、こういうキャラクターが生きていけるというのは、意味のあることだと思います。今回の映画では、男気があるところも見せているので、さらに好感度が上がりました。―まだまだ高校生役は演じ続けられそうですか?高杉さん僕はいつか取材で「これが最後の高校生役なので、ぜひ見てください」と言いたいと考えていますが、そのタイミングを図っているところなので、いつになるかはわかりません(笑)。―鈴井くんは少し頼りないところがありますが、高杉さんは一発逆転を狙うギャンブラータイプですか?それとも堅実派?高杉さんどちらかというと、石橋を叩いて渡るタイプかなと思っているんですけど、おもしろければいいかなというところもあるので、大きい勝負のときは意外とギャンブルするタイプかもしれません。この仕事を始めたことは大きな決断だった―人生で一番の賭けに出たことといえば、どんなことですか?高杉さんいくつかありますが、まずはこの仕事をしようと決めたのもひとつの大きな賭けだったかなとは思います。ギャンブルは一切しませんが、人生の分岐点ではどちらを選ぶかは重要なことですよね。なので、この仕事を始めたことは大きな決断だったなと改めて感じています。ただ、普段はけっこう堅実なほうじゃないかなと。実際、ゲームセンターでUFOキャッチャーにお金を使いすぎていることに気がついて以来、UFOキャッチャーはすぐにやめました(笑)。―(笑)。本作では、それぞれのキャラクターが絶体絶命に陥りますが、人生最大のピンチがあれば、教えてください。高杉さん幼少期のできごとですが、大きなお祭りで家族とはぐれて迷子になったときのこと。けっこう小さかったのに、あのときのことはいまでもはっきりと覚えているほどです。すごく不気味で『千と千尋の神隠し』みたいな感じでした。それで、「あー、もう絶体絶命だ!」と思っていたら、近くの建物から家族が僕の名前を呼びながらのんきに僕に手を振っていたんです。母は焦っていたかもしれませんが、僕と家族の間にあまりにも温度差があることに驚いた記憶があります(笑)。―無事でよかったです。では、夢子さんのギャンブル同様に、自分もこれを奪われたら生きていけないと思うものはありますか?高杉さんゲームですね!ただ、最近はゲームを愛しすぎるあまり、自分を律するのが大変になっていてよくないなと感じているので、もう少し趣味程度に収めるのがベストかなと感じています。ゲームのために、家にも早く帰るくらいですから(笑)。ほかのことをおろそかにしてはいけないとわかってはいるんですが、本当におもしろいんですよね……。しっかりと中身のある人になりたい―2年前にananwebでインタビューさせていただいたときに、「がんばった自分へのご褒美は?」という質問にも、朝から晩までゲームしたいとおっしゃっていましたよね(笑)。いまは何をご褒美にしたいですか?高杉さんそういったこともあって、最近はもう少しほかにも趣味を作りたいなと思うようになりました。まだ出会っていないもののなかに好きなものがあるかもしれないので、「もっといろいろなことを試したほうがいいよ」と周りからも言われています。もしかしたらゲーム以上に好きなものあるかもしれないと思って探していますが、まだその域にはたどり着けていないですね。でも、いま興味があるのはひとり旅。旅行をしても大丈夫な時期になったら、ぜひやってみたいなと思っています。とはいえ、いろいろなものを試したうえで、やっぱりゲームがいいと舞い戻ってくるかもしれないですが(笑)。―新たに見つけたら、次回ぜひ教えてください。21歳になったばかりのときの取材では、「男らしさに憧れている」とおっしゃっていましたが、20代も半ばに差し掛かってきて、今後はどのようになりたいとお考えですか?高杉さんもちろん、いまでも男らしさはほしいなと思っていますが、見た目だけではなくて、精神的に男らしい存在になりたいと考えるようになりました。最近、舞台でご一緒させていただいた藤原竜也さんが先輩としても人としても素晴らしくて、本当にかっこよかったので、そういう先輩を目の当たりにすると、20代前半で考えていた男らしさに対する憧れは浅はかだったなと。自分がちゃんと成長をのぞめば、それに伴った速度で成長していけると思うので、これからもいろいろな経験を積んで、しっかりと中身のある人になりたいと改めて思っているところです。インタビューを終えてみて……。これまで高杉さんには何度も取材をさせていただいていますが、お茶目なところは変わらないまま、芯の部分ではますます強くなっているのを感じました。高校生の役もまだ最後ではないようなので、これからも幅広いキャラクターで私たちを楽しませてくれること間違いなしです。まずは、高杉さんにしか演じられない進化を遂げた鈴井くんに注目してください。一度知ったら忘れられない刺激体験!極限状態で繰り広げられる心理戦と張り詰めた緊張感、そして次々と巻き起こる罠に釘付けになってしまう本作。先が読めない命を懸けた壮絶なバトルにハマり、日常を忘れてしまうほどの興奮を味わいたい人にオススメです。写真・安田光優(高杉真宙)取材、文・志村昌美ストーリーギャンブルの強さだけで学内のヒエラルキーが決まる私立百花王学園。生徒会は、蛇喰夢子の脅威に危機感を募らせていた。一方、学園内では生徒会への上納金を支払えない“家畜”と呼ばれる生徒の数が爆発的に増加。「家畜の呪い」と呼ばれる現象によって、事態は混乱の一途をたどっていた。そんななか、学園に突如現れたのは、視鬼神真玄と名乗る1人の男。2年前に起こしたある事件をきっかけに、生徒会長の桃喰綺羅莉によって学園を追われた過去を持っていた視鬼神は、“共感覚”という特殊能力を持つ最凶最悪のギャンブラーだった。そして、ついに夢子vs視鬼神vs綺羅莉の戦いの火蓋が切って落とされることに……。スリリングな予告編はこちら!作品情報『映画 賭ケグルイ絶体絶命ロシアンルーレット』6月1日(火)TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー配給:ギャガ©河本ほむら・尚村透/SQUARE ENIX ©2021 「映画 賭ケグルイ2」製作委員会写真・安田光優(高杉真宙)
2021年05月29日近年のさまざまなムーブメントにより、社会における女性の立場は大きく変化しているものの、それでも職場や家庭で何かと問題に直面しているという人もいるのでは?そこで、そんな思いや悩みを抱えている女性にピッタリの1本を最新作のなかからご紹介します。『5月の花嫁学校』【映画、ときどき私】 vol. 3821967年、フランスの田舎アルザスにある家政学校に、18人の少女たちが入学。ピンクのスーツを着こなす校長のポーレットは、迷信を信じる修道女と少女のまま中年になったような無垢な義理の妹とともに理想の良妻賢母を育成するために力を注いでいた。ところがある日、経営者であるポーレットの夫が莫大な隠れ借金を残して急死。ポーレットは夫の事業を支え、夜のお勤めにも渋々付き合っていたのにひどい仕打ちが待ち受けていたことに呆然としてしまう。そんななか、死に別れたはずの恋人と再会し、心の奥にしまっていた情熱に火がつくポーレット。生徒たちとともに、自分らしい生き方に目覚めていくことに……。本国フランスでは初登場1位に輝き、大ヒットとなった本作。今回は、多くの女性たちの共感を呼んだ物語がどのように誕生したのかについて、こちらの方にお話をうかがってきました。マルタン・プロヴォ監督ananwebには前作『ルージュの手紙』以来、4年振り2度目の登場となるプロヴォ監督。今回は、初タッグを組んだフランスの大女優ジュリエット・ビノシュとの現場で感じたことや女性が生きやすい社会に必要なことなどについて語っていただきました。―監督が子どもの頃に家政学校の生徒たちがベビーシッターのアルバイトに来ていたことがあったそうですが、それがこの物語が誕生したきっかけでしょうか?だとしたら、いまの時代に作ろうと思った理由を教えてください。監督実は僕の子ども時代の思い出が始まりではなく、きっかけは3年前。バカンスに行った先で出会ったおばあさんが、自分が15歳くらいのときに家政学校に通っていた話をしてくれたんです。彼女が「家政学校」と言った瞬間、僕のなかで何かがひらめき、そして子どもの頃に若い女の子たちが家に来ていたことを思い出しました。そのあとすぐ、まずはインターネットで家政学校のことを調べてみることに。そうしたらフランスでさまざまなアーカイブ映像を保管している機関に、1950~60年代の家政学校に関するドキュメンタリーがあることがわかりました。おばあさんからも、学校を卒業するためにはウサギを自分で殺してさばかないといけないとか、「そんなことありえるの?」と思うような話をいくつか聞いてはいましたが、実際に映像を見てみるとほかにもおもしろいエピソードが盛りだくさん。そういったこともあり、これは映画になると思いました。脚本と世の中がリンクし始めておもしろかった―家政学校に通っていた女の子たちは、どのような子が多かったのでしょうか?彼女たちにとって、家政学校はどのような場所だったのかについても教えてください。監督60年代のフランスというのはどこも田舎で、いまのように都会とされるような地域はごくわずかでした。そういうなかで各地に多くの家政学校があったんですが、当時は貧しい家庭で生まれ育った女の子たちが数多く在籍していたようです。ただ、彼女たちにとって家政学校に通うことは「いい夫を見つけられるかもしれない」とか「何か資格を得られるかもしれない」という可能性にもつながっていたので、ある意味では“夢のある場所”でもあったかもしれません。そういった背景もあったからか、当時のドキュメンタリーに出てくる彼女たちはみんなとても幸せでいっぱいの表情を浮かべていました。―劇中では50年以上前の女性たちを描いているものの、現代に通じるところも多く感じられました。何か意識されたこともあったのでしょうか?監督僕が脚本家のセヴリーヌ・ヴェルバと一緒にシナリオを書き始めたときは、まだMe Too運動も始まっていませんでしたし、特に現代の女性の在り方から影響を受けた部分はありませんでした。ただ、ストーリーを書き進めていくなかで、女性に関するいろいろなムーブメントが起きるようになり、自分たちが書いているような内容に世の中の女性たちがリンクし始めたので、非常におもしろい体験ではありました。ジュリエットは監督にとって理想的な女優―なるほど。では、主演のジュリエット・ビノシュさんについてもおうかがいします。監督がこの作品で彼女をキャスティングから理由を教えてください。監督実は、以前ほかの作品で彼女と組もうという話があったのですが、その企画がなくなってっしまったことがありました。そんななか、今回の物語を思いついたときに、「この役はジュリエットしかいない」と感じたので、脚本自体も彼女をあてがきしているんです。とはいえ、彼女にはいままでとは違うところにいってほしいという気持ちもあったので、そこは意識したところでもあります。―ananwebでは2年前に来日された際に、直接取材をさせていただいたことがあり、とても聡明で美しいジュリエットさんに魅了されました。実際ご一緒されてみて監督から見たジュリエットさんの魅力について教えてください。監督ジュリエットは、出し惜しみをしない気前のいい女優だと感じました。役に入り込むなかで、ときには僕と意見が異なることもありましたが、だからこそとても美しい関係を築けたのではないかなと。それは撮影が終わったいまでも続いていて、時々電話をしてお互いのことを話したりすることもあるほどです。監督にとっては、本当に素晴らしい理想的な女優だと思います。現場では彼女をはじめ、みんなでとても楽しい雰囲気で進めることができましたが、実は撮影していたときはジュリエットのお父さんが危篤状態で、彼女にとっては非常につらい時期でもありました。その後、撮影中に訃報が届いたときは、何度もやり直しをしなければいけないほど難しいシーンを撮っていたときで、僕自身もいろんな葛藤がありましたが、彼女のほうから「大丈夫です」と。そうやって毅然とした態度で撮影に専念する姿勢をみんなに見せてくれて、本当に勇気と度胸のある器の大きな女性だと強く感じました。また別の作品でも、ぜひ一緒に仕事をしたいと考えているところです。自由への道を勇ましく歩く女性たちをイメージした―女優としての覚悟を感じさせるエピソードですね。劇中で非常に興味深かったのは、「何よりもまず夫に付き従うこと」「家事を完璧にこなし不平不満を言わない」から始まる“良き妻の鉄則の7か条”。新旧と2パターンが登場しますが、何かを参考にされて作ったのでしょうか?監督まず古いほうは、1950年代に出版された本のなかで「女性はこうあるべき」といった考えを項目別に説明されているものを読み、そこから良き妻の鉄則としてそのまま7つもらうことにしました。まるで迷信のような内容でしたが、実際に本に書かれていたものというのが驚きですよね。―そんな本があったんですね。では、新しいものはどのようにして作成しましたか?監督それは先ほどの古い7つの鉄則をそのまま裏返して作りました。女性たちが、自由になって解放されるためには、こういったことが必要なのではないかと考えたものばかりです。新しい鉄則を披露するラストシーンは、女性たちが心を開き、自由への道を勇ましく歩いていくイメージを出すために、あえてミュージカル風にしました。そのなかで、ジュリエットのアイディアをもらって変更したところが1か所あります。それは、女性解放のために貢献した実在の女性たちの名前を挙げていくシーンです。当初はここも歌う予定でしたが、ジュリエットが女性たちの名前を毅然と言うほうがいいということだったので、その意見に賛同して取り入れることにしました。男女の差や権力で対立しない未来を信じたい―そのあたりも注目ですね。フランスでは1968年から女性解放運動が始まりましたが、いまなお女性たちはいろいろな問題を抱えています。女性を主人公にした作品を多く手掛けている監督から見て、この状況を改善するために必要なことは何だと思いますか?監督いまはとても才能豊かで優秀な女性たちがたくさん活躍している姿を目にするので、僕が子どもの頃に比べるとたいぶ変わったなと感じます。1970年から2021年までの50年の間だけでも、本当にいろんなことがありましたよね。とはいえ、同じ仕事をしているのに女性のほうが男性よりも給与が少ないといった男女の不平等がまだ社会に残っているのも事実です。なので、まだ変化の途上だと僕は思っています。そう考えると、いま大事なことは教育。特に、育児を行っている人たちの意識を変えていかなければならないと感じています。そのほかにも伝えたいのは、男性のなかにも女性性があり、女性のなかにも男性性があるので、みなが自分のなかにある“異性”というものをもっと活用していくべきだということ。そうすれば、男女の差や権力で対立することはなくなっていくのではないかと考えているからです。もしかしたら、それは夢のような話かもしれませんが、そうなっていくことを信じたいですね。外面的な変化だけではなく、人間の内面的な意識改革が進んでいけば、50年後はもっといい方向へと変わっていけるのではないかと思っています。女性たちの意識に革命を起こしてくれる!フランスから届いたのは、爽やかな感動に包まれる人生賛歌。固定概念から解放され、自分の道を歩いていくことを決めた女性たちが変貌を遂げていく姿は、あなたの人生をよりカラフルでパワフルなものにしてくれるはず。社会が変化するのを待つのではなく、自分自身から変わっていきたいと前進する力をもらえる1本です。取材、文・志村昌美元気をもらえる予告編はこちら!作品情報『5月の花嫁学校』5月28日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開配給:アルバトロス・フィルム© 2020 - LES FILMS DU KIOSQUE - FRANCE 3 CINÉMA - ORANGE STUDIO - UMEDIA© 2020 Carole BETHUEL - LES FILMS DU KIOSQUE
2021年05月27日仕事や育児などに追われながら、忙しい日々を送っている現代の女性たち。子を持つ母親なら誰もが一度は経験したことのあるさまざまな問題を真正面から描いているのが、まもなく公開を迎える話題作『明日の食卓』です。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。高畑充希さん【映画、ときどき私】 vol. 381劇中では、立場や住む場所は異なるものの「石橋ユウ」という同じ名前の息子を持つ母親が3名登場しますが、そのなかで大阪に住むシングルマザーの加奈を演じた高畑さん。今回は、現場の様子や自身の経験、そしてこれからのことについて語っていただきました。―最初に脚本を読まれたとき、ご自分の役どころについてはどのように感じましたか?高畑さん私自身も東大阪の町工場が多い場所で育ったこともあり、自分が小さいときに味わった空気感や出会った人たちを思い出して、懐かしさを覚えたところがありました。なので、加奈というキャラクターも他人という気がしなかったですね。役に関しては、子どもとの間で生まれる部分が大きいと感じていたので、どうなるんだろうとワクワクしながら現場に行きました。―実際に演じてみて、いかがでしたか?高畑さん今回、私のパートは1週間くらいのタイトなスケジュールだったので、怒涛のように過ぎていき、気がついたら終わっていたという感じでしたね。私は3人の母親のなかでもトップバッターでしたが、スタッフのみなさんはこれをあと2回繰り返すのかと考えたら、本当に体に気をつけてほしいと思うくらいハードでした。年齢を重ねて、周りに委ねられるようになった―瀬々敬久監督の現場は今回が初となりますが、「1日の密度があまりにも濃すぎて、撮影中の記憶がほとんどない」というコメントを拝見しました。そのなかでも、何か驚いたことがありましたか?高畑さんまずこれだけの内容をこの短期間で撮ることだけでもすごいんですが、それにスタッフのみなさんがガンガンついていっている姿を見て、めちゃくちゃタフだなと。瀬々監督の現場は、「全員猛ダッシュ!」みたいな雰囲気でした。それはやっぱり監督がとにかく映画が好きだからだと思いますが、キラキラした目でずっとモニターにかじりついていて、「モニター食べちゃうんじゃないかな?」と思ったくらいです(笑)。そんな監督の映画愛とエネルギーについて行きたいと思う方々が、あのハードな現場に集まっていらっしゃるんだと思うと、改めてすごいなと感じました。私自身もずっとスイッチが入っているような感覚で、集中力が切れるタイミングもなかったので、撮影が終わった後は抜け殻のようになってしまったほどです。―加奈はどんなにつらくてもまじめにがんばり続けている女性でしたが、ご自身と重なる部分はありましたか?高畑さん加奈は自分が一生懸命がんばって何とかしなきゃと考えているタイプなので、誰かに頼るのが下手な人だなと感じました。私は年齢を重ねてきたこともあるのか、いまでこそ周りに委ねることも増えましたが、20歳前後のときは私にも加奈のようなところはあったと思います。そんなふうに、自分で突破口を見つける以外に方法を知らない感じはすごくわかるなと思いながら演じていました。子どもとの距離感は人それぞれでいい―そういうふうに考え方を変えるきっかけがあったのでしょうか?高畑さん何か大きなきっかけがあったわけではありませんが、急に主演を任されることになったとき、主演は「どしっと立っていないといけない人」というイメージがあったので、そこに自分がついていけないことに悩んでいた時期がありました。そのときは自分で何とかしなきゃいけないと思っていたんですが、主演を務めさせていただく機会が増えていくとともに、周りの人にも頼りながら行ったほうが結果的にみんなで作品を作り上げていけるんだということに気がついたんです。自分としても、そのほうが余裕を持ってできることに経験を重ねていくうえでわかったので、いい意味であまり考えなくなったのかなと。そういうことに気がついてからは、「自分ひとりだけでがんばらなきゃ」みたいなものがなくなったように感じています。―なるほど。では、完成した作品をご覧になったときはどのような感想を持たれましたか?高畑さんどうしても自分が出ている作品は冷静に見ることができないので、菅野美穂さんと尾野真千子さんのパートのほうにばかり目が行きましたね。実際に、おふたりとは現場ではご一緒していませんし、ほかの方の様子はまったく知らなかったので、「菅野さんのパートは子どもが2人いて大変だっただろうな」とか、「尾野さんのパートは息子が大変なことになってるな(笑)」とか、そんなことを考えながら見ていました。―女優というお仕事では、いろいろな母親を疑似体験できるところがあると思いますが、そのうえで思う理想の母親像があれば、教えてください。高畑さん理想像というのはあまり考えたことはないですが、私の周りで母親になっているみなさんを見ていると、子どもとの距離感は本当に人それぞれなんだなとは感じています。でも、それは男女のパートナーシップと同じで、正解がないことなんじゃないかなと。もし私が母親になったら、子どものやりたいことをやらせてあげたいなとか、ある程度距離を持って自由にさせてあげたいなとか、自分がしてもらったようにしたいとは思いますけど、実際に子どもが生まれてみたら全然違うかもしれないですからね。こればっかりは経験してみないとわからないことかなと感じています。転んだらまたそこから立ち上がればいい―ご自身のお母さんから受けている影響はありますか?高畑さん私の母は私とは性格がまったく違って、すごく心配症なので、私の前に何か障害物があるとそれを拾ってくれるタイプなんです。でも、私はどちらかというと転んで学べというタイプの父に似ているので、自分に対しても人に対しても「転んだらまたそこから立ち上がればいいんじゃない?」というスタンスですね。実際、私は早くに地元を出て15歳からひとりで生活を始めたこともあり、10代の頃にたくさん転んで、いっぱい挫折を味わいました。母といたらもっと障害物のない道を歩いてしまっていたかもしれませんし、距離があったことでより両親と仲良くなれたところもあるので、いまとなっては若いうちに親元を離れてよかったなと感じています。―本作では、母親が抱える苦悩を描くいっぽうで、父親や夫としての男性の在り方に関する問題も描かれていると感じました。高畑さんは、どのように受け止められましたか?高畑さん私も難しいことだなと思いました。おそらく、女性は家族や子どもに対してストレートに矢印が向いていますが、男性は女性よりも「社会のなかにいる自分」というものに矢印が向いてしまっているケースが多いのかな、って。もちろん全員ではありませんが、男性は女性よりも社会からの目線というものに重きを置いている方が多いような印象です。育児に関しても、いまだに母親が子どもを育てるのを“手伝う”という感覚が根強いのかなと感じました。「イクメン」という言葉がありますが、そもそも父親と母親と両方の子どもなので、子育てをするのは当然のことなんじゃないかなと思うこともありますからね。この作品では男性の育児不参加という部分も描かれているので、子育てを経験されている方には共感するところが多いのではないかなと思いました。もっと生活の質を上げていきたい―最近は菊田一夫演劇賞を受賞するなど、女優としてますますやりがいを感じることもあると思いますが、コロナ禍で仕事に対する向き合い方などに変化はありましたか?高畑さん舞台では、お客さんの熱量を直接感じることができるので、改めてエンターテインメントのすごさを実感しています。それまでは当たり前にあったものだったので気がついていないところがありましたが、こういう状況になってはじめてどれほど自分にとって活力になっていたのかがわかりました。私自身もワクワクできる空間がないと、生きている感じがしないので、見る側としても、出る側としてもエンターテインメントがいかに大切なものだったのかを知ると同時に、改めてこの仕事をしていてよかったなと感じているところです。―そんな忙しい毎日で、癒しになっているものがあれば、教えてください。高畑さんいままではあまり興味がなかったんですが、最近はお花や植物を部屋に置くようになりました。以前、母に「年を取るとお花をもらうのがうれしくなるよ」と言われたことがあって、そのときはわからなかったんですが、意味がわかるようになったので、私も大人になったんだなと(笑)。植物を飾るだけで気持ちが華やかになる感覚は、自分にとっても新鮮ですね。最近は、大きな木を買いました。おそらくその背景には、生活の質を上げたいという思いもあるのかなと感じています。かつては仕事に一生懸命で家がぐちゃぐちゃみたいなときもありましたが、いまは生活がベースにあって、それにプラスして仕事があるという感覚です。まだまだこれからですが、生活の質はどんどん上げていきたいと思っています。30代はおもしろくなりそうだとワクワクしている―今年で30歳を迎えることもあり、この質問を聞かれることも多いと思いますが、30歳というのを意識されていますか?高畑さんそうですね、最近めちゃくちゃ聞かれます(笑)。20代前半は求められる若々しさや明るさに自分が追いつけていないように感じて、そのギャップに悩むこともありましたが、最近はそういうことを求められることもなくなってきたので、いまはいい感じに気楽になってきました。なので、自分としては30代のほうがおもしろくなるんじゃないかなとワクワクしています。―そのなかでも、今後ご自身が目指しているところや夢などがあれば、教えてください。高畑さん私はあまり計算できるほうではなく、行き当たりばったりでここまで来たところがあるので、実際にいまの自分がこうなっていることもまったく想定していませんでした。わりと波乱万丈なところもありますが、それはそれですごくおもしろいなと自分では思っています。人生はいろいろなことがありますが、どれもよかったなと思っているので、この先も同じように感じられたらいいかなと。これからも、自分らしく楽しんでいけたらいいなと考えています。インタビューを終えてみて……。ひとつの質問に対してしっかりと言葉を選びながら、真摯に答えてくれる高畑さん。そこには女優としてだけでなく、エンターテインメントに対する強い思いもひしひしと感じました。本作での観る者を惹きつける熱演も必見です。感情を揺さぶるミステリアスな群像劇多くの女性たちが抱えているであろう葛藤をリアルに描き、心をえぐるような展開を見せる本作。3人の女性たちが下す決断と彼女たちが迎える結末から、さまざまな気づきと希望を得られるはずです。写真・北尾渉(高畑充希)取材、文・志村昌美スタイリスト:Shohei Kashima(W)ヘアメイク:根本亜沙美ビスチェ¥11,000、スカート¥15,400/すべてパブリック トウキョウ(パブリック トウキョウ 渋谷店 03-6450-6559)、ピアス¥13,200/ユーカリプト(ユーカリプト )、リング(人差し指)¥19,000/ガガン(ガガン 070-3321-1424)、リング(中指)¥9,900/ソワリー(ソワリー 06-6377-6711)、その他スタイリスト私物ストーリー神奈川在住・フリーライターの石橋留美子43歳、大阪在住・シングルマザーの石橋加奈30歳、静岡在住・専業主婦の石橋あすみ36歳。3人の母親たちは、いずれも「石橋ユウ」という同じ名前の小学 5 年生の息子を育てていた。それぞれが忙しくも幸せな日々を送っていたはずだったが、些細なことがきっかけで歯車が狂い始め、生活が崩れていくことに。はたして、ユウの命を奪ってしまった犯人は一体誰なのか。3つの石橋家がたどりつく運命とは……。胸に刺さる予告編はこちら!作品情報『明日の食卓』5 月 28 日(金)より、角川シネマ有楽町ほか全国公開配給:KADOKAWA/WOWOW©2021「明日の食卓」製作委員会写真・北尾渉(高畑充希)
2021年05月27日男女平等が声高に叫ばれているものの、まだまだ乗り越えなければならない“壁”が多く存在しているのが現実。そんななか、あるタブーを覆した女性が発端となって起きた事件をもとにした注目作をご紹介します。『ペトルーニャに祝福を』【映画、ときどき私】 vol. 379大学で学んだ知識を生かす仕事に就くことができず、ウェイトレスとして働く32歳のペトルーニャ。母親の知人に紹介された縫製工場へ面接に行くものの、面接担当の男性からは「仕事ができないうえに、見た目もそそらない」という言葉を吐き捨てられてしまう。最悪の面接からの帰りにペトルーニャが遭遇したのは、司祭が川に投げ込んだ十字架を最初に見つけた男性は1年幸福に過ごせると信じられている祭だった。半裸の男たちが川のなかで競い合うなか、思わず川に飛び込んだペトルーニャは十字架を手にする。しかし、女性が十字架を取ることが禁止されているため、群衆は怒り狂うことに。はたして、ペトルーニャの運命は……。2014年にマケドニア東部の町で行われた祭で、女性が十字架を取って騒ぎになったという実際の出来事がもとになっている本作。ベルリン国際映画祭では、エキュメニカル審査員賞とギルド映画賞をW受賞するなど、高く評価されています。今回は、その背景についてこちらの方にお話をうかがってきました。テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督北マケドニアの首都スコピエ出身で、芸術一家に生まれたミテフスカ監督。2001年に監督デビューを果たして以降、さまざまな作品を送り出し、世界各国の映画祭で注目を集めている存在です。そこで、本作を通して描いている女性の思いや監督自身の経験などについて語っていただきました。―本作は実在する女性が起こした騒動がもとになっていますが、彼女の行動がきっかけとなって、ほかの女性たちに何か変化を与えたところはありましたか?監督彼女が周りから受けた扱いを見て、多くの女性たちが脅威を感じてしまったところがあるかもしれません。しかし、そのいっぽうで彼女から勇気をもらった女性もいたようで、2019年にふたたび若い女性が男性と一緒に川へ飛び込んで十字架を手にするという出来事が起きました。ちなみに、そのときは5年前とは違って、何の問題もなく女性が十字架を手にすることができたそうです。私が本作を制作していたときは、この題材をテーマにすることに対して風当たりが強いところがありましたが、彼女が十字架を手にすることができたということは、間違いなく北マケドニアにも変化が訪れている証拠だと思います。―実際、作品を観た人たちの感想はどのようなものだったのでしょうか?監督いろいろな反応がありましたが、前提として、そもそもこの映画自体が北マケドニアの観客にとっては、難しいところがある作品であると言えると思います。なぜかというと、「自分たちは何者なのか」「自分たちの物事のやり方は正しいのか」といったあまり向き合いたくない現実をはっきりと描いている作品だからです。みなさんも、自分を鏡で見て、「自分のここは間違っている」と指を差すのは簡単なことではないですよね?この作品は、北マケドニアの人たちにとってそういう意味合いのある映画でもあるのです。いままさに変化のときを迎えていると感じる―なるほど。ちなみに、女性と男性では受け取り方もかなり違いがありましたか?監督さまざまな感想がありましたが、多くの女性たちは自分のつらい経験を話してくれたうえで、「これからは自分らしく生きます」とか「勇気をもらいました」と言ってくれました。男性のなかには「自分たちの国をこんなふうに描くなんて」と罵る方もいれば、心から支えて応援してくれる方もいたので、本当にいろいろなリアクションがありましたね。でも、それは同時に北マケドニアの社会がいままさに変化を迎えているということの表れでもあると思うので、私としてはポジティブなこととして捉えています。―日本でも女人禁制の祭はいまでも存在していますし、国技と言われる相撲も女性は土俵に上がることさえも禁止されています。そんなふうに、現在でも世界中で女性禁止の伝統行事が数多くあることを監督はどのように思っていますか?監督まず、伝統というのはとても重要なものだと考えています。なぜなら、それによって私たちが誰であって、どこから来ているのかというのを文化的に定義づけてくれますし、私たちと深くつながっているものだからです。歴史的に見ていくと、もともと母権主義だった社会が父権主義へと移行していった社会も多いので、家父長制を構築する過程の一部として女性の参加を禁じる伝統行事が生まれたのではないか、と私は考えています。ただ、私たちがいま生きている世界というのは、変化しつつあるので、こういったことに対する人々の認識もどんどん向上していますし、表現の自由というものが昔より重要になっていますよね?だからこそ、過去のままでは合点がいかないことも出てきてしまうのだと思います。それらをすべて捨て去る必要はないにしても、あるべきバランスを見ながら再定義していくほうがいいのではないかなと。その変化というのは、決して伝統を滅ぼすものではなく、より美しくなるためのものだと考えています。女性の問題が改善することを期待している―ペトルーニャについても、おうかがいしますが、彼女は30代を超えてもいい仕事に就けず、恋人もいない女性という設定です。このようなキャラクターにしたのは、なぜですか?監督彼女のような女性は典型的なタイプではありませんが、北マケドニアの社会が抱える悲劇的な2つの側面が彼女の設定には深く関わっています。1つ目は、若者のなかで職業に就けていない人が多いこと。現在、その割合は全体の35%を占めていると言われており、これはかなり絶望的な数字だと思っています。2つ目は30歳を過ぎて未婚だと、結婚できないと思われていること。劇中でもペトルーニャが母親から言われていることですが、だいたい30歳までに家庭を作ることが北マケドニアの伝統的なルールだとされています。そういったこともあり、そんなことをすべて吹き飛ばすような存在としてペトルーニャを描きました。北マケドニアだけでなく、世界中の女性たちが古いルールから抜け出そうとしていますが、社会というのはそんなふうに変化するタイミングというのが必ずあるものなのです。―確かに、その通りですね。また、劇中では男性からのセクハラや言葉の暴力についても描かれていますが、ここに込めた思いについて教えてください。監督面接のシーンでペトルーニャの身に起きるセクハラやパワハラのようなことは、おそらく多くの女性たちが何らかの形で経験していることだと思っています。それは非常に残念なことではありますが、こういったことをオープンに話せる時代になり、問題が表面化してきているので、これからいい方向に変わっていくことを期待しているところです。ただ、私もこの映画を撮影しているときに男性たちからひどい言葉をたくさん浴びせられ、言葉の暴力を何度も経験しました。そういった現実に直面すると、大切なのは教育なのではないかと感じています。周りに合わせず、自分自身を保ってほしい―そうですね。北マケドニアの若い世代では、考え方にも変化が表れていると感じていますか?監督今回、この映画をきっかけにさまざまな地域の高校生と話をする機会がありました。そのときに、こういったことに対して若い世代の向き合い方が素晴らしいと感じることが多かったので、いまは希望を抱いています。昔に比べると彼らは非常にオープンな考え方を持っているので、その様子はとても美しかったですね。―監督も過去には、つらい経験を味わったこともあったのでしょうか?監督私が17年前に初めて長編映画を作ったときは、まだユーゴスラビアの一部だったので、北マケドニアの映画業界は成熟していませんでした。スタッフも数が限られていましたし、私以外は50歳以上の男性スタッフしかいない状況。最初の3本はそういう環境で映画を作らなければいけなかったので、とにかく男っぽく振る舞う必要がありました。でも、あるときに「私は映画を作るのと同じくらいエネルギーを使って、自分ではない誰かの振りをしようとしているのではないか?」ということにふと気がついたんです。そんな状況にいるなかで、「女性である自分が監督として現場にいることは普通なんだ」と自分を受け入れて、自分を解放するのは大変なことでした。実際、居心地のいい環境にすることと、自分を問い詰めることをやめるまでには何年もかかりましたね。特に、男性社会にいる女性というのは、どうしても周りに合わせようとしてしまうので、それを乗り越えることはなかなか難しいことだと思います。―それでは最後に、日本の女性たちに向けて、アドバイスがあればお願いします。監督まず伝えたいのは、自信と勇気の両方を持ってほしいということ。そして、あまり自問しすぎないことですね。あとは、自分の直感を信じることも大事だと思っています。なぜなら、直感というのは、意外と真実につながっていることも多いものですからね。いまは自分らしくいることもできるようなった素晴らしさもある時代になったので、あまり自分を周りに合わせるようなことをせずに、自分自身を保ってほしいと思います。誰にでも、戦うべきときがある!ときには、自分らしく生きることに難しさを感じることはあるけれど、そんなときこそ勇気を与えてくれるペトルーニャの姿。自分が一歩踏み出すことで世界を変えられること、そして誰でも“幸せの権利”を手にすることができるのだと教えてくれるはずです。取材、文・志村昌美気持ちが高ぶる予告編はこちら!作品情報『ペトルーニャに祝福を』5月22日(土)より、岩波ホール他全国順次ロードショー配給:アルバトロス・フィルム©Sisters and Brother Mitevski Production, Entre Chien et Loup, Vertigo.Spiritus Movens Production, DueuxiemeLigne Films, EZ Films-2019 All rights reserved
2021年05月21日「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、人生には思いがけない出来事がつきものですが、今回ご紹介する映画の主人公もまさにそんな生涯を駆け抜けたひとり。“東ドイツのボブ・ディラン”と呼ばれたシンガーソングライターでありながら、スパイでもあった男の真実を描いた注目作です。『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』【映画、ときどき私】 vol. 378ベルリンの壁が崩壊し、東ドイツが消滅した後もカリスマ的な人気を誇っていたシンガーソングライターのゲアハルト・グンダーマン。昼間は炭鉱でパワーショベルを運転し、仕事のあとは仲間とステージに上がっていた。希望や夢に満ちた自作の歌で人々に感動を与えていたが、実は秘密警察に協力し、スパイとして活動していたという人には言えない過去があった。葛藤する日々を過ごしていたグンダーマンは、友人たちを裏切っていた事実をついに告白。そして、観客の待つステージへと向かっていくことに……。2019 年の「ドイツ映画賞」では作品賞や監督賞含む 6 部門で最優秀賞に輝き、本国ドイツで大ヒットを記録した本作。そこで、その舞台裏についてこちらの方にお話をうかがってきました。アンドレアス・ドレーゼン監督見事な手腕を発揮し、高く評価されている東ドイツ出身のドレーゼン監督。今回は、長い時間をかけて制作された本作の完成までの道のりやグンダーマンの魅力について語っていただきました。―本作は10年もの時間をかけて作り上げたそうですが、そこまでの過程について教えていただけますか?監督まず一番時間がかかったのは、脚本を仕上げることでした。40数年という短い人生を送った人物とはいえ、ひとりの人間がたどった生きざまをたった2時間の映画にまとめるのはやはり大変なことですからね。今回の脚本を書いてくれたライラ・シュティーラーは、生前のグンダーマンを知っている人、特に妻のコニーと何度も会って話をしながら、どういう物語にするかを考えてくれました。彼が送った壮大な人生のドラマをうまくまとめるためには、それくらい時間を費やしていい脚本にする必要があったのです。もうひとつ時間がかかったのは、資金集めでした。というのも、助成金に関わる公的機関で委員を務めている人たちは、西ドイツ出身の人が多く、脚本を出した際には「こんな話がおもしろい映画になるとは思えない」と言われたりしたこともあったくらいですから(笑)。そういったこともあり、なかなか助成金が下りず、撮影までに長い時間を要してしまいました。自分の人生をどう生きていくかを考えてほしい―ということは、当時を知っている人と知らない人とでは、映画の感想もかなりわかれたのでしょうか?監督そうですね。観客のなかでも世代が異なると、作品の受け取り方も違ったようです。私は東ドイツで生まれましたが、ドイツが統一してもう30年以上経つので、昔はどうだったのか思い出せないこともありますけどね。ただ、当時を知らない人たちにとってはこの映画で描かれていることは、別世界のように感じたのかもしれないです。私としては、若い世代の人たちがこの映画を“哲学的娯楽作品”として受け取ってくれたらいいかなと考えています。「哲学的」といったのは、罪の意識にさいなまれているグンダーマンの姿を見て、「どうしたら人生で罪を犯さずに生きていくことができるのか」ということを感じてほしいからです。実際、当時の東ドイツで起きていたこういう問題は、なくなったわけではなく、形を変えていまの世界にもまだあるものですよね。なので、観客の方々がこの映画を観たときに、映画を楽しむと同時に自分の人生をどう生きていこうかと考えてくれたらいいなと思っています。―グンダーマンのように労働者であり、シンガーソングライターであり、スパイでもあるという人物はなかなかいないと思いますが、監督が映画の主人公にしたいと思うほど惹かれたのはどのあたりですか?監督私がもともと彼のファンだったということもありますが、彼は本当に人をワクワクさせる人物なんですよね。人間としても、アーティストとしても魅力的だと感じています。あとは、彼の政治的な部分に興味を持っていたというのも大きかったかなと。実際、彼は加害者でありながら被害者でもあるという二面性を持った複雑な立場に置かれていた人でしたからね。そのほかに惹かれたのは、友人の妻であったコニーに7年間も恋をしていたところ。そういったひとりの女性に対する純粋さも魅力的だと感じました。コニーもグンダーマンとのことは、大恋愛だったと話していたほどです。グンダーマンの音楽は人の心を開かせる―資金面で苦労したとおっしゃっていましたが、そういった彼の魅力やストーリーのおもしろさを訴えて、最終的にOKをもらえたのでしょうか?監督もちろん主人公であるグンダーマンがどれほど魅力的な人物かということは伝えましたが、委員会の人たちはあまり現実的には受け取ってはくれませんでしたね……。なので、私はいろいろなところに手紙を出しては、この作品を作りたいと訴え、何とか助成金を出してもらうことができました。結果としては、観客動員数もよかったですし、多くの映画賞を受賞できたので、いまとなっては委員会も助成金を出して正解だったと感じてくれていると思います(笑)。―間違いないですね。実際にグンダーマンを知る人たちと会ってみて、彼の素顔を垣間見た瞬間はありましたか?監督コニーやバンドの仲間たちから聞く話は、知らない事実が多かったので、驚くことばかりでした。先ほども触れたコニーとのラブストーリーもそのひとつ。人妻だったコニーの心を7年もかけて射止めたという話を初めて聞いたときはびっくりしました。あと、今回のリサーチのなかで興味深かったのは、彼が思いついたことをカセットテープに吹き込んでいたこと。劇中にもシーンとして入れましたが、実際に聞かせてもらうこともできました。そこには、おもに彼の声で歌のアイディアが録音されていましたが、ときにはどこかの電話番号が吹き込まれていたことも(笑)。普通では聞けないような音源で、そこからリアルな情報も得られたので映画を制作するうえでは非常に役に立ちました。ファンとしてもうれしかったですし、まだ彼が生きているかのような感覚も味わうことができて、非常に満足しています。―グンダーマンの歌が多くの人を惹きつける理由は、何だと思いますか?監督彼の音楽の魅力は、人の心を開かせるところ。そして、歌を通して彼の優しい眼差しが見えるところだと思います。だからこそ、彼の歌を聴いていると、精神的に強い力をもらうことができるように感じるのかなと。そういう気持ちが歌にも込められているので、私もほかの人に対して優しく接したいなと思うようになりますね。周りからのエネルギーが自分にとっての原動力―そのなかでも、特に歌詞が印象的でしたが、監督が好きなフレーズや曲があれば、教えてください。監督気に入っている言葉がありすぎるので、選ぶのは難しいですね。映画のなかで使った曲から好きなものを挙げるとすると、「LINDA(リンダ)」という彼の娘のことを歌った曲が印象に残っています。というのも、この曲は娘に対しての歌ではありますが、男性が女性に向けるラブソングとして聞くこともできる曲だからです。特に、冒頭の「僕の心に 君が宿った/ 寂しい一軒家に/ ドアも窓も 大きく開けて/ 明るい光が 入るように…」と歌っている部分が好きです。でも、本当に好きな歌が多いので、すべてを言うことはできないくらいですね。―同じアーティストとして、彼から影響を受けているところはありますか?監督私は普通の生活を送るいっぽうで、グンダーマンと同じようにツアーに出て歌うこともあるので、芸術に携わる人間としても、ひとりの人間としても、いろいろな意味で影響を受けていると思います。―では、監督にとって創作活動の源になっているものとは?監督まずは、自分はひとりではないということですね。一匹狼のようなアーティストの方もいますが、私はそういうタイプではなく、俳優やいろいろなスタッフとチームで仕事をするのが好きなんです。だから今回も、ひとりひとりからエネルギーをもらってこのような作品を作り上げることができました。私にとっては、それが何よりも原動力です。そして、観た方々には作品から感動を家に持ち帰ってもらえたらいいなと思うので、そういった作品を生み出すことが映画に携わる人間の仕事だと思っています。毎日さまざまな新しい発見をしながら、映画を作っているところです。―そういった部分が映画作りの魅力でもありますね。監督そうですね。映画を作るというのは、本当に人間的な行動だなとも思っています。なぜなら、映画を通して幅広い世代の人たちに物語を伝えており、それはまるで親が子どもに本を読んで聞かせるようでもありますからね。みんなでひとつの映画を仕上げていく作業は、とにかく楽しいので、それがモチベーションになっています。映画を通じて日本を近く感じることがある―ちなみに、日本の作品や文化から影響を受けたことはありますか?監督もちろん、日本の芸術家からも多くの影響を受けていますよ。映画でいえば、特に黒澤明監督の『羅生門』。こんなにすばらしい作品はほかにはないと思っているほどです。あと、ほぼ毎年カンヌ国際映画祭に行っているので、そこで日本の映画をよく観ていますが、いまの日本人の日常生活を垣間見れるようないい作品が多い印象ですね。日本の映画を観ていると、自分のなかにも同じようなところがあると気づかされるので、日本をとても近く感じることがあるほどです。だからこそ、それとは逆で日本のみなさんがこの作品をどのように受け止めるのかについては、とても興味があります。―最後に、日本の観客にメッセージをお願いいたします。監督10年以上の時間をかけて作った映画でもあるので、それが日本でも公開されることをうれしく思っていますし、本当に楽しみにしています。「人生というのは、なんて複雑なものなのか」と感じて作った映画でもあるので、みなさんにもぜひそういったことを感じていただきたいです。ひとりの男の人生から学ぶことがある東ドイツで最大のスキャンダルとも言われた秘密警察に翻弄され、数奇な運命をたどることとなったグンダーマン。さまざまな感情を味わった彼にしか歌うことのできない力強い名曲の数々とともに、ひとりの人間が経験した愛や葛藤に胸が熱くなるのを感じるはずです。取材、文・志村昌美熱量の高い予告編はこちら!作品情報『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』5月15日(土)より、渋谷ユーロスペース他全国順次公開配給・宣伝:太秦© 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
2021年05月14日2021年4月19日、バラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)にお笑いタレントの加藤茶さんが出演。前年3月29日に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)で亡くなった、盟友・志村けんさんへの想いを語り、反響を呼んでいます。加藤茶「残念だなっていってられない」番組の中で、加藤さんは「自分の中で、どれだけ大事だったんだろう」と志村さんが亡くなった後の喪失感を吐露しました。俺たちより年下の志村が逝ったのが一番ショックだったし、これからいろんなことができるよという時にコロナで亡くなってしまって、まだお別れの会もしていないし。だから志村本人が自分が死んだことを分かっていないんじゃないかと思うよ。いまだにネタを考えたりしているんじゃないかと。人生が変わる1分間の深イイ話ーより引用また、1周忌を迎えた現在の想いを語っています。残念だなってばっかりいってられないし、今度は自分たちがドリフターズの笑いをお客さんに見せていかないといけないね。舞台でお客さんに笑ってもらって、あと22年いったら御の字だね。それでコロッと逝けたら最高。でも高木さんを見ていると、いけそうな気がする。100歳までいけるかな。人生が変わる1分間の深イイ話ーより引用加藤さんは、志村さんの想いを引き継ぎ、これからも舞台に上がるために、日々トレーニングを行っているそうです。また、加藤さんの妻・綾菜さんは、介護資格を取得するなど献身的に加藤さんをサポート。番組の中でも「介護職をする職員さんを増やしたい。高齢化でおじいちゃん、おばあちゃんが4人に1人っていわれている時代なのに、働く人がどんどん減っている」と熱く将来の夢を話していました。番組を見た人たちからは応援の声などが寄せられています。・志村さんが亡くなって、もう1年か…。カトちゃんにはまだまだ元気でいてほしいな。またコントが見たいよ。・加藤さんと綾菜さん、素敵な夫婦ですね。それぞれの夢に向かって頑張っている姿に勇気をもらえました。・加藤さんの思い出話に涙が出ました。『ザ・ドリフターズ』は永遠。志村さんの分までこれからも笑わせてください。志村さん亡き後、悲しみを抱えながらも、お笑いを続けるため前向きに努力をし続けている、加藤さん。その姿に、多くの人が励まされたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年04月20日故・志村けんさん時代を越えて愛される曲のことを、「スタンダード・ナンバー」っていいますよね。ジャズで言えば『A列車で行こう』とか『この素晴らしき世界』などの曲が、典型的なスタンダード・ナンバーです。■志村けんさんのコントに隠された“コツ”2020年3月。惜しまれつつ亡くなった志村けんさんが、その著書のなかで「スタンダード・ナンバーになるための条件」について分析しています。志村さんによれば、「スタンダード・ナンバーになるための条件」は、次の4つとのこと。第1に、曲(メロディ・歌詞)のわかりやすさ(だれもが口ずさめるようなもの)。第2に、大人から子どもまで、年齢に関係なく、親しみやすい題材。第3に、曲中に忘れられないフレーズがある(シンプルながら強烈なインパクト)。第4に、バランスのある完成度。こうした条件をクリアした曲が、スタンダード・ナンバーに成りうると。そして、志村さんは、この「スタンダード・ナンバーの条件」をコントに応用していたというのです。例えば、あの「バカ殿様」のコント。まず、派手なメイクで「誰もがわかりやすいビジュアル」をしています。そして、テーマは、大人から子どもまで、誰でも知っている「殿様」。カチンときたときに扇子(せんす)を落とすなど、「忘れられないギャグ」がある。そしてそれが、「そろそろ出るな」「いつものアレ、お願い」的な「偉大なマンネリ化」として完成されている。あとは、この3つをバランスよく保っていけばいいというわけです。さらに、志村さんはこうしたコントが「飽きられないようにする工夫」もしていました。それは、短期間に出し過ぎないこと!お笑いの若手発掘番組で、ひとつのギャグが注目されて、いろいろな番組から引っ張りだこになったものの、短期間に出過ぎたために、あっという間に飽きられてしまう芸人さん、いますよね。志村さんは、視聴者の「飽きの早さ」をよくご存じだったのでしょう。言われてみれば、『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)という番組の初登場はなんと1986年。あの濃いキャラクターが、34年間も「飽きられることなく」愛され続けてきました。その最大の秘密が、実は、年に3回以下という、小出しの放送頻度だったというわけです。志村さんによれば「見たいけど、たまにしかやっていないという腹8分目の満腹感(空腹感?)」が、ロングセラーになった要因だと。志村さんは、同じ理由から、ゲストとして出演する番組も慎重に吟味して、自分が飽きられないように意識していたそうです。トップを取ってしまったら先がない。「2番手、3番手の位置」をずっとキープするのがベストだと……。■気がつけば、「志村流」!この志村さんのブランディング力。考えてみると、私は「初対面の編集者さんとの打ち合わせのとき」に実践していたことに気がつきました。第1に、私は「疲れている人がほっとできるような本」を書くのが得意で、「原稿を書くのが無茶苦茶に速い」という、キャラクターの「わかりやすさ」第2に、相手が自分よりも20歳年下であっても、丁寧で腰が低い「親しみやすさ」第3に、お得意のひと言、「編集者が日本一ラクできる著者です!」という「忘れられないフレーズ」これらを3点セットにして、編集者さんとお話をするようにしています。さらに、私は「特定のノウハウ」を売りにしている著者ではありません。言わば、世の中の森羅万象をネタにして原稿を書いています。つまり、永遠に尽きない「豊富なネタ」のなかから「小出し」にして本を書いているようなものなのです。まさに、気がつけば「志村流でお仕事をさせていただいていた」というわけです。もちろん、この「スタンダード・ナンバーの条件」は、一般の会社員でも応用できます。私なりに考えてみると……。第1に、「提案書を作らせたら社内でナンバー1」「根回しの天才」「お客様の懐(ふところ)に入るのがうまい」など、仕事で得意とすることが「わかりやすい」第2に、「なんでも、いつでも相談できる」「仕事を頼みやすい」という「親しみやすさ」第3に、「期待は裏切りません」「すべてお任せください」など「忘れられないフレーズ」わかりやすい「強み」があって、気さくで、印象的な言葉を使えるバランスのよい人は、社内でも自然と注目され、よい仕事がまわってくるのではないかと思います。社内での、「自分のスタンダード化」ですね。それにしても、志村さんが、実に用意周到に計算して、自分のコントを、長年愛され続けられるよう「スタンダード化」させることに成功していたことに驚かされます。改めて、惜しい方を亡くしたと、残念でなりません。(文/西沢泰生)《※参考:『志村流』志村けん著(三笠書房)》【PROFILE】にしざわ・やすお◎作家・ライター・出版プロデューサー。子どものころからの読書好き。「アタック25」「クイズタイムショック」などのクイズ番組に出演し優勝。「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」ではニューヨークまで進み準優勝を果たす。就職後は、約20年間、社内報の編集を担当。その間、社長秘書も兼任。現在は作家として独立。主な著書:『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)/『夜、眠る前に読むと心が「ほっ」とする50の物語』『伝説のクイズ王も驚いた予想を超えてくる雑学の本』(三笠書房)/『朝礼・スピーチ・雑談 そのまま使える話のネタ100』(かんき出版)/『コーヒーと楽しむ 心が「ホッと」温まる50の物語』(PHP文庫)ほか。
2021年04月15日出口の見えない長いトンネルからなかなか抜け出せない生活を送っているなか、気分を一新したいと思うことはありませんか?そんなときにオススメしたいのは、カリフォルニアにある砂漠のリゾート地を舞台にした一風変わったラブコメディ『パーム・スプリングス』。そこで、主演を務めたこちらの方にお話をうかがってきました。アンディ・サムバーグさん【映画、ときどき私】 vol. 373コメディアンとしてアメリカで絶大な人気を誇り、俳優としても活躍しているアンディさん。劇中では、のん気な皮肉屋で一見お調子者のように見える主人公のナイルズを演じています。ある出来事をきっかけに、一度眠ると同じ日を毎日繰り返してしまう“タイムループ”に閉じ込められたナイルズとそれに巻き込まれてしまう女性サラの2人を描いた本作。今回は、この作品でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされたアンディさんに撮影秘話や自身の経験などについて、お話いただきました。―本作は、無名の監督と脚本家のコンビによる作品ですが、サンダンス映画祭では史上最高額(当時)で配給権が売買されるほど熱狂的な盛り上がりを見せる作品となりました。アンディさんからの助言で脚本を修正した部分もあったそうですが、どのようなアドバイスをされたのでしょうか?アンディさんまずは「もっとスケール感を大きくしていいよ」という話をしました。というのも、彼らにとってはもともと友達と砂漠でお金をかけずにこっそりと撮影しようとしていた企画でしたからね。なので、もう少し予算をかけても大丈夫であることを伝えたんです。―それによって、作品はどのように変わりましたか?アンディさん爆発のシーンや効果を使った演出などを加えることで、シークエンスが大きくなりました。あとは、ストーリーテリングや恋愛の部分においてもレベルを引き上げることができたんじゃないかなと。結果的に、さまざまなジャンルがブレンドされているチャレンジングな作品になったと思います。―本作のどういったところに魅力を感じていますか?アンディさん僕はとても幸せな結婚生活を送っているので、人生においていい人間関係を望むのであれば、相手を信じて飛び込まなければいけないと思っています。この作品ではそういう必要性についても、美しいメタファーとして描かれているんですよね。僕は好みがはっきりしているほうですが、今回のように最初からこんなにハマる物語はレアだと思います。この作品ではすべての要素が魅力的に感じた―今回は、主演だけでなく、製作にも入っていますが、その理由についても教えてください。アンディさんそれはもともと「主演と製作をしてもらえませんか?」という形でオファーをいただいた経緯があったからですが、あとは純粋にタイムループものが好きだったからというのも理由ですね。ただ、『恋はデジャ・ブ』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』といったタイムループを描いた素晴らしい作品がすでに存在していたので、このジャンルに挑戦することにはナーバスになっていたところはありました。でも、この作品は同じタイムループものでも、そういった名作が終わったところからを描いているように感じたんです。たとえば、『恋はデジャ・ブ』ならビル・マーレイがその後1000年間ループに閉じ込められていたらどうなるか、みたいなことですね。キャラクターも含めて、すべての要素が魅力的に感じましたし、そういったことに対して深いレベルまで到達しているところが気に入りました。ほかにも、大きな笑いがありつつ、そういったコメディ作品にはないようなエモーショナルな部分も描かれているのがすごくいいなと思ったところです。―これまで演じてこられたコメディチックなキャラクターと、本作のようなドラマの部分を含んだキャラクターとどちらのほうが演じやすいですか?アンディさん企画にもよりますが、若いころはどちらかというとコメディチックな役で知られていたので、当時はそういう役を演じるのが大好きでした。もちろん、いまでも好きではありますが、最近はもっと地に足のついた役を演じてほしいと言われることも増えていますね。僕としては、脚本を読んでから決めるようにしていますが、判断の基準は自分が参加することによってその作品がダメになるか、それともよくなるか、ですね。今回の場合は、これまで僕が演じてきた役のイメージよりもドラマのシーンが多い役でしたが、自分にはそれを演じられるスキルがあると自負していたし、ユーモアを描いたシーンもあることがわかっていたので、役に入りやすいんじゃないかなという思いもありました。日本のみなさんに劇場で観てもらえるのがうれしい―ナイルズはお調子者のようで、実は心優しい人物ですが、ご自身のパーソナリティに近いところがあるのでは?アンディさんそんなふうに言ってもらえるのは、うれしいことですね。僕がそういった役柄に惹かれるのは、人の優しい気持ちを信じているのと自分自身の性格がうまくハマる部分があるからだと思います。だから、みなさんにもリアルに感じてもらえるのかなと。実際、僕は普段の生活で怒ったりすることがあまりないので、怒っている演技を求められるときは少し身構えてしまうほど。どのくらい怒っていいのかわからなくて、怒りすぎた演技をしてしまうことがあるんですよね(笑)。そういったこともあって、ナイスなキャラクターは役者としての僕にも合っているのかもしれません。もちろん内側には葛藤もありますが、優しい人たちの姿を観客に見せたいという気持ちがあるんだと思います。この作品も日本の劇場で公開できることは、すごくクールでうれしいことです。―絶妙な会話のやりとりも見どころでしたが、アドリブをされることもありましたか?アンディさん今回、現場でのアドリブというのはほとんどありませんでした。というのも、撮影に入る前に脚本家とかなりいろいろと話し合ってセリフを決めていきましたから。あとは、事前にリハーサルを何度も重ねていくなかでサラ役のクリスティン・ミリオティたちとも相談しながらセリフを足したので、そこで変えることはあっても、撮影中に変えることはあまりしませんでした。ほかにも、今回は予算がそこまで大きくなかったことやスケジュールがタイトだったこともあって、自由にカメラを回したり、何度もテイクを重ねられなかったので、そのぶんテイクとテイクの間に十分に話し合ってから撮影をするようにしました。今回はそれがうまくいったと思っています。クリスティンだったらパーフェクトだと思った―クリスティンも非常に素晴らしかったですが、彼女を抜擢した理由は?アンディさんこれまでにクリスティンが出演しているドラマなどを見て、プロデューサーとも最初からクリスティンだったらパーフェクトなんじゃないかと話していました。彼女の演技は作品によって全部違うので、役者としてすごくワクワクする存在なんです。あとは彼女と共演すれば、きっと僕もよりよい役者に見えるんじゃないかなという思いもありましたけど(笑)。―(笑)。ただ、クリスティンは製作陣とミーティングしたあと、数か月経っても連絡がなかったので、出演できないと諦めてアフリカ旅行に出発してしまったとか。連絡がつかずに、危うく役を逃しかけたと聞きましたが、そのときのことを教えていただけますか?アンディさんミーティングではすごくいい感じだったので、オファーをした瞬間に「やりましょう!」という返事が来ると期待していたんです。でも、3日間くらい経っても何の連絡がなかったので、もしかして本当はやりたくないんじゃないかなと……。そしたら、「いまクリスティンはアフリカのど真ん中にいて、連絡が取れません」と言われたんですよ(笑)。そういう事情があったんですけど、最初はナーバスになりましたね。でも、実は彼女も僕と同じようにフラストレーションを感じていたと聞いて、うれしかったです。自分は負のループにはまらないように気をつけている―無事にクリスティンに決まって本当によかったです!また、こういったタイムループものだと、何度も同じテイクを重ねて大変だったと思いますが、特に苦労したのはどのあたりですか?アンディさん今回の撮影方法としては、ロケーションごとにわけて、そこで起きていることを脚本に沿って撮りました。キャラクターが経験する感情面を順番に追いながら撮影できたのは、演じるうえで助けになったと思います。ただ、毎回目を覚ますシーンは一番大変でしたね。というのも、セリフがないぶん、その前に何が起きていたのかを踏まえて、表情だけでニュアンスを表現しなければいけなかったので。そういう意味では、ユーモアがあるような派手なシーンのあとのほうがワッと言って起きればいいので楽でした。今回は同じ衣装で同じ場所で演じていることが多かったので、いろんなバージョンでたくさん撮れたのはよかったと思います。―劇中では、ナイルズもサラも孤独や絶望のループから抜け出せなくなっている姿が描かれていますが、ご自身にもそういう経験はありますか?アンディさん最近の話で言うと、ここ1年は僕が住んでいるエリアはずっとロックダウンなので、そういう意味では負のループから抜け出せていない感じはありますよね。ただ、この作品で描いているのは、僕たち人間が陥りやすいパターンや何度も繰り返してしまう選択について。僕自身は、なるべくそういうループにはまらないようには気をつけています。だからこそ、僕はこの映画が好きなのかもしれないですね。自分のミスから学んで、新たに進むことが大事―ちなみに、どのようにしてそのループにはまらないように意識しているのでしょうか?アンディさん人にとって大事なのは、自分がミスを犯したら一歩下がってそれが何なのかに気づくこと、そして同じミスに再び向かってしまいそうならその自分を止めることだと思います。それはとても難しいことではあるけれど、自らの間違いから学び、自分を許したうえで新しい方法に取り組むべきではないかなと。そんなふうに対応できれば、人生をうまく生きていると言えるんじゃないかなと思います。僕自身はそこまで大きな壁にぶつかったこともフラストレーションを感じたこともないので、すごく恵まれているのかもしれないですけどね。ただ、人間関係においては、同じ間違いを繰り返さないようにしているので、友人たちともきちんと連絡を取り合うように心がけています。とにかく、いまのロックダウンから抜け出せないのは、誰にとってもつらいことだよね。―もしタイムループにはまってしまったとしたら、ご自身の人生のなかで、何度でも味わいたい最高の日ともう二度と味わいたくない最低な日をそれぞれ教えてください。アンディさん最悪な1日で思い出すのは、高校時代かな。詳しくは言えないけど、屈辱的な日もたくさんあったからね(笑)。人生で最高な日は、妻と結婚した日や娘が生まれた日だけど、あまりにも強烈な出来事だから、それを毎日経験したいかというとどうかな。何度も繰り返したら、「はいはい、娘が生まれるんだよね?わかったわかった」ってなっちゃうかもしれないですから(笑)。そういう意味では、子どものころに家族とビーチに行った日は、天気も風の具合もランチもすべてがちょうどよかったので、繰り返すとしたらそんな“ちょうどいい日”がいいですね。インタビューを終えてみて……。オンラインでの取材ではありましたが、画面越しでも伝わってくるアンディさんの人柄の良さと優しい笑顔にすっかり魅了されました。本作でもアンディさんのさまざまな魅力が全開となっているので、物語とともに存分に堪能してください。憂鬱な気分も一気に吹き飛ばしてくれる!タイムループものとしてはもちろんのこと、ラブストーリーとしても、コメディとしても、ドラマとしても見どころ満載の本作。同じことを繰り返しているような感覚に陥っているいまだからこそ、1日1日の大切さを教えてくれる秀逸な1本として必見です。取材、文・志村昌美ストーリー砂漠の保養地であるパーム・スプリングスで、恋人と結婚式に参加していたナイルズは、幸せムードになじめずにいるサラと出会う。一見お調子者だが全てを見通したようなナイルズにサラは興味を抱き、2人はいい雰囲気になる。ところが、そこに謎の老人が現れ、ナイルズを襲撃。負傷したナイルズは洞窟へと逃げ込み、サラはあとを追いかける。その後、一度眠りに落ちると結婚式の日の朝にリセットされる“タイムループ”に閉じ込められたことに気がつくサラ。ナイルズは、先にループにハマっており、すでに同じ日を数えきれないほど繰り返しているという。果たして2人は、永遠に続く時間の迷宮から抜け出すことができるのか……。何度も見たくなる予告編はこちら!作品情報『パーム・スプリングス』4月9日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー配給:プレシディオ・Filmarks©2020 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2021年04月08日気持ちのいいライフスタイルのヒントが見つかるカルチャースクール「LUMINE CLASS ROOM」が、Hanakoの学びプログラム「ハナコカレッジ」とコラボ!「SDGs入門」と題して、アップサイクル、食、カルチャー、女性の働き方の各テーマにゲストを迎えて学ぶ特別講座を実施しました。今回は、当日のライブ配信の模様をレポートします。【1限目】アップサイクル(講師:eriさん)eriさんHanako編集部・荒川由貴子も進行役として参加アップサイクルとは、不要だと思うものの形状や特徴などを活かしつつ、新しいアイディアを加えることで、別のものに生まれ変わらせること。〈DEPT Company〉代表・eriさんは、ファッションに携わる立場から環境のためになにができるのか、個人や会社の取り組みを発信している。「私の会社では、“ものづくり=新しいもの生み出すこと”“古着=古いものを循環させていくこと”の2つの立場から見ることができます。数年前、古着を買い付けにいくと、着なくなった膨大な量のファストファッションの服が山積みにされていて。繊維産業が地球に与えているダメージを勉強するようになってからは、ファッション業界も意識を変えていかなければと思うようになりました」(eriさん)。そんな経験から、会社や店舗運営において、すべての行動に可能な限り地球環境への負担をかけないという理念のもと、「DEPT THIRD-HAND PROJECT」をスタート。古着を洗うときは専用の洗濯ネットでマイクロプラスチックの流出を防いだり、商品の包装資材は環境負荷の低い素材のものを使用したり、本社や店舗の電力を再生エネルギーにシフトするなど、お客様の目に見えないところまで環境に配慮した取り組みを続けている。また、自身のSNSでは生活に取り入れられることを紹介。「家の掃除は、ほたての貝殻を天日干しして洗浄し、高温で焼き上げた『ほたてパウダー』がおすすめ。ホタテパウダー1袋で200〜300本のスプレーが作れるのでコスパもよく、環境のことを考えて買うのを避けたいハードプラスチックを減らすことができます」(eriさん)。最後に、eriさんにとって“いい暮らし”とは?「ものを選ぶ、買うなど、行動ひとつひとつに責任をもつこと。やってはいけないことがわかると、自身の行動が直接的にいまの地球環境に関わっていると自覚をもって過ごすことができます」(eriさん)。eriさん1983年ニューヨーク生まれ、東京育ち。〈DEPT Company〉代表/デザイナー/アクティビスト。’97年、立花ハジメと「LowPowers」でデビュー。’04年に自身のブランド「mother」をスタートし、’15年、父親が創業した日本のヴィンテージショップの先駆けであった「DEPT」を再スタート。その後、テーブルウェアブランド「TOWA CERAMICS」、輸入雑貨店〈DONADONA TOKYO〉などを手がけ、またVEGANカフェ〈明天好好〉のプロデュース。NY在住の文筆家・佐久間裕美子と社会問題をメインテーマにPodcast“もしもし世界”の配信を始めるなど、ファッションの枠を超え活動している。また最近では可能な限り環境負荷のかからない自身のライフスタイルや企業としてのあり方をSNSを通し発信し、気候変動・繊維産業の問題を主軸にアクティビストとしてさまざまなアクションを行なっている。Instagram:@e_r_i_e_r_i【2限目】食(講師:小代智紀さん)小代智紀さん自身が経営するデザートブランド〈shodai bio nature〉では、オーガニックを中心としたお菓子を販売するなど、人工的な着色料や化学的な香料、食材を極力排除するという調理哲学をもつパティシエ・小代智紀さん。「子供のアトピー性皮膚炎に悩んでいたことがきっかけで、遺伝子組み換えの食物や当時仕事でつくっていたスイーツに疑問をもつようになって。そのままの環境では実現できないと思い、自分の会社をつくりました」(小代さん)。消費者にとって、いきなりオーガニック食材のみの生活はむずかしい。初心者でも日常的に取り入れられるコツは、加工食品をやめること。「無理に制限をしてしまうと、普段の生活にストレスがかかってしまいます。出汁をとってみたり、ファーマーズマーケットや道の駅で新鮮なオーガニック野菜を買ってみたり。できなかったら“まあいいや、明日やろう”くらいの精神でいるのが長続きする秘訣だと思います。コロナ禍で家にいる時間が増えたいまこそ、ぜひ料理をつくってほしい。自分のためにつくるごはんは1番の幸福につながりますし、飲食店が通常営業できないいま、大量に余ってしまった食材も消費できます」(小代さん)。最後に、小代さんにとって“いい暮らし”とは?「自然がつくったものを愛おしむこと。ビニール製のパッケージを使うことはあっても、どうしたら使わなくていいか考えることが大切だと思います」(小代さん)。小代智紀さんパティシエ。レストラン プロヴァンス修行後、渡仏し料理研修をする。帰国後、葉山〈ラ・マーレ・ド・チャヤ〉にて熊谷喜八に師事し、シェフ・ド・パティシエに抜擢。1988年に再渡仏し、レストラン〈パテスリーアクス〉にてシェフ・ド・パティシエに。その後、故郷である九州の〈シーホーク ホテル&リゾート〉にてシェフ・ド・パティシエに就任。2003年には〈ARDEUR〉を開店する。退任後の2012年6月、自身のデザートブランド〈shodai bio nature〉を開店するなど、現在6店舗を展開。【3限目】カルチャー(講師:志村昌美さん)志村昌美さん数多くの映画に関する記事を執筆しているライター・志村昌美さんは、初心者でもすんなり入りやすくて楽しめる、SDGsに関する作品を2つのテーマにそって紹介してくれました。「1つ目のテーマ『女性のエンパワーメント関連作品』では、人生の先輩の生き方を見て学んだり共感したり、背中を押してもらえるような作品を。2つ目のテーマは、『貧困や環境、教育問題関連作品』。日本のような豊かな国にいると、自分の生活にいっぱいいっぱいで他の国に意識がいかないことがあります。映画を通して、地球の裏側のリアルを観ていただけたらと思い選びました」(志村さん)。女性のエンパワーメント関連のおすすめ作品は、『RBG 最強の85才』や『おしえて!ドクター・ルース』などのドキュメンタリーから、日常生活で感じている“女性だからこその生きづらさ”がリアルに描かれている『82年生まれ、キム・ジヨン』。一方、貧困や環境、教育問題関連作品のおすすめは、貧困に苦しむ子供たちの姿が描かれている『風をつかまえた少年』と『存在のない子供たち』、自然を愛する夫婦がオーガニック農場を作り上げるまでを描いたドキュメンタリー『ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方』。「以前、女性監督に“仕事において、女性ならではの大変なことは?”と質問したところ、世の中は女性の平等などいろいろ言われていますが、やはり現場で辛い経験をしたり、男性だったらこんなことされなかったかもという声が。自分が変わることも大事ですが、社会の環境自体も変わっていくことが大切なのだと思います」(志村さん)。最後に、志村さんにとって“いい暮らし”とは?「この1年間、コロナ禍になり自分の暮らしを見返してみて、心の豊かさは必要だなと。私は女性の心とカラダのライフスタイルに関する執筆もしているのですが、心療内科の先生に『いまはカラダだけではなく、心の健康を維持するのがむずかしい時代だ」と教えてもらったことがあったんです。心の健康を保つには家族や友人の存在も大きいですが、カルチャーやエンターテイメントから栄養をもらうのも大切。日本は芸術に対する支援がおくれている部分もあるので、みんなで絶やさないように支えつつ、心の栄養をとり、いい暮らしにつなげていけたらいいなと思います」(志村さん)。志村昌美さんライター。大学卒業後、イタリア留学を経て映画宣伝会社に就職。その後、ワーキングホリデーでイギリスへ渡ったことをきっかけに、ライターに転向。海外のエンタメ情報などを発信するようになる。帰国後、本格的にライターとしての活動をスタートさせ、現在はインタビューや映画評などを中心にWEBや雑誌で執筆中。そのほか、女性のライフスタイルに関するWebサイトなどにも携わっている。【4限目】女性の働き方(講師:haru.さん)haru.さん編集者、プロデューサーとして活躍する〈株式会社HUG〉代表のharu.さん。活動のきっかけとなった学生時代から現在まで、自身の働き方についてお話を伺いました。「ドイツの高校に通っていた頃は言葉が通じず、自己紹介の意味を込めてZINEをつくり始めました。大学進学後、ものづくりを通して、1人では見られない世界を他の人と共有したいと思いスタートしたのが雑誌『HIGH(er)magazine』です。モットーである“自分たちに正直でいること”は、仕事を始めてからも変わりません。資金調達のためにクラウドファウンディングをしてみたり、企画や編集、撮影など一連の作業はすべて自分たちでやってみたり。雑誌づくりのモノマネから始まったため、大学生ならではの失敗やトラブルはたくさん経験しましたね」(haru.さん)。haru.さんが紙にこだわる理由は、ものに対する信頼感があるから。「以前、古本市でたまたま見つけた雑誌『STUDIO VOICE』にとても感銘を受けて、自分の雑誌づくりにも影響を受けたんです。そのときの空気感や雑誌がどんな木箱に入ってたかまで覚えているんですよ。そういうものとの出会いってWeb上ではできないこと。見つけてしまったら後戻りできない感覚は、ものでしかできないと思います」(haru.さん)。大学時代は半年に1回刊行していた『HIGH(er)magazine』ですが、会社を立ち上げてから約2年はつくっていないんだとか。「目の前にあるタスクをこなすことに必死で、つくりたいものがなくなってしまったんです。そんなとき、誰かのために自分が行動しようとする考え方をやめたら、本当に心で欲することがわかってきて。結局、人って簡単に変わらないんですよね。もっと自分のために生きていいんだと思うようになったら、再び雑誌がつくりたくなりました」(haru.さん)。〈株式会社HUG〉の由来は、ヨーゼフ・ボイスの言葉から。「みんなアーティストである」とは、誰しもが作品をつくるということではなく、個人の言葉や行動が集合して社会はつくられているということ。「個人が社会を彫刻していく1人であるということを少し意識して」というharu.さん。「自分の言葉のパワーにもう少し自覚的になれればいいなと思います。例えば、私は『奥さん』という言葉が嫌いなのですが、『パートナー』と言い方を変えるだけでコミュニティーの雰囲気がぱっと変わる。共通言語についてもう少し考えてみることが大切ですし、私自身も会社を経営するうえで意識していること。会社を大きくすることより、そこにいる人たちが安心して暮らしていける場所をつくっていくほうが重要です」。最後に、haru.さんにとって“いい暮らし”とは?「毎晩お風呂に入れて、ルームシェアしている友人と一緒に朝ごはんを食べたりすることかな。あと、みなさんにおすすめしたいのが早朝の散歩。無心で歩くだけで1日がぐっとよくなります」(haru.さん)haru.さん編集者、プロデューサー。東京藝術大学在学中、同世代のアーティストたちと創刊したインディペンデント雑誌『HIGH(er)magazine』の編集長に。多様なブランドとのタイアップコンテンツ制作を行ったのち、2019年に〈株式会社HUG〉を設立。取締役としてコンテンツプロデュースとアーティストマネジメントの事業を展開し、新しい価値を届けるというミッションに取り組む。YouTubeで配信中の動画もチェック!
2021年04月05日いろいろと制限を強いられる生活のなかで、改めて「幸せとは何か」について考えている人も多いのでは?とはいえ、簡単に答えが出る問いではないだけに、さらに悩んでしまっているという人もいると思います。そこで、オススメしたい最新作は、“世界でもっとも幸せな国”と言われているブータンから届いた珠玉の1本です。『ブータン 山の教室』【映画、ときどき私】 vol. 371ブータンの都市部に暮らす教師のウゲンは、オーストラリアに行って歌手になることを密かに夢見ていた。ところがある日、上司から呼び出され、ブータンでも一番の僻地と言われるルナナという村の学校へ赴任するように告げられる。険しい山道を登り、1週間以上かけて標高4,800メートルの地に位置するルナナに到着したウゲン。電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを知る。すぐにでも街に戻りたいと思っていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳と荘厳な自然とともにたくましく生きる村人たちの姿を見て、少しずつ変化していくことに……。さまざまな映画祭で観客賞を受賞し、アカデミー賞の国際長編映画賞のブータン代表にも選出された本作。そこで、見どころについてこちらの方にお話をうかがってきました。パオ・チョニン・ドルジ監督作家、写真家、映画監督として幅広い才能を発揮しているドルジ監督。今回は、念願の長編デビュー作となった本作に込めた思いや興味深いブータン文化の真髄などについて、語っていただきました。―この物語を作った理由は、ブータン独自の文化や伝統が失われつつあることを危惧していたからということですが、1999年にテレビとインターネットがブータンで解禁されたことが影響を与えているとお考えですか?監督まさにその通りだと思います。これまで何度もインタビューを受けていますが、それをはっきり言及してもらったのは初めてですね。1999年にそれらが解禁されたことによって引き起こされた“ブータンの開国”というのは、本当にひと晩で起きた出来事。あまりにも急激な変化だったので、準備ができていなかったブータン人はついていくことができないほどでした。そういったことがあり、いまのブータンはさまざまな課題を抱えることになってしまったのだと思います。―当時、監督は16歳で多感な時期だったと思いますが、監督自身もその前後で影響を受けた部分もありましたか?監督実は、僕自身は一般的なブータン人とは少し違う立場にありました。というのも、当時はブータンにいましたが、その前に何年もスイスに住んでいてヨーロッパにいたことがあったので、すでにほかの世界がどういうものかというのを知っていたからです。それに対して、学校の友達や多くの若者たちは外のことを何も知らなかったので、テレビをつけたらいきなりエミネムがラップしていたりして、ものすごいカルチャーショックを受けたと思います。実際、ブータンの人たちはその日以降、人生というものを違う視点から見るようになったほど。それに合わせて、社会の定義も変わっていったように感じています。ブータンは伝統的に女性が強い母系社会だった―テレビやインターネットは、そこまで大きな影響を及ぼしていたのですね。監督ちなみに、ananwebの読者は女性が多いということなので、女性に関することをお話すると、ブータンというのは伝統的に女性の立場が強い国で母系社会。土地や家も長男ではなく、長女に引き継がれることになっているので、家のなかでも長女が一番権力を持っていると言ってもいいと思います。結婚制度に関しても一夫多妻の場合もあれば、逆にひとりの妻に何人も夫がいる場合もあったほどですから。ただ、現代社会においては、一夫一婦制がいいとされていて、男性のほうが支配しているらしいということを知ったことによって、徐々にブータンも変わっていったんです。―ということは、母系社会だったブーダンがほかの世界から影響を受けてだんだん男性が優位な社会へと移行していったということですか?監督完全な母系社会だったというわけではありませんが、いまよりもバランスが取れていた社会だったかなとは思います。もちろんいまでも女性が強いところも残ってはいますが、そのほかの世界ではかなり男性が優位で、男性が重要な地位を占めているということに影響された部分はあると言えますね。―非常に興味深いお話です。ブータンといえば、“国民総幸福の国”とも言われていますが、何がブータンのみなさんを幸せにしていると思いますか?監督そのことは映画のなかでも描いていますが、それはウゲンがルナナで学んだことと同じで、「足るを知る」というブータンの伝統的な幸せに対する基礎があるからだと思います。ただし、急激な近代化によって、ブータンの人々も以前ほどは満足していないところがあり、いまはより物質的な豊かさに駆られているように感じているところです。幸せを求める旅路そのものが幸福だと感じる―今回の作品を通じて、監督自身の幸せに対する考えは変わりましたか?監督幸せというのはとてもつかみにくいものなので、「満足することが大事」とか「ものごとを受け入れることが幸せだ」と口で言うのは簡単ですけど、実践するのはとても難しいことですよね。”幸せの条件”というのは、つねに変わっていくものでもあるので、幸せでいるためには、瞬間瞬間ごとに自分で意識することが大事。人生の目標が幸せになることなのではなく、幸せを求める旅路そのものが幸福なんだと考える必要があると僕は思っています。―日本は世界でもトップレベルの豊かさを誇っているにも関わらず、国民の幸福度は世界ランキングでも年々下がっています。日本に何度も来日されたことのある監督から見て、なぜ日本人は幸せではないと思いますか?監督日本人の素晴らしいところは、勤勉さや規律の正しさ、あとは働き者であること。僕は日本のみなさんのそういうところを非常に尊敬しているのですが、同時にそれらによって大きなプレッシャーを感じている部分もあるのではないかなとも思っています。僕はいつも、人や物事の一番いいところは同時に欠点にもなりえると感じてきました。つまり、諸刃の剣だと言えると思いますが、日本人のそういう部分は諸刃の剣でも“裏の部分”になるのではないかなと。ただ、ブータン人たちは、日本人の勤勉さには本当に驚かされているんですよ。日本もブータンも求めているものは同じ―確かに、日本人にはそういう側面もあるかもしれませんね。では、近代化した日本と真逆のルナナに暮らす彼らから学ぶべきことを教えてください。監督ブータンには「すべての生き物は動き続ける」という教えがあり、それは小さな昆虫から人間までを含めたすべての生き物のことを指していますが、生き物が動き続ける目的は、幸せを探すためだと言われています。ルナナの人が一番大切にしているのは、ヤクという動物のフンなので、技術が進歩している日本とは逆のように見えますが、どちらに住んでいる人もずっと動き続けていますよね?つまり、一見両極端のように見える日本人とルナナの人たちでも、求めているものは同じ「幸せ」です。なので、もしこの映画が日本の方々に思い出させることがあるとすれば、「自分が求めている幸せというのは、実はシンプルなことのなかに見つけられるかもしれない」ということ。それらをルナナの人たちの生活のなかに見ることができるのではないでしょうか。実際、彼らは日常生活において、本当にシンプルなことで満足しているんですよ。―なるほど。ちなみに、監督が日本から影響を受けていることや好きなものはありますか?監督日本というのは、近代化している先進国ではありますが、それでも文化や伝統が色濃く残っているところが素晴らしいので、称賛の気持ちであふれています。なかでも僕が特に好きなのは、菩薩像がたくさんある京都のお寺。そんなふうに伝統が近代的な生活様式と共存していることには驚かされました。そのほかに、僕は日本のアーティストたちから大きな影響を受けていて、作家では谷崎潤一郎、映画では小津安二郎、黒澤明、是枝裕和といった方々から非常に多くのインスピレーションをもらっています。ルナナに行って、人生に感謝する気持ちが芽生えた―今回の撮影についてもおうかがいしますが、ブータンでも一番の僻地で撮影するにあたって、さまざまな困難に見舞われたとか。そのなかでも一番きつかったことをいま振り返るとすれば、どんなことですか?監督ルナナで撮影をするという自体が、本当にチャレンジングなことでした。なので、現地に行く前は、おそらくルナナで撮影することは不可能だろうと諦めていたこともあったくらいです。実際に、頭のなかではウゲンが山に行ったところで映画が終わるかもしれないという覚悟もしてたほどですから。そんな状況でどうにか山でも撮影できたことに対しては、本当に感謝しかありません。―これだけ便利な暮らしをしているなかで、いきなり携帯もつながらない場所で過ごすのは大変なことが多かったのでは?監督確かに、電話を使うことができなかったのは大変でしたね。十分にチャージできないこともありましたし、チャージできてもひとつのメッセージを送るのにかかる時間は2~3日。送信ボタンを押したあと、送信中のマークがずっとグルグルしていて、数日したらやっと送信済になる、という感じでした(笑)。本当に外の世界と遮断されたような生活を送っていたんですよ。―でも、それによって新たな気づきもあったのではないでしょうか?監督そうですね。そこで気がついたのは、素朴な暮らしが持つ美しさ。現代社会のなかにいると、スマホやテレビなど、気を取られてしまうものにたくさん囲まれていることがわかりました。いっぽうルナナでは、自分と自然が共存しているだけで、ほかには何もありません。そのときに人生をより味わうことができると感じましたし、よりよい人間になりたいという気持ちにもなりました。ルナナの人たちは最低限のベーシックなものだけで生きているので、それを見て僕も人生そのものに感謝する気持ちが芽生えたんだと思います。本当に、人生が変わるような瞬間でした。生きる喜びと自然の美しさを実感する!仕事やプライベートで、いろいろなことに追われてばかりいると、大事なことをつい見逃してしまうもの。人間らしい生活を送るルナナの人たちの生き方を目の当たりにすることで、人生における幸せや真の豊さとは何かを知ることができるはずです。日本では決して見ることのできない圧倒的な自然の景色とともに、心が浄化されるのを感じてみては?取材、文・志村昌美温かい気持ちになれる予告編はこちら!作品情報『ブータン 山の教室』4月3日(土)より、岩波ホール他にて全国順次公開!配給:ドマ©2019 ALL RIGHTS RESERVED
2021年04月02日お笑いタレントの志村けんさんが亡くなってから1年が経った、2021年3月29日。同日には、生前親交があった多くの著名人が追悼のコメントを発表しました。テレビ番組でたびたび共演し、志村さんの追悼番組にも出演したタレントの研ナオコさんも、志村さんの命日に合わせ、2人そろった写真をInstagramで投稿。写真には、旧知の仲である研さんの前だからこそ見せた自然体の志村さんの姿が映っていました。 この投稿をInstagramで見る 研ナオコ (Naoko Ken)(@ken.naoko)がシェアした投稿 この笑顔のけんちゃん忘れません。ken.naokoーより引用過去に行われた、ロケ番組の中のワンシーンというこちらの写真。見つめ合って笑いあう2人からは、『友人』という言葉以上の強い絆が感じられるようでもあります。写真は反響を呼び、改めて志村さんを偲ぶコメントが多く寄せられました。・志村けんさんの存在は、永遠に忘れません!・志村さんの笑い声まで、脳内で再生できる。・素敵な笑顔。いつまでも忘れません。・2人の笑い声が聞こえてくるようです。志村さんの訃報を伝えるニュースは日本中に衝撃を与え、当時、世の中全体が悲しみに包まれたといっても過言ではありません。あの日から1年…多くの功績を残した志村さんの死を信じられない人は、依然として多いことでしょう。きっとそれは研さんも同じ。もう志村さんのコントを見ることはできません。しかし、研さんが公開した写真に写る笑顔の志村さんの姿は、これからも私たちの中で生き続けるはずです。[文・構成/grape編集部]
2021年03月31日2021年3月29日は、お笑いタレントである志村けんさんの一周忌でした。同日、志村さんが所属していた『ザ・ドリフターズ』のメンバーである仲本工事さんが、Twitterを更新。志村さんの命日に対し、正直な想いをつづりました。一年早いものですねでもまだ、志村がそばにいるような気がします。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) March 29, 2021 「まだ志村がそばにいるような気がします」という仲本さんの言葉には、仲間の逝去を1年かけて受け止めて、変わらず大切に想う心境がうかがえますね。仲本さんの投稿に対し、ファンからは「読んで泣いてしまった」「笑顔でいれば見守ってくれる気がする」「今でも亡くなったことが信じられません」といった声が相次ぎました。仲本さんは、同年2月20日に迎えた志村さんの誕生日にも、次のような投稿をしていました。今日は、志村の誕生日かぁ。早いなぁ、みんな忘れてないよね。もう一年たつんだね。 pic.twitter.com/QGuLm80gg2 — 仲本工事 (@nakamoto_koji1) February 20, 2021 Twitter上のファンに対し、友人のように呼びかける仲本さんのメッセージからは、志村さんの不在を悲しむ人々を思いやり、一緒に懐かしもうとする姿勢が伝わってきます。日本中の人々に深い悲しみを与えた志村さんの逝去から1年。志村さんの優しい人柄や、彼がもたらした数々の笑いは、私たちの心に残り続けることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月30日志村けんさん(享年70)がこの世を去ってから今日で1年。ドリフターズの最年少メンバーであった志村さんの死は日本中に大きな悲しみをもたらした。一周忌を迎えるということで、3月28日にはフジテレビが局の垣根を超えた異例の特別番組を放送。4月3日には志村さんがMCを務めた『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が一夜限りの復活を果たす。その存在の大きさはますます際立つばかりだ。68年にいかりや長介さん(享年72)へ弟子入りする形で芸能生活をスタートさせた志村さん。74年に荒井注さん(享年71)がドリフを脱退すると、正式メンバーに昇格。「東村山音頭」で脚光を浴び、押しも押されぬドリフの人気メンバーとなる。ドリフ解散後も“バカ殿様”などであらゆる世代からも愛された志村さんの歩みを、貴重な秘蔵写真とともに改めて振り返りたい――。■中島みゆきとの幻の対談相葉雅紀(38)や千鳥の大悟(41)、優香(40)など数多くの芸能人から慕われていた志村さん。そんな志村さんには、憧れていた女性歌手がいる。中島みゆき(69)だ。11年、志村さんはブログで中島みゆきのコンサート「夜会」を訪れたことを明かしたうえで、こう綴っていた。《三十年前から中島みゆきさんのファンでコントでも曲使わせて貰って今日は楽屋にお邪魔して握手求められて ドキドキ》実は41年前、本誌で志村さんと中島みゆきが対談を行っていたのだ。食事をしながら対談を行うというもので、憧れの中島との対面ともあって取材は大盛りあがり。しかし、対談しながらの食事にはあまり集中できなかったようで、中島は当時のオールナイトニッポンで「対談の時って、物、食えるもんじゃないな。今度、タッパ持っていこうと思った」と述懐していた。■美女とデート&愛犬同伴の誕生日パーティ優しく紳士な人となりで知られる志村さん。しかし、時には“やんちゃ”な一面も。また生涯独身を貫いた志村さんだが、数多くの女性と浮名を流した。かつてはいしのようこ(53)との交際がたびたび報じられ、以降も恋の噂は後を立たなかった。本誌も数々の現場に遭遇。11年9月に高級飲食店に美女とデートする姿や、19年2月には都内のバーで仲間に囲まれて愛犬同伴で自身の誕生日パーティを楽しむ姿を目撃している。今年8月には、志村さんが出演予定だった映画『キネマの神様』が公開され、代役を盟友の沢田研二(72)が務める。志村さんの“遺志”は、これからも決して消えることはない――。
2021年03月29日