2021年4月19日、バラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)にお笑いタレントの加藤茶さんが出演。前年3月29日に新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)で亡くなった、盟友・志村けんさんへの想いを語り、反響を呼んでいます。加藤茶「残念だなっていってられない」番組の中で、加藤さんは「自分の中で、どれだけ大事だったんだろう」と志村さんが亡くなった後の喪失感を吐露しました。俺たちより年下の志村が逝ったのが一番ショックだったし、これからいろんなことができるよという時にコロナで亡くなってしまって、まだお別れの会もしていないし。だから志村本人が自分が死んだことを分かっていないんじゃないかと思うよ。いまだにネタを考えたりしているんじゃないかと。人生が変わる1分間の深イイ話ーより引用また、1周忌を迎えた現在の想いを語っています。残念だなってばっかりいってられないし、今度は自分たちがドリフターズの笑いをお客さんに見せていかないといけないね。舞台でお客さんに笑ってもらって、あと22年いったら御の字だね。それでコロッと逝けたら最高。でも高木さんを見ていると、いけそうな気がする。100歳までいけるかな。人生が変わる1分間の深イイ話ーより引用加藤さんは、志村さんの想いを引き継ぎ、これからも舞台に上がるために、日々トレーニングを行っているそうです。また、加藤さんの妻・綾菜さんは、介護資格を取得するなど献身的に加藤さんをサポート。番組の中でも「介護職をする職員さんを増やしたい。高齢化でおじいちゃん、おばあちゃんが4人に1人っていわれている時代なのに、働く人がどんどん減っている」と熱く将来の夢を話していました。番組を見た人たちからは応援の声などが寄せられています。・志村さんが亡くなって、もう1年か…。カトちゃんにはまだまだ元気でいてほしいな。またコントが見たいよ。・加藤さんと綾菜さん、素敵な夫婦ですね。それぞれの夢に向かって頑張っている姿に勇気をもらえました。・加藤さんの思い出話に涙が出ました。『ザ・ドリフターズ』は永遠。志村さんの分までこれからも笑わせてください。志村さん亡き後、悲しみを抱えながらも、お笑いを続けるため前向きに努力をし続けている、加藤さん。その姿に、多くの人が励まされたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年04月20日出口の見えない長いトンネルからなかなか抜け出せない生活を送っているなか、気分を一新したいと思うことはありませんか?そんなときにオススメしたいのは、カリフォルニアにある砂漠のリゾート地を舞台にした一風変わったラブコメディ『パーム・スプリングス』。そこで、主演を務めたこちらの方にお話をうかがってきました。アンディ・サムバーグさん【映画、ときどき私】 vol. 373コメディアンとしてアメリカで絶大な人気を誇り、俳優としても活躍しているアンディさん。劇中では、のん気な皮肉屋で一見お調子者のように見える主人公のナイルズを演じています。ある出来事をきっかけに、一度眠ると同じ日を毎日繰り返してしまう“タイムループ”に閉じ込められたナイルズとそれに巻き込まれてしまう女性サラの2人を描いた本作。今回は、この作品でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされたアンディさんに撮影秘話や自身の経験などについて、お話いただきました。―本作は、無名の監督と脚本家のコンビによる作品ですが、サンダンス映画祭では史上最高額(当時)で配給権が売買されるほど熱狂的な盛り上がりを見せる作品となりました。アンディさんからの助言で脚本を修正した部分もあったそうですが、どのようなアドバイスをされたのでしょうか?アンディさんまずは「もっとスケール感を大きくしていいよ」という話をしました。というのも、彼らにとってはもともと友達と砂漠でお金をかけずにこっそりと撮影しようとしていた企画でしたからね。なので、もう少し予算をかけても大丈夫であることを伝えたんです。―それによって、作品はどのように変わりましたか?アンディさん爆発のシーンや効果を使った演出などを加えることで、シークエンスが大きくなりました。あとは、ストーリーテリングや恋愛の部分においてもレベルを引き上げることができたんじゃないかなと。結果的に、さまざまなジャンルがブレンドされているチャレンジングな作品になったと思います。―本作のどういったところに魅力を感じていますか?アンディさん僕はとても幸せな結婚生活を送っているので、人生においていい人間関係を望むのであれば、相手を信じて飛び込まなければいけないと思っています。この作品ではそういう必要性についても、美しいメタファーとして描かれているんですよね。僕は好みがはっきりしているほうですが、今回のように最初からこんなにハマる物語はレアだと思います。この作品ではすべての要素が魅力的に感じた―今回は、主演だけでなく、製作にも入っていますが、その理由についても教えてください。アンディさんそれはもともと「主演と製作をしてもらえませんか?」という形でオファーをいただいた経緯があったからですが、あとは純粋にタイムループものが好きだったからというのも理由ですね。ただ、『恋はデジャ・ブ』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』といったタイムループを描いた素晴らしい作品がすでに存在していたので、このジャンルに挑戦することにはナーバスになっていたところはありました。でも、この作品は同じタイムループものでも、そういった名作が終わったところからを描いているように感じたんです。たとえば、『恋はデジャ・ブ』ならビル・マーレイがその後1000年間ループに閉じ込められていたらどうなるか、みたいなことですね。キャラクターも含めて、すべての要素が魅力的に感じましたし、そういったことに対して深いレベルまで到達しているところが気に入りました。ほかにも、大きな笑いがありつつ、そういったコメディ作品にはないようなエモーショナルな部分も描かれているのがすごくいいなと思ったところです。―これまで演じてこられたコメディチックなキャラクターと、本作のようなドラマの部分を含んだキャラクターとどちらのほうが演じやすいですか?アンディさん企画にもよりますが、若いころはどちらかというとコメディチックな役で知られていたので、当時はそういう役を演じるのが大好きでした。もちろん、いまでも好きではありますが、最近はもっと地に足のついた役を演じてほしいと言われることも増えていますね。僕としては、脚本を読んでから決めるようにしていますが、判断の基準は自分が参加することによってその作品がダメになるか、それともよくなるか、ですね。今回の場合は、これまで僕が演じてきた役のイメージよりもドラマのシーンが多い役でしたが、自分にはそれを演じられるスキルがあると自負していたし、ユーモアを描いたシーンもあることがわかっていたので、役に入りやすいんじゃないかなという思いもありました。日本のみなさんに劇場で観てもらえるのがうれしい―ナイルズはお調子者のようで、実は心優しい人物ですが、ご自身のパーソナリティに近いところがあるのでは?アンディさんそんなふうに言ってもらえるのは、うれしいことですね。僕がそういった役柄に惹かれるのは、人の優しい気持ちを信じているのと自分自身の性格がうまくハマる部分があるからだと思います。だから、みなさんにもリアルに感じてもらえるのかなと。実際、僕は普段の生活で怒ったりすることがあまりないので、怒っている演技を求められるときは少し身構えてしまうほど。どのくらい怒っていいのかわからなくて、怒りすぎた演技をしてしまうことがあるんですよね(笑)。そういったこともあって、ナイスなキャラクターは役者としての僕にも合っているのかもしれません。もちろん内側には葛藤もありますが、優しい人たちの姿を観客に見せたいという気持ちがあるんだと思います。この作品も日本の劇場で公開できることは、すごくクールでうれしいことです。―絶妙な会話のやりとりも見どころでしたが、アドリブをされることもありましたか?アンディさん今回、現場でのアドリブというのはほとんどありませんでした。というのも、撮影に入る前に脚本家とかなりいろいろと話し合ってセリフを決めていきましたから。あとは、事前にリハーサルを何度も重ねていくなかでサラ役のクリスティン・ミリオティたちとも相談しながらセリフを足したので、そこで変えることはあっても、撮影中に変えることはあまりしませんでした。ほかにも、今回は予算がそこまで大きくなかったことやスケジュールがタイトだったこともあって、自由にカメラを回したり、何度もテイクを重ねられなかったので、そのぶんテイクとテイクの間に十分に話し合ってから撮影をするようにしました。今回はそれがうまくいったと思っています。クリスティンだったらパーフェクトだと思った―クリスティンも非常に素晴らしかったですが、彼女を抜擢した理由は?アンディさんこれまでにクリスティンが出演しているドラマなどを見て、プロデューサーとも最初からクリスティンだったらパーフェクトなんじゃないかと話していました。彼女の演技は作品によって全部違うので、役者としてすごくワクワクする存在なんです。あとは彼女と共演すれば、きっと僕もよりよい役者に見えるんじゃないかなという思いもありましたけど(笑)。―(笑)。ただ、クリスティンは製作陣とミーティングしたあと、数か月経っても連絡がなかったので、出演できないと諦めてアフリカ旅行に出発してしまったとか。連絡がつかずに、危うく役を逃しかけたと聞きましたが、そのときのことを教えていただけますか?アンディさんミーティングではすごくいい感じだったので、オファーをした瞬間に「やりましょう!」という返事が来ると期待していたんです。でも、3日間くらい経っても何の連絡がなかったので、もしかして本当はやりたくないんじゃないかなと……。そしたら、「いまクリスティンはアフリカのど真ん中にいて、連絡が取れません」と言われたんですよ(笑)。そういう事情があったんですけど、最初はナーバスになりましたね。でも、実は彼女も僕と同じようにフラストレーションを感じていたと聞いて、うれしかったです。自分は負のループにはまらないように気をつけている―無事にクリスティンに決まって本当によかったです!また、こういったタイムループものだと、何度も同じテイクを重ねて大変だったと思いますが、特に苦労したのはどのあたりですか?アンディさん今回の撮影方法としては、ロケーションごとにわけて、そこで起きていることを脚本に沿って撮りました。キャラクターが経験する感情面を順番に追いながら撮影できたのは、演じるうえで助けになったと思います。ただ、毎回目を覚ますシーンは一番大変でしたね。というのも、セリフがないぶん、その前に何が起きていたのかを踏まえて、表情だけでニュアンスを表現しなければいけなかったので。そういう意味では、ユーモアがあるような派手なシーンのあとのほうがワッと言って起きればいいので楽でした。今回は同じ衣装で同じ場所で演じていることが多かったので、いろんなバージョンでたくさん撮れたのはよかったと思います。―劇中では、ナイルズもサラも孤独や絶望のループから抜け出せなくなっている姿が描かれていますが、ご自身にもそういう経験はありますか?アンディさん最近の話で言うと、ここ1年は僕が住んでいるエリアはずっとロックダウンなので、そういう意味では負のループから抜け出せていない感じはありますよね。ただ、この作品で描いているのは、僕たち人間が陥りやすいパターンや何度も繰り返してしまう選択について。僕自身は、なるべくそういうループにはまらないようには気をつけています。だからこそ、僕はこの映画が好きなのかもしれないですね。自分のミスから学んで、新たに進むことが大事―ちなみに、どのようにしてそのループにはまらないように意識しているのでしょうか?アンディさん人にとって大事なのは、自分がミスを犯したら一歩下がってそれが何なのかに気づくこと、そして同じミスに再び向かってしまいそうならその自分を止めることだと思います。それはとても難しいことではあるけれど、自らの間違いから学び、自分を許したうえで新しい方法に取り組むべきではないかなと。そんなふうに対応できれば、人生をうまく生きていると言えるんじゃないかなと思います。僕自身はそこまで大きな壁にぶつかったこともフラストレーションを感じたこともないので、すごく恵まれているのかもしれないですけどね。ただ、人間関係においては、同じ間違いを繰り返さないようにしているので、友人たちともきちんと連絡を取り合うように心がけています。とにかく、いまのロックダウンから抜け出せないのは、誰にとってもつらいことだよね。―もしタイムループにはまってしまったとしたら、ご自身の人生のなかで、何度でも味わいたい最高の日ともう二度と味わいたくない最低な日をそれぞれ教えてください。アンディさん最悪な1日で思い出すのは、高校時代かな。詳しくは言えないけど、屈辱的な日もたくさんあったからね(笑)。人生で最高な日は、妻と結婚した日や娘が生まれた日だけど、あまりにも強烈な出来事だから、それを毎日経験したいかというとどうかな。何度も繰り返したら、「はいはい、娘が生まれるんだよね?わかったわかった」ってなっちゃうかもしれないですから(笑)。そういう意味では、子どものころに家族とビーチに行った日は、天気も風の具合もランチもすべてがちょうどよかったので、繰り返すとしたらそんな“ちょうどいい日”がいいですね。インタビューを終えてみて……。オンラインでの取材ではありましたが、画面越しでも伝わってくるアンディさんの人柄の良さと優しい笑顔にすっかり魅了されました。本作でもアンディさんのさまざまな魅力が全開となっているので、物語とともに存分に堪能してください。憂鬱な気分も一気に吹き飛ばしてくれる!タイムループものとしてはもちろんのこと、ラブストーリーとしても、コメディとしても、ドラマとしても見どころ満載の本作。同じことを繰り返しているような感覚に陥っているいまだからこそ、1日1日の大切さを教えてくれる秀逸な1本として必見です。取材、文・志村昌美ストーリー砂漠の保養地であるパーム・スプリングスで、恋人と結婚式に参加していたナイルズは、幸せムードになじめずにいるサラと出会う。一見お調子者だが全てを見通したようなナイルズにサラは興味を抱き、2人はいい雰囲気になる。ところが、そこに謎の老人が現れ、ナイルズを襲撃。負傷したナイルズは洞窟へと逃げ込み、サラはあとを追いかける。その後、一度眠りに落ちると結婚式の日の朝にリセットされる“タイムループ”に閉じ込められたことに気がつくサラ。ナイルズは、先にループにハマっており、すでに同じ日を数えきれないほど繰り返しているという。果たして2人は、永遠に続く時間の迷宮から抜け出すことができるのか……。何度も見たくなる予告編はこちら!作品情報『パーム・スプリングス』4月9日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー配給:プレシディオ・Filmarks©2020 PS FILM PRODUCTION,LLC ALL RIGHTS RESERVED.
2021年04月08日いろいろと制限を強いられる生活のなかで、改めて「幸せとは何か」について考えている人も多いのでは?とはいえ、簡単に答えが出る問いではないだけに、さらに悩んでしまっているという人もいると思います。そこで、オススメしたい最新作は、“世界でもっとも幸せな国”と言われているブータンから届いた珠玉の1本です。『ブータン 山の教室』【映画、ときどき私】 vol. 371ブータンの都市部に暮らす教師のウゲンは、オーストラリアに行って歌手になることを密かに夢見ていた。ところがある日、上司から呼び出され、ブータンでも一番の僻地と言われるルナナという村の学校へ赴任するように告げられる。険しい山道を登り、1週間以上かけて標高4,800メートルの地に位置するルナナに到着したウゲン。電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを知る。すぐにでも街に戻りたいと思っていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳と荘厳な自然とともにたくましく生きる村人たちの姿を見て、少しずつ変化していくことに……。さまざまな映画祭で観客賞を受賞し、アカデミー賞の国際長編映画賞のブータン代表にも選出された本作。そこで、見どころについてこちらの方にお話をうかがってきました。パオ・チョニン・ドルジ監督作家、写真家、映画監督として幅広い才能を発揮しているドルジ監督。今回は、念願の長編デビュー作となった本作に込めた思いや興味深いブータン文化の真髄などについて、語っていただきました。―この物語を作った理由は、ブータン独自の文化や伝統が失われつつあることを危惧していたからということですが、1999年にテレビとインターネットがブータンで解禁されたことが影響を与えているとお考えですか?監督まさにその通りだと思います。これまで何度もインタビューを受けていますが、それをはっきり言及してもらったのは初めてですね。1999年にそれらが解禁されたことによって引き起こされた“ブータンの開国”というのは、本当にひと晩で起きた出来事。あまりにも急激な変化だったので、準備ができていなかったブータン人はついていくことができないほどでした。そういったことがあり、いまのブータンはさまざまな課題を抱えることになってしまったのだと思います。―当時、監督は16歳で多感な時期だったと思いますが、監督自身もその前後で影響を受けた部分もありましたか?監督実は、僕自身は一般的なブータン人とは少し違う立場にありました。というのも、当時はブータンにいましたが、その前に何年もスイスに住んでいてヨーロッパにいたことがあったので、すでにほかの世界がどういうものかというのを知っていたからです。それに対して、学校の友達や多くの若者たちは外のことを何も知らなかったので、テレビをつけたらいきなりエミネムがラップしていたりして、ものすごいカルチャーショックを受けたと思います。実際、ブータンの人たちはその日以降、人生というものを違う視点から見るようになったほど。それに合わせて、社会の定義も変わっていったように感じています。ブータンは伝統的に女性が強い母系社会だった―テレビやインターネットは、そこまで大きな影響を及ぼしていたのですね。監督ちなみに、ananwebの読者は女性が多いということなので、女性に関することをお話すると、ブータンというのは伝統的に女性の立場が強い国で母系社会。土地や家も長男ではなく、長女に引き継がれることになっているので、家のなかでも長女が一番権力を持っていると言ってもいいと思います。結婚制度に関しても一夫多妻の場合もあれば、逆にひとりの妻に何人も夫がいる場合もあったほどですから。ただ、現代社会においては、一夫一婦制がいいとされていて、男性のほうが支配しているらしいということを知ったことによって、徐々にブータンも変わっていったんです。―ということは、母系社会だったブーダンがほかの世界から影響を受けてだんだん男性が優位な社会へと移行していったということですか?監督完全な母系社会だったというわけではありませんが、いまよりもバランスが取れていた社会だったかなとは思います。もちろんいまでも女性が強いところも残ってはいますが、そのほかの世界ではかなり男性が優位で、男性が重要な地位を占めているということに影響された部分はあると言えますね。―非常に興味深いお話です。ブータンといえば、“国民総幸福の国”とも言われていますが、何がブータンのみなさんを幸せにしていると思いますか?監督そのことは映画のなかでも描いていますが、それはウゲンがルナナで学んだことと同じで、「足るを知る」というブータンの伝統的な幸せに対する基礎があるからだと思います。ただし、急激な近代化によって、ブータンの人々も以前ほどは満足していないところがあり、いまはより物質的な豊かさに駆られているように感じているところです。幸せを求める旅路そのものが幸福だと感じる―今回の作品を通じて、監督自身の幸せに対する考えは変わりましたか?監督幸せというのはとてもつかみにくいものなので、「満足することが大事」とか「ものごとを受け入れることが幸せだ」と口で言うのは簡単ですけど、実践するのはとても難しいことですよね。”幸せの条件”というのは、つねに変わっていくものでもあるので、幸せでいるためには、瞬間瞬間ごとに自分で意識することが大事。人生の目標が幸せになることなのではなく、幸せを求める旅路そのものが幸福なんだと考える必要があると僕は思っています。―日本は世界でもトップレベルの豊かさを誇っているにも関わらず、国民の幸福度は世界ランキングでも年々下がっています。日本に何度も来日されたことのある監督から見て、なぜ日本人は幸せではないと思いますか?監督日本人の素晴らしいところは、勤勉さや規律の正しさ、あとは働き者であること。僕は日本のみなさんのそういうところを非常に尊敬しているのですが、同時にそれらによって大きなプレッシャーを感じている部分もあるのではないかなとも思っています。僕はいつも、人や物事の一番いいところは同時に欠点にもなりえると感じてきました。つまり、諸刃の剣だと言えると思いますが、日本人のそういう部分は諸刃の剣でも“裏の部分”になるのではないかなと。ただ、ブータン人たちは、日本人の勤勉さには本当に驚かされているんですよ。日本もブータンも求めているものは同じ―確かに、日本人にはそういう側面もあるかもしれませんね。では、近代化した日本と真逆のルナナに暮らす彼らから学ぶべきことを教えてください。監督ブータンには「すべての生き物は動き続ける」という教えがあり、それは小さな昆虫から人間までを含めたすべての生き物のことを指していますが、生き物が動き続ける目的は、幸せを探すためだと言われています。ルナナの人が一番大切にしているのは、ヤクという動物のフンなので、技術が進歩している日本とは逆のように見えますが、どちらに住んでいる人もずっと動き続けていますよね?つまり、一見両極端のように見える日本人とルナナの人たちでも、求めているものは同じ「幸せ」です。なので、もしこの映画が日本の方々に思い出させることがあるとすれば、「自分が求めている幸せというのは、実はシンプルなことのなかに見つけられるかもしれない」ということ。それらをルナナの人たちの生活のなかに見ることができるのではないでしょうか。実際、彼らは日常生活において、本当にシンプルなことで満足しているんですよ。―なるほど。ちなみに、監督が日本から影響を受けていることや好きなものはありますか?監督日本というのは、近代化している先進国ではありますが、それでも文化や伝統が色濃く残っているところが素晴らしいので、称賛の気持ちであふれています。なかでも僕が特に好きなのは、菩薩像がたくさんある京都のお寺。そんなふうに伝統が近代的な生活様式と共存していることには驚かされました。そのほかに、僕は日本のアーティストたちから大きな影響を受けていて、作家では谷崎潤一郎、映画では小津安二郎、黒澤明、是枝裕和といった方々から非常に多くのインスピレーションをもらっています。ルナナに行って、人生に感謝する気持ちが芽生えた―今回の撮影についてもおうかがいしますが、ブータンでも一番の僻地で撮影するにあたって、さまざまな困難に見舞われたとか。そのなかでも一番きつかったことをいま振り返るとすれば、どんなことですか?監督ルナナで撮影をするという自体が、本当にチャレンジングなことでした。なので、現地に行く前は、おそらくルナナで撮影することは不可能だろうと諦めていたこともあったくらいです。実際に、頭のなかではウゲンが山に行ったところで映画が終わるかもしれないという覚悟もしてたほどですから。そんな状況でどうにか山でも撮影できたことに対しては、本当に感謝しかありません。―これだけ便利な暮らしをしているなかで、いきなり携帯もつながらない場所で過ごすのは大変なことが多かったのでは?監督確かに、電話を使うことができなかったのは大変でしたね。十分にチャージできないこともありましたし、チャージできてもひとつのメッセージを送るのにかかる時間は2~3日。送信ボタンを押したあと、送信中のマークがずっとグルグルしていて、数日したらやっと送信済になる、という感じでした(笑)。本当に外の世界と遮断されたような生活を送っていたんですよ。―でも、それによって新たな気づきもあったのではないでしょうか?監督そうですね。そこで気がついたのは、素朴な暮らしが持つ美しさ。現代社会のなかにいると、スマホやテレビなど、気を取られてしまうものにたくさん囲まれていることがわかりました。いっぽうルナナでは、自分と自然が共存しているだけで、ほかには何もありません。そのときに人生をより味わうことができると感じましたし、よりよい人間になりたいという気持ちにもなりました。ルナナの人たちは最低限のベーシックなものだけで生きているので、それを見て僕も人生そのものに感謝する気持ちが芽生えたんだと思います。本当に、人生が変わるような瞬間でした。生きる喜びと自然の美しさを実感する!仕事やプライベートで、いろいろなことに追われてばかりいると、大事なことをつい見逃してしまうもの。人間らしい生活を送るルナナの人たちの生き方を目の当たりにすることで、人生における幸せや真の豊さとは何かを知ることができるはずです。日本では決して見ることのできない圧倒的な自然の景色とともに、心が浄化されるのを感じてみては?取材、文・志村昌美温かい気持ちになれる予告編はこちら!作品情報『ブータン 山の教室』4月3日(土)より、岩波ホール他にて全国順次公開!配給:ドマ©2019 ALL RIGHTS RESERVED
2021年04月02日お笑いタレントの志村けんさんが亡くなってから1年が経った、2021年3月29日。同日には、生前親交があった多くの著名人が追悼のコメントを発表しました。テレビ番組でたびたび共演し、志村さんの追悼番組にも出演したタレントの研ナオコさんも、志村さんの命日に合わせ、2人そろった写真をInstagramで投稿。写真には、旧知の仲である研さんの前だからこそ見せた自然体の志村さんの姿が映っていました。 この投稿をInstagramで見る 研ナオコ (Naoko Ken)(@ken.naoko)がシェアした投稿 この笑顔のけんちゃん忘れません。ken.naokoーより引用過去に行われた、ロケ番組の中のワンシーンというこちらの写真。見つめ合って笑いあう2人からは、『友人』という言葉以上の強い絆が感じられるようでもあります。写真は反響を呼び、改めて志村さんを偲ぶコメントが多く寄せられました。・志村けんさんの存在は、永遠に忘れません!・志村さんの笑い声まで、脳内で再生できる。・素敵な笑顔。いつまでも忘れません。・2人の笑い声が聞こえてくるようです。志村さんの訃報を伝えるニュースは日本中に衝撃を与え、当時、世の中全体が悲しみに包まれたといっても過言ではありません。あの日から1年…多くの功績を残した志村さんの死を信じられない人は、依然として多いことでしょう。きっとそれは研さんも同じ。もう志村さんのコントを見ることはできません。しかし、研さんが公開した写真に写る笑顔の志村さんの姿は、これからも私たちの中で生き続けるはずです。[文・構成/grape編集部]
2021年03月31日2021年3月29日は、お笑いタレントである志村けんさんの一周忌でした。同日、志村さんが所属していた『ザ・ドリフターズ』のメンバーである仲本工事さんが、Twitterを更新。志村さんの命日に対し、正直な想いをつづりました。一年早いものですねでもまだ、志村がそばにいるような気がします。— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) March 29, 2021 「まだ志村がそばにいるような気がします」という仲本さんの言葉には、仲間の逝去を1年かけて受け止めて、変わらず大切に想う心境がうかがえますね。仲本さんの投稿に対し、ファンからは「読んで泣いてしまった」「笑顔でいれば見守ってくれる気がする」「今でも亡くなったことが信じられません」といった声が相次ぎました。仲本さんは、同年2月20日に迎えた志村さんの誕生日にも、次のような投稿をしていました。今日は、志村の誕生日かぁ。早いなぁ、みんな忘れてないよね。もう一年たつんだね。 pic.twitter.com/QGuLm80gg2 — 仲本工事 (@nakamoto_koji1) February 20, 2021 Twitter上のファンに対し、友人のように呼びかける仲本さんのメッセージからは、志村さんの不在を悲しむ人々を思いやり、一緒に懐かしもうとする姿勢が伝わってきます。日本中の人々に深い悲しみを与えた志村さんの逝去から1年。志村さんの優しい人柄や、彼がもたらした数々の笑いは、私たちの心に残り続けることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月30日志村けんさん(享年70)がこの世を去ってから今日で1年。ドリフターズの最年少メンバーであった志村さんの死は日本中に大きな悲しみをもたらした。一周忌を迎えるということで、3月28日にはフジテレビが局の垣根を超えた異例の特別番組を放送。4月3日には志村さんがMCを務めた『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)が一夜限りの復活を果たす。その存在の大きさはますます際立つばかりだ。68年にいかりや長介さん(享年72)へ弟子入りする形で芸能生活をスタートさせた志村さん。74年に荒井注さん(享年71)がドリフを脱退すると、正式メンバーに昇格。「東村山音頭」で脚光を浴び、押しも押されぬドリフの人気メンバーとなる。ドリフ解散後も“バカ殿様”などであらゆる世代からも愛された志村さんの歩みを、貴重な秘蔵写真とともに改めて振り返りたい――。■中島みゆきとの幻の対談相葉雅紀(38)や千鳥の大悟(41)、優香(40)など数多くの芸能人から慕われていた志村さん。そんな志村さんには、憧れていた女性歌手がいる。中島みゆき(69)だ。11年、志村さんはブログで中島みゆきのコンサート「夜会」を訪れたことを明かしたうえで、こう綴っていた。《三十年前から中島みゆきさんのファンでコントでも曲使わせて貰って今日は楽屋にお邪魔して握手求められて ドキドキ》実は41年前、本誌で志村さんと中島みゆきが対談を行っていたのだ。食事をしながら対談を行うというもので、憧れの中島との対面ともあって取材は大盛りあがり。しかし、対談しながらの食事にはあまり集中できなかったようで、中島は当時のオールナイトニッポンで「対談の時って、物、食えるもんじゃないな。今度、タッパ持っていこうと思った」と述懐していた。■美女とデート&愛犬同伴の誕生日パーティ優しく紳士な人となりで知られる志村さん。しかし、時には“やんちゃ”な一面も。また生涯独身を貫いた志村さんだが、数多くの女性と浮名を流した。かつてはいしのようこ(53)との交際がたびたび報じられ、以降も恋の噂は後を立たなかった。本誌も数々の現場に遭遇。11年9月に高級飲食店に美女とデートする姿や、19年2月には都内のバーで仲間に囲まれて愛犬同伴で自身の誕生日パーティを楽しむ姿を目撃している。今年8月には、志村さんが出演予定だった映画『キネマの神様』が公開され、代役を盟友の沢田研二(72)が務める。志村さんの“遺志”は、これからも決して消えることはない――。
2021年03月29日お笑いタレントの志村けんさんが新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)による肺炎で亡くなってから、2021年3月29日で1年が経ちます。多くの人にショックと悲しみを与えた訃報。また、改めてコロナウイルスの恐ろしさを知ったニュースだったでしょう。70歳で生涯に幕を閉じた志村さん。ネット上では「いまだに信じられない」「フラっとテレビに出てきてくれそうな気がする」などの声が上がっています。志村けんさんへのメッセージを受け付け志村さんの出身地である東京都東村山市では、2020年5月に、志村さんへのメッセージをウェブサイト上で募集し、遺族へと届けていました。また、同年8月には東村山市の存在を全国の方に知らしめた恩人などとして、志村さんを名誉市民に選定。2021年3月で志村さんの一周忌を迎えるにあたり、東村山市は、再びウェブサイト上でメッセージの受付を開始しました。コロナウイルスの感染防止のためにも、来訪や献花、供物は遠慮するよう呼び掛けています。多くの皆さんの志村さんへの尽きることのないお気持ちに何らかの形でお応えできればと市のホームページで皆さんの「お気持ち」を再び3月31日(水曜)までお受けし、ご遺族にお届けさせていただきます。緊急事態宣言につきましては昨日をもって解除されましたが今後の再拡大が危惧されているところです。市といたしましては、引き続き感染拡大への警戒を怠らずに市政運営を続けております。皆様におかれましては、新型コロナウイルス感染症再拡大防止、駅・グリーンバス利用者等通行者の交通安全確保等の観点から、「志村けんの木」付近への来訪、献花・供物等につきましては何卒ご遠慮いただきますようお願い申し上げます。東村山市ーより引用メッセージは、東村山市のウェブサイトで2021年3月31日まで受け付けているとのこと。寄せられたメッセージが、遺族を通して志村さんへと届くといいですね。[文・構成/grape編集部]
2021年03月28日累計発行部数150万部を超える人気コミックを実写化し、絶賛公開中の『ブレイブ -群青戦記-』。現在、大きな反響を呼んでいるところですが、今回は本作を語るうえで欠かせないこちらのおふたりにお話をうかがってきました。新田真剣佑さん&鈴木伸之さん【映画、ときどき私】 vol. 368ある日突然、学校ごと戦国時代にタイムスリップしてしまった高校生たちが、部活で鍛えたスキルを駆使しながら、織田信長や徳川家康と戦っていく姿を描いている本作。劇中では主人公で弓道部の西野蒼を新田真剣佑さん、蒼の幼なじみで剣道部の松本考太を鈴木伸之さんが演じています。そこで、撮影現場での忘れられない思い出からお互いに対する思いまでを語っていただきました。―共演されるのは今回が初めてですが、以前からおふたりは親交があったとうかがっています。どのくらい前からお互いのことをご存じですか?鈴木さんあんまり覚えてないけど、2~3年くらいだっけ?新田さんどうだったかな……。5年にしときますか(笑)。鈴木さん嘘の記事になるけど(笑)。じゃあ、5年にしますか。―では、5年前からということで(笑)。どういった出会いだったんですか?鈴木さんあのときは、卓球やったんだよね?新田さんうん、楽しい会だったよね。鈴木さん僕は卓球に相当自信があったんですけど、まっけんも卓球が強くて、五分五分のやりあいを1時間くらい続けてたんです。でも、そこからまさか映画で共演させてもらえる日が来るとは思わなかったので、やっぱり縁はありがたいなと感じています。離れていても、つねに一緒にいる感覚があった―実際ご一緒にお仕事されてみて、役者としてのお互いの印象はいかがですか?新田さん僕の役にとって、考太というキャラクターはものすごく大きな存在だったので、離れていても通じ合えているというか、つねに一緒にいるような感覚がありました。鈴木さん確かに、そういう感じはあったよね。新田さん考太がいたからこそ、最後の蒼が生まれたので、役としても僕自身としても支えてもらいました。鈴木さん僕はまっけんの作品をずっと観ていたので、まずは一緒にお芝居できるのが楽しみでした。現場に入ってから驚いたのは、この作品がまっけんにとっては初の単独主演作だと聞いたとき。そんなことをまったく感じさせないくらいみんなに気を配ってくれていましたし、蒼というキャラクターに人生をかけているのが伝わってきたんです。それを見て、男としても、蒼としてもまぶしくてステキだなと思いました。―そのなかでも、座長としての新田さんにすごさを感じた瞬間といえば?鈴木さんいっぱいありましたよ。率先して現場をチームにまとめてくれましたし、キャストのみんなが自信を持ってお芝居に向かっていける環境にまっけんがしてくれていました。そんなふうにドンと構えてくれていたので、周りもスイッチが入るんですよね。現場の雰囲気というのは、主演の人の立ち振る舞いによってどちらにも転ぶと思うんですけど、この作品に関しては、温かい空気で包んでくれたまっけんのおかげでものすごく楽しくて、青春時代みたいな1か月になりました。強く見えるか不安だったけど、大変なことはなかった―新田さんは、オリジナルのパーカーをキャストとスタッフにプレゼントされたりもしたそうですね。そのほかにも、主演として現場の士気を高めるために、意識していたこともありましたか?新田さん僕は何もしてないですけど、誰ひとり仲間外れになることなく、みんなが楽しい現場になるようにコミュニケーションを取ろうと思っていただけです。とにかく、いい人ばっかりだったので、現場はつねに明るかったのが印象的でした。僕としては、役をこれほど細かく掘り下げられる場があってすごくうれしかったです。ここまでできたのは初めてだったので、役と向き合えることがこんなにも幸せなことなんだなと知りました。―役作りでアクションやそれぞれの競技の練習などもあったそうですが、今回の作品で一番の大変だったことは何ですか?新田さんひとつだけ、やりにくいと思ったことがありました。それは、親友でもある草野大成との共演です(笑)。普段、友達としてつねに一緒にいるので、大成と一緒にお芝居するのはやりにくいなと思いました。―恥ずかしさがあったということですか?新田さん全然恥ずかしくはないんですけど、現実世界に引き戻されそうな感じがしたんですよね。なので、大成が目に入ってきたときは、スッと目をそらしたこともありました。って、冗談です(笑)。でも、それ以外やりにくかったことは思い浮かばないですね。鈴木さんそうなんだよね。僕もないかも。考太はスポーツ強豪校の剣道部という役なので、すごくうまくて強い人に見えるようにしないといけないという不安はありましたが、それぐらいだったと思います。みんな必死に汗を流しながら役と向き合っていた―初挑戦となった剣道の練習も、つらいよりは楽しめた感じですか?鈴木さんそうですね。今回はいろいろな部活の人が出ているんですけど、事前に大きな倉庫みたいなところでみんなでアクションや競技の練習をしていました。それぞれが必死に自分の役と向き合いながら汗を流している姿は、本当の部活動みたいでしたね。いま思うと、あのときからすでにこの作品は始まっていたような気がしています。―そのなかで、ご自身の高校時代や青春時代を思い出す瞬間は?新田さん部活の朝練をしていたことを思い出しましたね。鈴木さん確かに、それはあるね。新田さんみんなでモチベーションを上げていた感じがすごく部活みたいで、しかも全員がやる気だったので、それもよかったなと思いました。鈴木さん朝一に校庭でのシーンがあると、呼ばれてもいないのにみんな少し早く集まって、ランニングしたりキャッチボールしたりしてたよね。新田さんそうそう、みんなでピョンピョン飛び跳ねたりして。鈴木さんそれぞれが自主的にアップしてたんですけど、そういうのも作品のなかに生きていたように感じています。―画面に写ってないところでも、そういった空気感がすでにできあがっていたんですね。本当に仲が良かったようですが、そのなかでもみんなで爆笑したエピソードといえば?鈴木さん笑ったことは、いっぱいありましたね。つねにゲラゲラ笑ってたんじゃない?新田さんうん、毎日そんな感じだったよね。この作品に出たからこそ、できるようになったことがある―ムードメーカーとなっていたのは誰ですか?鈴木さん福山翔大をはじめ、いっぱいいましたよ。新田さんタイプの違うムードメーカーが何人もいたので、うるさかったなぁ(笑)。鈴木さんそうそう。うるさかったけど、楽しかったよね。新田さんまあ、ケガもなく終われたのは本当によかったなと。それにしても、ああいう現場はなかなかないんだろうなと改めて思っています。鈴木さん本当に、またあんな現場に行きたいですね。―年下から先輩まで個性豊かなキャストが多いので、刺激的な現場だったと思いますが、そこで学んだことを振り返るとすれば?新田さん今後、この作品に出たからこそできるようになったことが、たくさん出てくると思います。でも、それはこれからの現場で実感することだと思うので、いまはまだわからないことかもしれないです。鈴木さんそうですね、僕も学んだことはいっぱいありました。それは改めて全編通して作品を観たときに感じたことでもありますが、相手を思いやる気持ちとか家族のありがたみとか、どのシーンを通してもいろいろなことが勉強になったと思います。この作品には、そういうステキな瞬間がたくさん詰まっていると感じました。―完成した作品をご覧になって、印象に残っているシーンについて教えてください。新田さんあとになって監督から聞いてびっくりしたのは、みんなの死に際がそれぞれのアドリブだったことです。ひとりひとりがかっこよく死を遂げていたので、「みんなどうしているのかな?」と考えていたんですけど、全部台本にないアドリブだったと聞いて、鳥肌が立ちました。鈴木さんグッとくるシーンはたくさんありましたけど、高校生たちが人のことを思いながら行動している姿がとにかくまぶしかったですね。特に中盤に大きな展開がひとつあって、蒼が心変わりするところがありますが、それ以降は本当にあっという間に感じました。まっけんの瞬発力と本番の強さに驚かされた―ちなみに、それぞれが演じられたキャラクターと高校時代の自分と重なる部分はありましたか?新田さんどうだろう、戦国時代にタイムスリップしたことないからなぁ……。鈴木さんそうだね(笑)。新田さんただ、僕も蒼みたいに高校時代は部活に明け暮れた日々を過ごしてはいました。―蒼みたいに自分に自信が持てなくて悩んだことは?新田さんそれはなかったですね。というのも、僕は自信満々でしたから(笑)。鈴木さん(笑)。でも、まっけんは本当にすごいので、いまの言葉に嘘はないと思いますよ。「この人ほどすごい人はいないんじゃないかな」と思う瞬間は何度もありましたから。―たとえば、どのようなことがあったのでしょうか?鈴木さんこの前、ある番組で「1分間に最も多く箸でキャッチしたマシュマロの数」でギネスの世界記録を持っている僕に寄せた企画をしてもらったことがあったんです。あ、ギネスの世界記録を持っているとこだけ、太字で書いてもらってもいいですか?―(笑)。ギネスの世界記録は、本当にすごいですね。鈴木さんそれで、「お箸でお手玉を取る」というゲームをしたんですけど、実はめちゃくちゃ難しいんです。なのに、まっけんが練習を始めたのは本番の5分前。にもかかわらず、本番では1発で成功させたんですよ。その瞬発力と本番の強さに、この人すごいなと思いました。実際、ほかの人がまっけんのあとに挑戦したら、全部落としてましたからね(笑)。新田さんあはは!役と向き合うということに関しては、つねに一生懸命―鈴木さんがこれなら新田さんに勝てると思うものは?鈴木さんうーん、ないっすね。確か、卓球もまっけんのほうがちょっと強かったですから……。でも、卓球だけは僕にしておこうかな!―では、卓球は鈴木さんということで(笑)。ちなみに、おふたりがもし戦国時代にタイムスリップしたら、ご自分はどんな武器を使って戦いますか?新田さんこの前、番組の企画で弓の的当てをしたんですけど、けっこうそれができたので、弓ですね。もしくは銃を使って、スナイパーになるというのもいいかな。鈴木さん僕は、逃げ足の早さですね。戦わずに逃げ続けて、戦いが終わるまでうまく逃げ切りたいと思います(笑)。―それぞれの個性が出ておもしろいです。また、本作では一生懸命になれることの素晴らしさも改めて感じましたが、いま一番ご自身が一生懸命になれる瞬間を教えてください。新田さん役と向き合うということに関しては、つねに一生懸命だと思います。そんなふうに僕は仕事だけに一生懸命なので、プライベートは何でもいいと思っているくらいです。鈴木さん僕も仕事に関しては、自分の役について一生懸命考えていて、それをなるべく体現できるように意識しています。あとは、どこでも同じようなこと言っていて申し訳ないんですけど、僕はゲームかサウナですね。これだけです。新田さんあ、僕もゲームには一生懸命かも!それは同じですね。インタビューを終えてみて……。とにかく仲が良くて、お互いのことが大好きなのが伝わってくる新田さんと鈴木さん。この作品について本当に楽しそうに振り返るおふたりの姿からも、いかに今回の現場が充実していたのかが想像できました。いろいろな裏話を踏まえたうえで、ぜひ本編もお楽しみください。前代未聞の戦いに熱くなる!アクションあり、青春あり、友情あり、恋愛あり、歴史ありと見どころ満載の本作。命をかけて一生懸命に戦う高校生たちの姿と、スピーディーな展開にどんどんと引き込まれてしまうはず。戦国時代へと一緒にタイムスリップしてみては?写真・大内香織(新田真剣佑、鈴木伸之)取材、文・志村昌美ストーリー自分に自信を持つことができず、部活動にも力が入らないままでいた弓道部の西野蒼。そんな様子を見て、幼なじみの瀬野遥と松本考太は蒼のことを気にかけていた。その日も退屈な授業と常勝を義務付けられた部活といういつもと変わらない日になるはずだったが、一本の雷が校庭に落ちて、彼らの日常が一変してしまう。その直後、学校の外の見慣れた風景は、見渡す限りの野原となり、校内には刀を持った野武士が襲来。パニック状態で次々と生徒が倒されていくなか、歴史オタクの蒼は、学校がまるごと戦国時代にタイムスリップしてしまったことに気がつく。はたして、彼らは戦国時代を生き抜き、現代へと無事に戻ることはできるのか……。時空を超えた予告編はこちら!作品情報『ブレイブ -群青戦記-』全国東宝系にてロードショー中配給:東宝©2021「ブレイブ -群青戦記-」製作委員会 ©笠原真樹/集英社写真・大内香織(新田真剣佑、鈴木伸之)
2021年03月26日昨年3月、新型コロナウイルスによる肺炎のためこの世を去った志村けんさん(享年70)。その銅像が故郷の東京都東村山市に設置されることが3月9日に発表された。各メディアによると銅像は「アイーン」のポーズをしており、7月上旬にはお披露目される予定だという。志村さんが亡くなって早1年。ネットでは《いろんな世代から愛され、みんなに笑いを届けてくれた志村さんが大好きです。銅像出来たら見に行きたいと思います》《まさか銅像になるとまでは本人も思わなかっただろう。それほどに偉大な存在となったということ》と改めて、生前の功績が讃えられている。そして、このニュースの2日後に迎えたのが3月11日。東日本大震災の発生した「3.11」から10年目という節目の年を迎えた。志村さんのブログをひもとくと、11年3月13日の記事に震災当日のことがつづられている。志村さんは「高速道路走ってて地震あいまして」「こんな怖い思いは人生で初めて本当に怖かったよ」といい、さらにこう続けている。「それよりテレビで映像見て私なんかより想像絶する言葉がありません津波の怖さ」「何も出来ない涙が出ます」同年3月27日のブログには、福島県いわき市にロケで行った思い出が記されている。「海岸の店でおばちゃん達にしらす丼食べさせてもらい楽しく会話したのを覚えてます」と回想したものの、「その店は流されて無いそうです辛いです」と無念さを滲ませている。「志村さんはその年の4月、募金活動を行いました。1日で213万円もの大金を集め、被災地に寄付。『自分には何もできない』と思っていた志村さんは、募金してくれた人たちにしきりに感謝していました」(スポーツ紙記者)■「少しでも震災を忘れてくれたらいいな」震災後、ブログで何度も「合言葉はだいじょぶだぁ」「明日はだいじょぶだぁ」とのメッセージを送っていた志村さん。13年4月に放送された番組「志村けんと行く!勝手にドッキリ感動旅!」(テレビ東京系)で三陸鉄道の旅に出ている。そして当時、三陸鉄道・吉浜駅の非常勤駅長に任命され話題となった。「なぜ“非常勤”なのかというと、『そのほうがタイミング次第でいつでも現地に行けるから』と志村さんが考えたためだそうです。また志村さんは等身大パネルや、志村さんへの意見箱『志村箱』を吉浜駅に設置することを提案。そんな『少しでも被災地に寄り添いたい』という気持ちを街の人たちは嬉しく思い、『元気付けられた』と語る人もいました」(全国紙記者)また志村さんが愛されたのは、誰にでも気さくで優しかったからだという。「『バカ殿』で震災を特集した際、現地の曲芸師に『じっくり芸を見せてくださいね』と紳士的に挨拶。その姿に感激する声が上がっていました。さらに志村さんは、被災地の子供たちをたびたび楽しませては笑顔に。子供が大好きな志村さんは『少しでも震災を忘れてくれたらいいな』と話していました」(前出・スポーツ紙記者)この次の10年、そしてその先もーー。志村さんは、被災地のことを天国から見守っていることだろう。
2021年03月12日いまや私たちの日常に欠かせないインターネットやSNS。便利であるいっぽうで、危険な側面があるのを誰もが感じているのでは?そこで、ある人気キャラクターがインターネット上でたどった衝撃の出来事を目の当たりにする話題作をご紹介します。『フィールズ・グッド・マン』【映画、ときどき私】 vol. 366ハッピーなキャラクターたちが繰り広げる若者のリアルな日常を描いているマット・フューリーの漫画「ボーイズ・クラブ」。カルト的な人気を博していたが、主人公であるカエルのペペが「feels good man(気持ちいいぜ)」というセリフを放ったことがすべての始まりとなる。いつからかインターネットの掲示板やSNSには、このセリフとともに“ネットミーム”として改変されたペペのイメージ画像が溢れだしてしまう。さらに、2016年のアメリカ大統領選時には、匿名掲示板「4chan」で人種差別的なイメージとともにペペが大拡散され、ADL(名誉毀損防止同盟)からヘイトシンボルとして正式認定される始末。マットの思いとは裏腹にペペの乱用は加速し続けることに……。アメリカの映画批評サイト「ロッテントマト」で96%を叩き出し、「いますぐ必見の痛烈なポリティカル・ドキュメンタリー」と絶賛されている本作。今回は、その裏側について、こちらの方々にお話をうかがってきました。アーサー・ジョーンズ監督&ジョルジオ・アンジェリーニさん本作で監督デビューを飾り、サンダンス映画祭新人賞を受賞するなど高く評価されているアニメーターで脚本家でもあるジョーンズ監督(写真・左)。今回は、マットと同じアーティストとして感じている思いや制作過程で発見したインターネットが抱える問題などについて、本作のプロデューサーであるジョルジオ・アンジェリーニさん(写真・右)と一緒に語っていただきました。―ペペの生みの親であるマット・フューリーさんが経験した一連の騒動を監督は、友人として間近でご覧になっていたそうですが、それを映画にしようと思ったのはなぜですか?監督ペペがニュースに出たり、掲示板でミームとして扱われるようになったりしてから、この騒動ついてはずっと驚かされていたんです。以前からマットとはペペについていろいろと話し合っていたので、この数年間でペペの身に起こったことについて非常に興味深く感じていました。そんななか、2016年にペペがヘイトシンボルに登録されてしまい、それによってマット自身がネオナチやオルタナ右翼なんじゃないかと勘違いしている人も増えていたので、ドキュメンタリーを作ることで「ペペを守って真実を伝えたい」「いまのアメリカの現状を世界に発信したい」と思うようになったのがこの作品を制作しようと考えた理由です。―制作の過程では、それまで知らなかった事実に直面することもありましたか?監督僕は普段あまりSNSを使わないですし、「4chan」を見たのも初めてだったので、新しい発見はたくさんありましたね。作品自体がリサーチプロジェクトでもあるので、SNSがいかに世界やコミュニケーションの方法を変えたのかという経緯や社会の変化をこの映画を通して伝えたかったというのもひとつです。そのために、SNSのコミュニティを理解するように努力したり、現代の哲学やメディア論に関する資料を読んだり、学者の方にお話を聞いたりと、多方面から調べていきました。インターネットには忍耐力を持って接することが大事―ペペが置かれている立場については、どう思われましたか?監督もうひとつ僕が驚いたのは、ペペがいかにファンたちと感情的なつながりがあるかということ。たとえば、「4ちゃんねらー」と呼ばれる4chanの投稿者であるミルズと話しているなかでも、彼らのような人たちにとって、ペペとの絆がどれほど強いのかを感じることもありました。それは、作品を作っていくなかでも、おもしろいと思った点です。―そういった一連の出来事を目撃して、インターネットやSNSとの向き合い方は変わりましたか?ジョルジオさん監督はあまりSNSをしないタイプの人なので、これに関してはこの映画の公式SNSなどを担当している僕が答えたいと思いますが、まずは忍耐力を持つことが大事だと気がつきました。今回のペペのようにインターネット上では、ネガティブな方向に用いられることもありますが、そんなときでも忍耐力を持って接していれば道は必ず開けていくということを学んだからです。―では、利用している人に向けてアドバイスがあればお願いします。監督まず頭に入れておくべきなのは、それぞれのプラットフォームはユーザーを操るためのツールであって、できるだけそこで時間を費やすように作られていたり、不安や恐怖をあおったりするようになっているということ。いま、SNSは空気のような存在とされていますが、もう少し批判的な目を向けていく必要があるのかなとは思っています。特に、この作品を通してみなさんにも考えてほしいのは、メディアリテラシーの大切さやSNSとどう接していくかということです。いかに協力して平和な社会を作れるかを考えてほしい―そのいっぽうで、いい面もあるとは思いますが、どうお感じですか?ジョルジオさんインターネットやSNSというのは、あくまでもみんなが繋がることのできる“偽りのユートピア”のような場所なんじゃないかなと思っているので、正直言って、今回の過程ではあまりポジティブな面を見つけることはできませんでした。というのも、ネットカルチャーにおいては、愛情や共感よりも悪意やヘイトの感情のほうが広がりやすいんだと感じたからです。なので、みなさんにもそういったことを忘れずに、インターネットに参加してほしいなと思っています。そして、SNSにコントロールされるのではなく、する側に立ち、いかに協力して平和な社会を作れるのかも考えてもらえたらいいなと。あとは、自分を偽ることなく、インターネット上でも自分らしさを見せることを恐れないでほしいので、そういったメッセージも受け取ってもらいたいです。―こういう作品なのでインターネット上に投稿される作品に対する感想も気になったのではないでしょうか?監督確かにネガティブなコメントを恐れていましたが、人々は驚くほどいい反応を見せてくれました。そのときに感じたのは、インターネットやSNSが与える影響について対話をする心の準備がみなさんできているんだなということ。そして、ネガティブなイメージがついてしまったものの、いかに人々がペペのことを愛しているのかを実感しました。それによって僕たちは勇気をもらえましたし、ペペが歩んできた長い旅路の一部になれたこともうれしく思えた瞬間だったと思います。ペペはアメリカ社会の鏡になっている―もしも、ペペというキャラクターが存在せず、インターネット・ミームとしてここまで利用されることがなければ、アメリカの歴史も変わっていたと思いますか?ジョルジオさんペペは社会に影響を与えるキャラクターというよりは、社会の鏡だと考えています。なので、愉快でハッピーなペペから悲しいペペになり、怒りを抱えているペペを経て、最後は暴力的になるという変化がありましたが、あれはまさにアメリカの文化を象徴していると言えるでしょう。アニメーションのなかで、ペペが見ている鏡が割れるシーンがありますが、そこでもアメリカの文化を比喩的に表現しているんですよ。ペペがいなければこの作品は生まれませんでしたが、ペペ自身が社会を変えたということはないと思います。監督だからペペがいなくても、トランプは当選していたでしょうね(笑)。―誰もがマットさんの立場になりうる可能性がありますが、同じアーティストとして活動するうえで監督も創作活動や表現の自由の難しさを感じることはありましたか?監督マットは僕よりも才能がある人なので、同じ立場になれるとは思っていませんよ(笑)。ただ、いまの世の中で漫画は消費文化だと思われているところがありますが、社会のなかで重要なアートだと僕は考えています。それまでは受け身なところもありましたが、自分自身が動くことで世の中を変えることができることを知れたので、不安や恐怖を感じるよりもワクワクした気持ちのほうが強かったですね。―これからも、ミームは影響力を増していくのでしょうか?ジョルジオさん「ミーム」というのは新しい言語だと思っているので、今後なくなることはないでしょうね。ただ、ちょっと影響力が大きすぎるという意味では問題だと思っているので、ミームに対して社会がどのように反応していくか、というのが課題なのかなと考えています。2020年の大統領選挙のときに民主党候補者を目指していたマイケル・ブルームバーグ氏もお金を払って自分のミームを作成し、影響力を得ようとしていたほど。彼のような人でもミームを意識しているんだと知り、改めてミームの力の大きさを知りました。普通に見ているだけならミームはいろんなユーモアのセンスが融合されていて面白いので、いい意味で発展してもらいたいなとは感じています。世の中にとって何がベストかを考えていくべき―今後、ミームとはどのように付き合っていけばいいと思いますか?監督これはアメリカだけではなく、世界中で起きていることですが、ミームを使って力の弱い人たちを操ろうと悪用しているケースも見られるので、それに対しては、何かしらの形で戦っていかなければいけないと感じています。―なかなか難しいことではありますが、みなが「フィールズ・グッド」と言えるようになるになる社会に必要なものは何だとお考えですか?監督まずは、オンラインに費やす時間を減らすこと。そして、プラットフォーム自体が社会的責任を負うということが大事だと感じています。そのために、プログラマーや経営者たちと多様な思考を持った人たちが集まって一緒に作り上げていくことが必要なのではないかなと。ユーザーも声を上げるべきですし、会社もグローバルな責任を持って運営をしていかなければいけないですが、とにかく世の中にとって何がベストなのかを議論しながら、プラットフォームを作り上げることが求められると思います。あとは、コミュニティのなかでお互いに力を与え合って、幸せを感じることですね。そんなふうに社会のなかで役に立てているという感情が人々をフィールズ・グッドにさせるのではないかと考えています。―最後に、おふたりが日常生活で「フィールズ・グッド」と感じる瞬間を教えてください。ジョルジオさん一番幸せを感じるのは、家族や友人、ペットと時間を過ごしているとき、それからアーサーのようなクリエイティブな人たちとの仕事をしているときですね。監督僕もジョルジオと同じで、大好きな仲間と一緒にコラボレーションして制作しているときがフィールズ・グッドな瞬間です。あとは、シャワーを浴びてさっぱりして、強いコーヒーを飲んで、好きな音楽を聴きながら犬を散歩させる時間に幸せを感じています。世界中で起きている問題にみんなで向き合う!現代社会が抱える問題や闇の実態について、人気キャラクターを通して見ることができる本作。インターネットという世界では、誰もがいつ被害者や加害者になるかもしれない危険性があるだけに、これからの付き合い方を考える意味でもいま観るべき1本です。取材、文・志村昌美痛烈な予告編はこちら!作品情報『フィールズ・グッド・マン』3月12日(金)ユーロスペース、新宿シネマカリテほかにて全国順次公開!配給:東風+ノーム©2020 Feels Good Man Film LLC
2021年03月11日ドイツで開催されたマンハイム・ハイデルベルク国際映画祭で二冠に輝いたのをはじめ、海外の映画祭で高く評価されている映画『ターコイズの空の下で』。今回は、日本・モンゴル・フランスによる合作としても注目を集めている本作の魅力について、こちらの方にお話をうかがってきました。主演の柳楽優弥さん【映画、ときどき私】 vol. 366劇中では、裕福な家庭で自堕落な生活を送っていた青年タケシを演じた柳楽さん。本作は、タケシがモンゴル人男性アムラとともに、生き別れた祖父の娘をモンゴルの草原へと探しに行く旅を描いたロードムービーとなっています。そこで、モンゴルでの忘れられない思い出や30歳となったいまの心境などについて語っていただきました。―まずは、モンゴルに到着したときの印象はいかがでしたか?柳楽さん最初に飛行機で5~6時間かけて首都のウランバートルに行ったんですが、そこから遊牧民の移動式住居であるゲルがある場所に行くまで車で9時間。まずはその移動時間の長さに、一番びっくりしてしまいました。こんなに遠いんだなと。しかも、途中で運転手さんが砂漠で道に迷うこともあったのでかなり不安になりましたが、「あっちの木のほうかな?」みたいな感じでなんとか到着した感じでした(笑)。―いきなり映画と同じような経験をされたんですね。撮影はどのように進められましたか?柳楽さん台本にはあまり詳しく書かれておらず、その場に合わせて即興的に変わっていくようなタイプの現場でした。20代はキャラクターっぽい役柄が多かったので、今回はいい意味で自分自身と向き合えるような作品だなと。そのなかで、自分の弱点に気づかされることもあったので、どうしたらもう少し理想に近づけるのかについて考えるように意識していました。―今回は、どちらかというと事前に作り込めない役どころだったと思いますが、柳楽さんとしては演じやすいものでしたか?柳楽さん僕はガチガチに決まっているよりも、その場で演出していただけるほうが好きですね。デビュー作の『誰も知らない』がそういう演出で、それを最初に経験したからかもしれませんが。KENTARO監督もカメラの横からセリフや動きを指示してくださる方だったので、僕としてはすごく心地よかったです。20代で築き上げてきたものや考え方を一旦置いて、10代の頃のいい感覚を思い出せたように感じました。自分が好きだったものを改めて振り返ることができる時間になったと思います。この作品で前よりも少し大人になった―モンゴルでの撮影を経て、ご自身で変化を感じる部分があれば教えてください。柳楽さん何週間も携帯をまったく使えない場所で自分と向き合うしかなかったので、新しい挑戦でしたね。いままでとは少し違う角度から物事が見れたこともあり、視野が広くなったような気がしています。なので、モンゴルに行ったあとは、前よりも少し大人になったかもしれません。―今回は、ご自身にとって初の海外合作となりましたが、いかがでしたか?柳楽さんとにかくモンゴルに行ってみたくて参加しました。キャストやスタッフが5か国くらいから集まっている現場は初めてでしたし、いろいろな言語が飛び交っていて興味深かったです。監督が商業的な作品にしたくないとずっとおっしゃっていたので、僕も力まずに自然体でいることができました。最近は演技をしない感じを求められることはあまりなかったので、そういう意味でも楽しかったです。今回の現場で僕にとって一番大きかったのは、やっぱりKENTARO監督との出会いだと思います。―その監督は柳楽さんのことを「ソルジャー」と呼んでいるのだとか。柳楽さんそうなんですよ、監督は僕のことを「ソルジャー」とか「アニマル」とか言ってますね(笑)。監督は本当におもしろい方で、僕のツボにハマっているので、ぜひみなさんにも知っていただきたいです!KENTARO監督は信頼できる大好きな人―KENTARO監督は、海外育ちで4か国語を操る国際派俳優としても活躍されている方ですが、柳楽さんにとってはどんな存在ですか?柳楽さん頭がよくて、たくさん引き出しを持っていらっしゃる方なので、現場でもいろいろなこと教えていただきました。いまでは違う現場にいても、相談してしまうくらい頼りにしています。この前も「恐怖心があるのは当たり前のことだよ。だから、現場に行くときは剣を持って行くんだ!その剣がズタボロになっても、血だらけになっても、立ち向かわないといけないんだよ」と熱いアドバイスをいただきました。そんな感じで励ましてくださるので、話をしていると心が落ち着きますし、元気をもらえます。―いまでは作品を超えて相談できるお兄さんのような方なんですね。柳楽さんこれまで監督にそういうことを相談することはあまりありませんでしたが、KENTARO監督は俳優をされていることもあり、的確なことを言ってくださるので、本当に信頼しています。嫌なものは嫌だとはっきりしていている方ですが、オープンでもあるので、今回の現場でもいろいろと話し合いをさせていただきました。リーダーとしても心強かったですし、尊敬もしていますが、とにかくおもしろいので大好きです。―監督から影響を受けていることがあれば、教えてください。柳楽さん自分の意見をきちんというところや前向きなところは、見習いたいなと思っています。あとは、マメ知識がすごいんですよ。たとえば、乾杯するときに監督は目を見ないと絶対に嫌な人なんですが、昔のフランスでは割れないコップで乾杯をしていたので、強く乾杯してしずくを飛ばし、「お前は毒を入れてないよな?」と確認するために、お互いに目を合わせていたそうです。僕の目を見ながらフランス語で乾杯という意味の「サンテ!」を何度も言ってたのがおもしろくて……。そういうたぐいの話をたくさんしてくださったり、ダライ・ラマからもらったオオカミの爪をお守りに持っていたり、とにかく謎だらけの人です(笑)。実は年齢も本名も知らないんですけど、あえて聞かないのもおもしろくなってきているので、本当に独特な関係性だと思います。日本で当たり前のことも、当たり前ではないと知った―(笑)。では、共演したモンゴルの俳優陣からも刺激をもらったことはありましたか?柳楽さん日本とは違うな、と感じることはたくさんありました。モンゴルの俳優たちは、セリフで説明するよりも、表情だけで感情を表現する演技をされる方が多いです。そういうところは僕も憧れる部分なので、学ばせていただきました。日本では当たり前と思う感覚も、当たり前ではないと知ることができたので、それは合作映画ならではだと思います。そのほかに印象に残っているのは、みなさん体が大きくて、すぐにお相撲を取り始めること(笑)。あとはずっとウォッカを飲んでいることと、女性が強いことですね。今回共演したツェツゲ・ビャンバさんはモンゴルでは有名な女優さんですが、とにかく強くてかっこいいんです。僕がご飯屋さんで怖い人に絡まれていたとき、彼女が後ろからひと言発しただけで、体の大きな男たちが「すみません!」と言って、いなくなりましたから(笑)。―すごいですね。旅を一緒に続けたアムラ役のアムラ・バルジンヤムさんは、ハリウッドに進出されている俳優でもあります。何かアドバイスをもらったこともありますか?柳楽さん彼は「この人に言えば何でも解決する」と言われているほどモンゴルの映画界を背負っている存在で、みんなから「兄貴」と慕われていました。僕はモンゴルの歴史や馬の乗り方を教えていただいたことが印象に残っています。モンゴルでは絶対に負けたくないという気持ちが全面に出ている方が多くて、「ケンカの強い人が偉い」みたいな感じなので、そういうところもおもしろかったです。ただ、みなさん語学は堪能ですし、頭のいい方が多いので、勉強をすごくしているんだなと感じました。―撮影中に衝撃を受けたことといえば?柳楽さんバイクが爆発するシーンですね。本当に爆発させているので1回しかできないですし、破片が飛んで来たりして怖かったです。でも、そのときに監督を見たら、葉巻を吸いながらクレーンに乗って自分でカメラを回していて……。その姿がとにかくおもしろかったです。あとは、本物のオオカミと対峙するシーン。「それじゃあオオカミ逃げちゃうんじゃないの?」みたいな細い糸でオオカミを繋いでいたので、それも怖かったですね。どれも日本ではなかなかできないことばかりだったので、すごく新鮮でした。海外には挑戦できるならこれからもしたい―モンゴルに滞在中は、どのような生活をされていましたか?柳楽さんゲルで過ごしていましたが、大きなネズミやプレーリードッグが出入りしていましたね。あと、共同シャワーは3つあるけど、ひとりが使っているとほかの2つは使えないとか……。なかなか行けない場所ではありますが、1回で堪能できたと思うくらいの経験をさせていただきました。―食事も日本とは違うものだったと思いますが、いかがでしたか?柳楽さんプレーリードックを食べたときは衝撃的でしたが、縁起のいい食べ物で、お客さんを招いたときなどに食べる習慣があるそうです。ただ、首を切ったあとに内臓を取り出して、熱した石をなかに入れてジューッと焼く調理法が斬新で、最初は少し怖かったですね……。でも、「これを食べたら仲間!」みたいな感じだったので、おいしくいただきました。―ちなみに、味はどのような感じだったのでしょうか?柳楽さん少しけものっぽくてクセがありましたが、普通においしかったです。今回は、アムラさんの知り合いのシェフが現場にずっといてくださったので、毎日おいしいご飯をいただくことができました。―海外でさまざまな経験を積んで、今後も海外の作品に挑戦したい気持ちが強くなったのでは?柳楽さんハリウッドに対する憧れはありますけど、日本や海外に関係なく、今後もKENTARO監督のようなかっこいい人とこれからも出会っていきたいです。とはいえ、もちろん挑戦できるならぜひしたいとは思います。―30歳を目前に自分探しをする劇中のタケシに共感する部分もあったと思いますが、ご自身も30代に突入してみていかがですか?柳楽さん20代までは仕事を立て続けにやることが“正義”だと思ってましたけど、30歳になったのが2020年で、強制的にいろいろなことが中断されたので、改めて自分と向き合える時間を持つことができました。その間に食事の資格や船の免許を取ることもできたので、それはそれでいい時間になったといまは思っています。ひたむきさを持ちつつ、余裕のある俳優になりたい―そういう時期だからこそ、いままでできなかったことができたんですね。柳楽さんそうですね。家族と過ごしたり、資格を取ったりした以外にも、俳優としてもいろいろな欲が出てきたので、大切な時間だったんだなと。この作品のように、旅に出ることで出会いや学びを得ることもありますが、休みのなかからも意外と学べることは多いんだなと考えるようになりました。あと、いまは釣りにハマっているので、釣竿を買って、早く釣りに行きたいですね。共演者の方にも釣りをする方は多いので、一緒に行けるようになったらいいなと思っています。釣りは時間の使い方がぜいたくなところがいいですよね。―数年前にお話をうかがった際に、30代になったら自分に向いたものを多くやりたいとおっしゃっていましたが、30歳を迎えてその思いは強くなっていますか?柳楽さん20代の頃のようにすべての作品に同じようにエネルギーを注ぐというよりも、30代は好きな作品により集中できるようにしたいなとは思っています。トニー・レオンが好きなので、『花様年華』みたいな映画にも出てみたいなとか。30代だからこそ、演じられるような役と作品に出演したいですね。―この1年は、環境的にも大きな変化を感じたと思いますが、支えになってたものは何ですか?柳楽さんやっぱりエンタメですね。『愛の不時着』や『HUNTER×HUNTER』にハマってしまって、ワクワクしながら観てました。これだけひとつのワードが世界中で使われて、同じレベルでいろいろなことを感じている時代なんて、ここ最近ではなかったことなので、いまはみんなで一緒に乗り越えていくしかないのかなと思っています。―そのなかで柳楽さんの作品に救われた人もたくさんいると思いますが、俳優としてできることについても考えたことがあれば、教えてください。柳楽さんやっぱり俳優としてのあり方みたいなものはすごく考えました。もうすぐ31歳になるので、20代の頃のようなひたむきさを持ちつつ、余裕のある俳優になりたいです。そのなかで、僕が出た作品をみなさんに観ていただき、それがみなさんの支えになったらうれしいなと思います。インタビューを終えてみて……。どんな質問にも、気さくに優しく答えてくださる柳楽さん。モンゴルでの思い出とKENTARO監督について、とにかく楽しそうに話す姿に、こちらまでたくさん笑わせていただきました。本作の裏側を思い浮かべながら、柳楽さんと一緒に旅を体感してみてください!圧倒的な自然と熱演に引き込まれる!モンゴルならではの壮大な自然のなかで繰り広げられる唯一無二のロードムービー。言葉も文化も世代も超えて生まれた絆が、新たな気づきを与えてくれるはず。タケシとともに、“未知の自分”を探しに行ってみては?写真・角戸菜摘(柳楽優弥)取材、文・志村昌美ストーリー資産家の祖父に甘やかされ、自堕落で贅沢三昧の暮らしを送っていたタケシ。そんなある日、祖父によって、モンゴルに送り込まれることとなる。目的は、第二次世界大戦終了時にモンゴル人女性との間に生まれ、生き別れてしまった祖父の娘を探すことだった。タケシはガイドで馬泥棒のモンゴル人男性アムラとともに、モンゴルの草原へと向かうことに。言葉も通じない、価値観も異なる2人の旅が始まろうとしていた……。魅了される予告編はこちら!作品情報『ターコイズの空の下で』新宿ピカデリーほか全国順次公開中配給:マジックアワー、マグネタイズ© TURQUOISE SKY FILM PARTNERS / IFI PRODUCTION / KTRFILMS写真・角戸菜摘(柳楽優弥)
2021年03月02日「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。死から1年近くたったいまも、コントの役に扮装していない、トーク番組などでの志村さんの映像を目にすると、悲しみがぶり返してくるのだという。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」げそ太郎さんは車中での待機中に、リムジンの運転席でコントのネタを書くようにした。志村さんの番組のスタッフにお願いして、志村さんも出席する“ネタ会議”に提出させてもらった。「いちばん最初に僕がネタを出したときは志村さんが目を通したのか通してないのかわからないぐらいの速さで不採用になりました」しかし、めげずに何度もネタを出した。「ある日、僕が書いた家族コントを『これいいな』と採用してくれて……。そこから何回かネタが採用され始めたころ、『こいつ頑張ってるんでバカ殿様の家来役で使いませんか?』とディレクターさんが志村さんに提案したんです。『そうだな』って志村さんも賛同してくれました」その夜、麻布十番のイタリアンのお店に呼んでくれた志村さん。2人きりの食事だった。「『頑張ればできるだろう。もしかしたら(放送)作家の誘いがあるかもしれないが、芸人をやりたいんだったら、芸人をちゃんとやっていけよ』と言っていただきました」昨年3月下旬、志村さんが新型コロナに感染し重篤な状態になっているというニュースが流れてすぐに、げそ太郎さんは当時の付き人に連絡をした。「正直ギリギリのところです」そんな返事だったが、げそ太郎さんが住む鹿児島県は当時1人も感染者が出ておらず、どこか楽観しているところもあったという。だが、5日ほどたって志村さんの専属メークから電話があった。「志村さんが亡くなった……」げそ太郎さんは激しく動揺し、すぐにテレビをつけると「志村さん死去」というテロップが目に飛び込んできた。「全く整理がつかないまま僕とメークさんは声を上げて泣きました」志村さんが亡くなった夜、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(60)からビデオ電話がかかってきた。「上島さんが泣きながら『あのハゲ死んじゃったな』って言ったんですよ。それが僕の胸にすごく刺さってボロボロ泣いちゃいました」げそ太郎さんには、多くの番組で共演し、20年以上酒を酌み交わしてきた上島さんの悲しみが、その一言に集約されているように思えたという。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」’01年に付き人を卒業。’11年、鹿児島のテレビ局からの誘いを受けて、げそ太郎さんは活動の拠点を故郷・鹿児島に移した。’15年には鹿児島の仕事に専念するために『バカ殿様』と『志村魂』を卒業。会う頻度は減ったが、客として舞台を見に行ったときにはあいさつに行ったり、東京に行くときは会いに行ったりと、志村さんとの交流は続いていた。これからも続くと思っていたそんな日々は、新型コロナウイルスによって突然断たれてしまった。■「師匠がくれた仕事」背中を押した上島竜兵2月26日、げそ太郎さんは志村さんとの思い出をつづった『我が師・志村けん僕が「笑いの王様」から学んだこと』(集英社インターナショナル)を出版する。亡くなった直後、メディアからの取材依頼が多数きた。しかし気持ちの整理がつかなかったげそ太郎さんはそれを断っていた。「そのことをダチョウ倶楽部の上島竜兵さんに伝えたら、『バカ野郎!それは師匠がお前にくれた仕事だから受けないとダメだろ』って怒られたんです」舞台や番組と、何度もチャンスをくれた志村さん。鹿児島に拠点を移してからも、志村けんの弟子という肩書に何度も助けられた。亡くなってなお仕事をくれる師匠に応えようと、げそ太郎さんは取材や書籍のオファーを受けるようになった。志村さんが亡くなってからしばらくして、げそ太郎さんは自室の一角に志村さんの祭壇を作った。志村さんが生前好んで飲んでいた焼酎を供えて、傍らには水着の女性のポスターを貼った。「志村さんの写真の周りをとにかく寂しくさせたくなかったんです。せっかくなら水着の女性のほうが喜ぶと思って」げそ太郎さんは祭壇に毎朝あいさつし、夜寝る前には志村さんの写真を眺めながら晩酌するのが日課になっている。「志村さんに『お疲れさまでした』と言って飲んでいます。でも僕はお酒が弱いので焼酎1にお湯9で割って飲むのです。そんなのを志村さんに見られたら『酒がもったいない!』って間違いなく怒られますよね(笑)」希代のコメディアンをそばで見てきた者の1人として、げそ太郎さんはその軌跡をこれからも語り継いでいく。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日今も、喪失感は消えない。まもなく、志村けんさんの一周忌を迎える。7年にわたって国民的なコメディアンを誰よりも近くで見守っていた、元付き人で弟子が語るその優しき素顔ーー。「志村さんが亡くなられたことは理解しているんですが、今でもコント番組以外での志村さんを見られないんです」そう語るのは昨年3月29日、新型コロナウイルスで亡くなった志村けんさん(享年70)の付き人を’94年から7年務めた、弟子の乾き亭げそ太郎さん(50)だ。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)での眼鏡をかけた家来の姿は記憶している人も多いだろう。鹿児島県出身のげそ太郎さんは17歳のときに家出同然で東京に出た。23歳のときに、子どものころからテレビで見ていた憧れの志村さんの弟子になることを決意した。ちょうど、志村さんの運転手を募集していたこともあり、付き人に採用された。「いちばんの仕事は志村さんの送迎です。自宅までリムジンで迎えに行って、収録現場まで送ります。現場では食事の手配や、小道具の確認もします」志村さんの収録が終わっても、げそ太郎さんの仕事は終わらない。「志村さんはほぼ毎日飲みに出かけるので、その送迎です。お店から出てくるまで、何時間でも車の中で待機して、自宅まで送ったら付き人の仕事は終わりです」■「おふくろの前でいいところ見せようと」毎年、お盆と正月に必ず実家の母・和子さんのもとに帰っていた志村さん。もちろん、げそ太郎さんの運転だ。和子さんはいつも大好物だった厚揚げを作って、息子の帰りを待っていた。「家にあげていただくこともあるんですが、志村さんだけ出かけてしまったことも。2人になると、お母さんが『けんさん、どうなの?』と聞いてこられて。答えづらいですよね(笑)」国民的スターだった志村さんも母の前では一人の息子に戻った。志村さんが’06年から毎年主宰し、ライフワークになっていた舞台『志村魂』に、和子さんは欠かさず訪れていた。「毎回、志村さんは三味線を弾くんですけど、お母さんが見に来ていた日はかなりの確率で失敗していましたね。『おふくろの前でいいところを見せようと思って緊張する』って笑っていました」開演前、まだ客が入る前のグッズ売場で、母の車いすを押しながら「どれが欲しい?」と聞いている母子の姿がげそ太郎さんのまぶたに焼き付いているという。〈私の一番のファンの母親が亡くなりました〉志村さんのそんな言葉に見送られ、’15年11月に和子さんは96歳で旅立った。きっと天国では、厚揚げを用意して、息子のことを迎えたに違いない。■リハーサルでドリフの一員に’01年に付き人を卒業したが、弟子であることは変わらない。人手が足りないときは、志村さんのもとに駆け付けることもあった。ザ・ドリフターズが『思い出のメロディー』(NHK)に出演したときには、こんなサプライズが。「生放送だったこともあって、お手伝いに行ったのですが、仲本工事さんが舞台の仕事で遅れるということで、急きょリハーサルで代役を務めることになったんです」「仲本」と書いたボードを首からぶら下げて、憧れのドリフターズの“一員”になった。「僕が仲本さんのボケをやると、ツッコミ役の志村さんが激しく蹴ってきたんです。加藤茶さんが『お前、自分の弟子だからそうやってるけど、本番は仲本だからな』と言うと、志村さんはもう一度、僕のことを蹴ってきて」“自分の弟子だから”という加藤さんの言葉に、それを肯定するようにとんできた志村さんの蹴り。弟子として認められたような気がして、げそ太郎さんはこのうえなく幸せな気持ちになった。一流のコメディアンとして、芸事に厳しかった志村さん。番組や舞台では怒られてばかりだった。「『志村魂』で、列車に飛び込んで自殺しようとする志村さんを、駅員の僕が止めるというコントがありました。僕の演技に対して、志村さんは『お前は俺が飛び込んだら、列車も止まる。いろいろな迷惑がかかる。本当にそんな演技でいいのか?』とおっしゃって」酔っ払い役であれば、この日はなんで飲んだのか、どんな気持ちで酔っぱらったのかなど、キャラクターの背景まで考え抜いて演じていたという志村さん。当然、弟子に要求する水準も高かった。駅員の芝居はそのレベルに達していないと飲みの席でダメ出しされ、「お前が俺の弟子で恥ずかしいわ」とまで言われてしまった。「一方で、本当に優しい方でした。『志村魂』の福岡公演で、鹿児島から僕の両親をはじめ、親戚が見に来たときのことです。例のコントで、列車に飛び込もうとする志村さんを止めるやり取りは通常1回だけなんですが、この日、志村さんは何度も列車に飛び込もうとしたんです。戸惑いながら止め続けているうちに、両親や親戚の前で僕の見せ場を作ろうとしてくれていることに気づいて。楽屋に戻った後、涙が止まりませんでした」舞台の終了後、お礼に行くと、志村さんはニヤリと笑っただけで、何も言わなかったという。(取材・文:インタビューマン山下)「女性自身」2021年3月9日号 掲載
2021年02月26日何かと忙しい生活を送っていると、つい忘れがちなのは自分の夢について考える時間。みなさんは、子どもの頃に持っていた夢を覚えていますか?その夢を実現した人もいれば、諦めた人もいるかもしれませんが、一度立ち止まって、自分の夢について改めて振り返るのは大事なこと。そこで、そんなときにオススメの話題作をご紹介します。『MISS ミス・フランスになりたい!』【映画、ときどき私】 vol. 363パリの場末にあるボクシングジムで手伝いをしていた青年アレックスは、事故で両親を亡くして以来、自信を失っていた。ところがある日、ボクサーとして夢を叶えた幼なじみと再会したことで、もう一度自分の夢へと向かう決意をする。その夢とは、少年時代に抱いていた「ミス・フランスになる」というものだった。そこでアレックスは、下宿先の家主や同居している個性豊かな仲間たちの力を借りて、無謀とも思える夢に挑戦することに。男性であることを隠してコンテストを受けたアレックスが迎える結末とは……。ミスコンテストというきらびやかな世界を舞台に、真の美しさとは何かを教えてくれる本作。今回は、こちらの方に見どころをおうかがいしてきました。ルーベン・アウヴェス監督監督・原案・共同脚本を務めているアウヴェス監督。俳優としてもさまざまな作品に出演しており、幅広い才能を発揮している注目の存在です。そこで、作品誕生の裏側や外見を重視する社会のなかで訴えたい思いなどについて、語っていただきました。―何年も前から、トランスジェンダーをテーマにした作品を考えていたそうですが、きっかけはどのようなことだったのでしょうか?監督実は、私の友人で性転換した人がいたことがこの作品の出発点となりました。ただ、僕が語りたかったのは性転換についてではなく、自分探しにおける精神と身体との調和にいたる際の感情的な道のりについて。それが興味深いと思いましたし、重要でもあると感じました。そんななかで出会ったのが、主人公のアレックスを演じてくれた“ユニセックスモデル”として活躍しているアレクサンドル・ヴェテール。彼は女性になろうとするのではなく、自分自身がどちらの性にもとらわれず、ファッションにおけるパフォーマンスにおいて、自分のなかにある女性性を前に打ち出している人です。彼は自分でいることを幸せに思いながら女性らしい自分を生きているので、その姿をすばらしいと感じて今回の脚本を書き始めました。ミスコンテストの裏側で発見もたくさんあった―そんなアレクサンドルさんの存在がストーリーにも大きな影響を与えていると思いますが、実際に彼の体験したことをエピソードとして反映しているところもありますか?監督具体的なエピソードとしては特に投影されていませんが、この映画のいたるところにアレクサンドルの息吹があると言っても過言ではないですね。なぜなら、作品の感情面においてもインスピレーションとしても、最初から最後まですべてを彼が背負っているからです。とはいえ、本作は完全なフィクションなので、主人公のアレックスとアレクサンドルのキャラクターはまったく違いますけどね。実際、アレックスは少し暗くて、自分がどうしたらいいのかわからない人物ですが、アレクサンドルはほかとは少し違うことを受け入れ、愛してくれる両親がいて、明るくポジティブな性格ですから。ただ、「女性でいるときのほうが、自分が強くいられるのを感じられる」というセリフひと言だけは、アレクサンドルがパフォーマンスをしていたときに話していた言葉からもらっています。―ミスコンテストについての描写も非常に興味深かったですが、実際にリサーチするなかでその実情に驚かされたことはありましたか?監督今回、ミス・フランスの実行委員会が門戸を開いてくれたおかげで、コンテストの様子を観察しながら脚本を書くことができました。そのなかで私が発見したのは、ミス・フランスの裏側で働いている人たちが、ひとつの世界を構成していること。ものすごい数のボランティアがいたり、異なる世代の人たちに統一感をもたらしていたりと、みんながミス・フランスという夢の世界で生きるために情熱を込めているんです。その姿を見るのは、とても気持ちのいいものでもありました。それから、私が魅了されたのは、コンテストに参加している若い女性たち。ミス・フランスの候補になったことで自分の生きる道を見つけることができて助かったと話している子がいれば、自分が何をしているのかわかっていない子がいるといった具合に、さまざまな女性がいたので、本当にいろいろな発見がありました。今回はミスコンテストを批判する映画ではありませんが、やはりコンテストは戦いですし、女性同士の関係は優しいものばかりではないので、この作品は「ハイヒールを履いたロッキーの映画」という側面もあると感じています(笑)。体と精神の調和がとれている人は美しい―では、映画でも描かれていたように、女同士ならではの“戦い”を目にしたこともあったのでしょうか?監督というよりも、コンテストの現実は、人生の現実と同じだと感じました。人はいつもグループに属したいと思うんだけど、そのなかに入るのはなかなか難しいこともありますよね。そういったリアルさをこの映画でも描いています。実際、コンテストの裏側でも、おとなしい女の子が派手な女の子たちのグループに入りたがっていたけれど入れてもらえないとか、強い人が弱い人を押しつぶそうとしていたというような現実を目の当たりにすることもありました。でも、それは狩りをするライオンの間を知性やずる賢さを使って切り抜けていくサバンナの法則のように、現実世界でも同じことが起きているだけではないでしょうか。それは、明らかなことだと思いました。―なるほど。コンテストでは厳しい美の規範がいくつもありますが、監督が思う“真の美しさ”とは?監督とてもいい質問ですね。僕にとって美しさの基準とは、精神的にも外見的にも自分が誰なのかを知り、受け入れ、そして自分自身に対して責任を持っていることだと思います。すなわち、自分の体と精神の調和が完全にとれているとき、人は美しくなれるのです。人生と自分自身に対して、微笑みかけられるのは美しいこと。だからこそ、アレクサンドルと出会ったときに、彼のことを本当に美しい人だと感じたんだと思います。彼はすべてにおいてプラスの見方をしていて、完全に自分を受け入れ、光の部分だけを持っているような存在ですから。外見だけを重視する社会は危険だと感じる―そう感じた具体的な出来事などもあったのでしょうか?監督あるとき、彼と街を歩いていると、彼のことを変な目で見る人たちと遭遇することがありました。でも、彼はすれ違う人たちにどんな目で見られても、相手に対して偏見を持つことなく、大きな微笑みを返していたのです。その姿は本当に美しかったですし、そういうところから学ぶことは多かったと思います。だからこそ、自分自身を受け入れているとき、人は美しくなれるのだと気づかされました。―監督は俳優としても活躍されているので、普通の人よりも、外見で判断されたりする経験が多いかと思います。いまは外見を重視する社会だと思いますが、そのなかで監督が意識されていることがあれば、教えてください。監督確かに、いまの時代はどんどん難しくなっているなと感じています。だからこそ、僕の映画は外見だけを重視する社会に対する皮肉にもなっているんですよ。なぜなら、SNSが発達したことでつねに外見が重視され、いつでも最高の状態でいなければならないと思い込むのは、危険なことだからです。僕は表現ができる自由な世界にいますが、どんなにイマジネーションの世界を楽しんでいたとしても、片方の足は必ず現実にしっかり置いた状態にしなければならないと考えています。気をつけなければならないのは、イメージのなかだけの世界に囚われてバランスを失ってしまうこと。新しい世代の人たちは、外見の美しさばかりを重視しているところがありますが、それは本当に危険なことなんです。劇中でも、ミス・フランス委員会のディレクターであるアマンダが、「形式だけを重視しすぎてはいけない」といったことを言いますが、それこそがまさに私がこの映画で言いたいことでもありました。僕自身は幸運なことに、そうしたバランスを崩したことは一度もないので、意識しているとすればそのあたりだと思います。夢を実現させる秘訣は、違いを力にすること―それでは最後に、自分の夢をつかもうとがんばっている人や悩んでいる人に向けてアドバイスがあればお願いします。監督今回、夢について描くためにこの映画を作りましたが、実は僕自身は人生を生きることに一生懸命であまり夢を見たことがない人間なんです(笑)。でも、「自分の信じている夢を実現すべきだ」というのは、この作品で訴えたいと思って作りました。たとえそれがどんなにクレイジーなものであっても、自分を信じていれば、夢はきっと叶えられるということを伝えたかったのです。主人公のアレックスも、男の子なのにミス・フランスになりたいというのは、クレイジーな夢ですからね。これから夢を叶えたい人にアドバイスをするとすれば、平凡な言葉になってしまうかもしれませんが、まずは自分を信じること。そして、自分が持っている“違い”を力にしてください、ということです。ときには、その違いから人に指をさされることもあるかもしれませんが、その違いこそが力となり、自分が思っているところよりも遠くへと進むことができ、夢を実現できるはずですから。まとめると「差異を力にせよ!」というのがアドバイスですね。あと、ひとつ付け加えるとすれば、自分の周りを善意と愛で固めるのも大事なこと。他人が下す判断で立ち止まることなく、自分を愛し、良いことを願ってくれる人たちと一緒に前進してほしいと思います。夢は人生を輝かせるスポットライト!誰の人生においても、夢を持つこと、そして叶えることがいかに大切なものかを思い出させてくれる本作。心震えるラストシーンで見せるアレックスの勇気と美しさには、思わず息を飲み、そして拍手を贈らずにはいられないはずです。胸に秘めている夢があるのなら、まずは一歩を踏み出してみては?取材、文・志村昌美美しい予告編はこちら!作品情報『MISS ミス・フランスになりたい!』2月26日(金)シネスイッチ銀座ほか全国公開配給:彩プロ©2020 ZAZI FILMS – CHAPKA FILMS – FRANCE 2 CINEMA – MARVELOUS PRODUCTIONS
2021年02月25日人生の醍醐味でありおもしろさを感じられる瞬間のひとつといえば、偶然の出会いから自分が大きく変わっていくこと。そこで、ある少女の初めての恋をヴィヴィッドに描き出していると話題のラブストーリーをご紹介します。『ベイビーティース』【映画、ときどき私】 vol. 361病を抱える 16 歳の女子高生ミラは、ふとしたことから不良青年モーゼスと出会う。家を追い出され、孤独だったモーゼスをミラは自宅へと食事に誘うが、母アナと父ヘンリーは、モーゼスはミラにふさわしくないと嫌悪感を示していた。そんな両親の猛反対をよそに、ミラは怖いもの知らずで自分を特別扱いせずに接してくれるモーゼスに惹かれ、どんどんのめりこんでいく。彼との刺激的でカラフルに色づいた日々を駆け抜けていくミラだったが、病は容赦なく彼女の体をむしばんでいくことに……。世界各国の映画祭でグランプリや観客賞を数多く受賞し、映画評論サイト『ロッテントマト』でも現在94%という高評価を得ている本作。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。シャノン・マーフィ監督Variety 誌に「2020年注目すべき10人の監督」に選出されたこともあるマーフィ監督。長編デビュー作にして、大きな注目を集めています。今回は、本作の魅力や現場で心を動かされた瞬間などについて語っていただきました。―本作が長編映画1本目となりましたが、この脚本を選ばれたのはなぜですか?監督実はここ2年ほど、長編デビュー作となる企画をずっと探していました。私は自分で脚本を書かないタイプなので、“自分の声”を持っていると感じられるような脚本を求めていましたが、なかなか見つけることができなかったんです。でも、そんななかでこの脚本を読んだときは、すぐに「これだ!」と感じることができました。―原作は、オーストラリア出身の戯曲家で女優のリタ・カルネジェイスさんが手掛けた演劇ですよね。この物語のどのようなところに惹かれたのかを教えてください。監督最初に脚本を受け取ったとき、家のソファーに座って読んでいましたが、そのときにものすごく圧倒されたことをいまでもよく覚えています。なかでも、ミラ、モーゼス、アナ、ヘンリーという4人のキャラクターたちと過ごす時間がとても愛おしく感じました。でも、脚本を読み終えたら、その時間も終わってしまったので、それがとにかく悲しくて……。だからこそ、この作品の監督をすることができれば、少なくとも2年間はこの4人と一緒に過ごすことができるんだと思い、何としてもこの仕事をものにしたいと考えました。なので、一番は4人のキャラクターたちですね。大きなプレッシャーを感じる撮影だった―そのときに、これはやりがいのあるものだと感じて挑戦したいと思われたともうかがっていますが、今回作品を作るうえで挑戦だったことはなんですか?監督まず、ひとつ目の大きな挑戦としては、ミラ役の女優に髪を全部剃ってもらうこと。製作費にそういったメイクを毎回する予算がなかったというのもありますが、私自身が本物であることを求めているので、これはマストの条件でした。ただ、そこで発生したのは、いろいろな撮影のスケジュールの調整が難しくなるという問題。というのも、父親役のベン・メンデルソーンのスケジュールが10日間しか取れなかったうえに、そのうちの2日間でミラに髪を剃った状態で参加してもらわなければならず、そう考えると残りの8日間で彼のパートをすべて撮り終えなければならなかったので……。それは本当に大変なことでした。自分にも非常に大きなプレッシャーをかけることになってしまったので、今後は2度とそうならないようにしたいなと思ったほどです(笑)。―今回は若手キャストもすばらしく、非常に魅力的で印象的でした。まずミラ役のエリザ・スカンレンをキャスティングした理由を教えてください。監督ミラ役を決定するまでにはかなり時間がかかってしまい、何百人もの候補の方々に会いました。そこまで時間がかかってしまった理由としては、私自身もミラというキャラクターの本質を見極めるのに時間がかかってしまったからでした。そんなときに気がついたのは、ミラというのはいろいろな側面を持っている人物なので、何者にもなれる幅広い演技力を持っている女優であれば、一緒にキャラクターを作っていけるのではないかということ。そこで、エリザをキャスティングすることにしました。というのも、彼女は怖いくらいの才能の持ち主で、彼女自身がどんな人間なのか見当がつかないくらい本当にいろいろな顔を持っている人ですからね。ケミストリーは現場で一緒に育むもの―では、本作でヴェネチア国際映画祭の最優秀新人賞に輝いたモーゼス役のトビー・ウォレスさんについてはいかがですか?監督彼の場合は、出演していたテレビシリーズを見て、オーディションを受けてもらうようにお願いしたのがきっかけでした。実際に、オーディションで彼の様子を見ていると、自分を主張するようなこともなく、つねに周囲や相手のことを思いやれる人であることがわかったんです。それを目にしたときに、「ああ、これはモーゼスのエネルギーだな」と感じました。そういった理由から、彼にモーゼスを演じてほしいと思ったんです。ちなみに、アメリカなどでは、ラブストーリーやバディもののように2人を中心に描くような作品では、ケミストリーリーディングといって、事前に2人の相性を見る練習をすることがあります。でも、今回の作品ではあえてそれをせず、2人にはリハーサルで初めて会ってもらいました。―それによって、どのような効果が生まれたと感じていますか?監督まず、私は監督として、ケミストリーリーディングというのをあまり信用していません。なぜなら、役者2人を部屋に閉じ込めて、相性がいいところを見せてくださいとお願いするのは、すごく人工的なことだなと思うからです。私が考えるケミストリーというのは、事前に確かめるものではなく、現場で一緒に育んでいくものではないかなと。だから、今回も特に心配はしていませんでした。電気が走るような感動を味わうことができた―実際、現場で生まれた2人の化学反応に驚かされた瞬間はありましたか?監督夜に外出するシーンがありましたが、あのときはとてもマジカルな夜だったと思います。特に、カラオケバーで踊っている場面では、スタッフの誰もが2人の繋がりを感じ、電気が走るような感動を味わうことができました。本当にワクワクするような瞬間でしたね。エリザとトビーの2人も、この日の撮影中は2人だけで過ごす時間を作ってみたり、お互いに手を取り合ってみたりしながら役作りをしていました。どういうふうに2人の雰囲気を作り上げていけばいいのかをよくわかっているので、本当に聡明な役者たちだなと。なので、私も2人を信用し、ペースを合わせることを意識していました。―そんななかでも、監督が演出でこだわった部分はどのようなことでしょうか?監督基本的に私はしっかりとすべてをチェックするタイプですが、同時にカオスやクリエイティビティがつねにある状態を作ることも大切にしています。というのも、監督がミクロン単位までマネージメントした演技だと、その人自身に見えなくなってしまうこともありますからね。細かくこうしてほしいという要望はありますが、そのなかでもお互いにアイディアを出し合い、つねに自由であることをキープするようにしているつもりです。そうすることで、独特なエネルギーが生まれるので、私はそれをとらえるような演出にこだわっています。―監督にとって、ミラとモーゼスの関係性はどのように見えましたか?監督2人はとても不思議な関係性だと思いました。プラトニックのようでありながら、すごく性的なエネルギーを感じさせ、さらにそれ以上にお互いを求めあっているようなところがありましたから。ミラにとっては、自分の心が一番落ち込んだときに寄り添ってくれる人が必要であり、モーゼスにとってはほかの人とは違う視線で自分を見てくれる人が必要だったんじゃないかなと思います。失うものがないからこその自由はすばらしい―脚本のリタさんは、「失うものが何もなくなったとき、どんなふうに感じるか?」という大きな問いからこの作品が生まれたとおっしゃっています。監督自身もこの作品を通じて、そういったことを考えさせられましたか?監督ある状況下において、自分がどんなふうに振る舞うかは誰にも予測できないものだと思っています。だからこそ、キャラクターたちがそれぞれの状況に置かれたときにどんなふうに反応するのかを掘り下げていく作業は、非常に楽しかったです。この物語には、依存症という大きなテーマも取り上げていますが、そこに関してキャラクターを厳しく裁くことなく、困難を乗り越え、うまく向き合うために薬の力を借りてしまう人と依存症の関係性を描きました。そのなかで、私は生きるうえで何も失うものがないからこそ得られる自由はすばらしいものだと私は感じています。みなさんにも、この作品を観たあとに自分の人生においても、そんな自由がある生き方をしたいと思っていただけたらいいなと。たとえミラのように末期的な病を抱えていなかったとしても、そういう生き方をしてほしいと願っています。特に、2021年にはこういったことが大きなメッセージとなるのではないでしょうか。―監督自身もこの作品と出会ったことで、物の見方が変わった部分があったのでしょうか?監督もともと私自身が持っていた考え方が多く反映されている作品ではありましたが、この映画を撮り終えたあとで、よりミラのことを思い出すことが多くなりましたね。そのうえで、鳥や海を眺める時間が増えたり、人生において素敵なものを気に留めるようになったり、生きているうえですばらしいと思ういろいろなものに対する感謝の気持ちを改めて噛みしめています。人は忙しいとそういう感覚を忘れてしまいがちですが、それらを当たり前だと思わないようにしたいですね。ときには足を止めてその瞬間をしっかりと体感していますし、生きていることを以前よりも意識するようになったかもしれません。―現在、監督としてますます注目を集める存在となりつつありますが、ご自身ではどのように感じていますか?監督「2020年注目すべき10人の監督」として取り上げられたことで、「オーストラリア以外でも私のことを監督として認知してくれるところがあるんだ」という意識を初めてはっきりと持つことができました。ただ、それとは関係なく、この先もつねに自分に対して挑戦を突きつけていきたいです。まだ具体的に言えるものはありませんが、ミュージカルや機能不全に陥っている家族の物語など、さまざまなドラマをこれからも描きたいなと。ユニークな作品づくりが私にはできると思っているので、どんな企画でも取り組んでいけたらいいなと考えています。美しい映像とともに引き込まれる!少女が経験した最初で最後の恋を刹那的に描き、観る者を虜にする本作。恋のきらめきと痛みに激しく心を揺さぶられ、両親からのあふれる愛にも胸を締めつけられる珠玉の1本です。取材、文・志村昌美心に刺さる予告編はこちら!作品情報『ベイビーティース』2⽉19⽇(⾦)新宿武蔵野館、 渋⾕ホワイトシネクイントほか全国ロードショー配給:クロックワークス/アルバトロス・フィルム© 2019 Whitefalk Films Pty Ltd, Spectrum Films, Create NSW and Screen Australia
2021年02月18日「このマンガがすごい! オンナ編」にランクインし、女性たちから絶大な人気を誇る大ヒットコミック『ライアー×ライアー』がついに映画化。公開を待ちきれないという人も多いと思いますが、今回は本作についてこちらの方にお話をうかがってきました。女優の森七菜さん【映画、ときどき私】 vol. 362“女癖の悪いクール系モテ男・透”を演じたSixTONESの松村北斗さんとともにW主演を務めている森さん。劇中では、“地味系女子大生・湊”とメイクで変身する“ギャルJK・みな”の両方をコミカルに演じ分けています。そこで、現場の様子や嘘にまつわるエピソードなどについて語っていただきました。―まずは、これだけ人気のある作品からオファーが来たときはどうお感じになりましたか?森さん私は中学生のときに読んでいたこともあり、原作を知っていたので、まさか自分が湊を演じることになるとは思いませんでした。でも、その当時から、なぜかこの作品だけはほかにはない運命的なものを感じていたんですよね。なので、今回出演が決まったことで、ずっと抱いていた特別感が証明されたような気がして、うれしかったです。―そのなかでも湊役を演じるというのは、意外に思いましたか?森さん驚いたというか、恐縮だなと思いました。ただ、地味系女子大生というのは、確かに私には合っているのかなと(笑)。今回はギャル系も演じなければいけなかったですが、ギャルになりきる必要はなかったので、メイクさんに頼りつつ、仕草には気をつけました。―とはいえ、原作ファンであるがゆえに感じるプレッシャーもあったのでは?森さん自分が原作を好きだからこそ、原作ファンの方々の目線はすごく意識しましたし、みなさんに納得してもらうにはどうすればいいかを考えました。でも、現場では監督がつねに私の道しるべとなってくださったので、そこに思いっきり向かって行くだけだったと思います。なので、あまりプレッシャーを感じずに演じられました。1度で2度おいしい作品になっているのがおもしろい―実際に作品を観て、お気に入りのシーンがあれば教えてください。森さんこの作品がおもしろいのは、前半と後半ではっきりとわかれる瞬間があって、それぞれ全然違う“色”になっているところ。1度で2度おいしい作品になっていると思います。実際、その分岐点となるシーンを撮っているときは、それまでのコミカルなシーンとは違って、現場も緊迫した状態になったので、別の映画を撮っているような気分になったほどでした。完成した作品を観たときも、そのギャップにドキッとさせられて、完全にやられたなと。それだけ緊張感のあった現場で出たセリフだからこそ、ひと言ひと言に真実味を持たせられたんだと思いました。―義理の弟であり、恋の相手役でもある透役を松村北斗さんが演じられていますが、ご一緒されてみて、どのような印象を持たれましたか?森さん初めて音楽番組でお会いしたときもそうでしたし、現場でのたたずまいを見ても、すごく威厳のある方だなという印象でした。それでいて、透になったときはツンとデレのデレの部分もアドリブを入れながらさらっとできてしまうので、何を考えているのかわからないような不思議な気持ちになることも(笑)。でも、だからこそ透は松村さんじゃないとダメなんだなと納得しました。そんなふうにいろんな顔を持たれているところも、すごいなと思っています。―現場では、すぐに打ち解けられましたか?森さんシーンを重ねていくにつれて、「松村さんにならこういう切り返しをしても大丈夫なんだ」という安心感が生まれたので、お芝居を中心に打ち解けることができたように感じています。カメラが回っていないところでも、お芝居のお話をさせていただきましたが、どんなことでもちゃんと聞いてくださるので、何でも相談できました。松村さんはアイドルと俳優のどちらにも芯を置いてらっしゃる方なので、尊敬していますし、本当に信頼できる方だと思っています。初のラブコメで、表現方法に悩むこともあった―今回は主演として、現場で意識されていたこともありますか?森さん主演ということは、私が観客の方々と一緒に旅をすることになるので、みなさんに愛してもらえるキャラクターにすることがひとつの目標でした。原作の湊もみなも本当に愛おしいキャラクターなので、そこを忠実にやっていけば大丈夫だろうと原作を信じて進んでいった感じです。―本作の登場人物たちは、自分の気持ちをうまく伝えられないキャラクターばかりですが、ご自身は気持ちを素直に表現できるほうですか?森さん内容にもよりますが、疑問があるときは、この疑問を抱いていること自体が合っているのかどうかを悩んでしまって、なかなか言い出せないことはよくあります。なので、ひとりでじっくりと考え、最終的には自分のなかで消化することが多いかもしれないです。ただ、うれしいことや楽しいことに関しては、けっこうすぐ顔に出ていると思います(笑)。―劇中では森さんが見せるさまざまな表情も見どころですが、どのように役作りしたのでしょうか?森さん原作の湊はコロコロと表情を変えるところが魅力的でもあるので、台本に漫画のコマを印刷して貼り付け、それを見てから本番に挑むこともありました。それくらい原作を意識しています。ただ、漫画で描かれている表情をお芝居で表現するのは、難しかったです。しかも、それまでラブコメは未経験だったので、どうやってお客さんに伝えるかは悩みました。そんななか、監督が言葉や動きでたくさん教えてくださったので、それに助けられました。―やはりコメディならではの難しさもあったということですか?森さん今までとは違いました。特に、“見せる笑い”というのは初めてだったので、どうなるのかなと不安になることも……。ただ、撮影しながら笑ってしまう瞬間もけっこうあったので、私たちがお芝居をしていてそうなるのなら、きっとみんなも笑ってくれるんじゃないかなと思いながら演じていました。私は自分の“メーター”がわからないところがあったので、徐々に自分の気持ちを出すことに慣れていったという感じですね。そのなかで、「こうしたほうがおもしろいかな」とかを考えられる余裕が少しずつ出てきたので、自分としてもすごく身になった現場でした。ギャルメイクで別人になれてうれしかった―みなのギャル姿は、とてもかわいかったです。変身した姿をご自分で見てどう思いましたか?森さん鏡を見るたびに、「誰これ?」とびっくりしてました(笑)。別人になったみたいな気分でしたが、自分をだませるほど変われたことがうれしかったです。実写化するうえで、そこが一番高いハードルだなと思っていたので。観ている方に「透は気づいているでしょ!」と思われないように、いろいろと工夫しました。―それほどご自分でも驚かれたのなら、ご家族の反応も楽しみなのでは?森さん新鮮に感じてくれると思います。でも、こういうラブストーリーも初めてなので、きっとそこも茶化されるんだろうなと覚悟しています。―制服を着たとき、ご自身の高校時代がフラッシュバックすることはなかったですか?森さん撮影したときは、まだ高校を卒業して2か月くらいしか経っていなかったので、制服もまだ全然いけるなと(笑)。でも、そのうちだんだん制服がコスプレみたいだと言われてしまうのかな、とは考えてしまいました。―高校生と大学生の両方を行き来するなかで、大人と子どもを切り替える部分もあったと思います。ご自身も学生時代からお仕事をするうえで、そういった経験はありましたか?森さん以前は大分に戻ったら高校生で、東京に戻ってきたら大人として扱われるギャップが苦しいと感じることもありました。でも、楽しむときは楽しんで、仕事のときは仕事という切り替えが自分のなかでだんだんできるようになったので、それは私にとっても大きなことでした。私はこれからも女の子と女性を行き来するような大人になりたいので、そこでその基盤を作れたことはよかったなと感じています。―ちなみに、高校時代にギャルになってみたいと思ったことは?森さんなかったですね。というのも、私は校則通りにずっとひざ丈のスカートをはいていて、メイクも自分でしたことがなかったくらいなので。今回ギャルを経験してみて、足を出したり、爪が長かったり、すごく大変だなとは思いました(笑)。―もし、ご自分が変装するなら、ギャル以外にしてみたいメイクや着てみたい衣装はありますか?森さんパンク系女子ですね(笑)。というのも、『一度死んでみた』の(広瀬)すずちゃんの格好がすごく好きなので、一度挑戦してみたいなと思います。自分が我慢しても相手を応援できる関係に憧れる―以前、別の作品で森さんが来ると晴れると、“リアル天気の子”っぷりが話題になったことがあるそうですが、今回の現場はいかがでしたか?森さん透とみなが出会う渋谷のシーンは、実は2回目に撮影したものなんです。というのも、1回目はせっかく朝3時に起きたのに、雨で撮影できなくて。天気の子としては恥ずかしかったですね(笑)。ただ、事あるごとに私が天気の子の話をしたので、松村さんから「いつまでひっぱってるんだ」とつっこまれました(笑)。天気の子だったのは1年以上前だったので、効力も切れてしまい、今回は天気に振り回される撮影になってしまいました。―(笑)。作品を通じていろいろなラブストーリーを経験されていると思いますが、憧れるものはありますか?森さん朝ドラのときはハナコの岡部さんが相手役で、修業して1人前になるまで結婚を待つという設定でしたが、相手のやりたいことを応援して、自分は8年近くも我慢して待つなんて、すごいなと思っていました。そういう関係性は魅力的だなと思いますし、憧れますね。―今回は、クールでモテる透と優しくて一途な烏丸というタイプの違う2人の男性の間で揺れる役を演じられました。ご自身はどちらがタイプですか?森さん烏丸くんは素直な気持ちをたくさん伝えてくれるので、女の人からすると安心もするだろうし、グラッときますが、透はツンデレをうまく使い分けてくる強者なので、そういう不安定さに惹かれちゃう女性は多いのかなとは思いました。それぞれにいいところがあって選べないので、私は中間くらいの人がいいのかなと(笑)。実際、現場でもどっちがいいかでけっこう盛り上がることが多かったです。でも、みんなシーンごとに意見が変わって、「いまので透派になった!」と言ったと思ったら「やっぱりいまので烏丸派になった!」みたいな感じでした(笑)。なので、映画を観てくださる方でどっち派が増えるのかが気になっています。二十歳になる前にいろいろと身に着けたい―では、男性を見るときに、大事にしているポイントは?森さんあまりそういうことを考えたことはないんですけど、たとえば「うん」とかの返事が優しい人がいいですね。こういう言葉っていつの間にか出ているような一番気に留めないものだと思うので、それを優しく言える人はきっと全体的に優しい人なんだろうなと。なので、「うん」を優しく言う人がいいですね。―本作は小さな嘘から始まる物語ですが、いまだから言える嘘にまつわるエピソードはありますか?森さん実は、今回の撮影中のことなんですが、共演者の堀田真由さんに「私、ミドルネームがあるんです」と嘘をついたまま、訂正せずにここまで来ちゃいました(笑)。なんでそういうことを言ったのか思い出せないんですけど、私はけっこうそういうしょうもない嘘をつくのが好きなんです。しかも、堀田さんが信じてしまったので、おもしろくなってしまってそのままにしてしまいました。堀田さんには、この作品の宣伝活動中に暴露したいと思います(笑)。―反応が楽しみですね。それでは、10代最後の年をどう過ごして、20代を迎えたいと思っているのかを教えてください。森さんあと6か月くらいしかないですが、大人になる準備は欠かせないなと感じています。自分としては何も変わっていなくても、二十歳になった途端、急に周りから大人として扱われるんだろうなと思っているので。そういったこともあって、今までは直感だけでやっていた部分もたくさんありましたが、最近は頭できちんと考えることも増えました。二十歳を迎える前に、いろいろと身に着けておきたいなと思っています。インタビューを終えてみて……。かわいらしい無邪気な笑顔を見せつつ、仕事の話になると真剣な眼差しも見せる森さん。取材中は、そのギャップにすっかり魅了されてしまいました。20代ではどんな顔を見せてくれるのか、今後もますます楽しみな女優さんです。恋愛では嘘が最高のスパイス2人なのに三角関係に陥ってしまうという見たことのないラブストーリーを繰り広げる本作。湊と一緒にドキドキハラハラしながら、イケメン男子たちとの胸キュンも存分に堪能してみては?写真・黒川ひろみ(森七菜)取材、文・志村昌美ヘアメイク:池田ユリ(éclat)スタイリスト:Babymixストーリー恋愛経験ゼロの地味系女子大生の湊は、幼いころに両親が再婚したため、義理の弟である同い年の透と同居していた。不愛想だが、イケメンで女癖の悪い透。そのことが原因で、2人の仲はいつもギクシャクし、お互いに冷たい態度を取っていた。ある日、湊は親友に頼まれて、高校の制服にギャルメイクで街に出ることに。偶然にも透と遭遇してしまうが、湊はとっさに女子高生のみなだと嘘をついてしまう。それを信じた透は、みなにまさかの猛アプローチ。正体を明かせなくなった湊はみなとして透と付き合うことになってしまう。そんななか、再会した幼なじみの烏丸から告白される湊。はたして、恋の行方はどうなってしまうのか……。トキメキが詰まった予告編はこちら!作品情報『ライアー×ライアー』2月19日(金)ロードショー配給:アスミック・エース(C) 2021『ライアー×ライアー』製作委員会(C)金田一蓮十郎/講談社写真・黒川ひろみ(森七菜)
2021年02月18日仕事や人間関係において、悩みが多くなればなるほど“心の健康”を保つのが難しいと感じている人も多いのでは?そこで、「世界幸福度ランキング」で、2018年から3年連続で1位を獲得しているフィンランドから届いた心温まる1本をご紹介します。それは……。『世界で一番しあわせな食堂』【映画、ときどき私】 vol. 360フィンランド北部・ラップランド地方の小さな村にある食堂に現れたのは、上海で料理人として働いていたチェンとその息子。恩人を探すためにやって来たというが、その人物を知る者は誰もいなかった。そんななか、食堂をひとりで経営していた地元の女性シルカは、チェンに食堂を手伝ってもらう代わりに恩人探しに協力することを提案する。恩人は見つからないままだったが、チェンの料理は評判となり、食堂は大盛況。次第にチェンは、シルカや常連客と親しくなっていく。ところが、チェンの観光ビザの期限が迫り、帰国の日が近づいていた……。日本でも人気の高い北欧のライフスタイルを垣間見ることができる本作。そこで、こちらの方にさらなる魅力について、お話をうかがってきました。ミカ・カウリスマキ監督弟で映画監督のアキ・カウリスマキとともに、フィンランド映画界を代表する存在のミカ監督。今回は、本作の見どころや舞台裏、そして“真の幸せ”について語っていただきました。―舞台となっているラップランド地方の美しい景色は見どころのひとつだと思いますが、監督にとってこの土地の魅力とはどのようなところでしょうか?監督本当に魅力的な場所なので、止めてくれないといつまでも話せるくらい(笑)。ラップランドこそがこの作品のスタートでもありますが、もともとは35年前に現地で始めたミッドナイト・サン映画祭がきっかけでした。そのため、いまでは映画祭を行う6月とクリスマス休暇中の冬に毎年訪れています。夏でも冬でもそこには美しい自然が広がっていて、寒暖と明暗の両方を味わうことができるので、本当に特別な場所。そのなかでも、僕が好きなスポットは2か所あって、まずは劇中にも出てくる森のなかでダンスができる施設。ここはいつも映画祭でも使用しているほど、お気に入りの場所です。そしてもうひとつは、美しい山の景色。ラップランドの空気はとても澄んでいますし、湖の水も飲めるくらい本当にキレイなんですよ。―画面からもその美しさは伝わってきました。そんななか、現地では数年前から中国人観光客が殺到している様子を目の当たりにしたそうですね。それによって街に変化を感じることもありますか?監督いろいろな意味で、とても興味深いなと思って見ていました。もちろん、そこに住んでいる人たちにとっては、経済的に良い点もあるけれど、僕としてはあまり観光客が多くなりすぎると、その場所自体が破壊されてしまうのではないかという心配も正直あったので。非常に複雑な気持ちと言えるかもしれませんね。ただ、地元の人たちには、お金だけを追うのではなく、自然を保つことも忘れずに、バランスを取っていってほしいなとは思っています。長い歴史を誇る中国の料理との対比を見せたかった―本作では、料理がもうひとつの主人公のようでした。なかでも中華料理にスポットを当てていますが、劇中に登場する料理で監督のお気に入りはありますか?監督本当に全部美味しかったんですけど、強いて言うならトナカイとハーブを組み合わせた一品。フィンランドにはなかなかない料理なので、印象に残っていますね。今回の現場ではキャストやスタッフ用のケータリングでも劇中と同じメニューを出していたので、休憩になった瞬間にみんな食べ物に飛びついていたほど(笑)。現地で獲れた魚なども使っていたので、最高の食事とともに撮影できる環境でした。―ただ、監督はフィンランドでは多くの人が不健康な食事をしていると感じているのだとか。どのような食生活を送っているのでしょうか?監督「フィンランド」と言われて、最初に「食」が思い浮ぶことがないくらいここには食の文化というものがありません。さすがに最近は以前よりもおいしいレストランが増えてきて、料理も多様化してきましたが、それでも私たちは昔ながらの肉や魚を使ったシンプルな料理を食べています。というのも、フィンランドでは、食べ物に対して「お腹がいっぱいになればいいよね?」みたいなところがありますから(笑)。そういったこともあり、医食同源的な考えを持ち、長い歴史を誇る中国の料理との対比をコメディとして劇中で見せられたらおもしろいだろうなと思いました。もちろん、フィンランドにもおいしい食べ物はありますけどね!―(笑)。あと、監督は日本食もお好きだとうかがっていますが、きっかけなどはありますか?監督僕が初めてお寿司を食べたのは、1980年代初頭のドイツはベルリン。本当においしくて、すごく大きな感銘を受けた瞬間でした。それ以来、ずっとお寿司やお刺身の大ファンなので、以前作品のプロモーションで日本に行ったときにも、1週間毎日「お寿司が食べたい」と言い続けていたほど。そしたら、配給会社のみなさんから「監督、日本にはほかにも料理があるのですが……」と言われてしまったこともありました(笑)。でも、それくらいお寿司をずっと食べ続けていたいほど大好きなんですよ。いまでは、いろいろと試しましたが、日本料理はどれもおいしいので一番好きな料理のひとつとなりました。世界中を旅して、現地のものをたくさん味わってきた僕でも、やっぱりお寿司が一番のお気に入りですね。全人類が力を合わせて地球を守るべき―日本人としてはうれしいお言葉です。では、弟のアキ・カウリスマキ監督についてもおうかがいしたいのですが、お互いの映画について話し合うこともありますか?監督いつも別々の国に住んでいることが多いので、会う機会があるとすれば、2人で始めたミッドナイト・サン映画祭を開催する夏の時期だけ。しかも、映画の話はほとんどしなくて、一緒に経営しているレストランやバーについての話ばかりしていますよ(笑)。―そうなんですね(笑)。とはいえ、お互いに刺激を与えあっているところもあるのでは?監督確かに、一緒にいろいろな映画を観て育ち、一緒に映画を作り始めたので、テイストが似ているところはあると思います。ただ、あくまでもそれぞれが自分の作品を作っている、という感じですね。僕たちは以前からいくつかのお店を一緒に営んでいますが、そのなかでも30年くらい前からやっている映画館とレストランやバーを合わせた複合施設をちょうど去年リニューアルオープンしたところなんです。だから、余計に会うとその話ばっかりになってしまうんですよね。ちなみに、お店の名前はなんと偶然にも『コロナバー』と言います(笑)。ヘルシンキではけっこう有名なので、日本からの観光客の方にもよく足を運んでいただいていますよ。―落ち着いたらぜひ『コロナバー』にお邪魔したいです。また、映画のなかではグローバリズムについても描かれています。海外生活が長い監督だからこそ、その重要性について実感することも多いのではないでしょうか?監督本当その通りですね。人類はいま、たくさんの大きな挑戦に直面しているので、それと戦うためには、みんながひとつにならなければいけないと感じています。気候の問題からパンデミック、戦争までいろいろありますよね。でも、さまざまな場所に住んできたからこそ思うのは、誰にとっても一番重要なのは日々の生活。つまり、食や安全、健康、愛、宗教などですが、信じるものがなんであろうとみんなが必要としているものは共通して基本的なものなんですよね。それを今回の映画でも見せています。人生において、私たちが目を向けるべきは本当にシンプルなものなのに、クレイジーな独裁者たちが真逆なことをしていて、人々を分断するような怖いシナリオが進められているんです。本来ならいまこそ全人類が力を合わせてひとつになり、私たちが住む美しい地球や自然を守っていかなければならないんですけどね……。人が幸福になるために必要なのは、シンプルなもの―そういう状況だからこそ、改めて「幸せとは何か?」を考えている人も多いと思います。“世界一幸福な国”と言われるフィンランドに住む監督にとって、“真の幸福”とは何ですか?監督実は、フィンランドが幸福度ランキングで1位だと知ったときには驚きました。なぜなら、フィンランド人は、そこまで自分たちが幸福だと思っている人は多くないですからね(笑)。おそらく幸福度ランキングというのは、社会福祉や基本的な生活に必要な教育や医療システムといったものがきちんとしているかどうかという意味においてですよね。確かに、そういった幸福であるために必要な土台に関しては、しっかりしていると思います。でも、真の幸福というのは、家族や子ども、友人、好きな仕事といったものが大事なんじゃないかなとは思います。だから、人が幸福になれる理由はすごくシンプルなことなんですよね。あとは、安心できる環境かどうかというのも重要なポイントかなと。フィンランドは安全な場所なので、そのあたりの安心感はありますし、税金を払う気になる環境が用意されていると感じています。フィンランドでは子どもがひとりで出かけることはできますが、ブラジルに住んでいたときはボディーガードをつけなければ、絶対に出かけられませんでしたからね。そういったことがかなわない多くの国に比べると、基本的な幸福に必要なものがそろっている国だと思います。いまこそみんながひとつになることが大事―では、コロナ禍や分断が広がる社会で幸せを見失っている人も多いと思うので、日本の観客にも伝えたいメッセージがあればお願いいたします。監督この作品を観てくださった方のなかで、希望を感じ取ることができたとおっしゃっていた方がいましたが、それこそがこの映画を作った理由のひとつでもあります。なので、他人のことをケアすることで生まれる喜びのように、すごくシンプルなことからスタートするべきかなと。繰り返しにはなりますが、みんながひとつになることが本当に大事だと思っています。実際に起きてしまったことは喜ばしいことではないけれど、たとえばトランプ前大統領のような人物がトップに立つと世界がどういう方向に行ってしまうのか、ということがわかった人は多かったはずです。なので、教訓を得られたという意味ではよかったのではないかと感じています。ただ、SNSに対してはまだ心配なところはありますね。「ソーシャル」という言葉が入っているように社交性を促しているものではあるけれど、実際には極論を言う人やテロリストのような人たちに利用されているところもありますから。ただ、こういった状況が加速していくと、SNSに関連する大手企業がすべての情報をコントロールし、私たちの考え方を支配してしまう可能性もあるのかなと。そうなる前に、みなさんには自分自身で判断できるようになってもらいたいです。SNSは“いい使用人”ではあるけれど、“いい主人”ではありませんから。いくつかの企業にコントロールされてしまわないように気をつけてほしいなと思っています。寒い国から届いた最高に温かい1本!美しい自然の景色と思わずのどが鳴る料理の数々に、釘づけになってしまう本作。目が喜ぶだけでなく、文化や言葉を超えて生まれる人と人との絆にも心が満たされるのを感じられるはずです。取材、文・志村昌美ほっこりする予告編はこちら!作品情報『世界で一番しあわせな食堂』2月19日(金) 新宿ピカデリー、渋谷シネクイント 他、全国順次ロードショー配給:ギャガ©Marianna Films
2021年02月17日思うように外出や旅行ができない日々が続くなか、ストレスがたまっているのを感じている人も多いのでは?そこで、そんな気分のときにオススメの“海外の空気”を体感できる注目作をご紹介します。それは……。珠玉のコメディー『天国にちがいない』【映画、ときどき私】 vol. 353映画監督のエリア・スレイマンは、新作の企画を売り込むため、故郷であるイスラエル領のナザレからパリ、ニューヨークへと旅に出る。パリでは美しい景色だけではなく、街を走る戦車や炊き出しに並ぶ大勢の人、そしてニューヨークでは街で銃を持つ市民たちや警官に追われて逃げ回る裸の天使を目の当たりにすることに。肝心の企画については、友人で俳優のガエル・ガルシア・ベルナルにサポートをしてもらうも、「パレスチナ色が弱い」とあっけなく断られてしまう。どこに行っても、故郷のことを思わずにはいられないスレイマン監督。「自分にとっての“故郷”とは一体何なのか」と考え始めることに……。2019年のカンヌ国際映画祭で、特別賞と国際映画批評家連盟賞のW 受賞に輝いて話題となった本作。今回はこちらの方にお話をうかがってきました。それは……。エリア・スレイマン監督“現代のチャップリン”と呼ばれ、新作が待たれていたスレイマン監督の10年ぶりとなる長編映画がついに完成。イスラエル系パレスチナ人のスレイマン監督が自身の視点を通して描いた意欲作として、各国で高く評価されています。そこで、監督・脚本・主演を務めたご本人に、作品の背景やいまの心境を語っていただきました。―以前からずっと温めていた企画を10年かけて完成させたのか、それともいまこのタイミングで撮りたいと思って作られたのか、作品が生まれた経緯から教えていただけますか?監督いくつも理由があるので、この質問に答えるにはおそらく5時間は必要かもしれないですね(笑)。まず私は普段からいろいろな情報やビジュアルイメージ、日々の生活のなかであったことなどについてノートに書き留めているんです。というのも、触発されたり、心に火がついたりするような瞬間というのが、日常のなかにはたくさんありますからね。それらに脈絡があるわけではないんですが、そういった日々の観察や瞑想の積み重ねから映画になる可能性があるものを拾い、そして紡いでいくという感じです。そういったこともあり、僕の作品のスタイルというのは、一般的な映画の作り方とは違うのかもしれません。―なるほど。そういった作業をされていたからこそ、これだけの長い時間を要するんですね。監督そうなんですよ。僕の作品では、まずいろいろなことに神経を研ぎ澄ませた状況のなかで生活をし、“時間を生きる”というのが必要不可欠になるので、非常に時間がかかってしまうのです。本やアニメなど、原作があるわけではありませんからね。ただ、その代わり僕は自分のことをスポンジのような存在だと思っています。つまり、政治的でも社会的でも、それらの要素を自分のなかにしみ込ませていき、自分なりに見つめ直したうえで映画という形に変容させていく作業をしているからです。大事にしているのは、つねに敏感でいること―そのなかで、意識されていることはどのようなことでしょうか?監督大事にしているのは、つねに敏感でいること。そして、自分を客観的に見ることができる距離に自分を置くということですね。僕自身が主人公として登場しているので、僕の行動や精神、そして僕が感じている憂うつさや落ち着かなさから、おかしみが見えてくればいいなと。なぜなら、僕は社会から少しはみ出しているという立場で登場することになっていますから。そのためには、自分をきちんと見つめて、自分がどういう反応をするのか、ということを客観的に見つめることも必要だと感じています。外から影響は受けているけれども、自分の心情に照らし合わせて行っている作業なので、非常に個人的で実存的なことでもあるのです。―過去の作品ではパレスチナを世界の縮図として描いていたけれど、今回は世界をパレスチナの縮図として提示しているそうですね。世界に対する見方が変わったきっかけなどがあったのでしょうか?監督長編デビュー作はパレスチナで撮影していますし、いまもしょっちゅう行ってはいますが、そのあとはニューヨークやパリをはじめ、いろいろな場所に住み、つねに旅を続けているので、僕はパレスチナを去った人間でもあります。だからこそ、インサイダーでありアウトサイダーであるという感覚をつねに並行して持っているのです。そういったこともあって、僕の映画というのは、“観察記”のような要素を持ち合わせているのかもしれません。そのなかでいま感じるのは、徐々に世界は似てきているということです。―具体的には、どのようなところにそれを感じていらっしゃいますか?監督政治的、社会的なところはもちろんですが、どこにでも緊張感があふれていて、軍が介入していたり、占領されるようになったり、暴力が増えたりと、世界がパレスチナ化しているように思うことが多いからです。これはこの映画を撮るずっと前から思っていたことですが、このグローバル化はもはや“経済的占領”なのではないかなと。つまり、それを達成するための策略やツールが全体的にパレスチナに似てきていると僕は思っているのです。不思議な人や出来事を引き寄せる力がある―では、映画のなかで、監督の日常から取り入れている部分はどのようなことですか?監督たとえば、パリのカフェに座って人々を観察していると、ふとした瞬間に「あ、これは映画に使えるな」みたいなヒントをもらうことがあります。それは人々の動きだったり、言葉だったり、という意味ですが、僕には変わった人を引き寄せる力があるみたいで、なぜか日常生活のなかで映画に使えそうな不思議な出来事がけっこう起こるんですよね(笑)。―劇中に日本人カップルが登場するちょっと変わったシーンがありましたが、それもご自身の体験ですか?監督そうなんですよ!私がパリで住んでいるエリアはたまたま日本人の居住率の高いところなので、いつも散歩をするところや公園に日本人が多いんですよね。僕がパートナーとよく食事をする日本食レストランも近所にありますし。そういったこともあって、ある日普通に歩いていたら、映画のなかと同じようにいきなり話しかけられたんです。おそらく、日本人が部屋を貸してくれる誰かと会う約束をしていて、それと間違えられたんじゃないかなと思いますけど(笑)。―そのあたりも注目ですね。ちなみに、日本に対してはどのような印象をお持ちですか?監督日本への興味もいろいろありますが、挙げるとすれば、やはり日本映画ですね。特に、旧作のなかに好きな作品がたくさんありますよ。映画には次世代への願いも込めている―では、世界や物事を客観的に見ていらっしゃる監督にとって、2020年はどのような年でしたか?監督これもまた答えるのに5時間はかかりそうな質問ですね(笑)。実は、私はコロナ禍になる前から、世界のことをかなり危惧していました。今回の映画のなかでも、パリから人がいなくなるシーンに対して、終末論的な見方をする観客もいるでしょう。実際、私は以前から世界規模でひどいことが起きると言っていました。災害の前に、動物が危険を察知した行動を取ることってありますよね?僕が問題のある地域の出身だからかもしれませんが、それと同じような能力が私にも備わっているように感じることがあります。つまり、これから何か危険なことが起こるだろうといった緊張感やそこにただよう空気を感じ取ることができるのです。パリのテロ事件のときも同じでした。別に僕は、自分を預言者だと言いたいわけではありませんよ(笑)。ただ、何らかの破壊的な災害や悲劇に世界が見舞われるのではないかと、コロナ禍に陥る前から感じていていたので、こういうときこそ、若い人たちがどういう行動をするかが大事なんじゃないかなとは思っています。―そんななか、2021年はどんなふうに世界が変わっていくとお考えですか?私たちがいますべきだと思うことがあれば、教えてください。監督こういった病気だけでなく、温暖化や山火事など、何かあるたびに言えることですが、問題が起きている裏では必ず誰かがもうかっている現実があるわけですよね。地球を守るよりも、破壊するほうが簡単に金儲けできると思っている人がいますから。今回のことを教訓に、「新しい取り組みをしましょう」とか「これまでの悪い習慣をやめましょう」といった話も上がっていますが、そのいっぽうではそういった人たちがいるのが現実なのです。人間は美しいものを生み出すこともできるけれど、権力を持ってしまうと、それが別に作用することもあります。ただ、そこで“唯一の希望”とも言える存在は、若い人たちだと僕は考えています。つまり、若い人が止めてくれる以外に方法はないのです。そういった次世代への願いもこの作品の最後には込めているつもりです。―ちなみに、いまの監督にとって「天国にちがいない」と思う場所はどんなところですか?監督パソコンを持ち出せたらみなさんにも見せたいけれど、いま外に出たらそこには天国のような景色があるんですよ。というのも、一時的にパリを離れてイタリアのシチリアにパートナーと来ているんですが、ここには海があって、鳥が一日中飛んでいて、食事はおいしいし、寒くもないし、散歩をするにも最高の場所ですからね。ずっとここにいられるわけではないですが、もしかしたらここが天国かもしれないです(笑)。新たな視点で世界を見つめる!政治的なメッセージを込めつつ、思わずクスリと笑ってしまうようなユーモアも織り交ぜながら描いている本作。おかしくて、美しくて、そして愛おしい世界に、スレイマン監督とともに旅をしてみては?取材、文・志村昌美引き込まれる予告編はこちら!作品情報『天国にちがいない』1月29日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開配給:アルバトロス・フィルム/クロックワークス© 2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION
2021年01月28日いまや「スマホなしの生活は考えられない!」という人がほとんどだと思いますが、いっぽうでさまざまな秘密が詰め込まれていて「スマホは誰にも見せられない!」という人も多いのでは?そんななか、まもなく公開を迎える話題作『おとなの事情 スマホをのぞいたら』で描かれているのは、お互いのスマホを見せ合うゲームを始めてしまった大人たちが繰り広げる“戦慄の一夜”。そこで、こちらの方々にお話をうかがってきました。写真・北尾渉(益岡徹・田口浩正・淵上泰史)田口浩正さん・益岡徹さん・淵上泰史さん【映画、ときどき私】 vol. 351劇中に登場するのは、「モテない独身男」「50代のセレブ夫婦」「40代の倦怠期夫婦」「30代の新婚夫婦」という7人の大人たち。そのなかで、益岡さんは叩き上げの美容外科医、田口さんは法律事務所勤務のパラリーガル、淵上さんはカフェレストランの雇われ店長をそれぞれ演じています。今回は、現場での様子やスマホに関するご自身の経験などについてお話いただきました。―本作はイタリアで大ヒットした大人のためのコメディを日本版としてリメイクした作品ですが、最初に脚本を読まれたときはどのように感じましたか?益岡さん脚本を読んだときは、まだオリジナルの映画を観る前でどんな内容か知らなかったこともあり、「これは大変そうだな」という印象でした。特に、冒頭のシーンは僕から始まりますからね。―確かに、ワンシチュエーションでセリフも非常に多い作品なので、「大変そう」と思われるのもうなずけます。淵上さん僕もオリジナルを観ずに脚本を先に読ませていただきましたが、「スマホを見せ合う」というひとつの条件でこんなにも人はもたつくものかと、おもしろいアイディアだなと感じました。何でもないような会話が積み重なっていくだけなのに、みんなが窮地に追い込まれるんですよね。「最終的にこの人たちは一体どうなるんだろう?」というのも含めて、非常に興味深かったです。田口さん僕も岡田惠和さんの脚本が非常に優れていて、おもしろいなと思いました。会話だけでキャラクターが見えてくるあたりなんかは、本当にすばらしいですよね。打ち上げのときに話していたんですが、実は益岡さんとは『アルジャーノンに花束を』というドラマでも岡田さんの脚本で共演していたんですよ。舞台の稽古に近いイメージで作っている感覚だった―この作品も脚本のすばらしさが際立っていますが、演じるうえでの難しさはありましたか?益岡さん大変だったというよりも、さりげないセリフのやりとりが多かったので、どこが自分の番かというのをしっかりと稽古しないといけないところはありました。どちらかというと、舞台の立ち稽古に近いイメージで作っているような感じだったと思います。田口さん僕たちも最初は台本を持ちながらやってましたけど、プロデューサーさんから「セリフは年内に覚えて、新年から台本は外してください」と何回も言われていたので、そういうプレッシャーはありましたね……。益岡さんでも、田口さんはちゃんとセリフ入ってましたよね?田口さんいやいや、何をおっしゃっているんですか。キャストのみんなと「もう覚えた?今日は外す?」みたいなやりとりを毎回していましたよ(笑)。―では、ご自分のシーンで印象に残っていることはありますか?淵上さんたくさんあるんですけど、僕は冒頭でいきなりダンスをしなきゃいけなかったシーンですね。というのも、ダンスなんてしたことがなかったうえに、そこだけ特に稽古もなかったので……。しかも、本番ではなぜか曲も流してもらえず、僕にとってはプレッシャーでしたね。主演の東山(紀之)さんに教えてもらうかなとも考えたくらいです(笑)。―最終的に、東山さんにダンスは教えていただいたんですか?淵上さん別にダンスがうまい人という設定でもないと気づいたので、教えてもらわずに自分でやりきりました。対人関係には割り切れないこともあると気がついた―冒頭から注目ですね。そのほかに、ご自身の役柄に関して苦労した点があれば、教えてください。益岡さん僕は、夫婦のなかでもお互いのことを「許すか」「許さないか」のポイントをかなり突きつけられたように感じました。今回はどちらかというと、僕よりも妻のほうがあることをしでかしますが、そのときに気がついたのは、対人関係においては割り切れないものもあるんじゃないかなということ。気まずいまま続く関係もあると思うので、そのあたりは少し難しかったというか、考え方を少し変える必要があるんだろうなと思いました。―そこは、まさに“おとなの事情”といった部分かもしれませんね。実際に演じられてみて、感じたこともありましたか?田口さん今回僕が演じた役は、何かするたびに「はい、はい」と全員から言われるような役どころだったので、みなさんに転がされているような感じでした。特に妻役の常盤(貴子)さんと掛け合いの多かった東山さんは、僕のやることをしっかりと受け止めて芝居をしてくださっていたなと。本当に、みんなにかわいがられた役だったなと思っています。―現場の雰囲気は、いかがでしたか?田口さんみんなでテーブルに集まっていると、芝居とは関係ないたわいもないことを話したり、料理を普通に食べたりして、すごく楽しかったですね。撮影中もそういう雰囲気がそのまんま出ていたんじゃないかな。オフの自然な感じも映画に映し出されている―ということは、オフの自然な空気感もそのまま映し出されていたと?田口さん何となくその感じは映っていると思います。益岡さんうん、そうだね。田口さん同じシーンを撮り直すときも、スタッフから言われることなく、自然と自分で料理の調節なんかもしてましたしね。益岡さんオンとオフがシームレスな感じはあったと思います。そこで繰り広げられる会話も「それセリフなの?」と思うくらいのものが多かったので。あと、印象に残っているのは、通常だとテストのあと本番で完成度をグッと上げないといけないんですが、さりげない芝居をしながらもテストのときからみんな本気だったなと。映像をいいものに仕上げるために必要な瞬発力が非常に高い現場だったと思いました。―なるほど。ちなみに、ムードメーカー的な存在の方はいらっしゃいましたか?淵上さん益岡さんじゃないですか?益岡さんえ僕ですか(笑)?田口さんでも、誰かひとりだけというよりも、みんなそれぞれにムードメーカー的なところがあった気もしています。―本作では、人間関係についても考えさせられますが、演じるなかで気づいたことはありましたか?淵上さん今回の男性キャストのなかでは、僕が一番年下ということもあり、気の遣い方は大事だなと感じました。というのも、先輩たちに囲まれるなかで、あまり気を遣いすぎても逆にみなさんに気を遣わせてしまうので、そのあたりのバランスは考えさせられたところです。でも、益岡さんと田口さんをはじめ、みなさんとても優しい方ばかりでフランクに話してくださったので、いいお兄さんができたようなうれしさがこの現場ではありました。「大人なら他人のスマホは見ない」が前提―撮影を通じて、みなさん仲良くなったと思いますが、もしこのキャストでスマホをさらし合うゲームをするとしたら、どなたのスマホのぞいてみたいですか?田口さんいや、そもそもあんまり人のスマホって見たくないかもしれないです。益岡さんうん、普通は見ないよね。淵上さんそうですね、見ないと思います。田口さん僕なんて、妻のスマホでさえ見るの怖いですから(笑)。何かあったら嫌だなと思って……。益岡さん確かに、「他人のスマホは見ない」という前提があるからこそ、それを覆して踏み越えてしまったらどうなるのか、というのがこの映画のおもしろいところですからね。田口さんでも、世の中には見る人もいますから……。ということで、「大人は見ない!」ということですかね?益岡さんまあ、そもそも僕は人のスマホの見方がわからないというのもありますけど(笑)。―(笑)。ananwebでは、以前オリジナル版の監督に取材をしたことがあり、本作のきっかけについて、監督のお友達がバイク事故に遭ったときに、スマホを奥さんに預けたら秘密がバレてしまったという出来事がこの映画のアイディアになったとうかがいました。みなさんにも、そういったスマホの失敗談はありますか?田口さん押し間違えたとかの単純な失敗ならありますけど、自分がスマホに隠していることを公に発表したくないというのがまずはありますからね。なので、いまのエピソードみたいな話をここでは言わないですよ!でないと危険というか、自分の首を絞めることになりますからね……。ということで、申し訳ないですが、スマホに関するおもしろいネタはありません(笑)。スマホでは詰めの甘さにヒヤッとすることもある―どんな秘密か非常に気になりますが、ほかのおふたりは何かありますか?淵上さん僕は先輩にメールを送ったときに、「〇〇さん」と書かないといけないのに「さん」を忘れてしまい、呼び捨てになっちゃったことに送ったあとで気づいたことはありました。そしたら、「普段から俺のことこう呼んでるの?」と言われてしまったりして(笑)。「つけ忘れただけで、違います!」と言いましたが、そういう詰めの甘さが出てヒヤッとしたことはありますね。益岡さんあるある!僕もボタンを押しているときに、ちゃんと押してるはずなのに違うところを押してて、全然違うふうに文字が変換されててとんでもない文章になっちゃうことがあるんだよね(笑)。まあ、それはそれでおもしろいなと思うこともあるんだけど。田口さんありますね。あとは、「てにをは」をミスして間抜けな文章になっちゃうんですけど、想像すればわかる範囲だと、書き直すほどでもないかなと思っちゃったり。益岡さんそうそう。かといって、送る前に見直すこともしない人なんだなと思われるのも嫌だしね。でも、そういうときに限って、間違えて送信ボタンを押しちゃうことがあるんですよ。内心の自由とスマホは別だという知恵をつけるべき―そうですね、大多数の人がうなずいていると思います。では、ご自身にとってスマホとはどんな存在ですか?田口さんたとえば、よくあるスパイ映画とかで機密情報を手にするために、他人の指を切ったり、目をくり抜いたりみたいなシーンがありますけど、さすがに僕が寝ている間に妻が指紋認証で勝手にスマホを開いてまで見ているとは思っていません。でも、妻は見ていなくても、クラウドにはスマホの情報がすべていってるわけですよね?たとえば、何を見ているかという履歴ってすごく重要じゃないですか、男って。いや、僕は何も怪しいのは見てないですけど、もしそういうのばっかり見てるのがバレたらはずかしいですからね。って、何の質問でしたっけ(笑)?―「スマホとは?」についてです(笑)。益岡さん誰にでも“内心の自由”ってありますよね?つまり、「心のなかでは何を思っていても自由だ」ということです。でも、いまはスマホに頼りすぎてしまっているせいか、そういう気持ちがスマホのなかにも株分けされて増えちゃった感じなのかなと考えています。だから他人には見せられないんじゃないかなと。そういう意味でも、これからはスマホと内心の自由とは違うものなんだという知恵を私たちがつけるべきなのかもしれませんね。インタビューを終えてみて……。劇中でも見せていた息の合ったやりとりで、笑いの絶えない時間となった今回の取材。お三方それぞれの自然体な魅力にすっかり引き込まれてしまいました。みなさんが一体どんなスマホをお持ちか非常に気になるところですが、驚きの“秘密”は劇場でお楽しみください。スマホの秘密は手のひらには収まらない!秘密を知って絆が強くなることもあれば、秘密を知らないからこそうまく行くこともあるのが人間関係のおもしろいところであり難しいところ。そんな人間模様を大きく左右してしまう力を持っているスマホだからこそ、どんなに見たくても、他人のスマホはのぞかないほうがお互いにとって幸せかも写真・北尾渉(益岡徹・田口浩正・淵上泰史)取材、文・志村昌美ストーリーある出来事で出会い、強い絆で結ばれていた3組の夫婦とひとりの独身男性。年に一回集まって友情を育んでいた彼らだったが、1人の参加者の発言がきっかけとなり、「スマホに届くメールと電話のすべてを全員に公開する」というゲームを始めることに。隠しごとは何もないと言いながらも、全員が祈っていたのはスマホが鳴らないこと。なぜなら、そこにいる誰もが“絶対に知られたくない秘密”をそれぞれに抱えていたからだった。そして、スマホに着信があるたびにパーティは修羅場と化していくことに……。翻弄される予告編はこちら!作品情報『おとなの事情 スマホをのぞいたら』1月8日(金)より、全国ロードショー配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント©2020 Sony Pictures Entertainment(Japan)Inc.All rights reserved.
2021年01月07日2021年1月2日に放送された、バラエティ番組『志村&鶴瓶のあぶない交遊録大最終回スペシャル』(ABEMA)。同番組は、お笑いタレントの笑福亭鶴瓶さんと、2020年3月に逝去した志村けんさんがMCを務め、1998年から正月の恒例特番として人気を博していました。今回の『大最終回スペシャル』では、『志村・鶴瓶VSナインティナインの元祖・英語禁止ボウリング対決!!』と題した企画を放送。お笑いコンビ『ナインティナイン』の岡村隆史さん・矢部浩之さんのチームと、鶴瓶さん・志村さんチームがボウリングで対戦する企画です。対戦中、英単語を発したら罰金、また、ピンク色のピンを倒すと美女からご褒美をもらえるというルールのもと繰り広げられる同企画は、長年多くの視聴者から愛されていました。鶴瓶「なんで先死ぬねんアホ!」同番組前半では、これまでの名場面をVTRで振り返る一幕も。鶴瓶さんは、亡くなった志村さんに対し「なんで先死ぬねんアホ!」と胸中を吐露しています。また、志村さんが亡くなった後、線香をあげに志村さんの兄の家を訪ねた時のことを語りました。(志村さんが亡くなった後)行ってきたんよ、家に。遺影の写真があって「いい写真ですね」ってお兄さんにいうたら「隣に鶴瓶さん写ってます」と。志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャルーより引用遺影の中で素敵な笑顔を浮かべていた志村さん。実は、その写真は鶴瓶さんとツーショットで写ったものだったのでした。そのエピソードを聞いた矢部さんは「名コンビだったんですよ。志村さんは、鶴瓶さんに心を許していたんだと思います」とひと言。岡村さんも「この番組の時には、志村さんはいつも嬉しそうだった」と過去を振り返りました。また、2020年10月に結婚した岡村さんは「志村さんに結婚の報告をしてたら、なんていってはったんやろ」「『なんだチミは?』っていわれるんですかね」と、亡き志村さんへ思いを馳せています。大悟「師匠、ありがとうございます」番組後半では、ボウリング対決を開催し、志村さんの代役として、お笑いコンビ『千鳥』の大悟さんが登場。ゲーム中、ピンクのピン6本を倒す好調ぶりを見せ、岡村さんに「志村さんが乗り移ってる!」と絶賛されていました。志村さんを師匠として尊敬し続ける大悟さんは、ゲーム終了後、志村さんへこのように語りかけています。おいしいとこ全部。いっぱい、いいのいただきました。師匠ありがとうございます。志村&鶴瓶のあぶない交遊録 大最終回スペシャルーより引用番組終了に反対だった鶴瓶「踏ん切りがついた」また、番組冒頭から鶴瓶さんは「これからも『ナインティナイン』の2人とこの番組を続けたい」と同番組の終了を惜しんでいました。しかし、矢部さんや岡村さんからは「志村さんありきの番組だった」とのツッコミが。番組終了に反対だった鶴瓶さんでしたが、ゲーム終了後には「志村さんも喜んでいると思う。踏ん切りがついた、ありがとうございました」と、20年間愛され続けた番組に、感謝と別れを告げました。番組の視聴者からはさまざまな声が上がっています。・志村さんが楽しそうにしている姿をたくさん見て、笑いながら泣いてしまいました。大好きな番組でした!・「志村さんありきの番組」と、矢部さんと岡村さんがいっていて泣きました。最終回をやってくれて、本当にありがとう。・子供の頃、家族と一緒に見ていた番組。この番組を見ると「正月だな」という感じがしていました。終わってしまうのはさびしいな。志村さんも、天国から『志村&鶴瓶のあぶない交遊録大最終回スペシャル』を楽しんでいたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年01月03日紬織(つむぎおり)の人間国宝・志村ふくみの孫である志村昌司を中心とした京都の染織ブランド・アトリエシムラ(atelier shimura)は、「アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承」を、2021年1月14日(木)から20日(水)まで、帝国ホテルプラザ東京3F 花あさぎにて開催する。「アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承」では、草木で糸を染め、手機で織った色無地反物や帯を展示販売する。中でも、「青藍」の反物は、最も元気の良い頃合いの藍で染めた、濃い色味の中にも爽やかさを感じられる仕上がり。自然の神秘を肌で感じられる、表情豊かな風合いが魅力だ。また、反物や帯に加えて、帯の上辺を飾る帯揚げや、小物を入れて持ち運べる数寄屋袋といった、着物と一緒に使えるアイテムやストールも、ともに販売される。【詳細】アトリエシムラ展/染織家・志村ふくみ、洋子からの継承開催日時:2021年1月14日(木)~20日(水) 11:00~19:00会場:帝国ホテルプラザ東京3F 花あさぎ住所:東京都千代田区内幸町1-1-1価格:・反物 400,000円+税~・帯 150,000円+税~・帯締め 19,000円+税~・帯揚げ 15,000円+税~・ストール 39,000円+税【問い合わせ先】花あさぎTEL:03-6273-3139
2020年12月21日特殊な状況のなか、人と人との絆について誰もが考えさせられた2020年。そこで今回は、時代に翻弄されたある2人を描いた注目作をご紹介します。それは……。『この世界に残されて』【映画、ときどき私】 vol. 350ナチス・ドイツによって、約56万人ものユダヤ人が殺害されたと言われていたハンガリー。終戦後の1948年、ホロコーストを生き延びたものの、家族を失った16歳の少女クララは、ある日寡黙な医師アルドと出会う。言葉をかわすうちに、クララは彼の心に自分と同じ欠落を感じるようになり、父を慕うようにアルドになついていくのだった。ホロコーストの犠牲者であったアルドもまた、クララを保護することで自分の人生を再び取り戻そうとする。ところが、ソ連がハンガリーで権力を握るようになっていくなか、世間は彼らに対してスキャンダラスな誤解を抱くようになっていくことに。“残された者”としてともに生きる2人の関係は、どうなってしまうのか……。ハンガリー映画批評家賞3部門受賞をはじめ、さまざまな賞に輝いた本作。今回は、こちらの方に見どころなどをお話しいただきました。バルナバーシュ・トート監督短編を中心に手がけ、ハンガリーのみならず国外でも高く評価されてきたトート監督。本作は、監督にとって10年ぶりの長編2作目となる意欲作です。そこで、完成までの道のりや作品に込められた思いについて語っていただきました。―まずは原作から映画化するにあたって、難しかったのはどのあたりでしょうか?監督今回、大きな挑戦だったのは、小説で細かく書かれている登場人物たちの過去や表情をどうやって映像で表現し、観客に伝えるかということでした。たとえば、これまでの作品であれば、収容所にいたことを知らせるために、わかりやすく列車に乗せるシーンがあったり、たくさんの亡骸を見せたりしていたと思いますが、この作品では収容所にいたことを示す数字が腕に刻まれているのを見せるだけで表しています。そのほかに苦労したのは、キャラクターの数。小説は25年間という長い期間を描いた物語ということもあり、数多くの人物が登場しますが、映画では最初の6年だけに集中して、人物の数も10名前後に絞ることにしました。―原作者のジュジャ・F・ヴァールコニさんとはもともと別のお仕事で知り合われたそうですが、映画化にあたって何か相談されたこともありましたか?監督この小説にはすべてが詳細に書かれていて、文句のつけどころのない出来だったので、特に説明やアドバイスを求める必要はありませんでした。ただ、僕が脚本を書いていたとき、実は彼女はあまり喜んではいなかったようで……。―それは、なぜでしょうか?監督「まさに心理学者の人が書いた小説」という感じで、小説には人物の心の動きが事細かに書かれていました。それに比べると、脚本ではいろいろな情報がそぎ落とされているように見えたそうで、「これでは観客に理解してもらえないんじゃないだろうか?」と思われていたからです。もちろん、そういった意見も僕にとってはとても重要ではありました。確信があったからこそ、自分の選択に迷いはなかった―とはいえ、原作者の方がそういう状況で制作を続けるのは、気がかりだったのではないでしょうか?監督確かに、原作者が納得していない状態というのは怖かったですし、原作を傷つけてしまうのではないかという不安もありました。彼女にとっては、この作品が唯一の小説だったこともあって、ひとりっ子のように大切に思っていたから心配していたんだと思います。そういったこともあり、キャスティングに関しては、彼女にもいいと言ってもらいたいと思っていたので、特にアルドとクララ関しては事前に映像を見てもらいました。2人ともすごく気に入ってもらえたので、それはよかったですね。―そのなかで、監督として手ごたえを感じる瞬間もありましたか?監督今回の撮影期間は、19日間と非常に短かったですが、俳優たちの演技も相性もセリフもとてもよかったので、そのときに「これはいいものになるだろう」という確信を持つことができたように思います。それだけでなく、カメラマンも音楽もすべて素晴らしかったので、ひとつずつ形になっていくのを見守っていくような感じでした。だから僕自身としては、自分の選択に迷いがなかったというのが正直な気持ちですね。その後、実際に完成した映画を観てもらったときに、俳優たちの演技や映像、音楽といったすべてが合わさることで彼女も理解してくれました。つまり、小説と脚本はずいぶん違うものなんだ、ということを。ちなみに、彼女から「映画が完成して、もし気に入らなかったら、私のクレジットを入れずに、キャラクターの名前も変えてね」と言われたこともありました。でも、「撮影したあとにどうやって名前を変えたらいいんだろう?そんなことは不可能じゃないの?」と思っていたので、ハッピーエンドを迎えられてよかったです。いまでは友達になりました(笑)。時代は違っても、心理的に通じる部分があった―それは何よりです。では、映画を作る過程で、実際にホロコーストを生き延びた方々に取材をするような機会もあったのでしょうか?監督今年で100歳になるおばあさんに、俳優2人と会いに行ったりしたこともありました。ただ、これは全般的に言えることですが、ホロコーストで生き残った方というのは、実際にそこで何があったのかを語らない人がほとんど。前後の人生についてや収容所で起きた“いい話”については、話すことがあっても、それ以外のことを話さない方が多いということがわかりました。そういった理由もあって、今回参考にしたのは、生き残った方のインタビュー映像や関連する本など。そこからイマジネーションを働かせて演出することを心がけました。クララに関しては、収容所を経験していない少女の設定ではありますが、ナチスの恐怖や病気、さらに家族を失う悲劇などを経験しています。つまり、収容所と同じくらい本当に厳しい状況で苦しみを味わっていた人たちがいたということです。―作品を仕上げていくなかで、ほかの映画から影響を受けた部分はありましたか?監督まずは、1979年のハンガリー映画『コンフィデンス 信頼』がほぼ同じ時代だったので、最初に参考にしました。そのほか、『ファントム・スレッド』からは同時代の空気感やカメラワーク、衣装や色使いなどに関してインスパイアされています。それからクララとアルドの2人の間にある感情的な関係性については、『ロスト・イン・トランスレーション』から。これは若い女性と年上の男性の間にある愛やコミュニケーションの“不可能さ”みたいなものを描くうえで影響を受けていると思います。あと、これも同じく少女と年上の男性を描いた作品として『レオン』。自分の感情を抑えている男性と思っていることをすぐに口にする女性という関係性ですね。時代は違っていても、心理的な部分では通じるところがあると思います。編集の段階で深く心を揺さぶられてしまった―興味深いですね。この作品と各国を回るなかで、観客たちの反応から「この作品がさまざまなトラウマに対する癒しになるかもしれない」と感じたそうですが、監督にとってもこの作品はそういう存在なっているのでしょうか?監督自分のことは考えたことはなかったけれど、美しい質問ですね。言われてみればそうかもしれません。ちょっとプロではないように聞こえてしまうかもしれませんが、作品を編集しているとき、まだ音もミックスしていないような段階で深く心を動かされてしまって、編集を担当しているスタッフと建物を出てすぐのところにある酒場で1杯飲まずにはいられなかったほどですから(笑)。観客の方々が作品とそういう出会いをしてくれていること、そしてみなさんがそう感じてくださっていることはすごく幸せなことであり、うれしいことだと感じています。―監督も映画によってトラウマを克服したような経験はありますか?監督恵まれていることに、いままであまり大きなトラウマというのはまだ経験していないですが、父との関係がうまく行っていない時期がありました。そこで、長編1作目では父と息子の話をコメディで描くことにしたんです。それを父と一緒に見ることによって、いいほうに向かっていったということはありました。生きるうえで、何かに対して愛情を持てることが大事―素敵なお話ですね。現代でも本作の登場人物たちのように孤独を抱えている人は多いので、彼らにシンパシーを感じる観客も多いと思います。そういう方々に監督から声をかけるとしたらどんな言葉をかけたいですか?監督孤独やトラウマを抱えているときに一番いいと思うのは、自分が面倒を見ることができる対象を見つけるということではないでしょうか。それは人でもペットでも何でもいいと僕は思っています。ちょっと説教っぽく聞こえてしまうかもしれませんが、そうすることで“生きる意味”を見つけることができると思うからです。たとえば、僕は映画や音楽、本といった芸術に対して、まるで自分の子どものような愛を強く感じることがあります。以前、日本に関係するニュースで孤独を解消するためにロボットを使っているというような内容の話を見たことがありますが、それでもいいと思っているんです。―つまり、自分以外に愛情を注げるものを見つけることが大事ということですね。監督そうですね。以前、スパイク・ ジョーンズ監督の映画『her 世界でひとつの彼女』にもありましたが、コンピューターに愛情を感じることも美しいと僕は考えています。“新しい種類の愛”とさえ言えるのではないでしょうか。僕はそれをジャッジしたり、笑ったりするつもりはありません。そんなふうに何かに対してそういう思いを持てるということ自体が大事だと思っているからです。ちなみに、当初この映画のタイトルは別のものを考えていて、「誰かのために生きる」といった意味のあるものにしようかと考えていたほど。それこそが生き残るための方法のひとつなのです。―それでは最後に、日本の観客へ向けてメッセージをお願いします。監督映画にすべての思いを込めているので、観ていただければわかると思いますが、それが文化や国を超えてみなさんに響くといいなと思っています。事前に、ホロコーストや政治的な問題が背景にある話だと難しく考えるのではなく、まずは純粋にご自身の心と目でこのキャラクターにフォーカスしてほしいです。実際、僕はこの作品を“ラブストーリー”だと思っていますから。年齢も性別も超えた絆に救われる!すべてを失い、孤独と絶望を味わっていたなかでもう一度希望を感じさせてくれたのは、そっと抱きしめてくれる人の温もり。他人と触れ合うことが難しい時期に生きているからこそ、映画が傷ついた心の癒しともなるはずです。取材、文・志村昌美魂を揺さぶる予告編はこちら!作品情報『この世界に残されて』12月18日(金)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開配給:シンカ©Inforg-M&M Film 2019
2020年12月17日1998年より約20年にわたりテレビ朝日にて放送されていた正月恒例の名物番組『志村&鶴瓶のあぶない交遊録』が、来年1月2日(21:00~22:30)に大最終回スペシャルとして復活、ABEMAで独占配信されることが決定した。14日に都内で収録が行われ、笑福亭鶴瓶、ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之)が取材に応じた。このスペシャルでは、番組名物の元祖「英語禁止ボウリング」を実施。過去の放送では、志村けんさんと鶴瓶がチームを組み、ナインティナインと対決を繰り広げてきたが、今回は志村さんと親交の深かった千鳥の大悟が鶴瓶のパートナーとして参戦する。また、過去の名場面を振り返るコーナーでは、3人が思い出話を語る。収録後、鶴瓶は「去年(放送が)なかった。志村さんも亡くなられたので、あのまま終わっていくのかなと思ったんですけど、改めてやっていただいてうれしかったです」と心境を告白。「志村さんとよく一緒に飲みに行きましたよ。その思い出も踏まえて寂しいなと思いますね。亡くなったとき、なんで死んだんやねんと、ずっと思っていましたから」と突然の別れに悔しさをにじませつつ、「この番組で『志村けんと一緒にできた』ということだけでも幸せやなと思います」と思い出をかみしめた。矢部も「エンディングを撮っていたら寂しかったです。ふっと志村さんが来そうな雰囲気で。ほんまに終わるんやなと思ったら悲しくなりました」と吐露。「プライベートでも可愛がっていただいたなと思い出しながらVTRを見ていました。やっぱり寂しいですね。今日は寂しさを味わっていいのかなと思って収録に挑みました」と志村さんへの思いを語った。今年10月に結婚した岡村は、「今日の一投目は志村さんに『結婚しました』と報告して投げました。志村さんがどう思われているかわからないですけど。『裏切り者』と言われているかもしれませんが(笑)、志村さんのことを考えつつボウリングさせていただきました」と、志村さんへの結婚報告を込めてボウリング。「こんなに長く志村さんと鶴瓶さんと毎年お仕事させていただけるというのはすごく幸せなことでしたから、最終回とうたうのは寂しくはあったんですけど、自分の中で踏ん切りがつけられた気持ちもあります。この番組ですごく勉強させていただきましたし、お二人とも怒るわけでもなく自由にやらせていただいて本当に楽しいコーナーをやらせていただいたなと思っています」と語った。矢部も岡村も、志村さんと鶴瓶との共演はとても勉強になったという。矢部は「志村さんと鶴瓶さんと絡んでいると、ほかの番組に行っても緊張しない。すごい人と絡んでいると自信になるというのは大きかったです」と打ち明けた。岡村は「一つ一つの志村さんのリアクションをよく見ると、一個一個違う。こうやってリアクションとるんだなと勉強になりました。鶴瓶さんは『腰がちょっと』とか必ず何か振っておく。それがあとで効いてきたりして、なるほどなと。そういうのも大事やなと勉強になりました」と2人から学んだことを語ると、鶴瓶は「腰が痛いのはマジですよ」と笑いながらツッコんだ。さらに岡村は「控え室で志村さんと鶴瓶さんがしゃべっているのも聞いていて楽しかったです。ベテランの方が楽屋でこんな話するねんやというのを見られるだけでも得した気分でした。緊張もしていましたけど、毎年本当に楽屋から楽しみでした」と懐かしそうに振り返った。
2020年12月16日2020年を振り返ると、人と人の絆や幸せとは何かについて考えて過ごす時間が増えたという人も多いはず。そこで、今回ご紹介する映画は、そんな思いを抱えてきた人たちにオススメしたい話題作です。それは……。『ニューヨーク 親切なロシア料理店』【映画、ときどき私】 vol. 349商売下手なオーナーのせいで、経営が傾いていたニューヨークのマンハッタンにあるロシア料理店『ウィンター・パレス』。店を立て直すためにマネージャーとしてスカウトされたのは、刑務所から出所したばかりの謎だらけの男マークだった。常連のひとりとして店にやってきたのは、看護師のアリス。恋人に裏切られて以来、救急病棟の激務に加え「赦しの会」というセラピーを開き、他人のためだけに生きる変わり者だったが、そんな彼女をワケありの過去を抱えた者たちが慕っていた。また別の日に、店に飛び込んできたのは、幼い2人の息子を連れて、夫から逃げてきたクララ。無一文で寝る場所もないクララに、アリスやマークたちが救いの手を差し伸べることに。ところが、ある事件から夫に居場所を知られてしまい、クララは追い詰められてしまう。そんななか、クララはみなから受け取った優しさを力に変えて、現実に立ち向かうことを決意するのだった……。2019年のベルリン国際映画祭ではコンペティション部門でオープニング作品に選ばれ、注目を集めた本作。そこで、こちらの方に見どころなどについてお話をうかがってきました。ロネ・シェルフィグ監督これまでに『17歳の肖像』でアカデミー賞3部門にノミネートされるなど、デンマークを代表する女性監督として高く評価されているシェルフィグ監督。今回は、本作に込めた思いや困難な時代を生きる悩める人たちへ伝えたいことなどについて語っていただきました。―「この作品はずっと描きたいと思っていた物語を組み合わせたもの」ということですが、どのようにひとつの作品に組み立てていったのかを教えてください。監督まずキャラクターに関しては、私の過去の作品である『幸せになるためのイタリア語講座』に出ていた人物がふと出てきたりしているところもあるので、ほかの作品のキャラクターが混ぜ込まれているようなところはありました。たとえて言うなら、いろいろなキャラクターが子ども用の電車に乗っていて、それが同じ線路のうえを走っているような感じに近いかもしれませんね。なかでも心がけていたのは、クララがほかの人たちの物語における最良な部分を引き出してくれるようにすることでした。―監督自身の経験が反映されているキャラクターもいますか?監督自分が投影されているというのはなかったですね。というのも、私の人生はそれほどドラマティックではありませんから(笑)。ただ、私のなかにある要素が少しずつ大きくなってそれぞれのキャラクターに表れている部分はあったと思います。―主要な人物が多く、ストーリーも複雑に絡み合っているところもありましたが、脚本を作るうえで苦労したのは?監督一番難しかった点は、クララの小さい息子に起きるあることの結末をどうするかということでした。最初は、映画で描いたのとは逆の展開を考えていましたが、子役の少年が決まったときに彼を見て、「自分が思っていた結末を彼には迎えさせられない」と感じたので、いまの形にしようと決めました。人生には楽しいことが待ち受けていると感じてほしい―物語においても重要なシーンなので注目ですね。ananweb読者はクララやアリスと近い年代の女性たちが多いので、彼女たちに共感する読者も多いと思います。この2人の人物像を描くうえで意識したことはありますか?監督アリスはほかの人にいろいろなものを与えていきたいタイプの人であると同時に、本当は怖がりで他人を必要としているとても孤独な女性。そしてクララもまた、同じように孤独を抱えているひとりであるという部分は描きたいと思いました。―ちなみに、彼女たちにモデルはいますか?監督場所は秘密ですが、クララに関しては虐待を受けている女性たちがいる施設に行って話を聞き、リサーチをしました。そういった女性たちに見られるパターンのようなものを取り入れたうえで、クララを演じたゾーイ・カザンのイメージに合わせて作り上げています。クララには友達も愛する人も何もない状況ではありますが、いろいろな素晴らしいことが彼女の人生で起きていて、これからも楽しいことが待ち受けているんだ、ということを示唆したいと思いました。そして、いまの出来事はあくまでも人生においてはチャプターのひとつにすぎないのだということです。―いっぽうのアリスは、仕事に追われている現代の女性たちのイメージに近いように感じました。彼女にはどんな思いを込めていますか?監督ニューヨークのような大都市には男性が作った社会のなかで、一生懸命働いている女性たちがいますが、彼女たちはまるでマシンに燃料を投じている感じですよね。アリスもそういうなかで奮闘している女性たちのイメージを込めました。そして、私からすると、タイムレスな信頼関係を持てる人物でもあります。いま必要なのは他人に耳をかたむけること―また、本作では家庭内のDVや貧困、ハラスメントといった現代社会にある問題を描いています。こういったテーマにしようと思ったのはなぜですか?監督特に何かきっかけがあったわけではありませんが、普段外に出るとふとしたときにそういう問題を抱えている女性を見かけることがあります。私自身は、彼女たちに直接手を差し伸べることができるタイプではありません。ただ、つねにいろいろなことに対して目を向けるようにはしているので、よりよい世界を作れたらいいなという思いでこの物語を提示しています。―人生は他人との関わりや優しさによって大きく動いていくものだと改めて感じましたが、監督ご自身も他人に救われた経験がありますか?監督一番近い経験を挙げるとすれば、病院に行ったときに自分の状況を理解して、助けてくれるアリスのような人に出会って感銘を受けたことですね。なぜなら、彼らは自分自身に対する執着よりも他人を助けることに力を注いでいるからです。それはコロナ禍でも顕著になっていると思いますが、医療関係者のみなさんはたとえお金がたくさん稼げなかったとしても、こういう状況に身を投じることができる人たちなんだと思います。この映画のなかでも、物質的な欲などは関係なく人に手を差し伸べられる人たちの姿を多く描きました。―特にいまの時期は、劇中のキャラクターたちのように生きづらさを感じている人も増えていると思います。そういう人たちとどう向き合っていけばいいと思いますか?監督必要なのは、時間をかけて耳を傾けてあげること。ただそこにいる、というだけでも大事だと思います。私個人は、いろいろなものを修正したくなったり、アドバイスをたくさん差し出して問題解決をしたくなったりするタイプの人間なんですが、いまこの質問の答えを考えながら、大切なのはそういうことじゃないんだということに改めて気づかされました。私の母は私とは反対によく話を聞いてくれる人なので、思っていることを話しているうちにいつの間にか問題が解消されていたということも。もしかしたら、いまは母のような存在が必要なのかもしれません。お互いを理解し、共有することが大事―この作品では見ず知らずの人間同士が支え合う姿も印象的ですが、コロナ禍以降、他人との距離が遠くなってしまったように感じています。そんななかでも私たちが人と向き合ううえで忘れてはいけないことは何でしょうか?監督今回のことで、人と接することがどれだけ自分にとって大切かということをみなさんもおわかりになったと思います。デンマークでは人と会ったときにお互いよく触れ合う習慣があるので、私たちもそういったことを痛感するようになりました。どうするべきかは私もうまく言えませんが、やはりいろいろなことをみんなで共有しあっていくことが重要だと感じています。つまりお互いのことをより理解し合い、一緒にいることをより楽しむということです。今回の経験で、孤独がどういうものかはよくわかったと思うので、そういったことも踏まえて、これから動き出せるのではないでしょうか。―そのなかで、映画ができることも考えていらっしゃいますか?監督そうですね。特に、映画館は今後多くの人にとってより大事な場所になってくる可能性があると感じています。なぜなら、同じスクリーンを見て、一緒に笑い合ったりできる体験をもたらしてくるものだからです。最近、デンマークでは、自分の閉じたサークルのなかにこもるのではなく、少しでもその外側にいる人たちと知り合うことで何かをもたらせるのではないかと考えられるようになっており、そういったことも大切だというふうに言われるようになりました。近くに誰かいてくれることだけでなく、目の前の相手といることをちゃんとエンジョイすることがとても大事だと思います。そういう意味でも、問題はいまの状況よりもこの先のことかもしれないと考え始めているところです。誰の心にもそっと寄り添ってくれる!人から与えられる優しさや日常にある小さな希望の光に触れ、心が温かくなるのを感じられる本作。先が見えない不安を抱えながら過ごしているときだからこそ、主人公たちの痛みや孤独には共感せずにはいられないはず。年末に差し掛かっているいま、人生の新しいチャプターを迎える前に観たい1本です。取材、文・志村昌美胸を打つ予告編はこちら!作品情報『ニューヨーク 親切なロシア料理店』12月11日(金)よりシネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開配給:セテラ・インターナショナル© 2019 CREATIVE ALLIANCE LIVS/RTR 2016 ONTARIO INC. All rights reserved
2020年12月10日何かとすぐに炎上しがちな昨今において、表現することの不自由さを感じている人も多いのでは?そこで今回ご紹介するオススメ作品は、“20世紀を最も騒がせた写真家”に迫った注目のドキュメンタリーです。それは……。『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』【映画、ときどき私】 vol. 348一流ファッション誌で女性を撮り続け、さまざまな物議を醸してきたファッション・フォトグラファーの世界的巨匠ヘルムート・ニュートン。強烈なインパクトを与える作品は、ときに「ポルノまがい」「女性嫌悪主義」との議論も巻き起こしたが、女優やモデルなど多くの女性たちを魅了した。生誕100年となる2020年。彼にインスピレーションを与えた12人の女性たちの視点から作品や人物像を捉え直したスリリングなドキュメンタリーが完成した。ヘルムートの真実とは……。2004年に自動車事故による不慮の死を遂げたあとも、長く人々の記憶に残り続けているヘルムート・ニュートン。その素顔から撮影の舞台裏までを映し出している本作について、こちらの方に見どころをうかがってきました。ゲロ・フォン・ベーム監督これまでに製作したドキュメンタリーは100本を超えるという“ドキュメンタリーの名手”ベーム監督。今回は、ヘルムート本人と生前交流があった監督に、彼との忘れられないエピソードや表現の自由が奪われつつある現代に訴えたいことなどについて語っていただきました。―まずは、この映画を作ろうと思ったきっかけから教えていただけますか?監督それは、もう一度ヘルムートの作品や彼という人物をいまの時代の人たちに見せることで、いろんなことを考えてほしいと思ったからです。このタイミングになったのは、ちょうど今年で生誕100周年を迎えたからというのがありましたが、これまでドキュメンタリーが作られていなかった20世紀最大の写真家の一人である彼について、知ってほしいというのが最大の理由でした。映画にしようと思ったのは、彼の写真がシネマスコープのサイズで撮られているものが多いから。大きなスクリーンで見せるにはピッタリだと思ったというのもありました。あとは、以前彼とコラボしたときの素材が残っていたので、それを多くの人に見せたいという気持ちも込められています。―この作品を作っている過程で、現在の時代における創作活動の難しさや見直すべき点について考えた部分もあったと思います。いちアーティストとして、いまのこの現状に対して訴えたいことはありますか?監督これはとても興味深くて、重要なテーマだと思います。いまのポリティカル・コレクトネスの風潮は、私たちが60年代から80年代にかけて活躍していたころとはまったく違っているので、もし彼の写真をいま雑誌に掲載したら、おそらくフェミニストたちが抗議するでしょうね。でも、私は芸術の自由は大切にしなければいけないと思うので、これはとても危険な風潮だというふうにも考えています。もしポリティカル・コレクトネスばかりを尊重するのであれば、ボッティチェリやピカソのような作品もそのうち消えてしまうのではないかと危惧しているからです。表現の自由は守られるべきものなので、検閲を行うことは独裁国家の始まりとも言えるかもしれません。それは、気をつけるべきことだと思っています。若い人にはもっと勇気をもって冒険をしてほしい―では、いまのアーティストたちにアドバイスするとしたらどんなことでしょうか?監督ヘルムートの真似をするのではなく、その時代ごとに合った作風を模索しながら、冒険してほしいと思ってます。つまり、挑発的で斬新な作品をもっと探っていってほしい、ということですね。私からすると、特に最近のファッション業界の写真は退屈な方向へと進んでいるように感じるので、若い写真家たちにはもっと勇気を持ってがんばってくださいと伝えたいです。―ヘルムートさんの作品については、ポルノまがいや女性差別と批判する者も多かったと劇中でも触れていますが、紙一重とも思えるアートとわいせつさの差を生んでいるものは何だと思われますか?監督これもまた興味深い問題ですよね。ヘルムートはつねにその境界線を操るように、そして遊ぶように写真を撮っていたように思います。ただ、そのなかでもつねに何かしらのストーリーを伝えようとしていたというのは、大きな違いではないでしょうか。つまり、女性をただの物としてとらえるのではなく、そこにきちんとメッセージがあるのが彼の写真が持っていた特徴でした。とはいえ、当時もそこが伝わらずに「女性蔑視だ」という批判もあがったのも事実です。―監督にとって印象に残っている作品はありますか?監督映画にも出てくる2枚の写真が対になっている作品で、左側にはオートクチュールの服に高い宝石を身に着けた女性たちがいて、右側には同じ女性たちがすべてを脱ぎ捨てて裸でハイヒールを履きながら同じポーズを取っているという写真があります。これは「服がなくても、女性たちは強く見える」ということを言っていますが、そんなふうに彼は写真を通してつねに何かしらのメッセージを見る人に送り続けていたのです。ただ、「オートクチュールの服はいらない」というメッセージを込めたこの写真を当時のファッション業界が受け入れて掲載したということが、私にとっては何よりも驚きではありました。いまだにヘルムートに恋しているように感じられた―確かにいまでは難しいと思います。しかも現代はインターネットの発達などによって、些細なことでもすぐに炎上してしまうため、アーティストには生きづらい時代と言えるかもしれません。もしヘルムート・ニュートンさんが生きていたら、どのようにこの時代に立ち向かっていたと思いますか?監督おそらく、彼の姿勢は特に変わらなかったんじゃないでしょうか。他人が何と言おうと、変わらない人でしたから。ポリティカル・コレクトネスに配慮するような写真は撮らなかったでしょうし、自分の作品が雑誌に掲載されなかったとしても、彼は気にしなかったと思います。実際、彼は「敵は多いほうがおもしろい」という言葉をよく言っていましたからね(笑)。―そんな刺激的なヘルムートさんと時間を過ごしたことで、影響を受けたことも多かったのではないでしょうか?監督そうですね。いまでもよく覚えているのは、2人で一緒に彼の生まれ故郷でもあるベルリンを歩いていたときのこと。そこでいろいろな話をしたのですが、彼からは写真のことよりも人生について多くのことを学ばせてもらったと思います。彼は紳士的ないっぽうで、アナーキストという相反する側面を持っていましたが、そういう彼の姿からは自由と勇気を教えてもらいました。つねに前向きで、ときにはルールを破りながら新しい表現方法を探し続けていた彼に刺激をたくさんもらったと感じています。―本作には、ヘルムートと縁の深い女優シャーロット・ランプリングや編集者のアナ・ウィンターといった多くのセレブが出演しています。いずれも個性豊かで強さのある12人の女性たちでしたが、彼女たちからインスピレーションを受けた部分はありましたか?監督彼女たちと話をしていると、驚かされることばかりでした。なかでも30~40年も前の撮影のことを事細かに話してくれたのには、本当にびっくりしましたね。ただ、インタビューしていくなかで感じたのは、どれだけ月日が経っても彼女たちはどこかヘルムートに恋しているようなところがあるんだなということ。シャーロットも初のヌード写真となったヘルムートとの撮影では、パワーをもらったと話していましたし、あの写真がなければ自分のキャリアはまったく違う方向に行っていただろう、と振り返っていましたから。彼のクリエイティビティに触れて考えてもらいたい―インタビューを続けるなかで、なぜ彼女たちがヘルムートから愛されたのかという理由も見えてきたのではないでしょうか?監督それもありましたね。彼女たちがヘルムートからあんなにも愛されたのは、知的で強気な態度の女性たちだからだと思います。男女関係なく、彼は退屈な人が嫌いだったので、彼女たちのようにつねにチャレンジをして楽しませてくれる人が好きでモデルにしたんだと理解しました。―そんなヘルムートさんにとって、妻のジューンさんがミューズだったと映画のなかで明かされていますが、監督にとってのミューズもしくは創作活動の源とは何ですか?監督ここはヘルムートと私がすごく似ているところなのですが、私も妻がクリエイティビティを刺激してくれる存在です。結婚して45年が経ちましたが、つねに愛情を注いで力をくれていますし、仕事も一緒にしているのでそういった環境づくりにも気遣ってくれていますから。毎日が前の日よりも楽しい、というとても素晴らしいパートナー関係を築けていると思います。―とても素敵なエピソードをありがとうございます。それでは最後に、日本の観客にメッセージをいただけますか?監督自分たちの文化や写真文化を大切にしている日本で公開できることはとても光栄ですし、みなさんにスクリーンで観ていただけることも非常にうれしく思っています。何と言っても日本は、杉本博司氏や荒木経惟氏、細江英公氏といった素晴らしい写真家を輩出している国ですからね。ぜひ、ヘルムートのクリエイティビティに触れていろいろと話し合ってほしいです。そして、それが若い人にとっていい刺激になってくれたらとも願っています。そして最後に、みなさんにはこれからも健康に気をつけて過ごしていってください、ということを伝えたいです。内に秘めた創作意欲を掻き立てられる!表現の自由や芸術のあり方について、改めて考えさせられる本作。コンプライアンスや周囲の評価にがんじがらめになりつつある現代に生きるからこそ、自分の表現を追求し続けたヘルムートの生きざまからエネルギーと刺激を存分に浴びてみては?取材、文・志村昌美刺激的な予告編はこちら!作品情報『ヘルムート・ニュートンと12人の女たち』12月11日(金)よりBunkamuraル・シネマ、新宿ピカデリーほか全国順次公開配給:彩プロArena, Miami, 1978 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton FoundationGero von Boehm (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton FoundationDavid Lynch and Isabelle Rossellini, Los Angeles, 1988 (c) Foto Helmut Newton, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton FoundationCharlotte Rampling (c) Pierre Nativel, LUPA FILMAnna Wintour (c) Pierre Nativel, LUPA FILMHelmut at home, Monte Carlo, 1987 (c) Foto Alice Springs, Helmut Newton Estate Courtesy Helmut Newton Foundation
2020年12月10日さまざまなイベントが中止や延期を余儀なくされた今年。そんななかでも、各主催者の尽力によってなんとか開催へとこぎつけているものもありますが、そのひとつが「フランス映画祭2020 横浜」。毎年6月が恒例ではあるものの、ようやく12月に開幕することとなり、映画ファンにとってはひと足早いクリスマスプレゼントとなりそうです。そこで、こちらの方々にお話をうかがってきました。女優イザベル・ユペールさん&ジャン=ポール・サロメ監督【映画、ときどき私】 vol. 347今回、貴重なお時間を割いてくださったのは、映画祭において本年度のフランス代表を務め、日本にも多くのファンを持つ大女優イザベル・ユペールさんと主演最新作『ゴッドマザー』でタッグを組んだジャン=ポール・サロメ監督。フランス映画界を代表するおふたりに、映画にしかできないことや日本への思いについて語っていただきました。―まずは、映画祭に関わるうえで楽しみにしていることはありますか?ユペールさん私が期待しているのは、日本にいる多くの観客がフランス映画と出会うこと。それに貢献し、映画や映画に対する愛を讃えているこの映画祭は、とても重要な存在だと思っています。私自身もフランス映画祭で何度か日本を訪れたことがありますが、毎回日本のみなさんの映画に対する熱狂的な思いを感じることができました。これは私にとって本当に大きなことなんですよ。―では、ご自身の作品が映画祭のオープニング作品として、遠く離れた日本で上映されるいまのお気持ちを監督からお聞かせください。監督フランス映画祭は、フランスの映画界にとっても大切な映画祭なので、そのオープニングで自分の作品が上映されることは、非常に誇らしいことです。ただ、今回横浜に行けないのは、とても残念なことですね。新作が日本でどのように受け入れられるのかを直接見たいと思っていましたから。ただ、作品が海外に出て、国外でも存在していることは重要だと感じています。―それはなぜでしょうか?監督たとえば、『ゴッドマザー』はコメディではありますが、いまのような難しい時期のなかでも、問題解決につながる何かをどこの国の観客にももたらすことができると思っているからです。そんなふうに、この映画の持っている感動が国境を越える瞬間を見たかった気持ちはありました。でも、心配はしていません。なぜなら、フランス以外の国でもヒットを記録しており、この映画の持っている普遍性はすでに証明されているからです。私にとって、自分の作った映画が海外で封切られることは夢のひとつでもありますが、この作品によってそれをまた実現することができました。女性が徐々に変わっていく様子に注目してほしい―ananwebでは今年の8月に公開された主演作『ポルトガル、夏の終わり』でも、ユペールさんにお話を聞かせていただきました。その際、役作りは内面よりも形から入るタイプとおっしゃっていましたが、この作品ではどのようなことを意識されていたのでしょうか?ユペールさん今回演じた役は、人目を引くようなところがあるとても魅力的なキャラクター。特に、ある重要な場面においては、お金持ちのアラブ人女性に変装もしているんです。そんなふうに、その過程ごとに彼女自身も徐々に変化していく様子を表さなければならなかったので、今回もすべての衣装に意味がありました。冒頭で着ていたセーターからだんだん変わっていく服のテイスト、そして内面的にも別の女性へと変わっていく様子は注目してほしいですね。―監督は、ユペールさんと一緒の現場を通して感じたことはありましたか?監督イザベルが素晴らしいのは、具体的なところを重視する点ですね。というのも、脚本を書いて、人物像がいったん決まってしまうと心理的な側面を気にしなくなってしまいがちなんですが、彼女はいつも一緒に何かを探してくれようとしていました。それによって、ときには脚本に書かれていることを超えた映像を作り出すことができたので、作品をよりよいものにするための建設的な会話をつねにできていたように感じています。彼女は映画作家にとって、とても刺激的な存在なんですよ。―おふたりにとって、非常に充実した現場だったんですね。監督そうですね。お互いに本質的なところに直行する性質を持ち合わせているので、映画の素材自体を大切にし、無駄なことに頭を悩ませることもありませんでしたから。私はそういったときに発揮される彼女のエネルギーが好きでしたが、彼女もまた同じような考えを持つ私のことを必要としてくれていると感じることができました。そういう意味でも、私とイザベルはとても気が合っていたと思います。もちろん撮影は仕事ですから、いつもずっとふざけ合っていたわけではありませんよ(笑)。でも、それくらい現場の雰囲気はとてもよかったです。重要なのは感動を人と分かち合うこと―現在、世界的にエンターテインメントが危機に見舞われています。こういう時期だからこそ改めて映画について考えたこともありましたか?ユペールさんロックダウンのときに気がついたのは、「私たちは映画やあらゆる形の芸術表現を必要としているんだ」ということでした。もちろんこれだけ難しい環境のなかにあって、人間の儚さを感じる状況でもありますが、私たちにとって空想力がいかに大切なことかということを再び感じることができたと思っています。映画を観たいとか、本を読みたいとか、音楽を聞きたいとか、そういったことは空気と同じくらい人間が生きていくために必要なものだと言えるでしょう。今回は特に映画についてお話しますが、映画は私たちにとって本質的で、重要で、生命にも関わるものだということを確認できたと考えています。―まさにおっしゃる通り、今回のことで多くの人がエンターテインメントの大切さに改めて気づかされたと思います。監督イザベルが言ったことに付け加えさせてもらうとすれば、感動をほかの人と分かち合うのがいかに重要かということも理解した時期になったのではないでしょうか。いまは家のテレビやインターネットで映画や演劇を観ることはできますが、それは映画館や劇場に行って観るのとは決して同じではありません。なぜなら、他の観客と感動を共有したり、交流したりすることが欠けているからです。そういったことができなくて寂しいという感情をすべての人が抱いたのではないかと思っています。いま人々は映画館の再開を待っているところなので、ロックダウンが明けたら多くの人が劇場に詰めかけることになるでしょうね。そして、それはきっと映画やさまざまな芸術の未来にとって安心できる要素になるものと感じています。芸術を危うくしているのは無関心な人たち―こういうときだからこそ映画に救われている人も多いと思いますが、いまの危機的状況のなかで支えになっているものは何ですか?ユペールさんここ数か月間、私はずいぶんと仕事をしてきましたので、恵まれた立場にいると思います。いまは自分がどれほど幸運だったのかということを痛感しているところで、そういう思いが支えと言えるかもしれません。ただ、フランスの演劇や映画、音楽、ダンスといったすべて芸術に対して心配しているところはあります。アメリカやほかの国に比べると、フランスの芸術は国家からの援助を受けることができているかもしれませんが、援助金は実際に必要とされているよりは少なく、対応が遅いところもありますから。ただ、それよりも芸術という存在を危うくしているのは、無関心な人がいることのほうが大きいかもしれません。―なるほど。そのなかで、監督も新たな気づきなどはありましたか?監督そうですね。世界中が同じ問題に直面しているので、いまは病気の人や脆弱な立場に置かれている人たちのことを考えずにはいられません。こういった状況は、経験したことがありませんから気づかされたことはいろいろありましたが、私もイザベル同様に映画という仕事に関われていることについて、とても恵まれていると感じています。ちなみに、『ゴッドマザー』は一度公開が延期になったあと、1回目のロックダウンと2回目のロックダウンの間に公開することができ、ヒットを記録しました。多くの観客が映画館に足を運んでくださったことによって、この映画が存在している証にもなったと思います。同時に、「映画を観たい!」という気持ちが人々のなかにあることもわかったので、これらのことから見ても、映画は人が生きるために必要であると証明してくれたのではないかと感じています。―それによって、ご自身の意識も変わりましたか?監督このことは映画という仕事を続けていくうえで、私にとってはとても刺激的で重要なエネルギーとなりました。未来は不確かではありますが、映画を必要であることを人々が意識してくれたので、これからも映画に関わり続けていきたいと思っています。ただ、社会的に大きな問題が起きて危機に陥っている事実を無視することはできないので、映画という“バブル”のなかに閉じこもることなく、時々は現実に立ち返ることもしていくべきだと感じているところです。日本には来るたびに驚嘆させられている―ユペールさんは以前から日本が大好きだとおっしゃってくださっていますが、ご自身にとって日本とはどのような存在かを教えてください。ユペールさん私だけではなく、フランス人の多くが日本に魅了されていると思いますよ。それくらい日本は魅力的な国ですし、私たちにとってはいろいろなことを発見してみたい国ですから。私は何度も来日していますし、過去には数週間の撮影で東京や京都、富士山などいたるところに行ったこともありますが、そのたびに日本の素晴らしさに驚嘆しています。とはいえ、暮らしたことがあるわけではないので、もしかしたら美しい側面しか見ていないのかもしれません。それでも日本には詩的なところがありますし、日本の映画や文学、ファッションなどがとても好きなのです。そんなふうに日本人は芸術的ビジョンを重視しているところがあるので、フランス人は惹かれるんでしょうね。あと私は日本の映画監督も大好きですが、まだ一度も日本人の監督の作品に出演したことがありません。これは私からのメッセージだと受け取ってもらっていいですよ(笑)。ちなみに、本当は今年の9月に日本公演を行うはずだった『ガラスの動物園』という演劇作品の上演を来年の9月に東京で行う予定なので、それを楽しみにしたいと思います。監督私も日本の魅力については、イザベルが言っていることすべてに同意しています。ただ、ひとつだけ追加するとしたら、日本料理も素晴らしいということですね。ユペールさんもちろん、私も大好きですよ!インタビューを終えてみて……。現在、フランスも厳しい状況にあるにもかかわらず、オンライン取材を受けてくださったユペールさんとサロメ監督。画面越しでもさすがのオーラと映画に対する熱い思いはひしひしと伝わってきました。ユペールさんは前回の取材終わりにも「これからお寿司を食べに行くの」とおっしゃっていましたが、今回も日本のことについて本当に楽しそうに話してくださっていたので、その姿にはこちらまでうれしくなってしまうほど。一日でも早く、おふたりが安心して来日できる世界になってほしいと願うばかりです。日本にいながらフランスを近くに感じられる!痛快な社会派コメディ『ゴッドマザー』をはじめ、話題のフランス映画が一気に10本も堪能できる「フランス映画祭2020 横浜」。フランス気分が味わえるだけでなく、今回はドライブインシアターを同時開催するなど、幅広い楽しみ方ができること間違いなしです。ぜひ、足を運んでみては?取材、文・志村昌美ストーリーアラビア語の通訳として警察で働いているパシャンス。ある事件を捜査している最中に、警察が追うドラッグディーラーのひとりが、自分の母親を世話してくれている看護師の息子だと気がついてしまう。彼を助けることを決意したパシャンスだったが、それをきっかけに、彼女は驚くべき行動へと出るのだった……。いますぐ行きたくなる予告編はこちら!作品情報「フランス映画祭2020 横浜」会期:12月10日(木)~12月13日(日)場所:横浜みなとみらい21地区、イオンシネマみなとみらいほか©Unifrance©Philippe Quaisse/UniFrance©Guy Ferrandis
2020年12月09日志村けんさん(享年70)が新型コロナウィルスによる肺炎のため、今年3月29日に亡くなってから8カ月が経つ。だが、所属事務所・イザワオフィスのHPのトップページでは、いまも生前と同じ「事務所の顔」として写真やプロフィールなどが掲載され続けている。さらにDVD発売などの情報は、NEWのマークをつけていまも更新が続く。「所属タレントが亡くなった場合、ほとんどの場合はひっそりとHPからなくしていくケースがほとんどです。なかにはファンの気持ちを思い、残すケースもありますが、“事務所の顔”であり続けることはめずらしいでしょうね」(芸能関係者)実は志村さんだけではなく、2004年に急逝した、いかりや長介さん(享年72)もイザワオフィスのHPでは“健在”だ。メンバー2人が他界してもなお、ドリフターズのメンバー全員が同社HPのトップにはずらりと並んでいるのだ。いしだあゆみ(72)、麻生祐未(57)、小泉孝太郎(42)など、一線級で活躍する所属タレントがいるにも関わらず、いまだ志村さんやいかりやさんを“顔”として掲げ、いまもなお新着情報を更新し続けているのはなぜなのかーーイザワオフィスに聞いてみた。「いまも志村の名前を冠にした番組は続いていますし、DVDやグッズの販売も続くので、HPを変える理由がありません。新着情報は今後も更新していく予定です」確かに「志村友達」のように名前を冠した番組は続いている。今後、新たなDVD発売も予定されている。加えて“志村さんのみならず、ザ・ドリフターズはいまも事務所にとって大切なグループ”とイザワオフィスは言う。「ドリフターズは41年前の事務所の設立時からの所属で、看板として貢献してくれた、感謝すべき存在です。そしてグループとして解散したわけでもない。今でもそのコントは映像で流れています。われわれとしては“ドリフターズはまだ活動中”と考えています」「8時だョ!全員集合」の番組終了から35年。いかりやさんと志村さんが天国に旅立った後も、ドリフターズはイザワオフィスの看板タレントなのだ。
2020年12月05日1日のなかでも幸せな時間といえば、「大好きなスイーツを堪能しているとき!」という人も多いのではないでしょうか?そこで今回オススメする映画は、世界中のお菓子に触れることができるスイーツ好き必見の注目作です。それは……。イギリスから届いた『ノッティングヒルの洋菓子店』【映画、ときどき私】 vol. 346ロンドンのノッティングヒルで、長年の夢だったお店をオープンしようとしていた人気パティシエのサラと親友のイザベラ。ところが、開店直前にサラが事故で急死してしまう。そんななか、夢を諦められないイザベラとサラの娘クラリッサは、絶縁していたサラの母ミミを巻き込むことを画策する。何とか開店を目指して走り出したものの、パティシエは不在のままだった。そんな3人の前に現れたのは、ミシュラン二つ星のレストランで活躍しているスターシェフのマシュー。彼はあることを償うためにパティシエに応募してきたのだった。それぞれの想いを抱えた4人で、無事にサラの夢を叶えることができるのか……。次々と登場する絶品スイーツだけでなく、人生のさまざまな分岐点を経験する女性たちの物語を描いた本作。こちらの方に、さらなる見どころを教えていただきました。エリザ・シュローダー監督この作品で、念願の初長編監督デビュー作をはたしたシュローダー監督。現在は、母国のドイツを離れて映画の舞台であるノッティングヒルに11年暮らしているそうです。そこで、お菓子作りが趣味でもある監督に、スイーツの魅力や日本の観客に伝えたい思いについて語っていただきました。―メインキャラクターとなるのは、人生のスタート地点に立ったばかりのクラリッサ、夢と現実の間で揺れるアラフォーのイザベラ、そして孤独を抱える高齢のミミという三世代の女性たち。彼女たちを描くうえで、意識したことはありましたか?監督私にとって重要だったのは、幅広い観客にアピールできるキャラクターにすること。特に女性には、3人のうち少なくとも1人にはどんな形でも共感してほしいと考えました。ただし、それに年齢は関係ありません。若い人がミミの頑固さに惹かれる場合もあれば、年齢の高い方がクラリッサに思いを寄せる場合もあるはずですから。彼女たちは三者三様で、それぞれ人生の違うステージに立っているので、観ている方々がそのなかの誰か1人、もしくはそれ以上と繋がってもらえたらいいなと思って作りました。―監督自身が繋がりを感じているキャラクターはいますか?監督年齢的にはイザベラになるんだと思いますが、一番共感したのはミミかもしれないです。というのも、私も彼女と同じでけっこう複雑なところがある性格なんですよ(笑)。でも、正直に言うと、すべてのキャラクターそれぞれに繋がりを感じています。多様性のある場所にインスピレーションをもらっている―ロンドンといえば、さまざまな人種や文化がミックスされた街だと思いますが、そのなかで暮らす監督が多様性の素晴らしさを感じるような経験があれば教えてください。監督劇中に出てくる『ラブ・サラ』というお店の場所は、本作に協力してくれたロンドンでも大人気のデリ『オットレンギ』の近くにあるゴールボーン・ロード。ノッティングヒルのなかでも一番多様性のあるエリアなので、映画にリアルさを持たせるためにもここで撮ることにはこだわりました。本当にいろいろな国から人が集まっていますが、富裕層もそうではない層もみんながうまく一緒に生活をしているとても美しい場所なんですよ。実際、私もつねに違う文化に触れ、新しい発見がある毎日を過ごしています。たとえば、いつも『オットレンギ』でコーヒーやケーキを買うので、スタッフのみなさんとも親しくなりましたが、どこの国の人でもどんな背景を持っていようとも、誰にでもフレンドリーでオープンに接してくれるんです。これは、私の国ドイツではあまりないことなんですよね。多国籍でクリエイティブな人も多いので、いつもたくさんのインスピレーションをもらっています。―映画に登場するさまざまなスイーツについてもおうかがいしますが、日本の抹茶ミルクレープがある大きな役割をはたしています。その理由について教えていただけますか?監督今回はフードスタイリストと相談しながら劇中で使う各国のお菓子を決めていきましたが、デリケートでエレガントさのある特別なお菓子を探していたときに、彼女が提案してくれたんです。日本のものづくりはとても繊細で洗練されているので、そういったところを象徴しているケーキでもあると感じて選びました。抹茶ミルクレープはこの作品を通して初めて知りましたが、いまではすっかりスペシャリストになってしまったほど。街で一番おいしい抹茶ミルクレープを探し求めているところで、あちこちで食べ比べています(笑)。もし、仕事仲間とか感心させたい相手がいたら、間違いなく抹茶ミルクレープを食べさせますね。お菓子を扱うことでいろいろな文化にも触れられた―そう言っていただけると、日本人としてはうれしくなります。では、魅力的な世界中のお菓子が数多く並ぶなかでも、監督のオススメは何ですか?監督うーん、それは大きな質問ですね。間違いなく抹茶ミルクレープもトップのなかに入っていますが、私は「黒い森のサクランボケーキ」を意味するドイツのシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテが好きなんです。チョコレートケーキの一種で、けっこうヘビーなんですけど、たまにそういうものが食べたくなっちゃうんですよね。あとは、『オットレンギ』のペルシャ風ラブケーキという少しスパイスが効いているケーキも大好きです。―そのほかに、食べ物に関する忘れられない思い出などはありますか?監督私は小さいころから家族みんなで一緒にお菓子作りをよくする家だったので、食べ物によって自分の故郷や子ども時代を思い出すことはありますね。先ほども挙げたシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテは、私の姉が作るのがすごく上手で、私はいまだに彼女ほどおいしく作ることができません。でも、一緒に作ったという経験が私にとっては、いまでも家庭的な気持ちにさせてくれるものにはなっています。それから、この作品を作っていてよかったと思ったことのひとつは、いろいろな国のお菓子を扱うことによって、さまざまな文化に触れられること。それは、本当に素敵なことでしたね。喪失と一緒に生きていくことも大切―また、本作では大切な人を失った人たちの姿も映し出されています。監督自身、数年前にお母さまを亡くしたことをきっかけに、「死というテーマを尊厳ある方法で描きたい」と思われていたそうですね。大切な人を突然亡くしたときの喪失感とどう向き合うべきか悩んでいる人に監督が声をかけるとすれば、どんな言葉になりますか?監督誰かを亡くして、悲しみと向き合うということには終わりがないので、長いプロセスだと思います。私自身も母が亡くなった前と後では、人生における時間の流れが分かれてしまいましたから。そのなかで、相手の死を悼んだり、悲しんだりしてもいいんだということ、そして自分を許したり、何かを感じたりすることも必要だと感じています。私と同じように母を亡くした男性から、「喪失感から少しずつ自分を癒していくなかで、楽になることがなかったとしても、どうやってそれと向き合って行けばいいかは徐々に学ぶことができるから」と言われたことがありました。私にとっては、その言葉が一番支えとなっています。つまり、喪失と向き合うだけでなく、一緒に生きていく、ということですよね。―そうですね。監督のその言葉に、救われる人もいると思います。監督誰かを悼む気持ちが消えることはないので、そう思いながら先を見据えることはつらいかもしれませんが、この映画を観た方々には、希望も感じてほしいと思っています。大切な人が自分を誇らしく思ってくれるような何かをしたり、前に向かって行くことも必要なんだと、あるいは進んでいくべきなんだと感じてもらえたらうれしいです。いまに見合った作品を作り続けたい―とても大切なことだと思います。それでは最後に、仕事をするうえで貫いていきたいことがあれば教えてください。監督女性監督が前よりも増えてきたとはいえ、いまでも決して簡単なことではありません。特に今回はイギリスで作ったこともあり、私は自分が英国人ではないという意味での挑戦もありました。ただ、この作品の現場には世界中から集まった人々が参加してくれていて、本当に多種多様な肌の色、文化、言葉、考え方などがそこにあったので、自分だけが外国人だと思うことはありませんでした。いろんな国籍の方がいたおかげで、たくさんの色彩を持った作品にもなったと思います。そんなふうに私たちが生きている社会というのは、すごく多国籍なので、これからもそういった多様性は大事にしていきたいなと。いまに見合った作品を多様な人たちと、これからも作品を作っていきたいです。五感を刺激する美味しいひととき!思わず喉が鳴ってしまうような極上スイーツの数々に目を満足させられるだけでなく、喪失から希望を見出す大切さや家族の絆、そして恋愛の楽しさまで、心も刺激されるはず。人生の甘さも苦さも詰まった本作をじっくりと堪能してみては?取材、文・志村昌美心が弾む予告編はこちら!作品情報『ノッティングヒルの洋菓子店』12月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開配給:アルバトロス・フィルム© FEMME FILMS 2019
2020年12月03日芸術の秋がどんどんと深まるなか、まもなく公開を迎えるのは、100年以上も世界中で愛されている傑作戯曲の誕生秘話をもとに描いた注目作。ご紹介するのは、演劇ファンにも映画ファンにも、見どころ満載のオススメ映画です。それは……。『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』【映画、ときどき私】 vol. 3411897年、パリ。若き劇作家エドモンは、2年もの間スランプに苦しんでいた。そんななか、名優のコクランから“訳アリの企画”を引き受けることとなる。しかし、初日まで3週間しかないのに、原稿は真っ白。呆然としていたエドモンだったが、ヒントを得て、実在した剣術家で作家のシラノ・ド・ベルジュラックを主人公にすることを思いつく。そんなとき、親友で若手俳優のレオから頼まれたのは、恋する女性ジャンヌへのラブレターの代筆。最初は渋々書いていたが、ジャンヌとの文通によって創作意欲をかきたてられていくことに。さまざまな危機に見舞われるなか、エドモンは無事に初日を迎えることができるのか……。『シラノ・ド・ベルジュラック』といえば、世界中でもっとも愛されている舞台劇のひとつと言われており、日本でも数多くの有名劇団が公演を行ってきた不朽の名作。そこで、こちらの方にお話をうかがってきました。アレクシス・ミシャリク監督今回、監督・原案・脚本を務めたミシャリク監督。2016年には、本作の舞台版でフランス演劇界最高の賞とされるモリエール賞で5部門を受賞し、高く評価されています。今回は、自らメガホンを取って映画化に挑んだ経緯や自身の経験などについて語っていただきました。―本作は、監督が15年間温めていたプロジェクトを映画化した作品ということですが、いきさつから教えてください。監督1998年に制作された映画『恋におちたシェイクスピア』を観たとき、フランス人を主人公に傑作が生まれる様子を描いた物語を作りたいと考え始めたのがきっかけです。この映画はハリウッドで大成功を収めていたことも、いいものになるだろうという確信を僕に与えてくれました。その後、『シラノ・ド・ベルジュラック』の誕生秘話を知り、作品の具体的なアイディアを思いついたのは20歳の頃。でも、当時はそんな若造に大きな製作費がかかる作品を任せてくれる人なんていませんでした。―ちなみに、名作が誕生するまでの裏側を調べるなかで、驚かされたことなどもありましたか?監督そのときに僕が知ったのは、作者であるエドモン・ロスタンは作品を書いたときは29歳という若さであったこと、『シラノ・ド・ベルジュラック』以前は失敗作ばかりを書いていたこと、そしてこの作品も絶対に失敗すると言われていたのに、実際は大成功を収めたこと、という3つの事実。それをどう発展させるかは、頭を悩まされたところでしたね。―そこからどのようにして、作品を完成させていったのでしょうか?監督ある日、フランスで有名なプロデューサーに相談してみたところ「監督はほかの人に任せるけど、まずはきみが脚本を書いてみなさい」と提案されたんです。ところが、オファーを出した1人目の監督にも、2人目の監督にも、3人目の監督にも「ノー」と言われてしまって(笑)。そこで、長編映画は作ったことがありませんでしたが、自分で監督したほうがいいんじゃないか、と思うに至りました。欲望のないクリエイションはあり得ない―とはいえ、すぐに映画の制作に取り掛かれたのでしょうか?監督いえ、できませんでした。というのも、「この映画のプロジェクトはお金がかかりすぎる」とか「演劇モノの映画は当たらない」とかいろいろと言われてしまって、資金集めは非常に難航しましたから……。ただ、当時の僕は演劇界では演出家としてある程度知られた存在になっていたので、まずは演劇としてやってみようと。そこで、舞台用に脚色し直して上演したところそれが大成功し、1000回以上公演を行うほどのロングランとなりました。そしたら、いままで「ノー」と言っていた人たちがみんな手のひらを返したように「映画でもやりましょう!」と言い出すようになったんです(笑)。―そのときは、いままで反対していた人たちを見返すことができた喜びもあったのでは?監督意外と「映画が実現することがうれしい!」という気持ちのほうが大きかったですね。それは、周りから絶対にうまくいかないと言われ続けながらも、自分だけはうまくいくと信じていた劇中のエドモンに同じだったと思います。―「執筆や作曲をする男を駆り立てるのは願望だ」というセリフがありましたが、創作活動において監督を駆り立てるものは何ですか?監督僕も欲望のないクリエイションはあり得ないと思っています。その欲望には、「何かがほしい」とか「何かを証明したい」とか「愛のため」とか種類はいろいろあるかもしれません。ただ言えるのは、創作をするうえで願望がないというのは、僕にとっては考えられないことですね。―監督にも、エドモンのように恋愛感情がモチベーションになった経験はありますか?監督僕は創作にミューズが必要なタイプではないので、愛しい人がいて、それが作品になったというような経験はありません(笑)。ただ、実人生で起きた要素が作品に影響してくることはありますよ。たとえば、僕が最近書いたラブストーリーの戯曲では、失恋について描いていますが、僕が経験した出来事をそのまま語るのではなく、そこで味わった感情を使いながら、言葉というフィルターを通して作り上げました。僕の場合は、そうやって別の形として作品に表現することが多いですね。自分自身を投影しているところは多くある―なるほど。では、この作品ではそういった監督自身の感情や経験は、どのように反映されていますか?監督今回もいくつかフィクションの要素を入れていますが、そのなかでエドモンが脚本を短期間で書かなければいけない状況に陥るのは、僕の過去の経験。ちょうどエドモンが『シラノ・ド・ベルジュラック』を書いた29歳と同年齢だった頃、「1か月以内に演劇を1本書けば、近々行われる演劇祭で上演できるよ」と言われて、大急ぎで脚本を書いたということがあったんです。実際のエドモンは6か月ほどかけて書いたそうですが、急いでいる状況が映画にリズムを与えると思い、設定に変更しました。あと、このアイディアを思いついた頃、僕はまだ演出家や作家ではなく、役者をしていたので、最初は若い俳優のレオのほうに感情移入していたところもありましたね。その後、いまの仕事をするようになってからは、エドモンに自分を投影しているところが多くなったかもしれません。劇中で、彼はどこでもハーブティーを飲んでいますが、あれも僕自身のこと。あとはシャイなところも似ていますね(笑)。―では、ストーリーを構築するうえで意識したのは、どのようなことですか?監督実際のシラノ・ド・ベルジュラックはエドモンが書いた戯曲通りの人生を送ったわけではなく、あくまでも、エドモンがシラノにオマージュを捧げて書いたものだったので、僕もエドモンがシラノにしたのと同じオマージュをエドモンに捧げたいと思うようになりました。それから、僕がフィクションとして入れたのは、エドモンとレオとジャンヌの三角関係。これは『シラノ・ド・ベルジュラック』のなかで描かれているシラノとクリスチャンとロクサーヌの三角関係からインスパイアされています。そんなふうに、この作品では現実とフィクションの要素をミックスして完成させました。恵まれた環境のおかげで創作に集中できている―エドモンにはかなりシンパシーを感じていらっしゃったと思いますが、彼が味わったような創作活動におけるスランプも経験したことがありますか?監督幸いなことに、僕はああいったスランプに陥ったことはないんです。僕は俳優で、脚本家で、映画監督で、舞台演出家というように、いくつもの職業をかけ持ちしているので、そのおかげかもしれませんね。そんなふうに、いろんな職業を次々と回していくとああいったスランプは体験しないものなんですよ。まあ、そのうち体験するかもしれないですが……。―創作意欲がどんどんと湧いてくる秘訣は?監督特別なことをしているわけではありませんが、ずっと夢に見ていた職業につけているということと、フランスの芸術に対するシステムがとてもいいというのも大きいかもしれません。僕は18歳で舞台俳優になりましたが、フランスではある一定期間舞台に出演すると、ほかの職業をかけ持ちしなくてもきちんと暮らしていけるほど、芸術家に対する手当が非常に充実しています。おそらく日本やほかの国では、若い俳優たちはほかの仕事をしながら生活をしている人が多いと思いますが、それに比べるとフランスは演劇人が生きやすい環境だと言えますね。そういった恵まれた環境のおかげで、創作活動に集中できているんだと思います。―それは素晴らしいシステムですね。ただ、いまはコロナ禍でフランスのエンタメ業界も影響を受けていると思いますが、現状について教えていただけますか?監督当然のことながら、フランスのエンタメ業界もほかの国と同じように難しい状況に置かれています。特に、いまは21時以降の夜間外出が禁止されていることもあり、20時頃から始まるのが普通だった演劇の公演は大きな打撃を受けました。ただ、フランスでは幸いにも劇場の営業が許可されているので、開始時間を繰り上げたり、観客同士のスペースを空けたり、マスクをきちんとしたり、といったさまざまな対策を講じているところです。演劇のみならず、映画館なども厳しい状況ではありますが、なんとかみんなでがんばって続けています。(2020年10月21日取材)エドモンのように、夢を信じて生きてほしい―そういう困難な状況だからこそ、新たに自分で発見したとか創作活動に影響を与えているところはありますか?監督アーティスト仲間ともその話をしたことがあるんですが、「この特殊な状況がインスピレーションになることはないよね」という結論にみんなで達しました。なので、僕はいまのところこの経験によって新鮮なアイディアが浮かんだということはありません。その理由としては、おそらくまだこの騒動の真っ最中にいて、不安のほうが大きいからではないかなと。つまり、まだ“過去”になっていないので、そこで感じていたことを語れないんだと思います。この出来事に対して、ある程度距離を持って分析できるようになったら、何か見つかるかもしれませんね。新しいアイディアが見つかるときというのは、空間的にも精神的にもスペースがあって、きちんとした空気が流れている必要があると思いますが、いまは逆に閉塞感のなかにいるような感覚なので難しいですね。―それでは最後に、観客へ向けてひと言お願いします。監督自分の作品のなかにすべての思いを込めているので、物語自身がメッセージになっていますが、あえて言葉にして言うのなら、「みなさんも自分の夢や自らの創作する力を信じましょう!」ということでしょうか。おそらくこの映画でエドモンの生き方を見ていただければ、言葉にはできないメッセージもすべて伝わると思うので、ぜひ映画をご覧ください。傑作の誕生秘話がいよいよ幕を開ける!先が見えない不安のなかでも、諦めることなく、自らを信じ続けて“奇跡”を手に入れた作家エドモン。思い通りにいかないことも多い生活を強いられているいまこそ、一発逆転エンターテインメントで、最高に痛快な気分を味わってみては?取材、文・志村昌美悲喜こもごもの予告編はこちら!作品情報『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』11月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー配給:キノフィルムズ/東京テアトル©2019 HE LI CHEN GUANG INTERNATIONAL CULTURE MEDIA CO.,LTD.,GREEN RAY FILMS(SHANGHAI)CO.,LTD.,
2020年11月11日