出産前、赤ちゃんはおっぱいを口に入れてあげれば勝手に飲んでくれると思っていた私。でも長男が誕生し、実際に授乳をしてみると全然うまくいきませんでした。そもそも乳首をタイミングよく口に入れるのが難しく、口に入ったとしても場所や角度が合わなくて、ちゃんと吸ってもらえませんでした。そんな私と長男が、授乳に慣れるまでのお話です。口に入れるのが難しい私が出産した産婦人科では、産後2日間は母子別室でした。3時間おきに新生児室の隣にある授乳スペースに行き、助産師さんに教えてもらいながら授乳します。長男が口を開けて乳首を探すそぶりをしたタイミングで、乳首を口に入れなければいけないのですが、まずこれが難しい。 舌の上に乳首が乗るようにしないとうまく吸えないようなので、助産師さんにタイミングを教えてもらいながら、「はい、入れて!」と言われた瞬間に入れるという練習を繰り返しました。 フットボール抱きで手ごたえを感じる口に入っても乳首の入れ方が浅かったり、角度が悪かったりするとちゃんと吸えません。授乳の前後で長男の体重を測ってどのくらい飲めたか確認するのですが、何分も吸わせたのに、体重が増えずがっかりすることばかりでした。一方、哺乳びんではちゃんと飲めていたので、私の授乳が下手なせいだと思うとつらかったです。 生まれてから3日後、助産師さんから「この乳首の形なら、フットボール抱きがいいかも」とアドバイスをいただきました。赤ちゃんの体を授乳しているおっぱい側の脇に抱える抱き方です。試してみるとぐんぐん吸われている感覚がありました。 授乳がどんどんラクに実際、授乳後に体重を測ると5gほど増えていて、涙が出るほどうれしかったです。退院の日の授乳では、10gくらい飲めるようになっていました。退院後もフットボール抱きをしていましたが、退院から1週間後くらいに一般的な横抱きを試すと、そちらでも飲めるようになっていました。 日々の授乳で、私の乳首の形が変わったり、長男の口の筋肉が発達したりしたのかなと思います。成長につれて長男の首や腰がしっかりしてくると、自分で顔をおっぱいに近づけて勝手に飲めるようになり、どんどん授乳がラクになりました。 初めての授乳は本当に大変で、入院中「授乳できない自分に子育てができるのか」と不安で涙が止まらなくなったこともありました。でもフットボール抱きのおかげで、授乳が楽しくなりました。教えてくれた助産師さんには本当に感謝しています。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:土田えり子著2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2022年07月14日切迫早産で入院していたわこさん。無事、退院となり、実家で過ごしていました。しかし、妊娠39週のある日、突然激しい腰の痛み、過呼吸、発熱などの症状が出て、救急車で病院へ。すると、わこさんは腎臓に炎症を起こしていることがわかりました。また、わこさんの血圧は低く、赤ちゃんの心拍が下がっていたため、急きょ、帝王切開をすることに。里帰り先のわこさんのお父さんが付き添いで来てくれました。自宅で過ごし、状況を知ったわこさんの旦那さんは、いてもたってもいられません。そんなとき、お義父さんから旦那さんに1本の電話が! 病院の先生から説明をしてくれるというのです。お義父さんの憔悴ぶりに、旦那さんは最悪の事態を考えてしまいました。 もしかして… 赤ちゃんの心拍が下がっていることや、急きょ、帝王切開をすることになったと知らされて、いてもたってもいられない旦那さん。病院の先生からの電話によると、わこさんは麻酔で眠っていてICUで経過を見ている、赤ちゃんは呼吸がなかったので挿管してNICUがある病院に搬送したとのこと。 憔悴しきったお義父さんの声から、わこさんか赤ちゃんのどちらかに、最悪の事態が起きたことをよぎらせていた旦那さんは、2人が生きていると知り、安堵しました。そして目には大粒の涙が……。 帝王切開が終わり、目が覚めたわこさん。麻酔の影響でぼーっとしつつも、真っ先に聞いたのは赤ちゃんのことでした。 しかし看護師さんに、 「んー、えーっと……。この後、先生がいらっしゃるからその時に詳しく説明聞いてくださいね」 と濁されてしまいます。 わこさんはすんなり教えてもらえないことに、不安になってしまうのでした。 ◇◇◇ わこさんの旦那さんは距離的にも駆けつけることは難しかったようですが、コロナ禍で、立ち会いや面会が制限されている病院は多いようです。わこさんと赤ちゃんが生きていると知った旦那さんの目には涙があふれました。当事者のわこさんはもちろん、旦那さんも、それぞれの立場で不安と闘っていたのですね。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年07月13日ベビーカレンダーは、新型コロナウイルス感染拡大の影響により各地で立ち会い出産や面会が制限されているなか、これから出産を迎える方の心の準備としてご覧いただくための出産ドキュメンタリー動画を7月8日(金)に公開しました。 「全く痛くないお産」を目指す「完全計画無痛分娩」での出産に密着!7月8日(金)、ベビーカレンダーは公式YouTubeチャンネルにて、29歳ママの計画無痛分娩での出産に密着したドキュメンタリー動画を公開しました。新型コロナウイルス感染の影響から、現在でも感染予防の観点から面会や立ち会い出産を制限する産院が多くあります。今回は、厳しい感染対策を実施し、家族(パパ、子ども)のみ立ち会いを可能としているレディースクリニックで、パパに見守られながら小さな命が生まれた瞬間を動画におさめました。尊い命が生まれる瞬間を共有することで、これから出産を迎える方や赤ちゃんを産みたいと思っている方の励みになれば幸いです。 今回、「全く痛くないお産」として独自の「完全計画無痛分娩」をおこなう東京都北区王子「スワンレディースクリニック」協力のもと、新型コロナウイルス感染症対策を講じたうえで、1人のママの出産の様子を撮影させていただきました。コロナ禍での妊娠、初めての出産への恐怖心など、さまざまな思いを抱えて挑んだママの出産当日。ずっと近くで寄り添い続けたパパに見守られながら、小さな命が生まれた奇跡のような瞬間をぜひご覧ください。 ▲出産前日、ママの背中にカテーテルを入れるための局所麻酔をおこないます ▲陣痛の痛みがない状態でパパがママの頭を支えて上体をサポート。助産師さんたちの掛け声とともにいきみます 今回密着したのは、「近くに頼れる人がいなかった」「産後の回復が早いと思った」という理由から無痛分娩を選択したご夫婦。「パパに立ち会ってもらいたい」という願いを叶えられることも大きかったと言います。「職場で周りの理解も得やすく、急に生まれるかも……という不安もなかったので、精神的にも安心でした」というパパ。そしてママも、パパがつねに近くにいてくれて「一緒に出産をしている」と思うことができ、最後まで頑張れたと言います。無事にお子さんが生まれた喜びを噛みしめながら、お互いを思い合い、感謝の気持ちを伝え合う姿がありました。 ▲生まれたばかりの愛娘を初めて抱っこするパパ。「こんにちは、お父さんよ」 ▲ずっと寄り添ってくれたパパ。お互いに自然と「ありがとう」の言葉があふれます <東京都 北区王子 スワンレディースクリニック 岩本院長>無痛分娩とは陣痛(陣痛の痛みやストレス)を麻酔の力を使って取り除くことによって、落ち着いてお産に臨んでいただくというのが目的の出産方法です。陣痛が来てから麻酔をして痛みを取り除く方法と、前もって入院・出産をする日を決めて陣痛を計画的に起こし、麻酔を投与する「計画無痛分娩」の2通りがあり、当院では「計画無痛分娩」にてご出産いただいております。今回のお産は、出産前日の入院時の内診初見では子宮口が硬く、比較的お産に時間がかかりましたが、母児ともに元気でご出産されました。ご本人のいきみがじょうずだったので、子宮口が全開になってからはスムーズにお産が進みました。生まれてきた赤ちゃんもとても元気で、本当に安心しました。赤ちゃんの頭が細長くなって生まれてきたのは、赤ちゃんがお母さんの産道に合わせて自分の頭の形をうまく通れるように調整して出てきてくれたからです。お産は本当に赤ちゃんとお母さんの協力作業で、本当に神秘的なものだなといつも感じています。 <ベビーカレンダー編集長 二階堂美和>出産はいつの時代も命がけです。産後のママの体は大きなダメージを負っています。本調子に戻らないうちに慣れない育児に向き合うことで、心も体もまいってしまうケースも少なくありません。コロナ禍で人に気軽に会うこともままならなくなった昨今、その傾向は進んでいるように感じています。そんなコロナ禍の出産で今回のご夫婦が選択したのは全く痛くないお産を目指した「完全無痛分娩」。産後、ママひとりでの育児になるため、少しでも体力を温存できるよう、回復が早いお産を望んだことも理由の一つだそう。コロナ禍で妊娠・出産を躊躇している方にとって今回の分娩方法が新しい選択肢の一つになり、希望に繋がったら……と考え、出産の一部始終に密着させていただきました。Withコロナ時代の新しい出産のカタチをご覧ください。そしてどんな状況でも人は強く、命の誕生は素晴らしいものであることを感じてもらえたら幸いです。 コロナ禍での不安な妊娠生活、初めての出産への恐怖心。いろいろな思いを抱えながらの出産でしたが、きっと同じような気持ちを抱えている方も多くいらっしゃるでしょう。そんな方たちがこの動画をきっかけに、少しでも前向きな気持ちになり、赤ちゃんが生まれることの幸せをいっぱいに感じられますように。
2022年07月13日私は1人目の子を3,900g、2人目は4,030gで出産しました。2人とも概ね妊娠34週前後から成長曲線の一番上か、もしくは抜きん出たようなグラフになっており、出産に恐怖を感じていました。特に1人目に関しては出産準備から、すべて何もかもが初めての経験ということもあり不安が募るばかり。ここでは、2人ともビッグベビーと言われていた私が、出産に対する不安を拭うため妊娠中にどのようなことを心がけたのかお伝えします。※コロナ禍前の体験談です ネットのネガティブな情報に振り回され過ぎない私が特に大切にしていたことは、インターネットの情報に踊らされすぎないことです。もちろん、さまざまな情報を瞬時に収集できる点においては、大いに助かっている側面もあり、この時代に生まれたことをとても感謝しています。しかし、このメリットはデメリットと表裏一体で、あまりにも情報が多いことや、誰が書いたかよくわからない記事に踊らされて不安を煽られるような側面もあったのも事実。 特に私はビッグベビーだと事前に予測されていたので、「ビッグベビーは難産になりやすい」などといった不確かな情報で心を乱される時期がありました。したがって特に正期産の時期に入ってからは、難産の情報を集めるより、いかに安産で生まれてきたか、というポジティブな情報しか収集しないようにしていました。これによってネガティブにならずにお産を迎えることができたのでよかったと感じています。 外部とのネットワークを大切にする私はさまざまな事情があって、1人目・2人目ともに里帰り出産せず近所の産婦人科で出産し、そのまま自宅で赤ちゃんと過ごすことを選びました。また、実親や義親が遠方に住んでいた経緯もあって、親戚類はほぼ頼れない状況。環境的に孤独になりやすいことも心配でした。 私は書籍やWebメディアの情報から「育児は孤独にならないほうが良さそうだ」ということを学んでいましたので、出産前から市のプレママ教室に通ったり、産婦人科が主催のヨガ教室に通っていました。 そのなかで、すでにお産を経験している先輩ママもたくさんいて「私も1人目はビッグベビーだったよ」など貴重な体験談を聞くことができ、「私だけじゃないのだ」と感じて勇気をもらえたことがよかったです。そのおかげで、各教室のママたちと出会えて、そのままスムーズにママ友になれたのもラッキーでした。 自治体の情報をあらかじめ収集しておく産後は親戚に手伝いを頼めなさそうな状況でしたが、ワンオペ育児は避けたいと考えていました。また、ビッグベビーを出産予定だったので「お産がより困難になり、産後の肥立ちも回復までに時間がかかるのでは?」と予測し、できるだけ外部の業者・行政に育児や家事を頼ろうと決めたのです。しかし、民間のベビーシッターへの依頼はとても割高になりそうなので、産後のママをサポートする自治体のシッター・家事代行事業の情報収集をすることに。また、赤ちゃんと自宅でずっと2人きりということも自分の性格上キツいなと感じ、せめて子ども同伴でもリフレッシュできるように「子連れOK」の美容室や整体院なども事前に調べておきました。 お産の前に情報収集したことで、産後に慌てることなく美容院や整体院に通うことができ、精神的な安定を保てました。 大きめの赤ちゃんが生まれるということで精神的な負担や動揺があったので、出産前に、情報を集める際は不確かな内容やネガティブな記事はあえて目に入れないようにしました。SNSなどをまったく見ないようにしたことで、結果的に産後、落ち着いた気持ちで育児ができたことにつながっていると思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:黒井夢乃二女の母。歯科衛生士資格あり。二女出産前まで歯科医院にて勤務。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年07月12日現在5歳になる第1子を妊娠しているとき、夫の転勤で遠方に引っ越しをしました。初めての出産、育児で不安だらけ。土地勘もなく知り合いもいない場所で、頼れるのは夫だけ。その夫も海外出張などでいないことが多く、孤独を感じていました。妊娠中の引っ越しで苦労したこと、どのように乗り越えていったかをお伝えします。現在妊娠・出産・子育てをする多くのママたちが直面している「孤育て(孤独な子育て)」。ベビーカレンダーでは、新型コロナウイルス流行により人と関わることができず、各家庭だけで子どもと向き合う子育てを強いられ、閉塞感や孤独感を抱えながら子育てをしている、今の子育ての実態を特集でご紹介します。 妊娠中の引っ越しで経験した孤独感わが家は夫の転勤のため、第1子妊娠8カ月のときに遠方へ引っ越しました。そのころはおなかもかなり大きく、体を動かすのが精一杯。新しい土地のこともよくわからないため、きちんと子育てできるのか不安でした。そこで私は引っ越し先で知り合いを作るべく、マタニティヨガに申し込みました。 しかし、引っ越しのストレスなども重なって体調が優れなかったため、医師から許可がおりず、家の中で悶々と過ごしていました。引っ越し前に教わったヨガを思い出しながらやってみましたが、ふと孤独感に襲われていました。 そんななかでも、同じ時期に出産予定の旧友とSNSで情報交換することで、少しだけ不安や孤独を紛らわせることができました。 外へ出て、リフレッシュを試みると……長女を出産し、生後3カ月を過ぎたころから、お散歩をするようになって少しずつ外に出かけるようになりました。買い物など、少しでも外に出ることで親子ともにリフレッシュになっていたと思います。 長女が生後5カ月を過ぎたころから友だちが欲しくて近所の児童館にも行ってみました。しかし、周りは1歳くらいの子どもが多く、生後5カ月の長女を何で遊ばせたらよいものか悩んでしまいました。 私はもともと人見知りであるため、自分から声をかけることができませんでした。スタッフの方が親切に声をかけてくださいましたが、長女が泣いてしまい、あまり話せずに帰宅しました。子育てサロンなどでも、すでにママ友同士の輪ができていて、輪に入っていけない自分に嫌気がさしてしまい、リフレッシュにはなりませんでした。 頼りの夫が海外へ出張長女が生まれてから、夫は早く帰宅し、夕飯の支度をしてくれたり、お風呂に入れるのを手伝ってくれたり、何かと協力してくれました。話も聞いてくれて、長女の夜泣きがひどくて私がイライラしてしまっているときは、私の代わりに朝までずっと抱っこひもで長女を抱っこしてくれて、とても頼りにしていました。 しかし、月に1度、1週間から2週間ほど海外出張があり、その期間は孤独な子育てでした。ファミリーサポートの方が来てくださいましたが、朝から晩まで長女と2人きりの状態になると、不安と孤独感でいっぱいでした。 家族でのおでかけと、周囲の方の声かけが救いベビーマッサージや子育てサロンなどに参加しても周りのママたちと打ち解けられなかったため、足が遠のいたままになっていました。週末に夫がショッピングモールや動物園に連れて行ってくれることが、私の唯一の楽しみでした。 また、予防接種のときに病院のスタッフさんたちがでやさしくしてくださったり、散歩中に年配の方が声をかけてくださったりするのが救いでした。結局友だちはできずに、長女が生後7カ月になったころ。再び夫の転勤が決まり、遠方に引っ越しました。 初めての出産は期待と不安でいっぱいで、さらに引っ越しが加わってしまい、私は精神的に追い詰められていました。SNSで旧友などと情報共有することで、なんとか孤独な日々を乗り越えることができました。また、産後の健診や予防接種などで人と話すことで孤独が少しまぎれたように思います。近所を散歩していたときに声をかけてくださった方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。 監修/助産師REIKO著者:大葉香苗5歳と2歳の2児の母。転妻歴10年。慣れ親しんだ土地から離れ、アウェイ育児の真っ最中。趣味は折り紙と工作。
2022年07月11日ベビーカレンダーは、2022年6月15日(水)〜6月18日(土)の期間、2018年6月15日以降に第1子または一番下のお子さんを出産したベビーカレンダー会員のママ504名を対象に、「コロナ禍における第2子以降の妊娠」に関するアンケート調査を実施しました。2022年6月、厚生労働省から2021年度出生率が発表されました。出生数としては、81万1604人となり、前年に比べ2万9231人減少。出生率(人口千対)としては、6.6で前年の6.8よりも低下したという結果になりました。この結果は、1899年の調査開始以来過去最少を更新しています。新型コロナウイルスが流行して2年目となる2021年は、妊娠・出産においてもコロナ禍の影響を受けた年だと言われています。 そこで、ベビーカレンダーは、新型コロナウイルス感染症が流行して2年が経った今、妊活に対する意識はどう変化しているのか、アンケート調査を実施しました。その調査結果を、2020年6月に発表した『コロナ禍における第2子以降の妊娠』に関する調査結果と比較し、分析いたしました。 2020年と比較し、妊活を休止・延期・断念する人が減少!新型コロナウイルスの影響で妊活・妊娠に関する考えに変化があったのは約15%と、約20%減。感染拡大から2年以上が経過し、妊活に前向きな人が増加!▼2020年度調査結果 ▼2022年度調査結果 第2子以降の妊娠を希望していた経産婦さん205名に、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、妊活の状況や、今後の妊娠への考えに変化があったかを尋ねたところ、「とても変化があった」3.9%、「まあ変化があった」12.2%と、あわせて16.1%の方が変化があったと回答しました。 前回の調査結果と比較すると、2020年度の調査結果は「とても変化があった」15.4%「まあ変化があった」22.0%と、変化があった方が37.4%でしたが、今回の調査では変化があった方が16.1%と、20%以上も減少しています。 この調査において「とても変化があった」「まあ変化があった」という回答は、「妊活や不妊治療を休止した」「妊活や不妊治療の開始を延期した」という方や、「妊娠を諦めることにした」という方など、新型コロナウイルスの影響で妊活を休止・延期・断念した方々の回答となっています。この結果から、2022年度の調査では、妊活を休止・延期・断念したという方が2020年度に比べて約2割減少したことが明らかになりました。 一方で、「あまり変化がなかった」32.2%、「まったく変化がなかった」29.8%と、新型コロナウイルスの流行に左右されない方が62%と全体の半数以上を占めるという結果に。 2020年から2021年にかけて、コロナ禍の長期化により、国内での「Withコロナ生活」が謳われてきました。今回の調査結果から、普段の生活だけでなく妊活においても、Withコロナが定着し、妊娠・出産への影響も以前に比べ緩和されていることがうかがえます。コロナ禍での生活が当たり前になりつつある今、妊娠・出産について前向きに考える方が増加していることが分かりました。 依然として新型コロナ流行中の現在における妊活の理由は?年齢的なリミットを感じている方が約80%! 新型コロナワクチン接種が始まったことや正しい情報を得て不安が解消されたことも妊活開始のきっかけの一つになったとの回答も上記の調査結果から、2020年に比べ、妊娠・出産に前向きな人が増加しているということが判明しました。そこで、現在妊娠中または妊活中(不妊治療も含む)の方232名を対象に、「依然として新型コロナウイルス感染症が流行しているなか、妊活をした/している理由やきっかけ」について質問しました。 その結果、「年齢や体のことを考え、早めの妊娠を希望していたため」79.3%と、自身の年齢的リミットを感じて妊活を開始している方が非常に多いことが分かりました。その他にも「上の子どもとの年齢差を考えたため」54.7%と、他の子どもの年齢差を考えている方も50%以上という結果に。 多くの方が、自身の年齢、もしくは他の子どもの年齢を考えて妊活を開始しているなか、「新型コロナワクチン接種が開始されたから」14.2%、「新型コロナに関する正しい知識や情報を得て、不安が解消されたため」7.3%と、長引くコロナ禍でさまざまな対策が強化されていることが妊活開始のきっかけになったという方も複数いました。中には、「育児休業法が改正され、男性が育休を取得しやすくなったため」3.5%と、2022年4月の法改正をきっかけに、妊娠・出産を開始する方も見受けられました。 ■妊活を開始した方のコメント・新型コロナがいつ収まるかは未知数だし、自分の年齢もリミットが迫っているため。 ・感染症が怖くて一旦中止したが、流行が収まる気配がなく、年齢的にもあまり時間がないので再開。 ・年齢のこともあるし、Withコロナになっていくと考えたため。 ・新型コロナのワクチン接種の時期との兼ね合いで妊活時期をずらした。妊娠初期にワクチン接種はしたくなかったので、2回目のワクチン接種をしてから妊活を開始した コロナ禍で妊娠・出産は「大変」「不安」ばかりではない!実際にコロナ禍で妊娠・出産を経験した方からは「立ち会いや面会ができない分、助産師さんが陣痛時から入院・退院時までとにかく手厚くフォローしてくださった」などのポジティブな声が多数!新型コロナウイルス流行初期の2020年に比べ、妊娠・出産に前向きになっている方が増加しているとはいえ、まだまだ続くコロナ禍。感染対策もあり、今まで通りの出産ができないことに不安を感じる方も多くいるのではないでしょうか。そこで、実際にコロナ禍で妊娠・出産を経験した方からのコメントをご紹介します。調べるだけでは分かりづらいリアルな声を知り、少しでも妊娠・出産への不安を解消していただければと思います。 ■妊娠・出産時のコメント・在宅勤務がしやすくなり、つわりのときは本当に助かった。 ・診察のとき、妊婦さんのみ待合室にいることができたので、そんなに混雑せず感染のリスクも少なく過ごすことができた。 ・ワクチン接種をしていたので安心だった。周りの人も感染予防対策をしているのが当たり前の時代なので、新型コロナ以外の感染症もかかりにくいことがよかった。 ・新型コロナ流行初期に妊娠中期だったため、出産後どうなるのか不安だったが、助産院で感染症対策を徹底していたし、胎児への影響なども丁寧に説明してもらって安心して過ごすことができた。 ・立ち会いや面会ができない分、助産師さんが陣痛時から入院・退院時までとにかく手厚くフォローしてくださった。 ■出産後のコメント・立ち会い出産や面会ができなかったこと自体は寂しさや残念な気持ちがあったが、感染対策という意味では徹底されていて安心できた。 ・産婦人科が人の出入りの制限や消毒の徹底など実施していたため、入院中は安心して子育てに集中できた。 ・入院中は面会もできず心細かったが、逆に赤ちゃんと2人っきりで貴重な時間を過ごせたし、赤ちゃんを預かってもらっているときは1人で食事したりお風呂に入ったりと、好きなことをしてゆっくり過ごせてよかった。 ・夫が在宅勤務で一緒にお世話できたので、今後の安心材料になった。 ・コロナ禍で夫の在宅勤務が増えたり、友人との外出が減ったりして、パパが子どもと接する時間が増えたおかげで、想像していたよりは気楽に過ごせた気がする。 <調査概要>調査対象:2018年6月15日以降に第1子または一番下のお子さんを出産したベビーカレンダー会員のママ504名調査期間:22022年6月15日(水)〜6月18日(土)調査件数:504件※集計結果は100%にならない場合がございます。
2022年07月11日初めての出産を控え、本場のフランスでソフロロジー式分娩を猛勉強した私。ソフロロジー式分娩とは、陣痛の痛みを受け入れ、ヨガのように心と体をリラックスした状態で分娩に臨むことで、痛みを和らげることができるとされる方法です。助産師さんに質問したり、本を読んだりしてイメージを抱きながらいざ出産! しかし、実際は理想とはかけ離れた分娩でした。そんな私のソフロロジー分娩体験を紹介します。 本場フランスのソフロロジー式分娩「どうしたら分娩中の痛みが薬なしで和らげられるのかな?」と妊娠期間中に調べていて出合ったのが、ソフロロジー式分娩。なんとフランスが本場! しかし実際は、フランスでは無痛分娩が80%で、今ではソフロロジー式分娩を選ぶ人はほとんどいないようです。 もともとヨガをしていた私は、ソフロロジー式分娩が一番私に合っていると思いました。出産前に助産師さんに教えてもらった息を長く吐く呼吸法を練習し、イメージトレーニングでは陣痛が来たらおなかをさすりながら赤ちゃんに声をかけて陣痛の痛みに集中しないようにする練習を重ねていきました。 万全の用意で陣痛開始! しかし…妊娠40週2日のこと。「あれ? これって陣痛が始まったのかな?」と就寝中に目が覚めて、違和感を覚えたのです。そこで、用意しておいたリラックスできる音楽をかけて、イメージトレーニングを始めました。 練習のときのように、痛みがきたらおなかの赤ちゃんに声をかけ、おなかをなでて一緒に痛みのつらさに耐えていきました。ところが、痛みが強烈になっていくと同時に余裕がなくなって、ソフロロジーどころではなくなったのです! 痛みでパニック! ソフロロジーはどこに?陣痛と陣痛の間は我に返り、「違う違う! こうしなきゃ」と焦りながらも、強烈な陣痛の痛みに「あ゛~!」と腰をなでることしかできなくなりました。ややパニック状態になり、音楽がイライラしてきて遮断。 意識できたのは呼吸法だけ。私のパニック状態に夫も焦り、夫婦2人で不安の中自宅で陣痛に耐えていました。しかし、病院に到着すると冷静な助産師さんの対応で落ち着くことができ、無事安全に出産を終えることができました。 ソフロロジー式分娩を勉強し、万全の状態で挑んだ分娩。しかし、実際は予想をはるかに超える痛みで、理想の分娩ではありませんでした。でも、私の通っていた病院では子宮口が5cm開くまでは自宅待機だったのですが、そのつらい時間はソフロロジーのおかげで痛みを和らげることができたと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと漫画家。6人家族で、双子を含む4姉妹のママです! 今は主にイラストを描いていますが、もとは紙面で漫画を描いていました。
2022年07月09日私は35歳で高齢出産をし、1児の子育て中です。年齢、体力、人生の残された時間のことを考え、子どもは1人と決めました。夫も私の体と思いを優先すると言ってくれています。子どもを産む、産まない、産めない……とてもプライベートなことであり、また時代もそれを尊重する風潮にあると感じていましたが、そんなに世間はやさしいものではありませんでした……。カウンターパンチは義母から義母は地方都市に住む第1次ベビーブーム世代の専業主婦です。義母には何度となく「私は弟がいてよかった」「きょうだいはいたほうがいい」と言われました。でも、私がそれとなくもう子どもを産む気はないと伝え続けると、納得したようでした。 けれど子どもに向かって「この子が結婚したら子どもをいっぱいもてばいいわねぇ」と言われたのです。「子どもを1人しか産まない私は悪」「きょうだいのいない子どもはかわいそう」と言われているようで悲しくなりました。 次は児童館の職員に育休中は、近所の児童館によく行きました。午前中は利用者も少なく、職員の方とも近しく話をするようになりました。そこで1人の職員の方に「私は子どもが欲しくても授からなかった。あなたは大丈夫よ。頑張ってね」と言われたのです。 私に子どもが1人しかいないのは、私が頑張っていないからなのか? どんな事情があろうと、頑張ってもう何人か子どもを産まなければいけないのか? 福祉のプロに「今のままではだめだ」と言われたように感じ、その職員の方と距離を置くようになってしまいました。 ついには保育園の保育士にまで子どもが3歳になるまでは、事業所内保育所を利用していました。規模が小さく、子どものことを細かに見てくれ、保育者と保護者のコミュニケーションも多く感じました。 その中の1人の保育士と2人だけになったときに「私は共働きをしながら2人の子どもを育てた。あなたも、もう1人は産まなくちゃだめよ」という話をされたのです。 私は「保育者とは子どもと保護者に寄り添ってくれるであろう」と期待していただけに、批判を受けたように感じ、一時期保育園に対しても不信感を抱いてしまいました。 2人目のことを周りから言われたのも子どもが2歳くらいまでで、一過性のものでした。それでも、悲しい思いをしたという記憶がはっきり残っています。こんな思いをするママがいない世界になったらいいのにと思わずにはいられません。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2022年07月09日都会での子育てを前提に、産後の楽しいことばかりを考えて過ごしていた妊婦時代。出産予定日まで残り2カ月を切ったとき、転勤族の夫に出た辞令はまさかの「地方転勤」でした。知り合いなし! ママ友なし! ペーパードライバー! 里帰り出産を終えて地方入りした私を待っていたのは、孤独な毎日でした。 地方転勤なんて聞いていないよ!私は出産するまで都市にしか住んだことがなく、妊娠中も都市での子育てを前提に近くの支援センターを見学したり、先輩ママとの交流を深めたりしていました。夫は転勤族でしたが当面は転勤の予定もなく、仮に転勤があったとしても主要都市だと言う夫の言葉を信じて疑いませんでした。 しかし出産予定日まで残り2カ月となったとき、夫から1本の電話が。「ごめん。転勤になった! しかも地方だった」という夫の言葉を聞いて、私は目の前が真っ暗になりました。 夫の転勤予定の地は夫の会社内でも「陸の孤島」と噂されていて、都会からのアクセスが非常に悪く、車がないと身動きの取れないような場所。ペーパードライバーの私にとって、交通手段を断たれたようなものでした。 想像していた以上に孤独な地方での子育て幸いにも里帰り出産することが決まっていたので、里帰り先での生活は不自由なく過ごすことができました。地方に行くことが恐怖にしか思えず、ずっと実家にとどまっていたいとさえ思うことも……。子どもが生後3カ月になり、私たち親子も夫の待つ地方に向かう時が来ました。 地方での生活は想像していた以上に孤独で、車社会であったことから町を散歩していても人が歩いている姿はほとんどありませんでした。私は長年のペーパードライバーなので、泣き続ける子どもを乗せて運転の練習をする勇気もなく、孤独な生活に耐える毎日。誰もいない道をベビーカーに子どもを乗せて散歩していると、寂しさから不意に涙が流れることもありました。 運命を変えた! 同じ境遇のママとの出会い子どもが生後5カ月のころ、私は孤独な毎日を変えたいと思い、支援センターやママの集まりなどを必死で探しましたが、どこも遠くて車で通うことが前提の場所ばかり。唯一、近所の公民館で「0歳児親子向けのリトミック教室」が新規開催されることを知り、即座に参加希望の連絡をしました。 ドキドキしながら教室に参加すると、そこにいたのは私と同じ転勤族のママたち。境遇が似ていることもあり、すぐにみんなと打ち解け、たくさんのママ友ができました。毎週リトミック教室に通う時間がとても楽しみで、レッスンを受けているときは孤独を忘れることができました。 地方育児もなかなか楽しいママと育児の悩みを共感しあったり、気分転換に一緒にランチをしたりできるまでになり、孤独だった育児が楽しい毎日へと変わっていきました。そして、今まで知らなかった地方のグルメやおすすめスポットを、ママ友たちと一緒に開拓するようになりました。 地方育児の良いところは、なんといっても自然がいっぱいでのんびりと子育てができるところ。毎日泥んこで元気に遊んで、家の玄関にカブトムシが止まっていたことも! もっと地方育児を楽しみたいという思いから、勇気を出して運転の練習もして行動範囲が広がり、ますます地方育児が楽しくなりました。 地方で育児を始めた当初は、地方の悪い面ばかりに目が行き、地方育児をまったく楽しめませんでした。当時、孤独な生活から私たち親子を救ってくれたママ友たちには感謝してもしきれないほどです。自然たっぷりの地方環境でママ友たちと協力し合いながら子育てできたことは、自分にも子どもにとっても良い経験となりました。 イラストレーター/ちひろ著者:斉藤菜々子4歳と2歳の男の子のママ。夫は転勤族で3回の引っ越し経験有り。「子育て」「ファッション」ジャンルを中心にライターとして活動中。ワンオペでの子育てに悩み、解決の糸口になればと保育士資格を取得。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年07月07日切迫早産で入院していたわこさん。無事、退院となり、実家で過ごしていました。しかし、妊娠39週のある日、突然激しい腰の痛み、過呼吸、発熱などの症状が! 両親が救急車を要請し、病院へ到着すると、わこさんは腎臓に炎症を起こしていることがわかりました。さらにわこさんの血圧は低く、赤ちゃんの心拍が下がっていたため、急きょ、帝王切開をすることに。心の準備ができないままわこさんは手術台へと向かいました。はたしてわこさん、赤ちゃんは無事なのでしょうか……!? 生まれた赤ちゃんは…!? わこさんの入院が決まり、自宅に戻ったお父さんでしたが、今度は帝王切開になったと連絡を受けたため、付き添いなどのために再度病院へ。 一方、わこさんから日中に「腰が痛いけれど、妊娠中はよくあることだから」と連絡を受けていた旦那さん。わこさんのお母さん、わこさんからのメッセージを見て状況が一変していることに驚きます。赤ちゃんの心拍が下がっていると知ったときは激しく動揺してしまいました。 手術が終わると、大勢の医療スタッフに囲まれて、保育器に入った赤ちゃんが運ばれてきました。そして、「NICUのある病院に搬送する」と医療スタッフたちは言いました。 お父さんが救急車の入り口まで一緒に見送ったそのとき、赤ちゃんがぱちっと目を開けました。それはお父さんにとって、とても印象的な出来事でした。 「……生きてる! この子は無事だ!」 お父さんの目には涙が溢れたのでした。 ◇◇◇ 助産師さん曰く、NICUとは、新生児に特化した専用の集中治療室のこと。NICUでは治療として、ママのおなかと同じような環境を作って、保育器や呼吸器や点滴などで赤ちゃんの呼吸や消化を補ったりするのだそう。元気に生まれることに越したことはないけれど、何かあったときを考えると、NICUの存在は心強いですね。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年07月07日長男を出産後、「2人目をどうするか?」ということを夫と話し合いました。自分もひとりっ子だったため子どもは1人がいいと言う夫と、きょうだいはいたほうが良いと言う私。わが家でどのように話し合い、結論を出したのかをご紹介します。 喧嘩になることも夫はひとりっ子で育ったことに非常に満足していました。そのため、「今いる長男を大切に育てよう」と提案。一方で私は兄妹がいます。特に妹とは大人になってからも仲が良く、「この子にもきょうだいがいたほうが良いのでは?」という意見。 はじめはお互いの意見を譲らず、喧嘩になることもしばしば……。特に夫は、2人目の話をすると不機嫌になることが多くなりました。私も経済的な面も考えると、「夫がひとりっ子が良いというなら、無理に2人目を作らず、従ったほうが良いのかな?」と思うように。 改めて話し合いをしかし、長男が2歳になるころ、私のなかで「赤ちゃんをもう一度抱きたい!」という気持ちがあふれ、同時に「このまま夫ときちんと話し合いをせずにいて良いのだろうか?」と強く感じたのです。いつまでも、モヤモヤした気持ちのままでいては、将来後悔してしまうと思った私。 そこで、夫に改めて2人目をどうするか話し合いたいことを伝えました。その際に、2人目の経済的な負担や家事の役割分担などもわかりやすく説明しました。何より一番訴えたのが、私の気持ちでした。すると、夫も真剣に2人目について考えてくれるようになりました。 わが家の出した結論しかし、夫の希望はひとりっ子でいいということは変わりませんでした。それでも、私の気持ちを尊重してくれた結果として、「2人目妊活の期間を決める」ことになりました。期間内に妊娠しなければ諦める、という結論を夫婦で出したのです。その後、期間内に次男を身ごもって無事に出産することができました。 もし、納得しないまま夫の意見だけで、「ひとりっ子」と決められていたら、私はずっとモヤモヤを抱えたまま生きていくことになったと思います。夫がきちんと向き合ってくれ2人で話し合うことができたので、仮に2人目ができなかったとしても私は納得できました。 ひとりっ子希望だった夫でしたが、次男も長男同様にとてもかわいがってくれています。「子どもの人数」という妥協が難しく正解のない問題では、わが家の場合「期間を決める」という結論がお互いに納得しやすかったです。また、改めて話し合いの大切さを感じた出来事でした。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKOイラストレーター/ライコミ著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2022年07月07日2年おきに5人出産し、使用したベビーカーも5台目となりました。重い荷物を載せたり、子どもが無理やり2人乗ってしまったりして、劣化や破損で使いにくくなり度々買い替えました。ベビーカーといってもいろいろなタイプがありますが、5児ママの私が5台使用したなかで、失敗談も含め、一番使いやすかった物を紹介します。機能性を重視せず購入した結果…知人が持っているから、新生児から使用できるから、型落ちで安くなっているから、人から譲り受けたからという理由で、機能性をあまり考えず所有・購入した1~4台目のベビーカー。新生児期に使用できることをポイントに購入したはずが、第一子の新生児期は、首が座っていないあいだはおでかけする機会がほとんどなく、外出する際は抱っこひもがメインでした。 私が購入したB型ベビーカーは、収納時に何かに立てかけないと倒れてしまうのが気になり、かといって新生児期から使用できるものはかさばるものが多いと感じました。また、子どもたちとのおでかけは荷物も多くなり、片手がふさがってしまうこともしばしば。そんな私にとって、ハンドルがセパレートタイプのベビーカーは、片手では方向転換がしにくく、使いにくさを感じていました。 上の子もラクラク押せた!私が4人目出産後、コンパクトであることと押しやすいという理由で実姉が使用していたベビーカーが、ベビーゼンの「YOYO2 6+」でした。実姉と一緒に散歩に行く際、30分ほど姉の「YOYO2 6+」を拝借しました。 私がそばで見守りながら、当時6歳の長男がベビーカーのハンドル操作をしてみることに。すると長男から「これ押しやすい!」と一声あがりました。少しの段差ぐらいなら力を入れずに押せる点と、方向転換のしやすさが今まで使用していた物と比べ物にならなかったようです。実際に使用してみると、長男の言っていた通り使用しやすく、子どもに背中を押され購入に至りました。 チャイルドシートの足元にスッポリ!? 今までのベビーカーは、車での外出時、折りたたんだ後にトランクに回って収納していました。しかし「YOYO2 6+」は違いました。折りたたむと幅44cm、高さ52cm、奥行18cmとコンパクトなので、チャイルドシートの足元に収まります。 子どもがいると荷物が増えるので、コンパクトに収納できるのは空間の確保だけでなく、トランクに回り込む手間を省くことにもつながりました。方向転換もしやすく段差もラクラク乗り越えられるので、おでかけ先でもストレスなく使えます。 私の場合、2歳差兄妹が5人いるので常にベビーカーにはお世話になっています。片手がふさがっているとき、上の子どもにベビーカーを押してらうときもあるので、操作しやすく小さな段差も無理せず押せることは大きなポイントでした。子どもがいると荷物が多くなるので、実用性とコンパクトさを兼ね備えた「YOYO2 6+」は非常に重宝しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 著者:のうえりえ2男3女の5児ママ。5人の子どもはそれぞれ10歳、8歳、6歳、4歳、2歳。整理収納アドバイザーの資格を所有し、「7人の大家族でも子どもが走り回れる家」を目指して暮らしている。
2022年07月04日私には、9歳と4歳の子どもがいます。1人目の出産前に仕事を辞めたため、仕事のブランクは10年を超えました。そんななか、夫と離婚することに……。仕事に復帰することになった経緯と、復帰に際して不安に思ったこと、実際に復帰してみてどうだったかなど、経験談をお伝えします。まさかの採用で思いがけず仕事復帰!!私は1人目を出産するタイミングで仕事を辞めました。夫の希望もあり、出産後は自営業の夫の手伝いや簡単な在宅ワークをしていました。もともと仕事は好きなので、いつかは仕事復帰したいと思っていました。しかし、どんどんきっかけと勇気がなくなり、ブランクは10年近くになってしまったのです。そんななか、夫と離婚することに……。 将来を考えると早めに仕事復帰したいけれど、下の子は幼稚園に入園したばかり。働ける時間が短く、ブランクも長い自分が採用してもらえる自信などなく、仕事情報を見てはただ溜息をつく日々でした。それがある日、勢いで応募ボタンを押してしまったのです。そしてあれよあれよと面接に進み、ありがたいことに事務スタッフとして採用してもらえることになりました。 仕事復帰に際しての不安要素心の準備がきちんとできていない状態での仕事復帰だったため、不安でいっぱいでした。仕事復帰に際しての不安要素は、大きく分けて5つありました。 1つ目は10年のブランク。もともと専門や得意分野もなく、資格も何も持っていなかった私。PCソフトの使い方すら忘れてしまっていました。こんな私に事務の仕事ができるのだろうか、と心配だったのです。 PCは使っているうちにすぐに思い出すことができました。ただ、働いていた当時はまだまだまだアナログだった部分がペーパーレス化されていたり、判子レスになっていたり、在宅ワーク中の先輩からメールで仕事の指示をもらったり……当時と変わっていることも多く、戸惑うことも多いです。 家事と育児が疎かにならないか不安2つ目に不安だったのは、家事がまわらなくなること。これは意外と大丈夫でした。夜に洗濯して部屋干ししたり、隙間時間に掃除したり、休日にまとめて買い物したり……比較的時間を自由に使えた専業主婦のときと違って、「今のこの時間しかできない!」と思うと、逆に効率よく動けているような気がします。 3つ目は、子どもたちに寂しい思いをさせてしまうこと……。この不安は、仕方ないとはいえ少なからず的中してしまいました。上の子の下校時にお帰りと言ってあげられない日が増え、下の子は仕事で預かり保育になる日は浮かない顔をするときがあります。これまで以上に意識して子どもたちの話を聞くようにしたり、ハグしたりして、子どもたちの寂しい気持ちを緩和できるように気をつけています。 不安は尽きないけれど…4つ目に不安だったのは、体力が持つかどうか。これも大丈夫でした。仕事と育児とで気持ちが切り替えられていることがリフレッシュとなっていたり、新しいことを覚える楽しさもプラスになっていたりするように感じます。 5つ目は、突然の休みで職場に迷惑をかけてしまうこと。子どもの体調不良や幼稚園の突然の休園などで、急きょお休みをしなくてはならない日が何度かありました。個人の事情に理解を示してくださる社風だったため、あたたかく対応していただけて、ホッとしています。 不安だらけの仕事復帰でしたが、案ずるより産むが易しと言うように、やってみればなんとかなるものだな、と思いました。もちろん改善点はたくさんあるので、一つひとつ、より良い方向に改善しながら、そして子どもたちの気持ちもくみとりながら、仕事と家庭のバランスをうまく取れるように、これからも頑張っていきたいです。 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年07月04日0歳の女の子ママ、砂田ぽこさん(仮名)の“孤育て”体験談をマンガ化。臨月までバリバリ働き、無事出産。「人生最後の長期休み」と思って産休をエンジョイするつもりだったが、現実はそんなに甘くはなくて……。 「人生最後の長期休み」と気楽に考えていたけど…27歳初産で、妊娠34週まで働いていた私。勤続4年目でそれなりに頼りにされ、仕事も割と好きでした。もちろん仕事は続ける気で、出産後は約1年育休をとり、好きなことをして「人生最後の長期休み」を楽しもうと決めていました。 そして、無事出産。初めの1カ月はワイワイガヤガヤと実家で過ごし、1カ月健診後にマイホームへ帰宅したのですが……。 思い通りにならない育児で現実に直面夫は仕事のため、日中は完全にワンオペでした。話す相手がいない、赤ちゃんが泣いて思うように家事ができない、ご飯を食べる暇もない、好きだったお出かけもできない……。子育てって楽しいもんじゃないなと痛感しました。 これなら仕事をしている方が、体も楽だし頼りにされるし、家事が苦手な私には断然合っていると思いました。 1日の生産性の無さに自分を責めるようになり…ある日、夫に「今日は1日どんなことをした?」と聞かれました。私は「昼くらいに起きて、ご飯を食べて、洗濯して……今日はいつもより寝てくれたし、夕方私もちょっと寝た」と答えたけど、なんだか結局何もしていないような、生産性のない日々を過ごしているような気がして悲しくなりました。もちろん、夫はそんなふうに思う人ではないけれど、胸を張って「こんなことしたよ!」と言うには中身がなさすぎて……。 育児に追われるあまり自分の身なりにもしばらく気を使えていなかったので、夫が休みの日に娘を預けて美容院に行くことにしました。すると、ブルーな気分が少し晴れた気がしました。 誰にも褒めてもらえない孤独な育児は、本当に出口のないトンネルみたいなもの。育児中でも時々はおしゃれをして、ちょっと綺麗になった自分を見て、気分転換することが必要だと感じました。 体験談/砂田ぽこ作画/Michika 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 加藤みちか
2022年07月03日第1子妊娠中、妊娠8カ月ごろのお話です。突然の不幸に悲しみがありながらも、少しだけ前を向くことができた体験談を紹介します。コロナ禍での妊娠。家族と久々の再会結婚を機に夫と暮らすために県外に引っ越しました。新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令され、ゴールデンウィークもお盆休みも帰れず実家の家族に会えませんでした。 妊娠がわかったのは2020年の6月。SNSで家族とはやりとりをしていたものの顔を合わせる機会がないまま時間が過ぎていきました。私の家族は両親と兄で、両親とは連絡をとっていましたが兄とは連絡をとることはありませんでした。 緊急事態宣言が解除され、新型コロナウイルスの感染者も少なくなってきたので、妊娠7カ月に入ったあたりに実家に帰ることに。久しぶりの実家で、両親も私の妊娠を喜んでくれ、たくさん話をしました。兄とも少し言葉を交わし、今まで実家にいたときと変わらない時間を2〜3日過ごし、自宅のアパートへ戻りました。 突然の訃報に頭が真っ白……それから数週間後のこと。突然夜遅くに父からの電話。私「もしもし」 父「……もしもし。遅くにごめん。妊婦のお前に言うことじゃないが、言わないといけないことが……」と震えた声。私は胸騒ぎがしました。母が倒れたか、母方の祖母が倒れたかと一瞬で嫌な想像をしました。 私「何があった?」 父「兄が亡くなった……。心筋梗塞で倒れてそのまま……」私は頭が真っ白になりました。当時私は妊娠8カ月。妊娠後期に突入したあたりのお話です。それまでは情緒が不安定でやっと落ち着いてきたころでした。元気だった兄との突然の別れ。何が何だかわからずに実感がないまま、再び実家へ戻りました。 そこには細長い白い箱があり、中には白い服を着て目を閉じた兄がいました。話しかけても返事はなく、いつも私の名前を呼ぶ声も聞こえてきません。 兄と最後に会ったのは数週間前。一緒にDVDを観ようと約束をしましたが、私が出かけるため観られずにいました。「次帰ったらでいいか」という気持ちはありましたが、そんな日はきませんでした。私が帰る日に、「帰るね! またね!」と寝ている兄に声をかけて帰ったのが最後の会話でした。こんなことなら兄と会話をすればよかった、もっと連絡をとっておけばよかったと後悔が押し寄せました。 深い悲しみのなか近づく出産予定日葬儀が終わり兄とのお別れをし、自宅のアパートへ戻りました。すぐに妊婦健診があったのですが、切迫早産とのことで次の日に入院が決まりました。しかし、次の日に受診すると、ギリギリではありましたが自宅安静で良いことになり入院は免れました。 情緒が安定してきていたとはいえ、やはり身内との別れはつらいもの。突然のことならなおさらです。周りには悲しんでいる姿は見せまいと思っていましたが、夜になると悲しい気持ちが押し寄せて声を上げて泣く日々。普段からそんな姿は見せませんが、夫に「泣きたいときは泣いていいよ、寂しいときは寂しいって言っていいよ」と言葉をかけてもらったり、職場の人たちからもいつもと変わらない様子で振る舞ってもらいながらもささいなところで支えてもらったりして、何とか持ち堪えることができました。 それから1カ月後、里帰り出産のために実家に帰り受診をすると、また切迫早産気味に。入院するかしないかの瀬戸際でした。できるだけ家で安静にしながら過ごし、妊娠37週目を迎えました。そして予定日1週間前の夕方に陣痛がきて、次の日の朝に出産しました。 天国で兄が見守ってくれている娘の誕生日は兄の百か日でした。それから1週間後に退院。退院前日から雨が降り、朝方まで雨が降っていました。退院に向けての最後の診察が終わり、病室に戻ると雨が上がっていて、迎えにきてくれた両親と娘とともに実家へ。晴れてよかったねと車の外を眺めていると雨上がりの空に虹がかかっていました。 生まれて初めて見る、端から端まで見えるきれいな虹。兄が喜んでくれているようなそんな気持ちになり、両親にバレないようにこっそりと涙を流しながら家へ帰りました。 妊娠中の兄との別れ、切迫早産でも入院せずに済んだこと、退院の日に虹がかかっていたことを知人に話すと、「お兄さんが見守っていてくれてたんだね」と言ってくれ、きっとそうだと心が温まりました。娘に伯父さんを会わせてあげることはできませんが、きっと天国で兄が見守ってくれていると、私も前を向くことができました。 妊娠中の繊細な時期にあった悲しい体験でした。人との出会いがあるように別れもあり、それはいつ起きるかわかりません。妊娠中に起きることだってあります。ひとりじゃない、周りにたくさん助けてくれる人がいる。つらいときはつらい、しんどいときはしんどい、悲しいときは悲しいと言葉にして伝えることが大切で、私が思っている以上に私のことを想ってくれる人がいて、多くの人に支えられていると思い知ることができました。そして、娘を出産したことで、生と別れについてしっかり向き合うことができたと思います。娘が生まれて3カ月が経ちました。まだまだ大変な時期ですが、生まれてきてくれたことを日々感謝しながら育児を頑張っています。 著者:ぽむぽむ1児の母。生後3カ月の娘を溺愛している専業主婦。
2022年07月02日出産後思ってた以上に大変だった!という、みいのさんの体験談をマンガ化した「産後ヤバイ話」を短期連載で紹介します。出産後に赤ちゃんと初対面して、個室に戻ると……。 「イヤな時期に入院しちゃったな…」 「本当は立ち会い出産もしたかったし、家族に見舞いに来てほしかった」 でも、そんな「今までの当たり前」も叶わない、現在の出産。 誰もいない、静まり返った産院の廊下を見て、「イヤな時期に入院しちゃったな……」と思ったみいのさん。 この時ならではの雰囲気が、みいのさんのメンタルに影響をしていくのでした……。 出産後間もないみいのさんをじわじわ追い詰めた「ストレス」とは? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。普段は企業の広告漫画を主に描いております!インスタでは子育てエッセイ漫画やイラストをアップします。コメントやイイねしてくださるととても嬉しいです!
2022年07月01日パニック障害を抱えるわこさんがいよいよ出産! 人気マンガ「コロナ禍での妊娠が超ハードだった話」の続編です。切迫早産で入院していたわこさん。無事、退院となり、実家で過ごしていました。しかし、妊娠39週のある日、突然激しい腰の痛みに襲われます。過呼吸や発熱の症状も出てきて、両親が救急車を要請。病院へ到着すると、「赤ちゃんには異常はなさそうだが、わこさんの腎臓に炎症が起きている」と言われます。助産師の中川さんが、血圧を測るとそこにはとても低い数値が! あわてて中川さんは医師に伝えにいきました。すると、産婦人科医がわこさんのところへやってきてー!? え? 赤ちゃんの心拍が!? 産婦人科医はわこさんのところに来るなりこう言いました。 「あのねー、赤ちゃんの心拍が下がってきたので、今から帝王切開しますねー」 赤ちゃんの心拍が下がったことはもちろん、急な帝王切開という展開に驚き戸惑うわこさん。医師のスピーディな説明からも、早急におこなわないといけない状況であることが伝わってきます。 心の準備ができていなかったわこさんは、準備が進むにつれてどんどん手術が怖くなってきました。すると、中川さんが手をぎゅっとにぎってくれて、言いました。 「不安ですよね。大丈夫ですよ。とっても腕のいい先生が手術してくださるので」 中川さんの手に安心するわこさん。わこさんはいよいよ手術室へと運ばれました。そのときも、中川さんはわこさんの手を握ってくれていました。 大勢の医師や医療スタッフたち。手術室のライト。それはドラマで見たような光景でした。 このライトがわこさんが見た最期の光景になった可能性があったことを、この時は想像もしていなかったのです。 ◇◇◇ 助産師さん曰く、経過が順調な妊婦さんであっても、誰しも帝王切開が必要になる可能性があるそうです。しかし、突然のことだと心の準備ができていないので戸惑いも大きくなってしまいます。できるだけ焦らなくていられるよう、帝王切開について、妊娠中に家族と一緒に知識を深めておけると安心ですね。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年06月30日友人や家族からの出産祝いは、息子が皆から祝福されていることが実感できてとてもうれしい気持ちになりました。しかし、いただいた物の中にはあまり使わなかった物や、とても重宝した物などさまざま。また、初めて見た物などもあって驚いたこともあります。今回は私がいただいた出産祝いでうれしかった物、使用に困った物についてお伝えします。重宝している「フード付きのバスタオル」 第1子となる息子を出産したときいただいた物の中で、特に重宝しているのがフード付きのバスタオルです。フードが付いていることでお風呂上がりに頭から体全体をすっぽり覆うことができます。私はひとりで息子をお風呂に入れることが多いので、タオルに包んでから自分の体をさっと拭いてお風呂から上がれるので助かっています。大きめなので新生児のころには全身を包み込むことができ、1歳になったばかりのときは頭からかぶせてあげると床にタオルを引きずるほどでしたので、2歳くらいまでは使えそうです。 いただいて助かった「袴ロンパース」 職場の先輩ママさんにベビーの袴ロンパースをいただいたときは、こんな物もあるんだと驚きました。ロンパースなので着替えも簡単で、とてもかわいいです。羽織の部分に刺しゅうされている家紋や羽織ひももついていて、細かなところも再現されています。私は出産するまでお宮参りという風習を知らなかったので、息子の衣装をどうしようか悩んでいたときにいただいてとても助かりました。お宮参り以外にも1歳の誕生日やお正月にも着せました。 サイズが合わずに使えなかった物 出産祝いといえば実用的なおむつをいただくことが多いと思います。私も友人たちから小柄な赤ちゃん用のおむつをいただいたことがあります。生まれたてのころでしたが、息子は大きめで生まれたのですでにサイズオーバーだったのです。しかし、捨てるにはもったいないのでちょうど同じ時期に赤ちゃんを産んだ友人に譲りました。おむつをいただけるとありがたいものですが、サイズが大きすぎても小さすぎても使えないので、自分が贈るときはしっかり確認しないといけないなと思いました。 出産祝いはいただけるだけでうれしいものですが、やはり実用性のある物をもらえると喜びも増します。私がいただいたものは、喜びや驚きのあるものばかりでした。私が出産祝いを贈る立場になったときは、自分の体験を生かしたプレゼントができたらいいなと思っています。 監修/助産師REIKO著者:くぼた かなえ2017年9月に第1子となる長男を出産。 ただいま第2子妊娠中。 妊娠と同時に仕事を退職。主に美容やダイエット、自身の妊娠・出産・育児に関する体験談を中心に執筆中。
2022年06月30日YouTube「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」は、12人のお子さんを産んだ助産師HISAKOさんのチャンネル。登録者数は42.4万人でママたちの間でも話題になっています。今回は、46歳で12人目を出産したHISAKOさんが、高齢出産のリスクについて語る動画をご紹介!12人目がどうしても欲しかった! まずは、12人目の不妊治療について教えてくれました。HISAKOさんは前の旦那さんとのお子さんが10人います。再婚して、11人目となる今の旦那さんとのお子さんが1人生まれただけでも最初は十分と思っていたそうです。でも、どこかで11人目のお子さんと同じ遺伝子を引き継いでいる兄弟を作ってあげたいと思ったそう。 「上の兄弟たちに失礼かもしれないけど、自分の気持ちに嘘つかんとこ!」と明るく本音を話してくれるHISAKOさん。 できることは全部やって、それから諦めようと44歳で不妊治療をスタートしました。しかし、顕微受精を5回行っても妊娠できませんでした。やれることはやったからあきらめようと言いつつ、手帳には排卵の日にハートマークをつけていたそうです。45歳の1年間はそんなふうに過ごしていました。46歳になってそれももうやめようと決めて、普通に過ごし、でも避妊はしないでいたら、なんと自然妊娠が判明! 妊娠が継続するとは思っていなかった 助産師であるHISAKOさんは、46歳での自然妊娠率、流産率などを考えて、奇跡で妊娠はできたけれども、「きっと流産するな」と思ったそうです。ところが、流産せずにお腹の子は乗り切ってくれました。 46歳の妊娠の心配は流産だけではありません。例えば、染色体異常であるダウン症のリスクは、20代であれば1万分の1ですが、35歳になると300分の1に、46歳になると30分の1になるそう。実際にHISAKOさんも出生前診断について考えました。 でも、出生前診断でわかるのは一部の染色体異常のみ。それ以外にも生まれてこないと分からない異常もたくさんある。さらに、生まれたときは元気でも、そのあと病気や怪我をすることもある。そう思ったら、「そんだけわかって、だから何なん?」と思ったそう。 来るもの拒まず受け入れるしかない 結局は、受け入れるしかないというという結果になったHISAKOさん。でも、不安がないとか、すごい覚悟があるとかそういうことではないと言います。「不安ですよ、一緒やで私も」と。今は、障害があたったりしても受け入れると思っているけど(当時妊娠28週)、実際に生まれてきたらどうなるかわからないと話しています。最終的には、出生前診断は受けないことにしたそうです。 このあと9番目の子どもが生まれてすぐに耳の検査に引っかかったこと、7番目の子どもが発達障害であること、2人とも妊娠中は何も問題がなかったことも話してくれています。 「【12人産んだ】 助産師HISAKOの子育て学校」では、このほかにもママのお悩みにHISAKOさんが答えてくれる動画を更新中。ぜひご覧ください♪ 画像提供・協力/助産師HISAKO 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2022年06月30日パニック障害を抱えるわこさんがいよいよ出産! 人気マンガ「コロナ禍での妊娠が超ハードだった話」の続編です。切迫早産で入院していたわこさん。無事、退院となり、実家で過ごしていました。妊娠39週のある日、わこさんは突然激しい腰の痛みに襲われます。そして様子をみているうちに、過呼吸や発熱の症状も!息苦しくなったわこさんは、救急車を両親に呼んでもらい、病院へ到着しました。お腹の赤ちゃんが気になるわこさんですが、はたして……!? 助産師さんの顔が… ※誤)空気清浄機→正)送風機。 妊娠39週で、激しい腰痛と過呼吸と発熱に苦しみ、救急車を要請してもらったわこさん。無事、病院へ到着しました。 診察した医師は、赤ちゃんには異常がないけれど、わこさんの腎臓(じんそう)に炎症が起きていると説明してくれました。 そしてこのまま入院することに。本来は内科ですが、出産が近いことから産婦人科病棟への入院となりました。 すると、現れたのは、切迫早産で入院した際にお世話になった助産師の中川さん。コロナ対策をして来てくれました。なんだか心が和むわこさん。さっそく、産婦人科病棟へ移動しました。 そして中川さんが血圧を測ると、とても低い数値が!! 中川さんは青くなり、あわてて先生に伝えにいきました。いつも穏やかな中川さんのただならぬ様子に、わこさんは「何事?」と心配しながら待つことになったのでした……。 ◇◇◇ 腎臓(じんぞう)は、腰のあたりに左右対称に2個ある尿をつくる臓器。ほかにも、血液を作る、血圧を調整する、老廃物を体から排出する、骨を作るなどの大切な働きがあるそうです。助産師さん曰く、妊娠中はママの腎臓に負担がかかるので、トラブルを起こすこともあるのだとか。気になる症状がある方は早めに受診して相談すると安心ですね。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年06月29日私が海外で結婚し、出産・育児をしていく中で、心と体の支えになってくれていたのは母でした。その母が他界したのは、私が2人目の子を産んで2カ月後のことだったのです。※コロナ禍前の体験談です。 産後のお世話にきてくれた母海外に住んでいることもあり、2人目の出産後は母が日本からきて1カ月間滞在し、生まれた子どものお風呂や食事作り、洗濯、上の子のお世話までしてくれました。 中でも1番うれしかったのは、上の子が短期間でもおばあちゃんと一緒に過ごせたことです。また、私自身も母親と久しぶりにゆっくり過ごせて、いろいろな話もでき、とても良い時間でした。 突然の他界母が日本に帰国して1カ月、突然その時は訪れました。母はくも膜下出血で倒れて病院に運ばれ、1日もたずにそのまま他界してしまったのです。 突然の訃報を受け入れられずボロボロと泣いている私を見て、上の子が不思議そうにしていました。母の葬儀のために帰国するにも、まだ生まれたばかりの2人目はパスポート申請も間に合わず、夫の実家に預けることに。落ち込んで泣いている時間もなく飛行機のチケットの手続きをし、慌てて日本に帰国し母と最期の別れをしました。上の子は亡くなった母に触れて「おばあちゃん冷たい……」と寂しそうにつぶやいていました。 母の存在の大きさ2人目の子どもが生後100日になるころ、49日法要のために2人の子どもを連れてまた帰国。夫は仕事で都合がつかず私ひとりでの帰国だったため、2人目をおんぶして上の子と手をつないでの飛行機や電車の乗り換え移動となり、緊張し過ぎて、実家に到着したら体調を崩してしまうほどでした。 近所に兄夫婦が住んでいるものの、実家には父ひとりなので、滞在中は食事作り、掃除洗濯、買い物まで私がひとりでしました。子どもを見ながらだったので、いなくなった母の存在がいかに大きかったかをより実感しました。 母への想いは時が過ぎても…3年過ぎて上の子が6歳になったとき、幼稚園で「おばあちゃん、家にきてほしい」と手紙を書いてきました。おばあちゃんを覚えていることにも驚きましたが、何よりも「家にきてほしい」とおばあちゃんを慕っている子どもの想いに切なくなり、「おばあちゃんはこられないんだよ」と言いながら、成長した子どもを母に見せてあげたかった……と泣きました。 そして母にしてあげられなかったこと、もっとしてあげたかったこと、いろいろな想いが数年経ってもまだあるのだとわかりました。 1人目、2人目が男の子だったため、母は「3人目が女の子だったら良いね」と話していました。不思議とその言葉どおりに3人目に女の子が誕生しました。子どもたちが元気に成長しているのも、母が見守ってくれているからのように感じます。母に感謝をしながら、家族をもっと大切にしていきたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:鈴木そうこ6歳3歳0歳の兄妹を育児中。韓国人の夫と結婚し、韓国の田舎で専業主婦をしている。韓国語と日本語の二重言語教育や妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月29日パニック障害を抱えるわこさんがいよいよ出産! 人気マンガ「コロナ禍での妊娠が超ハードだった話」の続編です。切迫早産で入院していたわこさん。無事、退院となり、実家で過ごしていました。妊娠39週0日16時ごろ、突然激しい腰の痛みに襲われたわこさんは、病院に連絡して救急外来に行くか相談しました。しかし、悩んでいるうちに夜になり、やがて過呼吸が起きてしまいました! 息苦しくなってしまったわこさんは「救急車呼んで!」と両親に叫びます。救急車が到着し、搬送先を探し始めました。コロナ禍で、発熱している妊婦のわこさん。はたして搬送先は見つかるのでしょうか……!? たらいまわしになるかも!? 「きゅ、救急車呼んで!」 わこさんは叫びました。 息が苦しくて、救急車が来るまでの数分が何時間にも感じたわこさん。到着すると、安堵したけれど、マスクを付けられて困惑します。しかし今はコロナ禍……。発熱もあるわこさんは感染も視野に入れられていました。 スタッフが搬送先を探し始めると、お父さんは「はっ」としました。コロナ禍で発熱していて、かつ妊婦さんとなると、もしかしてたらいまわしになるのではないか……。そんな嫌な予感が脳裏をかすめたのです。 あわてて出産予定の病院と、4日前のPCR検査が陰性だったこと、それから外に出ていないことを伝えるお父さん。 すると出産予定の病院から受け入れOKのお返事が!! 救急車は急いで病院へと出発しました。 ◇◇◇ 妊娠中、予期せぬ体調の変化で、急に病院へ行くことは誰にでも起こりうること。母子健康手帳、健康保険証、診察券、印鑑、現金などもひとつにまとめておくと、いざというときに便利ですね。また、助産師さんいはく、妊娠34~35週ぐらいには、入院グッズをバッグに入れて準備しておくことがおすすめとのこと。あわてずにすむよう、前もって準備して、家族にも知らせておくとよいですね。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年06月28日3回目の出産をする私に、何を贈ったらいいかと悩んでいたやさしい友人。そして選んでくれたのは、私のための洋服でした。「出産祝い」と聞くと赤ちゃんに向けたプレゼントが多いですが、初めて自分のための贈り物をいただいたので、とてもうれしかったです。 何が欲しい?と何度も聞かれた臨月私が3人目を妊娠中、親族や友人から出産祝いに何が欲しいかと聞かれました。今までは、ベビー服、ベビー用品、おむつケーキなど、赤ちゃん向けの物をもらうことが多く、私自身に「何が欲しい?」と聞かれるとは思っていなかったので、返答に困っていました。 さらに3人目の出産ともなると、すでに持っている物も多く、周囲も本当に必要な物をあげようと気づかってくれたり、他の人と被らないように配慮したりしてくれていました。 3度目の出産祝い、友人からの贈り物は…妊娠中はおなかが出ているほか、苦しくなると気持ち悪くなってしまいます。そのため、私はずっと妊婦服を着ていました。また、たまに友人に会ったときも、いつもリラックスできるゆったりとした服装だったので、洋服を贈ろうと思いついてくれたようです。 それは、サイドにホックがついているフリルスカートと、バラの刺しゅうがあしらわれた薄手のブラウスでした。友人曰く、出産祝いは赤ちゃんの物をもらうことが多いだろうということで、私のための洋服を選ぼうと思ってくれたそうです。 友人のおかげで体型を戻せた!しかし、友人にもらった洋服は妊娠中は着ることができないようなタイトなものだったため、産後に着ようと大切にしまっておきました。そして産後直後に着てみたら、その洋服はきつくてとても着ることができなかったのです。 でも、それを機に体型を気にするようになり、無理のない範囲でストレッチや産褥体操をおこなっていたらホックがきつかった洋服も着られるようになり、体重も妊娠前より軽くなりました。 妊娠中、おしゃれにまったく気をつかっていなかったのと、今までは出産祝いに赤ちゃんの物をもらうことが多かったので、友人が出産祝いとして私の洋服をくれたときは正直驚きました。自分のことはあと回しにしてしまいがちだったので、産後体型を戻すことができたのは友人のおかげだなと感謝しています。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/まっふ 著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2022年06月28日私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症の可能性を意識するように長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども、私は自分の妊娠をあきらめることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度目・4度目の流産でした。「もしかして、妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進むほかに道はないのだと気づきました。そんな中、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 原因不明の不育症と経過観察不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために問診とは別にアンケートと採血をおこないました。私は不育症の検査結果に問題がなかったため安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は、今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/みいの 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月27日「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、あることがキッカケで、日が経つにつれてじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきました。今回はそのときの体験談を紹介します。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/みいの 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月26日「上の子かわいくない症候群」という言葉を初めて聞いたとき、娘をでき愛していた自分には関係ないことだと感じました。しかし、2人目を出産して少ししたころ、その言葉を思い出し、悩むようになってしまったのです。そんな私の体験談をお伝えします。 5年間ひとりっ子だった娘わが家の娘は、弟が生まれるまで5年間ひとりっ子でした。パパ、ママはもちろん、両家の祖父母からもとてもかわいがってもらい、愛情たっぷりに育てましたが、わがままになることもなく、素直でやさしい女の子に成長しました。 母娘であちこちお出かけしたりして楽しく過ごしていたので、このまま子どもは娘ひとりだけでもいいかなあ……と思ったことも。ただ、やはりきょうだいがいたら楽しいだろうし、妹か弟が欲しいという娘の希望もあったので、2人目を考えることにしました。 上の子かわいくない症候群2人目を妊娠したことで、先輩ママたちから通称「上の子かわいくない症候群」という、2人目が生まれたことで上の子をかわいいと思えなくなる現象の話を度々聞きました。ですが、自分についてはまったく心配はしていませんでした。 むしろ下の子が生まれたあと、今までと同じように娘に手をかけてあげられなくなることが心配だったのです。妊娠中、娘はいつもより少し甘えん坊になりましたが、それもかわいく思え、残された2人だけの時間を愛おしく感じていました。 下の子が生まれて起こった気持ちの変化下の子が生まれると、娘はさらに私に甘えるようになりました。パパは仕事が忙しく、退院直後からワンオペ育児で余裕のなかった私は、娘の甘えに対していつしかイラッとするようになってしまったのです。 それでも、2人目が生まれたときは上の子優先!という先輩ママのアドバイスもあり、できるだけ娘の甘えを受け入れるようにしていたのですが……。そこには完全に無理している自分がいました。特にハグなどのスキンシップには、強い拒否反応を感じてしまいました。 上の子をかわいく思えず悩んだ日々私に限ってそんなことはない!と思っていましたが、残念ながら明らかに「上の子かわいくない症候群」でした。相談した先輩ママたちからは、「今だけだよ、自然に直るよ」と言ってもらったものの、毎日が苦しくて、娘に申し訳なくて、自己嫌悪に陥り悩みました。 ただ不思議と、下の子が寝ている間は出産前と同じように娘にやさしくなれたのです。下の子が起きているときは、仮面をかぶって娘と向き合っているようでつらかったですが、下の子が大きくなるにつれて、不思議と少しずつ、娘への気持ちは戻っていきました。そして今は完全に元に戻りました。 あの日々の葛藤はつらかったですが、これまで娘には手をかけすぎたかもしれない、過保護気味だったかなと思うこともあり、2人目が生まれたことで、ほどよい親子の距離感になったようにも思います。これから先も親子のあり方に悩むこともあると思いますが、その都度、より良い関係に変化していけたらいいと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/山口がたこ著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月25日私には2人の息子がいます。次男を出産するとき、子宮口は順調に開いたのに破水はなかなかしませんでした。いよいよ人工破膜をしなくては、というタイミングで、思いもよらないことが起こったのです。2度目の出産だからと高をくくっていた私が、助産師さんまでをも巻き込んでしまった、次男出産時の恥ずかしかった体験談をお話しします。順調に開いていく子宮口私が長男を出産したときは、病院へ着いてから1時間もたたないうちに、第一子と思えないほどあっという間に生まれてきました。 次男妊娠中もこれといって問題はなく順調でした。2人目の出産でもあり、痛みにもわりと強いタイプだったので、私は陣痛が始まっても「夕飯を食べてから病院へ行こう」と考えられるほど余裕があったのです。 陣痛の間隔が短くなり、病院へ行くとすでに子宮口は7cm。痛みはあるものの、私はもうすぐ生まれてくるという高揚感でいっぱいでした。 なかなか破水しなくて…しかし、病院について1時間ほどたっても破水しません。子宮口は時間が経つにつれて広がっていきます。子宮口が広がるとともに、私はいきみたい気持ちになってきました。いきみ逃しも限界だと思っていたところ、助産師さんが独り言のようにこう言いました。「人工破膜をしたほうが良いみたいね……」。 人工破膜とは、文字通り人工的に膜を破り破水させることです。助産師さんが子宮口を確認しようと身をかがめたそのとき、思いもよらないことが起こりました。 人工破膜の前に、まさかの…!?バッシャーン! なんと、その瞬間に勢いよく破水したのです。それは、まるで大きな水風船が割れたかのような激しさでした。 身をかがめていた助産師さんの顔面は羊水だらけで、シャワーをかけられたかのようにびしょ濡れに。私は陣痛の痛みを感じつつも、恥ずかしさと申し訳なさで顔から火が出そうでした。何度も謝る私に、助産師さんは笑顔で「気にしないで!」と答えてくれました。 破水後、私は次男を無事に出産しました。「2人目だし、大丈夫」と高をくくっていた私。まさか羊水を助産師さんの顔面にかけてしまうとは思いませんでした。嫌な顔ひとつせず、最後まで気丈に私の出産をサポートしてくれた助産師さんに、感謝しています。こんな赤っ恥エピソードですが、今では良い思い出です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2022年06月25日ブログやSNSに投稿されているAiさんが、フォロワーさんの体験談をマンガ化! 前作「分娩室乱入事件」の続編になります。主人公の美月さんが出産を終え、退院してからのお話です。出産日の当日、分娩室に乱入した義父に出産シーンを見られてしまった美月さん。タバコを吸っていて立ち会う瞬間に間に合わなかった夫に後日そのことを話すと、ケラケラと笑いながら「親父が変な目で見ているとでも言うのかよ」とひと言。その発言と夫の態度に美月さんはブチギレ! 退院するまで義父と夫を出入り禁止にしたのでした。(※コロナ前のお話です)毎朝半額のマグロを持って訪ねてくる迷惑な義父の行動に嫌気がさしていた美月さん。 この日もいつも通り義父が訪ねてきたのですが、美月さんの体調は思わしくありませんでした。 「気持ち悪くて食べられそうにありません」 そう正直に義父に伝えると、反論されてしまいます。 (しょうがない。一口だけ食べて今日は帰ってもらおう) そう思いながら我慢してマグロを口の中に入れると、突然吐いてしまって……!? マグロを口に入れた瞬間、嘔吐が止まらず… 大変な状況にも関わらず、義父は「帰るから。お大事にな」とひと言。 「待ってください!息子を……っ」 そう言いかけると、美月さんはバタンッと倒れてしまったのです。 赤ちゃん泣き声が聞こえているのに、意識は薄れていって……!? さらにAiさんのマンガは、このほかにもブログやInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:マンガ家・イラストレーター Ai2児の母でライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログで過去の体験談やフォロワーさんのエピソードを漫画にして紹介しています。
2022年06月25日切迫早産で入院していたわこさん。無事、退院となり、実家で過ごしていました。妊娠39週0日16時ごろ、突然激しい腰の痛みに襲われたわこさんは、病院に相談し、救急外来に行くか迷います。しかし、「腰痛で救急外来なんて大げさ? コロナ感染のリスクも上げたくないし……」と悩んで夜を迎えると、今度は過呼吸が!いつものパニック発作だろうと様子を見ていると、症状はどんどんひどくなって……!? 救急車呼んで! 突然の激しい腰の痛みのあと、過呼吸が起こってしまいました。持病のパニック障害の症状だろうと、自宅で様子を見ていたところ、過呼吸はいっこうにおさまりません。 はじめはその様子を見た両親も、いつものパニックが起きているのだろうと思っていました。 しかし、 「ふふふふるえて、ううううまく、しゃ、しゃべれないいい」 とガチガチ震えながら言うわこさんを見て、いつものパニック発作ではないのかもしれないと焦りだします。そしてこのとき熱は39.6度。やがてわこさんは、息ができないほど苦しくなってしまいました。 そのときわこさんの頭によぎったのは、おなかの赤ちゃん……。 「赤ちゃんに酸素がいかなくなったらどうしよう!!」という思いから、 「救急車呼んで!」 わこさんは両親に叫んだのでした。 ◇◇◇ みなさんは救急車を要請したことはありますか? 政府広報オンラインのホームページによると、要請するときのポイントは、119番に電話をかけたら、「救急」であることを伝え、次に住所を伝えることだそうです。その時点で救急車は出動するので、その後は落ち着いて、症状、年齢、性別などを伝えるとよいと説明しています。いつ誰が救急車を呼ぶことになるかわからないもの。いざというときに慌てずに対処できるよう、流れを把握しておくと安心ですね。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター わこ30代よわよわ主婦。2020年9月に娘を出産し、夫と3人暮らしです。妊娠出産のエピソードや日々の出来事をInstagramやブログに投稿しています。
2022年06月24日私には長男と双子の息子たちの3人の子どもがいます。長男を出産したとき、左の乳頭が陥没乳頭だったためうまく吸えず、生後4カ月ごろから完全ミルク育児になりました。その経験に加え、今回は双子育児となるため完全母乳育児は難しいと思い、生後1カ月ごろまでは混合で育てて、その後完全ミルク育児をしようと考えていました。しかし、次男だけが育児用ミルクをどうしても口にせず、完全母乳育児をせずにはいられない状況になったのです……。 生後2カ月を過ぎたころから双子たちを出産して入院中は完全母乳、退院後は混合育児でした。双子で泣くタイミングが同時だったり、おむつ替えや育児用ミルクの準備で自分自身に余裕がなくなり、徐々に母乳をほとんど吸わせず育児用ミルクだけになっていきました。 そして、双子育児が忙しくなるにつれ、自分自身の食事時間も内容も適当になってしまったこともあったのか、生後1カ月過ぎには母乳がほとんど出ない状況に……。 生後2カ月ごろ、次男に育児用ミルクをあげているとき眉間にしわを寄せて飲んでいることに気づきました。最初はどうしたんだろう?と様子を見ていたのですが、その後飲むのを拒否するようになったのです。 ミルクや哺乳びんをすべて試す次男のミルク拒否でずいぶん頭を悩ませ、試行錯誤しました。 まず育児用ミルクの種類を変えてみました。 しかし、どのメーカーの育児用ミルクも拒否。その後、哺乳びんと哺乳びんの乳首の形も変えたり、ネットでミルク拒否についての記事を検索して読みあさったり……。 またその間、母乳が少しでも出るようにおっぱいマッサージを頑張ることで、なんとか母乳が出るようになりました。しかし、陥没乳頭のほうはニップルシールドを付けて飲ませてみても、飲んでくれませんでした。 さらには陥没乳頭のほうは搾乳し、哺乳びんに入れて飲ませてみましたが、それも拒否。結局、右のおっぱいだけで次男を育てることになり、陥没乳首のほうは自然に母乳が出なくなってしまいました。 離乳食を急いで開始したものの哺乳びんを嫌がる次男に哺乳びん以外の方法で育児用ミルクもあげようと頑張りました。スポイトで育児用ミルクを飲ませてみたり、ストローやコップ飲みをさせてみたりといろいろな方法を試しましたが、母乳を乳首からしか飲んでくれず……。 病院で検査入院という形で1日だけ入院した際、母乳の量と赤ちゃんの様子を診てもらいましたが、特に赤ちゃんに異常が見られなかったので、結果的にはそのまま完全母乳で育てることになりました。 片方の母乳だけだと量が足りていないのではないかと心配でしたし、体重が減らないように注意したものの、三男との体重差がどんどん開いてしまったことも心配でした。 そこで生後5カ月を過ぎるとすぐに離乳食を開始し、なるべく早く母乳以外でも栄養をあげたいと思うように。しかし、離乳食も思うように進まず悪戦苦闘しました。 突然の卒乳1歳を過ぎたころ、吸わせていたほうの乳首が乳腺炎になってしまい母乳の量もずいぶん減りました。そして味も変わってしまったからなのかわかりませんが、次男自ら母乳を欲しがることがなくなり、その後も一切おっぱいを触らないまま突然の卒乳に。 卒乳した次男は徐々に離乳食を食べる量も増え、それに伴い体重も増加! 片方しか母乳を吸わせることができず、とても長く感じた私の母乳育児でした。 陥没乳頭は赤ちゃんにとって吸うのが難しいようで、私の場合はニップルシールドや吸引器などを使っても息子たちには無理でした。次男は母乳が足りず授乳が終わっても乳首を離さなかったり、ぐずる時間が多かったり、卒乳までかわいそうな思いをさせてしまいました。三男に対しても母乳を与えることができず、ごめんね……という思いだけが未だに残っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/星田つまみ著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月24日先輩ママから便利とよく聞く「バウンサー」。赤ちゃんが生まれる前や生まれたあとすぐに購入を検討する人も多いと思います。でも、実際にバウンサーが必要なのか、またどんなバウンサーを選べばいいのか悩みますよね。そこで、おすすめのバウンサーや選び方…
出産準備で購入を検討するもののひとつ、ベビーベッド。決して安くはない買い物になりますので本当に必要なのか?使う期間は? と悩まれる方も多いと思います。場合によってはレンタルのほうがお得になることもあります。そこで、先輩ママたちの実体験やお…
2人目までは一人っ子より兄弟がいたほうがいいと思って産めても、3人目となると迷ってしまうママも多いと思います。育児や経済的負担だけでなく、仕事をしているママにとってはキャリアが途切れてしまうことも悩みのひとつです。そこで、3人目を産んで良…
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女優の小雪さんが利用したことから産後ケア施設はもはやママたちの新常識になりつつあります。最近では、卓球の福原愛さんも台湾の産後ケアセンターに1ヶ月滞在したそう。出産で体にダメージを受けた女性の体に必要な産後ケアのポイントと、自宅でできるマ…
何か月も続くつらいつわり。人によって症状が違うこともあり、まわりの人にはなかなかその苦しみがわかってもらえないのが余計につらいところ。そんなつわりについて、タイプや乗りこえ方をまとめました。プレパパに読んでもらいたい内容もあるので、ぜひご…
妊娠36週を過ぎるといよいよ臨月。マタニティライフも残りわずかです。臨月になると、出産準備や産後の不安でストレスを感じる人も少なくないそうです。今回は臨月のストレス緩和方法や過ごし方についてまとめました。臨月、またはまもなく臨月を迎える妊…
親の手を借りて体を休められる里帰り出産ですが、意外とストレスになるなど、いいことばかりとは限らないようです。里帰り出産のメリットデメリット、また成功させるために必要な準備についてまとまめました。いつからいつまで帰るべき? 何を用意していく…
我が子の誕生に立ち会うのは、感動的。出産に立ち会いを希望する旦那さんも多いでしょう。しかし、実際に出産の場に立ち会うとなると、夫として「自分に何ができるのだろう」と疑問に思う人も。立ち会い出産にまつわる、夫と妻、それぞれの本音と希望をまと…
ムスメちゃんとオコメちゃん
うちの家族、個性の塊です
夫婦・子育ていまむかし